リヒター

2015年12月26日


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このリヒターの崇高なバッハの成果は未だに独自の光彩を放ち、独創的で強い主張を持っている。

中でも彼のブランデンブルク協奏曲や管弦楽組曲などの息づくようなバイタリティーに溢れた表現は強く惹かれるものがあったが、当初アルヒーフのセット物は布張りカートン・ボックス入りのコレクション仕様で値段も高く、気軽に手が出せるような代物ではなかった。

そうした懐かしさも手伝ってかつての欲求を満たしてくれるのがこのセットで、同じくユニヴァーサル・イタリーから先発でリリースされたバッハのカンタータ集に続いて、今回はチェンバロ及びオルガン・ソロ、室内楽、オーケストラル・ワークに『ロ短調ミサ』を加えた18枚で構成されている。

この中には現在入手困難な1966年収録のシュナイダーハンとのヴァイオリン・ソナタ集も含まれている。

リヒターは1972年にレオニード・コーガンとも同曲集の再録音をオイロディスクに遺しているが、バッハへのアプローチも、また音楽的な趣味や個性も全く異なった2人のヴァイオリニストと組んだアンサンブルの記録としても貴重な音源だ。

この演奏ではシュナイダーハンのウィーン流のしなやかで自由闊達なソロが美しい。

尚ブランデンブルク協奏曲集は1967年の再録音の方が採用されている。

ちなみに第1回目の1956−57年の音源はドイツ・ヘンスラーから独自のリマスタリングで復活している。

ミュンヘン・バッハ管弦楽団は、バイエルン放送響、ミュンヘン・フィル、バイエルン国立管の団員などの精鋭から編成され、何よりも当代のバッハの使徒とでもいうべきリヒターに対する尊敬の念と忠誠心を持っていたと言われる。

その演奏の均一性、精神的な統一感はいま聴いても新鮮な驚きがあるだろう。

リヒター指揮による同管弦楽団、同合唱団による一致団結した統一感とストイックとしか言いようのない敬虔、厳格な音楽づくりは、その後同様な演奏を聴くことを至難としている。

一方、リヒターは当時にあって、バッハについて深い学識ある研究者であるとともに、最高のチェンバロ奏者&オルガニストであり指揮者であった。

チェンバロ、オルガンなどの独奏の高次性も並外れており、しかもすぐれた即興性に魅力がある。

彼が使用しているチェンバロは総てノイペルト製のモダン・チェンバロで、ピリオド楽器が主流の現在では金属的で大きな音がやや厚かましく聞こえるが、奇しくも当時のリヒターのラディカルとも言える解釈にそぐわないものでなかったことは確かだ。

またニコレとのフルート・ソナタ集では常にレジスターを使って音量と音色を注意深くコントロールしている。

ライナー・ノーツは46ページほどで、曲目一覧、英、伊、独語によるリヒターのキャリア及びこのセットに収められた18枚の全録音データが掲載されている。

新しいリマスタリングの表示はないが音質は極めて良好で、サイズ13X13X5cmのシンプルなクラムシェル・ボックス仕様。

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2015年07月26日


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ここに収められたCD26枚のバッハの教会カンタータ集は以前アルヒーフから同内容でリリースされ、既に法外なプレミアム価格で扱われているもので、今回のユニヴァーサル・イタリーによる全歌詞付126ページのブックレットを伴ったバジェット盤企画の快挙を評価したい。

尚BWV26及びBWV51でのソプラノは前者がウルズラ・ブッケル(1966年)、後者がマリア・シュターダー(1959年)が歌った旧録音の方が採用されている。

カール・リヒターは1959年からこのカンタータ集の録音に取り組み、その精力的な活動は78年まで続けられたが、彼が54歳の若さで他界しなければ、更に多くのセッションを遺してくれたであろうことが惜しまれる。

このセットには教会歴に従いながら75曲の作品が収録されていて、どの曲を聴いても生命力に漲るリヒターの強い個性が発揮された鮮烈な音楽が蘇ってくる。

それはリヒターの一途でひたむきな宗教観とバッハの音楽への斬新な解釈が、音源の古さを通り越してひとつのドラマとして響き渡るからだろう。

勿論リヒターの名を不動にした『マタイ』、『ヨハネ』の両受難曲や『ロ短調ミサ』などの大曲も彼の最も輝かしい演奏の記録には違いないが、彼はプロテスタントの教会で日常的に歌われるカンタータの研究の積み重ねによって、初めてバッハの宗教曲の本質が理解できるようになると考えていた。

確かにバッハが生涯に250曲もの教会カンタータを作曲したとすれば、それはバッハの全作品中最も高い割合で書かれたジャンルになり、如何に心血が注がれた作品群であるかが納得できる。

リヒターが指揮棒を握る時にはソリストやコーラスだけでなく、オーケストラにも彼の熱いスピリットが乗り移ったような統一感が生まれる。

この時代はまだ古楽の黎明期で、モダン楽器とピリオド楽器を混交させながらの奏法も折衷様式をとっているが、そうした条件を補って余りあるほどリヒターの演奏には不思議な普遍性がある。

リヒターの高い精神性に導かれた隙のない、そして全く弛まない緊張感が時代を超越して聴き手に迫る驚くべき手腕は流石だ。

リヒターはルター派の牧師の父を持ち、最初に音楽教育を受けた学校が宗教色の強い環境だったことも彼のその後の活動に色濃く影を落としている。

当然リヒターの少年時代にとって聖書講読や教会歴に沿った行事での演奏は、切り離すことができない生活の一部だったことは想像に難くないし、後のライプツィヒ聖トマス教会のオルガニストを始めとする教会でのキャリアは、バッハの研究者として彼に課された宿命的な仕事だったに違いない。

このカンタータ集は彼のバッハへの哲学が集約された音楽の森とも言うべき優れた内容を持っていて、将来に聴き継がれるべき演奏である筈だ。

特に新しいリマスタリングの表示はなく、足掛け20年に亘る音源なので、時代によって音質に若干のばらつきがあるのは致し方ないが、幸い全体的に鮮明で良質な音響空間が得られていて鑑賞に全く不都合はない。

ブックレットには詳細な曲目、演奏者及び録音データと、リヒターとバッハのカンタータについての英語解説、そしてオリジナルのドイツ語による全歌詞が掲載されている。

ボックス・サイズは13x13x6,5cmでシンプルなクラムシェル・タイプの装丁だが、品の良いコレクション仕様に好感が持てる。

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2014年12月25日


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モーツァルトのフルートを用いた作品を軸に、ハイドンの偽作とされるフルート協奏曲などが収められた好企画のCDである。

本盤は、そうした選曲の見事さもさることながら、演奏者も今となっては豪華な布陣である。

フルトヴェングラーがベルリン・フィルの芸術監督をつとめていた時代の首席フルート奏者であったオーレル・ニコレ、そしてバッハをはじめとしたバロック音楽やハイドン、モーツァルトの作品において比類のない名演の数々を遺したリヒター&ミュンヘン・バッハ管弦楽団など、本演奏の当時(1962年)全盛期にあった者たちが繰り広げた演奏は、まさに珠玉の名演とも言うべき至高・至純の美しさを誇っていると高く評価したい。

オーレル・ニコレによるフルート演奏は、もちろん卓越した技量を有してはいるが、フルトヴェングラー時代のベルリン・フィルの首席奏者をつとめていただけのことはあって、技巧臭がいささかもせず、徹底した内容重視の演奏を行っている。

本盤に収められた各楽曲のうち、特に、フルートとハープのための協奏曲については、カール・ミュンヒンガーがウィーンの首席フルート奏者などと共に行った素晴らしい名演が存在しているが、当該演奏がウィーン風の情緒に満たされた美演であるのに対して、本演奏は徹頭徹尾ドイツ風の重厚なもの。

オーレル・ニコレによる彫りの深いフルート演奏、そしてリヒター&ミュンヘン・バッハ管弦楽団による引き締まった造型美を旨とする剛毅な演奏が、演奏全体の様相をそのようなドイツ風の重厚にしてシンフォニックなものとするのに大きく貢献している。

そして、ローゼ・シュタインによるハープ演奏が演奏全体に潤いと温もりを付加するのに寄与し、これによって、重厚な中にも優美な美しさを併せ持った稀有の名演に仕上がっていると評価し得るところだ。

また、モーツァルトの2曲のフルート協奏曲やフルートと管弦楽のためのアンダンテも、オーレル・ニコレによるいわゆるジャーマン・フルートのいぶし銀の美しい魅力を十二分に満喫することが可能な素晴らしい名演であり、いい意味での剛柔のバランスという点においては、それぞれの楽曲の演奏史上でもトップクラスの名演と高く評価したい。

現在では、ハイドンによる作品ではないとされているフルート協奏曲ニ長調や、グルックの歌劇「オルフェオとエウリディーチェ」からの抜粋である精霊の踊りも、ドイツ風の重厚な中にもジャーマン・フルートのいぶし銀の美しさを感じさせる素晴らしい名演だ。

音質は、かつて発売されていた従来CD盤は、1960〜1962年のスタジオ録音であり、今一つの音質であったが、今般、待望のSACD化がなされるに及んで大変驚いた。

音質の鮮明さ、音場の拡がりなど、とても1960年代初め頃のスタジオ録音とは思えないような高音質に生まれ変わった。

いずれにしても、全盛期のオーレル・ニコレ、そしてリヒター&ミュンヘン・バッハ管弦楽団ほかによる至高の名演を、鮮明な高音質SACDで味わうことができるのを大いに喜びたい。

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2014年12月13日


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モーツァルトのレクイエムについては、近年ではジュスマイヤー版の編曲による壮麗な演奏が主流ではなくなり、他の編者の版によるもの、そしてピリオド楽器やピリオド奏法を駆使した軽妙な演奏が多く行われるようになってきている。

時代考証的な見地からすれば、確かにそうした演奏は正鵠を射ているのかもしれない。

そして、モーツァルトを研究する学者からすれば、非常に評価の高い演奏と言えるのかもしれないが、果たして大方のクラシック音楽ファンを感動させる演奏がどれくらい存在しているのであろうか。

モーツァルトの数多くの楽曲の中でも、レクイエムは多分に未完成であったことにも起因しているとは思うが、作曲者の慟哭が聴こえる異色作ではある。

どんなに悲しい時であっても、楽想は寂しげに微笑んでいるのがモーツァルトの楽曲の美質であったが、レクイエムだけはあからさまに嘆き悲しんでいると言えるだろう。

いや、生涯の最後に、モーツァルトは自らの本音を曝け出したとも言えるのかもしれない。

それだけに、私見ではあるが、レクイエムの真の魅力を引き出すためには、小手先だけの演奏では不可能ではないのか。

近年主流のピリオド楽器やピリオド奏法を駆使した軽妙浮薄な演奏では到底真の感動は得られないと言うべきであろう。

そのような中で、同曲のジュスマイヤー版を使用した壮麗かつ重厚な代表的な演奏として、ベーム&ウィーン・フィルほかによる超名演(1971年)が存在しているのであるが、本盤に収められた全盛期のリヒターによる1960年の演奏も、その前座に位置する素晴らしい名演と評価したいと考える。

ミュンヘン・バッハ管弦楽団による演奏だけに、ウィーン・フィルによる演奏と比較すると、若干ではあるが重厚さに欠けるが、演奏全体の引き締まった造型美やただならぬ緊迫感は、聴きようによっては本演奏の方が上とも言えるところだ。

本演奏の当時は、リヒター&ミュンヘン・バッハ管弦楽団は、マタイ受難曲をはじめとした歴史に残るようなバッハの楽曲の超名演を成し遂げていた時期でもあり、本演奏には、そうしたモーツァルトの大先達であるバッハの偉大な宗教曲の片鱗を感じさせるような峻厳さと崇高さが備わっていると評しても過言ではあるまい。

マタイ受難曲などで圧倒的な名唱を披露してくれたミュンヘン・バッハ合唱団は、本演奏でも圧倒的な合唱を展開しており、4名の独唱者ともども最高のパフォーマンスを発揮していると高く評価したい。

音質は、1960年のセッション録音ではあるが、今般、ついに待望のSACD化が行われることになり、見事は音質に生まれ変わったと言える。

さすがに録音年代が古いだけにテープヒスが気にならないわけではないが、音質の鮮明さ、音場の幅広さ、そして音圧のいずれをとっても超一級品の仕上がりであると言えるところだ。

いずれにしても、リヒター&ミュンヘン・バッハ管弦楽団ほかによる素晴らしい名演を高音質SACDで味わうことができるのを大いに喜びたい。

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2014年06月13日


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驚くべき超高音質SACDの登場だ。

本盤に収められた演奏は、歴史的な名演だけに、これまで何度もリマスタリングを繰り返してきたほか、SHM−CD盤、SACDハイブリッド盤などが発売されてきたが、本盤の前には、いずれも太陽の前の星にようにその存在感がすっかりと霞んでしまった。

それくらい、本盤の高音質の度合は突出している。

あらためて、シングルレイヤーSACD&SHM−CD仕様の威力を思い知った次第だ。

高弦は艶やかに響くし、弦楽器や管楽器のそれぞれが鮮明に分離して聴こえるのは素晴らしいの一言。

音場の豊かな広がりや深い奥行きは、とても1967年の録音とは思えないほどだ。

特に、第2番の第1楽章及び第3楽章のトランペットのブリリアントや響きや、第3番の第2楽章のチェンバロの重心の低いずっしりとした響きには、完全にノックアウトされてしまった。

演奏も、まさに歴史的な名演。

リヒターならではの重量感溢れる低音をベースとした、独特の緊張感を伴った切れ味鋭いリズム感や各楽器の躍動感は、ブランデンブルク協奏曲を、本盤の録音当時に主流であったいわゆる大指揮者による重厚かつ壮麗な演奏様式(それも名演ではあるが)から解き放ち、新鮮な息吹を吹き込むことに成功したことを高く評価したい。

もっとも、現代においては、ピリオド楽器を使用した古楽器奏法が主流の同曲であり、本盤も既に演奏様式としては古い部類に入るが、軽妙浮薄な演奏が流行する中においては、現代においてもなお十分に存在感を発揮している至高の名演であると考える。

第4番〜第6番についてもかかるシングルレイヤーSACD&SHM−CD仕様のディスクを出していただくことを望みたい。

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2014年02月28日


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(注)以下のレビューは、下書きしたまま忘れて放置していたページをエントリーしたものである。

ガラスCDは別として、コストパフォーマンスを考慮すれば、おそらくは現在望み得る最高の音質のCDであると高く評価したい。

ネット配信が普及し、少なくとも従来CDは廃れていく傾向にある中で、ネット配信に対抗し得るのはSACD以外にはないと考えていたが、ユニバーサルをはじめ、ほとんどのレコード会社がSACDから撤退している状況は、大変嘆かわしいものと考えていた。

そうした厳しい中で、ユニバーサルが数年前から再びSACDの発売を再開したのは何という素晴らしいことであろうか。

しかも、ユニバーサルが推奨してきたSHM−CDとの組み合わせ、SACDの能力を最大限に発揮させるシングルレイヤーであることも、快挙であるということができよう。

本盤を、かつて発売されたSACDハイブリッド盤やSHM−CD盤などと比較して聴いてみたが、その音質の違いは明らか。

ニコレの息遣いまでが聴こえてくるようなフルートの美音や、分離が見事なオーケストラの極上の高音質。

重低音のずしんとした重厚な響きも迫力満点であり、まるで別次元の演奏を聴いているような錯覚を覚えた。

ユニバーサルには、今後ともこのシリーズを続けていただくとともに、可能ならば、第3番、第4番のSACD&SHM−CD化もお願いしたい。

演奏は、既に定評のある超名演。

ピリオド・スタイル全盛の現在においても、その精神性の深さで普遍的な支持を受ける名指揮者カール・リヒターのバッハ演奏である。

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2013年12月14日


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バッハのマタイ受難曲は、数多くの作品の中でもひときわ大きく聳え立つ傑作であり、人類最大の遺産のひとつに数えられる畢生の名作。

本盤は、その中から聴き所を抜粋した作品集。

バッハのマタイ受難曲をクラシック音楽史上最高傑作と評価するクラシック音楽ファンも多い。

こうした考え方が正しいのかどうかは別として、少なくとも大傑作の名に値する作品であることについては異論の余地がないところであろう。

これだけの大傑作だけに、かつてはメンゲルベルクやクレンペラー、そしてカラヤンなどの大指揮者によって、大編成のオーケストラと合唱団を使用した重厚な名演が繰り広げられていた。

ところが近年では、オーケストラにピリオド楽器を使用した演奏、古楽器奏法を駆使した演奏、さらには、各パートを一人ずつとするなど極めて小編成のオーケストラによる演奏等が現れてきており、加えて合唱団も少人数にするなど、かつてと比較すると軽妙な演奏が増えつつあるように思われる。

このように、マタイ受難曲の演奏様式は刻々と変化してきていると思われるが、録音から既に50年以上が経過しているにもかかわらず、現在でもその価値がいささかも色褪せない永遠の名演こそが、本盤に収められたリヒターによる1958年のスタジオ録音である。

ミュンヘン・バッハ管弦楽団は比較的小編成のオーケストラではあるが、いわゆるシンフォニックな重厚さにおいてもいささかも申し分ない。

演奏は、悠揚迫らぬテンポによる荘重さ、壮麗さが支配しており、常に気迫溢れる力強さと峻厳さを失っていないのが素晴らしい。

このようなリヒターの本演奏にかける凄まじいまでの集中力には殆ど驚異を覚えるほどだ。

全体の造型はきわめて堅固であるが、スケールは雄大の極み。

また、イエスの逮捕のシーンの劇的な迫力などにも凄まじいものがあり、ドラマティックな要素にも欠けるところがない。

まさに、同曲に込められた内容を音化し尽くした稀有の名演と言えるところであり、今後とも本名演を超える演奏を行うのは容易ではないと言っても過言ではあるまい。

独唱陣も極めて優秀であり、特に福音史家のエルンスト・ヘフリガーの入魂の名唱は、我々聴き手の肺腑を打つのに十分だ。

若きフィッシャー=ディースカウによるアリアにおける名唱も、演奏全体の緊張感の持続に少なからず貢献している。

ミュンヘン・バッハ合唱団やミュンヘン少年合唱団の歌唱も壮麗かつ清澄な美しさの極みであり、本名演に大きく貢献しているのを忘れてはならない。

この名演を初めて聴く人は、ハイライト盤ですまそうとは夢にも思わないで欲しい。

あくまでこの偉大な作品・演奏の全曲を聴く足掛かりだということを肝に銘じていただきたい。

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カール・リヒターのバッハ宗教音楽集をセットにまとめたお徳用盤。

「マタイ受難曲」は不朽の名盤中の名盤。この峻厳そのもののバッハを超える演奏は、今後もなかなか現れないだろう。時代も変わっているから、あるいはこのリヒターの妥協のなさに息苦しく感じられるところがあるかもしれない。しかし、20世紀が遺したバッハ演奏の頂点を示すものとしての評価は変わらないだろう。

バッハの「マタイ」を聴こうとする人にとって、この曲の投げかける真摯な問いかけをいい加減に受け止めることはできまい。リヒターの「マタイ」の厳しさは他に類のない高さにあり、未だにその鮮烈さを失うことなく我々の前に屹立している。最初からじっくりと対訳とにらみ合わせながら、急がず聴き込んで欲しい。

「ヨハネ受難曲」も厳しいまでの威厳にみちたバッハ演奏で、リヒターの峻厳な指揮に支えられて、全曲を極めて高い緊張感が支配している。過度の感情移入は厳しく抑制され、ヘフリガーの福音史家も静かな語り口の中に驚くほどの説得力をもって、この受難のドラマの劇性を表出する。リヒターのバッハ演奏の中でも最高峰のひとつに数えられる名演である。

「クリスマス・オラトリオ」は細部にいたるまで妥協を許さないリヒターの緻密な設計と、強力な統率力が全曲を支配している。バッハを真正面からとらえた演奏で、厳しいまでの表情は他の演奏にはみられない威容を示す。4人の独唱者、オーケストラ、合唱団の集中力の高い、真摯な演奏も申し分なく、その重厚な響きと清澄な音色は一度聴いた者の耳を離そうとしない。現代楽器を用いた演奏だが、時代や様式を超えたバッハ像がある。

「ミサ曲ロ短調」も古い録音だが未だに鮮烈な内容を保ち続けているのは、リヒターの決して消えることのない精神力のためだろう。彼ほどの凝集力、音楽の持続力を保ち続けた指揮者はいなかった。そして独唱陣の何と水準の高いことだろう。不確かな個所は1小節たりともない。その精神の高さでは、リヒターを超えるバッハの演奏家は当分現れまい。まさに不朽の名盤といってよいだろう。

「マニフィカト」は、この作品の壮麗さ、優しさ、美しさをこれほど格調高く、堂々と歌い上げた演奏というのは、ほかにはない。独唱陣に、録音当時最高の顔ぶれを揃えていて、崇高な雰囲気を見事に表出している。

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2012年02月09日


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リヒター唯一の《クリスマス・オラトリオ》の録音。

筆者にとって、《クリスマス・オラトリオ》という作品に親しむきっかけを与えてくれた懐かしい録音。

リヒターの演奏は、力強い喜びにあふれたもので、その精神的燃焼度の高さには圧倒される。

今、聴きなおしてみると、その重厚さに驚かされる。

レチタティーヴォもオペラ的で芝居がかっているように感じる。

人間の感覚というものは当てにならないものだ。

初めてピリオド楽器による演奏に接したときにはなんと軽薄な、と思ったのに、今日ではピリオド以外は自ら進んで聴こうとはしないのだから。

リヒターの曲の解釈・表現は、コラール・フェルマータの扱い方にしても、非常に柔軟性にとんだ自由な扱い方をして、詩の内容を浮き出させているし、フレーズのつくり方がふくらみを増し、表現に人間的な息づきが至るところにあふれてくる。

1960年代としては最高の独唱陣を得たことも素晴らしく、どの個所にも不満を感じさせないし、むしろ感嘆の連続である。

特に早世した名テノール、ヴンダーリヒの名唱が聴けるのはたいへん嬉しいことだ。

粒ぞろいの歌手による名盤中の名盤であることは間違いなく、こうしたバッハを愛する人にとっては限りなく大きな価値を持つ演奏であろう。

でも、今日の演奏スタイルからは乖離した面があるのは否めないと思う。

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《ミサ曲ロ短調》の不滅の名盤。

バッハの4大宗教音楽のひとつに数えられ、その最高作品と見なす向きも少なくない。

優れた宗教曲は、基盤である宗教を離れて"芸術"作品として自立することがある。

その場合、芸術としての一面を強調した演奏が生まれてくるのは避け難い。

しかしキリスト教文化圏で規範とされるのは、宗教性と芸術性を両立させた演奏である。

当盤は、長らくその頂点に立ち続けてきた名盤。

まず、フレーズの隅々にまで浸透している切迫した祈りの感情が、聴き手の身に染みる。

その純粋さを聴き手にさらに印象づけるのがリヒターの凝集した表現力。

その結果、熱く激しく燃え上がる感情を、厳格できりりとした表情に包みこんだバッハが生まれた。

宗教性と芸術性が両々相まって、バッハの深さと広大さを実感させてくれる。

バッハはプロテスタント教会に仕える作曲家だったが、ここではカトリックの典礼をとり入れて両者の融合を目指し、特定の宗教を超えた特異な形態を生んでいる。

リヒターにとってこれは理想の信仰の形態だったはず。

信仰を失った現世の混迷のなかで、ひたむきに救済を求め、神の光に達しようと望むなら、神と一心同体化しなければならない。

そのためには人間は霊的な存在でなければならぬというのがリヒターの信念。

現世の欲を捨ててこそ、すべてのものが同胞となり得る。

人間はかくあるべきという不退転の決意、その強靭な精神力に心を打たれない者はいないだろう。

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リヒターによる当受難曲の唯一の録音。

現代においてもリヒターのバッハ演奏は高い評価を維持し続けている。

わけても《マタイ受難曲》(1958年)と《ヨハネ受難曲》は双璧。

同じキリストの受難を描くにしてもその感触と角度は異なる。

バッハのふたつの受難曲では、俗に《マタイ》のことをオペラティックといい、この《ヨハネ》のことをドラマティックと評している。

これは、《ヨハネ》に用いられているテキストが《マタイ》以上に聖書の言葉に忠実で、音楽よりもむしろ、物語としての流れが第一に考えられているからである。

ここでのリヒターは、いかにも彼らしい厳しい態度でまとめあげた演奏を行っている。

《マタイ》の演奏の時よりも、さらに人間的な味わいを強く出していて、それがこの演奏の完成度を高めている。

本盤ではリヒター特有の峻厳な解釈と鋭敏な表現の切り口と共に、内容が促すドラマティックな要素も添加させることに成功。

その要とも言うべきヘフリガー(福音史家)の張りのある伸びやかな歌いまわしは絶品。

人間味に溢れた劇性を重んじたかのような雰囲気が漂っているのが特長といえる。

リヒターによるバッハ演奏のディスクの中でも特に傑出したもののひとつだ。

リヒター固有の演奏哲学と美意識が結集されたこの演奏は、今後ともバイブル的な存在として語り継がれていくに疑いない。

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来日時のライヴを含め、我々はほぼ10年の間隔で録音された3種類のリヒター指揮による《マタイ受難曲》演奏を持っている。

だが多くの人にとって、他の2つの録音はこの最初の録音からの変化か展開でしかない。

そればかりか他の指揮者による演奏も、「リヒターとくらべ云々」というように比較の基準としてきた。

それほどまでにこの演奏は、ある年代以上のファンにとって「マタイ体験」の原点にある。

1958年、ナチの悪夢が覚めやらないのにハンガリー動乱、東西冷戦と、明日の命がどうなるかわからない状況のなかに演奏家たちはいた。

リヒターが学んだドレスデンやライプツィヒは戦禍から回復する状況ではなかった。

牧師を父にもつ彼が、時代に対して語る言葉は説教ではなく演奏である。

この演奏については、しばしば「名盤中の名盤」とか「峻厳な演奏」とされて、また「時代も変わってきているから息苦しく感じられるかもしれない」とも言われる。

それはそうであろうが、演奏スタイルという枠や趣味の線上でこの演奏は語りきれるものではない。

鋭い劇的な造形はもちろんリヒターの解釈であるが、それとともに演奏全体の異様な昂揚は、たとえば曲中で「イエスを十字架に」と唱和する民衆に、ひと昔まえに狂信的独裁者を賛美した人々を重ねあわせられる状況があってこそもたらされたのではないか。

その熱さが、人の罪とか愛の根元的な思いが、聴く者の心を貫通する。

その意味でまさに希有な、再びは登場し得ない種類の演奏である。

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2011年12月13日


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「バッハという名の駿馬を乗りこなし、時代を駆け抜けていった男」

カール・リヒターを想うとき、筆者の脳裏にはこうして名馬を駆って疾走する颯爽たる騎手の姿が絵のように去来する。

リヒターのバッハ演奏には定評がある。

特に中高年の音楽愛好家の中には、バッハ演奏家といえば、まず一も二もなくリヒターの名を思い浮かべる人が少なくないのではないだろうか。

周知のように、リヒターの名前を一躍高めたのは、1958年の聖金曜日に放送されたバッハの《マタイ受難曲》の演奏と、その直後のアルヒーフへの記念碑的録音だった。

当時のリヒターは、旧東ドイツからミュンヘンに移住して7年目、この成功をバネとして、続く一連のバッハの宗教音楽の録音で評価を揺るぎないものとした。

その同じ1958年にもテレフンケンに《ゴルトベルク変奏曲》を録音しているが、その後1960年代後半から1970年代にかけてがチェンバリストとしてアルヒーフに旺盛な録音活動を行った時期で、この《ゴルトベルク変奏曲》は1970年の再録音。

リヒターの完璧な技巧とバッハへの深い造詣があますところなく発揮された演奏は、強い生命力がみなぎっている。

生き生きとした表情が全曲を支配しており、作品の汲めどもつきることのない魅力に、まさに引き込まれたような自発性に満ちた演奏を展開している。

ひとつひとつの音型に表情を与え、まとまりと変化を生み出し、聴き手の興味をぐいぐいと引っ張っていく力量には、さらなるゆとりが感じられる。

いまなお新しさを失っていない演奏だ。

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2010年08月02日


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旧盤から21年ぶりの再録音で、バッハ演奏においてかけがえのない存在であったリヒターのさまざまな変貌が示されている。

峻厳なバッハ演奏の頂点として威厳に満ちて聳え立つ旧盤に比して、この演奏では人間リヒターとしての心情を吐露している。

テンポも大幅に遅くなり、その中で登場人物の心情やドラマの劇的展開を、振幅の大きな表現で重厚に描いている。

リヒターのバッハ、とくに《マタイ受難曲》はバネのきいたリズムを特徴としている。

ともすると、懶惰に陥りがちなわたしたちを励起させるリズムだ。

だが、けっして押しつけがましくなくはない。

どうしても、そのリズムの勢いに突き動かされ、ついて行きたいと思わずにはいられぬ躍動感に満ちている。

そして、それはあるひとつの目標に向かって、ともに心を合わせて前進してゆくときの一体感をかき立ててくる。

この目標は、神との出会いを目指しているのは言うまでもない。

神の存在をフィジカルに体得するリズムとでも言おうか。

そのとき、わたしたちは人間が霊的な存在だと知る。

この霊的なリズムに乗ると、わたしたちは誰も超越的な空気にふれ、物質的な欲望がいかに卑小で、ともに同胞であることが、すべてに優るよろこびだとわかる。

それが神とともにあるという意味だ。

その意味が今日忘れられている、というよりもすでに経済の高度成長期の1970年代に、わたしたちはリヒターの望んだのとは別の生き方に引かれはじめた。

彼はその離反に深く悩み苦しんだのだろう、彼の2度目の《マタイ受難曲》の録音は、それを食い止めようとする絶望的な努力と挫折感をひびかせている。

株価の変動に一喜一憂し、金勘定に忙しいわたしたちは、リヒターの《マタイ》にもう一度立ち返って、心を問い直す必要があるのではないか。

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2009年01月29日


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リヒターのディスクを聴くだけでは、その圧倒的な演奏に感嘆するだけで気が付かなかったことだが、広く参加者を募っての合唱団を自ら組織して、それをつねに一定の極めて高い芸術性と歌の技巧をもった団体として保つことには、大変な労力と精神力が必要だっただろう。

またいくつものプロフェッショナルなオーケストラから選抜した腕の立つ音楽家たちを一つにまとめて、「リヒターの個性」をはっきりと刻印した演奏とすることも同じである。

今にして思えば、リヒターはそれをほとんど何のバックもなしに、たった一人で実現していたのである。

音楽的にも彼は「ライプツィヒのバッハの伝統」に育まれはしたが、それに安住することなく、彼の時代の最も先鋭的で根源的なバッハ演奏、解釈を選び取っていた。

リヒターの衣鉢をつぐバッハ解釈者が存在しないのも、彼が自らの身を削ってまでバッハにこだわりつづけたからだろう。

今日バッハ演奏は、オリジナル楽器の歴史的な演奏慣習の知識なしには問題にもならなくなった。

リヒターはこの時代には属していない。

だが、リヒター以上に現代楽器の多様な表現力をバッハ音楽の本質と結んだ音楽家は、彼の死後にも出てきていない。

折に触れてリヒターの演奏を聴いて、そのバッハの音楽への敬愛の心の洗礼を受けたいものである。

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2009年01月28日


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第140番「目覚めよと呼ぶ声あり」は、バッハのカンタータの中でもポピュラー・ナンバーのひとつであり、典型的なコラール・カンタータで、喜ばしい気分にあふれた曲である。

第4曲のコラール「シオンは物見らが歌うのを聴く」は、単独のオルガン・コラールともなっている。

マティス、シュライアー、フィッシャー=ディースカウという最高の独唱者を迎えてのリヒターの「目覚めよと呼ぶ声あり」は名演中の名演としてことに有名。

これに「マニフィカト」を加えたのだから、これはバッハの声楽曲入門の1枚として安心しておすすめできる。

リヒターの演奏は、彼のバッハに対する畏敬の念と思慕の深さを感ぜずにはいられない。

表現にも崩れはなくさすがだ。

ドイツ国内における現代楽器のバッハ演奏の中で、リヒターを超える演奏はついに現れなかったといってよい。

リリングはリヒターと対照的な立場にたったバッハ解釈者であり、リヒターにないイタリア風流麗さをもたらしたが、リヒターの峻厳そのもののバッハを冒すことはなかった。

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2009年01月26日


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1969年5月9日、リヒターとミュンヘン・バッハ管弦楽団の来日公演のときのライヴ録音である。

あふれるようにみずみずしい演奏である。

リヒターには1961年のスタジオ録音もあり、それはきわめて峻厳な名演奏だった。

これはそのスタジオ録音ほどの芯の強さはあまり感じられないが、全篇にわたって、表情がゆたかであたたかな、人間愛にみちた音楽がつくられている。

このライヴにおけるリヒターの演奏は旧盤に聴かれる、魂を引き裂くような痛切な叫びはない。

構えのとれた、自在なバッハで、まるでリヒターの新しい面を発見したかのように感じられる。

演奏自体の密度の高さは旧盤に求められるだろうが、東京での緊張のひとときとしての、異常なまでの空間がひしひしと伝わってくる名演である。

その日本公演でまったく精力的にリハーサルと多くの本番をこなしたリヒターは、疑いなくこの時期が生涯の頂点だったといえる。

リヒターの張り詰めて峻厳な音楽作り、彼を信奉する合唱団員たち、与えられた機会に最上の歌唱や演奏で応えようと全力を尽くす独唱者たち、オーケストラの尋常ではない協調ぶりは強く心に残る。

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2008年05月13日


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きわめて崇高な気分にみちあふれた、スケールの大きな演奏で、ヘンデルの音楽のたくましく壮麗な面を、みごとに表出した名演である。

バッハの作品演奏の大家として知られていた人だけに、ヘンデルを演奏しても、構築のしっかりした音楽をつくりあげているが、手兵ミュンヘン・バッハ管を指揮したものよりも、このロンドン・フィル盤は、明るくモダンなのが特徴だ。

この英語による「メサイア」では、英語のもっている機能と、ヘンデルの中にあるイタリア様式とが、リヒターの中に色々渦巻いているようで、中途半端なものを残した部分も少なくない。

しかし流動的なフレーズのつくり方は、ヘンデルの世界だ。

リヒターの内なる心の広がり、許容しようとするヘンデル的世界へのアプローチに関して、やはり感動的な演奏だ。

純正なヘンデルかという問題はさておき、この緊張感の高いヘンデルはどうだろう。

パストラールの1ページをとってみても、これほど全精神を一点に集中した演奏はリヒターの旧盤を除けば空前絶後だろう。

リヒターはあくまでも彼の信じる音楽へと、ヘンデルを近づけてしまう。

こうした峻厳なヘンデルにも一度は耳を傾ける必要があるのではないだろうか。

独唱、合唱、オーケストラともに、この曲にゆかりの深いイギリスのメンバーだけあって、たいへんな熱演である。

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2008年04月15日


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カンタータもまた、リヒターが遺したバッハ演奏の重要なレパートリーだが、現代楽器を使い、伝統を踏まえながら前時代のロマンティックな感情移入を避け、曲の本質に迫っていったリヒターのバッハ像は、20世紀のバッハ演奏のひとつの頂点を作り上げた。

彼はあくまでもドイツ的思考の上に立った"倫理としてのバッハ"を築きあげており、各カンタータはこれ以上の彫琢はないと思えるほど細密な配慮と考証のもとにひとつに結ばれている。

リヒターらしい厳格なバッハ像が描かれている点ではどの作品も変わりなく、1曲1曲の作品ではF=ディースカウやヘフリガーをはじめ、リヒターのバッハ演奏に欠くことのできないすぐれた独唱者たちの歌唱を聴くことができる。

ことにBWV.140は独唱者のすばらしさで光る理想的な名演だ。

リヒターの最晩年、1978年に録音された演奏で、円熟の高みをきわめたこの人のバッハ観が、見事にあらわされている。

実に緻密な音楽づくりで、この曲を一分の隙もない格調の高い作品として再現しており、内面的な掘り下げかたも深く、オーケストラ、合唱団ともに、リヒターの要求によくこたえている。

リヒターは人間の精神の脆弱さを衝き、叱咤し、バッハを通じて人々が神に近づけるよう全ての力をバッハに捧げた指揮者だったが、このカンタータの録音を始めた頃から、苛烈なまでの求道的精神から転じて、人間的なあたたか味のある、またロマンティックな傾斜を見せている。

今のバロック音楽演奏はオリジナル楽器全盛だが、我々はもう一度リヒターの遺した偉業をふり返り、彼の真摯なメッセージを新しく受け取るべきだろう。

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2008年04月02日


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リヒターの演奏は、いわゆる歴史的な演奏ではないが、ストイックな表情できりりと引き締まった音楽を聴かせる。

その世界は極めて壮大で、堂々として威厳があり、ロマンティックな情感を持つが、決して恣意的なものではない。

音楽の作りはあくまでも緻密で、バッハのポリフォニックなテクチュアが鮮やかに描き分けられている。

強靭な精神力と壮大にして重厚な響きがことさらに印象深いその演奏では、オーソドックスなアプローチと格調の高さをもが大きな聴きどころとなっている。

年をとるにつれ、リヒターのバッハは伸び伸びとした趣を増し、その分威厳が薄れて身近に感じるものになった。

ひとつの時代のモニュメントとして貴重な価値を持つ演奏といえよう。

至極謹厳に弾き進んだパッサカリアとフーガ ハ短調BWV582は、リヒターを偲ぶのには忘れてはならない1曲だ。

コペンハーゲンのイエスポー教会オルガン、フライベルク大聖堂のジルバーマン・オルガン、アルレスハイム大聖堂のジルバーマン・オルガンの3つの楽器を使用している。

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2008年02月11日


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1963年の録音にもかかわらず、いまだにこれを超えるディスクは出ていない。

この曲の平凡な演奏は"寄せ集め"的印象を強めるが、この演奏は晩年のバッハが到達したポリフォニーの世界を一種の緊張感をもって再現している。

ピリオド楽器による演奏が興隆する以前に、決定的な評価を得ていたバッハは、かっちりとした響きと切れのいいリズムが大きな特徴である。

チェンバロ独奏、3人の弦楽器奏者、フルートとヴァイオリンと通奏低音など、小編成で演奏した《音楽の捧げもの》においても、各奏者がリヒターの意図を汲み、独特な緊張感が保たれており、指揮者として、カール・リヒターの名がひときわ大きくクレジットされていることが納得できる仕上がりになっている。

かつては、アプローチの峻厳さが取り沙汰されることが多かったものの、豊かに語りかけてくるニコレのフルートや盤石の通奏低音が印象的であり、今なお色褪せることがない名演が収録されている。

古楽器が復活され、その演奏がかなり広まってきたことには、それなりの意義はある。

しかし、それは、近代楽器によるバッハなどの演奏を否定できるものではないし、それによっては決して超えることができない世界があるということを、このリヒターらによる《音楽の捧げもの》が立証してくれる。

ニコレのフルート、リヒターのチェンバロをはじめとする通奏低音、マイネッケのヴィオラなどによって、そこに築かれた音楽の深さや大きさは忘れられていた"人間"の存在を、音楽家たちに思い起こさせてくれるに違いない。

特に「トリオ・ソナタ」は忘れ難い風格がある。

我々が求めるべきものは、数百年前ではなく、1960年代前半にさえあったのである。

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2008年01月25日


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ある音の出し方、節のまわし方をすることによって、哀しみだの憧れだの深い精神性だのといった特定の気分がもたらされることがある。

そんな音の動きや表情を、芝居における仕草になぞらえて《身振り》と表現する。

この身振りは本来以心伝心と感じて楽しむものなのだろうが、国も違い時代も違えばなかなかそうもいかない。

勢い演奏者と聴き手の間に何らかの「約束ごと」が必要となってくる。

それを聴き取る能力は、しばしば、より深い感動を得るために身につけるべき知識教養として理解されている。

バッハの音楽におけるリヒターの指揮やチェンバロの演奏に、クラシック音楽の根っこにある《感動》の身振りを極めて典型的に聴きとることができる。

「マタイ受難曲」は、いささか芝居っ気が強すぎると思わせるほどに身振りが突出している。

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2008年01月16日


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ブランデンブルク協奏曲(全曲)とのカップリング。

オリジナル楽器による演奏が主流のように見られている現時点においても、カール・リヒターとミュンヘン・バッハ管弦楽団が残したバッハ演奏の持つ真価と魅力は、いささかの揺るぎもない。

それは、1960年代初めに登場した当初は、"現代における革新"であったかもしれないが、今ではむしろモダン楽器による最も"正統的"な演奏といっても過言ではないものとなっている。

もちろん、リヒターがそこに見せた理論的な追究の成果や、卓越した演奏家たちが、真摯に、しかも愉悦さえ見せながら展開する音楽の綾も、聴く者に多様な面から喜びをもたらしてくれるが、そこで見逃すことができないのは、他にほとんど比肩するものがないような品格の高さと、リヒターのバッハの音楽に対する深い敬愛の念であろう。 

「管弦楽組曲」は古典的な香りを大切にしながらも、リヒター独自の現代的な感覚を盛り込んだすこぶる精緻なもので、一点一画もゆるがせにせずどの曲も整然と仕上げている。

しかも、全体にずっしりとした手ごたえを感じさせるあたり、いかにもリヒターらしい。

さらには第2番でフルートのニコレの名演が象徴するような、無上の生命感も忘れ難いものとなっている。

また、ビュヒナー、グントナー、クレメントらの名手達も派手な表現をさけ、オーケストラと良く協調しており好感が持てる。

"名曲名盤"とは、まさにこうした演奏をいうのだろう。

これはリヒターの名を永遠に残す名盤である。

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2008年01月15日


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現在の価値観からすると、方法論的に注文のつくところなしとはしないのかもしれないけれど、1967年に録音されたリヒター/ミュンヘン・バッハ管弦楽団による《ブランデンブルク》協奏曲の演奏は、個性的でありながら、ひたすらバッハ解釈の王道を進んでいるという感じだ。

これらの中では、第3,4,5番が感動の極みだ。

第3番はアンサンブルも最高で、表面はどこまでも整然としながら、内部には荒れ狂う痛切な魂がみなぎる。

第4番はブロックフレーテを使い、その哀しみを湛えた訴えるような音色が素晴らしい。

第5番はきわめて現代風な名演で、速いテンポとはがねのようなリズムによって生命力と意志の力を感じさせる。

力量のある者たちが心をひとつにして、バッハの高みを信じ、自らの信念を信じ、一路突き進んでいる。

そこには不必要な力みといったものもなく、余剰な装飾めいたものなどもない。

バッハの音楽だけがより深く、より力強く追求され続けている。

こうした一途さといったものを、現在のわれわれは喪失してしまってから既に久しい。

リヒターらによる大いなる確信に満ちあふれたバッハ演奏を耳にすると、価値観の細分化、平面化に悩むわれわれにとっては、まだ上昇指向をもったよき時代の"神話"に触れるような気さえするほどだ。

こうした神話体験からの再出発は、はたして不可能なのだろうか?

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