アバド

2014年11月06日


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交響曲第1番は素晴らしい名演だ。

同曲には、ワルター&コロンビア響(1961年)やバーンスタイン&コンセルトへボウ・アムステルダム(1987年)と言った至高の超名演があるが、本演奏はこれら両横綱に次ぐ大関クラスの名演と言えるのではないだろうか。

マーラーの交響曲第1番はマーラーの青雲の志を描いた作品であり、円熟がそのまま名演に繋がるとは必ずしも言えないという難しさがある。

実際に、アバドは後年、ベルリン・フィルの芸術監督に就任後まもなく同曲をベルリン・フィルとともにライヴ録音(1989年)しており、それも当時低迷期にあったアバドとしては名演であると言えなくもないが、本演奏の持つ独特の魅力には到底敵わないと言えるのではないだろうか。

これは、小澤が同曲を3度にわたって録音しているにもかかわらず、最初の録音(1977年)を凌駕する演奏が出来ていないこととも通暁するのではないかと考えられる。

いずれにしても、ベルリン・フィルの芸術監督に就任するまでのアバドの演奏は素晴らしい。

本演奏でも、随所に漲っている圧倒的な生命力とエネルギッシュな力感は健在だ。

それでいて、アバドならではの歌謡性豊かな歌心が全曲を支配しており、とりわけ第2楽章や第3楽章の美しさには出色のものがある。

終楽章のトゥッティに向けて畳み掛けていくような気迫と力強さには圧巻の凄みがあると言えるところであり、壮麗な圧倒的迫力のうちに全曲を締めくくっている。

いずれにしても、本演奏は、強靭な力感と豊かな歌謡性を併せ持った、いわゆる剛柔バランスのとれたアバドならではの名演に仕上がっていると高く評価したい。

また、シカゴ交響楽団の超絶的な技量にも一言触れておかなければならない。

当時のシカゴ交響楽団は、ショルティの統率の下、スーパー軍団の異名をとるほどのオーケストラであったが、本演奏でも若きアバドの指揮の下、これ以上は求め得ないような最高のパフォーマンスを発揮しているのも、本名演に大きく貢献しているのを忘れてはならない。

他方、交響曲第10番は、この後の録音がなされていないことから本演奏が現時点でのアバドによる最新の演奏ということになるが、その演奏内容の評価については美しくはあるが、かと言って他の演奏を圧するような絶対美の世界を構築し得ているわけではない。

楽曲の心眼に鋭く切り込んでいくような凄みはないが、他方、歌謡性豊かな情感には満ち溢れるなど魅力的な箇所も多々存在しており、ウィーン・フィルによる美演も併せて考慮すれば、佳演と評価するのにいささかも躊躇するものではない。

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2014年09月26日


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アバドは、ベルリン・フィルの芸術監督就任後は低迷期にあったと言えるのではないだろうか。

というのも、それ以前にはロンドン交響楽団やシカゴ交響楽団などと豊かな歌謡性と力強い生命力が融合した素晴らしい名演の数々を成し遂げていたにもかかわらず、ベルリン・フィルの芸術監督に就任してからは借りてきた猫のように大人しい演奏に終始するようになってしまったからである。

アバドも、さすがにベルリン・フィルの芸術監督の荷が重かったせいか病に倒れてしまった。

しかしながら、それが皮肉にもけがの功名となり、大病の克服後は、彫りの深い凄味のある演奏の数々を聴かせてくれるようになった。

そのようなアバドであるが、本盤はベルリン・フィルの芸術監督就任前の絶好調時代のアバドによる演奏だ。

当然のことながら演奏が悪いわけがなく、これは前述のような豊かな歌謡性と力強い生命力が融合したアバドならではのアプローチによる至高の超名演と高く評価したい。

両曲のうち「シンフォニエッタ」については、アバドは1966年にロンドン交響楽団とともにスタジオ録音しているが、本演奏の方がはるかに上出来と言えるだろう。

そうなった理由は、もちろんアバドの円熟もあるが、それと同時にベルリン・フィルの好演によるところも大きいと考えられる。

というのも、本演奏が録音された1987年当時のベルリン・フィルは、ザビーネ・マイヤー事件勃発以降不仲となりウィーン・フィルに軸足を移したカラヤンに対抗するため、ポストカラヤンと目される指揮者とは、圧倒的な名演奏を成し遂げていた。

本演奏も、そうした一連の流れの中での名演奏であり、シンフォニエッタにおける金管楽器のブリリアントな響きなどでカラヤン色をあまり感じさせないのも、当時のベルリン・フィルの団員の心意気を窺い知ることができて大変興味深い。

「消えた男の日記」におけるラングリッジやバリーズの歌唱も見事であり、RIAS室内合唱団も最高のパフォーマンスを示している。

なお、本盤には、ガーディナー指揮の「タラス・ブーリバ」が収められている。

演奏自体は優れたものであると言えるが、筆者としては、ベスト100を構成するCDとは言えども芸格があまりにも違いすぎる指揮者(もちろんアバドの方が格上)の演奏とのカップリングについては感心するものではなく、メーカーにもこのような安易なカップリングについてこの場を借りて再考を求めておきたい。

録音は従来盤でも十分に満足できる音質であったが、今般のSHM−CD化によって音質が鮮明になるとともに音場がかなり広くなった。

アバドによる至高の超名演をSHM−CDによる高音質で味わうことができるのを大いに喜びたい。

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2014年09月08日


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本盤には、アバドによるマーラーの交響曲全集が収められているが、その内容からすると、果たして交響曲全集と称することが可能か疑問である。

アバドは、若き頃からマーラーを得意としており、DVD作品を含め数多くの演奏・録音を行ってきている。

ところが、その録音の経緯をつぶさに見てみると、必ずしも全集の完成を目的として行われたものではないことがよく理解できるところだ。

それは、本全集に収められた各交響曲の録音時期を見てもよく理解できるところであり、第1番はシカゴ交響楽団との演奏(1981年)に次ぐ2度目のベルリン・フィルとの録音(1989年)、第2番はシカゴ交響楽団との演奏(1976年)に次ぐ2度目のウィーン・フィルとの録音(1992年)、第3番はウィーン・フィルとの最初の録音(1980年)、第4番はウィーン・フィルとの最初の録音(1977年)、第5番はシカゴ交響楽団との演奏(1980年)に次ぐ2度目のベルリン・フィルとの録音(1993年)、第6番はウィーン交響楽団(1967年)に次ぐ2度目のシカゴ交響楽団との録音(1979年)、第7番はシカゴ交響楽団との最初の録音(1984年)、第8番はベルリン・フィルとの最初の録音(1994年)、第9番はウィーン・フィルとの最初の録音(1987年)、第10番はウィーン・フィルとの最初の録音(1985年)となっている。

要は、録音年代やオーケストラに何らの統一性がなく、とりあえず交響曲全集に纏めてみたといった類ものとも言えるところだ。

特に、アバドの芸風は1990年のベルリン・フィルの芸術監督就任後、そして2000年の大病の克服後にそれぞれ大きく変化してきており、本盤の全集であれば、第8番については録音自体がなかったということで致し方なかったとしても、第1番、第2番、第5番についてはそれぞれ旧録音を収録すれば、より統一性のとれた全集に仕上がったのではないかとも考えられるところだ。

アバドが最も輝いていた時期はベルリン・フィルの芸術監督就任前であり、この時期のアバドは、楽曲の頂点に向けて畳み掛けていくような気迫や強靭な生命力、そして持ち前の豊かな歌謡性が付加された、いい意味での剛柔バランスのとれた名演の数々を成し遂げていた。

本盤の全集で言えば、第1番、第3番、第4番、第6番、第7番については、そうしたアバドのかつての長所が大きく功を奏した素晴らしい名演に仕上がっている。

もっとも、第9番及び第10番については、マーラーの交響曲の中でも最も奥の深い内容を有した楽曲であり、アバドのこのようなアプローチでは、いささか楽曲の心眼への踏み込み不足の感は否めないところだ。

また、アバドは、ベルリン・フィルの芸術監督就任後は借りてきた猫のように大人しい演奏に終始するようになり、各楽器セクション間のバランスに執拗に拘るアバドと、カラヤン時代の名うての奏者がいまだ在籍していたベルリン・フィルとの間に少なからず軋轢も生じていたように思われる。

そのマイナス要素が顕著にあらわれた演奏が本盤に収められた第5番であり、これはもしかしたらアバドによるマーラーの交響曲のあらゆる演奏・録音の中でも最も出来の悪いものと言えるのかもしれない。

第2番は、ウィーン・フィルとの演奏であることもあって、本演奏の後に録音されたルツェルン祝祭管弦楽団との演奏(2003年)にはさすがにかなわないが、本演奏に先立つシカゴ交響楽団との録音(1976年)と比較すると、アバドの円熟が感じされる素晴らしい名演に仕上がっている。

第8番は、合唱付きの壮麗な迫力が持ち味であり、オペラを得意とするアバドにとってはむしろ得意とする楽曲である。

それだけに、本演奏においては、この時期のアバドとしては劇的な迫力を有するとともに、雄大なスケールを誇る名演に仕上がっていると言えるのではないかと考えられる。

いずれにしても、このように録音時期が異なることに起因するアバドの芸風の変化、また、それによる演奏の出来不出来など、全集としてはかなりの問題を有しているとも言えるが、大半の交響曲については名演と評価しても過言ではあるまい。

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2014年09月07日


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これは素晴らしい超名演だ。

アバドは、今では特定のオーケストラに縛られることなく、世界最高の指揮者として、特に若手の音楽家の育成を中心に活動を続けているが、ベルリン・フィルの芸術監督(1990〜2002年)を務めていた時代、とりわけ癌により指揮活動の中止を余儀なくされた2000年頃までは、一部の例外はあるものの、鳴かず飛ばずの低迷期にあったと言えるだろう。

前任のカラヤンの存在があまりにも大きかったということ、そして、カラヤン時代の旗本を務めてきたスター・プレイヤーの代替わりの時期に重なったことなど、不利な状況に置かれたということもあるが、アバド自身も、レパートリーを広げるという高邁な理想を掲げたものの、王道とも言うべき独墺系の音楽において名演を成し遂げることができず、ただでさえ厳しい監視の目に晒されているベルリン・フィルの芸術監督としては、とても大方のクラシック音楽ファンを唸らせるような成果を上げることが出来なかったと言えるところだ(癌を克服した後のベルリン・フィルの芸術監督の離任間近の頃から、演奏に凄味と彫りの深さが加わったことは何とも皮肉なことだ)。

しかしながら、ベルリン・フィルの芸術監督就任前の、特に1970年代から1980年代前半にかけてのロンドン交響楽団を主として指揮していた時代のアバドは、実に素晴らしかった。

この時代の演奏のいずれも、殆ど例外なく、切れば血が噴き出してくるような凄まじいまでの圧倒的な生命力が随所のおいて漲っており、これにイタリア人ならではの歌謡性豊かな情感が込められた、いい意味での剛柔のバランスのとれた圧倒的な名演であった。

本盤に収められたストラヴィンスキーの3つのバレエ音楽(春の祭典、火の鳥、カルタ遊び)も、そうしたアバドの全盛時代の超名演であり、前述のような剛柔のバランスに加えて、独特のシャープさを兼ね備えた稀有の名演に仕上がっていると高く評価したい。

アバドは、ベルリン・フィルとはこの3曲を録音することは現在に至るまで行っていないが、それは本盤の演奏の出来に満足していたからに他ならないだろう。

音質は、1970年代のアナログ録音であるものの、従来CD盤でも比較的良好な音質であり、数年前にはSHM−CD盤も発売されるなど、比較的満足できるものであった。

ところが、今般、ついに待望のシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化が行われるに及んで大変驚いた。

音質の鮮明さ、音場の幅広さ、そして音圧のいずれをとっても一級品の仕上がりであり、あらためてSACDの潜在能力の高さを思い知った次第である。

いずれにしても、全盛期のアバド&ロンドン交響楽団による圧倒的な名演を、現在望みうる最高の高音質であるシングルレイヤーによるSACD盤で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

そして、可能であれば、このコンビによるストラヴィンスキーによる他のバレエ音楽、例えば、ペトルーシュカやプルチネッラなどについてもシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化を行っていただくことを大いに期待したい。

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2014年08月29日


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ウィーン出身のピアニストであるにもかかわらず、ジャズ音楽に裾野を広げたりするなど、自由奔放な活動が目立つグルダであるが、そのようなグルダが、ベートーヴェンのピアノ・ソナタなどの独墺系の音楽を演奏する際には、自由奔放なグルダはすっかりと影をひそめ、真摯なピアニストに変貌する。

実際に、グルダによるベートーヴェンの2度目ピアノソナタ全集(アマデオ)は、現在においてもなお誉れ高き名演と高く評価されている。

また、ホルスト・シュタインと組んで録音したベートーヴェンのピアノ協奏曲全集(英デッカ)も重厚な名演であったが、モーツァルトのピアノ協奏曲においても、そのような真摯な姿勢は変わりがないと言えるのではないか。

実際に、本演奏におけるグルダのピアノも、曲想を心を込めて描き出して行くという真摯なものだ。

そのアプローチは、いささかも気を衒うことがなく、楽曲の魅力をダイレクトに聴き手に伝えていこうという自然体の姿勢そのものであり、モーツァルトの音楽特有の優美さをいささかも損なっていないのが素晴らしい。

それでいて、時として見られる寂寥感の描出についても抜かりはなく、全体として、いかにもドイツ風の重厚かつシンフォニックな演奏を行っている点を高く評価したい。

第21番の第3楽章においては、グルダならではの自作のカデンツァを聴くことができるが、ここでは、常々の自由奔放なグルダを垣間見ることが可能であり、演奏全体に新鮮さを与えている点も見過ごしてはならない。

このようなグルダを下支えするのが、アバド&ウィーン・フィルの素晴らしい好演ということになるであろう。

本演奏は1974年であるが、この当時のアバドは、イタリア人指揮者ならではの豊かな歌謡性と、音楽の核心にひた向きに切り込んでいこうという生命力溢れる気迫がマッチングした素晴らしい名演の数々を生み出していたが、本演奏においても、そうしたアバドの指揮は健在である。

若きアバドの指揮の下、ウィーン・フィルが素晴らしい演奏を繰り広げている点も特筆すべきであり、演奏全体に適度な潤いと奥行きの深さを与えているのを見過ごしてはならない。

録音は1970年代のものとは思えないような鮮明さである。

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2014年08月25日


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これは素晴らしい超名演だ。

アバドが最も輝いていたのは、ベルリン・フィルの芸術監督就任前の1970年代〜1980年代にかけて、ロンドン交響楽団やシカゴ交響楽団とともに数々の演奏を繰り広げていた時期というのが大方の見方であるが、本盤の演奏はその頂点にも位置づけてもいいくらいの至高の超名演と高く評価したい。

冒頭の「ボレロ」からして、途轍もない気迫と強靭な生命力が漲っている。

加えて、アバドの歌謡性豊かな指揮ぶりは健在であり、主旋律をこれ以上は求め得ないような豊かな情感を込めて歌い抜いている。

そして終盤に向けて畳み掛けていくようなエネルギッシュな高揚感は圧巻の迫力を誇っており、あまりの演奏の壮絶さに終結部にはロンドン交響楽団の団員の絶叫(この表現が適切か否かについては議論の余地があるが、とりあえず本レビューではこの表現を使用させていただくこととする)までが記録されているほどだ。

この自然発生的な絶叫は、アバドの許可を得て敢えてそのままにしたということであり、これはアバド自身が本盤の会心の超名演の出来にいかに満足していたかの証左であると言えるだろう。

「スペイン狂詩曲」も素晴らしい。

同曲特有のむせ返るようなスペイン風の異国情緒満載の各旋律を、アバドは徹底して歌い抜いており、その極上の美しさには抗し難い魅力に満ち溢れている。

各曲の描き分けの巧さも卓抜したものがあり、これはオペラを得意としたアバドの真骨頂とも言えるだろう。

そして、祭りの終結部のトゥッティに向けて畳み掛けていくような気迫と強靭な生命力は「ボレロ」と同様であり、あまりのド迫力に完全にノックアウトされてしまうほどだ。

バレエ「マ・メール・ロワ」と「亡き王女のためのパヴァ―ヌ」は一転して繊細な抒情が際立っている。

それでいて、アバドは弱音を重視するあまり演奏が薄味になるというようなことにはいささかも陥っておらず、どこをとっても内容の濃さと持ち前の歌謡性の豊かさを損なっていないのが素晴らしい。

いずれにしても、こうして本盤全体を聴き終えると、この当時のアバドがいかに凄みのある名演奏を繰り広げていたかがよくわかるところであり、ベルリン・フィルの芸術監督にマゼールを差し置いてアバドが選出されたのも十分に理解できるところだ。

アバドの統率の下、ラヴェルの管弦楽曲に相応しいフランス風の洒落た味わいのある名演奏を繰り広げたロンドン交響楽団に対しても大きな拍手を送りたい。

音質については、従来CD盤でも十分に良好なものであったが、今般のSHM−CD化によって、若干ではあるが音質が鮮明になるとともに、音場が幅広くなったように思われる。

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2014年08月16日


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ベルリン・フィルは、名人揃いの世界最高峰のオーケストラだけに、芸術監督に就任する指揮者も、各奏者を掌握するための苦労は並大抵のものではない。

カラヤンも、就任当初はフルトヴェングラー時代の重鎮奏者に手を焼き、自分の理想の演奏を行えるようになったのは、芸術監督に就任して約10年後の1960年代に入ってからであると言われている。

それだけ、ベルリン・フィルという稀代のオーケストラを掌握するのに相当の時間がかかるということであるが、これは、現在の芸術監督のラトルにも言えることであり、ラトルがベルリン・フィルとともに名演奏の数々を行うようになったのも、2010年代に入ってからで、2002年の就任後、約10年の期間を要している。

ラトルも、ベルリン・フィルの芸術監督として長期政権が予測されることから、今後はベルリン・フィルとの間で理想の演奏を成し遂げていくことは想像するに難くない。

しかしながら、アバドがベルリン・フィルの芸術監督をつとめていたのは1990年〜2002年のわずか12年間。

これでは、カラヤンのオーケストラを自らのオーケストラとして掌握するにはあまりにも時間がなさ過ぎたと言えるだろう。

ベルリン・フィルの芸術監督に就任する前には、ロンドン交響楽団とともに圧倒的な名演奏を成し遂げていた気鋭の指揮者であったアバド。

そのアバドは、ベルリン・フィルの芸術監督就任後、借りてきた猫のような大人しい演奏に終始するようになってしまった。

カラヤン時代に、力の限り豪演を繰り広げてきたベルリン・フィルも、前任者と正反対のアバドの民主的な手法には好感を覚えたであろうが、演奏については、大半の奏者が各楽器セクションのバランスを重視するアバドのやり方に戸惑いと欲求不満を感じたのではないか。

そのようなアバドが、ベルリン・フィルを掌握して、いかにもアバドならではの名演を繰り広げるようになったのは、皮肉にも胃癌を克服した2000年代に入ってから。

まさに、ベルリン・フィルの芸術監督退任直前のことであった。

退任後に、ベルリン・フィルとともに時として行われる演奏の数々が見事な名演であることに鑑みれば、アバドももう少しベルリン・フィルの芸術監督にとどまるべきであったのではないかとも思われるが、このあたりも、いかにもポストに固執しないアバドらしいとも言える。

いずれにしても、歴代の芸術監督の中でも、必ずしもベルリン・フィルとの関係が順風満帆とはいかなかったアバドではあるが、それでも、いくつかの演奏では、さすがはアバドとも賞賛されるべき名演を成し遂げていた。

その名演の中でも代表格の一つと言えるのが、本盤に収められたメンデルスゾーンの交響曲第4番と劇音楽「真夏の世の夢」であると言えるだろう。

アバドは、メンデルスゾーンの交響曲第4番をロンドン交響楽団とともに1967年、1984年の2度にわたってスタジオ録音を行うとともに、劇音楽「真夏の夜の夢」序曲を1984年にスタジオ録音しており、それらはいずれも素晴らしい名演であったが、本盤に収められた演奏は、これらの過去の演奏を大きく凌駕していると言っても過言ではあるまい。

1995年のジルヴェスター・コンサートでのライヴ録音でもあり、演奏全体の生命力あふれる燃焼度の違いもあるのかもしれないが、大人しい演奏に終始していた当時のアバドとしても突然変異的な超名演であり、これはアバドが、とりわけ交響曲第4番の表題でもあるイタリア人ということもあると思われるが、いかにメンデルスゾーンのこれらの楽曲に対して深い愛着と理解を示していたことの証左であるとも言える。

さすがに、トスカニーニの交響曲第4番の超名演(1954年)の域には達していないが、演奏全体に流れる歌謡性豊かな情感は、音質の良さも相俟って、トスカニーニの演奏よりも若干上位に掲げられても不思議ではないとも言えるだろう。

劇音楽「真夏の世の夢」も、オペラにおいて数々の名演を成し遂げてきたアバドならではの聴かせどころのツボを心得た名演であり、まさに、本盤の両曲の演奏は、アバドのベルリン・フィル時代を代表する名演と評価するのにいささかも躊躇するものではない。

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2014年06月24日


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本盤には、アバド&ベルリン・フィルによるブラームスの交響曲第3番及び第4番が収められているが、両曲ともに若干甘い気はするものの名演と評価したい。

アバドは、ベルリン・フィルの芸術監督就任間もない頃に、本盤に収められた第3番及び第4番を含めブラームスの交響曲全集を完成させた。

もっとも、カラヤン時代の猛者がいまだ数多く在籍していたベルリン・フィルを掌握し得た時期の録音ではないことから、第1番などは名演の名には恥じない演奏であるとは言えるが、アバドの個性が必ずしも発揮された演奏とは言い難いものであった。

他方、楽曲の性格とのマッチングや録音時期(芸術監督就任前の1988年)の問題もあって、第2番はアバドならではの豊かな歌謡性が発揮された素晴らしい名演であった。

このようにベルリン・フィルの掌握の有無なども演奏の出来に作用する重要な要素であるとは思うが、根本的には、アバドの芸風に符号する楽曲かどうかというのが演奏の出来不出来の大きな分かれ目になっていると言えるのではないだろうか。

アバドのアプローチは、前任者のカラヤンのような独特の重厚なサウンドを有していたわけでもない。

むしろ、各楽器間のバランスを重視するとともに、イタリア人ならではの豊かな歌謡性を全面に打ち出した明朗な演奏を繰り広げている。

このようなアプローチの場合、第1番ではいささか物足りない演奏(もっとも、第1番はカラヤン時代の重厚な音色の残滓が付加されたことによって、けがの功名的な名演に仕上がった)になる危険性があり、他方、第2番については、楽曲の明朗で抒情的な性格から名演を成し遂げることが可能であったと考えられる。

他方、本盤に収められた第3番及び第4番も、楽曲の心眼に踏み込んでいくような彫りの深さ(とりわけ第3番の両端楽章や第4番の終楽章)と言った面においてはいささか生ぬるい気がしないでもないが、とりわけ第3番の第2楽章及び第3楽章や第4番の第1楽章及び第2楽章などの情感豊かな歌い方には抗し難い魅力があり、第2番ほどではないものの、比較的アバドの芸風に符号した作品と言えるのではないだろうか。

また、第3番については、第2番と同様にアバドが芸術監督に就任する前の録音でもあり、ウィーン・フィルに軸足を移したカラヤンへの対抗意識もあって、ポストカラヤンの候補者と目される指揮者とは渾身の名演を繰り広げていたベルリン・フィルのとてつもない名演奏が、本名演に大きく貢献しているのを忘れてはならない。

もっとも、大病を克服した後のアバドは、凄みのある名演を成し遂げる大指揮者に変貌していると言えるところであり、仮に現時点で、ブラームスの交響曲全集を録音すれば、より優れた名演を成し遂げる可能性が高いのではないかと考えられるところだ。

いずれにしても、アバドはベルリン・フィルの芸術監督就任直後にブラームスの交響曲全集を完成させるのではなく、芸術監督退任直前に録音を行うべきであったと言えるのではないか。

録音は従来盤でも十分に満足できる音質ではあったが、今般のSHM−CD化によってやや音質に鮮明さが増すとともに、音場が幅広くなったと言えるところだ。

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アバドは、ベルリン・フィルの芸術監督就任後間もない頃にブラームスの交響曲全集を完成させたが、筆者としては、アバドがブラームスの交響曲に取り組むのはいささか早過ぎたのではないかと考えているところだ。

というのも、ベルリン・フィルはカラヤンの指揮の下でブラームスの交響曲を何度も演奏しており、本演奏ではアバドの解釈がベルリン・フィルに必ずしも浸透しているとは言い難いからである。

したがって、第1番などは名演ではあるが、それはカラヤン時代の遺産が作用しているという怪我の功名的な側面もあり、アバドの個性が発揮された演奏とは言い難いものであったとも言える。

しかしながら、第2番はむしろ、第1番とは異なりアバドの個性がそれなりに発揮された名演と言えるのではないだろうか。

本盤に収められた第2番がこのようにアバドならではの名演となった理由はいくつかあると考えられるが、先ずは楽曲の性格がアバドの芸風に符号している点が掲げられる。

第2番は、ブラームスの交響曲の中でも最も牧歌的な雰囲気に満ち溢れており、流麗で伸びやかな曲想が特徴的なブラームスの田園とも称される楽曲である。したがって、アバドの純音楽的で歌謡性豊かなアプローチに最も適した交響曲であると言える。

第2の理由としてベルリン・フィルによる名演奏が掲げられる。

本演奏については1988年の録音であり、これはカラヤンが存命でなおかつ芸術監督であった時代のものである。

この当時のベルリン・フィルは、ウィーン・フィルに軸足を移したカラヤンへの対抗意識もあり、ポストカラヤンの候補者と目される指揮者とは渾身の名演を繰り広げていた。

本演奏もその例外ではなく、ここにはアバドの指揮に必死に喰らいついていった(というよりも、アバドを立てた)ベルリン・フィルの猛者たちの圧倒的な名演奏を聴くことが可能だ。

なお、アバドは、1970年代初頭にもベルリン・フィルとともにブラームスの「第2」を録音しており、それも若きアバドによる生命力溢れる素晴らしい名演であったが、本演奏においては、さらに円熟味とスケールの雄渾さが加わっていると評価することも可能であり、筆者としては本演奏の方をより上位に掲げたい。

併録の大学祝典序曲も交響曲第2番と同様のアプローチによる文句の付けようがない名演であり、ハイドンの主題による変奏曲は、アバドならではの豊かな歌謡性を活かした歌心溢れる美演である。

音質については、今般のSHM−CD化によって若干鮮明になるとともに、音場が広くなったように感じた。

いずれにしても、アバドの名演をこのようなSHM−CDによる高音質で味わうことができるのを大いに喜びたい。

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本盤に収められたブラームスの交響曲第1番は、アバドがベルリン・フィルの芸術監督に就任直後に完成させた全集に含まれるものである。

本演奏を聴き終えた感想は、アバドもなかなか健闘しているのではないかと言ったところだ。

というのも、この時期のアバドは低迷期に入っていたと言えるからである。

アバドが最も輝いていたのは、ベルリン・フィルの芸術監督の就任前であり、ロンドン交響楽団やシカゴ交響楽団などと数々の名演を成し遂げていた時期であると考えている。

ところが、アバド自身も全く想定していなかったベルリン・フィルの芸術監督に就任してからは、借りてきた猫のような大人しい演奏に終始し、かつての輝きを失ってしまったように思われる。

そのようなアバドが再び凄みのある演奏を繰り広げるようになったのは、大病を克服した後であり、それは皮肉にもベルリン・フィルの芸術監督退任直前のことであった。

アバドは、前任のカラヤンや前々任のフルトヴェングラーなどとは異なり、カリスマ性など皆無であったことから、プライドの高い楽員で構成され、カラヤン時代に全盛を誇った大物奏者が数多く在籍していたベルリン・フィルを統率するのは、とても荷が重いことであったのかもしれない(アバドのライバルであったムーティもそのことを予見していたと言われている)。

そもそも本演奏では、アバドのやりたい音楽とベルリン・フィルの奏でる音楽に微妙なずれがあるのではないかと考えられる。

というのも、ブラームスの交響曲第1番はカラヤンの代名詞のような楽曲であり、その重厚にして華麗な演奏はカラヤン&ベルリン・フィルの黄金時代の象徴のようなものであったからだ。

カラヤン時代の名うての奏者が数多く在籍していたベルリン・フィルとしても、カラヤンのようにオーケストラを最強奏させるのではなく、各楽器間のバランスの重視に軸足を置いたアバドのやり方には相当手こずったのではないかとも考えられる。

したがって、本演奏は、全体としてはアバド流の歌謡性豊かな演奏にはなっているが、随所にカラヤン時代の重厚さが入り混じると言う、アバドの個性が全開とは言い難い演奏であり、筆者としては、アバドがブラームスの交響曲に取り組むのはいささか早過ぎたのではないかと思われてならないところだ。

もっとも、本演奏も見方を変えれば、カラヤン時代の重厚さとアバドの歌謡性が融合した新時代を象徴する演奏とも評価し得るところであり、アバドの健闘が光る名演との評価をするのにいささかの躊躇をするものではない。

悲劇的序曲は、アバドが芸術監督に就任する直前の演奏ということもあって、アバド、そしてベルリン・フィルによる畳み掛けていくような気迫と力感、そして豊かな歌謡性が漲る豪演であり、交響曲第1番以上の名演と評価したい。

SHM−CD化による若干の高音質化も本盤の価値を高めるのに大きく貢献している。

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2014年06月23日


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アバドはベルリン・フィルとともにベートーヴェンの交響曲全集を2度完成させている。

最初の全集は、芸術監督就任から10年近く経った頃の録音で、アバドが大病に倒れる直前に完成されたものである。

これに対して、2度目の全集は、大病を克服した後、ローマにおいて第1番から第8番をライヴ録音で収録したもの(DVD作品のCD化)であり、第9番だけは最初の全集に収められたライヴ録音をそのまま採用している。

要は、アバドは最初の全集の中でも、第9番だけには自信を持っていたということを窺い知ることが出来るところだ。

このように、アバドが自信を持っていたこともあり、筆者としても、アバドによるベートーヴェンの交響曲全集の中で最も出来がいいのは第8番と第9番であると考えている。

全体を約62分という、第9番としては相当に速いテンポで演奏しているが、せかせかした印象をいささかも与えることがなく、トゥッティに向けて畳み掛けていくような力感溢れる気迫とともに、どこをとっても情感の豊かさと歌謡性を失うことがないのが素晴らしい。

特に、第1番から第6番では軽妙さだけが際立ったベルリン・フィルも、この第9番においては、さすがにフルトヴェングラーやカラヤンなどの往年の指揮者による重厚な演奏にはかなわないものの、倍管にしたことも多分にあるとは思うが、重心の低い奥行きのある音色を出しているのが素晴らしい。

特に、終楽章の合唱の壮麗さは抗し難いほどの美しさを誇っており、これは世界最高峰とも称されるスウェーデン放送合唱団の起用が見事に功を奏している。

独唱陣もいずれも素晴らしい歌唱を披露しており、スウェーデン放送合唱団とともにエリック・エリクソン室内合唱団も最高のパフォーマンスを示していると言えるだろう。

いずれにしても、新しい研究成果に基づくベーレンライター版使用による本演奏は、近年の古楽器奏法やピリオド楽器の使用による演奏の先駆けとなったものであり、アバドによるベートーヴェンの交響曲の演奏としては第8番と並んで最高峰にある名演と高く評価したい。

録音は従来盤でも十分に鮮明な高音質であったが、今般のSHM−CD化によって、若干ではあるが音質がさらに鮮明になるとともに、音場が幅広くなったように思われる。

アバドによる名演を、SHM−CDによる高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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アバド&ベルリン・フィルによる1度目のベートーヴェンの交響曲全集のうち、第1番から第6番については、少なくとも往年の名指揮者による重厚な名演に聴きなれた耳からすると、天下のベルリン・フィルを指揮したにしてはあまりにも軽妙浮薄な演奏であると言えるところであり、筆者としてもあまり高い評価をして来なかった。

ところが、本盤に収められた第7番については、第6番までとは異なり、アバドによるベートーヴェンとしては少なくとも軽妙浮薄とまでは言い切れないのではないだろうか。

もっとも、同曲の過去の名演、例えばフルトヴェングラー&ウィーン・フィル(1950年)、クレンペラー&ニューフィルハーモニア管(1968年)、さらにはカラヤン&ベルリン・フィル(1978年ライブ(パレクサ))などと比較すると、さすがに音の重心は低いとは言い難い。

もっとも、本演奏では、ベルリン・フィルの音色にもかつての伝統的な重厚な音色の残滓を聴くことが可能であるとともに、アバドならではの豊かな歌謡性が演奏全体に独特の艶やかさを付加しており、アバド&ベルリン・フィルによるベートーヴェンの交響曲の演奏としては、後述の第8番や第9番に次いで、佳演と評価するのにいささかの躊躇もするものではない。

また、新しい研究成果を踏まえたベーレンライター版使用による本演奏は、近年主流となっている古楽器奏法やピリオド楽器の使用による演奏の先駆けとも言えるところであり、その意味においても相当の評価をせざるを得ないとも考えられるところだ。

次いで、第8番については、楽曲の性格も多分にあるとは思うが、アバドの演奏にも第7番以上に違和感を感じるところがない。

フルトヴェングラーなどかつての大指揮者たちが名演を遺していないことも功を奏しているのかもしれないが、それ以上にアバドによる歌謡性豊かな指揮が、往年のワインガルトナーによる名演の如き極上のワインのような味わいを演奏全体に付加するのに成功しており、少なくとも、アバドによるベートーヴェンの交響曲演奏の中では、前述の第7番を凌駕するとともに、第9番と並んで名演と評価してもいいのではないだろうか。

録音については従来盤でも十分に高音質であったが、今般のSHM−CD化によって音質はより鮮明になるとともに音場が幅広くなった。

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本盤に収められたベートーヴェンの「第5」や「田園」を聴いていると、ベルリン・フィルの音色の前任のカラヤン時代からのあまりの変わりように大変驚かされる。

アバドがベルリン・フィルの芸術監督に就任してから10年近く経った頃の録音でもあり、その間にカラヤン時代の名うての奏者の大半が代替わりしたのも大きいと言えるのかもしれない。

それにしても本演奏は、フルトヴェングラーはもとより、カラヤンによる重厚な演奏とは一味もふた味も違う軽妙な演奏である。

その音色はカラフルという表現が当てはまるほどで、南国イタリアの燦々と降り注ぐ陽光を思わせるような明るい響きが支配している。

アバドが1980年代にウィーン・フィルと録音したベートーヴェンの交響曲全集には若干なりとも存在したドイツ風の重厚な響きは、もはや本演奏では完全に一掃されており、良くも悪しくもアバドの個性が完全に発揮された演奏ということになるのであろう。

このような軽妙浮薄な演奏を、天下のベルリン・フィルを指揮して成し遂げたということについては、古くからのクラシック音楽ファンからすれば許し難いことのように思われるのかもしれない。

筆者としてはさすがに許し難い演奏とまでは思わないが、好き嫌いで言えば到底好きになれない演奏と言わざるを得ない。

しかしながら、最新の研究成果を採り入れたベーレンライター版使用による本演奏が、近年におけるピリオド楽器の使用や古楽器奏法による演奏の先駆けとなったということについては否定できないところであり、その意味においては一定の評価をせざるを得ないのではないかと考えている。

録音については従来盤でも十分に高音質であったが、今般のSHM−CD化によって音質はより鮮明になるとともに音場が幅広くなった。

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2014年06月22日


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アバドがベルリン・フィルとともにベートーヴェンの交響曲全集の録音を開始したのは、芸術監督に就任後10年近く経ってからである。

その理由としては、芸術監督就任の少し前にウィーン・フィルと全集を録音していたのが何よりも大きいとは思うが、ベルリン・フィルを完全に掌握するのを待っていたという側面もあったのではないだろうか。

前任のカラヤンも、ベートーヴェンの交響曲全集の録音を開始したのは芸術監督就任から10年近く経ってからであったことを考慮に入れれば、これは天下のベルリン・フィルの芸術監督の宿命と言えるのかもしれない。

いずれにしても、本演奏は、良くも悪しくもアバド色の濃いベートーヴェンと言えるだろう。

フルトヴェングラーやカラヤン時代の特徴であった重量感溢れる重厚な音色がベルリン・フィルから完全に消え失せ、いかにも軽やかな音色が全体を支配していると言ったところだ。

かつて、とある影響力の大きい某音楽評論家が自著において、本演奏を「朝シャンをして香水までつけたエロイカ」と酷評しておられたが、かかる評価が正しいかどうかは別として、少なくとも古くからのクラシック音楽ファンには許しがたい演奏であり、それこそ「珍品」に聴こえるのかもしれない。

筆者としても、さすがに許しがたい演奏とまでは考えていないが、好き嫌いで言えば決して好きになれない軽妙浮薄な演奏と言わざるを得ない。

しかしながら、最新の研究成果を反映させたベーレンライター版の使用による本演奏は、近年主流の古楽器奏法やピリオド楽器の使用による演奏の先駆けとも言えるところであり、その意味においては、好き嫌いは別として一定の評価をせざるを得ないのではないかと考えている。

録音は従来盤でも十分に鮮明な高音質であったが、今般のSHM−CD化によって、若干ではあるが音質がさらに鮮明になるとともに、音場が幅広くなったように思われる。

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アバドは、ベルリン・フィルの芸術監督に就任するまでの間は、持ち味である豊かな歌謡性と気迫溢れる圧倒的な生命力によって素晴らしい名演の数々を成し遂げていた。

しかしながら、ベルリン・フィルの芸術監督に就任後は、なぜかそれまでとは別人のような借りてきた猫のように大人しい演奏に終始するようになってしまった。

前任者であるカラヤンを意識し過ぎたせいか、はたまたプライドが高いベルリン・フィルを統御するには荷が重すぎたのかはよくわからないが、そうした心労が重なったせいか、大病を患うことになってしまった。

ところが、皮肉なことに、大病を克服し芸術監督退任間近になってからは、凄味のある素晴らしい名演の数々を聴かせてくれるようになった。

最近発売されるアバドのCDは、いずれも円熟の名演であり、紛れもなく現代最高の指揮者と言える偉大な存在である。

それはさておきアバドは、ベルリン・フィルとともにベートーヴェンの交響曲全集を2度完成させている。

正確に言うと、「第9」だけは重複しているのだが、第1〜8番の8曲については別の演奏であり、1度目は前述の大病を患う直前のスタジオ録音、そして2度目は大病を克服した直後のライヴ録音となっている。

本盤に収められた第1番及び第2番は、1度目の全集に含まれるもの。

演奏自体は前述のような低調なアバドによるものであり、2度目の録音を大病克服直後に行ったことからしても、アバド自身もあまり満足していなかったのではないかと考えられる。

最新の研究成果を盛り込んだペーレンライター版を使用したところは、いかにもアバドならではと言えるが、記者の質問に対して版の問題は他に聞いてくれと答えたという芳しからざる噂もあり、実際のところ、アバドが自らの演奏に版の問題をどのように反映させたのかはよくわからないところだ。

本演奏を聴くと、アバドならではの歌謡性は豊かであるが、非常に軽やかな演奏という印象だ。

これは、近年のピリオド楽器や古楽器奏法による演奏を先取りするものと言えるが、天下のベルリン・フィルを指揮してのこのような軽妙な演奏には、いささか失望せざるを得ないというのが正直なところである。

前々任者フルトヴェングラーや前任者カラヤンなどによる重厚な名演と比較すると、長いトンネルを抜けたような爽快でスポーティな演奏と言えるが、好みの問題は別として、新時代のベートーヴェンの演奏様式の先駆けとなったことは否定し得ない。

もっとも、今般のSHM−CD化によって、音質が鮮明になるとともに、音場が若干ではあるが幅広くなった点については評価したい。

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クラウディオ・アバドはかつての手兵であったベルリン・フィルとドイツ・グラモフォンにベートーヴェンの交響曲全集を1999年から2000年にかけて録音しているが、本作はそれに先立つ1996年のザルツブルク音楽祭での実況録音である。

話題の「ベーレンライター新版」とは銘打ってはいないものの、アバドが各所で新鮮な解釈を聴かせる(例:フィナーレのピッコロなど)ことも発売当時大いに話題になった。

要は、アバドはベートーヴェンの交響曲の中でも、第9番には特別に自信を持っていたということを窺い知ることが出来るところだ。

このように、アバドが自信を持っていたこともあり、筆者としても、アバドによるベートーヴェンの中で最も出来がいいのは第9番であると考えている。

全体を第9番としては相当に速いテンポで演奏しているが、せかせかした印象をいささかも与えることがなく、トゥッティに向けて畳み掛けていくような力感溢れる気迫とともに、どこをとっても情感の豊かさと歌謡性を失うことがないのが素晴らしい。

特にベルリン・フィルも、この第9番においては、さすがにフルトヴェングラーやカラヤンなどの往年の指揮者による重厚な演奏にはかなわないものの、倍管にしたことも多分にあるとは思うが、重心の低い奥行きのある音色を出しているのが素晴らしい。

特に、終楽章の合唱の壮麗さは抗し難いほどの美しさを誇っており、これは世界最高峰とも称されるスウェーデン放送合唱団の起用が見事に功を奏していると言える。

ソリスト陣も非常に豪華で素晴らしい歌唱を披露しており、スウェーデン放送合唱団とともにエリック・エリクソン室内合唱団にもアバドの意思が反映され、かつてないほど精緻な響きを聴かせてくれ、最高のパフォーマンスを示していると言えるだろう。

いずれにしても、新しい研究成果に基づくベーレンライター版使用による本演奏は、近年の古楽器奏法やピリオド楽器の使用による演奏の先駆けとなったものであり、アバドによるベートーヴェンの交響曲の演奏としては最高峰にある名演と高く評価したい。

録音は従来盤でも十分に鮮明な音質であったが、先般発売されたBlu-spec CD盤では、若干ではあるが音質がさらに鮮明になるとともに、音場が幅広くなったように思われる。

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2014年06月12日


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アバドによるマーラーの交響曲第3番には、1999年のベルリン・フィルとの至高の超名演(ライヴ録音)が存在している。

当該演奏は、アバドが大病にかかる直前のベルリン・フィルとの演奏であるが、アバドも、そしてベルリン・フィルもともに渾身の力を発揮した圧倒的な超名演に仕上がっていた。

ライヴ録音ということもあって、アバドの、そしてベルリン・フィルのコンディションもかなり良かったのではないかとも思われるが、いずれにしても、このベルリン・フィル盤と比較すると本演奏は若干不利な立場に置かれていると言わざるを得ない。

しかしながら、筆者としては、ベルリン・フィル盤とは違った若き日のアバドならではの魅力のある素晴らしい名演と高く評価したい。

第2番もそうであったが、第3番においても、若きアバドのエネルギッシュな指揮ぶりは実に凄まじい。

とりわけ、第1楽章におけるトゥッティに向けて畳み掛けていくような気迫と力感は、圧倒的な迫力を誇っている。

また、第2楽章以降におけるアバドならではの歌謡性豊かな表現には汲めども尽きぬ情感が満ち満ちており、その歌心溢れる柔和な美しさには抗し難い魅力がある。

もっとも、全体にバランスを重視するあまりピアニッシモがいささか弱過ぎるきらいがあることや、終楽章においては今一歩強靭な迫力が欲しい気がしないわけでもない(とりわけ終結部のティンパニが弱いのが問題で、本終楽章がベルリン・フィル盤と比較していささか劣っている)が、その壮麗な美しさは十分に魅力的であり、演奏全体に瑕疵を与えるほどのものではない。

そして何よりも特筆すべきはウィーン・フィルによる極上の美しい音色であり、とりわけ第1楽章におけるウィンナ・ホルンやトロンボーンソロの朗々たる響きや、第1楽章及び第4楽章におけるゲルハルト・ヘッツェルのヴァイオリンソロ、そして第3楽章のアドルフ・ホラーによるポストホルンソロは圧巻の美しさを誇っており、本名演に大きく貢献している点を忘れてはならない。

若き日のジェシー・ノーマンによる歌唱も、本名演に華を添えていると評価したい。

ウィーン国立歌劇場合唱団やウィーン少年合唱団も最高のパフォーマンスを発揮している。

録音については従来盤でも比較的満足できる音質であったが、前述のベルリン・フィル盤が存在することもあって、その陰に隠れた存在に甘んじていた。

もっとも、今般、SHM−CD化による高音質化が図られたというのは、本演奏の再評価に繋がるものと言えるところであり、大いに歓迎したい。

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2014年05月11日


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本盤に収められたマーラーの交響曲第6番は、アバドによる2度にわたる同曲の録音のうち最初のものに該当する。

最新の演奏は2004年にベルリン・フィルを指揮したものであるが、それは近年のアバドの円熟ぶりを窺い知ることが可能な至高の名演であった。

したがって、それより25年も前の本演奏の影はどうしても薄いと言わざるを得ないが、筆者としては、若きアバドならではの独特の魅力がある素晴らしい名演と高く評価したい。

1970年代後半からベルリン・フィルの芸術監督に就任する直前である1980年代後半にかけては、ある意味ではアバドが最も輝いていた時期であったと言えるのではないだろうか。

アバドもベルリン・フィルの芸術監督に就任した後は、借りてきた猫のような大人しい演奏に終始するようになるのだが、かかる輝ける時期のアバドは、生命力溢れる熱のこもった名演の数々を成し遂げていた。

本演奏でもそのような若きアバドならではのエネルギッシュな指揮ぶりが健在である。

とりわけ、第1楽章や終楽章におけるトゥッティに向けて畳み掛けていくような気迫と力感は、圧倒的な迫力を誇っている。

また、第3楽章においては、アバドならではの歌謡性豊かな表現には汲めども尽きぬ情感が満ち満ちており、その歌心溢れる柔和な美しさには抗し難い魅力がある(アバドは、前述のベルリン・フィル盤では、第2楽章と第3楽章を入れ替えるという近年主流となりつつあるバージョンで演奏していたが、本演奏では、従来版に従って演奏していることについても特筆しておきたい)。

いずれにしても、本演奏は強靭な力感と豊かな歌謡性を併せ持った、いわゆる剛柔バランスのとれた名演に仕上がっていると言えよう。

また、シカゴ交響楽団も持ち前の超絶的な技量を惜しげもなく披露し、望み得る最高の演奏を繰り広げていることも、本名演に大きく貢献しているのを忘れてはならない。

併録の「リュッケルトの詩による5つの歌曲」も、シュヴァルツの歌唱ともども素晴らしい名演と高く評価したい。

録音は、従来盤でも比較的満足できる音質ではあったものの、前述のベルリン・フィル盤がSACD化されていることもあって、その陰に隠れた存在に甘んじていたと言えるが、今般、SHM−CD化による高音質化が図られたというのは、本演奏の素晴らしさに鑑みても大いに歓迎したい。

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2014年04月24日


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アバドは、ベルリン・フィルの芸術監督に就任するまでの間は、持ち味である豊かな歌謡性と気迫溢れる圧倒的な生命力によって素晴らしい名演の数々を成し遂げていた。

しかしながら、ベルリン・フィルの芸術監督に就任後は、なぜかそれまでとは別人のような借りてきた猫のように大人しい演奏に終始するようになってしまった。

前任者であるカラヤンを意識し過ぎたせいか、はたまたプライドが高いベルリン・フィルを統御するには荷が重すぎたのかはよくわからないが、そうした心労が重なったせいか、大病を患うことになってしまった。

ところが、皮肉なことに、大病を克服し芸術監督退任間近になってからは、凄味のある素晴らしい名演の数々を聴かせてくれるようになった。

最近発売されるアバドのCDは、いずれも円熟の名演であり、紛れもなく現代最高の指揮者と言える偉大な存在である。

それはさておきアバドは、ベルリン・フィルとともにベートーヴェンの交響曲全集を2度完成させている。

正確に言うと、「第9」だけは重複しているのだが、第1〜8番の8曲については別の演奏であり、1度目は前述の大病を患う直前のスタジオ録音、そして2度目は大病を克服した直後のローマでのライヴ録音(DVD作品のCD化)となっている。

要は、「第9」だけは最初の全集に収められたライヴ録音をそのまま採用しているということであり、アバドはベルリン・フィルとの最初の全集の中でも、「第9」だけには自信を持っていたということを窺い知ることが出来るところだ。

本盤に収められたベートーヴェンの交響曲全集は、アバド&ベルリン・フィルによる最初の全集だ。

このうち、第1番〜第6番については、前述のような低調なアバドによるものであり、2度目の録音を大病克服直後に行ったことからしても、アバド自身もあまり満足していなかったのではないかと考えられる。

最新の研究成果を盛り込んだペーレンライター版を使用したところは、いかにもアバドならではだが、記者の質問に対して版の問題は他に聞いてくれと答えたという芳しからざる噂もあり、実際のところ、アバドが自らの演奏に版の問題をどのように反映させたのかはよくわからないところだ。

いずれにしても、第1番〜第6番については良くも悪しくもアバド色の濃いベートーヴェンと言えるだろう。

フルトヴェングラーやカラヤン時代の特徴であった重量感溢れる重厚な音色がベルリン・フィルから完全に消え失せ、いかにも軽やかな音色が全体を支配していると言ったところだ。

かつて、とある影響力の大きい某音楽評論家が自著において、本全集の《エロイカ》の演奏を「朝シャンをして香水までつけたエロイカ」と酷評しておられたが、かかる評価が正しいかどうかは別として、少なくとも古くからのクラシック音楽ファンには許しがたい演奏であり、それこそ「珍品」に聴こえるのかもしれない。

筆者としても、さすがに許しがたい演奏とまでは考えていないが、好き嫌いで言えば決して好きになれない軽妙浮薄な演奏と言わざるを得ない。

もっとも、前述のように、近年のピリオド楽器や古楽器奏法による演奏を先取りするものと言えるが、天下のベルリン・フィルを指揮してのこのような軽妙な演奏には、いささか失望せざるを得ないというのが正直なところである。

前々任者フルトヴェングラーや前任者カラヤンなどによる重厚な名演と比較すると、長いトンネルを抜けたような爽快でスポーティな演奏と言えるが、好みの問題は別として、新時代のベートーヴェンの演奏様式の先駆けとなったことは否定し得ないと言える。

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2014年04月16日


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本盤に収められたマーラーの交響曲第4番は、アバドによる2度にわたる同曲の録音のうちの最初のもの(スタジオ録音)に該当する。

2度目の録音は、本演奏の約30年後にベルリン・フィルを指揮したライヴ録音(2005年)であり、それはベルリン・フィルの卓越した技量と、大病を克服したことによって音楽に深みと凄みを増したアバドによる彫りの深い表現、そしてルネ・フレミングによる名唱も相俟って、至高の超名演に仕上がっていた。

したがって、ベルリン・フィル盤が燦然と輝いているために本演奏の旗色は若干悪いと言わざるを得ないが、それでも、本盤には若き日のアバドならではの独特の魅力があり、名演との評価をするのにいささかの躊躇をするものではないと考える。

交響曲第4番は、他の重厚長大な交響曲とは異なり、オーケストラの編成も小さく、むしろ軽妙な美しさが際立った作品であるが、このような作品になるとアバドの歌謡性豊かな指揮は、俄然その実力を発揮することになる。

本演奏は、どこをとっても歌心に満ち溢れた柔和な美しさに満ち溢れており、汲めども尽きぬ流麗で、なおかつ淀みのない情感の豊かさには抗し難い魅力がある。

それでいて、ここぞという時の力奏には気迫と強靭な生命力が漲っており、この当時のアバドならではのいい意味での剛柔バランスのとれた素晴らしい名演に仕上がっていると高く評価したい。

オーケストラにウィーン・フィルを起用したのも功を奏しており、アバドの歌謡性の豊かな演奏に、更なる潤いと温もりを与えている点を忘れてはならない。

ウィーン・フィルのふくよかでいぶし銀のような響きと、アバドの緻密さと爽やかな歌謡性がマッチした名演と言えよう。

ゲルハルト・ヘッツェルのヴァイオリンソロも極上の美しさを誇っており、終楽章におけるフレデリカ・フォン・シュターデによる独唱も、最高のパフォーマンスを発揮している。

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2014年04月02日


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アバドによるマーラーの交響曲第9番と言えば、いの一番に1999年にベルリン・フィルとライヴ録音した超名演が思い浮かぶ。

アバドは、この演奏のあと大病を患うのであるが、当該演奏には死を予見したかのような凄みがあり、それまでのアバドによる様々な演奏とは一線を画するような至高の高みに達した超名演であった。

同曲の本質は、死への恐怖と闘い、そしてそれと対置する生への妄執や憧憬であると言えるが、アバドは、自らが死と隣り合わせになるという絶望的な境遇に陥ったことによって初めて、その音化に見事に成功したと言えるだろう。

ところが、当該演奏の約12年前の本盤に収められた演奏はどうであろうか。

様々な意見もあろうかとも思うが、筆者としては、聴き手の心の琴線に訴えかけてくるものが今一歩弱いと言わざるを得ないのではないかと考えている。

確かに、美しい演奏ではある。

本演奏において、ウィーン・フィルを起用したのも功を奏しており、このオーケストラの美音が演奏全体に独特の魅力を付加しているというのも否定し得ない事実ではある。

しかしながら、その美しさというのも、例えば、カラヤンのように、余人には及び難い絶対美の世界を構築し得る(1982年盤)のであれば、一つの方向性として説得力があるのだが、本演奏の場合は、美しさのレベルにおいてもとてもカラヤンの域に達しているとは言い難い。

また、第1楽章の死への恐怖と闘いについても、前述のアバドによるベルリン・フィル盤のような凄みには到底及んではおらず、いささか中途半端との誹りは免れないのではないかと考えられる。

もっとも、随所に聴かれる歌謡性の豊かな表現には汲めども尽きぬ情感が満ち満ちており、その歌心溢れる柔和な美しさには魅力があると言えるところである。

その意味では魅力的な箇所にも事欠かないとも言えるのかもしれない。

第10番については、この後の録音がなされていないことから本演奏が現時点でのアバドによる最新の演奏ということになるが、その演奏内容の評価については第9番と同様のことが言えるのではないか。

美しくはあるが、かと言って他の演奏を圧するような絶対美の世界を構築し得ているわけではない。

楽曲の心眼に鋭く切り込んでいくような凄みはないが、他方、歌謡性豊かな情感には満ち溢れており、その意味では魅力的な箇所も多々存在している。

いずれにしても、第9番、第10番ともに、踏み込み不足の誹りは免れないと言えるが、他方、魅力的な箇所も散見されるところであり、ウィーン・フィルによる美演も相俟って、総体として佳演との評価をするのにいささかの躊躇もするものではない。

なお、初出の時もそうであったが、アバドは、両曲をCD化するに際して、第10番を冒頭に配してその後に第9番をカップリングするという楽曲の配列にしているが、これは何か意味があるのであろうか。

少なくとも、第10番の内容に鑑みれば、第9番の終楽章の次に配するのが至当であると考えるのだが、少なくともアバドによる本演奏を聴いても、かかる特異な配置の説得力を勝ち取るだけの根拠を見出すのは困難であると言わざるを得ない。

録音は、従来盤でも比較的満足できる音質ではあったものの、今般、SHM−CD化による高音質化が図られたというのは大いに歓迎したい。

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2014年03月13日


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アバドは、私見であるが、これまでの様々な名指揮者の中でも、最高の協奏曲指揮者と言えるのではなかろうか。

ベルリン・フィルの芸術監督に就任する前には、ロンドン交響楽団とともに圧倒的な名演奏を成し遂げていた気鋭の指揮者であったアバド。

そのアバドは、ベルリン・フィルの芸術監督就任後、借りてきた猫のような大人しい演奏に終始するようになってしまった。

カラヤン時代に、力の限り豪演を繰り広げてきたベルリン・フィルも、前任者と正反対のアバドの民主的な手法には好感を覚えたであろうが、演奏については、大半の奏者が各楽器セクションのバランスを重視するアバドのやり方に戸惑いと欲求不満を感じたのではないか。

それでも協奏曲の演奏に限ってみれば、ベルリン・フィルの芸術監督就任以前と寸分も変わらぬ名演を成し遂げていた。

チャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番におけるアルゲリッチとの競演(1994年)、そして、ブラームスのピアノ協奏曲第2番におけるブレンデルとの競演(1991年)など、それぞれの各楽曲におけるトップの座を争う名演の指揮者は、このアバドなのである。

本盤に収められたロシアのヴァイオリニストであるマキシム・ヴェンゲーロフと組んで録音を行ったチャイコフスキーとグラズノフのヴァイオリン協奏曲についても、こうした名演に系譜に連なるものとして高く評価したい。

協奏曲の演奏に際してのアバドの基本的アプローチは、ソリストの演奏の引き立て役に徹するというものであり、本演奏においても御多分にも漏れないが、オーケストラのみの演奏箇所においては、アバドならでは歌謡性豊かな情感に満ち溢れており、格調の高さも相俟った美しさは、抗し難い魅力に満ち溢れている。

ここぞという時の力感溢れる演奏は、同時期のアバドによる交響曲の演奏には聴くことができないような生命力に満ち溢れており、これぞ協奏曲演奏の理想像の具現化と評しても過言ではあるまい。

チャイコフスキーやグラズノフの協奏曲に特有のロシア風のメランコリックな抒情を強調した演奏にはなっておらず、両曲にロシア風の民族色豊かな味わいを求める聴き手にはいささか物足りなさを感じさせるきらいもないわけではないが、ヴェンゲーロフのヴァイオリン演奏の素晴らしさ、両曲の持つ根源的な美しさを見事に描出し得たといういわゆる音楽の完成度という意味においては、まさに非の打ちどころのない素晴らしい名演に仕上がっていると高く評価したい。

音質は、1995年の録音ということでもあり比較的満足できる音質である。

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2014年02月12日


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最近では、ベートーヴェンを通り越してロマン派の作曲家にまで広がりつつある古楽器奏法やピリオド楽器による演奏であるが、バッハについては、そうした演奏様式が既に主流となっていることについては論を待たないであろう。

しかしながら、かかる演奏様式が芸術的であるかどうかは別問題であり、聴き手を驚かすような演奏はあっても、芸術的な感動を与えてくれる演奏というのはまだまだ少数派なのではないだろうか。

ブランデンブルク協奏曲は、かつてはフルトヴェングラーやクレンペラー、カラヤンといった大指揮者が、それこそ大編成のオーケストラを使って、重厚な演奏を繰り広げていた。

古楽器奏法やピリオド楽器による演奏様式が主流となった今日において、これらの重厚な演奏を聴くと、とある影響力のある評論家などは大時代的な演奏などと酷評しておられるが、昨今の浅薄な演奏の数々に接している耳からすると、故郷に帰った時のような安らいだ気持ちになり、深い感動を覚えることが多い。

最近、SACD&SHM−CD化されて発売されたリヒターの演奏(現時点では第1〜3番のみしか発売されていない)も立派で崇高な名演であり、未だもって評価は高い。

こうしたことからすれば、バッハの演奏様式についても、現代楽器を活用した従来型の演奏を顧みるべき時期に来ているのかもしれない。

そうした機運の更なる起爆剤になりそうなCDこそが、本盤に収められたアバドによる素晴らしい名演である。

アバドの下で演奏している各独奏者や、モーツァルト管弦楽団のメンバーは、いずれも前途洋々たる将来性がある若き音楽家たちだ。

そうした若き音楽家たちが、現代楽器を使用して、実に楽しげに演奏を行っており、そうした音楽家たちの明るく楽しげな気持ちが音楽を通じて聴き手に伝わってくるのが素晴らしい。

本演奏には、フルトヴェングラーなどによる演奏が有していた重厚さはないが、他方、古楽器奏法やピリオド楽器による演奏が陥りがちな軽妙浮薄な演奏にも堕しておらず、いい意味での剛柔バランスのとれた名演に仕上がっている点を高く評価したい。

アバドは、大病を克服した後は、音楽に深みと鋭さが加わり、皮肉にもベルリン・フィルの芸術監督を退いた後は、大指揮者という名に相応しい数々の名演を成し遂げているが、本演奏では、若くて将来性のある音楽家たちをあたたかく包み込むような滋味溢れる指揮ぶりが見事である。

ブランデンブルク協奏曲を番号順ではなく、ランダムに並べた配列もなかなかにユニークであると評価し得る。

録音も鮮明であり、本名演を素晴らしい音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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2014年02月11日


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本盤にはプロコフィエフのピアノ協奏曲第3番とラヴェルのピアノ協奏曲が収められているが、いずれも素晴らしい名演と高く評価したい。

それどころか、録音から40年以上が経過しているにもかかわらず、現在でもなお両曲の様々な演奏の中でもトップの座を争う至高の超名演と高く評価したい。

アルゲリッチのピアノは、実演においてもスタジオ録音においても、灼熱のように燃え上がる圧倒的な豪演を展開するが、それは本盤に収められた演奏においても健在。

その卓越した技量は超絶的でもあり、とても人間業とは思えないような強靭な打鍵から繊細な抒情に至るまで表現の幅は桁外れに広く、変幻自在のテンポ設定や猛烈なアッチェレランドを駆使するなど、自由奔放で即興的とも言うべき圧倒的なピアニズムを展開している。

それでいて、アルゲリッチが素晴らしいのは、どれだけ自由奔放な演奏であっても、いささかも格調の高さを失うことがないという点である。

要は、どのように大胆な表現を行っても、芸術性を損なわないということであり、プロコフィエフでは同曲特有の独特のリズム感と叙情性を巧みに表現しているし、ラヴェルのピアノ協奏曲では、同曲が含有するフランス風のエスプリ漂う瀟洒な味わいにおいてもいささかの不足はない。

このような圧倒的なピアニズムを展開するアルゲリッチに対して、アバドの指揮も一歩も引けを取っていない。

当時のアバドは次代を担う気鋭の指揮者として上昇気流に乗りつつあったが、本盤の演奏においても、畳み掛けていくような気迫や力強さ、そして持ち前の豊かな歌謡性を駆使した、いい意味での剛柔バランスのとれた名演奏を行っている点を高く評価したい。

オーケストラにベルリン・フィルを起用したのも功を奏しており、さすがにこの当時はポストカラヤンなどは問題にもならなかったであろうが、気鋭の指揮者に敬意を表して最高の演奏を披露したベルリン・フィルにも大きな拍手を送りたい。

なお、アルゲリッチは、プロコフィエフのピアノ協奏曲第3番についてはデュトワ&モントリオール交響楽団(1997年)とともに、ラヴェルのピアノ協奏曲については、アバド&ロンドン交響楽団(1985年)、デュトワ&モントリオール交響楽団(1997年)とともに再録音を行っており、それらも素晴らしい名演ではあるが、本盤の演奏にはそれら後年の演奏にはない若さ故の独特の瑞々しさがあり、本盤の演奏の方をより上位に置きたいと考える。

音質については、これまで何度もリマスタリングを繰り返してきたこともあって、従来盤でも十分に良好な音質である。

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2014年01月01日


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アバドはマーラーの交響曲第7番を2001年にベルリン・フィルとライヴ録音していることから、本盤に収められた演奏は、その17年も前のアバドによる最初の録音(スタジオ録音)ということになる。

ベルリン・フィル盤は、ベルリン・フィルの卓越した名技を生かしつつ、胃がんを発表した後の明鏡止水にも似たような境地が漂う何とも言えない深い味わいがあり、至高の名演に仕上がっている。

これに対して、本演奏もベルリン・フィル盤とは違った魅力のある名演と高く評価したい。

当時のアバドは、ある意味では全盛時代にあったと言えるのではないだろうか。

ベルリン・フィルの芸術監督に就任してからは借りてきた猫のように大人しい演奏に終始するようになるのだが(前述の胃がん克服後は、彫りの深い名演を成し遂げるようになったことは忘れてはならない)、この時期のアバドには楽曲の核心に向けてぐいぐいと喰い込んでいくような力強い推進力があった。

本演奏においても、アバドのエネルギッシュな生命力は健在であり、とりわけ第1楽章や終楽章のトゥッティに向けて畳み掛けていくような気迫溢れる力強さは圧巻の迫力を誇っている。

第3楽章もアバドには珍しいような変幻自在のテンポや粘ったようなリズムなどを効果的に駆使して、実に魅力的な演奏を繰り広げているのが素晴らしい。

それでいて、とりわけ第2楽章や第4楽章のいわゆる「夜の歌」において顕著であるが、豊かな情感に満ち溢れた歌謡性はアバドならではのもので、その歌心溢れる柔和な美しさには抗し難い魅力に満ち溢れている。

まさに、本演奏は、この時期のアバドならではの剛柔バランスのとれた素晴らしい名演に仕上がっていると高く評価したい。

また、アバドの統率の下、当時、ベルリン・フィルと並んで世界最高水準の技量を誇っていたシカゴ交響楽団も、その持ち前の超絶的な技量を駆使して、望み得る最高の演奏を繰り広げているのも、本名演に大きく貢献している点を忘れてはならない。

録音については従来盤でも比較的満足できる音質であったが、前述のベルリン・フィル盤が存在することもあって、その陰に隠れた存在に甘んじていたと言える。

もっとも、今般、SHM−CD化による高音質化が図られたというのは、本演奏の再評価に繋がるものと言えるところであり、大いに歓迎したい。

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2013年12月31日


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アバドはレパートリーがきわめて広範であるために、一般的にはそのような認識がなされているとは必ずしも言い難いが、いわゆるマーラー指揮者と評しても過言ではないのではないだろうか。

マーラーの交響曲全集を一度、オーケストラや録音時期が異なるなど不完全な形ではあるが完成させているし、その後も継続して様々な交響曲の録音を繰り返しているからだ。

ライバルのムーティが第1番しか録音していないのと比べると、その録音の多さには際立ったものがあり、こうした点にもアバドのマーラーに対する深い愛着と理解のほどが感じられるところである。

アバドのマーラー演奏の特徴を一言で言えば、持ち味の豊かな歌謡性ということになるのではないか。

マーラーの長大な交響曲を演奏するに当たって、アバドの演奏はどこをとっても豊かな歌心に満ち溢れている。

したがって、マーラー特有の随所に炸裂する不協和音や劇的な箇所においても歌謡性を失うことがいささかもなく、踏み外しを行ったりするなど極端な表現を避けているように思われるところである。

もっとも、アバドもベルリン・フィルの芸術監督に就任するまでの間にシカゴ交響楽団などと録音された演奏では、持ち前の豊かな歌謡性に加えて、生命力溢れる力感と気迫に満ち溢れた名演の数々を成し遂げていた。

しかしながら、ベルリン・フィルの芸術監督就任後は借りてきた猫のように大人しい演奏が多くなり、とりわけ大病を克服するまでの間に演奏された第5番は、物足りなさ、踏み込み不足を感じさせる演奏であったとも言える。

しかしながら、大病にかかる直前、そして大病克服後の演奏では、豊かな歌謡性に加えて、楽曲の心眼に鋭く踏み込んでいくような彫りの深さが加わったと言えるところであり、特に、ベルリン・フィルとの第3番、第4番、第6番、第7番及び第9番、ルツェルン祝祭管との第2番は圧倒的な名演に仕上がっている。

本盤に収められた第1番は、ベルリン・フィルの芸術監督就任直前のアバドによる演奏だ。

彫りの深さといった側面ではいささか物足りないという気がしないでもないが、楽曲がマーラーの青雲の志を描いた初期の第1番であるだけに、かかる欠点は殆ど目立つことなく、持ち前の豊かな歌謡性が十分に活かされた素晴らしい名演に仕上がっていると評価したい。

これほどまでに、歌心に満ち溢れるとともに情感の豊かさを湛えている同曲の演奏は類例を見ないところであり、バーンスタインやテンシュテットなどの劇的な演奏に食傷気味の聴き手には、清新な印象を与える名演であると言っても過言ではあるまい。

新しい芸術監督に対して最高の演奏で応えたベルリン・フィルに対しても大いに拍手を送りたい。

録音は従来盤でも十分に満足できる音質であったが、今般のSHM−CD化によってさらに鮮明な音質に生まれ変わった。

アバドによる素晴らしい名演を、SHM−CDによる高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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本盤に収められたマーラーの交響曲第8番は、現在のところアバドによる同曲の唯一の録音ということになる。

したがって、他の交響曲のように新旧両盤の比較をすることはできないが、いずれにしても本演奏は素晴らしい名演と高く評価したい。

筆者は、アバドの全盛時代はベルリン・フィルの芸術監督就任前であると考えている。

そして、ベルリン・フィルの芸術監督就任以降は借りてきた猫のように大人しい演奏に終始するようになり、胃がんによって病に伏すまでの間は、大半の演奏が今一歩の凡庸な演奏に陥っていると考えている。

もちろん、かかる大病を克服した後はアバドの指揮にも凄みと深みが加わり、円熟の名演の数々を繰り広げるようになるのだが、ベルリン・フィルの芸術監督時代の大半は、かかる円熟に至る道程にあったと言わざるを得ないのではないか。

しかしながら、そのようなアバドも、自らの芸風に符号した楽曲においては奇跡的な名演を成し遂げることがあった。

本演奏は、まさにそれに該当するのではないかと考えられる。

アバドの本演奏におけるアプローチは徹底したバランス重視であり、例えばバーンスタインやテンシュテットなどの演奏のようにドラマティックな要素など薬にしたくもなく、楽想をいかに美しく響かせるのかに腐心しているようにさえ思われる。

そして、アバドならではの歌謡性豊かな表現は健在であり、どこをとっても汲めども尽きぬ情感が満ち満ちており、その歌心溢れる柔和な美しさには抗し難い魅力がある。

決して喚いたり叫んだりしない大人し目のマーラーと言えるが、楽曲が第5番や第9番などではないために、いささかの物足りなさを感じさせることはない。

それでいて、第2部の終結部の壮麗な迫力は圧倒的であり、アバドの豊かな歌謡性と大編成のオーケストラによる熱演や合唱団などによる熱唱が見事にマッチングした稀有の素晴らしいエンディングであると評価したい。

アバド時代になって、ベルリン・フィルにも世代交代の波が押し寄せ、この当時のベルリン・フィルはやや低迷期にあるとの評価もなされていたが、本演奏では、アバドの統率の下、持ち前の底力を発揮した素晴らしい演奏を展開している。

アンネ・ゾフィー・フォン・オッターやペーター・ザイフェルト、ブリン・ターフェルなどの豪華歌手を揃えた独唱陣も最高の歌唱を披露しており、ベルリン放送合唱団、プラハ・フィルハーモニー合唱団、そしてテルツ少年合唱団も最高のパフォーマンスを発揮していると評価したい。

録音については従来盤でも比較的満足できる音質であったが、今般、SHM−CD化による高音質化が図られたというのは、本演奏の素晴らしさに鑑みても大いに歓迎したい。

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2013年11月13日


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アバドの指揮する独墺系の作曲家による楽曲については、そのすべてが名演とされているわけではないが、その中で、メンデルスゾーンについては、既に録音された演奏のすべてが名演との評価を得ている数少ない作曲家である。

本盤には、アバドが1980年代にロンドン交響楽団とともに録音(1984、1985年)したメンデルスゾーンの交響曲全集・序曲集からの抜粋である。

交響曲第3番「スコットランド」と第4番「イタリア」、そして序曲「フィンガルの洞窟」が収められている。

アバドは、本演奏の約20年前の1967年にも、ロンドン交響楽団とともに交響曲第3番及び第4番を録音(英デッカ)しており、それも当時気鋭の指揮者として人気上昇中であった若きアバドによる快演であったが、本演奏の方が円熟味など様々な点からしてもより素晴らしい名演と言えるだろう。

また、アバドは1995年にも、ベルリン・フィルとともに交響曲第4番をライヴ録音(ソニークラシカル)しており、それは実演ならではの熱気溢れる豪演に仕上がっていることから、第4番に限っては、1995年盤の方をより上位に置きたい。

それはさておき本演奏についてであるが、本演奏の当時のアバドは最も輝いていた時期である。

ベルリン・フィルの芸術監督就任後は、借りてきた猫のように大人しい演奏に終始するアバドではあるが、この時期(1970年代後半から1980年代にかけて)に、ロンドン交響楽団やシカゴ交響楽団、そしてウィーン・フィルなどと行った演奏には、音楽をひたすら前に進めていこうとする強靭な気迫と圧倒的な生命力、そして持ち前の豊かな歌謡性が融合した比類のない名演が数多く存在していた。

本盤の演奏においてもそれは健在であり、どこをとっても畳み掛けていくような気迫と力強い生命力に満ち溢れているとともに、メンデルスゾーン一流の美しい旋律の数々を徹底して情感豊かに歌い抜いていて、その瑞々しいまでの美しさには抗し難い魅力に満ち溢れている。

重厚さにはいささか欠けているきらいがないわけではないが、これだけ楽曲の美しさを堪能させてくれれば文句は言えまい。

併録の序曲「フィンガルの洞窟」も、交響曲と同様のアプローチによる美しさの極みとも言うべき演奏に仕上がっている。

いずれにしても、本盤の演奏は、アバドが指揮した独墺系の音楽の演奏の中では最高峰の一つに位置づけられる素晴らしい名演と高く評価したい。

音質は従来CD盤でも十分に満足できる高音質であったが、今般のSHM−CD化によって、音質がより鮮明になるとともに、音場が幅広くなったように思われる。

いずれにしても、アバドによる素晴らしい名演を、SHM−CDによる高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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2013年11月04日


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ぺルゴレージ生誕300年を記念してアバドが取り組んできた3枚にも渡るアルバムの有終の美を飾る3作目のアルバムであり、アバドのペルゴレージへの拘りを感じさせる1枚である。

本盤には、1作目のCDに収められた「スターバト・マーテル」や、2作目のCDに収められた「聖エミディオのために」のような有名曲は見当たらず、いずれも知られざる作品がラインナップされているが、アバドによる見事な名演によって、これらの作品に光が当てられることになった功績は極めて大きいと言わざるを得ない。

どの曲も、清澄なみずみずしささえ感じさせる美しさに満ち溢れており、純度の高い透明感溢れる極上の響きが、いかにも宗教音楽ならではの至高・至純の高みを体現させていると言えるだろう。

ペルゴレージと言えば「スターバト・マーテル」位しか一時は知らなかったのだが、イタリア独特の甘く切ない調べに乗った本盤収録の各宗教曲は初めて聴く曲が大半なのに、何故か聴き入って知らない間に魅了されている自分に気がつくのである。

アバドによって見事に統率されたモーツァルト管弦楽団やスイス・イタリア語放送協会合唱団も最高のパフォーマンスを示しており、特に、モーツァルト管弦楽団など、ピリオド楽器を用いているにもかかわらず、ごつごつした感じが全くなく、どこまでも滑らかで歌謡性豊かなハーモニーを奏でているのは、アバドの抜群の統率の賜物と言えるだろう。

独唱陣も、情感溢れる見事な歌唱を行っており、ぺルゴレージの知られざる作品の魅力を引き出すのに大きく貢献している点も忘れてはなるまい。

リーフレットの今谷和徳氏の解説は、いずれも滅多に演奏される機会のないこれらの宗教曲を理解する上で貴重な解説である。

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2013年09月26日


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アバドによるマーラーの交響曲第2番と言えば、いの一番にルツェルン祝祭管弦楽団との超名演(2003年ライヴ)が思い浮かぶ。

当該演奏は、大病を克服したアバドならではの深みと凄みを増した指揮とアバドと深い関係にあるルツェルン祝祭管弦楽団が、ともに音楽を創造していくことの楽しみを共有し合いつつ渾身の力を発揮した稀有の超名演に仕上がっていた。

したがって、このルツェルン盤の存在があまりにも大きいために、そしてウィーン・フィルとのライヴ録音(1992年)も存在しているため、更に約20年も前のスタジオ録音である本盤の演奏の影はいささか薄いと言わざるを得ないが、筆者としては、若き日のアバドならではの独特の魅力がある素晴らしい名演と高く評価したい。

本演奏におけるアバドのエネルギッシュな指揮ぶりは実に凄まじい。

とりわけ第1楽章や終楽章におけるトゥッティに向けて畳み掛けていくような気迫と力感は、圧倒的な迫力を誇っていると言えるところであり、ベルリン・フィルの芸術監督に就任後、借りてきた猫のように大人しくなってしまったアバドとは別人のような力強い生命力に満ち溢れた熱い指揮ぶりである(アバドは芸術監督退任間近に胃がんにかかるが、胃がん克服後は、彫りの深い名演を成し遂げるようになったことを忘れてはならない)。

それでいて、とりわけ第2楽章や第3楽章などにおいて顕著であるが、アバドならではの歌謡性豊かな表現には汲めども尽きぬ情感が満ち満ちており、その歌心溢れる柔和な美しさには抗し難い魅力がある。

終楽章の終結部の壮麗さも、雄渾なスケールと圧巻の迫力に満ち溢れており、圧倒的な感動のうちに全曲を締めくくっている。

シカゴ交響楽団も持ち前の超絶的な技量を如何なく発揮しており、本名演に大きく貢献しているのを忘れてはならない。

また、キャロル・ネブレットとマリリン・ホーンによる独唱、そしてシカゴ交響合唱団による壮麗な合唱も最高のパフォーマンスを発揮していると評価したい。

録音については、従来盤でも十分に満足し得る音質であったが、今般、オリジナル・マスターからのハイビット・ハイサンプリング音源を使用するとともに、SHM−CD化による更なる高音質化が図られたというのは、本演奏の素晴らしさから言っても大いに歓迎したい。

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2013年08月31日


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本盤に収められているのは、カルミニョーラが、同じイタリア人の大指揮者アバドと組んでスタジオ録音を行ったモーツァルトのヴァイオリンのための協奏曲全集及び協奏交響曲である。

カルミニョーラは、モダンとバロック両方のヴァイオリン演奏法を修得し、きわめて幅広いレパートリーを擁するヴァイオリニスト。

カルミニョーラは1997年にモーツァルトのヴァイオリン協奏曲集を収録したが、それから10年後の2007年に何かと過去関係もあったアバドとの共演で本盤演奏が収録されたものである。

オーケストラはアバドが2004年に設立したモーツァルト管弦楽団で、若々しい躍動感溢れる音を放ってヴィブラートを抑制したピリオド奏法でバックサポートしている。

いずれも素晴らしい名演と高く評価したい。

本演奏の特徴を一言で言えば、ソロ奏者、指揮者、オーケストラの全員が実に楽しげに音楽を奏でているということではないかと考えられる。

カルミニョーラのヴァイオリンは、モーツァルトの若い時代の作品であるということもあってもともと卓越した技量を要するような楽曲ではないという側面もあるが、自らの技量をいささかも誇示することなく、あたかも南国イタリアの燦々と降り注ぐ陽光のような明瞭で伸びやかな演奏を披露してくれているのが素晴らしい。

若手の才能ある演奏家で構成されているモーツァルト管弦楽団も、いわゆる古楽器奏法を駆使した演奏ではあるがいささかも薄味には陥っておらず、フレッシュな息吹を感じさせるような躍動感溢れる名演奏を展開しており、演奏全体に清新さを与えるのに大きく貢献しているのを忘れてはならない。

アバドは、ベルリン・フィルの芸術監督退任の少し前に大病を患ったが、大病克服後は音楽に深みと鋭さを増すことになり、現代を代表する大指揮者と言える偉大な存在であるが、本演奏においては、親交あるカルミニューラやヴィオラのヴァスキエヴィチ、そしてモーツァルト管弦楽団などの若い音楽家たちを温かく包み込むような滋味溢れる指揮ぶりが見事である。

録音については、今から約5年前の録音であり、十分に満足し得る高音質である。

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本盤に収められたマーラーの交響曲第6番は、DVD作品を除けば、アバドによる3度目の録音ということになる。

最初のものは、ウィーン交響楽団とのライヴ録音(1967年)であり、デビューしたばかりの若きアバドならではの渾身の大熱演であった。

これに対して、2度目のものはシカゴ交響楽団とのスタジオ録音(1979〜1980年)であり、これはある意味ではアバドが最も輝いていた時期の演奏。

持ち味である歌心溢れる豊かな歌謡性と強靭な気迫や生命力が融合した稀有の名演に仕上がっていた。

これに対して、本演奏は2004年のライヴ録音。

これまでの2度にわたる演奏とは一線を画する円熟の名演に仕上がっている。

本演奏の最大の優位点は、演奏全体を支配する奥行きの深さである。

アバドはベルリン・フィルの芸術監督を退任する少し前の2000年に大病を患うことになった。

そして、アバドはその大病を見事に克服するのであるが、死と隣り合わせの苛烈な体験を経たことによって、アバドの芸風には、それまでの演奏にはなかった凄みと底知れぬ彫りの深さが加わったと言えるのではないだろうか。

ベルリン・フィルの芸術監督に就任して以降は、借りてきた猫のように大人しい演奏に終始していただけに、その変貌ぶりには驚くべきものがあったとも言える。

したがって、本演奏には、これまでの2度にわたる演奏には存在しなかった楽曲の心眼に鋭く切り込んでいくような彫りの深さが存在しているというのはある意味では当然であり、まさにアバドによる円熟の名演と評価するのにいささかも躊躇するものではない。

もっとも、トゥッティに向けて畳み掛けていくような気迫や強靭な迫力という意味においては、シカゴ交響楽団との2度目の録音と比較するといささか見劣りするとも言えなくもないが、むしろ、このように決して喚いたり叫んだりしない、そして奥行きの深い演奏の中にも持ち前の豊かな歌謡性をより一層際立たせたいい意味での剛柔バランスのとれた演奏こそが、アバドが目指す究極のマーラー演奏の理想像とも言えるのかもしれない。

なお、アバドは、これまでの2度にわたる録音とは異なり、国際マーラー協会の見解に従って、第2楽章と第3楽章を入れ替えるバージョンで演奏しているが、これはいかにも新しいもの好きのアバドならではの解釈である。

ベルリン・フィルも、このような深みと凄みを増したアバドによる確かな統率の下、持ち得る実力を十二分に発揮した最高のパフォーマンスを示していると評価したい。

録音については、数年前に発売されたこのマルチチャンネル付きのSACDがベストの高音質である。

当該SACD盤は現在でも入手可であり、可能であれば、当該SACD盤の入手をおすすめしたい。

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2013年08月11日


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本盤に収められたマーラーの交響曲第5番は、アバドによる2度にわたる同曲の録音のうち最初のものに該当するが、ベルリン・フィルとの新盤(1993年)よりもはるかに優れた素晴らしい名演と高く評価したい。

筆者は、アバドが最も輝いていたのは、ベルリン・フィルの芸術監督の就任前、ロンドン交響楽団やシカゴ交響楽団などとともに数々の演奏を行っていた時期(とりわけ1970年代後半から1980年代にかけて)であると考えている。

ベルリン・フィルの芸術監督就任以降は借りてきた猫のように大人しい演奏に終始するようになり、胃がんによって病に伏すまでの間は、大半の演奏が今一歩の凡庸な演奏に陥っていたと言えるのではないだろうか。

前述のベルリン・フィル盤もその最たる例であると言えるところであり、筆者もマルチチャンネル付きのSACD盤を所有しているが、演奏全体に覇気が感じられないのが大いに気になった次第だ。

それに対して、本演奏におけるアバドの力強い生命力が漲った力感溢れる指揮ぶりは実に凄まじい。

第1楽章からして、ベルリン・フィル盤には感じられないような気迫溢れる推進力が漲っており、各楽章のトゥッティに向けて畳み掛けていくような力強さは圧倒的な迫力を誇っている。

それでいて、第4楽章や各楽章の緩徐部分における歌謡性豊かな表現には汲めども尽きぬ情感が満ち満ちており、その歌心溢れる柔和な美しさには抗し難い魅力がある。

その意味では、本演奏はいい意味での剛柔バランスのとれた名演に仕上がっていると言えるのかもしれない。

また、当時のシカゴ交響楽団は、音楽監督であったショルティの下、スーパー軍団の異名をとるほどの力量を誇っていたが、本演奏でも持ち前の超絶的な技量を惜しげもなく披露し、望み得る最高の演奏を繰り広げていることも、本名演に大きく貢献しているのを忘れてはならない。

録音は、従来盤が今一つの音質であり、前述のベルリン・フィル盤がSACD化されていることもあって、その陰に隠れた存在に甘んじていたと言えるが、本演奏こそがアバドによるマーラーの交響曲第5番の代表盤であることを考慮すれば、今般、SHM−CD化による高音質化が図られたのを大いに歓迎したい。

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アバドは若手の才能のある音楽家で構成されているモーツァルト管弦楽団とともに、モーツァルトの主要な交響曲集やヴァイオリン協奏曲全集などを録音しており、お互いに気心の知れた関係だと言える。

そして本盤のホルン協奏曲集であるが、モーツァルトのホルン協奏曲の全曲録音は、意外にもアバドにとっては本盤が初めてのことであるが、そのようなことを微塵も感じさせないような素晴らしい名演に仕上がっていると高く評価したい。

本演奏においてホルンを吹いているのは、アレッシオ・アレグリーニというアバドと同様のイタリア出身の若手ホルン奏者。

イタリア随一のオーケストラでもある聖チェチーリア音楽院管弦楽団の首席奏者のみならず、モーツァルト管弦楽団を含めたアバドが指揮するオーケストラの首席奏者をつとめるなど、アバドとともにホルン協奏曲を演奏するには申し分のない逸材であると言える。

アレッシオ・アレグリーニのホルンは、卓越した技量をベースとしつつ、あたかも南国イタリアを思わせるような明朗で解放感に溢れたナチュラルな音色が持ち味である。

そして、その表現は濃密で、歌謡性豊かでロマンティシズムの香りさえ漂っているところであり、モーツァルトのホルン協奏曲のこれまでの様々な演奏と比較しても、濃厚な表情づけという意味においては最右翼に掲げられる演奏と言っても過言ではあるまい。

もちろん、心を込め抜いた濃厚なロマンティシズムと言っても、音楽全体の造型がいささかも弛緩することがないというのは、アレッシオ・アレグリーニの類稀なる才能と音楽性の賜物だと考えられる。

アバドは、ベルリン・フィルの芸術監督の退任間近に大病を患い、その大病を克服した後は彫りの深い凄みのある表現をするようになり、今や現代を代表する大指揮者であると言えるが、気心の知れたモーツァルト管弦楽団を指揮する時は、若き才能のある各奏者を慈しむような滋味豊かな指揮に徹している。

本演奏でも、アバドの滋味豊かな指揮ぶりは健在であり、アレッシオ・アレグリーニの心を込め抜いた濃厚なホルン演奏を下支えするとともに、演奏全体に適度の潤いと温もり、そして清新さを付加するのに大きく貢献しているのを忘れてはならない。

音質も、特にSHM−CD仕様などが施されているわけではないが、十分に満足できる鮮明な高音質であると高く評価したい。

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2013年07月12日


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アバドとユジャ・ワンの組み合わせで、彼女を世の中に有名にしたディスクである。

両曲ともに素晴らしい名演だ。

特に、パガニーニの主題による変奏曲については、同曲演奏史上ベストワンを争う名演と言ってもいいのではなかろうか。

それは、ユジャ・ワンの気高いピアノと若き才能ある奏者が集まったマーラー室内管弦楽団によるフレッシュな演奏によるところが大きい。

同曲は変奏曲だけに、目まぐるしく変転する各変奏曲の表情づけをいかに巧みに行うのかが鍵となるが、ユジャ・ワン、そしてマーラー室内管弦楽団は、変幻自在のテンポ設定や幅の広いダイナミックレンジを大胆に駆使しつつ、曲想を心を込めて精緻に描き出していく。

それ故に、ラフマニノフ特有のメランコリックなロシア的抒情の描出にはいささかも抜かりはないが、若き音楽家たちによる演奏だけに、ラフマニノフの演奏に時として聴かれる大仰さがなく、全体に力強い生命力とフレッシュな息吹が漲っているのが素晴らしい。

厚手の外套を身にまとったような重々しい演奏が主流の同曲の演奏に、新風を吹き込んだこのコンビによる清新な名演に大いに拍手を送りたい。

他方、ピアノ協奏曲第2番は、海千山千の名演が目白押しだけに、本盤をベストワンを争う名演とするのは困難であるが、変奏曲と同様のアプローチによる新鮮味溢れる名演と評価するのにいささかの躊躇もしない。

アバドは、大病を克服した後は音楽に凄みと深みが加わり、現代における最高峰の指揮者の一人と言える偉大な存在であるが、本盤では、若き音楽家たちを慈しむような滋味溢れる指揮ぶりが見事である。

録音も鮮明で文句なし。

ちなみに「ライヴ」と銘打っているが、音質、ノイズ面などから、部分的にはスタジオ収録であると思われる。

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2013年07月02日


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これはアバド&ベルリン・フィルが成し遂げた最高の名演の一つと言えるのではないだろうか。

アバドが最も輝いていたのは、ベルリン・フィルの芸術監督に就任する前の1970年代から1980年代にかけて、ロンドン交響楽団やシカゴ交響楽団などと様々な名演を繰り広げていた時期であるというのが大方の見方だ。

ところが、そのようなアバドも、ベルリン・フィルの芸術監督就任後は借りてきた猫のように大人しくなり、一部の例外を除いてはそれまでとは別人のような凡庸な演奏を繰り広げるようになってしまった。

そして、アバドは芸術監督退任直前に大病を患うことになったが、大病克服後は、皮肉にも演奏に深みと凄みが加わり、現代を代表する真の大指揮者としての地位を確立するに至っている。

本盤に収められたチャイコフスキーの管弦楽曲集は、アバドがベルリン・フィルの芸術監督に着任して数年後のライヴ録音(1994〜1996年)であり、まさに前述の低迷期の演奏であると言えるが、本盤の演奏はその例外とも言えるような素晴らしい名演に仕上がっていると高く評価したい。

本盤に収められた楽曲は、幻想曲「テンペスト」を除き、いずれも前任者であるカラヤンがベルリン・フィルとともに名演を成し遂げたものである。

しかしながら、アバドのアプローチはカラヤンとは全く異なるものであると言えるだろう。

カラヤンが、重厚にして華麗ないわゆるカラヤン・サウンドを駆使して、オーケストラ演奏の極致とも言うべき圧倒的な音のドラマを構築したが、アバドの演奏にはそのような重厚さであるとか華麗さなどとは全く無縁である。

むしろ、ベルリン・フィルの各楽器セクションのバランスを重視するとともに、チャイコフスキーの作曲した甘美な旋律の数々を徹底して歌い抜いている。

要は、オーケストラを無理なくバランス良く鳴らすとともに、豊かな歌謡性を付加した美演というのが、本盤のアバドの演奏の特徴である。

そして、このような演奏をベースとして、アバドは、オペラ指揮者において培ってきた演出巧者ぶりを存分に発揮して、各楽曲の聴かせどころのツボを心得た心憎いばかりの明瞭な演奏を展開しているところだ。

もっとも、本演奏は、ライヴ録音ということも多分にあると思うが、楽曲のトゥッティに向けて畳み掛けていくような気迫や強靭な生命力も有していると言えるところであり、前述のようにカラヤンによる重厚な演奏とはその性格を大きく異にするものの、剛柔のバランスにおいてもいささかも不足はないと言える。

いずれにしても、本盤の演奏は、必ずしも順風満帆とはいかなかったアバド&ベルリン・フィルが成し遂げた数少ない名演として高く評価したい。

音質については、本従来CD盤でも十分に良好なものであるが、先日発売されたSHM−CD盤は、若干ではあるが音質が鮮明になるとともに、音場が幅広くなったように思われる。

アバドによる素晴らしい名演をより鮮明な音質で味わいたいという聴き手には、SHM−CD盤の方の購入をお薦めしておきたい。

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アバドは、今般の管楽器のための協奏曲集の録音開始以前にも、若手の才能ある音楽家で構成されているモーツァルト管弦楽団とともに、モーツァルトの主要な交響曲集やヴァイオリン協奏曲全集などの録音を行っており、お互いに気心の知れた関係であるとも言える。

それだけに、本演奏においても息の合った名コンビぶりを如何なく発揮していると言えるところであり、素晴らしい名演に仕上がっていると高く評価したい。

本演奏でソロをつとめたのは、いずれもモーツァルト管弦楽団の首席奏者をつとめるなど、アバドの芸風を最も理解している気鋭の若手奏者であり、アバドとともにこれらの協奏曲を演奏するには申し分のない逸材である。

ホルンのアレッシオ・アレグリーニをはじめ、オーボエのルーカス・マシアス・ナヴァッロ、クラリネットのアレッサンドロ・カルボナーレ、ファゴットのギヨーム・サンタナ、 フルートのジャック・ズーン、そしてハープのレティツィア・ベルモンドのいずれの演奏も、卓越した技量をベースとしつつ、アバドによる薫陶の成果も多分にあると思われるところであるが、あたかも南国イタリアを思わせるような明朗で解放感に溢れたナチュラルな音色が持ち味である。

そして、その表現は意外にも濃密で、歌謡性豊かでロマンティシズムの香りさえ漂っているところであり、いわゆる古楽器奏法を旨とする演奏としては異例と思われるほどの豊かな情感に満ち溢れていると言っても過言ではあるまい。

また、アバドの指揮についても指摘しておかなければならないだろう。

アバドは、ベルリン・フィルの芸術監督の退任間近に大病を患い、その大病を克服した後は彫りの深い凄みのある表現をするようになり、今や現代を代表する大指揮者であると言えるが、気心の知れたモーツァルト管弦楽団を指揮する時は、若き才能のある各奏者を慈しむような滋味豊かな指揮に徹している。

本演奏でも、かかるアバドによる滋味豊かな指揮ぶりは健在であり、これらの気鋭の各若手奏者の演奏をしっかりと下支えするとともに、演奏全体に適度の潤いと温もり、そして清新さを付加するのに大きく貢献しているのを忘れてはならない。

音質についても、最新の録音であるとともにSHM−CD化がなされたこともあって、十分に満足できる素晴らしい高音質と高く評価したい。

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2013年06月01日


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近年のアバドは素晴らしい。

ベルリン・フィルの芸術監督に就任した頃は、かつてのロンドン交響楽団の音楽監督時代のような力強さが影を潜め、借りてきた猫のように大人しい演奏に終始しアバドもこれまでかと思っていたが、大病を克服した後は不死鳥のように生まれ変わった。

その後の演奏には、かつてのアバドにはなかった凄みと深さが加わり、今や現代最高峰の指揮者と言っても過言ではないほどの偉大な存在になりつつある。

本盤に収められたベートーヴェンの歌劇「フィデリオ」も、まさにそのような偉大な指揮者による素晴らしい名演に仕上がっていると高く評価したい。

アバド&ベルリン・フィルによるベートーヴェンの交響曲の演奏(特に、最初の全集のうちの第1番〜第6番)については、そのあまりの軽妙さにいささか違和感を感じずにはいられなかったが、本演奏では同じベートーヴェンの楽曲であってもそのような違和感など微塵も感じさせない。

持ち前の豊かな歌謡性と音楽の核心に切り込んでいこうという鋭さ、そして、各場面の頂点に向けて畳み掛けていくような気迫溢れる力強さなど、どこをとってもこれ以上は求め得ないような卓越した表現力で、スケール雄大な音楽を構築しているのが素晴らしい。

このような素晴らしい名演を聴いていると、アバドこそは現代における世界最高のオペラ指揮者であることをあらためて認識させられるところだ。

冒頭の序曲の躍動感溢れる演奏の見事さ、第1幕終結部の囚人の合唱のこの世のものとは言えないような美しさ、第2幕冒頭の「神よ」の効果的な強調(これは、ヨナス・カウフマンの名唱を褒めるべきであるが)、そして、第2幕のフィナーレの囚人と人民の合唱等の壮麗さなど、実に感動的であると高く評価したい。

オーケストラはルツェルン祝祭管弦楽団であるが、アバドが手塩にかけて育て上げている若きマーラー室内管弦楽団のメンバーも多数参加しているということであり、本演奏においても、アバドと息の合った気迫溢れる熱演を展開しているのが素晴らしい。

歌手陣は、先ずはレオノーレ役のニーナ・ステンメの迫力ある歌唱が我々聴き手の度肝を抜くのに十分であり、フロレスタン役のヨナス・カウフマンやロッコ役のクリストフ・フィシェサー、そしてドン・ピツァロ役のファルク・シュトルックマンの名唱も見事という他はない。

その他の歌手陣やアルノルト・シェーンベルク合唱団も最高のパフォーマンスを示しており、本名演に大きく貢献しているのを忘れてはならない。

音質については、ルツェルン音楽祭のオープニングコンサートのライヴ録音であるが、演奏会形式であることもあって音質は極めて鮮明である。

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2013年02月15日


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2010年はぺルゴレージ生誕300年の記念イヤーであり、アバドは、ペルゴレージの最高傑作「スターバト・マーテル」を含む第1集に続き、更に2枚の作品集の録音を行った。

本盤は、その第2集にあたるものであるが、早世の天才作曲家の類稀なる才能やその楽曲の魅力を知らしめることに大きく貢献する名演だと思う。

アバドは、ベルリン・フィルの芸術監督に就任してから泣かず飛ばずの低迷期が続き、その重責から来るあまりの心労も重なって大病を患うことになった。

しかしながら、芸術監督退任間近に大病を克服した後は、彫りの深い円熟の名演の数々を遺すようになったのだから、実に皮肉なものだ。

特に、本盤のような小編成のオーケストラを指揮した場合、アバドの各楽器のバランスを重視した丁寧なアプローチは、俄然その威力を発揮することに繋がる。

それも、同郷の作曲家のぺルゴレージの作品ともなれば、まさに鬼に金棒ということになる。

モーツァルト管弦楽団は、歴史の浅い若いオーケストラであるが、ピリオド楽器を使用しているにもかかわらず、ごつごつした感じがしない。

それどころか、全体から滑らかな自然体で、しかもみずみずしささえ感じさせる美しい音楽が浮かび上がってくる。

これは、各楽器のバランスとともに、歌謡性を重視するアバドならではの至芸と言えるだろう。

独唱陣や、スイス・イタリア語放送協会合唱団の見事な歌唱も、ぺルゴレージの音楽の清澄な美しさを、我々聴き手に知らせしめるのに大きく貢献していると言える。

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2012年11月26日


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ピアノ協奏曲第2番もポロネーズ第5番も、いずれもそれぞれの楽曲の最高の名演の一つと高く評価したい。

ピアノ協奏曲第2番は、ショパンの若書きの協奏曲故に、演奏がイマイチだと、旋律の美しさという、曲想のうわべだけを取り繕った浅薄な演奏になりがちであるが、ポゴレリチの場合はそのような心配は御無用。

それどころか、あまりの個性的なピアノに完全にノックアウトされてしまった。

意表をつくような緩急自在のテンポ設定を駆使し、ダイナミックレンジの幅広さも尋常ではなく、抒情的な箇所の歌い方も濃厚さの極みである。

ポゴレリチの解釈は一種マニアックであり、演奏は奔放ともいえるほど感情の振幅が大きく、強い意志で推進され、決して停滞することがない。

深沈とした甘美な情感の漂う音や、テンポの設定、強弱の対照などにも独自のものがみられる。

しかしスケールは大きく堂々としており、第3楽章など、秘めやかな感情から烈しい昂まりまでを見事に表現している。

これだけの個性的な解釈を示しつつも、全体的な造型にいささかの揺らぎも見られず、ここに、ポゴレリチの天賦の才能が示されていると言える。

まさに、天才だけに可能な至芸と言える。

このような個性的な天才ピアニストをサポートする指揮者には、相当な寛容さが求められると思うが、アバドの手腕は見事で、ポゴレリチの個性的なピアノを柔軟性を持ってしっかりと支えていて、演奏全体に自由な精神が感じられる点を高く評価したい。

併録のポロネーズ第5番も、ポゴレリチならではの個性的な超名演。

力強い打鍵と、時折見られる情感豊かさのバランスが見事であり、あたかもオーケストラを指揮しているとの錯覚を起こすような重量感溢れるド迫力に、完全に圧倒されてしまった。

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2012年10月18日


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アバドは、ベルリン・フィルの芸術監督に就任して早々の頃は、大オーケストラを指揮すると甘さが目立つが、ヨーロッパ室内管弦楽団などの編成の小さいオーケストラを指揮すると名演を成し遂げるとの説が実しやかに囁かれていた。

筆者も、それに異を唱えるつもりはないが、ベルリン・フィルの芸術監督の任期中途にかかった大病を克服して以降は、見違えるように円熟の至芸を見せるようになったと考えている。

特に、ベルリン・フィルを離れてからのアバドは、別人のような鬼気迫る名演を行うことが多くなり、まさに巨匠の風格を示すようになってきたように思う。

本盤のペルゴレージも、アバドの故国イタリアの薄命の作曲家への深い愛着を感じさせる実に感動的な名演に仕上がっている。

特に、アバドとしても2度目の録音となる「スターバト・マーテル」は、ペルゴレージの最高傑作であることも相まって、おそらくは同曲のベストを争う名演と評価したい。

最近のアバドらしく、ピリオド楽器を使って旧盤には見られなかったオーセンティックな演奏を行っているが、内面に豊かな感情が脈打っているのが感じられる。

歌手陣もオーケストラも、アバドの卓越した統率力の下、最高のパフォーマンスを示している。

知名度がやや劣る「ヴァイオリン協奏曲」や「サルヴェ・レジーナ」も、これらの曲が持つ魅力を再認識させてくれる名演だ。

特に、「スターバト・マーテル」と「サルヴェ・レジーナ」の終曲は静謐に抑えられた演奏から耳には聴こえぬ強い思いの迸りが感じられ、思わず息を止めて聴き入ってしまった。

若い奏者から構成されるモーツァルト管弦楽団はアバドのそのような感情の動きに極めて敏感に反応する能力を持っているように思え、アバドが最近はウィーン・フィルやベルリン・フィルをあまり振らなくなった理由が解るような気がする。

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2012年10月15日


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1986年5月 ウィーン、ムジークフェラインザールに於けるデジタル(ライヴ)録音。

アバドは、ベートーヴェンの交響曲の演奏に際しては、滑らかなフレージングをベースに旋律を歌い抜き、高貴な優美さを基調とした明るめのアプローチを行っている。

これは、ドイツ風の重厚な演奏とは一線を画する演奏であり、楽曲によってはいささか軽いという印象を与えるきらいがあった。

しかし、この「第9」については、そのような側面も随所に散見されるものの、アバドとしては重心の低い重厚な演奏を行っている。

特に、第1楽章に顕著であり、このように力強いアバドは他ではなかなかお目にかかれない。

第2楽章も堂々たるイン・テンポ。

第3楽章になるとアバドならではの歌謡性が全面に出てくるが、このようなアプローチが曲想と見事にマッチし、晩年のベートーヴェンならではの至高、至純の名旋律を気高く歌い上げている。

終楽章はオペラを得意としたアバドならではの真骨頂であり、旋律の歌いあげなど抜群のセンスを感じる。

ウィーン国立歌劇場の合唱も独唱陣も圧倒的な熱唱でアバドの指揮に応えている。

アバドがこれほどまでの名演を成し遂げることが出来たのも、頑固なまでに自分たちの流儀を押し通すウィーン・フィルの力量によるところが極めて大きいのではないかと思われる。

当時は新たなベートーヴェン像を打ち立てたと言われたCDだったが、今となっては実にスタンダードな演奏である。

後年に、手兵となったベルリン・フィルと2種の「第9」を録音したが、とても本盤の域には達しておらず、軽量級の凡演に陥ってしまっている。

アバドにもこんな時代があったのだと認識して欲しい1枚である。

SHM−CD化による音質向上は、いつもながら目覚ましい。

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2012年09月23日


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ヤナーチェクの《シンフォニエッタ》には、いくつかの優れた録音があり、個人的には1965年のセル&クリーヴランドや1980年のマッケラス&ウィーン・フィルなどが挙げられるが、今では、他にもいくつかが挙げられよう。

アバドにとっては、1968年にロンドン響と吹き込んで以来の1987年の再録音となる、2回目の《シンフォニエッタ》であり、その演奏スタイルは、かなり異なっているが、ベルリン・フィルの高度の機能と緻密なアンサンブルが、最も望ましい形で発揮された好演だ。

細部にわたってきめ細かく作り込んでいた旧録音に対して、当盤では、ロンドン響よりもはるかに重厚なベルリン・フィルの特質を活かしながら、金管群や別働隊を華やかに鳴らし、あえて手綱を引き締めることなく、猛者たちの勢いと流れにまかせて押しまくっているのが興味深い。

ベルリン・フィルの金管をはじめとする豊かな響きと高度な機能性がフルに発揮された彫りの深い表現はすばらしい。

それでいて客観的であり、やや響きに明るさがあるものの、作品の根底を流れる民族的な特質は、かなりよく描かれている。

アバドは、ヤナーチェクの土俗性にスポットを当てていくのではなく、基本的に洗練されたアプローチをとっており、「ベルリン・フィルで、この曲をみたかった」という音楽ファンには、見逃せない演奏が展開されている。

実際には、オーケストラの音色的な特質も表現そのものも、きわめて情熱的で華やかに引き出されており、強烈でさえある。

ただ、イディオマティクな面からみれば、洗練されすぎるといえるかもしれない。

民族色豊かなアンチェル盤とは多少性格は異なるが、アバドの演奏は冒頭のファンファーレにおける金管の威力と立体感をはじめ、作品にみなぎる音のエネルギーと豊かな生命力など、非常にユニークな楽器編成と形式による音楽の特徴を鮮明に表現している。

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2012年07月04日


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本盤に収められたマーラーの交響曲第4番は、アバドによる2度目の録音である。

最初の録音はウィーン・フィルとの演奏(1977年)であったが、本演奏はそれから約30年ぶりのライヴ録音ということになる。

1977年盤も、アバドがある意味では最も輝いていた時期の演奏でもあり、強靱な気迫と力強い生命力、そして豊かな歌謡性がマッチングした、いい意味での剛柔バランスのとれた名演に仕上がっていた。

1970年代から1980年代にかけてのアバドの演奏には、このような名演が数多く成し遂げられていたが、1990年にベルリン・フィルの芸術監督に就任して以降は、借りてきた猫のような大人しい演奏に終始するようになってしまった。

もちろん、メンデルスゾーンの交響曲第4番やヤナーチェクの「シンフォニエッタ」など、例外的な名演もいくつか存在しているが、その殆どは大物揃いのベルリン・フィルに気後れしたかのような今一つ覇気のない演奏が多かったと言わざるを得ない。

ところが、ベルリン・フィルの芸術監督の任が重すぎたせいか、2000年には癌に倒れることになってしまった。

そして、アバドはその癌を克服するのであるが、それは皮肉にもベルリン・フィルの芸術監督の退任直前。

もっとも、大病を克服したことによってアバドの音楽には、深みと凄みを増すことになった。

その意味では、2000年以降のアバドは真の大指揮者となったと言っても過言ではあるまい。

本盤の演奏も、真の大指揮者アバドによるものであり、1977年盤に比べると楽曲の心眼に鋭く切り込んでいこうという彫りの深い表現が支配している。

各楽器セクションのバランスを重要視した精緻な美しさにも出色のものがあるが、ここぞという時の力奏にも強靭な迫力が漲っており、各フレーズの歌心溢れる徹底した歌い抜きにおいてもいささかも不足はない。

ルネ・フレミングによる美しさの極みとも言うべき名唱も、本名演に華を添える結果になっていることを忘れてはならない。

ベルリン・フィルも、前任の芸術監督に敬意を表して、圧倒的な名演奏を披露しているのも見事である。

本演奏に際しては、ベルリンにおいて大歓迎を受けたとのことであるが、正に現代を代表する大指揮者としての貫録が十分な名演と評価したい。

併録のアルバン・ベルクの「7つの初期の歌」も、アバドの彫りの深い、そして歌謡性豊かな指揮と、ルネ・フレミングによる美しい歌唱が融合した稀有の名演だ。

音質は、本従来CD盤でも十分に満足できる高音質であるが、先日発売されたSHM−CD盤は、若干ではあるが音質がより鮮明になるとともに、音場が幅広くなったように思われる。

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2012年02月24日


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この《ハンガリー舞曲》のような作品を演奏するに際しては、芸術性とエンターテインメントとしての要素のバランスが非常に難しい問題であり、それが演奏の価値を左右する重要なポイントになるのではないだろうか。

作品の芸術性の追求に純粋な情熱を傾けた演奏としては、ライナーのハイ・グレードな名演があり、作品の娯楽性を最大限に強調した演奏としては、巧みで効果的な演出が作品の聴きどころを増幅したカラヤンのような名演も存在する。

しかし、どちらにも偏らずに自然体で素直にこの《ハンガリー舞曲集》を楽しみたいという向きには、このアバド盤がベストに挙げられる内容といってよいだろう。

アバドは、良い意味で表現に工夫を凝らそうとする意志を示さずに、まったくナチュラルかつストレートにこの舞曲集のキャラクタリスティックな各曲を再現し、聴き手を抵抗なく引き込んでしまうしなやかで爽やかな演奏を聴かせている。

しかし、決して華やかでもなければ決して個性的でもないアバドの表現は、演奏としてこの表面的な特徴は希薄でありながらも、各舞曲に備わった本来的な美しさを汚れなく描出する結果を生んでおり、それは、この演奏に聴き込むほどに味わいが深まるかけがえのない価値を付与することになっているのである。

また、筆者は、アバドが指揮した際のウィーン・フィルのサウンドにとっても大きな魅力を感じているが、ここでは、作品の特性とも見事な一致を示している。

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2012年01月25日


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アバドがベルリン・フィルと組んだ近年の一連のライヴ録音のひとつ。

第3、7、9番と続けて発売されたアバドとベルリン・フィルのマーラーは、このコンビの到達点の高さと同時に1999年当時の録音技術の最高水準を示している。

特に第9番に感動するのは作品の完成度と性格にもよるが、演奏も凄い。

ベルリン・フィルの雄弁さと、"巨匠"への道をゆっくりと歩みつつあったアバドの音楽性が一体となった演奏。

アバドはこの曲で強い自己主張を示している。

鋭い感覚で、アゴーギクとデュナーミクを自在に駆使している。

作品の性格を的確に把握したとも言えるが、なによりも旋律線が芳醇なのがアバドらしい。

ベルリン・フィルといえどもこれほど精度が高く緊張感をたたえた演奏はアバド以外では不可能だろうと思わせるほどで、かつてないような広いダイナミック・レンジと透明度の高い響きで完璧な表現を聴かせる。

奇を衒うことなく正攻法を進んだ指揮者が練り上げた現代のマーラー演奏のひとつのひな型とも言うべき諸要素を兼ね備えた秀演である。

かつてのロンドン響との来日時など、アバドのマーラーの演奏に直に触れたむきも多いだろうが、ここでは、徐々に"自らの道"を固めつつある指揮者の姿と、ライヴの求心力にも目を向けておきたい。

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2011年07月16日


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アバドはマーラーの交響曲でひとつの美学を築いた。

彼にはベートーヴェンやシューベルトの全集もあるが、なによりもマーラーでそれがいちばん貫徹しやすかったのだろう。

彼の美学の基本はさまざまな色合いの縦糸と横糸の精妙な織りなしにある。

絹のような艶っぽさと光沢感、手ざわりのなめらかさなど、どこをとっても流麗かつ繊細で緻密、全体がひとつのゴブラン織のような豪奢な図柄となって浮かび上がるように配慮されている。

スケール感にも欠けず、コラージュ風の構成のマーラーの交響曲にはぴったり。

まさにクリムト風の表層的なアプローチと言えるが、健康なかがやきを失っていない。

そのためにマーラーの心理のどろどろした暗部にはとどきにくい。

この第1番はそうした特徴がよく出ており、土臭さを拭った洗練のきわみをゆく演奏だ。

それに、アバドのマーラーには新鮮な感覚で作品を大胆につかみとった痛快な印象に加え、歌う魅力がある。

実によく歌わせたマーラーであり、旋律は歌わせるためにあるのだという考えを音楽の上で如実に示したような演奏になっている。

そして盛りあげるべきところでは断固とした表情をつくるので、それぞれの楽章に明快な起伏が生まれる。

現代的な、瑞々しいマーラーだ。

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2011年05月28日


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これは『ベートーヴェン・イン・ベルリン』と題した演奏をCDに収めたもので、1991年にベルリン・フィルの音楽監督に就任したアバドが、この年に初めて指揮したベルリン・フィルのジルヴェスター・コンサートのライヴ録音である。

《レオノーレ》序曲第3番のほかに、シェーナとアリア《おお、不実な者よ》、《合唱幻想曲》、劇音楽《エグモント》と、独唱や合唱も含む特別な音楽を集めたプログラムはとても手応えがある。

《エグモント》は死によって愛が成就する、主人公エグモント伯爵と恋人クレールヒェンの戯曲への音楽で、序曲から熱気のこもった演奏が展開される。

序曲だけが飛び抜けて名高いため、序曲だけの録音は数多くあるが、10曲からなる全曲盤を行ったのは、カラヤン、セル、マズアらだけである。

ここではアバドの献身と情熱の指揮と、それにフルに応えるベルリン・フィルの懸命の熱演によって、素晴らしい迫力で聴く者に迫ってくる。

ステューダーの歌唱は感情が乗り切っていないのが残念だが、アバドの気品ある表現とベルリン・フィルの演奏がそれを充分に補っている。

続く《おお、不実な者よ》ではステューダーが表情豊かな歌を聴かせる。

《レオノーレ》序曲第3番は壮大さと緻密さを兼ね備えた演奏で、《合唱幻想曲》はキーシンのピアノが、アバドとの息の合ったコンビを聴かせ、特に第2部での鮮やかな処理が好ましい。

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2011年04月04日


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プロコフィエフの代表的なバレエ音楽のひとつで、今日でも上演される機会がたいへん多く、現代バレエ音楽の傑作といわれている。

プロコフィエフのバレエ音楽《ロメオとジュリエット》には、オリジナルのバレエ全曲版のほかに3つの演奏会用組曲があるが、このディスクに収録されているのは、アバドが全曲版と組曲版から新たに20曲を選んで、ドラマの進行順に配列し構成したいわば"アバド"版であり、ひとつの物語として考えられている。

現在では、このスタイルによるディスクは増えているとはいえ、当盤ではトラック7と16に、マンドリンが入るナンバーが出てくるなど、ユニークな選球眼が光っている点がおもしろい。

バランスのとれた、すがすがしく端麗な演奏で、ベルリン・フィルの能力が十分に発揮されており、この作品の魅力を再認識させられる。

ライヴ録音でありながら、オーケストラの巧さとスタイリッシュな響きが一体となって、ロシア的な重苦しさが排されており、マンドリンの音楽ともども、「作品の舞台はイタリアだったな」ということに、あらためて思い至る方もいらっしゃるに違いない。

音楽は淡々とした足どりで進むが、悲劇の幕切れに向かってしだいにボルテージが上がっていき、聴く側も息詰まる思いがする。

プロコフィエフは、ソヴィエトへ帰国するまでは、かなり前衛的な音楽を書いていたが、復帰を境として、平易で明快、大衆的でしかも高度な芸術性を失わない音楽を書くようになった。

この作品もそうした特色がよく出ており、アバド指揮ベルリン・フィルは、随所にあらわれるプロコフィエフ独特の旋律を美しく歌い流し、劇性にも抜かりなく、魅力的な音楽となっている。

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2011年02月21日


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1992年1月のサントリーホールにおけるベルリン・フィルの来日公演のライヴ録音。

ハイフェッツやオイストラフに代表される往年の大家をはじめ、現代のクレーメルやムターまで、個性的な名演に恵まれているブラームスの協奏曲だが、このムローヴァとアバドによる贅肉のないひきしまった表現も、新鮮な魅力にあふれた完成度の高い名演である。

ムローヴァらしいひきしまった音と表現で真摯に彫りなしたブラームスであり、そうした贅肉をそぎ落としたようなソロを、アバドがベルリン・フィルをシンフォニックに鳴り響かせるとともに、このコンビならではの緻密な表現によって明敏かつこまやかに支えている。

と同時に、虚飾を排して真摯に作品に迫ったムローヴァの演奏は、ライヴらしい情熱や感興の高まりにも不足はなく、しかも細部までしなやかに抑制がきいている。

美しく澄んだ音を濃やかに冴えた表現で生かした演奏の持続力も見事で、この協奏曲から新鮮な魅力をひき出している。

ムローヴァの艶やかで透明度の高い音色の美しさもさることながら、その美音に溺れることなくブラームスの音楽の内面に迫ろうとする真摯な姿勢と情熱にも魅了される。

ドキッとするほどスポーティな身のこなし、昇りつめて高域でフレーズをくくるときのエロティックなくらいに透明な響きの艶やかさ、ときにノリを犠牲にしてまでピタリ精確にキメる技の鮮やかさ、熱狂するにはクールだが、その冴えた音の感触に耳が引き込まれる。

第2楽章の気品を感じさせる抒情の深さ、第3楽章の情熱的な高揚感と抑制がきいた表現など、ムローヴァのソロとアバド指揮ベルリン・フィルの豊かな響きと表現がぴったりと一体化し、音楽的な感興を一段と盛り上げている。

すぐれて個性的な名演というべきだろう。

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早稲田大学文学部哲学科卒業。元早大フルトヴェングラー研究会幹事長。幹事長時代サークルを大学公認サークルに昇格させた。クラシック音楽CD保有数は数えきれないほど。いわゆる名曲名盤はほとんど所有。秘蔵ディスク、正規のCDから得られぬ一期一会的海賊盤なども多数保有。毎日造詣を深めることに腐心し、このブログを通じていかにクラシック音楽の真髄を多くの方々に広めてゆくかということに使命を感じて活動中。

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