プッチーニ

2017年02月22日


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このドキュメンタリーで扱っている音楽家達の老人ホーム『音楽家憩いの家』はキャリアを終え、身寄りのなくなったかつてのスター達を収容する施設として作曲家ジュゼッペ・ヴェルディの発案と基金でミラノに設立された。

当時の音楽家の中には豪邸に生活して何の不自由もなく余生を過ごした人もいたが、引退後生活に困窮したり、身寄りのなくなった者は、それまでの華やかなステージとは裏腹の生活を強いられた。

ヴェルディは彼らへの敬意から余生の安泰を願って、決して彼らのプライドを傷つけることのないような心のこもったホームを創設したが、この映画ではダニエル・シュミット監督の温かい愛情に満ちた目によって彼らの日常が活写されている。

ここに登場するキャリアを終えた音楽家達は誰もが過去の素晴らしい思い出の中に生きているのだが、全員が驚くほどポジティヴに生き生きと生活している。

それはこの施設で暮らすことによって過去と現在が決して切り離されることがないからだろう。

登場するのは器楽奏者やオペラ歌手などさまざまで、それぞれが現役時代を忘れてしまうどころか現役さながらに演奏し語り合い、また学習さえ怠らない。

またそうすることが彼らの生き甲斐を満足させ尊厳を失わずに生きていくことに貢献しているのだろう。

ここでは戦中戦後スカラ座のプリマドンナとして活躍したソプラノ、サーラ・スクデーリ(撮影当時78歳)に焦点が当てられている。

自分の歌ったプッチーニの『トスカ』から「歌に生き、愛に生き」のレコード再生で、彼女自身が懐かしみながら一緒に口ずさむ様子といくらか憂愁を帯びた表情が感動的だ。

しかし彼女がその驚異的な声で実際に歌う時の表情は更に晴れやかで輝かしく、常に音楽に寄り添って余生を送ることの大切さが伝わってくる。

この作品に映し出された彼らの生活風景を見ていると、ヴェルディの構想が如何に高邁なものであったかが窺われる。

現に筆者の祖母を施設に入れざるを得なかった時、このドキュメンタリー映画が多くの示唆を与えてくれたことは事実である。

長年この施設の友の会会長で、かつての名メゾ・ソプラノ、ジュリエッタ・シミオナートは、短いコメントの中で音楽家の引退の時期について非情に示唆的な考えを表明している。

つまり1人の音楽家が引退する時期は聴衆から見放される時ではなく、逆にそうなる前にその人が完全なイメージを遺す形で聴衆から去っていくべきだと言っている。

それは全盛期に鮮やかな引き際を見せたシミオナートならではの名言だろう。

『音楽家憩いの家』の概要についてはシミオナートの伝記を綴った武谷なおみ著『カルメンの白いスカーフ』に詳述されているが、それによれば入所資格は60歳以上の年金受給者で、プロの音楽家であったことの証明の他に、年金の80%を施設に寄付しなければならない。

彼らは敬意を持って迎えられ入居後も自由な音楽活動を保証されていて演奏会やオペラ鑑賞などのレクリエーションも企画されている。

しかしヴェルディの楽譜の版権が切れ、印税が当てにできない現在では運営資金を寄付に頼らなければならないようだ。

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2015年11月25日


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1953年のモノラル録音の伝説的名演で、ヴィクトル・デ・サーバタの一瞬の隙もない緊張感に漲る指揮が、稀に見る空前のスケールを誇る『トスカ』に仕上げている。

それは現在までに上演されたあらゆる『トスカ』の中でも別格的な存在感と価値を持っていると言っても過言ではあるまい。

指揮者ヴィクトル・デ・サーバタの正式なセッションはごく限られたものしか残されていないのが残念だが、この『トスカ』は一瞬の隙もない緊張感に漲る彼の指揮によって、人間の愛憎を抉り出したオペラ録音史上稀に見る名演としてお薦めしたい。

勿論主役の歌手3人と脇役陣に至るまで極めつきのはまり役で、例えばマリア・カラスの第1声『マリオ!マリオ!マリオ!』で主人公トスカの苛立ちと嫉妬を、ものの見事に表現し切っている。

トスカという役柄を与えられた感情表現の振幅の驚異的幅広さ、その激しさと切実さとが、オペラであることを忘れて聴き入らせる吸引力を持つ壮絶なる名唱である。

こんな歌手が過去から現在に至るまでいただろうか。

彼女やスカルピアを演じるティト・ゴッビは声で総てを演じてしまうすべを知っていた恐るべき歌手だったが、彼らの舞台上での演技の素晴らしさも今日では伝説的に伝えられている。

幸いこの2人による『トスカ』第2幕はDVDにもなっているので鑑賞可能だ。

この2人による『トスカ』第2幕は最終幕でカステル・サンタンジェロから凄絶な飛び降り自殺を遂げるトスカの幕切れシーンは、このCDでは殆んど歌唱を超越した身の毛のよだつような叫び声とたたみ込むオーケストラの総奏によって閉じられる。

ゴッビについては1980年代にイタリアで制作されたテレビ映画『プッチーニ』のなかでこのオペラの第1幕幕切れの「テ・デウム」や『ジャンニ・スキッキ』での並外れた演技シーンを観ることができる。

また画家カヴァラドッシに扮するディ・ステファノの明るく突き抜けるような声は劇中のクライマックスや土壇場で起こる主役3人全員死亡という劇的な結末と見事なコントラストをなしていて、この作品を一層暗く陰惨なものにしている。

またミラノ・スカラ座管弦楽団も指揮者の要求に良く応え、彼らの底力をみせた白熱の演奏を繰り広げている。

録音は1953年で当然モノラルながら声に関しては極めて良い状態で採られている。

一方オーケストラの音質はいくらか分離状態が悪く、トゥッティではひとつらなりの響きになって聞こえてしまうが、そうした弱点を超越して余りある賞賛すべき演奏だ。

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2015年11月17日


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カラヤンの旧盤で、カラスの同オペラ唯一のセッション録音。

カラヤンの指揮ぶりは、ミラノ・スカラ座の長所を生かし、濃厚なカンタービレと色彩感に秀でているのがよく、ここには若き日のカラヤンが作り出している音楽のイタリア的な明るさと流麗さがある。

カラヤンの描く雄弁で彫りの深い音楽は、単なる感傷や慟哭の誇張としてではなく、プッチーニがここで意図した精妙な音色の効果とドラマとの結合を十全に描きつくしている。

もちろん、ドラマの力強い起伏や悲劇的な緊張、あるいは管弦楽の雄弁さなどのカラヤンの特質も示されていて、新盤とは違った濃密な表現で歌手を支えている。

より徹底された「カラヤン美学」は、後のウィーン・フィル盤に発揮されているが、サウンドがあまりにも耽美的、ムード的に過ぎることと、イタリアの色彩感や空気感に無縁なのが寂しい。

カラスのタイトル・ロールについては、このドラマの中でヒロインの果たす役割が大きいだけに、それに応じて彼女の歌の威力がフルに発揮され、ドラマ全体を凄まじいばかりの力で引っ張っていくさまは壮観というほかはない。

蝶々さんに純情な少女を求める人にはお薦めできないかもしれないが、筆者にはライバルと言われたテバルディの歌声が、どうしても大人の女の声に聴こえてしまうのに対し、カラスの声は瞬時に15歳の幼く、純真で、哀れな蝶々さんに変身してしまうところが心憎い。

とはいえ、カラスといえども第1幕では純情可憐な15歳の娘になろうとしてなりきれず、表情を作り過ぎたきらいがあり、やや作り物風で、違和感を感じる人もいよう。

ヴィブラートは多いし、演技が重くて、声は暗く、可憐さがないと忌み嫌う人もいることであろう。

しかし、そうした外面を超えて、カラスは史上最高レベルの蝶々さんなのだと強調しておきたい。

カラスの素晴らしさは、その群を抜いた発声技術にあるのではない。

ヒロインの心情を歌い上げる「思いやり」と「感受性」の強さである。

陰りのある声で独自の蝶々さんを演じてカラヤンの指揮ともども強烈に聴き手に訴え、幕切れの愛の二重唱以降は彼女の表現者としての凄さが発揮され、特に最後のアリアでの壮絶で迫真的な表現には聴いていて思わず息を呑まされる。

前半はテバルディとフレーニに及ばぬにしても、後半でのカラスの感情表現は最高で、ラストのシーンに集約される劇的な迫力は、カラスならではの素晴らしさで圧倒される。

ゲッダも絶好調で輝かしい甘美な高音と情熱的な歌唱など、CDに聴く最良のピンカートンのひとりである。

脇役もそれぞれの声と持ち味を充分に発揮していて、充実している。

1955年のモノラル録音であるが、SACD化により瑞々しい音質に蘇っており、少しの不満もない。

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2015年11月11日


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シノーポリがフレーニと共に録音した《蝶々夫人》は、このあまりにもポピュラーなオペラの中から数多くの猗見瓩鰺燭┐討れるものである。

オペラを解体しようとしてるんじゃないのか、というシノーポリの指揮がうまくいった例がこの《蝶々夫人》で、心理的分析と旺盛な表現意欲によって聴き古されたこのオペラが生まれ変わった。

シノーポリの緻密でドラマティックな表現が、この作品を奥深い心理劇に仕立てていて、大変見事だ。

プッチーニの音楽の中には、イタリア・オペラの長く豊かな伝統に加え、後期ロマン派風の濃厚なロマンティシズムやドビュッシーに代表される印象派の影響が複雑に絡まりあっている。

シノーポリは、このすべてに配慮しつつ、野獣のような表現意欲と音楽の推進力によって、オペラ全体をまとめ上げている。

劇性・色彩感においても、シノーポリの音楽作りは比類がなく、神経の行き届いたというかピリピリしたというか、とにかく張り詰めた演奏で、悲劇の、いわば覇気に説得力がある。

異常なテンポのゆれは、正道を行くカラヤンの演奏を聴いてこそ感じる部分もあるが、まさに蝶々さんの心理に密着したものとして新鮮に心に響く。

プッチーニが意図したオペラを超えているかもしれないとしても、複雑な総譜のなかからシノーポリが発見したこの鉱脈は非常に現代的で説得力がある。

シノーポリは、エキゾティズムを含めた視覚的広がりの部分、たとえば第1幕の蝶々さんの登場、僧侶の場面、第2幕のスズキとの二重唱など、思い切りファンタジーを拡げ、聴く者を満足させる。

終幕、蝶々さんがケイトを見てしまうあたりから、がぜんシノーポリが本領を発揮し、この作品に大変真面目な、ショッキングな効果を与える。

だが、この全曲盤の魅力の多くは歌にある。

このオペラのヒロインである蝶々さんをうたうソプラノには、同じ題名役でもトスカとはまた違ったむずかしさがある。

何しろ第1幕でピンカートンと結婚する蝶々さんはまだ15歳の少女であり、当然リリックな声のソプラノがふさわしいのだが、その3年後の第2幕は非常にドラマティックな表現が求められている。

しかもプッチーニの分厚い響きの管弦楽をバックにしてうたわなければならないのだから、非常にむずかしい。

これまでのところ、抒情性と劇的表現という二律背反するような蝶々さんをもっとも見事に表現しているのは、このシノーポリ盤におけるフレーニである。

フレーニは舞台ではこの役を演じたことがなく、とうてい演技派とはいえない歌手だが、声だけに限定すれば、1970年代以降の円熟した彼女ほど声で雄弁に演技できるソプラノはいないように思う。

ここでのフレーニの充実ぶりは特筆すべきで、カラヤンとの1974年での彼女の歌唱もすばらしいが、シノーポリの指揮でまったく違った女性像を作り出している。

彼女の声がどれほど柔軟に異なる指揮者の棒に適応するかを実感するという興味もあるが、年輪を重ねたフレーニの声と表現の成熟は、圧倒的な存在感を生み出しており、カラヤンとの録音や映像での名唱以上に、強い自己投入と生命力を示した、抒情性たっぷりでひたむきな円熟の名唱は感動的だ。

またフレーニの豊麗な声と豊麗なオーケストラは見事に溶け合って、この東洋の少女のファンタスティックな世界を表現する重要な要素になっている。

その他配役に関しては、ほぼすべての役がぴったりはまっており、少し誠実すぎるかな、というカレーラスのピンカートンも悪くなく、ベルガンサのスズキ、ポンスのシャープレスも見事で、演奏を豊かにするのに大きな役を果たしている。

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2015年09月11日


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バーンスタインの最初で最後となったプッチーニのオペラ。

この録音が行われた当時(1987年)、バーンスタインはローマ聖チェチーリア音楽院の名誉院長の地位にあったが、同音楽院管弦楽団との録音はこれが初めてだった。

バーンスタインとプッチーニ、一見意外な組み合わせだが、《ボエーム》はバーンスタインが幼い時からこよなく愛したオペラだったという。

それだけに、ここではただならぬ思い入れゆえの灼熱の指揮ぶりが聴ける。

ドラマや音楽が高揚する部分での異常なスロー・テンポはどうだろう。

まるで音楽の陰に隠された秘密をのぞき込もうとするかのようだ。

オペラというよりも、声と管弦楽によるシンフォニーといった面白さがある。

語感ではなく音色によるバーンスタイン盤の不思議な魅力にも注目したい。

バーンスタインが狙った効果は青春群像の舞台上での再現であろう。

歌手はそれなりに好演しているが、個人的には青春群像を描くにはバーンスタインは歳をとりすぎたという印象がする。

《ウェストサイドストーリー》がヒットした頃の破天荒というか無鉄砲というか、快速に飛ばしまくる元気なバーンスタインの方が曲には合っているような気がする。

最後のシーンでロドルフォが嗚咽せず、静かに終わっていくのが、泣き叫ぶよりもむしろ深い悲しみを誘う感じがするのが印象的である。

異色のプッチーニとして注目したい。

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2014年08月04日


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本盤に収められたプッチーニの歌劇「蝶々夫人」は、カラヤンによる2度目のスタジオ録音ということになる。

前回の録音は1955年のモノラル録音ではあったが、蝶々夫人にマリア・カラス、ピンカートンにニコライ・ゲッダを据えるという豪華布陣で、ミラノ・スカラ座管弦楽団や合唱団の好演もあって、今なお色褪せることがない名演である。

したがって、前回の録音の方を好む聴き手もいることはよく理解できるが、筆者としては、本盤に収められた2度目の録音の方をより上位に置きたい。

そして、本演奏こそは、カラヤンによるプッチーニの歌劇「蝶々夫人」の随一の名演にとどまらず、古今東西の様々な指揮者による同曲のあらゆる名演に冠絶する至高の超名演と高く評価したい。

先ずは配役が素晴らしい。

もちろん前述のように、前回の録音における配役も豪華であったが、本演奏における配役もいささかも引けを取っていない。

フレー二による瑞々しい美声はまさに純情な蝶々夫人の当たり役と言えるし、パヴァロッティ(同時期に作成されたDVD作品ではドミンゴが演じているが、パヴァロッティの方が適役と言えるのではないだろうか)も、女たらしではあるが優柔不断で憎み切れないピンカートン役に相応しい見事な歌唱を披露している。

加えて蝶々夫人の召使役のスズキをクリスタ・ルートヴィヒが演じるという超豪華布陣であり、あらためてカラヤンによるキャスティングの抜群のセンスの良さを感じさせられるところだ。

そして、カラヤン指揮のウィーン・フィルの演奏は重厚にしてシンフォニック、加えて実に緻密であり、同作品の持つ抒情性を最大限に引き出すとともに、これ以上は求め得ないようなセンス満点の美演を繰り広げているのが素晴らしい。

有名なアリア「ある晴れた日に」は当然のことであるが、お江戸日本橋をはじめとする日本的な旋律の数々を、カラヤン&ウィーン・フィルは美しさの極みとも言うべきムード満点の美演を展開している。

終幕の悲劇における重厚さは圧倒的な迫力を誇っており、あらためてカラヤンのオペラ指揮者としての偉大さを感じることが可能である。

ウィーン国立歌劇場合唱団も最高のパフォーマンスを示しており、英デッカによる鮮明な高音質録音も本盤の大きな魅力の一つであることを忘れてはならない。

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2014年03月08日


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《ボエーム》はプッチーニ38歳のときの出世作だが、1896年のトリノにおける初演を指揮し、自らの指揮者キャリアも成功させたのが、当時28歳のトスカニーニ(1867-1957)だった。

トスカニーニは作曲者をして「天才、魔法の指揮、再現以上の再創造」とまで言わしめているが、1946年、即ち初演50周年を記念してこの思い出深いオペラをニューヨークで演奏会形式で指揮している。

ミミにアルバネーゼ、ロドルフォにピアースとトスカニーニ好みの歌い手たちが起用されているが、オーケストラを含めてトスカニーニ・ファミリーと言ってよい名演奏家たちによる《ボエーム》は、ドラマも詩情も尋常ではない熱いカンタービレの心が充満している。

その立役者はもちろんトスカニーニその人だが、79歳という年齢のことなど忘れさせる若々しい、張りと輝きを誇る指揮ぶりであり、アリアもデュエットも、オーケストラもコーラスも、歌う火の玉になった演奏が圧倒的だ。

作品に注がれる巨匠の共感の心はそれほど切実であり、熱い想いがそのままのテンションで炎のカンタービレとなっている。

そして、そんな巨匠の指揮に魅せられたかのようにミミが、ロドルフォが、ムゼッタが、マルチェッロが、一途な眼差しで作品を歌い上げ、狂おしいまでに多感な音のドラマを作り出している。

《ボエーム》に感傷的な甘美さを求める人には、この演奏はあまりにも苛酷に響くかもしれない。

しかしトスカニーニはここで、より深い悲劇的な真実を教えてくれる。

厳しい音楽の中から、プッチーニが描こうとした愛の世界が、何と格調高く浮かび上がってくることか。

歌手陣の水準が今日からみれば不満を感じさせる部分があるとはいえ、トスカニーニはこの作品の最も深い部分での真実を描き出している。

トスカニーニは心の底から感じている。このオペラは他人事ではないのである。79歳の巨匠の心臓に流れている血はまさに沸騰しているのであり、そのほとばしりが歌わずにはいられなくしている。

演奏から半世紀以上が過ぎたが、永遠に凌駕されることのない遺産である。

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2013年07月25日


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プッチーニの3作目のオペラで、このあたりから、彼の音楽の特質である感傷的な旋律の美しさがはっきりとあらわれてくる。

これは、カラスの一連のEMIへのレコーディング開始から4年後の1957年に録音されたもので、彼女は当時34歳、全盛期をやや過ぎつつある頃の、同曲唯一の全曲録音である。

カラスの絶妙の心理描写と性格表現、ディ・ステファノの情熱にあふれた歌唱がそれぞれ互角の存在感を示している。

とりわけカラスのマノンは傑出しており、大金持ちの娘として育ち、美しさゆえに苛酷な運命にもてあそばれるヒロイン、マノンを、これほど気高く、やさしく、表情ゆたかに歌いあげた歌手は、おそらくほかにいないだろう。

カラスは少しの声の衰えも感じさせないばかりか、ドラマの進行に伴って一層見事になっていく歌唱にも深みがあり、これほど知的に、心理的に歌われたマノンはない。

言葉やフレージングへの計算は細部まで完璧だ(反面、奔放さや色気に欠けるけれども)。

多血質な、デ・グリューのディ・ステファノも、持ち前の甘美な美声を生かしながら、適切な性格づけを行っており、聴かせる。

フィオラヴァンティのレスコーも最良の歌唱だ。

セラフィンの指揮も、プッチーニ独特の流れるように美しい旋律を歌わせながら、起伏の大きな音楽を作り上げており、見事だ。

セラフィンの指揮は派手さこそないが理想的であり、音楽的充実度と堅実さは、玄人中の玄人の仕事として深く心にしみいってくる。

そして、この1957年の「マノン・レスコー」の驚くばかりの音の良さ。

もともとクリアな音質だったが、復刻の名手マーク・オーバート=ソーンはその音に更に磨きをかけ、いっそう聴きやすくなった。

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2013年03月01日


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予想通り、期待を裏切らぬ素晴らしい名演。

プッチーニの「蝶々夫人」は、筆者としてはどうしてもカラヤン&ウィーン・フィルの超名演のイメージが強烈であり、なかなかその呪縛から抜けられなかったが、本盤で、イタリア人指揮者とイタリアのオーケストラによる演奏に接して、久々に新鮮な気持ちで「蝶々夫人」に接することができた。

先ずは、パッパーノの指揮であるが、大変健闘していると思われる。

もちろん、カラヤンと比較してどうという評価を行うことは容易であるが、このオペラの随所にちりばめられた日本風の旋律を情感溢れる指揮で抒情的に描いており、それでいて、ここぞという時の重量感溢れる迫力にもいささかの不足はなく、プッチーニの魅力的な音楽をゆったりとした気持ちで満喫できたのは、やはりパッパーノの指揮が優れていることの証左ではないかと思う。

サンタ・チェチーリア国立音楽院管も好演であり、非常にドラマティックかつ熱気の漲った演奏で、パッパーノの指揮下において最高のパフォーマンスを示していると言える。

歌手陣も、ゲオルギューが蝶々夫人を可憐に演じており、その可憐さが、終結部の悲劇性を大いに高め、迫真の歌唱を繰り広げていると言えるだろう。

ピンカートンのカウフマンは明らかにピンカートン向けの声ではないし、歌い方も荒っぽくやや疑問を感じるが、ただそれは彼なりの解釈である。

ピンカートンという男は日本の現地妻を捨てて母国に帰る薄情な男なのだ。

決して善人ではない。

カウフマンはピンカートンを酷薄なエゴイストとして表現している。

ただそれはクレバーで興味深いアプローチではあるのの、過去の優れたテノール達の解釈と同列に並べられるものではないのも確かだ。

ゴローのボンファッティやシャーブレスのカピタヌッチ、スズキのシュコサには十分に合格点を与えることができるだろう。

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2011年08月01日


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いろいろな点で《トゥーランドット》の常識的な再現の枠を破ったユニークな、そして興味深い演奏だ。

メータは1998年にも録音しているが、1972年盤のほうが好ましい。

まず豪華な配役それぞれが名声にかなった歌いぶりを示しているのが強み。

パヴァロッティの情熱的なカラフと、カバリエの美声を十分に生かしたリューが聴きもので、声の質からいって一見向かなそうなサザーランドがタイトル・ロールに挑戦して、氷のように冷たい心が愛に目覚めて溶けてゆく過程を、CDで聴くおそらく他のどのドラマティック・ソプラノよりも人間味豊かに演じて聴かせる。

特にサザーランドとパヴァロッティが持てる力を出し切って歌っており、第1幕、第3幕も総じて立派な演奏だが、ことにトゥーランドットが謎をカラフに提示する第2幕第2場が圧巻。

ふたりの輝かしい歌声が鋭い緊張感を生み出している。

さらに中国皇帝にピーター・ピアーズが起用されるなど、脇役陣と合唱の充実ぶりも目立った。

またメータの力強く堂々としたまとめぶりも大いに称えたい。

メータの指揮は、多彩なオペラティックな効果より、むしろ作品をマーラー演奏に共通するような豊麗でシンフォニックな表現の中にすべてを包み込むが、それでも和声の色彩感の鮮麗さ、旋律とカンタービレの強靭さ、ダイナミックな起伏の設計の巧みさなど、プッチーニの音楽の根本的な要求は十分に満たしている。

そして他盤に比して一段とスケールが大きく、彫りの深い造形から生まれるパセティックな感動は比類がない。

ACC、ADF、エディソン賞などを受けている。

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2011年07月14日


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カラヤンの《ボエーム》には、オーケストラにベルリン・フィルを配し、フレーニとパヴァロッティの黄金コンビを軸にしたセンチメンタルなドラマを何処までも精緻に、そして劇的に描き切った信じられないような名演の1972年盤がある。

しかし、ここでは敢えてスカラ座とのDVDを選びたい。

カラヤン57歳のときのゼッフィレッリの演出によるスカラ座での公演を素材にしたオペラ映画が今なお色褪せない魅力を持っている。

ここで見られるのは、今日でもしばしば上演されるゼッフィレッリの名演出の原形となったもので、ポネルの《蝶々夫人》のような違和感は全くない。

それだけに、〈見る〉というオペラ本来の楽しみを心ゆくまで味わうことができる。

演奏は、カラヤンがスカラ座のオーケストラから明るくみずみずしいだけではなく、重厚かつ豊麗な響きを引き出し、このオペラの、交響曲にも譬えられる構成の妙とシンフォニックな魅力を、十分すぎるほど表現しているのが印象に残る。

歌手も、まだ若くデビュー間もないフレーニの歌も容姿も愛らしいミミは、定評ある歌のうまさに加えて、第1幕でロドルフォの前に初めて姿を現すところから初々しい朴訥さとコケットリーとを交錯させた身振り表情で見る者を悩殺する。

若くして亡くなったジャンニ・ライモンディも凛々しく充実した歌を聴かせ、あとのボヘミアンたちにも不満はなく、脇もすべて完璧に揃った《ボエーム》が見られる。

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2011年06月02日


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これは大指揮者セラフィンでもなく、ほかの歌手の誰でもなく、ただひたすらカラスを聴くためのCDだ。

このドラマティックな作品を、ドラマティックな歌声を持つ20世紀最高のプリマドンナ、マリア・カラスが演ずれば、どんなにすばらしいことか。

ところが、実際の舞台でカラスがこの作品に出演したのは、1948年と49年の2年間のみであった。

しかし、1957年に録音されたこのCDで、その舞台のすばらしさを想像することはできる。

その歌唱は言葉への集中度が異常に高く、声の力だけで聴かせるトゥーランドットにはない感情の豊かさ(たとえそれが病的であっても)に感嘆させられる。

《トゥーランドット》という一種異様で、狂気にも似たこのオペラは、実はカラスがもつ声のために書かれた作品ではなかったかと思わせる強烈な説得力と吸引力があり、演奏はまさに壮絶そのもの。

氷の歌姫の魔性と人間愛とをこれほどのコントラストで味わわせてくれる演奏は他になく、オペラは彼女を軸に回転し、燃焼していくのである。

また、カラスのみではなく、若き日のシュヴァルツコップが演じているリューも良い。

純粋な愛のなかで死んでいくはかない命には誰もが心打たれるものがあるが、それをシュヴァルツコップは、みごとに歌いあげている。

しかし、このリューをカラスが演じていたらもっと感動するだろうと考えるのは、欲が深すぎるというところか。

トゥーランドット姫の非人間性を冷たく描出したカラス、カラフへのいちずな恋心を実に美しく、やさしく表現したシュヴァルツコップのリュー。

そして、色彩的な響きをオーケストラから引き出し、東洋的な情緒をもりあげたセラフィンの指揮。

稀有な名演である。

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2010年09月21日


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《トスカ》は牙を持つソプラノで聴きたい。敢えて言えば美しい声も、カンタービレもいらない。

平常心の心地よさではなく、美の饗宴でもなく、聴き手は、一瞬でよいから狂気というものが与える人事を超えたドラマに触れ、血が逆流するかのようなスリルを味わうためにこのオペラを求める。

そんな体験に浸らせてくれるソプラノはマリア・カラス(1923-77)をおいて他にいないだろう。

カラスは1953年にイタリアの巨匠サーバタの指揮でモノーラル録音を残したが、後の1964年にはプレートルの指揮でステレオによる再録音にも挑戦、いずれも歴史的名盤としている。

トスカという役柄に与えられた感情表現の振幅の驚異的幅広さ、その激しさと切実さとが、オペラであることを忘れて聴き入らせる吸引力を持つ壮絶なる名唱である。

またスカルピアを歌うティト・ゴッビも素晴らしい気迫でオペラを引き締めており、与えられる感銘の大きさはこのオペラの曲名を「スカルピア」としたくなるほどである。

若き日のプレートルの指揮もラテンの血が燃えたぎった直線的で、異例の燃焼度を誇っている。

確かにここにトスカがいる。カヴァラドッシとスカルピアもいる。そしてぶつかり合う生のドラマがある。そんな臨場感に浸らせる名盤である。

オペラの醍醐味は劇場に足を運んだときに満喫されるが(私はエヴァ・マルトンの「トスカ」を生で聴いた)、CDだって負けてはいない。

その代表がこれ!

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2009年07月05日


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シノーポリ盤こそは久しく待たれていた名盤で、この作品に内包される新たな美と真実を知らしめた名演である。

フレーニの見事に熟した声で歌われるトスカは、堂々として、しかも女性的で、美しい。

官能の美はシノーポリの巧みな棒から生まれる音楽にも認められる。

激しく荒々しいのがトスカという女声の特徴だと思い込んでいると、フレーニのトスカには驚かされる。

逆上しても声のまろやかさを失わないトスカなのだから。

それは弱点であるどころか、最高の美質となっている。

舞台で味わうのがほぼ不可能な、しかし味わえたらどんなに素晴らしいかと願うトスカがここにいる。

過剰なほどに劇的なシノーポリの指揮がフレーニのトスカの良さを鮮明にし、フレーニのこまやかなトスカがシノーポリの起伏に富んだ指揮を、一層はっきりとさせる。

安易な役作りではないプラシド・ドミンゴのカヴァラドッシは、定評あるものだし、サミュエル・レイミーのスカルピアも申し分なく、ぴしっとキャスティングが決まった《トスカ》なのだが、それでもフレーニのトスカとシノーポリの指揮の重要さは変わらない。

まだこれから、という時に亡くなってしまったシノーポリの、オペラの演奏での代表作であると考えられる。

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2009年04月05日


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イギリスの名指揮者バルビローリは、マーラー、シベリウス、ブラームスの交響曲やイギリスの管弦楽曲の録音が有名だが、オペラにおいても名演を残している。

パーセルの「ディドとエアネス」やヴェルディの「オテロ」と並んで、この「蝶々夫人」は、このユニークな名指揮者の芸術を偲ぶ上でも、彼のファンには忘れ難い一組だろう。

プッチーニという"世話物オペラ"の巨匠の作品を、バルビローリほどに、濃やかな情感、感情面に光を当て、美しい抒情の世界として描き出した指揮者はほかに例をみない。

バルビローリの晩年を特徴づける美しい抒情性とスケールの雄大さ、そして温かく細やかな情緒の表出を満喫できる。

この指揮者の演奏を愛する人なら、これもまたかけがえのない魅力を味わわせてくれる宝物となるはずだ。

ローマ歌劇場オーケストラの技量に不満も残るが、この曲の最も美しい演奏のひとつが、バルビローリ盤であるのを疑う余地はないだろう。

愛らしくて、男なら抱きしめたくなるような魅力をもつ若き日のスコットの蝶々さんは、心理描写が巧みで、幸福の絶頂から絶望して自決するまでの蝶々さんの心の動きを見事に演唱しきっていて、蝶々さんの悲劇に切実な真実味を与えた稀有の名唱だ。

このスコットの身上である絶妙な心理表現の綾に、ベルゴンツィの若々しい美声による様式美に満ちた格調の高い名唱や、人間性の表出においてシャープレス役随一の名唱といえるパネライの滋味あふれる役作りが加わって、この名盤の価値をいっそう不動のものにしている。

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2009年02月25日


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エレーデ盤はいまなおスリリングでエキサイティングな名演である。私はいまだに、1955年に録音された古いディスクで聴ける演奏に思いを残している。

というのは、聴き方が保守的になりすぎているためではないか、と反省しなくもない。

しかし、テバルディやデル・モナコといったオペラの黄金時代を支えた歌い手たちによる熱気にみちた歌唱に耳をすましていると、これがプッチーニのグランド・オペラ《トゥーランドット》と思えてくる。

音楽といい、歌手の声質、キャラクターといい、このオペラ程いわゆる"まとまりにくいオペラ"は他にはないのではなかろうか。

こうしたタイプのオペラを制作するには、なによりもバランスを第一に考えなければならないが、そういった意味において、パヴァロッティ、ドミンゴ、カレーラスという3大テノールが主演するそれぞれの盤は、残念ながら非常に惜しい録音と言わざるをえない。

とすればここはやはりデル・モナコ、ボルク、テバルディを配したエレーデ盤が永遠の名盤の栄誉を担うところになろう。

デル・モナコのカラフの鋼のごとき強靭な声の威力に満ちた歌唱は、氷の姫の心を打ち砕く意思の強さがあり、テバルディのリューも深い感情の綾と愛に命を賭ける強さを圧倒的なスケールで歌いあげており、その高貴なまでの情熱に心打たれる。

ボルクのトゥーランドットも高水準の歌唱で、ザッカリアやコレナの絶妙な歌唱も素晴らしい。

オペラの勘所を押さえたエレーデの指揮も見事。

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2008年08月31日


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このオペラの録音中、最高の顔触れを揃えた屈指の名盤だ。

イタリア・オペラの醍醐味は何といっても声によるドラマである。圧倒的な声の力によって生み出されるドラマ性が与えてくれる感銘は、人間の本能に近い部分の快感を刺激し、興奮させてくれる。

数多くのイタリア・オペラの中でも、主役に圧倒的な声を必要とする作品の最右翼は「トゥーランドット」である。

いかなる時でも玲瓏たる声の透明な美しさと、強さを失うことのないニルソンの歌唱は、唯一無二の"トゥーランドット歌い"と呼ぶにふさわしく、コレッリもニルソンに一歩も譲らぬ声の力と輝きを聴かせる。

なかでも2人による第2幕の謎解きの場面の興奮は筆舌に尽くしがたい。

トゥーランドットとカラフの2人の主役において、ニルソンとコレッリ以上の歌手は初演以来ひとりもいないし、これからも果たして出現するかも想像できない。

この超人的な声を必要とする役柄をこの2人は圧倒的な声で演じ上げている。

もう1人の主役リューを演ずるスコットの人間味に溢れた名唱もドラマに奥行きを与えている。

他の歌手も高い水準の歌唱を展開するが、それらの名手をM=プラデッリが見事にまとめあげている。

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2008年06月24日


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「マノン・レスコー」はプッチーニの出世作となった作品で、全編に、プッチーニ独特の感傷的で、美しい旋律があふれた傑作である。

これはシノーポリ初のプッチーニだった。

しかもシノーポリの指揮が断然素晴らしい。

シノーポリの指揮は、感情の起伏を大胆なまでに大きくとった、スケールの大きなもので、そのダイナミックで甘美な表情には魅せられてしまう。

それはあたかもプッチーニの音楽をレントゲンにかけてその内部構造を透視し、その生理を解明していく名医を思わせる。

しかもシノーポリはそこにイタリアの血と肉の息吹きを与えている。

テンポは大きく伸縮し、音力や音量のディナーミクも多彩に変化する。

配役も素晴らしい。

ドミンゴは純情で情熱的な青年を歌いあげた当代最高のデ・グリューだし、可憐で気まぐれなマノンを演じきったフレーニの輝かしい歌唱も光っている。

特にフレーニは純情さと淫奔さを見事に歌いわけている。

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2008年03月26日


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カラヤンの数多いイタリア・オペラの中でも、ヴェルディの「ドン・カルロ」や「アイーダ」と並んで最も完成度の高い名演。

微細な音色の変容と、それを劇的効果や情感にぴたりと一致させる呼吸の巧みさ、構成の起伏の見事さ。

それに加えて、ここでの歌手の素晴らしいこと!

ミミやロドルフォの青春の喜びと悲しみを、フレーニとパヴァロッティは見事に歌い出す。

その他独唱陣のすべてが充実していて、たいへん聴きごたえのあるディスクだ。

フレーニのしっとりとした清純なミミを中心に、パヴァロッティのロドルフォ、パネライのマルチェッロ、ギャウロフのコルリーネ、マッフェオのショナールら、4人のボヘミアンたちがそれぞれ秀逸で、持てる力を最高度に発揮している。

それらを統率するカラヤンの指揮がなんと見事なのであろう。

カラヤンの豊かな表現力には感嘆の他はない。

1972年の録音だが音もよいし、別項であげたセラフィン盤と双璧をなす名盤だ。

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旧盤ではカラヤンのオペラ演奏におけるシンフォニックでドラマティックな志向が徹底的に発揮されている。

スコアに書きつけられた音符からこれほど雄弁な響きを引き出し、それを一分の隙もない豪華な音の織り物に織り上げた例は他にないだろう。

後のベルリン・フィルとの録音と比べて、管弦楽と人声の音楽的比重がよく、カラヤンの緻密にして雄大な音楽作りに応じて、ウィーン・フィルが絶妙のニュアンスを加えてゆくのも、この録音の特徴だ。

歌手陣では、スカルピア役のタデイが圧倒的な感銘を与えてくれ、トスカ役のプライスのスケール大きな歌唱も楽しめる。

ウィーン・フィルの卓越した表現力と、厳選された歌手たちの力演が、カラヤンの意図を十二分に肉体化している。

新盤で音楽の主導権を握り、ドラマを雄弁に表現しているのは、カラヤンとオーケストラであり、歌手たちはいわば管弦楽の1パートと化したような演奏だ。

カラヤンがあえてリッチャレッリのような、ドラマティックな声でない歌手を起用して、リリカルで美しい響きを求めたのも、それと無縁ではない。

ライモンディやカレーラスは少々不調だが、不満を補ってあまりあるのが、ベルリン・フィルの見事な演奏である。

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2008年02月20日


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1955年盤には若き日のカラヤンが作り出している音楽のイタリア的な明るさと流麗さがある。

もちろん、ドラマの力強い起伏や悲劇的な緊張、あるいは管弦楽の雄弁さなどのカラヤンの特質も示されている。

カラスについていえば、このドラマの中でのヒロインの果たす割合が大きいだけに、それに応じて彼女の歌の威力がフルに発揮され、ドラマ全体を凄まじいばかりの力で引っぱっていくさまは壮観という他はない。

ミラノ・スカラ座を指揮した旧盤に比べると、1974年に録音された新盤では音の響きも表現も徹底的にカラヤンのものとなり、雄弁で彫りの深い音楽のドラマが生み出されている。

しかも、それが単なる感傷や慟哭の誇張としてではなく、プッチーニがここで意図した精妙な音色の効果とドラマの結合を十全に描き出している。

カラヤンのプッチーニ観が演奏の隅々にまでゆきわたった名演である。

このオペラは、ややもするとお涙頂戴式の低俗なメロドラマになりがちだが、作品の本質を深く掘り下げ、感動的にまとめているあたり、さすがにカラヤンである。

リリックな声に即したやさしい純情な女の姿を歌い出そうとしたフレーニの蝶々さんも、カラヤンのそうした意図にふさわしい。

ポネル演出のDVDに関しては好悪分かれるかもしれないが、一見の価値はある。

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2008年02月19日


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もともとカラヤンはプッチーニが得意で、「蝶々夫人」も素晴らしい演奏だったが、「トゥーランドット」は晩年とは思えない異常なテンションの高さでド肝を抜く。

管弦楽もだが、合唱も何かに憑かれたかのような興奮ぶりである。

この曲に限らず、プッチーニのオーケストレーションをカラヤンほど説得力ある演奏で聴かせた指揮者は他にいない。

この録音まで、カラヤンがこのオペラを実際に劇場で演奏していたという記録はない。

しかし、ここには満を持して発酵させたコクのある音楽がある。

テンポは驚くほど遅い。

カラヤンはそのテンポの中に、プッチーニの精妙な音楽、微妙きわまりない音色の高価を極めて入念に描き出している。

強い意思でキャスティングを組んだカラヤンの意図が生かされた名演だ。

トゥーランドットにあえてリリックな声のリッチャレッリを配しているのも異色で、声の質としては不向きなリッチャレッリをもってきて、見事に成功している。

それにドミンゴのカラフが素晴らしい。

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2008年01月10日


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プッチーニの「トスカ」はライヴに接したことがある。

プリマ・ドンナはエヴァ・マルトンで素晴らしかった。あれで太ってさえいなかれば完璧な舞台だったのだが…。

「トスカ」で1枚といえば、カラスの旧盤に尽きる。

レコード史上に燦然と輝く名盤で、カラスのトスカ、ディ・ステファノのカヴァラドッシ、ゴッビのスカルピアの3人とも、最絶頂期の録音(1953年)だけあって、お互いの魂のぶつかり合いは凄まじいばかりである。

デ・サーバタの指揮は、イタリアのたくましい歌の魂と、表現するドラマとしての音楽の正しい把握のうえに、管弦楽を有機的に駆使し雄弁なドラマを作り出している。

カラスの激情的でひたむきなトスカは他の追随を許さず、これ以後の新盤と比べてもいささかも見劣りせず、劇的表現を満喫できる。

有名な「歌に生き、愛に生き」など、まさに絶唱だ。

それにゴッビの何とも見事なスカルピアと繰り広げる第2幕はまさに息詰まるばかりだ。

肉声と管弦楽のすべてを一体化した劇音楽としての統一と、その表現力において、イタリア・オペラの演奏の究極を極めた稀にみる名演である。

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2007年12月20日


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プッチーニの音楽はメロディーの美しさによって知られているが、それ以上に音楽とドラマとの結合が見事だ。

カラヤン指揮、フレーニ、パヴァロッティによる《蝶々夫人》がこのオペラの精妙な美しさをきわめた名演だとすれば、このセラフィン指揮、テバルディ、ベルゴンツィのものは、このオペラから最もドラマティックな緊張と悲劇的感動を生み出した演奏として今なお最右翼に位置している。

このオペラは、典型的なプリマドンナ・オペラだけあって、蝶々さんの出来不出来によってすべてが決まってしまう。

その点で、テバルディが歌ったこのディスクは素晴らしい。

なんといっても、テバルディの円熟した演唱が聴きものである。

蝶々さんの役を、これほど完全に、表情豊かに歌った例はほかにない。

声も絶頂期のものだけあって輝かしく瑞々しい。

ベルゴンツィも、この役としてはやや知的で硬質だが、よく歌っている。

他のキャストもいい。

さらに付け加えておきたいのは、セラフィンの指揮で、その整然たる造形は実に見事である。

《蝶々夫人》は日本の長崎を舞台にしたオペラだが、そうした東洋的な雰囲気を、セラフィンは万全な表現力でまとめている。

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2007年12月19日


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セラフィン盤は、このオペラのあるべき理想的な姿を描き出した不滅の名盤である。

イタリア・オペラ演奏の偉大な伝統を最良の姿で具現したこの録音は、聴けば聴く程に、新しい発見と感動を与えてくれる。 

セラフィンがその実力を遺憾なく発揮したこの演奏は、最も正統的な解釈において《ボエーム》の規範といえるもの。

歌手陣も万全。聴き手の涙を誘う。

空前のスケールの中に可憐さと繊細さを漂わせるテパルディ、美声の極にありながら見事な性格表現で物語の奥行きを深めるバスティアニーニ、シエピも比類なく、これほどの優しさを込めた「外套の歌」は他にない。

脇役陣も充実し、この不朽の名盤の価値を高めている。

イタリア・オペラの隠れた味わい、楽しみは、名歌手を統率する名指揮者が生み出す強固なアンサンブルの妙である。

決して独善的ファシズムの強権を発動させるのではなく、アンサンブルをまとめ、オペラに強いフォルムと秩序を与える名指揮者の神技は、オペラの渋い楽しみとなっている。

この《ボエーム》でイタリア・オペラ界の20世紀最高の巨匠セラフィンは、細やかな配慮に満ちた音楽作りでプッチーニの音楽ドラマの緻密な美しさと悲しさの真髄を余す所なく描き出している。

叩き上げの職人指揮者の頂点にあるセラフィンの玄人の芸は、比類が無い。

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