ポリーニ

2016年08月17日


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ここに収録されたシューベルトの『さすらい人幻想曲』及びシューマンの『幻想曲ハ長調』の2曲が最初にSHM−CD化されたのは2008年で、限定盤だったために既にプレミアム価格で取引されていた。

今回のリイシューに当たって低価格化されたことを歓迎したい。

今年になってからグラモフォンのアナログ時代のスタンダード・ナンバーがSHM−CDによって大挙放出され、ポリーニの演奏もソロ、協奏曲共に代表的な音源が復活している。

1973年の録音だが当時のグラモフォンのリマスタリング技術が初のCD化に際して完全に活かされていたとは言えない。

これら2曲を初出のレギュラー・フォーマットのCDと聴き比べると、旧盤はピアノの音質が若干痩せていて、高音の伸びも今ひとつな上に音色の瑞々しさにも欠けている。

SHM−CDによる音質のグレード・アップはリマスタリングとは直接関連がないようだが、注意して聴いているとその差は歴然としていて、ポリーニの持ち味がより忠実に再現されるようになったことを評価したい。

例えば彼はペダルを充分に踏んで豊かな音響を創造しているが音の濁りは皆無で、弱音でも脆弱にならず輝きを保った響きが得られている。

両曲とも古典的なピアノ曲の様式からはいくらか逸脱した奇想的なファンタジーに富んだ作品で、中世の騎士道小説を読むような硬派のロマンティシズムに支えられている。

テクニック的にも難解を極めた曲として知られているが、ここでもポリーニは一切の曖昧さを残さず、総てを音から音への力学によって明確に弾き切っている。

シューベルトの『さすらい人幻想曲』のフーガの明晰さと力強さ、そしてフランツ・リストに献呈されたシューマンの『幻想曲ハ長調』では感傷的な表現を避けた、あくまでも明瞭な響きによるスケールの大きいシンフォニックな奏法は彼ならではのものだ。

この作品の第1楽章終結部に現われるベートーヴェンの『遥かなる恋人に寄す』のテーマはピュアな音の結晶として鳴り響いている。

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2016年06月07日


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素晴らしい名演だ。

演奏時間はほぼ50分ほどだが、ポリーニの演奏は古典的な観念から逸脱しないオーソドックスで堅固な構成美と張り詰めた緊張感に貫かれていて、作品の長さを全く感じさせない。

その構成は勿論彼の明晰なアイデアに支えられている。

変化や起伏の多い小さなヴァリエーションを個々の特徴をつぶさに捉えてその多様さで表現するというよりは、むしろ拘泥を避けて壮大な伽藍を築くエレメントとして奉仕させているところにポリーニらしさが窺える。

そしてこの力強い推進力は第32変奏の4声部の二重フーガに向けて次第に求心力を増して収斂していく。

ベートーヴェンが彼の曲のクライマックスにバロックの遺物とも言えるフーガを頻繁に使うのは興味深いが、ポリーニはここでも明快な対位法の再現の中に豪快で燦然としたピアニズムを響かせている。

最後のメヌエットはこの大曲の余韻を味わうエピローグ風に閉じられているが、その輝きと流れは最後まで失われることがない。

レパートリーの開拓や録音活動では常にマイペースの姿勢を崩さないポリーニは、70歳を過ぎて漸くベートーヴェンのソナタ全曲集を完成させて、彼のよりインテグラルなベートーヴェン像が顕示されたわけだが、ソナタ以外のジャンルでベートーヴェンのピアニズムの世界を知るために欠かすことができないのが変奏曲だろう。

変奏というテクニックはソナタにも、また協奏曲や交響曲にも常套手段として登場するが、ベートーヴェンはそれをあるひとつの目的に向かうテーマの漸進的な発展として位置付けていた。

彼のピアノ独奏用の作品の中でも最も大きな規模を持っている『アントン・ディアベッリのワルツによる33の変奏曲』でもこうした彼の哲学が実践されていて、楽理からは殆んど解放されたような天衣無縫で巨大な構想に基く音楽を実現した、あらゆる変奏曲の中でも傑出したもののひとつに違いない。

録音は1998年で、ポリーニ壮年期の充実した演奏の記録でもある。

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2015年11月18日


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ブリューノ・モンサンジョンの手掛けた最新のドキュメンタリーで、彼らしい演出的な操作をしない淡々としたインタビューと若い頃から現在までのポリーニの貴重な映像を繋ぎ合わせた手法の中に、稀有のピアニストの偽りのない姿を浮き彫りにしている。

一連のインタビューでポリーニ自身が暗示しているように、彼は自分自身や家族との日常生活については演奏活動とは常に切り離していた寡黙の人だった。

その彼が70歳を過ぎてから初めて語り始めた少年時代から現在に至る半生には、私達が今までに知ることができなかった意外なエピソードも含まれている。

ポリーニが18歳でショパン・コンクールの覇者になった時の映像は流石に初々しく隔世の感が否めないが、この時の審査委員長ルービンシュタインから『彼はテクニック的にはここにいる誰よりも上手い』と言われたことをポリーニ自身は、居並ぶ審査員に対する皮肉だと解釈している。

しかしこの言葉から意図的に『テクニック的には』が削除されて広まってしまったために、如何にも大袈裟な評価として残ってしまったとしている。

彼がその直後演奏活動を休止した理由については、引く手あまたのコンサートを続けるには余りにも若く無知で、更なる音楽の習得とショパンだけではない他のレパートリーを開拓する時間を捻出するためだったと回想する。

つまりルービンシュタインの言葉を誰よりも深刻に受け止めていたのがポリーニ自身だった。

このDVDを見ればポリーニが一般に誤解されているような無味乾燥の機械屋でないことが理解できるだろう。

音楽と政治とは分けて考えるべきものだという彼の主張も興味深い。

その言葉通り彼は演奏の場に政治色は決して持ち込まなかった。

彼のイタリア共産党入党には勿論友人ルイジ・ノーノやアバドの影響もあったに違いないが、直接的な動機はソヴィエトのプラハ侵攻を当時のイタリア共産党が非難したことに共感を得たからのようだ。

ただポリーニは、音楽は総ての人のためにあるというモットーから、友人達と労働者や学生のためのコンサート活動も積極的に行った。

ここでは彼が工場の中でベートーヴェンの『皇帝』を弾くクリップも挿入されている。

筆者自身彼のリサイタルを破格に安い入場料で聴いたことを思い出した。

ポリーニはレパートリーの少なさでも他のピアニストとは一線を画しているが、長年に亘って弾き込んで行く曲目で残ったものは、私が(精神的に)疲弊しない曲だと告白している。

その上でスカルラッティやラヴェルを弾けないのは残念だとも述べている。

最後の質問で『貴方は伝道師のような使命感を持って演奏活動をしているのか』と尋ねられると、ポリーニは『とんでもない、私の個人的な喜びのためだけです』とかわしている。

これは謙遜というより確かに彼の本心かもしれない。

ポリーニがインタビューで話しているのはイタリア語とフランス語だが、字幕は英、独、仏、中、韓、日本語の選択が可能で、日本語については要点を簡潔に訳出したもので、この手の字幕スーパーの中ではまともな仕上がりになっている。

リージョン・フリーで挿入されたパンフレットには、このDVDに使われた映像での総ての演奏曲目が掲載されているが、それらのデータは記されていない。

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2015年09月19日


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これほど明るく澄み切った音色でシューマンの精神的な葛藤や苦悩を赤裸々にした演奏も珍しい。

いずれもポリーニ全盛期1980年代の演奏で、盟友アバドとベルリン・フィルとの協演になる『ピアノ協奏曲イ短調』では、第3楽章を除いて比較的ゆったりしたテンポを設定していて、決して情熱に任せて走るような演奏でないところが如何にもこの2人らしい。

あくまでもクリアーなタッチでスコアを辿って曖昧な点を一切残さず、なおかつ名人芸を押し付けない冷徹なまでに鍛えられた奏法がシューマンの思索をピアノの音の中に純化させた、ポリーニの典型的な表現を聴くことができる。

アバドはベルリン・フィルを縦横に歌わせて、第2楽章インテルメッツォの静寂な世界から終楽章の歓喜に到達する漸進的な緊張感の高揚と、最後に訪れる開放感をカンタービレの中に描ききっている。

『交響的練習曲』では曲を追って沈潜したメランコリーや不安と期待、愛らしい抒情が交錯し、それらは終曲で英雄的なシンフォニーに変容する。

それはシューマン自身の心情の起伏を、エチュードの名を借りたそれぞれのヴァリエーションに託して告白しているかのようだ。

彼がバッハの音楽から学んだとされる対位法が曲中に頻繁に用いられ、作品を彫りの深いものにしているのも印象的だ。

ここでもポリーニの楽曲に対する読みは鋭く、個々の曲の性格描写にむやみに囚われることなく、全体の構成を踏まえた堅牢な造形美を感知させている。

この方法によって第9曲と第10曲の間に挿入された5曲の『遺作』がごく自然に統合され、少しも違和感を与えていない。

最後に置かれた『アラベスク』は飾り気のない全くの自然体で演奏されているが、そこにシューマン特有の拭いきれない憂鬱をさりげなく表出するポリーニの手腕が冴えている。

尚ライナー・ノーツは16ページで曲目解説と演奏者紹介が英、独、仏、伊語で掲載されている。

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2015年08月31日


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ここ数ヶ月クラウディオ・アバドの追悼盤が目白押しにリリースされているが、ソリストを迎えた協演盤としてはこのセットが先般のアルゲリッチとの5枚組に続く、ポリーニとのグラモフォンへのコンプリート録音集になる。

本BOXに収められたそれぞれの演奏については、既に当ブログでもレビューを書いたものばかりで、既に語り尽くされた感のある名盤の集成である(それ故筆者はこのセットを購入していないことを予めお断りしておく)。

ベートーヴェンのピアノ協奏曲に関しては、ポリーニにはベーム、ウィーン・フィルとの第3、第4、第5番とベームの死後ヨッフムが第1、第2番を補った旧全集が存在するし、ブラームスも第1番はベームの振ったセッションが聴き逃せない。

ベームはポリーニ、ウィーン・フィルとこれらの協奏曲集を完成させる願望があったに違いないが、奇しくもそれはアバド、ベルリン・フィルによって実現された。

同じイタリア人同士でもアバドとポリーニは、ジュリーニとミケランジェリのような関係ではなく相性が極めて良かったことから、彼らのコラボを一層堅固なものにしている。

録音では常にマイペースの姿勢を崩さなかったポリーにが、彼とCD8枚分の協演を残しているのは殆んど例外的と言えるだろう。

一方ベルリン・フィルはアバドを首席指揮者に迎えてからオーケストラのカラーも一新された。

カラヤン時代に練り上げられた絢爛豪華な響きはアバドによって一度解体され、より自発的で風通しの良い軽快なものになった。

帝王と呼ばれたカラヤンの呪縛から解き放たれたと言ったらカラヤン・ファンからお叱りを受けるかも知れないが、アバドがベルリン・フィルに新風を吹き込んだことは間違いない。

彼らの協演は1969年にプロコフィエフのピアノ協奏曲第3番で始まって以来、現代物を得意とした2人だけに、多くの20世紀の音楽を採り上げたが、残念ながらプロコフィエフは録音として残されていないようだ。

一流どころのピアニストでも売れ筋のポピュラーな曲目ばかりを録音する傾向にあって、幸いこのセットはシェーンベルク、バルトーク、ノーノの都合4曲が入っている。

新時代の音楽を率先して採り上げ、常に高い水準の演奏を心掛けた彼らの啓蒙的な活動には敬服せざるを得ない。

バルトークについては当然彼らの解釈は民族主義的ではない。

だからハンガリー特有の舞踏やその音楽語法から生み出される原初的パワーを期待することはできないが、シカゴ交響楽団と共に斬新な音響を創造しながらオリジナリティーに富んだ解釈を示した録音に価値が認められるのではないだろうか。

こうした作品群では彼らの怜悧なアプローチが傑出していて音楽に全く隙が無い。

中でもノーノの作品『力と光の波のように』はアバドとポリーニのために制作された1972年の新作で、電子音とソプラノ、ピアノ、オーケストラを組み合わせた凄まじいばかりのサウンドとヴァーチャルだが目を眩ませるような強烈な光線さえ感じられ、ノーノのイデオロギーの世界を象徴している、一度は聴いておきたい作品だ。

ベートーヴェンではライヴから採られた5曲の協奏曲の他に交響曲第9番の終楽章をイメージさせる独唱陣と混声合唱が加わる『合唱幻想曲』も組み込まれている。

現在では稀にしか演奏されない曲だが、第9に収斂していく楽想の準備段階が興味深い。

ブラームスのピアノ協奏曲第2番は1976年のウィーン・フィル及び95年のベルリン・フィルとの2種類が収録されている。

シューマンの協奏曲と並んで深く彫琢されたポリーニの圧倒的なピアニズムが聴きどころだ。

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2015年08月02日


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ポリーニ&ティーレマンのブラームス第2弾で、ポリーニによる3度目のブラームスのピアノ協奏曲第2番の登場だ。

ポリーニは完全主義者として知られているだけに、レコーディングには慎重を期して臨むのが常であるが、そのようなポリーニが同じ曲を3度も録音するというのは異例のことであり、これはポリーニが同曲にいかに深い愛着を有しているのかの証左であると言えるだろう。

最初の録音は、アバド&ウィーン・フィルとともに行ったスタジオ録音(1976年)であり、ポリーニとアバドの激しいぶつかり合いが眼前に浮かぶほどの熱のこもった迫力ある演奏を展開していた。

これに対して2度目の録音は、アバド&ベルリン・フィルとともに行ったライヴ録音(1995年)であり、これはポリーニの個性が全面的に発揮された演奏と言えるところだ。

アバドは、協奏曲の録音を行う際にはソリストの演奏を下支えする役割に徹するのが常であり、そうしたアバド、そしてベルリン・フィルという望み得る当時最高の豪華コンビをバックとして、ポリーニがその個性と実力を十二分に発揮した演奏を展開していると言えるだろう。

もっとも、アバド&ベルリン・フィルによる演奏が無色透明であるだけに、当時のポリーニのピアノ演奏の欠点でもあるいささか無機的な技術偏重ぶりがあらわになっていると言えるところであり、同曲の味わい深さが必ずしも的確に表現し得ていないとも思われるところである。

したがって、一部には高く評価されている当該演奏ではあるが、筆者としてはあまり評価をしていないところだ。

そして、本盤に収められた演奏は、2度目の演奏から18年を経た後のものであるが、これは素晴らしい名演と評価したい。

そもそもポリーニのピアノ演奏が、1995年盤とは段違いの素晴らしさであると言えよう。

1995年盤に顕著であった技巧臭さえ感じさせる無機的な演奏など薬にしたくもなく、もちろん超絶的な技量は健在ではあるが、どこをとっても懐の深い豊かな情感が満ち溢れているのが素晴らしい。

これは、ポリーニの円熟によることは間違いがないところであり、ポリーニが演奏の技術的な正確さ、緻密さを追求するのではなく、このような情感豊かな演奏を行うようになったことに深い感慨を覚えるところだ。

このような演奏を聴いていると、ポリーニこそは名実ともに現代を代表する偉大なピアニストの1人であることを痛感せざるを得ない。

ポリーニとしては3度目の同曲の演奏ということになるが、3度目の正直との諺のとおり、漸く自他ともに満足できる名演を成し遂げることが出来たと言えるだろう。

かかる偉大なポリーニのピアノ演奏を下支えするティーレマン&シュターツカペレ・ドレスデンについては、このコンビならばもう少しハイレベルの演奏を望みたい気もしないでもないところだ。

同曲は、ピアノ伴奏つき交響曲との異名をとるだけに、同曲の分厚いオーケストレーションを活かしたより重厚かつ雄渾なスケールの演奏を望みたいと思った聴き手は筆者だけではあるまい。

ティーレマンは、将来を嘱望されている期待の独墺系の指揮者だけに、今後の更なる研鑽を大いに望んでおきたいと考える。

音質は、2013年のライヴ録音であるが、SHM−CD化によっても、特にオーケストラの音が必ずしも鮮明とは言えず、ポリーニのピアノタッチは比較的鮮明に再現されているだけに、実に惜しい気がする。

いずれにしても、本盤全体の評価としては、ポリーニの素晴らしい円熟のピアノ演奏とティーレマンの今後の更なる成長に期待して、本盤を推薦との評価をするのにいささかの躊躇をするものではない。

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2015年07月25日


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ミラノ出身、73歳(2015年時)の現役ピアニスト、マウリツィオ・ポリーニによるベートーヴェンのピアノ・ソナタ全曲録音完結作。

クラシック音楽全体の中でも中核をなす重要なレパートリーであり、ベートーヴェン自身の芸術や作曲様式の発展を辿る32の傑作の録音が、39年の歳月をかけて完結された。

ポリーニのマイペースぶりにはほとほと恐れ入るが、殆んど諦めていたベートーヴェンのピアノ・ソナタ全集を、彼がまさに半生を賭けて完成させたことを率直に喜びたい。

この曲集についてはとにかく1度全曲を聴き通すことが望ましい。

そうすればポリーニが如何に自分に誠実な演奏を心掛けてきたかが理解できるだろう。

39年という歳月は、当然のようにポリーニに芸風の変化をもたらしているが、それでも、一貫して深い陰影のある彫像性が刻まれた、コクのあるベートーヴェンとなっている。

ポリーニは完全無欠のテクニックを誇っていた時代でも、決して聴き手に媚びるようなピアニストではなかったし、しばしば指摘されるような無味乾燥の機械屋でもなかった。

中でも彼が壮年期に録音したベートーヴェン中期から後期にかけての作品群が堅牢な音楽的造形美と洗練で、さながら名刀を鍛える刀匠のような素晴らしさがある。

確かにここ数年ポリーニの技巧的な衰えは否めない。

以前のような強靭なタッチも影を潜めたが、あえてそれを別の表現や解釈にすり替えようとはせず、不器用ともいえるくらい真っ正直に自己のポリシーを貫き通しているのが彼らしいところではないだろうか。

最近のセッションでは、初期のソナタでの若き日のベートーヴェンの斬新な創意や、性急で苛立つようなリズム、不安や焦燥の中から希望を見出そうとするひたむきな情熱が感じられる。

そこには尽きることのない目標に向かって突き進むような意志があり、また逆にそれを制御しようとする極めて冷静な知性とのせめぎ合いもあり、巨匠としての風格はむしろ稀薄だ。

その意味ではポリーニに円熟期というのは存在しないのかも知れない。

いずれにしても誰にも真似のできない超一流の美学に輝いたベートーヴェン・ソナタ全集のひとつとして聴くべき価値を持っていることは確かだ。

録音状態はさすがに総て均等というわけにはいかない。

過去40年間の録音技術の進歩も無視できないし、会場によって音響が異なり、またセッションとライヴが入り乱れているので、客席の雑音や拍手が入るのは勿論、ポリーニの癖でもある演奏中のハミングも聞こえてくるが、音楽鑑賞としては全く不都合はない。

同一曲で2種類以上の音源が存在する場合は新録音の方が採用されている。

例えばCD5の『テンペスト』を含む第16番から第20番までの5曲は、2013年と2014年にかけて行われたセッションで初出盤になる。

クラムシェル・ボックスに収納されたごくシンプルな紙ジャケットに色違いの8枚のCDが入っている。

曲順はソナタの番号順に再編集されていて録音年代順ではないが、録音データはジャケットの裏面とライナー・ノーツで参照できる。

なお国内盤は、SHM−CD仕様により、音質は従来盤に比べきわめて鮮明になるとともに、音場が非常に幅広くなった。

ピアノ曲との相性抜群のSHM−CDだけに今般のSHM−CD化は大いに歓迎すべきであり、ポリーニによる至高の名演をこのような高音質で味わうことができるのを大いに喜びたい。

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2015年06月07日


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70歳になり、名実ともに現代を代表する巨匠ピアニストとなったポリーニであるが、ポリーニの評価については現在でも二分する状況にある。

これには、とある影響力の大きい某音楽評論家がポリーニの演奏を事あるごとに酷評し続けていることに起因しているものと思われる。

確かに、ポリーニの壮年期の演奏の一部には、某音楽評論家が指摘しているように、いささか技術偏重に堕した内容が伴わない演奏が垣間見られたのは事実である。

しかしながら、他のピアニストの追随を許さないような名演も数多く成し遂げてきたところであり、ポリーニの演奏をすべて否定してしまうという某音楽評論家の偏向的な批評には賛同しかねるところだ。

本盤に収められたショパンの練習曲集は1972年のスタジオ録音であり、今から40年以上も前の、若き日のポリーニによる演奏だ。

先般、ショパン国際コンクール優勝直後の1960年に録音された練習曲集の演奏が発売(テスタメント)されたが、畳み掛けていくような気迫といい、強靭な生命力といい、申し分のない圧倒的な名演に仕上がっていたところだ。

当該演奏と比較すると、本盤の演奏は、スタジオ録音ということも多分にあると思うが、前述の演奏と比較するとやや大人し目の演奏に仕上がっていると言えるだろう。

加えて、これまで従来CD盤で聴いていた際は、卓越した技量が全面に出た、いささか内容が伴わない演奏のように思っていたところだ。

ところが、今般、シングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化されて大変驚いた。

もちろん、ポリーニの卓越した技量を味わうことができる点においては何ら変わりがないところであるが、SACD化によって、これまで技術偏重とも思われていたポリーニの演奏が、随所に細やかな表情づけやニュアンスが込められるなど、実に内容豊かな演奏を行っていることが理解できるところだ。

本演奏を機械仕掛けの演奏として酷評してきた聴き手にとっても、シングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化された本盤を聴くと、本演奏の評価を改める人も多いのではないだろうか。

筆者としては、本演奏は、今般のシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化によって漸くその真価のベールを脱いだ圧倒的な超名演と高く評価したいと考える。

前述の1960年の演奏のレビューにおいて、本演奏について疑問符を付けたところであるが、今般のシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化を機に、その評価を改めたいと考える。

それにしても、音質によってこれだけ演奏の印象が変わるというのは殆ど驚異的とも言うべきであり、改めてシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤の潜在能力の高さを思い知った次第だ。

いずれにしても、ポリーニによる圧倒的な超名演をSACDによる極上の高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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2015年05月05日


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ポリーニの“弾き振り”によるモーツァルトのピアノ協奏曲第2弾の登場で、2007年にライヴ録音された逸品。

前回の第17番&第21番に続くもので、これが今後シリーズ化されていくのだとしたら楽しみだ。

前回に引き続いて「後期の傑作」と「初期の魅力的な佳作」のカップリングとなっているが、筆者にはポリーニがベームと録音した第19番と第23番の組み合わせを踏襲するスタイルを意識しているように思えてならない。

若きポリーニが尊敬する巨匠と録音したモーツァルト、そしていま音楽家として熟成したポリーニは指揮もあわせてウィーン・フィルとのモーツァルトの世界に帰ってきたのである……と考えるとロマンティック過ぎるだろうか。

両曲に共通することであるが、ピアノの音色は水銀の珠を転がすような美しさであり、中音も低音も強調されない粒の揃ったタッチは、他では絶対に聴けないものと言える。

第12番はモーツァルトがウィーンで作曲した最初の本格的なクラヴィーア協奏曲であり、かつ管楽器抜きの弦四部で演奏することも可能なように書かれている。

第1楽章から親しみやすい典雅な伸びやかさがあり、落ち着いたポリーニのピアノが安らぎを与える。

第2楽章はモーツァルトらしいところどころ哀しい色を帯びた美しいアンダンテで、ここでポリーニのピアノはたっぷりと憂いを含んだ憧憬的な音色で歌っており、昔のポリーニを知るものには隔世の感がある。

終楽章のロンドも愛らしく、ポリーニのやや硬質だが、透徹した鋭利なタッチが冴え渡っている。

第24番はモーツァルトの「短調の世界」を存分に味わえる大曲であり、演奏もこれに即した深々とした情感を満たす。

シャープなピアノが音の膨らみを警戒し、鋭敏に輪郭線を描いている。

たとえば終楽章の感情の爆発も、スピーディーで線的に描かれていて、1つの演奏形態の理想像を示していると思う。

一方で、第2楽章の木管楽器との音色の交錯もなかなか巧みで聴き応えたっぷり。

部分的に弦楽器が表情を硬くしすぎる感があったが、気にするほどではなく、もちろん名演と呼ぶに差し支えない出来栄え。

そして時にはあたかもベートーヴェンの曲であるかのようなダイナミズムを見せ、全体として、それにしてもポリーニがこれほどと思わせるくらい、とても甘美なモーツァルトに仕上がっている。

さらに本盤で素晴らしいのはウィーン・フィルの優美な演奏と言えるだろう。

ウィーン・フィルは、いかにもモーツァルトならではの高貴な優美さをいささかも損なうことなく、見事なアンサンブルを構築している。

ライヴ録音であるが拍手は第24番終了後にのみ収録されている。

個人的に拍手は不要と思うが(なお言うとポリーニの音楽はスタジオ録音の方が堪能できる)曲間の拍手をカットしてくれたのはありがたい。

リスナーのことを配慮してくれたのだろう。

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2015年04月06日


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ポリーニとシューマンの相性は非常に良いように思われる。

本盤も、そうした相性の良さがプラスに働いた素晴らしい名演と高く評価したい。

シューマンのピアノ曲の本質は、内面における豊かなファンタジーの飛翔ということになるが、ショパンやリストのような自由奔放とも言える作曲形態をとらず、ドイツ音楽としての一定の形式を重んじていることから、演奏によっては、ファンタジーが一向に飛翔せず、やたら理屈だけが先に立つ、重々しい演奏に陥ってしまう危険性がある。

ポリーニのピアニズムは、必ずしもシューマンの精神的な内面を覗き込んでいくような深みのあるものではないが、卓越した技量をベースとした透徹したタッチが、むしろ理屈っぽくなることを避け、シューマンのピアノ曲の魅力を何物にも邪魔されることなく、聴き手がそのままに味わうことができるのが素晴らしい。

いささか悪い表現を使えば、けがの功名と言った側面がないわけではないが、演奏は結果がすべてであり、聴き手が感動すれば、文句は言えないのである。

また、シューマンの作品は、どのような分野のものであれ、病的な部分というか、翳のような部分を抱え込んでしまっているケースが少なくない。

だが、ポリーニのアプローチは、そのようないわば負の部分にはあまり拘泥することなく、ピアノの音自体の強靭な存在感でもって、ほとんど直線的になされていく。

それでいて、出来上がった演奏は多面的な魅力をおび、シューマンの本質を鮮やかに掬いあげえているところに、ポリーニのすごさがあると言えよう。

ピアノ協奏曲は輝かしい情熱と豊かな詩情を兼ね備えた、最も条件のそろった名演である。

ポリーニは、鮮明なタッチと曇りのない歌心の中から誠に美しい詩情と振幅の大きな表現を浮かび上がらせている。

完璧なテクニックをうならせた彼の演奏は、揺るぎない造型的美観の把握や緊迫した集中力の持続が見事なだけでなく、美しいカンティレーナの魅力にも溢れており、そこではほとんど文句のつけようがない成果が実現されている。

アバド&ベルリン・フィルのバック・アップも十全であり、ポリーニのピアノとの間に呼吸の乱れは少しもなく、とにかく中身の濃い演奏内容である。

交響的練習曲は、シャープで躍動感に満ちた魅力をもっていて、ダイナミックかつブリリアント、壮大この上ない建造物を作りあげている。

もちろん細部まで克明に彫琢されているが、ラテン的で明るい歌謡性もが光っている。

アラベスクもポリーニはうまく、響きをたっぷりと採って、感傷に溺れないで健康的な明快な音楽に仕上げる。

ポリーニの清澄にしてきらめきのある音質を生かした演奏は、端正ななかにも、華やかな輝きをもっている。

そして、なめらかな躍動感も、その演奏に生き生きとした流動感を与えており、全体として快い流れでまとめられている。

ちょっと澄ました軽やかさで、音楽の襞を明晰に追って、あっさりともたれないところがいい。

ピアノ協奏曲、交響的練習曲、アラベスク、いずれ劣らぬ名演であり、ピアニストの個性ではなく、楽曲の素晴らしさだけが聴き手にダイレクトに伝わってくるという意味では、3曲のベストを争う名演と言っても過言ではないと思われる。

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2015年04月01日


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フィッシャー=ディースカウが、ポリーニという絶好の共演者を得て、1978年にザルツブルク音楽祭に於いて、十八番にしていた《冬の旅》を演唱した貴重な記録である。

彼自身、1970年代初めの頃のあのムーアとの録音を最高とは考えていなかった証拠と言えないだろうか。

ムーアには、伴奏者が持つ限界が見えている。

同じリートをいろいろな歌手達と何度も何度も演奏し、録音する生活の中では、自ずから自分のスタイルを失っていくことになるのではなかろうか。

それに反して、エンゲルとか、デムスとか、ブレンデルとか、一流のピアニストには、1つのリートに一回性を求める立場が保留されている。

それだからこそ、個性的な伴奏が、新鮮な解釈と共に可能になるのだ。

そうした中で、稀代のピアニストとして大成したマウリツィオ・ポリーニは、傑出した伴奏者として特筆に値する音楽家である。

ポリーニの豊かな音楽体験と、厳しい人生経験から、この名伴奏が産まれたことは明らかである。

フィッシャー=ディースカウはこの人を伴奏者に得て、ムーア盤で示した独特の《冬の旅》解釈を極限まで洗練させ、完成した名演としてレコードに残すことに成功したのである。

演出を越え、解釈を克服したところに、無類の《冬の旅》の出現がありえたわけで、これは奇蹟でも、偶発的産物でもない、至芸というものなのである。

細かいことを言えば、第6曲「あふれる涙」での三連音符と付点音符の組み合わせだが、ポリーニの解釈こそ彼の豊かな音楽体験の産物なのであって、ショパンの《24の前奏曲》とか、バッハの《平均律》などを深く研究したピアニストなら、疑いもなく、ポリーニの解釈を正統と評価するに違いない。

伴奏の専門家たちの手から、こうした解釈が決して産まれなかったのは、それなりの理由がある。

つまり、記譜上の書式通りに弾こうとするから問題が起こるのであって、書式と実際の演奏法の間の関係について、時代様式の心得がないと、シューベルトでもシューマンでも、問題が起こるのだ。

続く「河の上で」も素晴らしい演奏で、こうした名演は、ピアノのパートの干渉度が大きい曲では、声楽家の努力と才能だけでは産まれえぬものなのである。

「鬼火」や「春の夢」などにも同じことが言えるところであり、特に一見幸福そうな後者から、これだけ深い悲しみが表現できようとは、驚異としか言いようがない。

ここまで行くと、この意外というほかないフィッシャー=ディースカウとポリーニという組み合わせが、結果として最高の名コンビということになった。

後半12曲に入っても、緊張感は衰えることなく、最後の5曲に凝集されていく《冬の旅》のエッセンスは、ますます純度を増していく。

曲尾にそれまで示されていた歌唱の唐突なクレッシェンドは、ここでは姿を消し、歌のパートに代わってピアノが不気味な盛り上がりを聴かせている。

「決して静まることがない」ライアーマンの楽器がそこでは前面に出るのである。

そして、ポリーニはフィッシャー=ディースカウの期待に応えて、ピアノの右手の奇妙な旋律を絶妙に歌い上げている。

それは歌唱の弱まって終わる効果と見事な対比を形成してわれわれの心の中に未聞の深い印象を残すのだ。

《冬の旅》ここに窮まる。

この名演があっては、プライもホッターも出る幕がなさそうである。

そして、大半の責任は歌手にあるのではなく、伴奏者の選択にあることを、この名録音が教えてくれているのではなかろうか。

フィッシャー=ディースカウは、53歳に達してとうとう最高の伴侶を得たのである。

音質もフィッシャー=ディースカウの息づかいとポリーニのピアノタッチが明瞭に聴こえるなど、1978年のライヴ録音としては極めて優れたものと評価したい。

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2015年03月24日


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優れた演奏家は今日数多いが、アルゲリッチほど聴き手をスリリングな興奮に誘うピアニストも他にはいないであろう。

完璧な技巧を背景に奔放なまでの即興性と躍動感にあふれた演奏を聴かせる名手であり、まさに天才的な名ピアニストである。

一方、鋭い緊張感と劇的な表現力に貫かれたピアノ演奏の醍醐味を満喫させるポリーニは、アルゲリッチと並び現代ピアノ界を二分する人気と実力を誇る名ピアニストである。

ポリーニは甘いリリシズムに溺れることなく、作品に対する鋭い問いかけを背後にもつ彼の演奏は、時に聴き手に問題提起を迫るような気迫をもち、刺激的である。

イタリア人ならではの輝ける感性と知的な洞察力を併せ持つ、稀に見る天才型の名手ということになろう。

とりわけこの2大ピアニストは特にショパンにおいて個性的で素晴らしい対照的な名演を聴かせた。

アルゲリッチはきわめてスケール大きくピアノを鳴らし、勢いに乗じた激しい魂の燃焼を聴かせるが、ポリーニは冷静沈着で完璧主義的な、揺るぎのない安定し切った演奏で迫る。

アルゲリッチは抜群のテクニックと、本能的とも言える激しい作品へののめり込みを感じさせ、まるで曲とともに燃え尽きてしまうのではと思わせる、鬼気迫る凄い迫力の演奏になっている。

ポリーニの方は冷静沈着、まったく激することなくきわめて精緻な計算によって、完璧とも言えるやはり名演を聴かせる。

アルゲリッチの怒涛のような快演と、ポリーニのクールなリリシズム、いずれも比較を絶した名演で、優劣を論じることはできないが、本能派のアルゲリッチと、理想派のポリーニでは、まったくクロスすることのない二極的なショパンである。

両者はまさに対極的とも言える解釈なのだが、ショパンの作品そのものに、こうした極端な解釈を許す要素があるのだろう。

激しい魂の燃焼を求めるか、あるいは完璧なプロポーションを求めるかで、自ずと選択の基準は決定されるだろう。

激しく燃えるアルゲリッチに対して、クールで冷静なポリーニと、2つの演奏を聴き比べるのは、ファンのみに許された楽しみと言えよう。

いずれをとるかは、聴き手の好みの問題と言うしかないところである。

アルゲリッチは5歳からピアノを始め、わずか8歳でモーツァルトやベートーヴェンのピアノ協奏曲を弾いたという。

14歳の時ヨーロッパに渡り、グルダ、リパッティ、ミケランジェリ、マガロフなど数多くの名ピアニストのもとで研鑽を重ねている。

1960年、19歳の時より、ドイツ・グラモフォンにレコーディングを開始し、1965年のショパン・コンクールに優勝、以来今日まで変わることなく世界のピアノ界の頂点にたつピアニストとして華々しい演奏・録音活動を繰り広げている。

ポリーニも9歳にしてデビュー・リサイタルを開くほど若くして才能を発揮しているが、何といっても1960年のショパン・コンクールに18歳という若さで優勝、審査委員長のルービンシュタインを感嘆させた。

以来国際的な演奏活動を開始するかと思われたが、1968年まで表舞台にたつことなく、さらに研鑽を重ねている。

1968年ロンドンでのリサイタルを契機にカムバックし、1970年代はじめには世界最高峰のピアニストとして名声を確立している。

我が国への来日も1974年以来続けられており、ショパンを採り上げることも稀だが、いずれも揺るぎない説得力で聴き手を襲う名演を聴かせる大家中の大家である。

両者とも現在では高齢になり、ライヴにしろセッションにしろ慎重に臨んでいるため、若き日から壮年期にかけて、ドイツ・グラモフォンに残された録音は貴重である。

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2015年03月18日


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これは素晴らしい名演だ。

1970年代前半までのポリーニは、圧倒的な技量を全面に打ち出しつつ、そこに、若さ故の生命力、気迫に満ち溢れた勢いがあり、聴き終えた後の充足感が尋常ではない。

1970年代後半になると、技量の巧さだけが際立った無機的な演奏が増えてくる傾向にあり、特に、同じシューベルトのピアノ・ソナタ第19番〜第21番を収めたCDなど、最悪の演奏と言えるだろう。

それに比べると、本盤のピアノ・ソナタ第16番は、段違いの出来と言える。

シューベルトのピアノ・ソナタ特有のウィーン風の抒情の歌い方や、人生の深淵を覗き込むようは深みには、いささか乏しい気もするが、それでも、この力強い打鍵の圧巻の迫力や表現力の幅の広さは、圧倒的なテクニックに裏打ちされて実に感動的だ。

シューマンのピアノ・ソナタも名演であり、ポリーニとシューマンの相性は非常に良いように思われる。

本盤のピアノ・ソナタ第1番も、そうした相性の良さがプラスに働いた素晴らしい名演と高く評価したい。

シューマンのピアノ曲は、一歩間違うと、やたら理屈っぽい教条主義的な演奏に陥る危険性があるが、若きポリーニにはそのような心配はご無用。

シューベルトと同様に、圧倒的な技量の下、透徹した表現で、感動的に全曲を弾き抜いている。

シューマンのピアノ曲の本質は、内面における豊かなファンタジーの飛翔ということになるが、ショパンやリストのような自由奔放とも言える作曲形態をとらず、ドイツ音楽としての一定の形式を重んじていることから、演奏によっては、ファンタジーが一向に飛翔せず、やたら理屈だけが先に立つ、重々しい演奏に陥ってしまう危険性がある。

ポリーニのピアニズムは、必ずしもシューマンの精神的な内面を覗き込んでいくような深みのあるものではないが、卓越した技量をベースとした透徹したタッチが、むしろ理屈っぽくなることを避け、シューマンのピアノ曲の魅力を何物にも邪魔されることなく、聴き手がそのままに味わうことができるのが素晴らしい。

いささか悪い表現を使えば、けがの功名と言った側面がないわけではないが、演奏は結果がすべてであり、聴き手が感動すれば、文句は言えないのである。

シューベルトの第16番もシューマンの第1番もいずれ劣らぬ名演であり、ピアニストの個性ではなく、楽曲の素晴らしさだけが聴き手にダイレクトに伝わってくるという意味では、両曲のベストを争う名演と言っても過言ではないと思われる。

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2015年02月12日


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甘美で夢見るようなサロン風の趣を湛えた、映画に用いられて多くの人々の心を捉えた第2番、独特の旋律の美しさと、流麗でしっとりした深い情感を湛えた第5番、イギリスの作曲家ジョン・フィールドに影響されて作曲されたといわれる、旋律の美しさと深い情感を湛えた甘美で夢見るようなショパンの夜想曲集。

豊かな情緒性や詩的な趣が横溢する優美で詩的な作品を理想的に再現し、新たな息吹を注ぎ込んだマウリツィオ・ポリーニの演奏で楽しめる1枚。

1つ1つ熟考を重ねながら、その録音レパートリーを増やしているマウリツィオ・ポリーニが、ついにショパンの夜想曲を録音した。

そもそもショパンコンクールのときから彼は夜想曲を弾いているし、その後のライヴでも何度となく夜想曲から取り上げてきたので、そのこと自体はさほど驚くことではないかもしれない。

しかし、デビュー当時のポリーニの録音と比べると、さすがに大きな違いを感じる。

なんといっても多彩なアゴーギクを使い、色鮮やかに旋律を歌わせているという点は、ポリーニというピアニストにして、やはり新鮮に聴こえるのだ。

これは、もちろん夜想曲というショパンのハートの最も抒情的な面をあらわした作品群にアプローチするとき、決して避ける事ができないということもあるが、それ以上にポリーニ自身が歌っているという実感のあるアルバムであり、近年の録音の中でもまた少し違う感興を聴き手に与えるに違いない。

ショパンは甘いというのは、夜想曲を聴いてからのイメージだが、ポリーニは甘美なものに流されない、クールな感覚で演奏しており、甘く感傷的なショパンが苦手な方は必聴のアルバムである。

この演奏は、かつて従来CD(輸入盤)で聴いた際には、大した演奏ではないとの感想を持ち、長い間、CD棚の中で休眠状態に入っていたが、今般、SHM−CD盤が発売されるに当たり、あらためてもう一度聴き直すことにした。

SHM−CDとピアノ曲との抜群の相性もあり、従来CDでは、無機的にさえ感じられた、ポリーニの透明感溢れる切れ味鋭いタッチが、いい意味で柔らかい音質に変容した。

かつて、フルトヴェングラーは、トスカニーニのベートーヴェンを指して、「無慈悲までの透明さ」と言ったが、ポリーニの演奏するピアノ曲にも、同じような演奏傾向があると言えよう。

しかしながら、本盤の高音質化CDを聴いていると、それは録音のせいもあるのではないかと思えてくる。

それくらい、本SHM−CD盤に聴くポリーニのピアノには、血も涙もある情感の豊かさに満ち溢れている。

スタジオ録音でありながら、時折、ポリーニの歌声も聴こえるなど、ポリーニのショパンの夜想曲に対する深い理解と愛情をも感じさせられ、実に感動的だ。

ここには、かつて前奏曲やエチュードの録音において垣間見せられた機械じかけとも評すべき技術偏重の無機的なアプローチは微塵も感じられない。

その『硬質』の音でできた構築物の見事さに驚くばかりで、ポリーニもいよいよ円熟の境地に達したと言えるだろう。

やはりショパン演奏において、このピアニストの録音は目が離せないものであると納得させられたところであり、全てにおいてレベルが高いポリーニの演奏の中でも筆者としては3指に入る名演だと思う。

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2015年02月08日


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ショパン弾きとして第一線の活躍を続け、完成された技術はそのままに、ますます熟成を究める現代最高のピアニスト、マウリツィオ・ポリーニの再録音アルバム。

奇しくも、ショパン27〜29歳にかけて…つまりマリアとの恋愛に敗れた後、ジョルジュ・サンドらとマジョルカ島への旅行中に作曲された作品でまとめられている。

ポリーニの円熟を感じさせる素晴らしい名演で、若い頃からショパン弾きとして知られるポリーニの演奏に、若い頃の荒々しさがなくなり、ますます巨匠と呼ばれるにふさわしい円熟味を帯びてきた。

透徹したピアニズムはますます磨かれ、自然な呼吸のようにフレーズを自在に操り、作為を感じさせずに音楽の本質そのものが雄弁に語りかける近年の至芸は何人も到達しえない孤高の境地とも言えるだろう。

清冽な水に光がきらめき水底の小石が見えるように、澄みきった美しい音は曲の奥深くへと聴く者を誘う。

絶対音楽として昇華されたショパンの作品をそのままに演奏し、そこから熱い感情と豊かな詩情を引き出している。

共感と敬愛を込めて曲に向かうポリーニの音楽には、今、深みと広がりとともに自然な温もりが感じられる。

やはりポリーニにとって、ショパンは特別な作曲家なのだと思う。

というのも、ポリーニは、ショパン国際コンクールでの優勝後の一時的な充電期間を経て、楽壇復帰後、一度にではなく、それこそ少しずつショパンの様々なジャンルの作品を録音(演奏)し続けてきているからである。

本盤は、その中でも最新の録音であるが、特に、ピアノ・ソナタ第2番とバラード第2番の2曲の再録音を含んでいるのが特徴だ。

そして、この2曲の、過去の録音との演奏内容の差は著しい。

例えば、バラード第2番など、演奏時間においては特に顕著な差が見られないが、本盤の方が、よりゆったりとしたテンポで実にコクのある情感豊かな演奏を繰り広げている。

ピアノ・ソナタ第2番も、壮年期の勢いといった点では旧盤に一歩譲るものの、本盤においては、内容の掘り下げへの追求が一層深まったかのような意味のある音が支配的であるとともに、とても細やかなルバートも随所に聴かれ、これがとても効果的である。

1984年収録盤に比較すると“凄味”が影を潜めたものの、1音1音しっかりとかみしめながらのピアノの音色自体には、ますますの深みと輝きが加わっており、どっしりとした印象を受ける。

それ以外のカップリング曲では3つのワルツが名演。

近年のポリーニの演奏から予想されたとおり、しっかりとしたテクニックに裏打ちされた温かくも奥深い演奏に仕上がっており、“ショパンの練習曲集”や“ペトルーシュカ”など、ポリーニをデビュー以来追い続けてきたファンの期待を裏切らないしっかりと地に足が着いたお洒落で知的な“大人のワルツ”が堪能できる。

例えば、ルイサダのような瀟洒な味わいは薬にもしたくないが、ここでは、ポリーニ特有の研ぎ澄まされた透明感のあるタッチが、ショパンの寂寥感を一層際立たせることに成功している。

スマートな演奏のため何度聴いても飽きることが無く、是非ともワルツ全集を録音してほしいと期待してしまう。

稀代のヴィルトゥオーゾが近年、どんな『気持ち』なのかを感じられる素晴らしいアルバムで、“人間ポリーニ”の最近の健在ぶりを改めて知ることができる1枚である。

SHM−CD化によって、ポリーニの透徹したタッチがより鮮明に味わうことができる点も大いに喜びたい。

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2015年02月07日


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ポリーニにはショパンへのこだわりがある。

1960年、弱冠18歳にして第6回ショパンコンクールを満場一致で完全制覇し その時、審査委員長を務めていたアルトゥール・ルービンシュタインが彼を評して、「技術的には 私たちの誰よりも上手い」と絶賛したのは有名な逸話だ。

そして彼の全レパートリーを見ても自ら価値のあるものと認めたものしか演奏していない。

この24の前奏曲でも、1曲1曲がミニアチュール的捨てがたい美しさを持ち、全体でショパン音楽のパノラマともなっているこの愛すべきこの曲集を、ポリーニは実に鮮やかに弾いている。

本演奏を評価するか、それとも評価しないのかで、ポリーニに対する見方が大きく変わってくることになると思われる。

確かに、本演奏で顕著な超絶的な技量は素晴らしく、まことに繊細華麗、そして多様な気分を的確につかんでいる。

おそらくは、古今東西のピアニストの中でも、前奏曲を最高に巧く弾いたピアニストということになるとも言える。

あくまでも緻密、どこまでも繊細なショパンを聴かせており、速いパッセージでも崩れることなく1音1音の輪郭をちゃんと見せてくれるのは流石としかいいようがない。

しかしながら、本盤のようなSHM−CD盤ではなく、従来CDで聴くと、ピアノの硬質な音と相俟って、実に機械的な演奏に聴こえてしまうのだ。

まるで、機械仕掛けのオルゴールのようなイメージだ。

ところが、ピアノ曲との相性が抜群の本SHM−CD盤で聴くと、印象がかなり異なってくる。

音質が、いい意味で柔らかくなったことにより、少なくとも、無機的な音が皆無になったのが素晴らしい。

必ずしも、楽曲の内面を追求した深みのある演奏とは言い難いが、それでも、随所に細やかな表情づけを行っていることがよく理解できるところであり、名演との評価は難しいものの、個性があまりないという意味では、同曲への入門用のCDとして最適の演奏には仕上がっていると言えるのではないか。

もっとも、このような評価は、プロのピアニストにとって、芳しいものではないことは自明の理である。

本盤は、今から35年以上も前の録音であり、近年、夜想曲集などで名演を成し遂げているポリーニのこと、既に、24の前奏曲の再録音を果たし、本盤とは次元の異なる名演を成し遂げた。

ポリーニのショパン:24の前奏曲(新盤)

それは、1音1音磨きぬかれた美しい音、感情のみに流されること無く、それをきちんとコントロールする理性、24曲を通しての構築力などを兼ね備えた、ポリーニというピアニストが持つ美点が、最大限に発揮されたアルバムが誕生したのである。

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2015年02月02日


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ポリーニはこれまで、古典派から現代音楽まで、手広く手掛けて優れた録音を残しているのは言うまでもないが、それにしてもまさに満を持してのポリーニのバッハである。

ポリーニが無敵のテクニックを誇っていた時代ではなく、キャリアの殆んど終盤近い時期に平均律を録音したことに、彼が長年に渡って温めていた遠大な構想を垣間見る思いがする。

おそらく無限の可能性を持っているために、演奏上の限りない試行錯誤が要求されるこの曲集は、演奏家として、そして何よりも人間として豊富な経験を積んだ今の彼でなければ録音できないことを彼自身が自覚していたに違いない。

それだけに決して野心的な演奏ではなく、むしろ自然体の境地にあるような誇張のない、心を込めた表現が生きている。

ポリーニという芸術家には完璧ともいえるピアノ演奏の技巧を身につけた上で、これまた確かな教養を裏づけとして、レパートリーを決めうち気味に制覇する完全主義的な雰囲気があったので、近年の録音活動の活発化は、まさにファンには歓迎の至りだろう。

ポリーニは、リサイタルではこの平均律クラヴィーア曲集を取り上げてきたが、いつものように研鑽に研鑽を重ねてついに自身納得の行くものと成り得たのがこのアルバムということになる。

これは素晴らしい名演であり、ポリーニとしても会心の名演と言えるだろう。

ポリーニのことなので、冷徹とも言えるようなクリスタルなタッチで、バッハが記したスコアを完璧に再現することに腐心しているのかと思ったが、冒頭の第1曲の、温かみさえ感じさせる柔和なタッチに驚かされた。

24の調で書かれたプレリュードでは音楽の内部から迸り出る個性以外の個性付けは避けているが、曲ごとの特徴を心憎いほど的確に捉えているのも事実だ。

それに続くフーガの各声部は独立しているという以上に自由に解き放たれ、老獪とも言えるペダリングによってまろやかに潤っているが、それでいて全く混濁のない響きと、隙のない緊張感の持続が特徴的だ。

またそれぞれの曲に対する造形美と、曲集全体に与える統一感は彼本来の手法でもある。

リヒテルの平均律が、彼の非凡な創造性とピアノの機能を駆使したデュオニュソス的表現とするなら、ポリーニのそれは総てを秩序のもとに明瞭に奏でたアポロン的な平均律と言えるだろう。

もちろん、スコアリーディングの鋭さについては、いささかの抜かりもないが、近年のポリーニには珍しいくらい、情感溢れる豊かな歌心に満ち溢れている。

そうした歌心の豊かさは、時折聴かれるポリーニの肉声にもあらわれている。

バッハの演奏におけるスタジオ録音で、ピアノとともに、ピアニストの肉声が聴かれる例として、グールドが有名であるが、ポリーニの場合、グールドのような個性的な解釈を売りにしているわけでなく、そのアプローチはあくまでもオーソドックスなもの。

バッハの宇宙をひとつひとつ丁寧に奏しており、作品の構造が手に取るようにわかる。

それでいて、四角四面に陥っていないのは、前述のようなポリーニの豊かな歌心と、この曲に対する深い理解・愛着の賜物であると考える。

楚な佇まいながら細やかな歌心があり、バッハの直裁な音楽がややまろやかに響く。

起伏もあくまでも小さなニュアンスを含んだ歌にとどまっていて、この辺がポリーニというピアニストが天性として持っている芸術性による表現方法なのだろうと思う。

チェンバロに比較し、残響が豊かなピアノの特性を十分に生かしきった心地良いフレーズの数々は生命力に満ち溢れ、ポリーニの確かな洞察力が要所に滲み出ている。

グールド、リヒテル、アファナシエフなどの超個性的な演奏を聴いた後、本盤を聴くと、あたかも故郷に久々に戻ったようなゆったりとした気持ちになるような趣きがあるとも言えるだろう。

グールド以後、一番聴きたくないのは、グールドの亜流である。

仮にグールドの時代なるものがあったとしたら(そんなものはそもそもないのであるが)、それ以後に演奏としてあるのは、もはや、ポリーニのようなスタイルしかないのであろう。

部分的にもう少しなんらかの色があった方がよいと思う箇所もあるとはいえ、これはこれで確かに「ポリーニならでは」の厳しさと音楽の神秘や切なさ、愁いといった情緒も備わったバッハなのだと思う。

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2015年01月24日


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〈葬送行進曲〉を第3楽章に据えた詩情溢れる第2番、豊かな情感と幻想に満ちた第3番。

いずれもショパン芸術の頂点を築くこの2曲のソナタは、ピアノ曲に革命的ともいえる新しい表現をもたらした天才ショパンが円熟期に書いた傑作。

ポリーニの演奏はこの革新的な作品に新たな息吹を注ぎ込んだもので、完璧な打鍵による磨き抜かれた音によって優美で詩的な作品を理想的に表現している。

ポリーニにとってショパンは特別な作曲家と言えるだろう。

ショパン国際コンクールでの優勝の後、一時表舞台から離れた後、ショパンの様々なジャンルの楽曲を、今日に至るまで、それこそ少しずつ録音をし続けてきているからである。

ポリーニのショパンは定評があるが、なかでもこのソナタ集では、落ち着きのある中にも、内に情熱を秘めた熱い演奏を聴かせてくれる。

極めてシャープで大きな表現をもつ演奏だが、磨きぬかれた技巧と、芳醇にして繊細なタッチが生みだす響きは限りなく魅力的である。

本盤は、1984年の録音で、今から30年近く前の録音だ。

特に、本盤に収められたピアノ・ソナタ第2番は、本盤から20年以上も経った2008年にも再録音しており、本盤のポリーニのアプローチは、現在の円熟のポリーニとはかなり異なるものである。

エチュードや前奏曲などにおいて、技術偏重の無機的なピアノタッチをかなり厳しく批判する声もあったが、本盤でのポリーニにおいては、少なくともそうした無機的な音は皆無であるように思う。

楽曲の内面への踏み込みといった点からすれば、特に、ピアノ・ソナタ第2番の後年の録音に比べると、いささか弱い点もあろうかとも思うが、それでも、ポリーニの、ショパンの両傑作への深い愛着と理解が十分に伝わってくる血も涙もある名演に仕上がっている。

ポリーニ特有の硬質な音は、勿論フォルテッシモの部分で非常に味わいやすいのだが、一方、弱音部でも鋼のような音の「芯」を感じることができる。

そういう「芯」がしっかりしているが故に本当に明晰な印象の演奏なのだけれど、一方でイタリア人的なノリの良さがフォルティッシモの打鍵から零れ落ちるようなところも感じられる点が、本演奏の面白さだと思う。

正確な技巧の裏返しとして「機械的」という表現で評されることが多い人が、敢えてこの表現を「人間技を越えた」という意味で肯定的に捉えて本作品を評するなら、同じ「機械」でも情緒表現を完璧に兼ね備えた「究極のサイボーグ」による演奏のような印象を受けるのである(後年になると、流石のポリーニも柔らかくなっていく訳なのだが)。

SHM−CD化によって、音質は相当に鮮明になっており、壮年期のポリーニの名演を高音質で味わうことができるのを大いに喜びたい。

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ポリーニは華麗で技巧的な作品には目もくれず、リストのもっとも実験的な作品をリストアップした。

リストの最高傑作の構造を完璧に解き明かした演奏で、リリース当時は大変な評判になったアルバムである。

曲自体も、ポリーニにぴったりな曲であり、まさに素晴らしいと思う曲しかリリースしない、そしてリリースしたからにはその演奏は頂点の演奏であるというポリーニのポリシーが今日まで貫かれているのを感じる。

リストのピアノ曲といえば、超絶技巧が有名であるが、このピアノ・ソナタは、ワーグナーと親交のあったリストのロマン派的叙情性に満ちた美しさが魅力である。

超絶技巧なら、ポリーニは難なく弾きこなせるのだが、敢えてロマン溢れるピアノ・ソナタを録音したのは、ポリーニ自身、技巧派で押し通す事を避け、レパートリーを拡げ、その音楽性を世界に知らしめたかったのではないだろうか。

リストのピアノ・ソナタは、超絶的な技巧と、強靭なトゥッティから繊細な抒情に至るまでの幅広い圧倒的な表現力を必要とする傑作だけに、古今東西のピアニストが数々の名演を遺してきた。

それ故に、同曲のあまたの名演の中で、存在感のある名演を成し遂げるのは至難の業とも言えるが、ポリーニの演奏は、いささかもその存在価値を失うことのない名演と高く評価したい。

ポリーニの演奏における超絶的な技量はまさに圧倒的だ。

ただ、近年のポリーニの演奏において、大きな欠点の1つとなっている、技量一辺倒の無機的な演奏には決して陥っていない。

それどころか、近年のポリーニには珍しいくらい思い入れたっぷりの熱い表現を垣間見せてくれている。

この録音は、ロマンティックなリストが充分表現され、その中に、ポリーニの持つ技巧と情熱のバランス感覚が発揮された名演である。

その完成度の高い演奏技術から、機械的だとか冷徹と言われ続けてきたポリー二であるが、このピアノ・ソナタを聴けば、彼がこれを弾くために存在したのだと確信する名演である。

とにかく演奏自体に隙もなければ無駄もなく、この単一楽章形式に書かれた複雑でデモーニッシュな音楽を、絶妙なバランス感覚と構築感で聴かせてくれる。

この曲は、テンポも強弱も著しく変化する劇的な楽曲であるが、ポリーニは、思い切った表現で、この激しく変転する楽想を見事に駆け抜けていく。

抒情的な箇所の美しさも出色のものであり、まるで近年の技巧派ポリーニとは別人のような芸術的な深みのある表現を成し遂げている。

情感を楽しむことはもちろんできるが、まさにこのピアニストのピアニスティックな部分が最大限楽しめる演奏とも言える。

併録の小品も、ピアノ・ソナタに優るとも劣らない名演であり、ポリーニのリストへの適性を大いに感じさせるアルバムに仕上がっている。

今後のリスト演奏を考えるとき無視できない1枚となるだろう。

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2015年01月23日


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ポリーニ初のドビュッシーが「12の練習曲」とは彼らしく、その無窮動性や線的な構造を、彼の卓越した技巧が見事に捉え、独特の美感を持った演奏につなげているとは言えるものの、全体としてはきわめて出来の良くない凡演だ。

演奏の方向性としてはショパンのエチュードと同じで、正確に音を鳴らすことによって作品の本質を抉り出そうというものだ。

この打鍵の鋭さと運動性は凄まじいことこの上なく、聴きながら唖然としてしまうほど凄いので、無味乾燥な演奏だなと思いつつも、絶対に真似できないテクニックだなという結論に至ってしまう。

ただし、エチュードなのでこの方向性でもいいのかもしれないが、相手がドビュッシーなのでショパンよりマッチングが悪く、それなりに違和感があるのも事実で、硬質すぎるきらいがあるように思われる。

ドビュッシーのピアノ曲に聴き手が求めるものは、いろいろな見解もあろうかとも思うが、やはり印象派ならではの詩情が必要と言えるのではなかろうか。

ところが、ポリーニのピアノにはこの詩情が全く欠けており、これほどまでに冷徹になれるとは殆ど驚くほどだ。

確かに、技量においては卓越したものがあるが、練習曲とは言っても、そこはドビュッシーであり、弾きこなすためにはスパイスの効いた卓越した技量を必要とする。

しかしながら、スコアを完璧に弾くことに果たしてどれくらいの意味があるのだろうか。

ポリーニの透明感溢れる研ぎ澄まされたタッチを、ドビュッシーのピアノ曲が含有する前衛的な要素を際立たせるものという見方も一部にはあると思うが、筆者としては、これほど無機的な演奏は、最後まで聴くのが非常に辛いものがあったと言わざるを得ない。

これを聴いて喜ぶのは、ポリーニ好きのファンか、印象派に造詣のない批評家くらいのものだろう。

これに対して、ベルクのピアノ・ソナタは名演。

ベルクのピアノ・ソナタは本当に素晴らしい曲であり、様々な音楽性、シェーンベルクにはない孤独な叙情、色彩のパレットの豊かさがある。

ポリーニは、色気のないタッチや無神経を装った神経質なフレージングによってベルクの渇いた叙情を表出させるのに成功している。

ポリーニの感情移入をいささかも許さない、研ぎ澄まされた透明感溢れるタッチが、ドビュッシーでは詩情のなさが仇になったが、ベルクでは、作品の内包する前衛性を際立たせることに繋がったとも言えよう。

隙のない構築美と共に、燃えさかるような情熱のほとばしりが印象深く、ポリーニの卓越した技量も、ここではすべてプラスに働いている。

この演奏で新ウィーン楽派の主たるピアノ曲はポリーニの中で完了した感がある。

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数曲において初版を使用し、ペダルの忠実な使用も含めて、シューマン演奏の究極を突き詰めた非凡な演奏を収録。

近年とみに深みを増しているポリーニの円熟を如実に伝える素晴らしい名演だ。

ポリーニの多くのアルバムの中でも最上位にランクされるCDとして高く評価したい。

心・技・体すべてが充実し、一部で囁かれ始めていたテクニックの衰えをまったく感じさせない、ポリーニ58歳時の会心の録音。

極限まで磨き上げられた完全な技巧と知的な解釈で聴かせてきたポリーニ、近年ではさらに深化を遂げた表現力によって、シューマンの作品に込められた心情の推移、詩的な世界を見事に表現し、作品の裏側にある深い情緒を見事に描き切って間然とするところがない。

響きが切り立ってピアニスティックに情動を沸き立たせる形ではなく、音色のきらめきを抑え、キメを、ふ、と抜いて音との距離を作ることで想いの行方を聴き手に預け、浪漫世界にじっくり誘い込む、語り部ポリーニを印象づける練達の熟演。

それにしても、真の理由は定かではないが、ポリーニとシューマンの相性は抜群のものがある。

本盤の前に録音されたピアノソナタ第1番も、交響的練習曲&アラベスク、そして、ピアノ協奏曲もいずれも名演であった。

ポリーニの透徹した切れ味鋭いタッチと、詩情溢れるシューマンのピアノ曲とは、基本的には水と油のような関係のように思うが、何故か、本盤を含め、録音されたいずれの楽曲も名演であり、聴いていて深い感動を覚える。

要は、ポリーニの(本人が意識しているかどうかは別として)感情移入をできるだけ避けようとするかのような客観的なアプローチが、大仰で理屈っぽい表現を避けることに繋がり、結果として、シューマンの楽曲の魅力をなにものにも邪魔されることなく、ダイレクトに満喫することができるのが功を奏していると言えるのかもしれない。

加えて、ポリーニのシューマンへの深い愛着と拘りもあると考えられ、それは、本盤において、ダヴィッド同盟舞曲集、ピアノ・ソナタ第3番、そしてクライスレリアーナの3曲で、初版を使用している点にもあらわれているのではないかと思われる。

前述のように、ポリーニは極限まで磨き上げられた完全な技巧と、近年さらに深化を遂げた表現力によって、シューマンの作品に込められた心情の推移を見事に描き切っている。

このCDを購入されたポリーニ・ファンはすでに彼が録音してきたシューマンの全作品を聴いてこられたと想像するが、ポリーニの健在ぶりに感激するに違いないであろう。

さすがとしか言いようがない素晴らしい演奏で、歴史に残る名盤がまた1枚、ポリーニによってここに誕生した。

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2015年01月22日


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聴き終えた後の爽快感はポリーニが一番と言えるものの、ポリーニのショパンは評価が難しい。

確かに、初期の録音のような機械じかけの演奏はそもそも論外であるが、それ以外のいかなるCDにおいても、その技量は完璧であり、楽曲の内面への掘り下げはイマイチなものの、随所に巧みな表情づけを行っていることもあって、聴き終えた直後は、爽快な気分になり、これは名演ではないのかと思ってしまうのだ。

ところが、残念なことであるが、一部のCDを除いては、すぐにどういう演奏であったのか忘れてしまうのが事実なのだ。

例えば、同じスケルツォの全集を録音したポゴレリチなどと比較するとよくわかる。

ポゴレリチ盤は、聴く際にも凄い集中力を要求されるだけに、聴き終えた直後は、もう一度聴きたいとは思わないし、一度聴いただけで満腹になってしまうのである。

しかしながら、しばらく時間が経つと、もう一度聴きたくなり、そして、その強烈な個性が頭にこびりついて離れない。

ところが、ポリーニのスケルツォは、聴き終えた後の疲れはないが、しばらく経つと、どういう演奏だったのかすぐに忘れてしまう。

それ故に、もう一度聴きたいとは思わないから、CD棚の埃の中に埋もれていく。

要するに、確かな個性がないということであり、ポリーニは、卓越した技量をベースにして、透明感溢れる切れ味鋭いタッチが持ち味であるが、どうしても技術偏重の蒸留水のような没個性的な演奏に陥ってしまいがちである。

さすがに、2000年代に入って、ショパンであれば夜想曲や、バッハの平均律クラヴィーア曲集など、深みのある名演も出てきたが、それ以前の演奏では、そうした欠点が諸に出てしまう演奏が散見された。

バラードも、1999年の録音ではあるが、やはり、そうした欠点が出てしまった演奏と言える。

ただ、ピアノ曲との相性が良いSHM−CD化によって、ピアノの音質に硬さがなくなったのはプラスに働いているが、それでも、演奏全体の欠陥を補うには至らなかったのは大変残念だ。

もちろん、悪い演奏ではない。

例えば、バラードという曲は、こういう曲ですというのを、初心者に聴かせるには最適のCDと言えるが、クラシック音楽を聴き込んでいる人が、繰り返して聴くに耐える演奏とは到底言い難い。

これらの楽曲を初めて聴くには最適のCDと言えるが、スケルツォやバラードの本質を味わおうとするのであれば、やはり、他の個性的な内容のある演奏を聴くべきである。

こうした演奏評価は、一流のピアニストにとってははなはだ不本意なことであるが、本盤は、今から10年以上も前の録音。

最近では、ポリーニも円熟の境地に達していて、例えば、ショパンで言うと、前奏曲集などの名演も成し遂げてきており、仮に、本盤の各楽曲を再録音すれば、次元の異なる名演を成し遂げることができるのではないか。

本盤の各楽曲は、いずれも有名曲だけに、大いに期待したい。

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2015年01月15日


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シューベルトの最後の3つのピアノ・ソナタは、ブルックナーの交響曲第7〜9番やマーラーの交響曲第9番などにも匹敵する至高の巨峰である。

31歳という若さでこの世と別れなければならなかったシューベルトの内面の深い死との葛藤や、生への妄執や憧憬が表れていると思うからだ(ブルックナーの交響曲については、神への崇高な畏敬などやや異なる面もあると思われるが)。

したがって、これら3曲を演奏する際には、演奏者側にも単なる技量ではなく、楽曲への深い洞察力と理解が求められると言えるだろう。

本盤のポリー二の演奏については、技量という意味においてはほとんど問題はない。

この作品をレコーディングするにあたり、ポリーニは、肉筆原稿(おそらく初版)にまで目を通した上で臨んでいる。

シューマンについてもそうだが、できるだけ作曲家の最初のインスピレーションを重要視していることがうかがえるところであり、単なる繰り返しと思いきや、微細な違いにも気を行き渡らせている。

他の作曲家の諸曲においてもそうであるが、研ぎ澄まされた技量や、透明感溢れる明晰なタッチによって、楽曲を一点の曇りもなくダイレクトに表現することにおいては、他のピアニストに比肩する者はいないのではないかと思う。

シューベルトのピアノ・ソナタはどれも演奏時間が長く、演奏の内容次第では途中で飽きてしまう可能性もあるが、ここに聴かれるポリー二の演奏は、弱〜中〜強音すべてが美しく、速いパッセージでも決して乱れることのないテクニックと相俟って、決して聴く者を飽きさせない。

また、決して中弛みしないいつもながらの集中力もさすがと言うべきで、構成の弱さを指摘されるシューベルトのピアノ・ソナタだが、ポリーニは一点の曇りもなく明晰に描き切っている。

しかし、シューベルトの後期3大ピアノ・ソナタの場合はそれだけでは不十分だ。

例えば第21番に目を向けると、第1楽章の低音のトリル。

ポリーニは楽譜に忠実に描いてはいるが、そこには深みとか凄みが全く感じられない。

例えば、内田光子やリヒテルなどの地底から響いてくるような不気味な弾き方と比較すると、浅薄さがあらわになってしまう。

終楽章の死神のワルツも、内田光子の後ろ髪を引かれるような弾き方に比べると、表層を取り繕っただけの底の浅さが明確だ。

本盤は、ポリーニの欠点が露呈しまった凡演であるが、本盤の録音されたのは今から約25年前。

彼がその後どれだけ成長したのか興味は尽きず、再録音を大いに望みたい。

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2014年12月31日


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究極の高音質SACDの登場だ。

70歳になり、名実ともに現代を代表する巨匠ピアニストとなったポリーニであるが、ポリーニの評価については現在でも二分する状況にある。

これには、とある影響力の大きい某音楽評論家がポリーニの演奏を事あるごとに酷評し続けていることに起因しているものと思われる。

確かに、ポリーニの壮年期の演奏の一部には、某音楽評論家が指摘しているように、いささか技術偏重に堕した内容が伴わない演奏が垣間見られたのは事実である。

しかしながら、他のピアニストの追随を許さないような名演も数多く成し遂げてきたところであり、ポリーニの演奏をすべて否定してしまうという某音楽評論家の偏向的な批評には賛同しかねるところだ。

そして本演奏は、世評があまりにも高いせいか、数々の高音質化への取組がなされてきた。

SHM−CD盤、ルビジウムカッティング盤、そしてマルチチャンネル付きのSACD盤など、様々な種類の高音質化CDがあるが、今般のSHM−CD仕様のシングルレイヤーSACDは、これまでの高音質化CDとは一線を画する次元が異なる究極の高音質CDと高く評価したい。

ピアノの音が、硬質ではなく、どこまでもソフトに響くのが見事であり、これだけ音質がいいと、演奏自体の評価も随分と違ったものにならざるを得ない。

本演奏は、世評は非常に高いのであるが、筆者としては、感情移入が全く見られない機械じかけの無機的な音質が、ショパンの詩情をスポイルしてしまっているのでないかと思っており、あまり高い評価をしていなかったというのが正直なところである。

しかしながら、今般の高音質CDを聴くと、ポリーニのピアノタッチが決して機械仕掛けの無機的なものではなく、非常にコクのある内容豊かな印象を受けた。

力強い打鍵から、繊細な抒情に至るまで、表現の起伏の激しい、血も涙もある演奏を行っており、本演奏に対して、筆者がこれまで抱いていた悪感情は完全に吹き飛んでしまったのである。

もちろん、ポリーニの卓越した技量を味わうことができる点においては何ら変わりがないところであるが、SACD化によって、これまで技術偏重とも思われていたポリーニの演奏が、随所に細やかな表情づけやニュアンスが込められるなど、実に内容豊かな演奏を行っていることが理解できるところだ。

本演奏を機械仕掛けの演奏として酷評してきた聴き手にとっても、シングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化された本盤を聴くと、本演奏の評価を改める人も多いと言えるのではないだろうか。

それにしても、音質によってこれだけ演奏の印象が変わるというのは殆ど驚異的とも言うべきであり、あらためてシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤の潜在能力の高さを思い知った次第だ。

筆者としては、本演奏は、今般のシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化によって漸くその真価のベールを脱いだ圧倒的な超名演と高く評価したい。

それだけ、本CDの音質は素晴らしいものであり、ポリーニの他のCDも、同様の仕様で高音質化すれば、随分と評価が変わってくるのではないかと思った次第だ。

いずれにしても、ポリーニによる圧倒的な超名演をSACDによる極上の高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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2014年12月22日


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ポリーニのピアノの評価の前に、アバドについて言及しておきたい。

アバドは、私見であるが、これまでの様々な名指揮者の中でも、最高の協奏曲指揮者と言えるのではなかろうか。

これは、指揮者としては必ずしも芳しい評価とは言い難いが、これまでのアバドの協奏曲演奏における実績に鑑みれば、そうした評価が至当であることがわかろうというものである。

例えば、チャイコフスキーやラヴェル(旧盤)におけるアルゲリッチとの共演、ブラームスの第1番、第2番におけるブレンデルとの共演など、各楽曲におけるトップの座を争う名演の指揮者は、このアバドなのである。

この他にもポゴレリチなど、様々なピアニストと名演を成し遂げてきているが、共演の数からすれば、本盤のポリーニが群を抜いていると言えよう。

ただ、ポリーニとの共演が、すべて名演になっているかと言うと、必ずしもそうではないと考える。

同じイタリア人でもあり、共感する部分もあるかとも思うし、ポリーニの詩情に乏しいピアノのせいも多分にあるとは思うが、ベートーヴェンやブラームスの全集など、イマイチの出来と言わざるを得ない。

しかしながら、本盤は名演だ。

その第一の要因は、アバドの気迫溢れる指揮と言わざるを得ない。

本盤の録音は、ベルリン・フィルの首席指揮者選出直前の指揮でもあり、アバド、そしてベルリン・フィルの演奏にかける情熱や生命力の強さが尋常ではないのだ。

アバドは、ベルリン・フィル着任後、大病を患うまでの間は、生ぬるい浅薄な演奏に終始してしまうが、本盤の指揮で見せたような気迫を就任後も持ち続けていれば、カラヤン時代に優るとも劣らない実績を作ることができたのにと、大変残念に思わざるを得ない。

指揮やオーケストラがこれだけ凄いと、ポリーニのピアノも断然素晴らしくなる。

シューマンにおいては、ポリーニの根源的な欠点である技術偏重の無機的な響きは皆無であり、アバドの指揮の下、詩情溢れる実に情感豊かなピアノを披露している。

シェーンベルクにおける強靭な打鍵も、技術的な裏打ちと、ポリーニには珍しい深い精神性がマッチして、珠玉の名演に仕上がっている点を高く評価したい。

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2014年12月21日


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これは、本SACD&SHM−CD盤を聴く前までは、評価の難しい演奏であった。

ポリーニの研ぎ澄まされた鋭いタッチ、抜群のテクニックに裏打ちされたポリーニのピアニズムを、未来志向の新しい前衛的な表現と見るのか、それとも技術偏重の無機的な浅薄な表現と見るのかは、聴き手の好みにも大いに左右されるものと考える。

筆者としては、どちらかと言えば、後者の考え方を採りたい。

ベートーヴェン晩年のピアノ・ソナタをポリーニは、一点の曇りもない完璧なテクニックで弾き抜いている。

まさに、唖然とするテクニックと言うべきで、場面によっては、機械じかけのオルゴールのような音色がするほどだ。

このような感情移入の全くない無機的な表現は、ベートーヴェンのもっとも深遠な作品の解釈としては、いささか禁じ手も言うべきアプローチと言えるところであり、筆者としては、聴いていて心を揺さぶられる局面が殆どなかったのが大変残念であった。

他方、これを未来志向の前衛的な解釈という範疇で捉えるという寛容な考え方に立てば、万全とは言えないものの、一定の説得力はあると言うべきなのであろう。

それでも、やはり物足りない、喰い足りないというのが正直なところではないか。

ポリーニには、最近は、バッハの平均律クラーヴィア曲集などの円熟の名演も生まれており、仮に、現時点において、これらの後期ピアノ・ソナタ集を録音すれば、かなりの名演を期待できるのではないかと考える。

しかしながら、今般、シングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化によって、見違えるような鮮明な音質に生まれ変わったところであり、本演奏に対する評価についても大きく変更を余儀なくせざるを得ないところだ。

こうして、鮮明かつ臨場感溢れる極上の高音質で聴くと、これまで感情移入の全くない無機的な表現と思われていたポリーニによる本演奏が、実は驚くほどの絶妙なニュアンスや表情づけがなされていることが理解できたところである。

かかるポリーニによる演奏は、未来志向の前衛的な解釈という範疇で捉えることが可能であるとともに、血も涙もない無機的な演奏ではなく、むしろポリーニなりに考え抜かれた懐の深さを伴った演奏と言えるのではないだろうか。

もちろん、バックハウスやケンプなどによる人生の諦観さえ感じさせる彫りの深い至高の名演と比較して云々することは容易であるが、これだけ堪能させてくれれば文句は言えまい。

いずれにしても、本演奏は、ポリーニの偉大な才能を大いに感じさせる素晴らしい名演と高く評価したい。

それにしても、音質によってこれだけ演奏の印象が変わるというのは殆ど驚異的とも言うべきであり、あらためてシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤の潜在能力の高さを思い知った次第だ。

ポリーニによる素晴らしい名演をSACDによる極上の高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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2014年11月12日


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これは名演だ。

例えばバレンボイムのベルリン・フィル弾き振りによる演奏は、ソロとオーケストラが緊密に結びついたいわば高度の同質性が貫かれた名盤だが、この若きポリーニと最晩年のベームによる共演は、ソロとオーケストラの個性の違いが興味深い成果をあげた名演奏と言えよう。

ポリーニは、本盤から10年以上経って、アバド&ベルリン・フィルをバックに、2度目のベートーヴェンのピアノ協奏曲全集を録音したが、全く問題にならない。

2度目の録音は、アバド&ベルリン・フィルのいささか底の浅いとも言える軽い演奏と、ポリーニの無機的とも評すべき鋭利なタッチが、お互いに場違いな印象を与えるなど、豪華な布陣に相応しい演奏とは必ずしも言い難い凡演に成り下がっていた。

しかし1度目の録音におけるポリーニは、若々しく溌剌とした演奏でダイナミックに弾いており、聴いていて心地良い。

それに本盤の場合は、先ず何よりもバックが素晴らしい。

特に、この2曲は、ベーム&ウィーン・フィルという最高の組み合わせであり、その重厚なドイツ風の演奏は、ベートーヴェンのピアノ協奏曲演奏の理想像の具現化と言えるだろう。

造型を重要視するアプローチは相変わらずであるが、それでいて、最晩年のベームならではのスケールの雄大さにもいささかの不足はない。

ポリーニのピアノも、ここではバックのせいも多分にあるとは思うが、無機的な音は皆無であり、情感溢れるニュアンスの豊かさが見事である。

第4番のポリーニは胸のすくようなテクニックで華麗に弾いており、透明なリリシズムが美しい。

ベームの指揮とともに、よく整い、よく磨かれ、やるべきことをきちんとやっていて、さらにそれを超えて迫ってくる個性の輝きがある。

「皇帝」のポリーニも同様だが、ベームの指揮はこの方が一段と充実しており、密度が高い。

ベームの指揮は決してテンポが遅いわけではないが、時に滑らかさに欠けると感じられるところもあるが、そこをウィーン・フィルの優美な音色が巧みに補完し、格調の高いオーケストラ演奏を生み出している。

その上に個々の音がクリスタルの輝きを放つポリーニのピアノが自由に泳ぎ回る。

典雅な趣きをたたえた第4番、古典的な側面をくっきりと描き出した「皇帝」といずれも傾聴に値する演奏だ。

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2014年09月23日


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これは素晴らしい名演だ。

30代半ばの若き日のポリーニと、80歳を超えた巨匠ベーム、そしてウィーン・フィルとの絶妙な組み合わせであり、演奏が悪かろうはずがない。

モーツァルトの楽曲の演奏については、近年では現代楽器を使用した古楽器奏法による演奏や、ピリオド楽器を使用した演奏が主流となっており、本演奏のような重厚にしてシンフォニックな演奏は稀少なものとなってしまった。

しかしながら、モーツァルトの存命していた時代の演奏の再現に無常の喜びを感じる音楽学者は別として、芸術的な感動という観点からすれば、そうした時代考証学的な演奏が一体どれほどの価値があると言えるのだろうか。

確かに、一部の指揮者による芸術性の高い演奏は存在はしているものの、その殆どは軽妙浮薄な演奏にとどまっていると言わざるを得ない。

そうした演奏の中にあって、本演奏がむしろ時代遅れなどではなく、むしろどれほどの光彩を放っているのかは計り知れないものがあるとも言えるところだ。

演奏自体は、年功から言っても巨匠ベームのペースで行われているというのは致し方ない。

モーツァルトを心から愛し、モーツァルトの交響曲、管弦楽曲、協奏曲、オペラの様々なジャンルにおいて名演の数々を成し遂げてきたベームだけに、本演奏においても、そうしたモーツァルトの楽曲との抜群の相性の良さが発揮されていると言えるだろう。

そのアプローチは、前述のように重厚にしてシンフォニック、演奏全体の造型は例によって堅固そのものであるが、スケールは雄大。

近年主流の軽妙浮薄なモーツァルトの演奏とは一線を画する壮麗さを誇っているとさえ言える。

それでいて、モーツァルトの演奏に必要不可欠な優美さや、時としてあらわれる寂寥感を感じさせる憂いに満ちた旋律もいささかの格調を失うことなく的確に表現し得ており、まさに、かつてのモーツァルト演奏の王道を行くものであると言っても過言ではあるまい。

ポリーニも、こうしたベームの偉大な演奏にただただ従っているだけにはとどまっていない。

卓越したテクニックや研ぎ澄まされた音の美しさは相変わらずであり、そうしたポリーニのピアニズムは随所に発揮されているとも言えるところだ。

それでいて、ベームの懐の深い指揮芸術に触発されたせいか、情感の豊かさにも不足はないと言えるところであり、一部の評論家が指摘しているような無機的な演奏にはいささかも陥っていない。

加えて、ウィーン・フィルによる極上の美演が、演奏に華を添える結果となっていることを忘れてはならない。

いずれにしても、本盤の演奏は、巨匠ベームと当時上げ潮にあったポリーニ、そしてウィーン・フィルによる絶妙の組み合わせが見事に功を奏した素晴らしい名演と高く評価したい。

そして、本盤で素晴らしいのはシングルレイヤーによるSACD&SHM−CDによる極上の高音質録音である。

音質の鮮明さ、臨場感、音圧のいずれをとっても一級品の仕上がりであり、とりわけ冒頭の繊細な美しさはこの世のものとは思えないような抗し難い魅力を有した響きである。

あらためてSACDの潜在能力の高さを思い知った次第だ。

いずれにしても、素晴らしい名演をシングルレイヤーによるSACD&SHM−CDによる極上の高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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2014年06月21日


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LP発売当時「これ以上何をお望みですか」と、かの吉田秀和氏に言わしめた1枚。

完璧!! その一言に尽きる演奏で、こんな凄いエチュードがあるのかと思った。

とある影響力の大きい某音楽評論家とその周辺の者たちによってポリーニの演奏を冷たいとか無内容などと評されているが、その批判は見当違いである。

全くケチの付け所のない最高の演奏であり、単にミスもない、完璧な表現に対し嫌悪しているだけだと勘繰りたくなる。

ポリーニ(1972年収録当時30歳で彼の収録活動初期にあたる)は実に確かなテクニックで客観的にさりとて機械的でなく各曲のタッチにメリハリをつけて弾き進めている。

ポーランドの資質とはニュアンスは当然異なるが、ショパンの情熱を些か鋭く冷たくたぎらせた最高の名演だと評したい。

確かなテクニックをベースに、センチメンタリズムを排し和声の構造を明快に解きほぐす知的なスタイルは、ショパン演奏史にも一石を投じたものだ。

内声部を浮き彫りにした情報量の多いきらびやかな響きとなって聴こえてくるが、圧倒的な輝きだ。

1960年にショパンコンクールに優勝したときのライヴやEMI録音の協奏曲第1番を聴くと、すでにスタイルは完成しているが、ここまで透徹した理性は貫かれていない。

だが、1970年代初めDGに移籍してからは、こうしたクールなスタイルを武器にこのエチュードをはじめ、「ペトルーシュカの3楽章」やシューマンの幻想曲やソナタ、シューベルトの「さすらい人幻想曲」と数々のヒットを飛ばし、独自の世界を築いている。

ポリフォニックな面白さはポリーニには全くないが、この測ったようにキッチリと並べられた音符の洪水の前には、ただただ唖然とするしかない。

客観的・クールなショパンエチュードの金字塔的作品。

ロルティやジュジアーノによる名盤が登場して本CDが若干過去のものになりつつあるかもしれないが、所持しておいてまず損はしないCDだ。

1960年から68年のブランクには、ポリーニは演奏活動を縮小し、ミラノ大学に進学し物理学を学んでいた。

一度音楽から離れ数理の世界を探求したことがプラスに作用したのだろう。

だが、今の若い演奏家はそうした充電が許されなくなっているのだろうか、テクニックはポリーニを超えても、30代〜40代で独自の透徹した境地を貫くところまで育っていけるのか心配なところである。

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2014年03月23日


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ポリーニの円熟を感じさせる素晴らしい名演だ。

本盤に収められているショパンのピアノ曲は、筆者の記憶が正しければ、4つのマズルカを除けば、ポリーニにとって2度目の録音ということになる。

メインの前奏曲集については、ポリーニの名声を確固たるものとした1974年のスタジオ録音以来、約35年ぶりの再録音。

2つの夜想曲は、2005年の全曲録音以来6年ぶりの再録音。

スケルツォ第2番は、1990年の全集の録音以来、約20年ぶりの再録音。

マズルカ集については、本盤に収められた諸曲は初録音であるが、第22〜25番を2年前に録音しており、マズルカ集の録音としてはそれ以来となる。

とりわけ、録音の間隔が空いたメインの前奏曲集については演奏内容の差が歴然としており、本盤の演奏内容の素晴らしさ、見事さは圧倒的であると言えるだろう。

前回の1974年の演奏は、少なくとも技量においては凄まじいものがあった。

研ぎ澄まされた透明感溢れるピアノタッチという表現が当てはまるほどであり、古今東西のピアニストによる前奏曲集の演奏の中でも巧さにおいては群を抜いた存在であるとも言えた。

ただ、音質がやや硬質でもあったリマスタリングやSHM−CD化がなされていない従来CD盤で聴くと、ピアノの硬質な音と相俟って、機械的な演奏に聴こえてしまうきらいがあり、聴きようによっては、あたかも機械仕掛けのオルゴールのようなイメージもしたところである。

ところが、本演奏は、そのような問題はいささかも感じられない。

超絶的な技量においては、老いても綻んでいるとことは殆どないと言えるが、何よりも、演奏全体にある種の懐の深さを感じさせるのが素晴らしい。

スコア・リーディングの深みも大いに増しているとも思われるところであり、細部におけるニュアンスの豊かさ、心の込め方には、尋常ならざるものがある。

このような含蓄のある演奏を聴いていると、今やポリーニは真に偉大なピアニストになったと評しても過言ではあるまい。

次いで、スケルツォ第2番が素晴らしい。

前回の演奏では、ほぼ同時期に録音されたポゴレリチの演奏が衝撃的であったせいか、今一つ喰い足りないものを感じさせたが、今般の演奏は、それを補って余りあるほどの偉大な演奏に仕上がっている。

卓越した技量を披露しつつも、彫りの深さ、内容の濃さにおいては近年のピアニストを寄せ付けないだけの高み達しており、おそらくは現代のピアニストによる同曲の演奏の中でも最高峰の名演と評しても過言ではあるまい。

他の併録曲もいずれも素晴らしい名演であり、本盤こそは、ポリーニの円熟と充実ぶりを大いに感じさせる名アルバムと高く評価したい。

音質は、ピアノ曲との相性が抜群のSHM−CDであり、本盤の価値をより一層高めることに大きく貢献していることも忘れてはならない。

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2013年03月10日


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これはなかなか評価が難しい演奏だ。

この演奏をもってポリーニの円熟という人がいるのかもしれないが、どうもそうではないような気がする。

本盤で素晴らしいのはウィーン・フィルの優美な演奏と言えるだろう。

ポリーニの弾き振りということになるが、ウィーン・フィルは、後述するようなポリーニのピアニズムとは無関係に、いかにもモーツァルトならではの高貴な優美さをいささかも損なうことなく、見事なアンサンブルを構築していると言える。

これに対して、ポリーニのピアノの音があまりにも硬質に過ぎるように思われる。

評者によっては、透徹した鋭利なタッチなどと言うことになるのであろうが、これでは、聴き手にあまりにも無機的な印象を与えることになるのではなかろうか。

聴き手によって意見が分かれると思うが、少なくとも、モーツァルトに相応しいアプローチとは言い難い。

したがって、ウィーン・フィルの優美な音色とは水と油の関係であり、ポリーニのピアノが非常に浮き上がって聴こえることになる。

確かに、ポリーニのピアノは、スコアに忠実であり、その意味では間違いのない演奏なのであろう。

しかしながら、ただでさえ音符の数が少ないモーツァルトの楽曲では、単にスコアを正確に弾いただけでは、演奏が極めて無機的なものに陥ってしまい、内容のない、浅薄で無味乾燥な演奏に成り下がってしまう危険性を孕むことを忘れてはなるまい。

本盤は、そうした危険性に陥ってしまったところを、ウィーン・フィルの美演によって、何とか鑑賞に堪え得るギリギリの水準を保ったと言える。

ピアニストとしては、はなはだ不本意な演奏ということになるのではなかろうか。

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2012年08月08日


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本盤は、ポリーニがショパン国際コンクール優勝後、表舞台から一時的に姿を消し、自己研鑽を積んでいた時期の録音である。

したがって、ポリーニの若き日の記録ということになるが、既にここには、ポリーニの特徴である研ぎ澄まされた卓越したテクニックや、透明感溢れる強靭なタッチが見られる。

ポリーニの演奏のこうした非の打ちどころのない卓越したテクニックについては、絶賛する者もいる半面、非人間的であたたかみがないとか、あるいは表層的で浅薄という批判が一部に根強くあるのは否めない事実である。

しかしながら、本盤の演奏には、そうした一部にある批判をも吹き飛ばしてしまうような圧倒的な集中力や勢いがある。

ここでは、溌剌とした情感と冴えたテクニック、そして熟考された選曲の隅々までに神経が行き届いた、見事に音楽的な若いポリーニのショパンが聴かれる。

卓越技巧は言うに及ばず、理詰めと誤解されがちな完璧な演奏の合間に際立つ彼の音楽性は、正しく彼の歌い方であり、そこに彼の情緒豊かな感性を見る。

いずれも、後年にスタジオ録音を行うことになる諸曲を収めているが、後年の演奏とは異なり、どの演奏にも、切れば血が出るような生命力に満ち溢れている。

卓越した切れ味鋭いテクニックや、力強い、そして透明感溢れる力強い打鍵は、既にこの演奏の随所に伺えるものの、若さ故の生命力溢れる激しい燃焼度が、決してきれいごとではない、ポリーニの、引いてはこれらの諸曲を作曲したショパンの荒ぶる魂を伝えることになり、我々聴き手に深い感動を与えることになるのだろう。

ポリーニは、前述のように、本盤の後、数々のショパンの楽曲を録音することになるが、本盤こそ、ポリーニのショパンの屈指の名演と評価したい。

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2012年06月30日


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1998年9月4Dデジタル録音。

巨匠ポリーニの素晴らしい想像力と表現力をもって、ベートーヴェン晩年の独自の世界が見事に表現されている。

作品の本質と情緒を余すところなく引き出した演奏で、熟練の技術を見せつける。

完璧なテクニックと克明をきわめたバランス配分により、構造意識の権化のような凄みあるベートーヴェンを聴かせてきたポリーニだが、今回の“ディアベッリ”では、作品の“性格変奏的”ともいえるユニークな特質を十分に踏まえた、表情豊かな演奏に仕上がっているのがポイントとなっている。 

ポリーニ自身、「今の私のベートーヴェンは作品と対峠した歴史と蓄積から生まれたもので、当然刻々と変わってきたものです」と語っているように、構造はもちろん、性格の描き分けにも重きを置いたそのアプローチは、副次パートや微細な部分に至るまで徹底的に練りあげられているのが特徴で、通常の変奏曲概念から大きく脱皮した、この特異な作品の解釈法としてはまさに空前絶後。

晩年のベートーヴェン作品ならではの散文的な音響が、実は非常に高密度な構築性を伴ったものであることを実感させてくれるとても奥の深い演奏である。

若いポリーニは本当に素敵だった。

その斬新さは未だ光を失っていない。

だがここに聴く最近のポリーニは更に素晴らしい。

技巧も十分、スケール大きく、深みと豊かさと温かさに満ちた演奏でこの曲の魅力を明らかにしてくれた。

この成熟こそがポリーニらしさではないだろうか。

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2012年06月27日


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ポリーニによるショパンの練習曲集として有名なのは1972年のスタジオ録音(DG)であるというのは論を待たないところだ。

もっとも、有名ではあるが、当該演奏については評価が大きく分かれると言える。

確かに、技量という意味においては卓越したものがあると言えるところであり、おそらくはあらゆるピアニストの中でも最も完璧にショパンの練習曲集を音化するのに成功した演奏とさえ言えるのではないだろうか。

もっとも、聴きようによってはメカニックな機械じかけの演奏のようにも感じられるところであり、同練習曲集に込められた詩情や豊かな情感が犠牲になっているという批判も、あながち根拠がないものとは言えないところである。

ポリーニによるショパンの楽曲の演奏については、その後に登場したバラード集やスケルツォ集、前奏曲集、ノクターン集などにおいても同様のことが言えるところであり、技量においては完璧、しかしながら、その内容においてはいささか疑問符を付ける者も多く存在していると言わざるを得ないところだ。

このように、ポリーニのショパン演奏については、賛否両論が渦巻いているとも言えるところであるが、ショパン国際コンクール優勝直後にスタジオ録音された本演奏は素晴らしい。

もちろん、卓越した技量を披露している点においては、後年の演奏と変わりがないところであり、その抜群のテクニックの凄さには唖然とさせられるほどである。

しかしながら、本演奏はそれだけにはとどまっていない。

本演奏には、各曲のトゥッティに向けて畳み掛けていくような気迫が全体に漲っているところであり、音楽をひたすら前進させていこうという鬼気迫るような強靭な生命力に満ち溢れている。

かかる強靭な迫力は聴いていて手に汗を握るほどであり、ショパン国際コンクールにおいて満場一致で優勝したのは当然のことであると思われるところだ。

さすがのポリーニも、本演奏のような気迫や生命力を、その後の演奏においても引き続き持ち続けるのは困難であったとも言えるところであり、その後は約10年にわたって対外的な演奏活動を休止したのは周知のとおりである。

音質は、1960年のスタジオ録音であるが、ステレオ収録ということもあって、十分に満足できる水準である。

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2012年01月08日


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ポリーニによる3度目のブラームスのピアノ協奏曲第1番の登場だ。

ポリーニは完全主義者として知られているだけに、レコーディングには慎重を期して臨むのが常であるが、そのようなポリーニが同じ曲を3度も録音するというのは異例のことであり、これはポリーニが同曲にいかに深い愛着を有しているのかの証左であると言えるだろう。

本盤におさめられた演奏は、2度目の演奏から14年を経た後のものであるが、これは素晴らしい名演と評価したい。

そもそもポリーニのピアノ演奏が、1997年盤とは段違いの素晴らしさであると言える。

1997年盤に顕著であった技巧臭さえ感じさせる無機的な演奏など薬にしたくもなく、もちろん超絶的な技量は健在ではあるが、どこをとっても懐の深い豊かな情感が満ち溢れているのが素晴らしい。

これは、ポリーニの円熟によることは間違いがないところであり、ポリーニが演奏の技術的な正確さ、緻密さを追求するのではなく、このような情感豊かな演奏を行うようになったことに深い感慨を覚えるところだ。

このような演奏を聴いていると、ポリーニこそは名実ともに現代を代表する偉大なピアニストの一人であることを痛感せざるを得ない。

ポリーニとしては3度目の同曲の演奏ということになるが、3度目の正直との諺のとおり、漸く自他ともに満足できる名演を成し遂げることが出来たと言えるだろう。

かかる偉大なポリーニのピアノ演奏を下支えするティーレマン&シュターツカペレ・ドレスデンについては、このコンビならばもう少しハイレベルの演奏を望みたい気もしないでもないところだ。

同曲は、ピアノ伴奏つき交響曲との異名をとるだけに、同曲の分厚いオーケストレーションを活かしたより重厚かつ雄渾なスケールの演奏を望みたいと思った聴き手は筆者だけではあるまい。

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2011年01月12日


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これはポリーニが18歳で1960年のショパン・コンクールに優勝した直後のデビュー録音盤。

ポリーニならではの流麗なテクニックと卓越した音楽性を基盤にしたショパンである。

特別な解釈は施さず、終始しっとりとデリケートに運んでおり、力みは一切みられないが、協奏曲ともなればもうひとつの輝かしさが欲しい気もする。

クレツキの指揮は素晴らしい。

ロマンティックな情感を前面に出しており、スムーズな緩急と有機的な響きが見事だ。

特に第2楽章冒頭の雰囲気の豊かさは類例がない。

1980年代から今日に至るまでののポリーニは、すごいピアニストだとは思うけれど、いくぶん"悩める巨人"という趣がないでもない。

もちろん、芸術家によっては大いに悩むことによって生産性を増すというタイプもいるわけだけれど、ことポリーニに関しては、あまり悩みとかかわりあっていない頃のほうがよい。

少なくとも、私にとってはデビューした当時の彼の音楽性に、より魅力を感じる。

ここに聴くフレッシュな発想、直截で、屈託のないひびき、ストレートな表現力は、いま聴いても若々しい矜持があふれている。

この録音は若いポリーニがいかに完成されていたかを実証する記念碑的な演奏である。

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2010年06月23日


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マウリツィオ・ポリーニは、20世紀が生んだ最大のピアニストの一人ではなかろうか。

彼は、どんな作曲家の作品でもバリバリ弾いてしまう、というようなタイプではなく、じっくりとその作品を研究してから、初めてそれを披露するという完璧主義者である。

だから、ショパンのものでも現代ものでも、その演奏は文句のつけようもない見事さだ。

そのポリーニが、いよいよバッハの作品に取り組んだ第1弾として出したのがこの1組である。

他の演奏家の名演も多いが、ポリーニの演奏は、作曲家のこの時期の曲の中の一つと位置付けた模範的名演だ。

ポリーニはバッハの前奏曲とフーガからなる「平均律」を次々に追いつめてゆく。

技の限りを尽くすのはどのピアニストだって同じだが、ポリーニの技は桁違い。

その技で、音楽の様式や必要な音色など、水ももらさぬ体制を築きながらどんどん音楽を凝縮し、揺るがぬかたちを作り上げてゆく。

まったく緩みがないままに、また光沢のある響きを失わないままに音楽が巨大になってゆく「フーガ」も凄いが、細部まで練磨しているのがかえって柔軟な表現まで生み、奥行きの深い演奏となっている「前奏曲」だってそれに負けない。

「音楽を間違いなく伝える」というところから、演奏そのものの価値を追求するようになったピアノ演奏の到達点のひとつだろう。

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2010年04月29日


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ポリーニとベームの初共演ということで話題になった録音。

人類史上最も美しい音楽を書いたのはモーツァルトと言われている。世界で最も美しい音色を出すオーケストラはウィーン・フィルだと言われている。

このふたつが、真実として結晶化した録音がある。ベーム指揮、ポリーニ独奏で演奏されたピアノ協奏曲第23番だ。

私はこの演奏をもう15年近く聴いてきて、まったく飽きない。それどころか、聴くたびに、何と美しいのかと思う。ぐうの音も出ない。

ウィーン・フィルの録音はいくらでもあるけれど、これほどまでに美しい演奏をした記録は他にないかもしれない。

ポリーニはショパンではあれだけ詩的情感をこめて演奏していたのに、モーツァルトでは意外と淡々としている。

それでいて第23番の第2楽章など何ともいえぬ甘く悲しい情感を見事に出しているし、第19番の第3楽章でのオーケストラとのかけ合いも見事である。

ベーム指揮のオケは厚みがあるうえ、リズムやアンサンブルがきっちりしていて素晴らしい。

弦楽器は優雅で、なめらかで、柔らかくて、メランコリック。木管楽器はこれ以上ないというくらいに絶妙の表情をしている。

フルート、オーボエ、クラリネット、ホルン、が紡ぎ出す響きの何という美しさ。

決して濃厚な味わいではない。油彩というより、水彩画だ。透き通ったような、まさに空気の震えのような美しさだ。

ピアノも目立ちすぎないのがいい。オーケストラ以上に薄味で自己主張が強くないので、心おきなくウィーン・フィルの美しさを堪能できるのである。

世代は違うけれど、ポリーニとベームはモーツァルトの協奏曲において、ぴたりと合っていたんじゃないだろうか。

なぜかアバドではなくてベームが、ポリーニのエレガントな、というよりエレガントだったモーツァルトの弾き方に、調和していた。

この演奏に説明はいらない。

ベームは、いまでは失われてしまった"ウィーン風"モーツァルトの美をウィーン・フィルから引き出し、それが実にポリーニの、美音とくっきりした様式感を持ったピアノを支える。

モーツァルトの音楽が幸福感と結びついていた時代の記念碑みたいに、いまでは聴こえてしまうのが、ちょっと残念だけれど、まだ甦る可能性だってあるし、この記念碑はそれ自体素晴らしい。

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2009年11月11日


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シューマンの作品は、どのような分野のものであれ、病的な部分というか、影のような部分をかかえ込んでしまっているケースが少なくない。

だが、ポリーニのアプローチはそのようないわば負の部分にはあまり拘泥することなく、ピアノの音自体の強靭な存在感でもって、ほとんど直線的になされていく。

それでいて、出来上がった演奏は多面的な魅力を帯び、シューマンの《交響的練習曲》の本質を鮮やかに掬いあげているところに、ポリーニの凄さがあるといえよう。

シャープで躍動感に満ちた魅力があり、もちろん細部まで克明に彫琢されているが、ラテン的で明るい歌謡性もが光っている。

ポリーニは5曲の変奏曲を第5曲と第6曲の間に纏めて組み込んで、ダイナミックかつブリリアント、壮大この上ない建造物を作り上げている。

《アラベスク》もさすがにポリーニはうまい。

響きをたっぷりととって、感傷に溺れないで健康的な明快な音楽に仕上げる。

ちょっと澄ました軽やかさで、音楽の襞を明晰に追って、あっさりともたれないところがいい。

ポリーニの、清澄にしてきらめきのある音質を生かした演奏は、端正ななかにも、華やかな輝きをもっている。

そして、なめらかな躍動感も、その演奏に生き生きとした流動感を与えており、全体として快い流れでまとめられている。

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2009年10月16日


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ノーノの音楽を積極的に演奏・録音したポリーニとアバドの録音。

ノーノはミラノ共産党の支部長を務めたこともある作曲家で、《力と光の波のように》(1972年)はチリの革命家ルシアノ・クルツへの追悼として、また《そしてそこで彼は理解した》(1969年)はキューバ革命のチェ・ゲバラの死と関わっている。

これらの作品は、今日聴いても強い表出力をもって聴き手に迫ってくる。

前者は最初ポリーニのピアノ、アバド指揮によるピアノ協奏曲として構想されたが、クルツの死を知ってソプラノとテープを加えて今日の形となった。

題名通り鋼のように強靭な響きが聴く者を震撼させるノーノの記念碑的傑作だ。

演奏も素晴らしく、ケーゲル盤と並んで必聴の名演だ。

また後者はゲバラのメッセージが最後の部分で読まれるなど、アバドの指揮とあいまって実に迫力のある音楽となっている。

ポリーニ夫妻のために書かれた《…苦悩に満ちながらも晴朗な波…》(1976年)は1978年のポリーニの日本初演時には、われるような拍手が送られたという。

戦後作曲界の雄ノーノの歩みを知る上で、また現代作品でのポリーニの冴え渡った手腕を知る上で、これは聴き逃すことのできない名盤といえよう。

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2009年05月17日


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ポリーニの演奏スタイルが多少変わってきたころのものである。

どの曲も非常にダイナミックで劇的な表現になっているが、以前のような澄んだ明快さよりも、どこかドイツ的な粘りをもった情緒表現が加わったように感じられる。

だからロマン的な性格をより強く押し出している。

とはいえアルゲリッチよりはもっと張りつめたような鋭利な表現力と、意志的な力で構成された演奏である。

ポリーニのシャープで歯切れの良い音と磨き抜かれたテクニックで作りあげられていくショパンは、情緒的、装飾的といった風ではなく、深い構造性を感じさせる大変聴き応えのある演奏である。

ここでも彼は決して走ることなく確実な慎重さで落ち着いた好演を聴かせてくれる。

しかし、この淡々とした静かな語り口がかえって聴き手に訴えかける効果となっているのではないだろうか。

ことにピアノ・ソナタ第2番では、内面的な深さを感じさせる第1楽章、一点も滞ることのない第4楽章、とにかくポリーニの音楽家としての奥行きの深さを確かめることのできる名演である。

そこには、安易な気構えで近づくならはじき飛ばされてしまいかねないような強靭な存在感がたちこめている。

いうなれば、ショパンの音楽における「ますらお」ぶりを代表するような演奏といえよう。

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2009年05月15日


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ポリーニの極限にまで鋭敏に研ぎ澄まされた感性、それに奥行きの深さとまろやかさが加わった逸品。

ポリーニの鋭い音感覚と独自の美学が反映され、一瞬の美しさも逃さずに磨きぬかれた演奏だ。

表現においても、タッチと音色においても、これほど徹底的に磨きぬかれた演奏はミケランジェリ以来だろう。

ポリーニは研ぎ澄まされた表現と精妙な色彩をたたえた響きによって、1曲1曲を実に克明に描ききっている。

しかも、厳しい造形と彫りの深い表現をもつ演奏は、まことにデリケートなニュアンスと透徹した詩情をたたえている。

彼は、ひとつひとつの音作りに神経を行き届かせながら、音色の組み合わせに工夫を凝らし、透明感のある響きの美を極限まで追求している。

情緒表現を切り詰め、精妙にして透徹した、彼ならではのイマージュを作りあげたのである。

また、曲中に含まれる、空中で浮遊しているような音響効果について、その空間把握の見事なこと!

ミケランジェリとは違う音の強さとしっかりとした芯があり、それがものすごく輝き、なおかつふくよかなところが残っているのが素晴らしい。

ポリーニのこの演奏を聴くとミケランジェリは聴いていて疲れるし、少し人工的なところがある気がする。しかしポリーニにはそれがない。

ミケランジェリほど時間を置かずに、ポリーニが第2巻をやってくれるかどうか心待ちにしていたのだが…。

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2009年04月28日


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ドビュッシーの《練習曲集》全2巻は、音響が純粋に音響そのものとして存在するといった態の、それ以上でもそれ以下でもない作品であるが、ここでのポリーニは、技巧的名人芸と冷徹なまでに醒めた感覚を駆使、飛び切り鮮やかな効果を生み出している。

しかもここでのポリーニは実に伸び伸びとしており、演奏全体に自然な躍動感が漂い、それが楽趣を大きく盛り上げている。

ショパンの《練習曲集》同様、ドビュッシーでもポリーニの切れ味のよい卓越した技巧が光っている。

あいまいさとは全く無縁の明晰な響きが、ショパンに優る効果を発揮しているのも忘れ難い。

ドビュッシーにぼかしは不要、とは思うものの、ポリーニの演奏は完全にそれを排除したところで成立している。

この曲の明晰さが演奏の明晰さによって、異様なほどにはっきりと現れ、見事に磨かれた演奏にはまるで瑕僅がない。

後期ロマン派の残映と位置づけられるベルクのソナタもそれに負けないくらいの出来で、後期ロマンの香りが独特の響きで聴ける。

柔らかさをたたえた初々しい感情表出が印象に残る。

どちらも完璧な仕上がりだ。

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2009年04月23日


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ポリーニの演奏はこの「夜想曲」においても、人の感情をかきたてるというより、むしろ覚まさせる。

音は例の硬質で美しい響きだし、充分になめらか、充分に変化に富んでいる。

でも、どこか反ロマン的で、美しさに感動させても、人を酔わせるというよりは覚めさせる。

それがすばらしいのだけれど、嫌がる人がいたって当然だ。

人を酩酊させる覚醒剤。人を覚醒させる酒。なんとも不思議だ。

でも基本ははっきりしている。ポリーニの演奏は一瞬たりともまどろまず、覚醒を徹底的に追求している。

なんとなく、とか、気分のままに、なんて弾き方はポリーニにはかけらもない。

ショパンに軽く酔って気持ちいい、なんてわけにはいかないし、うっとりしながら付き合うのも難しい。

19世紀からこんなに遠くまでやってきてしまった現代人が、そうあっさりと"ロマンティック"になんてなれない。

そう思ったとき、ポリーニの弾くショパンがある。

味わうためにどこかを休ませる必要はない。眠らせる必要はない。それどころか、覚めてゆこうとするのをますます加速させればいい。

ピアニストは技と意志を確保しながらだから大変だけれど、それで人の感情を動かす人はいる。

でも、覚醒を徹底し、先の先まで到達して、別のかたちのロマン派音楽を聴かせるピアニストが、ポリーニのほかにいるだろうか。

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2009年02月25日


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ともかくポリーニの到達点の高さが圧倒的だ。彼がショパンのバラードを録音したことによって、この曲も世界が一変してしまった。

それだけ、あらためて衝撃を受けたポリーニのピアニズムではあった。

最初から最後まで、なにか峻烈なまでの気迫に覆われているが、それがいわゆる"内から滲み出る"精神的な要素以上に、ピアニスト=技術者としての超人的な完成度に由来しているということは、思えば凄い。

上記の意味でポリーニ壮年期を代表する名演のひとつだ。

ポリーニの芸風も年齢とともに円熟味を増してきたことを、いわば象徴するようなディスクであり、4曲の《バラード》に含まれる豊かなドラマ性と音楽的な感興を、じっくりと味わえる演奏に仕上げられている。

たとえばフランソワのショパンのような独特のファンタジーを感じさせる演奏とはちょっと違う。

ポリーニはファンタジーをふくらませるということはせず、もっと冷静に客観的に音的に構成している。

細部に関して言えば、表情にメリハリがあり、ひとつひとつ磨きぬかれた音色は相変わらず魅力的であるが、ポリーニは《バラード》の物語的なニュアンスを、音色を巧みに使い分けながら、語りかけるように絶妙に表現している。

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2009年02月08日


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引き締まった、緊張度の高い演奏でありながら、こぼれるように美しいリリシズムの心と音色のマジックが秘められた最高のブラームス。

ポリーニが、アバドという同じイタリアの指揮者と組んだこの演奏は、ポリーニの澄んだ美しい音と明快きわまりない表現、そしてアバドの流麗でいて筋肉質な表情と確かな造形感覚によって、毅然とした風格のスケールも大きい名演となっている。

ポリーニの演奏は、張りつめた緊迫感の中で劇的なドラマが繰り広げられた名演で、予想される甘いリリシズムにかわって濃密で奥の深いブラームスの世界が追及されている。

全楽章、いささかの隙もない辛口の演奏だが、聴きこめば聴きこむほどに魅せられるカンタービレと豊麗な音色の美しさがあり、強烈な光が作品の中から放射されるかのような鮮烈な印象が与えられる。

その引き締まった表情にはロマンティックな情感も不足しておらず、これを凌ぐ演奏は当分出てこないだろうと思われる。

いっさいの曖昧さも不完全さもないところは以前のままだが、演奏が自然にふくらみ、男性的な躍動感に優しさと大らかさとが漂ってきたあたりにポリーニの円熟を実感させられる。

アバド指揮ベルリン・フィルの風格豊かなバック・アップで密度の濃い共演を実現している。

現代にも歴史的名演は生まれるのである。

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2008年12月15日


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ポリーニは、当盤に先立ち、ベームと第3〜5番、ヨッフムと第1,2番をウィーン・フィルと録音している。

今回はアバド指揮、ベルリン・フィルとの共演で、同じ曲をヨーロッパの2大オーケストラと録音できたとは、ポリーニも大したものだ。

ベームと共演したポリーニは、ベームのよきリードのせいかどうか、ベームの音楽の中にごく自然に融和していたような気がする。

しかし、同世代のアバドが指揮する当盤では、双方がそれぞれの主張を対等に繰り広げようとしたのではないか。

その結果、主役の2人が正面から渡り合う熱っぽい演奏が実現した。

ポリーニの気迫のこもった演奏で、タッチは明快で澄んだ響きを持ち、解釈は細心かつ充実を示し、細かい楽句でも1つ1つの音に美しい輝きを与えている。

アーティキュレーションは実に美しく、繊細な感覚と優美な抒情を溶け合わせて、ベートーヴェンの情感に迫っている。

しかも、あらゆるフレーズが隅々に至るまで強い緊張感に支配されていて、聴き手を刺激する。たまには、やすらぎがほしい気がするが…。

伴奏は、躍動感あふれる力強さと暖かさを兼ね備えたアバドの魅力が横溢した表現でソロをひきたてている。

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2008年11月08日


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ブラームスの「ピアノ協奏曲第2番」はピアニストにも、また指揮者とオーケストラにも、知・情・意・心・技・体のすべての充実を要求する難曲中の難曲である。

こうした要求のすべてを見事にこたえるのはポリーニ/アバド/ベルリン・フィルの演奏だ。

ポリーニの彫琢され尽くした美しい音と明快なフレージング。そして音楽への恐ろしいまでの集中から逆に生じる清冽な歌。

アバドの緻密で均整が取れ、しかも奥行きのある造形と、その中で節度をもって、だが清らかに高まる磨き抜かれた南欧的カンタービレ。

加えてベルリン・フィルの魅惑的な音色。

現代の音楽家たちによる現代の名演のうちでも屈指のものと言うべきである。

第1楽章からポリーニとアバドの激しいぶつかり合いが眼前に浮かぶほどの熱のこもった迫力のある演奏を展開している。

ポリーニのピアノは、超人的な力感のあとにすごいデリカシーが待ち受けており、曲想の対照が実に鮮やか。

アバドの指揮も見事で、スマートさを基本としながらも、濃密であり、ことに第2楽章の静と動の兼ね合い、静かな部分の弦の美しさは出色だ。

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2008年10月10日


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ポリーニのシューマン/ピアノ協奏曲は最も条件のそろった名演で、鮮明なタッチと曇りのない歌心の中から誠に美しい詩情と振幅の大きな表現を浮かび上がらせている。

完璧なテクニックをうならせた彼の演奏は、ゆるぎない造形的美観の把握や緊迫した集中力の持続が見事なだけでなく、美しいカンティレーナの魅力にも溢れており、そこではほとんど文句のつけようがない成果が実現されている。

全体にやや遅めのテンポで、ポリーニのタッチはいつものように透徹した響きを持ち、ひとつひとつのフレーズを明快に浮かび上がらせ、それでいてダイナミックスの幅は非常に広い。

解釈はアバドともども極めて知的で強靭な意志に貫かれている。

この曲があまりすぐれた演奏に恵まれないのは、ソリストと指揮者の協調がむずかしいためだろう。

ソロはいいけど指揮がもうひとつだったり、その逆も案外多い。

そうした中でアバドの指揮によるポリーニが傑出しているのは、アバドが作品を的確にとらえてソリストの個性に鋭く反応しているからで、ポリーニの輝かしい情熱と豊かな詩情を見事に生かしきっている。

シェーンベルクでのピアノは緊迫感を漂わせながらも決してナーヴァスにならず、アバドも自信に満ちた響きで一貫している。

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ポリーニ一流の鋭敏な感覚で、シューベルトの抒情を明晰に表現したもので、ポリーニの鋭い感性の光った、その音色の輝きと、精神的な充実ぶりに驚く。

造形もしっかりしており、いかにも現代的な演奏だ。

シューベルトの音楽としては、多少肌ざわりの冷たいところもあるが、いかにもポリーニらしい、研ぎ澄まされた音色で、音楽の内面に迫ろうとした演奏だ。

ことに第2楽章など、ほろりとするような巧みな表現で、"歌"にみちており、このあたり、やはりイタリア人ならでは、といった感じがする。

しなやかに歌われてゆくが、情に溺れることのない歌いぶりだ。

歯切れの良いリズム感が、この演奏を極めてモダンなものにしている。

このソナタ第16番を、これほど深々と掘り下げて弾ける人というのも、少ない。

シューマンのソナタ第1番はやや個性的な表情をもっているが、若いシューマンの情念といったものを、すぐれたテクニックと、透明感あふれる音色で表現した演奏である。

すっきりと澄んだ響きで、音楽の内面を極めて冷静に見つめ、ドラマティックな演奏を行っている。

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