ギレリス

2017年07月20日


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エミール・ギレリスの3種類のライヴからスラヴ系の作曲家の作品3曲を収録したCDで、選曲は入門者向きとは言えない、むしろ玄人受けするプログラムだが、彼が手中に収めていた十八番のレパートリーであることに間違いはない。

中でもプロコフィエフのピアノ・ソナタ第8番変ロ長調は1944年にギレリス自身が初演を飾った曲でもあり、思い入れだけではない綿密な構成と独自の解釈が聴きどころだ。

この作品は3曲の『戦争ソナタ』の中でも思索の沈潜をイメージさせるので他の2曲とは明確なコントラストをなしているが、作曲家によって起伏の多い細かい指示が書き込まれていて、その発展のさせ方にギレリスらしい周到さがある。

第2楽章アンダンテ・ソニャンドは殆んど古典派のメヌエットを夢想させるし、第3楽章のトッカータ風コーダに凝縮されていく持続性は他の追随を許さないオリジナリティーが感じられ、30分を越える大曲を効果的に締めくくっている。

ちなみにこの曲の初演1年前にリヒテルがソナタ第7番の初演を果たしているので、彼らが如何に同時代の音楽の推進者であったかが理解できる。

ショスタコーヴィチはピアノ・ソナタを2曲しか残しておらず、どちらもリクエストの低い作品であるにも拘らず、作風は非常に巧妙な作曲技法が使われた高度な音楽性が潜んでいて、それは彼の『24の前奏曲とフーガ』に通じるものがある。

終楽章のパッサカリア風ヴァリエーションに聴かれるように、ギレリスは冷静な分析でこうした知的な面白さを明らかにしている。

一方スクリャービンのソナタ第3番嬰へ短調は、この作曲家初期の作品特有の後期ロマン派の残照を引きずるような、喘ぐばかりのカンタービレと複雑な対位法がギレリスの豪快なピアニズムで鮮やかに描かれていて、神秘的な作風に移行する前の若き日のスクリャービンの情熱の迸りを伝えている。

3曲ともステレオ録音だが、皮肉にも一番新しい1984年1月8日のサンクト・ペテルブルクでのスクリャービンの音源がやや劣っている。

音響の拡がりは最も良好で鮮明だが高音が金属的になり、多少耳障りなのが惜しまれる。

プロコフィエフは1974年7月6日のモスクワ・ライヴ、ショスタコーヴィチが1965年1月8日ニューヨーク・カーネギー・ホールでのそれぞれライヴ録音で、この2曲に関しては時代相応の比較的良好な音質が保たれている。

このシリーズでのギレリスのライヴ・リサイタル盤は2枚目になるが、グラモフォンへのセッション録音では聴けない、マイナーでありながら興味深いレパートリーの選曲が魅力だ。

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2016年09月09日


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エミール・ギレリスとアメリカ合衆国との繋がりは1955年に彼がアメリカ・デビューを飾った時から始まる。

冷戦の真っ只中、鉄のカーテンの向こう側から逸早くアメリカにやって来た演奏家は他にオイストラフやコーガンがいて、やや遅れて1960年にはリヒテルが登場している。

この頃の彼らは母国旧ソヴィエトの威信を懸けた気迫に満ちた演奏を遺しているが、一方で当局からは亡命阻止のために常に監視され、また失敗は許されないという緊張感には尋常ならざるものがあったことが想像される。

この7枚のセットはギレリスが1955年に西側で初めて契約したRCAへの音源を中心に彼の壮年期の演奏をまとめたもので、LP初出時のオリジナル・デザイン・ジャケットを採用して、簡易だが彼の生誕100周年記念に相応しいコレクション仕様のバジェット・ボックスになっている。

なおこのセットと同時にクラウディオ・アラウのRCA及びコロムビア音源12枚も同シリーズのひとつとしてリリースされた。

本セットは古い音源ながら、ギレリスは確かな技量のもと、その音楽性はすぐれてパワフルでありながら、内面的にも深い解釈には得がたい説得力があり、彼の魅力を十分味わうことができる。

硬質な叙情性はクリスタル硝子の輝きに譬えたい気がするが、時にボヘミアングラスのような温かみ、素朴さも随伴していることこそ、ギレリスの懐の深さの表出と思う。

これらのCDの音質についてだが、RCAやコロムビアの録音はアメリカの大手メーカーがその技術革新と試行錯誤で鎬を削っていた時代だけあって、流石に録音チームのエンジニア達の意気込みが伝わってくるような鮮やかな音質で再現されている。

一番古いフリッツ・ライナー&シカゴ響とのチャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番は1955年の録音だが、早くからステレオ録音を開始したRCAの極めて良好な音源に改めて驚かされる。

殆んどが当時の高音質盤リヴィング・ステレオによる既出盤だが、CD4のシューベルトのソナタ第14番イ短調は初のCD化という触れ込みだ。

またCD2のブラームスのピアノ協奏曲第2番第3楽章のチェロ・ソロでは、当時シカゴ響の首席だったヤーノシュ・シュタルケルの凛としたカンタービレが後に続くギレリスのピアノを引き立てて美しい。

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2016年08月21日


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今年はエミール・ギレリス生誕100周年に当たることから、既にグラモフォンやRCAを中心とする幾つかのメーカーから彼のセッション、ライヴ盤が復活している。

このCDのセールス・ポイントは総てが初出音源ということで、先に同じグラモフォンからリリースされたコンプリート・レコーディング集にも入っていないし、ギレリス48歳の覇気に満ちたライヴが聴きどころと言える。

しかしながら、モノラル録音の上にオフ・マイク気味の狭い音場が臨場感を妨げていて、分厚い和音の後ではメロディーが濁って細部が聴き取りにくくなる採音状態も理想的とは言えない。

また拍手以外にもライヴの宿命で客席からの咳払いなどの雑音も若干混入している。

1964年12月6日にワシントン州シアトルのオペラ・ハウスで開かれた一晩のコンサートから録音されたもので、プログラムの曲目のメインはベートーヴェンの『ワルトシュタイン』及びプロコフィエフのソナタ第3番だがほぼ半分がロシアの作曲家の作品で構成されている。

ギレリスはセッションとライヴではかなり異なった演奏を遺している。

それは彼に遅れて1960年にカーネギー・ホールでアメリカ・デビューを果たした当時のリヒテルにも共通するところだが、ギレリスはライヴとなると驚くほどエキサイティングな表現をする。

それが鋼鉄のタッチの異名に甘んじた理由なのだろうが、実際には彼の演奏は力任せの強引なものではないし、ショパンやドビュッシーでは非常に豊かで繊細な音楽性を披露している。

一方でストラヴィンスキーの『ペトルーシュカ』からの「ロシアの踊り」で聞かれるように、彼は時としてミスタッチもものともせず獅子のように猛進する性格を秘めている。

だが決して硬直した演奏ではなく、例えばプロコフィエフのソナタではその弾力的で柔軟な曲想の展開が良く示されていて、当時のアメリカの聴衆にとってはこうした作品を鑑賞することが極めて新鮮な体験であったに違いない。

尚このコンサートでは彼が初演した第8番ではなく第3番を採り上げている。

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2016年02月16日


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エミール・ギレリスの演奏についてはしばしば鋼鉄のタッチだとか武骨とかの形容詞が使われるが、いずれも舌足らずの表現で筆者自身は彼のピアノに野放図な打鍵やある種の不器用さを感じたことは一度もない。

言い換えればギレリスに対するそうした批評は彼の奏法のごく一部を捉えたもので、決して彼の典型的な音楽性や解釈を言い表し得ていないと思う。

確かに彼が時として獅子のように突進することも事実だが、このグラモフォンに遺された24枚のCDを鑑賞するなら、ギレリスが例えばモーツァルトではデリケートなカンタービレを聴かせるセンスも持ち合わせていて、ベートーヴェンでは『ワルトシュタイン』や『ハンマークラヴィーア』に聴くことができる堅牢な音楽構成と究極的ダイナミズムの美しさとを、またショパンやリストでは非常にきめ細かで変化に富んだタッチを使い分けていることが理解できるだろう。

9枚目まではベートーヴェンのピアノ・ソナタ集で、彼の死によって全曲録音が完成しなかったのは残念だが、第1、9、22、24、25番の5曲を除いた27曲とベートーヴェン13歳の若書きの作品、選帝公ソナタ2曲が収録されている。

CD10−12の3枚はピアノ協奏曲を中心とするブラームス作品集で、ヨッフム&ベルリン・フィルとの2曲の協奏曲ではヨッフムによってドイツ的造形がしっかりと施されたオーケストラにサポートされている。

ギレリスの抑制を効かせた表現の中に力強いクライマックスを築いていくソロが際立った演奏だ。

更にショパンとシューベルトがそれぞれ1枚ずつ、モーツァルトが2枚、その他1枚という内訳になる。

CD18から24までの7枚はモノラル録音の、多かれ少なかれノイズを伴う1935年から1955年までの歴史的録音集で音質自体もいまひとつだが、ギレリス19歳から39歳にかけての感性の鋭さとアンサンブルへの情熱、そして一級のヴィルトゥオーソ゛としてのテクニックを披露している。

中でもCD19のメトネルのソナタ第5番は硬質で飾り気のない彼のピアニズムの典型だ。

また彼より若い世代のコーガンやロストロポーヴィチとの協演になるピアノ三重奏曲集も聴き逃せないだろう。

尚オリジナル・ジャケットのデザインを採用しているが、実際の収録曲とは合致しないものもある。

最後の24枚目は当初ウェストミンスターからのリリースだったが、このCDではハチャトゥリアンの協奏曲はカバレフスキーの協奏曲に差し替えられていて収録されていない。

英、独、仏語によるライナー・ノーツは66ページほどあるが、その大半が収録曲目及び録音データとアルファベット順作曲家別作品の索引に費やされている。

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2015年09月13日


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エミール・ギレリスが1973年及び1978年にプラハで行ったリサイタルからのライヴ録音になり、1973年5月24日の『プラハの春音楽祭』でのプログラムはモーツァルトのピアノ・ソナタ第15番ヘ長調K.533/494とブラームスの7曲の幻想曲集Op.116で、1978年5月10日のチェコ・ラジオでの録音がブラームスの4つのバラードOp.10になる。

全曲ともライヴで客席からの咳払いや雑音が若干混入しているが、ピアノの音質が明確に捉えられているのでそれほど気にならない。

尚ブラームスの幻想曲集の演奏終了後にのみ拍手が入っている。

先ずモーツァルトのソナタでのギレリスのとびっきり気の利いたデリカシーが注目される。

決して軽快な演奏ではなく、ポリフォニックな書法の中に極めて繊細で清澄なモーツァルトが大きなスケールで再現されていて、晩年の作曲家の心境を伝えるような解釈が素晴らしい。

一方ブラームスではギレリスのピアノは一層雄渾な響きを増して、ひたひたと忍び寄るような寂寥感から深い慟哭をも感知させているのが秀逸だ。

こうした玄人受けをする高尚なプログラムで披露する音楽性とテクニックは流石ギレリスと思わせるものがある。

プラガ・ディジタルスでは従来のSACDの他にこのジェニュイン・ステレオ・ラブと銘打った新コレクション・シリーズを始めたらしく、これまでにリリースされたCDを見ると総てがチェコで制作されている。

特徴はいずれも良質のステレオ音源のリマスター盤で、レギュラー・フォーマットのCDで気軽にしかも鮮明な音響で名演奏を鑑賞できるところにある。

今のところ新録音や初出物はないようだが、ユニークな選曲やリカップリングにもチェコ・プラガのオリジナリティーが表れていて興味をそそられる。

このギレリスのリサイタル盤は当シリーズではヴァーツラフ・ノイマンのヤナーチェク、モラゲス木管五重奏団のモーツァルトに続く3枚目に当たる。

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2015年04月16日


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最盛期のギレリスが巨匠セルとともに残した名匠同士によるベートーヴェンで、ギレリスとセルという名手同士ががっぷり四つに組んで作り上げた名演だ。

クリーヴランド管弦楽団をセルの楽器と称されるまでに徹底的に鍛え上げたセル、そして、鋼鉄のピアニストとの評価がなされたギレリスの両者の組み合わせ。

この両者が組んだ協奏曲は、何か血も涙もないような冷徹な演奏に陥ってしまうのではないかとの懸念もあったが、本盤を聴いて、それは杞憂に終わった。

それどころか、燃えたぎる緊張感の中にも精妙で美しい演奏は、ギレリスのピアノとセル&クリーヴランド管弦楽団の特質が見事に合致したもので、その澄み切った音楽は感興に満ちており、実に懐の深い滋味溢れる名演に仕上がっている。

このような名演になった要因は、最晩年のセルの芸風にあると言えるだろう。

確かに、1960年代前半までのセル&クリーヴランド管弦楽団の演奏は、精緻なアンサンブルが売りであった。

オーケストラのすべての楽器の音が1つになるような鉄壁さは脅威とさえ言えるもので、筆者も、セル亡き後のクリーヴランド管弦楽団のレコーディングにおいて、いまだにその残滓があることに唖然とした記憶がある。

そうしたセルも、1960年代後半の最晩年になると、精緻なアンサンブルを維持しつつ、ある種の柔軟性が出てきたように思う。

それが、単なる老化によるものか、それとも、芸風の深化によるものかは定かではないが、いずれにせよ、演奏に滋味豊かさが加わったのは事実である。

そんな滋味溢れる名演の1つが本盤であると考える。

そうしたセルの演奏に、ギレリスも見事に応え、ここでは、鋼鉄のピアニストの看板を投げ捨て、セルとともに、温かみのある演奏を繰り広げているのが素晴らしい。

ギレリスのピアノは、ハッタリや過剰なロマンは皆無、素晴らしい粒立ちのタッチで、1つ1つの音符を慈しむように丁寧に弾き、それが素晴らしい叙情性を生む。

それでいて、ピアノとオケ双方が一切の甘えを排した、解釈も含めておそらく最も厳しいベートーヴェン演奏とも言える。

隅から隅まで表現がシンクロしており、協奏曲表現としては、これを超える演奏は難しいのではないだろうか。

細かい合わせも見事(ピアノ独奏からオケの総奏になだれ込むところを聴くべし!)で、鳥肌が立つ。

セルはやはり上手いし、最高の演奏効果が実現するギレリスの演奏スタイルも、ベートーヴェンにピッタリで、もう何から何まで筋書き通り。

緊張感を伴いながらの精妙で美しい演奏は、ギレリスのピアノとセル&クリーヴランド管弦楽団の特質が見事に合致したことを示すもので、その澄み切った音楽は感興に満ちた素晴らしさに富んでいる。

いわば両者のベートーヴェンの音楽に対する愛着が滲み出て来るような演奏で、力技や効果狙いは皆無、ゆっくり目のテンポ、掌の上で音楽を大切に転がすような取り扱いが、なにか忘れていたものを大切に差し出させれているようだ。

両者が共に1つの世界を作り出すことをここまで徹底して実現したこの記録は、多くの人に賞賛されてしかるべきだと思う。

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2015年02月27日


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ギレリスとセルという名手同士ががっぷり四つに組んで作り上げた名演だ。

クリーヴランド管弦楽団をセルの楽器と称されるまでに徹底的に鍛え上げたセル、そして、鋼鉄のピアニストとの評価がなされたギレリスの両者の組み合わせ。

この両者が組んだ協奏曲は、何か血も涙もないような冷徹な演奏に陥ってしまうのではないかとの懸念もあったが、本盤を聴いて、それは杞憂に終わった。

それどころか、燃えたぎる緊張感の中にも精妙で美しい演奏は、ギレリスのピアノとセル&クリーヴランド管弦楽団の特質が見事に合致したもので、その澄み切った音楽は感興に満ちており、実に懐の深い滋味溢れる名演に仕上がっている。

このような名演になった要因は、最晩年のセルの芸風にあると言えるだろう。

確かに、1960年代前半までのセル&クリーヴランド管弦楽団の演奏は、精緻なアンサンブルが売りであった。

オーケストラのすべての楽器の音が1つになるような鉄壁さは脅威とさえ言えるもので、筆者も、セル亡き後のクリーヴランド管弦楽団のレコーディングにおいて、いまだにその残滓があることに唖然とした記憶がある。

そうしたセルも、1960年代後半の最晩年になると、精緻なアンサンブルを維持しつつ、ある種の柔軟性が出てきたように思う。

それが、単なる老化によるものか、それとも、芸風の深化によるものかは定かではないが、いずれにせよ、演奏に滋味豊かさが加わったのは事実である。

そんな滋味溢れる名演の1つが本盤であると考える。

そうしたセルの演奏に、ギレリスも見事に応え、ここでは、鋼鉄のピアニストの看板を投げ捨て、セルとともに、温かみのある演奏を繰り広げているのが素晴らしい。

それでいて、ピアノとオケ双方が一切の甘えを排した、解釈も含めておそらく最も厳しい「皇帝」演奏とも言える。

隅から隅まで表現がシンクロしており、協奏曲表現としては、これを超える演奏は難しいのではないだろうか。

細かい合わせも見事(ピアノ独奏からオケの総奏になだれ込むところを聴くべし!)で、鳥肌が立つ。

セルはやはり上手いし、最高の演奏効果が実現するギレリスの演奏スタイルも、この作品にピッタリで、もう何から何まで表題通り。

冒頭のカデンツァ、あまりにも眩しいピアノの響きに心打たれ、胸を高鳴らせたのは筆者だけではないはずだ。

両者が共に1つの世界を作り出すことをここまで徹底して実現したこの記録は、多くの人に賞賛されてしかるべきだと思う。

併録の小品は、鋼鉄のピアニストたるギレリスの面目躍如たる、強靭な打鍵をベースとした重戦車の進軍のようなパワフルな演奏で、やや力づくの嫌いはないではなく、こちらの方は名演とは言い難い。

HQCD化によって、音質がより鮮明になった点は評価したい。

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2015年02月24日


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エミール・ギレリスとオイゲン・ヨッフム、2人の巨匠ががっぷり四つに組んだ名演として長く語り継がれている名盤。

ギレリスのピアノもヨッフム&ベルリン・フィルも、大規模作品にふさわしい表現のスケールを獲得した、雄大かつ非常に力強い有名な演奏で、これらの作品では筆頭に挙げられ続けている名盤中の名盤。

鋼鉄のピアニストであるギレリスと穏健長老派指揮者のヨッフムという、一見すると水と油のように思える組み合わせであるが、本盤を聴くとそれが杞憂であることがよくわかる。

ヨッフムの温かくも、決して隙間風の吹かない重厚な指揮ぶりがブラームスの渋い曲想に見事にマッチしており、加えて、ブラームスの協奏曲の難曲とも言われるピアノパートを力強い打鍵で弾き抜いていくギレリスの強靭なピアニズム。

演奏が悪かろうはずがなく、ギレリスが遺した最上の録音の1つと言える。

これら両者を、当時、最高の状態にあったベルリン・フィルが好サポートしており、役者三者が揃い踏みの本盤は、両協奏曲の数々の名演の中でも、ベストを争う名演に仕上がっていると高く評価したい。

特に、ギレリスにとっての初録音というのは意外であったが、ピアノ協奏曲第1番が超名演である。

鋼鉄のピアニストと言われたギレリスの鋭いタッチによる素晴らしい演奏で、ひとつひとつの音からして芯が強く、オーケストラとの呼吸も見事である。

冒頭の雷鳴のようなテーリヒェンのティンパニのド迫力には度肝を抜かれるし、随所に見られる枯れた味わいも感動的だ。

ギレリスも、決してテクニックを誇示するのではなく、ブラームスの青雲の志を描いた楽曲への深い共感の下、めまぐるしく変化する楽想を適切に捉えた絶妙の表現を示している点を評価したい。

ギレリスとヨッフム、日本では正当に評価されているとは必ずしも言えない両横綱のぶつかり合いが生んだ、奇跡の結晶と言えるだろう。

ピアノ協奏曲第2番もギレリス晩年の境地を十分に伝える名演で、わけても第3楽章の深い瞑想の世界は、他の演奏を大きく引き離した名演と言える。

このようなギレリスの派手さを抑え、遅めのテンポの深く、静かなピアノに、ヨッフムの指揮は素晴らしくマッチし、素晴らしい名演奏となった。

第1楽章など、確かに迫力には欠けるものの、聴き込む度に味わいの深さが感じられ、演奏のインパクトでは他の演奏に一歩譲るものの、いつまでも聴いていたいと思わせる。

幻想曲集も名演。

さらに今回のリマスタリングで音質にいっそう磨きがかかり、どこをとっても音響が充実しているという意味では、これ以上の演奏は考えられないというくらい気持ちのよい音がリスニング・ルームを埋め尽くしてくれる。

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2015年01月13日


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モーツァルトが死の年に書いた最後のピアノ協奏曲は、晩年の彼特有の清澄な作品として知られており、その作品の本質を的確に捉えた詩情溢れる演奏として高い評価を得たアルバム。

本盤が録音された1973年は、巨匠ベームがまだまだ数々の名演を成し遂げていた時期である。

当時、ドイツの正統派の巨匠と目されていた全盛期のベームと、これまた当時絶頂期にあった鋼鉄のピアニストであるギレリスの組み合わせ。

一見すると水と油のような関係、しかもベームのモーツァルトのピアノ協奏曲第27番には、バックハウスと組んだ歴史的名盤がある。

このような数々のハンディに鑑みると、本演奏の不利は否めないところであるが、聴き終えてそれは杞憂に終わった。

意外にも、この組み合わせはなかなかに合うのである。

ベームは、いつものように厳しい造型の下、重厚でシンフォニックな演奏を行っている。

派手さはなく、スコアに書かれている音符を真摯にかつ重厚に鳴らしていくという質実剛健たるアプローチだ。

それでいて、モーツァルトに不可欠の高貴な優美さにも不足はなく、全盛期のベームならではの名演と言えるだろう。

ギレリスも、ベートーヴェンの演奏で見せるような峻厳さはなく、モーツァルトの楽曲に相応しい繊細で優美なタッチを見せている。

特に第2楽章は1音1音を慈しむかのように大事に奏されていて、まるで子供が弾いているかのように純真無垢な演奏である。

いや、むしろ小さな子供を慈しむ親の心境と言えるかもしれない。

バックハウスの演奏の影に隠れがちであるが、ギレリスのこの演奏も素晴らしい魅力を持ったものであり忘れてはならない演奏である。

まさに意外な組み合わせによる異色の名演と評価したい。

2台のピアノのための協奏曲も、同様のアプローチによる名演で、特にギレリスの愛娘であるエレーナ・ギレリスのピアノが聴かれるのも貴重だ。

実の親子による演奏のためか、息のピッタリとあったと思える演奏である。

ベートーヴェンの演奏で見せる切れのある、力強い面とは異なるギレリスの一面がこれらの演奏から読み取れるのではないだろうか。

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2014年07月08日


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ギレリスとゲルバー、2大巨匠がN響と共演した貴重なライヴ。

どちらもそのスケールの大きさと円熟ぶりで聴衆に強い感銘を与え、今日でも語り草となっている。

一点も曖昧にしないギレリスの完璧さ、独特のナイーヴな煌めきに満ちたゲルバー、ともに絶品と言えるものであり、その幻の音源が初登場。

サヴァリッシュ指揮のN響ともども、まるでヨーロッパに於けるコンサートを聴いているような感にとらわれる。

ギレリスのライヴ録音は、スタジオでの録音に比べ、ある程度勢いに任せるため、聴いていて面白い場合が多い。

格調の高さと激しさをもった「皇帝」で、ギレリスの元来の特長である音符一つ一つを弾き逃すまいとする姿勢と、ライヴゆえの熱気からくる堅い強音が感じられる演奏である。

特に、第1楽章中間部の強音は凄まじいものがあり、肺腑にくるほどで、また、技巧でねじ伏せるような一面も見せている。

素早く、大きなクレッシェンドで飾られたアルペジオは聴く者を演奏に引きずり込み、後期ソナタ集で見られた禁欲的な音楽ではない。

非常に興に乗った演奏であるが、派手一辺倒な演奏ではなく全体の構成に沿った演奏内容となっており、不自然さがない。

また、テンポをいじることもなく、標準的なテンポ〜少し遅いくらいで纏められており、こういった部分に筆者はギレリスの生真面目さを感じる。

バックについては可もなく不可もないといったところだが、金管の使い方が面白い場面がいくつかあった。

基本的にはピアノの方針に沿った、きっちりと刻むようなリズム中心の音楽づくりで、さっぱりとしている。

ギレリスの歌い回しが少々堅いので、その差分を補給している点は良い。

得意であるらしいバッハのピアノ編曲物が付いているのもうれしい。

一方、ゲルバーは、技巧やパワーは申し分がないが、一番すぐれているのは歌い回しであろう。

強烈に引き付けられるわけではないが、魅力的であり、対旋律の弾き方にも個性が表れている。

本人はこれに気づいていないようであり、どこで盛り上げるかばかりに気を使っているようで、狙いを定めたようにギヤを変えるので何が起こるのかが透けてしまうのだ。

フォルテの部分では惜しげもなく力を注ぐと言った印象で、雑に聴こえる個所もある。

そういった部分をここで聴くと出来が悪いわけではないが、一気に聴いていると気になってしまうのだ。

見得を切ること主眼に置いた演奏と言えるかもしれず、そうした場面での語彙の少なさも見受けられた。

文字どおりガンガン弾いていて若々しいと言い訳できるレベルではあるが、その弾き方がはまる部分は実にスリリングで熱い。

バックはギレリスとの演奏と殆ど同じで、可もなく不可もないといったところである。

両演奏とも音質は、他のN響85周年記念シリーズと同程度で、大手レーベルのスタジオ録音の様な明瞭さはないにしても、音楽を楽しむという点のみに目的を絞れば全く問題ないレベルといって良く、残響が強めのFM録音といった感じである。

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2014年05月03日


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モーツァルトは、1960年11月のライヴ、チャイコフスキーは1965年3月のライヴで、全て良好なモノラル・ライヴ録音。

ギレリスが旧東独の巨匠と共演した凄絶なライヴ。

チェイコフスキーはギレリス&ケーゲルという東側期待の顔合わせで、予想を裏切らない激演ライヴ。

第1楽章冒頭のホルンは、やはりケーゲル、どこかうつろに始まるが、続くギレリスの強靭な打鍵が激しい。

あたかもギレリスはハンマーで鍵盤を叩いたような激しい弾きっぷりで、ケーゲルの伴奏が、オケとピアノ、バランスがとれていないような、とてもがっぷりくんでいるような、さすがの絡み。

第2楽章は、微妙な美しさで聴き手を魅了し、そして転がり落ちて行くような、激走の第3楽章は、ところどころテンポが落ちながら、最後は花火が打ち上がるように爆発して終息。

意外に拍手は最後の音にかぶさらない。

これを聴いたら、他が物足りなくなる演奏だ(ホロヴィッツ盤を除く)。

コンヴィチュニーとの第21番も硬質なモーツァルトがとてもいい感じで聴ける。

この1枚、改めてギレリスの凄さを思った。

というのも、伴奏はコンヴィチュニーとケーゲルという実力者。

それなのに、聴き手の注意は知らず知らずのうちにピアノに吸い付けられてしまうのである。

清潔なピアノで美しく奏でられるモーツァルトもさることながら、ケーゲルの謹厳な伴奏を得た十八番のチャイコフスキーに於ける豪快で、大胆、それでいて計算し尽された名技の奔流・・・。

堂々たると言おうか、スター性、カリスマ性と言ってもいいが、いつの間にか、われこそが主人公という存在感でその場を支配してしまう。

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2014年04月25日


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「鋼鉄のピアニズム」と言われて一世を風靡したギレリスお得意の超骨太のチャイコフスキーである。

機械のように正確な技巧と繊細な叙情性を併せ持った演奏は、日本でも多くのファンを獲得した。

情熱的で雄大なスケールのうちにも詩情豊かな味わいを持つ絶品のチャイコフスキーだ。

過度な化粧や装飾をそぎ落とし、しっかりとした構成をベースに明確な輪郭を形成し、その内面をロマンティックな表情で固める彼の演奏の凛とした姿勢がここに示されている。

数あるCDの中で、「あのセンチメンタリズムにはついていけない・・・」と言われた吉田秀和氏ばりの硬派な方にぴったりの演奏が、このギレリス&マゼール盤。

ギレリスをサポートするマゼールの巧みさも必聴で、テンポの伸縮も凄まじい。

受けて立つギレリスは音響的ハレーション寸前、ピアノが壊れるのではないかというほどに容赦ないフォルティッシモをこれでもかと浴びせかけてくる。

これに対してマゼールはたっぷり間をとって、ほわっとした感じのテヌートぎみのフレージングで、ここはチェロ、ここは木管、ここは金管というように各声部を過剰に強調しながら、場面を切りかえ、ギレリスの過剰な強打をかわしていく。

超劇的な展開かと思いきや、次は肩すかしの弱音で攻める。

こんな面白い演奏は他には見当たらない。

チャイコフスキーの意図との整合性はともあれ、かのホロヴィッツ&トスカニーニ盤に匹敵するカタルシスを味わえるCDである。

数あるギレリスのチャイコフスキーの中でも、空前絶後(抱腹絶倒)の名演だ。

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ブラームスのピアノ協奏曲第2番の演奏史上、スコアを完璧に音化した演奏ということができる。

ライナー&シカゴ交響楽団の技量は圧巻であり、アンサンブルなどいささかも弛緩することはない。

金管楽器も木管楽器も完璧な技量を披露している。

ギレリスも凄い。

鋼鉄のピアニストと称されたギレリスであるが、本盤は、その面目躍如たる硬質のタッチを示している。

ギレリスは、後年に、ヨッフムと同曲を録音しているが、そちらの方は、やや角の取れた柔らかさがあり、ギレリスらしさと言えば、本盤に軍配があがると考える。

こうした鉄壁のライナー&シカゴ交響楽団と、鋼鉄のギレリスのピアノが組み合わさると、まさに完璧な演奏が生み出されることになるのは必定だ。

第1楽章や第2楽章など、抒情的な美しさなど薬にしたくもなく、圧巻の音塊が炸裂する。

第3楽章になると、シュタルケルのチェロなど、美しい箇所も散見されるが、終楽章になると、再び凄まじい進軍が開始される。

この演奏を評価する聴き手も多いと思われる。

それは、演奏技術として非のうちどころがないからである。

しかしながら、筆者としては、これがチャイコフスキーだったら、どんなに感動的な演奏になったのだろうかと思ってしまうのだ。

要は、ブラームスの場合、何かが足りないのではないか。

ブラームスには、卓越した技量や圧倒的な迫力だけではなく、人生の苦みを感じさせるような深みのある表現も不可欠ではないか。

そう思う時、この完璧な演奏を無条件で推薦するわけにはいかないのである。

録音は、XRCDによる鮮明な高音質であるが、特に、オーケストラの音色がデッドに響く箇所があり、それがいささか気になった。

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2013年06月19日


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ロシアが生んだ最も強靭さと重量感を兼ね備えたピアニスト、エミール・ギレリスが、チャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番に好演を聴かせたとしても、なんら不思議ではないように思われる。

しかしギレリスについて語られる時には、意外にチャイコフスキーよりもベートーヴェンをはじめとするドイツ音楽であることが少なくない。

そして、それが、ギレリスの音楽の方向や性格をある程度示唆しているようにも思える。

その彼のチャイコフスキーのピアノ協奏曲の録音では、このライナー=シカゴ響との演奏のほかに、晩年のメータとのライヴもあるが、前者の方に、ギレリスの演奏史の原点ともいえる壮年期の逞しさを聴くのも楽しい。

ライナー指揮によるシカゴ響がつくり出す一分の隙もないような音楽に、堂々と正面から力で挑んでいるギレリスのピアノが、実に剛毅で力強い。

筋肉質のタッチをもった集中力のあるチャイコフスキーである。

ラフマニノフはまさにギレリスの面目躍如で、圧倒的な技巧と豊かな情感が深いところで結び付いている。

途方もないようなスケールの大きさ、周囲のものをなぎ倒してでも進むような逞しいエネルギー、外に向かって爆発するような力、内側に向かって果てしなく沈潜していくような力、そして、その両方の力の微妙なバランス等々、この曲の再現に求められているほとんどすべてといっていい要素を、ギレリスの演奏はカヴァーし得ている。

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2011年01月30日


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この協奏曲のディスクとして、まず最初に指折られるべきもののひとつがギレリス&セル盤である。

というと先日書いた記事の内容と矛盾するかもしれないが、以前発売されていた盤は1968年の録音にしては録音状態がパッとせず、なにかヴェールをかぶったようなモコモコした音に不満があったからである。

しかし、ここに再発されたディスクは、最新のテクノロジーを駆使して音質が改善され、ギレリスとセルの格調高く卓越した演奏が聴けるようになった。旧盤と甲乙つけがたい。

この演奏は、ピアノ独奏者の傑出した力量、指揮者の透徹したセンス、オーケストラの卓越した能力などが相まって「名盤」の名に恥じないような充実した出来ばえになっている。

もともとギレリスというピアニストは図抜けた底力をもっているのだが、ここではじつに洗練された抑制が効いており、強と弱、剛と柔、急と緩、濃と淡などの対比が鮮やかで、全体のバランスがよい。

押して出るべきところは堂々と押して出てくるし、逆に、ひくべきところは的確にひいている。

整然とした抒情的な美しさと、ベートーヴェンの音楽ならではの強靭さとが、少しも無理なく共存しているピアノといえよう。

加えて、クリーヴランド管を指揮するセルの音楽づくりが極めて緻密、かつ精密。

独奏者をときに支えたり、ときに彼と対抗したりしながら、隙のない音楽をつくりあげていく様子がなんとも見事である。

筋肉質の、ひきしまった伴奏をつけながら、そこには大輪の花が咲き出しているかのようだ。

弱奏を多用し極めて繊細・緻密にピアノを響かせるギレリス。緻密なアンサンブルで細部までキリリと見通しのよい響きを作るセル。

この《皇帝》は、過剰な身振りを削ぎ落としてちょっと室内楽的な趣がある。

ともに力量のある独奏者、指揮者、それにオーケストラが、それぞれ自分のよさをいかしながら、共通の目標である"ベートーヴェン"に向かって力を合わせようとしている。

その力の合わせ方が、ほどよく抑制がきき、確信に満ちており、とてもよい。

「壮大」に辟易した耳にはこの演奏はよく効く。

いかにも風格ある者同士(オーケストラも含めて)の共同作業という感じだ。

強靭な構成力に貫かれた造型的演奏内容である。

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2011年01月26日


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ギレリスの最初の西側での録音は、ベートーヴェンのピアノ協奏曲だった。

クリュイタンスとヴァンデルノートの指揮のパリ音楽院管弦楽団と第1番から第3番をモノーラルで入れたあと、ルートヴィヒ指揮フィルハーモニア管弦楽団と第4番と第5番をステレオで入れたものである。

ギレリスは、のちにセルともベートーヴェンのピアノ協奏曲全集を残している。

だが、少なくとも第4番と第5番は、レオポルド・ルートヴィヒ指揮フィルハーモニア管弦楽団と入れた旧録音のほうが魅力的だ。

れっきとしたステレオ録音だが、ギレリスが西側で演奏をし始めた頃の録音であり、なによりも覇気に満ちた溌剌とした演奏が素晴らしい。

辣腕ピアニストのイメージはこの頃つくられたのであろうが、同時に爽やかな抒情味も欠いていないのは、とくに第4番では重要なポイントだ。

ギレリスに充分にソリスティックな活躍の余地を与えるルートヴィヒの指揮は、オペラで鍛えたドイツのカペルマイスターのそれで、今は貴重な記録だ。

《皇帝》も、第4番と同じく、覇気に満ちた溌剌とした表現、冴えわたるタッチと万全の指のコントロールを存分に聴かせてくれる。

のちのセルとの全集の影に忘れられてしまっては、あまりに惜しい若き日のギレリスの記念すべき演奏である。

また、この時代(1957年)のフィルハーモニア管弦楽団は、つねに安定した実力を誇り、ここでも、名匠ルートヴィヒと理想の協奏曲演奏を展開している。

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2010年10月25日


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ブラームスのピアノ四重奏曲第1番の演奏に当たっては、当然ながらピアノにかかっている役割は大きい。

ピアニストがヤワであったりしたら、この難曲は正しくは再現できないであろう。

その点、ここに聴くギレリスのピアノは万全である。

強靭な打鍵を主に、各表現を堂々とクリアしていく様は、じつにすばらしい。

抜群の安定感を誇りながら、しかも表情豊か。たくましいブラームスを描き出している。

この曲におけるピアニストとしては申し分のない重責を果たし得た演奏といえよう。

それに対するアマデウス弦楽四重奏団員も、時にスケール大きく、ときにデリケートに、よく配慮の行き届いた演奏で全体を盛り上げている。

他に類を見ないような固有の表現領域をもったブラームスのピアノ曲、バラードの世界は、強い表現力がなければもちろんダメだけれど、かといって、過度に主情的になりすぎてもかえって格好がつかなくなってしまう。

そうしたバランスをとるのが、なかなかに難しい。

その点、ここに聴くギレリスのピアノは、どこから見てもまさに万全といえよう。

各種の強い表現力を随所に示しながらも、ある一定の方向だけに偏ってしまったクセのようなものにはなっていない。すべてが的確に整っている。

まさに、真に力量のある芸術家が、大いなる余裕を保ちながら、もてるすべてを対象にぶつけようとして、立派にそれに成功したような再現といえよう。

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2010年09月30日


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ギレリスはロシアではじめてモーツァルトを本格的にとりあげたピアニストのひとりだそうだが、1970年1月28日、ギレリスのDG初録音となったザルツブルク・モーツァルテウムにおけるライヴは、彼のモーツァルトのすばらしさを強く印象づけた。

収録されているのはすべてモーツァルトの曲。

ソナタの第3番と第8番、二短調の幻想曲、それにK398の変奏曲である(2枚目にはベームとのピアノ協奏曲第27番他も含まれている)。

ここにおけるギレリスは、それぞれ矜持あふれ、自立した音を駆使して、造型的にも情感的にも確固とした世界を築き上げており、すばらしい。

他ではあまり聴けないような格調の高さをもったモーツァルトだ。

この時期、ギレリスは各地でモーツァルトを集中的に演奏したが、まったく曖昧さのない明晰な音と洗練された表現がすばらしく、とくに後半の二短調の幻想曲とイ短調ソナタは、ギレリスが真の円熟期を迎えていたことをはっきり物語っている。

ギレリスの円熟をはっきりと印象づけた名盤で、卓抜な技巧と清澄で美しく確かな芯をもつ音によって弾かれた音楽は、いかにもしなやかで気宇が大きく、同時にそこには作品への透徹した読みがとても親しみ深く歌われている。

このギレリスの演奏からは、モーツァルトの音楽に対する限りない愛情と優しさが伝わってくる。

しかしその愛情と優しさは、決して表面的でヤワなものではなく、音楽を突き放すところから生まれる、いわば"生"の深淵を覗き込むような眼差しがあり、"音楽"がまさに音楽であると同時に"哲学"になっている。

そうしたギレリスの凄さは格別であり、まさに大人の演奏である。

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2009年02月20日


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「まさに君そのもののように、信じられぬ程美しく、偉大でかつ愛らしく、深遠で高貴である」とこの曲についてワーグナーは、リストに宛てた手紙の中で述べた。

リストはこの曲をシューマンが「幻想曲」を自分に捧げてくれた返礼として、シューマンに献呈した。

単一楽章で書かれている幻想曲ふうのこのソナタは、5つのテーマが変容し、拡大し、複雑な構造を基盤とした巨大な建造物と言ったほうがふさわしい作品である。

ポリーニは、そのような構成を完璧な技巧によってあらわにしているが、例えば、楽譜に「グランディオーソ」と記されたところで、リストがロマン主義的情感を最大限に込めた主題(愛の主題と呼んでもよいだろう)の所になると、全体を形づくっている一つの素材といった印象しか与えず、情感に欠けているのである。

ギレリスの演奏は、逆巻く奔流、嵐のようでありながら、愛の主題では、美しい音色に支えられ、音楽が一瞬止まってしまうのではないかと思われるような弾き方で、息づまるような心の動きを伝えている。

リストの高邁な思考、ロマン主義的激情を、ギレリス盤ほど見事に表現した演奏もあるまい。

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2009年02月15日


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モーツァルト最後のピアノ協奏曲で、澄みきった超俗的な美しさに満ちた佳曲だが、その姿は様々に描かれる。

この曲の演奏では、まずギレリス/ベーム盤を挙げたい。

ここでのギレリスのピアノは、どの音も力を抜いた柔らかなタッチだが、それでも一つ一つの音の輪郭がくっきりと手に取るように聴こえてくる。

純粋に透明で、こだわりのない軽やかさの横溢したこの演奏は、天空を駆けるがごとき美しさはこうしたものを言うのだろうと思わせるものだ。

この録音が、しかもウィーン・フィルのバックで残されたことは幸運だったと言えるだろう。

この曲では伴奏部の充実も大きな特徴だが、率直で控えめなギレリスに対する、ベームのニュアンス豊かな掛け合い、あるいはぴったりと寄り添って伴走して行く音楽に奥行きの深さを感じる。

ここでのギレリスは、グリーグの抒情小曲集のように親しげに語りかけてくる可憐な演奏だ。

ギレリスとベームの作り出す音楽の無理のない自然さが、聴く者を素直にさせる力を持っている。

黄金の組み合わせながら、一般にあまり評価されていないこのディスクを高く評価したい。

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2008年11月30日


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これは故ギレリスが残した最上の演奏の一つである。

非常に遅いテンポからブラームスの複雑な音型を丁寧に解きほぐし、それによって作曲者の心が比類なく伝わってくる。

地響きを立てるような凄まじいダイナミズムも決して力まかせにはならず、逆に何気ない部分にも表情がよく出て、カンタービレや情感が生きている。

特に第1番では、これほど立派な第1楽章の演奏は、そう滅多に聴けるものではない。

"鋼鉄のピアニスト"といわれたギレリスの鋭いタッチは、ブラームスの、若き日の苦悩の時代に書かれたこの作品にぴったりの厳しさをもっている。

ひとつひとつの音からして芯が強く、激しくオーケストラとわたりあう部分になっても、少しの揺るぎもないのが見事だ。

特筆すべきはヨッフムの老練な指揮ぶりで、断然素晴らしい。

ベルリン・フィルを存分に鳴らしながら、これぞブラームスだ!といった重厚な響きをつくりあげている。

特に第1楽章は凄絶さの限りをつくしている。

第2番でも全体に強靭なタッチで、男性的に弾きあげながらも、抒情的で詩的な"歌心"にあふれているのが魅力だ。

ギレリスが成し遂げた最も感動的なブラームスである。

演奏スタイルは旧録と変わっていないが、フィナーレのテーマが本当のグラツィオーソで弾かれているのを聴けば、ギレリスの到達した奥深い音楽の世界が理解されるだろう。

テンポは全体に遅く、ブラームスの書いた複雑な楽想を、ピアニスト、指揮者が一体になって、丁寧に解きほぐし、そこに新しい光を当てている。

ギレリスは若いころから一切の粉飾を排し、音楽の核心に鋭く切り込んでゆくような演奏をしてきた人だけに、晩年のこの演奏には、そうした特徴のうえに、さらに精神的な厚みが加わっている。

ヨッフムも、ベルリン・フィルを存分に鳴らしながら、構えのしっかりとした音楽をつくりあげている。

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2008年07月10日


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全10集からギレリスが20曲を選んだもので、ギレリスは暗い情熱を表出しながら、北欧的なファンタジーを濃厚に引き出していて聴かせてくれる。

明晰ながらも暖かく深い音でもって各曲の曲想を描き分けており、その多様な表情のうちにリリカルな詩情が自ずと立ちのぼってくる。

「ノルウェーの踊り」や「家路」などのようなリズミカルな作品では、ギレリスは惚れ惚れとするような鮮やかなリズム感を示す一方、「アリエッタ」や「郷愁」などテンポの遅い曲では間然とするところのない歌を聴かせる。

しかも、少しも構えたところを感じさせない。グリーグの表現した一つ一つの小宇宙に対してギレリスが深い共感と愛情でもって接しているのが伝わってくる。

こうした小曲においては、ギレリスの完成度の高い音楽をたっぷりと楽しむことができる。

これを超えるような演奏はなかなか出てこないのではないだろうか。

ギレリスというとわが国では鋼鉄のピアニストという面ばかりが強調されてきたきらいがある。

確かに彼は強固な技巧と力強いパワーを持っていた。

しかしその一方で、彼が豊かな叙情的感性の持ち主だったことを忘れてはなるまい。

このグリーグの「抒情小曲集」は、ギレリスのそうした叙情的側面を如実に示す素晴らしい1枚だ。

グリーグの小品のロマン的な深みを改めて認識させられるような演奏である。

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2008年02月13日


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ギレリス後期のレコーディング活動は、ベートーヴェンのピアノ・ソナタ全集がメインとなった。

残念なことに、彼の突然の死によって、全集の完成はあと5曲を残して未完になってしまったものの、録音された27曲の演奏内容はどれも充実したものばかり。

ゆったりとした歌が魅力で、これらの名曲を手中にした自信のようなものがあり、未完ではあっても、今日のベートーヴェン演奏の最高の指針といえよう。

かつての「鋼鉄の腕をもつピアニスト」も、すっかり角がとれて、福徳円満な巨匠に円熟している。

聴きものはやはり後期のピアノ・ソナタ。

「ハンマー・クラヴィーア」は驚くほど高い透明度を持った演奏。

あたかも作品の構造そのものが自らの意志で音楽として鳴り響くという趣だが、これは知と情が作品の特質に従ったバランスを見せるということで、完璧に音楽的な演奏といえる。

余分な感情の動きや情緒のひだがまとわりつくということもない。

そしてギレリスのいわば構造的演奏は第4楽章のフーガでその真価を十全に発揮している。

ひとつの規範となる現代的解釈の名演。

第30番と第31番は1985年10月に急逝したギレリスが残した文字通り最後の録音。

いずれも流麗な演奏で、年齢からは考えられないほどみずみずしい響きだ。

特に第31番は出色の出来で、フィナーレのフーガの前に置かれているアダージョ・マ・ノン・トロッポは、もの悲しい淋しさをしずしずと歌いあげ、弛緩した趣が全くなくてさすが。

ここにはギレリスが到達した最後の境地が示されている。

しかもこの2曲からは、強い精神集中の向こうに、より開かれた世界をうかがい知ることができる。

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1985年に69歳の誕生日を目前にして没したギレリスは、晩年ベートーヴェンのピアノ・ソナタ全曲録音に取り組んでいたが、残念なことに未完のままに終わった。

彼の残した演奏はいずれも特筆すべきもので、その強靭なタッチと正確無比なピアニズムはベートーヴェンに最も相応しい。

そうしたギレリスにぴったりの最後のソナタ第32番が録音されなかったのは本当に残念だが、録音された作品に聴くギレリスの精神の集中力には驚くべきものがある。

つまりギレリスの演奏は、ベートーヴェンこそ彼が真に対決すべき作曲家であったことを如実に物語っているのだ。

その豊かな表現の底には常に鋼の精神があり、ベートーヴェン作品の大きさと奥行きの深さをよく知らしめる演奏である。

ギレリスのベートーヴェンのディスクはいずれも高い評価を得ているが、全体のスケールが大きいだけでなく、細部のすみずみまで磨き抜かれた演奏で、1音1音があざやかに浮かび上がってくる。

力強い一方で、内に秘められたデリケートな抒情性が何とも心憎い。

各部のバランスも良く、非常に安定している。

それぞれの曲の冒頭から聴き手をひきつけ、最後まで緊張感がとぎれないのはさすがである。

ギレリスの強靭なタッチとダイナミック・レンジの広さも魅力的で、彼はつねにコントロールを失うことなく、オーソドックスに、ひとつひとつの音を積み重ねて、音の大建築を作り上げていく。

甘さはないが、格調高い演奏である。

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2007年12月21日


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ギレリスは1972年にもヨッフム&ベルリン・フィルとの共演で、この協奏曲を録音しているが、本盤はそれより約15年前の録音。

この録音は、絶頂期の最高の状態のギレリスの演奏を楽しませてくれると同時に、ライナー=シカゴ響の桁外れの実力を、とくに鮮明に伝えてくれる演奏である。

抜群のテクニックと美しくも重量感のあるタッチで、この大作を雄渾に語り進めていくギレリスのピアノは、これこそがヴィルトゥオーゾであるという強い実感を抱かせずにはおかないものである。

1958年録音だが、ギレリスは腰の強い締まったタッチで存分に激しい力感を表出し、音楽の運びも明確で淀みがない。

ときとして粘りや柔らかみに不足するが、自己のスタイルの範囲内で感情も込めている。

これ以上なくブレンドのよいサウンドを駆使して、しなやかでありながらも引き締まったバックアップをみせているライナーの対処も、これが本物のブラームスの響きだという確信を与えずにはおかない。

とくにまろやかなホルンの音色の抜群の美しさなどは、他に例がないものである。 

ライナーの指揮は厳しいアンサンブルと迫力が印象的で、曲想のきりりとした対比に独自のものがある。

雰囲気には欠けるが、ギレリスとともに思いきりのよさが快い。

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