ムラヴィンスキー

2017年06月28日


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独自のリマスタリングで一昨年スタートしたプロフィール・レーベルからのムラヴィンスキー・シリーズの第2集になり、第1集と合わせると都合12枚のCDがリリースされたことになる。

今回は戦後間もない頃の古い音源も多いが、破綻のないまずまずの音響が再現されている。

但し一番新しい1960年から62年にかけてのライヴになるベルリオーズの『幻想交響曲』、ストラヴィンスキーの『火の鳥』そしてR.シュトラウスの『アルプス交響曲』の3曲を含めてここに収録された総ての音源がモノラル録音であることを断わっておく必要がある。

オーケストラは全曲レニングラード・フィルで、この6枚には初出音源は含まれないが25年に亘る一時代を築いた彼らのコラボの歴史を垣間見ることができるシリーズになっている。

曲目はやはりロシア、ゲルマン系の作品が中核をなしているが、CD2ではベルリオーズとビゼーが加わって巨匠のフランス物への解釈も聴きどころのひとつだ。

CD1の『くるみ割り人形』の音質の良さは意外だった。

バレエ音楽からの13曲の抜粋ながらムラヴィンスキーの精緻な表現が活かされた1940年代のセッションとしては貴重な音源だろう。

CD3の『火の鳥』はムラヴィンスキーの絶対的な統率力が示された演奏で、音質も比較的良好だが、最前列の聴衆の1人の咳払いが酷く、緊張感が削がれてしまう嫌いがある。

CD2の『幻想交響曲』、CD5の『アルプス交響曲』は共に異色の演奏で、特に後者はリヒャルト・シュトラウスのイメージしたアルプスの描写とはかなり異なった、殆んど氷河期のアルプスといった峻厳で冷徹なサウンドが聴こえてくるのが興味深い。

ここに描かれているアルプスは1度足を踏み入れたが最後、人間など2度と生きて帰れないほどの厳しい環境を想像させる。

例えば、開始してすぐの「日の出」などはすべての物を一瞬にして焼き尽くすほどの恐ろしい炎を思わせるし、その後の「氷河の上」などは引き裂かれるような響きである。

この演奏が優れたステレオ録音だったら、この曲の他の演奏は存在価値を失っていただろう、そう思わせるほどで、しかも、ライヴということを考慮すれば、まさに空前にして絶後であろう。

このセットでは最も古く唯一の戦前の録音になるのがCD6の『リエンツィ』序曲で、やはりヒス・ノイズと経年による音質の劣化は明らかだ。

第1集と共通のオーソドックスなジュエルケースに6枚のCDが収納されていて、コレクション仕様とは言えないが、新しいリマスタリング盤をリーズナブルな価格で提供しているのがこのシリーズの魅力なので引き続き続編にも期待したい。

ライナー・ノーツは11ページほどで演奏曲目一覧とローター・ブラントによるムラヴィンスキーのキャリアが独、英語で掲載されている。

彼らの代表的録音は複数のレーベルからSACD化されているが、幅広いレパートリーを気取らずに鑑賞できるセットとして、特にムラヴィンスキー・コレクターの方にお薦めしたい。

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2017年04月27日


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プラガ・ディジタルスSACDシリーズの1枚で、プロコフィエフの交響曲第5番変ロ長調Op.100及び同第6番変ホ長調Op.111をカップリングしている。

どちらもライヴからの収録だが前者が1973年後者が1967年の良好なステレオ音源であるためにSACD化の効果も明瞭で、鮮明かつ充分に潤いのある音響が蘇っていて迫力にも不足していない。

尚ここに収録された2曲に関しては古いモノラル録音から1980年代に至るステレオ録音まで複数の音源が存在するが、このディスクではレニングラード・フィルの初期に感じられた息をもつかせないミリタリー的な硬直感から解放された大陸的な懐の深さと余裕で両者のコラボには揺るぎないものがある。

ムラヴィンスキーがレコーディングしたプロコフィエフの作品は意外に少なく、フランク・フォアマン/天羽健三編のディスコグラフィーにはここに収録された2曲の交響曲の他にはバレエ音楽『ロミオとジュリエット』のみが記録されている。

いずれにしてもムラヴィンスキーが録音した僅か2曲の交響曲がこのSACDに揃ったことは歓迎したい。

交響曲第5番は1973年6月29日のレニングラード・ライヴで、音質はホールの響きも適度に捉えたバランスに優れ、特にブラス・セクションの充実感はレニングラード・フィルの面目躍如たる音響を再現している。

交響曲第6番は1967年5月25日のプラハの春音楽祭からドヴォルザーク・ホールでのライヴとクレジットされている。

もしこのデータが信頼できるものだとすれば、音質が余りにも良過ぎるという印象を持った。

確かに東欧圏の中では当時のチェコが最も進んだ録音技術を持っていたことは疑いないし、またDSDリマスタリングされ音質向上が図られていることには違いないのだが、1960年代のライヴとしては異例と言わざるを得ない。

しかもライヴ特有の客席からの雑音は一切聞こえて来ない。

プラガは過去にムラヴィンスキーの音源やデータ改竄で物議を醸したレーベルなので、データに関しては筆者自身確証が得られず断言できないことを書き添えておく。

ムラヴィンスキーはこの曲の初演者でもあり、作曲家の構想を注意深く研究した解釈や、大規模な管弦楽に多彩なパーカッションやピアノが交錯する音響の再現にその絶妙なオリジナリティーを感じさせずにはおかない説得力があることは事実だ。

この曲にはより緊密なアンサンブルと推進力で優る1958年盤があるが、色彩感とスペクタクルな音響でこちらを採りたい。

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2016年12月13日


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プラガ・ディジタルスのムラヴィンスキー・オーケストラル・ワーク集のハイブリッドSACD化は既に9枚目になり、このディスクに収録された3曲は総てモノラル録音だが音質は概ね良好だ。

旧ソヴィエト圏でのステレオ録音が一般的に普及するのは1970年代を待たなければならなかったことを考えればやむを得ず、演奏が素晴らしいだけに惜しまれるが、SACD化によるグレードアップの価値は充分に認められる。

特にオーケストラの音色に磨きがかかり、全体のバランスも良くなったように聞こえる。

例によってプラガの録音データはあまり当てにならない。

交響曲第4番変ホ長調は1948年3月2日録音とライナー・ノーツに記載されているので、メロディア原盤で日本では以前新世界からリリースされたものらしい。

幸い高度な鑑賞に充分堪え得る良好な音質が保たれている。

第5番変ロ長調に関しては1968年9月28日と1970年6月8日東京ライヴしか音源が存在しないので、モノラルの前者で疑いの余地はないだろう。

一方バレエ音楽『四季』はライナー・ノーツでは1969年9月28日ライヴとなっているが、フランク・フォアマン/天羽健三編のディスコグラフィーには記録されていないので、おそらく同年4月20日のライヴと思われる。

この曲のみ演奏後に聴衆の拍手が入っている。

いずれもオーケストラはレニングラード・フィルハーモニー管弦楽団で、新音源でないことを断わっておく。

グラズノフの作品にはしっかりした形式感とスラヴの民俗舞踏のエレメントやメルヘンチックな情緒が同居しているが、ムラヴィンスキーは感傷やメランコリーによって曲想をゆるがせにすることはなく、突き放した硬派のロマンティシズムを表現している。

そこには甘美な陶酔や遊びの要素などは微塵も感じられず、オーケストラを完璧に統率し、殆んどそのダイナミクスだけで曲を彫琢していく。

曲によっては冷淡に聞こえる時もあるが、手兵レニングラードの鍛え抜かれたアンサンブルが類稀な集中力を指揮者の下一点に結集させているためにただならぬ緊張感を感知させる。

第5番も例外なく彼の優れた構成力が示されていて、第1楽章は前奏曲のように、そしてチャイコフスキーのバレエ音楽さながらに展開する第2楽章、間奏曲風の第3楽章、更に終楽章で導く熱狂的なクライマックスというように曲想の個性をつぶさに掴み周到に起承転結が考え抜かれている。

また第4番冒頭のイングリッシュホルンが先行して奏でるテーマも決して官能的ではなく、抒情を抑えた素朴なパストラーレのように歌い上げて、続くそれぞれの楽章が絵画的に描写されるのも印象的だ。

バレエ組曲『四季』は7曲の抜粋になり、終曲「バッカナーレ」の騒然とした雰囲気もかなり厳しく統制されているが、硬直感はなくロシアの歳時記にヒューマンな温もりを与えている。

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2016年09月22日


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ムラヴィンスキーは、カラヤンとほぼ同時代に活躍していた大指揮者であったが、旧ソヴィエト連邦下で活動していたことやムラヴィンスキーが録音に慎重に臨んだこともあって、その実力の割には遺された録音の点数があまりにも少ない。

そして、その音質についても、DGにスタジオ録音を行ったチャイコフスキーの後期3大交響曲集(1960年)やアルトゥスレーベルから発売された1973年の初来日時のベートーヴェンの交響曲第4番及びショスタコーヴィチの交響曲第5番等の一部のライヴ録音(既にいずれもSACD化)などを除いては、極めて劣悪な音質でこの大指揮者の実力を知る上ではあまりにも心もとない状況にある。

そのような中で、スクリベンダム・レーベルから1965年及び1972年のムラヴィンスキーによるモスクワでのライヴ録音がリマスタリングの上発売されているが、音質も既発CDと比較すると格段に向上しており、この大指揮者の指揮芸術の真価をさらに深く味わうことが可能になった意義は極めて大きいと言わざるを得ない。

何よりも、1960年代から1970年代にかけては、ムラヴィンスキー&レニングラード・フィルの全盛時代であり、この黄金コンビのベストフォームの演奏を良好な音質で味わうことができるのが素晴らしい。

本盤には、1972年のライヴ録音が収められているが、いずれも凄い演奏だ。

ムラヴィンスキーは、手兵レニングラード・フィルを徹底して厳しく鍛え抜いており、その演奏はまさに旧ソヴィエト連邦軍による示威進軍を思わせるような鉄の規律を思わせるようなものであった。

そのアンサンブルは完全無欠の鉄壁なものであり、前述の1960年のチャイコフスキーの交響曲第4番の終楽章の弦楽合奏の揃い方なども驚異的であったが、本盤に収められた演奏でも随所においてそれを味わうことが可能だ。

冒頭のチャイコフスキーの交響的幻想曲「フランチェスカ・ダ・リミニ」からして、この指揮者ならではの深遠な内容と凄まじいまでの迫力を兼ね備えた凄みのある名演だ。

続くチャイコフスキーの交響曲第5番はこの指揮者の十八番と言える楽曲であり、遺された演奏・録音も数多く存在しているが、筆者としては、前述の1960年のDGへのスタジオ録音や、1977年の来日時のライヴ録音(アルトゥス)、1982年のライヴ録音(ロシアンディスク)がムラヴィンスキーによる同曲の名演の3強と考えているところだ。

もっとも、本演奏も終楽章の終結部に向けて畳み掛けていくような気迫や力感など、3強にも比肩し得るだけの内容を有しているところであり、本演奏をムラヴィンスキーならではの超名演との評価をするのにいささかも躊躇をするものではない。

ワーグナーの管弦楽曲については複数のCDにまたがって収められているが、いずれもこの指揮者ならではの彫りの深い素晴らしい名演に仕上がっている。

ブラームスの交響曲第3番は、後述のベートーヴェンの交響曲第5番と同様のスタイルによる引き締まった名演と言えるが、第2楽章や第3楽章のやや速めのテンポによる各旋律の端々から滲み出してくる枯淡の境地さえ感じさせるような渋味のある情感は抗し難い魅力に満ち溢れており、人生の諦観さえ感じさせるほどの高みに達していると言えるところだ。

ショスタコーヴィチの交響曲第6番は、1965年盤もありそれも名演であったが、本演奏の方がより円熟味が増した印象を受けるところであり、筆者としては本演奏の方をより上位に置きたい。

いずれにしても、厳格なスコアリーディングに基づき、同曲に込められた深遠な内容の核心に鋭く切り込んでいくが、それでいて豊かな情感と格調の高さを失わないのがムラヴィンスキーによる演奏の凄みと言えるだろう。

ベートーヴェンの交響曲第4番は、前述の来日時の名演の1年前のものであるが、本演奏も同格の名演と評価したい。

速めのテンポで疾風のように駆け抜けていくような演奏で、一聴すると素っ気なささえ感じさせるが、各旋律に込められた独特の繊細なニュアンスや豊かな情感には抗し難い魅力があると言えるところであり、同曲演奏史上でもトップの座を争う至高の名演に仕上がっている。

ベートーヴェンの交響曲第5番も凄い演奏だ。

やや速めのテンポによる徹底して凝縮化された演奏と言えるが、それでいて第2楽章などの緩徐箇所における各旋律を情感豊かに歌い上げており、いい意味での剛柔バランスのとれた至高の名演であると言えるだろう。

いずれにしても、本盤は大指揮者ムラヴィンスキーの偉大な芸術を良好な音質で味わうことができるという意味においては、1965年盤と並んで安心してお薦めできる素晴らしい名盤であると高く評価したい。

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2016年08月28日


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エフゲニー・ムラヴィンスキー&レニングラード・フィルのコンビによる演奏集のSACD化を続けているプラガ・ディジタルスからの新譜はシベリウスの作品集で、交響曲第3番、交響詩『四つの伝説』より「トゥオネラの白鳥」、交響曲第7番及びドビュッシーの『夜想曲』から「雲」と「祭」を収録している。

交響曲第3番は1963年10月27日のラジオ放送用ライヴからの音源で、近年になってサンクト・ペテルブルク放送局で発見されたマスター・テープはモノラル録音だが、こちらは同音源を擬似ステレオ化したものからのDSDリマスタリングになる。

ちなみに彼らはその前日にレニングラードでこの曲のソヴィエト連邦初演を行っている。

音質は時代相応以上に良好で音場は拡がっているが音響が平面的になった印象はなく、むしろオリジナルのモノラル録音より色彩感が増して臨場感にも不足していない。

「トゥオネラの白鳥」はステレオ録音で、近寄りがたいほどの峻厳な雰囲気と凍てついた死の河を漂う孤高の白鳥をイメージさせる表現が秀逸だ。

ドビュッシーは擬似ステレオ化されているが音質はこの曲集の中では恵まれていない。

「雲」はその幻想性で優れた演奏であることに疑いはないが、ムラヴィンスキーの厳格さがこうしたレパートリーでは律儀過ぎるところがあって「祭」での中間部の高揚がやや強引な力技に感じてしまう。

一方シベリウスの交響曲第7番は良好なステレオ・ライヴ録音で、彼の常套手段になる第1、第2ヴァイオリンが向き合う両翼型の編成が繰り広げるステレオ効果も随所で聴き取ることができるし、この曲を簡潔にしかも効果的にまとめあげたムラヴィンスキーの力量は流石だ。

また彼は曲想の変化に応じてオーケストラにかなり細かい指示を出していて、民族的な熱狂とは異なった構造的な力学からの精緻な解釈、つまり音響のダイナミクスとテンポの対比を駆使してシベリウスのオーケストレーションの醍醐味を引き出しているのが聴きどころだろう。

時として咆哮するブラス・セクションと弦楽部のバランスは巧妙に計算されている。

ムラヴィンスキーの音源につきまとう録音データの問題だが、交響曲第7番に関してはこれまでにリリースされた同曲の音源は1965年2月23日のモスクワ・ライヴ及び1977年の東京ライヴのみだと思っていたがライナー・ノーツでは録音データが1965年10月29日でレニングラード・ライヴと記されているだけでなく、ご丁寧にレコーディング・エンジニア、アレクサンダー・グロスマンの名前も明記されている。

プラガの録音データには翻弄されることがあるので断定はしかねるが、記載に間違いがなければ第7番には3種類の録音が遺されていたことになる。

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2016年08月26日


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エフゲニー・ムラヴィンスキーと手兵レニングラード・フィルによるショスタコーヴィチの交響曲第5番ニ短調Op.47及び第12番ニ短調Op.112『1917年』の2曲を収録したSACD盤である。

ライナー・ノーツには前者が1965年10月24日のモスクワ音楽院大ホールでの放送用ライヴ、後者が1961年10月1日のレニングラード・ライヴで1962年1月6日のプラハ放送用ブロードキャスト音源と記載されている。

同じプラガ・ディジタルスから既にリリースされたレギュラー・フォーマット盤と同一データだが、これらの音源はその後日本ムラヴィンスキー協会の事務局長だった天羽健三氏の調査によると、実際には第5番が1978年6月13日ウィーン・ムジークフェライン・グローサー・ザールでのライヴ、第12番は1961年モスクワ・ラジオ・ラージ・スタジオでのセッションと判明しているようだ。

なるほどフランク・フォアマン/天羽健三編のディスコグラフィーを閲覧すると、より信頼性の高いと思われるこちらのデータが記録されている。

ライヴ録音が多かった彼らの音源ではしばしば起こる混乱の一例だ。

どちらも良好なステレオ録音で、しかも両者の間には17年間の開きがあるにも拘らず、いずれ優るとも劣らない音質には正直言って違和感さえ感じられる。

特に第5番はライヴにしては聴衆を隔離でもしたかのように客席からの雑音や拍手は一切なく、データに関してはいくらか疑問が残らないでもないが、リマスタリングの効果は上々で、両翼型オーケストラ特有の音響が鮮明に蘇って、彼らの典型的なコラボの真骨頂を堪能することができる。

第1楽章のピアノを交えた重厚なカノンや終楽章の執拗に打ち込まれるティンパニの連打には弥が上にも高まる緊張感と執念とも思える迫力が示されている。

ショスタコーヴィチはロシア革命と社会主義をテーマに扱った一連の交響曲を作曲しているが、第12番は『1917年』の副題付でレーニンと10月革命をイメージした作品になり、後半の大規模なオーケストラのサウンドを殆んど限界まで全開させるムラヴィンスキーの統率力と、それに応えるレニングラードの大奮闘はソヴィエトの威信を懸けた凄まじい演奏だ。

ムラヴィンスキーはショスタコーヴィチの才能に関して、当初からその作品を通じて高い芸術性に理解と共感を示して、プロコフィエフを始めとする他の20世紀のロシアの作曲家の作品よりも好んで採り上げている。

このディスクに収録された2曲の他にもムラヴィンスキー&レニングラード・フィルが初演を飾ったショスタコーヴィチの交響曲は第6、第8、第9、第10番があり、全15曲の交響曲のうち6曲までの初演を彼らが手掛けている。

ちなみに第4番及び第13番はキリル・コンドラシン、最後の第15番は息子のマキシム・ショスタコーヴィチの初演になるが、1948年から10年間に及んだジダーノフ批判でショスタコーヴィチが退廃的作曲家のレッテルを貼られたことによって、ムラヴィンスキー自身にも当局からの圧力がかかったとも言われている。

そうした不幸にも拘らず彼らが演奏を繰り返すことによって、現在これらの交響曲が西側でも独自の価値を獲得し、オーケストラのレパートリーとして定着しているのはまさに彼らの功績と言えるだろう。

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2016年08月23日


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ライナー・ノーツの録音データによれば、ここに収録された2曲はどちらも1955年6月3日にプラハのスメタナ・ホールでのライヴ録音ということだが、ベートーヴェンの交響曲第4番は客席からの雑音もなく、両翼型のオーケストラ配置も明瞭に感知できる良質なステレオ音源だ。

出所が信じられなかったのでフランク・フォアマン/天羽健三編のディスコグラフィーを調べてみると同日のライヴは存在するが当然ながらモノラル録音で、この演奏とは別物であることが想像されるが、ムラヴィンスキー&レニングラード・フィルによる同曲の音源は非常に多く、そのどれであるかは突き止められなかった。

一方ショスタコーヴィチの交響曲第10番の方はモノラル録音で確かにライヴらしき雰囲気が感じられるが、このデータの音源は前述のディスコグラフィーには存在しないので、おそらく1976年3月31日のレニングラード・ライヴと思われる。

適度な残響を含む音質は決して悪くなく、細部まで良く聴き取れるし破綻もない。

プラガ・ディジタルスでは既出のレギュラー・フォーマット盤をSACDにグレード・アップしてリイシューする時にライナー・ノーツは焼き直しで済ませているようだがデータに関しては常に疑ってみなければならないのがファン泣かせだ。

ベートーヴェンの交響曲第4番変ロ長調はレニングラード・フィルの整然として精緻なオーケストラが印象的で、終楽章の弦楽とウィンド・セクションの素早い受け渡しやアンサンブルの正確さは流石にムラヴィンスキーに鍛え上げられただけのことはある。

だが厳格な統制によってかえって音楽がいくらか冷たく聴こえて、より解放された情熱的なベートーヴェンを聴きたい向きには窮屈に感じる演奏かもしれない。

一方ショスタコーヴィチの第10番は抑圧された悲痛な思いと暗澹とした自由への憧憬と叫びが伝わって来る演奏が秀逸である。

第4楽章冒頭のオーボエが先導する喘ぐようなカンタービレには作曲者自身の心境が忠実に映し出されていて、ここに彼の苗字から取ったDESCHの音形が登場する。

周知の通りムラヴィンスキーはショスタコーヴィチの15曲の交響曲のうち第5、6、8、9、10、12番の6曲を手兵レニングラード・フィルで初演を飾っていて、作曲家の作法や音楽語法にも精通していたし、また最大限の敬意を払ってその再現に努めたことが手に取るように伝わってくる演奏だ。

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2016年04月13日


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プラガ・ディジタルスのSACD盤シリーズで、ムラヴィンスキーは既にリヒテルとの協演で2枚、その他にオイストラフとショスタコーヴィチのヴァイオリン協奏曲を収めた1枚がリリースされているが、今回彼が振ったオーケストラル・ワークのレパートリーから更に2枚が加わった。

演奏については今更言及するまでもない評価の高い名盤なので、音質がどの程度改善されたかが鑑賞のポイントになるだろう。

ショスタコーヴィチが1961年2月12日のライヴ、スクリャービンの方が1958年12月22日のセッションのどちらもモノラル録音で、演奏の質とその意義を考えればSACD化の価値は充分に見出せるが、当時の欧米の大手メーカーに比較するとこれらの音源とその保存状態は理想的とは言えないのも事実だ。

改善された点は高音部の伸びと音場に奥行きが感じられるようになったことで、その結果以前より無理のない柔らかで潤いのある音質が得られている。

モノラル録音では楽器ごとの分離状態がある程度確保されることで臨場感が補われるので、その意味では成功しているし、また僅かながら音像に立体感が出ている。

特に管弦打楽器が一斉に鳴り響く総奏の部分では再生し切れなかった音の塊りが、より自然に響いている印象を受ける。

ショスタコーヴィチの交響曲第8番ハ短調はムラヴィンスキーに献呈され、彼によって初演された作品なので、指揮者自身にも強い思い入れがあった筈だし、ライナー・ノーツによればこの曲はジダーノフ批判の波に曝されて1948年から56年まで上演禁止の憂き目に遭っていた。

交響曲としての色調はいたって暗く、ムラヴィンスキーによって鍛え抜かれたレニングラード・フィルの統率感と凄まじいばかりの集中力がただならぬ雰囲気を作り上げている。

第3楽章のミリタリー的なファンファーレの応酬にも硬直した感じがないのは流石で、それに続くパッサカリアへの劇的な変化にも必然性がある。

当時の放送用ライヴだが、幸い客席からの雑音は最低限に抑えられている。

一方スクリャービンの交響曲第4番『法悦の詩』は官能的な演奏とは言えないが、逆にある種硬質な透明感が曲の神秘性を醸し出している。

2台のハープ、オルガン、チェレスタや多くのパーカッションが活躍するこの曲こそステレオ録音で聴きたいところだが、ムラヴィンスキーによって冷徹に熟考されたダイナミズムとバランスはそうした弱点を超越して特有の色彩感も感知させている。

ちなみに同SACDシリーズでムラヴィンスキーのオーケストラル・ワーク第2集、バルトーク、オネゲル及びストラヴィンスキーの作品集がリリースされている。

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2016年01月31日


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プラガ・ディジタルスからのムラヴィンスキー演奏集のSACD化はこのディスクで既に4枚目になる。

今回はストラヴィンスキー・アルバムで、1曲目『ペトルーシュカ』の1947年稿にも期待したが音質、演奏ともに必ずしも名盤とは言えない。

『ペトルーシュカ』の音源は1964年のレニングラード・ライヴと記載されているが、音場が遠く劇場の天井桟敷で演奏を聴いているような印象を受ける。

しかもオフ・マイクということもあって、楽器ごとの分離状態が明瞭でなくムラヴィンスキーが採用していた両翼型の弦楽部もステレオ効果に乏しい。

これも録音の技術的な問題だが、パーカッション及びブラス・セクションが突出したように聞こえバランス的にもいまひとつだ。

また演奏について言えばトランペットのソロ部分ではいくらかぎこちなさが露呈して余裕が感じられない。

ムラヴィンスキーのエネルギッシュな推進力と統率感は充分に伝わってくるが、皮肉にも結果的には演奏終了後の拍手が最も良く聞こえるといった状態だ。

はっきり言ってこれまでのムラヴィンスキー演奏集のSACDシリーズに比べて多少期待外れだった。

ムラヴィンスキー&レニングラード・フィルの本領が発揮されているのはむしろバレエ音楽『妖精のくちづけ』の方で、こちらも同様にレニングラード・ライヴだが、ライナー・ノーツによると1983年収録で確かに音質もずっと良くなっている。

ストラヴィンスキーはアンデルセンの童話『氷姫』のストーリーにチャイコフスキーの旋律を豊富に取り入れて、ロシアの先輩作曲家へのオマージュ的な流麗でロマンティックな4つのシーンのバレエに仕上げた。

ストラヴィンスキーの他のバレエ音楽に共通する原初的なパワーや前衛的な刺激が少なく、またこの40分を上回るコンプリート・バージョンに関してはバレエを観る視覚的な愉しみが省かれてしまうので、どちらかと言えばクラシックの玄人向けのレパートリーかも知れない。

しかしムラヴィンスキーの堅固な構成力とレニングラード・フィルの緊密なアンサンブルの連続する隙のない音楽にまとめられていて、第3部後半のクライマックスを創り上げている歌曲『ただ憧れを知る者だけが』のメロディーが現われる部分は物語の悲劇的な結末を象徴していて感動的だ。

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2016年01月21日


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ヘンスラー・プロフィール・エディションの新企画でムラヴィンスキー・シリーズがスタートした。

旧ソヴィエトから提供されたドイツ放送用の音源という触れ込みでその第1集がこの6枚組になり、オーソドックスなジュエル・ケースに収納されたレギュラー・フォーマットのCDながらプロフィール・レーベルは独自のリマスタリングがセールス・ポイントなので、音質を吟味したかったことと、後述する1951年録音と書かれているリヒテルとのブラームスのピアノ協奏曲第2番のデータを検証するために買ったセットだ。

収録曲目に関してはケース裏面の写真を参照して戴ければ一目瞭然だが、ごく一部の例外を除いて目新しいレパートリーはなく第2集以降も初出音源は期待できないが、コスト・パフォーマンスの高さから言ってもこれからムラヴィンスキーのコレクションを始めたい入門者には朗報だろう。

ちなみにメロディアからリリースされたスペシャル・エディションの5枚組とだぶっている曲目はチャイコフスキーの「第4」、「第6」交響曲とドビュッシーの交響詩『海』だけで、その他モーツァルトの交響曲第39番とラヴェルの『ボレロ』は曲目ではだぶっているが、データの異なる別の音源を収録している。

音質は今回のドイツ盤のリマスタリングの方が潤いがあり、音色がより艶やかになっているという印象を持った。

問題のブラームスのピアノ協奏曲第2番についてはライナー・ノーツの記載では録音データが1951年5月14日となっていて、この音源は信頼性の高いフランク・フォアマン/天羽健三編のムラヴィンスキー・ディスコグラフィーには記録されていない。

ソロは同曲の1961年のライヴと同じリヒテルなので比較鑑賞したところ、冒頭のホルンの歌い出しだけでなく、客席からの咳払いも全く同様で同一音源であることはほぼ間違いないだろう。

ライナー・ノーツにはこの録音について言及されていないが、当時のコンサートの時のムラヴィンスキーとリヒテルが写った小さな写真にも1951年と書かれてある。

ドイツのデータ管理はかなり精確なので何故こうした記載ミスが起こったかは不明だ。

尚チャイコフスキーのピアノ協奏曲は1959年録音で既に日本盤でも数種類リリースされているものなので、ムラヴィンスキー通の方ならすぐに思い浮かぶ演奏だろう。

この曲はリヒテルの前にセレブリャーコフが1953年に、その後ギレリスが1971年に同じくレニングラード・フィルと協演した3種類が存在する。

いずれのレパートリーもムラヴィンスキーのミリタリー的に統率された一糸乱れぬアンサンブルの中に、レニングラード・フィルの楽員の必死とも言える音楽に対する熱意が反映されていて、そのチームワークには恐るべきものがある。

それはムラヴィンスキーが50年間に亘って君臨した王国の証しというだけでなく、メンバー1人1人の情熱が最良の形で結集されたひとつの姿だと思う。

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2016年01月15日


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ムラヴィンスキーは、カラヤンとほぼ同時代に活躍していた大指揮者であったが、旧ソヴィエト連邦下で活動していたことやムラヴィンスキーが録音に慎重に臨んだこともあって、その実力の割には遺された録音の点数があまりにも少ない。

そして、その音質についても、DGにスタジオ録音を行ったチャイコフスキーの後期3大交響曲集(1960年)やアルトゥスレーベルから発売された1973年の初来日時のベートーヴェンの交響曲第4番及びショスタコーヴィチの交響曲第5番等の一部のライヴ録音(いずれも既にSACD化)などを除いては極めて劣悪な音質で、この大指揮者の桁外れの実力を知る上ではあまりにも心もとない状況にある。

数年前にスクリベンダム・レーベルから1965年及び1972年のムラヴィンスキーによるモスクワでのライヴ録音がリマスタリングの上発売されており、音質も既発CDと比較すると格段に向上していたが、このうち、1965年のライヴ録音を収めた盤が既に入手難となっていたところだ。

そのような中で、今般、1965年及び1972年のモスクワでのライヴ録音を纏めた上で、大幅に価格を下げて発売されることになったのは、この大指揮者の指揮芸術の真価をより多くのクラシック音楽ファンが深く味わうことが可能になったという意味で、極めて意義が大きいことであると言わざるを得ないところだ。

1960年代から1970年代にかけては、ムラヴィンスキー&レニングラード・フィルの全盛時代であり、この黄金コンビのベストフォームの演奏を良好な音質で味わうことができるのが何と言っても本BOXの素晴らしさと言えるだろう。

まず、1965年のライヴ録音であるが、先ず、冒頭のグリンカの「ルスランとリュドミュラ」序曲からして、我々聴き手の度肝を抜くのに十分な迫力を誇っている。

ムラヴィンスキーは、手兵レニングラード・フィルを徹底して厳しく鍛え抜いており、その演奏はまさに旧ソヴィエト連邦軍による示威進軍を思わせるような鉄の規律を思わせるような凄まじいものであったところだ。

そのアンサンブルは完全無欠の鉄壁さを誇っており、前述の1960年のチャイコフスキーの交響曲第4番の終楽章の弦楽合奏の揃い方なども驚異的なものであった。

本演奏においても同様であり、まさに超絶的な豪演を展開している。

本演奏を聴いて、他の有名オーケストラの団員が衝撃を受けたというのもよく理解できるところであり、他のどの演奏よりも快速のテンポをとっているにもかかわらず、弦楽合奏のアンサンブルが一音たりとも乱れず、完璧に揃っているのは圧巻の至芸というほかはあるまい。

ショスタコーヴィチの交響曲第6番は、1972年のモスクワライヴの方をより上位に掲げる聴き手もいるとは思うが、本演奏における徹底して凝縮化された演奏の密度の濃さには尋常ならざるものがある。

厳格なスコアリーディングに基づき、同曲に込められた深遠な内容の核心に鋭く切り込んでいくことによって、一聴するとドライな印象を受ける演奏ではあるが、各旋律の端々からは豊かな情感が滲み出しているとともに、どこをとっても格調の高さを失わないのがムラヴィンスキーによる本演奏の凄みと言えるだろう。

ワーグナーの2曲も至高の超名演であるが、特に、楽劇「ローエングリン」第3幕への前奏曲の猛スピードによる豪演は、「ルスランとリュドミュラ」序曲に匹敵する圧巻のド迫力だ。

モーツァルトの歌劇「フィガロの結婚」序曲も爽快な名演であるが、交響曲第39番は更に素晴らしい超名演。

同曲はモーツァルトの3大交響曲の中でも「白鳥の歌」などと称されているが、ムラヴィンスキーの演奏ほど「白鳥の歌」であることを感じさせてくれる透徹した清澄な美しさに満ち溢れた演奏はないのではないか。

やや速めのテンポで素っ気なささえ感じさせる演奏ではあるが、各旋律の随所に込められた独特の繊細なニュアンスと豊かな情感には抗し難い魅力がある。

シベリウスの交響曲第7番は、ブラスセクションのロシア風の強靭な響きにいささか違和感を感じずにはいられないところであり、いわゆる北欧の大自然を彷彿とさせるような清澄な演奏ではないが、同曲が絶対音楽としての交響曲であることを認知させてくれるという意味においては、比類のない名演と評価したい。

シベリウスの交響詩「トゥオネラの白鳥」やヒンデミットの交響曲「世界の調和」、ストラヴィンスキーのバレエ音楽「ミューズの神を率いるアポロ」、ドビュッシーの「牧神の午後への前奏曲」なども、引き締まった堅固な造型の中に豊かな情感が込められた味わい深い名演であるが、さらに凄いのはバルトークの「弦楽器、打楽器とチェレスタのための音楽」とオネゲルの交響曲第3番「典礼風」だ。

これらの演奏においても例によって、若干速めのテンポによる凝縮化された響きが支配しているが、それぞれの楽曲の心眼に鋭く切り込んでいくような奥深さには凄みさえ感じられるところであり、聴き手の心胆を寒からしめるのに十分な超絶的な超名演に仕上がっていると言えるところだ。

次いで、1972年のライヴ録音。

ベートーヴェンの交響曲第4番は、前述の来日時の名演の1年前のものであるが、本演奏も同格の名演と評価したい。

速めのテンポで疾風のように駆け抜けていくような演奏で、一聴すると素っ気なささえ感じさせるが、各旋律に込められた独特の繊細なニュアンスや豊かな情感には抗し難い魅力があると言えるところであり、同曲演奏史上でもトップの座を争う至高の名演に仕上がっている。

ベートーヴェンの交響曲第5番も凄い演奏だ。

やや速めのテンポによる徹底して凝縮化された演奏と言えるが、それでいて第2楽章などの緩徐箇所においては各旋律を情感豊かに歌い上げており、いい意味での剛柔バランスのとれた至高の名演であると評価したい。

ワーグナーの管弦楽曲については複数のCDにまたがって収められているが、いずれもこの指揮者ならではの彫りの深い素晴らしい名演に仕上がっている。

ブラームスの交響曲第3番は、ベートーヴェンの交響曲第5番と同様のスタイルによる引き締まった名演と言えるが、第2楽章や第3楽章のやや速めのテンポによる各旋律の端々から滲み出してくる枯淡の境地さえ感じさせるような渋味のある情感には抗し難い魅力に満ち溢れており、人生の諦観さえ感じさせるほどの高みに達していると言えるところだ。

ショスタコーヴィチの交響曲第6番は、前述の1965年の演奏も名演ではあるが、本演奏の方がより円熟味が増した印象を受けるところであり、筆者としては本演奏の方をより上位に置きたい。

いずれにしても、厳格なスコアリーディングに基づき、同曲に込められた深遠な内容の核心に鋭く切り込んでいくが、それでいて豊かな情感と格調の高さを失わないのがムラヴィンスキーによる演奏の凄みと言えるだろう。

チャイコフスキーの交響的幻想曲「フランチェスカ・ダ・リミニ」は、この指揮者ならではの深遠な内容と凄まじいまでの迫力を兼ね備えた凄みのある名演だ。

チャイコフスキーの交響曲第5番はこの指揮者の十八番と言える楽曲であり、遺された演奏・録音も数多く存在しているが、筆者としては、前述の1960年のDGへのスタジオ録音や、1977年の来日時のライヴ録音(アルトゥス)、1982年のライヴ録音(ロシアンディスク)がムラヴィンスキーによる同曲の名演の3強と考えているところだ。

もっとも、本演奏も終楽章の終結部に向けて畳み掛けていくような気迫や力感など、3強にも比肩し得るだけの内容も有しているところであり、本演奏をムラヴィンスキーならではの超名演との評価をするのにいささかも躊躇をするものではない。

いずれにしても、本BOXは大指揮者ムラヴィンスキーの偉大な芸術を良好な音質で、なおかつ低廉な価格で味わうことができるという意味において、是非とも購入をお薦めしたい素晴らしい名盤であると高く評価したい。

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2015年09月17日


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プラガ・ディジタルスによるムラヴィンスキーSACDシリーズの3枚目になり、今回はブラームスの交響曲第4番ホ短調とチャイコフスキーの同第5番ホ短調がカップリングされている。

前者が1961年、後者が1982年のどちらも良質なステレオ録音で、SACD化によって更に高音部の鮮明さと臨場感が増して、比較的まろやかな音響になっている。

ここでもレニングラード・フィルの一糸乱れぬアンサンブルと尋常ならざる集中力がひしひしと伝わって来る厳格な演奏だ。

オーケストラのパートごとの音色を良く聴いていると、洗練し尽くされたという感じではなく、例えば管楽器の響きには何処か垢抜けないところがあり、中でもトランペットはいくらか余韻に欠けるような気がするが、彼らが一体になると個人の持っている力量が桁違いに増強されて壮絶なサウンドが醸し出されるところが恐ろしい。

それはまさにムラヴィンスキーの半生に亘るレニングラード・フィルへの修錬の賜物なのであろう。

また彼の常套手段でもあるヴァイオリンを指揮者の左右に分けた、いわゆる両翼型の配置から繰り出されるアンサンブルの妙も聴きどころのひとつだ。

個人的にブラームスは期待していた演奏とは少しイメージが違った演奏だった。

何故ならブラームス晩年特有の諦観をないまぜにした情緒などはさっぱり感じられないからだ。

勿論こうしたアプローチに共感するファンも少なくない筈だが、全体に筋骨隆々とした逞しい音楽設計で最後の一瞬まで安堵や感傷も許されないような厳しさが、聴く人を選んでしまうのではないだろうか。

一方チャイコフスキーでは甘美で装飾的なエレメントを強調したり管楽器の咆哮を突出させてしまうと、音楽が安っぽくなってしまう。

その点ムラヴィンスキーのモチーフの有機的な繋げ方は見事で、終楽章に向けての着実な準備が第1楽章から感知され、その集中力の持続に全く弛緩がない。

最後に訪れるムラヴィンスキー独特のカタルシスまで鑑賞者を引き離すことがないのは彼のオーケストラへの統率力だけではなく、そこまで着実に聴かせていく徹底した準備と頭脳的で巧みな誘導があることは言うまでもない。

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2015年08月30日


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本盤に収録された3曲の音源のうちバルトークの『弦楽、チェレスタと打楽器のための音楽』はライナー・ノーツによると1967年5月24日にチェコ・フィルの本拠地、プラハ・ルドルフィヌムのドヴォルザーク・ホールでのコンサート・ライヴからのリマスタリングで、既にSACD化されている1965年のモスクワ・ライヴとは別物らしい。

ある程度信用の置けるディスコグラフィーにも出ているので、本当かも知れない。

ステレオ録音だし音質や音の分離状態は極めて良好で、若干のヒス・ノイズを無視すればSACD化によって更に高音部の伸展と臨場感が得られていて高度な鑑賞にも充分堪え得るものになっていることは評価したい。

またムラヴィンスキーの常套手段だった第1ヴァイオリンと第2ヴァイオリンが向かい合わせになる両翼型配置のオーケストラから、丁々発止のやり取りが聞こえてくるのも特徴的だ。

2曲目のオネゲルの交響曲第3番『典礼風』は、良く知られている1965年にモスクワで行われた一連のライヴ録音のひとつで、こちらも良質のステレオ音源でライヴ特有の雑音も殆んどない。

問題はストラヴィンスキーのバレエ音楽『アゴン』で、ライナー・ノーツの記載では1968年10月30日のモスクワ・ライヴとなっているが、どこを調べてもこのデータでの演奏記録は見つからない。

SACD化で音質はかなり向上しているが、モノラル録音なので普及している1965年の同地での同一音源であることにほぼ間違いないだろう。

プラガは過去にムラヴィンスキーの振ったチャイコフスキーの第4番で音源とデータを改竄し、あたかも新発見された録音のようにリリースして物議を醸したレーベルなので、書かれてあるデータを鵜呑みにできないところがファン泣かせだ。

この作品はオネゲルと並んでブラス及びウィンド・セクションが大活躍する。

またいずれの曲にもレニングラード・フィルのメンバーの黒光りするような鍛え抜かれた底力が示されている。

確かに当時の西側のオーケストラに比べると管楽器群やティンパニの音響が垢抜けない部分もあり、華麗なサウンドとは形容し難いが冷徹とも言える天下一品の機動力と統率美を誇っている。

ムラヴィンスキーの表現は至って辛口でおよそ遊び心などとは無縁だが、決して硬直した演奏ではなく、透明感のあるしなやかさも共存している。

これは現代物に強いムラヴィンスキー&レニングラード・フィルの象徴的なコレクションになるだろう。

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2015年07月10日


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筆者は、ウィーンに行くと、必ずウィーン国立歌劇場と、ムジークフェライン・ザールに行くことにしている。

ムジークフェライン・ザールは、コンサート専用のホールで、「黄金大ホール」といわれているように、ホールの内装は金ピカで、古き良き時代のオーストリアが、いかに音楽に対して贅をつくしていたかがよくわかる。

このホールは、音響効果の優れていることでも有名で、ホール全体が、あたかも楽器そのもののようである。

このロシアの巨匠ムラヴィンスキーとレニングラード・フィルハーモニー管弦楽団によるディスクは、1978年の6月、ウィーン芸術週間に、このホールで行われた演奏会のライヴ録音である。

このコンビによるチャイコフスキーの交響曲第5番の録音は、いままでに何枚も出ているが、今回のは、それらのものを遥かに凌ぐ名演奏で、この曲を完全に手中に収めた、悠然たる構えの表現である。

ロシア人の体臭を強く感じさせる素晴らしい演奏で、明暗の度合いをくっきりとつけながら、丹念に彫琢していくこの巨匠の棒さばきは、あたかも名匠の振るうノミのように正確で、しかも生き生きとしている。

この演奏の緊張した凝集力と迫力は凄まじく、しかも感性の豊かさ、精妙をきわめたアンサンブルの見事さは比類がない。

もちろん、一分の隙もないきびしさをもっているが、それが作品のシリアスな側面を否応なく表現している。

ムラヴィンスキーの解釈は常に有無を言わさぬ説得力をもっており、聴衆に媚びるところは皆無である。

ムラヴィンスキーは個性的な表情を作っているが、それはまさに老巧ともいうべきものであり、一見そっけないようだが、音楽には常に血が通っている。

そうした彼のロシア流のチャイコフスキーは、カラヤンに代表される西欧の聴かせ上手な指揮者の解釈とはまったく対照的といってよい。

デュナーミクも精緻そのもので、曲の冒頭から短い動機のひとつひとつにも絶妙な表情が与えられ、それらが強靭な織物のように組みあげられている。

第2楽章ではやや速めと感じられるテンポをとり、息の長いフレーズを情熱的に高揚させるのは、やはり聴きものである。

第3楽章はいくぶん恣意的だが、その洗練された味わいは独特であり、フィナーレも流動感が強い。

そこに鮮やかな立体感があるのも、この演奏の大きな特色で、チャイコフスキーが記した音符のすべてに意味があり、存在理由があることを、ムラヴィンスキーの演奏からは、誰もが理解することが可能である。

しかも、あらゆる部分に瑞々しい創意が息づき、それが新鮮さの原動力といえるが、それは音量に依存しているのではなく、内面の凄絶な緊張感から生み出されたものである。

そのうえ、巨匠的風格が曲のすみずみまでに滲み出ており、ライヴ独特のきりりと引き締まった緊張感が何とも素晴らしく、激しく心を揺さぶられる。

オーケストラも、艶のある弦楽器と底力のある金管楽器が特に見事で、これこそロシアの音といってよく、レニングラードに特有の西欧的洗練を実感させる表現が、チャイコフスキーの折衷的作風を描いている。

そのどこをとってもまったく隙がなく、そこにソヴィエト体制の影響をみることも可能かもしれないが、その鉄の規律はここでは壮大な記念碑を打ち建てる方向に作用しており、こうした演奏はもう現れることはないだろう。

録音はムジークフェラインの響きとしてはやや乾いた印象を与えるとはいえ、一連の旧ソヴィエト録音よりはるかに条件は整っており、ムラヴィンスキーによる同曲の録音といえば、まずこの演奏を聴く必要があろう。

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2015年07月02日


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筆者は、ウィーンに行くと、必ずウィーン国立歌劇場と、ムジークフェライン・ザールに行くことにしている。

ムジークフェライン・ザールは、コンサート専用のホールで、「黄金大ホール」といわれているように、ホールの内装は金ピカで、古き良き時代のオーストリアが、いかに音楽に対して贅をつくしていたかがよくわかる。

このホールは、音響効果の優れていることでも有名で、ホール全体が、あたかも楽器そのもののようである。

このロシアの巨匠ムラヴィンスキーとレニングラード・フィルハーモニー管弦楽団によるディスクは、1978年の6月、ウィーン芸術週間に、このホールで行われた演奏会のライヴ録音である。

このコンビによるブラームスの交響曲第2番の録音は、いままでに何枚か出ているが、今回のは、それらのものを遥かに凌ぐ名演奏で、この曲を完全に手中に収めた、悠然たる構えの表現である。

ムラヴィンスキーはドイツ古典派、ロマン派の音楽に深い造詣を持っていたことはよく知られている。

ムラヴィンスキーが来日公演で「ベト4」に聴かせたあの揺るぎなく格調の高い指揮ぶりは、優秀録音からもよく伝わってきて、深い感銘を残さずにはおかなかった。

この「ブラ2」でも堅固で明快な構成感を打ち出しながら、しかもその内側にブラームスのロマンをはっきりととらえた、力強く集中度の高い演奏を聴かせてくれる。

それはよく言われるようにこの交響曲の田園風の味わいというよりは、強靭で意志的なものを感じさせるが、そんなところがこの指揮者の厳しい格調に通じるものにも他ならないだろう。

眼光紙背に徹したスコアの読み方は人工的なほどだが、音として出てきたものはきわめて自然でしなやかで、純音楽的である。

淡々とした運びの中の自在な表情と無限の息づき、強弱のたゆたいや寂しさ、魔法のようなテンポの動きなど、センス満点の名演だ。

驚かさせられるのは、驚異的なダイナミックレンジの広さであり、フィナーレ冒頭の弱音とコーダにおける想像を絶する巨大さとの対比、それも先へ行くに従いどんどん熱を帯びて調子があがっていく様を当時の観客と共有できる。

さらに第2楽章の中間部から終わりまでの恐ろしいまでの充実度、ムラヴィンスキーの神業に震えがくる思いがする。

興味深いのが、まぎれもないブラームスの音楽でありながら、チャイコフスキーを思わせる部分が多々あることだ。

第1楽章終結部の弾むようなリズム感、また第3楽章中間部の木管の軽やかなアンサンブルなど、バレエ指揮で鍛えたムラヴィンスキーならではの独特な解釈にうならされる。

また、全体に音色が透明で、ことに弦楽の冷たい響きはロシア音楽のように聴こえる。

ただしロシア物を指揮するムラヴィンスキーと、ブラームスを指揮する彼では、微妙な相違があったような気がする。

ブラームスの場合には、どこか醒めていて、陶酔に陥るのを避けるべく自らをコントロールしているような演奏ぶりだ。

例えば第4楽章は、なんとも情熱的な演奏ぶりで聴き手を圧倒するものがあるが、ムラヴィンスキーその人は、仕掛人として終始冷静にことを運び、熱狂の渦の外に立っているようだった。

その姿は、まさしく「謹厳で冷徹な指揮者」というにふさわしいものであり、まさに「ロシアの大指揮者の目を通したブラームス」として目から鱗が落ちる思いがした。

そのうえ、巨匠的風格が曲のすみずみまでに滲み出ており、ライヴ独特のきりりと引き締まった緊張感が何とも素晴らしく、激しく心を揺さぶられる。

ウェーバーの「オベロン」序曲の演奏にも同様のことがいえ、ムラヴィンスキーはオーケストラをきりりと引き締め、一分の隙もない厳しい表現を行っている。

録音はムジークフェラインの響きとしてはやや乾いた印象を与えるとはいえ、一連の旧ソヴィエト録音よりはるかに条件は整っており、ムラヴィンスキーによる同曲の録音といえば、まずこの演奏を聴く必要があろう。

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2015年05月08日


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1973年4月28日 レニングラード・フィルハーモニー 大ホール(ステレオ/ライヴ録音/新マスタリング)に於けるムラヴィンスキー&レニングラード・フィルの黄金コンビによる超名演を非常に優れた音質で味わえる好企画SACDである。

ムラヴィンスキーはドイツ古典派、ロマン派の音楽に深い造詣を持っていたことはよく知られているが、本盤に収められた演奏においても、その揺るぎなく格調の高い指揮ぶりは、優秀録音からもよく伝わってきて、深い感銘を残さずにはおかない。

ただしロシア物を指揮するムラヴィンスキーと、ドイツ物を指揮する彼では、微妙な相違があったような気がする。

ドイツ物を演奏する場合は、どこか醒めていて、陶酔に陥るのを避けるべく自らをコントロールしているような演奏ぶりだ。

ベートーヴェンの「第4」は、初来日直前のレニングラードでのライヴである。

どちらかと言えば、音質、演奏ともに、来日時の演奏の方に軍配をあげたくはなるが、あくまでもそれは高い次元での比較であり、そのような比較さえしなければ、本演奏も、素晴らしい名演である。

ムラヴィンスキーのベートーヴェン「第4」は、理論的な音楽の造形が明快で、ここまでくると気持ちいい。

第1楽章の冒頭のややゆったりとした序奏部を経ると、終楽章に至るまで疾風の如きハイテンポで疾走する。

切れ味鋭いアタックも衝撃的であり、疾風の如き一直線のテンポではあるが、どの箇所をとっても深いニュアンスに満ち溢れており、無機的には決して陥っていない。

ここはテヌートをかけた方がいいと思われる箇所も素っ気なく演奏するなど、全くと言っていいほど飾り気のない演奏であるが、どの箇所をとっても絶妙で繊細なニュアンスに満ち満ちている。

ムラヴィンスキーによって鍛え抜かれたレニングラード・フィルの鉄壁のアンサンブルの揃い方も驚異的であり、金管楽器も木管楽器の巧さも尋常ならざる素晴らしさだ。

各奏者とも抜群の巧さを披露しているが、特に、終楽章のファゴットの快速のタンギングの完璧な吹奏は、空前絶後の凄まじさだ。

他方、ブラームスの「第4」は、ベートーヴェンと同日のライヴであるが、これは、ムラヴィンスキーの遺した同曲の演奏中、最高の名演と高く評価したい。

堅固で明快な構成感を打ち出しながら、しかもその内側にブラームスのロマンをはっきりととらえた、力強く集中度の高い演奏を聴かせてくれる。

それはよく言われるようにこの交響曲の枯れた味わいというよりは、強靭で意志的なものを感じさせるが、そんなところがこの指揮者の厳しい格調に通じるものにも他ならないだろう。

眼光紙背に徹したスコアの読み方は人工的なほどだが、音として出てきたものはきわめて自然でしなやかで、純音楽的である。

淡々とした運びの中の自在な表情と無限の息づき、強弱のたゆたいや寂しさ、魔法のようなテンポの動きなど、センス満点の名演だ。

ベートーヴェンと同様に速めのテンポであり、もう少しテンポを緩めてもいいのではと思われる箇所も、すっと何もなかったように通りすぎてしまう。

しかしながら、随所に見せるニュアンスの豊かさは、まさに至高・至純の美しさに満ち溢れている。

終楽章は、パッサカリア形式による曲想がめまぐるしく変化するが、鉄壁のアンサンブルを堅持し、オーケストラを手足にように操る指揮芸術の凄さは、もはや筆舌には尽くしがたいものである。

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2015年03月06日


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ムラヴィンスキーは、カラヤンとほぼ同時代に活躍していた大指揮者であったが、旧ソヴィエト連邦下で活動していたことやムラヴィンスキーが録音に慎重に臨んだこともあって、その実力の割には遺された録音の点数があまりにも少ない。

そして、その音質についても、DGにスタジオ録音を行ったチャイコフスキーの後期3大交響曲集(1960年)やアルトゥスレーベルから発売された1973年の初来日時のベートーヴェンの交響曲第4番及びショスタコーヴィチの交響曲第5番等の一部のライヴ録音(いずれも既にSACD化)などを除いては極めて劣悪な音質で、この大指揮者の桁外れの実力を知る上ではあまりにも心もとない状況にある。

そのような中で、スクリベンダム・レーベルから1965年及び1972年のムラヴィンスキーによるモスクワでのライヴ録音がリマスタリングの上発売されているが、音質も既発CDと比較すると格段に向上しており、この大指揮者の指揮芸術の真価をより一層深く味わうことが可能になった意義は極めて大きいと言わざるを得ない。

何よりも、1960年代から1970年代にかけては、ムラヴィンスキー&レニングラード・フィルの全盛時代であり、この黄金コンビのベストフォームの演奏を良好な音質で味わうことができるのが素晴らしい。

本盤には、1965年のライヴ録音が収められているが、いずれも凄い演奏だ。

ムラヴィンスキーは、手兵レニングラード・フィルを徹底して厳しく鍛え抜いており、その演奏はまさに旧ソヴィエト連邦軍による示威進軍を思わせるような鉄の規律を思わせるような凄まじいものであった。

そのアンサンブルは完全無欠の鉄壁さを誇っており、前述の1960年のチャイコフスキーの交響曲第4番の終楽章の弦楽合奏の揃い方なども驚異的なものであった。

本盤においても、冒頭のグリンカの「ルスランとリュドミュラ」序曲からして超絶的な豪演を展開している。

本演奏を聴いて、他の有名オーケストラの団員が衝撃を受けたというのもよく理解できるところであり、他のどの演奏よりも快速のテンポをとっているにもかかわらず、弦楽合奏のアンサンブルが1音たりとも乱れず、完璧に揃っているのは圧巻の至芸というほかはあるまい。

ショスタコーヴィチの交響曲第6番は、1972年のモスクワライヴの方をより上位に掲げる聴き手もいるとは思うが、本演奏における徹底して凝縮化された演奏の密度の濃さには尋常ならざるものがある。

厳格なスコアリーディングに基づき、同曲に込められた深遠な内容の核心に鋭く切り込んでいくことによって、一聴するとドライな印象を受ける演奏ではあるが、各旋律の端々からは豊かな情感が滲み出しているとともに、どこをとっても格調の高さを失わないのがムラヴィンスキーによる本演奏の凄みと言えるだろう。

ワーグナーの2曲も至高の超名演であるが、特に、楽劇「ローエングリン」第3幕への前奏曲の猛スピードによる豪演は、「ルスランとリュドミュラ」序曲に匹敵する圧巻のド迫力だ。

モーツァルトの歌劇「フィガロの結婚」序曲も爽快な名演であるが、交響曲第39番は更に素晴らしい超名演。

同曲はモーツァルトの3大交響曲の中でも「白鳥の歌」などと称されているが、ムラヴィンスキーの演奏ほど「白鳥の歌」であることを感じさせてくれる透徹した清澄な美しさに満ち溢れた演奏はないのではないか。

やや速めのテンポで素っ気なささえ感じさせる演奏ではあるが、各旋律の随所に込められた独特の繊細なニュアンスと豊かな情感には抗し難い魅力がある。

シベリウスの交響曲第7番は、ブラスセクションのロシア風の強靭な響きにいささか違和感を感じずにはいられないところであり、いわゆる北欧の大自然を彷彿とさせるような清澄な演奏ではないが、同曲が絶対音楽としての交響曲であることを認知させてくれるという意味においては、比類のない名演と評価したい。

シベリウスの交響詩「トゥオネラの白鳥」やヒンデミットの交響曲「世界の調和」、ストラヴィンスキーのバレエ音楽「ミューズの神を率いるアポロ」、ドビュッシーの「牧神の午後への前奏曲」なども、引き締まった堅固な造型の中に豊かな情感が込められた味わい深い名演であるが、さらに凄いのはバルトークの弦楽器、打楽器とチェレスタの為の音楽とオネゲルの交響曲第3番「典礼風」だ。

これらの演奏においても例によって、若干速めのテンポによる凝縮化された響きが支配しているが、それぞれの楽曲の心眼に鋭く切り込んでいくような奥深さには凄みさえ感じられるところであり、聴き手の心胆を寒からしめるのに十分な壮絶な超名演に仕上がっていると言えるところだ。

いずれにしても、本盤は大指揮者ムラヴィンスキーの偉大な芸術を良好な音質で味わうことができるという意味においては、1972年盤と並んで安心してお薦めできる素晴らしい名盤であると高く評価したい。

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2015年03月05日


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SACDにしては録音にやや難があるとはいえ、とても半世紀も前の録音とは信じがたく、ムラヴィンスキーが残した録音の中でも屈指の高音質であり、彼の高踏的な芸術を十分に味わえる。

チャイコフスキー「第4」の演奏は壮絶そのもので、尋常でない集中力と只事でない迫力のある音塊が眼前に繰り広げられる。

ただひたすら音に圧倒され、あっという間に時が過ぎていくが、ここに一期一会の再現芸術の本質があるように思う。

この曲は、大音響炸裂の剛演でも十分に楽しめるし、また情緒に耽溺する柔演でも満足できる、許容範囲の広いものであるが、その両方の面で突き詰めようとした、まさにムラヴィンスキーならではのもの。

本盤の演奏においては、約40分弱という、史上最速に限りなく近い疾風の如き快速のテンポで演奏されており、その演奏自体の装いもいわゆる即物的で純音楽的なアプローチで一貫しているとも言える。

他の指揮者によるチャイコフスキーの演奏において時として顕著な陳腐なロマンティシズムに陥るということはいささかもなく、どこをとっても格調の高さ、そして高踏的で至高・至純の芸術性を失うことがないのが素晴らしい。

それでいて、素っ気なさとは皆無であり、一聴すると淡々と流れていく各フレーズには、奥深いロシア音楽特有の情感に満ち溢れていると言えるところであり、その演奏のニュアンスの豊かさ、内容の濃さは聴いていて唖然とするほどである。

木管楽器や金管楽器の吹奏にしても、当時の旧ソヴィエト連邦のオーケストラの場合は、独特のヴィブラートを施したアクの強さが演奏をやや雑然たるものにするきらいがあったのだが、ムラヴィンスキーの場合は、徹底した練習を繰り返すことによって、演奏をより洗練したものへと変容させているのはさすがと言える。

そして、これら木管楽器や金管楽器の洗練された吹奏は、ムラヴィンスキーの魔法のような統率の下、あたかも音符がおしゃべりするような雄弁さを兼ね備えているのが素晴らしい。

弦楽合奏も圧巻の技量を誇っており、とりわけロシアの悠久の大地を思わせるような、重量感溢れる低弦の厚みも強靭なド迫力だ。

加えて、その一糸乱れぬ鉄壁のアンサンブルは紛れもなくムラヴィンスキーの圧倒的な統率力の賜物であり、とりわけ終楽章の疾風の如きハイスピード、それにアンサンブルを一切乱さずにぴたりとついていくレニングラード・フィルの巧さは圧倒的だ。

しかもかなり高いピッチで演奏しておりテンションも凄く高い。

「未完成」は、もちろんパワフルながら、多様なニュアンスの込め方にむしろ驚く。

とにかく多様なニュアンス表現にすべてをかけたような演奏で、ムラヴィンスキーということで予想する剛毅さや迫力はむしろ後退し、繊細で穏やかな部分が目立ったもの。

それにしても木管の繊細さ、弦のつややかさ、これが他のロシア系の指揮者と異なるムラヴィンスキーの音楽であり、それがかえって本質を捉えているように聴こえる。

孤高の芸術家として歩んできたムラヴィンスキーそのものを示しつつ、巨匠の描く凄惨な地獄と妖美な黄泉の国を垣間見ることになる。

特に、第1楽章展開部の金管楽器の強奏や、第2楽章の中間部の盛り上がりの箇所をソフトにに始めるところにこそ、ムラヴィンスキーを聴く醍醐味があるだろう。

それにしても何という指揮者、何というオーケストラだろうか。

全体的に金管が威力を発揮しているが、少しも下品にならないのは本当に凄い実力であり、ムラヴィンスキーの優れた薫陶の賜物であると言えるだろう。

ライヴ録音とのことであるが、まったくノイズやミスがないことに驚嘆する。

この音源の出所については様々な議論を呼ぶだろうが、そんな議論を吹き飛ばしてしまうぐらいの超名演の登場だ。

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2015年02月28日


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ムラヴィンスキー初来日時(1973年)の衝撃のライヴ録音で、異常とも言える緊迫感で演奏した貴重な記録である。

ムラヴィンスキーの初来日公演は、日本の音楽関係者に大きな衝撃を与え、特にベートーヴェン「第4」での非ドイツ的アプローチによる凄まじい演奏は語り草になっている。

本盤のベートーヴェン「第4」は、ムラヴィンスキー&レニングラード・フィルの黄金コンビの凄まじさを存分に味わうことが出来る超名演と高く評価したい。

ムラヴィンスキーのCDは、DGにスタジオ録音したチャイコフスキーの後期3大交響曲を除くと、録音状態が芳しくないのが難点であったが、本盤は信じられないような鮮明な音質であり、これにより、ムラヴィンスキーの透徹したアプローチを存分に味わうことが出来るようになったのは、実に幸運の極みと言える。

この録音は以前ロシアン・ディスクから粗悪な音質でCD化されていたが、今回はNHKに保管されていたマスター・テープを使用し、入念なデジタル・リマスタリングを施した結果、ムラヴィンスキーの全CD中屈指と言える鮮明な音質に仕上がった。

ムラヴィンスキーのベートーヴェン「第4」は、理論的な音楽の造形が明快で、ここまでくると気持ちいい。

第1楽章の冒頭のややゆったりとした序奏部を経ると、終楽章に至るまで疾風の如きハイテンポで疾走する。

ここはテヌートをかけた方がいいと思われる箇所も素っ気なく演奏するなど、全くといいほど飾り気のない演奏であるが、どの箇所をとっても絶妙な繊細なニュアンスに満ち満ちている。

切れ味鋭いアタックも衝撃的であり、ムラヴィンスキーによって鍛え抜かれたレニングラード・フィルの鉄壁のアンサンブルも驚異の一言である。

各奏者とも抜群の巧さを披露しているが、特に、終楽章のファゴットの快速のタンギングの完璧な吹奏は、空前絶後の凄まじさだ。

同様のタイプの演奏としてクライバーの名演(バイエルン国立管弦楽団とのライヴ録音(オルフェオのSACD盤))もあるが、内容の彫りの深さにおいて、ムラヴィンスキーには到底太刀打ちできるものではないと思われる。

アンコールの2曲は、この黄金コンビの自家薬籠中の曲だけに、全く隙のないアンサンブルを披露しており、そうした鉄壁のアンサンブルをベースとした圧倒的な迫力と繊細な抒情が見事にマッチングした超名演だ。

このCDの価値を高めているのは、NHKによる良心的な録音、及びアルトゥスによる優れたリマスタリングにもよる。

会場ノイズを除去しすぎることもなく、徒らな効果も狙うこともなく、きわめて真っ当な音で勝負してくれたのが、何よりありがたい。

このような中で、今般、待望のシングルレイヤーによるSACD化がなされるに及んで大変驚いた。

音質の鮮明さ、そして音場の幅広さ、音圧などのどれをとっても一級品の仕上がりであり、あらためてSACD盤の潜在能力の高さを思い知った次第である。

まさにムラヴィンスキーの芸術を知る上で欠く事のできない名SACDの登場と言えるだろう。

いずれにしても、ムラヴィンスキーによる圧倒的な超名演を現在望みうる最高の高音質SACDで味わうことができるのを大いに喜びたい。

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2015年02月26日


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ムラヴィンスキーは、ブルックナーの後期3大交響曲のCDを遺しているが、この3大交響曲の中で、その眼光紙背に徹した峻厳な芸風から、もっとも、ムラヴィンスキーに向いているのは「第9」と言えるのではなかろうか。

どの作品に於いても客観性が重視されるムラヴィンスキーの演奏だが、オルガン的発想から育まれたブルックナーの作品にさしものムラヴィンスキーも悪戦苦闘(版の問題、手法は違えど、朝比奈やヴァントもそうだったのだから当然かもしれない)ぶりも否めないが故に、彼の十八番と言える名盤に見られない彼の個性が随所に見られた本作品。

ムラヴィンスキー晩年の悠揚迫らぬブルックナーであるが、とにかく最初から最後まで峻烈で厳しい演奏と言えるところであり、分厚い弦楽器のトレモロの上に堂々と響きわたる金管群の咆哮が凄まじい。

謹厳な顔からは想像もつかない天真爛漫なスケルツォや終楽章の深い沈潜には、巨匠が到達した孤高の境地がうかがえるようだ。

もちろん、朝比奈やヴァント、そしてかつてのシューリヒトなどの名演に接した者にしてみれば、本盤の演奏は、やや特異な印象を受けるというのが正直なところだ。

第1楽章の終結部のあまり品のいいとは言えないトランペットのヴィブラートや、終楽章の金管楽器による叩きつけるような最強奏などにはどうしても違和感を感じるし、特に後者については無機的にさえ聴こえるほどだ。

木管楽器、特にクラリネットやオーボエの抑揚のない直線的な奏し方も、いかにもロシア的な奏法なのであろうが、ブルックナーの演奏としてはいかがなものであろうか。

終楽章のホルンの柔らかいヴィブラートも、いささか場違いな印象を与える。

しかしながら、こうしたブルックナーの交響曲の演奏スタイルからすると、決してプラスにはならない演奏を行っているレニングラード・フィルを、ムラヴィンスキーは見事に統率し、総体としてムラヴィンスキーならではの個性的な名演を仕上げた点を高く評価したい。

相当な練習を繰り返したことも十分に想像できるところであり、後日談によれば、練習には通常よりも多く時間が取られたらしいが、本人にしてみれば「まだまだ満足出来ない、時間も足りない。」と思われただろう。

自己満足に陥らない作曲者及び作品への畏敬の念がそう物語っている。

前述のように、いわゆる正統派のブルックナー演奏ではなく、あくまでも、ムラヴィンスキーの個の世界にあるブルックナー演奏と言えると思われるが、それでもこれだけ、ムラヴィンスキーの厳格なスコアリーディングに基づく個性的な解釈と、オーケストラに対する卓越した統率力を堪能させてくれれば文句は言えまい。

ムラヴィンスキーという大指揮者の底知れぬ恐ろしさと難しさ、そして深さを感じずにはいられない。

さらにシングルレイヤーによるSACD化により、見違えるような音質に仕上がり、その音質の素晴らしさゆえにムラヴィンスキーのヴァイオリン両翼配置の美しさと強力な金管、浮きあがる木管など実に美しくしかも克明に再現されるのは、素晴らしいの一言である。

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2015年01月22日


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ムラヴィンスキーの数ある同曲録音の中から、日本でのライヴ録音が図抜けて素晴らしい、ということは実に誇らしいことだ。

何度聴いてもなんと神聖な演奏であろうか。

まるで早朝の神社にお参りしたような張り詰めた空気がここにはある。

破格の技術を持つレニングラード・フィルは、決してその技を誇示することなく、ひたすら音楽のために奉仕する。

いかに低弦が唸ろうとも金管が吠えようとも、つねに格調の高さと節度を失うことがなく、「ロシアの」ということを超越した普遍的な芸術意識に貫かれている。

もっとも胸打たれる瞬間のひとつは、第1楽章後半のフルート・ソロ(ムラヴィンスキー夫人)とホルンの対話の部分である。

ヴィブラートの抑制された清冽なフルートの調べは、指揮者との愛の交歓のようで、聴きながら切なくなってしまう。

第3楽章にも同様の場面があるが、こんなフルートを吹かれてしまうと、ムラヴィンスキーでなくても、この人を愛してしまうに違いない。

このCDの価値を高めているのは、NHKによる良心的な録音、及びアルトゥスによる優れたリマスタリングにもよる。

会場ノイズを除去しすぎることもなく、徒らな効果も狙うこともなく、きわめて真っ当な音で勝負してくれたのが、何よりありがたい。

このような中で、今般、待望のシングルレイヤーによるSACD化がなされるに及んで大変驚いた。

音質の鮮明さ、そして音場の幅広さ、音圧などのどれをとっても一級品の仕上がりであり、あらためてSACD盤の潜在能力の高さを思い知った次第である。

いずれにしても、ムラヴィンスキーによる圧倒的な超名演を現在望みうる最高の高音質SACDで味わうことができるのを大いに喜びたい。

なお、この他のムラヴィンスキーによる同曲の録音では、1954年のスタジオ盤1984年のライヴ盤も聴いておきたい。

前者は何と言っても、ムラヴィンスキーが遺した唯一の商業録音として、その公式見解を知るという意味で。

後年よりさらに厳しい彫琢によるストイックさが魅力である。

後者は、アルトゥス盤よりもオン・マイクの録音による生々しさに別の魅力がある。

その直接的な迫力にグラッとくるが、日本公演のような神聖さは後退している。

前記フルート・ソロも断然アルトゥス盤が上である。

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2015年01月11日


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ショスタコーヴィチの交響曲第5番は、ムラヴィンスキーにより初演された(1937年)。

彼はその翌年にレニングラード・フィル(現サンクト・ペテルブルク・フィル)の首席指揮者に就任するが、以来ショスタコーヴィチのほとんどの作品は彼の手によって世に送り出されている。

ムラヴィンスキーは、生涯をかけて何百回となくこのロシアの大地の匂いを感じさせる交響曲をとりあげてきた。

それに併せて、数多くの録音が遺され、いずれ劣らぬ名演であるが、演奏や録音の両方を兼ね備えた名演としては、本盤と来日公演での演奏ということになるのではないかと考える。

ムラヴィンスキーの自信と余裕が感じられ、特に全体に漲る迫力と緊張感は彼ならではのもの。

しかも彼の独裁的なオーケストラ統治のおかげで、その解釈表現は頑強に保たれることになった。

一言で言えば、襟を正したくなるような厳しい演奏で、一切の無駄を省き、一分の隙もない引き締まった彫琢をみせる。

この演奏もまさに完璧の一言で、ムラヴィンスキーらしい聴いていて恐ろしくなるほどの異様な緊張感と迫力で一気に聴かせる。

これを聴いていると、あの冷戦時代の緊張感、そしてショスタコーヴィチの苦悩が再現されるような思いにかられる。

ムラヴィンスキーの演奏を聴いていると、ショスタコーヴィチの演奏の王道は、今では偽書ととされているものの、『ショスタコーヴィチの証言』が何と言おうが、初演者であるムラヴィンスキー以外の演奏ではあり得ないと痛感させられる。

世評では、バーンスタインの演奏の評価が高いが、あのような外面的な効果を狙っただけの演奏では、ショスタコーヴィチの交響曲の本質を表現することはできないと考える。

ソヴィエト連邦、しかも独裁者スターリンの時代という、現代で言えば北朝鮮に酷似した恐怖の時代。

この恐怖の時代をともに生きた者でないとわからない何かが、この交響曲には内包されているはずで、ムラヴィンスキーの名演も、外面的な効果ではバーンスタインの演奏などには一歩譲るが、神々しいまでの深遠さにおいては、他の演奏が束になってもかなわない至高・至純の次元に達している。

ムラヴィンスキーの統率の下、レニングラード・フィルの鉄壁なアンサンブルも凄い。

ホルンのブヤノフスキーやフルートのアレクサンドラ夫人の巧さも際立っており、第2楽章のコントラバスの重量感溢れる合奏も凄まじい迫力である。

いずれにせよ円熟期にあったムラヴィンスキーの至芸が心ゆくまで味わえる素晴らしい名演奏には違いない。

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2015年01月10日


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以前メロディアから出ていた1959年のセッション録音(モノラル録音)である。

この名録音が久しぶりに容易に入手できるようになったことを歓迎したい。

この曲を戦争映画のサントラか無内容な音の大スペクタクルのように感じる人がいたならば、ケーゲルやコンヴィチュニー、同じくムラヴィンスキーのレニングラード初演などとともに、この録音をお薦めしたい。

録音の古さを超えて、この曲が単にレーニン賞受賞の体制御用達の曲でなく、絞り出すようなプロテスト、万感のメッセージが込められているのではと考えさせてくれる。

ショスタコーヴィチの交響曲の約半数、7曲を初演したムラヴィンスキーは、作曲家晩年の回想では理解していないと非難されたが、作品の普及に大きく貢献したことは事実である。

演奏について「曲の本質ではない演奏」という評がちらほら見られるが、ショスタコーヴィチとレニングラード・フィルは紛れもなく初演者であり、「そうじゃない!」と言わせたなどの数々のエピソードからショスタコーヴィチ本人の楽曲に込めた意思はムラヴィンスキー本人に伝わっていると断言できる。

全体的な構成感やその歌い回しでは今録音されている全ての「1905年」を通して変わらない一つの頑固なる意志が見て取れる。

それを以て「曲の本質を掴めていない」というのは何事か!? 作曲者の意思が現れる演奏こそ最も本質的な演奏なのである。

別な解釈からのアプローチを行った演奏は否定しないし、もし筆者が自身の作品の奇異な解釈に出会ったとして、それが面白いものならば面白いと思うだろう(事実、奇異な演奏というのは様々な淘汰の中で生き残ってきた演奏のみを今耳にすることが出来るのである)。

しかしそれによって刷り込まれたイメージのみを以て作曲者のアドバイスをも受けたこの初演者の演奏を「曲の本質ではない」と評するのは作曲家ショスタコーヴィチにも失礼である。

もし本当にそれでも本質的でない演奏と思うのであれば、それはショスタコーヴィチのアドバイスを受けていない第三者が誇張した演奏を最も本質的だ!と評しているということで、本当はそれこそ本質的ではないということを自覚するべきである。

この演奏も、絶壁に立たされたような恐ろしいまでの緊張感を感じさせる演奏だ。

でも、本当のところは、歴史を共有することができない私たちにはわからないのかもしれない。

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2014年12月01日


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ムラヴィンスキーは、カラヤンとほぼ同時代に活躍していた大指揮者であったが、旧ソヴィエト連邦下で活動していたことやムラヴィンスキーが録音に慎重に臨んだこともあって、その実力の割には遺された録音の点数があまりにも少ない。

そのようなムラヴィンスキーの最良の遺産は、諸説はあるとは思われるが、大方の見方としては、手兵レニングラード・フィルとともに西欧諸国への演奏旅行中に、ロンドン(第4番)、そしてウィーン(第5番及び第6番)においてスタジオ録音されたチャイコフスキーの後期3大交響曲集の演奏であるということになるのではないだろうか。

録音は1960年であり、今から50年以上も前のものであるが、現在でもチャイコフスキーの後期3大交響曲集の様々な指揮者によるあまたの演奏にも冠絶する至高の歴史的な超名演と高く評価したい。

ムラヴィンスキーによるこれら後期3大交響曲集については、本演奏以外にも数多くの録音が遺されている。

本盤に収められた交響曲第6番について言えば、モノラル録音でありながら本演奏の3年前(1957年)にDGにスタジオ録音した演奏や、1975年の来日時のライヴ録音、1983年のレニングラード・フィルハーモニー大ホールでのライヴ録音などが存在している。

このうち、1975年の来日時のライヴ録音は圧倒的な超名演であるが、音質が今一つ冴えないという致命的な欠陥がある。

したがって、音質面などを総合的に勘案すれば、本盤の演奏の優位性はいささかも揺らぎがないものと言える。

本盤の演奏においては、約40分弱という、史上最速に限りなく近い疾風の如き快速のテンポで演奏されており、その演奏自体の装いもいわゆる即物的で純音楽的なアプローチで一貫しているとも言える。

他の指揮者によるチャイコフスキーの演奏において時として顕著な陳腐なロマンティシズムに陥るということはいささかもなく、どこをとっても格調の高さ、そして高踏的で至高・至純の芸術性を失うことがないのが素晴らしい。

それでいて、素っ気なさとは皆無であり、一聴すると淡々と流れていく各フレーズには、奥深いロシア音楽特有の情感に満ち溢れていると言えるところであり、その演奏のニュアンスの豊かさ、内容の濃さは聴いていて唖然とするほどである。

木管楽器や金管楽器の吹奏にしても、当時の旧ソヴィエト連邦のオーケストラの場合は、独特のヴィブラートを施したアクの強さが演奏をやや雑然たるものにするきらいがあったのだが、ムラヴィンスキーの場合は、徹底した練習を繰り返すことによって、演奏をより洗練したものへと変容させているのはさすがと言える。

そして、これら木管楽器や金管楽器の洗練された吹奏は、ムラヴィンスキーの魔法のような統率の下、あたかも音符がおしゃべりするような雄弁さを兼ね備えているのが素晴らしい。

弦楽合奏も圧巻の技量を誇っており、とりわけロシアの悠久の大地を思わせるような、重量感溢れる低弦の厚みも強靭なド迫力だ。

加えて、その一糸乱れぬ鉄壁のアンサンブルは紛れもなくムラヴィンスキーの圧倒的な統率力の賜物であり、とりわけ第3楽章のブラスセクションや弦楽器の鉄壁な揃い方はとても人間業とは思えないような凄まじさだ。

同曲の他の指揮者による名演としては、フリッチャイ&ベルリン放送交響楽団による名演(1959年)やカラヤン&ベルリン・フィルによる名演(1971年)など、あまた存在しているが、本演奏こそは頭一つ図抜けた存在であり、同曲演奏史上の最高の超名演と評価するのにいささかも躊躇するものではない。

これだけの歴史的な超名演だけに、初CD化以降、これまで幾度となくリマスタリングが繰り返されてきた。

数年前にはSHM−CD盤が発売され、更にはルビジウム・カッティング盤が発売されたところであり、当該両盤がCDとしては甲乙付け難い音質であると考えてきたものの、かつてLPで聴いた音質には到底及ばないような気がしていた。

ところが、今般、ついに、第4番や第5番とともに、待望のシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化が行われるに及んで大変驚いた。

音質の鮮明さ、音場の幅広さなど、すべてにおいて一級品の仕上がりであり、あらためてシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤の凄さを認識した次第である。

いずれにしても、ムラヴィンスキーによる歴史的な超名演を、現在望み得る最高の高音質であるシングルレイヤーによるSACD&SHM−CDで味わうことができるのを大いに喜びたい。

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2014年11月30日


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ムラヴィンスキーは、カラヤンとほぼ同時代に活躍していた大指揮者であったが、旧ソヴィエト連邦下で活動していたことやムラヴィンスキーが録音に慎重に臨んだこともあって、その実力の割には遺された録音の点数があまりにも少ない。

そのようなムラヴィンスキーの最良の遺産は、諸説はあるとは思われるが、大方の見方としては、手兵レニングラード・フィルとともに西欧諸国への演奏旅行中に、ロンドン(第4番)、そしてウィーン(第5番及び第6番)においてスタジオ録音されたチャイコフスキーの後期3大交響曲集の演奏であるということになるのではないだろうか。

録音は1960年であり、今から50年以上も前のものであるが、現在でもチャイコフスキーの後期3大交響曲集の様々な指揮者によるあまたの演奏にも冠絶する至高の歴史的な超名演と高く評価したい。

ムラヴィンスキーによるこれら後期3大交響曲集については、本演奏以外にも数多くの録音が遺されている。

とりわけ、本盤に収められた交響曲第5番については、この指揮者の十八番と言える楽曲であり、遺された演奏・録音も数多く存在しているが、筆者としては、本盤に収められた演奏とともに、1977年の来日時のライヴ録音(アルトゥス)、1982年のライヴ録音(ロシアンディスク)がムラヴィンスキーによる同曲の名演の3強と考えているところだ。

本盤の演奏においては、約40分弱という、冒頭序奏部の悠揚迫らぬテンポ設定を除けば、比較的速めのテンポで演奏されており、その演奏自体の装いもいわゆる即物的で純音楽的なアプローチで一貫しているとも言える。

他の指揮者によるチャイコフスキーの演奏において時として顕著な陳腐なロマンティシズムに陥るということはいささかもなく、どこをとっても格調の高さ、そして高踏的で至高・至純の芸術性を失うことがないのが素晴らしい。

それでいて、素っ気なさとは皆無であり、一聴すると淡々と流れていく各フレーズには、奥深いロシア音楽特有の情感に満ち溢れていると言えるところであり、その演奏のニュアンスの豊かさ、内容の濃さは聴いていて唖然とするほどである。

木管楽器や金管楽器の吹奏にしても、当時の旧ソヴィエト連邦のオーケストラの場合は、独特のヴィブラートを施したアクの強さが演奏をやや雑然たるものにするきらいがあったのだが、ムラヴィンスキーの場合は、徹底した練習を繰り返すことによって、演奏をより洗練したものへと変容させているのはさすがと言える。

そして、これら木管楽器や金管楽器の洗練された吹奏は、ムラヴィンスキーの魔法のような統率の下、あたかも音符がおしゃべりするような雄弁さを兼ね備えているのが素晴らしい。

とりわけ第2楽章のブヤノフスキーによるホルンソロのこの世のものとも思えないような美しい音色は、抗し難い魅力に満ち溢れている。

弦楽合奏も圧巻の技量を誇っており、とりわけロシアの悠久の大地を思わせるような、重量感溢れる低弦の厚みも強靭なド迫力だ。

加えて、その一糸乱れぬ鉄壁のアンサンブルは紛れもなくムラヴィンスキーの圧倒的な統率力の賜物である。

同曲の他の指揮者による名演は、チャイコフスキーの交響曲の中でも最も美しいメロディを誇る作品だけにあまた存在してはいるが、本演奏こそは、前述のムラヴィンスキーによる1977年及び1982年のライヴ録音とともに頭一つ図抜けた存在であり、同曲演奏史上の最高の超名演の一つと評価するのにいささかも躊躇するものではない。

これだけの歴史的な超名演だけに、初CD化以降、これまで幾度となくリマスタリングが繰り返されてきた。

数年前にはSHM−CD盤が発売され、更にはルビジウム・カッティング盤が発売されたところであり、当該両盤がCDとしては甲乙付け難い音質であると考えてきたものの、かつてLPで聴いた音質には到底及ばないような気がしていた。

ところが、今般、ついに、第4番や第6番とともに、待望のシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化が行われるに及んで大変驚いた。

音質の鮮明さ、音場の幅広さなど、すべてにおいて一級品の仕上がりであり、あらためてシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤の凄さを認識した次第である。

いずれにしても、ムラヴィンスキーによる歴史的な超名演を、現在望み得る最高の高音質であるシングルレイヤーによるSACD&SHM−CDで味わうことができるのを大いに喜びたい。

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ムラヴィンスキーは、カラヤンとほぼ同時代に活躍していた大指揮者であったが、旧ソヴィエト連邦下で活動していたことやムラヴィンスキーが録音に慎重に臨んだこともあって、その実力の割には遺された録音の点数があまりにも少ない。

そのようなムラヴィンスキーの最良の遺産は、諸説はあるとは思われるが、大方の見方としては、手兵レニングラード・フィルとともに西欧諸国への演奏旅行中に、ロンドン(第4番)、そしてウィーン(第5番及び第6番)においてスタジオ録音されたチャイコフスキーの後期3大交響曲集の演奏であるということになるのではないだろうか。

録音は1960年であり、今から50年以上も前のものであるが、現在でもチャイコフスキーの後期3大交響曲集の様々な指揮者によるあまたの演奏にも冠絶する至高の歴史的な超名演と高く評価したい。

ムラヴィンスキーによるこれら後期3大交響曲集については、本演奏以外にも数多くの録音が遺されている。

本盤に収められた交響曲第4番について言えば、数年前にキング・インターナショナルから発売され、ムラヴィンスキーの演奏としては初のSACD盤として話題を集めた1959年4月24日、モスクワ音楽院大ホールでのレニングラード・フィルとのライヴ録音など、いくつか存在しているが、いずれもモノラル録音であり、ステレオ録音という音質面でも恵まれた存在でもある本盤の演奏の優位性はいささかも揺らぎがないものと言える。

本盤の演奏においては、約40分弱という、史上最速に限りなく近い疾風の如き快速のテンポで演奏されており、その演奏自体の装いもいわゆる即物的で純音楽的なアプローチで一貫しているとも言える。

他の指揮者によるチャイコフスキーの演奏において時として顕著な陳腐なロマンティシズムに陥るということはいささかもなく、どこをとっても格調の高さ、そして高踏的で至高・至純の芸術性を失うことがないのが素晴らしい。

それでいて、素っ気なさとは皆無であり、一聴すると淡々と流れていく各フレーズには、奥深いロシア音楽特有の情感に満ち溢れていると言えるところであり、その演奏のニュアンスの豊かさ、内容の濃さは聴いていて唖然とするほどである。

木管楽器や金管楽器の吹奏にしても、当時の旧ソヴィエト連邦のオーケストラの場合は、独特のヴィブラートを施したアクの強さが演奏をやや雑然たるものにするきらいがあったのだが、ムラヴィンスキーの場合は、徹底した練習を繰り返すことによって、演奏をより洗練したものへと変容させているのはさすがと言える。

そして、これら木管楽器や金管楽器の洗練された吹奏は、ムラヴィンスキーの魔法のような統率の下、あたかも音符がおしゃべりするような雄弁さを兼ね備えているのが素晴らしい。

弦楽合奏も圧巻の技量を誇っており、とりわけロシアの悠久の大地を思わせるような、重量感溢れる低弦の厚みも強靭なド迫力だ。

加えて、その一糸乱れぬ鉄壁のアンサンブルは紛れもなくムラヴィンスキーの圧倒的な統率力の賜物であり、とりわけ終楽章の弦楽器の鉄壁な揃い方はとても人間業とは思えないような凄まじさだ。

同曲の他の指揮者による名演としては、フルトヴェングラー&ウィーン・フィルによる名演(1951年)やカラヤン&ベルリン・フィルによる名演(1971年)が存在しているが、これらの演奏とともに3強の一角をなすというよりも、本演奏こそは頭一つ図抜けた存在であり、同曲演奏史上の最高の超名演と評価するのにいささかも躊躇するものではない。

これだけの歴史的な超名演だけに、初CD化以降、これまで幾度となくリマスタリングが繰り返されてきた。

数年前にはSHM−CD盤が発売され、更にはルビジウム・カッティング盤が発売されたところであり、当該両盤がCDとしては甲乙付け難い音質であると考えてきたものの、かつてLPで聴いた音質には到底及ばないような気がしていた。

ところが、今般、ついに、第5番や第6番とともに、待望のシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化が行われるに及んで大変驚いた。

音質の鮮明さ、音場の幅広さなど、すべてにおいて一級品の仕上がりであり、あらためてシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤の凄さを認識した次第である。

いずれにしても、ムラヴィンスキーによる歴史的な超名演を、現在望み得る最高の高音質であるシングルレイヤーによるSACD&SHM−CDで味わうことができるのを大いに喜びたい。

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2014年09月29日


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本盤に収められたチャイコフスキーの後期3大交響曲集は、ムラヴィンスキー&レニングラード・フィルが、当時、鉄のカーテンの向こう側にあった旧ソヴィエト連邦から、西欧諸国への演奏旅行中に、ロンドン(第4番)、そしてウィーン(第5番及び第6番)においてスタジオ録音された演奏である。

録音は1960年であり、今から半世紀以上も前のものであるが、現在でもチャイコフスキーの後期3大交響曲集の様々な指揮者によるあまたの演奏にも冠絶する至高の歴史的な超名演と高く評価したい。

ムラヴィンスキーによるこれら後期3大交響曲集については、本演奏以外にも数多くの録音が遺されており、とりわけ第5番については本演奏よりもより優れた演奏も存在しているが、スタジオ録音であることによる演奏の安定性や録音面などを考慮すれば、本盤こそがムラヴィンスキーの代表盤であるということについては論を待たないと言えるところだ。

本盤の各曲の演奏においては、いずれも約40分弱という、史上最速に限りなく近い疾風の如き快速のテンポで演奏されており、その演奏自体の装いもいわゆる即物的で純音楽的なアプローチで一貫しているとも言える。

他の指揮者によるチャイコフスキーの演奏において時として顕著な陳腐なロマンティシズムに陥るということはいささかもなく、どこをとっても格調の高さ、そして高踏的で至高・至純の芸術性を失うことがないのが素晴らしい。

それでいて、素っ気なさとは皆無であり、一聴すると淡々と流れていく各フレーズには、奥深いロシア音楽特有の情感に満ち溢れていると言えるところであり、その演奏のニュアンスの豊かさ、内容の濃さは聴いていて唖然とするほどである。

木管楽器や金管楽器の吹奏にしても、当時の旧ソヴィエト連邦のオーケストラの場合は、独特のヴィブラートを施したアクの強さが演奏をやや雑然たるものにするきらいがあったのだが、ムラヴィンスキーの場合は、徹底した練習を繰り返すことによって、演奏をより洗練したものへと変容させているのはさすがと言える。

そして、これら木管楽器や金管楽器の洗練された吹奏は、ムラヴィンスキーの魔法のような統率の下、あたかも音符がおしゃべりするような雄弁さを兼ね備えているのが素晴らしい。

また、特に、第5番第2楽章のブヤノフスキーによるホルンソロのこの世のものとも思えないような美しい音色は、抗し難い魅力に満ち溢れている。

弦楽合奏も圧巻の技量を誇っており、とりわけロシアの悠久の大地を思わせるような、重量感溢れる低弦の厚みも強靭なド迫力だ。

加えて、その一糸乱れぬ鉄壁のアンサンブルは紛れもなくムラヴィンスキーの圧倒的な統率力の賜物であり、第4番の終楽章や第6番の第3楽章の弦楽器の鉄壁な揃い方はとても人間業とは思えないような凄まじさだ。

音質は1960年のスタジオ録音ながら、いまだに鮮度を保っているのも素晴らしい。

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2014年05月04日


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1956年、レニングラード・フィル第1回ヨーロッパ公演の際にウィーンで行われたレコーディング。

「第5」と「悲愴」のムラヴィンスキーが特に強烈で、有名なステレオ再録音盤を凌ぐほどの力感と緊張感は見事と言う他なく、オーケストラの卓越した合奏能力が、透明度高くソリッドな音響をつくりあげる様は、このコンビの全盛期の姿を見せつけてまさに圧巻。

ザンデルリンクが指揮する「第4」もディスク大賞受賞の名盤で、深く濃厚な情感表出、雄渾なダイナミズムに魅せられる。

3曲とももうこれ以上何と評価していいのか分からないくらい文句なしに素晴らしい。

ムラヴィンスキーの2曲は、1960年盤よりもさらに精密度が高く、ピンとはりつめた緊張感も堪らない。

録音から若さあふれるムラヴィンスキー、ザンデルリンクの演奏が響き渡っていて、感激を覚える。

若々しいムラヴィンスキーの「第5」「悲愴」もさることながら、瞠目すべきはザンデルリンクの「第4」で、最高の名演の一言。

モノラル録音だが、演奏からいかにもレニングラード・フィルのパワーにただただ圧倒される。

指揮者のドイツ的な骨太なロマンのうねりと野性的なオケの響きの融合が興味深く、後年の演奏よりも遥かに集中力に富み素晴らしい。

ムラヴィンスキーの「第5」「悲愴」も凄まじい。

両曲ともにフィナーレに近づくごとに、「第5」では歓喜に、「悲愴」では戦慄に吸い込まれるといった感じがする。

特に「悲愴」は、聴いていて胸が締め付けられるような感じがして、ムラヴィンスキーのこの作品への強い思い入れを印象づける。

筆者にとって、後の有名なステレオ再録音盤とともにまさに外せない名演集であると同時に、当盤を無視してこられたファンの人にも強力に薦めたい録音だ。

モノラル録音だが、音質は良好で、何より演奏が素晴らしい。

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2014年03月29日


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ムラヴィンスキーが1973年の初来日公演でショスタコーヴィチ「第5」を異常とも言える緊迫感で演奏したときの貴重な記録で、彼の芸術を知る上で欠く事のできない至高の名盤と言えるだろう。

ショスタコーヴィチの交響曲は、ある批評家が言っていたと記憶するが、とんでもないことを信じていたとんでもない時代の交響曲なのである。

したがって、楽曲の表層だけを取り繕った演奏では、交響曲の本質に迫ることは到底不可能ということだ。

世評ではハイティンクやバーンスタインの演奏の評価が高いように思うが、筆者としては、ハイティンクのようにオーケストラを無理なく朗々とならすだけの浅薄な演奏や、バーンスタインのように外面的な効果を狙った底の浅い演奏では、とても我々聴き手の心を揺さぶることは出来ないのではないかと考えている。

ムラヴィンスキーの演奏は、ハイティンクやバーンスタインの演奏とは対極にある内容重視のものだ。

ショスタコーヴィチと親交があったことや、同じ恐怖の時代を生きたということもあるのかもしれない。

しかしながら、それだけではないと思われる。

本盤の「第5」など、ムラヴィンスキーにとっては何度も繰り返し演奏した十八番と言える交響曲ではあるが、にもかかわらず、ショスタコーヴィチに何度も確認を求めるなど、終生スコアと格闘したという。

その厳格とも言えるスコアリーディングに徹した真摯な姿勢こそが、これだけの感動的な名演を生み出したのだと考える。

社会主義体制下で「抑圧の克服から勝利へ」というこの曲のテーマをショスタコーヴィチと共に地で生き抜いたムラヴィンスキーの壮絶なる想いが、レニングラード・フィルの鉄の規律から放たれる鋭利なハーモニーと一見クールな演奏の深淵から炎の如き熱情の煌めきとなって溢れ出てくる。

芝居っ気の全くない辛口の演奏であり、「第5」に華々しい演奏効果を求める者からは物足りなく感じるかもしれないが、その演奏の内容の深さは、ほとんど神々しいばかりの崇高な領域に達している。

レニングラード・フィルの鉄壁のアンサンブルも驚異的であり、特に、妻でもあるアレクサンドラのフルートやブヤノフスキーのホルンソロ(特に第4楽章中間部)は、筆舌には尽くしがたい素晴らしさだ。

ムラヴィンスキーは数々の「第5」の録音を遺しており、いずれも名演の名に値するが、録音も含めると、本盤を最上位の超名演と高く評価したい。

音質は従来CD盤でも十分に満足できる出来映えであったが、HQCD化により更に鮮明になり、力強さが増したように感じられる。

SACD互換機をお持ちでないリスナーには本HQCD盤をお薦めしたい。

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かつてPHILIPSからもリリースされていたムラヴィンスキー晩年の有名なライヴ音源。

他のレーベルからもリリースされていたが、いずれも入手が難しいものばかりだったため、この廉価盤のALTO(旧REGIS)の復刻盤は貴重なもので、何よりも音質が安定している。

というのも、かつてPHILIPSからリリースされていたアルバムはやや高めのピッチで収録されていたため、全体に甲高い音に感じられるという弱点があったが、こちらはピッチが正常なものに修正されているのが有難い。

演奏はショスタコーヴィチの交響曲第8番の決定盤と長らく言われ続けているだけあって、これ以上は考えられないほど凄絶なものだ。

「第8」は、作曲者生前の公式発表によれば、ナチス侵攻による苦難とそれに打ち克つソヴィエト連邦を描いた作品ということになるが、それはショスタコーヴィチによる巧みなカモフラージュであり、スターリンの独裁による圧政が重ね合わされていたのだ、という説もある。

後者については、ソ連崩壊後だから言えることで、当時、そんな思い切ったことができただろうか、という疑問も残るが、少なくとも、ムラヴィンスキーの演奏を聴く限り、後者に説得力があるように思う。

圧政に苦しむ者、虐げられた者を鞭打つような、情け容赦のなさ、一片の慈悲のなさが、ムラヴィンスキーの強い意志とレニングラード・フィルの鋼鉄のアンサンブルによって再現されているが、その重く、暗い生活を、旧ソ連市民へ向け、世界へ向け、告発しているかのようではないか。

ライヴでありながら、一点の隙も見せない凄みが作風とマッチして、聴く者の背筋をも凍らせるのである。

激しさだけではなく、落ち着いた静けさの中にも常に緊張感が漂い、どのフレーズにも熾烈で痛切な思いが込められている。

レニングラード・フィルのアンサンブルやソロの巧さには本当に舌を巻くほどで、ムラヴィンスキーの他のライヴ録音と比較しても、完成度や録音状態はトップクラスであろう。

真摯に曲に立ち向かった極めて説得力の強い名演奏である。

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2014年03月28日


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ショスタコーヴィチの交響曲第5番も「森の歌」も初演者であるムラヴィンスキーによる歴史的名演として名高いもの。

ムラヴィンスキーにとってもシンボルとなっている「第5」は、何度も録音を繰り返し、いずれも素晴らしい演奏揃いであるが、この1954年のスタジオ録音をベストとする人が多い名演中の名演。

ムラヴィンスキーの重量感豊かな演奏法があますところなく示された素晴らしい表現だ。

少しもつくろわずに率直に処理しているが、そこには情緒もあれば民族性も描き出されている。

暗さと淋しさ、寒さを感じさせる音感、ロシアをそのままに響かせたこの演奏は誰にでもできるものではない。

一方、なかなか聴く機会がない「森の歌」は、1948年のジダーノフ批判により苦境に追い込まれたショスタコーヴィチが、当局の批判に応えて書いた大作である。

植林計画をテーマとしたもので、極めて民族色の濃い音楽となっている。

「森の歌」は、亡命することなく祖国でしたたかに生涯を全うしたショスタコーヴィチの苦しみを見るような苦い作品だが、ムラヴィンスキーの微塵の妥協もない演奏は、さながら鋼鉄の如しである。

ムラヴィンスキーの演奏は、もうこれ以上の演奏は考えられないほど壮絶で、ロシア音楽界の総力を結集したような力強い演奏である。

ムラヴィンスキーの棒は、この作品の持つ民族的エネルギーを情熱的、かつ率直に表現したもので、まさしく指揮芸術の頂点を極めた人の演奏だ。

それに応えて、バスのペトロフの野太い歌唱はいかにもロシアの大地を思わせ、泥臭い合唱も壮大な広がりをもった絶唱を聴かせてくれる。

「第5」は1954年の初期ステレオ録音、「森の歌」は1948年のモノラル録音なのでもともと音質は良好とは言えないが、とりわけ「森の歌」は空前絶後の超名演であり、両曲ともリマスタリングによりかつての国内盤よりも鮮明な音質になっているのが有難い。

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2013年04月06日


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最近のデジタル録音の鮮明かつ華麗な《第7》を聴きなれた耳には、この異様なまでにデッドでゴツゴツの演奏はショックかも知れない。

それはまるで、総天然色の新作映画を見慣れてしまった目に、戦時中の白黒のニュース映画が異様な印象を与えるのに似ている。

しかし、そのどんな色彩もかなわない強烈なリアリティは見るものを圧倒する。

これは、そんな時代を封じ込めた歴史的1枚だ。

確かにショスタコーヴィチの交響曲は、デジタル時代になって鮮明かつ華麗な西側オーケストラの演奏が出てきてから、単なるロシア音楽の枠を越えて世界的な広がりを見せ始めた。

しかし、その国際的な普及の度合いと反比例するように「イデオロギー的」あるいは「政治的」な信念のような側面は薄められ、どうも純粋に音楽的にのみ捉え初めているような気がする。

でも、ショスタコーヴィチの音楽はまぎれもなく、「トンでもないこと」を信じていた時代の「トンでもない交響曲」なのである。

現代のようになれ合いの美音でまとめた優等生的な音楽にはない、八方破れでバランスを失したオーケストラが、デッドなホールでその信念と推進力だけを頼りに自分たちの時代の交響曲を力いっぱいゴリゴリ鳴らす。

そうやって自分たちの時代の音楽を作っていった時代があったのだ。

そんな凄絶な、まさに鳴り響く歴史としての音楽の記録がここにはある。

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2012年02月05日


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ショスタコーヴィチの交響曲第5番とチャイコフスキーの交響曲第5番は、1982年11月18日、プロコフィエフのバレエ「ロメオとジュリエット」は、1972年1月30日、いずれもモスクワ音楽院大ホールにて収録されたものである。

ムラヴィンスキーが得意な曲をカップリングしたこのディスクは、傑出した出来である。

ロシア人の体臭を強く感じさせる素晴らしい演奏で、明暗の度合いをくっきりとつけながら、丹念に彫琢していくこの巨匠の棒さばきは、あたかも名匠の振るうノミのように正確で、しかも生き生きとしている。

ことに、スラヴ民族特有の粘りと激しさ、力強さを適度に兼ね備えた表現は、他の追随を許さない。

ムラヴィンスキーはショスタコーヴィチの「第5」の初演者であり、何百回となく演奏会でとりあげ、何度も録音しているが、これは最近発見されたライヴ録音である。

演奏は、いかにもムラヴィンスキーらしい、きびきびした鋭い表現で、この曲のもつ劇的な面を見事に表出しており、実に白熱した名演だ。

全体にみなぎる迫力と緊張感は、ムラヴィンスキーならではのものであり、彼の自信と余裕が感じられる演奏だ。

チャイコフスキーは、正確に、率直に、この曲のもつ暗い情緒を表出した名演で、音色のつくりかたや旋律のうたわせかたなどに、同国人としての血の流れを感じさせる。

ともすると薄手な感傷的表現になりがちな作品だが、ムラヴィンスキーの指揮は造型的にもしっかりとしており、譜面に書かれたそのままを忠実に再現している。

重く暗い雰囲気を劇的に表現した第1楽章と、一糸乱れぬ合奏力で力強く演奏した第4楽章などは、ことにあざやかだ。

いかにもロシアを思わせるほの暗い響きが魅力的なレニングラード・フィルの、艶のある弦楽器と底力のある金管楽器はとくに見事だ。

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2011年12月18日


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1975年5月13日(チャイコフスキー)、6月7日(モーツァルト)、東京文化会館でのライヴ録音。

ムラヴィンスキーという指揮者も凄いが、彼のもとで鍛え抜かれた旧レニングラード・フィルも素晴らしい。

しかもその両者が彼らの心の調べというべきチャイコフスキーの交響曲第5番を全霊をこめて演奏しているのだから、これはほとんど言葉を失う名演だ。

確かに私たちは数多くのチャイコフスキーの名演を知っているが、眼光紙背に徹するムラヴィンスキーの指揮は、鳴り響く音のもう一つ裏側までも見通すかのような冷徹な気配をたたえており、頂点を究めた指揮芸術の真骨頂を満喫させてくれる。

ムラヴィンスキーの重く厚い表現は、チャイコフスキーから甘く感傷的な涙を洗い去った豪快とも評すべきもので、そこには内に激しい情熱があるとともに、外に不健康なものがない、実にスケールの大きな演奏だ。

しかも世界に第一級の腕を誇るレニングラード・フィルが、あふれるばかりのロシアの色と匂いと温度を伝えており、チャイコフスキーがロシアの作曲家であることをこれほどまでのインパクトで実感させてくれる演奏もほかにない。

しかもそれは、いわゆる偏狭な民族色を超えた普遍的美しさの域に達しており、オーケストラ演奏の鑑のような魅力と輝きを放っているのである。

モーツァルトは音楽的に厳しく、しかも第1楽章の冒頭から巨匠的な円熟した風格をたたえている。

その毅然とした姿勢の内部には、豊かな感情が素朴に示されており、第1楽章の重厚な温かい表現はその好例だ。

第2楽章もどことなく骨組みの太く悠揚とした音楽が歌われている。

しかもこの演奏は、後半でますます盛り上がり、第3楽章の交響的な格調の高い表現、終楽章の素晴らしいアンサンブルが極めて密度の高い音楽を作っている。

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2011年11月27日


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このムラヴィンスキー・エディションに収められたロシアものを中心とした作品の演奏にムラヴィンスキーは素晴らしい成果をあげているが、ワーグナーの演奏だけは何とも奇妙な印象を与える。

端的にいうならば、筆者はムラヴィンスキーがワーグナーを演奏する必然性を感じることが出来ないのである。

そう思える最大のポイントは、ムラヴィンスキーのフレージングが本質的に非ワーグナー的であるということである。

すなわちポキポキと折れるような極めて短いフレージングなのである。

したがってムラヴィンスキーの演奏からはいかなる「麻薬」的効果も現れてこない。

こうしたフレージングだから細部の細かいニュアンスもさっぱり伝わってこない。

ワーグナーが詰め襟の軍服を着てそそくさと分列行進とともに消えていってしまうという印象なのである。

たとえば、クナッパーツブッシュの演奏の凄さは、そのフレージングの息の長さ、一つ一つの音に十分な意味を与えようとするフレーズの充溢度に現れている。

ムラヴィンスキーの演奏にはそうした要素は全くといっていいほど感じられない。

おそらくムラヴィンスキーの演奏スタイルは、1930年代に始まるソ連の公認文化としての社会主義的リアリズムの性格に(一部はノイエ・ザッハリヒカイトの影響も受けつつ)由来している。

フレージングに潜むマニエリスティクな彫琢が希薄なムラヴィンスキー。社会主義リアリズムにワーグナーは似合わない?

筆者はこういうスタイルの演奏でワーグナーを聴きたいとは思わない。

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2011年11月24日


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第1番は1982年1月28日、《田園》は1982年10月17日、いずれもレニングラード・フィルハーモニー大ホールに於けるライヴ録音。

《田園》は、レニングラード放送局が放送ライヴ(ディジタル)録音で、テスト録音していたもの。

《田園》という曲のせいか、ムラヴィンスキーとしてはあどけないばかりの微笑みや、いじらしい木管の歌い交わしや、心からの愛情が流れた表現であり、それが格調の高い音楽性の中からあふれ出る。

マイクがクラリネットの前にあってバランスが悪いが、それさえ愉しさを倍加させている。

この《田園》はこれまでのムラヴィンスキーとはいささか違い、管楽器パートのテクスチュアの絡みを重視して、そこに豊かな表情を要求している。

テンポも概して緩めにとっており、第1、2楽章ではまさに牧歌的性格を醸し出している。

そして、彼本来の特徴といえる低弦部を強調したマッシヴなエネルギーを第4楽章では思い切り発揮させ、終楽章ではおおらかなスケールで描いた会心の好演だ。

第1番は旧ソ連で初めてディジタル録音設備が導入されたレニングラード放送局で、実験的に行われたライヴ録音と言われる。

演奏は、造形がかなり古典主義的で、響きはロマン派的であるのが興味深い。

ムラヴィンスキーの芸術性を端的に示し、しかもその中に強靭な意志力と雄大な気宇が秘められた、格調の高いベートーヴェンである。

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2011年11月14日


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ムラヴィンスキーはショスタコーヴィチの交響曲第5番を初演して、この作曲家との深い結び付きが生まれ、この作曲家の最も良き理解者となった指揮者である。

だから彼が指揮したショスタコの交響曲は、どれをとっても聴くに値するものばかりである。

特に第5番は初演以来、何十回、何百回となく演奏会でとりあげているせいか、現在までDVD等を含めると、ムラヴィンスキーとレニングラード・フィルの演奏で、なんと12種類のディスクが発表されている。

そのなかでも、最高の演奏・録音がこの1枚である。

1973年5月3日 レニングラード・フィルハーモニー 大ホールでのライヴだが、彼らの演奏はまさに絶好調で、冒頭からきわめて魅力的な表現である。

一分の隙もない鍛えに鍛え抜かれた音楽ともいえるが、非常に透明度が高く、そこに毅然とした精神性が示されている。

第3楽章などの透徹した表情は、もはや哲学的といってよい。

終楽章の驚くべき生命力の解放も雄渾をきわめた音楽を聴かせる。

アゴーギクも音楽的で、演奏の精度の高さは比類がない。

コーダでは1974年版の改訂を早くも採用して遅いテンポで演奏されているが、そのため終結は感動的に高揚する。

1973年のライヴ録音ながら、レニングラード・フィルの輝かしさを捉え、しかもムラヴィンスキーの気高いまでの表現をしっかりと伝えている。

この曲ではまず聴いてほしい演奏である。

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2011年11月13日


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ムラヴィンスキーはドイツ古典派、ロマン派の音楽に深い造詣を持っていたことはよく知られている。

ムラヴィンスキーが来日公演で「ベト4」に聞かせたあの揺るぎなく格調の高い指揮ぶりは、優秀録音からもよく伝わってきて、深い感銘を残さずにはおかなかった。

この「ブラ2」でも堅固で明快な構成感を打ち出しながら、しかもその内側にブラームスのロマンをはっきりととらえた、力強く集中度の高い演奏を聞かせてくれる。

それはよく言われるようにこの交響曲の田園風の味わいというよりは、強靭で意志的なものを感じさせるが、そんなところがこの指揮者の厳しい格調に通じるものにも他ならないだろう。

眼光紙背に徹したスコアの読み方は人工的なほどだが、音として出てきたものはきわめて自然でしなやかで、純音楽的である。

淡々とした運びの中の自在な表情と無限の息づき、強弱のたゆたいや寂しさ、魔法のようなテンポの動きなど、センス満点の名演だ。

ただしロシア物を指揮するムラヴィンスキーと、ブラームスを指揮する彼では、微妙な相違があったような気がする。

ブラームスの場合には、どこか醒めていて、陶酔に陥るのを避けるべく自らをコントロールしているような演奏ぶりだ。

例えば第4楽章は、なんとも情熱的な演奏ぶりで聴き手を圧倒するものがあるが、ムラヴィンスキーその人は、仕掛人として終始冷静にことを運び、熱狂の渦の外に立っているようだった。

その姿は、まさしく「謹厳で冷徹な指揮者」というにふさわしいものであった。

ワーグナーの「ニュルンベルクのマイスタージンガー 第1幕への前奏曲」の演奏にも同様のことが言え、ムラヴィンスキーはオーケストラをきりりと引き締め、一分の隙もない厳しい表現を行っている。

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2011年11月12日


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1977年9月27日(ワーグナー)、10月12日(シューベルト、ウェーバー)、東京文化会館でのライヴ録音。

ムラヴィンスキーは過去4回来日した。

何人かの証言を総合すると、《未完成》の実演が一番凄かったようだ。

《未完成》はムラヴィンスキーの厳しく透徹した表現法が、彫りの深い音楽を作っていて非常に完成度の高い演奏。

旧世代に属するムラヴィンスキーは当然スコアを主観的に読む。

その点はワルターと同じなのに、出てきたものはきわめてリアルな側面をもつ。

インマゼールの演奏を先取りしているのだ。

しかも、そこにマイクには入り切らないような深遠なニュアンスが漂う。

こんなに繊細で神秘的であり、かつ深い情感を漂わせた演奏は他にはないと思う。

第1楽章冒頭の無限のピアニッシモ、聴く者の魂を切り裂くような鋭いアクセントの衝撃、そして第2楽章の神韻縹緲たる第2主題が終わり、次にはフォルティッシモが来るぞと身構えたとたん、ムラヴィンスキーはなんと深淵を覗き込むような暗いメゾ・ピアノで開始したのだ。

音楽を聴いていて、あんなにゾッと寒気をおぼえたことはなく、体が震えるほどだ。

まさに病的な天才だけがよく創造し得る音の世界といえよう。

堂々とした正攻法で押し切ったワーグナー、手作り風の入念さで聞かせるウェーバー共々、この指揮者の中でも注目すべき演奏と言わねばなるまい。

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2011年11月11日


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ここにはムラヴィンスキーとレニングラード・フィルによる、2つのライヴ録音が収められている。

シベリウスは1977年10月19日、NHKホールに於けるもの、チャイコフスキーは同年10月12日、東京文化会館での演奏会の実況を収録したものである。

ムラヴィンスキーの指揮によるこれらの演奏は非常に音楽的に純度が高く、また豊かな風格を備えている。

シベリウスの交響曲は一般にしばしば見られるような北欧的な情緒性に頼ることなく、各動機の明確な扱いを通して堅固な構築性が与えられており、またその線の太い力強さの中にこの作曲家の精神が見事にとらえられている。

ムラヴィンスキーのレパートリーの中には、チャイコフスキーやショスタコーヴィチなどロシア、ソヴィエトの曲目が中心に置かれていると同時に、彼が同じくヨーロッパの北に位置する、隣国としてのフィンランドが生んだ大作曲家シベリウスの曲に共感を覚えるのはむしろ当然と言ってよい。

中でも第7番の交響曲は初期のものとは違い、民族的な性格が直截的に表に出るのとは違って、緻密な構成の中に抽象された曲であるだけに、このようなムラヴィンスキーの表現は一つの理想を達成していると言っても過言ではない。

チャイコフスキーは、弦の整えられた響きとその表現力を中心にして、ムラヴィンスキーの音楽がもつ品格の高さやスケールの大きさがよく示されており、特にそのスケールは本来のバレエを超えているようにさえ思われる。

いずれも充実度が高く、この指揮者の風格と年輪の厚みが感じられる指揮ぶりだ。

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2011年11月10日


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1977年10月19日、NHKホールにおけるライヴ録音。

ムラヴィンスキーのチャイコフスキーの交響曲第5番については8種類前後の録音が現存しているという。

その多くはライヴであり、当初からレコーディングを前提としたものではない。

この録音はNHKホールでの録音なだけに響きに乾いた印象を与えるとはいえ、一連の旧ソヴィエト録音よりはるかに条件は整っている。

レニングラード・フィルに半世紀君臨し続けたムラヴィンスキーの円熟期の記録としてもきわめて貴重である。

彼の解釈は常に有無を言わさぬ説得力をもっており、聴衆に媚びるところは皆無である。

一見そっけないようだが、音楽には常に血が通っている。

そうした彼のロシア流のチャイコフスキーは、カラヤンに代表される西欧の聴かせ上手な指揮者の解釈とはまったく対照的といってよい。

スケールが大きく毅然とした表情が美しい第1楽章、深々とした響きがロシアの大地を連想させる第2楽章、過度の抒情を排し、すっきりと歌わせた第3楽章、そして金管楽器をはじめ全ての楽器の鳴りで、圧倒的なクライマックスが形成される第4楽章、そのどこをとってもまったく隙がない。

そこにソヴィエト体制の影響をみることも可能かもしれないが、その鉄の規律はここでは壮大な記念碑を打ち建てる方向に作用している。

文句なく同曲のベスト・ワン録音に推したい。

こうした演奏はこれからもう現れることはないだろう。

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2011年11月09日


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ムラヴィンスキーの《悲愴》は、第5番の録音の多さに比べるとはるかに少なく、意外である。

このディスクは、1975年の東京公演におけるライヴ録音で、そのためかこの演奏の緊張した凝集力と迫力は凄まじいものがある。

しかも感性の豊かさ、精妙をきわめたアンサンブルの見事さは比類がなく、カラヤンの最後の来日公演盤と並び、あらゆる《悲愴》の頂点におかれるべき名演である。

もちろん、一分の隙もない厳しさをもっているが、それが作品のシリアスな側面を否応なく表現しており、その意味では、これに匹敵する演奏はトスカニーニくらいだろうか。

全4楽章とも、これ以外は考えられないほど的確なテンポである。

デュナーミクも精緻そのもので、曲の冒頭から短い動機のひとつひとつにも絶妙な表情が与えられ、それらが強靭な織物のように組みあげられている。

そこに鮮やかな立体感があるのも、この演奏の大きな特色である。

チャイコフスキーが記した音符のすべてに意味があり、存在理由があることを、ムラヴィンスキーの演奏からは、誰もが理解することが可能である。

しかも、あらゆる部分に瑞々しい創意が息づいている。

それが新鮮さの原動力といえるが、第1楽章の展開部や第3楽章のコーダは、まさにあらゆる聴き手を圧倒する。

それは音量などに依存しているのではなく、内面の凄絶な緊張感から生み出されたものである。

生々しい臨場感のある録音も相俟って、《悲愴》といえば、まずこの演奏を聴く必要があろう。

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2011年08月02日


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1973年、ムラヴィンスキー初来日直前のレニングラードでの録音。

シューマンがベートーヴェンの交響曲第4番を「2人の北方神話の巨人の間にはさまれたギリシャの乙女」と呼んだ評価からすれば、ワルター盤が似合う。

だが、この曲は「第7」と共通するリズム感にも貫かれている。

ムラヴィンスキーはこの曲の古典主義の中に含まれる純粋性を、きびしい集中力をもって追求しており、極めて格調が高く、すさまじい迫力に満ちている。

それはムラヴィンスキー好みの速いテンポで進められているからというだけでなく、彼独特のシャープな切れ味を持っているからである。

全体に硬質な緊張感に貫かれているが、集中力に満ち、無駄を削ぎ取った潔癖さはすがすがしく、きびきびと進行する。

リズムの出し入れも的確で、気高く、全体に明澄さと男性的率直さが支配している。

超名演は「ルスランとリュドミラ」序曲だ。

これ以上速いテンポは不可能、というギリギリの表現に、人間の情熱と生命力が極限の姿で示されている。

しかもオーケストラは一糸乱れず、繊細さも充分でリズムの勢いもすさまじい。

2曲とも彼の演奏の中でも傑出したもので、ムラヴィンスキーならではの芸術といえる。

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2011年07月23日


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「第5」は1974年9月15日、「第7」は1964年9月19日、以上レニングラード・フィルハーモニック大ホールでのライヴ録音。

最近の古典派、とりわけウィーン古典派音楽の演奏スタイルには目覚ましい変化が生じている。

いわゆるオリジナル楽器編成とモダン・オーケストラの如何を問わず、概してテクスチュアのクリアーな浮き彫りに大きく神経が配られる傾向がある。

このムラヴィンスキーの演奏は、こうしたスタイルが定着する前のもので、響きは全体にマッシヴな作り方に重点が置かれたものになっている。

ムラヴィンスキーの第5番の録音は過去にもいくつかあったが、そのいずれもが最高峰とまではいかなかった。

しかし、これは違った。

この演奏は第5番の全CDの中でも重要な位置を占めるものである。

ムラヴィンスキーの指揮ぶりは、聴衆へのサービスや媚びがいっさいなく、速いテンポで虚飾を排し、音楽の核のみを重視、これほど魂の孤独な闘いを実感させる演奏もあるまい。

この真剣さ、緊迫感、集中力、本番ずれしがちなプロの集団から、よくぞこれほどの暴風雨のような響きが出せたものだと感心する。

組み合わされた第7番は今一歩の出来ばえだ。

ムラヴィンスキーというと、すぐにロシア音楽と考える人が多いが、そうではないことをぜひ認識してほしい。

こんな指揮者がつい最近まで生きていたかと思うと、筆者ももう少し早くこの世に生を受け、もっともっと生演奏が聴きたかったと思う。

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2011年07月20日


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1980年1月29、30日 レニングラード・フィルハーモニー 大ホールにおけるライヴ録音。

この曲は途方もなく深遠で純粋であり、人の気配をまったく感じさせない神秘がある。

多くの演奏はその風景の中に何がしか余計なものを混入させたり、濁らせたりしている。

この演奏は音質が渇き気味であり、しかも金管楽器が剥き出しのバランスなど、聴感上の違和感がないとはいえない。

だが、曲の核心にどれだけ近づいているか、それをふと思った時、この演奏はがぜん浮上してくる。

伝統や慣習にまったく縛られない新古典主義的な表現である。

抑制がきいた緊張度の高い、筋肉質の響きを持っており、各パートの水平的、線的な動きが目立っている。

楽器のバランスも個性的で、金管の鋭い音色は、ロシア風の荒々しさを持つが、全体的に音楽的な密度は高く独特な説得力を持つ。

ムラヴィンスキーならではの力演である。

なお、旧ビクター盤のCDは第3楽章の155小節が唐突に始まるが(編集ミス?)、このALTUS盤ではそれがない。

ここは全曲中でも最も重要な場面のひとつなので、この修正がなされたことはたいへんに嬉しい。

ムラヴィンスキーのブルックナーは少ないだけに貴重な録音だ。

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2011年07月07日


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1982年11月6日、レニングラード・フィルハーモニー大ホールに於けるライヴ録音。

チャイコフスキーの「第5」は、ムラヴィンスキーの十八番だけに、かなりの点数の録音が遺されているが、本盤の演奏は、DGに録音した1960年のスタジオ録音、この数日後の11月18日の録音(ロシアンディスク)と並んでベスト3を形成する至高の超名演であると高く評価したい。

1982年は、ムラヴィンスキーが最後の輝きを発揮した年。

レニングラード・フィルも、名コンサートマスターのリーベルマンは退団していたが、ホルン主席のブヤノフスキーやフルートのアレクサンドラ夫人などが全盛期にあり、ムラヴィンスキーの統率の下、鉄壁のアンサンブルを誇っていた。

それにしても凄い演奏だ。

金管楽器など最強奏させているが、全体の厳しい造型の下、いささかの違和感も感じさせない。

テンポは速いが、歌うべきところはしっかりと歌い抜き、どこをとってもコクのある深いニュアンスに満ち溢れている。

あたかも、音符がおしゃべりをするような趣きであり、このようにオーケストラを手足のように操っていく至芸には表現する言葉さえ思いつかないほどの素晴らしさだ。

「ロメオとジュリエット」も超名演。

鉄壁のレニングラード・フィルを思うように操り、珠玉の名演を行っている。

時折見せるオーケストラの最強奏のあまりの迫力には、完全にノックアウトされてしまった。

音質も非常に鮮明であり、ムラヴィンスキー&レニングラード・フィルの芸術を最高音質で味わうことができることを大いに喜びたい。

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2011年07月06日


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1973年4月28日 レニングラード・フィルハーモニー 大ホールにおける、伝説の来日直前の演奏。

ムラヴィンスキーはメンゲルベルクのように主観的にスコアを読み、メンゲルベルクのように音楽を解体してしまう。

さて、それを再構成するとき、メンゲルベルクはやはり主観的なのに、ムラヴィンスキーはストレートな客観性を装う。

その手腕はまさに天才といってよいが、それでもシューベルトやチャイコフスキーにははみ出すものがあり、それが一つの魅力にもなっている。

ところが、このベートーヴェンの「4番」だけは違う。

すべてが透徹し切っており、ストレートであり、即物的であり、抽象的であり、主観の残滓はどこを探しても見られない。

にもかかわらず、このハイ・クラスの芸術性は古今東西、天下一品だ。

「ブラ4」はあらゆる意味でムラヴィンスキー的な表現である。

響きの美しさで、雰囲気的に流れやすいこの作品を、リアリスティックな音の雄大な建造物にしているのが素晴らしく、独特の個性的な解釈で貫かれている。

しかも強壮で格調高い。

終楽章では劇性と古典性がギリギリのところでバランスをとっているような表現をつくっているのが興味深い。

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2011年07月03日


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ムラヴィンスキーのチャイコフスキーの第5番は輸入盤を含めると、確か7、8種類の録音が存在しており、そのどれもが卓越した出来を示している。

さらに吟味するとグラモフォン盤はスタジオ録音のせいかいくらか迫力が劣るし、1973年盤は部分的に凄い表現が見られるとはいうものの、音質のムラがわずかに見られるので、結果として円熟味を増した1983年盤を第一に推したい。

このディスクは1983年3月19日に行われた、レニングラード・フィルの創立百周年記念特別演奏会を収録したものである。

したがって、晩年のムラヴィンスキーならではの情熱、深い共感、彫りの深さ、人間的なぬくもりをもった深遠な芸術を味わうことができる演奏内容になっている。

スケールの大きさと力強さ、加えて細部への配慮、そして音の輝き、いずれもその懐の深い表現のあたたかさに心奪われる。

第1楽章の開始からきわめて音楽的に純粋であり、精確で雄大なスケールの表現がつくられている。

響きの純度も高く直截で新古典主義的な解釈だが、さすがに練りに練られた表情には間然とするところがない。

第2楽章もよい意味でスタンダードというべき解釈。

第3楽章のワルツはたとえようもないほど優美で、洗練された味わいに満ちている。

終楽章も流動感が強い。

巨匠がもたらしたこの作品の解釈の規範ともいうべき演奏で、この指揮者の音楽の深さを痛感させる名演だ。

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2011年06月28日


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ムラヴィンスキーの個性が刻印されたブラームス交響曲全集。

透徹した眼でもってスコアを洗い直し、厳しく律した強固な線的運びのうちにも柔軟で自在な表現を繰り出していくという、ムラヴィンスキーらしいユニークなブラームスとなっている。

とりわけ厳格な作りの中にも自由な息づかいを感じさせる第2番がすばらしい。

ムラヴィンスキーが傾倒している作品なので、音楽的にすばらしくこなれており、精緻で柔軟、自然な起伏をもった演奏を聴かせる。

そのなかには枯淡ともいえるやさしさがある。

わずかに金管の強奏の音色がロシア的といえるが、アンサンブルの洗練は他の団体とは一線を画しており、第3楽章はもはや優雅とさえ形容したい。

設計の美しさとともに指揮者と楽団の類まれな協調を物語っている。

壮大な広がりとダイナミックな力強さを持つ第3番、達観した孤高さのうちに表情の多様さを示す第4番、この巨匠ならではの独特の世界を築いたものといえよう。

第1番も個性的な演奏だが、録音年代が古いためにマイクが演奏の特質を捉えきれていないのが残念。

ロシアの指揮者もしくはオーケストラによるドイツ物は極端に評価が低い。

現代のような情報過多はある種の横並びを助長しがちだが、このムラヴィンスキーの演奏はある意味では隔離された環境においてじっくりと熟成させられたために、ほかとは全く違う魅力が生まれている。

なかでも第4番は繊細極まりなく、不思議な静寂感と悲愴な情感に溢れた演奏は、短剣のひと突きのように聴き手の心に迫る。

しかし、この演奏もいつになったら評価されるのだろうか。世の人々はそんなに伝統的な解釈に固執したいのだろうか?

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2011年05月25日


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この曲は、ムラヴィンスキーとレニングラード・フィルが初演して以来、ショスタコーヴィチの代表作となった。

そのためか、現在までビデオを含めると、彼らの演奏で、なんと12種類のディスクが発表されている。

そのなかでも、最高の演奏・録音がこの1枚である。

1973年5月の東京文化会館でのライヴだが、彼らの演奏はまさに絶好調で、冒頭からきわめて魅力的な表現である。

一分の隙もない鍛えに鍛え抜かれた音楽ともいえるが、非情に透明度が高く、そこに毅然とした精神性が示されている。

第3楽章などの透徹した表情は、もはや哲学的といってよい。

終楽章の驚くべき生命力の解放も雄渾をきわめた音楽を聴かせる。

アゴーギクも音楽的で、演奏の精度の高さは比類がない。

コーダでは1974年版の改訂をはやくも採用して遅いテンポで演奏されているが、そのため終結は感動的に高揚する。

この曲ではまず聴いてほしい演奏である。

冷徹、凄絶でありながら、芯に人間的な血の温もりの通っていることを教えてくれたNHKの録音とCD制作スタッフに感謝したい。

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