ホロヴィッツ

2015年05月22日


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協奏曲は、1978年1月、ホロヴィッツの爛▲瓮螢・デビュー50周年記念コンサート瓩離薀ぅ録音である。

途轍もない超名演だ。

このような演奏こそは、人類が永遠に持つべき至宝であるとさえ言えるだろう。

ホロヴィッツにとって27年ぶりの協奏曲の録音だけに、この演奏にかける意気込みは並々ならぬもので、とても73歳の高齢とは思えない、スケールの大きな、打鍵のしっかりした演奏である。

本演奏におけるホロヴィッツのピアノはもはや人間業を超えているとさえ言える。

強靭な打鍵は、ピアノが破壊されてしまうような圧倒的な迫力を誇っているし、同曲の随所に聴くことが可能なロシア風のメランコリックな抒情的旋律の数々においても、ホロヴィッツは心を込めて歌い抜いている。

その表現の桁外れの幅の広さは、聴いていてただただ圧倒されるのみである。

同曲は、弾きこなすのに超絶的な技量を有することから、ピアノ協奏曲史上最大の難曲であると言われており、ホロヴィッツ以外のピアニストによっても名演は相当数生み出されてはいるが、それらの演奏においては、まずは同曲を弾きこなしたことへの賞賛が先に来るように思われる。

ところが、ホロヴィッツの演奏では、もちろん卓越した技量を発揮しているのであるが、いとも簡単に弾きこなしているため、同曲を弾きこなすのは当たり前で、むしろ、前述のように圧倒的な表現力の方に賛辞が行くことになる。

このあたりが、ホロヴィッツの凄さであり、ホロヴィッツこそは、卓越した技量が芸術を凌駕する唯一の大ピアニストであったと言えるだろう。

人間業を超えた超絶的な技量を有していながら、いささかも技巧臭がせず、楽曲の魅力のみをダイレクトに聴き手に伝えることができたというのは、おそらくは現在においてもホロヴィッツをおいて他にはいないのではないかと考えられるところだ。

そして、本演奏を聴いていると、あたかも同曲がホロヴィッツのために作曲された楽曲のような印象を受けるところであり、それ故に、現時点においても、同曲については、ホロヴィッツを超える演奏がいまだ現れていないのではないかとさえ考えられる。

それに、これ以前の録音では大量にカットを行なっていたのに対し、ここでのカットは第1楽章カデンツァ中の2小節のみで、ホロヴィッツが遺した、唯一のほぼ完全版の演奏なのである。

以前の同曲の録音と比べると、テクニックの面でやや弱さはあるものの、深々とした呼吸で、ラフマニノフの曲のもつ暗い情熱を濃厚に表出していて立派だ。

オーマンディ&ニューヨーク・フィルも、このようなホロヴィッツの圧倒的なピアニズムに一歩も引けを取っておらず、感情の起伏の激しい同曲を見事に表現し尽くしているのが素晴らしい。

なお、ホロヴィッツによる同曲の超名演としては、ライナー&RCAビクター交響楽団をバックにしたスタジオ録音(1951年)があり、指揮者はほぼ同格、オーケストラは本盤の方がやや上、ホロヴィッツのピアノは旧盤の方がより優れているが、録音は新盤がステレオ録音であり、総合的には両者同格の名演と言ってもいいのではないだろうか。

ソナタ第2番は、作曲者と相談の上、初版と第2版を織り交ぜたホロヴィッツ版で、晩年のライヴながら、楽器を鳴らし切る桁外れの才能は健在である。

演奏は、この曲のもつ技巧的な性格を前面に押し出した、すこぶる華やかなもので、幻想の世界を濃厚に、しかも豪快に弾きあげている。

いずれの演奏も、両曲を偏愛したホロヴィッツによる正規録音としては最後のもので、彼ならではのダイナミズムと繊細な表現が素晴らしい名演である。

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2015年01月20日


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1968年2月1日、招待客を前にして収録され、同年9月22日に全米で放映されたものを収録したもので、ホロヴィッツ芸術のエッセンスを聴けるベスト盤的内容だ。

当時テレビ出演での演奏は珍しく、編集出来ないにもかかわらずそれをやり遂げたホロヴィッツの度胸はたいしたものだ。

それにしても凄い名演揃いだ。

壮年期のホロヴィッツのピアノは本当に人間離れしており、アルバム随所でホロヴィッツの職人技を堪能することができる。

まずは、ショパンの3曲が途轍もない超名演。

バラード第1番の冒頭の和音からして他のピアニストとは次元の異なる力強さが漲っている。

その後は、途轍もない強靭な打鍵と繊細な抒情が交錯、テンポも自在に操るが、どんなにハイスピードになっても、ピアノの1音1音が完璧に鳴り切っているというのは殆ど驚異的であり、特に終結部の猛烈なアッチェレランドは筆舌には尽くしがたいもの凄さだ。

バラードと言うよりは、スケルツォを聴いているような印象も受けるが、聴き終えた後の感動には尋常ならざるものがある。

ノクターン第15番の心のこもった情感の豊かさは、壮年期のホロヴィッツの表現力の幅の広さを大いに感じることが可能だ。

ポロネーズ第5番もバラードと同様の演奏傾向であり、その唖然とするような超絶的なテクニックには、もはや表現する言葉が追い付かない。

スカルラッティ、シューマンはショパンのノクターンに劣らぬ情感豊かな名演であるし、スクリャービンの迫力ある豪演も印象的であるが、特に凄いのは、ホロヴィッツがビゼーのカルメンの主題をアレンジした変奏曲。

ここで聴かれる演奏には、壮年期のホロヴィッツのピア二ズムの全てが凝縮されている。

怒涛の勢いで鍵盤から音が溶解したと思えば、剥離し飛散して、じきに音が合流し一気に濁流となって突進する。

この神技とも言うべき圧倒的なテクニックと桁外れの表現力の豊かさは、まさに世紀のヴィルトゥオーゾ・ピアニストの名に相応しい圧巻の至芸と評価したい。

最後にはホールが割れんばかりの万雷の拍手である。

後追いではあるが歴史の証人となることができる聴いて絶対に損はない作品だ。

1968年という録音年代にしては驚くほど音質も鮮明で、本盤の価値を高めるのに大きく貢献している。

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2014年07月28日


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「皇帝」が脂の乗り切った凄い演奏だ。

全盛期のホロヴィッツのピアノがいかに超絶的なものであったのかを窺い知ることができる演奏である。

ホロヴィッツのテクニックは殆ど神業とも言うべき圧巻の凄さであるが、表現力も桁外れであり、ピアノが壊れてしまうのではないかと思われるような強靭な打鍵から繊細なピアニッシモまで、その幅は途轍もなく広い。

変幻自在のテンポ設定はあたかも魔法のようであり、トゥッティに向けての畳み掛けていくような猛烈なアッチェレランドはとても人間業とは思えないような物凄さだ。

ホロヴィッツは、おそらくはあまり難しいことを考えずに、自らの才能の赴くままに演奏しているのに過ぎないと思うのだが、いささかも技巧臭がすることなく、豊かな情感と気高い芸術性を保持しているというのは、全盛期のホロヴィッツだけに可能な驚異的な至芸と言えるだろう。

最晩年のホロヴィッツは、そのテクニック自体が衰えることによって、著しく芸術性を損なった老醜を垣間見せるようになったとも言えなくもないが、全盛期のホロヴィッツは、卓越した技量自体が芸術性をも兼ね備えているという稀有のピアニストであったと言えるのではないだろうか。

このような天才的なホロヴィッツのピアノを、ライナーがしっかりと下支えしているのが素晴らしい。

オーケストラは、手兵のシカゴ交響楽団ではないが、RCAビクター交響楽団を統率して、最高のパフォーマンスを発揮しているのが見事である。

「月光」ソナタでのホロヴィッツは、作品の持つ様式感と、古典的形式感の骨子をしっかりと押さえ、格調を保ちつつ自発性に満ちた自在感ある音楽を生み出している。

そのため、この曲が本来備えている抒情性や幻想性がやや失われたことも否めないが、そこがホロヴィッツのホロヴィッツたるゆえんでもある。

いずれにせよ、しっかりとした構成感の中にこまやかな表情の変化が盛り込まれた演奏であり、聴きなれた名曲が自信に満ちた足どりで展開されてゆく。

チェルニーでは、音の粒が極めて明確に整えられているが、これはペダルの使用を控えているからでもあり、スカルラッティを弾く時のホロヴィッツを思わせる。

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2014年03月15日


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ホロヴィッツ&ワルターのブラームスは驚くべき名演奏である。

1936年、アムステルダムに於ける実況録音で、若き31歳のホロヴィッツと、59歳のワルターががっぷり四つに組み、火花を散らして闘っているのだ。

それにしてもワルターの気迫は物凄く、凄まじい緊迫感にあふれたリズム、アクセント、速いテンポによる推進力、ティンパニの最強打、特に第1楽章のコーダは阿修羅のようだ。

しかもむきになって造型を崩すことがなく、アンサンブルもぴったりと決まっている。

ワルターはレコード録音と実演との差があまりなかった指揮者らしいが、このブラームスは特別な例なのだろうか。

新鋭の天才ピアニスト、ホロヴィッツとの協演、メンゲルベルクが君臨するアムステルダム・コンセルトヘボウへの客演など、種々の要素が絡み合って、このように火と燃えた演奏が可能になったのであろう。

このブラームスはあたかも鬼神が乗り移ったかのように、エネルギーを完全に音化し切っているのだ。

終楽章の歯切れの良いリズムや、興奮の極と言いたい加速の効果も見事だが、そうした迫力と共に、憧れにせつなく燃えつきる歌や、フルトヴェングラーを思わせるような聴こえないくらいのピアニッシモや、あえかな木管のデリカシーにおいても、ワルターは別人のように思い切った表情を見せるのである。

彼は客演のとき、そのオーケストラの特質を充分に生かす指揮者であった。

全曲にわたって、あのメンゲルベルク節とも言える、濃厚で脂切ったポルタメントやヴィブラートが頻出するのはその表れだが、もちろんワルターには様式ぶった人工的なテンポの動きは見られない。

ホロヴィッツの演奏もまさに言語を絶するすばらしさで、何よりも人間業を超えたテクニックの冴えに舌を巻くし、魔術的とさえ言えよう。

しかも技術に溺れず、音楽を最大限に生かし抜くのだ。

感じ切ったピアニッシモから超人的なフォルティッシモまで、表現の幅は著しく広く、自然なルバートが多用されて音楽を息づかせ、表情の強い歌や情感も決してワルターに負けてはいない。

そしてカデンツァでは猛然たるアクセントと共に、奔放な即興性さえ見せるのである。

第1楽章に100小節ほどのカットがあるが、これは録音盤の破損によるものらしく、残念だが仕方がない。

1950年の録音であるミルシテイン&ホロヴィッツのブラームスは、両者共に壮年期の演奏で、お互いにニュアンスのある表現を生み出しつつも、、細部にこだわらずに全体を通す、といった感が強く、そうした中での個性の生かし方がとても興味深い。

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2014年03月14日


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まだ遺されていた! ホロヴィッツが得意とし、何度も演奏した2大ピアノ協奏曲の超名演。

収録の2曲は、ライナーノーツにも書いてある通り、ホロヴィッツが「武器」にしてきた曲。

それだけに、多くの録音が遺されている。

チャイコフスキーであればトスカニーニとの演奏が有名だし、ワルターとの爆演もあるが、個人的にはセルとのニューヨーク録音が「最強(狂?)」だと思っている。

ラフマニノフはコーツ、ライナー、オーマンディ、それからメータ(映像付き)とあって、晩年のオーマンディとの録音の「妖気」はホロヴィッツならではだ。

「では、この盤の存在価値がどこにあるのか」というのがポイントだろうが、はっきり申し上げて、価値は大ありなのだ。

特にラフマニノフが凄く、全盛期のホロヴィッツが突っ走る。

この曲の場合、極めて叙情的でありながら、途轍もなくスポーティー、という矛盾する要素をどうやって弾き切るのかが難しいところ。

ホロヴィッツの場合、音を出すだけで艶やかな空気に包まれるが、その空気のままに、指は走り続けるのだ。

「走る演奏」といえば、プラッツ&バティス盤も思い浮かぶが、あそこでは最初から「やってやるぞ」という気合いをびんびんに漂わせながら、前のめりに進んでいく。

ホロヴィッツの場合、搭載している「エンジン」が超大型なので、もっと余裕綽々に、自分と伴奏のオーケストラを追い込んでいく。

ライヴ録音だと、最後で疲れが見えたり、崩壊したりということも少なくないが、ここでは「ぶっ壊れながら」も整然と終わる。

このあたり、バルビローリの「伴奏勘」に感心するしかない。

チャイコフスキーは、残されたホロヴィッツの演奏の中で「最上級」ではないかもしれないが、強烈な演奏であることには変わりはない。

もちろん、ここでもバルビローリは引き離されずに頑張っている。

音質はこの年代(1940-1941)を考えても芳しいとは言えないが、そんなことを考えられるのも、ピアノが入るまでのほんの数秒の間だけだろう。

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20世紀を代表する2大ヴィルトゥオーゾの競演で、ホロヴィッツ、ルービンシュタイン共に最も脂の乗り切った時期に演奏された、対照的な芸風の大家による聴き比べができる嬉しいディスクである。

ホロヴィッツにはトスカニーニやワルターと組んだ録音もあるが、実演ならではの自由な振舞いの面白さが狂気じみた迫力に直結している点で、セルとの演奏はさらにその上を行っている。

ここで聴けるのは徹底的に自由に振舞う全盛期のホロヴィッツならではのまさに唯我独尊的なピアニズムであり、その爆発的なパワーと鋭利なテクニック、自由な表情付けには、さすがのセルも終始激しく煽られっぱなしで、スタジオ盤での演奏とは別人のようなテンションの高さがひたすら印象的。

前2楽章ではまだ節度があるものの、第3楽章になると指揮者もオーケストラも冷静さを失い、ピアノと競い合うようにして一気にクライマックスになだれ込み、破綻する。

あまりの激演に、聴衆の興奮ぶりにも凄まじいものがあり、フィナーレのコーダでは最後の数小節に熱狂した聴衆の拍手と大歓声がかぶっているほどだ。

それに対し、ルービンシュタインの演奏はどっしりと大局を見据えた実に説得力のある演奏。

ホロヴィッツの爆演を聴いた後にルービンシュタインの演奏を聴くと、模範的に弾くとこうなる演奏と言ったところであろうか。

「この曲をむやみやたらに速いテンポで弾いて、自分たちの技を示そうという人たち(ホロヴィッツのこと?)がいるが、私はこの美しい作品を本来の形に再確立したい」とルービンシュタインは言っていた。

全体にゆったりとしたテンポで堂々と弾き上げた演奏で、19世紀のヴィルトゥオーゾの流れを汲んだ、いかにもこの巨匠らしい秀演だ。

とはいえ、スタジオ録音よりもスリリングで、推進力が強い実に面白い演奏でもある。

若干ホロヴィッツ推しの人が企画したのかなとも推察させるが、2人の巨匠のピアニズムを比べられる好企画、両者対照的な演奏、そしてカップリングである。

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数あるホロヴィッツのチャイコフスキー:ピアノ協奏曲第1番の録音の中でも、断トツにスリリングな演奏で、ホロヴィッツの豪快な打鍵と冴え渡るテクニックには、ただただ唖然として聴き入るのみだ。

確かに音質はあまり良くないが、演奏内容がとにかく素晴らしく、聴いていると感動が音質を超越してくるので、音の悪さは気にならなくなってしまい、心底満足感が得られた。

ホロヴィッツのチャイコフスキーは一般にはトスカニーニとの演奏が評価が高いが、筆者にとっては、あの2人の組み合わせは、マジソン・スクウエアー・ガーデンでプロレスの試合でも見ているような趣がして(ファンの方々には申し訳ないが)音楽としての潤いに欠けるように感じられる。

それに対してこのワルターとの演奏は、同じ超絶技巧を誇示しながらの演奏だが、大きくうねる音楽、全曲を通じてのロシアの憂愁がある。

この演奏を生で聴けたら、一体どんな感動を覚えるのであろう…、同曲の演奏でホロヴィッツを超えるピアニストはいないのだから。

驚嘆したのは、ワルターの荒れ狂った、熱い指揮で、トスカニーニにも迫る大迫力である。

当時全盛期だったワルターは、 晩年の穏やかな芸風とは全く異なる指揮で、ホロヴィッツを強力にサポートしている。

録音がどうのこうのというのはこの演奏の前にどうでもよいことだと思うが、トスカニーニ盤よりピアノの音色がはっきり聴こえる。

筆者としてはホロヴィッツの同曲異演盤では、この演奏を第一にお奨めしたい。

幻想序曲『ロメオとジュリエット』は、各楽想を抉り抜き、旋律を歌い抜いた生命力溢れる演奏で、特にモンターギュ、キャピュレット両家の激しい争いを表現する主要テーマの嵐のような進行は、速いテンポと相俟って当時のワルターならではと言えようし、最後のモデラート・アッサイへの入りはまるでドラマを見るようであり、ワルターの雄弁な語り口を伝えてやまない。

ただ、オーケストラ(ロス・フィル)の合奏力はいま一つだ。

フェリアーとのマーラー『亡き子をしのぶ歌』は音質もクリアで、万々が一、チャイコフスキーの音質に堪えられなかったとしても、これだけでワルターのファンは元が取れると思う。

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2014年03月01日


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ホロヴィッツのレパートリーはかなり独特な広がりを見せていた。

ホロヴィッツによって初めてピアノのレパートリーとして広く認知された作品は、スカルラッティをはじめ、数多いが、クレメンティもそのひとり。

ホロヴィッツはスカルラッティやハイドンとともに、クレメンティのソナタに新風を吹き込んだ人といってもよい。

「教育用」のソナチネの作曲家というクレメンティのイメージを覆し、芸術作品として20世紀に蘇らせたのがホロヴィッツだった。

1955年録音の3曲を中心に収められているが、その明快で見事な音楽的息づきを感じさせる演奏は、クレメンティの音楽を見直させる。

クレメンティのソナタはホロヴィッツが弾き始めたおかげで市民権を得たような一面がある。

確かに平凡な演奏では味わえないような、豪快にして小気味のよい音楽として聴き手に迫ってくる。

彼ならではの桁違いの技巧と音楽性からこそ生み出されるのだ。

クレメンティ独特の極端な強弱法や煌びやかなパッセージ・ワークが、超人的な速さと力強さをもったホロヴィッツの華麗なピアノ奏法によって浮き立っている。

ヴィルトゥオーゾがクレメンティを弾くということは、何か理解しがたい部分があるかもしれないが、このホロヴィッツの演奏を聴くと、ヴィルトゥオーゾが弾くからこそ、それが面白いのだということを認識させてくれる。

クレメンティの本質も、時代こそ違うがヴィルトゥオーゾであったのだ。

その明快な演奏は大いに楽しめるが、クレメンティについては、他のディスクの中にもそれを含むものを見つけることができる。

いまやオリジナル楽器で演奏されることも多いクレメンティだが、ホロヴィッツのピアノによる演奏は「古典」の地位をキープし続けている。

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2014年02月27日


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ショパンは、ホロヴィッツが特に得意としたレパートリーのひとつだが、ジャンルにまとまった彼のショパン・アルバムは少ない。

このアルバムは、1949年から1957年までの録音から7曲を集めたモノーラル盤であり、ホロヴィッツ全盛期のショパンが味わえる。

彼の弾くショパンはあまりにも雄大で壮大、柔軟な表情付けとバリバリの男らしさを併せ持った独特な演奏は、当時の批評家の耳を翻弄したことは間違いない。

音質を含めて安定感にはやや欠けるが、独特の華麗なタッチと鋭いリズム感に、大胆な語り口を交えて進む彼のショパンは、実にドラマティックに展開する。

特に「ソナタ第2番」での驚くようなテンポ設定も聴きどころ。

「バラード第4番」「スケルツォ第1番」はスリルに満ち、聴き手の感覚に強烈に迫る魅力がある。

ショパンのピアノ音楽から即興的な妙味を引き出し、ホロヴィッツならではの世界を築いている。

注目は貴重な音源として知られている1949年録音の「バラード第4番」。

ホロヴィッツは発売を認めなかったが、何かのミスで市場に出てしまい瞬く間に消え去ったレコード。

その後EMI系からはLP、CD共に一度も復刻された事がなく、おそらくはこれが初復刻。

これのみスクラッチノイズが多いが、その他は実にクリアな音で再生されている。

よくも初期盤LPからこれだけの音を掘り起こすものだといつも感心させられる。

しかしここまでくるとイコライジング等、多少の人工臭…みたいなものも感じるが、そんな勘ぐりを起こさせるほど鮮烈な再生音である。

ファンには良し悪しを超えた価値を持つ1枚。

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2014年02月25日


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途轍もない超名演だ。

このような演奏こそは、人類が永遠に持つべき至宝であるとさえ言えるだろう。

本演奏におけるホロヴィッツのピアノはもはや人間業を超えているとさえ言える。

強靭な打鍵は、ピアノが破壊されてしまうような途轍もない迫力を誇っているし、同曲の随所に聴くことが可能なロシア風のメランコリックな抒情的旋律の数々においても、ホロヴィッツは心を込めて歌い抜いている。

その表現の桁外れの幅の広さは、聴いていてただただ圧倒されるのみである。

同曲は、弾きこなすのに超絶的な技量を有することから、ピアノ協奏曲史上最大の難曲であると言われており、ホロヴィッツ以外のピアニストによっても名演は相当数生み出されてはいるが、それらの演奏においては、まずは同曲を弾きこなしたことへの賞賛が先に来るように思われる。

ところが、ホロヴィッツの演奏では、もちろん卓越した技量を発揮しているのであるが、いとも簡単に弾きこなしているため、同曲を弾きこなすのは当たり前で、むしろ、前述のように圧倒的な表現力の方に賛辞が行くことになる。

このあたりが、ホロヴィッツの凄さであり、ホロヴィッツこそは、卓越した技量が芸術を凌駕する唯一の大ピアニストであったと言えるだろう。

人間業を超えた超絶的な技量を有していながら、いささかも技巧臭がせず、楽曲の魅力のみをダイレクトに聴き手に伝えることができたというのは、おそらくは現在においてもホロヴィッツをおいて他にはいないのではないか。

そして、本演奏を聴いていると、あたかも同曲がホロヴィッツのために作曲された楽曲のような印象を受けるところであり、それ故に、現時点においても、同曲については、ホロヴィッツを超える演奏がいまだ現れていないのではないかとさえ考えられるところだ。

ライナー&RCAビクター交響楽団も、このようなホロヴィッツの圧倒的なピアニズムに一歩も引けを取っておらず、感情の起伏の激しい同曲を見事に表現し尽くしているのが素晴らしい。

なお、ホロヴィッツによる同曲の超名演としては、オーマンディ&ニューヨーク・フィルをバックにしたライヴ録音(1978年)があり、指揮者はほぼ同格、オーケストラは新盤の方がやや上、録音は新盤がステレオ録音であるが、ホロヴィッツのピアノは本盤の方がより優れており、総合的には両者同格の名演と言ってもいいのではないだろうか。

また、本盤でさらに素晴らしいのは、XRCD化によって見違えるような高音質に蘇ったということである。

本演奏は今から約60年前の録音であり、モノラル録音ならではのレンジの幅の狭さはあるが、ホロヴィッツのピアノがかなり鮮明に再現されており、おそらくは現在望み得る最高の音質に生まれ変わった。

いずれにしても、同曲演奏史上最高の超名演をXRCDによる高音質で味わうことができるのを大いに喜びたい。

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2014年01月03日


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驚天動地の超名演だ。

ホロヴィッツは、最晩年に来日した際のコンサートでは、ミスタッチも多く聴かれ、高名な評論家からは「ひびの入った骨董品」との名批評を賜ったりしたが、本盤はホロヴィッツ壮年期の全盛時代の録音。

ホロヴィッツの人間離れした卓越した至芸を大いに堪能できるのが素晴らしい。

それにしても、何という超絶的な技量であろうか。

とても人間業とは思えないような強靭な打鍵、それと対照的な天国的とも言うべき繊細な抒情。

かかる桁外れの表現力の豊かさに緩急自在のテンポ設定を加えて、圧倒的な至高・至純の芸術作品を構築している。

特に、「熱情」の終楽章など、他のピアニストであれば、速いテンポと強靭な打鍵が重なり合うと、一つの音塊になって、ピアノタッチの一音一音が明瞭に聴こえないケースが多々あるが、ホロヴィッツの場合は、いかに強靭な打鍵であっても、いかにテンポが速くなっても、一音一音が実にクリアに聴こえるというのは驚異的であり、更に、終結部の猛烈なアッチェレランドにおいてさえもピアノタッチのクリアさを失わないのは、人間業を超えた圧巻の至芸と言える。

壮年期のホロヴィッツが凄いのは、その技量があまりにも超絶的であるため、技量と感性だけで勝負ができるということだ。

自らの感性の赴くままに卓越した技量を披露すれば、他のピアニストならば、内容の希薄な機械的演奏に陥ってしまいがちであるが、ホロヴィッツの場合は、それだけで大芸術作品になってしまうのだ。

壮年期のホロヴィッツこそは、技量が芸術を超えるという異次元のピアニストであった。

SACD化によって、ホロヴィッツのピアノタッチがより鮮明に再現される点も高く評価したい。

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2012年02月16日


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ラフマニノフの第3番は、ロマン派の名人協奏曲の中でもヴィルトゥオジティの醍醐味を最も強く感じさせる作品。

この演奏は、ホロヴィッツのこの作品の録音のなかで最も古いものであり、音質的にはかなり古くて情けないものである。

しかし、そこでは、若き巨匠の火花が飛び散るような神技が発揮され、それが聴き手を文句なしに圧倒してしまう強烈な表現が展開されている。

まさに壮絶な名演であり、20歳代の若きホロヴィッツの鋼鉄のようなタッチと恐ろしいほどの集中力は、見事と言うほかはなく、すべての聴き手をあきれさせることだろう。

若きホロヴィッツは、あり余るほどの余裕を感じさせるその桁外れにパワフルなテクニックをうならせて、このブリリアントで演奏困難な大作を他に例がないほど鮮やかに弾ききっているのである。

両端楽章に示された絶対に疲れをみせないテクニックとヴァイタリティの凄さは、確かに人間離れしたものであり、中でも第1楽章の長大なカデンツァに示された圧倒的なテクニックの冴えは、彼の独壇場といえる世界である。

このテンポをクリアできるのはホロヴィッツくらいだろう。

それほどテンポは速い。

しかしそれでもなおかつ表現には余裕があり、テクニックにも乱れがない。

力強さと繊細さ、そしてスケールの大きいロマン性を痛感。

同曲の魅力を知るうえでは不可欠な演奏だ。

この録音には、ホロヴィッツの最高の栄光を見出すことができる。

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2011年07月31日


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ピアノ協奏曲第3番(1951年盤)は、ホロヴィッツ最盛期の名演であり、この曲の歴史的名演に数えられる。

ホロヴィッツのこのモノーラル録音が放つ閃光は、約60年を経た現在でも未だ少しも衰えない。

凄絶なテクニック、鋭い切れ味、表現の振幅の大きさ、表出力の鋭さ、すべてにわたってこのピアニストの類いなく冴えわたった感覚を伝える演奏となっている。

あるいはこの協奏曲の古今の諸ディスク中、ラフマニノフの自演盤と並び最右翼の原点に位置するものともいえるだろう。

ホロヴィッツは、独特の華麗なタッチにより、ときに大胆な語り口を交えて弾き進めながら、ラフマニノフの華やかなピアニズムと、哀愁を帯びたロマンティシズムを、豪快なスケールで描く。

豊かな詩情の湧出はあっても感傷的な弱々しさは微塵もなく、一貫して鋭敏な感性とシャープさを基本とし、少しの緩みもない曲運びをみせる。

ライナーのサポートも引き締まり、ここにはエモーションに流されることなく徹底して凝集力のあるラフマニノフの美が結像している。

ラフマニノフの第2ピアノ・ソナタには、かなり長大な1913年初版と、それから彼自身が規模の上で短縮した1931年改訂版とがある。

最近の若いピアニストや学生たちは、その双方のいずれかを使って、かなり数多くとりあげるようになっている。

ホロヴィッツにとっては、この作品は早くからレパートリーの一つとなっているが、彼の場合、その2つの版から彼独自のエディションをつくり出しており、華麗な技巧を駆使し、しかも構成的にも初版よりも緊張感を高めたものとなっている。

それは、まさに魅力的で、そのライヴとしては、1968年盤も残されているが、この1980年盤は、晩年の円熟が最もよいかたちで表れたもので、他の追随を許さぬ境地だ。

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2011年06月22日


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ホロヴィッツが岳父トスカニーニと共演したチャイコフスキーはこの曲を語るときに決して忘れることの出来ない名盤である。

筆者の考えではこの名作の現在までの最高の演奏であると同時に、ホロヴィッツが残した膨大な量の録音の中でも、その頂点にランクされる名演である。

ホロヴィッツは、驚嘆すべき技巧、鋭いタッチで圧倒するばかりでなく、ホロヴィッツ特有のアクセントの付け方が、ここではすべて曲の内的論理に適っており、聴き手の心に一音一音が突き刺さってくる。

かなり速めなテンポが設定されたこの演奏では、ホロヴィッツがそれを少しも苦にせずに唖然とするような快演を展開しているが、トスカニーニとの極限まで緊迫した対話から生まれる白熱的な緊張感は、この演奏そのものが作品を高濃度のエネルギー体に昇華させているかのような印象さえも抱かせる。

フィナーレなどは、とくに時間が一瞬に凝縮されたと思えるほどの燃焼度を示しており、信じられないような熱気を放っている。

ホロヴィッツの《展覧会の絵》には1947年のスタジオ録音もあり、演奏の完成度ではそちらをとるべきかもしれないが、より彼らしい白熱した演奏はこちらの1951年のカーネギー・ライヴであろう。

ヴィルトゥオーゾ・スタイルを貫きながら、変幻自在のタッチによってそれぞれの絵をまるで手に取るように表現していく。

そこには空疎感は微塵もなく、聴き手は彼の自由に飛翔するファンタジーにただ心を奪われるばかりだ。

最後の〈キエフの大門〉では自ら編曲を加え、より演奏効果が上がるように工夫されている。

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2010年06月13日


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1978年のアメリカ・デビュー50周年記念公演のライヴ録音であったラフマニノフ/ピアノ協奏曲第3番以来、久々のホロヴィッツの協奏曲録音で、ジュリーニ&スカラ座o.との初顔合わせという話題盤。

協奏曲、ソナタ共にホロヴィッツの初録音。

名ピアニスト、唯一無二の存在であったピアニスト、ホロヴィッツの最晩年の録音である。

『Horowitz plays Mozart』というジャケットの表示が、この演奏の本質を見事に言い表わしている。

このディスクがリリースされた時"モーツァルト演奏・解釈"としての正統性についての論議が展開された。

しかし、モーツァルト演奏の常識とは大きく逸脱した演奏でありながら、ホロヴィッツの天真爛漫で奔放な音楽の語り口には抗し難い魅力と魔力がある。

そして、この不可思議なホロヴィッツ・マジックを聴き終えた後には、やはりモーツァルトの音楽の美しさ(それは聖なるものと魔の双方が秘められている)を感じている自分がいるのである。

ホロヴィッツのソロは右手の楽句にかなりルバートがかかっているが、それは彼自身の主張によれば、モーツァルトの真意に沿ったものであり、同じように左手の安定した動きが造形の基礎を守っている。

音楽に強い緊張感をもたせた上で、強弱の明確な変化、自在なアーティキュレーションでモーツァルトの意図を生かそうとしている。

ソナタもモーツァルトに対するホロヴィッツの主張がいっそう直截に反映されている。

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2008年12月05日


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ライヴならではのことだが、冒頭この巨匠が聴衆を演奏に引き込む様子が手にとるようで興味深い。

英国国歌から「幻想ポロネーズ」へと流れ込むその瞬間、まさに会場は日常的な集まりの場から、ある特別の場へと変質し、あとにはホロヴィッツが自在に音楽をするパーフェクトな空間が出現する。

その呼吸の見事なこと。ショパンでは音楽にはばたく翼を与え、シューマンでは情感の細やかにすくい上げている。

ことにホロヴィッツは「子供の情景」を何度も録音しているが、この1982年にロンドンで行なったライヴが絶品である。

このホロヴィッツの演奏には、普段、柄の大きい演奏をおこなっているピアニストが故意に背中をまるめてひいたようなところがなく、素直に音楽に反応した好ましさが感じられる。

老爺の、高雅にして深遠、フモールの混在した妙なる語りに耳を傾けているような思いがする。

ホロヴィッツの演奏には、彼の感性の閃きが個性的に表れている。

彼自身のとくに好んだ作品のひとつということで、慈しむような表情もみられるが、それよりも、技巧的な冴えの際立つ端正な美しさが印象深い。

磨き上げられた極上の音で綴られた「子供の情景」というべきか。

ラストは十八番のスクリャービンで、疾風怒濤のごとく締めくくられる。

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2008年10月26日


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この曲の場合、第1楽章は素晴らしいのだけど、続く2つの楽章が今一つ第1楽章の鮮烈なインパクトゆえに多くのピアニストはここで燃焼しつくしてしまうのだろうか。

その上壮大な作りが要求される第2楽章と静謐感と詩情の漂う第3楽章が続くという構成は確かに厄介なのかもしれない。

それでいて計算が先にたつと分別臭くなるし、そうなると詩情もなにもなくなって全体の鮮度が落ちて作品そのものが死んでしまう。

以上の問題を解消してなおのこと感銘を与えるものは…。

ホロヴィッツが12年間という沈黙を経てカーネギー・ホールでカムバックを遂げた、かの記念すべきライヴ。

スタジオ録音では味わえない迫真の演奏である。

冒頭から第3楽章の最後の闇に消えゆくアルペジオに至る全ての音が清流のように澄みきっている。

完璧な技巧に支えられた精緻な表現も素晴らしいが、その真剣勝負にも似た鋭い気迫には圧倒されてしまう。

ライヴでのミスもあるが、音楽のひらめきと、ファンタジーの飛翔、広がりに引き込まれる。

動きがあり、鋭敏でしなやか。そして細部まで響きを設計し、磨き上げた、ほとんど危ういような、特異の芸術だ。

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2008年10月25日


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1968年にカーネギー・ホールでテレビ放送を目的として行われた公開のリサイタルでの収録。

演奏活動に復帰してから3年、まだホロヴィッツが衰えをみせない時期の演奏である。

ここではホロヴィッツのテクニックはまだ衰えを見せておらず、しかも音楽表現については、いわゆるヴィルトゥオーゾ・スタイルから晩年の深く美の世界に沈潜する様式へと移り変わる過渡期にあり、そうした表現が技巧と一体となって極めて雄弁な演奏を作り上げている。

なかでも、磨き抜かれたバラード第1番、寒風が吹き荒ぶようなポロネーズ第5番など、それぞれの作品を語るうえで忘れることの出来ないもの。

得意とした2つのスカルラッティのソナタも聴きもの。

だが、注意深く聴くと冒頭のバラード第1番や夜想曲第15番、ポロネーズ第5番などで以前より強弱と緩急の対比が強調され、テンポの遅い静かな楽想をことさら入念に表出しようとしている印象を受ける。

耽美的な傾向をいっそう強める晩年のスタイルがみえはじめている。

そして、最後を自らの編曲したアンコール・ピースで閉じるという心憎い配慮がなされている。

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2008年10月20日


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ホロヴィッツがRCAに録音したリストを集めたもので、ホロヴィッツの弾くリストの凄まじさを目のあたりにできるアルバムである。

ホロヴィッツが最も面目躍如としていた「メフィスト・ワルツ」は、人間を嘲笑するかのようなこの作品にホロヴィッツぶしを交えつつ、躍動的に、華麗に演奏していて、凄まじいの一語につきる。

またソナタでも、緩急自在の呼吸が鮮やかで、実に豊かな表情を見せ、ホロヴィッツの巨匠ぶりを伝えている。

「あらゆる概念を超えて、美しく、好ましく、深刻で気高い」とワーグナーが評したとおりを、見事に再現した演奏である。

1977年、ホロヴィッツ73歳の時のライヴ録音だが、その超絶的なテクニックは相変わらず凄い。

しかも、スケールが大きく、すこぶる音楽性の高い表現となっているあたりは、この人ならではのものだ。

リストがこの曲に盛り込んだ詩的情緒を、きりりとした緊張感をもって弾きあげている。

ボレットのヴィルトゥオジティが19世紀型なら、ホロヴィッツは20世紀型のヴィルトゥオーゾだ。

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2008年09月28日


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ホロヴィッツは非常に速いテンポでさっそうと弾きまくっている。力強く、逞しく、技巧の冴えは驚くべきものだ。

第三者的に聴くならば、およそブラームスらしくない豪快な演奏で、ホロヴィッツの全盛時代(1940年にホロヴィッツは36歳)の正確無比でピアノを華麗に鳴らしての演奏は、それだけで耳を楽しませてくれるが、さらにトスカニーニの指揮がこの作品のロマン性を表面に出して、しかもオーケストラを強烈に響かせる。

ブラームスの渋さなどは飛び散って、ともかく面白い演奏だ。

じっくりと聴きたいならばやはりR・ゼルキンあたりが妥当だろうが、20世紀の代表的巨匠2人が組んだ録音として、このホロヴィッツ=トスカニーニ盤は次世代でも聴かれよう。

チャイコフスキーは同曲のベスト・ワンといってよい演奏。トスカニーニは絶好調で、ホロヴィッツも脂が乗り切っている。

鋼のように力のあるタッチとリズム、腕が鳴るような技巧の冴えが人間業を超え、終楽章のコーダに至っては超人の凄まじさを見せる。

ホロヴィッツとトスカニーニという芸術家が一歩も譲ることなく拮抗し、己れの主張を行う様はまさに凄絶という他はない。

両者の対決は汗を握るばかりだが、聞こえてくる音楽はチャイコフスキーそのものである。

この曲を語る上で決して忘れることのできない1枚だ。

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2008年09月21日


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ラフマニノフ没後25周年記念演奏会他のライヴ録音を元に制作したアルバム。

自らもピアニストであったラフマニノフのグランド・マナーが生き生きと甦ってくる演奏だ。

それは同じ血をひく音楽家としての作品への共感と無関係ではないだろうし、特にソナタ第2番は熱気をよく捉えている。

今でこそ第2番のソナタはメジャーになっているが、このレコードが出た当時はほとんどホロヴィッツの専売特許のようなものだった。

ホロヴィッツの十八番ともいえる作品で、実際に演奏した体験を踏まえて作曲者に改作をすすめた。

ラフマニノフがそれを果たさないうちに他界したため、ここでは両者の話し合いをもとにホロヴィッツが手を加えた演奏をしている(1913年版と31年の改訂版をもとにホロヴィッツ自身が手を施したもの)。

引き締まった構成と絢爛なテクニックを配し、原曲以上の魅力と生彩を引き出している。

この曲の華やかな効果とその中にひそむ熱い感情を引き出した演奏は見事というほかはない。

曲頭の数十秒を聴けば、雷に打たれたような衝撃を覚えるはず。

ラフマニノフの、というよりホロヴィッツのピアニズムを濃縮した印象。

他の小品も素晴らしく、すぐれた解釈者としてのホロヴィッツが示されている。

秘曲「楽興の時」第3曲の叙情的な美しさや滋味、「音の絵」第9曲での聴く者を熱狂させずにはおかない高揚感など、最後まで圧倒し、魅了し続ける充実のアルバムである。

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2008年07月18日


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ヴラディミール・ホロヴィッツはピアノ演奏芸術の最後のロマンティストと謳われる不世出の大ピアニスト。

卓越したテクニックと華麗な表現で魅了し、晩年は自在に揺れ動く情感を美彩な音に託して滋味あふれる演奏を聴かせた。

このアルバムは、61年ぶりに祖国に里帰りして熱狂的な歓迎を受けた82歳の天才ピアニストがモスクワ音楽院大ホールで開いた生涯最も記念すべき演奏会の記録。

歓呼と涙、愛と賞賛にみちた心あたたまる拍手につつまれた感動のライヴである。

スカルラッティ他、いずれも好んで演奏したきた曲ばかり。息を呑むほど美しい響きで紡ぎだされた深い詩情とファンタジーは、音楽の精霊がうたうロマンそのものを思わせる。

出だしから響きの美しさと輝かしさで耳を奪う。音楽の流れも自然で余情が漂い、スカルラッティの詩とホロヴィッツの歌心が感じられる魅力たっぷり。

得意中の得意であるスクリャービン、ショパン、リストは余裕しゃくしゃくたる演奏ぶりで、ファンタジーに富み、ポエジーも豊か。

多くの演奏家が言うコンサートの魅力、聴衆との交流を実感させてくれる、巨匠ならではのライヴだ。

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2008年05月05日


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バッハと同時代にスカルラッティがチェンバロのために作曲した珠玉のように美しいソナタは、現在ではスコット・ロスの偉業ともいうべき全集で全曲が聴けるようになったが、スカルラッティの独特の魅力を湛えたソナタの普及に最も貢献したのはホロヴィッツであり、さまざまな機会に録音している。

ピアノの超絶技巧というのは、指がよく動くことだけではない。

ピアノという楽器からどれだけ多彩な音色と表情を描けるかということが最も大切なことである。

ホロヴィッツのピアニストとしての完成度はその音色の多彩な美しさにあり、それを最もよく示し出しているのがスカルラッティを弾く彼である。

絶妙なタッチから生まれる軽やかな音たちが織り成すスカルラッティだ。

もちろん、これらのソナタはホロヴィッツがヴィルトゥオーゾ風の名人芸を聴かせる舞台ではない。

その薄く透明な作品のテクチュアは、まさに1音のコントロールによって音楽の表情を変える。

全17曲のソナタはいずれの曲においてもその表情は驚くほど新鮮で、これらが3世紀もの昔にチェンバロのために書かれたとは信じられない思いがする。

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2008年03月19日


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1989年11月5日、心臓発作のためニューヨーク東94丁目の自邸で亡くなったホロヴィッツの、文字通り最後のレコーディング。

いずれもホロヴィッツが愛奏した作曲家の作品が収められているが、意外にも全曲初レパートリーで、ことにリストの「イゾルデの愛の死」はコンサートでも一度も採り上げなかったものである。

冒頭のハイドンから、なんと新鮮で自由闊達な響きだろう。

そして伸びやかに紡ぎ出される表情の生き生きとした息づかいの素晴らしさ。

ホロヴィッツは1音1音に陰影に満ちた表情を与えながら、このうえない素直さで、ハイドンの音楽の無垢の姿を描き出す。

生涯愛奏し続けたショパンには、彼ならではの華やぎが豊かにある。

この演奏は生きることの素晴らしさを伝える彼のメッセージであり、音楽する喜びに満ちている。

なお、ライナー・ノーツにペライアの追悼文が寄せられている。

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2008年03月14日


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「グランド・ソナタ」が表現の幅の広い実にスケールの大きな演奏であり、ホロヴィッツの持ち味が存分に発揮されている。

「フモレスケ」は止まることを知らずにうつろいゆくテンペラメントの表情も豊かで、即興的な趣を感じさせる。

そうした自在感はほかの曲においても強く支配しており、いずれをとってもまさしくホロヴィッツからしか聴けないシューマンだ。

「子供の情景」は自由奔放、即興的に多彩な表現を繰り広げ、各曲の性格を浮き彫りにして楽しませてくれる。

「クライスレリアーナ」は磨かれた響きでシューマンのロマンの世界、耽美な世界を鮮烈に再現してみせてくれる。

「トッカータ」など珍しい作品も入っているが、どの曲もホロヴィッツがシューマンの曲をごく身近なものとして所有し、その世界で自在にシュピレーン(演奏・遊び)している。

そこに聴き手は思わず引き込まれてしまう。

そうした自然な語り口こそホロヴィッツ一流のものであり、曲の流れの読みもさすがで、シューマンの内へと向かう炎が見事に外側に反射・投影されている。

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2008年02月26日


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協奏曲は1978年1月、ホロヴィッツの「アメリカ・デビュー50周年記念コンサート」のライヴ録音である。

この曲は古今のピアノ協奏曲の中でも屈指の難曲として知られる。

ところがホロヴィッツは若い頃からこの曲を得意中の得意にしており、ラフマニノフは「この曲を完全に消化している」と脱帽した。

この難曲を《見せ物》にしてしまうホロヴィッツの恐ろしいまでのヴィルトゥオジティは圧巻。

つまりホロヴィッツの代名詞といえる曲なのである。

彼にとって協奏曲を手がけるのは25年ぶりなだけに、この演奏にかける意気込みは並々ならぬもので、とても73歳の高齢とは思えない、スケールの大きな、打鍵のしっかりとした演奏である。

若い頃に比べるとテクニックの面でやや弱さはあるものの、深々とした呼吸で、ラフマニノフの曲のもつ暗い情熱を濃厚に表出している。

テンポは以前の録音よりいくぶん落ちるが、表現力はその分増している。

叙情的フレーズをジェントルに歌いまわすかと思えば、超絶技巧をワイルドにうならせる。

このピアニストの神技の凄味をたっぷりと楽しませてくれる壮絶な演奏なのである。

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2008年02月16日


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ショパンはホロヴィッツが生涯を通して弾き続けたレパートリーだった。

彼のショパンの演奏の特徴は、どんな場合であれそれぞれの作品に即して華麗なドラマを演じきることにある。

そこではショパンの作品とホロヴィッツがまさに一心同体となるのだ。

ホロヴィッツのショパンは特にこのような小品において、表現が生み出す陰影の美しさに強く印象付けられる。

そして、それぞれの曲の性格によって、いろいろな表現の意志(いわばゆとり)がよく伝わってくるのが面白い。

この場合そのゆとりが重要なポイントで、彼の演奏はショパンに限らず強い即興性を帯びる。

それが実によく現れたアルバムだ。

ショパンのピアノ音楽から即興的な妙味を引き出し、ホロヴィッツならではの世界を築いている。

世にショパン弾きと呼ばれるピアニストは少なくないが、ホロヴィッツの魅力は別格といわねばならない。

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2008年01月12日


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ホロヴィッツが一番得意とし、また彼以上にすぐれた演奏を求めることの出来ないスクリャービンの集成だ。

ホロヴィッツのスクリャービンは他の追随を許さぬものがある。いかなるオーセンティックな演奏といえども、これほど鮮烈かつ華麗に鳴ることはない。

収録時期が異なる4つのアルバムからのCD化なので、音質の違いが気にならぬではないが、ホロヴィッツの弾くスクリャービンの魅力に惹かれ、それを愛するファンにとっては、何ら問題にならないだろう。

BMGビクター盤とソニーレコード盤、それぞれ曲がほとんど重複しないのも、ファンにとってはありがたい。

スクリャービンを弾くピアニストは今や少なくないが、ホロヴィッツの演奏には何ともいえぬ魅力が漂っている。

精妙な響きを的確にとらえてみせるテクニックと、響きの背後にあるスクリャービンの常ならぬ情念をとらえてしまう感性、このふたつによって、ホロヴィッツは余人には充分描き出すことのできないスクリャービンの世界を聴き手の前に具現してみせる。

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病気のために1953年以来コンサート活動の停止を余儀なくされていたホロヴィッツが、実に12年振りに開いた記念碑的リサイタルのライヴ録音。

滅多にバッハをとりあげない彼が、その作品からリサイタルを開始しているあたりに、並々ならぬ決意をみることができる。

シューマンの幻想曲は、ホロヴィッツの得意とする曲なだけに、磨き抜かれた精緻な表現も素晴らしいが、その真剣勝負にも似た鋭い気迫には圧倒されてしまう。

長い空白の後での緊張や戸惑いと、技巧的な乱れも散見されるが、この偉大なピアニストの復帰を、聴衆は心からの拍手で迎えている。

その翌年にはコンサートを3つ開いた。

前年の復帰リサイタルではまだ完全に取り戻せないと感じさせた演奏の自然な流れが、ここでは完全に復帰した。

素朴に躍動するハイドン、流麗に歌い進められるモーツァルトは鮮明な印象を与える。

ドビュッシーの「喜びの島」は、この曲の華麗な気分を、すこぶる情熱的に表現した演奏で、神秘的かつ官能的な味も十二分に表出しており、風格をもった演奏となっている。

また、リストの「オーベルマンの谷」のような近代的ピアノ演奏技巧を発揮した作品でも、そこに流れる感情を鮮やかに浮き上がらせていて、ホロヴィッツのライヴ中、特にすぐれたものだ。

いずれもスタジオ録音では味わえない迫真の演奏である。

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2007年12月19日


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ホロヴィッツは、特に晩年のライヴで賛否両論を巻き起こしたが、全盛期までの彼は20世紀最大のヴィルトゥオーゾであったことは間違いない。

このCDの最大の聴きどころは、ホロヴィッツ傑作中の傑作である「展覧会の絵」だ。

よりピアニスティックな効果を上げるために随分と音を足していて、ホロヴィッツのブラヴーラな面が最大限に発揮されており、圧巻の「キエフの大門」での迫力は言語に絶する。

ホロヴィッツの編曲は、まるでラヴェル編曲の管弦楽版から再アレンジしたような雄弁さを持っており、そこにホロヴィッツ全盛期のピアニズムと多彩な表現力が加わって、一段と素晴らしさが増している。

ラフマニノフのピアノ協奏曲第3番は他のピアニストの追随を許さない、ひょっとしたらラフマニノフの自作自演すらも寄せ付けないベスト演奏。

ホロヴィッツの真に巨匠風な演奏は、この作品をアメリカ演奏旅行のために書いたラフマニノフのそれを思い浮かばせるに充分だ。

もはや「ホロヴィッツの曲」といっても過言ではないかもしれない。

後年の演奏よりもいくぶん速いテンポで、若々しい仕上がりだ。

フリッツ・ライナーの指揮は絶好調で、ホロヴィッツも脂が乗り切っている。

鋼のように力のあるタッチとリズム、腕の鳴るような技巧の冴えが人間業を超え、第2楽章から第3楽章にかけてと、第3楽章のコーダに至っては超人の凄まじさを見せる。

またホロヴィッツはプロコフィエフやバーバーのモダンな感覚の音を、まことにピアニスティックに響かせて、作品への本当の共感を寄せた演奏を聴かせる。

作品は隅々まで解釈されつくしており、無意味に響く音はまったくといってよいほどない。

同時代の抜きんでた解釈者としての、ホロヴィッツのすぐれた一面がはっきりと確認できるし、その演奏のもつ説得力も抜群だ。

他の曲も颯爽たるテクニックを駆使して軽々と弾ききっている。

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