ベーム

2017年06月14日


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ここ数年間でカール・ベーム円熟期を代表する演奏のバジェット・ボックスが次々とリリースされている。

ユニヴァーサル・イタリーからの交響曲集22枚、ドイツ・グラモフォンからの後期録音集23枚及びグレイト・レコーディングス17枚の3セットを揃えると、オペラ全曲盤は別としても彼のオーケストラル・ワークでの公式セッション録音の殆んどを網羅することが可能だ。

それらは比較的録音状態にも恵まれているが、オールド・ファンやコレクターにとってはその前の着々とキャリアを積んでいた壮年期の演奏も聴き逃せない。

確かにノイズに塗れた録音も多く入門者にはお薦めできないが、ベームの解釈や指揮法の変遷を知りたい方にとっては非常に貴重なサンプルだろう。

彼はフリッツ・ブッシュの後を継いで1934年にシュターツカペレ・ドレスデンのカペルマイスターに就任するが、この時代のエレクトローラへの全音源がCD1から14までに収録されている。

その後ベームはウィーン・シュターツオーパーに活動を移し、彼らとのエレクトローラ、HMVへの録音が後半の4枚に、そしてベルリン・フィル及びフィルハーモニアへの客演が1枚強という内訳になっている。

この時代既にベームはリヒャルト・シュトラウスからも絶大な信頼を得ていて、彼がドレスデンで初演した年の『ダフネ』の抜粋や交響詩『ティル』『ドン・ファン』、オペラでは『サロメ』『薔薇の騎士』などでその片鱗を窺うことができる。

戦前から戦後にかけてオーケストラル・ワークを中心にしたレパートリーだけでもこれだけの録音を遺しているという事実は、如何に彼の手腕が買われていたかという証明でもある。

このセットの中で最も古い演奏は彼がドレスデンに就任した直後1935年のベートーヴェンの『エグモント序曲』とロルツィングの喜歌劇からの2曲で、一番新しいものでもセットの後半に収録されている1949年のウィーン・フィルとのモーツァルトを中心としたプログラムになる。

ここでのオペラや声楽曲はごく一部だが、爆撃で瓦礫の山に帰す前のゼンパーオーパーが如何に精彩に富んだレパートリーの上演を敢行していたか想像に難くない。

ライナー・ノーツ巻末にはこのセットに使用されたオリジナル音源の出典一覧表がオーケストラごとに掲載されている。

尚総てがモノラル録音で、オペラはドイツ語及びドイツ語訳詞による歌唱。

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2017年02月05日


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円熟の極みにあったベームの指揮と、ウィーン・フィルの伝統のある響きと卓越した表現力が一体化した名盤。

男性的ともいえる雄渾な楽想とともに、限りない憧憬を秘めた第3楽章が映画音楽に使われた交響曲第3番と、哀愁感や情感を存分に湛え内省的で諦観に満ちた、作曲家晩年の枯淡の境地を示す交響曲第4番を収録。

ベームのブラームスと言えば、「第1」にはベルリン・フィルとの旧盤(1959年スタジオ録音)、ウィーン・フィルとの来日公演のライヴ録音(1975年)があり、「第2」にもベルリン・フィルとの旧盤(1956年スタジオ録音)、ウィーン・フィルとの来日公演のライヴ(1977年)が存在する。

しかし「第3」と「第4」にはそのような競合盤が存在せず、本盤がそれぞれのベームの代表盤と言うことができる。

遅いテンポで悠然と進むなかにも緊張感がみなぎっていて、ベームの録音のなかでも高い評価を得ているもののひとつ。

ブラームスとベームの相性は抜群だと思う。

ブラームスの渋い芸風が、これまたベームの華やかさと無縁の芸風と見事に符合し、ブラームス演奏のひとつの規範とも言えるオーソドックスな演奏に仕上がっている。

近年のブラームスの交響曲で、最も規範とされているに違いない充実の名演と言えるところであり、月並みな言い方だが、まさに両曲とも最高の意味でのオーソドックスという言葉が相応しい。

十分に力強くありながら、同時に柔軟でもあり、情に流されることがなく、構造美への志向が高い。

それは、ただ見事というだけでなく、ここに暖かな人間の血が通っているのであり、晩年のベームと伝統のウィーン・フィルの美質がしっかり刻まれていて、全体としてブラームスの交響曲の魅力を大いに味わわせてくれる。

ベームには、この曲をこのように料理してやろうと言う恣意的な解釈は皆無であり、こうしたベームの自然体のアプローチが、ブラームスの芸術の真の魅力を存分に満喫させてくれるのである。

特に「第4」は、この曲の真髄を突いた最高級の表現であり、そのようなベームとブラームスの相性の良さを感じさせる名演だと思う。

こうした構造の精緻な音楽はベームも最も得意とするところだが、録音当時80歳、寂寥感とか哀愁を感じさせるところが少なくない。

中庸のテンポで、決して奇を衒うことなくオーソドックスな演奏をしているが、平板さや冗長さは皆無であり、ブラームスの音楽の素晴らしさ、美しさ、更には、晩年のブラームスならではの人生のわびしさ、諦観などがダイレクトに伝わってくる。

ベームは、その自伝に著しているように、造型を大切にする指揮者であるが、凝縮度は壮年期に比して衰えは見られるものの、全体の造型にはいささかの揺るぎもみられない。

一方、「第3」は、まとめるのがなかなか難しい曲だけに、「第4」ほどの名演ではないと思うが、全篇ゆったりと恰幅の良いテンポに、中身がぎっしり詰まっている。

第2楽章の濃厚な歌はまるで夢うつつの天国的気分、第3楽章には枯れた味わいなど、いかにも晩年のベームならではの至芸を味わうことができるが、それでいて、両端楽章の地を抉るような深いリズムなど一瞬たりとも集中の途切れることがない。

それにしても、この頃(1970年半ば)のウィーン・フィルは音の厚みとともに合奏が途轍もなく強力だ。

1950年代後半から1960年代初頭にかけての絶頂期以来、もうひとつの頂点にあったのではないだろうか。

セッションだけあって盛り上がりはいまひとつとも言えるかもしれないし、ライヴなら全体として、もっと燃え立った表現になっていると思われるが、それを補って余りある緻密で味の濃い演奏は、LP時代から未だに離れられないでいる。

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2016年11月01日


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ドイツ・グラモフォンからブラームス・エディション全8巻が刊行されたのは、確か作曲家の没後100周年を前にした1996年だったと思う。

しかしその全集と更に翌年のベートーヴェン全集に組み入れられた交響曲全集はカラヤン&ベルリン・フィルのものだった。

確かに人気、実力ともに彼らの演奏は圧倒的な強みを持っていたので、当然と言えば当然の選択だったのかも知れない。

だがベーム&ウィーン・フィルによる交響曲全集はあくまでもウィーン流美学にこだわったブラームスで、他の指揮者やオーケストラでは替え難い魅力を持っており、このコンビのスタイル全開の演奏を堪能できるものだ。

また随所に聴かれるソロ・パートやアンサンブルの巧みさ、弦の響きの瑞々しさとウィンナ・ホルンの渋い音色などがベーム晩年の鷹揚かつ洗練された手法で絶妙に統合されている。

交響曲第1番の冒頭や終楽章の追い込みでもベームの指揮はことさら個性を強調したものではないし、迫力を誇示するようなハッタリもない自然体が基調だ。

それは音楽自体が内包するエネルギーの開放であり、オーケストラをこれだけ美しく響かせながら律儀に構築されたブラームスも珍しいのではないだろうか。

緩徐部分では秋の日の静かな森の中を散策しているような木の葉のざわめきや木漏れ日をイメージさせる。

第2楽章での官能的なソロ・ヴァイオリンは当時のコンサート・マスター、ゲルハルト・へッツェルが弾いている。

交響曲第2番は第1番の張り詰めた緊張感から開放された、安らぎと機知に富んだ作曲家のアイデアが面目躍如だ。

冒頭のテーマがウィンナ・ホルンの牧歌的な響きを充分に醸し出していて、この曲全体の雰囲気を決定しているのも印象的だ。

また終楽章でも決して羽目を外さない厳格さには、流石にブラームスを知り尽くしているベームの頑固なまでに堅実な指揮ぶりが健在である。

第3番冒頭のブラス・パートの荘厳な響きは決してスペクタクルな効果を狙ったものではないが、このオーケストラの伝統を背負うような重厚なハーモニーだ。

またしばしば現れる管楽器のソロも弦楽器のたゆとうようなメロディーも、ベームの采配によって雄弁にまとめられている。

第3楽章ポコ・アレグレットのひたひたと忍び寄るような諦観も彼ら独自の表現である。

当時のウィーン・フィルはコンサート・マスターのへッツェルを始めとしてフルートのトリップ、クラリネットのプリンツ、ファゴットのツェーマンやホルンのヘーグナーなどの首席奏者達の全盛期で、彼らがウィーン・フィルの音色やウィーンの演奏スタイルを決定していたと言っても過言ではないだろう。

また第4番冒頭の瑞々しい哀愁も、カラヤン&ベルリン・フィルとは全く異なった枯淡の味わいを持っている。

しかしそれは脆弱さとは無縁で、第2楽章の静謐だが溢れんばかりの幸福感に満たされたオーケストレーションの処理や終楽章パッサカリアの造形美の鮮やかさもベームの卓越した指揮法に負っている。

カップリングには、『ハイドンの主題による変奏曲』、クリスタ・ルートヴィヒのメゾ・ソプラノとウィーン楽友協会の男声コーラスが加わる『アルト・ラプソディー』、そして『悲劇的序曲』の3曲が収録されている。

彼らが『大学祝典序曲』を残してくれなかったのは残念だが、これらの作品にもウィーンの演奏者ならではの情緒が滲み出ている。

それは後半生を同地で過ごしたブラームスの作品の解釈において、ひとつの流儀として受け継がれているのではないだろうか。

『ハイドンの主題による変奏曲』は、端正な音楽作りと上品な佇まいで、数多いこの曲の演奏の中では傑出したセッションと言える。

『アルト・ラプソディー』で歌われるゲーテの『冬のハルツ紀行』は、まさに当時のブラームスの心境を反映させた内面的な独白をアルト・ソロに託している。

クリスタ・ルートヴィヒはウィーン出身ではないが、ベームの薫陶を受けた歌手だけあって指揮者のこだわりをわきまえた理知的で、しかもリリカルになり過ぎない手堅い表現が秀逸だ。

『悲劇的序曲』では、ベームはこの作品のタイトルを額面通りに受け止めるのではなく、むしろ古典派的な様式感を感知させることに注意を払っているようで、それだけにドラマティックな表現はいくらか控えめに留めている。

録音場所は総てウィーンの黄金ホールと呼ばれるムジークフェラインのグローサー・ザールで、1870年オープンの歴史的コンサート・ホールだ。

この演奏会場は内部装飾の豪華さもさることながら、残響の潤沢なことでも良く知られている。

因みに残響時間は1680人の満席時で2秒なので、当然聴衆のいないセッションでは更に長くなる。

曲種によってはそれがいくらか煩わしいこともあるが、こうした純粋なオーケストラル・ワークでは最良の効果を発揮できる。

録音は1975年から77年にかけてのベーム最晩年のセッションになるが、音楽的な高揚と充実感は全く衰えておらず、音質はこの時代のものとしては極めて良好で、楽器間の分離状態、高音の伸びや潤いも時代を感じさせず、臨場感にも不足していない。

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2016年10月12日


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ベームは、ワルターと同じく終生に渡ってモーツァルトの音楽に傾倒し、深く敬愛していた指揮者であった。

ベルリン・フィルと成し遂げた交響曲全集(1959〜1968年)や、バックハウスやポリーニと組んで演奏したピアノ協奏曲の数々、ウィーン・フィルやベルリン・フィルのトップ奏者との各種協奏曲、そして様々なオペラなど、その膨大な録音は、ベームのディスコグラフィの枢要を占めるものであると言っても過言ではあるまい。

そのようなベームも晩年になって、ウィーン・フィルとの2度目の交響曲全集の録音を開始することになった。

しかしながら、有名な6曲(第29、35、38〜41番)を録音したところで、この世を去ることになってしまい、結局は2度目の全集完成を果たすことができなかったところである。

ところで、このウィーン・フィルとの演奏の評価が不当に低いというか、今や殆ど顧みられない存在となりつつあるのはいかがなものであろうか。

ベルリン・フィルとの全集、特に主要な6曲(第35、36、38〜41番)については、リマスタリングが何度も繰り返されるとともに、とりわけ第40番及び第41番についてはシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化もされているにもかかわらず、ウィーン・フィルとの録音は、リマスタリングされるどころか、国内盤は一時廃盤の憂き目に陥ったという極めて嘆かわしい現状にある。

確かに、本盤に収められた第40番及び第41番の演奏については、ベルリン・フィルとの演奏(1961年)と比較すると、ベームならではの躍動感溢れるリズムが硬直化し、ひどく重々しい演奏になっている。

ベームの指揮の一大特徴であるリズムの生気は、典雅な柔らか味をこえて、しばしば鋭い鋭さを示していて、モーツァルトの交響曲に存在している高貴にして優美な愉悦性が著しく損なわれているのは事実である。

しかしながら、一聴すると武骨とも言えるような各フレーズから滲み出してくる奥行きのある情感は、人生の辛酸を舐め尽くした老巨匠だけが描出し得る諦観や枯淡の味わいに満たされていると言えるところであり、その神々しいまでの崇高さにおいては、ベルリン・フィルとの演奏をはるかに凌駕している。

感傷的な流れに陥らず、楽曲のもつ構成的な美しさを引き出しているところが見事であり、響きの色彩の具合も単純明快で、情感的世界に結びつき易い色合いを強く制している。

また、かつてのようないかめしさが影をひそめ、しなやかな表情を強く表出しているのが特徴で、長年慣れ親しんだウィーン・フィルを、なごやかに指揮しているといった感じがよく出ていて、両曲ともこのオケ固有のオーボエとホルンの音が有効に使われている。

また、この2曲で特に目立つのはテンポの設定と楽想のリズム的および歌謡的性格とをはっきりと打ち出そうとしていることで、徹底的に美のありかを追究して何かをいつも発見してゆくベームの指揮は、やはり厳しさと鋭さの点で強く打つものがあり、多少流れの自然さを失うところがあってもなおモーツァルトの強靭な楽想発明力に関して納得させるところが大きい。

いずれにしても、総体としてはベルリン・フィル盤の方がより優れた名演と言えるが、本演奏の前述のような奥行きのある味わい深さ、峻厳さ、崇高さにも抗し難い魅力があり、本演奏をベームの最晩年を代表する名演と評価するのにいささかも躊躇するものではない。

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2016年09月07日


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1970年から72年にかけてのセッションだが、今回SHM−CD化されたこともあって音質はきわめて良好になっている。

低音から高音まで無理のない伸展とクリアーな質感が感じられ、ウィーン・フィル特有のシックな音色がより艶やかに響いている。

価格を1枚1500円に抑えていることは評価できるが、ライナー・ノーツは古いものの焼き直しで、24ページほどの曲目解説の中でベームについてはわずか2ページのみしかなく、この企画に当たって改訂しなかったのは残念だ。

筆者は、初めてLPで第2番の終楽章を聴いた時,これは本物だと思った記憶があり、それは第4番の終楽章でも同様に感じた。

あたかもベートーヴェンの音響力学を冷徹に解明したかのような、頑固なまでに真っ正直で作為のない音楽だったからだ。

若い頃は往々にしてエキサイティングで情熱的な演奏に惹かれるものだが、この違いは何だろうという疑問を初めて抱かせてくれたのがベームだった。

彼はベートーヴェンの音楽の中にあえて恣意的な見せ場を作ろうとしない。

むしろ見せ場があるとすれば、それは総てスコアに書き込まれていて、その通りに演奏することによって自ずと明らかになるというポリシーを生涯貫いていたに違いない。

一方でその実現のために彼によって鍛えられ、一糸乱れぬ統一感を与えるウィーン・フィルも相当我慢強いオーケストラであることが想像されるが、奇しくも当時はスター・プレイヤーがひしめいていた、この楽団の黄金期が重なっているのも魅力だった。

それ以来彼らの演奏は欠かさず聴いてきたが、その後1997年にドイツ・グラモフォンからCD20セット計87枚のベートーヴェン全集が刊行された時、期待していたこの全集は選択から外され、カラヤン&ベルリン・フィルのものが組み込まれた。

ポピュラー性から言えば後者は圧倒的な強みを持っていたので、売れ筋から考えれば当然の結果だったかもしれない。

ちなみに先般リリースされたウィーン・フィルの50枚組シンフォニー・エディションでも、ベートーヴェンは第6番と第8番のみがこのメンバーで、他はバーンスタイン、クライバー、アバドの混成になっている。

不運にもベームは他の指揮者に追いやられつつあるが、このセットを聴き込めばそれが不当なものであることが理解できるだろう。

指揮者の中には自己の音楽的表現手段として作品を扱うタイプと、ベームのように作曲家、あるいはその作品にできる限り奉仕してその価値を問うタイプが存在する。

勿論その間のバランスの采配が多かれ少なかれどの指揮者にもあり、一概にその良し悪しを論ずることはできないが、結果的に前者の演奏では聴衆の注意は指揮者個人に払われ、後者ではその興味はより一層作品や作曲家に向けられるだろう。

そうした意味でベームの解釈は、流行り廃れのない、より普遍的な価値を持っているように思う。

またこの一連のセッションの魅力はベームによって統制されたウィーン・フィルの瑞々しいアンサンブルの格調の高さにある。

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2016年07月25日


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ベームがベルリン・ドイツ・オペラを指揮した『ヴォツェック』(1965年スタジオ録音)、『ルル』(1968年ライヴ録音)は、今も忘れ難い古典的名盤で、別項に掲げたブーレーズ盤と双璧をなし、現在でも本盤の価値は未だに減じてはいない。

厳しい表現を覆う青白いペシミズムや沈鬱なムードは、表現主義が栄える一歩手前の象徴主義的新ロマン主義の世界に近いけれども、ドラマティックな展開の中に、時代背景をよく描き出し、ベルクの音楽の美しさと力が確固とした表現となって再現された演奏である。

作品としてのリアリティならびにドラマトゥルギーの見事さは、むしろ当盤の方に強く現れていると言ってよい。

『ヴォツェック』はミトロプーロスによる初録音や、1963年のホルライザーによるライヴ録音と比較してみると、改めて、このベーム盤の見事さが理解できる。

ベームは厳格極まりないアンサンブルの緻密さを目指しながらも、ベルクの音楽の美しさと、各場面の心理的描写の綾を見事に描いている。

そしてベームは、このオペラの現代性や構成上の特質を殊更に強調しようとはせず、あたかもR.シュトラウスのオペラの延長上で捉えているかにみえる。

このアプローチの中から、巧まずして作品の緊密な書法と緊迫感溢れる音楽特性が鋭利に抉り出される。

こうしたベームの厳しい音楽作り、ベルリン・ドイツ・オペラ管弦楽団の原色的な音の肌触りと抜群のうまさ、フィッシャー=ディースカウやシュトルツェらの自在な役作りの面白さの魅力は、永遠の生命を持っている。

F=ディースカウ演じるヴォツェックはかなり特異で、“疎外された人間”のイメージとは隔たりがあるにせよ、精妙きわまりない歌唱を聴かせており、緻密な、しかも鋭い心理の襞の描出は素晴らしく、やはり超一流である。

主人公の心理の想像を越えた起伏、その激しいゆれをその歌声は克明に綴っていき、「我ら貧しきものたち」の悲劇はこの歌唱のなかでまさに劇的に進展していくと言ってもよいだろう。

更にリアーによる迫真のマリー役、シュトルツェ入神の大尉役、ヴンダーリヒのアンドレス役、ともに大きな聴きどころであり、その存在感と説得力は今も色褪せておらず、最高のキャスティングを生かしきったベームの演出力には凄味すら感じる。

チェルハ3幕完成版が話題を呼んでいる現在も尚、ベームの『ルル』はこの作品の代表盤であろう。

歌手陣の充実はもとより、ベームとベルリン・ドイツ・オペラ管弦楽団の強靭でしかも豊穣な曲運びには感嘆させられる。

ベームの姿勢はあくまで峻厳だが、その根本姿勢に現代音楽への気負いは皆無で、むしろ古典的と言おうか、従来の調性オペラへのアプローチと変わることのない行き方を貫いている感があり、それゆえこの十二音オペラが、少しも十二音的でなく聴こえる。

もちろんベルク後期、調性と十二音列の融和への志向はとみに著しいが、かといってベームは甘美なロマンに微塵も溺れはせず、自然体の構築の中から、作品の複雑な楽曲構成を浮かび上がらせる演奏だ。

ここで『ルル』は過去と決別した20世紀の異様なオペラではなく、伝統の上に立つ傑作として演奏されているが、それがまた凄い。

ただし、ライヴ録音ゆえか、必ずしもベームとしては万全のものとは言えず、もっと時間をかけた丹念な演奏をスタジオ録音して欲しかったと惜しまれる。

とはいえ冷たく妖艶なリアーと、完璧なまでの語り口のF=ディースカウなどの歌手陣の熱演は、まさに壮観そのものだ。

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2016年07月03日


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英テスタメントからの新譜で2枚のベーム初出音源がリリースされた。

こちらは1968年8月11日のザルツブルク音楽祭での祝祭大劇場でのライヴ、もう1枚のブルックナー第8番が1969年のベルリン・ライヴでどちらもベルリン・フィルとの共演になる。

この日のプログラムはベートーヴェンの交響曲第2番ニ長調、モーツァルトの交響曲第34番ハ長調、そしてストラヴィンスキーのバレエ組曲『火の鳥』で、いずれもベームによって磨き抜かれたレパートリーだけにセッションも含めて複数の音源が遺されている。

残響の少ないややデッドなサウンドだが音質は鮮明で、またヒス・ノイズも客席からの雑音も無視できる程度のものなので鑑賞には全く不都合はない。

ベームのベートーヴェンの交響曲第2番にはどの録音でも特有の新鮮さが感じられる。

彼はこの作品の普遍的な価値を知り尽くしていて、それだけに何時でも初心に返って作曲家への敬意とその演奏に迸るような情熱を失うことがなかったからであろう。

作曲家若書きの作品を彼のような大指揮者が繰り返し演奏することはむしろ稀ではないだろうか。

モーツァルトも端正だが生気に溢れた瑞々しい演奏で、第3楽章メヌエットのトリオでは当時のベルリン・フィルの首席奏者達による巧みなやりとりが聴きどころだ。

他の曲にも共通しているが、この時期にはフルートのカールハインツ・ツェラー、オーボエのローター・コッホ、そしてクラリネットのカール・ライスターなどのスター・プレイヤーがその美しい音色と技を競い合っていたベルリン・フィル黄金時代に当たる。

ベームは同郷のカラヤンと違ってラテン系の作品には触手を伸ばさず、頑固一徹を地で行くようにゲルマン系の作品に拘った。

そうした中で例外的に採り上げたのがチャイコフスキーからストラヴィンスキーに至るスラヴ系作曲家の幾つかの作品で、『火の鳥』はベームが自分自身で納得して繰り返し演奏できる曲でなければ採り上げなかったレパートリーのひとつとして完全に定着していた。

非常に几帳面な仕上がりで、管弦楽の色彩感や幻想的な雰囲気を強調するのではなく、楽譜から誠実に読み取った作曲家のメッセージをひたすら精緻なアンサンブルと揺るがせにしないリズム感や全オーケストラのダイナミズムで導いていく再現は如何にも彼らしい。

しかし決して肩の凝る演奏ではなく、ベルリン・フィルの実力をフルに発揮させる高揚感には格別なものがある。

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2016年07月01日


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ライナー・ノーツの録音データを見ると1969年11月26日ベルリンのフィルハーモニーでのライヴ録音と記載されていて、共演のオーケストラは勿論ベルリン・フィルなので確かにこれまで正規リリースされていなかった初出音源ということになる。

ドイッチュラント・ラジオによる録音のようだが英テスタメント独自のディジタル・リマスタリングの効果もあってオン・マイクで採った骨太で鮮明な音質が甦っている。

録音レベルが高く臨場感にも不足していないし、またそれだけにベームの音楽的構想と音響空間が手に取るように伝わって来るブルックナーだ。

客席からの雑音は演奏終了後の拍手喝采は別として、楽章間の短いインターバルで僅かに聞こえる程度で、演奏中は皆無なのもこの時代のライヴとしては優秀だ。

この演奏は第2稿、つまり1890年バージョンになり、ベームの覇気と練達の技とも言える構築性がバランス良く表れたライヴではないだろうか。

現行の音源では彼が指揮した第8番は他に1971年のバイエルン放送響とのライヴ及び1976年のウィーン・フィルとのセッションが存在するが、それらの中ではこの録音が最も早い時期のものになり、テンポに関してはウィーン・フィルの壮麗な足取りよりは速く、バイエルンの血気に逸る演奏よりは僅かに遅い。

ブルックナーの霧と呼ばれる冒頭からクライマックスでのブラス・セクションの咆哮、そして執拗なまでのモティーフの反復に至るまで常に地に足の着いた音響が特徴的で、明瞭な輪郭を失うことなく音楽を彫琢していくベームによって、ベルリン・フィルが見事に統率されている。

曲中最も長い第3楽章アダージョも小細工なしの正攻法で、流れを堰き止めたりテンションを落とすことなく終楽章に導いていくベームの手法が面目躍如たる演奏で、音響力学による造形とも言えるブルックナーの作法の真髄に迫った素晴らしい仕上がりを見せている。

また指揮者に付き従いながらその構想を成就させるベルリン・フィルの隙のないアンサンブルと余裕のあるパワフルな音量も特筆される。

ベームは相手がたとえベルリン・フィルであっても妥協を許さなかったことが想像されるが、オーケストラのバランスの保持と細部の合わせにもベーム、ベルリン・フィルのコラボレーションと両者の力量が示された演奏だ。

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2016年02月10日


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カール・ベームの指揮したR.シュトラウスのオペラ全曲盤の第2集であるが、先ず音質について述べると、第1集が期待していたほど良いものではなかったので今回も当てにしてはいなかったが、意外にもまともな音が聞こえてきて概ね良好だ。

『エレクトラ』と『影のない女』はいずれも初期のステレオ録音であるにも拘らず、セッションということもあって2巻全8曲を通して最も良い状態で鑑賞できる。

前者はタイトル・ロールのインゲ・ボルクとオレスト役のフィッシャー=ディースカウのいやがうえにも緊張感を高める表現力が圧倒的だし、後者は世界初の全曲録音に輝いた、またR.シュトラウスの良き理解者としての実力を縦横に発揮したベームの意欲的なセッションと言える。

他の2曲はライヴでそれなりのノイズは入っているが破綻もなく、音源は鑑賞に差しつかえない程度に保たれている。

またベーム初演の演目『ダフネ』が1944年のウィーン・ライヴで収められているのも聴き逃せない。

この価格でベームの指揮したオペラ全曲盤が揃うのは朗報に違いない。

ベームの力量は作曲家自身が彼に『ダフネ』を献呈しているように、こうしたオペラ上演にも良く表れている。

高い文学的な素養が要求され、歌手への行き届いたコントロールと同時に大規模で複雑極まりないオーケストレーションを操らなければならない煩雑な作業は、彼が一般的に考えられているような堅物の指揮者のイメージからは想像できない、遥かに柔軟で融通性を持った人であったことを証明している。

また解釈も現在の私たちが聴いても違和感のない新しいもので、例えば『影のない女』での終幕の抒情性は決して耽美的ではなく、来たるべき時代の知性的で洗練された趣味を先取りしている。

10枚目はボーナスCDで、1939年から1944年にかけてのウィーンやドレスデンでの古いライヴからピックアップされた10場面が収録されている。

1曲目の『サロメ』から「7つのヴェールの踊り」は音質が一昔前の海賊盤のようで驚いたが、1939年のライヴから抜き取ったものなのでご愛嬌と言ったところだろうか。

しかしその他のトラックは時代相応の比較的良い状態で残されていて、それぞれの演奏水準も高いのが救いだ。

尚ここからは余談になるが、この時代はウィーンやドレスデンにも爆撃の危機が迫っていたにも拘らず、彼らの文化の灯を死守しようとする執拗とも思える音楽への渇望と執着には敬服せざるを得ない。

ドレスデンは1945年2月に連合軍による無差別爆撃を被ってゼンパー・オーパーは瓦礫と化したが、ウィーン国立歌劇場も爆撃によって大破する同年3月までは平然と公演が組まれていたし、被害を受けた後も拠点をフォルクス・オーパーとアン・デア・ヴィーンに移してその活動を続けた。

10年後に再建された国立歌劇場がベームの指揮によるベートーヴェンの『フィデリオ』で再び幕を開けたことも象徴的である。

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2015年12月30日


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ベーム晩年を特徴づける表現力の懐の深さによって、どの楽曲を幾度耳にしても飽きのこないオーソドックスな音楽づくりを感じさせてくれるのがこのセットのセールス・ポイントだ。

ベームの演奏は、ベートーヴェン、シューベルトからブルックナーなどでも共通し全体構成がしっかりと組み立てられており、厳格なイン・テンポで、かつ弦と管の楽器のバランスと融合が絶妙でどちらかが突出するということがない。

それを可能とするのは、幾度もベーム自身が語っているように、スコアを徹底的に読み込み(新即物主義と言われる場合もある)、オーケストラに周到な練習を課することによって可能となる。

その一方、リスナーにとってどこに連れていかれるかわからないような、ある種のワクワクドキドキ感(たとえばカルロス・クライバー)とは無縁である。

以上の特質から、ベームらしさとは非常な集中力のもと、はじめの1音から作品そのものに導き、演奏の個性よりも作曲家の心象へリスナーの関心が集中することにある。

落ち着きのあるアプローチは、重心の低さを常に意識させるが、磨かれた音は、けっして軽からず重からず、ウィーン・フィルの場合は特に瑞々しくも美しい。

この23枚はベームがドイツ・グラモフォンに録音した演奏集の中でも比較的晩年のセッションからオーケストラル・ワークを中心に収録されている。

そのために録音状態も良好で、またランダムに選曲したようで意外にも先頃ユニヴァーサル・イタリーからリリースされた彼の交響曲集22枚のバジェット・ボックス・セットとの曲目のだぶりが皆無なのが嬉しい。

このセットのモーツァルトの交響曲集とシューベルトの交響曲第9番はウィーン・フィルを振ったものだし、ベートーヴェンの『第9』は1980年の再録音の方が選ばれている。

また前者には収録されていなかったハイドン、シューマン、チャイコフスキー、ブルックナーの交響曲の他にベートーヴェンの序曲集も加わって、事実上ユニヴァーサル・イタリーのセットと対をなしてベームのよりインテグラルなオーケストラル・ワーク集のコレクションになる筈だ。

通常こうしたバジェット・ボックスは、同じ傘下のレーベルでも独自の企画でリリースされるために、先に出たものに飛びつくと、その後更に充実したセットが出る可能性が高く二の足を踏んでしまう。

かと言って両方揃えると同一録音で溢れてしまうという懸念がある。

しかし今回は偶然なのか、あるいは売り上げを見込んだ戦術なのかは分からないが、結果的には入門者にも揃え易い企画になっていることは評価したい。

ライナー・ノーツは55ページあり、『第9』は英語対訳、『ミサ・ソレムニス』及びモーツァルトの『レクイエム』はラテン語のテキストに独、英語の対訳付。

ボックスはクラム・シェルではなく、上下にスライドさせて開閉するタイプでしっかりした装丁。

サイズはやや大きめの12,5X13,5X7cm。

尚最近メンブランからリヒャルト・シュトラウスのオペラ8曲を収めた全曲盤20枚が復活したが、欲を言えばベームの振ったオペラや声楽曲、更に協奏曲や室内楽などのレパートリーのリマスタリング盤での復活が望まれるところだ。

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2015年09月13日


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メンブラン/ドキュメンツからリヒャルト・シュトラウス生誕150周年記念としてリリースされたセット物のひとつで、カール・ベーム指揮の『ばらの騎士』『無口な女』『アラベラ』『カプリッチョ』の全曲録音を10枚のCDに収録している。

1958年の『ばらの騎士』のみがシュターツカペレ・ドレスデンとの演奏で、このセットの中では唯一セッションのまがりなりにもステレオ録音なのだが、オーケストラが右側後方に偏りぎみなため声楽とのバランスがいまひとつで、LPから直接起こしたようなカートリッジの共振にも似たノイズを伴っているのが惜しまれる。

それ以外の演目はある程度会場の雑音が混入したモノラル・ライヴになるので音質的には曲によってかなりばらつきがあるが、どの作品もウィーン・フィルとの協演でそれぞれの歌手達も高い水準の歌唱を披露している歴史的上演の貴重な記録なので、この価格であればベーム・ファンには欠かせないコレクションになるだろう。

『ばらの騎士』はシェヒ、ゼーフリート、シュトライヒやフィッシャー=ディースカウを配した瑞々しい歌唱が倦怠やデカダンスを殆んど感じさせない健やかさに特徴があるが、例えば第2幕の幕切れのオックス男爵のワルツなどにベームらしいさりげないウィーン趣味が滲み出た演奏が美しい。

ベームは同オペラを1969年にウィーン・フィルとのライヴで残しているが、どちらも既に廃盤の憂き目に遭っているので今回の廉価盤での復活は歓迎したい。

このセッションが行われたドレスデンはR.シュトラウスのオペラ上演が盛んな都市だけあって『ばらの騎士』の他にも『アラベラ』『無口な女』は当地初演の作品で、特に『無口な女』は1935年にベームの指揮によって初演を飾っている。

このセットに収められている1959年のザルツブルク音楽祭ライヴは音質も良好で、ギューデン、ヴンダーリヒ、プライ、ホッターなど当時のオール・スター・キャストが組まれていて傑出した喜劇に仕上がっているのだが、ベーム自身によるカット版が使用されていて演奏時間がオリジナル・スコアに比較するとかなり短縮されているのも事実だ。

R.シュトラウスの薫陶を受けたベームなので、舞台上の効果を考慮した作曲家承認済みのカットだったことが想像されるが、彼はその後もこのオペラの上演には常にカット版を使ったようだ。

ちなみに『アラベラ』は1947年のザルツブルクにおけるライヴ、また『カプリッチョ』は1960年のウィーン・ライヴになる。

完全節約企画のためライナー・ノーツや歌詞対訳等は一切省略されていて、ボックスもごく実用的で洒落っ気のないデザインと装丁になっている。

アニヴァーサリー・エディションとしてメンブランからは同時にオーケストラル・ワークを中心とする10枚組もリリースされているが、いずれもリマスタリングがされていないので音質を問うか否かで選択肢が分かれるかも知れない。

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2015年07月31日


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ベームは終生に渡ってモーツァルトを深く敬愛していた。

ベルリン・フィルと成し遂げた交響曲全集(1959〜1968年)や、バックハウスやポリーニと組んで演奏したピアノ協奏曲の数々、ウィーン・フィルやベルリン・フィルのトップ奏者との各種協奏曲、そして様々なオペラなど、その膨大な録音は、ベームのディスコグラフィの枢要を占めるものであると言っても過言ではあるまい。

そのようなベームも晩年になって、ウィーン・フィルとの2度目の交響曲全集の録音を開始することになった。

しかしながら、有名な6曲(第29、35、38〜41番)を録音したところで、この世を去ることになってしまい、結局は2度目の全集完成を果たすことができなかったところである。

ところで、このウィーン・フィルとの演奏の評価が不当に低いというか、今や殆ど顧みられない存在となりつつあるのはいかがなものであろうか。

ベルリン・フィルとの全集、特に主要な6曲(第35、36、38〜41番)については、リマスタリングが何度も繰り返されるとともに、とりわけ第40番及び第41番についてはシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化もされているにもかかわらず、ウィーン・フィルとの録音は、リマスタリングされるどころか、国内盤は現在では廃盤の憂き目に陥いろうという極めて嘆かわしい現状にある。

確かに、本盤に収められた第38番及び第39番の演奏については、ベルリン・フィルとの演奏と比較すると、ベームならではの躍動感溢れるリズムが硬直化し、ひどく重々しい演奏になっている。

これによって、モーツァルトの交響曲に存在している高貴にして優美な愉悦性が著しく損なわれているのは事実である。

しかしながら、一聴すると武骨とも言えるような各フレーズから滲み出してくる奥行きのある情感は、人生の辛酸を舐め尽くした老巨匠だけが描出し得る諦観や枯淡の味わいに満たされていると言えるところであり、その神々しいまでの崇高さにおいては、ベルリン・フィルとの演奏をはるかに凌駕していると言えるところである。

モーツァルト指揮者としてのベームは、「どんな相談にものってくれる博学の愛すべき哲学者」といった雰囲気をたたえており、彼の前に立っているだけで嬉しい気分になってしまう。

ウィーン・フィルとの録音は確かに多数残されたが、このモーツァルトはベームが亡くなる前のほぼ5年間に録音されたものである。

絶妙なるテンポを背景とする自然な音の流れ、磨き抜かれているが決して優しさを失わないフレージング、引き締まったアンサンブルを背景に繰り広げられる演奏はまさに生きた至芸と言いたい。

聴き手それぞれに思い入れのある名演であるが、筆者の座右宝はまずは第38番だ。

いずれにしても、総体としてはベルリン・フィル盤の方がより優れた名演と言えるが、本演奏の前述のような奥行きのある味わい深さ、崇高さにも抗し難い魅力があり、本演奏をベームの最晩年を代表する名演と評価するのにいささかも躊躇するものではない。

音質については、従来盤でも十分に満足できる音質であるが、今後は、リマスタリングを施すとともにSHM−CD化、更にはシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化を図るなどによって、本名演のより広い認知に繋げていただくことを大いに期待しておきたい。

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2015年07月26日


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最近プラガ・ディジタルスからリリースされたSACDの1枚で、若き日のフリードリヒ・グルダが弾くモーツァルトのピアノ協奏曲第9番変ホ長調『ジュノーム』、ウェーバーのピアノ小協奏曲へ短調及びR.シュトラウスの『ブルレスケ』の3曲が収録されている。

モーツァルトはカール・ベーム指揮、バイエルン放送交響楽団による1969年9月のステレオ・ライヴで、ウェーバーがフォルクマー・アンドレーエ指揮、ウィーン・フィルとの1956年7月のウィーン・ゾフィエンザールでのモノラル・セッションになり、これは米ロンドン音源らしい。

そして最後のR.シュトラウスがベーム&ウィーン・フィルで1957年8月ザルツブルクにおけるモノラル・ライヴということになる。

このうちベームの指揮する2曲は、オルフェオ・レーベルからもレギュラー盤で手に入るが、いずれもSACD化によって更に高音の伸びと艶やかな響きが再現され、音場に奥行きが出ている。

どの曲でもグルダの軽やかで水面に映えて揺らめく光りのような音色が瑞々しい。

モーツァルトでは第2楽章でのウィーン流の屈託のない抒情が、ベームの巧妙なサポートによって可憐に浮かび上がっているし、またそれぞれの楽章の小気味良いカデンツァもいたってフレッシュで、当時39歳だったグルダの柔軟な感性を示している。

一方華麗なソロが展開されるウェーバーでは高踏的でリリカルな歌心とコーダに向かって邁進する推進力がコンパクトに表現されていて心地良い演奏だ。

またR.シュトラウスの『ブルレスケ』ではグルダらしい余裕を見せたパフォーマンスが特徴的で、こうした曲趣には彼のような高度な遊び心も効果的だ。

この時代のライヴとしては比較的音質に恵まれていて、ベーム&ウィーン・フィルの軽妙洒脱なオーケストラに乗ったグルダのウィットに富んだヴィルトゥオジティが聴きどころだろう。

このシリーズではグルダのSACDは1枚のみで、他のレパートリーも聴き比べてみたい気がするが、こうした古い音源のSACD化については、先ずオリジナル・マスターの質自体が問われる。

いくらDSDリマスタリングをしても録音自体の質やその保存状態が悪ければ奇跡的な蘇生は望めない。

プラガは過去にデータや音源の改竄で物議を醸したレーベルなので注意が必要だが、この曲集に関しては充分その価値が認められる。

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2015年07月15日


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ベームの音楽は厳格さの中に暖かな眼差しを感じさせ、押し付けがましいところがなく、いわゆるヴィルトゥオーゾとは違ったタイプの人間味豊かな巨匠であった。

ベームは独墺系の作曲家を中心とした様々な楽曲をレパートリーとしていたが、その中でも中核を成していたのがモーツァルトの楽曲であるということは論を待たないところだ。

ベームが録音したモーツァルトの楽曲は、交響曲、管弦楽曲、協奏曲、声楽曲そしてオペラに至るまで多岐に渡っているが、その中でも1959年から1960年代後半にかけてベルリン・フィルを指揮してスタジオ録音を行うことにより完成させた交響曲全集は、他に同格の演奏内容の全集が存在しないことに鑑みても、今なお燦然と輝くベームの至高の業績であると考えられる。

現在においてもモーツァルトの交響曲全集の最高峰であり、おそらくは今後とも当該全集を凌駕する全集は出て来ないのではないかとさえ考えられるところだ。

本盤に収められた後期交響曲集は当該全集から抜粋されたものであるが、それぞれの楽曲の演奏史上トップの座を争う至高の超名演と高く評価したい。

ベームは、モーツァルトを得意とし、生涯にわたって様々なジャンルの楽曲の演奏・録音を行い、そのいずれも名演の誉れが高いが、その中でもこれらは金字塔と言っても過言ではない存在である。

近年では、モーツァルトの交響曲演奏は、小編成の室内オーケストラによる古楽器奏法や、はたまたピリオド楽器の使用による演奏が主流であり、本演奏のようないわゆる古典的なスタイルによる全集は、今後とも2度とあらわれないのではないかとも考えられるところだ。

同様の古典的スタイルの演奏としても、ベーム以外にはウィーン・フィルを指揮してスタジオ録音を行ったレヴァインによる全集しか存在しておらず、演奏内容の観点からしても、本ベーム盤の牙城はいささかも揺らぎがないものと考える。

本全集におけるベームのアプローチは、まさに質実剛健そのものであり、重厚かつシンフォニックな、そして堅牢な造型の下でいささかも隙間風の吹かない充実した演奏を聴かせてくれていると言えるだろう。

この録音の頃のベームには、まだ最晩年ほどテンポの遅さからくる重苦しさがなく、本演奏においてはいまだ全盛期のベームならではの躍動的なリズム感が支配しており、テンポも中庸でいささかも違和感を感じさせないのが素晴らしい。

モーツァルトの音楽のもつ、しなやかな表情や、甘美な情緒よりも、構成的な美しさや、内容的な芯の強さをあらわした演奏で、感傷的な流れに陥らず、きわめて硬質な、しっかりとした表現である。

作品のもつ愉悦的な明るさは、いまひとつ直接的に伝わってこないが、老大家ベーム特有の深い味が滲み出ている。

ベルリン・フィルも、この当時はいまだカラヤン色に染まり切っておらず、フルトヴェングラー時代の名うての奏者が数多く在籍していたこともあって、ドイツ風の音色の残滓が存在した時代でもある。

したがって、ベームの統率の下、ドイツ風の重心の低い名演奏を展開しているというのも、本名演に大きく貢献しているのを忘れてはならない。

このような充実した重厚でシンフォニックな演奏を聴いていると、現代の古楽器奏法やピリオド楽器を使用したこじんまりとした軽妙なモーツァルトの交響曲の演奏が何と小賢しく聴こえることであろうか。

本演奏を、昨今のモーツァルトの交響曲の演奏様式から外れるとして、大時代的で時代遅れの演奏などと批判する音楽評論家もいるようであるが、我々聴き手は芸術的な感動さえ得られればそれでいいのであり、むしろ、軽妙浮薄な演奏がとかくもてはやされる現代においてこそ、本演奏のような真に芸術的な重厚な演奏は十分に存在価値があると言えるのではないだろうか。

いずれにしても、本盤は、モダン・オーケストラによるスタンダードな超名演と言えるだけの質を持っており、今後とも未来永劫、その存在価値をいささかも失うことがない歴史的な遺産であると高く評価したい。

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2015年06月15日


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ベートーヴェンを演奏して最高の巨匠であったウィルヘルム・バックハウスは、同時に、ブラームスのピアノ作品においても、比類のないピアニズムを示し、技巧は豪快、深い精神美とストイックな抒情性で、独特の威厳を感じさせる名演をもって有名だった。

ことにブラームスの青春の情熱と円熟の沈潜を代表する力作という2つのピアノ協奏曲にかけては、バックハウスの右に出るピアニストはなかった、と言っても過言ではない。

そのうちの《第2》はシューリヒト指揮のウィーン・フィル(1952年録音、モノーラル)と、ベーム指揮のウィーン・フィル(1967年録音、ステレオ)という新旧2種のスタジオ録音の名演が残されている(他に1930年代のSP録音も存在する)が、《第1》のほうは、1953年にウィーンで録音されたこのCD復刻盤が唯一のものとなった。

同曲は、作品が書かれた当時はもちろんのこと、現代のシンフォニックな作品のレパートリーとしても、管弦楽のパートの激烈で緻密過剰なことで知られる難曲である。

したがってこの曲は、独奏者がよほど力量のあるピアニストでないと、ただでも圧倒的で分厚い管弦楽の響きの中に埋没してしまうだろう。

ピアノがむしろ管弦楽を伴奏しているようなところさえある。

それでいて、これはピアニストにとって物凄く厄介な技巧を要求される難曲でありながら、ほんのいくつかの印象的なソロ以外は、それほどピアニスティックな演奏効果があがらない作品である。

この協奏曲を弾いて聴衆に強烈な印象を与えるのは、並大抵のことではない。

それに加えて、オーケストラの出来も問題となってくるのであって、巨匠的なピアニストに対抗できる大指揮者と名オーケストラが絶対必要なのである。

その点で、バックハウスがカール・ベームの指揮するウィーン・フィルという最高の協演者とともに録音したこの演奏こそ、録音がモノーラル時代のものであることを除けば、あらゆる意味で、この曲の理想的な演奏が聴ける1つの典型と言って良いだろう。

1953年6月という時点でウィルヘルム・バックハウスは69歳、歳をとっても技巧の衰えや造型力の弱まりを見せなかった彼だけに、69歳はまだまだ全盛期のさなかであった。

巨人的スケールの大きさと切れの冴えた技巧、ストイックだが、こまやかな情感のぬくもりを表現の陰翳に隠したバックハウスのピアノは、この曲のピアノ・パートが示す息の長い情感の底流を見事に捉えて、圧倒的な演奏を構築して行く。

筆者がこの演奏でとりわけ好んでいるところを、いくつか書き出してみよう。

まず第1楽章では、長い管弦楽提示部がppで結ばれ、待ちに待ったピアノが、柔らかいタッチに内面の芯の強さを隠して、pでエスプレッシーヴォと指定されたフレーズを奏し始めるところ。

表情をぐっと抑えて、しかも荘重な響きを持続し、次第に表現と響きにふくらみを持たせる、あの出だしである。

だがバックハウスのすばらしさがもっと直接に理解できるのは、ポコ・ピウ・モデラートの第2主題を弾き出す独奏部であり、さらにショッキングなダブル・オクターヴで颯爽と出る展開部の入りの劇的パッセージであろう。

第2主題では再現部のほうがより美しく、提示部では左手のバスの動きに意味を持たせたのに、今度は和声全体の響きを磨くのに耳を吸い寄せられる。

そして、これこそ圧巻と言いたいのは、ポコ・ピウ・アニマートのコーダに入ってからのピアノの威容である。

まだ50代だったベームが全力でウィーン・フィルから絞り出すffの和弦の林立する中を、揺るぎなき大地に両足をしっかりと踏みしめたような安定感を示しながら、あの両手のダブル・オクターヴによるffの音階的パッセージを連続させつつ猛烈なクライマックスにひた走るバックハウスの弾きっぷり!

全軍の先頭に立って堂々進軍する王者の風格といいたい豪壮無類のピアニズムである。

この楽章の再現部からコーダの演奏は、筆者がこれまで聴いてきた数多いこの曲の演奏のどれよりもすばらしい。

バックハウスも偉大なのだが、ベームとウィーン・フィルも凄い。

コーダは全く息もつかさず、結びのffの4つの和音の圧倒的な気力充実ぶりは、ピアノの両手の主和音ともに最後の音が十分に引き伸ばされて終わった瞬間、聴いていて思わず立ち上がって叫びたくなった程の強烈さだった。

第2楽章のバックハウスらしい武骨さの感じられる抒情のたゆたい、ウィーン・フィルの憧れにむせぶような弦、中間部のクラリネットのひとくさり! きっと、これはウラッハが吹いているに相違ない。

そして豪放な終楽章。

録音が、もう少し新しければと思うが、これでも十分だ。

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2015年05月12日


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2011年はベーム没後30年であった。

生前は、とりわけ我が国において、当時絶頂期にあったカラヤンに唯一対抗し得る大指揮者として絶大なる人気を誇っていたが、歳月が経つにつれて、徐々に忘れられた存在になりつつあるというのは残念でならないところである。

そのような状況の中で、本コレクターズ・エディションのような廉価盤が次々と発売される運びとなったことは、ベームの偉大な芸術を再認識させてくれる意味においても極めて意義が大きいと言わざるを得ないだろう。

本盤には、ベートーヴェンの交響曲全集(及び5つの序曲)が収められているが、これはベームによる唯一の全集である。

ベームは、本全集以外にも、ベートーヴェンの交響曲をウィーン・フィルやベルリン・フィル、バイエルン放送交響楽団などと単独で録音を行っているが、全集の形での纏まった録音は本全集が唯一であり、その意味でも本全集の価値は極めて高いと言える。

ベームによる本全集の各交響曲や序曲の演奏は、重厚でシンフォニックなものだ。

全体の造型は例によってきわめて堅固であるが、その中で、ベームはオーケストラを存分に鳴らして濃厚さの極みと言うべき内容豊かな音楽を展開している。

スケールも雄渾の極みであり、テンポは全体として非常にゆったりとしたものである。

演奏は、1970〜1972年のスタジオ録音であり、これはベームが最も輝きを放っていた最後の時期の演奏であるとも言える。

ベームは、とりわけ1970年代半ば過ぎになると、持ち味であった躍動感溢れるリズムに硬直化が見られるなど、音楽の滔々とした淀みない流れが阻害されるケースも散見されるようになるのであるが、本演奏には、そうした最晩年のベームが陥ったリズムの硬直化がいささかも見られず、音楽が滔々と淀みなく流れていくのも素晴らしい。

いずれの楽曲も名演であると言えるが、最も優れた名演は衆目の一致するところ第6番「田園」ということになるであろう。

本演奏は、ワルター&ウィーン・フィルによる演奏(1936年)、ワルター&コロンビア交響楽団による演奏(1958年)と並んで3強の一角を占める至高の超名演と高く評価したい。

本演奏の基本的な性格は前述のとおりであるが、第4楽章の畳み掛けていくような力強さや、終楽章の大自然への畏敬の念を感じさせるような崇高な美しさには出色ものがあり、とりわけウィンナ・ホルンなどの立体的で朗々たる奥行きのある響きには抗し難い魅力がある。

次いで第9番を採りたい。

ベームは、最晩年の1980年にも同曲をウィーン・フィルとともに再録音(ベームによる最後のスタジオ録音)しており、最晩年のベームの至高・至純の境地を感じさせる神々しい名演であるとは言えるが、演奏全体の引き締まった造型美と内容充実度においては本演奏の方がはるかに上。

とりわけ、終楽章の悠揚迫らぬテンポであたりを振り払うように進行していく演奏の威容には凄みがあると言えるところであり、ギネス・ジョーンズ(ソプラノ)、タティアーナ・トロヤノス(アルト)、ジェス・トーマス(テノール)、カール・リッダーブッシュ(バス)による名唱や、ウィーン国立歌劇場合唱団による渾身の合唱も相俟って、圧倒的な名演に仕上がっていると評価したい。

その他の楽曲も優れた名演であるが、これらの名演を成し遂げるにあたっては、ウィーン・フィルによる名演奏も大きく貢献していると言えるのではないだろうか。

その演奏は、まさに美しさの極みであり、ベームの重厚でシンフォニック、そして剛毅とも言える演奏に適度な潤いと深みを与えているのを忘れてはならない。

音質は、1970年代初めの頃のスタジオ録音であるが、従来盤でも十分に満足できるものである。

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2015年05月06日


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ベームは終生に渡ってモーツァルトを深く敬愛していた。

ベルリン・フィルと成し遂げた交響曲全集(1959〜1968年)や、バックハウスやポリーニと組んで演奏したピアノ協奏曲の数々、ウィーン・フィルやベルリン・フィルのトップ奏者との各種協奏曲、そして様々なオペラなど、その膨大な録音は、ベームのディスコグラフィの枢要を占めるものであると言っても過言ではあるまい。

そのようなベームも晩年になって、ウィーン・フィルとの2度目の交響曲全集の録音を開始することになった。

しかしながら、有名な6曲(第29、35、38〜41番)を録音したところで、この世を去ることになってしまい、結局は2度目の全集完成を果たすことができなかったところである。

ところで、このウィーン・フィルとの演奏の評価が不当に低いというか、今や殆ど顧みられない存在となりつつあるのはいかがなものであろうか。

ベルリン・フィルとの全集、特に主要な6曲(第35、36、38〜41番)については、リマスタリングが何度も繰り返されるとともに、とりわけ第40番及び第41番についてはシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化もされているにもかかわらず、ウィーン・フィルとの録音は、リマスタリングされるどころか、国内盤は一時は廃盤の憂き目に陥っていたという極めて嘆かわしい現状にある。

確かに、本盤に収められた第29番及び第35番の演奏については、ベルリン・フィルとの演奏と比較すると、ベームならではの躍動感溢れるリズムが硬直化し、ひどく重々しい演奏になっている。

これによって、モーツァルトの交響曲に存在している高貴にして優美な愉悦性が著しく損なわれているのは事実である。

しかしながら、一聴すると武骨とも言えるような各フレーズから滲み出してくる奥行きのある情感は、人生の辛酸を舐め尽くした老巨匠だけが描出し得る諦観や枯淡の味わいに満たされていると言えるところであり、その神々しいまでの崇高さにおいては、ベルリン・フィルとの演奏を遥かに凌駕していると言えるところである。

モーツァルト指揮者としてのベームは、「どんな相談にものってくれる博学の愛すべき哲学者」といった雰囲気をたたえており、彼の前に立っているだけで嬉しい気分になってしまう。

ウィーン・フィルとの録音は確かに多数残されたが、このモーツァルトはベームが亡くなる前のほぼ5年間に録音されたものである。

絶妙なるテンポを背景とする自然な音の流れ、磨き抜かれているが決して優しさを失わないフレージング、引き締まったアンサンブルを背景に繰り広げられる演奏はまさに生きた至芸と言いたい。

聴き手それぞれに思い入れのある名演であるが、筆者の座右宝はまずは第29番だ。

いずれにしても、総体としてはベルリン・フィル盤の方がより優れた名演と言えるが、本演奏の前述のような奥行きのある味わい深さ、崇高さにも抗し難い魅力があり、本演奏をベームの最晩年を代表する名演と評価するのにいささかも躊躇するものではない。

音質については、従来盤でも十分に満足できる音質であるが、今後は、リマスタリングを施すとともにSHM−CD化、更にはシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化を図るなどによって、本名演のより広い認知に繋げていただくことを大いに期待しておきたい。

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2015年05月04日


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本盤の演奏は、1966年のバイロイト音楽祭のライヴ録音である。

名指揮者ベームが最も充実した時代の演奏であると同時に、戦後のバイロイトの最も実り多かった時代の記録でもある。

ベームの遺したワーグナーのオペラの録音には、バイロイト祝祭管との歌劇「さまよえるオランダ人」の演奏(1971年)や、バイロイト祝祭管との楽劇「ニーベルングの指環」の演奏(1966、1967年)など数々の名演を遺しているが、それらの名演にも冠絶する至高の名演は、本盤に収められたバイロイト祝祭管との楽劇「トリスタンとイゾルデ」であると考える。

それどころか、同曲の他の指揮者による名演であるフルトヴェングラー&フィルハーモニア管による演奏(1952年)やクライバー&シュターツカペレ・ドレスデンによる演奏(1980〜1982年)と並んで3強の一角を占める超名演と高く評価したい。

そして、フルトヴェングラーが深沈とした奥行きの深さ、クライバーがオーケストラのいぶし銀の音色を活かした重厚さを特色とした名演であったのに対して、ベームによる本演奏は、実演ならではのドラマティックで劇的な演奏と言えるのではないだろうか。

そして、学者風でにこりともしない堅物の風貌のベームが、同曲をこれほどまでに官能的に描き出すことができるとは殆ど信じられないほどである。

ベームは、実演でこそ本領を発揮する指揮者と言われたが、本演奏ではその実力を如何なく発揮しており、冒頭の前奏曲からして官能的で熱き歌心が全開だ。

その後も、トゥッティに向けて畳み掛けていくような気迫や緊張感、そして切れば血が吹き出してくるような強靭な生命力に満ち溢れており、全盛期のベームならではのリズミカルな躍動感も健在だ。

テンポは若干速めであるが、隙間風が吹くような箇所は皆無であり、どこをとっても造型の堅固さと充実した響きが支配しているのが素晴らしい。

晩年の老いたベームとは異なる、真の巨匠としてのベームの逞しい音楽が渦巻いている。

バイロイトに集結した名歌手陣の、その感動的な歌唱の魅力は素晴らしく、現在聴いても少しも色褪せていない。

とりわけ、第2幕のイゾルデ役のビルギット・ニルソンとトリスタン役のヴォルフガング・ヴィントガッセンによる愛の熱唱は、ベームの心を込め抜いた指揮も相俟って、おそらくは同曲演奏史上でも最高峰の名演奏に仕上がっていると言えるところであり、その官能的な美しさといい、はたまたドラマティックな迫力といい、聴いていてただただ圧倒されるのみである。

そして、第3幕終結部のイゾルデの愛の死におけるビルギット・ニルソンによる絶唱は、もはや筆舌には尽くし難い感動を覚えるところだ。

これらの主役2人のほか、クルヴェナール役のエーベルハルト・ヴェヒター、ブランゲーネ役のクリスタ・ルートヴィヒ、そして、マルケ王役のマルッティ・タルヴェラによる渾身の熱唱も、本名演に大きく貢献していることを忘れてはならない。

また、その後大歌手に成長することになる、ペーター・シュライヤーが水夫役で登場しているのも、今となっては贅沢な布陣と言える。

録音は、従来盤でもリマスタリングが行われたこともあって十分に満足できる音質であると言えるが、同曲演奏史上トップの座を争うベームによる至高の超名演でもあり、今後はSHM−CD化、そして可能であればシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化を図るなど、更なる高音質化を大いに望んでおきたいと考える。

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2015年04月23日


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モーツァルトのレクイエムには様々な名演がある。

筆者も、かなりの点数の演奏を聴いてきたが、それらに接した上で、再び故郷に帰ってきたような気分になる演奏こそが、このベーム(1971年)盤だ。

これはもう再三再四賛辞を送られてきた名演中の名演で、ベーム最良の遺産の1つと高く評価されているもの。

テンポは、いかにも晩年のベームらしく、ゆったりとした遅めのテンポを採用しているが、例えば、同じように遅めのテンポでも、バーンスタイン盤のように大風呂敷を広げて大げさになるということはない。

かと言って、チェリビダッケのように、音楽の流れが止まってしまうような、もたれてしまうということもない。

遅めのテンポであっても、音楽の流れは常に自然体で、重厚かつ壮麗で威風堂々としており、モーツァルトのレクイエムの魅力を大いに満喫させてくれる。

同じく重厚かつ壮麗と言っても、カラヤンのように、オペラ的な華麗さはなく、ベームは、あくまでも宗教曲として、質実剛健の演奏に心掛けている点にも着目したい。

表面こそ自然な流れを重んじた仕上がりながら、内からは凄まじいばかりの気迫が噴出する。

最近では、ジュスマイヤー版を採用した壮麗な演奏が稀少になりつつあるが、これほどまでにドイツ正統派の風格のあるレクイエムは、今後も殆ど聴くことはできないと思われる。

ベームのレクイエムを聴くと、モーツァルトがバッハの宗教曲などのバロック音楽を自分の音楽素養として持ち、続くベートーヴェンやブラームスの音楽に影響を与えたのが分かる解釈である。

本演奏については、ユニバーサルからシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤が発売されたことから、当該盤について言及をしておきたい。

手元にあるハイブリッドSACD盤及びSHM−CD盤と聴き比べてみたが、シングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化によって次元の異なる高音質に生まれ変わったと言える。

SHM−CD盤は問題外であるが、ハイブリッドSACD盤ではやや平板に感じられた音場が非常に幅広くなったように感じられ、マルチチャンネルが付いていないにもかかわらず、奥行きのある臨場感が加わったのには大変驚かされた。

特に、力強く濁りのないコーラスのハーモニーが、より鮮明になったのは特筆すべきことだ。

紙ジャケットの扱いにくさや解説(特に対訳)の不備、値段の高さなど、様々な問題はあるが、ネット配信の隆盛によってパッケージメディアが瀕死の状態にある中でのユニバーサルによるSACD盤発売、そして、シングルレイヤーやSHM−CD仕様、そして緑コーティングなどの更なる高音質化に向けた果敢な努力については、この場を借りて高く評価しておきたいと考える。

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2015年04月15日


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何故か長らく廃盤の憂き目にあっていた名盤の待望の復活である。

ブルックナー的という概念にとらわれない純音楽的ブルックナーであり、ベームの人柄がそのまま出ている生真面目な演奏であるが、堅苦しくならず、角の立たない優しさに溢れている。

この作品のもつ構成的な美しさをよくあらわした演奏で、淡々と音楽を運びながらも、ベームの強い意志が貫かれている。

この作曲者としては例外的に「歌謡的」なこの交響曲を、あくまで自然に、また悠然とウィーン・フィルと歌い上げていく。

ベームは、作為の無い素直な解釈であり、アゴーギク、デュナーミクも抑制的であるが、かと言ってストイックな演奏ではなく、ウィーン・フィルの合奏能力を確信して、余り締めつけずに悠々と振っている。

特に、テンポを微妙に動かしながら、明暗の度合いをくっきりと打ち出した第1楽章は、出だしのチェロの第1主題の歌わせ方から、その特徴が出ている。

息の長い旋律線を弦が歌い上げるとき、あたかも輝かしい光と熱が音から放射されるように感じられる。

ベームは職人芸の指揮者とよく言われ、ドイツ系の交響曲の緩やかな楽章を注意深く聴いてみるとわかるが、カラヤンのような、耽美的な味わいが薄いだけで、いつも豊かな歌に満ちていることがわかる。

その後も厚みのある弦楽器の音色を生かしてゆったりと表現した第2楽章、一分の隙もなく金管楽器を壮麗に鳴らした第3楽章、ロマン的な雰囲気を柔らかに表出した第4楽章、ウィーン・フィルの豊かな響きとともに、ベームの音楽設計が光る。

ところでベームは、ブルックナーの交響曲をすべて演奏しているわけではなく、遺された録音などを勘案すると、演奏を行ったのは第3番、第4番、第5番、第7番及び第8番の5曲に限られているものと思われる。

これ以外にも若干のライヴ録音が存在しているが、モーツァルト、ベートーヴェン、シューベルト、ブラームスの各交響曲全集を録音した指揮者としては、必ずしも数多いとは言えないのではないかと考えられる。

この中でも、文句なしに素晴らしい名演は1970年代前半にウィーン・フィルを指揮して英デッカにスタジオ録音を行った第3番(1970年)及び第4番(1973年)である。

その点、本盤に収められた演奏(1976年)は、ベームの全盛時代の代名詞でもあった躍動感溢れるリズムが、本演奏ではいささか硬直化してきているところであり、音楽の自然な流れにおいても若干の淀みが生じていると言わざるを得ない。

しかしながら堅固な造型、隙間風の吹かないオーケストラの分厚い響きは相変わらずであり、峻厳たるリズムで着実に進行していく音楽は、素晴らしいの一言。

何よりも素晴らしいのは、ウィーン・フィルならではの美しい音色を味わうことができることだ。

どんなに最強奏しても、あたたかみを失わない金管楽器や木管楽器の優美さ、そして厚みがありながらも、決して重々しくはならない弦楽器の魅力的な響きなど、聴いていてほれぼれとするくらいだ。

演奏の精度、燃焼度ともに高い素晴らしい演奏で、この音の輝き、神々しさはウィーン・フィルならではのものであろう。

洗練され、ロマンティックな香りがそこはかとなく漂い、ウィーン・フィルの生の音を思い出させる自然な録音も嬉しい。

指揮者・オーケストラ・録音と3拍子揃った貴重な名演と言えるだろう。

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2015年04月14日


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最近ベームのモーツァルト関係の映像をいくつか見直してみて、やっぱりすごいと感嘆した。

晩年は身振りはもうほとんどわずかで、手先が揺れるばかりのところも多いのだが、ベームの眼光は音楽のすみずみにまでゆきわたっていて、ほんの小さな動きにも、オーケストラが瞬時に反応する。

わずかの身振りでこれだけの結果を引き出す指揮者というのも、滅多に例がなかろう。

ウィーン・フィルを指揮してのモーツァルトの交響曲、視覚的には、枯れ切った老人がつまらなそうに棒を振っているようにしかみえない。

だがそれにもかかわらず、オーケストラからはふっくらした美しい歌が、みずみずしく流れ出てくる。

これは本当に不思議なことで、音楽の本質がよほどしっかりとらえられていなくては、ありえないことだと思う。

晩年には伝統の象徴のようにみなされたけれども、ベームはわれわれに、新しい音楽を届け続けてくれた指揮者だった。

ところでベームが自分のワーグナー演奏を「モーツァルトとバッハによって浄化されたワーグナー様式」と呼んだことは有名だが、古典から現代に至るベームのレパートリーの中心には、いつもモーツァルトがあった。

すてきな自伝『回想のロンド』(高辻知義訳、白水社)の中で、ベームはモーツァルトについて、こう語っている。

「わたしが彼に捧げてきた愛情のすべてを彼は千倍にもしてわたしに報いてくれた。彼はいつもわたしに、苦難のときでも決して自分の職業に失望しないようにと、勇気を授けてくれた。彼は、新しい行為におもむくとき、いつも活力を汲むことのできる霊泉のような存在である」。

そして今では、ベームの遺したモーツァルト演奏が、あたかも「いつも活力を汲むことのできる霊泉と化したかのように、われわれを力づけてくれる。

ベームの変わらざる新鮮さの秘密は、どこにあるのだろう。

往年の巨匠が大オーケストラを使って演奏するモーツァルトというと、われわれはつい、肉厚で量感のある、拡大志向の響きを連想する。

しかしベームの引き出す音は、テクスチュアを一目で見わたせるように、内側にさわやかに引き締まっており、そしてそこに「かくあるべし」という理念がピーンと張り詰めている。

ベームは若い頃から、演奏の正確さで定評があり、楽譜を丹念に読み、その無駄のない再現のために、妥協のないリハーサルを重ねた。

頑固一徹で、がみがみとやかましいというイメージが、しごかれる楽員の側にはあったという。

だがそれは、作品の精神的内容に対する純朴な敬意に支えられていたから、彼の演奏は決して、味のない機能主義に陥ることがなかった。

重要なのは、ベームのトレーニングがオーケストラを支配するためでなく、オーケストラの特徴を最大限に生かすために行われたということである。

大指揮者のうちでもベームほど、オーケストラによって、味わいに違いの出た指揮者は少ない。

ベームのすばらしさは、そのゆるぎのないリズム感にあり、とくに拍子の感覚は、つねに厳正そのものであった。

先ほど「かくあるべし」という言葉を使ったが、筆者はベームの演奏を聴くと、カント以来ドイツ人の追い求めてきた道徳的理想のようなものが、とくにその拍子感覚に脈打っているように思えてならない。

いずれにせよベームの刻む拍節は、演奏にがっちりとした構成感を与え、「正しく生きることの爽やかさ」をさえ、そこに匂い出させた。

ベームはしばしば、よい意味での職人にたとえられた人で、たしかにベームは、音楽に流されず、音楽を厳しく統括することのできる「プロの」指揮者だった。

上述の『回想のロンド』の中で、彼は指揮の極意を、次のように述べる。

「指揮者は同時に作品の中と、作品の上にいなければならない。誤った音を聴いて修正することができなくなったら、各楽器の強弱をつねにコントロールできなくなったら、彼はオーケストラから見放されたのである。そのような瞬間に彼の権威も失墜する……」。

指揮者は、音楽の流れにみずから酔うわけにはいかず、自分をその誘惑から、厳しく律していかなくてはならない。

こうした「道の厳しさ」を確信をもって追求し続けた指揮者が、カール・ベームだった。

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2015年04月07日


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R.シュトラウスと親交があった往年の巨匠カール・ベームによる《英雄の生涯》を収めたSACD盤。

ベーム晩年の落ち着いた音楽運びが描く雄大なスケールと、一昔前のウィーン・フィルらしいふくよかなサウンド、そしてヴァイオリニスト、ゲルハルト・ヘッツェルが添える色どり等、古き良き時代の音がする名演。

かつて筆者は、本盤の《英雄の生涯》を1980年代に発売された初期西独プレスのCDで聴いたことがあるが、あまりのつまらなさに途中で聴くのをやめたのを思い出す。

というのも、いかにも晩年のベームの欠点が露呈した硬直化したテンポによる鈍重な印象を受けたからであり、それ以降、筆者のCD棚に眠ったままであった。

ベームの《英雄の生涯》については、本盤の3年前にバイエルン放送響とライヴ録音したオルフェオ盤があり、ライヴならではの熱気もあって、筆者はそちらの方を愛聴してきた。

しかし、今般SACD化され、飛躍的に音質が向上した本盤を聴いて大変驚いた。

そこには鈍重さなど微塵もなく、堂々たるインテンポによる巨匠の至芸を大いに感じたからである。

全体にテンポは遅めであり、《英雄の生涯》を得意としたカラヤンの名演のように、ドラマティックとか華麗さとは全く無縁であるが、一聴すると何らの変哲もない曲想の中に、晩年のベームならではのスパイスの効いた至芸を垣間見ることができる。

深々と暖かく柔らかな響き、そして貫祿を備えた滑らかな堂々たる音楽の進行、完熟期ベーム&ウィーン・フィルならではの《英雄の生涯》である。

ベームは分厚いオーケストレーションを丁寧に捌きながら音楽を重層的に響かせているが、それがオケの美質を最大限に生かす結果に繋がっている。

よく聴かれるこれみよがしの大げさな表現は無く、なんとなく聴いていると地味だし冷静すぎると思う人もいるかもしれない。

しかし、繰り返しと聴く度に実に素晴らしく、音楽の流れに自然に従っているように聴こえるのはまさに練達の演奏ぶりと言えるだろう。

派手になりすぎないところがベームのR.シュトラウス演奏の極意であり、自己顕示欲の塊のようなこの曲のいやらしさが感じられないくらいで、だからこそこの演奏は古びないのであろう。

ベームの的確な解釈と重厚な演奏は、作曲家と親交のあった彼ならではの作品となっている。

一例をあげると「英雄の業績」。

ここは、R.シュトラウスの過去の楽曲のテーマが回想されるが、ベームはここで大きくテンポを落とし、主旋律を十分に歌わせながら、《ティル》や《死と変容》、《ドン・ファン》などの名旋律を巧みに浮かび上がらせており、この老獪ささえ感じる巧みな至芸は、他のどの演奏よりも素晴らしいと言えるだろう。

ベームの晩年において、自分の友人であったR.シュトラウスの作品を用いて過去を振り返るという懐古的雰囲気をあえて表現した、というべきであろう。

さらにこの時代のウィーン・フィルの音色も魅力的で、特に朗々たるホルンの響きは今や聴くことができないものと言えるところであり、ベームが最も信頼した名コンサートマスターのヘッツェルのソロが聴けるのも、本盤の価値を大いに高めることに貢献している。

音質は前述のように従来盤とは段違いに素晴らしく、鮮明さ、音場の幅広さ、音圧などのどれをとっても一級品の仕上がりであり、あらためて本演奏の素晴らしさとSACD盤の潜在能力の高さを思い知った次第である。

いずれにしても、ベーム&ウィーン・フィルによる名演を現在望みうる最高の高音質SACDで味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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2015年03月12日


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清冽な活気と優美な楽想を備えた珠玉の名作第13番、駅馬車用のポストホルンが巧みに用いられているところから標題が付された第9番、モーツァルトのセレナードの中でも特に人気の高い、美しい旋律が次々と流れてくる2曲を、カール・ベーム指揮による2大オーケストラで、音楽の本質をしっかりと捉えた瑞々しい演奏が繰り広げられている1枚。

ベームが晩年に残した、モーツァルトのセレナードやシュトラウスのワルツなどは本来の喜遊性が後退していて、よりスケールの大きな管弦楽曲としての高い完成度を目指した「志」の高い作品となっている。

全曲を通じて中庸の美を頑固なまでにわきまえ、整然とした秩序の中に表現されたセレナード集で、遊びを許さないベームの生真面目な性格が良く表れている。

「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」のように、ごくポピュラーなレパートリーにおいてもウィーン・フィルの自然発生的な歌心の流出はやや抑えられて、洗練された音楽性と古典派特有の形式美の表出のほうが勝っているが、こうした解釈が聴き古された名曲にかえって新鮮な印象を与えているのは指揮者の力量の示すところだろう。

この曲をベームとウィーン・フィルは楽しく、慈しむように演奏しており、その一糸乱れぬ演奏から、指揮者とオーケストラの一体感も伝わってくる。

そしてベームはこの作品を自分の最も身近なところに引き寄せ、最大の愛情をもって暖かく可愛がるように指揮しており、まさに心を開いた音楽を聴くかのようである。

ウィーン・フィルがベームと心をひとつにした演奏を聴かせており、優雅でしかも洗練された美しい音色に心もあらわれる。

ライナーノートによれば、この曲が録音されたのは、ベームとウィーン・フィルがモーツァルトの管楽器のための協奏曲集やベートーヴェンの「ミサ・ソレムニス」を録音した後、その仕事をなし終えた満足感のなかで、「さらに音楽したい」という気持ちがこの演奏となり、「音楽する喜びにあふれている」とあるが、優しさのこもった名演奏だと思う。

枯れたといった形容は全く当てはまらない、格調高く、かつ音楽への愛・創作活動に携わることへの喜びに満ちている。

ただ、1974年というベームの演奏のリズムにやや硬直化が見られ始めた時期の録音でもあり、やや生硬さが感じられるのが唯一の難点と言えるだろう。

無いものねだりながら、これがベームの壮年期に録音されていれば、溌剌とした運びに、ウィーン・フィルの魅力がブレンドされ、さらに魅力的だったろう。

一方「ポストホルン」は1970年という録音時期もあり、モーツァルトの多彩でシンフォニックなオーケストレーションを遺憾なく再現した精緻で、しかも力強い指揮ぶりが冴えている。

ベームならではの厳しい造型の下、ベルリン・フィルならではの重厚さを生かしつつ、モーツァルトならではの高貴な優美さを兼ね備えた稀有の名演だと思う。

細部まで厳しく仕上げるベームの指揮、一流ソリストの集団のようなベルリン・フィルの演奏、クリアにして重厚な音質のグラモフォンの録音、どれをとっても極上だ。

ベームとベルリン・フィルの息の合った演奏が聴けて、ベルリン・フィルの弦の響きがいつもより柔らかに聴こえるのは、ベームの指揮によるものかと思ってしまう。

これも聴きどころいっぱいの曲であるが、第3楽章と第4楽章のフルートとオーボエの掛け合い、第6楽章のポストホルン(郵便馬車のホルン)の演奏などがハイライトと言えようか。

ゴールウェイとコッホという当時のベルリン・フィルのスター・プレイヤー同士の華麗な掛け合いや、アイヒラーによる艶のある朗々たるポストホルンの吹奏も実に素晴らしく、ソロの美しさと巧妙なアンサンブルが本名演により一層の華を添えている。

ベームのモーツァルト指揮者としての真価を知るには格好の1枚であり、モダン楽器による演奏の代表として今後も愛聴されるだろう。

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2015年03月11日


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ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の名奏者達を揃え、指揮者カール・ベームがモーツァルトの豊かな音楽性を奏でる名録音盤。

モーツァルトの管楽器による協奏曲では、最近ではほとんど聴かれなくなった重厚さと高貴な優美さを兼ね備えた珠玉の名演である。

ああいい時代だなあ、という感慨がひとしおのアルバムで、ベーム&ウィーン・フィル、そしてウィーン・フィルの管楽器のトップたちによる管楽器の協奏曲のアルバムは、いつ聴いても幸せな気分にさせられてしまう。

ここには全盛を極めたベーム&ウィーン・フィルのモーツァルト・サウンドが目一杯つまっている。

ここでも、包みこんでくれるようなベームのバック・アップで、幸せな管楽器の歌が聴ける。

ベーム&ウィーン・フィルのバックは落ち着いた安定感があり、個人の名人芸ではなく各楽器の特性を最良なかたちで引き立たせているように感じる。

奇抜なことをしない分、音楽への寄り添い方が丁寧というか、音楽そのものに近いところにあり、余分なものもないし、足りないものもなく、だからこそ飽きがこない。

録音は1972〜73年というベームの最後の全盛期であり、その指揮は、モーツァルトを得意としたベームならではの厳しい造型の中にあっても柔軟性のある自然体のものであり、ウィーン・フィルも絶美の演奏を行っている。

ベームは容貌もいかめしいがその音楽も極めて厳格であり、モーツァルトの手による愉悦の音楽に取り組むときもその姿勢はいささかも傾かない。

完璧に制御されたテンポと音量バランス、そして生真面目な解釈で正面から楽譜に立ち向かう。

そして、何よりも、当時のウィーン・フィルの名うてのプレーヤーの極上の演奏が、これらの名演により一層の華を添える結果になっている。

プリンツやトレチェクはいかにもウィーンならではのクラリネット、オーボエだと思うし、ツェーマンの野太いファゴットもどこか温かみがあって実に感動的であり、いずれも伸び伸びと典雅で快活な曲想を表現している。

独奏の名演もさることながら、それを支えるウィーン・フィルの管楽器群の麗しさやベームのとるテンポの見事なこと。

これはまさにウィーンでしか出せない響きであり、このような演奏はもうできないのではないだろうか。

このディスク中白眉は何と言ってもクラリネット協奏曲であろう。

モーツァルトが最晩年に書いた傑作であり、優しく透明な旋律の中に静かな諦念と哀愁のたゆたう、稀有に複雑な表情を持った作品である。

ベームは繰り返される牧歌的な旋律を慈しむようにゆったりとしたテンポを取る。

ベームが敷いた最高級の絨毯の上で踊るのは往年の名手プリンツ。

クラリネットという楽器の最も澄み切った音色だけを慎重に選んだかのようなケレン味のない演奏は、この優しい音楽に限りなく相応しい。

なお、ベームらしくカッチリとした構築感が魅力的なオーボエ協奏曲とファゴット協奏曲もなかなか素敵だ。

これを聴いていると未曾有の不況も忘れ去り、自然に顔もほころんでくるかのようで、木管はやはりウィーン・フィルだ。

録音も素晴らしく、この3曲の最高の名演の1つと言っても過言ではないだろう。

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2015年02月14日


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1977年3月2日 NHKホールに於けるベーム&ウィーン・フィルによるオール・ベートーヴェン・プログラムのコンサートの記録である。

「田園」が白眉だ。

当コンビは1971年にスタジオ録音しており、既に定評のあるものだったが、こちらでは、さらに音楽に余裕がある。

第1楽章が端正なのは前述の録音と変わらないが、第2楽章が驚くほど陶酔的になっている。

1971年録音が楷書なら、こちらはやや草書に傾いたという感じであり、弦楽器も木管楽器も心ゆくまで歌っていながら崩れず、弱音の陰った響きも実にいい。

第3楽章から第4楽章「嵐」への音楽の急変も、まったく乱暴ではないのに半端でない迫力があって、立派そのもの、雄大そのものだ。

全体が自然に流れつつ、怠惰でも無関心でもなく、姿勢がよく、幸福感があり、オーケストラはひとつの楽器のように鳴っている。

本当によいワインは若いときに飲むと、苦くて、硬くて、愛想が悪いが、適切な熟成を経ると、別物のように柔らかく、やさしく、陶酔的になる。

これはベームとウィーン・フィルの熟成のピークに位置する演奏だったのだろう、完全に熟成を経たワインのように甘みも苦みも香りも渾然一体となっているこんな演奏は、ベームとウィーン・フィルでもなかなかできなかった。

この演奏の魅力のひとつは、闊達に歌うヴァイオリン群にあり、著しく耽美的でありながら気品があって、まさにこれでこそウィーン・フィルという演奏をしている。

当時、ゲルハルト・ヘッツェルという名コンサートマスターがいたからだ。

初心者のために説明すると、コンサートマスターとは、客席から見て、指揮者のすぐ左、最前列に座っているヴァイオリニストで、オーケストラ演奏において非常に重要な役割をしている。

世界で一番うまいと言われるベルリン・フィルですらコンサートマスターが交代するとミスが増えたり、音楽全体の緊張感が落ちてしまったりするのだ。

指揮者との相性も重要で、彼は「ウィーン・フィルにヘッツェルあり」とまで言われた名コンサートマスターであり、ベームとの相性も抜群だった。

彼あってこそ、このあまりに豊穣なヴァイオリン群、否、オーケストラ全体の歌が成立したのである。

残念ながらヘッツェルは山岳事故で急死してしまい、それ以来、ウィーン・フィルは凋落やむなきに至ったのである。

ちなみに同じ時代、カラヤンのベルリン・フィルにはミシェル・シュヴァルベというやはり稀代のコンサートマスターがいて、東西両横綱という感じだった。

もし、この録音にひとつだけ文句を言うとしたら、演奏終了後の拍手があまりにも早すぎるということだ。

まだ最後の音が響いているのに、ひとりのお客が気が狂ったように下品な拍手を始めるので、せっかくの音楽の美しさが台無しだ。

幸いなことに、現在では、日本の聴衆もここまでせっかちでなくなり、演奏後の静寂を味わえる機会も増えた。

音質については、今般、待望のシングルレイヤーによるSACD化がなされ、音質の鮮明さ、そして音場の幅広さ、音圧などのどれをとっても一級品の仕上がりであり、あらためてSACD盤の潜在能力の高さを思い知った次第である。

いずれにしても、ベーム&ウィーン・フィルによる至高の超名演を、現在望み得る最高の高音質SACDで味わうことができるのを大いに喜びたい。

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2015年02月12日


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晩年のベームが残した唯一にして極上のJ.シュトラウス2世のワルツ・ポルカ集。

オーストリアの“第2の国歌”とも称される「美しく青きドナウ」ほか、ウィーンの伝統と気品が漂うアルバムとなっている。

ウィンナ・ワルツというと、長い間ウィーン・フィル、とりわけニューイヤー・コンサートの専売特許となってきた。

確かに本場ではあろう。

だが、ボスコフスキー引退後、クオリティゆえにさすがと納得させてくれたのは、カラヤン、クライバー、アーノンクール、プレートルぐらいであったことも事実だ。

何よりも、中継の際に頻繁に挿入されるウィーンの観光映像には食傷してしまって、オーストリアという国の悲しさを感じてしまった。

大した産業もなく、昔日の栄光を切り売りするだけの国、世界各地に中継されるこの映像を通して観光宣伝に余念がないのだろう。

シュトラウスのワルツやポルカはそんな観光絵はがきの香りがするし、コンサート後すぐにCD化という売り方も含め、あまりに露骨に商業化しすぎた。

これでは真の愛好者にそっぽを向かれるのも当然である。

この演奏はベームの“老いのすさび”といった風情漂うものだ。

まるで19世紀後半の絢爛たるウィーンの宮廷舞踏会を頭に描きながら指揮しているかのようで、かつてのワルターと一脈通じるところがあり、ウィーン・フィルの特徴がプラスに作用している。

傑出しているのは「南国のバラ」で、ゆったりとしたテンポで優雅にまとめている。

固い音楽を作りがちなベームとの相性もあってか、「皇帝円舞曲」も絶品である。

この演奏からは、上品かつ流麗な馥郁たるウィーンの香りのようなもので満ちているのだ。

もともとウィーン・フィルは、崩れ出すと止めどもなく崩れる傾向があり、時に品位を失うほど(それはそれで魅力的であるが)厚化粧の音楽を奏でてしまう。

それゆえに、ベームのような厳しく禁欲的な指揮者が外側から枠をはめてやると、その範囲内で十全を尽くそうとするが、それがいいのである。

弦楽器群が、古い高級家具のように艶々としているのも美しい。

やはりこのような名演を聴いていると、最近のニューイヤー・コンサートは、伝統にあぐらをかいた弛緩しているような演奏に聴こえてしまうのだ。

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2015年01月13日


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モーツァルトが死の年に書いた最後のピアノ協奏曲は、晩年の彼特有の清澄な作品として知られており、その作品の本質を的確に捉えた詩情溢れる演奏として高い評価を得たアルバム。

本盤が録音された1973年は、巨匠ベームがまだまだ数々の名演を成し遂げていた時期である。

当時、ドイツの正統派の巨匠と目されていた全盛期のベームと、これまた当時絶頂期にあった鋼鉄のピアニストであるギレリスの組み合わせ。

一見すると水と油のような関係、しかもベームのモーツァルトのピアノ協奏曲第27番には、バックハウスと組んだ歴史的名盤がある。

このような数々のハンディに鑑みると、本演奏の不利は否めないところであるが、聴き終えてそれは杞憂に終わった。

意外にも、この組み合わせはなかなかに合うのである。

ベームは、いつものように厳しい造型の下、重厚でシンフォニックな演奏を行っている。

派手さはなく、スコアに書かれている音符を真摯にかつ重厚に鳴らしていくという質実剛健たるアプローチだ。

それでいて、モーツァルトに不可欠の高貴な優美さにも不足はなく、全盛期のベームならではの名演と言えるだろう。

ギレリスも、ベートーヴェンの演奏で見せるような峻厳さはなく、モーツァルトの楽曲に相応しい繊細で優美なタッチを見せている。

特に第2楽章は1音1音を慈しむかのように大事に奏されていて、まるで子供が弾いているかのように純真無垢な演奏である。

いや、むしろ小さな子供を慈しむ親の心境と言えるかもしれない。

バックハウスの演奏の影に隠れがちであるが、ギレリスのこの演奏も素晴らしい魅力を持ったものであり忘れてはならない演奏である。

まさに意外な組み合わせによる異色の名演と評価したい。

2台のピアノのための協奏曲も、同様のアプローチによる名演で、特にギレリスの愛娘であるエレーナ・ギレリスのピアノが聴かれるのも貴重だ。

実の親子による演奏のためか、息のピッタリとあったと思える演奏である。

ベートーヴェンの演奏で見せる切れのある、力強い面とは異なるギレリスの一面がこれらの演奏から読み取れるのではないだろうか。

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2015年01月03日


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これ以上は求められないような超高音質SACDの登場だ。

ベーム&ウィーン・フィルによる定評ある名演だけに、これまで、従来盤に加えて、SACDハイブリッド盤やSHM−CD盤など、高音質化に向けた様々な取組がなされてきた。

英デッカの録音だけに、もともとかなりの高音質で録音されているが、それでも、前述のような高音質化に向けての不断の取組を見るにつけ、まだまだ高音質化の余地があるのではないかと考えてきた。

そして、満を持しての今般のシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤の登場であるが、これまでのCDとは一線を画する極上の高音質CDと言えるだろう。

ベームのブルックナー「第4」は、その求心力ある演奏によって、この曲のスタンダード盤とでも言って良いものである。

ベームがウィーン・フィルを指揮した、ロマン的な情感をたっぷりと湛えた荘厳にして崇高な演奏は、彼の残した代表的な遺産のひとつとして多くのファンから支持されている。

筆者にとってはLP時代からの愛聴盤であるが、ウィーン・フィルとベームのブルックナーは意外と少なく、「第3」「第4」「第7」「第8」しかリリースされていないが、その中でも英デッカ録音の「第3」「第4」特別な名演である。

この演奏はLPで発売された当初、吉田秀和氏によりフルトヴェングラー、クナッパーツブッシュ以来の大演奏と評されたと記憶するが、確かに、ここにはベームとウィーン・フィルの最上の成果がある。

ベームの指揮は熟達と形容するほかはなく、明確な見通しと構想をもってオーケストラを導き、統率する。

それは指揮者が自らの個我に拘るものではなく、オーケストラの能力・魅力を最大限に引き出して、楽曲が要求するところを虚心に実現するためのものといった趣がある。

ウィーン・フィルも全幅の信頼を置く老ベームに全力を傾けて応え、その音色・音質は芯のある引き締まったしなやかなもので、深々と、時には清々しく軽やかに、洗練のうちに野趣を失うこともなく、理想的なブルックナーサウンドを聴かせてくれる。

冒頭、朝霧が徐々に晴れていくかのような弦のトレモロに乗って、ウィーン・フィルのホルン奏者達が、まさにブルックナー交響曲の開始を告げるがごとく、遠くで誇らしげに鳴り響くのを聴く時、聴く者は抗し難い魅力に捉えられ、これから比類ない音楽が展開されるのを予感する。

そよ風が駆け抜けるようなブルックナーは、ベーム指揮のベートーヴェン「田園」とイメージがよく似ていて、重くなりがちなブルックナーのシンフォニーを爽やかに聴かせてくれている。

それは軽薄ということではなく、ちゃんと真髄と捕らえつつ歌い上げるという表現が合っていると言えるところであり、テンポのコントロールが一定でどっしりとした安定感がある演奏である。

ベームはその著『回想のロンド』になかで、「ブルックナーのように孤独で独特な存在に対して、オーケストラ全体が目標を決めていることこそ決定的なことなのだ。もしも壇上のわれわれみなが納得してさえいれば、われわれは聴衆をも納得させずにはおかない」旨を語り、特にウイーン・フィルとの関係では、この点を強調している。

ブルックナーにおいて「第3」「第7」「第8」とも、ウイーン・フィルとのコンビではこうした強固な意志を感じさせる。

同国オーストリア人の気概をもっての魂魄の名演と言えるだろう。

その他にもこの歴史的な名演の売りはいくつかあるが、何よりも素晴らしいのは、ウィーン・フィルならではの美しい音色を味わうことができることだ。

そして、本CDでは、こうしたウィーン・フィルの美しい響きを存分に満喫できるのが何よりも素晴らしい。

朗々たるウィンナホルンの響きは見事であるし、どんなに最強奏しても、あたたかみを失わない金管楽器や木管楽器の優美さ、そして厚みがありながらも、決して重々しくはならない弦楽器の魅力的な響きなど、聴いていてほれぼれとするくらいだ。

各楽器の響きの分離も、最強奏の箇所も含めて実に鮮明であり、演奏の素晴らしさも含め、究極のCDと評価しても過言ではないと考える。

後に、ヴァントやチェリビダッケ、更にクーベリック、ザンデルリンク等々とこの曲には名演が続出・目白押しであるが、筆者にとってブルックナー第4交響曲の最高の名演は依然このベーム指揮ウィーン・フィルによるものである。

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2014年12月18日


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本盤に収められたシューベルトの交響曲全集は、ベームのいくつか存在している様々な作曲家による交響曲全集の中でも、モーツァルトの交響曲全集と並ぶ最高傑作と言ってもいいのではないだろうか。

そして、シューベルトの交響曲全集については、現在に至るまで様々な指揮者が録音を行ってきたが、ベームによる本全集こそはそれらの中でトップの座に君臨する至高の名全集と高く評価したい。

ベームは、交響曲第8番「未完成」及び第9番「ザ・グレート」については、本盤の演奏以外にも複数の録音を遺しており、交響曲第8番「未完成」についてはウィーン・フィルとの演奏(1977年)、第9番「ザ・グレート」についてはウィーン・フィルとの演奏(1975年東京ライヴ録音)やシュターツカペレ・ドレスデンとの演奏(1979年ライヴ録音)の方をより上位の名演に掲げたいが、本盤の演奏もそれらに肉薄する名演であり、本全集の価値を減ずることにはいささかもならないと考える。

なお、LPの全集では収録されていた劇音楽「ロザムンデ」からの抜粋が収められていないのはいささか残念であるという点は敢えて指摘しておきたい。

本盤の演奏におけるベームのアプローチは、例によって重厚でシンフォニックなものだ。

全体の造型はきわめて堅固であるが、その中で、ベームはオーケストラを存分に鳴らして濃厚さの極みと言うべき内容豊かな音楽を展開している。

もっとも、ベームの演奏は必ずしも剛毅さ一辺倒ではなく、むしろ堅固な造型の中にも豊かな情感が満ち溢れており、いい意味での剛柔併せ持つバランスのとれた演奏と言えるだろう。

私見ではあるが、ベームによるシューベルトの演奏は、ウィーン風の抒情に満ち溢れた名演の数々を成し遂げたワルターによる演奏と、剛毅で古武士のような風格のあるクレンペラーの演奏を足して2で割ったような演奏様式と言えるのかもしれない。

そして、ベームのしっかりとした統率の下、素晴らしい名演奏を披露しているベルリン・フィルについても言及しておかないといけないだろう。

本演奏は、1963〜1971年のスタジオ録音であるが、この当時のベルリン・フィルは、終身の芸術監督カラヤンの下で、いわゆるカラヤン・サウンドに満ち溢れた重厚でなおかつ華麗な名演奏の数々を成し遂げるなど、徐々にカラヤン色に染まりつつあったところだ。

しかしながら、本演奏では、いささかもカラヤン色を感じさせることなく、ベームならではのドイツ風の重厚な音色で満たされている。

かかる点に、ベルリン・フィルの卓越した技量と柔軟性を大いに感じることが可能であり、本名全集に大きく貢献しているのを忘れてはならない。

音質は、1960年代後半から1970年代初めのかけてのスタジオ録音であるが、従来盤でも十分に満足できるものである。

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2014年12月17日


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本盤にはベーム&ウィーン・フィルによるブラームスの交響曲全集が収められている。

ベームは、本演奏以外にもブラームスの交響曲を単独でウィーン・フィルのほかベルリン・フィルやバイエルン放送交響楽団などと録音しており、全集という纏まった形でのスタジオ録音としては、本全集が唯一のものと言えるところだ。

本全集に収められた楽曲のうち、第1番についてはベルリン・フィルとの演奏(1959年)に一歩譲るが、その他の楽曲については、ベームによる最高の名演と言っても過言ではあるまい。

本全集を聴いていて思うのは、ベームの芸風とブラームスの楽曲は抜群の相性を誇っているということである。

ベームは、本全集のほかにも、前述の第1番の1959年の演奏や、バックハウスと組んでスタジオ録音したピアノ協奏曲第2番の演奏(1967年)など、圧倒的な名演の数々を遺しているのは、ベームとブラームスの相性の良さに起因すると考えられるところだ。

ベームの本盤の各楽曲の演奏におけるアプローチは、例によって重厚でシンフォニックなものだ。

全体の造型はきわめて堅固であるが、スケールも雄渾の極みであり、テンポは全体として非常にゆったりとしたものである。

そして、ベームは、各楽器セクションを力の限り最強奏させているが、その引き締まった隙間風の吹かない分厚い響きには強靭さが漲っており、濃厚さの極みと言うべき内容豊かな音楽を展開している。

かかる充実した隙間風の吹かない重厚な響きをベースとした質実剛健たる演奏が、ブラームスの各楽曲の性格と見事に符号すると言えるのではないだろうか。

演奏は、1975〜1977年のスタジオ録音であり、この当時のベームによる一部の演奏には、持ち味であった躍動感溢れるリズムに硬直化が見られるなど、音楽の滔々とした淀みない流れが阻害されるケースも散見されるようになるのであるが、本演奏には、そうした最晩年のベームが陥ったリズムの硬直化がいささかも見られず、音楽が滔々と淀みなく流れていくのも素晴らしい。

また、各曲の緩徐楽章や、第2番及び第4番の緩徐箇所における各旋律の端々から漂ってくる幾分憂いに満ちた奥深い情感には抗し難い魅力に満ち溢れており、これはベームが最晩年になって漸く到達し得た至高・至純の清澄な境地をあらわしていると言えるのかもしれない。

併録のハイドンの主題による変奏曲における、各変奏曲の描き分けの巧みさは老巨匠ならではの圧巻の至芸と言えるところであり、アルト・ラプソディにおいては、クリスタ・ルートヴィヒやウィーン楽友協会合唱団による渾身の名唱も相俟って、スケール雄大な圧倒的な名演に仕上がっていると評価したい。

そして、特筆すべきは、ウィーン・フィルによる美しさの極みとも言うべき名演奏である。

とりわけ、第1番第2楽章におけるゲアハルト・ヘッツェルによる甘美なヴァイオリン・ソロのあまりの美しさには身も心も蕩けてしまいそうだ。

いずれにしても、かかるウィーン・フィルによる美演が、ベームの重厚でシンフォニック、そして剛毅とも言える演奏に適度な潤いと深みを与えているのを忘れてはならない。

音質は、1975〜1977年のスタジオ録音であるが、従来CD盤でも十分に満足できるものである。

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2014年12月06日


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両曲ともに、ピアニスト、指揮者、オーケストラの3拍子が揃った、ピアノ協奏曲の醍醐味を存分に味わうことができる至高・至純の超名演である。

バックハウス=ベーム=ウィーン・フィルは深い信頼関係で結ばれており、この黄金トリオによるモーツァルトの27番、ブラームスの2番の協奏曲はザルツブルクやウィーンでの最大の呼び物であった。

英デッカにもセッション録音していて、いまだに決定盤の評価を得ているこの2曲のザルツブルク・ライヴがついに1枚のCDで登場。

とりわけブラームスはバックハウス最後のザルツブルクでの演奏曲目で、吉田秀和氏は会場で初めて生でバックハウスを聴いた感想を「あの曲のソロの冒頭にある長いアルペッジョの始まる低音の『深々とした厚み』とでもいいたいような感触は格別に印象的であった」と綴っている。

ブラームスのピアノ協奏曲第2番は、ピア二ストにとっても難曲ではあるが、オーケストレーションが交響曲並みに分厚いことで知られる。

要するに、ピアノ入りの交響曲とも言うべき特徴を備えており、それ故に、ピアニストだけでなく、指揮者やオーケストラにも相当の力量のある役者が揃わないと、楽曲の魅力を発揮することは著しく困難になる。

本演奏は1968年の録音であるが、この当時はベームの全盛時代で、厳しい造型の下、隙間風の吹かない重厚なアプローチを繰り広げており、それが同曲の性格に見事に符合している。

バックハウスは最晩年とは思えないような武骨とも言うべき力強いタッチを示しており、ベームともども最高のパフォーマンスを示している。

この両者の重厚ではあるが、武骨で巧言令色とは無縁の渋いアプローチを、ウィーン・フィルの美演によって、角の取れた柔和なものにしていることも特筆すべきであり、これら3者の絶妙なコラボレーションが、同曲史上最高の名演を生み出したと言っても過言ではあるまい。

モーツァルトは、ブラームスよりもさらに8年ほど前の演奏であるが、バックハウスの武骨なアプローチは、本来はモーツァルトの曲とは水と油の関係と言ってもいいのに、本演奏では、そのような違和感はどこにも感じられない。

それは、曲が第27番というモーツァルト最晩年の人生の諦観のような要素を多分に持った作品であることも要因の一つであると考えられる。

ベームは、得意のモーツァルトだけに、水を得た魚のように躍動感溢れる指揮をしており、ウィーン・フィルの演奏も例によって美しい。

英デッカのスタジオ録音を愛聴しているファンには、聴き逃すことのできない一盤と言えよう。

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2014年11月21日


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これは本当に大変な出来映えで、ベーム一代の最高の成果の1つというだけでなく、20世紀後半におけるモーツァルト解釈を代表する名演に数えるべきものであり、恐らく、20世紀全体を通じてみても、この世紀におけるモーツァルト演奏の何たるかを、永く後世に伝えるに足る演奏というより他ないようなものだろう。

ベームが指揮者として壮年期にあった時期の録音だけに、その生気あふれた音楽運びは、この時代のベームの芸術を特徴づける最大の魅力である。

まず第一にあげなければなければならないのは、ベームの実に見事な音楽表現だ。

おそらくここには我々が「ウィーン風」という概念で呼んでいるあの独特な演奏スタイルのすべての特徴と美点とが、最上の形で結晶して、モーツァルトの音楽をこれ以上ないほどの微妙さと美しさで鳴り響かせている。

ベームのモーツァルトの基本はインテンポであり、その中で楽譜に書かれてる音符と歌い手がイメージしている音楽が融和し、自ら美しくあるいは劇的な音楽が生まれてくる。

ベームは何もしていないように思われるが、そのアンサンブルから流れ出る音楽のなんと楽しいことだろうか。

ベームの指揮のもと、おそらく「コシ・ファン・トゥッテ」を最も深く知りつくしているウィーン・フィルが水を得た魚のように生き生きとした表情で馥郁たる匂いと劇的な情感に溢れる音楽を聴かせてくれる。

ベームの演奏は流麗をきわめ、表情はふくよかで、モーツァルトの至純な音楽がこれほど高い純度にまで精錬されて響くことは、ごくまれにしかあるまい。

温和で豊潤な音楽から生み出される馥郁たる香りのモーツァルト像は、この作曲家が持っている懐の深さを改めて我々に教えてくれる。

ゼーフリート、ヘルマン、オットー、デルモータら6人の歌手達も揃って高水準の歌唱を聴かせており、一つのスタイルと緊密なアンサンブルを形成している。

モーツァルトとベームの芸術を愛する人々にとって、この1組はかけがいのない価値を持つものである。

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2014年11月12日


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これは名演だ。

例えばバレンボイムのベルリン・フィル弾き振りによる演奏は、ソロとオーケストラが緊密に結びついたいわば高度の同質性が貫かれた名盤だが、この若きポリーニと最晩年のベームによる共演は、ソロとオーケストラの個性の違いが興味深い成果をあげた名演奏と言えよう。

ポリーニは、本盤から10年以上経って、アバド&ベルリン・フィルをバックに、2度目のベートーヴェンのピアノ協奏曲全集を録音したが、全く問題にならない。

2度目の録音は、アバド&ベルリン・フィルのいささか底の浅いとも言える軽い演奏と、ポリーニの無機的とも評すべき鋭利なタッチが、お互いに場違いな印象を与えるなど、豪華な布陣に相応しい演奏とは必ずしも言い難い凡演に成り下がっていた。

しかし1度目の録音におけるポリーニは、若々しく溌剌とした演奏でダイナミックに弾いており、聴いていて心地良い。

それに本盤の場合は、先ず何よりもバックが素晴らしい。

特に、この2曲は、ベーム&ウィーン・フィルという最高の組み合わせであり、その重厚なドイツ風の演奏は、ベートーヴェンのピアノ協奏曲演奏の理想像の具現化と言えるだろう。

造型を重要視するアプローチは相変わらずであるが、それでいて、最晩年のベームならではのスケールの雄大さにもいささかの不足はない。

ポリーニのピアノも、ここではバックのせいも多分にあるとは思うが、無機的な音は皆無であり、情感溢れるニュアンスの豊かさが見事である。

第4番のポリーニは胸のすくようなテクニックで華麗に弾いており、透明なリリシズムが美しい。

ベームの指揮とともに、よく整い、よく磨かれ、やるべきことをきちんとやっていて、さらにそれを超えて迫ってくる個性の輝きがある。

「皇帝」のポリーニも同様だが、ベームの指揮はこの方が一段と充実しており、密度が高い。

ベームの指揮は決してテンポが遅いわけではないが、時に滑らかさに欠けると感じられるところもあるが、そこをウィーン・フィルの優美な音色が巧みに補完し、格調の高いオーケストラ演奏を生み出している。

その上に個々の音がクリスタルの輝きを放つポリーニのピアノが自由に泳ぎ回る。

典雅な趣きをたたえた第4番、古典的な側面をくっきりと描き出した「皇帝」といずれも傾聴に値する演奏だ。

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2014年10月23日


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本盤には、ベームがウィーン・フィルやベルリン・フィルを指揮してスタジオ録音したモーツァルトの管楽器のための協奏曲集やセレナード集、ディヴェルティメント集が収められている。

ベームのレパートリーの基本は独墺系の作曲家による楽曲であったが、その中でもモーツァルトによる楽曲はその中核を占めるものであったと言えるのではないだろうか。

ベームが録音したモーツァルトの楽曲は、交響曲、管弦楽曲、協奏曲、声楽曲そしてオペラに至るまで多岐に渡っているが、その中でも本盤は、1959年から1967年にかけてベルリン・フィルを指揮してスタジオ録音を行うことにより完成させた交響曲全集とともに、今なお燦然と輝くベームの至高の業績であると高く評価したい。

モーツァルトを得意とした巨匠と言えば、ワルターを第一に掲げるべきであるが、ワルターのモーツァルトの楽曲の演奏が優美にして典雅であったのに対して、ベーム演奏は重厚でシンフォニックなものだ。

全体の造型はきわめて堅固であるが、スケールも雄渾の極みであり、テンポは全体としてゆったりとしたものである。

そして、本盤の演奏は、1970〜1979年にかけてのものであり、とりわけ1970年代後半のベームによる一部の演奏には、持ち味であった躍動感溢れるリズムに硬直化が見られるなど、音楽の滔々とした淀みない流れが阻害されるケースも散見されるようになるのであるが、本演奏には、そうした最晩年のベームが陥ったリズムの硬直化が殆ど聴かれないのが素晴らしい。

そして、全盛時代のベームの特徴でもあった躍動感溢れるリズムが本盤の演奏では健在であり、かような演奏が四角四面に陥るのを避けることに繋がり、モーツァルトの演奏に必要不可欠の高貴な優雅さにもいささかの不足もしていないと言えるところだ。

要は、いい意味での剛柔バランスのとれた名演に仕上がっていると言えるだろう。

そして、本盤で素晴らしいのは、ベルリン・フィルやウィーン・フィルの各首席奏者の素晴らしい名演奏であり、その卓越した技量や美しい音色など、これ以上は求め得ないような美しさの極みとも言うべき圧倒的な名演奏を展開していると評価したい。

これら首席奏者にとどまらず、ベルリン・フィルやウィーン・フィルによる演奏も高く評価すべきであるが、とりわけベルリン・フィルについて言及しておきたい。

この当時のベルリン・フィルは、終身の芸術監督カラヤンの下で、いわゆるカラヤン・サウンドに満ち溢れた重厚でなおかつ華麗な名演奏の数々を成し遂げるなど、徐々にカラヤン色に染まりつつあったところだ。

しかしながら、本盤の演奏では、いささかもカラヤン色を感じさせることなく、ベームならではのドイツ風の重厚な音色で満たされている。

かかる点に、ベルリン・フィルの卓越した技量と柔軟性を大いに感じることが可能であり、本盤の名演に大きく貢献しているのを忘れてはならない。

音質は、1970年から1979年にかけてのスタジオ録音であるが、大半の演奏が既にリマスタリングが施された(ウィーン・フィルの首席奏者との協奏交響曲やディヴェルティメント集については久々のCD化であるとともに、筆者も当該CDを所有しておらず、比較出来なかったことを指摘しておきたい)こともあって、従来盤でも十分に満足できるものである。

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2014年10月04日


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一昨年(2011年)はベーム没後30年であった。

生前は、とりわけ我が国において、当時絶頂期にあったカラヤンに唯一対抗し得る大指揮者として絶大なる人気を誇っていたが、歳月が経つにつれて、徐々に忘れられた存在になりつつあるというのは残念でならないところである。

本盤には、ベートーヴェンの交響曲第6番「田園」(及び2つの序曲)が収められているが、ベームの偉大な芸術を再認識させてくれる素晴らしい名演だ。

ベームによる本演奏は、重厚でシンフォニックなものだ。

全体の造型は例によってきわめて堅固であるが、その中で、ベームはオーケストラを存分に鳴らして濃厚さの極みと言うべき内容豊かな音楽を展開している。

スケールも雄渾の極みであり、テンポは全体として非常にゆったりとしたものである。

演奏は、1971年のスタジオ録音であり、これはベームが最も輝きを放っていた最後の時期の演奏であるとも言える。

ベームは、とりわけ1970年代半ば過ぎになると、持ち味であった躍動感溢れるリズムに硬直化が見られるなど、音楽の滔々とした淀みない流れが阻害されるケースも散見されるようになるのであるが、本演奏には、そうした最晩年のベームが陥ったリズムの硬直化がいささかも見られず、音楽が滔々と淀みなく流れていくのも素晴らしい。

本演奏は、ワルター&ウィーン・フィルによる演奏(1936年)、ワルター&コロンビア交響楽団による演奏(1958年)と並んで3強の一角を占める至高の超名演と高く評価したい。

本演奏の基本的な性格は前述のとおりであるが、第4楽章の畳み掛けていくような力強さや、終楽章の大自然への畏敬の念を感じさせるような崇高な美しさには出色ものがあり、とりわけウィンナ・ホルンなどの立体的で朗々たる奥行きのある響きには抗し難い魅力がある。

ウィーン・フィルによる名演奏も大きく貢献していると言えるところであり、その演奏は、まさに美しさの極みであり、ベームの重厚でシンフォニック、そして剛毅とも言える演奏に適度な潤いと深みを与えているのを忘れてはならない。

音質は、1971年のスタジオ録音であるが、従来盤でも十分に満足できるものである。

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2014年09月23日


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これは素晴らしい名演だ。

30代半ばの若き日のポリーニと、80歳を超えた巨匠ベーム、そしてウィーン・フィルとの絶妙な組み合わせであり、演奏が悪かろうはずがない。

モーツァルトの楽曲の演奏については、近年では現代楽器を使用した古楽器奏法による演奏や、ピリオド楽器を使用した演奏が主流となっており、本演奏のような重厚にしてシンフォニックな演奏は稀少なものとなってしまった。

しかしながら、モーツァルトの存命していた時代の演奏の再現に無常の喜びを感じる音楽学者は別として、芸術的な感動という観点からすれば、そうした時代考証学的な演奏が一体どれほどの価値があると言えるのだろうか。

確かに、一部の指揮者による芸術性の高い演奏は存在はしているものの、その殆どは軽妙浮薄な演奏にとどまっていると言わざるを得ない。

そうした演奏の中にあって、本演奏がむしろ時代遅れなどではなく、むしろどれほどの光彩を放っているのかは計り知れないものがあるとも言えるところだ。

演奏自体は、年功から言っても巨匠ベームのペースで行われているというのは致し方ない。

モーツァルトを心から愛し、モーツァルトの交響曲、管弦楽曲、協奏曲、オペラの様々なジャンルにおいて名演の数々を成し遂げてきたベームだけに、本演奏においても、そうしたモーツァルトの楽曲との抜群の相性の良さが発揮されていると言えるだろう。

そのアプローチは、前述のように重厚にしてシンフォニック、演奏全体の造型は例によって堅固そのものであるが、スケールは雄大。

近年主流の軽妙浮薄なモーツァルトの演奏とは一線を画する壮麗さを誇っているとさえ言える。

それでいて、モーツァルトの演奏に必要不可欠な優美さや、時としてあらわれる寂寥感を感じさせる憂いに満ちた旋律もいささかの格調を失うことなく的確に表現し得ており、まさに、かつてのモーツァルト演奏の王道を行くものであると言っても過言ではあるまい。

ポリーニも、こうしたベームの偉大な演奏にただただ従っているだけにはとどまっていない。

卓越したテクニックや研ぎ澄まされた音の美しさは相変わらずであり、そうしたポリーニのピアニズムは随所に発揮されているとも言えるところだ。

それでいて、ベームの懐の深い指揮芸術に触発されたせいか、情感の豊かさにも不足はないと言えるところであり、一部の評論家が指摘しているような無機的な演奏にはいささかも陥っていない。

加えて、ウィーン・フィルによる極上の美演が、演奏に華を添える結果となっていることを忘れてはならない。

いずれにしても、本盤の演奏は、巨匠ベームと当時上げ潮にあったポリーニ、そしてウィーン・フィルによる絶妙の組み合わせが見事に功を奏した素晴らしい名演と高く評価したい。

そして、本盤で素晴らしいのはシングルレイヤーによるSACD&SHM−CDによる極上の高音質録音である。

音質の鮮明さ、臨場感、音圧のいずれをとっても一級品の仕上がりであり、とりわけ冒頭の繊細な美しさはこの世のものとは思えないような抗し難い魅力を有した響きである。

あらためてSACDの潜在能力の高さを思い知った次第だ。

いずれにしても、素晴らしい名演をシングルレイヤーによるSACD&SHM−CDによる極上の高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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2014年08月24日


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ベームは、いわゆるブルックナー指揮者とは言い難いのではないだろうか。

シュターツカペレ・ドレスデンとともに「第4」及び「第5」、ウィーン・フィルとともに「第3」、「第4」、「第7」及び「第8」をスタジオ録音しており、これ以外にも若干のライブ録音が存在しているが、モーツァルト、ベートーヴェン、シューベルト、ブラームスの各交響曲全集を録音した指揮者としては、必ずしも数多いとは言えないのではないかと考えられる。

しかしながら、遺された録音はいずれも決して凡演の類ではなく、特に、ウィーン・フィルと録音した「第3」及び「第4」は、他の指揮者による名演と比較しても、今なお上位にランキングされる素晴らしい名演と高く評価したい。

ところで、この「第3」(1970年)と「第4」(1973年)についてであるが、よりベームらしさがあらわれているのは、「第3」と言えるのではないだろうか。

ベームの演奏の特色は、堅固な造型、隙間風の吹かないオーケストラの分厚い響き、峻厳たるリズム感などが掲げられると思うが、1970年代初頭までは、こうしたベームの特色が存分に発揮された名演が数多く繰り広げられていた。

しかしながら、1970年代後半になると、リズムが硬直化し、テンポが遅くなるのに併せて造型も肥大化することになっていった。

したがって、スケールは非常に大きくはなったものの、凝縮度が薄くなり、それこそ歯応えのない干物のような演奏が多くなったことは否めない事実である(シュターツカペレ・ドレスデンを指揮したシューベルトの「ザ・グレイト」のような例外もあり)。

「第4」は、そうした硬直化にはまだまだ陥っているとは言えないものの、どちらかと言えば、ウィーン・フィルによる美演を極力生かした演奏と言うことができるところであり、名演ではあるが、ベームらしさが発揮された演奏とは言い難い面があるのではないだろうか。

これに対して、本盤の「第3」は、徹頭徹尾ベームらしさが発揮された演奏ということが可能だ。

堅固な造型、隙間風の吹かないオーケストラの分厚い響きは相変わらずであり、峻厳たるリズムで着実に進行していく音楽は、素晴らしいの一言。

全体のスケールはさほど大きいとは言えないが、ヴァント&ケルン放送交響楽団盤(1981年)よりははるかに雄渾と言えるところであり、これだけの凝縮化された密度の濃い音楽は他にもあまり例はみられない。

金管楽器がいささか強すぎるきらいもないわけではないが、全体の演奏の評価に瑕疵を与えるほどのものではないと考える。

ブルックナーの「第3」の他の名演としては、1990年代に入って、朝比奈&大阪フィル盤(1993年)が登場するが、それまでは本演奏はダントツの名演という存在であった。

朝比奈盤に次ぐのが、ヴァント&北ドイツ放送交響楽団盤(1992年)であると考えるが、本演奏は、現在でもこれら両名演に次ぐ名演の地位をいささかも譲っていないと考える。

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2014年08月23日


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ベームは、ブルックナーの交響曲をすべて演奏しているわけではなく、遺された録音などを勘案すると、演奏を行ったのは第3番、第4番、第5番、第7番及び第8番の5曲に限られているものと思われる。

この中でも、文句なしに素晴らしい名演は1970年代前半にウィーン・フィルを指揮して英デッカにスタジオ録音を行った第3番(1970年)及び第4番(1973年)である。

これに対して本盤に収められた第8番については、少なくとも従来盤やその後に発売されたSHM−CD盤を聴く限りにおいては、筆者としてはこれまでのところ感銘を受けたことは一度もないところだ。

というのも、最大の欠点は、金管楽器がいささか無機的に響くということであろう。

ベームは、例によって、本演奏においても各金管楽器を最強奏させているのであるが、いずれも耳に突き刺さるようなきついサウンドであり、聴いていてとても疲れるというのが正直なところなのだ。

また、ベームの全盛時代の代名詞でもあった躍動感溢れるリズムが、本演奏ではいささか硬直化してきているところであり、音楽の自然な流れにおいても若干の淀みが生じていると言わざるを得ない。

したがって、ベームによる遺された同曲のライヴ録音に鑑みれば、本演奏はベームのベストフォームとは到底言い難いものであると言えるところであり、演奏自体としては凡演とまでは言わないが、佳演との評価すらなかなかに厳しいものがあったと言える。

しかしながら、今般のシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤を聴いて驚いた。

これまでの従来盤やSHM−CD盤とはそもそも次元が異なる圧倒的な超高音質に生まれ変わったところであり、これによって、これまでは無機的できついと思っていたブラスセクションの音色に温もりと潤いが付加され、これまでよりも格段に聴きやすい音色に改善されたと言えるところである。

加えて、音場が幅広くなったことにもよると思うが、音楽の流れも、万全とは言えないもののかなり自然体で流れるように聴こえるように生まれ変わったとも言える。

したがって、シングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化によって本演奏の欠点がほぼ解消されたとも言えるところであり、筆者としても本シングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤ではじめて本演奏に深い感銘を受けたところだ。

いずれにしても、本シングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤に限っては、本演奏を名演と高く評価したい。

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2014年08月21日


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モーツァルトのレクイエムは、数々の指揮者の下で演奏されているが、どれもアップテンポで“レクイエム”の意味を表現しているとは思えない。

その点、このCDに収録されているのは、カール・ベームの晩年の指揮によるもので、“モーツァルトのレクイエム”を見事に表現している。

安息を表現する所では、スローテンポで、哀れみを請う所では、静かなテンポで、主を讃える所では、力強いテンポで、罪を許し給える所では、優しいテンポで。

全体的には実にゆったりとしたテンポ、壮大で重厚な音楽が最後まで貫かれている。

アーノンクールの演奏とは対照的でどちらが正しい、どちらが優れているということは考えこまずに、このベームの晩年のモーツァルトの世界に浸るのが良いのであろう。

現代の演奏ではまず聴くことのできない「重さ」と「凄み」が如実に伝わる演奏である。

合唱団員の意気込みも鋭く、「怒りの日」の合唱の咆えること、他の盤では聴けない荒々しさである。

「呪われし者」の類をみないテンポの遅さと男声パートの劇的な表現がかえって今では新鮮に聴こえるし、それに続く女声のソットヴォーチェの箇所が実に生きている。

「涙の日」へ接続し、続くヴァイオリンの前奏が涙を誘い、緊張感あふれる合唱によって絶筆部分が歌われる。

これほど慄き、嘆き、咆哮する「涙の日」の演奏は少ないのではないだろうか。

エディット・マティス(ソプラノ)、ユリア・ハマリ(アルト)、ヴィエスワフ・オフマン(テノール)、カール・リッダーブッシュ(バス)というビッグ・ネームのソリストもまたベームの音楽観に添った歌唱をしている。

ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の統一がとれた演奏と、ウィーン国立歌劇場合唱連盟(合唱指揮:ノルベルト・バラッチュ)のメンバーの音楽性の高さが、このアルバムの価値を高めている。

ベームのレクイエムを聴くと、モーツァルトがバッハの宗教曲などのバロック音楽を自分の音楽素養として持ち、続くベートーヴェンやブラームスの音楽に影響を与えたのが分かる解釈である。

そこには軽やかで華やかな天才モーツァルトの姿はなく、人生の儚さに恐れ慄く人間モーツァルトが立っているかのようだ。

カール・ベームは、“モーツァルトのレクイエム”を指揮するために、この世に生を授けたのではないか、とさえ思わせる逸品である。

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2014年08月16日


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昨年(2011年)はベームの没後30年に当たるにもかかわらず、それを記念したCDの発売は、今月末発売のユニバーサルからのシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤3点の発売以外には見当たらないところだ。

それでも、我が国においては今もなお熱心なベームファンは存在しているが、本場ヨーロッパでは殆ど忘れられた存在であると聞いている。

生前はオーストリアの音楽総監督やウィーン・フィルの名誉指揮者の称号が与えられ、世代はかなり違うものの当時のスーパースターであったカラヤンのライバルとも目された大指揮者であったにしては、今日の知る人ぞ知る存在に甘んじている状況は極めて不当で残念と言わざるを得ない。

このように、ベームの存在がますます忘れられつつある中においても、おそらく今後とも未来永劫、その価値を失うことがないと思われるCDが存在する。

それこそはまさに、本盤に収められたベルリン・フィルとともにスタジオ録音(1959〜1968年)を行ったモーツァルトの交響曲全集であると考える。

ベームは、モーツァルトを得意とし、生涯にわたって様々なジャンルの楽曲の演奏・録音を行い、そのいずれも名演の誉れが高いが、その中でも本全集は金字塔と言っても過言ではない存在である。

近年では、モーツァルトの交響曲演奏は、小編成の室内オーケストラによる古楽器奏法や、はたまたピリオド楽器の使用による演奏が主流であり、本演奏のようないわゆる古典的なスタイルによる全集は、今後とも2度とあらわれないのではないかとも考えられるところだ。

同様の古典的スタイルの演奏としても、ベーム以外にはウィーン・フィルを指揮してスタジオ録音を行ったレヴァインによる全集しか存在しておらず、演奏内容の観点からしても、本ベーム盤の牙城はいささかも揺らぎがないものと考える。

本全集におけるベームのアプローチは、まさに質実剛健そのものであり、重厚かつシンフォニックな、そして堅牢な造型の下でいささかも隙間風の吹かない充実した演奏を聴かせてくれていると言えるだろう。

ベームの指揮は、1970年代後半に入ると、持ち味であるリズム感に硬直が見られ、テンポが極端に遅い重々しい演奏が増えてくるのであるが(最晩年にウィーン・フィルと録音したモーツァルトの後期交響曲集はこうした芸風が顕著にあらわれている)、本演奏においてはいまだ全盛期のベームならではの躍動的なリズム感が支配しており、テンポも中庸でいささかも違和感を感じさせないのが素晴らしい。

ベルリン・フィルも、この当時はいまだカラヤン色に染まり切っておらず、フルトヴェングラー時代の名うての奏者が数多く在籍していたこともあって、ドイツ風の音色の残滓が存在した時代でもある。

したがって、ベームの統率の下、ドイツ風の重心の低い名演奏を展開しているというのも、本名演に大きく貢献しているのを忘れてはならない。

このような充実した重厚でシンフォニックな演奏を聴いていると、現代の古楽器奏法やピリオド楽器を使用したこじんまりとした軽妙なモーツァルトの交響曲の演奏が何と小賢しく聴こえることであろうか。

本演奏を、昨今のモーツァルトの交響曲の演奏様式から外れるとして、大時代的で時代遅れの演奏などと批判する音楽評論家もいるようであるが、我々聴き手は芸術的な感動さえ得られればそれでいいのであり、むしろ、軽妙浮薄な演奏がとかくもてはやされる現代においてこそ、本演奏のような真に芸術的な重厚な演奏は十分に存在価値があると言えるのではないだろうか。

いずれにしても、本全集は、モーツァルトの交響曲全集の最高の超名演であるとともに、今後とも未来永劫、その存在価値をいささかも失うことがない歴史的な遺産であると高く評価したい。

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2014年07月29日


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全盛期のベームによる圧倒的な名演だ。

1966、7年度のバイロイト音楽祭におけるライヴで、いろいろな意味で、「記念碑的な名演」という言葉こそふさわしいレコードである。

ベームはスタジオ録音よりも実演でこそその本領を発揮する指揮者と言われているが、本盤の演奏を聴いているとよく理解できるところだ。

それにしても、本演奏におけるベームは凄まじいばかりのハイテンションだ。

ひたすら音楽を前へと進めていこうという畳み掛けていくような気迫と緊張感、そして切れば血が噴き出してくるような圧倒的な生命力に満ち溢れている。

長大なワーグナーの楽劇「ニーベルングの指環」は、全体を演奏するのに大抵は14時間前後を要するが、ベームは何と約13時間程度で全曲を駆け抜けている。

これだけ速いテンポだと、性急で浅薄な印象を聴き手に与える危険性もあるが、本演奏に関してはそのようなことはいささかもなく、どこをとっても隙間風の吹かない造型の堅固さと充実した響きが支配しているのが素晴らしい。

このベームの演奏が聴き手に感じさせるのは決して表面的なテンポの速さではなく、凄まじいばかりの白熱と緊張に満ちたその音楽の素晴らしい持続力と高揚である。

全盛期のベームの特徴でもある快活なリズム感も効果的であり、随所に清新な躍動感が息づいているのが見事であるという他はない。

同曲には、重厚で強烈無比なショルティ&ウィーン・フィルによる演奏(1958〜1965年)や、ドラマティックなフルトヴェングラー&RAIローマ響による演奏(1953年)、圧倒的な音のドラマを構築したカラヤン&ベルリン・フィルによる演奏(1966〜1970年)、あらゆる意味でバランスのとれたカイルベルト&バイロイト祝祭管による演奏(1955年)など、名演が目白押しではあるが、演奏の持つ実演ならではの根源的な迫力においては、ベームによる本名演もいささかも引けを取っていない。

歌手陣も豪華であり、ジークフリート役(「ラインの黄金」においてはローゲ役)のヴォルフガング・ヴィントガッセン、ブリュンヒルデ役のビルギット・ニルソン、ジークムント役のジェームズ・キング、アルベリヒ役のグスタフ・ナイトリンガー、ファフナー役のクルト・ベーメ、そしてハーゲン役のヨーゼフ・グラインドルなど、いまや伝説となった大物ワーグナー歌手も、持ち得る実力を最大限に発揮した渾身の名唱を披露しているのが素晴らしい。

また、ヴォータン役に急遽抜擢されたテオ・アダムによる素晴らしい歌唱も、本名演に大きく貢献しているのを忘れてはならない。

また、ライヴ録音だけに、4作を通じて活躍する配役が原則として同じ歌手によって歌われており、これによって自然なドラマの流れが高い集中力で持続されている点も本演奏の大きなアドバンテージと言えるだろう。

いずれにしても、本盤の演奏は、全盛期のベーム、そして歴史的なワーグナー歌手がバイロイト祝祭劇場に一同に会した歴史的な超名演であると高く評価したい。

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2014年07月23日


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1977年にロンドン交響楽団の名誉会長に推されたカール・ベーム[1894-1981]が、それを記念して録音したチャイコフスキーの後期3大交響曲。

ベームは自分のキャリアの中にチャイコフスキーのレパートリーが無いことを非常に気にしていたようで、DGに対して再三、このチャイコフスキー後期の3作品の録音を希望していたようだ。

しかし、DG側はベームのチャイコフスキーは売れないと判断していたようで、まして同時期にカラヤンもこの3作品をDGに録音していたので、ベームの出番は無かったようである。

それでも再三に渡ってDGに交渉し、ようやくこの時期に名誉会長に就任したロンドン響に白羽の矢が立ったという話(ベームがこの録音のために就任したとも言われている)。

本当は独墺のオケと録音したかったのであろうが、この演奏についてはロンドン響を起用したのが功を奏しているのかもしれない。

もしもこれが独墺系のオケであれば重厚さを増し、ややもすると鈍重になった可能性は十分に考えられる。

3曲とも力感にあふれ、しっかりと指揮者がリードし、堅実で、中味の詰まった大変に立派な演奏で、チャイコフスキーの巧みな書法がしっかりと再現され、迫力も十分。

ベームの職人的能力の最良の面がいかんなく発揮された、見事な出来映えではないだろうか。

中では第4番は、いかにもベームらしい強靭な古典的造型感と明晰性を感じさせる中にも激しい音楽の聴かれるドイツ表現主義風ともいえる演奏。

特に終楽章におけるシンフォニックでありながらも情熱的な世界は必聴の価値がある(第4番にはチェコ・フィルとの凄いライヴもあった)。

一方、第5番と第6番「悲愴」ではドイツ色はいっそう濃くなり、チャイコフスキーというよりもブラームスとかブルックナーに近い雰囲気さえ漂っているが、交響曲の演奏としては、がっちりした造形と端正なフレージングもあって、たいへん立派なものとなっている。

チャイコフスキーが「苦悩」を音楽にするために、どれだけ巧緻に管弦楽を織り成したかが、この演奏からまざまざと聴き取れる演奏とも言えよう。

ドイツ系の指揮者による純ドイツ風アプローチとしては、ほかにクレンペラーやヴァント、シュミット=イッセルシュテット、ケンペなどが知られており、同じドイツ系でも、フルトヴェングラーやカラヤン、ザンデルリンク、マズア、エッシェンバッハなどが、ロシア的表現様式にも配慮した濃厚な演奏を聴かせていたのとは対照的で、最もドイツ的な演奏と言われた。

弦の厚ぼったい響き、テンポ、ダイナミクスとも重量長大級で、一見、田舎風の泥臭さに満ちており、そういう演奏を好む人を大いに喜ばせるに違いない。

スラヴの憂愁も哀愁もないが、チャイコフスキーが目指したドイツ音楽の姿かたちがここにあり、ベームならではのチャイコフスキー像が創り出されている。

聴けば聴くほど味が出る演奏で、特にベーム・ファン向けの個性的チャイコフスキー・アルバムと言えるだろう。

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2014年06月18日


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このプロジェクトは1962年にヴィーラント・ワーグナーの演出で制作されたもので、指揮を担当したベームは主役の2人にニルソンとヴィントガッセンの起用を求めたという。

この2人は初年度から高い評価を得たが、幸いなことにその演奏の収録が行なわれていた。

主役2人の演唱も圧倒的だが、演奏もすばらしい。

ベームによる贅肉をそぎ落とした引き締まった響きと速めのテンポは、この作品の内包するエロティシズムとは無縁のものながら、聴くたびに圧倒される白熱的な名演奏である。

ベームは、バイロイトにもたびたび登場し、ワーグナーのツボを心得た指揮者である。

一世代前の、フルトヴェングラーやクナッパーツブッシュのような重厚壮大な「重さ」とは一線を画するものであるが、ワーグナー演奏としてけっして場違いな印象はなく、むしろ戦後のバイロイトが築いた頂点のひとつであり、「ヴィーラントによるバイロイト様式の完成」ではないかと思われる。

そして、フルトヴェングラーが深沈とした奥行きの深さ、クライバーがオーケストラのいぶし銀の音色を活かした重厚さを特色とした名演であったのに対して、ベームによる本演奏は、実演ならではのドラマティックで劇的な演奏と言えるのではないだろうか。

そして、学者風でにこりともしない堅物の風貌のベームが、同曲をこれほどまでに官能的に描き出すことができるとは殆ど信じられないほどである。

ベームは、実演でこそ本領を発揮する指揮者と言われたが、本演奏ではその実力を如何なく発揮しており、冒頭の前奏曲からして官能的で熱き歌心が全開だ。

その後も、トゥッティに向けて畳み掛けていくような気迫や緊張感、そして切れば血が吹き出してくるような強靭な生命力に満ち溢れており、全盛期のベームならではのリズミカルな躍動感も健在だ。

テンポは若干速めであると言えるが、隙間風が吹くような箇所は皆無であり、どこをとっても造型の堅固さと充実した響きが支配しているのが素晴らしい。

とりわけ、第2幕のイゾルデ役のビルギット・ニルソンとトリスタン役のヴォルフガング・ヴィントガッセンによる愛の熱唱は、ベームの心を込め抜いた指揮も相俟って、おそらくは同曲演奏史上でも最高峰の名演奏に仕上がっていると言えるところであり、その官能的な美しさといい、はたまたドラマティックな迫力といい、聴いていてただただ圧倒されるのみである。

ニルソンの、イゾルデにふさわしい威容と禁断の愛に苦悩する表現の豊かさは見事なもの。

そして、第3幕終結部の愛と死におけるビルギット・ニルソンによる絶唱は、もはや筆舌には尽くし難い感動を覚えるところだ。

第2幕ではニルソンのスケールの大きさにのみこまれそうなヴィントガッセンも、第3幕で死を目前にしての鬼気迫る熱唱は凄絶というほかない。

これらの主役2人のほか、歌手も総じてすぐれた出来映えで、1960年代に全盛期を迎えた名歌手の饗宴は真に感動的だ。

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2014年05月22日


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ベームのブラームスの第1番と言えば、1959年のベルリン・フィルとの録音がSACD化されて再評価されているし、そのレビューにも書いたようにこの曲の筆頭に挙げても良い感動を呼ぶ名演であった。

また、1975年にウィーン・フィルと来日した時の印象も強烈だが、当時の解釈はすでに晩年様式に入ったものだった。

それらに対し、この演奏は、1969年にバイエルン放送交響楽団のシーズン幕開けの演奏会で収録されたもの。

ライヴで本領を発揮するタイプのベームが、ここでは完全燃焼を見せている。

そのスケールの大きさ、張り詰めた緊張感は類例がないほどで、造型も堅固そのもの。

バイエルン放送響はベームが頻繁に客演したオーケストラのひとつで、この演奏を聴いただけでも両者の良好な関係が窺われよう。

機能性と力強さ、そしてのびのびとした豊かな響きがベームの音楽の骨格に見事な肉付けを行なっている。

カップリングのグルダの《ジュノーム》は、まずグルダのピアノに驚嘆し、ついでモーツァルトの音楽の奥深さに打たれて、あまりの美しさに陶然とする。

全曲を通して聴いてもたかだか30分のこの曲は、聴いているととても儚い。

ずっと聴いていたいのに、どの楽章も10分程度で終わってしまう。

短調で書かれた第2楽章も、その儚さゆえにとても短く感じられる。

グルダは一音一音が情に流されて弾いているというのではなく、「こうでなければ」と確信を持って弾いているように感じられる。

「木を見て森を見ず」という表現があるが、この演奏の場合、グルダのタッチが洗練の極みに達しているので、その「木」を一つ一つ見るだけでも価値があり、しかも倦むことがない。

さらに、森として見た場合も、その繊細な美しさは比類がないのである。

ベーム指揮のバイエルン放送響はグルダのピアノを全く邪魔しない見事な伴奏。

オケのバランスといい、品の良さといい、申し分がない。

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2014年05月17日


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ベームは独墺系の作曲家を中心とした様々な楽曲をレパートリーとしていたが、その中でも中核を成していたのがモーツァルトの楽曲であるということは論を待たないところだ。

ベームが録音したモーツァルトの楽曲は、交響曲、管弦楽曲、協奏曲、声楽曲そしてオペラに至るまで多岐に渡っているが、その中でも1959年から1960年代後半にかけてベルリン・フィルを指揮してスタジオ録音を行うことにより完成させた交響曲全集は、他に同格の演奏内容の全集が存在しないことに鑑みても、今なお燦然と輝くベームの至高の業績であると考えられる。

現在においてもモーツァルトの交響曲全集の最高峰であり、おそらくは今後とも当該全集を凌駕する全集は出て来ないのではないかとさえ考えられるところだ。

本盤に収められた交響曲第40番及び第41番は当該全集から抜粋されたものであるが、それぞれの楽曲の演奏史上トップの座を争う至高の超名演と高く評価したい。

第40番であれば、ワルター&ウィーン・フィルによる名演(1952年)、第41番であれば、ワルター&コロンビア響による名演(1960年)などが対抗馬として掲げられるが、ワルターの優美にして典雅な演奏に対して、ベームの演奏は剛毅にして重厚。

両曲ともに、厳しい造型の下、重厚でシンフォニックなアプローチを施しているが、それでいて、全盛時代のベームの特徴であった躍動感溢れるリズム感が、演奏が四角四面に陥るのを避けることに繋がり、モーツァルトの演奏に必要不可欠の高貴な優雅さにもいささかの不足もしていないのが素晴らしい。

いい意味での剛柔バランスのとれた名演に仕上がっていると言えるだろう。

ベームは、両曲を1976年にもウィーン・フィルとともに再録音しており、演奏全体としては枯淡の境地さえ感じさせるような深沈とした趣きの名演ではあるが、ベームの特徴であったリズム感が硬直化し、音楽の自然な流れが若干阻害されているのが難点であると言えなくもない。

また、この当時のベルリン・フィルには、フルトヴェングラー時代に顕著であったドイツ風の重厚な音色の残滓があり(カラヤン時代も重厚ではあったが、質がいささか異なる)、ベームのドイツ正統派とも言うべき重厚にして剛毅なアプローチに華を添える結果となっていることも忘れてはならない。

モーツァルトの交響曲の演奏様式は、最近ではピリオド楽器の使用や古楽器奏法などによる小編成のオーケストラによる演奏が主流になりつつあるが、本盤のような大編成のオーケストラによる重厚な演奏を耳にすると、あたかも故郷に帰省した時のような安定した気持ちになる聴き手は筆者だけではあるまい。

本演奏は、このように歴史的な超名演であるだけに、SHM−CD化やルビジウム・カッティングなどの高音質化への不断の取組がなされてきたが、今般のシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化によって、そもそも次元が異なる圧倒的な超高音質に生まれ変わった。

いずれにしても、ベームによる歴史的な超名演をこのような極上の高音質SACD&SHM−CD盤で味わうことができるのを大いに喜びたい。

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本盤に収められたブラームスの交響曲第1番は、全盛期のベームならではの名演である。

それどころか、ベームによる数ある名演の中でも、そして同曲の様々な指揮者による名演の中でもトップの座に君臨する至高の超名演と高く評価したい。

同曲の過去の超名演としては、ミュンシュ&パリ管弦楽団盤(1968年)やカラヤン&ベルリン・フィル盤(1988年、ロンドン・ライヴ)などがあるが、このうちミュンシュ盤は、ドラマティックであるがブラームスというよりはミュンシュの至芸を味わうべき演奏とも言えるところである。

他方、カラヤン盤はいわゆるカラヤンサウンド満載の重厚な名演であるが、音質がいささかクリアとは言い難い面がある。

したがって、ベームによる本演奏の優位性はいささかも揺らぎがない。

ベームは1970年代に入ってから、ウィーン・フィルとともに同曲のスタジオ録音(1975年)やライヴ録音(1975年来日時)を行っており、一般的には名演との評価も可能ではあるが、とても本演奏のようなレベルには達していない。

本演奏は、第1楽章の序奏部において悠揚迫らぬテンポで堂々と開始される。

その後、主部に入ると阿修羅の如き速めのインテンポで曲想が進行していく。

ベームは、各楽器を力の限り最強奏させているが、その引き締まった隙間風の吹かない分厚い響きには強靭さが漲っており、それでいて無機的にはいささかも陥っていない。

第2楽章や第3楽章も、比較的速めのテンポで進行させているが、ここでも重厚な響きは健在であり、各旋律の端々から漂ってくる幾分憂いに満ちた奥深い情感には抗し難い魅力に満ち溢れている。

第2楽章におけるミシェル・シュヴァルベのヴァイオリンソロのこの世のものとは思えないような美しさには身も心も蕩けてしまいそうだ。

そして、終楽章の重戦車が進軍するが如き堂々たるインテンポによる重量感溢れる演奏には、あたりを振り払うような威容があり、終結部の畳み掛けていくような気迫と力強さは圧倒的な迫力を誇っている。

また、この当時のベルリン・フィルには、フルトヴェングラー時代に顕著であったドイツ風の重厚な音色の残滓があり(カラヤン時代も重厚ではあったが、質がいささか異なる)、ベームのドイツ正統派とも言うべき重厚にして剛毅なアプローチに華を添える結果となっていることも忘れてはならない。

それにしても、音質は素晴らしい。

従来盤でも比較的満足できる音質ではあったのだが、本シングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤はそもそも次元が異なる圧倒的な超高音質である。

ベームによる歴史的な超名演をこのような極上の高音質SACD&SHM−CD盤で味わうことができるのを大いに喜びたい。

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2014年05月10日


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これはハンブルク国立歌劇場で新演出の『サロメ』が上演された際の初日のライヴである。

恐らくベームと付き合いのある演出家のアウグスト・エファーディングの招きに応じたのか、この大指揮者にとって1933年以来のハンブルク国立歌劇場との公演という意味においても記念碑的な意味を持つ。

時折この都市でコンサートは指揮していたものの、ベームにとっては嘗ての手兵、歌劇場にとっては“おらがマエストロ”の久々のオペラ公演ということで、共に気合が入ったであろうことは疑いようがない。

ハンブルクの聴衆にしても、この都市で音楽監督を務めたベームが、ウィーン国立歌劇場総監督に上り詰め、その後、カラヤンやバーンスタインらと世界の演奏界の頂点に君臨する存在になったことは誇りであったことであろう。

往年のマーラーがやはりこの地の歌劇場総監督からウィーン宮廷歌劇場へ進出したように。

しかも、ベームが監督を務めていた時代のメンバーは先ず在籍していなかったであろうし、聴衆の中にもハンブルク時代のベームを知る人も少なかったであろうが、久々にコンビを組んだとは思えない程に指揮者も管弦楽も一つにまとまっている。

北ドイツ気質というか、まさに共に質実剛健で、音楽の本質に真っ向から切り込んでいく。

しかも、ライヴならではの破壊力が随所に感じられて、息をつく暇はなく、コーダまで息詰るような緊張感が支配している。

その為、この楽劇に美少女サロメの妖艶さや情感の豊かさを求める向きには禁欲的な演奏と言える。

ただ、ベームは師であったシュトラウスの意図や指揮ぶりも熟知しており、恐らくこの演出こそが本来この楽劇に求められたものであろうと思わせるだけの説得力がある。

歌手陣ではF=ディースカウとオフマンが素晴らしい。

サロメ役のジョーンズは恐らく舞台では凄く映えたであろうが、歌だけを聴く限り、時折ヒステリックになり、演技の限界を露呈している。

ヨカナーン役のF=ディースカウに関しては、ベストパフォーマンスだと思う。

無比の燃焼を示した不朽の歴史的名盤と称するべきである。

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2014年05月09日


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1955年11月5日 ウィーン国立歌劇場こけら落としの上演のライヴ(モノラル)録音であるが、最初に音質の驚異的改善から報告しなくてはならない。

この時代のライヴ録音としては最上級の出来栄えではなかろうか。

丁寧な作業から鮮明に浮かび上がったのは、まず歴史的公演の恐るべきテンションの高さ。

この演奏にはライヴならではのおよそ比較を絶した熱気と高揚があり、そのことが指揮者、歌手、オケ、合唱の気迫が音からひしひしと伝わってくる。

『フィデリオ』に思い入れのあるベームは、残された『フィデリオ』の録音すべてが名演であるが、中でもこの1955年の再建記念公演は気合の入り方が違っている。

ベーム特有の芯のある音を要所要所に立て、それを柱としてがっちりと音楽を組み立てている。

ベームが低音を抉りつつ、弦に高音を輝かしく強奏させ、立体的、かつ美しくも強靭な響きで音楽を構築していく様子は、今回のCD化で初めて明らかになった。

解釈の基本はベルリンやドレスデンでの録音と同じ路線にあるが、しなやかさ、美しさを増した当盤の魅力は大きいものがある。

長いベームの音楽歴においても、特筆すべき名演である。

歌手がまた大物揃い。

フルトヴェングラーのお気に入りのドラマティック・ソプラノで、彼がEMI録音でもレオノーレ役に起用したマルタ・メードルがここでもレオノーレ。

ウィーンのモーツァルト・テノールとして名高いアントン・デルモータがフロレスタン。

偉大なバリトン、パウル・シェフラーが凄みのあるピツァロ。

ワーグナー・バスとして一世を風靡したルートヴィヒ・ヴェーバーが味のあるロッコ。

そして名花イルムガルト・ゼーフリートがマルツェリーネ。

ウィーンの人々に愛されたテノール、ヴァルデマール・クメントがヤキーノと、まさに1950年代のウィーンを代表する歌手ばかりで、まさにオールスター・キャストと言えよう。

当時のベスト・メンバーを集めた歌手陣が、1人1人熱演しているのはもちろんだが、アンサンブル・オペラとしての行き方を堅持していた時代のウィーンらしい、密度の高いチーム・ワークを聴かせる。

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2014年05月08日


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極めてドイツ的な「フィガロ」であり、それは収録年に起因するが、1957年当時のカール・ベームは、男性的な筋肉質の演奏スタイルだった。

巨匠ベームは相手がモーツァルトであっても姿勢を変える事なく取り組んでいて、当然この演奏はウイーン風とは無縁である。

しかし巨匠ならではの美点ももちろんあり、それは歌手に歌い崩しを許さない厳格な姿勢であるが、その為、作品の美点を見失わない忠実な演奏となる。

これはひとつの理想であり、作品に対して忠実であるのもひとつの解釈である。

それは巨匠の音楽環境がそうさせたと見るのが順当で、これが若き日に影響を受けた新即物主義に対する証しである。

しかしこの演奏はウィーン・フィルの音色に助けられ特有の厳しい表情が和らいでいるのが救いかも知れない。

歌手達のアンサンブルはこれといって特に不満はなく、むしろ絶妙と言って良い。

エーリッヒ・クンツのフィガロも良いが、やや控えめなのが惜しく、イルムガルト・ゼーフリートのスザンナも同様だが、騒ぎ過ぎないのは作品に対してバランスを保っていると言えるだろう。

伯爵夫人は、エリザベート・シュヴァルツコップで、この頃が全盛期と言えるが、ここでは何故か艶っぽさが今ひとつなのが残念だ。

ケルビーノは、クリスタ・ルートヴィヒで、表現力が素晴らしく、アリアでは聴かせる。

アルマヴィーヴァ伯爵は、ディートリッヒ・フィッシャー=ディースカウで、流石に上手く風格がある。

何よりも伯爵のフィッシャー=ディースカウと伯爵夫人のシュヴァルツコップ、この2人がザルツブルクで同じオペラの舞台に立っていることを想像するだけでワクワクしてしまう。

そしてベームの作り出す音楽が、晩年のそれとは違い、とにかく躍動感に溢れている。

そのことが、この「フィガロ」というオペラにおいて、どれだけ重要なことか…。

進行に合わせて、歌手にそっと寄り添い、またあるときは歌手をリードしながら、聴衆をどんどん核心に引き込んでいくその指揮ぶりは、最良の意味での「職人」。

また、ウィーン・フィルも、随所でその妙技を聴かせてくれている。

まったくこれ見よがしの表現はとらないのに、ベームの棒を信じて生み出されるその表情は、「あー、やっぱりウィーン・フィル!」と実感させてくれる。

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2014年03月31日


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1960年1月9日、ニューヨーク、メトロポリタン歌劇場に於けるライヴ録音で、モノラルのライヴながら良い音質である。

2011年1月に陽の目を見たメトロポリタン歌劇場でのライヴで、個人所有のエア・チェック音源をゴールデン・メロドラムがCD化したディスクである。

ワーグナー自身が自画自賛した作品だけに、“聖地”バイロイトだけでなく、世界中の歌劇場においても屈指の人気作として幾多の名舞台が繰り広げられてきた。

録音も数多く存在するが、ベームは自らが語るように「バッハとモーツァルトによって浄化された様式的ワーグナー像」を確立している。

それは「終局迄突き進む唯一のクレッシェンド」であり、まさに音楽的に見て隙がない。

強固な芯が全体を貫いていて、その推進力は物凄いエネルギーを秘めている。

「私は『トリスタンとイゾルデ』のイゾルデ役を33人の指揮者の下で歌ってきたが、ベームに匹敵する人は誰もいなかった」という旨の事を語ったというニルソンを始め、歌手陣の声は1960年のエア・チェックという事を考えると、それなりの鑑賞度の高さを具え、当時の会場の空気を伝えてくれる。

しかし、管弦楽は遠い。

その為、高揚感という点ではやや物足りない。

管弦楽がもっとましな録音だったら……と思わずにはいられない。

とはいえ、全体的に高い水準でまとめられているところは流石にベームならではであり、物足りない個所を割引いてもなお余りある魅力があり、決して史料的価値だけの録音ではない。

そうした意味において当盤が発掘された事はベーム・ファン、そしてワグネリアンにとって誠に喜ばしい限りである。

因みにキャストの紹介など演奏開始を伝える放送局のナレーションが冒頭に入っている。

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