ギーゼキング

2017年08月03日


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ギーゼキングの演奏の価値はバッハの鍵盤楽器用作品をピアノで演奏するための普遍的な奏法を開拓していることである。

当時のピアニストがバッハのチェンバロ曲を体系的にレパートリーにすることは少なく、コンサートやレコーディングでも積極的にバッハを採り上げることが一般的でなかった時代に、彼がこれだけの充実した演奏集を遺してくれたことは驚異的でさえある。

ちなみに彼と同時代にはエトヴィン・フィッシャー、バックハウス、ケンプ、アラウ、ホロヴィッツやルービンシュタイン等が活躍していた。

しかしながらフィッシャー以外はごく単発的にバッハを演奏するか、あるいは全く無視するという程度で、バッハの作品に造詣が深く、またコラールの編曲でも知られたケンプでさえ、それらはあくまで演奏会のアンコール用に用意されたものでプログラムのメインになることはなかった。

バッハの音楽はあらゆるタイプのアレンジが可能だが、ライナー・ノーツでもギーゼキングは同時代の著名なピアニスト達がバッハのオリジナル・ピースよりも、リストやブゾーニによって大幅に手が加えられた編曲物を好んで演奏していたことに批判的だ。

彼は既にそれらが本筋から逸れた際物でしかないことを見抜いている。

そこではバッハをピアノで弾くための秘訣が語られているが、それが現在バッハ演奏の基本的な奏法として定着していることをみても、彼が如何にバッハの作品の再現に先見の明を持っていたかが理解できる。

当時はその後に校訂される正規の原典版がまだなかった時代なので、細部での音符や装飾音の相違が聴かれるが、それらは当然許容範囲とすべきだろう。

彼は表現上の感情移入についてもかなりの抑制を要求しているし、チェンバロには存在しない保音ペダル使用についても極めて限定的に考えていて、声部を保つためには指で鍵盤を押さえ続けることが基本であることを説いている。

このセットに収録された作品集の総てが1950年の放送用音源だが、こうした演奏活動がその直後の1952年のロザリン・テューレックの平均律全曲録音にも繋がっていくし、グレン・グールドの登場によってバッハのチェンバロ用作品のピアノ演奏は不動の地位を獲得したと言えるだろう。

グールドはテューレックから影響を受けたとされるが、これら一連のギーゼキングの録音を聴いていたことが想像されるし、実際多くの部分でそう思える箇所が指摘し得る。

ギーゼキングの演奏はそうしたパイオニア的な意味を持つだけでなく、現在の私達が鑑賞しても全く古臭さを感じさせない現代的センスが示されている。

イギリス組曲及びフランス組曲の12曲を含んでいないのが残念だが、それらに関しては音源が残されていないのだろう。

音質は時代相応といったところで格別優れたものでないことは断わっておく必要があるが、破綻はなくリマスタリング効果もあって鑑賞に不都合はない。

36ページのライナー・ノーツには既に紹介したギーゼキング自身が1949年に書いた『コンサート・グランドによるバッハの表現』と題された興味深いエッセイが掲載されている。

尚最後にボーナス・トラックとしてフルトヴェングラー指揮、ベルリン・フィルとの協演になる1942年のライヴでシューマンのピアノ協奏曲が収録されている。

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2015年04月06日


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ワルター・ギーゼキングのドビュッシーのピアノ曲の演奏はやはり素晴らしい。

稀代のドビュッシーのピアノ曲の演奏家として知られたギーゼキングであるが、遺された録音がモノラル録音であったこともあって、どうしてもその後の様々なピアニストによる演奏と比較すると、必ずしも絶対的な地位を確立していたとは言い難い状況にあったと言えるところだ。

そうしたギーゼキングの代表的な名演とも言うべきドビュッシーのピアノ曲の一連のスタジオ録音が、EMIによってSACD化され、分売されたことは、以前の各レビューにも記したところであるが、これらがまとめてセットで、しかも安価で発売される運びとなったことは何と言う素晴らしいことであろうか。

ギーゼキングによるドビュッシーのピアノ曲の演奏は、特別な個性を発揮したり、はたまた奇を衒った解釈を施したりするということは薬にしたくもなく、緻密なスコアリーディングに基づき、曲想を精緻に、そして丁寧に描き出していくという、ある意味ではオーソドックスなアプローチに徹したものと言える。

楽譜の正確な解釈と陰影豊かで格調高い演奏によるドビュッシーで、あくまで作品を知的に読み取り、余情を挟むことなく、絶妙にコントロールされた表現に徹しているものの、その内容は決して無味乾燥にはなっていないところはさすが名匠ギーゼキングであり、こまやかなニュアンスを駆使した、純度の高い至芸が聴ける。

卓越したテクニックにも出色のものがあると言えるものの、モノラル録音ということも多分にあるとは思うが、素っ気なささえ感じさせるところもあり、即物的な演奏とさえ言えるところだ。

しかしながら、一聴すると淡々と流れていく各旋律の端々には、独特の細やかなニュアンスやフランス風のエスプリ漂う豊かな情感に満ち溢れており、決して無機的な演奏には陥っていないと言える。

そして、ギーゼキングの演奏で素晴らしいのは、1950年代の演奏であるにもかかわらず、いささかも古臭さを感じさせるということがなく、むしろ、その演奏は清新さに溢れていると言えるところであり、その気高い格調の高さにおいても卓抜としたものがあったと言えるだろう。

ドビュッシーのピアノ曲を得意とするピアニストは、その後数多く誕生しているが、それらのピアニストによる数々の名演を耳にした上で、ギーゼキングによる本演奏を聴いても、録音の古さは感じても、演奏内容自体には違和感など全く感じさせず、むしろ新鮮味さえ感じさせるというのは殆ど驚異的ですらあると言えるところだ。

本セットに収められた諸曲も、前述のようなギーゼキングによる芸風が見事に表われた名演と言えるところであり、まさに古くて新しい、現代においてもドビュッシーのピアノ作品演奏の規範とも言うべき至高の名演と高く評価したいと考える。

このように、ギーゼキングによるドビュッシーのピアノ作品の演奏は、演奏自体は素晴らしいが、モノラル録音というハンディもあって、その音質は、従来CD盤では鮮明さに欠ける音質であり、時として音が歪んだり、はたまた団子のような音になるという欠点が散見されたところであった。

ところが、先般、ついに待望のSACD化が行われることによって大変驚いた。

もちろん、最新録音のようにはいかないが、従来CD盤とは次元が異なる見違えるような、そして1950年代前半のモノラル録音とは信じられないような、かなり鮮明な音質に生まれ変わったと言える。

いずれにしても、ギーゼキングによる至高の名演を、SACDによる比較的良好な高音質で味わうことができるのと、EMIがこれらの名演を集成して、低廉に入手できる運びになったことを大いに歓迎したいと考える。

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2014年12月20日


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不世出の大歌手であったシュヴァルツコップは、様々な楽曲において持ち前の名唱を余すことなく披露したが、最も得意としていたのは、諸説はあると思われるが、その声質からしてもモーツァルトの楽曲であったと言えるのではないだろうか。

例えば、シュヴァルツコップの歴史的な名唱としては、カラヤン&フィルハーモニア管弦楽団ほかをバックにスタジオ録音(1956年)されたR・シュトラウスの楽劇「ばらの騎士」における元帥夫人役が掲げられるが、当該楽劇もモーツァルトの歌劇「フィガロの結婚」の近現代音楽版とも言えるものである。

そして、同じ組み合わせによるモーツァルトの歌劇「フィガロの結婚」などにおいても素晴らしい歌唱を披露しており、シュヴァルツコップとモーツァルトの楽曲の抜群の相性の良さを感じることが可能だ。

そのようなシュヴァルツコップが、同じくモーツァルトを得意中の得意としていたギーゼキングと組んで、モーツァルトの歌曲集をスタジオ録音してくれていたのは何と言う素晴らしいことであろうか。

それにしても、シュヴァルツコップは上手い。

いや、あまりにも上手過ぎるとも言えなくもないが、これだけモーツァルトの歌曲の魅力を満喫させてくれれば文句は言えまい。

そして、上手過ぎるとは言っても、技巧臭がいささかもしないのがシュヴァルツコップの凄さと言えるだろう。

随所において豊かな情感が込められているが、それでいてセンチメンタルになることはなく、どこをとっても格調の高さを失うことがないのが見事である。

表情づけの巧さも特筆すべきものであり、シュヴァルツコップがいかにモーツァルトの歌曲の神髄を捉えていたのかが理解できるところだ。

ギーゼキングのピアノ演奏も素晴らしいものであり、シュヴァルツコップの名唱にいささかも引けを取っていない。

ギーゼキングのピアノ演奏は、例によって一聴すると即物的とも言うべきストレートな表現を旨としているが、よく聴くと随所に絶妙なニュアンスが込められているところであり、噛めば噛むほどに味わいが出てくるスルメのような内容豊かな演奏と言えるだろう。

したがって、モーツァルトの歌曲に相応しいピアノ演奏と言えるところであり、前述のようなシュヴァルツコップの名唱とも相俟って、珠玉の名演を成し遂げるに至っているものとして高く評価したい。

音質は、モノラル録音というハンディもあって、従来CD盤の音質は、いささか鮮明さに欠ける音質であり、時として音が歪んだり、はたまた団子のような音になるという欠点が散見されたところであった。

ところが、今般、ついに待望のSACD化が行われることによって大変驚いた。

従来CD盤とは次元が異なる見違えるような、そして1955年のモノラル録音とは到底信じられないような鮮明な音質に生まれ変わった。

シュヴァルツコップの息遣いやギーゼキングのピアノタッチが鮮明に再現されるのは殆ど驚異的であり、あらためてSACDの潜在能力の高さを思い知った次第である。

いずれにしても、シュヴァルツコップ、そしてギーゼキングによる素晴らしい名演を、SACDによる高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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2014年05月30日


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シューマンのピアノ協奏曲は、フルトヴェングラーとギーゼキングの唯一の協演盤であり、ベルリン・フィルの定期公演における実況盤である。

フルトヴェングラーの特徴は第1楽章に顕著だ。

冒頭和音の気迫、続いて入るピアノとのずれがいかにも彼らしく、木管による第1主題が始まると、心のこもった情感がいっぱいに漂ってくる。

この楽章で彼が言いたかったのは暗い人間の心だったのだ。

中間部初めのクラリネットや再現部の第1テーマはさながらしのび泣きを想わせる。

ギーゼキングも珍しく情緒的な演奏で指揮者に応えている。

第2楽章のフルトヴェングラーはやや歌い過ぎてデリカシーを欠き、第3楽章もわりに冴えない。

しかしコーダの加速はおそらく彼の示唆であろう、スムーズに決まっている。

ブラームスの第4番は、ベルリン・フィルの定期の実況録音で、当時のものとしては響きが豊かだ。

演奏は有名な1948年盤に酷似しているが、オケの状態はこの方が良いくらいである。

特にポルタメントを多用した弦の甘美さが際立っている。

しかし表現の厳しさや深みはさすがに5年後の演奏に及ばず、思い切りの良い決め方も今一歩だ。

このディスクだけを採ればもちろん名演だが、解釈が似ているだけに価値はうすい。

音質はどの復刻CDよりも自然な実在感と生命力にあふれる情報量豊かな再生音をオーパス蔵の復刻盤は持っている。

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2014年05月18日


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稀代のピアニストであったヴァルター・ギーゼキングによる名演としては、ドビュッシーのピアノ作品集やラヴェルのピアノ作品集などが名高い。

しかしながら、ギーゼキングのレパートリーはフランス音楽にとどまらず、独墺系の作曲家であるモーツァルトのピアノ作品集などでも名演の数々を成し遂げているところだ。

そして、モーツァルトのピアノ作品集に優るとも劣らない名演との評価を勝ち得ているのが、メンデルスゾーンの無言歌集である。

ギーゼキングによる無言歌集の本演奏は、特別な個性を発揮したり、はたまた奇を衒った解釈を施したりするということは薬にしたくもなく、緻密なスコアリーディングに基づき、曲想を精緻に、そして丁寧に描き出していくという、ある意味ではオーソドックスなアプローチに徹したものと言える。

卓越したテクニックにも出色のものがあるものの、モノラル録音ということも多分にあるとは思うが、素っ気なささえ感じさせるところもあり、即物的な演奏とさえ言えるところだ。

しかしながら、一聴すると淡々と流れていく各旋律の端々には、独特の細やかなニュアンスや豊かな情感に満ち溢れており、決して無機的な演奏には陥っていない。

そして、ギーゼキングの演奏で素晴らしいのは、1956年の演奏であるにもかかわらず、いささかも古臭さを感じさせるということがなく、むしろ、その演奏は清新さに溢れていると言えるところであり、その気高い格調の高さにおいても卓抜としたものがあったと言えるだろう。

メンデルスゾーンの無言歌集の録音を行っているピアニストは、その後数多く誕生しているが、それらのピアニストによる数々の名演を耳にした上で、ギーゼキングによる本演奏を聴いても、録音の古さは感じても、演奏内容自体には違和感など全く感じさせず、むしろ新鮮味さえ感じさせるというのは殆ど驚異的ですらあると言えるところだ。

本全集の演奏も、前述のようなギーゼキングによる芸風が見事にあらわれた名演と言えるところであり、まさに古くて新しい、現代においてもメンデルスゾーンの無言歌集演奏の規範とも言うべき至高の名演と高く評価したい。

このように、ギーゼキングによるメンデルスゾーンの無言歌集の演奏は、演奏自体は素晴らしいが、モノラル録音というハンディもあって、その音質は、従来CD盤では鮮明さに欠ける音質であり、時として音が歪んだり、はたまた団子のような音になるという欠点が散見されたところであった。

ところが、今般、ついに待望のSACD化が行われることによって大変驚いた。

従来CD盤とは次元が異なる見違えるような、そして1956年のモノラル録音とは到底信じられないような鮮明な音質に生まれ変わった。

ギーゼキングのピアノタッチが鮮明に再現されるのは殆ど驚異的であり、あらためてSACDの潜在能力の高さを思い知った次第である。

いずれにしても、ギーゼキングによる至高の名演を、SACDによる高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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2013年09月30日


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稀代のピアニストであったワルター・ギーゼキングによる名演としては、ドビュッシーのピアノ作品集が名高い。

そして、それに優るとも劣らない名演との評価を勝ち得ているのが、同じくフランス印象派の大作曲家であるラヴェルのピアノ曲全集である。

ギーゼキングによるラヴェルのピアノ作品の本演奏は、特別な個性を発揮したり、はたまた奇を衒った解釈を施したりするということは薬にしたくもなく、緻密なスコアリーディングに基づき、曲想を精緻に、そして丁寧に描き出していくという、ある意味ではオーソドックスなアプローチに徹したものと言える。

卓越したテクニックにも出色のものがあると言えるものの、モノラル録音ということも多分にあるとは思うが、素っ気なささえ感じさせるところもあり、即物的な演奏とさえ言えるところだ。

しかしながら、一聴すると淡々と流れていく各旋律の端々には、独特の細やかなニュアンスやフランス風のエスプリ漂う豊かな情感に満ち溢れており、決して無機的な演奏には陥っていない。

そして、ギーゼキングの演奏で素晴らしいのは、1950年代の演奏であるにもかかわらず、いささかも古臭さを感じさせるということがなく、むしろ、その演奏は清新さに溢れていると言えるところであり、その気高い格調の高さにおいても卓抜としたものがあったと言えるだろう。

ラヴェルのピアノ曲を得意とするピアニストは、その後数多く誕生しているが、それらのピアニストによる数々の名演を耳にした上で、ギーゼキングによる本演奏を聴いても、録音の古さは感じても、演奏内容自体には違和感など全く感じさせず、むしろ新鮮味さえ感じさせるというのは殆ど驚異的ですらある。

本全集の演奏も、前述のようなギーゼキングによる芸風が見事にあらわれた名演と言えるところであり、まさに古くて新しい、現代においてもラヴェルのピアノ作品演奏の規範とも言うべき至高の名演と高く評価したい。

このように、ギーゼキングによるラヴェルのピアノ作品全集の演奏は、演奏自体は素晴らしいが、モノラル録音というハンディもあって、その音質は、従来CD盤では鮮明さに欠ける音質であり、時として音が歪んだり、はたまた団子のような音になるという欠点が散見されたところであった。

ところが、今般、ついに待望のSACD化が行われることによって大変驚いた。

従来CD盤とは次元が異なる見違えるような、そして1950年代前半のモノラル録音とは到底信じられないような鮮明な音質に生まれ変わった。

ギーゼキングのピアノタッチが鮮明に再現されるのは殆ど驚異的であり、あらためてSACDの潜在能力の高さを思い知った次第である。

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稀代のドビュッシーのピアノ曲の演奏家として知られたワルター・ギーゼキングであるが、遺された録音がモノラル録音であったこともあって、どうしてもその後の様々なピアニストによる演奏と比較すると、必ずしも絶対的な地位を確立していたとは言い難い状況にあったところだ。

そのようなギーゼキングの代表的な名演とも言うべきドビュッシーのピアノ曲の一連のスタジオ録音が、EMIによってついにSACD化されることになったというのは、何と言う素晴らしいことであろうか。

ギーゼキングによるドビュッシーのピアノ曲の演奏は、特別な個性を発揮したり、はたまた奇を衒った解釈を施したりするということは薬にしたくもなく、緻密なスコアリーディングに基づき、曲想を精緻に、そして丁寧に描き出していくという、ある意味ではオーソドックスなアプローチに徹したものと言える。

卓越したテクニックにも出色のものがあると言えるものの、モノラル録音ということも多分にあるとは思うが、素っ気なささえ感じさせるところもあり、即物的な演奏とさえ言えるところだ。

しかしながら、一聴すると淡々と流れていく各旋律の端々には、独特の細やかなニュアンスやフランス風のエスプリ漂う豊かな情感に満ち溢れており、決して無機的な演奏には陥っていない。

そして、ギーゼキングの演奏で素晴らしいのは、1950年代の演奏であるにもかかわらず、いささかも古臭さを感じさせるということがなく、むしろ、その演奏は清新さに溢れていると言えるところであり、その気高い格調の高さにおいても卓抜としたものがあったと言えるだろう。

ドビュッシーのピアノ曲を得意とするピアニストは、その後数多く誕生しているが、それらのピアニストによる数々の名演を耳にした上で、ギーゼキングによる本演奏を聴いても、録音の古さは感じても、演奏内容自体には違和感など全く感じさせず、むしろ新鮮味さえ感じさせるというのは殆ど驚異的ですらある。

本盤に収められた「練習曲集」をはじめとした各種のピアノ作品についても、前述のようなギーゼキングによる芸風が見事にあらわれた名演と言えるところであり、まさに古くて新しい、現代においてもドビュッシーのピアノ作品演奏の規範とも言うべき至高の名演と高く評価したい。

このように、ギーゼキングによるドビュッシーのピアノ作品の演奏は、演奏自体は素晴らしいが、モノラル録音というハンディもあって、その音質は、従来CD盤では鮮明さに欠ける音質であり、時として音が歪んだり、はたまた団子のような音になるという欠点が散見されたところであった。

ところが、今般、ついに待望のSACD化が行われることによって大変驚いた。

従来CD盤とは次元が異なる見違えるような、そして1950年代前半のモノラル録音とは到底信じられないような鮮明な音質に生まれ変わった。

ギーゼキングのピアノタッチが鮮明に再現されるのは殆ど驚異的であり、あらためてSACDの潜在能力の高さを思い知った次第である。

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これまでは、モノラル録音ということもあって、最新録音によるドビュッシーのピアノ曲の演奏と比較すると分が悪かったワルター・ギーゼキングの代表的な名演とも言うべきドビュッシーのピアノ曲の一連のスタジオ録音が、EMIによってついにSACD化されることになったというのは、何と言う素晴らしいことであろうか。

ギーゼキングによるドビュッシーのピアノ曲の演奏は、特別な個性を発揮したり、はたまた奇を衒った解釈を施したりするということは薬にしたくもなく、緻密なスコアリーディングに基づき、曲想を精緻に、そして丁寧に描き出していくという、ある意味ではオーソドックスなアプローチに徹したものだ。

卓越したテクニックにも出色のものがあると言えるものの、モノラル録音ということも多分にあるとは思うが、素っ気なささえ感じさせるところもあり、即物的な演奏とさえ言えるところだ。

しかしながら、一聴すると淡々と流れていく各旋律の端々には、独特の細やかなニュアンスやフランス風のエスプリ漂う豊かな情感に満ち溢れており、決して無機的な演奏には陥っていない。

そして、ギーゼキングの演奏で素晴らしいのは、1950年代の演奏であるにもかかわらず、いささかも古臭さを感じさせるということがなく、むしろ、その演奏は清新さに溢れていると言えるところであり、その気高い格調の高さにおいても卓抜としたものがあったと言えるだろう。

ドビュッシーのピアノ曲を得意とするピアニストは、その後数多く誕生しているが、それらのピアニストによる数々の名演を耳にした上で、ギーゼキングによる本演奏を聴いても、録音の古さは感じても、演奏内容自体には違和感など全く感じさせず、むしろ新鮮味さえ感じさせるというのは殆ど驚異的ですらある。

本盤に収められた「映像」をはじめとした各種のピアノ作品についても、前述のようなギーゼキングによる芸風が見事にあらわれた名演と言えるところであり、まさに古くて新しい、現代においてもドビュッシーのピアノ作品演奏の規範とも言うべき至高の名演と高く評価したい。

このように、ギーゼキングによるドビュッシーのピアノ作品の演奏は、演奏自体は素晴らしいが、モノラル録音というハンディもあって、その音質は、従来CD盤では鮮明さに欠ける音質であり、時として音が歪んだり、はたまた団子のような音になるという欠点が散見されたところであった。

ところが、今般、ついに待望のSACD化が行われることによって大変驚いた。

従来CD盤とは次元が異なる見違えるような、そして1950年代前半のモノラル録音とは到底信じられないような鮮明な音質に生まれ変わった。

ギーゼキングのピアノタッチが鮮明に再現されるのは殆ど驚異的であり、あらためてSACDの潜在能力の高さを思い知った次第である。

いずれにしても、ギーゼキングによる至高の名演を、SACDによる高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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ワルター・ギーゼキングによるドビュッシーのピアノ曲の演奏はやはり素晴らしい。

そうしたギーゼキング代表的な名演とも言うべきドビュッシーのピアノ曲の一連のスタジオ録音が、EMIによってついにSACD化されることになったというのは、何と言う素晴らしいことであろうか。

ギーゼキングによるドビュッシーのピアノ曲の演奏は、特別な個性を発揮したり、はたまた奇を衒った解釈を施したりするということは薬にしたくもなく、緻密なスコアリーディングに基づき、曲想を精緻に、そして丁寧に描き出していくという、ある意味ではオーソドックスなアプローチに徹したものと言える。

卓越したテクニックにも出色のものがあると言えるものの、モノラル録音ということも多分にあるとは思うが、素っ気なささえ感じさせるところもあり、即物的な演奏とさえ言えるところだ。

しかしながら、一聴すると淡々と流れていく各旋律の端々には、独特の細やかなニュアンスやフランス風のエスプリ漂う豊かな情感に満ち溢れており、決して無機的な演奏には陥っていないと。

そして、ギーゼキングの演奏で素晴らしいのは、1950年代の演奏であるにもかかわらず、いささかも古臭さを感じさせるということがなく、むしろ、その演奏は清新さに溢れていると言えるところであり、その気高い格調の高さにおいても卓抜としたものがあったと言えるだろう。

ドビュッシーのピアノ曲を得意とするピアニストは、その後数多く誕生しているが、それらのピアニストによる数々の名演を耳にした上で、ギーゼキングによる本演奏を聴いても、録音の古さは感じても、演奏内容自体には違和感など全く感じさせず、むしろ新鮮味さえ感じさせるというのは殆ど驚異的ですらある。

本盤に収められた有名な「ベルガマスク組曲」や「子供の領分」、「アラベスク」、「夢」なども、前述のようなギーゼキングによる芸風が見事にあらわれた名演と言えるところであり、まさに古くて新しい、現代においてもドビュッシーのピアノ作品演奏の規範とも言うべき至高の名演と高く評価したい。

このように、ギーゼキングによるドビュッシーのピアノ作品の演奏は、演奏自体は素晴らしいが、モノラル録音というハンディもあって、その音質は、従来CD盤では鮮明さに欠ける音質であり、時として音が歪んだり、はたまた団子のような音になるという欠点が散見されたところであった。

ところが、今般、ついに待望のSACD化が行われることによって大変驚いた。

従来CD盤とは次元が異なる見違えるような、そして1950年代前半のモノラル録音とは到底信じられないような鮮明な音質に生まれ変わった。

ギーゼキングのピアノタッチが鮮明に再現されるのは殆ど驚異的であり、あらためてSACDの潜在能力の高さを思い知った次第である。

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ワルター・ギーゼキングの代表的な名演とも言うべきドビュッシーのピアノ曲の一連のスタジオ録音が、EMIによってついにSACD化されることになったというのは、何と言う素晴らしいことであろうか。

ギーゼキングによるドビュッシーのピアノ曲の演奏は、特別な個性を発揮したり、はたまた奇を衒った解釈を施したりするということは薬にしたくもなく、緻密なスコアリーディングに基づき、曲想を精緻に、そして丁寧に描き出していくという、ある意味ではオーソドックスなアプローチに徹したものと言える。

卓越したテクニックにも出色のものがあると言えるものの、モノラル録音ということも多分にあるとは思うが、素っ気なささえ感じさせるところもあり、即物的な演奏とさえ言えるところだ。

しかしながら、一聴すると淡々と流れていく各旋律の端々には、独特の細やかなニュアンスやフランス風のエスプリ漂う豊かな情感に満ち溢れており、決して無機的な演奏には陥っていない。

そして、ギーゼキングの演奏で素晴らしいのは、1950年代の演奏であるにもかかわらず、いささかも古臭さを感じさせるということがなく、むしろ、その演奏は清新さに溢れていると言えるところであり、その気高い格調の高さにおいても卓抜としたものがあったと言えるだろう。

ドビュッシーのピアノ曲を得意とするピアニストは、その後数多く誕生しているが、それらのピアニストによる数々の名演を耳にした上で、ギーゼキングによる本演奏を聴いても、録音の古さは感じても、演奏内容自体には違和感など全く感じさせず、むしろ新鮮味さえ感じさせるというのは殆ど驚異的ですらある。

本盤に収められた「前奏曲集」も、前述のようなギーゼキングによる芸風が見事にあらわれた名演と言えるところであり、まさに古くて新しい、現代においてもドビュッシーのピアノ作品演奏の規範とも言うべき至高の名演と高く評価したい。

このように、ギーゼキングによるドビュッシーのピアノ作品の演奏は、演奏自体は素晴らしいが、モノラル録音というハンディもあって、その音質は、従来CD盤では鮮明さに欠ける音質であり、時として音が歪んだり、はたまた団子のような音になるという欠点が散見されたところであった。

ところが、今般、ついに待望のSACD化が行われることによって大変驚いた。

もちろん、最新録音のようにはいかないが、従来CD盤とは次元が異なる見違えるような、そして1950年代前半のモノラル録音とは信じられないような鮮明な音質に生まれ変わった。

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2012年06月05日


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1956年9月 ロンドンでの録音で、20世紀を代表するピアニスト、ギーゼキングによる歴史的名盤の1つ。

その昔、モノーラルのLPレコードをそれこそ擦り切れるほどに愛聴した記憶のある懐かしい演奏。

抒情小曲全体の半数弱にあたる31曲が、現在では2枚組のCDに収められている。

グリーグが折に触れて書きつづった抒情小曲集は、いずれも豊かな詩情に溢れた佳作であるが、ギーゼキングはそれぞれの曲に実に自然なニュアンスを与えている。

正確なテンポ、たぐいまれな技術を背後に持ちながら曲想を表現してゆく彼の崇高な音楽性が満ち溢れている。

グリーグが日々の思いをさりげなく書き綴ったこれら可憐な小宇宙を、ギーゼキングはまるで1つ1つ慈しむかのように、何と美しく語り伝えていることだろう。

純真素朴な《ワルツ》に始まり、メロディアスな《アルバムのページ》や《メロディ》、あるいは物寂しい《孤独なさすらい人》を経て、やがてこよなく美しい《恋の曲》と名高い《春に寄す》へ……。

どれもギーゼキングの気高い音楽性と清澄なピアノに支えられ、珠玉の名品と化している。

ここに聴くギーゼキングは固有の禁欲性を保ってはいるものの、ナイーヴな情感に感性豊かに反応し得ており、澄みきったような美しさがくっきりと示されているのが印象的である。

ギーゼキング自身の「抒情詩篇」といえるような性格だ。

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2012年01月27日


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20世紀最高の名ソプラノのひとりであるシュヴァルツコップが、これまた20世紀を代表するモーツァルト弾き、ギーゼキングを伴奏者として録音したもので、名演奏家同士の共演だけに、そこから生み出される音楽は、神々しいばかりの魅力がある。 

シュヴァルツコップの最絶頂期(1955年)の録音。モノーラル時代のとても古い録音だ。

音が古めかしいだけでなく、声に関しては演奏テクニックも解釈もところどころ頼りなげだ。

しかし、それを超えて訴えてくるものがここにはある。

初心の感動というべきものが、自ら歌をうたうよろこびに満ち、それを人に伝えずにはいられず、聴き手とともによろこびを分かち合おうとする姿勢に貫かれた演奏だ。

1曲1曲に心のときめきがこもり、これほど歌を聴くよろこびを感じさせてくれるディスクも珍しい。

この録音当時からすると、モーツァルトの再現様式もずいぶん変わってきた。

この歌唱も今となってはいくぶん思い入れの強いモーツァルトといえるが、ここにはシュヴァルツコップとギーゼキングという2人の芸術家が、力と心を合わせて作り上げた「真実のモーツァルト」がある。

これはまさに千載一遇の出会いと言ってよいほど、歌曲録音史上指折りの名演に数えられる。

歌唱様式が時代によってその形を変えるのは当然だが、その「歌のこころ」は不変である。

ここでのシュヴァルツコップの歌の彫りの深さは、モーツァルトへの思いの深さそのもので、CDがある限りこの歌の命は消えないだろう。

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2009年04月08日


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ギーゼキングが弾くモーツァルトが魅力たっぷりだった理由は、色々考えられるであろう。

そのひとつに、弱音がとりわけ見事だった点を挙げておきたい。mp,p,ppといった弱音のあらゆる段階で、むらのない均質の音がなめらかに弾き出される。急速楽章であろうが緩徐楽章であろうが、あるいは旋律線であろうが伴奏音型であろうが、弱音のすべてが、それ以上には望めないほど磨き上げられている。

しかもこれらの弱音は、決してふやけておらず、柔弱でもない。音それぞれがちゃんと芯を持っている。そういう弱音が連なりあってフレーズとして歌い出されるや、聴き手の歌心をそそり、感覚的に金縛りにしてしまう。聴き手は抵抗することができない。

カラヤン。この指揮者もオーケストラの音質を磨くことでは、極めて鋭敏であった。割れた音というか、非音楽的な音を、私は彼が指揮したどのオーケストラからも聴いたことがない。

そんな2人が共演した第24番。この作品は、モーツァルトの数少ない短調作品ということもあろうが、一種の音楽的"重み"を伴っているのが特色。

ギーゼキングの弱音も、カラヤンの"重み"を抜かりなく実感させてくれる。単に楽譜の表面をなぞっただけの演奏が、いかにも軽々しく感じられるのとは正反対。

さすがである。第24番は、こうでなくてはなるまい。

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2008年05月04日


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モーツァルトで最もむずかしいのは、ここに収められたような技巧的には何の問題もないようにみえる作品。

モーツァルトのピアノ曲は、こうした小曲になるほど意外とひきこなすことがむずかしい。

聴き手を退屈させずに演奏するのは、響きが飛び切り美しいか、リズムが生き生きしているとかの特色がなければ不可能だ。

したがって、たいていのピアニストは表出に工夫をこらし、それをやりすぎると失敗するのだが、ギーゼキングの演奏にはその危険がまったくない。

ギーゼキングはごく自然に流しながら、明快で、繊細にひきあげていて、かつ味わい深く聴かせてくれる。

さすがに《モーツァルト弾き》として名をはせた大家だけあって、みごとだ。

ことに「9つの変奏曲」とロンドK.485が素晴らしい。

一時代を画した演奏家だけはある。

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ギーゼキング唯一のラヴェル録音である。

清澄で、主知的で、精妙さを重んずるラヴェルの世界は、ギーゼキングが持てる力を発揮する格好の場となった。

ギーゼキングの演奏スタイルに対し、よく「新即物主義」といわれるが、これは「楽譜を通じて作曲家の真意を読み取ること」という意味だ。

彼が弾くラヴェルは、ただ単に機械的な正確さを追求したのではない。

それは、本来楽譜が要求していない《音楽外》の要素を排除し《音》だけによる表現に立ち戻る意志を示した演奏といえよう。

彼はラヴェルの作品から、その意味を失わない極限まで《音楽外》的な要素をとり省き、そこからまさに《音》でしか表現できない表現が立ち現れる。

ここには決して雰囲気で騙さない演奏と表現があり、確実に作品の実体の存在を実感することができる。

特に「夜のガスパール」と「鏡」で彼を凌ぐ演奏はない。

ラヴェルの存在感を強く意識させてくれる演奏。

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2008年01月16日


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ギーゼキング(1985-1956)がモノで完成した名盤である。

モーツァルト弾きとして一世を風靡したギーゼキングの貴重な遺産。

1956年に亡くなったギーゼキングは、不世出のモーツァルト弾きとして知られた人である。

その演奏は、すこぶる彫琢されたもので、それぞれの曲の抒情的で、陰影にとんだ内容を、実に美しくうたいあげている。

こうした全集を聴くと、ギーゼキングがいかにモーツァルトに傾倒し、また研究し、音楽の美しさを忠実に再現しようと努力していたかがよくわかる。

ギーゼキングの演奏はなんともいえぬ魅力を発散していて、簡素であることがどんなに美しいかを示した稀な例である。

簡にして要を得た表現から立ち上る香気と、無駄なものを一切排除して生じた美。

それは機能的なもので、《美のための美》という姿勢を持たないために、かえって新鮮に響くのだ。

ギーゼキングの新即物主義とは、単に表面的に音符を正確に読むことではなく、そこに書かれている音楽を正確に読み取ることであり、彼は読み取ったものを正確に音にするテクニックを持っていた。

それだけに演奏は、極めて清潔かつ簡潔で完全な表現を達成しており、深い味わいを持っているので、新鮮さを失うことがない。

この演奏はいまだにモーツァルト演奏の確固たる規範である。

モーツァルト演奏の手本のひとつとして、永遠に光りを失うことのない貴重な録音だ。

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2007年12月19日


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晩年といってもまだ50歳代の演奏。

なんと若々しい音楽なのだろう。ドビュッシーの音楽のデリケートな光と影を、絶妙なコントロールで肉付けしながら極めて鮮やかに描き出すギーゼキングの才能は、テクニックにおいても今なお現役の第一線に立たせて揺らぐことはない。

しかもドビュッシーはギーゼキングがある時期並行して生きた作曲家。

その音楽はしっかりと同時代の精神の理解に基づいており、リアリティを主張している。

ここでものをいってるのは、ギーゼキングの演奏家としてのキャパシティの広さだろう。

彼は全ての曲をドビュッシーという先入観なしに演奏しているようで、多くの演奏家が捕らわれがちな枠を超えて、実に多彩な表現を生み出す。

ギーゼキングのデリケートな表現、とりわけ光と影、明と暗、色合いを繊細に描き分けた演奏は、今日の耳にもなお鮮やかに聴こえる。

また特筆すべきは表現の確信に満ちた力強さで、雰囲気にたよるようなごまかしのない演奏からは、ドビュッシーの音楽が実体を現してくる。

ギーゼキングの演奏は、一回楽譜の音をオブジェ化し、その構成の中にプログラム性を見ようという立場からの解釈である。

こうした方向は、ある意味できわめて現代的であり、この演奏の新鮮さの根源であると考えられる。

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