リパッティ

2017年06月20日


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今年2017年は夭折したルーマニアのピアニスト、ディヌ・リパッティ生誕100周年に当たり、既にワーナーからはダイジェスト3枚組リマスタリング盤がリリースされている。

しかしこれまでのセット物では最も多くの音源を纏めているのが独ヘンスラー、プロフィール・レーベルからの当セットで、12枚のCDには1936年から亡くなる1950年までの現在入手可能な総ての音源が網羅されている。

古くは10代の頃のものからあり、バッハ作品では珍しいリパッティのチェンバロ演奏に触れることができる。

また、ブラームスのワルツは恩師ナディア・ブーランジェと連弾していて、リパッティのみならずブーランジェのピアノ演奏も聴くことができる。

代夫にして人生の恩人エネスコを独奏者としたヴァイオリン・ソナタ2篇は国内盤も出ていなかった貴重な音源。

チェリスト・ヤニグロの伴奏をつとめた録音は、前年にジュネーヴ国際コンクールでデビューしたヤニグロの力量を買い、共演コンサートを経て、チューリヒのコロンビアにテストレコーディングしたもので、息の合った絶妙のアンサンブルが聴ける。

それらは貴重な記録には違いないのだが、一方で音質に関して言えばCD1の前半及びCD3の音源は鑑賞に堪えないものもあり、どういう経緯で録音されたものか疑いたくなる。

プロフィール・レーベルは独自のリマスタリングが売り物だが、マスター自体の音質が鑑賞レベルに達していないのが実情なのだろう。

改めて夭逝したリパッティは、不運にも録音にも恵まれなかったピアニストだったことを痛感する。

後半には良く知られたカラヤンとのシューマン、モーツァルトの協奏曲第21番の他にアンセルメ、スイス・ロマンドとの協演になるシューマンのライヴも良好にリマスタリングされている。

版権の違いでEMIとデッカから別々にリリースされていたものが纏められたのは幸いである。

その他の協奏曲はリストの第1番、グリーグ、ショパンの第1番、バッハ/ブゾーニ編のピアノ協奏曲第1番、バルトークの第3番に加えてリパッティ自身の作曲になる『古典様式による小協奏曲』の2種類の音源とオーケストラ付ルーマニア舞曲3曲など、彼が遺した総ての協演を聴くことができる。

ブザンソン告別演奏会ではショパンのワルツ全曲を弾く筈だったリパッティが、精根尽きて僅か1曲を遺して演奏会場から去ったとされている。

その後の事情は伝説化されていて真実は定かでないが、一説によると彼は再び聴衆の前に姿を現し、ワルツの替わりにバッハ/マイラ・ヘス編のコラール『主よ、人の望みの喜びよ』を弾いたとされているが録音は遺されていない。

CD12の最終曲は彼の最後の幻の演奏を再現する形で同曲のセッション録音が付け加えられている。

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2017年03月30日


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1950年に33歳で夭折したディヌ・リパッティの遺した音源は既にセッション、ライヴ共に出尽くした感がある。

後はリマスタリングによる音質の向上とバジェット価格によるリイシューが購入の目安になるが、こちらは彼の生誕100周年記念として今年になってワーナーからリリースされたべリーベスト盤だ。

パンフレットの最後にCD1及び2が2008年、CD3が2011年のリマスタリングと記されているので、EMIからイコン・シリーズで出ていた7枚とは3枚目のブザンソン告別演奏会のみが異なった新しいリマスタリングということになる。

ちなみに現行のSACDではプラガ・ディジタルスのものが唯一のアルバムで、その他に網羅的なレパートリーを集めたレギュラー・フォーマットのセット物ではドキュメンツからのウォリット・ボックス10枚組があり、また最近独プロフィールからもやはり100周年記念のリマスター盤12枚組がリリースされた。

音質を聴き比べてみると最も優れているのが当セットで、ステレオ期到来を待たずに亡くなった彼が遺した音源は総てモノラル録音ながら、比較的重心のしっかりしたサウンドが再現されている。

CD1のシューマンのピアノ協奏曲では若干雑音が聞かれるにしても、全体的には以前のCDの欠点だった平面的で干乾びたような音質はかなり聴きやすい状態に改善されている。

燃え上がるようなリパッティのソロが前面に出て臨場感を高めていることもあって1948年のセッションとしては充分に満足のいくリマスタリング効果が認められる。

モーツァルトの第21番は2年後のライヴでやはりカラヤンの指揮になり、音質的にはシューマンに及ばないがソロの部分は良好に捉えられている。

尚急速楽章に使われているふたつのカデンツァはリパッティ自身の手になる作品だ。

CD2ではSP盤から板起こししたようなスクラッチ・ノイズが随所に聞こえてくるが彼の豪快なピアニズムを堪能するにはさして邪魔にならない。

リパッティの作曲の師であったナディア・ブーランジェとのブラームスのデュエット集は、最も古い1937年の音源であるにも拘らず、音質は時代相応以上で、速めで生き生きとしたテンポ設定が来たるべきモダンな奏法を早くも先取りした新鮮な印象を与えている。

ラヴェルの『道化師の朝の歌』は殆んど狂気と紙一重のところの演奏で、他のどのピアニストよりもドラマティックで彼の恐るべきテクニックが示された積極性に驚かされる。

最後の1枚は最新のリマスタリングということだが、音源自体理想的なものではなく、確かにボリューム・レベルが上がってピアノの音色がより明瞭に聴き取れるが、同時に機材の共振も入っている。

しかしながらこのブザンソン告別演奏会は1人のピアニストとして、また1人の芸術家としての人生の終焉がこれほど厳しいものでなければならなかったか痛感させる。

当日のリパッティの演奏が決して病的なものではなく、逆に輝かしい精彩に富んでいるだけに尚更だ。

ライナー・ノーツはなく、収録曲目と録音データのみを掲載した7ページのパンフレット付。

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2015年09月02日


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1950年に33歳で夭折したリパッティには残念ながらステレオ録音は遺されていない。

その上この時代の録音技術の水準を考えれば音質の向上はそれほど期待できないと承知しつつも買った1枚。

このディスクでSACD化の効果が比較的良く出ているのはソロ・ピースの4曲で、1950年のブザンソンの告別演奏会ライヴからシューベルトの即興曲第3番と第2番、1947年のリストの『ペトラルカのソネット』及び1948年のラヴェルの『道化師の朝の歌』がそれに当たる。

ピアノの音色に若干だが艶と潤いが出て音像もよりまとまって聞こえる。

中でもラヴェルは彼の究極的なピアニズムが面目躍如たる演奏だ。

熟考されたダイナミズムを逆にコントロールして、殆んど自然発生的に噴出させるテクニックは流石で、このSACD化によってその価値を蘇生させている。

また2曲のシューベルトでも当日のリパッティの病状云々のエピソードを全く知らない人でさえ彼の音楽性と巧みな表現力には感動せずにいられないだろう。

逆に言えば彼の演奏は、あの告別演奏会がバイアスを掛けて、かえって彼本来の評価を二の次にしてしまった感は否めないし、そのことは彼自身にとっても不本意だったに違いない。

一方モーツァルトのピアノ協奏曲第21番ハ長調は、ブザンソンの演奏会に先立つ1950年8月23日のルツェルン音楽祭でのライヴ録音になり、音源自体の質は鑑賞可能といったところだ。

むしろそれより古い1948年のシューマンの協奏曲のセッションの方が聴きやすい。

前者がルツェルン祝祭管弦楽団、後者がフィルハーモニアとの協演で、どちらもカラヤンのサポートによるものだが、シューマンに関してはこのディスクとは別にもう一種類、1950年にアンセルメ、スイス・ロマンドとのライヴも遺されている。

こちらは数ヶ月前にアンセルメのデッカ・コンプリート・レコーディング集で復活していて、演奏水準から言えばむしろリパッティの音楽性が良く示されたものだが、スクラッチ・ノイズの向こう側から聞こえてくるような海賊盤的な録音状態で、殆んどSACD化の意味がないのも事実だろう。

尚音源についてはライヴ・ブロードキャスト・レコーディング及びスタジオLPからの板起こしという表示が裏面にある。

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2014年11月06日


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ディヌ・リパッティによる名演としては、ショパンのワルツ集の録音(1950年)が極めて名高い存在と言えるが、その他に遺された録音も、必ずしも数多いとは言い難いが、そのすべてが素晴らしい名演であると言っても過言ではあるまい。

モノラル録音という音質面でのハンディがあることから、より録音の優れた演奏の方にどうしても惹かれてしまうところであるが、それでもたまにリパッティの演奏を耳にすると、途轍もない感動を覚えるところだ。

本盤に収められたバッハのピアノ曲の小品やスカルラッティのソナタを軸とした小品集も、リパッティの表現力の幅の広さを感じさせる至高の超名演と言える。

リパッティによる本演奏の魅力は、何と言っても1940年代〜1950年の演奏であるにもかかわらず、いささかも古臭さを感じさせず、むしろ現代の様々なピアニストの演奏に通ずる清新さを秘めている点にあると考えられるところだ。

そして、それだけにとどまらず、楽曲の核心に鋭く切り込んでいくような彫りの深さ、そして、何よりも忍び寄る死に必死で贖おうとする緊迫感や気迫が滲み出ているとも言える。

いや、もしかしたら、若くして死地に赴かざるを得なかった薄幸のピアニストであるリパッティの悲劇が我々聴き手の念頭にあるからこそ、余計にリパッティによる本演奏を聴くとそのように感じさせられるのかもしれない。

いずれにしても、リパッティによるかかる命がけの渾身の名演は、我々聴き手の肺腑を打つのに十分な底知れぬ迫力を有していると言えるところだ。

筆者としては、リパッティによる本盤の演奏は、あまた存在している様々なピアニストによるこれらの各楽曲の演奏の中でも、別格の深みを湛えた至高の超名演と高く評価したいと考える。

このような至高の超名演を聴いていると、あらためてリパッティのあまりにも早すぎる死がクラシック音楽界にとっていかに大きな損失であったのかがよく理解できるところだ。

もっとも、リパッティによる本盤の各楽曲の演奏は、演奏自体は圧倒的に素晴らしいが、モノラル録音というハンディもあって、その音質は、前述のように鮮明さにいささか欠ける音質であり、時として音が歪んだり、はたまた団子のような音になるという欠点が散見されたところであった。

ところが、今般、ついに待望のSACD化が行われることによって大変驚いた。

とりわけ、1950年に録音されたバッハの4曲については、従来CD盤とは次元が異なる見違えるような、そして1950年のモノラル録音とは到底信じられないような鮮明な音質に生まれ変わった。

リパッティのピアノタッチが鮮明に再現されるのは殆ど驚異的であり、あらためてSACDの潜在能力の高さを思い知った次第である。

他方、スカルラッティの2曲や、ショパンの舟歌、ラヴェルの道化師の朝の歌については、今般のSACD化を持ってしてもいささか鮮明さに欠けるが、それでも従来CD盤との違いは明確であり、これだけ堪能させてくれれば文句は言えまい。

いずれにしても、リパッティによる圧倒的な超名演を、SACDによる高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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2014年09月03日


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若くして不治の病でこの世を去らなければならなかった悲劇のピアニストであるディヌ・リパッティであるが、その最大の遺産とも言うべき至高の名演こそは、本盤に収められたショパンのワルツ集であると考えられるところだ。

モノラル録音という音質面でのハンディがあることから、近年ではルイサダなどによる名演の方にどうしても惹かれてしまうところであるが、それでもたまに本盤の演奏を耳にすると、途轍もない感動を覚えるところだ。

それは、リパッティの演奏に、ショパンのピアノ曲演奏に必要不可欠の豊かな詩情や独特の洒落た味わいが満ち溢れているからであると言えるところであるが、それだけでなく、楽曲の核心に鋭く切り込んでいくような彫りの深さ、そして、何よりも忍び寄る死に必死で贖おうとする緊迫感や気迫が滲み出ているからである。

いや、もしかしたら、若くして死地に赴かざるを得なかった薄幸のピアニストであるリパッティの悲劇が我々聴き手の念頭にあるからこそ、余計にリパッティによる本演奏を聴くとそのように感じさせられるのかもしれない。

いずれにしても、リパッティによるかかる命がけの渾身の名演は、我々聴き手の肺腑を打つのに十分な底知れぬ迫力を有していると言えるところだ。

ワルツ集を番号順に並べて演奏するのではなく、独自の視点に立ってその順番を入れ変えて演奏している点にも、リパッティのショパンのワルツ集に対する深い拘りと愛着を感じることが可能だ。

いずれにしても、リパッティによる本ワルツ集の演奏は、あまた存在している様々なピアニストによるショパンのワルツ集の演奏の中でも、別格の深みを湛えた至高の超名演と高く評価したい。

もっとも、リパッティによるショパンのワルツ集の演奏は、演奏自体は圧倒的に素晴らしいと言えるが、モノラル録音というハンディもあって、その音質は、前述のように鮮明さにいささか欠ける音質であり、時として音が歪んだり、はたまた団子のような音になるという欠点が散見されたところであった。

ところが、今般、ついに待望のSACD化が行われることによって大変驚いた。

従来CD盤とは次元が異なる見違えるような、そして1950年のモノラル録音とは到底信じられないような鮮明な音質に生まれ変わった。

リパッティのピアノタッチが鮮明に再現されるのは殆ど驚異的であり、あらためてSACDの潜在能力の高さを思い知った次第である。

いずれにしても、リパッティによる圧倒的な超名演を、SACDによる高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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2014年08月29日


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若くして不治の病でこの世を去らなければならなかった悲劇のピアニストであるディヌ・リパッティであるが、本盤に収められた演奏は、死の2か月前にブザンソンにおいて重い病をおして敢行した歴史的なコンサートの貴重な記録である。

演奏はまさに凄いという他はない。

本演奏は、リパッティによる遺言とも言うべき精神の音楽と言っても過言ではあるまい。

どの曲もリパッティが得意とした楽曲で占められているだけに、至高の超名演と評価すべきであるが、特に、メインであるショパンのワルツ集に注目したい。

リパッティの不朽の名演との評価がなされているのは、同じく1950年にスタジオ録音したワルツ集であるというのは論を待たないところだ。

当該演奏は、モノラル録音という音質面でのハンディがあることから、近年ではルイサダなどによる名演の方にどうしても惹かれてしまうところであるが、それでもたまに当該演奏を耳にすると、途轍もない感動を覚えるところだ。

それは、リパッティの演奏に、ショパンのピアノ曲演奏に必要不可欠の豊かな詩情や独特の洒落た味わいが満ち溢れているからであると言えるところであるが、それだけでなく、楽曲の核心に鋭く切り込んでいくような彫りの深さ、そして、何よりも忍び寄る死に必死で贖おうとする緊迫感や気迫が滲み出ているからである。

いや、もしかしたら、若くして死地に赴かざるを得なかった薄幸のピアニストであるリパッティの悲劇が我々聴き手の念頭にあるからこそ、余計にリパッティによる当該演奏を聴くとそのように感じさせられるのかもしれない。

これに対して、本盤の演奏は、基本的なアプローチ自体は変わりがないものの、当該演奏よりも更に底知れぬ深みを湛えていると言えるところであり、加えて演奏にかける命がけの渾身の情熱の凄さは、我々聴き手の肺腑を打つのに十分な圧巻の迫力を誇っていると言えるだろう。

コンサートの最後に予定されていたワルツ第2番の演奏を果たすことが出来なかったのは大変残念ではあるが、それだけに、それ以外の楽曲に対してすべての体力や精神力を使い果たしたとも言えるところであり、そうしたリパッティのピアニストとしての、芸術家としての真摯な姿勢には、ただただ首を垂れるのみである。

いずれにしても、本盤の演奏は、薄幸の天才ピアニストであるリパッティが、その短い人生の最後に到達し得た至高至純の清澄な境地を大いに感じさせる超名演と高く評価したい。

もっとも、リパッティによる本演奏は、演奏自体は圧倒的に素晴らしいのだが、モノラル録音というハンディもあって、従来CD盤の音質は、いささか鮮明さに欠ける音質であり、時として音が歪んだり、はたまた団子のような音になるという欠点が散見されたところであった。

ところが、今般、ついに待望のSACD化が行われることによって大変驚いた。

従来CD盤とは次元が異なる見違えるような、そして1950年のモノラル録音とは到底信じられないような鮮明な音質に生まれ変わった。

リパッティのピアノタッチが鮮明に再現されるのは殆ど驚異的であり、あらためてSACDの潜在能力の高さを思い知った次第である。

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2014年01月27日


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33歳という若き日に不治の病でこの世を去らなければならなかった悲劇のピアニストであるディヌ・リパッティであるが、本盤に収められた演奏は、死の数年前にスタジオ録音されたグリーグとシューマンのピアノ協奏曲の演奏である。

リパッティの録音自体が数少ないだけに貴重な存在であるが、いずれもリパッティならではの素晴らしい名演と高く評価したい。

両演奏ともに、これまでリマスタリングなどが施されてきたが、1940年代後半のモノラル録音だけに、音質向上効果は必ずしも万全とは言い難かったところだ。

ところが、今般、SACD盤が登場するに及んで、もちろん最新録音のようにはいかないが、これまでの既発CDとは次元が異なる音質の向上が図られたことは、演奏自体が優れているだけに実に意義が大きいことと思われる。

音質が劣悪であるが故に鑑賞を避けてきた音楽ファンも存在していたとも考えられるだけに、今般のSACD盤を機会に、本演奏にできるだけ多くの方に親しんでいただき、悲劇のピアニストであるリパッティの真の実力が再びクローズアップされることを願ってやまないところだ。

両曲の演奏ともに大変優れているが、特に素晴らしいのはシューマンのピアノ協奏曲である。

同曲の演奏は、いささか俗な言い方になるが、同曲に込められたファンタジーの飛翔のようなものをセンス豊かに表現し得ないと、ひどく理屈っぽいつまらない演奏に陥ってしまう危険性がある。

ところが、リパッティにはそのような心配は全くご無用。

リパッティによる本演奏には、シューマンのピアノ曲演奏に必要不可欠のファンタジーの飛翔のようなものや、加えて豊かな詩情、そしてこのピアニスト一流の独特の洒落た味わいが満ち溢れている。

いや、それだけではない。

同曲の核心に鋭く切り込んでいくような彫りの深さ、そして、何よりも忍び寄る死に必死で贖おうとする緊迫感や気迫が滲み出ているとさえ言える。

いや、もしかしたら、若くして死地に赴かざるを得なかった薄幸のピアニストであるリパッティの悲劇が我々聴き手の念頭にあるからこそ、余計にリパッティによる当該演奏を聴くとそのように感じさせられるのかもしれない。

いずれにしても、本演奏は、シューマンのピアノ協奏曲の演奏という次元を超えた底知れぬ深みを湛えている。

そして、本演奏にかける命がけの渾身の情熱の凄さは、我々聴き手の肺腑を打つのに十分な圧巻の迫力を誇っている。

こうしたリパッティの凄みのあるピアノ演奏を下支えしているのが、若き日のカラヤン率いるフィルハーモニア管弦楽団であるが、これまた実に優れた演奏を聴かせてくれている。

この当時のカラヤンは、後年の演奏とは異なり、溌剌とした躍動感溢れる指揮の中にも、自我を抑制し、楽曲そのものを語らせようと言う姿勢が見られるところであり、リパッティのピアノ演奏を際立たせる意味においても、まさに理想的な演奏を展開していると評価したい。

他方、グリーグのピアノ協奏曲については、さすがにシューマンのピアノ協奏曲の演奏ほどの深みを感じることは困難であるが、洒落たセンスに満ち溢れたピアノ演奏ぶりは健在であり、ガリエラ指揮のフィルハーモニア管弦楽団の演奏ともども、素晴らしい名演奏を展開していると評価したい。

音質は、前述のとおり、必ずしも最新録音のようにはいかないが、これまでの既発CDとは次元が異なる、ピアノの凄みが感じられる復刻によって、見事な音質に生まれ変わった。

とりわけ、リパッティのピアノタッチが1940年代後半の録音としては、かなり鮮明に再現されるのは殆ど驚異的であり、あらためてSACD盤の潜在能力の高さを思い知った次第である。

いずれにしても、リパッティによる素晴らしい名演を、SACD盤による高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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2013年06月30日


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ディヌ・リパッティによる名演としては、ショパンのワルツ集の録音(1950年)が極めて名高い存在と言えるが、その他に遺された録音も、必ずしも数多いとは言い難いが、そのすべてが素晴らしい名演であると言っても過言ではあるまい。

モノラル録音という音質面でのハンディがあることから、より録音の優れた演奏の方にどうしても惹かれてしまうところであるが、それでもたまにリパッティの演奏を耳にすると、とてつもない感動を覚えるところだ。

本盤に収められたバッハのピアノ曲の小品やスカルラッティのソナタを軸とした小品集も、リパッティの表現力の幅の広さを感じさせる至高の超名演と言える。

リパッティによる本演奏の魅力は、何と言っても1940年代〜1950年の演奏であるにもかかわらず、いささかも古臭さを感じさせず、むしろ現代の様々なピアニストの演奏に通ずる清新さを秘めている点にある。

そして、それだけにとどまらず、楽曲の核心に鋭く切り込んでいくような彫りの深さ、そして、何よりも忍び寄る死に必死で贖おうとする緊迫感や気迫が滲み出ている。

いや、もしかしたら、若くして死地に赴かざるを得なかった薄幸のピアニストであるリパッティの悲劇が我々聴き手の念頭にあるからこそ、余計にリパッティによる本演奏を聴くとそのように感じさせられるのかもしれない。

いずれにしても、リパッティによるかかる命がけの渾身の名演は、我々聴き手の肺腑を打つのに十分な底知れぬ迫力を有しており、リパッティによる本盤の演奏は、あまた存在している様々なピアニストによるこれらの各楽曲の演奏の中でも、別格の深みを湛えた至高の超名演と高く評価したい。

このような至高の超名演を聴いていると、あらためてリパッティのあまりにも早すぎる死がクラシック音楽界にとっていかに大きな損失であったのかがよく理解できるところだ。

もっとも、リパッティによる本盤の各楽曲の演奏は、演奏自体は圧倒的に素晴らしいが、モノラル録音というハンディもあって、その音質は、前述のように鮮明さにいささか欠ける音質であり、時として音がひずんだり、はたまた団子のような音になるという欠点が散見されたところであった。

ところが、今般、ついに待望のSACD化が行われることによって大変驚いた。

とりわけ、1950年に録音されたバッハの4曲については、従来CD盤とは次元が異なる見違えるような、そして1950年のモノラル録音とは到底信じられないような鮮明な音質に生まれ変わった。

リパッティのピアノタッチが鮮明に再現されるのは殆ど驚異的であり、あらためてSACDの潜在能力の高さを思い知った次第である。

他方、スカルラッティの2曲や、ショパンの「舟歌」、ラヴェルの「道化師の朝の歌」については、今般のSACD化を持ってしてもいささか鮮明さに欠けているが、それでも従来CD盤との違いは明確であり、これだけ堪能させてくれれば文句は言えまい。

いずれにしても、リパッティによる至高・至純の名演奏を、SACDによる高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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2011年05月04日


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気高さとは平民に対して貴族にそなわった属性だが、演奏でも気高さを表出することができるのだろうか……。

リパッティの誰かのレコード評にあった「貴族性表出」への、筆者の疑問であった。

さっそく彼のディスクを買い求めた。そして、脱帽した。

こうしてリパッティはハスキル、田中希代子とともに、筆者の愛するピアニストの1人となった。

これ以後も多くのピアニストの演奏に接したが、筆者の気持ちは変わらない。

ピアノは打楽器であり、だからか鍵盤を叩き付けるピアニストは多い。

そうした打鍵を、筆者は好まない。

ピアノの演奏は、手でなく、指が行う。そして、10本の指は対等の役目を担う。ひとつひとつの指の奏でる音が、はっきりと聴き取れるのだ(という錯覚を与えてくれる)。

理想を言えば、それぞれの指に、ひとつひとつ思想に裏打ちされた行動が要求されるのである。

田中もハスキルも、そしてリパッティもこの要求を満たしている。

さて、このディスクはリパッティが遺した数少ない協奏曲録音の一つで、彼が亡くなる少し前の演奏だが、死の影は全く感じられない。

リパッティのタッチは明快で弾力に富み、ひとつひとつの音が美しい余韻を残す。

それが豊かなエネルギーに結びつくとのびのびした開放感を、繊細な感情を表現する時にはみずみずしい潤いをもたらす。

テクニックも抜群だが、決してヴィルトゥオジティを指向せず、彼の解釈と一体になって演奏を支えている。

高貴で人間的な魅力に溢れた演奏は、これら3曲の最良の演奏と言えるのではないだろうか。

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2010年07月27日


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レコード史上記念碑的な、不治の病で倒れた天才ピアニスト、リパッティの死の直前、最後の演奏会のライヴ録音。

最悪の体調でのステージだったはずなのに、その演奏は高い気品をたたえ、感動的なまでに純粋で崇高な美しさに満ちている。

録音時期が古いため、音質の点で多少物足りない思いがするが、それをものともせずに底光りする輝きをもって聴き手に迫ってくるのが、リパッティの音楽である。

微妙で繊細な息づかいの中から、豊かな詩情がほのかに漂ってきて、表情の冴えも散見される。

ショパンのワルツは、作品番号順ではなくリパッティの考えた独自の曲順で、全14曲が続くはずだったが、彼はついに力尽き最後の1曲(第2番)を弾くことができなかった。

"哀感を込めた華麗"といいたいようなショパンのワルツが、しなやかに、錚々と繰り広げられ魅力的だ。

このステージはまさにリパッティの告別演奏会となり、彼は2か月ほど後に33歳の若さで世を去ってしまったのである。

その悲劇的なエピソードと共に、半世紀を経た今日も名盤として語り継がれているこのアルバムは、今後も長く輝きを失わないだろう。

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2008年12月05日


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ショパンも素晴らしい名演だが、モーツァルトはリパッティとカラヤンという楽趣をそそり、関心をかき立てる顔合わせである。

リパッティ33歳(ちなみに彼はこの年齢で亡くなってしまった)、カラヤン42歳。

なおここでリパッティが使用したカデンツァは、当人の自作である。彼はパリ留学時代、作曲をルーセルとナディア・ブーランジェに師事していた。それをここで生かしたのである。

作曲のみならず、指揮もミュンシュに習っていたそうだから、モーツァルトを弾き振りするリパッティの姿を見ることができたかもしれない。

ともかく音楽に対するリパッティの献身は、ピアニストの枠をはるかに超えていた。その早世が惜しまれたのも当然であろう。

このK.467は、今でこそ、1カ月前に書き上げられた名作、K.466の影に隠れてしまった趣があるが、ウィーン初演時にはすこぶる好評だった。

第1楽章の明るさ、歯切れのよさ、第3楽章の軽快なロンド、のせいだと思われる。

しかし、モーツァルトがその特色を最大限に生かしたのは、第2楽章。ここには、器楽曲にも声楽風な要素を好んで導入したモーツァルトが顔を出しており、ピアノとオーケストラによる絶妙な二重唱が繰り広げられてゆく。

その第2楽章に、豊かな詩情を惜しげもなく注ぎ込んだリパッティ。許された時間が長くないことを自覚していたのだろう。秘められた哀しみが胸を打つ。

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疑いもなく20世紀最高のピアニストのひとりであったディヌ・リパッティは、まだSP盤の時代に生きたことに加え、わずか33年の生涯しか許されなかったため、持っていたレパートリー中、限られた部分しか録音を果たせなかった。

じつに惜しまれることだが、逆から言えば、これだけでもこうして後世に伝わったことを感謝せねばならない。

バッハにおいてはもちろん、ショパンですら余分な感情の露出をいましめ、つねに節度のあるピアノを弾いたリパッティは、モーツァルトでも、なんらの気負いも、また気取りも感じさせない、真摯な演奏を聴かせている。

だが、そこには凡百のピアニストの及ばない何かが、終始、豊かに湛えられている。

リパッティは、たとえばコルトーでもルービンシュタインでも、またホロヴィッツでも、19世紀以来の流儀をもって、それぞれの形で自己主張を行なった名人たちとは、はっきりと一線を画するピアニストであった。

彼が理想とし、かつ見事なやりかたで実現したのは、演奏家としての自己主張ではなく、自分と作曲家および作品とが最も幸せに融合する地点を求め、そこに立って歌うことのすばらしさを聴衆と分かち合う行為であった。

表現者として一歩を控えることによって、なんと深い世界を顕わした人だろうか。

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2008年10月09日


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ショパンのワルツは、几帳面に弾いてもあまり魅力がなく、自由にテンポを動かしながら弾いたほうがよいのだが、下手をすると品のない媚びのある演奏になってしまう。

リパッティ盤は、そのセンスの的確さで群を抜いている。

実によく動く指で、この軽やかに自在に弾かれるショパンを聴くと、ほとんどの他の演奏は鈍い光しか放たなくなる。

どの曲をとっても清冽な詩情にあふれ、ガラス細工のような今にも壊れそうな危なげな美しさが聴くものの心を捉える。

表情の多彩さ、独特のメランコリーなど、こんなにイメージの豊かな曲だったのかと驚嘆する名演。

この演奏のすばらしさは、どうだろう。

既に至るところで、多くの人たちにおって取り上げられてきている名盤なのだが、それでもまだこの真価がすべて語り尽くされているわけではない。

この演奏はもっとすごさを秘めている。

私自身、リパッティ盤でショパンのワルツの何たるかを知り、今もって多くのことを教えられ続けている。

リパッティがショパンのワルツで感得しえている華やかさの裏側にある本質的な悲哀、一瞬の儚げな仕種にこめられた強靭な真実などを始めとする数々の要素は、音楽が示しうる最高のものであると、強く確信している。

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2008年01月07日


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ディヌ・リパッティは純粋に選ばれた音楽家であり、天成の詩人だとつくづく思う。

いずれも1950年に33歳で夭逝したリパッティの高い音楽性、その解釈にみられる知性と情熱のバランスのよさ、磨き抜かれた技巧を伝える貴重な記録だ。

ペダルを控え目に使った澄んだ響きは、他のピアニストの追随を許さない独特な雰囲気をもっている。

グリーグは特に形容する言葉もないほど。

録音こそ古いが、毅然たる端正な造形の中に立ちこめるデリケートなニュアンスと憩いの感情はまことに素晴らしい。

とりわけリパッティならではの清らかなタッチの冴えが、高雅で純潔な北欧の香気をまき散らすのである。

シューマンも同曲異演盤中最高の名演だ。

グリーグの翌年のレコーディングだが音が崩れて鈍く、今ひとつ彼の良さが伝わって来ない。

しかし演奏は、厳しい迫力とシューマンの夢を表出しており、さすがといえよう。

死の10ヶ月前に開いた最後のコンサートのライヴは、音は悪いが素晴らしく感動的だ。

表現は異常に痛烈で、悲劇的な訴えを持ち、厳しい気迫にあふれながら清らかな香りを失わず、感受性が音色に匂い出ている。

まさに魂の叫び声というにふさわしい。

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2007年12月18日


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筆者の最も愛好するピアニストがディヌ・リパッティである。

1950年、33歳で白血病に没したルーマニア生まれの天才。

リパッティの残した録音は多くはない。

彼の演奏の魅力は、その演奏が完全に知的に、そしてもちろん技術的にコントロールされたものであり、しかもそこから純粋な音楽表現が立ち現れるところにある。

その根底にあるのは、表現の清潔さと音楽への溢れんばかりの愛と献身。

そして力は精神力。

作品にこびりついているさまざまな解釈を洗い落した新鮮な表現は実に見事だ。

録音時期が古いため、音質の点で多少物足りない思いがするが、それをものともせずに、底光りする輝きをもって聴き手に迫ってくるのが、リパッティの音楽。

音楽そのものは実にクリアーだ。

微妙で繊細な息づかいのなかから、豊かな詩情がほのかに漂ってくる。

ここに収められている作品の様式は極めて多彩だが、彼にとって演奏することは、あくまでも自己の解放であったのだろう。

そしてそこに開かれる世界は実にナイーヴで、至福感すら帯びている。

バッハのパルティータ第1番とコラール「来たれ、異教徒の救い主よ」は、最晩年のリパッティの愛奏曲だったが、これらの詩情豊かな彼の歌に耳を傾けていると、わずか33歳でこの世を去ってゆかなければならなかったリパッティの心情に心が疼く。

なんと哀しい美しさなのだろう。

このところ哀しい美しさを感じさせてくれる演奏家がめっきり減っているので、哀惜の念は強まるばかりだ。

バッハのコラール「イエスよ、わたしは主の名を呼ぶ」と「シチリアーナ」は誇張ではなく、涙なしには聴くことが出来ない。

このピアニストが人間としても多くの人々から愛された理由が、この演奏を通してよく理解できる。

リパッティの音楽を聴いていると、短い生涯ではあったが結局やるべきことはやったのだ、という思いを強くする。

小曲といえどもリパッティはとても大切なものとして演奏しているから、決して軽く聴くわけにはいかない。

ここで立ち現れるヒューマンな音楽との幸せな関係は、今私達が見失いがちな、だからこそ無上に貴いものである。

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