ヴェルディ

2017年04月15日


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かつてマリア・カラスと熾烈なライバル意識に火花を散らせたイタリアのソプラノ、レナータ・テバルディのデッカへの全録音がまとめられた。

カラスの全集は既にEMIから豪華なリマスタリング盤がリリースされているが、テバルディに関してはオペラ全曲盤は別として、その実力のわりに正規のセット物は少なく、今回の66枚組もいたってシンプルな廉価盤仕様になっている。

しかし演奏内容は恐るべきものがあって、彼女が不世出のソプラノであったことが今更ながら証明される結果になった。

この時代のオペラ歌手達は声だけで演技するすべを心得ていたが、更に明るく輝かしい美声と伝統的なカンタービレを堪能させてくれたのがテバルディだった。

中でもヴェルディの高貴な役柄は絶品で、これだけのスケールで大舞台を創り上げる歌手は現在に至るまで見出すことができないだろう。

彼女の至芸は、声の魅力を極限まで活かすことが最高の表現力につながるという、まさにイタリアの正統的な歌唱法に則っている。

そしてその歌はスタイリッシュだが時代を超越していて、むしろイタリア・オペラが目指したひとつの究極の姿を示していると言っても過言ではないだろう。

テバルディの共演者達も特筆される。

当時の歌手達にはレコード会社とのかなり厳格な専属制がとられていたので、デッカ制作のオペラであれば常に同様の専属メンバーが顔を合わせることになる。

メゾ・ソプラノのシミオナート、テノールのデル・モナコ、ベルゴンツィ、バリトンのバスティアニーニ、プロッティ、バスのシエピなど超豪華キャストに恵まれていたのも幸いだった。

奇しくもこの全集は彼らの演奏に捧げられることにもなっている。

例外としては1957年にビョルリンク、バスティアニーニと組んだCD22『カヴァレリア・ルスティカーナ』や1965年のベルゴンツィ、フィッシャー=ディースカウとの『ドン・カルロ』CD44−46などがある。

ライナー・ノーツは147ページほどだが、殆んどの部分が演奏曲目と録音データに費やされていて、最後に英、仏、独語によるごく簡易なテバルディのキャリアが掲載されている。

彼女がデッカに録音したオペラ全曲盤はプッチーニの『三部作』を1曲と数えると全部で25曲で、そのうち『ボエーム』『蝶々夫人』『トスカ』『アイーダ』『仮面舞踏会』『オテロ』については新旧2種類ずつの音源があり、そのすべてがここに網羅されている。

尚CD54からがアリア及び歌曲集で、最後の2枚のボーナスCD65及び66が1951年スカラ座ライヴからの、デ・サーバタ指揮によるヴェルディの『レクイエム』がデッカの正規初りリースになる。

ボックス・サイズは縦13X横13X奥行き13,5cmで、CDはそれぞれが素っ気ない、デザインなしのスリーブ・ジャケットに挿入されていて、コレクション用装丁とは言えない。

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2017年02月22日


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このドキュメンタリーで扱っている音楽家達の老人ホーム『音楽家憩いの家』はキャリアを終え、身寄りのなくなったかつてのスター達を収容する施設として作曲家ジュゼッペ・ヴェルディの発案と基金でミラノに設立された。

当時の音楽家の中には豪邸に生活して何の不自由もなく余生を過ごした人もいたが、引退後生活に困窮したり、身寄りのなくなった者は、それまでの華やかなステージとは裏腹の生活を強いられた。

ヴェルディは彼らへの敬意から余生の安泰を願って、決して彼らのプライドを傷つけることのないような心のこもったホームを創設したが、この映画ではダニエル・シュミット監督の温かい愛情に満ちた目によって彼らの日常が活写されている。

ここに登場するキャリアを終えた音楽家達は誰もが過去の素晴らしい思い出の中に生きているのだが、全員が驚くほどポジティヴに生き生きと生活している。

それはこの施設で暮らすことによって過去と現在が決して切り離されることがないからだろう。

登場するのは器楽奏者やオペラ歌手などさまざまで、それぞれが現役時代を忘れてしまうどころか現役さながらに演奏し語り合い、また学習さえ怠らない。

またそうすることが彼らの生き甲斐を満足させ尊厳を失わずに生きていくことに貢献しているのだろう。

ここでは戦中戦後スカラ座のプリマドンナとして活躍したソプラノ、サーラ・スクデーリ(撮影当時78歳)に焦点が当てられている。

自分の歌ったプッチーニの『トスカ』から「歌に生き、愛に生き」のレコード再生で、彼女自身が懐かしみながら一緒に口ずさむ様子といくらか憂愁を帯びた表情が感動的だ。

しかし彼女がその驚異的な声で実際に歌う時の表情は更に晴れやかで輝かしく、常に音楽に寄り添って余生を送ることの大切さが伝わってくる。

この作品に映し出された彼らの生活風景を見ていると、ヴェルディの構想が如何に高邁なものであったかが窺われる。

現に筆者の祖母を施設に入れざるを得なかった時、このドキュメンタリー映画が多くの示唆を与えてくれたことは事実である。

長年この施設の友の会会長で、かつての名メゾ・ソプラノ、ジュリエッタ・シミオナートは、短いコメントの中で音楽家の引退の時期について非情に示唆的な考えを表明している。

つまり1人の音楽家が引退する時期は聴衆から見放される時ではなく、逆にそうなる前にその人が完全なイメージを遺す形で聴衆から去っていくべきだと言っている。

それは全盛期に鮮やかな引き際を見せたシミオナートならではの名言だろう。

『音楽家憩いの家』の概要についてはシミオナートの伝記を綴った武谷なおみ著『カルメンの白いスカーフ』に詳述されているが、それによれば入所資格は60歳以上の年金受給者で、プロの音楽家であったことの証明の他に、年金の80%を施設に寄付しなければならない。

彼らは敬意を持って迎えられ入居後も自由な音楽活動を保証されていて演奏会やオペラ鑑賞などのレクリエーションも企画されている。

しかしヴェルディの楽譜の版権が切れ、印税が当てにできない現在では運営資金を寄付に頼らなければならないようだ。

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2016年11月25日


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《椿姫》ぐらい憂愁、甘美なメロディの数々に彩られたオペラも例がなく、筋もわかりやすいので、ポピュラーになるのは当然だ。

様々なとらえ方のCDがあるが、何と言ってもヒロインの歌手が問題になるので、自分のお気に入りのソプラノがいれば、その人のディスクを選ぶのが一番良く、もちろん録音は新しいに越したことはない。

筆者はクライバー盤を選ぶが、彼のオペラ全曲録音の中でも最も出来が良く、このオペラを近代劇としてとらえ、鋭い個性的な表現を行っていて、クライバーの代表盤と言っても差し支えないだろう。

《椿姫》はこの指揮者の数少ないレパートリーの1つであり、速めのテンポできりりと流しつつ、メリハリが立ち、曲想の抉りが深く、音楽とドラマが直結しており、全3幕、起承転結が実に鮮やかで、生気に富み、魅力的で、息もつかせぬ名演と言えるところであり、本当の舞台人の芸を存分に楽しませる。

クライバーの音楽特性のよく表れた演奏で、彼は、ヴェルディの音楽に現代的な感覚を盛り込み、彼独自の音楽の世界をつくりあげていて、イタリア・オペラにしては、造形が厳しすぎる気もするが、大変精度の高い演奏だ。

クライバーという指揮者の才能が何より際立つ録音で、イタリアの歌手主導の演奏に慣れた人には当初違和感を与えるかもしれないが、それも束の間、その旋律を豊かに歌わせた躍動感に溢れる音楽はオペラ・ハウスの上演を超越した感動をもたらす。

クライバーのヴェルディ演奏としては必ずしも100点満点の出来映えではないかもしれず、《椿姫》の演奏としては異端であるかもしれないが、何と素晴らしい異端だろう。

華麗な大オペラに背を向け、暗い影に息づく異端の《椿姫》で、クライバーの魔術的な音楽づくりの魅惑に思わず呪縛されてしまう。

薄幸の主人公を慈しむように、繊細な響きで始まる音楽は、第1幕の引き締まったものへと急転するが、オーケストラが先行する場面でも、歌が先行する場面でも、常に独特の弾みや絶妙の間合いが音楽を支配している。

スタイリッシュで、なおかつ非常にドラマティック、クライバーの指揮は常に生き生きと躍動し、表情豊かに歌い、ささやきのエロティシズムと切ない悲劇性が際立つ。

これが彼の生命線であって、表現の振幅が広いばかりではなく、それによって抒情性に溺れることを速いテンポと猛烈な推進力によって回避しているし、同時に最高に劇的な表現を実現しているのである。

クライバーならではのまことに生彩溢れる演奏であると同時に彼は、第1幕の前奏曲から、このオペラの悲劇性を精妙極まりない表現によって明らかにし、常に生き生きとした流れと劇的で鮮やかな変化をそなえた演奏によって、音楽の最深部にまで的確な光を当てつくしている。

クライバーが本拠にしていたバイエルン国立歌劇場管弦楽団からこのように精緻で陰翳に富んだ響きと表現を引き出した手腕も、まさに至芸と言うべきだろう。

ここにあるのは、単に流麗で感傷的なメロドラマではなく、切実な感情によって動かされ、生きてゆく人間たちのドラマであり、ヴェルディの真の意図が感じ取れる。

歌手陣は必ずしも最強力とは言えず、コトルバスのヴィオレッタはやや独特の癖があるが、その幾分暗い声と非常に細やかな感情表現によって悲劇のヒロインを繊細に演じていて、役柄にふさわしい見事な存在感を示し、クライバーの敏捷だが小振りな音楽によく合っている。

雄弁この上ないオーケストラに支えられた第1幕の長大な歌で、聴く者をうならせたりしないかわりに、線の細いセンチメンタルな歌唱で、肺を患った若く悲しい娼婦ヴィオレッタが同情され涙を誘い胸を打つ。

本来ならミミなどにぴったりのコトルバスを起用して(実演でも歌ってはいるが)、繊細な声の持ち主に重めの役を歌わせるのは1970年代から80年代にかけてのグラモフォンが、特に好んだキャスティングだった。

またドミンゴのアルフレードが素晴らしく、凛々しい声で一本気な青年を好演、ミルンズのジェルモンはややドスが利き過ぎだが、父親の貫禄充分な歌唱を聴かせ、他の歌手もクライバーの指揮に応えてそれぞれベストの歌唱を聴かせてくれる。

これは、クライバーが正規に完成させた商業録音の数少ないオペラ全曲盤の1つで、そのレパートリーでは《ボエーム》も《オテロ》も結局は完成されなかったから、これが唯一のイタリア・オペラのセッション録音による全曲盤ということになり、その意味でも貴重である。

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2016年10月28日


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このCDはイタリアHMV音源のLP盤から板起こしした復刻盤で、LPと聴き比べてみたが全く遜色のないほど良好な音質が再現されている。

むしろリマスタリングでは本家EMIからリファレンス・シリーズとしてリリースされているCDを上回っている。

ただし後半の余白に収録されているライヴからのオペラの序曲集及びレスピーギの『ローマの噴水』に関しては音源自体が古く、また経年劣化でかなり消耗しているために音質的には期待はずれだった。

ヴィクトル・デ・サーバタの数少ないスタジオ録音のひとつだが、プッチーニの『トスカ』と並んでスコアから横溢するドラマを引き出す彼の恐ろしいほどの鋭い洞察力と、ソリスト、オーケストラ、コーラスを一瞬の弛緩もなく緊密に統率する非凡な手腕が示された名演。

1954年にミラノ・スカラ座管弦楽団と合唱団を振ったモノラル・セッション録音で、当時こうした大世帯の音響を許容するだけのテクニックがまだ充分でなかったために音質的にはそれほど恵まれていないが、音楽そのものからは強烈なメッセージが伝わってくる演奏だ。

ソリストの中でも驚かされるのはシュヴァルツコップの後年には聴かれないような大胆で奔放とも言える歌唱で、おそらくこれは指揮者デ・サーバタの要求と思われるが、後半の「リベラ・メ」のドラマティックな表現や、「レクイエム・エテルナム」で聴かせる消え入るようなピアニッシモの高音も彼女の並外れたテクニックによって実現されている。

また「アニュス・デイ」でのドミンゲスとの一糸乱れぬオクターヴで重ねられたユニゾンの張り詰めた緊張感の持続が、最後には仄かに明るい期待感を残していて極めて美しい。

テノールのディ・ステファノはライヴ演奏でもしばしば起用された『ヴェルレク』のスペシャリストで、彼の明るく突き抜けるような歌声は宗教曲の演奏としては異例だが、ベルカントの泣き節たるこの曲ではすこぶる相性が良い。

第10曲「インジェミスコ」の輝かしさは教会の内部より劇場空間での演奏が圧倒的な効果を上げる一種のオペラ・アリアであることを端的に示している。

バスのチェーザレ・シエピについて言うならば、バスのパートをこれだけ完璧なカンタービレで歌い切った例も少ないだろう。

その深々として練り上げられた声質は重唱においても音程が正確で、他の歌手と共にヴェルディが書き記した対位法の声部を明瞭に追うことができる。

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2016年10月18日


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この演奏は1951年1月27日にニューヨークのカーネギー・ホールで録音されて以来リリースを重ねている名盤のひとつだが、欧米でも当時ステレオLP盤を実現していたレコード・メーカーはまだ一社もなく、基本的にはモノラル録音なのだが、SP時代の録音は原盤が脆かったために時にはマイクを2本を立てて複数のマスターが作られることがあったという。

そうすると同一の演奏でもマイクの定位置が異なるため僅かに異なるマスターが出来る。

それらを技術的に合成するとステレオ的な広がりが得られるのだそうだ。

例えばストコフスキーの『動物の謝肉祭』、『春の祭典』(1929年)やエルガーの自作自演による『コケイン』(1933年)等で同演奏で別位置のマスターが見つかっており、それらを合成した音源がPristine ClassicalやNaxosから発売されているが、いずれもとても1920〜30年代とは思えないほど素晴らしい音質である。

そしてこのトスカニーニのヴェルディもライヴの録音の際マイクが複数立てられており、それらをひとつに重ねたものが本盤。

このコンサート当日には左右に1セットずつの異なった録音機材が設置されていたことから、双方の音源をリミックスして強引にステレオCD化したもののようだ。

しかし音場を拡げるだけの擬似ステレオとは違って、まがりなりにも左右が独立した2トラック録音のステレオ効果が得られているのが特徴で、実際鑑賞してみると初期のステレオ・ライヴに匹敵するくらい巧く合成されている。

ただし60年以上も前の音源なのでふたつのテープの間に時間的齟齬が生じるのは当然で、そうした部分については修正されている。

いずれにしても演奏が素晴らしく、また音質自体も悪くないので一聴に値するCDとしてトスカニーニ・ファンのみならず、ヴェルディの音楽を愛する人にとっても歴史的なライヴであるに違いない。

4人のソリストのうち3人がイタリア人で、中でもテノールのディ・ステファノとバスのシエピはシュヴァルツコップとドミンゲスが加わる1954年のデ・サーバタ指揮、ミラノ・スカラ座とのセッションでも名演奏を遺した『ヴェルレク』のスペシャリストだ。

ディ・ステファノのオペラティックで明るい高音が冴える「インジェミスコ」やシエピの深々としたカンタービレには他の歌手では得難い魅力がある。

ヴェルディのレクイエムはイタリアの文豪アレッサンドロ・マンゾーニ追悼のために作曲された。

ヴェルディの対位法のテクニックが駆使されていると同時に声の威力が極限まで引き出されていて、一般に理解される宗教曲という概念には収まらない、殆んど1曲のオペラの様相を呈している。

4人のソロと大規模なオーケストラ、コーラスが咽び泣き、咆哮する音楽はしめやかな教会の内部より、劇場空間でこそ圧倒的な効果を上げることができるし、イタリア・オペラを熟知したトスカニーニがひとつの理想的な演奏を遺してくれたと言えるだろう。

トスカニーニが残した素晴らしい演奏の中でもとりわけ名高いこの演奏が純正では無いものの、ステレオで聴けるのは本当に僥倖だ。

なお、Memories盤では全くといっていいほど触れられていないが、このトスカニーニの偶発ステレオの経緯はPristine Classicalのサイトに詳しい。

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2016年08月20日


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イタリア・オペラの録音史上燦然と輝く作品と言えば、この『運命の力』とデ・サーバタの指揮した『トスカ』、それにカラヤン、テバルディ、デル・モナコの『オテロ』を挙げないわけにはいかないだろう。

この録音は1955年で歌手達はキャリアの全盛期にあった。

初期ステレオ録音としてはEMIなどに比べるとデッカの方が音質に優り、またこれだけの歌手と専属契約を結んでいたレコード会社ならではの豪華キャストと言える。

伝統的には、イタリアオペラに求められる最も重要な要素は、舞台上で美声の歌手がスタイリッシュな歌唱を披露することで、それぞれのシーンの整合性や物語としての説得力などは、聴衆もそれほど真剣に求めていなかった。

指揮者の役割は歌手達の持っている能力を最大限引き出すことで、彼らを統率することではなかった筈だ。

少なくとも1960年代くらいまでイタリア・オペラの世界では指揮者も演出家も歌そのものに如何に奉仕するかにオペラ上演の命運が懸かっていた。

その真っ只中の時期にこの『運命の力』の録音が重なっているのも偶然ではない。

指揮者モリナーリ=プラデッリは、そのあたりを熟知していた人で、幸運にもこの時代には滅多に出ないようなスケールの大きい歌手が揃っていた。

この6人の主役級の歌手についてはオペラ・ファンであれば誰でもご存知なので言及しないが、彼らは声だけで役柄の総てを演じることができた。

しかし一方でわがままでもあった彼らを、巧く取りまとめる指揮者の手腕が必要で、この時期の指揮者には歌手の生理的条件から、大袈裟に言えば心理状態までを知ることが必須の条件だった。

そうしたオペラ制作が許された幸福な時代に、まさにオペラ黄金期の声の饗宴が実現したのである。

歌手を将棋の駒のように使いこなして、オーケストラに比重をかけ、物語の必然性や作品全体としてのより文学的、あるいは音楽的価値を追究する傾向はクラウディオ・アバドやリッカルド・ムーティ以降イタリア・オペラの世界でも一般的だが、この『運命の力』は純粋な声の威力が最後の砦を守っていた頃の記録としても聴き継がれるべき価値を持っている。

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2016年05月24日


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アバドの80歳記念企画としてDVD化された作品だが、奇しくも追悼盤になってしまったことが悔やまれる。

このフィルムは1985年にノルベルト・バイハーツ監督によって制作された、ヴェルディの『レクイエム』からリハーサル風景のみを撮ったもので、イタリアの文豪アレッサンドロ・マンゾーニの生誕200周年記念としてミラノのサン・マルコ教会で催されたコンサートのための音楽稽古が約2時間に亘って編集されている。

同曲はまさにマンゾーニの葬儀のために作曲されたが、その後この曲のオペラティックな曲想や大規模なオーケストラとコーラスの編成が演奏会場を選んでしまうことからオペラ劇場やコンサート・ホールでの上演が多いが、この教会は彼の国葬が行われた『レクイエム』初演ゆかりの地でもある。

撮影の場所は会場となったサン・マルコ教会と、オーケストラとコーラスの本拠地ミラノ・スカラ座及び同劇場のリハーサル・ルームの三箇所で、ピアノ伴奏による4人の歌手の下稽古、オーケストラとコーラス、そしてソリストを含めたゲネプロがバイハーツ監督の手腕で音楽的にも巧みに繋げられているが、演出的な手法は採らず、ドキュメンタリー・タッチでアバドの曲作りを追っている。

アバドは決してうるさいタイプの指揮者ではない。

むしろ楽員や歌手の自主性を尊重しているように見える。

それはこの時期彼がスカラ座の芸術監督の地位にあり、オーケストラもコーラスも彼の手兵であったことも強みだったに違いない。

楽理的な発言は少ないが、とにかく演奏させて曲を構成していくアプローチが明らかで、感覚的な部分とのバランスがとれた人間性に溢れた練習風景が展開する。

この演奏会のためにソプラノとテノールはダブル・キャストが組まれていたらしく、モンセラート・カバリエとチェチリア・ガスディア、ペーター・ドヴォルスキーとクリス・メリットが交替して画面に登場するが、何故かオーケストラ合わせのリハーサルでは常にカバリエとドヴォルスキーのみが歌っている。

しかしアバドが起用した歌手だけに、それぞれが美声を誇っているだけでなくきめ細かい表現力においても優れた力量を発揮している。

今は亡きコントラルトのルチア・ヴァレンティーニ=テッラーニの全盛期の歌唱を聴けるのも有難いし、またバスのサミュエル・ラミーのスタイリッシュで堂々たる歌いぶりも懐かしい。

一方カバリエはこのゲネプロで最後にピアニッシモで伸ばす高音を歌わずに済ませたが、演奏終了後にアバドに笑いながら言い訳をしている。

いつもながら彼女は茶目っ気たっぷりだが、自分の声を安売りしないという狡猾さも歌手にとっては大切なことなのかも知れない。

リハーサル中アバドは勿論イタリア語で指示を出しているが、イタリア語を解さないクリス・メリットには英語で話しかけている。

リージョン・フリーでナレーションはドイツ語だが、字幕スーパーは英、独、仏、スペイン語が選択でき、9ページほどの写真入ライナー・ノーツも付いている。

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2016年05月03日


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今回ワーナーからSACD化されたカルロ=マリア・ジュリーニ演奏集の1組で、中でもヴェルディの『レクイエム』の音源は演奏水準が極めて高い上に当時のEMIとしては録音状態が抜きん出て素晴らしいが、レギュラー・フォーマットのCDでは音質がいくらか持て余し気味だった。

特に「怒りの日」ではパーカッションの爆音とともにフィルハーモニアの総奏が凄まじいばかりの音響効果を上げているが、再現の方が殆んど限界に達していて音場に余裕がなかった。

このSACDでは伸びの良い拡がりのある奥行きと細部まで鮮明に聴き取れる音質が確保されていることを評価したい。

ジュリー二の同シリーズではラヴェル作品集がやはりSACDで同時にリリースされている。

尚演奏については、通常盤に書き込んだレビューを以下に再掲載させて頂くことにする。

録音は1963年から64年にかけて行われ、当時の実力派4人のソリストを従えた演奏はその音楽的な水準の高さと、音響の生々しさでグラン・プリ・デュ・ディスクやエディソン・プライスを受賞している。

「怒りの日」での最後の審判を体現させるような激情的な表現はジュリーニが遺したあらゆるセッションの中でも最もラテン的な情熱を発散させたもので、彼の創造した音響効果だけではなく、一方で緻密に計算された弛むことのない緊張感と、それを維持する集中力が聴きどころだ。

ソロ歌手のキャスティングでは実力重視の抜擢が功を奏している。

それは4人の歌唱力に限ったことではなく、重唱部分では和声の微妙なモジュレーションの連続があり、正確な音程の維持と和声の移行という高度なアンサンブルのテクニックが要求されるが、その意味でもこのメンバーは万全だったと言えるだろう。

シュヴァルツコップは1952年のデ・サーバタ盤でもその驚異的な歌唱を披露したが、ここではやや翳りが出てきた声質を巧みな表現力でカバーして、よりドラマティックな名唱を遺すことになった。

クリスタ・ルートヴィヒとのオクターヴ・ユニゾンのア・カペラで始まる「アニュス・デイ」の天上的な美しさや、最後のコーラス「リベラ・メ」に入る前の「レクイエム・エテルナム」の神々しさは唯一無二のものだ。

ヴェルディの『レクイエム』はミラノ出身の文豪アレッサンドロ・マンゾーニ追悼のために作曲されたもので、現在では宗教曲として実際に教会内で演奏されることはそれほど多くない。

それはこの曲が如何にもヴェルディらしい劇場空間に相応しい華麗なオーケストレーションの音響とともに、ベルカントの泣き節とも言える曲想を持った声楽部分があたかも1曲のオペラのように展開するからで、それだけにオペラ劇場とその専属の演奏者によるセッションも少なくない。

このジュリー二の旧盤は古いデ・サーバタ、ミラノ・スカラ座盤と並んで個人的に最も気に入っている演奏で、その理由はオーケストラとコーラスが厳格に統制されているにも拘らず、外側に向かって放出される解放的なエネルギーに充ちていて、異例のカタルシスを体験できるからだ。

フィルハーモニア管弦楽団はロンドン時代のジュリーニが最も高く評価していたオーケストラで、この演奏にも彼らの信頼関係が良く表れている。

このCDには同じくヴェルディの『聖歌四篇』が1962年の録音で同メンバーとジャネット・ベイカーのメゾ・ソプラノでカップリングされている。

フィルハーモニア合唱団も流石にコーラス王国イギリスの合唱団だけあってその表現力と機動性でも卓越している。

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2016年04月19日


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ヴェルディ晩年の傑作オペラ『オテロ』の歴史的録音では、カラヤンが1960年にデル・モナコ、テバルディを主役に起用したウィーン・フィルとの音源と、その6年前エレーデが同じキャストでサンタ・チェチーリアを指揮したイタリア勢による1954年録音の2組のデッカ盤を無視することはできないだろう。

カラヤン盤は流石にオーケストラの実力に物を言わせてドラマを抉り出しているが、歌に関しては音像がやや後退している感じが否めない。

エレーデは全盛期だった歌手陣に全力投球させて声の饗宴を実現しているが、逆にオーケストラの統率力ではいくらか弛緩していて時として冗長に感じられる。

一方セラフィン、ローマ歌劇場管弦楽団による当盤は、声楽とオーケストラのバランスでは絶品で、奏法が拮抗しつつ歌心に満たされた、しかし緊張感溢れる舞台を創り出している。

1960年録音だが新規にディジタル・リマスタリングされて生々しいサウンドが蘇っていて、対訳は省略されているが、トラック見出し付の英、仏、独語による簡易なシノプシスが掲載されている。

皮肉にもカラヤン盤と同年のリリースになったわけだが、こちらはRCAとの契約で主役2人をヴィッカースとリザネックに委ねていて、彼らの良くコントロールされた歌唱は高く評価できるが、持ち声をダイレクトに活かす朗々としたイタリア的美声とキレの良さ、そしてその表現力はデル・モナコ、テバルディには及ばない。

リザネックの声質は若き悲劇のヒロイン、デズデモナにしては暗めでいくらか太いのが玉に瑕だ。

ただしここではヤーゴをティト・ゴッビが演じていて、彼の声による演技は主役の2人以上に展開するドラマの要を押さえて恐るべきものがある。

第1幕の「乾杯の歌」からヤーゴの邪な野望と民衆を焚きつけて煽動する巧みな心理描写が見事だが、第2幕のアリア「クレード」と幕切れの「神懸けて誓う」でこのオペラの実質的なピークを形作っている。

ちなみにゴッビのヤーゴは1959年イタリア歌劇団来日の時の録画も残されていて、彼の舞台上での役者としての優れた演技も忘れ難いものだが、オペラ全体の出来栄えと録音の良さではこちらを採りたい。

ローマ歌劇場管弦楽団はウィーン・フィルやサンタ・チェチーリアに比べればいささか荒削りだが、その前身は『カヴァレリア・ルスティカーナ』や『トスカ』の初演を飾った、オペラ一筋に鍛えられたオーケストラでもあり、歌に付き随う柔軟な融通性と劇場的効果の表出に優れた腕を持っている。

セラフィンは戦前ローマ・オペラ座の音楽監督を10年以上に亘って務め楽団のテクニックを洗練させたが、晩年しばしば古巣に戻ってこのセッションでも聴かれるように1960年代初頭に彼らの一時代を築いている。

彼の指揮は徹底した声の表現による明快なドラマ作りにあり、それを妨げるような一切の小細工を避けているが、管弦楽法にも精通していて、カンタービレの真髄とも言える絶妙な指揮法とバランス技を縦横に駆使し、リリカルな場面と劇的な場面の交錯とその対比で稀に見る効果を上げている。

それは本来の伝統的なイタリア・オペラの姿でもあるだろう。

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2016年04月17日


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モントゥーが1956年にローマ・オペラ座で行ったセッションで、歌手達の伝統的な歌唱法をある程度許容してイタリア・オペラの醍醐味を損なうことなく、全体を隙なくまとめてみせた手腕は流石だ。

モントゥーのオペラ全曲盤は、彼の経歴からすれば意外なくらい少なく、しかもこのセッションでは彼が得意としたフランスものや20世紀のロシア物ではなく、ベル・カントの牙城ヴェルディを採り上げているのが更に興味深いが、イタリアのマエストロと聴き違えるくらい声の魅力を活かし、簡潔にドラマを描く力量に改めて感心させられた。

歌手の抜擢もかなり堅実で、主役のヴィオレッタにはコロラトゥーラ・ソプラノではなく、リリコ・スピントのカルテリを使って、主人公の意志の強さと物語としての筋道を明確にしている。

輪郭のはっきりした美声で高音にも恵まれていた彼女は、こうした性格的な役柄には充分に実力を発揮している。

一方アルフレード・ジェルモンには当時既にマリア・カラスと同オペラで場数を踏んで、1953年からはニューヨークのメトロポリタンにも登場していたヴァレッティを使っている。

彼の声はテノーレ・ディ・グラーツィア、つまり優雅なテノールとして分類されていて、決して声量で圧倒するタイプではないが恩師スキーパ譲りの無理のない理知的な歌唱が、一途な青年アルフレードの性格を良く描き出している。

そして彼の父ジョルジュ・ジェルモン役のウォーレンだが、彼は対照的に大音声を誇ったバリトンでいくらか癖のある歌い回しがスタイリッシュで面白みもあるが、モントゥーは要所要所でしっかりと制御している。

『椿姫』ではオーケストラの聴きどころに第1幕及び第3幕への前奏曲がある。

それぞれが劇中に出てくるモチーフを繋いだ短いオーケストラル・ワークだが、ここにもモントゥー特有のオーケストラへの巧みな采配と曲想に対するデリカシーが横溢している。

特に終幕のそれはしばしば聴かれる病的な脆弱さや安っぽい感傷を避け、ヴェルディの様式を重視して中庸のテンポと明朗な響きを堅持している。

ローマ・オペラ座管弦楽団はスカラ座ほどネーム・バリューはないにしても、かつてはマスカーニの『カヴァレリア・ルスティカーナ』やプッチーニの『トスカ』を初演した伝統を持っていて、オペラにその本領を発揮するオーケストラだけあって、響きは薄いが融通の利く柔軟性でモントゥーの指揮に良く呼応している。

先頃リリースされたRCAへのコンプリート・レコーディングスに加わっていたものと同一のリマスター音源を使っているために、モノラル録音ながら音量レベルが上がり、充分に鮮明な音質で鑑賞できる。

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2015年12月28日


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ヴェルディのオペラに関しては、伝統的な演奏法や言語の問題が加味される分だけある程度甲乙つけやすいが、そういった制約がなく、言わば指揮者の個性がそのまま浮き彫りにされるこの種の音楽に関しては、それぞれがそれぞれに魅力的で、なかなか判定しにくいものがある。

事実トスカニーニ、デ・サーバタ、ショルティ、ジュリーニ、カラヤン、アバド、ムーティの7つの盤は、全てどれを1位に推してもおかしくない程素晴らしい出来ばえを示していると言えよう。

その中からあえて鼻の差で抜きん出ている盤を選ぶとすれば、デ・サーバタの崇高な音楽はなんとも捨て難い。

ヴィクトル・デ・サーバタの数少ないスタジオ録音のひとつだが、プッチーニの『トスカ』と並んで、スコアから横溢するドラマを引き出す彼の恐ろしいほどの鋭い洞察力と、ソリスト、オーケストラ、コーラスを一瞬の弛緩も無く緻密に統率する優れた手腕が示された名演。

この時代の『ヴェル・レク』と言えば、まずトスカニーニの至高の超名演が思い出されるが、このデ・サーバタ盤も作品に注がれる情熱といい愛情の深さといい、彼渾身の熱演が繰り広げられている。

1954年にミラノ・スカラ座管弦楽団と合唱団を振ったモノラル録音で、音質的には恵まれていないが、音楽そのものを鑑賞するには現在でも充分価値がある。

作曲家として音楽活動を始めたデ・サーバタは、のちに指揮者としても活動を開始し、トスカニーニの後任として1953年までスカラ座で音楽監督を務めた。

体調不良のため同年引退し、1967年に死去するまでの14年間のうち、2回だけ指揮した。

1回はこの1954年に録音された『ヴェル・レク』、2回目は1957年の「トスカニーニ追悼コンサート」の時であった。

長い沈黙のはざまの演奏とは思えないほどのエネルギーほとばしる演奏で、単に彼の集中力の強さが衰えていない証拠であるばかりでなく、歴代の名盤としても数えられている。

ソリストの中でも驚かされるのはシュヴァルツコップの後年には聴かれないような大胆で奔放な歌唱で、おそらくこれは指揮者サーバタの要求した音楽と思われるが、後半の『リベラ・メ』のドラマティックな表現や『レクイエム・エテルナム』で聴かせる消え入るようなピアニッシモの繊細さも彼女の並外れたテクニックによって実現されている。

また『アニュス・デイ』でのメッゾ・ソプラノ、ドミンゲスとの一糸乱れぬオクターヴで重ねられたユニゾンの張り詰めた緊張感の持続も強い印象を残す。

テノールのディ・ステファノはライヴ演奏でもしばしば起用されたこの曲のスペシャリストでもあり、彼の明るく突き抜けるような歌声は宗教曲の演奏としては異例だが、ベル・カントの泣き節たる『ヴェル・レク』ではすこぶる相性がいい。

第10曲『インジェミスコ』の輝かしさは教会の中よりもむしろ劇場空間での再現が適している、一種のオペラのアリアであることを端的に物語っている。

チェーザレ・シエピについて言うならば、バスのパートをこれだけ完璧なカンタービレで歌いきった例も少ないだろう。

その深々として良く練り上げられた声質は重唱においても音程が正確で、他の歌手と共にヴェルディが書き記した対位法の各声部を明瞭に追っていくことが可能だ。

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2015年08月14日


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2013年にヴェルディとワーグナーという、どちらも劇音楽の大家でありながら一方は人間の喜怒哀楽を、そして他方は神々の世界を執拗に描いた音楽史上対照的な2人の作曲家の生誕200周年記念を迎えたことで、既に複数のレーベルからオペラ全集を始めとするセット物がリリースされている。

既に60歳を越えたリッカルド・シャイーがヴェルディ・イヤーに因んでスカラ座フィルハーモニー管弦楽団を振ったこのセッションはその先鞭をつけたものだ。

様式化された番号性オペラに則って、ひたすら声を響かせることによって究極の人間ドラマをものしたヴェルディの作品では、序曲や前奏曲はあくまでも劇的な雰囲気を演出する手段であって、ライトモティーフを始めとするワーグナーの複雑な心理手法とは異なる、より視覚に訴えた劇場空間でこそ効果を発揮するものだ。

だからこのようなアンソロジーは下手にいじるより、彼の指揮のようにストレートに表現するのが理想的だ。

そのあたりはさすがにイタリアのマエストロの面目躍如で、オーケストラを人が呼吸するように歌わせながら、流れを止めない推進力と屈託のない明るい音色を極力活かしている。

リリカルなものとしては『椿姫』第1幕への前奏曲、ドラマティックな表現としては『運命の力』序曲が聴きどころだが、このCDには普段あまり聴くことのない『海賊』や『ジョヴァンナ・ダルコ(ジャンヌ・ダルク)』そして『イェルサレム』などからもピックアップされているところにシャイーの一工夫が見られる。

名門スカラ座フィルハーモニー管弦楽団はアバドによって1982年に正式に組織されたオーケストラだが、その母体は1778年に劇場と同時に設立された専属のミラノ・スカラ座管弦楽団としての伝統を持っていて、トスカニーニやデ・サーバタなどの指揮者による名演も数多く残している。

彼らの演奏の白眉は何と言ってもオペラやバレエを始めとする舞台芸術作品だが、アバド以来国際的なトゥルネーに出てベートーヴェンやマーラーなどのシンフォニック・レパートリーも披露している。

リッカルド・シャイーとは既に1995年のセッションでロッシーニ序曲集をやはりデッカからリリースしていて彼らの久々の協演になる。

今回のアルバムでも言えることだが、オーケストラはいくらか線の細い明るい音色を持っていて、決して重苦しくならない柔軟で解放的な響きが特徴だ。

2012年の録音で音質、臨場感共に極めて良好。

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2015年07月07日


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本盤の演奏内容については、既にレビューを投稿済みだが、当該盤はHQCD化によっても、大音量の際に音が歪むということで、特に、『レクイエム』ではそうした欠点が著しく、「怒りの日」でオケと合唱の怒濤の場面ではダイナミックレンジを若干割ってしまっていたのが残念であった。

それに対し、ジュリーニの生誕100周年にあやかって買い直したOriginal recording remastered盤は、リマスタリングの効果は明らかで、大音響でも歪みのない鮮烈な音質が蘇っているのが嬉しい。

セッション録音としてはジュリーニ第1回目の『レクイエム』だが、彼は既に1960年に同じフィルハーモニア管弦楽団を振ったこの曲のライヴで賞賛を得ていて、同管弦楽団とは更に1964年の映像も残されているので、ジュリーニの同曲に賭けた情熱のほどが窺われる。

このCDの音源は1963年及び64年のもので、当時の実力派4人のソリストを従えた演奏はその演奏の水準の高さと音響の生々しさでグラン・プリ・デュ・ディスクやエディソン・プライスを受賞している。

特に「怒りの日」総奏部分の爆発的な音量と最後の審判を体現するような激情的な表現は、ジュリーニが行ったあらゆるセッションの中でも最もラテン的な情熱を発散させたもので、勿論ここでは彼の創造した音響効果だけではなく、一方で緻密に計算された弛むことのない緊張感とそれを維持する凄まじい集中力が聴きどころだ。

ソロ歌手のキャスティングでは、この曲を歌うのに最も相応しいと思われる実力重視の抜擢が功を奏している。

それは4人の歌唱力に限ったことではなく、重唱部分では和声の微妙なモジュレーションの連続があり、正確な音程の維持と移行という高度なアンサンブルのテクニックが要求されるが、その意味でもこのメンバーは万全だったと言えるだろう。

シュヴァルツコップは1952年のデ・サーバタ盤でもその驚異的な歌唱を聴かせてくれたが、ここではやや翳りが出てきた声質を巧みな表現力でカバーして、よりドラマティックな名唱を残すことになった。

クリスタ・ルートヴィヒとのオクターヴのユニゾンで、しかもア・カペラで始まる「アニュス・デイ」の天上的な美しさや、最後のコーラス「リベラ・メ」に入る前の「レクイエム・エテルナム」の神々しさは唯一無二のものだ。

ヴェルディの『レクイエム』はミラノ出身の文豪アレッサンドロ・マンゾーニ追悼のために作曲されたもので、現在では宗教曲として実際に教会で演奏されることはそれほど多くない。

それはこの作品が如何にもヴェルディらしい劇場空間に相応しい華麗なオーケストレーションの音響と共に、ベルカントの泣き節的な曲想を持った声楽部分があたかも1曲のオペラのように展開するからで、それだけにオペラ劇場の演奏者によるセッションも少なくない。

このジュリーニの旧盤は古いデ・サーバタ&ミラノ・スカラ座盤と並んで個人的に最も気に入っている演奏で、その理由はオーケストラが厳格に統制されているにも拘らず、外側に向かって放出される解放的なエネルギーに満ちていて、異例のカタルシスを体験できるからだ。

フィルハーモニア管弦楽団はロンドン時代のジュリーニが最も高く評価していたオーケストラで、この演奏にも彼らの信頼関係が良く表れている。

このCDには同じくヴェルディの『聖歌四篇』が1962年の録音で同メンバーとジャネット・ベイカーのメゾ・ソプラノでカップリングされている。

フィルハーモニア合唱団も流石にコーラス王国イギリスの合唱団だけあって、その表現力と機動性でも卓越している。

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2015年05月27日


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歌劇「オテロ」は、ヴァルディの数あるオペラの中でも最もショルティの芸風に合ったものと言えるのではないだろうか。

というのも、ショルティの芸風は切れ味鋭いリズム感とメリハリの明朗さであり、緊迫感にはらんだ劇的な要素を持った歌劇「オテロ」の性格との相性抜群のものがあるのではないかと考えられるからだ。

また、本盤の演奏は1977年のスタジオ録音。

ショルティも晩年の1970年代後半に入ってからは、自らの指揮活動の集大成とも評すべき円熟味溢れる懐の深い演奏を行うようになってきたところであり、本演奏においても、前述のような持ち味の鋭角的かつ明晰な芸風に加えて、かような円熟味溢れる彫りの深い表現を聴くことができるのが素晴らしい。

ショルティと同様に米国を拠点に活躍をした先輩格のハンガリー人指揮者、ライナーやセル、オーマンディなどとは異なり、オペラをレパートリーの中核としていたショルティではあるが、本演奏は、まさにオペラの演奏に自らの半生を捧げ、多大なる情熱を持って取り組んできたショルティの傑作のひとつとも言うべき至高の名演に仕上がっているとも言えるところだ。

それにしても、同オペラの演奏において、これほどまでにドラマティックで、重厚かつ強靭な迫力を有した演奏は、かのカラヤン&ウィーン・フィルほかによる超名演(1961年)に比肩し得るほどであると評し得るところであり、このような演奏を聴いていると、ショルティこそは、20世紀後半における最高のオペラ指揮者であったカラヤンに対抗し得る唯一の存在であったことがよく理解できるところだ。

そして、強靭な迫力と言っても、1960年代後半頃までに時として散見されたショルティの欠点でもあった、力づくの強引さは薬にしたくもなく、どこをとってもその音楽に奥行きのある懐の深さが感じられるのが素晴らしい。

ショルティの指揮するイタリア・オペラには、確固たる造形性に支えられた強い説得力があり、鋭敏な指揮に見事に反応して血肉を与えていくウィーン・フィルも名演だ。

各登場人物の細やかな心理の移ろいの描き方も万全であり、これぞまさしくオペラを知り尽くしたショルティならではの老獪ささえ感じさせる卓越した至芸と言えるだろう。

ショルティはテンポの設定ひとつとっても、声を聴かせる部分では遅めにたっぷりと聴かせ、ドラマティックな場面ではお得意のダイナミズムで一気にたたみこみ引き締める。

本オペラの演奏に際して、ウィーン・フィルを起用したというのも功を奏しており、前述のような重厚にして強靭な迫力は、カラヤンによる超名演にも匹敵するという意味で面目躍如たるものがある。

歌手陣も、ショルティが指揮するオペラならではの豪華な布陣であり、デズデモナ役のM・プライスの情感豊かな力と輝きに満ちた名唱が最も印象的で、オテロ役に定評があったというコッスッタも彼のベストの歌唱を示しており、感情移入の強さが大きな魅力だ。

両者とも歌手としても脂ののった時期の演唱で、安定した歌唱を聴かせてくれるのが魅力だ。

他の諸役も水準の高い歌唱で、ショルティが卓越した統率力で全体を見事にまとめ上げている。

また、ウィーン国立歌劇場合唱団やウィーン少年合唱団も最高のパフォーマンスを発揮していると評価したい。

ショルティは後年に手兵シカゴ交響楽団と再録音しており、そちらも名演であるが、オテロ役のパヴァロッティの声質が役柄に必ずしも適していないとも言えるところであり、筆者としては、旧盤の方を採りたい。

そして、今は無きゾフィエンザールの豊かな残響を活かした英デッカによる名録音も、今から40年以上の前とは思えないような極上の高音質を誇っていると言えるところであり、本盤の価値を高めるのに大きく貢献しているのを忘れてはならない。

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2015年05月05日


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ヴェルディ生誕200年のアニヴァーサリー・イヤーに当たる2013年、様々な関連ディスクがリリースされていたが、リッカルド・ムーティが2011年に収録したヴェルディの『オテロ』も注目すべきものの1つに掲げられよう。

ムーティ&シカゴ交響楽団の著しい進境を示すもので、気鋭の歌手陣を起用し、細部までムーティの意図が浸透した秀演であると高く評価したい。

資料によると、ムーティは2011年4月7、9、12日とシカゴ交響楽団の定期演奏会で『オテロ』を演奏会形式で上演、さらに一同を率いて15日にはニューヨークのカーネギー・ホールでも演奏しており、相当力を入れていたことが分かる。

本盤の大きな特徴として以下の2点を挙げたい。

・オペラを主戦とするオーケストラではなく、シカゴ交響楽団という世界屈指のシンフォニー・オーケストラを振っていること。

・オテロとデズデモナの2人の主役に、イタリア人歌手を起用しなかったこと。

これらの点から、ムーティは、このオペラの普遍的な価値を強く打ち出した演奏を目指した、と考えたい。

参考までにあらためて配役を書くと以下の通りだ。

 アレクサンドルス・アントネンコ(T オテロ)
 カルロ・グェルフィ(Br イアーゴ)
 クラッシミラ・ストヤノヴァ(S デズデモナ)
 フアン・フランシスコ・ガテル(T カッシオ)
 バルバラ・ディ・カストリ(Ms エミーリア)
 マイケル・スパイアズ(T ロデリーゴ)
 エリック・オウェンズ(Bs-Br ロドヴィーコ)
 パオロ・バッターリア(Bs モンターノ)
 デイヴィッド・ガヴァーツン(Bs 伝令)

オテロとデズデモナは、それぞれラトヴィアの歌手アントネンコと、ブルガリアの歌手ストヤノヴァが担当している。

そのため、伝統的なイタリア・オペラといった雰囲気とはやや違った風合いを感じる、というのは筆者の「思い込み」の部分もあるかもしれないが、当演奏を聴いてみると、いわゆるイタリア・オペラの歌唱を形容する大雑把な言葉である「ベルカント」とは少し違った、もっと地に足のついたような力強さがある歌唱が表出しているように感じられる。

そして、これが実にうまく効いていて、落ち着いた劇的高揚感が得られ、いかにも立派な音楽として鳴っているのである。

また、オーケストラがダイナミックレンジの広い劇的な音響を構築していることから、数ある『オテロ』中でも、シンフォニックな演奏と言えるものになっていると思う。

加えて、多彩な楽器が登場するこのオペラの色彩的な性格も、SACDマルチチャンネルの的確な録音が適度なスケールで捉えていて、例えば1枚目12トラックのマンドリンと合唱の鮮明な響きなど、本録音ならではの魅力と感じる。

デュエイン・ウルフの確かな統率の下、シカゴ交響楽合唱団も最高のパフォーマンスを示している。

一方で、前述したように、この作品に、いかにもイタリア・オペラらしい雰囲気を求める人には、違和感の残る演奏かもしれない。

他の歌手ではイアーゴのグエルフィは、近年珍しいくらい憎々しくいやらしい個性的な歌唱で、全体的に目立つと言えば目立つが、ちょっと浮いているようにも思う。

このあたりも、イアーゴにどんな表情づけを望むのかといった「聴く人の好み」で評価は分かれるだろう。

とはいえ、2013年にリリースされた注目盤の1つであることは間違いないので、ムーティの新しい意図を体験してみたいという方には、是非ともお薦めしたい1組である。

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2015年01月26日


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フィルハーモニア管弦楽団と豪華なソリスト陣の共演を得て実現した若き日のジュリーニならではの壮絶な歴史的名演。

ヴェルディが畏敬した作家マンツォーニの追悼に捧げた大作・レクイエムを、ジュリーニは壮麗な聖堂さながらのスケール感と染み入る静謐さで表現している。

ジュリーニと言えば、最晩年のゆったりとしたテンポ(中には、常識はずれのスローテンポの演奏もあり)による巨匠風の名演の数々のイメージが強いために、温厚篤実な演奏をする指揮者との印象を持たれがちであるが、若き日、特に1960年代の演奏は、凄まじいまでの迫力溢れる豪演の数々を行っていた。

本盤は、そうしたジュリーニの若き時代の芸風を端的に表しているものと言えるところであり、録音当時、まだ40代後半だったジュリーニが、ヴェルディのオペラを彷彿とさせるドラマティックな演奏を繰り広げている。

気力の充実しきったジュリーニの指揮は、テンポ、リズムに躍動感があるが、壮大さ、宗教的雰囲気にも欠けておらず、最高のソリスト・オーケストラをよくコントロールし、ヴェルディの「オペラ的なレクイエム」を表現している。

ジュリーニは、数多くのイタリアオペラを指揮・録音しているが、本盤でも、そうしたイタリアオペラを得意としたジュリーニならではの歌謡性豊かな指揮と、若き日の生命力溢れる力強い指揮が見事にマッチングして、いい意味でのバランスのとれた至高の名演を成し遂げるのに成功している。

カラヤンやクレンペラーの薫陶を受けていた、黄金時代のフィルハーモニア管弦楽団や、合唱団や独唱陣も最高のパフォーマンスを示している。

特に、シュヴァルツコップ、ルートヴィヒ、ゲッダ、ギャウロフというオールスター歌手陣の最盛期の歌唱がとても魅力的だ。

「思い給え」以下は、レクイエムとは思えないような、甘美で天上の世界を思わせるアリアが続く。

聖歌四篇も、レクイエムに優るとも劣らない超名演であると高く評価したい。

本盤で惜しいのは録音。

大音量の際に音が歪むということで、特に、レクイエムではそうした欠点が著しく、「怒りの日」でオケと合唱の怒濤の場面ではダイナミックレンジを若干割ってしまっている。

HQCD化によっても、そうした欠点がいささかも改善されなかったのは、演奏が素晴らしいだけに大変残念だ。

それでもかつての半分の価格でこのような芸術的な価値の高い作品を享受できるのはありがたいことである。

ヴェルディ生誕150年メモリアル・イヤー当時の熱気が伝わる素晴らしいアルバムである。

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2015年01月13日


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バーンスタインのウィーン国立歌劇場デビューでの大成功を受けて録音された「ファルスタッフ」で、バーンスタインとウィーン・フィルとの長い関係の出発点と言える名盤。

これはウィーン国立歌劇場が「アメリカの指揮者を呼びたい」と望んでバーンスタインに白羽の矢が立って実現した公演が大成功し、その結果生まれた録音である。

「ファルスタッフ」は、「アイーダ」や「オテロ」と比較するとスケールは小さいが、人生の酸いも甘いも知り尽くしたヴェルディの人生を達観したような遊び心に満ち溢れており、音楽の素晴らしさも含め、ヴェルディ最後のオペラの名に相応しい大傑作ではないかと考えている。

それだけに、これまで数多くの名演が成し遂げられてきた。

例えば、老獪な円熟の至芸を見せるカラヤンの1980年盤や、イタリア・オペラの真髄である豊かな歌謡性が魅力のアバドやジュリーニ盤などがあるが、本盤のバーンスタイン盤は、これらの名演とは異なった魅力がある。

それは、生命力溢れる気迫ということができるのではないか。

バーンスタインの指揮は晩年の演奏からは想像も出来ないほど鋭利であり、それに俊敏に反応するウィーン・フィルもさすがである。

冒頭の強靭な開始や終結部の力強さなどにもよく表れていると思うが、このような圧倒的な気迫は、ウィーン・フィルの力演によるところが大きい。

本盤の録音当時のウィーン・フィルは、カラヤンと一時的な喧嘩別れをして、カラヤンに対抗できるヒーローが欲しくて仕方がない時期であった。

それ故に、バーンスタインに大きな期待を抱いたに違いがなく、待望のヒーローを前にして、ウィーン・フィルが燃えまくっているのがよくわかる。

ここではウィーン・フィルの「やる気」が、それも自発的な「やる気」がビシビシ伝わってきて、活きのいい音楽が流麗にかつダイナミックに展開される。

バーンスタインは、本盤の録音について語る中で、ウィーン・フィルを指揮せずに指揮棒を降ろしていたなどという謙遜をしているが、逆に言えば、ウィーン・フィルにこれだけの演奏をさせたカリスマ性を高く評価すべきであろう。

アンサンブルの面白さが生命だが、バーンスタインの生命力あふれる指揮以下全員生き生きの名演で素晴らしい。

なお、ファルスタッフ役を、いささか不似合いなフィッシャー=ディースカウが演じているが、巧さにおいては群を抜いており、これだけの巧い歌唱を披露されれば文句は言えまい。

他ではリガブエのアリーチェが可憐で秀逸で、生来の発声がなんともチャーミング、この役の魅力を存分に表現している。

録音は英デッカが行ったこともあり、最新録音に劣らぬ素晴らしい出来映えで、ウィーン・フィル独特の艶のある響きを捉えて余すところがない。

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2014年11月18日


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カラヤン2度目の《ファルスタッフ》録音となったこのアルバムは、全曲くまなく溌剌たるエネルギーの漲ったゴージャスな演奏。

カラヤン2度目の録音だけあって、演出巧者な棒で、このオペラのもつ洒脱で喜劇的な愉悦感をもののみごとに表出している。

ゴッビ等と録音した旧盤と比べ、この録音でのカラヤンはまさに至芸をみせている。

細部までよく磨き抜かれた、実に仕上がりのよい演奏で、ウィーン・フィルの響きも大変美しい。

ウィーン・フィルの柔らかな音色とカラヤン独特の粘り腰もあって、トスカニーニほどの鋭敏さはないが、オーケストラは洗練され尽くした美しい響きだ。

ウィーン・フィルの爛熟の響きで貫かれたきわめてユニークな《ファルスタッフ》でもあるが、ここに横溢した贅沢な愉悦感は比類がないもの。

歌手陣も素晴らしい。

中でも老タデイのファルスタッフが抜群にうまく、のびのびと闊達に大ベテランならではの練れた歌唱を聴かせ、持ち前の至芸によって聴き手の心をたっぷりと充足させてくれる。

タイロル・ロールのタデイは心配された声の衰えも少なく、滑脱、自由自在のファルスタッフを生き生きと歌いきっている。

「愛すべき無頼漢」が憑依したかとも思えるタデイの、天衣無縫、自由奔放、柔軟無類の驚くべき名唱が聴きもの。

素晴らしいアンサンブルを展開するほかの歌手たちも粒ぞろい。

パネライは善人フォードを彷彿とさせる不足のない出来映え。

ガバイヴァンスカもここでは本領を発揮、4人の主役級の女声陣も、それぞれみごとだ。

またアライサのフェントン、ペリーのナンネッタの起用もカラヤン美学に沿ったものと思えるが、これも大きな成功を収めているように思う。

完成期のカラヤンのヴェルディ録音の中でも白眉の一盤と言えるところであり、このオペラのユニークなおもしろさを充分に味わわせてくれる。

カラヤンの音楽に漂う不思議な優しさは老ヴェルディの精神にふさわしく、感動的だ。

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2014年07月17日


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歌劇「オテロ」は、ヴァルディの数あるオペラの中でも最もショルティの芸風に合ったものと言えるのではないだろうか。

というのも、ショルティの芸風は切れ味鋭いリズム感とメリハリの明朗さであり、緊迫感にはらんだ劇的な要素を持った歌劇「オテロ」の性格との相性抜群のものがあるのではないかと考えられるからだ。

また、本盤の演奏は1991年のライヴ録音。

ショルティも最晩年の1990年代に入ってからは、自らの指揮活動の集大成とも評すべき円熟味溢れる懐の深い演奏を行うようになってきたところであり、本演奏においても、前述のような持ち味の鋭角的かつ明晰な芸風に加えて、かような円熟味溢れる彫の深い表現を聴くことができるのが素晴らしい。

ショルティと同様に米国を拠点に活躍をした先輩格のハンガリー人指揮者、ライナーやセル、オーマンディなどとは異なり、オペラをレパートリーの中核としていたショルティではあるが、本演奏は、まさにオペラの演奏に自らの半生を捧げ、多大なる情熱を持って取り組んできたショルティの集大成とも言うべき至高の名演に仕上がっているとも言えるところだ。

それにしても、同オペラの演奏において、これほどまでにドラマティックで、重厚かつ強靭な迫力を有した演奏は、かのカラヤン&ウィーン・フィルほかによる超名演(1961年)に比肩し得るほどであると評し得るところであり、このような演奏を聴いていると、ショルティこそは、20世紀後半における最高のオペラ指揮者であったカラヤンに対抗し得る唯一の存在であったことがよく理解できるところだ。

そして、強靭な迫力と言っても、1970年代頃までに時として散見されたショルティの欠点でもあった、力づくの強引さは薬にしたくもなく、どこをとってもその音楽に奥行きのある懐の深さが感じられるのが素晴らしい。

各登場人物の細やかな心理の移ろいの描き方も万全であり、これぞまさしくオペラを知り尽くしたショルティならではの老獪ささえ感じさせる卓越した至芸と言えるだろう。

本オペラの演奏に際して、手兵のシカゴ交響楽団を起用したというのも功を奏しており、前述のような重厚にして強靭な迫力は、本演奏の当時スーパー軍団とも称されたシカゴ交響楽団の面目躍如たるものがある。

歌手陣も、ショルティが指揮するオペラならではの豪華な布陣であり、特に、ルチアーノ・パヴァロッティがオテロ役をつとめているというのが本演奏の最大の魅力であるとも言える。

また、デズデモーナ役のキリ・テ・カナワやイアーゴ役のレオ・ヌッチ、そしてカッシオ役のアントニー・ロルフ・ジョンソンなどの歌手陣、そして、シカゴ・シンフォニー・コーラスやメトロポリタン歌劇場少年合唱団も最高のパフォーマンスを発揮していると評価したい。

音質も、英デッカによる見事な高音質録音であるのも素晴らしい。

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2014年07月15日


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本盤に収められたヴェルディの歌劇「椿姫」は、ショルティの最晩年のコヴェント・ガーデン王立歌劇場での公演の歴史的なライヴ録音(1994年)である。

同オペラには、トスカニーニなどのイタリア系の指揮者以外の名演が殆ど遺されていない。

クライバー&バイエルン国立歌劇場管弦楽団ほかによる名演(1976〜1977年)が掲げられる程度であり、ヴェルディやプッチーニなどのイタリア・オペラを得意としていたカラヤンも、歌劇「椿姫」を苦手にしていた。

それだけに、カラヤンと並ぶ20世紀後半の偉大なオペラ指揮者であったショルティの双肩にかかる重責は極めて大きいものがあったと言えるところであり、本盤の演奏によって、ショルティはその重責を見事に果たした言えるだろう。

半世紀近くにもわたって様々なオペラを演奏・録音してきたショルティの事績の総決算とも言うべき至高の名演に仕上がっていると高く評価したい。

ショルティの指揮は、切れ味鋭いリズム感とメリハリの明朗さが信条と言えるが、1990年代に入って最晩年にもなると、その指揮芸術にも円熟味が加わり、懐の深さが演奏にもあらわれてくるようになった。

マーラーの交響曲の演奏においては、そうした円熟は、かつてのショルティの演奏にあった強烈無比な凄味を失わせることになり、一般的な意味においては名演ではあるものの、今一つの喰い足りなさを感じさせることになったが、その他の楽曲、とりわけオペラの演奏においては、円熟が見事にプラスに作用することになっていると言えるだろう。

ヴェルディのあらゆるオペラの中でも、最も美しい抒情的な旋律に満たされた同曲を、ショルティは明朗に描き出している。

かつてのショルティのように、力づくの強引さは皆無であり、音楽そのものの美しさをそのまま語らせるような演奏に徹している。

まさに、人生の辛酸を舐め尽くしてきた巨匠ならではの大人(たいじん)の至芸と言った趣きがあると言えるところであり、これぞ数々のオペラ演奏を成し遂げてきたショルティの老獪とも言える熟達の至芸が刻印されているとも言えるだろう。

歌手陣も、オペラを知り尽くしたショルティならではの絶妙なキャスティングであり、主役のヴィオレッタ・ヴァレリー役にルーマニアの新鋭アンジェラ・ゲオルギューを抜擢したのが何よりも大きい。

そして、アンジェラ・ゲオルギューも、ショルティの期待に応え、迫真の名唱を披露しているのが本名演の大きなアドバンテージの一つである。

また、アルフレード役のフランク・ロパード、ジェルモン役のレオ・ヌッチ、フローラ役のリー=マリアン・ジョーンズなどの豪華な歌手陣、そしてコヴェント・ガーデン王立歌劇場合唱団がショルティの熟達した統率の下、圧倒的な名唱を披露しているのも、本名演に大きく貢献しているのを忘れてはならない。

音質も、英デッカによる見事な高音質録音であるのも素晴らしい。

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2014年06月08日


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全世界初出(1948年録音)。

トスカニーニのヴェルディ「レクイエム」と言えば、名盤中の名盤で複数の録音が知られているが、存在は知られていながら初出となる当盤もファン垂涎と言えよう。

エネルギッシュな指揮ぶり、唸り声をあげる巨匠、そして渾身のアンサンブルでトスカニーニの要求に応えるNBC響、まさに眼前に繰り広げられるかのような超名演である。

アバドのスカラ座盤がラファエロやフラ・アンジェリコの華麗な色合いで聴き手にやさしく接してきたとすれば、こちらはミケランジェロの覇気に満ちた剛毅なスケールで圧倒する。

合唱もオケも独唱も、トスカニーニに金縛りに合ったような緊張感にみなぎり、全員が持てる力を最後の一滴まで出し切る白熱的な気迫を見せる。

金属的な強靭さと輝きに満ち、人間の力の限界を超えようと死と対決して、力づくでねじ伏せようとするさまは、宗教音楽を超えたドラマティックな感動があり、他の追随を許さず、まさにトスカニーニの独壇場と言う他はない。

ヴェルディが世を去った時、トスカニーニはすでに30代の前半にあったし、指揮者としても約15年のキャリアをもっていた。

スカラ座での当時の名歌手たちを連ねた追悼演奏会を指揮したのも彼だった。

これは、まさに作曲家の化身ともなったトスカニーニの畢生の名演のひとつといっても過言ではない。

ボイトがヴェルディについて述べた言葉「音楽こそ彼の宗教に他ならない」は、そのままトスカニーニにも言えるものだ。

「テ・デウム」も、トスカニーニの統率は、いささかの弛緩も軟化もなく、豊かな幻想と劇場的な広がりに満ち溢れている。

曲の雄渾な構想とユニークな書法が、燦然と輝き、そこに内包された無限のファンタジーが雄大に展開を見せるのである。

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2014年06月07日


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この熱気あふれるヴェルディを聴けば、トスカニーニを新即物主義の化身と見なす評価がいかに的外れなものかがわかるだろう。

魂の底から湧き上がるカンタービレや緩急自在に揺れ動くテンポなど、オペラ全盛期に生を受けた巨匠ならではの至芸が堪能できる逸品。

「リゴレット」は、NBC交響楽団を指揮したライヴ録音で、コンサート形式といっても第4幕だけで、これも本来は全3幕なのを3幕後半だけ切り離して4幕構成にしたバージョンだとか。

だから30分くらいしかないが、でも聴き応えは十分で、ともかく、これは素晴らしい。

音もかなりよくて、歌に関してはほとんどステレオ並みに楽しめる。

中でも公爵のスケベな歌、〈女心は雲のように…〉、ここなんかちょっと甲高い、やや軽薄な感じで歌ってるので、いかにも好色漢のお気楽な歌という感じがする。

ドミンゴが歌ったのもあるけど、ドミンゴだとちょっと声があまりに清らかな感じがして、軽薄さが出てないと思う。

それとジルダがスパラフチーレ、マッダレーナの殺しの話を聞く場面。

ここもゾクゾクするほど弦を磨き上げていて、気持ちがいいほど緊張感を盛り上げてくれる。

NBC響の合奏力で聴く者を圧倒してしまって、「どうだ」と言う感じだ。

歌手たちの息もピッタリで、巨匠の前ではずすなんてとんでもないという雰囲気。

そして最後の場面、娘が身代わりになったと気づいて「おお…ジルダ…」とリゴレットが嘆くところ、ウォーレンの歌も心がこもっている。

いかにも慈愛に満ちた父親の感じがして、グッと悲劇的な感情が高まって、歌手の迫真の演技に息を飲む…、それから管弦楽が一挙に大音量になって壮絶に終わる。

オーパス蔵の復刻も成功している。

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2014年06月04日


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1951年5月28日 フィレンツェ5月音楽祭でのライヴ録音。

カラスのミラノ・スカラ座デビュー直前の「シチリア島の夕べの祈り」音源で、ここで絶賛を浴び、カラスのサクセス・ストーリーが始まった。

カラスはその後同曲を録音しておらず、彼女の「シチリア島の夕べの祈り」唯一盤である。

13世紀に、フランス王族の支配するシチリア島で起きた、イタリア住民の暴動と虐殺事件「シチリアの晩祷事件」を題材にとったこの作品も、筆者は結構聴かず嫌いだったかもしれない。

ヴェルディ作曲当時の、イタリア統一の機運にはぴったりの題材だと思うが、フランスが悪役とも言えるこの題材を、パリ・オペラ座からの依頼で、グランド・オペラ初挑戦の作品としてヴェルディがよく取り上げたものだと思う(フランス革命後だから、フランスの王族が悪役ならOKなのか)。

指揮はなんとエーリッヒ・クライバーである。

息子は結構イタリア・オペラを振っているが、筆者の知っている限り、エーリッヒ・クライバーのイタリア・オペラはこれのみのはずだ。

他のイタリア・オペラと違う何かがあるから(グランド・オペラ・スタイルだからか)エーリッヒ・クライバーが振ったんだろうか。

肝心の音楽だが、元来このオペラはあまり評判がよろしくないのだが、いつも通りのエーリッヒ・クライバーの厳しい音作りで一気呵成に聴かせるし、カラス(メキシコの「アイーダ」同様、たぶん楽譜に無いであろう最高音を聴かせてくれる)そしてロシアの名バス、クリストフをはじめ歌手陣も申し分ない。

しかし残念なことにカラスとエーリッヒ・クライバーが共演したのは後にも先にもこの時だけとなった。

観客も熱狂的である。

ただし、音はあまりよろしくない。

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2014年06月03日


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マリア・カラスの後、ノルマやルチアといったベルカント・オペラで名をはせた歌手として、ジョーン・サザーランド(指揮者のボニング共々)の名前が筆頭に挙がる。

レナータ・スコットについて上記のような評価があるなら、サザーランドも似たような評があってもよさそうなものだ。

そう思ってサザーランドにとって2度目の録音になるこの「椿姫」を聴いてみると、何からなにまで楷書風の端正な演奏、歌といった印象で、少し戸惑い気味になった。

1926年生まれのサザーランドはこのCDのちょうど20年前、1959年にロンドンで「ランメルモールのルチア」のルチアを歌って大成功した。

20年の間にさすがに声の威力も衰え、何となく抑え気味だが、サザーランドは、美声を最大限に生かした大柄なヴィオレッタを、表情の変化に精一杯気を配り、たっぷりとしたテンポで歌っている。

そして、ヴィオレッタの姿が描き出され、第2幕のジェルモン(父)とのやりとり、第3幕などは単なる歌の技巧云々では魅力を感じる。

ヴィオレッタはオペラの女声・登場人物の中で特に魅力的で、一面では女性にしておくにはもったいないような性格も併せ持っている(侠道にあっても筋を通すだろう傑物)。

舞台を観ていれば衣装の視覚的効果もあってそんな印象は持たないだろうが、音だけで聴いているとそう感じる。

サザーランドの場合はそんな感じは限りなく薄まっている(旧録音はまた違う印象かもしれない)。

パヴァロッティのアルフレートは、サザーランドに合わせるようにおおらかにヒロイックに歌い切っている。

主役2人にも増して、マヌグエラのジェルモンが好演で、第2幕のアリアの至難のカバレッタなどを、柔らかい声で巧みに歌っている。

ボニングの指揮もいつになく意欲的で、整然とした美しさをオーケストラから引き出している。

全体に大らかでゴージャスな美しさに満ちた演奏だ。

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2014年06月01日


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このカラヤンが愛したヴェルディの《レクイエム》は、1972年のベルリン・フィル盤がSACD化され、1984年盤のCDは廃盤に追いやられてしまったが、幸いなことに映像作品はまだ残っており、カラヤン芸術を語るに欠かせない映像・録音である。

基本的なコンセプトはCD盤を同一なので、その場合は、やはり映像がある方が迫力が非常に大きくなるという魅力が倍増する。

カラヤンのヴェルディ《レクイエム》は特別である。

それはキャリアの初期に、「ドイツのトスカニーニ」として脚光を集めたカラヤンの音楽性の原点を背後にうかがわせる怖い演奏であり、究極の人間ドラマを見せる凄さがある。

磨き抜かれた音とアンサンブルそれ自体に異常なまでの緊迫感がうかがわれるし、作品に自らの情念を植え付け、さらに濃密な音のドラマに変えていく、そんなカラヤンの思い入れも重なって、空前絶後の音の世界が打ち立てられている。

当盤はカラヤンの1972年以来の再録音で、1984年盤でもこの曲に対するカラヤンの基本的な考え方は変わっていない。

カラヤン一流の、よく計算のゆきとどいた演奏である。

ただ細部の彫琢などに前回みられなかった表情の濃さや、テンポの変化がある。

クライマックスを力強くつくりだす演出のうまさと、内容的な掘り下げの深さという点では、このウィーン・フィル盤の方が優っている。

カラヤンの巧みさは何といっても劇的な演出法の多彩さにあり、あの手この手でヴェルディをからめ取ってしまう。

イタリア人の全くいない4人のソリストは旧盤ほどではないにしても良い出来で、最良の名歌手たちは、豊麗な歌声の魅力に加えて聖なる気品とでもいうべき光りを添えているし、オーケストラをウィーン・フィルとしたことで、一段と表現がしなやかになった点も素晴らしい。

合唱をウィーン国立歌劇場合唱団に、ソフィア国立歌劇場合唱団を加えて混成部隊にしていることも大きな特色で、その底力のある重厚な合唱は、この曲の劇的な性格をさらに盛り上げ、成功している。

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2014年03月31日


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カラス、ディ・ステファノ、バスティアニーニの3強が揃った1957年のスカラ座ライヴがこのオペラの筆頭ディスクだろう。

彼ら三つ巴のアンサンブルが素晴らしい上、カラスのアメリアもこの役どころの精髄を捉えた見事な歌いぶり。

それにもましてバスティアニーニによるレナートは、彼最大の当たり役として記憶にとどめるべき名唱といえる。

カラスの《仮面舞踏会》にはヴォットーの盤もあり、こちらも看過すべきではないが、このオペラが歌本位のものであること、およびヴェルディの他のオペラと同様ハイ・バリトンのレナートに音楽的支柱をおくものであることを考えると、やはりゴッビでは物足らず、バスティアニーニの高みまで達している必要があろう。

ここでのカラスの歌唱は彼女の最盛期のものだけに、劇的な表現力と声の迫力が素晴らしく、カラスの残したヴェルディ・オペラの中でも最高のもののひとつとなっている。

カラスはこのアメリアでも、天才の直感をもって役柄の真髄を歌い出したとしか言いようがなく、歌のもつ痛切な悲劇的緊迫感と一分の乱れもない風格の高さに感歎しないではいられない。

その悲劇的な緊張と持続の素晴らしさ、感情とドラマの彫りの深さ、そしてそれを歌と声に的確に反映させる表現は見事。

彼女の声にもまだ衰えの影は少しもなく、第2幕のアリアなど実に素晴らしい名唱だ。

他の歌手も各自の個性を十二分に発揮しながら、歌の充実したぶつかり合いが一種独特の緊張と白熱を生み出している。

1957年のモノーラル・ライヴ録音で、音の状態こそあまり良くないが、このオペラの神髄をついた名演奏である。

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2014年02月24日


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ヴェルディのレクイエムは、いわゆる3大レクイエムの中でも最も規模が大きく劇的な要素を持った傑作である。

モーツァルトのレクイエムは、モーツァルト自身が完成させることが出来ず、他の者による加筆や編曲などがなされている。

フォーレのレクイエムは、清澄な美しさで満たされた素晴らしい名作であるが、必ずしもスケール雄大な作品とは言い難い。

その意味では、ヴェルディのレクイエムを、あらゆる作曲家のレクイエム中の最高傑作と評する識者が多いというのも十分に納得できるところだ(ブラームスのドイツ・レクイエムは、別テキストによるものであり、同列の比較から除外されていることに留意する必要がある)。

ヴェルディは、いわゆるオペラ作曲家であり、同曲も晩年の作品ということもあって、ここにはヴェルディのオペラ的な作曲技法が駆使されている。

それだけに、ヴェルディの数々のオペラを得意のレパートリーとしてきたカラヤンにとって、同曲はまさに十八番とも言える存在であったことはよく理解できるところである。

したがって、カラヤンによる同曲の録音は、本演奏に加えて、1984年のウィーン・フィルとのスタジオ録音やザルツブルク音楽祭でのライヴ録音(1958年)、そしてDVD作品など複数存在している。

1979年の来日時にもスケール雄大な名演を繰り広げたことは今や伝説となりつつあるが、カラヤンが遺した同曲の最高の演奏は、衆目の一致するところ、本盤に収められた1972年のスタジオ録音ということになるのではないだろうか。

1972年と言えば、カラヤン&ベルリン・フィルの全盛時代であり、カラヤンにも健康不安が殆どなく、体力・気力ともに充実していた時代だ。

カラヤンが指揮するベルリン・フィルも名うてのスタープレイヤーを数多く擁する、世界最高のオーケストラを自認するベルリン・フィルとしても最高の時代であり、本演奏においても、うなりをあげるような低弦の迫力、ブリリアントなブラスセクション、雷鳴のように轟わたるティンパニなど、鉄壁のアンサンブルの下、他のオーケストラの追随を許さないような圧倒的な名演奏を展開している。

とりわけ、「怒りの日」や「くすしきラッパの音」、「みいつの大王」における強靭な響きは、途轍もない迫力を誇っている。

他方、弱音部における繊細な表現も見事であり、ダイナミックレンジの幅広さは他の演奏の追随を許さないものがある。

ウィーン楽友協会合唱団は、他の指揮者が指揮するといかにも素人と言うような凡庸な合唱に終始するきらいがあるが、終身の芸術監督であったカラヤンが指揮した本演奏においては、カラヤンへの畏敬の念もあったせいか、持ちうる実力以上の圧倒的な名唱を披露している。

カラヤンの旗本とも言うべきソプラノのミレッラ・フレーニ、そしてメゾ・ソプラノのクリスタ・ルートヴィヒの歌唱はいつもながら見事であり、テノールのカルロ・コッスッタ、バスのニコライ・ギャウロフによる圧倒的な歌唱ともども、最高のパフォーマンスを発揮している。

いずれにしても、本盤の演奏は、カラヤンによる数あるヴェルディのレクイエムの演奏の中で最高の名演であるとともに、ベルリン・フィルの演奏の凄さ、歌手陣や合唱の素晴らしさを考慮に入れると、同曲の様々な名演の中でもトップの座を争う至高の超名演と高く評価したい。

音質は、1972年の録音ということもあって従来CD盤でも比較的良好な音質であった。

しかしながら、今般、ついに待望のシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化がなされるに及んで大変驚いた。

ベルリン・イエス・キリスト教会の豊かな残響を生かした音質の鮮明さ、合唱や独唱、オーケストラ演奏が見事に分離して聴こえる明瞭さ、音圧の凄さ、音場の拡がりのどれをとっても一級品の仕上がりであり、従来CD盤では2枚組であったものが1枚に収まるという容量の大きさなど、あらためてSACDの潜在能力の高さを思い知った次第だ。

いずれにしても、カラヤン&ベルリン・フィルほかによる至高の超名演を、現在望みうる最高の高音質であるシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤で味わうことができるのを大いに喜びたい。

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2014年02月15日


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本収録はカルショーが満を待してショルティ&ウィーン・フィルと行ったもので、独唱陣もサザーランド、パヴァロッティ他と勢揃い、バスドラムの音響も話題ともなった名盤。

当盤は、指揮、オーケストラ、独唱、合唱、録音のすべてが優秀かつ音楽的で、文句のつけようがない見事な出来映えだ。

ショルティはテンポ感が抜群であり、表情にも過不足がなく、われわれは指揮者の存在を忘れて曲自体の魅力や美しさを満喫できる。

ヴェルディの《レクイエム》は、作品自体が非常にダイナミックで劇的な性格をもっているので、あえて劇的な表現をしようとすると、それが空回りしてしまうことが多い。

このショルティの演奏は、作品のあるがままの姿を直截かつ明快に表現しており、それが結果的にすばらしいダイナミックな緊張感を生み出していると言える。

それに当時としては録音が鮮明で、有名な〈怒りの日〉の部分など、打楽器の生々しい音や、舞台の外から響いてくる金管合奏が遠くから聴こえ始めてしだいに近づいてきて全合奏の最強音に達する。

そのところの奥行きのある表現もすばらしい。

その部分だけでも一聴の価値があると言えるほどである。

全曲を一貫して出来の悪いナンバーがないのもすばらしい。

ソリストはとくにメゾ・ソプラノのホーンとテノールのパヴァロッティが美しく、ソプラノのサザーランドもうまい。

バスのタルヴェラのみ深刻癖が気になるが、全体の感銘を傷つけるほどではないと思う。

ヴェルディのオペラ的な作風を表現するのに、これに優るメンバーはないのではないだろうかと思わせるほどである。

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2014年01月11日


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ムーティの円熟を感じさせる素晴らしい名演である。

ムーティがシカゴ交響楽団の音楽監督への就任を控えていた時の、幸先のいい名演とも言えるだろう。

ムーティは、ヴェルディのレクイエムを得意としており、約20年前の1987年にもミラノ・スカラ座管弦楽団等とともに同曲をスタジオ録音しており、それも生命力溢れる劇的な名演であったが、やはり、この間の20年間のムーティの円熟の歩みは非常に重いものと言わざるを得ない。

ムーティはかつてのスカラ座盤にみられるようなオペラ的なアプローチではなく、純粋に宗教曲として捉えたことが特筆され、内声部の充実は圧巻といえよう。

冒頭の数小節の静寂の音楽からして、これまでのムーティには見られなかった奥行きの深さを感じさせる。

怒りの日は、テンペラメントに溢れたいつものムーティ調ではあるが、これまでとは異なり、威風堂々たる重厚さが際立つ。

同曲特有の場面毎の変化の激しさについても、ムーティは極端に陥ることなく、いい意味でのコントロールの効いた大家の巧みな表現で一貫している。

終結部の静寂は、冒頭部と同様であり、全曲を彫りの深い表現で感動的に締めくくっている。

ムーティの統率の下、シカゴ交響楽団、更には、独唱陣や合唱団も最高のパフォーマンスを示している。

そして、何よりも素晴らしいのは、SACDマルチチャンネルによる極上の高音質録音。

ヴェルディのレクイエムのような作品は、こうした臨場感溢れる録音によってこそ、その真価を味わうことができるのではないかと考える。

円熟味を増した指揮者とハイレベルなオケと歌唱陣、優秀な録音と非常にバランスのとれた名演奏と言えよう。

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2014年01月07日


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ヴェルディは1950年12月1日、ミュンヘン大学講堂、ブルックナーは1954年5月14日、ドイツ博物館、ミュンヘン、に於けるライヴ録音。

ヨッフムのヴェルディは珍しく、「レクイエム」はこれが唯一の録音である。

「レクイエム」は、聴く者の耳と心を捉えて離さない演奏だ。

ヨッフムの精神の高さが、ヴェルディの剛直・雄渾の精神を見事に表現しており、その骨格には冒し難い品格が備わっている。

重厚なドイツ的表現で極めて個性的な演奏であるが、古い実況録音の中から宗教的感動の盛り上がりが伝わってくる。

確かにドイツ的心情で捉えた演奏ではあるが、こうした音色もヴェルディに必要なのではあるまいか。

現在のどの指揮者も工夫を凝らす“演出”の巧みな設計、デュナーミクの振幅、テンポの緩急などの遠近は、最小限度に抑えられている。

独唱陣はいずれも一時代を画した名歌手の貫禄を示しており、特にクーニッツが素晴らしい。

「テ・デウム」もヨッフムの得意中の得意の曲だけに、充実のひとときと与えてくれる。

「テ・デウム」における深い共感はヨッフムならではのもので、DGへのスタジオ録音より一段と劇的な迫力で壮麗に綴られる。

まだ創設して間もなかったバイエルン放送交響楽団がヨッフムに鍛え上げられたのか、見事な演奏を繰り広げている。

合唱も1音符の乱れもなく、両曲とも素晴らしい情熱で歌い切っている。

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2014年01月04日


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1956年にベルリン・フィルを手中に収め、いよいよ楽壇の“帝王”として活躍を始めた時期の覇気に満ちた録音。

ヴェルディの「レクイエム」はカラヤンの十八番だったが、これは1958年のザルツブルク音楽祭でのライヴ。

ヴェルディの「レクイエム」は、3大レクイエムの中でも、オペラの世界を知り尽くした作曲者ならではの劇的な要素を有した作品である。

それだけに、オペラを得意としたカラヤンも、この曲を重要なレパートリーとして、映像作品も含めて相当数の録音を遺した。

筆者としては、映像作品も含めると、クルーゾーと組んだミラノ・スカラ座との演奏を第一に掲げたいが、CDということになれば、カラヤンの全盛時代に録音された本盤も、1972年盤に匹敵する名演であると考える。

他の録音もそうであるが、何よりも歌手陣が実に豪華である。

特に、ルートヴィヒやシェピら往年のスター歌手の熱唱は最高で、これを聴くだけでも大きな価値がある。

カラヤンの指揮もスケールの雄大さが際立っており、ラストの聴きとれないようなピアニッシモを除けば、白熱したウィーン・フィルとも相俟って、これ以上を望めないような高みに達している。

「テ・デウム」は、歌手陣が一段と豪華な顔ぶれであるが、ブルックナーとしてはいささか賑々しい演奏のような気がする。

とは言っても、同曲でこれほどの重厚で迫力のある演奏は他には見られないものであり、これだけ堪能させてくれれば文句も言えまい。

人の心をグイとつかむカラヤンのライヴの凄さが伝わる貴重な音源である。

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2013年07月21日


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ジュリーニの旧盤は録音は古いが、それでも演奏の質という点では捨て難い魅力がある。

ヴェルディの『レクイエム』は、ともすると作品の質そのものにオペラティックな性格の部分が多く含まれるために、単に盛り上げるだけの外面的な効果を狙った演奏もある。

ジュリーニは、そんな中にあって美しい歌のカンタービレの魅力と、劇的な高揚感を失うことなく宗教的な情感をも見事に表出している点で、きわめて優れた表現を成し遂げていると言える。

例えば、「ディエス・イレ(怒りの日)」の最後の審判を恐れる嵐のような激情も決して浮き足立つことなく内面的に描かれる。

続く「トゥーバ・ミルム(奇すしきラッパの音)」の最後の審判を告げるトランペットのファンファーレも静かな緊張感に満ちているために、その後の次第に増幅され爆発的なトゥッティに至る最後の審判のドラマがまさにリアリティを持って表現される。

この部分は若きギャウロフの深いバスの声も印象的。

最後の「リベラ・メ(我を救いたまえ)」の壮大なフーガの切れ味の良い進行と消え入るように静かに歌われる終結の対比も見事で聴くものを強く引き付ける。

このように旧録音でのジュリーニは、フィルハーモニア管と合唱団を見事にコントロールし、この作品の多彩な魅力を余すところなく伝えてくれる。

また、前述したギャウロフをはじめとするソリスト陣のジュリーニの意図を見事に汲みとった歌唱もすばらしい。

特にシュヴァルツコップの真摯な歌唱は、イタリア系のソプラノにはない、まるでリートを聴くようなユニークな魅力を持っており、宗教的な敬虔な雰囲気を引き出す大きな要因となっている。

同時期録音のヴェルディ「聖歌四篇」が併録されている。

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2013年01月12日


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この2009年1月の演奏会は、前年2008年11月23日に急逝したリチャード・ヒコックスの思い出に捧げられたものである。

1976年にロンドン交響合唱団の音楽監督に就任したヒコックス(1948−2008)は、1991年にそのポストを離れた後も名誉指揮者、さらにはプレジデントを任じられ、1985年には客演副指揮者に迎えられるなどロンドン交響楽団ともゆかりの深かったことで知られている。

ヒコックスは、1995年には彼らとヴェルディのレクイエムをシャンドス・レーベルにレコーディングしており、ファンファーレ誌やデイリー・テレグラフ誌から最大級の評価を獲得していた。

こうした背景もあってのことであろう、ここでのオケ、合唱は共に特別な共感を寄せて演奏に臨んでいるであろうことは想像に難くないが、それはヒコックスの師であるデイヴィスとしてもやはり同じはず。

デイヴィスのヒコックスへの深い愛情を示す壮麗にして厳粛な名演である。

ヴェルディのレクイエムは、3大レクイエムの中でも規模が最も大きく、それ故に、演奏によってはどうしても圧倒的な迫力とか、オペラ的な性格が全面に出る傾向があるが、デイヴィスは、そうした劇的な面を極力抑え、同曲のいわゆる「レクイエム」という側面にできるだけ焦点を当てた演奏を繰り広げている点を高く評価したい。

ロンドン交響合唱団の合唱も見事であり、指揮者、オーケストラともども一体となって、ヒコックスへの哀悼の念を捧げている点が深く感動を誘う。

1991年のバイエルン放送響とのセッション録音をはじめ、その長いキャリアとほぼ同じ期間に本作を取り上げ続けてきた経験より得た、力みのないひたすら自然な流れ。

80歳を越えたデイヴィスの音楽に内在する高潔な志と無我の境地には強く打たれるものがあるというべきだろう。

SACDマルチチャンネルも、ヴェルディのレクイエムには最高の録音方式であり、この名演を一層引き立てる結果となっている。

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2012年07月27日


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最近はCDでも登場回数が増えてきたイタリア人指揮者パッパーノが、ローマ・サンタ・チェチーリア国立アカデミー管弦楽団&合唱団を振って、アニヤ・ハルテロス、ソニヤ・ガナッシ、ロランド・ヴィラゾン、ルネ・パーぺといった、スター級の4人の花形ソリストたちを迎えて、壮麗なヴェルディの『レクイエム』を2009年1月にローマで演奏、録音した。

一言で言えば、あまたのヴェルディの『レクイエム』の演奏の中でも、最もダイナミックレンジの広い演奏の一つと言えるのではなかろうか。

冒頭の導入部は、ほとんど聴きとれないような最弱音で開始され、この先どうなるのかと思って、ボリュームを少し上げたところ、「怒りの日」のぶっ飛ぶかというようなド迫力に、思わず面喰ってしまった。

ライナーの解説によれば、パッパーノは、この冒頭の導入部にこそ、ヴェルディの天才性があるとしており、この冒頭の最弱音による演奏には相当に深い意味を見出しているのであろう。

演奏全体を俯瞰すれば、起伏の大きい演奏ということになる。

いかにもイタリア系の指揮者パッパーノならではのオペラ風の劇的な演奏と言える。

ヴェルディだから、それも主にオペラを主舞台としている(ピアニストでもあるのだが)パッパーノ指揮によるイタリア陣の演奏だから、宗教曲というよりオペラティックになるのは想定範囲ではあった。

したがって、いわゆるレクイエム的な性格からはやや外れているとも言えるが、巷間言われているようなヴェルディの『レクイエム』が内包するオペラ風の「音のドラマ」を見事に体現しており、その意味では、聴き手によって、好き嫌いが分かれる演奏になるのかもしれない。

筆者としては、気鋭の指揮者パッパーノによる意欲的で劇的な名演として高く評価したい。

HQCD化の効果はいま一つの印象で、もう少し鮮明さがほしいと思った。

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2012年04月22日


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1951年8月7日、ザルツブルク音楽祭の実況録音である。

フルトヴェングラーの指揮するイタリア・オペラの全曲盤として唯一のものであり、貴重な記録といえよう。

しかし、この《オテロ》はヴェルディではなく、まったくのフルトヴェングラーである。

冒頭のオーケストラの鳴らし方からして彼以外の何ものでもなく、ことに終幕でオテロがデスデモーナを殺す場面のものすごい迫力と恐ろしいリズムは、それだけをとれば最高といえよう。

だが、フルトヴェングラーの意識は常に人間の情念へと向けられており、オーケストラの各楽器がかもし出すヴェルディの醍醐味、ヴェルディ節は、どこを探しても見られない。

からりとした絵画的な遠近感や弱音のデリカシーに欠け、まるで彼の指揮したワーグナーを聴く感じなのだ。

歌手陣ではイヤーゴ役のシェフラーが抜群である。

声、表現ともに、いかにも嫌な奴らしく、「信条の歌」あたりの暗い情念の世界は、フルトヴェングラーの指揮と相俟ってまことにすばらしい。

これに反してヴィナイのオテロとマルティニスのデスデモーナには、さほど心を打たれなかった。

両者とも、声の魅力に欠ける上に、表情をつけすぎるきらいがある。

ことに後者が歌う「柳の歌」から「アヴェ・マリア」にかけては、あまりにも悲しみが表面に出すぎるために、デスデモーナの慎ましさや、内部に抑えられていっそう強調される格調の高い哀しみが失われてしまう。

彼女にはすでに夫に殺されることを予感し、それを自らの運命として受け入れようとする諦めの心があるのではないだろうか。

その点、オテロの歌い方にはかなり打たれるところもあるが、これがベストとはいえないように思う。

録音はこの時代のものとしてはとても良い。

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2012年02月08日


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トスカニーニが残したオペラの全曲録音のなかでも最高の出来映えなのがこの《ファルスタッフ》と3年前の《オテロ》。

どちらも放送のためのライヴで、潤いのないこもり気味な音質が惜しまれるが、リズミックな躍動感、テンポが《オテロ》での悲劇的な運びに対して、こちらはちゃんと喜劇の運びになっていることなど、長所は挙げだしたらきりがないほどである。

これほど、聴くたびに舌をまくほどの新鮮な発見と感動をもたらす演奏は、容易にあるものではないだろう。

後続の指揮者たちの表現法に与えた影響もいろいろ指摘されている名演奏だ。

配役も録音の欠陥から歌手たちの声自体の魅力を十分に伝えていないのはもどかしいが、ヴァルデンゴのタイトルロールにしても達者な技巧を駆使してつぼをよく心得たヴェテランの芸を見せているし、女声陣は概して男声以上に魅力的である。

1962年に52歳で没したイタリアのメゾ・ソプラノ、クローエ・エルモのクイックリー夫人など押し出しも立派、実もあれば花もある歌で聴き手を魅了する。

それに対して、当時まだ22歳のテレッサ・シュティッヒ=ランダルのナンネッタは、この役に打ってつけな清澄で繊細な歌唱を聴かせている。

そこへゆくと、トスカニーニのお気に入りのソプラノ、ヘルヴァ・ネッリのフォード夫人は、やや個性味が薄いけれども、軽やかな声に女らしさを匂わせながら手堅く歌っている。

フェントンやフォードの出来には若干不満もあったが、トスカニーニの指揮と全体の仕上がりのすばらしさの前には些細な傷の程度である。

トスカニーニのオペラ演奏の価値を、頭では納得しても耳が承知しなかったような人には、とくに一聴をお薦めしたい。

あまりにも豊穣なドラマと歌に、耳を洗われる思いがする。

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《オテロ》全曲盤中最も古い録音で、トスカニーニのヴェルディ・オペラの不滅の名盤。

この演奏についてレヴァインは「オペラ録音史上最高のもの」と言ったそうだが、これは確かに歴史的名演の名に値する数少ない録音のひとつである。

これは、まさしくトスカニーニの数ある演奏の中でも最も傑出した出来ばえを示すものであり、同時にこの偉大な指揮者の本質がこれほど見事に表われた例も少ない、と思われる演奏である。

このオペラの初演に19歳でチェロ奏者として参加したトスカニーニが80歳の時に録音した演奏で、晩年のオペラ録音の中でも比較的歌手にも恵まれており、特にヴィナイのオテロとヴァルデンゴのイアーゴが傑出している。

ヴィナイの圧倒的なオテロと取っ組んだトスカニーニの気迫の激しさも相当なものである。

トスカニーニ一流の強引なテンポの運び方もフレーズの波のようなうねらせ方も、息もつかせぬたたみ方のすさまじさも、ヴィナイは平然と受けて立つ。

ヴィナイは暗めの力強い声でオテロの英雄的な性格と悲劇を最も見事に表現しているが、それ以上に凄いのはいうまでもなくトスカニーニの指揮である。

厳しいデュナーミクと強靭なカンタービレによって全曲を強く一貫し、統一している。

冒頭から最後まで貫いている堅固な造形、劇的な緊迫感と迫力あふれる演奏は、音質を超越して深い感動に誘う。

また「愛の二重唱」における甘美な陶酔感の格調の高い表現もすばらしい。

そしてトスカニーニは、じっくり構えてヴェルディの後期の音楽の意味を教えてくれるのである。

ヴェルディ最後のイタリア・グランド・オペラがいかに完璧な作品であるかがわかる名演である。

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ヴェルディとワーグナーは対極的な作曲家だと見なされている。それは正しいだろう。

ヴェルディは可視光線のなかを一直線に歩んだ作曲家だった。

一方ワーグナーは、いわば紫外線と赤外線にひびきの源を求めた。

それは意識と無意識、現実と超越の差だといってよいかもしれない。

ところでレクイエムは生者と死者との対話の音楽だ。リアリスト、ヴェルディにとっては苦手の領域のはず。

それにもかかわらず彼は友人の死に衝撃を受けて、レクイエムを作曲することを思い立った。

彼は現実を支配する巨人の力業で死者に声をとどろかせ、その霊を慰めようとする。

だが生と死のあいだには厚い壁がはだかっており、彼はそれを超えることができない。

それでも渾身の力をこめ、生者のあらゆる力を結集して死者の国の壁を叩くなら、その真剣さは死者に通ずるだろう。

いわばその過剰な生命力が、逆説的に死の匂いを焙りだしており、その構図がこの《レクイエム》の核心をなしている。

この曲をこう理解すれば、それはほとんどトスカニーニの演奏を語ったも同じことになる。

彼はヴェルディの化身かと思われるほど、やはり可視光線のなかを一直線に歩んだ指揮者だった。

この《レクイエム》の演奏は、作曲家と一心同体となった、いわば入神の技を示している。

過剰な生が死の影を映し出すこの曲の意味をトスカニーニほど突き詰め、死とはなにかを考えさせる指揮者はいない。

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2012年01月12日


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ハンガリー出身で、シカゴ響に黄金時代をもたらした名指揮者フリッツ・ライナーはRCAの専属であり、ウィーン・フィルは英デッカと専属契約を結んでいた。

この両者が、専属契約の壁を越えて共演した数枚の録音のなかでも、このヴェルディの《レクイエム》は、忘れ難い感銘を与えてくれる名盤である。

手兵のシカゴ響ではなく、ウィーン・フィルが相手だが、ライナーならではの厳しい統制が行き届いた緊張感に満ちたレクイエムとなっている。

ライナーの厳格な造型性は、恣意的な崩れを許さない。

決して感傷に陥らず、また情熱や勢いに任せることもなく、全体的に遅いテンポ(第1曲〈レクイエム・エテルナム〜キリエ〉や〈ラクリモサ〉などに特にそれが顕著)を基調として、緩急やダイナミクスを周到な手綱さばきでコントロールしながら、しかもその中に豊かなカンタービレを生かした表情あふれる音楽を繰り広げている。

イタリアの「イン・テンポ・カンタービレ」と、ライナーを始めとするハンガリー系の「イン・テンポ・カンタービレ」とは、いささか趣が異なるのだが(イタリアに比べて、ハンガリー系の「イン・テンポ」は、より推進力が強い傾向にある)、老巨匠となっていたライナーは、その厳格さのなかに、豊かなふくらみを湛えている。

彼の手兵であったシカゴ響であれば、よりリゴリスティックな音楽づくりを行なったろうが、ウィーン・フィルという自発性にあふれた音楽性をもつオーケストラは、ライナーのこの「大家のゆとり」を敏感に感じ取り、厳しさのなかの大きなカンタービレと祈りの音楽を描き上げている。

さらにそれに、豪華なソリストたち(とりわけプライスとビョルリンク)の力強い歌唱と、ウィーン・フィルの音色が華を添えている。

名指揮者ライナーの貴重なヴェルディ解釈であり、今後もその光を失わないに違いない。

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2011年06月13日


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アーノンクール盤は、《アイーダ》のイメージを、そしてイタリア・オペラのイメージを覆すような画期的演奏である。

実はこのオペラで大事なのは神官ランフィス。

アーノンクールのCDでは、このランフィスをマッティ・サルミネンが歌っている。《神々の黄昏》のハーゲンを得意とする悪者声のバスだ。

《アイーダ》はまさにそのランフィスの声によって幕を開ける。

演じるのがサルミネンとあれば、否が応でも彼の存在に注目せざるをえない。

恋愛悲劇という表面の裏に冷徹なリアル・ポリティクスが存在していることをアーノンクール盤は鋭く指摘しているのだ。

この意義に比べれば、誰某がラダメスを歌った、誰のレガートがきれい、なんていう一般的オペラ談義はどうでもよい。

オーケストラの演奏もたいへん独特。弱音部分をジクジクと演奏しており、暗さや悩みを強調する。音楽が勢いに乗って軽快に離陸してしまうことを厳しく戒めている。

よって、このオペラの心理劇的側面が明瞭になる反面、イタリア・オペラならではの開放感には乏しい。

のろくて陰鬱なバレエ音楽、ラダメスが指揮官に指名される場面におけるグズグズした音楽、ちっとも嬉しそうではない合唱、盛り上がらない凱旋の場、湿気たトランペット……いくらなんでもやりすぎだと筆者ですら思う。

音楽がこれほどまでに特異になってしまった理由は、アーノンクールがすべてを音楽で表現しようとしているからだ。演出や演技なしでもわからせようとしているのだ。

そういう意味ではまさに録音向けの音楽だ。舞台でなら音楽がすべての表現を担わなくてもよいのである。

ただ、オーケストラはだいぶ欲求不満の様子だ。歌うことも騒ぐこともできないのだから。

ウィーン・フィルがこれほどウィーン・フィルらしく聞こえない録音も他にはないのではないか。

ともかく、これほどまでに実験精神のある《アイーダ》盤が他にないのは確か。一聴の価値は充分ある。

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2011年05月27日


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20世紀最高のヴィオレッタ、カラスが残した8種類の全曲録音中、1958年にリスボンで歌ったライヴ録音と並んでカラス自身の出来がとくに素晴らしかったもの。

カラス演じる《椿姫》の双璧は、1955年のスカラ座ライヴと1958年のコヴェントガーデン王立歌劇場ライヴである。

両ヴィオレッタとも優劣つけ難く感動的だが、音質の点では遥かにこの録音が上である。

コヴェントガーデン王立歌劇場のライヴだけに、技術的なミスは数多く聴かれる。

歌唱の"傷"ももちろんあるが、不世出の大歌手カラスのヴィオレッタの、文字通りの絶唱をここに聴くことができる点で、この1組は大きな魅力を持っている。

カラスが歌い出すヴィオレッタの様々な感情と、デリケートな陰影の美しさこそ、まさに驚嘆に値するものだ。

第1幕冒頭の侵し難い気品、第2幕の幸せから絶望への推移、第3幕での空虚と孤独感、ヒロインのドラマを声の音色と表情だけで鮮やかに歌いつくしている。

カラスの声は陰翳に満ち、艶と表情の振幅に富んでいる。

〈そはかの人か〉の格調の高さ、かてて加えて〈さようなら過ぎ去った日よ〉の空前絶後ともいえる彫琢の深さには、今なお魂が吸いよせられる思いである。

作曲者の意図した心理の綾の生かし方も絶妙で、幕切れの素晴らしさにも心を揺さぶられる。

加えてザナージの演ずるジェルモンの格式とカンタービレの美しさも深い感動を与えてくれる。

ザナージのジェルモンの引き締まった歌唱からは風格が滲み出ており、溢れるばかりのカンタービレと知的な抑制とを両立させた見事な表現である。

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2011年05月14日


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バーンスタインの最初のオペラ録音で、彼のオペラ録音は余り多くなく、ヴェルディも当録音のみである。

1966年、ウィーン国立歌劇場での上演はセンセーションを巻き起こしたが、これはそのままのキャストの録音で、理想的な陣容といえる。

一分の隙もないアンサンブルと、清新で溌剌たる音楽表現を持った素晴らしい演奏である。

素晴らしく活力に富んだ明快な表現が、この喜劇の本質を鋭く摘出している。

バーンスタインがここで作り出した《ファルスタッフ》は、驚くべき精緻な技術と感覚によりながら、まさにこのヴェルディの音楽がそうであったように、真に卓越した表現だけがもつ自在無碍な愉悦に到達しえている。

そしてバーンスタインは音の一つ一つを熟考して練磨し、作曲者がその音に託した性格のすべてを、思い切り引き出している。

バーンスタインがウィーン・フィルとの初めての録音にこのオペラを選択したのは、この究極のアンサンブル・オペラを充分に表現できると確信したからだろう。

実際、この演奏でのバーンスタインの指揮とウィーン・フィルの表現能力は素晴らしく、英デッカによる録音もヴェルディがいかにオーケストラで多様な表現を達成しているかを鮮明に聴かせてくれる。

歌手ではタイトルロールのF=ディースカウが、ヴェルディに関する長い間の経験と研究と愛着の蓄積の上に築きあげた見事な性格表現で、歌唱全体の要を形造っている。

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2011年02月24日


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クライバーの自信に満ちた明快な演奏が燦然と輝く《オテロ》を生んだ。

ヴェルディが考えたのはこんな音色ではないか。

このディスクは、デル・モナコの次の世代の名オテロ歌いドミンゴがキャリアの比較的初期にライヴ録音されたもの。

オテロはテノールなら誰でもというのではなく本当に適性をもった人しか歌えない。

戦後はドラマティック・テノールのデル・モナコがひとつの世界を作ったが、次世代のドミンゴはもっとリリックな歌い方で、嫉妬に苦しむ若者を表現することに成功した。

デビュー間もないドミンゴの若々しく艶やかな声とすでに備わった表現の巧さに魅了されるし、心理描写が実にうまい。

ドミンゴは数々のオテロを録音したが、初期のこの録音は光り輝く若々しさで際立っている。

後年のより円熟を深めた歌唱も見事だが、オテロの実年齢に近いころで収録されたこのディスクにおける情熱をストレートにぶつけた役づくりはより説得力が大きい。

のちに彼の心理表現はさらに繊細に、もっと明確になるけれど、情熱を秘めてきらきら光るテノールの響きと、エネルギーとダイナミズムに満ちたクライバーの指揮との相性が素晴らしい。

共演するフレーニのデズデモナの表現力も確かで、これも明るい声と、表現力に富んだ歌唱は特筆すべき出来。

そしてカプッチッリのイアーゴがこの人らしい老練な味を出している。

当時のクライバーの若々しい音楽も作品に似つかわしい。

イタリア・オペラの最高峰を実感させる名演。

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2011年02月19日


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アバドとミラノ・スカラ座によるオペラ全曲の初録音。1975年の同オペラの開幕を飾ったキャストによる録音とされる。

アバドがスカラ座の音楽監督時代の最初のオペラ録音に《マクベス》を選んだのは、いかにも思慮深い指揮者らしいが、それだけ自信があったからだろう。

実際、この《マクベス》はしばらく録音から遠ざかっていたスカラ座のすばらしさを多くのファンに再認識させるとともに、ヴェルディ指揮者としてのアバドを強く印象づけたわけだが、キャストも非常に強力である。

とくにマクベスのカプッチッリをはじめ、バンクォーのギャウロフ、マクダフのドミンゴは、それぞれ個性的な役柄を見事に表現しているし、マクベス夫人のヴァーレットもうまい。

さまざまな情景や心理を鮮やかに表現しているオーケストラと合唱の多彩な表現力も聴きものである。

イタリア出身の指揮者は、アバドに限らず、やはりオペラを指揮したときが最も生き生きとした表情を見せる。

そしてオペラの領域でアバドが最も輝いていたのがスカラ座の音楽監督時代。

この時代に録音されたヴェルディ作品は、今も最上級の名に恥じない。

この《マクベス》も、それまであまり知名度の高くなかったこのオペラの真価をまざまざと知らしめたという意味で忘れられないものである。

各場面の情景さえも音で見事に浮かび上がらせる多彩な音色と表情を持つオーケストラ。各役の個性的なキャラクターを的確に押さえたキャスト。多面的な要素を見事に一つのドラマへと収斂するアバドの統率力。

どれをとっても第一級である。

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2011年02月02日


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名盤ひしめく《オテロ》だが、その中にあってもっともイタリア的伝統を汲むオーソドックスなアプローチに立ちつつ、しかもこの作品の奥深さと劇的な真実性を表わし出したのが、この録音に聴くセラフィンの名指揮だろう。

セラフィンの指揮は、仕上げに粗さを残してはいるが、この名指揮者ならではの音楽的充実度を示している。

トスカニーニと並んで、イタリアの伝統的ヴェルディ解釈の重みを伝えてくれる。

イタリア・オペラらしいカンタービレ的特質と、音楽の流れに沿った自然な表現性を生かしながら、作品そのものに雄弁に語らせることによって、この傑作の本来の魅力を味わわせてくれる。

歌手も見事で、とりわけイアーゴ役のゴッビの神技とも呼べる性格表現はまさに極めつけ。

このゴッビのうまさに匹敵しうるのは、トスカニーニ盤のヴァルデンゴだけだろう。

タイトル・ロールを歌うヴィッカーズもまさにこの役柄にぴったりのドラマティックテノール。

ストレートな歌いぶりで将軍オテロの直情的な性格を捉えて、オテロの英雄的で凛とした強さと風格を常に感じさせるものがある。

また同時に、その剛直さ故にやがてイアーゴの罠に易々とはまってしまうことも予感させる歌唱と言えようか。

ヴィッカーズは作曲家への奉仕の点で、デル・モナコと決定的に違う。

男性的なその声を、愛に苦しむ将軍を表現するために柔軟に使いこなしているのだ。

やや異質だが、リザネクのデズデモナも高レヴェルの歌唱を示している。

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2011年02月01日


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イタリア・オペラの粋とも言える傑作だから、ここにはイタリア的要素が凝縮している。

しかしこのオペラの凄さは、声の表面的な効果の向こうに、ヴェルディのオペラでも随一とも思える見事な性格表現があることだ。

その意味ではフィッシャー=ディースカウの声は非イタリア的でも、フレージングや言葉の処理、声色に託す感情の微妙さ、多彩さはまさにヴェルディが望んだものそのままではないだろうか。

フィッシャー=ディースカウのような非イタリア的なアプローチ(しかしこの表現の豊かさ!)を許す要素がこのタイトル・ロールにはある。

イタリアの声と型だけで塗り込められた演奏にはない「真実」がここにはある。

ベルゴンツィは見事な様式美とテクニックと優雅さを聴かせて王者の資格充分で、その気品ある歌唱(決して悪玉ではない)は公爵の模範。

スコットの意志力に満ちたジルダも立派。

外国人の指揮者クーベリックがリリックかつ柔軟な音楽を作っている。

クーベリックのオペラ指揮者としての優れた能力が、十全のキャストとスカラ座のオケの極めてオペラティックな表現力の雄弁さに助けられて、最上の姿で結実している。

音楽の運びが少しもダラけず、必要以上に間のびすることもなく、歌と管弦楽が一体となって、生き生きとした"人間のドラマ"を展開する。

不思議な名盤を生んだ指揮者の功績は大きい。

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2010年12月23日


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ミラノ・スカラ座の1985~86年のシーズンのオープニングに上演された際に、ほぼ同じ顔ぶれでスタジオ録音されたもの。

久しぶりに《アイーダ》の真価を存分に堪能させてくれる名演だ。

劇としての醍醐味と歌手陣の均衡、オケの充実が聴きものになっている。

まず、イタリア屈指のアイーダ歌い、キアーラが素晴らしい。

単に声の威力にまかせた歌の誇示ではなく、聴き手を優しく包み込んでしまう独特の魅力は、フレーニを除いては他に比肩するものを見出すのが難しい。

このキアーラと多彩な表現力をもつディミトローヴァという充実の女声陣に、ラダメスの名唱を聴かせるパヴァロッティ、ヌッチ、ブルチュラーゼ、ローニというベスト・メンバーによる熱演を、マゼールは、意欲あふれる指揮ぶりで、見事に統率し、悲劇的緊張と気迫にみちた、密度の高い音楽ドラマを生み出している。

歌手陣もマゼールの棒によく応えており、愛と憎しみが織りなすドラマを、オケと人声が一体となって浮かびあがらせている。

とくにパヴァロッティのラダメスの端正な歌いぶりは風格のある堂々としたものだ。

全体の聴き応えの点で先ず特筆すべきものであろうが、これほど充実した《アイーダ》はめったに聴けない。

いろいろな意味で《アイーダ》の演奏にはそれぞれの時代のイタリア・オペラ界の総力が結集されるとすれば、これは1980年代と90年代を代表する《アイーダ》と言ってよい。

キアーラのアイーダもまさにそれ。ディミトローヴァの両声具有的アムネリスもいい。

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2010年12月20日


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1994年5月のミラノ・スカラ座での公演をライヴ録音したCDである。

ムーティの2度目の全曲録音に当たるこの1組は、彼の円熟が示されている。

歌手はとても立派だ。現時点でおそらくこれ以上望みようのない最高の演唱であろう。

ブルゾンのリゴレットはこの役を歌う歴代の名歌手のなかではかなりまっとうではないかと思う。

つまりゴッビのように異常な性格でもなく、カプッチッリのように圧倒的でもない。

スタイルで大見得を切ったりスタイルで押し切ってしまうところがないので、大人しい印象を受けるかもしれない。

しかし聴き込むほど、噛みしめるほどに、ブルゾンの歌唱からは豊かな人間味が伝わってくる。

やや地味だけれど決してつくりものではないので、聴き返すたびに感動してしまう。

この円熟したブルゾンがいるからこそ、共演する2人の若者たちの新鮮な歌唱が余裕をもって楽しめるのだ。

ロストは可憐で透明な美声で端正に歌い、アラーニャは極めてスタイリッシュで小気味よく歌い、若々しく艶のある声を颯爽と響かせる。

しかし、これは歌手だけの名人芸で成り立つ《リゴレット》ではなく、ムーティの強力な指導力が前面に出た演奏だ。

時にブルゾンの歌の個性が主張を強めることがあっても、ムーティはあくまで全体がひとまとまりになったオペラ《リゴレット》像を追求する。

次はレチタティーヴォ、次はアリア、といった聴き方をしてはならないとさえ思えてくる。

悲劇はまっしぐらに進行し、ヴェルディの、もしかしたら最も力と技が充実した作品かもしれないオペラのパワーを引き出す。

鋭い劇的緊張感から繊細な響きまで多様な要素をオーケストラで雄弁に表現するさまは素晴らしくて、とてもライヴとは思えないほどの完成度。

精度に重きを置く方向もあるけれど、これはこれ。戦慄する、戦慄できる《リゴレット》だ。

ムーティはいつもの基本方針に従って歌手には慣習的なヴァリアンテではなく、ヴェルディが書いた楽譜どおりの音符を歌わせている。

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2010年12月19日


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名作中の名作、ではあるけれど、《リゴレット》はヴェルディの若々しい活力がふんだんに注がれたオペラであると、シャイー指揮の演奏は強く感じさせてくれる。

じっくり、丁寧に聴かせるというより、たとえここをゆっくりと聴きたいと思っていても、かまわず走り抜けてゆく演奏だ。

聴く者はまっすぐこのオペラの世界へ入っていける。

シャイーのヴェルディ・オペラ録音はまだ多くはないが、このオペラを作曲したときのヴェルディとほぼ同じ年齢という特別の共感もあって、劇的な力と情熱の表現がひときわ魅力的だ。

シャイーはどっしりと落ち着いた歩みの中に、自由で伸びやかな音楽表現を展開し、単によく整った若々しい活気と生気に満ちた演奏というだけではなく、ドラマと音楽の中から湧き上がってくる力とエネルギーをしっかり捉え、それを大きな劇場空間に解放している。

ボローニャ市立歌劇場のオケの響きとアンサンブルは以前よりずっと整備されてシャイーの意図に敏感に反応している。

歌手陣もよくそろっているが、中ではヌッチのリゴレットが、大変表情豊かでいちばん聴き応えがある。

やがて名人芸を披露するようになるヌッチが、まだ若く、ずっとストレートにリゴレットを歌っているのも、この演奏の長所と考えるべきだろう。

一方、パヴァロッティのマントヴァ公は、絶好調の時期に歌われた良さがある。

くせのあるアンダーソンのジルダは人によって好き嫌いが出るはず。

いずれにせよ、名人たちを集めて豪華に、という路線よりも、適材適所を考慮してのキャスティングとなっていて、これがシャイーの指揮に沿った、駆け抜ける《リゴレット》の悲劇表現に役立っている。

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2010年11月09日


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非常に充実した、聴きごたえのある演奏だ。

シノーポリの強い意思のもとに、オーケストラ、合唱団、歌手たちが一体となって作り上げたドラマが、まことに見事である。

シノーポリの指揮のもと、音楽はごく自然に、しかも彫りの深い性格的な把握と鮮やかな表情を保持しながら展開され、悲劇としての統一の中にまとめあげられている。

ことに、つぶのそろった独唱陣の歌唱はそれぞれに素晴らしく、流麗でしかも悲劇的な性格を表出したドン・アルヴァーロのカレーラス、円熟した歌唱を聴かせるカルロのブルゾン、美しく清純でのびやかな声のレオノーラのプラウライト、切れ味が鋭く個性的で卓越した歌唱の光るプレツィオシッラのバルツァなど、申し分ない。

1980年代半ばのシノーポリの登場は衝撃的だった。

ヴェルディの中でも、初期などのあまりメジャーではないオペラで聴かせたその斬れ味は、ともすれば保守的な伝統や慣習に傾きやすいイタリア・オペラの演奏に、新たな地平を開くことが期待された。

この《運命の力》も、ミトロプーロスが得意としていたことでも窺えるように、慣習的な解釈とは別の切り口から鮮烈なドラマを引き出すことの可能なオペラである。

その意味で中期以降のヴェルディ作品では、シノーポリにはうってつけのものだった。

惜しむらくは歌手陣の線が細いことだが、このあたりは複雑な要素の絡みあう、オペラという形式自体の難しさだろう。

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