チャイコフスキー

2022年08月15日


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1954年3月21日 カーネギー・ホールに於けるステレオ録音。

同年のワーグナーの管弦楽曲集の録音と共に最晩年のトスカニーニが残した数少ないステレオ録音である。

トスカニー二はファシズムに反対して故国イタリアを飛び出したせいか、連合国側のロシアの作曲家を積極的に取り上げていたが、意外にチャイコフスキーが少ないようだ。

交響曲では「悲愴」と「マンフレッド」だけがトスカニーニの取り上げた曲であった。

しかし、トスカニーニの「悲愴」を聴くと、トスカニーニがどうしてチャイコフスキーを敬遠していたのか何となく分かる気がする。

トスカニーニはチャイコフスキーを甘い旋律を書くセンチメンタルな作曲家というイメージで見ていたのかも知れない。

トスカニーニは曲全体を速めのテンポで通し、第1楽章の甘い第2主題も実にアッサリと流している。

情感たっぷりに歌いあげるのをわざと避けているように聴こえる。

しかし、それは無味乾燥というのではなくて、むしろ旋律自体が十分に甘いので、その甘さがほど良く残るという感じだ。

その一方で激しい情熱的な部分での凄まじさも比類がなく、オケに一糸の乱れもなく厳しささえ感じられる。

その意味で、第3楽章は最大の聴きものになっている。

第4楽章も普通の指揮者が振るような哀しみのなかに沈滞していくような音楽ではなく、むしろ再生か希望が期待されているかのように力強いのだ。

実にトスカニーニらしいと言えるが、この厳しい造形の「悲愴」は、この曲の別の一面を見るようで強い説得力を感じる。

文学的な表現にこだわらず、ひたすら音楽的な要素を厳しく掘り下げたユニークな解釈と言えよう。

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2022年08月10日


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アバドは、私見であるが、これまでの様々な名指揮者の中でも、最高の協奏曲指揮者と言えるのではなかろうか。

ベルリン・フィルの芸術監督に就任する前には、ロンドン交響楽団とともに圧倒的な名演奏を成し遂げていた気鋭の指揮者であったアバド。

そのアバドは、ベルリン・フィルの芸術監督就任後、借りてきた猫のような大人しい演奏に終始するようになってしまった。

カラヤン時代に、力の限り豪演を繰り広げてきたベルリン・フィルも、前任者と正反対のアバドの民主的な手法には好感を覚えたであろうが、演奏については、大半の奏者が各楽器セクションのバランスを重視するアバドのやり方に戸惑いと欲求不満を感じたのではないか。

それでも協奏曲の演奏に限ってみれば、ベルリン・フィルの芸術監督就任以前と寸分も変わらぬ名演を成し遂げていた。

チャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番におけるアルゲリッチとの競演(1994年)、そして、ブラームスのピアノ協奏曲第2番におけるブレンデルとの競演(1991年)など、それぞれの各楽曲におけるトップの座を争う名演の指揮者は、このアバドなのである。

本盤に収められたロシアのヴァイオリニストであるマキシム・ヴェンゲーロフと組んで録音を行ったチャイコフスキーとグラズノフのヴァイオリン協奏曲についても、こうした名演に系譜に連なるものとして高く評価したい。

協奏曲の演奏に際してのアバドの基本的アプローチは、ソリストの演奏の引き立て役に徹するというものであり、本演奏においても御多分にも漏れないが、オーケストラのみの演奏箇所においては、アバドならでは歌謡性豊かな情感に満ち溢れており、格調の高さも相俟った美しさは、抗し難い魅力に満ち溢れている。

ここぞという時の力感溢れる演奏は、同時期のアバドによる交響曲の演奏には聴くことができないような生命力に満ち溢れており、これぞ協奏曲演奏の理想像の具現化と評しても過言ではあるまい。

チャイコフスキーやグラズノフの協奏曲に特有のロシア風のメランコリックな抒情を強調した演奏にはなっておらず、両曲にロシア風の民族色豊かな味わいを求める聴き手にはいささか物足りなさを感じさせるきらいもないわけではないが、ヴェンゲーロフのヴァイオリン演奏の素晴らしさ、両曲の持つ根源的な美しさを見事に描出し得たといういわゆる音楽の完成度という意味においては、まさに非の打ちどころのない素晴らしい名演に仕上がっていると高く評価したい。

音質は、1995年の録音ということでもあり比較的満足できる音質である。

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2022年08月09日


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ロシア人指揮者にとってのチャイコフスキーの交響曲は、独墺系の指揮者にとってのベートーヴェンの交響曲のような神聖な存在であると言えるが、ゲルギエフにとっても例外ではなく、これまでウィーン・フィルや手兵のマリインスキー劇場管弦楽団とともに、チャイコフスキーの後期3大交響曲の録音を行っているところだ。

来日公演においても、チャイコフスキーの後期3大交響曲を採り上げており、これはゲルギエフがいかに母国の大作曲家であるチャイコフスキーを崇敬しているかの証左とも言えるだろう。

しかしながら、ゲルギエフのチャイコフスキーの交響曲の録音は後期3大交響曲に限られており、初期の第1番〜第3番についてはこれまでのところ全く存在していなかったところだ。

そのような中で登場した本盤の交響曲第1番〜第3番のライヴ録音は、クラシック音楽ファンとしても待望のものと言えるだろう。

これまでのゲルギエフによるチャイコフスキーの交響曲の演奏は、旧ソヴィエト連邦崩壊後、洗練された演奏を聴かせるようになった他のロシア系の指揮者とは一線を画し、かのスヴェトラーノフなどと同様に、ロシア色濃厚なアクの強いものであった。

そのような超個性的なゲルギエフも、本盤の演奏においては、洗練とまでは言えないが、いい意味で随分と円熟の境地に入ってきたのではないだろうか。

随所における濃厚な表情付け(特に、交響曲第3番第1楽章)や効果的なテンポの振幅の駆使は、ゲルギエフならではの個性が発揮されているが、前述のウィーン・フィルやマリインスキー劇場管弦楽団との演奏とは異なり、いささかもあざとさを感じさせず、音楽としての格調の高さを失っていないのが素晴らしい。

ここぞと言う時の強靭な迫力や、畳み掛けていくような気迫や生命力においても不足はないが、それらが音楽の自然な流れの中に溶け込み、ゲルギエフならではの個性を十二分に発揮しつつ、いい意味での剛柔のバランスがとれた演奏に仕上がっているのは、まさにゲルギエフの指揮者としての円熟の成せる業と評価しても過言ではあるまい。

いずれにしても、本盤の交響曲第1番〜第3番の各演奏は、ラトルやマリス・ヤンソンス、パーヴォ・ヤルヴィと並んで現代を代表する指揮者であるゲルギエフの円熟、そしてチャイコフスキーへの崇敬を大いに感じさせる素晴らしい名演と高く評価したい。

そして、今後、続編として発売されるであろう後期3大交響曲の演奏にも大いに期待したい。

また、本盤の素晴らしさは、マルチチャンネル付きのSACDによる極上の高音質録音である。

SACDの潜在能力を十二分に発揮するマルチチャンネルは、臨場感において比類のないものであり、音質の鮮明さなども相俟って、珠玉の仕上がりである。

いずれにしても、ゲルギエフ&ロンドン交響楽団による素晴らしい名演を、マルチチャンネル付きのSACDによる極上の高音質で味わうことができるのを大いに喜びたい。

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2022年07月18日


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小林研一郎は必ずしもレパートリーが広い指揮者とは言い難いが、その数少ないレパートリーの中でもチャイコフスキーの交響曲は枢要な地位を占めている。

とりわけ、交響曲第5番は十八番としており、相当数の録音を行っているところである。

エクストンレーベル(オクタヴィア)に録音したものだけでも、本盤のチェコ・フィルとの演奏(1999年)をはじめとして、日本フィルとの演奏(2004年)、アーネム・フィルとの演奏(2005年)、アーネム・フィル&日本フィルの合同演奏(2007年)の4種の録音が存在している。

小林研一郎は、同曲を得意中の得意としているだけにこれらの演奏はいずれ劣らぬ名演であり、優劣を付けることは困難を極めるが、筆者としては、エクストンレーベルの記念すべきCD第1弾でもあった、本盤のチェコ・フィルとの演奏を随一の名演に掲げたいと考えている。

小林研一郎の本演奏におけるアプローチは、例によってやりたいことを全てやり尽くした自由奔放とも言うべき即興的なものだ。

同じく同曲を十八番としたムラヴィンスキー&レニングラード・フィルによるやや速めの引き締まったテンポを基調する峻厳な名演とは、あらゆる意味で対極にある演奏と言えるだろう。

緩急自在のテンポ設定、思い切った強弱の変化、アッチェレランドやディミヌエンドの大胆な駆使、そして時にはポルタメントを使用したり、情感を込めて思い入れたっぷりの濃厚な表情づけを行うなど、ありとあらゆる表現を駆使してドラマティックに曲想を描き出している。

感情移入の度合いがあまりにも大きいこともあって、小林研一郎のうなり声も聴こえてくるほどであるが、これだけやりたい放題の自由奔放な演奏を行っているにもかかわらず、演奏全体の造型がいささかも弛緩することがないのは、まさに圧巻の驚異的な至芸とも言えるところだ。

これは、小林研一郎が同曲のスコアを完全に体得するとともに、深い理解と愛着を抱いているからに他ならない。

小林研一郎の自由奔放とも言うべき指揮にしっかりと付いていき、圧倒的な名演奏を繰り広げたチェコ・フィルにも大きな拍手を送りたい。

中欧の名門オーケストラでもあるチェコ・フィルは、弦楽合奏をはじめとしてその独特の美しい音色が魅力であるが、本演奏においても、小林研一郎の大熱演に適度の潤いと温もりを付加するのに大きく貢献しているのを忘れてはならない。

いずれにしても、本演奏は、小林研一郎のドラマティックな大熱演とチェコ・フィルによる豊穣な音色をベースとした名演奏が見事に融合した圧倒的な超名演と高く評価したい。

なお、併録のスラヴ行進曲は、どちらかと言うと一気呵成に聴かせる直球勝負の演奏と言えるが、語り口の巧さにおいても申し分がないと言えるところであり、名演と評価するのにいささかも躊躇するものではない。

音質は、エクストンレーベル第1弾として発売された際には通常CDでの発売であり、それは現在でも十分に満足できるものと言える。

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2022年07月12日


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ロシア・ピアニズムを体現する名匠として認知度が高まるトロップによるチャイコフスキーとラフマニノフの代表的なピアノ作品。

ロシアの12ヶ月を詩情豊かに描いた「四季」における静謐の中に万感を込めたタッチ、対照的に激しい感情の起伏と豊かな歌謡性を特徴とするラフマニノフの見事な表現。

まさに両曲の代表的名盤と呼べるものだ。

両作曲家の弾き分けも見事であるが、隅々にまで行き届いた精緻な表現力には言葉を失う。

ラフマニノフに於けるダイナミズムもさることながら、チャイコフスキーの静謐な美しさに強く心惹かれる。

ロシアのピアニズムと言うと、リヒテルやギレリスなど、ロシアの悠久の大地を思わせるような圧倒的な技量と重量感溢れる演奏を旨とするピアニストによるスケール雄大な演奏が思い浮かぶ。

これらの重量級のピアニストに対して、トロップの演奏は、ある意味では柔和とさえ言えるものだ。

ロシア音楽は、重量感溢れる力強さとともに、メランコリックな情感の豊かさが持ち味と言えるが、トロップのアプローチは、どちらかと言うと、後者のロシア的な抒情を情感豊かに歌いあげることに主眼を置いたアプローチであると言える。

特に、チャイコフスキーの「四季」に顕著であり、静謐ささえ感じさせるような詩情豊かな演奏は、これまで何度も聴いてきた同曲の知られざる魅力を感じさせるのに十分である。

これに対して、ラフマニノフの「幻想的小品集」も、あくまでも基本的なアプローチは、チャイコフスキーと変わらないとは思うが、例えば、有名な「鐘」などにおける、ここぞと言う時の力強い打鍵による圧倒的な迫力の凄まじさ。

こうした激しい感情の起伏と豊かな歌謡性を兼ね備えた演奏は、トロップがロシアのピアニストであることを改めて認識させてくれる。

Blu-spec-CD化によって、音質により鮮明さを増した点も評価したい。

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2022年06月23日


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ジノ・フランチェスカッティは1950〜60年代の前半に活躍し、当代きっての美音の持ち主と讃えられた名ヴァイオリニストである。

メン&チャイと日本人好みの略称で呼ばれるようになった、この組み合わせは、フランチェスカッティの出した同じ組み合わせのモノラル盤に由来する。

このステレオになって再録音された演奏は、今でも必聴盤と言える。

巨匠フランチェスカッティといっても、最近ではほとんど話題にのぼらないヴァイオリニストだ。

しかし、一聴して分かるように、たちまちその豊かな表情をもった音色に魅惑される。

ハイフェッツのような切れ味爽やかというのではなく、その逆で、包み込んでくれる響きであり、エロティックとでもいうのだろうか、色気のある音色だ。

日本では、あまり高い評価を受けることなく半ば忘れられたヴァイオリニストであるかもしれないが、こんな美音が出せる人が他にいるだろうか。

かつて美音家といえばグリュミオーであったが、まったくタイプの違う唯一無比の豊麗な音色である。

チャイコフスキーの協奏曲では、目立った表情づけをしていないが、それでもチャイコフスキー節が朗々と歌われている。

その演奏は知的で気品にあふれたもので、チャイコフスキーがこんなにも澄み切った音楽だとは…。

感傷的でオーバーな表現とは次元の異なる美しさが奏でられている。

より注目はメンデルスゾーンの方で、冒頭のあの切々たるメロディーが、実に美しく奏でられている。

厳しすぎず、優しすぎず、情熱もありの癒しもありの、バランスが見事なヴァイオリンにセルの伴奏が相俟って、高潔な美しさに満ち溢れた最高の名演と高く評価したい。

音質は、年代以上に良いが、もちろん最新録音と同じようにはいかず、濁りもややあるが、オケもヴァイオリンもクリアに録られている。

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2022年06月05日


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リヒテルはカラヤンを嫌っていた。

その理由は音楽性の相違というよりは、カラヤンのある意味職人的で俗物的なプロフィールにあったようだ。

それはベートーヴェンの三重協奏曲のレコーディングの時に決定的になった。

しかしこのディスクのチャイコフスキーのピアノ協奏曲に聴かれるように、2人の間に独特の緊張感が保たれていて、かえってスリルに満ちた演奏が興味深い。

リヒテルの最大の武器は明確なタッチで、鍵盤の底まで押し込んでいるかのような強い打鍵がフォルテを明確に響かせるが、決して重苦しくならない。

また、弱音の美しい響きは繊細な感情を生かしている。

強い意思にもとづく解釈と豊かな表現力が結びついた演奏である。

当然彼らの演奏は雄大なスケールを持っていて、ウィーン交響楽団に支えられたリヒテルのソロも無類の安定感を感じさせる骨太な表現が素晴らしいが、時折カラヤンのテンポ感を奪っていく強引ともいえる牽引力が火花を散らす競演だ。

これだけ聴き古された名曲に隙の無い演奏で感動を与えることができるのは、やはり彼ら2人の力量がものを言っていると言えるだろう。

一方ラフマニノフはリヒテルが主導権を完全に握った演奏といえる。

ワルシャワ・フィルハーモニーを統率するヴィスロツキの指揮も決して悪くはないが、リヒテルの巨大さがより前面に表れている。

勿論もう少しオーケストラに工夫があっても良いと思われる個所もあるが、リヒテルのソロを徹底的に生かすという意味では成功している。

ロシアのオーケストラと一味違った洗練された感覚が反映されている好演は見逃せない。

この演奏も脆弱なロマンティシズムは排除され、冷徹なほどに孤高の世界が表出された稀な演奏で、この作品の随所にみられる甘美なリリシズムを愛する人には、多少近寄り難い印象を与える硬派の表現力が冴え渡っている。

ラフマニノフ自身の演奏を別にすれば、これほど作品の本質に迫った演奏はないだろう。

スケールが大きいと同時にこまかいパッセージまで明確に演奏されているし、濃厚なロマンティシズムとみずみずしいリリシズムの双方が完全に表現されている。

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2022年05月30日


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ピアニストのアリス=紗良・オットが、これからサントリー・ホールでピアノ・リサイタルを開催する。

今回は、すでにヨーロッパ各地で行われ大きな話題を呼んでいる『Echoes Of Life』(映像作品とのコラボレーション)を日本で披露する。

会場のスクリーンに映し出される建築家ハカン・デミレル氏の映像演出、そこへ、ショパン「24の前奏曲」にリゲティや武満徹らによる作品を間奏曲として加えた斬新な作品群がアリス=紗良・オットによって紡ぎ出され、聴衆はまるで「ひとつの旅」をしているような感覚を体験できる。

「音楽が始まった瞬間からは、個々に自分自身の印象と感覚でその音楽を発見して欲しい」というアリス=紗良・オットの願いが込められたコンサートとなる。

我々は何十年に一人しか出てこない名ピアニストの時代に運良く居合わせているのかも知れないのだ。

勿論コンサートに行けない読者の皆様には、アリス=紗良・オットの初の協奏曲録音をご紹介する。

とても20歳のピアニストとは思えないような威風堂々たる名演だ。

アリスとヘンゲルブロックはこの手垢にまみれた2曲を洗い流し、ヴィルトゥオーゾ性よりも音楽としての魅力を引き出す。

チャイコフスキーのピアノ協奏曲は情熱と、ロシアの情念、ドイツの剛直さを兼ね備えた名演であり、ミュンヘン・フィルの重厚なサウンドとも相まって理想的な仕上がりで、満足できる出来映えだ。

特に、第1楽章冒頭のホルンの朗々たる旋律の後に続く、女流ピアニストとは思えないような強靭な打鍵は、聴き手を圧倒するのに十分な迫力を有している。

特に、低音の残響の響かせ方など、はじめて耳にするような新鮮さだ。

それでいて、チャイコフスキーならではの抒情豊かな旋律も、繊細であたたかなタッチで弾いており、その硬軟併せ持つバランス感覚が見事である。

カデンツァにおける、卓越した技量に裏打ちされたゆったりとしたテンポによる重厚な演奏は実に感動的で、アリスのピアニストとしてのスケールの大きさを感じさせる。

第2楽章の繊細な抒情も美しさの極みであり、終楽章も、例えばアルゲリッチのようにアッチェレランドをかけたりすることはしていないが、強靭な打鍵にはいささかも不足はない。

それでいて、どんなに力奏しても気品を失うことがないのは、アリスの最大の長所と言えるのかもしれない。

リストのピアノ協奏曲も、重厚さと繊細さのコントラストが見事な秀演と評価したい。

特筆すべきは録音の素晴らしさであり、ピアノの音が実に鮮明な音質で捉えられているのは大変嬉しい限りだ。

これからの活躍が楽しみなピアニストの一人と期待していたところに難病を知ることになる。

アリスという美貌の若きピアニストをファンの一人としてあたたかく見守っていきたい。

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2022年05月23日


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我が国のピアニストの大御所、横山幸雄のデビュー20周年を記念するアルバムの登場だ。

曲目は、チャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番とラフマニノフのピアノ協奏曲第3番の人気曲どうしの組み合わせ。

いずれも、超絶的な技巧を要するとともに、ロシア風のメランコリックな抒情の的確な描出が必要不可欠な楽曲であるだけに、ピアニストの実力(それは技量においても芸術性においてもということになるが)が試されると言えるだろう。

本盤に収められた両曲の演奏は、横山幸雄にとって、グリーグのピアノ協奏曲以来の久しぶりの協奏曲の録音ということになるが、そうした長年のブランクをいささかも感じさせない圧倒的な名演に仕上がっていると高く評価したい。

両曲ともに、横山幸雄の超絶的な技量は冴えわたっていると言えるところであり、このような凄い演奏を聴いていると、あらためて横山幸雄こそは我が国のピアニストの中でもトップクラスの実力を誇っているということをあらためて窺い知ることが可能と言える。

ライヴ録音というのが信じられないほどミスタッチは殆どないのが驚異的であり、持ち前のヴィルトゥオジティを如何なく発揮していると言えるだろう。

もっとも、それでいて技量一辺倒にはいささかも陥っておらず、両曲の随所に配されたロシア風のメランコリックな抒情に満ち溢れた名旋律の数々を、心を込めて情感豊かに歌い抜いている。

もっとも、両曲の場合、演奏によっては陳腐なセンチメンタリズムに堕するものも散見されるところであるが、横山幸雄の場合は、そうした懸念は心配ご無用。

いかに抒情豊かな箇所に差し掛かっても、格調が高さを失うことがなく、高踏的な美しさを保っているのが素晴らしい。

また、持ち前の超絶的な技量にもよるところが大きいとも言えるが、強靭な打鍵による重量感溢れるピアノタッチから、繊細で消え入るようなピアノタッチに至るまでの表現力の幅広さは桁外れの凄さであり、これはまさに両曲演奏の理想像の具現化と評しても過言ではあるまい。

いずれにしても、本盤の両曲の演奏は、横山幸雄のデビュー20周年を飾るに相応しい圧倒的な名演と高く評価したい。

こうした素晴らしい横山幸雄のピアノ演奏を下支えしているのが、小泉和裕指揮の東京都交響楽団である。

このコンビは、両曲の随所に盛り込まれたロシア風のメランコリックな抒情に彩られた旋律の数々を情感豊かに描出しており、両曲の演奏として最高のパフォーマンスを発揮していると高く評価したい。

音質も素晴らしい。

音質の鮮明さ、音圧の凄さ、音場の幅広さなど、いずれをとっても一級品の仕上がりであり、何よりも横山幸雄のピアノタッチが鮮明に再現されるのは見事。

あらためて、SACDの潜在能力の高さを思い知った次第だ。

いずれにしても、横山幸雄、そして小泉和裕&東京都交響楽団による圧倒的な名演をSACDによる高音質で味わうことができるのを大いに喜びたい。

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2022年05月16日


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プレヴィンはそのころ音楽監督のポストにあったロンドン交響楽団とのコンビで、チャイコフスキーの3大バレエ全曲盤を1970年代に吹き込んでいるが、これはその後、ロイヤル・フィルに転じて間もなく、57歳になる1986年に14年ぶりに再録音したもので、彼の代表的な名盤のひとつである。

古今の数ある《くるみ割り人形》全曲盤の中でも極めて高い定評を誇る著名なディスクで、指揮者としてのプレヴィンの美点が最も幸福な形で発揮された、スタンダードな名盤と言える内容を示している。

決してとりわけ優美であるとか、ファンタジー的であるという性格ではないけれど、個々のことが整然と把握されており、全体のバランスがよく、洗練されたスマートなプロポーションで、この曲の全貌を展望したような演奏と言えよう。

チャイコフスキーはオーケストレーションが巧いとされ、筆者はこの見解には全面的には賛同しないが、3大バレエの中で、さすが最晩年の作品であるだけに、《くるみ割り人形》こそはその定説を立証するもので、それは組曲よりも全曲を聴いたほうが納得できるはずである。

メルヘン的世界は、舞台上ばかりではなく、音楽とそこに展開されている多彩な音色、そして多様な性格を与えられた主題的素材などにも明確に生きている。

ことに木管楽器や特殊楽器のチャーミングな色彩感は、まさにメルヘンの世界を描くにふさわしい。

この作品が音楽だけによっても広く親しまれている根底には、そうしたことがあることは間違いないが、プレヴィンのこの演奏は、まさにそうしたこの作品の特質を、多様な面から明らかにしてくれるに違いない。

オーケストラに過重なテンションをかけず、柔らかな手つきでそうした夢と音色の世界を描いたプレヴィンは、語り口の巧さといい、音楽的な洗練度といい、文句なしの出来。

彼は、オーケストラのアンサンブルと音色的な表現力を最大限に生かしながら、巧妙な語り口でそれぞれの主題がもつ性格を明快にとらえて語りかけ、随所に現れる美しい旋律を、適切なテンポで心ゆくまで歌わせている。

全曲を通じて、シンフォニックなまとめで、アンサンブルや音色の推移、構成感や対照感を聴かせることを優先し、情緒面を色濃く出している。

色々な踊りを集めた第2幕では、各曲の性格を見事にとらえ、内容豊かに表現し、実に絢爛豪華な気分を盛り上げていて、オーケストラもよく鳴っている。

イージーリスニング的な、気楽なタッチに流れているわけでは決してないが、ムーディで柔らかくふくよかに繰り広げられる音楽には、理屈抜きに、誰の心をも引きつける明快な魅力が満ち溢れている。

バレエ的であるよりはコンサート的な発想に立脚した演奏であるが、その中庸を得た表現の聴きやすさがとにかく捨て難く、リズムが抜群に弾んでいるので、実に面白く聴くことができる。

もちろん、バレエとしての情景と舞曲の構成や、そのコントラストもよく引き出されているが、全体的にみれば、オーケストラルなレパートリーとしてのこの作品の魅力を、華やかに聴かせてくれる演奏と言える。

どの角度からみても、プレヴィンの力量のほどを物語るような安定した出来ばえを誇る内容で、誰にでも躊躇なくお薦めできる。

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2022年04月29日


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筆者はこれまでにバーンスタインの晩年の演奏を、テンポを落とす箇所は極限まで遅く、逆に攻め込むところは一気に…という事大主義的で常軌を逸した解釈に疑問を呈してきたが、チャイコフスキーの「第5」の演奏は何故か少しも作為的ではなく、むしろ一段と説得力と必然性を伴っている印象を受けた。

第1楽章の序奏からして、ひたすら暗い。ターラーという下降する音が執拗に強調されるため、まったく救いようがない音楽になっているのだ。

しかも、主部に入ると突如テンポが速くなるので、ギクリとさせられる。もはや落ち込んでいることも許されず、せっつかれるかのようだ。

その後もテンポを大きく動かし、振幅の大きな音楽が続く。

チャイコフスキーはペシミスティックな人間だったが、彼の作品をこれほどまでにどん底の暗さで奏でた指揮者はあまりいない。

およそ15分の地点で訪れる崩壊感も、神経の細い人なら耳を覆いたくなるくらい、凄まじい。

世界的な名声を手に入れ、経済的にも豊かな音楽家がこのような異常な演奏をしてしまうところ、まさにそこにクラシック音楽としての恐ろしさがある。

第2楽章の開始も、途轍もなく重苦しい。まるで悪夢のようだ。

やがてホルンが美しいメロディを吹き始めるが、これは暗黒の中にあって一条の光にもなりきれない希望の気配である。

およそ4分の地点で聴かれるチェロとコントラバスの不気味な力といい、まさに絶望とほんのわずかの希望の交錯する比類のない音楽であり、ひたすらもがく人間がいるばかりである。

第4楽章も、まるで刑場に引き出されるといった気分で始まるのに驚かされる。やはりテンポは極限まで遅く、その上、随所で止まりそうに減速される。

この楽章は普通に演奏すると、妙に軽々しくまた騒々しくなってしまうのだが、バーンスタイン流は違う。

遅いところは極端に遅く暗く、速いところはとびきり速くという設定だから、前から続いてきた二元論的ドラマが持続するのだ。

いよいよ、最後、勝利の行進では、演奏家が作品を信じていること、音楽を信じていることがよくわかる。

そして、これは信じないと説得力をもって演奏できない種類の音楽では確かにあるのだ(作曲家自身ですら、完成させたあとで、何か嘘くさいと告白している)。

音楽は一挙に解放され、圧倒的なクライマックスに達するが、こんな演奏は純粋さがない人間には絶対に不可能である。

ニューヨーク・フィルがバーンスタインのやりたい放題、常識から言えば滅茶苦茶にブチ切れた解釈に食らいついてくるのにも感心するほかない。

さすがのバーンスタインもこのような異常な演奏は、長年率いたニューヨーク・フィル以外とはなかなか実現できなかった。

「ロメオとジュリエット」は「第5」ほど大胆な強調は行われていないものの、ここまで曲への共感を露わにした演奏は他にはないのではないかとすら思わせる名演奏である。

第一に、楽器の表現力の雄弁なこと。弦楽器のハーモニーは実に美しく、哀切感を盛り上げる。

しばしばうるさいばかりで雑な音をたてると悪評されるニューヨーク・フィルがこんな響きを出すこともあるのだと心底感嘆せずにはいられない。

若い恋人たちの逢瀬の場においては、弦楽器が濡れそぼつような響きを立てているし、フルートやオーボエは陶酔的に歌っている。

これを聴いていると、まるで自分が物語の主人公になったかのような気がしてくる。

いざとなればこんな震え上がるような演奏ができる、これが世界のトップオーケストラたちの恐ろしい実力なのである。

音楽が破局に向かっていく最中に聴かれる、大波が打ち寄せるような弦楽器のうねりに端的に表れているように、スケールも極大で、これでこそ、ロメオとジュリエットの悲劇が生々しい事件としてわれわれの眼前に広がるのだ。

その上、最後がとても印象的だ。普通、ここは浄化されたように奏される。ロメオとジュリエットは地上では不幸だったが天国で結ばれる、また、ふたりの犠牲を目の前で見て人々も自分たちの愚かさに気づき、仲直りをするはずだからだ。

だが、バーンスタインではまったく浄化されたように聴こえない。彼はこの都合のいい救いを信じていないようだ。むしろ、いささか憤怒の様子で曲は閉じられる。

現代の世界情勢を見ても、苦しみには終わりがない。この物語のようにうまく仲直りはできない。とするなら、このバーンスタインの演奏はきわめてリアルだと言うしかないだろう。

彼は晩年において、このように、同時代に匹敵する者がいないくらい、独自の表現世界へ入っていった。

内面の吐露、いや苦しみを吐き出すという言葉がぴったりの音楽で、私小説のような業苦の世界が提示された。

バーンスタインは、最後の最後に至るまで、現世の苦痛の中でもがいていたように見える。それゆえ聴衆が彼を圧倒的に支持したのではないかとも思うのである。

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2022年04月23日


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30代のほぼ10年間をモンテ・カルロのロシア・バレエ団の指揮者として過ごすなど、自他ともに認めるバレエのスペシャリストであったドラティがその全盛期に当時の手兵ミネアポリス管弦楽団と録音した唯一のチャイコフスキー《白鳥の湖》。

むろん、オーケストラ・ビルダーとしても手腕を発揮したドラティは、ここでいかにもヴェテランらしい、貫禄十分の名演を展開している。

入り組んだリズム処理に、抜群の手腕を発揮するドラティならではの、あざやかな指揮ぶりに驚嘆させられる全曲盤である。

この曲の交響的な性格をあますところなく生かしながら、構成的な美しさを尊んだ演奏だ。

この演奏は、細部まで的確に構成された明快でシンフォニックな表現とバレエとしてのドラマをバランス良く合わせそなえている。

ドラティの指揮は設計が綿密で、しかも演出と表情づけが実にうまく、あの夢幻的な舞台の雰囲気が手にとるようによくわかる。

こうした表現は実際の舞台の経験が豊富なこの人ならではのもので、このグランド・バレエにふさわしく、メロディー・メーカー、チャイコフスキーの旋律美を存分に堪能することができる。

全曲を通じて、各場面の変化に富んだ描き方も秀逸で、まさに"バレエの神様"ドラティの面目躍如たる会心の演奏。

ドラティという指揮者の並々ならぬ底力のほどを、あらためて思い知らされるような演奏といえよう。

それでも一般の聴き手にとって、ドラティの録音はそれほどの価値を見いだせないかもしれないが、ダンサーにとってその評価は絶大なものとなる。

メリハリの利いたリズムや踊りに最適なテンポ、そして独特の間のとり方など、実舞台のバレエの寸法に対応した演奏であることは現代でも変わらない。

一言でいえば、ドラティの演奏は爐修里泙淪戮譴覘瓩里任△襦

テンポの設定からリズムのとり方、そして間のとり方まで、見事に踊りに適合する。

この盤は、そういう意味ではバレエ音楽のまさに“普遍的”と言い得る演奏で、バイブル的存在といえるのである。

ドラティは円熟期にコンセルトヘボウ管弦楽団とチャイコフスキーの残りの2つのバレエ《眠れる森の美女》及び《くるみ割り人形》の演奏・録音ともに文句のつけようのない全曲盤を遺してくれた。

不思議とウマが合う名門オケとの《白鳥の湖》の録音が果たせなかったのはさぞかし心残りだったことだろう。

なお全曲盤とはいえ、録音当時に行なわれていた慣習的なカットが施されているのは、仕方のないところだろう。

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2022年04月18日


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このディスクについては筆者の世代のクラシック音楽ファンには、かつて影響力のあった某音楽評論家の批評の呪縛から逃れられない思いもあって、なかなかご紹介できないでいた。

けれど、やはりあらためて聴いてみると、受け売りではなく、すばらしいことには変わりないので、自分なりの切り口で迫ってみたい。

この演奏は、クナッパーツブッシュのスタジオ録音のなかでも、最高傑作の部類に入ると筆者は確信している。

特にチャイコフスキーの組曲「くるみ割り人形」については、後年某音楽評論家がストコフスキーに寝返りをしたので、尚更そう強調したくなる。

おずおずと始まり、みるみる感興の高まってくる序曲。

スケールの大きい行進曲(後半の、低弦からヴァイオリン・フルートまで湧き上がる音の波のすばらしさ!)。

チャーミングな金平糖。

リズムが抜群に良いトレパーク。

意外とサラリとしているが、深い情感に満たされたアラビアの踊り。

あっけらかんとした表情に微笑みが見え隠れする中国の踊り。

ウィーンの上品なフルートが冴えわたるあし笛の踊り。

いずれも、聴いていてじつにたのしい演奏なのである。

しかし何よりすばらしいのが、交響詩にも匹敵するスケールで存在する花のワルツだ。

序奏からして濃い雰囲気に満たされ、他の演奏とは格が違う。

長調なのに哀歓入り混じった不思議な感情なのである。

沈み込むような味わいのワルツは、夕暮れのウィーンである(あの絶妙なテンポルバート!)。

中間部の短調のチェロがなんと訴えかけてくることだろう。

そしていよいよホルンの主題が戻ってくるときの偉容はたとえようもなく(ウィンナ・ホルンが音を割っている!)、最後はじつに堂々と締めくくっている。

「クナのくるみ割りなんて、どうせのろくって大味に違いない」と考えている貴方! まぁ聴いてみてください。

なおクナには、ベルリン・フィルとの「くるみ割り」もある(1950年2月2日)。



この演奏はライヴだけあって、感興が湧き上がる様が手に取るようにわかり、トレパークなどここまで直接燃え上がるクナは珍しいのではないかと思われる。

こちらも(クナファンには)お薦めである。

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2022年04月17日


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本盤のような演奏を歴史的名演と言うのであろう。

アメリカのテキサス生まれのヴァン・クライバーン(1934年7月12日 - 2013年2月27日)が、旧ソヴィエト連邦の威信をかけて行われた記念すべき第1回チャイコフスキー国際コンクールで優勝した直後に行われたスタジオ録音ではあるが、ここでは、コンクールでの優勝の興奮が支配しているように感じられてならない。

当時のクライバーンの超絶的な技巧と、途轍もない生命力が凄まじいまでの迫力を見せ、あたかもライヴ録音であるかのような熱気に満ち溢れているからだ。

このチャイコフスキーに一貫しているのは溌剌とした太陽のような輝きである。

それは単に辣腕の名手が聴かせるドラマティックで、エネルギッシュな熱演というだけではない。

抒情的で詩的なフレーズにも太陽の恵みを受けたかのような誇らしい高揚感があり、それが聴き手をどこか晴れやかな幸福感に誘ってしまうという稀に見る演奏となっている。

停滞せずに常に前に駒を進めていく演奏、しかもそこには即興性があり、それが演奏をさらにスリリングで、緊迫感溢れるものにしていく。

それでいて決して不自然でも作為的でもない、聴き手を紛れもなくチャイコフスキーの世界に誘い、陶酔させていく奇跡的名演なのである。

当時、ソヴィエト連邦の気鋭の指揮者であったコンドラシンの指揮も圧倒的であり、数あるチャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番の名演の中でも、トップの座を争う名演と高く評価したい。

コンクールの審査員には、リヒテルやギレリスなど錚々たる顔ぶれが揃っていたとのことであり、今から思えば政治色が審査に反映されなかったことは奇跡のような気もするが、これらの面々に絶賛されたというのも当然のことのように思われる。

残念なことであるが、クライバーンはこの時が一番凄かった。

その後は、自らの名前を冠するコンクールの名前のみで知られるピアニストに甘んじていたのは、はなはだ残念なこととは思う。

それでも、このような歴史的名演を遺したことは、後世にもクライバーンの名前は不滅であることの証左と言えよう。

録音は金管楽器などに音場の狭さを感じるが、ピアノのリアルな音など、眼前で演奏が行われるかのような鮮明さだ。

コンクールには賛否両論があるが、才能発掘の点で成果を挙げたのは事実であり、この名盤もコンクール直後に生まれたことを銘記しておきたい。

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2020年09月20日


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イタリア・ウラニアからのリニューアルされた廉価盤で、キリル・コンドラシンの演奏集が2セットほどリリースされている。

こちらはチャイコフスキー作品集で、音源は既に知られたものだがリマスタリングによって比較的聴きやすい音質で再生される。

ダニル・シャフランがチェロを弾く『ロココ風の主題によるチェロと管弦楽のための変奏曲』のみが1949年のモスクワ・ライヴで、資料的には貴重だが音質はお世辞にも良いとは言えない。

交響曲第6番『悲愴』及び幻想的序曲『ロメオとジュリエット』は1965年のセッションで、この2曲はコンドラシンによって鍛え上げられた手兵モスクワ・フィルの力量を堪能できる演奏だ。

『悲愴』は、冒頭の第1主題から早くも只ならない緊迫感を漂わせ、展開部では一転して壮絶な表現を聴かせる第1楽章、「慟哭」というほかない、まさに絞りだすような痛切さが凄い第4楽章と、両端楽章がとにかく強烈。

全体を覆う、何かに追われているような緊迫感はコンドラシンならではものだ。

ここに示されたスケールの大きさには全くこけおどしののない緊張感の持続が感じられる。

これは、ショスタコーヴィチの交響曲全集と並ぶ、亡命前の彼の最も優れたサンプルである筈だ。

『ロメオとジュリエット』も、本場のロシア流儀の演奏に西欧風のインターナショナルな味付けを加味した豪演だ。

2枚目はレオニード・コーガンをソロに迎えたヴァイオリンと管弦楽のための『憂鬱なセレナード』が聴きどころだろう。

1959年の録音ながら歴としたステレオ音源で、コンドラシン、フィルハーモニアのサポートで、甘美とは言えないがコーガン一流の硬派なロマンティシズムが怜悧な美しさを醸し出している。

最後に収録された管弦楽のための組曲ト長調は、同じくフィルハーモニアとの同年の録音だが、何故かモノラルで音質もかなり劣っている。

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2020年09月14日


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ロシアが誇るボロディン四重奏団が1990年代にヴァージンとテルデックにレコーディングした中から、スラヴ系作曲家の作品を8枚のCDに纏めたワーナーからのバジェット・ボックスである。

彼らの最も得意とするスラヴ的抒情、神秘や機知などが遺憾なく発揮されている。

ショスタコーヴィチに関しては新録音の弦楽四重奏曲全曲とその他の室内楽を収めた7枚組がデッカ・レーベルからリリースされている。

そちらもお薦めしたいが、このセットにも7曲の弦楽四重奏曲、ピアノ五重奏曲、ピアノ三重奏曲第2番及び弦楽四重奏のためのふたつの小品が収録されている。

尚ピアニストはデッカ盤ではアレクセイ・ヴォロディンだがこちらはレオンスカヤが弾いている。

彼らの演奏の特徴はカンタービレの美しさ、羽目を外すことのない節度を持った表現力や現代作品で聴かせるエスプリなどだ。

とはいえイタリア四重奏団のような自由奔放な歌心ではなく、より古典的だが洗練された趣味にあると言える。

しかしショスタコーヴィチでは、初期のメンバーが作曲家と直接交流を持っていたこともあって、真似のできないオリジナリティーに富んだ解釈が聴きどころだろう。

その神秘的な静謐や時折表れるスラヴ民族舞踏のリズムの再現は水を得た魚のようだ。

CD7はロシアのミニチュアと題された1枚で、ボロディンの『中央アジアの草原にて』を始めとする比較的親しみ易い小品や抜粋が集められているロシア音楽入門編と言ったところだ。

また最後のシュニトケのアンサンブルの1枚も普段それほど聴く機会がない貴重なサンプルだ。

1945年にモスクワで結成され、1955年旧ソ連邦政府よりボロディンの名が与えられた、ボロディン弦楽四重奏団について紹介したい。

初代メンバーはロスティスラフ・ドゥビンスキー(ヴァイオリン)、ウラディーミル・ラベイ(ヴァイオリン)、ルドルフ・バルシャイ(ヴィオラ)、ヴァレンティン・ベルリンスキー(チェロ)で、メンバーは替わりつつも現在も活動が続けられている。

初代メンバーとして62年にわたってカルテットを支えたチェロのヴァレンティン・ベルリンスキーは2007年夏に引退し、ウラディーミル・バルシンにバトンを渡している。

モスクワ音楽院で訓練を受けた彼らは、ロシアの室内楽の解釈において独自の伝統を維持しつつ更なる変化しながら、まとまりのあるアイデンティティによりその哲学と美学は音楽文化全体を具現化している。

ショスタコーヴィチはボロディン弦楽四重奏団の初代メンバーと親交深く、作曲にあたっても様々な相談を受けたという。

彼の室内楽作品は、旧ヴァージン・クラシックスとテルデックに1990-1995年に録音されたこのボックスの中心として置かれている。

時代の変遷に従い必然的にメンバーは交代しているものの、その縁は連綿と受け継がれ、ショスタコーヴィチの演奏においていまだ他の追随を許すことなく、他のロシア作品も多くの比類ない名盤ともなっている。

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2020年04月15日


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ザ・ワーナー・コンプリート・レコーディングスと銘打ったこの10枚組のボックスは、既にEMIのイコン・シリーズでリリースされた9枚のリニューアル盤になり、リカップリングによってCD1枚分多くなっているが同一内容で新音源はない。

ただしライナーノーツによるとCD1ロッシーニの『コリントの包囲』序曲、カセッラの『パガ二ニア−ナ』及びCD10のドキュメンタリーを除く総てが新規にリマスタリングされていて、確かに音質も向上している。

ちなみにCD2のフィルハーモニア管弦楽団を振った『悲愴』は1952年のモノラル録音だが、かなり鮮明でオ−ケストラの分離状態も時代相応以上の仕上がりだ。

またそれぞれのジャケットは初出LPのオリジナル・デザインに準ずる個別のデザインが印刷されている。

ワーナーのセットにはありがちだがライナーノーツのトラック・リストには録音データの記載がなく、各ジャケットの裏面を見なければならないのがいくらか煩わしい。

カンテッリは常に知的で明晰な解釈な中にも、個性豊かで決して作為のない迸るような強い情熱を持ち合わせていた。

チャイコフスキーの第5番の冒頭では引き摺るようなモチ−フが逃避行をイメージさせ、ただならぬ気配を感知させる。

第2楽章の弛緩のないカンタ−ビレと後半の盛り上げ方、また終楽章でのクライマックスの凱歌に至るブラス・セクションの咆哮や一気呵成のコーダなどに彼の非凡さが良く表れている。

イタリアの多くの指揮者がそうであるように、カンテッリもオペラ指揮者としてキャリアを開始した。

ミラノ・スカラ座の音楽監督にはジュリ−二の後を継いで1956年に就任するが、更に前任者のデ・サーバタやジュリー二も純粋なオ−ケストラル・ワ−クの演奏にも卓越した才能を示していたので、スカラ座は彼の能力を更に発展させるポストだった筈だか、直後に襲った不慮の事故によってカンテッリの将来は断ち切られてしまう。

彼はジュリー二より6歳年下だったが、もしキャリアを続けることができたなら良きライバルとなっていたに違いない。

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2019年12月08日


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ロシアのヴァイオリン協奏曲2曲を、同国の若い世代を代表するヴァイオリニストであるワディム・レーピンが独奏を務めた、彼が指揮者ワレリー・ゲルギエフと初めて共演した演奏会(2002年7月)でのライヴ録音盤。

名ヴァイオリン奏者たる者、誰もが採り上げるチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲は残された名盤も数多いが、ロシアの若手世代のリーダー格、レーピン(1971年生まれ)はゲルギエフ率いるマリインスキー劇場管弦楽団という理想的なバックアップを得て名演を作り上げた。

演奏は終始、豊かな霊感に満ち、旋律的にも歌う楽器ヴァイオリンの魅力が余すところなく引き出されている。

ロシア的憂いと力強さの絶妙なバランスも見事で、どこをとっても均整のとれた味わいがある。

完璧なテクニックと妖しいまでに魅力的なカンタービレを持つ名手だが、レーピンはそうしたものは作品の本質とは関係がないとばかりに感触はちょっと冷たくすらある演奏を披露している。

だが、レーピンの演奏は実はそこから出発しているのであって、協奏曲全体を俯瞰しながら作品の核心へと突き進んでドラマティックこの上ない演奏の世界を打ち立てている。

ゲルギエフの指揮も遠慮などしておらず、協奏曲はソリストが主役なのだからオーケストラは抑えてという配慮もない。

演奏はもう冒頭からゲルギエフの世界で、とにかく凄まじいエネルギー、そして隈取りの深い表情、単純な伴奏句を奏しているだけでも前へ前へと押し出してくる。

そんな異様に力強いバックに対し、レーピンもパワーで真っ向から勝負、クリヴィヌと共演したスタジオ盤での洗練された表現とは別人のような思い切った演奏ぶりには、この怪童ヴァイオリニストのとんでもない馬力を実感させられる。

第1、3楽章での力技の応酬、第2楽章「カンツォネッタ」の綿々たる情緒と、メーターを振り切ってしまわんばかりの圧倒的な熱演だ。

「真のヴィルトゥオーゾが相手のときは遠慮する必要などありません。オーケストラを殺す必要はないのです」とゲルギエフは語っていた。

肝心なのは協奏曲という形式ではなく、協奏曲というフォームを借りて編み出された作品そのものの価値であり、そこに潜む宝石を探り当てるというわけであろう。

ソリスト、指揮者、オーケストラが火花を散らした熱演は、協奏曲が協奏曲を超えてオペラになった、そんな感銘が与えられる。

耳慣れた作品が演奏家の尽力によりその姿を一変させることがあるが、ここに聴く協奏曲もその1つ。

同時に収録されたミヤスコフスキー(1881-1950)のテンペラメントの激しさもまた出色であり、チャイコフスキーよりさらにメランコリックな曲想がいつになく熱っぽく迫ってくる。

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2019年09月12日


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シベリアン・タイガーの異名をとったオペラ界のスター歌手、ロシアのバリトン、ディミトリー・ホロストフスキーが2017年11月22日に亡くなった。

死因は脳腫瘍だったようだが、55歳の誕生日を迎えたばかりで、バリトン歌手として更なる活躍が期待された時期の早世は惜しまれてならない。

とは言うものの筆者は彼のオペラの舞台姿を観たわけでもなく、コンサートに出かけたことさえ一度もないが、彼がデビューした頃のCDを1枚だけ持っていて、それがこのロシア歌曲集だった。

ある時ごく身近な人からの贈り物として戴いたもので、まだ洗練されていないけれどもホロストフスキーの美声に託したダイレクトな心情の吐露と真摯な歌唱が強く印象に残った。

彼のデビュー当時の若々しく情熱的な歌いぶりとビロードのようなバリトンの響きに酔いしれる1枚だ。

その後彼が欧米の名立たるオペラハウスで主役を歌うようになった頃の歌は放送を通じて何回か聴いたことはある。

確かに声の固さもとれて歌は上手くなっていたが、本人が望んだか否かは別としていくらかコマーシャライズされたイメージと、オールマイティーな能力を誇示するような歌唱表現のあざとさが鼻についてそれ以上聴く気がしなかった。

しかしこのロシア歌曲集には彼の声を通したスラヴの作曲家達の無垢で切実な希望や青春の痛手のようなものが感じられる。

ここにはホロストフスキー自身のまだ素朴だが将来に向けて乗り出して行こうとする一途で謙虚な歌唱がある。

実際その後の彼は順風満帆の勢いでインターナショナルな舞台での活躍を始めることになる。

特にチャイコフスキーがゲーテの詩に作曲した『ただ憧れを知る者のみが』を聴いていると、彼の闘病生活最後の無念の日々を伝えているようで感動を禁じ得ない。

心から哀悼の意を表したい。

今は亡きロシアの名匠オレグ・ボシュニアコーヴィチの伴奏は高い芸術性が感じられ絶品だ。

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2019年08月01日


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1988年にマリインスキー劇場の首席指揮者、キーロフ・オペラの芸術監督に就任して以来、卓越した音楽性、芸術性そして統率力で、数々のロシア・オペラを全世界に向けて発信し続けてきたゲルギエフ。

近年は、拠点はロシアに置きつつ、活動の場をニューヨーク、ウィーン、ザルツブルクなど世界の舞台に最も精力的な活動をしている指揮者である。

1998年のザルツブルクでウィーン・フィルと行ったチャイコフスキーの交響曲第5番で、その希にみるカリスマ性に満ちた実力を証明して見せた。

ここに聴く1997年にフィンランドでスタジオ収録された『悲愴』に懸ける執念を窺わせる壮絶な演奏は、手兵マリインスキー歌劇場管弦楽団の底力をも見せつけている。

またスコアの中に彼が見いだした『間』を巧みに使った曲の運びと強靭な統率力で一気に聴かせる手腕は並外れている。

例えば第1楽章中間部での金管楽器を殆ど限界まで咆哮させる表現は通常の解釈からは逸脱しているが、この曲全体の仕上がりから見ると決して不自然ではない。

終楽章は鉛のように重く冷たい。

そしてあたかも出口の無い迷宮に迷い込むような暗く不気味な雰囲気に救いは感じられない。

その後の自分を待っているものが人生の終焉でしかないことをチャイコフスキー自身が知っていたかのような表現だ。

筆者は約10年前にこのコンビによる実演に接したことがあり、プログラムは『1812年』『展覧会の絵』『悲愴』だったが、断然このCDの方が素晴らしく、複雑な思いをしたことが思い出される。

そこでは、同じ指揮者と楽団の組み合わせとは思えないくらい整然とコントロールされた音楽が鳴っていた。

良い言葉で言えば「洗練された」演奏、悪く言えば「ロシアスタイルを失ってしまった」演奏になっていた。

しかし、このチャイコフスキーは、旧来のロシア・オケの演奏スタイルを踏襲した強烈な印象のある演奏だ。

カップリングは『ロメオとジュリエット』で、シェークスピアの戯曲に着想を得た3曲の幻想序曲の1つ。

ここではオーケストラにもう少し柔和な表情があってもいいと思うが、バレエ音楽を髣髴とさせる充分にスペクタクルでスリリングな再現だ。

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2019年05月28日


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ソリスト、指揮者、オーケストラすべてが初顔合わせながら、驚くほど雰囲気豊かで白熱した演奏だ。

チャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番の第1楽章からガヴリーロフの音は明快、爽快で若々しく、鮮やかなテクニックは現代的ピアニズムの極致をみせる。

アシュケナージはひとつひとつのフレーズに細やかな表情を与え、ベルリン・フィルもその解釈に見事に対応している。

ある楽器のヴィルトゥオーゾがいつの間にか指揮にも手をそめ、そのうちには指揮者としての名声が不動のものとなった例を我々はすぐにいくつか思い浮かべることができる。

ヴラディーミル・アシュケナージもそのうちのひとりだ。

指揮者としてのキャリアは、はじめのうちから必ずしも芳しいものではなかったと記憶しているが、このごろはそれほどでもない。

そう、ピアノとオーケストラの作品を、あるいはかつてソリストとして演奏したこともあるかもしれない作品を、今度はソロの側でなく、あくまでそれと競演する立場から指揮をする、というのはアシュケナージの場合、どんな気分でいるのだろうか。

それもここでとりあげるのは、泰西名曲の最たるチャイコフスキーのピアノ協奏曲なのだ。

ソリストとして、一体それだけ演奏しているかわからない作品を今度は違う側からアプローチをする、ということ。

だからこのCDを聴く面白さは、ソリストのガヴリーロフのことよりも、全体としてアシュケナージがどう全体をまとめているかにある。

自分がソリストとしてこの作品を演奏したときに技術的・心理的にオーケストラがここでこういう風になってくれたらよかったのに、ということも多々あったと思うのだ。

それを、実際に自分が指揮台に立ったとき、自らの体験を踏まえてやってみる、というのがアシュケナージの意図としてはあったのではなかったか。

もちろん、この曲のイメージというのはかなりはっきりとかたまっているから一瞬一瞬が新鮮に響くなどということは期待できないし、事実ない。

だが、部分的にこんなところをこんなテンポでやってみる、とか、ほかにもいろいろなニュアンスなどにも気をつかっているのがときとして耳新しくないこともないが、それ以上にここでのオーケストラの扱いはアシュケナージがソリストにとってのすべてを知ったうえで「指揮」をしている。

かつてソリストとして期待していたものが果たされずそれを「いま=ここ」にいるソリストに対して報いているように響くのだ。

ガヴリーロフはこの大曲にちりばめてある甘美なメロディを歌うことにこそ専念しており、また、カデンツァでも音の大きさや速弾きよりは音色のコントロールに重きを置いている。

だから、チャイコフスキーのピアノ協奏曲のもっている、作品そのもののもっている良さを聴き取るためならば、ためらわずにガヴリーロフ/アシュケナージ盤を択ぶべきである。

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2018年09月30日


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これは、チェコの名手ヨゼフ・スークが、ピアノのヤン・パネンカ、チェロのヨゼフ・フッフロとともに1976年に来日した時に録音されたもので、スーク・トリオにとって2度目の録音になる。

彼ら3人の充実ぶりが如実に示され、3つの楽器が伯仲した力量で、実に白熱したスケールの大きな表現をつくり出した名演奏である。

スーク・トリオの3人はいずれもプラハ出身で、それぞれがソリストとして活躍していた中でのピアノ・トリオ結成自体珍しく、しかも特別な機会のための臨時編成ではなく定期的なコンサートや録音で一世を風靡するほど質の高い演奏で評価されていた。

結成は1952年で、1980年代に入るとパネンカの指の不調やフッフロの役職の多忙さなどからトリオは解消されてしまうが、この録音が行われた頃には3人も円熟期に達して充実したアンサンブルを聴かせている。

チャイコフスキーの『偉大な芸術家の思い出のために』は、友人のピアニスト、ニコライ・ルビンシテインの追悼のために書かれた作品である。

それだけに曲中に彼を偲ぶような超絶技巧がピアノ・パートに託されていて、テクニック的にもかなりの技量が要求される難曲でもあり、このディスクでのパネンカの颯爽とした名人芸も聴きどころだ。

チャイコフスキーとルビンシテインの麗しい友情の記念碑であるこの曲への、深い共感に溢れた演奏は聴き手の胸に切々と迫る。

第1楽章の速めのテンポと洗練された音彩による歌の美しさ、急迫する呼吸の自然さ、第2楽章のそれぞれの変奏が実に真摯な表情を織りなしてゆくことなど、ただただ驚嘆のほかはない。

ここには、長いキャリアをもつこのトリオの充実ぶりが如実に示されていて、幾分速めのテンポで弾きあげた第1楽章の迫力のある演奏にはまず圧倒される。

なかでも深い共感をもって再現した第2楽章は抜群で、変奏主題の荘重な歌わせ方は特に素晴らしい。

第8変奏の堂々たるフーガのまとめ方や第9、第11変奏の哀切極まりない情感の表出も流石に見事だ。

変奏終曲とコーダの全精力を傾けた豪壮なクライマックスと感動に満ちた表現も、聴く者を揺り動かさずにはおかない。

また第2楽章での一連のヴァリエーションではチャイコフスキーが在りし日のルビンシテインとの友情を偲ぶような回想的な曲想が特徴で、第10変奏にマズルカが加えられているのもルビンシテインの母の故郷だったからだろう。

スーク・トリオは彼らのロマンティックな感性をほど良く抑制し、絶妙な合わせを堪能させてくれる。

フッフロのチェロも要所要所をきちんと押さえていて、練達の手腕を感じさせる。

1976年に東京で行われた初期のPCMディジタル録音で、音質はUHQCD化されたこともあって明瞭で臨場感にも不足しないが、当時テクノロジーの発展途上にあった録音機器の影響もあって、現在のディジタル録音に比較すると情報量がやや劣って聞こえるのは否めない。

その少し前の1972年青山でのスメタナ四重奏団による世界初のディジタル録音を手始めに、日本コロムビア(現在のDENON)は当初旧チェコスロヴァキアのスプラフォンとのコラボを緊密にして彼らとのシリーズ物を販売し始めた。

その後もさまざまな試行錯誤を経てLPやCDの音質を向上させていく一里塚としての録音でもあり、その意味でもエンジニア達の情熱を伝えたディスクだ。

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2018年02月22日


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エストニアの巨匠ネーメ・ヤルヴィとノルウェーのベルゲン・フィルとのスペシャル・プロジェクト、チャイコフスキーの3大バレエ全集がこの『くるみ割り人形』にて完結した。

史上最高のレコーディング・アーティストと評されているのはかのヘルベルト・フォン・カラヤンであるが、そのカラヤンをも遥かに超える膨大なレコーディングを行っている指揮者が存在する。

既に80歳を迎えているが、今なおレコーディングへの意欲をいささかも失っていないその指揮者こそはネーメ・ヤルヴィである。

最近はパーヴォもクリスチャンも大活躍のヤルヴィ一家であるが、レパートリーの広さ、演奏の迫力、膨大な録音量等、父親ネーメの存在感はまだまだ圧倒的だ。

特にオーケストラが大編成となる作品における手腕の見事さはさすがで、これまでにも数々の素晴らしい演奏を聴かせ、師ムラヴィンスキー譲りの巧みなオーケストラ・コントロールがまず注目されるところでもあり、その「鳴りの良さ」が、多くのオーケストラ・ファンの信頼を得てきている。

しかしながら、ネーメ・ヤルヴィに対しては、一部の毒舌の音楽評論家から「なんでも屋」であり、膨大なレコーディングは粗製濫造などといった罵詈雑言が浴びせられているが、それはいささか言い過ぎであろう。

確かに、他の指揮者を圧倒するような名演は殆ど皆無ではあるが、いずれの録音も水準以上の演奏に仕上がっているのではないかと考えられるところだ。

ネーメ・ヤルヴィの最大の功績は、これまでのレビューに紹介してきた通り、特に北欧の知られざる作曲家の作品を数多く録音して、広く世に知らしめたということであり、このことだけでも、後世に名を残すだけの名指揮者と言っても過言ではあるまい。

そのような膨大なレコーディングを行っているネーメ・ヤルヴィであるが、意外にもチャイコフスキーの3大バレエ音楽の録音は本盤が『眠れる森の美女』『白鳥の湖』に続き3作目とのことである。

数年前にBISレーベルに水準の高いチャイコフスキーの交響曲全集を録音しているだけに意外な気もするが、それだけにネーメ・ヤルヴィとしても満を持して取り組んだ録音であると言うことができるだろう。

そして、本盤のバレエ音楽『くるみ割り人形』の録音は、そうした我々の期待をいささかも裏切ることがない素晴らしい名演に仕上がっている。

3大バレエ音楽の中でも、『眠れる森の美女』と比較すると、『くるみ割り人形』は『白鳥の湖』と並び全曲録音の点数が多い作品だが、本演奏は数ある名盤の中でも特筆すべき出来映えであると高く評価したい。

ネーメ・ヤルヴィのアプローチは、例によって聴かせどころのツボを心得たわかりやすさを信条とするもの。

交響曲ではなく、バレエ音楽だけに、このようなアプローチは理想的であり、チャイコフスキーならではの親しみやすい旋律に満たされた同曲の魅力を、我々聴き手は安定した気持ちで満喫することができるのが素晴らしい。

ネーメ・ヤルヴィの快活な音楽作りとベルゲン・フィルの洗練されたサウンドが、可愛らしい旋律やユニークな各国のダンス、幻想的な『くるみ割り人形』の物語を豊かに創造している。

各場面の描き分けも秀逸であり、これまで数多くのレコーディングを手掛けてきたネーメ・ヤルヴィならではの演出巧者ぶりが十二分に発揮されている。

いずれにしても、本演奏は、演奏内容、そして音質面の両面において、極めて水準の高い素晴らしい名盤であると高く評価したいと考える。

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2017年03月28日


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ロストロポーヴィチの主だったレコーディングはドイツ・グラモフォンとEMIに行われたが、前者は昨年既にバジェット・ボックス37枚組をリリースした。

一方ワーナーでは3枚のDVDを伴ったコレクション仕様40枚の豪華版を企画しているが、それに先立って彼の指揮したチャイコフスキーの7曲の交響曲を中心とするオーケストラル・ワークを纏めたリイシュー廉価盤がこのセットである。

ちなみにこの6枚は『ロココ風の主題による変奏曲』1曲を除いて40枚のソロ全集には組み込まれない予定だ。

オーケストラは序曲『1812年』がナショナル交響楽団、『ロココ風の主題による変奏曲』が小澤征爾指揮、ボストン交響楽団の演奏でロストロポーヴィチはチェロ・ソロにまわっている。

その他の総てが彼がしばしば客演したロンドン・フィルハーモニー管弦楽団だが、このうち『マンフレッド交響曲』ではデイヴィッド・ベルのオルガン、『憂鬱なセレナーデ』ではヴァイオリンのマキシム・ヴェンゲーロフがそれぞれ協演している。

ロストロポーヴィチも総合的な音楽活動を行った演奏家の1人で、チェリスト、ピアニストであっただけでなく円熟期に入ると更に指揮者としても多くの録音を遺している。

ロストロポーヴィチによるチャイコフスキーは、彼の故国ロシアへの郷愁溢れる熱い想いを窺い知ることができる名演だ。

彼の創造するサウンドは一見穏当のように見えるが、ここでは統率力にも秀でたテクニックを示していて、その華麗で瑞々しい繊細さと流麗なダイナミズムに加えて『マンフレッド交響曲』を始めとする交響曲第4番から第6番での総奏部分でのブラス・セクションのエネルギッシュな咆哮の迫力は先鋭的でさえある。

何よりも、ロンドン・フィルからロシア風の民族色の濃い、重厚な音色を引き出したロストロポーヴィチの抜群の統率力が見事である。

オーケストラの名前を隠して聴いたとした場合、ロシアのオーケストラではないかと思えるほどだ。

テンポもめまぐるしく変化するなど、緩急自在の思い入れたっぷりの演奏を行っているが、決してやりすぎの感じがしないのは、前述のようにロシアへの郷愁の強さ、そしてチャイコフスキーへの愛着等に起因するのだと思われる。

本セットに収められた楽曲の中で、特に名演と評価したいのは幻想曲『フランチェスカ・ダ・リミニ』だ。

この曲は、名作であるにもかかわらず意外にも録音が少ないが、ムラヴィンスキーの名演は別格として、殆どの演奏は意外にもあっさりと抑揚を付けずに演奏するきらいがある。

それに対してロストロポーヴィチの演奏は、民族臭溢れるあくの強いもので、ロシアの大地を思わせるような地鳴りのするような大音響から、チャイコフスキーならではのメランコリックな抒情に至るまでの様々な表情を緩急自在のテンポと、幅の広いダイナミックレンジで表現し尽くしている。

その表現の雄弁さは特筆すべきものであり、おそらくは、同曲の最高の名演の1つと言っても過言ではあるまい。

それに対して、交響曲第4番は意外にも端正な表現で、かの『シェエラザード』の濃厚な表現を念頭に置くと肩すかしを喰わされた感じだ。

もちろん、ロシア的な抒情にも不足はないが、『フランチェスカ・ダ・リミニ』の名演を聴くと、もう少し踏み込んだ演奏が出来たのではないかと思われるだけに、少々残念な気がした。

むしろ、交響曲第5番がロシアの民族色を全面に出した濃厚な名演で、冒頭は実に遅いテンポで開始される。

かのチェリビダッケを思わせるようようなテンポ設定だが、あのように確信犯的に解釈された表現ではなく、むしろ、自然体の指揮であり、そこには違和感は殆どない。

主部に入ってからの彫りの深い表現も素晴らしいの一言であり、重量感溢れるド迫力は、あたかもロシアの悠久の大地を思わせる。

第2楽章も濃厚さの限りであり、ホルンソロなど実に巧く、ロンドン・フィルも大健闘だ。

終楽章の冒頭も実に遅いテンポであるが、これは第1楽章冒頭の伏線と考えれば、決して大仰な表現とは言えまい。

主部に入ってからの彫りの深さも第1楽章と同様であり、この素晴らしい名演を圧倒的な熱狂のうちに締めくくるのである。

交響曲第6番『悲愴』は、終楽章後半の劇的なクライマックスの後の静かなゴングの糸を引くような余韻の残し方が感極まったように印象的で、それに続くブラスのコラールから弦の入りにかけてはえもいわれぬ寂寥感を感じさせて秀逸だ。

1976年から1999年にかけてセッション録音された音源になり、音質は極めて鮮明。

19ページのライナー・ノーツには演奏曲目及びフィリップ・ムジョーのチャイコフスキーのオーケストラル・ワークについての解説付で、録音データに関しては例によってそれぞれのジャケットの裏面のみに掲載されている。

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2017年02月03日


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チャイコフスキーの音楽の魅力を洗練された響きと色彩で楽しむなら、デュトワ盤は最も魅力的で、かつバランスのよい演奏と言うべきだろう。

チャイコフスキーのいわゆる“3大バレエ”の中でも、とりわけデリケートなファンタジーを感じさせる《くるみ割り人形》をデュトワ指揮によるモントリオール交響楽団は実によく洗練された感性で、スマートに再現していく。

明るい色彩は豊かだし、各表現は的確に描き分けられ、間然としたところがなく、必要以上に重々しくならずに快い流動感を保ち続けているのは、デュトワの力量に負うところが大と言えよう。

ことさらバレエ的な雰囲気をかき立てるような演奏ではないが、洗練された響きと表現で細部まで生き生きと、すっきりした仕上げで、各ナンバーの特色や美しさを過不足なく味わわせてくれる。

かつてはラヴェルのスペシャリストとして注目を集めたデュトワは、確かに無機的な要素を含んだ近代の作品などに独特の卓越した手腕を発揮する指揮者であるが、ザッハリヒな一面をも含んだ彼のそうした持ち味は、対極にあるロマンティックな作品にも、彼ならではの価値ある成果を見せてくれるケースも少なくない。

そしてこのバレエ音楽《くるみ割り人形》は、その代表的な一例と考えてよい演奏であり、全体に爽やかで、テキパキと、チャイコフスキーの色彩的なオーケストレーションを再現した演奏である。

デュトワは、このバレエ音楽のロマンやファンタジーに溺れることなく、厳しくコントロールされた視点をもって作品に臨み、楽譜に秘められた作品の絶対音楽としての純粋な美しさに目を向け、誇張や個人的な思い入れを排して、それをくっきりと描出した演奏を展開している。

この種のロマンティックな作品は、演奏者によって演出が過剰になり、それが演奏を下品なものにしてしまう場合も多い。

しかし、個人的な感情の表出を抑え、禁欲的といえる姿勢で作品を再現しているデュトワは、それによってこの名作の無垢な美しさを引き出しているといってよいだろう。

舞踏音楽としての呪縛から開放して、純音楽的な妙味のみを追求していったような演奏で、比較的小さな編成で、きめ細やかな楽想を丹念に整い上げ、色彩的なオーケストレーションを瀟洒なサウンドで響かせる。

この演奏は、見方によっては常識的で差し障りのない内容であり、いわゆる個性や特徴は希薄である。

しかし、デュトワの醒めた情熱は、ひと昔前の名盤を生んだアンセルメがそうであったように、そのスマートで洗練された表現は、清潔で好感の持たれるものであり、結果的に歪みのない作品の美しさを浮き彫りにすることになったのであった。

特に「こんぺい糖の踊り」と「アラビアの踊り」は傑出していて、いわば純度の高いメルヘンの世界をみせつけられたような印象があり、私たちは、ここでデュトワの美学の意味を認識するべきである。

《オーロラ姫の結婚》は、《眠りの森の美女》の第3幕をベースに縮小改訂したディアギレフ版(全26曲)による演奏で大変貴重で価値が高い。

これは1922年にディアギレフのバレエ・リュスがパリ・オペラ座で上演した演目で、《眠りの森の美女》最大の見せ場である第3幕を中心に1幕ものに仕立て上げたもので、26曲から構成され、婚礼の宴で披露されるディヴェルティスマン風な内容としてまとめられている。

デュトワはこの音楽の持つ華麗な曲想、そして色彩的なオーケストレーションをフランス音楽でも手がけるかのごとく軽妙洒脱なタッチで描き上げ、くだんのチャイコフスキーとは感触が異なった、現実から遊離したメルヘンの世界に徹底してこだわるかのような極めて上品質な美演である。

モントリオール交響楽団の柔らかい響きも素敵で、演奏を細部まで鮮明に、しかもスケール感豊かに捉えた録音の優秀なことも大きな魅力だ。

まさに、指揮者、オーケストラ、録音と3拍子条件のそろった名盤と言えるだろう。

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2017年01月30日


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バレエ音楽に非凡な才能をみせてきた巨匠ドラティの優れた演奏で、彼のこの作品に対する自信のほどがはっきりと示された名演である。

この巨匠の3度目の全曲盤(1975年)であり、天下の銘器コンセルトヘボウ管弦楽団を指揮したこの録音は、ドラティの数多いアルバムの中でも屈指の名盤で、彼は過去の実績から言っても不思議とこのオーケストラとウマが合う。

ドラティは、ブダペストのフランツ・リスト音楽院でバルトークやコダーイに作曲を学び、1933年にモンテ・カルロを本拠とするロシア・バレエ団(バレエ・ルッス)の指揮者となり、1941年からアメリカのバレエ史上の大きな足跡を残したバレエ・シアターの創設に音楽監督として参加した。

そうしたドラティにとってチャイコフスキーのバレエ音楽は自家薬籠中の作品と言って良く、コンセルトヘボウ管弦楽団を意のままに動かしながら、丁寧に仕上げている。

まさに自他ともに認めるバレエのスペシャリストであったドラティがその円熟期に残したこの演奏は、細部まで的確に構成された明快でシンフォニックな表現とバレエとしてのドラマをバランス良く合わせそなえている。

ドラティはこのバレエ音楽のメルヘンチックな性格をあますところなく生かしながら、構成的な美しさを尊んだ演奏で、いかにもヴェテランらしい、貫禄十分の名演を展開している。

全曲を通じて、各場面の変化に富んだ描き方も秀逸で、まさに"バレエの神様"ドラティの面目躍如たる会心の演奏。

永年に渡ってあらゆるバレエ音楽を手がけてきたドラティだけあって、その棒が冴え渡り、細部に至るまで神経が行き届いた実に鮮やかな演奏で、リズム処理のうまさはこの指揮者独特のもの。

ヴェテランならではの巧みな表現をきびきびとしたリズムで運んでおり、コンセルトヘボウ管弦楽団がそうした演奏に美しい色彩を添えているのも魅力である。

ドラティは同曲のスコアを極めて綿密に読みつくしていることを思わせ、そのオーケストレーションがもたらす音色的な推移やリズムの変化などを鮮明に描き出しながら、このバレエ音楽の踊りと情景とを見事な構成感のもとに表出している。

彼は、確信にみちた運びの中に力感あふれる表現をしなやかに行き渡らせ、70歳を越えた指揮者のものとは思えないほどの力感と情熱にあふれ、風格あふれる運びと精緻な表現で、音楽の細部を実に的確にバランスよく描きながらも急所はピタリと押さえ、全編が精密に構成されている。

この柔軟で確かなバランスゆえに、聴き手は音楽の大きな流れと新鮮な生命感をたたえた演奏の中にも、細部の魅力を無理なく味わえる。

細部まで実に的確な切れ味の良い表現が生き生きとしなやかに織りなされており、その精緻な美しさと全曲を見通した構成の良さは、数あるこのバレエ音楽の演奏の中でも群を抜いている。

しかも、作品を知りつくした巨匠は、各曲をいかにもバランスよく鮮明に描き分けて、見事なドラマをつくってゆく。

ドラティの指揮は設計が綿密で、しかも演出と表情づけが実にうまく、夢幻的な舞台の雰囲気が手にとるようによくわかるが、こうした表現は実際の舞台の経験が豊富なこの人ならではのもので、コンセルトヘボウ管弦楽団の鋭敏でしなやかに強い集中力をもった反応も素晴らしい。

豊麗なオーケストラの音色も、このグランド・バレエにふさわしく、メロディー・メーカー、チャイコフスキーの旋律美を存分に堪能することができる。

バレエ音楽のスペシャリスト、ドラティという指揮者の並々ならぬ底力のほどを、改めて思い知らされるような演奏であり、彼の透徹した解釈が年輪を加えることによって、いっそう見事な香気を放った名演と言うべきだろう。

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2016年12月31日


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1996年4月、本CDが初出されたときには少なからぬ衝撃を受けた。

こんな凄い名演が指揮者の許可を得られないまま、37年間もオクラになっていたというのだから…。

フェレンツ・フリッチャイは、第2次世界大戦後の混迷したヨーロッパ楽界に彗星のように登場し、モノラル録音の時代からステレオの初期に活動し、数多くのレパートリーを次々と録音してきた。

フリッチャイは1953年にベルリン・フィルと第1回目の『悲愴』をセッション録音していて、そちらでは彼のストレートな解釈と覇気が否応なく伝わってくるが、臨場感にやや乏しいモノラル録音なのが惜しまれる。

一方この演奏はその6年後に手兵ベルリン放送交響楽団(旧RIAS)を振った、極めて良好なステレオ録音で、スコアのテクスチュアを明確に描く手法とアンサンブルの手堅さ、見せ掛けの迫力や感傷性を嫌った真摯な音楽作りは変わっていないが、オーケストラのダイナミズムの多様さや柔軟なテンポの変化によって更に深みが増している。

このセッションは彼が白血病による闘病生活の後、一時的な小康状態を得て演奏活動を再開した頃のもので、病を境にその芸術が一変し、中でもこの『悲愴』は2度目の手術後の再起第1作として、またドイツ・グラモフォン初の『悲愴』ステレオ録音(ムラヴィンスキー盤より前)として意義深いものだ。

2年後には再び活動の中断を余儀なくされ1963年に49歳の若さで早世したが、晩年まで彼の演奏には病的な脆弱さは微塵もなく、バイタリティー溢れる指揮ぶりはこの『悲愴』でも決して衰えをみせていない。

最近はこんな演奏は皆無であるが、とにかく『悲愴』という音楽が最も雄弁に、劇的に、抒情的に、内容的に、かつ音楽的、芸術的に語りかけてくるのだ。

全体的に清澄な雰囲気があり、第1楽章の主部がフォルテで出るところから、フリッチャイの指揮は共感に溢れ、展開部のクライマックスでも濁りのないくっきりとしたオーケストラの総奏が印象的だ。

第2楽章の変拍子のワルツでは鮮やかな回想をイメージさせるし、最初のチェロから他の演奏とは別次元にある。

第3楽章の狂想を叫ぶようなマーチにもすべての音に意味があり、コーダの加速はフルトヴェングラーを彷彿とさせる。

一変する終楽章の雄弁な沈潜、銅鑼の音が響き、弦は全員夢中になっての体当たりで、ブラスのコラールからコーダまでは臓腑を抉るような寂寥感を残している。

この曲だけを聴いていてもフリッチャイが枯渇することのない溢れんばかりのアイデアを着々と実現していたことが理解できるし、その余りにも早過ぎた死が悔やまれてならない。

フリッチャイが1音1音を慈しみ、万感を胸に抱き演奏されたこの『悲愴』は彼の時代を明確に刻む記念碑と言えるところであり、当時のベルリン放送交響楽団の巧さも特筆される。

フリッチャイは改名以前のRIAS交響楽団の初代首席指揮者であり、彼によって鍛えられた精緻なアンサンブルや揺るぎない機動力はこの頃ほぼ全盛期に達していたと言えるだろう。

尚1993年に彼らは2度目の改称でベルリン・ドイツ交響楽団として現在まで演奏活動を続けている。

ベルリンには10団体を下らないオーケストラがひしめいていて、ヨーロッパではロンドンに優るとも劣らないオーケストラ王国だが、この1959年の『悲愴』はベルリン放送交響楽団の最も輝かしかった時代の記録としての高い価値を持っている。

当ディスクはSHM−CDで、その他にSACD及びマニアックなファンのためのLP盤の3種類のバージョンがリリースされているが、勿論フリッチャイ・グラモフォン・コンプリート・レコーディング集の第1巻にもレギュラー・フォーマットで収録されている。

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2016年09月26日


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本盤に収められたチャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番とラフマニノフのピアノ協奏曲第2番は、アシュケナージがチャイコフスキー国際コンクールで優勝した翌年(1963年)のデビューしたばかりの頃のものである。

若干26歳の時の演奏であるが、両曲ともすぐれたテクニックを土台にしたリリシズムによって、遅めのテンポで弾いており、大変ニュアンスが豊かで、万人向きの後味の良い演奏を聴くことができる。

アシュケナージについては、音楽評論家の間でも賛否両論があるのは周知の事実である。

特に、とある影響力の大きい有名な某音楽評論家が、アシュケナージの演奏を甘口で厳しさが微塵も感じられないなどと酷評しており、それを真に受けた相当数の聴き手がアシュケナージに対してある種の偏見を抱いていることは十分に想定されるところだ。

某音楽評論家の見解の真偽はさておき、チャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番におけるアシュケナージは、そのような見解を一喝してしまうような凄みのあるピアニズムを披露している。

楽曲の核心に向かって畳み掛けていくような凄みのある気迫や生命力は、圧倒的な迫力を誇っている。

卓越した技量は当然のことであるが、技量一辺倒の薄味な演奏に陥ることはいささかもなく、どこをとっても、切れば血が吹き出てくるような灼熱の如き情感に満ち溢れている。

こうした阿修羅の如きアシュケナージのピアノを下支えしているのが、若き日のマゼールとロンドン交響楽団による豪演だ。

1960年代のマゼールは、楽曲の核心に鋭く切り込んでいくような前衛的な指揮を行っていたところであり、本演奏でも、そうしたマゼールの凄みのある指揮を堪能することが十分に可能だ。

しかもマゼールの指揮は明快な若々しさに、柔らかく優雅な雰囲気をも加えている。

いずれにしても、本演奏は、若きピアニストと若き指揮者の才能が奇跡的な化学反応を起こした一世一代の超名演と高く評価したい。

アシュケナージは、特にラフマニノフの演奏については、指揮者としてもピアニストとしても、他の追随を許さないような素晴らしい名演の数々を成し遂げてきていると言えるところだ。

同じくロシア人であるということに加えて、旧ソヴィエト連邦からの亡命を図ったという同じような境遇が、アシュケナージのラフマニノフに対する深い共感に繋がっていると言えるのかもしれない。

アシュケナージは、ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番をピアニストとして3度にわたってスタジオ録音しており、いずれ劣らぬ名演であるが、この中で、フレッシュかつ繊細で、畳み掛けるような気迫と強靭な生命力を有した演奏は、本盤の最初の録音であると考えられるところだ。

前述のように、チャイコフスキー国際コンクールで優勝し、飛ぶ鳥落とす勢いであったアシュケナージの好調ぶりを窺い知ることが可能な演奏とも言えるところであり、そのなりふり構わぬ音楽の進め方には、現在の円熟のアシュケナージには考えられないような、凄まじいまでの迫力を感じさせる。

バックは、ロシア音楽の名演で名高いコンドラシン指揮モスクワ・フィルであるが、切れ味の良さが聴きもので、若きアシュケナージのピアノ演奏をしっかりと下支えするとともに、同曲の有するロシア風のメランコリックな抒情を情感豊かに表現しているのが素晴らしい。

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2016年03月09日


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チャイコフスキーの3大バレエ音楽には様々な名盤が存在するが、現代のスタンダード的な名演と評せるのはゲルギエフ&マリインスキー劇場管弦楽団盤であろう。

ゲルギエフは、とかくクールな最近の指揮者の中で飛びぬけてスケールの大きな音楽性とヴァイタリティの持ち主であるが、その強みは彼が根っからの劇場育ちというところにあるといってよいだろう。

35歳という若さで名門サンクトペテルベルク・マリインスキー劇場の芸術監督という重責を担い、ソ連崩壊による混乱期を見事に乗り切った手腕は、並々のものではないし、その活動が祖国にしっかり根を下ろしているのも、心強い限りである。

抜群の音楽性や指揮テクニックだけでなく、自分の音楽にこうしたバックボーンを持っていることがゲルギエフへの信頼をいっそう大きなものにしているといってよいだろう。

「スーパー・ダイナミック・コンダクター」といわれるようにきわめてエネルギッシュな指揮は、同時にロマンティックで抒情的な表現にも秀でている。

しかもその才能の大きさに加えて、統率力とカリスマ性も現代の指揮者の中で群を抜いており、今世紀の音楽界を担う巨匠として活躍の幅を広げているのである。

ところで自由化のあと退潮の傾向を見せるところが多かった旧東側あるいは旧ソヴィエトの中で、サンクトペテルブルクのマリインスキー劇場はゲルギエフを音楽監督に迎えたことによって、予期せぬほどの好調ぶりを示した。

オーケストラもアンサンブルを整え、機能的な表現力を増して、かなり上質なものとなったが、このチャイコフスキーの3大バレエにも、それが明らかにされている。

どちらかといえばバレエのテクニックや舞台をそれほど意識したものではなく、演出やプリパレーションを含む振付けとの関連などはほとんど考えさせないほど、オーケストラルなレパートリーとなりきっていて、それだけに、ディスクとしてはいっそう楽しめる。

緊密なアンサンブルを率いて、パワフルかつハイ・テンションで突き進むゲルギエフの熱さにひるんでしまうが、表現にもオケの響きにも、生半可な洗練を持ち込まず、むしろ開き直ってゴリゴリとやってのけたところに、ゲルギエフの野性本能を感じる。

それだけにロマンティックな夢に浸らせる以上に、ドラマとしてのバレエ音楽に誘うシンフォニックなチャイコフスキーといえよう。

平坦に、浅く流れず、演奏全体が旋律もリズムも響きも垂直に積み重ねられていくような密度を誇り、曲が進めば進むほど感動の深度も深められていく。

ゲルギエフのもとで鍛え抜かれたマリインスキー劇場管弦楽団がすばらしく、気高く輝かしいロシアン・サウンドを満喫させる。

特に、《眠れる森の美女》は、《白鳥の湖》や《くるみ割り人形》に比べると、際立って特色のある音楽があまりないので、下手をすると平坦になってしまうし、それに結構長いので、まとめ方がちょっと難しいように思うのだが、そういうなかでゲルギエフは長さを感じさせず巧くまとめていると思う。

それに加えてゲルギエフは、ロシア人としての自信に溢れた表現で聴かせてしまうところが面白いのではないだろうか。

《くるみ割り人形》は、全曲がCD1枚に収まってしまうくらいかなりテンポが速いが、その一気呵成にタッタッとやったところが、逆に面白い。

その一方で、ゲルギエフの演奏は常に1曲ずつが、それぞれ手作りの料理みたいな印象を与える。

オーケストレーションにおいて既に巨匠の域に達していたチャイコフスキーが秘術を尽くしたこの大作バレエのスコアでも同様、あたかも一部屋ずつ、魔法の扉を初めて開けてゆくような鮮度の高さで料理してみせるのだ。

その演奏を特徴づけているのが弦の奏法で、序曲から終景の〈グラン・パ・ド・ドゥ〉まで、一味違った表現が新鮮な驚きをもたらす。

《白鳥の湖》で使用しているマリインスキー版はなかなかのクセモノで、チャイコフスキーのオリジナル・スコアに、削除や短縮、編曲、さらには他曲の挿入まで施される。

通常耳にする全曲盤はオリジナル譜を元にしているから、かなりの変更に戸惑うかもしれないが、本盤の演奏の方がより実際のバレエ上演に近いのである。

というのも《白鳥の湖》がプティパとイワーノフの演出によって蘇演された1895年以来、このバレエは猝昇遶瓩箸靴読堝阿涼楼未鮴蠅瓩襪海箸砲覆襪里世、本盤はその歴史的な蘇演をそのまま復元した画期的な演奏なのだ。

まさに、本場ならではの狎犬た演奏瓩粘咾れており、百年以上前に蘇演を手がけた由緒ある同オケに演奏を託したこともまた、この盤の真価を高めている。

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1982年にデジタル録音され、翌年7月に発売されたチャイコフスキー/3大バレエ音楽の全曲盤セット。

ランチベリーは、現在では知る人ぞ知るという存在に甘んじているが、バレエ音楽を専門にしている人だけあって、本BOXに収められたチャイコフスキーの3大バレエは、テンポ設定とリズム処理が巧みで、しかも各場面の情景描写が実にうまく、そうしたランチベリーの資質に見事に合致する楽曲であり、素晴らしい名演に仕上がったと言っても過言ではあるまい。

ランチベリーが自家薬籠中のものとしているチャイコフスキーのバレエ音楽だけに、巧みな棒さばきで各場面を的確に描き分けながら、作品の幻想的な持ち味をあますところなく表出している。

演奏スタイルは典型的な英国のロイヤル・バレエの流れを汲むもので、構成重視で洗練されたものであり、プレヴィンやボニングなどの演奏に近い。

前項で紹介したスヴェトラーノフのようなロシア的な民族色を全面に出したあくの強い表現など薬にもしたくなく、どこをとっても軽快で洗練された音彩に満たされているのが特色だ。

ランチベリーの本演奏におけるアプローチは明快そのものであり、楽曲を難しく解釈して峻厳なアプローチを行うなどということとは全く無縁であり、楽曲をいかにわかりやすく、そして親しみやすく聴き手に伝えることができるのかに腐心しているように思われる。

この『くるみ割り人形』『眠りの森の美女』『白鳥の湖』の全曲ヴァージョンでも、洗練された豊かな色彩と華麗なダイナミズム、そしてなめらかなフレージングを駆使してしっとり美しいチャイコフスキーならではの魅力を見事に表現している。

ランチベリーは前述のように、バレエ音楽のスペシャリストと言われているだけに、これらの曲を実に甘美でロマンティックな雰囲気で、表現し尽している。

全体にややテンポを速めにとりながらも、チャイコフスキー独特の抒情的な旋律をたっぷりと歌わせながら、どの曲も表情豊かにまとめている。

聴かせどころのツボを心得た演出巧者ぶりは心憎いばかりであり、ランチベリーの豊かな音楽性が本演奏では大いにプラスに働いている。

情緒的なものに過度にのめり込むことなく、かといって、非情につぱねるようなこともなく、知情意のバランスが無理なくとれていて、どの角度からみても、ランチベリーならではの、安定した性格の演奏と言えよう。

決してとりわけ優美であるとか、ファンタジー的であるという性格ではないが、個々のことが整然と把握されており、全体のバランスがよく、洗練されたスマートなプロポーションで、ランチベリーの力量のほどを物語るような安定した出来ばえを誇る内容だ。

ランチベリーとしても一番指揮者として脂がのっていた時期と言えるところであり、快速なテンポながらオーケストラをしっかり統率する様は充実感にあふれている。

ランチベリーのアプローチは、聴かせどころのツボを心得たわかりやすさを信条とするもので、何よりも各バレエの性格を的確につかんで、キャラクタライズする彼の手腕には感嘆させられる。

交響曲ではなく、バレエ音楽だけに、このようなアプローチは理想的であり、チャイコフスキーならではの親しみやすい旋律に満たされた同曲の魅力を、我々聴き手は安定した気持ちで満喫することができるのが素晴らしい。

いわゆるシンフォニックなコンサート・スタイルというより、バレエの舞台を彷彿とさせる劇場的な表現であるが、巧みに弦と管を融合させたオーソドックスな音楽づくりが、これらの曲の真髄を誤りなく、聴き手にメッセージされるのである。

その語り口の巧さといい、音楽的な洗練度といい、未だに魅力を失っておらず、文句のつけようがない見事な名演と言えるだろう。

全体として非常に完成度の高い出来ばえで、ほどよい距離を保ちながら、全体を的確に把握しており、危うさがない。

この3大バレエ全曲盤を聴くと、チャイコフスキーのバレエ音楽の楽しさを十分味わうことができる。

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2016年03月07日


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チャイコフスキーのバレエ音楽には、アンセルメやデュトワによる洗練された色彩美を誇る名演や、プレヴィン、ボニングによる英国ロイヤル・バレエの流れを汲む名演、そしてロジェストヴェンスキー、フェドセーエフ、ゲルギエフなどによるロシア風の民族色溢れる名演などがあまた存在しているが、このスヴェトラーノフによる演奏は、前述のロシア風のあくの強い民族的な流れを最も感じさせる超個性的な名演と言うことができよう。

ラフマニノフの交響曲全集とともにスヴェトラーノフが遺した最高傑作の呼び声もある同アルバムは、今でもチャイコフスキーのバレエ音楽の最上演奏のひとつとして高く評価されている。

また再評価され高い人気を誇るスヴェトラーノフ・ファン必聴のアルバムであり、ロシア国立交響楽団のまさにロシアの広大な大地を彷彿させる咆哮サウンドは現在世界のどのオーケストラも出すことのできない強靭なサウンドである。

チャイコフスキーの3大バレエ音楽は、言うまでもなく以前からきわめて人気のある作品である。

そして、“バレエ音楽の神様”と評されたアンセルメやドラティの名演を始めとして、前述の様々な指揮者によって《白鳥の湖》《眠れる森の美女》《くるみ割り人形》の名盤がいくつも誕生するに至っている。

これらはいずれも素晴らしい名演であり、客観的な視点で評価すると、プレヴィン&ロンドン交響楽団が最も万人向けな誰にでも安心して薦めることのできる名演との評価に値すると思われるが、好き嫌いで言うと、筆者が最も好きなチャイコフスキーの3大バレエの演奏は、本BOXに収められたスヴェトラーノフによるいかにもロシア的なあくの強い演奏である。

本BOXに収められた諸曲の演奏は、おそらくはそれぞれの諸曲の演奏史上でも最もロシア的な民族色の濃い個性的な演奏と言えるのではないだろうか。

トゥッティにおける咆哮する金管楽器群の強靭な響き、あたりの空気が震撼するかのような低弦の重々しい響き、雷鳴のように轟くティンパニ、木管楽器やホルンの情感のこもった美しい響きなどが一体となり、これ以上は求め得ないようなロシア風の民族色に満ち溢れた濃厚な音楽の構築に成功している。

その迫力は圧倒的な重量感を誇っており、あたかも悠久のロシアの広大な大地を思わせるような桁外れのスケールの雄大さを誇っている。

何よりも真実味に富んだ音楽的な感興があり、しかも全体の設計に無理がなく、平衡感の強い造形で、各パートも細部までよく練られ、明晰な音楽が生まれている。

この決然とした表現はロシアの血の表明であり、聴き手を説得せずにはおかない本場物のよさがある。

バレエのダンサーからすると、このあくの強い演奏は踊るのに不向きとの声も聞かれそうだが、長編の交響詩風の演奏は他のどの指揮者よりも説得力があり、聴いた後の充足感には比類のないものがある。

まるで重量物が大きく弾む様を思い浮かばせるが、スヴェトラーノフとロシア国立交響楽団によるこうしたロシア的特質は、豪壮雄大なロシアのオーケストラの音楽の特徴を今に伝える貴重な存在と言えよう。

金管にロシア風の強烈さがあるのは当然だが、ここまで洗練された感覚美を感じさせるのはロシアのオケではあまり例がない。

いずれにしても、ロジェストヴェンスキー、フェドセーエフ、ゲルギエフなどのロシア系の民族色の強い演奏の系譜の中では、このスヴェトラーノフの演奏はその最右翼に位置する破格の名演として高く評価したいと考える。

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2016年02月28日


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キタエンコ&ケルン・ギュルツェニヒ管弦楽団によるチャイコフスキーの交響曲チクルスの完結編の登場だ。

チャイコフスキーの第7番は、作曲者の死後に補筆完成された作品である。

第6番に先立って作曲していたが、作曲者が気に入らなくなって破棄した楽譜を編集したいわくつきのものである。

ピアノ協奏曲第3番にもその片鱗が見られるが、交響曲の形で聴いてみると、さすがに第6番の高みには到底及ばないものの、チャイコフスキーならではの美しい旋律に満ち溢れた作品であるということはわかる。

本演奏を聴いて思うのは、ロシア系の指揮者にとってのチャイコフスキーの交響曲は、独墺系指揮者にとってのベートーヴェンの交響曲のような、仰ぎ見るような高峰に聳える存在なのではないかということだ。

というのも、キタエンコと同様に、チャイコフスキーの交響曲全集の録音を完成したプレトニョフもそうであるが、他の作曲者による楽曲、例えば、プレトニョフであればベートーヴェンの交響曲全集やピアノ協奏曲全集による演奏におけるようないささか奇を衒った個性的な解釈を施すということはなく、少なくとも演奏全体の様相としては、オーソドックスなアプローチに徹していると言えるからである。

キタエンコと言えば、カラヤンコンクールでの入賞後、旧ソヴィエト連邦時代のモスクワ・フィルとの数々の演奏によって世に知られる存在となったが、モスクワ・フィルとの演奏は、いわゆるロシア色濃厚なアクの強い演奏が太宗を占めていたと言える。

これは、この当時、旧ソヴィエト連邦において活躍していたムラヴィンスキー以外の指揮者による演奏にも共通していた特徴とも言えるが、これには、オーケストラ、とりわけそのブラスセクションのヴィブラートを駆使した独特のロシア式の奏法が大きく起因していると思われる。

加えて、指揮者にも、そうした演奏に歯止めを効かせることなく、重厚にしてパワフルな、まさにロシアの広大な悠久の大地を思わせるような演奏を心がけるとの風潮があった。

ところが、そうした指揮者の多くが、スヴェトラーノフのような一部例外はあるが、旧ソヴィエト連邦の崩壊後、ヨーロッパの他国のオーケストラを自由に指揮するようになってからというもの、それまでとは打って変わって洗練された演奏を行うようになった。

キタエンコについても、それが言えるところであり、本演奏においても、演奏全体の外観としては、オーソドックスなアプローチ、洗練された様相が支配していると言えるだろう。

もっとも、ロシア風の民族色を欠いているかというとそのようなことはなく、ここぞという時の迫力は、ロシアの広大な悠久の大地を思わせるような力強さに満ち溢れている。

そして、ケルン・ギュルツェニヒ管弦楽団のドイツ風の重厚な音色が、演奏全体にある種の落ち着きと深みを付加させているのを忘れてはならない。

いずれにしても、本盤の演奏は、キタエンコによる母国の大作曲家であるチャイコフスキーへの崇敬、そしてキタエンコ自身の円熟を十分に感じさせる素晴らしい名演と高く評価したいと考える。

併録のジルベルシテインをソリストに迎えたピアノ協奏曲第3番も、交響曲第7番と同様の性格による素晴らしい名演だ。

そして、本盤の素晴らしさは、マルチチャンネル付きのSACDによる極上の高音質録音である。

SACDの潜在能力を十二分に発揮するマルチチャンネルは、臨場感において比類のないものであり、音質の鮮明さなども相俟って、珠玉の仕上がりである。

いずれにしても、キタエンコ&ケルン・ギュルツェニヒ管弦楽団による素晴らしい名演を、マルチチャンネル付きのSACDによる極上の高音質で味わうことができるのを大いに喜びたい。

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2016年02月21日


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一世を風靡したチャイコフスキーの“3大バレエ”の不滅の名盤で、アンセルメによるそれぞれ唯一の全曲盤。

アンセルメは80歳に近い晩年にチャイコフスキーの3大バレエを一挙に録音したが、クラシック・バレエのいわばバイブル的な作品演奏の“奥義”を後世に残す目的も少なからずあったように思える。

爛丱譽┣山擇凌斥有瓩半里気譴織▲鵐札襯瓩蓮⊆磴日にディアギレフのロシア・バレエ・リュスの専属の指揮者を務めたという経歴の持ち主で、モントゥーと共に数々の新作バレエに取り組み、歴史的な舞台に立ち会ったことは周知のとおり。

アンセルメのバレエ音楽に対する知識と実践的な技術はこの時育まれ、鍛え上げられたのである。

同時代の音楽を得意にしたアンセルメは、チャイコフスキーのバレエ音楽でも、的確なテンポを設定して、リズムを必要に応じてきちんとキープする一方で、恣意的なためを用いないアプローチを繰り広げており、作曲者特有の甘いメロディを趣味よく奏で上げている。

その軽やかで明るいアプローチは、やや好き嫌いが分かれるかもしれないが、過度にもたれることなく、よく耳になじむ演奏が展開されている。

アンセルメの演奏にはすっかり安心して身を委ねられる、何か、とても大きなものがあって、おじいさんが炉端で子供たちに語って聞かせてくれているような、そんな温かい響きがある。

《白鳥の湖》の演奏は、クールで淡泊ではあるが、推敲され尽くした精妙で入念な表現を楽しませてくれる。

メリハリには乏しい反面、淡くデリケートな色彩感がすばらしく、さらにその誇張を排したケレン味のない表情の美しさは、アンセルメならではのものだ。

《眠りの森の美女》の演奏も、表面的には少し淡泊であり、興奮や感動には欠けるが、聴くほどに味のでる熟演と言ってよいだろう。

コントロールされた表情の美しさや巧妙なリズム処理などは、この演奏の得難い聴きどころとして注目される。

几帳面かつ克明に作品を描きあげた《くるみ割り人形》も、表現傾向としては少し淡泊であるが、このバレエの童画的なおとぎの世界をきわめて巧みな演出でリアリゼしている。

作品の意味と特徴を入念に吟味した演奏であり、練達の棒さばきが特筆される名演で、いろいろなキャラクターの入り混じったこの曲全体を、見事な感情のコントロールのもとに、実に上品に、典雅にまとめてしまう。

それでも一般の聴き手にとって、アンセルメの残した録音はそれほどの価値を見いだせないかもしれないが、ダンサーにとってその評価は絶大なものとなる。

メリハリの利いたリズムや踊りに最適なテンポ、そして独特の間のとり方など、実舞台のバレエの寸法に対応した演奏であることは現代でも変わらない。

一言でいえば、アンセルメの演奏は爐修里泙淪戮譴覘瓩里任△襦

テンポの設定からリズムのとり方、そして間のとり方まで、見事に踊りに適合する。

この盤は、そういう意味ではバレエ音楽のまさに“普遍的”と言い得る演奏で、バイブル的存在といえるのである。

なお全曲盤とはいえ、録音当時に行なわれていた慣習的なカットが施されているのは、仕方のないところだろう。

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2015年09月01日


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1875年に作曲されたチャイコフスキーの第3番の交響曲は「ポーランド」という副題が付されているが、これは第5楽章の主題にポーランド舞曲である「ポラッカ」のリズムが用いられているから。

それなら第2楽章が「アッラ・テデスカ(ドイツ風)」と題されているので「ドイツ」でもいいのでは?という疑問はさておき、全体に漲る明るさと活気が愛されている作品である。

第1楽章はなぜか「葬送行進曲」風に始まるが、第1主題はニ長調の美しい音楽で、第2楽章は3拍子なのだがワルツではなくレントラー(ここがドイツ風)である。

第3楽章は落ちつきのある牧歌風の音楽で、第4楽章はチャイコフスキーらしい風が戯れるような軽やかなメロディ、そして力強く堂々とした終楽章を迎える。

キタエンコはいつものように壮大で勇壮な部分を強調しながらも、繊細さを打ち出すメリハリのある演奏で楽しませてくれる。

本演奏を聴いて思うのは、ロシア系の指揮者にとってのチャイコフスキーの交響曲は、独墺系指揮者にとってのベートーヴェンの交響曲のような、仰ぎ見るような高峰に聳える存在なのではないかということだ。

というのも、キタエンコと同様に、チャイコフスキーの交響曲全集の録音を完成したプレトニョフもそうであるが、他の作曲者による楽曲、例えば、プレトニョフであればベートーヴェンの交響曲全集やピアノ協奏曲全集による演奏におけるようないささか奇を衒った個性的な解釈を施すということはなく、少なくとも演奏全体の様相としては、オーソドックスなアプローチに徹していると言えるからである。

キタエンコと言えば、カラヤンコンクールでの入賞後、旧ソヴィエト連邦時代のモスクワ・フィルとの数々の演奏によって世に知られる存在となったが、モスクワ・フィルとの演奏は、いわゆるロシア色濃厚なアクの強い演奏が太宗を占めていたと言える。

これは、この当時、旧ソヴィエト連邦において活躍していたムラヴィンスキー以外の指揮者による演奏にも共通していた特徴とも言えるが、これには、オーケストラ、とりわけそのブラスセクションのヴィブラートを駆使した独特のロシア式の奏法が大きく起因していると思われる。

加えて、指揮者にも、そうした演奏に歯止めを効かせることなく、重厚にしてパワフルな、まさにロシアの広大な悠久の大地を思わせるような演奏を心がけるとの風潮があった。

ところが、そうした指揮者の多くが、スヴェトラーノフのような一部例外はあるが、旧ソヴィエト連邦の崩壊後、ヨーロッパの他国のオーケストラを自由に指揮するようになってからというもの、それまでとは打って変わって洗練された演奏を行うようになった。

キタエンコについても、それが言えるところであり、本演奏においても、演奏全体の外観としては、オーソドックスなアプローチ、洗練された様相が支配していると言えるだろう。

もっとも、ロシア風の民族色を欠いているかというとそのようなことはなく、ここぞという時の迫力は、ロシアの広大な悠久の大地を思わせるような力強さに満ち溢れている。

そして、ケルン・ギュルツェニヒ管弦楽団のドイツ風の重厚な音色が、演奏全体にある種の落ち着きと深さを付加させているのを忘れてはならない。

いずれにしても、本盤の演奏は、キタエンコによる母国の大作曲家であるチャイコフスキーへの崇敬、そしてキタエンコ自身の円熟を十分に感じさせる素晴らしい名演と高く評価したいと考える。

そして、本盤の素晴らしさは、マルチチャンネル付きのSACDによる極上の高音質録音である。

SACDの潜在能力を十二分に発揮するマルチチャンネルは、臨場感において比類のないものであり、音質の鮮明さなども相俟って、珠玉の仕上がりである。

いずれにしても、キタエンコ&ケルン・ギュルツェニヒ管弦楽団による素晴らしい名演を、マルチチャンネル付きのSACDによる極上の高音質で味わうことができるのを大いに喜びたい。

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2015年08月20日


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オイストラフ51歳の時のセッションで、彼の最も脂ののっていた頃の録音だけあって、すこぶる彫りが深く、彼の円熟期の特徴でもある、あらゆる面において万全なバランスを保った演奏が秀逸。

チャイコフスキーはロシア的情感を濃厚に表出した秀演で、中庸の美とも言うべき安定感と音色の美しさが堪能できるし、スケールも大きく、訴えかける力も強い。

また、第3楽章アレグロ・ヴィヴァーチッシモでの決して音楽性を失うことのないパワフルな俊敏さも流石だ。

一方シベリウスはオイストラフならではの気迫を感じさせるが、感情移入に凝り過ぎないしっかりした構成力と鮮やかな技巧で、より普遍的で堂々たる音楽の美しさを聴かせてくれる。

また、伴奏のうまさも特筆すべきものであり、オーマンディ率いるフィラデルフィア管弦楽団の明るくスペクタクルな音響は、ソロと意外なほど相性が良く十全な協演をしている。

ここに収められた2曲に共通していることは、ロマンティックな抒情に流されることなく、理知的で懐の深い解釈を磨きぬかれたテクニックと艶やかな音色で奏でていることだろう。

オイストラフはこれ見よがしの安っぽいテクニックを嫌って、アンコールにおいてさえ聴衆のご機嫌を取るような技巧的な曲を全く弾かなかった。

それがオイストラフの美学でもあり、言ってみれば玄人受けするヴァイオリニストだった。

しかしオイストラフの演奏は、他の多くのソリストがまだロマン派的な奏法を引きずって互いに個性を競っていた時代にあって、恣意的な表現を抑え、作品をよりストレートに再現することを心掛けた新しい解釈において常に模範的であり、そうした意味でこのCDは入門者のファースト・チョイスとしてもお薦めできる。

どちらも1959年の録音だが、その音質の良さに先ず惹かれる。

ヒス音が多少入っているが、音像の広がりやソロならびにオーケストラの個々の楽器の解像度もかなりの水準で、低音にも不足しておらず、初期ステレオ録音の中でも大変優れたもののひとつと言える。

DSDマスタリングのリイシュー盤で、広めの空間に音を解放する形で再生するのであれば理想的な音響空間が得られる。

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2015年07月30日


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1970年代半ばのカラヤンは、耽美的表現が完成した時期であり、カラヤンの切れ味鋭い棒の魔術をたっぷりと堪能できる。

演奏は文句のつけようがないほど素晴らしく、カラヤンはチャイコフスキーを十八番にして、得意中の得意としていたが、豪壮華麗な演奏で、チャイコフスキーらしいチャイコフスキーであることは間違いない。

ベルリン・フィルとの関係が最も良好であったこと、オーケストラの機能とカラヤンの表現意欲がピークにあったことをこのディスクは示す。

交響曲第4番はこれが6度目の録音。

「第4」はライヴ的な迫力が魅力の1971年盤と、最晩年の荘重な巨匠風の名演を聴かせてくれる1984年盤の間にあって、若干影が薄い感があるが、全盛期のカラヤンとベルリン・フィルの黄金コンビが成し遂げた最も完成度の高い名演は、この1976年盤ではなかろうか。

カラヤンは、優美なレガートを軸としつつ、どんなに金管を力奏させても派手すぎることなく、内声部たる弦楽器にも重量感溢れるパワフルな演奏を求め、ティンパニなどの打楽器群も含めて重厚な演奏を繰り広げたが、こうした演奏は、華麗で分厚いオーケストレーションを追求し続けたチャイコフスキーの楽曲との抜群の相性を感じる。

同時代の巨匠ムラヴィンスキーは、チャイコフスキーの「第5」を得意とし、インテンポによる荘重な名演を成し遂げたが、これに対してカラヤンの演奏は、テンポを目まぐるしく変えるなど劇的で華麗なもの。

交響曲第5番は、これが4度目の録音。

ムラヴィンスキーの「第5」は確かに普遍的な名演に違いないが、カラヤンの「第5」も、チャイコフスキーの音楽の本質を的確に捉えた名演だと思う。

まさに両者による名演は、東西の両横綱と言っても過言あるまい。

重厚でうなるような低弦、雷鳴のように轟くティンパニ、天国から声が響いてくるような甘いホルンソロなど、ベルリン・フィルの演奏はいつもながら完璧であり、そうした個性派の猛者たちを巧みに統率する全盛期のカラヤン。

この黄金コンビの究極の名演の1つと言ってもいいだろう。

生涯に何度も「悲愴」を録音したカラヤンであるが、これが6度目の録音。

先般、死の前年の来日時の録音が発売されて話題となったが、それを除けば、ベルリン・フィルとの最後の録音が本盤ということになる。

1988年の来日盤は、ライヴならではの熱気と死の前年とは思えないような勢いのある演奏に仕上がっているが、ベルリン・フィルの状態が必ずしもベストフォームとは言えない。

その意味で、カラヤンとベルリン・フィルという黄金コンビが成し遂げた最も優れた名演ということになれば、やはり本盤を第一にあげるべきであろう。

第1楽章の第1主題の展開部や第3楽章の終結部の戦慄を覚える程の激烈さ、第1楽章の第2主題のこの世のものとも思えないような美しさ、そして第4楽章の深沈とした趣き、いずれをとっても最高だ。

この黄金時代の録音は、録音の良さもさることながら、完全無欠なものに仕上がっていて、見事にカラヤン色に染められてしまったオーケストラの音色を味わう事が出来る最上の輸入廉価盤である。

カラヤンの録音は往々にしてホールの比較的後方から聴いているような柔らかい音色と、包み込まれる様なふくよかな中低域がその特色であり魅力でもあるかと思う。

全体的にこの上なく美しいチャイコフスキーで、いかにもカラヤンらしい表現ではあるけれども、ファーストチョイスで問題ないだろう。

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2015年07月10日


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筆者は、ウィーンに行くと、必ずウィーン国立歌劇場と、ムジークフェライン・ザールに行くことにしている。

ムジークフェライン・ザールは、コンサート専用のホールで、「黄金大ホール」といわれているように、ホールの内装は金ピカで、古き良き時代のオーストリアが、いかに音楽に対して贅をつくしていたかがよくわかる。

このホールは、音響効果の優れていることでも有名で、ホール全体が、あたかも楽器そのもののようである。

このロシアの巨匠ムラヴィンスキーとレニングラード・フィルハーモニー管弦楽団によるディスクは、1978年の6月、ウィーン芸術週間に、このホールで行われた演奏会のライヴ録音である。

このコンビによるチャイコフスキーの交響曲第5番の録音は、いままでに何枚も出ているが、今回のは、それらのものを遥かに凌ぐ名演奏で、この曲を完全に手中に収めた、悠然たる構えの表現である。

ロシア人の体臭を強く感じさせる素晴らしい演奏で、明暗の度合いをくっきりとつけながら、丹念に彫琢していくこの巨匠の棒さばきは、あたかも名匠の振るうノミのように正確で、しかも生き生きとしている。

この演奏の緊張した凝集力と迫力は凄まじく、しかも感性の豊かさ、精妙をきわめたアンサンブルの見事さは比類がない。

もちろん、一分の隙もないきびしさをもっているが、それが作品のシリアスな側面を否応なく表現している。

ムラヴィンスキーの解釈は常に有無を言わさぬ説得力をもっており、聴衆に媚びるところは皆無である。

ムラヴィンスキーは個性的な表情を作っているが、それはまさに老巧ともいうべきものであり、一見そっけないようだが、音楽には常に血が通っている。

そうした彼のロシア流のチャイコフスキーは、カラヤンに代表される西欧の聴かせ上手な指揮者の解釈とはまったく対照的といってよい。

デュナーミクも精緻そのもので、曲の冒頭から短い動機のひとつひとつにも絶妙な表情が与えられ、それらが強靭な織物のように組みあげられている。

第2楽章ではやや速めと感じられるテンポをとり、息の長いフレーズを情熱的に高揚させるのは、やはり聴きものである。

第3楽章はいくぶん恣意的だが、その洗練された味わいは独特であり、フィナーレも流動感が強い。

そこに鮮やかな立体感があるのも、この演奏の大きな特色で、チャイコフスキーが記した音符のすべてに意味があり、存在理由があることを、ムラヴィンスキーの演奏からは、誰もが理解することが可能である。

しかも、あらゆる部分に瑞々しい創意が息づき、それが新鮮さの原動力といえるが、それは音量に依存しているのではなく、内面の凄絶な緊張感から生み出されたものである。

そのうえ、巨匠的風格が曲のすみずみまでに滲み出ており、ライヴ独特のきりりと引き締まった緊張感が何とも素晴らしく、激しく心を揺さぶられる。

オーケストラも、艶のある弦楽器と底力のある金管楽器が特に見事で、これこそロシアの音といってよく、レニングラードに特有の西欧的洗練を実感させる表現が、チャイコフスキーの折衷的作風を描いている。

そのどこをとってもまったく隙がなく、そこにソヴィエト体制の影響をみることも可能かもしれないが、その鉄の規律はここでは壮大な記念碑を打ち建てる方向に作用しており、こうした演奏はもう現れることはないだろう。

録音はムジークフェラインの響きとしてはやや乾いた印象を与えるとはいえ、一連の旧ソヴィエト録音よりはるかに条件は整っており、ムラヴィンスキーによる同曲の録音といえば、まずこの演奏を聴く必要があろう。

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2015年07月01日


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小林研一郎は必ずしもレパートリーが広い指揮者とは言い難いが、その数少ないレパートリーの中でもチャイコフスキーの交響曲は枢要な地位を占めている。

とりわけ、交響曲第5番は十八番としており、相当数の録音を行っているところである。

エクストンレーベル(オクタヴィア)に録音したものだけでも、チェコ・フィルとの演奏(1999年)をはじめとして、日本フィルとの演奏(2004年)、本盤のアーネム・フィルとの演奏(2005年)、アーネム・フィル&日本フィルの合同演奏(2007年)の4種の録音が存在している。

小林研一郎は、同曲を得意中の得意としているだけにこれらの演奏はいずれ劣らぬ名演であり、優劣を付けることは困難を極め、どの演奏もそれぞれに思い入れがあって優劣つけがたい。

演奏という行為が一期一会の芸術だということがよくわかるところであるが、筆者としてはエクストンレーベルの記念すべきCD第1弾でもあった、チェコ・フィルとの演奏と本盤に収められたアーネム・フィルを双璧の名演に掲げたいと考えている。

小林研一郎の本演奏におけるアプローチは、熱気と理性のバランスがとれた豊穣な表現が見事であり、例によってやりたいことを全てやり尽くした自由奔放とも言うべき即興的なものだ。

同じく同曲を十八番としたムラヴィンスキー&レニングラード・フィルによるやや速めの引き締まったテンポを基調する峻厳な名演とは、あらゆる意味で対極にある演奏と言えるだろう。

緩急自在のテンポ設定、思い切った強弱の変化、アッチェレランドやディミヌンドの大胆な駆使、そして時にはポルタメントを使用したり、情感を込めて思い入れたっぷりの濃厚な表情づけを行うなど、ありとあらゆる表現を駆使してドラマティックに曲想を描き出している。

それを支えているのが、コンセルトヘボウに匹敵する由緒ある伝統(1889年創立)を誇り、かつてはベイヌムもヴィオラ奏者として在籍したというアーネム・フィルの暖かい音色で、内声が充実した弦楽セクションの豊かさは特筆ものである。

感情移入の度合いがあまりにも大きいこともあって、小林研一郎の唸り声も聴こえてくるほどであるが、これだけやりたい放題の自由奔放な演奏を行っているにもかかわらず、演奏全体の造型がいささかも弛緩することがないのは、まさに圧巻の驚異的な至芸とも言えるところだ。

これは、小林研一郎が同曲のスコアを完全に体得するとともに、深い理解と愛着を抱いているからに他ならない。

小林研一郎の自由奔放とも言うべき指揮にしっかりと付いていき、圧倒的な名演奏を繰り広げたアーネム・フィルにも大きな拍手を送りたい。

オランダの名門、アーネム・フィルはあまり知られていないオーケストラであるが、管楽器の音色も優しく陶酔的で、隅から隅までこの曲を手中に収めた炎のコバケンの指揮ぶりに、アーネム・フィルが新鮮な思いで触発されたのだろう。

オランダ各地での演奏会を経た上の充分なセッション録音で、存分に細部も磨かれている。

いずれにしても、本演奏は、小林研一郎のドラマティックな大熱演とアーネム・フィルによる豊穣な音色をベースとした名演奏が見事に融合した圧倒的な超名演と高く評価したいと考える。

なお、併録の「くるみ割り人形」組曲は、どちらかと言うと一気呵成に聴かせる直球勝負の演奏と言えるが、語り口の巧さにおいても申し分がないと言えるところであり、名演と評価するのにいささかも躊躇するものではない。

音質は、SACD盤ということもあって、マルチチャンネルが付いているというのが、いわゆる臨場感において、群を抜いた存在と言えるだろう。

いずれにしても、小林研一郎&アーネム・フィルによる圧倒的な超名演を心行くまで満喫するためには、是非とも本SACD盤で聴かれることをおすすめしておきたい。

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2015年06月04日


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モントゥーによるチャイコフスキーの3大交響曲の演奏は、ほぼ同時期に録音されたムラヴィンスキー&レニングラード・フィルの歴史的な超名演(1960年)と比較すると、知る人ぞ知る存在に甘んじていると言わざるを得ない。

このうち、交響曲第6番「悲愴」については、ムラヴィンスキーの演奏があまりにも凄い超絶的な名演であるために、他の演奏は不利な立場に置かれていると言わざるを得ないが、筆者としては、ムラヴィンスキーの超名演は別格として、それに次ぐ名演としては、カラヤン&ベルリン・フィルによる演奏(1971年)と本演奏(1955年)を掲げたいと考えている。

このうち、カラヤンの演奏は、ベルリン・フィルの卓越した技量を駆使したオーケストラ演奏の極致と言うべきもので、これにライヴ録音を思わせるようなドラマティックな要素が付加された圧倒的な音のドラマであったと言える。

これに対して、モントゥーによる本演奏は、同曲にこめられた、運命に翻弄される作曲者の苦悩や絶望感、そして生への憧憬などを徹底的に追求するとともに、それを音化することに成功した彫りの深い演奏に仕上がっている。

極論すれば、カラヤンの演奏が音のドラマであるのに対して、本演奏は人間のドラマといった趣きがあるとも言えるところである。

全体としては、ムラヴィンスキーの演奏と同様に、速めのテンポによる引き締まった造型が印象的であるが、かかる堅固な造型の中において、モントゥーは、細部に至るまで彫琢の限りを尽くしたドラマティックな演奏を展開している。

トゥッティに向けて畳み掛けていくような気迫と力強い生命力は、圧倒的な迫力を誇っており、とてもスタジオ録音とは思えないような壮絶の極みとも言える劇的な演奏を展開している。

第2楽章のロシア風のメランコリックな抒情の歌い方にも、格調の高さが支配しており、高踏的な美しさを誇っているのは、モントゥーだけに可能な圧巻の至芸であると言えるだろう。

モントゥーは、生前、チャイコフスキーの音楽に個人的な悲痛を盛り込む演奏を好んでいなかった。

「音楽の中にすべてが存在するというのに、なぜ個人の悩みなどをひけらかそうとするのか。私はチャイコフスキーの音楽に書かれているままに演奏する。それでまさしく充分なのだ」

この言葉に、モントゥーの芸術の核心があり、チャイコフスキーをベートーヴェンやブラームスに置き換えれば、そのままあの素晴らしい演奏になるのだ。

本演奏も、「悲愴」という曲に伴いがちな感傷主義を全く破った演奏で、この曲に我々が感じているような泥臭さを全くとり去って、きれいに晒したような演奏である。

そういう意味で、非常に品のいい演奏であり、その品のよさも、オーケストラが非常にうまいので、外面的にならない。

旋律もよく歌っているし、ダイナミズムも充分にあり、劇的効果がよく出ている。

モントゥーの確かな統率の下、圧倒的な名演奏を繰り広げているボストン交響楽団にも、大きな拍手を送りたい。

録音は、従来盤が50年以上前のものということもあってややデッドで音場が広がらないという問題があったが、数年前に発売されたSHM−CD盤によって、比較的良好な音質に改善されたと言える。

しかしながら、本SACD盤はさらに鮮度の高い音質に生まれ変わっており、50年以上も前の録音とはとても思えないような高音質に大変驚かされた。

いずれにしても、モントゥーによる至高の超名演をSACDによる高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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2015年06月03日


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本盤には、プレヴィンが当時の手兵であるロンドン交響楽団とともに1970年代にスタジオ録音したチャイコフスキーの3大バレエ音楽からのハイライトが収められている。

プレヴィンは元来ロシア音楽を得意としているだけあって、こうした作品を指揮すると卓越した手腕を発揮する。

決してバレエ風の表現ではなく、演奏会風のスタイルなのだが、リズムが抜群に弾んでいるので、実に面白く聴くことが出来る。

その語り口の巧さといい、音楽的な洗練度といい、いまだに魅力を失っておらず、文句のつけようがない見事な名演と言えると思う。

非常に完成度の高い出来ばえで、ほどよい距離を保ちながら、全体を的確に把握しており、危うさがない。

プレヴィンは、クラシック音楽の指揮者としてもきわめて有能ではあるが、それ以外のジャンルの多種多様な音楽も手掛ける万能型のミュージシャンと言える。

映画音楽で鍛えたブレヴィンだけに、そのストーリー・テラー的な巧さと絵画的な表現力にかけては、抜群の威力を発揮する。

したがって、本演奏においてもそのアプローチは明快そのものであり、楽曲を難しく解釈して峻厳なアプローチを行うなどということとは全く無縁であり、楽曲をいかにわかりやすく、そして親しみやすく聴き手に伝えることができるのかに腐心しているように思われる。

したがって、ベートーヴェンなどのように、音楽の内容の精神的な深みへの追究が求められる楽曲においては、いささか浅薄な演奏との誹りは免れないと思うが、起承転結がはっきりとした標題音楽的な楽曲では、俄然その実力を発揮することになる。

本盤に収められたチャイコフスキーの3大バレエハイライツは、そうしたプレヴィンの資質に見事に合致する楽曲と言えるところであり、加えて若さ故の力強い生命力も相俟って、素晴らしい名演に仕上がったと言っても過言ではあるまい。

プレヴィンが自家薬籠中のものとしているチャイコフスキーのバレエ音楽だけに、巧みな棒さばきで各場面を的確に描き分けながら、作品の幻想的な持ち味をあますところなく表出している。

全体にややテンポを遅めにとり、チャイコフスキー独特の抒情的な旋律をたっぷりと歌わせながら、極めてパノラミックな表現で、どの曲も表情豊かにまとめている。

聴かせどころのツボを心得た演出巧者ぶりは心憎いばかりであり、プレヴィンの豊かな音楽性が本演奏では大いにプラスに働いている。

情緒的なものに過度にのめり込むことなく、かといって、非情につぱねるようなこともなく、知情意のバランスが無理なくとれていて、どの角度からみても、プレヴィンならではの、安定した性格の演奏と言えよう。

決してとりわけ優美であるとか、ファンタジー的であるという性格ではないが、個々のことが整然と把握されており、全体のバランスがよく、洗練されたスマートなプロポーションで、プレヴィンの力量のほどを物語るような安定した出来ばえを誇る内容だ。

ロンドン交響楽団もプレヴィンが首席指揮者時代の演奏で、呼吸もぴったりの相性の良さと言える。

クラシック音楽入門者が、チェイコフスキーのバレエ音楽を初めて聴くに際して、最も安心して推薦できる演奏と言えるところであり、本演奏を聴いて、嫌いになる聴き手など、まずはいないのではないだろうか。

いずれにしても、プレヴィンによる本演奏は、チャイコフスキーのバレエ音楽には、ロジェストヴェンスキー、ゲルギエフなどによるロシア風の民族色溢れる名演や、アンセルメやデュトワによる洗練された色彩美を誇る名演などがあまた存在しているが、安定した気持ちでチャイコフスキーのバレエ音楽を魅力を味わうことができるという意味においては、第一に掲げるべき名演と評価したい。

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2015年06月02日


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期待のシリーズ、キタエンコのチャイコフスキーの交響曲第2番の登場だ。

第1番、第5番、第6番でのアグレッシヴな音楽作りはここでも変わることがない。

第2番の交響曲はチャイコフスキーが1872年に作曲した曲で、初演時は大変な成功を収めたのであるが、なぜかその後にチャイコフスキー自身が大幅な改定を行ったことでも知られている。

ウクライナ民謡が効果的に使われているため、評論家ニコライ・カシュキンから「小ロシア」という愛称を付けられたと言われている。

この演奏、冒頭からメロディをたっぷりと歌わせ、大きな流れを作っていくという極めて聴き応えのあるものだ。

本演奏を聴いて思うのは、ロシア系の指揮者にとってのチャイコフスキーの交響曲は、独墺系指揮者にとってのベートーヴェンの交響曲のような、仰ぎ見るような高峰に聳える存在なのではないかということだ。

というのも、キタエンコと同様に、チャイコフスキーの交響曲全集の録音を完成したプレトニョフもそうであるが、他の作曲者による楽曲、例えば、プレトニョフであればベートーヴェンの交響曲全集やピアノ協奏曲全集による演奏におけるようないささか奇を衒った個性的な解釈を施すということはなく、少なくとも演奏全体の様相としては、オーソドックスなアプローチに徹していると言えるからである。

キタエンコと言えば、カラヤンコンクールでの入賞後、旧ソヴィエト連邦時代のモスクワ・フィルとの数々の演奏によって世に知られる存在となったが、モスクワ・フィルとの演奏は、いわゆるロシア色濃厚なアクの強い演奏が太宗を占めていたと言える。

これは、この当時、旧ソヴィエト連邦において活躍していたムラヴィンスキー以外の指揮者による演奏にも共通していた特徴とも言えるが、これには、オーケストラ、とりわけそのブラスセクションのヴィブラートを駆使した独特のロシア式の奏法が大きく起因していると思われる。

加えて、指揮者にも、そうした演奏に歯止めを効かせることなく、重厚にしてパワフルな、まさにロシアの広大な悠久の大地を思わせるような演奏を心がけるとの風潮があった。

ところが、そうした指揮者の多くが、スヴェトラーノフのような一部例外はあるが、旧ソヴィエト連邦の崩壊後、ヨーロッパの他国のオーケストラを自由に指揮するようになってからというもの、それまでとは打って変わって洗練された演奏を行うようになった。

キタエンコについても、それが言えるところであり、本演奏においても、演奏全体の外観としては、オーソドックスなアプローチ、洗練された様相が支配していると言えるだろう。

もっとも、ロシア風の民族色を欠いているかというとそのようなことはなく、ここぞという時の迫力は、ロシアの広大な悠久の大地を思わせるような力強さに満ち溢れている。

そして、ケルン・ギュルツェニヒ管弦楽団のドイツ風の重厚な音色が、演奏全体にある種の落ち着きと深さを付加させているのを忘れてはならない。

いずれにしても、本盤の演奏は、キタエンコによる母国の大作曲家であるチャイコフスキーへの崇敬、そしてキタエンコ自身の円熟を十分に感じさせる素晴らしい名演と高く評価したいと考える。

併録の「ロココの主題による変奏曲」でチェロを弾くエルシェンブロイヒがこれまた美しい音色を持つ人で、こちらも満足できる出来映えだ。

彼はムターに認められた俊英で、来日の際も高い評価を受けているが、最後におかれたアンダンテ・カンタービレも絶妙だ。

そして、本盤の素晴らしさは、マルチチャンネル付きのSACDによる極上の高音質録音である。

SACDの潜在能力を十二分に発揮するマルチチャンネルは、臨場感において比類のないものであり、音質の鮮明さなども相俟って、珠玉の仕上がりである。

いずれにしても、キタエンコ&ケルン・ギュルツェニヒ管弦楽団による素晴らしい名演を、マルチチャンネル付きのSACDによる極上の高音質で味わうことができるのを大いに喜びたい。

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2015年05月30日


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本盤には、カラヤンの最後の来日公演(1988年)のうち、初日(5月2日)に演奏されたモーツァルトの交響曲第29番及びチャイコフスキーの交響曲第6番「悲愴」が収められている。

当時のカラヤンは、ベルリン・フィルとの関係に修復不可能な溝が生じていたこと、そして、死を1年後に控えたこともあって健康状態も芳しいとは言えなかったことなどから、心身ともに万全とは言い難い状況にあったと言える。

1986年に予定された来日公演を、自らの病気のためにキャンセルしたカラヤンであったが、我が国を深く愛するとともに、サントリーホールの建設に当たっても様々な助言を行ったこともあり、心身ともに万全とは言えない中でも、気力を振り絞って来日を果たしたところであり、筆者としては、こうしたカラヤンの音楽家としての献身的な行為に、心から敬意を表するものである。

もっとも、カラヤンのそうした心身ともに万全とは言えない状態、そしてカラヤンとベルリン・フィルとの間の抜き差しならない関係も本演奏に影を落としていると言えるところであり、本演奏は、随所にアンサンブルの乱れやミスが聴かれるなど、カラヤン&ベルリン・フィルによるベストフォームにある演奏とは必ずしも言い難いものがある。

モーツァルトの交響曲第29番は、本演奏の1年前にベルリン・フィルとともに行ったスタジオ録音(1987年DG)、加えてチャイコフスキーの交響曲第6番「悲愴」で言えば、先般SACD化されたベルリン・フィルとともに行った録音(1971年EMI)の方がより優れた名演であり、これらの名演と比較して本演奏を貶めることは容易ではあると言えるだろう。

現に、レコード芸術誌において、とある高名な音楽評論家が本演奏について厳しい評価を下していたのは記憶に新しいところだ。

しかしながら、本演奏については、演奏上の瑕疵や精神的な深みの欠如などを指摘すべき性格の演奏ではない。

そのような指摘をすること自体が、自らの命をかけて来日して指揮を行ったカラヤンに対して礼を失するとも考えられる。

カラヤンも、おそらくは本演奏が愛する日本での最後の演奏になることを認識していたと思われるが、こうしたカラヤン渾身の命がけの指揮が我々聴き手の心を激しく揺さぶるのであり、それだけで十分ではないだろうか。

そして、カラヤンの入魂の指揮の下、カラヤンとの抜き差しならない関係であったにもかかわらず、真のプロフェッショナルとして大熱演を繰り広げたベルリン・フィルや、演奏終了後にブラヴォーの歓呼で熱狂した当日の聴衆も、本演奏の立役者である。

まさに、本演奏は、指揮者、オーケストラ、そして聴衆が作り上げた魂の音楽と言っても過言ではあるまい。

このような魂の音楽に対しては、そもそも演奏内容の細部に渡っての批評を行うこと自体がナンセンスであり、我々聴き手も虚心になってこの感動的な音楽を味わうのみである。

いずれにしても、筆者としては、本演奏は、カラヤン&ベルリン・フィル、そして当日会場に居合わせた聴衆のすべてが作り上げた圧倒的な超名演と高く評価したいと考える。

音質は、1988年のライヴ録音であるが、従来CD盤でも十分に満足できる良好なものであると評価したい。

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2015年05月27日


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1876年から1877年にかけて作曲されたこの交響曲第4番。

この時期のチャイコフスキーは、メック夫人という素晴らしいパトロンを手に入れ、ようやく経済的な余裕が生まれ作曲に専念できるようになり、彼にとっては穏やかな日々がやってきたのである。

しかしながら、身にまとわりついた「同性愛疑惑」を晴らすだめに1877年に彼の元弟子であった娘と結婚するのであるが、これが失敗、精神的打撃を負った彼は自殺未遂を起こしてしまう。

そんな相反する生活の中でこのような素晴らしい作品が生まれたのはほとんど奇跡とでも言えるのではないだろうか。

そんなドラマティックな作品をキタエンコはいつものように冷静沈着に分析、決して感情に溺れることなく見事に音にしている。

本演奏を聴いて思うのは、ロシア系の指揮者にとってのチャイコフスキーの交響曲は、独墺系指揮者にとってのベートーヴェンの交響曲のような、仰ぎ見るような高峰に聳える存在なのではないかということだ。

というのも、キタエンコと同様に、チャイコフスキーの交響曲全集の録音を完成したプレトニョフもそうであるが、他の作曲者による楽曲、例えば、プレトニョフであればベートーヴェンの交響曲全集やピアノ協奏曲全集による演奏におけるようないささか奇を衒った個性的な解釈を施すということはなく、少なくとも演奏全体の様相としては、オーソドックスなアプローチに徹していると言えるからである。

キタエンコと言えば、カラヤンコンクールでの入賞後、旧ソヴィエト連邦時代のモスクワ・フィルとの数々の演奏によって世に知られる存在となったが、モスクワ・フィルとの演奏は、いわゆるロシア色濃厚なアクの強い演奏が太宗を占めていたと言える。

これは、この当時、旧ソヴィエト連邦において活躍していたムラヴィンスキー以外の指揮者による演奏にも共通していた特徴とも言えるが、これには、オーケストラ、とりわけそのブラスセクションのヴィブラートを駆使した独特のロシア式の奏法が大きく起因していると思われる。

加えて、指揮者にも、そうした演奏に歯止めを効かせることなく、重厚にしてパワフルな、まさにロシアの広大な悠久の大地を思わせるような演奏を心がけるとの風潮があった。

ところが、そうした指揮者の多くが、スヴェトラーノフのような一部例外はあるが、旧ソヴィエト連邦の崩壊後、ヨーロッパの他国のオーケストラを自由に指揮するようになってからというもの、それまでとは打って変わって洗練された演奏を行うようになった。

キタエンコについても、それが言えるところであり、本演奏においても、演奏全体の外観としては、オーソドックスなアプローチ、洗練された様相が支配していると言えるだろう。

もっとも、ロシア風の民族色を欠いているかというとそのようなことはなく、ここぞという時の迫力は、ロシアの広大な悠久の大地を思わせるような力強さに満ち溢れている。

そして、ケルン・ギュルツェニヒ管弦楽団のドイツ風の重厚な音色が、演奏全体にある種の落ち着きと深さを付加させているのを忘れてはならない。

いずれにしても、本盤の演奏は、キタエンコによる母国の大作曲家であるチャイコフスキーへの崇敬、そしてキタエンコ自身の円熟を十分に感じさせる素晴らしい名演と高く評価したいと考える。

そして、本盤の素晴らしさは、マルチチャンネル付きのSACDによる極上の高音質録音である。

SACDの潜在能力を十二分に発揮するマルチチャンネルは、臨場感において比類のないものであり、音質の鮮明さなども相俟って、珠玉の仕上がりである。

いずれにしても、キタエンコ&ケルン・ギュルツェニヒ管弦楽団による素晴らしい名演を、マルチチャンネル付きのSACDによる極上の高音質で味わうことができるのを大いに喜びたい。

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2015年04月20日


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白血病という不治の病を患い、49歳という若さでこの世を去らなければならなかった悲劇の指揮者フリッチャイであるが、米国において鉄壁のオーケストラトレーナーとして君臨した同じハンガリー人指揮者のライナーやセル、オーマンディ、そしてショルティなどとは一線を画するようなヒューマニティ溢れる情感豊かな演奏を行っていた。

同じハンガリー人指揮者であったケルテスの海水浴中の不慮の死と同様に、そのあまりにも早すぎる死は、クラシック音楽界にとっても一大損失であった。

仮にもう少しフリッチャイが長生きをしていれば、世界の指揮者地図は大きく塗り替えられることになったのではないかとさえ思われるほどだ。

本盤に収められたチャイコフスキーの交響曲第6番「悲愴」は、フリッチャイの死の4年前の演奏だ。

既に白血病を発症したフリッチャイが、懸命の闘病生活の中で演奏を行ったものである。

それだけに、本演奏にかけたフリッチャイの気迫と執念には並々ならぬものがあったことは容易に想像がつくところだ。

本演奏の中に気に入らない箇所(第1楽章の一部)があって、発売自体が録音から30年以上も遅れることになったが、これだけ完成度が高い演奏であるにもかかわらず、更に高みに達した演奏を志向したというところに、フリッチャイという指揮者の偉大さを痛感せざるを得ない。

本演奏においても、第1楽章の冒頭の序奏からしてただならぬ雰囲気が漂う。

あたかも、間近に迫る死を予見しているかのような不気味さを湛えているところであり、その後は、若干のテンポの変化を交えつつ、1音1音を心を込めて歌い抜き、彫りの深い演奏を展開しているところだ。

その尋常ならざる心の込め方は、時には慟哭にさえ聴こえるほどであり、あたかも忍び寄る死に対して必死で贖おうとするフリッチャイ自身を彷彿とさせるように思われてならない。

全体で50分程度を要するというゆったりとしたテンポによる演奏ではあるが、冗長さを感じさせず、演奏全体の造型もいささかも弛緩することがない。

そして、これだけ思い入れたっぷりの渾身の熱演を展開しているにもかかわらず、同曲の演奏において時として見られる陳腐なロマンティシズムに陥ることがなく、どこをとっても格調の高さを失っていないのが素晴らしい。

いずれにしても、本演奏は、フリッチャイによる遺言とも言うべき至高の超名演であり、同曲の他の指揮者による超名演であるムラヴィンスキー&レニングラード・フィルによる演奏(1960年)、カラヤン&ベルリン・フィルによる演奏(1971年)とともに三強の一角を占める超名演と高く評価したい。

音質については、モノラル録音が大半のフリッチャイの演奏の中では希少にして鮮明なステレオ録音であり、音質的には極めて恵まれていると言えよう。

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2015年04月17日


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カラヤンは、チャイコフスキーを得意としており、交響曲第4番は6度もスタジオ録音している。

加えて、ウィーン交響楽団とのライヴ録音も存在しており、カラヤンとしても何度も演奏した得意のレパートリーと言えるが、遺された録音の中で随一の名演は、カラヤン&ベルリン・フィルの黄金時代である1971年に録音された本盤であると考える。

本盤の特徴を一言で言えば、ライヴ録音を思わせるような劇的な迫力だ。

豪演と言っても過言ではないような圧巻の迫力であり、その圧倒的な生命力は、とてもスタジオ録音とは思えないほどである。

冒頭から、悪魔的な金管の最強奏に始まり、厚みのある弦合奏の重量感や、雷鳴のようなティンパニの轟きには戦慄を覚えるほどだ。

第1楽章終結部の猛烈なアッチェレランドは、古今東西の同曲の演奏の中でも、最高の迫力を誇っている。

第2楽章の木管の巧さも特筆すべき美しさであり、そのむせ返るような熱い抒情には、身も心もとろけてしまいそうだ。

終楽章の疾風の如きハイテンポによる進行は圧巻という他はないが、それでいて、アンサンブルにいささかの乱れもないのは、殆ど驚異でもある(これに匹敵できるのは、ムラヴィンスキー&レニングラード・フィルの1960年盤のみ)。

カラヤンはチャイコフスキーを得意としていたが、このうち、交響曲第5番は5回もスタジオ録音している。

いずれも名演であると思うが、その中でもトップの座に君臨するのは、1971年に録音された本盤であると考える。

スタジオ録音であるが、ライヴ録音ではないかと思われるほど、劇的な性格を有した豪演と言うことができる。

この当時は、カラヤンとベルリン・フィルは蜜月状態にあり、この黄金コンビは至高の名演の数々を成し遂げていたが、本盤の演奏も凄い。

金管楽器も木管楽器も実に巧く、厚みのある重厚な弦楽器も圧巻の迫力で、雷鳴のようなティンパニの轟きも、他の誰よりも圧倒的。

そうした鉄壁の技量とアンサンブルを誇るベルリン・フィルを、これまた圧倒的な統率力で指揮するカラヤンの凄さ。

粘ったようなテンポや猛烈なアッチェレランドの駆使、そしてカラヤンには珍しいポルタメントの効果的な活用など、実に内容豊かでコクのあるチャイコフスキーを構築している。

カラヤンは、チャイコフスキーを得意としたが、その中でも十八番は、この交響曲第6番「悲愴」だったと言える。

スタジオ録音だけでも7度も行うとともに、先般発売された来日時のライヴ録音や、NHK交響楽団とのライヴ録音などを加えると、圧倒的な点数にのぼる。

オペラのように起承転結がはっきりした標題音楽的な要素や、華麗なオーケストレーションなど、いかにもカラヤンが得意とした要素が散りばめられているのが、カラヤンが同曲を得意とした要因の1つに掲げられると考える。

遺された録音は、いずれも名演であるが、その中でも、本盤は、ライヴ録音ではないかと思われるような劇的な豪演を成し遂げているのが特徴と言える。

悪魔的とも言うべき金管楽器の鋭い音色や、温かみのある木管の音色、重厚な低弦の迫力、そして雷鳴のように轟くティンパニの凄さなど、黄金時代にあったベルリン・フィルの圧倒的な技量が、そうした劇的な要素を大いに後押ししている。

カラヤンも、圧倒的な統率力で、ベルリン・フィルを巧みにドライブするとともに、ポルタメントやアッチェレランド、流れるようなレガートなどを効果的に駆使して、「悲愴」の魅力を大いに満喫させてくれる。

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2015年04月05日


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アバドは、私見であるが、これまでの様々な名指揮者の中でも、最高の協奏曲指揮者と言えるのではなかろうか。

ベルリン・フィルの芸術監督に就任する前には、ロンドン交響楽団とともに圧倒的な名演奏を成し遂げていた気鋭の指揮者であったアバド。

そのアバドは、ベルリン・フィルの芸術監督就任後、借りてきた猫のような大人しい演奏に終始するようになってしまった。

カラヤン時代に、力の限り豪演を繰り広げてきたベルリン・フィルも、前任者と正反対のアバドの民主的な手法には好感を覚えたであろうが、演奏については、大半の奏者が各楽器セクションのバランスを重視するアバドのやり方に戸惑いと欲求不満を感じたのではないか。

それでも協奏曲の演奏に限ってみれば、ベルリン・フィルの芸術監督就任以前と寸分も変わらぬ名演を成し遂げていたと言える。

チャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番におけるアルゲリッチとの競演(1994年)、そして、レコード・アカデミー賞を受賞したブラームスのピアノ協奏曲第2番におけるブレンデルとの競演(1991年)など、それぞれの各楽曲におけるトップの座を争う名演の指揮者は、このアバドなのである。

本盤に収められた日本を代表するヴァイオリニストである五嶋みどりと組んで録音を行ったチャイコフスキーとショスタコーヴィチのヴァイオリン協奏曲についても、こうした名演に系譜に連なるものとして高く評価したいと考える。

協奏曲の演奏に際してのアバドの基本的アプローチは、ソリストの演奏の引き立て役に徹するというものであり、本演奏においても御多分にも漏れないが、オーケストラのみの演奏箇所においては、アバドならでは歌謡性豊かな情感に満ち溢れており、格調の高さも相俟った美しさは、抗し難い魅力に満ち溢れている。

ここぞという時の力感溢れる演奏は、同時期のアバドによる交響曲の演奏には聴くことができないような生命力に満ち溢れており、これぞ協奏曲演奏の理想像の具現化と評しても過言ではあるまい。

チャイコフスキーやショスタコーヴィチの協奏曲に特有のロシア風のメランコリックな抒情を強調した演奏にはなっておらず、両曲にロシア風の民族色豊かな味わいを求める聴き手にはいささか物足りなさを感じさせるきらいもないわけではないが、五嶋みどりのヴァイオリン演奏の素晴らしさ、両曲の持つ根源的な美しさを見事に描出し得たといういわゆる音楽の完成度という意味においては、まさに非の打ちどころのない素晴らしい名演に仕上がっていると高く評価したいと考える。

五嶋みどりのヴァイオリンについては、もちろん技量においても何ら問題はないが、巧さを感じさせないところが素晴らしい。

要は、楽曲の美しさだけが聴き手に伝わってくるような演奏を心掛けていると言えるところであり、加えて、畳み掛けていくような気迫や強靭な生命力が演奏全体に漲っているのが素晴らしい。

実演ということも多分にあるとは思うが、五嶋みどりの体当たりとも言うべき渾身の、そして楽曲の美しさを際立たせた演奏は、我々聴き手の感動を誘うのに十分であり、このような力強い名演奏を聴いていると、あらためて五嶋みどりの卓越した才能を感じることが可能だ。

一部の女流ヴァイオリニストにありがちな線の細さなどは微塵もなく、どこをとっても骨太のしっかりとした構えの大きい音楽が鳴り切っているのが見事である。

音質は、SACD化がなされることにより、臨場感のある素晴らしい高音質になっており、とりわけ五嶋みどりのヴァイオリンの弓使いが鮮明に再現されるのは殆ど驚異的ですらある。

あらためて本演奏の凄みを窺い知ることが可能になるとともに、SACDの潜在能力の高さを思い知った次第だ。

いずれにしても、アバド&ベルリン・フィル、そして五嶋みどりによる素晴らしい名演をSACD盤で味わうことができるのを大いに歓迎したいと考える。

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2015年04月04日


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史上最高のレコーディング・アーティストと評されているのはかのヘルベルト・フォン・カラヤンであるが、そのカラヤンをも遥かに超える膨大なレコーディングを行っている指揮者が存在する。

既に70歳代後半を迎えているが、今なおレコーディングへの意欲をいささかも失っていないその指揮者こそはネーメ・ヤルヴィである。

最近はパーヴォもクリスチャンも大活躍のヤルヴィ一家であるが、レパートリーの広さ、演奏の迫力、膨大な録音量等、父親ネーメの存在感はまだまだ圧倒的だ。

特にオーケストラが大編成となる作品における手腕の見事さはさすがで、これまでにも数々の素晴らしい演奏を聴かせ、師ムラヴィンスキー譲りの巧みなオーケストラ・コントロールがまず注目されるところでもあり、その「鳴りの良さ」が、多くのオーケストラ・ファンの信頼を得てきている。

しかしながら、ネーメ・ヤルヴィに対しては、一部の毒舌の音楽評論家から「なんでも屋」であり、膨大なレコーディングは粗製濫造などといった罵詈雑言が浴びせられているが、それはいささか言い過ぎであると言えるところであり、確かに、他の指揮者を圧倒するような名演は殆ど皆無ではあるが、いずれの録音も水準以上の演奏に仕上がっているのではないかと考えられるところだ。

ネーメ・ヤルヴィの最大の功績は、これまでのレビューに紹介してきた通り、特に北欧の知られざる作曲家の作品を数多く録音して、広く世に知らしめたということであり、このことだけでも、後世に名を残すだけの名指揮者と言っても過言ではあるまい。

そのような膨大なレコーディングを行っているネーメ・ヤルヴィであるが、意外にもチャイコフスキーの3大バレエ音楽の録音は本盤が「眠れる森の美女」に続き2作目とのことである。

数年前にBISレーベルに水準の高いチャイコフスキーの交響曲全集を録音しているだけに意外な気もするが、それだけにネーメ・ヤルヴィとしても満を持して取り組んだ録音であると言うことができるだろう。

そして、本盤のバレエ音楽「白鳥の湖」の録音は、そうした我々の期待をいささかも裏切ることがない素晴らしい名演に仕上がっている。

3大バレエ音楽の中でも、「眠れる森の美女」や「くるみ割り人形」と比較すると全曲録音の点数が多い「白鳥の湖」であるが、本演奏は数ある名盤の中でも特筆すべき出来映えであると高く評価したい。

ネーメ・ヤルヴィのアプローチは、例によって聴かせどころのツボを心得たわかりやすさを信条とするもの。

交響曲ではなく、バレエ音楽だけに、このようなアプローチは理想的であり、チャイコフスキーならではの親しみやすい旋律に満たされた同曲の魅力を、我々聴き手は安定した気持ちで満喫することができるのが素晴らしい。

各場面の描き分けも秀逸であり、これまで数多くのレコーディングを手掛けてきたネーメ・ヤルヴィならではの演出巧者ぶりが十二分に発揮されている。

いずれにしても、本演奏は、演奏内容、そして音質面の両面において、極めて水準の高い素晴らしい名盤であると高く評価したいと考える。

ネーメ・ヤルヴィは、今後「くるみ割り人形」を録音するとのことであるが、実に楽しみである。

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2015年03月24日


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本盤は、ハンガリー出身の名指揮者ジョージ・セルが1962年にロンドン交響楽団を指揮して録音したチャイコフスキーの交響曲第4番ほかを収録したアルバムである。

チャイコフスキーの交響曲第4番は、当時不幸な結婚で悩んでいた作曲者の心境を反映した人生の苦悩と哀愁に関する標題的内容を持った情熱的な曲。

妥協を許さない厳格なアプローチで音楽の本質に迫ることで知られた指揮者、セルが残した名盤中の名盤で、チャイコフスキーが伝えたかったロシアの空気をキッチリ音楽にしている。

セルはこの録音後「私の目の黒いうちは絶対発売させない」と言った逸話が残っている演奏であるが、この逸話を知った時は、とても信じられず、愕然とした覚えがある。

セルとしては、やはり手兵クリーヴランド管弦楽団とは違い、ロンドン交響楽団では自分の思い通り演奏できない不満があったのであろうが、逆説的に言えば、セルとオケが目に見えない火花を散らしながら演奏したが故に、全体を通して、緊張感と気迫溢れる名演となったのかもしれない。

しかしさすがの名門オケ、このテンポ、短い音の連続でも響きの豊かないい音を出しており、何よりチャイコフスキーに欠かせない木管の豊かで輝かしい響きが聴かれる。

センチメンタリズムを極力排したドライで禁欲的なセルの毅然とした音楽づくりに、ロンドン交響楽団は必死で応えながらも、自らの持ち味の音の響きも保ち続け、マエストロの要求との折り合いをつけたようだ。

そのお互いの葛藤に何とか見合う曲としてチャイコフスキーの交響曲第4番は最適だったかも知れない。

セルは過度な感傷を避け、この交響曲特有の重たいイメージをあまり感じさせず、それでいて決して無機的にはならない。

第1楽章の出だしの金管・木管の音に続く弦の音にしてから、非常に大切に音を出しているなと感じさせるものだ。

全体を40分ちょっとで駆け抜けているが、この快速テンポは、かのムラヴィンスキーの1960年代の名演に匹敵するものだ。

全体的な造型や、演奏の性格はムラヴィンスキーの名演に準じるものであり、手兵のクリーヴランド管弦楽団を「セルの楽器」と称されるまでに鍛え上げたセルの片鱗が見られるが、例えば、第1楽章の終結部のテンポの激変や、終楽章のアッチェレランドなど、セルにしては珍しい踏み外しも見られる。

セルに率いられたロンドン交響楽団は、第2楽章で美しい旋律を豊かに奏でたかと思うと、一転、終楽章では一糸乱れぬ超人的なアンサンブルで聴き手を圧倒する。

特に終楽章の気迫溢れる演奏は,ただ単に賑やかな演奏ではなく、緊張感溢れる演奏となっていて、ダイナミックな中にも細やかな味付けもされており、あっという間に聴き終えてしまう。

ロンドン交響楽団の許容力と懐深さによって貴重な「セルのチャイ4」が聴けたことに感謝したい気分だ。

こんな演奏は他に類例がなく、聴き終えたあと適度な興奮と余韻、爽やかな印象が残る、今だに色褪せない名盤である。

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2015年03月10日


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アシュケナージによるNHK交響楽団とのチャイコフスキー交響曲全集の完結篇で、最後を飾るに相応しい秀演であると思う。

アシュケナージについては、一般大衆はともかくとして、いわゆるクラシック音楽の通を自認する者の評判が芳しくないのは事実である。

語り口が甘すぎるとか、表情付けだけは巧みであるとか、芸術家としての厳しさに欠けるなど。。。

確かに、そのような批判にも一理あるとは思うが、だからと言って、アシュケナージの指揮(あるいは演奏)する楽曲のすべてが凡演ということにはならないのではなかろうか。

例えば、ラフマニノフの名演奏。

交響曲などを指揮しても、ピアノ協奏曲を演奏しても、いずれも、トップの座を争うほどの名演を成し遂げているではないか。

少なくとも、ラフマニノフを指揮(演奏)する限りにおいては、アシュケナージはまぎれもない巨匠と言うことができると考えている。

次いで、筆者は、チャイコフスキーを採りたいと思う。

ピアノ協奏曲第1番の演奏では、既に名演を遺しているが、交響曲も、ムラがあるものの、曲によってはなかなかの演奏を行ってきていると言える。

本盤の「第5」も、もちろん、ムラヴィンスキーやカラヤンなどの高みには達してはいないものの、なかなかの佳演と言ってもいいのではなかろうか。

アシュケナージはNHK交響楽団の精緻なアンサンブル力を存分に生かして、自然な流れの中でチャイコフスキーの力強い響き、叙情的な歌を描き出している。

取り立てて指摘すべき強烈な個性があるわけではないが、オーケストラを巧くドライブして、チャイコフスキーの音楽の素晴らしさを余すことなく表現した嫌みのない演奏であり、よき中庸を得た佳演と言ったところではなかろうかと思う。

演奏のスタイルは、この曲にありがちな劇場型、熱血型ではなく、シンフォニックで端正な佇まいを示したものだ。

第1楽章の盛り上がる部分も、コントロールが利いていて、過度に色を示していない。

逆に言うと、踏み込みが浅いと感じられる面もあるだろうが、終結部のシンフォニックなバランス感覚はレベルが高い。

第2楽章、第3楽章ともメランコリーにのめり込むことのない運びである。

もっとも美しいのは終楽章で、やや速めのインテンポで弦の小刻みなニュアンスを消さない配慮がシックな色合いを呈する。

このようなアプローチの結果、楽曲のイメージはやや悲しみの領域にシフトしていると考えられる。

NHK交響楽団の熱演ぶりも素晴らしく、アシュケナージの同曲に対する確信と、そこに導かれるオーケストラの絶妙な機能美を聴き取ることのできる演奏である。

また、エクストンによるSACDマルチチャンネル録音であるという点も、本盤の価値を高めることに貢献している。

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2015年03月09日


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チェコを代表する名手によって構成されるスーク・トリオによる円熟の名演である。

スーク・トリオによるチャイコフスキーの2度目の録音で、ピアノは名手パネンカ。

チェコの至宝として年輪を刻み、練り上げられたアンサンブルが奏でるスラヴの魂に脱帽してしまう。

パネンカ、スーク、フッフロといった3人の名手それぞれが最高のヴィルトゥオジティをもち、円熟を極めたころの名録音である。

ロシア・ピアノ音楽史上の巨星ニコライ・ルービンシュテインの死を悼んで書かれた、ロシアの大地を思わせる雄大なこの三重奏曲は、よほどアンサンブルがしっかりしていないと45分もの長丁場をもたせることは至難の業だ。

スーク・トリオは、各自の表現力のすべてをぶつけ合って、緊迫感あふれるスリリングで感動的な名演を聴かせる。

この曲は、チャイコフスキーが、偉大なピアニストであったニコライ・ルービンシュテインを偲んで作曲したため、ピアノ・パートが大変雄弁なものとなっているとも言われるが、スーク・トリオは室内楽としての息の合ったアンサンブルを磨きあげながらも、ピアニストのパネンカが素晴らしいヴィルトゥジティも発揮している。

彼らメンバー3人は夫々職人的名手で、派手なパフォーマンス抜きにチャイコフスキーの友人ピアニスト ニコライ・ルービンシュタインの死を悼む気持ちに落ちつき払いじんわりと、しかし一面烈しい共感性を表わした演奏を展開しており、素晴らしい名盤となっている。

スーク・トリオのアプローチは、何か個性的な解釈によって聴き手を驚かすような奇作を用いることはいささかもなく、どこまでも自然体のアプローチによって、チャイコフスキーの傑作ピアノ三重奏曲の魅力をダイレクトに聴き手に伝えてくれる点を高く評価したい。

もちろん、自然体と言っても、決して生ぬるいものではなく、各奏者の圧倒的な技量をベースとして、息の合った絶妙なアンサンブルの下、硬軟併せ持つ、いい意味でのバランスのとれた演奏を繰り広げている。

スーク・トリオによる演奏は、虚飾の無い、淡々とした演奏で、聴く者への媚びがなく、昨今の所謂スタープレイヤー共演の様な派手派手しいパフォーマンスとは無縁のボヘミア楽派の落ち着きが、チャイコフスキーの友人ピアニスト、ニコライ・ルービンシュテインの死を悼む気持ちに共感を増してくれる。

テンポはやや遅めであるが、1音1音丁寧に弾いていることが大きな特徴で、溢れ出る歌の美しさ、深い呼吸、綾なすヴィルトゥオジティ、同曲の必聴盤という評価は不変であろう。

第1楽章の哀切の音楽についても、チープなセンチメンタルには決して陥ることなく、高踏的な美しさを湛えている点が素晴らしい。

第2楽章の終結部の劇的で、力強い表現は、作曲者の心底を抉り出すような鋭さが支配している。

いずれにしても、本盤は、スーク・トリオを代表する名演であるとともに、チャイコフスキーの傑作ピアノ三重奏曲の数々の名演の中でも、かなり上位に位置づけられる理想的な名演と評価したい。

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classicalmusic

早稲田大学文学部哲学科卒業。元早大フルトヴェングラー研究会幹事長。幹事長時代サークルを大学公認サークルに昇格させた。クラシック音楽CD保有数は数えきれないほど。いわゆる名曲名盤はほとんど所有。秘蔵ディスク、正規のCDから得られぬ一期一会的海賊盤なども多数保有。毎日造詣を深めることに腐心し、このブログを通じていかにクラシック音楽の真髄を多くの方々に広めてゆくかということに使命を感じて活動中。

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