ドヴォルザーク

2016年03月19日


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本盤には、カラヤンがウィーン・フィルを指揮して演奏したドヴォルザークの交響曲第8番及び第9番が収められている。

両曲ともにカラヤンは十八番としており、これまでに何度もスタジオ録音を繰り返し行っている。

第8番で言えば、ウィーン・フィルとの演奏(1961年)、そして手兵ベルリン・フィルとの演奏(1979年)があり、第9番については、手兵ベルリン・フィルとの4つの演奏(1940年、1957年、1964年及び1977年)が存在している。

いずれ劣らぬ名演であると言えるが、これらの名演の中でとりわけカラヤンの個性が発揮された演奏は、ベルリン・フィルとの全盛期の1970年代の演奏であったと言える。

この当時のカラヤン&ベルリン・フィルの演奏は、分厚い弦楽合奏、ブリリアントなブラスセクションの響き、桁外れのテクニックをベースに美音を振り撒く木管楽器群、そして雷鳴のように轟きわたるティンパニなどが、鉄壁のアンサンブルの下に融合し、およそ信じ難いような超絶的な名演奏の数々を繰り広げていた。

カラヤンは、このようなベルリン・フィルをしっかりと統率するとともに、流麗なレガートを施すことによっていわゆるカラヤンサウンドを醸成し、オーケストラ演奏の極致とも言うべき圧倒的な音のドラマを構築していた。

したがって、両曲についても、特に第9番については1977年盤、第8番については1979年盤においてかかる圧倒的な音のドラマが健在であるが、この稀代の黄金コンビも1982年のザビーネ・マイヤー事件の勃発を契機として、大きな亀裂が入ることになった。

加えて、カラヤン自身の健康悪化もあり、カラヤン&ベルリン・フィルの演奏にもかつてのような輝きが失われることになったところだ。

そのような傷心のカラヤンに温かく手を差し伸べたのがウィーン・フィルであり、カラヤンもウィーン・フィルに指揮活動の軸足を動かすことになった。

本盤の演奏は、そのような時期(1985年)のカラヤンによる演奏であり、ここには1977年盤(第9番)や1979年盤(第8番)のようなオーケストラを圧倒的な統率力でドライブして音のドラマを構築したかつてのカラヤンの姿はどこにも見られない。

ただただ音楽そのものを語らせる演奏であるとさえ言えるだろう。

したがって、カラヤンの個性の発揮という意味においては1977年盤(第9番)や1979年盤(第8番)と比較していささか弱いと言わざるを得ないが、演奏が含有する独特の味わい深さや奥行きの深さという意味においては、本演奏の方をより上位に掲げたいと考える。

特に、第9番の第2楽章。

有名な家路の旋律をカラヤンは情感豊かに演奏するが、中間部は若干テンポを落として心を込めて歌い抜いている。

この箇所の抗し難い美しさはこれまでの他の演奏からは決して聴けないものであり、これこそカラヤンが最晩年になって漸く到達し得た至高・至純の境地と言えるだろう。

第8番の第3楽章の名旋律の清澄な美しさにも枯淡の境地を感じさせるような抗し難い魅力がある。

ウィーン・フィルも、名誉指揮者であるカラヤンに心から敬意を表して、持ち得る実力を最大限に発揮した渾身の大熱演を披露しているのが素晴らしい。

いずれにしても、本演奏は、重厚さと優美さ、ドヴォルザークならではのボヘミア風の抒情、そして、カラヤンが最晩年になって漸く到達し得た至高・至純の境地とも言うべき独特の味わい深さと言ったすべての要素を兼ね備えた、まさに完全無欠の超名演と高く評価したい。

このような完全無欠の超名演を2曲カップリングしたCDというのは、野球の試合に例えれば、ダブルヘッダーで両試合とも完全試合を達成したようなものであるとさえ言えるだろう。

音質は、リマスタリングがなされたこともあって従来盤でも十分に満足できるものであるが、SHM−CD化によって若干ではあるが、音質がやや鮮明になるとともに、音場が幅広くなったように思われる。

もっとも、カラヤンによる至高の超名演でもあり、今後はシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化を図るなど、更なる高音質化を大いに望んでおきたいと考える。

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2016年03月01日


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ノイマンは、ライナーノーツにも記されているように、ドヴォルザークの「新世界より」を160回も演奏したようである。

チェコ出身の指揮者だけに、同曲はバイブルのような存在なのかもしれないが、それにしても、その演奏回数は尋常ではないと言えるのではないか。

筆者がこれまでCDで聴いてきたノイマンの演奏では、1973年の旧全集盤、1982年の新全集盤、N響との1986年盤、ポニーキャニオンに録音した1995年盤、そして本盤の1993年盤の5種であるが、いずれも、ノイマンの同曲への深い愛着を感じさせる名演であり、甲乙つけ難い高水準の演奏に仕上がっている。

ただ、どれか1枚をあげろと言われれば、同曲の初演100周年を記念して録音された本盤ということになるのではないかと考える。

数え切れないほどこの曲を演奏してきた巨匠ノイマンとチェコ・フィルにとっても、この演奏会は特別なものであり、その堂々たる演奏は他の追随を許さない王道中の王道といえるものだ。

「本場」と言えば、まさにそのことを誇る演奏で、歴史と愛着と、そして自信をこめた演奏がここにあり、同曲の模範的演奏であると確信するものである。

知と情のバランスのとれた名演で、何の気負いも衒いもなく、きっちりとドヴォルザークの音楽が展開される。

「チェコの指揮者とチェコ・フィルのよる100年記念の演奏」ということで、この曲に内在する深い郷愁の感情を前面に押し出した祝祭的な演奏を期待するとややはぐらかされるかもしれない。

そのかわり、しっかりした三次元的なバランスのいいオーケストラの音と、余計な恣意的なものの付け加わらない、実に純粋で真摯な《新世界》の音楽が伝えられる。

かといって、決して情緒の深さに欠けているという意味ではなく、第2楽章の哀愁も、第4楽章の激しい感情の起伏も十分に堪能できる。

ただ、ノイマンの音楽は、常に「ノリ」を超えないというか、過度に情緒に浸ることは絶対にない。

オーケストラは、木管群も金管もどちらかというと地味だが、さすが第4楽章のホルンをはじめ金管群は凄く、第4楽章全体は、抑えていたものが一気に爆発するような感じがある。

個性を強調したり、やたら民族色を振りかざすアプローチではないが、どこをとっても人間的な温もりのあるふくよかな抒情に満ち溢れており、ノイマンの同曲への愛着も相俟って、最もゆったりとした気持ちで同曲を満喫することができる点を高く評価したい。

これだけの名演だけに、コロンビアは、DVD−audio盤、HQCD盤とこれまで高音質録音盤を発売してきたが、DVD−audio盤はイマイチ。

するとHQCD盤との比較になるが、臨場感という意味において、本盤のblu-spec-CD盤に一日の長があるのはないかと考える。

故郷ボヘミヤへのドヴォルザークの想い、周辺国の支配から独立した自国へのチェコの人々の想い、そして自国の英雄ドヴォルザークへの想いなど、いろいろな想いが込められた熱演で、聴く側にもその想いが伝わって来る好アルバムと言えよう。

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2015年09月17日


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ドヴォルザークの『スターバト・マーテル』を久しぶりに聴いた。

ビエロフラーヴェク指揮、プラハ交響楽団、プラハ・フィルハーモニー合唱団で聴くのは初めてだが、それだけに改めてこの作品の清冽な美しさに率直に感動した。

この曲には幼い娘と息子を相次いで亡くしたドヴォルザークの深い悲しみが映し出されていることは事実としても、4人のソロとコーラスを含む大規模な宗教曲に昇華させた作曲家としての力量はもっと評価されるべきだろう。

このセットの中でも1時間40分に及ぶ大曲『レクイエム』をサヴァリッシュ、チェコ・フィルハーモニーの演奏で聴けるのも幸いだ。

緻密な音楽設計で注意を逸らすことなく聴かせるサヴァリッシュの手腕とオーケストラの織り成す斬新な音響は、従来の宗教曲とは一風異なった趣を持っているだけに興味深い。

またスメターチェクの指揮による『テ・デウム』を聴くと、殆んどスラヴ舞曲集の延長線上に作曲されていることが理解できて、その民族主義的な大胆さに驚かされる。

ドヴォルザークの宗教作品は後のヤナーチェクに通じるスラヴ特有の土の薫りと流麗な起伏を伴う、さながら壮麗な抒情詩の佇まいを持っていて、彼が交響曲や弦楽四重奏だけでなくこうした声楽曲にも優れた手腕を発揮していたことを証明している。

その他に珍しいレパートリーとしては作曲家の出世作になった意欲的な頌歌『白山の後継者達』がズデ二ェク・コシュラーとプラハのメンバーで収録されている。

チェコ・スプラフォンではドヴォルザークの作品全集をジャンル別にまとめてバジェット・ボックスで順次刊行している。

この8枚組の宗教曲及びカンタータ集で既に7セット目になり、殆んどがチェコの演奏者による録音でリリースごとに新しく独自のリマスタリングが施されているのもセールス・ポイントだ。

いずれの作品集にも優れた作曲家と演奏者を輩出してきた祖国への彼らの強い自負が感じられるだけでなく、実際その水準の高さはお国物ということを度外視しても常に第一線に立って恥じないものだ。

尚このセットのライナー・ノーツは26ページほどあり、録音データや演奏者についてはくまなく明記されているが歌詞対訳は省略されている。

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2015年09月10日


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サヴァリッシュへの追悼として聴き直したCDのひとつで、ドヴォルザークのチェロ協奏曲に対して大上段に構えた演奏ではなく、曲想のきめ細かさやリリカルな特性を精緻に追ったチェリスト、ナターリア・グートマンの解釈が秀逸。

サヴァリッシュのサポートも巧みで、オーケストラの響きは美しく、壮麗で力強く引き締まっており、サヴァリッシュの指揮も気力が充実して、両者のハッタリのない知性的な協演に好感が持てる。

全曲のあらゆる部分にグートマンの高度なテクニックが冴え渡っているが、常に節度を保ちながらツボを外さない演奏は如何にも彼女らしい。

ただしこの曲に民族的な熱血感や迫力を求める人には期待に沿わないだろう。

第2楽章では素晴らしい抒情と彼らならではの静的だが溢れ出るような瑞々しいペーソスが支配している。

サヴァリッシュもここでは一層注意深くフィラデルフィアを制御してグートマンのソロを効果的に引き立てている。

チェロと木管楽器の絡み合いは永遠の憧憬を追うような美しさを持っている。

終楽章では迸るような軽快さとメリハリのあるダイナミズムで、ソロとオーケストラの華麗な協演が繰り広げられ、決してスケールの小さい演奏でないことを証明している。

カップリングはドヴォルザークの交響曲第7番で、実はこちらの方が第1曲目として収録されているのだが、リイシューのときに同じドヴォルザークの『交響的変奏曲』に替わってリカップリングされたものだ。

この曲でもアメリカ的で開放的なパワフルなサウンドが聴けるかというとそうではない。

サヴァリッシュは金管楽器を注意深く抑えて、弦楽器や木管楽器を巧みに前面に出している。

余裕のあるパワーは充分に感じられるが力で押す演奏ではなく、あくまでもバランス技で絶妙な均衡を導く指揮が彼の流儀だ。

純度の高い表現であり、推進力が強く、軽快なリズム感によって勢いのある音楽を聴かせてくれる。

またインターナショナルなメンバーによるセッションなので、強烈な民族性というのも期待できないが、逆にこの曲を総合的に見極めた、洗練されたより古典的な美しさが特徴だろう。

1990年代初めのデジタル録音だが、全体的にやや切れが悪い音質に弱点がある。

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2015年08月19日


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2011年に他界したチェコのヴァイオリニスト、ヨセフ・スークのソロとヴァーツラフ・ノイマン指揮、チェコ・フィルハーモニー管弦楽団の協演によるチェコの作曲家の作品4曲を収めた純血種のセッションである。

作曲家から演奏家までを総てチェコ勢で固めただけでなく、スークにとっては作曲家ヨセフ・スークは祖父、ドヴォルザークは曽祖父でもあり、当然チェコの老舗スプラフォンからのリリースという純血種のコンビネーションが冗談抜きで楽しめる1枚だ。

実際のコンサートでは取り上げられることがそれほど多くないドヴォルザークのヴァイオリン協奏曲だが、このメンバーで聴く限りは本家の威厳を感じさせるだけでなく、流石に音楽性に溢れる説得力のある演奏に引き込まれる。

美音家スークのソロは特に第2楽章アダージョ・マ・ノン・トロッポで独壇場の冴えを聴かせてくれる。

尚4曲目のスークの『おとぎ話』のみが1978年のライヴから採られた初のCD化になり、3曲目の『幻想曲』は1984年、それ以外は1978年のセッションで既に別のカップリングでリリースされていたものだ。

名演奏家の組み合わせが国際化した現代では、より普遍的な音楽の解釈が一般的であり、わざわざ同国籍のアーティストを揃えてお国ものを披露すること自体むしろナンセンスで、またそれによって高い水準のセッションが可能になるとは限らない。

しかし彼らにとって自国の作曲家の作品を謳歌する風潮がソ連の軍事介入があった1968年の「プラハの春」前後に最高潮に達していることを思えば、単なる民族の祭典的な意味に留まらず、やむにやまれぬ政治的な背景が彼らを演奏に駆り立てていたに違いない。

皮肉にもこうした状況が実際彼らの強みでもあり、また自負となって演奏に反映しているのも事実だ。

指揮者ヴァーツラフ・ノイマンはスメタナ四重奏団創設時のメンバーでもあり、またラファエル・クーベリックとカレル・アンチェルの2人の常任指揮者の相次ぐ亡命という異常事態の後を継いでチェコ・フィルを守り全盛期に導いた。

ここに選ばれた作曲家のほかにもマルティヌーやヤナーチェクなど自国の作曲家の作品を世に問うた功績は大きい。

当時のチェコ・フィルは弦の国と言われるだけあって、特に弦楽器のセクションが流麗で、独特の統率感に支えられた合奏力の巧みさも聴き所のひとつだ。

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2015年08月09日


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チェコ・フィルを振ったドヴォルザークの交響曲第8番が1969年、ルツェルン祝祭管弦楽団とのブラームスの交響曲第1番が1962年のそれぞれルツェルン音楽祭でのライヴ録音で、どちらもオリジナル・テープからのリマスタリングによる良好な音質が再現されている。

前者は楽章の切れ目ごとの聴衆の雑音や演奏終了後の歓声が入っていなければセッションと思えるほどの完璧さと、演奏中一音も聴き逃すまいとする会場に水を打ったような静けさが印象的だ。

オン・マイクで採音されているために音響がややデッドだが、それだけに細部も明瞭に聴き取ることができる。

一方後者は擬似ステレオで音場がいくらか狭く、音像も多少平面的だが当時のライヴとしては決して悪い音質ではない。

2曲ともセルの非常に厳格な指揮法によってオーケストラが統率されているが、そこから熱く迸るような音楽が流出している。

ドヴォルザークでは一音符たりとも疎かにしない誠実さと、アンサンブルの徹底した合わせの上に築いていくセルの潔癖とも言える音楽作りにチェコ・フィルがその機動力を駆使して演奏に臨んでいるのがひしひしと伝わってくる。

第2楽章ではセル一流の筋を通した抒情と牧歌的な幻想が美しく、ここではブルーノ・ベルチクのソロ・ヴァイオリンも雰囲気を盛り上げている。

終楽章の変奏でのバランスを保ちながら金管楽器を際立たせる手法は模範的で、テンポを巧みに動かして息もつかせずたたみかけるフィナーレに、応える会場のどよめきが一層感動的だ。

ブラームスに関してはこれだけ激情的な解釈もあったかと思えるほど張り詰めた緊張感と鋭い感性が漲った演奏で、第4楽章のテーマに入る前に思い切ってホルンを咆哮させている。

この部分は例えて言うならば、ベームの演奏では雲間から差し込んでくる陽光のようだが、セルのそれは今にも堰を切って一斉に流れ込む大河のようだ。

この頃のルツェルン祝祭管弦楽団は個人的な演奏技術から言えばそれほど高いレベルではなかったにしても、セルによって鍛え上げられた彼らの演奏に賭けたハイ・テンションの意気込みが感じられる。

デジパック入りでファースト・マスター・リリースのシールが貼ってあるアウディーテ・レーベルからの初出音源のひとつになる。

数葉の写真入31ページの独、英、仏語によるライナー・ノーツが挿入されている。

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2015年08月01日


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本盤にはチョン・ミュンフンがウィーン・フィルを指揮して演奏したドヴォルザークの弦楽セレナード及び管楽セレナード(2001年)が収められている。

ここでチョン・ミョンフンは、ウィーン・フィルという最高の楽器を用いて奏でた至芸を披露している。

チェコの民謡をほとんど感じさせず、ドヴォルザークの作品としては異色の2作品であるが、民俗的な表情に寄り掛からず、どっしりと遅めのテンポでオーケストラをたっぷりと歌わせた純音楽的な表現が新鮮な感動を呼ぶ。

何事にも全力投球で取り組み、完全燃焼するチョン・ミュンフンは、ウィーン・フィルとともに既にドヴォルザークの交響曲第3番及び第7番の録音(1995年)及び交響曲第6番及び第8番の録音(1999年)を行っており、見事な成果をもたらした。

本盤は同コンビによるドヴォルザーク作品集第3弾ということになるが、今回も美しい旋律を持つこの2作品を強い説得力をもって語りかけ、情感豊かな歌に満ちた名演に仕上がっている。

最近では、その芸風に円熟味が加わると同時にやや元気がなくなり、いささか影が薄い存在になりつつあるチョン・ミュンフンであるが、1980年代後半から2000年代前半にかけてのチョン・ミュンフンの演奏は実に魅力的であった。

本演奏でもそれが顕著にあらわれているが、この当時のチョン・ミュンフンの演奏に共通していたのは、ひたすら曲想を前に進めていこうとする気迫と、切れば血が噴き出てくるような生命力溢れる力強さであったと言える。

それ故に、テンポは若干速めであると言えるが、それでいていわゆる上滑りをしたり、薄味の演奏に陥ることはいささかもなく、どこをとっても豊かな情感に満ち溢れているのが素晴らしいと言える。

ドヴォルザークの弦楽セレナードは比較的ゆっくりとしたテンポで演奏されることが多いが、チョン・ミュンフンのテンポは軽快で、フレージングの仕方もさすがと言わざるを得ない。

また、チョン・ミュンフンは必ずしもインテンポに固執しているわけではない。

一聴すると、音楽がやや速めのテンポでごく自然に滔々と流れていくように聴こえるところであるが、随所にテンポの微妙な変化を加えたり、はたまた格調の高さをいささかも失うことなく個性的な表情づけを付加するなど、実に内容の濃い演奏を行っているのがわかるところである。

そして、本演奏をさらに魅力的なものにしているのは、ウィーン・フィルによる美しさの極みとも言うべき名演奏であると言えるところであり、演奏全体に適度の潤いとあたたかみを付加しているのを忘れてはならない。

チョン・ミュンフンの音楽性豊かな指揮の下、極上の美演を展開したウィーン・フィルに対しても大きな拍手を送りたいと考える。

特に弦楽セレナードでは、さすがウィーン・フィルと思わせる高音部の音のきらめき、粒の均一さを感じることができる。

中でも第1楽章の最後では、テンポが動きやすく、しかもトリルが連続する難しい場面の音の揃え方は、見事の一言に尽きる。

ウィーン・フィルの美質を見事に生かしきったチョン・ミュンフンによる演奏は、数々の名盤にも決して引けをとらない名演と言えるだろう。

本演奏の素晴らしい出来具合などに鑑みれば、チョン・ミュンフンには是非ともウィーン・フィルとともに、ドヴォルザークの交響曲全集を完成させて欲しいと思っている聴き手は筆者だけではあるまい。

録音は、従来盤でも十分に満足できる音質ではあるが、チョン・ミュンフンによる素晴らしい名演でもあり、今後はSHM−CD化、そして可能であればシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化を図るなど、更なる高音質化を大いに望んでおきたいと考える。

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2015年07月14日


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ドヴォルザークの交響曲は、ドイツ=オーストリア系の音楽を得意とした巨匠ワルターとしては珍しいレパートリーである。

同時代の巨匠フルトヴェングラーにとってのチャイコフスキーの交響曲のような存在と言えるかもしれない。

しかしながら、本盤に収められた「第8」は、そのようなことは感じさせないような老獪な名演に仕上がっている。

同曲に特有のボヘミア風の自然を彷彿とさせるような抒情的な演奏ではなく、むしろ、ドイツ風の厳しい造型を基本とした交響的なアプローチだ。

それでいて、いわゆるドイツ的な野暮ったさは皆無であり、ワルター特有のヒューマニティ溢れる情感の豊かさが、造型を意識するあまり、とかく四角四面になりがちな演奏傾向を緩和するのに大きく貢献している。

とりわけ感心したのは終楽章で、たいていの指揮者は、この変奏曲をハイスピードで疾風のように駆け抜けていくが、ワルターは、誰よりもゆったりとした踏みしめるような重い足取りで演奏であり、そのコクのある深みは尋常ではなく、この曲を初めて聴くような新鮮さを感じさせる。

まさに、老巨匠ならではの老獪な至芸と言えるだろう。

「新世界より」もいわゆるボヘミアの民族的な抒情性を全面に打ち出した演奏ではなく、ワルターが得意としたドイツロマン派的なアプローチによる演奏ということが言える。

同時代の巨匠クレンペラーも、「新世界より」の名演を遺したが、同じドイツ風の演奏でありながら、クレンペラーの名演は、インテンポによる荘重さを旨とした演奏であった。

それに対して、ワルターの演奏は荘重といったイメージはなく、いつものワルターならではのヒューマニティ溢れる情感豊かな演奏である。

例えば、第1楽章冒頭の導入部など、テンポや強弱において絶妙な変化を加えており、第2楽章の中間部のスローテンポと、その後主部に戻る際のテンポや、第3楽章のリズムの刻み方も大変ユニークだ。

したがって、ドイツ風の演奏でありながら、野暮ったさは皆無であり、そうした点は巨匠ワルターならではの老獪な至芸と言うべきであろう。

ただ、楽曲の性格に鑑みると、「第8」の方がワルターのアプローチに符合すると言えるところであり、「第8」と比較すると、もちろん高い次元での比較であるが、名演のレベルが一段下のような気がした。

しかしながら、いずれも歌心にあふれたドヴォルザークで、恰幅の良い堂々たる構えながら、細部まで目の詰んだ演奏は聴くたびに新しい発見をもたらしてくれる。

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2015年07月06日


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本盤に収められたドヴォルザークの交響曲第8番及び第9番「新世界より」は、クーベリック&ベルリン・フィルのコンビによる交響曲全集からの抜粋である。

交響曲第8番及び第9番「新世界より」については、既にリマスタリングCDが発売された際に、次のようなレビューを既に投稿済みである。

「クーベリックは、ドヴォルザークの交響曲、とりわけ「第8」及び「第9」については何度も録音しているが、その中でも最も優れた演奏は、本盤に収められたベルリン・フィル盤であると考える。

「第8」については、その後、バイエルン放送交響楽団とともにライヴ録音(1976年)、「第9」については、バイエルン放送交響楽団(1980年)、次いでチェコ・フィル(1991年)とともにライヴ録音しているが、バイエルン放送交響楽団との演奏は、いずれも演奏自体は優れた名演に値するものであるが、ノイズの除去のために低音域を絞ったオルフェオレーベルの音質が演奏のグレードを著しく貶めていることになっており、筆者としてはあまり採りたくない。

「第9」のチェコ・フィル盤は、ビロード革命後のチェコへの復帰コンサートの歴史的な記録であり、演奏全体に熱気は感じられるが、統率力にはいささか綻びが見られるのは否めない事実である。

こうした点からすれば、クーベリックによるドヴォルザークの「第8」及び「第9」の決定盤は、本盤に収められた演奏ということになる。

それどころか、他の指揮者による名演と比較しても、トップの座を争う名演と高く評価し得るのではないだろうか。

このうち「第8」は、1966年と録音年がいささか古いが、それだけにベルリン・フィルが完全にカラヤン色に染まっていない時期の録音であり、チェコの大自然を彷彿とさせるような情感の豊かさや瑞々しさが演奏全体に漲っているのが特徴だ。

テンポなども随所で変化させており、トゥッティに向けて畳み掛けていくような気迫が漲っているが、音楽の自然な流れをいささかも損なっていないのが素晴らしい。

本盤の4年後に、セル&クリーヴランド管弦楽団による同曲最高の超名演(1970年)が生まれているが、本演奏はそれに肉薄する超名演と高く評価したい。

これに対して、「第9」は1972年の録音で、ベルリン・フィルがほぼカラヤン色に染まった時期の録音だ。

それだけに、全体的にはチェコ風の民族色がやや薄まり、より華麗で明瞭な音色が支配しているように感じるが、それでも情感の豊かさにおいてはいささかの不足もなく、「第9」の様々な名演の中でもトップの座を争う名演であることには変わりはない。

ただ、名演としての評価は揺るぎがないものの、クーベリックらしさと言う意味においては、「第8」と比較するとややその個性が弱まっていると言えるところであり、このあたりは好き嫌いが分かれるのかもしれない。

ベルリン・フィルも、両演奏ともにクーベリックの指揮の下、素晴らしい演奏を繰り広げており、各管楽器奏者の卓越した技量には惚れ惚れするほどだ。」

音質については、リマスタリングがなされるなどかなり良好なものであるが、先般、ユニバーサルがシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化が図られることになった。

これは、当該演奏が至高の超名演であることに鑑みても、歴史的な快挙と言えるだろう。

当該シングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤は、これまでの既発のリマスタリングCDとは次元が異なる極上の高音質であり、音質の鮮明さ、音圧、音場の広さのどれをとっても一級品の仕上がりである。

クーベリックによる歴史的な超名演、そしてドヴォルザークの交響曲の第8番及び第9番の演奏史上トップの座を争う至高の超名演を、このような極上の高音質SACD盤で味わうことができるのを大いに喜びたい。

また、可能であれば、それ以外の交響曲についても、シングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化を望む聴き手は筆者だけではあるまい。

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2015年06月24日


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本盤に収められたセル&クリーヴランド管弦楽団によるドヴォルザークのスラヴ舞曲全集については、既にリマスタリングCDが発売された際に、次のようなレビューを既に投稿済みである。

「全盛時代のセル&クリーヴランド管弦楽団による演奏の凄さを味わうことができる圧倒的な超名演だ。

セル&クリーヴランド管弦楽団は、『セルの楽器』とも呼称されるほどの鉄壁のアンサンブルを誇った名演奏の数々を展開した稀代の黄金コンビであった。

すべての楽器セクションがあたかも1つの楽器のように聴こえるという精緻にしてまさに完璧な演奏の数々を繰り広げていたところである。

もっとも、そうした完全無欠の演奏が、ある種の技量に偏ったメカニックな冷たさを感じさせたのも否めない事実であり、とりわけ1960年代の半ば頃までの演奏にはそうした演奏があまた散見されたところだ。

もっとも、理由はよくわからないが、ドヴォルザークやスメタナなどのチェコ音楽、そして独墺系の作曲家の中ではとりわけシューマンの音楽については、1960年代後半以降の最晩年の演奏において垣間見せた、情感豊かで柔軟性のある円熟の名演の数々を披露していたと言える。

特に、ドヴォルザークやスメタナなどのチェコ音楽には、ハンガリーの隣国の音楽ということもあり、深い愛着と理解を有していたと言えるのかもしれない。

本盤に収められたドヴォルザークのスラヴ舞曲全集も、実に素晴らしい圧倒的な超名演だ。

いずれの楽曲も一糸乱れぬ鉄壁のアンサンブルを駆使した、まさに完全無欠の演奏を展開しており、おそらくはオーケストラ演奏としてパーフェクトなものとさえ言えるだろう。

それでいて、1962〜1965年にかけての演奏であるが、この時期のセルの欠点でもあったある種のメカニックな冷たさなどはいささかも感じさせず、どこをとってもチェコの民族色溢れる豊かな情感に満ち溢れているのが素晴らしい。 

ドヴォルザークのスラヴ舞曲全集の名演としては、クーベリック&バイエルン放送交響楽団による演奏(1973〜1974年)や、ノイマン&チェコ・フィルによる2度目の演奏(1985年)などが掲げられるが、本盤のセル&クリーヴランド管弦楽団による演奏も、これらの名演に肉薄する圧倒的な超名演と高く評価したいと考える。」

音質は、1960年代のスタジオ録音であるものの、従来盤でも比較的良好な音質と言えるが、数年前に発売されたシングルレイヤーによるSACD盤は途轍もない鮮明な高音質であったところだ。

セル&クリーヴランド管弦楽団による鉄壁のアンサンブルを駆使した完全無欠の演奏の凄みを味わうには望み得る最高の音質であるとさえ言える。

機能的なアンサンブルで定評のあるセルとクリーヴランド管弦楽団のコンビだが、ここではスラヴ的なメロディを時に粘っこく、リズミカルな曲では熱っぽく演奏している。

セルは、ゆったりとしたテンポを基調に置いているだけに、クーベリックよりも緩急の描き分けが一層大きくなっており、音の強弱の幅、表情付けも大きい。

こうした特徴が1つの曲の中で絶妙にブレンドされており、優美さと、スラヴ舞曲特有の激しく軽快に躍動するリズム感を兼ね備えた、スケールの大きい素晴らしい名演となっているのだ。

もっとも、当該SACD盤は現在では入手可、多少高額であったとしても、当該SACD盤の購入を是非ともお薦めしておきたいと考える。

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2015年06月19日


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カラヤンは、特にお気に入りの楽曲については何度も録音を繰り返したが、ドヴォルザークの交響曲第9番「新世界より」についてもその例外ではない。

DVD作品を除けば、ベルリン・フィルとともに本演奏を含め4度にわたって録音(1940、1957、1964、1977年)を行うとともに、ウィーン・フィルとともに最晩年に録音(1985年)を行っている。

いずれ劣らぬ名演であるが、カラヤンの個性が全面的に発揮された演奏ということになれば、カラヤン&ベルリン・フィルが全盛期にあった頃の本演奏と言えるのではないだろうか。

カラヤン&ベルリン・フィルは、クラシック音楽史上でも最高の黄金コンビであったと言えるが、特に全盛期でもあった1960年代から1970年代にかけての演奏は凄かった。

この当時のカラヤン&ベルリン・フィルの演奏は、分厚い弦楽合奏、ブリリアントなブラスセクションの響き、桁外れのテクニックをベースに美音を振り撒く木管楽器群、そして雷鳴のように轟きわたるティンパニなどが、鉄壁のアンサンブルの下に融合し、およそ信じ難いような超絶的な名演奏の数々を繰り広げていたと言える。

カラヤンは、このようなベルリン・フィルをしっかりと統率するとともに、流麗なレガートを施すことによっていわゆるカラヤンサウンドを醸成し、オーケストラ演奏の極致とも言うべき圧倒的な音のドラマを構築していた。

本演奏においてもいわゆる豪壮華麗なカラヤンサウンドを駆使した圧倒的な音のドラマは健在で、カラヤン得意の曲でもあるだけに、演奏には寸分の隙もなく、ベルリン・フィルの優秀な機能を駆使して、鮮やかな音楽に仕上げている。

艶やかな美感がカラヤン的であるが、全体に彼としては押しつけがましくない解釈が好ましく、しかも情熱的な緊張にあふれ、溌剌とした生命力を感じさせる。

均衡感が強い造形で、交響的様相を濃厚に表した好演で、この作品がドイツ・ロマン派の延長線上にあることを示しており、この曲に対する先入観も満足させる演奏で、そこにカラヤンの自己主張があることは言うまでもない。

反面、民族性の表出や古典的な造形を打ち出すことよりも、中庸の安定と演奏の洗練が重視されているようで、そのため快適な音の魅力と流暢な表情が耳に快く、それが一種の楽天性を感じさせるのもカラヤンらしさと言えるのだろう。

冒頭のダイナミックレンジを幅広くとった凄みのある表現など、ドヴォルザークの作品に顕著なボヘミア風の民族色豊かな味わい深さは希薄であり、いわゆるカラヤンのカラヤンによるカラヤンのための演奏とも言えなくもないが、これだけの圧倒的な音のドラマの構築によって絢爛豪華に同曲を満喫させてくれれば文句は言えまい。

後年のカラヤンの演奏ほど個性的ではないが、デュナーミクの幅広い処理や独自のルバートなど、カラヤンらしい表情を随所で味わうことができる。

1985年代のウィーン・フィルとの録音も確かにすばらしいのだけれど、カラヤンのドヴォルザーク演奏の典型的な表現はその前のベルリン・フィルとの録音の方がはっきりしている。

あるがままに、という姿勢が全然なく、すべてをつくり込んだ、ある意味ではとても強引な演奏だ。

もしも、この曲にボヘミアの作曲家のどこか牧歌的な味わいを求めようとするなら、当てが外れることになる。

しかし、先入観を捨て、指揮者の美学、時代の美学の反映をそこに聴きとろうとするなら、このカラヤンとベルリン・フィルの演奏は理想的ではないだろうか。

ドヴォルザークは田舎の作曲家なんぞじゃなく、交響曲第9番は巧みに効果を組み込んだ名曲……でもあった。

筆者としては、カラヤンの晩年の清澄な境地を味わうことが可能なウィーン・フィルとの1985年盤の方をより上位の名演に掲げたいが、カラヤンの個性の発揮という意味においては、本演奏を随一の名演とするのにいささかの躊躇をするものではない。

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2015年06月09日


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「第7」はマゼールとウィーン・フィルの美質と威力を最大限に発揮し、それをマイクが見事に捉えた名レコードである。

同曲はドヴォルザークの全交響曲の内でも、その恩師ブラームスの影響が最も大きく開花した傑作で、その後の「第8」「第9」に見られる民族的抒情性が抑制され、構築的な、よく書き込まれた作品となっている。

マゼール&ウィーン・フィル盤は、この曲のそうした側面を見事に引き出した名演。

特に第1楽章での、流麗なフレーズと、とつとつとしたブラームス的な後ろから押し上げる音型との対比は鮮やか。

冒頭からマゼールの表現は極めて繊細で、細かい部分まで磨き抜かれており、いつものマゼール調だな、と思う間もなく、分厚いホルンの強奏がすばらしいメリハリの効果を伴いつつ登場するに及んで、これがマゼールとウィーン・フィルの協同作業であることを思い知るのである。

マゼールはクリーヴランド管弦楽団を振るときとウィーン・フィルを振るときでは明らかに音楽作りが違うのだが、この「第7」の場合は特にそうで、テンポも急がず、じっくり運んでおり、全体の音色感の味の濃さはウィーン・フィル以外の何者でもない。

こくのある金管、感受性ゆたかな木管群、そしてしなやかで上品な弦楽器、このような最上等のオケを前にしたマゼールは、ちょっとしたルバートにいつもの彼からは考えられない懐かしい情感を漂わせるのだ。

緩徐楽章に入るとウィーン・フィルの音色美はいよいよ勝利を収め、マゼールのキメの細かな表情づけがウィーン・フィルののびやかな音色と相俟って美しい。

ボヘミアの森の雰囲気満点なウィンナ・ホルン、純粋なみずみずしさの限りを尽くすヴァイオリン、牧童の吹く笛のようなオーボエ、チャーミングなフルート、そのいずれもが大変な耳の御馳走となる。

そして何よりも奏者ひとりひとりが身体に持っている歌! それは指揮者マゼールを超えて聴く者の胸を打つのである。

スケルツォからフィナーレにかけては、オケの威力とマゼールの棒の冴えが一体となって、管弦楽演奏の醍醐味を満喫させてくれる。

マゼールの表現の細かさは、スケルツォ冒頭のセカンド・ヴァイオリンの生かし方ひとつ、ファースト・ヴァイオリンの敏感、強烈なクレッシェンド、デクレッシェンドひとつをとっても明らかだが、ウィーン・フィルも水を得た魚のように力を増し、フォルティッシモの鳴り切り方は天下一品だ。

最高の充実感を誇り、決してうるさくなく、そしてギクシャクした情熱を繰り返しぶつける終楽章まで、一貫してブラームスの「第3」を思わせるような濃厚な演奏に徹して成功している。

しかもフィナーレに入ると弦もティンパニも精神を燃えたぎらせて、少しも綺麗事でない迫力を鳴り響かせる。

これでこそドヴォルザークは生きるのであり、その点では往年のケルテスとの《新世界より》以来ではあるまいか。

そしてこのようなトゥッティの分厚さの中を泳ぐ木管ソロたちの魔法の魅惑、チェロやヴィオラの訴え、特にフィナーレ冒頭の何というチェロのエスプレッシーヴォ!

それらをまとめるマゼールの表現もさらに巨匠性を加え、語りかけるようなテンポの動きを与えながら全曲のクライマックスに到達するのである。

一見個性的だが、筆者に「第7」の魅力を知らしめてくれた名録音であり、この曲の本質をよく捉えた唯一無二の超名演と評しても過言ではあるまい。

併録されている「第8」については、他にもセル、カラヤン、クーベリックなどによる名演盤が競合しており、必ずしもマゼール盤が随一の名演とは言えない。

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2015年06月02日


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本盤には、ノイマンが2度にわたってスタジオ録音を行ったドヴォルザークの交響曲全集のうち、最初のもの(1973年のレコード・アカデミー賞を受賞)から抜粋した交響曲第7番及び第8番が収められている。

当該盤については、数年前にBlu-spec-CD盤が発売されたところであり、筆者はその際、次のようなレビューを既に投稿済みである。

「ノイマンは、ドヴォルザークの交響曲全集を2度完成させるとともに、交響曲第7番〜第9番については、全集以外にも何度も録音している。

いずれの演奏も、ノイマンの温厚篤実な性格があらわれた情感豊かな名演と考えるが、一般的には、2度目の交響曲全集や、ポニーキャニオン(現在は、エクストンから発売)に録音した第7番〜第9番、そして、ドヴォルザーク生誕100年を記念した第9番あたりの評価が高い。

それ故に、1度目の交響曲全集の旗色が悪いが、レコード・アカデミー賞を受賞した名盤でもあり、忘れられた感があるのはいささか残念な気がする。

本盤は、その旧全集から、第7番と第8番を収めているが、筆者としては、後年の名演にも優るとも劣らない名演と高く評価したい。

全体的に格調の高い情感の豊かさを保っている点は、後年の名演と同様の傾向ではあるが、ここには、後年の名演には見られない若々しい生命力と引き締まった独特の造型美がある。

誇張を廃した純正で格調高い表現の中に、豊かな民族的情感がにじみ出ており、また後年の演奏にないきりりとした若々しさがある。

手兵のチェコ・フィルも、そうしたノイマンとともに最高のパフォーマンスを示しており、録音も非常に鮮明である。

チェコ・フィルの古雅な音色美も絶品と言えるところであり、これぞ正調ドヴォルザークの決定盤と高く評価したい。

本盤は、Blu-spec-CD盤であるが、従来盤と比較してさらに鮮明度がアップしており、ノイマンの若き日の名演を高音質で味わうことができることを大いに喜びたい」

現在でも、演奏そのものの評価については殆ど変わっていないが、あえて付け加えることがあるとすれば、「第7」を初めて聴いた時の印象は、なんて地味な曲だろうと感じたが、繰り返し聴くうちにドヴォルザークの作品の中でも最も好きな曲のひとつになっていたことだ。

「第8」の尋常ならぬ完成度の高さもまさに自家薬朧中の至芸であり、最後まで緊張が緩むことがなく、このドヴォルザークの大傑作を最も精確に堪能できる素晴らしい名演奏だ。

極めてオーソドックスな演奏なのだろう、それが噛めば噛むほど味が出る、この曲の魅力を教えくれた。

本盤では、ついに待望のシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化が行われたことから、その点について言及しておきたい。

これまで愛聴してきたBlu-spec-CD盤についても十分に満足できる素晴らしい音質であったと言えるところであるが、今般のシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化によっておよそ信じ難いような次元が異なる極上の高音質に生まれ変わったと言える。

音質の鮮明さ、臨場感、音圧のいずれをとっても一級品の仕上がりであり、あらためてSACDの潜在能力の高さを思い知った次第だ。

いずれにしても、ノイマン&チェコ・フィルによる素晴らしい名演をシングルレイヤーによるSACD&SHM−CDによる極上の高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したいと考える。

ノイマンによるドヴォルザークの演奏は、前述のレビューにも記したようにいずれ劣らぬ名演揃いであり、今後は、他の演奏についてもシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化をして欲しいと思っている聴き手は筆者だけではあるまい。

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2015年04月22日


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本盤は、全盛時代のライナー&シカゴ交響楽団がいかに凄い演奏を繰り広げていたのかを窺い知ることができるCDである。

それは何よりも、SACDによる鮮明な高音質によるところが大きい。

本演奏は1957年のスタジオ録音であるが、今から55年以上も前の録音とは到底思えないような鮮度の高い音質に生まれ変わったのは殆ど驚異的であり、あらためてSACDの潜在能力の高さを思い知った次第だ。

これを聴くと、当時のライナー&シカゴ交響楽団は、卓越した技量もさることながら、とりわけ弦楽合奏の音色に独特の艶やかさがあることがよくわかるところであり、単なる技量一辺倒の演奏を行っていたのではないことが理解できるところだ。

もちろん、技量には卓越したものがあり、鉄壁のアンサンブル、ブラスセクションのブリリアントな響き、唖然とするようなテクニックを有した木管楽器群など、当時のシカゴ交響楽団の演奏の凄さを味わうことが可能である。

演奏内容も、素晴らしい名演と高く評価したい。

ライナーが残した唯一の「新世界より」は、聴き慣れた作品からも新たな魅力を引き出し、音楽的な純度を際立たせるライナーの手腕が発揮された名演。

ドヴォルザークの音楽に特有のローカルな雰囲気を感じさせず、絶対音楽としての美しさを極めた演奏で、特にイングリッシュ・ホルンの名ソロが聴ける第2楽章の静かな美しさは、惚れ惚れするほど見事。

ライナーは、ドヴォルザーク特有の民族的な粉飾を脱し、純音楽的に極められた演奏を繰り広げており、終始速めのテンポで引き締まった演奏を心掛けているように思われる。

この演奏を聴いて真っ先に念頭に浮かんだのが、トスカニーニ&NBC交響楽団による演奏(1953年)だ。

トスカニーニの「新世界より」を、筆者はこの交響曲のほぼ理想的な再現と考えているが、この演奏は、残念ながらモノーラル録音であり、XRCD化されても、音質的にどうしても古さを感じさせずにはおかない。

しかし、トスカニーニに限りなく肉迫したライナーの名演がステレオ録音で遺されていることは、私たちにとって大きな救いであると言って良いだろう。

本演奏では、さすがにトスカニーニの演奏のような即物的な表現に徹し切れているとは言い難いが、それでも純音楽的に徹したストレートな表現は、まさにトスカニーニの演奏の系列に連なる演奏と言っても過言ではあるまい。

シカゴ交響楽団の完璧なアンサンブルと重厚で引き締まったサウンドを生かして綴られたこの演奏は、揺るぎない造型的美観や、異常なまでに張り詰めた緊迫感を特色とした恐ろしく純度の高い名演であり、そこに繰り広げられている少しの妥協もない磨き上げられた表現は、何度接しても常に新鮮な感動を授けてくれるのである。

そして、とりわけ金管楽器やティンパニなどによる最強奏は、壮絶ささえ感じさせるほどの圧巻の迫力を誇っている。

もっとも、こうした壮絶な演奏に適度の潤いと温もりを与えているのが、前述のような当時のシカゴ交響楽団が有していた弦楽合奏の艶やかな音色であり、その意味では、本演奏は、ライナーとシカゴ交響楽団の黄金コンビだけに可能な名演とも言えるだろう。

いずれにしても本盤は、指揮者、オーケストラ、演奏内容そして録音の4拍子が高水準で揃った名SACDと高く評価したい。

本盤にはその他、躍動感あふれ、楽しい気分が横溢する「謝肉祭」「売られた花嫁」「バクパイプ吹きのシュヴァンダ」からのポルカとフーガが併録されている。

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2015年03月21日


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カラヤンはドヴォルザークの「第8」を何度も録音しているが、なぜかウィーン・フィルとの録音が多い。

スタジオ録音では本盤(1961年)と1985年盤、それに、ライヴでは1974年のザルツブルク音楽祭での演奏(アンダンテ)。

いずれ劣らぬ名演であるが、ライヴならではの迫力なら1974年盤、円熟の名演なら1985年盤を採るべきであろうが、本盤には、ベルリン・フィルとウィーン国立歌劇場を手中に収め、人生の上り坂にあった壮年期のカラヤンならではの圧倒的な勢いがある。

オーケストラを存分に鳴らしつつ、テンポ設定は緩急自在、カラヤン得意の優美なレガートも絶好調であり、豪華絢爛にして豪奢な演奏になっている。

力強く颯爽と駆け抜ける第1楽章、圧倒的な高揚感で天にも届きそうな第2楽章、艶やかな第3楽章、そして圧巻は終楽章で、テンポを揺らして旋律ごとの対比を描き出していて、終結部も凄まじいド迫力だ。

カラヤン=スマートというイメージがあるが、むしろ民族的な泥臭ささえ感じられるところであり、曲のイメージに合っている。

もちろん、ウィーン・フィルの絶美の演奏が、この名演に潤いを与え、ボヘミア風の抒情にもいささかの不足がない点も特筆すべきであろう。

また、1960年代にカラヤンがウィーン・フィルと残した録音は、ベルリン・フィルとの演奏とは違う優美なニュアンスを帯びている。

ドヴォルザークの土着的味わいと、カラヤンの垢抜けた都会的透明感が、絶妙のバランスで共存し、非の付け所のない絶品として仕上がっている。

併録の「ロメオとジュリエット」も、カラヤンの十八番であり幾度も録音を繰り返したが、ウィーン・フィルとの組み合わせにより、ドラマティックな運びの中に曲想をよく生かした華麗さと繊細さのバランスが見事な名演に仕上がっている。

この1960年代の録音ではやはり勢いがあると同時に、ウィーン・フィルの美しい音を最大限引き出している。

いずれも若々しく、躍動感に富み、ウィーン・フィルが、いかに凄いオーケストラか、これでもか、と分からせてくれる名盤と言えよう。

この時期のカラヤン&ウィーン・フィルしか出せない、もう、現代では、こんなに活きのいいウィーン・フィルの響きは、聴けないであろうと思わせる貴重な記録とも言える。

また、音質も英デッカならではの見事なもので、録音会場のゾフィエンザールの弾力のある残響がとても心地よい。

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2015年03月14日


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ピアニストとして唯一“サー”の称号を与えられたクリフォード・カーゾン(1907〜82)は、イギリス出身でシュナーベルに師事、欧米で偉大なピアニストとして尊敬を集めた。

カーゾンはジョージ・セルが敬意を払ったただ1人のピアニストだけあって、技巧の誇張や表現の虚飾の微塵もない格調高い音楽を聴かせた。

磨かれた音の美しさとタッチの絶妙さと相俟って、(先生の)シュナーベルから学びとった造型とロジックが、しっかりとした骨格を与えている。

カーゾンには“シュナーベルのような”重厚で堅固なベートーヴェンやブラームスの演奏を期待させた。

だがカーゾンは、むしろシューベルトをひっそり弾くことに喜びを感じるようなピアニストであった。

こだわりの人ゆえに録音が少ないのだが、その希有なまでに気品あるピアニズムが聴けるのはありがたい。

両曲とも第1ヴァイオリンはボスコフスキーであるが、ウィーン・フィルの面々との相性もぴったりで、古き佳き時代のウィーンを偲ばせる、馥郁たるロマンを湛えた演奏で、優雅で風格ある演奏を聴かせてくれる。

まずは春のきらきらした光に包まれた《ます》が素敵で、清流のごときカーゾンのピアノと感興あふれるウィーンの弦が絡み合い、5月の森の生き物たちが生き生きと喜びを発しているかのようだ。

ともすればシューベルトを優美なリリシズムでロマン的に歌い過ぎる傾向のなくもないボスコフスキーらウィーンの演奏家たちに対して、カーゾンのピアノが、素朴と言っても過言ではないほどストレートに、シューベルト若き日の思いを落ち着いたテンポに乗せて展開する。

真ん中のスケルツォ楽章がきびきびと輝きにあふれたリズムが演奏に活力を加えるのも興味深いアンサンブルとなっている。

それを挟む第2楽章アンダンテ、第4楽章の《ます》の主題による変奏曲はきめ細かく歌い、カーゾンとボスコフスキーの妙技が楽しめる。

さらに両端楽章では華美を抑えぎみに若きシューベルトらしい素朴なリリシズムを浮かび上がらせる。

録音でもピアノを中心に弦が左右に配列されているが、ステレオ感の強調を避けて、全体のまとまりを重視した“渋い”仕上がり。

一方ドヴォルザーク円熟期の力作は、親しみやすい民族色と初々しい感情の輝きがあって、一篇の感傷詩集をひもとくような魅力があり、ドゥムカによる第2楽章など忘れられない美しさだ。

演奏もこぼれるような歌の心と豊かなリリシズムの息づかいにあふれ、しっとりとした情感と優美な歌が美しい。

カーゾンのピアノは作品の核心に肉薄していく力強さと底光りのする美しさがあり、まさに一家言をもつ大家の至芸と言えよう。

カーゾンの一見控えめだが様式的に隙のない知的なピアニズムを、やはり第1ヴァイオリンのボスコフスキー以下の弦が、ウィーン風のしなやかな奏法と響きで、心から尊重するかのように歌い奏し合う優雅なアンサンブルに、独自の風格を作り出している。

そして表情の移り変わりへの感受性豊かな対応、スケルツォ楽章は魔法のような色彩変化の連続だ。

ウィーン・フィルの首席メンバーのアンサンブルが演奏全体に甘美な憩いを添えた名盤であり、抗し難い吸引力で聴き手を虜にする。

各楽器の分離よりも響きのバランスを整えたロンドン/デッカ方式のこれは典型的録音の1つ。

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2015年02月21日


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ラファエル・クーベリックが音楽監督を務めていた頃にシカゴ交響楽団を指揮した、若さの溢れる覇気に満ちた演奏を収めたアルバム。

若きクーベリックはシカゴ響に1950年から1953年まで在任、たいへん辛い日々を送ったらしいが、若き日のクーベリックが離れざるをえなかった故国に別れを告げ、新しい世界を見据える意気込みが聴ける演奏と言えよう。

「新世界より」と「プラハ」の組み合わせであるが、これは、クーベリックにとっては宿命的なものだ。

クーベリックが祖国に復帰後、チェコ・フィルを指揮して我が祖国などを演奏したが、ラストコンサートとなったのが、この組み合わせによる歴史的演奏会であった。

本盤は、その約40年前のスタジオ録音であるが、録音当時は、この組み合わせでカップリングを行ったわけではないので、こうしたカップリングを試みたオーパス蔵の抜群のセンスの良さを高く評価すべきであろう。

この40年間の間には、チェコも、プラハの春の後のソ連軍侵攻や、長い社会主義政権の後に訪れたビロード革命、そして民主化と激動の時代であったが、それだけに、両演奏の性格は大きく異なる。

もちろん、本盤の演奏は、当該ラストコンサートの感動的名演や、この間に演奏されたベルリン・フィルやバイエルン放送交響楽団との名演などに比較すると、どうしても旗色が悪いが、それでも、本演奏には、他の名演にはない独特の魅力に満ち溢れている。

特に、「新世界より」では、若さ故の勢いがあり、一気呵成に聴かせるエネルギッシュな生命力が見事で、祖国ボヘミアへの郷愁を雄大なスケールで歌い上げている。

それでいて、第2楽章など、ボヘミアの民族色豊かな抒情の歌い方にもいささかの抜かりもない。

「プラハ」も、若さ故の一直線の演奏であるが、それでいて優美にして高貴なニュアンスにも不足はなく、モーツァルトの演奏の理想像を体現している。

39歳という若いクーベリックのアメリカ録音は、オーケストラの自発性にゆだねるところ顕著だった1961年ウィーン盤の流麗かつ自然な演奏に対して、あらゆる面でクーベリックならではの知的に構成され、冴えて品位を失わぬ演奏で、節度ある美しさが印象的なモーツァルトを聴かせてくれる。

オーパス蔵盤の復刻技術とマスタリング感覚の冴えっぷりはいつもながら素晴らしく、特に低音の迫力は我々聴き手の度肝を抜くのに十分である。

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弦の国チェコの名門、スメタナ四重奏団は緊密な中にも自在な表現でドヴォルザークの音楽を生き生きと自然に紡ぎ出している。

スメタナ四重奏団は、ドヴォルザークの弦楽四重奏曲第12番「アメリカ」を果たして何度演奏し、録音したのであろうか。

スメタナ四重奏団によるドヴォルザークの「アメリカ」は1958年のモノラル録音のセッション以来、解散直前の1987年のデジタル・ライヴ盤を含めて都合5種類がリリースされている。

ヴァーツラフ・ノイマンを始めとするプラハ音楽院時代の仲間達で四重奏団が結成されたのは1945年だが、1956年以降はメンバーの交代もなく4人揃って32年の長きに亘ってアンサンブルを組み、常に第一線の水準を保ち続けたこと自体驚異的な事実だ。

本盤の録音は、1966年であり、スメタナ四重奏団としては初期の録音になるのであるが、他の録音にも優るとも劣らない素晴らしい名演と高く評価したい。

この演奏では彼らの壮年期の力強さと、第1回目の録音時の若さに溢れた溌剌とした覇気を併せ持った表現が秀逸で音質も良好だ。

スメタナ四重奏団には、聴き手を驚かすような特別な個性があるわけではない。

彼らの演奏の特徴はメンバーの1人1人が自由闊達な演奏をしながら、アンサンブルとして完璧に統率されていることで、またチェコの弦楽器奏者特有の明るく艶やかな音色と決して重厚になり過ぎない表現の中庸さにあると思う。

あくまでも、楽曲を真摯な姿勢で忠実に弾いて行くという、いわゆるオーソドックスなアプローチを旨としているが、素晴らしいのは、息のあった各奏者の鉄壁のアンサンブルと、チェコ風のローカル色豊かな美しい音色だ。

そのあたたかささえ感じさせる音色と鉄壁のアンサンブルによって、演奏したいずれの楽曲にも、潤いと温もりを与えることになるものと思われる。

したがって、アプローチがオーソドックスなものであっても、平板な演奏にいささかも陥らないのは、こうした点に理由があるものと考える。

第5回目のライヴは彼らの円熟期特有の角がとれた、音楽的にも深い味わいのある演奏で聴き逃せないが、こちらの方がドヴォルザークの斬新な曲想に、より相応しい鮮烈な表現が魅力的だ。

一方、第2楽章〈アンダンテ・カンタービレ〉が特に有名なチャイコフスキーも名演で、情緒に溺れない節度ある演奏は美しい限り。

1966年にスメタナ四重奏団が残した唯一のセッションでそれだけでも貴重な録音だが、調和のとれた美しい演奏だ。

チャイコフスキーの場合は、旋律のあまりの美しさ故に、いたずらに感傷に陥ったりして、芸術作品としての格を落としかねない危険性を孕んでいるが、スメタナ四重奏団の手にかかると、高踏的な美しさを失わないのが見事だ。

HQCD化によって、音質がさらに鮮明になったのも素晴らしく、従来盤に比べて音の分離が良くなり、全体的に音質も雑身がとれて聴き易くなった印象が持てる。

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2015年02月01日


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本盤には、ノイマンがチェコ・フィルを指揮してスタジオ録音(1971年)したドヴォルザークのスラヴ舞曲全集とスラヴ狂詩曲集が収められている。

同曲は、ノイマンの十八番とも言うべき得意中の得意とする楽曲であり、本盤を皮切りとして、その後も手兵チェコ・フィルとともに、1985年、そして1993年にもスタジオ録音を行っている。

3度も同曲をスタジオ録音したのは、現時点においてもノイマンただ1人であり、これは、いかにノイマンが同曲を深く愛していたかの証左であるとも考えられるところだ。

それはさておき、ノイマンによる3つの演奏の中で、最も優れているのは1985年の演奏、次いで1993年の演奏であることは論を待たないところであるが、本盤の演奏も、決して凡庸な演奏ではなく、若きノイマンによる素晴らしい名演と評価するのにいささかも躊躇するものではない。

本盤の演奏は、3種の演奏の中で最も若い時期のものであるだけに、後年の演奏よりも、躍動感溢れるリズムや畳み掛けていくような気迫においては勝っていると言えるだろう。

演奏の持つ味わい深さや彫りの深さにおいては、後年の演奏には到底敵わないが、楽曲がスラヴ舞曲集であるだけに、そうした点は必ずしも演奏全体の瑕疵には繋がらないと言える。

それにしても、後年の演奏もそうであるが、ノイマン&チェコ・フィルによるスラヴ舞曲集の演奏は、何故にこれほどまでに魅力的なのであろうか。

ノイマンの同曲へのアプローチは、基本的には楽想を精緻に描き出していくというオーソドックスなものと言えるだろう。

もっとも、オーソドックスと言っても、それはノイマンがチェコ人であるとともに、チェコ音楽を数多く指揮してきた者として、チェコ音楽が血となり肉となっている指揮者であるということを忘れてはならない。

要は、ノイマンが何か特別な個性を発揮したりしなくても、ごく自然体の指揮をすれば、スラヴ舞曲集の理想的な演奏に繋がるということを意味するところであり、ここにノイマン&チェコ・フィルによるスラヴ舞曲集の演奏が魅力的である最大の要因があると言えるところだ。

そして、本演奏の録音時点では、ノイマンがチェコ・フィルの音楽監督に就任してから間もない頃ではあるが、ノイマンもチェコ・フィルをしっかりと統率しており、加えて、チェコ・フィルの弦楽合奏をはじめとした音色の美しさが、ノイマンによる本演奏に更なる深みと独特の潤いを付加するのに大きく貢献しているとも言えるところであり、その意味では、ノイマン&チェコ・フィルのその後の実りある関係を予見させるような名演とも言えるのではないだろうか。

カップリングされているスラヴ狂詩曲集も、そもそも録音自体が珍しい楽曲であるだけに、ノイマン&チェコ・フィルの演奏は単に名演であるだけにとどまらず、極めて稀少価値のある演奏ということが言えるだろう。

そして、今般のSACD化によって、圧倒的な高音質化が図られたことも、本盤の価値を高めるのに大きく貢献していることを忘れてはならない。

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1990年、42年ぶりに“プラハの春”音楽祭に出演して全世界を感動の渦に巻き込んだクーベリックが、その1年後に再び“プラハの春”でチェコ・フィルを振った貴重なライヴ録音。

ドヴォルザークの「新世界より」とモーツァルトの「プラハ」の組み合わせは、クーベリックにとっても最も得意とするベストプログラムであったが、「新世界より」も「プラハ」も、1986年に指揮活動の第一線を引退した人とは思えないほど、美しい緊張感とエネルギーにみちた演奏で、聴きごたえ十分の好演。

しかしながら、本盤の演奏は、いずれも必ずしもクーベリックのベストフォームとは言い難い。

「新世界より」ならば、ベルリン・フィルとの1972年盤が最も条件の整った名演と言えるし、ライヴ録音ならば、手兵バイエルン放送交響楽団との1965年盤(来日時)や1977年盤の方がより力感に満ち溢れた名演と言える。

他方、「プラハ」も、バイエルン放送交響楽団との1980年盤こそ、至高の名演と言える。

にもかかわらず、本盤の演奏には大いに惹き込まれる魅力がある。

それは、ビロード革命を経て漸く念願の自由を勝ち取った喜びを分かち合うクーベリック、チェコ・フィル、そして会場に居合わせた聴衆の熱き心である。

この熱き心が、必ずしもベストフォームとは言い難い演奏を、聴き手の心の琴線に触れる感動的な名演に仕立て上げているものと言える。

ドヴォルザークもモーツァルトも細部まで神経が行き届き、表情が細やかで、加えてオーケストラからも“特別”な意気込みが感じられ、熱い演奏になっている。

クーベリックは慣習に流されず新鮮な感動に満ちた作品像を構築、チェコ・フィルが持てる力の限りを尽くしてこれに応えている。

両者がともに音楽する喜びを深く感じている、すばらしく凝縮した“時”が刻まれた作品。

ここには、演奏することの喜びが満ち溢れており、随所から感じられる熱気や生命力においては、前述したクーベリックの過去のいずれの名演をも凌駕するものと高く評価したい。

録音はもともとイマイチであり、Blu-spec-CD化されても、あまり音質の改善が見られないのだけはいささか残念だ。

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2015年01月31日


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ブラームスが4手のピアノ連弾用として作曲し、ドヴォルザークや自らのオーケストラ編曲版によってより広く親しまれるようになったハンガリー舞曲集。

またこの作品に触発されてドヴォルザークがやはり連弾用として作曲し、後に管弦楽用に編曲したスラヴ舞曲集。

カラヤンの指揮はずば抜けて巧く、ベルリン・フィルを見事にドライヴした熱気溢れる演奏を繰り広げている。

カラヤンは、本盤においても、これ以上の言葉が思い浮かばないほどの演出巧者ぶりを発揮し、各曲の聴かせどころをつかんで、これ以上は求められないほどの巧みな名演奏を繰り広げている。

いずれもカラヤン&ベルリン・フィルにとって重要なレパートリーだが大空間を感じさせる演奏なので素朴というよりゴージャス。

オーケストラの高い技量を生かしきったダイナミクスの変化やデリケートなリズムの処理など、究極の管弦楽演奏と言うべきであろう。

本盤は、カラヤン&ベルリン・フィルのドイツグラモフォンへの参入初期の録音であるが、発売当初からベストセラーを記録したのもよくわかる。

また、ハンガリー舞曲集もスラヴ舞曲集も、曲の順番ではなく、曲想を踏まえ再配置し、独自の曲順に並びかえられている点においても、カラヤンのこれらの曲への深いこだわりが感じられる。

それに、ベルリン・フィルにまだフルトヴェングラー時代の残滓ともとれる何とも言えない野性的な味が残っていて、これらの曲集をいっそう引き立てている。

カラヤンは同じ曲を何度も繰り返し録音することで有名であるが、これらの曲集は再録音しておらず、カラヤンとしても完全満足の成果であったということが言えるだろう。

全集としては、他にも優れた名演が目白押しであるが、選集ということになると今なおカラヤン壮年期のこの録音を超える演奏は他になく、本盤を随一の名演と評価することに躊躇しない。

スケルツォ・カプリチオーソも、ベルリン・フィルのホルンセクションの巧さを生かした珠玉の名演に仕上がっている。

カラヤンとベルリン・フィルがいい緊張関係にあった時代の聴くべき価値のある演奏だと言えよう。

ルビジウム・クロック・カッティングによる更なる高音質化も成功している。

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2015年01月21日


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チェコの至宝であったスメタナ四重奏団が解散の直前に録音した極めつきのドヴォルザーク。

スメタナ四重奏団の演奏が日本の音楽ファンに与えた影響は小さくなく、40年以上に及ぶキャリアと伝統は音楽史に残るべきものがあるだろう。

ドヴォルザークの室内楽曲中、最も有名な弦楽四重奏曲である第12番「アメリカ」は、スメタナ四重奏団にとっても、演奏回数が非常に多い作品の1つと言えよう。

録音も当然のことながら多く、本盤も、何と5回目の録音ということになり、スメタナ四重奏団がその芸術の集大成とでも呼べるべき傑出した演奏による当録音は、素晴らしいの一言。

スメタナ四重奏団の「アメリカ」としては、1970年代の旧録音の方がよりベストフォームの名演だと思うが、本盤の演奏も、名演と評価したい。

円熟の極みにあったスメタナ四重奏団は、メンバーが晩年を迎えながら技術的にも音楽的にも完熟の極みといえる深い味わいを湛えた名演をなしている。

何度も演奏を繰り返すことによって、楽曲の隅々に至るまで知り尽くしているとは思うが、いわゆる惰性で演奏している箇所は皆無。

どこをとっても、敬愛する楽曲を演奏するという喜びと躍動感に満ち溢れており、そうした謙虚で真摯な姿勢が、聴き手にゆったりとした気持ちで同曲を味わうことができることに繋がるものと考える。

スメタナ四重奏団は暗譜で全曲演奏することで有名であるが、精緻なアンサンブルの秘訣はそのこととも関連するのであろう、弦楽器であるがブレスのタイミングを揃えているようにも感じ取れた。

4つの楽器が見事に融合する美しい響きは相変わらずであり、何度録音(演奏)してもスメタナ四重奏団の「アメリカ」は、常に名演との評価が揺らぐことはないものと考える。

筆者としては彼らのドヴォルザークの演奏は本当に唯一無二のものだと高く評価したいと考えている。

カップリングの弦楽六重奏曲は、あまり演奏されない楽曲ではあるが、スメタナ四重奏団や、チェコの誇るスークやフッフロの名演奏によって、非常に美しい楽曲であることを認識させられた。

アンサンブルは緊密にして豊麗、楽曲への共感と自信に満ち、全体はすばらしい幸福感に包まれている。

Blu-spec-CD化によって、音質は非常に鮮明になっており、解像度も各楽器の分離も良く、音像が目の前に立ちあがるようで、これらの名演奏の価値をさらに高めることに繋がっている。

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2015年01月07日


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ドヴォルザークは、恩人である先輩作曲家ブラームスと同様に、管弦楽曲もさることながら、むしろ室内楽曲において数多くの傑作を遺したと言えるのではないか。

その中でも、本盤に収められたピアノ三重奏曲の第3番と第4番は、最上位にランクされるべき名作であると思う。

しかしながら、これほどの名作であるにもかかわらず、ピアノ三重奏曲のCDは意外にも少ない。

弦楽四重奏曲「アメリカ」の数多いCDと比較すると、あまりにも不当な気がする。

そのような中で、ピアノ三重奏曲第3番と第4番に、チェコの名奏者で構成されるスーク・トリオによる名演があるのは何という幸せであろうか。

チェコの至宝スーク・トリオによる同作品2度目の録音で、作品への深い共感と揺るぎない自信に裏打ちされた正統派の名演である。

ドヴォルザークの曾孫にあたるスークをリーダーとするスーク・トリオは、作曲家への深い尊敬と共感に満ちあふれた演奏を聴かせる。

スーク・トリオの演奏は、奇を衒うことなく、作品の素晴らしさ、魅力を愚直なまでに自然体のアプローチで描き出していくもの。

その誠実であり、なおかつ作品への深い共感が、本盤で聴くような、いい意味でのオーソドックスな名演を生み出したと言えるだろう。

両曲に内在するスラヴ的な民族色の描出も見事であるし、ドヴォルザークの晩年に顕著な人生の哀感とも言うべき深い抒情の描き方も実に巧みだ。

スークの飾らない演奏が素晴らしく、決して華美な表現に陥らないのがスークらしいが、ドヴォルザークでは何より魅力的だと感じる。

なかでもボヘミア的情感を漲らせた《ドゥムキー》では、他の演奏者の追随を許さない演奏を繰り広げており、様々に交代する異質な要素が鮮やかに描き分けられ、スラヴ的情感も色濃く、ドヴォルザークの光と影を余すところなく描いている。

純音楽的でもあるが、終盤の民族的な曲ならではの、地鳴りするような迫力を感じることができ、さすがと思わせる。

緩急自在のテンポ設定も、透徹したアンサンブルの下、名人芸の域に達しており、力と心と理詰めのバランスが素晴らしい。

Blu-spec-CD化によって、音質がさらに鮮明になったことも、本盤の価値を高めることに大きく貢献している。

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2014年12月30日


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本盤にはチョン・ミュンフンがウィーン・フィルを指揮して演奏したドヴォルザークの交響曲第3番及び第7番が収められている。

このうち、第3番についてはチョン・ミュンフンの初めての録音ということになるが、他方、第7番については、エーテボリ交響楽団を指揮した演奏(1987年)に次いで2度目の録音ということになる。

いずれも素晴らしい名演と高く評価したい。

最近では、その芸風に円熟味が加わると同時に、いささか影が薄い存在になりつつあるチョン・ミュンフンであるが、1980年代後半から1990年代にかけてのチョン・ミュンフンの演奏は実に魅力的であった。

本演奏でもそれが顕著にあらわれているが、この当時のチョン・ミュンフンの演奏に共通していたのは、ひたすら曲想を前に進めていこうとする気迫と、切れば血が噴き出てくるような生命力溢れる力強さであった。

それ故に、テンポは若干速めであるが、それでいていわゆる上滑りをしたり、薄味の演奏に陥ることはいささかもなく、どこをとっても豊かな情感に満ち溢れているのが素晴らしい。

また、一聴すると、音楽がやや速めのテンポでごく自然に滔々と流れていくように聴こえるところであるが、随所にテンポの微妙な変化を加えたり、はたまた格調の高さをいささかも失うことなく個性的な表情づけを付加するなど、実に内容の濃い演奏を行っているのがわかるところである。

そして、このようなチョン・ミュンフンの音楽性豊かな指揮の下、ウィーン・フィルが極上の美演を展開しており、演奏全体に適度の潤いとあたたかみを付加しているのを忘れてはならない。

チョン・ミュンフンは、本演奏の後、ウィーン・フィルとともにドヴォルザークの交響曲第6番及び第8番の録音(1999年)を行うが、それ以後は録音が途絶えている。

本演奏の素晴らしい出来具合などに鑑みれば、チョン・ミュンフンには是非ともウィーン・フィルとともに、ドヴォルザークの交響曲全集を完成させて欲しいと思っている聴き手は筆者だけではあるまい。

録音は、従来盤でも十分に満足できる音質ではあるが、チョン・ミュンフンによる素晴らしい名演でもあり、今後はSHM−CD化、そして可能であればシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化を図るなど、更なる高音質化を大いに望んでおきたい。

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2014年12月22日


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ドヴォルザークの4つの交響詩集は、その題材の残忍さ、異常さから俗に殺人交響詩集とも称されている。

同交響詩集は、交響曲第9番「新世界より」やチェロ協奏曲ロ短調、そして弦楽四重奏曲第12番「アメリカ」などの、ドヴォルザークのあらゆる作品の中でも最高峰の傑作が生みだされた後に作曲された晩年の作品であるだけに、更に優れた作品であるかのように思いきや、なかなかそうはいっていないと言わざるを得ない。

音楽評論家や学者の意見も、創作力が、交響曲第9番やチェロ協奏曲ロ短調などにおいてピークに達した後、減退しているというのが太宗を占めている。

交響詩集の各楽曲のオーケストレーションについては、ドヴォルザークが恩師であるブラームスを尊敬し、その作品から深い影響を受けているものの、自らがワグネリアンであることを公言していたとも伝えられているところであり、これらの各楽曲には、そうしたドヴォルザークのワグネリアン的な資質が見事に反映されていると言っても過言ではあるまい。

ただ、題材も含めた楽曲の芸術性と言った点に鑑みれば、ドヴォルザークの晩年の傑作と評価するには躊躇せざるを得ないところであり、そのせいか、4つの交響詩すべての録音も、チェコの指揮者による演奏にほぼ限定されていたとも言えるところだ。

このような中で、ラトル&ベルリン・フィルによる本盤が登場したというのは、これらの楽曲の魅力を世に知らしめるという意味において、極めて画期的なことであると考えられるところである。

演奏自体は、チェコの指揮者のように、ボヘミアの民族色など薬にしたくもない演奏と言える。

同曲のオーケストレーションの面白さ、巧みさを、ベルリン・フィルという世界最高峰のオーケストラを用いて見事に紐解くことに成功した演奏と言えるのではないだろうか。

当時のラトルの欠点でもある表現意欲の空回りを感じさせないわけではないが、それでも一般的にはあまり知られていないドヴォルザークの交響詩集のいわゆるオーケストラ曲としての魅力をこれほどまでに堪能させてくれれば文句は言えまい。

いずれにしても、本盤の演奏は、ドヴォルザークの交響詩集のオーケストラ曲としての魅力を多くのクラシックファンに認知させるのに成功した素晴らしい名演と高く評価したい。

音質は、従来CD盤でも十分に良好な音質であったが、今般、ついに待望のSACD化が図られることになった。

音質の鮮明さ、音場の拡がりなど、どれをとっても既発の従来CD盤とは比較にならないほどの極上の素晴らしい高音質であり、あらためてSACD盤の潜在能力の高さを思い知った次第である。

いずれにしても、ラトル&ベルリン・フィルによる素晴らしい名演を、高音質のSACD盤で味わうことができるのを大いに喜びたい。

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2014年12月11日


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20世紀後半を代表する指揮者の1人であったジュリーニであるが、いわゆる完全主義者であったということもあり、そのレパートリーは、これほどの指揮者としては必ずしも幅広いとは言えない。

そのようなレパートリーが広くないジュリーニではあったが、ドヴォルザークの交響曲第7番〜第9番については十八番としており、それぞれ複数の録音を遺している。

これは録音を徹底して絞り込んだジュリーニとしては例外的であり、ジュリーニがいかにドヴォルザークを深く愛していたかの証左であるとも言えるだろう。

本盤に収められたドヴォルザークの交響曲第7番について、ジュリーニは本演奏を含め4種類の録音を遺している。

ニュー・フィルハーモニア管弦楽団とのライヴ録音(1969年)、ベルリン・フィルとのライヴ録音(1973年)、本盤に収められたロンドン・フィルとのスタジオ録音(1976年)、コンセルトへボウ・アムステルダムとのスタジオ録音(1993年)であるが、この中で、最も優れた演奏は、ジュリーニの全盛時代の録音でもあるベルリン・フィルとのライヴ録音と本盤のロンドン・フィルとのスタジオ録音ということになるのではないだろうか。

そして、演奏の安定性という意味においては、本演奏こそはジュリーニによる同曲の代表盤と評しても過言ではあるまい。

ジュリーニによる本演奏のアプローチは、チェコ系の指揮者のように同曲の民族色を強調したものではなく、むしろ楽想を精緻に描き出していくという純音楽に徹したものと言えるが、各旋律の歌謡性豊かな歌わせ方は豊かな情感に満ち溢れたものであり、その格調の高い優美さは、ジュリーニの指揮芸術の最大の美質と評しても過言ではあるまい。

必ずしも一流とは言い難いロンドン・フィルも、ジュリーニの確かな統率の下、持ち得る実力を最大限に発揮した最高のパフォーマンスを示しており、本演奏を名演たらしめるのに大きく貢献しているのを忘れてはならない。

いずれにしても、本演奏は、全盛期のジュリーニの指揮芸術の魅力を十分に堪能することが可能な素晴らしい名演と高く評価したい。

音質は、1976年のスタジオ録音であるが、もともと良好な音質と評されていたこともあって、これまでリマスタリングが行われた形跡はないものの、筆者が保有している輸入盤(第8番及び第9番とのセット版)でも比較的満足できる音質ではあった。

ところが、今般、シングルレイヤーによるSACD盤が発売されるに及んで大変驚いた。

音質の鮮明さ、音圧、音場の幅広さのどれをとっても、従来CD盤とは段違いの素晴らしさであり、あらためて本演奏の魅力を窺い知ることが可能になるとともに、SACDの潜在能力の高さを思い知った次第だ。

いずれにしても、ジュリーニによる素晴らしい名演を超高音質のシングルレイヤーによるSACD盤で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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2014年11月20日


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チョン・ミュンフンとエーテボリ交響楽団のドヴォルザークは、硬軟併せ持った相当おもしろい演奏と言って良い。

この録音のほぼ10年後にウィーン・フィルと再録音しているしているからよほど得意な曲なのだろう、すでに彼の美質がよく表れた1枚である。

第7番は、第8番と同傾向ながらより広がり感がある。

第1楽章は意志を持った堂々とした貫禄があり、それでいて肩に力が入りすぎず歌心もある。

奇を衒うことは無く、2年前の第8番よりも音楽の恰幅がよくなっているのは彼の成長の証である。

第2楽章も丁寧に歌われていて、オケの洗練されすぎない土や木の香りのする音が良く、小鳥のさえずりも聴こえる。

第3楽章も特徴あるリズムをしっかり捉えた演奏で、後半にどんどん熱を帯びてくる。

終楽章は高揚しており、ティンパニの合いの手は決まるが、暴力的に粗くならないのがチョン・ミュンフンの音楽知性。

ここを踏み込まないのをよしとするか否かで評価は分かれるが、エーテボリ響を指揮してここまで熱くした演奏は珍しい。

第8番は、第1楽章冒頭の主題が出るところから、演歌調というわけでなくのびやかさがある歌い回しで、こってりでなく切ない情感を込めて歌われる。

最初の沈み込む緊張感、次いで明るさへの逆転等、オペラ的というか、各部分のイキイキ、ナマナマで聴き手を引きつける。

主部は、音楽が自然な伸縮を繰り返し、楽想を大胆、鮮やかに描き分け、ドイツ的形式感とは異なる性質を強調している。

第2楽章もオペラ指揮者として活躍する彼の面目躍如。音楽が物語りしている感じであり、それもコテコテでなく一定の品格を持っている。

第3楽章も格調を落とす一歩手前まで歌うこのぎりぎり加減のセンスがある意味東洋的かもしれない。

終楽章はオケの素朴なパワーを引き出していおり、ティンパニにしっかりアクセントをつけさせ、表情は微に入り細を穿ったもので、テンポも絶妙に呼吸し、オケの力量もありやや線は細く、豪快な迫力というより爽やかに結ぶ。

録音は低音が軽くスケール感もほどほどという印象である。

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2014年10月13日


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クーベリックは、ドヴォルザークの交響曲、とりわけ「第8」及び「第9」については何度も録音しているが、その中でも最も優れた演奏は、本全集に収められたベルリン・フィル盤であると考える。

「第8」については、その後、バイエルン放送交響楽団とともにライヴ録音(1976年)、「第9」については、バイエルン放送交響楽団(1980年)、次いでチェコ・フィル(1991年)とともにライヴ録音しているが、バイエルン放送交響楽団との演奏は、いずれも演奏自体は優れた名演に値するものであるが、ノイズの除去のために低音域を絞ったオルフェオレーベルの音質が演奏のグレードを著しく貶めていることになっており、筆者としてはあまり採りたくない。

「第9」のチェコ・フィル盤は、ビロード革命後のチェコへの復帰コンサートの歴史的な記録であり、演奏全体に熱気は感じられるが、統率力にはいささか綻びが見られるのは否めない事実である。

こうした点からすれば、クーベリックによるドヴォルザークの「第8」及び「第9」の決定盤は、本盤に収められた演奏ということになる。

それどころか、他の指揮者による名演と比較しても、トップの座を争う名演と高く評価し得るのではないだろうか。

このうち「第8」は、1966年と録音年がいささか古いが、それだけにベルリン・フィルが完全にカラヤン色に染まっていない時期の録音であり、チェコの大自然を彷彿とさせるような情感の豊かさや瑞々しさが演奏全体に漲っているのが特徴だ。

テンポなども随所で変化させており、トゥッティに向けて畳み掛けていくような気迫が漲っているが、音楽の自然な流れをいささかも損なっていないのが素晴らしい。

本盤の4年後に、セル&クリーヴランド管弦楽団による同曲最高の超名演(1970年)が生まれているが、本演奏はそれに肉薄する超名演と高く評価したい。

これに対して、「第9は」1972年の録音で、ベルリン・フィルがほぼカラヤン色に染まった時期の録音だ。

それだけに、全体的にはチェコ風の民族色がやや薄まり、より華麗で明瞭な音色が支配しているように感じるが、それでも情感の豊かさにおいてはいささかの不足もなく、「第9」の様々な名演の中でもトップの座を争う名演であることには変わりはない。

ただ、名演としての評価は揺るぎがないものの、クーベリックらしさと言う意味においては、「第8」と比較するとややその個性が弱まっていると言えるところであり、このあたりは好き嫌いが分かれるのかもしれない。

ベルリン・フィルも、両演奏ともにクーベリックの指揮の下、素晴らしい演奏を繰り広げており、特に各管楽器奏者の卓越した技量には惚れ惚れするほどだ。

そして、かかる高評価は、本全集に収められた他の交響曲にも共通するものであると言えるところであり、本全集は、いくつか存在しているドヴォルザークの交響曲全集の演奏の中でもトップの座に君臨する至高の名全集と高く評価したいと考えている。

音質については、リマスタリングがなされるなどかなり良好なものである。

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2014年10月11日


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カラヤンは、特にお気に入りの楽曲については何度も録音を繰り返したが、ドヴォルザークの交響曲第9番「新世界より」についてもその例外ではない。

DVD作品を除けば、ベルリン・フィルとともに本演奏を含め4度にわたって録音(1940、1957、1964、1977年)を行うとともに、ウィーン・フィルとともに最晩年に録音(1985年)を行っている。

いずれ劣らぬ名演であるが、カラヤンの個性が全面的に発揮された演奏ということになれば、カラヤン&ベルリン・フィルが全盛期にあった頃の本演奏と言えるのではないだろうか。

カラヤン&ベルリン・フィルは、クラシック音楽史上でも最高の黄金コンビであったと言えるが、特に全盛期でもあった1960年代から1970年代にかけての演奏は凄かった。

この当時のカラヤン&ベルリン・フィルの演奏は、分厚い弦楽合奏、ブリリアントなブラスセクションの響き、桁外れのテクニックをベースに美音を振り撒く木管楽器群、そして雷鳴のように轟きわたるティンパニなどが、鉄壁のアンサンブルの下に融合し、およそ信じ難いような超絶的な名演奏の数々を繰り広げていた。

カラヤンは、このようなベルリン・フィルをしっかりと統率するとともに、流麗なレガートを施すことによっていわゆるカラヤンサウンドを醸成し、オーケストラ演奏の極致とも言うべき圧倒的な音のドラマを構築していた。

本演奏においてもいわゆる豪壮華麗なカラヤンサウンドを駆使した圧倒的な音のドラマは健在。

冒頭のダイナミックレンジを幅広くとった凄みのある表現など、ドヴォルザークの作品に顕著なボヘミア風の民族色豊かな味わい深さは希薄であり、いわゆるカラヤンのカラヤンによるカラヤンのための演奏とも言えなくもないが、これだけの圧倒的な音のドラマの構築によって絢爛豪華に同曲を満喫させてくれれば文句は言えまい。

筆者としては、カラヤンの晩年の清澄な境地を味わうことが可能なウィーン・フィルとの1985年盤の方をより上位の名演に掲げたいが、カラヤンの個性の発揮という意味においては、本演奏を随一の名演とするのにいささかの躊躇をするものではない。

併録のスメタナの交響詩「モルダウ」も、カラヤンが何度も録音を繰り返した十八番とも言うべき楽曲であるが、本演奏も、聴かせどころのツボを心得た演出巧者ぶりを窺い知ることが可能な素晴らしい名演だ。

音質は、従来CD盤が今一つの音質であったが、数年前に発売されたHQCD盤は、若干ではあるが音質が鮮明になるとともに、音場が幅広くなったと言えるところであり、加えて先般、待望のハイブリッドSACD化が行われることによって、見違えるような鮮明な音質に生まれ変わったところである。

そして、今般のシングルレイヤーによるSACD盤は、当該ハイブリッドSACD盤を遥かにに凌駕していると評しても過言ではあるまい。

音質の鮮明さ、音場の幅広さ、そして音圧のいずれをとっても1970年代のEMIによるスタジオ録音とは到底信じられないほどの一級品の仕上がりであり、あらためてシングルレイヤーによるSACD盤の潜在能力の高さを思い知った次第である。

いずれにしても、カラヤンによる至高の超名演を、超高音質であるシングルレイヤーによるSACD盤で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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2014年10月04日


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ドヴォルザークのチェロ協奏曲は、チェロ協奏曲の王様とも言うべき不朽の名作であり、それ故に古今東西の様々なチェリストがこぞって演奏・録音を行ってきた。

それだけに、名演には事欠くことはなく、本稿にも書ききれないほどの数多い名演が存在している。

カザルスと並んで20世紀最大のチェリストと称されたロストロポーヴィチも、同曲の録音を繰り返し行っており、ターリッヒ&チェコ・フィルとの演奏(1952年(本盤))を皮切りとして、ハイキン&モスクワ放送交響楽団との演奏(1956年)、カラヤン&ベルリン・フィルとの演奏(1968年)、ジュリーニ&ロンドン・フィルとの演奏(1977年)、そして小澤&ボストン交響楽団との演奏(1985年)の5度にわたってスタジオ録音を行っている。

その他にもライヴ録音も存在しており、これは間違いなくあらゆるチェリストの中でも同曲を最も多く録音したチェリストと言えるのではないだろうか。

これは、それだけロストロポーヴィチが同曲を深く愛するとともに、満足できる演奏がなかなか出来なかった証左とも言えるところだ。

ロストロポーヴィチは、小澤との1985年の演奏の出来に大変満足し、当該盤のレコード会社であるエラートに、今後2度と同曲を録音しないという誓約書まで書いたとの噂も伝えられているところである。

したがって、ロストロポーヴィチの円熟のチェロ演奏を聴きたいのであれば1985年盤を採るべきであろうが、オーケストラ演奏なども含めた演奏全体を総合的に考慮に入れると、筆者としては、本盤に収められたターリッヒ&チェコ・フィルとの演奏を随一の名演に掲げたいと考える。

それどころか、異論は十分に予想されるが、筆者としては、本演奏こそがこれまでの同曲のあらゆる演奏のトップの座に君臨する至高の超名演と高く評価したいと考えているところだ。

本演奏でのロストロポーヴィチのチェロ演奏は凄まじい。

1985年盤のような味わい深さは存在していないが、重厚な迫力においては本演奏の方がはるかに上。

重心の低い重低音は我々聴き手の度肝を抜くのに十分であるし、同曲特有のボヘミア風の抒情的な旋律の数々も心を込めて情感豊かに歌い抜いている。

卓越した技量は殆ど超絶的とも言えるところであり、演奏全体に漲っている強靭な気迫や生命力は圧倒的で、ほとんど壮絶ささえ感じさせるほどだ。

確かに、1985年盤などと比較するといささか人工的とも言うべき技巧臭や、ロストロポーヴィチの体臭のようなものを感じさせるきらいもないわけではないが、これだけの圧倒的な名演奏を堪能させてくれれば文句は言えまい。

そして、ロストロポーヴィチの圧倒的なチェロ演奏にいささかも引けを取っていないのがターリッヒ&チェコ・フィルによるこれまた圧倒的な豪演である。

これにロストロポーヴィチのチェロが加わった演奏は、時に地響きがするほどの迫力を誇っており、指揮者、チェリスト、オーケストラの3者に最高の役者が揃い踏みした本演奏は、まさに豪華絢爛にして豪奢な壮大な音の建造物と言っても過言ではあるまい。

ロストロポーヴィチのチェロ演奏にある種の人工的な技巧臭を感じる聴き手がいることも十分に想定できるところであるが、これほど協奏曲の醍醐味を感じさせてくれる演奏は他に類例を見ない希少なものと言えるところであり、筆者としては、前述のように、本演奏こそはドヴォルザークのチェロ協奏曲演奏史上でも最高の超名演と高く評価したい。

併録のシューマンのチェロ協奏曲も、ドヴォルザークのチェロ協奏曲と同様のアプローチによる超名演であるが、特に聴かせどころのツボを心得たロストロポーヴィチならではの語り口の巧さが光っているのが素晴らしい。

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2014年09月25日


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本盤には、稀代の名チェリストであったピアティゴルスキーの遺産が収められているが、何と言ってもドヴォルザークのチェロ協奏曲の演奏が圧倒的に素晴らしい。

バックはミュンシュ&ボストン交響楽団であり、広範なレパートリーを誇ったミュンシュとしても、ドヴォルザークの録音はきわめて珍しいが、本演奏はそのようなことを感じさせない素晴らしい名演と高く評価したい。

何よりも、チェリストにピアティゴルスキーを起用したことが功を奏している。

ピアティゴルスキーは、フルトヴェングラー時代のベルリン・フィルの首席チェロ奏者をつとめるなど、一時代を築いた名チェリストではあるが、ロシア人ということもあり、「ロシアのカザルス」と例えられた割には名声においては後輩のロストロポーヴィチの陰にどうしても隠れがちである。

確かに、技量や力感においては、さすがにロストロポーヴィチにはかなわないかもしれない。

しかしながら、一聴すると無骨とも感じる演奏の中に深い情感や豊かな詩情が込められており、随所に聴かれるニュアンスの豊かさにおいては、ロストロポーヴィチにいささかも引けを取っておらず、「ロマンティック・チェリスト」と称されただけのことはあると考えられる。

また、ロストロポーヴィチは、技量があまりにも人間離れしているために、いささか人工的な技巧臭というものが感じられるきらいがないとは言えないが、ピアティゴルスキーのチェロは、あくまでも楽曲の美しさが全面に出てくるような演奏であり、聴き手によっては、ロストロポーヴィチよりも好む者がいても何ら不思議ではない。

このように、技量よりも内容重視のチェリストであるというのは、さすがはフルトヴェングラー時代のベルリン・フィルの首席チェロ奏者をつとめただけのことがあると言えよう。

ミュンシュは、フランス人でありながら、ドイツ語圏にあるストラスブールの出身であり、ドイツ風の重厚な演奏を数多く行ってきた指揮者でもある。

本演奏においても、ミュンシュは、ドイツ風とも言える重厚なアプローチを披露しており、質実剛健なピアティゴルスキーのチェロ演奏と見事に符号している。

まさに、指揮者とチェリストの息があった稀有の名演と言えるだろう。

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2014年09月15日


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セル&クリーヴランド管弦楽団によるドヴォルザークやスメタナの楽曲の演奏はいずれも素晴らしい。

古典派とならんで、民族色の強い作品もセルは得意としていたが、本盤はチェコ音楽の父と言われるスメタナと、彼と並んで同国を代表するドヴォルザークという組み合わせで、その持ち味を堪能できる。

全盛時代のセル&クリーヴランド管弦楽団は、各楽器セクションが一つの楽器のように聴こえるような一糸乱れぬ鉄壁のアンサンブルを誇ったことから、「セルの楽器」とも称された完全無欠の演奏を展開していたところであるが、1960年代半ば頃までの演奏は、そうした完全無欠の演奏が、ある種の技量に偏ったメカニックな冷たさを感じさせたのも否めない事実であるところだ。

そのようなセルも1960年代後半の最晩年に差し掛かると、クリーヴランド管弦楽団の各奏者にも一定の自由を与え、芸風により柔軟性が垣間見られるようになったところであり、円熟の味わい深い名演奏を成し遂げるようになった。

もっとも、ドヴォルザークやスメタナなどのチェコ音楽については、何故か1960年代半ば以前の演奏においても、そうした晩年の演奏にも比肩し得るような情感豊かな味わい深い演奏を行っていたところである。

これは、ドヴォルザークやスメタナなどのチェコ音楽には、セルの母国であるハンガリーの隣国の音楽ということもあり、セル自身が深い愛着と理解を有していた証左と言えるのかもしれない。

本盤に収められたドヴォルザークの交響曲第7番や序曲「謝肉祭」、そしてスメタナの歌劇「売られた花嫁」からの抜粋である序曲、フリリアント、ポルカの各演奏においてもそれは健在であり、表面上は鉄壁のアンサンブルを駆使した完全無欠の演奏でありつつも、各フレーズの端々には、前述のようなチェコ音楽への深い愛着と理解に根差した豊かな情感が込められていると言えるところであり、いずれも味わい深い素晴らしい名演に仕上がっていると高く評価したい。

特にドヴォルザークの第7番では、堂々たる重厚な響きの両端楽章と、優美で味わい深い緩徐楽章や民族色溢れる軽快な舞曲の楽章を見事に描き分け、壮大に全曲を締め括る貫禄の名演を披露している。 

ちなみに、セルは、この第7番を1度しか録音しておらず、この演奏は、1960年というかなり古い音源のものであるが、本盤は最新の「マスター・サウンド」技術で作られており、弱音部での若干のノイズを除けば、音質は明らかに大幅に改善されており、ほとんど古さを感じないまでになっている。

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2014年09月04日


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セル&クリーヴランド管弦楽団によるドヴォルザークの楽曲の演奏はいずれも素晴らしい。

全盛時代のセル&クリーヴランド管弦楽団は、各楽器セクションが一つの楽器のように聴こえるような一糸乱れぬ鉄壁のアンサンブルを誇ったことから、「セルの楽器」とも称された完全無欠の演奏を展開していたところであるが、1960年代半ば頃までの演奏は、そうした完全無欠の演奏が、ある種の技量に偏ったメカニックな冷たさを感じさせたのも否めない事実であるところだ。

そのようなセルも1960年代後半の最晩年に差し掛かると、クリーヴランド管弦楽団の各奏者にも一定の自由を与え、芸風により柔軟性が垣間見られるようになったところであり、円熟の味わい深い名演奏を成し遂げるようになった。

もっとも、ドヴォルザークやスメタナなどのチェコ音楽については、何故か1960年代半ば以前の演奏においても、そうした晩年の演奏にも比肩し得るような情感豊かな味わい深い演奏を行っていたところである。

これは、ドヴォルザークやスメタナなどのチェコ音楽には、ハンガリーの隣国の音楽ということもあり、セル自身が深い愛着と理解を有していた証左と言えるのかもしれない。

本盤に収められたドヴォルザークの交響曲第8番や第9番の各演奏においてもそれは健在であり、表面上は鉄壁のアンサンブルを駆使した完全無欠の演奏でありつつも、各フレーズの端々には、前述のようなチェコ音楽への深い愛着と理解に根差した豊かな情感が込められていると言えるところであり、いずれも味わい深い素晴らしい名演に仕上がっていると高く評価したい。

もっとも、交響曲第8番については、1970年にEMIにスタジオ録音した同曲演奏史上でもトップの座を争う至高の超名演が存在しており、最晩年の演奏ならではの味わい深さと言った点において本演奏はいささか分が悪いと言えるが、それでも本演奏を名演と評価するのにいささかの躊躇をするものではない。

音質は1958年(第8番)、1959年(第9番)のステレオ初期のスタジオ録音であり、従来盤では今一つの音質であったが、数年前に発売されたBlu-spec-CD盤は、従来盤を遥かに凌駕する鮮明な音質に生まれ変わった。

セル&クリーヴランド管弦楽団による完全無欠な名演を高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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2014年08月27日


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ドヴォルザークのチェロ協奏曲と言うと、同曲を何度も録音したロストロポーヴィチによる演奏がいの一番に念頭に浮かぶ。

遺された録音はいずれ劣らぬ名演であるが、とりわけ、カラヤン&ベルリン・フィルと組んだ演奏(1968年)は、指揮者とチェリストががっぷり四つに組んだ絢爛豪華な超名演として、現在においても同曲演奏史上最高の名演としての地位を譲っていないと考えている。

このように、ロストロポーヴィチによる数々の名演の印象があまりにも強い同曲であるが、録音がやや冴えないという難点はあるものの、演奏内容だけをとれば、デュ・プレによる本演奏は、前述のロストロポーヴィチによる1968年盤にも十分に対抗し得るだけの名演と評価できるのではないだろうか。

それは、デュ・プレによる渾身の気迫溢れる力強い演奏によるところが大きく、彼女は持ち前のスケールが大きく伸びやかな歌い回しを駆使して、このドヴォルザークの名作に生命力がほとばしるような大熱演を繰り広げている。

本演奏は1970年のものであるが、これはデュ・プレが不治の病を発症する直前の演奏でもある。

デュ・プレが自らをこれから襲うことになる悲劇的な運命を予知していたのかは定かではないが、本演奏には何かに取りつかれたような底知れぬ情念のようなものを感じさせるとも言えるだろう。

いや、むしろ、我々聴き手が、デュ・プレをその後襲った悲劇を思って、より一層の深い感動を覚えるのかもしれない。

それにしても、本演奏における切れば血が出てくるような圧倒的な生命力と、女流チェリスト離れした力感、そして雄渾なスケールの豪演は、我々聴き手の肺腑を打つのに十分な迫力を誇っており、このような命がけの体当たりの大熱演を繰り広げていたデュ・プレのあまりにも早すぎる死を惜しむ聴き手は筆者だけではあるまい。

かかるデュ・プレの驚異的なチェロを力強くサポートした、当時の夫であるバレンボイムとシカゴ交響楽団も、最高のパフォーマンスを発揮している点を高く評価したい。

録音は、従来盤ではやや鮮明さに欠ける音質であったが、HQCD化によってかなり音質の改善がなされたように思われる。

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2014年08月23日


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本盤に収められたドヴォルザークの交響曲第8番の演奏は、セルが亡くなる直前の録音であり、セル&クリーヴランド管弦楽団による2度目のスタジオ録音ということにもなる。

本演奏は、前回の演奏(1958年盤)を上回るのみならず、一世を風靡したこのコンビによる最高の名演の一つであり、古今東西の同曲の数ある名演の中でもトップの座を争う至高の超名演と高く評価したい。

私見ではあるが、本名演に比肩できるのは、クーベリック&ベルリン・フィル盤(1966年)とカラヤン&ウィーン・フィル盤(1985年)だけではないかと考えている。

セルは、クリーヴランド管弦楽団を徹底的に鍛え抜き、セルの楽器と称されるほどの超一流の楽団に仕立て上げたことで知られている。

したがって、このコンビによる全盛時代の演奏は、特定の楽器が目立つということは殆どなく(これは、セルが最も嫌ったことであった)、オーケストラ全体が一つの楽器のように聴こえるような精密なアンサンブルによる精緻な演奏を誇っていた。

ただ、あまりの演奏の精密さ故に、スケールもやや小型であり、いささか融通の利かないメカニックとも言うべき演奏も多々見られたと言わざるを得ないところだ。

そのようなセルも最晩年になると、鉄壁のアンサンブルを維持しつつも、クリーヴランド管弦楽団の各団員により自由を与え、伸びやかな演奏を行うようになってきたところであり、それに併せて演奏のスケールも大きくなっていった。

本名演は、そのような一連の流れの頂点にある演奏と言えるのではないかと考えられる。

セルは本演奏においても曲想を精緻に描いてはいるが、フレージングが実に伸びやかである。

そして、どこをとっても情感の豊かさに満ち溢れており、スケールも雄渾の極みと言える。

これはまさに、ドヴォルザークやスメタナ、ヤナーチェクなどのチェコ音楽を心から愛した巨匠が最晩年になって漸く到達し得た至高、至純の境地であると言えるのではないだろうか。

併録のスラヴ舞曲第3番及び第10番も、ドヴォルザークの「第8」と同様の素晴らしい完熟の名演だ。

音質は、従来盤が今一つ冴えない音質で問題があり、リマスタリングを施してもさほどの改善が図られているとは言い難かった。

ところが、今般、シングルレイヤーによるSACD盤が発売されるに及んで大変驚いた。

音質の鮮明さ、音圧、音場の幅広さのどれをとっても、これまでの既発CDとは段違いの素晴らしさであり、あらためてSACDの潜在能力の高さを思い知った次第だ。

いずれにしても、セルによる至高の超名演を超高音質のシングルレイヤーによるSACD盤で味わえることを大いに歓迎したい。

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2014年08月15日


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ショルティは先輩格のカラヤンと同様に、極めて広範なレパートリーを誇っており、数多くのレコーディングを行ったところであるが、意外な有名曲の録音をなかなかしなかったということがあった。

例えば、ブラームスの交響曲全集については、1977年〜1979年になって漸く初録音したところであるし、本盤に収められたドヴォルザークの交響曲第9番に至っては、70歳を過ぎた1983年になって初めて録音を行ったところだ。

その理由は定かではないが、ブラームスの交響曲全集と同様に、まさに満を持して録音に臨んだだけに、ショルティの名声をいささかも傷つけることがない素晴らしい名演に仕上がっていると高く評価したい。

同曲におけるショルティのアプローチは、例によって強靭なリズム感とメリハリの明瞭さを全面に打ち出したものであり、その鋭角的な指揮ぶりからも明らかなように、どこをとっても曖昧な箇所がなく、明瞭で光彩陸離たる音響に満たされていると言えるところだ。

それでいて、1980年代に入ってショルティの指揮芸術にも円熟の境地とも言うべきある種の懐の深さ、奥行きの深さが付加されてきたところであり、本演奏にもそうした点が如実にあらわれている。

要は、ショルティを貶す識者が欠点と批判してきた力づくとも言うべき無機的な強引さが本演奏においては影を潜め、いかなる最強奏の箇所に至っても、懐の深さ、格調の高さを失っていないのが素晴らしい。

スケールも雄渾の極みと言えるところであり、いい意味での剛柔のバランスのとれたスケール雄大な演奏というのが本演奏の特質と言えるのかもしれない。

同曲の演奏において、チェコの民族色に満ち溢れた情感豊かさを希求する聴き手にとっては、いささか期待外れとの批判も寄せられるのではないかとも思われるが、例えば第1楽章の呈示部の繰り返しなども忠実に行うなど、同曲の絶対音楽としての魅力を十分に堪能させてくれる本演奏に対しては、文句は言えないのではないかと考えられるところだ。

そして、本演奏においてさらに素晴らしいのはシカゴ交響楽団の超絶的な技量であろう。

ショルティの指揮にシカゴ交響楽団が一糸乱れぬアンサンブルを駆使してついていっているところが見事であり、ショルティ統率下のシカゴ交響楽団がいかにスーパー軍団であったのかを認識させるのに十分なヴィルトゥオジティを最大限に発揮している。

かかるシカゴ交響楽団の好パフォーマンスが、本演奏を壮絶な名演たらしめるのに大きく貢献していることを忘れてはならない。

音質も英デッカによる極めて優秀なものであり、ルビジウム・クロック・カッティングによって更に鮮明さが増したと言える。

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2014年08月12日


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交響曲が1980年6月19、20日、弦楽セレナーデが1977年5月25日、ともにミュンヘン、ヘルクレスザールでのステレオ・ライヴ録音。

「新世界より」は、クーベリック晩年の演奏様式の雄大な山脈を仰ぎ見るような圧倒的なスケール感、そして緊張感、見通しの良い造形美と実演ならではの緊迫感が相乗効果をもたらした見事な演奏である。

とはいえ、弦の厚み、精緻なアンサンブル、分厚い金管、起伏の振幅のいずれを採ってもベルリン・フィルとのDG盤を名盤と呼ぶべきなのかもしれない。

しかも録音状態も大変高い水準にある。

しかし、この演奏に漲る指揮者と楽団、および聴衆の一体感はベルリン・フィルとのDG盤も及ばない歴史的な出来事のように聴こえ、心が震えるのは筆者だけであろうか。

クーベリックとバイエルン放送響が互いの血であり肉であるかのような稀有な演奏記録だと思う。

ドヴォルザークが思い描いた「新世界より」とはこのような演奏だろうと思われるのだ。

トスカニーニ、カラヤン、フリッチャイなどのより感情の入った激しい演奏に比べると、幾分物足りないかもしれないが(これはバイエルン放送響の独特の明るく柔らかいサウンドのせいでもある)、これしかない、と言われれば全然満足できる素晴らしい演奏だ。

クーベリックの数ある「新世界より」の録音の中でも、これが「最高」と言われても納得するだろう。

第2楽章における哀愁の深さ、終楽章でのはち切れんばかりの金管の勢い、その他どこを取っても、聴き手を引き付けて止まない。

カップリングの弦楽セレナーデも、情感豊かな旋律美をたっぷりと生かし切った素敵な演奏だ。

この弦楽セレナーデの懐かしいような、恋しいような感じは、なんとも言えない。

人懐っこさと聖母のような慈愛に富み、人生を悟りきった寂寥感も作品に一段と深みと重みを添えた。

音質も非常に良好で、臨場感があり、かつアグレッシヴで、厚みのあるサウンドを十全に捉えている。

ヴァイオリン両翼型の楽器配置も効果的だ。

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2014年08月09日


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ドヴォルザークは薄命の天才指揮者であったケルテスにとって、特に十八番と言えるレパートリーであったが、特に交響曲第8番は注目すべき秀演と言えるだろう。

この第8番は、ケルテスが残した名演として誉れ高いドヴォルザークの交響曲全集の中でも、傑出した出来映えを誇る演奏になっている。

ここに聴くケルテスの表現は、とにかく自然で音楽的な語り口が目を引くものになっている。

まろやかに溶け合ったブレンドのよい響きと、作品の姿に完全に一致した絶妙な感情の起伏は、自然体の表現をきわめたそのアプローチの中に、この交響曲の本来的な魅力をあるがままに浮き彫りにする結果をもたらしているのである。

また説得力も強く、鋭い感受性で曲を着実かつ流麗の表出しており、確信のこもった表情が若々しく、作品に内在する民族性もごく自然に表われている。

ケルテスの数多い録音の中でも、この指揮者の妙技を偲ばせてくれる最高の演奏の1つと言っていいだろう。

一方、「新世界より」はスケールが大きく、緩急のバランスや楽器の統御も正確だが、第8番の演奏に比べると、いくらか精彩に乏しい感じを受ける。

第1楽章ゆっくり目なスタートなのだが比較的「含み」は少ない感じで、あの象徴的なティンパニは、やや残響が強調されストレートな勢いからは脱したようだ。

普通のテンポになった展開部では切れ目のない弦の美しさが少し目立ち気味だが、反復演奏も含めてよく整理され練れた仕上がりになっている。

第2楽章は静かにしつつ管楽器を際立たせ、さらに弦のしっとり感がボヘミア的な郷愁色を煽る。

舞曲風で弦が隠れる程、時折ここでもティンパニの残響と管楽器の動きを強調した面白い第3楽章を経て、最終楽章の出だしはしっかり踏み込んで行く。

全体的にやや音色が平板になった点と、一部ちょっとした節の切り替えに納得が行かない部分もあるが、弦の旋律線に乗りながらのピークでの実に堂々とした運びは素晴らしい。

ケルテス自身かなり意図した事は明白で、少なくとも二番煎じの演奏にはなってないが、筆者には当時30歳過ぎの若きケルテスが、かのウィーン・フィルにあれだけの名演奏をさせ、ウィーン・フィル自体も持ち得る実力を最大限に発揮した1961年盤の方が強烈のように思える。

録音は、英デッカによるものだけに、従来盤でも鮮明で良好な音質である。

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2014年07月26日


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本盤には、カラヤンがウィーン・フィルを指揮して演奏したドヴォルザークの交響曲第9番「新世界より」及びスメタナの交響詩「モルダウ」が収められている。

両曲ともにカラヤンは十八番としており、これまでに何度もスタジオ録音を繰り返し行っている。

交響曲第9番「新世界より」については、手兵ベルリン・フィルとの4つの演奏(1940年、1957年、1964年及び1977年)、交響詩「モルダウ」についても、同じく手兵ベルリン・フィルとの3つの演奏(1958年、1967年、1977年)が存在している。

いずれ劣らぬ名演であるが、これらの名演の中でとりわけカラヤンの個性が発揮された演奏は、ベルリン・フィルとの全盛期の1970年代の演奏であった。

この当時のカラヤン&ベルリン・フィルの演奏は、分厚い弦楽合奏、ブリリアントなブラスセクションの響き、桁外れのテクニックをベースに美音を振り撒く木管楽器群、そして雷鳴のように轟きわたるティンパニなどが、鉄壁のアンサンブルの下に融合し、およそ信じ難いような超絶的な名演奏の数々を繰り広げていた。

カラヤンは、このようなベルリン・フィルをしっかりと統率するとともに、流麗なレガートを施すことによっていわゆるカラヤンサウンドを醸成し、オーケストラ演奏の極致とも言うべき圧倒的な音のドラマを構築していた。

したがって、両曲についても、いずれも1977年盤においてかかる圧倒的な音のドラマが健在であるが、この稀代の黄金コンビも1982年のザビーネ・マイヤー事件の勃発を契機として、大きな亀裂が入ることになった。

加えて、カラヤン自身の健康悪化もあり、カラヤン&ベルリン・フィルの演奏にもかつてのような輝きが失われることになったところだ。

そのような傷心のカラヤンに温かく手を差し伸べたのがウィーン・フィルであり、カラヤンもウィーン・フィルに指揮活動の軸足を動かすことになった。

本盤の演奏は、そのような時期(1985年)のカラヤンによる演奏であり、ここには1977年盤のようなオーケストラを圧倒的な統率力でドライブして音のドラマを構築したかつてのカラヤンの姿はどこにも見られない。

ただただ音楽そのものを語らせる演奏であるとさえ言えるだろう。

したがって、カラヤンの個性の発揮という意味においては1977年盤と比較していささか弱いと言わざるを得ないが、演奏が含有する独特の味わい深さや奥行きの深さという意味においては、本演奏の方をより上位に掲げたいと考える。

特に、交響曲第9番の第2楽章。

有名な家路の旋律をカラヤンは情感豊かに演奏するが、中間部は若干テンポを落として心を込めて歌い抜いている。

この箇所の抗し難い美しさはこれまでの他の演奏からは決して聴けないものであり、これこそカラヤンが最晩年になって漸く到達し得た至高・至純の境地と言えるだろう。

ウィーン・フィルも、名誉指揮者であるカラヤンに心から敬意を表して、持ち得る実力を最大限に発揮した渾身の大熱演を披露しているのが素晴らしい。

いずれにしても、本演奏は、重厚さと優美さ、ドヴォルザークやスメタナならではのボヘミア風の抒情、そして、カラヤンが最晩年になって漸く到達し得た至高・至純の境地とも言うべき独特の味わい深さと言ったすべての要素を兼ね備えた、まさに完全無欠の超名演と高く評価したい。

音質は、リマスタリングがなされたこともあって本盤でも十分に満足できるものである。

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2014年07月23日


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ドヴォルザークのスラヴ舞曲集の全曲録音は、これまで様々な指揮者によってなされてきた。

同じチェコ人指揮者ならばノイマンが3度にわたり録音しているし、ハンガリー人ならば、セルやドラティ、フィッシャーの名演が忘れ難い。

プレヴィンの聴かせどころのツボを心得た演奏や、マゼールの個性的な演奏も頭に浮かぶ。

このように、綺羅星のように輝く様々な名演の数々の中でも、クーベリックの録音は、ダントツの名演と言ってもいいのではないかと思う。

チェコ人指揮者ならではの民族色豊かな情感にもいささかの不足はないが、決して民俗的なローカル色を強調するのではなく、むしろ、バイエルン放送交響楽団を統率して、より普遍的でシンフォニックな演奏を心掛けている。

言うなれば、チェコ的な情感と普遍的な重厚さを併せ持つというバランスの良さが、本盤を最高の名演たらしめているのだと考える。

どの曲も、緩急自在のテンポを駆使した重厚な名演であるが、特に、第16番のスケールの雄大さは特筆すべきだと思う。

チェコの民族色溢れる情感の豊かさと、一般的な音楽としてのシンフォニックな重厚さを兼ね備えた、いい意味での剛柔バランスのとれた名演との本演奏の評価については、現在でもいささかも変わりがないところである。

したがって、ドヴォルザークのスラヴ舞曲全集の名演としては、本盤のクーベリック&バイエルン放送交響楽団による演奏(1973〜1974年)とともに、本演奏と同格の名演として、セル&クリーヴランド管弦楽団による演奏(1962〜1965年)、ノイマン&チェコ・フィルによる演奏(1985年)が掲げられると考えており、これら3つの演奏が同曲の様々な指揮者による演奏の中でもトップの座を争う至高の超名演と評価したい。

本盤の音質については、リマスタリング(ルビジウムカッティング)されただけあって、従来盤でもかなり満足できる音質であったが、スラヴ舞曲全集の中でもトップの座を争う至高の超名演でもあり、SHM−CD化など、更なる高音質化を望んでいたところであった。

そのような中で、今般、ユニバーサルがシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化を図ったと言うのは、本演奏が至高の超名演であることに鑑みても、歴史的な快挙と言えるだろう。

本シングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤は、これまでの既発のリマスタリングCDとは次元が異なる極上の高音質であり、音質の鮮明さ、音圧、音場の広さのどれをとっても一級品の仕上がりである。

クーベリックによる歴史的な超名演、そしてドヴォルザークのスラヴ舞曲全集の演奏史上トップの座を争う至高の超名演を、このような極上の高音質SACD盤で味わうことができるのを大いに喜びたい。

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2014年07月05日


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カラヤンは、特にお気に入りの楽曲については何度も録音を繰り返したが、ドヴォルザークの交響曲第9番「新世界より」についてもその例外ではない。

DVD作品を除けば、ベルリン・フィルとともに本演奏を含め4度にわたって録音(1940、1957、1964、1977年)を行うとともに、ウィーン・フィルとともに最晩年に録音(1985年)を行っている。

いずれ劣らぬ名演であるが、カラヤンの個性が全面的に発揮された演奏ということになれば、カラヤン&ベルリン・フィルが全盛期にあった頃の本演奏と言えるのではないだろうか。

カラヤン&ベルリン・フィルは、クラシック音楽史上でも最高の黄金コンビであったと言えるが、特に全盛期でもあった1960年代から1970年代にかけての演奏は凄かった。

この当時のカラヤン&ベルリン・フィルの演奏は、分厚い弦楽合奏、ブリリアントなブラスセクションの響き、桁外れのテクニックをベースに美音を振り撒く木管楽器群、そして雷鳴のように轟きわたるティンパニなどが、鉄壁のアンサンブルの下に融合し、およそ信じ難いような超絶的な名演奏の数々を繰り広げていた。

カラヤンは、このようなベルリン・フィルをしっかりと統率するとともに、流麗なレガートを施すことによっていわゆるカラヤンサウンドを醸成し、オーケストラ演奏の極致とも言うべき圧倒的な音のドラマを構築していた。

本演奏においてもいわゆる豪壮華麗なカラヤンサウンドを駆使した圧倒的な音のドラマは健在。

冒頭のダイナミックレンジを幅広くとった凄みのある表現など、ドヴォルザークの作品に顕著なボヘミア風の民族色豊かな味わい深さは希薄であり、いわゆるカラヤンのカラヤンによるカラヤンのための演奏とも言えなくもないが、これだけの圧倒的な音のドラマの構築によって絢爛豪華に同曲を満喫させてくれれば文句は言えまい。

筆者としては、カラヤンの晩年の清澄な境地を味わうことが可能なウィーン・フィルとの1985年盤の方をより上位の名演に掲げたいが、カラヤンの個性の発揮という意味においては、本演奏を随一の名演とするのにいささかの躊躇をするものではない。

併録のスメタナの交響詩「モルダウ」も、カラヤンが何度も録音を繰り返した十八番とも言うべき楽曲であるが、本演奏も、聴かせどころのツボを心得た演出巧者ぶりを伺い知ることが可能な素晴らしい名演だ。

音質は、従来CD盤が今一つの音質であったが、数年前に発売されたHQCD盤は、若干ではあるが音質が鮮明になるとともに、音場が幅広くなったと言えるところであり、筆者も当該HQCD盤を愛聴してきたところだ。

しかしながら、今般、ついに待望のSACD化が行われることによって大変驚いた。

従来CD盤やHQCD盤とは次元が異なる見違えるような、そして1970年代のEMIによるスタジオ録音とは到底信じられないような鮮明な音質に生まれ変わった。

いずれにしても、カラヤンによる至高の名演を、SACDによる高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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2014年06月26日


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交響曲は1976年5月17日、エアランゲン・シュタートハレでのステレオ・ライヴ録音、管楽セレナーデは1977年5月27日、ミュンヘン、ヘルクレスザールでのステレオ・ライヴ録音。

この「第8」はかつて海賊盤などでもリリースされていた強烈な演奏で、マニア筋から高い評価を受けていたが、今回は正規盤での登場。

しかも機材を入れ替えてのリマスタリングが功を奏して音質的には以前の海賊盤とは比較にならない快適さである。

演奏は、ライヴ特有の緊迫感溢れる秀演で、冒頭チェロから濃厚な感情移入の聴かれるテンションの高いもの。

民族的な旋律がふんだんに投入された作品のイメージにふさわしい仕上がりが絶品である。

ラファエル・クーベリックという指揮者は、録音とライヴではまったく違う、というのが有名だが、このバイエルン放送局のライヴ音源で聴くと、それが納得できる。

ドヴォルザークは、ベルリン・フィルとの全集が定番で、クーベリックとしては熱演の部類に入るが、スタジオ録音であるためか、基本的なスタイルはやはりクールでスポーティである。

しかし、このライヴは実に熱い演奏だ。

バイエルン放送響とも、15年以上の付き合いだからか、すでに阿吽の呼吸で、1つの乱れもなく弾ききっている。

それにベルリン・フィル(DG)盤とは違い「手兵とのライヴ」であるため、ここぞというところでのテンポの溜めが効いている。

ベルリン・フィル(DG)盤と比較しても弦の響きの柔らかさが際だち、とにかく美しい自然な流れで、間然とするところのない名演である。

しかしアポロン的な性格の演奏なら、ジュリーニ&シカゴ響やアバド&ベルリン・フィルのほうが凄い。

ただし別のクーベリックが鮮烈に燃えに燃えた演奏と比較されると、これはどれがいいか、持ち味が違うので、筆者には甲乙つけがたい。

ヴァイオリン両翼型の楽器配置にしており、バイエルン放送響のしなやかで抒情性すら感じさせる弦楽パートは魅力的。

管楽セレナーデに関しては、今回初めてこの曲の魅力を改めて感じられるほどに素晴らしい演奏だ。

そして、どこかクーベリックの祖国への熱い思いが、あふれ出るように感じるのは、筆者だけであろうか。

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交響曲が1978年4月2日、協奏曲が1979年11月2日、ともにミュンヘン、ヘルクレスザールでのステレオ・ライヴ録音。

交響曲第7番は、モノラル期の1951年にフィルハーモニア管弦楽団とEMIに、ステレオ最初期の1956年にウィーン・フィルとDECCAに、1971年にベルリン・フィルとDGにそれぞれスタジオ・レコーディングをおこなっており、今度のライヴ録音はクーベリック4種類目の「第7」ということになる。

もともとドヴォルザークの交響曲第7番は、後期3大交響曲の中でも最もドイツ・ロマン派的色合いの濃い作品として知られており、民俗的リズムや素朴さの強調よりは、緊迫感とマッシヴで荒々しい迫力、ヴァイオリンの高域を多用した強靭で情熱的なカンタービレといったファクターが重要視される傾向にあったのは周知の事実。

クーベリックは作品のそうした傾向を重視したのか、あるいは2つのヴァイオリン・セクションが束ねられた勁いサウンド(第4楽章第2主題確保部分など実に効果的)を求めたためか、バイエルン放響を指揮した演奏では珍しく、ここでは第2ヴァイオリンを右側に置いた通常スタイルの楽器配置を採用しているのがポイント。

全体に、クーベリックの実演ならではの高いエネルギー・レヴェルと自在なアゴーギクが印象的な演奏で、冒頭から凄いパワーと集中力である。

特に第3楽章主部でのヴァイオリン・セクションの導きによる高揚感や、第4楽章におけるマッシヴな力感、情熱の激しさは圧倒的。

大詰めのルバートに興奮した聴衆のブラヴォーも強烈だ。

やはりクーベリックを聴くならライヴかと感じさせる演奏で、熱演と言えるのではないか。

カップリングのヴァイオリン協奏曲でも、ヴァイオリン両翼型の楽器配置が採用されている。

なお、ソロの塩川悠子は、クーベリックの父で伝説的な名ヴァイオリニストだったヤン・クーベリックが使用していたヴァイオリン(ストラッド)を、ラファエル・クーベリックから贈られるほど親しい間柄だったとのこと。

ここでの演奏もオーケストラとピタリと息の合った実に見事なもので、派手さや華麗さこそないけれど、独奏者と指揮者とオケと三位一体となった好感の持てる仕上がりとなっているようである。

なお、リマスター音質は、スタジオの機材を一新しただけあって大変に良好なものとなっている。

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2014年06月25日


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ドヴォルザーク作品の中でも屈指のボヘミア的作品と言われる「第6」交響曲と、同じく民族的ながらもきわめて壮麗なヤナーチェクの《シンフォニエッタ》の組み合わせ。

 
どちらもクーベリックの得意なレパートリーであり、いずれの作品においてもまずは指折られるべき名演奏と言えるだろう。

このオルフェオから出されたライヴ録音は、ただでさえ筆者の垂涎のカップリングである上に、演奏も空前の名演であるとされているから、完全に溺愛しているCDである。

クーベリックのヤナーチェク《シンフォニエッタ》のCDは正規盤だけで5種類に及ぶ。

1946年の亡命前のチェコ・フィルとのもの、ウィーン・フィルとの1955年頃のモノラルのスタジオ録音と、時期を接したライヴ録音、1970年代に入ったばかりのDGへのバイエルン放送響とのスタジオ録音に、この1980年代のバイエルン放送響とのライヴである。

録音の時期も適当にばらついており、比較しやすい特徴もあるが、ウィーン・フィルとの2種類は出来が芳しくない。

むしろ、若いときに残したチェコ・フィルとの録音に魅力を感じる。

DGとのものは、定評のある名盤であり、とても優れた演奏で、客観的な安定した標準的名演として永く語られるであろう録音である。

この1981年のライヴは、少々バランスはDG盤に劣ると思われるが、ヤナーチェクへのクーベリックの思いが、よりストレートに表出されている点で優れている。

その分、リズムが幾らか刺激的に刻まれており、ヤナーチェクの語法が生々しく語られるさまは、好きな者にとって快感ですらある。

筆者がイメージするボヘミアの情景に最も近いのが、クーベリックのドヴォルザーク「第6」であるという基本的な考え方は、DG盤を聴いて以来、個人的には未だに変わってはいない(少なくともこの曲におけるクーベリックの絶対的優位性は、筆者にとって一度も崩されていない)。

当盤のドヴォルザークの「第6」は特にその感が強く、熱心な愛好家以外にはあまり馴染みのないこの作品が、ドヴォルザークならではの美しい旋律美にあふれた魅力作であることを教えてくれる。

特にアダージョ楽章の質朴な味わいは、バイエルン放送響木管セクションの巧さも手伝って秀逸、続く第3楽章もさながら“スラヴ舞曲”の趣きで楽しめる。

もちろん、前半の《シンフォニエッタ》も含め、溢れかえる民族的要素を決して泥臭くならずに表出するクーベリックなればこその名演であることは言うまでもないことであろう。

特に弦楽セクションの瑞々しさはこれまでにない美点で、クーベリックの採るヴァイオリン両翼型配置の妙味もなおさら際立つ。

ただ、DG盤とこのライヴ録音を比較すると、細部で相当な心境の変化がクーベリックに生じたことを吐露した録音とも言え、とても興味深い。

それが彼の本質的な解釈の変化なのか、それともDG盤がベルリン・フィルで、このオルフェオ盤が直前まで手兵だったバイエルン放送響によるものかは、分からない。

しかし、クーベリックは本質的な解釈自体をライヴであるからといって変えることはなかったので、クーベリックの心境の変化だと捉えている。

ドヴォルザークの「第6」をクーベリックで聴くと後期3大交響曲を上回る大名作に聴こえるから不思議だ。

巨匠が晩年敢えて取り上げた曲だけに値千金の重みがある。

音質が大変に良好なことも朗報で、《シンフォニエッタ》終曲のフィナーレなど素晴らしい響きだ。

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2014年05月02日


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1963年、ザルツブルク音楽祭でのパッション漲る名ライヴで、個人的にはスタジオ録音より、こちらの方を愛聴している。

累代のチェコ・フィルの指揮者はドヴォルザークの交響曲第9番の録音を行っているが、いずれも個性的な名演揃いである。

ターリッヒにはじまり、本盤のアンチェル、そしてクーベリックやノイマン、そして近年のマーツァルなど、これらの大指揮者による同曲の演奏は、現在においても名演としての地位を確立していると言っても過言ではあるまい。

これらの名演に優劣を付けることは困難であるが、本盤に収められたアンチェルによる演奏は、ターリッヒによる演奏が録音が古くて今一つ音質が冴えないことを考慮に入れれば、当ライヴはチェコ・フィルの累代の指揮者による同曲演奏の中でも出色の出来映えと言ってもいいのではないだろうか。

アンチェルによる演奏は、どちらかと言うと聴かせどころのツボを心得たサービス精神旺盛な演奏とは言い難いと言える。

もちろん、ターリッヒによる演奏のように即物的に徹した演奏とは言えないが、それでもどちらかと言えば派手さはなく、一切の虚飾を配したストレートなアプローチとさえ言えるだろう。

ティンパニの効果的な使い方や低弦の歌わせ方には出色のものがあるものの、華麗さとは程遠い渋味のある演奏とさえ言えるところだ。

しかしながら、一聴すると淡々と流れている曲想の端々には、両親や妻子をアウシュビッツで虐殺されるなど激動の悲劇的な人生を送ってきたこの指揮者だけが描出可能な底知れぬ奥深い情感が込められていると言えるところであり、その独特の味わい深さには抗し難い魅力に満ち溢れている。

巧言令色とは正反対の飾り気のない演奏であるが、その演奏の深沈たる奥行きの深さは、まさにいぶし銀とも言うべき独特の輝きを放っていると高く評価したい。

ドヴォルザークのヴァイオリン協奏曲はやはりスークが一番だ。

1つ1つの音が完全に身についており、自分の音楽として表現しているからである。

激しい生命力や訴えかけ、懐かしい愛情のほとばしり、暖かい親しみ、チャーミングな節まわしが、豊かな郷土色と一体化して聴く者の心に涙をにじませるのだ。

アンチェルの指揮は音楽を意味深く語りかけつつ、美感を保持した見事なものだ。

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2014年04月29日


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ドヴォルザークが作曲した協奏曲は、作曲年代順にピアノ協奏曲、ヴァイオリン協奏曲、チェロ協奏曲の3曲が知られている。

ピアノ協奏曲については、若書きであるせいもあって、リヒテル&クライバーによる名演で知られてはいるものの、いささか魅力に乏しい作品と言わざるを得ない。

チェロ協奏曲が、あらゆる作曲家によるチェロ協奏曲の中でも玉座の地位を獲得している不朽の名作であることは衆目の一致するところであるが、ヴァイオリン協奏曲も、ドヴォルザークならではのチェコ風の民族色溢れる美しい旋律に満ち溢れた名作であり、録音もチェロ協奏曲ほどではないものの、比較的多いところだ。

本盤には、そうしたチェロ協奏曲とヴァイオリン協奏曲をカップリングするという極めて珍しいCDであるが、両演奏ともに、演奏者がチェコ出身者で固められているということもあり、まさにチェコの民族色を感じさせる魅力的な名演奏であると言えるのではないだろうか。

とりわけ、チェロ協奏曲については、かつてのカザルスをはじめとして、ロストロポーヴィチ、マイスキーなど、世界的なチェリストがスケール雄大な名演の数々を成し遂げてきているが、本盤に収められたフッフロの演奏は、そうした海千山千のチェリストの演奏と比較すると、雄大なスケール感とか超絶的な技量という点においては、はっきり言って太刀打ちはできないと言わざるを得ないところだ。

しかしながら、演奏の端々から漂ってくる野趣溢れるとも言うべきチェコ風の情感豊かさと言った点においては、そうした世界的チェリストによる演奏よりも味わい深いと言えるところであり、演奏内容の総体としては、決して劣っているものではない。

少々表現は悪いが、豊かな自然に囲まれたチェコの片田舎を思わせるようなひなびた情緒があるとも言えるところであるが、こうした独特の味わい深さこそが本演奏の最大の魅力であると言っても過言ではあるまい。

人工的な美の世界に毒されている都会人である多くの聴き手に一服の清涼剤を与えるかの如き演奏とも言えるところであり、筆者としては、現代においてこそ希少価値のある極めて優れた名演と評価するのにいささかの躊躇をするものではない。

ヴァイオリン協奏曲については、フッフロのチェロ演奏と同様のことがスークのヴァイオリン演奏にも言えるところであり、楽曲の性格からしても、チェロ協奏曲以上にその性格に合致した素晴らしい名演と高く評価したい。

ノイマン&チェコ・フィルによる演奏も、フッフロのチェロ演奏やスークのヴァイオリン演奏を見事にサポートするとともに、両曲のチェコ風の民族色を全面に打ち出した見事な名演奏を繰り広げている点を評価したい。

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2014年04月24日


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ケルテス指揮、ウィーン・フィルのドヴォルザークの「新世界より」は今でも非常に人気の高い名盤のひとつで、英デッカの名録音によって今でも瑞々しい鮮度を誇っている。

ケルテスは1973年4月、イスラエルの海岸で海水浴中に高波にさらわれて43歳の若さで命を落としたが、それがクラシック音楽界にとっていかに損失であったのかは、遺された数々の名演でよく理解できるところだ。

かかる名演は、コダーイの管弦楽曲集などのお国ものからブラームスの交響曲全集などに至るまで多岐に渡っているが、それら数々の名演に冠絶するケルテス最大の遺産は、本盤に収められたウィーン・フィルとのドヴォルザークの「第9」であるというのは論を待たないところだろう。

それどころか、古今東西の様々な指揮者による同曲の名演の中でも、トップの座を争う至高の超名演と高く評価したい。

本演奏で素晴らしいのは何よりも、ウィーン・フィルの美しさの極みとも言うべき名演奏にある。

ホルンをはじめとする金管楽器の朗々たる奥行きのある響きは抗し難い魅力に満ち溢れており、木管楽器の温もりのある響きも極上の美しさを誇っている。

そして弦楽合奏の重厚にして優美な音色が演奏全体に適度の潤いを与えていることを忘れてはならない。

このような美しさの極みとも言うべき名演奏は、ウィーン・フィルとしてもなかなか成し遂げられるのは困難なものと言えるところであり、それだけ本演奏においてはウィーン・フィルが持ち得る実力を最大限に発揮している。

ケルテスはこの時は若干31歳の若さであったが、ウィーン・フィルにこれだけの名演奏をさせたということは、ケルテスの類稀なる才能と同時に、ウィーン・フィルがケルテスの才能を深く敬愛していたことの証左であると考えられる。

ケルテスの指揮は、いささかも奇を衒うことなく、むしろオーソドックスな自然体のものとさえ言えるが、ウィーン・フィルに前述のような最美の演奏をさせることによって、同曲の魅力を最大限に発揮させることに成功している点を高く評価したい。

まさに本演奏は、我々聴き手が同曲に求めるすべての要素を兼ね備えていると言っても過言ではあるまい。

私見では、同曲の最高峰の名演は、本演奏とクーベリック&ベルリン・フィル(1972年)、カラヤン&ウィーン・フィル(1985年)による名演が3強を形成していると考えているが、同曲の魅力を存分に味わうことができるという意味においては、本演奏こそが随一であると考えている。

ケルテスは、後年にロンドン交響楽団とともに同曲を録音(1966年)しており、それも名演に値するとは思うが、とても本演奏のような魅力は備わっていない。

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2014年04月03日


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伝説のデュ・プレ、1969年プロムスのドヴォルザークが悲願のリリース!

ドヴォルザークはバレンボイム盤(1970年スタジオ / EMI)、チェリビダッケ盤(1967年ライヴ / DG)に次いで3種目。

ところが、まさにそのために数年越しの交渉でもデュ・プレ協会の許可が下りずに、皮肉にもとびきりの遺産として最後まで手付かずだったもの。

こうして今また良好なステレオで聴けるとは大きな喜びである。

ドヴォルザークのチェロ協奏曲と言うと、同曲を何度も録音したロストロポーヴィチによる演奏がいの一番に念頭に浮かぶ。

遺された録音はいずれ劣らぬ名演であるが、とりわけ、カラヤン&ベルリン・フィルと組んだ演奏(1968年)は、指揮者とチェリストががっぷり四つに組んだ絢爛豪華な超名演として、現在においても同曲演奏史上最高の名演としての地位を譲っていないと考えている。

このように、ロストロポーヴィチによる数々の名演の印象があまりにも強い同曲であるが、録音がやや冴えないという難点はあるものの、演奏内容だけをとれば、デュ・プレによる本演奏は、前述のロストロポーヴィチによる1968年盤にも十分に対抗し得るだけの名演と評価できるのではないだろうか。

それは、デュ・プレによる渾身の気迫溢れる力強い演奏によるところが大きいと言える。

本演奏は1969年のものであるが、これはデュ・プレが不治の病を発症する直前の演奏でもある。

デュ・プレが自らをこれから襲うことになる悲劇的な運命を予知していたのかは定かではないが、本演奏には何かに取り憑かれたような底知れぬ情念のようなものを感じさせるとも言えるだろう。

いや、むしろ、我々聴き手が、デュ・プレをその後襲った悲劇を思って、より一層の深い感動を覚えるのかもしれない。

それにしても、本演奏における切れば血が出てくるような圧倒的な生命力と、女流チェリスト離れした力感、そして雄渾なスケールの豪演は、我々聴き手の肺腑を打つのに十分な迫力を誇っており、このような命がけの体当たりの大熱演を繰り広げていたデュ・プレのあまりにも早すぎる死を惜しむ聴き手は筆者だけではあるまい。

グローヴズの骨太で雄大なバックにのせて、たっぷりと思いのたけを込めて歌うチェロ、惜しみなく続く暖かいブラーヴォ、心をかきむしられるこれほどの演奏が、どうしてこれまで眠ったままだったのか謎だ。

一方、イベールはデュ・プレとしては初出のレパートリーで、他ならぬ彼女が弾いていることに大きな価値があると言える。

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2014年02月27日


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ノイマンは、ドヴォルザークの交響曲全集を2度完成させるとともに、交響曲第7番〜第9番については、全集以外にも何度も録音している。

いずれの演奏も、ノイマンの温厚篤実な性格があらわれた情感豊かな名演であるが、一般的には、2度目の交響曲全集や、ポニーキャニオン(現在は、エクストンから発売)に録音した第7番〜第9番、そして、ドヴォルザーク生誕100年を記念した第9番あたりの評価が高い。

それ故に、1度目の交響曲全集の旗色が悪いが、それでも尋常ならぬ完成度の高さがあり、まさにノイマン自家薬朧中の至芸である。

本盤は、その旧全集から、第7番と第8番を収めているが、筆者としては、後年の名演にも優るとも劣らない名演と高く評価したい。

全体的に格調の高い情感の豊かさを保っている点は、後年の名演と同様の傾向ではあるが、ここには、後年の名演には見られない若々しい生命力と引き締まった独特の造形美がある。

誇張を排した純正で格調高い表現の中に、豊かな民族的情感が滲み出ており、また後年の演奏にないきりりとした若々しさがある。

極めてオーソドックスな演奏だが、緻密に譜読みして真摯に演奏することが本当の意味での(=ドヴォルザークが表現したかった)「民俗」を奏でる唯一の手段であり、嚊めば嚊むほど味が出てくる模範的な表現だ。

両曲とも最後まで緊張が緩むことがなく、このドヴォルザークの傑作を最も精確に堪能できる素晴らしい名演奏だ。

手兵のチェコ・フィルも、そうしたノイマンとともに最高のパフォーマンスを示しており、この時代のチェコ・フィルの古雅な音色美も絶品。

これぞ正調ドヴォルザークの決定盤と言いたい。

本盤は、Blu-spec-CD盤であるが、従来盤と比較してさらに鮮明度がアップしており、ノイマンの若き日の名演を高音質で味わうことができることを大いに喜びたい。

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2014年02月23日


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前述したように、筆者はトスカニーニ&NBC響の《新世界より》XRCD盤を、この交響曲のほぼ理想的な再現と考えている。

しかし、トスカニーニ&NBC響に限りなく肉迫したライナー&シカゴ響の絶頂期の名演《新世界より》が、XRCD&SHM-CDで蘇ったことも我々には大きな朗報と言って良いだろう。

ライナーが残した唯一の《新世界より》は、聴き慣れた作品から新たな魅力を引き出し、音楽的な純度を際立たせるライナーの手腕が発揮された名演。

民族的な粉飾を脱し、純音楽的に極められたライナーならではの《新世界より》が聴かれる。

ドヴォルザークの音楽に特有のローカルな雰囲気を感じさせず、絶対音楽としての美しさを極めた演奏で、特にイングリッシュ・ホルンの名ソロが聴ける第2楽章の静かな美しさは、惚れ惚れするほど素晴らしい。

シカゴ響の完璧なアンサンブルと重厚で引き締まったサウンドを生かして綴られたこの演奏は、揺るぎない造型的美観や、異常なまでに張り詰めた緊迫感を特色とした怖ろしく純度の高い名演であり、そこに繰り広げられている少しの妥協もない磨き上げられた表現は、何度接しても常に新鮮な感動を授けてくれるのである。

この演奏の完成度の高さはいくら言葉で表そうとしても伝えきれない。

当時は機能的すぎるといった的外れなことを言っていた人もいたが、3チャンネル・オリジナル・マスターから最高の技術でデジタル・マスタリングされた当盤をぜひ聴いてみてほしい。

第2楽章の木管の鮮度の高い音色、弦の澄んだ響きと見事なバランス。

ライナーの要求にオケがいかにも見事に応えており、まさにトスカニーニ&NBC響に匹敵するような一糸乱れぬアンサンブルだ。

ピアニッシモも非常に美しく、これが1957年のステレオ録音だとはおよそ信じられない。

いずれにしても、ライナー&シカゴ響による同曲の超名演を、このような高音質のXRCD&SHM-CD盤で聴くことができるのを大いに喜びたい。

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