シベリウス

2016年10月23日


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このCDを聴いて強く印象に残ったのは音質が驚くほど良いことで、特に交響曲第2番は1960年3月のセッションだが、当時のEMIの初期のステレオ録音としては最良のマスターが残されていたようだ。

それが今回チェコ・プラガ独自のリマスタリングによって鮮明度が増し分離状態も改善されて臨場感を俄然高めている。

どちらもロンドン・キングスウェイ・ホールが録音会場に使われているが、交響曲第4番は1953年7月のモノラル音源を擬似ステレオ化して音場を拡げ、時代相応以上の生々しいサウンドの再現に成功している。

終楽章のグロッケンシュピールの響きで高まるこの作曲家特有のクライマックスもクリアーだ。

対照的な曲想を持つこのシベリウス2曲の交響曲にカラヤン若き日の噴出するような熱っぽい感性が手に取るように伝わってくる演奏で、オーケストラは良く練り上げられているが大袈裟な表現を避けた新鮮味がある。

特に交響曲第2番は初期のカラヤンの直截なスタイルが残っており、その素直さや情熱の率直な表明が、作品の激しい気力を的確に表していて、両端楽章の白熱するような緊張感は、カラヤンの演奏でも屈指のものといってよい。

幸いこの時期のフィルハーモニア管弦楽団は全盛期を迎えていて、ウォルター・レッグの手腕によってヨーロッパの一流どころの指揮者が次々に迎えられ、彼らが実質的に楽団の質の飛躍的な向上に貢献している。

しかしながら数年後の解散によって再びこの頃の水準に戻ることがなかったのが惜しまれる。

誤解を招かないために書いておくが、ハルモニア・ムンディ傘下のプラガ・ディジタルスの新企画ジェニュイン・ステレオ・ラブは、オーストリアで生産されている同プラガのSACDとは異なり、あくまでもレギュラー・フォーマットによるCDで総てチェコ製になる。

その特徴は新規のリマスタリングにあり、多くの既出盤を聴いた感じでは鮮明度だけではなく、空間的な広がりやボリューム・レベルのアップなどいずれも従来盤を凌いでいることが明瞭に感知できる。

音楽性豊かで音質的にも優れたセッション及びライヴがピックアップされていることは勿論だが、これまでにリリースされた20枚余りのCDには貴重音源も少なからずあり魅力的なシリーズになっている。

尚ライナー・ノーツの裏面にはロンドンのカラヤン(1)と記載されているので第2集以降にも期待したい。

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2016年08月28日


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エフゲニー・ムラヴィンスキー&レニングラード・フィルのコンビによる演奏集のSACD化を続けているプラガ・ディジタルスからの新譜はシベリウスの作品集で、交響曲第3番、交響詩『四つの伝説』より「トゥオネラの白鳥」、交響曲第7番及びドビュッシーの『夜想曲』から「雲」と「祭」を収録している。

交響曲第3番は1963年10月27日のラジオ放送用ライヴからの音源で、近年になってサンクト・ペテルブルク放送局で発見されたマスター・テープはモノラル録音だが、こちらは同音源を擬似ステレオ化したものからのDSDリマスタリングになる。

ちなみに彼らはその前日にレニングラードでこの曲のソヴィエト連邦初演を行っている。

音質は時代相応以上に良好で音場は拡がっているが音響が平面的になった印象はなく、むしろオリジナルのモノラル録音より色彩感が増して臨場感にも不足していない。

「トゥオネラの白鳥」はステレオ録音で、近寄りがたいほどの峻厳な雰囲気と凍てついた死の河を漂う孤高の白鳥をイメージさせる表現が秀逸だ。

ドビュッシーは擬似ステレオ化されているが音質はこの曲集の中では恵まれていない。

「雲」はその幻想性で優れた演奏であることに疑いはないが、ムラヴィンスキーの厳格さがこうしたレパートリーでは律儀過ぎるところがあって「祭」での中間部の高揚がやや強引な力技に感じてしまう。

一方シベリウスの交響曲第7番は良好なステレオ・ライヴ録音で、彼の常套手段になる第1、第2ヴァイオリンが向き合う両翼型の編成が繰り広げるステレオ効果も随所で聴き取ることができるし、この曲を簡潔にしかも効果的にまとめあげたムラヴィンスキーの力量は流石だ。

また彼は曲想の変化に応じてオーケストラにかなり細かい指示を出していて、民族的な熱狂とは異なった構造的な力学からの精緻な解釈、つまり音響のダイナミクスとテンポの対比を駆使してシベリウスのオーケストレーションの醍醐味を引き出しているのが聴きどころだろう。

時として咆哮するブラス・セクションと弦楽部のバランスは巧妙に計算されている。

ムラヴィンスキーの音源につきまとう録音データの問題だが、交響曲第7番に関してはこれまでにリリースされた同曲の音源は1965年2月23日のモスクワ・ライヴ及び1977年の東京ライヴのみだと思っていたがライナー・ノーツでは録音データが1965年10月29日でレニングラード・ライヴと記されているだけでなく、ご丁寧にレコーディング・エンジニア、アレクサンダー・グロスマンの名前も明記されている。

プラガの録音データには翻弄されることがあるので断定はしかねるが、記載に間違いがなければ第7番には3種類の録音が遺されていたことになる。

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2016年05月13日


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フィンランドの指揮者、パーヴォ・ベルグルンドは当然ながら、自国のシベリウスの音楽に関しては唯一無二のスペシャリストであった。

それは、2012年にベルグルンドが鬼籍に入った後、もはやシベリウスの本質を衝いた演奏は世界中で二度と聴けなくなってしまった、と言い切ってよいほどの絶対的な意味においてである。

シベリウスは作曲界の仙人のような人物で、俗世を離れて山荘に隠り、もはや新たな野心も持たず、作風の垢を洗い流し、贅肉を削ぎ落としていった。

ベルグルンドもまた、演奏家の立場でシベリウスの後追いをしているかに見受けられる。

ヘルシンキ・フィルとの2度目の《全集》に飽き足らず、自らが「理想の楽器」と呼ぶヨーロッパ室内管弦楽団との再々録音を果たした。

ベルグルンドは、このオケの並外れたアンサンブルの素晴らしさと透明な響きで新たなシベリウス像を作り出そうという試みがなされている。

精鋭を選りすぐった小編成のオケの音程(ピッチ)の驚くべき確かさが、シベリウスの演奏様式に新しい規範(スタンダード)を創造している。

録音を重ねるごとにより洗練され、透明度が増し、3度目に至っては緻密さの極みとでも言おうか、スコアの読みの深さ、演奏魂の自由な羽ばたきが美しく調和し、彼の理想とするところのシベリウス像が明確に打ち立てられた演奏となっている。

シベリウスのオーケストレーションの枝葉末節に至るまで熟知したような鳴らせ方をしているのに驚くし、また様々なフレーズが新たに息を吹き返したように立体的に浮かび上がってくるのにも感心する。

オーケストラの集中度は素晴らしく、響きはどこまでもクリア、弦は実によくコントロールされており、木管の多彩なニュアンスはシベリウスの交響曲の大きな魅力を絶妙に浮き彫りにしている。

各フレーズの、実に緻密な表情はこのオケによって初めて可能となる新鮮なものばかりである。

弦と管のアンサンブルと木管の色彩の対比や合成で表現に微細な変化が生み出されて、実に精緻な仕上がりで聴き手を引き付けている。

怜悧なまでに冴え冴えとした音、磨き抜かれたピッチから生まれるシベリウスは、足跡ひとつない雪原のように僅かの染みもなく純白に輝く。

また、ヴィブラートを抑制し、アタックの角を立て、音の立ち上がりも鋭く、リズムも厳しく俊敏である。

こうしたいわば“荒ぶる響き”は、すべてベルグルンドの意志なのであり、あえてその響きを作り出しているのだ。

そうすることによって確かにテクスチュアはクリアになるし、実に男っぽい気骨のあるシベリウスの演奏が生まれる。

とりわけ木管による旋律の精妙なニュアンスのつけ方は出色、ダイナミックに鳴る金管も魅力で、シベリウス作品の旨みがさらに増した印象を受ける。

1音たりとも傾聴を誘わない瞬間はなく、今の音が次の音への期待を膨らませ、尋常ではない充実感に満たされる。

純粋にシベリウスの思考そのものへ近づけてくれる演奏で、筆者としては何度でも聴きたく、ぜひとも聴くべき!

今後ベルグルンドは何処を目指すのかと考えていたら、シベリウスの作品同様、やがて実体を失い、ついには消滅してしまって、筆者は追悼の念を強めている。

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2016年04月21日


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このCDに収録されたオイストラフのソロによるチャイコフスキー及びシベリウスのヴァイオリン協奏曲は、10年ほど前にメロディアのオイストラフ・エディション第1巻に組み込まれた、どちらもゲンナジー・ロジェストヴェンスキーとのライヴ録音で、入手困難になっていたが、忘れられない名盤の待望の復刻である。

前者が1968年7月27日のモスクワ放送交響楽団、後者と最後に置かれているシベリウスのヴァイオリンとオーケストラのための2曲の『ユモレスク』が1965年7月23日のモスクワ・フィルハーモニー交響楽団との協演と記載されているが、何故かメロディア盤とはオーケストラの名称が逆になっている。

新しくリマスタリングされているので、この時期のモスクワ・ライヴとしてはオイストラフのソロも鮮明に再現されているが、チャイコフスキーの方は録音データが新しいにも拘らず、モノラル録音で電気的に音場を拡げた擬似ステレオらしく、オーケストラ側の分離、解像度はいまひとつだ。

また残響がやや過剰で、演奏終了後のホール内にエコーのような歪んだ響きが残ってしまっている。

シベリウスは状態の良好な正真正銘のステレオ録音で、リマスタリングの効果も一層明瞭で艶やかな音質が再現されている。

尚このジェニュイン・ステレオ・ラブ・シリーズは同じプラガ・ディジタルスからリリースされているSACDではなく、従来のレギュラー・フォーマットであることに注意する必要がある。

演奏に関しては指揮者ロジェストヴェンスキーの激しさに感化されてか、オイストラフもセッションでは聴けないようなドラマティックな表現が特徴で、ソロもオーケストラも燃え切っていて、いずれも屈指の名演と言えるものだ。

チャイコフスキーでは終楽章の噴出するような情熱が通常のオイストラフのイメージでもある磐石な安定感とは異なった意外とも思える彼の一面を見せていて興味深い。

オケが土俗感丸出しで荒れ狂い、オイストラフがそれに応えるあたりの凄まじさは、ライヴならではの聴きものである。

一方シベリウスの協奏曲はハチャトゥリアンのそれと並んで他の追随を許さないほどのオイストラフの十八番であった。

シベリウスらしい北欧の香りにはいささか乏しいが、弱音を重視した流麗な演奏であり、オイストラフがこの音楽に身を捧げているかのような愛情が感じられる。

特に、第2楽章の哀調や、ほとばしる情熱が聴きもので、厳しく気迫のこもった演奏を聴かせている。

ロジェストヴェンスキーの創り出すブラス・パートの咆哮がこの曲のシンフォニックな側面を強調しているが、オイストラフの応酬も凄まじく躍動的で大きなスケール感を堪能させてくれる。

尚シベリウスは作品87の2曲及び作品89の4曲の計6曲の『ユモレスク』を作曲していて、ここに収められているのは前者の方だが、それぞれがオーケストラ付の機知に溢れた小品で、第2曲ではオイストラフの溌剌としたソロが無窮動的な曲想を更に生き生きと描き出している。

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2016年04月09日


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シベリウスの楽譜の校訂もしているベルグルンドはシベリウスの交響曲全集を3度にわたって録音しているが、衆目の一致するところ、2度目のヘルシンキ・フィルとのものが最高傑作であると言えるだろう。

1度目の全集のパートナーだったボーンマス交響楽団よりもヘルシンキ・フィルはシベリウスを奏でる楽器として理想的。

3度目のヨーロッパ室内管弦楽団は編成が小さいだけに、曲によって向き不向きがあり、全集としてのヘルシンキ盤が最も優れていると思う。

そればかりか、古今のシベリウスの交響曲全集の中でもトップを争う名演だと評価したい。

特にその中でも「第1」「第2」「第6」は、いずれも北欧的な抒情とフィンランドの民族的な力強さを兼ね備えた超名演である。

「第1」は、ベルグルンドのシベリウス解釈に見事に符合する楽曲であり、どこをとっても熱い燃えるような民族的な高揚と清涼感溢れる抒情という、ある意味では二律相反する要素を併せ持つという至芸をいとも簡単に成し遂げている。

これは、ベルグルンド&ヘルシンキ・フィルのシベリウスへの敬愛と深い理解の賜物であろう。

ベルグルンドはシベリウスの「第2」を3度にわたりスタジオ録音しているが、ベストの演奏は、やはり本盤のヘルシンキ・フィルを指揮したものだと思う。

第1楽章など、シベリウスの演奏様式としては禁じ手とも言うべき緩急自在の思い切ったテンポ設定を行っているが、決してやり過ぎの感じがしないのは、ベルグルンドがシベリウスの本質をしっかりと捉えきっているからに他ならない。

第2楽章は、おそらくは史上最速と言ってもいいくらいの快速のピツィカートで開始されるが、かのバーンスタインの新盤のような大仰なテンポ設定と比べると、はるかにしっくりくる。

中間部の金管楽器の鋭さや北欧風の清涼感溢れる抒情、沈み込むような低弦の響きなど最高だ。

第3楽章から第4楽章にかけては、あまり踏み外しはないが、終結部の圧倒的な高揚感は、さすがはベルグルンドである。

「第6」は、冒頭の繊細なヴァイオリンの演奏からして、身も心も洗われるような北欧を吹く一陣の清涼感溢れる風に触れるようだ。

どこをとっても、世の中にこれほど美しい音楽があるのだろうかと思わせるほどの天国的な美しさに満ち溢れている。

もちろん、第3楽章の終結部など、シベリウスの内面に秘めた情念のような力強さにもいささかの不足はない。

「第6」のおそらくはベストを争う名演と言っても過言ではないだろう。

その他もベルグルンドの厳格な指揮のもと鳴り響く音楽は、感情表現の手段としてではなく、シベリウスが見ていた、あるいは頭の中に思い描いた情景や心象風景として存在するように聴こえる。

いずれも北欧風の抒情を活かした名演で、聴かせどころのツボはしっかりと心得ており、ベルグルンド&ヘルシンキ・フィルに内在する祖国愛に満ち溢れた至高の名演集と評価したい。

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2015年11月09日


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サー・ジョン・バルビローリの演奏を聴く時、そこに南欧系の匂いを感じる人も少なくないだろう。

実際彼はロンドン生まれであっても、イタリア・ベネト州出身の家庭に育った指揮者で、彼のダイナミズムとリリカルな表現はラテン系指揮者の典型にも思える。

この5枚組のセットにはシベリウスの交響曲7曲と幾つかのオーケストラル・ワークが収められているが、彼の熱い血の通った解釈が、北欧の作曲家の作品と意外にも相性が良いのに驚かされる。

バルビローリにとってシベリウスは彼のライフ・ワークとなった作曲家である。

ライナー・ノーツにも詳しいが、彼は20代で初めてシベリウスの作品を指揮して以来、戦前ハイフェッツと協演したヴァイオリン協奏曲やSPレコードに録音された交響曲第2番はニューヨーク時代の成果だし、戦後のハレ管弦楽団首席時代を通して1970年に亡くなる直前までシベリウスへの情熱を絶やすことがなかった。

このオーケストラル・ワーク集はまさに彼の円熟期の総決算的な価値を持っている。

彼の先輩に当たる英国人指揮者トーマス・ビーチャムやエイドリアン・ボールトにもシベリウスは非常に好まれたレパートリーだったようである。

後期ロマン派の名残の濃い、あたかも時代から取り残された北欧のブルックナー的な作風は、一方で豊かな抒情、牧歌的な平穏や愛国心の高揚、渦巻くような情念のドラマティックな展開での金管楽器の咆哮などは、理屈抜きで聴衆を惹きつけてしまう魅力を持っているのも事実である。

英国には数多くの優秀なオーケストラが群雄割拠しているが、マンチェスターではBBCフィルと双璧を成しているのがこのセットで全曲を演奏しているハレ管弦楽団で、19世紀半ばに設立された伝統あるオーケストラでもあり、この楽団の現在の音楽的な水準は1943年から70年まで首席指揮者だったバルビローリの貢献によって高められたとされている。

確かに良く鍛え上げられたオーケストラで、この演奏でも潤沢で無理のない音量と色彩感、そして指揮者に従う機動力も充分なものを持っている。

ワーナー・クラシックスからのバジェット価格によるリイシュー盤で、1966年から70年にかけてのEMIアナログ音源になるが、音質が優れていることも特筆される。

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2015年07月19日


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本盤に収められたシベリウスの交響曲第2番の演奏は、サー・ジョン・バルビローリがケルン放送交響楽団に客演した際に、1969年2月7日に行われたコンサートのライヴ録音。

バルビローリは、現時点で確認できるものだけでも4種もの同曲のレコーディングを行っている。

それらを録音年代順に列挙すると、ハレ管弦楽団との演奏(1952年スタジオ録音(EMI))、ロイヤル・フィルとの演奏(1962年スタジオ録音(テスタメント(chesky)))、ハレ管弦楽団との演奏(1966年スタジオ録音(EMI))、そして本盤に収められたケルン放送交響楽団との演奏(1969年ライヴ録音(ica CLASSICS))となっている。

したがって、本盤の演奏は、現時点で確認できるバルビローリによる同曲の最後のレコーディングということになる。

4種の演奏は、いずれ劣らぬ名演ではあるが、一般に最も完成度の高い名演として名高いのは、1966年の演奏である。

当該演奏は、ヒューマニティ溢れる温かさを有した名演であったが、本演奏は、実演ということもあって、1966年の演奏とは対照的な豪演に仕上がっていると言えるところだ(1952年の演奏に近い性格を有していると言えるのかもしれない)。

第1楽章冒頭からして濃厚な表情付けの演奏が展開されている。

その後も、凄まじいまでの粘着質かつハイテンションの音楽が連続しており、あまりのテンションの高さに、随所に熱くなったバルビローリの唸り声が聴こえてくるほどである。

とても死を1年後に控えた老指揮者による演奏とは思えないほどの強靭な迫力と切れば血が噴き出してくるような熱き生命力に満ち溢れていると言っても過言ではあるまい。

第2楽章は、速めのテンポで開始されるが、その後はアゴーギクを駆使したうねるような表現や、猛烈なアッチェレランドを駆使した壮絶な演奏が展開されている。

第3楽章は、本演奏の中で一服の清涼剤と言ったところであろうか。

北欧風の旋律を人間味溢れる温かみのあるアプローチによって情感豊かに歌い抜いているのが素晴らしい。

ところが、終楽章の移行部に差し掛かると途轍もないアッチェレランドを駆使しているのに度肝を抜かれる。

そして、終楽章の主旋律は壮麗にしてなおかつ濃厚な味わいの演奏であるが、その後のデュナーミクの幅広さ、大胆なアッチェレランドなど、ありとあらゆる多種多様な表現を駆使して、ドラマティックの極みとも言うべき演奏を展開。

終結部はテンポを大きく落として、威容に満ちた壮大なクライマックスを築き上げて全曲を締め括っている。

ケルン放送交響楽団は、バルビローリの燃えるような指揮に、アンサンブルの縦の線が合わないなど、若干の戸惑いを感じているきらいもなくはないが、それでもバルビローリの指揮に必死で喰らいつき、渾身の大熱演を展開しているのが素晴らしい。

いずれにしても、本演奏は、ヒューマニティ溢れる温かさを有した演奏をする指揮者と思われがちなバルビローリの知られざる一面である、熱き情熱に持ち溢れた指揮芸術を十二分に堪能することが可能な圧倒的な超名演と高く評価したい。

バルビローリによるハレ管弦楽団との1966年の演奏を愛好するクラシック音楽ファンには、是非とも本演奏を聴いていただきたい。

バルビローリという指揮者の凄さをあらためて再認識することになることは必定であると思われるところだ。

カップリングのシューベルトの交響曲第4番やブリテンのテノール、ホルンと弦楽のためのセレナーデの演奏も、実演のバルビローリの凄さを堪能することが可能な濃厚な味わい深さを有した素晴らしい名演だ。

音質も、1969年のライヴ録音であるが、十分に満足できるものと評価したい。

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2015年06月14日


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本盤には、フィンランドの歴史的な名指揮者ロベルト・カヤヌスのシベリウス録音が収められているが、カヤヌスこそは、シベリウス作品を全世界に広めたパイオニア的存在である。

いま改めて聴いてみると、いまさらのようにカヤヌスの偉大な芸術に感嘆させられてしまう。

カヤヌスはシベリウスより9歳年長であったが、シベリウスの親友であり、生涯を通じてシベリウスの作品の紹介につとめ、作曲もよくし、シベリウスがもっとも信頼する指揮者として活躍した。

しかもカヤヌスは、室内楽への創作に勤しむ若きシベリウスに管弦楽曲への作曲を奨励した人物でもある。

当時はヨーロッパの片田舎であったフィンランドから、シベリウスの作品が発信され、やがて国際的に知られることになったのは、ひとえにカヤヌスの功績である。

シベリウスは、1930年代、「誰を指揮者に推薦するか」という英コロムビアからの問い合わせに、即座に「カヤヌスを」と推薦している。

コロムビア社に異存のあるわけもなく、カヤヌスはシベリウスの7つある交響曲のうちの「第1」「第2」「第3」「第5」の4作品を、ロンドン交響楽団とともに録音している。

「第3」「第5」を録音した翌年の1933年にカヤヌスは亡くなっているので、もう少し長生きしていれば、ほかの曲も入れてくれていただろう、と思うと残念だ。

ここに集められた録音は、作曲者直伝とも考えられる、もっとも正統的な解釈の演奏であり、骨の太い演奏で、ただの歴史的な記録に終わらない、本物の演奏芸術である。

シベリウス在世中の空気を生々しく肌で感じた音楽であるとともに、同時代の精神を映した鏡である。

カヤヌスは、シベリウスの書いた何気ないフレーズや複層的な和音の積み重ねに命を吹き込む特別の才能を持っていたのだ。

現在のシベリウスの演奏は、すべてがカヤヌスの芸術の後裔といってよく、改めてシベリウスの音楽から多くを発見することになろう。

これらの演奏は、いずれも凄いほどの意欲と共感に貫かれている。

交響曲第3番は意気盛んというか冒頭から強靭な力感を秘めた表現であり、ここでもテンポとアーティキュレーションには一分の隙もなく、そのため曲が端麗に構築されている。

溌剌と躍動しながらも各主題と楽想の性格が、的確な劇性をもって示されており、そこから民族の情感が滲み出ているが、終楽章の最後のコラール風主題のテヌートのきいた表情、ひた押しに加速するテンポの様相も素晴らしく、確信にみちた高潮の軌跡が描かれている。

もちろんカヤヌスは交響曲第5番でも独自の音楽世界を開拓しており、その活力と生命力は鋭い動感にあらわされているが、第2楽章では朗々とした歌が湧き上がり、音楽の変転が内面のロマンの様相と完全に一致した感をあたえる。

すべてが計算されつくした緻密さをもちながら、そうと感じさせない流動感も見事なものである。

そして終楽章では、この作品独自の構成を鮮明にあらわし、音楽は終末の完成を目指して突進し、短い動機も旋律のように歌うが、そのアゴーギクがまた創意豊かである。

かくて最後に集約されるクライマックスは、意外にも淡泊だが、壮麗をきわめ、素晴らしい感動を呼び起こすのである。

これらの演奏を聴くと、シベリウスは何と理想的な指揮者を得たのだろうか、と思う。

いや、それよりも驚嘆するのは、カヤヌスという巨大な存在が、1930年代に、いま聴いても新鮮な音楽をつくっていたという、それこそ驚くべき事実である。

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2015年06月12日


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本盤には、フィンランドの歴史的な名指揮者ロベルト・カヤヌスのシベリウス録音が収められているが、カヤヌスこそは、シベリウス作品を全世界に広めたパイオニア的存在である。

いま改めて聴いてみると、いまさらのようにカヤヌスの偉大な芸術に感嘆させられてしまう。

カヤヌスはシベリウスより9歳年長であったが、シベリウスの親友であり、生涯を通じてシベリウスの作品の紹介につとめ、作曲もよくし、シベリウスがもっとも信頼する指揮者として活躍した。

しかもカヤヌスは、室内楽への創作に勤しむ若きシベリウスに管弦楽曲への作曲を奨励した人物でもある。

当時はヨーロッパの片田舎であったフィンランドから、シベリウスの作品が発信され、やがて国際的に知られることになったのは、ひとえにカヤヌスの功績である。

シベリウスは、1930年代、「誰を指揮者に推薦するか」という英コロムビアからの問い合わせに、即座に「カヤヌスを」と推薦している。

コロムビア社に異存のあるわけもなく、カヤヌスはシベリウスの7つある交響曲のうちの「第1」「第2」「第3」「第5」の4作品を、ロンドン交響楽団とともに録音している。

「第3」「第5」を録音した翌年の1933年にカヤヌスは亡くなっているので、もう少し長生きしていれば、ほかの曲も入れてくれていただろう、と思うと残念だ。

ここに集められた録音は、作曲者直伝とも考えられる、もっとも正統的な解釈の演奏であり、骨の太い演奏で、ただの歴史的な記録に終わらない、本物の演奏芸術である。

シベリウス在世中の空気を生々しく肌で感じた音楽であるとともに、同時代の精神を映した鏡である。

カヤヌスは、シベリウスの書いた何気ないフレーズや複層的な和音の積み重ねに命を吹き込む特別の才能を持っていたのだ。

現在のシベリウスの演奏は、すべてがカヤヌスの芸術の後裔といってよく、改めてシベリウスの音楽から多くを発見することになろう。

これらの演奏は、いずれも凄いほどの意欲と共感に貫かれている。

交響曲第2番は端的で素直な表情とラプソディックな趣を巧みに交錯させており、音楽が軽やかな運動性にみたされているが、その底流には非常な緊張があり、第3楽章など各部に渾身の力が投入され、終楽章も気宇の大きいロマン的な表現で妥当な解釈といえる。

カヤヌスの「第2」については、SP時代に夢中になったという柴田南雄氏が『名演奏のディスコロジー』(音楽之友社、1978年)で絶賛しているので、ここに紹介しておく。

「出だしの、アタマが休みの弦のリズムのクレッシェンドを木管が受け止める呼吸の絶妙さとか、スケルツォのトリオの変ト長調のオーボエの粘り方とか、フィナーレへの移行部の、耐えに耐えた力がついに解き放たれておもむろに巨人が歩きはじめる、といった様相など、カヤヌスほど確信に迫り、本質を衝いた表現に再び出会ったことがない」

併録の管弦楽曲も名演で、《ベルシャザール王の饗宴》の各曲でのコンセプトの明快さと鮮やかさも素晴らしいの一語に尽きる。

《カレリア組曲》では「バラード」が録音されなかったのは残念だが、「間奏曲」と「行進曲風に」は、いまもこれを凌ぐ演奏はない。

これらの演奏を聴くと、シベリウスは何と理想的な指揮者を得たのだろうか、と思う。

いや、それよりも驚嘆するのは、カヤヌスという巨大な存在が、1930年代に、いま聴いても新鮮な音楽をつくっていたという、それこそ驚くべき事実である。

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2015年06月10日


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本盤には、フィンランドの歴史的な名指揮者ロベルト・カヤヌスのシベリウス録音が収められているが、カヤヌスこそは、シベリウス作品を全世界に広めたパイオニア的存在である。

いま改めて聴いてみると、いまさらのようにカヤヌスの偉大な芸術に感嘆させられてしまう。

カヤヌスはシベリウスより9歳年長であったが、シベリウスの親友であり、生涯を通じてシベリウスの作品の紹介につとめ、作曲もよくし、シベリウスがもっとも信頼する指揮者として活躍した。

しかもカヤヌスは、室内楽への創作に勤しむ若きシベリウスに管弦楽曲への作曲を奨励した人物でもある。

当時はヨーロッパの片田舎であったフィンランドから、シベリウスの作品が発信され、やがて国際的に知られることになったのは、ひとえにカヤヌスの功績である。

シベリウスは、1930年代、「誰を指揮者に推薦するか」という英コロムビアからの問い合わせに、即座に「カヤヌスを」と推薦している。

コロムビア社に異存のあるわけもなく、カヤヌスはシベリウスの7つある交響曲のうちの「第1」「第2」「第3」「第5」の4作品を、ロンドン交響楽団とともに録音している。

「第3」「第5」を録音した翌年の1933年にカヤヌスは亡くなっているので、もう少し長生きしていれば、ほかの曲も入れてくれていただろう、と思うと残念だ。

ここに集められた録音は、作曲者直伝とも考えられる、もっとも正統的な解釈の演奏であり、骨の太い演奏で、ただの歴史的な記録に終わらない、本物の演奏芸術である。

シベリウス在世中の空気を生々しく肌で感じた音楽であるとともに、同時代の精神を映した鏡である。

カヤヌスは、シベリウスの書いた何気ないフレーズや複層的な和音の積み重ねに命を吹き込む特別の才能を持っていたのだ。

現在のシベリウスの演奏は、すべてがカヤヌスの芸術の後裔といってよく、改めてシベリウスの音楽から多くを発見することになろう。

これらの演奏は、いずれも凄いほどの意欲と共感に貫かれている。

交響曲第1番は冒頭から、もう情念が迫ってくるような激しさをもち、楽員が凄まじい熱意をもって演奏していることがわかる。

そのひたむきな意欲が音楽的な推進力となって示されるさまは、爽快としかいいようがなく、第1楽章の再現部など、燃えたぎる灼熱の音楽である。

第2楽章もスケールの大きさとデュナーミクの自然さがあり、一句一節が意味深く感じられ、第3楽章のロマンの濃密なこと、独自のアゴーギクをもつことも特筆しておきたい。

クレッシェンドやディミヌエンドがテンポの緩急と見事に連動しているのも、カヤヌスの魅力である。

第1番の終楽章でもわかることだが、フレージングとアーティキュレーションが明晰で、すべてが作品を生かし切っている。

当時のオーケストラを、よくぞここまでドライヴしたともいえるが、そこにカヤヌスの不退転の決意が感じられる。

2曲の管弦楽曲もそれぞれが名演で、《ポホヨラの娘》の多様な表情と張り詰めた力感も素晴らしいの一語に尽きる。

さらに《タピオラ》の磨かれた弦の美しさ、構造的な理解の深さ、強い意力をもった表情は、当時としてはかなり前衛的な作品の適切な表現と感じられる。

これらの演奏を聴くと、シベリウスは何と理想的な指揮者を得たのだろうか、と思う。

いや、それよりも驚嘆するのは、カヤヌスという巨大な存在が、1930年代に、いま聴いても新鮮な音楽をつくっていたという、それこそ驚くべき事実である。

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2015年05月26日


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近年、我が国出身の若手女流ヴァイオリニストが世界各国の有名コンクールで優勝する等の華々しい活躍をしている。

例えば、チャイコフスキー国際コンクールで優勝した諏訪内晶子(その後、神尾真由子が続く)をはじめ、パガニーニ国際ヴァイオリンコンクールにおいて史上最年少で優勝した庄司沙耶香など、雨後の竹の子のように数多くの若き才能あるヴァイオリニストが登場してきている。

もっとも、彼女たちに共通しているのは、デビュー後数年間は華々しい活躍をするが、その後は影の薄い存在に甘んじてしまっているということだ。

諏訪内晶子にしても、近年では相次ぐスキャンダルによって新譜すら殆ど発売されていない状況に陥っているし、庄司沙耶香にしても最近での活躍はあまり聞かれないところだ。

神尾真由子なども今後どのように成長していくのかはわからないが、クラシック音楽の受容の歴史が浅い我が国の若手女流ヴァイオリニストが普遍的に世界で活躍するような土壌は、未だに肥沃なものとなっていないと言えるのではないだろうか。

五嶋みどりは、特にコンクールなどでは取り立てた受賞歴はないが、14歳の時のバーンスタインとの伝説的なコンサートで一躍世界に知られる存在となったところだ。

その後は、1990年代から2000年代の前半にかけて、世界の一流指揮者、オーケストラとともに各種の協奏曲等の録音を行うなど、華々しい活躍を行っていたが、最近では、他の若手女流ヴァイオリニストと同様に活動ややや低調になり、最近ではパウル・ヒンデミット作品集の新譜が出て、新境地を拓いたかのようにみえたが、クラシック音楽ファンの反応は今一つ。

新譜の数自体が激減している昨今のクラシック音楽界の現状に鑑みれば、致し方がない面もあろうかとも思うが、五嶋みどりにしても、かつての輝きを今後も維持できるのかどうか、大きな岐路に立っていると言っても過言ではあるまい。

かつての伝説的なコンサートはもはや遠くに過ぎ去った過去の話であり、五嶋みどりが今後も円熟の大ヴァイオリニストとして末永く活躍していただくことをこの場を借りて祈念しておきたいと考える。

それはさておき、本盤に収められたシベリウスのヴァイオリン協奏曲とブルッフのスコットランド幻想曲は、五嶋みどりが輝いていた時代の素晴らしい名演だ。

五嶋みどりのヴァイオリンは、もちろん技量においても何ら問題はないが、巧さを感じさせないところが素晴らしいと言える。

要は、楽曲の美しさだけが聴き手に伝わってくるような演奏を心掛けていると言えるところであり、加えて、畳み掛けていくような気迫や強靭な生命力が演奏全体に漲っているのが素晴らしい。

あたかも実演であるかのような、五嶋みどりの体当たりとも言うべき渾身の、そして楽曲の美しさを際立たせた演奏は、我々聴き手の感動を誘うのに十分であり、このような力強い名演奏を聴いていると、あらためて五嶋みどりの卓越した才能を感じることが可能だ。

一部の女流ヴァイオリニストにありがちな線の細さなどは微塵もなく、どこをとっても骨太のしっかりとした構えの大きい音楽が鳴り切っているのが見事である。

このような堂々たる五嶋みどりのヴァイオリンを下支えしているのが、メータ&イスラエル・フィルによる名演奏である。

メータは、今や現代を代表する大指揮者の1人であるが、本演奏でも五嶋みどりのヴァイオリンをしっかりとサポートするとともに、イスラエル・フィルを巧みに統率して、重厚な装いの中にも両曲に込められた美しい旋律の数々を感動的に歌い抜いているのが素晴らしい。

音質は1993年のスタジオ録音であり、今般、DSDマスタリングを施した上でのルビジウム・クロック・カッティングがなされたことにより、十分に満足できるものとなっている点についても付記しておきたい。

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2015年05月17日


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これはどうしようもない演奏だ。

一時はカラヤンと覇を争うほどの大指揮者であったバーンスタインが、何故にこのような駄演を行ったのか理解に苦しむところだ。

第2番の第1楽章はそれでもまだましと言える。

大仰で濃厚の極みとも言うべき音楽は、シベリウスの音楽というよりはマーラーの音楽を鑑賞しているような錯覚を起こさせるが、テンポなども含めとりあえずは常識の範囲内におさまっており、少なくとも凡演のレベルには達していると言える。

ところが第2楽章。

バーンスタインは何を勘違いしたのであろうか。

にわかには信じ難いような超スローテンポで曲想を進めていくが、ここまでいくともはや音楽ではなく単なる音の羅列ではあるまいか。

バーンスタインが、このような音の羅列で何を表現したかったのかは不明であるが、少なくともこの楽章に関しては、よほどのバーンスタインの熱狂的なファンでないと、全体を聴き通すことすら苦痛であると言えるだろう。

第3楽章は、本演奏の中ではもっともまともな演奏と言える。

中間部の粘ったような音楽はいかにも晩年のバーンスタインであり、その濃厚な体臭に辟易としないでもないが、少なくとも第2楽章の音の羅列を聴いた後では一服の清涼剤のように感じる聴き手は筆者だけではあるまい。

そして終楽章であるが、思わず耳を覆いたくなる。

シベリウスが作曲した旋律の中でも特に勇壮で美しい名旋律を、バーンスタインはテューバを最強奏させることによって品の悪い騒音に変容させてしまった。

このような演奏を聴いていると、聴いていて恥じらいさえ覚えるほどであり、晩年のバーンスタインはあらゆる楽曲をマーラーの音楽であると思っていたのではないかと勘繰りたくもなる。

いずれにしても、本演奏は同曲演奏史上でも最悪の駄演であり、熱狂的なバーンスタインのファンだけに存在意義がある演奏と言えるだろう。

バーンスタインは、1960年代にもニューヨーク・フィルを指揮して同曲を録音しており、それはヤンキー気質丸出しの外面的な演奏とは言えるが、本演奏よりはよほど優れているのではないかと考えられるところだ。

併録の第7番も、晩年のバーンスタインならではの大仰にして濃厚な演奏であり、筆者としても到底容認し難い凡演であると言えるが、第2番ほどのデフォルメはなされておらず、駄演とまでは言えないのではないかと考える。

もっとも、ユニバーサルはベスト100のCDを選定するに際して、何故に本盤を選定したのであろうか。

シベリウスの管弦楽曲集においてヤルヴィ盤(オーケストラはエーテボリ交響楽団)を選んだのであれば、交響曲第2番&第7番においても同様にヤルヴィ盤を選定すべきである。

このような駄演をベスト100に選定したユニバーサルに対して、この場を借りて猛省を促しておきたい。

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2015年04月30日


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ロンドン交響楽団自主制作シリーズで多くのライヴ録音をリリースし、充実した指揮ぶりを示しているコリン・デイヴィス、3度目のシベリウス/交響曲全集のスタートとなった1枚。

コリン・デイヴィスは、シベリウスの交響曲全集を3度録音した稀有の指揮者だ。

これは、シベリウスの母国、フィンランドの指揮者であるベルグルンドと並ぶ最多記録と言えるところであり、デイヴィスがいかにシベリウスに深い愛着を持っているのかの証左と言えるだろう。

デイヴィスの3つの全集のうち、現在でも依然として評価が高いのは、1970年代にボストン交響楽団を演奏して成し遂げた最初の全集である。

特に、「第1」〜「第5」は、他の名演と比較しても今なお上位にランキングされる名演であり、いささか透明感に欠ける「第6」や「第7」を踏まえて考えてみても、全集としての価値は、今なお相当に高いものがあると言えるのではないだろうか。

私事で恐縮であるが、筆者も中学生の時代にシベリウスの交響曲に慣れ親しんだが、その時に愛聴していたLPがデイヴィスによる最初の全集であった。

これに対して、2度目の全集は、最初の全集から約20年後の1990年代にロンドン交響楽団と成し遂げたものであるが、これは、はっきり言って、最初の全集と比較するといささか魅力に乏しいと言えるだろう。

デイヴィスとしては、自信を持って臨んだ録音であるのであろうが、そうした自信が過剰になってしまったきらいがあり、金管楽器などのいささか無機的な音色に、やや力の入った力みを感じさせるのが非常に気になった。

最初の全集と比較して、解釈に深みが加わった点は散見されるものの、デイヴィスとしてもいささか不本意な出来であったのではあるまいか。

2度目の全集から10年足らずの間隔で、ロンドン交響楽団の自主レーベルにではあるが、3度目の録音を行ったというのは、その証左と言えるのではないかと考えられる。

そして、この3度目の全集であるが、これは、2度目の全集で見られたような力みがいささかも感じられず、いわゆる純音楽的で自然体のアプローチによる円熟の名演揃いであると高く評価したい。

ロンドン響首席指揮者(1995年以降)、シュターツカペレ・ドレスデン名誉指揮者(同楽団史上初)の任にあり、ますます進境を深めているデイヴィス、このシベリウスでも作品を手中に収めた懐の深いアプローチで終始貫かれ、実に含蓄ある響きが立ち現われている。

最初の全集において、いささか透明感に欠けていた「第6」及び「第7」についても、北欧の大自然を彷彿とさせるような繊細な抒情美に満ち溢れており、クレルヴォ交響曲をも含め、本3度目全集は、まさしくデイヴィスのシベリウスの交響曲演奏の総決算とも言うべき素晴らしい名演集であると高く評価したい。

3楽章形式の「第3」では清々しい音楽的表情が充溢しており、細工を弄しない泰然としたたたずまいからの豊かなダイナミクスはまさにシベリウスの醍醐味。

単一楽章である「第7」での端正でいながら作品の深い呼吸感を広大なスケールでふくらませていくあたりなど、現在のデイヴィスの真骨頂とも言えるところであり、ロンドン交響楽団の緊密なアンサンブルと相俟って、実に格調高い聴きものとなっている。

そして本盤で素晴らしいのはマルチチャンネル付きのSACDによる極上の高音質であり、一貫して完成度の高い録音もオーディオ・ファイル注目の的で、本拠地バービカンセンターのクリアな音場を最高のスタッフが忠実に再現している。

シベリウスの交響曲のような透明感溢れる抒情的な音楽には、本盤のようなマルチチャンネル付きのSACDは抜群の効力を発揮すると言えるところであり、演奏内容の質の高さからしても、今般のSACD化を大いに歓迎したい。

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2015年04月13日


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バルビローリは、遺された録音に鑑みても極めて広範なレパートリーを誇った指揮者であったと言えるが、その中核をなしていたのはマーラーとシベリウスと言えるのではないだろうか。

バルビローリのシベリウスは、何と言ってもヒューマニティ溢れる温かさが魅力であり、本盤に収められた演奏は、交響曲のみならず小品においても、どこをとっても人間的な温かさに満ち溢れていると言えるだろう。

それでいていささかも感傷的に流れないのはバルビローリのシベリウスの優れている点であり、常に高踏的な美しさを湛えている。

そして、その美しさはあたかも北欧の大自然を彷彿とさせるような清澄さを湛えていると言えるところであり、バルビローリのシベリウスはまさに人間的な温もりと清澄な美しさが融合した稀有の演奏であると言えるのではないかと考えられる。

このような演奏は、とりわけ近年の北欧出身の指揮者による透明感溢れる精緻な演奏などとは一味もふた味も異なっていると言えるが、バルビローリのシベリウスには一本筋の通った確固たるポリシーがあり、シベリウス演奏の一つの理想像として有無を言わせない説得力を有しているものと言える。

交響曲第1番については、第1楽章の冒頭においてより鋭角的な表現を求めたい気もしないではないが、終楽章の心を込めたヒューマニティ溢れる旋律の歌い上げなども極上の美しさを誇っており、名演との評価をするのにいささかの躊躇をするものではない。

交響曲第2番については、壮麗な迫力と人間的な温もりが高度な次元で融合した、いい意味での剛柔のバランスのとれた素晴らしい名演。

常識的なバルビローリ調で一貫したステレオ盤に対し、モノーラルの方はメリハリが効き、強弱は思い切ってつけられ、速いテンポを基調としつつ、曲が進むにつれてますますスピード感がまし、しかも緩急のさばき方が圧倒的だ。

第1楽章後半の猛烈な嵐と猛烈な速さはめくるめくばかりで、こんな表現は他に類例がなく、初めて聴く人はバルビローリの指揮ということが信じられないだろう。

第2楽章に入ると指揮者の棒はいよいよ自由になり、アッチェレランドの激しさなど、まるでフルトヴェングラーのブルックナーのようだが、あのように音楽を歪めてしまうことなく、雄弁な語りがシベリウスそのものなのだ。

これはバルビローリが曲の本質や核心を鋭くとらえ切っているからに他ならない。

第3楽章の凄絶な突進とアクセントの決め方は、まるで戦いが始まったようで、ここではすべてが血のように赤い。

筆者としては折衷的なこの曲をあまり好んでこなかったのだが、本演奏なら夢中になる。

交響曲第5番については、とりわけ終楽章の有名な鐘の主題をこれほどまでに心を込めて美しく響かせた演奏は他にあるだろうか。

少なくとも、この極上の鐘の主題を聴くだけでも本名演の価値は極めて高いと言わざるを得ない。

そして白眉は何と言っても交響曲第7番ではないだろうか。

同曲の冒頭、そして終結部に登場する重層的な弦楽合奏の美しさは、まさに人間的な温もりと清澄さが同居する稀有の表現でありバルビローリのシベリウスの真骨頂。

本名演に唯一匹敵する存在であるカラヤン&ベルリン・フィルによる名演(1967年)における弦楽合奏も極上の絶対美を誇ってはいるが、その人間的な温もりにおいて本演奏の方を上位に掲げたい。

第2部から第3部への移行部に登場するホルンによる美しい合奏も、カラヤン盤をはじめ他の演奏ではトランペットの音に隠れてよく聴き取れないことが多いが、本演奏では、トランペットなどの他の楽器の音量を抑え、このホルン合奏を実に美しく響かせているのが素晴らしい。

第1部のトロンボーンソロはカラヤン盤がベストであり、さすがに本演奏もとてもカラヤン盤には敵わないと言えるが、それは高い次元での比較の問題であり本演奏に瑕疵があるわけではない。

もっとも、弦楽合奏のアンサンブルなどハレ管弦楽団の技量には問題がないとは言えないが、それでもこれだけの名演を堪能してくれたことに対して文句は言えまい。

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2015年04月12日


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コリン・デイヴィスは、シベリウスの交響曲全集を3度録音した稀有の指揮者だ。

これは、シベリウスの母国、フィンランドの指揮者であるベルグルンドと並ぶ最多記録と言えるところであり、デイヴィスがいかにシベリウスに深い愛着を持っているのかの証左と言えるだろう。

デイヴィスの3つの全集のうち、現在でも依然として評価が高いのは、1970年代にボストン交響楽団を演奏して成し遂げた最初の全集である。

特に、「第1」〜「第5」は、他の名演と比較しても今なお上位にランキングされる名演であり、いささか透明感に欠ける「第6」や「第7」を踏まえて考えてみても、全集としての価値は、今なお相当に高いものがあると言えるのではないだろうか。

私事で恐縮であるが、筆者も中学生の時代にシベリウスの交響曲に慣れ親しんだが、その時に愛聴していたLPがデイヴィスによる最初の全集であった。

これに対して、2度目の全集は、最初の全集から約20年後の1990年代にロンドン交響楽団と成し遂げたものであるが、これは、はっきり言って、最初の全集と比較するといささか魅力に乏しいと言えるだろう。

デイヴィスとしては、自信を持って臨んだ録音であるのであろうが、そうした自信が過剰になってしまったきらいがあり、金管楽器などのいささか無機的な音色に、やや力の入った力みを感じさせるのが非常に気になった。

最初の全集と比較して、解釈に深みが加わった点は散見されるものの、デイヴィスとしてもいささか不本意な出来であったのではあるまいか。

2度目の全集から10年足らずの間隔で、ロンドン交響楽団の自主レーベルにではあるが、3度目の録音を行ったというのは、その証左と言えるのではないかと考えられる。

そして、この3度目の全集であるが、これは、2度目の全集で見られたような力みがいささかも感じられず、いわゆる純音楽的で自然体のアプローチによる円熟の名演揃いであると高く評価したい。

最初の全集において、いささか透明感に欠けていた「第6」及び「第7」についても、北欧の大自然を彷彿とさせるような繊細な抒情美に満ち溢れており、クレルヴォ交響曲をも含め、本3度目全集は、まさしくデイヴィスのシベリウスの交響曲演奏の総決算とも言うべき素晴らしい名演集であると高く評価したい。

2007年シベリウス没後50年に合わせてのリリースとなるこのたびのライヴは、過去2度にわたる全集録音の豊かな経験を踏まえ、巨匠デイヴィスの熱い思いのすべてが注ぎ込まれた渾身の演奏内容である。

前回(1992年)から10年以上の歳月を重ねて臨んだ第2番のライヴ録音であるが、そもそもデイヴィス+ロンドン響+シベリウスの組み合わせとくれば期待度の高さは計り知れないが、とっておきの作品を演奏することへの心からの喜びであろうか、これまでのどれよりもドラマティックで、しかもみずみずしい感性にあふれているのが驚異的。

いつ聴いても、あのどこか懐かしい気分に心弾む第1楽章、大自然の雄叫びのように荒々しいティンパニの炸裂と金管の咆哮とがこだまする中間2楽章を経て、雄大に結ばれるフィナーレ、いつしかこのうえなく温かく感動的な演奏に言葉もない。

カップリングは2005-6年シーズンのオープニング・コンサートで『クレルヴォ交響曲』の前プロに取り上げられた『ポホヨラの娘』。

そのクレルヴォと同じく民族叙事詩『カレワラ』を題材とするこの作品でもまた、繊細な弦の表情とブラス・セクションの轟きが圧倒的な感銘を残す。

そして本盤で素晴らしいのはマルチチャンネル付きのSACDによる極上の高音質であり、一貫して完成度の高い録音もオーディオ・ファイル注目の的で、本拠地バービカンセンターのクリアな音場を最高のスタッフが忠実に再現している。

シベリウスの交響曲のような透明感溢れる抒情的な音楽には、本盤のようなマルチチャンネル付きのSACDは抜群の効力を発揮すると言えるところであり、演奏内容の質の高さからしても、今般のSACD化を大いに歓迎したい。

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2015年04月05日


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コリン・デイヴィスは、シベリウスの交響曲全集を3度録音した稀有の指揮者である。

これは、シベリウスの母国、フィンランドの指揮者であるベルグルンドと並ぶ最多記録と言えるところであり、デイヴィスがいかにシベリウスに深い愛着を持っているのかの証左と言えるだろう。

デイヴィスの3つの全集のうち、現在でも依然として評価が高いのは、1970年代にボストン交響楽団を演奏して成し遂げた最初の全集である。

特に、「第1」〜「第5」は、他の名演と比較しても今なお上位にランキングされる名演であり、いささか透明感に欠ける「第6」や「第7」を踏まえて考えてみても、全集としての価値は、今なお相当に高いものがあると言えるのではないだろうか。

私事で恐縮であるが、筆者も中学生の時代にシベリウスの交響曲に慣れ親しんだが、その時に愛聴していたLPがデイヴィスによる最初の全集であった。

これに対して、2度目の全集は、最初の全集から約20年後の1990年代にロンドン交響楽団と成し遂げたものであるが、これは、はっきり言って、最初の全集と比較するといささか魅力に乏しいと言えるだろう。

デイヴィスとしては、自信を持って臨んだ録音であるのであろうが、そうした自信が過剰になってしまったきらいがあり、金管楽器などのいささか無機的な音色に、やや力の入った力みを感じさせるのが非常に気になった。

最初の全集と比較して、解釈に深みが加わった点は散見されるものの、デイヴィスとしてもいささか不本意な出来であったのではあるまいか。

2度目の全集から10年足らずの間隔で、ロンドン交響楽団の自主レーベルにではあるが、3度目の録音を行ったというのは、その証左と言えるのではないかと考えられる。

そして、この3度目の全集であるが、これは、2度目の全集で見られたような力みがいささかも感じられず、いわゆる純音楽的で自然体のアプローチによる円熟の名演揃いであると高く評価したい。

最初の全集において、いささか透明感に欠けていた「第6」及び「第7」についても、北欧の大自然を彷彿とさせるような繊細な抒情美に満ち溢れており、本盤に収められたクレルヴォ交響曲をも含め、本3度目全集は、まさしくデイヴィスのシベリウスの交響曲演奏の総決算とも言うべき素晴らしい名演集であると高く評価したい。

2005-6年シーズンのオープニング・コンサートで、デイヴィスとロンドン響が取り上げたクレルヴォ交響曲。

「LSO Live」でシベリウス全集を再度進行中だった当コンビにとっては、1996年以来5年ぶりの再録音となるものだ。

全5楽章からなる大作クレルヴォ交響曲は民族叙事詩「カレワラ」を題材にとり、若きシベリウスの名を一躍フィンランド国内に轟かせることになった記念すべき作品である。

全曲の中心となる第3楽章では、実演での興奮そのまま、オケはもちろんとりわけ男声コーラスが力強くユニゾンで歌い上げるさまは驚くほど劇的で、まさにド迫力。

そして、すでにクレルヴォ歌いとしてはヴェテランのソリストが聴かせる、なんとも情感のこもったやりとり。

続く第4楽章では、自慢のパワフルなブラス・セクションの見せ場がこれでもかと爆発しており魅力度満点。

声楽を伴う作品への取り組みにもひときわ熱心なことで知られるデイヴィスの心血を注ぎ愛情がぎっしり詰まったシベリウスとはいえ、あえてこうした意欲的なプログラムを大事な場にかけることは長年の悲願だったのであろう。

手兵に寄せる厚い信頼もあって演奏会が大成功を収めただけに、特別に感動的なものとなっている。

そして本盤で素晴らしいのはマルチチャンネル付きのSACDによる極上の高音質であり、一貫して完成度の高い録音もオーディオ・ファイル注目の的で、本拠地バービカンセンターのクリアな音場を最高のスタッフが忠実に再現している。

クレルヴォ交響曲のような劇的な作品には、本盤のようなマルチチャンネル付きのSACDは抜群の効力を発揮すると言えるところであり、演奏内容の質の高さからしても、今般のSACD化を大いに歓迎したい。

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2015年03月30日


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マリス・ヤンソンスとオスロ・フィルによるEMIへのシベリウス第1弾となったもの。

今をときめくヤンソンスが、手兵としたオスロ・フィルとともに残したシベリウスのホットな演奏で、1990年録音当時としては、その後を期待するに十分な出来映えの1枚となった素晴らしい名演だ。

ヤンソンス&オスロ・フィルのクオリティの高さは来日公演で満座の聴衆を驚倒させたが、この素晴らしいコンビの代表盤のひとつが、このシベリウス録音だ。

ヤンソンスは、現在においては、コンセルトへボウ・アムステルダムとバイエルン放送交響楽団という、世界有数のオーケストラを手中に収める現代を代表する指揮者の1人に成長したが、本盤の録音当時(1990年)は、オスロ・フィルという、決して一流とは言えないオーケストラを指揮する気鋭の指揮者の1人に過ぎなかった。

そんなヤンソンスではあるが、当時から、シベリウスを得意としており、交響曲第1番には、後年にも手兵のバイエルン放送交響楽団と録音し、それも素晴らしい名演であったが、本盤も、後年の名演に優るとも劣らない見事な名演に仕上がっている。

「第1」の魅力は音色の作り方のうまさで、輝かしい音、磨かれた音から渋めの音、くすんだ音まで、音楽のシーンに即して的確にヴィヴィッドに反応する。

そして心地よいテンポ、しなやかなフレージング、ヤンソンスの構成への見通しに優れた解釈は、作品に引き締まったプロポーションと躍動する若々しい運動性を与えている。

アンダンテ楽章は楽器の絡み合いがチャーミングであり、スケルツォは精彩に富み、フィナーレの滑らかで力強く明快率直な演奏には興奮を禁じ得ない。

近ごろ珍しいものとなってきた演奏の気迫が如実に感じられ、音が一杯詰まったという感じであるが、いわゆる北欧的な雰囲気も豊かに感じられる会心の演奏。

スケール大きく伸びやかに鳴り響き、シベリウス作品に不可欠の、北欧風の奥行きある情感に溢れている。

気迫に満ちたヤンソンスの指揮、意欲的にそれに応えるオスロ・フィルの前向きな演奏は、聴き手を興奮させてくれる。

ヤンソンスとオスロ・フィルのコンビネーションが光る、北欧特有の抒情とオーケストラの機能美を極限にまで結びつけた驚異のシベリウス演奏と言えよう。

本盤の特徴、そして優れた点は、北欧の雰囲気を大いに満喫できる点で、ヤンソンスのシベリウスは、泥臭さが無く、非常に爽快、近年のシベリウス演奏の代表的な録音のひとつに数えられる。

前述のように、この当時は、まだまだ研鑽を積みつつある若手指揮者の1人に過ぎなかったのであるが、いわゆる青臭さは皆無であり、気迫に満ちた演奏が繰り広げられている。

若さ故の勢いに任せた強引さもなく、北欧風の抒情を巧みに盛り込みつつ、実に成熟した演奏を行っている点を高く評価したい。

輪郭をぼかすことなく、各パートの音を丁寧に鳴らし、ゲネラルパウゼの効果的な活用や、木管楽器の響かせ方にも個性的なものがあり、独特の魅力を持っている。

併録の気迫に満ち、情熱的な存在感のある「フィンランディア」や、胸のすくような「カレリア」組曲も、交響曲第1番と同様の傾向の、北欧風の抒情を活かした成熟した名演だ。

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2015年03月29日


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パーヴォ・ヤルヴィは、今や最も録音を活発に行っている指揮者と言えるだろう。

その数の多さもさることながら、楽曲の多種多様ぶりには驚かされるばかりである。

これは、パーヴォ・ヤルヴィが、父ネーメ・ヤルヴィ譲りの広範なレパートリーを誇っていることの証左であると考える。

ところが、不思議なのは、北欧エストニア出身の指揮者であるにもかかわらず、そして、父ネーメ・ヤルヴィが2度にわたってシベリウスの交響曲全集を録音しているにもかかわらず、シベリウスの交響曲を、現時点においても本盤に収められた第2番とクレルヴォしか録音していないということである。

しかも、それらの録音が、有名な人気作ではあるが、必ずしもシベリウスの交響曲の代表作とは言えない第2番と最も演奏される機会の少ないクレルヴォというのは、パーヴォ・ヤルヴィなりの独特の考え方があるのかもしれない。

いずれにしても、本盤の「第2」は、そうした残念な思いを補ってあまりあるほどの素晴らしい名演と高く評価したい。

本名演が素晴らしいのは、何よりもパーヴォ・ヤルヴィの表現が実に音楽性豊かであるという点である。

その棒さばきは、切れ味がよく、しかも北欧の雄大な自然が目の前に生き生きと甦って来るような演奏を繰り広げている。

オーケストラがよくコントロールされていて、フィンランドの景色を俯瞰的に見ているかのような印象を受ける。

パーヴォ・ヤルヴィは、曲想を精緻かつ丁寧に描き出しており、どこをとっても恣意的な解釈が聴かれず、音楽が自然体で滔々と流れていくのが素晴らしい。

特別な個性があるというわけではないが、スコアに記された音符のうわべだけを鳴らすという浅薄な演奏にはいささかも陥っておらず、どこをとっても情感の豊かさに満ち溢れているのが素晴らしい。

北欧の大自然を彷彿とさせるような繊細な抒情の表現にも秀逸なものがあり、シベリウスの内面的な部分とのバランスもよく、第2楽章の表現もなかなかにドラマティック。

終楽章の圧倒的な盛り上がりも圧巻の迫力であり、表現の幅はきわめて広いが、それでいて、管楽器、弦楽器そして打楽器ともに、荒っぽさを感じさせず、常にニュアンス豊かな奥行きのある演奏を繰り広げているのが見事である。

これは、パーヴォ・ヤルヴィの薫陶の下、最高のパフォーマンスを示したシンシナティ交響楽団の力量によるところが大きいと言わざるを得ない。

カップリングされているトゥビンの「第5」も、シベリウスと同様に豊かな音楽性が感じられる素晴らしい名演。

これはパーヴォ・ヤーヴィのオーソドックスでありながら、聴かせどころを盛り上げていく巧さが光っている。

同曲を収めたCDで、現在入手できるのは父ネーメ・ヤルヴィによる演奏のみであり、楽曲の質の高さの割には殆ど演奏されていない。

このような同曲の真価を広く認知させるという意味でも、本名演の登場は大いに歓迎されるべきであると考える。

マルチチャンネル付きのSACDによる極上の高音質録音も、本盤の価値を大いに高める結果となっている点を忘れてはならない。

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2015年03月14日


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第4番は、1969年3月4日、第1番は、1982年4月6日のそれぞれ、ステレオ・ライヴ録音。

第1番は恐らく唯一の演奏機会と思われるが、1980年代のケーゲルらしいスケール雄大でロマン主義色濃厚な名演で、極めて遅いテンポが採用されている。

第4番は、エテルナにもスタジオ録音を遺したレパートリーで、ケーゲルはシベリウスの交響曲の中でもこの曲だけは愛奏していた模様であり、陰陰滅滅で不気味な暗さで透徹した名演として知られていたが、こちらはライヴゆえに緊張感が尋常でない。

ケーゲルの「第4」はきわめて異色なシベリウスと言えるが、最高傑作と評される同曲をこれほど深く読み、全身で受け止めた演奏は珍しい。

シベリウスは指揮者を選ぶとはよく言われることだが、「シベリウスのムード」という共同幻想によって評価されている気がする。

もっとも音楽を楽しむのに幻想は大いに結構であり、何ら非難されるべきではない。

以上を踏まえたうえで、ケーゲルよりもオーソドックスとされる演奏はいくつかある。

世評が高いのはベルグルンド、ネーメ・ヤルヴィ、サラステ、セーゲルスタム、アシュケナージあたりだろうが、ベルグルンドが最もスタンダードかもしれない。

これはその通りだと思うし、いずれのシベリウスも美しく、大いに楽しめる。

ケーゲルの演奏は、確かに聴き方によっては「際物」、あるいは異端的なシベリウスだ。

今まで抱いていた簡潔で軽やかなリズムのシベリウスはここでは全く感じられず、ここにあるのは、きわめて重厚骨大なシべリウスであり、耳が慣れてくるとそれなりに説得力がある。

鑑賞を重ねるうちに次第に、固定観念化されたシべリウス観を抱いていたことを気付かせられる、そういう演奏である。

このシべリウスも、あるいはこのシべリウスが、紛れもなく本物のシベリウスであると考えられてくる。

正直言って、筆者はこの演奏によって初めて聴き応えのあるシべリウスに出会えた。

従来のよどみなく流れる川の流れような美しいシべリウスが遠のいて、岸に大小の荒波が次々と打ち寄せるかのようなゴツゴツとした立体感のあるシべリウスがここにはある。

この「第4」は、シべリウスの悲愴交響曲の趣であり、この曲の作曲時、シべリウスは健康に問題を抱え苦悩の情況にあったと聞く。

全てに暗い演奏のイメージが先行しがちであるが、「第1」の方は「第4」に較べればそれは感じられず、力強い躍動感がある。

「第4」は、曲想の難解さに加えて、演奏自体も一回だけの鑑賞だけでは理解しにくい難解な演奏であるが、両曲の演奏とも何度聴いても手応えを感じさせるものがある。

これはひょっとすると残念なことなのかもしれないが、スタンダードなベルグルンドやサラステでは少し物足りなく感じているのに気付く。

特に「第4」については、この曲が交響曲史上、最高傑作の1つであることの重みをいかんなく示す素晴らしい演奏であり、陰影が深く、異様な妖しさが漂う。

大自然の音楽というよりはおどろおどろしい「因業」な音楽のようにも聴こえる。

そして何故かスタンダードな演奏を沢山聴いた後では、ケーゲル盤が忘れがたいのだ。

これを聴いたため、他の指揮者による演奏が耳に軽く響いて物足りない。

この「第4」は、ファーストチョイスかどうかはともかく、シベリウスを愛する者にとっては聴くべき価値のあるものだと信じている。

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2015年03月05日


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カラヤンは、独墺系の指揮者では珍しいシベリウス指揮者であった。

他には、独墺系指揮者でただ1人全集を完成したザンデルリンクがいるだけである。

カラヤンは、「第3」を録音せずに鬼籍に入ってしまったが、録音の予定はあったと聞く。

これは大変残念なことではあるが、しかしながら、遺された録音はいずれ劣らぬ名演であると考える。

認知度が高いのは、フィルハーモニア管弦楽団時代の録音や、1960年代の「第4」以降の4曲を収録したベルリン・フィルとの録音であるが、何故か、1970年代の「第4」及び「第5」、そして、1980年代の本盤や「第2」、「第6」の認知度が意外にも低いのは何故であろうか。

特に、これらの演奏には、オーケストラの最強奏、特に、フォーグラーの迫力あるティンパニが、シベリウスにしては大仰過ぎる、更に一部の評論家によると、シベリウスの本質を逸脱しているという批判さえなされている。

しかしながら、シベリウスの本質とは一体何であろうか。

確かに、北欧風のリリシズムに満ち溢れた清澄な演奏が、シベリウスの演奏により相応しいことは認めるが、シベリウスは北欧のローカルな作曲家ではないのだ。

まさに、21世紀初頭を代表する国際的な大シンフォニストなのであり、それ故に、演奏様式はもっと多様であってもいいのではないだろうか。

カラヤンこそは、特に、認知度が低かった独墺系社会にシベリウスの交響曲や管弦楽曲の素晴らしさを認知させたという偉大な業績があり、作曲者も、カラヤンの演奏を高く評価していた事実を忘れてはならないだろう。

本盤の収められた交響曲集は、確かに、オーケストラが鳴り過ぎる、ティンパニが強靭過ぎるとの批判は予測はされるが、北欧風の清澄な抒情にもいささかの不足もなく、筆者としては、シベリウスの交響曲を、ドイツの偉大な交響曲にも比肩する芸術作品に仕立て上げた素晴らしい名演と高く評価したい。

併録の管弦楽曲集も、聴かせどころのツボを心得たカラヤンならではの名演だ。

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2015年02月19日


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非常にユニークで魅力あふれる全集。

ベルグルンドやヴァンスカの全集に親しんでいる人も、是非一度耳にしていただきたい。

マゼールは、演奏様式をたびたび変えてきた指揮者であるが、1960年代のマゼールは、現代的で尖鋭的なアプローチと、曲の本質に切り込んでいく前進性が見事にマッチングして、個性的な名演を数多く残してきた。

もちろん、曲によってはやり過ぎのものもあるが、特に、ウィーン・フィルやベルリン・フィルと組んだものは、オーケストラの力量もあって、名演が生まれる可能性が非常に高かった。

その一例が、マゼール&ウィーン・フィルによるシベリウスの交響曲全集で、基本的に熱烈と言ってよいほど込められたメッセージが熱い。

素朴な原産地直系の自然体演奏とは、一線を画す、というよりも対極にあるのが当盤のアプローチで、北欧のひんやり感とか、寒々とした雰囲気とは隔絶している。

ここに聴かれるのは「北欧の繊細な情景」ではなくて、地の底から突き上げるようなエネルギッシュな和音であり、色彩感あふれる管弦楽法である。

マゼールの指揮により、シベリウスの音楽がチャイコフスキーやブルックナーの延長線上にあることが改めて良く分かる。

きつく堅く締め上げられたようなフォルムに、ウィーン・フィルの緊迫サウンドが刺激たっぷりの音彩を付加した、少々やり過ぎなくらい強烈な印象を与える個性派名演と言えよう。

粗野なまでの迫力で押してくる演奏で、ここまでウィーン・フィルを手玉にとるマゼールは凄いとも言える。

あのウィーン・フィルを使って、ここまで自分の思いを表現しているマゼールの手腕は大したものだ。

北欧風という意味では、かなり異なった性格の演奏であるが、楽曲の本質にぐいぐいと迫っていく鋭いアプローチが見事であり、シベリウスの交響曲の我々が通常の演奏ではなかなか知りえない側面に光を当てた異色の名演ということができる。

北欧的な冷え切った空気感を感じさせる本場物のオーケストラによる演奏も良いが、こういう情熱のほとばしる熱血的で激しく燃えたぎった演奏もたまには聴きたい。

後年に、マゼールはピッツバーク交響楽団と全集を録音しているが、とても、このウィーン・フィルとの全集の水準には達していない。

いずれの交響曲も一聴の価値のある名演揃いであるが、特に、「第1」が超名演で、マゼールの底知れない異様な才能がヒシヒシと伝わってきて身震いする。

録音は、英デッカならではの鮮明なもので、アナログ的な、温もりをもった音像で現在主流のデジタル的なシャープな音像とは違うが、オーケストラの立体分離がよい優秀録音だと思う。

シベリウス交響曲のベスト盤かと聞かれると答えるのに躊躇するが、楽しめるCDであることは間違いない。

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2015年02月13日


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半ば伝説的なヴァイオリニストのイダ・ヘンデルが若きラトル共演した2つのライヴ(シベリウスは1993年、エルガーは1984年)の録音をまとめたCD。

女流ヴァイオリニストの大御所であるイダ・ヘンデルのシベリウスのヴァイオリン協奏曲は、ライナーによると、作曲者シベリウスのお墨付きを得ていたとのことであるが、作曲家自身が演奏を聴いて自分の協奏曲の「またとない解釈者」と讃えたほどの奏者の演奏を現代を代表する指揮者との共演で聴けるというのは、まさに自分自身が歴史の証人になっている気分になる。

本盤の演奏自体も素晴らしく、聴いていると、他のヴァイオリニストの演奏とは一味もふた味も違うと思う。

その違いは、テンポが実にゆったりとしていること、そして、旋律をくっきりと浮かび上がらせて、1音1音を噛み締めるように演奏している点だ。

したがって、シベリウスがスコアに記したすべての音符が克明に表現され、他の演奏では霧がかかっていたような印象を受ける箇所にも光を当てた点を評価したい。

イダ・ヘンデルのヴァイオリンは聴き手をぐいぐいと力強く引き込んでいき、この曲の持つ深みを余すことなく伝えてくれる。

聴いているうちに音楽とそれの生み出す空気感そのものに没入してしまう感じの演奏だ。

ヴァイオリンの音色も北欧の冷涼な空気にふさわしく、演奏も北欧風のロマンティックな情緒を思わせる。

もちろん、シベリウスの楽曲の性格から、イダ・ヘンデルの演奏様式がベストかどうかはわからないが、作曲者本人がその演奏を評価している点は銘記する必要があるだろう。

他方、エルガーのヴァイオリン協奏曲は、名曲であるにもかかわらず、チェロ協奏曲に比較すると、録音の数があまりにも少ない。

したがって、ヴァイオリン協奏曲を演奏する人は、よほどの自信と確信のある者に限られ、その意味では、録音された演奏は名演であることが多い。

本盤も、そうした名演の列に連なる資格のある気品のある名演と言うことが出来よう。

本演奏は同曲の魅力を再認識させるものであり、聴き応え十分でこの曲の魅力を余すことなく伝えていると思う。

両曲とも、若いラトルがサポートしているが、いずれの演奏も見事で、イダ・ヘンデルに敬意を払うかのように彼女のヴァイオリンを引き立てつつ見事に一体となった演奏を聴かせる。

何歳も年上のイダ・ヘンデルと互角に渡り合っている点に、今日の偉大な指揮者への道を歩み続けるラトルの姿を垣間見る思いがする。

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2015年01月25日


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シベリウスの交響曲は、初期の第1番及び第2番と、第3番以降の交響曲では、作風が全く異なる。

まるで別人が作曲したかのようであり、シベリウスの真の魅力は、第3番以降の交響曲にある。

したがって、シベリウス指揮者としては、第3番以降の作品をいかに巧く演奏できるかに、その真価が問われていると言えるだろう。

そんなシベリウスの7つある交響曲(クレルヴォ交響曲を除く)のうち、最高傑作は、衆目の一致するところ、第4番と言えるのではないだろうか。

もちろん、第7番も傑作ではあり、筆者としては、両者劣らぬ傑作であると考えるが、楽曲の深みという点においては、第4番の方に軍配があがるのではないかと考えている。

この傑作交響曲は、必要最小限の音符で書かれているだけあって、オーケストラの扱いもきわめて控えめで、トゥッティの箇所はわずか。

したがって、指揮をするに際しても、オーケストラに対する圧倒的な統率力と表現力を要求される難曲と言えるだろう。

もちろん、自信がある指揮者しか同曲を採り上げることはないが故に、これまでに遺された演奏は、名演であることが多かった。

そうした数々の名演の中でも、ザンデルリンクの演奏は、ドイツ風の重厚なものだ。

これはザンデルリンクの65歳時の演奏で、長らく常任を務めたベルリン交響楽団の地位を辞する年の録音でもあるが、指揮者の構成力が音楽を晦渋から救い、オケの音色も曲にふさわしい。

内省的な第4番は、虚飾を排した芸風のザンデルリンクにふさわしく、シベリウスの真の姿が浮かび上がってくる。

この第4番は、シベリウスの作品の中でも最も虚飾を排し純粋に絶対音楽的な無愛想なものだが、ザンデルリンクは一層しかめっつらで曲に対峙しているところがとてもいい。

いかにも独墺系の指揮者の手による、造型美と重厚さを誇る演奏であるが、木管楽器などの響かせ方など新鮮な箇所も多くあり、異色の名演として高く評価したい。

しかしながら、オーケストラに対する統率力は抜群のものがあり、簡潔なスコアから、実に豊かなハーモニーを作り上げることに成功している。

これほどまでに全体の造型を意識した演奏は、珍しいとも言えるが、同曲はカラヤンが何度も録音するなど得意とした楽曲で、いずれも名演であることもあり、ザンデルリンクのドイツ風の重厚なアプローチも珍しいものではない。

併録の「夜の騎行と日の出」も名演で、傑作でありながら、なかなか録音される機会の少ない同曲の魅力を、これまた重厚なアプローチで完璧に表現し尽くしている。

本盤には、かつてハイパー・リマスタリング盤が出ており、それもかなりの高音質であったが、今般のSACD盤も、それに優るとも劣らない素晴らしい音質だ。

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2015年01月18日


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本盤にはバルビローリ&ハレ管弦楽団が1966〜1970年にかけてスタジオ録音したシベリウスの交響曲全集からの抜粋である第1番及び第5番が収められている。

どこをとっても温かな血を感じることのできるバルビローリの音楽作りは、ともすると無機的になりがちなシベリウスに抜群の相性の良さを示した。

清新の気がたぎる若々しい第1番、英雄的なスケールの壮大さを誇る第5番、いずれもシベリウスに寄せる愛情の深さと解釈の確かさを感じさせる秀演。

第5番については、数年前にテスタメントから発売された1968年のライヴ録音などもあって、それも名演であるが、音質やオーケストラの安定性などを総合的に考慮すれば、筆者としては、当該全集に含まれる演奏こそがバルビローリのシベリウス演奏のベストフォームではないかと考えている。

以前のレビューにおいても記したが、バルビローリのシベリウスの特色を一言で言えば、ヒューマニティ溢れる温かさということになる。

本盤に収められた両曲の演奏においても、どこをとっても人間的な温かさに満ち溢れているが、それでいていささかも感傷的に流されることはなく、常に高踏的な美しさを湛えている点が素晴らしい。

そして、その美しさは、あたかも北欧の大自然を彷彿とさせるような清澄さを湛えている。

このように、バルビローリのシベリウスは人間的な温もりと清澄な美しさが融合した演奏であり、他の指揮者による演奏とは一味もふた味も異なっているが、これぞシベリウスの理想的な演奏であるという有無を言わせぬ説得力を有している名演奏と言える。

例えば、第5番の終楽章の有名な鐘の主題をこれほどまでに心を込めて美しく響かせた演奏は他にあるだろうか。

少なくとも、この極上の鐘の主題を聴くだけでも本名演の価値は極めて高いと言わざるを得ない。

もっとも、第1楽章の終結部において不自然に音量が弱くなるのだけが本演奏の欠点であり、ここの解釈は本演奏をLPで聴いて以来謎のままであるが、演奏全体の価値を減ずるほどの瑕疵ではないと考える。

第1番については、第1楽章の冒頭においてより鋭角的な表現を求めたい気もしないではないが、終楽章の心を込めたヒューマニティ溢れる旋律の歌い上げなども極上の美しさを誇っており、名演との評価をするのにいささかの躊躇をするものではない。

ハレ管弦楽団も部分的には弦楽合奏のアンサンブルなどにおいて若干の問題がないわけではないが、これだけの名演奏を繰り広げたことを考えれば文句は言えまい。

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2015年01月11日


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カラヤンはシベリウスを得意とし、若いころからシベリウスの作品の演奏に積極的で、DGやEMIなどにかなりの点数の録音を遺している。

そのような中で、最高峰の名演は、やはり本盤に収められた録音ということになると考える。

カラヤンの指揮者としての全勢時代は1960年初頭から1970年代の後半くらいまでであるが、本盤が録音されたのはまさにその全盛時代。

当時、蜜月の関係にあったベルリン・フィルも最高の時代であり、両者による演奏が悪かろうはずがない。

ここでは、シベリウス演奏の第一人者ともいうべきカラヤンとベルリン・フィルの1960年代の勢いのある、ゴージャスなシベリウス演奏で、ベルリン・フィルの磨き上げられた、素晴らしく美麗なサウンドによる非常に緊張感のある名演奏を聴くことができる。

とにかくベルリン・フィルの合奏力とカラヤン絶頂期の統率力により、シベリウスの交響曲の中でも完璧な演奏だ。

さらに管楽器奏者が、まさに北欧の響きを醸し出し、弦楽器も一糸乱れぬ繊細なアンサンブルで、清冽な演奏を繰り広げており、これほど完成度が高く、感動的な演奏は稀有のものと言えよう。

録音は、イエス・キリスト教会であり、ここの美しい残響もシベリウスの録音には最高のロケーションと言えるだろう。

交響曲第4番〜第7番のいずれも非の打ちどころのない名演であるが、いずれもベルリン・フィルの重量感溢れる低弦の響きや高弦による繊細な美しさはシベリウスの交響曲を聴く醍醐味というべきであり、金管や木管も最高のパフォーマンスを示している。

一部評論家からは、大言壮語だとか、シベリウスの本質を逸脱しているとの批判があるが、シベリウスは北欧のローカルな作曲家ではない。

20世紀を代表する国際的なシンフォニストであり、シベリウスの演奏はこうでないといけないというような様式などどこにも存在するはずがない。

したがって、カラヤンの演奏が、シベリウスの本質を逸脱しているなどと、何を根拠にして言っておられるのであろうか。

現に、作曲者であるシベリウスもカラヤンの演奏を高く評価していたと言うではないか。

シベリウスの交響曲は一般的に北欧系や英国系の演奏が評価されているが、むろんそれらの演奏も素晴らしいに違いない。

しかしながら、このカラヤンの演奏は、それらとは趣を異にしながら、シベリウスの本質をしっかりと捉えている。

表面的な美しさと、音楽の内面にある魂が極めて高い次元で結びついていると言える。

所謂北欧色は薄いので北欧系の指揮者とは趣は異なるが、素晴らしいことには変わりはなく、神秘的な響きとスケール感溢れる名演がたっぷりと堪能できる録音として、筆者としては、あらゆるシベリウスの交響曲演奏の中でもトップの座を争う至高の名演と評価したい。

併録の管弦楽曲2曲もカラヤンが何度も録音した楽曲であるが、本盤の演奏が随一の名演。

特に、「タピオラ」の演奏の透徹した美しさはこの世のものとは思えない高みに達しており、おそらくは同曲の演奏史上最高の超名演と評価したい。

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2015年01月02日


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カラヤンは、独墺系の指揮者では珍しいシベリウス指揮者であった。

他には、独墺系指揮者でただ一人全集を完成したザンデルリンクがいるだけである。

カラヤンは、「第3」を録音せずに鬼籍に入ってしまったが、録音の予定はあったと聞く。

これは大変残念なことではあるが、しかしながら、遺された録音はいずれ劣らぬ名演であると考える。

認知度が高いのは、フィルハーモニア管弦楽団時代の録音や、1960年代の「第4」以降の4曲を収録したベルリン・フィルとの録音であるが、何故か、1970年代の「第4」及び「第5」、そして、1980年代の本盤や「第2」、「第6」の認知度が意外にも低いのは何故であろうか。

特に、これらの演奏には、オーケストラの最強奏、特に、フォーグラーの迫力あるティンパニが、シベリウスにしては大仰過ぎる、更に一部の評論家によると、シベリウスの本質を逸脱しているという批判さえなされている。

しかしながら、シベリウスの本質とは一体何であろうか。

確かに、北欧風のリリシズムに満ち溢れた清澄な演奏が、シベリウスの演奏により相応しいことは認めるが、シベリウスは北欧のローカルな作曲家ではないのだ。

まさに、21世紀初頭を代表する国際的な大シンフォニストなのであり、それ故に、演奏様式はもっと多様であってもいいのではないだろうか。

カラヤンこそは、特に、認知度が低かった独墺系社会にシベリウスの交響曲や管弦楽曲の素晴らしさを認知させたという偉大な業績があり、作曲者も、カラヤンの演奏を高く評価していた事実を忘れてはならないだろう。

本盤の「第1」は、カラヤンの唯一の録音であり、確かに、オーケストラが鳴り過ぎる、ティンパニが強靭過ぎるとの批判は予測はされるが、北欧風の清澄な抒情にもいささかの不足もなく、筆者としては、シベリウスの「第1」を、ドイツの偉大な交響曲にも比肩する芸術作品に仕立て上げた素晴らしい名演と高く評価したい。

併録の「カレリア」も、聴かせどころのツボを心得たカラヤンならではの名演だ。

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2014年10月29日


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本盤にはバルビローリ&ハレ管弦楽団が1966〜1970年にかけてスタジオ録音したシベリウスの交響曲全集からの抜粋である第5番及び第7番が収められている。

第5番については、数年前にテスタメントから発売された1968年のライヴ録音などもあって、それも名演であるが、音質やオーケストラの安定性などを総合的に考慮すれば、筆者としては、当該全集に含まれる演奏こそがバルビローリのシベリウス演奏のベストフォームではないかと考えている。

バルビローリのシベリウスの特色を一言で言えば、ヒューマニティ溢れる温かさということになる。

本盤に収められた両曲の演奏においても、どこをとっても人間的な温かさに満ち溢れているが、それでいていささかも感傷的に流されることはなく、常に高踏的な美しさを湛えている点が素晴らしい。

そして、その美しさは、あたかも北欧の大自然を彷彿とさせるような清澄さを湛えている。

このように、バルビローリのシベリウスは人間的な温もりと清澄な美しさが融合した演奏であり、他の指揮者による演奏とは一味もふた味も異なっているが、これぞシベリウスの理想的な演奏であるという有無を言わせぬ説得力を有している名演奏と言える。

交響曲第5番については、終楽章の有名な鐘の主題をこれほどまでに心を込めて美しく響かせた演奏は他にあるだろうか。

少なくとも、この極上の鐘の主題を聴くだけでも本名演の価値は極めて高いと言わざるを得ない。

もっとも、第1楽章の終結部において不自然に音量が弱くなるのだけが本演奏の欠点であり、ここの解釈は本演奏をLPで聴いて以来謎のままであるが、演奏全体の価値を減ずるほどの瑕疵ではないと考える。

他方、第7番については、同曲のあらゆる名演にも冠絶する至高の超名演と高く評価したい。

同曲の冒頭、そして終結部に登場する重層的な弦楽合奏の美しさは、まさに人間的な温もりと清澄さが同居する稀有の表現でありバルビローリによるシベリウス演奏の真骨頂。

本名演に唯一匹敵する存在であるカラヤン&ベルリン・フィルによる名演(1967年)における弦楽合奏も極上の絶対美を誇ってはいるが、その人間的な温もりにおいて本演奏の方を上位に掲げたい。

第2部から第3部への移行部に登場するホルンによる美しい合奏も、カラヤン盤をはじめ他の演奏ではトランペットの音に隠れてよく聴き取れないことが多いが、本演奏では、トランペットなどの他の楽器の音量を抑え、このホルン合奏を実に美しく響かせているのが素晴らしい。

第1部のトロンボーンソロはカラヤン盤がベストであり、さすがに本演奏もとてもカラヤン盤には敵わないが、それは高い次元での比較の問題であり本演奏に瑕疵があるわけではない。

もっとも、弦楽合奏のアンサンブルなどハレ管弦楽団の技量には問題がないとは言えないが、それでもこれだけの名演を堪能してくれたことに対して文句は言えまい。

音質については、これまでリマスタリングなどが行われたものの、HQCD化などは全く行われず、やや不満な状況にあった。

そのような中で、今般、ついに待望のシングルレイヤーによるSACD化がなされるに及んで大変驚いた。

音質の鮮明さ、音場の幅広さ、そして音圧のいずれをとっても一級品の仕上がりであり、あらためてSACDの潜在能力の高さを思い知った次第である。

いずれにしても、バルビローリによる素晴らしい名演を、現在望みうる最高の高音質であるシングルレイヤーによるSACD盤で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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2014年10月28日


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本盤に収められたシベリウスの交響曲第4番、組曲「恋人」、そしてロマンスは、バルビローリ&ハレ管弦楽団が1966〜1970年にかけてスタジオ録音したシベリウスの交響曲全集、管弦楽曲集からの抜粋である。

多くの英国人指揮者がそうであったように、バルビローリもシベリウスを深く愛し、その作品を数多く演奏・録音してきているが、筆者としては、この全集に含まれる演奏こそがバルビローリのシベリウス演奏のベストフォームではないかと考えている。

バルビローリによるシベリウス演奏の特色を一言で言えば、ヒューマニティ溢れる温かさということになるのではないか。

本盤に収められた両曲の演奏においても、人間的な温かさに満ち溢れているが、それでいていささかも感傷的に流されることはなく、常に高踏的な美しさを湛えている点が素晴らしい。

そして、その美しさは、あたかも北欧の大自然を彷彿とさせるような清澄さを湛えている。

このように、バルビローリのシベリウスは人間的な温もりと清澄な美しさが融合した演奏であり、他の指揮者による演奏とは一味もふた味も異なっているが、これぞシベリウスの理想的な演奏であるという有無を言わせぬ説得力を有している名演奏と言えるだろう。

本盤に収められた交響曲第4番も、そうしたバルビローリの指揮芸術の美質が如実にあらわれた演奏に仕上がっている。

同曲は、シベリウスのあらゆる楽曲の中でも深遠にして晦渋とも言うべき渋味のある作品であるが、バルビローリの手にかかると、決して救いようのない暗さに全体が支配されるということがなく、血も涙もある温かみのある音楽に聴こえるのが素晴らしい。

第2楽章は終結部の唐突な終わり方もあって纏めるのが難しい音楽であるが、バルビローリはテンポの緩急を駆使するなど巧みな至芸を披露している。

ハレ管弦楽団も、部分的には弦楽合奏のアンサンブルなどにおいて若干の問題がないわけではないが、これだけの名演奏を繰り広げたことを考えれば文句は言えまい。

他方、併録の組曲「恋人」は、他に目ぼしい演奏がないだけにバルビローリのまさに独壇場。

清澄な美しさと人間的な温もりが高次元で融合した稀有の超名演に仕上がっていると高く評価したい。

ロマンスも素晴らしい名演だ。

音質については、これまでリマスタリングなどが行われたものの、HQCD化などは全く行われず、やや不満な状況にあった。

そのような中で、今般、ついに待望のシングルレイヤーによるSACD化がなされるに及んで大変驚いた。

音質の鮮明さ、音場の幅広さ、そして音圧のいずれをとっても一級品の仕上がりであり、あらためてSACDの潜在能力の高さを思い知った次第である。

いずれにしても、バルビローリによる素晴らしい名演を、現在望みうる最高の高音質であるシングルレイヤーによるSACD盤で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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本盤にはバルビローリ&ハレ管弦楽団が1966〜1970年にかけてスタジオ録音したシベリウスの交響曲全集からの抜粋である第3番及び第6番が収められている。

多くの英国人指揮者がそうであったように、バルビローリもシベリウスを深く愛し、その作品を数多く演奏・録音してきているが、筆者としては、この全集に含まれる演奏こそがバルビローリのシベリウス演奏のベストフォームではないかと考えている。

バルビローリのシベリウスの特色を一言で言えば、ヒューマニティ溢れる温かさということになるのではないか。

本盤に収められた両曲の演奏においても、人間的な温かさに満ち溢れているが、それでいていささかも感傷的に流されることはなく、常に高踏的な美しさを湛えている点が素晴らしい。

そして、その美しさは、あたかも北欧の大自然を彷彿とさせるような清澄さを湛えている。

このように、バルビローリのシベリウスは人間的な温もりと清澄な美しさが融合した演奏であり、他の指揮者による演奏とは一味もふた味も異なっているが、これぞシベリウスの理想的な演奏であるという有無を言わせぬ説得力を有している名演奏と言えるだろう。

本盤に収められた交響曲第3番及び第6番の演奏においては、いずれもそうしたバルビローリによるシベリウス演奏の美質が十二分に生かされており、おそらくはそれぞれの交響曲の様々な演奏の中でもトップクラスの名演であると高く評価したい。

両演奏の特徴を記すと、先ず、交響曲第3番については、第1楽章は誰よりも遅いテンポで開始されるが、その味わい深さは絶品だ。

第2楽章の北欧のいてつく冬を思わせるような音楽にも独特の温かさがあり、終楽章の終結部に向けての盛り上がりも申し分のない迫力を誇っている。

次に、交響曲第6番については、演奏の持つ清澄な美しさには出色のものがあり、その情感たっぷりの旋律の歌い方は、まさに「歌う英国紳士」の真骨頂とも言える至高・至純の美しさを誇っていると評価したい。

ハレ管弦楽団も、部分的には弦楽合奏のアンサンブルなどにおいて若干の問題がないわけではないが、これだけの名演奏を繰り広げたことを考えれば文句は言えまい。

音質については、これまでリマスタリングなどが行われたものの、HQCD化などは全く行われず、やや不満な状況にあった。

そのような中で、今般、ついに待望のシングルレイヤーによるSACD化がなされるに及んで大変驚いた。

音質の鮮明さ、音場の幅広さ、そして音圧のいずれをとっても一級品の仕上がりであり、あらためてSACDの潜在能力の高さを思い知った次第である。

いずれにしても、バルビローリによる素晴らしい名演を、現在望みうる最高の高音質であるシングルレイヤーによるSACD盤で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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本盤に収められたシベリウスの交響曲第2番及び交響詩「トゥオネラの白鳥」は、バルビローリ&ハレ管弦楽団が1966〜1970年にかけてスタジオ録音したシベリウスの交響曲全集及び管弦楽曲集からの抜粋である。

多くの英国人指揮者がそうであったように、バルビローリもシベリウスを深く愛し、その作品を数多く演奏・録音してきているが、筆者としては、この全集に含まれる演奏こそがバルビローリのシベリウス演奏のベストフォームではないかと考えている。

バルビローリによる交響曲第2番の録音としては、同じくEMIにモノラル録音したハレ管弦楽団との演奏(1952年)やcheskyへのスタジオ録音であるロイヤル・フィルと演奏(1962年)などがあり、1952年盤の圧倒的な生命力に満ち溢れた豪演などを上位に掲げる聴き手も多いとは思うが、音質面や演奏全体のいい意味でのバランスの良さを考慮すれば、筆者としては本演奏を第一に掲げたいと考えている。

バルビローリのシベリウスの特色を一言で言えば、ヒューマニティ溢れる温かさということになるのではないか。

本盤に収められた両曲の演奏においても、人間的な温かさに満ち溢れているが、それでいていささかも感傷的に流されることはなく、常に高踏的な美しさを湛えている点が素晴らしい。

そして、その美しさは、あたかも北欧の大自然を彷彿とさせるような清澄さを湛えている。

このように、バルビローリのシベリウスは人間的な温もりと清澄な美しさが融合した演奏であり、他の指揮者による演奏とは一味もふた味も異なっているが、これぞシベリウスの理想的な演奏であるという有無を言わせぬ説得力を有している名演奏と言えるだろう。

併録の交響詩「トゥオネラの白鳥」も、幽玄とも言うべき深沈たる味わい深さにこの指揮者ならではのヒューマニティ溢れる温かさが付加された稀有の名演と評価したい。

オーケストラは、バルビローリによって薫陶を受けていたものの、必ずしも一流とは言い難いハレ管弦楽団であり、ブラスセクションにおける粗さや、弦楽合奏のアンサンブルにおける一部の乱れなど、その技量には問題がないとは言えないが、それでもこれだけの名演を堪能してくれたことに対して文句は言えまい。

むしろ、敬愛するバルビローリの指揮の下、持ち得る実力を最大限に発揮した渾身の名演奏を展開している点を評価したい。

音質については、これまでリマスタリングなどが行われたものの、HQCD化などは全く行われず、やや不満な状況にあった。

そのような中で、今般、ついに待望のシングルレイヤーによるSACD化がなされるに及んで大変驚いた。

音質の鮮明さ、音場の幅広さ、そして音圧のいずれをとっても一級品の仕上がりであり、あらためてSACDの潜在能力の高さを思い知った次第である。

いずれにしても、バルビローリによる素晴らしい名演を、現在望みうる最高の高音質であるシングルレイヤーによるSACD盤で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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2014年10月27日


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本盤にはバルビローリ&ハレ管弦楽団が1966〜1970年にかけてスタジオ録音したシベリウスの交響曲全集からの抜粋である第1番及び劇付随音楽「ペレアスとメリザンド」が収められている。

多くの英国人指揮者がそうであったように、バルビローリもシベリウスを深く愛し、その作品を数多く演奏・録音してきているが、筆者としては、当該全集に含まれる演奏こそは、バルビローリのシベリウス演奏のベストフォームではないかと考えている。

バルビローリのシベリウスの特色を一言で言えば、ヒューマニティ溢れる温かさということになる。

本盤に収められた両曲の演奏においても、どこをとっても人間的な温かさに満ち溢れているが、それでいていささかも感傷的に流されることはなく、常に高踏的な美しさを湛えている点が素晴らしい。

そして、その美しさは、あたかも北欧の大自然を彷彿とさせるような清澄さを湛えている。

このように、バルビローリのシベリウスは人間的な温もりと清澄な美しさが融合した演奏であり、他の指揮者による演奏とは一味もふた味も異なっているが、これぞシベリウスの理想的な演奏であるという有無を言わせぬ説得力を有している名演奏と言える。

交響曲第1番については、第1楽章の冒頭においてより鋭角的な表現を求めたい気もしないではないが、終楽章の心を込めたヒューマニティ溢れる旋律の歌い上げなども極上の美しさを誇っており、名演との評価をするのにいささかの躊躇をするものではない。

ハレ管弦楽団も部分的には弦楽合奏のアンサンブルなどにおいて若干の問題がないわけではないが、これだけの名演奏を繰り広げたことを考えれば文句は言えまい。

他方、併録の劇付随音楽「ペレアスとメリザンド」は、カラヤン&ベルリン・フィルによる名演(1982年)という強力なライバルはあるものの、いわゆるシベリウスらしさという点で言えば、本演奏の方に軍配を上げたい。

各楽曲の描き分けの巧さも特筆すべきではあるが、どこをとっても北欧風の清澄な美しさと格調の高さ、そしてヒューマニティ溢れる温もりが付加されており、ハレ管弦楽団の技量には疑問を感じる箇所が散見されるものの、総体としては、おそらく同曲の演奏史上でもトップの座を争う至高の超名演に仕上がっていると高く評価したい。

音質については、これまでリマスタリングなどが行われたものの、HQCD化などは全く行われず、やや不満な状況にあった。

そのような中で、今般、ついに待望のシングルレイヤーによるSACD化がなされるに及んで大変驚いた。

音質の鮮明さ、音場の幅広さ、そして音圧のいずれをとっても一級品の仕上がりであり、あらためてSACDの潜在能力の高さを思い知った次第である。

いずれにしても、バルビローリによる素晴らしい名演を、現在望みうる最高の高音質であるシングルレイヤーによるSACD盤で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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バルビローリは、遺された録音に鑑みても極めて広範なレパートリーを誇った指揮者であったが、その中核をなしていたのはマーラーとシベリウスと言えるのではないだろうか。

中でも、本盤に収められたシベリウスの交響曲全集と主要な管弦楽曲集は、バルビローリが遺した最大の遺産の1つではないかとも考えられる。

バルビローリは、本盤に収められた演奏以外にもシベリウスの交響曲や管弦楽曲の演奏の録音を遺しており、EMIにモノラル録音したハレ管弦楽団との第2番の名演(1952年)やcheskyへのスタジオ録音であるロイヤル・フィルとの第2番の名演(1962年)、数年前にテスタメントから発売された1968年の第5番の名演(ライヴ録音)などもあるが、音質やオーケストラの安定性などを総合的に考慮すれば、筆者としては本盤に収められた演奏がバルビローリのシベリウスの代表盤であると考えているところだ。

バルビローリのシベリウスは、何と言ってもヒューマニティ溢れる温かさが魅力である。

本盤に収められた演奏は、交響曲のみならず小品においても、どこをとっても人間的な温かさに満ち溢れていると言えるだろう。

それでいていささかも感傷的に流れないのはバルビローリのシベリウスの優れている点であり、常に高踏的な美しさを湛えている。

そして、その美しさはあたかも北欧の大自然を彷彿とさせるような清澄さを湛えていると言えるところであり、バルビローリのシベリウスはまさに人間的な温もりと清澄な美しさが融合した稀有の演奏であると言えるのではないかと考えられる。

このような演奏は、とりわけ近年の北欧出身の指揮者による透明感溢れる精緻な演奏などとは一味もふた味も異なっているが、バルビローリのシベリウスには一本筋の通った確固たるポリシーがあり、シベリウス演奏の1つの理想像として有無を言わせない説得力を有しているものと言える。

交響曲第1番については、第1楽章の冒頭においてより鋭角的な表現を求めたい気もしないではないが、終楽章の心を込めたヒューマニティ溢れる旋律の歌い上げなども極上の美しさを誇っており、名演との評価をするのにいささかの躊躇をするものではない。

交響曲第2番については、壮麗な迫力と人間的な温もりが高度な次元で融合した、いい意味での剛柔のバランスのとれた素晴らしい名演。

交響曲第3番については、第1楽章は誰よりも遅いテンポで開始されるが、その味わい深さは絶品だ。

第2楽章の北欧のいてつく冬を思わせるような音楽にも独特の温かさがあり、終楽章の終結部に向けての盛り上がりも申し分のない迫力を誇っている。

交響曲第4番における深遠さも、バルビローリの手にかかると、決して救いようのない暗さに全体が支配されるということがなく、血も涙もある温かみのある音楽に聴こえるのが素晴らしい。

第2楽章は終結部の唐突な終わり方もあって纏めるのが難しい音楽であるが、バルビローリはテンポの緩急を駆使するなど巧みな至芸を披露している。

交響曲第5番については、とりわけ終楽章の有名な鐘の主題をこれほどまでに心を込めて美しく響かせた演奏は他にあるだろうか。

少なくとも、この極上の鐘の主題を聴くだけでも本名演の価値は極めて高いと言わざるを得ない。

もっとも、第1楽章の終結部において不自然に音量が弱くなるのだけが本演奏の欠点であり、ここの解釈は本演奏をLPで聴いて以来謎のままであるが、演奏全体の価値を減ずるほどの瑕疵ではないと考える。

交響曲第6番については、演奏の持つ清澄な美しさには出色のものがあり、その情感たっぷりの旋律の歌い方は、まさに「歌う英国紳士」の真骨頂とも言える至高・至純の美しさを誇っていると評価したい。

そして交響曲全集の白眉は何と言っても交響曲第7番ではないだろうか。同曲の冒頭、そして終結部に登場する重層的な弦楽合奏の美しさは、まさに人間的な温もりと清澄さが同居する稀有の表現でありバルビローリのシベリウスの真骨頂。

本名演に唯一匹敵する存在であるカラヤン&ベルリン・フィルによる名演(1967年)における弦楽合奏も極上の絶対美を誇ってはいるが、その人間的な温もりにおいて本演奏の方を上位に掲げたい。

第2部から第3部への移行部に登場するホルンによる美しい合奏も、カラヤン盤をはじめ他の演奏ではトランペットの音に隠れてよく聴き取れないことが多いが、本演奏では、トランペットなどの他の楽器の音量を抑え、このホルン合奏を実に美しく響かせているのが素晴らしい。

第1部のトロンボーンソロはカラヤン盤がベストであり、さすがに本演奏もとてもカラヤン盤には敵わないが、それは高い次元での比較の問題であり本演奏に瑕疵があるわけではない。

もっとも、弦楽合奏のアンサンブルなどハレ管弦楽団の技量には問題がないとは言えないが、それでもこれだけの名演を堪能してくれたことに対して文句は言えまい。

併録の管弦楽の小品もいずれ劣らぬ名演であるが、劇付随音楽「ペレアスとメリザンド」や、現在単独では入手不可能な組曲「歴史的情景」からの抜粋、そして組曲「恋人」、そしてロマンスハ長調は貴重な存在である。

ハレ管弦楽団も部分的には弦楽合奏のアンサンブルなどにおいて若干の問題がないわけではないが、これだけの名演奏を繰り広げたことを考えれば文句は言えまい。

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2014年10月02日


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デイヴィスは、シベリウスの交響曲全集を3度録音した稀有の指揮者だ。

これは、シベリウスの母国、フィンランドの指揮者であるベルグルンドと並ぶ最多記録であり、デイヴィスがいかにシベリウスに深い愛着を持っているのかの証左と言えるだろう。

デイヴィスの3つの全集のうち、現在でも依然として評価が高いのは、1970年代にボストン交響楽団を演奏して成し遂げた最初の全集である。

特に、「第1」〜「第5」は、他の名演と比較しても今なお上位にランキングされる名演であり、いささか透明感に欠ける「第6」や「第7」を踏まえて考えてみても、全集としての価値は、今なお相当に高いものがあると言えるのではないだろうか。

私事で恐縮であるが、筆者も中学生の時代にシベリウスの交響曲に慣れ親しんだが、その時に愛聴していたLPがデイヴィスによる最初の全集であった。

これに対して、2度目の全集は、最初の全集から約20年後の1990年代にロンドン交響楽団と成し遂げたものであるが、これは、はっきり言って、最初の全集と比較するといささか魅力に乏しいと言えるだろう。

デイヴィスとしては、自信を持って臨んだ録音であるのであろうが、そうした自信が過剰になってしまったきらいがあり、金管楽器などのいささか無機的な音色に、やや力の入った力みを感じさせるのが非常に気になった。

最初の全集と比較して、解釈に深みが加わった点は散見されるものの、デイヴィスとしてもいささか不本意な出来であったのではあるまいか。

2度目の全集から10年足らずの間隔で、ロンドン交響楽団の自主レーベルにではあるが、3度目の録音を行ったというのは、その証左と言えるのではないかと考えられる。

そして、この3度目の全集であるが、これは、2度目の全集で見られたような力みがいささかも感じられず、いわゆる純音楽的で自然体のアプローチによる円熟の名演揃いであると高く評価したい。

最初の全集において、いささか透明感に欠けていた「第6」及び「第7」についても、北欧の大自然を彷彿とさせるような繊細な抒情美に満ち溢れており、クレルヴォ交響曲をも含め、本3度目全集は、まさしくデイヴィスのシベリウスの交響曲演奏の総決算とも言うべき素晴らしい名演集であると高く評価したい。

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2014年10月01日


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ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団とバイエルン放送交響楽団という欧州2大名門を手中に、そのキャリアの絶頂を極めたかにもみえるヤンソンス。

このバイエルン放送響とのシベリウスは、そんなヤンソンスの芸境が以前とは比較にならないほど高度な領域に達していることを痛感させる、ある意味では信じがたいほどの名演。

まずは第1楽章の冒頭、ティンパニの静かな持続音を背景に現れるクラリネット・ソロの艶やかさに魅了されるが、この瞑想的な静寂を破るヴァイオリンの、まるで清水のように透明な新鮮さ、そこから始まる主題提示が金管のフォルティッシモに至るまでのわずかの間に示された、厳重をきわめたパート・バランスの管理から生まれる豊富な音型情報、オケ総員の呼吸を1人も漏らさずまとめ上げた感のある、極めて自然で弾力のある流動感等々、荒々しさばかりを強調した他の演奏からは聴かれない、美的にしてしかも力強い音楽には、まさに目からウロコが落ちる思いを禁じ得ない。

この細部に対する厳しい視線と流れるような旋律表現との共存が、この演奏を成功に導いた要因と言えるだろう。

同じ第1楽章の展開部における木管アンサンブル(6:25〜)の克明なことには仰天で、ほとんど単なる経過句として単調に処理された演奏も多いなか、多様な響きの面白さを立体的に、しかも時間の経過とともに景観を異にしていくかのような見事なコントロールとリズム感の鋭さ、響きに対する鋭敏な感覚には、かつて薫陶を受けたという故ムラヴィンスキーからの強い影響を思わせる。

この展開部に続く再現部(7:05〜)のしなやかな旋律美は、直前までが恐ろしいほど厳しかっただけに効果絶大で、なにか心が晴れ晴れと解放されるようなその感覚は、ヤンソンスのムチのように強くしなやかなフレージングによって壮健な肉体性さえも備え、弛緩した印象などは無縁だ。

もちろん、そうしたことを完全に実行するには、バイエルン放送響の高度な機能性を抜きには考えられないことであろう。

もともとヨーロッパ屈指の実力を誇るこの団体が、この演奏では従来よりさらに一段とレヴェル・アップしているように思えるのは、やはりヤンソンスとの相性の良さを物語るものなのであろうか。

持ち前の機動力はもちろん、総体としてのアーティキュレーションの統一感は、これがライヴであることを考えればほとんど信じがたいほど。

個々のソロ・パートの見事さは言うに及ばずで、とりわけ第3楽章を筆頭とするティンパニの名人芸には脱帽、いささか取りとめの無い印象もあるこの作品をタイトに引き締める絶妙な効果を上げている。

総じて言えることは、この演奏が従来にないほど細部に神経を通わせ、内在する豊富な情報を限界まで引き出してみせたということであろう。

その精密度は、これまでもっとも緻密とされたベルグルンドとヨーロッパ室内管の演奏に唯一匹敵すると言いたいほどだ。

しかもそのうえ、ここにはフル・オーケストラならではの厚みのあるサウンドと荒々しい力感があるのだから、もはやこれ以上望むものはない。

録音も優秀で、しっとりと濡れたような音色の艶やかさが全編にわたって保持される一方、細部の解像度の高さ、音の透明感を備えた、まさに究極のライヴ録音と言いたいところである。

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2014年09月23日


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本盤にはカラヤンが得意としたグリーグ、シベリウスの有名な管弦楽曲集が収められている。

このうち、グリーグのホルベルク組曲はカラヤンによる唯一の録音であるが、それ以外の楽曲については複数の録音を行っており、本盤に収められている演奏はいずれも最後の録音に相当する。

いずれも、北欧音楽を得意とした巨匠カラヤンの名に相応しい名演であるが、ホルベルク組曲を除くと、カラヤンによるベストの名演とは言い難いところだ。

カラヤン&ベルリン・フィルは、クラシック音楽界においても最高の黄金コンビと言えるが、この両者の全盛期は1960年代から1970年代にかけてというのが大方の見方だ。

この全盛期においては、ベルリン・フィルの鉄壁のアンサンブルや超絶的な技量をベースに、カラヤンが流麗なレガートを施し、重厚にして華麗ないわゆるカラヤン・サウンドを醸成していた。

そしてこのいわゆるカラヤン・サウンドを駆使した演奏は、まさにオーケストラ演奏の極致とも言うべき圧倒的な音のドラマの構築に成功していたと言えるだろう。

ところが、1982年にザビーネ・マイヤー事件が勃発すると、両者の関係には修復不可能なまでの亀裂が生じ、カラヤン&ベルリン・フィルによる演奏にもかつてのような輝きが一部を除いて殆ど見られなくなってしまった。

その意味においては、ホルベルク組曲については、この黄金コンビが最後の輝きを放った時期の演奏でもあり、ベルリン・フィルの分厚い弦楽合奏やカラヤンによる極上の美を誇るレガードが施された至高の超名演に仕上がっていると評価したい。

これに対して、グリーグの組曲「ペール・ギュント」については、両者の関係に暗雲が立てこもりつつあった時期の演奏であるが、演奏自体にはいささかもかかる問題の痕跡は見られない。

もっとも、旧盤(1971年)にあった清澄な美しさに満ち溢れた透明感がいささか失われていると言えるところであり、筆者としては旧盤の方をより上位の名演と評価したい(同曲には、ウィーン・フィルとの1961年盤もあるが、組曲からの抜粋版であり、そもそも比較の対象にはならないと考えられる)。

また、シベリウスの3曲については、両者の関係が最悪の時期でもあり、加えてカラヤン自身の健康悪化もあって、本盤の演奏では、統率力の低下が覿面にあらわれている。

したがって、カラヤンによるこれらの楽曲の演奏を聴くのであれば、透明感溢れる美しさを誇る1960年代の演奏(1964、1965、1967年(DG))または圧倒的な音のドラマを構築した1970年代の演奏(1976、1980年(EMI))の方を採るべきであるが、本演奏には晩年のカラヤンならではの味わい深さがあると言えるところであり、本盤の演奏を名演と評価するのにいささかの躊躇をするものではない。

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2014年09月22日


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カラヤンは、独墺系の指揮者としては稀少であるが、シベリウスを得意のレパートリーとしていた。

ザンデルリンクやホルスト・シュタインなどもシベリウスをレパートリーとしていたが、遺された録音の多さからすれば、カラヤンは群を抜いた存在であったと言えるだろう。

交響曲第3番については、録音の計画はあったものの、ついにそれを果たすことなく鬼籍に入ってしまったのが大変残念ではあるが、第1番を除けば、それぞれ複数の録音を行っている。

シベリウスの番号付きの7曲の交響曲の中で、本盤に収められているのは第4番と第5番であるが、カラヤンは第4番を3度、第5番を4度にもわたってスタジオ録音している。

これは、カラヤンがいかにシベリウスの交響曲を深く愛していたかの証左と言っても過言ではあるまい。

そして、一般に評価が高いのは両曲ともDG盤であると言えるところであり、リマスタリングされた国内盤も発売されるなどカタログから消えることはなく現在に至っている。

他方、本盤に収められたEMI盤は、国内盤では単独盤では長らく発売されておらず、不当にも忘れられた存在になりつつあるところだ。

これには、とある影響力の大きい某音楽評論家が、シベリウスの本質からの逸脱などという意味不明な偏向的な論法を用いて、本演奏を事あるごとに貶し続けていることにも起因していると言えるところであるが、果たして、本演奏はそれほどまでに凡庸な演奏と言い切れるのであろうか。

確かに、豪壮華麗な演奏と言える。

当時、全盛期にあったカラヤン&ベルリン・フィルの黄金コンビは、鉄壁のアンサンブルを駆使した究極の名演奏を繰り広げていたところであるが、本演奏においてもそれは健在であり、ここには圧倒的な音のドラマが展開されていると言えるだろう。

それでいて、豪快さ一辺倒の演奏にはいささかも陥っておらず、同曲の随所に盛り込まれた北欧の大自然を彷彿とさせる名旋律の数々を徹底して情感豊かに歌い抜いており、まさに剛柔のバランスがとれた圧倒的な名演に仕上がっていると評価したい。

音質は、アナログ録音の完成期のものであるが、EMIだけに必ずしも十分な音質とは言い難い面がある。

もっとも、カラヤンによる超名演であることもあり、可能であればSACD化を図るなど、更なる高音質化を大いに望んでおきたいと考える。

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2014年08月21日


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カラヤンはシベリウスを得意としており、交響曲(第3番やクレルヴォ交響曲を除く)、ヴァイオリン協奏曲、そして管弦楽曲に至るまで多岐にわたる録音を行っている。

特に、管弦楽曲については何度も録音を繰り返しており、フィルハーモニア管弦楽団との各種の録音に引き続いて、手兵ベルリン・フィルとともに、1960年代、1970年代、そして1980年代と、ほぼ10年毎に主要な管弦楽曲集の録音を行っているところだ。

本盤に収められたシベリウスの管弦楽曲集は、カラヤンによる最後の録音に相当する。

カラヤンによるベルリン・フィルとのシベリウスの管弦楽曲集でも、最もカラヤンの個性が発揮された演奏はまぎれもなく1970年代の演奏であろう。

というのも、1970年代はカラヤン&ベルリン・フィルの黄金コンビの全盛期であったからである。分厚い弦楽合奏、ブリリアントなブラスセクションの響き、桁外れのテクニックをベースに美音を振り撒く木管楽器群、そして雷鳴のように轟きわたるティンパニなどが、鉄壁のアンサンブルの下に融合し、およそ信じ難いような超絶的な名演奏の数々を繰り広げていた。

カラヤンは、このようなベルリン・フィルをしっかりと統率するとともに、流麗なレガートを施すことによっていわゆるカラヤンサウンドを醸成し、オーケストラ演奏の極致とも言うべき圧倒的な音のドラマを構築していた。

1970年代の演奏は、まさにかかる圧倒的な音のドラマが健在であり、どこをとってもいわゆるカラヤンサウンドに覆い尽くされていた。

他方、1960年代の演奏は、ベルリン・フィルにいまだフルトヴェングラー時代のドイツ風の音色の残滓が存在した時代であり、流麗なカラヤンサウンドの中にも適度の潤いが感じられ、いい意味での剛柔バランスのとれたサウンドが支配していた。

したがって、いわゆる北欧音楽らしさという意味においては、1960年代の演奏の方を好む聴き手がいても何ら不思議ではないと考えられる。

これらに対して、本盤に収められた演奏は、1970年代の演奏と比較すると、明らかにカラヤンの統率力に陰りが見えると言えるだろう。

1970年代に全盛期を迎えたカラヤン&ベルリン・フィルの黄金コンビも、1980年代に入るとザビーネ・マイヤー事件の勃発によって亀裂が入り、その後は殆ど修復が見られなかった。加えて、カラヤン自身の健康悪化もあって、この黄金コンビによる演奏にかつてのような輝きがなくなってしまったところだ。

もっとも、本演奏は、1970年代の演奏のような音のドラマの構築においては今一つの出来であり、カラヤン、そしてベルリン・フィルによるベストフォームの演奏とは言い難いものがあるが、他方、カラヤンの晩年の心境を反映した枯淡の境地を感じさせるような独特の味わいがあると言えるのではないだろうか。

したがって、人生の辛酸を舐め尽くした巨匠カラヤンの晩年の清澄な境地が色濃く反映した独特の味わい深さという意味においては、本演奏を名演と評価するのにいささかも躊躇するものではない。

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2014年07月22日


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近年では、その活動も低調なチョン・キョンファであるが、本盤に収められたチャイコフスキー&シベリウスのヴァイオリン協奏曲の演奏は、22歳という若き日のもの。

次代を担う気鋭の女流ヴァイオリニストとして、これから世界に羽ばたいて行こうとしていた時期のものだ。

チョン・キョンファは、シベリウスのヴァイオリン協奏曲については本演奏の後は1度も録音を行っておらず、他方、チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲については、ジュリーニ&ベルリン・フィルとの演奏(1973年ライヴ録音)、デュトワ&モントリオール交響楽団との演奏(1981年スタジオ録音)の2種の録音が存在している。

両曲のうち、ダントツの名演は何と言ってもシベリウスのヴァイオリン協奏曲であろう。

とある影響力のある某音楽評論家が激賞している演奏でもあるが、氏の偏向的な見解に疑問を感じることが多い筆者としても、本演奏に関しては氏の見解に異論なく賛同したい。

シベリウスのヴァイオリン協奏曲の演奏は、なかなかに難しいと言える。

というのも、濃厚な表情づけを行うと、楽曲の持つ北欧風の清涼な雰囲気を大きく損なってしまうことになり兼ねないからだ。

さりとて、あまりにも繊細な表情づけに固執すると、音が痩せると言うか、薄味の演奏に陥ってしまう危険性もあり、この両要素をいかにバランスを保って演奏するのかが鍵になると言えるだろう。

チョン・キョンファによる本ヴァイオリン演奏は、この難しいバランスを見事に保った稀代の名演奏を成し遂げるのに成功していると言っても過言ではあるまい。

北欧の大自然を彷彿とさせるような繊細な抒情の表現など、まさに申し分のない名演奏を展開しているが、それでいていかなる繊細な箇所においても、その演奏には独特のニュアンスが込められているなど内容の濃さをいささかも失っておらず、薄味な箇所は1つとして存在していない。

チョン・キョンファとしても、22歳というこの時だけに可能な演奏であったとも言えるところであり、その後は2度と同曲を録音しようとしていないことに鑑みても、本演奏は会心の出来と考えていたのではないだろうか。

こうしたチョン・キョンファによる至高のヴァイオリン演奏を下支えするとともに、北欧の抒情に満ち溢れた見事な名演奏を展開したプレヴィン&ロンドン交響楽団にも大きな拍手を送りたい。

いずれにしても、本演奏は、チョン・キョンファが時宜を得て行った稀代の名演奏であるとも言えるところであり、プレヴィン&ロンドン交響楽団の好パフォーマンスも相俟って、シベリウスのヴァイオリン協奏曲の演奏史上でもトップの座を争う至高の超名演と高く評価したい。

他方、チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲については、ヴィルトゥオーゾ性の発揮と表現力の幅の広さを問われる楽曲であることから、人生経験を積んでより表現力の幅が増した1981年盤や、ライヴ録音ならではの演奏全体に漲る気迫や熱き生命力において1973年盤の方を上位に掲げたいが、本演奏もチョン・キョンファの卓越した技量と音楽性の高さを窺い知ることが可能な名演と評価するのにいささかの躊躇もするものではない。

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2014年07月18日


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マニアの間で復活が待ち望まれていた伝説的な快演「ロジェヴェンのシベリウス」。

これは確かに普通のシベリウス演奏とひと味もふた味も違う、とにかくパワフルで強烈な演奏で、こんな部分があったのかという驚きの連続だった。

調和している部分だけでなく、不協和な部分もしっかりと響かせていて、 良い悪いは別にして、きれいごとだけではすまされないシベリウス像がここにある。

奇をてらう印象は感じなかったが、明らかに一般的な指揮者と着眼点が違う。

随所で聴かれる金管軍団の炸裂サウンドを筆頭に、鋭利で強靭にしなる弦楽器、異様に表出力が強い木管群、雷鳴のように轟くティンパニと、通常のシベリウス演奏の枠を大幅に上回る力感の誇示には驚かされる。

とりわけ金管楽器の強大な音は確かに「爆演」であり、それが好評と不評を大きく左右すると言えるが、その奏法はロシア、旧ソ連のオーケストラにある程度共通するものであり、彼らの音に対する感覚がそのようになっているからだと思われる。

よく聴き込めば決して野放図に演奏しているのではなく、光り輝くようなニュアンスを持っていることがこのCDから十分聴き取ることができる(一定のレベルにある再生装置でなければ金管の音を精確に再生しきれないので注意)。

この全集では第2番が比較的穏やかな演奏で、むしろトスカニーニの方に過剰な情熱を感じるが、快速の第3楽章から第4楽章への盛り上がりは見事な演奏である。

第1番は盛大な感情の隆起に満たされた音楽として演出されており、大パレードを見るような面白さがある。

第5番も壮絶としか言いようがないが、ここまで徹底されてしまうと痛快ですらある。

第4番はなかなかの傑作で、非常に緻密であり、精細なオーケストラ技術による目の詰んだ表現を目指し、まるで研磨機で磨きこんだような音楽の地肌を見せる。

第3番、第6番、第7番ではロジェストヴェンスキーが伸びやかに歌わせている弦楽器、特にチェロが美しい音で捉えられていて、秀逸だ。

今まで聴いてきた中ではデイヴィス&ボストン響の上品で堅牢な演奏が全集としてもっとも優れているように思っていたが、このロジェストヴェンスキーの演奏は全く別の世界の優れた全集である。

特に第6番の第1楽章は他の演奏と比べるとこれが本当に同じ曲なのかと感じるほどオリジナリティーに富む演奏になっている。

この全集は好き嫌いのはっきりする演奏とも言えるが、優れたものであることは疑う余地はない。

細部にこだわって精密になればなるほど全体の強い流れを失うような今の演奏にはない、強い訴えがここにある。

決してロシア色一辺倒ではなくこの曲の持つ北欧的なそして内省的なカラーをロジェストヴェンスキーがその知性で上手く引き出した演奏となっている。

音質は、わずかにテープの経年を感じさせる部分はあるものの鮮明なステレオで、この凄まじいシベリウス演奏を生々しく捉えていて文句無しである。

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2014年07月16日


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近・現代の作品に強い共感を持ち、それらの作品を紹介する事に情熱を注いできた諏訪内の熱い思いが凝縮したアルバム。

最初に聴いて驚かされるのが、極上の高音質録音だ。

本演奏については、これまで、従来盤に加えて、SACDマルチチャンネル付きのハイブリッド盤や、SHM−CD盤が発売されているが、今回のシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤は、これまでの数々のCDとは一線を画する画期的な高音質CDと言えるだろう。

マルチチャンネルは付いていないが、かつて発売されたSACDマルチチャンネルと比較しても、臨場感において何ら劣るものではないという点は、殆ど驚異とも言える。

筆者も、本盤を聴く前に、再生装置や音源は異なるものの、SACDマルチチャンネルを聴いていたが、それと全く遜色のない音場が形成されるのには、正直言って大変驚いた次第だ。

諏訪内は、最近では、結婚や不名誉な醜聞などもあって、低迷期にあると言えるが、本盤の録音当時は、ベストフォームにあったと言える。

女流ヴァイオリニストならではの詩情溢れる繊細な優美さが、持ち前の抜群のテクニックとも相俟って、各演奏において最高に結晶化していたからである。

特に、シベリウスにおいては、こうした若き日の諏訪内の素晴らしさが最高に発揮されており、おそらくは、同曲のトップの座を争う名演と高く評価したい。

ウォルトンの作品はハイフェッツの委嘱により作曲されたもので、現在ハイフェッツの愛用した銘器“ドルフィン”を貸与されている諏訪内の強い要望により、録音が実現されたもの。

諏訪内の“ドルフィン”を操ったヴァイオリン演奏の音色と指揮者サカリ・オラモ&バーミンガム市交響楽団の演奏がとてもよく合っていて、あらゆる両協奏曲の演奏・録音の中でも最高の出来映えの1つと言えよう。

そして、この若き日の諏訪内の見事なヴァイオリンを、その弓使いまで捉えた鮮明な高音質は、もはや筆舌には尽くしがたいハイレベルの音質に達しており、まさに完全無欠のSACDの登場と言えるだろう。

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2014年06月16日


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ザンデルリンク、ベルリン交響楽団とのベスト・コンビネーションが評判のシベリウス・シリーズからの1枚。

独墺系の指揮者によるシベリウスの交響曲は大変珍しい。

シベリウスの交響曲を頻繁に採り上げた指揮者としては、ザンデルリンクのほか、カラヤンしかいないと思われるが、カラヤンは、録音予定はあったものの第3番をついに録音することなく世を去ったこともあり、今のところ、ザンデルリンクは、シベリウスの交響曲全集を完成させた独墺系のただ一人の指揮者と言える。

ザンデルリンクのシベリウスは、いかにもドイツ風の重厚な性格の演奏だ。

落ち着いた音色、程良い力感、程良い歌い込み、ザンデルリンクの持ち味がシベリウスの音楽とマッチした演奏。

シベリウスを得意とする北欧や英国系の指揮者とは、一線を画するユニークなものであり、シベリウスを得意とした同じ独墺系のカラヤンの耽美的な(楽曲によっては劇的な)演奏とも大きく異なる。

前述のように、野暮ったいほどドイツ的な性格を帯びており、あたかもブラームスの交響曲を指揮するかのように、造型美と重厚さを全面に打ち出した演奏である。

しかしながら、よく聴くと、旋律の歌い込みであるとか、節度ある情感の豊かさであるとか、はたまた、無機的には決して陥らない力感であるとか、非常に考え抜かれた解釈された表現であることがよくわかる。

要は、巧言令色とは薬にしたくもなく、噛めば噛むほど味わいが出てくる内容豊かな演奏ということができる。

したがって、シベリウスの交響曲演奏としては、前述のようにユニークとも言えると考えるが、シベリウスの本質をしっかりと捉えた演奏ということができるところであり、名演と評価しても過言ではないものと考える。

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2014年06月13日


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両曲ともに名演だ。

ザンデルリンクは、シベリウスの交響曲全集を完成させた唯一の独墺系の指揮者であるが、いずれの交響曲も、造型美を重視したドイツ風の重厚なものであり、イギリスや北欧の指揮者の手による演奏とは性格が大きく異なるが、シベリウスの交響曲の知られざる魅力を知らしめた異色の名演として高く評価したい。

本盤の両曲も、そうしたザンデルリンクならではの重厚なアプローチを見せてくれているが、特に、ゆったりとしたテンポで、シベリウスがスコアに記した数々の美しい旋律を精緻に演奏している点が素晴らしい。

弦楽器のトレモロや、金管・木管の響かせ方にもユニークなものがあり、初めて耳にするような場面が散見されるなど、演奏に新鮮なみずみずしささえも感じさせるのには大変驚かされた。

こうした点に、ザンデルリンクのシベリウスに対する深い理解と愛着を感じさせられる。

特に「第7」はシベリウスの個性にあまりしっくり来ないはずのスタイルなのに、聴きこむと納得してしまう。

文句のつけようのない名演だと思う。

録音は、今回のハイパー・リマスタリングによって、見違えるような高音質に蘇った。

重量感にはいささか欠ける面はあるが、鮮明さが飛躍的に増しており、シベリウスの交響曲には理想的な音質になった。

かつて本演奏にはSACD盤が発売されていたが、本盤は、SACD盤に優るとも劣らない音質であると言えるだろう。

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2014年05月15日


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ベルリン交響楽団とのベスト・コンビネーションが評判のシベリウス・シリーズからの1枚。

両曲ともに文句のつけようのない名演だ。

ザンデルリンクは、シベリウスの交響曲全集を完成させた唯一の独墺系の指揮者であるが、いずれの交響曲も、造型美を重視したドイツ風の重厚なものであり、イギリスや北欧の指揮者の手による演奏とは性格が大きく異なるが、シベリウスの交響曲の知られざる魅力を知らしめた異色の名演として高く評価したい。

本盤の両曲も、そうしたザンデルリンクならではの重厚なアプローチを見せてくれているが、特に、ゆったりとしたテンポで、シベリウスがスコアに記した数々の美しい旋律を精緻に演奏している点が素晴らしい。

弦楽器のトレモロや、金管・木管の響かせ方にもユニークなものがあり、初めて耳にするような場面が散見されるなど、演奏に新鮮なみずみずしささえも感じさせるのには大変驚かされた。

こうした点に、ザンデルリンクのシベリウスに対する深い理解と愛着を感じさせられる。

録音は、1974年であり、今回のハイパー・リマスタリングによって、見違えるような高音質に蘇った。

重量感にはいささか欠ける面はあるが、鮮明さが飛躍的に増しており、シベリウスの交響曲には理想的な音質になったと言える。

また、ベルリン、イエス・キリスト教会の豊かな残響をとり入れた録音でもある。

かつて本演奏にはSACD盤が発売されていたが、本盤は、SACD盤に優るとも劣らない音質であると言えるだろう。

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2014年04月30日


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現在では押しも押されぬ巨匠ヴァイオリニストとして世界的な活躍をしているクレーメルによる若き日の名演だ。

クレーメルは、現在でもそうした評価がなされているが、超絶的な技巧をベースにしつつ、現代的なセンスに持ち溢れた鋭さを感じさせる演奏を行うことで世に馳せている。

本盤に収められたシベリウスのヴァイオリン協奏曲、そしてシュニトケの合奏協奏曲ともに、そうしたクレーメルの個性が溢れた演奏に仕上がっている。

クレーメルのヴァイオリン演奏の引き立て役は、これまた現在ではロシアを代表する大指揮者に成長したロジェストヴェンスキーであるが、ロジェストヴェンスキーはロシア音楽を得意とはしていたが、シベリウスについても得意としていた。

現在では入手難となっているが、かつての手兵であるモスクワ放送交響楽団とともにシベリウスの交響曲全集をスタジオ録音している。

当該演奏は、オーケストラがいかにもロシア色濃厚な演奏を行っていることもあって、必ずしもシベリウスに相応しい演奏とは言い難いものがあったが、それでも総体としては考え抜かれた立派な演奏であり、交響曲第3番や第7番の録音を遺したムラヴィンスキーや、近年のマリス・ヤンソンスなどと並んで、ロシア系の指揮者としては希少なシベリウス指揮者と言えるところだ。

本盤の演奏は、オーケストラがシベリウスの名演を様々な指揮者と行うなど、定評のあるロンドン交響楽団であり、ロジェストヴェンスキーとしても、オーケストラのロシア的な色合いに邪魔されることなく、まさに水を得た魚の如き演奏を行っている。

その演奏は、若干ロマンティシズムに傾斜しつつあるきらいもあるところであるが、クレーメルの一切の甘さを排した鋭角的で霧味鋭いアプローチが、演奏全体を引き締まったものとするのに大きく貢献しており、こうした指揮者とヴァイオリニストがお互いに足りないものを補い合った結果が、本演奏を名演たらしめるのに繋がったとも言えるところだ。

シュニトケの合奏協奏曲は、ロシアの現代作曲家による作品だけに、ロジェストヴェンスキー、クレーメルともに、お互いの才気が迸るような見事な名演に仕上がっていると高く評価したい。

第2ヴァイオリンを担当したタチアナ・グリンデンコによるヴァイオリン演奏も見事である。

いずれにしても、本盤の演奏は、ロジェストヴェンスキーとクレーメル、そしてグリンデンコというロシア系の音楽家がお互いの才能をぶつけ合うとともに、足りないものを補うなど相乗効果を発揮させた素晴らしい名演と評価したい。

音質については、従来CD盤でも1977年のスタジオ録音ではあるものの、比較的満足できる音質である。

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2014年03月18日


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本盤には、シベリウスを十八番としたバルビローリによる管弦楽の小品が収められているが、いずれも素晴らしい名演と高く評価したい。

バルビローリのシベリウスは、そのヒューマニティ溢れる温かさが魅力である。

それは交響曲において特に顕著ではあったが、管弦楽小品においても同様であり、どの演奏においてもバルビローリならではの人間的な温もりが感じられると言っても過言ではあるまい。

もっとも、だからと言って穏健な演奏に終始しているわけではないことに留意しておく必要がある。

例えば、冒頭に収められた交響詩「フィンランディア」は、冒頭から途轍もないエネルギッシュな力感溢れる演奏で開始される。

終結部のトゥッティに向けて畳み掛けていくような力奏も圧倒的な迫力を誇っており、バルビローリのこの演奏にかける灼熱のように燃え上がるような熱き情熱が感じられるのが素晴らしい。

中間部の讃美歌はいかにもバルビローリならではの温もりのある情感に満ち溢れており、本演奏はいい意味での剛柔バランスのとれた名演に仕上がっていると高く評価したい。

組曲「カレリア」は、シベリウスの初期の作品ということもあって、どちらかと言うと颯爽とした趣きの演奏が多いが、本演奏はまさに「歌う英国紳士」の面目躍如たる情感の豊かさが全体を支配している。

それでいて、いささかも感傷的に流れるということはなく、どこをとっても高踏的な美しさを湛えているのが素晴らしい。

いずれにしても、本演奏は、演奏の内容の密度の濃さから、同曲演奏史上でもトップの座を争う名演と高く評価したい。

他の諸曲も素晴らしい名演であり、例えば、「悲しきワルツ」の楽曲の心眼に踏み込んでいくような深遠な演奏や、交響詩「ポホヨラの娘」や「レミンカイネンの帰郷」の荒々しささえ感じさせる気迫溢れる力強い演奏も凄い。

とりわけ、「レミンカイネンの帰郷」を聴いて、バルビローリの指揮で交響詩≪4つの伝説曲≫全体を通して聴きたいと思った聴き手は筆者だけではあるまい。

ハレ管弦楽団も部分的には、ブラスセクションの荒っぽさや弦楽合奏のアンサンブルなどにおいて若干の問題がないわけではないが、これだけの名演奏を繰り広げたことを考えれば文句は言えまい。

録音は、リマスタリングを繰り返してきたこともあってとりあえずは満足し得る音質であるが、今般、ついに待望のSACD化が行われることによって大変驚いた。

従来CD盤とは次元が異なる見違えるような、そして1960年代のスタジオ録音とは到底信じられないような鮮明な音質に生まれ変わった。

バルビローリによる演奏の最大の美質でもある弦楽合奏の美しさが艶やかに表現されているのは殆ど驚異的ですらあると言えるだろう。

もっとも、ハレ管弦楽団のブラスセクションのいささかきめの細かさを欠いた荒っぽい演奏ぶりが高音質化によってさらに露わになったのは玉に傷とも言えるが、いずれにしても、バルビローリによる至高の名演を、SACDによる高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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2014年02月27日


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本盤に収められたシベリウスの交響曲第1番及び第4番は、コリン・デイヴィスによる3度目のシベリウスの交響曲全集の完結編である。

それだけに、本盤の演奏にかける意気込みには並々ならないものがあったと想定できるところであり、名演揃いの3度目の全集の中でも、本盤の演奏は飛びぬけて素晴らしい名演に仕上がっていると高く評価したい。

デイヴィスは、シベリウスを得意中の得意としており、フィンランドの大指揮者であるベルグルンドを除けば、シベリウスの交響曲全集を3度にわたって録音した唯一の指揮者である。

これはデイヴィスのシベリウスへの深い傾倒と愛着の証左と言っても過言ではあるまい。

デイヴィスによる3つの全集のうち、1970年代にボストン交響楽団を演奏して成し遂げた最初の全集については現在でも依然として評価が高いが、音質面を含めて総合的に鑑みると、最新の3度目のロンドン交響楽団とのライヴ録音による全集(2002〜2008年)を第一に掲げるべきであると考えるところだ。

デイヴィスによるシベリウスの交響曲へのアプローチは、特別な個性的解釈で聴き手を驚かしたり、奇を衒ったりすることはいささかもなく、基本的には曲想を精緻に描き出すという純音楽的で自然体のものと言える。

もっとも、曲想を精緻に描き出すという純音楽的なアプローチとは言っても、スコアに記された音符の表層だけをなぞっただけの薄味な演奏をおこなっているわけではない。

一聴すると淡々と流れている各旋律の端々には、独特の細やかなニュアンスと豊かな情感が込められているところであり、シベリウスの楽曲に特有の北欧の大自然を彷彿とさせるような繊細な抒情美の描出にもいささかの不足はない。

そして、本演奏には、80歳を超える老巨匠による演奏とは思えないような強靭な迫力や畳み掛けていくような気迫などが漲っており、前述のように、全集完結編となる本演奏にかける凄まじいまでの意気込みを大いに感じることが可能だ。

ロンドン交響楽団も、デイヴィスの指揮の下、持ち得る実力を十二分に発揮した名演奏を展開しており、弦楽セクションや管楽器セクション、そしてティンパニなど、あたかも北欧のオーケストラのような透明感溢れる美しい音色を醸し出しているのが素晴らしい。

そして、本盤で素晴らしいのは、マルチチャンネル付きのSACDによる極上の高音質録音である。

シベリウスの交響曲のような透明感溢れる抒情的な音楽には、本盤のようなマルチチャンネル付きのSACDは抜群の効力を発揮するところであり、デイヴィスによる至高の名演を臨場感溢れるマルチチャンネル付きのSACD盤で味わうことができるのを大いに喜びたい。

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2014年02月01日


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C・デイヴィスは、シベリウスの交響曲全集を3度録音した稀有の指揮者だ。

これは、シベリウスの母国、フィンランドの指揮者であるベルグルンドと並ぶ最多記録であり、デイヴィスがいかにシベリウスに深い愛着を持っているのかの証左と言えるだろう。

デイヴィスの3つの全集のうち、現在でも依然として評価が高いのは、1970年代にボストン交響楽団を演奏して成し遂げた最初の全集である。

特に、「第1」〜「第5」は、他の名演と比較しても今なお上位にランキングされる名演であり、いささか透明感に欠ける「第6」や「第7」を踏まえて考えてみても、全集としての価値は、今なお相当に高いものがあると言えるのではないだろうか。

私事で恐縮であるが、筆者も中学生の時代にシベリウスの交響曲に慣れ親しんだが、その時に愛聴していたLPがデイヴィスによる最初の全集であった。

これに対して、2度目の全集は、最初の全集から約20年後の1990年代にロンドン交響楽団と成し遂げたものであるが、これは、はっきり言って、最初の全集と比較するといささか魅力に乏しいと言えるだろう。

デイヴィスとしては、自信を持って臨んだ録音であるのであろうが、そうした自信が過剰になってしまったきらいがあり、金管楽器などのいささか無機的な音色に、やや力の入った力みを感じさせるのが非常に気になった。

最初の全集と比較して、解釈に深みが加わった点は散見されるものの、デイヴィスとしてもいささか不本意な出来であったのではあるまいか。

2度目の全集から10年足らずの間隔で、ロンドン交響楽団の自主レーベルにではあるが、3度目の録音を行ったというのは、その証左と言えるのではないかと考えられる。

そして、この3度目の全集であるが、これは、2度目の全集で見られたような力みがいささかも感じられず、いわゆる純音楽的で自然体のアプローチによる円熟の名演揃いであると高く評価したい。

最初の全集において、いささか透明感に欠けていた「第6」及び「第7」についても、北欧の大自然を彷彿とさせるような繊細な抒情美に満ち溢れており、クレルヴォ交響曲をも含め、本3度目全集は、まさしくデイヴィスのシベリウスの交響曲演奏の総決算とも言うべき素晴らしい名演集であると高く評価したい。

本盤は、かつて通常CDで発売されていて、唯一SACD化されていなかった「第5」及び「第6」をSACD化したものである。

シベリウスの交響曲のような透明感溢れる抒情的な音楽には、本盤のようなマルチチャンネル付きのSACDは抜群の効力を発揮すると言えるところであり、演奏内容の質の高さからしても、今般のSACD化を大いに歓迎したい。

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2014年01月08日


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シベリウスのスペシャリストであるコリン・デイヴィスが、世界最古の伝統を誇るオケ、シュターツカペレ・ドレスデンを指揮して、どんな演奏を繰り広げるのか?という期待を胸に購入。

一聴して、とにかくオーケストラの響きが魅力満点で、響きの豊かさに惚れ込んでしまった。

シュターツカペレ・ドレスデンのトーンは暖色系であり、寒々とした質感をもつシベリウスとは一見相容れない感じもするが、しかし厳しい冬を生き抜く人間の血潮は紛れもなく温かく、そういう情感が音色の一つ一つに宿っている。

もちろんデイヴィスの指揮も素晴らしく、もはや多くの言葉を費やすことが空しく思えてくるほどだ。

本番一発録音のため、若干のミスは否めないし、集中力が途切れる瞬間もある。

完成度の高さとしては、後年のロンドン交響楽団との2種を採るべきだろうが、曲に対する思い入れの強さは当盤からもひしひしと伝わってくる。

オケがシュターツカペレ・ドレスデンだからもう少し上を望みたいところだが、平均点は楽々クリアしている。

色数も豊富な弦楽セクション、輝かしくときに柔らかい音色を奏でる金管、これを聴くと根強いファンが多いのも頷ける。

殊に弱音部の澄み切った質感はこのオケならではと言える。

交響曲第2番は、第2楽章に欠落があるが、致命的と言うには勿体ない。

何故なら、オケが圧倒的に雄弁で、それを補って余りある程の魅力に溢れているからだ。

少々の編集ミスをあげつらうなど愚鈍の極みであり、筆者としては、透徹した精神性が結晶化した名演と高く評価したい。

交響詩「エン・サガ」もスタジオ盤(ロンドン響)とほぼ同格で、シュターツカペレ・ドレスデン特有のほの暗い音色が加味される。

最後の交響詩「レオンタール」が素晴らしい。

ゼルビヒの寂寥感に満ちた名唱にデイヴィス&シュターツカペレ・ドレスデンならではの共感溢れる雄弁な表現が冴える。

すべて完全初出で録音状態も抜群。

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2013年12月31日


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セル&クリーヴランド管弦楽団による数々の演奏は、鉄壁のアンサンブルをベースに、あたかもすべての楽器が室内楽的に融合したかのように聴こえるきわめて精緻なものであった。

このような演奏を称して、「セルの楽器」と言われたのも十分に納得できるところだ。

しかしながら、そのような鉄壁のアンサンブルを誇る演奏がある種のメカニックな冷たさを感じさせたのも否めない事実であり、1960年代半ば頃までの演奏にはそのようなものが散見されたところであった。

しかしそれも1960年代後半になると、セルも最晩年になり円熟の境地に達したせいもあると思うが、かかる鉄壁のアンサンブルを維持しつつも、クリーヴランド管弦楽団の各奏者にある種の自由を与え、より伸びやかな演奏を行うようになったように思われる。

特に、EMIに録音したシューベルトの交響曲第9番「ザ・グレイト」(1970年)やドヴォルザークの交響曲第8番(1970年)はその最たる例であり、旧盤に比較して、随分と柔軟さを増した情感豊かな演奏に仕上がっている。

本盤に収められた演奏は、セルの死の2か月前の来日時のコンサートのライヴ録音であるが、いずれも前述のようなセルの最晩年の円熟の至芸を味わうことができる素晴らしい名演と高く評価したい。

モーツァルトの交響曲第40番については、セル&クリーヴランド交響楽団によるスタジオ録音(1967年)が存在しているが、演奏の差は歴然。

当該スタジオ録音盤では、オーケストラの機能美を全面に打ち出した非常に引き締まった演奏であったのに対して、本演奏では、もちろんクリーヴランド管弦楽団の桁外れの合奏能力を聴くことは可能であるが、一聴すると何でもないような演奏の各フレーズの端々から漂ってくる豊かな情感には抗し難い魅力があり、セルの円熟を感じることが可能な素晴らしい名演に仕上がっている。

また、シベリウスの交響曲第2番については、コンセルトへボウ管弦楽団とのスタジオ録音(1964年)が存在し、オーケストラの違いもあるせいか、セルとしては情感豊かな名演であったことから、本演奏との差異はモーツァルトの場合ほどは大きくない。

しかしながら、手兵クリーヴランド管弦楽団の圧倒的な合奏力は、本演奏に独特の緊張感を生み出すとともに、実演ならではの熱気やセル自身の円熟味も加わり、至高の超名演に仕上がっていると高く評価したい。

併録のウェーバーの歌劇「オベロン」序曲やアンコールのベルリオーズのラコッツイ行進曲も、セル&クリーヴランド管弦楽団の黄金コンビによる卓越した至芸を味わうことが可能な超名演だ。

録音は、従来盤ではややメカニックな音質であり、満足できる音質とは言い難い面があったが、その後、DSDマスタリングを施した盤が発売され、見違えるような鮮明な音質に生まれ変わった。

これによって、最円熟期のセル&クリーヴランド管弦楽団の演奏の凄みが漸く鮮明に再現されることになったことを大いに喜びたい。

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2013年12月25日


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これもまたどうしようもない演奏だ。

一時はカラヤンと覇を争うほどの大指揮者であったバーンスタインが、何故にこのような駄演を行ったのか理解に苦しむ。

かつては筆者もこの濃厚な演奏を「メンゲルベルクの再来を思わせるスーパーロマンティシズムを感じる」などと絶賛したものだったが、それから歳を重ねるにつれて、聴く度ごとに、バーンスタインの表現の大仰さは、本来本質的に寡黙な作曲家であるシベリウスにそぐわないように段々感じられてきたところだ。

第1楽章はそれでもまだましと言える。

大仰で濃厚の極みとも言うべき音楽は、シベリウスの音楽というよりはマーラーの音楽を鑑賞しているような錯覚を起こさせるが、テンポなども含めとりあえずは常識の範囲内におさまっており、少なくとも凡演のレベルには達している。

ところが第2楽章、バーンスタインは何を勘違いしたのであろうか。

にわかには信じ難いような超スローテンポで曲想を進めていくが、ここまでいくともはや音楽ではなく単なる音の羅列ではあるまいか。

バーンスタインが、このような音の羅列で何を表現したかったのかは不明であるが、少なくともこの楽章に関しては、よほどのバーンスタインの熱狂的なファンでないと、全体を聴き通すことすら苦痛であると言えるだろう。

第3楽章は、本演奏の中ではもっともまともな演奏と言える。

中間部の粘ったような音楽はいかにも晩年のバーンスタインであり、その濃厚な体臭に辟易としないでもないが、少なくとも第2楽章の音の羅列を聴いた後では一服の清涼剤のように感じる聴き手は筆者だけではあるまい。

そして終楽章であるが、思わず耳を覆いたくなる。

シベリウスが作曲した旋律の中でも特に勇壮で美しい名旋律を、バーンスタインはチューバを最強奏させることによって品の悪い騒音に変容させてしまった。

このような演奏を聴いていると、聴いていて恥じらいさえ覚えるほどであり、晩年のバーンスタインはあらゆる楽曲をマーラーの音楽であると思っていたのではないかと勘繰りたくもなる。

いずれにしても、本演奏は同曲演奏史上でも最悪の駄演であり、熱狂的なバーンスタインのファンだけに存在意義がある演奏と言えるだろう。

バーンスタインは、1960年代にもニューヨーク・フィルを指揮して同曲を録音しており、それはヤンキー気質丸出しの外面的な演奏とは言えるが、本演奏よりはよほど優れているのではないかと考えられるところだ。

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