ドビュッシー

2016年05月07日


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アンドレ・クリュイタンスのフランス物の中では圧倒的に評価が高く、また曲数の上でも他を凌駕するラヴェルの演奏集は、概ね国内でSACD化されているが、ドビュッシーの作品となるとその演奏水準の高さにも拘らず録音自体僅かしか遺されていない。

クリュイタンスが全盛期に亡くなったことも関係しているかも知れないが、ここに収録された2曲の他には2種類の『ペレアスとメリザンド』ライヴ録音と『神聖な舞曲と世俗的な舞曲』があるのみだ。

とりわけ、『映像』は絶品で、クリュイタンスは、音楽を自然に流しながら、陰影にとんだドビュッシーの世界を、実に精緻に表出している。

「イベリア」での比類のないみずみずしさとしなやかさ、「夜のかおり」の官能的な響き、「春の踊り」もデリカシーがあって感覚の整然としたまとまりの中から、なごやかな詩がほのぼのとわきあがってくる。

『遊戯』も、まことに折り目正しい演奏で、フランス風のエレガントなセンスと、表情づけの細やかさという点で傑出した演奏である。

この2曲は幸いステレオ・セッション録音で、音源の状態も良好なのでSACD化の価値は高いと言えるところであり、レギュラー盤に比較してオーケストラに一層艶やかな色合いが醸し出されている。

特に印象派の作品ならではの移り変わる陰翳や光彩の表現に管弦楽をリミックスする絶妙な技を発揮したクリュイタンスだけに、ドビュッシー作品集は欠かせないコレクションになるに違いない。

確かに50分余りの収録時間は1枚のディスクにしては少な過ぎるとは思うのだが。

ところで、ドビュッシーには明らかに現代音楽の先駆の顔がある。

しかも、一筋縄ではいかない狷介さも併せ持っている。

『遊戯』や『映像』という標題性や具体的な楽曲につけられた解説を読んで、イメージをふくらませることはできるが、聴いた後に、それだけでは得心できないものを感じるリスナーも多いであろう。

ドビュッシー音楽のこのような複雑な構造を、クリュイタンスは「あるがまま」に描き出そうとしているようだ。

標題性の強調よりも、斬新なパーカッションの使い方や、弦楽器のデフォルメされたグラマラスな響きなどを実に慎重に扱いながら、魅力的な音楽空間をそこに創り出している。

たとえば、フォーレのレクイエムでみせた「非作為」のスタンスから導かれる自然の美しさの表出をここでも感じる。

クリュイタンスという秀でた指揮者は、どんな音楽でも、彼のもつ抜群の平衡感覚で素材の良さを最大限に引き出せるところにあるのではないか。

クリュイタンスの手によって、ドビュッシー音楽の先駆性を考えさせられた1枚である。

ベルギー生まれの名指揮者であるクリュイタンスは、パリ音楽院管弦楽団の正指揮者を1944年から67年までつとめ、このオーケストラの黄金時代を築き上げた。

当時のパリ音楽院管弦楽団は一癖も二癖もある奏者が揃っていて、団結力では他のオーケストラに譲るが、曲中随所に現れるソロやアンサンブルの部分ではそれぞれの名手がここぞとばかりにスタンド・プレイ的な名人芸を聴かせてくれた。

中でもウィンド、ブラス・セクションにはこの時代の彼らにしか聴けないような官能的な雰囲気を漂わせた音色と奏法が特徴的で、クリュイタンスも彼らに最大限の敬意を払い、それを許容していたと思わせる大らかさが感じられる。

他のレパートリーはいざ知らずフランス物に関しては彼はパリ音楽院には統率ではなく、如何に個性を引き出すかを考えていたのではないだろうか。

そうした面白さを知っているオールド・ファンにとっては解散前の彼らの極めて個性的で貴重なサンプルでもある。

このコンビによる『海』や『夜想曲』などの録音がないのが惜しまれてならない。

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2016年04月04日


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実に素晴らしい名演だ。

本BOXに収められているのはベロフによる2度目のドビュッシーのピアノ作品全集であるが、これぞまさしく最高の全集であり、いずれ劣らぬ素晴らしい名演と高く評価したい。

NHK「スーパー・ピアノ・レッスン」という番組でベロフのレッスンを見たことがあるが、ドビュッシーの研究家としても一流であり、作品の作られた時代や、背景などの解説も入れながら教えて、お手本の演奏は、軟弱・茫漠とした「印象派」的ドビュッシー像を超越しており、ほれぼれと聴き入ったものであった。

かつてベロフは、EMIにドビュッシーのピアノ作品全集を録音しており、当該演奏も、ベロフの今日の名声をいささかも傷つけることがない名演と言えるところだ。

しかしながら、演奏の持つ内容の濃さ、そして楽曲の心眼に鋭く切り込んでいくような彫りの深さ、そして各楽想を描き出していくに際してのきめの細かさにおいて、2度目の全集の各ピアノ曲の演奏は断然優れていると評価し得る。

旧録音に聴かれた華やかな煌めきやスピード感、テクニックの抜群の冴えは影をひそめ、音色の透明感はいっそう美しさを増し、抑制されたタッチと絶妙のペダリングがドビュッシーに新しい響きを与えている。

こうした演奏の深化には、ベロフが、右手の故障を克服したことも大きく影響していると言えるのかもしれない。

故障から再起したベロフの心技体の充実ぶりは、ドビュッシー把握の深さを感じさせる確信に満ちた演奏として、この集成にも記録されている。

それにしても、何という美しい演奏であろうか。

素晴らしく理知的で明晰な演奏であり、これほどの表現力のあるドビュッシーも滅多にない。

ドビュッシーのピアノ作品は、いかにも印象派とも言うべきフランス風の詩情溢れる豊かな情感、そして繊細とも言うべき色彩感などを含有しているが、ベロフはそれらを研ぎ澄まされたテクニックをベースとして、内容豊かに、そして格調の高さをいささかも失うことなく描き出している。

表情の変転なども巧みに行っており、加えて、演奏の端々から漂ってくるフランス風の瀟洒な味わいには抗し難い魅力に満ち溢れている。

ドビュッシーのピアノ作品を得意としたピアニストには、ギーゼキングをはじめとして、フランソワ、ミケランジェリなどあまたの個性的なピアニストが存在している。

それらはいずれも個性的な超名演を展開しており、こうした個性的という点においては、ベロフの演奏はいささか弱い点があると言えるのかもしれない。

しかしながら、演奏内容の詩情豊かさ、彫りの深さといった点においては、ベロフによる演奏は、古今東西のピアニストによるドビュッシーのピアノ曲の名演の中でも、上位にランキングされる秀逸なものと評しても過言ではあるまい。

フランソワの演奏を油絵、ミケランジェリを水彩画とするなら、ベロフの新録音は水墨画と言ったところであろうか。

惜しむらくは、音の抜けがもう少しという印象であることだが、内容は全体に安定して高水準で、現代のスタンダードと言ってよい説得力があり、これを基準に他の演奏解釈を評価するに足るものだと思う。

いずれにしても、本盤に収められた諸曲の演奏は、まさにドビュッシーのピアノ曲演奏の理想像の具現化とも言うべき素晴らしい名演と高く評価したいと考える。

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2015年12月20日


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現在のフランスを代表するソリスト達と、ベルリン・フィルのメンバーの友情出演によって実現したドビュッシーの魅力的な室内楽曲集。

中でも管楽器奏者の明るく軽やかな音色と、幻想豊かなマリー=ピエール・ラングラメのハープが聴きどころだ。

ただし彼らの師匠格に当たるモーリス・アンドレ、ジャン=ピエール・ランパル、ジャック・ランスロやリリー・ラスキーヌなど一世を風靡した名人達の全盛期を知っている筆者にとっては、このCDの演奏でさえ少し生真面目な印象を受けてしまう。

いずれにせよここに登場するフランスの管楽器奏者達が競うドビュッシーには彼ら特有の華がある。

それは音色の明るさ、変化に富むニュアンス、そして柔軟で解放的な表現などで、例えばエリック・オビエの演奏するトランペット用に編曲された『夜想曲』から「祭」の自由闊達な軽快さと、光りの中に佇んで葦笛を持つパンの姿が目に浮かぶような『シランクス』は秀逸だ。

尚後者は無伴奏フルートのためのオリジナルの形でヴァンサン・リュカの演奏でも収められているので、異なった楽器による聴き比べも楽しむことができる。

後半の白眉はヴァンサン・リュカのフルート、リズ・ベルトーのヴィオラにラングラメのハープが加わったソナタ、ピアノのパートをハープ用にアレンジしたルートヴィヒ・クヴァントの弾くチェロ・ソナタ、そしてハープにベルリン・フィルの弦楽のメンバーが加わる『聖なる舞踏と世俗の舞踏』。

いずれの演奏も緊張感を孕んだ中に流麗でエレガントな表現と、時折きらめくようなインプレッショニズム特有の光彩を放つ音色が、ドビュッシー独自の世界を想像している。

録音レベルが高く、スピーカーから音像が飛び出して来るような臨場感と音質の良さも特筆される。

CDは内側のトレイのみがプラスティックの紙製デジパックに収納されている。

挿入されているライナー・ノーツは全アーティスト写真入り23ページの充実したもので、解説は総てフランス語だが、演奏者紹介の部分だけに英語訳が付けられている。

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2015年12月12日


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ドビュッシー生誕150周年記念としてリリースされているセット物の中でも、このナクソス盤は彼のオーケストラル・ワークのみに絞った9枚組で、セットの特徴はドビュッシーの管弦楽のための作品のコンプリートであること、前奏曲集をはじめとするピアノ曲集にオーケストレーションを施した編曲版が総て含まれていること、更に演奏者が準・メルクル指揮、国立リヨン管弦楽団で統一されているところにある。

こうしたオリジナリティーに富んだ企画はそれほど多くなく、従来の歴史的名演の廉価盤化によるリイシューに複雑な思いのオールド・ファンには一味違った新鮮な魅力があるし、総て2007年から2011年にかけての新しい録音なので、入門者の手頃なドビュッシー体験盤としてもお勧めしたい。

日系ドイツ人指揮者、準メルクルはチェリビダッケの弟子だけにオーケストラの楽器間のバランスのとり方が巧みで、むやみに走らない落ち着いたテンポ設定も特徴的だ。

特にこの作品集ではその透明に醸し出される響きと、感性豊かで美しい叙情的表現も聴き所のひとつだ。

第1曲目に収められた『牧神の午後への前奏曲』での、夢と現実の間を彷徨うような白昼夢的な雰囲気も彼独自の手法だ。

また編曲物では本来ピアノ用の『喜びの島』が、この曲の超現実的空間を見事に表現していて驚かされる。

国立リヨン管弦楽団は、団員の技量から言えばまだこれから伸びる可能性を持っているオーケストラだが、繊細な感受性と優れた機動力を発揮していて秀逸。

ドビュッシーはラヴェルほど自分のピアノ曲をオーケストラ用に編曲する作業に熱心ではなかったが、これらのピアノ曲が持っているオーケストレーションへの可能性は非常に高く、実際このセットのCDで聴いてみると、ミックスされた楽器の響きだけでなく、印象派特有の移り変わる色彩感や豊かな幻想性などを、より具体的に感知できるところに面白みがある。

管弦楽へのアレンジはラヴェルのほかドビュッシーの友人だったアンドレ・カプレや、現代の作曲家コリン・マシューズなどの手になる物で、それぞれ鮮やかな手並みで原曲の特徴を捉えているだけでなく、こうした編曲への必然性も納得できるものだ。

ボックスの大きさは13X13X5cmでCD9枚を収納するには大きめだが、縦型のしっかりした装丁で、ふたの部分も印籠のように縦に取り外すオリジナリティーにこだわったデザイン。

ライナー・ノーツは英、仏語で100ページあり、それぞれのCDごとの解説もかなり充実している。

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2015年10月11日


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1961年から1970年にかけてサンソン・フランソワが集積したEMIへのドビュッシーの作品のセッション録音を3枚のCDにまとめたボックス・セットで、音源が多少古いので音質は時代相応と考えていたが、意外にも良好で耳障りになるような大きな破綻もなく鑑賞には全く差し障りがない。

フランスEMIからのリリースでボックスの裏に24bitリマスタリングの表示がある。

ライナー・ノーツは8ページで曲目データと演奏者についてのフランス語の解説付。

フランソワの最も得意としたフランスものの中でもドビュッシーは個性的な解釈を示した成功例で、良い意味で非常に面白みのある演奏だ。

フランソワのピアノはかなり即興的で曲によっては気まぐれにさえ感じられることがしばしばある。

しかし一度聴き手の方から彼の洗練された感性に波長を合わせることができれば、その天衣無縫に飛翔するファンタジーがただならない響きの世界と音楽観を体験させてくれる。

フランソワには形式感に束縛される音楽より、自由な空想を羽ばたかせるスペースを与えられた曲目の方が相応しい。

しかしフランソワの直感的な曲の把握が単なる我儘や気取りに終わらないのは、彼の閃きがカリスマ的な魅力に溢れているからで、ドビュッシーの作品に内在する高度に音楽的な可能性を限りなく引き出していく能力は流石だ。

『前奏曲集』ではフランソワの千変万化の表現が縦横に発揮されている。

ドビュッシーのピアノ曲の中でもこうした連作物は1曲1曲に充分なモチベーションを与えないと、惰性的な音楽の連続に聞こえてしまい、つかみどころのない音の連なりに飽きてしまいがちだが、例えば筆者が子供の頃に聴いた第1巻第2曲の『帆』で、風に翻る帆のイメージが今でも頭から離れないのは彼の演奏の影響だ。

また『ピアノのために』では霊感に支えられた軽妙洒脱で切れ味のよいテクニックがピアニスティックな魅力を愉しませてくれる。

中でも『喜びの島』は個人的に好んで聴く曲のひとつで、ホロヴィッツの鋭利に研ぎ澄まされたピアニズムで彫琢された、そそり立つような表現とは対照的に、フランソワのそれはあたかも西風に吹かれて出航する船に乗り込んだ人々の高まる期待のように感じられ、クライマックスで発散する光輝に満たされた高揚感は格別だ。

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2015年08月26日


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プラガ・デジタルスからリリースされているSACDの管弦楽曲シリーズでは最新盤の1枚で、音源自体は1957年及び58年にオープン・リール磁気テープに収録された半世紀も前の古いステレオ録音だが、今回のDSDリマスタリングによって極めて鮮やかな音質が蘇っている。

楽器ごとの解像度、音響の広がりや高音の伸びも満足のいくもので、特にこのディスクに収められたドビュッシーでは、指揮者ロザンタールがオーケストラから醸しだすカラフルな光彩と移り行く陰影の妙が、作曲家のオーケストレーションを通して見事に映し出されている。

玉石混交のこのシリーズのSACD化では優れたサンプルとして高く評価したい。

本盤に収められているのは、ラヴェル最後の直弟子で、指揮者、作曲者として名を残すロザンタール(1904-2003)によるドビュッシー作品の録音集で、いずれも1957〜59年頃の録音。

ロザンタールはクリュイタンスよりひとつ、マルティノンより6歳ほど年上の生粋のパリジャンで、99歳の長命を全うしたために現在活躍中のアーティストとの協演も残しているが、彼はまた作曲家やアレンジャーとしての活動にも積極的であったことから、指揮者としては彼らに比較してそれほど知名度が高くないのも事実だろう。

しかし近代フランスものでは映像的な情景描写が巧みで、まだこの時代には濃厚に存在していたフランス趣味を満喫させる能力を縦横に発揮している。

交響詩『海』、『遊戯』、『夜想曲』そして『マルシュ・エコセーズ』のどれをとっても音色のブレンド、ディナーミクの変化をフルに使った音響や、テンポの運びの意外な移り変わりはロザンタールの指揮法の秘訣だが、オーケストラのパリ・オペラ座管弦楽団も現在では失われつつある暖色系の音色と、柔軟で微妙なニュアンスを表現し得た、当時の彼らの流儀を充分に披露している。

それには勿論自国の作曲家の作品という強みもあるに違いないが、こうしたドビュッシーの響きには現代では得がたい味わいがある。

また、指揮者として活躍しているセルジュ・ボドの父親の、オーボエ奏者エティエンヌ・ボドが奏でるイングリッシュ・ホルン(「雲」)にも注目。

『春の挨拶』と『祈り』では前者にソプラノ・ソロと女声コーラス、後者にはテノール・ソロと男声コーラスが伴うが、声楽の明るさと低音が薄手の軽やかさは、ひとつ間違えば軽佻浮薄に思えるほど一見つかみどころのない特有の感性がある。

しかしそれがフランス印象派の持ち味でもあり、また楽しむべきところなのかも知れない。

光彩と陰影の妙といったまさしく印象派絵画を思わせる色調表現、また、当時のフランスのオーケストラ特有のヴィブラートの効いた管楽器の音色など、古きよきフランスのオーケストラを堪能できる1枚である。

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2015年08月04日


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アンドレ・クリュイタンスが1962年にトリノのRAI放送用ライヴとして録音したドビュッシーのカンタータ『放蕩息子』及びオネゲルの交響曲第3番『典礼風』の2曲を収録したCDで、当時のライヴとしては優れたステレオ録音で鑑賞できるのが嬉しい。

オーケストラはどちらもトリノRAI交響楽団で、この頃イタリア国営放送局RAIではトリノ、ローマ、ナポリのそれぞれの都市に専用のオーケストラを抱えていて一流どころの指揮者の客演によって高水準のコンサートや放送用演奏を行っていた。

現在ひとつに統合されたこのオーケストラは、サンタ・チェチーリア以外にはオペラ劇場から独立した楽団がなかったイタリアで、純粋なオーケストラル・ワークも器用にこなす機動力を備えていた。

クリュイタンスはかなりの量のラヴェルの作品をセッションで遺してくれたが、ドビュッシーに関してはオペラ『ペレアスとメリザンド』以下数えるほどしかなく、いずれもが素晴らしい仕上がりだけにその早過ぎた死が惜しまれてならない。

この『放蕩息子』は、ルカ福音書にあるキリストの喩え話からエドゥアール・ギニャンが脚色した抒情詩を22歳のドビュッシーが簡潔なカンタータ風に仕上げた作品で、和声的にも後の『ペレアス』の萌芽とも考えられている。

リア役にソプラノのジャニーヌ・ミショー、アザエルにテノールのミシェル・セネシャル、シメオンにバリトンのピエール・モレのベテラン・フランス系歌手を起用したことも成功の要因だろう。

劇場作品でキャリアを始めたクリュイタンスならではの自然にドラマを引き出して情景をイメージさせる指揮法の巧みさと、家族との再会によって救われる息子と母の安堵、父の寛大な赦しと神への感謝と続くリリカルな高揚感は官能的でさえある。

一方オネゲルについても他にクリュイタンスのサンプルがなくそれだけでも貴重なコレクションになり得るものだが、戦争の傷跡から立ち直りつつあった状況下で収録されただけに、この曲に賭けた平和への切実な願望と熱意が伝わって来る演奏だ。

しかしオーケストラの色調はむしろ明るく、未来に希望を託して平穏のうちに終了するフィナーレも生命感に漲っていて神々しいものがある。

客席からの拍手の他に咳払いや雑音が若干入っているが、鑑賞に煩わしくない程度のもので音質は鮮明。

12ページほどのライナー・ノーツにはクリュイタンスのキャリアとごく簡単な曲目解説が英、独、仏、伊語で、『放蕩息子』のリブレットはオリジナルの仏語で掲載されている。

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2015年07月21日


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2012年はドビュッシーの生誕150年であったが、それを記念した素晴らしい名盤が登場した。

我が国を拠点として活動し、現在、最も輝いているピアニストの1人でもあるイリーナ・メジューエワは、2010年のショパン・イヤー、そして2011年のリスト・イヤーにおいても、極めて優れた名盤の数々を世に送り出したところであるが、今般のドビュッシーのピアノ作品集も、新たなレパートリーに挑戦した意欲作で、我々クラシック音楽ファンの期待をいささかも裏切ることがない高水準の名演であると言えるだろう。

本盤には、ドビュッシーのピアノ曲中の最高傑作との誉れ高い前奏曲集を軸として、ベルガマスク組曲、2つのアラベスク、版画、喜びの島など、著名な作品の全てが収められており、ドビュッシーのピアノ作品集として必要十分な内容となっている点も評価し得るところだ。

それにしても、メジューエワの演奏は素晴らしい。

ショパンのピアノ曲の一連の演奏やリストのピアノ作品集も名演であったが、本盤のドビュッシーのピアノ作品集の演奏は、更にグレードアップした見事な名演奏を聴かせてくれている。

透明感に満ちた音色、明瞭なフレージング、巧みなペダリングによる色彩の変化など、細部のモチーフに新しい意味を見いだしながら重層的に楽曲を構築してゆく手法は、まさにメジューエワならではの卓抜さと言えるところであり、斬新であると同時にどこか懐かしさを感じさせる不思議なドビュッシーに仕上がっている。

1音1音をいささかも揺るがせにしない骨太のピアノタッチは健在であるが、ゴツゴツした印象を聴き手に与えることは全くなく、音楽はあくまでも自然体で優雅に流れていくというのがメジューエワのピアノ演奏の真骨頂であり最大の美質。

もちろん、優雅に流れていくからと言って内容空虚であるということはなく、透明感に満ちた音色、明瞭なフレージング、巧みなペダリングによる色彩の変化などを駆使した細部に至るまでの入念な表情づけも過不足なく行われており、スコア・リーディングの確かさ、そして厳正さを大いに感じさせるのもいい。

技量においても卓越したものがあるが、技巧臭などは薬にしたくもなく、ドビュッシーの音楽の魅力を聴き手に伝えることのみに腐心している真摯な姿勢が素晴らしい。

フランス系のピアニストのように、フランス風のエスプリ漂う瀟洒な味わいで勝負する演奏ではないが、演奏全体に漂う風格と格調の高さは、女流ピアニストの範疇を超えた威容さえ感じさせると言っても過言ではあるまい。

いずれにしても、本盤のメジューエワによる演奏は、2012年に発売された、ドビュッシーの生誕150年を記念して発売されたピアノ作品集の中でも最右翼に掲げられるべき名演であると同時に、これまでの古今東西のピアニストによるドビュッシーのピアノ作品集の中でもトップの座を争う至高の名演と高く評価したい。

そして、本盤も音質が素晴らしい。

富山県魚津市の新川文化ホールの豊かな残響を生かした高音質録音は、本盤の価値を高めるのに大きく貢献しているのを忘れてはならない。

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2015年06月14日


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前奏曲第1巻は、1978年に録音されているが、豊かな音楽センスで表現においてもタッチと音色においても徹底的に磨き上げられたような演奏を聴くことができる。

ミケランジェリの粒だちのよい音色と、消えようとする響きの美しさを万全に引き出した、透明感のあるピアニズムが魅力的だ。

ミケランジェリは、楽器から出しうる限りのヴァラエティに富んだ音色と、磨き抜かれた感覚によって、独自のピアニスティックな世界を築いている。

研ぎ澄まされた表現と精妙な色彩を湛えた響きによって、1曲1曲を実に克明に描き切っている。

1音1音が徹底的に磨き上げられており、実に美しく、しかもテクニックは冴えわたっており、非の打ちどころがない。

曖昧な雰囲気や気分の移ろいといったものを削ぎ落とした演奏は、必ずしも気楽に楽しめるものではないが、厳しい造形と彫りの深い表現をもつ演奏は、各曲の個性と魅力を絶妙な感覚で描き分け、まことにデリケートなニュアンスと透徹した詩情を湛えている。

まさに寸分の隙もなく、完璧に仕上げられた演奏と言えるところであり、聴くたびに徹底した表現上の工夫、幅の広さに感心させられてきた。

表現においても、タッチと音色においても、これほど、デリケートでかつ多彩きわまりなく、徹底的に磨き抜かれた演奏はないだろう。

ことに、抒情的な曲では、前の音の余韻を受けながら、次の音が精妙に絡み合っているのがよくわかる。

また、リズミカルな曲は高音の美麗さがすばらしく、色彩的で明るい音は見事だ。

全体に、思い入れたっぷりの表現となっているところが、いかにもこの人らしい。

細部の細部に至るまで、デリケートで、複雑なニュアンスが込められたミケランジェリのピアノから生まれているのは、まさしく貴族主義的であり、かつまた神秘主義的なドビュッシーと言えるだろう。

その演奏は、たとえば〈亜麻色の髪の乙女〉のような曲でも、決してムードに流れることはない。

特に、〈デルフィの舞姫〉に聴くデリカシー、ゆったりとした呼吸で幻想的に描いた〈沈める寺〉に聴くダイナミズムの凄さなど、どれをとっても素晴らしい。

前奏曲第1巻の、そして、この鬼才ならではのピアノ芸術の最高の成果がここにあると言ってよいだろう。

また、《映像》第1集の〈水の反映〉を、これほど繊細に表現できる人というのも少ない。

また生き物のように息づく三連音符を、絶妙なタッチで演奏した〈動き〉や、東洋風の絵画を思わせる第2集の〈荒れた寺にかかる月〉も、響きの多彩さと余韻に魅せられる。

そして情緒的表現を切り詰め、精妙にして透徹した、ミケランジェリならではのイマージュ《映像》を作りあげている。

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2015年06月13日


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モントゥーのドビュッシーやラヴェルは素晴らしい。

柔らかい音色感は、生粋のフランス人でなければ表現できない。

当盤の収録曲の録音時には80歳半ばだったモントゥーであるが、熱烈なラヴコールを受けて、首席指揮者に就任したロンドン響から、気品に満ちた響きと芳醇な詩情を引き出すことに成功。

どちらかというと、軽い、さわやかな響きをもったオーケストラから、こういう音を引き出したモントゥーの力量は偉大である。

オーケストラを完全に自分の楽器にしているのだ。

ここに立ちのぼってくる香りは紛う方なくフランスのもの。

自然体の魅力にあふれ、とりわけ、《映像》の「イベリア」で顕著なように、聴き手の心の皺をのばすように、音楽が豊かに息づいているのが好ましい。

「イベリア」の音の輝きと、作為のない音楽的表現は驚くべきで、「夜のかおり」の官能的な夜の空気のつくりかたなど絶妙である。

その明るい陽ざしと手応えを同時に感じさせてくれる芸風は、実に得難いものであると思う。

全体に一つ一つの音とその動き、そしてそれが生み出す響きに深い質感と温もりがあって、それが素敵な芳香を撒き散らしながら、エレガントでしかも芯の通ったドビュッシー像を作り上げている。

《牧神の午後への前奏曲》に漲る夢幻的な詩情も見事である。

ドビュッシーの音楽本来の格調の高さと自然体の魅力に再度目を向ける意味でも、また同時にこの前奏曲のもつフランス的な感性の原点に立ち帰る意味でも、モントゥーの《牧神》をここで確認しておきたい思いである。

ふくよかな官能性と静謐な香気、自然でいて気品とニュアンスに富んだこうした演奏こそが、この作品に底流する美しい夢幻的な詩情を余すところなく描きあげるものではないだろうか。

巨匠モントゥー晩年の熟成の境地が万遍なくにじみ溢れている名演であり、やはりひとつの忘れ難い記録として掲げなければならないディスクであろう。

その音楽づくりを通じて、このフランス出身の長老指揮者が、人生と音楽を愉しむことを知っていたことを、如実に感じ取ることができるディスクになっている。

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2015年06月04日


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20世紀後半を代表する巨匠指揮者、ゲオルグ・ショルティの生誕100周年(2012年時)記念盤。

 
フランス音楽の粋とも言うべきドビュッシーの夜想曲、交響詩「海」、牧神の午後への前奏曲が収められているが、ショルティにとっては比較的珍しいレパートリーの1つである。

本盤の各楽曲の演奏は、そうしたフランス音楽ならではのエスプリ漂う瀟洒な味わいを期待する聴き手には全くお薦めできない演奏である。

本演奏にあるのは、オーケストラの卓抜した技量と機能美であり、シカゴ交響楽団の鮮やかなサウンドが強烈な印象を与える、まさに、オーケストラ演奏の究極の魅力を兼ね備えているところである。

このような演奏は、とある影響力の大きい某音楽評論家を筆頭に、ショルティを貶す識者からは、演奏が無機的であるとか、無内容であるとの誹りは十分に予測されるところである。

しかしながら、果たしてそのような評価が本演奏において妥当と言えるのであろうか。

ショルティは20世紀後半を代表する指揮者の1人であるが、我が国の音楽評論家の間での評価は実力の割に極めて低いと言わざるを得ない。

現在では、楽劇「ニーベルングの指環」以外の録音は殆ど忘れられた存在になりつつある。

先般、お亡くなりになった吉田秀和氏などは、数々の著作の中で、公平な観点からむしろ積極的な評価をしておられたと記憶するが、ヴェルディのレクイエムなどを除いて事あるごとに酷評しているとある影響力の大きい音楽評論家をはじめ、ショルティを貶すことが一流音楽評論家の証しと言わんばかりに、偏向的な罵詈雑言を書き立てる様相ははっきり言っておぞましいと言うほかはないところだ。

かかる酷評を鵜呑みにして、例えば本演奏のような名演を一度も聴かないのはあまりにも勿体ないと言える。

ニキシュは別格として、ライナーやオーマンディ、セル、ケルテス、フリッチャイなど、綺羅星の如く登場したハンガリー人指揮者の系譜にあって、ショルティの芸風は、強靭で正確無比なリズム感とメリハリの明晰さを旨とするものであった。

そうした芸風でシカゴ交響楽団を鍛え抜いた力量は、先輩格のライナー、オーマンディ、セルをも凌駕するほどであったと言えよう。

もちろん、そうした芸風が、前述のような多くの音楽評論家から、無機的で冷たい演奏との酷評を賜ることになっているのはいささか残念と言わざるを得ない。

確かに、ショルティの芸風に合った楽曲とそうでない楽曲があったことについて否定するつもりは毛頭ないが、少なくともショルティの演奏の全てを凡庸で無内容の冷たい演奏として切って捨てる考え方には全く賛同できない。

本演奏は、前述のようなフランス音楽らしい瀟洒な味わいを醸し出すには全くそぐわないと言えるが、オーケストラの機能性と楽器の組み合わせによる色彩の豊かさをフルに味わえる美点がある。

そして、印象派の大御所として繊細かつ透明感溢れるオーケストレーションを随所に施したドビュッシーが作曲した各楽曲の諸楽想を明瞭に紐解き、それぞれの管弦楽曲の魅力をいささかの恣意性もなく、ダイレクトに聴き手に伝えることに成功している点は高く評価すべきではないかと考えられるところだ。

そして、一部の音楽評論家が指摘しているような無内容、無機的な演奏ではいささかもなく、むしろ、各場面毎の描き分け(特に、交響詩「海」)や表情づけの巧みさにも際立ったものがあり、筆者としては、本演奏を貶す音楽評論家は、多分にショルティへの一方的な先入観と偏見によるのではないかとさえ思われるところである。

本演奏においては、世界最高の性能を誇っていたシカゴ交響楽団の名技が遺憾なく発揮されており、ドビュッシーの精緻なテクスチュアが次々に浮き彫りにされるような快感がある。

いずれにしても、本演奏は、ショルティ&シカゴ交響楽団という20世紀後半を代表する稀代の名コンビによる素晴らしい名演と高く評価したいと考える。

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2015年04月28日


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右腕の故障から復活を遂げたベロフが、1994年にスタートさせた2回目のドビュッシーピアノ作品全集録音は、フランスの知性と感性が美しく融合した現代におけるドビュッシー演奏のひとつの解答として世界中で絶賛された名盤である。

かつてベロフは、EMIにドビュッシーのピアノ作品全集を録音しており、当該演奏も、ベロフの今日の名声をいささかも傷つけることがない名演と言えるところだ。

しかしながら、演奏の持つ内容の濃さ、そして楽曲の心眼に鋭く切り込んでいくような彫りの深さ、そして各楽想を描き出していくに際してのきめの細かさにおいて、2度目の全集の各ピアノ曲の演奏が断然優れていると評価し得る。

その中でも、ドビュッシーの前奏曲集第1巻や子供の領分は、その作曲家としての天才性を発揮した名作であるが、それ故に、あまたのピアニストがこれまで様々な名演を成し遂げてきた作品でもある。

そうした中で、べロフの演奏も、それら古今東西の名演の中でも十分に存在感のある名演と高く評価したい。

ベロフの約20年ぶりとなる再レコーディングでは、録音技術も向上したせいもあって、彼のタッチも響きも卓越したリズムも克明に聴く事ができる。

ドビュッシーは、印象派と称される作曲家でもあるだけに、前奏曲集第1巻や子供の領分を構成する各小曲において、安定したテクニックだけでなく、味わいのある詩情が必要となる。

この詩情を情感豊かに表現できなければ、それこそ単なるピアノ練習曲の世界に陥ってしまう。

しかしながら、べロフについてはそのような心配は全く御無用で、遥かに円熟の度を増した表現は音楽の核心を捉え深い味わいに満たされる。

それにしても、何と言う美しい演奏であろうか。

ドビュッシーのピアノ作品は、いかにも印象派とも言うべきフランス風の詩情溢れる豊かな情感、そして繊細とも言うべき色彩感などを含有しているが、ベロフはそれらを研ぎ澄まされたテクニックをベースとして、内容豊かに、そして格調の高さをいささかも失うことなく描き出している。

そしてべロフは、卓越した技量をベースとしつつも表情の変転なども巧みに行っており、加えて、演奏の端々から漂ってくるフランス風のエスプリ漂う詩情豊かで瀟洒な味わいには抗し難い魅力に満ち溢れている。

どの曲も見事な出来映えであるが、特に、前奏曲集第1巻の中でも最高傑作とされる「沈める寺」の情感豊かな演奏は圧倒的だ。

有名な「亜麻色の髪の乙女」は、表情過多のあまりいささか身構え過ぎのような気もしないでもないが、単なるムード音楽に堕していない点は評価したい。

子供の領分の各楽曲の描き分けも、べロフ自身も楽しんで演奏しているような趣きがあり、その芸術性の高さは、さすがと言うべきである。

右手故障という不遇な人生から見事復活を遂げたベロフの演奏には、何よりもピアノを、特に自国の作曲家を演奏する喜びを感じる。

ドビュッシーのピアノ作品を得意としたピアニストには、ギーゼキングをはじめとして、フランソワ、ミケランジェリなどあまたの個性的なピアニストが存在している。

それらはいずれも個性的な超名演を展開しており、こうした個性的という点においては、ベロフの演奏はいささか弱い点があると言えるのかもしれない。

しかしながら、演奏内容の詩情豊かさ、彫りの深さといった点においては、ベロフによる演奏は、古今東西のピアニストによるドビュッシーのピアノ曲の名演の中でも、上位にランキングされる秀逸なものと評しても過言ではあるまい。

いずれにしても、本盤に収められた諸曲の演奏は、まさにドビュッシーのピアノ曲演奏の理想像の具現化とも言うべき素晴らしい名演と高く評価したいと考える。

そして、今般、かかるベロフによる素晴らしい名演がBlu-spec-CD化がなされたということは、本演奏の価値を再認識させるという意味においても大きな意義がある。

ベロフによる研ぎ澄まされたピアノタッチが鮮明に再現されており、従来CD盤との音質の違いは歴然としたものがあると言えるところだ。

いずれにしても、ベロフによる素晴らしい名演をBlu-spec-CDで味わうことができるのを大いに喜びたい。

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2015年04月06日


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ワルター・ギーゼキングのドビュッシーのピアノ曲の演奏はやはり素晴らしい。

稀代のドビュッシーのピアノ曲の演奏家として知られたギーゼキングであるが、遺された録音がモノラル録音であったこともあって、どうしてもその後の様々なピアニストによる演奏と比較すると、必ずしも絶対的な地位を確立していたとは言い難い状況にあったと言えるところだ。

そうしたギーゼキングの代表的な名演とも言うべきドビュッシーのピアノ曲の一連のスタジオ録音が、EMIによってSACD化され、分売されたことは、以前の各レビューにも記したところであるが、これらがまとめてセットで、しかも安価で発売される運びとなったことは何と言う素晴らしいことであろうか。

ギーゼキングによるドビュッシーのピアノ曲の演奏は、特別な個性を発揮したり、はたまた奇を衒った解釈を施したりするということは薬にしたくもなく、緻密なスコアリーディングに基づき、曲想を精緻に、そして丁寧に描き出していくという、ある意味ではオーソドックスなアプローチに徹したものと言える。

楽譜の正確な解釈と陰影豊かで格調高い演奏によるドビュッシーで、あくまで作品を知的に読み取り、余情を挟むことなく、絶妙にコントロールされた表現に徹しているものの、その内容は決して無味乾燥にはなっていないところはさすが名匠ギーゼキングであり、こまやかなニュアンスを駆使した、純度の高い至芸が聴ける。

卓越したテクニックにも出色のものがあると言えるものの、モノラル録音ということも多分にあるとは思うが、素っ気なささえ感じさせるところもあり、即物的な演奏とさえ言えるところだ。

しかしながら、一聴すると淡々と流れていく各旋律の端々には、独特の細やかなニュアンスやフランス風のエスプリ漂う豊かな情感に満ち溢れており、決して無機的な演奏には陥っていないと言える。

そして、ギーゼキングの演奏で素晴らしいのは、1950年代の演奏であるにもかかわらず、いささかも古臭さを感じさせるということがなく、むしろ、その演奏は清新さに溢れていると言えるところであり、その気高い格調の高さにおいても卓抜としたものがあったと言えるだろう。

ドビュッシーのピアノ曲を得意とするピアニストは、その後数多く誕生しているが、それらのピアニストによる数々の名演を耳にした上で、ギーゼキングによる本演奏を聴いても、録音の古さは感じても、演奏内容自体には違和感など全く感じさせず、むしろ新鮮味さえ感じさせるというのは殆ど驚異的ですらあると言えるところだ。

本セットに収められた諸曲も、前述のようなギーゼキングによる芸風が見事に表われた名演と言えるところであり、まさに古くて新しい、現代においてもドビュッシーのピアノ作品演奏の規範とも言うべき至高の名演と高く評価したいと考える。

このように、ギーゼキングによるドビュッシーのピアノ作品の演奏は、演奏自体は素晴らしいが、モノラル録音というハンディもあって、その音質は、従来CD盤では鮮明さに欠ける音質であり、時として音が歪んだり、はたまた団子のような音になるという欠点が散見されたところであった。

ところが、先般、ついに待望のSACD化が行われることによって大変驚いた。

もちろん、最新録音のようにはいかないが、従来CD盤とは次元が異なる見違えるような、そして1950年代前半のモノラル録音とは信じられないような、かなり鮮明な音質に生まれ変わったと言える。

いずれにしても、ギーゼキングによる至高の名演を、SACDによる比較的良好な高音質で味わうことができるのと、EMIがこれらの名演を集成して、低廉に入手できる運びになったことを大いに歓迎したいと考える。

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2015年03月25日


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右手の故障を克服、見事に復活を果たしたフランスの名ピアニスト、ミシェル・ベロフによるドビュッシー作品集で、鮮烈な音感覚に円熟味が加わった演奏は、永遠に聴き継がれる名盤としての地位を確立したと言ってよいだろう。

ベロフによる2度目のドビュッシー全集からの1枚であるが、ため息がでるような詩情溢れる極上の美演である。

例えば、版画のグラナダの夕暮れの何という情感豊かさ。

ドビュッシーのピアノ曲を演奏するための鉄則として、安定した技量をベースとしつつも、各楽曲の有する詩情豊かさをいかに巧みに表現できるのかが必要となってくるが、べロフの手にかかっては、いささかの心配は要らないということになる。

映像の第1集や第2集の各小曲の描き分けも実に巧み。

各小曲ともにこれ以上は求め得ないような高踏的な美しさを誇っており、これを超える演奏は不可能ではないかと考えられるほどだ。

特に印象に残ったのは、映像第1集の水の反映であり、ゆったりとしたテンポで、ドビュッシーのあらゆるピアノ作品の中でも最もみずみずしい美しさを湛えた名作の1つとされる同曲を、これ以上は考えられないような情感豊かさで弾き抜いており、実に感動的だ。

テクニックも申し分ないが、それ以上にとても色彩豊かであり、一体いくつ引き出しがあるのか不思議に思うくらい変幻自在に音色が変わっていく。

また、ペダルは必要最低限にとどめ、はっきりと音像を浮かび上がらせているのが特徴的で、音像がぼんやりとした神秘的な演奏とは対極をなす演奏と言えるかもしれない。

研ぎ澄まされた音、豊かな色彩感、深い情感が“フランス印象派”の感覚美を超えて音楽の核心に鋭く迫る。

巨匠への道を歩む円熟のベロフによるこの演奏は、現代のドビュッシー演奏のひとつの頂点を築くものと言えるだろう。

忘れられた映像や、喜びの島、マスクも、卓越した技量をベースとしつつ、フランス風のエスプリ漂う詩情に満ち溢れており、まさに至高・至純の名演と高く評価されるべきものと考える。

20年前にレコーディングされた時は、洗練された響きとリズムの鋭さが新鮮であったが、この新しくレコーディングされたアルバムは、録音技術が進歩したせいか、さらにパワフルさが増したような気がする。

Blu-spec-CD化によって、音質は通常盤よりさらに鮮明さを増しており、本盤の価値をより一層高めることに大きく貢献している。

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2015年03月20日


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このフランスの名曲に、カラヤン&ベルリン・フィルの演奏、しかも映像作品を選ぶというのは、奇を衒っていると思われるかもしれないが、本当に気に入っているのだ。

カラヤンはこの曲の組み合わせで、本盤以外に1964年3月と1985年12月〜1986年2月にそれぞれDGで録音を行っているので、本盤(1985年11月〜12月)はちょうど後者の録音と同時期の収録ということになるが、この演奏のいちばんの特徴は、ライヴ録音ということである。

注意して聴いていると、オーディエンス・ノイズが頻繁に入ることからすぐに分かる。

カラヤンの映像作品の多くは、聴衆が映っていてもニセの聴衆だったり、あるいは音と映像が完全に別取りで、ライヴを装っていてもスタジオ録音だったりして、視聴していて白けることおびただしいものもある。

筆者は映画が好きなせいか、映像を見るとすぐに「カメラの位置は?」と考えてしまうのだが、たとえば1972年収録の「海」の映像作品では、客席に聴衆はいるものの、曲の冒頭はカラヤンの斜め後ろからオケを撮っており、絶対に望遠で撮った絵ではないことから、これだとカメラは指揮者の数メートル後ろの舞台上にいなくてはならない。

実際の演奏会ではそんなことは有り得ないわけだから、「ああ、これもニセものかぁ……」と、その後は見る気がしなくなるのだ。

やたら逆光を多用したり、顔の見えにくい奏者を幾何学的に並べたり、あるいは管楽器を構える角度がやたらぴったり合っていたりするのもわずらわしい。

ふだんあれだけ体を振ってアンサンブルを作る努力をしているライスターが、微動だにしないでクラリネットを咥えているわけないのだ。

部分撮りの奏者の顔が音楽をやっているように見えないことが多いのは、ことによるとその奏者だけで映像のみ収録し、音は捨てているからだろうか。

同じアングルの映像で、最初はフルート1人が吹いていて、次に2人に増え、終いには4人になるのを見せられると、腹が立つのを通り越して呆れてしまう。

映像の遊びは音楽にとって邪魔なだけだ。

もちろん本盤でもそういった「はめ込み画像」はあるのだが、フルオケが映っている場面、そしてなぜか凝った別撮り映像においても、奏者の表情が真剣でしかも活き活きとしているので、見ていて嬉しくなってしまう。

「海」におけるコンサートマスターのブランディスの体を張ったリード! あれは決して映像収録用の「演技」だとは思えないのだ。

「牧神」と「ダフニス」では、それまでトップサイドだったシュピーラーがコンマスに交替し、ブランディスがトップサイドに下がる贅沢さ! それにツェラーのフルートの妙技! さらに、まだ颯爽としなやかだったカラヤンの棒も、ドイツもののときより真剣に見える。

映像のことをあれこれ言ってしまったが、音そのものでも、「聴衆を前にした燃えるベルリン・フィル」が楽しめる。

カラヤンは基本的にはライヴ録音はやらない主義だったから、本盤のような正規のライヴ・ステレオ録音は貴重である。

「海」の第1楽章最後の部分の巨大な音の柱! 第2楽章後半、どこまでもぐんぐんと伸びていくような盛り上がりと、そのあと深海に沈潜したような静寂、「海」というよりは戦争の記録映画の伴奏にも使えるような、スペクタクルな第3楽章、それでいて毛ほどの粗さもないのだ。

「牧神」はツェラーを筆頭とする管がひたすら巧く、それを支える温かくて精妙な弦も見事だ。

「ダフニス」は、かつてベルリンのフィルハーモニーザールが「カラヤンサーカス」と言われていたことを思い出させるような、音の饗宴の世界である。

「夜明け」の甘美さ、「無言劇」の驚異的なアンサンブルの完璧さ、「全員の踊り」の凄まじい盛り上げ方、カラヤン&ベルリン・フィルのライヴが、いかに凄かったのかの証となるだろう。

そこでは、まさに生きている人間が演奏しているのだ。

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2015年03月07日


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ミケランジェリの鋭い音感覚と独自の美学が反映され、一瞬の美しさも逃さずに磨き抜かれた演奏。

ピアニスティックな美感を存分に生かした演奏で、まるで精巧なガラス細工をみているかのような、驚くべき繊細さである。

これほど響きと造形のバランスのよい演奏も珍しく、ミケランジェリは、ひとつひとつの音作りに神経を行き届かせながら、音色の組み合わせに工夫を凝らし、透明感のある響きの美を極限まで追求している。

ニュアンスのつけ方など、神経質とも思えるほどだが、いかにも響きを大切にするミケランジェリらしい。

全体に明るく、高音の美麗さが特徴で、音のつくり方は、フランス的というよりも、むしろイタリア的といった感じになっている。

特に《映像》第1集の「水の反映」を、これほど繊細に表現できる人というのも少ない。

また生き物のように息づく三連音符を、絶妙なタッチで演奏した「動き」や、東洋風の絵画を思わせる第2集の「荒れた寺にかかる月」も、響きの多彩さと余韻に魅せられる。

そして情緒的表現を切り詰め、精妙にして透徹した、ミケランジェリならではのイマージュ〈映像〉を作りあげている。

ドビュッシーが愛娘のために作曲した比較的簡潔な書法による《子供の領分》では、ひとつひとつの音作りの微妙な味わいが演奏の聴きどころとなるが、ミケランジェリは、独特の透徹したタッチを示しつつ、その音色の組み合わせに絶妙な変化を与え、透明な美しさ、純度の高い美しさを徹底的に追求している。

冒頭の「グラドゥス・アド・パルナッスム博士」の出だしから、その芸のこまやかさには驚かされる。

全体にピアノの表現能力を最高度に発揮させた、精緻な演奏が特色で、音色の変化のつけ方、旋律の歌わせ方のうまさにはひきつけられる。

これ以上を求めるのは不可能ではないかとさえ思えるほどで、この曲集ではファンタジー豊かなフランソワの爛離雖瓩箸和仂氾に、きわめて丹念に研ぎ澄まされた名演と言えよう。

ミケランジェリの絶妙なタッチを鮮明にとらえた録音もすこぶるよく、すばらしい。

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2015年02月09日


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1988年の録音で、第1巻から10年後につくられた。

第1巻同様、ここでもミケランジェリが示す完全主義的なピアニズムは徹底しているが、第1巻以上に、その傾向は強まっていると言えるのかもしれない。

特に、この第2巻の孤高なまでに美しい音と表現は、まことに印象的である。

ミケランジェリのシャープに研ぎ澄まされた音感覚が発揮された、タッチのコントロールが絶妙な演奏であり、彼らしい透徹した響きと表現に包まれている。

この作品に特徴的な、空中で浮遊しているような音響効果について、その空間感覚の見事なこと。

ここまで徹底してくると、その完全主義的傾向にもどこか神秘的な要素さえ感じられてくるかのようである。

ドビュッシーの音楽は明晰な明るさからはじまったが、晩年に近づくにつれてモノクロ的な陰翳さを増していった。

というよりも彼は明るさの代償として、デモーニッシュな情念を闇のなかに追放していったのだが、それが抑えきれなくなって、しだいににじみ出てくることになる。

この明暗の対比を、ミケランジェリほど的確にとらえ、鮮明に浮き上がらせたピアニストはいない。

精神を徹底的に磨きぬいてゆけば、簡素さに達するだろう。

それはぎらぎらした油絵の色彩に代わって、すっきりした心地よさと潔さに通ずる。

しかし、さらにそれを突き詰めてゆくと、簡素さが晦渋さに、明るさが暗さに反転する境界、つまり神秘的な幽玄の世界への入り口が現れる。

そのときにいわば此岸と彼岸を自由に往来する道が開け出る。

ミケランジェリが究極目指した演奏スタイルは、まさにここにあったと思われる。

まったく個性的な演奏なのだが、それが少しの無理もなく、普遍的な高みに達しているところに、この演奏、ひいてはミケランジェリというピアニストの、真の偉大さがあると言えよう。

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2015年01月23日


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ポリーニ初のドビュッシーが「12の練習曲」とは彼らしく、その無窮動性や線的な構造を、彼の卓越した技巧が見事に捉え、独特の美感を持った演奏につなげているとは言えるものの、全体としてはきわめて出来の良くない凡演だ。

演奏の方向性としてはショパンのエチュードと同じで、正確に音を鳴らすことによって作品の本質を抉り出そうというものだ。

この打鍵の鋭さと運動性は凄まじいことこの上なく、聴きながら唖然としてしまうほど凄いので、無味乾燥な演奏だなと思いつつも、絶対に真似できないテクニックだなという結論に至ってしまう。

ただし、エチュードなのでこの方向性でもいいのかもしれないが、相手がドビュッシーなのでショパンよりマッチングが悪く、それなりに違和感があるのも事実で、硬質すぎるきらいがあるように思われる。

ドビュッシーのピアノ曲に聴き手が求めるものは、いろいろな見解もあろうかとも思うが、やはり印象派ならではの詩情が必要と言えるのではなかろうか。

ところが、ポリーニのピアノにはこの詩情が全く欠けており、これほどまでに冷徹になれるとは殆ど驚くほどだ。

確かに、技量においては卓越したものがあるが、練習曲とは言っても、そこはドビュッシーであり、弾きこなすためにはスパイスの効いた卓越した技量を必要とする。

しかしながら、スコアを完璧に弾くことに果たしてどれくらいの意味があるのだろうか。

ポリーニの透明感溢れる研ぎ澄まされたタッチを、ドビュッシーのピアノ曲が含有する前衛的な要素を際立たせるものという見方も一部にはあると思うが、筆者としては、これほど無機的な演奏は、最後まで聴くのが非常に辛いものがあったと言わざるを得ない。

これを聴いて喜ぶのは、ポリーニ好きのファンか、印象派に造詣のない批評家くらいのものだろう。

これに対して、ベルクのピアノ・ソナタは名演。

ベルクのピアノ・ソナタは本当に素晴らしい曲であり、様々な音楽性、シェーンベルクにはない孤独な叙情、色彩のパレットの豊かさがある。

ポリーニは、色気のないタッチや無神経を装った神経質なフレージングによってベルクの渇いた叙情を表出させるのに成功している。

ポリーニの感情移入をいささかも許さない、研ぎ澄まされた透明感溢れるタッチが、ドビュッシーでは詩情のなさが仇になったが、ベルクでは、作品の内包する前衛性を際立たせることに繋がったとも言えよう。

隙のない構築美と共に、燃えさかるような情熱のほとばしりが印象深く、ポリーニの卓越した技量も、ここではすべてプラスに働いている。

この演奏で新ウィーン楽派の主たるピアノ曲はポリーニの中で完了した感がある。

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2015年01月07日


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明晰なテクスチュアと生き生きしたリズムによって、ドビュッシー作品本来の美しさを取り戻したと大変話題になった優れた演奏。

ポール・クロスリーはメシアン・コンクールの優勝者という経歴からもわかるとおり、水際立ったテクニックを持つピアニストである。

多彩な音色の布置に気を配り、緩みなくかっちりとリズムを刻んで、鋭い分析眼で見抜いた作品の構造をバランスよく響かせていく。

情緒的に流されることはなく、すみずみまで神経の行き届いた演奏は、どちらかというとさらさらした感触である。

知性派のピアニストという評価は、おそらく誰もが認めるところで、20世紀の音楽を新鮮な視点から呈示してくれるのが、彼のアルバムやコンサートの楽しみのひとつとなっている。

もし、ドビュッシーのピアノ曲演奏史において、ルネサンスと呼ぶべきものがあるとすれば、ポール・クロスリーが取り組んだ全曲演奏シリーズこそその代表と言えよう。

メシアン門下の知性派ピアニスト、クロスリーはその繊細な感性と旺盛な研究心によって、ドビュッシーの音楽の新たな側面に光をあてている。

これまでにあった名演とされるドビュッシーとは少なからず違った印象があるが、それを大きく越える新たな発見の喜びがあり、ドビュッシーの音楽へのユニークなアプローチが光っている。

印象主義という括りで縛りつけた演奏からは曖昧以上のものは生まれない。

ぼんやり霧に包まれた音響像を一掃し、ペダルによる音色の融合にも細やかなグラデーションを与えることにより、本来、備わっていた音楽の生命力を回復している。

ドビュッシーの生み出した多彩な音色形態の構造原理をしっかりと把握し、響きに形式感を与えてさえいて、音空間と時間空間が明確化されている。

メロディへの思い入れがメインではなく、調性から解放された音楽の美しさがよく分かるところであり、音に囲まれた空閑がそのまま移行するような錯覚に落ちる。

ロンドン・シンフォニエッタの音楽監督としても活躍していたクロスリーの音楽づくりは、きわめて鋭敏かつ論理的で、このような音響芸術としてのドビュッシーがあることを初めて知ったところだ。

詩的な雰囲気を抑えているので、いくらか冷たく感じられるかもしれないが、この精緻きわまる演奏によって、ドビュッシーのもつ本質的な側面のひとつが明らかになった。

どの作品でも特にペダルの使い方が見事で、ドビュッシーの音楽はもはやもやもやとしたムードで聴かせる古いスタイルとは一線を画して、音の粒がすっきりとみえるような、しかも音色のグラデーションが楽しめる演奏となっている。

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2015年01月06日


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20世紀の作品を得意とするフランスのピアニスト、ベロフにとって、ドビュッシーはむろん重要なレパートリーのひとつ。

これは、ベロフが右手の故障で演奏活動を一時退く前の若き日の録音であるが、べロフは、天性のドビュッシー演奏家だと思う。

本全集も、そうしたドビュッシー演奏家としての面目躍如たる素晴らしい名演と高く評価したい。

べロフのドビュッシーは、例えばギーゼキングのような即物的なアプローチをしているわけではない。

フランソワのように、個性的なアプローチを示してくれるわけでもない。

あるいは、ミケランジェリのように、切れ味鋭いタッチを披露してくれるわけでもない。

こうしたドビュッシーを得意とした個性的な先人たちと比較すると、オーソドックスとも言えるアプローチを行っている。

それでいて、これぞドビュッシーとも言うべき独特の深みのある芸術を構築してくれるのだから、現代におけるべロフのドビュッシー演奏家としての確固たる位置づけが十分に窺い知ることができる。

オーソドックスと表現したが、それは没個性的という意味ではない。

どの曲も思い入れたっぷりの表現と弱音の美しさが際立ち、ドビュッシーの音楽のしなやかなニュアンスをよく弾き出している。

有名な《月の光》や《夢》などにおける情感溢れる抒情的表情や、舞曲におけるリズミカルな力強い打鍵など、表現の幅の広さも見事であり、随所に漂うフランス風のエスプリは、全体的な音楽の深みと相俟って、まさに、べロフだけが描出できる至高・至純の境地に達していると言えるだろう。

20歳そこそこのベロフがそのシャープな感覚によって敢然と打ち出してくるドビュッシーの音像。

彼の本能の一部とさえ思える現代的な感応力がこの演奏全篇に行きわたっており、しばしば聴き手をハッとさせるような超感覚的な空気を作り出している。

表現手法はかなり直截ではあるけれども、それが決してこけおどしに聴こえないのは、ベロフの音楽性の内的なリアリティゆえであろう。

さらにリズム感の鋭敏さと音の粒のクリアーさも、このピアニストの大きな武器となっている。

若きベロフの紡ぎだすドビュッシーの《前奏曲》に接して、かつて筆者は目から鱗が落ちる思いがしたものだった。

彼の鋭利な感覚が決然と作り上げてみせる地平を何度も聴き返し、やはりドビュッシーは現代音楽の祖だと再認識した記憶がある。

徹底的に新しい感覚のアプローチを得て、尚も輝かしい存在となる作曲家だということを実感した次第。

とりわけ《前奏曲》第2集、ここでドビュッシーが行なおうとしたことは、まさにベロフのような瑞々しいチャレンジによってこそ真価を発揮するように思えたところであり、その考え方は現在も変わらない。

ドビュッシー音楽の演奏には、実はベロフに代表されるような一種フッ切れた音楽観が不可欠なのであろう。

《版画》3曲もきらめくような音立ちに支えられて、どこまでも切れ味よく描出されてゆく。

そのモダンでストレートな感覚は四半世紀以上経た今も変わることなく実に新鮮である。

《練習曲》全12曲の恐るべき内容を筆者に最も直截に啓示してくれたのも、実にこのベロフのディスクであった。

「練習曲」とは名ばかりのドビュッシーの感覚のエッセンス、あるいは語法の集大成とも言うべきこの曲集は、最もラティカルにこの作曲家の天才を伝えたもの。

ベロフのピアノは、作品のかかる尖鋭性を極めてストレートかつ霊感豊かに描出してみせる。

鮮やかに変幻する色彩、めまぐるしく交錯する楽想、飛翔し躍動する音群等、これらインスピレーションに満ちた音の数々を、彼は持ち前の鋭利なタッチと現代感覚で弾きあげ、類なく閃きに満ちた世界に仕上げている。

ドビュッシーの天才とベロフの異才が一体となり実に新鮮な美学が完成しているように思う。

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2015年01月04日


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カルミナ四重奏団は、現代における気鋭の弦楽四重奏団であり、その驚異のアンサンブルで、世界を瞠目させた。

弦楽四重奏の新たな可能性を追求するこの革新的なアンサンブルの手にかかると、どんな作品もまるで洗い立ての名画のように本来の輝度と純度を取り戻す。

カルミナ四重奏団の中にある冒険者と完全主義者との相克は、演奏に異常なまでに高いテンションを与え、聴く者にも知的・感覚的な受容力を求めるのである。

その前衛的とも言うべき切れ味鋭い演奏は、品格をいささかも失うことなく、高踏的な芸術性を維持している点が素晴らしい。

本盤のドビュッシーとラヴェルというフランス印象派の2大巨頭による弦楽四重奏曲についても、そうしたカルミナ四重奏団ならではの前衛的とも言うべき切れ味鋭い名演と高く評価したい。

ドビュッシーの弦楽四重奏曲は、作品番号は10番という若い番号ではあるが、かの牧神の午後への前奏曲という最高傑作と同時期の名作である。

それだけに非常に充実した書法で作曲されているが、カルミナ四重奏団の手にかかると、第1楽章の緊張感溢れる演奏の凄まじさからして圧巻だ。

第3楽章の抒情も、哀嘆調には陥らず、どこまでも現代風の知的な表情を失うことがない。

終楽章の締めくくりのテンションも異常に高く、いかにもカルミナ四重奏団らしい革新的とも言うべき名演に仕上がっている。

ラヴェルの弦楽四重奏曲も名演。

特に、第2楽章のリズミカルな楽想や、終楽章の異常なテンションの盛り上がりは、まさにカルミナ四重奏団の真骨頂とも言うべき前衛的な表現と言える。

このカルミナ四重奏団演奏のドビュッシー、ラヴェルは、どちらも吹きわたる風のような清冽なさわやかさを持っているように思える。

彼等ほど、柔軟性に富んだ生き生きとした歌心を持つカルテットが他にあるだろうか。

張りのある潤いに満ちた音色も素晴らしいし、ふっくらと柔らかなものから、芯のあるものまで、自在に表現する力量も抜群で、若草のようなすがすがしい印象を残すフレッシュな好演だ。

Blu-spec-CD化によって、音質が更に鮮明さを増したのも嬉しい。

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2015年01月03日


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本盤には1995年に死去した稀代のピアニスト、アルトゥーロ・ベネデッティ=ミケランジェリの、1993年5月にハンブルクで行われた最後のリサイタルの模様が収録されている。

ミケランジェリは独自の美学を持ったピアニストであったが、彼のピアノの最大の魅力は、透徹したタッチである。

それが最も充実した形で発揮されたのがドビュッシーの作品であったが、この最後のリサイタルにおけるライヴ録音は、この巨匠独自のピアニズムが最も理想的に表れたと言えるもので、ミケランジェリ美学の到達した究極の高みと言うべきであろう。

ミケランジェリの、青磁のように透徹して奥行の遥かなピアニストは、ドビュッシーの世界を表現するためにも、こよなく効果的であった。

1つ1つの音に繊細な神経が行き届いていて、その研ぎ澄まされた絶妙な音響と洗練された表現は、各曲の個性も鮮明に浮かびあがらせる。

特に《前奏曲第1巻》では、1つ1つの音の響きを練り上げ、それらを有機的に関連づけていくことによって、完璧なまでに彫琢された音空間を生み出している。

厳しいと言えるほどの音と音の緊張関係の上に成り立つその演奏は、いわゆる感覚的なドビュッシー演奏や雰囲気だけで弾かれるドビュッシー演奏とは、およそ対極にあるものだ。

ここでミケランジェリが彫琢する音色は、清澄である半面、微妙に変化して、つまりは稀に聴くほど多彩なものとなる。

《映像(イマージュ=イメージ)》において、ミケランジェリは透明な響きを極限まで追求し、情緒表現を切り詰め、精妙にして透明な美しさに満ちた爛ぅ瓠璽賢瓩鮑遒蠅△欧討い襦

どちらかと言えばクールな印象が先立つが、この純度の高い洗練された表現こそが、ミケランジェリならではの魅力である。

一方《子供の領分》でのミケランジェリは、愛らしい子供の世界からは一歩下がってあくまでも彼自身の厳しい目で作品に対している。

いわゆる童心をあたたかく歌い上げる、といった演奏とは次元を異にした磨き上げの厳しさを示すが、それでも彼の流儀において、優しさや微笑もふと添えている。

そしてやはり透徹した響きを求めているが、その音色の組み合わせに絶妙な変化を加えている。

いずれももはやこれ以上の演奏など考えらえないほど完璧であり、楽器へのこだわりも充分に納得させてくれる。

改めて、ピアノからミケランジェリほど精妙きわまりない多彩な色彩感をひきだしたピアニストはいなかったと思わせる貴重な録音である。

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2014年12月09日


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ラヴェルやドビュッシーの管弦楽曲については、これまで様々な指揮者によって素晴らしい名演の数々が成し遂げられてきている。

フランス系の指揮者に限ってみても、クリュイタンスやマルティノン、アンセルメ、プレートル、そして近年のデュトワなど、錚々たる指揮者による名演が存在しており、そうした多種多彩な名演の中にあっては、パレーによる名演は、残念なことでもあるが、前述の綺羅星の如き指揮者による名演とは異なり、今や知る人ぞ知る存在に甘んじているとも言える。

しかしながら、演奏の内容については間違いなくトップクラスの水準を誇っており、今般の本演奏の高音質盤の低価格による販売を契機に、多くのクラシック音楽ファンの間で、本演奏について正当な評価がなされることを心より願うものである。

それにしても、パレーの指揮芸術は、例えて言えば、書道における名人の一筆書きのようなものであると言えるだろう。

テンポはやや速めであり、一聴すると淡々と曲想が進行していくような趣きがあり、いささかも華美には走らない即物的で地味な様相の演奏である。

しかしながら、スコアに記された音符の表層をなぞっただけの薄味の演奏では決してなく、各旋律の端々には細やかなニュアンスが施されており、演奏に込められた内容の濃さにおいては、クリュイタンス盤と比較しても遜色はないものと思われるところだ。

パレーについては、一部の音楽評論家がフランスのシューリヒトと称しているが、まさに至言とも言うべきであり、その指揮芸術には、シューリヒトのそれと同様に、神々しいまでの崇高ささえ湛えていると言えるだろう。

それにしても、本盤に収められたラヴェルの「ダフニスとクロエ」第2組曲や高雅にして感傷的なワルツ、ボレロ、そしてドビュッシーの夜想曲や小組曲の演奏における、淡々と進行していく各旋律に込められたニュアンスの独特の瀟洒な味わい深さには、フランス風のエスプリ漂う抗し難い魅力が満ち溢れていると言えるところであり、これぞフランス音楽の粋とも言うべきものではないかと考えられるところだ。

もちろん、ボレロにおける圧倒的な高揚感など、強靭な迫力のおいてもいささかも欠けることがないことについては付記しておく必要がある。

また、デトロイト交響楽団という、最もアメリカ的なオーケストラがこのようなフランス風のエスプリ漂うセンス満点の演奏を展開していることが大変な驚きであると言えるところであり、これはまさしくパレーによる不断の薫陶とともに、その類稀なる統率力の賜物であると言っても過言ではあるまい。

音質は、今から50年以上も前のスタジオ録音であるが、今般のルビジウム・クロック・カッティングによって、極めて鮮明な音質に改善されたことも、本盤の価値をより一層高めるのに大きく貢献していることを忘れてはならない。

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2014年11月25日


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フランス系カナダ人の名チェリストであるジャン=ギアン・ケラスが、世界最高の女流ヴィオリストとも評されるタベア・ツィンマーマンや、古楽器演奏にも通暁したダニエル・セペックなど、各種ソロ活動でも実績のある3名のドイツ人弦楽器奏者とともに結成したアルカント弦楽四重奏団の結成10年を記念して、既発売の名演を集大成したシングルレイヤーによるSACD盤が発売された。

前述のように、メンバー全員が世界的な若手一流弦楽器奏者で構成されており、ソロ活動に繁忙なこともあって、常にともに活動している団体ではないが、結成されてからの10年間にリリースされた本盤の演奏は、バルトークの弦楽四重奏曲第5番及び第6番や、ドビュッシー&ラヴェル等による弦楽四重奏曲など、途轍もない超名演揃いであると言っても過言ではあるまい。

本盤に収められた楽曲からも窺い知ることができるように、そのレパートリーは極めて広範なものがあり、アルバン・ベルク弦楽四重奏団が解散した今日においては、準常設団体ながら、カルミナ弦楽四重奏団などと並んで、最も注目すべき弦楽四重奏団であると言えるところだ。

バルトークの弦楽四重奏曲第5番及び第6番は、アルカント弦楽四重奏団のデビュー盤となった記念碑的な名演。

とりわけ、第5番は、2002年の結成時に初めて演奏した同団体にとっても大変に思い入れの深い楽曲であるだけに、演奏全体に途轍もない気迫と緊迫感、そしてどこをとっても切れば血が噴き出てくるような熱き生命力を有しているのが素晴らしい。

他方、第6番についても、同様のスタイルではあるが、バルトークの弦楽四重奏曲の掉尾を飾るのに相応しい神々しいとも言うべき崇高さをも絶妙に表現しており、この団体が技量一辺倒ではなく、情感豊かな演奏をも成し遂げるだけの力量を備えていることがよく理解できるところである。

ブラームスの弦楽四重奏曲第1番は、ドイツ風の重厚な演奏を行っており、この団体の多彩な表現力に圧倒されるのみ。

ピアノ五重奏曲も、ジルケ・アーヴェンハウスの巧みなピアノ演奏も、本名演に一躍買っているのを忘れてはならない。

そして、本盤の白眉は、何と言ってもドビュッシー、デュティユー、ラヴェルの弦楽四重奏曲。

驚天動地の名演であり、名演の前に超をいくつか付け加えてもいいのかもしれない。

それくらい、弦楽四重奏曲の通例の演奏様式の常識を覆すような衝撃的な解釈、アプローチを示している。

ドビュッシーとラヴェルの有名なフランスの2大弦楽四重奏曲の間に、デュティユーの弦楽四重奏曲をカップリングするという選曲のセンスの良さも光るが、ドビュッシー&ラヴェルの弦楽四重奏曲が含有する奥深い内容への追求が尋常ではない。

強弱の思い切った変化、極端とも言うべきテンポの振幅を駆使して、ひたすら両曲の内実に迫っていく彫りの深いアプローチには、ただただ頭を垂れるのみ。

それでいて、例えばラヴェルの弦楽四重奏曲の第3楽章の演奏などに見られる情感豊かな表現には、筆舌には尽くし難い美しさを誇っている。

また、デュティユーの弦楽四重奏曲の各楽章(部と言ってもいいのかもしれない)毎の思い切った描き分けは、難解とも言える同曲の本質を聴者に知らしめるという意味において、これ以上は求め得ないような理想的な演奏を行っていると言えるところである。

それにしても、これらの3曲の演奏における4人の奏者の鉄壁のアンサンブルは、何と表現していいのであろうか。

各奏者がいまだ若手であるにもかかわらず、単なる技術偏重には陥らず、常に作品の内面を抉り出そうと言う真摯な姿勢で演奏を行っていることに深い感銘を覚えるとともに、この団体の今後の更なる発展を予見させるものと言えよう。

そして、最後に収められているのがシューベルトの最晩年の傑作、弦楽五重奏曲ハ長調だ。

第2チェロを、この団体のリーダー格のジャン=ギアン・ケラスの高弟、オリヴィエ・マロンがつとめている。

同曲には、ウィーン風の抒情に満ち溢れた情感の豊かさに加えて、その後の新ウィーン派の音楽にも繋がっていくような現代的な感覚を付加させたアルバン・ベルク弦楽四重奏団による名演もあるが、本盤の演奏もその系譜に連なる演奏と言っても過言ではあるまい。

第1楽章冒頭からして、切れ味鋭いシャープな表現に驚かされる。

その後も、効果的なテンポの振幅や強弱の変化を駆使して、寂寥感に溢れたシューベルトの音楽の本質を鋭く描き出しているのが素晴らしい。

細部における表情づけも過不足なく行われており、この団体のスコア・リーディングの確かさ、厳正さを感じることが大いに可能である。

第2楽章は一転して両端部において情感豊かな表現を行っているが、耽溺し過ぎるということはなく、常に格調の高さを失っていない。

中間部は、同団体ならではの切れ味鋭いシャープな表現が際立っているが、同楽章全体の剛柔のバランスの取り方が見事であり、各奏者の類稀な音楽性を感じることが可能だ。

第3楽章は、非常に速いテンポによる躍動感が見事であるが、畳み掛けていくような気迫と切れ味鋭いリズム感は、この団体の真骨頂とも言うべき圧倒的な迫力を誇っている。

終楽章は、シューベルトの最晩年の心底に潜む闇のようなものを徹底して抉り出すような凄い演奏。

終結部の謎めいた終わり方も、この団体にかかると、歌曲集「冬の旅」の作曲などを通して、「死」というものと人一倍向き合ってきたシューベルトの「死」に対する強烈なアンチテーゼのように聴こえるから実に不思議なものであると言えるところだ。

いずれにしても、本盤の各楽曲の演奏は、アルカント弦楽四重奏団の実力が如何なく発揮されるとともに、今後のこの団体のますますの発展を予見させる超名演であると高く評価したい。

音質についても、いずれもハルモニア・ムンディならではの鮮明で良好なものであったが、今般のシングルレイヤーによるSACD化によって更に圧倒的な超高音質に生まれ変わった。

各奏者の弓使いが鮮明に再現されるとともに、その演奏が明瞭に分離して聴こえるのは、室内楽曲を聴く醍醐味とも言えるところであり、今般のシングルレイヤーによるSACD化が、本盤の価値を高めるのに大きく貢献しているのを忘れてはならない。

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2014年09月01日


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本盤には、ドビュッシーの管弦楽曲全集が収められているが、「夜想曲」、交響詩「海」、「牧神の午後への前奏曲」などの有名曲も含め、いずれの楽曲も素晴らしい名演と高く評価したい。

ラヴェルの管弦楽曲全集の至高の名演としてはクリュイタンス&パリ音楽院管弦楽団による演奏が掲げられるが、それに相当するドビュッシーの管弦楽曲全集の名演こそは、本盤に収められたマルティノン&フランス国立放送局管弦楽団による演奏である。

マルティノンは、シカゴ交響楽団の音楽監督時代が不遇であったため(とは言っても、ラヴェルの管弦楽曲集などの名演を遺している点に留意しておくことが必要である)、過小評価されているきらいがないわけではないが、ウィーン・フィルとともにチャイコフスキーの「悲愴」の超名演を成し遂げるなど、その実力は折り紙つきであった。

そして、その実力を如何なく発揮し得た演奏こそが、本盤に収められたドビュッシーの管弦楽曲全集の超名演であると言っても過言ではあるまい。

マルティノンは、例えばブーレーズなどのように曲想を曖昧にせず(もちろん、ブーレーズの演奏も説得力があり名演と評価し得ると考える)、むしろ明瞭に描き出すように努めている。

これによって、ドビュッシーの光彩陸離たる色彩感豊かなオーケストレーションが微塵の曇りもなく表現されているのが見事であると言えるだろう。

また、各フレーズの端々からほのかに漂ってくるフランス風のエスプリ漂う瀟洒な味わいには、抗し難い魅力に満ち溢れていると言えるところであり、これぞフランス音楽を鑑賞する醍醐味が存在している。

いずれの楽曲の演奏も素晴らしいが、とりわけ有名な「牧神の午後への前奏曲」のアラン・マリオンのフルートソロは、いかにもフランス人奏者だけにしか出し得ない洒落た味わいに満ち溢れている。

いずれにしても、本盤に収められた全集の各演奏は、様々な指揮者による各楽曲の演奏の中でもトップの座を争う至高の超名演と高く評価したい。

音質は、従来CD盤でもリマスタリングを繰り返してきたこともあって比較的満足し得る音質である。

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2014年08月24日


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ブーレーズによるドビュッシーの管弦楽曲集と言えば、1960年代後半にクリーヴランド管弦楽団やニュー・フィルハーモニア管弦楽団を指揮した名演(1966〜1968年)がいの一番に思い浮かぶ。

それは、各管弦楽曲の細部に至るまで彫琢の限りを尽くすとともに、一切の主観や情感を排した前衛的とも言える斬新な演奏であった。

本盤に収められた演奏は、それから20年以上の期間を経て行われた録音であるが、ブーレーズは随分と丸くなったというのが第一印象だ。

これは、ドビュッシーに限らずに、他の作曲家の楽曲における演奏についても言えることであり、1990年代に入ってDGに行った録音にはすっかりと好々爺となったブーレーズによる円熟の演奏を聴くことが可能である。

もっとも、そこは腐ってもブーレーズであり、何も万人受けをするような通俗的な演奏をするようになったわけではない。

むしろ、スコアリーディングについては深化したと言えるところであり、徹底したスコアの読み込みによって、楽想をあたかもレントゲンで撮影するかのように、楽想を精緻に描き出していくというアプローチ自体には何ら変わりがないところだ。

もっとも、かつては一切を排していた情感の豊かさが付加されたところであり、これがブーレーズの近年の演奏の円熟ぶりであり、はたまた魅力の一つであると言えるだろう。

本演奏においても、ブーレーズは徹底したスコアリーディングに基づいて楽想を精緻に描き出しているが、情感の豊かさにおいてもいささかも不足はなく、いい意味での剛柔バランスのとれた名演に仕上がっている点を高く評価したい。

なお、とある影響力のある高名な音楽評論家が本盤を徹底的にこき下ろしているが、かかる罵詈雑言に右顧左眄することなく、信用できるのは自分の耳だけであるということを肝に銘じておきたいものだ。

録音は従来盤でも十分に満足できる音質を誇っていたが、今般のSHM−CD化によって音質がより鮮明になるとともに、音場が幅広くなった。

ブーレーズによる円熟の名演を、SHM−CDによる鮮明な高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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2014年07月22日


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実に素晴らしい名演だ。

本盤に収められているのはベロフによる2度目のドビュッシーのピアノ作品全集の中から前奏曲集第2巻を軸として、「レントより遅く」や「英雄の子守歌」、「6つの古代碑銘小品」などの小品が収められているが、いずれ劣らぬ素晴らしい名演と高く評価したい。

かつてベロフは、EMIにドビュッシーのピアノ作品全集を録音しており、当該演奏も、ベロフの今日の名声をいささかも傷つけることがない名演と言えるところだ。

しかしながら、演奏の持つ内容の濃さ、そして楽曲の心眼に鋭く切り込んでいくような彫りの深さ、そして各楽想を描き出していくに際してのきめの細かさにおいて、2度目の全集の各ピアノ曲の演奏は断然優れていると評価し得ると言える。

こうした演奏の深化には、ベロフが、右手の故障を克服したことも大きく影響していると言えるのかもしれない。

それにしても、何と言う美しい演奏であろうか。

ドビュッシーのピアノ作品は、いかにも印象派とも言うべきフランス風の詩情溢れる豊かな情感、そして繊細とも言うべき色彩感などを含有しているが、ベロフはそれらを研ぎ澄まされたテクニックをベースとして、内容豊かに、そして格調の高さをいささかも失うことなく描き出している。

表情の変転なども巧みに行っており、加えて、演奏の端々から漂ってくるフランス風の瀟洒な味わいには抗し難い魅力に満ち溢れている。

研ぎ澄まされた感性と、ベロフ自身のアンテナで感じたドビュッシー像を見事に表現しており、ドビュッシーの夜の音楽を体験できる。

ドビュッシーのピアノ作品を得意としたピアニストには、ギーゼキングをはじめとして、フランソワ、ミケランジェリなどあまたの個性的なピアニストが存在している。

それらはいずれも個性的な超名演を展開しており、こうした個性的という点においては、ベロフの演奏はいささか弱い点があると言えるのかもしれない。

しかしながら、演奏内容の詩情豊かさ、彫りの深さといった点においては、ベロフによる演奏は、古今東西のピアニストによるドビュッシーのピアノ曲の名演の中でも、上位にランキングされる秀逸なものと評しても過言ではあるまい。

いずれにしても、本盤におさめられた諸曲の演奏は、まさにドビュッシーのピアノ曲演奏の理想像の具現化とも言うべき素晴らしい名演と高く評価したい。

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2014年07月07日


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1989年9月 サンフランシスコ、デーヴィス・シンフォニー・ホールに於ける録音で、ボレット最晩年にして、初のドビュッシーとなったもの。

キューバの名ピアニストで、リストやショパン、ラフマニノフなどの超絶技巧の名手として知られるホルヘ・ボレットが死の前年に残した ドビュッシーである。

ドビュッシーの全2巻・24曲ある前奏曲から16曲をピックアップして、独自の曲順で並び替え収録したアルバム。

こだわりのピアニストが愛用することで知られるベヒシュタインを使い、生涯に渡って美しい音色を追求した彼の魅力がたっぷり詰まった仕上がりになっている。

低音から高音、弱音から強音まで、ひたすら耳に心地良い美音が連続し、これほど美しい「前奏曲集」は他にないと言えるところであり、まさに宝石のような、精巧な工芸品を見るかのようだ。

このように書くと、表面的な演奏のように思われるかもしれないが、決してそのようなことはない。

旋律の歌わせ方、リズムの感覚など、実に惚れ惚れとする演奏で、これは全曲盤で残してほしかったと思わせる出来映えだ。

ドビュッシーの音楽はボレットの持ち味とされる19世紀的なグランド・マナーとは対極にあると言ってよいが、ドビュッシーの音楽での自らの新しい表現領域を開拓することに成功した。

ドビュッシーのリズムは予見される進行をしばしば離れるため、豊かでデリケートな情報をもたらす可能性があるが、彼はその可能性を実に綿密に検討しながら柔軟性に満ちた時間を生み出し、暖かい魅力をもった色彩感を醸し出している。

70歳を遥かに超えてなお毅然とした音楽をつくりあげるボレット。

美音を鳴り響かせ官能に耽溺することなく、節約された身振りの中に注意深く音が配置される。

この古典的なドビュッシーはムード音楽からは遠く隔たった場所に位置している。

「1回のレコーディングより100回のコンサートを行う方が良い」と語り、またレコーディングでもジャケットとタイを手放すことのなかったという気難しいボレットであったが、この16曲の選ばれたこの前奏曲集は、驚くほど明るい音色と、繊細なタッチで、ドビュッシーの音楽の持つ色彩感と柔らかさを表現している。

使用ピアノは、スタインウェイではなくボールドウィンSD-10(アラウも愛用していた)。

今はあまり使われない楽器だが、深い音色が特徴の「知る人ぞ知る」銘器である。

ボレットにとってはもしかしたら不本意な録音だったのかもしれないが、この詩情溢れた演奏には何も文句のつけようがない。

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2014年02月24日


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これは素晴らしい名演だ。

昨年は、リスト・イヤーを代表する、ピアノ・ソナタロ短調を軸とした圧倒的なリスト・アルバムを世に出して、健在ぶりをアピールしたエマールであるが、本盤に収められた演奏は、エマールが最も得意とするレパートリーとも言えるドビュッシーの前奏曲集であり、そもそも演奏が悪かろうはずがない。

既に、エマールはドビュッシーのピアノ曲を2002年に映像及び練習曲を録音しており、2005年の来日時には、全曲ではなかったものの前奏曲集からいくつかの楽曲を抜粋して、名演の数々を披露してくれたことは現在でも記憶に新しいところだ。

いずれにしても、本盤に収められたドビュッシーの前奏曲集は、エマールにとって、いわゆる録音としては、ドビュッシーのピアノ曲集を収めた2枚目のアルバムということになる。

得意の楽曲だけに、まさに満を持して世に問うたアルバムということができるだろう。

それにしても、何という見事な演奏であろうか。

各旋律の尋常ならざる心の込め方には出色のものがあり、加えて、どこをとってもフランス風のエスプリ漂う独特のセンスに満たされており、これぞフランス音楽の粋とも言うべき抗し難い魅力に満ち溢れている。

個性的という意味では申し分がないが、その解釈の様相としては古色蒼然と言ったものからは程遠く、常に現代的なセンスに満たされているが、決して恣意的なアプローチに陥るということはなく、あざとさをいささかも感じさせないのが見事である。

そうした抜群のセンスを維持した中での、思い切った強弱の変化やテンポの振幅を駆使した各楽曲の描き分けの巧みさも心憎いばかりであり、おそらくは現代のあらゆるピアニストによるドビュッシーのピアノ曲の演奏の中でも最高峰の一つに掲げるべき至高の高みに達している。

また、卓越した技巧と堅固な造型美は、エマールのフランス人離れした優れた美質とも言えるところであるが、前述のようなフランス風の洒落たセンスを聴かせるのにとどまらず、楽曲全体の造型美を重視した骨太の音楽づくりにおいてもいささかも不足はないところであり、これぞドビュッシーのピアノ曲演奏の理想像の具現化と評しても過言ではあるまい。

加えて、本盤には前奏曲集の第1巻と第2巻の全曲が収められているのも聴き手にとっては大変喜ばしいものであり、前述のような演奏の素晴らしさも相俟って、筆者としては、現代のピアニストによるドビュッシーの前奏曲集の録音の中では、最も優れた至高の超名演と評価したい。

音質も2012年のスタジオ録音であり、加えてピアノ曲との相性抜群のSHM−CDだけに、十分に満足できるものと言える。

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2014年02月14日


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フランス音楽の粋とも言うべきドビュッシーの牧神の午後への前奏曲、交響詩「海」、そしてラヴェルのボレロが収められているが、本盤の各楽曲の演奏は、そうしたフランス音楽ならではのエスプリ漂う瀟洒な味わいを期待する聴き手には全くおすすめできない演奏である。

本演奏にあるのは、オーケストラの卓抜した技量と機能美。

まさに、オーケストラ演奏の究極の魅力を兼ね備えていると言えるだろう。

このような演奏は、とある影響力の大きい某音楽評論家を筆頭に、ショルティを貶す識者からは、演奏が無機的であるとか、無内容であるとの誹りは十分に予測されるところである。

しかしながら、果たしてそのような評価が本演奏において妥当と言えるのであろうか。

本演奏におけるショルティのアプローチは、例によって強靭で正確無比なリズム感とメリハリの明晰さを旨とするもの。

このような演奏は、前述のようなフランス音楽らしい瀟洒な味わいを醸し出すには全くそぐわないが、印象派の大御所として繊細かつ透明感溢れるオーケストレーションを随所に施したドビュッシーや、管弦楽法の大家とも称されたラヴェルが作曲した各楽曲の諸楽想を明瞭に紐解き、それぞれの管弦楽曲の魅力をいささかの恣意性もなく、ダイレクトに聴き手に伝えることに成功している点は高く評価すべきではないだろうか。

そして、一部の音楽評論家が指摘しているような無内容、無機的な演奏ではいささかもなく、むしろ、各場面毎の描き分け(特に、交響詩「海」)や表情づけの巧みさにも際立ったものがあり、筆者としては、本演奏を貶す音楽評論家は、多分にショルティへの一方的な先入観と偏見によるのではないかとさえ思われるところである。

それにしても、我が国におけるショルティの評価は不当に低いと言わざるを得ない。

現在では、楽劇「ニーベルングの指環」以外の録音は殆ど忘れられた存在になりつつある。

これには、我が国の音楽評論家、とりわけ前述のとある影響力の大きい某音楽評論家が自著においてショルティを、ヴェルディのレクイエムなどを除いて事あるごとに酷評していることに大きく起因していると思われるが、かかる酷評を鵜呑みにして、例えば本演奏のような名演を一度も聴かないのはあまりにも勿体ない。

いずれにしても、本演奏は、ショルティ&シカゴ交響楽団という20世紀後半を代表する稀代の名コンビによる素晴らしい名演と高く評価したい。

そして、かかる名演が、今般のシングルレイヤーによるSACD&SHM−CDによって、ショルティの本演奏へのアプローチがより鮮明に再現されることになったのは極めて意義が大きい。

とりわけ牧神の午後への前奏曲における類稀なるフルートソロが鮮明に再現されていることや、ボレロにおける各楽器セクションが明瞭に分離して聴こえるのは殆ど驚異的ですらある。

いずれにしても、ショルティ&シカゴ交響楽団による素晴らしい名演を、現在望みうる最高の高音質SACDで味わうことができるのを大いに喜びたい。

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2014年02月08日


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ハイティンクほど、評価が分かれる指揮者はいないのではないだろうか。

ハイティンクのアプローチは誠実そのものであり、奇を衒った演奏を行うことは皆無であり、曲想を丁寧に愚直に描き出していくのを旨としている。

したがって、聴き手によっては、楽曲の魅力を安定した気持ちで満喫することができるということで評価する人もいるであろうし、他方では、そうした演奏を没個性的であると批判する人もいると思われる。

筆者としては、いずれの意見にも一理あると考えているが、楽曲によって向き不向きがあると言えるのではないだろうか。

例えば、マーラーのような交響曲については、ハイティンクの演奏では物足りないと感じることが多々あるが、他方、ブルックナーの交響曲については、これも曲によって良し悪しはあるが、総体としては、マーラーよりは出来がいい演奏を成し遂げているように思われる。

多くの評論家が賞賛しているショスタコーヴィチの交響曲についても、楽曲によって向き不向きがあるようで、例えば第4番はいかにも踏む込み不足が露呈した演奏に陥っているように思うが、第13番は彫りの深い素晴らしい名演に仕上がっている。

ハイティンクは、長年にわたって、ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団の芸術監督を務めたことから、どちらかと言うと、同オーケストラを指揮した時の方が、名演になることが多いとも言えるのかもしれない。

実際に、前述のショスタコーヴィチの第4番はロンドン・フィルとの演奏であるのに対して、第13番はコンセルトへボウ管との演奏でもあるのだ。

それはさておき、本盤のドビュッシーの演奏においても、ハイティンクのアプローチは何ら変わるものではない。

自我を抑制し、ひたすら曲想を丁寧に愚直に描き出していくというものだ。

したがって、ドビュッシーの音楽の魅力をゆったりとした気持ちで味わうことができるという意味においては、素晴らしい名演と評価してもいいのではないかと考える。

特に、当時のコンセルトへボウ管の各奏者は卓越した技量を誇っており、そうした圧巻の技量とともに、北ヨーロッパの楽団ならではの幾分くすんだいぶし銀の響きが味わえるのも本演奏の大きな魅力の一つである。

さらには、SACDによる究極の超高音質によって、本名演を味わうことができることを大いに喜びたい。

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2014年01月06日


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実に素晴らしい名演だ。

本盤に収められているのはベロフによる2度目のドビュッシーのピアノ作品全集の中から「12の練習曲」を軸として、「見つけ出された練習曲」、「エレジー」、「アルバムの頁」などの小品が収められているが、いずれ劣らぬ素晴らしい名演と高く評価したい。

かつてベロフは、EMIにドビュッシーのピアノ作品全集を録音しており、当該演奏も、ベロフの今日の名声をいささかも傷つけることがない名演と言えるところだ。

しかしながら、演奏の持つ内容の濃さ、そして楽曲の心眼に鋭く切り込んでいくような彫りの深さ、そして各楽想を描き出していくに際してのきめの細かさにおいて、2度目の全集の各ピアノ曲の演奏は断然優れていると評価し得ると言える。

こうした演奏の深化には、ベロフが、右手の故障を克服したことも大きく影響していると言えるのかもしれない。

それにしても、何と言う美しい演奏であろうか。

ドビュッシーのピアノ作品は、いかにも印象派とも言うべきフランス風の詩情溢れる豊かな情感、そして繊細とも言うべき色彩感などを含有しているが、ベロフはそれらを研ぎ澄まされたテクニックをベースとして、内容豊かに、そして格調の高さをいささかも失うことなく描き出している。

表情の変転なども巧みに行っており、加えて、演奏の端々から漂ってくるフランス風の瀟洒な味わいには抗し難い魅力に満ち溢れている。

ドビュッシーのピアノ作品を得意としたピアニストには、ギーゼキングをはじめとして、フランソワ、ミケランジェリなどあまたの個性的なピアニストが存在している。

それらはいずれも個性的な超名演を展開しており、こうした個性的という点においては、ベロフの演奏はいささか弱い点があると言えるのかもしれない。

しかしながら、演奏内容の詩情豊かさ、彫りの深さと言った点においては、ベロフによる演奏は、古今東西のピアニストによるドビュッシーのピアノ曲の名演の中でも、上位にランキングされる秀逸なものと評しても過言ではあるまい。

いずれにしても、本盤に収められた諸曲の演奏は、まさにドビュッシーのピアノ曲演奏の理想像の具現化とも言うべき素晴らしい名演と高く評価したい。

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2013年11月24日


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きわめて個性的な指揮法から、端正ながらも巧みな音楽作りを得意としたヤコフ・クライツベルクが、2003年から音楽監督をしていたオランダ・フィルハーモニー管弦楽団を振ったフランス音楽集。

フルートが活躍する作品を選んだようで、ドビュッシーの「牧神の午後への前奏曲」やラヴェルの「ダフニスとクロエ」第2組曲やフォーレの「ペレアスとメリザンド」組曲などが収められている。

「ボレロ」以外は比較的穏やかな音楽を選曲しているが、どの曲もクライツベルクが、北ヨーロッパのオーケストラならではのややくすんだ音色で、フランス風のエスプリに満ち溢れた演奏というよりも、むしろがっしりとしたゆるぎない造型の下、ドイツ音楽風の渋く、かつ重厚な演奏を繰り広げている。

ロシアの指揮者がフランス物というと、どうも色眼鏡で見られてしまうようであるが、もともと本場物というものを余り信用しない筆者は、クライツベルク生前の来日公演の評判がよかったこともあって、興味を持っていたのだ。

そしてその結果はまさに筆者好みでとてもうれしく思った。

したがって、フランス音楽としてはやや異色の演奏とも言えるが、筆者としては、クライツベルクのドイツ音楽風の個性的なアプローチには、新鮮な魅力を大いに感じる。

全く聴いていて安心感のある運びで、エキセントリックなことをやって話題を攫おうなどという山っ気はない本格派の演奏で、こうした演奏でこそこうした作品は生きてくるのだと思う。

しかしクライツベルクは、2011年3月15日、長年治療していた癌の容態が急変し、モナコ公国のモンテカルロにて51歳という若さで死去してしまった。

兄であるセミヨン・ビシュコフのその時の心境はいかばかりであっただろうか。

だからこそ尚更、早世したクライツベルクによる素晴らしい遺産を、SACDによる極上の高音質で味わうことができる喜びを大いに噛み締めたい。

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2013年10月02日


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カラヤン&ベルリン・フィルの全盛時代の演奏の凄さを満喫することが可能な名CDである。

ドビュッシーの交響詩「海」、牧神の午後への前奏曲に、ラヴェルのボレロという組み合わせは、まさにカラヤンが深い愛着を有した楽曲であるとともに、十八番としていた楽曲である。

カラヤンは、こうしたお気に入りの楽曲については何度も録音を繰り返したことで知られているが、交響詩「海」については、フィルハーモニア管弦楽団との演奏(1953年)のほか、ベルリン・フィルとともに1964年、1977年(本盤)、1985年の4種類の録音、牧神の午後への前奏曲については、ベルリン・フィルとともに1964年、1977年(本盤)、1985年の3種類の録音(フルートソロはいずれもツェラーであるが、何故にカラヤンがツェラーに拘ったのかは興味深いところだ)、ラヴェルのボレロについては、ベルリン・フィルとともに1966年、1977年(本盤)、1986年の3種類の録音を遺している。

そして、これら複数の録音がそれぞれの楽曲にある中で、3曲ともにカラヤンの個性が全開のベストの名演は、紛れもなく本盤に収められた1977年の演奏である。

というのも、この当時のカラヤン&ベルリン・フィルの演奏は全盛期を迎えるとともに、この黄金コンビが蜜月状態にあったからだ。

分厚い弦楽合奏、ブリリアントなブラスセクションの響き、桁外れのテクニックと美音を振り撒く木管楽器群、雷鳴のようなティンパニなどが融合し、一糸乱れぬ鉄壁のアンサンブルを駆使した圧倒的な音のドラマとも言うべき演奏の数々を行っていた。

カラヤンは、流麗なレガートを施すことによって曲想を徹底して磨き抜いており、こうして磨き抜かれたベルリン・フィルの美しい音色は、いわゆるカラヤン・サウンドとも称されていた。

本盤の3曲の演奏においても、こうしたカラヤン・サウンドに満たされており、いわゆる音のドラマという観点からすれば、本盤に収められた3曲の演奏は、それぞれの楽曲の演奏史上でも最高の超名演と評価したい。

とりわけ、牧神の午後への前奏曲については、その官能的な内容から、一部の識者からは、フランスにおける「トリスタンとイゾルデ」と称されている傑作である。

そして、カラヤンの演奏ほどに、フランスにおける「トリスタンとイゾルデ」を感じさせてくれる演奏は他に存在しないのではないかと感じられる。

いずれにしても、本演奏は、生涯にわたって、ワーグナーの楽劇「トリスタンとイゾルデ」を愛し続けた(録音運には恵まれなかった)カラヤンならではの、ドイツ風の重厚な音色の中にも、同曲が有する官能性を極限に至るまで描き抜いた至高の名演に仕上がっていると高く評価したい。

ツェラーによるジャーマンフルートの音色も抗し難い美しさに満ち溢れている。

音質については、従来CD盤が今一つ冴えない音質であり、しかも長らくリマスタリングなどもなされないという嘆かわしい状況にあったところだ。

ところが、今般、ついに待望のSACD化が行われることによって、見違えるような鮮明な音質に生まれ変わった。

音質の鮮明さ、音場の幅広さ、そして音圧のいずれをとっても一級品の仕上がりであり、あらためてSACDの潜在能力の高さを思い知った次第である。

いずれにしても、カラヤン&ベルリン・フィルによる全盛期の圧倒的な超名演を、SACDによる高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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2013年09月30日


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稀代のドビュッシーのピアノ曲の演奏家として知られたワルター・ギーゼキングであるが、遺された録音がモノラル録音であったこともあって、どうしてもその後の様々なピアニストによる演奏と比較すると、必ずしも絶対的な地位を確立していたとは言い難い状況にあったところだ。

そのようなギーゼキングの代表的な名演とも言うべきドビュッシーのピアノ曲の一連のスタジオ録音が、EMIによってついにSACD化されることになったというのは、何と言う素晴らしいことであろうか。

ギーゼキングによるドビュッシーのピアノ曲の演奏は、特別な個性を発揮したり、はたまた奇を衒った解釈を施したりするということは薬にしたくもなく、緻密なスコアリーディングに基づき、曲想を精緻に、そして丁寧に描き出していくという、ある意味ではオーソドックスなアプローチに徹したものと言える。

卓越したテクニックにも出色のものがあると言えるものの、モノラル録音ということも多分にあるとは思うが、素っ気なささえ感じさせるところもあり、即物的な演奏とさえ言えるところだ。

しかしながら、一聴すると淡々と流れていく各旋律の端々には、独特の細やかなニュアンスやフランス風のエスプリ漂う豊かな情感に満ち溢れており、決して無機的な演奏には陥っていない。

そして、ギーゼキングの演奏で素晴らしいのは、1950年代の演奏であるにもかかわらず、いささかも古臭さを感じさせるということがなく、むしろ、その演奏は清新さに溢れていると言えるところであり、その気高い格調の高さにおいても卓抜としたものがあったと言えるだろう。

ドビュッシーのピアノ曲を得意とするピアニストは、その後数多く誕生しているが、それらのピアニストによる数々の名演を耳にした上で、ギーゼキングによる本演奏を聴いても、録音の古さは感じても、演奏内容自体には違和感など全く感じさせず、むしろ新鮮味さえ感じさせるというのは殆ど驚異的ですらある。

本盤に収められた「練習曲集」をはじめとした各種のピアノ作品についても、前述のようなギーゼキングによる芸風が見事にあらわれた名演と言えるところであり、まさに古くて新しい、現代においてもドビュッシーのピアノ作品演奏の規範とも言うべき至高の名演と高く評価したい。

このように、ギーゼキングによるドビュッシーのピアノ作品の演奏は、演奏自体は素晴らしいが、モノラル録音というハンディもあって、その音質は、従来CD盤では鮮明さに欠ける音質であり、時として音が歪んだり、はたまた団子のような音になるという欠点が散見されたところであった。

ところが、今般、ついに待望のSACD化が行われることによって大変驚いた。

従来CD盤とは次元が異なる見違えるような、そして1950年代前半のモノラル録音とは到底信じられないような鮮明な音質に生まれ変わった。

ギーゼキングのピアノタッチが鮮明に再現されるのは殆ど驚異的であり、あらためてSACDの潜在能力の高さを思い知った次第である。

いずれにしても、ギーゼキングによる至高の名演を、SACDによる高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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これまでは、モノラル録音ということもあって、最新録音によるドビュッシーのピアノ曲の演奏と比較すると分が悪かったワルター・ギーゼキングの代表的な名演とも言うべきドビュッシーのピアノ曲の一連のスタジオ録音が、EMIによってついにSACD化されることになったというのは、何と言う素晴らしいことであろうか。

ギーゼキングによるドビュッシーのピアノ曲の演奏は、特別な個性を発揮したり、はたまた奇を衒った解釈を施したりするということは薬にしたくもなく、緻密なスコアリーディングに基づき、曲想を精緻に、そして丁寧に描き出していくという、ある意味ではオーソドックスなアプローチに徹したものだ。

卓越したテクニックにも出色のものがあると言えるものの、モノラル録音ということも多分にあるとは思うが、素っ気なささえ感じさせるところもあり、即物的な演奏とさえ言えるところだ。

しかしながら、一聴すると淡々と流れていく各旋律の端々には、独特の細やかなニュアンスやフランス風のエスプリ漂う豊かな情感に満ち溢れており、決して無機的な演奏には陥っていない。

そして、ギーゼキングの演奏で素晴らしいのは、1950年代の演奏であるにもかかわらず、いささかも古臭さを感じさせるということがなく、むしろ、その演奏は清新さに溢れていると言えるところであり、その気高い格調の高さにおいても卓抜としたものがあったと言えるだろう。

ドビュッシーのピアノ曲を得意とするピアニストは、その後数多く誕生しているが、それらのピアニストによる数々の名演を耳にした上で、ギーゼキングによる本演奏を聴いても、録音の古さは感じても、演奏内容自体には違和感など全く感じさせず、むしろ新鮮味さえ感じさせるというのは殆ど驚異的ですらある。

本盤に収められた「映像」をはじめとした各種のピアノ作品についても、前述のようなギーゼキングによる芸風が見事にあらわれた名演と言えるところであり、まさに古くて新しい、現代においてもドビュッシーのピアノ作品演奏の規範とも言うべき至高の名演と高く評価したい。

このように、ギーゼキングによるドビュッシーのピアノ作品の演奏は、演奏自体は素晴らしいが、モノラル録音というハンディもあって、その音質は、従来CD盤では鮮明さに欠ける音質であり、時として音が歪んだり、はたまた団子のような音になるという欠点が散見されたところであった。

ところが、今般、ついに待望のSACD化が行われることによって大変驚いた。

従来CD盤とは次元が異なる見違えるような、そして1950年代前半のモノラル録音とは到底信じられないような鮮明な音質に生まれ変わった。

ギーゼキングのピアノタッチが鮮明に再現されるのは殆ど驚異的であり、あらためてSACDの潜在能力の高さを思い知った次第である。

いずれにしても、ギーゼキングによる至高の名演を、SACDによる高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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ワルター・ギーゼキングによるドビュッシーのピアノ曲の演奏はやはり素晴らしい。

そうしたギーゼキング代表的な名演とも言うべきドビュッシーのピアノ曲の一連のスタジオ録音が、EMIによってついにSACD化されることになったというのは、何と言う素晴らしいことであろうか。

ギーゼキングによるドビュッシーのピアノ曲の演奏は、特別な個性を発揮したり、はたまた奇を衒った解釈を施したりするということは薬にしたくもなく、緻密なスコアリーディングに基づき、曲想を精緻に、そして丁寧に描き出していくという、ある意味ではオーソドックスなアプローチに徹したものと言える。

卓越したテクニックにも出色のものがあると言えるものの、モノラル録音ということも多分にあるとは思うが、素っ気なささえ感じさせるところもあり、即物的な演奏とさえ言えるところだ。

しかしながら、一聴すると淡々と流れていく各旋律の端々には、独特の細やかなニュアンスやフランス風のエスプリ漂う豊かな情感に満ち溢れており、決して無機的な演奏には陥っていないと。

そして、ギーゼキングの演奏で素晴らしいのは、1950年代の演奏であるにもかかわらず、いささかも古臭さを感じさせるということがなく、むしろ、その演奏は清新さに溢れていると言えるところであり、その気高い格調の高さにおいても卓抜としたものがあったと言えるだろう。

ドビュッシーのピアノ曲を得意とするピアニストは、その後数多く誕生しているが、それらのピアニストによる数々の名演を耳にした上で、ギーゼキングによる本演奏を聴いても、録音の古さは感じても、演奏内容自体には違和感など全く感じさせず、むしろ新鮮味さえ感じさせるというのは殆ど驚異的ですらある。

本盤に収められた有名な「ベルガマスク組曲」や「子供の領分」、「アラベスク」、「夢」なども、前述のようなギーゼキングによる芸風が見事にあらわれた名演と言えるところであり、まさに古くて新しい、現代においてもドビュッシーのピアノ作品演奏の規範とも言うべき至高の名演と高く評価したい。

このように、ギーゼキングによるドビュッシーのピアノ作品の演奏は、演奏自体は素晴らしいが、モノラル録音というハンディもあって、その音質は、従来CD盤では鮮明さに欠ける音質であり、時として音が歪んだり、はたまた団子のような音になるという欠点が散見されたところであった。

ところが、今般、ついに待望のSACD化が行われることによって大変驚いた。

従来CD盤とは次元が異なる見違えるような、そして1950年代前半のモノラル録音とは到底信じられないような鮮明な音質に生まれ変わった。

ギーゼキングのピアノタッチが鮮明に再現されるのは殆ど驚異的であり、あらためてSACDの潜在能力の高さを思い知った次第である。

いずれにしても、ギーゼキングによる至高の名演を、SACDによる高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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ワルター・ギーゼキングの代表的な名演とも言うべきドビュッシーのピアノ曲の一連のスタジオ録音が、EMIによってついにSACD化されることになったというのは、何と言う素晴らしいことであろうか。

ギーゼキングによるドビュッシーのピアノ曲の演奏は、特別な個性を発揮したり、はたまた奇を衒った解釈を施したりするということは薬にしたくもなく、緻密なスコアリーディングに基づき、曲想を精緻に、そして丁寧に描き出していくという、ある意味ではオーソドックスなアプローチに徹したものと言える。

卓越したテクニックにも出色のものがあると言えるものの、モノラル録音ということも多分にあるとは思うが、素っ気なささえ感じさせるところもあり、即物的な演奏とさえ言えるところだ。

しかしながら、一聴すると淡々と流れていく各旋律の端々には、独特の細やかなニュアンスやフランス風のエスプリ漂う豊かな情感に満ち溢れており、決して無機的な演奏には陥っていない。

そして、ギーゼキングの演奏で素晴らしいのは、1950年代の演奏であるにもかかわらず、いささかも古臭さを感じさせるということがなく、むしろ、その演奏は清新さに溢れていると言えるところであり、その気高い格調の高さにおいても卓抜としたものがあったと言えるだろう。

ドビュッシーのピアノ曲を得意とするピアニストは、その後数多く誕生しているが、それらのピアニストによる数々の名演を耳にした上で、ギーゼキングによる本演奏を聴いても、録音の古さは感じても、演奏内容自体には違和感など全く感じさせず、むしろ新鮮味さえ感じさせるというのは殆ど驚異的ですらある。

本盤に収められた「前奏曲集」も、前述のようなギーゼキングによる芸風が見事にあらわれた名演と言えるところであり、まさに古くて新しい、現代においてもドビュッシーのピアノ作品演奏の規範とも言うべき至高の名演と高く評価したい。

このように、ギーゼキングによるドビュッシーのピアノ作品の演奏は、演奏自体は素晴らしいが、モノラル録音というハンディもあって、その音質は、従来CD盤では鮮明さに欠ける音質であり、時として音が歪んだり、はたまた団子のような音になるという欠点が散見されたところであった。

ところが、今般、ついに待望のSACD化が行われることによって大変驚いた。

もちろん、最新録音のようにはいかないが、従来CD盤とは次元が異なる見違えるような、そして1950年代前半のモノラル録音とは信じられないような鮮明な音質に生まれ変わった。

いずれにしても、ギーゼキングによる至高の名演を、SACDによる比較的良好な高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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2013年09月29日


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本盤に収められたドビュッシーのピアノ作品集は、最晩年のフランソワが成し遂げた不朽の名盤である。

フランソワの急死によって全集完成に漕ぎ着けることができなかったのは残念ではあるが、それでも本演奏の素晴らしさにいささかの揺らぎが生じるものではない。

ドビュッシーのピアノ曲の名演を成し遂げたピアニストは、これまで多く存在しているが、その中でもサンソン・フランソワの演奏は、個性的という意味においては最右翼に掲げられるべきものと言えるのではないだろうか。

いわゆる崩した弾き方とも言えるものであり、あくの強さが際立った演奏とも言える。

それ故に、コンクール至上主義が横行している現代においては、おそらくは許されざる演奏であり、ドビュッシーのピアノ曲を得意としたギーゼキングによる演奏のように、オーソドックスなアプローチによる名演とは大きく異なり、安心して楽曲の魅力を満喫することが可能な演奏ではなく、あまりの個性的なアプローチ故に、聴き手によっては好き嫌いが分かれる演奏とも言えなくもないが、その演奏の芸術性の高さには無類のものがあると言っても過言ではあるまい。

フランソワは、もちろん卓越した技量を持ち合わせていたが、いささかも技巧臭を感じさせることはなく、その演奏は、即興的で自由奔放とさえ言えるものだ。

テンポの緩急や時として大胆に駆使される猛烈なアッチェレランド、思い切った強弱の変化など、考え得るすべての表現を活用することによって、独特の個性的な演奏を行っている。

各旋律の心を込め抜いた歌い方にも尋常ならざるものがあるが、それでいて、陳腐なロマンティシズムに陥ることなく、常に高踏的な芸術性を失うことがないのが見事であると言えるだろう。

また、一聴すると自由奔放に弾いているように聴こえる各旋律の端々には、フランス人ピアニストならではの瀟洒な味わいに満ち溢れたフランス風のエスプリ漂う情感が込められており、そのセンス満点の味わい深さには抗し難い魅力に満ち溢れているところだ。

本盤に収められたドビュッシーのピアノ作品集も、まさにセンスの塊とも言うべき名演奏であり、自己主張をコントロールして全体を無難に纏めようなどという考えは毛頭なく、前述のように、強烈な個性という意味においては、フランソワによる本演奏の右に出る演奏は存在しないと言っても過言ではあるまい。

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2013年08月25日


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驚天動地の名演だ。

名演の前に超をいくつか付け加えてもいいのかもしれない。

それくらい、弦楽四重奏曲の通例の演奏様式の常識を覆すような衝撃的な解釈、アプローチを示している。

アルカント弦楽四重奏団は、以前にもバルトークの弦楽四重奏曲の超名演を成し遂げているが、本盤の衝撃は、その比ではない。

ドビュッシーとラヴェルの有名な弦楽四重奏曲の間に、デュティユーの弦楽四重奏曲をカップリングするという選曲のセンスの良さも光るが、この有名曲であるドビュッシー、ラヴェルの弦楽四重奏曲が含有する作品の内面への追求が尋常ではない。

ダイナミックレンジの桁外れの幅の広さや、極端とも言うべき緩急自在のテンポの変化を駆使して、ひたすら作品の内実に迫っていくアプローチには、ただただ頭を垂れるのみ。

それでいて、例えばラヴェルの第3楽章などに見られる情感豊かさは、筆舌には尽くしがたい美しさを誇っている。

デュティユーの各楽章(部と言ってもいいのかもしれない)毎の思い切った描き分けは、難解とも言える同曲の本質を聴者に知らしめるという意味において、これ以上は求め得ないような理想的な演奏を行っている。

それにしても、これらの各楽曲の演奏における4人の奏者の鉄壁のアンサンブルは、何と表現していいのであろうか。

それぞれが若手奏者であるにもかかわらず、単なる技術偏重には陥らず、常に作品の内面を抉り出そうと言う真摯な姿勢には深い感銘を覚えるとともに、この団体の今後の更なる発展を予見させるものと言えよう。

録音も素晴らしい。

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2013年08月24日


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ドビュッシーの有名な管弦楽曲を収めたCDであるが、いずれも素晴らしい名演と高く評価したい。

パーヴォ・ヤルヴィは、父ネーメ・ヤルヴィ譲りのきわめて広範なレパートリーを誇っている指揮者であるが、決して粗製濫造には陥らず、多種多様な楽曲のいずれについても水準の高い演奏を繰り広げているというのは、類稀なる才能の証左であると言えるところであり、現代における最も注目すべき指揮者との評価もあながち言い過ぎではないと思われる。

ドビュッシーの管弦楽曲については、フランス印象派を代表する楽曲であるだけに、マルティノン、アンセルメ、近年ではデュトワなどのフランス系の指揮者によるフランス風のエスプリに満ち溢れた瀟洒な味わいがある名演がもてはやされてきた。

また、フランス風とドイツ風を融合させたカラヤンによる重厚な名演や、豊かな歌謡性を全面に打ち出したアバドやジュリーニによる名演もあった。

これら海千山千の指揮者による個性的な名演と比較すると、パーヴォ・ヤルヴィの演奏には、聴き手を驚かせるような特別な個性があるというわけではない。

では、没個性的な演奏かというと、決してそのようなことがないのである。

ここでのパーヴォ・ヤルヴィのアプローチは、例によって精緻で丁寧に曲想を描き出していくというものである。

恣意的な解釈はいささかもなく、音楽も滔々と流れていくが、どこをとっても情感の豊かさを失っていないのが素晴らしい。

このように、持ち前の豊かな音楽性を発揮し、いわゆる自然体のアプローチを施すことによって、ドビュッシーの印象派ならではの精緻にして色彩感豊かなオーケストレーションの魅力をダイレクトに満喫することができるのが、何よりも本名演の最大の長所と言っても過言ではあるまい。

要は、聴き手がゆったりとした気持ちで音楽自体の素晴らしさを味わうことができるということであり、その意味では、本名演は、過去のいかなる名演にも決して劣っていないものと考える。

さらに、本盤が優れているのは、マルチチャンネル付きのSACDによる極上の高音質録音であり、ドビュッシーの精緻にして色彩感豊かなオーケストレーションを鮮明な音質で味わうことができることを大いに喜びたい。

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2013年07月11日


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ミュンシュの指揮による、いわゆるフランス印象派の作曲家であるドビュッシーやラヴェルの管弦楽曲の演奏については、賛否両論があるのではないだろうか。

ミュンシュはフランス人ではあるが、フランス領でありながらドイツ語圏でもあるストラスブールの出身であり、フランス音楽だけでなくドイツ音楽を得意とする指揮者であった。

それ故に、ミュンシュが指揮するフランス音楽は、どちらかと言えば、ドイツ風の重厚さが支配していると言えるところであり、フランス風のエスプリに満ち溢れた瀟洒な味わいにおいてはいささか欠ける演奏が多いというのは否めない事実である。

したがって、ラヴェルの管弦楽曲であれば、先輩のモントゥーや後輩のクリュイタンス、デュトワによる演奏の方がはるかに魅力的であるし、ドビュッシーの管弦楽曲であれば、後輩のマルティノン、デュトワによる演奏の方に軍配があがると言えるのではないだろうか。

もちろん、いずれも高い次元での比較の問題であり、ミュンシュの指揮したドビュッシーやラヴェルの管弦楽曲の演奏も、そんじょそこらの指揮者の演奏などと比較すると十分に魅力的であることは指摘しておかなければならない。

本盤に収められた交響詩「海」のこれまでの既発売の録音としては、スタジオ録音としては手兵ボストン交響楽団との1956年盤、ライヴ録音としては、2年前に発売され話題を独占したパリ管弦楽団との1967年盤が掲げられる。

本盤の演奏は、後者の1967年盤に次ぐ名演として高く評価したい。

前述のようにドイツ音楽を得意とした巨匠だけに、まずは全体の造型がきわめて堅固である。

そして、3つの場面の描写が実に巧みで、加えて、ライヴにおける燃焼度の高い圧倒的な生命力が全体を支配している。

特に、「風と海の対話」における畳み掛けていくような気迫溢れる演奏は圧巻の迫力を誇っている。

ピストンの交響曲第6番は、現代音楽でありながら非常に親しみやすい旋律が満載の魅力作であるが、ミュンシュは曲想を非常に丁寧に描き出しており、明瞭かつ快活な名演に仕上がっているのが素晴らしい。

バーバーの「メディアの瞑想と復讐の踊り」やベルリオーズのラコッツィ行進曲は、ライヴにおいて燃え上がるミュンシュの面目躍如たる生命力に満ち溢れた圧倒的な名演だ。

さらに凄いというか、異色の演奏は冒頭の君が代だ。

君が代をフランス風にアレンジしたような、いささか場違いな演奏ではあるが、芸術的な面白みにおいては無類のものがあると言えよう。

ミュンシュの薫陶を受けたボストン交響楽団も、その圧倒的な統率の下、最高のパフォーマンスを披露してくれているのが見事である。

録音も、1960年のものとは思えないような鮮明で素晴らしい高音質だ。

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2013年07月09日


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ゲルギエフ&ロンドン交響楽団の近年における進境の著しさを表す1枚だ。

この黄金コンビのドビュッシーも、至高の名演と高く評価したい。

このドビュッシーも、その極上の最優秀録音についてまずは指摘をしておきたい。

ドビュッシーの管弦楽曲は、フランス印象派ならではの精緻にして繊細であり、なおかつ光彩陸離たるオーケストレーションが満載であり、これを完璧に再現するためには、録音が鮮明であることが必要不可欠である。

マルチチャンネル付きのSACDであれば、なおさら理想的な音質であると言えるところであり、本盤も、そうした臨場感溢れる極上の高音質録音によって、ドビュッシーの管弦楽曲における魅力的なオーケストレーションを大いに満喫することができるのが何よりも素晴らしい。

ゲルギエフは、ヴァイオリンの両翼型配置を採用しているとのことであるが、各ソロ奏者の卓抜した技量も含め、オーケストラを構成する各奏者の位置関係を明瞭に聴き取ることが可能であるというのは、まさにドビュッシーの管弦楽曲を鑑賞する醍醐味があると思う。

演奏も、前述のように素晴らしい名演だ。

交響詩「海」は、オペラにおいても数々の名演を成し遂げてきたゲルギエフならではの演出巧者ぶりが際立っており、3つの場面の描き分けはきわめて秀逸である。

特に、「風と海の対話」における畳み掛けていくような気迫溢れる力強さは、圧倒的な迫力を誇っている。

バレエ音楽「遊戯」は、チャイコフスキーやプロコフィエフ、ストラヴィンスキーのバレエ音楽でも数々の名演を成し遂げてきたゲルギエフならではの色彩豊かで、切れ味鋭いリズムが魅力のセンス満点の名演だ。

そして、牧神の午後への前奏曲は、同曲が持つ官能的な美しさを極限まで表現し得た稀有の名演と高く評価したい。

ゲルギエフの統率の下、最高のパフォーマンスを発揮しているロンドン交響楽団の卓越した技量も見事であり、特に、牧神の午後への前奏曲のフルートの美しさには、抗し難い魅力に満ち溢れている。

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2013年05月18日


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ミュンシュはフランス人ではあるが、ドイツ語圏のストラスブール出身であることから、ドイツ音楽にも数々の名演を成し遂げている大指揮者であった。

したがって、フランス音楽なども数多く録音しているが、ベルリオーズの幻想交響曲などは別格として、とりわけフランス印象派とも称されるドビュッシーやラヴェルの演奏については、モントゥーやアンセルメ、パレー、クリュイタンス、マルティノン、そして近年のデュトワなどの名演と比較すると、一歩譲ると言わざるを得ないのではないだろうか。

したがって、本盤におさめられたドビュッシーの交響詩「海」にしても、イベールの「寄港地」にしても、前述の指揮者によるフランス風のエスプリ漂う瀟洒な味わいに満ち溢れた名演と比較して云々するのは容易なことであると言えるだろう。

確かに、本演奏においては、かかる瀟洒な味わいにおいては、前述の指揮者による名演には一歩も二歩も譲っていると言えるのかもしれない。

しかしながら、楽曲全体の堅固な造型や、各場面の巧みな描き分けにおいては、むしろ本演奏の方が優れている面もあると言えるところであり、とりわけ各曲の頂点に向けて畳み掛けていくような気迫溢れる力強さや迫力においては、他の追随を許さない名演と高く評価したい。

ボストン交響楽団の圧倒的な技量も、本名演に大きく貢献しているのを忘れてはならない。

なお、交響詩「海」については、一昨年にアルトゥスからパリ管弦楽団とのライヴ録音(1967年)が発売され、それが壮絶な超名演であったこともあって、本スタジオ録音の価値は著しく減じることにはなったが、それでも名演の評価にはいささかも変わりがないものと考えている。

そして、さらに本盤が素晴らしいのは、XRCDによる極上の高音質であろう。

今般のXRCD化によって、今から50年以上も前の録音とは信じられないような鮮度の高い音質に生まれ変わったと言える。

ミュンシュによる至高の名演を、XRCDによる高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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本盤にはドビュッシーの管弦楽のための「映像」のみが収められている。

所要時間は全体で30分程度。

通常CDではとても考えられないような収録曲の少なさ、そして収録時間の短さと言えるであろう。

しかしながら、本盤の驚天動地の素晴らしい高音質を聴くと、そうした収録曲の少なさや収録時間の短さについてもある程度は納得することが可能である。

本演奏は、今から50年以上も前のスタジオ録音であるが、今般のXRCD化によって、最新録音にも比肩し得るような鮮度の高い音質に生まれ変わったと言えるところである。

ドビュッシーの管弦楽曲に特有の色彩豊かなオーケストレーションが鮮明に再現され、しかも、弦楽器と管楽器や、更には各管楽器セクションが明瞭に分離して聴こえるようになったというのは、殆ど驚異的ですらあると言えるところであり、あらためてXRCDの潜在能力の高さを思い知らされた次第である。

演奏内容も素晴らしい名演と高く評価したい。

同曲の他の指揮者による名演、例えば、マルティノンや、近年のデュトワによるフランス風のエスプリ漂う瀟洒な味わいに満ち溢れた同曲の名演を聴いていると、本演奏の方はいささか分が悪いとも言えるが、各曲の頂点に向けて畳み掛けていくような力強さやここぞという時の豪快な迫力、灼熱のように燃え上がる演奏における燃焼度の高さにおいては、他のいかなる演奏よりも優れていると言えるのではないだろうか。

また、ボストン交響楽団の卓越した技量も特筆すべきものであり、本名演を聴いていると、ミュンシュ時代のボストン交響楽団がいかに桁外れの実力を有したスーパーオーケストラであったのかを窺い知ることができるところである。

いずれにしても、ミュンシュ&ボストン交響楽団の黄金コンビが成し遂げた至高の超名演を、極上の高音質であるXRCDで味わうことができるのを大いに喜びたい。

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2013年01月09日


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腕を故障(現在はカムバックした)する前の、ベロフ若き日の先鋭なドビュッシー。

べロフは、天性のドビュッシー演奏家だと思う。

本盤も、そうしたドビュッシー演奏家としての面目躍如たる素晴らしい名演と高く評価したい。

べロフのドビュッシーは、例えばギーゼキングのような即物的なアプローチをしているわけではない。

フランソワのように、個性的なアプローチを示してくれるわけでもない。

あるいは、ミケランジェリのように、切れ味鋭いタッチを披露してくれるわけでもない。

こうしたドビュッシーを得意とした個性的な先人たちと比較すると、オーソドックスとも言えるアプローチを行っていると言える。

それでいて、これぞドビュッシーとも言うべき独特の深みのある芸術を構築してくれるのだから、現代におけるべロフのドビュッシー演奏家としての確固たる位置づけが十分に伺い知ることができる。

オーソドックスと表現したが、それは没個性的という意味ではない。

有名な「月の光」や「夢」などにおける情感溢れる抒情的表情や、舞曲におけるリズミカルな力強い打鍵など、表現の幅の広さも見事であり、随所に漂うフランス風のエスプリは、全体的な音楽の深みと相まって、まさに、べロフだけが描出できる至高・至純の境地に達していると言えるだろう。

昔からフランスのピアニストはシューマンやベートーヴェンを弾くとうまい人が多いが(例えばイヴ・ナット)、ベロフにも期待したい。

録音も、もともと鮮明な音質であったが、今般のBlu-spec-CD化によって、さらに鮮明な音質に蘇った。

べロフの芸術的なピアノをこのように鮮明な音質で味わうことができることを大いに喜びたい。

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2011年05月29日


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フランク、ドビュッシー、ラヴェルのヴァイオリンとピアノのための名曲が収録されている。

フランクのソナタは作品がもつ多面的な魅力を余すところなく表現し尽くした名演だ。

これほど自由闊達でありながら、音楽の構成をしっかりと描き切った演奏は滅多にない。

あふれるようなファンタジーと奥行きの深い精神や熱い心を感じさせるフランクである。

数あるフランクの演奏のなかでも、最も豊かなポエジーを湛えた演奏で、ピリスの詩的雰囲気に満ちたピアノの響きに、デュメイの繊細さと力強さを併せ持つヴァイオリンが自在に絡む様は息をのむほどに美しい。

デュメイのしたたるような美しい音色にピリスのクリスタルの輝きを放つピアノが絶妙の対比を形成するとともに、高次元でひとつの統一された世界を実現している。

実に温かく透明な響きと、ときに大胆、ときに繊細な表情に満たされたピリスの含蓄豊かなピアノに包まれるようにして、デュメイも歌と情熱にあふれる演奏を心ゆくまで展開する。

それは、ヨーロッパの諸文化を統合したようなフランクの音楽にぴったりだ。

各楽章における激しく燃え上がる情念の表出も見事だ。

ドビュッシー、ラヴェルの純フランス的作品では、2人はより打ち解けた気分のなか緩急自在の表現によって聴き手を彼らのペースにひき入れる。

これほどの息の合う、また求める方向がぴったり合うアンサンブルがあろうかと思うほどの緻密で音楽性豊かな演奏を繰り広げてきたふたりの、これまた充実した内容を持つ快演である。

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2011年05月18日


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この近代フランスを代表する2つの四重奏曲の演奏は、往年のカペー以来、フランスの四重奏団が他を圧していたが、第2次大戦後はさまざまな四重奏団が個性豊かな演奏を聴かせるようになったのも時代の流れだろう。

最近でもアルバン・ベルク、エマーソン、東京クヮルテットなどが作品の多様な魅力をそれぞれ明らかにしているが、カルミナSQもその一つである。

2曲とも4つの楽器が調和した響きが見事であり、その重厚すぎたり軽すぎることのない透明な音の美しさと緻密な表情、旋律のしなやかな歌わせ方も素晴らしい。

生き生きとした生気とみずみずしい情感を豊かにたたえた洗練された表現が、とても新鮮で魅力的な演奏である。

ドビュッシーはデリケートな曲想なので、アプローチする弦楽四重奏団はつい慎重になりすぎる傾向もあるのだが、ここに聴くカルミナSQは4人全員がはつらつとしており、意欲十分。

消極的にならず、かといって雑にもならず、難曲とすがすがしく取り組んでおり、好ましい。

ラヴェルはフレッシュに発想されたものが、そのままの勢いを保って、小気味よくまとめ上げられたような演奏である。

緩急、強弱の変化への対応もスムーズで、各表現には曖昧さがない。

小型ながら、エネルギッシュな特色をもつアンサンブルと言えよう。

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2011年04月24日


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20世紀の作品を得意とするフランスのピアニスト、ベロフにとって、ドビュッシーはむろん重要なレパートリーのひとつ。

ベロフはきわめて感性の鋭い天才肌のピアニストであり、フランス・ピアノ音楽に新たな光を注ぎ込んだ。

メシアンの演奏などでも証明されているが、このドビュッシーも新鮮な感覚が随所で聴きとれる。

円熟期に達したベロフがそのシャープな感覚によって敢然と打ち出してくるドビュッシーの音像。

彼の本能の一部とさえ思える現代的な感応力がこの演奏全篇に行きわたっており、しばしば聴き手をハッとさせるような超感覚的な空気を作り出している。

表現手法はかなり直截ではあるけれども、それが決してこけおどしに聴こえないのは、ベロフの音楽性の内的なリアリティゆえだろう。

さらにリズム感の鋭敏さと音の粒のクリアーさも、このピアニストの大きな武器となっている。

ベロフの紡ぎ出すドビュッシーの《前奏曲集》に接して、筆者は目から鱗が落ちる思いがしたものだった。

彼の鋭利な感覚が決然と作り上げてみせる地平を何度も聴き返し、やはりドビュッシーは現代音楽の祖だと再認識した記憶がある。

徹底的に新しい感覚のアプローチを得て、尚も輝かしい存在となる作曲家だということを実感した次第。

とりわけ《前奏曲集》第2巻、ここでドビュッシーが行なおうとしたことは、まさにベロフのような瑞々しいチャレンジによってこそ真価を発揮するように思える。

ドビュッシー音楽の演奏には、実はベロフに代表されるような一種フッ切れた音楽観が不可欠なのであろう。

きらめくような音立ちに支えられて、どこまでも切れ味よく《版画》3曲が描出されてゆく。

そのモダンでストレートな感覚は、実に新鮮である。

全12曲の《練習曲集》の恐るべき内容を筆者に最も直截に啓示してくれたのも、実にこのベロフのディスクだった。

「練習曲」とは名ばかりのドビュッシーの感覚のエッセンス、あるいは語法の集大成ともいうべきこの曲集は、最もラディカルにこの作曲家の天才を伝えたもの。

ベロフのピアノは、作品のかかる尖鋭性を極めてストレートかつ霊感豊かに描出してみせる。

鮮やかに変幻する色彩、めまぐるしく交錯する楽想、飛翔し躍動する音群等、これらインスピレーションに満ちた音の数々を、彼は持ち前の鋭利なタッチと現代感覚で弾きあげ、類なく閃きに満ちた世界に仕上げている。

ドビュッシーの天才とベロフの異才が一体となり実に新鮮な美学が完成しているように思う。

《ベルガマスク組曲》は古風なフォーマットのなかにドビュッシーが美しい近代和声を響かせ、さらにここでベロフが冴えたタッチで再現する。

コントラストのはっきりした演奏で、アグレッシヴなスタンスでこの4曲に切り込んでいる。

《子供の領分》は、思い入れたっぷりの表現と弱音の美しさが際立ち、この曲集のしなやかなニュアンスをよく引き出している。

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2011年04月18日


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このドビュッシーは、いわゆるフランス的な演奏とはその本質を異にしているが、いかにもツィマーマンらしい十分に吟味された精妙にして精巧な表現が見事な内容になっている。

彼の入念で高度な読譜力は、緻密にコントロールされたテクニックやクリスタルで美しいタッチを得て、その表現の意図をほとんどパーフェクトにレアリゼする結果をもたらしており、それは、これが構成的で頭脳的な演奏であることをも印象づけている。

音楽的なバランス感覚に秀でたツィマーマンらしい、響きの美しさが注目されるが、それは巧みなペダリングを伴って、音色に幅広い濃淡を与えるとともに、まるで水面に墨を落としたような音の広がりを実現させている。

一方、時間と空間に対する個性的な解釈も明らかにされており、全体に余裕のあるペースで弾き進めながらも、緩急の対照が強く浮き彫りにされている。

第1巻で言えば〈西風が見たもの〉と〈沈める寺〉とが好対照。

ニュアンス、というと淡い、何かとらえ難いものに思えてしまうけれど、ツィマーマンがドビュッシーの音楽で追求しているニュアンスは、もっと確固としていて、硬く、はっきりそれと聴きとれる。

同時にツィマーマンは、シャープな切れ味を、故意に捨て去ろうとしている。

ミケランジェリが行った方向とは、まったく違っているわけだ。

曖昧さを拒否する一方、すべてをあからさまにすることをも拒否して、ツィマーマンの《前奏曲集》は、難しい場所に立ち、そこで詩情をつくり出す。

思えば理智的な美学と感覚的な美意識の、両方からはさまれたあやうい場所にいたのは、ツィマーマンだけではなかった。

ドビュッシー自身もまた……。

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