ミケランジェリ

2016年01月19日


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ミケランジェリの演奏集を収めたバジェット・ボックスの中では、録音状態とその音質を最優先して考慮するならドイツ・グラモフォンの8枚組が最も賢明な選択だろう。

一方圧倒的な曲数を誇っているのがメンブランからの20枚を2巻に分けたセットだ。

ただしメンブランはマスターの音質に関しては無頓着なところがあって、質の良いリマスタリングは期待できないのが現状だ。

更にEMIイコン・シリーズの4枚組も古い音源では悲惨な音質のものもあるが、ラヴェルとラフマニノフの協奏曲のように全く例外的に素晴らしい状態で残されているものもある。

今回ワーナー傘下のレーベルを集大成した14枚は、イコンの総ての収録曲を重複しているが、その他のレパートリーは初出音源も含めていずれも貴重で録音年代の古さを通り越して、ミケランジェリの芸術的ポリシーを感じさせずにはおかないものばかりだ。

中でもシューマンの『謝肉祭』は彼が機会あるごとに繰り返し録音した作品で、このセットでも1957年と1975年の2種類の演奏が収められている。

ただしCD6−8の3枚を除いて総てがモノラル録音で、入門者向けとは言えないが、ミケランジェリの演奏に惚れ込んでいるファンであれば、聴き逃せないコレクションであることに間違いない。

因みにCD5のトラック9のリハーサルはロンドンのロイヤル・フェスティヴァル・ホールで行われたものだが、この日のミケランジェリはかなり不機嫌で、ドビュッシーやシューマンで指慣らしをしながら殆んど喧嘩腰で「ここに人を入れないでくれ!」「誰も見たくない!」と言い、「機嫌はどうだい?」と尋ねられると「良くないね!」などと一蹴している状況が32分43秒に亘って録音されている。

気難し屋だった彼の一面が良く出ている興味深いトラックだ。

ミケランジェリのピアニズムは、「完璧主義」「氷のような美しさ」とよく形容されるが、彼が音楽に関して誰よりも厳しく、考えられないような言動が多くても、彼は誰よりも一番大きな犠牲を払って、この誰にも真似できない磨き抜かれたクリスタルな美音を届けてくれたような気がする。

これだけの才能とこだわりを持ちながら、自分に送られる拍手は作曲家に向けられるべきもので、自分(演奏家)が値するものではないと常々語っていたことは、同じイタリア人の大指揮者トスカニーニと通ずるものがあるように思える。

「……完璧な誠実さ。
 私の言葉でいえば、このうえなく勇敢で、もっとも尊敬すべきことをなす誠実さ。たんに行為においてのみならず、動機における誠実さ。そうした誠実さは、断固として揺るぎない、だが激烈になることはほとんどない努力をとおして得られるのであり、さらには、澄み切った(私はこの言葉を、媚びのそぶりが一切ないという意味で用いている)まなざしと、冴えわたるアイロニーによって獲得されるのである。」(ジッド)

特記以外は総てモノラル録音で15ページのライナー・ノーツには仏、英、独、伊語による彼のキャリアとエピソードが掲載されているが、曲目一覧及び録音データは各ジャケットの裏面でしか確認できない。

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2015年06月14日


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前奏曲第1巻は、1978年に録音されているが、豊かな音楽センスで表現においてもタッチと音色においても徹底的に磨き上げられたような演奏を聴くことができる。

ミケランジェリの粒だちのよい音色と、消えようとする響きの美しさを万全に引き出した、透明感のあるピアニズムが魅力的だ。

ミケランジェリは、楽器から出しうる限りのヴァラエティに富んだ音色と、磨き抜かれた感覚によって、独自のピアニスティックな世界を築いている。

研ぎ澄まされた表現と精妙な色彩を湛えた響きによって、1曲1曲を実に克明に描き切っている。

1音1音が徹底的に磨き上げられており、実に美しく、しかもテクニックは冴えわたっており、非の打ちどころがない。

曖昧な雰囲気や気分の移ろいといったものを削ぎ落とした演奏は、必ずしも気楽に楽しめるものではないが、厳しい造形と彫りの深い表現をもつ演奏は、各曲の個性と魅力を絶妙な感覚で描き分け、まことにデリケートなニュアンスと透徹した詩情を湛えている。

まさに寸分の隙もなく、完璧に仕上げられた演奏と言えるところであり、聴くたびに徹底した表現上の工夫、幅の広さに感心させられてきた。

表現においても、タッチと音色においても、これほど、デリケートでかつ多彩きわまりなく、徹底的に磨き抜かれた演奏はないだろう。

ことに、抒情的な曲では、前の音の余韻を受けながら、次の音が精妙に絡み合っているのがよくわかる。

また、リズミカルな曲は高音の美麗さがすばらしく、色彩的で明るい音は見事だ。

全体に、思い入れたっぷりの表現となっているところが、いかにもこの人らしい。

細部の細部に至るまで、デリケートで、複雑なニュアンスが込められたミケランジェリのピアノから生まれているのは、まさしく貴族主義的であり、かつまた神秘主義的なドビュッシーと言えるだろう。

その演奏は、たとえば〈亜麻色の髪の乙女〉のような曲でも、決してムードに流れることはない。

特に、〈デルフィの舞姫〉に聴くデリカシー、ゆったりとした呼吸で幻想的に描いた〈沈める寺〉に聴くダイナミズムの凄さなど、どれをとっても素晴らしい。

前奏曲第1巻の、そして、この鬼才ならではのピアノ芸術の最高の成果がここにあると言ってよいだろう。

また、《映像》第1集の〈水の反映〉を、これほど繊細に表現できる人というのも少ない。

また生き物のように息づく三連音符を、絶妙なタッチで演奏した〈動き〉や、東洋風の絵画を思わせる第2集の〈荒れた寺にかかる月〉も、響きの多彩さと余韻に魅せられる。

そして情緒的表現を切り詰め、精妙にして透徹した、ミケランジェリならではのイマージュ《映像》を作りあげている。

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2015年05月08日


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1993年に通常CDで発売された際、音楽評論家諸氏が大絶讃したことで非常な評判となったミケランジェリとスメターチェクの「皇帝」は、長らく入手困難となっていたが、この度オリジナル・マスターからSACD化され、新たに登場した。

ミケランジェリがもっとも脂の乗り切った時期に演奏されたライヴ録音で、実に健康的なベートーヴェンだ。

たいへんスケールの大きな演奏で、しかも細部の彫琢も行き届いていて、出だしからミケランジェリの磨き抜かれた美音と生気あふれるスピード感で、聴き手の心を鷲づかみにする。

この快演ぶりはミケランジェリの数種ある「皇帝」のどれにもない凄さであり、物凄いエネルギーとオーラを放っている。

ミケランジェリのピアノはデリカシーの強調は一切なく、思い入れとは無縁の表現で、アクセントの強い男性的なフォルティッシモを駆使し、スケール雄大に、骨太に、颯爽と進める。

ミケランジェリの良さは、そのようなスタイルをとりながらも落ち着きと風格を保ち、音色自体から生理的な喜びを与えてくれる点。

高音は夜空に打ち上げられる花火のきらめきに、低音は打ち上げ音に、またオーケストラ伴奏は大群衆のどよめきに似て、ひびきと光の饗宴を楽しませてくれる。

とくに高音のきらめきは磨き抜かれた艶をおび、仕掛け花火がつぎつぎに炸裂してゆくようで、眼のさめる思いをさせられる。

ミケランジェリのソロは、タッチが明確で1つ1つの音が美しい余韻を伴っていて全体が清々しい。

これは感覚的な美しさというべきもので、この曲の古典的な様式とロマン的な様式の接点を見事に捉えている。

ピアノの音の純粋な美感をこれほど感じさせる演奏も少なく、アポロン的名演とでも言おうか、ここには理想主義的な「エンペラー」像がある。

全盛期のミケランジェリには、落ち着きと貫録があり、アポロン的清澄度は後年の演奏よりもいっそう高い。

そして目を見張らされるのがスメターチェクのバックであり、充実した響きと推進力あふれる演奏でミケランジェリともども作品のボルテージを高める好伴奏を繰り広げている。

スメターチェクのテンポは速めで引き締まった表情をもち、しかも晴れやかな表情もあって、魅力的だし、オーケストラのみの長い前奏も、ベートーヴェンの交響曲を聴くような気分にさせてくれる。

ベートーヴェンの音楽をミケランジェリ&スメターチェクが自らにぐっと引き付けた希代の名演であり、文句のつけようがない。

さらにSACD化によって従来盤とは比較にならないほどの高音質化が図られ、ライヴ録音なのにピアノとオケのバランスも極上で、今までのどの「エンペラー」よりも素晴らしい。

ミケランジェリによるベートーヴェンのピアノ・ソナタ第32番も数種の録音が存在するが、技術、覇気、若々しさのいずれの点からも、この1961年ロンドン・ライヴに優るものはない。

ある時はオルガン、ある時はチェレスタのような響きを見せながら、ピアノならではの低音が渦を巻く凄さ、こんな鬼気迫る演奏は滅多に聴けない。

その表現は厳しいとはいえ、音楽そのものは決して冷徹なものではなく、むしろきわめてヒューマニスティックな深い味わいを湛えている。

その他、得意のドビュッシーの「映像」両巻からテンポの遅い2曲ずつ選曲されているが、名盤の誉れ高いDG盤に比べてテンポが速く、また別種の味わいを見せてくれる。

いずれも完璧主義者らしい見事な演奏で、特に定評ある音色の、その色合いが作品ごとに使い分けられているのも素晴らしい。

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2015年05月07日


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1979年ステレオ・ライヴ録音。

大ピアニストのミケランジェリと大指揮者のジュリーニ。

お互いにイタリア人であるが、その芸風は全く異なるところであり、加えて、ミケランジェリの録音が限られていることに鑑みれば、テレビ放送とは言え、このような形で両者の競演が録音の形で遺されているということは殆ど奇跡的と言っても過言ではあるまい。

20世紀のピアニスト中、最も美しい音を持つと言われるミケランジェリと、雄大なスケールでモニュメンタルな名演を次々打ち建てるジュリーニの組み合わせであるが、実演ならではの迫力と、カンタービレの美感が凄い演奏だ。

このように両者の芸風は全く異なると記したが、この両者に共通することがあるとも言える。

それは、両者ともに完全主義者であったと言えることだ。

ミケランジェリについては、あまりにも完全主義が高じて完璧主義者とも言える存在だけに、それが自らの芸風にも表れており、スコアに記された1音たりとも蔑ろにしないという、圧倒的なテクニックをベースとした即物的とも言うべきアプローチを旨としていたと言える。

それだけに、聴きようによっては、ある種の冷たさを感じさせるのも否めないところであり、楽曲によっては相性の悪さを感じさせることも多々あったと言える。

これに対して、ジュリーニも完全主義者であり、とりわけレコーディングに対しては、レパートリーをある程度絞り込むとともに、徹底して何度も演奏を繰り返し、自分の納得する演奏を成し遂げることが出来た後に行うという方針で臨んでいた。

これだけの大指揮者としては、さすがにミケランジェリほどではないものの、正規のスタジオ録音が比較的少ないと言えるところだ。

しかしながら、その芸風はミケランジェリとはまるで異なり、堅牢な造型の中にもイタリア風の歌謡性をベースとした、人間的な温もりを感じさせるものであったと言える。

1980年代も後半になると、楽曲によってはテンポが異常に遅くなり、堅牢であった造型があまりにも巨大化し、場合によっては弛緩することも少なからず存在しているのであるが、ロサンゼルス・フィルの音楽監督をつとめていた1970年代半ばから1980年代前半にかけては、ジュリーニが最も充実した演奏を繰り広げていた時期とも言えるところだ。

このように、同じく完全主義者であるものの芸風が全く異なるジュリーニとミケランジェリの組み合わせではあるが、演奏自体はお互いに足りないものを補った見事な名演に仕上がっていると言えるのではないだろうか。

ミケランジェリの1音たりとも蔑ろにしない完璧なピア二ズムが、ジュリーニの歌謡性豊かな指揮によって、ある種の温かみを付加させるのに大きく貢献しており、いい意味での硬軟のバランスがとれた演奏に仕上がっていると言っても過言ではあるまい。

ミケランジェリは時として冷徹にさえ聴こえる音色が魅力であるが、この演奏に関しては全くそれが感じられず、むしろこの曲を慈しむかのようなぬくもりさえ感じられる。

どちらかと言えば、ミケランジェリのペースにジュリーニが合わせていると言えるが、それでも要所においてはジュリーニが演奏全体の手綱をしっかりと引き締めていると言えるところであり、まさに、全盛期の両者だからこそ成し得た珠玉の名演になっているとも言えるのではないかと考える。

これだけの歴史的な名演だけに更なる高音質化への取り組みが期待されるところであるが、このコンビによる同時期に録音された第1番と第3番がシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化が図られたのにもかかわらず、何故か第5番「皇帝」だけが、高音質化されていないのが現状である。

本従来盤でも十分に満足できる音質ではあるが、ミケランジェリの完璧主義とも言うべきピアノタッチが鮮明に表現されるには、やはりシングルレイヤーによるSACD&SHM−CDによる艶やかな鮮明さや臨場感によって再現されるのが望まれる。

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2015年03月07日


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ミケランジェリの鋭い音感覚と独自の美学が反映され、一瞬の美しさも逃さずに磨き抜かれた演奏。

ピアニスティックな美感を存分に生かした演奏で、まるで精巧なガラス細工をみているかのような、驚くべき繊細さである。

これほど響きと造形のバランスのよい演奏も珍しく、ミケランジェリは、ひとつひとつの音作りに神経を行き届かせながら、音色の組み合わせに工夫を凝らし、透明感のある響きの美を極限まで追求している。

ニュアンスのつけ方など、神経質とも思えるほどだが、いかにも響きを大切にするミケランジェリらしい。

全体に明るく、高音の美麗さが特徴で、音のつくり方は、フランス的というよりも、むしろイタリア的といった感じになっている。

特に《映像》第1集の「水の反映」を、これほど繊細に表現できる人というのも少ない。

また生き物のように息づく三連音符を、絶妙なタッチで演奏した「動き」や、東洋風の絵画を思わせる第2集の「荒れた寺にかかる月」も、響きの多彩さと余韻に魅せられる。

そして情緒的表現を切り詰め、精妙にして透徹した、ミケランジェリならではのイマージュ〈映像〉を作りあげている。

ドビュッシーが愛娘のために作曲した比較的簡潔な書法による《子供の領分》では、ひとつひとつの音作りの微妙な味わいが演奏の聴きどころとなるが、ミケランジェリは、独特の透徹したタッチを示しつつ、その音色の組み合わせに絶妙な変化を与え、透明な美しさ、純度の高い美しさを徹底的に追求している。

冒頭の「グラドゥス・アド・パルナッスム博士」の出だしから、その芸のこまやかさには驚かされる。

全体にピアノの表現能力を最高度に発揮させた、精緻な演奏が特色で、音色の変化のつけ方、旋律の歌わせ方のうまさにはひきつけられる。

これ以上を求めるのは不可能ではないかとさえ思えるほどで、この曲集ではファンタジー豊かなフランソワの爛離雖瓩箸和仂氾に、きわめて丹念に研ぎ澄まされた名演と言えよう。

ミケランジェリの絶妙なタッチを鮮明にとらえた録音もすこぶるよく、すばらしい。

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2015年02月09日


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1988年の録音で、第1巻から10年後につくられた。

第1巻同様、ここでもミケランジェリが示す完全主義的なピアニズムは徹底しているが、第1巻以上に、その傾向は強まっていると言えるのかもしれない。

特に、この第2巻の孤高なまでに美しい音と表現は、まことに印象的である。

ミケランジェリのシャープに研ぎ澄まされた音感覚が発揮された、タッチのコントロールが絶妙な演奏であり、彼らしい透徹した響きと表現に包まれている。

この作品に特徴的な、空中で浮遊しているような音響効果について、その空間感覚の見事なこと。

ここまで徹底してくると、その完全主義的傾向にもどこか神秘的な要素さえ感じられてくるかのようである。

ドビュッシーの音楽は明晰な明るさからはじまったが、晩年に近づくにつれてモノクロ的な陰翳さを増していった。

というよりも彼は明るさの代償として、デモーニッシュな情念を闇のなかに追放していったのだが、それが抑えきれなくなって、しだいににじみ出てくることになる。

この明暗の対比を、ミケランジェリほど的確にとらえ、鮮明に浮き上がらせたピアニストはいない。

精神を徹底的に磨きぬいてゆけば、簡素さに達するだろう。

それはぎらぎらした油絵の色彩に代わって、すっきりした心地よさと潔さに通ずる。

しかし、さらにそれを突き詰めてゆくと、簡素さが晦渋さに、明るさが暗さに反転する境界、つまり神秘的な幽玄の世界への入り口が現れる。

そのときにいわば此岸と彼岸を自由に往来する道が開け出る。

ミケランジェリが究極目指した演奏スタイルは、まさにここにあったと思われる。

まったく個性的な演奏なのだが、それが少しの無理もなく、普遍的な高みに達しているところに、この演奏、ひいてはミケランジェリというピアニストの、真の偉大さがあると言えよう。

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2015年01月03日


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本盤には1995年に死去した稀代のピアニスト、アルトゥーロ・ベネデッティ=ミケランジェリの、1993年5月にハンブルクで行われた最後のリサイタルの模様が収録されている。

ミケランジェリは独自の美学を持ったピアニストであったが、彼のピアノの最大の魅力は、透徹したタッチである。

それが最も充実した形で発揮されたのがドビュッシーの作品であったが、この最後のリサイタルにおけるライヴ録音は、この巨匠独自のピアニズムが最も理想的に表れたと言えるもので、ミケランジェリ美学の到達した究極の高みと言うべきであろう。

ミケランジェリの、青磁のように透徹して奥行の遥かなピアニストは、ドビュッシーの世界を表現するためにも、こよなく効果的であった。

1つ1つの音に繊細な神経が行き届いていて、その研ぎ澄まされた絶妙な音響と洗練された表現は、各曲の個性も鮮明に浮かびあがらせる。

特に《前奏曲第1巻》では、1つ1つの音の響きを練り上げ、それらを有機的に関連づけていくことによって、完璧なまでに彫琢された音空間を生み出している。

厳しいと言えるほどの音と音の緊張関係の上に成り立つその演奏は、いわゆる感覚的なドビュッシー演奏や雰囲気だけで弾かれるドビュッシー演奏とは、およそ対極にあるものだ。

ここでミケランジェリが彫琢する音色は、清澄である半面、微妙に変化して、つまりは稀に聴くほど多彩なものとなる。

《映像(イマージュ=イメージ)》において、ミケランジェリは透明な響きを極限まで追求し、情緒表現を切り詰め、精妙にして透明な美しさに満ちた爛ぅ瓠璽賢瓩鮑遒蠅△欧討い襦

どちらかと言えばクールな印象が先立つが、この純度の高い洗練された表現こそが、ミケランジェリならではの魅力である。

一方《子供の領分》でのミケランジェリは、愛らしい子供の世界からは一歩下がってあくまでも彼自身の厳しい目で作品に対している。

いわゆる童心をあたたかく歌い上げる、といった演奏とは次元を異にした磨き上げの厳しさを示すが、それでも彼の流儀において、優しさや微笑もふと添えている。

そしてやはり透徹した響きを求めているが、その音色の組み合わせに絶妙な変化を加えている。

いずれももはやこれ以上の演奏など考えらえないほど完璧であり、楽器へのこだわりも充分に納得させてくれる。

改めて、ピアノからミケランジェリほど精妙きわまりない多彩な色彩感をひきだしたピアニストはいなかったと思わせる貴重な録音である。

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2014年09月09日


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これは素晴らしい名演だ。

鬼才とも称されたミケランジェリは完全主義者として知られ、それ故にレコーディングには厳しい姿勢で臨んだことから、録音の点数は限られている。

その分、遺された録音はいずれ劣らぬ名演と言えるが、そうした名演の中でも、おそらくは本盤こそは、その中でも最高のアルバムの一つと言えるのではないだろうか。

ミケランジェリは、超絶的な技巧はさることながら、その透明感溢れるピアノタッチには出色の美しさがある。

完全主義者故に、即物的な演奏をするとの印象を与えがちであるが、本盤の両曲の演奏を聴くと、むしろイタリア人ピアニストならではの歌心溢れる情感豊かな演奏をも行っていたことが理解できるところだ。

特に、ラヴェルのピアノ協奏曲の第2楽章のこの世のものとは思えないような極上の美しさは、ミケランジェリだけに可能な至高の表現と言えるところであり、抗し難い魅力に満ち溢れている。

この第2楽章と両端の第1楽章及び終楽章との表現の対比は実に巧みであり、卓越した技量も相俟って、同曲の様々なピアニストによる名演の中でもトップの座を争う至高の名演に仕上がっていると高く評価したい。

ラフマニノフのピアノ協奏曲第4番は、若書きの第1番は別として、有名な第2番や第3番と比較すると、不当にも目立たない存在に甘んじているが、本演奏を聴くと、本演奏以外に名演に恵まれなかったことが原因ではないかとも思われるところだ。

それほどまでに、本演奏の優秀性はずば抜けたものがあると言えるだろう。

ラフマニノフの楽曲特有のロシアへの望郷の念に根差したメランコリックな抒情と、ラフマニノフとしては稀とも言える近現代音楽としてのある種の革新性が、同曲には併存していると考えられるが、ミケランジェリは、テンポの効果的な振幅などを駆使して、同曲の魅力を見事に描き出すのに成功している。

いずれにしても、本演奏こそは、ラフマニノフのピアノ協奏曲第4番の真の魅力を十二分に表現し得た唯一の名演と高く評価したい。

指揮者のエットレ・グラチスは殆ど無名の存在であるが、本盤の両曲の演奏では、ミケランジェリの卓越したピアノ演奏を引き立てつつ、フィルハーモニア管弦楽団をしっかりと統率して、持ち得る実力以上のものを発揮した稀代の名演奏を展開していると評価したい。

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2014年06月27日


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1973年10月29日 東京文化会館でのライヴ録音。

ミケランジェリといえば大変なキャンセル魔であったが、このライヴ録音も当初予定していたリサイタルをキャンセルされ、かろうじて録音が許されたのがこの日のリサイタル。

現状日本における唯一のオリジナルテープが現存するリサイタル録音がこれ。

ミケランジェリは、周知のとおりその完璧主義的性格からほんの少しでも自分が納得いかないときは、前述のように、直前にコンサートをキャンセルすることが珍しくなく、逆にそれが評判を呼ぶという形で名声を博した。

また、ミケランジェリは録音嫌いで知られ、彼の演奏を録音したCD(ライヴ録音を除く)は多くない。

そういった意味でもこの1973年のライヴ録音は貴重であり、それが高音質で聴けることはありがたい。

ミケランジェリの演奏会のライヴ録音は数多くあれど、録音状態がよくないことが多い。

しかし、このライヴ録音は文句なしに良く、さらに非圧縮SACDシングルレイヤーにより一層透明度が増し素晴らしい音質になった。

また、この演奏会では、後半にラヴェルの「高雅で感傷的なワルツ」、「夜のガスパール」が入っているが、ミケランジェリの響きが高音質で味わえるのが最高である。

「夜のガスパール」はいくつかライヴ録音があるが、これが最良の出来だと思う。

音質もさながら特に「スカルボ」は、不気味な響きと、躍動感あふれるリズム感が絶妙なバランスで調和されている。

もちろん、前半のシューマンとショパンもミケランジェリらしく素晴らしい出来映えだ。

ミケランジェリが、ピアノが持っている極限の美音を再現するのに命がけであったことが良くわかる貴重なSACDである。

ミケランジェリファンならずとも少しでも彼の他の演奏を聴いたことのある人ならぜひとも買っておきたい一品である。

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2013年11月07日


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大指揮者のジュリーニと大ピアニストのミケランジェリ。

お互いにイタリア人であるが、その芸風は全く異なるところであり、加えて、ミケランジェリの録音が限られていることに鑑みれば、テレビ放送とはいえ、このような形で両者の競演が録音の形で遺されているということは殆ど奇跡的と言っても過言ではあるまい。

このように両者の芸風は全く異なると記したが、この両者に共通することがあるとも言える。

それは、両者ともに完全主義者であったことだ。

ミケランジェリについては、あまりにも完全主義が高じて完璧主義者とも言える存在だけに、それが自らの芸風にも表れており、スコアに記された一音たりとも蔑ろにしないという、圧倒的なテクニックをベースとした即物的とも言うべきアプローチを旨としていた。

それだけに、聴きようによっては、ある種の冷たさを感じさせるのも否めないところであり、楽曲によっては相性の悪さを感じさせることも多々あった。

これに対して、ジュリーニも完全主義者であり、とりわけレコーディングに対しては、レパートリーをある程度絞り込むとともに、徹底して何度も演奏を繰り返し、自分の納得する演奏を成し遂げることが出来た後に行うという方針で臨んでいた。

これだけの大指揮者としては、さすがにミケランジェリほどではないものの、正規のスタジオ録音が比較的少ない。

しかしながら、その芸風はミケランジェリとはまるで異なり、堅牢な造型の中にもイタリア風の歌謡性をベースとした、人間的な温もりを感じさせるものであった。

1980年代も後半になると、楽曲によってはテンポが異常に遅くなり、堅牢であった造型があまりにも巨大化し、場合によっては弛緩することも少なからず存在しているのであるが、ロサンゼルス・フィルの音楽監督をつとめていた1970年代半ばから1980年代前半にかけては、ジュリーニが最も充実した演奏を繰り広げていた時期だった。

このように、同じく完全主義者であるものの芸風が全く異なるジュリーニとミケランジェリの組み合わせではあるが、演奏自体はお互いに足りないものを補った見事な名演に仕上がっているのではないだろうか。

ミケランジェリの一音たりとも蔑ろにしない完璧なピア二ズムが、ジュリーニの歌謡性豊かな指揮によって、ある種の温かみを付加させるのに大きく貢献しており、いい意味での硬軟のバランスがとれた演奏に仕上がっていると言っても過言ではあるまい。

どちらかと言えば、ミケランジェリのペースにジュリーニが合わせているが、それでも要所においてはジュリーニが演奏全体の手綱をしっかりと引き締めていると言えるところであり、まさに、全盛期の両者だからこそ成し得た珠玉の名演になっているのではないか。

これだけの歴史的な名演だけに、今般のシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化された意義は極めて大きい。

シングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化が行われることによって、従来CD盤を遥かに凌駕するおよそ信じ難いような圧倒的な高音質に生まれ変わったところだ。

ミケランジェリの完璧主義とも言うべきピアノタッチが鮮明に表現されるなど、本シングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤の艶やかな鮮明さや臨場感にはただただ驚愕するばかりであり、あらためて当該シングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤の潜在能力の高さを思い知った次第である。

いずれにしても、ミケランジェリ、そしてジュリーニ&ウィーン交響楽団による至高の超名演を、現在望み得る最高の高音質を誇るシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤で味わうことができるのを大いに喜びたい。

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2010年06月27日


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1979年2月ウィーンのムジークフェラインザールでテレビ放送のために行われた特別演奏会のライヴ録音。

ミケランジェリがもっとも脂の乗り切った時期に録音されたライヴ。

実に健康的なベートーヴェンだ。

第3番では、ジュリーニのテンポは遅めで引き締まった表情をもち、しかも晴れやかな表情もあって、魅力的だ。

ミケランジェリのソロは、タッチが明確で1つ1つの音が美しい余韻を伴っていて全体が清々しい。

これは感覚的な美しさというべきもので、この曲の古典的な様式とロマン的な様式の接点を見事に捉えている。

ピアノの音の純粋な美感をこれほど感じさせる演奏も少ない。

「皇帝」は、たいへんスケールの大きな演奏で、しかも細部の彫琢も行き届いている。

ミケランジェリのピアノはデリカシーの強調は一切なく、思い入れとは無縁の表現で、アクセントの強い男性的なフォルティッシモを駆使し、スケール雄大に、骨太に、颯爽と進める。

ミケランジェリの良さは、そのようなスタイルをとりながらも落ち着きと風格を保ち、音色自体から生理的な喜びを与えてくれる点。

高音は夜空に打ち上げられる花火のきらめきに、低音は打ち上げ音に、またオーケストラ伴奏は大群衆のどよめきに似て、ひびきと光の饗宴を楽しませてくれる。

とくに高音のきらめきは磨き抜かれた艶をおび、仕掛け花火がつぎつぎに炸裂してゆくようで、眼のさめる思いをさせられる。

アポロン的名演とでも言おうか、ここには理想主義的な「エンペラー」像がある。

希代の名演であり、文句のつけようがない。

ライヴなのに音質もバランスも極上で、今までのどの「エンペラー」よりも素晴らしい。

以前の録音に比べても、59歳のミケランジェリには、落ち着きと貫録が加わり、アポロン的清澄度は一層高まったのである。

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2010年06月06日


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ベートーヴェンのピアノ・ソナタや協奏曲の録音に関し、ミケランジェリはすこぶる慎重であった。

ソナタにいたっては、ステレオ録音はわずか2曲にとどまる。

これでは彼を"ベートーヴェン弾き"に加えることはできまい。

だがしかし、ミケランジェリならベートーヴェンをどう再現するだろう?と聴き手は興味津々だったのだ。

聴き手にこんな思いをさせたピアニストは珍しい。

彼の人気は、明快で透明な響きがもたらした。その響きがかもし出す余韻と余情の見事なこと。

第4番では作曲家は強弱の変化をかつてないほど強調しているのだが、ここで聴かれるミケランジェリの録音は、なんとも絶妙。さすがである。

ブラームス21歳の作「バラード」と、シューベルト20歳の作「ソナタ第4番」という、2人の作曲家のいわば"青春の音楽"から実に重厚な音楽を引き出している。

シューベルトも決して悪くない(ミケランジェリ61歳のときのレコーディングだが、演奏は意外に若々しい)が、すばらしいのはブラームスだ。

総じて一長一短の感があるバラード集の録音の中で、一歩抜きんでた名盤ではないだろうか。

とりわけ第4番ロ長調の何たる美しさ!

この若き日の傑作のえも言われぬ味わいを、ここまで明らかにしてみせた演奏を私はほかに知らない。

作曲家の内的な世界に深く沈潜した作品に対する読みの深さは、さすがミケランジェリ、実に深いものがある。

楽器の選定にことのほか神経質なミケランジェリらしく、制作されて60年以上経ったピアノを使用しての演奏。

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2010年06月05日


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《バラード第1番》や《スケルツォ第2番》、《マズルカ》10曲などを収録したショパン・アルバム。

実にふくよかなショパンである。

単に音の美しさということではなく、ミケランジェリの表現そのものに惚れ惚れとしてしまう。

音と音が戯れあいながら自在に息づき、しかも作品の枠内に止まってその役割を演じきっているが、ひとつひとつの響きの情報量は極めて大きいのだ。

ここに聴くショパンは決して情緒的な性格ではないけれど、磨き抜かれた美しい音のつらなりはすばらしいもので実に気品豊か。

1音1音が珠玉のようだ。

ここでミケランジェリは彼の論理に貫かれた完璧な音の世界を構築している。

10曲のマズルカは土俗的な舞曲からは程遠く、ショパンがそこに盛り込んだ豊かな幻想性、ディテイルの面白さを突き詰めることによって精妙なガラス細工のような演奏を実現。

バラード第1番でみせる音の美しさも感嘆するばかりだ。

すべての音は完全にコントロールされながら、互いに生命を持っているかのように戯れあう。

しかもしっかりと全体を見通した設計も万全で、音楽は劇的な大きな流れを作り出していく。

そして、最後のスケルツォ第2番ではミケランジェリはダイナミックな表現も披露する。

いずれも名演だが、とりわけマズルカに聴くニュアンスが絶妙である。

音の理論に沿い、そして超える、希代の音の操り師の至芸である。

ピアノがもつ表現能力のひとつの頂点を極めた演奏といえよう。

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2009年12月29日


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「謝肉祭」は、シューマンの想像力が奔放に飛翔したユニークな21曲のそれぞれから豊かなファンタジーをひき出し、かつそれらをひとつの大きな作品としてまとめあげることは至難なことのようで、ピアニスティックな魅力と幻想を併せ備えた演奏は、なかなか見つからない。

ミケランジェリの古い録音を選んだのもそのためで、1957年のBBCの放送録音を疑似ステレオ化した音は、必ずしも良好とはいえないが、この気難しい完璧主義者が四半世紀も後にレコード化を許した演奏だけに、ミケランジェリならではの鋭利に磨き抜かれたピアニズムとロマンティックな詩情と幻想が見事に一つになっている。

活力がみなぎっており、リズムの刻みが鋭角的で動意をはらんでいて、演奏の全体に大きなうねりが感じられ、それが聴き手を刺激し、緊張させる。

30代後半のミケランジェリの"熱気"が感じられる。

ミケランジェリには1975年のステレオ録音もあり、音の面ではむろん新盤の方がすぐれているが、冴えた表現と鋭敏に引き締まった活力といった点では、この旧盤の方が魅力があるし、その演奏には見事にコントロールされた一音一音にまで表現への透徹した読みが通っている。

鋭利なピアニズムとロマン的詩情を合一させた名演だ。

「ウィーンの謝肉祭の道化」はシューマンの楽想が織りなす幻想の世界が余すところなく表出されている。

特に躍動するようなリズム感が素晴らしい。

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2009年05月10日


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ミケランジェリの1960年から1987年までのヴァチカンでの演奏会の録音を集めたもの。

海賊盤がひしめいているミケランジェリのCDだが、巨匠の没後、側近の一人であったレコーディング・プロデューサー、ウォルフラム・ブルゲルトが遺族の意向を受けて立ち上がり、正式にオーソライズされた演奏だけを順次CDリリースしていくことになった。

メモリアABMというのがこのシリーズで、この4枚組は記念すべき第1弾である。

生前のミケランジェリがヴァチカンで行っていたコンサート録音をヴァチカンから返却してもらい、巨匠自身がCD化を考えていた演奏である。

古いものは1960年の「皇帝」協奏曲(指揮マッシモ・フレッチャ)、1962年のシューマンのピアノ協奏曲(指揮カヴァッツェーニ)だが、中心は1987年の録音である。

20ビットのマスタリングが成果を上げており、音質的にも満足のいく内容だ。

"ああミケランジェリだ!"と叫ばせる音の美学が感じられ、およそ通常のピアノ演奏の領域を超越した音と人間との高度な対話の世界へと招き入れられる。

たちのぼる幻想の炎に酔うドビュッシー、鬼気迫るラヴェル、引き締まった音楽性に身も引き締まる協奏曲など、1枚1枚が宝であり、これほど高貴な芸術的香りを感じさせる演奏もないだろう。

アルフレッド・コルトーが「リストの再来!」と絶賛した言葉が実感できる。

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2008年09月08日


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名ピアニスト多しといえども、イタリアの巨匠アルトゥーロ・ベネデッティ・ミケランジェリほど、天才の名が与えられてしかるべき演奏家も他にはいないであろう。

完璧にコントロールされた技術と高い精神性、そして作品に捧げられる献身的情熱とが結晶となった彼の音の世界は、まさに演奏芸術の頂点を究めた表現活動であり、余人の追随を許さない高みにあった。

キャンセル魔、過敏なまでに神経質な対人関係、録音嫌いなど、彼にまつわるエピソードは尽きることがない。

しかもこうしたうわさ話は、時に一人歩きし虚像をいたずらに大きくしてしまった感すらあるが、ひとたび彼の演奏を耳にすれば、その神秘的なまでの美しさは聴く者すべてを虜にし、紛れもないミケランジェリの音と音楽の世界があることを確信させた。

そしてピアノ演奏の測り知れない奥深い領域へと聴き手を導くとともに、音楽がいかにかけがいのない表現活動であるかを再確認させてくれたのだった。

彼の後継者などあり得ないし、彼に比較し得るピアニストもまたあり得ない。

神秘の音楽家であり、独自の美学に支えられた演奏芸術は彼の死とともに消え去ってしまった。

私たちに許されているのは残された録音で演奏を味わうことのみだが、最初の一音から特別の経験へと誘うミケランジェリの芸術を可能な限り、率直で、純粋な心と耳とで受け止めたいものである。

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2008年07月20日


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ミケランジェリ37歳時の録音。ミケランジェリが1957年にイギリスを訪れた際に録音した初のステレオ録音で、ラヴェル、ラフマニノフともにミケランジェリ唯一の録音である。

ラヴェルはまだしも、ラフマニノフは4曲中最もマイナーな第4番という奇抜な選曲。そこがいかにも奇才ミケランジェリらしくていい。

ラヴェルは、今なおハッとするような感覚をもたらしてくれる演奏で、両端楽章を完全無欠のテクニックで圧倒したかと思うと、第2楽章では絶妙のアゴーギグで揺さぶりをかけて翻弄する。

そのしたたかな表現力は単に奇を衒ったものではない。緻密で巧妙な頭脳的プレイでありながら、それをごく自然に聴こえさせてしまう至芸なのである。

冴え冴えとしたタッチの中には玄妙な味わいがあり、鋭利な音運びの中に繊細なうつろいがある。

知的で人工的な音楽でありながら、その精巧な美しさで聴き手の血を泡立たせるような魔力を、ミケランジェリのピアノは持っているのだ。

ラフマニノフにおけるヴィルトゥオジティにも感嘆させられる。一見煩雑な内容の超絶技巧曲と思われる作品が、別曲と見紛うほど理路整然と聴こえてくる。

ヴィルトゥオジティと知性、そして強烈な彼の個性を痛感させる演奏である。

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2008年02月18日


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ピアニスト、ミケランジェリの演奏について、言葉でなんらかの表現をしようとするのは極めて難しい。

デリケートといえば、これ以上ないほどデリケートなのだが、ただそれだけではない。

優雅といえば、確かに優雅なのだが、それで片づくというのでもない。

完璧主義的美学の持ち主といえば近いのかもしれないが、彼はそれ以上の存在である。

とにかく、どんな言葉をもってきても、彼を上手くとらえることなどできない。

彼はピアノによって考え、ピアノによって美学を実践するというピアニストらしいピアニストである。

彼はまさしく彼のピアノが描き出すようにしか存在しないような、稀有のタイプのピアニストなのだった。

ここであげたCDはミケランジェリの来日公演ライヴ録音だが、演奏も音質も素晴らしい。

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2008年01月07日


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この曲の標題音楽的な性格よりも、むしろピアノ組曲としての性格を尊重した演奏である。

1音1音が実に研ぎ澄まされており、各曲にすこぶる繊細な表情をつけながら弾きあげているのが魅力だ。上品で、しみ入るようなロマン性が濃い。

ミケランジェリの「謝肉祭」は活力がみなぎっており、リズムの刻みが鋭角的で動意をはらんでいて、演奏全体に大きなうねりが感じられ、それが聴き手を刺激し、緊張させる。

ミケランジェリの《熱気》が感じられる。

ミケランジェリが音色に関して特異な感覚をもち、その美を追求するピアニストであるのは周知のことだが、その音色美の実現が「謝肉祭」では至上目的になっているようで、その結果、たとえば音楽の流れ、演奏の勢いといったものが犠牲に供されているような感じを受ける。

細部は見事。

しかし、演奏全体の仕上げとなると弛緩気味。ミケランジェリ・ファン以外は興味をそそられる出来とはいえない。

とはいえ「休憩」から「フィリスティンたちを討つダヴィッド同盟の行進」にかけての設計は、唖然とするほどうまい。

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2007年12月24日


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ミケランジェリの代表盤。

ミケランジェリは、ピアノという楽器をいっそう繊細に響かせることにとりわけ熱心なピアニストだ。

その彼が持前の魔術を最高に発揮するのは、著しく制限の多い演奏会よりもむしろレコーディングにおいてなのだが、肝心の録音の数は非常に少ない。

このドビュッシーは堂々とした風格を湛えており、ピアノ的美観の極致を示している。

「映像」は極めてデリケートで、「子供の領分」は旋律の処理が大変見事だ。

ドビュッシーの「前奏曲集」が作曲当時新しかったのは、音楽を理念や感情から解放して、響きの客観化、意匠化を意図したためだったが、その点、ミケランジェリの気質に重なり合う部分が多い。

第1巻では特に第7,9,10,12曲でみせる多彩な響きと、そこから生ずる豊かな印象は忘れ難い。

ピアノのソノリティに対して、特別に鋭敏な感覚をもったミケランジェリならではの名演である。

ミケランジェリのピアノを一言で評するなら、やはり《透徹のピアノ》であろうか。

彼はあらゆる音、あらゆるフレーズを明晰に奏でる。

加えて彼のピアノはしばしば誤解されがちな冷たいものではなく、時にしたたるような官能美を湛え、ドビュッシー一流のユーモアも十全に伝える。

タッチ、ペダリングなど技巧上の工夫と練磨が最高度であればこそ、このような名演が生み出されることはいうまでもない。

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