ミュンシュ

2016年12月03日


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ベル・エポック(1880-1914年頃を指しての良き時代)のフランスの作曲家の作品は、楽理的に追究したところで実際のサウンドに魅力が出せなければつまらない。

それには作曲家の感性が充分に反映されるような垢抜けたセンスや即興性、あるいはオーケストラから引き出される色彩感などを外部に向かって発散させるユニークな個性と手法が求められる。

1曲目のショーソンの交響曲変ロ長調も例外ではなく、瞬間瞬間に鳴り響くオーケストラの音響とその映像的な展開が感知されなければ面白くない。

ミュンシュはその辺りを誰よりも良く心得ていた指揮者で、ともすればあざとくなりがちな音楽を、あくまでも芸術的な領域で嬉々として表現している。

ショーソンが残したたった1つの交響曲は、高雅な詩情としめやかで洗練された抒情に溢れるかけがえのない傑作であるが、残念なことになかなか名演奏に恵まれない作品でもある。

しかしミュンシュが残した記念碑的な名録音の1つであるこの演奏は、この傑作の魅力をこれ以上なく味わわせてくれる格別の名演である。

弾力性のあるリズム感と引き締まった造型感覚を駆使して、この優雅でロマンティックな交響曲に臨んだミュンシュは、作品の構築性の薄さをカヴァーしながら、より磨き抜かれた純度の高い美しさを引き出しており、そこでは、豊かなポエジーと強靭な精神が輝かしい融合を果たした絶妙な表現がリアリゼされるまでに至っている。

彼はまた聴衆を自己の世界へ引き込んで感化してしまうカリスマ性にも長けていた。

言い換えれば聴き手の要求も熟知していて、ここぞという時にそれを惜しみなく出し切る老練な手腕がこのアルバムにも示されている。

1962年にボストン交響楽団を振ったものでボストン・シンフォニー・ホールで録音されている。

レギュラー・フォーマット仕様だがリマスタリングの効果は歴然としていてドビュッシーと並んで音質は極めて良好。

2曲目もショーソンの作品で、メゾ・ソプラノと管弦楽のための『愛と海の詩』だが、この演奏は1951年3月9日のBBCコンサート・ライヴからプライベート録音されたものらしく、音質は海賊盤の域を出ないし、第1曲に短い欠落もあるがコントラルトのキャスリーン・フェリアーの絶唱が聴ける貴重な音源。

これはデッカ、EMIのどちらのコンプリート・レコーディング集にも組み込まれていない。

モーリス・ブショルの詩に付けられたショーソン面目躍如の甘美な逸品だがフェリアーの歌唱は決して感傷に浸るものではなく、高踏的な美しさとこの詩の持っているドラマティックな側面を直感的に捉え、それらを浮き彫りにしているのが如何にも彼女らしい。

尚この曲のみジョン・バルビローリ指揮、ハレ管弦楽団の演奏になり、ライナー・ノーツにはフランス語の原詩が掲載されている。

アンリ・ビュッセル編ドビュッシーの交響組曲『春』はショーソンの交響曲と同様、1962年のミュンシュ指揮、ボストン交響楽団のセッション録音になる。

ルネサンスの名匠ボッティチェッリの絵画『春』から霊感を得たと言われる作品で、一見掴みどころのないような楽想の連なりをミュンシュはメリハリを効かせた光彩に溢れる魅力的な管弦楽曲に仕上げている。

曲がミュンシュの肌にぴったりと合っているということもあってか、簡明直截な表現で、この名人オーケストラを存分に駆使して、春の喜びを歌い上げている。

第2楽章後半のマーチ風のコーダでは弦楽から導き出される明るく艶やかな音色とボストン交響楽団の大胆でパワフルなブラス・セクションをミックスしたクライマックスが圧巻だ。

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2015年08月26日


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シャルル・ミュンシュがボストン交響楽団と1956年から62年にかけて行った、フランス系の作品を集めたセッションで、このCDはRCAのレッド・シールからBlu-spec-CD仕様としてリイシューされたものになる。

この時代の録音としては優秀だった旧盤との音質の違いはわずかだが、鮮明さではこちらが若干優っている。

いずれにしてもアナログ音源特有のテープ・ヒス及び数ヶ所に点のようなノイズが多少残っているのも事実だ。

ここに収められた4曲の中ではフランクの交響詩『呪われた狩人』が最も録音状態が良く、彼らの得意とする絵画的な情景描写とデモーニッシュな表現が力強く示された演奏だ。

勿論それはデュカスの『魔法使いの弟子』にも言えることで、幅広くうねるようなダイナミズムを駆使したボストン交響楽団の力量を余すところなく聴かせている。

この曲ではオーケストラの音像自体はコンパクトだがバランスが良く、そのために奥行きが感じられスペクタクルな曲想が良く捉えられている。

またイベールの『寄港地』での茫洋とした海原をイメージさせる第1曲や、続く第2曲の異国情緒の表出も流石で、このCDでは最も古い録音であるにも拘らずマスターの保存状態も極めて良好だ。

当時のボストン響の充実度を裏付ける豊麗な響き、現在は失われてしまったフランス的な特質を堪能できる。

一方フランクのもう1曲『交響曲ニ短調』はミュンシュ&ボストン響の最高傑作の1つ。

ベルギー人だったフランクは、構成感や重厚さを重視するドイツ的な作風を持ち、その意味でミュンシュの音楽性にぴったりの作曲家だった。

彼は1945年=パリ音楽院管弦楽団、1957年=ボストン響(当盤)、そして1966年=ロッテルダム・フィルと3種類の録音を残しており、ミュンシュによる同一曲録音回数記録では、「幻想」の5回、ラヴェル「亡き王女のためのパヴァーヌ」「ボレロ」「ラ・ヴァルス」「スペイン狂詩曲」の4回に次ぎ多い。

この交響曲にフルトヴェングラーやメンゲルベルク、ザンデルリンクなど、ドイツ系の指揮者の名演が多いのもそのためであり、むしろ生粋のフランス人指揮者の演奏には不満が残ることが多い。

その意味でミュンシュの解釈は理想的。

豪快な力強さ、緊張感が漲りながらも、どこまでも開放的な情熱が横溢しておりドイツ的な構成感とフランス的な色彩を合わせ持ったフランクの本質に相応しい名演である。

ミュンシュらしい色彩感に溢れる濃厚な情緒を持っているが、この曲の内省的な面よりはむしろオーケストレーションの華麗さを前面に出した解釈で、その意味ではこの作品に内在するエネルギーを外側に向けて引き出した、より感覚的な演奏の最右翼たるセッションだろう。

全体的に屈託のないラテン的な雰囲気があり、フランクの音楽に哲学的な深みや渋みを求める方は意見が分かれるところかも知れない。

音質的に言うと、当時の技術的な問題だと思うが、音場は広いが金管楽器が咆哮する部分では生の音が拾われて空気管に乏しい平面的な音響になってしまう弱点がある。

尚この曲集は更に高音質化されたXRCDバージョンでもリリースされている。

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2015年06月17日


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これは全盛期のミュンシュ&ボストン交響楽団という黄金コンビによる類い稀なる音の饗宴である。

演奏は闊達にして生命力に溢れ、同時にフランス的な上品さも醸し出しており、こんな名演を何度でも行うことができるというのが、まずもって驚きである。

先ず、「ダフニスとクロエ」についてであるが、本盤は、ミュンシュ&ボストン交響楽団にとって第2回目の録音で、第1回目の録音から6年後の再録音となったものであるが、何というゴージャスな響きだろう。

基本的なコンセプトは同じものの、円熟味を増しスケールが大きくなったミュンシュの解釈が、より鮮明なステレオ録音によって克明に記録され、微弱なピアニッシモによる冒頭から圧倒的なクライマックスを築く「全員の踊り」まで、息もつかせぬ緊張感が持続する。

合唱も実に巧く、オーケストラともども、ミュンシュの圧倒的な統率力の下、実に巧みな情景描写を行っている。

あたかも、眼前で劇的なドラマが進行するかのようであり、Blu-spec-CD化による鮮明な音質が、その演出効果をより一層際立たせてくれている。

同コンビには1955年に収録した同じ曲の初期ステレオでの名盤があるのだが、そのときの録音と比べると、現在聴くことができる通常のステレオ録音のイメージに近くなっている。

またホールの残響音も取り入れられており、左側で打楽器が打ち鳴らされると、右チャンネルから豊かな響きが返ってくるのを聴くことができる。

解釈そのものや、各奏者の素晴らしいテクニシャンぶりは1955年盤をほぼ踏襲しており、劣ったところはみじんもない。

LP時代にミュンシュの「ダフニスとクロエ」と言えばこちらの演奏だったのだが、CD時代になって1955年盤が復刻され、そちらが主流になってしまっていた。

第2幕終盤の「クローエの嘆願」から第3幕の「夜明け」に至る部分は、繊細で美しい表現が聴かれ、1955年盤よりこちらの方を好まれる方もおられるだろう。

1958年録音のピアノ協奏曲は、ニコレ・アンリオ=シュヴァイツァーとの共演。

アンリオはシュヴァイツァーの甥と結婚したフランスのピアニストで、第2次大戦中レジスタンス活動に参加し、その頃からミュンシュとは旧知の仲。

演奏会でも録音でも共演は多く、ラヴェルのピアノ協奏曲も3種類残されている。

当盤は2度目の録音で、テンポはやや速めであるが、その中でのミュンシュの重心のいささか低めの重厚な演奏と、シュヴァイツァーのセンス満点の演奏が、我々聴き手を深い感動を誘う。

特に、ラヴェルの作品の中でも最も美しい第2楽章の味わい深さは格別である。

それにしても、両曲ともに、ミュンシュのスタジオ録音とは思えないほどの情熱的かつ熱狂的な指揮ぶりが際立っており、聴き終えた後の充足感という点からすれば、いずれの曲も随一の名演の1つと言っても過言ではあるまい。

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2015年03月06日


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素晴らしい高音質CDだ。

XRCDとSHM−CDという、高音質アイテムの組み合わせによる理想的な媒体の登場であるが、正直言って、これほどまでの高音質とは聴く前にはとても信じられなかった。

1957年録音の音源がなぜここまでクリアーに鳴り響くのか。

管楽器の鳴り方がコンサートホールの実演ばりに綺麗なのは凄いとしか言いようがない。

下手なSACDよりもよほど素晴らしい音質に仕上がっており、これが1950年代後半の録音であるとは信じられないほどだ。

ビクターの音の「職人魂」が生み出した徹底的にこだわり抜いたマスタリングによるXRCDがさらにSHM−CD仕様になるとここまで凄いCDが出来上がることに感動を覚える。

トゥッティの箇所においては、さすがに音の古さを感じさせないわけではないが、その他の箇所においては、あたかも新録音のような鮮明さに唖然とするほどで、聴けば必ず驚愕すること間違いない。

録音機器の進歩により素人でもそこそこ音のいいCDが作れる時代になったが、1950年代のマスター音源がいかに時代の最先端を駆使した録音技術であったかがこのCDを聴けば確信できる。

コスト削減にしか興味のない現代の各CDレーベルは最新技術を持ちながらスタッフはほぼおざなりでCDを作成しているだけではないのか。

スタッフの技術と良い音楽を残したいという情熱があればCDはここまでできるのだということをこのCDは証明している。

演奏も素晴らしい。

というか、これほどまでの高音質であると、俄然、演奏内容も輝きを増すと言った方が正しいのかもしれない。

フランスの指揮者でありながら、ミュンシュのドイツ音楽は高く評価されていた。

その彼のベートーヴェン解釈を堪能できるアルバム。

ミュンシュは、独仏間で領土が何度も行き来したエルザス・ロートリンゲン州の州都であるストラスブールの出身であり、ドイツ系の人も多く住んでおり、そうしたこともあって、フランス音楽だけでなく、ドイツ音楽にも数々の名演を遺してきた。

特に、ブラームスなど、定評ある名演が多いが、本盤の「エロイカ」も凄い。

明るくたくましく、かつ立体的な響きが爽快で、オーケストラを開放的に鳴らし、壮大なスケールと情熱を併せ持ち、圧倒的なエネルギーに満ちている、ミュンシュならではの1枚。

ライヴ録音であるかのような生命力溢れる力演であり、それでいて、勢い一辺倒には陥らず、例えば第2楽章など、テンポを落として感動的に歌い抜くなど、内容豊かな演奏を繰り広げている。

当時の手兵のボストン交響楽団も実に巧く、その重厚な音色は、後年の小澤時代のものとは別次元の圧巻の迫力だ。

これはミュンシュの構成力と、それを完遂し得る高度な技との勝利を示す演奏である。

ミュンシュという巨匠の素晴らしさはこのCDを聴いて初めて享受できるのではないだろうか。

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2015年02月11日


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ミュンシュによるミヨー、プーランク、ストラヴィンスキーの録音を集大成したアルバムで、いずれもミュンシュ唯一の録音。

まずは、カップリングが実に魅力的。

フランスのミヨーやプーランクと言った近現代の作品と、これまたパリに関連のあるストラヴィンスキーの作品を1枚にまとめるというセンスの良さを高く評価したい。

演奏は、ミュンシュ&ボストン交響楽団が、いかに、性格の異なる多様な作品を巧みに演奏できるだけの多彩な演奏のパレットを持っていたのかを証明する名演揃いだと思う。

ジャズのエレメントを取り入れたバレエ「世界の創造」、プロヴァンス地方の民族色豊かな「プロヴァンス組曲」、いずれもミヨーならではのウィットに富んだ楽しい作品であり、ミュンシュはそうした特質を大らかに歌い上げている。

「世界の創造」は、この作品のジャズ的な要素を雰囲気豊かに描き出すミュンシュの老獪なまでの卓越した表現力の豊かさにただただ感心するのみ。

「プロヴァンス組曲」は、ミヨーとしては親しみやすい旋律に満ち溢れているが、ミュンシュは同曲を安っぽいムード音楽ではなく、あくまでも高次元の大芸術作品として描いている点が見事。

ここには、センチメンタルな要素などどこにもなく、ミヨーならではのウィットに富んだ楽しい作品を、ミュンシュはその特質を熟知し、大らかに表現している。

プーランクのオルガン協奏曲は、重心の低い重厚な名演であり、ベートーヴェンやブラームスを得意としたミュンシュの演奏の特徴がプラスに作用している。

半面、ミュンシュの一直線白熱型の演奏で聴くミヨー、プーランクというのは何せ{遊び}がないから中々にエグイところがあり、作曲家の仕掛けたウイットはほとんど聴こえてこないが、かわりに{洒落}のはずの意匠が{本気}にすり替わってラテンの血が色濃く迫ってくる。

ベルイ・ザムコヒアンの多彩なオルガン・ソロも聴きもので、また、ティンパニ・ソロを受け持つエヴァレット・ファースは小澤時代までボストン響の首席ティンパニストをつとめた名手で、現在ではサイトウ・キネン・オーケストラに参加するため毎夏来日して日本のファンにも馴染みが深い名手。

「カルタ遊び」は、一転して華麗なオーケストレーションを際立たせた光彩陸離たる演奏の響きが実に印象的な名演だ。

ちなみに、ミヨーの2曲はLP時代に豪華仕様ジャケットを採用したソリア・シリーズの1枚として発売され、表紙にはフランスの巨匠画家フェルナン・レジェの絵が使われていた。

プーランクはストラヴィンスキーの「カルタ遊び」とのカップリングで発売されたもの。

Blu-spec-CD化によって、音質のグレードがかなりアップしたのも実に素晴らしい。

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2015年01月04日


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ミュンシュの最後期に残された至高の遺産。

名人揃いのパリ管弦楽団を駆使して、オネゲルの交響曲第2番では白熱し、高揚感に満ちた音楽を、女流アンリオ=シュヴァイツァーをソロに迎えたラヴェルのピアノ協奏曲では色彩と詩情豊かな音楽を聴かせてくれる。

ミュンシュはフランス系の指揮者の中では、珍しいくらいにレパートリーの広い指揮者であった。

というのも、ドイツ音楽を得意とした点が大きいと思われる。

もちろん、多くのフランス音楽を得意としており、数々の名演を遺してきたが、その中でも、他のフランス系の指揮者の追随を許さない名演を遺してきたのはオネゲルではないかと考える。

ミュンシュはオネゲル作品の紹介に情熱を注いでおり、この交響曲第2番の白熱し、高揚感に満ちた演奏はその最後を飾るにふさわしいものとなった。

オネゲルは、フランス系の作曲家の中では珍しく、ドイツ音楽に多大な影響を受けるとともに、交響曲を5曲も遺したが、そうした点も、ミュンシュがオネゲルを得意とした要因の1つではないかと考える。

オネゲルもミュンシュを信頼して、いくつかの交響曲の初演を委ねている点をも注視する必要がある。

本盤の「第2」も超名演。

全体の厳しい造型をしっかりと構築した上で、第1楽章の悲劇から、終楽章終結部の盛り上がりに至るまで、隙間風のいささかも吹かない内容豊かな音楽が紡ぎだされていく。

否応なしに曲の背後にある時代と、作曲家の心の内を感じさせる壮絶な演奏であり、指揮者の曲と作曲家に対する共感の度合いがいかに深いことか。

「第2」には、他にも名演はあるが、内容の深さ等を考慮すれば、ミュンシュ盤こそ最高の王座に君臨する最高の名演と高く評価したい。

ラヴェルのピアノ協奏曲も、フランス風のエスプリよりは、シンフォニックな重厚さを全面に打ち出したユニークな名演で、透明で色彩豊かな音響が感興に満ちた演奏により繰り広げられる。

音質は従来CD盤では満足のいく出来映えではなかったが、HQCD化によって、音場は広がるとともに、音質がさらに鮮明になったところである。

しかしながら、今般、SACD化されるに及んで大変驚いた。

凄味のある低弦、艶のある高弦、伸びがありしかも部屋に拡散する金管、木管と両曲の演奏の特色をスケール大きく見事に再現されていて、改めてSACDの潜在能力の高さを思い知った次第である。

いずれにしても、ミュンシュ&パリ管による素晴らしい名演をSACDによる名録音で味わうことができるのを大いに喜びたい。

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2014年12月30日


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1967年、鳴り物入りで創設されたパリ管弦楽団であったが、音楽監督・ミュンシュが翌68年に死去してしまったため、両者の録音はわずか4枚しか残っていないが、ミュンシュがその最晩年にパリ管弦楽団とともに遺した数少ない録音は、いずれも至高の名演揃いと言える。

パリ管の発足間もなくミュンシュが急死したことは、音楽界にとっても大きな損失であったが、この最晩年の4枚のCDを聴いていると、ますますそうした損失の大きさを思い知ることになる。

本盤のラヴェル作品集も超名演であり、精緻な内にも力強く燃え上がるような高揚感を表出するミュンシュの魅力が満載の演奏内容と言えるだろう。

創立後間もないパリ管の熱気と、指揮者のコントロールの効いた情熱とが相俟って、ゴージャスなラヴェルに仕上がっている。

ミュンシュは、フランス人でありながら、ドイツ音楽、特に、ブラームスを得意とした指揮者である。

それ故に、ミュンシュの指揮するフランス音楽は、他のフランス系の指揮者が醸し出すフランス風のエスプリを売りにするというよりは、楽曲の全体の造型美や、ドイツ風の重厚さを全面に打ち出すという特異性を有している。

本盤でも、そうしたミュンシュの特徴がよく出ている。

ボレロも、オーケストラの粋な音色のみならず、全体の造形美に配慮しており、フランス風の瀟洒な味わいよりも、重厚な迫力が際立っている。

スペイン狂詩曲は、むせ返るようなラテン風の味わいよりは、シンフォニックな荘厳さが全面に出ている。

ダフニスとクロエもスペイン狂詩曲と同様の傾向で、感傷には陥らず、高踏的な美しさを保っているのが素晴らしい。

確かに、一聴するとフランス音楽らしからぬミュンシュのラヴェルに異を唱える聴き手もいるとは思うが、このような重心の低いラヴェルも、むしろ新鮮な魅力に満ち溢れていると言えるのではないか。

音質は、従来CD盤が今一つの音質であったが、数年前に発売されたHQCD盤は、若干ではあるが音質が鮮明になるとともに、音場が幅広くなったと言えるところであり、筆者も当該HQCD盤を愛聴してきたところだ。

しかしながら、今般、ついに待望のSACD化が行われることによって大変驚いた。

従来CD盤やHQCD盤とは次元が異なる見違えるような、そして1960年代のEMIによるスタジオ録音とは到底信じられないような鮮明な音質に生まれ変わった。

いずれにしても、ミュンシュによる至高の名演を、SACDによる高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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2014年10月21日


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ミュンシュは幻想交響曲を十八番にしていた。

これは何もミュンシュに限ったことではなく、フランス系の指揮者に共通するものであり、モントゥーにしても、クリュイタンスにしても、それこそ何種類もの幻想交響曲の録音が存在している。

フランス系の指揮者にとって、やはり幻想交響曲というのは特別な存在なのではないかと考えられるところだ。

ミュンシュの幻想交響曲と言えば、有名なのはパリ管弦楽団の音楽監督に就任して間もなく録音された1967年盤(EMI)だ。

これは、最近、SACD化されて更に名演のグレードがアップしたが、それとほぼ同時期のライヴ録音(アルトゥス)は、更に素晴らしい超絶的名演であり、2011年2月のレコード芸術誌のリーダースチョイスにおいてトップの座を獲得したことも記憶に新しい。

これらの演奏の前の録音ということになると、当時の手兵ボストン交響楽団とのスタジオ録音(1962年)ということになる。

本盤は、当該スタジオ録音の2年前の来日時のライヴ録音ということになるが、さすがに前述の2種の1967年盤には劣るものの、1962年のスタジオ録音盤よりははるかに優れた素晴らしい名演と高く評価したい。

本盤を聴いて感じるのは、やはりミュンシュのライヴ録音は凄いということだ。

スタジオ録音でも、前述の1967年盤において顕著であるが、その生命力溢れる力強さと凄まじい気迫に圧倒されるのに、ライヴとなると、とてもその比ではなく、あたかも火の玉のように情熱の炎が迸っている。

前述の1967年のライヴ盤(アルトゥス)でもそうであったが、ミュンシュは生粋の舞台人であったのではないかと考えられる。

それ故に、多くの聴衆を前にして、あれほどの燃焼度のきわめて高い演奏を披露することが可能であったのではないだろうか。

本盤においても、ミュンシュの燃焼度は異様に高く、最初から終わりまで、切れば血が出てくるような灼熱のような生命力にただただ圧倒されるばかりだ。

ミュンシュの幻想交響曲は、モントゥーやクリュイタンスのようにフランス風のエスプリなどはあまり感じさせない。

これは、ミュンシュがドイツ語圏でもあるストラスブール出身ということにも起因していると考えるが、これだけの気迫溢れる豪演で堪能させてくれるのであれば、そのような些末なことは何ら問題にもならないと考える。

加えて、ミュンシュのドラマティックな指揮に、一糸乱れぬアンサンブルで最高のパフォーマンスを示したボストン交響楽団の卓越した技量についても高く評価したい。

併録のルーセルの「バッカスとアリアーヌ」組曲やヘンデルの水上の音楽からの抜粋も、ミュンシュの熱い指揮ぶりが印象的な超名演だ。

録音も、特に幻想交響曲の第4楽章における金管楽器のいささかデッドな音質など、音場が今一つ広がらないという欠点も散見されるが、1960年のものとしては十分に良好な音質であり、本盤の価値をより一層高めるのに大きく貢献している点を忘れてはならない。

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2014年09月25日


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本盤には、稀代の名チェリストであったピアティゴルスキーの遺産が収められているが、何と言ってもドヴォルザークのチェロ協奏曲の演奏が圧倒的に素晴らしい。

バックはミュンシュ&ボストン交響楽団であり、広範なレパートリーを誇ったミュンシュとしても、ドヴォルザークの録音はきわめて珍しいが、本演奏はそのようなことを感じさせない素晴らしい名演と高く評価したい。

何よりも、チェリストにピアティゴルスキーを起用したことが功を奏している。

ピアティゴルスキーは、フルトヴェングラー時代のベルリン・フィルの首席チェロ奏者をつとめるなど、一時代を築いた名チェリストではあるが、ロシア人ということもあり、「ロシアのカザルス」と例えられた割には名声においては後輩のロストロポーヴィチの陰にどうしても隠れがちである。

確かに、技量や力感においては、さすがにロストロポーヴィチにはかなわないかもしれない。

しかしながら、一聴すると無骨とも感じる演奏の中に深い情感や豊かな詩情が込められており、随所に聴かれるニュアンスの豊かさにおいては、ロストロポーヴィチにいささかも引けを取っておらず、「ロマンティック・チェリスト」と称されただけのことはあると考えられる。

また、ロストロポーヴィチは、技量があまりにも人間離れしているために、いささか人工的な技巧臭というものが感じられるきらいがないとは言えないが、ピアティゴルスキーのチェロは、あくまでも楽曲の美しさが全面に出てくるような演奏であり、聴き手によっては、ロストロポーヴィチよりも好む者がいても何ら不思議ではない。

このように、技量よりも内容重視のチェリストであるというのは、さすがはフルトヴェングラー時代のベルリン・フィルの首席チェロ奏者をつとめただけのことがあると言えよう。

ミュンシュは、フランス人でありながら、ドイツ語圏にあるストラスブールの出身であり、ドイツ風の重厚な演奏を数多く行ってきた指揮者でもある。

本演奏においても、ミュンシュは、ドイツ風とも言える重厚なアプローチを披露しており、質実剛健なピアティゴルスキーのチェロ演奏と見事に符号している。

まさに、指揮者とチェリストの息があった稀有の名演と言えるだろう。

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2014年09月14日


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今は亡き巨匠ミュンシュは、その生前フランス音楽を得意としていたが、特にベルリオーズ協会の会長を務めていたこともあり、ダイナミックな情熱と確固とした構築感を併せ持ったベルリオーズ解釈の第一人者として高い名声を誇っていた。

この「レクイエム」は、そんなミュンシュのベルリオーズ作品録音の中でも最高の名盤とされているものであり、その色彩の豊かさと宗教的雰囲気が絶妙のバランスを保っている。

ここでのミュンシュは、曲を徹底的に無機的な音符の還元をした上で、その音に与えられた純粋な音楽的な質量をもとにして音楽を再構成しようとする。

極端な言い方をするなら、彼は「レクイエム」という衣装を無視して、その裸の本質をいわば1つの純音楽として表出しようとする。

ミュンシュの長所である的確きわまりないデュナーミクの感覚がそれを支え、可能にしている。

バイエルン放送交響楽団の大編成管弦楽による圧倒的な音場が、さらにこの音楽の体質を再現するのに適している。

ミュンシュの表現はやや剛直だが、バイエルン放送交響楽団の威力は素晴らしく、ことに金管楽器は、ベルリオーズの音楽の華麗さをよく引き出し、聴き手を陶然とさせる。

このオケの適度の荒々しさと素朴な情熱が、ここでは水を得た魚というべきであるし、コーラスが何よりもしっかり歌っているのに敬意を表する。

特に第2曲〈怒りの日〉や第4曲〈おそるべき力もて王〉、第6曲〈涙の日よ〉が圧巻だ。

巨大な作品だけに、演奏の完璧性は求め難いが、この演奏は、ベルリオーズの音楽の本質に迫った気迫溢れる世紀の名演である。

ミュンシュには手兵ボストン交響楽団との録音もあるが、このバイエルン放送交響楽団との録音では客演ならではの緊張感に満ちた演奏が繰り広げられている。

シュライアーの若き日の歌唱も注目される。

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2014年04月03日


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ミュンシュはライヴ録音においては当然のこと、スタジオ録音でも灼熱のように燃え上がる圧倒的な熱演を披露した。

本盤に収められたブラームスの交響曲第1番は、最晩年にミュンシュがパリ管弦楽団とともにスタジオ録音を行った4点の録音のうちの1点に相当するが、死を10か月後に控えた指揮者とは思えないような力強くも情熱に満ち溢れた圧倒的な豪演に仕上がっている。

冒頭の序奏からしてひたすら音楽を前進させようという強靭な意思が漲っている。

その後は、変幻自在のテンポ設定や思い切った強弱の変化などを駆使して、ドラマティックの極みとも言うべき劇的な演奏を展開する。

とりわけ第1楽章や終楽章におけるトゥッティに向けて畳み掛けていくような気迫は、我々聴き手の度肝を抜くのに十分な圧倒的な迫力を誇っている。

第2楽章などにおける心を込め抜いた歌い方は、豊麗な情感に満ち溢れており、切れば血が噴き出てくるようなミュンシュの熱き歌心がひしひしと伝わってくるなど実に感動的だ。

パリ管弦楽団も、火の玉のような燃え上がったミュンシュの壮絶な入魂の指揮に必死でついていっており、アンサンブルが乱れる寸前のところで踏みとどまっているかのようなスリリングな演奏が、本演奏の圧倒的な迫力に更なる拍車をかけているのを忘れてはならない。

いずれにしても、本演奏は、ミュンシュが成し遂げた様々な名演の中でも、同時期に録音された幻想交響曲(1967年)と並んで最上位に掲げられる超名演であると高く評価したい。

ただ、ブラームスの「第1」の演奏としては、例えば「名曲名盤300選」などで多くの音楽評論家がトップに推薦しているように本演奏が絶対的かつ理想的な名演かと言うと、一つの方向性としてはあり得るとは思うが、何か違うのではないかと言わざるを得ない。

ましてや、とある影響力の大きい音楽評論家が本演奏について、「フルトヴェングラー以上にフルトヴェングラーらしいドイツ的な名演」などと評しているが、これほどフルトヴェングラーを、そしてミュンシュを冒涜する言葉はないだろう。

それは、フルトヴェングラーによる同曲の様々な録音を聴けば容易に理解し得るところであるし、これはあくまでもミュンシュによる演奏なのだ。

筆者としては、本演奏が至高の超名演であることを十分に認めはするものの、同じように熱演であっても、剛毅にして重厚さを保ちつつ速めのインテンポで一気呵成に全体を巧みに纏め上げたベーム&ベルリン・フィルによる超名演(1959年)の方によりブラームスらしさを感じるということを、この場を借りて指摘をしておきたい。

録音は従来盤が全く冴えない音質で大きな問題があったが、数年前に発売されたHQCD盤では、相当程度音質は改善されたように思われる。

しかし、今般、最新のART(アビー・ロード・テクノロジー)によるリマスタリングによって、驚異的な高音質に蘇った。

最新のART技術によって蘇ったこのCDの演奏を、手持ちの旧盤と比較しながら聴いてみたのだが、音が伸びない不満を感じる旧盤に対し、この新盤は、全く別の演奏かと聴きまごうほど、ダイナミックレンジが大幅に改善されている。

特に最強音の音域の広がりは、想像を絶するほどであり、ミュンシュのスケールの大きい白熱の演奏の真価が、より鮮明に伝わってくるようになっているのだ。

ミュンシュ&パリ管弦楽団による歴史的かつ奇跡的な名演奏を、このような最新のリマスタリング技術で鮮やかに蘇った高音質録音で味わうことができるのを大いに喜びたい。

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ベルリオーズの幻想交響曲はミュンシュが最も得意とした曲のひとつであり、パリ管弦楽団の記念すべき最初のコンサートでの演目でもあった。

先般、その1967年11月14日に行われたパリ管弦楽団発足コンサートにおけるライヴ盤(アルトゥス)が発売されたことから、当盤は若干その価値を下げたと言えるが、演奏の安定性と言う意味では優れている面も多々あり、現在においても、ミュンシュを代表する超名演の座を譲ってはいない。

前述のコンサートに臨む前に、数日間かけてスタジオ録音された演奏ではあるが、とてもスタジオ録音とは思えないような圧倒的な生命力を感じさせる豪演だ。

第1楽章から終楽章まで、ミュンシュの指揮は阿修羅の如き突進で燃えに燃えまくっており、聴いていて手に汗を握るほどだ。

創設されたばかりのパリ管弦楽団も、これだけの快速のテンポであるにもかかわらず、一糸乱れぬアンサンブルを保っており、管楽器も弦楽器も最高の技量を示している。

発売当初から名盤の誉れ高い究極の演奏であり、熱き力の漲った、熱気溢れる超名演である。

ミュンシュ&パリ管弦楽団の黄金コンビが遺した録音は、本盤を含め4枚のCDのみであり、これらの演奏の質の高さに鑑みて、ミュンシュのあまりにも早すぎる死を残念に思う聴き手は筆者だけではあるまい。

これだけの歴史的な超名演だけに、これまで様々な高音質化の取り組みがなされてきたが、HQCD盤にしても今一つ音場が拡がらない、そして音がクリアに鳴り切らないという問題が解消されなかったというのは否めない事実である。

しかしながら、先日、ついに待望のSACD盤が発売された。

これは、マスターテープを下にしたということもあって、そもそも従来盤とは次元が異なる高音質であり、音場の拡がりも音質の鮮明さにおいても全く申し分がなく、おそらくは究極の高音質SACDと高く評価したい。

そして、ミュンシュ&パリ管弦楽団の歴史的超名演をこのような高音質SACDで味わうことができるのを大いに噛み締め、熟聴したい。

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2014年01月26日


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3年ほど前に発売されてベストセラーになったミュンシュ&パリ管弦楽団の発足コンサートの待望の完全収録版の登場だ。

それは、以前、発売されていたCDに収録されていたベルリオーズの幻想交響曲、ドビュッシーの交響詩の「海」に加えて、新たにストラヴィンスキーのレクイエム・ティクルスがカップリングされているが、何と言っても本盤の売りは、新たなリマスタリングによって音質がより一層改善されたことにある。

以前発売のCDも、1960年代のライヴ録音とは思えないような鮮明さであったが、録音レベルの調整などによって、いい意味でより聴きやすい音質に変貌したと言えるところだ。

歴史的な超名演だけに、本盤のような高音質化の意味はより大きいと言わざるを得ないだろう。

ミュンシュの数ある名演の中でも間違いなく頂点に君臨するものと高く評価したい。

まず「海」であるが、これはパリ管弦楽団と組んだ録音が遺されていないだけに、その意味でも貴重な録音。

ボストン交響楽団と組んだいささか大味な演奏とは別人のように緻密な表現を行っている。

もちろん重厚さにも不足はなく、第1部の終結部などあまりのド迫力にミュンシュのうなり声が聴こえてくるではないか。

第3部の冒頭では、嵐を予感させるような不気味な雰囲気が漂うなど、初めて聴くような新鮮さを感じさせるし、終結部の猛烈なアッチェレランドの凄まじさ。

実に感動的な名演と言えるだろう。

そして、幻想交響曲。

筆者は、ミュンシュ&パリ管弦楽団のスタジオ録音こそ同曲最高の名演と評価してきたが、本盤はそれを凌駕する。

ということは、幻想交響曲の演奏史上最高の名演ということになる。

第1楽章の冒頭は、スタジオ録音盤以上にゆったりとしたテンポで濃厚な表現を見せる。

しかし、主部に入ると、テンポはめまぐるしく変化する。

アッチェレランド、ゲネラルパウゼなどを効果的に駆使して、これ以上を望めないようなドラマティックな名演を繰り広げている。

第2楽章も濃厚な表現であるが、終結部の猛烈なアッチェレランドは相変わらず凄まじい。

第3楽章は、やや速めのテンポで緊迫感のある演奏を心がけている点が、あまりの遅いテンポによってもたれてしまいがちな他の演奏とはそもそも次元が異なる。

ここぞという時の迫力にもいささかの不足はない。

第4楽章の冒頭はゆったりとしたテンポで、断頭台に向かう死刑囚の内面を見透かすような不気味さを強調するかと思えば、主部に入ってからのダイナミックレンジの幅の広さ。

終結部に向けてのアッチェレランドの凄まじさは、過去のどの演奏をも凌ぐド迫力だ。

終楽章は、めまぐるしくテンポが変化する曲想であるが、ミュンシュはそれを殊更に大仰に強調することによって不気味さをより一層強調しているが、これは大正解。

終結部に向けての猛烈なアッチェレランドはもはや狂気と裏腹であり、演奏終了後の聴衆の熱狂も当然だと思われる。

パリ管弦楽団は管楽器も弦楽器も実に巧く、録音も1960年代のライヴ録音とは思えないくらい鮮明だ。

このような歴史的な超名演を製品化したアルトゥスレーベルに対して、心から敬意と感謝の念を表したい。

新たにカップリングされたストラヴィンスキーの楽曲も、幻想交響曲や交響詩「海」に優るとも劣らない素晴らしい名演であり、当日のコンサートがいかに圧倒的なものであったのかがよく理解できるところだ。

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2013年12月29日


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ミュンシュはフランス人ではあるが、ドイツ語圏にあるストラスブールの出身であり、ドイツ系の音楽を得意としていた。

例えば、ブラームスの交響曲第1番(1968年)は同曲演奏史上でもトップの座を争う名演との評価を勝ち得ているし、メンデルスゾーンの交響曲第4番及び第5番(1957〜1958年)もかのトスカニーニの超名演にも肉薄する名演であったとも言えるところである。

そのようなミュンシュにしてみれば、フランクの交響曲ニ短調においても名演を成し遂げないわけがないと言える。

フランクの交響曲ニ短調は、他のフランス系の作曲家による交響曲と比較すると、フランス風のエスプリ漂う瀟洒な味わいよりはむしろ、全体の堅固な造型や形式を重視した楽曲である(フランクはフランス人ではなく、ベルギー人であることにも留意する必要がある)。

循環形式という独特の手法を編み出したのも同曲においてであり、当該形式は、その後のサン=サーンスやショーソンなどにも大きな影響を与えることになった。

このような確固たる造型や形式を有した交響曲であるが故に、クレンペラーやフルトヴェングラー、カラヤンなどの独墺系の指揮者による重厚な名演が数多く生み出されているものと考えられる。

ミュンシュの演奏も、こうした独墺系の指揮者による重厚な名演に近い側面が多々あり、全体の造型はきわめて堅固であるとともに、重厚さにおいてもいささかも欠けるところがない。

それでいて、トゥッティに向けて畳み掛けていくような気迫溢れる力強さや、とりわけ緩徐箇所においてはフランス風のエスプリ漂う瀟洒な味わいが随所に感じられるところであり、いい意味での硬軟バランスのとれた名演に仕上がっているものと評価したい。

録音は1957年のスタジオ録音であり、今から50年以上も前のものであるが、今般のXRCD化によって、あたかも最新録音であるかのような鮮明な音質に生まれ変わった。

あらためて、XRCDの潜在能力の高さを思い知った次第であるが、ミュンシュの素晴らしい名演をXRCDによる極上の高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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2013年10月25日


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1941年に書かれ、オネゲルのヒューマニスティックな情熱の結晶である交響曲第2番、クーセヴィツキー財団の依頼でボストン響のために作曲され、ミュンシュによって初演された交響曲第5番の世界初録音とは、作曲者オネゲルと親交があり、指揮者として最も敬愛されていたミュンシュならではの歴史的名演。

ミュンシュのオネゲルは、いつ聴いても超名演で、他の指揮者の演奏とはまるで次元が違うと思う。

オネゲルのCDが数多あるなかで、この演奏がもっとも力強くオネゲルという作曲家を物語っている。

全編に厳しい緊張感が漲り、作品に込められた痛切なメッセージを極めてストレートに再現している。

第2番は、第2次大戦の最中に作曲された悲劇的な作品であるが、第1楽章の圧倒的な迫力と悲劇的な力強さは、他の指揮者の演奏では聴かれないものだ。

第2楽章の緩徐楽章も悲痛の極みであり、終楽章のラストのトランペットも、決して能天気な明るさには陥らず、強制された喜劇のような抑制的表現であり、ミュンシュのオネゲルの本質への深い理解を感じさせる。

第5番も超名演。

オネゲルがスコアに記したテンポや表情が目まぐるしく変化する複雑な楽想を、造型をいささかも弛緩させることなく、幅の広いダイナミックレンジと緩急自在のテンポ設定の下、オネゲルが同曲に秘めた悲劇的な情感を、格調を失うことなく描ききっているのは、もはや神業という他はない。

第2番と第5番の交響曲では、トランペット・ソロが非常に重要な役回りを演じていることが共通しているが、とりわけ第5番の強く迫るフォルテは一度聴くと忘れられない。

ボストン響とは唯一の録音となった「バッカスとアリアーヌ」第2組曲もミュンシュが初演しており、作品を極め尽くした者のみに許される壮絶な表現が聴きもの。

パリ時代から同時代の作曲家の作品を積極的に取り上げ、ボストン響時代も前任者クーセヴィツキーの方針を受け継いで、世界的な作曲者たちに新作を委嘱し続けたミュンシュの功績を刻印したアルバムである。

オネゲルの第2番は、3種類あるミュンシュの録音のうち2番目(ミュンシュは1942年、パリでの世界初録音を指揮)で、1967年パリ管との再録音あり。第5番はミュンシュ唯一の録音であるだけに貴重だ。

「バッカスとアリアーヌ」第2組曲は、ボストン響を離れた後フランス国立管と再録音している。

惜しむらくは録音がイマイチであることで、Blu-spec-CD化しても、あまり改善が見られないのは、1950年代前半という録音時期を考慮すれば、致し方ないのかもしれない。

「バッカスとアリアーヌ」第2組曲は、録音のせいもあるとは思うが、バレエ音楽としては生硬な印象を受ける。

ここぞという時のパッションの爆発はさすがであるだけに、少々惜しい気がした。

とはいえ、このような素晴らしい演奏のCDが、カタログから消えてしまわないことを切に望みたい。

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2013年07月11日


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ミュンシュの指揮による、いわゆるフランス印象派の作曲家であるドビュッシーやラヴェルの管弦楽曲の演奏については、賛否両論があるのではないだろうか。

ミュンシュはフランス人ではあるが、フランス領でありながらドイツ語圏でもあるストラスブールの出身であり、フランス音楽だけでなくドイツ音楽を得意とする指揮者であった。

それ故に、ミュンシュが指揮するフランス音楽は、どちらかと言えば、ドイツ風の重厚さが支配していると言えるところであり、フランス風のエスプリに満ち溢れた瀟洒な味わいにおいてはいささか欠ける演奏が多いというのは否めない事実である。

したがって、ラヴェルの管弦楽曲であれば、先輩のモントゥーや後輩のクリュイタンス、デュトワによる演奏の方がはるかに魅力的であるし、ドビュッシーの管弦楽曲であれば、後輩のマルティノン、デュトワによる演奏の方に軍配があがると言えるのではないだろうか。

もちろん、いずれも高い次元での比較の問題であり、ミュンシュの指揮したドビュッシーやラヴェルの管弦楽曲の演奏も、そんじょそこらの指揮者の演奏などと比較すると十分に魅力的であることは指摘しておかなければならない。

本盤に収められた交響詩「海」のこれまでの既発売の録音としては、スタジオ録音としては手兵ボストン交響楽団との1956年盤、ライヴ録音としては、2年前に発売され話題を独占したパリ管弦楽団との1967年盤が掲げられる。

本盤の演奏は、後者の1967年盤に次ぐ名演として高く評価したい。

前述のようにドイツ音楽を得意とした巨匠だけに、まずは全体の造型がきわめて堅固である。

そして、3つの場面の描写が実に巧みで、加えて、ライヴにおける燃焼度の高い圧倒的な生命力が全体を支配している。

特に、「風と海の対話」における畳み掛けていくような気迫溢れる演奏は圧巻の迫力を誇っている。

ピストンの交響曲第6番は、現代音楽でありながら非常に親しみやすい旋律が満載の魅力作であるが、ミュンシュは曲想を非常に丁寧に描き出しており、明瞭かつ快活な名演に仕上がっているのが素晴らしい。

バーバーの「メディアの瞑想と復讐の踊り」やベルリオーズのラコッツィ行進曲は、ライヴにおいて燃え上がるミュンシュの面目躍如たる生命力に満ち溢れた圧倒的な名演だ。

さらに凄いというか、異色の演奏は冒頭の君が代だ。

君が代をフランス風にアレンジしたような、いささか場違いな演奏ではあるが、芸術的な面白みにおいては無類のものがあると言えよう。

ミュンシュの薫陶を受けたボストン交響楽団も、その圧倒的な統率の下、最高のパフォーマンスを披露してくれているのが見事である。

録音も、1960年のものとは思えないような鮮明で素晴らしい高音質だ。

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ミュンシュはフランス人指揮者ではあるが、出身がドイツ語圏でもあるストラスブールであったことから、フランス音楽に加えてドイツ音楽も得意としていた。

例えば、最晩年に音楽監督に就任したばかりのパリ管弦楽団とともに成し遂げたブラームスの「第1」(1968年)は、同曲演奏史上でもトップを争う名演との評価を勝ち得ているし、かつての手兵であるボストン交響楽団を指揮して演奏したメンデルスゾーンの「第4」及び「第5」(1957〜1958年)、ベートーヴェンの「第3」(1957年)及び「第5」(1955年)なども、フランス人離れした重厚さを兼ね備えた質の高い名演であった。

本盤に収められたベートーヴェンの「第5」は、前述のスタジオ録音とほぼ同時期の録音であるが、さらに素晴らしい名演と高く評価したい。

本盤におけるミュンシュは、スタジオ録音と同様に、重心の低いドイツ風の演奏を行っているのであるが、これにライヴならではの力強い生命力が付加されている。

ミュンシュは、特に十八番とする楽曲においては、スタジオ録音においても、燃焼度のきわめて高い熱い演奏を行うことが多いが、ライヴともなれば、その燃焼度は尋常ならざるレベルに達することになる。

ドイツ風の重厚さを基調としながらも、灼熱のような圧倒的な生命力に満ち溢れた畳み掛けていくような気迫と力強さは、生粋の舞台人であるミュンシュだけに可能な圧巻の至芸と言えるだろう。

確かに、音楽の内容の精神的な深みにおいてはいささか欠けている面もないとは言えないが、これだけの豪演を披露してくれれば文句は言えまい。

併録のワーグナーの「ニュルンベルクのマイスタージンガー」からの前奏曲等の抜粋は、前述のようなドイツ音楽を得意としたミュンシュならではの重厚さを兼ね備えた名演と高く評価したい。

メンデルスゾーンの弦楽八重奏曲からのスケルツォは繊細な優美さが際立っており、ミュンシュの表現力の幅の広さを感じることが可能だ。

また、ブラックウッドの交響曲第1番は、現代音楽らしからぬ親しみやすい旋律に満ち溢れた魅力作であるが、ミュンシュの指揮も、知られざる作品を聴き手にわかりやすく聴かせようという滋味溢れる明瞭なアプローチが見事である。

ボストン交響楽団は、ミュンシュの薫陶の下、最高のパフォーマンスを発揮しているところであり、フランス風で音色がいささか軽やかになった小澤時代とは見違えるような重心の低いドイツ風の重厚な音色を出しているのが素晴らしい。

録音も、ややデッドで音場が広がらない箇所も散見されるが、1960年のものとしては十分に鮮明な音質であると評価したい。

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2013年05月18日


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ミュンシュはフランス人ではあるが、ドイツ語圏のストラスブール出身であることから、ドイツ音楽にも数々の名演を成し遂げている大指揮者であった。

したがって、フランス音楽なども数多く録音しているが、ベルリオーズの幻想交響曲などは別格として、とりわけフランス印象派とも称されるドビュッシーやラヴェルの演奏については、モントゥーやアンセルメ、パレー、クリュイタンス、マルティノン、そして近年のデュトワなどの名演と比較すると、一歩譲ると言わざるを得ないのではないだろうか。

したがって、本盤におさめられたドビュッシーの交響詩「海」にしても、イベールの「寄港地」にしても、前述の指揮者によるフランス風のエスプリ漂う瀟洒な味わいに満ち溢れた名演と比較して云々するのは容易なことであると言えるだろう。

確かに、本演奏においては、かかる瀟洒な味わいにおいては、前述の指揮者による名演には一歩も二歩も譲っていると言えるのかもしれない。

しかしながら、楽曲全体の堅固な造型や、各場面の巧みな描き分けにおいては、むしろ本演奏の方が優れている面もあると言えるところであり、とりわけ各曲の頂点に向けて畳み掛けていくような気迫溢れる力強さや迫力においては、他の追随を許さない名演と高く評価したい。

ボストン交響楽団の圧倒的な技量も、本名演に大きく貢献しているのを忘れてはならない。

なお、交響詩「海」については、一昨年にアルトゥスからパリ管弦楽団とのライヴ録音(1967年)が発売され、それが壮絶な超名演であったこともあって、本スタジオ録音の価値は著しく減じることにはなったが、それでも名演の評価にはいささかも変わりがないものと考えている。

そして、さらに本盤が素晴らしいのは、XRCDによる極上の高音質であろう。

今般のXRCD化によって、今から50年以上も前の録音とは信じられないような鮮度の高い音質に生まれ変わったと言える。

ミュンシュによる至高の名演を、XRCDによる高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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本盤にはドビュッシーの管弦楽のための「映像」のみが収められている。

所要時間は全体で30分程度。

通常CDではとても考えられないような収録曲の少なさ、そして収録時間の短さと言えるであろう。

しかしながら、本盤の驚天動地の素晴らしい高音質を聴くと、そうした収録曲の少なさや収録時間の短さについてもある程度は納得することが可能である。

本演奏は、今から50年以上も前のスタジオ録音であるが、今般のXRCD化によって、最新録音にも比肩し得るような鮮度の高い音質に生まれ変わったと言えるところである。

ドビュッシーの管弦楽曲に特有の色彩豊かなオーケストレーションが鮮明に再現され、しかも、弦楽器と管楽器や、更には各管楽器セクションが明瞭に分離して聴こえるようになったというのは、殆ど驚異的ですらあると言えるところであり、あらためてXRCDの潜在能力の高さを思い知らされた次第である。

演奏内容も素晴らしい名演と高く評価したい。

同曲の他の指揮者による名演、例えば、マルティノンや、近年のデュトワによるフランス風のエスプリ漂う瀟洒な味わいに満ち溢れた同曲の名演を聴いていると、本演奏の方はいささか分が悪いとも言えるが、各曲の頂点に向けて畳み掛けていくような力強さやここぞという時の豪快な迫力、灼熱のように燃え上がる演奏における燃焼度の高さにおいては、他のいかなる演奏よりも優れていると言えるのではないだろうか。

また、ボストン交響楽団の卓越した技量も特筆すべきものであり、本名演を聴いていると、ミュンシュ時代のボストン交響楽団がいかに桁外れの実力を有したスーパーオーケストラであったのかを窺い知ることができるところである。

いずれにしても、ミュンシュ&ボストン交響楽団の黄金コンビが成し遂げた至高の超名演を、極上の高音質であるXRCDで味わうことができるのを大いに喜びたい。

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2013年03月25日


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かつて従来CDで聴いた時は、いい演奏とは思ったものの、さほどの感銘を受けなかったところであるが、今般のHybrid SACD盤の鮮明な音質を聴いて驚いた。

今般の高音質化によって、筆者も、この演奏の素晴らしさを再認識したところである。

メンデルスゾーンの「第4」&「第5」のCDとしては、かのトスカニーニの歴史的な超名演があるが、この超名演に肉薄する名演と評価してもいいのではないかとさえ考える。

熱狂と興奮が渦巻く「第4」、荘厳なまでに美しい「第5」、トスカニーニのモノラル盤と双璧をなす、ミュンシュの快演だ。

とにかく、演奏全体に漲っている熱気が素晴らしい。

ミュンシュは、特に、ライヴ録音において、とてつもない生命力を発散する豪演を成し遂げる指揮者であったが、スタジオ録音でも、調子に乗った時は、ライヴ録音なみの爆演を披露することがある。

有名な例が、最晩年のパリ管弦楽団との幻想交響曲やブラームスの「第1」であるが、本盤も、それに近いものがある。

その力強い生命力は、かのトスカニーニの名演にも匹敵するものがあると言える。

さすがに、トスカニーニ一流の極上のカンタービレは散見されないが、その分、ここには、ストラスブール出身で、ドイツ音楽を得意とした巨匠ならではの重厚さがあると言える。

特に、「第5」は、その楽曲の性格から、トスカニーニの名演を凌駕する出来と言えるかもしれない。

ボストン交響楽団も、後年の小澤時代が信じられないような、重量感溢れるドイツ風の音を出しているのが素晴らしい。

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2013年03月18日


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当アルバムは、1955年に収録された初期のステレオ録音で、『運命』『未完成』というカップリングの嚆矢となったもの。

はじめに、このXRCD&SHM−CD盤の驚異的な高音質を評価しなければならない。

とても1955年の録音とは思えないような鮮明な音質であり、ボストン・シンフォニーホールの豊かな残響も見事に再現されている。

本盤は、既にSACDでも発売されているが、マスターテープにも遡ったであろう本盤の方に軍配をあげたい。

これだけの高音質になると、演奏も俄然良く聴こえるようになる。

ミュンシュは、ドイツ系住民も多いストラスブール出身であることもあり、ドイツ音楽を得意とする巨匠だ。

とは言っても、そのすべてが優れているわけではない。

ベートーヴェンなど、必ずしも名演を成し遂げてきたとは言い難いとの評価がなされているが、本盤のような高音質CDを聴くと、実は、そうしたネガティブな評価は、従来CDの録音のせいではないかとも思えてくる。

本盤における重心の低い重量感溢れる響きは何と表現すればいいのであろうか。

小澤時代になり、フランス音楽への適性が謳われるようになったボストン交響楽団ではあるが、ここでは、ドイツのオーケストラではないかとの錯覚を起こすような重厚な音色を出している。

ミュンシュも、比較的テンポの変化をおさえた巨匠風の指揮を行っている。

『運命』は、第1楽章提示部を始めとする繰り返しをまったく行わず、前へ前へと前進する圧倒的なエネルギーが聴く者を圧倒する。

特に終楽章における高揚感は、まるでライヴ演奏を思わせるほど。

『未完成』は、作品に内包される熱いロマンティシズムを直截に表出したユニークな解釈。

いつもの燃えまくるミュンシュを聴くことはできないが、立派さにおいては無類の指揮ぶりであり、名演奏との評価が揺らぐことはいささかもない。

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2013年03月08日


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あまりの凄まじい高音質に、ただただ圧倒されるのみ。

XRCDとSHM−CDを組み合わせただけで、これだけの高音質になるとは、ほとんど信じがたい思いだ。

下手なSACDなどを凌駕する高音質であり、本盤が、1960年代初頭の録音であることなど、まるで信じられない。

さすがに、トゥッティの箇所においては、やや音場が狭くなるなど、若干の音の古さを感じさせるが、その他の箇所においては、あたかも最新の録音のような鮮明な音質に生まれ変わっていると言える。

これだけ音質が素晴らしいと、演奏内容もより一層引き立つことになる。

両曲ともに、ミュンシュ&ボストン交響楽団の黄金時代を象徴する名演と高く評価したい。

ミュンシュは、スタジオ録音であろうが、ライヴ録音であろうが、生命力溢れる熱演を繰り広げるが、本盤でも、そうしたミュンシュの燃えに燃えた爆演を聴くことができる。

「ロメオとジュリエット」は、情緒の濃い、劇的な精力にあふれた内容なので、スケールの大きな、エネルギッシュな指揮を必要とする。

この点、ミュンシュは、彼の最良の味を発揮している。

荘重な進行の中に、旋律を優美に生かしながら、底知れぬ苦悩や情熱を盛り上げてゆく。

もちろん、抒情的な箇所の歌い方もいささかの不足もなく感動的であり、ミュンシュの表現力の幅の広さを感じさせてくれる。

それにしても、当時のボストン交響楽団は、何という巧いオーケストラであったことか。

特に、「ティル」における金管楽器や木管楽器の名技にはほれぼれするほどで、ティンパニの雷鳴のようなとどろきも圧巻の迫力であり、その威力を充分に表わしている。

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2013年01月26日


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1960年5月5日/日比谷公会堂に於けるライヴ(ステレオ)録音。

ミュンシュ&ボストン交響楽団の来日公演は、1996年に故黒田恭一氏の「20世紀の名演奏」で聴いたが、幻想交響曲はミュンシュの十八番中の十八番で、手兵ボストン響とのスタジオ録音とは別人のように燃えており、ライヴならではの熱気が爆発した超名演だ。

ミュンシュのベルリオーズは格別であり、先にDVDになった日本フィルとのライヴ同様、幻想交響曲の達人が日本でその超十八番を披露した記録として、不滅の価値を持つものである。

ただ単に歴史的名演、熱演というだけでなく、指揮者と作曲家、指揮者と作品とが特別な絆で結ばれている、そんな感慨に浸らせるライヴである。

ドラマティックな解釈も素晴らしいし、演奏にかける情熱、覚悟にもただならぬ気配が充満しているが、その背景には、この名作だけがもつ真実性を全身全霊をかけて明らかにしようとしたミュンシュの使命感があり、それが強烈な説得力となって演奏全体に輝きと起伏とスリルを与えている。

ルーセルは、この曲をミュンシュはボストン響とモノラルでしか録音しておらず、このステレオ録音は貴重で、圧倒的なもの(この曲はミュンシュが初演している)である。

「バッカスとアリアーヌ」組曲はミュンシュ&ボストン響の得意のレパートリーで、この来日公演でも優れた演奏を聴かせてくれた。

何よりも、ミュンシュの明晰で健康な解釈がルーセルの音楽の性格と様式にふさわしく、古代ギリシャの神話の世界が眼前に繰り広げられるようにさえ感じられる。

それは、素朴で力強く、同時に繊細で優美な情感にも不足しない。

ミュンシュがルーセルの作品で遺した名演奏である。

両曲を通して、ボストン響の音色も明るく、輝かしい。

ミュンシュのやる気も前例がないが、オケも傑出、聴き手を演奏芸術の真髄に立ち合わせてくれる。

座右の宝である。

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2012年08月30日


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ミュンシュのドラマティックな表現力が極限まで発揮された『ブラ1』の名演。

ボストン響のパリッと冴えた輝かしい金管の響きを効果的に生かしながら、凄まじい推進力で全曲を聴かせてしまう勢いを備えており、有名な最晩年のパリ管弦楽団とのEMI録音とはまた別の味わいを持つ、より剛毅な迫力に満ちた男性的な解釈といえよう。

この演奏にしかない明るさと力強さ、そしてトスカニーニのカンタービレような深い歌い込みも感じる。

また、晩年のパリ管弦楽団よりもアンサンブルの精度が高いのも魅力である。

ミュンシュは、フランス人でありながらドイツ音楽を得意としており、その中でもブラームスは十八番の一つであったと言われる。

本盤の「第1」は、あのパリ管弦楽団との名演の12年前の録音であるが、パリ管弦楽団との名演が、オーケストラとの出会いが浅かったこともあってなのか、出たところ勝負のライヴ的な迫力が持ち味であるのに対して、本盤の演奏は、ミュンシュの芸風や人となりを深く理解したオーケストラの安定した演奏が魅力ということが言えるだろう。

もちろん、安定とは言っても、それは安全運転という意味ではなく、ミュンシュならではの劇的な迫力にもいささかの不足はないのはさすがと言うべきである。

終楽章の有名な旋律を、超スローテンポで演奏するなど、一筋縄ではいかないところもある。

ドイツ風な重厚さよりも直線的なダイナミズムを重視したその解釈は、陰鬱なブラームス像を好まないファンからは熱狂的に支持されよう。

「悲劇的序曲」は、快速のテンポによる劇的な名演で、指揮者の手足と化したオーケストラの充実ぶりと相俟って一気呵成の進行が聴きもの。

それにしても、Biu-spec-CDの音質向上効果はめざましく、ステレオ初期録音が、あたかも最新録音かの如く聴こえるのは実に素晴らしいことだ。

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2012年07月24日


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ブラームスやベートーヴェンなどの独墺系の音楽を得意としたミュンシュならではの重厚な名演である。

本盤を、指揮者やオーケストラの名前を伏して聴いても、とてもフランス人の指揮者による演奏とは思えないだろう。

それくらい、厳しい造型の下、重心の低い重量感溢れる演奏で一貫している。

ミュンシュの感覚の良さはともすれば冥想的に傾いて、形式的な面の明確さを欠く演奏になりがちなのを、まことに造型のしっかりした表現にしている。

それだけに、すっきりとして、どこにもこねまわしたところがなく、曲の隅々まで透明で、明快なブラームス像を描いている。

ボストン響の緻密で洗練されたアンサンブルの演奏力が裏付けとしてあるからであろう。

特に美しい弦と輝かしい金管パートを基本にして、実に美しいアンサンブルであり、なめらかな艶がある。

作品に真正面から取り組み、激しい燃焼度で突き進んでいく若々しさと、壮大なスケールで音楽を高潮させてゆく手腕はミュンシュの真骨頂。

もちろん、イン・テンポというわけではなく、例えば「第2」の第1楽章の終結部でテンポを大幅に落としたりするなど、隋所にミュンシュならではの個性的な解釈も垣間見える。

それでも、決してやり過ぎの印象を与えないのは、ミュンシュが、ブラームスの本質をしっかりと鷲掴みにしているからであると思われる。

また「第4」ではミュンシュの作品に寄せる愛情がにじみ出た演奏になっており、聴き応え満点である。

特に両交響曲のフィナーレで沸騰点に達するパッションは、他からは聴くことが出来ない。

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2012年06月10日


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ありそうでなかったミュンシュのベートーヴェン:交響曲全集の登場(録音・演奏は、1947〜1961年)。

第8番を除いてすべてボストン交響楽団とのライヴ録音で、声を上げ、足踏みしながらオーケストラを鼓舞するまさに火の玉のように燃える演奏を堪能できる。

ミュンシュの特長が如実に表れた、激しさとしなやかさが自在に交錯する生気溢れる演奏である。

またテンポの把握がよく、スケールが大きく、大変音楽的であり、それに加えてボストン響の整った技術が、このミュンシュの解釈を何層にも裏づけている。

特に第5番にミュンシュの個性は端的に示されており、緊張感に満ちた第1楽章から明るい終楽章まで、押しの強い力感みなぎる運びのうちに全体を大きな流れでまとめている。

第9番も豪快かつダイナミックな演奏で、とりわけ終楽章の熱い高揚はミュンシュならではのもの。

ミュンシュは、オーケストラも合唱も独唱も完全に自らの手中に収め、太い線を貫くような力と技で、この曲のたくましい構成を堅実に演奏に移しかえている。

第3番では颯爽たる進行のうちに、生き生きとした音楽が躍動する。

第8番のみパリ音楽院管弦楽団とのデッカへのセッション録音でおとなしいものの、これはこれで昔のフランスのオケの味な音が楽しめてなかなか魅力的。

他の交響曲もドイツ的な重厚さとは無縁、明快に逞しく、率直かつストレートに進むカラっとした音楽作りで、しかもそこに奥行きを感じさせているところがすばらしい。

これはミュンシュの充実した構成力と、それを完遂しうるボストン響の高度な技量との勝利を示す演奏である。

最も正統的な演奏として一つのスタンダードとなるであろう。

すべてモノラルの古い録音だが、聴きやすい水準にある。

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2012年02月03日


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ミュンシュによるミヨー、プーランク、ストラヴィンスキーの録音を集大成したアルバムで、いずれもミュンシュ唯一の録音。

ジャズのエレメントを取り入れたバレエ「世界の創造」、プロヴァンス地方の民族色豊かな「プロヴァンス組曲」、いずれもミヨーならではのウィットに富んだ楽しい作品であり、ミュンシュはそうした特質を大らかに歌い上げている。

ミュンシュの「世界の創造」という曲の内容を知り尽くした明快な棒さばきもさることながら、ボストン響の楽員たちの卓越した技量にも驚く。

特に管楽器と打楽器のうまさは圧倒的である。

「プロヴァンス組曲」では、ミュンシュは精緻で若々しい表現をしている。

生気にあふれた第4曲や、情趣の濃い第7曲など、傑出した出来ばえである。

プーランクの「オルガン、弦楽とティンパニのための協奏曲」では、ザムコヒアン(オルガン)の多彩なソロが聴きもの。

またプーランクの協奏曲でティンパニ・ソロを受け持つエヴァレット・ファースは小澤時代までボストン響の首席ティンパニストをつとめた名手で、現在ではサイトウ・キネン・オーケストラに参加するため毎夏来日して日本のファンにも馴染みが深い。

なおジャケットの絵はフランスの画家フェルナ・レジェによる。

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2012年01月05日


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ミュンシュ=ボストン響による2度目にして、決定的名演となった《幻想》。

ミュンシュのボストン響音楽監督としての最後の録音の一つで、1949年以来10年以上にわたる緊密なパートナーシップがまさに融通無碍の名演に結実。

今のボストン響からは失われて久しいフランス風の華麗な響きを保ちつつ、壮絶に高揚していくドラマは、他では聴くことができない。

豊かな色彩感を確保しながら、情熱的な力強さを臆することなくぶつけて、グイグイと進める音楽の運びが自然で自在なミュンシュが、やはりベストだろう。

ミュンシュにとって《幻想》は肉体の一部になっているかのようだ。

数種ある演奏のそれぞれが名演の名に恥じないものだが、2度目のボストン盤が、その完成度の高さで抜きん出ており、この曲の主情的演奏として理想的なバランスを持っている。

ボストン響との録音は、ミュンシュが最も精力的に活動していた頃の、若々しい活力を伝えている。

造形が端正で、後年の演奏より客観的であるが、それだけに音楽的には純粋で骨格が逞しい。

ボストン響も輝かしく充実感が強い。

情熱が噴き上がるような快演で、ミュンシュの率直な音楽性と豪快な交響性が、ベルリオーズのもつ強靭な生命力を的確に表現している。

まさにこの作品の本領を伝える名演というにふさわしいこの演奏にあっては、オケのメンバーたちの一丸となって演奏に没入している姿勢もが目覚ましく、それは、とめどもなく情熱的でホットな時間の推移をつくり出し、圧倒的な説得力をも生み出すこととなっている。

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2012年01月04日


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ミュンシュが最も得意とし、名刺代わりのように世界各地で演奏した「幻想交響曲」の古典的名盤。

ライヴも含めると6種類の演奏がCD化されているが、その中でパリ管弦楽団との1967年盤に匹敵する熱気を孕みながら、アンサンブルの充実度で勝るのがこのボストン響との1954年盤で、ミュンシュ=ボストン響の組み合わせによる最初期のステレオ録音の一つである。

この演奏にはミュンシュの最も素晴らしい面があふれている。

音楽がいまそこで産声をあげ、まあたらしい生命そのものの力で動いているという感動に襲われる。

棒はかなり緩急自在だが、オーケストラはまるでもともと自分たちがそうしたかったところを、そう振ってくれたといわんばかりの、自然な動きぶりである。

そのような動きの中に美しい情熱が輝いている。

たとえばモントゥーの「幻想」は、標題交響曲はかくあるべしといった演奏だが、ミュンシュの演奏はまったく正反対で、率直そのもの、テンポも速く、各楽器の特性をあくまで明確に出している。

本当に明快で音楽的な演奏でアクは強くないかもしれないが、第一級の演奏というべきであろう。

ボストン交響楽団のうまさも特筆すべきである。

さらに、この演奏には、テンポの緩急の変化がかなり強く出ているのと、情緒的劇的構成をつくるのが各所にみられる。

それがまた表現を豊かにしている。

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2011年06月30日


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このブラームスの協奏曲は、ルービンシュタインの全盛期のころの録音(1952年)で、テクニックや気力が最も充実していた演奏であり、この巨匠の最良の状態を伝えている名盤として注目される。

これはルービンシュタインの65歳の時の録音だが、そうした年齢を感じさせない見事なテクニックで風格たっぷりに弾きあげている。

もっとも、彼はその後、クリップスとオーマンディと録音しており、この録音は、むしろ若いころのものと言えるかも知れない。

ルービンシュタインの若々しい表現が、音楽性にあふれており、晩年の厚みや交響的な味わいは薄いが、全盛期だけに色気や艶があり、流れが美しく、詩情にも欠けていない。

ブラームスの変ロ長調協奏曲の演奏では、とかくヴィルトゥオジティが表面に出てくるが、音楽の性格はそれだけで割り切れるものではなく、演奏者の個性とヴィルトゥオジティがどのように結びつくかに左右される。

この演奏はルービンシュタインのテクニックが充分に発揮されていると同時に、音楽のさまざまな性格も過不足なく反映されている。

渋くまろやかな美しさに溢れるルービンシュタインのソロは、輝かしい集中力や強靭なタッチを充分に維持しており、ブラームス特有のくすんだロマンやエネルギッシュな情熱を絶妙なさじ加減で描き出しているのである。

この時期のルービンシュタインはひとつの完成期にあり、ブラームスの変ロ長調協奏曲の優れた演奏もそのことを実感させる。

したがって、ルービンシュタインは華々しい技巧を誇示するのではなく、豊かな情感とバランスをとっている。

ミュンシュは伴奏として優れているだけでなく、ボストン響からブラームスらしい重厚でブレンドのよいサウンドも作り出している。

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2010年12月11日


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ミュンシュがアメリカで客死する直前、創設当初のパリ管弦楽団と入れた録音に、十八番のオネゲル:交響曲第2番が含まれたのは幸いだ。

ブラームス「第1」が神格化され、ベルリオーズ「幻想交響曲」、ラヴェルの作品集が高い評価を受ける中、この演奏にスポットが当たることは少ないが、忘れてはならない演奏である。

指揮ぶりはたいへん率直で力にあふれたものだが、それにパリ管が軽妙な味を添えてゆく。

ミュンシュはオネガルのよき理解者で、第2次大戦前からその作品を演奏、録音している。

2人の精神に共通項が多かったからであろうが、オネゲルがよりペシミスティックであったとすれば、ミュンシュはよりオプティミスティックであった。

第2次大戦の暗い影を反映した第2交響曲で、ミュンシュはむしろ男性的な演奏を聴かせる。

それも悲痛な感情を深く掘り下げるが、根底には救いを感じさせる。

第1楽章で反復される不吉な音型が息の長い旋律と結びつく時はその例であろう。

第2楽章の憂鬱な表情なども素晴らしい。

それだけに最後のトランペットのコラール風の旋律が、いっそうの存在感を発揮している。

パリ管の弦が美しく、しかも量感に富んだ響きもミュンシュの解釈にふさわしい。

同じく最晩年のミュンシュがパリ管を指揮した数少ない録音のひとつであるラヴェルのピアノ協奏曲は、ピアノよりもミュンシュと彼が指揮するパリ管に大きな聴きどころのある演奏であるが、ここに聴くパリ管のバックアップは、とにかく素晴らしいものだ。

結成直後のパリ管は、当時のフランスを代表する管楽器奏者たちがその首席に名を連ねていたが、管楽器のヴィルトゥオーゾ的なソロが多くの華やかな名場面を形成しているこの作品は、彼らに名人芸の開陳の絶好の場を提供しており、それは、この演奏ならではの面白さにもなっているのである。

アンリオ=シュヴァイツァーのソロは、ラヴェルとしては少し甘すぎるきらいもあるが、悪くない出来を示している。

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2010年12月07日


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1966年度の仏ADFディスク大賞受賞盤。

ルーセルの最も円熟期に書かれた2つの交響曲。

ドビュッシーやラヴェルといったフランスの印象派の伝統から受け継がれた音感覚や、またドイツのロマン派の暗い情感が、新古典主義的な明快な形式感の中に含まれているルーセルの複雑な響きの綾を、ミュンシュは各テーマの表情がくっきりと浮かび上がるようにしながら、彼ならではの丁寧な演奏を行っている。

ミュンシュらしい豪快で阿修羅の如き演奏で、2曲とも驚くほどの集中力によって充実した力感と緊張をつくり出している。

音構造はもとより、すべてが明快に把握され、ルーセルの和声法や対位法的書法の的確な処理、抒情的な表現を必要とする部分の豊かな歌、管楽器の明るい色彩美も特筆したい。

タクトをプロペラのように振り回すミュンシュの背後には、メラメラと立ち上る真っ赤な炎が見えたに違いない。

この狂熱の炎によって、作品を構築する枠組みすら溶解しかねないほどである。

しかし、ミュンシュは、造型を崩壊させる一歩手前で踏みとどまる。その寸前の凄まじい美しさが、この演奏の価値である。

第3番第1楽章の緊張感みなぎる出だしから、それは明らかである。

ここにはミュンシュのすべてがあるといってよく、ルーセルの交響曲がこれほど興趣にみちて聴こえる演奏は滅多にない。

現在はかなり楽団員の年齢が若返ってインターナショナルな響きを出すようになったラムルー管弦楽団だが、この録音ではミュンシュとの相性が大変良く、当時のフランスの響きを楽しめる。

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2010年06月01日


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ミュンシュは、ごく限られた期間ではあったが、最晩年にパリ管弦楽団の初代音楽監督を務め、この名門オケと少数の録音を行なっている。

そしてこれらの録音は、そのどれもが歴史的名演というにふさわしい内容を示しているが、そのなかで最高の名演はどれかといわれれば、私はためらうことなくこの《幻想交響曲》ライヴを挙げたい。

特にこの演奏は、結成直後のパリ管の並々ならぬ意気込みとミュンシュの最後の情熱の燃焼が一つに溶け合った稀有な名演であり、そこで繰り広げられている何かに憑かれたような熱っぽい表現は、聴き手を放心状態にさせてしまうようなカリスマ的なアピールさえをも放っているのである。

この演奏のただならぬ雰囲気は、第1楽章の序奏部でヴァイオリンが呈示するとぎれとぎれの旋律が奏でられると同時に、聴き手に印象づけられる。

ドラマティックな展開部のまさに熱狂的といえる表現などは、筆舌に尽くし難い凄みをもって聴き手に迫る。

第4楽章やフィナーレの桁外れのエネルギーを内在させたデモーニッシュな表現も、この演奏ならではの聴きどころとして特筆される。

不安で熱にうなされるような感情を強く滲ませた第2楽章も出色であり、第3楽章では、名手たちが名を連ねていた当時のパリ管の管楽器セクションの名技が素晴らしい。

「海」は設計が綿密なうえに大変語り口のうまい表現で、「波の戯れ」や「風と海の対話」など、色彩感豊かな筆致で精妙に描き上げていて見事だ。

ミュンシュ最後の生命の炎の輝きといえるこの演奏は、同時にパリ管の黄金時代を偲ばせてくれる名演でもあるのだ。

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2009年03月05日


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交響曲第5番「3つのレ」は、ラヴェル、ドビュッシー以後のフランス六人組の作曲家の一人、アルトゥール・オネゲルの最後の交響曲で、死の5年前に書かれた。

全3楽章で、それぞれの楽章が全てドレミの「レ」の音の弱奏で終わることから、「3つのレ」の副題を持っているが、この3つのレ音終止にどのような意味が託されているのかについて、作曲家自身は明確な説明を与えていない。

オネゲルの作品には第2次大戦の影が強く感じられるものが多いが、それは、大戦中のパリで書き上げられた弦楽のための「第2交響曲」での、人類の苦悩と、未来への確信を張り詰めた音で力強く表現した作品に端的に表れている。

また、「第3番・典礼風」では、神に救いを求める人間の祈りを描いたと言われるが、この2曲にはカラヤン/ベルリン・フィルの名演が残されている。

「第4番・バーゼルの喜び」では、平和を賛美し自然を謳歌しているが、この戦後5年を経た1950年に完成された「第5番」は、再び、悲痛とも言える深い絶望感と悲しみに覆われた作品となっている。

そこには、一種の諦念ともいえるものが横たわり、異常な緊張を孕んだ内的な厳しさが表出されている。

ミュンシュはオネゲルの良き理解者で、紹介者であり、その作品は最も得意なレパートリーの一つ。

ミュンシュの繊細でいながら力強い前向きの演奏が、オネゲルの思いの深さと呼応した名演だ。

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2009年02月27日


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オリジナルLP時に仏ADFディスク大賞を受けている。共にミュンシュ唯一の録音である。

両曲とも、むしろゆったりとした速度をもって、音色の変化を豊かにとらえて表現している。

まことに、感覚的なもの以外に音への共感をもったスタイルの演奏である。

ダイナミックな音楽の構造を、確実なデッサンを損なわずに、率直に表現したところに特色があるし、フランス音楽のよさを、直に感じさせる力がある。

ミュンシュの指揮は緻密だ。そして、粘らない。淡白でさらっとしている。

それが、ときにフランスの粋な感覚ともなって表れるのであるが、実に注意力の行きわたった、端正な表現をする指揮者だ。

2曲ともきわめて色彩的な表現で、特に「メタボール」はこのように多彩な音色が必須の作品と考えられる。

ミュンシュの指揮も音楽の力学的な効果を鮮明に表現しており、そのため作品の輪郭が明確に表された印象を受ける。

全体の大きな流れで聴き手を捉える演奏なので、どちらかといえばオネゲルの方が高く評価できる。

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2008年12月09日


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ボストン交響楽団は、ミュンシュによって彼らの黄金時代を築いた。

いっぽうでアンサンブルの規律が弛緩したというきびしい意見もあるが、ミュンシュの健康で輝かしい、豪壮な力感をもった音楽は、やはり空前絶後の芸術を生み出したといってよい。

このサン=サーンスの「オルガン付き」は、そうした彼らの代表的名盤のひとつである。

もちろん、ミュンシュとしても最盛期の演奏であるだけに、きわめてスケールが大きく、激しい生命力が噴出するように示されている。

この指揮者らしい、細部にこだわらない率直な表現が好ましいが、2つの楽章ともにオルガンが導入される後半は、強い共感にあふれ、聴き手を感動させずにはおかない。

すなわち、第1楽章ではやや遅めのテンポでたっぷりと旋律を歌わせており、第2楽章の後半は光彩渦巻く壮麗な響きの嵐を体感させてくれる。

ボストン交響楽団の演奏も絹のようになめらかな弱音から、響きが豪快に屹立するトゥッティの効果まで、彼らの全力を傾けたアンサンブルを聴かせる。

もちろん、サン=サーンス特有の対位法の処理は明快そのものである。

作品の独自の書法とおもしろさが、強い説得力をもって表わされている。

こうした曲なので、録音効果も非常に重要である。この場合、一般のCD(RCA)とXRCDの高音質盤(ビクター)の2種があるが、演奏まで新鮮に聴かせてしまう後者が、断然おすすめである。

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2008年10月19日


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いつまでたってもポピュラーでメジャーな作品にはならないのだが、私自身、ダンディの「フランスの山人による交響曲」が以前から大好きで、今でもしばしばディスクをとり出して聴く機会は多い。

そしてそうした折りに聴きたくなるのは、今ではすっかり古い録音(1958年)になってしまったミュンシュ盤で、私とのつきあいもずいぶん長い。

それでも、この演奏は汲めども尽きないような魅力をもっている。

線の太い音楽性で、あまり細工を弄するような傾向はないのだけれども、親しみ深い情感がいつとはなしに寄りそってくるようで、自然にひきこまれてしまう。

ミュンシュの人柄から来るマジックなのかもしれない

オイストラフを独奏に迎えたショーソンの「詩曲」も素晴らしい曲である。

神秘的で美しい序奏をバックにヴァイオリンが瞑想的な主題を奏でる出だしから、純化された魂の昂揚への展開に至るまでのショーソンの天才が余すところなく示されており、およそヴァイオリンのために書かれた作品の中で最も美しいものの一つといっても過言ではない。

オイストラフのヴァイオリンには、スコアの検討による曲の解釈ではなく、純化された魂がつくりだす作品との一体化によってのみ生み出すことのできるパッションがある。

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2008年08月17日


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ミュンシュ最盛期の名演。

フランクは男性的で生命力が強く、スケールが大きい。

第1楽章後半は遅めのテンポでよく歌わせているし、第3楽章後半の壮麗な劇的高揚も素晴らしく、ミュンシュの傑作のひとつである。

ここでミュンシュは、主情的にテンポを動かし、各楽想にこまやかな表情を与えて演奏している。

いつもの截然としたミュンシュを聴き馴れた耳には、意外に思われるくらいだ。

ドイツとフランスの国境地帯に生まれたミュンシュにとって、この作品はとても近しく感じるところがあるのだろう。

線の太さと自然で色彩的な表現を兼ね備えた、ひとつの理想とも言うべき演奏を実現している。

このフランクの交響曲では、曲の外形分析を演奏の基礎としているだけではなく、その造形の背後にある作曲者の表現意志までも的確に汲みとって、それを渾然と有機的に組織づけている。

イベールの「寄港地」も傑出した演奏だ。

ミュンシュは巧みな棒でそれぞれの曲のもつエキゾチックな気分を鮮やかに描き出し、官能的な南国の夜の情感を豊かに表出した「チュニス=ネフタ」が特に聴かせる。

その他、ユーモラスな曲想をしっかりとつかんだ「魔法使いの弟子」など、どれも格調の高い秀演だ。

当時のボストン響の力も、現在とは格段の差がある。

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2008年07月26日


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ミュンシュは1949~63年までボストン交響楽団の常任指揮者として活躍。1967年にパリ管弦楽団の初代音楽監督に迎えられたが、翌年演奏旅行中に急逝。彼の特にフランス音楽に示す洗練された芸術は、今も共感を呼んでいる。

ミュンシュ最晩年の貴重な遺産であるこの盤は、ラヴェルの粋をつくした管弦楽曲の数々を集めたもの。

パリ管弦楽団の魅力をあますところなく伝えており、純度の高い輝きと色彩美に満ちている。

ラヴェルの音楽に精魂こめて取り組んでいた老ミュンシュの真摯な姿勢に心打たれる名演揃いである。

特に「ダフニスとクロエ」は、曲の細部にいたるまで充分に磨き抜かれた音の綾織りの美しさに魅了される。

「夜明け」は、いくぶん速めのテンポで潮のように音楽を盛り上げ、「全員の踊り」は、剛直な表現で圧倒する。

「ボレロ」もテンポ設定が実にうまく、ソリストたちの技術も優秀で、華麗な音の絵巻を繰り広げている。

「スペイン狂詩曲」も緻密なニュアンスに溢れ、情感豊かに描かれている。

「亡き王女のためのパヴァーヌ」も高雅な詩情に満たされた名演だ。

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2008年03月25日


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数あるレクイエムの中でもベルリオーズのこの作品は、200人に近いオーケストラと300人に近いコーラスを使い、特に第2曲の〈怒りの日〉では、メイン・オーケストラに加えて別の別の管楽器陣を配するなど、空前絶後の大掛かりな規模を持ったいかにもベルリオーズらしい大作だ。

これは、生前、ベルリオーズ協会の会長を務めたミュンシュの、ベルリオーズの音楽への深い造詣を示したディスク。

「ベルリオーズの『レクイエム』は、宗教的であるよりは、はるかに劇的である。とにかく抑止しがたいものがあるのだ」と作曲家デュカスは言う。

ミュンシュの演奏は、まさに、そうした情熱の爆発で、何よりもボストン響の合奏力の素晴らしさに驚かされる。

ことに金管楽器は、ベルリオーズの音楽の華麗さを存分にひき出し、聴き手を酔わせてしまう力がある。

なかでも〈怒りの日〉から〈妙なるラッパ〉にかけては圧倒的なうまさだ。

ミュンシュは、ベルリオーズのレクイエムという音響世界に、音楽として不滅の世界を与えていると言えよう。

そして先般、待望のハイブリッドSACD化が行われることによって、更に見違えるような鮮明な音質に生まれ変わったところである。

音質の鮮明さ、音場の幅広さ、そして音圧のいずれをとっても一級品の仕上がりであり、あらためてSACD盤の潜在能力の高さを思い知った次第である。

いずれにしても、ミュンシュによる至高の超名演を、超高音質であるSACD盤で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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ミュンシュ&パリ管の「幻想交響曲」に次ぐ2枚目のアルバムだった。この年(1968年)の11月にミュンシュは亡くなっている。

ミュンシュ最晩年の演奏だが、その気迫に目をみはる圧倒的な名演である。

冒頭から遅いテンポをとった雄渾な表現で、スケールが大きい。

ミュンシュのテンポは総じて遅く、劇的表出力が強くてかなり粘り強い表現をしている。

特に第1楽章は、堂々と粘着力をもって情熱的に盛り上げてゆくが、その力の強く逞しいことは驚くばかりだ。

第1,4楽章では、情熱が開放されて、響きは明るさと重量感を兼ね備えている。

また4つの楽章を、造形的にもそれぞれの特質を発揮するようにまとめていて、劇性と抒情性が美しくバランスしている。

オーケストラも彼の意図する曲の燃えるような情熱を余すところなく表現しつくしている。

総じて、胸を広げて、深くすべてを飲みほそうとする力強い呼吸が感じられる。

これほど音楽的に内容の濃いブラームスは、余り例がない。

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2008年03月05日


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これらの演奏はテンポ設定が実によく、その彫琢された音の響きは大変美しい。

ことに「ボレロ」は秀抜で、ややゆっくりとしたテンポで始め、クレッシェンドしていくに従って、しだいにテンポを速めながら華麗な音の絵巻を繰り広げていくあたり、ミュンシュならではの卓抜な手腕である。

また「マ・メール・ロワ」も精緻にまとめた秀演である。

「ダフニスとクロエ」もミュンシュ一流の造形のしっかりとした精緻な表現でが素晴らしく、綿密な設計と演出には舌を巻く。

精密機械のようにスカッとしたまとまりと、色彩感と柔軟さは、ラヴェルの音楽を底の底まで知りつくしたミュンシュと、完璧な技術を誇るボストン響との名コンビならではのもので、もしこれがほかのオーケストラだったら、これほど彫琢された見事な演奏にはならなかったであろう。

それに、何と新鮮で若々しい、そして圧倒的な迫力なのであろうか。

神秘的で情感豊かな「夜明け」や、熱っぽくダイナミックな「全員の踊り」など、ミュンシュならではの至芸である。

こうした演奏を聴いていると、いかにミュンシュがラヴェルの作品を愛していたかがよくわかる。

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2007年12月23日


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天才の前に天才なく、天才の後に天才なしという言い方を借りれば、ベルリオーズの場合、むしろ、狂気の前に狂気なく、狂気の後に狂気なしとでも言うべきか、ベルリオーズが狂気であったというのではないにしても、彼の人生とその作品は狂気の沙汰という形容によってしっかり印象づけられるものであろう。

狂気に先立つ狂気はなく、狂気を模倣する狂気はない。

ベルリオーズは、ゲーテやシェークスピアなどの文学的教養を通して、ユゴー、ハイネ、ジョルシュ・サンド、ヴィニー、デュマ、ゴーティエなど当時のロマン派を中心とした文学者とも連帯し、「幻想交響曲」や「レリオ」の初演時には彼らが応援団を形成したし、ワーグナー、シューマン、リスト、メンデルスゾーンなども、ドイツ各地で彼の作品を紹介し、特にワーグナーは、「ワルキューレ」や「トリスタン」に彼の影響を認めている。

また、彼の「管弦楽法」は今日まで読み継がれ、ロシア五人組やR・シュトラウス、メシアンにまで受け継がれている。

ミュンシュはベルリオーズのスペシャリストとして知られたが、どの曲の録音もスケールの大きい、極めて明るく輝かしい響きの、色彩的な表現を行っており、その熱のこもった演奏には圧倒されてしまう。

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2007年12月17日


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録音は古いがミュンシュ&パリ管は、もはや歴史的名演といえるだろう。

最晩年のミュンシュとパリ管弦楽団の出会いは、恐ろしいほど熱っぽく夢想的な幻想交響曲を描き出すこととなった。 

ミュンシュがベルリオーズの作品の演奏に長じていることは、すでに数多くの録音で広く知られているが、この曲も生気ある颯爽たる速度で、端的・率直に、見事なバランスをもって竹を割ったように、すかっと表現する。

彼のベルリオーズは新鮮で、また緊張感に満ちている。

クリュイタンスが亡くなって解散したパリ音楽院管弦楽団のメンバーを集めて再組織されたのが、パリ管弦楽団で、その初代指揮者ミュンシュによる最初の録音がこの「幻想」だった。

パリ管との演奏でも、その力の燃焼というべき表現法は高齢になっても崩れない。テンポの緩急の変化が強く出て表現を豊かにしている。

やる気のあった時代のパリ管のアンサンブルも、CDで聴くといささかラフだが、そのホットなサウンドは、きょうびのオーケストラからは聴けないものだ。

スケールの大きい、きわめてフランス的な明るく輝かしい響きの、色彩的な表現を行っている。

ベルリオーズのロマンが舞い上がり、劇的にひた押しにクライマックスへ盛り上がる。

魂の燃焼しつくした、素晴らしい名演である。

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