ベルリオーズ

2017年01月01日


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1958年にピエール・モントゥーがウィーン・フィルを振ったベルリオーズの『幻想』は先ずその音質の鮮明さに驚かされる。

また音響の拡がりや残響も理想的に捉えられている英デッカのステレオ黎明期の名録音のひとつだ。

音楽的に言えばモントゥーのこの曲への綿密な音楽設計が際立っていて、これ見よがしの演出を避けて純粋に音楽的な要素のみを彫琢したシャープな造詣に特徴がある。

ベルリオーズには形式感が厳然と存在していて、その中でのストーリーがあたかも映像を見るように次々に進んでいく表現が秀逸だ。

またこうした手法をウィーン・フィルにも徹底させていて、彼らも格調高い音色と巧みなアンサンブルで指揮者の要求に良く応えている。

第2楽章の優美だが次第に鼓動が高まって戦慄を呼び起こすようなワルツや、第4楽章「断頭台への行進」での金管楽器に抑制を効かせた、しかしウィーン・フィルの底力を見せる余裕を持った凄みにかえって迫力が感じられる。

終楽章の荘重な鐘の響き、フーガとグレゴリオ聖歌の旋律が重なり合うクライマックスも、あくまでも俗っぽいおぞましさからは離れた高踏的な解釈での演奏が好ましい。

モントゥーは同曲を4回録音していて、名盤と言われたサンフランシスコ響との2回目の録音に比べると表情が抑制され、オーケストラも色彩も地味なものとなっている。

そうした面では多少特色に乏しい印象もあるのだが、演奏に巨匠的な風格が漂っているのは言うまでもない。

白熱的な演奏スタイルではないが、この曲を得意としたモントゥー独自のアイデアが光る名演と言えるところであり、やはり、あらゆる『幻想』の中で注目すべき1枚だろう。

一方カップリングされたディミトリ・ミトロプーロス指揮、ニューヨーク・フィルにエレノア・ステーバーのソプラノ・ソロが加わる『夏の宵』は、指揮者の精緻でありながら官能的なオーケストラに乗って、ステーバーの艶やかな歌唱が映える演奏だ。

ミトロプーロスの頭脳的プレイは流石だが、この録音では第1曲の「ヴィラネル」が抜けて5曲のみの収録になる。

ライナー・ノーツによればこの曲がメゾ・ソプラノの響きにはそぐわないために省かれたと書かれているが、ステーバーは歴としたソプラノなので、曲趣と歌手の声質の統一を図るために指揮者自身が除外したのかも知れない。

1953年最初期のステレオ録音らしく、分離状態はそれほど良くないが音質は良好で、リマスタリングの効果もあってノイズの極めて少ない、しかも充分な音量で鑑賞することが可能だ。

現在プラガ・ディジタルスからリリースされている歴史的録音のSACD化シリーズの1枚で、ステレオ・アナログ・オリジナル・ソースからのDSDバイ・チャンネル・リマスタードとの記載がある。

当時のオープン・リール磁気テープへの録音及びその保存状態が良かったためか、SACD化の成功例に数えられる。

尚ライナー・ノーツは15ページで、演奏者及び曲目の紹介が英、仏語で、そして歌曲集『夏の宵』については仏語の歌詞が掲載されている。

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2015年09月16日


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ヴィオラの名手としても知られ、この楽器の為の多くの作品を録音しているヨセフ・スークのヴィオラ演奏集で、ショスタコーヴィチのヴィオラ・ソナタの伴奏はヤン・パネンカだが録音データ不明と記されている。

ベルリオーズの方はディートリッヒ・フィッシャー=ディースカウ指揮によるチェコ・フィルハーモニーとの珍しい協演で1976年のデジタル録音だが、どちらも音質は極めて良好。

このCDも1989年のリリース以降製造中止になっていたものの廉価盤としての復活になる。

ショスタコーヴィチのヴィオラ・ソナタは彼の死の直前に書かれた作品であるために、どうしてもその解釈には死の影を暗示させる陰鬱な表現になりがちだが、スークはことさらそうしたおぞましさを強調せずに、むしろ暖かみを持ったヴィオラの明るい音色を使った芯の太い朗々とした表現が特徴的だ。

死に対する恐怖よりも、厳粛で甘美な憧憬が優っていると言ったほうが良いかも知れない。

ベルリオーズの『イタリアのハロルド』においてもスークは官能的とも言える表現をしている。

そこには彼がヴァイオリンを弾く時と同様の薫り立つような音色とカンタービレが縦横に活かされていて、こうした表現では彼が独壇場の力量を発揮することになる。

それはこの曲の文学的なストーリーを忠実に辿った演奏ではないかも知れないが、極めて純粋な音楽的解釈だ。

ここではまたフィッシャー=ディースカウが指揮者としての優れた手腕を披露している。

ベルリオーズの華麗なオーケストレーションを精緻に再現し、チェコ・フィル特有の弦の瑞々しさ、管の機動力を引き出してみせた彼の貴重な記録でもある。

ちなみにこの作品はベルリオーズがバイロンの長編詩『チャイルド・ハロルドの巡礼』にインスピレーションを得たものだが、原作との関連性は稀薄で、作曲家自身のイタリアでの体験をベースにした創作といった感が強い。

それは彼の『幻想交響曲』と良く似ていて結果的には、彼が最も力を注いで取り組んだ標題音楽の代表作のひとつになった。

パガニーニ発注説の真偽はともかくとして、ヴィオラ奏者の最も重要なレパートリーであることは間違いない。

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2015年06月18日


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これは、チョン・ミュンフンがパリ・バスティーユ管弦楽団と残した最高の録音の1つである。

近年ではやや低調気味であるチョン・ミュンフンであるが、1990年代の演奏はどれも凄かった。

まさに飛ぶ鳥落とす勢いというものであったところであり、ドヴォルザークの交響曲第7番やショスタコーヴィチの交響曲第4番など、現在でもそれぞれの楽曲の演奏史上でもトップの座を争う圧倒的な名演を成し遂げていたと言えるところだ。

本盤に収められたベルリオーズの幻想交響曲も、絶好調のチョン・ミュンフンによる圧倒的な超名演である。

それどころか、同曲の他の指揮者による超名演、例えばミュンシュ&パリ管弦楽団による演奏(1967年ライヴ)やクリュイタンス&パリ音楽院管弦楽団による演奏(1965年ライヴ)、クレンペラー&フィルハーモニア管弦楽団による演奏(1963年)などに肉薄する至高の超名演と高く評価したい。

いまや巨匠指揮者への階段を確実に歩み続けているチョン・ミュンフンがオーケストラから引き出す並々ならぬ色彩感や圧倒的な迫力はこのアルバムでこそ威力を最大限に発揮している。

チョン・ミュンフンは、同時期の他の録音でもそうであったが、オーケストラから色彩感溢れる響きを引き出すのに長けている。

管弦楽法の大家でもあったベルリオーズの幻想交響曲は、その光彩陸離たる華麗なオーケストレーションで知られているが、チョン・ミュンフンのアプローチとの相性は抜群であり、本演奏では、同曲のオーケストレーションの魅力を最大限に表現し尽くすのに成功しており、後述のような強靭な迫力一辺倒の演奏には陥っておらず、精緻さや繊細ささえ感じさせる箇所もあるほどだ。

そして、チョン・ミュンフンは、スタジオ録音であっても実演と変わらないような生命力に満ち溢れた大熱演を展開するのが常々であるが、本演奏でもその熱演ぶりは健在であり、切れば血が噴き出てくるような熱き生命力に満ち溢れている。

第4楽章が大人し目なのがいささか不満ではあるが、第1楽章や終楽章におけるトゥッティに向けて、アッチェレランドなどを駆使しつつ猛烈に畳み掛けていくような気迫や強靭さは圧倒的な迫力を誇っていると言えるだろう。

とりわけ、終楽章終結部の圧倒的な高揚感は、聴き手の度肝を抜くのに十分な圧巻の凄みを湛えている。

チョン・ミュンフンは、第1楽章の提示部の繰り返しを行っているが、いささかも冗長さを感じさせないのは、それだけ本演奏の内容が充実しているからに他ならないと言えるだろう。

併録の歌劇「ベンヴェヌート・チェッリーニ」序曲や序曲「ローマの謝肉祭」も、エネルギッシュな力感と色彩感溢れる華麗さ、そして繊細さをも兼ね備えた圧倒的な超名演だ。

チョン・ミュンフンの圧倒的な指揮に、一糸乱れぬアンサンブルで精緻さと力強さを兼ね備えた見事な名演奏を繰り広げたパリ・バスティーユ管弦楽団にも大きな拍手を送りたい。

音質は従来盤でも十分に満足できる高音質であったが、先般のSHM−CD化によって、音質がより鮮明に再現されるとともに、若干ではあるが音場が幅広くなったように思われる。

いずれにしても、チョン・ミュンフンによる超名演を、SHM−CDによる高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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2015年02月03日


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幻想交響曲の名演のひとつであり、クリュイタンスの代表的録音のひとつでもある名高いディスク。

クリュイタンスによる幻想交響曲と言えば、来日時の爆演が思い浮かぶが、長らくの間、モノラル録音のみの発売であったこともあり、本盤のスタジオ録音の方に食指が動く聴き手も多かったものと思われる。

しかしながら、先般、来日時の爆演のステレオ録音盤が発売されたことにより、ついに、クリュイタンスの幻想交響曲の決定盤としての地位が固まったように思われる。

しかしながら、だからと言って、本盤の価値がいささかも減じたわけではない。

鋭敏なリズム感と色彩感覚が見事に一体となり、豊かな響きを作り出していて、あくまでも高雅な雰囲気をたたえつつ、熱いほとばしりにも富んだ、絶妙なバランスをもった演奏になっている。

ライヴ録音ならではの凄まじい迫力においては、一歩譲ると言わざるを得ないが、ライヴ録音特有の瑕疵がなく、オーケストラの安定性などを加味すれば、本盤も、来日時の名演に優るとも劣らない名演と評価しても過言ではないものと思われる。

幻想交響曲は、多くのフランス系の指揮者によって演奏されてきたが、クリュイタンスのアプローチは、そうしたフランス系の指揮者特有のフランス風のエスプリと、ドイツ風の重厚さを併せ持った独特の味わいを持つと言える。

その理由としては、クリュイタンスが、ベートーヴェンやワーグナーなどをも得意のレパートリーとしていたことが掲げられる。

クリュイタンスの演奏は、決して激情にまかせて我を忘れることなく、最初から最後まで絶妙のテンポをきっちり守り、ある種の規則正しい素っ気なさの中に実に豊かな色あい、幽玄の美、内に秘めた情熱、絶望の底知れない暗さ、生きる力強さなどが矛盾しながら見事にまとめあげられ1つの作品解釈として完成している。

柔らかい中に強さがあり、規則性のなかの人間性というように矛盾を昇華させ表現することができる稀有の指揮者だ。

この演奏を聴くにつれ、胸の中で青白い炎が揺らめき、うねっていくような感情に捉われた。

終楽章のスタジオ録音とは思えないような畳み掛けるようなアッチェレランドの凄まじさも、素晴らしいの一言だ。

クリュイタンスの操る精緻ながらにして伸びやか、また堅強なソリストに支えられた激情の波は、決して最終章まで幻想の中で過去にされることを拒み続ける。

クリュイタンス&フィルハーモニア管弦楽団は、ベルリオーズの譜面を単に音にしたのではなく、ベルリオーズの報われない壮大な美しい恋の幻想を、時空も幻想も超えた音に乗せて命を吹き込んでくれたのであった。

この当時のフィルハーモニア管弦楽団も多文化性の中に伝統を感じさせ、力のこもったよい演奏だ。

併録の2つの序曲も名演だ。

HQCD化によって、音場が広くなり、より鮮明になった点も、本盤の価値を高めることに大きく貢献している。

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2015年01月01日


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凄い演奏だ。

幻想交響曲の名演と言えば、どちらかと言えば、フランス人指揮者によるフランス風のエスプリ漂う演奏が多い。

もちろん、ミュンシュ(特に、パリ管弦楽団発足ライヴ録音)やクリュイタンス(特に、来日時のライヴ録音)のようなドラマティックな豪演もあるが、それらの演奏にも、フランス風の瀟洒な味わいが内包されていた。

ところが、クレンペラーの演奏には、そのようなフランス風のエスプリなど、どこにも見当たらない。

ゆったりとしたインテンポによるドイツ風の重心の低い演奏だ。

同じく独墺系の指揮者による名演としてカラヤン盤が掲げられる(特に1974年盤)が、カラヤンの場合も、演奏全体としてはドイツ風の重厚なものであるものの、カラヤンが鍛え抜いたベルリン・フィルの色彩豊かな音のパレットを用いて、可能な限り、フランス風の音を作り出していた。

その結果として、重厚さに加えて華麗という表現が相応しい名演に仕上がっていたと言える。

しかしながら、クレンペラーの場合は華麗ささえないと言える。

強いて言えば、野暮ったささえ感じさせるほどなのだ。

しかしながら、その重心の低いスローテンポの音楽から浮かび上がってくる内容の深さは、同曲のいかなる名演をも凌駕すると言える。

クレンペラーは、そもそも幻想交響曲を標題音楽としてではなく、純粋な交響曲として演奏しているのだろう。

前述のように、ゆったりとしたインテンポによる決して前に進んでいかない音楽ではあるが、それによって、ベルリオーズの音楽の魅力が、その根源からすべて浮かび上がってくるかのような趣きがある。

木管楽器の生かし方も新鮮さの極みであり、この音楽を初めて聴くような印象を受ける箇所が多く散見される。

そして、演奏全体としてのスケールの雄大さは、他にも比肩するものはない。

あまりの凄まじい指揮ぶりに、必死でついて行ったフィルハーモニア管弦楽団も、アンサンブルが微妙に乱れる箇所(特に、終結部)もあり、スタジオ録音ではありながら、実にスリリングな印象を受ける箇所さえもある。

HQCD化によって、音場が拡がるとともに、音質に鮮明さを増した点も、本盤の価値を高めるのに大きく貢献している。

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2014年11月15日


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アバドの後を追ってベルリン・フィルの第6代芸術監督に2002年に就任したラトルであるが、就任から5年間ほどは、名うての猛者たちを統率することがままならず、新機軸を打ち出そうという気負いだけが空回りした凡庸な演奏を繰り返した。

これは、アバドと同様であり、ベルリン・フィルの芸術監督就任前の方が、よほど素晴らしい演奏を成し遂げていたとも言えるところだ。

しかしながら、本盤の1つ前の録音であるマーラーの交響曲第9番あたりから、漸くラトルならではの個性が発揮された素晴らしい名演を成し遂げるようになった。

芸術監督に就任してから5年を経て、漸くベルリン・フィルを統率することができるようになったことであろう。

本盤に収められたベルリオーズの幻想交響曲、そしてカンタータ「クレオパトラの死」も、ラトルがベルリン・フィルを巧みに統率して、自らの個性を十二分に発揮し得た素晴らしい名演に仕上がっていると高く評価したい。

幻想交響曲については、第1楽章冒頭から途轍もない気迫が漲っている。

主部に入ってからも、テンポの振幅や強弱の変化を大胆に駆使して、熱き生命力に満ち溢れたドラマティックな演奏を行っている。

ベルリン・フィルの管楽器奏者の巧さにはただただ舌を巻くのみである。

第2楽章の格調の高い音楽は、ラトルが単なる勢い一辺倒の無内容な演奏をしていない証左とも言える。

第3楽章は、静寂が漂う音楽であるだけに、全楽章の中での存在感を発揮させるのが難しい楽章であるが、ラトルの場合は、ベルリン・フィルの卓越した奏者たちを見事に統率して、実にコクのある音楽を醸成させている。

第4楽章は、冒頭はあまり調子が出ない(反復も忠実に実施)が、徐々に調子を上げていき、終結部においては、ベルリン・フィルの圧倒的な合奏力に物を言わせて、途轍もない迫力に満ち溢れた豪演を成し遂げている。

終楽章は、ベルリン・フィルの猛者たちの技量は筆舌には尽くし難いところであり、これらの手綱を引き締めて見事な音のドラマを構築し得たラトルの指揮者としての円熟ぶりも特筆すべきであろう。

カンタータ「クレオパトラの死」も、ベルリン・フィルを巧みに統率した名演であるが、ソプラノのスーザン・グラハムの名唱も、本名演に大きく貢献しているのを忘れてはならない。

音質は、初回生産限定ではあるがHQCD化が図られることによって十分に良好な音質であり、いずれにしても、ラトル&ベルリン・フィルの名コンビが漸く軌道に乗った素晴らしい名演を高音質HQCD盤で味わうことができるのを大いに喜びたい。

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2014年10月21日


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ミュンシュは幻想交響曲を十八番にしていた。

これは何もミュンシュに限ったことではなく、フランス系の指揮者に共通するものであり、モントゥーにしても、クリュイタンスにしても、それこそ何種類もの幻想交響曲の録音が存在している。

フランス系の指揮者にとって、やはり幻想交響曲というのは特別な存在なのではないかと考えられるところだ。

ミュンシュの幻想交響曲と言えば、有名なのはパリ管弦楽団の音楽監督に就任して間もなく録音された1967年盤(EMI)だ。

これは、最近、SACD化されて更に名演のグレードがアップしたが、それとほぼ同時期のライヴ録音(アルトゥス)は、更に素晴らしい超絶的名演であり、2011年2月のレコード芸術誌のリーダースチョイスにおいてトップの座を獲得したことも記憶に新しい。

これらの演奏の前の録音ということになると、当時の手兵ボストン交響楽団とのスタジオ録音(1962年)ということになる。

本盤は、当該スタジオ録音の2年前の来日時のライヴ録音ということになるが、さすがに前述の2種の1967年盤には劣るものの、1962年のスタジオ録音盤よりははるかに優れた素晴らしい名演と高く評価したい。

本盤を聴いて感じるのは、やはりミュンシュのライヴ録音は凄いということだ。

スタジオ録音でも、前述の1967年盤において顕著であるが、その生命力溢れる力強さと凄まじい気迫に圧倒されるのに、ライヴとなると、とてもその比ではなく、あたかも火の玉のように情熱の炎が迸っている。

前述の1967年のライヴ盤(アルトゥス)でもそうであったが、ミュンシュは生粋の舞台人であったのではないかと考えられる。

それ故に、多くの聴衆を前にして、あれほどの燃焼度のきわめて高い演奏を披露することが可能であったのではないだろうか。

本盤においても、ミュンシュの燃焼度は異様に高く、最初から終わりまで、切れば血が出てくるような灼熱のような生命力にただただ圧倒されるばかりだ。

ミュンシュの幻想交響曲は、モントゥーやクリュイタンスのようにフランス風のエスプリなどはあまり感じさせない。

これは、ミュンシュがドイツ語圏でもあるストラスブール出身ということにも起因していると考えるが、これだけの気迫溢れる豪演で堪能させてくれるのであれば、そのような些末なことは何ら問題にもならないと考える。

加えて、ミュンシュのドラマティックな指揮に、一糸乱れぬアンサンブルで最高のパフォーマンスを示したボストン交響楽団の卓越した技量についても高く評価したい。

併録のルーセルの「バッカスとアリアーヌ」組曲やヘンデルの水上の音楽からの抜粋も、ミュンシュの熱い指揮ぶりが印象的な超名演だ。

録音も、特に幻想交響曲の第4楽章における金管楽器のいささかデッドな音質など、音場が今一つ広がらないという欠点も散見されるが、1960年のものとしては十分に良好な音質であり、本盤の価値をより一層高めるのに大きく貢献している点を忘れてはならない。

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2014年09月14日


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今は亡き巨匠ミュンシュは、その生前フランス音楽を得意としていたが、特にベルリオーズ協会の会長を務めていたこともあり、ダイナミックな情熱と確固とした構築感を併せ持ったベルリオーズ解釈の第一人者として高い名声を誇っていた。

この「レクイエム」は、そんなミュンシュのベルリオーズ作品録音の中でも最高の名盤とされているものであり、その色彩の豊かさと宗教的雰囲気が絶妙のバランスを保っている。

ここでのミュンシュは、曲を徹底的に無機的な音符の還元をした上で、その音に与えられた純粋な音楽的な質量をもとにして音楽を再構成しようとする。

極端な言い方をするなら、彼は「レクイエム」という衣装を無視して、その裸の本質をいわば1つの純音楽として表出しようとする。

ミュンシュの長所である的確きわまりないデュナーミクの感覚がそれを支え、可能にしている。

バイエルン放送交響楽団の大編成管弦楽による圧倒的な音場が、さらにこの音楽の体質を再現するのに適している。

ミュンシュの表現はやや剛直だが、バイエルン放送交響楽団の威力は素晴らしく、ことに金管楽器は、ベルリオーズの音楽の華麗さをよく引き出し、聴き手を陶然とさせる。

このオケの適度の荒々しさと素朴な情熱が、ここでは水を得た魚というべきであるし、コーラスが何よりもしっかり歌っているのに敬意を表する。

特に第2曲〈怒りの日〉や第4曲〈おそるべき力もて王〉、第6曲〈涙の日よ〉が圧巻だ。

巨大な作品だけに、演奏の完璧性は求め難いが、この演奏は、ベルリオーズの音楽の本質に迫った気迫溢れる世紀の名演である。

ミュンシュには手兵ボストン交響楽団との録音もあるが、このバイエルン放送交響楽団との録音では客演ならではの緊張感に満ちた演奏が繰り広げられている。

シュライアーの若き日の歌唱も注目される。

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2014年05月19日


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本盤に収められたベルリオーズの幻想交響曲は、2010年12月にニューヨークでおこなわれた小澤の病気療養後の復帰コンサート(2日目)の記録である。

既に従来盤で発売されているブラームスの交響曲第1番(14日)も小澤渾身の大熱演であったが、その翌日(15日)の幻想交響曲も凄い演奏だ。

小澤は、若い頃からフランス系の音楽を得意としており、とりわけ幻想交響曲を十八番としていた。

これまで、トロント交響楽団(1966年)、ボストン交響楽団(1973年)及びサイトウ・キネン・オーケストラ(2007年)の3度に渡って録音を行っており、それらはいずれ劣らぬ名演であった。

したがって、今回の演奏は4度目の録音ということになる。

確かに、本演奏においては、小澤自身も病が癒えたばかりで本調子とは言えず、オーケストラもホームグラウンドではないことから万全とは必ずしもいえないところであり、演奏の安定性の観点からすれば、前述の3種の名演にはかなわないし、本演奏上の瑕疵などについて指摘することは容易である。

しかしながら、本演奏にはこれまでの名演とは比較にならないような、小澤のこの演奏にかける直向きさや気迫、そして執念が漲っており、小澤の渾身の命がけの指揮が我々聴き手の肺腑を打つのである。

これぞまさしく入魂の指揮と言えるところであり、火の玉のように燃え尽きんとする小澤に導かれたサイトウ・キネン・オーケストラも大熱演を繰り広げている。

また、小澤&サイトウ・キネン・オーケストラによる壮絶な演奏を固唾をのんで見守るとともに、演奏終了後にスタンディング・オヴェイションとブラヴォーの歓呼で応えた当時の聴衆も、この大熱演の成就に大きく貢献していると言えるだろう。

まさに、本演奏は前日のブラームスの交響曲第1番と同様、指揮者、オーケストラ、そして聴衆が作り上げた魂の音楽と言えるところであり、このような高みに達した音楽に対しては、細部に渡る批評を行うこと自体がおこがましいことと言わざるを得ない。

我々聴き手は、ただただこの崇高な至高の超名演を味わうのみである。

録音も素晴らしい。

シングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤は間違いなく現在のパッケージメディアにおける最高峰の高音質であり、小澤による至高の超名演をこのような極上の高音質で味わうことができるのを大いに喜びたい。

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2014年05月01日


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1991年にシカゴ交響楽団のポストを勇退したショルティが、翌1992年にザルツブルクの聖霊降臨祭コンサートで再びシカゴ交響楽団と行った演奏会の貴重なライヴ録音盤。

ショルティは稀代のオーケストラトレーナーとして、もともと有数の実力を持っていたシカゴ交響楽団を更に超一流の存在に引き上げたが、そうしたショルティだけに、管弦楽の大家と称されたベルリオーズ、中でもその最高傑作とされる幻想交響曲を得意としていたことは十分に理解できるところだ。

ショルティによる同曲の代表盤と言えば、シカゴ交響楽団の音楽監督に就任して間もないころにスタジオ録音を行った演奏(1972年)が念頭に浮かぶ。

強靭なリズム感とメリハリの明瞭さを全面に打ち出したショルティの基本的なアプローチが、同曲の性格に見事に符号しており、シカゴ交響楽団の桁外れの技量も相俟って、どこをとっても曖昧な箇所がなく、明瞭で光彩陸離たる音響に満たされた圧倒的な名演に仕上がっていたと言えるところだ。

したがって、ショルティとしても会心の出来と考えたのではないかと思われるが、シカゴ交響楽団の音楽監督在任中は、同曲を再録音することはなかった。

そのようなショルティであったが、シカゴ交響楽団の音楽監督退任の翌年(1992年)、ザルツブルク聖霊降臨祭コンサートにおいて、満を持して20年ぶりに再録音を行ったのが本盤収められた演奏である。

本演奏を聴くと明らかであるが、確かにショルティの特色であった強靭なリズム感とメリハリの明瞭さ、そして鉄壁のアンサンブルといった点においては、旧演奏に一歩譲っているというのは否めないところだ。

しかしながら、本演奏においては、晩年を迎えて指揮芸術により一層の懐の深さ、奥行きの深さを増したショルティならではの円熟の至芸を堪能することが可能であり、いわゆる演奏の彫りの深さといった点においては旧演奏よりも上位に掲げられるのではないだろうか。

ショルティ指揮のシカゴ交響楽団は、旧演奏ほどの凄みは感じさせないが、超絶的な技量をベースとして一糸乱れぬアンサンブルを披露しているのが見事であり、ショルティ統率下のシカゴ交響楽団がいかにスーパー軍団であったのかを認識させるのに十分なヴィルトゥオジティを最大限に発揮している。

かかるシカゴ交響楽団の好パフォーマンスが、本演奏を名演たらしめるのに大きく貢献しているのを忘れてはならない。

併録のリストの交響詩「前奏曲」は、ロンドン・フィルとの旧録音(1977年)に比して、オーケストラの力量も含めて数段優れた演奏に仕上がっていると言えるところであり、それどころか、フルトヴェングラー&ウィーン・フィルによる演奏(1954年)、カラヤン&ベルリン・フィルによる演奏(1967年)に次ぐ素晴らしい名演と高く評価したい。

音質も英デッカによる極めて優秀なものであり、ルビジウム・クロック・カッティングによって更に鮮明さが増したと言える。

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2014年04月03日


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ベルリオーズの幻想交響曲はミュンシュが最も得意とした曲のひとつであり、パリ管弦楽団の記念すべき最初のコンサートでの演目でもあった。

先般、その1967年11月14日に行われたパリ管弦楽団発足コンサートにおけるライヴ盤(アルトゥス)が発売されたことから、当盤は若干その価値を下げたと言えるが、演奏の安定性と言う意味では優れている面も多々あり、現在においても、ミュンシュを代表する超名演の座を譲ってはいない。

前述のコンサートに臨む前に、数日間かけてスタジオ録音された演奏ではあるが、とてもスタジオ録音とは思えないような圧倒的な生命力を感じさせる豪演だ。

第1楽章から終楽章まで、ミュンシュの指揮は阿修羅の如き突進で燃えに燃えまくっており、聴いていて手に汗を握るほどだ。

創設されたばかりのパリ管弦楽団も、これだけの快速のテンポであるにもかかわらず、一糸乱れぬアンサンブルを保っており、管楽器も弦楽器も最高の技量を示している。

発売当初から名盤の誉れ高い究極の演奏であり、熱き力の漲った、熱気溢れる超名演である。

ミュンシュ&パリ管弦楽団の黄金コンビが遺した録音は、本盤を含め4枚のCDのみであり、これらの演奏の質の高さに鑑みて、ミュンシュのあまりにも早すぎる死を残念に思う聴き手は筆者だけではあるまい。

これだけの歴史的な超名演だけに、これまで様々な高音質化の取り組みがなされてきたが、HQCD盤にしても今一つ音場が拡がらない、そして音がクリアに鳴り切らないという問題が解消されなかったというのは否めない事実である。

しかしながら、先日、ついに待望のSACD盤が発売された。

これは、マスターテープを下にしたということもあって、そもそも従来盤とは次元が異なる高音質であり、音場の拡がりも音質の鮮明さにおいても全く申し分がなく、おそらくは究極の高音質SACDと高く評価したい。

そして、ミュンシュ&パリ管弦楽団の歴史的超名演をこのような高音質SACDで味わうことができるのを大いに噛み締め、熟聴したい。

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2014年03月03日


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ショルティは稀代のオーケストラトレーナーとして、もともと有数の実力を持っていたシカゴ交響楽団を更に超一流の存在に引き上げたが、そうしたショルティだけに、管弦楽の大家と称されたベルリオーズ、中でもその最高傑作とされる幻想交響曲を得意としていたことは十分に理解できるところだ。

ショルティによる同曲の代表盤と言えば、シカゴ交響楽団の音楽監督に就任して間もない頃にスタジオ録音を行った演奏(1972年)が念頭に浮かぶ。

強靭なリズム感とメリハリの明瞭さを全面に打ち出したショルティの基本的なアプローチが、同曲の性格に見事に符号しており、シカゴ交響楽団の桁外れの技量も相俟って、どこをとっても曖昧な箇所がなく、明瞭で光彩陸離たる音響に満たされた圧倒的な名演に仕上がっている。

そして、ショルティの鋼のような芯の強さに柔軟なタッチが加わり、ロマンティックな香りが立ち昇る。

第1楽章は遅めのテンポとデリケートな表情で始まるが、起伏が激しく、一旦盛り上がるとデモーニッシュなまでの凄みがある。

音響効果の高い第4、5楽章は一層ダイナミックでスケールが大きく圧倒される。

まずは文句のつけようがない名演だし、ショルティとしても会心の出来と考えたのではないかと思われる。

したがって、ショルティはシカゴ交響楽団の音楽監督在任中は、同曲を再録音することはなかった。

その後ショルティは、シカゴ交響楽団の音楽監督退任の翌年(1992年)、ザルツブルク聖霊降臨祭コンサートにおいて、満を持して20年ぶりに再録音を行った。

その新盤を聴くと明らかであるが、ショルティの特色であった強靭なリズム感とメリハリの明瞭さ、そして鉄壁のアンサンブルの凄みといった点において、旧盤に一歩譲っているというのは否めないところだ。

その点、旧盤は、超絶的な技量をベースとして一糸乱れぬアンサンブルを披露しているのが見事であり、ショルティ統率下のシカゴ交響楽団がいかにスーパー軍団であったのかを認識させるのに十分なヴィルトゥオジティを最大限に発揮している。

かかるシカゴ交響楽団の好パフォーマンスが、本演奏を名演たらしめるのに大きく貢献しているのを忘れてはならない。

序曲「宗教裁判官」は未完に終わった初期オペラの序曲で、独立して出版されたものだが、演奏も素晴らしい。

音質も英デッカによる極めて優秀なものである。

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2014年02月18日


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ネット配信が隆盛期を迎えパッケージメディアの権威が失墜しつつある中で、一時は絶滅の危機に瀕していたSACDが、一昨年あたりから息を吹き返しつつあるようである。

というのも、SACDから撤退していた大手のユニバーサルがシングルレイヤーによるSHM−CD仕様のSACDの発売に踏み切るとともに、本年からはEMIがSACDの発売を開始したからである。

これには、オクタヴィアやESOTERICなどの国内レーベルがSACDを発売し続けてきたことが大きいと思うが、いずれにしても、今後とも過去の大指揮者による名演を可能な限りSACD化して、少しでもかつてのパッケージメディア全盛期の栄光を取り戻していただきたいと心より願っているところだ。

そして、今般、大指揮者の歴史的な来日公演のCD化に積極的に取り組んできたアルトゥスレーベルが、ついにSACDの発売を開始したのは、かかる昨年来の好ましい傾向を助長するものとして大いに歓迎したい。

本盤に収められたベルリオーズの幻想交響曲は、クリュイタンスの十八番とも言うべき楽曲である。

本演奏の6年前にもフィルハーモニア管弦楽団とともにスタジオ録音(1958年)を行っており、それはクリュイタンスならではのフランス風のエスプリに満ち溢れた瀟洒な味わいの名演であった。

ところが、本演奏においては、クリュイタンスは1958年盤とは別人のような指揮ぶりである。

来日時のコンサートでのライヴということもあると思うが、これは爆演と言ってもいいような圧倒的な高揚感を発揮していると言えるだろう。

どこをとっても凄まじいまでの気迫と強靭な生命力が漲っており、切れば血が噴き出てくるような灼熱のような指揮ぶりである。

とりわけ、終楽章においては、トゥッティに向けて畳み掛けていくような猛烈なアッチェレランドを駆使しており、その圧巻の迫力は我々聴き手の度肝を抜くのに十分だ。

それでいて、とりわけ第2楽章や第3楽章などにおいて顕著であるが、パリ音楽院管弦楽団の各奏者による名演奏も相俟って、この指揮者ならではのフランス風のエスプリ漂う洒落た味わいに満ち溢れている。

いずれにしても本演奏は、我々が同曲の演奏に求めるすべての要素を兼ね備えた至高の超名演に仕上がっていると高く評価したい。

併録の2曲は当日のアンコールであるが、ムソルグスキーの組曲「展覧会の絵」からの抜粋である古い城は濃厚なロマンティシズムを感じさせる名演であり、ビゼーの組曲「アルルの女」からの抜粋であるファランドールに至っては、金管楽器の最強奏などによりとてつもない音塊が迫ってくるような壮絶な演奏であり、そのド迫力に完全にノックアウトされてしまった。

そして、このような歴史的な超名演を心行くまで満喫させてくれるのが、今般のシングルレイヤーによるSACDによる極上の高音質である。

既に、アルトゥスから発売されていた従来盤と比較すると、そもそも次元の異なる鮮明な高音質に生まれ変わった。

いずれにしても、かかる歴史的超名演を現在望み得る最高の高音質SACDで味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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2014年01月26日


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3年ほど前に発売されてベストセラーになったミュンシュ&パリ管弦楽団の発足コンサートの待望の完全収録版の登場だ。

それは、以前、発売されていたCDに収録されていたベルリオーズの幻想交響曲、ドビュッシーの交響詩の「海」に加えて、新たにストラヴィンスキーのレクイエム・ティクルスがカップリングされているが、何と言っても本盤の売りは、新たなリマスタリングによって音質がより一層改善されたことにある。

以前発売のCDも、1960年代のライヴ録音とは思えないような鮮明さであったが、録音レベルの調整などによって、いい意味でより聴きやすい音質に変貌したと言えるところだ。

歴史的な超名演だけに、本盤のような高音質化の意味はより大きいと言わざるを得ないだろう。

ミュンシュの数ある名演の中でも間違いなく頂点に君臨するものと高く評価したい。

まず「海」であるが、これはパリ管弦楽団と組んだ録音が遺されていないだけに、その意味でも貴重な録音。

ボストン交響楽団と組んだいささか大味な演奏とは別人のように緻密な表現を行っている。

もちろん重厚さにも不足はなく、第1部の終結部などあまりのド迫力にミュンシュのうなり声が聴こえてくるではないか。

第3部の冒頭では、嵐を予感させるような不気味な雰囲気が漂うなど、初めて聴くような新鮮さを感じさせるし、終結部の猛烈なアッチェレランドの凄まじさ。

実に感動的な名演と言えるだろう。

そして、幻想交響曲。

筆者は、ミュンシュ&パリ管弦楽団のスタジオ録音こそ同曲最高の名演と評価してきたが、本盤はそれを凌駕する。

ということは、幻想交響曲の演奏史上最高の名演ということになる。

第1楽章の冒頭は、スタジオ録音盤以上にゆったりとしたテンポで濃厚な表現を見せる。

しかし、主部に入ると、テンポはめまぐるしく変化する。

アッチェレランド、ゲネラルパウゼなどを効果的に駆使して、これ以上を望めないようなドラマティックな名演を繰り広げている。

第2楽章も濃厚な表現であるが、終結部の猛烈なアッチェレランドは相変わらず凄まじい。

第3楽章は、やや速めのテンポで緊迫感のある演奏を心がけている点が、あまりの遅いテンポによってもたれてしまいがちな他の演奏とはそもそも次元が異なる。

ここぞという時の迫力にもいささかの不足はない。

第4楽章の冒頭はゆったりとしたテンポで、断頭台に向かう死刑囚の内面を見透かすような不気味さを強調するかと思えば、主部に入ってからのダイナミックレンジの幅の広さ。

終結部に向けてのアッチェレランドの凄まじさは、過去のどの演奏をも凌ぐド迫力だ。

終楽章は、めまぐるしくテンポが変化する曲想であるが、ミュンシュはそれを殊更に大仰に強調することによって不気味さをより一層強調しているが、これは大正解。

終結部に向けての猛烈なアッチェレランドはもはや狂気と裏腹であり、演奏終了後の聴衆の熱狂も当然だと思われる。

パリ管弦楽団は管楽器も弦楽器も実に巧く、録音も1960年代のライヴ録音とは思えないくらい鮮明だ。

このような歴史的な超名演を製品化したアルトゥスレーベルに対して、心から敬意と感謝の念を表したい。

新たにカップリングされたストラヴィンスキーの楽曲も、幻想交響曲や交響詩「海」に優るとも劣らない素晴らしい名演であり、当日のコンサートがいかに圧倒的なものであったのかがよく理解できるところだ。

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2014年01月12日


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ブーレーズによるベルリオーズの幻想交響曲と言えば、「レリオ、または生への回帰」との組み合わせで話題となったロンドン交響楽団との旧盤(1967年)の衝撃が今でも忘れられない。

この当時のブーレーズは、ストラヴィンスキーのバレエ音楽「春の祭典」(1969年)やバルトークの管弦楽のための協奏曲(1973年)など、前衛的な名演の数々を成し遂げていた時期であり、幻想交響曲においてもその斬新な解釈が聴き手の度肝を抜いたものであった。

しかしながら、そのような前衛的なブーレーズも、1990年代に入ってDGに様々な楽曲を録音するようになると、すっかりと好々爺となり、大人しい演奏が増えるようになってきた。

もっとも、スコアリーディングについてはより追求度が上がったとも言えるところであり、そのアプローチは更に精緻さを増したとさえ言えるところだ。

本盤に収められた幻想交響曲においても、ブーレーズによる精緻なアプローチは際立っている。

細部の一音に至るまで蔑ろにすることがない精緻さは、あたかもスコアをレントゲンで撮影するかのような精巧さであり、これまでの演奏では聴き取れなかったような音型さえ聴こえてくるほどである。

それでいて、単なるスコア至上主義には陥っておらず、どこをとっても情感の豊かさに満ち溢れているというのは、まさにブーレーズの円熟の至芸と言えるところである。

いずれにしても、本演奏はブーレーズの新境地を体現した素晴らしい名演と高く評価したい。

併録は、今回は「レリオ、または生への回帰」ではないが、「トリスティア」もブーレーズならではの非常に考え抜かれた精緻な名演に仕上がっている。

クリーヴランド管弦楽団の卓抜した技量も、このような精巧な演奏に大きく貢献しているのを忘れてはならない。

クリーヴランド管弦楽団合唱団も最高のパフォーマンスを示している。

録音は従来盤でも十分に満足できる音質であったが、今般のSHM−CD化によって、さらに音質が鮮明になるとともに音場が幅広くなった。

ブーレーズによる素晴らしい名演を、SHM−CDによる高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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2014年01月05日


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正規では4種類あるカラヤンの幻想交響曲のうち演奏・録音含めベストと言えるのがこの1964年盤。

当時の重厚なベルリン・フィルと意欲漲るカラヤンが聴かせる、美しく、迫力満点の幻想交響曲だ。

カラヤンはこの交響曲を作曲者自身が付記しているように、失恋体験を告白することを意図した標題音楽として忠実に再現している。

そして、ベルリオーズが意図的に演出しようとしたサイケディックさを極上の美しさをもって幻想的に仕上げている。

特に筆者にとっては第1楽章の「夢、情熱」が白眉である。

むせ返るような、やるせない恋の感情を、弦楽器群と木管楽器群の見事なアンサンブルで表現している。

そして、颯爽としたテンポと大地を揺るがす巨大なトゥッティに思わず痺れる。

教会の豊かな残響を伴ったカラヤン・サウンドは極上で、第2楽章など本当に言葉にならないくらい美しい。

どちらかと言えば毒々しい狂気的な印象がある曲だが、カラヤンは「断頭台への行進」や「ワルプルギスの饗宴」までも美しく、そして上品に創り上げている。

そして最後の最後まで張り詰めた緊張の糸が途切れず、一気にクライマックスを作り上げるところはカラヤンならではの構成である。

終楽章コーダのティンパニと大太鼓の凄まじい重低音に導かれ炸裂するベルリン・フィルのフルパワーは圧巻。

さすがにカラヤン&ベルリン・フィルにこの手の楽曲を演奏させると上手い。

とにかく、美しさではこの盤の右に出る演奏にはお目にかかっていない。

録音も力感&スケール感不足の新盤に比べ重厚感あり、リアルで良い。

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2014年01月01日


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いつもラトル&ベルリン・フィルが録音するベルリンのコンサートホールの火事で仕事場をカラヤンがよく使ったイエス・キリスト教会に変えての収録。

『幻想交響曲』という作品自体が描写音楽であることは重々承知のうえで、これほど純音楽的に美しい演奏は珍しい。

本ディスクでラトルの演奏は厳格なスコアリーディングに基づきながらも、ごく自然な表出になっているように思う。

アナリーゼの緻密さと余裕のある流れが合致した好演である。

管弦楽曲としての作品の天才性をこれだけ満喫させてくれるディスクはこれまでなかったのではないか。

初めて聴くような印象も与えてくれる。

その成功は、多分にゆったりしたテンポにある。

その代償として、作品の狂気やグロテスクさは後退しているものの、ラトルのアプローチがそもそもそういうものではないという気がする。

ヴァントの『展覧会の絵』などと似て、あくまで管弦楽曲に対するアプローチなのである。

確かにミュンシュのような爆演型を求める人にはピンとこない演奏かもしれないが、そうそう熱演ばかり何度も繰り返して聴けるものではない。

作品の内包する斬新さ・ユニークさを抽出してみせたラトルの手腕と、それに見事な反応をみせるベルリン・フィルには好悪は兎も角、素直に認めざるを得ないだろう。

このような他では聴けない、誰にも真似できない音世界を作れることは、ラトルがやはり優れた演奏家であることを示しているのではないかと思う。

「ラトルとベルリン・フィルは聴衆に息つく間を与えない」(英国グラモフォン誌)。

HQCD化による音質の向上も目覚ましく、本名演に大きく貢献している。

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2013年09月13日


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圧倒的な超名演だ。

小澤は、若い頃よりフランス系の音楽を十八番として、頻繁に演奏してきたが、ここでもそうした小澤の天賦の才能が全開だ。

ここでの小澤は、まさに水を得た魚の如く、自らの才能の赴くままに、のびのびと自由闊達に演奏を行っているような印象を受ける。

幻想交響曲の録音は、ボストン交響楽団の音楽監督就任の年のものであるが、そうした記念の年に録音を行ったという事実は、小澤の同曲への深い愛着と同時に、その自信のほどが窺える。

演奏全体に、若き日の小澤ならではの、畳み掛けるような気迫と力強さが支配しており、切れば血が出るほどに熱い情熱に満ち溢れている。

特に、第4楽章の切れ味鋭いリズム感と強靭さ、終結部に向けての猛烈なアッチェレランドは圧巻の迫力だ。

それでいて、力任せの空虚な演奏にはいささかも陥っておらず、フランス音楽ならではの瀟洒な味わいと内容の濃さを失っていない点を高く評価したい。

小澤は、緩急自在のテンポ設定や、広範なダイナミックレンジ、アッチェレランドを巧みに駆使して、ドラマティックな演奏を行っているのだが、交響曲全体の造型がいささかも弛緩しないというのは、小澤の類稀なる才能とともに、小澤のベルリオーズとの抜群の相性の良さを大いに感じるのである。

併録の「ボレロ」や「亡き王女のためのパヴァーヌ」も、後年の録音のようにやや洗練され過ぎるという愚に陥ることはいささかもなく、若き日の小澤の生命力溢れる力強さと、フランス風の瀟洒な味わいが見事に融合した稀有の名演だ。

小澤の統率の下、ボストン交響楽団は素晴らしい演奏を披露しており、特に、金管楽器や木管楽器の卓越した技量は圧巻の凄さだ。

SHM−CD化によって、音質に鮮明さと音場の広さが加わった点も評価したい。

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2013年08月22日


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ベルリオーズの幻想交響曲は、巧みなオーケストレーションや標題交響曲としてのドラマティックな展開の面白さなどから、古今東西の様々な指揮者によって、多種多様な個性的名演が繰り広げられてきた。

特に、フランス系の指揮者には必須のレパートリーであり、ミュンシュやクリュイタンス、モントゥーなどには、それぞれ複数の名演が遺されているほどだ。

また、ドイツ系の指揮者にも人気が高く、クレンペラーによる重厚な名演は今なお燦然と輝いているし、カラヤンも3度にわたって絢爛豪華な名演を成し遂げている。

鐘の音色にやや違和感があるが、ケーゲルによる心胆寒からしめるような演奏もあった。

その他にも、前衛的なブーレーズ(旧盤)による怪演、チョン・ミュンフンによる名演、2度にわたって名演を成し遂げた小澤など、名演には枚挙にいとまがない。

これだけ、数多くの指揮者による多種多様な名演が成し遂げられている理由としては、幻想交響曲にはオーケストラ演奏の醍醐味があるということになるのではないだろうか。

このような楽曲になると、パーヴォ・ヤルヴィの卓越した豊かな音楽性は、存分にその力を発揮する。

パーヴォ・ヤルヴィは、ベルリオーズの華麗なオーケストレーションを精緻に、そして丁寧に描き出して行く。

それでいて、スコアの音符の表層を取り繕った薄味の演奏には陥ることなく、どこをとっても豊かな情感に満たされているのが素晴らしい。

また、パーヴォ・ヤルヴィは、各楽章の描き分けを巧みに行うなど、演出巧者ぶりを存分に発揮しており、第1楽章及び終楽章におけるドラマティックな表現にも抜かりはないし、第4楽章の強靭さは圧倒的な迫力を誇っている。

いずれにしても、本演奏は、聴き手を驚かすような特別な個性のある演奏とは言い難いが、純音楽的なアプローチで楽曲の持つ魅力をダイレクトに表現するのに成功したという意味においては、素晴らしい名演と高く評価したい。

併録の劇的交響曲「ロミオとジュリエット」からの抜粋も、こうしたパーヴォ・ヤルヴィの演出巧者ぶりが発揮された名演であり、この演奏を聴いて、長大な同曲全曲を聴きたいと思った聴き手は筆者だけではあるまい。

そして何よりも素晴らしいのは、シンシナティ交響楽団の卓越した技量であり、管楽器も弦楽器も最高のパフォーマンスを示している。

録音も、テラークならではの極上の高音質録音であり、パーヴォ・ヤルヴィの精緻な演奏を鮮明な音質で味わうことができることを大いに喜びたい。

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2013年05月02日


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小澤征爾のボストン交響楽団の音楽監督就任後間もない頃の録音であるが、今なお小澤の代表盤の一つであるとともに、同曲のトップの座を争う名演と高く評価したい。

小澤は、現在でこそ、ブラームスなどのドイツ音楽でも素晴らしい名演を聴かせてくれているが、若き時代には、どちらかと言うと、フランス系の音楽を十八番として、より頻繁に採り上げていた。

本盤の録音の前後には、メシアン、ラヴェル、フォーレなど、今なお他の追随を許さないような名演の数々を生み出してるが、本盤のベルリオーズも大変得意としていた。

今回のシリーズでは、本盤の「ファウストの劫罰」と幻想交響曲が再発売されるが、演奏の質の高さからしても、大いに歓迎すべきであることであると言える。

それにしても、本盤の小澤のセンス満点の音楽性の豊かさを何と表現すればいいのであろうか。

どこをとっても、切れば血が出るような生命力に満ち溢れており、それでいて、フランス音楽ならではの洒落た味わいにもいささかの不足はない。

各場面毎の描き分けも実に巧みに行っており、その演出巧者ぶりは、ウィーン国立歌劇場のシェフとして辣腕を振るった後年の円熟の小澤を彷彿とさせるのに十分だ。

独唱陣はいずれも秀逸であるが、特に、ファウスト役のスチュアート・バロウズの歌唱が素晴らしい。

タングルウッド音楽祭合唱団もいつもながら見事な歌唱を聴かせてくれているが、随所で活躍するボストン少年合唱団の歌唱は、至純・至高の美しさを誇っており、本名演に大きく貢献していることを忘れてはなるまい。

ボストン交響楽団も最高のパフォーマンスを示しており、これから若き小澤を盛り立てていこうという力強い気迫さえ感じられる。

録音も合唱を含め全体を鮮明に捉え切った見事なものであり、高く評価したい。

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2013年01月26日


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1960年5月5日/日比谷公会堂に於けるライヴ(ステレオ)録音。

ミュンシュ&ボストン交響楽団の来日公演は、1996年に故黒田恭一氏の「20世紀の名演奏」で聴いたが、幻想交響曲はミュンシュの十八番中の十八番で、手兵ボストン響とのスタジオ録音とは別人のように燃えており、ライヴならではの熱気が爆発した超名演だ。

ミュンシュのベルリオーズは格別であり、先にDVDになった日本フィルとのライヴ同様、幻想交響曲の達人が日本でその超十八番を披露した記録として、不滅の価値を持つものである。

ただ単に歴史的名演、熱演というだけでなく、指揮者と作曲家、指揮者と作品とが特別な絆で結ばれている、そんな感慨に浸らせるライヴである。

ドラマティックな解釈も素晴らしいし、演奏にかける情熱、覚悟にもただならぬ気配が充満しているが、その背景には、この名作だけがもつ真実性を全身全霊をかけて明らかにしようとしたミュンシュの使命感があり、それが強烈な説得力となって演奏全体に輝きと起伏とスリルを与えている。

ルーセルは、この曲をミュンシュはボストン響とモノラルでしか録音しておらず、このステレオ録音は貴重で、圧倒的なもの(この曲はミュンシュが初演している)である。

「バッカスとアリアーヌ」組曲はミュンシュ&ボストン響の得意のレパートリーで、この来日公演でも優れた演奏を聴かせてくれた。

何よりも、ミュンシュの明晰で健康な解釈がルーセルの音楽の性格と様式にふさわしく、古代ギリシャの神話の世界が眼前に繰り広げられるようにさえ感じられる。

それは、素朴で力強く、同時に繊細で優美な情感にも不足しない。

ミュンシュがルーセルの作品で遺した名演奏である。

両曲を通して、ボストン響の音色も明るく、輝かしい。

ミュンシュのやる気も前例がないが、オケも傑出、聴き手を演奏芸術の真髄に立ち合わせてくれる。

座右の宝である。

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2013年01月07日


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コリン・ディヴィスはベルリオーズを得意とし、数々の名演を残してきた。

特に、最高傑作と称される幻想交響曲は、何度も録音を繰り返しているが、その中でも、やはり第一に掲げるべき名演は、本盤の1974年盤と言えるのではなかろうか。

何よりも、オーケストラにロイヤル・コンセルトへボウ管弦楽団を起用したのが大きい。

管楽器も弦楽器もいずれも完璧なアンサンブルで、若きディヴィスの指揮についていっており、しかも、この当時にオーケストラに顕著に存在した北ヨーロッパならではのくすんだいぶし銀の音色が、演奏に潤いと深みを与えていることを見過ごしてはならない。

オーケストラが高性能のせいか非常に克明な演奏である。

リズムの硬軟、旋律の歌わせ方、楽器のバランス、そして強弱法など、すべてにわたって思案したあげくの実に丹精な指揮ぶりで、聴いていて、なるほどとデイヴィスに相槌を打ちたいところがたくさんある。

いささか分解的表情を積み上げた感もあるが、終楽章はさすがである。

原典にしたがって、コルネットを活用している点も、ディヴィスのベルリオーズへの傾倒ぶりをあらわしており、本盤は、数々の幻想交響曲の名演の中でも上位に位置づけられる名演と高く評価したい。

そして、この名演の真価を究極の音質で味わうことができるシングルレイヤーのSACDがついに登場した。

SHM−CD化や表面のコーティングなど、音質向上のための最善の努力がなされており、唖然とする超高音質に仕上がっている。

コンセルトへボウ管弦楽団の各管楽器奏者の名技なども完璧に再現されており、弦楽器のつややかな響きも美しさの極み。

眼前で演奏会が行われているような錯覚に陥るほどの臨場感溢れる極上の音質に仕上がっている。

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2012年01月07日


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デュトワ指揮モントリオール響が、全くグロテスクさのない優麗典雅なエレガントそのもののフランス趣味の名演を聴かせる。

透明なサウンドと緻密な合奏に支えられ、都会的で洗練された美しい響きは、本来ベルリオーズ的な演奏というべきだろう。

ベルリオーズの音楽のもつ劇的な面と、感覚的な音色の美しさを引き出した、極めてデリケートで語り口のうまい演奏である。

誇張やハッタリを避け、音楽的な発想のみで仕上げた、近代的知性に溢れた演奏なのである。

「幻想」は管弦楽の色彩美の極致ともいえる多彩な音色と艶やかさをもった演奏で、すみずみまでデリケートに表出された明晰きわまりない音楽だ。

一面では絵画的ともいえるが、極めて感覚的演奏ということもできる。

迫力とかダイナミズムには無縁だが、リズム感あふれる好演で、その緻密なテクスチュアの掘り起こしには、ただただ見事なものと感心せざるを得ない。

「イタリアのハロルド」は第1楽章から華麗で色彩豊か、ベルリオーズの作風の一面をよく表している。

ズーカーマンのヴィオラは魅力あふれる美音で、引き締まった緊張感が生まれている。

第2楽章ではヴィオラがよく音楽に溶け込み、弦楽器も誠実で端正。

第3楽章の表情も明朗そのもので、終楽章の構築的な表現とともにヴィオラと管弦楽が一体となって呼吸し、この作品の効果を最高に引き出している。

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2012年01月05日


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ミュンシュ=ボストン響による2度目にして、決定的名演となった《幻想》。

ミュンシュのボストン響音楽監督としての最後の録音の一つで、1949年以来10年以上にわたる緊密なパートナーシップがまさに融通無碍の名演に結実。

今のボストン響からは失われて久しいフランス風の華麗な響きを保ちつつ、壮絶に高揚していくドラマは、他では聴くことができない。

豊かな色彩感を確保しながら、情熱的な力強さを臆することなくぶつけて、グイグイと進める音楽の運びが自然で自在なミュンシュが、やはりベストだろう。

ミュンシュにとって《幻想》は肉体の一部になっているかのようだ。

数種ある演奏のそれぞれが名演の名に恥じないものだが、2度目のボストン盤が、その完成度の高さで抜きん出ており、この曲の主情的演奏として理想的なバランスを持っている。

ボストン響との録音は、ミュンシュが最も精力的に活動していた頃の、若々しい活力を伝えている。

造形が端正で、後年の演奏より客観的であるが、それだけに音楽的には純粋で骨格が逞しい。

ボストン響も輝かしく充実感が強い。

情熱が噴き上がるような快演で、ミュンシュの率直な音楽性と豪快な交響性が、ベルリオーズのもつ強靭な生命力を的確に表現している。

まさにこの作品の本領を伝える名演というにふさわしいこの演奏にあっては、オケのメンバーたちの一丸となって演奏に没入している姿勢もが目覚ましく、それは、とめどもなく情熱的でホットな時間の推移をつくり出し、圧倒的な説得力をも生み出すこととなっている。

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2012年01月04日


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ミュンシュが最も得意とし、名刺代わりのように世界各地で演奏した「幻想交響曲」の古典的名盤。

ライヴも含めると6種類の演奏がCD化されているが、その中でパリ管弦楽団との1967年盤に匹敵する熱気を孕みながら、アンサンブルの充実度で勝るのがこのボストン響との1954年盤で、ミュンシュ=ボストン響の組み合わせによる最初期のステレオ録音の一つである。

この演奏にはミュンシュの最も素晴らしい面があふれている。

音楽がいまそこで産声をあげ、まあたらしい生命そのものの力で動いているという感動に襲われる。

棒はかなり緩急自在だが、オーケストラはまるでもともと自分たちがそうしたかったところを、そう振ってくれたといわんばかりの、自然な動きぶりである。

そのような動きの中に美しい情熱が輝いている。

たとえばモントゥーの「幻想」は、標題交響曲はかくあるべしといった演奏だが、ミュンシュの演奏はまったく正反対で、率直そのもの、テンポも速く、各楽器の特性をあくまで明確に出している。

本当に明快で音楽的な演奏でアクは強くないかもしれないが、第一級の演奏というべきであろう。

ボストン交響楽団のうまさも特筆すべきである。

さらに、この演奏には、テンポの緩急の変化がかなり強く出ているのと、情緒的劇的構成をつくるのが各所にみられる。

それがまた表現を豊かにしている。

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2011年06月10日


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マルケヴィチは、20世紀の大指揮者たちのなかでも特に知匠と言えるひとりであったが、この《幻想》は、彼の知匠としての手腕が大きな成果を実現させたユニークな名演に他ならない。

これは1961年の比較的古い録音だが、ドイツ・グラモフォンのステレオ期最高の録音で、オーディオ・ファイル的魅力も充分にあろう。

これまで出た数多くの《幻想》の中で、これほど個性的でかつその表現に納得させられる演奏も少ないように思う。

たとえば、第1楽章の「恋人の主題」に入るところで、気分的に急いで激しく盛り上げ、その後テンポを落としてラグ的なリズムを強調して優雅な恋人の主題に入る。

しかし、途中で青年がためらうようにテンポを落とすが、再び激しく高揚させていく表現法は、個性的であると同時に見事である。

また、第2楽章では、ワルツに入る部分でテンポを落とし、ウィンナ・ワルツ風なリズムのとり方をしていてまことに優雅な趣がある。

このような表現が至るところに見られ、標題の内容をより具体的に提示している。

そして特筆すべきは、作曲家でもあったマルケヴィチ生来の音に対する特殊な能力とも言うべきもので、その天才性こそ、標題音楽の内容とあいまって、独特の色調で染め上げ、交響曲としての意義の乏しさを補って余りあるものにするのだ。

獲物をじっと見据えるような目と鋭い感性は、ベルリオーズの夢と覚醒の世界を、マティスの絵を思わせる、ある種のエキセントリックな色の組み合わせで描くのだ。

リアルで具体的な標題音楽であるこの交響曲を手がけたマルケヴィチは、巧妙な配慮が光るすこぶる効果的な演奏設計によって、この交響曲のドラマとしての内容を実に鮮やかにリアリゼし、聴き手を飽きさせることのない表現を聴かせている。

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2011年04月10日


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ケーゲルは東独の指揮者には珍しくレパートリーが広く、ストラヴィンスキーをはじめ、ヒンデミット、ヴェーベルン、ノーノなども録音しているが、フランスものはこれが初レパートリー。

典型的なドイツ風な演奏でも、この曲が充分説得力のあるものであることを立証した1枚。

ベルリオーズは、リスト、ワーグナーに通じるロマン主義音楽の始祖であって、後世への影響を考えれば、このような解釈があっても不思議はない。

全体に重く、暗い印象が伴うのはその1つの表れだ。

ともかく暗い音楽を聴いてのたうちまわりたい人にはあの世に脚を一本つっこんでいるかのような演奏が超印象的なこの録音を推薦。

ベルリオーズをフランス音楽のアングルからばかり捉えてきた考え方に対しては警鐘となる演奏であり、幻想交響曲の1つの在り方を示唆した録音だ。

ケーゲルは、ロマン的情熱のかけらもなく、常ながらの死体的音楽を展開する。

死体的音楽とは有機的連関を欠いた音楽ということ。

死体は、生の有機性を失い、無機物と化しているゆえ死体であり、ケーゲルの《幻想》も、音楽をタテにもヨコにも細分化し、個々の響きを扱いぬこうとする姿勢に於いて、まぎれもなく死体的である。

おまけにこの録音、終楽章の鐘の音が怪しい。錆びついた大鐘を無理やりぶっ叩いたような感じの響きがする。とにかく澱んで濁った大きな音だ。

というわけで、ケーゲルの《幻想》は結局、死体のように無機的に鳴り続ける管弦楽と怪奇な大鐘の響きの織り成す、この上なく猟奇的な一編となる。

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2010年11月22日


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「ある芸術家の生涯の挿話」というサブタイトルをもつこの作品は、ベルリオーズの心に深い傷跡を残した叶わぬ恋の思いを動機に、斬新な手法で描いた不滅の傑作。

クラウディオ・アバド指揮シカゴ交響楽団の演奏は、アバドの巧みな構成力と緻密な解釈、そしてオーケストラのすばらしい名人芸とが相俟って、これまでになく音楽的でハイ・グレードな名演となっている。

アバドの極めて注意深い楽譜の読みとシカゴ交響楽団の名人芸的と形容したいアンサンブルの妙技を得て、初めて成功した演奏。

ベルリオーズのロマン性や怪異な標題性にこだわらず、むしろ楽譜そのものを純粋に受けとめ、この上なく音楽的に表現している。

それぞれの部分と全体に必要な起承転結が明確にされ、そこに悠揚とした器量の大きさと逞しい緊張力が加わって造形的に端正と表現の豊かさを両立させている。

シューマンは「ベルリオーズを天才と認めるべきか、それとも音楽上の冒険者と認めるべきか…」と語っているが、そんなベルリオーズの感覚の新しさと表現の豊かさが、ここではすばらしい緊張力をともなって、知的に、明確に、描き出されている。

なお第5楽章に広島の「平和の鐘」の音を処理して使用している。

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2010年10月29日


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カラヤンの幻想交響曲としては3枚目のCDであるが、意外にもこの1974年盤が最後の録音である。

カラヤンは、その後、1989年の死去の年までに幾度となく演奏会で幻想交響曲を採り上げているが、スタジオ録音しないままあの世に逝ってしまった。

その理由についてはよくわからないが、本盤は、最後の録音という名に恥じないくらいの名演だと思う。

1974年と言えばカラヤンとベルリンフィルの蜜月時代の末期であり、カラヤンの卓越した統率力と各楽章の的確な描き分け、それにベルリン・フィルの卓抜した技量も相俟って、珠玉の名演に仕上がっている。

《幻想交響曲》はそのテクスチュアから様々な音が引き出し得る。

したがって、指揮者によって個性の異なる名盤が目白押しであるが、カラヤンの演奏もこの曲には忘れてはならないものであろう。

彼独特の耽美的な指向性と妖艶と言えるまでの表情の磨きによって、この曲が単なるストーリーを追った展開だけにとどまらない、音響の濃密なる祭典、オーケストラ美学(ベルリン・フィルのみ可能な)の究極としてここに示されている。

率直な若々しい表現が、精力的な活動を続けていた当時の演奏様式をよく表している。

すばらしくなめらかな肌ざわりと美しい光沢で仕上げられた、オーケストラのタペストリーと言える。

現代の管弦楽演奏の最高水準にあり、スコアのすみずみまで音に表している。

それだけに、ベルリオーズの管弦楽法の効果が鮮やかに表現された、スケールの大きい演奏だと言える。

終楽章はやや腰の重い進行ではあるが、充分に練り込まれた色彩と響きの充実で聴く者を魅了する。

鐘の音色にはやや違和感を覚えるが、ベルリン・フィルの重量感あふれる演奏には意外とマッチしているかもしれない。

交響曲というよりは、交響詩風に展開していくのは、作品の上で当然の帰結だろう。

録音も《幻想》をかなり意識したとり方で、空間的な広がりや色彩の微妙な変化が絶妙で、カラヤン自身の演出も多分にあろう。

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2010年09月15日


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チョン・ミュンフンは、いま私が最も注目している指揮者のひとりである。

この《幻想交響曲》は、彼のディスクを代表するといってよい傑作だが、何よりも磨きぬかれたオーケストラの音色と合奏力がすばらしい。

フランス音楽は、このような響きでなくてはなるまい。

したがって、つややかな弦と豊麗な管楽器が輝かしく、アンサンブルは緻密で透明、独自の繊細感にみちあふれている。

一般のフランス風をつきぬけたきびしい演奏といえるが、これこそがミュンフンの薫陶の賜物であろう。

もともとはピアニスト出身のミュンフンだが、指揮の才能はそれ以上で、オーケストラを自在にコントロールし、自らの音楽を完璧につくりあげてしまう。

この《幻想交響曲》では曲のストーリーから来る異常な音楽的揺れに対してまさにしなやかに、奥深く描いてゆく。

冒頭の憂鬱な雰囲気を大きな呼吸や溜息のように、実に細やかに弦に表情を与える所などは、ミュンフンの豊かな音楽性とそれを具現化する棒の技術がいかに高いかを証明している。

第1楽章の提示部が反復され、コルネットが追加されているのもよい。

その決然とした表情には、若々しい覇気がみなぎっている。しかもテンポは緩急自在、大胆な表情の音楽が奔流のように流れる。

まさに痛快な音楽で、第4楽章では力が充満し、終楽章ではあの奇怪な音響と音楽が完全に一致している。

そのなかに躍動的な生命力が放射されている。

パリ・バスティーユ管のアンサンブルや特に柔らかな音色はきわめて魅力的に響く。

この頃は政治的にぎくしゃくする不協和音もあったが、音楽的には全く関係なく、ミュンフンは自らの才能を演奏にぶつけている。

ただただ感嘆のほかはない演奏である。

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2010年06月26日


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レヴァイン初のベルリオーズ録音。ベルリン・フィルもこれらの曲の録音はおそらく初めて。

それも独唱、合唱の入った劇的な作品だけに、オペラに巧みな手腕を発揮するこの指揮者の力量が余すところなく示されている。

しかもオーケストラがベルリン・フィルだけに、その名技性を存分に生かし、躍動感に富んだ輝かしい表現が達成されている。

そのぶんフランス的な雰囲気は少なくなっているが、むしろそのインターナショナルな表現が大きな魅力になっているとさえ言える。

レヴァインは序奏から見事なアンサンブルを作り、速めのテンポと端的な表情で、トスカニーニを思わせる明晰さをもって南欧の雰囲気を漂わせる。

オペラの指揮で鍛えた劇的な表現力が実に効果的だ。

フォン・オッターをはじめとする独唱陣も素晴らしく、合唱も高水準で充実していてこの愛のドラマを生き生きとしたものにしている。

オッターの魅力的な声で一分の隙もない名唱を添えたことにより、さらに輝かしい表現となった。

余白に収められたオッターの歌う歌曲集《夏の歌》も、豊かな陰影を表出し、好演。

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2010年06月22日


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この「幻想」は知的で明晰な表現が、きりりと引き締まったアンサンブルで展開されている。

第1,4楽章の反復指示が実行されているのも、インバルが交響曲としての本質を重視していることを物語っている。

インバルは標題的な効果ではなく、音楽そのものに深く共感しているため「野の風景」のテンポやフレージングも妥当で、表情豊かな音楽が作られている。

「レリオ」はメスギシュの巧緻なナレーションがひときわ目立つ。

「ロメオとジュリエット」の演奏はまさにインバルらしく知的・明晰・繊細で、清澄な美に満ちあふれている。

ブロローグの合唱は少人数と思われるがオケとともに整然と磨き抜かれ、ドゥニーズの独唱が実に魅惑的な美声で心打つ抒情をくりひろげる。

コール、ロイドも非常に優秀だ。

インバルはこの優れたオケと独唱・合唱を武器として、変転する各部を有機的に関連させ、独自の劇的交響曲の様相を鮮明に表出している。

「ファウストの劫罰」では、インバルは適切なテンポで、各場面の音楽それぞれにふさわしい表現を与えている。

合唱団も「エピローグ」は別として立派に歌っているし、フランクフルト放送響も、色彩感がもう少し欲しい気もするが、インバルの指揮によく応えている。

また独唱者たちも揃っており、ロイドの貫録、ユーイングの細やかな表情、グヤーシュの若々しい情感など、それぞれ立派だ。

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2010年06月21日


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「レクイエム」はマーラー交響曲全集の録音を終えたインバルが、新たに取り組んだベルリオーズ作品集成の最初の録音。

この大曲のもつスケールの大きさと、繊細さを実に見事に表出していて、インバルの本領が万全に発揮されている。

インバルは適度なレガートを主体にしてまったくよどみなく音楽を展開し、抑制された音量のところでは共感に満ちた心からの祈りを感じさせる。

また壮大な頂点では、スケールの大きな表現で迫力を充分表している。

合唱団は男声に比べ女声がやや聴き劣りするが、オケと共にまず好演といえよう。

ニュージーランド生まれのテノール、ルイスも抒情的な声質と端正な歌いぶりで好ましい。

「イタリアのハロルド」は、インバルのベルリオーズ・シリーズの第2作。

きわめて構成感のしっかりとした指揮で、この曲のおもしろみをよく引き出している。

第1楽章冒頭から素晴らしく尖鋭な感覚で一貫しており、どの部分を採っても表情にまったく隙がなく、ベルリオーズのオーケストレーションや響きの特色が見事に表されるとともに、作品のロマン性を生気はつらつと表出し、交響性を十分に発揮している。

ヴィオラのバシュメトの美音と表情の豊かさも特筆に値する。新鋭とは思えないほど見事で、卓越した技巧と艶やかな音には魅せられる。

実に興趣に満ちた音楽で、素晴らしい演奏である。

ただし、オーケストラの響きが、ややフランス的な色彩感に乏しいのが惜しまれる。

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2009年10月02日


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古楽の演奏家に、未知の時代へと曲目を広げてゆく人と自分の時代領域を守る人の2つのタイプがあるとすれば、ガーディナーは前者の代表格。

次々と新録音を発表し、その勢いは留まることを知らない。

1830年に初演された《幻想》はガーディナーのロマン派進出の契機となった作品の一つ。

古楽器派のメインテーマはその楽曲が書かれた時代の"歴史的情報"を演奏に反映させることだが、本作はまさにその見本のような録音。

自ら管弦楽法の著作もあるベルリオーズは、当時(新旧の楽器が同居していた)の楽器の扱いに熟知していた。

それだけに、楽器配列も含めてオリジナルな音で聴く《幻想》からは、ガーディナーの巧みな構成力と矢で的を射抜くような先鋭な解釈とが相俟って、従来の演奏では聴きとることのできなかった作品本来の前衛性が充分なリアリティをもって迫ってくる。

1830年の初演当時を忠実に再現するためにオフィクレイド(テューバの原型とされる管楽器)、セルパン(蛇のような形の管楽器)、ナチュラル・トランペット、ヴァルヴつきホルン、ピストンつきコルネットなどの古楽器(またはそのレプリカ)を惜しげもなく使用。

さらには、初演当時に使用された旧パリ音楽院ホールで収録するというアーノンクールも顔負けの徹底ぶり。

第4楽章のティンパニなどモダン・オーケストラに比べてやや迫力不足の感は否めないが、第5楽章の19世紀から鳴り響いてくるような弔鐘は背筋がゾッとする。

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2009年07月03日


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ノリントン指揮ロンドン・クラシカル・プレイヤーズは、この曲の初演時とそっくり同じ編成で録音したオリジナル楽器盤である。

無論オリジナル楽器による演奏はこれが初めてである。

これは普通チューバで代用するオフィクレイドという楽器を復元し、またハープも初演時と同じく4台用いるなど、凝りに凝ったオリジナル演奏になっている。

そのせいで従来いわれてきた、グロテスクな味わいがすっかり消えて、額縁にはめられた古典的な幻想画を見るような、不思議な趣をもっている。

これを聴くとこの曲が、ベートーヴェンの死後わずか3年後(「第9」の6年後)に書かれたというのが、実感として迫ってくるから不思議である。

標題音楽解釈にとらわれず、古典的な純粋性を求めた演奏であり、全体に清澄な印象が強い。

奏者の水準は非常に高く、演奏が飛び切りよい。

第3楽章は透明度の高い空気感をよく描いているし、第4楽章も白昼夢のような怪異さを的確に示している。

さらに第5楽章の鐘の陰気な表情などはこの演奏ならではだ。

揺るぎない存在理由をもち、聴き手に多くの問題を突きつけてくる演奏である。

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2009年04月04日


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ステレオ初期の名盤といわれていたものだが、CD化され、その音もみずみずしく蘇っている。

クリュイタンスの「幻想」にはこのほかにパリ音楽院管弦楽団との来日公演盤もCD化されているが、金管のパートにやや荒さが目立つのと、録音の点で、ここではこのフィルハーモニア管弦楽団のほうをとった。

クリュイタンスの解釈は、ロマンティックな情緒を現代的な感覚で処理したところにある。

したがって情感の潤いにはやや不足する点もあるが、少しも固くならず、やはり柔らかく冥想的な要素をはっきりつかんでいる。

まことに徹底した「幻想」の表現である。

曲の開始第1音から終楽章の最後の和音まで、すべての楽想が生き生きと再現されているばかりでなく、曲想のくまどりがくっきりとしているし、その上ごく自然でしかも生気に満ち、馥郁たる香気を放つ。

単に曲想が克明に描き出され、ファンタジーに満ちているというばかりでなく、気品があるということが、何よりクリュイタンスの特長なのである。

イギリスのオーケストラなので音色に華やかさこそないが、現代的で音色感のはっきりしたこのクリュイタンス盤を推奨したいと思う。

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2009年04月03日


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この作品はクリュイタンスの資質にぴったりして、間然するところがない。

ベルリオーズの激しい情熱の反面にある静かな抒情のひとときが、何よりベルリオーズその人の人間性を描いている。

クリュイタンスのベルリオーズに対する"愛"が、こまやかに語られる。

クリュイタンスの長所が生かされた演奏であり、みずみずしいエレガントな雰囲気と香りは何ものにも代えがたいものだ。

特に風景の喚起力は抜群で、聴き手を牧歌の異空間や、この上なく自然に、親しみを感じさせながら誘い込む。

そして全体を夢見るような浮遊感と臨場感を漂わせながら、ちょうど映画のシーンの転換のように、情景をなめらかに移し換えてゆくのである。

クリュイタンスは、こういう劇的表情のものになると、曲の動きとその情緒的な展開をうまく一致させている。

交響曲などでみせる冷たさは少しもなく、見事である。

オーケストラもうまい。

歌手では特にテノールのジロドーとバリトンのノゲラが素晴らしく歌い上手で申し分ない。

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2009年03月14日


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1969年、ベルリオーズ没後150年を記念して録音されたディスクで、デイヴィスが渾身の力をこめて驚くほどの大熱演をしている。

当代きってのベルリオーズ演奏家であるデイヴィスの指揮だけに、音楽のつかみかたが的を得て射ており、しかも、かなり大胆で独創的な面白さをもっている。

「レクイエム」は、コンサートでの実演がどの程度までディスクに収録できるかの実験曲みたいなところがあり、その点CDで聴くのに最も適しており、壮観な音楽空間が展開する。

原曲の指示にはない少年合唱を用いたり、実に鋭くリズムを強調したりしており、この曲の全く新しい側面を見ることのできる演奏だ。

総体的に鋭い切れ味の演奏で、なかでも圧巻の「ラクリモーザ」での心の中まで突き刺すようなリズムはデイヴィスならではのものだ。

デイヴィスはこの録音の当時、ロンドン響とともにベルリオーズ作品を精力的に録音していたが、これもそのひとつで、指揮者はもとより、オーケストラの意気込みも凄まじく、数あるロンドン響の演奏のなかでも、最高の力演のひとつとなっている。

「テ・デウム」でもベルリオーズのスペシャリストをもって任じていたデイヴィスの熱い迸りが、真正面から聴く者に襲いかかる。

音楽的密度の高さといい、合唱団、少年合唱団ともども全力をつくしての名演だ。

デイヴィスは引き締まったテンポ設定の中で、音楽に一層ふくらみを持たせ、この大人数の演奏者たちを自由に操っている。

音の底力が厚く、デイヴィスの白熱した燃焼と集中が素晴らしい。

この2曲の最も雄弁で熱っぽいCDといえる。

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2009年03月04日


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パレーの天才を証明する優れた演奏だ。

幻想交響曲といえば、ミュンシュ/パリ管の録音が圧倒的に有名だが、パレー盤はそのミュンシュに充分匹敵するか、あるいはそれ以上のものではないかと思う。

パレーの幻想というと、意外にサラリと流していると思う人もいるだろう。それがなかなかどうして、時にはミュンシュ以上の迫力と集中力を見せている。

第1楽章からすべてのパートが鮮やかに息づいているが、再現部での胸躍るスピード感は、クリュイタンスのライヴといい勝負である。

ことに最後の部分の目の覚めるようなスピード感と気迫には凄まじいものがあるが、常に上品さを失わないのもパレーならではだ。

第2楽章の流麗きわまりない美しさも最高である。冒頭の弦のトレモロに施されたアクセントの効果など度肝を抜かれるが、趣味の良さに目が覚まされる想いだ。

内声部をたっぷり歌わせながら、軽妙さを失わない上手さが光っている。

第3楽章には、神経質なところのない大らかさが好悪を分けるだろうが、楽器がしっかり鳴らされているという快感を買いたい。

第4楽章は、いたずらな効果を狙わない堅実さがよく、第5楽章ではデトロイト響の能力が全開となる。めくるめくスペクタクルに酔いたい。

ミュンシュもそうだが、このパレー盤もスタジオ録音なのに、ライヴのような激しい勢いがある。

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2009年03月03日


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遅めのテンポを基本に、スコアをじっくり弾き込んだ味わいを堪能したい。

私にとっては、少年時代から聴いてきた録音だけに、どこもかしこも、耳と心に馴染んでしまい、改めてコメントする気にもなれないほどである。

向かって左から第1ヴァイオリン、チェロ、ヴィオラ、第2ヴァイオリン(チェロの後方にコントラバス)という弦楽器の旧配置による効果は素晴らしく、なぜ、他の指揮者が、揃いも揃って機能優先の新配置を選択するのかが分からない。

この演奏をいささか比喩的にいうならば、スコアを目で読むかわりに、耳で聴くような演奏なのである。

この曲に関する限り、これほどリアリスティックな演奏は、またとあるまい。

クレンペラーは、自己の主観に属する何ものも強調していない。

だがそれにもかかわらず、この演奏は聴きすすむにつれて、しだいに強烈な説得力をもって、聴く者に迫ってくる。

木管の詩情という点ではアンセルメ盤に、フランス的な粋という点ではクリュイタンス盤に一歩ずつ譲るものの、楽器間のバランスについては、細心の注意が払われており、万事合理的な音楽運びに終始している。

しかし、最後にこの演奏を感動的にしているものは、クレンペラーの器の大きさである。

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2008年07月14日


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トスカニーニの緊迫したダイナミックな演奏の見本のようなレコードである。

劇的交響曲「ロメオとジュリエット」冒頭のアレグロ・レガートの、粗野と思われるばかりに力をむき出しにした緊迫したリズムの演奏を聴けば、トスカニーニがこの曲から何を求めてそれをどう表現しようとしているかが推察できる。

つまり、トスカニーニは、これを徹底的に一つの音の劇としたのである。

トスカニーニの指揮はこの曲を標題的には扱っていない。

ロマンティックな幻想をすっかり洗い落とし、純粋な音楽だけを引き出した。

極めて割り切った演奏である。

幾分、早目のテンポで歌われる美しい旋律は、きれいに垢抜けして明快そのものである。

トスカニーニの演奏様式の最もはっきり出た演奏として記念的意味もあるといえる。

トスカニーニのベルリオーズ演奏は全てがユニークで素晴らしいが、劇的物語「ファウストの劫罰」においても他の指揮者では絶対に聴くことのできない演奏を示している。

NBC交響楽団の優れた演奏能力が示された好例である。

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2008年05月30日


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1964年5月10日、東京文化会館におけるライヴで、その名演は長くファンの間で語り草となった。

いかにも、このコンビらしく、洗練された透明なソノリティと品のよさを兼ね備えながら、しかも凄絶な活力にみちている。

フランスのオーケストラならではの音色の華やかさがあり、この曲の燃えたぎるような情熱を、これほどまでに直截に伝えた演奏というのも珍しい。

クリュイタンスは曲にのめり込むのではなく、一歩退いて知的にまとめている。そのため細部が入念に処理されながらもあくの強さがなく、音楽がさらさらと流れている。

第1楽章からクリュイタンスは、堅固な造形で曲をまとめながら、推進力と高揚感を表出する。

「舞踏会」は優雅そのもの、「野の風景」も広々とした音空間が生まれている。

終りの2楽章も見通しのよい表現だ。

クリュイタンスならではの格調の高さと手際のよさにひかれる名演である。

戦後日本のフランス音楽の理解に大きな衝撃を与えた、古きよきフランス文化の栄光の記録だ。

HQCD化により、音質が鮮度を増したことも評価したい。

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2008年03月25日


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数あるレクイエムの中でもベルリオーズのこの作品は、200人に近いオーケストラと300人に近いコーラスを使い、特に第2曲の〈怒りの日〉では、メイン・オーケストラに加えて別の別の管楽器陣を配するなど、空前絶後の大掛かりな規模を持ったいかにもベルリオーズらしい大作だ。

これは、生前、ベルリオーズ協会の会長を務めたミュンシュの、ベルリオーズの音楽への深い造詣を示したディスク。

「ベルリオーズの『レクイエム』は、宗教的であるよりは、はるかに劇的である。とにかく抑止しがたいものがあるのだ」と作曲家デュカスは言う。

ミュンシュの演奏は、まさに、そうした情熱の爆発で、何よりもボストン響の合奏力の素晴らしさに驚かされる。

ことに金管楽器は、ベルリオーズの音楽の華麗さを存分にひき出し、聴き手を酔わせてしまう力がある。

なかでも〈怒りの日〉から〈妙なるラッパ〉にかけては圧倒的なうまさだ。

ミュンシュは、ベルリオーズのレクイエムという音響世界に、音楽として不滅の世界を与えていると言えよう。

そして先般、待望のハイブリッドSACD化が行われることによって、更に見違えるような鮮明な音質に生まれ変わったところである。

音質の鮮明さ、音場の幅広さ、そして音圧のいずれをとっても一級品の仕上がりであり、あらためてSACD盤の潜在能力の高さを思い知った次第である。

いずれにしても、ミュンシュによる至高の超名演を、超高音質であるSACD盤で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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2008年01月07日


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ベルリオーズには、女性をめぐるエピソードは無数にあるとはいえ、それはむしろその時代の「芸術家」には当たり前の事だったと言っておこう。彼はとりわけ好色であったわけではなく、女性を過大評価していたにすぎない。つまり、ベルリオーズは「ロマン派」の作曲家だったからだ。

ロマン派の音楽は男性の音楽だ。なぜなら、その向こうにはいつも女性がいるからだ。ロマン派の音楽は「超人」を求めるのではなく、「人間」を、とりわけ「女性」を求めているのだ。

ドイツ・ロマン派の音楽は慎み深く、臆病で遠回しだ。「女性」に語りかけるにも、わざわざ、宗教や哲学や詩をもち出し、それを長々と、あるいは抽象的に語り続け、知らぬ間に、本当に言いたかったことがわからなくなり、逆にどこにもない真実の探求に出かけることにもなったりするが、ロマン派特有の偏執症も、ここでは、むしろ、分裂症の気配を帯びてくる。

ロマン派の作曲家には、多少なりともこうした神経症が特権化する独自性が認められるが、その結果、責任などもともと取るはずもない音楽にすっかり弄ばされ、狂気を死の境を越えていった人々も少なくない。

しかし、ロマン派の音楽の沈没からベルリオーズを救っているのは、救命ボートのようなその鮮やかさだ。それまでになかった大規模な管弦楽といい、古典派が完成した形式など構わない派手な語り口といい、ロマン派のメランコリーと縁を切り、躁状態をしたたかに保ちつつ、どこにもいるはずのない「女性」の気をひこうと必死になっている。

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2007年12月23日


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天才の前に天才なく、天才の後に天才なしという言い方を借りれば、ベルリオーズの場合、むしろ、狂気の前に狂気なく、狂気の後に狂気なしとでも言うべきか、ベルリオーズが狂気であったというのではないにしても、彼の人生とその作品は狂気の沙汰という形容によってしっかり印象づけられるものであろう。

狂気に先立つ狂気はなく、狂気を模倣する狂気はない。

ベルリオーズは、ゲーテやシェークスピアなどの文学的教養を通して、ユゴー、ハイネ、ジョルシュ・サンド、ヴィニー、デュマ、ゴーティエなど当時のロマン派を中心とした文学者とも連帯し、「幻想交響曲」や「レリオ」の初演時には彼らが応援団を形成したし、ワーグナー、シューマン、リスト、メンデルスゾーンなども、ドイツ各地で彼の作品を紹介し、特にワーグナーは、「ワルキューレ」や「トリスタン」に彼の影響を認めている。

また、彼の「管弦楽法」は今日まで読み継がれ、ロシア五人組やR・シュトラウス、メシアンにまで受け継がれている。

ミュンシュはベルリオーズのスペシャリストとして知られたが、どの曲の録音もスケールの大きい、極めて明るく輝かしい響きの、色彩的な表現を行っており、その熱のこもった演奏には圧倒されてしまう。

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2007年12月17日


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録音は古いがミュンシュ&パリ管は、もはや歴史的名演といえるだろう。

最晩年のミュンシュとパリ管弦楽団の出会いは、恐ろしいほど熱っぽく夢想的な幻想交響曲を描き出すこととなった。 

ミュンシュがベルリオーズの作品の演奏に長じていることは、すでに数多くの録音で広く知られているが、この曲も生気ある颯爽たる速度で、端的・率直に、見事なバランスをもって竹を割ったように、すかっと表現する。

彼のベルリオーズは新鮮で、また緊張感に満ちている。

クリュイタンスが亡くなって解散したパリ音楽院管弦楽団のメンバーを集めて再組織されたのが、パリ管弦楽団で、その初代指揮者ミュンシュによる最初の録音がこの「幻想」だった。

パリ管との演奏でも、その力の燃焼というべき表現法は高齢になっても崩れない。テンポの緩急の変化が強く出て表現を豊かにしている。

やる気のあった時代のパリ管のアンサンブルも、CDで聴くといささかラフだが、そのホットなサウンドは、きょうびのオーケストラからは聴けないものだ。

スケールの大きい、きわめてフランス的な明るく輝かしい響きの、色彩的な表現を行っている。

ベルリオーズのロマンが舞い上がり、劇的にひた押しにクライマックスへ盛り上がる。

魂の燃焼しつくした、素晴らしい名演である。

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