チャイコフスキー

2017年02月03日


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チャイコフスキーの音楽の魅力を洗練された響きと色彩で楽しむなら、デュトワ盤は最も魅力的で、かつバランスのよい演奏と言うべきだろう。

チャイコフスキーのいわゆる“3大バレエ”の中でも、とりわけデリケートなファンタジーを感じさせる《くるみ割り人形》をデュトワ指揮によるモントリオール交響楽団は実によく洗練された感性で、スマートに再現していく。

明るい色彩は豊かだし、各表現は的確に描き分けられ、間然としたところがなく、必要以上に重々しくならずに快い流動感を保ち続けているのは、デュトワの力量に負うところが大と言えよう。

ことさらバレエ的な雰囲気をかき立てるような演奏ではないが、洗練された響きと表現で細部まで生き生きと、すっきりした仕上げで、各ナンバーの特色や美しさを過不足なく味わわせてくれる。

かつてはラヴェルのスペシャリストとして注目を集めたデュトワは、確かに無機的な要素を含んだ近代の作品などに独特の卓越した手腕を発揮する指揮者であるが、ザッハリヒな一面をも含んだ彼のそうした持ち味は、対極にあるロマンティックな作品にも、彼ならではの価値ある成果を見せてくれるケースも少なくない。

そしてこのバレエ音楽《くるみ割り人形》は、その代表的な一例と考えてよい演奏であり、全体に爽やかで、テキパキと、チャイコフスキーの色彩的なオーケストレーションを再現した演奏である。

デュトワは、このバレエ音楽のロマンやファンタジーに溺れることなく、厳しくコントロールされた視点をもって作品に臨み、楽譜に秘められた作品の絶対音楽としての純粋な美しさに目を向け、誇張や個人的な思い入れを排して、それをくっきりと描出した演奏を展開している。

この種のロマンティックな作品は、演奏者によって演出が過剰になり、それが演奏を下品なものにしてしまう場合も多い。

しかし、個人的な感情の表出を抑え、禁欲的といえる姿勢で作品を再現しているデュトワは、それによってこの名作の無垢な美しさを引き出しているといってよいだろう。

舞踏音楽としての呪縛から開放して、純音楽的な妙味のみを追求していったような演奏で、比較的小さな編成で、きめ細やかな楽想を丹念に整い上げ、色彩的なオーケストレーションを瀟洒なサウンドで響かせる。

この演奏は、見方によっては常識的で差し障りのない内容であり、いわゆる個性や特徴は希薄である。

しかし、デュトワの醒めた情熱は、ひと昔前の名盤を生んだアンセルメがそうであったように、そのスマートで洗練された表現は、清潔で好感の持たれるものであり、結果的に歪みのない作品の美しさを浮き彫りにすることになったのであった。

特に「こんぺい糖の踊り」と「アラビアの踊り」は傑出していて、いわば純度の高いメルヘンの世界をみせつけられたような印象があり、私たちは、ここでデュトワの美学の意味を認識するべきである。

《オーロラ姫の結婚》は、《眠りの森の美女》の第3幕をベースに縮小改訂したディアギレフ版(全26曲)による演奏で大変貴重で価値が高い。

これは1922年にディアギレフのバレエ・リュスがパリ・オペラ座で上演した演目で、《眠りの森の美女》最大の見せ場である第3幕を中心に1幕ものに仕立て上げたもので、26曲から構成され、婚礼の宴で披露されるディヴェルティスマン風な内容としてまとめられている。

デュトワはこの音楽の持つ華麗な曲想、そして色彩的なオーケストレーションをフランス音楽でも手がけるかのごとく軽妙洒脱なタッチで描き上げ、くだんのチャイコフスキーとは感触が異なった、現実から遊離したメルヘンの世界に徹底してこだわるかのような極めて上品質な美演である。

モントリオール交響楽団の柔らかい響きも素敵で、演奏を細部まで鮮明に、しかもスケール感豊かに捉えた録音の優秀なことも大きな魅力だ。

まさに、指揮者、オーケストラ、録音と3拍子条件のそろった名盤と言えるだろう。

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2017年01月30日


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バレエ音楽に非凡な才能をみせてきた巨匠ドラティの優れた演奏で、彼のこの作品に対する自信のほどがはっきりと示された名演である。

この巨匠の3度目の全曲盤(1975年)であり、天下の銘器コンセルトヘボウ管弦楽団を指揮したこの録音は、ドラティの数多いアルバムの中でも屈指の名盤で、彼は過去の実績から言っても不思議とこのオーケストラとウマが合う。

ドラティは、ブダペストのフランツ・リスト音楽院でバルトークやコダーイに作曲を学び、1933年にモンテ・カルロを本拠とするロシア・バレエ団(バレエ・ルッス)の指揮者となり、1941年からアメリカのバレエ史上の大きな足跡を残したバレエ・シアターの創設に音楽監督として参加した。

そうしたドラティにとってチャイコフスキーのバレエ音楽は自家薬籠中の作品と言って良く、コンセルトヘボウ管弦楽団を意のままに動かしながら、丁寧に仕上げている。

まさに自他ともに認めるバレエのスペシャリストであったドラティがその円熟期に残したこの演奏は、細部まで的確に構成された明快でシンフォニックな表現とバレエとしてのドラマをバランス良く合わせそなえている。

ドラティはこのバレエ音楽のメルヘンチックな性格をあますところなく生かしながら、構成的な美しさを尊んだ演奏で、いかにもヴェテランらしい、貫禄十分の名演を展開している。

全曲を通じて、各場面の変化に富んだ描き方も秀逸で、まさに"バレエの神様"ドラティの面目躍如たる会心の演奏。

永年に渡ってあらゆるバレエ音楽を手がけてきたドラティだけあって、その棒が冴え渡り、細部に至るまで神経が行き届いた実に鮮やかな演奏で、リズム処理のうまさはこの指揮者独特のもの。

ヴェテランならではの巧みな表現をきびきびとしたリズムで運んでおり、コンセルトヘボウ管弦楽団がそうした演奏に美しい色彩を添えているのも魅力である。

ドラティは同曲のスコアを極めて綿密に読みつくしていることを思わせ、そのオーケストレーションがもたらす音色的な推移やリズムの変化などを鮮明に描き出しながら、このバレエ音楽の踊りと情景とを見事な構成感のもとに表出している。

彼は、確信にみちた運びの中に力感あふれる表現をしなやかに行き渡らせ、70歳を越えた指揮者のものとは思えないほどの力感と情熱にあふれ、風格あふれる運びと精緻な表現で、音楽の細部を実に的確にバランスよく描きながらも急所はピタリと押さえ、全編が精密に構成されている。

この柔軟で確かなバランスゆえに、聴き手は音楽の大きな流れと新鮮な生命感をたたえた演奏の中にも、細部の魅力を無理なく味わえる。

細部まで実に的確な切れ味の良い表現が生き生きとしなやかに織りなされており、その精緻な美しさと全曲を見通した構成の良さは、数あるこのバレエ音楽の演奏の中でも群を抜いている。

しかも、作品を知りつくした巨匠は、各曲をいかにもバランスよく鮮明に描き分けて、見事なドラマをつくってゆく。

ドラティの指揮は設計が綿密で、しかも演出と表情づけが実にうまく、夢幻的な舞台の雰囲気が手にとるようによくわかるが、こうした表現は実際の舞台の経験が豊富なこの人ならではのもので、コンセルトヘボウ管弦楽団の鋭敏でしなやかに強い集中力をもった反応も素晴らしい。

豊麗なオーケストラの音色も、このグランド・バレエにふさわしく、メロディー・メーカー、チャイコフスキーの旋律美を存分に堪能することができる。

バレエ音楽のスペシャリスト、ドラティという指揮者の並々ならぬ底力のほどを、改めて思い知らされるような演奏であり、彼の透徹した解釈が年輪を加えることによって、いっそう見事な香気を放った名演と言うべきだろう。

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2016年12月31日


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1996年4月、本CDが初出されたときには少なからぬ衝撃を受けた。

こんな凄い名演が指揮者の許可を得られないまま、37年間もオクラになっていたというのだから…。

フェレンツ・フリッチャイは、第2次世界大戦後の混迷したヨーロッパ楽界に彗星のように登場し、モノラル録音の時代からステレオの初期に活動し、数多くのレパートリーを次々と録音してきた。

フリッチャイは1953年にベルリン・フィルと第1回目の『悲愴』をセッション録音していて、そちらでは彼のストレートな解釈と覇気が否応なく伝わってくるが、臨場感にやや乏しいモノラル録音なのが惜しまれる。

一方この演奏はその6年後に手兵ベルリン放送交響楽団(旧RIAS)を振った、極めて良好なステレオ録音で、スコアのテクスチュアを明確に描く手法とアンサンブルの手堅さ、見せ掛けの迫力や感傷性を嫌った真摯な音楽作りは変わっていないが、オーケストラのダイナミズムの多様さや柔軟なテンポの変化によって更に深みが増している。

このセッションは彼が白血病による闘病生活の後、一時的な小康状態を得て演奏活動を再開した頃のもので、病を境にその芸術が一変し、中でもこの『悲愴』は2度目の手術後の再起第1作として、またドイツ・グラモフォン初の『悲愴』ステレオ録音(ムラヴィンスキー盤より前)として意義深いものだ。

2年後には再び活動の中断を余儀なくされ1963年に49歳の若さで早世したが、晩年まで彼の演奏には病的な脆弱さは微塵もなく、バイタリティー溢れる指揮ぶりはこの『悲愴』でも決して衰えをみせていない。

最近はこんな演奏は皆無であるが、とにかく『悲愴』という音楽が最も雄弁に、劇的に、抒情的に、内容的に、かつ音楽的、芸術的に語りかけてくるのだ。

全体的に清澄な雰囲気があり、第1楽章の主部がフォルテで出るところから、フリッチャイの指揮は共感に溢れ、展開部のクライマックスでも濁りのないくっきりとしたオーケストラの総奏が印象的だ。

第2楽章の変拍子のワルツでは鮮やかな回想をイメージさせるし、最初のチェロから他の演奏とは別次元にある。

第3楽章の狂想を叫ぶようなマーチにもすべての音に意味があり、コーダの加速はフルトヴェングラーを彷彿とさせる。

一変する終楽章の雄弁な沈潜、銅鑼の音が響き、弦は全員夢中になっての体当たりで、ブラスのコラールからコーダまでは臓腑を抉るような寂寥感を残している。

この曲だけを聴いていてもフリッチャイが枯渇することのない溢れんばかりのアイデアを着々と実現していたことが理解できるし、その余りにも早過ぎた死が悔やまれてならない。

フリッチャイが1音1音を慈しみ、万感を胸に抱き演奏されたこの『悲愴』は彼の時代を明確に刻む記念碑と言えるところであり、当時のベルリン放送交響楽団の巧さも特筆される。

フリッチャイは改名以前のRIAS交響楽団の初代首席指揮者であり、彼によって鍛えられた精緻なアンサンブルや揺るぎない機動力はこの頃ほぼ全盛期に達していたと言えるだろう。

尚1993年に彼らは2度目の改称でベルリン・ドイツ交響楽団として現在まで演奏活動を続けている。

ベルリンには10団体を下らないオーケストラがひしめいていて、ヨーロッパではロンドンに優るとも劣らないオーケストラ王国だが、この1959年の『悲愴』はベルリン放送交響楽団の最も輝かしかった時代の記録としての高い価値を持っている。

当ディスクはSHM−CDで、その他にSACD及びマニアックなファンのためのLP盤の3種類のバージョンがリリースされているが、勿論フリッチャイ・グラモフォン・コンプリート・レコーディング集の第1巻にもレギュラー・フォーマットで収録されている。

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2016年09月26日


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本盤に収められたチャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番とラフマニノフのピアノ協奏曲第2番は、アシュケナージがチャイコフスキー国際コンクールで優勝した翌年(1963年)のデビューしたばかりの頃のものである。

若干26歳の時の演奏であるが、両曲ともすぐれたテクニックを土台にしたリリシズムによって、遅めのテンポで弾いており、大変ニュアンスが豊かで、万人向きの後味の良い演奏を聴くことができる。

アシュケナージについては、音楽評論家の間でも賛否両論があるのは周知の事実である。

特に、とある影響力の大きい有名な某音楽評論家が、アシュケナージの演奏を甘口で厳しさが微塵も感じられないなどと酷評しており、それを真に受けた相当数の聴き手がアシュケナージに対してある種の偏見を抱いていることは十分に想定されるところだ。

某音楽評論家の見解の真偽はさておき、チャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番におけるアシュケナージは、そのような見解を一喝してしまうような凄みのあるピアニズムを披露している。

楽曲の核心に向かって畳み掛けていくような凄みのある気迫や生命力は、圧倒的な迫力を誇っている。

卓越した技量は当然のことであるが、技量一辺倒の薄味な演奏に陥ることはいささかもなく、どこをとっても、切れば血が吹き出てくるような灼熱の如き情感に満ち溢れている。

こうした阿修羅の如きアシュケナージのピアノを下支えしているのが、若き日のマゼールとロンドン交響楽団による豪演だ。

1960年代のマゼールは、楽曲の核心に鋭く切り込んでいくような前衛的な指揮を行っていたところであり、本演奏でも、そうしたマゼールの凄みのある指揮を堪能することが十分に可能だ。

しかもマゼールの指揮は明快な若々しさに、柔らかく優雅な雰囲気をも加えている。

いずれにしても、本演奏は、若きピアニストと若き指揮者の才能が奇跡的な化学反応を起こした一世一代の超名演と高く評価したい。

アシュケナージは、特にラフマニノフの演奏については、指揮者としてもピアニストとしても、他の追随を許さないような素晴らしい名演の数々を成し遂げてきていると言えるところだ。

同じくロシア人であるということに加えて、旧ソヴィエト連邦からの亡命を図ったという同じような境遇が、アシュケナージのラフマニノフに対する深い共感に繋がっていると言えるのかもしれない。

アシュケナージは、ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番をピアニストとして3度にわたってスタジオ録音しており、いずれ劣らぬ名演であるが、この中で、フレッシュかつ繊細で、畳み掛けるような気迫と強靭な生命力を有した演奏は、本盤の最初の録音であると考えられるところだ。

前述のように、チャイコフスキー国際コンクールで優勝し、飛ぶ鳥落とす勢いであったアシュケナージの好調ぶりを窺い知ることが可能な演奏とも言えるところであり、そのなりふり構わぬ音楽の進め方には、現在の円熟のアシュケナージには考えられないような、凄まじいまでの迫力を感じさせる。

バックは、ロシア音楽の名演で名高いコンドラシン指揮モスクワ・フィルであるが、切れ味の良さが聴きもので、若きアシュケナージのピアノ演奏をしっかりと下支えするとともに、同曲の有するロシア風のメランコリックな抒情を情感豊かに表現しているのが素晴らしい。

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2016年05月12日


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メロディアからリリースされたレオニード・コーガン(1924−82)生誕90周年記念の協奏曲集である。

ブラームスがピエール・モントゥー指揮、ボストン交響楽団との1958年のモノラル・ライヴ、チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲及びソロ・ヴァイオリンとオーケストラのための『瞑想』はコンスタンティン・シルヴェストリ指揮、パリ音楽院管弦楽団との1959年のステレオ・セッション録音になる。

ブラームスでは速めのテンポで疾駆するコーガンのソロが全曲を席捲していて、曲自体の持っている豊かなカンタービレとブラームス特有のうねるような情緒がいくらか萎縮してしまっている印象を受ける。

確かに強靭な精神力で弾き切っているのは事実でその緊張感と集中力は凄まじいが、音楽の流れがせわしくもう少し余裕が欲しいところだ。

モノラル録音で音響もデッドなので尚更そう聴こえるのかも知れない。

モントゥーは同年にシェリングともこの曲を録音しているが、テンポ設定はずっと落ち着いていてダイナミズムもきめ細かいしオーケストラに遥かに多くを語らせていて、シェリングの白熱のソロを見事にサポートしている。

尚このライヴでは何故か楽章ごとに拍手喝采が入っていて多少煩わしく感じられる。

一方チャイコフスキーはコーガンの持ち味が縦横に発揮された秀演で、ロマンティックな歌心と隙のない表現力が相俟って、彼の協奏曲の録音の中でも代表的なもののひとつに数えられるだろう。

第一声のテーマの歌い出しの美しさや第2楽章に湛えられた冷やかな抒情から終楽章のキレの良いテクニックを駆使した追い込みまでが大きなスケールで再現されている。

シルヴェストリ率いるパリ音楽院管弦楽団も良く統制されて巧妙なバックアップでコーガンを支えている。

最後に置かれた同メンバーによる『瞑想』は大曲の後の余韻を味わう贅沢なアンコール・ピースといったところで、こうした小品にもコーガンの技巧一点張りではないデリカシーが表出されている。

メロディア・レーベルのジャケットのデザインや装丁は相変わらず洒落っ気がないが、彼らもデジパック仕様を始めた。

CD化で初出のライヴと書かれてあるが、ライヴはブラームスだけで、チャイコフスキーの2曲は質のよいステレオ録音で、録音データが1959年としか表示されておらず、また客席からの雑音や拍手が全く聞こえないのでセッションだろう。

ブラームスはカナダのドレミ・レーベルから既にCD化されていたが、正規音源を使ったLPからの板起こしと思われる。

挿入されたライナー・ノーツには露、英、仏語の簡易な曲目解説とコーガンへの賛辞が掲載されている。

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2016年03月09日


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チャイコフスキーの3大バレエ音楽には様々な名盤が存在するが、現代のスタンダード的な名演と評せるのはゲルギエフ&マリインスキー劇場管弦楽団盤であろう。

ゲルギエフは、とかくクールな最近の指揮者の中で飛びぬけてスケールの大きな音楽性とヴァイタリティの持ち主であるが、その強みは彼が根っからの劇場育ちというところにあるといってよいだろう。

35歳という若さで名門サンクトペテルベルク・マリインスキー劇場の芸術監督という重責を担い、ソ連崩壊による混乱期を見事に乗り切った手腕は、並々のものではないし、その活動が祖国にしっかり根を下ろしているのも、心強い限りである。

抜群の音楽性や指揮テクニックだけでなく、自分の音楽にこうしたバックボーンを持っていることがゲルギエフへの信頼をいっそう大きなものにしているといってよいだろう。

「スーパー・ダイナミック・コンダクター」といわれるようにきわめてエネルギッシュな指揮は、同時にロマンティックで抒情的な表現にも秀でている。

しかもその才能の大きさに加えて、統率力とカリスマ性も現代の指揮者の中で群を抜いており、今世紀の音楽界を担う巨匠として活躍の幅を広げているのである。

ところで自由化のあと退潮の傾向を見せるところが多かった旧東側あるいは旧ソヴィエトの中で、サンクトペテルブルクのマリインスキー劇場はゲルギエフを音楽監督に迎えたことによって、予期せぬほどの好調ぶりを示した。

オーケストラもアンサンブルを整え、機能的な表現力を増して、かなり上質なものとなったが、このチャイコフスキーの3大バレエにも、それが明らかにされている。

どちらかといえばバレエのテクニックや舞台をそれほど意識したものではなく、演出やプリパレーションを含む振付けとの関連などはほとんど考えさせないほど、オーケストラルなレパートリーとなりきっていて、それだけに、ディスクとしてはいっそう楽しめる。

緊密なアンサンブルを率いて、パワフルかつハイ・テンションで突き進むゲルギエフの熱さにひるんでしまうが、表現にもオケの響きにも、生半可な洗練を持ち込まず、むしろ開き直ってゴリゴリとやってのけたところに、ゲルギエフの野性本能を感じる。

それだけにロマンティックな夢に浸らせる以上に、ドラマとしてのバレエ音楽に誘うシンフォニックなチャイコフスキーといえよう。

平坦に、浅く流れず、演奏全体が旋律もリズムも響きも垂直に積み重ねられていくような密度を誇り、曲が進めば進むほど感動の深度も深められていく。

ゲルギエフのもとで鍛え抜かれたマリインスキー劇場管弦楽団がすばらしく、気高く輝かしいロシアン・サウンドを満喫させる。

特に、《眠れる森の美女》は、《白鳥の湖》や《くるみ割り人形》に比べると、際立って特色のある音楽があまりないので、下手をすると平坦になってしまうし、それに結構長いので、まとめ方がちょっと難しいように思うのだが、そういうなかでゲルギエフは長さを感じさせず巧くまとめていると思う。

それに加えてゲルギエフは、ロシア人としての自信に溢れた表現で聴かせてしまうところが面白いのではないだろうか。

《くるみ割り人形》は、全曲がCD1枚に収まってしまうくらいかなりテンポが速いが、その一気呵成にタッタッとやったところが、逆に面白い。

その一方で、ゲルギエフの演奏は常に1曲ずつが、それぞれ手作りの料理みたいな印象を与える。

オーケストレーションにおいて既に巨匠の域に達していたチャイコフスキーが秘術を尽くしたこの大作バレエのスコアでも同様、あたかも一部屋ずつ、魔法の扉を初めて開けてゆくような鮮度の高さで料理してみせるのだ。

その演奏を特徴づけているのが弦の奏法で、序曲から終景の〈グラン・パ・ド・ドゥ〉まで、一味違った表現が新鮮な驚きをもたらす。

《白鳥の湖》で使用しているマリインスキー版はなかなかのクセモノで、チャイコフスキーのオリジナル・スコアに、削除や短縮、編曲、さらには他曲の挿入まで施される。

通常耳にする全曲盤はオリジナル譜を元にしているから、かなりの変更に戸惑うかもしれないが、本盤の演奏の方がより実際のバレエ上演に近いのである。

というのも《白鳥の湖》がプティパとイワーノフの演出によって蘇演された1895年以来、このバレエは猝昇遶瓩箸靴読堝阿涼楼未鮴蠅瓩襪海箸砲覆襪里世、本盤はその歴史的な蘇演をそのまま復元した画期的な演奏なのだ。

まさに、本場ならではの狎犬た演奏瓩粘咾れており、百年以上前に蘇演を手がけた由緒ある同オケに演奏を託したこともまた、この盤の真価を高めている。

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1982年にデジタル録音され、翌年7月に発売されたチャイコフスキー/3大バレエ音楽の全曲盤セット。

ランチベリーは、現在では知る人ぞ知るという存在に甘んじているが、バレエ音楽を専門にしている人だけあって、本BOXに収められたチャイコフスキーの3大バレエは、テンポ設定とリズム処理が巧みで、しかも各場面の情景描写が実にうまく、そうしたランチベリーの資質に見事に合致する楽曲であり、素晴らしい名演に仕上がったと言っても過言ではあるまい。

ランチベリーが自家薬籠中のものとしているチャイコフスキーのバレエ音楽だけに、巧みな棒さばきで各場面を的確に描き分けながら、作品の幻想的な持ち味をあますところなく表出している。

演奏スタイルは典型的な英国のロイヤル・バレエの流れを汲むもので、構成重視で洗練されたものであり、プレヴィンやボニングなどの演奏に近い。

前項で紹介したスヴェトラーノフのようなロシア的な民族色を全面に出したあくの強い表現など薬にもしたくなく、どこをとっても軽快で洗練された音彩に満たされているのが特色だ。

ランチベリーの本演奏におけるアプローチは明快そのものであり、楽曲を難しく解釈して峻厳なアプローチを行うなどということとは全く無縁であり、楽曲をいかにわかりやすく、そして親しみやすく聴き手に伝えることができるのかに腐心しているように思われる。

この『くるみ割り人形』『眠りの森の美女』『白鳥の湖』の全曲ヴァージョンでも、洗練された豊かな色彩と華麗なダイナミズム、そしてなめらかなフレージングを駆使してしっとり美しいチャイコフスキーならではの魅力を見事に表現している。

ランチベリーは前述のように、バレエ音楽のスペシャリストと言われているだけに、これらの曲を実に甘美でロマンティックな雰囲気で、表現し尽している。

全体にややテンポを速めにとりながらも、チャイコフスキー独特の抒情的な旋律をたっぷりと歌わせながら、どの曲も表情豊かにまとめている。

聴かせどころのツボを心得た演出巧者ぶりは心憎いばかりであり、ランチベリーの豊かな音楽性が本演奏では大いにプラスに働いている。

情緒的なものに過度にのめり込むことなく、かといって、非情につぱねるようなこともなく、知情意のバランスが無理なくとれていて、どの角度からみても、ランチベリーならではの、安定した性格の演奏と言えよう。

決してとりわけ優美であるとか、ファンタジー的であるという性格ではないが、個々のことが整然と把握されており、全体のバランスがよく、洗練されたスマートなプロポーションで、ランチベリーの力量のほどを物語るような安定した出来ばえを誇る内容だ。

ランチベリーとしても一番指揮者として脂がのっていた時期と言えるところであり、快速なテンポながらオーケストラをしっかり統率する様は充実感にあふれている。

ランチベリーのアプローチは、聴かせどころのツボを心得たわかりやすさを信条とするもので、何よりも各バレエの性格を的確につかんで、キャラクタライズする彼の手腕には感嘆させられる。

交響曲ではなく、バレエ音楽だけに、このようなアプローチは理想的であり、チャイコフスキーならではの親しみやすい旋律に満たされた同曲の魅力を、我々聴き手は安定した気持ちで満喫することができるのが素晴らしい。

いわゆるシンフォニックなコンサート・スタイルというより、バレエの舞台を彷彿とさせる劇場的な表現であるが、巧みに弦と管を融合させたオーソドックスな音楽づくりが、これらの曲の真髄を誤りなく、聴き手にメッセージされるのである。

その語り口の巧さといい、音楽的な洗練度といい、未だに魅力を失っておらず、文句のつけようがない見事な名演と言えるだろう。

全体として非常に完成度の高い出来ばえで、ほどよい距離を保ちながら、全体を的確に把握しており、危うさがない。

この3大バレエ全曲盤を聴くと、チャイコフスキーのバレエ音楽の楽しさを十分味わうことができる。

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2016年03月07日


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チャイコフスキーのバレエ音楽には、アンセルメやデュトワによる洗練された色彩美を誇る名演や、プレヴィン、ボニングによる英国ロイヤル・バレエの流れを汲む名演、そしてロジェストヴェンスキー、フェドセーエフ、ゲルギエフなどによるロシア風の民族色溢れる名演などがあまた存在しているが、このスヴェトラーノフによる演奏は、前述のロシア風のあくの強い民族的な流れを最も感じさせる超個性的な名演と言うことができよう。

ラフマニノフの交響曲全集とともにスヴェトラーノフが遺した最高傑作の呼び声もある同アルバムは、今でもチャイコフスキーのバレエ音楽の最上演奏のひとつとして高く評価されている。

また再評価され高い人気を誇るスヴェトラーノフ・ファン必聴のアルバムであり、ロシア国立交響楽団のまさにロシアの広大な大地を彷彿させる咆哮サウンドは現在世界のどのオーケストラも出すことのできない強靭なサウンドである。

チャイコフスキーの3大バレエ音楽は、言うまでもなく以前からきわめて人気のある作品である。

そして、“バレエ音楽の神様”と評されたアンセルメやドラティの名演を始めとして、前述の様々な指揮者によって《白鳥の湖》《眠れる森の美女》《くるみ割り人形》の名盤がいくつも誕生するに至っている。

これらはいずれも素晴らしい名演であり、客観的な視点で評価すると、プレヴィン&ロンドン交響楽団が最も万人向けな誰にでも安心して薦めることのできる名演との評価に値すると思われるが、好き嫌いで言うと、筆者が最も好きなチャイコフスキーの3大バレエの演奏は、本BOXに収められたスヴェトラーノフによるいかにもロシア的なあくの強い演奏である。

本BOXに収められた諸曲の演奏は、おそらくはそれぞれの諸曲の演奏史上でも最もロシア的な民族色の濃い個性的な演奏と言えるのではないだろうか。

トゥッティにおける咆哮する金管楽器群の強靭な響き、あたりの空気が震撼するかのような低弦の重々しい響き、雷鳴のように轟くティンパニ、木管楽器やホルンの情感のこもった美しい響きなどが一体となり、これ以上は求め得ないようなロシア風の民族色に満ち溢れた濃厚な音楽の構築に成功している。

その迫力は圧倒的な重量感を誇っており、あたかも悠久のロシアの広大な大地を思わせるような桁外れのスケールの雄大さを誇っている。

何よりも真実味に富んだ音楽的な感興があり、しかも全体の設計に無理がなく、平衡感の強い造形で、各パートも細部までよく練られ、明晰な音楽が生まれている。

この決然とした表現はロシアの血の表明であり、聴き手を説得せずにはおかない本場物のよさがある。

バレエのダンサーからすると、このあくの強い演奏は踊るのに不向きとの声も聞かれそうだが、長編の交響詩風の演奏は他のどの指揮者よりも説得力があり、聴いた後の充足感には比類のないものがある。

まるで重量物が大きく弾む様を思い浮かばせるが、スヴェトラーノフとロシア国立交響楽団によるこうしたロシア的特質は、豪壮雄大なロシアのオーケストラの音楽の特徴を今に伝える貴重な存在と言えよう。

金管にロシア風の強烈さがあるのは当然だが、ここまで洗練された感覚美を感じさせるのはロシアのオケではあまり例がない。

いずれにしても、ロジェストヴェンスキー、フェドセーエフ、ゲルギエフなどのロシア系の民族色の強い演奏の系譜の中では、このスヴェトラーノフの演奏はその最右翼に位置する破格の名演として高く評価したいと考える。

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2016年02月28日


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キタエンコ&ケルン・ギュルツェニヒ管弦楽団によるチャイコフスキーの交響曲チクルスの完結編の登場だ。

チャイコフスキーの第7番は、作曲者の死後に補筆完成された作品である。

第6番に先立って作曲していたが、作曲者が気に入らなくなって破棄した楽譜を編集したいわくつきのものである。

ピアノ協奏曲第3番にもその片鱗が見られるが、交響曲の形で聴いてみると、さすがに第6番の高みには到底及ばないものの、チャイコフスキーならではの美しい旋律に満ち溢れた作品であるということはわかる。

本演奏を聴いて思うのは、ロシア系の指揮者にとってのチャイコフスキーの交響曲は、独墺系指揮者にとってのベートーヴェンの交響曲のような、仰ぎ見るような高峰に聳える存在なのではないかということだ。

というのも、キタエンコと同様に、チャイコフスキーの交響曲全集の録音を完成したプレトニョフもそうであるが、他の作曲者による楽曲、例えば、プレトニョフであればベートーヴェンの交響曲全集やピアノ協奏曲全集による演奏におけるようないささか奇を衒った個性的な解釈を施すということはなく、少なくとも演奏全体の様相としては、オーソドックスなアプローチに徹していると言えるからである。

キタエンコと言えば、カラヤンコンクールでの入賞後、旧ソヴィエト連邦時代のモスクワ・フィルとの数々の演奏によって世に知られる存在となったが、モスクワ・フィルとの演奏は、いわゆるロシア色濃厚なアクの強い演奏が太宗を占めていたと言える。

これは、この当時、旧ソヴィエト連邦において活躍していたムラヴィンスキー以外の指揮者による演奏にも共通していた特徴とも言えるが、これには、オーケストラ、とりわけそのブラスセクションのヴィブラートを駆使した独特のロシア式の奏法が大きく起因していると思われる。

加えて、指揮者にも、そうした演奏に歯止めを効かせることなく、重厚にしてパワフルな、まさにロシアの広大な悠久の大地を思わせるような演奏を心がけるとの風潮があった。

ところが、そうした指揮者の多くが、スヴェトラーノフのような一部例外はあるが、旧ソヴィエト連邦の崩壊後、ヨーロッパの他国のオーケストラを自由に指揮するようになってからというもの、それまでとは打って変わって洗練された演奏を行うようになった。

キタエンコについても、それが言えるところであり、本演奏においても、演奏全体の外観としては、オーソドックスなアプローチ、洗練された様相が支配していると言えるだろう。

もっとも、ロシア風の民族色を欠いているかというとそのようなことはなく、ここぞという時の迫力は、ロシアの広大な悠久の大地を思わせるような力強さに満ち溢れている。

そして、ケルン・ギュルツェニヒ管弦楽団のドイツ風の重厚な音色が、演奏全体にある種の落ち着きと深みを付加させているのを忘れてはならない。

いずれにしても、本盤の演奏は、キタエンコによる母国の大作曲家であるチャイコフスキーへの崇敬、そしてキタエンコ自身の円熟を十分に感じさせる素晴らしい名演と高く評価したいと考える。

併録のジルベルシテインをソリストに迎えたピアノ協奏曲第3番も、交響曲第7番と同様の性格による素晴らしい名演だ。

そして、本盤の素晴らしさは、マルチチャンネル付きのSACDによる極上の高音質録音である。

SACDの潜在能力を十二分に発揮するマルチチャンネルは、臨場感において比類のないものであり、音質の鮮明さなども相俟って、珠玉の仕上がりである。

いずれにしても、キタエンコ&ケルン・ギュルツェニヒ管弦楽団による素晴らしい名演を、マルチチャンネル付きのSACDによる極上の高音質で味わうことができるのを大いに喜びたい。

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2016年02月21日


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一世を風靡したチャイコフスキーの“3大バレエ”の不滅の名盤で、アンセルメによるそれぞれ唯一の全曲盤。

アンセルメは80歳に近い晩年にチャイコフスキーの3大バレエを一挙に録音したが、クラシック・バレエのいわばバイブル的な作品演奏の“奥義”を後世に残す目的も少なからずあったように思える。

爛丱譽┣山擇凌斥有瓩半里気譴織▲鵐札襯瓩蓮⊆磴日にディアギレフのロシア・バレエ・リュスの専属の指揮者を務めたという経歴の持ち主で、モントゥーと共に数々の新作バレエに取り組み、歴史的な舞台に立ち会ったことは周知のとおり。

アンセルメのバレエ音楽に対する知識と実践的な技術はこの時育まれ、鍛え上げられたのである。

同時代の音楽を得意にしたアンセルメは、チャイコフスキーのバレエ音楽でも、的確なテンポを設定して、リズムを必要に応じてきちんとキープする一方で、恣意的なためを用いないアプローチを繰り広げており、作曲者特有の甘いメロディを趣味よく奏で上げている。

その軽やかで明るいアプローチは、やや好き嫌いが分かれるかもしれないが、過度にもたれることなく、よく耳になじむ演奏が展開されている。

アンセルメの演奏にはすっかり安心して身を委ねられる、何か、とても大きなものがあって、おじいさんが炉端で子供たちに語って聞かせてくれているような、そんな温かい響きがある。

《白鳥の湖》の演奏は、クールで淡泊ではあるが、推敲され尽くした精妙で入念な表現を楽しませてくれる。

メリハリには乏しい反面、淡くデリケートな色彩感がすばらしく、さらにその誇張を排したケレン味のない表情の美しさは、アンセルメならではのものだ。

《眠りの森の美女》の演奏も、表面的には少し淡泊であり、興奮や感動には欠けるが、聴くほどに味のでる熟演と言ってよいだろう。

コントロールされた表情の美しさや巧妙なリズム処理などは、この演奏の得難い聴きどころとして注目される。

几帳面かつ克明に作品を描きあげた《くるみ割り人形》も、表現傾向としては少し淡泊であるが、このバレエの童画的なおとぎの世界をきわめて巧みな演出でリアリゼしている。

作品の意味と特徴を入念に吟味した演奏であり、練達の棒さばきが特筆される名演で、いろいろなキャラクターの入り混じったこの曲全体を、見事な感情のコントロールのもとに、実に上品に、典雅にまとめてしまう。

それでも一般の聴き手にとって、アンセルメの残した録音はそれほどの価値を見いだせないかもしれないが、ダンサーにとってその評価は絶大なものとなる。

メリハリの利いたリズムや踊りに最適なテンポ、そして独特の間のとり方など、実舞台のバレエの寸法に対応した演奏であることは現代でも変わらない。

一言でいえば、アンセルメの演奏は爐修里泙淪戮譴覘瓩里任△襦

テンポの設定からリズムのとり方、そして間のとり方まで、見事に踊りに適合する。

この盤は、そういう意味ではバレエ音楽のまさに“普遍的”と言い得る演奏で、バイブル的存在といえるのである。

なお全曲盤とはいえ、録音当時に行なわれていた慣習的なカットが施されているのは、仕方のないところだろう。

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2015年09月01日


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1875年に作曲されたチャイコフスキーの第3番の交響曲は「ポーランド」という副題が付されているが、これは第5楽章の主題にポーランド舞曲である「ポラッカ」のリズムが用いられているから。

それなら第2楽章が「アッラ・テデスカ(ドイツ風)」と題されているので「ドイツ」でもいいのでは?という疑問はさておき、全体に漲る明るさと活気が愛されている作品である。

第1楽章はなぜか「葬送行進曲」風に始まるが、第1主題はニ長調の美しい音楽で、第2楽章は3拍子なのだがワルツではなくレントラー(ここがドイツ風)である。

第3楽章は落ちつきのある牧歌風の音楽で、第4楽章はチャイコフスキーらしい風が戯れるような軽やかなメロディ、そして力強く堂々とした終楽章を迎える。

キタエンコはいつものように壮大で勇壮な部分を強調しながらも、繊細さを打ち出すメリハリのある演奏で楽しませてくれる。

本演奏を聴いて思うのは、ロシア系の指揮者にとってのチャイコフスキーの交響曲は、独墺系指揮者にとってのベートーヴェンの交響曲のような、仰ぎ見るような高峰に聳える存在なのではないかということだ。

というのも、キタエンコと同様に、チャイコフスキーの交響曲全集の録音を完成したプレトニョフもそうであるが、他の作曲者による楽曲、例えば、プレトニョフであればベートーヴェンの交響曲全集やピアノ協奏曲全集による演奏におけるようないささか奇を衒った個性的な解釈を施すということはなく、少なくとも演奏全体の様相としては、オーソドックスなアプローチに徹していると言えるからである。

キタエンコと言えば、カラヤンコンクールでの入賞後、旧ソヴィエト連邦時代のモスクワ・フィルとの数々の演奏によって世に知られる存在となったが、モスクワ・フィルとの演奏は、いわゆるロシア色濃厚なアクの強い演奏が太宗を占めていたと言える。

これは、この当時、旧ソヴィエト連邦において活躍していたムラヴィンスキー以外の指揮者による演奏にも共通していた特徴とも言えるが、これには、オーケストラ、とりわけそのブラスセクションのヴィブラートを駆使した独特のロシア式の奏法が大きく起因していると思われる。

加えて、指揮者にも、そうした演奏に歯止めを効かせることなく、重厚にしてパワフルな、まさにロシアの広大な悠久の大地を思わせるような演奏を心がけるとの風潮があった。

ところが、そうした指揮者の多くが、スヴェトラーノフのような一部例外はあるが、旧ソヴィエト連邦の崩壊後、ヨーロッパの他国のオーケストラを自由に指揮するようになってからというもの、それまでとは打って変わって洗練された演奏を行うようになった。

キタエンコについても、それが言えるところであり、本演奏においても、演奏全体の外観としては、オーソドックスなアプローチ、洗練された様相が支配していると言えるだろう。

もっとも、ロシア風の民族色を欠いているかというとそのようなことはなく、ここぞという時の迫力は、ロシアの広大な悠久の大地を思わせるような力強さに満ち溢れている。

そして、ケルン・ギュルツェニヒ管弦楽団のドイツ風の重厚な音色が、演奏全体にある種の落ち着きと深さを付加させているのを忘れてはならない。

いずれにしても、本盤の演奏は、キタエンコによる母国の大作曲家であるチャイコフスキーへの崇敬、そしてキタエンコ自身の円熟を十分に感じさせる素晴らしい名演と高く評価したいと考える。

そして、本盤の素晴らしさは、マルチチャンネル付きのSACDによる極上の高音質録音である。

SACDの潜在能力を十二分に発揮するマルチチャンネルは、臨場感において比類のないものであり、音質の鮮明さなども相俟って、珠玉の仕上がりである。

いずれにしても、キタエンコ&ケルン・ギュルツェニヒ管弦楽団による素晴らしい名演を、マルチチャンネル付きのSACDによる極上の高音質で味わうことができるのを大いに喜びたい。

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2015年08月20日


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オイストラフ51歳の時のセッションで、彼の最も脂ののっていた頃の録音だけあって、すこぶる彫りが深く、彼の円熟期の特徴でもある、あらゆる面において万全なバランスを保った演奏が秀逸。

チャイコフスキーはロシア的情感を濃厚に表出した秀演で、中庸の美とも言うべき安定感と音色の美しさが堪能できるし、スケールも大きく、訴えかける力も強い。

また、第3楽章アレグロ・ヴィヴァーチッシモでの決して音楽性を失うことのないパワフルな俊敏さも流石だ。

一方シベリウスはオイストラフならではの気迫を感じさせるが、感情移入に凝り過ぎないしっかりした構成力と鮮やかな技巧で、より普遍的で堂々たる音楽の美しさを聴かせてくれる。

また、伴奏のうまさも特筆すべきものであり、オーマンディ率いるフィラデルフィア管弦楽団の明るくスペクタクルな音響は、ソロと意外なほど相性が良く十全な協演をしている。

ここに収められた2曲に共通していることは、ロマンティックな抒情に流されることなく、理知的で懐の深い解釈を磨きぬかれたテクニックと艶やかな音色で奏でていることだろう。

オイストラフはこれ見よがしの安っぽいテクニックを嫌って、アンコールにおいてさえ聴衆のご機嫌を取るような技巧的な曲を全く弾かなかった。

それがオイストラフの美学でもあり、言ってみれば玄人受けするヴァイオリニストだった。

しかしオイストラフの演奏は、他の多くのソリストがまだロマン派的な奏法を引きずって互いに個性を競っていた時代にあって、恣意的な表現を抑え、作品をよりストレートに再現することを心掛けた新しい解釈において常に模範的であり、そうした意味でこのCDは入門者のファースト・チョイスとしてもお薦めできる。

どちらも1959年の録音だが、その音質の良さに先ず惹かれる。

ヒス音が多少入っているが、音像の広がりやソロならびにオーケストラの個々の楽器の解像度もかなりの水準で、低音にも不足しておらず、初期ステレオ録音の中でも大変優れたもののひとつと言える。

DSDマスタリングのリイシュー盤で、広めの空間に音を解放する形で再生するのであれば理想的な音響空間が得られる。

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2015年07月30日


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1970年代半ばのカラヤンは、耽美的表現が完成した時期であり、カラヤンの切れ味鋭い棒の魔術をたっぷりと堪能できる。

演奏は文句のつけようがないほど素晴らしく、カラヤンはチャイコフスキーを十八番にして、得意中の得意としていたが、豪壮華麗な演奏で、チャイコフスキーらしいチャイコフスキーであることは間違いない。

ベルリン・フィルとの関係が最も良好であったこと、オーケストラの機能とカラヤンの表現意欲がピークにあったことをこのディスクは示す。

交響曲第4番はこれが6度目の録音。

「第4」はライヴ的な迫力が魅力の1971年盤と、最晩年の荘重な巨匠風の名演を聴かせてくれる1984年盤の間にあって、若干影が薄い感があるが、全盛期のカラヤンとベルリン・フィルの黄金コンビが成し遂げた最も完成度の高い名演は、この1976年盤ではなかろうか。

カラヤンは、優美なレガートを軸としつつ、どんなに金管を力奏させても派手すぎることなく、内声部たる弦楽器にも重量感溢れるパワフルな演奏を求め、ティンパニなどの打楽器群も含めて重厚な演奏を繰り広げたが、こうした演奏は、華麗で分厚いオーケストレーションを追求し続けたチャイコフスキーの楽曲との抜群の相性を感じる。

同時代の巨匠ムラヴィンスキーは、チャイコフスキーの「第5」を得意とし、インテンポによる荘重な名演を成し遂げたが、これに対してカラヤンの演奏は、テンポを目まぐるしく変えるなど劇的で華麗なもの。

交響曲第5番は、これが4度目の録音。

ムラヴィンスキーの「第5」は確かに普遍的な名演に違いないが、カラヤンの「第5」も、チャイコフスキーの音楽の本質を的確に捉えた名演だと思う。

まさに両者による名演は、東西の両横綱と言っても過言あるまい。

重厚でうなるような低弦、雷鳴のように轟くティンパニ、天国から声が響いてくるような甘いホルンソロなど、ベルリン・フィルの演奏はいつもながら完璧であり、そうした個性派の猛者たちを巧みに統率する全盛期のカラヤン。

この黄金コンビの究極の名演の1つと言ってもいいだろう。

生涯に何度も「悲愴」を録音したカラヤンであるが、これが6度目の録音。

先般、死の前年の来日時の録音が発売されて話題となったが、それを除けば、ベルリン・フィルとの最後の録音が本盤ということになる。

1988年の来日盤は、ライヴならではの熱気と死の前年とは思えないような勢いのある演奏に仕上がっているが、ベルリン・フィルの状態が必ずしもベストフォームとは言えない。

その意味で、カラヤンとベルリン・フィルという黄金コンビが成し遂げた最も優れた名演ということになれば、やはり本盤を第一にあげるべきであろう。

第1楽章の第1主題の展開部や第3楽章の終結部の戦慄を覚える程の激烈さ、第1楽章の第2主題のこの世のものとも思えないような美しさ、そして第4楽章の深沈とした趣き、いずれをとっても最高だ。

この黄金時代の録音は、録音の良さもさることながら、完全無欠なものに仕上がっていて、見事にカラヤン色に染められてしまったオーケストラの音色を味わう事が出来る最上の輸入廉価盤である。

カラヤンの録音は往々にしてホールの比較的後方から聴いているような柔らかい音色と、包み込まれる様なふくよかな中低域がその特色であり魅力でもあるかと思う。

全体的にこの上なく美しいチャイコフスキーで、いかにもカラヤンらしい表現ではあるけれども、ファーストチョイスで問題ないだろう。

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2015年07月10日


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筆者は、ウィーンに行くと、必ずウィーン国立歌劇場と、ムジークフェライン・ザールに行くことにしている。

ムジークフェライン・ザールは、コンサート専用のホールで、「黄金大ホール」といわれているように、ホールの内装は金ピカで、古き良き時代のオーストリアが、いかに音楽に対して贅をつくしていたかがよくわかる。

このホールは、音響効果の優れていることでも有名で、ホール全体が、あたかも楽器そのもののようである。

このロシアの巨匠ムラヴィンスキーとレニングラード・フィルハーモニー管弦楽団によるディスクは、1978年の6月、ウィーン芸術週間に、このホールで行われた演奏会のライヴ録音である。

このコンビによるチャイコフスキーの交響曲第5番の録音は、いままでに何枚も出ているが、今回のは、それらのものを遥かに凌ぐ名演奏で、この曲を完全に手中に収めた、悠然たる構えの表現である。

ロシア人の体臭を強く感じさせる素晴らしい演奏で、明暗の度合いをくっきりとつけながら、丹念に彫琢していくこの巨匠の棒さばきは、あたかも名匠の振るうノミのように正確で、しかも生き生きとしている。

この演奏の緊張した凝集力と迫力は凄まじく、しかも感性の豊かさ、精妙をきわめたアンサンブルの見事さは比類がない。

もちろん、一分の隙もないきびしさをもっているが、それが作品のシリアスな側面を否応なく表現している。

ムラヴィンスキーの解釈は常に有無を言わさぬ説得力をもっており、聴衆に媚びるところは皆無である。

ムラヴィンスキーは個性的な表情を作っているが、それはまさに老巧ともいうべきものであり、一見そっけないようだが、音楽には常に血が通っている。

そうした彼のロシア流のチャイコフスキーは、カラヤンに代表される西欧の聴かせ上手な指揮者の解釈とはまったく対照的といってよい。

デュナーミクも精緻そのもので、曲の冒頭から短い動機のひとつひとつにも絶妙な表情が与えられ、それらが強靭な織物のように組みあげられている。

第2楽章ではやや速めと感じられるテンポをとり、息の長いフレーズを情熱的に高揚させるのは、やはり聴きものである。

第3楽章はいくぶん恣意的だが、その洗練された味わいは独特であり、フィナーレも流動感が強い。

そこに鮮やかな立体感があるのも、この演奏の大きな特色で、チャイコフスキーが記した音符のすべてに意味があり、存在理由があることを、ムラヴィンスキーの演奏からは、誰もが理解することが可能である。

しかも、あらゆる部分に瑞々しい創意が息づき、それが新鮮さの原動力といえるが、それは音量に依存しているのではなく、内面の凄絶な緊張感から生み出されたものである。

そのうえ、巨匠的風格が曲のすみずみまでに滲み出ており、ライヴ独特のきりりと引き締まった緊張感が何とも素晴らしく、激しく心を揺さぶられる。

オーケストラも、艶のある弦楽器と底力のある金管楽器が特に見事で、これこそロシアの音といってよく、レニングラードに特有の西欧的洗練を実感させる表現が、チャイコフスキーの折衷的作風を描いている。

そのどこをとってもまったく隙がなく、そこにソヴィエト体制の影響をみることも可能かもしれないが、その鉄の規律はここでは壮大な記念碑を打ち建てる方向に作用しており、こうした演奏はもう現れることはないだろう。

録音はムジークフェラインの響きとしてはやや乾いた印象を与えるとはいえ、一連の旧ソヴィエト録音よりはるかに条件は整っており、ムラヴィンスキーによる同曲の録音といえば、まずこの演奏を聴く必要があろう。

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2015年07月04日


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プレトニョフ&ロシア・ナショナル管弦楽団によるチャイコフスキーの交響曲チクルスも、今般のマンフレッド交響曲の登場でついに第7弾。

かつては不人気だったこの作品も、現在ではチャイコフスキーらしさ満載の魅力作として広く受け入れられており、特にオケ好きの評価は高いものがあるだけに、今回の新録音は歓迎されるところである。

これによって、死後補筆の第7番を除けば、チャイコフスキーの自筆で完成された交響曲のすべてがすべて出揃い、これでこのコンビによる2度目の全集が完結したのは慶賀に堪えない。

本盤の演奏を聴いて感じられるのは、そしてそれはこれまでの他の交響曲の演奏においても共通しているとも言えるが、プレトニョフのチャイコフスキーへの深い崇敬の念である。

2度にわたって交響曲全集を録音するという所為もさることながら、演奏におけるアプローチが、他の楽曲とは次に述べるように大きく異なっているからである。

プレトニョフは、数年前に、ロシア・ナショナル管弦楽団とともにベートーヴェンの交響曲全集を録音しており、それは聴き手を驚かすような奇抜とも言える超個性的な演奏を繰り広げていた。

それだけに、賛否両論が渦巻いていたが、それに対して、今般のチャイコフスキーの交響曲全集においては、ある意味では正統派の演奏。

物議を醸したベートーヴェン全集の場合とは大きく異なり、チャイコフスキーの音楽では、真正面から音楽に向かい合った堂々たる円熟の演奏を展開してきたプレトニョフ&ロシア・ナショナル管弦楽団。

1990年の創設からすでに20年以上、同コンビによる新全集は、旧ソ連の崩壊やロシアのオーケストラの乱立など、多くの混乱を乗り越えてきた彼らの実績を代表する力作として、高度な水準を維持しながら着々と進行してきた。

演奏の総体としては、いささかも奇を衒うことがないオーソドックスな演奏を展開していると言えるところである。

もちろん、オーソドックスとは言っても、そこはプレトニョフ。

個性が皆無というわけではない。

本盤に収められたマンフレッド交響曲においても、テンポの振幅を効果的に活用したり、ここぞという時にはアッチェレランドを駆使するなど、プレトニョフならではのスパイスが随所に効いていると言えるだろう。

にもかかわらず、演奏全体としては、あざとさをいささかも感じさせず、前述のように、オーソドックスな装いとなっているのは、プレトニョフがチャイコフスキーの交響曲を深く理解するとともに、心底からの畏敬の念を有しているからに他ならないのはないかとも考えられるところだ。

プレトニョフにとっては、本盤のマンフレッド交響曲の演奏は、約15年ぶりの録音ということになるが、この間のプレトニョフの指揮芸術の円熟を感じさせるものであり、音楽の構えの大きさ、楽曲への追求度、細部への目配りなど、どの点をとっても、本演奏は数段優れた名演に仕上がっていると言えるだろう。

それにしても、ペンタトーンレーベルによる本チクルスの音質は例によって、高音、重低音ともよく捉らえており、実に優秀で素晴らしい。

何と言っても、マルチチャンネル付きのSACDであるということは、本チクルスの大きなアドバンテージの1つであると言えるところであり、プレトニョフの精緻にして緻密さを基調とするアプローチを音化するのには、極めて理想的なものと言えるのではないだろうか。

いずれにしても、プレトニョフ&ロシア・ナショナル管弦楽団による素晴らしい名演を、マルチチャンネル付きの極上の高音質SACDで味わうことができるのを大いに歓迎したいと考える。

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2015年07月01日


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小林研一郎は必ずしもレパートリーが広い指揮者とは言い難いが、その数少ないレパートリーの中でもチャイコフスキーの交響曲は枢要な地位を占めている。

とりわけ、交響曲第5番は十八番としており、相当数の録音を行っているところである。

エクストンレーベル(オクタヴィア)に録音したものだけでも、チェコ・フィルとの演奏(1999年)をはじめとして、日本フィルとの演奏(2004年)、本盤のアーネム・フィルとの演奏(2005年)、アーネム・フィル&日本フィルの合同演奏(2007年)の4種の録音が存在している。

小林研一郎は、同曲を得意中の得意としているだけにこれらの演奏はいずれ劣らぬ名演であり、優劣を付けることは困難を極め、どの演奏もそれぞれに思い入れがあって優劣つけがたい。

演奏という行為が一期一会の芸術だということがよくわかるところであるが、筆者としてはエクストンレーベルの記念すべきCD第1弾でもあった、チェコ・フィルとの演奏と本盤に収められたアーネム・フィルを双璧の名演に掲げたいと考えている。

小林研一郎の本演奏におけるアプローチは、熱気と理性のバランスがとれた豊穣な表現が見事であり、例によってやりたいことを全てやり尽くした自由奔放とも言うべき即興的なものだ。

同じく同曲を十八番としたムラヴィンスキー&レニングラード・フィルによるやや速めの引き締まったテンポを基調する峻厳な名演とは、あらゆる意味で対極にある演奏と言えるだろう。

緩急自在のテンポ設定、思い切った強弱の変化、アッチェレランドやディミヌンドの大胆な駆使、そして時にはポルタメントを使用したり、情感を込めて思い入れたっぷりの濃厚な表情づけを行うなど、ありとあらゆる表現を駆使してドラマティックに曲想を描き出している。

それを支えているのが、コンセルトヘボウに匹敵する由緒ある伝統(1889年創立)を誇り、かつてはベイヌムもヴィオラ奏者として在籍したというアーネム・フィルの暖かい音色で、内声が充実した弦楽セクションの豊かさは特筆ものである。

感情移入の度合いがあまりにも大きいこともあって、小林研一郎の唸り声も聴こえてくるほどであるが、これだけやりたい放題の自由奔放な演奏を行っているにもかかわらず、演奏全体の造型がいささかも弛緩することがないのは、まさに圧巻の驚異的な至芸とも言えるところだ。

これは、小林研一郎が同曲のスコアを完全に体得するとともに、深い理解と愛着を抱いているからに他ならない。

小林研一郎の自由奔放とも言うべき指揮にしっかりと付いていき、圧倒的な名演奏を繰り広げたアーネム・フィルにも大きな拍手を送りたい。

オランダの名門、アーネム・フィルはあまり知られていないオーケストラであるが、管楽器の音色も優しく陶酔的で、隅から隅までこの曲を手中に収めた炎のコバケンの指揮ぶりに、アーネム・フィルが新鮮な思いで触発されたのだろう。

オランダ各地での演奏会を経た上の充分なセッション録音で、存分に細部も磨かれている。

いずれにしても、本演奏は、小林研一郎のドラマティックな大熱演とアーネム・フィルによる豊穣な音色をベースとした名演奏が見事に融合した圧倒的な超名演と高く評価したいと考える。

なお、併録の「くるみ割り人形」組曲は、どちらかと言うと一気呵成に聴かせる直球勝負の演奏と言えるが、語り口の巧さにおいても申し分がないと言えるところであり、名演と評価するのにいささかも躊躇するものではない。

音質は、SACD盤ということもあって、マルチチャンネルが付いているというのが、いわゆる臨場感において、群を抜いた存在と言えるだろう。

いずれにしても、小林研一郎&アーネム・フィルによる圧倒的な超名演を心行くまで満喫するためには、是非とも本SACD盤で聴かれることをおすすめしておきたい。

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2015年06月04日


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モントゥーによるチャイコフスキーの3大交響曲の演奏は、ほぼ同時期に録音されたムラヴィンスキー&レニングラード・フィルの歴史的な超名演(1960年)と比較すると、知る人ぞ知る存在に甘んじていると言わざるを得ない。

このうち、交響曲第6番「悲愴」については、ムラヴィンスキーの演奏があまりにも凄い超絶的な名演であるために、他の演奏は不利な立場に置かれていると言わざるを得ないが、筆者としては、ムラヴィンスキーの超名演は別格として、それに次ぐ名演としては、カラヤン&ベルリン・フィルによる演奏(1971年)と本演奏(1955年)を掲げたいと考えている。

このうち、カラヤンの演奏は、ベルリン・フィルの卓越した技量を駆使したオーケストラ演奏の極致と言うべきもので、これにライヴ録音を思わせるようなドラマティックな要素が付加された圧倒的な音のドラマであったと言える。

これに対して、モントゥーによる本演奏は、同曲にこめられた、運命に翻弄される作曲者の苦悩や絶望感、そして生への憧憬などを徹底的に追求するとともに、それを音化することに成功した彫りの深い演奏に仕上がっている。

極論すれば、カラヤンの演奏が音のドラマであるのに対して、本演奏は人間のドラマといった趣きがあるとも言えるところである。

全体としては、ムラヴィンスキーの演奏と同様に、速めのテンポによる引き締まった造型が印象的であるが、かかる堅固な造型の中において、モントゥーは、細部に至るまで彫琢の限りを尽くしたドラマティックな演奏を展開している。

トゥッティに向けて畳み掛けていくような気迫と力強い生命力は、圧倒的な迫力を誇っており、とてもスタジオ録音とは思えないような壮絶の極みとも言える劇的な演奏を展開している。

第2楽章のロシア風のメランコリックな抒情の歌い方にも、格調の高さが支配しており、高踏的な美しさを誇っているのは、モントゥーだけに可能な圧巻の至芸であると言えるだろう。

モントゥーは、生前、チャイコフスキーの音楽に個人的な悲痛を盛り込む演奏を好んでいなかった。

「音楽の中にすべてが存在するというのに、なぜ個人の悩みなどをひけらかそうとするのか。私はチャイコフスキーの音楽に書かれているままに演奏する。それでまさしく充分なのだ」

この言葉に、モントゥーの芸術の核心があり、チャイコフスキーをベートーヴェンやブラームスに置き換えれば、そのままあの素晴らしい演奏になるのだ。

本演奏も、「悲愴」という曲に伴いがちな感傷主義を全く破った演奏で、この曲に我々が感じているような泥臭さを全くとり去って、きれいに晒したような演奏である。

そういう意味で、非常に品のいい演奏であり、その品のよさも、オーケストラが非常にうまいので、外面的にならない。

旋律もよく歌っているし、ダイナミズムも充分にあり、劇的効果がよく出ている。

モントゥーの確かな統率の下、圧倒的な名演奏を繰り広げているボストン交響楽団にも、大きな拍手を送りたい。

録音は、従来盤が50年以上前のものということもあってややデッドで音場が広がらないという問題があったが、数年前に発売されたSHM−CD盤によって、比較的良好な音質に改善されたと言える。

しかしながら、本SACD盤はさらに鮮度の高い音質に生まれ変わっており、50年以上も前の録音とはとても思えないような高音質に大変驚かされた。

いずれにしても、モントゥーによる至高の超名演をSACDによる高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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2015年06月03日


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本盤には、プレヴィンが当時の手兵であるロンドン交響楽団とともに1970年代にスタジオ録音したチャイコフスキーの3大バレエ音楽からのハイライトが収められている。

プレヴィンは元来ロシア音楽を得意としているだけあって、こうした作品を指揮すると卓越した手腕を発揮する。

決してバレエ風の表現ではなく、演奏会風のスタイルなのだが、リズムが抜群に弾んでいるので、実に面白く聴くことが出来る。

その語り口の巧さといい、音楽的な洗練度といい、いまだに魅力を失っておらず、文句のつけようがない見事な名演と言えると思う。

非常に完成度の高い出来ばえで、ほどよい距離を保ちながら、全体を的確に把握しており、危うさがない。

プレヴィンは、クラシック音楽の指揮者としてもきわめて有能ではあるが、それ以外のジャンルの多種多様な音楽も手掛ける万能型のミュージシャンと言える。

映画音楽で鍛えたブレヴィンだけに、そのストーリー・テラー的な巧さと絵画的な表現力にかけては、抜群の威力を発揮する。

したがって、本演奏においてもそのアプローチは明快そのものであり、楽曲を難しく解釈して峻厳なアプローチを行うなどということとは全く無縁であり、楽曲をいかにわかりやすく、そして親しみやすく聴き手に伝えることができるのかに腐心しているように思われる。

したがって、ベートーヴェンなどのように、音楽の内容の精神的な深みへの追究が求められる楽曲においては、いささか浅薄な演奏との誹りは免れないと思うが、起承転結がはっきりとした標題音楽的な楽曲では、俄然その実力を発揮することになる。

本盤に収められたチャイコフスキーの3大バレエハイライツは、そうしたプレヴィンの資質に見事に合致する楽曲と言えるところであり、加えて若さ故の力強い生命力も相俟って、素晴らしい名演に仕上がったと言っても過言ではあるまい。

プレヴィンが自家薬籠中のものとしているチャイコフスキーのバレエ音楽だけに、巧みな棒さばきで各場面を的確に描き分けながら、作品の幻想的な持ち味をあますところなく表出している。

全体にややテンポを遅めにとり、チャイコフスキー独特の抒情的な旋律をたっぷりと歌わせながら、極めてパノラミックな表現で、どの曲も表情豊かにまとめている。

聴かせどころのツボを心得た演出巧者ぶりは心憎いばかりであり、プレヴィンの豊かな音楽性が本演奏では大いにプラスに働いている。

情緒的なものに過度にのめり込むことなく、かといって、非情につぱねるようなこともなく、知情意のバランスが無理なくとれていて、どの角度からみても、プレヴィンならではの、安定した性格の演奏と言えよう。

決してとりわけ優美であるとか、ファンタジー的であるという性格ではないが、個々のことが整然と把握されており、全体のバランスがよく、洗練されたスマートなプロポーションで、プレヴィンの力量のほどを物語るような安定した出来ばえを誇る内容だ。

ロンドン交響楽団もプレヴィンが首席指揮者時代の演奏で、呼吸もぴったりの相性の良さと言える。

クラシック音楽入門者が、チェイコフスキーのバレエ音楽を初めて聴くに際して、最も安心して推薦できる演奏と言えるところであり、本演奏を聴いて、嫌いになる聴き手など、まずはいないのではないだろうか。

いずれにしても、プレヴィンによる本演奏は、チャイコフスキーのバレエ音楽には、ロジェストヴェンスキー、ゲルギエフなどによるロシア風の民族色溢れる名演や、アンセルメやデュトワによる洗練された色彩美を誇る名演などがあまた存在しているが、安定した気持ちでチャイコフスキーのバレエ音楽を魅力を味わうことができるという意味においては、第一に掲げるべき名演と評価したい。

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2015年06月02日


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期待のシリーズ、キタエンコのチャイコフスキーの交響曲第2番の登場だ。

第1番、第5番、第6番でのアグレッシヴな音楽作りはここでも変わることがない。

第2番の交響曲はチャイコフスキーが1872年に作曲した曲で、初演時は大変な成功を収めたのであるが、なぜかその後にチャイコフスキー自身が大幅な改定を行ったことでも知られている。

ウクライナ民謡が効果的に使われているため、評論家ニコライ・カシュキンから「小ロシア」という愛称を付けられたと言われている。

この演奏、冒頭からメロディをたっぷりと歌わせ、大きな流れを作っていくという極めて聴き応えのあるものだ。

本演奏を聴いて思うのは、ロシア系の指揮者にとってのチャイコフスキーの交響曲は、独墺系指揮者にとってのベートーヴェンの交響曲のような、仰ぎ見るような高峰に聳える存在なのではないかということだ。

というのも、キタエンコと同様に、チャイコフスキーの交響曲全集の録音を完成したプレトニョフもそうであるが、他の作曲者による楽曲、例えば、プレトニョフであればベートーヴェンの交響曲全集やピアノ協奏曲全集による演奏におけるようないささか奇を衒った個性的な解釈を施すということはなく、少なくとも演奏全体の様相としては、オーソドックスなアプローチに徹していると言えるからである。

キタエンコと言えば、カラヤンコンクールでの入賞後、旧ソヴィエト連邦時代のモスクワ・フィルとの数々の演奏によって世に知られる存在となったが、モスクワ・フィルとの演奏は、いわゆるロシア色濃厚なアクの強い演奏が太宗を占めていたと言える。

これは、この当時、旧ソヴィエト連邦において活躍していたムラヴィンスキー以外の指揮者による演奏にも共通していた特徴とも言えるが、これには、オーケストラ、とりわけそのブラスセクションのヴィブラートを駆使した独特のロシア式の奏法が大きく起因していると思われる。

加えて、指揮者にも、そうした演奏に歯止めを効かせることなく、重厚にしてパワフルな、まさにロシアの広大な悠久の大地を思わせるような演奏を心がけるとの風潮があった。

ところが、そうした指揮者の多くが、スヴェトラーノフのような一部例外はあるが、旧ソヴィエト連邦の崩壊後、ヨーロッパの他国のオーケストラを自由に指揮するようになってからというもの、それまでとは打って変わって洗練された演奏を行うようになった。

キタエンコについても、それが言えるところであり、本演奏においても、演奏全体の外観としては、オーソドックスなアプローチ、洗練された様相が支配していると言えるだろう。

もっとも、ロシア風の民族色を欠いているかというとそのようなことはなく、ここぞという時の迫力は、ロシアの広大な悠久の大地を思わせるような力強さに満ち溢れている。

そして、ケルン・ギュルツェニヒ管弦楽団のドイツ風の重厚な音色が、演奏全体にある種の落ち着きと深さを付加させているのを忘れてはならない。

いずれにしても、本盤の演奏は、キタエンコによる母国の大作曲家であるチャイコフスキーへの崇敬、そしてキタエンコ自身の円熟を十分に感じさせる素晴らしい名演と高く評価したいと考える。

併録の「ロココの主題による変奏曲」でチェロを弾くエルシェンブロイヒがこれまた美しい音色を持つ人で、こちらも満足できる出来映えだ。

彼はムターに認められた俊英で、来日の際も高い評価を受けているが、最後におかれたアンダンテ・カンタービレも絶妙だ。

そして、本盤の素晴らしさは、マルチチャンネル付きのSACDによる極上の高音質録音である。

SACDの潜在能力を十二分に発揮するマルチチャンネルは、臨場感において比類のないものであり、音質の鮮明さなども相俟って、珠玉の仕上がりである。

いずれにしても、キタエンコ&ケルン・ギュルツェニヒ管弦楽団による素晴らしい名演を、マルチチャンネル付きのSACDによる極上の高音質で味わうことができるのを大いに喜びたい。

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2015年05月30日


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本盤には、カラヤンの最後の来日公演(1988年)のうち、初日(5月2日)に演奏されたモーツァルトの交響曲第29番及びチャイコフスキーの交響曲第6番「悲愴」が収められている。

当時のカラヤンは、ベルリン・フィルとの関係に修復不可能な溝が生じていたこと、そして、死を1年後に控えたこともあって健康状態も芳しいとは言えなかったことなどから、心身ともに万全とは言い難い状況にあったと言える。

1986年に予定された来日公演を、自らの病気のためにキャンセルしたカラヤンであったが、我が国を深く愛するとともに、サントリーホールの建設に当たっても様々な助言を行ったこともあり、心身ともに万全とは言えない中でも、気力を振り絞って来日を果たしたところであり、筆者としては、こうしたカラヤンの音楽家としての献身的な行為に、心から敬意を表するものである。

もっとも、カラヤンのそうした心身ともに万全とは言えない状態、そしてカラヤンとベルリン・フィルとの間の抜き差しならない関係も本演奏に影を落としていると言えるところであり、本演奏は、随所にアンサンブルの乱れやミスが聴かれるなど、カラヤン&ベルリン・フィルによるベストフォームにある演奏とは必ずしも言い難いものがある。

モーツァルトの交響曲第29番は、本演奏の1年前にベルリン・フィルとともに行ったスタジオ録音(1987年DG)、加えてチャイコフスキーの交響曲第6番「悲愴」で言えば、先般SACD化されたベルリン・フィルとともに行った録音(1971年EMI)の方がより優れた名演であり、これらの名演と比較して本演奏を貶めることは容易ではあると言えるだろう。

現に、レコード芸術誌において、とある高名な音楽評論家が本演奏について厳しい評価を下していたのは記憶に新しいところだ。

しかしながら、本演奏については、演奏上の瑕疵や精神的な深みの欠如などを指摘すべき性格の演奏ではない。

そのような指摘をすること自体が、自らの命をかけて来日して指揮を行ったカラヤンに対して礼を失するとも考えられる。

カラヤンも、おそらくは本演奏が愛する日本での最後の演奏になることを認識していたと思われるが、こうしたカラヤン渾身の命がけの指揮が我々聴き手の心を激しく揺さぶるのであり、それだけで十分ではないだろうか。

そして、カラヤンの入魂の指揮の下、カラヤンとの抜き差しならない関係であったにもかかわらず、真のプロフェッショナルとして大熱演を繰り広げたベルリン・フィルや、演奏終了後にブラヴォーの歓呼で熱狂した当日の聴衆も、本演奏の立役者である。

まさに、本演奏は、指揮者、オーケストラ、そして聴衆が作り上げた魂の音楽と言っても過言ではあるまい。

このような魂の音楽に対しては、そもそも演奏内容の細部に渡っての批評を行うこと自体がナンセンスであり、我々聴き手も虚心になってこの感動的な音楽を味わうのみである。

いずれにしても、筆者としては、本演奏は、カラヤン&ベルリン・フィル、そして当日会場に居合わせた聴衆のすべてが作り上げた圧倒的な超名演と高く評価したいと考える。

音質は、1988年のライヴ録音であるが、従来CD盤でも十分に満足できる良好なものであると評価したい。

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2015年05月27日


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1876年から1877年にかけて作曲されたこの交響曲第4番。

この時期のチャイコフスキーは、メック夫人という素晴らしいパトロンを手に入れ、ようやく経済的な余裕が生まれ作曲に専念できるようになり、彼にとっては穏やかな日々がやってきたのである。

しかしながら、身にまとわりついた「同性愛疑惑」を晴らすだめに1877年に彼の元弟子であった娘と結婚するのであるが、これが失敗、精神的打撃を負った彼は自殺未遂を起こしてしまう。

そんな相反する生活の中でこのような素晴らしい作品が生まれたのはほとんど奇跡とでも言えるのではないだろうか。

そんなドラマティックな作品をキタエンコはいつものように冷静沈着に分析、決して感情に溺れることなく見事に音にしている。

本演奏を聴いて思うのは、ロシア系の指揮者にとってのチャイコフスキーの交響曲は、独墺系指揮者にとってのベートーヴェンの交響曲のような、仰ぎ見るような高峰に聳える存在なのではないかということだ。

というのも、キタエンコと同様に、チャイコフスキーの交響曲全集の録音を完成したプレトニョフもそうであるが、他の作曲者による楽曲、例えば、プレトニョフであればベートーヴェンの交響曲全集やピアノ協奏曲全集による演奏におけるようないささか奇を衒った個性的な解釈を施すということはなく、少なくとも演奏全体の様相としては、オーソドックスなアプローチに徹していると言えるからである。

キタエンコと言えば、カラヤンコンクールでの入賞後、旧ソヴィエト連邦時代のモスクワ・フィルとの数々の演奏によって世に知られる存在となったが、モスクワ・フィルとの演奏は、いわゆるロシア色濃厚なアクの強い演奏が太宗を占めていたと言える。

これは、この当時、旧ソヴィエト連邦において活躍していたムラヴィンスキー以外の指揮者による演奏にも共通していた特徴とも言えるが、これには、オーケストラ、とりわけそのブラスセクションのヴィブラートを駆使した独特のロシア式の奏法が大きく起因していると思われる。

加えて、指揮者にも、そうした演奏に歯止めを効かせることなく、重厚にしてパワフルな、まさにロシアの広大な悠久の大地を思わせるような演奏を心がけるとの風潮があった。

ところが、そうした指揮者の多くが、スヴェトラーノフのような一部例外はあるが、旧ソヴィエト連邦の崩壊後、ヨーロッパの他国のオーケストラを自由に指揮するようになってからというもの、それまでとは打って変わって洗練された演奏を行うようになった。

キタエンコについても、それが言えるところであり、本演奏においても、演奏全体の外観としては、オーソドックスなアプローチ、洗練された様相が支配していると言えるだろう。

もっとも、ロシア風の民族色を欠いているかというとそのようなことはなく、ここぞという時の迫力は、ロシアの広大な悠久の大地を思わせるような力強さに満ち溢れている。

そして、ケルン・ギュルツェニヒ管弦楽団のドイツ風の重厚な音色が、演奏全体にある種の落ち着きと深さを付加させているのを忘れてはならない。

いずれにしても、本盤の演奏は、キタエンコによる母国の大作曲家であるチャイコフスキーへの崇敬、そしてキタエンコ自身の円熟を十分に感じさせる素晴らしい名演と高く評価したいと考える。

そして、本盤の素晴らしさは、マルチチャンネル付きのSACDによる極上の高音質録音である。

SACDの潜在能力を十二分に発揮するマルチチャンネルは、臨場感において比類のないものであり、音質の鮮明さなども相俟って、珠玉の仕上がりである。

いずれにしても、キタエンコ&ケルン・ギュルツェニヒ管弦楽団による素晴らしい名演を、マルチチャンネル付きのSACDによる極上の高音質で味わうことができるのを大いに喜びたい。

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2015年04月20日


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白血病という不治の病を患い、49歳という若さでこの世を去らなければならなかった悲劇の指揮者フリッチャイであるが、米国において鉄壁のオーケストラトレーナーとして君臨した同じハンガリー人指揮者のライナーやセル、オーマンディ、そしてショルティなどとは一線を画するようなヒューマニティ溢れる情感豊かな演奏を行っていた。

同じハンガリー人指揮者であったケルテスの海水浴中の不慮の死と同様に、そのあまりにも早すぎる死は、クラシック音楽界にとっても一大損失であった。

仮にもう少しフリッチャイが長生きをしていれば、世界の指揮者地図は大きく塗り替えられることになったのではないかとさえ思われるほどだ。

本盤に収められたチャイコフスキーの交響曲第6番「悲愴」は、フリッチャイの死の4年前の演奏だ。

既に白血病を発症したフリッチャイが、懸命の闘病生活の中で演奏を行ったものである。

それだけに、本演奏にかけたフリッチャイの気迫と執念には並々ならぬものがあったことは容易に想像がつくところだ。

本演奏の中に気に入らない箇所(第1楽章の一部)があって、発売自体が録音から30年以上も遅れることになったが、これだけ完成度が高い演奏であるにもかかわらず、更に高みに達した演奏を志向したというところに、フリッチャイという指揮者の偉大さを痛感せざるを得ない。

本演奏においても、第1楽章の冒頭の序奏からしてただならぬ雰囲気が漂う。

あたかも、間近に迫る死を予見しているかのような不気味さを湛えているところであり、その後は、若干のテンポの変化を交えつつ、1音1音を心を込めて歌い抜き、彫りの深い演奏を展開しているところだ。

その尋常ならざる心の込め方は、時には慟哭にさえ聴こえるほどであり、あたかも忍び寄る死に対して必死で贖おうとするフリッチャイ自身を彷彿とさせるように思われてならない。

全体で50分程度を要するというゆったりとしたテンポによる演奏ではあるが、冗長さを感じさせず、演奏全体の造型もいささかも弛緩することがない。

そして、これだけ思い入れたっぷりの渾身の熱演を展開しているにもかかわらず、同曲の演奏において時として見られる陳腐なロマンティシズムに陥ることがなく、どこをとっても格調の高さを失っていないのが素晴らしい。

いずれにしても、本演奏は、フリッチャイによる遺言とも言うべき至高の超名演であり、同曲の他の指揮者による超名演であるムラヴィンスキー&レニングラード・フィルによる演奏(1960年)、カラヤン&ベルリン・フィルによる演奏(1971年)とともに三強の一角を占める超名演と高く評価したい。

音質については、モノラル録音が大半のフリッチャイの演奏の中では希少にして鮮明なステレオ録音であり、音質的には極めて恵まれていると言えよう。

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2015年04月17日


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カラヤンは、チャイコフスキーを得意としており、交響曲第4番は6度もスタジオ録音している。

加えて、ウィーン交響楽団とのライヴ録音も存在しており、カラヤンとしても何度も演奏した得意のレパートリーと言えるが、遺された録音の中で随一の名演は、カラヤン&ベルリン・フィルの黄金時代である1971年に録音された本盤であると考える。

本盤の特徴を一言で言えば、ライヴ録音を思わせるような劇的な迫力だ。

豪演と言っても過言ではないような圧巻の迫力であり、その圧倒的な生命力は、とてもスタジオ録音とは思えないほどである。

冒頭から、悪魔的な金管の最強奏に始まり、厚みのある弦合奏の重量感や、雷鳴のようなティンパニの轟きには戦慄を覚えるほどだ。

第1楽章終結部の猛烈なアッチェレランドは、古今東西の同曲の演奏の中でも、最高の迫力を誇っている。

第2楽章の木管の巧さも特筆すべき美しさであり、そのむせ返るような熱い抒情には、身も心もとろけてしまいそうだ。

終楽章の疾風の如きハイテンポによる進行は圧巻という他はないが、それでいて、アンサンブルにいささかの乱れもないのは、殆ど驚異でもある(これに匹敵できるのは、ムラヴィンスキー&レニングラード・フィルの1960年盤のみ)。

カラヤンはチャイコフスキーを得意としていたが、このうち、交響曲第5番は5回もスタジオ録音している。

いずれも名演であると思うが、その中でもトップの座に君臨するのは、1971年に録音された本盤であると考える。

スタジオ録音であるが、ライヴ録音ではないかと思われるほど、劇的な性格を有した豪演と言うことができる。

この当時は、カラヤンとベルリン・フィルは蜜月状態にあり、この黄金コンビは至高の名演の数々を成し遂げていたが、本盤の演奏も凄い。

金管楽器も木管楽器も実に巧く、厚みのある重厚な弦楽器も圧巻の迫力で、雷鳴のようなティンパニの轟きも、他の誰よりも圧倒的。

そうした鉄壁の技量とアンサンブルを誇るベルリン・フィルを、これまた圧倒的な統率力で指揮するカラヤンの凄さ。

粘ったようなテンポや猛烈なアッチェレランドの駆使、そしてカラヤンには珍しいポルタメントの効果的な活用など、実に内容豊かでコクのあるチャイコフスキーを構築している。

カラヤンは、チャイコフスキーを得意としたが、その中でも十八番は、この交響曲第6番「悲愴」だったと言える。

スタジオ録音だけでも7度も行うとともに、先般発売された来日時のライヴ録音や、NHK交響楽団とのライヴ録音などを加えると、圧倒的な点数にのぼる。

オペラのように起承転結がはっきりした標題音楽的な要素や、華麗なオーケストレーションなど、いかにもカラヤンが得意とした要素が散りばめられているのが、カラヤンが同曲を得意とした要因の1つに掲げられると考える。

遺された録音は、いずれも名演であるが、その中でも、本盤は、ライヴ録音ではないかと思われるような劇的な豪演を成し遂げているのが特徴と言える。

悪魔的とも言うべき金管楽器の鋭い音色や、温かみのある木管の音色、重厚な低弦の迫力、そして雷鳴のように轟くティンパニの凄さなど、黄金時代にあったベルリン・フィルの圧倒的な技量が、そうした劇的な要素を大いに後押ししている。

カラヤンも、圧倒的な統率力で、ベルリン・フィルを巧みにドライブするとともに、ポルタメントやアッチェレランド、流れるようなレガートなどを効果的に駆使して、「悲愴」の魅力を大いに満喫させてくれる。

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2015年04月05日


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アバドは、私見であるが、これまでの様々な名指揮者の中でも、最高の協奏曲指揮者と言えるのではなかろうか。

ベルリン・フィルの芸術監督に就任する前には、ロンドン交響楽団とともに圧倒的な名演奏を成し遂げていた気鋭の指揮者であったアバド。

そのアバドは、ベルリン・フィルの芸術監督就任後、借りてきた猫のような大人しい演奏に終始するようになってしまった。

カラヤン時代に、力の限り豪演を繰り広げてきたベルリン・フィルも、前任者と正反対のアバドの民主的な手法には好感を覚えたであろうが、演奏については、大半の奏者が各楽器セクションのバランスを重視するアバドのやり方に戸惑いと欲求不満を感じたのではないか。

それでも協奏曲の演奏に限ってみれば、ベルリン・フィルの芸術監督就任以前と寸分も変わらぬ名演を成し遂げていたと言える。

チャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番におけるアルゲリッチとの競演(1994年)、そして、レコード・アカデミー賞を受賞したブラームスのピアノ協奏曲第2番におけるブレンデルとの競演(1991年)など、それぞれの各楽曲におけるトップの座を争う名演の指揮者は、このアバドなのである。

本盤に収められた日本を代表するヴァイオリニストである五嶋みどりと組んで録音を行ったチャイコフスキーとショスタコーヴィチのヴァイオリン協奏曲についても、こうした名演に系譜に連なるものとして高く評価したいと考える。

協奏曲の演奏に際してのアバドの基本的アプローチは、ソリストの演奏の引き立て役に徹するというものであり、本演奏においても御多分にも漏れないが、オーケストラのみの演奏箇所においては、アバドならでは歌謡性豊かな情感に満ち溢れており、格調の高さも相俟った美しさは、抗し難い魅力に満ち溢れている。

ここぞという時の力感溢れる演奏は、同時期のアバドによる交響曲の演奏には聴くことができないような生命力に満ち溢れており、これぞ協奏曲演奏の理想像の具現化と評しても過言ではあるまい。

チャイコフスキーやショスタコーヴィチの協奏曲に特有のロシア風のメランコリックな抒情を強調した演奏にはなっておらず、両曲にロシア風の民族色豊かな味わいを求める聴き手にはいささか物足りなさを感じさせるきらいもないわけではないが、五嶋みどりのヴァイオリン演奏の素晴らしさ、両曲の持つ根源的な美しさを見事に描出し得たといういわゆる音楽の完成度という意味においては、まさに非の打ちどころのない素晴らしい名演に仕上がっていると高く評価したいと考える。

五嶋みどりのヴァイオリンについては、もちろん技量においても何ら問題はないが、巧さを感じさせないところが素晴らしい。

要は、楽曲の美しさだけが聴き手に伝わってくるような演奏を心掛けていると言えるところであり、加えて、畳み掛けていくような気迫や強靭な生命力が演奏全体に漲っているのが素晴らしい。

実演ということも多分にあるとは思うが、五嶋みどりの体当たりとも言うべき渾身の、そして楽曲の美しさを際立たせた演奏は、我々聴き手の感動を誘うのに十分であり、このような力強い名演奏を聴いていると、あらためて五嶋みどりの卓越した才能を感じることが可能だ。

一部の女流ヴァイオリニストにありがちな線の細さなどは微塵もなく、どこをとっても骨太のしっかりとした構えの大きい音楽が鳴り切っているのが見事である。

音質は、SACD化がなされることにより、臨場感のある素晴らしい高音質になっており、とりわけ五嶋みどりのヴァイオリンの弓使いが鮮明に再現されるのは殆ど驚異的ですらある。

あらためて本演奏の凄みを窺い知ることが可能になるとともに、SACDの潜在能力の高さを思い知った次第だ。

いずれにしても、アバド&ベルリン・フィル、そして五嶋みどりによる素晴らしい名演をSACD盤で味わうことができるのを大いに歓迎したいと考える。

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2015年04月04日


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史上最高のレコーディング・アーティストと評されているのはかのヘルベルト・フォン・カラヤンであるが、そのカラヤンをも遥かに超える膨大なレコーディングを行っている指揮者が存在する。

既に70歳代後半を迎えているが、今なおレコーディングへの意欲をいささかも失っていないその指揮者こそはネーメ・ヤルヴィである。

最近はパーヴォもクリスチャンも大活躍のヤルヴィ一家であるが、レパートリーの広さ、演奏の迫力、膨大な録音量等、父親ネーメの存在感はまだまだ圧倒的だ。

特にオーケストラが大編成となる作品における手腕の見事さはさすがで、これまでにも数々の素晴らしい演奏を聴かせ、師ムラヴィンスキー譲りの巧みなオーケストラ・コントロールがまず注目されるところでもあり、その「鳴りの良さ」が、多くのオーケストラ・ファンの信頼を得てきている。

しかしながら、ネーメ・ヤルヴィに対しては、一部の毒舌の音楽評論家から「なんでも屋」であり、膨大なレコーディングは粗製濫造などといった罵詈雑言が浴びせられているが、それはいささか言い過ぎであると言えるところであり、確かに、他の指揮者を圧倒するような名演は殆ど皆無ではあるが、いずれの録音も水準以上の演奏に仕上がっているのではないかと考えられるところだ。

ネーメ・ヤルヴィの最大の功績は、これまでのレビューに紹介してきた通り、特に北欧の知られざる作曲家の作品を数多く録音して、広く世に知らしめたということであり、このことだけでも、後世に名を残すだけの名指揮者と言っても過言ではあるまい。

そのような膨大なレコーディングを行っているネーメ・ヤルヴィであるが、意外にもチャイコフスキーの3大バレエ音楽の録音は本盤が「眠れる森の美女」に続き2作目とのこである。

数年前にBISレーベルに水準の高いチャイコフスキーの交響曲全集を録音しているだけに意外な気もするが、それだけにネーメ・ヤルヴィとしても満を持して取り組んだ録音であると言うことができるだろう。

そして、本盤のバレエ音楽「白鳥の湖」の録音は、そうした我々の期待をいささかも裏切ることがない素晴らしい名演に仕上がっている。

3大バレエ音楽の中でも、「眠れる森の美女」や「くるみ割り人形」と比較すると全曲録音の点数が多い「白鳥の湖」であるが。本演奏は数ある名盤の中でも特筆すべき出来映えであると高く評価したい。

ネーメ・ヤルヴィのアプローチは、例によって聴かせどころのツボを心得たわかりやすさを信条とするもの。

交響曲ではなく、バレエ音楽だけに、このようなアプローチは理想的であり、チャイコフスキーならではの親しみやすい旋律に満たされた同曲の魅力を、我々聴き手は安定した気持ちで満喫することができるのが素晴らしい。

各場面の描き分けも秀逸であり、これまで数多くのレコーディングを手掛けてきたネーメ・ヤルヴィならではの演出巧者ぶりが十二分に発揮されている。

いずれにしても、本演奏は、演奏内容、そして音質面の両面において、極めて水準の高い素晴らしい名盤であると高く評価したいと考える。

ネーメ・ヤルヴィは、今後「くるみ割り人形」を録音するとのことであるが、実に楽しみである。

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2015年03月27日


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プレトニョフ&ロシア・ナショナル管弦楽団によるチャイコフスキーの交響曲全集も、今般の交響曲第3番の登場でついに第6弾。

これによって、死後補筆の第7番を除けば、番号付きの交響曲がすべて出揃った。

残るは、マンフレッド交響曲のみであり、いよいよこのコンビによる2度目の全集の完成も間近に迫ったところだ。

本盤の演奏を聴いて感じられるのは、そしてそれはこれまでの他の交響曲の演奏においても共通しているとも言えるが、プレトニョフのチャイコフスキーへの深い崇敬の念であると言える。

2度にわたって交響曲全集を録音するという所為もさることながら、演奏におけるアプローチが、他の楽曲とは次に述べるように大きく異なっているからである。

プレトニョフは、数年前に、ロシア・ナショナル管弦楽団とともにベートーヴェンの交響曲全集を録音しており、それは聴き手を驚かすような奇抜とも言える超個性的な演奏を繰り広げていた。

それだけに、賛否両論が渦巻いていたが、それに対して、今般のチャイコフスキーの交響曲全集においては、ある意味では正統派の演奏。

演奏の総体としては、いささかも奇を衒うことがないオーソドックスな演奏を展開していると言えるところである。

もちろん、オーソドックスとは言っても、そこはプレトニョフ、個性が皆無というわけではない。

本盤に収められた交響曲第3番においても、テンポの振幅を効果的に活用したり、ここぞという時にはアッチェレランドを駆使するなど、プレトニョフならではのスパイスが随所に効いていると言えるだろう。

にもかかわらず、演奏全体としては、あざとさをいささかも感じさせず、前述のように、オーソドックスな装いとなっているのは、プレトニョフがチャイコフスキーの交響曲を深く理解するとともに、心底からの畏敬の念を有しているからに他ならないのではないかとも考えられるところだ。

プレトニョフにとっては、本盤の交響曲第3番の演奏は、約15年ぶりの録音ということになるが、この間のプレトニョフの指揮芸術の円熟を感じさせるものであり、音楽の構えの大きさ、楽曲への追求度、細部への目配りなど、どの点をとっても、本演奏は数段優れた名演に仕上がっていると言えるだろう。

併録の戴冠式祝典行進曲は、一般に馴染みのない楽曲であるが、中庸のテンポを基調としつつ、聴かせどころのツボを心得たオーソドックスなアプローチで、知られざる名曲に光を当てるのに成功した素晴らしい名演と高く評価したい。

それにしても、ペンタトーンレーベルによる本チクルスの音質は例によって素晴らしい。

何と言っても、マルチチャンネル付きのSACDであるということは、本チクルスの大きなアドバンテージの1つであると言えるところであり、プレトニョフの精緻にして緻密さを基調とするアプローチを音化するのには、極めて理想的なものと言えるのではないだろうか。

いずれにしても、プレトニョフによる素晴らしい名演を、マルチチャンネル付きの極上の高音質SACDで味わうことができるのを大いに歓迎したいと考える。

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2015年03月24日


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本盤は、ハンガリー出身の名指揮者ジョージ・セルが1962年にロンドン交響楽団を指揮して録音したチャイコフスキーの交響曲第4番ほかを収録したアルバムである。

チャイコフスキーの交響曲第4番は、当時不幸な結婚で悩んでいた作曲者の心境を反映した人生の苦悩と哀愁に関する標題的内容を持った情熱的な曲。

妥協を許さない厳格なアプローチで音楽の本質に迫ることで知られた指揮者、セルが残した名盤中の名盤で、チャイコフスキーが伝えたかったロシアの空気をキッチリ音楽にしている。

セルはこの録音後「私の目の黒いうちは絶対発売させない」と言った逸話が残っている演奏であるが、この逸話を知った時は、とても信じられず、愕然とした覚えがある。

セルとしては、やはり手兵クリーヴランド管弦楽団とは違い、ロンドン交響楽団では自分の思い通り演奏できない不満があったのであろうが、逆説的に言えば、セルとオケが目に見えない火花を散らしながら演奏したが故に、全体を通して、緊張感と気迫溢れる名演となったのかもしれない。

しかしさすがの名門オケ、このテンポ、短い音の連続でも響きの豊かないい音を出しており、何よりチャイコフスキーに欠かせない木管の豊かで輝かしい響きが聴かれる。

センチメンタリズムを極力排したドライで禁欲的なセルの毅然とした音楽づくりに、ロンドン交響楽団は必死で応えながらも、自らの持ち味の音の響きも保ち続け、マエストロの要求との折り合いをつけたようだ。

そのお互いの葛藤に何とか見合う曲としてチャイコフスキーの交響曲第4番は最適だったかも知れない。

セルは過度な感傷を避け、この交響曲特有の重たいイメージをあまり感じさせず、それでいて決して無機的にはならない。

第1楽章の出だしの金管・木管の音に続く弦の音にしてから、非常に大切に音を出しているなと感じさせるものだ。

全体を40分ちょっとで駆け抜けているが、この快速テンポは、かのムラヴィンスキーの1960年代の名演に匹敵するものだ。

全体的な造型や、演奏の性格はムラヴィンスキーの名演に準じるものであり、手兵のクリーヴランド管弦楽団を「セルの楽器」と称されるまでに鍛え上げたセルの片鱗が見られるが、例えば、第1楽章の終結部のテンポの激変や、終楽章のアッチェレランドなど、セルにしては珍しい踏み外しも見られる。

セルに率いられたロンドン交響楽団は、第2楽章で美しい旋律を豊かに奏でたかと思うと、一転、終楽章では一糸乱れぬ超人的なアンサンブルで聴き手を圧倒する。

特に終楽章の気迫溢れる演奏は,ただ単に賑やかな演奏ではなく、緊張感溢れる演奏となっていて、ダイナミックな中にも細やかな味付けもされており、あっという間に聴き終えてしまう。

ロンドン交響楽団の許容力と懐深さによって貴重な「セルのチャイ4」が聴けたことに感謝したい気分だ。

こんな演奏は他に類例がなく、聴き終えたあと適度な興奮と余韻、爽やかな印象が残る、今だに色褪せない名盤である。

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2015年03月10日


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アシュケナージによるNHK交響楽団とのチャイコフスキー交響曲全集の完結篇で、最後を飾るに相応しい秀演であると思う。

アシュケナージについては、一般大衆はともかくとして、いわゆるクラシック音楽の通を自認する者の評判が芳しくないのは事実である。

語り口が甘すぎるとか、表情付けだけは巧みであるとか、芸術家としての厳しさに欠けるなど。。。

確かに、そのような批判にも一理あるとは思うが、だからと言って、アシュケナージの指揮(あるいは演奏)する楽曲のすべてが凡演ということにはならないのではなかろうか。

例えば、ラフマニノフの名演奏。

交響曲などを指揮しても、ピアノ協奏曲を演奏しても、いずれも、トップの座を争うほどの名演を成し遂げているではないか。

少なくとも、ラフマニノフを指揮(演奏)する限りにおいては、アシュケナージはまぎれもない巨匠と言うことができると考えている。

次いで、筆者は、チャイコフスキーを採りたいと思う。

ピアノ協奏曲第1番の演奏では、既に名演を遺しているが、交響曲も、ムラがあるものの、曲によってはなかなかの演奏を行ってきていると言える。

本盤の「第5」も、もちろん、ムラヴィンスキーやカラヤンなどの高みには達してはいないものの、なかなかの佳演と言ってもいいのではなかろうか。

アシュケナージはNHK交響楽団の精緻なアンサンブル力を存分に生かして、自然な流れの中でチャイコフスキーの力強い響き、叙情的な歌を描き出している。

取り立てて指摘すべき強烈な個性があるわけではないが、オーケストラを巧くドライブして、チャイコフスキーの音楽の素晴らしさを余すことなく表現した嫌みのない演奏であり、よき中庸を得た佳演と言ったところではなかろうかと思う。

演奏のスタイルは、この曲にありがちな劇場型、熱血型ではなく、シンフォニックで端正な佇まいを示したものだ。

第1楽章の盛り上がる部分も、コントロールが利いていて、過度に色を示していない。

逆に言うと、踏み込みが浅いと感じられる面もあるだろうが、終結部のシンフォニックなバランス感覚はレベルが高い。

第2楽章、第3楽章ともメランコリーにのめり込むことのない運びである。

もっとも美しいのは終楽章で、やや速めのインテンポで弦の小刻みなニュアンスを消さない配慮がシックな色合いを呈する。

このようなアプローチの結果、楽曲のイメージはやや悲しみの領域にシフトしていると考えられる。

NHK交響楽団の熱演ぶりも素晴らしく、アシュケナージの同曲に対する確信と、そこに導かれるオーケストラの絶妙な機能美を聴き取ることのできる演奏である。

また、エクストンによるSACDマルチチャンネル録音であるという点も、本盤の価値を高めることに貢献している。

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2015年03月09日


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チェコを代表する名手によって構成されるスーク・トリオによる円熟の名演である。

スーク・トリオによるチャイコフスキーの2度目の録音で、ピアノは名手パネンカ。

チェコの至宝として年輪を刻み、練り上げられたアンサンブルが奏でるスラヴの魂に脱帽してしまう。

パネンカ、スーク、フッフロといった3人の名手それぞれが最高のヴィルトゥオジティをもち、円熟を極めたころの名録音である。

ロシア・ピアノ音楽史上の巨星ニコライ・ルービンシュテインの死を悼んで書かれた、ロシアの大地を思わせる雄大なこの三重奏曲は、よほどアンサンブルがしっかりしていないと45分もの長丁場をもたせることは至難の業だ。

スーク・トリオは、各自の表現力のすべてをぶつけ合って、緊迫感あふれるスリリングで感動的な名演を聴かせる。

この曲は、チャイコフスキーが、偉大なピアニストであったニコライ・ルービンシュテインを偲んで作曲したため、ピアノ・パートが大変雄弁なものとなっているとも言われるが、スーク・トリオは室内楽としての息の合ったアンサンブルを磨きあげながらも、ピアニストのパネンカが素晴らしいヴィルトゥジティも発揮している。

彼らメンバー3人は夫々職人的名手で、派手なパフォーマンス抜きにチャイコフスキーの友人ピアニスト ニコライ・ルービンシュタインの死を悼む気持ちに落ちつき払いじんわりと、しかし一面烈しい共感性を表わした演奏を展開しており、素晴らしい名盤となっている。

スーク・トリオのアプローチは、何か個性的な解釈によって聴き手を驚かすような奇作を用いることはいささかもなく、どこまでも自然体のアプローチによって、チャイコフスキーの傑作ピアノ三重奏曲の魅力をダイレクトに聴き手に伝えてくれる点を高く評価したい。

もちろん、自然体と言っても、決して生ぬるいものではなく、各奏者の圧倒的な技量をベースとして、息の合った絶妙なアンサンブルの下、硬軟併せ持つ、いい意味でのバランスのとれた演奏を繰り広げている。

スーク・トリオによる演奏は、虚飾の無い、淡々とした演奏で、聴く者への媚びがなく、昨今の所謂スタープレイヤー共演の様な派手派手しいパフォーマンスとは無縁のボヘミア楽派の落ち着きが、チャイコフスキーの友人ピアニスト、ニコライ・ルービンシュテインの死を悼む気持ちに共感を増してくれる。

テンポはやや遅めであるが、1音1音丁寧に弾いていることが大きな特徴で、溢れ出る歌の美しさ、深い呼吸、綾なすヴィルトゥオジティ、同曲の必聴盤という評価は不変であろう。

第1楽章の哀切の音楽についても、チープなセンチメンタルには決して陥ることなく、高踏的な美しさを湛えている点が素晴らしい。

第2楽章の終結部の劇的で、力強い表現は、作曲者の心底を抉り出すような鋭さが支配している。

いずれにしても、本盤は、スーク・トリオを代表する名演であるとともに、チャイコフスキーの傑作ピアノ三重奏曲の数々の名演の中でも、かなり上位に位置づけられる理想的な名演と評価したい。

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2015年03月08日


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名門チェコ・フィルに新時代の到来を告げるチャイコフスキーで、復活の狼煙を上げたのは、長い亡命生活の末祖国に帰り音楽監督に就任したマーツァル。

既にチャイコフスキーの番号付きの交響曲をすべて録音したマーツァルが、マンフレッド交響曲を録音したのは大変素晴らしいことであると思う。

番号付きの交響曲、特に、後期3大交響曲と比較すると、マンフレッド交響曲の録音点数はあまりにも低いし、チャイコフスキーの交響曲全集を録音した指揮者でも、このマンフレッド交響曲の録音をしない者が多く、作品の質の高さを考慮すれば大変残念なことである。

豊潤な音の流れに身を任せる快感とチャイコフスキーらしいメロディや楽器用法の仕掛けの数々は聴くほどに魅力的だ。

組曲と共にチャイコフスキーの作品の中ではディスクが少ないだけあって、大いに存在意義のある1枚と言うことができよう。

最近では、輸入盤ではあるが、ロシア風の民族色の濃いキタエンコによる名演が発売されたが、本盤のマーツァルの演奏は、それとは対照的な純音楽的な名演と言うことができる。

かと言ってマーツァルの演奏は、表面を整え洗練を求める現代の時流とは多分に異なっており、演奏は常に熱っぽく、その表現は素朴である。

マーツァルは、チャイコフスキーの他の交響曲や、マーラーの交響曲でもそうであるが、オーケストラを無理なく鳴らし、いわゆる良い意味でのオーソドックスな解釈を行っている。

マーツァルの音楽のテンションの高さは、少し前のめり気味のビートからもわかるだろう。

巨匠風の音楽を作るならもう少しゆったりとした間をとってもいいところでも、マーツァルはそんなことにかまわない。

随所に甘美なメロディが現れるが、そんなところでもマーツァルは、洗練よりも、自然な表現を好む。

大見得を切ったり、思わせぶりに歌ったりせず、音楽を前へ進めていき、そこからは、テンポの速さ遅さ以上に作品へのマーツァルの気持ちの強さが伝わってくる。

したがって、チャイコフスキーの傑作交響曲の魅力をダイレクトに味わうことができるのが最大の長所ということができる。

今回もこれまで同様に見事なバランス感覚と見事な読解能力によって、隅々まで構築された各楽章は必聴である。

同曲に、ロシア風のあくの強さを求める聴き手からすると、いささか物足りなさを感じさせるかもしれないが、これだけ楽曲の魅力を美しく、そしてストレートに表現してくれれば文句は言えまい。

チェコ・フィルも最高のパフォーマンスを示しており、チェコ・フィル独自の歌心とあたたかな音色がブレンドして、巨大な交響曲をさらに立体的に作り上げている。

緊密なアンサンブルからは腰を据えた厳しい練習の跡が窺えるが、土の薫りと現代感覚がほどよくブレンドされた佳演である。

マーツァルの素朴な音楽性は、チェコ・フィルだからこそ生かされているところが多いように思う。

SACDによる高音質録音も本盤の魅力の1つで、音質の鮮明さ、そして音場の幅広さ、音圧などのどれをとっても一級品の仕上がりであり、あらためてSACD盤の潜在能力の高さを思い知った次第である。

いずれにしても、マーツァル&チェコ・フィルによる美演を現在望みうる最高の高音質SACDで味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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2015年02月07日


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本盤には、プレヴィンが当時の手兵であるロンドン交響楽団とともに1970年代にスタジオ録音したチャイコフスキーの3大バレエ音楽のうち、「眠れる森の美女」全曲が収められている。

プレヴィンは、クラシック音楽の指揮者としてもきわめて有能ではあるが、それ以外のジャンルの多種多様な音楽も手掛ける万能型のミュージシャンと言える。

したがって、本演奏においてもそのアプローチは明快そのもので、プレヴィンはロンドン響を指揮して、極めてパノラミックな表現を聴かせる。

楽曲を難しく解釈して峻厳なアプローチを行うなどということとは全く無縁であり、楽曲をいかにわかりやすく、そして親しみやすく聴き手に伝えることができるのかに腐心しているように思われる。

したがって、ベートーヴェンなどのように、音楽の内容の精神的な深みへの追求が求められる楽曲においては、いささか浅薄な演奏との誹りは免れないと思うが、起承転結がはっきりとした標題音楽的な楽曲では、俄然その実力を発揮することになる。

本盤に収められたチャイコフスキーのバレエ音楽「眠れる森の美女」は、そうしたプレヴィンの資質に見事に合致する楽曲と言えるところであり、加えて若さ故の力強い生命力も相俟って、素晴らしい名演に仕上がったと言っても過言ではあるまい。

ほどよい距離を保ちながら、全体を的確に把握しており、危うさがない。

情緒的なものに過度にのめり込むことなく、かといって、非情につっぱねるようなこともなく、知情意のバランスが無理なくとれている。

すべては他の曲の場合と同じで、ストーリー・テラー的な巧さによっていて、聴かせどころのツボを心得た演出巧者ぶりは心憎いばかりであり、プレヴィンの豊かな音楽性が本演奏では大いにプラスに働いている。

プレヴィンならではの、安定した性格の演奏で、完成度の高い出来映えである。

クラシック音楽入門者が、バレエ音楽「眠れる森の美女」を初めて聴くに際して、最も安心して推薦できる演奏と言えるところであり、本演奏を聴いて、同曲が嫌いになる聴き手など、まずはいないのではないだろうか。

いずれにしても、プレヴィンによる本演奏は、チャイコフスキーのバレエ音楽「眠れる森の美女」(全曲)には、ロジェストヴェンスキーやゲルギエフなどによるロシア風の民族色溢れる名演や、アンセルメやスラットキンによる洗練された色彩美を誇る名演などがあまた存在しているが、安定した気持ちで同曲を魅力を味わうことができるという意味においては、第一に掲げるべき名演と評価したい。

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2014年12月30日


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マリス・ヤンソンスは、バイエルン放送交響楽団とロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団という、世界でも超一流のオーケストラの音楽監督を兼任するなど、名実ともに、同じく指揮者であった父親のアルヴィド・ヤンソンスを超える現代における大指揮者の1人であるが、本盤に収められたチャイコフスキーの交響曲第6番「悲愴」、そしてストラヴィンスキーのバレエ組曲「火の鳥」は、バイエルン放送交響楽団の音楽監督に就任して1年後のライヴ録音だ。

ヤンソンスは、祖国ロシアにおいて、ムラヴィンスキーの統率下にあったレニングラード・フィルの副指揮者をつとめ、ムラヴィンスキーの薫陶を受けるとともに、カラヤン国際指揮者コンクールにおいて第2位入賞を果たすなど、カラヤンの影響も少なからず受けることになった。

それだけに、ムラヴィンスキーとカラヤンによる得意のレパートリーであったチャイコフスキーの交響曲第6番「悲愴」については、両者の演奏のそれぞれの長所を採り入れた演奏になっていると言えるのではないだろうか。

演奏全体の引き締まった造型美とテンポ設定については、ムラヴィンスキー直伝の神経に貫かれた演奏とも言えるところであるが、これにカラヤンの演奏が有していた豪壮華麗さが付加された、いい意味での剛柔のバランスのとれた演奏こそが、ヤンソンスによる本演奏ということになるのではないかと考えられるところである。

また、実演ならではの強靭な生命力やトゥッティに向けて畳み掛けていくような気迫においていささかも不足がないところであり、若き日のヤンソンスがオスロ・フィルとともにチャイコフスキーの交響曲全集をスタジオ録音(シャンドスレーベル)した際の「悲愴」の演奏よりも格段に優れた素晴らしい名演に仕上がっていると高く評価したい。

他方、ストラヴィンスキーのバレエ組曲「火の鳥」は、ロイヤル・コンセルトへボウ管弦楽団とのほぼ同時期のライヴ録音が存在している。

当該演奏と本盤の演奏は、アプローチ自体は酷似していることから、オーケストラの違いということになるが、両オーケストラともに技量は卓越したものがあり、後はオーケストラの音色の好みの問題と言えるのではないかと考えられる。

いずれにしても、本盤の演奏は、ロイヤル・コンセルトへボウ管弦楽団との演奏と同格の素晴らしい名演と高く評価したい。

音質は、1994年のライヴ録音ということもあって、従来CD盤でも比較的満足できるものであったが、今般発売されたBlu-spec-CD2盤は、従来CD盤とは次元が異なるような優れた高音質に蘇っている。

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2014年12月25日


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数多くの若手ヴァイオリン奏者が活躍する今日においては、残念なことではあるが庄司紗矢香の存在感はやや薄くなってしまっていると言わざるを得ない。

しかしながら、今から7年ほど前の本盤に収められた演奏当時は、庄司紗矢香は次代を担う若手ヴァイオリニストの旗手として飛ぶ鳥を落とす勢いであったと言える。

本演奏では、そのような前途洋々たる将来を嘱望されていた庄司紗矢香の素晴らしいヴァイオリン演奏を聴くことが可能であり、両曲ともに素晴らしい名演と高く評価したい。

まずは、庄司紗矢香の若手ヴァイオリニストとは到底思えないような落ち着き払ったテンポ設定に大変驚かされる。

あたかも1音1音を丁寧に、しっかりと確かめながら演奏しているかのようであるが、それでいて音楽の自然な流れが損なわれることはいささかもなく、むしろこれ以上は求め得ないような美しさの極みとも言うべき極上の音楽が滔々と流れていく。

その心のこもった情感の豊かさは、切れば血が吹き出てくるような熱い情熱に裏打ちされており、実に感動的だ。

もちろん、庄司紗矢香の卓越した技量は比類がないものであり、とりわけ両曲の終楽章の頂点に向けて畳み掛けていくような気迫溢れる力強さやエネルギッシュな生命力は、圧倒的な迫力を誇っている。

この庄司紗矢香の素晴らしいヴァイオリンをうまくサポートしているのが、チョン・ミュンフン&フランス国立放送フィルによる好演だ。

チョン・ミュンフンは1990年代の全盛期に比べると、かなり大人しい演奏に終始するようになったが、本演奏ではこれが逆に功を奏し、ゆったりとしたテンポによる控えめな演奏が庄司紗矢香のヴァイオリンをうまく引き立てるのに大きく貢献しているのを忘れてはならない。

録音は、従来盤ではヴァイオリンとオーケストラのバランスについて問題視されるなど、必ずしも満足できる音質とは言い難い面があったが、今般のSHM−CD化により鮮明さが増すことによって、かなり満足できる音質に生まれ変わったと言えるのではないだろうか。

いずれにしても、飛ぶ鳥落とす勢いであった庄司紗矢香による素晴らしい名演を、SHM−CDによる高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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2014年12月18日


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素晴らしい名演だ。

ルービンシュタインは何を弾いても超一流の演奏を残した、前世紀最大の奏者の1人であることを再認識させられるものだ。

本盤に収められた演奏は、チャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番が1963年の録音、ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番が1971年の録音であり、それぞれルービンシュタインが76歳と84歳の時のものである。

ルービンシュタインは、既に本盤に至るまでにともに2度の録音を行っているが、本盤の3度目の録音の後は両協奏曲を録音することはなかったことから、いずれもルービンシュタインによる最後の録音ということになる。

その意味では本演奏は、ルービンシュタインにとっての両協奏曲の演奏の集大成であるということになる。

本演奏を一言でいえば大人(たいじん)の至芸と評価できるのではないかと考えられる。

ここには、ロシア風の民族色や土俗性などは微塵も感じられない。

ロシア音楽独特のパワーで押し切ろうというような力づくの演奏なども薬にしたくもない。

ここに存在するのは、スコアを真摯に、そして誠実に音化していこうとしている音楽性豊かな偉大なピアニストだけだ。

ルービンシュタインは、楽想をしっかりと踏みしめるように着実にその歩みを進めていく。

単にピアノを鳴らすだけでなく、どの1音にも情感がこもっており、演奏全体としてもロシアの悠久の大地を思わせるような壮大なスケールを誇っている。

テクニックも桁外れのうまさで、強靭な打鍵から繊細な抒情に至るまで表現力の幅はきわめて広い。

まさに、両協奏曲演奏史上においても最も純音楽的な名演と言えるところであり、これにはルービンシュタインの円熟を感じずにはいられない。

チャイコフスキーのバックをつとめるラインスドルフは、即物的な指揮者として知られているが、本演奏では、ルービンシュタインの心のこもったピアノに併せて、ボストン交響楽団とともに実に情感豊かな演奏を繰り広げているのが素晴らしい。

またラフマニノフのバックをつとめるオーマンディ&フィラデルフィア管弦楽団も見事の一語に尽き、「協奏曲の神様」と謳われたオーマンディの面目が躍如としている。

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2014年12月10日


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史上最高のレコーディング・アーティストと評されているのは、かのヘルベルト・フォン・カラヤンであるが、そのカラヤンをも遥かに超える膨大なレコーディングを行っている指揮者が存在する。

既に75歳になっているが、今なおレコーディングへの意欲をいささかも失っていないその指揮者こそはネーメ・ヤルヴィである。

ネーメ・ヤルヴィに対しては、一部の毒舌の音楽評論家から「なんでも屋」であり、膨大なレコーディングは粗製濫造などと言った罵詈雑言が浴びせられているが、それはいささか言い過ぎであると言えるところであり、確かに、他の指揮者を圧倒するような名演は殆ど皆無ではあるが、いずれの録音も水準以上の演奏に仕上がっているのではないかと考えられるところだ。

ネーメ・ヤルヴィの最大の功績は、特に北欧の知られざる作曲家の作品を数多く録音して、広く世に知らしめたということであり、このことだけでも、後世に名を残すだけの名指揮者と言っても過言ではあるまい。

そのような膨大なレコーディングを行っているネーメ・ヤルヴィであるが、意外にもチャイコフスキーの3大バレエ音楽の録音は本盤が初めてとのことである。

数年前にBISレーベルに水準の高いチャイコフスキーの交響曲全集を録音しているだけに意外な気もするが、それだけにネーメ・ヤルヴィとしても満を持して取り組む録音であると言うことができるだろう。

そして、本盤のバレエ音楽「眠れる森の美女」の録音は、そうした我々の期待をいささかも裏切ることがない素晴らしい名演に仕上がっている。

3大バレエ音楽の中でも、「白鳥の湖」や「くるみ割り人形」と比較すると全曲録音の点数がかなり少ない「眠れる森の美女」であるだけに、本演奏は極めて貴重な存在とも言える。

ヤルヴィのアプローチは、例によって聴かせどころのツボを心得たわかりやすさを信条とするもの。

交響曲ではなく、バレエ音楽だけに、このようなアプローチは理想的であり、チャイコフスキーならではの親しみやすい旋律に満たされた同曲の魅力を、我々聴き手は安定した気持ちで満喫することができるのが素晴らしい。

各場面の描き分けも秀逸であり、これまで数多くのレコーディングを手掛けてきたネーメ・ヤルヴィならではの演出巧者ぶりが十二分に発揮されている。

ネーメ・ヤルヴィは、本盤を皮切りとして、今後、「白鳥の湖」と「くるみ割り人形」を録音するとのことであるが、実に楽しみである。

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2014年12月03日


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カラヤンは、チャイコフスキーを得意としたが、その中でも十八番は、この交響曲第6番「悲愴」であった。

カラヤンと言えば「悲愴」と言われるくらい実に多くのレコーディングを遺しており、スタジオ録音だけでも7度も行うとともに、先般発売された来日時のライヴ録音や、NHK交響楽団とのライヴ録音などを加えると、圧倒的な点数にのぼる。

オペラのように起承転結がはっきりした標題音楽的な要素や、華麗なオーケストレーションなど、いかにもカラヤンが得意とした要素が散りばめられているのが、カラヤンが同曲を得意とした要因の一つに掲げられると考える。

遺された録音は、いずれも名演であるが、その中でも、本盤は、カラヤン60歳半ばの最も充実していた頃(1971年)の演奏で、ライヴ録音ではないかと思われるような劇的な豪演を成し遂げているのが特徴と言える。

悪魔的とも言うべき金管楽器の鋭い音色や、温かみのある木管の音色、重厚な低弦の迫力、そして雷鳴のように轟くティンパニの凄さなど、黄金時代にあったベルリン・フィルの圧倒的な技量が、そうした劇的な要素を大いに後押ししている。

カラヤンも、圧倒的な統率力で、ベルリン・フィルを巧みにドライヴするとともに、ポルタメントやアッチェレランド、流れるようなレガートなどを効果的に駆使して、美しいメロディに秘められた翳りの感情が見事に表現されている。

まさに本演奏は、「悲愴」の魅力を大いに満喫させてくれる屈指の名盤と言えよう。

録音も、同時期に録音された「第4」や「第5」と異なり、なかなかに良く、HQCD化によって、さらに鮮明さが増したが、今般、シングルレイヤーによるSACD盤が発売されるに及んで大変驚いた。

音質の鮮明さ、音圧、音場の幅広さのどれをとっても、従来CD盤やHQCD盤などとは段違いの素晴らしさであり、あらためて本演奏の凄さを窺い知ることが可能になるとともに、SACDの潜在能力の高さを思い知った次第だ。

いずれにしても、カラヤン&ベルリン・フィルによる絶頂期の素晴らしい名演を超高音質のシングルレイヤーによるSACD盤で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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2014年12月02日


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カラヤンはチャイコフスキーを得意としていたが、このうち、交響曲第5番は5回もスタジオ録音している。

いずれも名演であると思うが、その中でもトップの座に君臨するのは、1971年に録音された本盤であると考える。

スタジオ録音であるが、ライヴ録音ではないかと思われるほど、劇的な性格を有した豪演と言うことができる。

この当時は、カラヤンとベルリン・フィルは蜜月状態にあり、この黄金コンビは至高の名演の数々を成し遂げていたが、本盤の演奏も凄い。

金管楽器も木管楽器も実に巧く、厚みのある重厚な弦楽器も圧巻の迫力だ。

雷鳴のようなティンパニの轟きも、他の誰よりも圧倒的。

そうした鉄壁の技量とアンサンブルを誇るベルリン・フィルを、これまた圧倒的な統率力で指揮するカラヤンの凄さ。

粘ったようなテンポや猛烈なアッチェレランドの駆使、そしてカラヤンには珍しいポルタメントの効果的な活用など、実に内容豊かでコクのあるチャイコフスキーを構築している。

流動感のある、しかも肌ざわりの柔らかい演奏とも言えるところであり、シンフォニーを指揮するカラヤンが意図する抒情的な味わいと、細部の綿密な分析による表情の多彩さが示された演奏である。

惜しいのは、従来CD盤では録音がいささか良くない点であり、「第4」のように、音が歪むという致命的な欠陥はないが、それでも最強奏になった時の音像の曖昧さは、演奏が素晴らしいだけに大変残念な気がしていた。

それはHQCD化によって幾分はましになったが、抜本的な改善が図られたわけではなく、筆者としては大変もどかしい思いがしていた。

ところが、今般、シングルレイヤーによるSACD盤が発売されるに及んで大変驚いた。

音質の鮮明さ、音圧、音場の幅広さのどれをとっても、従来CD盤とは段違いの素晴らしさであり、あらためて本演奏の凄さを窺い知ることが可能になるとともに、SACDの潜在能力の高さを思い知った次第だ。

いずれにしても、カラヤン&ベルリン・フィルによる絶頂期の素晴らしい名演を超高音質のシングルレイヤーによるSACD盤で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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2014年12月01日


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カラヤンは、チャイコフスキーを得意としており、交響曲第4番は6度もスタジオ録音している。

加えて、ウィーン交響楽団とのライヴ録音も存在しており、カラヤンとしても何度も演奏した得意のレパートリーと言えるが、遺された録音の中で随一の名演は、カラヤン&ベルリン・フィルの黄金時代である1971年に録音された本盤であると考える。

本盤の特徴を言えば、ライヴ録音を思わせるような劇的な迫力であり、曲に様々な起伏をもたらすカラヤンならではの解釈の見事さである。

豪演と言っても過言ではないような圧巻の迫力であり、その圧倒的な生命力は、とてもスタジオ録音とは思えないほどである。

冒頭から、悪魔的な金管の最強奏に始まり、厚みのある弦合奏の重量感や、雷鳴のようなティンパニの轟きには戦慄を覚えるほどだ。

第1楽章終結部の猛烈なアッチェレランドは、古今東西の同曲の演奏の中でも、最高の迫力を誇っている。

第2楽章の木管の巧さも特筆すべき美しさであり、そのむせ返るような熱い抒情には、身も心もとろけてしまいそうだ。

終楽章の疾風の如きハイテンポによる進行は圧巻という他はないが、それでいて、アンサンブルにいささかの乱れもないのは、殆ど驚異でもある(これに匹敵できるのは、ムラヴィンスキー&レニングラード・フィルの1960年盤のみ)。

凡百の指揮者が陥りがちな甘美なメロディだけに酔うような演奏ではなく、豪快でありながら各楽器の動きを丁寧に描ききった演奏である。

本盤で惜しいのは従来CD盤では録音がイマイチであることであり、特に、終楽章のティンパニの音色が歪むのは大変残念で、HQCD化によっても、大きな改善が見られず、マスターテープに起因する問題かと半ば諦めかけていたところだ。

ところが、今般、シングルレイヤーによるSACD盤が発売されるに及んで、音質の抜本的な改善が図られているいることに大変驚いた。

音質の鮮明さ、音圧、音場の幅広さのどれをとっても、従来CD盤やHQCD盤などとは段違いの素晴らしさであり、あらためて本演奏の凄さを窺い知ることが可能になるとともに、SACDの潜在能力の高さを思い知った次第だ。

いずれにしても、カラヤン&ベルリン・フィルによる絶頂期の素晴らしい名演を超高音質のシングルレイヤーによるSACD盤で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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驚天動地の超高音質SACDの登場だ。

これがSP復刻による1938年の録音とはとても信じられない。

フルトヴェングラーが遺したチャイコフスキーの「悲愴」の録音としては、本盤といわゆるカイロ盤(1951年のライヴ、DG)の2種が存在し、いずれ劣らぬ名演ではあるが、ライヴ録音ということもあり、どちらかと言えばドラマティックなカイロ盤の方を上位に置く評者が多かったのではないかと思われる。

しかしながら、今般の高音質化を持って、フルトヴェングラーの魔法のような至芸を鮮明な音質で味わうことが可能となったことにより、筆者としては、本盤の方をより上位に置きたいと考える。

SP復刻に起因するテープヒスは若干あるものの、第1楽章冒頭のファゴットの生々しい音色からして大変驚かされる。

第1主題のトゥッティでは若干音は歪むが、それでも既発CDとは段違いの良好な音質だ。

第2主題の弦楽合奏は艶やかに響くし、その後の木管楽器の響きも実にブリリアント。

展開部も音が殆ど歪まず、金管楽器や弦楽器が見事に分離して聴こえるのは圧巻であり、特に、展開部の終わりにおける低弦の動きが鮮明に再現されるのは驚異的ですらある。

ここでのドラマティックな表現は、フルトヴェングラーの面目躍如といったところである。

第2楽章冒頭の弦楽による厚みのある演奏は、音に一本芯が通ったような力強さが印象的。

その後の高弦による艶やかな響きには抗し難い魅力がある。

それにしても、中間部を超スローテンポで演奏するなど、第2楽章におけるフルトヴェングラーの表現は濃厚さの極みであり、この濃密で彫りの深い表現は、チャイコフスキーの真髄に迫る至高・至純の指揮芸術と高く評価したい。

第3楽章は、中間部で、おそらくはマスターテープに起因するであろう音圧の低下があるのは残念ではあるが、全体として各楽器が鮮明に分離して聴こえるのが素晴らしい。

特に、後半のトゥッティにおいて音の歪みが殆ど聴かれず、ブラスセクションがブリリアントに響きわたるのは凄まじいの一言。

終結部に向けての猛烈なアッチェレランドは、フルトヴェングラーならではの圧巻の至芸だ。

終楽章の慟哭のような弦楽合奏の深みのある音は、本高音質SACDを持ってはじめて再現されるものだ。

若干の音の歪みはあるが、さほど気にはならない。

トゥッティに向けてのアッチェレランドを駆使した圧倒的な盛り上がりは、フルトヴェングラーならではの卓越した至芸であるが、タムタムによる一撃や消え入るような終結部なども含め、既発CDとは次元の異なる鮮明な高音質で再現されるのは見事というほかはない。

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ムラヴィンスキーは、カラヤンとほぼ同時代に活躍していた大指揮者であったが、旧ソヴィエト連邦下で活動していたことやムラヴィンスキーが録音に慎重に臨んだこともあって、その実力の割には遺された録音の点数があまりにも少ない。

そのようなムラヴィンスキーの最良の遺産は、諸説はあるとは思われるが、大方の見方としては、手兵レニングラード・フィルとともに西欧諸国への演奏旅行中に、ロンドン(第4番)、そしてウィーン(第5番及び第6番)においてスタジオ録音されたチャイコフスキーの後期3大交響曲集の演奏であるということになるのではないだろうか。

録音は1960年であり、今から50年以上も前のものであるが、現在でもチャイコフスキーの後期3大交響曲集の様々な指揮者によるあまたの演奏にも冠絶する至高の歴史的な超名演と高く評価したい。

ムラヴィンスキーによるこれら後期3大交響曲集については、本演奏以外にも数多くの録音が遺されている。

本盤に収められた交響曲第6番について言えば、モノラル録音でありながら本演奏の3年前(1957年)にDGにスタジオ録音した演奏や、1975年の来日時のライヴ録音、1983年のレニングラード・フィルハーモニー大ホールでのライヴ録音などが存在している。

このうち、1975年の来日時のライヴ録音は圧倒的な超名演であるが、音質が今一つ冴えないという致命的な欠陥がある。

したがって、音質面などを総合的に勘案すれば、本盤の演奏の優位性はいささかも揺らぎがないものと言える。

本盤の演奏においては、約40分弱という、史上最速に限りなく近い疾風の如き快速のテンポで演奏されており、その演奏自体の装いもいわゆる即物的で純音楽的なアプローチで一貫しているとも言える。

他の指揮者によるチャイコフスキーの演奏において時として顕著な陳腐なロマンティシズムに陥るということはいささかもなく、どこをとっても格調の高さ、そして高踏的で至高・至純の芸術性を失うことがないのが素晴らしい。

それでいて、素っ気なさとは皆無であり、一聴すると淡々と流れていく各フレーズには、奥深いロシア音楽特有の情感に満ち溢れていると言えるところであり、その演奏のニュアンスの豊かさ、内容の濃さは聴いていて唖然とするほどである。

木管楽器や金管楽器の吹奏にしても、当時の旧ソヴィエト連邦のオーケストラの場合は、独特のヴィブラートを施したアクの強さが演奏をやや雑然たるものにするきらいがあったのだが、ムラヴィンスキーの場合は、徹底した練習を繰り返すことによって、演奏をより洗練したものへと変容させているのはさすがと言える。

そして、これら木管楽器や金管楽器の洗練された吹奏は、ムラヴィンスキーの魔法のような統率の下、あたかも音符がおしゃべりするような雄弁さを兼ね備えているのが素晴らしい。

弦楽合奏も圧巻の技量を誇っており、とりわけロシアの悠久の大地を思わせるような、重量感溢れる低弦の厚みも強靭なド迫力だ。

加えて、その一糸乱れぬ鉄壁のアンサンブルは紛れもなくムラヴィンスキーの圧倒的な統率力の賜物であり、とりわけ第3楽章のブラスセクションや弦楽器の鉄壁な揃い方はとても人間業とは思えないような凄まじさだ。

同曲の他の指揮者による名演としては、フリッチャイ&ベルリン放送交響楽団による名演(1959年)やカラヤン&ベルリン・フィルによる名演(1971年)など、あまた存在しているが、本演奏こそは頭一つ図抜けた存在であり、同曲演奏史上の最高の超名演と評価するのにいささかも躊躇するものではない。

これだけの歴史的な超名演だけに、初CD化以降、これまで幾度となくリマスタリングが繰り返されてきた。

数年前にはSHM−CD盤が発売され、更にはルビジウム・カッティング盤が発売されたところであり、当該両盤がCDとしては甲乙付け難い音質であると考えてきたものの、かつてLPで聴いた音質には到底及ばないような気がしていた。

ところが、今般、ついに、第4番や第5番とともに、待望のシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化が行われるに及んで大変驚いた。

音質の鮮明さ、音場の幅広さなど、すべてにおいて一級品の仕上がりであり、あらためてシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤の凄さを認識した次第である。

いずれにしても、ムラヴィンスキーによる歴史的な超名演を、現在望み得る最高の高音質であるシングルレイヤーによるSACD&SHM−CDで味わうことができるのを大いに喜びたい。

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2014年11月30日


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ムラヴィンスキーは、カラヤンとほぼ同時代に活躍していた大指揮者であったが、旧ソヴィエト連邦下で活動していたことやムラヴィンスキーが録音に慎重に臨んだこともあって、その実力の割には遺された録音の点数があまりにも少ない。

そのようなムラヴィンスキーの最良の遺産は、諸説はあるとは思われるが、大方の見方としては、手兵レニングラード・フィルとともに西欧諸国への演奏旅行中に、ロンドン(第4番)、そしてウィーン(第5番及び第6番)においてスタジオ録音されたチャイコフスキーの後期3大交響曲集の演奏であるということになるのではないだろうか。

録音は1960年であり、今から50年以上も前のものであるが、現在でもチャイコフスキーの後期3大交響曲集の様々な指揮者によるあまたの演奏にも冠絶する至高の歴史的な超名演と高く評価したい。

ムラヴィンスキーによるこれら後期3大交響曲集については、本演奏以外にも数多くの録音が遺されている。

とりわけ、本盤に収められた交響曲第5番については、この指揮者の十八番と言える楽曲であり、遺された演奏・録音も数多く存在しているが、筆者としては、本盤に収められた演奏とともに、1977年の来日時のライヴ録音(アルトゥス)、1982年のライヴ録音(ロシアンディスク)がムラヴィンスキーによる同曲の名演の3強と考えているところだ。

本盤の演奏においては、約40分弱という、冒頭序奏部の悠揚迫らぬテンポ設定を除けば、比較的速めのテンポで演奏されており、その演奏自体の装いもいわゆる即物的で純音楽的なアプローチで一貫しているとも言える。

他の指揮者によるチャイコフスキーの演奏において時として顕著な陳腐なロマンティシズムに陥るということはいささかもなく、どこをとっても格調の高さ、そして高踏的で至高・至純の芸術性を失うことがないのが素晴らしい。

それでいて、素っ気なさとは皆無であり、一聴すると淡々と流れていく各フレーズには、奥深いロシア音楽特有の情感に満ち溢れていると言えるところであり、その演奏のニュアンスの豊かさ、内容の濃さは聴いていて唖然とするほどである。

木管楽器や金管楽器の吹奏にしても、当時の旧ソヴィエト連邦のオーケストラの場合は、独特のヴィブラートを施したアクの強さが演奏をやや雑然たるものにするきらいがあったのだが、ムラヴィンスキーの場合は、徹底した練習を繰り返すことによって、演奏をより洗練したものへと変容させているのはさすがと言える。

そして、これら木管楽器や金管楽器の洗練された吹奏は、ムラヴィンスキーの魔法のような統率の下、あたかも音符がおしゃべりするような雄弁さを兼ね備えているのが素晴らしい。

とりわけ第2楽章のブヤノフスキーによるホルンソロのこの世のものとも思えないような美しい音色は、抗し難い魅力に満ち溢れている。

弦楽合奏も圧巻の技量を誇っており、とりわけロシアの悠久の大地を思わせるような、重量感溢れる低弦の厚みも強靭なド迫力だ。

加えて、その一糸乱れぬ鉄壁のアンサンブルは紛れもなくムラヴィンスキーの圧倒的な統率力の賜物である。

同曲の他の指揮者による名演は、チャイコフスキーの交響曲の中でも最も美しいメロディを誇る作品だけにあまた存在してはいるが、本演奏こそは、前述のムラヴィンスキーによる1977年及び1982年のライヴ録音とともに頭一つ図抜けた存在であり、同曲演奏史上の最高の超名演の一つと評価するのにいささかも躊躇するものではない。

これだけの歴史的な超名演だけに、初CD化以降、これまで幾度となくリマスタリングが繰り返されてきた。

数年前にはSHM−CD盤が発売され、更にはルビジウム・カッティング盤が発売されたところであり、当該両盤がCDとしては甲乙付け難い音質であると考えてきたものの、かつてLPで聴いた音質には到底及ばないような気がしていた。

ところが、今般、ついに、第4番や第6番とともに、待望のシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化が行われるに及んで大変驚いた。

音質の鮮明さ、音場の幅広さなど、すべてにおいて一級品の仕上がりであり、あらためてシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤の凄さを認識した次第である。

いずれにしても、ムラヴィンスキーによる歴史的な超名演を、現在望み得る最高の高音質であるシングルレイヤーによるSACD&SHM−CDで味わうことができるのを大いに喜びたい。

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ムラヴィンスキーは、カラヤンとほぼ同時代に活躍していた大指揮者であったが、旧ソヴィエト連邦下で活動していたことやムラヴィンスキーが録音に慎重に臨んだこともあって、その実力の割には遺された録音の点数があまりにも少ない。

そのようなムラヴィンスキーの最良の遺産は、諸説はあるとは思われるが、大方の見方としては、手兵レニングラード・フィルとともに西欧諸国への演奏旅行中に、ロンドン(第4番)、そしてウィーン(第5番及び第6番)においてスタジオ録音されたチャイコフスキーの後期3大交響曲集の演奏であるということになるのではないだろうか。

録音は1960年であり、今から50年以上も前のものであるが、現在でもチャイコフスキーの後期3大交響曲集の様々な指揮者によるあまたの演奏にも冠絶する至高の歴史的な超名演と高く評価したい。

ムラヴィンスキーによるこれら後期3大交響曲集については、本演奏以外にも数多くの録音が遺されている。

本盤に収められた交響曲第4番について言えば、数年前にキング・インターナショナルから発売され、ムラヴィンスキーの演奏としては初のSACD盤として話題を集めた1959年4月24日、モスクワ音楽院大ホールでのレニングラード・フィルとのライヴ録音など、いくつか存在しているが、いずれもモノラル録音であり、ステレオ録音という音質面でも恵まれた存在でもある本盤の演奏の優位性はいささかも揺らぎがないものと言える。

本盤の演奏においては、約40分弱という、史上最速に限りなく近い疾風の如き快速のテンポで演奏されており、その演奏自体の装いもいわゆる即物的で純音楽的なアプローチで一貫しているとも言える。

他の指揮者によるチャイコフスキーの演奏において時として顕著な陳腐なロマンティシズムに陥るということはいささかもなく、どこをとっても格調の高さ、そして高踏的で至高・至純の芸術性を失うことがないのが素晴らしい。

それでいて、素っ気なさとは皆無であり、一聴すると淡々と流れていく各フレーズには、奥深いロシア音楽特有の情感に満ち溢れていると言えるところであり、その演奏のニュアンスの豊かさ、内容の濃さは聴いていて唖然とするほどである。

木管楽器や金管楽器の吹奏にしても、当時の旧ソヴィエト連邦のオーケストラの場合は、独特のヴィブラートを施したアクの強さが演奏をやや雑然たるものにするきらいがあったのだが、ムラヴィンスキーの場合は、徹底した練習を繰り返すことによって、演奏をより洗練したものへと変容させているのはさすがと言える。

そして、これら木管楽器や金管楽器の洗練された吹奏は、ムラヴィンスキーの魔法のような統率の下、あたかも音符がおしゃべりするような雄弁さを兼ね備えているのが素晴らしい。

弦楽合奏も圧巻の技量を誇っており、とりわけロシアの悠久の大地を思わせるような、重量感溢れる低弦の厚みも強靭なド迫力だ。

加えて、その一糸乱れぬ鉄壁のアンサンブルは紛れもなくムラヴィンスキーの圧倒的な統率力の賜物であり、とりわけ終楽章の弦楽器の鉄壁な揃い方はとても人間業とは思えないような凄まじさだ。

同曲の他の指揮者による名演としては、フルトヴェングラー&ウィーン・フィルによる名演(1951年)やカラヤン&ベルリン・フィルによる名演(1971年)が存在しているが、これらの演奏とともに3強の一角をなすというよりも、本演奏こそは頭一つ図抜けた存在であり、同曲演奏史上の最高の超名演と評価するのにいささかも躊躇するものではない。

これだけの歴史的な超名演だけに、初CD化以降、これまで幾度となくリマスタリングが繰り返されてきた。

数年前にはSHM−CD盤が発売され、更にはルビジウム・カッティング盤が発売されたところであり、当該両盤がCDとしては甲乙付け難い音質であると考えてきたものの、かつてLPで聴いた音質には到底及ばないような気がしていた。

ところが、今般、ついに、第5番や第6番とともに、待望のシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化が行われるに及んで大変驚いた。

音質の鮮明さ、音場の幅広さなど、すべてにおいて一級品の仕上がりであり、あらためてシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤の凄さを認識した次第である。

いずれにしても、ムラヴィンスキーによる歴史的な超名演を、現在望み得る最高の高音質であるシングルレイヤーによるSACD&SHM−CDで味わうことができるのを大いに喜びたい。

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2014年11月19日


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本盤に収められたロストロポーヴィチによるチャイコフスキーは、ロストロポーヴィチの故国ロシアへの郷愁溢れる熱い想いを窺い知ることができる名演だ。

何よりも、ロンドン・フィルからロシア風の民族色の濃い、重厚な音色を引き出したロストロポーヴィチの抜群の統率力が見事である。

オーケストラの名前を隠して聴いたとした場合、ロシアのオーケストラではないかと思えるほどだ。

テンポもめまぐるしく変化するなど、緩急自在の思い入れたっぷりの演奏を行っているが、決してやりすぎの感じがしないのは、冒頭に記したロシアへの郷愁の強さ、そしてチャイコフスキーへの愛着等に起因するのだと思われる。

本盤に収められた楽曲の中で、特に名演と評価したいのは「フランチェスカ・ダ・リミニ」だ。

この曲は、名作であるにもかかわらず意外にも録音が少ないが、ムラヴィンスキーの名演は別格として、殆どの演奏は意外にもあっさりと抑揚を付けずに演奏するきらいがある。

それに対してロストロポーヴィチの演奏は、民族臭溢れるあくの強いものだ。

ロシアの大地を思わせるような地鳴りのするような大音響から、チャイコフスキーならではのメランコリックな抒情に至るまでの様々な表情を緩急自在のテンポと、幅の広いダイナミックレンジで表現し尽くしている。

その表現の雄弁さは特筆すべきものであり、おそらくは、同曲の最高の名演の1つと言っても過言ではあるまい。

それに対して、交響曲第4番は意外にも端正な表現だ。

かの「シェエラザード」の濃厚な表現を念頭に置くと肩すかしを喰わされた感じだ。

もちろん、ロシア的な抒情にも不足はないが、「フランチェスカ・ダ・リミニ」の名演を聴くと、もう少し踏み込んだ演奏が出来たのではないかと思われるだけに、少々残念な気がした。

むしろ、交響曲第5番がロシアの民族色を全面に出した濃厚な名演だ。

冒頭は実に遅いテンポで開始される。

かのチェリビダッケを思わせるようようなテンポ設定だが、あのように確信犯的に解釈された表現ではない。

むしろ、自然体の指揮であり、そこには違和感は殆どない。

主部に入ってからの彫りの深い表現も素晴らしいの一言であり、重量感溢れるド迫力は、あたかもロシアの悠久の大地を思わせる。

第2楽章も濃厚さの限りであり、ホルンソロなど実に巧く、ロンドン・フィルも大健闘だ。

終楽章の冒頭も実に遅いテンポであるが、これは第1楽章冒頭の伏線と考えれば、決して大仰な表現とは言えまい。

主部に入ってからの彫りの深さも第1楽章と同様であり、この素晴らしい名演を圧倒的な熱狂のうちに締めくくるのである。

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2014年11月12日


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カラヤンは「悲愴」を7度もスタジオ録音したほか、2010年に発売された死の前年の来日時のライヴ録音、N響とのライヴ録音など、数多くの録音が残されている。

この中からベスト3を選ぶとすれば、ベルリン・フィルとの1971年及び1976年の録音と、本盤に収められたウィーン・フィルとの1984年の録音ということになるだろう。

1971年盤はライヴのようなドラマティックな名演、1976年盤は完成度の高いオーソドックスな名演であるのに対して、1984年盤は、カラヤンの晩年ならではの荘重で深遠な名演である。

序奏はあたかも死の淵にいるかのような絶望的な響きであるし、第2主題の天国的な美しさももはやこの世のものとは思えない。

カラヤンの代名詞であった圧倒的な統率力にはいささか綻びが見えているが、それを補って余りあるほどの巨匠ならではのオーラに満ち溢れている。

これは、世紀の巨匠であるカラヤンですら晩年になって到達した至高・至純の境地と言えるだろう。

第2楽章の流れるような優美なレガートもカラヤンならではのものだし、第3楽章の圧倒的なド迫力は、間近に迫る死に対する強烈なアンチテーゼと言ったところか。

終楽章の深沈たる響きの美しさには、もはや評価する言葉が追い付かない。

ベルリン・フィルとの関係が決裂状態になり、傷心のカラヤンに寄り添って、見事な名演を成し遂げたウィーン・フィルにも喝采を送りたい。

これだけウィーン・フィルが尊敬の念を持って真剣に演奏し、最高の音を引き出せるのはカラヤンが最後ではないだろうか。

音質は1984年のデジタル録音で、従来盤でも十分満足できるものである。

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2014年10月13日


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本盤には、プレヴィンが当時の手兵であるロンドン交響楽団とともに1970年代にスタジオ録音したチャイコフスキーの3大バレエ音楽のうち、最晩年の傑作「くるみ割り人形」全曲が収められている。

プレヴィンは、クラシック音楽の指揮者としてもきわめて有能ではあるが、それ以外のジャンルの多種多様な音楽も手掛ける万能型のミュージシャンと言える。

したがって、本演奏においてもそのアプローチは明快そのもの。

楽曲を難しく解釈して峻厳なアプローチを行うなどということとは全く無縁であり、楽曲をいかにわかりやすく、そして親しみやすく聴き手に伝えることができるのかに腐心しているように思われる。

したがって、ベートーヴェンなどのように、音楽の内容の精神的な深みへの追求が求められる楽曲においては、いささか浅薄な演奏との誹りは免れないと思うが、起承転結がはっきりとした標題音楽的な楽曲では、俄然その実力を発揮することになる。

本盤に収められたチャイコフスキーのバレエ音楽「くるみ割り人形」は、そうしたプレヴィンの資質に見事に合致する楽曲と言えるところであり、加えて若さ故の力強い生命力も相俟って、素晴らしい名演に仕上がったと言っても過言ではあるまい。

聴かせどころのツボを心得た演出巧者ぶりは心憎いばかりであり、プレヴィンの豊かな音楽性が本演奏では大いにプラスに働いている。

クラシック音楽入門者が、バレエ音楽「くるみ割り人形」を初めて聴くに際して、最も安心して推薦できる演奏と言えるところであり、本演奏を聴いて、同曲が嫌いになる聴き手など、まずはいないのではないだろうか。

いずれにしても、プレヴィンによる本演奏は、チャイコフスキーのバレエ音楽「くるみ割り人形」(全曲)には、スヴェトラーノフやロジェストヴェンスキー、ゲルギエフなどによるロシア風の民族色溢れる名演や、アンセルメやデュトワによる洗練された色彩美を誇る名演などがあまた存在しているが、安定した気持ちで同曲を魅力を味わうことができるという意味においては、第一に掲げるべき名演と評価したい。

音質は今から40年ほど前の録音であるが、従来CD盤でも比較的満足できる音質であったが、数年前にリマスタリングも施されたことによって、音質は更に鮮明になるとともに音場が幅広くなったように感じられるところであり、筆者も当該リマスタリングCD盤を愛聴している。

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2014年10月11日


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現代を代表する人気女流ヴァイオリニスト、ヒラリー・ハーンの凛とした純度の高い美しい音色の魅力を堪能できる選曲と録音。

ヒラリー・ハーンのチャイコフスキーということで、筆者も聴く前から大いに期待していたが、その期待を裏切らない素晴らしい名演だと思う。

そのメインのチャイコフスキーであるが、情感が満ち溢れる実に濃厚な演奏だ。

抒情的な箇所の心の込め方も尋常ではない美しさに満ち溢れている。

それでいて、例えば、ムター&カラヤン盤(筆者は、名演と高く評価しているが)のように、土俗的な民族臭を際立たせるようなことはしていない。

ムターと同様に、自由奔放なアプローチをしているように一見して思われるが、上品さを決して失うことが些かもないのである。

こうした濃厚な表情づけと上品さの見事なコラボレーションこそが、ヒラリー・ハーンの類稀なる気高い芸風であると言えるだろう。

決して大きな音でヴァイオリンをうならせていないのに迫力にも欠くことなく、情感に満ち溢れた心に染みる表現力は本当に素晴らしい。

ヴァイオリン奏者として成熟したヒラリー・ハーンの完全無欠のテクニックに支えられて、聴く人の心の中に雄大な響きを奏でるかのようだ。

もちろん、終楽章の確かな技巧も聴きものであり、通常使用されるアウアー版ではなく、オリジナル版を使用した点も、本名演の価値を大いに高めるのに貢献している。

ヒラリー・ハーンの演奏は聴き慣れた楽曲でも違う方面から光が当てられ常に新鮮なアプローチがなされていて、いつも楽しませてくれる。

併録のヒグドンを筆者は今回初めて耳にしたが、ヒグドンは現今アメリカ合衆国で人気の女性作曲家とのことであり、いかにも現代風の前衛的な箇所と豊かな抒情がミックスされた名曲だと思った。

こうした同曲の特徴は、前述のようなヒラリー・ハーンの芸風とぴったり符合しており、ヒグドンがヒラリー・ハーンに同曲を捧げた理由がよくわかる。

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2014年09月29日


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本盤に収められたチャイコフスキーの後期3大交響曲集は、ムラヴィンスキー&レニングラード・フィルが、当時、鉄のカーテンの向こう側にあった旧ソヴィエト連邦から、西欧諸国への演奏旅行中に、ロンドン(第4番)、そしてウィーン(第5番及び第6番)においてスタジオ録音された演奏である。

録音は1960年であり、今から半世紀以上も前のものであるが、現在でもチャイコフスキーの後期3大交響曲集の様々な指揮者によるあまたの演奏にも冠絶する至高の歴史的な超名演と高く評価したい。

ムラヴィンスキーによるこれら後期3大交響曲集については、本演奏以外にも数多くの録音が遺されており、とりわけ第5番については本演奏よりもより優れた演奏も存在しているが、スタジオ録音であることによる演奏の安定性や録音面などを考慮すれば、本盤こそがムラヴィンスキーの代表盤であるということについては論を待たないと言えるところだ。

本盤の各曲の演奏においては、いずれも約40分弱という、史上最速に限りなく近い疾風の如き快速のテンポで演奏されており、その演奏自体の装いもいわゆる即物的で純音楽的なアプローチで一貫しているとも言える。

他の指揮者によるチャイコフスキーの演奏において時として顕著な陳腐なロマンティシズムに陥るということはいささかもなく、どこをとっても格調の高さ、そして高踏的で至高・至純の芸術性を失うことがないのが素晴らしい。

それでいて、素っ気なさとは皆無であり、一聴すると淡々と流れていく各フレーズには、奥深いロシア音楽特有の情感に満ち溢れていると言えるところであり、その演奏のニュアンスの豊かさ、内容の濃さは聴いていて唖然とするほどである。

木管楽器や金管楽器の吹奏にしても、当時の旧ソヴィエト連邦のオーケストラの場合は、独特のヴィブラートを施したアクの強さが演奏をやや雑然たるものにするきらいがあったのだが、ムラヴィンスキーの場合は、徹底した練習を繰り返すことによって、演奏をより洗練したものへと変容させているのはさすがと言える。

そして、これら木管楽器や金管楽器の洗練された吹奏は、ムラヴィンスキーの魔法のような統率の下、あたかも音符がおしゃべりするような雄弁さを兼ね備えているのが素晴らしい。

また、特に、第5番第2楽章のブヤノフスキーによるホルンソロのこの世のものとも思えないような美しい音色は、抗し難い魅力に満ち溢れている。

弦楽合奏も圧巻の技量を誇っており、とりわけロシアの悠久の大地を思わせるような、重量感溢れる低弦の厚みも強靭なド迫力だ。

加えて、その一糸乱れぬ鉄壁のアンサンブルは紛れもなくムラヴィンスキーの圧倒的な統率力の賜物であり、第4番の終楽章や第6番の第3楽章の弦楽器の鉄壁な揃い方はとても人間業とは思えないような凄まじさだ。

音質は1960年のスタジオ録音ながら、いまだに鮮度を保っているのも素晴らしい。

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2014年09月26日


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バレエ音楽に冴えた手腕を発揮したボニングの代表的録音。

19世紀の知られざるバレエや歌劇に大いなる情熱を傾けてきたボニングは、著名作品の原典版の再現にも並々ならぬ意欲を燃やしてきた。

「白鳥の湖」は、各楽器の色彩的な音色感を最大限に生かし、濃厚に歌い上げるロマンティシズムはまさにボニングの独壇場で、ダイナミックなオーケストラの響きがたっぷりと堪能できる。

しかし、思い入れたっぷりのテンポや間のとり方など、やや演出過剰で腰が重く、むしろ長大な交響詩を聴いているような気がする。

「眠りの森の美女」は、ボニングのリズム感のよさと、雰囲気作りのうまさがよくわかる完全全曲版によるスタンダードな名演である。

全体にリズムの切れ味がよい上に、随所にボニングの演出のうまさが光っており、ことに華やかで変化に富んだ第3幕は見事だ。

これでオーケストラのアンサンブルがさらに緊密だったら、音楽は一段と光彩を放っただろう。

「くるみ割り人形」は、ボニングによるチャイコフスキーの3大バレエの録音の中でも、この出来ばえは全作中の白眉と言うべきものだ。

優れたリズム感覚とバレエの雰囲気づくりのうまさは彼の才気と力量が十全に開花した感がある。

各場面は入念に描き込まれ、この名作のメルヘンの世界が情感豊かにまとめ上げられている。

ことに第2幕が素晴らしい。

音質も英デッカによる極めて優秀なものであり、ボニングによる素晴らしい名演を高音質で味わうことができるのを歓迎したい。

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2014年09月10日


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本盤には、プレヴィンが当時の手兵であるロンドン交響楽団とともに1970年代にスタジオ録音したチャイコフスキーの3大バレエ音楽のうち、最晩年の傑作「白鳥の湖」全曲が収められている。

プレヴィンは、クラシック音楽の指揮者としてもきわめて有能ではあるが、それ以外のジャンルの多種多様な音楽も手掛ける万能型のミュージシャンと言える。

したがって、本演奏においてもそのアプローチは明快そのもの。

楽曲を難しく解釈して峻厳なアプローチを行うなどということとは全く無縁であり、楽曲をいかにわかりやすく、そして親しみやすく聴き手に伝えることができるのかに腐心しているように思われる。

したがって、ベートーヴェンなどのように、音楽の内容の精神的な深みへの追求が必要になってくる楽曲においては、いささか浅薄な演奏との誹りは免れないと思うが、起承転結がはっきりとした標題音楽的な楽曲では、俄然その実力を発揮することになる。

本盤に収められたチャイコフスキーのバレエ音楽「白鳥の湖」は、そうしたプレヴィンの資質に見事に合致する楽曲と言えるところであり、加えて若さ故の力強い生命力も相まって、素晴らしい名演に仕上がったと言っても過言ではあるまい。

聴かせどころのツボを心得た演出巧者ぶりは心憎いばかりであり、プレヴィンの豊かな音楽性が本演奏では大いにプラスに働いている。

クラシック音楽入門者が、バレエ音楽「白鳥の湖」を初めて聴くに際して、最も安心して推薦できる演奏と言えるところであり、本演奏を聴いて、同曲が嫌いになる聴き手など、まずはいないのではないだろうか。

いずれにしても、プレヴィンによる本演奏は、チャイコフスキーのバレエ音楽「白鳥の湖」(全曲)には、ロジェストヴェンスキー、ゲルギエフなどによるロシア風の民族色溢れる名演や、アンセルメやデュトワによる洗練された色彩美を誇る名演などがあまた存在しているが、安定した気持ちで同曲を魅力を味わうことができるという意味においては、第一に掲げるべき名演と評価したい。

音質は今から40年ほど前の録音であるが、従来CD盤でも比較的満足できる音質であった。

数年前にリマスタリングも施されたことによって、音質は更に鮮明になるとともに音場が幅広くなったように感じられるところであり、筆者も当該リマスタリングCD盤を愛聴してきたところだ。

しかしながら、今般、ついに待望のSACD化が行われることによって大変驚いた。

従来CD盤やリマスタリングCD盤とは次元が異なる見違えるような、そして1970年代のスタジオ録音とは到底信じられないような鮮明な音質に生まれ変わった。

いずれにしても、プレヴィンによる素晴らしい名演を、SACDによる高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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2014年09月08日


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我が国のピアニストの大御所、横山幸雄のデビュー20周年を記念するアルバムの登場だ。

曲目は、チャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番とラフマニノフのピアノ協奏曲第3番の人気曲どうしの組み合わせ。

いずれも、超絶的な技巧を要するとともに、ロシア風のメランコリックな抒情の的確な描出が必要不可欠な楽曲であるだけに、ピアニストの実力(それは技量においても芸術性においてもということになるが)が試されると言えるだろう。

本盤に収められた両曲の演奏は、横山幸雄にとって、グリーグのピアノ協奏曲以来の久しぶりの協奏曲の録音ということになるが、そうした長年のブランクをいささかも感じさせない圧倒的な名演に仕上がっていると高く評価したい。

両曲ともに、横山幸雄の超絶的な技量は冴えわたっていると言えるところであり、このような凄い演奏を聴いていると、あらためて横山幸雄こそは我が国のピアニストの中でもトップクラスの実力を誇っているということをあらためて窺い知ることが可能と言える。

ライヴ録音というのが信じられないほどミスタッチは殆どないのが驚異的であり、持ち前のヴィルトゥオジティを如何なく発揮していると言えるだろう。

もっとも、それでいて技量一辺倒にはいささかも陥っておらず、両曲の随所に配されたロシア風のメランコリックな抒情に満ち溢れた名旋律の数々を、心を込めて情感豊かに歌い抜いている。

もっとも、両曲の場合、演奏によっては陳腐なセンチメンタリズムに堕するものも散見されるところであるが、横山幸雄の場合は、そうした懸念は心配ご無用。

いかに抒情豊かな箇所に差し掛かっても、格調が高さを失うことがなく、高踏的な美しさを保っているのが素晴らしい。

また、持ち前の超絶的な技量にもよるところが大きいとも言えるが、強靭な打鍵による重量感溢れるピアノタッチから、繊細で消え入るようなピアノタッチに至るまでの表現力の幅広さは桁外れの凄さであり、これはまさに両曲演奏の理想像の具現化と評しても過言ではあるまい。

いずれにしても、本盤の両曲の演奏は、横山幸雄のデビュー20周年を飾るに相応しい圧倒的な名演と高く評価したい。

こうした素晴らしい横山幸雄のピアノ演奏を下支えしているのが、小泉和裕指揮の東京都交響楽団である。

このコンビは、両曲の随所に盛り込まれたロシア風のメランコリックな抒情に彩られた旋律の数々を情感豊かに描出しており、両曲の演奏として最高のパフォーマンスを発揮していると高く評価したい。

音質も素晴らしい。

音質の鮮明さ、音圧の凄さ、音場の幅広さなど、いずれをとっても一級品の仕上がりであり、何よりも横山幸雄のピアノタッチが鮮明に再現されるのは見事。

あらためて、SACDの潜在能力の高さを思い知った次第だ。

いずれにしても、横山幸雄、そして小泉和裕&東京都交響楽団による圧倒的な名演をSACDによる高音質で味わうことができるのを大いに喜びたい。

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