グールド

2017年03月20日


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ブリューノ・モンサンジョンが編集したグールドとの対話集で、それぞれが異なった機会に収録され、彼の音楽的な構想のみならずラジオ番組の制作や私人としての日常生活など多岐に亘った内容が盛り込まれている。

先ず驚かされるのはグールドが殆んど饒舌とも言えるくらい良く話すことで、決して寡黙な芸術家ではなかったことだ。

また彼一流の話術を持っていて、どのような質問にも答えをはぐらかすことなく、真摯にしかも常に要領を得た語り口を披露している。

彼はまた聴衆やマスコミによって捏造された自分へのイメージの払拭も試みている。

彼の演奏中の身体を使った大袈裟とも思えるジェスチャーは、意識的であれ無意識にであれ頭脳に描いた音楽を最大限忠実に音に変換するための手段であり、決して聴衆へのパフォーマンスではないことを断言している。

はっきり言って彼は聴衆の反応などには全く無関心で、如何に音楽そのものの世界に自分を埋没させながら、理想とする表現の実現を貫徹するかということだった。

「私にとって聴衆は目的に向かう道の障害物だ」という言葉も象徴的だ。

本書の第2部として仕立てられたバーチャルなラジオ座談会ではグールドの哲学が彼自身によってかなり具体的に説明されているだけでなく、彼に起きたエピソードの釈明にも余念がない。

指揮者ジョージ・セルとの確執も興味深く、彼は表現上セルに敬意を払いつつも、実質的にこの巨匠をこき下ろしている。

グールドがクリーヴランド管弦楽団とのコンサートで弾く筈だったシェーンベルクのピアノ協奏曲はセルの意向で省かれた。

彼によればセルは新ウィーン楽派にも全く興味がなかったし、この協奏曲も勉強していなかった。

もう1曲のベートーヴェンのピアノ協奏曲第2番のリハーサルでは椅子の高さの調節と弱音ペダルの使用でセルとの関係は決定的な決裂に至る。

『タイム』誌にはセルが「私が自分の手であなたの尻を5ミリほど削ってあげますよ。もっと低く座れるようにね」と言ったことが掲載され、グールドはその言葉が実際にセルから出たことを突き止める。

その後セルへの追悼文を掲載した『エスクワイア』誌では「そういうばかばかしいことを止めなければ(椅子の調節に夢中になっているグールドに対して)君の尻の穴に、椅子の脚を一本突っ込みますよ」に変形されていた。

グールドは録音芸術という形態を徹底的に追究した稀に見る音楽家だった。

つまり彼は聴衆を排して録音するだけでなく、1曲を構成し仕上げるために準備しておいた多くのテイクを切り貼りして彼が理想とする音楽に近付けた。

楽章ごとに異なった時期に録音し、異なったピアノを使ったベートーヴェンのソナタを、あたかも1台の楽器で通し演奏したかのようにグラフィック・イコライザーによって編集することも厭わなかった。

しかしそんなことを何の臆面もなく語ること自体、グールドの新時代への音楽への構想が如何に明確で具体的だったかを示しているのではないだろうか。

対話の内容は音楽的な話題を含めてかなり高度で込み入っているが訳出は良くこなれていて理解し易い。

また掲載されている少年時代から亡くなる少し前までの多くのスナップ写真は素顔のグールド像を捉えている。

エクセントリックでありたいとは思いもよらなかった彼が、自分自身に正直に生きれば生きるほど、逆に他人からはますますエクセントリックに見えてくるというパラドックス的人生がややもすれば滑稽だ。

いずれにしてもグールドの演奏は勿論こうしたエピソードを知らなくても充分鑑賞できるし、彼の創造する音響力学からその素晴らしさを感じ取ることも可能なのだ。

しかしながら伝説的に伝えられている彼の表現の源泉を知る上では非常に示唆的な対話集と言えるだろう。

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2015年10月15日


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カナダの鬼才グレン・グールドは、バッハと並んで新ウィーン楽派、中でもシェーンベルクに傾倒していた。

その熱い傾倒ぶりは本作で聴くことのできる一連の独奏曲のほかにも、グールドはシェーンベルクが書いたピアノを含む作品を、協奏曲、室内楽曲、歌曲にいたるまで録音していたことからも窺えよう。

これについては彼自身の著書で、10回に亘るラジオ放送番組のためにまとめられた『ラ・セリー・シェーンベルク』を読むに越したことはないが、単純に言って彼はある一定の厳密なルールに基いて構成される音楽や、そこから生み出される音響に強い関心を持った演奏家だったと言えないだろうか。

それによって彼の対位法への探求、特にバッハに捧げた無類の情熱も説明できるだろう。

ここに収録されたシェーンベルクのソロ・ピアノのための6曲の作品全集は、作曲家の無調から12音技法に至るセオリーがグールドによって高度に具現化されたアプローチだと思うし、また現代音楽への入門者にもその鮮烈な音響を体験する意味でも是非お薦めしたい1枚だ。

グールドの明晰なタッチは、作品の多層的な響きを解きほぐし、シェーンベルクの音世界を清新に表現している。

『ピアノ組曲』作品25でシェーンベルクはバロック組曲の形態を借りて12音技法で作曲しているが、グールドはこのようなクロスされたセオリーに嬉々として挑戦し、そこに独自の表現と奏法を発見している。

また『5つのピアノ曲』の「ワルツ」でもリズムにその舞踏の片鱗を留めさせながら、人間の感情の発露とは対極にある怜悧な完全主義者の思考回路を巧妙に反映させた演奏が秀逸だ。

1958年から65年にかけてニューヨークのスタジオにおいてステレオ録音された音源で、音質は極めて良好。

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2015年10月03日


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グレン・グールドが聴衆の前から忽然と姿を消して、専ら録音や録画というメディアのみを通して独自の芸術を模索し始めたのは1964年からで、その理由は会場の音響や聴衆の反応によって、あるいは演奏者自身の精神的な高揚などで変化し得る音楽の刹那的な表現を嫌ったからだ。

グールドが日頃から温め、準備してきた音楽的構想が実際のコンサートという場で、それとは異なるものが偶発的に表れてしまうことが彼には堪えられなかったのだろう。

鑑賞する立場からすれば、むしろ演奏者の高揚や一期一会の演奏にライヴの面白みがあると思うのだが、グールドはこの現象を誰よりも厳格に受け止めて、至高の芸術のためには避けるべき演奏形態だという結論に達したようだ。

それは一瞬にして消え去っていく宿命を持った音楽芸術への挑戦でもあった筈だ。

その後の彼はこのポリシーを徹底させて生涯変えることがなかった。

その意味で彼は演奏形態においても革命家であり、録音という現代になって初めて可能になった伝達手段に敏感に反応し、絶大な信頼を置いた最初の、そして殆んど唯一のピアニストだったのではないだろうか。

勿論グールドはピアノ奏法でも革新的なテクニックを編み出さずにはおかなかった。

中でも対位法への傾倒と声部を独立させる奏法の確立には尋常ならざる情熱が感じられるが、このセットに収められた81枚のCDには彼の音楽に対する孤高の哲学と精神性が示されている。

前回2010年にリリースされた豪華なグールド・バッハ作品集を既に購入した者としては、バッハを除いて欲しかったというのが正直な感想だ。

と言うのも今回の81枚のCDのうち38枚にダブりが出てしまうからだが、バジェット価格でのDSDリマスタリングとコレクション仕様の限定盤という触れ込みに負けて買ってしまった。

尤もバッハ作品集はこのセットには付いていない6枚のDVDがセールス・ポイントだったので、これが現在までに1度ならずもリリースされたグールド全集の決定版だと思えば、ダブりには目を瞑るだけの価値はある。

当然音源の年代や保存状態によって差はあるが、確かにピアノの響きから雑味が払拭されたようなクリアーな音質が再現されていて、これはリマスタリングの証左だろう。

特に今回は普段それほど聴いていなかったシュヴァルツコップを始めとする声楽家の伴奏や、ヒンデミットの一連の室内楽などにソロとは一味違うグールドの一面を改めて知った。

決して長いとは言えなかった彼の全盛期にこうした多彩なアンサンブル作品を遺してくれたことにも感謝したい。

余人には真似のできない境地を拓いたピアノ界の全く新しい使徒としてのグールドへの評価は今や定着しているが、オールド・ファンだけでなく、グールドを過去のピアニストと捉えている若い世代のクラシック・ファンにも見直されるべき内容を誇っていることを疑わない。

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2015年09月21日


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本盤に収められたバッハのゴルトベルク変奏曲は、鬼才とも称されたグールドによる最後のスタジオ録音である。

グールドは、かなり以前から公の場での一切のコンサートを拒否してきたことから、本演奏はグールドによる生涯における最後の演奏ということにもなるのかもしれない。

グールドは1955年に、ゴルトベルク変奏曲のスタジオ録音によって衝撃的なデビューを遂げたことから、偶然であったのか、それとも意図してのことであったのかは不明であるが、デビュー時と同じ曲の演奏によってその生涯を閉じたと言えるところであり、これはいかにも鬼才グールドならではの宿命のようなものを感じさせるとも言える。

実際に新旧両盤を聴き比べてみるとかなりの点で違いがあり、この間の26年間の年月はグールドにとっても非常に長い道のりであったことがよくわかる。

そもそも本演奏は、1955年盤と比較すると相当にゆったりとしたテンポになっており、演奏全体に込められた情感の豊かさや彫りの深さにおいてもはるかに凌駕している。

斬新な解釈が売りであった1955年盤に対して、本演奏は、もちろん十分に個性的ではあるが、むしろかかる斬新さや個性を超越した普遍的な価値を有する演奏との評価が可能ではないかと考えられる。

いずれにしても本演奏は、バッハの演奏に心血を注いできたグールドが人生の終わりに際して漸く達成し得た至高・至純の境地にあると言えるところであり、本演奏の持つ深遠さは神々しいとさえ言えるほどだ。

まさに、本演奏こそはグールドのバッハ演奏の集大成とも言うべき高峰の高みに聳える至高の超名演と高く評価したい。

これほどの歴史的な超名演だけに、これまで何度もリマスタリングを繰り返してきているが、ベストの音質はシングルレイヤーによるSACD盤である。

音質の鮮明さ、音圧の凄さ、音場の幅広さなど、いずれをとっても一級品の仕上がりであり、グールドのピアノタッチが鮮明に再現されるのは、殆ど驚異的であるとさえ言える。

グールドの鼻歌までが鮮明に再現される本SACD盤こそ、グールドの至高の芸術を最も鮮明に再現しているものとして大いに歓迎したい。

いずれにしても、グールドによる素晴らしい名演をシングルレイヤーのSACDによる高音質で味わうことができるのを大いに喜びたい。

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2015年06月11日


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独自の奏法やその風貌、そして芸術観だけでなく生涯そのものでもオリジナリティを貫いたグレン・グールドが、わずか30年足らずのキャリアの期間にバッハだけでもディスク44枚分の録音及び録画を遺していたというのは驚異的な事実である。

それはまたグールドが如何に対位法の音楽やそのテクニックに傾倒していたかの証明でもあるだろう。

そしてグールドはその迷路のような狭間に分け入って、それぞれの声部をより効果的に感知させる怜悧で不思議なピアノ奏法を編み出した。

グールド自身が意識していたか否かに拘らず、その強烈な個性がともすれば息詰まりになっていたバッハの音楽に新しい生命を吹き込んで、その後の演奏家に幅広い解釈の扉を開いた功績は大きい。

一方で彼は演奏の一回性に疑問を持っていた。

言うならばそれぞれのコンサートごとに変化する、あるいは聴衆を満足させる演奏ではなく、逆に聴衆を介さない自己の最大限の集中力の中での再現を試みようとした。

少なくとも彼は1964年以降公衆の面前から姿を消した。

音楽家の中には録音芸術を虚構として嫌う人達も少なくないが、彼は果敢にも録音を通してのみその本領を発揮しようとした新時代のピアニストであった。

そうした意味ではこの膨大な記録に彼の直截的なメッセージが託されていると言ってもいいだろう。

とにかく現段階で入手可能なグールドのCBC、コロムビアへのバッハ録音が網羅されている。

中心になるのは曲目構成、ジャケットと共に初出時のオリジナルLPを再現した27枚のCDで、このうちにはカップリングの関係でベートーヴェンの2曲の協奏曲も含まれている。

またグールドがセンセーショナルなデビューを飾ったゴルトベルク変奏曲に関しては1954年のCBCラジオ放送盤、1955年のモノラル盤及び同録音の擬似ステレオ盤、1959年のザルツブルク・ライヴ盤と1981年のステレオ・デジタル盤、1982年のティム・ペイジとの対話での抜粋、さらには1955年のスタジオ・アウトテイク録音、そしてとどめにDVD3枚目の1964年テレビ放送用録画及び6枚目の1981年のモンサンジョン監修動画のなんと9種類が収められている。

全44枚のディスクのうち6枚はDVDで、初出のものは2枚目の「Well-Tempered Lisner」と題されたジャーナリスト、カーティス・デイヴィスとの対話が演奏の間を縫ってトラック4、7、9、11に収められている。

またこのDVDではグールドがモダン・チェンバロを弾く映像も興味深い。

それ以外の5枚は既出だが廉価盤で、しかもまとまって手に入るのが嬉しい。

また既に良く知られているブリューノ・モンサンジョン監修による彼自身との対話では、グールドの哲学がどのように実際の演奏に昇華されていくかが見どころだ。

ボックスの装丁は買うほうが気恥ずかしくなるような立派な布張りで、ディスクの枚数の割には随分大きく、ずっしり重いコレクターズ仕様。

ハード・カバー装丁で上質紙の192ページほどある横長のライナー・ノーツの巻頭に、ミヒャエル・シュテーゲマンの「グールド、21世紀のバッハ」と題されたエッセイを英、独、仏語で、全ディスクのデータ、オリジナル解説、グールドのバイオグラフィーは英語で掲載し、随所にカラー及びセピア色の写真が満載されていて殆んど単行本の外観と内容を持っている。

それぞれのジャケットは紙製だが折り返しのある丁寧な作りで、ディスクの配列が背中を向けた横向き収納なので、ボックスを縦に置くと目当ての曲目が容易に取り出せる。

コストパフォーマンス的にもグールド・ファンには見逃せない企画だ。

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2015年06月10日


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新ウィーン楽派とフランス印象派というグールドらしからぬ組み合わせに聴かずにはいられないアルバムである。

いずれも曲の骨格がはっきりと分かる素晴らしい演奏だ。

特に素晴らしいのが、クルシェネクのピアノ・ソナタ第3番とラヴェルの《ラ・ヴァルス》だと思う。

まず、クルシェネクのピアノ・ソナタ第3番だが、作曲者がこの演奏を評して、『プロコフィエフ作品のような「ヴィルトゥオーゾ作品」と解釈している』と非難したことで有名だ。

クルシェネクは自身の正統的な解釈を後世に残すべく、ピアニストのジェフリー・ダグラス・マッジに演奏し残させているという徹底的な否定ぶりだったが、結局マッジの演奏は埋もれ、グールドのこの演奏が光を浴びている結果となっているのが、なかなか皮肉である。

ベルクのピアノ・ソナタは、ポリー二の名演があるにも拘らず、この乾いた音が織り成すヨーロッパの危機感のようなものは、やはり尋常ではない。

バッハの世界もグールドなら、これもまたグールドの真骨頂ではないだろうか。

本来、聴きにくいはずの近代ピアノ曲ではあるが、そうした聴かず嫌いの人のためにも、こういう演奏が大切であり、凡庸な現代の演奏を聴くよりも遥かに充実感があるので、現代人にとってはもしかしたら必須の演奏かもしれない。

次に《ラ・ヴァルス》であるが、本当に筆舌につくしがたい凄い名演で、筆者としては全ピアニストの演奏の中でもトップに掲げたい。

おそらく過去に聴いてきた音楽の蓄積がある人ほど、このグールド編曲版を聴くなり、言葉を失うほどの衝撃を受けるだろう。

今後、この演奏を思い浮かべることなく「1台ピアノ版の《ラ・ヴァルス》」の演奏を聴くことは2度とできなくなる危険もある。

本来、演奏に「決定版」などありえるはずはなく、どれほど楽譜に忠実で、なおかつ音楽に奉仕するかたちでの解釈であろうと、奏者が変われば楽器から出てくる音や響きは十人十色で、だからこそ、どんな曲でも違う奏者で聴いてみる価値がある。

とはいえ、《ラ・ヴァルス》に限っては特殊な事情もあり、ストラヴィンスキーが《ペトルーシュカ》のアレンジにあたってアルトゥール・ルービンシュタインからのアドバイスを得たのに対し、ラヴェルは独力で編曲作業を進めた。

オーケストレーションの天才でも、あいにくピアニストとしてはイマイチだったので、奏者がその才能(=イマジネーション)次第でどれだけオーケストラ的な音を楽器から引き出すことができるかという点について、逆にラヴェルは頭が固かったようだ。

すべてを書法のレベルで処理しようとし、だからこそ「楽譜が真っ黒に見えるほど」の音符を全頁にちりばめ、しかも譜面上で3種類もの選択肢を残したのだ。

《夜のガルパール》の「スカルボ」を上まわる音の多さに惹かれ、近年は特に腕自慢の若いピアニストがよくこの曲を演奏する。

確かに、リズムやテンポを(たいていは)崩しながらでも、目まぐるしい指さばきと大音量だけでもそれなりに派手な演奏効果はある。

だが、原曲での「まばゆいシャンデリア、人々のざわめき、勢いを増していくワルツ、それらのすべてが渦に飲みこまれていく」をきちんした説得力で聴かせることは、編曲がまずいせいもあり不可能に近い。

グールドの《ラ・ヴァルス》は、冒頭からしてラヴェルの「音つくり」とはまったく違うが、聴いてしまうとまさに「これしかない」と思わされる。

かといって、ホロヴィッツの録音を聴いたピアニストたちがラフマニノフ協奏曲などでの「ホロヴィッツ版」を弾きたくて楽譜を探し求めたような騒ぎが、いまさらこのグールド版で起こるとも考えにくい。

編曲まで含めて、グールドだけの確固たるオリジナリティがこの演奏に息づいているからだ。

グールドを知る人はグールドのタッチが近現代音楽の曲に向かないと思う人はいないと思うが、むしろピッタリなくらいである。

にもかかわらずグールドは近現代音楽の録音をほとんど残していない。

それがグールドの意思であり、アイデンテティなのだとも思う。

にもかかわらず弾き残さずにはいられなかったこれらの曲の素晴らしさに、グールドの人間らしさを感じてしまうのだ。

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2015年04月24日


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グレン・グールド没後20年/生誕70年を記念した3枚組メモリアル・アルバム。

彼の代表作である、1955年と1981年の「ゴルトベルク変奏曲」をカップリングし、さらにレアな音源(1955年の録音時のアウトテイク)を初CD化。

グールドの全く対照的な新旧2つのゴルトベルク変奏曲を1つのセットに収めた好企画盤。

1955年の「ゴルトベルク」は、24ビットリマスターで収録、1981年の「ゴルトベルク」のオリジナル盤はデジタル録音だが、今回は、並行して録音されていたアナログ・テープからのDSDマスタリングによるマスターを初めて使用。

そして、グールドと縁の深いティム・ペイジと「ゴルトベルク」について語った50分におよぶインタビュー・セッション(1982年録音、日本盤のみ完全日本語訳付)を収録。

グレン・グールドのレコーディング・デビュー作となる1955年の「ゴルトベルク変奏曲」は世界に旋風を巻きおこした。

確固たる現実的な音楽観、完璧な演奏技術、驚くべき透明感、的を得たリズムの変化、それに加え、ハミングしたりときには乱暴なまでにテンポを速める不思議な癖。

それらがグールドをたちまち伝説のピアニスト、まったく新しい手法によるバッハの音楽の解明者の地位に祭りあげた。

そして、それから26年後のグールドの最後のレコーディング作品もまた「ゴルトベルク変奏曲」だった。

こちらでは、さらにリラックスし、ときおり遅すぎるほどにテンポを落とし、より内面的に音楽を読みとり(けれども彼ならではの激しいアタックやアクセントは変わっていない)、変奏曲のうち15曲で前半部を反復している。

1955年作品と1981年作品はそれぞれ独自の手法をとっているが、どちらも素晴らしく、これら2つの演奏はどちらもクラシック音楽全体の中でも比類を絶して素晴らしいもののひとつに入る。

旧盤の繰り返しをすべて省いた一直線の快速の演奏、新盤のゆったりとしたテンポで、自らの人生を顧みるかのような味わいのある演奏。

いずれも優劣の付け難い永遠の超名演と言うべきであるが、それを1つのセットにまとめることによって両者の違いをより明確に聴き分けることが可能となったのも大いに評価に値する。

新盤では、繰り返しの実施の有無が各変奏曲によってバラバラで一貫性がないとの批判が一部にあるが、これは、グールドのバッハ解釈の究極の到達点を示すものとして、むしろ肯定的に解釈すべきではなかろうか。

このCD3枚組の新たな豪華ボックスセットは楽しく、聴く喜びにあふれ、音楽の真理があり、音楽を愛する者なら誰でもコレクションに加えるだろう。

ディスク3にはレコーディング・セッションのアウトテイクとおしゃべりが収録されている。

そのなかでグールドは即興で「God Save the King」を弾き、さらにそれを「The Star-Spangled Banner」へつないでいる。

また、評論家ティム・ペイジによるロング・インタビューはグールドの風変わりなユーモアと独特の音楽観に深い洞察を与えてくれる。

本作はまさに必携のコレクションである。

もちろん、グールドのバッハだけが、バッハ演奏の正当な解釈であると言うつもりは毛頭ないが、従来の古色蒼然たるバッハ解釈に新風を吹き込み、芸術性を損なうことなく、バッハの知られざる魅力を堪能させてくれたという意味では、グールドの功績は大と言わざるを得ないだろう。

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2015年03月09日


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グールドの類稀なる才能を感じさせる圧倒的な名演集だ。

グールドと言えばその代名詞はバッハの鍵盤楽曲、そしてバッハの鍵盤楽曲と言えば、グールドの演奏がいの一番に念頭に浮かぶクラシック音楽ファンが多いと思われるが、今般、改めてグールドによる一連のバッハの鍵盤楽曲の演奏を聴くと、グールドとバッハの鍵盤楽曲との強固な結びつきを感じることが可能だ。

それにしても、本盤に収められたグールドのバッハは超個性的だ。

バッハは、難解な楽曲もあれば長大な楽曲もあるだけに、聴き手にいかに飽きさせずに聴かせるのかが必要となってくるが、グールドの演奏の場合は、次の楽想においてどのような解釈を施すのか、聴いていて常にワクワクさせてくれるという趣きがあり、難解さや長大さをいささかも聴き手に感じさせないという、いい意味での面白さ、そして斬新さが存在している。

もっとも、演奏の態様は個性的でありつつも、あくまでもバッハがスコアに記した音符を丁寧に紐解き、心を込めて弾くという基本的なスタイルがベースになっており、そのベースの上に、いわゆる「グールド節」とも称されるグールドならではの超個性的な解釈が施されていると言えるところだ。

そしてその心の込め方が尋常ならざる域に達していることもあり、随所にグールドの歌声が聴かれるのは、ゴルトベルク変奏曲をはじめとしたグールドによるバッハの鍵盤楽曲演奏の特色とも言えるだろう。

こうしたスタイルの演奏は、聴きようによっては、聴き手にあざとさを感じさせる危険性もないわけではないが、グールドのバッハの鍵盤楽曲の演奏の場合はそのようなことはなく、超個性的でありつつも豊かな芸術性をいささかも失っていないのが素晴らしい。

これは、グールドが前述のように緻密なスコア・リーディングに基づいてバッハの鍵盤楽曲の本質をしっかりと鷲掴みにするとともに、深い愛着を有しているからに他ならないのではないかと考えている。

グールドによるバッハの鍵盤楽曲の演奏は、オーソドックスな演奏とは到底言い難い超個性的な演奏と言えるところであるが、前述のように多くのクラシック音楽ファンが、バッハの鍵盤楽曲の演奏として第一に掲げるのがグールドの演奏とされているのが凄いと言えるところであり、様々なピアニストによるバッハの鍵盤楽曲の演奏の中でも圧倒的な存在感を有していると言えるだろう。

諸説はあると思うが、グールドの演奏によってバッハの鍵盤楽曲の新たな魅力がより一層引き出されることになったということは言えるのではないだろうか。

いずれにしても、本盤に収められたバッハの鍵盤楽曲の演奏は、グールドの類稀なる個性と芸術性が十二分に発揮された素晴らしい名演集と高く評価したいと考える。

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2015年03月01日


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1981年、グールド初のデジタル録音による、傑作中の傑作で、いかにもグールドらしい超個性的な名演だ。

ハイドンは偽作・真偽未確定作・一部分消失作を含んで58曲のソナタを残したと言われているが、このアルバムはその最後の6曲を取り上げている。

第56番や第58番の第1楽章の極端なスローテンポと、それに続く終楽章の快速テンポの見事な対比、偉大な傑作である第59番の水を得た魚のような生命力溢れる打鍵の嵐、3大ピアノ・ソナタの緩急自在のテンポを駆使した自由闊達な表現の巧みさ。

モーツァルトのピアノ・ソナタでは、ごつごつしたいささか不自然な表現も見られたが、本盤に収められたハイドンのピアノ・ソナタでは、そうした不自然さを感じさせるような表現はほとんど見られない。

作曲者が誰とか、曲がどうとか、そういう説明を一切必要としない名演で、最初の音が鳴り響いた時から、グールド・ワールドが展開する。

世界一級品の美術品の本物を目にした時のような直接性で、リスナーを瞬間的に虜にする。

シャープな音の切れと録音の良さが相俟った、冒頭から玉を転がすようなピアノの1音、1音から魅惑される。

その1音1音が明瞭でクッキリしている演奏は他の作品にも通じるグールドらしさで、勿論それは素晴らしい。

それに加え、そもそもロマン派以降の楽曲と較べると、情緒性や起伏という点では、「型」はあっても「体温」がないように筆者には感じられるハイドンの曲を、強弱とテンポを極端に使い分けることでここまで蘇生させるというのは、腕も勿論だが、やはり発想がまず天才的だと思う。

1980年代(つまり最晩年)のグールドの演奏では、あの2度目のゴールドベルク変奏曲の演奏に匹敵する、いや個人的にはそれをも凌駕するのではないかと考える稀代の名演だ。

才能とはやはり恐ろしいもので、彼の弾くバッハと同様の、抜群の面白さ溢れる演奏であり、音やリズムが水を得た魚の様に飛び跳ねてキラキラと空中に舞っている。

あまり採り上げられることがないハイドンのピアノ・ソナタでここまで美しい音世界を構築するグールドの力量には驚くばかり。

これだけ真剣に歌い上げて、リズムから構成全てきっちりとしているにも関わらず愉快さを感じさせ、気迫のこもった演奏であるにも関わらずあくまで軽く、洒落ているといった趣きの不思議な演奏。

ハイドンのピアノ曲を、「演奏」という創造行為で満たした奇跡のようなパフォーマンスと言えるところであり、「楽曲」と「演奏」の関係を再考するきっかけともなるであろう。

グールドは聴く者に類推させてくれるピアニストであり、グールドならあのソナタをこう弾くのではないか、というところが楽しいのである。

グールドの死は、本盤の収録後まもなく訪れることになるが、まさに、グールド畢生の名演と言っても過言ではないと思われる。

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2014年11月05日


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本盤には、鬼才グールドがドロップ・アウトする以前にスタジオ録音したバッハのイタリア協奏曲とパルティータ第1番、第2番が収められているが、いかにもグールドならではの個性的な名演と高く評価したい。

これらの楽曲には名演が目白押しであるが、グールドの演奏の場合は、次の楽想においてどのような解釈を施すのか、聴いていて常にワクワクさせてくれるという趣きがあり、退屈さをいささかも聴き手に感じさせないという、いい意味での面白さ、そして斬新さが存在している。

もっとも、演奏の態様は個性的でありつつも、あくまでもバッハがスコアに記した音符を丁寧に紐解き、心を込めて弾くという基本的なスタイルがベースになっており、そのベースの上に、いわゆる「グールド節」とも称されるグールドならではの超個性的な解釈が施されていると言えるところだ。

そしてその心の込め方が尋常ならざる域に達していることもあり、随所にグールドの歌声が聴かれるのは、ゴルトベルク変奏曲をはじめとしたグールドによるバッハのピアノ曲演奏の特色とも言えるだろう。

こうしたスタイルの演奏は、聴きようによっては、聴き手にあざとさを感じさせる危険性もないわけではないが、グールドのバッハのピアノ曲の演奏の場合はそのようなことはなく、超個性的でありつつも豊かな芸術性をいささかも失っていないのが素晴らしい。

これは、グールドが前述のように緻密なスコア・リーディングに基づいてバッハのピアノ曲の本質をしっかりと鷲掴みにするとともに、深い愛着を有しているからに他ならないのではないかと考えている。

グールドによるバッハのピアノ曲の演奏は、オーソドックスな演奏とは到底言い難い超個性的な演奏と言えるところであるが、多くのクラシック音楽ファンが、バッハのピアノ曲の演奏として第一に掲げるのがグールドの演奏とされているのが凄いと言えるところであり、様々なピアニストによるバッハのピアノ曲の演奏の中でも圧倒的な存在感を有していると言えるだろう。

諸説はあると思うが、グールドの演奏によってバッハのピアノ曲の新たな魅力がより引き出されることになったということは言えるのではないだろうか。

いずれにしても、本盤イタリア協奏曲やパルティータの演奏は、グールドの類稀なる個性と芸術性が十二分に発揮された素晴らしい名演と高く評価したい。

音質については、リマスタリングが施される以上の高音質化がなされていなかったが、今般、ついに待望のSACD化が行われることにより、見違えるような良好な音質に生まれ変わった。

音質の鮮明さ、音圧の凄さ、音場の幅広さなど、いずれをとっても一級品の仕上がりであり、グールドのピアノタッチが鮮明に再現されるのは、録音年代を考えると殆ど驚異的であるとさえ言える。

いずれにしても、グールドによる素晴らしい名演をSACDによる高音質で味わうことができるのを大いに喜びたい。

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2014年10月25日


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グールドとカラヤンという異色の組み合わせが話題を呼んだ、1957年のベルリンでの記念碑的なコンサートにおける歴史的な演奏の登場だ。

本盤には、当日のコンサートの演目のうち、ヒンデミットの交響曲「画家マチス」を除いたベートーヴェンのピアノ協奏曲第3番とシベリウスの交響曲第5番が収められている。

本演奏はモノラル録音であり、音質も必ずしも鮮明とは言い難いが、本国内盤の登場は、その演奏の質の高さや歴史的な価値に鑑みて、大いに歓迎すべきであると考える。

まずは、ベートーヴェンのピアノ協奏曲第3番であるが、これが意外にもまともな演奏であるというのに大変驚かされた。

聴く前は、グールドが何か聴き手を驚かすような奇手を講ずるのではないかと思ったのだが、そのアプローチは実にオーソドックスそのもの。

バーンスタインを辟易させるような超スローテンポで演奏したピアノ協奏曲第1番とは別人のような正統的なテンポで、堂々たるピアニズムを披露している。

帝王への道を駆け上がりつつあったカラヤンへの遠慮や崇敬もあったのかもしれないが、いずれにしても、重厚で立派な名演であることは疑いようがない。

ベルリン・フィルも、オーケストラの音色などにいまだフルトヴェングラー時代の残滓があった時期でもあり、壮年期のカラヤンによる気迫溢れる指揮とその圧倒的な統率の下、ベルリン・フィルが醸し出すドイツ風の重心の低い音色によって、グールドのピアノをしっかりと下支えしているのが素晴らしい。

他方、シベリウスの第5番は、本盤以外にも4度にわたってスタジオ録音しているカラヤンの十八番とも言うべき交響曲だけに、本演奏は至高の超名演と高く評価したい。

本演奏は、他のスタジオ録音とは異なり、ライヴでこそその真価を発揮すると言われる壮年期のカラヤンならではの、生命力溢れる力強さが持ち味であると言えるところであり、それでいて、北欧の大自然を彷彿とさせる繊細な抒情美においてもいささかの不足もない。

筆者としては、これまでカラヤンによるシベリウスの第5番の演奏の中では、1965年盤(DG)を随一の名演と高く評価してきたが、今後は、本演奏も、それとほぼ同格の名演と位置付けたいと考える。

本盤で惜しいのは、前述のように、録音が鮮明とは言えない点であるが、1957年という、今から約55年も前のライヴ録音であるということに鑑みれば、致し方がないのかもしれない。

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2014年10月10日


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グールドによるバッハのピアノ曲演奏の一連の録音は、いずれも歴史的な名演と言えるところであるが、本盤に収められたトッカータ集も素晴らしい名演だ。

それにしても、本演奏は個性的だ。

トッカータは、バッハの作品の中では比較的マイナーな存在で、しかも全7曲でCD2枚分を要する比較的長い楽曲であるだけに、聴き手にいかに飽きさせずに聴かせるのかが必要となってくる。

しかしグールドの演奏の場合は、次の楽想においてどのような解釈を施すのか、聴いていて常にワクワクさせてくれるという趣きがあり、長大さをいささかも聴き手に感じさせないという、いい意味での面白さ、そして斬新さが存在している。

もっとも、演奏の態様は個性的でありつつも、あくまでもバッハがスコアに記した音符を丁寧に紐解き、心を込めて弾くという基本的なスタイルがベースになっており、そのベースの上に、いわゆる「グールド節」とも称されるグールドならではの超個性的な解釈が施されていると言えるところだ。

そしてその心の込め方が尋常ならざる域に達していることもあり、随所にグールドの歌声が聴かれるのは、ゴルトベルク変奏曲をはじめとしたグールドによるバッハのピアノ曲演奏の特色とも言えるだろう。

こうしたスタイルの演奏は、聴きようによっては、聴き手にあざとさを感じさせる危険性もないわけではないが、グールドのバッハのピアノ曲の演奏の場合はそのようなことはなく、超個性的でありつつも豊かな芸術性をいささかも失っていないのが素晴らしい。

これは、グールドが前述のように緻密なスコア・リーディングに基づいてバッハのピアノ曲の本質をしっかりと鷲掴みにするとともに、深い愛着を有しているからに他ならないのではないかと考えている。

グールドによるバッハのピアノ曲の演奏は、オーソドックスな演奏とは到底言い難い超個性的な演奏と言えるところであるが、多くのクラシック音楽ファンが、バッハのピアノ曲の演奏として第一に掲げるのがグールドの演奏とされているのが凄いと言えるところであり、様々なピアニストによるバッハのピアノ曲の演奏の中でも圧倒的な存在感を有していると言えるだろう。

諸説はあると思うが、グールドの演奏によってバッハのピアノ曲の新たな魅力がより一層引き出されることになったということは言えるのではないだろうか。

いずれにしても、本盤のトッカータ集の演奏は、グールドの類稀なる個性と芸術性が十二分に発揮された素晴らしい名演と高く評価したい。

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2014年09月15日


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本盤には、バッハの長大なピアノ曲集である平均律クラヴィーア曲集第1巻、第2巻が収められている。

全曲はCD4枚を要する長大な曲集だけに、グールドも1962年〜1971年という、ほぼ10年近くを要して録音を成し遂げている。

よほど慎重を期して録音を行ったと言えるが、演奏全体に録音年代による大きな違いは存在していない。

バッハの平均律クラヴィーア曲集は、ピアノ音楽の旧約聖書とも称される楽曲であるだけに、海千山千の大ピアニストによる名演が目白押しである。

リヒテルによるオーソドックスな名演もあるが、グールドによる本演奏は、例えばアファナシエフによる演奏などと同様に、ピアニストの個性が全面に出た超個性的なアプローチによる演奏と言えるだろう。

長大な楽曲であるだけに、聴き手にいかに飽きさせずに聴かせるのかが必要となってくるが、グールドの演奏の場合は、次の楽想においてどのような解釈を施すのか、聴いていて常にワクワクさせてくれるという趣きがあり、長大さをいささかも聴き手に感じさせないという、いい意味での面白さ、そして斬新さが存在している。

もっとも、演奏の態様は個性的でありつつも、あくまでもバッハがスコアに記した音符を丁寧に紐解き、心を込めて弾くという基本的なスタイルがベースになっており、そのベースの上に、いわゆる「グールド節」とも称されるグールドならではの超個性的な解釈が施されていると言えるところだ。

そしてその心の込め方が尋常ならざる域に達していることもあり、随所にグールドの歌声が聴かれるのは、ゴルトベルク変奏曲をはじめとしたグールドによるバッハのピアノ曲演奏の特色とも言えるだろう。

こうしたスタイルの演奏は、聴きようによっては、聴き手にあざとさを感じさせる危険性もないわけではないが、グールドのバッハのピアノ曲の演奏の場合はそのようなことはなく、超個性的でありつつも豊かな芸術性をいささかも失っていないのが素晴らしい。

これは、グールドが前述のように緻密なスコア・リーディングに基づいてバッハのピアノ曲の本質をしっかりと鷲掴みにするとともに、深い愛着を有しているからに他ならないのではないかと考えている。

グールドによるバッハのピアノ曲の演奏は、オーソドックスな演奏とは到底言い難い超個性的な演奏と言えるところであるが、多くのクラシック音楽ファンが、バッハのピアノ曲の演奏として第一に掲げるのがグールドの演奏とされているのが凄いと言えるところであり、様々なピアニストによるバッハのピアノ曲の演奏の中でも圧倒的な存在感を有していると言えるだろう。

諸説はあると思うが、グールドの演奏によってバッハのピアノ曲の新たな魅力がより引き出されることになったということは言えるのではないだろうか。

いずれにしても、本盤の平均律クラヴィーア曲集の演奏は、グールドの類稀なる個性と芸術性が十二分に発揮された素晴らしい名演と高く評価したい。

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2014年09月04日


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グールドによるバッハのピアノ曲演奏の一連の録音は、いずれも歴史的な名演と言えるところであるが、本盤に収められた「イギリス組曲」も素晴らしい名演だ。

1971年から1976年の6年もの歳月をかけて録音を行っているが、グールドは、実演をやめ、スタジオ録音のみに活路を見出していたところであり、それだけにグールドの「イギリス組曲」への並々ならない拘りが感じられる。

それにしても、本演奏は超個性的だ。

「イギリス組曲」は、全体としては比較的長い楽曲であるだけに、聴き手にいかに飽きさせずに聴かせるのかが必要となってくるが、グールドの演奏の場合は、次の楽想においてどのような解釈を施すのか、聴いていて常にワクワクさせてくれるという趣きがあり、長大さをいささかも聴き手に感じさせないという、いい意味での面白さ、そして斬新さが存在している。

もっとも、演奏の態様は個性的でありつつも、あくまでもバッハがスコアに記した音符を丁寧に紐解き、心を込めて弾くという基本的なスタイルがベースになっており、そのベースの上に、いわゆる「グールド節」とも称されるグールドならではの超個性的な解釈が施されていると言えるところだ。

そしてその心の込め方が尋常ならざる域に達していることもあり、随所にグールドの歌声が聴かれるのは、「ゴルトベルク変奏曲」をはじめとしたグールドによるバッハのピアノ曲演奏の特色とも言えるだろう。

こうしたスタイルの演奏は、聴きようによっては、聴き手にあざとさを感じさせる危険性もないわけではないが、グールドのバッハのピアノ曲の演奏の場合はそのようなことはなく、超個性的でありつつも豊かな芸術性をいささかも失っていないのが素晴らしい。

これは、グールドが前述のように緻密なスコア・リーディングに基づいてバッハのピアノ曲の本質をしっかりと鷲掴みにするとともに、深い愛着を有しているからに他ならないのではないだろうか。

グールドによるバッハのピアノ曲の演奏は、オーソドックスな演奏とは到底言い難い超個性的な演奏と言えるところであるが、多くのクラシック音楽ファンが、バッハのピアノ曲の演奏として第一に掲げるのがグールドの演奏とされているのが凄いと言えるところであり、様々なピアニストによるバッハのピアノ曲の演奏の中でも圧倒的な存在感を有していると言えるだろう。

諸説はあると思うが、グールドの演奏によってバッハのピアノ曲の新たな魅力がより一層引き出されることになったということは言えるのではないだろうか。

いずれにしても、本盤の「イギリス組曲」の演奏は、グールドの類稀なる個性と芸術性が十二分に発揮された素晴らしい名演と高く評価したい。

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2014年09月03日


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グールドの類稀なる才能を感じさせる圧倒的な名演だ。

グールドと言えばその代名詞はバッハのピアノ曲、そしてバッハのピアノ曲と言えば、グールドの演奏がいの一番に念頭に浮かぶクラシック音楽ファンが多いと思われるが、今般、リマスタリングされたCDを聴くと、改めてグールドとバッハのピアノ曲との強固な結びつきを感じることが可能だ。

それにしても、本盤に収められたパルティータの演奏は超個性的だ。

パルティータは、長大な楽曲であるだけに、聴き手にいかに飽きさせずに聴かせるのかが必要となってくるが、グールドの演奏の場合は、次の楽想においてどのような解釈を施すのか、聴いていて常にワクワクさせてくれるという趣きがあり、長大さをいささかも聴き手に感じさせないという、いい意味での面白さ、そして斬新さが存在している。

もっとも、演奏の態様は個性的でありつつも、あくまでもバッハがスコアに記した音符を丁寧に紐解き、心を込めて弾くという基本的なスタイルがベースになっており、そのベースの上に、いわゆる「グールド節」とも称されるグールドならではの超個性的な解釈が施されていると言えるところだ。

そしてその心の込め方が尋常ならざる域に達していることもあり、随所にグールドの歌声が聴かれるのは、ゴルトベルク変奏曲をはじめとしたグールドによるバッハのピアノ曲演奏の特色とも言えるだろう。

こうしたスタイルの演奏は、聴きようによっては、聴き手にあざとさを感じさせる危険性もないわけではないが、グールドのバッハのピアノ曲の演奏の場合はそのようなことはなく、超個性的でありつつも豊かな芸術性をいささかも失っていないのが素晴らしい。

これは、グールドが前述のように緻密なスコア・リーディングに基づいてバッハのピアノ曲の本質をしっかりと鷲掴みにするとともに、深い愛着を有しているからに他ならないのではないかと考えている。

グールドによるバッハのピアノ曲の演奏は、オーソドックスな演奏とは到底言い難い超個性的な演奏と言えるところであるが、前述のように多くのクラシック音楽ファンが、バッハのピアノ曲の演奏として第一に掲げるのがグールドの演奏とされているのが凄いと言えるところであり、様々なピアニストによるバッハのピアノ曲の演奏の中でも圧倒的な存在感を有していると言えるだろう。

諸説はあると思うが、グールドの演奏によってバッハのピアノ曲の新たな魅力がより一層引き出されることになったということは言えるのではないだろうか。

いずれにしても、本盤のパルティータの演奏は、グールドの類稀なる個性と芸術性が十二分に発揮された素晴らしい名演と高く評価したい。

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2014年08月30日


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天才・鬼才・奇才…。

若くしてステージでの演奏活動に見切りを付け、スタジオ録音に異常なまでに執着した、異色のピアニスト「グレン・グールド」。

彼の才能が最も強く発揮されたのがバッハのピアノ曲であった。

グールドは音楽家としてのスタイルのみならず、音楽解釈においても異色であり、バッハの伝統的な音楽に対して新しい解釈を次々と打ち立てた。

スタジオ録音における全てのテイクは新しい解釈の実験であり、1つの前奏曲やフーガについて10を超えるテイクを録ったと言われている。

そしてあろうことか、複数のテイクを組み合わせ、つなぎ合わせることによって最終テイクを作り上げるという荒技をやってのけたのだ。

彼にとって、演奏は「完璧」な解釈を提供することこそが全てであり、その表現方法としてスタジオ録音を選んだのである。

こうして作成された彼の演奏は、それまでの伝統的な解釈を大きく揺るがす、全く新しいバッハの音楽であった。

グールドは、多様な音楽解釈の可能性とその必要性を、自らの創造的解釈の成功を通して我々に示したのである。

しかし、グールドの最大の誤算は、彼の奇抜ともいえるバッハの新解釈があまりにも一般の人々に受け入れられ過ぎたことであった。

「伝統とは起源の忘却だ」(フッサール)の言葉の通り、バッハの音楽の原点が時とともに忘れ去られようとしていた中、過去の解釈にとらわれない自らの新解釈を提示したグールドの演奏は、本来のバッハの音楽のあるべき姿を見事に浮き彫りにした。

そしてその演奏は、バッハ演奏の原点として位置づけられるようになったのである。

これ以降、バッハのピアノ曲はグールドの演奏を「絶対基準」として演奏・鑑賞・評論されることとなった。

特に「ゴルトベルク変奏曲」に関しては、グールド以外のピアニストによる全ての演奏は、グールドの演奏と比較されるためだけに存在しているといっても過言ではないだろう。

あらゆる演奏の行き着く先はグールドであり、あらゆる解釈はグールドの世界から逃れることができないのだ。

音楽解釈の多様性を追求し、その必要性を訴えてきたグールドは、自らの音楽が「絶対的」なものとなることによって、むしろ多様性を失わせる結果を生んでしまったのである。

もう一度バッハのピアノ曲に多様性を与えるためには、(現在のクラシック界にグールドを超えるピアニストがいるとはとても思えないが)、いずれまた現れるであろう新しい天才に音楽解釈多様性の可能性を託すよりほかないのであろう。

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2014年08月14日


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本盤には、鬼才グールドが1970年代初めにスタジオ録音したバッハのフランス組曲が収められているが、いかにもグールドならではの個性的な名演と高く評価したい。

フランス組曲は、比較的長い楽曲であるだけに、聴き手にいかに飽きさせずに聴かせるのかが必要となってくるが、グールドの演奏の場合は、次の楽想においてどのような解釈を施すのか、聴いていて常にワクワクさせてくれるという趣きがあり、長大さをいささかも聴き手に感じさせないという、いい意味での面白さ、そして斬新さが存在している。

もっとも、演奏の態様は個性的でありつつも、あくまでもバッハがスコアに記した音符を丁寧に紐解き、心を込めて弾くという基本的なスタイルがベースになっており、そのベースの上に、いわゆる「グールド節」とも称されるグールドならではの超個性的な解釈が施されていると言えるところだ。

そしてその心の込め方が尋常ならざる域に達していることもあり、随所にグールドの歌声が聴かれるのは、ゴルトベルク変奏曲をはじめとしたグールドによるバッハのピアノ曲演奏の特色とも言えるだろう。

こうしたスタイルの演奏は、聴きようによっては、聴き手にあざとさを感じさせる危険性もないわけではないが、グールドのバッハのピアノ曲の演奏の場合はそのようなことはなく、超個性的でありつつも豊かな芸術性をいささかも失っていないのが素晴らしい。

これは、グールドが前述のように緻密なスコア・リーディングに基づいてバッハのピアノ曲の本質をしっかりと鷲掴みにするとともに、深い愛着を有しているからに他ならないのではないかと考えている。

グールドによるバッハのピアノ曲の演奏は、オーソドックスな演奏とは到底言い難い超個性的な演奏と言えるところであるが、多くのクラシック音楽ファンが、バッハのピアノ曲の演奏として第一に掲げるのがグールドの演奏とされているのが凄いと言えるところであり、様々なピアニストによるバッハのピアノ曲の演奏の中でも圧倒的な存在感を有していると言えるだろう。

諸説はあると思うが、グールドの演奏によってバッハのピアノ曲の新たな魅力がより引き出されることになったということは言えるのではないだろうか。

いずれにしても、本盤のフランス組曲の演奏は、グールドの類稀なる個性と芸術性が十二分に発揮された素晴らしい名演と高く評価したい。

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2014年07月09日


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素晴らしい演奏だ。

グールドによるバッハのピアノ曲の演奏は、いずれ劣らぬ名演揃いであるが、本盤に収められた「インヴェンションとシンフォニア」も実に素晴らしい。

収録順も、他の大方のピアニストのように第1番からの順番ではなく、グールドなりに考え抜かれた順番に並び替えられており、こうした点においても、グールドの同曲への並々ならない拘りが感じられるところだ。

同曲は、もともとはバッハによる教育用の音楽と考えられていたところであるが、グールドによる個性的な演奏によって、他のピアノ曲と同様の一流の芸術作品として見られるようになったとも言えるだろう。

それにしても、演奏は超個性的。

グールドの演奏の場合は、次の楽曲においてどのような解釈を施すのか、聴いていて常にワクワクさせてくれるという趣きがあり、聴き手を片時も退屈させないという、いい意味での面白さ、そして斬新さが存在している。

もっとも、演奏の態様は個性的でありつつも、あくまでもバッハがスコアに記した音符を丁寧に紐解き、心を込めて弾くという基本的なスタイルがベースになっており、そのベースの上に、いわゆる「グールド節」とも称されるグールドならではの超個性的な解釈が施されていると言えるところだ。

そしてその心の込め方が尋常ならざる域に達していることもあり、随所にグールドの歌声が聴かれるのは、「ゴルトベルク変奏曲」をはじめとしたグールドによるバッハのピアノ曲演奏の特色とも言えるだろう。

こうしたスタイルの演奏は、聴きようによっては、聴き手にあざとさを感じさせる危険性もないわけではないが、グールドのバッハのピアノ曲の演奏の場合はそのようなことはなく、超個性的でありつつも豊かな芸術性をいささかも失っていないのが素晴らしい。

これは、グールドが前述のように緻密なスコア・リーディングに基づいてバッハのピアノ曲の本質をしっかりと鷲掴みにするとともに、深い愛着を有しているからに他ならないのではないだろうか。

グールドによるバッハのピアノ曲の演奏は、オーソドックスな演奏とは到底言い難い超個性的な演奏と言えるところであるが、多くのクラシック音楽ファンが、バッハのピアノ曲の演奏として第一に掲げるのがグールドの演奏とされているのが凄いと言えるところであり、様々なピアニストによるバッハのピアノ曲の演奏の中でも圧倒的な存在感を有していると言えるだろう。

諸説はあると思うが、グールドの演奏によってバッハのピアノ曲の新たな魅力がより一層引き出されることになったということは言えるのではないだろうか。

いずれにしても、本盤の「インヴェンションとシンフォニア」の演奏は、グールドの類稀なる個性と芸術性が十二分に発揮された素晴らしい名演と高く評価したい。

音質については、数年前にBlu-spec-CD化がなされ、これによってピアノの音に比較的柔らかさが宿ったとも言えたが、先般、ついにSACD化が行われることにより、さらに見違えるような良好な音質に生まれ変わった。

残念ながらシングルレイヤーではないが、音質の鮮明さ、音圧の凄さ、音場の幅広さなど、いずれをとっても一級品の仕上がりであり、グールドのピアノタッチが鮮明に再現されるのは、1964年という録音年代を考えると殆ど驚異的であるとさえ言える。

いずれにしても、グールドによる素晴らしい名演をSACDによる高音質で味わうことができるのを大いに喜びたい。

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2014年07月04日


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1967、68年 ニューヨーク、コロムビア30番街スタジオ及び1971年4月18日 トロント、イートンズ・オーディトリアムで録音(グールド41枚目のアルバム)。

我が国では1972年にリリースされたバードとギボンズのヴァージナル名曲選に加え、1964年、カナダCBC放送のTV番組用に収録された初CD化のスウェーリンクの「ファンタジア」が聴ける。

まるで『バッハ以前の作曲家たち・バードとギボンズのコンサート』と名付けたくなるようなコンサートの一夜をアルバムで再現しているかのような作品である。

グールドといえばバッハの印象があまりにも強いが、バッハの曲以外にも数多くの名演が存在する。

まず、バッハに代表されるバロック音楽以前の、ルネッサンス期の曲をピアノで見事に弾ききった傑作として、本作は真っ先に推薦に値する。

スティングの「ラヴィリンス」やセルシェルの「ルネサンス・リュート曲集」でダウランド等のルネッサンス期作曲家の曲の静謐な響きに心惹かれた人は必ずや本作を気に入るだろう。

輝かしい調子の曲もあるが、総じて落ち着いたしっとりとした味わいの曲が多く、静かな夜を落ち着いて過ごすのに最適の作品集の1つである。

このバッハ以前の音楽を聴いて思うのはグールドが求めたのは、曲に対するアレンジの自由度ではなかったかと思える。

今ではバッハはジャズのミュージシャンに多く取り上げられ、自由なアレンジで演奏される。

それが後期ロマン派の曲ではその自由度がなかったので、グールドは評価しなかったと筆者は考えている。

この時期グールドは、カナダ東部のノバスコシア地方を旅行したときに、列車のクラブカーのなかでウィリアム・フォーリーと知り合い、彼から『草枕』を知り以後漱石に傾倒していった頃だ。

筆者はいつも『草枕』の冒頭と重ねながらこの作品を聴いてしまう。

グールド以外の誰がこのような録音を残すことができたであろうか。

これを退屈と感じる人もいるかもしれないが、その抑制された演奏は終始宗教的な美しさに満ちており、引き込まれる。

特にスウェーリンクのファンタジアの音源は、前述のようにTV放送で、ビデオのコレクションにも収録されているが、演奏中の雰囲気も静謐で、祈りのようである。

このディスクは、グールドならではの創造性という点で、バッハの「インヴェンションとシンフォニア」に並ぶ素晴らしさだと評価したい。

対位法作品に表れたグールドの創造力の新しさが、改めて認識されるのである。

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2013年12月01日


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グールドとカラヤンという異色の組み合わせが話題を呼んだ、1957年のベルリンでの記念碑的なコンサートにおける歴史的な演奏の登場だ。

ジャケットのカラヤン、グールド2人のまだ若き時代の演奏家としての姿が印象的なCD。

本演奏はモノラル録音であり、音質も必ずしも鮮明とは言い難いが、本盤の登場は、その演奏の質の高さや歴史的な価値に鑑みて、大いに歓迎すべきである。

ベートーヴェンのピアノ協奏曲第3番であるが、これが意外にもまともな演奏であるというのに大変驚かされた。

聴く前は、グールドが何か聴き手を驚かすような奇手を講ずるのではないかと思ったのだが、そのアプローチは実にオーソドックスそのもの。

バーンスタインを辟易させるような超スローテンポで演奏した、ブラームスのピアノ協奏曲第1番とは別人のような正統的なテンポで、堂々たるピアニズムを披露している。

親しくもないカラヤンの前で萎縮したのかここでのグールドはエキセントリックさは影をひそめ、それがかえって青春の瑞々しい叙情を表現している。

カラヤンはいつもの流麗さだが、ライヴのせいか熱さでグールドに応えている。

帝王への道を駆け上がりつつあったカラヤンへの遠慮や崇敬もあったのかもしれないが、いずれにしても、重厚で立派な名演であることは疑いようがない。

ベルリン・フィルも、オーケストラの音色などにいまだフルトヴェングラー時代の残滓があった時期でもあり、壮年期のカラヤンによる気迫溢れる指揮とその圧倒的な統率の下、ベルリン・フィルが醸し出すドイツ風の重心の低い音色によって、グールドのピアノをしっかりと下支えしているのが素晴らしい。

本盤で惜しいのは、前述のように、録音が鮮明とは言えない点であるが、1957年という、今から50年以上も前のライヴ録音であるということに鑑みれば、致し方がないと言えるのかもしれない。

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2013年03月30日


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1955年の録音の再創造とのことであるが、バッハ演奏の歴史的な転換点になった衝撃的な名演に対する、このような試み自体には反対するものではない。

しかしながら、こうした試みは、音楽学者にとっては画期的なものであっても、芸術的な感動とは別物のように考えている。

グールドは、かなり早い段階から、聴衆の入るコンサートを拒否し、ひたすらスタジオでのレコーディングを中心として活動してきた。

したがって、グールドにとっては、スタジオ録音そのものが、自らの芸術を世に問う唯一の機会であった。

スタジオ録音の際には、グールドは鼻歌をうたったり、ハミングしたりするし、時には椅子が軋む音すらそのままに収録しているが、こうした所為のすべてが、グールドにとっては、自らの芸術の一大要素であったのである。

ところが、本CDには、ピアノ以外の音はすべて消去(抹殺との表現を敢えて使いたい)されており、ただただコンピュータじかけとも言うべき音が紡ぎだされていく。

グレン・グールドがグレン・グールドである所以は、スタジオ録音にあるので、トロントCBCスタジオというロケーションはまさにうってつけ。

さらに、彼の歌声があれば完璧なアンデッド・グールドの誕生であるがどうだろうか?

聴きようによっては、ここには血も涙もない機械音だけが流れるという、実に寒々とした音響が創造されているのだ。

要するに、音響であって音楽ではないのだ。

たとえ、マルチチャンネル付きのSACDによる高音質録音であっても、筆者としては、そのような音響は願い下げである。

前述のように、このような試み自体には必ずしも反対ではないので、一定の評価はするが、音楽芸術としての感動からは程遠いと言わざるを得ない。

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2012年10月10日


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グールドの全く対照的な新旧2つの「ゴールドベルク変奏曲」を一つのセットに収めた好企画盤。

旧盤の繰り返しをすべて省いた一直線の快速の演奏、新盤のゆったりとしたテンポで、自らの人生を顧みるかのような味わいのある演奏。

いずれも優劣の付け難い永遠の超名演と言うべきであるが、それを一つのセットにまとめることによって両者の違いをより明確に聴き分けることが可能となったのも大いに評価に値する。

新盤では、繰り返しの実施の有無が各変奏曲によってバラバラで一貫性がないとの批判が一部にあるが、これは、グールドのバッハ解釈の究極の到達点を示すものとして、むしろ肯定的に解釈すべきではなかろうか。

もちろん、グールドのバッハだけが、バッハ演奏の正当な解釈であると言うつもりは毛頭ないが、従来の古色蒼然たるバッハ解釈に新風を吹き込み、芸術性を損なうことなく、バッハの知られざる魅力を堪能させてくれたという意味では、グールドの功績は大と言わざるを得ないだろう。

不眠症のカイザーリンク伯爵がゴールドベルクではなくグールドの演奏を聴いたら、さて、どんな感想を持ったであろうか?

これなら眠くなるどころか、面白くて目は爛々と輝き出すだろう。

SACDほどではないが、Blu-spec CD化によって、かなりの高音質でグールドの超名演を鑑賞できるのは大変嬉しい限りだ。

1981年録音も従来のデジタル最初期のトゲトゲしさがなく、更に嬉しいのは、1955年録音が遜色ない素晴らしい音にリフレッシュしている。

素敵なブックレットも付いているし、アウトテイクも貴重である。

特にアウトテイクを聞いているとグールドの芸術性の高さを確認できる。

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2012年01月16日


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グールドが、心と技を完全に一体化させて聴かせた最高傑作。

グールドのバッハは、誰からも栄養をもらうことなく、独自に芽を出し、花を咲かせ、さらに実までつけた奇跡の演奏である。

それは確かに研鑽の賜物であるが、余人には及びもつかない神様からの授かりものというにふさわしい水準にあり、続く世代が登頂を試みようとしても、空しく退散を余儀なくされてしまうだけである。

無機的陶酔とでもいうべきであろうか、グールドのバッハは聴き手を音の迷路へと誘い、意識を撹乱するかのような謎めいた体験に浸らせる。

聴き慣れた愛すべきバッハなどここにはなく、乾いたキーボードが1人つぶやくように音をたて、戯れているだけである。

グールドのバッハの世界とはそんな孤独を背景としており、目を楽しませる草花も、食欲をそそるご馳走も額縁の中にしまいこまれている。

それは、実生活にはなんの役にもたたぬ代物であるが、グールドの罠にはまった者には、この額縁の中の草花が本物以上に美しく、また愛おしく見える。

そして耳を傾ける度に生まれ変わるような喜びと満足感を覚え、そして時に泣くのである。

不純物は微塵もなく、それでいて人間的な息づかいはこぼれるばかりにあふれ出ている。

しかも抗し難い躍動感と神秘的な美しさがあり、聴く度に新たな感動と発見に誘われる。

バッハをピアノで弾くことなど、今後はさらに稀なことになっていくのかもしれないが、グールドのバッハはいつまでも新しく、輝き色褪せることがない。

彼の演奏は、解釈や演奏法といった領域をはるかに超えた次元でとらえられた普遍性に裏付けられているように思われる。

感謝するしかない究極の名演だ。

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2009年03月11日


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22歳の時、この曲でセンセーショナルなデビューをしたグールドが、その死の1年前の1981年に再録音したもので、いわばグールドの"白鳥の歌"となったディスクである。

グールドは、この変奏曲を2度録音している。ここに挙げたのは死の前年(1981)の方で、デビュー当時(1955)よりもテンポは遅く、驚嘆させるよりも、じっくり聴かせようとしている。

1955年録音のデビュー盤は、生き生きとした躍動感によってセンセーションを巻き起こしたが、そのドライブのかかったような前屈みのリズムに反感を持つ人が多かった。

だが彼の最後の録音となった1981年盤は、そういうエキセントリックなところが消え、代わりに演奏の彫りもずっと深くなり、非常に感動的だ。

グールドのこの81年盤は、個々の変奏の性格の微妙な描き分け、変奏曲同士をつなぐ呼吸の絶妙さ、そして彼自身が「演奏を楽しみ、それに全霊を傾けている」という点で、曲の長さを忘れて聴き惚れさせる。

彼のバッハ演奏の集大成とでもいうべき演奏で、鮮やかにテンポの対比をとりながら、考えぬかれた表現となっている。

全体に静かな印象を受けるが、それだけに後半、それも終り近くの急速な変奏が鮮やかに浮かび上がってくる。

ピアノの響きは豊かでも、重くなく透明感がある。

作品に生気を吹き込む演奏という行為の使命が最高度に全うされた美しい例である。

この新盤は旧盤と"好一対"をなすものであり、双方を聴き比べることによって、はじめて理解される性格をもつ演奏である。

その微細なタッチを余すところなく捉えた録音も魅力的だ。

グールド一世一代の演奏と言っても過言ではない。

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いずれもグールド唯一のスタジオ録音。

元々はチェンバロ協奏曲という指定ではあるが、バッハを得意としていたグールドがピアノで演奏したディスクをここでは推したい。

グールドはピアノを用いながら、チェンバロのような効果を出し、歯切れのいいフレーズ感で、バッハの曲のプロポーションを明確に描き出している。

チェンバロとは異なり、タッチに微妙な変化をつけられるピアノの長所を存分に生かした演奏だ。

またグールドはチェンバロに近い音を出すために特殊なハンマーを取りつけるなど、改造したスタインウェイを使用したバッハ演奏である。

その音色は第4番の終楽章では古雅な効果を発揮し、第5番の第2楽章でも雰囲気満点の美しさとなった。

ペダルは抑制され、声部の動きが実に明瞭だ。

たくましいダイナミズムを根底に持ちながら、才気溢れる閃きを随所にみせ、緩徐楽章では独白的・詩的なマルカート奏法が曲の透明感をよく出している。

原譜にない装飾音を自由に加えているのも、当時の演奏様式を研究した結果だろう。

全体としてはグールドのタッチやリズムが非常に現代的で、静けさに乏しいところに抵抗を覚えるムキもあるだろう。

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2009年01月06日


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一際ユニークな全集だ。

第1番は非常な名演で、第1楽章の速いテンポと小気味良いリズムは、天才的な即興の閃きを示す強弱や小味な弱音効果の多用とともに、あたかもモーツァルトのような自在感をもって自然に流動してゆく。

ゴルシュマンの指揮も生命力に満ちた素晴らしい演奏だ。

グールドは第2番を美しい音で、若き日のベートーヴェンの強気で、衝動的で、しばしば生意気でさえある持ち味を見事にとらえて弾いている。

バーンスタインもその線にそったサポートをして、始めから終わりまで味わい深く聴かせている。

第3番は遅いテンポで、じっくりと楽章の変化を描き出してゆくが、やや明確すぎる点がなくもない。

第4番はきわめて個性的な演奏で、演奏の外面だけをとると、19世紀末のロマン派に逆行したような錯覚を起こすほどだが、グールドの場合はむしろ自然に響いてくるから不思議だ。

「皇帝」も素晴らしく、猛烈に遅いテンポの演奏は、一瞬回転速度を間違えたかと錯覚させるが、その魅力にかけては人後に落ちない。

グールドのテンポは遅く、特に第1楽章冒頭のルバートや終楽章のテーマはユニークである。

左手を英雄的に鳴らして実に堂々たる迫力を聴かせる素晴らしさ! 細部までじっくりと心をこめぬき、音のひとつひとつをていねいに吟味し、展開部ではさらにテンポを落として浸る。

しかも全体の型は決して脆弱にならず、深々とした抒情とリズムの冴え、乾いた響きの音色は、最もアイロニカルな名演だろう。

この演奏に「皇帝」を聴こうとしたら何も得られない。

しかし、「作曲家の意図」からも固定イメージからも離れ、響いた音そのものに即して耳を働かせていくと、作品から徹底して響きの抒情を聴き取り"うた"の瞬間を掬い取ったこの演奏は、とてつもなく面白い。

ストコフスキーの指揮も見事で、これだけよく歌い、金管を壮麗に鳴らした「皇帝」も珍しい。

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2008年12月13日


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グールド自身の編曲によるピアノ版のワーグナー・アルバム。3曲とも唯一の録音。

ピアニストとしてのグールドが、その主張を強めていったひとつの極を示したのがリスト編曲のベートーヴェン「運命」であったが、彼はその線を越えて自らワーグナーの管弦楽曲を編曲・演奏するに至った。

ここではオーケストラの演奏をそのままピアノで代用して聴かせるのではなく、これがひとつの表現になりきっている。

色々な意味で興味深い演奏だ。

なかでも興味深いのは「ジークフリート牧歌」で、グールドは、この曲が誕生日の贈り物であるといった曲の背景から最も遠いところで、楽曲をばらばらにし、曲の構造に起因する力学によってテンポを決定して演奏をしている。

グールドが指揮者としてどのような方向を目指していたか、話題を呼び起こしそうな録音だ。

小編成のアンサンブルであるとはいえ、すべての声部を明確に引き出してゆくこの演奏は、彼の音楽的な志向がそのまま反映したものといえるが、演奏時間が約24分半というのは驚異的だ。

それでも音楽的な弛緩をほとんど感じさせないのは興味深い。

グールドは、彼がピアノで示したのと全く同じような独自な解釈を呈示し、衝撃を与える。

一聴に値する演奏である。

余談だが、グールドの「マイスタージンガー前奏曲」を結婚式の披露宴で新郎新婦入場の時にかけると大変素晴らしい。実証済み。御参考までに。

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2008年11月30日


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グールドのバッハ/室内楽録音は当盤のみ。

ヴァイオリン・ソナタの演奏はヴァイオリンよりもグールドのピアノがリードしている。

彼は推進力の強いリズムと明晰なタッチ、歯切れのよいフレージングで演奏し、デュナーミクもバロックの時代様式をよく検討したものだ。

そして随所に独特の装飾音を追加し、和音をアルペッジョに変えるなどしてピアノの音の特性を生かしている。

ラレードの演奏はグールドの解釈に従ったものだが、熱気があり、全体的に躍動感が強い。

チェロ・ソナタは3曲とも元来ヴィオラ・ダ・ガンバとチェンバロのためのソナタである。

グールドはピアノをチェンバロに近付けるように演奏しており、各音はみな鮮明である。

ローズはヴィオラ・ダ・ガンバの演奏様式にはそれほどこだわらず、チェロを現代的に奏しているが、グールドのピアノと組み合わせるとそれが決して不自然にはならない。

2人はいかにも音楽の流れに乗りきって演奏している。   

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2008年09月03日


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歌曲集「マリアの生涯」のオリジナル版とこのソナタ集のグールドの演奏は、ヒンデミット再評価のきっかけを与えたといえよう。

特にこのソナタ集では、ヒンデミットのコンセプト、その観念に溌剌とした生命を吹き込むことによって、それまでのいわゆる新即物主義的とされた醒めた客観的解釈とは異なった世界を築いた。

ヒンデミットの曲は、丹念に、職人的完璧さで書かれた堅実一点張りの印象を受ける。

グールドは作品を実に忠実に、あるいは執拗に追いかけて飽きることがない。

そして多少古めかしいが、外観だけは堂々としている音の建築を作りあげてみせる。

グールドの力で、ともかくこの3曲のソナタはその本来の姿を現した。

例えば葬送行進曲の内省から、二重フーガによるエクスタシーの境地まで、はじめてヒンデミットの音楽のオリジナリティ、その魅力が明らかにされた。

ヴェーベルンと対照させたグールドのヒンデミット論も秀逸で、初版の価値を改訂版と比較して論じた「マリアの生涯」論とあわせて読むとグールドのヒンデミット観がよくわかる。

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2008年07月19日


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グールドの墓碑には、この「ゴールドベルク変奏曲」のアリアの冒頭の3小節が刻まれているという。このバッハの名作は、それほどにグールドを象徴する音楽なのである。

彼は1955年にこの曲で衝撃的なデビューを飾り、50歳で没した1982年にも同じ曲の再録音盤を発表した。映像にもこの曲の録音を残している(81年)。

バッハがこの曲を通じて音楽のあらゆる次元を変奏として表したように、グールドの音楽表現の源泉はここに集約されているようにさえ聴こえる。

それが最初は衝撃だった極端とも思えるテンポ設定も、装飾音の風変わりな扱いも、アーティキュレーションも決して奇を衒ったり、変化のための変化としてなされたものではなく、「現代のピアノ」という本来はバッハの鍵盤楽器とは相容れない楽器を通じて、斬新で普遍的な聴くに足る演奏を模索した結果の美しい結晶だったことに気付く。

グールドは異例の幅広いレパートリーを通じて、現代ピアノにふさわしい解釈を探ってきたが、バッハにおけるこれは彼の結論だといえる。

バッハの抽象美を最大限に発揮しつつ、ここにはグールドがバッハに寄せる感嘆の念が実に切実に刻まれているのが共感を呼ぶのだ。

改めてこのデビュー盤を聴くと、最後の録音となった、あまりにも対照的なゴールドベルクの演奏も、ひとつの変奏のように思えてくる。

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2008年06月28日


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シェーンベルクの音楽を愛する人にとっては待望のディスクといえよう。

無調時代の作品19でグールドは鋭いが温かみをもった響きを聴かせる。

12音技法に移行しはじめた作品23では、彼の音色への感度はさらにソフィスティケートされた感触を加え、厳しい表情に変貌する。

12音技法が完全な姿で表れた作品25では音が一層磨き抜かれ、1音1音が存在を主張しているかのようだ。

作曲家最後のピアノ独奏曲作品33は、グールドの劇的表現により幻想の色を濃密に放っている。

作品47がとりわけ名演だ。凝縮されつくした音楽の凝縮しつくした演奏とでもいうべきか。

作品41も見事で、グールドとジュリアード弦楽四重奏団の卓越した技術と感覚美はまさに研ぎ澄まされており、ホートンの語り口もうまい。

作品42はグールドの透明なソロがこの曲にぴったりの味わいだ。

シェーンベルクの歌曲も、現代ではロマン的心情の告白として受けとめられるのではあるまいか。現代音楽を敬遠気味の人にとっても、このアルバムでのグールドの表現の噴出力の前に、これらの歌曲が気に入ってしまうだろう。

作品1はグラムがロマン的な感情を秘めながら格調高く歌いあげ、作品2はフォールが情熱的でドラマティックな歌を聴かせる。

作品15はシェーンベルクが長年考え続けた表現と美学の結晶ともいえる作品だが、ヴァニーは確かな技巧と表現力でニュアンスのこまやかさと深さを表出している。

グールドも声とのバランスを適度に保ちながら、ピアノの美しい音色を広く歌の中に浸透させる見事な演奏だ。

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2008年05月07日


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グールドが、1957年に、ヨーロッパへ演奏旅行に行った時の貴重なライヴ録音。

グールドは、強い集中力で、この作品の精神を、みごとに表出している。

グールドのピアノは充実した響きで表情に輝きを与え、左手の細かな表情も魅力的で、それが豊かなエネルギーと結びついて闊達な演奏を展開している。

第2楽章の純粋でしかも透徹した演奏には大家の風格がある。

まだ40代だったカラヤンの、壮麗な指揮もベートーヴェンの本質に迫るものだ。


グールドの死に際してカラヤンは次のように語っている。

「グレン・グールドは、なんというピアニスト、なんという音楽家だったのでしょう。……彼が公開演奏から身を引いたこと、彼自身のスタジオを持たざるを得なかったこと、自分自身の望むところを正確にそのまま音楽にしたこと、私はそうしたことをいつも理解してきました。彼ほどのピアニストは、こんなふうにしか生き延びることができなかったのです」


シベリウスはカラヤンらしい実に精妙な演奏で、その綿密な設計力と豊かな表現力には感嘆の他はない。この作品のもつ北欧的なたくましさを太い筆致で、雄渾に描いたもので、カラヤン独特の旋律のうたわせ方のうまさは特筆にあたいする。

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2008年04月10日


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グールドの演奏は常に《演奏とは何か》を考えさせられるし、そこから生まれてくる音楽はあらゆる理屈を超えて魅力的だ。

彼は20世紀前半の「作品に忠実に」という書かれた文化の偏重から脱して、自己の音楽を主張することのできた最初のクラシック演奏家であり、また演奏家としてまぎれもないチャンピオンだった。

それを雄弁に裏付けるのが、この魅力的なモーツァルトである。

グールドの演奏がユニークであることについては、もはや特に述べる必要はないだろうが、このモーツァルトは作品がポピュラーであるだけに、それが突出して理解できる演奏である。

それはまたモーツァルトの音楽はこう弾いても壊れない、というグールドの作品に対するオマージュの表明でもある。

テンポの設定からニュアンスの表現まで通常のモーツァルト演奏では聴けないものの連続で、それが音楽的に強い説得力と新鮮な魅力を発揮する。

一例を挙げれば、「トルコ行進曲」が神業で、「モーツァルトにおいては、絶対にこのように弾いてはいけない」ということを全部行って、しかも成功を収めている。

グールドは極度に遅いテンポで、音をポツポツ切った非人間的な弾き方からモーツァルトのメルヘンの世界を創造した。

しかも彼はそのメルヘンチックな表現のなかに孤独感さえ湛えているのだ。

メカニックに弾きながら、最も人間的な淋しさを描き出したグールドは、まさに天才の名に価する。

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2008年04月07日


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「熱情」の第1,2楽章は異常とも思えるほどテンポが遅い。

グールドは常に何かの面白さを提供してくれるが、この曲の解釈に関しては理解しがたい部分があるのも事実だ。

グールドの面白さ、同時にある意味での偉大さは表現者としての飽くなき意欲にある。

そのために彼は、誰もが予想しないような方法を見出して演奏する。

このベートーヴェンの演奏も、私たちが聴き慣れたスタイルとは大いに違っている。

彼は今までの《古典的》な表現に満足できなくなり、そこで《ダイナミズム》即ち躍動する感情を持ち込んだ。

グールドはベートーヴェンをバッハ以上に勇敢に、何ものにもとらわれずに演奏している。

対位法的な箇所での鮮やかな演奏は、バッハの場合と同じように説得力を持っている。

しかし、ベートーヴェンの後期のピアノ・ソナタ特有の精神主義的性格は切り捨てられているような気がしてならない。

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ペダルの使用を極力控え、ノン・レガート奏法を多用した、いかにもグールドらしい演奏だ。

これはベートーヴェン時代のクラヴィーアの機能を念頭に置いたものだろう。

テンポも全体的に遅めで、ことに緩徐楽章にその傾向が強い。

どの曲も新しい解釈に満ち、初々しい音楽としてその姿を現す。

手垢にまみれていないこのベートーヴェンは実に貴重だ。

第5番からして、驚くほど速いテンポで衝動的に弾き上げられる第1楽章、逆に細部にこだわりすぎて多感な音楽の流れを損なってしまう第2楽章など、ベートーヴェン演奏としては大きな違和感を覚えさせられる。

一様にエキセントリックであり、ここに精神の深みや安定は求められないが、グールドというピアニストを解明するには興味ある演奏だ。

「悲愴」や「月光」でグールドは、ベートーヴェン時代の明澄だが張力の弱いピアノ感触を、現代のピアノで再現しようとする。

第13番はグールドの面目躍如たる演奏だし、「葬送」も説得力に富んでいる。

右手の旋律を分断して一個ずつの和音として響かせるなど、楽章個々の継続性や連続性を拒絶するその姿勢は、エモーショナルに流されることなく音楽を冷静に見つめることを意図したものだろう。

だが、タッチやダイナミクスとテンポとのアンバランスは説明し難い。

聴き手もそれを強いられ、音楽への問いを発しながら作品に接することになる。

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2008年02月23日


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リストはシューベルトの歌曲でもベートーヴェンの交響曲でもピアノ独奏用に編曲してしまった人だが、編曲という仕事は、実に深い音楽的洞察を必要とする。

この編曲は、多少ヴィルトゥオーゾ風に傾くきらいはあっても、自ら優れた指揮者でもあったリストがオーケストラの響きと曲の構成を鋭く洞察して行っただけに、特別の意味を持つ。

グールドはリストがベートーヴェンの音楽を忠実にピアノに移そうとしたスコアを分析し、再編成している。

それは分かりやすく表現すれば、適度のスローモーションといえばよいであろう。

演奏は恐ろしく遅いテンポで不気味なほどに内声部を浮かび上がらせている。

しかもそれによってベートーヴェンの音楽が壊れるどころか、オーケストレーション効果への依存をすっぱりと捨てて、ひとつひとつの音が、まさに根源的にもつ意味を発見しているところが凄い。

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2008年02月15日


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これはいわくつきの演奏だ。

指揮者とソロイストの思想の対立があらわで、バーンスタインが、グールドの常識はずれの遅いテンポに関して聴衆に話かけるところから収められている。

バーンスタインはグールドの遅いテンポについていけないけれども、共演に応じたのは、彼の演奏にもある種の発見があって、それに立ち合うよろこびもあるからだと言う。

とは言うものの、バーンスタインのオケ伴奏は剥き出しの刺激に満ち、相当変わっている。

それに対しグールドの演奏はダイナミックな力業を抑え、この曲からかつてないリリカルな美しさを引き出している。

そこからはからずも冷と熱とがドラマティックに対比し、かつ融通無碍に交錯し合う、掛け合いの面白味が実現している。

確かに両端楽章のテンポは大変遅い。

第1楽章には一貫した構成感があり、ブラームスの寂しさがイン・テンポの中から浮かびあがってくる。

しかし、グールドの演奏は、あくまでもその時々の彼の解釈のひとつであるに過ぎない。

この演奏の半年後のアドラーとの共演盤(M&A)があったが、それはこの演奏に比べて速い。

グールドは演奏のたびに、そしてレコードを作るたびに、何か新しい自分の発見を伝えようとしたのである。

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2008年02月11日


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グールドがその視線を現代のピアニストとはまったく異なる方面に貪欲に投げかけていたことを示す隠れた名盤。

ゆっくりしたテンポで弾いて、思いのほか深く、しっとりとロマン的情趣に浸っている。

思い入れはグリーグよりビゼーの方がいっそう深く、強い。

ビゼーのピアノ独奏曲をここまで魅力的に聴かせるピアニストは、彼の他にまずあるまい。

シベリウスは非常に珍しいレパートリーだ。

3曲のソナチネはまるでロマン派の抒情小曲のように聴こえる。

シベリウスの換骨奪胎の作業が堂に入っているためで、それをグールドが巧みな表現で魅力ある音楽に仕上げている。

作品として優れ、聴いていてずっと面白いのは「キュッリッキ」で、グールドの感受性はところを得て自由に飛翔し、表現の多彩さ、ピアニスティックな効果、豊かな情感を楽しませてくれる。

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2008年02月05日


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前者はゴルトベルク変奏曲、ベートーヴェンの後期3大ソナタでセンセーショナルにデビューしたグールドが、ハイドンとモーツァルトにおいてもみずみずしい感性を強く印象づけた初期の録音。

ソナタは2曲とも再録音しているが、彼の唯一の録音となった「幻想曲とフーガ」も含め、グールドの精妙なタッチが生み出す音と表現は少しも鮮度を失っていない。

天才グールドならではの高貴な美しさに魅了されてしまう。

後者はグールド最晩年の録音で、初のデジタル録音アルバムだった。

グールドは、独自の解釈による演奏を行うことで有名な人だが、ここでも、ノン・レガートで、ハープシコードのようにピアノを弾き、硬質なタッチで演奏している。

実にスピード感にあふれた、爽快でたくましい表現で、ブレンデルとは実に対照的だ。

演奏は演奏家が創る作品である、このことを最も強く聴き手に実感させるのがグールドであろう。

彼はハイドンの作品の書かれた時代の音楽様式をふまえたうえで、現代の音楽として蘇らせる。

6曲中「ソナタ第62番変ホ長調」が最も興味深い。

ペダル使用を控え、ノン・レガートで颯爽と弾き切ると、聴き慣れた温和なハイドン像が、たくましい意志をさらけだし、精悍に変わる。

その意表を衝く発想が、なんとも快い。

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2008年02月04日


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創作主題による32の変奏曲ハ短調、創作主題による6つの変奏曲ヘ長調の2曲では、旋律を朗々とレガートに歌わせるグールドの奏法が見事な表情を作り上げている。

痛切な感情や明朗な曲趣をよく捉えており、ベートーヴェンがもつ力がその中から放射してくるようである。

「エロイカ」の主題による15の変奏曲とフーガ変ホ長調では音符の時価の処理や発想がきわめて大胆で、全体に彼の作品の意図するものを明快に示し、その演奏効果は決して恣意的なものとはいえない。

パガテルでは変ホ長調の作品33-1がグールドの意図のすべてを語っている。

彼がここで表現しようとしたのは素朴な喜遊性で、その手段にスタッカート奏法を多用し、従来の音楽的常識に対する彼の自身に溢れたアンチテーゼを示している。

しかし、作品126でスタッカートの多用は控えられ、テンポの遅い曲では一転して彼特有のモノローグが繰り広げられている。

このCDでは自らの実感と論理的帰結を現実に音に変えてみせる彼の才能をはっきり見せている。

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稀有の才能をもったグールドというピアニストは、クラシック音楽の演奏についての概念を打ち破り、さまざまな問題提起を投げかけた。

グールドのバッハは録音も多く、そのいずれもが斬新なバッハ解釈として評価も高い。

グールドのバッハの本質を追求する姿勢はここでも変わりはなく、個性的な解釈、テンポ、タッチが聴かれる。

「フーガの技法」はいかにも浮き浮きした躍動感があり、独特の楽しみを生み出している。

グールドがここでみせたテンポ感やリズム感は、彼が演奏するバッハに共通するもので、比較的若い聴き手の感覚にマッチしている。

「イタリア協奏曲」の第2楽章アンダンテはとりわけ彼がバッハの緩除楽章を自家薬籠中のものとしていることを示す良い例で、他のいかなるピアニストも彼のように演奏することはできない。

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「トッカータ」は快いリズムに乗せ、親しみのこもった音を駆使して、新しいバッハの世界を構成している。

各曲のいわゆるトッカータ風の即興的な部分で、グールドの演奏がきわめてユニークな持ち味を聴かせるのはいうまでもないが、より厳格に書かれたフーガ部分の解釈がなかなか聴きもので、飽きさせることがない。

フレッシュな響きを保ち、楽想の性格的対比を最大限に実現した、ピアノによるバッハの個性に満ちた演奏である。

「6つの小前奏曲」以下はあまり馴染みがないものばかりだが、演奏はすっかりお馴染みの《グールド調》で、楽想に応じて自在に彼のファンタジーが繰り広げられ、少しも飽きさせない。

つつましい作品も彼の手にかかると、実に多彩な表情をもって生き返る。

彼の卓抜さが楽しめるのは「6つの小前奏曲」と「小前奏曲」で、ここでは奇才が縦横にそのイメージをふくらませ、聴き手を自分の世界に引き入れてゆく。

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グールド/リトル・バッハ・ブックはグールドのバッハ入門盤。

さすがにグールドが自信を持って世に問うアルバムだけあって、ここに集められた21曲の小曲は、いずれもグールドのバッハの面白さを充分に聴かせる。

思えばこの天才ピアニストは、どれほど私たちがバッハにアプローチする幅を広く開けてくれたことだろう。

どの曲も実に見通しのよいバッハである。

今日のバッハ演奏はグールド抜きには考えられないが、その原点がここにある。

「平均律」はグールドの代表盤のひとつ。

グールドの弾くバッハは非常に表現の幅が広く、1曲1曲が個性的に仕上げられている。

解釈は伝統的形式や枠にこだわらず、聴き手の意表をつく着想の面白さがあり、常にバッハを見る自由な眼を感じさせるが、バッハの本質を実に克明・的確にとらえているところに、ユニークな面をもちながら、大きな感銘をもたらすグールドならではの凄味を感じさせる。

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評価の高いグールドのバッハ演奏。

イギリス組曲は録音に6年を要しており、自己の表現に完璧を目指すグールドの姿勢がこの演奏に濃厚に反映されている。

実に考え抜かれた解釈が随所に聴かれるが、特にテンポの遅い舞曲やプレリュードはグールドの面目躍如たるものがある。

演奏全体に現代人の知性による魅力があふれ、独特の世界が展開されている。

個性的でありながら、バッハ音楽の普遍性を実感させる、刺激的なバッハ演奏だ。

フランス組曲とフランス風序曲は、この種の曲集としては比較的短期間に完成している。

バッハを楽しい音楽に仕立て直してしまうグールドの才能を、ありのまま受け入れる聴き手には、数多くの示唆に富んだ愛すべきCD。

グールドのバッハで目立つのは、楽想に応じてテンポを極端に対比させるやり方である。

その結果、かつてなかったほど軽妙で快いバッハの世界が現出する。

このような自由奔放な発想は、伝統が根を張っているところでは、決して生まれないだろう。

彼の代表盤の1つだ。

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「2声とインヴェンションと3声のシンフォニア」はグールドの鬼才ぶりがいかんなく発揮された1枚である。

これが世に出るまで、バッハの「インヴェンション」は学習曲に過ぎなかったが、グールドの独自の解釈は、これらの小曲に新しい生命を吹き込み、芸術作品として蘇生させた。

バッハの意図を読み取る洞察力と、それを現代のピアノで鮮やかに表現する独創性はいずれもグールドの超常識の精神が生み出した成果の反映である。

聴いていて何とも面白い。

グールドのバッハの魅力は、現代の感性で作品に豊かな生命を吹き込んだ点である。

この「パルティータ」の、実に軽快に躍動する演奏を聴くと、かつて人気のあった舞曲が、現代の衣裳をまとってよみがえるようだ。

再現芸術家たるグールドが最も腐心したのは、「作品は生きている」と聴き手に実感させることだったのであろう。

彼の反伝統的な演奏スタイルを批判する人も、演奏が初々しい生命力にあふれていることは認めざるをえない。

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2008年01月06日


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ブラームス晩年の間奏曲、小品集をアファナシエフの実演に接したことがあるが、それは救いようのないような寂寥感に覆われていた。

その後仲間と飲みにいったが、私はまったく酔うことができなかった。

それとは反対にグールドは、間奏曲変ホ長調作品117-1を聴くと明らかなように、老熟したブラームスの作品から甘美な抒情を読み取る。

しかし決して艶っぽいルバートや表情をつけているわけでなく、むしろリズムをしっかりと強調し、旋律を素朴に抑制したタッチで弾いて、美しい情感の流れを浮かばせる。

全体に飾り気なく、緻密に音楽を弾き出している。

それが孤独な心情とノスタルジックな抒情をも表すのは、彼の人間性が作品のそれに近接しているためだろう。

バラードとラプソディは文字通りグールドの最後の録音となったもの。

グールドはブラームスの音楽を、あたかも回遊式の庭園と心得、あるところでは立ちどまって1音1音の意味を吟味し、またあるところでは穏やかに、素直に歩を進めるの如くである。

グールドはそうした一瞬一瞬のリアリティを捉えようとしており、彼が自らの音楽の方法として、こういう行き方に、いわば開き直ったようにして向かっているように思える。

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2007年12月19日


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グレン・グールドは上記のDVDをみても分かるように、奇人変人ではない。

むしろ20世紀の知性といってもいいくらいだ。

そして、グールドは明らかにバッハの演奏を変革した演奏家だ。

神話を離れて作品を読む柔軟な精神と、さらに読み取ったものをそのまま音にできる類まれなテクニックがそのことを可能にした。

グールドのバッハは、ニュートラルな響きが生み出す人間臭さを離れた抽象的な秩序の世界であり、どの演奏をとっても聴くたびに新しい発見がある。

音楽を聴くとき、これほど素晴らしいものはない。

「ゴルトベルク変奏曲」はグールド最後の録音の1つで、26年ぶりの再録音。

何と考え抜かれた演奏だろう。

冒頭からゆっくりとしたテンポに驚くが、遅いテンポであっても音楽は強力な説得力をもっている。

そして速い部分はいっそう速く演奏して、テンポの鮮やかな対比をみせ、この対比によって演奏全体は沈滞感とはおよそ無縁の、活気というか、動感の溢れたものになっている。

グールドの弾いたバッハの中で「ゴルドベルク変奏曲」ほど彼の奇才が生かされ、しかも説得力のある演奏は見当たらない。

ここには彼がバッハ演奏のために編み出したあらゆる工夫が表れており、極めて多彩な演奏になっていて飽きることがない。

グールドの手にかかると、この作品は実に魅力的に変貌し、それぞれの変奏がまことに鮮やかに描き分けられる。

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