ベーム

2015年05月06日


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ベームは終生に渡ってモーツァルトを深く敬愛していた。

ベルリン・フィルと成し遂げた交響曲全集(1959〜1968年)や、バックハウスやポリーニと組んで演奏したピアノ協奏曲の数々、ウィーン・フィルやベルリン・フィルのトップ奏者との各種協奏曲、そして様々なオペラなど、その膨大な録音は、ベームのディスコグラフィの枢要を占めるものであると言っても過言ではあるまい。

そのようなベームも晩年になって、ウィーン・フィルとの2度目の交響曲全集の録音を開始することになった。

しかしながら、有名な6曲(第29、35、38〜41番)を録音したところで、この世を去ることになってしまい、結局は2度目の全集完成を果たすことができなかったところである。

ところで、このウィーン・フィルとの演奏の評価が不当に低いというか、今や殆ど顧みられない存在となりつつあるのはいかがなものであろうか。

ベルリン・フィルとの全集、特に主要な6曲(第35、36、38〜41番)については、リマスタリングが何度も繰り返されるとともに、とりわけ第40番及び第41番についてはシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化もされているにもかかわらず、ウィーン・フィルとの録音は、リマスタリングされるどころか、国内盤は一時は廃盤の憂き目に陥っていたという極めて嘆かわしい現状にある。

確かに、本盤に収められた第29番及び第35番の演奏については、ベルリン・フィルとの演奏と比較すると、ベームならではの躍動感溢れるリズムが硬直化し、ひどく重々しい演奏になっている。

これによって、モーツァルトの交響曲に存在している高貴にして優美な愉悦性が著しく損なわれているのは事実である。

しかしながら、一聴すると武骨とも言えるような各フレーズから滲み出してくる奥行きのある情感は、人生の辛酸を舐め尽くした老巨匠だけが描出し得る諦観や枯淡の味わいに満たされていると言えるところであり、その神々しいまでの崇高さにおいては、ベルリン・フィルとの演奏を遥かに凌駕していると言えるところである。

モーツァルト指揮者としてのベームは、「どんな相談にものってくれる博学の愛すべき哲学者」といった雰囲気をたたえており、彼の前に立っているだけで嬉しい気分になってしまう。

ウィーン・フィルとの録音は確かに多数残されたが、このモーツァルトはベームが亡くなる前のほぼ5年間に録音されたものである。

絶妙なるテンポを背景とする自然な音の流れ、磨き抜かれているが決して優しさを失わないフレージング、引き締まったアンサンブルを背景に繰り広げられる演奏はまさに生きた至芸と言いたい。

聴き手それぞれに思い入れのある名演であるが、筆者の座右宝はまずは第29番だ。

いずれにしても、総体としてはベルリン・フィル盤の方がより優れた名演と言えるが、本演奏の前述のような奥行きのある味わい深さ、崇高さにも抗し難い魅力があり、本演奏をベームの最晩年を代表する名演と評価するのにいささかも躊躇するものではない。

音質については、従来盤でも十分に満足できる音質であるが、今後は、リマスタリングを施すとともにSHM−CD化、更にはシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化を図るなどによって、本名演のより広い認知に繋げていただくことを大いに期待しておきたい。

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2015年04月23日


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モーツァルトのレクイエムには様々な名演がある。

筆者も、かなりの点数の演奏を聴いてきたが、それらに接した上で、再び故郷に帰ってきたような気分になる演奏こそが、このベーム(1971年)盤だ。

これはもう再三再四賛辞を送られてきた名演中の名演で、ベーム最良の遺産の1つと高く評価されているもの。

テンポは、いかにも晩年のベームらしく、ゆったりとした遅めのテンポを採用しているが、例えば、同じように遅めのテンポでも、バーンスタイン盤のように大風呂敷を広げて大げさになるということはない。

かと言って、チェリビダッケのように、音楽の流れが止まってしまうような、もたれてしまうということもない。

遅めのテンポであっても、音楽の流れは常に自然体で、重厚かつ壮麗で威風堂々としており、モーツァルトのレクイエムの魅力を大いに満喫させてくれる。

同じく重厚かつ壮麗と言っても、カラヤンのように、オペラ的な華麗さはなく、ベームは、あくまでも宗教曲として、質実剛健の演奏に心掛けている点にも着目したい。

表面こそ自然な流れを重んじた仕上がりながら、内からは凄まじいばかりの気迫が噴出する。

最近では、ジュスマイヤー版を採用した壮麗な演奏が稀少になりつつあるが、これほどまでにドイツ正統派の風格のあるレクイエムは、今後も殆ど聴くことはできないと思われる。

ベームのレクイエムを聴くと、モーツァルトがバッハの宗教曲などのバロック音楽を自分の音楽素養として持ち、続くベートーヴェンやブラームスの音楽に影響を与えたのが分かる解釈である。

本演奏については、ユニバーサルからシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤が発売されたことから、当該盤について言及をしておきたい。

手元にあるハイブリッドSACD盤及びSHM−CD盤と聴き比べてみたが、シングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化によって次元の異なる高音質に生まれ変わったと言える。

SHM−CD盤は問題外であるが、ハイブリッドSACD盤ではやや平板に感じられた音場が非常に幅広くなったように感じられ、マルチチャンネルが付いていないにもかかわらず、奥行きのある臨場感が加わったのには大変驚かされた。

特に、力強く濁りのないコーラスのハーモニーが、より鮮明になったのは特筆すべきことだ。

紙ジャケットの扱いにくさや解説(特に対訳)の不備、値段の高さなど、様々な問題はあるが、ネット配信の隆盛によってパッケージメディアが瀕死の状態にある中でのユニバーサルによるSACD盤発売、そして、シングルレイヤーやSHM−CD仕様、そして緑コーティングなどの更なる高音質化に向けた果敢な努力については、この場を借りて高く評価しておきたいと考える。

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2015年04月15日


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何故か長らく廃盤の憂き目にあっていた名盤の待望の復活である。

ブルックナー的という概念にとらわれない純音楽的ブルックナーであり、ベームの人柄がそのまま出ている生真面目な演奏であるが、堅苦しくならず、角の立たない優しさに溢れている。

この作品のもつ構成的な美しさをよくあらわした演奏で、淡々と音楽を運びながらも、ベームの強い意志が貫かれている。

この作曲者としては例外的に「歌謡的」なこの交響曲を、あくまで自然に、また悠然とウィーン・フィルと歌い上げていく。

ベームは、作為の無い素直な解釈であり、アゴーギク、デュナーミクも抑制的であるが、かと言ってストイックな演奏ではなく、ウィーン・フィルの合奏能力を確信して、余り締めつけずに悠々と振っている。

特に、テンポを微妙に動かしながら、明暗の度合いをくっきりと打ち出した第1楽章は、出だしのチェロの第1主題の歌わせ方から、その特徴が出ている。

息の長い旋律線を弦が歌い上げるとき、あたかも輝かしい光と熱が音から放射されるように感じられる。

ベームは職人芸の指揮者とよく言われ、ドイツ系の交響曲の緩やかな楽章を注意深く聴いてみるとわかるが、カラヤンのような、耽美的な味わいが薄いだけで、いつも豊かな歌に満ちていることがわかる。

その後も厚みのある弦楽器の音色を生かしてゆったりと表現した第2楽章、一分の隙もなく金管楽器を壮麗に鳴らした第3楽章、ロマン的な雰囲気を柔らかに表出した第4楽章、ウィーン・フィルの豊かな響きとともに、ベームの音楽設計が光る。

ところでベームは、ブルックナーの交響曲をすべて演奏しているわけではなく、遺された録音などを勘案すると、演奏を行ったのは第3番、第4番、第5番、第7番及び第8番の5曲に限られているものと思われる。

これ以外にも若干のライヴ録音が存在しているが、モーツァルト、ベートーヴェン、シューベルト、ブラームスの各交響曲全集を録音した指揮者としては、必ずしも数多いとは言えないのではないかと考えられる。

この中でも、文句なしに素晴らしい名演は1970年代前半にウィーン・フィルを指揮して英デッカにスタジオ録音を行った第3番(1970年)及び第4番(1973年)である。

その点、本盤に収められた演奏(1976年)は、ベームの全盛時代の代名詞でもあった躍動感溢れるリズムが、本演奏ではいささか硬直化してきているところであり、音楽の自然な流れにおいても若干の淀みが生じていると言わざるを得ない。

しかしながら堅固な造型、隙間風の吹かないオーケストラの分厚い響きは相変わらずであり、峻厳たるリズムで着実に進行していく音楽は、素晴らしいの一言。

何よりも素晴らしいのは、ウィーン・フィルならではの美しい音色を味わうことができることだ。

どんなに最強奏しても、あたたかみを失わない金管楽器や木管楽器の優美さ、そして厚みがありながらも、決して重々しくはならない弦楽器の魅力的な響きなど、聴いていてほれぼれとするくらいだ。

演奏の精度、燃焼度ともに高い素晴らしい演奏で、この音の輝き、神々しさはウィーン・フィルならではのものであろう。

洗練され、ロマンティックな香りがそこはかとなく漂い、ウィーン・フィルの生の音を思い出させる自然な録音も嬉しい。

指揮者・オーケストラ・録音と3拍子揃った貴重な名演と言えるだろう。

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2015年04月14日


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最近ベームのモーツァルト関係の映像をいくつか見直してみて、やっぱりすごいと感嘆した。

晩年は身振りはもうほとんどわずかで、手先が揺れるばかりのところも多いのだが、ベームの眼光は音楽のすみずみにまでゆきわたっていて、ほんの小さな動きにも、オーケストラが瞬時に反応する。

わずかの身振りでこれだけの結果を引き出す指揮者というのも、滅多に例がなかろう。

ウィーン・フィルを指揮してのモーツァルトの交響曲、視覚的には、枯れ切った老人がつまらなそうに棒を振っているようにしかみえない。

だがそれにもかかわらず、オーケストラからはふっくらした美しい歌が、みずみずしく流れ出てくる。

これは本当に不思議なことで、音楽の本質がよほどしっかりとらえられていなくては、ありえないことだと思う。

晩年には伝統の象徴のようにみなされたけれども、ベームはわれわれに、新しい音楽を届け続けてくれた指揮者だった。

ところでベームが自分のワーグナー演奏を「モーツァルトとバッハによって浄化されたワーグナー様式」と呼んだことは有名だが、古典から現代に至るベームのレパートリーの中心には、いつもモーツァルトがあった。

すてきな自伝『回想のロンド』(高辻知義訳、白水社)の中で、ベームはモーツァルトについて、こう語っている。

「わたしが彼に捧げてきた愛情のすべてを彼は千倍にもしてわたしに報いてくれた。彼はいつもわたしに、苦難のときでも決して自分の職業に失望しないようにと、勇気を授けてくれた。彼は、新しい行為におもむくとき、いつも活力を汲むことのできる霊泉のような存在である」。

そして今では、ベームの遺したモーツァルト演奏が、あたかも「いつも活力を汲むことのできる霊泉」と化したかのように、われわれを力づけてくれる。

ベームの変わらざる新鮮さの秘密は、どこにあるのだろう。

往年の巨匠が大オーケストラを使って演奏するモーツァルトというと、われわれはつい、肉厚で量感のある、拡大志向の響きを連想する。

しかしベームの引き出す音は、テクスチュアを一目で見わたせるように、内側にさわやかに引き締まっており、そしてそこに「かくあるべし」という理念がピーンと張り詰めている。

ベームは若い頃から、演奏の正確さで定評があり、楽譜を丹念に読み、その無駄のない再現のために、妥協のないリハーサルを重ねた。

頑固一徹で、がみがみとやかましいというイメージが、しごかれる楽員の側にはあったという。

だがそれは、作品の精神的内容に対する純朴な敬意に支えられていたから、彼の演奏は決して、味のない機能主義に陥ることがなかった。

重要なのは、ベームのトレーニングがオーケストラを支配するためでなく、オーケストラの特徴を最大限に生かすために行われたということである。

大指揮者のうちでもベームほど、オーケストラによって、味わいに違いの出た指揮者は少ない。

ベームのすばらしさは、そのゆるぎのないリズム感にあり、とくに拍子の感覚は、つねに厳正そのものであった。

先ほど「かくあるべし」という言葉を使ったが、筆者はベームの演奏を聴くと、カント以来ドイツ人の追い求めてきた道徳的理想のようなものが、とくにその拍子感覚に脈打っているように思えてならない。

いずれにせよベームの刻む拍節は、演奏にがっちりとした構成感を与え、「正しく生きることの爽やかさ」をさえ、そこに匂い出させた。

ベームはしばしば、よい意味での職人にたとえられた人で、たしかにベームは、音楽に流されず、音楽を厳しく統括することのできる「プロの」指揮者だった。

上述の『回想のロンド』の中で、彼は指揮の極意を、次のように述べる。

「指揮者は同時に作品の中と、作品の上にいなければならない。誤った音を聴いて修正することができなくなったら、各楽器の強弱をつねにコントロールできなくなったら、彼はオーケストラから見放されたのである。そのような瞬間に彼の権威も失墜する……」。

指揮者は、音楽の流れにみずから酔うわけにはいかず、自分をその誘惑から、厳しく律していかなくてはならない。

こうした「道の厳しさ」を確信をもって追求し続けた指揮者が、カール・ベームだった。

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2015年03月11日


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ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の名奏者達を揃え、指揮者カール・ベームがモーツァルトの豊かな音楽性を奏でる名録音盤。

モーツァルトの管楽器による協奏曲では、最近ではほとんど聴かれなくなった重厚さと高貴な優美さを兼ね備えた珠玉の名演である。

ああいい時代だなあ、という感慨がひとしおのアルバムで、ベーム&ウィーン・フィル、そしてウィーン・フィルの管楽器のトップたちによる管楽器の協奏曲のアルバムは、いつ聴いても幸せな気分にさせられてしまう。

ここには全盛を極めたベーム&ウィーン・フィルのモーツァルト・サウンドが目一杯つまっている。

ここでも、包みこんでくれるようなベームのバック・アップで、幸せな管楽器の歌が聴ける。

ベーム&ウィーン・フィルのバックは落ち着いた安定感があり、個人の名人芸ではなく各楽器の特性を最良なかたちで引き立たせているように感じる。

奇抜なことをしない分、音楽への寄り添い方が丁寧というか、音楽そのものに近いところにあり、余分なものもないし、足りないものもなく、だからこそ飽きがこない。

録音は1972〜73年というベームの最後の全盛期であり、その指揮は、モーツァルトを得意としたベームならではの厳しい造型の中にあっても柔軟性のある自然体のものであり、ウィーン・フィルも絶美の演奏を行っている。

ベームは容貌もいかめしいがその音楽も極めて厳格であり、モーツァルトの手による愉悦の音楽に取り組むときもその姿勢はいささかも傾かない。

完璧に制御されたテンポと音量バランス、そして生真面目な解釈で正面から楽譜に立ち向かう。

そして、何よりも、当時のウィーン・フィルの名うてのプレーヤーの極上の演奏が、これらの名演により一層の華を添える結果になっている。

プリンツやトレチェクはいかにもウィーンならではのクラリネット、オーボエだと思うし、ツェーマンの野太いファゴットもどこか温かみがあって実に感動的であり、いずれも伸び伸びと典雅で快活な曲想を表現している。

独奏の名演もさることながら、それを支えるウィーン・フィルの管楽器群の麗しさやベームのとるテンポの見事なこと。

これはまさにウィーンでしか出せない響きであり、このような演奏はもうできないのではないだろうか。

このディスク中白眉は何と言ってもクラリネット協奏曲であろう。

モーツァルトが最晩年に書いた傑作であり、優しく透明な旋律の中に静かな諦念と哀愁のたゆたう、稀有に複雑な表情を持った作品である。

ベームは繰り返される牧歌的な旋律を慈しむようにゆったりとしたテンポを取る。

ベームが敷いた最高級の絨毯の上で踊るのは往年の名手プリンツ。

クラリネットという楽器の最も澄み切った音色だけを慎重に選んだかのようなケレン味のない演奏は、この優しい音楽に限りなく相応しい。

なお、ベームらしくカッチリとした構築感が魅力的なオーボエ協奏曲とファゴット協奏曲もなかなか素敵だ。

これを聴いていると未曾有の不況も忘れ去り、自然に顔もほころんでくるかのようで、木管はやはりウィーン・フィルだ。

録音も素晴らしく、この3曲の最高の名演の1つと言っても過言ではないだろう。

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2015年02月12日


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晩年のベームが残した唯一にして極上のJ.シュトラウス2世のワルツ・ポルカ集。

オーストリアの“第2の国歌”とも称される「美しく青きドナウ」ほか、ウィーンの伝統と気品が漂うアルバムとなっている。

ウィンナ・ワルツというと、長い間ウィーン・フィル、とりわけニューイヤー・コンサートの専売特許となってきた。

確かに本場ではあろう。

だが、ボスコフスキー引退後、クオリティゆえにさすがと納得させてくれたのは、カラヤン、クライバー、アーノンクール、プレートルぐらいであったことも事実だ。

何よりも、中継の際に頻繁に挿入されるウィーンの観光映像には食傷してしまって、オーストリアという国の悲しさを感じてしまった。

大した産業もなく、昔日の栄光を切り売りするだけの国、世界各地に中継されるこの映像を通して観光宣伝に余念がないのだろう。

シュトラウスのワルツやポルカはそんな観光絵はがきの香りがするし、コンサート後すぐにCD化という売り方も含め、あまりに露骨に商業化しすぎた。

これでは真の愛好者にそっぽを向かれるのも当然である。

この演奏はベームの“老いのすさび”といった風情漂うものだ。

まるで19世紀後半の絢爛たるウィーンの宮廷舞踏会を頭に描きながら指揮しているかのようで、かつてのワルターと一脈通じるところがあり、ウィーン・フィルの特徴がプラスに作用している。

傑出しているのは「南国のバラ」で、ゆったりとしたテンポで優雅にまとめている。

固い音楽を作りがちなベームとの相性もあってか、「皇帝円舞曲」も絶品である。

この演奏からは、上品かつ流麗な馥郁たるウィーンの香りのようなもので満ちているのだ。

もともとウィーン・フィルは、崩れ出すと止めどもなく崩れる傾向があり、時に品位を失うほど(それはそれで魅力的であるが)厚化粧の音楽を奏でてしまう。

それゆえに、ベームのような厳しく禁欲的な指揮者が外側から枠をはめてやると、その範囲内で十全を尽くそうとするが、それがいいのである。

弦楽器群が、古い高級家具のように艶々としているのも美しい。

やはりこのような名演を聴いていると、最近のニューイヤー・コンサートは、伝統にあぐらをかいた弛緩しているような演奏に聴こえてしまうのだ。

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2015年01月13日


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モーツァルトが死の年に書いた最後のピアノ協奏曲は、晩年の彼特有の清澄な作品として知られており、その作品の本質を的確に捉えた詩情溢れる演奏として高い評価を得たアルバム。

本盤が録音された1973年は、巨匠ベームがまだまだ数々の名演を成し遂げていた時期である。

当時、ドイツの正統派の巨匠と目されていた全盛期のベームと、これまた当時絶頂期にあった鋼鉄のピアニストであるギレリスの組み合わせ。

一見すると水と油のような関係、しかもベームのモーツァルトのピアノ協奏曲第27番には、バックハウスと組んだ歴史的名盤がある。

このような数々のハンディに鑑みると、本演奏の不利は否めないところであるが、聴き終えてそれは杞憂に終わった。

意外にも、この組み合わせはなかなかに合うのである。

ベームは、いつものように厳しい造型の下、重厚でシンフォニックな演奏を行っている。

派手さはなく、スコアに書かれている音符を真摯にかつ重厚に鳴らしていくという質実剛健たるアプローチだ。

それでいて、モーツァルトに不可欠の高貴な優美さにも不足はなく、全盛期のベームならではの名演と言えるだろう。

ギレリスも、ベートーヴェンの演奏で見せるような峻厳さはなく、モーツァルトの楽曲に相応しい繊細で優美なタッチを見せている。

特に第2楽章は1音1音を慈しむかのように大事に奏されていて、まるで子供が弾いているかのように純真無垢な演奏である。

いや、むしろ小さな子供を慈しむ親の心境と言えるかもしれない。

バックハウスの演奏の影に隠れがちであるが、ギレリスのこの演奏も素晴らしい魅力を持ったものであり忘れてはならない演奏である。

まさに意外な組み合わせによる異色の名演と評価したい。

2台のピアノのための協奏曲も、同様のアプローチによる名演で、特にギレリスの愛娘であるエレーナ・ギレリスのピアノが聴かれるのも貴重だ。

実の親子による演奏のためか、息のピッタリとあったと思える演奏である。

ベートーヴェンの演奏で見せる切れのある、力強い面とは異なるギレリスの一面がこれらの演奏から読み取れるのではないだろうか。

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2015年01月03日


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これ以上は求められないような超高音質SACDである。

ベーム&ウィーン・フィルによる定評ある名演だけに、これまで、従来盤に加えて、SACDハイブリッド盤やSHM−CD盤など、高音質化に向けた様々な取組がなされてきた。

英デッカの録音だけに、もともとかなりの高音質で録音されているが、それでも、前述のような高音質化に向けての不断の取組を見るにつけ、まだまだ高音質化の余地があるのではないかと考えてきた。

そして、満を持してのシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤の登場であるが、これまでのCDとは一線を画する極上の高音質CDと言えるだろう。

ベームのブルックナー「第4」は、その求心力ある演奏によって、この曲のスタンダード盤とでも言って良いものである。

ベームがウィーン・フィルを指揮した、ロマン的な情感をたっぷりと湛えた荘厳にして崇高な演奏は、彼の残した代表的な遺産のひとつとして多くのファンから支持されている。

筆者にとってはLP時代からの愛聴盤であるが、ウィーン・フィルとベームのブルックナーは意外と少なく、「第3」「第4」「第7」「第8」しかリリースされていないが、その中でも英デッカ録音の「第3」「第4」特別な名演である。

この演奏はLPで発売された当初、吉田秀和氏によりフルトヴェングラー、クナッパーツブッシュ以来の大演奏と評されたと記憶するが、確かに、ここにはベームとウィーン・フィルの最上の成果がある。

ベームの指揮は熟達と形容するほかはなく、明確な見通しと構想をもってオーケストラを導き、統率する。

それは指揮者が自らの個我に拘るものではなく、オーケストラの能力・魅力を最大限に引き出して、楽曲が要求するところを虚心に実現するためのものといった趣がある。

ウィーン・フィルも全幅の信頼を置く老ベームに全力を傾けて応え、その音色・音質は芯のある引き締まったしなやかなもので、深々と、時には清々しく軽やかに、洗練のうちに野趣を失うこともなく、理想的なブルックナーサウンドを聴かせてくれる。

冒頭、朝霧が徐々に晴れていくかのような弦のトレモロに乗って、ウィーン・フィルのホルン奏者達が、まさにブルックナー交響曲の開始を告げるがごとく、遠くで誇らしげに鳴り響くのを聴く時、聴く者は抗し難い魅力に捉えられ、これから比類ない音楽が展開されるのを予感する。

そよ風が駆け抜けるようなブルックナーは、ベーム指揮のベートーヴェン「田園」とイメージがよく似ていて、重くなりがちなブルックナーのシンフォニーを爽やかに聴かせてくれている。

それは軽薄ということではなく、ちゃんと真髄と捕らえつつ歌い上げるという表現が合っていると言えるところであり、テンポのコントロールが一定でどっしりとした安定感がある演奏である。

ベームはその著『回想のロンド』になかで、「ブルックナーのように孤独で独特な存在に対して、オーケストラ全体が目標を決めていることこそ決定的なことなのだ。もしも壇上のわれわれみなが納得してさえいれば、われわれは聴衆をも納得させずにはおかない」旨を語り、特にウィーン・フィルとの関係では、この点を強調している。

ブルックナーにおいて「第3」「第7」「第8」とも、ウィーン・フィルとのコンビではこうした強固な意志を感じさせる。

同国オーストリア人の気概をもっての魂魄の名演と言えるだろう。

その他にもこの歴史的な名演の売りはいくつかあるが、何よりも素晴らしいのは、ウィーン・フィルならではの美しい音色を味わうことができることだ。

そして、本CDでは、こうしたウィーン・フィルの美しい響きを存分に満喫できるのが何よりも素晴らしい。

朗々たるウィンナホルンの響きは見事であるし、どんなに最強奏しても、あたたかみを失わない金管楽器や木管楽器の優美さ、そして厚みがありながらも、決して重々しくはならない弦楽器の魅力的な響きなど、聴いていてほれぼれとするくらいだ。

各楽器の響きの分離も、最強奏の箇所も含めて実に鮮明であり、演奏の素晴らしさも含め、究極のCDと評価しても過言ではないと考える。

後に、ヴァントやチェリビダッケ、更にクーベリック、ザンデルリンク等々とこの曲には名演が続出・目白押しであるが、筆者にとってブルックナー第4交響曲の最高の名演は依然このベーム指揮ウィーン・フィルによるものである。

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2014年12月06日


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両曲ともに、ピアニスト、指揮者、オーケストラの3拍子が揃った、ピアノ協奏曲の醍醐味を存分に味わうことができる至高・至純の超名演である。

バックハウス=ベーム=ウィーン・フィルは深い信頼関係で結ばれており、この黄金トリオによるモーツァルトの27番、ブラームスの2番の協奏曲はザルツブルクやウィーンでの最大の呼び物であった。

英デッカにもセッション録音していて、いまだに決定盤の評価を得ているこの2曲のザルツブルク・ライヴがついに1枚のCDで登場。

とりわけブラームスはバックハウス最後のザルツブルクでの演奏曲目で、吉田秀和氏は会場で初めて生でバックハウスを聴いた感想を「あの曲のソロの冒頭にある長いアルペッジョの始まる低音の『深々とした厚み』とでもいいたいような感触は格別に印象的であった」と綴っている。

ブラームスのピアノ協奏曲第2番は、ピア二ストにとっても難曲ではあるが、オーケストレーションが交響曲並みに分厚いことで知られる。

要するに、ピアノ入りの交響曲とも言うべき特徴を備えており、それ故に、ピアニストだけでなく、指揮者やオーケストラにも相当の力量のある役者が揃わないと、楽曲の魅力を発揮することは著しく困難になる。

本演奏は1968年の録音であるが、この当時はベームの全盛時代で、厳しい造型の下、隙間風の吹かない重厚なアプローチを繰り広げており、それが同曲の性格に見事に符合している。

バックハウスは最晩年とは思えないような武骨とも言うべき力強いタッチを示しており、ベームともども最高のパフォーマンスを示している。

この両者の重厚ではあるが、武骨で巧言令色とは無縁の渋いアプローチを、ウィーン・フィルの美演によって、角の取れた柔和なものにしていることも特筆すべきであり、これら3者の絶妙なコラボレーションが、同曲史上最高の名演を生み出したと言っても過言ではあるまい。

モーツァルトは、ブラームスよりもさらに8年ほど前の演奏であるが、バックハウスの武骨なアプローチは、本来はモーツァルトの曲とは水と油の関係と言ってもいいのに、本演奏では、そのような違和感はどこにも感じられない。

それは、曲が第27番というモーツァルト最晩年の人生の諦観のような要素を多分に持った作品であることも要因の一つであると考えられる。

ベームは、得意のモーツァルトだけに、水を得た魚のように躍動感溢れる指揮をしており、ウィーン・フィルの演奏も例によって美しい。

英デッカのスタジオ録音を愛聴しているファンには、聴き逃すことのできない一盤と言えよう。

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2014年11月21日


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これは本当に大変な出来映えで、ベーム一代の最高の成果の1つというだけでなく、20世紀後半におけるモーツァルト解釈を代表する名演に数えるべきものであり、恐らく、20世紀全体を通じてみても、この世紀におけるモーツァルト演奏の何たるかを、永く後世に伝えるに足る演奏というより他ないようなものだろう。

ベームが指揮者として壮年期にあった時期の録音だけに、その生気あふれた音楽運びは、この時代のベームの芸術を特徴づける最大の魅力である。

まず第一にあげなければなければならないのは、ベームの実に見事な音楽表現だ。

おそらくここには我々が「ウィーン風」という概念で呼んでいるあの独特な演奏スタイルのすべての特徴と美点とが、最上の形で結晶して、モーツァルトの音楽をこれ以上ないほどの微妙さと美しさで鳴り響かせている。

ベームのモーツァルトの基本はインテンポであり、その中で楽譜に書かれてる音符と歌い手がイメージしている音楽が融和し、自ら美しくあるいは劇的な音楽が生まれてくる。

ベームは何もしていないように思われるが、そのアンサンブルから流れ出る音楽のなんと楽しいことだろうか。

ベームの指揮のもと、おそらく「コシ・ファン・トゥッテ」を最も深く知りつくしているウィーン・フィルが水を得た魚のように生き生きとした表情で馥郁たる匂いと劇的な情感に溢れる音楽を聴かせてくれる。

ベームの演奏は流麗をきわめ、表情はふくよかで、モーツァルトの至純な音楽がこれほど高い純度にまで精錬されて響くことは、ごくまれにしかあるまい。

温和で豊潤な音楽から生み出される馥郁たる香りのモーツァルト像は、この作曲家が持っている懐の深さを改めて我々に教えてくれる。

ゼーフリート、ヘルマン、オットー、デルモータら6人の歌手達も揃って高水準の歌唱を聴かせており、一つのスタイルと緊密なアンサンブルを形成している。

モーツァルトとベームの芸術を愛する人々にとって、この1組はかけがいのない価値を持つものである。

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2014年10月23日


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本盤には、ベームがウィーン・フィルやベルリン・フィルを指揮してスタジオ録音したモーツァルトの管楽器のための協奏曲集やセレナード集、ディヴェルティメント集が収められている。

ベームのレパートリーの基本は独墺系の作曲家による楽曲であったが、その中でもモーツァルトによる楽曲はその中核を占めるものであったと言えるのではないだろうか。

ベームが録音したモーツァルトの楽曲は、交響曲、管弦楽曲、協奏曲、声楽曲そしてオペラに至るまで多岐に渡っているが、その中でも本盤は、1959年から1967年にかけてベルリン・フィルを指揮してスタジオ録音を行うことにより完成させた交響曲全集とともに、今なお燦然と輝くベームの至高の業績であると高く評価したい。

モーツァルトを得意とした巨匠と言えば、ワルターを第一に掲げるべきであるが、ワルターのモーツァルトの楽曲の演奏が優美にして典雅であったのに対して、ベーム演奏は重厚でシンフォニックなものだ。

全体の造型はきわめて堅固であるが、スケールも雄渾の極みであり、テンポは全体としてゆったりとしたものである。

そして、本盤の演奏は、1970〜1979年にかけてのものであり、とりわけ1970年代後半のベームによる一部の演奏には、持ち味であった躍動感溢れるリズムに硬直化が見られるなど、音楽の滔々とした淀みない流れが阻害されるケースも散見されるようになるのであるが、本演奏には、そうした最晩年のベームが陥ったリズムの硬直化が殆ど聴かれないのが素晴らしい。

そして、全盛時代のベームの特徴でもあった躍動感溢れるリズムが本盤の演奏では健在であり、かような演奏が四角四面に陥るのを避けることに繋がり、モーツァルトの演奏に必要不可欠の高貴な優雅さにもいささかの不足もしていないと言えるところだ。

要は、いい意味での剛柔バランスのとれた名演に仕上がっていると言えるだろう。

そして、本盤で素晴らしいのは、ベルリン・フィルやウィーン・フィルの各首席奏者の素晴らしい名演奏であり、その卓越した技量や美しい音色など、これ以上は求め得ないような美しさの極みとも言うべき圧倒的な名演奏を展開していると評価したい。

これら首席奏者にとどまらず、ベルリン・フィルやウィーン・フィルによる演奏も高く評価すべきであるが、とりわけベルリン・フィルについて言及しておきたい。

この当時のベルリン・フィルは、終身の芸術監督カラヤンの下で、いわゆるカラヤン・サウンドに満ち溢れた重厚でなおかつ華麗な名演奏の数々を成し遂げるなど、徐々にカラヤン色に染まりつつあったところだ。

しかしながら、本盤の演奏では、いささかもカラヤン色を感じさせることなく、ベームならではのドイツ風の重厚な音色で満たされている。

かかる点に、ベルリン・フィルの卓越した技量と柔軟性を大いに感じることが可能であり、本盤の名演に大きく貢献しているのを忘れてはならない。

音質は、1970年から1979年にかけてのスタジオ録音であるが、大半の演奏が既にリマスタリングが施された(ウィーン・フィルの首席奏者との協奏交響曲やディヴェルティメント集については久々のCD化であるとともに、筆者も当該CDを所有しておらず、比較出来なかったことを指摘しておきたい)こともあって、従来盤でも十分に満足できるものである。

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2014年10月04日


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一昨年(2021年)はベーム没後40年であった。

生前は、とりわけ我が国において、当時絶頂期にあったカラヤンに唯一対抗し得る大指揮者として絶大なる人気を誇っていたが、歳月が経つにつれて、徐々に忘れられた存在になりつつあるというのは残念でならないところである。

本盤には、ベートーヴェンの交響曲第6番「田園」(及び2つの序曲)が収められているが、ベームの偉大な芸術を再認識させてくれる素晴らしい名演だ。

ベームによる本演奏は、重厚でシンフォニックなものだ。

全体の造型は例によってきわめて堅固であるが、その中で、ベームはオーケストラを存分に鳴らして濃厚さの極みと言うべき内容豊かな音楽を展開している。

スケールも雄渾の極みであり、テンポは全体として非常にゆったりとしたものである。

演奏は、1971年のスタジオ録音であり、これはベームが最も輝きを放っていた最後の時期の演奏であるとも言える。

ベームは、とりわけ1970年代半ば過ぎになると、持ち味であった躍動感溢れるリズムに硬直化が見られるなど、音楽の滔々とした淀みない流れが阻害されるケースも散見されるようになるのであるが、本演奏には、そうした最晩年のベームが陥ったリズムの硬直化がいささかも見られず、音楽が滔々と淀みなく流れていくのも素晴らしい。

本演奏は、ワルター&ウィーン・フィルによる演奏(1936年)、ワルター&コロンビア交響楽団による演奏(1958年)と並んで3強の一角を占める至高の超名演と高く評価したい。

本演奏の基本的な性格は前述のとおりであるが、第4楽章の畳み掛けていくような力強さや、終楽章の大自然への畏敬の念を感じさせるような崇高な美しさには出色ものがあり、とりわけウィンナ・ホルンなどの立体的で朗々たる奥行きのある響きには抗し難い魅力がある。

ウィーン・フィルによる名演奏も大きく貢献していると言えるところであり、その演奏は、まさに美しさの極みであり、ベームの重厚でシンフォニック、そして剛毅とも言える演奏に適度な潤いと深みを与えているのを忘れてはならない。

音質は、1971年のスタジオ録音であるが、従来盤でも十分に満足できるものである。

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2014年07月29日


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全盛期のベームによる圧倒的な名演だ。

1966、7年度のバイロイト音楽祭におけるライヴで、いろいろな意味で、「記念碑的な名演」という言葉こそふさわしいレコードである。

ベームはスタジオ録音よりも実演でこそその本領を発揮する指揮者と言われているが、本盤の演奏を聴いているとよく理解できるところだ。

それにしても、本演奏におけるベームは凄まじいばかりのハイテンションだ。

ひたすら音楽を前へと進めていこうという畳み掛けていくような気迫と緊張感、そして切れば血が噴き出してくるような圧倒的な生命力に満ち溢れている。

長大なワーグナーの楽劇「ニーベルングの指環」は、全体を演奏するのに大抵は14時間前後を要するが、ベームは何と約13時間程度で全曲を駆け抜けている。

これだけ速いテンポだと、性急で浅薄な印象を聴き手に与える危険性もあるが、本演奏に関してはそのようなことはいささかもなく、どこをとっても隙間風の吹かない造型の堅固さと充実した響きが支配しているのが素晴らしい。

このベームの演奏が聴き手に感じさせるのは決して表面的なテンポの速さではなく、凄まじいばかりの白熱と緊張に満ちたその音楽の素晴らしい持続力と高揚である。

全盛期のベームの特徴でもある快活なリズム感も効果的であり、随所に清新な躍動感が息づいているのが見事であるという他はない。

同曲には、重厚で強烈無比なショルティ&ウィーン・フィルによる演奏(1958〜1965年)や、ドラマティックなフルトヴェングラー&RAIローマ響による演奏(1953年)、圧倒的な音のドラマを構築したカラヤン&ベルリン・フィルによる演奏(1966〜1970年)、あらゆる意味でバランスのとれたカイルベルト&バイロイト祝祭管による演奏(1955年)など、名演が目白押しではあるが、演奏の持つ実演ならではの根源的な迫力においては、ベームによる本名演もいささかも引けを取っていない。

歌手陣も豪華であり、ジークフリート役(「ラインの黄金」においてはローゲ役)のヴォルフガング・ヴィントガッセン、ブリュンヒルデ役のビルギット・ニルソン、ジークムント役のジェームズ・キング、アルベリヒ役のグスタフ・ナイトリンガー、ファフナー役のクルト・ベーメ、そしてハーゲン役のヨーゼフ・グラインドルなど、いまや伝説となった大物ワーグナー歌手も、持ち得る実力を最大限に発揮した渾身の名唱を披露しているのが素晴らしい。

また、ヴォータン役に急遽抜擢されたテオ・アダムによる素晴らしい歌唱も、本名演に大きく貢献しているのを忘れてはならない。

また、ライヴ録音だけに、4作を通じて活躍する配役が原則として同じ歌手によって歌われており、これによって自然なドラマの流れが高い集中力で持続されている点も本演奏の大きなアドバンテージと言えるだろう。

いずれにしても、本盤の演奏は、全盛期のベーム、そして歴史的なワーグナー歌手がバイロイト祝祭劇場に一同に会した歴史的な超名演であると高く評価したい。

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2014年07月23日


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1977年にロンドン交響楽団の名誉会長に推されたカール・ベーム[1894-1981]が、それを記念して録音したチャイコフスキーの後期3大交響曲。

ベームは自分のキャリアの中にチャイコフスキーのレパートリーが無いことを非常に気にしていたようで、DGに対して再三、このチャイコフスキー後期の3作品の録音を希望していたようだ。

しかし、DG側はベームのチャイコフスキーは売れないと判断していたようで、まして同時期にカラヤンもこの3作品をDGに録音していたので、ベームの出番は無かったようである。

それでも再三に渡ってDGに交渉し、ようやくこの時期に名誉会長に就任したロンドン響に白羽の矢が立ったという話(ベームがこの録音のために就任したとも言われている)。

本当は独墺のオケと録音したかったのであろうが、この演奏についてはロンドン響を起用したのが功を奏しているのかもしれない。

もしもこれが独墺系のオケであれば重厚さを増し、ややもすると鈍重になった可能性は十分に考えられる。

3曲とも力感にあふれ、しっかりと指揮者がリードし、堅実で、中味の詰まった大変に立派な演奏で、チャイコフスキーの巧みな書法がしっかりと再現され、迫力も十分。

ベームの職人的能力の最良の面がいかんなく発揮された、見事な出来映えではないだろうか。

中では第4番は、いかにもベームらしい強靭な古典的造型感と明晰性を感じさせる中にも激しい音楽の聴かれるドイツ表現主義風ともいえる演奏。

特に終楽章におけるシンフォニックでありながらも情熱的な世界は必聴の価値がある(第4番にはチェコ・フィルとの凄いライヴもあった)。

一方、第5番と第6番「悲愴」ではドイツ色はいっそう濃くなり、チャイコフスキーというよりもブラームスとかブルックナーに近い雰囲気さえ漂っているが、交響曲の演奏としては、がっちりした造形と端正なフレージングもあって、たいへん立派なものとなっている。

チャイコフスキーが「苦悩」を音楽にするために、どれだけ巧緻に管弦楽を織り成したかが、この演奏からまざまざと聴き取れる演奏とも言えよう。

ドイツ系の指揮者による純ドイツ風アプローチとしては、ほかにクレンペラーやヴァント、シュミット=イッセルシュテット、ケンペなどが知られており、同じドイツ系でも、フルトヴェングラーやカラヤン、ザンデルリンク、マズア、エッシェンバッハなどが、ロシア的表現様式にも配慮した濃厚な演奏を聴かせていたのとは対照的で、最もドイツ的な演奏と言われた。

弦の厚ぼったい響き、テンポ、ダイナミクスとも重量長大級で、一見、田舎風の泥臭さに満ちており、そういう演奏を好む人を大いに喜ばせるに違いない。

スラヴの憂愁も哀愁もないが、チャイコフスキーが目指したドイツ音楽の姿かたちがここにあり、ベームならではのチャイコフスキー像が創り出されている。

聴けば聴くほど味が出る演奏で、特にベーム・ファン向けの個性的チャイコフスキー・アルバムと言えるだろう。

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2014年05月17日


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ベームは独墺系の作曲家を中心とした様々な楽曲をレパートリーとしていたが、その中でも中核を成していたのがモーツァルトの楽曲であるということは論を待たないところだ。

ベームが録音したモーツァルトの楽曲は、交響曲、管弦楽曲、協奏曲、声楽曲そしてオペラに至るまで多岐に渡っているが、その中でも1959年から1960年代後半にかけてベルリン・フィルを指揮してスタジオ録音を行うことにより完成させた交響曲全集は、他に同格の演奏内容の全集が存在しないことに鑑みても、今なお燦然と輝くベームの至高の業績であると考えられる。

現在においてもモーツァルトの交響曲全集の最高峰であり、おそらくは今後とも当該全集を凌駕する全集は出て来ないのではないかとさえ考えられるところだ。

本盤に収められた交響曲第40番及び第41番は当該全集から抜粋されたものであるが、それぞれの楽曲の演奏史上トップの座を争う至高の超名演と高く評価したい。

第40番であれば、ワルター&ウィーン・フィルによる名演(1952年)、第41番であれば、ワルター&コロンビア響による名演(1960年)などが対抗馬として掲げられるが、ワルターの優美にして典雅な演奏に対して、ベームの演奏は剛毅にして重厚。

両曲ともに、厳しい造型の下、重厚でシンフォニックなアプローチを施しているが、それでいて、全盛時代のベームの特徴であった躍動感溢れるリズム感が、演奏が四角四面に陥るのを避けることに繋がり、モーツァルトの演奏に必要不可欠の高貴な優雅さにもいささかの不足もしていないのが素晴らしい。

いい意味での剛柔バランスのとれた名演に仕上がっていると言えるだろう。

ベームは、両曲を1976年にもウィーン・フィルとともに再録音しており、演奏全体としては枯淡の境地さえ感じさせるような深沈とした趣きの名演ではあるが、ベームの特徴であったリズム感が硬直化し、音楽の自然な流れが若干阻害されているのが難点であると言えなくもない。

また、この当時のベルリン・フィルには、フルトヴェングラー時代に顕著であったドイツ風の重厚な音色の残滓があり(カラヤン時代も重厚ではあったが、質がいささか異なる)、ベームのドイツ正統派とも言うべき重厚にして剛毅なアプローチに華を添える結果となっていることも忘れてはならない。

モーツァルトの交響曲の演奏様式は、最近ではピリオド楽器の使用や古楽器奏法などによる小編成のオーケストラによる演奏が主流になりつつあるが、本盤のような大編成のオーケストラによる重厚な演奏を耳にすると、あたかも故郷に帰省した時のような安定した気持ちになる聴き手は筆者だけではあるまい。

本演奏は、このように歴史的な超名演であるだけに、SHM−CD化やルビジウム・カッティングなどの高音質化への不断の取組がなされてきたが、シングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化によって、そもそも次元が異なる圧倒的な超高音質に生まれ変わった。

いずれにしても、ベームによる歴史的な超名演をこのような極上の高音質SACD&SHM−CD盤で味わうことができるのを大いに喜びたい。

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本盤に収められたブラームスの交響曲第1番は、全盛期のベームならではの名演である。

それどころか、ベームによる数ある名演の中でも、そして同曲の様々な指揮者による名演の中でもトップの座に君臨する至高の超名演と高く評価したい。

同曲の過去の超名演としては、ミュンシュ&パリ管弦楽団盤(1968年)やカラヤン&ベルリン・フィル盤(1988年、ロンドン・ライヴ)などがあるが、このうちミュンシュ盤は、ドラマティックであるがブラームスというよりはミュンシュの至芸を味わうべき演奏とも言えるところである。

他方、カラヤン盤はいわゆるカラヤンサウンド満載の重厚な名演であるが、音質がいささかクリアとは言い難い面がある。

したがって、ベームによる本演奏の優位性はいささかも揺らぎがない。

ベームは1970年代に入ってから、ウィーン・フィルとともに同曲のスタジオ録音(1975年)やライヴ録音(1975年来日時)を行っており、一般的には名演との評価も可能ではあるが、とても本演奏のようなレベルには達していない。

本演奏は、第1楽章の序奏部において悠揚迫らぬテンポで堂々と開始される。

その後、主部に入ると阿修羅の如き速めのインテンポで曲想が進行していく。

ベームは、各楽器を力の限り最強奏させているが、その引き締まった隙間風の吹かない分厚い響きには強靭さが漲っており、それでいて無機的にはいささかも陥っていない。

第2楽章や第3楽章も、比較的速めのテンポで進行させているが、ここでも重厚な響きは健在であり、各旋律の端々から漂ってくる幾分憂いに満ちた奥深い情感には抗し難い魅力に満ち溢れている。

第2楽章におけるミシェル・シュヴァルベのヴァイオリンソロのこの世のものとは思えないような美しさには身も心も蕩けてしまいそうだ。

そして、終楽章の重戦車が進軍するが如き堂々たるインテンポによる重量感溢れる演奏には、あたりを振り払うような威容があり、終結部の畳み掛けていくような気迫と力強さは圧倒的な迫力を誇っている。

また、この当時のベルリン・フィルには、フルトヴェングラー時代に顕著であったドイツ風の重厚な音色の残滓があり(カラヤン時代も重厚ではあったが、質がいささか異なる)、ベームのドイツ正統派とも言うべき重厚にして剛毅なアプローチに華を添える結果となっていることも忘れてはならない。

それにしても、音質は素晴らしい。

従来盤でも比較的満足できる音質ではあったのだが、本シングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤はそもそも次元が異なる圧倒的な超高音質である。

ベームによる歴史的な超名演をこのような極上の高音質SACD&SHM−CD盤で味わうことができるのを大いに喜びたい。

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2014年01月08日


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R.シュトラウスと親交のあったカール・ベームは、数多くのオペラ上演を中心に、彼の芸術の振興に大きく貢献、オーケストラ・レパートリーでも、慧眼というほかない、作品を知り尽くしたアプローチで聴き手を魅了してきた。

当セットには、そんなベームが残したR.シュトラウス録音から代表的なオーケストラ・レパートリーが集められておリ、ベームならではの質実剛健なアプローチが作品本来の味わいをよく引き出している。

名演揃いの聴き応えのあるアルバムで、特にシュターツカペレ・ドレスデンとの『アルプス交響曲』や『英雄の生涯』などが復活し入手しやすくなったのは嬉しい。

国際化する以前のベルリン・フィルを指揮した『ツァラトゥストラはかく語りき』『祝典前奏曲』『ティル・オイレンシュピーゲルの愉快な悪戯』『ばらの騎士のワルツ』『サロメの踊り』の5作品はすでに名演奏として有名なもので、重厚壮麗で骨太なサウンドが素晴らしい聴きものとなっている。

中でも出色なのは『ツァラトゥストラはかく語りき』で、造形の堅牢さ、スケール感、緊張感、深い思索、オケの技…実に模範的である。

名門シュターツカペレ・ドレスデンを指揮した『アルプス交響曲』『ドン・ファン』『英雄の生涯』の3曲は残念ながらモノラル録音ではあるが、ステレオ直前の時期だったということもあり音の解像度や質感は上々。

なお、最後に収録されたシュターツカペレ・ドレスデンとの『死と変容』は、1972年のザルツブルク音楽祭におけるライヴで、実演ならではのパワフルな演奏がステレオ録音で楽しめるのがポイント。

特に筆者の好みは『アルプス交響曲』(格調高い)、『英雄の生涯』(抜群の推進力と引き締まった造形)、『死と変容』(壮大な音のドラマ)。

音響にこだわる人(R.シュトラウスの場合それも理解できるが)、派手な効果が好きな人にはお薦めできないが、R.シュトラウスの音楽を愛する人はぜひご購入されたい。

作曲者と親交厚かったべームの真摯な探求の成果がここにある。

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2013年12月31日


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ベームのブルックナー「第8」には1976年にウィーン・フィルを指揮したスタジオ録音盤もあり、そちらも優れた演奏であったが、厳格でスタティックですらあったそこでのアプローチに較べ、今回の1978年のライヴ盤は、実演のベームならではの熱気が随所に感じられてとにかくホットな演奏。

これこそ、ライヴならではの醍醐味が味わえる一枚ではないだろうか。

年をとるにつれて徐々にテンポが遅くなっていったベームが、ライヴで思いっきり爆発した。

2年前のウィーン・フィルとの録音に比べて8分ほど速くなり、物凄い熱い演奏を繰り広げている。

ベームの当時の年齢からいって、このテンポ設定(特に終盤)は超人的。

演奏は、ベームの職人的な音楽造りが魅力的で、確固たる構成力と細かなニュアンスを織り込んでゆく見事さはすばらしい。

ベームはブルックナー、ワーグナー、R.シュトラウスと向き合った途端、自分こそ1920年代にノイエザッハリヒカイト(新即物主義)の洗礼を受けた指揮者である事を何のためらいも無く露わにする。

この1978年にライヴ収録されたディスクでもその基本的演奏様式、オーケストラのバランス、遠近法などすべてそれまでのものと同様である。

嵐の如きパッセージに於いてもエネルギーは徹底的に内燃化され、凝縮された力を感じさせる。

必要以上に派手に鳴り渡る事も甘味に流れてしまう箇所も皆無である。

その一方で純粋オーストリア式の田園牧歌、群舞の風景を彷彿とさせる表現の幅広さも勿論充分である。

<峻厳と喜悦の同居>とでも云おうか、まさしく稀にみる音楽性に溢れたひと時、優れたブルックナー演奏を味わった後の<聴き手の身も魂も完全に燃焼され尽くした>あの独特の感銘、それも第一級の感動を味わう事の出来る一枚である。

一度指揮台に立つと集中し、没頭する余り我を忘れる、そんなベームの芸術家魂を見習いたいものである。

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2013年11月23日


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1980年、ベーム&ウィーン・フィルの最後の来日演奏会となったもので、老大家ベームのエネルギーが最後に最も激しく燃焼した瞬間の記録と言えよう。

名指揮者カール・べーム[1894−1981]は、1963年、75年、77年、そして死の前年となる80年と、生涯に4度の来日を果たした、いわば親日家だった。

大変良質な音質で聴くことができるこのディスクに収められた1980年10月6日の演奏会は、ウィーン国立歌劇場引越し公演のさなかに1度だけ組まれたウィーン・フィル演奏会で、会場となった昭和女子大人見記念講堂の「こけら落とし」でもあった。

ベームは86歳、高齢のため、椅子に座っての指揮だった(筆者もNHKの放送を見た)。

しかし、ゆったりととられたテンポの中に刻みこまれたみずみずしく音楽が立ち上がる瞬間の数々は、やはり至高の芸風を伝える孤高の「職人」の趣きをずっしりとした重みで伝えてくれるものだ。

それ故、演奏は実に立派。

今やこんなに立派で、堂々たる造形感を貫いたベートーヴェンは貴重なものであり、 偉大なる老巨匠の芸術である。

クラリネットのオッテンザマーも「忘れられないコンサート」と語り、全篇悠揚迫らぬテンポで、例えば第7番の第3楽章のトリオなど、チェリビダッケ顔負けの極限のスローテンポ。

それを見事にもちこたえ美音を奏でるウィーン・フィルもさすが。

終楽章も耐えに耐えて大爆発し、聴後には純音楽的カタルシスが待っている。

第2番も掛け値なしの名演。

表面的な条件を超えて最晩年の芸術家の営為が投影された一場のドキュメントであり、現在のベームの聴き手にはもちろんのこと、会場で、あるいはTVやFMでその演奏に触れた愛好家には、感慨深い特別な1枚となることであろう。

音質もNHK録音だけあって大変優秀で、ベーム最期の日本公演を見事に捉えきっている。

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2013年09月19日


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ベームは、ベートーヴェンの交響曲全集を完成させるなど、ベートーヴェンを重要なレパートリーとしていたが、ライヴ録音も含め数あるベームによるベートーヴェンの交響曲の演奏の中でも最高の名演は、本盤に収められた「田園」ということになるのではないか。

それどころか、他の指揮者による「田園」の名演の中でも、ワルター&ウィーン・フィル(1936年)、ワルター&コロンビア交響楽団(1958年)と並ぶ至高の超名演と高く評価したい。

なお、ベームには、1977年の来日時のライヴ録音(1977年)もあるが、オーケストラの安定性などを含めて総合的に評価すると、本演奏の方をより上位に置きたいと考える。

ワルターが、「田園」を情感豊かに描き出したのに対して、ベームの演奏は重厚でシンフォニックなものだ。

全体の造型は例によってきわめて堅固であるが、その中で、ベームはオーケストラを存分に鳴らして濃厚さの極みと言うべき内容豊かな音楽を展開している。

スケールも雄渾の極みであり、第4楽章の畳み掛けていくような力強さや、終楽章の大自然への畏敬の念を感じさせるような崇高な美しさにおいても、いささかも不足することはない。

テンポは全体として非常にゆったりとしたものであるが、最晩年のベームが陥ったリズムの硬直化がいささかも見られず、音楽が滔々と淀みなく流れていくのも素晴らしい。

このようなベームの重厚でシンフォニックな演奏に適度な潤いと深みを与えているのが、ウィーン・フィルによる素晴らしい演奏だ。

その演奏は、まさに美しさの極みであり、とりわけウィンナ・ホルンなどの朗々たる奥行きのある響きには抗し難い魅力がある。

また、本盤には、シューベルトの「第5」がカップリングされているが、これまた素晴らしい名演だ。

ベームのシューベルトは、堅固な造型の中にも、豊かな情感が満ち溢れており、硬軟併せ持ついい意味でのバランスのとれた演奏と言える。

私見ではあるが、ワルターとクレンペラーの演奏を足して2で割ったような演奏様式と言えるのかもしれない。

録音も、リマスタリングを繰り返してきたこともあってネット配信でも比較的鮮明な音質である。

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2013年08月16日


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ベームはモーツァルトを心から愛した指揮者として知られているが、モーツァルトのオペラの中でも特に愛していたのは歌劇「コジ・ファン・トゥッテ」と言えるのではないだろうか。

それは、遺された録音の数からも理解できるところであり、1962年のスタジオ録音(EMI)のほか、多数のライヴ録音が遺されている。

その中でも抜きん出た名演は、衆目の一致するところ、前述の1962年盤と本盤に収められたザルツブルク音楽祭でのライヴ録音である1974年盤であると考えられる。

ところが、この両者の比較が実に難しい。

旧盤はシュヴァルツコップ、ルートヴィヒ、タディ、ベリーなどといった豪華歌手陣を揃えており、キャスティングにおいては全く穴がなかった。

これに対して、本演奏も、ヤノヴィッツ、ファスベンダー、シュライアー、プライ、パネライといった超豪華布陣であり、キャスティングにおいてはほぼ互角と言えるだろう。

オーケストラは旧盤のフィルハーモニア管弦楽団に対して、本演奏はウィーン・フィルであり、オーケストラの同曲への適性としては本演奏の方が上。

ただし、本演奏はベームが80歳の時の演奏であり、全盛期にあった旧盤の時と比較すると、ベームの指揮の特徴でもある躍動的なリズム感にほんのわずかにではあるが硬直性が見られるところであり、ベームの指揮に関しては旧盤の方が上出来と言える。

このように、両名演ともに一長一短あるところであるが、所詮は高いレベルでの比較の問題であり、両演奏ともに、至高の超名演であることには変わりがないところだ。

本演奏におけるベームの指揮は実にシンフォニックで重厚なものであり、近年の古楽器奏法やピリオド楽器を使用した軽妙な演奏に慣れた耳からすると、あたかも故郷に帰省した時のように安定した気持ちになるのは筆者だけではあるまい。

それでいて、モーツァルトの音楽特有の気品溢れる優美さにもいささかも不足しておらず、いい意味での剛柔バランスのとれた名演に仕上がっている点を高く評価したい。

ベームの重厚でシンフォニックな指揮に適度な潤いと温か味を付加したウィーン・フィルによる好パフォーマンスも、本名演に大きく貢献している点を忘れてはならない。

前述の豪華歌手陣やウィーン国立歌劇場合唱団も最高のパフォーマンスを発揮していると高く評価したい。

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2013年07月19日


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1971年11月16日、ミュンヘン、ヘルクレスザールに於けるライヴ録音。

べームとバイエルン放送響の顔合わせによるブルックナーが、第7番につづき、1971年のブルックナー第8番が登場した。

正規では初出となるこの演奏は、第7番同様に速めのテンポを採用している点が特徴。

べームの代表盤とされるDGのセッション録音(1976年)に比べて、全体でほぼ8分あまり速くなっている。

とりわけ後半2楽章での印象の違いは大きく、おだやかなウィーン・フィル盤とは異なり、まことに熱い演奏が繰り広げられている。

DG盤では表面では落ち着いているが内部では青白い炎が燃えていた。

しかしこのライヴでは全身燃え盛っている。

速いテンポで突き進む爽快感、ライヴならではの少々荒いドライヴ感などDG盤では味わえない魅力がある。

オケも乗っており、鳴りも小気味よい。

キャリアの初期からブルックナーを好んで取り上げていたべームだが、1936年にドレスデンで行なった3つの録音を別にすれば、本格的に録音するようになったのはようやく1970年代に入ってから。

第7番とともに、当バイエルン放送響との第8番は、あまり多いとはいえないべームのブルックナー演奏を検証するうえで、かけがえのないものといえるだろう。

このたびもバイエルン放送アーカイヴの正規音源使用によるため、すぐれた音質といえよう。

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2013年06月15日


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本盤には、ベームが1977年に3度目の来日を果たした際のライヴ録音を収めており、楽曲は、モーツァルトの交響曲第29番、ブラームスの交響曲第2番、R・シュトラウスの交響詩「ドン・ファン」など、ベームのお得意のレパートリーで占められているのが特徴である。

先ず、モーツァルトの交響曲第29番であるが、ベームは同曲のスタジオ録音を繰り返して行っており、名高いのはベルリン・フィルとの交響曲全集(1959年〜1968年)に含まれる演奏、そして最晩年のウィーン・フィルとのスタジオ録音(1979年)である。いずれ劣らぬ名演であるが、実演でこそその真価を発揮するベームだけに、演奏の持つ根源的な迫力や音楽をひたすら前進させていこうという強靭な生命力において、本演奏は頭抜けた存在と言えるのではないだろうか。

全体の堅固な造型、そしてシンフォニックな重厚さを兼ね備えたいわゆる旧スタイルの演奏ではあるが、軽佻浮薄なモーツァルトの交響曲の演奏様式が定着しつつある現代においてこそ存在価値がある、まさに古き良き時代の味わい深さを多分に有した素晴らしい名演と高く評価したい。

加えて、最晩年のベームならではのゆったりとしたテンポによる演奏には、深沈とした独特の味わい深さがある。

ブラームスの交響曲第2番については、ベームは、ベルリン・フィル(1956年)及びウィーン・フィル(1975年)とともに2度にわたってスタジオ録音を行っている。

このうち、特にウィーン・フィルとの演奏は素晴らしい名演であるが、モーツァルトの交響曲第29番と同様に、トゥッティに向けて畳み掛けていくような気迫といい、演奏の持つ圧倒的な力強さといい、本演奏こそはベームが遺した同曲の最高の名演と言っても過言ではあるまい。

R・シュトラウスの交響詩「ドン・ファン」は、シュターツカペレ・ドレスデンとのスタジオ録音(1957年)以来の録音ということになるが、これはそもそも本演奏とは勝負にならない。

本演奏の持つ、切れば血が噴き出てくるような強靭な生命力は、とても83歳の老巨匠とは思えないほどの圧倒的な迫力を誇っており、ベームとしても会心の名演と言えるのではないだろうか。

その他にも、ワーグナーの楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」前奏曲なども収められており、ゲネプロではあるが、同時期のスタジオ録音(1978年)とは比較にならないほどの素晴らしい名演と高く評価したい。

ウィーン・フィルも、ベームの統率の下、持ち得る実力を十二分に発揮した最高のパフォーマンスを発揮している。

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2013年02月17日


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ベームはベルリン・フィルとモーツァルトの交響曲全集を録音し、既に紹介したところだが、全集までは要らないという人にお薦めの後期6大交響曲集。

モーツァルトの交響曲の演奏様式は、最近ではピリオド楽器などの小編成によるものが主流になりつつあるが、本盤のような大編成のオーケストラによる重厚な演奏を耳にすると、故郷に帰ってきたようなほっとした気分になる。

ベームが1960年代にベルリン・フィルと組んで成し遂げたモーツァルトの交響曲全集は、大編成によるオーケストラによる古典的な名演として、金字塔とも言うべき歴史的名盤であると思う。

本盤は、その全集から後期の6曲を抜粋したものであるが、いずれの曲も、厳しい造型の下、重厚でシンフォニックなアプローチであり、モーツァルト演奏に必要不可欠の高貴な優雅さにもいささかの不足はない。

ベルリン・フィルの巧さも特筆すべきであり、ベームともども、最高のパフォーマンスを示している。

ベームは、1970年代にもウィーン・フィルとモーツァルトの交響曲全集に着手(結局は果たせなかったが)したが、老巨匠ならではの枯れた味わいはあるものの、リズムにやや硬直が見られることもあり、このベルリン・フィルとの演奏の優位は動かないと思われる。

香りや気品は後年のウィーン・フィル盤に譲る部分も大きいが、ベルリン・フィルらしく強い覇気と強靭なアンサンブル、ドイツ風のゴツゴツした重厚な響きと構成感が素晴らしい。

この頃のベルリン・フィルは、カラヤンがシェフになってサウンドが徐々にカラヤン風な明るく豊麗なものに変化しつつある時期だったのだが、モーツァルトの交響曲全集やセレナード集、ブラ1、エロイカなど、この頃のベームの一連の録音は、質実剛健なドイツのマイスターといった感じで、後年のウィーン・フィルとの再録音と違った筋肉質な音楽を聴かせる。

ルビジウム・カッティングによって、素晴らしい音質が蘇ったのも嬉しい限りだ。

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2012年07月18日


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モーツァルトの生誕200年の1956年、ウィーン交響楽団との録音。

ベームのモーツァルトのレクイエムといえば、ウィーン・フィルを振っての1971年のDG盤が名演の誉れ高い。

たしかに表現の円熟の点ではウィーン・フィル盤が優れているが、1956年のこのウィーン響との旧盤も、壮年期のベームの揺るぎない構築性と直截なアプローチという点で、なかなか捨てがたい魅力を持っており、筆者個人としてはむしろこちらのほうを愛聴している。

1971年盤と比べれば、とても同じ人間の指揮によるものとは思えないほどの「剛毅」なレクイエムになっている。

ベームは若々しく清潔感に溢れた音楽を展開しており、シュティヒ=ランダルの清澄な声、マラニウクの温かい歌いぶりなど、独唱陣もいずれ劣らぬ堂々たるモーツァルトを聴かせてくれる。

じっくり進めながらも張り詰めた緊張感に支配された演奏で、これを聴くと、ベームの絶頂期はまさにこの時期にあったと思えてくる。

モーツァルトのいたましい白鳥の歌の形容しがたい美しさと魂の歌声を、これほどの深い共感をもって響かせることに成功したベームの偉大な音楽性には敬服のほかない。

ウィーン響も、ウィーン・フィルのような香りや艶がない分、ベームの直截な音楽性をより端的に表わし出しているといえるだろう。

1971年盤とはまたひと味違ったベームのレクイエムだ。

モノーラルだが、音質がかなり改善されて歌手たちの名唱も聴きやすいものになった。

ソリストもコーラスも、そしてオーケストラも完全にベームの意図を体現して、優れた演奏を聴かせている。

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2012年03月10日


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シューベルトが25歳の1822年に作曲された《未完成》は、彼の死後37年もたってから日の目を見たというエピソードと、2楽章までしか書かれていないことで有名だ。

ベームのシューベルト《未完成》は、SP録音やライヴ録音も含めると7種類あるが、うち6種類はウィーン・フィルで、ここでとりあげた1966年録音は唯一ベルリン・フィルとのものである。

ワルター盤とは対照的な表現で、シューベルトとしては、やや武骨な感じもするが、全体に整然たる美しさをもった演奏である。

弦楽器の重厚な響きと卓抜な合奏力で、構築的にしっかりと表現した第1楽章、音楽の内面を深々と掘り下げ、ロマン的な表情をひき出した第2楽章。

あくまでも楽譜を忠実に再現し、正攻法で作品に挑んでいるところが、いかにもベームらしい。

歌曲、ピアノ曲、室内楽作曲家としてのいわばリリシストとしてのシューベルトとは別の、シンフォニストとしてのシューベルト像の中には、尊敬するベートーヴェンに対する憧憬という要素もあったのではなかろうか。

その憧憬を持ちながらも、シューベルトはあくまでシューベルトであった、シューベルトであり続けた、ということを、このベームとベルリン・フィルとの歴史的名演は教えてくれる。

《ザ・グレイト》では、その逞しい造型性の中に揺れ動く「弱い人間シューベルト」の繊細な心理、そして憧れが、この演奏の中には横溢している。

シュターツカペレ・ドレスデンとの最晩年の録音やウィーン・フィルとの来日公演ライヴ以上に、この1枚はベームの素晴らしさを示している。

がっしりとした骨組みで、あくまでも楽譜を忠実に再現しており、スケールも大きい。

牧歌的な雰囲気を大切にしながらも抒情的に表現した第1楽章、あたたかさとデリケートな表情をもった第2楽章、弦楽合奏の威力が存分に発揮された第3楽章、力強さを豪快にあらわした第4楽章。

シューベルトの音楽としては、やや武骨なところもなくはないが、その重厚な表現には圧倒される。

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2011年09月14日


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1977年4月5日、ミュンヘン、レジデンツ、ヘルクレスザールに於けるライヴ録音。

前年のウィーン・フィルとのスタジオ録音とは趣きも異なり、ここでは過不足なく反応して音化する機能性にすぐれたバイエルン放送響の豊かな響きのもと、ブルックナーの世界にたっぷりと浸ることができる。

速めのテンポを採用して引き締まったフォルム、自然なフレージングが形づくるアダージョの美しさ、フィナーレもべームらしいライヴの高揚感も相俟ってたいへん聴きごたえするものとなっている。

冒頭から弦のトレモロによる美しい響きと透明感に溢れている。

第1主題が霧の中から浮かび上がってくるいつものブルックナー開始であるが、ここでのベームはただ美しいだけでなくどっしりとした豊かで安定した響きを構築している。

まさに奇をてらう事の無い正統的なブルックナー演奏で、終始安心して聴く事が出来る。

そのせいか第2楽章の悲壮感が多少弱いのは残念だが、とはいえ、クライマックスでは情感溢れる力の入ったパフォーマンスを堪能できる。

この曲の「歌謡性」を魅力的に表出しているが、ベームのこと、構造がないがしろになっている訳では全くなく、両者のバランスが見事。

ことさらスケール感を打ち出したり、色の濃い表情をつけるわけでは無いのだが、自然と第1楽章の高揚に、第2楽章の深い抒情に包まれていく。

ベームの「第7」の総決算[1953年ウィーン・フィル(Altus)、1976年ウィーン・フィル(DG)もそれぞれの魅力があるが]であり、同曲の演奏全体を通じても最高峰のひとつであると考える。

なお、バイエルン放送アーカイヴ音源使用により格段にすぐれた音質で蘇ったことが大きなポイントで、音質は最高ランクの部類に入ると思われる。

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2011年08月18日


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ここに聴くベルリン・フィルとの「エロイカ」は、壮年期ベームの面目躍如たる名演である。

激しい共感を凄いほどの緊迫感で示した表現で、非常に意欲的で力強い推進力があり、造形も端然としている。

じーんと腹の底に響いてくる深い音をもったスケールの大きな「エロイカ」である。

少しもいきり立ったり、細工したり、誇張したりしていない。

素朴なほどに謙虚な表現である。

それでいて、どの部分もおだやかに整っていて無駄がない。

フルトヴェングラーの深遠、シューリヒトの知恵、モントゥーの慈愛……といった特別なものは何もない。

もし天衣無縫という形容が許されるのなら、このベームの演奏はそこに達したものといってよいだろう。

ベームはスコアをスコアのままに正確無比に再現しようとする職人中の職人のように思えるし、冷徹な即物主義者のようにも思える。

ただただ、スコアに書かれた音を、ベームの考える「正しいテンポ、リズム、フレージング、バランス」でもって、ストイックに再現していくだけなのだが、常任指揮者のカラヤンの下で陰を潜めていたベルリン・フィル本来のドイツ的な剛毅さが生々しく現れていて、これはこれで堪えられない。

1959年録音のブラームス「第1」(ベルリン・フィル)とともに、壮年期のベームを代表する名盤と言えるだろう。

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2011年06月12日


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バックハウスについては、ベートーヴェンとともにブラームスがよく語られるが、それもまた、たんなる規範といった次元をこえた超然たる音楽の世界を展開していた。

そのブラームスのピアノ協奏曲については、彼は、どちらかといえば第2番の方を好んだのかもしれない。

それには4回の録音があるからだが、第1番に関しては、ステレオ時代のレコーディングがまったくなく、来日の前年、1953年にベーム=ウィーン・フィルと録音されたこのモノーラル盤が貴重な存在をなしている。

バックハウスとベームは表面的な美しさには目もくれず、素朴さを基調としながら、魂がそのまま語りかけるような意味深い名演を行っている。

あらゆる音を同等に響かせて分厚い立派さを創造するバックハウス、熱っぽさに武骨な憧れを加味したベーム、と本当に素晴らしい演奏だ。

当然、条件としては最上とはいえないが、バックハウスとベームとの間にあるスタイルへの自然の合意が、密度の高いブラームス演奏の一つの典型を生み出している。

ドイツ古典派とロマン派のピアノ曲、とくにスケールの大きな作品の演奏となると、バックハウスにかなうものはいない。

とくにベートーヴェンやブラームスのピアノ協奏曲は彼の独壇場といっても過言ではない。

しかもブラームスの第2番は彼のオハコであり、他の追随を許さない。

この曲をフィジカルに熟知しているウィーン・フィル、その構成感に徹底的に通じたベーム、そしてその両者を身につけたバックハウスの間には一分の隙もなく、しかも融通無碍に呼吸し合い、黄金の三位一体を実現している。

50年もののブランデーの芳醇な味わいそのもの。

そのような自然でまろやかな成熟感に富む演奏は、このところとんと聴かれなくなってしまった。

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2011年06月11日


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ウィーン・フィルがもっとも「ウィーン的」な味わいに満ちた演奏を行なっていた時代、ピアノ協奏曲を演奏する時のソリストはバックハウスと決まっていた。

そうした時代にきわめて中堅から大指揮者へと歩みを進めていたベームは、バックハウスととりわけ相性が良かった。

「鍵盤の獅子王」などという異名をとったバックハウスだが、現代の我々の耳からすると(異論はあろうが)、その多くの録音は徐々に過去の記録となりつつある。

彼の剛直なタッチは、現代の運動生理学上でも合理的なタッチを知る耳にとっては、時に乱暴に聞こえる。

その技術的限界(かつては最高のヴィルトゥオーゾであった事は認めるにしても)は、しばしば音楽の流れを寸詰まりにさせたり、不用意な打鍵による不満を感じさせる。

ブラームスの協奏曲やベートーヴェンのピアノ・ソナタといった定評高い録音も例外ではない。

しかし、このモーツァルトだけは、ベームとウィーン・フィルと共に全く別の優美極まりない音楽を奏でている。

バックハウスの最上の録音である。

ブラームスのピアノ協奏曲第2番の演奏は、堂々たる風格があり、全ての音をつかんで鳴らし切るシンフォニックな表現の第1楽章、タッチもリズムも弾き方もきわめてごつごつした、これこそドイツ音楽といえる第2楽章、きれいごとの一切ない第3楽章、芸術の極みといえる第4楽章と、バックハウスの第2番は常に最高である。

普通のピアニストとはまったく違う、詩的な物憂さがなんともいえない。

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2011年05月26日


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ベームが死の直前まで完成に心砕いた映像作品。

生涯最後の録音となったベームの指揮が、最晩年の彼には珍しく気力充実した力演。

収録の完成を目前にしてベームは世を去った。

巨匠がウィーン・フィルに託した音楽の遺言となり、未完の部分については、ウィーン・フィルが指揮者なしで収録したといわれる。

ベームは1960年代はじめにザクセン州立歌劇場のアンサンブルとレコード録音を行なっており、そちらもシュトラウスのスペシャリストにふさわしい秀演だったが、《エレクトラ》という作品がもつ世紀末的な色合いを表現するにはウィーン・フィルがやはり最適だ。

全体を貫く緊張感は、当時ベームが80歳代後半だったことを考えるとにわかに信じられない。

当時、ベームがウィーン・フィルの精神的な支柱であり、楽員たちの敬愛を一身に集めていたからこそ実現した演奏だろう。

タイトルロールのレオニー・リザネクは、ベームがグルベローヴァとともに「わが娘」と呼んでかわいがった歌手のひとり。

迫真の歌と演技によって復讐の鬼と化した主人公を熱演する。

それと好対照をなすのがフィッシャー=ディースカウの醒めたオレストである。

ヴァルナイのクリテムネストラ、リゲンツァのクリソテミス、バイラーのエギストらの脇役も演技を含めた存在感の強烈さは十分だ。

ゲッツ・フリードリヒによる重厚な映像は、舞台から離れたオペラ映画として構想したもの。

フリードリヒの演出は、回想シーンの挿入などスタジオ収録の利点をフルに生かしたもので、雨が降りしきるなかで展開される凄惨な復讐劇は見応えがある。

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2011年05月25日


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バイロイトでは《オランダ人》は若い指揮者に任されることが多く、巨匠の域に達していたベームが指揮したのは異例のこと。

これは同時にベームが最後にバイロイトに出演した時の記録となった。

ここで彼は、ワーグナーのこの出世作にふさわしい、硬質かつ直線的な音楽づくりによって、1幕仕立ての上演を息もつかせぬばかりの緊張感で貫いている。

ベームの筋肉質で無駄のない進行は、この作品のスタイルによく合っている。

厳しさにかけては天下一品のベームに鍛えぬかれた、当時のバイロイトのオーケストラの水準も驚くばかり。

まるでオーケストラ全体が唸りをあげるように高揚していくところなど、他のオペラのオーケストラにはないものだ。

そこでは世界から腕利きのワグネリアンが集まったこのオーケストラの強みが最大限に発揮されている。

ステュアート、ジョーンズと主役2人が米英出身なのはいかにもこの時代のバイロイトらしいし、他にもリッダーブッシュらの歌手陣の水準も高い。

名合唱指揮者ピッツの薫陶を受けた驚くべき威力の合唱も、ここでは主役のひとりとして大きな役割を果たしている。

「水夫の合唱」の部分など、鮮烈きわまりない表現で、恐るべき生命力である。

質実剛健でしかも含蓄に富んだこの演奏は、《オランダ人》の解釈の一つの理想と言えるのではなかろうか。

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2011年05月07日


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この「未完成交響曲」は、ホーエンエムスのシューベルト音楽祭におけるライヴ録音で、会場となった聖カール・ボロメウス教会の残響はじつに美しく、その中でベーム、ウィーン・フィルが極端に遅いテンポで大演奏を繰り広げているのである。

第1楽章冒頭のバスのモノローグと、それに続くヴァイオリンのさざ波を聴いただけで、そのただならぬ雰囲気に圧倒される。

その後の管のソロも弦のカンタービレも絶美だが、展開部冒頭で、バスがディミヌエンドしながら奈落の底まで下降し、今度はそこからヴァイオリンがピアニッシモから湧き上がっていくときの緊張感と、音楽が頂点に達した際の感情の爆発は、正直いって恐ろしいほどである。

こんなにスケールが大きくてかつ凄みがあり、それでいて美しい第1楽章は他にありえない。

第2楽章はなんといっても、弦の神秘的なシンコペーションにのって歌い交わすクラリネットとオーボエのソロが、夢のような残響を伴ってひたすら美しい。

そして優しくソロが終わろうとするところに突如踏み込んでくるトゥッティの無情さ!

しかしやがて音楽は浄化され、諦念へと至るが、その神秘感のみごとさ!

深沈として雄大、83歳ベームの傑作となった。

こんな《未完成》を聴かされたら落ち込んでしまうに違いなく、気分を前向きにさせるには、交響曲第9番《グレート》の偉大さを待たなければならない。

ちなみにこの日の2曲目はその《グレート》で、これまた圧倒的な豪演であった(METEORという海賊盤で聴くことができる)。

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2011年02月23日


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オーストリアの大指揮者カール・ベームほど敬愛された指揮者はいなかったように思う。

歌手たちも、演奏家も、劇場支配人もみな、真実の、厳格な、親愛なる友……とベームをたたえているからだ。

87歳の誕生日間近まで演奏活動を展開し、数えきれないほどの名演を聴かせ、必ずしも録音好きではなかったといわれるベームだが、録音でも感銘深い演奏を多数遺してくれた。

彼が最後までもっとも愛したオペラでいえば、ウィーン国立歌劇場の音楽監督に2度就任しており、また1961年以後は、ベルリン・ドイツ・オペラの指揮台にたびたび登場して、その最盛期を築いた。

1963年のベルリン・ドイツ・オペラ初来日公演でも《フィガロの結婚》を指揮して伝説的名演を残したが、このアルバムは、1968年にベルリンのイエス・キリスト教会で録音されたものである。

第一級のモーツァルト指揮者といわれたベームによる傑出した名演として名高いもの。

これに先立つ《魔笛》や《ドン・ジョヴァンニ》に比べると、ベームの表現の完成度は高い。

演奏は、構築がしっかりしているうえに、全体に愉悦感にあふれていて、たいへんすばらしい。

ベームの指揮は、透徹した表現と統率の音が隅々にまで行きわたり活気にみちた華麗な音楽を生み出す。

スコアから導き出される解釈の的確さ、類いまれなテンポ感、デュナーミク、フレージング、どれをとってもすばらしく、ベームの真摯で堅固な造形のなかに、モーツァルトの魂が生き生きと息づいている。

キャストも豪華で、不世出の大歌手ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ、格調高い叙情を感じさせるグンドゥラ・ヤノヴィッツ、さらにエディト・マティスやヘルマン・プライ、タティアナ・トロヤノスらがそれぞれ持ち味をよく生かして魅力あふれる名唱を展開している。

主役の歌手たちのすこぶる個性的な歌の魅力と、キャラクターの対比の鮮やかさで、傑出した名演。

理想的なキャストで、なかなか望めない見事なモーツァルトの音の最も美しい姿が実現されている。

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2010年08月27日


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ベートーヴェンの「第9」には様々な録音があるが、しかし、「第9」にはどうしたって堂々としてもらいたい、という向きには、これ以上堂々としようがないという演奏を紹介しよう。

ベームの"白鳥の歌"となった最後の録音である。

ベーム最後の録音にふさわしい圧倒的な「第9」であり、彼はここで自分の音楽的人生を総決算しようとしたのではないか。

彼が最も多く指揮した自信作のひとつだけあって、実に堂々とした豪壮雄偉な演奏だ。

ベームはベートーヴェンの伝統的な演奏様式に深く根ざした、しかも強靭な気力をもって作品の劇性と音楽的個性を両立させている。

冒頭からきわめて遅いテンポがとられており、ひとつひとつの音に心がこもっている。

ゆったりとしたスケールの大きい表現で、第3楽章の美しさは格別だ。

ベームはこのように規模の大きな作品になればなるほど、その偉大な風格を反映させる。

ベームはこの1曲で、晩年の最後の境地をことごとく表出したともいえるような、輝くばかりの精神の美しさを感じさせる音楽だ。

この演奏は猛烈に遅い。おそらく同曲でいちばん演奏時間の長い録音だろう。

厳しい造形力はが緊張力を持続させ、大物歌手と大合唱をそろえた終楽章で実直に音楽が積み重ねられていくさまは、目頭が思わず熱くなるほど感動的である。

ウィーン・フィルの響きは清澄このうえなく、独唱・合唱とも見事で、まさに感動的と形容したい。

ベームの最後の録音だからというわけではなく、この演奏は世紀の超名演と確信している。

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2010年08月24日


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戦前のブッシュ盤(グラインドボーン音楽祭の収録)をはじめとして《コジ》には名盤が少なくないが、ベームによるこの2度目の録音は非常に完成度の高いものだ。

ベームのモーツァルト・オペラ演奏の精髄がここにある。

いくぶん硬質な表現だが、モーツァルトの音楽がもつ高潔さ、美しさをこれほど見事に表出した演奏というのは、ほかにはない。

デリケートな美しさ、自発性の豊かさ、そして精神の純潔さに魅了される。

歌手ではまずフェランド役のクラウスの澄明な美声と凛とした歌いぶりが見事。極めつけの名唱といえよう。

シュヴァルツコップ(フィオルディリージ)とルートヴィヒ(ドラベッラ)という2人の組み合わせも理想的で、今日でも右に出るものがない。

このシュヴァルツコップとルートヴィヒのコンビの魅惑は圧倒的であり、どんな言葉を費やしても、この2人の名唱を誉めつくすことは不可能だ。

グリエルモを歌うタッデイは熱血漢タイプの男をリアルかつ微笑ましく歌い演じている。

ドン・アルフォンゾ役のベリーも実に味のある歌いぶり。

のちのグラモフォン盤の新録音では少し重くなるベームの棒も、ここでは滑らかに流れ、上機嫌な微笑みと機知を至る所に感じられる。

録音当時レッグが「今後20年間は生命を失うことのないレコード」と豪語したというエピソードもある。

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2010年08月01日


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ベームのモーツァルトに対する敬愛は、1959年から68年までに収録されたベルリン・フィルとのステレオ初の交響曲全集に昇華しているが、このウィーン・フィルとの第40番と「ジュピター」は、それからさらに10余年も経て録音されたものである。

それは、最晩年の円熟というような単純な図式ではなく、ベームのモーツァルト観やこれらの作品に対する知的な畏敬の念を、かなり重厚なスケールの中に明らかにしたものといえよう。

この演奏の特色は、一言でいえば、およぶ限りの表現の贅肉をそぎ落としてしまった点にある。

ベームの指揮の一大特徴であるリズムの生気は、典雅な柔らか味をこえて、しばしば厳しい鋭さを示す。

響きの色彩の具合も単純明快で、情緒的世界に結びつき易い色合いを強く制している。

情感豊かなワルター盤に対し、ベーム盤はきわめて峻厳な演奏である。

感傷的な流れにおちいらず、楽曲のもつ構成的な美しさを引き出しているところが見事だ。

両曲ともウィーン・フィル固有のオーボエとホルンの音が有効に使われている。

音楽の構造性においても、その音響においても、骨格の確かさや太さを思わせ、芯の通った力強さを聴かせているが、そこには彼ならではの品格が見える。

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classicalmusic at 17:43コメント(6) 

2010年04月29日


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ポリーニとベームの初共演ということで話題になった録音。

人類史上最も美しい音楽を書いたのはモーツァルトと言われている。世界で最も美しい音色を出すオーケストラはウィーン・フィルだと言われている。

このふたつが、真実として結晶化した録音がある。ベーム指揮、ポリーニ独奏で演奏されたピアノ協奏曲第23番だ。

私はこの演奏をもう15年近く聴いてきて、まったく飽きない。それどころか、聴くたびに、何と美しいのかと思う。ぐうの音も出ない。

ウィーン・フィルの録音はいくらでもあるけれど、これほどまでに美しい演奏をした記録は他にないかもしれない。

ポリーニはショパンではあれだけ詩的情感をこめて演奏していたのに、モーツァルトでは意外と淡々としている。

それでいて第23番の第2楽章など何ともいえぬ甘く悲しい情感を見事に出しているし、第19番の第3楽章でのオーケストラとのかけ合いも見事である。

ベーム指揮のオケは厚みがあるうえ、リズムやアンサンブルがきっちりしていて素晴らしい。

弦楽器は優雅で、なめらかで、柔らかくて、メランコリック。木管楽器はこれ以上ないというくらいに絶妙の表情をしている。

フルート、オーボエ、クラリネット、ホルン、が紡ぎ出す響きの何という美しさ。

決して濃厚な味わいではない。油彩というより、水彩画だ。透き通ったような、まさに空気の震えのような美しさだ。

ピアノも目立ちすぎないのがいい。オーケストラ以上に薄味で自己主張が強くないので、心おきなくウィーン・フィルの美しさを堪能できるのである。

世代は違うけれど、ポリーニとベームはモーツァルトの協奏曲において、ぴたりと合っていたんじゃないだろうか。

なぜかアバドではなくてベームが、ポリーニのエレガントな、というよりエレガントだったモーツァルトの弾き方に、調和していた。

この演奏に説明はいらない。

ベームは、いまでは失われてしまった"ウィーン風"モーツァルトの美をウィーン・フィルから引き出し、それが実にポリーニの、美音とくっきりした様式感を持ったピアノを支える。

モーツァルトの音楽が幸福感と結びついていた時代の記念碑みたいに、いまでは聴こえてしまうのが、ちょっと残念だけれど、まだ甦る可能性だってあるし、この記念碑はそれ自体素晴らしい。

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2010年04月18日


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1964年の、ベームにとって2度目の録音で、造形のしっかりとした極めて完成度の高い、規範的な名演である。

そのドイツ的な骨太の表現はいかにもベームらしい。

きびしい造形的な表現のなかにもメルヘン的な素朴さと、伸びやかなファンタジーを失わず、複雑な内容のすべてを的確に語り尽くしながら、格調と統一も失っておらず、真にドイツ的なジングシュピールの世界を作り上げている。

しかもこの人の演奏にはえもいわれぬ風格があり、そうしたところに強くひかれる。

この演奏は、まず何といってもカール・ベームのモーツァルトの音楽の正統的ですぐれた解釈がその基本になっているが、そのほかにも多くのすぐれた点がある。

まず全体の構成からいうと、音楽の間に入れられるセリフの部分が簡潔に、しかも必要かつ充分であることが挙げられる。

次に歌手では、タミーノ役のヴンダーリヒがすばらしく、若くして亡くなったこのテノールの貴重な録音であること、パパゲーノ役のフィッシャー=ディースカウはやや真面目さを感じさせるが、表現力は抜群で、最後のパパゲーナとの二重唱も絶品である。

ピータースの夜の女王の弱さが気になるが、その他の歌手たちはいずれも粒揃いで、とくに重唱の部分のアンサンブルの良さにも注目される。

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2010年03月15日


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ここに採り上げた演奏は1960年代半ばの録音であり、今や40年以上が経過したヴィンテージものである。

改めて言うまでもなく、モーツァルトの演奏はその後の古楽復興、改訂譜の出版、さらに世代交代などを経て一変、かつて名演とされたCDが色褪せていく例を見出すことも珍しくない。

だが不思議にベームのモーツァルトは今なお輝かしく、喜びの鮮度も健在である。

確かに穏やかなテンポ設定といい、角のとれたふくよかなアンサンブルといい、遠い時代の色調を確認できないわけではないが、それが決して古さとはならず、むしろベームらしい語り口の美しさ、確立された様式美を感じさせるから凄いものである。

ソリストはいずれも当時のベルリン・フィルの首席奏者たちだが、無理なく、無駄なく、職人芸に徹したソロが実に清々しい。

個性や名人芸の披露ではなく、ベームを核に繰り広げられていく演奏という名の対話であり、それが音楽の流れとともに絆をより強くしていく、そんな奥ゆかしい至芸である。

まだ20代の若さだったブランディスやライスターは初々しさを、40代であったカッポーネやシュタインスやピースクらは経験の豊かさに物を言わせた奥ゆかしいソロを披露、最愛のモーツァルトの花園に聴き手を招き入れる。

音楽ファンに残された心の故郷のようなアルバムである。

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2010年01月04日


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モーツァルトのクラリネット協奏曲は名曲だけに録音も多いが、未だに輝きを失わないのが、プリンツのクラリネット、ベーム/ウィーン・フィルによる録音である。

"輝き"といっても、プリンツの演奏はブリリアントとか、華麗とかいうイメージには程遠く、ウィーン的な甘さ、優美、典雅をもった実に美しいソロを聴かせる。

現在からみれば、むしろおっとりとした古き良き時代の残り香を伝える演奏である。

艶やかな音色で、ウィーン風の流麗な演奏をおこなっていて、こんな浮世離れした世界は他では聴けない。

プリンツはモーツァルトの音楽を客観的に理解し、把握するのではなく、それと同化し、演奏と作品を一体化させている。

したがって、聴き手はプリンツの演奏を意識することなくモーツァルトの音楽に浸ることができる。

このような演奏は、ウィーン・フィルの首席奏者としての長い活動と、彼の個性が結びついて初めて生まれるものである。

その下地として、ウィーンで長い間培われてきたモーツァルトの音楽に対する感覚があることは確かだが、それをことさらに強調するウィーンの一部の音楽家と違って、プリンツの演奏にはそれを意識させない節度と温かい感触がある。

ここでは老大家ベームの格調の高い好伴奏に乗って、のびのびと、豊かな気品をもった音楽をつくりあげている。

ベームの厳しい指揮がオーケストラ・パートを引き締め、プリンツをしっかりサポートしていることも大きなプラスである。

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2009年10月14日


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ベームは生前、R.シュトラウスと親交があり、この作曲家に深く傾倒していた。

この演奏は、こうした2人の関係から生まれたものだけあって、曲の核心をついた実に見事なものだ。

「英雄の生涯」はベームのR.シュトラウス演奏の中でも、最も円熟した演奏のひとつだろう。

80歳を越えたベームは、この交響詩の世界を実にあたたかく見守っており、悠揚たる歩みの中に、しなやかに抑制のきいた表現を行き渡らせている。

少しも肩を怒らせたところがなく、しかも大変にスケールの豊かな演奏だ。

その落ち着いた運びと清冽な表現も印象的で、演奏はいかにも手厚く巧みである。

テンポは実に遅い、悠然たるものである。

わずかな力みもみられず、オーケストラが絶えずたっぷりした柔らかさで息づく。

抑制がきき、渋味をたたえているにもかかわらず、音楽がいかにも雄大に満ちあふれてくる。

響きが大波の中に身を浸してなんの抵抗もなく、流れはしなやかで硬直した部分はない。

人間の最晩年の豊かな大きさを獲得した「英雄の生涯」である。

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2009年03月31日


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作品番号のついた41曲のほかに、新旧の「ランバッハ」を含めた46曲の交響曲を収めたものである。

これは、モーツァルトの音楽のもつ、しなやかな表情や甘美な情緒よりも、構成的な美しさや、内容的な深さを追求した演奏で、いずれの曲の場合も、硬質な表現である。

そのため、初期の作品では、愉悦的な明るさは伝わってこないが、後期になるほど、ベームらしい威厳と風格がにじみでた名演となっている。

1959〜68年にかけての録音のため、音楽的にも極めて充実しており、しかもベーム壮年期の覇気をも感じさせる演奏である。

これはオーケストラがベルリン・フィルということも関係があるのかもしれない。

何の変哲もない表情で一貫しながら、どの曲も作品自らに語らせる説得力を秘めている。

そのため、特に「ハフナー」以降の充実は著しく、数多くある録音を聴き直してみると、改めてベームとベルリン・フィルの演奏の素晴らしさを再認識する結果となった。

ベーム盤は、一つ一つの音を厳しく突き詰め、その上に確固たる造形感が築かれる演奏で、この録音の時期のベームには、まだ最晩年ほどテンポの遅さからくる重苦しさがなく、モダン・オーケストラによるスタンダードな名演の一つと言えるだけの質を持っている。

その堅固な造形と内的緊張の高さ、オケの名技性は比類がない。

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2009年03月30日


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実に風格のある演奏だ。

堂々としたスケールを持ちながら、細かい部分にまで心が行き届いていて、シューベルトの交響曲から交響的厚みと重量感とを豊かに引き出している。

シューベルトはベームがもっとも愛好した作曲家であり、それだけにシューベルトの様式を知りつくし、強い共感と作品に対する無類の誠実さに貫かれている、なんとも美しい名演ばかりだ。

ワルターとは対照的な表現で、シューベルトとしては、全体にがっしりとした骨組で、やや武骨な感じもするが、整然たる美しさをもった演奏である。

どの曲にも素朴な心情とあたたかい感情が流れており、「未完成」や第9番はもちろんのこと、第1番などの見事なほどに音楽的で純粋な表現にも魅了される。

あくまでも楽譜を忠実に再現し、正攻法で作品に挑んでいるところが、いかにもベームらしい。

悠揚とした足取りと自然なアゴーギクによって、シューベルト独自の旋律がのびのびと息づき、造型は一分の隙もなく、内部に素朴な力を宿している。

シューベルトに不可欠なヒューマンなぬくもりが示されているのもよいが、それよりもベルリン・フィルがベームの手にかかると俄然ドイツ的な響きに変容するのが不思議だ。

この名演揃いの全集から、ベームの芸術的特質のすべてが窺え、ここにはベームの芸術のすべてが含まれているといってもいいだろう。

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2009年02月16日


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ウィーン・フィルを主にディスクを通して聴いている人には意外に感じられるかもしれないが、このオーケストラが定期や他の主要な演奏会で協奏曲をプログラムに入れる機会はごく限られている。

まして1950年代から60年代にかけては今日よりもウィーン・フィルの演奏会がはるかに少なかったため、よりいっそうウィーン・フィルの協奏曲を聴く機会は少なかったはずだ。

その当時、このオーケストラがもっとも頻繁に共演したピアニストがバックハウスである。

名パートナー役を果たしたベームとともに、すっかり手の内を知り尽くした味わい深い演奏を聴かせた。

このモーツァルトの最後の協奏曲は、ブラームスの第2番の協奏曲とともに、バックハウスとベーム/ウィーン・フィルが残した最良の遺産と言えるだろう。

ブラームスについては以前に記したので省くが、モーツァルトは、この曲の演奏の原点ともいえるもので、バックハウスはベーム/ウィーン・フィルともども、第1楽章や第2楽章は凛としすぎる趣があり、日常何回も愉しむのには向いていないが、他の演奏をいろいろ聴いた後、バックハウスに戻ると、これこそ第27番のふるさとであり、帰着点だ、と思わざるを得ない。

特にフィナーレのテンポ、リズム、そしてロンド主題が帰ってくるときの間のよさはさすが。

オーケストラも素晴らしい演奏で、音色が非常に美しい。

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2009年02月15日


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モーツァルト最後のピアノ協奏曲で、澄みきった超俗的な美しさに満ちた佳曲だが、その姿は様々に描かれる。

この曲の演奏では、まずギレリス/ベーム盤を挙げたい。

ここでのギレリスのピアノは、どの音も力を抜いた柔らかなタッチだが、それでも一つ一つの音の輪郭がくっきりと手に取るように聴こえてくる。

純粋に透明で、こだわりのない軽やかさの横溢したこの演奏は、天空を駆けるがごとき美しさはこうしたものを言うのだろうと思わせるものだ。

この録音が、しかもウィーン・フィルのバックで残されたことは幸運だったと言えるだろう。

この曲では伴奏部の充実も大きな特徴だが、率直で控えめなギレリスに対する、ベームのニュアンス豊かな掛け合い、あるいはぴったりと寄り添って伴走して行く音楽に奥行きの深さを感じる。

ここでのギレリスは、グリーグの抒情小曲集のように親しげに語りかけてくる可憐な演奏だ。

ギレリスとベームの作り出す音楽の無理のない自然さが、聴く者を素直にさせる力を持っている。

黄金の組み合わせながら、一般にあまり評価されていないこのディスクを高く評価したい。

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2009年02月09日


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いかにもベームらしい格調の高い充実したものばかりだ。

ベーム最晩年の録音にもかかわらず、7曲とも若々しく生気にあふれた表現で、老いの翳りなどみじんも感じられない。

その音楽の核心を鋭くついた彫りの深さは格別だ。

この中で最高の名演は「ローエングリン」第1幕前奏曲。神秘的で崇高な感じを見事に表出しており、フルトヴェングラーの名演奏を思い起こさせる。

そのスケールの大きさと演出力のたくみさ、加えてウィーン・フィルの弦の響きがなんとも美しい。

同3幕前奏曲と「オランダ人」序曲も大変生気に満ちあふれた表現で、オーケストラがうねるようにして動いていく。

「タンホイザー」序曲は重厚かつ情感も豊かで大変聴き応えがあり、またウィーン・フィルが抜群にうまい。

「マイスタージンガー」第1幕前奏曲は、音色にいくぶん艶と粘りが足りないが、音楽の核心に迫っていくベームの真摯な姿勢が最もはっきり打ち出された演奏だ。

ここにはベームの実力が遺憾なく発揮されている。

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2008年11月28日


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1966年と67年のバイロイト祝祭劇場でのライヴ録音で、戦後バイロイトのひとつの頂点を刻む記録。

ベームのワーグナー録音は少ないが、残された「オランダ人」「トリスタン」「指環」は、ともに新生バイロイトのひとつの頂点を究める時期のものであり、なかでも「指環」は肥大したロマン主義的演奏の伝統をいったん殺ぎ落とし、ダイエットした新しいワーグナー像を提示した、その意味では歴史的偉業であった。

ナチ時代の残滓もそれによってかなり洗い流されたので、ワーグナーが国際的なレパートリーになってゆくプロセス上でも画期的な演奏であり、その素晴らしい記録であったと思う。

ベームの厳しい彫塑的、凝集的な表現が、歌手陣の信じがたい充実と相まって大きな感動を与える。

ベームの作り出す音楽は、一分の隙もなく、がっしりと構築されたもので、強い緊張感に包まれている。

ベームの演奏は随分とテンポが速い。そしてそれは凄まじいばかりの白熱と緊張に満ちている。

ベームのこの作品への共感がひしひしと伝わってくるような感動的な名演である。

キャストも、戦後の第一級のワーグナー歌手たちが勢ぞろいしたもので、見事だ。

また、4部作を通じて、ひとりの歌手がひとつの役を演じているが大きな特色となっている。

演奏の充実度と完成度に関する限り、このベーム盤を超えるものがなかったことを改めて確認せざるをえない。

録音も、ライヴの熱気を生々しく伝えたすぐれたものだ。

今日、バイロイトのオーケストラはもっとしなやかな音を好むだろうし、歌手たちの声への趣味も変わったが、ベーム盤の「指環」への価値はいささかも損なわれまい。

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2008年09月30日


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ベームとウィーン・フィルは、1970年代からベームの最晩年まで、指揮者とオーケストラの時代最高の組み合わせとしてわが国でもきわめて人気が高かったが、確かにちょうどその時代、ウィーン・フィルはひとつの(今のところ最後の)輝かしい時代を迎えていたと思う。

奏者たちの世代の交代も徐々に、だが違和感やレヴェルの低下もなくスムーズに進行していた。

当時の若い力、すなわち現在のこのオーケストラの屋台骨を担っている中心奏者たちの若き日の溌剌とした演奏が、ベームのしっかりとした音楽のうえに伸び伸びと羽ばたく協奏交響曲は、この美しくも実り多い一時代を永遠に記録する珠玉の録音だ。

交響曲のほうも味わいに富んでいる。

ベームはウィーン・フィルの響きに構造的な堅固さを加え、ハイドンのもつ古典美を音楽的に格調高く表現している。

5つの交響曲のどれもが克明・着実で、しかも流麗な名演だ。

協奏交響曲はコンチェルト・グロッソ風の美しさが和気あいあいとした雰囲気の中に示され、これまた晩年のベームの芸術性を端的に示した秀演。

おそらくベームはワルター以後、ウィーン・フィルの魅惑的な響きを最もよく生かした指揮者であろう。

いずれもベームの唯一の録音で、彼はこのほかにはハイドンの交響曲を録音しなかった。

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2008年05月31日


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1966年のバイロイト音楽祭における実況録音。

現代におけるワーグナー演奏のひとつの頂点を極めた記念碑的名演。40年以上経た現在もなお、この「トリスタン」の与える感動は少しも色褪せてない。

ベームの指揮は、強い集中力と熱気をはらんだ、きわめてドラマティックなもので、ワーグナーの音楽としてはやや硬質だが、そのスケールの大きさと彫りの深さは、ベームならではのものだ。

ベームの凝集力の強い指揮は、ワーグナーのエッセンスを見事に抽出したもので、ライヴならではの熱気が伝わってくる。

一点一画もゆるがせにしないベームの精妙な音づくりが、CDの鮮明な響きのなかに見事によみがえっている。

イゾルデとトリスタンの歌を聴くなら、戦後のバイロイトの象徴的存在だったニルソンとヴィントガッセンの共演がベストだろう。

フラグスタートよりも透明な声のニルソンと、今なお最高のトリスタンである真に英雄的なヴィントガッセンの情熱的な歌唱、またルートヴィヒのブランゲーネもすばらしい。

各幕がそれぞれCD1枚ずつそっくり収められているのも大きなメリットだ。

ライヴながら周到な準備の下に行われた録音もすぐれている。

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classicalmusic

早稲田大学文学部哲学科卒業。元早大フルトヴェングラー研究会幹事長。幹事長時代サークルを大学公認サークルに昇格させた。クラシック音楽CD保有数は数えきれないほど。いわゆる名曲名盤はほとんど所有。秘蔵ディスク、正規のCDから得られぬ一期一会的海賊盤なども多数保有。毎日造詣を深めることに腐心し、このブログを通じていかにクラシック音楽の真髄を多くの方々に広めてゆくかということに使命を感じて活動中。

よろしくお願いします(__)
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