バックハウス

2015年09月10日


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本セットには、バックハウスがイッセルシュテット&ウィーン・フィルとともに行ったベートーヴェンのピアノ協奏曲全集などが収められているが、いずれの楽曲の演奏も神々しささえ感じさせるような至高の超名演だ。

本セットに収められた各楽曲の演奏が既に録音から半世紀以上が経過しており、単純に技量面だけに着目すれば更に優れた演奏も数多く生み出されてはいるが、その音楽内容の精神的な深みにおいては、今なお本演奏を凌駕するものがあらわれていないというのは殆ど驚異的ですらある。

バックハウスの経歴をみればわかるように、彼は19世紀最良のベートーヴェン弾きだったダルベールの唯一と言ってよい指導を受けた貴重なピアニストであり、彼がデッカに吹き込んだ録音はドイツ鍵盤音楽の極点であることは誰でも知っている。

だが、バックハウスが壮年のアラウのように教条主義的なまでにドイツ的なピアニストだったか、それは考えてみる余地がある。

若い頃のバックハウスはバルトークが「メトロノームの権化のようだ」と評したように、メカニックの正確さとほかの同年代の演奏家よりもはるかにモダンな、つまり、テンポルバートを廃した演奏をしていたのだし、彼の初期の録音はメカニックだけが優れたインテンポの演奏が目立つ。

しかし、この1950年代後半の録音、つまり、デッカに吹き込まれたものは若かりしバックハウスとはまったく違う。

ここには、譜面をきちんと読み、それを演奏している基本的なものと、完全な技術でもって聴衆を魅了するというだけでない、長い間ベートーヴェンにあったドイツの伝統、つまり、シュナーベルの古い録音にも通じるような伝統と革新という水と油が共存する、バックハウスにしか演奏できない音楽となっている。

まさに長年ベートーヴェンを弾き込んできたバックハウスの、巨人的な演奏の一面を知ることのできる全集で、すこぶる雄渾な演奏である。

内容の彫りの深さ、ドイツ的ながっしりとした構成力の素晴らしさは、見事の一語に尽きる。

まさに本演奏こそは、例えばベートーヴェンの交響曲などでのフルトヴェングラーによる演奏と同様に、ドイツ音楽の精神的な神髄を描出するフラッグシップの役割を担っているとさえ言えるだろう。

バックハウスのピアノはいささかも奇を衒うことなく、悠揚迫らぬテンポで曲想を描き出していくというものだ。

飾り気など薬にしたくもなく、聴き手に微笑みかけることなど皆無であることから、聴きようによっては素っ気なささえ感じさせるきらいがないわけではない。

しかしながら、かかる古武士のような演奏には独特の風格があり、各フレーズの端々から滲み出してくる滋味豊かなニュアンスは、奥深い情感に満ち溢れている。

全体の造型はきわめて堅固であり、スケールは雄渾の極み。

その演奏の威容には峻厳たるものがあると言えるところであり、聴き手もただただ居住まいを正さずにはいられないほどだ。

したがって、本演奏を聴く際には、聴く側も相当の気構えを要すると言える。

バックハウスと覇を争ったケンプの名演には、万人に微笑みかけるある種の親しみやすさがあることから、少々体調が悪くてもその魅力を堪能することが可能であるが、バックハウスの場合は、よほど体調が良くないとその魅力を味わうことは困難であるという、容易に人を寄せ付けないような厳しい側面があり、まさに孤高の至芸と言っても過言ではないのではないかとさえ考えられる。

バックハウスとケンプについてはそれぞれに熱烈な信者が存在し、その優劣について論争が続いているが、筆者としてはいずれもベートーヴェンの至高の名演であり、容易に優劣を付けられるものではないと考えている。

イッセルシュテットの指揮も、バックハウスの意図をよく汲み取った名伴奏であり、ウィーン・フィルの優雅な音色を十全に生かしたもので、曲の美しさを改めて見直させる。

録音は英デッカによる高音質であり、リマスタリングされたこともあって、従来盤でも十分に満足できる高音質に仕上がっている。

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2015年06月16日


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ベートーヴェンを演奏して最高の巨匠であったウィルヘルム・バックハウスは、また、ブラームスでも比類のないピアニズムを示して、技巧は豪快、深い精神美とストイックな抒情性で、独特の威厳を感じさせる名演を聴かせた。

ことにブラームスの2曲のピアノ協奏曲は、バックハウスが生涯を通じて愛奏した作品であった。

とりわけピアノ協奏曲第2番は1903年という19歳の時、ハンス・リヒターの指揮で初の公開演奏して以来お得意の曲で、1954年春、初めて(そして最後の)来日した時にも東京交響楽団の定期演奏会(1954年4月12日)に上田仁の指揮により弾いている。

さらに、最後のザルツブルク音楽祭となった1968年夏のベーム指揮、ウィーン・フィル演奏会(1968年8月18日)と、同じ顔合わせによるバックハウス最後の協奏曲録音(1967年4月、ウィーン・ゾフィエンザール)でも、ブラームスの第2番がとりあげられた。

そしてこのベームとは、遥かSPレコード時代の昔にも、ザクセン国立管弦楽団の共演で《第2》をレコーディングしているのである。

いわば、ブラームスのピアノ協奏曲第2番こそ、大ピアニスト、バックハウスの名刺代わりの名曲に他ならなかった。

バックハウスを古くから聴いてきたファンの1人として思うのだが、SPとモノーラル録音のLP、そしてステレオと、前後3回にわたるブラームスの《第2》のバックハウスを聴くと、どれもベストの出来とは言えないところであり、やはり1953年にウィーンのムジークフェラインザールでライヴ録音された、クレメンス・クラウスと共演した本盤が最上の出来映えである。

歳をとっても技巧の衰えや造型力の弱まりを見せなかったバックハウスだけに、1953年という69歳の時点は全盛期のさなかと言って良かったし、指揮のクラウスもまた、端正で気品と格調の高さを感じさせる表現が円熟の極みに達して、ウィーン・フィルから至高のブラームスの響きを導き出している。

当時のウィーン・フィルに、戦後の立ち直りの早さを聴きとり、第1ヴァイオリンにボスコフスキーとバリリが並び、木管にカメッシュ(Ob)、ウラッハ(Cl)、エールベルガー(Fg)、ホルンにフライベルクといった名人級の奏者が健在だったことを想像するのも、この《第2》でのオーケストラの出来映えが、ウィーン・フィルとしても最高の水準を聴かせてくれることによる。

第1楽章、柔らかいホルンの呼び声に応じて出現するピアノの、穏やかだが精神力の込められた含蓄の深い演奏の何という雰囲気か。

木管につづくピアノのカデンツァで、次第に力感を凝集させる左手の低音、ブラームスの音楽のファンダメンタルは、この低音の雄弁さによって支えられる。

管弦楽の第1、第2主題提示の、どこか明るい響きの陰翳こそ、クラウスの表現のすばらしい聴きどころだろう。

管弦楽のシンフォニックな構成に包まれて、バックハウスのピアノは曲が進むにつれて光彩と迫力を増し、情感のふくよかさ、技巧の切れ味で圧倒的なクライマックスを作り出す。

第2楽章スケルツォをリードするピアノの厳しい表情と弦の優美な主題の見事な対比、スタッカート主題で始まる中間部の管弦楽の彫りの深さに、オクターヴをppで奏するピアノが反応する個所のバックハウス。

第3楽章でチェロ独奏が歌って行くロマンティックな旋律は、ブラームス・ファンの愛惜してやまぬ情緒の美しさだが、それを装飾するかのごとく弾くピアノの控えめな表情、軽やかなタッチ、内省的で、まさに絶妙なピアノとウィーン・フィルの弦が呼応する。

第4楽章では、バックハウスの力量と音楽性がさらに圧倒的な凝集力を見せ、クラウス指揮のきりりと引き締まったリズム感と厳しいダイナミックスは、いっそうの直截さでピアノと手を結ぶ。

1953年という録音年代にしては、管弦楽の自然な響きで捉えられ、バックハウスのピアノも力強さと柔らかいニュアンスももって再生され、古いけれど良好な音質である。

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2015年06月15日


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ベートーヴェンを演奏して最高の巨匠であったウィルヘルム・バックハウスは、同時に、ブラームスのピアノ作品においても、比類のないピアニズムを示し、技巧は豪快、深い精神美とストイックな抒情性で、独特の威厳を感じさせる名演をもって有名だった。

ことにブラームスの青春の情熱と円熟の沈潜を代表する力作という2つのピアノ協奏曲にかけては、バックハウスの右に出るピアニストはなかった、と言っても過言ではない。

そのうちの《第2》はシューリヒト指揮のウィーン・フィル(1952年録音、モノーラル)と、ベーム指揮のウィーン・フィル(1967年録音、ステレオ)という新旧2種のスタジオ録音の名演が残されている(他に1930年代のSP録音も存在する)が、《第1》のほうは、1953年にウィーンで録音されたこのCD復刻盤が唯一のものとなった。

同曲は、作品が書かれた当時はもちろんのこと、現代のシンフォニックな作品のレパートリーとしても、管弦楽のパートの激烈で緻密過剰なことで知られる難曲である。

したがってこの曲は、独奏者がよほど力量のあるピアニストでないと、ただでも圧倒的で分厚い管弦楽の響きの中に埋没してしまうだろう。

ピアノがむしろ管弦楽を伴奏しているようなところさえある。

それでいて、これはピアニストにとって物凄く厄介な技巧を要求される難曲でありながら、ほんのいくつかの印象的なソロ以外は、それほどピアニスティックな演奏効果があがらない作品である。

この協奏曲を弾いて聴衆に強烈な印象を与えるのは、並大抵のことではない。

それに加えて、オーケストラの出来も問題となってくるのであって、巨匠的なピアニストに対抗できる大指揮者と名オーケストラが絶対必要なのである。

その点で、バックハウスがカール・ベームの指揮するウィーン・フィルという最高の協演者とともに録音したこの演奏こそ、録音がモノーラル時代のものであることを除けば、あらゆる意味で、この曲の理想的な演奏が聴ける1つの典型と言って良いだろう。

1953年6月という時点でウィルヘルム・バックハウスは69歳、歳をとっても技巧の衰えや造型力の弱まりを見せなかった彼だけに、69歳はまだまだ全盛期のさなかであった。

巨人的スケールの大きさと切れの冴えた技巧、ストイックだが、こまやかな情感のぬくもりを表現の陰翳に隠したバックハウスのピアノは、この曲のピアノ・パートが示す息の長い情感の底流を見事に捉えて、圧倒的な演奏を構築して行く。

筆者がこの演奏でとりわけ好んでいるところを、いくつか書き出してみよう。

まず第1楽章では、長い管弦楽提示部がppで結ばれ、待ちに待ったピアノが、柔らかいタッチに内面の芯の強さを隠して、pでエスプレッシーヴォと指定されたフレーズを奏し始めるところ。

表情をぐっと抑えて、しかも荘重な響きを持続し、次第に表現と響きにふくらみを持たせる、あの出だしである。

だがバックハウスのすばらしさがもっと直接に理解できるのは、ポコ・ピウ・モデラートの第2主題を弾き出す独奏部であり、さらにショッキングなダブル・オクターヴで颯爽と出る展開部の入りの劇的パッセージであろう。

第2主題では再現部のほうがより美しく、提示部では左手のバスの動きに意味を持たせたのに、今度は和声全体の響きを磨くのに耳を吸い寄せられる。

そして、これこそ圧巻と言いたいのは、ポコ・ピウ・アニマートのコーダに入ってからのピアノの威容である。

まだ50代だったベームが全力でウィーン・フィルから絞り出すffの和弦の林立する中を、揺るぎなき大地に両足をしっかりと踏みしめたような安定感を示しながら、あの両手のダブル・オクターヴによるffの音階的パッセージを連続させつつ猛烈なクライマックスにひた走るバックハウスの弾きっぷり!

全軍の先頭に立って堂々進軍する王者の風格といいたい豪壮無類のピアニズムである。

この楽章の再現部からコーダの演奏は、筆者がこれまで聴いてきた数多いこの曲の演奏のどれよりもすばらしい。

バックハウスも偉大なのだが、ベームとウィーン・フィルも凄い。

コーダは全く息もつかさず、結びのffの4つの和音の圧倒的な気力充実ぶりは、ピアノの両手の主和音ともに最後の音が十分に引き伸ばされて終わった瞬間、聴いていて思わず立ち上がって叫びたくなった程の強烈さだった。

第2楽章のバックハウスらしい武骨さの感じられる抒情のたゆたい、ウィーン・フィルの憧れにむせぶような弦、中間部のクラリネットのひとくさり! きっと、これはウラッハが吹いているに相違ない。

そして豪放な終楽章。

録音が、もう少し新しければと思うが、これでも十分だ。

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2014年12月06日


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両曲ともに、ピアニスト、指揮者、オーケストラの3拍子が揃った、ピアノ協奏曲の醍醐味を存分に味わうことができる至高・至純の超名演である。

バックハウス=ベーム=ウィーン・フィルは深い信頼関係で結ばれており、この黄金トリオによるモーツァルトの27番、ブラームスの2番の協奏曲はザルツブルクやウィーンでの最大の呼び物であった。

英デッカにもセッション録音していて、いまだに決定盤の評価を得ているこの2曲のザルツブルク・ライヴがついに1枚のCDで登場。

とりわけブラームスはバックハウス最後のザルツブルクでの演奏曲目で、吉田秀和氏は会場で初めて生でバックハウスを聴いた感想を「あの曲のソロの冒頭にある長いアルペッジョの始まる低音の『深々とした厚み』とでもいいたいような感触は格別に印象的であった」と綴っている。

ブラームスのピアノ協奏曲第2番は、ピア二ストにとっても難曲ではあるが、オーケストレーションが交響曲並みに分厚いことで知られる。

要するに、ピアノ入りの交響曲とも言うべき特徴を備えており、それ故に、ピアニストだけでなく、指揮者やオーケストラにも相当の力量のある役者が揃わないと、楽曲の魅力を発揮することは著しく困難になる。

本演奏は1968年の録音であるが、この当時はベームの全盛時代で、厳しい造型の下、隙間風の吹かない重厚なアプローチを繰り広げており、それが同曲の性格に見事に符合している。

バックハウスは最晩年とは思えないような武骨とも言うべき力強いタッチを示しており、ベームともども最高のパフォーマンスを示している。

この両者の重厚ではあるが、武骨で巧言令色とは無縁の渋いアプローチを、ウィーン・フィルの美演によって、角の取れた柔和なものにしていることも特筆すべきであり、これら3者の絶妙なコラボレーションが、同曲史上最高の名演を生み出したと言っても過言ではあるまい。

モーツァルトは、ブラームスよりもさらに8年ほど前の演奏であるが、バックハウスの武骨なアプローチは、本来はモーツァルトの曲とは水と油の関係と言ってもいいのに、本演奏では、そのような違和感はどこにも感じられない。

それは、曲が第27番というモーツァルト最晩年の人生の諦観のような要素を多分に持った作品であることも要因の一つであると考えられる。

ベームは、得意のモーツァルトだけに、水を得た魚のように躍動感溢れる指揮をしており、ウィーン・フィルの演奏も例によって美しい。

英デッカのスタジオ録音を愛聴しているファンには、聴き逃すことのできない一盤と言えよう。

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2014年11月17日


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本盤には、バックハウスが録音した最初のモノラル録音のベートーヴェンのピアノ・ソナタ全集から抜粋した有名な3曲が収められている。

いずれも神々しささえ感じさせるような至高の超名演だ。

本盤の3曲については既に録音から60年近く経過しており、単純に技量面だけに着目すれば更に優れた演奏も数多く生み出されてはいるが、その音楽内容の精神的な深みにおいては、今なお本演奏を凌駕するものがあらわれていないというのは殆ど驚異的ですらある。

まさに本演奏こそは、例えばベートーヴェンの交響曲などでのフルトヴェングラーによる演奏と同様に、ドイツ音楽の精神的な神髄を描出するフラッグシップの役割を担っているとさえ言えるだろう。

バックハウスのピアノはいささかも奇を衒うことなく、悠揚迫らぬテンポで曲想を描き出していくというものだ。

飾り気など薬にしたくもなく、聴き手に微笑みかけることなど皆無であることから、聴きようによっては素っ気なささえ感じさせるきらいがないわけではない。

しかしながら、かかる古武士のような演奏には独特の風格があり、各フレーズの端々から滲み出してくる滋味豊かなニュアンスは、奥深い情感に満ち溢れている。

全体の造型はきわめて堅固であり、スケールは雄渾の極み。

その演奏の威容には峻厳たるものがあると言えるところであり、聴き手もただただ居住まいを正さずにはいられないほどだ。

したがって、本演奏を聴く際には、聴く側も相当の気構えを要する。

バックハウスと覇を争ったケンプの名演には、万人に微笑みかけるある種の親しみやすさがあることから、少々体調が悪くてもその魅力を堪能することが可能であるが、バックハウスの場合は、よほど体調が良くないとその魅力を味わうことは困難であるという、容易に人を寄せ付けないような厳しい側面があり、まさに孤高の至芸と言っても過言ではないのではないかとさえ考えられる。

バックハウスとケンプについてはそれぞれに熱烈な信者が存在し、その優劣について論争が続いているが、筆者としてはいずれもベートーヴェンのピアノ・ソナタの至高の名演であり、容易に優劣を付けられるものではないと考えている。

音質は1950年代前半のモノラル録音であるが、英デッカによる高音質であり、従来盤でも十分に満足できるレベルに達している。

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2014年06月28日


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鍵盤の師子王と呼ばれたバックハウスと若き日に強烈無比な演奏をしていたショルティというとんでもなく衝撃的な顔合わせのケルンでのライヴ録音の登場だ。

バックハウスが残した『皇帝』協奏曲には3種のセッション録音の他にもシューリヒトやクナッパーツブッシュとのライヴ録音があったが、これにまだ少壮であったショルティとの爽快な共演が加わった。

バックハウスが72歳(1884年3月生まれ)、1956年の『皇帝』は、まだ43歳で血気盛んなショルティ(同年ザルツブルク音楽祭にデビュー)との願ってもない顔合わせで、衰え知らずその一歩もゆずらぬやりとりからライヴの醍醐味ここに尽きるといった感で屈指の聴きもの。

ピアノ協奏曲はピアノのためにあるのだとつくづく感じさせる演奏でもあり、バックハウスの巨大な度量は計り知れない。

録音当時バックハウスは年齢的には老年期であったが、最晩年の枯淡の境地に至る前の最円熟期の演奏と言えるものであり、そのピアノの鳴りっぷりの良さは燦然たる素晴らしさだ。

ベートーヴェンを知悉し尽した境涯から生まれる即興性は、なるほどと唸らざるを得ない。

当時頭角をめきめきとあらわしつつあった生気のあるショルティの演奏もさわやかな白熱ぶりで楽しく、その指揮ぶりは、筆者の好む、アシュケナージ、シカゴ響との録音を思い出させる新鮮でエネルギッシュなもの。

バックハウスはこれから3年後に、S=イッセルシュテット&ウィーン・フィルとかの有名なデッカ録音を残すことになるのだが、この時期にかくも立派な演奏が繰り広げられていたとは!

魔性の魅惑を備えた演奏ではないが、王道を行く名演のひとつと言えるものであり、久しぶりに『皇帝』らしい『皇帝』を聴いた満足感に満たされた。

また、2度目のスタジオ盤全集中の録音と同じ年にあたる『ワルトシュタイン』ソナタのライヴでは揺るぎない打鍵が圧倒的に素晴らしく、堅牢な構築美と風格ある技巧で強い感銘を与える名演だ。

バックハウスによる不滅のベートーヴェン演奏が味わえる。

ショパンのエチュードはSP時代に決定的名盤を残したバックハウスの切り札なのだが、実演ではこれが唯一の記録だろう。

演奏は取り立てて評するところはないが、曲間で指慣らしの和音を挿入して、次の曲の調性へ誘うバックハウスならではの余興があるのが乙だ。

ショパンを除くすべて、WDRのオリジナル・マスターからの復刻でやはりこの年代としては驚異的な音質で蘇ったことも大きな収穫である。

これは筆者にとって貴重な1枚となった。

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2014年06月27日


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バックハウスが1950〜54年に録音したベートーヴェン:ピアノ・ソナタ全集のモノラル録音は、録音史上における最大の芸術的遺産の一つと断言する事に筆者は躊躇しないが、その録音を補完して、彼のライヴにおける姿を知る為にもうひとつ重要な録音が、この1954年に録音された、「カーネギー・ホール・リサイタル」である。

ステレオ録音でしかバックハウスを知らない人は、この録音を聴くと大いに驚く事であろう。

ここに聴くバックハウスの姿は、まさに即興性の塊で、インテンポの中に絶妙な揺らぎや加速などが交錯する事によって、生々しい一期一会の芸術的神秘、音楽の迫真性を獲得している。

これこそがバックハウスの芸術の真髄だったのだ。

このディスクの中でも特に第32番の演奏は、20世紀最大のベートーヴェン解釈者としてのバックハウスの最高の記録であると筆者は断言したい。

第32番はベートーヴェンの晩年屈指の名曲として知られており、通なクラシックファンの間で同曲を溺愛する人が決して少なく事を筆者は承知しているが、おそらくそういう人たちもこのバックハウスの解釈を聴くと間違いなく仰天することだろう。

 
第1楽章は8:10、第2楽章は13:25であるが、問題は第2楽章であり、これ程、演奏時間が短い同曲の演奏は殆ど皆無だ。

なぜこれ程短いのかと言うと、前半のアダージョが次第に加速を帯びて途中から完全にアンダンテになっているからである。

これは同録音のみならず、他日の録音にも聴かれるバックハウスの同曲に対する一貫した解釈なのであるが、これについては「弾き飛ばし」であると批難する声が一般にあるのを筆者ならずとも耳にすることであろう。

しかし、ここにこそ、バックハウスの本質があると言って良い。

バックハウスはこの曲について、多くのピアニストが第2楽章前半のアダージョ部で表現しようとする「人間的な感情への沈潜」を徹底的に拒否しようとしているのではないだろうか。

人間的感傷を吹き飛ばして、一気に天の高みに飛翔する事こそがバックハウスが同曲に見出したベートーヴェンの姿であったと、この演奏を聴くと理解される。

ベートーヴェンの第32番に興味のある人、またバックハウスのベートーヴェン解釈に興味ある人には必聴の録音であるとお薦めしたい。

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2014年06月20日


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1969年4月18日 ベルリン・フィルハーモニーでのライヴ(ステレオ)録音。

バックハウスが不世出のベートーヴェン弾きであることに異論を唱える方はまずいないだろう。

これは1899年にフランクフルトでバックハウスがダルベールに師事したことに由来しているが、ピアノの流派を弟子から師匠へ遡ると、[バックハウス→ダルベール→リスト→ツェルニー→ベートーヴェン]となり、すなわち、バックハウスはベートーヴェン直系の弟子筋にあたるのだ。

音楽評論家で自らも高名なピアニストのワルター・ニーマンが「新古典主義者」と評したバックハウスのスタイルは、がっちりとした構成と主情的表現が皆無というのが特色で、まさしくベートーヴェンこそは、バックハウスのピアニズムが遺憾なく発揮されるレパートリーと言えるだろう。

バックハウス最晩年のこれらの演奏は、いずれも神々しささえ感じさせるような至高の超名演だ。

単純に技量面だけに着目すれば更に優れた演奏も数多く生み出されてはいるが、その音楽内容の精神的な深みにおいては、今なお本演奏を凌駕するものがあらわれていないというのは殆ど驚異的ですらある。

まさに本演奏こそは、例えばベートーヴェンの交響曲などでのフルトヴェングラーによる演奏と同様に、ドイツ音楽の精神的な神髄を描出するフラッグシップの役割を担っているとさえ言えるだろう。

バックハウスのピアノはいささかも奇を衒うことなく、悠揚迫らぬテンポで曲想を描き出していくというものだ。

飾り気など薬にしたくもなく、聴き手に微笑みかけることなど皆無であることから、聴きようによっては素っ気なささえ感じさせるきらいがないわけではない。

しかしながら、かかる古武士のような演奏には独特の風格があり、各フレーズの端々から滲み出してくる滋味豊かなニュアンスは、奥深い情感に満ち溢れている。

全体の造型はきわめて堅固であり、スケールは雄渾の極み。

その演奏の威容には峻厳たるものがあると言えるところであり、聴き手もただただ居住まいを正さずにはいられないほどだ。

したがって、本演奏を聴く際には、聴く側も相当の気構えを要する。

バックハウスと覇を争ったケンプの名演には、万人に微笑みかけるある種の親しみやすさがあることから、少々体調が悪くてもその魅力を堪能することが可能であるが、バックハウスの場合は、よほど体調が良くないとその魅力を味わうことは困難であるという、容易に人を寄せ付けないような厳しい側面があり、まさに孤高の至芸と言っても過言ではないのではないかとさえ考えられる。

バックハウスとケンプについてはそれぞれに熱烈な信者が存在し、その優劣について論争が続いているが、筆者としてはいずれもベートーヴェンのピアノ・ソナタの至高の名演であり、容易に優劣を付けられるものではないと考えている。

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モーツァルト:ピアノ協奏曲第27番 (ベーム指揮ウィーン・フィル、1956年1月ライヴと1960年8月ライヴ)。

ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第4番(クナッパーツブッシュ指揮ウィーン・フィル、1957年1月ライヴ) (カンテルリ指揮ニューヨーク・フィル、1956年3月ライヴ)。

ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第5番「皇帝」 (カイルベルト指揮シュトウットガルト放送響、1953年3月ライヴ)、(シューリヒト指揮ルガノ放送響、1961年4月27日ライヴ) (コンヴィチュニー指揮ゲヴァントハウス管、1960年4月20日ライヴ)。

ガツンと心に来る、鍵盤の獅子王のベーゼンドルファー、バックハウスの協奏曲ライヴ、大指揮者との重厚で凄絶な競演の数々。

まさに壮観という他ないバックハウスの協奏曲ライヴ集。

モーツァルトは第27番を2種、ベートーヴェンでは、第4番を2種、「皇帝」を3種も味わうことができる。

バックハウスが如何にレパートリーを絞り、繰り返し、その演奏内容の向上に傾注していたかが判る。

それに加え、当時の大指揮者が協奏曲の伴奏をどのように考えていたかも手に取るように判る好企画。

なぜかと言うとピアノ協奏曲はオーケストラ部分の重要性が高いジャンルであるからだ。

第4番で言えば、カンテルリは言うなれば押し付けがましい感じの伴奏で、主役は俺だと言わんばかりである。

クナもマイペース、カイルベルトはソリストと競うかのように煽りを加えて対抗心がむき出し、シューリヒトは天衣無縫なようで、ソリストの見せ場をちゃんと守っている様子、ベームはいつでも高水準で模範的、コンヴィチュニーがやはり古式ゆかし立派な伴奏で、風格も五分五分と言ったところ。

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2014年04月10日


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バックハウスの演奏そのものの出来から言えば、デッカのステレオ盤を選択するのが妥当だろうが、ここではあえてこのクナッパーツブッシュと共演した1954年のライヴをあげる。

その理由は伴奏が何とも個性的だからだ。

まず、ウィーン・フィルの個々の奏者がこの指揮者の悠然たる棒に乗って嬉々として演奏しており、その結果として著しく甘美な味わいをまき散らしているのだ。

独奏の方はあくまでも淡々としているのだが、逆に伴奏はどうころがるのかわからない危うさを秘めており、この不可思議な対比が面白い。

音質はまずまずではあるが……。

ところで、最近の情報だとこの時の映像が残されているという(しかも、部分ではなく全曲らしい)。

どのレーベルでもいいから1日も早くDVD化して欲しい。

シューマンの「第4」は、1956年、シュターツカペレ・ドレスデンとのライヴであるが、クナッパーツブッシュの圧倒的なパワーが直截に発揮されたという意味では、有名なウィーン・フィル盤より一層クナッパーツブッシュらしい演奏と言うことができる。

クナッパーツブッシュは、最初の一撃からシューマンの悩みを粉砕せずにはおれない。

悩みを愉しむ、という陰が一切なく、常に健康的で逞しい。

ティンパニの強打や金管の咆哮など、ウィーンの典雅さに包まれていない分、物凄い迫力である。

第3楽章の推進力も、まだ若々しいパワーを有していた1950年代のクナッパーツブッシュならではだ。

筆者としては、このクナッパーツブッシュの演奏ような人間的大きさで、作品の憂鬱を吹き飛ばすという対処で、病気を愛する病人による演奏に関わらないようにしたい。

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「皇帝」は、冒頭の部分だけとはいえ、このようなハチャメチャなライヴがよくぞ正規のCDで登場したものである。

しょっぱなからピアノとオーケストラが同時に出るところが、指揮者の棒振りのタイミングの遅さで完全にズレてしまっている。

しかも、2度目はほとんど意図的とさえ思えるほど指揮者の棒が遅いために、ぽっかりと大きく穴があいてしまっているのだ。

恐らく、バックハウスは終演後この行為に激怒したに違いないのだが、それでも両者はその後も何回か共演しているらしく、この怠け者指揮者と実直で正統派のピアニストはどこかで相通じるものがあったのだろう。

しかし、タイプこそ違っても、大きな器を持った演奏家が現代には何と少ないことか。

「第8」にはいろいろな解釈の仕方があるようだが、ぴったりくるのはワインガルトナーやシュミット=イッセルシュテットのようなウィーン風の小味な表現だ。

逆にトスカニーニ、ワルター、フルトヴェングラー、シェルヘンなどは、どことなく違和感が残る。

わけてもクナッパーツブッシュの超スロー・テンポによる極大のスケールと味の濃い演奏はその最たるものだが、このくらい徹底すると有無を言わさず納得させられてしまう。

それというのも、クナの芸術性が抜群だからであろう。

曲の内容は異常にふくらみ、形はデフォルメされ、ものものしくも情熱的に進み、ときには苦しみや怒りとなり、豪傑笑いも見せる。

第1楽章からテンポは遅いが、推進力に溢れた音楽の運びがすばらしい。

第2楽章はデリカシーのあるチャーミングな演奏であり、第3楽章は「気合の入った」メヌエットになっている。

第4楽章は、冒頭が手探りのように始まるところがいかにもクナッパーツブッシュであるが、凛とした立体的な演奏が実に見事である。

クナッパーツブッシュの遅いテンポに何ら違和感のない筆者であるが、曲のしなやかなフォルムからはいささか外れた、特異な「名演」なのだと思う。

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2013年12月18日


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本全集は、バックハウスがスタジオ録音を行った2度にわたるベートーヴェンのピアノ・ソナタ全集のうち、1959〜1969年にかけて行ったステレオ録音(第29番のみステレオによる再録音を果たすことが出来なかった)による全集であるが、いずれの楽曲の演奏も神々しささえ感じさせるような至高の超名演だ。

本全集に収められた各楽曲の演奏の殆どが既に録音からほぼ50年が経過しており、単純に技量面だけに着目すれば更に優れた演奏も数多く生み出されてはいるが、その音楽内容の精神的な深みにおいては、今なお本演奏を凌駕するものがあらわれていないというのは殆ど驚異的ですらある。

まさに本演奏こそは、例えばベートーヴェンの交響曲などでのフルトヴェングラーによる演奏と同様に、ドイツ音楽の精神的な神髄を描出するフラッグシップの役割を担っているとさえ言えるだろう。

バックハウスのピアノはいささかも奇を衒うことなく、悠揚迫らぬテンポで曲想を描き出していくというものだ。

飾り気など薬にしたくもなく、聴き手に微笑みかけることなど皆無であることから、聴きようによっては素っ気なささえ感じさせるきらいがないわけではない。

しかしながら、かかる古武士のような演奏には独特の風格があり、各フレーズの端々から滲み出してくる滋味豊かなニュアンスは、奥深い情感に満ち溢れている。

全体の造型はきわめて堅固であり、スケールは雄渾の極み。

その演奏の威容には峻厳たるものがあると言えるところであり、聴き手もただただ居住まいを正さずにはいられないほどだ。

したがって、本演奏を聴く際には、聴く側も相当の気構えを要する。

バックハウスと覇を争ったケンプの名演には、万人に微笑みかけるある種の親しみやすさがあることから、少々体調が悪くてもその魅力を堪能することが可能であるが、バックハウスの場合は、よほど体調が良くないとその魅力を味わうことは困難であるという、容易に人を寄せ付けないような厳しい側面があり、まさに孤高の至芸と言っても過言ではないのではないだろうか。

バックハウスとケンプについてはそれぞれに熱烈な信者が存在し、その優劣について論争が続いているが、筆者としてはいずれもベートーヴェンのピアノ・ソナタの至高の名演であり、容易に優劣を付けられるものではないと考えている。

録音は英デッカによる高音質であり、この超廉価の輸入盤でも十分に満足できる高音質と言える。

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2012年01月17日


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バックハウスは、実は意外に幅広いレパートリーをもったピアニストであった。

若い頃は"鍵盤の獅子王"と呼ばれた技巧派で、いかなる難曲もさらりと弾いてしまうほどであったが、それが逆に冷たい演奏という印象を与えてもいたようだ。

ピアニスティックなショパンを弾いていたのもその頃であったが、やがて外面的な美を追求することをやめ、作曲家の精神あるいは作品の本質に迫る姿勢に変わって、素朴で武骨な、いかにも男性的な演奏を聴かせるようになった。

そうしたバックハウスの真価が最高度に発揮される場がベートーヴェンであったと考えるのは、決して筆者だけではないだろう。

そして、このピアノ・ソナタ全集は、S=イッセルシュテットと共演したピアノ協奏曲全集と並んで、彼のベートーヴェンの真髄を味わうことのできる録音になっている。

ステレオ録音による新全集と比較すると少し音質は古いが、ここに示された堅固で揺るぎない構成力、重厚で重みのある響き、強靭な集中力の持続、彫りが深く格調の高い造形的美観などは、衰えをみせる前の彼ならではの持ち味であり、それは、このピアニストの本領を鮮やかに伝えているのである。

その表現は威厳のある風格を備えると同時に、優しさを感じさせ、特にこのベートーヴェンには隙のない技巧に加えて、独特の味わいがある。

変にうまそうに弾いたり、媚びたり、小才を利かせたりするところがいっさいなく、ピアニズムを感じさせずに、作曲者の魂が深く重厚に、立体的に、交響的に迫ってくる。

最も偉大で立派な音楽があり、この全集に肉薄し得るのは最晩年のアラウのみであろう。

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2011年06月12日


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バックハウスについては、ベートーヴェンとともにブラームスがよく語られるが、それもまた、たんなる規範といった次元をこえた超然たる音楽の世界を展開していた。

そのブラームスのピアノ協奏曲については、彼は、どちらかといえば第2番の方を好んだのかもしれない。

それには4回の録音があるからだが、第1番に関しては、ステレオ時代のレコーディングがまったくなく、来日の前年、1953年にベーム=ウィーン・フィルと録音されたこのモノーラル盤が貴重な存在をなしている。

バックハウスとベームは表面的な美しさには目もくれず、素朴さを基調としながら、魂がそのまま語りかけるような意味深い名演を行っている。

あらゆる音を同等に響かせて分厚い立派さを創造するバックハウス、熱っぽさに武骨な憧れを加味したベーム、と本当に素晴らしい演奏だ。

当然、条件としては最上とはいえないが、バックハウスとベームとの間にあるスタイルへの自然の合意が、密度の高いブラームス演奏の一つの典型を生み出している。

ドイツ古典派とロマン派のピアノ曲、とくにスケールの大きな作品の演奏となると、バックハウスにかなうものはいない。

とくにベートーヴェンやブラームスのピアノ協奏曲は彼の独壇場といっても過言ではない。

しかもブラームスの第2番は彼のオハコであり、他の追随を許さない。

この曲をフィジカルに熟知しているウィーン・フィル、その構成感に徹底的に通じたベーム、そしてその両者を身につけたバックハウスの間には一分の隙もなく、しかも融通無碍に呼吸し合い、黄金の三位一体を実現している。

50年もののブランデーの芳醇な味わいそのもの。

そのような自然でまろやかな成熟感に富む演奏は、このところとんと聴かれなくなってしまった。

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2011年06月11日


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ウィーン・フィルがもっとも「ウィーン的」な味わいに満ちた演奏を行なっていた時代、ピアノ協奏曲を演奏する時のソリストはバックハウスと決まっていた。

そうした時代にきわめて中堅から大指揮者へと歩みを進めていたベームは、バックハウスととりわけ相性が良かった。

「鍵盤の獅子王」などという異名をとったバックハウスだが、現代の我々の耳からすると(異論はあろうが)、その多くの録音は徐々に過去の記録となりつつある。

彼の剛直なタッチは、現代の運動生理学上でも合理的なタッチを知る耳にとっては、時に乱暴に聞こえる。

その技術的限界(かつては最高のヴィルトゥオーゾであった事は認めるにしても)は、しばしば音楽の流れを寸詰まりにさせたり、不用意な打鍵による不満を感じさせる。

ブラームスの協奏曲やベートーヴェンのピアノ・ソナタといった定評高い録音も例外ではない。

しかし、このモーツァルトだけは、ベームとウィーン・フィルと共に全く別の優美極まりない音楽を奏でている。

バックハウスの最上の録音である。

ブラームスのピアノ協奏曲第2番の演奏は、堂々たる風格があり、全ての音をつかんで鳴らし切るシンフォニックな表現の第1楽章、タッチもリズムも弾き方もきわめてごつごつした、これこそドイツ音楽といえる第2楽章、きれいごとの一切ない第3楽章、芸術の極みといえる第4楽章と、バックハウスの第2番は常に最高である。

普通のピアニストとはまったく違う、詩的な物憂さがなんともいえない。

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2010年12月17日


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1925年を最後にアメリカでの活動を中断していたバックハウスは、1954年、28年ぶりにアメリカを訪れ、カーネギー・ホールでリサイタルを持った。

これは、それから2年後の1956年に再びカーネギー・ホールで行われたリサイタルのライヴ録音であるが、その頃に唯一となった日本での公演が実現されているだけに、記録としても貴重である。

ベートーヴェンのソナタを連ねたあとに、シューベルトとショパンやシューマンといった作曲家のロマン的な小品が置かれた興味ある1枚である。

バックハウスは、どんな難曲も見事にこなす技巧を誇り、「鍵盤の獅子王」と呼ばれていたが、このアルバムにも表れているように、ただ指が敏速に動くというのではない。

そのタッチの集まりが豊満で力強い響き、濁りのない美しいフォルテを生み、それが骨太な構築、質実剛健な演奏につながっている。

一方、演奏家が本当に得意な曲目に絞って録音していたこの時代、バックハウスも或る時期からレパートリーを限定した。

この貴重なライヴにも、彼の得意な、あるいは好んだ曲目が並ぶ。

ベートーヴェンのソナタ2曲では、彫りの深い造形が成されている。

《月光》では淡々と弾きながらも、この曲のもつ情感をよく表出していて、きわめて訴えかける力の強い演奏だ。

《ハンマークラヴィーア》ではスケールの雄大な、巨人的風格にあふれた演奏で、「鍵盤の獅子王」と呼ばれたバックハウスの面目が躍如としている。

アンコールの小品4曲では、この巨匠の淡々としたなかにも素朴な美しさ、作品への深い愛着が滲み出る。

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2009年06月04日


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ドイツの巨匠バックハウスの質実剛健というべき特質がよく示された1枚である。

バックハウスはブラームスの演奏を得意としていたが、ここに収められた12曲の性格的小品となると、彼得意の荘重な表現力を生かすのは難しい。

しかし、かといって器用に演奏しようとしないのが彼らしい。

気取った演奏は無用とばかり、訥々とした語り口ながら、そこに大家の風格を漂わせている。

逞しく骨張った音、叙情に溺れない剛毅さ、ときに無愛想とさえ思えるような淡々とした表情、ブラームスのピアノ曲にロマン的情緒を求める人にはあまりにもそっけなく感じられる演奏といえるかもしれないが、聴き込むほどにその飾らない素朴さのうちに渋い味わいが感じられてくる。

そうした味わいはまさにブラームスの音楽に対する深い洞察から生まれてくるものだろう。

なかでも「6つの小品」の第3番バラード、カプリチオ、間奏曲変ホ長調の3曲が特に印象的な演奏だ。

また作品118-6の深い絶望感、作品76-2や119-2の不安な気分、作品117-1の内省的な歌などにみる曲の本質のみを露わにするような語り口は、バックハウスならではのものだ。

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2009年05月21日


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この巨匠の晩年のライヴで、実に堂々とした演奏である。

バックハウスがしっかりしたテクニックで、この巨匠にとってのモーツァルトの在り方を確実に伝えてくれる。

それはまさに骨太の音楽であり、順序は逆だが、まさにベートーヴェンの延長線上の、あるいはそうした音楽の形成原理と理念で解釈されたモーツァルトである。

バックハウスのモーツァルトは何と骨太で、しかもモーツァルトの音楽の実質をよく据えていることか。

決して自分にも、聴き手にも媚びることはない。どこにも作られた表現がないのだ。

この5曲を彼はしばしば演奏していたはずだが、ここには職業的な慣れがいささかも感じられない。

生涯を閉じるまで演奏し続けたピアニストの根底にあったもの、それを支え続けたものがここに感知できよう。

K.457はかなりベートーヴェン的な表現で、緊迫した雰囲気よりも暗い情熱のあらわれたもので、とにかく迫力にみちている。

k.475はスケールの大きな、きわめて構成のしっかりとした演奏で、その彫りの深さには心を打たれる。

K.511は内面的な感情の襞をじっくりと表現していて、さすが、と思わせる。

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2009年05月20日


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1956年のモーツァルト生誕200年を記念して録音されたものである。

バックハウス晩年の枯れた芸の極致とでもいえるような内容の深さをもった演奏で、モーツァルトの音楽としてはやや重厚にすぎるが、聴き込めば聴き込むほどに味の出てくる名演だ。

ここにはバックハウスの巨匠的な人間性がまざまざと表れている。

モーツァルトの音楽に秘められていたベートーヴェン的な意志力と、ソナタ形式に対する驚くべき可能性への予見が格調高く示されている。

みずみずしい美しさをたたえた音とまろやかで厚みのある響きは、ピアノという楽器を知りつくした名手にして初めて弾き出せる質の音質だ。

バックハウスのモーツァルトも内田光子同様、決して享楽的な気分で聴ける演奏ではないが、晩年を迎えた巨匠がまるで童子に返ったように、無心の境地で音楽と戯れる風情は、なんともいえず感動的である。

「鍵盤の獅子王」と呼ばれたバックハウスが、一切の我欲を捨て去り、ただひたすらモーツァルトと戯れたこの演奏は、彼を知る者にとってはかけがえのない遺産になるだろう。

特にK.332とK.330が傑出した演奏。

録音はさすがに古くなったが、純正のステレオ録音であり、CD化によってずいぶん音が若返っている。

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2009年04月12日


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バックハウスならではの端然とした表現にひかれるディスクだ。

バックハウスのようなヴィルトゥオーゾ型のピアニストが演奏した《楽興の時》は、いうなれば「鶏を割くに牛刀を用いたケース」と考える人がいるかもしれない。

周囲を見れば小曲向きの、小回りのきく器用なピアニストが少なくないではないか、と。確かにそうなのだが、この種のピアニストが演奏した《楽興の時》には、共通する短所がある。とかく作品が矮小化されてしまうこと。

そこにいくとバックハウスは違う。彼はこまごまとしたことには神経質にならず、実におおらかに演奏を繰り広げてゆく。ピアニストとしての器の大きさが、それを可能にしているのだろう。

おおらかなその演奏の内部にはシューベルトの抒情があふれ、それに加えて作品に対するバックハウスの温かい思いやり、バックハウスならではの風格も感じられる。

バックハウスの演奏というのは、ベートーヴェンを弾いた場合もそうだが、実に淡々と弾きあげていながら、そのなかに、枯れた味わいといったものがある。

ここでも堅実そのものの表現を行いながらも、そこに、即興的な適度な"遊び"の気分を表出していて聴かせる。

感傷的な抒情はいっさい排除されているが、いいたいことはいい切っているといった、音楽にとって真にエッセンシャルなものだけが提示されているシューベルトである。

何の気負いもなく、誠実にシューベルトに対しているバックハウス。親しみを覚える演奏である。

シューマンでも、決してこの作曲家のロマンティシズムには溺れない。二次的な雰囲気は全く漂っていないのに、その演奏はまぎれもなくシューマンの想念を伝えているのである。

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2009年03月10日


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第5・第6交響曲と第7交響曲の間、ベートーヴェンの気力が最も充実していた時代に書かれたこの曲は、いかにもこの時代のベートーヴェンらしい雄渾な楽想、有機的で構築的な音楽のつくりで、古今のあらゆるピアノ協奏曲の中で王者の貫録を誇り、まさに《皇帝》のニックネームにふさわしい。

だがいっぽうで、この曲にも、ことにピアノ曲では深い内面の思いを吐露することをつねとしたベートーヴェンの優しく繊細で多感な心情が秘められている。

雄大で壮麗なだけでは不充分。軽やかさ、繊細さ、優美さをも湛えた演奏でなくてはならない。

録音は古いが、バックハウスの独奏、クレメンス・クラウス指揮のウィーン・フィルの演奏は、こうした点で最高のもののひとつである。

70歳に間近いバックハウスが血気盛んな演奏を行っている。

豪壮雄偉な演奏で骨太に仕上げられており、第1楽章の展開部でのオケとのかけ合いが気迫にあふれていて圧倒される。

第1楽章の溌剌とした生命力溢れる音楽の運び、第2楽章の優美な歌と、堂々たる演奏ながら〈はな〉のある終楽章。

優美で明快、決して重くなったりむやみに大きな構えをつくったりしないクラウスの指揮も絶品というほかない。

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2009年02月16日


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ウィーン・フィルを主にディスクを通して聴いている人には意外に感じられるかもしれないが、このオーケストラが定期や他の主要な演奏会で協奏曲をプログラムに入れる機会はごく限られている。

まして1950年代から60年代にかけては今日よりもウィーン・フィルの演奏会がはるかに少なかったため、よりいっそうウィーン・フィルの協奏曲を聴く機会は少なかったはずだ。

その当時、このオーケストラがもっとも頻繁に共演したピアニストがバックハウスである。

名パートナー役を果たしたベームとともに、すっかり手の内を知り尽くした味わい深い演奏を聴かせた。

このモーツァルトの最後の協奏曲は、ブラームスの第2番の協奏曲とともに、バックハウスとベーム/ウィーン・フィルが残した最良の遺産と言えるだろう。

ブラームスについては以前に記したので省くが、モーツァルトは、この曲の演奏の原点ともいえるもので、バックハウスはベーム/ウィーン・フィルともども、第1楽章や第2楽章は凛としすぎる趣があり、日常何回も愉しむのには向いていないが、他の演奏をいろいろ聴いた後、バックハウスに戻ると、これこそ第27番のふるさとであり、帰着点だ、と思わざるを得ない。

特にフィナーレのテンポ、リズム、そしてロンド主題が帰ってくるときの間のよさはさすが。

オーケストラも素晴らしい演奏で、音色が非常に美しい。

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2008年12月27日


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バックハウス(1884-1969)はまぎれもなくドイツが生んだ大ピアニストであり、生涯をピアノ演奏に捧げた巨匠である。

特にベートーヴェンの解釈で高い評価を受けた彼の残した名盤は、この協奏曲集も含めて、現在でもベートーヴェン演奏の規範のひとつとされる。

ところで、彼は1899年からオイゲン・ダルベールに師事したが、さらに辿ってゆくと、ベートーヴェン〜チェルニー〜リスト〜ダルベール〜バックハウス、という師弟関係が成り立つ。

そしてバックハウスは、自らが受け継いだドイツ・ピアニズムの伝統をかたくなに守る姿勢を貫き、しかもその演奏解釈をこれまで誰もなし得なかったところまで深く深く掘り下げた。

彼がベートーヴェンの解釈にひとつの時代を築いた規範とされる所以である。

このアルバムはバックハウスの1958年と59年の録音ということで、その演奏には彼が枯淡の域に到達していることが窺えるが、ドイツの伝統を汲む正統的な解釈や古典的な格調の高さは、現代にあってもこのうえない価値をもつものと言えよう。

第1番から第5番「皇帝」まで、どの曲にも巨匠の風格を如実に感じさせるソロが聴ける。

それは重厚で深みがあり、毅然とした風格が漂う。

一方、指揮者シュミット=イッセルシュテットとのコンビも強力である。

彼は各楽器を充分に響かせて、深いコクのある味わいをオーケストラから引き出し、バックハウスのピアノをしっかりと支えている。

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2008年02月22日


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1969年6月26日と28日の両日、バックハウスは南オーストリアのケルンテン音楽祭に招かれ、リサイタルを開いた。

ニ日目の演奏途中、急に具合が悪くなり、最後の曲目であるベートーヴェンのピアノ・ソナタ第18番のフィナーレを弾けなくなってしまった。

しばらく楽屋で休んだ彼は、ベートーヴェンの代わりにシューマンの「夕べに」と「なぜに」、シューベルトの即興曲変イ長調D.935-2を弾き終え、そのまま病院に運ばれたが、7日後の7月5日、心不全のため、ケルンテンのフィアラで85歳の生涯を閉じたのである。

この、バックハウスの最後の演奏会は幸い録音されている。

ここに聴く巨匠の音楽は、何と強靭で確固としたものであることだろう。

「ワルトシュタイン」の清涼な美しさ、シューベルトの3曲の率直な味わい深い表現など、まさしく晩年のバックハウスのものである。

ベートーヴェンのソナタ第18番は精彩がなく、演奏は中断されるが、シューマンの小曲2曲の枯れた、だがみずみずしい抒情の美しさなど、辞世の歌というにふさわしい絶品であり、その深い瞑想と寂寥感において他に比肩しうるピアニストはいない。

単なる記録という意味を越えた、音楽とは何かを考えさせられる演奏である。

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2008年02月05日


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バッハはバックハウスらしい骨太のどっしりとした演奏だ。

表現上の見てくれにとらわれず、自分のタッチとスタイルで、さりげなく淡々と弾いていく。

しかし、その中でも歌うべきところは歌い、軽やかなリズムと動きが求められているところでは、それに対応する。

だから決して重すぎると感じることはない。

現在のピアニストでは聴けなくなったタイプの魅力と味わいのあるバッハだ。

ハイドンとバックハウスの組み合わせというのは意外な感じもするが、彼がハイドンを弾くと、そのピアノ曲が魅力的な音楽として楽しめる。

そのよい例が「アンダンテ・コン・ヴァリアツィオーニ」、ソナタ第48番の第1楽章と、第52番の第3楽章だ。

ややロマンティックに歌ってみせるのが「アンダンテ」で、その他の曲はさらりと弾いて、ハイドンの異なる面を聴き手の前に引き出してくれる。

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2008年01月11日


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1967年盤は永遠の名盤というにふさわしく、この曲の内面を深く掘り下げたスケールの大きな演奏で、最晩年のバックハウスを語るには忘れてはならない名演である。

若いころに比べると、技巧にやや衰えがみられるものの、長年この曲を弾き込んできた、年輪の厚さといったものを強く感じる。

バックハウス最晩年の演奏は、技術や表現を越えたところにある音楽そのものといった感を抱かせる。

まさに円熟の境地の名演と言えるだろう。

いささかも誇張やわざとらしさがなくて、淡々と音楽を進めているが、それでいておおらかに、しかししんみりと曲の魅力を伝えている。

ベームの指揮も、各楽章の性格をくっきりと浮き彫りにした見事なもので、バックハウスのピアノをひきたてている。

この演奏の前には、バックハウスもベームも、そしてブラームスさえも念頭から去り、ひとつの精神的な音楽だけが圧倒的な感動をもって迫ってくる。

演奏行為というものの理想が完璧な姿で実現した稀有のケースといえる。

これはバックハウス、ベーム、ウィーン・フィルの3者によって打ち建てられた孤高の記念碑的演奏である。

バックハウスの死の2年前、今は亡き両巨匠の最後の共演となった。

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2008年01月10日


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1953年盤はバックハウスがシューリヒトと組んだ貴重な演奏だ。

バックハウスはベーム=ウィーン・フィルとこの曲を再録音しているが、シューリヒトとのモノーラル録音の魅力は変わらない。

バックハウスはベートーヴェンのピアノ協奏曲第4番とこのブラームスのピアノ協奏曲第2番を十八番としていた(残念ながら前者には理想的な録音がない)。

1967年にベームと録音したステレオ録音に比べると、ピアノがとても若々しく、みずみずしい魅力にあふれている。

当時のバックハウスは体力・気力とも壮年期と変わらないほど充実しており、それが演奏に豊かな広がりと感情表現をもたらしている。

したがって、ブラームスの充実した意欲と瑞々しい叙情性が完璧に再現されている。

フルニエと共演したチェロ・ソナタと並んで、彼のブラームス解釈を代表する名演である。

シューリヒトの指揮もバックハウスを支えながら端正で抑制の利いた演奏で、清々しい気分を漂わせながら、敏感なリズムを基本に、歌と、緊張力と、厳しさに貫かれている。

第1楽章冒頭のホルンの主題、第3楽章のチェロの序奏などは、この当時のウィーン・フィルならではの魅力である。

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2007年12月21日


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バックハウスの正確無比なテクニックが発揮された、風格豊かできわめてスケールの大きい古典的な価値を持つ名演である。

バックハウスの弾くベートーヴェンは、神経質なところが少しもなく、重厚で骨太、およそ物に動じない風格があり、雄大さを表出している点がさすが。

聴き手に"洗練"をイメージさせるような演奏ではない。何が起ころうとも決して動ずることがなさそうな、そんな骨太の表情が演奏全体を貫いている。

ちょっと聴いたところでは、素朴で武骨な印象を与えるかもしれない。だが、聴き進むにつれ、素朴さの中に底流している人間的な温かさに気づき、惹かれるようになる。

それがバックハウスのベートーヴェンなのだ。

やや冷淡とも思えるほどさらりと弾いている曲もあるが、それでいて、いかにもこれらの曲を長年弾きこんできた、老熟したうまみのうかがえる演奏だ。

器用で小回りがきくピアニストは多いが、悠揚迫らぬ大人の風格のあるピアニストは、近年めっきり少なくなってしまった。

そういう意味で、このバックハウス盤の人気は、今後長く持続するのではあるまいか。

バックハウスは、ベートーヴェンの音楽の肉声を伝えてくれる。

人間が音楽をすることには、伝統も歴史も異にする私たちにすら強く訴えかける、何ものかがあることを強い説得力ともって語りかけてくるのである。

このような演奏を聴くとき、演奏解釈の歴史やテクニックの開発の歴史を越えて、音楽というものが持ちうる力について真に考えさせられるのだ。

80歳前後の演奏にもかかわらず、技巧の衰えもなく、随所に枯淡の境地といったものがにじみ出た名演である。

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