チャイコフスキー

2014年11月30日


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ムラヴィンスキーは、カラヤンとほぼ同時代に活躍していた大指揮者であったが、旧ソヴィエト連邦下で活動していたことやムラヴィンスキーが録音に慎重に臨んだこともあって、その実力の割には遺された録音の点数があまりにも少ない。

そのようなムラヴィンスキーの最良の遺産は、諸説はあるとは思われるが、大方の見方としては、手兵レニングラード・フィルとともに西欧諸国への演奏旅行中に、ロンドン(第4番)、そしてウィーン(第5番及び第6番)においてスタジオ録音されたチャイコフスキーの後期3大交響曲集の演奏であるということになるのではないだろうか。

録音は1960年であり、今から50年以上も前のものであるが、現在でもチャイコフスキーの後期3大交響曲集の様々な指揮者によるあまたの演奏にも冠絶する至高の歴史的な超名演と高く評価したい。

ムラヴィンスキーによるこれら後期3大交響曲集については、本演奏以外にも数多くの録音が遺されている。

とりわけ、本盤に収められた交響曲第5番については、この指揮者の十八番と言える楽曲であり、遺された演奏・録音も数多く存在しているが、筆者としては、本盤に収められた演奏とともに、1977年の来日時のライヴ録音(アルトゥス)、1982年のライヴ録音(ロシアンディスク)がムラヴィンスキーによる同曲の名演の3強と考えているところだ。

本盤の演奏においては、約40分弱という、冒頭序奏部の悠揚迫らぬテンポ設定を除けば、比較的速めのテンポで演奏されており、その演奏自体の装いもいわゆる即物的で純音楽的なアプローチで一貫しているとも言える。

他の指揮者によるチャイコフスキーの演奏において時として顕著な陳腐なロマンティシズムに陥るということはいささかもなく、どこをとっても格調の高さ、そして高踏的で至高・至純の芸術性を失うことがないのが素晴らしい。

それでいて、素っ気なさとは皆無であり、一聴すると淡々と流れていく各フレーズには、奥深いロシア音楽特有の情感に満ち溢れていると言えるところであり、その演奏のニュアンスの豊かさ、内容の濃さは聴いていて唖然とするほどである。

木管楽器や金管楽器の吹奏にしても、当時の旧ソヴィエト連邦のオーケストラの場合は、独特のヴィブラートを施したアクの強さが演奏をやや雑然たるものにするきらいがあったのだが、ムラヴィンスキーの場合は、徹底した練習を繰り返すことによって、演奏をより洗練したものへと変容させているのはさすがと言える。

そして、これら木管楽器や金管楽器の洗練された吹奏は、ムラヴィンスキーの魔法のような統率の下、あたかも音符がおしゃべりするような雄弁さを兼ね備えているのが素晴らしい。

とりわけ第2楽章のブヤノフスキーによるホルンソロのこの世のものとも思えないような美しい音色は、抗し難い魅力に満ち溢れている。

弦楽合奏も圧巻の技量を誇っており、とりわけロシアの悠久の大地を思わせるような、重量感溢れる低弦の厚みも強靭なド迫力だ。

加えて、その一糸乱れぬ鉄壁のアンサンブルは紛れもなくムラヴィンスキーの圧倒的な統率力の賜物である。

同曲の他の指揮者による名演は、チャイコフスキーの交響曲の中でも最も美しいメロディを誇る作品だけにあまた存在してはいるが、本演奏こそは、前述のムラヴィンスキーによる1977年及び1982年のライヴ録音とともに頭一つ図抜けた存在であり、同曲演奏史上の最高の超名演の一つと評価するのにいささかも躊躇するものではない。

これだけの歴史的な超名演だけに、初CD化以降、これまで幾度となくリマスタリングが繰り返されてきた。

数年前にはSHM−CD盤が発売され、更にはルビジウム・カッティング盤が発売されたところであり、当該両盤がCDとしては甲乙付け難い音質であると考えてきたものの、かつてLPで聴いた音質には到底及ばないような気がしていた。

ところが、今般、ついに、第4番や第6番とともに、待望のシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化が行われるに及んで大変驚いた。

音質の鮮明さ、音場の幅広さなど、すべてにおいて一級品の仕上がりであり、あらためてシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤の凄さを認識した次第である。

いずれにしても、ムラヴィンスキーによる歴史的な超名演を、現在望み得る最高の高音質であるシングルレイヤーによるSACD&SHM−CDで味わうことができるのを大いに喜びたい。

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ムラヴィンスキーは、カラヤンとほぼ同時代に活躍していた大指揮者であったが、旧ソヴィエト連邦下で活動していたことやムラヴィンスキーが録音に慎重に臨んだこともあって、その実力の割には遺された録音の点数があまりにも少ない。

そのようなムラヴィンスキーの最良の遺産は、諸説はあるとは思われるが、大方の見方としては、手兵レニングラード・フィルとともに西欧諸国への演奏旅行中に、ロンドン(第4番)、そしてウィーン(第5番及び第6番)においてスタジオ録音されたチャイコフスキーの後期3大交響曲集の演奏であるということになるのではないだろうか。

録音は1960年であり、今から50年以上も前のものであるが、現在でもチャイコフスキーの後期3大交響曲集の様々な指揮者によるあまたの演奏にも冠絶する至高の歴史的な超名演と高く評価したい。

ムラヴィンスキーによるこれら後期3大交響曲集については、本演奏以外にも数多くの録音が遺されている。

本盤に収められた交響曲第4番について言えば、数年前にキング・インターナショナルから発売され、ムラヴィンスキーの演奏としては初のSACD盤として話題を集めた1959年4月24日、モスクワ音楽院大ホールでのレニングラード・フィルとのライヴ録音など、いくつか存在しているが、いずれもモノラル録音であり、ステレオ録音という音質面でも恵まれた存在でもある本盤の演奏の優位性はいささかも揺らぎがないものと言える。

本盤の演奏においては、約40分弱という、史上最速に限りなく近い疾風の如き快速のテンポで演奏されており、その演奏自体の装いもいわゆる即物的で純音楽的なアプローチで一貫しているとも言える。

他の指揮者によるチャイコフスキーの演奏において時として顕著な陳腐なロマンティシズムに陥るということはいささかもなく、どこをとっても格調の高さ、そして高踏的で至高・至純の芸術性を失うことがないのが素晴らしい。

それでいて、素っ気なさとは皆無であり、一聴すると淡々と流れていく各フレーズには、奥深いロシア音楽特有の情感に満ち溢れていると言えるところであり、その演奏のニュアンスの豊かさ、内容の濃さは聴いていて唖然とするほどである。

木管楽器や金管楽器の吹奏にしても、当時の旧ソヴィエト連邦のオーケストラの場合は、独特のヴィブラートを施したアクの強さが演奏をやや雑然たるものにするきらいがあったのだが、ムラヴィンスキーの場合は、徹底した練習を繰り返すことによって、演奏をより洗練したものへと変容させているのはさすがと言える。

そして、これら木管楽器や金管楽器の洗練された吹奏は、ムラヴィンスキーの魔法のような統率の下、あたかも音符がおしゃべりするような雄弁さを兼ね備えているのが素晴らしい。

弦楽合奏も圧巻の技量を誇っており、とりわけロシアの悠久の大地を思わせるような、重量感溢れる低弦の厚みも強靭なド迫力だ。

加えて、その一糸乱れぬ鉄壁のアンサンブルは紛れもなくムラヴィンスキーの圧倒的な統率力の賜物であり、とりわけ終楽章の弦楽器の鉄壁な揃い方はとても人間業とは思えないような凄まじさだ。

同曲の他の指揮者による名演としては、フルトヴェングラー&ウィーン・フィルによる名演(1951年)やカラヤン&ベルリン・フィルによる名演(1971年)が存在しているが、これらの演奏とともに3強の一角をなすというよりも、本演奏こそは頭一つ図抜けた存在であり、同曲演奏史上の最高の超名演と評価するのにいささかも躊躇するものではない。

これだけの歴史的な超名演だけに、初CD化以降、これまで幾度となくリマスタリングが繰り返されてきた。

数年前にはSHM−CD盤が発売され、更にはルビジウム・カッティング盤が発売されたところであり、当該両盤がCDとしては甲乙付け難い音質であると考えてきたものの、かつてLPで聴いた音質には到底及ばないような気がしていた。

ところが、今般、ついに、第5番や第6番とともに、待望のシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化が行われるに及んで大変驚いた。

音質の鮮明さ、音場の幅広さなど、すべてにおいて一級品の仕上がりであり、あらためてシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤の凄さを認識した次第である。

いずれにしても、ムラヴィンスキーによる歴史的な超名演を、現在望み得る最高の高音質であるシングルレイヤーによるSACD&SHM−CDで味わうことができるのを大いに喜びたい。

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2014年11月12日


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カラヤンは「悲愴」を7度もスタジオ録音したほか、2010年に発売された死の前年の来日時のライヴ録音、N響とのライヴ録音など、数多くの録音が残されている。

この中からベスト3を選ぶとすれば、ベルリン・フィルとの1971年及び1976年の録音と、本盤に収められたウィーン・フィルとの1984年の録音ということになるだろう。

1971年盤はライヴのようなドラマティックな名演、1976年盤は完成度の高いオーソドックスな名演であるのに対して、1984年盤は、カラヤンの晩年ならではの荘重で深遠な名演である。

序奏はあたかも死の淵にいるかのような絶望的な響きであるし、第2主題の天国的な美しさももはやこの世のものとは思えない。

カラヤンの代名詞であった圧倒的な統率力にはいささか綻びが見えているが、それを補って余りあるほどの巨匠ならではのオーラに満ち溢れている。

これは、世紀の巨匠であるカラヤンですら晩年になって到達した至高・至純の境地と言えるだろう。

第2楽章の流れるような優美なレガートもカラヤンならではのものだし、第3楽章の圧倒的なド迫力は、間近に迫る死に対する強烈なアンチテーゼと言ったところか。

終楽章の深沈たる響きの美しさには、もはや評価する言葉が追い付かない。

ベルリン・フィルとの関係が決裂状態になり、傷心のカラヤンに寄り添って、見事な名演を成し遂げたウィーン・フィルにも喝采を送りたい。

これだけウィーン・フィルが尊敬の念を持って真剣に演奏し、最高の音を引き出せるのはカラヤンが最後ではないだろうか。

音質は1984年のデジタル録音で、従来盤でも十分満足できるものである。

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2014年10月13日


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本盤には、プレヴィンが当時の手兵であるロンドン交響楽団とともに1970年代にスタジオ録音したチャイコフスキーの3大バレエ音楽のうち、最晩年の傑作「くるみ割り人形」全曲が収められている。

プレヴィンは、クラシック音楽の指揮者としてもきわめて有能ではあるが、それ以外のジャンルの多種多様な音楽も手掛ける万能型のミュージシャンと言える。

したがって、本演奏においてもそのアプローチは明快そのもの。

楽曲を難しく解釈して峻厳なアプローチを行うなどということとは全く無縁であり、楽曲をいかにわかりやすく、そして親しみやすく聴き手に伝えることができるのかに腐心しているように思われる。

したがって、ベートーヴェンなどのように、音楽の内容の精神的な深みへの追求が求められる楽曲においては、いささか浅薄な演奏との誹りは免れないと思うが、起承転結がはっきりとした標題音楽的な楽曲では、俄然その実力を発揮することになる。

本盤に収められたチャイコフスキーのバレエ音楽「くるみ割り人形」は、そうしたプレヴィンの資質に見事に合致する楽曲と言えるところであり、加えて若さ故の力強い生命力も相俟って、素晴らしい名演に仕上がったと言っても過言ではあるまい。

聴かせどころのツボを心得た演出巧者ぶりは心憎いばかりであり、プレヴィンの豊かな音楽性が本演奏では大いにプラスに働いている。

クラシック音楽入門者が、バレエ音楽「くるみ割り人形」を初めて聴くに際して、最も安心して推薦できる演奏と言えるところであり、本演奏を聴いて、同曲が嫌いになる聴き手など、まずはいないのではないだろうか。

いずれにしても、プレヴィンによる本演奏は、チャイコフスキーのバレエ音楽「くるみ割り人形」(全曲)には、スヴェトラーノフやロジェストヴェンスキー、ゲルギエフなどによるロシア風の民族色溢れる名演や、アンセルメやデュトワによる洗練された色彩美を誇る名演などがあまた存在しているが、安定した気持ちで同曲を魅力を味わうことができるという意味においては、第一に掲げるべき名演と評価したい。

音質は今から40年ほど前の録音であるが、従来CD盤でも比較的満足できる音質であったが、数年前にリマスタリングも施されたことによって、音質は更に鮮明になるとともに音場が幅広くなったように感じられるところであり、筆者も当該リマスタリングCD盤を愛聴している。

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2014年10月11日


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現代を代表する人気女流ヴァイオリニスト、ヒラリー・ハーンの凛とした純度の高い美しい音色の魅力を堪能できる選曲と録音。

ヒラリー・ハーンのチャイコフスキーということで、筆者も聴く前から大いに期待していたが、その期待を裏切らない素晴らしい名演だと思う。

そのメインのチャイコフスキーであるが、情感が満ち溢れる実に濃厚な演奏だ。

抒情的な箇所の心の込め方も尋常ではない美しさに満ち溢れている。

それでいて、例えば、ムター&カラヤン盤(筆者は、名演と高く評価しているが)のように、土俗的な民族臭を際立たせるようなことはしていない。

ムターと同様に、自由奔放なアプローチをしているように一見して思われるが、上品さを決して失うことが些かもないのである。

こうした濃厚な表情づけと上品さの見事なコラボレーションこそが、ヒラリー・ハーンの類稀なる気高い芸風であると言えるだろう。

決して大きな音でヴァイオリンをうならせていないのに迫力にも欠くことなく、情感に満ち溢れた心に染みる表現力は本当に素晴らしい。

ヴァイオリン奏者として成熟したヒラリー・ハーンの完全無欠のテクニックに支えられて、聴く人の心の中に雄大な響きを奏でるかのようだ。

もちろん、終楽章の確かな技巧も聴きものであり、通常使用されるアウアー版ではなく、オリジナル版を使用した点も、本名演の価値を大いに高めるのに貢献している。

ヒラリー・ハーンの演奏は聴き慣れた楽曲でも違う方面から光が当てられ常に新鮮なアプローチがなされていて、いつも楽しませてくれる。

併録のヒグドンを筆者は今回初めて耳にしたが、ヒグドンは現今アメリカ合衆国で人気の女性作曲家とのことであり、いかにも現代風の前衛的な箇所と豊かな抒情がミックスされた名曲だと思った。

こうした同曲の特徴は、前述のようなヒラリー・ハーンの芸風とぴったり符合しており、ヒグドンがヒラリー・ハーンに同曲を捧げた理由がよくわかる。

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2014年09月29日


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本盤に収められたチャイコフスキーの後期3大交響曲集は、ムラヴィンスキー&レニングラード・フィルが、当時、鉄のカーテンの向こう側にあった旧ソヴィエト連邦から、西欧諸国への演奏旅行中に、ロンドン(第4番)、そしてウィーン(第5番及び第6番)においてスタジオ録音された演奏である。

録音は1960年であり、今から半世紀以上も前のものであるが、現在でもチャイコフスキーの後期3大交響曲集の様々な指揮者によるあまたの演奏にも冠絶する至高の歴史的な超名演と高く評価したい。

ムラヴィンスキーによるこれら後期3大交響曲集については、本演奏以外にも数多くの録音が遺されており、とりわけ第5番については本演奏よりもより優れた演奏も存在しているが、スタジオ録音であることによる演奏の安定性や録音面などを考慮すれば、本盤こそがムラヴィンスキーの代表盤であるということについては論を待たないと言えるところだ。

本盤の各曲の演奏においては、いずれも約40分弱という、史上最速に限りなく近い疾風の如き快速のテンポで演奏されており、その演奏自体の装いもいわゆる即物的で純音楽的なアプローチで一貫しているとも言える。

他の指揮者によるチャイコフスキーの演奏において時として顕著な陳腐なロマンティシズムに陥るということはいささかもなく、どこをとっても格調の高さ、そして高踏的で至高・至純の芸術性を失うことがないのが素晴らしい。

それでいて、素っ気なさとは皆無であり、一聴すると淡々と流れていく各フレーズには、奥深いロシア音楽特有の情感に満ち溢れていると言えるところであり、その演奏のニュアンスの豊かさ、内容の濃さは聴いていて唖然とするほどである。

木管楽器や金管楽器の吹奏にしても、当時の旧ソヴィエト連邦のオーケストラの場合は、独特のヴィブラートを施したアクの強さが演奏をやや雑然たるものにするきらいがあったのだが、ムラヴィンスキーの場合は、徹底した練習を繰り返すことによって、演奏をより洗練したものへと変容させているのはさすがと言える。

そして、これら木管楽器や金管楽器の洗練された吹奏は、ムラヴィンスキーの魔法のような統率の下、あたかも音符がおしゃべりするような雄弁さを兼ね備えているのが素晴らしい。

また、特に、第5番第2楽章のブヤノフスキーによるホルンソロのこの世のものとも思えないような美しい音色は、抗し難い魅力に満ち溢れている。

弦楽合奏も圧巻の技量を誇っており、とりわけロシアの悠久の大地を思わせるような、重量感溢れる低弦の厚みも強靭なド迫力だ。

加えて、その一糸乱れぬ鉄壁のアンサンブルは紛れもなくムラヴィンスキーの圧倒的な統率力の賜物であり、第4番の終楽章や第6番の第3楽章の弦楽器の鉄壁な揃い方はとても人間業とは思えないような凄まじさだ。

音質は1960年のスタジオ録音ながら、いまだに鮮度を保っているのも素晴らしい。

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2014年09月26日


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バレエ音楽に冴えた手腕を発揮したボニングの代表的録音。

19世紀の知られざるバレエや歌劇に大いなる情熱を傾けてきたボニングは、著名作品の原典版の再現にも並々ならぬ意欲を燃やしてきた。

「白鳥の湖」は、各楽器の色彩的な音色感を最大限に生かし、濃厚に歌い上げるロマンティシズムはまさにボニングの独壇場で、ダイナミックなオーケストラの響きがたっぷりと堪能できる。

しかし、思い入れたっぷりのテンポや間のとり方など、やや演出過剰で腰が重く、むしろ長大な交響詩を聴いているような気がする。

「眠りの森の美女」は、ボニングのリズム感のよさと、雰囲気作りのうまさがよくわかる完全全曲版によるスタンダードな名演である。

全体にリズムの切れ味がよい上に、随所にボニングの演出のうまさが光っており、ことに華やかで変化に富んだ第3幕は見事だ。

これでオーケストラのアンサンブルがさらに緊密だったら、音楽は一段と光彩を放っただろう。

「くるみ割り人形」は、ボニングによるチャイコフスキーの3大バレエの録音の中でも、この出来ばえは全作中の白眉と言うべきものだ。

優れたリズム感覚とバレエの雰囲気づくりのうまさは彼の才気と力量が十全に開花した感がある。

各場面は入念に描き込まれ、この名作のメルヘンの世界が情感豊かにまとめ上げられている。

ことに第2幕が素晴らしい。

音質も英デッカによる極めて優秀なものであり、ボニングによる素晴らしい名演を高音質で味わうことができるのを歓迎したい。

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2014年09月10日


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本盤には、プレヴィンが当時の手兵であるロンドン交響楽団とともに1970年代にスタジオ録音したチャイコフスキーの3大バレエ音楽のうち、最晩年の傑作「白鳥の湖」全曲が収められている。

プレヴィンは、クラシック音楽の指揮者としてもきわめて有能ではあるが、それ以外のジャンルの多種多様な音楽も手掛ける万能型のミュージシャンと言える。

したがって、本演奏においてもそのアプローチは明快そのもの。

楽曲を難しく解釈して峻厳なアプローチを行うなどということとは全く無縁であり、楽曲をいかにわかりやすく、そして親しみやすく聴き手に伝えることができるのかに腐心しているように思われる。

したがって、ベートーヴェンなどのように、音楽の内容の精神的な深みへの追求が必要になってくる楽曲においては、いささか浅薄な演奏との誹りは免れないと思うが、起承転結がはっきりとした標題音楽的な楽曲では、俄然その実力を発揮することになる。

本盤に収められたチャイコフスキーのバレエ音楽「白鳥の湖」は、そうしたプレヴィンの資質に見事に合致する楽曲と言えるところであり、加えて若さ故の力強い生命力も相まって、素晴らしい名演に仕上がったと言っても過言ではあるまい。

聴かせどころのツボを心得た演出巧者ぶりは心憎いばかりであり、プレヴィンの豊かな音楽性が本演奏では大いにプラスに働いている。

クラシック音楽入門者が、バレエ音楽「白鳥の湖」を初めて聴くに際して、最も安心して推薦できる演奏と言えるところであり、本演奏を聴いて、同曲が嫌いになる聴き手など、まずはいないのではないだろうか。

いずれにしても、プレヴィンによる本演奏は、チャイコフスキーのバレエ音楽「白鳥の湖」(全曲)には、ロジェストヴェンスキー、ゲルギエフなどによるロシア風の民族色溢れる名演や、アンセルメやデュトワによる洗練された色彩美を誇る名演などがあまた存在しているが、安定した気持ちで同曲を魅力を味わうことができるという意味においては、第一に掲げるべき名演と評価したい。

音質は今から40年ほど前の録音であるが、従来CD盤でも比較的満足できる音質であった。

数年前にリマスタリングも施されたことによって、音質は更に鮮明になるとともに音場が幅広くなったように感じられるところであり、筆者も当該リマスタリングCD盤を愛聴してきたところだ。

しかしながら、今般、ついに待望のSACD化が行われることによって大変驚いた。

従来CD盤やリマスタリングCD盤とは次元が異なる見違えるような、そして1970年代のスタジオ録音とは到底信じられないような鮮明な音質に生まれ変わった。

いずれにしても、プレヴィンによる素晴らしい名演を、SACDによる高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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2014年09月08日


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我が国のピアニストの大御所、横山幸雄のデビュー20周年を記念するアルバムの登場だ。

曲目は、チャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番とラフマニノフのピアノ協奏曲第3番の人気曲どうしの組み合わせ。

いずれも、超絶的な技巧を要するとともに、ロシア風のメランコリックな抒情の的確な描出が必要不可欠な楽曲であるだけに、ピアニストの実力(それは技量においても芸術性においてもということになるが)が試されると言えるだろう。

本盤に収められた両曲の演奏は、横山幸雄にとって、グリーグのピアノ協奏曲以来の久しぶりの協奏曲の録音ということになるが、そうした長年のブランクをいささかも感じさせない圧倒的な名演に仕上がっていると高く評価したい。

両曲ともに、横山幸雄の超絶的な技量は冴えわたっていると言えるところであり、このような凄い演奏を聴いていると、あらためて横山幸雄こそは我が国のピアニストの中でもトップクラスの実力を誇っているということをあらためて窺い知ることが可能と言える。

ライヴ録音というのが信じられないほどミスタッチは殆どないのが驚異的であり、持ち前のヴィルトゥオジティを如何なく発揮していると言えるだろう。

もっとも、それでいて技量一辺倒にはいささかも陥っておらず、両曲の随所に配されたロシア風のメランコリックな抒情に満ち溢れた名旋律の数々を、心を込めて情感豊かに歌い抜いている。

もっとも、両曲の場合、演奏によっては陳腐なセンチメンタリズムに堕するものも散見されるところであるが、横山幸雄の場合は、そうした懸念は心配ご無用。

いかに抒情豊かな箇所に差し掛かっても、格調が高さを失うことがなく、高踏的な美しさを保っているのが素晴らしい。

また、持ち前の超絶的な技量にもよるところが大きいとも言えるが、強靭な打鍵による重量感溢れるピアノタッチから、繊細で消え入るようなピアノタッチに至るまでの表現力の幅広さは桁外れの凄さであり、これはまさに両曲演奏の理想像の具現化と評しても過言ではあるまい。

いずれにしても、本盤の両曲の演奏は、横山幸雄のデビュー20周年を飾るに相応しい圧倒的な名演と高く評価したい。

こうした素晴らしい横山幸雄のピアノ演奏を下支えしているのが、小泉和裕指揮の東京都交響楽団である。

このコンビは、両曲の随所に盛り込まれたロシア風のメランコリックな抒情に彩られた旋律の数々を情感豊かに描出しており、両曲の演奏として最高のパフォーマンスを発揮していると高く評価したい。

音質も素晴らしい。

音質の鮮明さ、音圧の凄さ、音場の幅広さなど、いずれをとっても一級品の仕上がりであり、何よりも横山幸雄のピアノタッチが鮮明に再現されるのは見事。

あらためて、SACDの潜在能力の高さを思い知った次第だ。

いずれにしても、横山幸雄、そして小泉和裕&東京都交響楽団による圧倒的な名演をSACDによる高音質で味わうことができるのを大いに喜びたい。

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2014年08月28日


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ヴァント&ベルリン・ドイツ交響楽団との一連のライヴ録音の第2弾が、このたび国内盤、分売化されることになった。

これまで輸入盤で、しかもセットでしか手に入らなかっただけに、クラシック音楽ファンにとってはこの上ない喜びであると言えるだろう。

ヴァントと言えば、長年に渡って音楽監督を務め、その後は名誉指揮者の称号が与えられた北ドイツ放送交響楽団との数々の名演が軸となる存在と言えるが、ベルリン・フィルやミュンヘン・フィル、そしてベルリン・ドイツ交響楽団とも、素晴らしい名演の数々を遺している。

ベルリン・ドイツ交響楽団は、ベルリン・フィルの陰に隠れた存在に甘んじているが、一流の指揮者を迎えた時には、ベルリン・フィルに肉薄するような名演を成し遂げるだけの実力を兼ね備えたオーケストラである。

ましてや、指揮者がヴァントであれば問題はなく、その演奏が悪かろうはずがない。

本盤に収められたチャイコフスキーの交響曲第5番やストラヴィンスキーのバレエ音楽「火の鳥」は、ヴァントの知られざるレパートリーの一つであったが、いずれも素晴らしい名演と高く評価したい。

チャイコフスキーの交響曲第5番については、既に1994年に手兵の北ドイツ放送交響楽団との演奏が発売されていることから、本演奏はその7年前のもの、ヴァントによる2種目の同曲の録音ということになる。

同曲は、チャイコフスキーの数ある交響曲の中でも、その旋律の美しさが際立った名作である。

それ故に、ロシア風の民族色やメランコリックな抒情を歌い上げたものが多いが、本演奏は、それらのあまたの演奏とは大きくその性格を異にしている。

演奏全体の造型は堅固であり、その様相は剛毅にして重厚。

ヴァントは、同曲をロシア音楽ではなく、むしろベートーヴェンやブラームスの交響曲に接するのと同じような姿勢で本演奏に臨んでいるとさえ言えるところだ。

したがって、同曲にロマンティックな抒情を求める聴き手にはいささか無粋に感じるであろうし、無骨とも言えるような印象を受けるが、各旋律の端々からは、人生の諦観を感じさせるような豊かな情感が滲み出していると言えるところであり、これは、ヴァントが晩年になって漸く到達し得た至高・至純の境地と言えるのではないかと考えられるところだ。

そして、演奏全体に漂っている古武士のような風格は、まさに晩年のヴァントだけが描出できた崇高な至芸と言えるところである。

もちろん、チャイコフスキーの交響曲の演奏として、本演奏が唯一無二の存在とは必ずしも言い難いが、それでも立派さにおいては人後に落ちないレベルに達しているとも言えるところであり、筆者としては、本演奏を素晴らしい名演と評価するのにいささかの躊躇をするものではない。

なお、演奏全体の懐の深さという意味においては、1994年の演奏の方を上位に掲げたいが、引き締まった造型美という意味においては本演奏の方がより優れており、後は聴き手の好みの問題と言えるのかもしれない。

他方、ストラヴィンスキーのバレエ音楽「火の鳥」については、バイエルン放送交響楽団とのライヴ録音(1978年)以来、9年ぶりの録音ということになるが、まさに異色の名演と言える。

親しみやすい旋律に満ち溢れるとともに、華麗なオーケストレーションで知られた名作であるが、ヴァントは陳腐なセンチメンタリズムに陥ることなく、そして、常に高踏的な美しさを失うことなく、格調高く曲想を描き出しているのが素晴らしい。

かなり緻密に楽想を描き出しているせいか、他の演奏では聴くことができないような音型を聴き取ることができるのも本演奏の大きなメリットと言える。

同曲の最高の演奏とまでは言えないものの、ヴァントならではの引き締まった名演と評価するのにいささかも躊躇するものではない。

音質は、1987年のライヴ録音であるが、十分に満足できるものである。

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2014年08月23日


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カラヤンはチャイコフスキーを得意としており、交響曲については全集を含め後期3大交響曲集を繰り返し録音するとともに、4度にわたるピアノ協奏曲やヴァイオリン協奏曲、そして主要な管弦楽曲など、途轍もない数の録音を行っているところである。

本盤に収められた幻想序曲「ロミオとジュリエット」及び組曲「くるみ割り人形」も、両曲ともにカラヤンによる4度目の録音に相当する(幻想序曲「ロミオとジュリエット」についてはウィーン・フィルとの1946年及び1960年の録音、ベルリン・フィルとの1966年及び本盤の1982年の録音が存在している。他方、組曲「くるみ割り人形」については、フィルハーモニア管との1952年の録音、ウィーン・フィルとの1961年の録音、ベルリン・フィルとの1966年及び本盤の1982年の録音が存在している)。

本盤はLP時代に、カラヤンの75歳の記念アルバムとして写真集が添付されていたのを記憶している。

CD化されてからは、当該写真集は殆ど忘れられた存在となっているが、CDとしては比較的収録時間の少ない本盤だけに、かつての写真集を何らかの形で添付するなどの工夫を講じて欲しいと思う聴き手は筆者だけではあるまい。

演奏については名演ではある。

しかしながら、これは一般的な評価であり、カラヤンによる演奏としては必ずしもベストフォームにあるとは言い難いのではないだろうか。

本盤に収められた楽曲をカラヤン&ベルリン・フィルによる演奏で聴くのであれば、幻想序曲「ロミオとジュリエット」及び組曲「くるみ割り人形」ともに1966年の演奏をお薦めしたいと考える。

本盤の演奏の録音は1982年9月。

これは、カラヤンとベルリン・フィルの関係に深刻な亀裂が走ることになったザビーネ・マイヤー事件が勃発した時期に相当する。

したがって、カラヤン&ベルリン・フィルという黄金コンビによる圧倒的な演奏にも陰りが出てきたと言えるところであり、本演奏にも前述の1966年盤にあった重厚さや華麗さがいささか減じていると言えなくもないところだ。

もっとも、本演奏においても、カラヤン、そしてベルリン・フィルともにお互いにプロフェッショナルとして水準以上の演奏を行ってはいるが、過去の名演からすればいささか物足りないと言わざるを得ないことについては指摘しておかなければならない。

録音は、リマスタリングが行われたこともあって、従来盤でも十分に満足できる音質であると評価したい。

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2014年08月08日


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カラヤンは、クラシック音楽史上最大のレコーディングアーティストとして、様々な作曲家による交響曲全集の録音を数多く行った。

その大半は独墺系の作曲家によるものに限られているが、唯一そうでないものが存在する。

それが、本盤に収められたチャイコフスキーの交響曲全集である。

チャイコフスキーの交響曲は、独墺系の錚々たる大指揮者が好んで演奏を行ってきてはいるが、それは後期3大交響曲(第4〜6番)に限られている。

したがって、初期の第1〜第3番を含めた全集を録音したのは、独墺系の指揮者の中では現在においてもカラヤンが唯一の指揮者ということになる。

このうち、第1〜3番については、カラヤンも実演では1度も採り上げたことがないことから、本盤に収められたこれらの演奏は、カラヤンが全集を完成させることを目的に録音した唯一の演奏ということになる。

これに対して、後期3大交響曲についてはカラヤンの十八番でもあり、本盤以外にも、ライヴ録音を含めかなりの点数の録音を遺している。

いずれにしても、本盤に収められた演奏は、カラヤン&ベルリン・フィルの黄金時代の演奏の凄さを満喫させてくれる素晴らしい名演と高く評価したい。

各交響曲の演奏は、いずれも1975〜1979年というカラヤン&ベルリン・フィルの黄金コンビの全盛時代のもの。

一糸乱れぬ鉄壁のアンサンブルを誇る弦楽合奏、金管楽器のブリリアントで強靭な響き、桁外れのテクニックを誇る木管楽器の極上の美しい響き、そしてフォーグラーによる雷鳴のように轟くティンパニなどが一体となった超絶的な技量を披露するベルリン・フィルの名演奏に、カラヤンは流麗なレガートを施すことによって、究極の美を誇るいわゆるカラヤンサウンドを形成。

まさに、オーケストラ演奏の極致とも言うべき圧倒的な音のドラマの構築を行っていたところである。

本盤に収められた演奏は、いずれもかかるカラヤンサウンド満載の圧倒的な音のドラマが健在であり、これはこの黄金コンビが成し遂げた究極の名演奏と言っても過言ではあるまい。

後期3大交響曲については、実演に近いドラマティックな豪演を展開する1971年盤(EMI)や、最晩年の枯淡の境地を示すとともに、音楽そのものを語らせる至高の名演である1984年盤(DG)の方をより上位に掲げる聴き手も多いとは思うが、カラヤンの個性が安定して発揮されていることや、演奏の完成度という意味においては、本盤に収められた演奏は、1971年盤や1984年盤にいささかも引けを取っていないと考える。

併録のスラヴ行進曲とイタリア奇想曲は、いかにもチャイコフスキーを得意としたカラヤンならではの素晴らしい名演だ。

ただ、スラヴ行進曲の終結部での反復が省略されているのが残念であるが、これはベルリン・フィルを指揮した他の指揮者による演奏でもそのようになっており、ベルリン・フィルが使用している楽譜自体に問題があるのかもしれない。

録音は、デジタル録音に移行する直前のいわばアナログ録音の完成期のものであるだけに、従来盤でも十分に満足できる音質であるが、数年前にカラヤン生誕100年を記念して発売されたSHM−CD盤がこれまでのところ全集としては最も良好な高音質である。

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2014年07月29日


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本盤にはチャイコフスキーの3大バレエ音楽からの有名曲の抜粋が収められているが、いずれも素晴らしい超名演であると高く評価したい。

カラヤンは、チャイコフスキーを得意中の得意としており、3大バレエ音楽からの抜粋についても、フィルハーモニア管弦楽団との演奏(1952、1959年)、ウィーン・フィルとの演奏(1961、1965年)、そして本盤に収められたベルリン・フィルとの演奏(1966、1971年)と3度にわたってスタジオ録音を行っている。

また、組曲「くるみ割り人形」については、幻想序曲「ロミオとジュリエット」との組み合わせで1982年にも録音を行っている。

いずれ劣らぬ名演であるが、この中で最もカラヤンの個性が発揮された名演は、本盤に収められたベルリン・フィルとの演奏であると考えられる。

本演奏の録音当時は、まさにカラヤン&ベルリン・フィルという稀代の黄金コンビの全盛時代であった。

分厚い弦楽合奏、ブリリアントなブラスセクションの響き、桁外れのテクニックをベースに美音を振り撒く木管楽器群、そして雷鳴のように轟きわたるティンパニなどが、鉄壁のアンサンブルの下に融合し、およそ信じ難いような超絶的な名演奏の数々を繰り広げていた。

カラヤンは、このようなベルリン・フィルをしっかりと統率するとともに、流麗なレガートを施すことによっていわゆるカラヤンサウンドを醸成し、オーケストラ演奏の極致とも言うべき圧倒的な音のドラマを構築していた。

本演奏においても圧倒的な音のドラマは健在であり、その演奏はまさに豪華絢爛にして豪奢。おそらくは、これらの楽曲の演奏史上でも最も重厚にして華麗な演奏と言っても過言ではあるまい。

楽曲がチャイコフスキーの3大バレエ音楽だけに、カラヤンによるこのようなアプローチは見事に功を奏しており、筆者としては、本演奏こそが、これらの楽曲(組曲等の抜粋の形での演奏)の演奏史上最高峰の玉座に君臨する至高の超名演と高く評価したいと考える。

録音は、従来盤でも十分に満足できる音質であると言えるが、カラヤンによる至高の超名演でもあり、今後はSHM−CD化、そして可能であればシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化を図るなど更なる高音質化を大いに望んでおきたい。

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2014年07月23日


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1977年にロンドン交響楽団の名誉会長に推されたカール・ベーム[1894-1981]が、それを記念して録音したチャイコフスキーの後期3大交響曲。

ベームは自分のキャリアの中にチャイコフスキーのレパートリーが無いことを非常に気にしていたようで、DGに対して再三、このチャイコフスキー後期の3作品の録音を希望していたようだ。

しかし、DG側はベームのチャイコフスキーは売れないと判断していたようで、まして同時期にカラヤンもこの3作品をDGに録音していたので、ベームの出番は無かったようである。

それでも再三に渡ってDGに交渉し、ようやくこの時期に名誉会長に就任したロンドン響に白羽の矢が立ったという話(ベームがこの録音のために就任したとも言われている)。

本当は独墺のオケと録音したかったのであろうが、この演奏についてはロンドン響を起用したのが功を奏しているのかもしれない。

もしもこれが独墺系のオケであれば重厚さを増し、ややもすると鈍重になった可能性は十分に考えられる。

3曲とも力感にあふれ、しっかりと指揮者がリードし、堅実で、中味の詰まった大変に立派な演奏で、チャイコフスキーの巧みな書法がしっかりと再現され、迫力も十分。

ベームの職人的能力の最良の面がいかんなく発揮された、見事な出来映えではないだろうか。

中では第4番は、いかにもベームらしい強靭な古典的造型感と明晰性を感じさせる中にも激しい音楽の聴かれるドイツ表現主義風ともいえる演奏。

特に終楽章におけるシンフォニックでありながらも情熱的な世界は必聴の価値がある(第4番にはチェコ・フィルとの凄いライヴもあった)。

一方、第5番と第6番「悲愴」ではドイツ色はいっそう濃くなり、チャイコフスキーというよりもブラームスとかブルックナーに近い雰囲気さえ漂っているが、交響曲の演奏としては、がっちりした造形と端正なフレージングもあって、たいへん立派なものとなっている。

チャイコフスキーが「苦悩」を音楽にするために、どれだけ巧緻に管弦楽を織り成したかが、この演奏からまざまざと聴き取れる演奏とも言えよう。

ドイツ系の指揮者による純ドイツ風アプローチとしては、ほかにクレンペラーやヴァント、シュミット=イッセルシュテット、ケンペなどが知られており、同じドイツ系でも、フルトヴェングラーやカラヤン、ザンデルリンク、マズア、エッシェンバッハなどが、ロシア的表現様式にも配慮した濃厚な演奏を聴かせていたのとは対照的で、最もドイツ的な演奏と言われた。

弦の厚ぼったい響き、テンポ、ダイナミクスとも重量長大級で、一見、田舎風の泥臭さに満ちており、そういう演奏を好む人を大いに喜ばせるに違いない。

スラヴの憂愁も哀愁もないが、チャイコフスキーが目指したドイツ音楽の姿かたちがここにあり、ベームならではのチャイコフスキー像が創り出されている。

聴けば聴くほど味が出る演奏で、特にベーム・ファン向けの個性的チャイコフスキー・アルバムと言えるだろう。

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2014年07月22日


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近年では、その活動も低調なチョン・キョンファであるが、本盤に収められたチャイコフスキー&シベリウスのヴァイオリン協奏曲の演奏は、22歳という若き日のもの。

次代を担う気鋭の女流ヴァイオリニストとして、これから世界に羽ばたいて行こうとしていた時期のものだ。

チョン・キョンファは、シベリウスのヴァイオリン協奏曲については本演奏の後は1度も録音を行っておらず、他方、チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲については、ジュリーニ&ベルリン・フィルとの演奏(1973年ライヴ録音)、デュトワ&モントリオール交響楽団との演奏(1981年スタジオ録音)の2種の録音が存在している。

両曲のうち、ダントツの名演は何と言ってもシベリウスのヴァイオリン協奏曲であろう。

とある影響力のある某音楽評論家が激賞している演奏でもあるが、氏の偏向的な見解に疑問を感じることが多い筆者としても、本演奏に関しては氏の見解に異論なく賛同したい。

シベリウスのヴァイオリン協奏曲の演奏は、なかなかに難しいと言える。

というのも、濃厚な表情づけを行うと、楽曲の持つ北欧風の清涼な雰囲気を大きく損なってしまうことになり兼ねないからだ。

さりとて、あまりにも繊細な表情づけに固執すると、音が痩せると言うか、薄味の演奏に陥ってしまう危険性もあり、この両要素をいかにバランスを保って演奏するのかが鍵になると言えるだろう。

チョン・キョンファによる本ヴァイオリン演奏は、この難しいバランスを見事に保った稀代の名演奏を成し遂げるのに成功していると言っても過言ではあるまい。

北欧の大自然を彷彿とさせるような繊細な抒情の表現など、まさに申し分のない名演奏を展開しているが、それでいていかなる繊細な箇所においても、その演奏には独特のニュアンスが込められているなど内容の濃さをいささかも失っておらず、薄味な箇所は1つとして存在していない。

チョン・キョンファとしても、22歳というこの時だけに可能な演奏であったとも言えるところであり、その後は2度と同曲を録音しようとしていないことに鑑みても、本演奏は会心の出来と考えていたのではないだろうか。

こうしたチョン・キョンファによる至高のヴァイオリン演奏を下支えするとともに、北欧の抒情に満ち溢れた見事な名演奏を展開したプレヴィン&ロンドン交響楽団にも大きな拍手を送りたい。

いずれにしても、本演奏は、チョン・キョンファが時宜を得て行った稀代の名演奏であるとも言えるところであり、プレヴィン&ロンドン交響楽団の好パフォーマンスも相俟って、シベリウスのヴァイオリン協奏曲の演奏史上でもトップの座を争う至高の超名演と高く評価したい。

他方、チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲については、ヴィルトゥオーゾ性の発揮と表現力の幅の広さを問われる楽曲であることから、人生経験を積んでより表現力の幅が増した1981年盤や、ライヴ録音ならではの演奏全体に漲る気迫や熱き生命力において1973年盤の方を上位に掲げたいが、本演奏もチョン・キョンファの卓越した技量と音楽性の高さを窺い知ることが可能な名演と評価するのにいささかの躊躇もするものではない。

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2014年07月07日


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チャイコフスキーの3大バレエは、いずれもスラットキン&セントルイス交響楽団による、素敵な全曲盤が発売されている。

2003年に廉価ボックスになって好評だったのが、さらにお得な価格になって復活した。

スラットキンは1980年にミネソタ管弦楽団との抜粋版を録音していて、それも優れた出来映えであったが、満を持しての3大バレエ全曲録音である。

スラットキンは、セントルイス交響楽団と長期にわたる良好な関係を築き上げ、オーケストラのサウンドをセンスの良い美麗な音響に磨きあげたことでも知られている。

そのことは、これらが録音された頃、スラットキン&セントルイス交響楽団の宣伝文句が「シカゴ響に次いで全米2位にランクされた」というものであったが、それが誇張ではないことが、この録音から伝わってくる。

彼らは特にロマン派から近代作品を中心に人気を集めていたが、スラットキンがロシア系ということもあってか、ロシアものには定評があり、実演でも録音でも高水準な演奏を聴かせていた。

この『くるみ割り人形』『眠りの森の美女』『白鳥の湖』の全曲ヴァージョンでも、洗練された豊かな色彩と華麗なダイナミズム、そしてなめらかなフレージングを駆使してしっとり美しいチャイコフスキーならではの魅力を見事に表現している。

スラットキンとしても一番指揮者として脂がのっていた時期と言えるところであり、快速なテンポながらオーケストラをしっかり統率する様は充実感にあふれている。

演奏スタイルは典型的な西側の演奏で、構成重視で洗練されたものであり、ドラティやティルソン・トーマスなどの演奏に近い。

スラットキンは前述のように、ロシア音楽の一方のスペシャリストと言われ、ロシア人の血を引くだけに、これらの曲を実に甘美でロマンティックな雰囲気で、表現し尽している。

いわゆるバレエの舞台を彷彿とさせる劇場的な表現ではなく、シンフォニックな演奏会風の解釈だが、弦を中心にしたオーソドックスな音楽づくりが、これらの曲の真髄を誤りなく、聴き手にメッセージされるのである。

すなわち、バレエ音楽というより、交響詩的バレエ音楽と言ったらよいだろう。

何よりも各曲の性格を的確につかんで、キャラクタライズするスラットキンの手腕には感嘆させられる。

スラットキンは全体にテンポを遅めにとり、チャイコフスキーのもつ抒情性を強く前面に押し出している。

そういう意味では『白鳥の湖』が出色で、特に第2幕「白鳥たちの踊り」のワルツなど旋律をたっぷりと歌わせているし、「4羽の白鳥たちの踊り」もユーモラスな気分をよく表出している。

第3幕も無難にまとめ、第4幕は「情景と終曲」が実に演出巧者だ。

ロシアの演奏家の3大バレエは名盤が少ないような気もするので、この価格で3大バレエを購入できるのはまさにお買い得であり、多くの人に聴いてもらいたいセットである。

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2014年06月15日


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キタエンコ&ケルン・ギュルツェニヒ管弦楽団によるチャイコフスキーの交響曲チクルスの第3弾の登場だ。

既発売のマンフレッド交響曲や交響曲第6番は、キタエンコの円熟を感じさせる素晴らしい名演であったが、本盤に収められた交響曲第5番も、それらに優るとも劣らない素晴らしい名演に仕上がっていると高く評価したい。

キタエンコによる本演奏のおけるアプローチは、マンフレッド交響曲や交響曲第6番と基本的には変わりがない。

かつてのモスクワ・フィルの音楽監督時代においては、いかにもロシア風のあくの強さを感じさせる演奏を行っていたが、ヤンソンスやプレトニョフなどにも共通していると思うが、その演奏にはより洗練度が増してきたものと思われるところだ。

キタエンコがそのような洗練された演奏を行うようになったのは、ドイツに拠点を移し、フランクフルト放送交響楽団やケルン・ギュルツェニヒ管弦楽団などを指揮するようになってからであり、いい意味で円熟の度を増してきたと言ってもいいのかもしれない。

マンフレッド交響曲や交響曲第6番と同様に、本盤の交響曲第5番においても、キタエンコは、楽曲を精緻に描き出していくという純音楽的なアプローチを施しており、まさに全体として洗練された装いが支配している。

もちろん、そのように評したからと言って、キタエンコの演奏が安全運転に堕した凡庸な演奏に陥っているわけではないことに留意しておく必要がある。

テンポはややゆったりとしたものとなっており、スケールは雄渾の極み。

そして、ここぞと言う時のトゥッティにおけるパワフルな演奏(特に、第1楽章中間部、終楽章の展開部や終結部)は、いかにもロシアの悠久の大地を感じさせるような壮大な迫力を誇っており、ドイツに拠点を移してもキタエンコに今なお息づくロシア人としての熱き魂を感じることが可能だ。

第2楽章などにおける心を込め抜いたロシア風のメランコリックな抒情の表現にもいささかの不足もなく、第3楽章のワルツの美しさには抗し難い魅力に満ち溢れている。

また、ケルン・ギュルツェニヒ管弦楽団の重心の低いドイツ風の重厚なサウンドも、本演奏に奥行きと深みを与えている点を忘れてはならない。

いずれにしても、本演奏は、前述のようにキタエンコの円熟とともに、今後のキタエンコ&ケルン・ギュルツェニヒ管弦楽団によるチャイコフスキーの交響曲チクルスの続編に大きな期待を抱かせる素晴らしい名演に仕上がっていると高く評価したい。

併録として、チャイコフスキーの最晩年の傑作歌劇である「スペードの女王」の序曲が収められているが、これまた正攻法のアプローチによる素晴らしい名演だ。

そして、本盤で素晴らしいのは、マルチチャンネル付きのSACDによる極上の高音質録音である。

昨年より、大手レコード会社がSACDの発売を積極的に行うようになったことから、SACDに復活の兆しが見られるところであるが、その殆どはマルチチャンネルが付加されていないところである。

本盤のようなマルチチャンネル付きのSACDによる臨場感溢れる鮮明な高音質を聴いていると、あらためてSACDの潜在能力の高さを再認識させられるところだ。

いずれにしても、キタエンコによる素晴らしい名演を、マルチチャンネル付きのSACDによる極上の高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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2014年06月02日


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素晴らしい高音質SACDの登場だ。

フルトヴェングラーのチャイコフスキーの交響曲第4番の録音については、これまでグランドスラム盤やオーパス盤などにより様々な復刻を繰り返してきたが、今般のSACDはそれらとは次元の異なる鮮明な高音質に蘇った。

フルトヴェングラーは、必ずしも演奏機会は多いとは言えなかったが、チャイコフスキーの後期3大交響曲についてはコンサートでも時として採り上げ、録音も遺されている。

この中で、「第5」は、聴衆やオーケストラの質の悪さも相まって問題外。

「第6」は、楽曲がフルトヴェングラー向きということもあって複数の録音(しかも名演)が遺されている。

他方、「第4」についてはスタジオ録音による本盤しか遺されていないが、これが素晴らしい名演なのだ。

録音が数日にわたって行われている点にも、フルトヴェングラーが本盤の録音にかけた情熱と意欲、そして強い拘りが表れているとも言える。

チャイコフスキーの「第4」の名演と言えば、ムラヴィンスキー盤(1960年のDG盤)、カラヤン盤(1971年のEMI盤)が何よりも念頭に浮かぶが、本フルトヴェングラー盤は、今般の高音質化を持ってこれらの名演に比肩することが可能となり、同曲の名演のベスト3の一角を占めるに至ったと言っても過言ではない。

ムラヴィンスキーが鉄壁のアンサンブルを駆使した豪演、カラヤンがライヴ録音を思わせるようなドラマティックな名演であるのに対して、フルトヴェングラーは、気宇壮大な彫りの深い名演と言ったところではないだろうか。

フルトヴェングラーはチャイコフスキーの「第4」を、ベートーヴェンやブラームスなどの交響曲に接するのと同様のアプローチで指揮しているのだ。

その意味では、チャイコフスキーの「第4」を、ベートーヴェンの諸交響曲にも比肩する大芸術作品に仕立てあげたとも言えるところであり、その作品の核心に迫っていこうという鋭くも真摯な姿勢は、演奏を濃密で深みのあるものにしており、内容の濃さという点に限って言えば、フルトヴェングラー盤こそは随一の名演と言ってもいいのではないかとさえ考えられる。

それにしても信じられないような高音質だ。

冒頭のホルンのファンファーレの主題の生々しい音にまずは驚かされる。

その後も、高弦の艶やかな響きといい、ブラスセクションや木管楽器のブリリアントな響き、厚みのある低弦の迫力など、信じられないような鮮明な音質に生まれ変わっている。

音場も非常に幅広いものになり、特に終楽章において顕著であるが、トゥッティになっても音が歪むことが殆どないというのは驚異的ですらある。

また、例えば、第1楽章の第1主題の提示に際してのヴァイオリンとチェロによる緩急をつけた導入の仕方、第2楽章の木管楽器による主題や、中間部に向けての弦楽による抑揚をつけた歌わせ方、第3楽章のピツィカートの味わい深い濃厚さ、終楽章終結部の効果的なアッチェレランドなどは、フルトヴェングラーだけが成し得る魔法のような至芸であるが、このように随所に施された至芸が鮮明に再現されるというのは、本高音質盤の最大のメリットであると高く評価したい。

併録の弦楽セレナードからの抜粋2曲も、厚みのある弦楽合奏が鮮明に再現されており、フルトヴェングラーの卓越した至芸を望み得る最高の高音質で味わうことができることを大いに喜びたい。

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2014年05月13日


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ミトロプーロスは、大変な実力者で今でも熱烈的なファンのいる孤高の名指揮者であった。

その芸術は、「明確な鋭さと慎重な速さを持ち、端正でヒューマンな演奏」であった。

「悲愴」は鋭角的で過激な演奏で、厳しく禁欲的でロマンティックさを排除した演奏だ。

尖っているというか、ハードボイルドというか情緒を排した非情なほど辛口の演奏なのだが、その気品の高さと渋い美しさは無類のもの。

テンポは速めで、特に第1楽章の第1主題のアレグロ・ノン・トロッポは、相当な速さで、後の展開部のアレグロ・ヴィヴォとほとんど同じ。

第2主題が再現するアンダンテでも減速せずにそのまま通りすぎていく。

第2楽章はアクセントを強調した甘さとは無縁の演奏。

第3楽章も明晰で厳しい解釈だが、チャイコフスキーとしては、無味乾燥な印象を与えかねないきわどい演奏かと思う。

第4楽章も思い入れの一切ない解釈ぶりで、いくぶん速めのテンポだ。

あまりドロドロした感じでないのが特徴だ。

ポケットスコアにないことなのだが、第4楽章クライマックスの直前部分で、フルート&オーボエの木管にトランペットらしい音が重なり演奏効果をあげている。

これは初めて聴いたが凄い効果である。

「悲愴」の音源はSPからLP、CD、DVDまで約300種類を超えるらしいが、この演奏は間違いなくベスト10というか横綱級の聴きごたえのあるCDである。

他の曲にしても、表面上は素っ気ないようだが、聴いた後は何か爽快な感じが残る。

この時期の評判は良くないのだが、この演奏で聴くニューヨーク・フィルは実に上手い。

ミトロプーロスの私情を排したストレートな指揮のもと、ニューヨーク・フィルの厳しくも迫力あるソノリティが、高揚するスラヴ・ロシアの音楽魂を再現している。

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2014年05月07日


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ヴァントは、徹底したリハーサルを繰り返すことによって自ら納得できる音楽作りを追求し続けたことから、起用するオーケストラを厳選していた。

長年に渡って音楽監督を務め、その後は名誉指揮者の称号が与えられた北ドイツ放送交響楽団が第一に掲げられる存在と言えるが、その他のオーケストラとしては、ベルリン・フィルやミュンヘン・フィル、そしてベルリン・ドイツ交響楽団が掲げられるところだ。

ベルリン・ドイツ交響楽団は、ベルリン・フィルの陰に隠れた存在に甘んじているが、一流の指揮者を迎えた時には、ベルリン・フィルに肉薄するような名演を成し遂げるだけの実力を兼ね備えたオーケストラである。

ましてや、指揮者がヴァントであれば問題はなく、その演奏が悪かろうはずがない。

本盤に収められたチャイコフスキーの交響曲第6番やモーツァルトの交響曲第40番は、ヴァントの知られざるレパートリーの一つであったが、いずれも素晴らしい名演と高く評価したい。

チャイコフスキーの交響曲第6番については、既に1991年に手兵の北ドイツ放送交響楽団との演奏が発売されていることから、本演奏はその3年前のもの、ヴァントによる2種目の同曲の録音ということになる。

本盤に収められた演奏についても、演奏全体の造型は堅固であり、その様相は剛毅にして重厚。

ヴァントは、同曲をロシア音楽ではなく、むしろベートーヴェンやブラームスの交響曲に接するのと同じような姿勢で本演奏に臨んでいるとさえ言えるところだ。

したがって、同曲にロマンティックな抒情を求める聴き手にはいささか無粋に感じるであろうし、無骨とも言えるような印象を受けるが、各旋律の端々からは、人生の諦観を感じさせるような豊かな情感が滲み出していると言えるところであり、これは、ヴァントが晩年になって漸く到達し得た至高・至純の境地と言えるのではないかと考えられるところだ。

そして、演奏全体に漂っている古武士のような風格は、まさに晩年のヴァントだけが描出できた崇高な至芸と言えるところである。

もちろん、チャイコフスキーの交響曲の演奏として、本演奏が唯一無二の存在とは必ずしも言い難いと言えるが、それでも立派さにおいては人後に落ちないレベルに達しているとも言えるところであり、筆者としては、本演奏を素晴らしい名演と評価するのにいささかの躊躇をするものではない。

なお、演奏全体の懐の深さという意味においては、1991年の演奏の方を上位に掲げたいが、引き締まった造型美という意味においては本演奏の方がより優れており、後は聴き手の好みの問題と言えるのかもしれない。

他方、モーツァルトの交響曲第40番については、ケルン・ギュルツェニヒ管弦楽団との演奏(1959年)、北ドイツ放送交響楽団との演奏(1994年ライヴ録音)が既発売であることから、ヴァントによる3種目の録音ということになる。

本演奏については、ワルターやベームなどによる名演と比較すると、優美さや愉悦性においていささか欠けていると言わざるを得ない。

テンポはかなり速めであり、一聴すると無骨とも言えるところであるが、各旋律の端々から漂う独特のニュアンスや枯淡の境地さえ感じさせる情感には抗し難い魅力に満ち溢れていると言えるところであり、北ドイツ放送交響楽団との演奏ほどではないが、ヴァントの晩年の澄み切った境地が示された名演と高く評価したい。

音質は、1988年のライヴ録音であるが、十分に満足できるものである。

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2014年04月25日


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カラヤンは、クラシック音楽史上最大のレコーディングアーティストとして、様々な作曲家による交響曲全集の録音を数多く行った。

その大半は独墺系の作曲家によるものに限られているが、唯一そうでないものが存在する。

それがチャイコフスキーの交響曲全集であり、本盤にはそのうち初期の第1〜3番が収められている。

チャイコフスキーの交響曲は、独墺系の錚々たる大指揮者が好んで演奏を行ってきてはいるが、それは後期3大交響曲(第4〜6番)に限られている。

したがって、初期の第1〜第3番を含めた全集を録音したのは、独墺系の指揮者の中では現在においてもカラヤンが唯一の指揮者ということになる。

このうち、第1〜3番については、カラヤンも実演では一度も採り上げたことがないことから、本盤に収められたこれらの演奏は、カラヤンが全集を完成させることを目的に録音した唯一の演奏ということになる。

第3番についての演奏評価についてはレビューを既に投稿しているので、個別の交響曲毎の演奏評価については省略するが、いずれにしても、本盤に収められた演奏は、カラヤン&ベルリン・フィルの黄金時代の演奏の凄さを満喫させてくれる素晴らしい名演と高く評価したい。

各交響曲の演奏は、いずれも1979年というカラヤン&ベルリン・フィルの黄金コンビの全盛時代のもの。

一糸乱れぬ鉄壁のアンサンブルを誇る弦楽合奏、金管楽器のブリリアントで強靭な響き、桁外れのテクニックを誇る木管楽器の極上の美しい響き、そしてフォーグラーによる雷鳴のように轟くティンパニなどが一体となった超絶的な技量を披露するベルリン・フィルの名演奏に、カラヤンは流麗なレガートを施すことによって、究極の美を誇るいわゆるカラヤンサウンドを形成。

まさに、オーケストラ演奏の極致とも言うべき圧倒的な音のドラマの構築を行っていたところである。

本盤に収められた演奏は、いずれもかかるカラヤンサウンド満載の圧倒的な音のドラマが健在であり、これはこの黄金コンビが成し遂げた究極の名演奏と言っても過言ではあるまい。

併録のスラヴ行進曲やイタリア奇想曲も、いかにもチャイコフスキーを得意としたカラヤンならではの素晴らしい名演だ。

録音は、交響曲についてはデジタル録音に移行する直前のいわばアナログ録音の完成期のものであるだけに、従来盤でも十分に満足できる音質である。

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「鋼鉄のピアニズム」と言われて一世を風靡したギレリスお得意の超骨太のチャイコフスキーである。

機械のように正確な技巧と繊細な叙情性を併せ持った演奏は、日本でも多くのファンを獲得した。

情熱的で雄大なスケールのうちにも詩情豊かな味わいを持つ絶品のチャイコフスキーだ。

過度な化粧や装飾をそぎ落とし、しっかりとした構成をベースに明確な輪郭を形成し、その内面をロマンティックな表情で固める彼の演奏の凛とした姿勢がここに示されている。

数あるCDの中で、「あのセンチメンタリズムにはついていけない・・・」と言われた吉田秀和氏ばりの硬派な方にぴったりの演奏が、このギレリス&マゼール盤。

ギレリスをサポートするマゼールの巧みさも必聴で、テンポの伸縮も凄まじい。

受けて立つギレリスは音響的ハレーション寸前、ピアノが壊れるのではないかというほどに容赦ないフォルティッシモをこれでもかと浴びせかけてくる。

これに対してマゼールはたっぷり間をとって、ほわっとした感じのテヌートぎみのフレージングで、ここはチェロ、ここは木管、ここは金管というように各声部を過剰に強調しながら、場面を切りかえ、ギレリスの過剰な強打をかわしていく。

超劇的な展開かと思いきや、次は肩すかしの弱音で攻める。

こんな面白い演奏は他には見当たらない。

チャイコフスキーの意図との整合性はともあれ、かのホロヴィッツ&トスカニーニ盤に匹敵するカタルシスを味わえるCDである。

数あるギレリスのチャイコフスキーの中でも、空前絶後(抱腹絶倒)の名演だ。

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2014年04月23日


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カラヤンは、クラシック音楽史上最大のレコーディングアーティストとして、様々な作曲家による交響曲全集の録音及び映像作品を数多く行った。

その大半は独墺系の作曲家によるものに限られているが、唯一そうでないものが存在する。

それがチャイコフスキーの交響曲全集であり、本盤にはそのうち後期3大交響曲(第4〜6番)が収められている。

チャイコフスキーの交響曲は、独墺系の錚々たる大指揮者が好んで演奏を行ってきてはいるが、それは後期3大交響曲に限られている。

後期3大交響曲についてはカラヤンの十八番でもあり、本DVD以外にも、ライヴ録音を含めかなりの点数の録音を遺している。

これら後期3大交響曲についてはいずれにしても、本盤に収められた映像作品は、カラヤン&ベルリン・フィルの黄金時代の演奏の凄さを満喫させてくれる素晴らしい名演と高く評価したい。

各交響曲の演奏は、いずれも1975〜1976年というカラヤン&ベルリン・フィルの黄金コンビの全盛時代のもの。

一糸乱れぬ鉄壁のアンサンブルを誇る弦楽合奏、金管楽器のブリリアントで強靭な響き、桁外れのテクニックを誇る木管楽器の極上の美しい響き、そして雷鳴のように轟くティンパニなどが一体となった超絶的な技量を披露するベルリン・フィルの名演奏に、カラヤンは流麗なレガートを施すことによって、究極の美を誇るいわゆるカラヤンサウンドを形成。

まさに、オーケストラ演奏の極致とも言うべき圧倒的な音のドラマの構築を行っていたところである。

本盤に収められた映像作品は、いずれもかかるカラヤンサウンド満載の圧倒的な音のドラマが健在であり、これはこの黄金コンビが成し遂げた究極の名演奏と言っても過言ではあるまい。

カラヤンの壮絶な指揮ぶりも必見で、これを聴いて、見たら、他の演奏は聴けなくなる。

空前絶後の演奏が見れる、カラヤンとベルリン・フィルの最盛期の貴重な演奏である。

疑似ライヴだとか何とか、それはこの演奏に関しては何の意味も持たない。

唯一無二の映像作品であり、これらの交響曲を好きな全ての人に見てもらいたいし、カラヤンに疑問を持つ方々にもお薦めしたい。

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2014年04月17日


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従来このフルトヴェングラーのチャイコフスキー「第5」の録音は、「演奏・音質共に芳しくない」と言われてきた。

しかし今回デルタ盤で聴き直してみて、音質はともかくとして、演奏自体には、やはりフルトヴェングラーの刻印を十分感じ取ることが出来た。

この演奏には、オーケストラの非力を超えて、ほの暗いドイツ人のの情念が感じられる。

その解釈がチャイコフスキー「第5」の曲想とは、若干異なるかも知れないが…。

筆者はこの録音に3つの意義を感じている。

第一には、言うまでも無く、この録音がフルトヴェングラーが遺した唯一のチャイコフスキー「第5」であることだ。

フルトヴェングラー没後50年以上が経過した現在、戦後の演奏会での録音が今後出現する可能性は非常に低いと考えられる。

第二には、極めてドイツ的なチャイコフスキー解釈になっていることだ。

1952年の夏に大病を患う直前のフルトヴェングラーはまだまだ元気一杯で、ハードスケジュールの中、熱気溢れる演奏を行なっている。

第三には、この演奏が、フルトヴェングラーがチャイコフスキー「第5」を指揮した生涯最後の機会であったことだ。

もしこの演奏が録音されていなければ、我々はフルトヴェングラーのチャイコフスキー「第5」の解釈を耳にすることが出来なかったのだ。

この録音が残されたことに感謝したい。

さらにもう一つ付け加えるとすれば、この録音はある理由で熱心なフルトヴェングラー・ファンの間では有名であった。

それは第4楽章コーダに入る直前の休止部で、聴衆の拍手が入っていることだ。

おそらく当時のイタリアの聴衆にとってチャイコフスキー「第5」はあまり馴染みのない曲目だったのであろう。

終了と勘違いした聴衆の拍手が録音されているのだ。

かつて発売された盤の中には、この拍手をノイズとしてカットしていたものが多かったが、本CDではオリジナルのまま拍手を残している。

それは1952年6月6日のコンサート会場で何が起ったかをそのまま残すことに、ライヴ発売の意味があるからだ。

本CDにはチャイコフスキー「第5」と同じ日のコンサートで演奏された、ワーグナーの2曲が含まれているが、いずれもウィーン・フィルとのスタジオ録音には及ばない。

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2014年04月15日


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カラヤンは独墺系の指揮者としては広範なレパートリーを誇ったところであるが、その中でもチャイコフスキーの楽曲を自家薬篭中とも言うべき得意のレパートリーとしていた。

特に、3大交響曲集と称される交響曲第4番〜第6番については、それこそ何度も繰り返し演奏・録音を行っているところだ。

クレンペラーやフルトヴェングラー、ベーム、ザンデルリンク、ヴァントなど、チャイコフスキーの交響曲の録音を遺した独墺系の指揮者は多いが、その録音の量においてカラヤンの右に出る指揮者は皆無であったと言っても過言ではあるまい。

そうしたカラヤンによる数多くのチャイコフスキーの交響曲の録音の中で、随一の名演は何かと言われれば、私は躊躇なく本盤に収められた1971年にEMIにスタジオ録音を行った第4番〜第6番の演奏を掲げたい。

確かに、最晩年にウィーン・フィルを指揮してスタジオ録音した第4番〜第6番の演奏も、波乱に満ちた生涯を送ったカラヤンが自省の気持ちを込めてその生涯を顧みるという人生の諦観とも言うべき味わい深さが感じられるところであり、演奏の持つ深みにおいては至高の高みに聳え立つ名演と言えるところだ。

しかしながら、カラヤンの演奏の美質の一つでもあった鉄壁のアンサンブルを駆使した音のドラマの構築と言った点においては、いささか物足りない面もあると言えるところであり、カラヤンらしさという意味においては異色の演奏と言えなくもない。

1970年代後半に完成させたカラヤンによる唯一の交響曲全集は、まさにカラヤン&ベルリン・フィルの黄金コンビが最後の輝きを放った時期のものであり、演奏の完成度においては出色のものがあると言えるだろう。

これに対して、本盤の演奏は、実演的な迫力に満ち満ちた凄みのある名演と言えるのではないだろうか。

一糸乱れぬ鉄壁のアンサンブルは当然のことであるが、全盛期のベルリン・フィルとともに構築した音のドラマは圧巻の一言。

ブリリアントなブラスセクションの響きや唸るような厚みのある低弦の重厚さ、そして雷鳴のようなティンパニの轟きは凄まじいほどのド迫力であり、演奏全体に漲る気迫はあたかもライヴ録音を思わせるほどの凄さと言える。

どこをとっても凄まじさの限りと言えるが、とりわけ、第4番の第1楽章終結部における猛烈なアッチェレランドや、第6番の第1楽章の展開部における低弦の圧倒的な迫力は、全盛期のカラヤン&ベルリン・フィルだけに成し得た圧巻の至芸と言っても過言ではあるまい。

チャイコフスキーの交響曲第4番〜第6番の名演としては、同時代に活躍した旧ソヴィエト連邦出身の巨匠ムラヴィンスキーの超名演(1960年)があまりにも名高いが、本盤の演奏は、それに唯一比肩し得る至高の超名演と高く評価したい。

音質については、1970年代のEMIによる録音ということで、従来CD盤の音質が必ずしも芳しいものではなく、それはHQCD化されてもあまり改善は見られなかったところだ。

特に、第4番については、マスターテープが損傷しているということで、これ以上の高音質化については絶望的であると考えていたところであるが、今般のSACD化で大変驚いた。

従来CD盤やHQCD盤とはそもそも次元が異なる見違えるような、そして1970年代前半のEMIによる録音とは到底信じられないような鮮明な音質に生まれ変わっており、あらためてSACDの潜在能力の高さを思い知った次第である。

いずれにしても、カラヤンによる至高の超名演を、SACDによる高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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2014年04月06日


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本盤のような演奏を歴史的名演と言うのであろう。

クライバーンが、旧ソヴィエト連邦の威信をかけて行われた記念すべき第1回チャイコフスキー国際コンクールで優勝した直後に行われたスタジオ録音ではあるが、ここでは、コンクールでの優勝の興奮が支配しているように感じられてならない。

当時のクライバーンの超絶的な技巧と、途轍もない生命力が凄まじいまでの迫力を見せ、あたかもライヴ録音であるかのような熱気に満ち溢れているからだ。

このチャイコフスキーに一貫しているのは溌剌とした太陽のような輝きである。

それは単に辣腕の名手が聴かせるドラマティックで、エネルギッシュな熱演というだけではない。

抒情的で詩的なフレーズにも太陽の恵みを受けたかのような誇らしい高揚感があり、それが聴き手をどこか晴れやかな幸福感に誘ってしまうという稀に見る演奏となっている。

停滞せずに常に前に駒を進めていく演奏、しかもそこには即興性があり、それが演奏をさらにスリリングで、緊迫感溢れるものにしていく。

それでいて決して不自然でも作為的でもない、聴き手を紛れもなくチャイコフスキーの世界に誘い、陶酔させていく奇跡的名演なのである。

当時、ソヴィエト連邦の気鋭の指揮者であったコンドラシンの指揮も圧倒的であり、数あるチャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番の名演の中でも、トップの座を争う名演と高く評価したい。

コンクールの審査員には、リヒテルやギレリスなど錚々たる顔ぶれが揃っていたとのことであり、今から思えば政治色が審査に反映されなかったことは奇跡のような気もするが、これらの面々に絶賛されたというのも当然のことのように思われる。

残念なことであるが、クライバーンはこの時が一番凄かった。

近年では、自らの名前を冠するコンクールの名前のみで知られるピアニストに甘んじているのははなはだ残念なこととは思うが、それでも、このような歴史的名演を遺したことは、後世にもクライバーンの名前は不滅であることの証左と言えよう。

XRCD化による高音質化効果は凄まじいものがあり、金管楽器などに音場の狭さを感じるが、ピアノのリアルな音など、眼前で演奏が行われるかのような鮮明さだ。

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2014年04月02日


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カラヤンが最も得意とし、その演奏・録音に最もこだわりを持っていたとされる、チャイコフスキーの後期3大交響曲の、それぞれ最後の映像・録音(「悲愴」は実に7回目)である。

カラヤンの美学が徹底している作品であり、金管楽器が咆哮するときに立ち上る熱気やカラヤンの表情と手の動き、演奏者を写す時のカメラアングルなど素晴らしい演出だ。

しかしアンチ・カラヤンの人にとっては、それがあざとく見える可能性もあるかもしれない。

筆者はカラヤンのチャイコフスキーの演奏にかなり以前から傾倒しており、1971年の華麗かつ豪華絢爛なEMI盤と、1975〜76年のパワフルで重厚なDG盤(どちらもオケはベルリン・フィル)とを聴き比べながら、いつも感動している(どちらも最高に凄い演奏!)。

しかし、このカラヤン最後のウィーン・フィルを指揮した演奏は、その凄さの桁が違っていて、指揮者もオーケストラも実に気迫のこもった迫力満点の演奏である。

この演奏には、行き着く所まで行き着いた「深さ」があり、個人的には疲れ果てたような表情を見せる第5番が好きだが、特に第6番「悲愴」はこれ以上のものは考えられない程の出来映えと言える。

カラヤンは「悲愴」を大変に得意としていた(1988年のベルリン・フィルとの最期の来日公演でも当曲を演奏した)が、これは最晩年の、しかもウィーン・フィルとの演奏ということで、音楽の自然さ、音色の美しさで、群を抜いている。

あまりの感動に(表現する言葉が見当たらない)筆者にとっては涙なしでは聴けないDVDとなった。

また、第4番から第6番「悲愴」までの3曲が1枚に収まっており、コストパフォーマンスの面でも大満足のDVDである(このシリーズの中でも図抜けてお得)。

チャイコフスキーとカラヤン好きの人には是非とも聴いて(見て)いただきたい作品である。

このDVDは筆者にとって一生の宝物である。

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2014年04月01日


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筆者はゲルギエフ&マリインスキー劇場管弦楽団の来日公演で、チャイコフスキー《悲愴》の実演に接したが、それはまさに作品の本質を鋭く掘り起こし、熱い真情を込めて作品の内面に深く肉迫する感動的な凄演であった。

それだけに今回はオケがウィーン・フィルということもあり、大いなる期待を持って当ディスクを購入した。

ゲルギエフの《悲愴》としてはマリインスキー劇場管盤に次ぐ演奏であるが、ライヴ録音というハンデはあるものの、いささか荒っぽい印象を受けた。

第1楽章など、テンポ設定はスコアに指定されている以上のめまぐるしい変転を見せるが、感動的な第2主題を急速なテンポで演奏したり、展開部の盛り上がりの箇所での大見えを切ったリタルダンドは、いくらなんでもやり過ぎとは言えないだろうか。

第2楽章のロ短調に変調する中間部も、インテンポであっさりと流してしまうが、好みの問題もあるが、いささか白けた雰囲気が漂う。

第3楽章はノーマルな出来で、テンポもライヴのためなのか全体的にリズミカルに進んでいる。

しかし、終楽章の展開部では、再び急速なアッチェレランドが見られるが、この部分は楽曲全体の頂点に当たる箇所でもあり、表現は悪いが、「百日の説法屁一発」という諺を思い出してしまった。

ウィーン・フィルの美演を持ってしても、この荒っぽさを中和することが出来なかったのは残念な限りである。

この2004年時点にライヴ録音されたこの《悲愴》を聴く限りにおいては、ゲルギエフには、更なる自己研鑽が必要なようであったと言わざるを得ない。

マリインスキー劇場管とのライヴではアグレッシヴな質感でグイグイ突き進んでいただけに残念だ。

結論としてゲルギエフで《悲愴》を聴くのならば、断然旧盤(マリインスキー劇場管盤)の方をお薦めしたい。

但し、当盤のSHM−CD化による高音質録音は旧盤を凌ぐ出来ばえと評価したい。

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2014年03月30日


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ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団は指揮者によって変幻自在の変身を遂げるオーケストラと言えるが、ワレリー・ゲルギエフにかかると上品な印象をかなぐり捨てて、強烈な咆哮を放つヴィルトゥオーゾ集団に変貌した。

賛否両論に分かれる演奏だと思う。

ゲルギエフの演奏の常だが、オーケストラの色よりも指揮者の色の方がはるかに濃く感じられる。

2002年10月17日〜21日、ムジークフェラインでのウィーン・フィル特別演奏会のライヴ演奏なので、とりわけそのような印象が濃くなっているのかも知れない。

剛腕ゲルギエフがウィーン・フィルを限界までに鳴らした演奏で、ダイナミック・レンジを限界一杯まで引き伸ばし、金管楽器は音割れ寸前まで吹き鳴らしている。

木管も弦も消えてしまい、金管の咆哮が強く印象付けられる箇所もあり、ライヴ録音の難しさも感じるが、ゲルギエフ・ファンには堪らない魅力のある演奏となっている。

第3楽章の弦のピチカートが終わり、間髪入れずに第4楽章が始まる瞬間は感興を呼ぶ。

筆者がこの曲に初めて接し(カラヤン&ベルリン・フィル)、心を奪われたのが第4楽章だったので、今でも心がざわめき、血が騒く。

少々のアンサンブルの乱れはあるにせよ、アマチュア・オケのように必死になって一心不乱に演奏しているウィーン・フィルの演奏なんてそう聴けるものではないだろう。

強烈な演奏なので好き嫌いが分かれるのは当然だが、これだけ見事に咆えてもらえればリスナーは満足するに違いない。

ロシア民謡の「白樺は野に立てり」の主題のところでクールダウンして、一気呵成にクライマックスへ駆け上がるオーケストラのアンサンブルの限界すれすれの演奏はやはり怪演かも知れないが、快演でもあった。

なお、リーフレットの解説を平林直哉氏が記しているが、ゲルギエフの紹介とこの交響曲の解説はその通り理解できるのだが、このライヴ演奏を聴かずに書かれているようだ。

録音が届く前に書かなければならなかったようで気の毒ではあるが、これでは国内盤を買う人をがっかりさせるような気がする。

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ワレリー・ゲルギエフは、いま最も注目されている実力指揮者である。

彼の録音は、そのほとんどが手兵マリインスキー劇場管弦楽団、あるいは最近ではロンドン交響楽団を起用しているが、このチャイコフスキーはウィーン・フィルとの初録音である。

1998年のザルツブルク音楽祭のライヴだが、この条件からゲルギエフの精神的な充実感がわかるというものである。

確かに演奏は冒頭から濃密で、陰影が深い。

しかし、ゲルギエフは尖鋭な現代感覚の持ち主で、音楽は確実に構築され、ライヴだからといって決して誇大な表情になることがない。

それどころか、豪快でありながら筋肉質に引き締まった音楽である。

ライヴ録音ということもあり、第1楽章など、盛り上がりに向けたアッチェレランドなど、テンポが著しく揺れ動くが、全体の造型にいささかの揺らぎも見られないのが素晴らしい。

もちろん第2楽章では、メランコリックな抒情も濃厚さの限りであり、感情が細かく起伏した歌を聴かせる。

つまり、造形と内容のバランスが非常によく、そのために指揮者の思いがわかりやすく示されている。

第3楽章の優美なワルツを経て、終楽章では堂々とした高潮が圧倒的なド迫力で、情熱的な感情表現とともに、作品のすべてを描き尽くしている。

ゲルギエフの個性が全開の名演だと思う。

このようなゲルギエフの個性的な指揮に、ウィーン・フィルがぴたりとついていくのも見事であり、ゲルギエフ&ウィーン・フィルの本盤の初共演後の実りある関係を暗示していると言えよう。

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2014年03月26日


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当盤は1937年の有名な「悲愴」ではなく、メンゲルベルクが1937年録音のハウリングを嫌い、1941年に再度「悲愴」をスタジオ録音したものである。

指揮者メンゲルベルクの比較的後期に当たる録音であるが、その演奏はロマンに満ち溢れ、現代の数ある指揮者でも決して辿り着けない究極のロマンがここにある。

この「悲愴」を初めて聴いた人は絶句するに違いない。

作曲家グリーグも、若き日のメンゲルベルクの「悲愴」を聴いて打ちのめされたそうだ。

これほどまで雄大で濃密な「悲愴」は空前絶後で、メンゲルベルクはあらんかぎりの個性を投入し激しくデフォルメしながら、チャイコフスキーの狂おしい情熱を極限まで高めることに成功している。

地滑りのようなテンポの緩急、すすり泣くようなポルタメント、むせかえるほどの音色の熱気、全てが呪術的なオーラを放っている。

古臭いという声も聞かれるが、これこそ19世紀感覚の演奏かもしれない。

まさに、メンゲルベルクの個性が最も良く出た演奏の一つであろう。

特に第1楽章ではテンポを大きく揺さぶり、更に第2主題で大きく弦を震わせてはポルタメントで聴く者をうっとりさせながら、後半ではSPというレンジの狭さを感じさせないほどのダイナミックな表現をしている。

その凄まじいまでの手法はまさに絶品で、この楽章の終盤での静寂部では、その余韻までもが聴く者を離さない。

第2楽章でも、ロマンティシズムに溢れる歌わせ方は第1楽章同様で、まさに情緒溢れる表現で歌わせている。

第3楽章は打って変わって豪快な棒さばきで進んでいく。

とどめは終盤、ここで大見得を切ったメンゲルベルクはテンポをガクッと落とした後、SPの狭いレンジをフルに使ってパワーを全開させ、アッチェランドをかけて突っ走っていく。

そしてラストはお得意のリタルダンド!

もっともこの手法は当時では珍しくないようで、フルトヴェングラーやアーベントロートも同様にテンポダウンしている。

そして最終楽章はまさに慟哭するような表現に終始している。

時折テンポを大きく変えながら、弦を震わせてはポルタメントを有効に活用し、聴く者にふと幻想を抱かせるような演奏である。

1937年録音と1941年録音、どちらが好むかは人それぞれであろうが、いずれにせよメンゲルベルクのロマンが集約された「悲愴」と言えよう。

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2014年03月18日


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チャイコフスキーの後期3大交響曲のCDは、ムラヴィンスキー&レニングラード・フィルの伝説的な名盤を筆頭に、カラヤン、バーンスタイン、スヴェトラーノフ、バレンボイム、小林研一郎、プレトニョフ、ゲルギエフなど、本当に数多くの録音が出ているが、このパッパーノのCDはそれらの中でも輝きを放つ名演となっている。

まず、サンタ・チェチーリア国立アカデミー管弦楽団の音色に華がある。

和音の揃いや重厚な歩みよりは、イタリアのオーケストラらしく、それぞれのパート、それぞれの奏者が美しい音を出すことを何よりも優先している感じだ。

そしてパッパーノの指揮は、ただそれらを好き放題にやらせるのではなく、引っ張ったり弛めたりしながら、歌に溢れた、瑞々しいサウンドを構築していく。

この歌心と瑞々しさ、若さ、新鮮さ、活気は、重厚なドイツのオーケストラとも、彩りと迫力があるフランスのオーケストラとも、機能的なアメリカのオーケストラとも違う個性だ。

第4番はこういうアプローチが一番合っているかもしれない。

バレンボイム盤も良かったが、繊細さではこちらの方が優っている。

第1楽章は煌びやかで音色が美しく飽きないし、第3楽章も愛らしく、フィナーレの華々しさは「これぞオペラの国イタリアのオーケストラ」という華やかさだ。

第5番もまた素晴らしい演奏だ。

第2楽章の流麗な美しさは言語に絶するほどで、アリアのように大事に歌われている感じだ。

フィナーレの躍動感も相当なものだが、よくある「爆演」のような破綻がなく、音楽として整っている。

「悲愴」の第3楽章は、息の合った合唱を思わせる高揚感であり、第4楽章の慟哭を表現する弦のサウンドにはあまりにも艶かしくてゾッとするほどだ。

ヴィヴィッドでダイナミックな演奏だが、甘ったるくはならず、3曲ともとてもクオリティが高いので、後期3大交響曲集としては大変に優れている。

録音もEMIにしてはかなり良く、残響をそれなりに取り入れながらも各楽器の質感がそこそこ保たれているし、見通しもまずまず良好で、曇った感じもほとんどしないので聴きやすい。

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ジノ・フランチェスカッティは1950〜60年代の前半に活躍し、当代きっての美音の持ち主と讃えられた名ヴァイオリニストである。

メン&チャイと日本人好みの略称で呼ばれるようになった、この組み合わせは、フランチェスカッティの出した同じ組み合わせのモノラル盤に由来する。

このステレオになって再録音された演奏は、今でも必聴盤と言える。

巨匠フランチェスカッティといっても、最近ではほとんど話題にのぼらないヴァイオリニストだ。

しかし、一聴して分かるように、たちまちその豊かな表情をもった音色に魅惑される。

ハイフェッツのような切れ味爽やかというのではなく、その逆で、包み込んでくれる響きであり、エロティックとでもいうのだろうか、色気のある音色だ。

日本では、あまり高い評価を受けることなく半ば忘れられれたヴァイオリニストであるかもしれないが、こんな美音が出せる人が他にいるだろうか。

かつて美音家といえばグリュミオーであったが、まったくタイプの違う唯一無比の豊麗な音色である。

チャイコフスキーの協奏曲では、目立った表情づけをしていないが、それでもチャイコフスキー節が朗々と歌われている。

その演奏は知的で気品にあふれたもので、チャイコフスキーがこんなにも澄み切った音楽だとは…。

感傷的でオーバーな表現とは次元の異なる美しさが奏でられている。

より注目はメンデルスゾーンの方で、冒頭のあの切々たるメロディーが、実に美しく奏でられている。

厳しすぎず、優しすぎず、情熱もありの癒しもありの、バランスが見事なヴァイオリンにセルの伴奏が相俟って、高潔な美しさに満ち溢れた最高の名演と高く評価したい。

音質は、年代以上に良いが、もちろん最新録音と同じようにはいかず、濁りもややあるが、オケもヴァイオリンもクリアに録られている。

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2014年03月17日


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モントゥーは1950年代後半に、ボストン交響楽団とのコンビでチャイコフスキーの後期3大交響曲の録音を行なっており、それらはいずれもこの名指揮者の品格ある音楽性を存分に味わえる出来ばえだが、なかでも第5番の出来が素晴らしかった。

当盤はそのスタジオ録音と同日に行われたライヴ録音(1958年)であるが、モントゥーの数多い名盤中でも最右翼に位置するもののひとつだし、第5交響曲のディスクの中でも屈指のものと言えるだろう。

ここにはどんなドラマも及ばないほどの、人間の真実の恐れと苦悩がある。

ムラヴィンスキーのような純音楽的な再現ではないが、モントゥーはチャイコフスキーをほとんどベートーヴェンの域にまで引き上げたのである。

両端楽章はぶっきら棒と言って良いほど飾り気のない表現だが、ボストン交響楽団の充実した硬質な響きがモントゥーの芯の強い明快な音楽と合致し、少しの曖昧さもない名演を生み出した。

モントゥーはこのシンフォニーをロマンティックで幻想的なものとせず、現実的なそれとして指揮しているのだ。

中間の2つの楽章も個性的で、別にことさら大仰な身ぶり、手ぶりをしているわけではないのだが、至極当たり前の語り口がいつしか驚くほど底力のある表現力を身につけるまでに発展していく様が、何とも素晴らしい。

エレガントであらゆる音が生きて語りかけるワルツ楽章も良いが、それ以上にユニークなのは第2楽章である。

こんなに言いたいことがはっきりした、雄弁に物語る表現も珍しい。

全楽章にわたって、木管の音を抑えず、くっきりと奏し、金管のうめきをかえって明るい音色で強奏させ、音楽を確実に意味づける点も素晴らしい。

所謂チャイコフスキー的なアプローチとは違うが、音楽が完全にモントゥーのものと化し、芸術的に真実な自己表現として鳴り響いた名演と絶賛したい。

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2014年03月16日


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モントゥーによるチャイコフスキーの3大交響曲の演奏は、ほぼ同時期に録音されたムラヴィンスキー&レニングラード・フィルの歴史的な超名演(1960年)と比較すると、知る人ぞ知る存在に甘んじていると言わざるを得ない。

このうち、交響曲第4番については、ムラヴィンスキーの演奏があまりにも凄い超絶的な名演であるために、他の演奏は不利な立場に置かれていると言わざるを得ないが、筆者としては、ムラヴィンスキーの名演は別格として、それに次ぐ名演としては、カラヤン&ベルリン・フィルによる演奏(1971年)と本演奏を掲げたいと考えている。

このうち、カラヤンの演奏は、ベルリン・フィルの卓越した技量を駆使したオーケストラ演奏の極致と言うべきもので、これにライヴ録音を思わせるようなドラマティックな要素が付加された圧倒的な音のドラマであった。

これに対して、モントゥーによる本演奏は、同曲にこめられた、運命に翻弄される作曲者の苦悩や絶望感、そして生への憧憬などを徹底的に追求するとともに、それを音化することに成功した彫りの深い演奏に仕上がっている。

極論すれば、カラヤンの演奏が音のドラマであるのに対して、本演奏は人間のドラマといった趣きがあるとも言えるところである。

全体としては、ムラヴィンスキーの演奏と同様に、速めのテンポ(ムラヴィンスキーより快速の39分で全体を駆け抜けている)による引き締まった造型が印象的であるが、かかる堅固な造型の中において、モントゥーは、細部に至るまで彫琢の限りを尽くしたドラマティックな演奏を展開している。

トゥッティに向けて畳み掛けていくような気迫と力強い生命力は、圧倒的な迫力を誇っており、とてもスタジオ録音とは思えないような壮絶の極みとも言える劇的な演奏を展開している。

第2楽章のロシア風のメランコリックな抒情の歌い方にも、格調の高さが支配しており、高踏的な美しさを誇っているのは、モントゥーだけに可能な圧巻の至芸であると言えるだろう。

モントゥーの確かな統率の下、圧倒的な名演奏を繰り広げているボストン交響楽団にも、大きな拍手を送りたい。

また、サンフランシスコ交響楽団とのR.シュトラウスの『死と変容』に関しても、フルトヴェングラーに匹敵する指揮ぶりを刻印し、リアルな凄絶さと、とろけるような幻想美を併せ持った見事な演奏だ。

録音は、従来盤が50年以上前のものということもあってややデッドで音場が広がらないという問題があったが、数年前に発売されたSHM−CD盤によって、良好な音質に改善され、マスター・クォリティに限りなく近づいた。

いずれにしても、モントゥーによる至高の超名演をSHM−CDによる高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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2014年03月13日


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プレトニョフ&ロシア・ナショナル管弦楽団による2度目のチャイコフスキーの新しい交響曲全集も本盤の第2番の登場でついに第5弾、残すところは、第3番とマンフレッド交響曲の2曲となった。

プレトニョフに限らず、ロシア系の指揮者にとって、チャイコフスキーの交響曲は、ベートーヴェンの交響曲のように重みのある存在である。

それだけに、これまであまたのロシア系の指揮者が、チャイコフスキーの交響曲全集を録音してきた。

全集を録音しないまでも、後期3大交響曲を何度も録音した指揮者(例えば、ムラヴィンスキーなど)も存在しており、それぞれが一聴の価値のある優れた名演揃いである。

プレトニョフがDGに録音を行った最初の全集も、今日のプレトニョフの名声をいささかも傷つけることがない優れた名演であり、むしろ、プレトニョフのその後のキャリアを形成する重要な一歩になったとも言える存在だ。

それから約15年後の全集は、その間のプレトニョフの指揮芸術の円熟を感じさせるものであり、音楽の構えの大きさ、楽曲への追求度、細部への目配りなど、どの点をとっても数段優れた名演に仕上がっていると言えるだろう。

プレトニョフは、数年前に、ロシア・ナショナル管弦楽団とともにベートーヴェンの交響曲全集を録音しており、それは聴き手を驚かすような奇抜とも言える超個性的な演奏を繰り広げていた。

それだけに、賛否両論が渦巻いていたが、それに対して、今般のチャイコフスキーの交響曲全集においては、ある意味では正統派の演奏。

演奏の総体としては、いささかも奇を衒うことがないオーソドックスな演奏を展開している。

もっとも、だからと言ってプレトニョフならではの個性が皆無というわけではない。

本盤に収められた第2番においても、テンポの振幅を効果的に活用したり、ここぞという時にはアッチェレランドを駆使するなど、プレトニョフならではのスパイスが随所に効いていると言えるだろう。

にもかかわらず、演奏全体としては、あざとさをいささかも感じさせず、前述のように、オーソドックスな装いとなっているのは、プレトニョフがチャイコフスキーの交響曲を深く理解するとともに、心底からの愛着を有しているからに他ならないのはないかとも考えられるところだ。

本盤には、従来の第2番に加えて、第1楽章の初版が収められているのも、第1楽章だけというのはいささか残念ではあるが、第2番の本質をさらに追求していこうというプレトニョフの真摯な姿勢のあらわれであり、好感を持てる。

いずれにしても、本盤の演奏は、プレトニョフのチャイコフスキーの交響曲に対する深い愛着と敬意、そしてそれに基づく理解を感じさせる素晴らしい名演と高く評価したい。

そして、残る第3番、マンフレッド交響曲の名演を大いに期待したいと考える。

音質は、マルチチャンネル付のSACD録音ということもあり、臨場感溢れる見事な高音質であり、本名演の価値を更に高めることになっている点を忘れてはならない。

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プレトニョフによる新しいチャイコフスキーの交響曲チクルスについては、既に後期3大交響曲集が発売されており、それは近年のプレトニョフの充実ぶりが窺える素晴らしい名演であった。

そして、今般は最初期の第1番の登場となったが、後期3大交響曲集の演奏に優るとも劣らないような圧倒的な名演と高く評価したい。

プレトニョフは、前回のチャイコフスキーの交響曲全集(DG)を完成した後は、ベートーヴェンの交響曲全集やピアノ協奏曲全集において、聴き手の度肝を抜くのに十分な超個性的な演奏を繰り広げてきたが、今般のチャイコフスキーの第1番では、むしろオーソドックスと言ってもいいような堂々たる円熟の演奏を展開している。

かかるアプローチはこれまでの後期3大交響曲集においても同様であったが、こういった点にプレトニョフのチャイコフスキーに対する深い愛着と畏敬の念を感じることが可能であるのではないだろうか。

もちろん、オーソドックスとは言ってもそこはプレトニョフ。

奇を衒ったあざとい解釈ではないという意味であり、プレトニョフならではの個性は十二分に発揮されている。

冒頭のゆったりとしたテンポは、もしかしたら同曲演奏史上でも最も遅い部類に入るかもしれない。

ところが主部に入るとテンポを大幅にアップさせる。

要は、テンポの緩急を思い切って施しているのが本楽章の特徴であり、それでいていささかも不自然さを感じさせないのは、プレトニョフがチャイコフスキーの音楽を自家薬篭中のものとしているからに他ならない。

こうしたテンポの緩急を大胆に施しつつも、ロシア風の民族色を強調したあくの強い表現や、表情過多になることを極力避けており、只管純音楽的なアプローチに徹しているようにさえ思えるほどであり、プレトニョフは、チャイコフスキーの交響曲を他の指揮者にとってのベートーヴェンの交響曲ように捉えているのではないかとさえ感じられるところだ。

各楽器のバランスを巧みに取った精緻な響きはプレトニョフならではのものであり、他の指揮者による演奏ではなかなか聴き取ることが困難な音型を聴くことが可能なのも、本演奏の醍醐味と言えるだろう。

第2楽章〜終楽章は一転して正攻法の演奏であるが、もっとも、随所において効果的なテンポの振幅を施したり、第2楽章の4本のホルンによる壮麗な迫力、そして、終楽章におけるトゥッティに向けて畳み掛けていくような気迫に満ち溢れた強靭さにおいてもいささかも欠けるところはないところであり、後期3大交響曲集の演奏と同様に、いい意味での硬軟バランスのとれた円熟の名演に仕上がっていると評価したい。

これまでの第4番〜第6番での各レビューでも記したが、残る第2番、第3番及びマンフレッド交響曲の素晴らしい円熟の名演を大いに期待したいところだ。

併録のスラヴ行進曲は、中庸のテンポを基調としつつ、聴かせどころのツボを心得たオーソドックスな名演と高く評価したい。

ただし、終結部は打楽器を最大限に響かせたり、反復を省略するなど、必ずしも一筋縄ではいかないプレトニョフの芸術の真骨頂があると言えるだろう。

それにしても、ペンタトーンレーベルによる本チクルスの音質は素晴らしい。

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アバドは、私見であるが、これまでの様々な名指揮者の中でも、最高の協奏曲指揮者と言えるのではなかろうか。

ベルリン・フィルの芸術監督に就任する前には、ロンドン交響楽団とともに圧倒的な名演奏を成し遂げていた気鋭の指揮者であったアバド。

そのアバドは、ベルリン・フィルの芸術監督就任後、借りてきた猫のような大人しい演奏に終始するようになってしまった。

カラヤン時代に、力の限り豪演を繰り広げてきたベルリン・フィルも、前任者と正反対のアバドの民主的な手法には好感を覚えたであろうが、演奏については、大半の奏者が各楽器セクションのバランスを重視するアバドのやり方に戸惑いと欲求不満を感じたのではないか。

それでも協奏曲の演奏に限ってみれば、ベルリン・フィルの芸術監督就任以前と寸分も変わらぬ名演を成し遂げていた。

チャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番におけるアルゲリッチとの競演(1994年)、そして、ブラームスのピアノ協奏曲第2番におけるブレンデルとの競演(1991年)など、それぞれの各楽曲におけるトップの座を争う名演の指揮者は、このアバドなのである。

本盤に収められたロシアのヴァイオリニストであるマキシム・ヴェンゲーロフと組んで録音を行ったチャイコフスキーとグラズノフのヴァイオリン協奏曲についても、こうした名演に系譜に連なるものとして高く評価したい。

協奏曲の演奏に際してのアバドの基本的アプローチは、ソリストの演奏の引き立て役に徹するというものであり、本演奏においても御多分にも漏れないが、オーケストラのみの演奏箇所においては、アバドならでは歌謡性豊かな情感に満ち溢れており、格調の高さも相俟った美しさは、抗し難い魅力に満ち溢れている。

ここぞという時の力感溢れる演奏は、同時期のアバドによる交響曲の演奏には聴くことができないような生命力に満ち溢れており、これぞ協奏曲演奏の理想像の具現化と評しても過言ではあるまい。

チャイコフスキーやグラズノフの協奏曲に特有のロシア風のメランコリックな抒情を強調した演奏にはなっておらず、両曲にロシア風の民族色豊かな味わいを求める聴き手にはいささか物足りなさを感じさせるきらいもないわけではないが、ヴェンゲーロフのヴァイオリン演奏の素晴らしさ、両曲の持つ根源的な美しさを見事に描出し得たといういわゆる音楽の完成度という意味においては、まさに非の打ちどころのない素晴らしい名演に仕上がっていると高く評価したい。

音質は、1995年の録音ということでもあり比較的満足できる音質である。

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2014年03月05日


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ムラヴィンスキーからレニングラード・フィル(現・サンクトペテルブルク・フィル)を受け継いだテミルカーノフが、チャイコフスキーの交響曲で存在感を示している。

テミルカーノフは、かつてのムラヴィンスキーとは対照的に、自由な解釈で新しい表現主義とも言うべき音楽を、サンクトペテルブルクでつくってきた。

特に第4番はその典型で、冒頭の超スローなファンファーレが象徴するように、テミルカーノフはところどころで極端にテンポを落として聴き手の意表を突いてくるが、それが不自然でないばかりか、説得力すら感じさせてしまうのだからさすがだ。

メンゲルベルクの現代化と言うことが可能で、各部を抉り出したような演奏が、作品の本質に端的に迫っている。

第5番も、いかにもこの指揮者らしく、現代的で知的な表現で、創意にみちた解釈である。

それが自ずと表現主義的な様式を形成しているのが興味深い。

冒頭から陰影が深く、克明で、しかもゆとりがあり、まさに硬軟自在の感が強い。

内声部の強調が、音構造を分解・再構築した面白さを感じさせる。

かなりの自由さのある音楽だが、首尾一貫しているのが見事で、聴き手を飽きさせることがない。

「悲愴」の演奏は各部を適度に強調することで、部分的な特質を鮮明に描いているのが大きな特色である。

むしろ楽想のすべてが明晰に示され、リズムやテンポの変動とその緊張力も効果的である。

古いロシアを新しい感覚で再現して、作曲者の苦悩を突き付けてくる。

殊にこの「悲愴」は個性的な表現ながらも音楽的に自然で、ユニークな味わいに満ちたチャイコフスキーと言えよう。

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2014年02月26日


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キタエンコ&ケルン・ギュルツェニヒ管弦楽団によるチャイコフスキーの交響曲チクルスの第4弾の登場だ。

本演奏を聴いて思うのは、ロシア系の指揮者にとってのチャイコフスキーの交響曲は、独墺系指揮者にとってのベートーヴェンの交響曲のような、仰ぎ見るような高峰に聳える存在なのではないかということだ。

というのも、キタエンコと同様に、チャイコフスキーの交響曲全集の録音を進行中のプレトニョフもそうであるが、他の作曲者による楽曲、例えば、プレトニョフであればベートーヴェンの交響曲全集やピアノ協奏曲全集による演奏におけるようないささか奇を衒った個性的な解釈を施すということはなく、少なくとも演奏全体の様相としては、オーソドックスなアプローチに徹しているからである。

キタエンコといえば、カラヤンコンクールでの入賞後、旧ソヴィエト連邦時代のモスクワ・フィルとの数々の演奏によって世に知られる存在となったが、モスクワ・フィルとの演奏は、いわゆるロシア色濃厚なアクの強い演奏が太宗を占めていた。

これは、この当時、旧ソヴィエト連邦において活躍していたムラヴィンスキー以外の指揮者による演奏にも共通していた特徴とも言えるが、これには、オーケストラ、とりわけそのブラスセクションのヴィブラートを駆使した独特のロシア式の奏法が大きく起因していると思われる。

加えて、指揮者にも、そうした演奏に歯止めを効かせることなく、重厚にしてパワフルな、まさにロシアの広大な悠久の大地を思わせるような演奏を心がけるとの風潮があった。

ところが、そうした指揮者の多くが、スヴェトラーノフのような一部例外はあるが、旧ソヴィエト連邦の崩壊後、ヨーロッパの他国のオーケストラを自由に指揮するようになってからというもの、それまでとは打って変わって洗練された演奏を行うようになった。

キタエンコについても、それが言えるところであり、本演奏においても、演奏全体の外観としては、オーソドックスなアプローチ、洗練された様相が支配していると言えるだろう。

もっとも、ロシア風の民族色を欠いているかというとそのようなことはなく、ここぞという時の迫力は、ロシアの広大な悠久の大地を思わせるような力強さに満ち溢れている。

そして、ケルン・ギュルツェニヒ管弦楽団のドイツ風の重厚な音色が、演奏全体にある種の落ち着きと深さを付加させているのを忘れてはならない。

いずれにしても、本盤の演奏は、キタエンコによる母国の大作曲家であるチャイコフスキーへの崇敬、そしてキタエンコ自身の円熟を十分に感じさせる素晴らしい名演と高く評価したい。

併録の付随音楽「雪娘」からの抜粋も、交響曲第1番と同様の性格による素晴らしい名演だ。

そして、本盤の素晴らしさは、マルチチャンネル付きのSACDによる極上の高音質録音である。

SACDの潜在能力を十二分に発揮するマルチチャンネルは、臨場感において比類のないものであり、音質の鮮明さなども相俟って、珠玉の仕上がりである。

いずれにしても、キタエンコ&ケルン・ギュルツェニヒ管弦楽団による素晴らしい名演を、マルチチャンネル付きのSACDによる極上の高音質で味わうことができるのを大いに喜びたい。

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筆者はこれまでにバーンスタインの晩年の演奏を、テンポを落とす箇所は極限まで遅く、逆に攻め込むところは一気に…という事大主義的で常軌を逸した解釈に疑問を呈してきたが、チャイコフスキーの「第5」の演奏は何故か少しも作為的ではなく、むしろ一段と説得力と必然性を伴っている印象を受けた。

第1楽章の序奏からして、ひたすら暗い。ターラーという下降する音が執拗に強調されるため、まったく救いようがない音楽になっているのだ。

しかも、主部に入ると突如テンポが速くなるので、ギクリとさせられる。もはや落ち込んでいることも許されず、せっつかれるかのようだ。

その後もテンポを大きく動かし、振幅の大きな音楽が続く。

チャイコフスキーはペシミスティックな人間だったが、彼の作品をこれほどまでにどん底の暗さで奏でた指揮者はあまりいない。

およそ15分の地点で訪れる崩壊感も、神経の細い人なら耳を覆いたくなるくらい、凄まじい。

世界的な名声を手に入れ、経済的にも豊かな音楽家がこのような異常な演奏をしてしまうところ、まさにそこにクラシック音楽としての恐ろしさがある。

第2楽章の開始も、途轍もなく重苦しい。まるで悪夢のようだ。

やがてホルンが美しいメロディを吹き始めるが、これは暗黒の中にあって一条の光にもなりきれない希望の気配である。

およそ4分の地点で聴かれるチェロとコントラバスの不気味な力といい、まさに絶望とほんのわずかの希望の交錯する比類のない音楽であり、ひたすらもがく人間がいるばかりである。

第4楽章も、まるで刑場に引き出されるといった気分で始まるのに驚かされる。やはりテンポは極限まで遅く、その上、随所で止まりそうに減速される。

この楽章は普通に演奏すると、妙に軽々しくまた騒々しくなってしまうのだが、バーンスタイン流は違う。

遅いところは極端に遅く暗く、速いところはとびきり速くという設定だから、前から続いてきた二元論的ドラマが持続するのだ。

いよいよ、最後、勝利の行進では、演奏家が作品を信じていること、音楽を信じていることがよくわかる。

そして、これは信じないと説得力をもって演奏できない種類の音楽では確かにあるのだ(作曲家自身ですら、完成させたあとで、何か嘘くさいと告白している)。

音楽は一挙に解放され、圧倒的なクライマックスに達するが、こんな演奏は純粋さがない人間には絶対に不可能である。

ニューヨーク・フィルがバーンスタインのやりたい放題、常識から言えば滅茶苦茶にブチ切れた解釈に食らいついてくるのにも感心するほかない。

さすがのバーンスタインもこのような異常な演奏は、長年率いたニューヨーク・フィル以外とはなかなか実現できなかった。

「ロメオとジュリエット」は「第5」ほど大胆な強調は行われていないものの、ここまで曲への共感を露わにした演奏は他にはないのではないかとすら思わせる名演奏である。

第一に、楽器の表現力の雄弁なこと。弦楽器のハーモニーは実に美しく、哀切感を盛り上げる。

しばしばうるさいばかりで雑な音をたてると悪評されるニューヨーク・フィルがこんな響きを出すこともあるのだと心底感嘆せずにはいられない。

若い恋人たちの逢瀬の場においては、弦楽器が濡れそぼつような響きを立てているし、フルートやオーボエは陶酔的に歌っている。

これを聴いていると、まるで自分が物語の主人公になったかのような気がしてくる。

いざとなればこんな震え上がるような演奏ができる、これが世界のトップオーケストラたちの恐ろしい実力なのである。

音楽が破局に向かっていく最中に聴かれる、大波が打ち寄せるような弦楽器のうねりに端的に表れているように、スケールも極大で、これでこそ、ロメオとジュリエットの悲劇が生々しい事件としてわれわれの眼前に広がるのだ。

その上、最後がとても印象的だ。普通、ここは浄化されたように奏される。ロメオとジュリエットは地上では不幸だったが天国で結ばれる、また、ふたりの犠牲を目の前で見て人々も自分たちの愚かさに気づき、仲直りをするはずだからだ。

だが、バーンスタインではまったく浄化されたように聴こえない。彼はこの都合のいい救いを信じていないようだ。むしろ、いささか憤怒の様子で曲は閉じられる。

現代の世界情勢を見ても、苦しみには終わりがない。この物語のようにうまく仲直りはできない。とするなら、このバーンスタインの演奏はきわめてリアルだと言うしかないだろう。

彼は晩年において、このように、同時代に匹敵する者がいないくらい、独自の表現世界へ入っていった。

内面の吐露、いや苦しみを吐き出すという言葉がぴったりの音楽で、私小説のような業苦の世界が提示された。

バーンスタインは、最後の最後に至るまで、現世の苦痛の中でもがいていたように見える。それゆえ聴衆が彼を圧倒的に支持したのではないかとも思うのである。

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2014年02月23日


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ロシア人指揮者にとってのチャイコフスキーの交響曲は、独墺系の指揮者にとってのベートーヴェンの交響曲のような神聖な存在であると言えるが、ゲルギエフにとっても例外ではなく、これまでウィーン・フィルや手兵のマリインスキー劇場管弦楽団とともに、チャイコフスキーの後期3大交響曲の録音を行っているところだ。

来日公演においても、チャイコフスキーの後期3大交響曲を採り上げており、これはゲルギエフがいかに母国の大作曲家であるチャイコフスキーを崇敬しているかの証左とも言えるだろう。

しかしながら、ゲルギエフのチャイコフスキーの交響曲の録音は後期3大交響曲に限られており、初期の第1番〜第3番についてはこれまでのところ全く存在していなかったところだ。

そのような中で登場した本盤の交響曲第1番〜第3番のライヴ録音は、クラシック音楽ファンとしても待望のものと言えるだろう。

これまでのゲルギエフによるチャイコフスキーの交響曲の演奏は、旧ソヴィエト連邦崩壊後、洗練された演奏を聴かせるようになった他のロシア系の指揮者とは一線を画し、かのスヴェトラーノフなどと同様に、ロシア色濃厚なアクの強いものであった。

そのような超個性的なゲルギエフも、本盤の演奏においては、洗練とまでは言えないが、いい意味で随分と円熟の境地に入ってきたのではないだろうか。

随所における濃厚な表情付け(特に、交響曲第3番第1楽章)や効果的なテンポの振幅の駆使は、ゲルギエフならではの個性が発揮されているが、前述のウィーン・フィルやマリインスキー劇場管弦楽団との演奏とは異なり、いささかもあざとさを感じさせず、音楽としての格調の高さを失っていないのが素晴らしい。

ここぞと言う時の強靭な迫力や、畳み掛けていくような気迫や生命力においても不足はないが、それらが音楽の自然な流れの中に溶け込み、ゲルギエフならではの個性を十二分に発揮しつつ、いい意味での剛柔のバランスがとれた演奏に仕上がっているのは、まさにゲルギエフの指揮者としての円熟の成せる業と評価しても過言ではあるまい。

いずれにしても、本盤の交響曲第1番〜第3番の各演奏は、ラトルやマリス・ヤンソンス、パーヴォ・ヤルヴィと並んで現代を代表する指揮者であるゲルギエフの円熟、そしてチャイコフスキーへの崇敬を大いに感じさせる素晴らしい名演と高く評価したい。

そして、今後、続編として発売されるであろう後期3大交響曲の演奏にも大いに期待したい。

また、本盤の素晴らしさは、マルチチャンネル付きのSACDによる極上の高音質録音である。

SACDの潜在能力を十二分に発揮するマルチチャンネルは、臨場感において比類のないものであり、音質の鮮明さなども相俟って、珠玉の仕上がりである。

いずれにしても、ゲルギエフ&ロンドン交響楽団による素晴らしい名演を、マルチチャンネル付きのSACDによる極上の高音質で味わうことができるのを大いに喜びたい。

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2014年02月22日


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小林研一郎は必ずしもレパートリーが広い指揮者とは言い難いが、その数少ないレパートリーの中でもチャイコフスキーの交響曲は枢要な地位を占めている。

とりわけ、交響曲第5番は十八番としており、相当数の録音を行っているところである。

エクストンレーベル(オクタヴィア)に録音したものだけでも、本盤のチェコ・フィルとの演奏(1999年)をはじめとして、日本フィルとの演奏(2004年)、アーネム・フィルとの演奏(2005年)、アーネム・フィル&日本フィルの合同演奏(2007年)の4種の録音が存在している。

小林研一郎は、同曲を得意中の得意としているだけにこれらの演奏はいずれ劣らぬ名演であり、優劣を付けることは困難を極めるが、筆者としては、エクストンレーベルの記念すべきCD第1弾でもあった、本盤のチェコ・フィルとの演奏を随一の名演に掲げたいと考えている。

小林研一郎の本演奏におけるアプローチは、例によってやりたいことを全てやり尽くした自由奔放とも言うべき即興的なものだ。

同じく同曲を十八番としたムラヴィンスキー&レニングラード・フィルによるやや速めの引き締まったテンポを基調する峻厳な名演とは、あらゆる意味で対極にある演奏と言えるだろう。

緩急自在のテンポ設定、思い切った強弱の変化、アッチェレランドやディミヌエンドの大胆な駆使、そして時にはポルタメントを使用したり、情感を込めて思い入れたっぷりの濃厚な表情づけを行うなど、ありとあらゆる表現を駆使してドラマティックに曲想を描き出している。

感情移入の度合いがあまりにも大きいこともあって、小林研一郎のうなり声も聴こえてくるほどであるが、これだけやりたい放題の自由奔放な演奏を行っているにもかかわらず、演奏全体の造型がいささかも弛緩することがないのは、まさに圧巻の驚異的な至芸とも言えるところだ。

これは、小林研一郎が同曲のスコアを完全に体得するとともに、深い理解と愛着を抱いているからに他ならない。

小林研一郎の自由奔放とも言うべき指揮にしっかりと付いていき、圧倒的な名演奏を繰り広げたチェコ・フィルにも大きな拍手を送りたい。

中欧の名門オーケストラでもあるチェコ・フィルは、弦楽合奏をはじめとしてその独特の美しい音色が魅力であるが、本演奏においても、小林研一郎の大熱演に適度の潤いと温もりを付加するのに大きく貢献しているのを忘れてはならない。

いずれにしても、本演奏は、小林研一郎のドラマティックな大熱演とチェコ・フィルによる豊穣な音色をベースとした名演奏が見事に融合した圧倒的な超名演と高く評価したい。

なお、併録のスラヴ行進曲は、どちらかと言うと一気呵成に聴かせる直球勝負の演奏と言えるが、語り口の巧さにおいても申し分がないと言えるところであり、名演と評価するのにいささかも躊躇するものではない。

音質は、エクストンレーベル第1弾として発売された際には通常CDでの発売であり、それは現在でも十分に満足できるものと言える。

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2014年01月14日


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1954年3月21日 カーネギー・ホールに於けるステレオ録音。

同年のワーグナーの管弦楽曲集の録音と共に最晩年のトスカニーニが残した数少ないステレオ録音である。

トスカニー二はファシズムに反対して故国イタリアを飛び出したせいか、連合国側のロシアの作曲家を積極的に取り上げていたが、意外にチャイコフスキーが少ないようだ。

交響曲では「悲愴」と「マンフレッド」だけがトスカニーニの取り上げた曲であった。

しかし、トスカニーニの「悲愴」を聴くと、トスカニーニがどうしてチャイコフスキーを敬遠していたのか何となく分かる気がする。

トスカニーニはチャイコフスキーを甘い旋律を書くセンチメンタルな作曲家というイメージで見ていたのかも知れない。

トスカニーニは曲全体を速めのテンポで通し、第1楽章の甘い第2主題も実にアッサリと流している。

情感たっぷりに歌いあげるのをわざと避けているように聴こえる。

しかし、それは無味乾燥というのではなくて、むしろ旋律自体が十分に甘いので、その甘さがほど良く残るという感じだ。

その一方で激しい情熱的な部分での凄まじさも比類がなく、オケに一糸の乱れもなく厳しささえ感じられる。

その意味で、第3楽章は最大の聴きものになっている。

第4楽章も普通の指揮者が振るような哀しみのなかに沈滞していくような音楽ではなく、むしろ再生か希望が期待されているかのように力強いのだ。

実にトスカニーニらしいと言えるが、この厳しい造形の「悲愴」は、この曲の別の一面を見るようで強い説得力を感じる。

文学的な表現にこだわらず、ひたすら音楽的な要素を厳しく掘り下げたユニークな解釈と言えよう。

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この《悲愴》は、トスカニーニの持ち味が見事に結実した演奏の一つであり、聴けば聴くほどに味わいが深まる、恐ろしくコクのある名演になっている。

トスカニーニのアプローチは、楽曲の把握や演奏設計がほとんど完全なだけでなく、そのレアリザシオンもがほとんど完全である。

NBC響の完璧なまでの精巧さを誇る見事なアンサンブルは、それ自体としても驚異的な成果として注目されるが、それを駆使したトスカニーニの研ぎ澄まされた表現は、単なる精確な作品の再現という域を超えて、そこにこれ以上なく美しいカンティレーナの魅力や作品のドラマ性の最高度に純度の高い表現を成立させているのである。

第1楽章の実に効果的な演奏設計などは、とくに注目に値するものであり、第2楽章の磨き抜かれた抒情的表現の素晴らしさも、トスカニーニならではの魅力を放っている。

音質こそは古いが、その演奏内容のみに目を向ければ、やはり最も理想に近い演奏と考えてよいだろう。

《展覧会の絵》のトスカニーニ盤を初めて聴いた時の驚きは、25年余り経った今も忘れられない。

レコードを熱心に聴くようになって間もなく、《展覧会の絵》も初めて聴いたのだが、その直截というか、音に徹した強烈な表現に唯々息を呑んで聴き入っていた。

モノーラル録音ながらその冴えた色彩感とひき締まった響きは、まことに印象鮮やかだったし、ことさら標題にこだわることなく、あくまで音と表現に徹して各曲を強靭な表出力をもって描き切るとともに、そこに絶妙な変化をもって添えられた深く澄んだ抒情が何とも美しい。

レスピーギ三部作やロッシーニ序曲集と並ぶ、トスカニーニ最高の名演の一つであると高く評価したい。

録音が古いのは残念だが、しなやかで強く、透徹した美しさをもつ演奏の力は、今も十分に伝わってくるし、ぜひ一聴をお勧めしたい。

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2014年01月09日


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インバルは、有り余るパッションを秘めながらも、表面に現れた音楽は実に抑制的。

得意とするマーラーの交響曲にしても、抑えられた表現が目立ち、やや物足りなさを感じるのも否めない。

しかし、このチャイコフスキーは、これまで抑えてきたインバルのパッションが爆発したような濃厚な表情づけの熱い名演になっている。

爆演と言ってもいいかもしれない。

インバルが、これほどまでに個性的で熱い演奏をする指揮者だとは思わなかった。

第1楽章は実にスローテンポの序奏部で開始されるが、主部に入ってからは緩急自在のテンポの連続。

時には大見えを切るような箇所も見られるが、決してやり過ぎの印象を与えることはない。

かの小林研一郎の名演を思わせるような個性的な解釈と言うことができるだろう。

第2楽章は、特にホルンソロをレガートをかけずに吹奏させるなども他の演奏には見られないものだし、終結部の運命の動機が再現する箇所の突然のスローダウンなど、初めて聴くような感動を覚える。

第3楽章の流れるようなワルツも、あたかもマーラーのレントラー舞曲を聴くような楽しさだし、終楽章も、第1楽章と同様にテンポを目まぐるしく変化させるなど、インバルの内に秘められたパッションが爆発する。

録音も良く、インバルと東京都交響楽団のコンビも、3作目にして漸く軌道に乗ってきた感じだ。

インバルも、マーラーなどでこのような熱い解釈をすれば、どれだけ感動的な名演に仕上がることだろうか。

既にインバルのマーラー新録音は進行中であり、目が離せないところだ。

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2014年01月03日


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ロシア・ピアニズムを体現する名匠として認知度が高まるトロップによるチャイコフスキーとラフマニノフの代表的なピアノ作品。

ロシアの12ヶ月を詩情豊かに描いた「四季」における静謐の中に万感を込めたタッチ、対照的に激しい感情の起伏と豊かな歌謡性を特徴とするラフマニノフの見事な表現。

まさに両曲の代表的名盤と呼べるものだ。

両作曲家の弾き分けも見事であるが、隅々にまで行き届いた精緻な表現力には言葉を失う。

ラフマニノフに於けるダイナミズムもさることながら、チャイコフスキーの静謐な美しさに強く心惹かれる。

ロシアのピアニズムと言うと、リヒテルやギレリスなど、ロシアの悠久の大地を思わせるような圧倒的な技量と重量感溢れる演奏を旨とするピアニストによるスケール雄大な演奏が思い浮かぶ。

これらの重量級のピアニストに対して、トロップの演奏は、ある意味では柔和とさえ言えるものだ。

ロシア音楽は、重量感溢れる力強さとともに、メランコリックな情感の豊かさが持ち味と言えるが、トロップのアプローチは、どちらかと言うと、後者のロシア的な抒情を情感豊かに歌いあげることに主眼を置いたアプローチであると言える。

特に、チャイコフスキーの「四季」に顕著であり、静謐ささえ感じさせるような詩情豊かな演奏は、これまで何度も聴いてきた同曲の知られざる魅力を感じさせるのに十分である。

これに対して、ラフマニノフの「幻想的小品集」も、あくまでも基本的なアプローチは、チャイコフスキーと変わらないとは思うが、例えば、有名な「鐘」などにおける、ここぞと言う時の力強い打鍵による圧倒的な迫力の凄まじさ。

こうした激しい感情の起伏と豊かな歌謡性を兼ね備えた演奏は、トロップがロシアのピアニストであることを改めて認識させてくれる。

Blu-spec-CD化によって、音質により鮮明さを増した点も評価したい。

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2013年12月25日


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もう晩年のバーンスタインの演奏に関して、優等生的に評するのは止めにしたい。

バーンスタインは、チャイコフスキーの第6番をマーラーの第6番と勘違いしているのであろうか。

確かに、同曲には「悲愴」と言う愛称が付いてはいるがそもそも「悲劇的」とは異なる。

しかも、もっと大事なことは、チャイコフスキーはマーラーではないということである。

最晩年のバーンスタインの演奏には、このような勘違いの演奏が極めて多かったと言わざるを得ない。

かかる勘違いの演奏は、本盤と同時に発売されたドヴォルザークの「第9」、モーツァルトのレクイエム、ショスタコーヴィチの「第7」、シベリウスの「第2」など、枚挙にいとまがないほどである。

同時期に録音されたマーラーの交響曲や歌曲の一連の演奏は、いずれもそれぞれの楽曲の演奏史上最高の超名演であるにもかかわらず、その他の作曲家による大半の楽曲の演奏に際しては、とても同一の指揮者による演奏とは思えないような体たらくぶりである。

バーンスタインは、このような勘違いの演奏を意図して行ったのか、それとも好意的に解釈して、健康悪化によるものなのかはよくわからないが、いずれにしても、これらの演奏の数々は、バーンスタインとしても不名誉以外の何物でもない。

本盤の「悲愴」の演奏も、粘ったようなリズムで少しも先に進んでいかない音楽であるが、その大仰さが例によって場違いな印象を与える。

スケールはやたら肥大化しているが、内容はきわめて空虚にして浅薄で、まさにウドの大木の最たるものと言えるだろう。

とりわけ終楽章の殆ど止まってしまうのではないかと思われるような超スローテンポにはほとほと辟易とさせられてしまった。

もちろん、バーンスタインには熱烈な支持者がいることから、このような演奏をスケールが雄大であるとか、巨匠風の至芸などと褒めたたえたりするのであろうが、一般の愛好者の中には、筆者のようにとてもついていけないと感じる人も多いのではないだろうか。

本盤の救いは併録のイタリア奇想曲であろう。

こちらの方は、例によって大仰な表現ではあるが、「悲愴」のような凡演ではなく、濃厚な味わいのある好演と評価するのにいささかも躊躇するものではない。

録音は、1980年代半ばのライヴ録音であり、もともと十分に満足できる音質であったが、今般のSHM−CD化によって、音質がやや鮮明になるとともに音場が広くなったように感じられる。

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2013年11月08日


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プレトニョフによる新しいチャイコフスキーの交響曲チクルスの第3弾の登場であり、今回は最高傑作である交響曲第6番「悲愴」の登場だ。

前回の全集から今般の2度目の全集に至るまでの間、プレトニョフは、ベートーヴェンの交響曲全集やピアノ協奏曲全集で、自由奔放とも言えるような実に個性的な演奏を繰り広げてきた。

交響曲全集については賛否両論あるようであるが、ピアノ協奏曲全集については、現代を代表する名演との評価を幅広く勝ち得ている状況にある。

いずれにしても、今般の2度目の全集は、そうしたクラシック音楽の王道とも言えるベートーヴェンなどの演奏を経験した上での、満を持して臨む演奏ということであり、既に発売された交響曲第4番や第5番も、プレトニョフの円熟が感じられる素晴らしい名演に仕上がっていたところだ。

プレトニョフによるチャイコフスキーの演奏は、前回の全集でもそうであったが、ベートーヴェンの交響曲全集における自由奔放さとは別人のようなオーソドックスな演奏を披露していた。

ロシアの民族色をやたら強調したあくの強い演奏や表情過多になることを極力避け、純音楽的なアプローチに徹しているようにさえ思えるほどだ。

本盤の「悲愴」の演奏においてもかかるアプローチは健在であり、プレトニョフは中庸のテンポにより曲想を精緻に、そして丁寧に描き出して行くという、ある意味ではオーソドックスとも言うべき王道たる演奏を心掛けているとも言える。

スコアに忠実に従った各楽器の編成の下、各楽器セクションのバランスを重視した精緻な響きが全体を支配しており、他の指揮者による演奏ではなかなか聴き取ることが困難な音型を聴くことが可能なのも、プレトニョフの演奏ならではの特徴とも言える。

もっとも、純音楽的かつ精緻で、オーソドックスなアプローチと言っても、第1楽章冒頭のゆったりとしたテンポによる序奏の後、主部に入ってから速めに進行させ、第2主題の導入部で再度ゆったりしたテンポをとったりするなど、あたかも魔法のような変幻自在のテンポ設定は実に巧妙である。

また、第1楽章(特に展開部終結部の雷鳴のようなティンパニは凄まじいド迫力だ)及び第3楽章における畳み掛けていくような気迫、強靭な生命力には凄みがあり、我々聴き手の度肝を抜くのに十分な迫力を誇っている。

終楽章の心を込め抜いた慟哭の表現も壮絶の極みであり、全体としていい意味での硬軟バランスのとれた円熟の名演に仕上がっていると高く評価したい。

本盤の登場によって、プレトニョフ&ロシア・ナショナル管弦楽団による新しいチャイコフスキーの交響曲チクルスの後期3大交響曲集が出揃ったことになるが、残る初期の交響曲集(第1〜3番)及びマンフレッド交響曲についても、素晴らしい円熟の名演を大いに期待したいところだ。

併録のイタリア奇想曲は、楽曲の細部に至るまで彫琢の限りを尽くした精緻さとドラマティックな要素を兼ね備えたプレトニョフならではの稀有の名演と高く評価したい。

マルチチャンネル付きのSACDによる極上の高音質録音も、本名演の価値を高めるのに大きく貢献しているのを忘れてはならない。

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プレトニョフによる新しいチャイコフスキーの交響曲チクルスの第2弾の登場だ。

今回は第5番であるが、第1弾の第4番に優るとも劣らない素晴らしい名演と高く評価したい。

プレトニョフは、前回のチャイコフスキーの交響曲全集(DG)を完成した後は、ベートーヴェンの交響曲全集やピアノ協奏曲全集において、聴き手の度肝を抜くのに十分な超個性的な演奏を繰り広げてきたが、今般のチャイコフスキーの第5番では、むしろオーソドックスと言ってもいいような堂々たる円熟の演奏を展開している。

かかるアプローチは第4番においても同様であったが、こういった点にプレトニョフのチャイコフスキーに対する深い愛着と畏敬の念を感じることが可能であると言えるのではないだろうか。

本演奏においても、プレトニョフは中庸のテンポにより曲想を精緻に、そして丁寧に描き出して行く。

ロシア風の民族色を強調したあくの強い表現や、表情過多になることを極力避け、只管純音楽的なアプローチに徹しているようにさえ思えるほどだ。

各楽器のバランスを巧みに取った精緻な響きはプレトニョフならではのものであり、他の指揮者による演奏ではなかなか聴き取ることが困難な音型を聴くことが可能なのも、本演奏の醍醐味と言えるだろう(とりわけ、第2楽章のホルンソロは美しさの極みである)。

もっとも、各楽章に現れる運命の主題の巧みな描き分け(例えば第2楽章中間部では微妙なアッチェレランドを施している)、終楽章の中間部のあたかも魔法のような変幻自在のテンポ設定の巧妙さ、そして第1楽章や終楽章におけるトゥッティに向けて畳み掛けていくような気迫に満ち溢れた強靭さにおいてもいささかも欠けるところはないところであり、第4番と同様に、いい意味での硬軟バランスのとれた円熟の名演に仕上がっていると評価したい。

第4番でのレビューでも記したが、残る第1番、第2番、第3番、第6番及びマンフレッド交響曲の素晴らしい円熟の名演を大いに期待したいところだ。

併録の幻想曲「フランチェスカ・ダ・リミニ」は、楽曲の細部に至るまで彫琢の限りを尽くした精緻さとドラマティックな要素を兼ね備えた稀有の名演と高く評価したい。

録音は、マルチチャンネル付きのSACDによる極上の高音質であり、本名演の価値を高めるのに大きく貢献しているのを忘れてはならない。

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早稲田大学文学部哲学科卒業。元早大フルトヴェングラー研究会幹事長。幹事長時代サークルを大学公認サークルに昇格させた。クラシック音楽CD保有数は数えきれないほど。いわゆる名曲名盤はほとんど所有。秘蔵ディスク、正規のCDから得られぬ一期一会的海賊盤なども多数保有。毎日造詣を深めることに腐心し、このブログを通じていかにクラシック音楽の真髄を多くの方々に広めてゆくかということに使命を感じて活動中。

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