アラウ

2016年11月23日


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クラウディオ・アラウはピアノという楽器が持っている機能や特性を知り尽くしていた。

曖昧なタッチや衝撃的な打鍵は注意深く避け楽器を完全に響かせる術を熟知していて、ひたすら明確な響きによるダイナミズムで音楽性を表現する奏法は彼の哲学だったと言っても良いだろう。

2曲ともにかなり難解なテクニックが要求され、アラウ自身もまた稀代のヴィルトゥオーゾとしてリストの作品の演奏でも名を馳せたが、むしろ超絶技巧に聴き手の注意が逸らされることを回避できた数少ないピアニストだったのではないだろうか。

逆に言えばそれだけの確固とした解釈の裏付けと表現力に支えられた、まさに巨匠と呼ぶに相応しい演奏家だった。

ブラームスはアラウのロマン派レパートリーの中でも中核となる作曲家の1人であったが、ブラームス特有の書法と重厚な響きを、アラウは雄大なスケールと微細を極めた表現で美しく歌い上げている。

アラウのピアノにはあざとさやスリリングな要素がない代わりに、常に正面切った雄弁な語り口と正々堂々たる構成力で聴かせる本来の意味でのロマンティシズムが横溢し、ブラームスらしい味わいをじっくりと追究した演奏になっている。

どっしりとしたリズム、ゆったりとしたテンポにアラウの主張がはっきり示されており、ブラームスの重厚な味わいが雄渾に再現されている。

ルバートを多用し、スコアに書かれたすべての音を生かそうとするかのようで、腰の強いタッチや心からの歌も大変美しく、内にこもってしまう作曲者の性格が他の誰よりも表出されており、おそらくブラームスが一番喜ぶ演奏ではないか。

衝撃的な音質を一切避けた潤いに満ちたおおらかで悠然と奏でる音楽のスケールは大きく、良い意味での古き良き時代を髣髴とさせるロマンティックな演奏だが、それは時代を超えた魅力に溢れている。

ただし外面的な演奏効果より内面の秩序を重んじているため、演奏全体の印象は地味で、音色自体の魅力に欠けるため、アラウの求めるコクがいまひとつ表に出て来ず、地味すぎる音楽になってしまった。

それに時として、テンポの動きやハーモニーの生かし方に硬さが伴うのが残念ではあるが、独特の充足感を誇っている。

ハイティンクの指揮もコンセルトヘボウ管弦楽団の渋い音色と厚みを生かしつつ、ブラームスを内面から表現しており、アラウにぴったりの共演ぶりだ。

2曲ともオーケストラ・パートが非常に充実したシンフォニックな書法で作曲されているために、ここでは、ハイティンク&コンセルトヘボウ管弦楽団の強力なサポートが、アラウのソロを引き立てながらも鮮烈なオーケストレーションを主張していて、ロマン派を代表するピアノ協奏曲としての華麗さと風格を備えている。

コンセルトヘボウ管弦楽団はヨーロッパでは最高水準を誇るオーケストラだけに、彼らの品の良い知性的な機動力が充分に発揮されている。

確かに張り詰めた緊張感ではクーベリック&バイエルン放送交響楽団との第1番が優っているが、ハイティンクはブラームスのリリシズムを活かし、一方で弦楽部とブラス・セクションのバランスを巧みに采配してオーケストラに独自の精彩を与え、輝かしくスペクタクルな効果を引き出している。

第2番冒頭のホルンの導入にも聴かれるように鷹揚なテンポ設定の中にも弛緩のない精神的な高揚を伴った演奏が、音楽に身を委ねることへの幸福感をもたらしてくれる。

いずれにしても、本演奏は、アラウ、ハイティンクともに、後年の演奏のようにその芸術性が完熟しているとは言い難いが、後年の円熟の至芸を彷彿とさせるような演奏は十分に行っている。

この両者が、例えば1980年代の前半に両曲を再録音すれば、更に素晴らしい名演に仕上がったのではないかとも考えられるが、それは残念ながら叶えられることはなかったのはいささか残念とも言える。

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2016年09月11日


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この12枚組のバジェット・ボックスは既に入手困難になってしまったクラウディオ・アラウ壮年期の演奏集で、1941年から52年にかけての総てがモノラル録音になる。

最初の3枚と最後の1枚は最も古い1940年代初期の音源で、彼がニューヨークのカーネギー・ホールでアメリカ・デビューを飾った直後に録音されたものだ。

SP盤を再生する時のスクラッチ・ノイズのような雑音が若干聞こえるが、リマスタリングによって芯のある良好な音質が再現されていて鑑賞に不都合な破綻はない。

むしろオーケストラが加わる協奏曲ではバランスの焦点が合わず、やや平面的で耳障りな音質になっているのが残念だ。

英、独、仏語によるライナー・ノーツ付で、その半分はオリジナル・ジャケットのカラー写真付の収録曲目及び詳細な録音、リリース・データのために費やされている。

クラウディオ・アラウは南米チリに生まれ、8歳の頃からドイツでリストの高弟だったマルティン・クラウゼに師事してリスト直系のテクニックを受け継いだヴィルトゥオーゾとしても名を馳せた。

彼はこの時代の巨匠と言われたピアニストの中でも最も鮮やかな技巧を誇り、また音楽性においてもスケールの大きい骨太なロマンティシズムと溢れんばかりのリリシズムを発揮している。

例えば3曲のモーツァルトでは甘美さを抑えた男性的な表現が特徴だし、バッハでは折り目正しい対位法の再現に努めている。

また恣意的な弾き崩しなどは一切なくベートーヴェンやシューマンなどで聴かせる形式感の確かさと彫りの深い演奏は新時代の解釈を先取りしていると言えるだろう。

勿論リストやリヒャルト・シュトラウスでは流石に師匠直伝の洗練された超絶技巧を披露している。

この集成は、アラウが人生の成熟期にあって、ヨーロッパの古典とそれを継承する音楽の文化の中で何を学び、何を表現しようとしたのかを示しており、音楽に真剣に対面し、人生と同じ重さで賭けたアラウの回答でもある。

そして、その後彼が歩んだ道は、私たち“ヨーロッパ音楽の他者”にも、多くのことを教えてくれる。

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2016年04月06日


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プラガ・ディジタルスSACDシリーズの新譜で、クラウディオ・アラウが1964年にラファエル・クーベリック、バイエルン放送交響楽団と行ったライヴからブラームスのピアノ協奏曲第1番ニ短調と、1963年スイス・ルガーノでの同じくブラームスの『ヘンデルの主題による変奏曲とフーガ』変ロ長調の2曲が収録されている。

いずれもステレオ録音だが、特にピアノ協奏曲の音質はこの時代のライヴとしては極めて良好で、SACD化によって更に音場に奥行きが出て、鮮明かつ立体的な音響空間が再現されている。

彼らがピアノ協奏曲第2番を遺してくれなかったことが惜しまれるが、アラウは1960年にもジュリーニ、フィルハーモニア管弦楽団とのセッション、1963年及び1966年にハンス・シュミット=イッセルシュテット、北ドイツ放送交響楽団とのライヴ、1969年にはハイティンク、コンセルトヘボウ管弦楽団とのセッションによるブラームスの2曲のピアノ協奏曲を録音していて、アラウが如何にこれらの作品に情熱を傾けて精力的な演奏活動をしていたかが理解できる。

その中でこの1964年のライヴは当時61歳のアラウが円熟の境地を示した、またライヴならではの高揚感と緊張に貫かれている。

尚この音源はオルフェオ・レーベルからレギュラー・フォーマットのCDでもリリースされている。

アラウのブラームスをありきたりな言い方で表現するならば、泰然自若として悠揚迫らぬ演奏と言ったらいいだろうか。

ピアノ協奏曲第1番では第1楽章のテンポをむやみに速めず、マエストーゾの指示を誰よりもわきまえた厳格なアプローチと、そこから醸し出される骨太なロマンティシズムが横溢している。

クーベリック指揮するバイエルン放送交響楽団は、より明るく解放的なジュリーニ、フィルハーモニア管弦楽団と比較するとやや渋めの音色だが一糸乱れぬ高潔さがあり、また非常に幅広いダイナミクスで作品の核心に迫って来る凄みがブラームスの音楽には明らかに幸いしている。

シンフォニックなオーケストレーションを一層引き立てているのは手兵の強みかもしれない。

第2楽章アダージョでもテンポはかなりゆったりしているが、安っぽい甘美さやメランコリーなどは排除されて、常に高踏的な緊張感が保たれている。

終楽章では2番目のカデンツァあたりから展開されるアラウならではの豪壮華麗なピアニズムと相俟ってクーベリックの強力なサポートが荘厳なクライマックスを築き上げている。

『ヘンデルの主題による変奏曲とフーガ』の音質はやや落ちるが、この手のライヴとしては及第点と言えるだろう。

アラウのテンポはやはり鷹揚で、充分な歌心を持ったカンタービレで主題のアリアが開始される。

後に続く25のヴァリエーションでも決して技巧が表面に浮くことはなく、あくまでも音楽性の表現としてのテクニックが示されたお手本のような奏法が彼らしい。

また各変奏ごとの性格付けや曲どうしの有機的な繋げ方も巧みで即物的な音楽になることを避けた、良い意味でスタイリッシュな演奏だ。

こうしたレパートリーを聴いていると彼が筋金入りのロマンティストだったことが理解できる。

フーガの最後の音が消えないうちに拍手が入ってしまうのが玉に瑕だが、この作品をこれだけ大きなスケールと流麗さで弾き切ったピアニストも稀ではないだろうか。

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2015年09月19日


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フィリップス音源のアラウのリスト・レパートリーを6枚のCDにまとめたエロクエンスからのリイシューで、演奏曲目一覧が印刷されたリーフレットだけがついた簡易な廉価盤。

リスト直系の弟子を自負していた彼だけに、作曲家の芸術的高みとアラウ独自のオリジナリティーが相俟って、他のピアニストとは常に一線を画した解釈を示している。

それはリストの作品に往々にしてつきまとう内容よりも技巧誇示の音楽という印象を完全に払拭した、高い音楽性と本来のテクニックが示されているのが特徴で、リストを敬遠する方でも是非一度は聴いて欲しい曲集だ。

ちなみにボーナス・トラックの『スペイン狂詩曲』のみがモノラルで、それ以外は総て質の良いステレオ録音になる。

ここに収められたピアノ協奏曲や超絶技巧練習曲では一にも二にも音楽が優先されている。

リストを弾きこなすには当然相当のピアニスティックな技術が要求されるし、多くの演奏家は指の動く若いうちにこうしたレパートリーを録音してしまうがアラウの演奏には技巧誇示に陥らないだけの有り余るほどの音楽性の裏付けと騎士道的ロマンティシズムが感じられる。

このセットに収められた録音は彼の円熟期から晩年のセッションだが、それは彼が80歳代までリストを演奏し得た、そして稀有なスケールを持ったサンプルとして聴き継がれている理由だろう。

6枚の中には際物的に扱われているオペラからのアレンジになるパラフレーズ集も1枚含まれている。

薄っぺらなアンコール・ピースになりがちなこうした音楽でもアラウの表現力は卓越していて、極めて集中度の高い、しかも味わい深い曲集に仕上がっていることに驚かされる。

また彼の弾く「エステ荘の噴水」は、滾々と湧き出て絶え間なく降り注ぐ水の描写の中に、リスト自身の深い失恋の痛手を伝えた殆んど唯一の演奏ではないだろうか。

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2015年08月03日


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アラウはデジタルで12曲録音した所で世を去り、2度目の全集は未完に終わったので、本セット(1962年から66年にかけてのセッション)が彼の唯一のベートーヴェン:ピアノ・ソナタ全集となった。

曲目はソナタ全32曲の他に1968年録音の『エロイカの主題による15の変奏曲とフーガ』Op.35、『主題と32の変奏曲ハ短調』WoO.80、『主題と6つの変奏曲ヘ長調』Op.34及び『ディアベッリの主題による33の変奏曲ハ長調』Op.120で、この曲のみ1952年のモノラル録音になる。

最も正統的なドイツ・ピアノ音楽の後継者と言われたアラウは、詩的ロマンを湛えた堅牢な造形美で、ベートーヴェンやブラームスに多くの名演を残しているが、彼はまたフランツ・リストの直系としての誇りを持ったヴィルトゥオーゾでもあった。

この録音が行われた当時彼は60代半ばで、音楽的にも技術的にもバランスのとれた円熟期を迎えていただけに、今回の復活はベートーヴェン・ファンにとっても朗報に違いない。

バックハウスやケンプの時代が過ぎた20世紀後半にあって、ベートーヴェン弾きとして世界の実質的な頂点に立ったのが、同時にシューマンやショパンをもレパートリーに中核に置くアラウだった。

仮に正統的なベートーヴェン演奏という言い方があり得るとすれば、チリ出身のアラウはドイツ系のどのピアニストよりも、その言葉に近いところにいた人ではなかったろうか。

チリ出身であるが、ピアノを勉強したのがドイツであったので、我々がドイツに持っているイメージ、つまり勤勉、実直、頑固、哲学的といった概念をそのままピアノ音楽にしたような、グルダともブレンデルとも全く違うベートーヴェンが聞こえてくる。

軽く薄っぺらなベートーヴェンが横行する時代にあって、アラウのそれは素朴だがどっしりとした手応えがあり、聴き手の心にじわじわしみ込んでくる独特の説得力がある。

悠揚迫らぬテンポで格調高く歌い続けてゆくアラウの強靭な精神が、聴き手を捉え、耳を傾けさせる。

アラウにとっては1980年代の再録音も名演の名に恥じない演奏だが、多少のテクニックの衰えは否めない。

しかしここでの彼は押しも押されもしない堂々たる風格を持った表現で、また華麗な技巧を縦横に駆使して、極めてスケールの大きな演奏になっている。

同時代に録音された同ソナタ全集ではケンプのものが飄々として何物にも囚われない特有の哲学的な味わいを漂わせているのに対して、アラウのそれはピアノという楽器独自の音響を追究し、またその多様性を充分に活かした骨太な演奏でケンプと共に双璧を成していると言えるだろう。

この12枚のセットには幸い1952年の『ディアベッリ』が組み込まれ、古いモノラル録音でいくらかヒス・ノイズが気になるが、その滔々と流れる大河のような壮大なピアニズムは、聴き終えた後に無類の感動をもたらしてくれる。

デッカ・コレクターズ・エディション・シリーズのクラム・シェル・ボックス・セットで曲目紹介、録音データの他に簡単なライナー・ノーツが英、仏、独語で掲載されている26ページのブックレット付。

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2014年11月10日


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ジュリーニは完全主義者として知られ、録音にはとりわけ厳しい姿勢で臨んだことから、これだけのキャリアのある大指揮者にしては、録音の点数は必ずしも多いとは言い難い。

そうした中にあって、ブラームスの交響曲全集を2度にわたってスタジオ録音しているというのは特筆すべきことであり、これは、ジュリーニがいかにブラームスに対して愛着を有していたかの証左とも言えるところだ。

協奏曲についても、ヴァイオリン協奏曲やピアノ協奏曲のスタジオ録音を行っており、とりわけピアノ協奏曲第1番については、アラウと組んだ演奏(1960年)、ワイセンベルクと組んだ演奏(1972年)の2つの録音を遺している。

これに対して、筆者の記憶が正しければ、ピアノ協奏曲第2番については、本盤に収められたアラウとの演奏(1962年)のみしかスタジオ録音を行っていない。

ジュリーニの芸風に鑑みれば、同曲の録音をもう少し行ってもいいのではないかとも思われるが、何故かワイセンベルクとは第2番の録音を行わなかったところである。

いずれにしても、本演奏は素晴らしい。

それは、何よりもジュリーニの指揮によるところが大きいと思われる。

1962年という壮年期の演奏ではあるが、いささかの隙間風の吹かない、粘着質とも言うべき重量感溢れる重厚な演奏の中にも、イタリア人指揮者ならではの歌謡性溢れる豊かな情感が随所に込められており、まさに同曲演奏の理想像を見事に具現化していると評しても過言ではあるまい。

アラウのピアノ演奏は、第1番の演奏と同様に、卓越した技量を発揮しつつも、派手さや華麗さとは無縁であり、武骨とも言えるような古武士の風格を有した演奏を展開している。

かかるアプローチは、第1番には適合しても、第2番では味わい深さにおいていささか不足しているきらいもないわけではないが、ジュリーニによる指揮が、そうしたアラウのピアノ演奏の武骨さを多少なりとも和らげ、演奏全体に適度の温もりを与えている点を忘れてはならない。

いずれにしても、本演奏は、アラウのピアノ演奏にいささか足りないものをジュリーニの指揮芸術が組み合わさることによって、いい意味での剛柔のバランスのとれた名演に仕上がっていると評価したい。

この両者が、例えば1980年代の前半に同曲を再録音すれば、更に素晴らしい名演に仕上がったのではないかとも考えられるが、それは残念ながら叶えられることはなかったのはいささか残念とも言える。

音質は、1962年のスタジオ録音であり、数年前にリマスタリングが行われたものの、必ずしも満足できる音質とは言い難いところであった。

ところが、今般、シングルレイヤーによるSACD盤が発売されるに及んで大変驚いた。

音質の鮮明さ、音圧、音場の幅広さのどれをとっても、従来CD盤とは段違いの素晴らしさであり、あらためて本演奏の魅力を窺い知ることが可能になるとともに、SACDの潜在能力の高さを思い知った次第だ。

いずれにしても、ジュリーニ、そしてアラウによる素晴らしい名演を超高音質のシングルレイヤーによるSACD盤で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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20世紀後半を代表する指揮者の1人であったジュリーニであるが、いわゆる完全主義者であったということもあり、そのレパートリーは、これほどの指揮者としては必ずしも幅広いとは言えない。

そのようなレパートリーが広くないジュリーニではあったが、それでも独墺系の作曲家による楽曲も比較的多く演奏しており、とりわけブラームスについては交響曲全集を2度に渡って録音するなど、得意のレパートリーとしていたところだ。

協奏曲についても、複数の録音が遺されており、本盤に収められたピアノ協奏曲第1番についても、2度にわたってスタジオ録音を行っている。

レコーディングには慎重な姿勢で臨んだジュリーニとしては数少ない例と言えるところであり、これはジュリーニがいかに同曲を愛していたかの証左とも言えるだろう。

同曲の最初の録音は本盤に収められたアラウと組んで行った演奏(1960年)、そして2度目の録音はワイセンベルクと組んで行った演奏(1972年)であるが、この両者の比較は難しい。

いずれ劣らぬ名演であると考えるが、ピアニストの本演奏時の力量も互角であり、容易には優劣を付けることが困難である。

本演奏は、録音年代が1960年ということもあり、ジュリーニ、アラウともども壮年期の演奏。後年の円熟の大指揮者、大ピアニストとは全く違った畳み掛けていくような気迫や強靭な生命力を有しており、ブラームスの青雲の志を描いたともされる同曲には、そうした当時の芸風が見事にマッチングしていると評しても過言ではあるまい。

アラウのピアノ演奏は、卓越した技量は当然であるが、派手さや華麗さとは無縁であり、武骨とも言えるような古武士の風格を有している。

他方、ジュリーニの指揮は、いささかの隙間風の吹かない、粘着質とも言うべき重量感溢れる重厚な演奏の中にも、イタリア人指揮者ならではの歌謡性溢れる豊かな情感が随所に込められており、アラウの武骨とも言うべきピアノ演奏に若干なりとも潤いを与えるのに成功しているのではないだろうか。

いずれにしても、本演奏は、ジュリーニ、アラウともに、後年の演奏のようにその芸術性が完熟しているとは言い難いが、後年の円熟の至芸を彷彿とさせるような演奏は十分に行っているところであり、両者がそれぞれ足りないものを補い合うことによって、いい意味での剛柔のバランスのとれた名演に仕上がっていると評価したい。

この両者が、例えば1980年代の前半に同曲を再録音すれば、更に素晴らしい名演に仕上がったのではないかとも考えられるが、それは残念ながら叶えられることはなかったのはいささか残念とも言える。

音質は、1960年のスタジオ録音であり、数年前にリマスタリングが行われたものの、必ずしも満足できる音質とは言い難いところであった。

ところが、今般、シングルレイヤーによるSACD盤が発売されるに及んで大変驚いた。

音質の鮮明さ、音圧、音場の幅広さのどれをとっても、従来CD盤とは段違いの素晴らしさであり、あらためて本演奏の魅力を窺い知ることが可能になるとともに、SACDの潜在能力の高さを思い知った次第だ。

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2014年08月30日


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20世紀後半を代表する指揮者の1人であったジュリーニは、いわゆる完全主義者であったということもあり、そのレパートリーは、これだけのキャリアのある大指揮者にしては必ずしも幅広いとは言えず、しかも録音にはとりわけ厳しい姿勢で臨んだことから、録音の点数は必ずしも多いとは言い難い。

そうした中にあって、ブラームスの交響曲全集を2度にわたってスタジオ録音しているというのは特筆すべきことであり、これは、ジュリーニがいかにブラームスに対して愛着を有していたかの証左とも言えるところだ。

協奏曲についても、ヴァイオリン協奏曲やピアノ協奏曲のスタジオ録音を行っており、とりわけピアノ協奏曲第1番については、アラウと組んだ演奏(1960年)、ワイセンベルクと組んだ演奏(1972年)の2つの録音を遺している。

これに対して、筆者の記憶が正しければ、ピアノ協奏曲第2番については、本盤に収められたアラウとの演奏(1962年)のみしかスタジオ録音を行っていない。

ジュリーニの芸風に鑑みれば、同曲の録音をもう少し行ってもいいのではないかとも思われるが、何故かワイセンベルクとは第2番の録音を行わなかったところである。

いずれにしても、本演奏は素晴らしい。

それは、何よりもジュリーニの指揮によるところが大きいと思われる。

第1番は、録音年代が1960年ということもあり、ジュリーニ、アラウともども壮年期の演奏。

後年の円熟の大指揮者、大ピアニストとは全く違った畳み掛けていくような気迫や強靭な生命力を有しており、ブラームスの青雲の志を描いたともされる同曲には、そうした当時の芸風が見事にマッチングしていると評しても過言ではあるまい。

第2番も1962年という壮年期の演奏ではあるが、いささかの隙間風の吹かない、粘着質とも言うべき重量感溢れる重厚な演奏の中にも、イタリア人指揮者ならではの歌謡性溢れる豊かな情感が随所に込められており、まさに同曲演奏の理想像を見事に具現化していると評しても過言ではあるまい。

アラウのピアノ演奏は、卓越した技量を発揮しつつも、派手さや華麗さとは無縁であり、武骨とも言えるような古武士の風格を有した演奏を展開している。

かかるアプローチは、第1番には適合しても、第2番では味わい深さにおいていささか不足しているきらいもないわけではないが、ジュリーニによる指揮が、そうしたアラウのピアノ演奏の武骨さを多少なりとも和らげ、演奏全体に適度の温もりを与えている点を忘れてはならない。

いずれにしても、本演奏は、ジュリーニ、アラウともに、後年の演奏のようにその芸術性が完熟しているとは言い難いが、後年の円熟の至芸を彷彿とさせるような演奏は十分に行っているところであり、アラウのピアノ演奏にいささか足りないものをジュリーニの指揮芸術が組み合わさることによって、いい意味での剛柔のバランスのとれた名演に仕上がっていると評価したい。

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2014年07月14日


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リスト直系のクラウゼ門下だったピアニスト、クラウディオ・アラウの最円熟期の名盤として知られる1枚。

ユニバーサルミュージックが手掛けたSACD&SHM−CDシリーズの第1弾であり、当盤こそついに理想が実現した画期的なディスクであった。

それまでSHM−CDとXRCDとの組み合わせはあったが、理論的には可能なSACDとの組み合わせをなぜ行わないのか疑問を感じていただけに、当時のユニバーサルによるSACD&SHM−CDの発売は、大変喜ばしいことであった。

しかも、SACDが、一般的なハイブリッドではなくシングルレイヤーであることも、SACDの潜在能力を最大限に活かすものとして素晴らしい。

ガラスCDはともかくとして、コストパフォーマンスを考慮すれば、現在望み得る最高の高音質の可能性を秘めた、まさに理想のディスクということが言えるだろう。

ネット配信がこれだけ普及し、CDがすたれていく傾向にある中で、しかも一度SACDを撤退したユニバーサルが、このような理想のSACDを発売したことは快挙であり、大いに歓迎したい。

SACDという高音質を追求する規格と、コスト面でガラス円盤より圧倒的優位に立ちながら、透明性と流動性に優れたSHM素材の組み合わせは、音楽配信が普及する昨今においてCDという媒体に新たな付加価値を与えている。

そして、実際に聴いてみたところ、そうした期待を裏切らないような別次元の音質であった。

今から約40年前の録音であるが、そのような音質の古さなどいささかも感じさせず、眼前でピアノが演奏されているのではないかとの錯覚を起こさせるような、クリアで重量感溢れる音質が再現されている。

今後とも、ユニバーサルには、こうしたSACD&SHM−CDをシリーズで発売していただくことを心よりお願いしたい。

演奏は、既に定評ある超名演であるが、これだけの鮮明な音質を聴くと、もちろん超名演との評価はいささかも変わることがないものの、これまで聴いていたのとは異なる別の演奏を聴いているような気がしたが、そう感じたのはおそらくは筆者だけではあるまい。

それにしても1970年録音というアラウ最盛期と思われる時期の録音がSACDになったことは大変喜ばしい。

ピアノ・ソナタはアラウのテクニックと音楽性が十分に響き渡っている。

また、「孤独の中の神の祝福」も彼独特の間の取り方や、情緒が伝わってくる。

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2014年05月14日


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《ショパン》1954年10月25日ケルン放送第1ホール/《ベートーヴェン》1959年4月6日ケルン放送第1ホールに於けるライヴ(モノラル)録音。

アラウのレパートリーは幅広いものであったが、中でも特に評価の高かったのが独墺ものとリスト、ショパンなどであった。

当盤はアラウ得意のショパンとベートーヴェンのコンチェルトを収めたもので、前者はオットー・クレンペラー、後者はクリストフ・フォン・ドホナーニが指揮を受け持っている。

このCDに収録された演奏は、どちらもWDR(ケルン放送)に保存されていた放送局正規音源によるオリジナルのテープの復刻で、アラウのケルン放送交響楽団とのライヴ録音盤。

ショパンの方はクレンペラーが指揮したという、とても貴重なもので、これまでにも出所のわからない復刻盤が出ていたが、こちらは確かな音源を新しくマスタリングしたものであり、その点でも満足できるもの。

この演奏について、批評家ジェド・ディストラーは「感情的な新鮮さと自由なフォルムはまさに理想的であり、彼の比較的慎重なスタジオ録音とは鋭い対比を見せる、活気のあるパフォーマンスである」と述べている。

クレンペラーとのショパン第1番は以前から有名なもので、作品の通常のイメージからすると重厚で力強すぎる感のあるクレンペラーのオーケストラと、ロマンティシズムをたたえながらもやはりパワフルなアラウのピアノが渡り合うという実に堂々たるコンチェルト演奏である。

クレンペラーとアラウの関係は、戦前、1930年代にベルリンでおこなったシューマンのピアノ協奏曲での共演にまでさかのぼる。

そのときは若手のアラウに対してクレンペラーが徹底的に自分の解釈を押し付けたため、アラウは不快な思いをしたと述懐しているが、それから20年を経てのここでの彼らの関係は、それに比べれば非常に良好とは言えるものの、ショパンのことをあまりわかっていないクレンペラーに対して、アラウが困る場面もしばしばだったとか。

とはいえ、演奏はユニークながら素晴らしいものに仕上がっており、この成功が3年後のロンドンでのベートーヴェン・チクルスに結びついたのかも知れない。

アラウとドホナーニは1963年のシューマン&グリーグのフィリップス録音で相性の良いところを見せてただけに、4年前の収録となるこのベートーヴェン第4番でも良いコンビネーションを披露した演奏である。

ベートーヴェンの協奏曲も1955年のスタジオ録音を凌駕するものと言えそうだ。

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2009年08月07日


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ちょっと類例のない、いわば王者の風格を持ったモーツァルトだ。

アラウの演奏は実に研ぎ澄まされた、透明感の強い古典的な名演に数えられる。すでに老境に入った年齢での録音で、技術的にも決して衰えをみせていないばかりか、音楽的に老け込んでいないのが、何よりも素晴らしいと思う。

テクニックもかくしゃくとしており、くっきりと彫琢された表現には何とも言えぬ男性的な意思の重みを実感する。

整然とした構成感のうちに、モーツァルトの音楽のヒューマンな側面をくっきりと描き出した演奏だ。

極めて人間味のある音楽が聴かれるが、もちろん感情的という意味ではない。より深い、表現者としての哲学を聴かせる大きな演奏である。

この演奏でのアラウは、極論すれば、一切の感傷を排してモーツァルトの音楽の真髄に迫っている、という感がある。あるいは、いかなる恣意をも追放した演奏といえる。

実に強靭で、意志の強さがはっきりと読み取れる演奏で、聴き手はずっしりとした存在感を意識させられる。

アラウのモーツァルトはピアノの音の強弱の幅が極めて狭く、それだけにどのような細部も、細かい技巧に頼ることがない。

アラウは例によっておっとり構え、自らの内なる鏡に映ずるままに伸び伸びと、悠然たるテンポで弾き進んでゆく。

なにものにも拘束されることなく、モーツァルトの世界に淡々と遊ぶアラウの柔軟そのものの精神は、ソナタを窮屈な"古典的な"規範から解放し、敢えて言うなら"ソナタ風幻想曲"として再現して見せたような、そんな趣がある。

これこそ安心して聴ける本物の音楽であり、音楽の重さを実感させてくれる、どっしりとした演奏である。

アラウは実に着実なテンポと明晰なアーティキュレーションによって、一見重厚な、だが充分に軽やかなモーツァルトを聴かせる。

その演奏は確かに風格に満ちたものだが、それだけにとどまるものではない。彼はモーツァルトに対する感傷も、おもねりも、また聴き手へのサーヴィスもすべて排除して、ひたすら音楽の実体に迫るのだ。

K.330の第2楽章に耳を傾けると、そこには明るさ、愛らしさ、悲しさ、あきらめの情など、モーツァルトに必要なすべてが揃っていて、しかも一切の誇張を排除している。

こんな演奏ができるのは、真に円熟した大家の特権といっても過言ではない。あらゆる飾りをかなぐり捨てたモーツァルト、それがアラウのモーツァルトであり、その存在感は大きい。

この虚飾を排除した演奏は、最初聴いたときは素朴すぎて拍子抜けするかもしれない。しかしその素朴のなかに円熟が秘められていることに気づくだろう。その瞬間から忘れ難いものとなるのだ。

ここには熟した演奏のみに許される充実感、琴線に触れる「音楽そのもの」が厳として存在し、80歳を越えたアラウが会得した、比類のないモーツァルトの音楽がある。

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2009年03月04日


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アラウのピアノは、表情の作り方の繊細さといい、音色の美しさといい、ショパンの魅力を再現してあますところがない。

全体に南国的な明るい感覚のショパンで不健全な青白さはない。

流れの豊かさ、音の粒の美しさ、ラテン系の人らしいリズムの良さ、どの曲にもこういったアラウの長所がよく出ているが、「アンダンテ・スピアナートと華麗なるポロネーズ」は、インバルのバックの巧さで特に光っている。

「スケルツォ」はアラウ81歳の演奏。強靭なテクニックはなかなか衰えを知らない。

ただスケルツォ第1番では右手の動きがややぎこちない。しかしそれはほんの小さなキズ。

81歳のアラウでなければ望めない良さがこの演奏からききとれる。

重々しさの中に一種の風格をにじませ、ショパンの音楽の質の高さを聴き手に意識させる。

「夜想曲」は他の全曲を弾くピアニストと比べ、悠然たる風格で一頭地抜いているのがアラウ。

彼の弾くノクターンは、どちらかといえばテンポが遅めだが、このテンポ設定に大家の風格が感じられる。

さらに注意をひくのは、アラウがこの曲集を、なよなよと感傷的に弾いてこと足れりとしていないところ。

例えば第13番や第15番では、ショパンが折にふれてみせる暗い情熱をとらえ、芯のある演奏に仕上げている。

「ワルツ」でのアラウは、テンポをやや遅めに設定し、悠揚迫らぬ風情の中で、いわば楷書風の演奏をくり広げる。

細部に至るまで少しも崩さない几帳面な仕上げで風格がある。

その結果、ショパンのワルツは、極めて重厚な音楽として、彫刻的な縁どりをもって立体的に立ち現れる。

自由に崩して演奏する草書風のショパンとは、ひと味もふた味も違う。とにかく重みのあるワルツである。

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2009年01月17日


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ブラームスらしい味わいをじっくりと追究した演奏。

どっしりとしたリズム、ゆったりとしたテンポにアラウの主張がはっきり示されており、ブラームスの重厚な味わいが雄渾に再現されている。

ルバートを多用し、スコアに書かれたすべての音を生かそうとするかのようだ。

腰の強いタッチや心からの歌も大変美しい。

内にこもってしまう作曲者の性格が他の誰よりも表出されており、おそらくブラームスが一番喜ぶ演奏ではないか。

ただし外面的な演奏効果より内面の秩序を重んじているため、演奏全体の印象は地味で、音色自体の魅力に欠けるため、アラウの求めるコクがいまひとつ表に出て来ず、地味すぎる音楽になってしまった。

それに時として、テンポの動きやハーモニーの生かし方に硬さが伴うのが残念。

しかし独特の充足感を誇っている。

ハイティンクの指揮もコンセルトヘボウの渋い音色と厚みを生かしつつ、ブラームスを内面から表現しており、アラウにぴったりの共演ぶりだ。

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2008年12月05日


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例によって、アラウはドビュッシーにおいても悠然とした演奏を繰り広げる。

前奏曲第1巻の第1曲目の冒頭から独特の雰囲気に引き込む。

テンポを抑え気味にとった響きは柔らかく、しっとりとした翳りをおびている。

こうした響きは全曲を通じて一貫しており、味わいのあるドビュッシーが聴ける。

映像第1集は、"ラモーを讃えて"などを聴くと、かなり重厚さを感じるが、それはアラウでしか聴けない表現で、はっきりした説得力を持ちえている。

前奏曲第2巻でのアラウの演奏は、より味わい深いものとなっている。

そこには、ドイツ・ロマン派の音楽、特にシューマンあたりで身につけた内面的な表現の力が大きく作用していることを強く感じる。

映像第2集は、この曲の従来の演奏解釈の常識をまったく無視するようでありながら、実に深い味わいがあり、ドビュッシーの音楽における余韻の新しい在り方を教えられる。

これほどこせついたところのない、おおらかな味わいのある演奏は珍しい。

こうしたドビュッシーに安らぎを覚える人もあれば、まだるっこさを感ずる人もいるだろう。

だが、表現の鋭角的な洗練を求めさえしなければ、大家アラウの持つ独特の風格は何といっても注目の的だ。

風雪に耐えてきた芸とはこういうものではないだろうか。

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2008年09月10日


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ここに収められた「パルティータ」は、文字通りアラウの最期の録音となったものだが、幸いなことにここのアラウには、弱々しい老いの影はみられず、まさしく思索するピアニストであることを示している。

この演奏では何ら劇的なことは起こらないが、あらゆる音のひとつひとつは、しっかりとした思索の糸をつむいでいく。

作曲者の想念がじっくりと伝わってくる、まさしくアラウのみに可能な境地というべきだろう。

アラウは、一瞬一瞬の響きよりも、音そのものを実に大切にし、その音に最大限に発言させようとしている。

1つ1つの音型へのきめ細かい意味づけからなる演奏は、瞬間瞬間が充実しており、聴き手に深い充足感を与える。

そこにあるのは、ゆったりと構えた落着きが生み出す手応えのある音楽だ。

すべてが高い格調のもとに奏でられているが、一方には紛れもなくアラウの音、アラウの節まわしが生きており、温かなアラウならではの歌い口の真髄を聴かせてくれる。

そして心憎いまでのうま味。これぞ大家の味というべきであろう。

ここに奏でられるバッハの優しく親しい旋律は、ありきたりの悲歌よりもかえって胸深く滲みる。

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外面的な効果を顧みず、ひたすら作品の内なる精神性を追求し続けたアラウの、最後の到達点ともいうべき演奏だ。

ここではシューベルトやドビュッシーならではの魅力的な旋律も美しく歌われるというよりむしろ朴訥と語られるような感じだし、音の響きもいわゆる綺麗さとは程遠く、武骨ですらある。

音楽の流れも決して流麗なものとはいえない。

しかしその一音一音かみしめていくような音楽の運びのうちに立ち現れてくるのは、まさに作曲者の精神的真髄ともいうべきものだ。

感覚的な美や効果を一切そぎ落として、音楽のエッセンス、作品の深い音楽だけを露わにするような、厳しいまでの孤高の名演である。

アラウがいかに優れた、そして血の通った人間として、ここに収められた作曲家の人と音楽のよき理解者であったかが、フレーズを通して聴き手の心に伝わってくる演奏である。

作品の様式は古典的精神でよく把握されており、いささかの緩みもみせないが、そこに盛り込まれた表現のなんと温かいことか。

響きの柔らかさも特筆に値する。

完全な意味での人格性を担った演奏とは、こうしたものを言うのであろう。

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2008年08月27日


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定評のあるアラウのベートーヴェンだ。

アラウが円熟の域に達し、ベートーヴェンをはっきりとレパートリーの中心に定めた時期の録音である。

この作曲家の作品はアラウのレパートリーの中核を成すもので、それだけに練りに練った演奏を聴かせる。

アラウのベートーヴェン演奏の特徴は、悠々迫らずという表現の大きさにあり、ここでもアラウは、いわば信念のようなものを鳴り響かす。

そこには小手先の解釈上のアイディアはみじんもなく、それだけに骨太で、ヒューマンな表現に満ちている。

覇気と生気に満ち、テクニックも強靭そのもので、実に完成度の高い音楽を聴くことができる。

解釈も過度のロマンティシズムに陥ることなく、格調ある表現の内に高い精神性をたたえて、いささかも揺らぐことのない世界を開示している。

アラウは数少ない、伝統的なドイツ音楽の継承者だったが、この全集を聴くと彼自身がそのことを強く意識して、全集録音の意義をその点に置いているように感じられる。

そのため演奏は極めて厳格だ。

彼は決して恣意的に振る舞わず、純粋に音楽の構造そのものに発言させようと神経を集中しているのである。

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2008年02月04日


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アラウの演奏は、すべてがそろった名演だ。

旧盤は玄人好みの渋いものだったが、アラウは大器晩成型で、その花がついに絢爛と咲きほこったのだ。

第4番がことのほか素晴らしく、80歳をこえた老大家アラウの、人間的な芸の厚みを感じさせる演奏である。

全体にやや遅めのテンポで、旋律をゆったりと歌わせながら運んだ演奏で、明るい音色と深みのある表情で丹念にまとめている。

曲調がアラウにぴったりであり、厚みのある和音、無骨な弾き方はベートーヴェンそのもので、媚びや外面の美しさからは遠く、聴けば聴くほど滋味が出てくる。

シュタールカペレ・ドレスデンも世界最古の歴史を誇る伝統のある楽団だけに、その響きは素晴らしく、ことに弦楽合奏の柔らかく味わいのある音色は申し分ない。

「皇帝」もまことに偉大かつ雄弁だ。

まず出だしのフォルテを聴いてほしい。これほど威風堂々とした響きは、ほかのオーケストラからはなかなか聴くことのできない、伝統の響きだ。

アラウもその響きに優るとも劣らない風格をもっており、音のひとつひとつを大切に、いとおしみなが弾いており、音楽が匂い立つ。

第1楽章は音の1粒1粒が大切にされ、ベートーヴェンが何気なく書いた飾りの音型からも新しい意味を掘りおこしてゆく。力強く深々とした表現である。

第2楽章は初めは淡々と弾いてゆくが、途中からにわかに輝きを増し大家の芸となる。ピアノのタッチの美しさの光った繊細な演奏だ。

フィナーレはふところの深い表現で、アラウとデイヴィスの、乗りに乗った白熱的なかけあいが聴きものだ。

デイヴィスの指揮も純ドイツ風で、充実しきった有機的な響きが快い。

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2007年12月21日


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音楽表現の原点に立ち帰るようなところがあった晩年のアラウの演奏に比べると、70年の演奏は表現者としての覇気を感じさせる。

ピアノ・ソナタにしても他の作品にしても、ここでは大きく気持ちを羽ばたかせた表現で、聴き手を別世界へと誘う強い力が感じられるのだ。

もちろんドイツ的な伝統の継承者として、極めて的確で、構成力に富むことはいうまでもない。

力強い説得力を持った演奏だ。

85年の再録音はアラウの深い精神性に満ちた表現とともに、衰えをしらぬ技巧の強靭さには、驚くばかりだ。

ピアノ・ソナタでは決して表面的な演奏効果に向かうことなく、極めて骨太に作品の本質、その内面に実在するものをしっかりと引き出す。

他の3曲の演奏も当然その同一線上にあり、アラウの響きの饗宴や名人芸の披歴にとどまらず、そうした響きにしっかりと肉付けをして、まさしく肉声で奏でられた音楽を聴かせてくれる。

超絶技巧練習曲の第9曲「回想」から第12曲「雪かき」に至る4曲は、若いリスト弾きとは異なり、技巧を誇示することはせず、円熟した表現力で聴き手に何かをアピールする。

これは、アラウがリストを長い間演奏し続けた中から、つかみとったものが物を言っている。

技巧的難曲を演奏する以上の、表現力の幅の広さや味わい深さを示した演奏といえるだろう。

豪快さは物足りないが、彼の音楽は傾聴に値する。

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