ムラヴィンスキー

2011年05月25日


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この曲は、ムラヴィンスキーとレニングラード・フィルが初演して以来、ショスタコーヴィチの代表作となった。

そのためか、現在までビデオを含めると、彼らの演奏で、なんと12種類のディスクが発表されている。

そのなかでも、最高の演奏・録音がこの1枚である。

1973年5月の東京文化会館でのライヴだが、彼らの演奏はまさに絶好調で、冒頭からきわめて魅力的な表現である。

一分の隙もない鍛えに鍛え抜かれた音楽ともいえるが、非情に透明度が高く、そこに毅然とした精神性が示されている。

第3楽章などの透徹した表情は、もはや哲学的といってよい。

終楽章の驚くべき生命力の解放も雄渾をきわめた音楽を聴かせる。

アゴーギクも音楽的で、演奏の精度の高さは比類がない。

コーダでは1974年版の改訂をはやくも採用して遅いテンポで演奏されているが、そのため終結は感動的に高揚する。

この曲ではまず聴いてほしい演奏である。

冷徹、凄絶でありながら、芯に人間的な血の温もりの通っていることを教えてくれたNHKの録音とCD制作スタッフに感謝したい。

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2010年12月06日


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1963年、ムラヴィンスキー/レニングラード・フィルによる、シベリウス:交響曲第3番の旧ソ連における初演のライヴ録音である。

ムラヴィンスキーならではの、巨匠の至芸だ。

意志の力が強く、人間的であり、立体的で彫りの深い音のすべてに指揮者の魂が刻印されている。

それでいて、シベリウスの本質を逸脱していないのはさすがだが、金管の強奏がいささかロシアくさいのは致し方ない。

かつて柴田南雄氏が、自著で「ムラヴィンスキーには、ロシアのシンフォニックな語法しか操れないのだろうか」と批判されているが、私はこの見方には断固反対だ。

ムラヴィンスキーほど、ロシアのシンフォニックな語法だけに収まらない大演奏家はいないからである。

それでなければ、あんなに素敵なモーツァルトやベートーヴェンを演奏できるはずがない。

シベリウス演奏には、ブルックナーと似た厳しさがあるが、実際、ここに鳴っているシベリウスの純粋さ、透徹した厳しさは、まったく孤高の存在である。

俗世を顧みず、ひたすら透明な美を追究する姿勢は、ムラヴィンスキーとシベリウスに共通するものであり、なんの齟齬もない。

なお、このCDにはオリジナルのモノーラル録音とボーナストラックに疑似ステレオ化バージョンが収録されているが、断然後者の方が音質が鮮明で、この演奏の真価をよく伝えている。

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2009年12月05日


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ムラヴィンスキーのおそらく最後の録音となるもの。

彼はこの後一切の録音を拒絶したとも言われる。

ムラヴィンスキーは、ショスタコーヴィチの作品の多くの初演を手がけてきた人で(この曲も)、ショスタコーヴィチの音楽に対する理解が深い。

これは、そうしたこの巨匠ならではの、堅固そのものの目のつんだ表現で、そのみずみずしい表情は、たとえようもない。

演奏は第1楽章冒頭のチェロ、バスからまさに豪壮な力に満ちあふれている。

音楽には驚異的な精確さと精気があり、重量物が突進するような推進力があるのが楽想にふさわしい。

圧倒的で巨大な表現ともいえるが、ことさら作品の標題的な性格を強調せず、むしろ純音楽的な表出をしながら、器量の大きいスラヴ的力感をもった、西欧の演奏には望めないものを示している。

トゥッティの響きにも独自のコクがあり、随所にムラヴィンスキーの大きな風格が示された作品を手中に収めた劇的な表現だ。

金管はもとより、木管も弦と明らかにロシアの響きを感じさせる。

ショスタコーヴィチの作品の求めていた響きが、まさにここにある。

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2009年03月06日


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贅肉をすべて削ぎ落としたような明確さで一貫した、非常に強靭な演奏である。

その半面、生真面目にすぎ、第1楽章に示された独特のウィットやユーモア、ペーソスとシニシズムの混合した味わいにやや欠ける。

この演奏では悲劇的な終楽章が強い説得力をもつが、それも冒頭の弱点がなければ、さらに重く深い意味をもったに違いない。

とはいえ、このきびしさは尋常ではない。

例えば、打楽器の充溢といった、最もショスタコーヴィチらしい第1楽章の冒頭のトライアングルの音からはっきりと、どの打楽器の音にも決して曖昧さを残さず、望みうる最高の強度で音そのものを光の中に投げ入れてみせる。

その意味で、例えば、ヤルヴィによる「15番」のように淡い音調とコケティッシュなきらめきが、ちょうどショスタコーヴィチが子供のころ最初に好きになったという「ウィリアム・テル」序曲の引用を介して、作曲家の幼年時代への回想を我々に促す、といったことも、ここではありえない。

第1楽章の中盤に聞こえるヴァイオリンのソロによる旋律も遠い遠い彼方から風に乗ってやってくるようなヤルヴィとは違って、あくまで、強く、明快で、一点の曇りもない。

本来ショスタコーヴィチにあるはずの笑いも、そしてその笑いの最も完成した表現の一つであるこの「15番」においてすら、ムラヴィンスキーは笑わない。

そんな冒頭からエンディングまで、狂いのないリズムで、あまりにもまぶしすぎる程の光の中を一気に駆け抜けていく。

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2009年03月05日


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1973年5月26日、ムラヴィンスキーの初来日時の東京文化会館に於ける衝撃のライヴ録音である。

本盤のベートーヴェンの第4は、ムラヴィンスキー&レニングラード・フィルの黄金コンビの凄まじさを存分に味わうことが出来る超名演と高く評価したい。

ムラヴィンスキーのCDは、DGにスタジオ録音したチャイコフスキーの3大交響曲を除くと、録音状態が芳しくないのが難点であったが、本盤は信じられないような鮮明な音質であり、これにより、ムラヴィンスキーの透徹したアプローチを存分に味わうことが出来るになったのは、ファンにとってこれほど幸せなことはない。

第1楽章の冒頭のややゆったりとした序奏部を経ると、終楽章に至るまで疾風の如きハイテンポで疾走する。

ここはテヌートをかけた方がいいと思われる箇所も素っ気なく演奏するなど、全くといいほど飾り気のない演奏であるが、どの箇所をとっても絶妙な繊細なニュアンスに満ち満ちている。

切れ味鋭いアタックも衝撃的であり、ムラヴィンスキーによって鍛え抜かれたレニングラード・フィルの鉄壁のアンサンブルも驚異の一言である。

各奏者とも抜群の巧さを披露しているが、特に、終楽章のファゴットの快速のタンギングの完璧な吹奏は、空前絶後の凄まじさだ。

同様のタイプの演奏としてクライバーの名演(バイエルン国立管弦楽団とのライヴ録音)もあるが、内容の彫りの深さにおいて、ムラヴィンスキーには到底太刀打ちできるものではないと思われる。

アンコールの2曲は、この黄金コンビの自家薬籠中の曲だけに、全く隙のないアンサンブルを披露しており、そうした鉄壁のアンサンブルをベースとした圧倒的な迫力と繊細な抒情が見事にマッチングした超名演だ。

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2008年02月15日


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1953年3月、独裁者スターリンが死去、その年の夏、ショスタコーヴィチは「第10番」の交響曲を一気に書き上げた。

この曲はショスタコーヴィチが最も率直に、自身の哲学と感情を示した奥の深い最高傑作である。

演奏は極めて気魄に満ちると同時に、作品に対する真摯な姿勢が感じられる。

静寂さに満ちた第1楽章開始の深く沈んだ暗い響きには、戦争で犠牲になった人間の死を思わずにはいられない絶望的な悲しみが色濃く漂って胸に迫るものがある。

緩徐なテンポによる開始楽章からは、息づまるような緊張感をもたらしている精神集中が伝わってくる。

また低弦部の充実と、作品構成上重要な主題を受け持つ木管奏者の素晴らしい活躍も特筆に値する。

ムラヴィンスキーは、ソロモン・ヴォルコフ編の『ショスタコーヴィチの証言』ではクソミソにこきおろされているが、その是非はともかくとして、ショスタコーヴィチの交響曲を彼ほど美しく巧みに表現し得た指揮者は、他に例がないというべきであろう。

ムラヴィンスキーは、ショスタコーヴィチの交響曲を数多く残しているが、第10番のこの演奏は、ツボを心得たその鮮やかで巧妙な表現の見事さにおいて、その中でもとくに際立った名演になっている。

"スターリンの肖像画"ともいわれる第2楽章は、中でも大きな聴きどころであり、その切れ味のよい凶暴な表現の冴えは、聴き手を圧倒してしまうだろう。

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2008年02月14日


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ショスタコーヴィチに傾倒し、弦楽四重奏曲のいくつかを室内交響曲にアレンジしている指揮者ルドルフ・バルシャイは、この大作曲家の交響曲の最高傑作として「第8」を挙げているが、たしかにこれはすばらしく感動的な音楽である。

古いライヴ録音なので、録音はやや大味で、とくに弱音の繊細美を欠くが、聴き進むうちに気にならなくなってしまう。

演奏自体は最高だからだ。

この第8番の演奏では、ムラヴィンスキーの確信に似た定見を見るような思いがする。

ムラヴィンスキーの確かな読みが、スコアの中から作曲者によるさまざまなインディケーションへの批判的解釈を加えての興味深い奏法の変更によって、曲想の核心に迫っているように思える。

全盛期を謳歌していたレニングラード・フィルの素晴らしい名演には、異論をはさむ余地のない、自信に満ちた表出力の圧倒的勝利を見ることができる。

第1楽章は旧作5番をさらに深めた音楽だが、ムラヴィンスキーの自信に満ちた精神の勁さは尋常ではなく、感情の熾烈なほとばしりが、好き嫌いを超えて聴く者を押し流す。

展開部のなんという血がしたたるようなクライマックス!

第2、第3、第4楽章も絶品中の絶品で、これ以上は考えられない雄弁な音楽と雄弁な演奏がここにある。

恐怖の叫びと自暴自棄、狂気を背負ってハラワタが裂けるようであり、聴いているのが辛くてたまらなくなる。

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2008年01月05日


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1966年にムラヴィンスキー自身が書いた「ショスタコーヴィチと共に歩んだ30年」という、誠実の極みのような文章の中で、演奏スタイルが年月と共に変化しないかと聞かれて、いみじくもこう答えたと書いている。

「演奏とは、どのようなものであれ、多かれ少なかれ作品を主観的に解釈すること、個人的に解釈するということだ。絶対的に客観的な解釈など有り得ない。」

ムラヴィンスキーにとって演奏することは《正しい》作曲家像を演出することなどではなかった。

裸にする。

余計な衣も、甘い装いも、一切脱ぎ捨てさせること。

たった一点から、強烈な光で照らし抜き、計りうる最高の鮮度で音楽の裸形をくっきりと輪郭づけること。

どちらかと言えば余計なものを削ぎ落として音そのものを客観的に描写する傾向のある現代の演奏とは、ムラヴィンスキーの戦略は、似ているようで決定的に異なっているのである。

あくまで強く、明解で、一点の曇りもない。

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2007年12月17日


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1984年4月4日のレニングラード・フィルハーモニック大ホールでのライヴ録音でムラヴィンスキー晩年の円熟期のもの。

演奏はムラヴィンスキーの重量感豊かな演奏法があますところなく示された素晴らしい表現だ。

ショスタコーヴィチのこの代表作の初演者であるムラヴィンスキーは、この交響曲を幾度も録音しているが、この録音は、レニングラード・フィルのアンサンブルに最盛期と比較すると少し衰えがみられるものの、作品を隅々まで熟知したムラヴィンスキーの老練な表現が見事な演奏になっている。

少しもつくろわずに率直に処理しているが、そこには情緒もあれば民族性も描き出されている。

暗さと淋しさ、寒さを感じさせる音感、ロシアそのままに響かせたこの演奏は誰にでも真似できるものではない。

オーケストラは作品に充分な共感を示しており、手堅い演奏を聴かせている。

ムラヴィンスキーの表現はこの曲においても淡白で、誇張や虚飾がまったくなく、そうした姿勢がかえって作品のドラマトゥルギーを確実に表し、要所はもとよりどの部分をとっても一分の隙もない音楽をつくっている。

彼は、レニングラード・フィルの精妙でブレンドのよいアンサンブルをフルに生かして、きわめてしなやかですっきりした作品の再現を実現させているが、その磨き上げられた端整で完成度の高い表現は、他のどの指揮者の追随を許さないものである。

とにかく音楽的で美しい仕上げが光る熟演であり、今後も歴史的名演として愛聴されるだろう。

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2007年12月16日


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ムラヴィンスキー&レニングラード・フィルが1960年に行なったヨーロッパ・ツアー中の録音で、いまだにこれらの曲の代表盤の地位を保つ名演。

歳月の経過とともに遠い存在となりつつあるロシアの巨匠ムラヴィンスキーだが、わずか半世紀前に残されたこのチャイコフスキーを聴いていても、現代の演奏にはない怖ろしくなるような気迫と存在感に圧倒されてしまう。

まさにロシアの慟哭を聴かせる演奏とでもいえばよいのか。

ムラヴィンスキーが再現するチャイコフスキーの世界は、文字通りロシアの風土、ロシアの自然、ロシアの民族、ロシアの歴史を背負って立つ音の営みであり、そこにある岩盤のような音楽の強さと優しさに心奪われる。

鳴り響く金管楽器に圧倒されるとともに壮絶な熱気に我を失い、自身の小ささを教えられるような第4番、ロシアの憂いと威厳に浸らせ、切実なロマンに夢と希望を託す第5番、そして切々とした慟哭に引きずり込まれ、涙なしには聴けない第6番《悲愴》など、いずれも本当に素晴らしく、かけがえのない遺産である。

この解釈はこれら3曲の規範といってもよく、ムラヴィンスキーとレニングラード・フィルの名声を改めて国際的に高めたといえよう。

これは、今や望むべくもない時代の証言であり、演奏という名の「作品」といってもよいであろう。

こうして残されたことに感謝したくなる名盤である。

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classicalmusic

早稲田大学文学部哲学科卒業。元早大フルトヴェングラー研究会幹事長。幹事長時代サークルを大学公認サークルに昇格させた。クラシック音楽CD保有数は数えきれないほど。いわゆる名曲名盤はほとんど所有。秘蔵ディスク、正規のCDから得られぬ一期一会的海賊盤なども多数保有。毎日造詣を深めることに腐心し、このブログを通じていかにクラシック音楽の真髄を多くの方々に広めてゆくかということに使命を感じて活動中。

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