R・シュトラウス

2017年01月26日


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2009年7月に74歳で他界した日本指揮界の至宝、若杉弘が最も愛した作曲家の1人、リヒャルト・シュトラウスのバレエ音楽と交響曲という、かなりマニアでなければその存在すら知られていない秘曲を収録したBOXSET。

若杉は、現代作品のみならず、埋もれていた傑作の日本初演を多く手がけたが、このR.シュトラウスは中でも圧巻の偉大なモニュメントと言える。

ドレスデン国立歌劇場、新国立歌劇場とオペラも知り尽くした若杉ならではの目眩くシュトラウス・クラング!

ニジンスキー・プロジェクトから発した怪物的な《ヨゼフの伝説》、メリー・ゴーラウンド的に楽しい《お菓子のクリーム》、端整・優美な《いにしえの祭り》に、若書きの交響曲とチェロと管弦楽のためのロマンツェまで併録し、R.シュトラウスの管弦楽曲をもっと聴きたいという渇望を一挙に満たすセット。

洒脱で軽妙、ときには上質なパロディすら聴かせるR.シュトラウスのこれらの音楽は、まさに彼の偉大なオペラのシーンを彷彿とさせる作品ばかり。

特に3枚のバレエ作品は欧米でも高い評価を受け発売時、ヨーロッパ市場で好調なセールスを打ち立てた名盤である。

管弦楽法の達人として知られたR.シュトラウスはどんな題材でも音楽化できると豪語していたが、特にオーケストラ音楽を愛好する人たちには数ある交響詩でその名を残している。

しかし、その交響詩に見られる華麗なオーケストレーションの技術は、バレエ音楽でも存分に発揮されていた。

1枚目のCDに収録される《ヨゼフの伝説》は、旧約聖書に出てくるヤコブの11人目の子ヨゼフを題材にしたバレエ音楽である。

ヨゼフはほかの兄弟たちの妬みを買い、奴隷として売られ、富豪(旧約聖書ではジプト王の従者)のポティファルに引き取られるところから始まり、ポティファルはヨゼフが神の恩寵を受けていることを感知し、手厚く迎えた。

妻はヨゼフに色気を出して迫るが、ヨゼフは拒絶したため、その醜態をお付きの奴隷に見られたポティファルの妻は、ヨゼフが自分に迫ってきたと夫に嘘の告発をし、ポティファルはヨゼフを捕縛して拷問しようとするが、そこに天使が舞い降りてヨゼフを救出する。

ヨゼフを追いかけようとする夫人は、それができぬことを嘆き、自害して果て、恐れおののくポティファルを尻目にヨゼフは天使と共にポティファルの家を後にする。

この作品は、4管編成以上の大編成で演奏しなければならないため、上演コストの面で敬遠される。

晩年に作曲者が一般的なオーケストラ編成でも演奏できるよう「交響的断片」として編み直したものが知られるが、その編み直す前の元々のバレエ音楽での録音は、これが初めてだという。

ヴァイオリン・セクションが3パートに分かれ、ヴィオラ・セクションやチェロ・セクションもそれぞれ2パートに分かれるような細密なオーケストレーションを、若杉率いる東京都交響楽団は、本場ドイツのオーケストラもかくやと思わせるほどの丁寧な演奏で再現している。

今後、この原典版によるバレエ音楽の録音が行われたとしても、この録音が廃盤にならない限り、この曲の有用なリファレンスとしてのポジションを保ち続けるだろう。

2枚目の《お菓子のクリーム(泡立ちクリーム)》は、堅信礼のお祝いに子どもが腹一杯のお菓子を食べ、その食べ過ぎで幻想を見るという筋書きのバレエ音楽である。

音楽的には、18世紀の音楽の流儀に始まり、そこで提示された主題をワーグナーのように組み合わせて複雑化させていく手法をとっているが、メロディ・ラインの美しさはお菓子そのものであり、非常にとっつきやすい音楽であろう。

若杉の指揮は実にきびきびとしており、大変表情豊かにこの音楽を再現している。

3枚目に収録されたクープランの作品に基づく2曲は、本来バレエ音楽ではないのだが、バレエ用に振付して上演することも可能なので、この録音集にチョイスされたものであろう。

東京都交響楽団のそつのない演奏で、その典雅さと華麗さを兼ね揃えたオーケストレーションを楽しむことができる。

本CDでは2曲合わせて「いにしえの祭り」というタイトルを与えているが、これは1941年に2曲合わせてバレエとして上演した時に使われたタイトルとのこと。

いにしえの音楽を取材するのは、イタリアの作曲家レスピーギらが盛んに行っていたこともあり、このオーケストレーションの大家と作風を聴き比べてみるのも一興であろう。

東京都交響楽団の演奏は、作品の典雅さを演出するには少し経験値が不足しているようで、各パートで遊び心を感じるのは難しく、各セクションがよく鳴っている割に地味な印象を受ける。

4枚目に収録された交響曲は、作曲者が19歳になろうかという頃の作品で、その作風はメンデルスゾーンの全盛期を彷彿とさせる。

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2017年01月24日


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名匠ケンペが晩年にドレスデンに里帰りをして完成したR.シュトラウスの管弦楽作品集は、ケンペ&シュターツカペレ・ドレスデンの代表的録音であるばかりか、ケンペの全ディスコグラフィの中でも頂点を極めるもので、この作曲家の17曲の作品ほとんどすべての管弦楽曲を網羅しており、しかもそれぞれが最高水準の名演として仕上げられている。

その功績の多くの部分が、この作曲家にゆかりの深いオーケストラに帰せられてよいだろうが、ケンペの質朴な音楽は作品の美をまったく虚飾なく伝える。

その意味でも類例のない全集であり、R.シュトラウスの演奏の原点を衝いた最高の成果でもある。

アンサンブルの見事さは言うまでもないが、その確かな造形が堅固で克明な音楽をつくり、R.シュトラウスの精緻を極めた書法と洗練された美学を存分に味わわせてくれる。

演奏効果を狙えばいくらでも派手にできるR.シュトラウスの交響作品を実に丹念に音楽的に演奏しながら、無理のない自然なスケール感が生み出され、しかも純粋で充実した響きの中から、指揮者とオケとが一体となった熱い情熱と作品の共感が伝わってくる。

このセットのために使用された音源は、ロンドンのEMIアビー・ロード・スタジオに眠っていた旧東ドイツ制作のオリジナル・マスター・テープで、日本では既に2012年に全3巻計10枚のシングル・レイヤーSACD化が実現している。

今回はこれにR.シュトラウスの協奏曲全曲を追加してレギュラー・フォーマット用にリマスタリングし、9枚のCDに収めてしまったところにセールス・ポイントがある。

いずれのCDも殆んど収録時間目一杯に隙間無く曲目を密集させているが、1999年にリリースされ、またブリリアント・レーベルからもリイシューされた9枚組とは同一セッションでありながら、マスター及びリマスタリングが異なっていることもあって、音場の広がりと音像の生々しさには驚かされる。

また、旧盤には組み込まれていなかったオペラ『カプリッチョ』から、ペーター・ダムのホルン・ソロによる間奏曲「月光の音楽」が加わって、よりコンプリートな作品集に仕上がっている。

協奏曲集も総て前述の東独音源からの新リマスタリング盤で、際立った音質改善を高く評価したい。

ケンペの後、やはりR.シュトラウスを得意にしていたカラヤンが1980年代にベルリン・フィルを振った交響詩集が残されていて、それはユニヴァーサルからコレクターズ・エディションとして5枚組CDで出ている。

R.シュトラウスの楽曲というと、筆者としてはどうしてもカラヤンの呪縛から逃れられないが、カラヤンの演奏だけが正解ではないはずで、別のアプローチの仕方もあってしかるべきである。

カラヤンとは正反対のオーソドックスなアプローチで、R.シュトラウスの名演を成し遂げたのはケンぺだと考えている。

それに両者はかなり異なったコンセプトで演奏しているので、その優劣を問うこと自体殆んど意味を成さないように思われる。

言ってみればカラヤンは作品の音響を極限まで洗練させて、非の打ちどころの無いような華麗でスペクタクルな一大音像絵巻を聴かせてくれる。

当時のベルリン・フィルにひしめいていたスター・プレイヤー達がそれを可能にしたと言っても過言ではないだろう。

一方ケンペのそれは本来の意味でロマンティックな解釈で、オーケストレーションの華美な効果を狙ったものというより、むしろ内側からの高揚が渦巻くような、幻想性を追った文学的な懐の深さと黒光りするような熟練がある。

それはケンペの古巣シュターツカペレ・ドレスデンだからこそ実現し得たセッションではないだろうか。

筆者はゼンパー歌劇場での実演に触れて以来、このオーケストラの虜になっている。

深くまろやかな音色と品のよい演奏スタイルは、かつて18世紀に最高度の文化を誇ったザクセンの都のオーケストラに相応しい。

しかし、ディスクでその魅力を味わうとなると納得できるものは案外少ないが、ケンペの遺したシュトラウスはその数少ない好例のひとつ。

もとより、同曲集の定番の誉れ高いものだが、オケと指揮者双方の音楽的資質が理想的に解けあった名演である。

また前述のような条件で、カラヤン盤よりこちらの方が音質的に優位に立つ結果になっている。

録音は1970年から76年にかけてシュターツカペレ・ドレスデンがレコーディング・スタジオとして使うドレスデンのルカ教会での収録になり、内部の豊麗だが決して煩わしくない残響もこうした大規模なオーケストラル・ワークを許容するだけの理想的な音響効果を醸し出している。

演奏曲目、レコーディング・データ及び演奏者名は各CDのジャケット裏面に書かれていてライナー・ノーツには掲載されていない。

尚2014年のR.シュトラウス生誕150周年記念としてワーナーからは現在までにもう2組、やはりEMI音源の10曲のオペラ全曲集22枚セットとその他の作品を集めた3枚組もリリースされている。

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2017年01月22日


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ライナーはR・シュトラウスを特に十八番と言えるレパートリーのひとつとしており、残された録音は、いずれも誉れ高く、かけがえのない名盤にほかならない。

なかでもシカゴ交響楽団との演奏は、この黄金コンビの名に恥じることがない堂々たる存在感があり、現在においても傑出した素晴らしい名演と高く評価したい。

ライナーはドレスデン国立歌劇場の音楽監督時代(1914〜21)に親交があったR・シュトラウスの主要な作品をほとんど録音している。

R・シュトラウスの様式感の特徴や独自性をまるで自分のものであるかのように巧みに把握したライナーは、シカゴ交響楽団のブレンドの良い引き締まったサウンドと精巧極まりないアンサンブルを駆使して、ほとんど非の打ちどころのない作品の再現を可能たらしめている。

ライナーの演奏は響きや表情を必要以上に磨け上げたり、華美すぎることがなく、その抑制の利いた演奏は作品の本質を深く鋭く表現していて、全く過不足がない。

尤もライナーのアプローチは、華麗なるR・シュトラウスのオーケストレーションをいかに巧みに音化するのかに主眼を置いているように思われる。

そのためには、技量が高いオーケストラが必要不可欠であり、その意味でもシカゴ交響楽団の存在は極めて大きいものであった。

鉄壁のアンサンブル、ブリリアントな金管楽器の響きなど、当時スーパー軍団として世に馳せていたシカゴ交響楽団の技量を最大限に発揮させているところであり、本演奏はまさにオーケストラ演奏の極致とも評価し得ると考えられる。

技量だけに着目すれば、カラヤン&ベルリン・フィルによる名演にも比肩し得る演奏と言うことが可能であろう。

ただ、オーケストラの音色の味わい深さにおいては、この当時のシカゴ交響楽団の音色には艶やかさはあったものの、ベルリン・フィルの方に一日の長があるのではないだろうか。

また、カラヤンの指揮の方が適度に流麗なレガートを駆使するなどより官能的な味わいがあり、筆者としては、カラヤン&ベルリン・フィルの演奏の方を圧倒的な音のドラマとしてより上位に置きたいと考える。

もっとも、これは非常にレベルが高い名演どうしの比較であり、本演奏の評価自体を貶めるものではないことに留意しておく必要がある。

表面上の華やかさという点では、多少割り引かれる要素があるかもしれないが、よく鍛え上げられたオーケストラから生まれる隙のない構成力、無駄なく引き締まった表現力は、この演奏に卓越した底力を与えていて、聴く度に得るところのある演奏と言えるだろう。

どの作品をとっても文句のつけようのない内容であり、座右に置いていつまでも味わいたい演奏になっているが、特にライナーがシカゴ交響楽団の音楽監督に就任して間もなく録音された『英雄の生涯』と『ツァラトゥストラ』(1954年)は、オーケストラを既に完全に掌握し、その能力を余すところなく発揮させているのに改めて驚く。

2曲とも考えられない熱気と興奮にあふれていて、楽員全員が指揮者のもとに一致結集し、うねるような気迫で歌い上げた名演で、オーケストラ音楽が男の芸術だった時代の記念碑的な録音だ。

他に先駆けてステレオ録音を開始したRCAの初期の録音の中でも、この2曲は演奏・録音ともに優れたものであり、歴史的価値も少なくない。

『エレクトラ』及び『サロメ』抜粋は、ライナーのオペラ指揮者としての手腕を確認させる、身も凍るような演奏で、作品の核心に一歩一歩にじりよっていく熱気があり、聴き手も抗し難い磁力に引き寄せられるかのようであるが、表情豊かなオーケストラ、鬼気迫る歌声を聴かせるボルクも素晴らしい。

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2017年01月20日


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巨匠カラヤンが最も得意とした作曲家の1人がリヒャルト・シュトラウスであったことは疑いの余地がない。

この作曲家の音楽がオーケストレーションを極限まで駆使し、スペクタクルで絢爛たる音響効果を持っていることと、指揮者としてのカラヤンの音楽性に共通点が見出されるのは偶然ではないだろう。

カラヤンはR.シュトラウスのスコアを緻密に磨き上げ、極めて巧妙な演出で聴かせる。

しかもこうした作品の再現には高度な演奏技術とアンサンブルの熟練が要求される。

そうした条件を満たすことができたのが、彼の手兵ベルリン・フィルであったことは幸いというほかはない。

ベルリン・フィルの演奏が、世界のヴィルトゥオーゾ集団にふさわしく、きめの細かいアンサンブルで応えている。

管楽器のソロのうまいこと、弦のアンサンブルの美しいこと、このコンビはまさにR.シュトラウス演奏の第一人者と言える。

劇的な迫力といい、耽美的な美しさといい、これほどの演奏が現れると、後攻の指揮者もオーケストラもさぞ辛いに違いない。

巨匠晩年の時代、両者の関係は決して良好なものとは言えなかったが、カラヤンによって練り上げられ、醸し出されるベルリン・フィルの華麗なサウンドは少しも衰えていないし、R.シュトラウス特有の世紀末的な甘美さや映像的な音響もとりわけ魅力的だ。

スペクタキュラーな要素も加味して、彼らの演奏は緻密さにおいても、またスケールの大きさにおいても、文句の付けようもないほど、見事な出来を示しているのである。

R.シュトラウスの交響詩は本質的に、都会的な洗練味と卓越した職人芸にあるが、これはまたカラヤン&ベルリン・フィルの本質とも合致しているかのようである。

この5枚組のセットにはグラモフォンに録音された彼らの最良の記録が集大成されていて、演奏内容は勿論1969年から86年にかけて行われた当時の録音水準の高さも注目される。

このセットでは彼らがクラシック界の一世を風靡したほどの『アルプス交響曲』、『英雄の生涯』、『ティル』や『ツァラトゥストラ』のほかにも名演が目白押しだ。

例えばローター・コッホをソリストに迎えた『オーボエ協奏曲』は白眉のひとつで、真摯で鮮やかなソロと隙の無いアンサンブルでやり取りするオーケストラが聴き所だ。

また現実離れした夢想空間を巧みに表現した『ドン・キホーテ』も知的な滑稽さに満ちている。

尚ここでのチェリストは1975年のロストロポーヴィチに代わってアントニオ・メネセスが起用されている。

協奏曲的な趣きは後退しているが、カラヤンの主張はむしろ増幅される結果になった。

R.シュトラウスの楽曲に関する限り、カラヤン&ベルリン・フィルを選んでおけば、まず間違いがないというのが、結論のようである。

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2016年07月17日


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R.シュトラウスの歌曲は文学的な技巧を凝らした叙事詩を扱ったものより、甘美な抒情詩をテクストにしたものが圧倒的に多いし、曲想にもまた彼らが生きた世紀末特有のデカダンス的な雰囲気が濃厚に感じられるが、かえってそうした傾向の曲で彼の才能が際立っているように思える。

それは同時代の作曲家、フーゴー・ヴォルフの詩作品への近付き難いほどの心理的な鋭い洞察力と言霊への飽くことのない追究には及ばないだろうが、オペラでの愛のモノローグを髣髴とさせるような大らかでメロディックな旋律、官能的な和声進行や絵画的な情景描写は、ヴォルフの歌曲より気軽に鑑賞できる親しみ易さがある。

ここにはフィッシャー=ディースカウのバリトンとジェラルド・ムーアのピアノによる2回目のセッションからのR.シュトラウスの歌曲集29作品、計134曲が6枚のCDに収められている。

フィッシャー=ディースカウもこの録音が行われた1967年から70年は脂の乗り切った全盛期で、声もテクニックもすこぶる充実しているのが特徴だ。

少なくとも彼の20代の頃の録音では声自体の初々しさで優っているが、こちらでは表現がより自由闊達になり、歌唱法も完成された独自の境地を開いている。

例えばCD5枚目の『小商いの鏡』Op.66から「三つの仮面を天に見た」では最高音がBb(変ロ音)に達しているが、彼は全く力みのない艶やかな発声で歌い切っている。

この曲集は風刺に富んだ内容を持っているだけに、詩の皮肉っぽさが品良く、またさりげなく表出されているのが聴きどころだろう。

ムーアのピアノは決して歌と張り合うような奏法ではなく、歌手の歌心を絶妙にくすぐる巧妙なものだ。

常に相手に寄り添いながら、音形や和声の意味するところを鋭敏に演奏に反映させていく老獪さは、もはや伴奏という範疇を遥かに超越している。

録音状態及び音質はこの時代のものとしては極めて良好で印刷されているデータも正確だが、バジェット価格盤の宿命で残念ながら歌詞対訳は一切省略されている。

11ページほどのライナー・ノーツにはR.シュトラウスと彼の歌曲作品についてのごく簡易な考察が掲載されている。

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2016年06月23日


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一昨年2014年のリヒャルト・シュトラウス生誕150周年記念としてワーナー・クラシックスからリリースされた3巻のセット物のひとつで、彼が生涯を通じ意匠を凝らして作曲を続けた舞台作品の中から、10曲のオペラがEMI音源で集められている。

バジェット価格盤なので歌詞対訳等は省略されているが、R.シュトラウスのスペシャリスト達による、これだけのレベルの演奏が一同に会する企画は、こうした機会でもなければ揃えられなかった作品があるだけに歓迎したい。

ライナー・ノーツは23ページほどで、曲目及び録音データ、全演奏者名と年代を追った作曲家のオペラ制作についての簡易なリマークが掲載されている。

指揮者とオーケストラの内訳を見ると、10曲のオペラのうち5曲までがサヴァリッシュの指揮で、フィルハーモニア管弦楽団との『カプリッチョ』を除いた4曲『エレクトラ』『影のない女』『インテルメッツォ』『平和の日』の総てがバイエルン放送交響楽団との協演になる。

舞台に掛けることが困難なR.シュトラウスのオペラ全曲上演の偉業を成し遂げたサヴァリッシュの実力がここでも証明される結果になっている。

尚バイエルン放送交響楽団はこのセットでハイティンク指揮する『ダフネ』にも参加している。

一方カラヤンはウィーン・フィルを振った『サロメ』及びフィルハーモニア管弦楽団との『ばらの騎士』の2曲で、その他にケンペ、シュターツカペレ・ドレスデンによる『ナクソスのアリアドネ』、そしてヤノフスキと同ドレスデンが組んだ『無口な女』の全曲演奏が収録されている。

音質で優れているのが意外にもこの2曲で、どちらもドレスデンのルカ教会でのセッションになるが、当時EMIとも共同制作をしていた旧東ドイツの国営レコード公団ドイツ・シャルプラッテン社の高い技術水準を示していて、それは同時にリリースされたケンペ指揮、シュターツカペレ・ドレスデンのオーケストラル・ワーク集9枚組の方で堪能できる。

ヤノフスキの『無口な女』は筆者の記憶に誤りがなければ、カットなしの唯一のセッションで3枚のCDを当てている。

この曲の初演指揮者カール・ベームによる1959年のザルツブルク・ライヴがメンブランから復活したが、そちらのほうは当時のスター歌手を揃えていながら、ベーム自身によるカット版が採用されている。

その意味でもこのオペラのオリジナルの形を知ることができる貴重なサンプルである。

カラヤンの『サロメ』はウィーン・フィルと妖艶な音響を作り出していて、ベーレンスのサロメ、バルツァのヘロディアス、ベームのヘロデ、ヴァン=ダムのヨハナーンのそれぞれも適役で、ワイルドの戯曲の背徳性を増幅させている。

また『ばらの騎士』についてはウィーン・フィルとの1984年のセッションの豊潤さに比べて、よりフレッシュでシュヴァルツコップやルートヴィヒなど一世を風靡した芸達者のキャスティングが聴き逃せないが、更にデニス・ブレインのホルン・パートもこの演奏に花を添えている。

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2016年06月19日


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ワーナーのリヒャルト・シュトラウス記念企画第3巻目に当たり、普段はあまり演奏されることのない大編成の声楽曲やアンサンブル、そしてオペラからの編曲物など13の作品が3枚のCDに収められている。

演奏頻度から言えばきわもの的な存在だが、作曲家のロマンティックな感性と壮大な構想を孕む野心とが如実に示されている作品群だ。

例えば第1曲目、ルートヴィヒ・ウーラントの叙事詩からの『吟唱詩人タイユフェ』は3人のソロ歌手とコーラスに六管編成のオーケストラが加わる労作で、作曲家の指示によれば4部90名の弦楽器、6本ずつのフルートとオーボエ、7本のクラリネット、5本のファゴット、8本のホルン、6本のトランペット、4本のトロンボーンと2本のテューバ及びパーカッション群と大合唱による壮麗な音響が要求されているが、演奏時間は18分足らずで特殊な機会でなければ採り上げられない。

しかし中間部の勇壮な戦闘場面の描写ではシュトラウスの管弦楽法の手腕が縦横に発揮されている。

続くゲーテによる『さすらい人の嵐の歌』も6部の合唱と大オーケストラのために書かれた作曲家19歳の時の力作で、更に3曲目のアイヒェンドルフのリーダー・チクルス『一日の移ろい』から「朝」「正午の憩い」「夕べ」「夜」まではいずれもドレスデン・フィルハーモニーと当時の常任指揮者ミシェル・プラッソン及びベルリン・エルンスト・ゼンフ合唱団による1997年の演奏で、かつてEMIからリリースされた音源だが、現在ではブリリアントの全集でしか手に入らなかったものだけに再発を歓迎したい。

コーラス物としてはリュッケルトの詩による『ドイツ・モテット』『化粧室の女神』、シラーによる『夕べ』がエリック・エリクソン指揮、ストックホルム放送合唱団で、それぞれア・カペラで歌われる。

またオーケストラにオルガンが加わる『祝典前奏曲』はサヴァリッシュ指揮、フィラデルフィア管弦楽団による1993年のサントリー・ホール・ライヴで、演奏終了後の聴衆の興奮が伝わってくる熱演だ。

その他自作オペラからの抜粋及びアレンジは『グントラム』から「前奏曲」、ポプリ風『無口な女』、交響的幻想曲『影のない女』の3曲でジェフリー・テイト指揮、ロッテルダム・フィルによる1991年及び92年のセッションになる。

尚最後のCDはアンサンブル集でヴァイオリン・ソナタ変ホ長調をヴァディム・レーピンのヴァイオリンとボリス・ベレゾフスキーのピアノによる2000年のセッションから、そしてチェロ・ソナタヘ長調はロストロポーヴィチのチェロ及びヴァッソ・デヴェッツィのピアノによる1974年の録音で収めている。

前者はブラームス風で後者はシューマンの影響が感じられる多感な作曲家の若書きの作品である。

更にここではチェロとオーケストラのための『ロマンス』がアルト・ノラスのソロ、アリ・ラシライネン指揮、ノルウェイ放送管弦楽団による1998年の演奏も加わり、オーケストラ伴奏で演奏されることが滅多にない習作だ。

最後の2曲はどちらもルノー・カピュソンのヴァイオリンとフランク・ブラレーのピアノによる全曲中最も新しい2006年録音の編曲物『寂しき泉で』と『ばらの騎士からのワルツ』で、特に後者は一種のポプリだが両者のエスプリを利かせた粋な演奏が魅力的だ。

オーソドックスなプラスティックのジュエル・ケース入りで、曲目及び録音データの他に英、独、仏語によるコメントが掲載された15ページのライナー・ノーツ付だが、歌詞対訳等は一切省略されている。

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2016年02月10日


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カール・ベームの指揮したR.シュトラウスのオペラ全曲盤の第2集であるが、先ず音質について述べると、第1集が期待していたほど良いものではなかったので今回も当てにしてはいなかったが、意外にもまともな音が聞こえてきて概ね良好だ。

『エレクトラ』と『影のない女』はいずれも初期のステレオ録音であるにも拘らず、セッションということもあって2巻全8曲を通して最も良い状態で鑑賞できる。

前者はタイトル・ロールのインゲ・ボルクとオレスト役のフィッシャー=ディースカウのいやがうえにも緊張感を高める表現力が圧倒的だし、後者は世界初の全曲録音に輝いた、またR.シュトラウスの良き理解者としての実力を縦横に発揮したベームの意欲的なセッションと言える。

他の2曲はライヴでそれなりのノイズは入っているが破綻もなく、音源は鑑賞に差しつかえない程度に保たれている。

またベーム初演の演目『ダフネ』が1944年のウィーン・ライヴで収められているのも聴き逃せない。

この価格でベームの指揮したオペラ全曲盤が揃うのは朗報に違いない。

ベームの力量は作曲家自身が彼に『ダフネ』を献呈しているように、こうしたオペラ上演にも良く表れている。

高い文学的な素養が要求され、歌手への行き届いたコントロールと同時に大規模で複雑極まりないオーケストレーションを操らなければならない煩雑な作業は、彼が一般的に考えられているような堅物の指揮者のイメージからは想像できない、遥かに柔軟で融通性を持った人であったことを証明している。

また解釈も現在の私たちが聴いても違和感のない新しいもので、例えば『影のない女』での終幕の抒情性は決して耽美的ではなく、来たるべき時代の知性的で洗練された趣味を先取りしている。

10枚目はボーナスCDで、1939年から1944年にかけてのウィーンやドレスデンでの古いライヴからピックアップされた10場面が収録されている。

1曲目の『サロメ』から「7つのヴェールの踊り」は音質が一昔前の海賊盤のようで驚いたが、1939年のライヴから抜き取ったものなのでご愛嬌と言ったところだろうか。

しかしその他のトラックは時代相応の比較的良い状態で残されていて、それぞれの演奏水準も高いのが救いだ。

尚ここからは余談になるが、この時代はウィーンやドレスデンにも爆撃の危機が迫っていたにも拘らず、彼らの文化の灯を死守しようとする執拗とも思える音楽への渇望と執着には敬服せざるを得ない。

ドレスデンは1945年2月に連合軍による無差別爆撃を被ってゼンパー・オーパーは瓦礫と化したが、ウィーン国立歌劇場も爆撃によって大破する同年3月までは平然と公演が組まれていたし、被害を受けた後も拠点をフォルクス・オーパーとアン・デア・ヴィーンに移してその活動を続けた。

10年後に再建された国立歌劇場がベームの指揮によるベートーヴェンの『フィデリオ』で再び幕を開けたことも象徴的である。

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2015年09月20日


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3曲の協奏曲を中心に収録されたリヒャルト・シュトラウスの作品集で、バレンボイムとシカゴ交響楽団の親密なコラボレーションから、この素敵なディスクが誕生した。

1曲目のホルン協奏曲第1番変ホ長調ではデイル・クレヴェンジャーのソロが作曲家の若々しい曲想を反映させて、晴れやかで勇壮な雰囲気を醸し出している。

彼のアプローチはホルンの持つ金管楽器としての力強さや輝かしい音色の効果を前面に出して、シュトラウスの音響美学を再現することにあるようだ。

クレヴェンジャーの演奏を聴いていると、当時のシカゴ交響楽団のブラス・セクションには彼のような奏者が揃っていて、シカゴ特有のサウンドを創造していたことが納得できる。

勿論細部に至るまでコントロールは行き届いていて、第2楽章では音楽性豊かで筋の通ったアンダンテを聴かせてくれるし、終楽章ロンドの盛り上げも計算されたものだ。

サポートは当時の音楽監督バレンボイム指揮、シカゴ交響楽団で1998年の録音になる。

続くクラリネットとファゴットのための二重小協奏曲ヘ長調は、一変してオペラの間奏曲のような情緒を持った曲で、ラリー・コムズのクラリネットとデイヴィッド・マクギルのファゴットの息の合った巧みな絡みやユニゾンが対話を交すような美しいデュエットに仕上げられている。

またオーボエ協奏曲ニ長調では第1楽章アレグロ・モデラートをごく緩やかなテンポに抑えて、アレックス・クラインの爽やかなオーボエを堪能させてくれる。

それらの洗練されたリリシズムはバレンボイムの感性によるものだろう。

優れたオーケストラはあらゆる協奏曲のソリスト総てを自分達のメンバーから出すことができるものだが、この協奏曲集を録音した4人全員がやはりシカゴの首席奏者を務めた実力者達だ。

クライン、クレヴェンジャー、コムズ、マクギールの4人は世界最高の技術を誇るシカゴ交響楽団で、それぞれの楽器パートの首席を務める名手達であった。

残念ながら4人とも既にシカゴ響からは退団しているが、こうしたベテラン名物奏者の全盛期のソロを同じシカゴ響のバックで聴けるのは幸いだ。

クレヴェンジャーはこのCDで、もう1曲ホルンとピアノのためのアンダンテをバレンボイムのピアノ伴奏で入れている。

彼のホルンはヴィブラートを掛けない直線的なトーンでの奏法が基本で、甘美ではないが曲想をシャープに引き締めた隙のない密度の濃い表現を堪能させてくれる。

尚最後の2曲はバレンボイム自身がソロを弾く『四つの抒情的な風景』から「寂しい泉のほとりで」及び「夢」で締めくくっている。

どちらも短い作品だが、彼のロマンティシズムが良く示された魅力的なエピローグだ。

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2015年09月13日


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メンブラン/ドキュメンツからリヒャルト・シュトラウス生誕150周年記念としてリリースされたセット物のひとつで、カール・ベーム指揮の『ばらの騎士』『無口な女』『アラベラ』『カプリッチョ』の全曲録音を10枚のCDに収録している。

1958年の『ばらの騎士』のみがシュターツカペレ・ドレスデンとの演奏で、このセットの中では唯一セッションのまがりなりにもステレオ録音なのだが、オーケストラが右側後方に偏りぎみなため声楽とのバランスがいまひとつで、LPから直接起こしたようなカートリッジの共振にも似たノイズを伴っているのが惜しまれる。

それ以外の演目はある程度会場の雑音が混入したモノラル・ライヴになるので音質的には曲によってかなりばらつきがあるが、どの作品もウィーン・フィルとの協演でそれぞれの歌手達も高い水準の歌唱を披露している歴史的上演の貴重な記録なので、この価格であればベーム・ファンには欠かせないコレクションになるだろう。

『ばらの騎士』はシェヒ、ゼーフリート、シュトライヒやフィッシャー=ディースカウを配した瑞々しい歌唱が倦怠やデカダンスを殆んど感じさせない健やかさに特徴があるが、例えば第2幕の幕切れのオックス男爵のワルツなどにベームらしいさりげないウィーン趣味が滲み出た演奏が美しい。

ベームは同オペラを1969年にウィーン・フィルとのライヴで残しているが、どちらも既に廃盤の憂き目に遭っているので今回の廉価盤での復活は歓迎したい。

このセッションが行われたドレスデンはR.シュトラウスのオペラ上演が盛んな都市だけあって『ばらの騎士』の他にも『アラベラ』『無口な女』は当地初演の作品で、特に『無口な女』は1935年にベームの指揮によって初演を飾っている。

このセットに収められている1959年のザルツブルク音楽祭ライヴは音質も良好で、ギューデン、ヴンダーリヒ、プライ、ホッターなど当時のオール・スター・キャストが組まれていて傑出した喜劇に仕上がっているのだが、ベーム自身によるカット版が使用されていて演奏時間がオリジナル・スコアに比較するとかなり短縮されているのも事実だ。

R.シュトラウスの薫陶を受けたベームなので、舞台上の効果を考慮した作曲家承認済みのカットだったことが想像されるが、彼はその後もこのオペラの上演には常にカット版を使ったようだ。

ちなみに『アラベラ』は1947年のザルツブルクにおけるライヴ、また『カプリッチョ』は1960年のウィーン・ライヴになる。

完全節約企画のためライナー・ノーツや歌詞対訳等は一切省略されていて、ボックスもごく実用的で洒落っ気のないデザインと装丁になっている。

アニヴァーサリー・エディションとしてメンブランからは同時にオーケストラル・ワークを中心とする10枚組もリリースされているが、いずれもリマスタリングがされていないので音質を問うか否かで選択肢が分かれるかも知れない。

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2015年09月09日


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R.シュトラウスの楽曲というと、筆者としてはどうしてもカラヤンの呪縛から逃れられない。

特に本盤に収められた両曲に関して、カラヤンは何度もスタジオ録音しており、「ツァラ」に関しては先般圧倒的なライヴ録音が発売され、そのいずれもが完成度の高い名演で、聴き手を魅了し続けてきた。

しかしカラヤンの演奏だけが正解ではないはずで、別のアプローチの仕方もあってしかるべきである。

カラヤンとは正反対のオーソドックスなアプローチで、R.シュトラウスの名演を成し遂げたのはケンぺだと考えている。

本盤のブロムシュテット盤も、ベースはケンぺのオーソドックスなアプローチを踏襲するものではないだろうか。

オーケストラも同じシュターツカペレ・ドレスデンで、いぶし銀のような渋いサウンドが、演奏に落ち着きと潤いをもたらすのに大いに貢献している。

作曲家とも縁の深い名門オーケストラによる質実剛健で緻密なサウンドメイクと言えるところであり、このまろやかさと繊細な表情の魅力は、他のオーケストラには求められない。

ブロムシュテットは、1927年アメリカ生まれのスウェーデン人で、ドイツ人でない彼がシュターツカペレ・ドレスデンの音楽監督を10年間(1975〜85年)にわたって務めた事は注目に値する。

菜食主義者として知られ、その贅肉を削ぎ落とした透明感の高いオーケストレーションは彼の人格をそのまま映し出している。

シュターツカペレ・ドレスデンのいともコクのある音響を得て、スケール大きく徹頭徹尾正攻法で展開されたR.シュトラウス演奏であり、ブロムシュテットは、この名門オーケストラの美しさを最大限に発揮させたスケール大きな名演を繰り広げている。

ブロムシュテットの円熟のタクトは、R.シュトラウスを知り尽くしたシュターツカペレ・ドレスデンの重厚緻密な響きを駆使して、巧みに聴く者を高揚へと導く。

解釈も品がよく、大人の風格を感じさせるものであり、流麗で端正、まったく一分の隙もない表現である。

非常にズシリと手ごたえのある、巨匠の風格を持った演奏であり、音色はどちらかと言えば渋い方で、玄人好みと言っても良いだろう。

個人的に筆者がR.シュトラウスのオペラの世界に接する機会が多いためだろうか、およそダイナミズムや尖鋭さを主軸として余りにエネルギッシュに繰り広げられてゆく演奏よりも、当ディスクのごとく、緻密なアンサンブルを聴かせつつ、じっくり味わい尽くさせてくれるような彫りの深い落ち着いた演奏に好感がもてる。

ブロムシュテットの構想はまさに堅実で精緻、あくまで純音楽的な観点からこの作品の普遍的な魅力をさぐりあてている感があり、複雑な対位法の織りなしも十全に描出しきっている。

ただ、いかにもブロムシュテットらしいのは、随所に大仰とも言えるような劇的な表現もしているということで、この点ではカラヤン風の劇的な要素も多分にある。

その意味では、洗練と濃密さが一体となった硬軟併せ持つバランスのとれた美演という表現が適切かもしれない。

流麗な美しさの中に、R.シュトラウスの音楽の本質が立ち現れる薫り高い名演と言えるだろう。

いぶし銀のようなシュターツカペレ・ドレステンのサウンドとケレン味のないブロムシュテットの音楽づくりで醸成されたR.シュトラウスの素晴らしさを是非多くの方に堪能していただきたい。

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2015年08月06日


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昨年プラガ・ディジタルスからSACD化されたフルトヴェングラーの演奏集が2枚ほどリリースされた。

そのひとつがこのリヒャルト・シュトラウスの作品集で、交響詩『ドン・ファン』(1954年)『死と変容』(1950年)『ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら』(1954年)の3曲のそれぞれがフルトヴェングラーがウィーン・フィルと共演したHMV音源になる。

これらは録音及びオリジナル・マスターの保存状態が良好で、モノラルながら音場の広がりと立体感のある音響の再現に成功している。

音域ごとの分離状態も良く、各楽器の音色も明瞭に捉えられている。

例えば曲中でソロを受け持つヴァイオリン、オーボエ、ホルンなどの音像も鮮明で、録音会場になったウィーン・ムジークフェライン・グローサー・ザールの潤沢な残響によって音色に生々しさが加わり、パーカッション群の超高音からティンパニやコントラバスの低音に至るまでの広い音域が無理なく伸展している。

演奏に関しては既に語り尽くされているので、今更その価値について云々するつもりはないが、それぞれの曲でクライマックスへ向かう渦巻くような情念の高揚と、高踏的な音楽美学の止揚はまさにフルトヴェングラーの独壇場だろう。

ディスクの表面にバイ・チャンネル・ステレオの表示があるが、おそらくこの曲集のいくつかは電気的に音場を広げた擬似ステレオと思われる。

後半に収められているオットー・アッカーマン指揮、フィルハーモニア管弦楽団のサポートによるシュヴァルツコップの『四つの最後の歌』(1953年)がまた秀逸だ。

シュヴァルツコップはオーケストラを従えたこの曲の録音を3回行っていて、1965年のジョージ・セル、ベルリン放送交響楽団との演奏が円熟期の名盤として高い評価を受けているが、このセッションはシュヴァルツコップ38歳の最初のもので、その若々しい声と張り詰めた緊張感には替え難い魅力がある。

シュヴァルツコップの声質はソプラノとしては決して重い方ではないが、声の威力ではなく、その歌詞を語り尽くすような表現力の彫りの深さと陰影の変化で驚くほどドラマティックな効果を上げて、失われていくものへの不安や憧憬を見事に歌い切っている。

またアッカーマンの指揮も憂いと期待が交錯するオーケストレーションの綾を絶妙に辿ってソロの背景を描き出したところが素晴らしい。

尚ライナー・ノーツにはドイツ語の歌詞が掲載されているが対訳はない。

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2015年07月13日


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素晴らしい名演だ。

記念すべき2004年9月4日首席指揮者就任記念コンサートの「英雄の生涯」以来となる、ヤンソンス&コンセルトヘボウ・アムステルダム(ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団)によるシュトラウス第2弾。

R.シュトラウスもまた、長い伝統を誇るコンセルトヘボウ・アムステルダムとはたいへんゆかりの深い作曲家。

1897年から翌98年にかけて作曲された「英雄の生涯」がコンセルトヘボウ・アムステルダム第2代首席指揮者メンゲルベルクと当楽団に捧げられたことも少なからず関係してのことであろう。

1915年10月の作曲者指揮による世界初演の翌年には、早くもメンゲルベルクの指揮で当コンセルトヘボウ・アムステルダムによるオランダ初演が行なわれた「アルプス交響曲」。

さらにこの成功を受けて、1週間後には作曲者の指揮でもコンセルトヘボウ・アムステルダム再演が果たされていた。

ヤンソンス自身は「アルプス交響曲」をウィーン・フィルとの実演などでも幾度となく取り上げてはいるが、こと録音に関して、他ならぬコンセルトヘボウ・アムステルダムを起用したことは演奏の伝統を踏まえての納得の選択と言えるだろう。

R.シュトラウスの「アルプス交響曲」は、今では演奏機会が多い人気曲になっているが、1970年代までは、ベーム(モノラル)、ケンぺ、メータ、ショルティといったごく限られた指揮者による録音しか存在しなかった。

LP時代でもあり、50分にも及ぶ楽曲を両面に分けなければならないというハンディも大きかったものと考える。

ところが、1981年にカラヤン盤がCDとともに登場するのを契機として、今日の隆盛を築くことになった。

この曲には、優秀なオーケストラと録音が必要であり、あとは、指揮者の各場面を描き分ける演出の巧さを要求されると言える。

それ故に、カラヤン盤が今もなお圧倒的な評価を得ているということになるのだが、本盤も、そうした要素をすべて兼ね備えている。

コンセルトヘボウ・アムステルダムは、全盛期のベルリン・フィルにも優るとも劣らない圧倒的な技量を誇っていると言えるし、録音も、マルチチャンネル付きのSACDであり、全く文句のつけようがない。

音質が良いというのは、生々しい、あるいは臨場感がある、というだけでなく、再生したときの奥行きの立体性、楽器のバランスなどが巧みに仕上がっているということである。

録音のダイナミックレンジは広いが、弱音も克明に捉えられているし、楽器と楽器の距離感も的確だ。

ヤンソンスも、聴かせどころのツボを心得た素晴らしい指揮を行っており、まさに耳の御馳走とも言うべき至福のひとときを味わうことが可能だ。

併録の「ドンファン」も、「アルプス交響曲」と同様、録音も含め最高の名演の1つと高く評価したい。

こちらも巧みなドラマづくりでライセンス・トゥー・スリルの異名をとるヤンソンスの独壇場。

匂い立つような弦に、甘美なオーボエ・ソロ、ホルンによって力強く歌われるテーマ。

その魅力を挙げてゆけばきりがないが、どんな場面においても磨き抜かれたコンセルトヘボウ・アムステルダムの響きは雄弁このうえなく、たっぷりと酔わせてくれる。

ヤンソンス&コンセルトヘボウ・アムステルダムは、前述のように首席指揮者としてのデビューの演奏会の演目として、「英雄の生涯」を採り上げたが、本盤には、その当時からの両者の関係の深まりを大いに感じることができる。

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R.シュトラウスの楽曲というと、筆者としてはどうしてもカラヤンの呪縛から逃れられないが、カラヤンの演奏だけが正解ではないはずで、別のアプローチの仕方もあってしかるべきである。

カラヤンとは正反対のオーソドックスなアプローチで、R.シュトラウスの名演を成し遂げたのはケンぺだと考えている。

本盤のブロムシュテット盤も、ベースはケンぺのオーソドックスなアプローチを踏襲するものではないだろうか。

オーケストラも同じシュターツカペレ・ドレスデンで、いぶし銀のような渋いサウンドが、演奏に落ち着きと潤いをもたらすのに大いに貢献している。

作曲家とも縁の深い名門オーケストラによる質実剛健で緻密なサウンドメイクと言えるところであり、このまろやかさと繊細な表情の魅力は、他のオーケストラには求められない。

ブロムシュテットは、1927年アメリカ生まれのスウェーデン人で、ドイツ人でない彼がシュターツカペレ・ドレスデンの音楽監督を10年間(1975〜85年)にわたって務めた事は注目に値する。

菜食主義者として知られ、その贅肉を削ぎ落とした透明感の高いオーケストレーションは彼の人格をそのまま映し出している。

シュターツカペレ・ドレスデンのいともコクのある音響を得て、スケール大きく徹頭徹尾正攻法で展開されたR.シュトラウス演奏であり、ブロムシュテットは、この名門オーケストラの美しさを最大限に発揮させたスケール大きな名演を繰り広げている。

ブロムシュテットの円熟のタクトは、R.シュトラウスを知り尽くしたシュターツカペレ・ドレスデンの重厚緻密な響きを駆使して、巧みに聴く者を高揚へと導く。

解釈も品がよく、大人の風格を感じさせるものであり、流麗で端正、まったく一分の隙もない表現である。

非常にズシリと手ごたえのある、巨匠の風格を持った演奏であり、音色はどちらかと言えば渋い方で、玄人好みと言っても良いだろう。

個人的に筆者がR.シュトラウスのオペラの世界に接する機会が多いためだろうか、およそダイナミズムや尖鋭さを主軸として余りにエネルギッシュに繰り広げられてゆく演奏よりも、当ディスクのごとく、緻密なアンサンブルを聴かせつつ、じっくり味わい尽くさせてくれるような彫りの深い落ち着いた演奏に好感がもてる。

ブロムシュテットの構想はまさに堅実で精緻、あくまで純音楽的な観点からこの作品の普遍的な魅力をさぐりあてている感があり、複雑な対位法の織りなしも十全に描出しきっている。

ただ、いかにもブロムシュテットらしいのは、随所に大仰とも言えるような劇的な表現もしているということで、この点ではカラヤン風の劇的な要素も多分にある。

その意味では、洗練と濃密さが一体となった硬軟併せ持つバランスのとれた美演という表現が適切かもしれない。

あまり文学的で深刻なアプローチをとらずに淡々と進む「死と変容」や、オーケストラ団員に自由に演奏させている伸び伸びした「ティル」も好演だが、作曲者最晩年の「メタモルフォーゼン」が特に美しく、やや暗くくすんだ響きと共に、挽歌が静かに奏でられている。

流麗な美しさの中に、R.シュトラウスの音楽の本質が立ち現れる薫り高い名演と言えるだろう。

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2015年07月12日


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自らをモデルに作曲したと言われる《英雄の生涯》は、R.シュトラウスの交響詩の中でも屈指のスケールを誇る名作。

《英雄の生涯》のみならず、R.シュトラウスの楽曲というと、筆者としてはどうしてもカラヤンの呪縛から逃れられない。

3種のスタジオ録音の名演に加えて、最近ではこれまた優れたライヴ録音がいくつか発掘され、そのいずれもが、自らの人生を重ね合わせるかの如く劇的な名演である。

しかし、他の楽曲と同じく、カラヤンの演奏だけが正解ではないはずで、別のアプローチの仕方もあってしかるべきである。

カラヤンとは正反対のオーソドックスなアプローチで、《英雄の生涯》の名演を成し遂げたのはケンぺだと考えている。

本盤のブロムシュテット盤も、ベースはケンぺのオーソドックスなアプローチを踏襲するものではないだろうか。

オーケストラも同じシュターツカペレ・ドレスデンで、いぶし銀のような渋いサウンドが、演奏に落ち着きと潤いをもたらすのに大いに貢献している。

作曲家とも縁の深い名門オーケストラによる質実剛健で緻密なサウンドメイクと言えるところであり、このまろやかさと繊細な表情の魅力は、他のオーケストラには求められない。

ブロムシュテットは、1927年アメリカ生まれのスウェーデン人で、ドイツ人でない彼がシュターツカペレ・ドレスデンの音楽監督を10年間(1975〜85年)にわたって務めた事は注目に値する。

菜食主義者として知られ、その贅肉を削ぎ落とした透明感の高いオーケストレーションは彼の人格をそのまま映し出している。

シュターツカペレ・ドレスデンのいともコクのある音響を得て、スケール大きく徹頭徹尾正攻法で展開されたR.シュトラウス演奏であり、ブロムシュテットは、この名門オーケストラの美しさを最大限に発揮させたスケール大きな名演を繰り広げている。

ブロムシュテットの円熟のタクトは、R.シュトラウスを知り尽くしたシュターツカペレ・ドレスデンの重厚緻密な響きを駆使して、巧みに聴く者を高揚へと導く。

解釈も品がよく、大人の風格を感じさせるものであり、流麗で端正、まったく一分の隙もない表現である。

非常にズシリと手ごたえのある、巨匠の風格を持った演奏であり、音色はどちらかと言えば渋い方で、玄人好みと言っても良いだろう。

個人的に筆者がR.シュトラウスのオペラの世界に接する機会が多いためだろうか、およそダイナミズムや尖鋭さを主軸として余りにエネルギッシュに繰り広げられてゆく演奏よりも、当ディスクのごとく、緻密なアンサンブルを聴かせつつ、じっくり味わい尽くさせてくれるような彫りの深い落ち着いた演奏に好感がもてる。

ブロムシュテットの構想はまさに堅実で精緻、あくまで純音楽的な観点からこの作品の普遍的な魅力をさぐりあてている感があり、複雑な対位法の織りなしも十全に描出しきっている。

ただ、いかにもブロムシュテットらしいのは、随所に大仰とも言えるような劇的な表現もしているということで、この点ではカラヤン風の劇的な要素も多分にある。

その意味では、洗練と濃密さが一体となった硬軟併せ持つバランスのとれた美演という表現が適切かもしれない。

流麗な美しさの中に、R.シュトラウスの音楽の本質が立ち現れる薫り高い名演と言えるだろう。

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2015年06月20日


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ケンぺ&シュターツカペレ・ドレスデンによるR.シュトラウスの管弦楽曲全集は、録音史上でも最高の名全集とも評される歴史的な名盤である。

ルドルフ・ケンぺは、ほぼ同世代の指揮者であった帝王ヘルベルト・フォン・カラヤンが、ベルリン・フィルなどとともに豪壮華麗な演奏を繰り広げたことや、膨大な数のレコーディングを行うなど、華々しい活躍をしていたこと、そして指揮者としては、これから円熟の境地を迎えるという時に急逝したこともあって、現在においても比較的地味な存在に甘んじているのではないだろうか。

芸風は異なるものの、職人肌という点においては共通している先輩格のカール・ベームが、当時隆盛期にあったイエローレーベル(DG)に、ウィーン・フィルとともにかなりの点数の録音を行ったこと、そしてケンペよりも長生きしたことも、そうしたケンペの地味な存在に甘んじているという状況に更なる拍車をかけているとも言えるだろう。

しかしながら、ケンペの存命中は、帝王カラヤンの豪壮華麗な演奏に対置する、いわゆるドイツ正統派の質実剛健な演奏をする指揮者として、ケンペはベームとともに多くのクラシック音楽ファンに支持された指揮者であった。

そのようなケンペの偉大さは、ミュンヘン・フィルとのベートーヴェンの交響曲全集や、ミュンヘン・フィルとのブラームスの交響曲全集、ブルックナーの交響曲第4番及び第5番などといった名演にもあらわれているところである。

しかしながら、これらの名演を大きく凌駕するケンペの最高の遺産が存在する。

それこそは今般、本セットに収められたR.シュトラウスの管弦楽曲全集であると言うのは、おそらくは衆目の一致するところではないだろうか。

本管弦楽曲全集には、2つの交響曲はもちろんのこと、主要オペラからの抜粋なども収められており、まさに空前にして絶後のスケールを誇っていると言っても過言ではあるまい。

ケンペによるR.シュトラウスの各楽曲へのアプローチは、例えば同じくR.シュトラウスの楽曲を十八番としていたカラヤンのように、豪華絢爛にして豪奢なものではない(かかる演奏も、筆者としては、あり得るべきアプローチの1つとして高く評価している)。

むしろ、演奏の様相は、質実剛健そのものであり、いかにもドイツ正統派と称された指揮者だけに、堅牢な造型美と重厚さを持ち合わせたものと言える。

かかる演奏は、R.シュトラウスと親交があり、その管弦楽曲を十八番としていたベームによる演奏と共通しているとも言えるが、ベームがいい意味においては剛毅、悪い意味ではあまり遊びの要素がない四角四面な演奏とも言えるのに対して、ケンぺの演奏には、カラヤンの演奏にようにドラマティックとは言えないものの、より柔軟性に富んだ劇的な迫力を有している言えるところであり、いい意味での剛柔のバランスのとれた演奏ということができるだろう。

いずれの楽曲も前述のようなケンぺの芸風が如実にあらわれた剛柔のバランスのとれた素晴らしい名演と高く評価したいと考える。

このセットのために使用された音源は、ロンドンのEMIアビー・ロード・スタジオに眠っていた旧東ドイツ制作のオリジナル・マスター・テープで、日本では既に2012年に全3巻計10枚のシングル・レイヤーSACD化が実現している。

今回はこれにR.シュトラウスの協奏曲全曲を追加してレギュラー・フォーマット用にリマスタリングし、9枚のCDに収めてしまったところにセールス・ポイントがある。

いずれのCDも殆んど収録時間目一杯に隙間無く曲目を密集させているが、1999年にリリースされ、またブリリアント・レーベルからもリイシューされた9枚組とは同一セッションでありながら、マスター及びリマスタリングが異なっていることもあって、音場の広がりと音像の生々しさには驚かされる。

また、旧盤には組み込まれていなかったオペラ『カプリッチョ』から、ペーター・ダムのホルン・ソロによる間奏曲「月光の音楽」が加わって、よりコンプリートな作品集に仕上がっている。

EMIのSACD盤では含まれてなかった協奏曲集も総て前述の東独音源からの新リマスタリング盤で、際立った音質改善を高く評価したい。

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2015年05月29日


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ラトルの、意外にも初のR.シュトラウス録音であった。

その曲目として、カラヤン&ベルリン・フィルのDGデビュー盤だった「英雄の生涯」を選んだところがラトルらしい。

アバドの後を追ってベルリン・フィルの第6代芸術監督に2002年に就任したラトルであるが、就任から5年間ほどは、名うての猛者たちを統率することがままならず、新機軸を打ち出そうという気負いだけが空回りした凡庸な演奏を繰り返した。

これは、アバドと同様であり、ベルリン・フィルの芸術監督就任前の方が、よほど素晴らしい演奏を成し遂げていたとも言えるところだ。

しかしながら、マーラーの交響曲第9番あたりから、漸くラトルならではの個性が発揮された素晴らしい名演を成し遂げるようになった。

芸術監督に就任してから5年を経て、漸くベルリン・フィルを統率することができるようになったことであろう。

ラトルは今日でこそベルリン・フィルを完全に掌握し、現代を代表する大指揮者の1人として数々の名演を成し遂げつつあるが、ベルリン・フィルの芸術監督に就任してから数年間は鳴かず飛ばずの状態が続いていたと言える。

先般、SACD化された芸術監督お披露目公演のマーラーの交響曲第5番も、意欲だけが空回りした凡庸な演奏であったし、その後もシューベルトの交響曲第8(9)番「ザ・グレート」、ベルリオーズの幻想交響曲、ブルックナーの交響曲第4番など、箸にも棒にもかからない凡演の山を築いていたと言える。

ラトルも、ベルリン・フィルの芸術監督就任後は、名うての一流奏者たちを掌握するのに相当に苦労したのではないだろうか。

そして、プライドの高い団員の掌握に多大なる労力を要したため、自らの芸術の方向性を見失っていたのではないかとさえ考えられるところだ。

それ故に、必然的に意欲だけが空回りした演奏に終始してしまっていると言える。

本演奏も美しくはあるが根源的な力強さがない。

同曲を精緻に美しく描き出すことにつとめたのかもしれないが、本演奏を聴く限りにおいては、ラトルが同曲をこのように解釈したいという確固たる信念を見出すことが極めて困難である。

そうなった理由はいくつかあるが、やはりラトルの気負いによるところが大きいのではないだろうか。

ベルリン・フィルの芸術監督という、フルトヴェングラーやカラヤンといった歴史的な大指揮者が累代に渡ってつとめてきた最高峰の地位についたラトルにしてみれば、肩に力が入るのは当然であるとは言えるが、それにしてはラトルの意欲だけが空回りしているような気がしてならないのだ。

ベルリン・フィルの猛者たちも、新芸術監督である若きラトルの指揮に必死でついていこうとしているようにも思われるが、ラトルとの息が今一つ合っていないように思われる。

そうした指揮者とオーケストラとの微妙なズレが、本演奏にいささか根源的な力強さを欠いていたり、はたまた内容の濃さを欠いていたりすることに繋がっているのだと考えられるところだ。

もちろん、ベルリン・フィルの芸術監督に就任したばかりの若きラトルに過大なものを要求すること自体が酷であるとも言える。

それでも本盤に収められたR.シュトラウス作品は、ラトルが複雑なスコアを読み解き、壮大さと明晰さを両立させながらベルリン・フィルを巧みに統率して、自らの個性を十二分に発揮し得た素晴らしい快演に仕上がっていると高く評価したいと考える。

音質は、これまでHQCD化が図られることなどによって十分に満足できる良好な音質であると評価したい。

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2015年05月19日


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R.シュトラウスのアルプス交響曲は、単一楽章で書かれアルプスの登山から下山までを22の主題で描写している、意外にもシュトラウスの作曲した最後の管弦楽曲。

ワーグナーの後継者と言われただけあり巨大な管弦楽による広いダイナミックレンジ、劇的な場面転換による音楽で聴く者を圧倒する。

曲が派手なだけにやり過ぎと感じてしまう所もあるとは思うが、カラヤンの演奏により軽快でスリリングなものになっている。

カラヤンはR・シュトラウスの音楽を十八番としており、管弦楽曲や協奏曲、管弦楽伴奏付き歌曲、オペラに至るまで数多くの録音を遺している。

特に、交響詩については、初期の「マクベス」を除き、それぞれ複数の録音を行っている。

ところが、これらの交響詩の集大成として作曲されたアルプス交響曲をレパートリーに加えたのは、本盤が録音された1980年になってからである。

家庭交響曲を1973年に録音していることからしても、これは実に遅すぎたのではないかとも言える。

その理由の解明はさておき、本カラヤン盤が登場する以前は、アルプス交響曲の録音などは極めて少なかったと言わざるを得ない。

ベーム&シュターツカペレ・ドレスデン(1957年)はモノラルであり問題外。

質実剛健なケンぺ&シュターツカペレ・ドレスデン(1970年)が唯一の代表盤という存在であったと言える。

この他にはスペクタクルなメータ&ロスアンジェルス・フィル盤(1975年)や快速のテンポによるショルティ&バイエルン放送響盤(1979年)があったが、とても決定盤足り得る演奏ではなかったと言える。

そうしたアルプス交響曲を、現在における一大人気交響曲の地位に押し上げていくのに貢献した演奏こそが、本盤のカラヤンによる至高の超名演である。

本カラヤン盤の発売以降は、様々な指揮者によって多種多様な演奏が行われるようになり、現在では、R・シュトラウスの他の有名交響詩の人気をも凌ぐ存在になっているのは周知の事実である。

いずれにしても、本演奏は、カラヤン&ベルリン・フィルの黄金コンビが構築し得た究極の音のドラマと言えるだろう。

壮大なアルプスの、日の出から日没までを描いたR.シュトラウスの交響曲をベルリン・フィルの厚みのある弦セクションが本領を発揮し、美しい情景を艶やかに描き出している。

本演奏の2年後には、ザビーネ・マイヤー事件をきっかけとして両者の関係が修復不可能にまで悪化したことから、ある意味では、この黄金コンビの最後の輝きとも言える存在なのかもしれない。

本演奏でのベルリン・フィルのアンサンブルの鉄壁さはあたかも精密機械のようであり、金管楽器や木管楽器の超絶的な技量には唖然とするばかりだ。

肉厚の弦楽合奏や重量感溢れるティンパニの響きは圧巻の迫力を誇っており、カラヤンの代名詞でもある流麗なレガートも好調そのものだ。

アルプス交響曲については、前述のように本カラヤン盤の登場以降、様々な指揮者によって多種多様な名演が成し遂げられるようになったが、現在においてもなお、本演奏は、いかなる名演にも冠絶する至高の超名演の座を譲っていないものと考える。

音質については、従来盤でも非常に鮮明な高音質を誇っていたが、今回のSHM−CD化によって、若干の音質向上効果が見られたのではないかと考えられる。

可能ならば、SACD化を望みたいところであるが、多少なりとも音質向上が図られたことについては高く評価したい。

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本盤は、R.シュトラウスを最も得意としたカラヤンが、《ばらの騎士》の元帥夫人などで共演し、高く評価し信頼していたトモワ=シントウを起用しての歌曲集が収められたアルバムである。

演奏は1985年のスタジオ録音であるが、これはいわゆるザビーネ・マイヤー事件の勃発後であり、カラヤンとベルリン・フィルの関係が修復不可能にまで悪化した時期である。

本盤に収められた「4つの最後の歌」は、「メタモルフォーゼン」と並ぶ作曲者の人生の最後を飾る畢生の名曲であるが、カラヤンには、1973年にヤノヴィッツと共演した録音があり、それはヤノヴィッツのこの上ない美声も相俟って、カラヤン&ベルリン・フィルの全盛時代を象徴する極上の美演に仕上がっていた。

当該演奏は、ベルリン・フィルの一糸乱れぬ鉄壁のアンサンブルと各楽器セクションの超絶的な技量を駆使した名演奏に、カラヤンによる流麗なレガートが施された、まさにオーケストラ演奏の極致とも言うべき圧倒的な音のドラマの構築に成功していたと言える。

この超名演に対して、本盤の演奏は、カラヤンとの関係に大きな亀裂が生じた時代のベルリン・フィルとの演奏。

それでも、さすがにカラヤンならではの重厚で、なおかつ極上の美しさを兼ね備えた名演とは言えるが、1973年盤と比較すると、前述のような両者の関係の亀裂やカラヤン自身の健康悪化もあって、カラヤンの統率力にも綻びが見られるところであり、演奏の精度や完成度といった点においては、若干ではあるが落ちると言わざるを得ないだろう。

しかしながら、本盤の演奏には、晩年のカラヤンならではの枯淡の境地とも言うべき独特の味わい深さがあるとも言えるところであり、前述の1973年盤とは異なった独特の魅力があると言えるのではないだろうか。

本盤の「4つの最後の歌」では、ことに後半の2曲などは素晴らしく、R.シュトラウスが死の前に書いた人生への訣別の思いがよく表れている。

カラヤンに見出され、育てられたトモワ=シントウの、情感豊かな表現が、この作品の陶酔的な世界を遺憾なくあらわしている。

彼女は、R.シュトラウスの特質である息の長いフレーズを、しなやかに気負いなく美しく歌い上げ、カラヤンの指揮さばきと見事に一体化して、R.シュトラウスの音楽の精髄を存分に堪能させてくれる。

ベルリン・フィルの洗練の極みを行く合奏と、トモワ=シントウの豊麗な声が作曲者晩年の澄み切った境地を余すところなく再現している。

トモワ=シントウもさることながら、ここでは心憎いほど巧妙なカラヤンの棒の魔術に酔わされる。

静寂感・黄昏感といった、R.シュトラウスの交響詩とまるで違う世界がこの曲にはあるが、R.シュトラウスが得意なカラヤンがベルリン・フィルと共にシルクのような煌びやかな伴奏をしている。

したがって、本盤の演奏は、音のドラマとしてはいささか綻びがみられると言えるものの、人生の諦観さえ感じさせる味わい深さという意味においては、筆者としては素晴らしい名演として高く評価したいと考える。

それにしてもトモワ=シントウの声と情感豊かさは、R.シュトラウス作品にほんとうにふさわしい。

この中で最も見事なのは「カプリッチョ」からの2曲で、トモワ=シントウが伯爵夫人の心の揺れ動きを、カラヤンと呼吸をひとつにして、役になりきって歌っている。

トモワ=シントウの表現力とカラヤン芸術が、R.シュトラウスの音楽への共感をきわめて美しく澄んだ表現によって伝えた名演というべきだろう。

音質については、これまでリマスタリングが行われたこともあって、従来CD盤でも十分に良好な音質であったが、今般ルビジウム・クロック・カッティングを施された上にSHM−CD化されたことよって、若干ではあるが音質が鮮明になるとともに、音場が幅広くなったように思われる。

いずれにしても、トモワ=シントウ、カラヤンによる素晴らしい名演をSHM−CDによる高音質で味わうことができるのを大いに喜びたいと考える。

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2015年05月04日


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カラヤンはR.シュトラウスを十八番にしていたが、とりわけ交響詩「英雄の生涯」に私淑していたようであり、R.シュトラウスの全交響詩の中でも最もスケールの大きい作品だけに、遺された録音はいずれも精緻さと重厚さを兼ね備えた20世紀最高のR.シュトラウス演奏と言える。

スタジオ録音では、1959年盤(DG)と1974年盤(EMI)、1985年盤(DG)の3種が存在しており、ライヴ録音でもモスクワ盤(1969年)や、ロンドン盤(1972年及び1985年)など複数が存在している。

前述した演奏のいずれもがベルリン・フィルとのものであることが特徴と言えるところであり、カラヤンが同曲を演奏するにあたってはオーケストラの機能性を重視していたことがよく理解できるところだ。

カラヤンはライヴでこそその真価を発揮する指揮者であり、前述の3種のライヴ録音は素晴らしい超名演ではあるが、ここでは本盤と3種あるスタジオ録音の間の比較を軸に論じていくこととしたい。

いずれも名演の名に値すると思うが、演奏の性格は大きく異なると考えられる。

1959年盤については、カラヤンによるDGへのデビュー盤でもあるが、この当時はベルリン・フィルにフルトヴェングラー時代の重心の低い音色の残滓が存在しており、シュヴァルベのヴァイオリンソロはいかにもカラヤン好みの官能的な美しさを誇ってはいるものの、オーケストラの音色はいわゆるカラヤンサウンドで満たされているとは言い難い面があり、カラヤンの個性が完全に発揮されているとは言い難いとも言える。

これに対して1974年盤は、カラヤン色が濃い演奏と言える。

シュヴァルベのヴァイオリンの官能的な美しさは相変わらずであるが、オーケストラは肉厚の弦楽合奏、ブリリアントな金管楽器の朗々たる響き、桁外れのテクニックを示す木管楽器、雷鳴のように轟くティンパニなどをベースに流麗なレガートが施されるなど、いわゆるカラヤンサウンドが満載であり、徹頭徹尾カラヤン色に染め上げられた演奏に仕上がっている。

これに対して1985年盤は、カラヤンの統率力の衰えから、カラヤンサウンドを聴くことができるものの、1974年盤のように徹頭徹尾ということにはなっていない。

したがって、音のドラマの構築という点では1974年盤よりも劣っていると言わざるを得ないが、本演奏にはカラヤンが自らの人生を自省の気持ちを込めて顧みるような趣きが感じられるところであり、枯淡の境地にも通じるような味わい深さといった面では、1959年盤や1974年盤をはるかに凌駕していると言えるだろう。

ことに自己の回想録のように深く沈み込んだような美しさはそれまでには見られなかったもので、それに加えてオーケストラの唖然とする合奏力は、カラヤン美学の総決算と言ってもいいだろう。

これには、ヴァイオリンソロが官能的な美しさを誇るシュヴァルベから質実剛健なシュピーラーに変わったのも大きいと考えられる。

いずれにしても、これら3種の名演の比較については困難を極めるところであり最終的には好みの問題になるとは思うが、筆者としては、カラヤンが最晩年に至って漸く到達した枯淡の境地、至純の境地を味わうことができる1985年盤を随一の至高の超名演と高く評価したいと考える。

本映像作品はこの1985年盤と同時期に収録されたものだが、すべて同じセクションから取られたものではないものの、基本的なコンセプトは全く同一なのは言うまでもない。

その場合は、やはり映像がある方が迫力が非常に大きくなるという点で魅力が倍増する。

特にカラヤンが指揮した時のベルリン・フィルの気合いの入った集中力の高さは見ていて本当に圧倒される。

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2015年04月29日


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本盤はカラヤン&ベルリン・フィルのロンドンに於けるライヴ録音(1985年)で、曲目はベートーヴェンの交響曲第4番とR.シュトラウスの交響詩「英雄の生涯」。

両曲ともに、完熟期のカラヤン&ベルリン・フィルならではの素晴らしい名演と高く評価したい。

まずは、ベートーヴェンの「第4」であるが、リチャード・オズボーンによる偉大な伝記を紐解くと、カラヤンはこの「第4」の指揮に相当手こずったとの記述がある。

確かに、遺されたスタジオ録音を聴く限りにおいては、凡演ではないものの、どこか食い足りないというか、カラヤンならばもう一段上の演奏ができるのではないかと思ったりしたものである。

しかしながら、本盤に収められた1985年のロンドン・ライヴ盤は素晴らしい名演であり、カラヤンも晩年に至って漸く理想の「第4」の演奏を実現できたのではないか。

やや遅めのテンポをとってはいるが、ダイナミックレンジの幅広さや抒情豊かな箇所の情感溢れる歌い方など、いい意味でのバランスのとれた至高の演奏に仕上がっている。

カラヤンはR・シュトラウスを十八番にしていたが、とりわけ交響詩「英雄の生涯」に私淑していたと言える。

スタジオ録音では1959年盤(DG)、1974年盤(EMI)、1985年盤(DG)の3種が存在しており、ライヴ録音でもモスクワ盤(1969年)や、ロンドン盤(1972年及び本盤に収められた1985年)など複数が存在している。

前述した演奏のいずれもがベルリン・フィルとのものであることが特徴と言えるところであり、カラヤンが同曲を演奏するにあたってはオーケストラの機能性を重視していたことがよく理解できるところだ。

カラヤンはライヴでこそその真価を発揮する指揮者であり、前述の3種のスタジオ録音は素晴らしい超名演であるが、ここでは本盤を含め3種あるライヴ録音の間の比較を軸に論じていくこととしたい。

1969年盤はモスクワでのライヴということもあって一期一会的な豪演で、シュヴァルベのヴァイオリンソロはいかにもカラヤン好みの官能的な美しさを誇ってはいるものの、録音があまり冴えず荒々しい響きが際立ち、オーケストラの音色はいわゆるカラヤンサウンドで満たされているとは言い難い面があり、カラヤンの個性が最良に発揮されているとは言い難いとも言える。

これに対して1972年ロンドンでのライヴ盤は、カラヤン色が濃い演奏と言える。

シュヴァルベのヴァイオリンの官能的な美しさは相変わらずであるが、オーケストラは肉厚の弦楽合奏、ブリリアントな金管楽器の朗々たる響き、桁外れのテクニックを示す木管楽器、雷鳴のように轟くティンパニなどをベースに流麗なレガートが施されるなど、いわゆるカラヤンサウンドが満載であり、徹頭徹尾カラヤン色に染め上げられた演奏に仕上がっている。

これに対して本演奏(1985年ロンドン・ライヴ)は、カラヤンの統率力の衰えから、カラヤンサウンドを聴くことができるものの、1972年盤のように徹頭徹尾ということにはなっていない。

したがって、音のドラマの構築という点では1972年盤よりも劣っていると言わざるを得ないが、本演奏にはカラヤンが自らの人生を自省の気持ちを込めて顧みるような趣きが感じられるところであり、枯淡の境地にも通じるような味わい深さといった面では、1969年盤や1972年盤をはるかに凌駕していると言えるだろう。

これには、ヴァイオリンソロが官能的な美しさを誇るシュヴァルベから質実剛健なシュピーラーに変わったのも大きいと考えられる。

いずれにしても、これら3種の名演の比較については困難を極めるところであり最終的には好みの問題になるとは思うが、筆者としては、カラヤンが最晩年に至って漸く到達した枯淡の境地、至純の境地を味わうことができる本演奏を随一の至高の超名演と高く評価したい。

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2015年04月18日


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これは凄い超名演だ。

カラヤンは、ライヴでこそ実力を発揮する指揮者であるが、本盤はそうしたカラヤンの面目躍如たる至高の超名演に仕上がっている。

カラヤンの「英雄の生涯」については、先般、同じロンドンでの1985年のライヴ録音が発売され、超名演であったが、次いで発売された1972年ライヴ盤も、それに匹敵する素晴らしい名演だと思う。

それどころか、最もカラヤンの個性が発揮された演奏は、紛れもなく本盤に収められた演奏であると言えるのではないだろうか。

1972年と言えば、カラヤンとベルリン・フィルという黄金コンビの最良の時代であり、指揮者とオーケストラが一体となり、両者が最高のパフォーマンスを示していた。

本演奏においても、そうした全盛期のこの黄金コンビの演奏の凄さを味わうことが可能だ。

ベルリン・フィルは、一糸乱れぬ鉄壁のアンサンブル、金管楽器の朗々たる響き、桁外れのテクニックを示す木管楽器の響き、分厚い弦楽合奏、そして雷鳴のように轟きわたるティンパニの迫力などが一体となり、まさにオーケストラ演奏の極致とも言うべき圧倒的な名演奏を繰り広げている。

カラヤンは、流麗なレガートを施すことによって、楽想を徹底的に美しく磨きあげており、シュヴァルべのソロも抜群の巧さで、本ライヴ録音の価値を更に高めている。

マイクの位置のせいか、金管楽器がやや強く聴こえるなど、録音のバランスがいささか悪い気もするが、この時代のライヴ録音からすれば、水準以上の音質であり、全盛期のカラヤンの圧倒的な統率力と、ベルリン・フィルというスーパー軍団の重厚かつ超絶的な技量を満喫できるのは贅沢な限りだ。

ジャケットのデザインも含め完全無欠とも言うべき本演奏は、同曲演奏史上究極の名演との評価もあながち言い過ぎではないと考えられる。

しかしながら、好き嫌いでいうと、筆者としては、カラヤンの統率力に綻びが見られるとは言え、後年の1985年のライヴ録音の方が好みである。

というのも、1985年盤には、カラヤンの自省の念も込められた枯淡の境地が感じられるからであり、演奏の味わい深さという意味では、1985年盤の方をより上位に掲げたいと考える。

他方、「田園」は、素っ気なささえ感じられるような快速のテンポのせいか、カラヤンとの相性が必ずしもいい曲ではないと考えているが、本盤では、全盛期のライヴということもあり、同時期のスタジオ録音よりはずっと楽しむことが出来た。

ベートーヴェンの全交響曲中で、カラヤンがあまり名演を遺していないのが同曲であると考えている。

その理由は、カラヤンが、他の指揮者ならば必ず反復をする第3楽章を含め、すべての反復を省略するなど、快速のテンポで全曲を演奏するが、スタジオ録音というハンディもあって、全体として聴き手に、平板で、せかせかとした浅薄な印象を与えがちなことが掲げられる。

しかしながら、本盤は、ライヴにおけるカラヤン、そしてベルリン・フィルの圧倒的な高揚感と、録音の鮮明さによって、いつものように快速のテンポでありながら、全盛期のカラヤン&ベルリン・フィルでないと成し得ないような重厚にして、しかも流麗な至高・至純の音楽を構築することに成功している。

もしかしたら、本盤こそ、カラヤンが「田園」という楽曲について、聴き手に伝えたかったことの全てが込められているのかもしれない。

筆者も、カラヤンの「田園」で感動したのは、本盤が初めてである。

解説は、リチャード・オズボーンであり、内容はいつもながら実に素晴らしい。

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2015年04月11日


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大戦末期に空爆で焼失したウィーン国立歌劇場の再開を祝って上演された演目のひとつで、1955年ウィーン国立歌劇場の再開記念公演のライヴ録音である。

元帥夫人に伝説的なライニング、オクタヴィアンに当時新進気鋭だったユリナッチ、ゾフィーにギューデン、オックス男爵にベーメと、主役どころをウィーン出身の歌手で固めた配役も強力であり、ウィーン伝統の勝利と評された。

ライヴということもあり、歌手もオケも実に生き生きとしており、女性3人の主役は父クライバー盤と同じで当時のベスト・メンバー。

特筆すべきは男爵のクルト・ベーメで、クリップス指揮の「ドン・ジョヴァンニ」で騎士長を演っているのしか手元になかったが、ブッフォに堕する寸前ぎりぎりの豊かな演技と歌唱で、筆者が聴いた中ではベストの男爵である。

とはいえ、筆者は根っからのオペラ好きではないせいかもしれないが、個人的にはオペラの場合でもオーケストラの比重は大きく考えている。

歌手がいかに豪華であっても、オーケストラが添え物的では満足できない(むろん、逆にオケが良くて歌手がB級でも困るが)。

その点、この録音はオーケストラがびっくりするほどきれいで、すっかりリラックスしたウィーン・フィルも甘美な懐かしい調べを奏でる。

ウィーン国立歌劇場管弦楽団は、細かいことを別にすれば、ほぼウィーン・フィルと同一のオーケストラであるといってよい。

だからウィーン国立歌劇場でのオペラ公演のライヴ録音は、表記はウィーン国立歌劇場管弦楽団でも、ウィーン・フィルのオペラ演奏であるといってさしつかえない。

だが、何といっても最大の聴きものは、大きなスケールと深い呼吸をもったクナッパーツブッシュの指揮である。

彼らしい悠揚迫らぬ演奏であり、銀の薔薇の献呈の場面などでは無類の陶酔を聴かせるが、彼独特の個性は影を潜めていて普遍的な美しさに到達している。

クナッパーツブッシュの作り出す音楽がちゃんと呼吸しているので、歌手をあおるようなことにはならない。

終幕の三重唱のうねるような盛りあがりなど、さすがというほかはない。

クナッパーツブッシュの歴史的名演奏のドキュメントのひとつとして長く残されるべきものだろう。

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2015年04月07日


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R.シュトラウスと親交があった往年の巨匠カール・ベームによる《英雄の生涯》を収めたSACD盤。

ベーム晩年の落ち着いた音楽運びが描く雄大なスケールと、一昔前のウィーン・フィルらしいふくよかなサウンド、そしてヴァイオリニスト、ゲルハルト・ヘッツェルが添える色どり等、古き良き時代の音がする名演。

かつて筆者は、本盤の《英雄の生涯》を1980年代に発売された初期西独プレスのCDで聴いたことがあるが、あまりのつまらなさに途中で聴くのをやめたのを思い出す。

というのも、いかにも晩年のベームの欠点が露呈した硬直化したテンポによる鈍重な印象を受けたからであり、それ以降、筆者のCD棚に眠ったままであった。

ベームの《英雄の生涯》については、本盤の3年前にバイエルン放送響とライヴ録音したオルフェオ盤があり、ライヴならではの熱気もあって、筆者はそちらの方を愛聴してきた。

しかし、今般SACD化され、飛躍的に音質が向上した本盤を聴いて大変驚いた。

そこには鈍重さなど微塵もなく、堂々たるインテンポによる巨匠の至芸を大いに感じたからである。

全体にテンポは遅めであり、《英雄の生涯》を得意としたカラヤンの名演のように、ドラマティックとか華麗さとは全く無縁であるが、一聴すると何らの変哲もない曲想の中に、晩年のベームならではのスパイスの効いた至芸を垣間見ることができる。

深々と暖かく柔らかな響き、そして貫祿を備えた滑らかな堂々たる音楽の進行、完熟期ベーム&ウィーン・フィルならではの《英雄の生涯》である。

ベームは分厚いオーケストレーションを丁寧に捌きながら音楽を重層的に響かせているが、それがオケの美質を最大限に生かす結果に繋がっている。

よく聴かれるこれみよがしの大げさな表現は無く、なんとなく聴いていると地味だし冷静すぎると思う人もいるかもしれない。

しかし、繰り返しと聴く度に実に素晴らしく、音楽の流れに自然に従っているように聴こえるのはまさに練達の演奏ぶりと言えるだろう。

派手になりすぎないところがベームのR.シュトラウス演奏の極意であり、自己顕示欲の塊のようなこの曲のいやらしさが感じられないくらいで、だからこそこの演奏は古びないのであろう。

ベームの的確な解釈と重厚な演奏は、作曲家と親交のあった彼ならではの作品となっている。

一例をあげると「英雄の業績」。

ここは、R.シュトラウスの過去の楽曲のテーマが回想されるが、ベームはここで大きくテンポを落とし、主旋律を十分に歌わせながら、《ティル》や《死と変容》、《ドン・ファン》などの名旋律を巧みに浮かび上がらせており、この老獪ささえ感じる巧みな至芸は、他のどの演奏よりも素晴らしいと言えるだろう。

ベームの晩年において、自分の友人であったR.シュトラウスの作品を用いて過去を振り返るという懐古的雰囲気をあえて表現した、というべきであろう。

さらにこの時代のウィーン・フィルの音色も魅力的で、特に朗々たるホルンの響きは今や聴くことができないものと言えるところであり、ベームが最も信頼した名コンサートマスターのヘッツェルのソロが聴けるのも、本盤の価値を大いに高めることに貢献している。

音質は前述のように従来盤とは段違いに素晴らしく、鮮明さ、音場の幅広さ、音圧などのどれをとっても一級品の仕上がりであり、あらためて本演奏の素晴らしさとSACD盤の潜在能力の高さを思い知った次第である。

いずれにしても、ベーム&ウィーン・フィルによる名演を現在望みうる最高の高音質SACDで味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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2015年04月01日


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R.シュトラウスの「ダフネ」は、「エレクトラ」と同様にギリシャ神話を題材にしたオペラであるが、「エレクトラ」のようにエキセントリックなところは微塵もなく、牧歌的な抒情に彩られた作品ということができるだろう。

もちろん、悲劇であり、劇的な箇所もないわけではないが、随所に見られるR.シュトラウスならではの色彩感溢れる華麗なオーケストレーションが、前述の牧歌的な抒情も相俟って、独特の魅力を放っている。

まさに、R.シュトラウスお得意の交響詩を聴くような面白さがあると言えるのかもしれない。

作曲技法が洗練の極みに達したR.シュトラウス晩年の歌劇は、初期や中期の諸作ほどオペラ・ハウスのレパートリーとして定着してはいない。

しかし、ひとたびこの新録音を耳にすれば誰もがその魅力を痛感することだろう。

大編成の管弦楽を用いて力強く華麗な響きを生み出しながらも透明感を保つオーケストラ・パートなど、円熟期ならではの充実ぶりである。

ビシュコフ&ケルン放送交響楽団は、「エレクトラ」や一連の交響詩の録音において既に名演を成し遂げているが、本盤においても、R.シュトラウスがスコアに書き記した音楽を精緻に、そしてスケール雄大に描き出していく。

そのダイナミックレンジの幅の広さ、牧歌的な抒情における情感の豊かさ、劇的な箇所の迫力など、いずれもとっても見事と言うべき好演を行っている。

ビシュコフは精緻なスコアから豪華絢爛たる音像を描き出すが、その棒は譜面の細部まで鮮明に浮かび上がらせる緻密さも併せ持ち、このオペラの美点を100パーセント表現しきる卓越した指揮として称えたい。

現在のオペラ界を代表する錚々たる歌手陣も豪華。

フレミングの美声は乙女ダフネとしては幾分豊麗に過ぎるかもしれないが、絶妙にコントロールされた見事な歌唱を繰り広げ、ロイキッポスを演じるシャーデのしなやかな喉も特筆すべきだ。

特に、主役のダフネのフレミングは適役であり、アポロのボータ、ロイキッポスのシャーデともども最高のパフォーマンスを示しており、特に、終結部に至る手前の三者による三重唱は、鬼気迫る迫真の歌唱を行っている。

録音も非常に鮮明であり、本名演の価値を大いに高めている。

作曲者からこの作品を献呈された初演者のベームが亡くなって約四半世紀、ようやく現代の「ダフネ」が誕生した事を心から喜びたい。

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2015年03月22日


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《英雄の生涯》は、カラヤン&ベルリン・フィルによる複数の録音が世評が高いし、筆者も好きでよく聴く。

しかし「《英雄の生涯》のユニークな演奏を1つ選べ」と言われたら、ショルティ&ウィーン・フィル盤なのである。

ショルティとウィーン・フィルは、決して相性のよいコンビでなかったと聞く。

確かに音楽性は相反する感じなので、反目することがあったのは当然と思えるが、ショルティとウィーン・フィルが遺した演奏には、両者の長所が融合し合った幸せな音楽の瞬間が多々ある。

本盤でも、速めのテンポで、アグレッシヴに指揮するショルティだが、そこはさすがにウィーン・フィル、音色には潤いがあり、リズムにもうねるようなしなやかさがある。

ショルティのエネルギッシュなアプローチを見事に受けとめて、素晴らしい音楽に仕上げている。

冒頭の「英雄」は、雄渾さとしなやかさでもって、快速のテンポで突き進み、それは、まさに向かうところ敵なしといった感じ。

ショルティの力んだ棒が見えるような溌剌さがあり、何となくアンサンブルがルーズだが集中力がある。

「英雄の敵」に入っても、テンポにはいささかの緩みも見られず、ウィーン・フィルの木管群が憎々しく卑小な英雄の敵たちを描き出す。

「英雄の妻」では一転してテンポを落とすが、名手ライナー・キュッヒルの美音ソロが聴き所で、ここのキュッヒルのソロの実に美しいこと。

「英雄の戦場」は、いかにもショルティらしく圧倒的な音量でオーケストラを豪快にならすが、その凄まじさには戦懐を覚えるほどで、凄絶な戦いを描くウィーン・フィルの金管群・打楽器群・弦楽器群、バスドラムの刻む変則的な4連符が凄まじい。

「英雄の業績」は、そっけなさを感じるほどの快速のインテンポ。

「英雄の引退と完成」は、再びテンポを落として、演奏全体を雄大に締めくくっている。

この「英雄の業績」から「英雄の引退と完成」にかけての寂寥感に満ちた音楽は、45分程度の曲なのに自分の生涯が終わりを迎えるかのような寂しさに包まれる。

ショルティは、一部批評家から、無機的なインテンポの指揮者と酷評されているが、本盤のような演奏に接すると、決してそうではなく、むしろ緩急自在のテンポを駆使した起伏の激しい演奏をしていることがよくわかる。

本演奏を名演と言えるかどうかは、ウィーン・フィルとの相性などを考慮するといささか躊躇するが、ショルティの個性が溢れたユニークさという点では、一聴の価値は十分にある演奏であると考える。

世評は高くないかも知れないが、剛毅さ・艶麗さ・凄絶さ・そして黄昏の美といった、この曲の持つ魅力を十全に引き出した名演と言えるだろう。

むしろ、併録のワーグナーは、解釈に奥行きが出てきたと評された1980年代後半の録音であり、ショルティ円熟の名演と言ってもいいと思われるが、もう少し大きな音楽の流れを聴きたいような気もする。

SHM−CD化の音質向上効果は、従来CDの音質もかなりのものであったことから、若干のレベルにとどまっている。

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2015年03月01日


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モーツァルトと並ぶ名作と言われているR.シュトラウスのホルン協奏曲集などを収録した、稀代のホルン奏者デニス・ブレインの不世出の才能を伝える不滅の名盤。

今でも伝説的なホルン奏者として絶大な人気を得ているデニス・ブレインのホルン奏者としては冥利に尽きる演目を収めたアルバムである。

名作だが難曲で知られる2曲のR.シュトラウス、そして作曲者との共演となったヒンデミット、{伝説}を裏づける美演だ。

デニス・ブレインのホルンは実に素晴らしい。

朗々として雄大なスケール感のある音色、そして低音の重厚さ、弱音の繊細さ、ホルンという楽器が紡ぎだす音色をすべて兼ね備えている。

あわせて、桁はずれのテクニック。

まさにデニス・ブレインひとりでホルンをソロ楽器として認知させたと言っても良く、デニス・ブレインこそは、史上最高の不世出のホルン奏者と言えるだろう。

モーツァルトもバッハも、ホルンの楽器の特性を考えたうえで作曲をしているが、ということはつまり、この楽器を演奏上の限界あるものとしているという事。

デニス・ブレインのホルンの技巧の真の姿を聴く為には、このディスクに収められたホルンの難曲を聞く必要があるだろう。

残念ながら現代の水準からいうと、驚くほどの名手とは聴こえないかもしれないが、その代わりに、最近のホルニストに無い高雅な品格を見出すことに喜びと深い満足感を得ることができる。

デニス・ブレインの演奏の特色は、一瞬の隙も残さない極めて精緻な表現でありながら、それでいて明るく屈託の無い開放的な音色にある。

R.シュトラウスのホルン協奏曲は、モーツァルトのそれと並んでホルン協奏曲史上の名作だと思うが、それにしてはCDに恵まれていない。

その意味でも、このデニス・ブレイン盤は、R.シュトラウスのホルン協奏曲史上最高の名演と評価すべきであると思う。

高音の美しさ、見事なレガート奏法、スタッカートの小気味よさといった各種表現に冴えをみせるブレインが、輝かしく意気軒昂な第1番、しっとりとした巧みな語り口をみせる第2番で自身の実力を遺憾なく発揮している。

若き日のサヴァリッシュのサポートも几帳面に曲の性格を捉えたなかなかのものだ。

同様にヒンデミットの作品も素晴らしい出来映えだ。

ヒンデミットのホルン協奏曲は、デニス・ブレインのために作曲された曲であるが、逆に言えば、デニス・ブレインにしか表現できない要素を持った難曲ということができるだろう。

表情の起伏の激しいいかにも現代曲と言った趣きであるが、デニス・ブレインの超絶的な技巧と表現力が相俟って、同曲がヒンデミットの傑作であることがよくわかる。

デニス・ブレインにしては珍しいステレオ録音というのも嬉しい限りだ。

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2015年02月10日


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R.シュトラウスの《死》をテーマとした作品を収録した1枚。

天空の音、深遠なる美の極みを行くカラヤン&ベルリン・フィルの全盛時代に録音された超名演である。

カラヤンはR・シュトラウスを得意とし、あまたの名演を遺しているが、本盤に収められた「死と変容」、「メタモルフォーゼン」、「4つの最後の歌」の3曲については、本盤の演奏こそがベストの名演と言うことができるだろう。

「死と変容」については、各局面の描き分けが実に巧みであり、オーケストラの卓抜した技量をベースにしたダイナミックレンジも実にスケールの大きい雄大なものだ。

いわゆる死の戦いの迫力も凄まじいものがあるが、他方、終結部の天国的な美しさも、これ以上は求められないような至高・至純の境地に達している。

「メタモルフォーゼン」は、R.シュトラウスに直接了解をもらっての大型の編成による演奏であるが、ベルリン・フィルの圧倒的な弦楽合奏の迫力に唖然としてしまう。

もちろん、技術偏重には陥っておらず、同曲に込められた作曲者の深い懺悔や悲哀のようなものを、カラヤンは圧倒的な統率力で描き尽くしている。

「4つの最後の歌」は、「メタモルフォーゼン」と並ぶ作曲者の人生の最後を飾る畢生の名曲であるが、ヤノヴィッツの名唱も相俟って、同曲をこれほど美しく演奏した例はほかにはないのではなかろうか。

ベルリン・フィルの洗練の極みを行く合奏と、ヤノヴィッツの真っすぐなソプラノ・ヴォイスが作曲者晩年の澄み切った境地を余すところなく再現している。

静寂感・黄昏感といった、R.シュトラウスの交響詩とまるで違う世界がこの曲にはあるが、R.シュトラウスが得意なカラヤンがベルリン・フィルと共にシルクのような煌びやかな伴奏をしている。

ベルリン・フィルがカラヤンの楽器になりきり、かつカラヤンがまだ覇気に満ちた演奏をしていた時期だけあって、何のストレスもなくドライヴされていくオケと、まだパワーと若さに満ちたヤノヴィッツの歌は本当に立派としか言いようがない。

ヤノヴィッツのとびぬけた美声も例えようもなく素晴らしく、彼女の声を知ってしまうとなかなか他のソプラノが聴けなくなってしまう。

さらに、この時期の録音に聴くことができるベルリン・フィルの感動的な弦の美しさ(「夕映えの中で」の前奏はまさに奇跡的な美しさ)も他の追随を許さない。

カラヤンを好きでない人も、この「4つの最後の歌」には深い感銘を受けるに違いない。

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2015年01月17日


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凄い演奏だ。

このようなお宝のような音源がこれまで眠っていたこと自体がおよそ信じ難い。

本盤には、モーツァルトの管楽器のための協奏交響曲とR.シュトラウスの交響詩「ツァラトゥストラはかく語りき」の演奏が収められている。

両曲ともに、カラヤンは複数の演奏のレコーディングを遺しているが、筆者としては、本盤の演奏こそは、カラヤンによる両曲演奏の最高峰に掲げられるのではないかと考えるところだ。

モーツァルトの管楽器のための協奏曲の演奏は、流麗なレガートを施した優美さと躍動感が際立っている。

カラヤンは、後年の演奏になるほど、健康状態の悪化も相俟って、躍動感を失ったいささか重いとも感じられる演奏が多くなっていくのであるが、本演奏は60歳を少し過ぎたばかりの心身ともに充実していた時期のもの。

シンフォニックな重厚さの中にも、前述のような躍動感と流れるような美しさを秘めた全盛期のカラヤンならではの稀代の名演奏に仕上がっている。

ローター・コッホ、カール・ライスター、ゲルト・ザイフェルト、ギュンター・ピースクといった、ベルリン・フィルの楽団史上での最高峰に掲げられるべきスタープレーヤーが奏でる名演奏は、卓越したヴィルトゥオジティの発揮は当然のこととして、芸術性も豊かであり、カラヤンやベルリン・フィルともども実に楽しげに演奏している様子が伝わってくるのが素晴らしい。

R.シュトラウスの交響詩「ツァラトゥストラはかく語りき」の演奏は、先ずは、「序奏」の輝かしいブラスセクションの咆哮に圧倒される。

「後の世の人びとについて」に入るとテンポを幾分落として、分厚くも艶やかな音色美を誇る弦楽合奏が伸びやかに曲想を歌い上げていく。

その美しさは、この世のものとは思えないような音の桃源郷の世界だ。

「大いなる憧れについて」や「歓喜と情熱について」におけるブラスセクションやティンパニの鋭い響きは悪魔的とも言うべき凄まじいまでの迫力を誇っている。

「科学について」の低弦の引きずるような響きも凄みがあり、対比する高弦の美しさは天国的とも言えるだろう。

「病から回復に向かう者」のトロンボーンやホルンの咆哮は凄まじく、頂点における迫力は壮絶の極み。

その後はトランペット、木管楽器、弦楽器などの絡み合いは唖然とするほど上手く、アンサンブルなどいささかも綻びを見せないのは殆ど驚異的だ。

「舞踏の歌」のシュヴァルベのヴァイオリン独奏の美しさはこの世のものとは思えないほどであり、木管楽器セクションの合いの手のあまりの上手さは協奏曲のようであり、殆ど反則技とも言いたくなるほどだ。

終結部の壮絶な阿鼻叫喚の世界は、カラヤン、ベルリン・フィルの大熱演。

それでいて、各楽器セクションが団子状態にならず、鮮明に分離して聴こえるなど整理し尽くされているのは、後述のような音質の良さのみならず、お互いの楽器セクションの音を聴きあうというカラヤン&ベルリン・フィルの卓越した演奏の賜物と言っても過言ではあるまい。

「さすらい人の夜の歌」が消え入るように終わった後、少し間をおいてから拍手が徐々に大きくなっていくのは、当日の聴衆の深い感動を伝えるものと言えるだろう。

両演奏を聴き終えて思ったのは、何と言う凄い指揮者、凄いオーケストラが存在したのだろうかということである。

全盛期のカラヤン&ベルリン・フィルの実演がいかに人間業を超えた凄まじいものであったのかが理解できるところだ。

いずれにしても、本演奏は、カラヤンの演奏をスタジオ録音によるものでしか聴いたことがないというクラシック音楽ファンにこそ、是非とも聴いていただきたい名演の前に超をいくつ付けても足りない圧倒的な超絶的名演と高く評価したいと考える。

音質も各楽器セクションが分離して明瞭に聴こえるなど、1970年のライヴ録音としては極めて優れたものと評価したい。

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2014年12月14日


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R.シュトラウスのアルプス交響曲は、1970年代の半ば頃までは作曲者と個人的な親交があったベームや、史上初めて交響曲・管弦楽曲・協奏曲全集をスタジオ録音したケンぺによる録音に限られていたところである。

ところが、1979年にショルティ、そして1980年にカラヤンによるスタジオ録音が発売されるに及んで、一大人気交響曲の地位を確立した。

演奏に相当の困難を要する交響曲であることから、各地のオーケストラの技量が格段に向上してきたということもあるが、それ以上に、CD1枚に収まる長さであることから、LP時代に存在した中間部での鑑賞の中断が全く不要になったことが極めて大きいと言えるのではないかと考えられるところだ。

このように、ショルティによる本演奏は、今日での人気交響曲に発展成長していく過程での先駆けとなったものであるが、演奏自体は、他の演奏と比較して特異な性格を有している。

おそらくは、本演奏は、同曲演奏史上最速と言ってもいいのではないだろうか。

同曲は、日の出から登山、登頂、下山、夕暮れといった情景描写を中心とした標題音楽であるが、ショルティは、こうした情景描写には特段の配慮を行っていないのではないかとさえ考えられるところだ。

1年後のカラヤンの演奏と比較すると、例えば、嵐の前の描写にしても、カラヤンがゆったりとしたテンポで精緻に描き出しているのに対して、ショルティはそれこそ、嵐の前に既に嵐が来ているようなハイスピードで嵐に突入していく。

したがって、同曲の標題音楽としての魅力を希求するクラシック音楽ファンには全くお薦めすることができない演奏であると言えるだろう。

しかしながら、同曲には、作曲者R・シュトラウスによって「交響曲」という標題が付されているのであり、いわゆる絶対音楽として捉えるという考え方に立つとすれば、ショルティのアプローチは十分に説得力がある演奏であると考えられる。

こうしたショルティのアプローチは、その後、爆発的に増加した同曲の演奏には全く受け継がれていないが、現在においても再評価がなされてもいいのではないかとも考えられる演奏である。

同曲の演奏に際して、シカゴ交響楽団ではなくバイエルン放送交響楽団を起用したというのも、ショルティが同曲を単なるオーケストラ演奏の醍醐味を堪能するだけの楽曲として捉えていなかったことの証左であると考えられるところだ。

また、本盤には、シェーンベルクの管弦楽のための変奏曲が収められている。

同曲は、アルプス交響曲以上に演奏困難な曲であり、同曲の歴史的なスタジオ録音を遺したカラヤンでさえ、ある時期からはコンサートで採り上げるのをやめたほどの楽曲である。

ショルティは、手兵シカゴ交響楽団を統率して、技量面においては完璧とも言うべき演奏を展開している点を高く評価したい。

音質は、いずれも英デッカならではの極めて秀逸なものであり、本盤の価値を高めるのに大きく貢献しているのを忘れてはならない。

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2014年12月08日


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R.シュトラウスの管弦楽曲の演奏史上でも最高の名全集とも評される歴史的な名盤(ただし、協奏曲集を除く)がついにシングルレイヤーによるSACD化がなされることになった。

ルドルフ・ケンぺは、ほぼ同世代の指揮者であった帝王ヘルベルト・フォン・カラヤンが、ベルリン・フィルなどとともに豪壮華麗な演奏を繰り広げたことや、膨大な数のレコーディングを行うなど、華々しい活躍をしていたこと、そして指揮者としては、これから円熟の境地を迎えるという時に急逝したこともあって、現在においても比較的地味な存在に甘んじている。

芸風は異なるものの、職人肌という点においては共通している先輩格のカール・ベームが、当時隆盛期にあったイエローレーベル(DG)に、ウィーン・フィルとともにかなりの点数の録音を行ったこと、そしてケンペよりも長生きしたことも、そうしたケンペの地味な存在に甘んじているという状況に更なる拍車をかけているとも言えるだろう。

しかしながら、ケンペの存命中は、帝王カラヤンの豪壮華麗な演奏に対置する、いわゆるドイツ正統派の質実剛健な演奏をする指揮者として、ケンペはベームとともに多くのクラシック音楽ファンに支持された指揮者であった。

そのようなケンペの偉大さは、昨年ESOTERICからSACD盤(限定盤)が発売されて話題となったミュンヘン・フィルとのベートーヴェンの交響曲全集や、数年前にXRCD盤が発売されたミュンヘン・フィルとのブラームスの交響曲全集、ブルックナーの交響曲第4番及び第5番などといった名演にもあらわれているところである。

しかしながら、これらの名演を大きく凌駕するケンペの最高の遺産が存在する。

それこそは今般、本セットを含め3つのセットに分けた上で、シングルレイヤーによるSACD化(全部でSACD10枚)がなされて発売されるR・シュトラウスの管弦楽曲全集であるというのは、おそらくは衆目の一致するところではないだろうか。

本管弦楽曲全集には、2つの交響曲はもちろんのこと、主要オペラからの抜粋なども収められており、まさに空前にして絶後のスケールを誇っていると言っても過言ではあるまい。

ケンペによるR.シュトラウスの各楽曲へのアプローチは、例えば同じくR.シュトラウスの楽曲を十八番としていたカラヤンのように、豪華絢爛にして豪奢なものではない(かかる演奏も、筆者としては、あり得るべきアプローチの1つとして高く評価している)。

むしろ、演奏の様相は、質実剛健そのものであり、いかにもドイツ正統派と称された指揮者だけに、堅牢な造型美と重厚さを持ち合わせたものと言える。

かかる演奏は、R.シュトラウスと親交があり、その管弦楽曲を十八番としていたベームによる演奏と共通しているとも言えるが、ベームがいい意味においては剛毅、悪い意味ではあまり遊びの要素がない四角四面な演奏とも言えるのに対して、ケンぺの演奏には、カラヤンの演奏にようにドラマティックとは言えないものの、より柔軟性に富んだ劇的な迫力を有している言えるところであり、いい意味での剛柔のバランスのとれた演奏ということができるだろう。

本盤には、R.シュトラウス管弦楽曲全集第3集として、交響詩「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」や家庭交響曲、交響的幻想曲「イタリアから」、交響的断章「ヨゼフ物語」、そして楽劇「サロメ」から7つのヴェールの踊りが収められている。

いずれも前述のようなケンぺの芸風が如実にあらわれた剛柔のバランスのとれた素晴らしい名演と高く評価したい。

そして、このようなクラシック音楽レコーディング史上の歴史的な遺産とも言うべきケンぺ&シュターツカペレ・ドレスデンによるR.シュトラウスの管弦楽曲全集が、未使用のオリジナル・アナログ・テープを基にシングルレイヤーによるSACD化がなされたのは、近年稀にみる壮挙とも言うべきである(協奏曲集が対象にならなかったのはいささか残念であり、それは別の機会を待ちたい)。

長らく国内盤では廃盤であり、輸入盤との比較になるが、音質の鮮明さ、音場の拡がりなど、どれをとってもそもそも次元が異なる圧倒的な音質に生まれ変わった。

1970年代初のスタジオ録音であるにもかかわらず、ドレスデン・ルカ教会の豊かな残響を生かした名録音があたかも最新録音であるかのように変貌したのは殆ど驚異的ですらあると言えるだろう。

いずれにしても、このような歴史的な名盤を、現在望み得る最高の高音質で味わうことができるようになったことを大いに喜びたい。

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2014年12月06日


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EMIがここ数か月に渡って発売している一連のシングルレイヤーによるSACD盤の中でも、ルドルフ・ケンぺ&シュターツカペレ・ドレスデンによるR.シュトラウスの管弦楽曲全集は、名実ともに最高峰の歴史的名盤と言えるのではないだろうか。

ケンぺは、ほぼ同世代の指揮者であった帝王ヘルベルト・フォン・カラヤンが、ベルリン・フィルなどとともに豪壮華麗な演奏を繰り広げたことや、膨大な数のレコーディングを行うなど、華々しい活躍をしていたこと、そして指揮者としては、これから円熟の境地を迎えるという時に急逝したこともあって、現在においても比較的地味な存在に甘んじている。

芸風は異なるものの、職人肌という点においては共通している先輩格のカール・ベームが、当時隆盛期にあったイエローレーベル(DG)に、ウィーン・フィルとともにかなりの点数の録音を行ったこと、そしてケンペよりも長生きしたことも、そうしたケンペの地味な存在に甘んじているという状況に更なる拍車をかけているとも言えるだろう。

しかしながら、ケンペの存命中は、帝王カラヤンの豪壮華麗な演奏に対置する、いわゆるドイツ正統派の質実剛健な演奏をする指揮者として、ケンペはベームとともに多くのクラシック音楽ファンに支持された指揮者であった。

そのようなケンペの偉大さは、昨年ESOTERICからSACD盤(限定盤)が発売されて話題となったミュンヘン・フィルとのベートーヴェンの交響曲全集や、数年前にXRCD盤が発売されたミュンヘン・フィルとのブラームスの交響曲全集、ブルックナーの交響曲第4番及び第5番などと言った名演にもあらわれているところである。

しかしながら、これらの名演を大きく凌駕するケンペの最高の遺産が存在する。

それこそは今般、本セットを含め3つのセットに分けた上で、シングルレイヤーによるSACD化(全部でSACD10枚)がなされて発売されるR.シュトラウスの管弦楽曲全集であるというのは、おそらくは衆目の一致するところではないだろうか。

本管弦楽曲全集には、2つの交響曲はもちろんのこと、主要オペラからの抜粋なども収められており、まさに空前にして絶後のスケールを誇っていると言っても過言ではあるまい。

ケンペによるR.シュトラウスの各楽曲へのアプローチは、例えば同じくR.シュトラウスの楽曲を十八番としていたカラヤンのように、豪華絢爛にして豪奢なものではない(かかる演奏も、筆者としては、あり得るべきアプローチの一つとして高く評価している)。

むしろ、演奏の様相は、質実剛健そのものであり、いかにもドイツ正統派と称された指揮者だけに、堅牢な造型美と重厚さを持ち合わせたものと言える。

かかる演奏は、R.シュトラウスと親交があり、その管弦楽曲を十八番としていたベームによる演奏と共通しているとも言えるが、ベームがいい意味においては剛毅、悪い意味ではあまり遊びの要素がない四角四面な演奏とも言えるのに対して、ケンぺの演奏には、カラヤンの演奏にようにドラマティックとは言えないものの、より柔軟性に富んだ劇的な迫力を有している言えるところであり、いい意味での剛柔のバランスのとれた演奏ということができるだろう。

本盤には、R.シュトラウス管弦楽曲全集第2集として、交響詩「死の変容」、「ドン・キホーテ」、「英雄の生涯」や劇音楽「ばらの騎士」からのワルツ、そして一般には殆ど知られていないランソワ・クープランのハープシコード曲による舞踏組曲が収められている。

いずれも前述のようなケンぺの芸風が如実にあらわれた剛柔のバランスのとれた素晴らしい名演と高く評価したい。

交響詩「ドン・キホーテ」のチェロの独奏を担当しているポール・トルトゥリエの演奏も、実に魅力的なものと評価したい。

そして、このようなクラシック音楽レコーディング史上の歴史的な遺産とも言うべきケンぺ&シュターツカペレ・ドレスデンによるR・シュトラウスの管弦楽曲全集が、未使用のオリジナル・アナログ・テープを基にシングルレイヤーによるSACD化がなされたのは、近年稀にみる壮挙とも言うべきである(協奏曲集が対象にならなかったのはいささか残念であり、それは別の機会を待ちたい)。

長らく国内盤では廃盤であり、輸入盤との比較になるが、音質の鮮明さ、音場の拡がりなど、どれをとってもそもそも次元が異なる圧倒的な音質に生まれ変わった。

1970年代初のスタジオ録音であるにもかかわらず、ドレスデン・ルカ教会の豊かな残響を生かした名録音があたかも最新録音であるかのように変貌したのは殆ど驚異的ですらあると言えるだろう。

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2014年11月24日


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まずは収録された曲目に注目したい。

本盤が録音されたのは1974年であるが、これは帝王カラヤンの全盛時代であり、収録された曲目はいずれもカラヤンの十八番ばかりだ。

『英雄の生涯』はカラヤンの名刺代わりの曲、『牧神の午後への前奏曲』は、名手ツェラーと2度にわたり録音した得意の曲、シューマンのピアノ協奏曲も、決して協奏曲録音を得意としない巨匠が、リパッティ、ギーゼキング、ツィマーマンと組んで3度までも録音した曲だ。

協奏曲はともかくとして、いずれもカラヤンならではの豪華絢爛にして重厚な名演であった。

そうした圧倒的なカラヤンの存在の中においても、本盤のケンぺの名演は立派に存在感を示している。

ケンぺの演奏は、カラヤンと同じく重厚なものであるが、華麗さとは無縁であり、シュターツカペレ・ドレスデンのぶし銀の音色をベースとした質実剛健さが売りと言えるだろう。

『英雄の生涯』は、やや遅めのインテンポで一貫しているが、「英雄の戦い」の頂点での壮絶さなど、決して体温が低い演奏ではなく、この曲の持つドラマティックな表現にもいささかの不足はない。

1972年録音の高名なEMI盤は、通常のヴァイオリン配置であったが、当盤ではヴァイオリン両翼配置になっているのがポイント。

「戦場」最後の頂点で両ヴァイオリンが左右いっぱいに広がり高らかにうたわれる「英雄の主題」の爽快感と高揚感は、これこそスタジオ盤にない異様な感動を呼び起こし、まさに勝利の旗が戦場いっぱいにはためくようなイメージを喚起させる。

この『英雄の生涯』のライヴ盤は“着実な演奏をするが、どちらかというと地味な正統派”といったケンペの先入観をあっさり吹き飛ばしてくれる。

ケンペ晩年のライヴ演奏の中には、ドラマティックな志向を示したものが少なからず見受けられ、セッション録音との差の大きさに驚かされることがあったが、この『英雄の生涯』などはその最たる例と言えるのではないだろうか。

スタジオ盤も評価の高い盤として知られているが、今回のライヴ盤は、凄まじいばかりのエネルギーの放射、劇的な進行の起伏の激しさによってスタジオ盤とは異次元の音楽への没入ぶり、ケンペの熱い思いを感じることができる。

『牧神の午後への前奏曲』も、冒頭からいかにもジャーマンフルートと言った趣きであるが、カラヤンのように、この曲の持つ官能性を強調したりはしない。

しかし、全体の造型の厳しさや、旋律の歌い方などは、実に見事であり、カラヤンの名演とは一味もふた味も違う名演だ。

シュターツカペレ・ドレスデンのドビュッシーというのもきわめて珍しいが、オーケストラの音の存在感はさすがであり、ケンペの率直な指揮により、リアリスティックな美しさにあふれた『牧神』を味わうことができる。

シューマンは、この曲の持つファンタジスティックな魅力を損なうことなく、木管楽器の表情の美しさなど、オケの表現力も優れており、重厚な名演を成し遂げている。

録音は、特に、『英雄の生涯』においてやや人工的な残響が気になるが、1970年代のライヴ録音としては、十分に合格点を与えることができる。

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2014年11月15日


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ルドルフ・ケンぺは、ほぼ同世代の指揮者であった帝王ヘルベルト・フォン・カラヤンが、ベルリン・フィルなどとともに豪壮華麗な演奏を繰り広げたことや、膨大な数のレコーディングを行うなど、華々しい活躍をしていたこと、そして指揮者としては、これから円熟の境地を迎えるという時に急逝したこともあって、現在においても比較的地味な存在に甘んじている。

芸風は異なるものの、職人肌という点においては共通している先輩格のカール・ベームが、当時隆盛期にあったイエローレーベル(DG)に、ウィーン・フィルとともにかなりの点数の録音を行ったこと、そしてケンペよりも長生きしたことも、そうしたケンペの地味な存在に甘んじているという状況に更なる拍車をかけているとも言えるだろう。

しかしながら、ケンペの存命中は、帝王カラヤンの豪壮華麗な演奏に対置する、いわゆるドイツ正統派の質実剛健な演奏をする指揮者として、ケンペはベームとともに多くのクラシック音楽ファンに支持された指揮者であった。

そのようなケンペの偉大さは、昨年ESOTERICからSACD盤(限定盤)が発売されて話題となったミュンヘン・フィルとのベートーヴェンの交響曲全集や、数年前にXRCD盤が発売されたミュンヘン・フィルとのブラームスの交響曲全集、ブルックナーの交響曲第4番及び第5番などと言った名演にもあらわれているところである。

しかしながら、これらの名演を大きく凌駕するケンペの最高の遺産が存在する。

それこそは今般、本セットを含め3つのセットに分けた上で、シングルレイヤーによるSACD化(全部でSACD10枚)がなされて発売されるR.シュトラウスの管弦楽曲全集であるというのは、おそらくは衆目の一致するところではないだろうか。

本管弦楽曲全集には、2つの交響曲はもちろんのこと、主要オペラからの抜粋なども収められており、まさに空前にして絶後のスケールを誇っていると言っても過言ではあるまい。

ケンペによるR・シュトラウスの各楽曲へのアプローチは、例えば同じくR.シュトラウスの楽曲を十八番としていたカラヤンのように、豪華絢爛にして豪奢なものではない(かかる演奏も、筆者としては、あり得るべきアプローチの一つとして高く評価している)。

むしろ、演奏の様相は、質実剛健そのものであり、いかにもドイツ正統派と称された指揮者だけに、堅牢な造型美と重厚さを持ち合わせたものと言える。

かかる演奏は、R.シュトラウスと親交があり、その管弦楽曲を十八番としていたベームによる演奏と共通しているとも言えるが、ベームがいい意味においては剛毅、悪い意味ではあまり遊びの要素がない四角四面な演奏とも言えるのに対して、ケンぺの演奏には、カラヤンの演奏にようにドラマティックとは言えないものの、より柔軟性に富んだ劇的な迫力を有している言えるところであり、いい意味での剛柔のバランスのとれた演奏ということができるだろう。

本盤には、R.シュトラウス管弦楽曲全集第1集として、交響詩「マクベス」、「ドン・ファン」、「ツァラトゥストラはかく語りき」のほか、アルプス交響曲、メタモルフォーゼン、組曲「町人貴族」、そしてバレエ音楽「泡立ちクリーム」からの抜粋であるワルツが収められているが、いずれも前述のようなケンぺの芸風が如実にあらわれた剛柔のバランスのとれた素晴らしい名演と高く評価したい。

そして、このようなクラシック音楽レコーディング史上の歴史的な遺産とも言うべきケンぺ&シュターツカペレ・ドレスデンによるR・シュトラウスの管弦楽曲全集が、未使用のオリジナル・アナログ・テープを基にシングルレイヤーによるSACD化がなされたのは、近年稀にみる壮挙とも言うべきである(協奏曲集が対象にならなかったのはいささか残念であり、それは別の機会を待ちたい)。

長らく国内盤では廃盤であり、輸入盤との比較になるが、音質の鮮明さ、音場の拡がりなど、どれをとってもそもそも次元が異なる圧倒的な音質に生まれ変わった。

1970年代初のスタジオ録音であるにもかかわらず、ドレスデン・ルカ教会の豊かな残響を生かした名録音があたかも最新録音であるかのように変貌したのは殆ど驚異的ですらあると言えるだろう。

いずれにしても、このような歴史的な名盤を、現在望み得る最高の高音質で味わうことができるようになったことを大いに喜びたい。

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2014年09月28日


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本盤には、カラヤンが最も得意としたR・シュトラウスの有名な管弦楽曲が収められている。

演奏は1983年のスタジオ録音であるが、これはいわゆるザビーネ・マイヤー事件の勃発後であり、カラヤンとベルリン・フィルの関係が修復不可能にまで悪化した時期である。

カラヤンは、本盤に収められた2曲については、何度も録音しており、各種あるスタジオ録音の中でも特に名高い名演は、ウィーン・フィルとの演奏(1959〜1960年)とベルリン・フィルとの演奏(1972〜1973年)であると考えられる。

このうち、ベルリン・フィルとの1972〜1973年盤については、カラヤン&ベルリン・フィルの黄金コンビが全盛時代を迎えた時の演奏である。

当該演奏は、ベルリン・フィルの一糸乱れぬ鉄壁のアンサンブルと各楽器セクションの超絶的な技量を駆使した名演奏に、カラヤンによる流麗なレガートが施された、まさにオーケストラ演奏の極致とも言うべき圧倒的な音のドラマの構築に成功していた。

これに対して、ウィーン・フィルとの1959〜1960年盤については、名プロデューサーであったカルショウとの録音ということでもあり、ウィーン・フィルによる極上の美演と英デッカによる超優秀な高音質録音が相俟った、美しさの極みとも言うべき至高の名演奏に仕上がっていた。

これら両者相譲らぬ超名演に対して、本盤の演奏は、カラヤンとの関係に大きな亀裂が生じた時代のベルリン・フィルとの演奏。

それでも、さすがにカラヤンならではの重厚で、なおかつ極上の美しさを兼ね備えた名演とは言えるが、1972〜1973年盤と比較すると、前述のような両者の関係の亀裂やカラヤン自身の健康悪化もあって、カラヤンの統率力にも綻びが見られるところであり、演奏の精度や完成度と言った点においては、若干ではあるが落ちると言わざるを得ないだろう。

しかしながら、本盤の演奏には、晩年のカラヤンならではの枯淡の境地とも言うべき独特の味わい深さがあるとも言えるところであり、前述の1972〜1973年盤、さらには1959〜1960年盤とは異なった独特の魅力があると言えるのではないだろうか。

したがって、本盤の演奏は、音のドラマとしてはいささか綻びがみられると言えるものの、人生の諦観さえ感じさせる味わい深さという意味においては、筆者としては素晴らしい名演として高く評価したいと考える。

音質については、1983年のデジタル録音であり、これまでリマスタリングが行われたこともあって、本従来CD盤でも十分に良好な音質である。

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2014年09月03日


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カラヤンは、R・シュトラウスの交響詩「英雄の生涯」を3度スタジオ録音している。

ベルリン・フィルの芸術監督に就任して間もない頃の1959年盤(DG)、そして本演奏(1974年(EMI))、更に最晩年の1985年盤(DG)の3種類あり、いずれもオーケストラはベルリン・フィルとなっている。

いずれも素晴らしい名演と高く評価するが、この中で最もカラヤンの個性が発揮された演奏は、紛れもなく本盤に収められた演奏であると言えるのではないだろうか。

というのも、カラヤン&ベルリン・フィルの黄金コンビの全盛時代は1960年代及び1970年代であり、本演奏はまさしくその真っ只中に録音されたからである。

本演奏においても、そうした全盛期のこの黄金コンビの演奏の凄さを味わうことが可能だ。

ベルリン・フィルは、一糸乱れぬ鉄壁のアンサンブル、金管楽器の朗々たる響き、桁外れのテクニックを示す木管楽器の響き、分厚い弦楽合奏、そして雷鳴のように轟きわたるティンパニの迫力などが一体となり、まさにオーケストラ演奏の極致とも言うべき圧倒的な名演奏を繰り広げている。

カラヤンは、流麗なレガートを施すことによって、楽想を徹底的に美しく磨きあげており、シュヴァルベのヴァイオリンソロの美しさも、抗し難い魅力に満ち溢れている。

おそらくは演奏だけをとれば、カラヤン&ベルリン・フィルが構築し得た最高の音のドラマと言えるだろう。

ジャケットのデザインも含め完全無欠とも言うべき本演奏は、同曲演奏史上究極の名演との評価もあながち言い過ぎではないと考えられる。

しかしながら、好き嫌いでいうと、筆者としては、カラヤンの統率力に綻びが見られるとは言え、後年の1985年の録音の方が好みである。

というのも、1985年盤には、カラヤンの自省の念も込められた枯淡の境地が感じられるからであり、演奏の味わい深さという意味では、1985年盤の方をより上位に掲げたいと考える。

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2014年08月30日


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カラヤンはR.シュトラウスの音楽を十八番としており、管弦楽曲や協奏曲、管弦楽伴奏付き歌曲、オペラに至るまで数多くの録音や映像作品を遺している。

特に、交響詩については、初期の「マクベス」を除き、それぞれ複数の録音や映像作品を遺している。

ところが、これらの交響詩の集大成として作曲されたアルプス交響曲をレパートリーに加えたのは、1980年になってからで、本盤はそれから3年後のライヴ映像収録である。

家庭交響曲を1973年に録音していることからしても、これは実に遅すぎたのではないかとも言える。

その理由の解明はさておき、カラヤン&ベルリン・フィルによる1980年盤が登場する以前は、アルプス交響曲の録音などは極めて少なかったと言わざるを得ない。

ベーム&ドレスデン国立管(1957年)はモノラルであり問題外で、質実剛健なケンぺ&ドレスデン国立管(1970年)が唯一の代表盤という存在であった。

この他にはスペクタクルなメータ&ロサンジェルス・フィル盤(1975年)や快速のテンポによるショルティ&バイエルン放送響盤(1979年)があったが、とても決定盤足り得る演奏ではなかった。

そうしたアルプス交響曲を、現在における一大人気交響曲の地位に押し上げていくのに貢献した演奏こそが、本盤に先立つ1980年に録音されたカラヤン&ベルリン・フィルによる至高の超名演である。

当該カラヤン&ベルリン・フィル盤の発売以降は、様々な指揮者によって多種多様な演奏が行われるようになり、現在では、R.シュトラウスの他の有名交響詩の人気をも凌ぐ存在になっているのは周知の事実である。

いずれにしても、本映像作品(1983年ライヴ)は、カラヤン&ベルリン・フィルの黄金コンビが構築し得た究極の音のドラマと言えるだろう。

本演奏でのベルリン・フィルのアンサンブルの鉄壁さはあたかも精密機械のようであり、金管楽器や木管楽器の超絶的な技量には唖然とするばかりだ。

肉厚の弦楽合奏や重量感溢れるティンパニの響きは圧巻の迫力を誇っており、カラヤンの代名詞でもある流麗なレガートも好調そのものだ。

アルプス交響曲については、前述のように1980年盤の登場以降、様々な指揮者によって多種多様な名演が成し遂げられるようになったが、現在においてもなお、本演奏は、いかなる名演にも冠絶する至高の超名演の座を譲っていないものと考える。

CDも超名演であったが、このDVDに収められた映像では、大管弦楽を自在に指揮するカラヤンを見ることができて、ライヴの熱気もあり、見ていて壮観だ。

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2014年08月26日


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精神医学を修め作曲家としても活躍したシノーポリの演奏は、まさに精神分析的とも言えるような、楽曲の細部に至るまで彫琢の限りを尽くした明晰なものであった。

シノーポリは、このような精神分析的なアプローチが効果的なマーラーやシューマンの交響曲において、素晴らしい名演の数々を遺したところである。

シノーポリは、R・シュトラウスについてもオペラをはじめ、数々の管弦楽曲の録音を遺しているが、問題はこのような精神分析的なアプローチが効果的と言えるかどうかである。

R・シュトラウスの管弦楽曲は、その色彩感豊かなオーケストレーションが魅力であることから、その魅力を全面に打ち出した名演が数多く成し遂げられてきた。

特にカラヤンは、手兵ベルリン・フィルを率いてオーケストラ演奏の極致とも言うべき圧倒的な音のドラマの構築に成功したと言えるところだ。

これに対して、フルトヴェングラーは、各楽曲が描いている登場人物の深層心理を徹底的に追求した彫りの深い演奏を成し遂げたと言えるところである。

このように、20世紀の前後半を代表する大指揮者の演奏は対照的と言えるが、シノーポリの精神分析的な演奏は、紛れもなくフルトヴェングラーの演奏の系譜に連なるものと言えるだろう。

シノーポリは、演奏に際して「ドン・ファン」や「サロメ」などの登場人物の深層心理の徹底した分析を行い、楽曲の細部に至るまで彫琢の限りを尽くしている。

しかしながら、かかる精神分析的なアプローチの懸念すべき問題は、細部に拘るあまり演奏の自然な流れが損なわれる危険性があるという点であり、それ故に、テンポが異様に遅くなってしまうことがあり得るということだ。

しかしながら、本盤に収められた諸曲の演奏においては、テンポは若干遅めとは言えるが、音楽は滔々と流れており、シノーポリのアプローチが功を奏した彫りの深い名演に仕上がっていると高く評価したい。

特に、「ドン・ファン」については、シュターツカペレ・ドレスデンによるいぶし銀の音色が、演奏全体に更なる深みと潤いを与えるのに大きく貢献している点も忘れてはならない。

録音は従来盤でも十分に満足し得る音質であり、シノーポリによる名演を、鮮明な高音質で味わうことができるのを大いに喜びたい。

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2014年08月24日


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カラヤンはR.シュトラウスを十八番にしていたが、とりわけ交響詩「英雄の生涯」に私淑していた。

スタジオ録音では本盤に収められた演奏のほか、1959年盤(DG)と1974年盤(EMI)の3種が存在しており、ライヴ録音でもモスクワ盤(1969年)や、ロンドン盤(1972年及び1985年)など複数が存在している。

前述した演奏のいずれもがベルリン・フィルとのものであることが特徴と言えるところであり、カラヤンが同曲を演奏するにあたってはオーケストラの機能性を重視していたことがよく理解できるところだ。

カラヤンはライヴでこそその真価を発揮する指揮者であり、前述の3種のライブ録音は素晴らしい超名演ではあるが、ここでは本盤を含め3種あるスタジオ録音の間の比較を軸に論じていくこととしたい。

いずれも名演の名に値すると思うが、演奏の性格は大きく異なると考えられる。

1959年盤については、カラヤンによるDGへのデビュー盤でもあるが、この当時はベルリン・フィルにフルトヴェングラー時代の重心の低い音色の残滓が存在しており、シュヴァルベのヴァイオリンソロはいかにもカラヤン好みの官能的な美しさを誇ってはいるものの、オーケストラの音色はいわゆるカラヤンサウンドで満たされているとは言い難い面があり、カラヤンの個性が完全に発揮されているとは言い難いとも言える。

これに対して1974年盤は、カラヤン色が濃い演奏と言える。

シュヴァルベのヴァイオリンの官能的な美しさは相変わらずであるが、オーケストラは肉厚の弦楽合奏、ブリリアントな金管楽器の朗々たる響き、桁外れのテクニックを示す木管楽器、雷鳴のように轟くティンパニなどをベースに流麗なレガートが施されるなど、いわゆるカラヤンサウンドが満載であり、徹頭徹尾カラヤン色に染め上げられた演奏に仕上がっていた。

これに対して本演奏(1985年)は、カラヤンの統率力の衰えから、カラヤンサウンドを聴くことができるものの、1974年盤のように徹頭徹尾ということにはなっていない。

したがって、音のドラマの構築という点では1974年盤よりも劣っていると言わざるを得ないが、本演奏にはカラヤンが自らの人生を自省の気持ちを込めて顧みるような趣きが感じられるところであり、枯淡の境地にも通じるような味わい深さといった面では、1959年盤や1974年盤をはるかに凌駕していると言えるだろう。

これには、ヴァイオリンソロが官能的な美しさを誇るシュヴァルベから質実剛健なシュピーラーに変わったのも大きいと考えられる。

いずれにしても、これら3種の名演の比較については困難を極めるところであり最終的には好みの問題になるとは思うが、筆者としては、カラヤンが最晩年に至って漸く到達した枯淡の境地、至純の境地を味わうことができる本演奏を随一の至高の超名演と高く評価したい。

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2014年08月12日


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1969年5月30日 モスクワ音楽院大ホールに於けるライヴ(ステレオ)録音。

全盛期の帝王カラヤンが旧ソ連に乗り込んでの渾身のライヴで、録音にややハンディがあるが、演奏そのものは壮絶な名演だ。

我々は、カラヤンの「英雄の生涯」の名演として、スタジオ録音による1959年盤、1974年盤、1985年盤、ライヴによる1985年盤を知っており、いずれ劣らぬ名演だが、カラヤンはやはりライヴの人。

これまで筆者は、先般テスタメントから発売された1985年のライヴ盤を最も評価してきたが、この1969年盤は、人生の諦観のような味わいを感じさせる1985年盤とは異なり、飛ぶ鳥落とす勢いであったカラヤンの壮年期ならではの覇気に満ち溢れており、独特の魅力を醸し出している。

現時点では、カラヤンの「英雄の生涯」では、このモスクワ・ライヴをベストに推したい。

確かに録音はあまり良くないかも知れないが、この演奏には、絶頂期に入ったカラヤン&ベルリン・フィルの、クライマックスの上にさらにクライマックスを築き上げていく一期一会の凄絶な演奏が記録されている。

第1部「英雄」の覇気あふれる演奏、第4部「英雄の戦い」の敵との総力戦が本当に行われているかのような殺気だった響き(かなりオンマイクでとらえられたスネアドラムの響きが好悪を分かれるかもしれない)が強烈。

もちろん第3部「英雄の伴侶」のゆったりとした愛の歌や第6部「英雄の引退と完成」の諦観を感じさせる晩年の英雄の描写も十分である。

まとまり全体でいうと1974年盤がベストであるが、ここに於けるカラヤン&ベルリン・フィルはテンションが尋常ではなく、特に『戦い』の場面では、トランペットをはじめとする金管の咆哮・ティンパニが炸裂し痛快きわまりない。

それこそ、ソ連的爆演とさえ言えるところであり、晩年のライヴやスタジオ録音では聴けないカラヤンがこの盤に存在する(テスタメントの1970年代のライヴはあまり面白くない)。

生前のカラヤンは、モーツァルトのディヴェルティメント第17番を「英雄の生涯」をはじめとするシュトラウス作品の前プロとしてよく取り上げていたようだ。

十分すぎるほど覇気あふれる演奏に「モーツァルトってこれでいいのか?」と思ったり、「いや、流麗で生き生きとした演奏もモーツァルトの一つの姿なのだ」と思い直したりもするが、その歌い回しの巧妙さには惚れ惚れとしてしまうばかりである。

本公演は、盟友ムラヴィンスキー(2人ともトスカニーニ信奉者で馬が合ったらしい)の熱烈なるラヴコールで実現した公演だった。

カラヤンの演奏は、ムラヴィンスキーの盟友と言うに恥じないものであったことが、これで確認できる。

旧ソ連はカラヤンにとって、決してアウェイではなかったことが、この演奏からもわかるだろう。

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2014年07月14日


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本盤に収められたR.シュトラウスの楽劇「アラベラ」は、ショルティがウィーン・フィルとともにワーグナーの楽劇「ニーベルングの指環」の歴史的な初のスタジオ録音(1958〜1965年)を開始する直前の演奏である。

楽劇「ばらの騎士」や「サロメ」などと比較するとあまりにも録音の点数が少ない楽曲、そして、世界で最も掌握しづらいオーケストラであるウィーン・フィルを指揮して、このようなスタジオ録音を行ったという点に、若きショルティの並々ならない意欲とR.シュトラウスに対する深い愛着があらわれていると言えるところだ。

同曲は、R.シュトラウスの楽劇としては、「サロメ」や「エレクトラ」のような革新的、前衛的な要素はあまり存在しておらず、むしろ、「ばらの騎士」などの路線に立った後期ロマン派的な楽劇と言える。

ショルティの楽曲への基本的なアプローチは、切れ味鋭いリズム感とメリハリの明瞭さであるが、このようなアプローチは、「サロメ」や「エレクトラ」には適していたとしても、同曲にはあまり相応しいものとは言えないとも考えられる。

しかしながら、ショルティが「ばらの騎士」でも名演を成し遂げたのと同様に、同曲でも素晴らしい名演を成し遂げることに成功していると言えるだろう。

確かに、随所に聴かれるトゥッティにおいて、ショルティならでは迫力満点の強靭さも存在しているが、この当時のウィーン・フィルが有していた美しさの極みとも言うべき美音が演奏全体を支配し、ショルティのいささか鋭角的な指揮ぶりに適度の潤いと温もりを付加させるのに大きく貢献していると言えるのではないだろうか。

ショルティとウィーン・フィルの関係は、とても良好なものとは言い難かったが、本演奏においては、むしろ、ショルティの方がウィーン・フィルに歩み寄っているような印象も受けるところであり、その結果として、このような素晴らしい名演に仕上がったとも言えるところだ。

同曲には、ベーム盤以外に強力なライバルが存在していないのも本盤にとって大きな追い風になっているとも言えるところであり、本演奏は、同曲演奏の一つの規範として現在でもなお輝きを失うことのない素晴らしい名演と高く評価したい。

歌手陣も豪華であり、特に、リーザ・デラ・カーザのアラベラ役は当時最高の当たり役。ズデンカ役のヒルデ・ギューデンやマンドリーカ役のジョージ・ロンドン、そしてワルトナー伯爵役のオットー・エーデルマンなど、超一流の歌手陣が最高の歌唱を披露しているのも、本演奏を聴く最高の醍醐味である。

そして、今は無きゾフィエンザールの豊かな残響を活かした英デッカによる名録音も、今から50年以上も前とは思えないような極上の高音質を誇っていると言えるところであり、本盤の価値を高めるのに大きく貢献しているのを忘れてはならない。

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2014年06月09日


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調性の伸びた耳障りな「サロメ」と、「サロメ」よりその傾向が著しい「エレクトラ」の後で、リヒャルト・シュトラウスは別な方向のオペラを作った。

「Der Rosenkavalier(ばらの騎士)」が壮大な傑作なのは、演奏時間が長い(3時間を越える)からだけではなく、登場人物の複雑な人間模様(誰もが他の誰かに夢中になっている)と、作曲家が生み出した絶え間なく続く美しい旋律のおかげである。

音楽のまぎれもない豪華さは、このオペラを20世紀のオペラの中でもとりわけ胸を打つ最高傑作にしている。

本作はカルロス・クライバーが、陽気なスコアに熱意あふれる解釈を施し、すべての音符を大切に演奏した1994年ウィーン国立歌劇場の舞台を収録している。

主役3人を演じるのは、すばらしいプリマドンナたちで、シュトラウスのもっともロマンティックな登場人物を満点の演技で表現している。

表紙右側のアンネ・ゾフィー・フォン・オッターも美しいが、フェリシティ・ロットの好演が光る。

フェリシティ・ロット(元帥夫人)、アンネ・ゾフィー・フォン・オッター(オクタヴィアン)、バーバラ・ボニー(ソフィー)で、終幕の三重唱も実に見事で、あらゆるオペラの中で最高のシーンといえる。

筆者はオットー・シェンク演出ということで購入した。

1978年初めてミュンヘンでカルロス・クライバー指揮、オットー・シェンク演出の「こうもり」を観て以来、華麗、豪奢な演出にすっかり魅惑された。

この「ばらの騎士」も同じ組み合わせで、ウィーン国立歌劇場の公演ということもあり、奇をてらうことなく、現代風のアレンジもない、古典的ともいえる重厚な演出にシェンクらしさが遺憾なく発揮されている。

同氏のDVD化されている「こうもり」の後に購入したが、前者に比べオペラ自体の魅力が少し欠けるような気が若干する。

独、英、仏語の粗筋が付いている。

カルロス・クライバー、R.シュトラウスの写真は載っているがシェンクの写真がないは残念。

豪華な雰囲気を味わいたい時、一度は大画面で見てみたい作品だ。

ステレオサウンドもビデオから変換した映像も安定している。

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2014年06月07日


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ショルティは、とある影響力の大きい音楽評論家の罵詈雑言も多分にあると思うが、実力の割に過小評価されている指揮者である。

同じく罵詈雑言を浴びせながらも、フルトヴェングラーと並ぶ大指揮者として評価の高いカラヤンに匹敵するほどの膨大なレコーディングを遺しながら、一部の熱心なクラシック音楽ファンを除いて現在では殆ど忘れられつつある存在と言えるだろう。

ショルティは、もちろん交響曲や管弦楽曲などの分野において名演を遺しているのであるが、カラヤンと同様に、そのレパートリーの中心にはオペラが存在したと言える。

特に、ショルティの名声を決定的にしたのは、ウィーン・フィルとのワーグナーの楽劇「ニーベルングの指環」の初のスタジオ録音(1958〜1965年)であったと言うのは論を待たないところだ。

そして、本盤に収められたR・シュトラウスの楽劇「ばらの騎士」は、前述の歴史的なスタジオ録音を終了させた後に行われたものである。

ショルティとウィーン・フィルの相性は必ずしも芳しいものではなく、ウィーン・フィルの主要な楽団員をして、ショルティとは契約に定められた演奏(録音)以外は好んでともに演奏することはないなどと言わしめたほどである。

しかしながら、実際に録音がなされた演奏の出来が悪いかと言うと、必ずしもそうではない。

前述の楽劇「ニーベルングの指環」にしても、現在でも同曲最高峰の名演としての地位を譲っていないところであり、お互いに反発し合うところはあっても、真のプロフェッショナルとして名演奏を成し遂げようという不断の努力を行なってきたということであろう。

本盤の楽劇「ばらの騎士」も、そうしたショルティとウィーン・フィルによる真のプロフェッショナルとしての偉大な名演奏が刻み込まれていると言えるのではないだろうか。

同曲の名演としては、カラヤンの新旧両盤(フィルハーモニア管弦楽団との1956年盤、ウィーン・フィルとの1982〜1984年盤)が2大名演とされており、それにカルロス・クライバー&バイエルン国立歌劇場管弦楽団ほかによるライヴ録音(1973年)が追う展開となっている。

ウィーン・フィルを起用した名演としてはエーリヒ・クライバーによる録音も存在しているが、本盤のショルティ盤もタイプは異なるが、前述の各名演に次ぐ存在と言えるのではないかと考えられるところだ。

本演奏におけるショルティの指揮には、カラヤンの旧盤やカルロス・クライバーによる演奏が有していた躍動感や、カラヤンの新盤のような老獪な味わい深さは存在していないが、ショルティの特徴とも言える強靭とも言えるリズム感とメリハリのはっきりとした明朗さが、R・シュトラウスが施した華麗なオーケストレーションを細部に至るまで明晰に紐解くのに成功し、スコアに記された音符の数々を忠実に音化したという意味での完成度の高さは天下一品。

まさに、同曲の音楽の素晴らしさをダイレクトに聴き手に伝えることに成功している点を評価したい。

そして、ショルティのややシャープに過ぎるアプローチに適度の潤いと温もりを付加させているのが、ウィーン・フィルの極上の美演であると言えるところであり、その意味ではショルティとウィーン・フィルが表面上の対立を乗り越えて、お互いの相乗効果を発揮させたことが、本名演に繋がったと言えなくもないところだ。

そして、本演奏の場合は歌手陣も素晴らしい。

何と言っても、元帥夫人をレジーヌ・クレスパンが歌っているのが最大のポイント。

元帥夫人役としては、カラヤンの旧盤においておなじみのエリザベート・シュヴァルツコップのイメージが強い役柄ではあるが、巧さはともかくとして味わい深さにおいては、クレスパンはいささかも引けを取っていない。

オックス男爵役のマンフレート・ユングヴィルトやオクタヴィアン役のイヴォンヌ・ミントン、ゾフィー役のヘレン・ドナートなども素晴らしい歌唱を披露していると高く評価したい。

英デッカによる今は無きゾフィエンザールによる名録音も、本盤の価値を高めるのに大きく貢献しているのを忘れてはならない。

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2014年06月05日


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この演奏内容の素晴らしさについては、以前のレビューにも記したところであるが、当盤は何と言ってもオルフェオのセンス抜群の復刻SACD化による高音質によって、従来盤を遥かに凌ぐ奥行きのある素晴らしい音質に蘇ったことが特筆される。

この快挙により、今まで「ばらの騎士」をあまり聴かなかった人も、このSACDで開眼するであろう。

当時43歳のクライバーは、エネルギーたっぷりの鮮やかな音楽で、ただ最高の一言。

それにしてもなんと言う美しい音楽であろうか。

無駄な音など一音もなく、それを完璧に表現したクライバーの指揮もさすがである。

さらには、クライバーの指揮の推進力も相変わらず聴き応え満点だ。

この演奏の素晴らしさは、すでに語り尽くされているので、ここで改めて付け加えることはない。

キャストは、ファスベンダー、ポップ、リッダーブッシュとミュンヘンの「ばらの騎士」の極めつけ3人に加え、クレンペラーとショルティから重用された美声ソプラノ、クレア・ワトソンの元帥夫人と、この上なく強力な布陣。

しかし何にもまして嬉しいのは、リッダーブッシュのオックス男爵が聴けること。

その美しく高貴で、かつ性格的な歌唱の素晴らしさはモルやエーデルマンの名唱にも劣らない。

クライバーの2つの映像記録にも残っていないだけに、値千金の価値をこの演奏に与えている。

最高のキャスティングで曲の持つ力を演奏が凌駕してしまっている。

第3幕の3重唱の出だしなど余りの美しさに泣けてくる。

今後100年、これ以上の記録録音は出ないであろう。

次はクライバーの「オテロ」、「ラ・ボエーム」やまだ眠っている音源があるなら、マスターテープが古くなって損傷する前に、ぜひSACDで復刻して発売してほしい。

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2014年05月14日


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演奏は、世紀の大指揮者であるカラヤンと世紀のプロデューサーであるカルショウが初めてコンビを組んで英デッカに録音した超名演であり、R・シュトラウスについては他の追随を許さない名演の数々を遺してきたカラヤンとしても、本盤は、最上位に位置づけられるものと高く評価したい。

壮年期のカラヤンの生命力に満ち溢れた圧倒的な指揮ぶりと、古き良き時代の音色をいまだ残していた当時のウィーン・フィルとの組み合わせが、至高・至純の名演を成し遂げた。

これだけの名演だけに、SHM−CD盤やSACDハイブリッド盤など、これまで様々な高音質化への取組がなされてきたが、ついに、決定盤とも言うべき究極の高音質盤が発売された。

本盤は、もはやこの世のものとは思えないような極上の超高音質である。

ヒスノイズや、高域のピーク感が上手に処理されており、1959、60年録音とは思えないナチュラルでフラットなサウンドに生まれ変わっている。

「ツァラトゥストラかく語りき」では、冒頭のオルガンの音色からして、大地の奥底から響いてくるような重厚な迫力に満ち溢れているし、それらを土台とした金管楽器によるブリリアントな美しい響き、ヴァイオリン・ソロの美しさもとろけるような艶やかさ。

気宇浩然たるこの曲の特質をあますところなく表出した本盤はいま聴いても新鮮である。

「ツァラトゥストラ」は、壮年期の演奏だけに、全体の構築力の点では1970年代、1980年代のベルリン・フィルとの録音に一歩譲るが(場面転換が必ずしもスムーズにいっておらず、違和感が残る点など)、それでも「後の世の人びとについて」やボスコフスキーのソロで聴かせる弦の美しさなど、ふわっと風が巻き上がるようなR.シュトラウス独自の世界を表しているのはカラヤンならでは。

強奏の部分でちょっと背伸びしてて聴きずらい部分もあるのは否めないが、「動」よりも「静」をじっくり聴いておきたい演奏。

曲想とウィーン・フィルの音色とが合っているのは、むしろ後の2者。

「ティル」ではオケまでが聴く者に“いたずら”を仕掛けてくるように腕白だし、そして「ドン・ファン」に至ってはあれよあれよという間にのめりこんで20分過ぎてしまう。

「ティル」や「ドン・ファン」における管も弦もバリバリで、とにかく若く、ウィンナ・ホルンの魅力も素晴らしさの限りだ。

発売された高音質盤とは一線を画しており、デッカ・オリジナルLPで聴く音を彷彿させるようなまさに、演奏、録音のすべてにおいて最高水準の超名演盤と言えるだろう。

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2014年05月10日


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これはハンブルク国立歌劇場で新演出の『サロメ』が上演された際の初日のライヴである。

恐らくベームと付き合いのある演出家のアウグスト・エファーディングの招きに応じたのか、この大指揮者にとって1933年以来のハンブルク国立歌劇場との公演という意味においても記念碑的な意味を持つ。

時折この都市でコンサートは指揮していたものの、ベームにとっては嘗ての手兵、歌劇場にとっては“おらがマエストロ”の久々のオペラ公演ということで、共に気合が入ったであろうことは疑いようがない。

ハンブルクの聴衆にしても、この都市で音楽監督を務めたベームが、ウィーン国立歌劇場総監督に上り詰め、その後、カラヤンやバーンスタインらと世界の演奏界の頂点に君臨する存在になったことは誇りであったことであろう。

往年のマーラーがやはりこの地の歌劇場総監督からウィーン宮廷歌劇場へ進出したように。

しかも、ベームが監督を務めていた時代のメンバーは先ず在籍していなかったであろうし、聴衆の中にもハンブルク時代のベームを知る人も少なかったであろうが、久々にコンビを組んだとは思えない程に指揮者も管弦楽も一つにまとまっている。

北ドイツ気質というか、まさに共に質実剛健で、音楽の本質に真っ向から切り込んでいく。

しかも、ライヴならではの破壊力が随所に感じられて、息をつく暇はなく、コーダまで息詰るような緊張感が支配している。

その為、この楽劇に美少女サロメの妖艶さや情感の豊かさを求める向きには禁欲的な演奏と言える。

ただ、ベームは師であったシュトラウスの意図や指揮ぶりも熟知しており、恐らくこの演出こそが本来この楽劇に求められたものであろうと思わせるだけの説得力がある。

歌手陣ではF=ディースカウとオフマンが素晴らしい。

サロメ役のジョーンズは恐らく舞台では凄く映えたであろうが、歌だけを聴く限り、時折ヒステリックになり、演技の限界を露呈している。

ヨカナーン役のF=ディースカウに関しては、ベストパフォーマンスだと思う。

無比の燃焼を示した不朽の歴史的名盤と称するべきである。

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2014年05月04日


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R.シュトラウスを得意にしていた帝王カラヤンが、独自の芸風を確立した1970年代にEMIへ吹き込み、初出時に大評判になった3つの大作を収録。

壮麗な《英雄の生涯》をはじめ、これが唯一の録音となった《家庭交響曲》、名手ロストロポーヴィチの雄弁なソロを組み込んだ《ドン・キホーテ》など、いずれも極めつけの名演揃いである。

ベルリン・フィルの柔軟性と機動力に富んだサウンドも特筆物である。

しかし、《英雄の生涯》と《ドン・キホーテ》については既にレビュー投稿済みなので、ここでは《家庭交響曲》について述べたい。

カラヤンによる同曲唯一の録音で、このコンビとしては大変に珍しいパリでの録音(これも唯一であろう)。

カラヤン&ベルリン・フィルは1973年の1月にベルリンで初めて同曲を演奏、同年の来日公演でもプログラムにのせている。

カラヤンのR.シュトラウスは定評のあるところだが、その中でも彼の美質が特によく示されているのがこの《家庭交響曲》である。

カラヤンは作品の表題性と音楽性を見事に両立させており、各部を精妙な表情と清純な色調で演奏して、最後まで聴き手を飽きさせない。

あるいは朗々と歌い、あるいはささやくように繊細な効果を発揮しているが、いずれも音楽的に自然で暖かく、ロマン的な雰囲気も豊かに感じさせる。

極上の美しい響きを基調にしつつ、巧みな表情の変化と雄弁な語り口で各部分の標題的な内容を克明に描くその鮮やかさは、まさにカラヤンの独壇場。

とりわけの聴きどころは愛の情景の部分で、《ばらの騎士》の冒頭とともに、シュトラウスのこの見事な男女の愛の営みの音楽描写を、カラヤンほど的確に表現した指揮者はいないだろう。

激しい情熱と甘い気分との間に揺れ動きつつ、次第に興奮を高めて絶頂感に達し、果てたのち、心地よいけだるさを感じさせる。

その官能的かつ肉感的な表現の濃厚さと迫真性はまさに比類がない。

それがベルリン・フィルの名技に支えられていることも特筆しておく必要がある。

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2014年04月27日


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1955年度フランス・ディスク大賞受賞盤である。

その名誉にそむかず、驚くべき名演で、1954年という年代的な古さだけで敬遠してはならない名演。

モノーラル末期の録音だが、CDに聴く《ばらの騎士》のなかでの最高の名盤であろう。

カルロス・クライバーの父エーリヒの指揮は、ウィーン情緒豊かだが、決して伝統の上にあぐらをかいたものではなかった。

チャーミングなソロ楽器の競演、劇中の各ワルツの悩ましいばかりの艶やかさはまさに最高と言えよう。

特にワルツのリズム扱いひとつを取り上げてみても、余人の追従を許さない個性的な生気と閃きがあり、しかも一方では、思い入れの度が過ぎたり、センチメンタルにもなり過ぎない冷静さがあった。

主な役どころを生粋のウィーンの歌手で固め、伝説的なライニングの元帥夫人といかにも育ちのいいオクタヴィアンを演じた当時新進気鋭のユリナッチの取り合わせといった女声が目立っている。

大体、この楽劇は男声が難しいが、ウェーバーのうまさは唖然たるもので、人間味豊かなオックス男爵など、配役もすこぶる強力である。

また、重唱の美しさと管弦楽のニュアンスが細かく、響きの美しいことが、このディスクの成功の原因である。

E.クライバーの指揮、ウィーン・フィルの演奏、歌手たちの歌いぶり、その全てが最高の境地で一体化しながら、この作品の素晴らしさを万全に伝えている。

筆者は根っからのオペラ好きではないかもしれないが、個人的にはオペラの場合でもオーケストラの比重は大きく考えている。

つまり、歌手がいかに豪華であっても、オーケストラが添え物的では満足できない(むろん、逆にオケが良くて歌手がB級でも困るが)。

その点、この録音はオーケストラがびっくりするほどきれいで、ウィーン・フィルの美点を最も顕著に捉えた名録音の一つだろう。

このオペラではカルロスよりも父エーリヒの方がずっと上だ。

また第3幕の最後、若い恋人同士が去った後、黒人の少年がゾフィーの落としたハンカチを拾い、舞台から姿を消して幕となるが、この洒落切った幕切れの音楽もエーリヒの瀟洒さが抜群だ。

ここにはR.シュトラウスとウィーンの輝きがある。

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2014年04月01日


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カラヤンはR・シュトラウスを得意としていたが、その中でも楽劇「ばらの騎士」は特にお気に入りの楽曲であったということでよく知られているところだ。

ザルツブルク祝祭大劇場のこけら落とし公演にカラヤンが選んだ曲目も同曲であるし、その後も同音楽祭で何度も採り上げてきた演目であった。

CDとしての録音もフィルハーモニア管弦楽団とのスタジオ録音(1956年)、そして本盤のウィーン・フィルとのスタジオ録音(1982〜1984年)の2度に渡って行われているし、DVD作品も2種(前述の1960年のザルツブルク祝祭大劇場こけら落し公演の収録、1984年のザルツブルク音楽祭ライヴ収録)遺されている。

これはカラヤンが同曲を深く愛していたことの証左であると考えられるところだ。

DVD作品は別として、CDとしては、1956年の旧盤の方が永遠の歴史的名盤として極めて高い評価を受けている。

確かに、当該演奏は、壮年期のカラヤンならではの颯爽とした音楽性豊かな指揮ぶり、そして歌手陣の豪華さは圧倒的であり、特に、有名な第3幕の「ばらの騎士の三重唱」は、もはやこの世のものとは思えないほどの抗し難いほどの美しさを湛えていた。

それでは、本盤の演奏が1956年盤に劣っているのかと言うと、必ずしもそうとは言い切れないのではないだろうか。

本盤が録音された1982年〜1984年と言えば、ベルリン・フィルとの関係に亀裂が生じるとともに、健康状態も悪化していたこともあって、カラヤンとしても心身ともに好調とは言えない時期に相当するが、人生の辛酸を舐め尽くした巨匠ならではの円熟の指揮ぶりは、明らかに旧盤を遥かに凌駕している。

旧盤では、あくまでも比較の問題であるが、オクタヴィアンとゾフィーの若きカップルの幸せの方に焦点が当たっていたものが、本盤では、元帥夫人の諦観に焦点が当てられた演奏となっており、カラヤンの指揮は、自らに忍び寄る老いを自覚しつつ、若きカップルの幸せを温かく見守るという元帥夫人に同化しているような趣きさえ感じさせるところだ。

そう思って聴くと、本演奏における「ばらの騎士の三重唱」は、数々のオペラの名演を成し遂げ、名実ともにオペラ界の頂点を極めた巨匠カラヤンの現世への告別のようにも聴こえるところであり、涙なしには聴けないほどの抗し難い感動を呼び起こす畢生の名演奏に仕上がっていると評価したい。

歌手陣は、カラヤンの旗本とも言うべき歌手陣が配されており、1956年盤と比較すると若干落ちるとは思うが、元帥夫人のトモワ=シントウ、女たらしのオックス男爵にクルト・モル、オクタヴィアンにアグネス・バルツァ、ゾフィーにジャネット・ペリーという豪華な布陣。

このうち、元帥夫人については、さすがに旧盤のエリザベート・シュヴァルツコップと比較するといささか線の細い気もしないではないが、シュヴァルツコップの巧さが鼻につくというクラシック音楽ファンの中には、本盤のトモワ=シントウの歌唱の方を好ましいと思う人がいても何ら不思議ではない。

ウィーン・フィルの演奏も美しさの極み。

当時のカラヤンは、前述のように、ベルリン・フィルとの関係が決裂しており、ウィーン・フィルに指揮活動の軸足を移していた。

ウィーン・フィルは、そうした傷心のカラヤンを温かく迎え、カラヤンとともに渾身の名演奏の数々を成し遂げていた。

本演奏もその一つであり、どの箇所をとっても、カラヤンと一体となって、オペラ指揮者としての集大成とも言うべき名演奏を成し遂げようと言う気構えが感じられるところだ。

まさに、指揮者とオーケストラの関係の理想像の具現化とも言えるところであり、指揮の巧さだけをとれば旧盤ということになろうが、本演奏こそは、カラヤンによる同曲の演奏の、そしてカラヤンがこれまで行ってきたあらゆるオペラ演奏の集大成とも言うべき至高の超名演と高く評価したい。

なお、カラヤンの最も優れた伝記を執筆したリチャード・オズボーン氏によると、カラヤンは、本盤の録音の際、「菓子屋の店先を離れようとしない子どもと同じ」ように、既に完璧な録音が終わっている長い箇所についても敢えて何度も録音し直したとのことである。

カラヤンは結果として本盤の録音に3年もの期間を要しているが、カラヤンとしても、このオペラ演奏の桃源郷とも言うべき世界にいつまでも浸っていたかったに相違ないと考えられるところだ。

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2014年03月27日


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作曲者と指揮者を結ぶ「絆」の強さを音で聴かせる名盤だ。

R.シュトラウスは交響詩《英雄の生涯》をオランダの名指揮者で、アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団を一代で世界屈指の名門オーケストラに育成したウィレム・メンゲルベルク(1871-1951)と彼のオーケストラに捧げている。

R.シュトラウスは「若々しい心と情熱にあふれ、しかも練習熱心な」指揮者とオーケストラの賛美者であり、たびたび客演もしていたのだが、自画像のような名作を捧げることで友情と賛美の証としたのである。

R.シュトラウスの「超絶技巧のオーケストレーション」とも言える煌びやかな音響の「超絶」を統率するのは当時の指揮者にとっては至難の業であったが、複雑なスコアを楽に紐解くことができ、大音響を好んだメンゲルベルクにとって、R.シュトラウスの作風はまさに望むところであった。

すぐにメンゲルベルクはこの作品を指揮するようになり、彼の技術と作品との最高のコンビネーションの証拠がこのCDにもあらわれているが、アムステルダムでは他の指揮者が採り上げることを許さなかったというから偉かったのである。

そんな演奏を聴いたR.シュトラウスは芳醇さと優雅さを絶賛しながらも、さらにより鋭利なアクセントと活力、そして荒々しさも求めたというから面白い。

全盛期を謳歌していたメンゲルベルク/アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団は1941年に《英雄の生涯》を録音しているが、芳醇さと鋭さ、優雅さと荒々しさに加えて、惚れ惚れとするばかりの巧さを加味、記念碑的名演としている。

隅から隅まで作品を知り尽くした指揮者とオーケストラが、愛情と責任感とを背景に歌い上げた熱演であると同時に、トランペットなどソロをとる首席奏者たちの素晴らしさが際立っており、どこか風格すら感じてしまうほどである。

作曲者が求めていた理想の作品の姿がこうした名演で残されたことは値千金の価値を持つ。

SP録音ながら信じ難いサウンドの優秀さにも驚かされるし、名ホールのアコースティックまでもが味わえるのも奇跡のようである。

これを聴いてしまうと、その後のオーケストラは本当に成長し、発展したのかと、しばし考え込むことにもなりかねない。

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