ラフマニノフ

2017年03月16日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



最近のニコライ・ルガンスキーはそれまでの正確無比なヴィルトゥオーゾ・ピアニストとしてのプロフィールから脱皮して、古典的な作品もじっくり聴かせるような音楽的成長を遂げている。

それが前回のシューベルト・アルバムに着実に示されていたが、このセットの前半4枚に収録されたピアノ協奏曲全4曲とオーケストラ付ピアノ作品及びピアノ・ソロでは彼のロシア的抒情と若い頃の典型的なテクニックが発揮された華麗なピアニズムを堪能できる。

ラフマニノフは言ってみれば時代に取り残されたロマン派の残照のような存在で、彼の拭い切れない憂愁を爛熟したロマンティシズムが引き摺るように覆っている。

その作品の演奏には洗練された超絶技巧が欠かせないが、勿論メカニックな技巧だけではその深い情緒を表現することはできない。

ルガンスキーの高踏的なカンタービレとバランスのとれた精緻な表現力は伝統的なロシア派のピアニズムを継承するピアニストだけに秀逸だ。

オーケストラ付の作品はサカリ・オラモ指揮、バーミンガム交響楽団との協演になる。

後半の4枚でルガンスキーが参加しているのはCD5のチェロ・ソナタト短調及び『ヴォカリーズ』のウォルフィッシュによるチェロ編曲版のそれぞれピアノ・パートで、伴奏者としての腕も披露している。

それ以外の3曲の交響曲、合唱交響曲『鐘』、オーケストラ版『ヴォカリーズ』、交響詩『死の島』、歌劇『 アレコ』の間奏曲及びシンフォニック・ダンスはアンドレ・プレヴィン指揮、ロンドン交響楽団、同合唱団の演奏になる。

プレヴィン自身やはりロシア系であることからラフマニノフには特別の敬意と情熱があったと思われる。

ラフマニノフのオーケストラル・ワークにはソナタ形式、変奏、フーガ、エスニカルなリズムやメロディーなど多様なエレメントが同居しているが、プレヴィンは幻想的な物語性の表出に優れた手腕を発揮している。

交響曲第2番では習慣的なカット部分を復活させてオリジナル版全曲演奏を定着させたのもプレヴィンの功績だ。

彼はロンドン交響楽団の音楽監督を務めただけでなく1992年からは桂冠指揮者に列せられていて、自在に従うオーケストラとの相性の良さも聴きどころだ。

ただし後半3枚の音質では、この時期のEMIの録音のバランスの悪さが弱点になっている。

19ページのライナー・ノーツには演奏曲目の他にユグ・ムソーによる『失われた楽園への追想』と題されたラフマニノフの作品とその傾向に関する短いが書き下ろしのエッセイが掲載されているが、録音データは各ジャケット裏面にのみ掲載されている。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 02:13コメント(0)トラックバック(0) 

2016年09月26日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



本盤に収められたチャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番とラフマニノフのピアノ協奏曲第2番は、アシュケナージがチャイコフスキー国際コンクールで優勝した翌年(1963年)のデビューしたばかりの頃のものである。

若干26歳の時の演奏であるが、両曲ともすぐれたテクニックを土台にしたリリシズムによって、遅めのテンポで弾いており、大変ニュアンスが豊かで、万人向きの後味の良い演奏を聴くことができる。

アシュケナージについては、音楽評論家の間でも賛否両論があるのは周知の事実である。

特に、とある影響力の大きい有名な某音楽評論家が、アシュケナージの演奏を甘口で厳しさが微塵も感じられないなどと酷評しており、それを真に受けた相当数の聴き手がアシュケナージに対してある種の偏見を抱いていることは十分に想定されるところだ。

某音楽評論家の見解の真偽はさておき、チャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番におけるアシュケナージは、そのような見解を一喝してしまうような凄みのあるピアニズムを披露している。

楽曲の核心に向かって畳み掛けていくような凄みのある気迫や生命力は、圧倒的な迫力を誇っている。

卓越した技量は当然のことであるが、技量一辺倒の薄味な演奏に陥ることはいささかもなく、どこをとっても、切れば血が吹き出てくるような灼熱の如き情感に満ち溢れている。

こうした阿修羅の如きアシュケナージのピアノを下支えしているのが、若き日のマゼールとロンドン交響楽団による豪演だ。

1960年代のマゼールは、楽曲の核心に鋭く切り込んでいくような前衛的な指揮を行っていたところであり、本演奏でも、そうしたマゼールの凄みのある指揮を堪能することが十分に可能だ。

しかもマゼールの指揮は明快な若々しさに、柔らかく優雅な雰囲気をも加えている。

いずれにしても、本演奏は、若きピアニストと若き指揮者の才能が奇跡的な化学反応を起こした一世一代の超名演と高く評価したい。

アシュケナージは、特にラフマニノフの演奏については、指揮者としてもピアニストとしても、他の追随を許さないような素晴らしい名演の数々を成し遂げてきていると言えるところだ。

同じくロシア人であるということに加えて、旧ソヴィエト連邦からの亡命を図ったという同じような境遇が、アシュケナージのラフマニノフに対する深い共感に繋がっていると言えるのかもしれない。

アシュケナージは、ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番をピアニストとして3度にわたってスタジオ録音しており、いずれ劣らぬ名演であるが、この中で、フレッシュかつ繊細で、畳み掛けるような気迫と強靭な生命力を有した演奏は、本盤の最初の録音であると考えられるところだ。

前述のように、チャイコフスキー国際コンクールで優勝し、飛ぶ鳥落とす勢いであったアシュケナージの好調ぶりを窺い知ることが可能な演奏とも言えるところであり、そのなりふり構わぬ音楽の進め方には、現在の円熟のアシュケナージには考えられないような、凄まじいまでの迫力を感じさせる。

バックは、ロシア音楽の名演で名高いコンドラシン指揮モスクワ・フィルであるが、切れ味の良さが聴きもので、若きアシュケナージのピアノ演奏をしっかりと下支えするとともに、同曲の有するロシア風のメランコリックな抒情を情感豊かに表現しているのが素晴らしい。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 00:55コメント(0)トラックバック(0) 

2016年09月05日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



20世紀前半を代表する大作曲家であったラフマニノフ(1873-1943)は同時に当代屈指の名ピアニストでもあった。

作品の重要な一角を占めるのがピアノ曲というのは当然のことであろう。

ピアノ協奏曲は全部で4曲残されたが、ラフマニノフはこれらを自らの演奏で録音もしており、いわば作曲家直伝の遺産としている。

自作自演で聴くラフマニノフの4曲の協奏曲はいずれ劣らぬ傑作なのだが、その特長、性格を一言で言い表すのは実はとても難しい。

というのはラフマニノフは何も特別なことはやっておらず、淡々と、あるがままに弾いていて、個性や特長で演奏を語らせることがまったくないからである。

まずソリストは全然無我夢中になどなっていないし、まして指揮者を煽ったり、オーケストラに闘いを挑むような、そんな競合していくそぶりも見せてはいない。

むしろオーケストラに溶け込み、同化したかのような演奏の世界を作り出していて、ソリストが過度にクローズアップされることをむしろ嫌ったかのようなバランスが採られている。

安易な聴き手は、「自作自演なのだから、作曲者はさぞや勝手を…」などと想像を逞しくして耳を傾けがちだが、とんでもないことである。

ラフマニノフはむしろ驚くほど謙虚で、慎ましくすらある。

協奏曲にあっては主従関係が当たり前の演奏ばかり耳にしている聴き手には、協奏曲に対する概念が打ち崩される演奏と言ってもよいであろう。

だが、それにもかかわらず、この自作自演盤は他のどんな名演奏家の録音にもない値千金の価値を持つ。

それは協奏曲というスタイルで書かれたラフマニノフの世界そのものの素晴らしさに目を開かせるからである。

聴き手は、ソリストだけではない、オーケストラだけでもない、指揮者だけでもない、ピアノ協奏曲という形式を借りて作られたロマンティックで、メランコリックで、しかもラプソディックな作品そのものに包まれ、そこにあるドラマと完全に一つとなり、最後はラフマニノフその人が持つ尽きせぬ魅力と結ばれた感動を覚えてしまうのである。

作品と同化し、作曲者の肉声を間近に聴く、この特別な体験は、この自作自演だけが与えてくれる特別の喜びである。

作品はあくまでも自然に再現されればよいのであって、そこに自ずと情感は付き従ってくる。

ピアニストの務めはその情感に溺れることでも、狂気乱舞することでもない、穏やかに同じ時を生きればよい…そんな作曲者からのメッセージが聞こえてきそうである。

ここに収められた演奏はラフマニノフ晩年の録音になるが、技巧は冴えわたっているし、音のバランスもよく、聴きやすいサウンドで残された点もありがたい。

「演奏家は汗など見せてはいけませんよ」…とラフマニノフが天国から現代の演奏家たちに語っているようにも感じられる、驚くほどに謙虚で慎ましい、作曲家の肉声を間近に聴く特別な体験である。

自ら演奏を得意とした作曲家は数多いが、ラフマニノフはその代表格、これが残されたことで原点が確認できる。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 00:07コメント(0)トラックバック(0) 

2016年09月03日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



もしも、ラフマニノフが現代に生きていたら、一体どれだけ多くのロシアのピアニストがソリストとしての仕事を失っていただろうか。

真に巨人と呼ぶべき体躯、そして、それにふさわしい腕と指を持つラフマニノフは、その音楽性においても、リストとアントン・ルビンシュテインの弟子であったシロティの流れを引きながら、20世紀的な新しい方向性を与えたピアニストであり、作曲家であった。

その音楽性は、ヨーロッパとロシアのピアニズムの融合の中から生まれた濃厚で甘美なものであった。

ラフマニノフの恐るべきは、恵まれた体躯とテクニック、音楽性のいずれもにおいて、傑出した点であり、まさに犁霓有瓩箸靴呼ぶことのできない存在であった。

ラフマニノフのピアノ作品は、すべて彼自身が弾くために作られたものであるが、まず自作自演の彼のピアノ協奏曲第2番を聴いてみよう。

冒頭の和音、アシュケナージのような掌の小さなピアニストであれば、分散和音にして弾くしかない和音も、ラフマニノフはひとつかみで弾いてのける。

指が広がる掌の大きなピアニストは、概して関節の柔軟性に欠けて、堅い音、ぶつけた音を出しやすく、ワイセンベルクなどはその好例であるが、ラフマニノフにあってはそんな心配はまったくない。

およそピアニストであれば、どんな人間もば羨み夢見る指と腕、そして身体を、彼は持っていて、しかも、後期ロマン派の深く甘美な世界に、爛熟した帝政ロシアの文化を加えた音楽性を持っていたラフマニノフのピアノ演奏(と作品)に、当時の聴衆のみならず、現代のわれわれもまた、深く魅了されるのは、至極当然のことと言えるだろう。

もし、彼が現代に生きていたら、リヒテルは、ギレリスは、ベルマンは、アファナシエフやウゴルスキは、そのままのピアニストとしての地位を保てたであろうかと、そんな意地悪い妄想を抱くのは筆者だけであろうか。

ラフマニノフのユニークな点は、自作を弾くピアニストとしては、20世紀前半の新即物主義(ノイエ・ザッハリヒカイト)の影響を感じさせる優れた構成力を持つことである。

ところが、ショパンやシューマンといったロマン派の作品を弾くラフマニノフは、パッハマンやパデレフスキーらに共通するような19世紀的ロマン派のピアニストとしての音楽性を示す。

これがいかなるところから生まれたのか定かではないが、19世紀生まれのラフマニノフは、犖渋綺酩吻瓩任△辰深作を弾く時には、時代の最先端のピアニストであり、19世紀の作品演奏においては、その時代にふさわしい表現語法を持つピアニストであった点で、時代の推移の中にある猴夕梓儉瓩鮗┐靴討い燭箸盥佑┐襪海箸できよう。

ともあれ、彼の残した自作自演の録音には、不世出とも呼ぶべき巨大な音楽性とヴィルトゥオジティが、他の作曲家の作品には、時代の演奏様式の貴重な大家の記録が刻まれている。

彼の自作自演は、決して古びない偉大な芸術の証であり、いかにシンプルにして強固な構成感を示しているかを考えると、後のピアニストの演奏には、ある種の姑息さすら感じてしまう。

まさしく、誰もラフマニノフには及ばなかったと言えるところであり、その素材の良さと、それを十全に生かしきる音楽性とテクニックは、彼の作品の永遠の指標であり、理想像である。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 00:31コメント(0)トラックバック(0) 

2016年02月26日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



2度に渡ってピアノ・ソナタを録音するなどラフマニノフを十八番としているグリモーであるが、本盤には有名なピアノ協奏曲第2番や前奏曲、練習曲等の小品が収められている。

いずれも、グリモーならではの素晴らしい名演と高く評価したい。

グリモーのピアノは、ピアノ・ソナタでもそうであったが、力強い打鍵から繊細な抒情に至るまで、表現の幅が桁外れに広いと言える。

これは、感情の起伏が激しいラフマニノフの演奏にとっては大きなアドバンテージであると言えるだろう。

とりわけ、力強い打鍵は、男性ピアニスト顔負けの強靭さを誇っており、その圧倒的な迫力は我々聴き手の度肝を抜くのに十分だ。

他方、繊細な抒情は、女流ピアニストならではの清澄な美しさに満ち溢れており、各旋律の端々から湧き上がってくる豊かな情感には抗し難い魅力に満ち溢れている。

そして、ここまでならば、同様のピアニズムを展開する女流ピアニストは他にも存在しているが、グリモーの素晴らしいのは、これだけの表情の起伏の激しい演奏を行っても、いささかも格調の高さを失わない点であると考えられる。

ラフマニノフの楽曲は、甘美な旋律に満ち溢れているが、あまり感情移入し過ぎると、感傷的で陳腐なロマンティシズムに陥ってしまう危険性がある。

しかしながら、グリモーの場合は、前述のように情感の豊かさが演奏全体を支配しているが、同時にどこをとっても気高い気品に満ち溢れているのが素晴らしい。

厚手の衣装をまとったような感傷的で重々しい従来型のラフマニノフ演奏とは一線を画するものであり、その演奏に清新さを与えたという意味では、本演奏は、前述の2度にわたるピアノ・ソナタの演奏も含め、新時代のラフマニノフ演奏像を確立したと言っても過言ではない。

また、ピアノ協奏曲第2番の指揮はアシュケナージであるが、これまた素晴らしい。

アシュケナージは、指揮者としてもピアニストとしてもラフマニノフを得意としているが、ここではグリモーの清新にして気高いピアニズムを引き立て、フィルハーモニア管弦楽団とともに最高のパフォーマンスを発揮している点を高く評価したい。

録音は、2000〜2001年のスタジオ録音であり従来盤でも十分に高音質であるが、グリモーによる至高の名演でもあり、今後はSHM−CD化を図るなど、更なる高音質化を大いに望んでおきたいと考える。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 21:24コメント(0)トラックバック(0) 

2015年09月07日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



クラシック音楽史上最高の黄金コンビとも謳われたカラヤン&ベルリン・フィルも、1982年のザビーネ・マイヤー事件を契機として、修復不可能にまでその関係が悪化した。

加えて、カラヤンの健康状態も悪化の一途を辿ったことから、1980年代半ばには、公然とポストカラヤンについて論じられるようになった。

カラヤンは、ベルリン・フィルを事実上見限り、活動の軸足をウィーン・フィルに徐々に移していったことから、ベルリン・フィルとしてもカラヤンに対する敵対意識、そしてカラヤンなしでもこれだけの演奏が出来るのだということをカラヤン、そして多くの聴衆に見せつけてやろうという意識が芽生えていたとも言えるところである。

したがって、1982年のザビーネ・マイヤー事件以降からカラヤンの没後までのベルリン・フィルの演奏は、とりわけポストカラヤンの候補とも目された指揮者の下での演奏は、途轍もない名演を成し遂げることが多かった。

そのような演奏の1つが、本盤に収められたマゼール&ベルリン・フィルによるラフマニノフの交響曲第2番(1982年)である。

マゼールは、先輩格のジュリーニやライバルのアバド、ムーティ、ハイティンク、小澤などと同様にポストカラヤンの候補と目された指揮者の1人であり、そうしたマゼールとベルリン・フィルがこの時期に録音した演奏がそもそも悪かろうはずがない。

もちろんマゼールは独特の感覚と表現で鬼才と称された才能豊かな指揮者ではあったが、当時の実力を遥かに超える途轍もない名演に仕上がっていると高く評価したい。

仮にマゼールが、本人の希望どおりベルリン・フィルの芸術監督に就任していれば、ベルリン・フィルとの間で歴史的な名盤を数多く作り上げた可能性も十分にあったと言える。

しかしながら、運命はマゼールに味方をしなかった。

芸術監督の選に漏れたマゼールは、衝撃のあまりベルリン・フィルとの決別を決意、ドイツ国内での指揮さえも当初は拒否したが、その後数年でバイエルン放送交響楽団の音楽監督に就任、指揮者人生最大の挫折を克服した後、1999年になって漸くベルリン・フィルの指揮台にも復帰した。

いずれにしても、このコンビによるブルックナーの交響曲第7番のスタジオ録音(1987年)、アバドとのヤナーチェクのシンフォニエッタのスタジオ録音(1987年)、ムーティとのブルックナーの交響曲第4番のスタジオ録音(1986年)、小澤とのチャイコフスキーの交響曲第4番(1988年)など、当時のベルリン・フィルの演奏は殆ど神業的であったとさえ言えるところだ。

それはさておき、本演奏は素晴らしく個性的であると同時に、ラフマニノフにしか書けなかった叙情性に富んだ旋律を、実に魅力的に表している。

晩年には円熟の指揮芸術を聴かせてくれたマゼールであるが、本演奏の当時は壮年期にあたり、生命力に満ち溢れた迫力満点の熱演を展開していたところである。

ところが、本演奏は、むしろ後年のマゼールの演奏を思わせるような懐の深さや落ち着きが感じられるところであり、あたかも円熟の巨匠指揮者が指揮を行っているような大人(たいじん)の至芸を感じさせると言えるだろう。

ベルリン・フィルの重量感溢れる渾身の演奏もそれを助長しており、演奏全体としては、同曲最高の超名演とも呼び声の高いプレヴィン&ロンドン響(1973年)にも比肩し得るほどのハイレベルの演奏に仕上がっていると言っても過言ではあるまい。

前述のブルックナーの交響曲第7番と同様に、当時のマゼールとしては突然変異的な至高の超名演と言えるところであり、その後マゼールがラフマニノフの交響曲を2度と再録音をしなかった理由が分かろうというものである。

いずれにしても、カップリングされたヴォカリーズともども、本盤の演奏は、マゼール&ベルリン・フィルのこの時だからこそ成し得た至高の超名演と高く評価したい。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 00:47コメント(0)トラックバック(0) 

2015年06月21日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



アシュケナージの体質に最も合うラフマニノフの、それも名盤中の名盤で、現代最高のラフマニノフ弾きを象徴する最高の録音である。

ホロヴィッツ以降ラフマニノフをこれだけ聴かせる人は彼ぐらいだろう。

もちろんリヒテルの豪快で弾き跳ばすような演奏も、捨て難く素晴らしいが、繊細で表現豊かなアシュケナージの演奏は、優るとも劣らない。

ラフマニノフの前奏曲集はアシュケナージの最も得意なレパートリーの1つであり、ロシア出身の名ピアニストであったラフマニノフのピアニズムを生かしきった、アシュケナージの共感あふれる名演。

スラヴの体臭を消さず、その上に知的にコントロールされた音楽をブレンドした名人ならではの芸が聴ける。

アシュケナージについては、一部評論家の間では、厳しさがないとか甘口であるとか芳しくない批評がなされている。

確かに、最近、エクストンに録音したシベリウスやエルガーの交響曲などを聴いていると、そのような批評もあながち不当なものとは言い切れない気もする。

しかし、ラフマニノフの交響曲やピアノ協奏曲を指揮したり、ピアノ協奏曲やピアノ独奏曲を演奏する限りにおいては、アシュケナージは堂々たる大芸術家に変貌する。

本盤の前奏曲集も、卓越した技量の下、力強い打鍵からラフマニノフ特有の憂愁に満ち溢れた繊細な抒情に至るまで、緩急自在のテンポを駆使した圧倒的な名演を成し遂げている。

アシュケナージは、多彩な響きと表現、高度な技巧が要求されるラフマニノフの前奏曲集を完璧に再現している。

ただ陰鬱なのとも、叙情的なのとも違う、伝えたいけれど言葉にならないような叫びを音に綴ったラフマニノフ。

亡命し、死ぬまで故国ロシアへの望郷の念を抱き続けたラフマニノフの音楽に、時代背景は異なるものの、同じく亡命を経験したアシュケナージは深く共感を覚えるのだろう。

逆に言えば、作品への深い共感と愛着がないと、本盤のような血の通った超名演を成し遂げることは出来なかったと言うべきだろう。

その柔らかなタッチは至福の極地であり、さまざまな苦難を乗り越えてきたアシュケナージだからこそ出せる「味」が感じられる。

色彩と陰影の織り成す、アシュケナージの真骨頂と言える演奏で、ひとつひとつの音が微妙に絡み合って心に染み入ってくる感覚は最上のものである。

当盤は発売時、吉田秀和氏が「ここ最近聴いた中でもっとも美しいアルバム」と語ったもので、前奏曲集のなかでももっともスタンダードに相応しい演奏と言えよう。

ラフマニノフに特に大きな尊敬の念を抱いているアシュケナージにとって、ラフマニノフのピアノ作品を録音することには、とりわけ意味があると思われる。

哲学的な細部にこだわりすぎず、曲全体の有機的統一感を重んじるアシュケナージの演奏は、聴く者がどれだけ幸せになれるかを熟慮しながら弾いていると感じられる。

近年リサイタルを開かないのも、そのためであろう。

酷使された手は、もしかすると、リサイタルにはきびしいのかもしれない。

わずかなミスで聴く者に満足感を与えられないのだとしたら、リサイタルを開かないことは、アシュケナージ自身のプロ意識なのかもしれない。

しかし、こうしてディスクを通して彼の演奏に触れることができるのは、ファンにとってはうれしい限りである。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 22:47コメント(0)トラックバック(0) 

2015年06月13日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



クラシック音楽をはじめ様々なジャンルの音楽を手掛けてきた稀代のミュージシャンでもあるプレヴィンが、これまでクラシック音楽のジャンルで遺した録音の中で最も偉大な業績は何かと問われれば、筆者は躊躇なく本盤に収められたラフマニノフの交響曲全集&管弦楽作品集を掲げたい。

プレヴィンは、若い頃からラフマニノフを得意としており、本盤に収められた全集のほかにも、第2番についてはロンドン交響楽団(1966年)及びロイヤル・フィル(1985年)とのスタジオ録音を行っており、ピアノ協奏曲についてもアシュケナージ及びロンドン交響楽団とともに全集(1970〜1971年)を録音している。

しかしながら、ピアノ協奏曲は別として、本盤に収められた演奏こそは、プレヴィンによるラフマニノフの交響曲(第2番)のベストの名演であるとともに、他の指揮者による様々なラフマニノフの交響曲全集&管弦楽作品集にも冠絶する至高の超名演集と高く評価したいと考える。

プレヴィンのアプローチは、ラフマニノフ特有の甘美な旋律の数々を徹底して美しく歌い上げると言うものである。

もっとも、そのような演奏は、近年、急速にその人気が高まっているラフマニノフの交響曲だけに、他にも数多く存在していると言えるが、プレヴィンの演奏の素晴らしいのは、どこをとっても陳腐なロマンティシズムに陥ることがなく、格調の高さをいささかも失っていないという点にあると考える。

要は、とかくラフマニノフの演奏では、旋律のあまりの甘美さ故に、厚手の衣装を身にまとったような重々しい演奏やお涙頂戴の哀嘆調の演奏などが散見されるが、プレヴィンの場合は、いささかも重々しくなることはなく、さりとて軽薄になることもなく、各種旋律を格調の高さを保ちつつ情感豊かに歌い抜くという、ある意味では難しい剛柔のバランスのとれた演奏を実現しているのである。

かかる演奏は、まさにラフマニノフ演奏の理想像の具現化と言えるところであり、それ故に、本交響曲全集&管弦楽作品集が現在においても随一の名演であり続けるとともに、その後の演奏に大きな影響力を発揮するという普遍的な価値を有している所以であると考えられるところだ。

加えて、第2番については、それまで大幅なカットを施して演奏されていたのを史上初めて完全全曲版により演奏したものであり、第2番の真の魅力を広く世に知らしめるとともに、その後広く普及することとなった完全全曲版による演奏に先鞭をつけたという意味においても、本演奏の意義は極めて大きいものであることを忘れてはならない。

なお、前述のように、プレヴィンは、ロイヤル・フィルとともに第2番を再録音しているが、当該演奏はテンポが若干遅くなるなど円熟の名演ではあると言えるものの、若干角が取れた分だけいささか甘美さに傾斜した点が見られなくもないところであり、筆者としては、若干ではあるが本演奏の方をより上位に置きたいと考える。

音質は、1973〜1976年のいわゆるアナログ録音の完成期のものであるが、EMIだけに必ずしも十分な音質とは言い難い面がある。

もっとも、あらゆるラフマニノフの交響曲全集&管弦楽作品集中の随一の超名演集であることもあり、既にHQCD化されている第2番以外の楽曲についてのHQCD化、可能であればすべての楽曲のSACD化(第2番については、今後SACD化が予定されているとのことであり、大いに歓迎したい)を図るなど、更なる高音質化を大いに望んでおきたいと考える。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 20:53コメント(0)トラックバック(0) 

2015年06月05日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番及び第3番を収録したCDは非常に多く出回っているが、近年の録音ではジルベルシュテインがアバドの指揮でベルリン・フィルと共演したアルバムが溌剌として爽やか、一陣の薫風が駆け抜けていったかのような演奏は、最近の筆者の嗜好に合っている。

ピアノを弾いているジルベルシュテインの、妙なけれんがなく、メロディーラインを素直に歌い上げているところが好ましく、アバド指揮ベルリン・フィルのオケとのバランスもよい。

ジルベルシュテインの演奏を聴いていつも感じるのは、ラフマニノフの曲に霊感を与えるのは弦楽器の音だということである。

ピアノは、弦楽器によって作られた霊的な音の熱狂・興奮をより高める役割を担っている。

筆者は、ジルベルシュテインのピアノに印象を受けないと言うつもりはなく、むしろ逆で、彼女は、弦楽器によって作り出された音響の世界をピアノ1台で突き破ろうとし、ピアノの限界に挑むのである。

すみずみまで感興を行き渡らせ、その力強いピアノのタッチから感じられるエネルギーは、聴き手に大きな印象を与える物凄い音楽である。

ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番及び第3番はメジャーな作品だけにとても思い入れのこもった演奏が多く、そのため、ピアノやオケのどちらかが前面に出すぎてしまうことが多かったりするのであるが、この演奏はピアノとオケのハーモニーやピアノの問いかけに対するオーケストラの受け答えなどバランスが絶妙である。

おそらく綿密に計算された演奏であるためであろうが、適度な緊張感や綺麗な音の響きと相俟ってとても美しい演奏になっている。

この演奏のバックを務めるアバドは、私見であるが、これまでの様々な名指揮者の中でも、最高の協奏曲指揮者と言えるのではなかろうか。

ベルリン・フィルの芸術監督に就任する前には、ロンドン交響楽団とともに圧倒的な名演奏を成し遂げていた気鋭の指揮者であったアバド。

そのアバドは、ベルリン・フィルの芸術監督就任後、借りてきた猫のような大人しい演奏に終始するようになってしまった。

カラヤン時代に、力の限り豪演を繰り広げてきたベルリン・フィルも、前任者と正反対のアバドの民主的な手法には好感を覚えたであろうが、演奏については、大半の奏者が各楽器セクションのバランスを重視するアバドのやり方に戸惑いと欲求不満を感じたのではないか。

それでも協奏曲の演奏に限ってみれば、ベルリン・フィルの芸術監督就任以前と寸分も変わらぬ名演を成し遂げていたと言える。

チャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番におけるアルゲリッチとの競演(1994年)、そして、レコード・アカデミー賞を受賞したブラームスのピアノ協奏曲第2番におけるブレンデルとの競演(1991年)など、それぞれの各楽曲におけるトップの座を争う名演の指揮者は、このアバドなのである。

本盤に収められたロシア出身のピアニストであるリーリャ・ジルベルシュテインと組んで録音を行ったラフマニノフのピアノ協奏曲第2番、第3番についても、こうした名演に系譜に連なるものとして高く評価したいと考える。

協奏曲の演奏に際してのアバドの基本的アプローチは、ソリストの演奏の引き立て役に徹するというものであり、本演奏においても御多分にも漏れないが、オーケストラのみの演奏箇所においては、アバドならでは歌謡性豊かな情感に満ち溢れており、格調の高さも相俟った美しさは、抗し難い魅力に満ち溢れている。

ここぞという時の力感溢れる演奏は、同時期のアバドによる交響曲の演奏には聴くことができないような生命力に満ち溢れており、これぞ協奏曲演奏の理想像の具現化と評しても過言ではあるまい。

ラフマニノフのピアノ協奏曲に特有のロシア風のメランコリックな抒情を強調した演奏にはなっておらず、両曲にロシア風の民族色豊かな味わいを求める聴き手にはいささか物足りなさを感じさせるきらいもないわけではないが、ジルベルシュテインのピアノ演奏の素晴らしさ、両曲の持つ根源的な美しさを見事に描出し得たといういわゆる音楽の完成度という意味においては、まさに非の打ちどころのない素晴らしい名演に仕上がっていると高く評価したいと考える。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 00:20コメント(0)トラックバック(0) 

2015年05月22日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



協奏曲は、1978年1月、ホロヴィッツの爛▲瓮螢・デビュー50周年記念コンサート瓩離薀ぅ録音である。

途轍もない超名演だ。

このような演奏こそは、人類が永遠に持つべき至宝であるとさえ言えるだろう。

ホロヴィッツにとって27年ぶりの協奏曲の録音だけに、この演奏にかける意気込みは並々ならぬもので、とても73歳の高齢とは思えない、スケールの大きな、打鍵のしっかりした演奏である。

本演奏におけるホロヴィッツのピアノはもはや人間業を超えているとさえ言える。

強靭な打鍵は、ピアノが破壊されてしまうような圧倒的な迫力を誇っているし、同曲の随所に聴くことが可能なロシア風のメランコリックな抒情的旋律の数々においても、ホロヴィッツは心を込めて歌い抜いている。

その表現の桁外れの幅の広さは、聴いていてただただ圧倒されるのみである。

同曲は、弾きこなすのに超絶的な技量を有することから、ピアノ協奏曲史上最大の難曲であると言われており、ホロヴィッツ以外のピアニストによっても名演は相当数生み出されてはいるが、それらの演奏においては、まずは同曲を弾きこなしたことへの賞賛が先に来るように思われる。

ところが、ホロヴィッツの演奏では、もちろん卓越した技量を発揮しているのであるが、いとも簡単に弾きこなしているため、同曲を弾きこなすのは当たり前で、むしろ、前述のように圧倒的な表現力の方に賛辞が行くことになる。

このあたりが、ホロヴィッツの凄さであり、ホロヴィッツこそは、卓越した技量が芸術を凌駕する唯一の大ピアニストであったと言えるだろう。

人間業を超えた超絶的な技量を有していながら、いささかも技巧臭がせず、楽曲の魅力のみをダイレクトに聴き手に伝えることができたというのは、おそらくは現在においてもホロヴィッツをおいて他にはいないのではないかと考えられるところだ。

そして、本演奏を聴いていると、あたかも同曲がホロヴィッツのために作曲された楽曲のような印象を受けるところであり、それ故に、現時点においても、同曲については、ホロヴィッツを超える演奏がいまだ現れていないのではないかとさえ考えられる。

それに、これ以前の録音では大量にカットを行なっていたのに対し、ここでのカットは第1楽章カデンツァ中の2小節のみで、ホロヴィッツが遺した、唯一のほぼ完全版の演奏なのである。

以前の同曲の録音と比べると、テクニックの面でやや弱さはあるものの、深々とした呼吸で、ラフマニノフの曲のもつ暗い情熱を濃厚に表出していて立派だ。

オーマンディ&ニューヨーク・フィルも、このようなホロヴィッツの圧倒的なピアニズムに一歩も引けを取っておらず、感情の起伏の激しい同曲を見事に表現し尽くしているのが素晴らしい。

なお、ホロヴィッツによる同曲の超名演としては、ライナー&RCAビクター交響楽団をバックにしたスタジオ録音(1951年)があり、指揮者はほぼ同格、オーケストラは本盤の方がやや上、ホロヴィッツのピアノは旧盤の方がより優れているが、録音は新盤がステレオ録音であり、総合的には両者同格の名演と言ってもいいのではないだろうか。

ソナタ第2番は、作曲者と相談の上、初版と第2版を織り交ぜたホロヴィッツ版で、晩年のライヴながら、楽器を鳴らし切る桁外れの才能は健在である。

演奏は、この曲のもつ技巧的な性格を前面に押し出した、すこぶる華やかなもので、幻想の世界を濃厚に、しかも豪快に弾きあげている。

いずれの演奏も、両曲を偏愛したホロヴィッツによる正規録音としては最後のもので、彼ならではのダイナミズムと繊細な表現が素晴らしい名演である。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 22:42コメント(0)トラックバック(0) 

2015年05月21日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



1995年10月2-7日 モスクワ放送局第5スタジオにて収録。

スヴェトラーノフが1990年代にセッション・レコーディングを行なったラフマニノフ交響曲&管弦楽曲全集が再リリースされた。

スヴェトラーノフが遺した最高傑作の呼び声もある同アルバムは、今でもラフマニノフの最上演奏のひとつとして高く評価されている。

また再評価され高い人気を誇るスヴェトラーノフ・ファン必聴のアルバムであり、ロシア国立交響楽団のまさにロシアの広大な大地を彷彿させる咆哮サウンドは現在世界のどのオーケストラも出すことのできない強靭なサウンドである。

ラフマニノフの交響曲や管弦楽曲は、近年ではきわめて人気のある作品である。

そして、プレヴィンやアシュケナージ、マゼール、エド・デ・ワールト、デュトワ、ヤンソンスなど、様々な指揮者によって管弦楽曲等を含めた交響曲全集がいくつも誕生するに至っている。

これらはいずれも素晴らしい名演であり、客観的な視点で評価すると、プレヴィンの全集が随一の名演との評価に値すると思われるが、好き嫌いで言うと、筆者が最も好きなラフマニノフの交響曲等の全集は、本盤に収められたスヴェトラーノフによる最後の全集である。

本盤に収められた諸曲の演奏は、おそらくはそれぞれの諸曲の演奏史上でも最もロシア的な民族色の濃い個性的な演奏と言えるのではないだろうか。

トゥッティにおける咆哮する金管楽器群の強靭な響き、あたりの空気が震撼するかのような低弦の重々しい響き、雷鳴のように轟くティンパニ、木管楽器やホルンの情感のこもった美しい響きなどが一体となり、これ以上は求め得ないようなロシア風の民族色に満ち溢れた濃厚な音楽の構築に成功している。

その迫力は圧倒的な重量感を誇っており、あたかも悠久のロシアの広大な大地を思わせるような桁外れのスケールの雄大さを誇っている。

このようにどの曲も凄まじいまでの強靭な迫力と熱き情感に満ち溢れているのであるが、一例を掲げると有名な交響曲第2番の第3楽章。

スヴェトラーノフは、本楽章を17分という途轍もなく遅いテンポで、ラフマニノフによる最美の名旋律を渾身の力を込めて徹底的に歌い抜いている。

その濃厚の極みとも言うべき熱き情感のこもった歌い方は、いささかの冗長さも感じさせることなく、いつまでもその音楽に浸っていたいと思わせるほどの極上の美しさを湛えている。

スヴェトラーノフは、1960年代にも、ロシア国立交響楽団の前身であるソヴィエト国立交響楽団を指揮してラフマニノフの交響曲全集をスタジオ録音しており、それらも名演の名には値すると思うが、演奏全体の完成度や彫りの深さといった点において、本盤に収められた諸曲の演奏には到底敵し得ないと考える。

いずれにしても、スヴェトラーノフによる本全集は、例えば音楽之友社発行の「名曲名盤300選」などにおいては、評価の遡上にすら掲げられることがないものであると言える。

しかしながら、スヴェトラーノフによる本盤に収められた諸曲の演奏は、我々聴き手の肺腑を打つのに十分な圧倒的な迫力と濃密な内容を誇っていると言えるところであり、筆者としては、かのプレヴィンによる全集にも比肩する名全集と高く評価したいと考える。

もっとも、音質について言えば、本盤でも全く問題ないのであるが、一例を挙げればノイマンの各種の録音がエクストンからSACD化されて再発売されたという実績に鑑みれば、今後、スヴェトラーノフによる一連の録音も、エクストンによってSACD化することは可能なのではないだろうか。

少なくとも本盤に収められた諸曲の演奏は、スヴェトラーノフによる至高の超名演でもあり、可能であれば、今後SACD化を図るなど更なる高音質化を大いに望んでおきたいと考える。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 20:48コメント(0)トラックバック(0) 

2015年03月18日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



ラフマニノフは偉大な作曲家であると同時に偉大なピアニストであった。

それだけに、4曲にも及ぶピアノ協奏曲や、パガニーニの主題による狂詩曲、2曲のピアノ三重奏曲、2曲のピアノ・ソナタをはじめとする相当数のピアノ曲を作曲しているところである。

どの曲も、難曲の部類に属するが、それは、ラフマニノフが他の誰よりも大きな手の持ち主であり、どのような曲でも弾きこなすだけのヴィルトゥーゾ・ピアニストであったことにもよるものと思われるところだ。

ラフマニノフの数あるピアノを用いた作品の中でも特に有名なピアノ協奏曲全曲とパガニーニの主題による狂詩曲について、自作自演が遺されているというのは、クラシック音楽ファンにとっても何という素晴らしいことであろうか。

本盤に収められたピアノ協奏曲第1番については1939年、そしてピアノ協奏曲第4番及びパガニーニの主題による狂詩曲については1941年のモノラル録音であり、いずれも音質は決して良好なものとは言えない。

しかしラフマニノフがこれらの作品をどのように解釈していたのか、そして、ラフマニノフがヴィルトゥーゾ・ピアニストとしていかに卓越した技量を有していたのかを知る意味においては、極めて貴重な歴史的な記録とも言えるであろう。

先ずは、いずれの演奏ともにやや速いテンポ設定をとっていることに驚かされる。

当時の演奏傾向にもよるとは思うが、それ以上に、ラフマニノフがいかに人間離れした卓越した技量の持ち主であったのかがよくわかるというものだ。

3曲ともに、ロシア風のメランコリックな抒情に満ち溢れた旋律が満載の楽曲ではあるが、ラフマニノフはやや速めのテンポをとりつつも、それらの旋律の数々を情感豊かに歌い抜いているところである。

アゴーギクなども駆使しているが、決してセンチメンタリズムには陥らず、いささかの古臭さを感じさせないのが素晴らしい。

もっとも、音質が悪いので、ラフマニノフのピアノタッチが鮮明に再現されているとは言い難いのがいささか残念ではあるが、ラフマニノフの自作に対する捉え方、そして持ち味の超絶的な技量を堪能することができるという意味においては、歴史的な意義が極めて大きい名演と評価するのにいささかの躊躇をするものではない。

もっとも、前述のように音質は今一つであるというのが玉に傷と言ったところだ。

そこで今般登場した英国のDuttonレーベルから復刻されたラフマニノフの自演盤は、他レーベルの同内容の自演盤CDと比較すると音質のクリアさという点では一歩譲るかも知れないが、何と言ってもこれまで悩みに悩まされたスクラッチノイズが聴こえないので、ストレスフリーな状態でピアノに集中出来る。

ノイズが綺麗に除去されていることによって、若干ではあるが音質は改善されたが、それでもトゥッティにおける各楽器セクションの分離の悪さは如何ともしがたいものがある。

もっとも、これまでの従来CD盤よりは聴きやすい音質でもあると言えるところであり、本演奏を聴くのであれば、迷うことなく本Dutton盤を購入されたい。

なお、ラフマニノフは、ピアノ協奏曲第2番及び第3番についても録音を行っているところであり、それらの録音については、先般Blu-spec-CD化されて、どうにか鑑賞に耐え得る音質に仕上がっていることを付記しておきたい。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 00:42コメント(0)トラックバック(0) 

2015年01月21日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



ワイセンベルクは、カラヤンと数多くのピアノ協奏曲を録音することによって、世に知られる存在となったが、カラヤンとの演奏では、どちらかと言えばカラヤンペース。

カラヤン&ベルリン・フィルのゴージャスな演奏の中に、どうしても埋没してしまうような印象がぬぐえなかった。

特に、ベートーヴェンのピアノ協奏曲全集などが最たるもので、ワイセンベルクもベルリン・フィルの1つの楽器と化してしまったような感があった。

ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番でも、ベートーヴェンほどではないが、SACD盤を聴いても、ワイセンベルクの個性が格別に光った演奏とはとても言えなかったように思われる。

ところが、本盤は、バックがバーンスタインにかわったこともあり、ワイセンベルクの十八番である楽曲ということもあってか、実に個性的な演奏を繰り広げている。

バーンスタイン指揮のフランス国立管弦楽団との共演が、ワイセンベルクを一味違ったものに仕立て上げた。

ワイセンベルクは抜群のテクニックと、透明感溢れるピアノタッチが魅力であるが、ここでも、バーンスタイン指揮の下、最高のピアニズムを展開している。

バーンスタインの雄渾な音楽と、一歩も引けを取らないワイセンベルクの、ダイナミックで明確なタッチが生み出す美しい音色が、ラフマニノフの抒情を余すところなく表わしている。

筆者としては、同曲の録音の中では、ホロヴィッツ&ライナーのXRCD盤を高く評価してきたが、厳しく張り詰めた緊張感で聴く者も一瞬も気の抜けないホロヴィッツの演奏とある意味対極にあるワイセンベルクの演奏には包まれる安心感と優しさが漂う。

バーンスタインは、特に、オペラ以外の分野では、カラヤンをも凌ぐ膨大なレパートリーを誇ったが、ラフマニノフの録音は極めて珍しいと言える。

それでも、本盤では、ワイセンベルクのピアノを立てつつ、ゆったりとしたテンポで、実に情感豊かな演奏を行っている点を高く評価したい。

バーンスタインの細やかなサポートが、ピアニストの微妙な動きを見事に浮き立たせていて、思わず聴き惚れてしまう。

フランス国立管弦楽団の独特の明るいサウンドも魅力的で、遅いテンポでうねるオケに、余裕綽々たる硬質なピアノが、ロマン的な大河小説のような世界をみせる。

併録の前奏曲は、フィギュアスケートでも有名になった『鐘』であるが、ワイセンベルクのピアノは、協奏曲以上に素晴らしく、最高のパフォーマンスを示している。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 22:47コメント(0)トラックバック(0) 

2015年01月19日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



ラフマニノフの第2番は、今や最も人気のある交響曲と言えるだろう。

30年ほど前までは、ロシア系の指揮者は別として、プレヴィンなどの一部のラフマニノフを信奉する指揮者のみによる演奏に限られていたことを考えると隔世の感がある。

プレヴィンによる完全全曲版の復刻というのも大きいとは言えるが、マーラーブームの到来などにより、重厚長大な交響曲に対する聴き手のアレルギーが相当程度払拭されたことも、その理由の1つではないかと考える。

もちろん、テレビドラマにおいて、第3楽章の名旋律が使用されたことを理由に掲げることに躊躇するつもりはない。

いずれにしても、演奏に60分程度を要する重厚長大な交響曲ではあるが、ロシアの悠久の大地を思わせるような壮大なスケールや、ロシアへの郷愁が漂うメランコリックな旋律の美しさなど、同曲の持つ魅力が、現在の圧倒的な人気を勝ち取る原動力となっていることに疑問を差し挟む余地はないのではないか。

これだけの人気曲だけに、現在においてはあまたの名演が生み出されているが、それらの性格を分析すると、大きく2つに分類できるのではないかと考える。

それは、ロシア風の民族色を全面に打ち出した演奏と、純音楽的な洗練された美しさを誇る演奏の2つであり、前者は、主としてスヴェトラーノフやゲルギエフ(特に、ロンドン響との2008年盤)などによる名演、後者はデュトワやラトルなどによる名演が掲げられる。

プレヴィンやオーマンディなどの名演は、これらの中間に分類されると言えるのかもしれない。

それでは、本盤のパーヴォ・ヤルヴィの歌心あふれる心打つ演奏はどのように分類すべきであろうか。

筆者としては、デュトワやラトルの名演に繋がる純音楽的な名演と高く評価したい。

パーヴォ・ヤルヴィのアプローチは、例によって、曲想を精緻に、そして情感豊かに描き出していくというものだ。

したがって、ロシア風の民族色をやたら強調したり、聴き手を驚かすような特別な個性的解釈を施すことはいささかもないが、楽曲の魅力を自然体で表現し、聴き手がゆったりとした気持ちでその魅力を味わうことができる点を高く評価したい。

このような名演を可能にしたのは、パーヴォ・ヤルヴィの類稀なる豊かな音楽性と、パーヴォ・ヤルヴィの薫陶により好パフォーマンスを示したシンシナティ交響楽団の卓抜した技量の賜物であると考える。

マルチチャンネル付きのSACDによる極上の高音質録音も、本名演の価値を高めるのに大きく貢献している。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 00:57コメント(0)トラックバック(0) 

2015年01月16日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



ラフマニノフは偉大な作曲家であると同時に偉大なピアニストであった。

それだけに、4曲にも及ぶピアノ協奏曲や、パガニーニの主題による変奏曲、2曲のピアノ三重奏曲、2曲のピアノ・ソナタをはじめとする相当数のピアノ曲を作曲しているところである。

どの曲も、難曲の部類に属するが、それは、ラフマニノフが他の誰よりも大きな手の持ち主であり、どのような曲でも弾きこなすだけのヴィルトゥーゾ・ピアニストであったことにもよるものと思われるところだ。

ラフマニノフの数あるピアノを用いた作品の中でも特に有名なピアノ協奏曲第2番及び第3番について、自作自演が遺されているというのは、クラシック音楽ファンにとっても何という素晴らしいことであろうか。

ピアノ協奏曲第2番については1929年、そしてピアノ協奏曲第3番については1939年のモノラル録音であり、いずれも音質は決して良好なものとは言えないが、ラフマニノフがこれらの2つの有名曲をどのように解釈していたのか、そして、ラフマニノフがヴィルトゥーゾ・ピアニストとしていかに卓越した技量を有していたのかを知る意味においては、極めて貴重な歴史的な記録とも言えるであろう。

先ずは、両曲の演奏ともにやや速いテンポ設定をとっていることに驚かされる。

当時の演奏傾向にもよるとは思うが、それ以上に、ラフマニノフがいかに人間離れした卓越した技量の持ち主であったのかがよくわかるというものだ。

両曲ともに、ロシア風のメランコリックな抒情に満ち溢れた旋律が満載の楽曲ではあるが、ラフマニノフはやや速めのテンポをとりつつも、それらの旋律の数々を情感豊かに歌い抜いているところである。

アゴーギクなども駆使しているが、決してセンチメンタリズムには陥らず、いささかの古臭さを感じさせないのが素晴らしい。

もっとも、音質が悪い(特に、ピアノ協奏曲第2番)ので、ラフマニノフのピアノタッチが鮮明に再現されているとは言い難いのがいささか残念ではあるが、ラフマニノフの両曲に対する捉え方、そして持ち味の超絶的な技量を堪能することができるという意味においては、歴史的な意義が極めて大きい名演と評価するのにいささかの躊躇をするものではない。

もっとも、前述のように音質は今一つであるというのが玉に傷と言ったところだ。

今般のBlu-spec-CD2化によって、若干ではあるが音質は改善されたが、それでもトゥッティにおける各楽器セクションの分離の悪さは如何ともしがたいものがある。

もっとも、これまでの従来CD盤よりは聴きやすい音質(とりわけピアノ協奏曲第3番)でもあると言えるところであり、本演奏を聴くのであれば、迷うことなく本Blu-spec-CD2盤を購入されたい。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 00:58コメント(0)トラックバック(0) 

2014年11月16日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



本盤には、パレー&デトロイト交響楽団によるフランクの交響曲ニ短調とラフマニノフの交響曲第2番の演奏が収められている。

先ずは、フランクの交響曲ニ短調であるが、これは実に味わい深い演奏である。

フランスのシューリヒトとの異名があるパレーだけに、演奏全体の様相は意外にも抒情にはいささかも溺れることにないあっさりしたものである。

むしろ、演奏全体の引き締まった造型美を堅持しつつ、比較的速めのテンポで淡々と進行していく音楽であるとも言えるが、じっくりと腰を据えて鑑賞すると、各旋律の端々には独特の細やかなニュアンスが込められており、演奏内容の充実度には濃いものがある。

そして、そのニュアンスには、フランス人指揮者ならではのエスプリ漂う瀟洒な味わいに満ち溢れていると言えるところである。

このような老獪とも言える卓越した指揮芸術は、パレーだけに可能な圧巻の至芸と高く評価したい。

フランクの交響曲ニ短調の演奏のスタイルとしては、いわゆるフランス音楽的な要素を全面に打ち出したものと、ドイツ音楽にも通底するものとして、絶対音楽としての交響曲であることを強調したものに大きく分かれるが、パレーによる本演奏は、その折衷型の代表的な名演として極めて存在価値の高いものと言えるところだ。

他方、ラフマニノフの交響曲第2番については、スヴェトラーノフなどに代表されるロシア系の指揮者による民族色濃厚な演奏とは一線を画した洗練された演奏スタイルである。

本演奏が1957年のものであることに鑑みれば、当時としては清新ささえ感じさせる演奏とも言えるところであり、デュトワなどをはじめとする現代においては主流となりつつある同曲の演練された演奏を先取りするものとして高く評価しなければならないと言えるところだ。

同曲の演奏に、ロシア風のメランコリックな抒情を希求する聴き手には、ややあっさりし過ぎているとの印象を与えることも十分に考えられるが、現代において主流となりつつある同曲の洗練された演奏に親しんでいる聴き手にとっては、むしろ歓迎すべき演奏ということになるであろう。

要は、聴き手によって好き嫌いが大きく分かれる演奏かもしれないが、筆者としては、パレーの偉大な指揮芸術を堪能することが可能な素晴らしい名演と評価したい。

デトロイト交響楽団も、近年ではすっかりと鳴かず飛ばずの低迷期に入っているようであるが、パレーが音楽監督を務めていた時代は全盛期とも言えるパフォーマンスを発揮していた。

本盤の演奏を聴いてもそれがよく理解できるところであり、フランクの交響曲ニ短調など、アメリカのオーケストラがよくぞここまでフランスのオーケストラ顔負けのセンス満点の演奏ができるのかと、ただただ驚かされるのみである。

音質は、ルビジウム・クロック・カッティングによって、従来CD盤よりも更に良好な音質に生まれ変わった。

少なくとも1950年代末という録音年代に鑑みれば、十分に満足できる音質と評価したい。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 22:41コメント(0)トラックバック(0) 

2014年11月05日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



詩情溢れるラフマニノフと切れ味の良いラヴェル。

若きグリモーの才気が横溢する協奏曲集である。

充実の活動を続けるフランスの中堅ピアニスト、エレーヌ・グリモーが、そのキャリアの初めにDENONに残した協奏曲集。

若さよりもむしろ内向的で音楽そのものを優先する演奏姿勢が、その後の彼女の活躍を約束するかのようだ。

グリモーは超絶的な技巧を全面に打ち出すピアニストではない。

もちろん、高度な技量は持ち合わせているのだろうが、むしろ、女流ピアニストならではの繊細さとか、フランス人のピアニストならではの瀟洒なエスプリに満ち溢れているだとか、高貴な優美さと言った表現がふさわしいピアニストであると考えている。

本盤は、グリモーの23歳の時の録音で、現在のグリモーのような円熟からはほど遠いとは思うが、若さ故の勢いで演奏するのではなく、前述のようなグリモーならではの個性の萌芽が垣間見られるのが素晴らしいと思う。

後年の再録音盤(ラヴェルはジンマン&ボルチモア響、ラフマニノフはアシュケナージ&フィルハーモニア管)も所持しているが未だに何故か当盤の方を手に取ってしまう。

確かに当盤では「途上まだしも」の感は否めないが、多少の瑕疵を理由に捨て置くにはあまりに惜しいのではないか。

ソツ無く御行儀の良い演奏もそれなりに良いとは思うが、許容範囲のキズであれば少々荒削りであっても清々しくてイキのいい演奏を筆者は好む。

ロペス=コボスの指揮は、音質によるのかもしれないが、グリモーのピアノとは正反対の荒削りで激しいものである。

しかし、このアンバランスさが、かえってグリモーの演奏の性格を浮き彫りにするのに大きく貢献しているという点については、特筆すべきであろう。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 22:49コメント(0)トラックバック(0) 

2014年09月22日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



クラシック音楽をはじめ様々なジャンルの音楽を手掛けてきた稀代のミュージシャンでもあるプレヴィンも、最近では座って指揮をするようになるなど、すっかりと高齢(83歳)になってしまった。

もっとも、NHK交響楽団の首席客演指揮者に就任するなど、指揮への意欲はまだまだ強いようなので、今後は少しでも長生きをして、様々な名演の数々をできるだけ多く聴かせてくれることを望んで止まないところだ。

プレヴィンが、これまでクラシック音楽のジャンルで遺した録音の中で最も偉大な業績は何かと問われれば、私は躊躇なく本盤に収められたラフマニノフの交響曲第2番を掲げたい。

プレヴィンは、若い頃からラフマニノフを得意としており、本盤に収められたロンドン交響楽団とのスタジオ録音(1973年)のほかにも、ロンドン交響楽団(1966年)及びロイヤル・フィル(1985年)とのスタジオ録音を行っている。

しかしながら、本盤に収められた演奏こそは、プレヴィンによるラフマニノフの交響曲第2番のベストの名演であるとともに、他の指揮者による様々なラフマニノフの交響曲第2番にも冠絶する至高の超名演と高く評価したい。

プレヴィンのアプローチは、ラフマニノフ特有の甘美な旋律の数々を徹底して美しく歌い上げるというものである。

もっとも、そのような演奏は、近年、急速にその人気が高まっているラフマニノフの交響曲だけに、他にも数多く存在しているが、プレヴィンの演奏の素晴らしいのは、どこをとっても陳腐なロマンティシズムに陥ることがなく、格調の高さをいささかも失っていないという点にある。

要は、とかくラフマニノフの演奏では、旋律のあまりの甘美さ故に、厚手の衣装を身にまとったような重々しい演奏やお涙頂戴の哀嘆調の演奏などが散見されるが、プレヴィンの場合は、いささかも重々しくなることはなく、さりとて軽薄になることもなく、各種旋律を格調の高さを保ちつつ情感豊かに歌い抜くという、ある意味では難しい剛柔のバランスのとれた演奏を実現しているのである。

かかる演奏は、まさにラフマニノフ演奏の理想像の具現化と言えるところであり、それ故に、本盤が現在においても随一の名演であり続けるとともに、その後の演奏に大きな影響力を発揮するという普遍的な価値を有している所以であると考えられるところだ。

加えて、第2番はそれまで大幅なカットを施して演奏されていたのを、史上初めて完全全曲版により演奏したものであり、同曲の真の魅力を広く世に知らしめるとともに、その後広く普及することとなった完全全曲版による演奏に先鞭をつけたという意味においても、本演奏の意義は極めて大きいものであることを忘れてはならない。

なお、前述のように、プレヴィンは、ロイヤル・フィルとともに第2番を再録音しているが、当該演奏はテンポが若干遅くなるなど円熟の名演ではあると言えるものの、若干角が取れた分だけいささか甘美さに傾斜した点が見られなくもないところであり、筆者としては、若干ではあるが本演奏の方をより上位に置きたいと考える。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 00:46コメント(0)トラックバック(0) 

2014年09月08日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



我が国のピアニストの大御所、横山幸雄のデビュー20周年を記念するアルバムの登場だ。

曲目は、チャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番とラフマニノフのピアノ協奏曲第3番の人気曲どうしの組み合わせ。

いずれも、超絶的な技巧を要するとともに、ロシア風のメランコリックな抒情の的確な描出が必要不可欠な楽曲であるだけに、ピアニストの実力(それは技量においても芸術性においてもということになるが)が試されると言えるだろう。

本盤に収められた両曲の演奏は、横山幸雄にとって、グリーグのピアノ協奏曲以来の久しぶりの協奏曲の録音ということになるが、そうした長年のブランクをいささかも感じさせない圧倒的な名演に仕上がっていると高く評価したい。

両曲ともに、横山幸雄の超絶的な技量は冴えわたっていると言えるところであり、このような凄い演奏を聴いていると、あらためて横山幸雄こそは我が国のピアニストの中でもトップクラスの実力を誇っているということをあらためて窺い知ることが可能と言える。

ライヴ録音というのが信じられないほどミスタッチは殆どないのが驚異的であり、持ち前のヴィルトゥオジティを如何なく発揮していると言えるだろう。

もっとも、それでいて技量一辺倒にはいささかも陥っておらず、両曲の随所に配されたロシア風のメランコリックな抒情に満ち溢れた名旋律の数々を、心を込めて情感豊かに歌い抜いている。

もっとも、両曲の場合、演奏によっては陳腐なセンチメンタリズムに堕するものも散見されるところであるが、横山幸雄の場合は、そうした懸念は心配ご無用。

いかに抒情豊かな箇所に差し掛かっても、格調が高さを失うことがなく、高踏的な美しさを保っているのが素晴らしい。

また、持ち前の超絶的な技量にもよるところが大きいとも言えるが、強靭な打鍵による重量感溢れるピアノタッチから、繊細で消え入るようなピアノタッチに至るまでの表現力の幅広さは桁外れの凄さであり、これはまさに両曲演奏の理想像の具現化と評しても過言ではあるまい。

いずれにしても、本盤の両曲の演奏は、横山幸雄のデビュー20周年を飾るに相応しい圧倒的な名演と高く評価したい。

こうした素晴らしい横山幸雄のピアノ演奏を下支えしているのが、小泉和裕指揮の東京都交響楽団である。

このコンビは、両曲の随所に盛り込まれたロシア風のメランコリックな抒情に彩られた旋律の数々を情感豊かに描出しており、両曲の演奏として最高のパフォーマンスを発揮していると高く評価したい。

音質も素晴らしい。

音質の鮮明さ、音圧の凄さ、音場の幅広さなど、いずれをとっても一級品の仕上がりであり、何よりも横山幸雄のピアノタッチが鮮明に再現されるのは見事。

あらためて、SACDの潜在能力の高さを思い知った次第だ。

いずれにしても、横山幸雄、そして小泉和裕&東京都交響楽団による圧倒的な名演をSACDによる高音質で味わうことができるのを大いに喜びたい。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 00:41コメント(0)トラックバック(0) 

2014年08月18日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



スペイン生まれの{ピアノの女王}ラローチャの貫禄十分の演奏に聴き惚れてしまうアルバムだ。

ラフマニノフのピアノ協奏曲第3番は、ホロヴィッツ盤をきっかけに虜になり、半年くらいかけて、ギレリスやアシュケナージなど、様々な演奏を聴き比べてみた。

女流では、アルゲリッチ盤が、エネルギーの結晶のような演奏内容で、あれほどの演奏は、よほどの気力が充実していなければ難しい。

なぜ、ここでアルゲリッチの話をするのかというと、それは、ラローチャの演奏が、アルゲリッチ盤と対極をなすものと感じたからだ。

ラフマニノフの第3番において、アルゲリッチの演奏は、攻撃的・挑戦的かつスリリングだ。

それは第2楽章から第3楽章へブリッジを架ける部分および、第3楽章のコーダにおいて顕著に表出されている。

展開する直前、鋭い視線で指揮者に突撃の「のろし」をあげ、一気に攻め込む、といった感じであろうか、聴いた後の爽快感は、ほかに類を見ない。

そのようなアルゲリッチの演奏に対し、ラローチャの演奏は、どうだろうか。

最初にこれを聴いてしまうと、恐らく退屈な演奏に感じてしまうだろう。

しかし、これは決して、退屈な演奏ではなく、優雅と解釈するべき演奏内容なのだ。

それと同時に、スペイン女性が持つ気丈さ、芯のある粘り強さを感じさせてくれる。

ところで、ラローチャは、意外と小柄な女性らしいが、威風堂々のジャケット写真はそれを感じさせない。

ジャケットの衣装は、錦鯉を彷彿させる色合いに見えないだろうか。

難解なパッセージを優雅にかわす様子は、たとえるなら優雅に池を泳ぐ錦鯉だろう。

ラローチャは小柄だからラフマニノフを弾く人だとは思われていないが、演奏の端正さと表現力、技法でこれだけ弾ける人は滅多にいない。

フランクの交響的変奏曲も、貫禄十分の名演奏で、ラフマニノフもフランクも凄い勢いで弾きこなしている。

最後に、ラローチャは{ピアノの女王}と呼ばれているが、すでに相当の高齢であり、次のピアノの女王は、果たして誰になるのか、興味がつきないところだ。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 00:50コメント(0)トラックバック(0) 

2014年08月17日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



アシュケナージについては、とある高名な音楽評論家による悪意さえ感じさせる罵詈雑言によって不当に貶められているが、ラフマニノフの演奏については、指揮者としてもピアニストとしても、他の追随を許さないような素晴らしい名演の数々を成し遂げてきていると言えるところだ。

同じくロシア人であるということに加えて、旧ソヴィエト連邦からの亡命を図ったという同じような境遇が、アシュケナージのラフマニノフに対する深い共感に繋がっていると言えるのかもしれない。

アシュケナージは、ピアノ協奏曲史上最高の難曲とも称されるピアノ協奏曲第3番を4度にわたってスタジオ録音している。

本盤の1963年の演奏は、チャイコフスキー国際コンクールで優勝した翌年のデビューしたばかりの頃のものであるが、その後は、プレヴィン&ロンドン交響楽団とともに行ったスタジオ録音(1971年)、オーマンディ&フィラデルフィア管弦楽団とともに行ったスタジオ録音(1975年)、そしてハイティンク&コンセルトヘボウ・アムステルダムとのスタジオ録音(1984年)と続いているところだ。

いずれ劣らぬ名演であるが、この中で、畳み掛けるような気迫と強靭な生命力を有した演奏は、本盤の最初の録音であると考えられるところだ。

前述のように、チャイコフスキー国際コンクールで優勝し、飛ぶ鳥落とす勢いであったアシュケナージの好調ぶりを窺い知ることが可能な演奏とも言えるところであり、そのなりふり構わぬ音楽の進め方には、現在の円熟のアシュケナージには考えられないような、凄まじいまでの迫力を感じさせる。

オーケストラは、チャイコフスキーのバレエ音楽の名演で名高いフィストゥラーリの指揮によるロンドン交響楽団であるが、若きアシュケナージのピアノ演奏をしっかりと下支えするとともに、同曲の有するロシア風のメランコリックな抒情を情感豊かに表現しているのが素晴らしい。

併録のラフマニノフのピアノ・ソナタ第2番は、ラフマニノフを得意としたアシュケナージとしては意外にも唯一の録音であるが、ピアノ協奏曲第3番と同様に、演奏の根源的な迫力や畳み掛けていくような気迫、強靭な生命力などにおいて見事な演奏に仕上がっており、グリモーなどによる名演も他には存在しているが、本演奏を同曲の最高の名演と評価するのにいささかも躊躇するものではない。

本盤の演奏は、いずれもアナログ期の録音ではあるが、さすがは英デッカとも言うべき極めて鮮明で極上の高音質を誇っている。

そして、今般、ついに待望のシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化がなされることによって、これ以上は求め得ないような圧倒的な高音質に進化したところだ。

音質の鮮明さ、音圧、音場の拡がりのいずれをとっても圧倒的であり、とりわけアシュケナージのピアノタッチが鮮明に再現されるのは殆ど驚異的であるとさえ言える。

いずれにしても、アシュケナージ、そしてフィストゥラーリ&ロンドン交響楽団による素晴らしい名演を、シングルレイヤーによるSACD&SHM−CDという現在求め得る最高の音質で味わうことができることを大いに喜びたい。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 22:21コメント(0)トラックバック(0) 

2014年07月02日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



決定的な超名演の登場だ。

筆者がレビューを行うCDについては、一部を除いて、皆さんに是非とも聴いていただきたいという気持ちで記述しているが、本盤についてはその気持ちは百倍。

ラフマニノフの交響曲第2番を愛する者であれば、必聴の超名演盤であると考えるところだ。

スヴェトラーノフは同曲を十八番としており、これまで発売されているCDを録音年順に並べると、最初の交響曲全集の一環としてスタジオ録音されたソヴィエト国立交響楽団との演奏(1963年)、次いで、ソヴィエト国立交響楽団とのライヴ録音による演奏(1978年)、そして、2度目の交響曲全集の一環としてスタジオ録音されたロシア国立交響楽団との演奏(1995年)、晩年の来日時のNHK交響楽団とのライヴ録音による演奏(2000年)が存在しており、加えて、筆者は未聴でCDも所有していないが、ボリショイ劇場管弦楽団との演奏も存在しているとのことである。

要は、既に5種の録音が存在していたところであり、これらに、6種目の録音として本盤が加わったということになる。

筆者としては、これまで1995年盤と2000年盤がスヴェトラーノフによる同曲の双璧とも言うべき最高峰の超名演と考えてきたところであるが、本演奏は、それら両超名演に冠絶する名演で、超の前にいくつ超をつけても足りないほどの途轍もない決定的超名演と言っても過言ではあるまい。

第1楽章冒頭の低弦による幾分ソフトな開始からしてただならぬ雰囲気が漂う。

その後は、スヴェトラーノフならではの重厚かつ粘着質な音楽が構築されていく。

それにしても、これほどロシア悠久の広大な大地を思わせるようなスケール雄大で、なおかつ濃厚な味わいの演奏は他に類例を見ないと言えるのではないだろうか。

ロシア風のメランコリックな抒情に満ち溢れた魅力的な旋律の数々を、スヴェトラーノフはこれ以上は求め得ないほどの濃厚さで徹底して歌い抜いており、そのあまりの美しさには涙なしには聴けないほどだ。

ここぞという時のブラスセクションの咆哮やティンパニの轟きわたる雷鳴のような響かせ方は、人間業を超えた強靭な迫力を有している。

こうした演奏の特徴は、1995年盤や2000年盤においても顕著に聴かれたところであるが、本演奏には、それら両演奏には聴かれないような気迫や強靭な生命力が随所に漲っており、とりわけ終楽章の誰よりも快速のテンポによる畳み掛けていくような迫力満点の進行にはもはや戦慄を覚えるほど。

そして終結部の猛烈なアッチェレランドの壮絶なド迫力。

聴き終えた後の充足感は、筆舌には尽くし難いものであり、本盤にも記録されているが、演奏終了後の聴衆の大熱狂も当然のことであると思われるところだ。

いずれにしても、本演奏は、ラフマニノフの交響曲第2番を十八番としたスヴェトラーノフによる6種の演奏の中の最高峰の名演であり、そして、諸説はあると思うが、筆者としては、同曲の様々な指揮者による多種多彩な名演に冠絶する決定的な超名演と高く評価したいと考えている。

カップリングのバーンスタインの「キャンディード」序曲も、バーンスタインによる自作自演盤以上に濃厚な味わいを有した迫力満点の超名演だ。

音質は、基本的に良好で鮮明であるものの、トゥッティにおいて若干音割れがするのが残念ではあるが、本盤の価値を損ねるほどのものではないことを指摘しておきたい。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 00:45コメント(0)トラックバック(0) 

2014年02月18日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



ラフマニノフの交響曲第2番は、近年ではきわめて人気のある作品である。

そして、プレヴィンやアシュケナージ、マゼール、エド・デ・ワールト、デュトワ、ヤンソンスなど、様々な指揮者によって同曲のCDがいくつも誕生するに至っている。

これらはいずれも素晴らしい名演であり、客観的な視点で評価すると、プレヴィンの新盤が随一の名演との評価に値すると思われるが、好き嫌いで言うと、筆者が最も好きな同曲の演奏は、本盤に収められたスヴェトラーノフによる録音である。

本盤に収められた演奏は、おそらくは同曲の演奏史上でも最もロシア的な民族色の濃い個性的な演奏と言えるのではないだろうか。

トゥッティにおける咆哮する金管楽器群の強靭な響き、あたりの空気が震撼するかのような低弦の重々しい響き、雷鳴のように轟くティンパニ、木管楽器やホルンの情感のこもった美しい響きなどが一体となり、これ以上は求め得ないようなロシア風の民族色に満ち溢れた濃厚な音楽の構築に成功している。

その迫力は圧倒的な重量感を誇っており、あたかも悠久のロシアの広大な大地を思わせるような桁外れのスケールの雄大さを誇っている。

このように凄まじいまでの強靭な迫力と熱き情感に満ち溢れているのであるが、一例を掲げると有名な第3楽章。

スヴェトラーノフは、本楽章を17分という途轍もなく遅いテンポで、ラフマニノフによる最美の名旋律を渾身の力を込めて徹底的に歌い抜いている。

その濃厚の極みとも言うべき熱き情感のこもった歌い方は、いささかの冗長さも感じさせることなく、いつまでもその音楽に浸っていたいと思わせるほどの極上の美しさを湛えている。

スヴェトラーノフは、1960年代にも、ロシア国立交響楽団の前身であるソヴィエト国立交響楽団を指揮して同曲をスタジオ録音しており、それも名演の名には値すると思うが、演奏全体の完成度や彫りの深さと言った点において、本盤に収められた演奏には到底敵し得ないと考える。

いずれにしても、スヴェトラーノフによる当該名演は、一般的には評価の遡上にすら掲げられることがないものであると言える。

しかしながら、スヴェトラーノフによる本盤の演奏は、我々聴き手の肺腑を打つのに十分な圧倒的な迫力と濃密な内容を誇っていると言えるところであり、筆者としては、かのプレヴィンの新盤にも比肩する名演と高く評価したいと考える。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 23:04コメント(0)トラックバック(0) 

2014年01月03日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



素晴らしい超高音質SACDの登場だ。

本盤には、かつてマルチチャンネル付きのハイブリッドSACDが発売されていた。

しかしながら、何故かマルチチャンネルならではの臨場感がイマイチで、音質的にもあまり満足が得られなかった記憶がある。

それだけに、今般の、SACD&SHM−CDのシングルレイヤー盤は、これまでのSACDとは一線を画する素晴らしい高音質と言える。

トゥッティの箇所に差し掛かっても、オーケストラとピアノが分離して聴こえるのは驚異的でもあり、あたかもマルチチャンネルを聴いているかのような錯覚を覚えるほどの音場の幅広さだ。

演奏も、賛否両論があるようであるが、筆者としては、素晴らしい名演と高く評価したい。

何よりも、ラン・ランのピアノが実に優れている。

ラン・ランの特徴は抜群のテクニックに裏打ちされた強靭な打鍵と、思い入れたっぷりの情感豊かな表現力の幅の広さであるが、本盤でも、そうしたラン・ランの特徴が見事にプラスに働いている。

音の重心の低い重厚にして堂々たるピア二ズムは、その情感の豊かさと相俟って、ラフマニノフのピアノ協奏曲には最も相応しいものであり、強靭な打鍵から繊細な消え入るような抒情に至るまでの表現力の幅の広さにも出色のものがある。

こうしたラン・ランをサポートするゲルギエフの指揮も実に素晴らしい。

もともと、ラフマニノフを得意のレパートリーとする指揮者ではあるが、ここでも、ラン・ランと同様に、ロシア的な情緒満載の実に雰囲気豊かな演奏を繰り広げている。

ゲルギエフの卓抜した指揮の下、マリインスキー劇場管弦楽団も最高のパフォーマンスを示している。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 21:43コメント(0)トラックバック(0) 

この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



ロシア・ピアニズムを体現する名匠として認知度が高まるトロップによるチャイコフスキーとラフマニノフの代表的なピアノ作品。

ロシアの12ヶ月を詩情豊かに描いた「四季」における静謐の中に万感を込めたタッチ、対照的に激しい感情の起伏と豊かな歌謡性を特徴とするラフマニノフの見事な表現。

まさに両曲の代表的名盤と呼べるものだ。

両作曲家の弾き分けも見事であるが、隅々にまで行き届いた精緻な表現力には言葉を失う。

ラフマニノフに於けるダイナミズムもさることながら、チャイコフスキーの静謐な美しさに強く心惹かれる。

ロシアのピアニズムと言うと、リヒテルやギレリスなど、ロシアの悠久の大地を思わせるような圧倒的な技量と重量感溢れる演奏を旨とするピアニストによるスケール雄大な演奏が思い浮かぶ。

これらの重量級のピアニストに対して、トロップの演奏は、ある意味では柔和とさえ言えるものだ。

ロシア音楽は、重量感溢れる力強さとともに、メランコリックな情感の豊かさが持ち味と言えるが、トロップのアプローチは、どちらかと言うと、後者のロシア的な抒情を情感豊かに歌いあげることに主眼を置いたアプローチであると言える。

特に、チャイコフスキーの「四季」に顕著であり、静謐ささえ感じさせるような詩情豊かな演奏は、これまで何度も聴いてきた同曲の知られざる魅力を感じさせるのに十分である。

これに対して、ラフマニノフの「幻想的小品集」も、あくまでも基本的なアプローチは、チャイコフスキーと変わらないとは思うが、例えば、有名な「鐘」などにおける、ここぞと言う時の力強い打鍵による圧倒的な迫力の凄まじさ。

こうした激しい感情の起伏と豊かな歌謡性を兼ね備えた演奏は、トロップがロシアのピアニストであることを改めて認識させてくれる。

Blu-spec-CD化によって、音質により鮮明さを増した点も評価したい。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 11:47コメント(0)トラックバック(0) 

2013年12月22日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



狼とともに暮らすことで知られる人気女性ピアニスト、エレーヌ・グリモーの近年の進境は素晴らしい。

このディスクでは、グリモー自身の解説とインタヴューがついており、興味深く読むことができる。

それによると、ショパンとラフマニノフのピアノ・ソナタ第2番は、「奥深く秘められた教会の、死の祭壇で執り行われる、優しさのミサ」であり、「真実の愛に満たされた魂」を表しているのだという。

そうした詩的な言葉は、聴き手に音楽を捉える新しい霊感を準備してくれるものだ。

誇張やエゴに陥らず、何度聴いても味わい深い、バランス感覚のとれたショパン。

しかも大きさ、豊かさを感じる。

リズムの俊敏さもグリモーらしい。

葬送行進曲も疾風のような第4楽章も、死と隣り合わせの不思議な優しさを湛えた演奏だ。

ラフマニノフはさらに音楽のスケールが大きく濃厚な情感を伝える。

ショパンに挟まれたラフマニノフというのは、ありそうでいてない、効果的な構成だ。

死と愛をテーマにした2つのソナタの後には、ほっとするように静かな2つのショパンの作品が配置される。

午睡にまどろむような「子守歌」は白眉の出来で、「舟歌」も曲に対する慈しむような思いが伝わってくる。

前半の大曲の厳しさとの対照が見事だ。

さらに、グリモーが素晴らしいのは、どこをとっても彼女の美貌を思わせるような気品の高さに貫かれているということであろう。

2004年12月のデジタル録音で、DG独自の4Dオーディオ・レコーディングが素晴らしく、どこまでもクリアな音質だ。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 21:27コメント(0)トラックバック(0) 

2013年12月09日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



今を時めく気鋭のピアニストと指揮者どうしの組み合わせ。

5年前に録音されたピアノ協奏曲第1番及び第2番も名演であったが、本盤もそれに優るとも劣らない名演だ。

両者のアプローチの特徴を一言で言えば、現代的に洗練された透明感溢れるアプローチと言ったところではないだろうか。

ラフマニノフの演奏でよく聴かれるロシア的情緒を強調した民俗色溢れるあくの強さなど、薬にしたくもない。

研ぎ澄まされた圧倒的な技量をベースとした透徹したピアニズムを銘とするアンスネスの美音と、それを現代的に洗練された指揮のパッパーノが巧みにサポートするという構図であり、このような切れ味鋭い現代的アプローチは、両曲の中でも第4番の方により相応しいものと言える。

第4番には、本盤と似たアプローチで現代的な音のドラマを展開したミケランジェリによる超名演があるが、本盤の演奏も、ミケランジェリ盤に肉薄する名演と高く評価したい。

力強い打鍵といささかも情緒には陥らない高踏的な美しさの見事な融合は、同曲が第2番や第3番に劣らぬ傑作であることを改めて認識させてくれる。

他方、第3番も旧盤でのリズム感溢れた青年らしい実直な演奏も素晴らしい出来だったが、音楽的に成熟しスケールの大きさそしてクリーンなテクニックとともにピアノを充分に底から鳴らし哀愁を帯びた美しい音色で演奏されたこの演奏は本当に見事。

確かに名演とは言えるが、こうした現代的なアプローチが、いささか淡白さを感じさせる箇所が散見され、もう少し情感の豊かさが欲しいという気がしないでもなかった。

録音もピアノとオーケストラとのバランスが非常に良く、両曲の協奏曲としての醍醐味を深く味わうことができる。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 21:13コメント(0)トラックバック(0) 

2013年10月17日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



楽興の時が超名演だ。

卓越したテクニックの下、力強い打鍵と、それと対照的な情感あふれる耽美的とも言うべきロシア的抒情の美しさ。

これらを駆使した各楽章の描き分けは見事と言うほかはない。

前奏曲と比較すると、録音の点数も少なく、知る人ぞ知る地位に甘んじている同曲ではあるが、このような超名演に接すると、そうした評価が非常に不当なもののように思えてくる。

SACDによる極上の高音質も、この超名演の価値をより一層高めることに貢献しており、おそらくは、同曲の録音史上のベストワンの地位に君臨する至高の超名演と高く評価したい。

他方、メインのピアノ協奏曲第3番は、決して凡演とは言えないものの、このコンビならば、もう一段レベルの高い演奏を成し遂げることが可能だったのではないかと、少々残念な気がした。

かつてのホロヴィッツや、最近では、キーシンやヴォロドス、ランランなどの名演が次々に生まれている状況に鑑みれば、そのような中で存在感を示すには、少々のレベルの演奏では困難だというのは自明の理である。

断わっておくが、本盤も決して凡庸な演奏ではなく、いい演奏ではある。

清水が尊敬するアシュケナージの抜群のサポートを得て、清水本人にとって最も特別なレパートリーである同曲を渾身の演奏で繰り広げていることは確かだ。

しかしながら、前述のような名演に慣れた耳からすると、インパクトがあまりにも少ないということだ。

SACDによる録音も、楽興の時に比べると、いささか鮮明さに欠ける気がした。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 21:16コメント(0)トラックバック(0) 

2013年10月02日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



本盤の演奏については、かつてはワイセンベルクの個性が、カラヤン&ベルリン・フィルによる豪壮華麗な演奏によって殆ど感じることができない演奏であると酷評されてきたところであるが、今般のSACD化によって、その印象が一掃されることになった意義は極めて大きいと言わざるを得ない。

もちろん、カラヤン&ベルリン・フィルの演奏は凄いものであり、今般のSACD化によってさらにその凄みを増したとさえ言える。

もっとも、流麗なレガートを駆使して豪壮華麗な演奏の数々を成し遂げていたカラヤンの芸風からすれば、ラフマニノフの楽曲との相性は抜群であると考えられるところであるが、カラヤンは意外にもラフマニノフの楽曲を殆ど録音していない。

カラヤンの伝記を紐解くと、交響曲第2番の録音も計画されていたようではあるが、結局は実現しなかったところだ。

したがって、カラヤンによるラフマニノフの楽曲の録音は、本盤に収められたピアノ協奏曲第2番のみということになり、その意味でも、本盤の演奏は極めて貴重なものと言えるだろう。

しかしながら、前述のように、演奏はいかにも全盛期のカラヤン&ベルリン・フィルならではの圧倒的なものである。

一糸乱れぬ鉄壁のアンサンブル、唸るような低弦の重量感溢れる力強さ、ブリリアントなブラスセクションの響き、桁外れのテクニックで美音を振りまく木管楽器群、そして雷鳴のように轟きわたるティンパニなど、圧倒的な音のドラマが構築されている。

そして、カラヤンは、これに流麗なレガートを施すことによって、まさに豪華絢爛にして豪奢な演奏を展開しているところであり、少なくとも、オーケストラ演奏としては、同曲演奏史上でも最も重厚かつ華麗な演奏と言えるのではないだろうか。

他方、ワイセンベルクのピアノ演奏は、従来CD盤やHQCD盤で聴く限りにおいては、カラヤン&ベルリン・フィルの中の一つの楽器と化していたと言えるところであり、その意味では、カラヤン&ベルリン・フィルによる圧倒的な音のドラマの構築の最も忠実な奉仕者であったとさえ言える。

しかしながら、今般のSACD化により、ワイセンベルクの強靭にして繊細なピアノタッチが、オーケストラと見事に分離して聴こえることになったことによって、実はワイセンベルクが、カラヤン&ベルリン・フィルの忠実な僕ではなく、むしろ十二分にその個性を発揮していることが判明した意義は極めて大きいと言わざるを得ない。

いずれにしても、筆者としては、同曲のベストワンの演奏と評価するのにはいささか躊躇せざるを得ないが、全盛期のカラヤン&ベルリン・フィル、そしてワイセンベルクによる演奏の凄さ、素晴らしさ、そして美しさを十二分に味わうことが可能な素晴らしい名演として高く評価したい。

併録のフランクの「ピアノと管弦楽のための交響的変奏曲」は、ワイセンベルクのピアノ演奏の個性がラフマニノフよりも更に発揮されているとも言えるところであり、カラヤン&ベルリン・フィルによる名演奏とも相俟って、同曲の美しさを存分に味わわせてくれるという意味において、さらに素晴らしい名演と高く評価したい。

音質は、1972年のスタジオ録音であり、従来CD盤では今一つ冴えない音質であったが、数年前に発売されたHQCD盤は、若干ではあるが音質が鮮明になるとともに、音場が幅広くなったところである。

しかしながら、今般、ついに待望のSACD化が行われることによって、見違えるような鮮明な音質に生まれ変わった。

音質の鮮明さ、音場の幅広さ、そして音圧のいずれをとっても一級品の仕上がりであり、あらためてSACDの潜在能力の高さを思い知った次第である。

とりわけ、前述のように、ワイセンベルクのピアノ演奏とカラヤン&ベルリン・フィルの演奏が明瞭に分離して聴こえるのは殆ど驚異的ですらある。

いずれにしても、カラヤン&ベルリン・フィル、そしてワイセンベルクによる素晴らしい名演を、SACDによる高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 23:32コメント(0)トラックバック(0) 

2013年07月12日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



アバドとユジャ・ワンの組み合わせで、彼女を世の中に有名にしたディスクである。

両曲ともに素晴らしい名演だ。

特に、パガニーニの主題による変奏曲については、同曲演奏史上ベストワンを争う名演と言ってもいいのではなかろうか。

それは、ユジャ・ワンの気高いピアノと若き才能ある奏者が集まったマーラー室内管弦楽団によるフレッシュな演奏によるところが大きい。

同曲は変奏曲だけに、目まぐるしく変転する各変奏曲の表情づけをいかに巧みに行うのかが鍵となるが、ユジャ・ワン、そしてマーラー室内管弦楽団は、変幻自在のテンポ設定や幅の広いダイナミックレンジを大胆に駆使しつつ、曲想を心を込めて精緻に描き出していく。

それ故に、ラフマニノフ特有のメランコリックなロシア的抒情の描出にはいささかも抜かりはないが、若き音楽家たちによる演奏だけに、ラフマニノフの演奏に時として聴かれる大仰さがなく、全体に力強い生命力とフレッシュな息吹が漲っているのが素晴らしい。

厚手の外套を身にまとったような重々しい演奏が主流の同曲の演奏に、新風を吹き込んだこのコンビによる清新な名演に大いに拍手を送りたい。

他方、ピアノ協奏曲第2番は、海千山千の名演が目白押しだけに、本盤をベストワンを争う名演とするのは困難であるが、変奏曲と同様のアプローチによる新鮮味溢れる名演と評価するのにいささかの躊躇もしない。

アバドは、大病を克服した後は音楽に凄みと深みが加わり、現代における最高峰の指揮者の一人と言える偉大な存在であるが、本盤では、若き音楽家たちを慈しむような滋味溢れる指揮ぶりが見事である。

録音も鮮明で文句なし。

ちなみに「ライヴ」と銘打っているが、音質、ノイズ面などから、部分的にはスタジオ収録であると思われる。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 21:57コメント(0)トラックバック(0) 

2013年06月20日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



これは素晴らしい名演だ。

近年のゲルギエフ&ロンドン交響楽団の充実ぶりを窺い知ることができる名演とも言うことができるだろう。

本盤の選曲も絶妙である。

ストラヴィンスキーとラフマニノフと言えば、その芸風は全く正反対。

この両者は、同時期にアメリカ合衆国で活躍していたこともあるが、ストラヴィンスキーはラフマニノフの楽曲を前時代的な作風と酷評していたのは想像に難くなく、他方、ラフマニノフにしてみれば、ストラヴィンスキーの楽曲は、革新的でとても受け入れがたいものであったのではないだろうか。

それでも、どちらが送り手だったか記憶が定かではないが、両者には有名な蜜月の逸話が存在しており、両者のまるで異なる芸風ほどに溝があったのではないのかもしれない。

実際のところ、この両者は、ともに故国ロシアの大作曲家であるチャイコフスキーを深く敬愛していたことにおいても共通しており、意外にもお互いを認め合っていたと言えるかもしれない。

しかしながら、本盤に収められたストラヴィンスキーの3楽章の交響曲と、ラフマニノフの交響的舞曲は、全く対照的な作品と言える。

革新的なリズムをベースとしつつ、強烈無比な不協和音などがさく裂する現代音楽の申し子のような楽曲と、故国ロシアへの望郷の念が色濃く反映された情感豊かでメランコリックな旋律に満ち溢れた楽曲。

ゲルギエフは、この対照的とも言える両曲を巧みに振り分け、両曲の魅力を最大限に表現し得ている点を高く評価したい。

ゲルギエフによる両曲のアプローチは、近年のこれら両曲の演奏において一般化しつつある洗練されたものではない。

むしろ、個性的で、いわばあくの強ささえ感じさせるものであり、ストラヴィンスキーの3楽章の交響曲で言えば、ブラスセクションなどもオブラートに包むなどという小細工を弄することなど薬にしたくもなく、ブラスセクションにとどまらず、すべての楽器セクションを思い切って鳴らし、同曲の性格でもある一種の原始的な様相を殊更に強調しているとさえ言えるだろう。

かかるアプローチ故に、他のどの演奏にも増して、ストラヴィンスキーが同曲に込めたメッセージが明瞭に表現されているとも言えるところであり、その意味では、前述のように、同曲の魅力を最大限に引き出すことに成功した稀有の名演と評価してもいいのではないかとも考えられるところだ。

ラフマニノフの交響的舞曲も、同曲に特有のメランコリックな旋律の数々を、さすがにかのスヴェトラーノフほどではないが、思い切って歌い抜いており、演奏全体から漂ってくる独特の情感の豊かさは、ラフマニノフが亡命した後、2度と足を踏み入れることができなかった故国ロシアへの深い愛着の念が滲み出ており、実に感動的である。

演奏全体のスケールの大きさは、悠久の大地ロシアを思わせるのに十分であり、本演奏を、近年のゲルギエフの充実ぶりが如実にあらわれた名演と評価するのにいささかも躊躇するものではない。

加えて、本盤で素晴らしいのは、マルチチャンネル付きのSACDによる極上の高音質録音である。

いずれにしても、ゲルギエフ&ロンドン交響楽団による素晴らしい名演を、マルチチャンネル付きのSACDという、臨場感溢れる極上の高音質で味わうことができるのを大いに喜びたい。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 21:38コメント(0)トラックバック(0) 

2013年06月05日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



アシュケナージは、ハイティンクなどと同様に賛否両論が分かれる指揮者であるが(ピアニストとしても)、アシュケナージに厳しい評価をするクラシック音楽ファンでも、ラフマニノフの演奏に関しては高い評価をする人も多いのではないだろうか。

ベートーヴェンやブラームスの交響曲においては、過不足のない演奏を行ってはいるものの、今一つ踏み込み不足の感が否めないアシュケナージではあるが、ラフマニノフの楽曲を指揮する際には(そして、ピアニストとしてピアノ演奏する際には)、まさに大芸術家に変貌すると言っても過言ではあるまい。

ラフマニノフと同様に旧ソヴィエト連邦から亡命をしたロシア人であり、ピアニストであるという同じような経歴を有するということが、アシュケナージのラフマニノフへの深い愛着とともに畏敬の念に繋がっているとも考えられる。

アシュケナージが指揮したラフマニノフの交響曲や管弦楽曲、協奏曲、合唱曲、そしてピアニストとして演奏した協奏曲やピアノ曲については、相当数の膨大な録音が存在しているが、いずれも素晴らしい名演であり、それらに優劣を付けるのは困難である。

本盤には、ラフマニノフが自称最高傑作と評していた合唱交響曲「鐘」を軸に、「6つの合唱曲」、カンタータ「春」、そして「3つのロシアの歌」が収められているが、ラフマニノフに私淑するアシュケナージならではの圧倒的な名演に仕上がっていると高く評価したい。

アシュケナージは、合唱交響曲「鐘」を、1980年代前半にもコンセルトヘボウとともにスタジオ録音を行っており、それも名演ではあったが、筆者としては、後述の音質面をも含めて総合的に勘案すると、本演奏の方をより上位に掲げたい。

そして、同曲には、デュトワやポリャリンスキーなどによる演奏以外に目ぼしい演奏が乏しいことに鑑みれば、本演奏こそは、同曲演奏史上最高の超名演との評価もあながち言い過ぎではあるまい。

アシュケナージによる本演奏は、テンポの緩急、表情づけの巧みさ、ロシア風のメランコリックな抒情に満ち溢れた旋律の歌わせ方、壮麗にして重厚な迫力のすべてにおいて、これ以上は求め得ないような見事な演奏を繰り広げている。

このように述べると、あたかもとある影響力の大きい某音楽評論家がアシュケナージを貶す際に使用する「優等生的な演奏」のように思われるきらいもないわけではないが、アシュケナージの演奏の場合は、アシュケナージがラフマニノフの本質をしっかりと鷲掴みにしているため(というよりも、アシュケナージがラフマニノフ自身と化しているため)、本演奏こそが同曲演奏の理想像の具現化のように思われてならないのだ。

これは、バーンスタインがマーラーの交響曲や歌曲を演奏する時と同様であるとも言えるだろう。

まさに、指揮者と作曲家の幸福な出会いというのが、本演奏を超名演たらしめた最大の要因であると考えられる。

「3つのロシアの歌」、「6つの合唱曲」、そしてカンタータ「春」についても、合唱交響曲「鐘」と同様のことが言えるところであり、ラフマニノフの音楽を自らの血とし肉としたアシュケナージならではの圧倒的な超名演と高く評価したい。

アシュケナージの指揮の下、豊穣で極上の美を誇る弦楽合奏をベースとした渾身の名演奏を繰り広げたチェコ・フィルにも大きな拍手を送りたい。

マリーナ・シャーグチ(ソプラノ)、イリヤ・レヴィンスキー(テノール)、そしてセルゲイ・レイフェルクス(バリトン)の各独唱陣や、プラハ・フィルハーモニー合唱団も最高のパフォーマンスを発揮していると高く評価したい。

「6つの合唱曲」におけるアシュケナージのピアノ演奏の素晴らしさは、もはや言わずもがなである。

音質は、従来CD盤でもDSDレコーディングということもあって極めて良好なものと言えるが、ベストの音質は、同時期に発売されたシングルレイヤーによるマルチチャンネル付きのSACD盤である。

何よりも、マルチチャンネルが付いていることもあって、音質の極上の鮮明さに加えて音場に圧倒的な臨場感があるのが大きなメリットである。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 21:13コメント(0)トラックバック(0) 

2013年05月30日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



これは名演揃いの素晴らしい全集だ。

本盤には、ラフマニノフの交響曲全集のほか、交響的舞曲を含めた管弦楽曲のほぼすべてが収められており(合唱交響曲「鐘」は収められていない)、これは、ロシア系の指揮者を除けば、ラフマニノフを十八番としているプレヴィン&ロンドン交響楽団によるほぼ完全な全集(1973〜1976年)以来の快挙とも言える。

プレヴィン盤は現在でもなお高い評価を得ている名演と言えるが、本盤のエド・デ・ワールト&オランダ放送フィルの演奏も、それに肉薄する名演と高く評価したい。

ラフマニノフの演奏と言えば、ロシア風の民族色を強調したあくの強い演奏(ロシア系の指揮者(例えば、スヴェトラーノフやゲルギエフなど)による演奏)や、かかるロシア風の民族色を洗い流した洗練の極みとも言える演奏(デュトワやラトル等による演奏)などが掲げられ、それぞれに優れた名演であると言えるが、エド・デ・ワールトによる本演奏は、プレヴィンによる演奏や、ロシア風の民族色を適度に強調しつつも洗練された味わいを付加したアシュケナージによる演奏などと同様に、その中間型にある名演と言えるのではないだろうか。

エド・デ・ワールトは、各楽曲の曲想を精緻に、そして丁寧に描き出している。

もちろん、スコアに記された音符の表層だけをなぞっただけの浅薄さにはいささかも陥っておらず、どこをとっても奥深い情感に満たされているのが素晴らしい。

そして、ロシア風の民族色をやたら強調するというようなことは一切行っておらず、各楽曲にこめられたラフマニノフ特有のロシア風のメランコリックな抒情の歌い方もいささかも重々しくなることはないが、洗練の度が過ぎるということもない格調の高い中庸の美しさを誇っていると言えるところであり、その奥行きのあるロマンティシズムには、ある種の気品さえ感じさせられるほどだ。

エド・デ・ワールトの確かな統率の下、オランダ放送フィルもその卓越したアンサンブルを駆使した見事な演奏を繰り広げており、特にこのオーケストラが有する北ヨーロッパのオーケストラならではの幾分くすんだいぶし銀の音色が、本演奏に適度の潤いと味わい深さを付加しているのを忘れてはならない。

また、本全集が更に優れているのは、マルチチャンネル付きのSACDによる極上の高音質録音である。

これは、前述のプレヴィン盤などと比較しても大きなアドバンテージであり、本全集の価値をさらに高めることに大きく貢献している点を忘れてはならない。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 21:48コメント(0)トラックバック(0) 

2013年05月29日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



イタリアの俊英の指揮者パッパーノは、既にアンスネスと組んでラフマニノフのピアノ協奏曲全集を録音したが、いずれも素晴らしい名演に仕上がっており、とりわけ第3番及び第4番については至高の名演であった。

そのようなパッパーノが、ついにラフマニノフの交響曲第2番を録音したというので大いに期待をして聴いたのであるが、かかる期待をいささかも裏切ることがない素晴らしい名演に仕上がっていると高く評価したい。

ラフマニノフの交響曲第2番は、今や様々な指揮者によって相次いで演奏・録音が行われている一大人気交響曲である。

そのような人気の上昇に伴って、同曲の演奏様式も、ロシア風の民族色を強調したアクの強い演奏よりも、むしろより洗練された演奏が主流になりつつあるように思われる。

パッパーノによる本演奏も、こうした近年の洗練されたアプローチが下敷きにあると言える。

もっとも、パッパーノの場合は必ずしも洗練一辺倒には陥らず、単にスコアの音符のうわべだけをなぞった薄味の演奏に陥っていない点に留意する必要がある。

むしろ、全体としては洗練な装いの中で、各旋律を徹底して優美に歌わせていると言えるところであり、どこをとっても豊かな情感に満ち溢れているとさえ言える。

かかる歌謡性の豊かさは、パッパーノがイタリア人であるとともに、イタリア・オペラを得意のレパートリーとしていることの表れとも言えるのではないかと思われるところだ。

もう少し強靭な重厚さが欲しいと感じられなくもないが、これだけ堪能させてくれれば文句は言えないのではないかと考えられる。

いずれにしても、本演奏は歌心に満ち溢れた情感豊かな素晴らしい名演に仕上がっていると言えるところであり、本演奏を聴いて、パッパーノに対して、引き続いてラフマニノフの交響曲第1番や第3番、交響的舞曲などの録音を望む聴き手は筆者だけではあるまい。

また、併録に、リャードフの交響詩「魔法にかけられた湖」を採り上げたのは実に意外性のあるカップリングであるが、これまたラフマニノフの交響曲と同様のアプローチによる優美にして情感豊かな名演と評価したい。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 21:22コメント(0)トラックバック(0) 

2013年04月17日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



ラフマニノフの交響曲第2番は、今や多くの指揮者によるレパートリーとされている。

ヤンソンスもその例にもれず、本盤を含めた全集を完成している。

ただ、演奏が優れているかどうかと言うと、筆者としてはいささか疑問に思う点がないわけではない。

良く言えば、サンクトペテルブルク・フィルの剛健にして緻密な響きにヤンソンスの粋なセンスが加わり、ラフマニノフの交響曲から、洗練された芳醇なロシア的ロマンティシズムが香ってくる演奏。

しかしおそらくは、現在の円熟の境地にあるヤンソンスならば、もっと充実した演奏が出来たのではないかとさえ思う。

それくらい、この「第2」は、イマイチなのだ。

何が物足りないかと言うと、アプローチに一貫性がないという点である。

「第2」の演奏様式としては、ロシア音楽としてのあくの強さを強調した演奏(スヴェトラーノフやゲルギエフなど)と、20世紀の音楽を意識した洗練された演奏(デュトワなど)に大きく分かれると考えているが、ヤンソンスの演奏は、どっちつかずなのである。

冒頭の開始部は、どの演奏よりもスローテンポで開始され、これはロシア的な情緒を全面に打ち出した演奏かと思うと、主部に入ると一転して颯爽とした洗練の極み。

このようなどっちつかずの演奏が、全曲を支配していると言えるところであり、これでは中途半端のそしりは免れないと言える。

むしろ、併録の「スケルツォ」や、特に、「ヴォカリーズ」は、ラフマニノフの美しい旋律を徹底的に歌い抜いた名演と高く評価したい。

ラフマニノフ最初の管弦楽作品である「スケルツォニ短調」も聴きものだ。

HQCD化によって、音質が鮮明になった点は評価できる。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 21:01コメント(0)トラックバック(0) 

2013年03月31日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



何よりもガヴリーロフのピアノが素晴らしい。

ロシアの悠久の大地を思わせる重厚なピアニズムと、故国を思う郷愁に満ち溢れた情感の豊かさが、演奏に結晶化しており、超絶的な技巧も圧倒的だ。

特に、ピアノ協奏曲第2番の第2楽章は、他のどのピアニストよりも、テンポをゆったりとしたものとして、情感豊かな感動的な演奏を繰り広げている。

時折見られる間の取り方も実に効果的であり、こうした点に、ガヴリーロフの芸術家としての抜群のセンスの良さを感じさせる。

パガニーニの主題による狂詩曲の、各変奏の描き分けも、超絶的な技巧をベースとして、完璧に表現し尽くしており、有名な第18変奏の美しさには、もはや評価する言葉が追いつかないほどの感動を覚えた。

ムーティの指揮も素晴らしい。

イタリア・オペラを得意とした指揮者だけに、ラフマニノフの抒情豊かな旋律の歌い方の何と言う美しさ。

それでいて、ピアノ協奏曲第2番の終楽章の終結部の猛烈なアッチェレランドなど、決めるべきところのツボを心得た心憎いまでの演出巧者ぶりを示しているのはさすがと言える。

当時の手兵であるフィラデルフィア管弦楽団は、オーマンディやデュトワとともに、ラフマニノフの名演を数々残してきたこともあり、本盤でも、ムーティの統率の下、最高のパフォーマンスを示していると言える。

HQCD化によって、音質は非常に鮮明になっており、本名演の価値を高めるのに大きく貢献している。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 21:06コメント(0)トラックバック(0) 

2013年02月03日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



ラフマニノフの交響曲第2番は、最近では様々な指揮者によって録音がなされる超有名曲になった。

それに伴って、演奏様式も、大衆に受け入れやすいということも考慮してか、ロシア的情緒を強調したあくの強いものよりも、洗練された演奏が増えてきているように思われる。

本盤のスラットキンによる新盤も、そうした現代の洗練された演奏様式に沿ったものと言えるだろう。

それは、最近発売されたゲルギエフによるあくの強い新盤との違いを見ても明らかだ。

どこをとっても、ラフマニノフならではの極上の美酒のような名旋律を美しく響かせ、嫌味のない音楽が全く淀みなくスムーズに流れていく。

まさに、耳の御馳走とも表現したい美演ということができるだろう。

したがって、この曲に、もう少し個性的な表現を期待する聴き手からすると、いささか物足りなさを感じるかもしれない。

併録の「ヴォカリーズ」は、「第2」で示した洗練された演奏様式を予見させるような佳演に仕上がっていると言える。

この「ヴォカリーズ」を、メインの「第2」の後ではなく、前に持ってきたというのが、仮にスラットキンの明確な意図によるものだとすれば、「第2」の演奏の先取りを行うという意味において、なかなかのアイデアと言わざるを得ないだろう。

デトロイト交響楽団は、スラットキンの統率の下、なかなかの好演を行っていると言える。

録音も(Naxosであることが少々驚きだが)最新で非常に良く、この曲の素晴らしさを再発見することができる1枚になるだろう。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 21:27コメント(0)トラックバック(0) 

2013年01月21日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



マイスキー、レーピンには共にこのチャイコフスキー:ピアノ三重奏曲の過去録音盤(勿論各々別演奏)があり前者は1998年アルゲリッチ、クレーメルという凄いメンバー共演でのライヴ、後者はベレゾフスキー、ヤブロンスキー共演の1997年の録音であった。

さて、本盤は2009年マイスキー、レーピンがラン・ラン(録音当時推定27歳)と共演した話題のスター級演奏者による演奏盤である。

ラン・ラン、レーピン、マイスキーは、いずれも、それぞれの楽器演奏者の中でもトップを争う個性派であるが、本盤は、初顔合わせとは言えないくらい息のあった演奏を行っている。

ラン・ラン初の室内楽録音ということもあり、アンサンブルの土台を築いているのはマイスキーだ。

でも彼は特に引っ張ることなく、残る2人が自在に動き、持ち味を十分発揮できるように取りなしている。

チャイコフスキーもラフマニノフも、情感溢れる曲であり、曲想も目まぐるしく変化するが、相手に合わせようという安全運転の箇所はいささかも見られず、むしろ、三者が、それぞれの思いのたけを全力でぶつけ合うような激しさがある。

したがって、例えば、チャイコフスキーの第2楽章の終結部など、聴き手のドキモを抜くのに十分な迫力であるが、それでいて決して気品や美しさを失わないのは、三者の音楽性の高さの証左と言えるだろう。

特にラン・ランの瑞々しい音色は印象的で、レーピンも慎ましやか。

ロマンティックなチャイコフスキー節を堪能したい人には第一に推せる演奏と言えよう。

このトリオでの、さらなる新録音を大いに期待したい。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 21:21コメント(0)トラックバック(0) 

2013年01月19日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



ラトルの若き日の録音であるが、圧倒的な感銘を与えるラトルの面目躍如たるラフマニノフで、今日の世界的な大指揮者への成長を予見させるのに十分な素晴らしい名演と高く評価したい。

ことさらな演出を施さなくても音楽自体に充分に語らせることができるというラトルの自信がうかがえる清新そのものの演奏。

ラフマニノフの交響曲第2番は、今でこそ多くの指揮者がレパートリーとする超有名曲であるが、本盤の録音当時は、知る人ぞ知るという地位に甘んじていた。

当時、新進気鋭の指揮者であったラトルも、おそらくは未知の名曲に挑戦するような気持ちで、この曲の指揮に臨んだものと思われる。

確かに、そうした意欲も相まって、若さ故の粗削りなところが随所に見られる。

特に、第2楽章や終楽章のトゥッティのいささか力づくとも言える力奏は、無機的な響きで、浅薄な印象を与える危険性もはらんではいる。

しかしながら、抒情的な箇所での情感豊かな表現は、そうした欠点を補って余りあるような、未来の巨匠を予見させるのに十分な堂々たる指揮ぶりであると言える。

特に、第3楽章など、かのスヴェトラーノフや新盤でのプレヴィンのようなゆったりとしたテンポで、ラフマニノフ最高の美しい名旋律を心を込めて歌い抜いていく。

それでいて、この曲のもつ高度に対位法的な構成感がよく見渡され、それまでの情趣過多な演奏とは一線を画している。

全曲ノーカット、61分20秒をたっぷりとみずみずしく歌っており、じっくりとしたメロディーを聴きたい派の人には大きな満足感が得られるように思う。

ロスアンジェルス・フィルも、こうした若きラトルの指揮によくついていっており、まさに快演とも言ってもいい名演であると言える。

今のラトルならもっと深みのある演奏をするだろうが、若さが故の魅力もある演奏だ。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 21:18コメント(0)トラックバック(0) 

2012年12月29日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



ラフマニノフの交響曲第2番は、今や最もポピュラーな交響曲の一つだろう。

現代の有名な指揮者の殆どが、同曲の録音を残している。

その演奏の傾向は、私見ではあるが、大きく2つに分かれると考えている。

一つは、ロシア音楽であることを重視し、ロシア風のアクの強い民族色豊かな演奏。

もう一つは、20世紀初頭の音楽であることを意識した洗練された演奏。

前者については、スヴェトラーノフやゲルギエフの新盤などに名演があり、後者には、デュトワの名演がある。

そして、これらの中間に位置する折衷型の名演が、この交響曲を一躍有名にすることに大きく貢献したプレヴィンということになるのではなかろうか。

本盤のフィッシャーの演奏は、この折衷型のプレヴィンの演奏の系統に連なる名演であると考える。

第1楽章など、実に洗練した表情で開始されるが、ここぞという時の力強い迫力は、ロシアの悠久の大地を思わせる。

第2楽章の終結部の金管楽器の響かせ方も初めて聴くような新鮮なものであるし、第3楽章の中間部のゲネラルパウゼも実に個性的だ。

ただ、オーケストラの音自体はいささか細く、もう少し量感はほしかったとは思うが、とはいえ、大変優秀な成果であることは疑いない。

併録の「ヴォカリーズ」は、ラフマニノフならではの美しい旋律をさらに磨き抜いた極上の美演。

SACDマルチチャンネルによる極上の高音質は、指揮台上で聴こえる音で録音してほしいとの指揮者のリクエスト通りの生々しい音質であり、本盤の名演の価値をより一層高めることに大きく貢献している。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 21:49コメント(0)トラックバック(0) 

2012年12月13日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



演奏もさることながら、本盤の魅力は、SACDマルチチャンネルによる極上の高音質である。

ラフマニノフのピアノ協奏曲第3番は、あらゆるピアノ協奏曲の中で、終始ピアノが弾き続ける随一の超難曲であるが、このような極上の立体音響で聴くと、ピアノの動きがよくわかり、いかに至難な曲であるのかが理解できる。

この曲はラフマニノフの自作自演やホロヴィッツを愛聴してきたが、この新録音を聴いて久しぶりに衝撃を受けた。

マツーエフのピアノは超絶的な技巧を駆使しつつ、力強い打鍵が見事であり、この曲の持つ故国ロシアへの望郷の抒情の描き方も素晴らしい。

導入部のピアノの繊細な音色とクライマックスの色彩感は、何度聴いても素晴らしい。

ゲルギエフ&マリインスキー劇場管弦楽団のサポートも見事であり、前述の録音の素晴らしさも相まって、見事な名演と評価したい。

しかし、第3楽章にまさかのカットがあり、いくらラフマニノフ自身がカットを公認した箇所とはいえ、1950年代のLPならともかく、2009年になってまだその箇所をカットして録音するのはいただけない。

パガニーニの主題による狂詩曲も、構築力の堅固さ、オーケストラのしなやかな表現力は、素晴らしいの一言に尽きる。

各部の描き分けが実に巧みであり、同曲のベストを争う名演と言っても過言ではないと思われる。

マツーエフ&ゲルギエフのコンビによる残りのラフマニノフの録音も期待したい。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 21:43コメント(0)トラックバック(0) 

2012年11月21日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



いかにもロシア的な抒情に満ち溢れた超名演だ。

ラフマニノフの「第2」は、最近では多くの指揮者が演奏する人気曲として認知されているが、現代風に洗練された演奏が主流となり、ロシア音楽ならではのアクの強い演奏が鳴りをひそめているのが何とも残念な傾向にあると思っていた。

そこに登場したのがゲルギエフの再録音に当たる本盤であり、スヴェトラーノフほどではないものの、ロシア音楽ならではのアクの強さが顕在化しているのが何とも嬉しい限りだ。

第1楽章は、提示部を繰り返しているのに大変驚かされた。

他の指揮者でも、ザンデルリンクの新盤くらいしか見当たらず、非常に稀な例と言えるだろう。

しかしながら、繰り返しによる冗長さはいささかも感じられず、むしろ繰り返しが必然のように思えてくるのは、演奏の素晴らしさの証左と言える。

ロシアの悠久の大地を思わせるようなスケールの大きい重量感や、ロシア風の情感溢れるうねるような演奏が実に感動的だ。

第2楽章は、各局面におけるテンポ設定の巧みさが際立つ。

畳み掛けるような弦楽による重厚な進軍やアッチェレランドの駆使は、我々聴き手の度肝を抜くのに十分な迫力だ。

第3楽章は、旧盤よりもゆったりとしたテンポで、名旋律を歌い抜く。

スヴェトラーノフに比べると、幾分抑制がかかっているように思うが、それでも情緒に溺れることなく、高貴な芸術性を失わない点は、さすがの至芸とも言える。

特に、コーダの意味深さはゲルギエフが一番だ。

終楽章は、華麗なる音の饗宴であるが、それでいて単なる馬鹿騒ぎには陥らず、テンポといい、強弱といい、いずれも申し分なく、決して上滑りしない彫りの深い表現を行っている点を高く評価したい。

終結部の踏みしめるようなティンパニや金管の最強奏や、猛烈なアッチェレランドには、もはや言葉を失うほどの感動を覚えた。

SACDマルチチャンネルによる極上の高音質も本盤の魅力の一つであり、今後録音が予想される「第1」や「第3」への期待を持った聴き手は、決して筆者だけではあるまい。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 21:34コメント(0)トラックバック(0) 

2012年10月11日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



堂々たる音色と多彩なテクニックを持つアルカディ・ヴォロドスが、ピアニストのレパートリーの中でもっともよく知られた名作である、チャイコフスキーとラフマニノフの協奏曲に挑戦した。

かつて2枚に分かれていたチャイコフスキーの「第1」とラフマニノフの「第3」を、それぞれの盤にカップリングされていたピアノ曲の小品を除いて1枚にまとめたもの。

いずれも、卓越したテクニックを誇るヴィルトゥオーゾ・ピアニストであるヴォロドスならではの圧倒的な技量と、小澤、レヴァインという名指揮者、さらに、ベルリン・フィルという役者が勢ぞろいした贅沢な名演である。

ヴォロドスのスタンダードナンバーの演奏は非常に端正であり、その演奏スタイルは地味で虚飾のない正統派を意識している。

チャイコフスキーの協奏曲は、ヴォロドスがベルリン・フィルの定期演奏会に登場した時のライヴ。

彼の実力をまざまざと見せつけ、絶賛された演奏だ。

小澤征爾の指揮も完全燃焼している。

ラフマニノフの協奏曲でもヴォロドスは、レヴァイン=ベルリン・フィルという強力なサポートを受けて、持てる力を存分に発揮している。

いずれも現代最高の演奏家たちによる至上の調べを堪能できる名演である。

かつての2枚については、筆者も既にSACDで聴き、それも実に素晴らしい高音質であったと記憶しているが、CDに掲げてある表示によれば、本盤はBlu-spec-CD化のため、昨年に新たにDSDマスタリングした音源を使用しているとのことであり、SACDとは違った魅力のある音質に生まれ変わっている。

チャイコフスキーの冒頭のホルンなども鋭角のとれたやわらかい音色で、この部分を聴くだけでも、新たなDSDマスタリングが効果的であったことがよくわかる。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 21:26コメント(0)トラックバック(0) 

2012年08月27日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



アシュケナージの新たな手兵、シドニー響と描くラフマニノフの世界。

シドニー響のブリリアントな響きと、アシュケナージの統率力、構成力が一体となって、魅力的なラフマニノフ・ワールドを築き上げている。

ロイヤル・コンセルトヘボウ管との全集に次ぐ2度目の全集である。

オーケストラの質や力量の違いもあって、筆者としては、旧全集の方を今なお上位に置きたいが、ラフマニノフはアシュケナージの得意の楽曲だけあって、本盤でも、決して一流とは言えないシドニー交響楽団を見事に統率し、抒情溢れる名演を成し遂げている。

旧盤と比較すると、やや角が取れ丸くなった印象があるが、それは、アシュケナージの円熟と無関係ではないだろう。

これは名演だ。大いに堪能した。

ラフマニノフの作品は陰鬱な抒情と纏綿たる情緒が特徴だから、それらを照れずに表現すればそれだけでかなりの満足度が保証される。

アシュケナージの指揮は旧盤より一層語り口がうまくなって歌も迫力も申し分なし。

オーケストラの精度は、ランク付け的には旧盤のロイヤル・コンセルトヘボウ管にかなわないだろうけど、ここでは不満はなし。

併録の「カプリッチョ・ボヘミアン」のようなラフマニノフの初期の曲を、魅力あふれる楽曲に仕立て上げるのも、ラフマニノフを得意とするアシュケナージならではの力量だと言える。

全てにおいて、巨匠アシュケナージの音楽的底力である、テンポ感、リズム感、前進力、構成力には脱帽だ。

ともかくこれからの両者のレコーディング活動に存分に期待できる新鮮な録音となった。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 21:10コメント(0)トラックバック(0) 

2012年02月16日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



ラフマニノフの第3番は、ロマン派の名人協奏曲の中でもヴィルトゥオジティの醍醐味を最も強く感じさせる作品。

この演奏は、ホロヴィッツのこの作品の録音のなかで最も古いものであり、音質的にはかなり古くて情けないものである。

しかし、そこでは、若き巨匠の火花が飛び散るような神技が発揮され、それが聴き手を文句なしに圧倒してしまう強烈な表現が展開されている。

まさに壮絶な名演であり、20歳代の若きホロヴィッツの鋼鉄のようなタッチと恐ろしいほどの集中力は、見事と言うほかはなく、すべての聴き手をあきれさせることだろう。

若きホロヴィッツは、あり余るほどの余裕を感じさせるその桁外れにパワフルなテクニックをうならせて、このブリリアントで演奏困難な大作を他に例がないほど鮮やかに弾ききっているのである。

両端楽章に示された絶対に疲れをみせないテクニックとヴァイタリティの凄さは、確かに人間離れしたものであり、中でも第1楽章の長大なカデンツァに示された圧倒的なテクニックの冴えは、彼の独壇場といえる世界である。

このテンポをクリアできるのはホロヴィッツくらいだろう。

それほどテンポは速い。

しかしそれでもなおかつ表現には余裕があり、テクニックにも乱れがない。

力強さと繊細さ、そしてスケールの大きいロマン性を痛感。

同曲の魅力を知るうえでは不可欠な演奏だ。

この録音には、ホロヴィッツの最高の栄光を見出すことができる。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 23:24コメント(0)トラックバック(0) 

2011年07月31日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



ピアノ協奏曲第3番(1951年盤)は、ホロヴィッツ最盛期の名演であり、この曲の歴史的名演に数えられる。

ホロヴィッツのこのモノーラル録音が放つ閃光は、約60年を経た現在でも未だ少しも衰えない。

凄絶なテクニック、鋭い切れ味、表現の振幅の大きさ、表出力の鋭さ、すべてにわたってこのピアニストの類いなく冴えわたった感覚を伝える演奏となっている。

あるいはこの協奏曲の古今の諸ディスク中、ラフマニノフの自演盤と並び最右翼の原点に位置するものともいえるだろう。

ホロヴィッツは、独特の華麗なタッチにより、ときに大胆な語り口を交えて弾き進めながら、ラフマニノフの華やかなピアニズムと、哀愁を帯びたロマンティシズムを、豪快なスケールで描く。

豊かな詩情の湧出はあっても感傷的な弱々しさは微塵もなく、一貫して鋭敏な感性とシャープさを基本とし、少しの緩みもない曲運びをみせる。

ライナーのサポートも引き締まり、ここにはエモーションに流されることなく徹底して凝集力のあるラフマニノフの美が結像している。

ラフマニノフの第2ピアノ・ソナタには、かなり長大な1913年初版と、それから彼自身が規模の上で短縮した1931年改訂版とがある。

最近の若いピアニストや学生たちは、その双方のいずれかを使って、かなり数多くとりあげるようになっている。

ホロヴィッツにとっては、この作品は早くからレパートリーの一つとなっているが、彼の場合、その2つの版から彼独自のエディションをつくり出しており、華麗な技巧を駆使し、しかも構成的にも初版よりも緊張感を高めたものとなっている。

それは、まさに魅力的で、そのライヴとしては、1968年盤も残されているが、この1980年盤は、晩年の円熟が最もよいかたちで表れたもので、他の追随を許さぬ境地だ。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 01:22コメント(0)トラックバック(0) 

2010年10月02日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。

   

ラフマニノフのピアノ作品は、まず何よりも、20世紀前半のロシア・ピアノ界の大巨人たるピアニスト、ラフマニノフ自身のために作曲されている。

ラフマニノフの"巨人"とも呼ぶべき体躯、そして、その身体にふさわしい腕と指、そして今日でも古さを感じさせないテクニックを前提として、彼のピアノ作品は作られたのだ。

アシュケナージもリヒテルもオボーリンもギレリスも、ホロヴィッツですら、この点において、ラフマニノフには及ばない。

もしも、ラフマニノフが現代に生きていたら、一体どれだけ多くのロシアのピアニストがソリストとしての仕事を失っていただろうか。

ラフマニノフは、その音楽性においても、リストとアントン・ルビンシュテインの弟子であったシロティの流れを引きながら、そこに20世紀的な新しい方向性を与えたピアニストであり、作曲家であった。

その音楽性は、ヨーロッパとロシアのピアニズムの融合から生まれた濃厚で甘美なものであった。

ショパンやシューマンを弾くラフマニノフは、19世紀ロマン派のピアニストだったが、自作自演のラフマニノフは、ノイエ・ザッハリヒカイト以後の20世紀のピアニストだった。

ともあれ、ラフマニノフが残した自作自演の録音には、不世出とも呼ぶべき巨大な音楽性とヴィルトゥオジティの記録が刻まれている。

彼の自作自演は、決して古びない偉大な芸術の証である。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 18:46コメント(0)トラックバック(0) 

2010年05月08日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



現在ではスタンダードな名曲の仲間入りをしているが、再評価のきっかけになったのがこの録音で、この曲の真価を広く知らしめるのに貢献した名盤。

この曲はカットして演奏される慣習が今も残っているが、これは完全全曲盤で、プレヴィンとロンドン響の傑作のひとつである。

爛熟したハプスブルク王朝を思わせる一大ロマン叙情詩といった雰囲気を持つこの曲は、プレヴィンが得意中の得意とするナンバー。

ロンドン響との蜜月時代に録音されたこの演奏には、現在の彼の演奏にはない艶っぽさと強烈なロマンとエネルギーのほとばしりがあふれるばかりで、吹きつけるようなロンドン響の弦の高まりが圧倒的だ。

全体に実に豊かな情感を持った感情豊かな演奏で、特に奇数楽章の表情にはプレヴィン独自の魅力がある。

広大なロシアの大地をイメージさせる第1楽章、こぼれるようなロマンティシズムにあふれた第3楽章、情熱的なフィナーレなどなど、聴きどころは満載だ。

そして全体にいくらか楽天的な印象を与えるのがすぐれた特色であり、弱点でもあるが、その評価は聴き手によって異なるだろう。

モスクワで演奏した際にはセンチメンタルな歌わせ方で女性の聴衆を泣かせたというエピソードも、心のひだに訴える音楽家プレヴィンの真骨頂なのである。

録音は色褪せてきたものの、安定した解釈と温かみのある音楽は今なお価値が高い。

ラフマニノフの交響曲第2番の愛好者は、プレヴィンに足を向けて寝ることはできない。

なぜなら、「長すぎる」「甘ったすぎる」「締まりがない」などと非難され、演奏ではカットされるのが日常的になっていたこの交響曲を、プレヴィンは元に戻しただけでなく、完全全曲版でなくてはこの作品の本質は味わえないと先駆的名演を聴かせてきたからである。

そこに解釈の緻密さ、演奏家としての美学と責任感があることは言うまでもないが、作品との強い一体感、音符一つ一つを抱きしめるかのように再現していくプレヴィンの共感に満ちた演奏に耳を傾けていると、プレヴィンとラフマニノフとが互いに求め合う磁気のように強く結ばれていることが納得される。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 19:21コメント(0)トラックバック(0) 

2010年01月06日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



ラフマニノフの交響曲第2番はザンデルリンクとフィルハーモニア管のCDが圧倒的に素晴らしい。大柄な音楽作りが堪能できる、掛け値なしに偉大な演奏だ。

彼方にまで伸びていくかのような旋律線がとても美しく、ロマンティックな音楽に酔わせてくれる素晴らしい演奏だ。

ザンデルリンクの演奏は、以前のものとは比べものにならないほど円熟しており、しかも個性的である。

抒情と劇性が雄大なスケールで濃厚に表出され、第1楽章冒頭からきわめて充実した音楽を聴かせている。

各楽章とも完全に曲を手中に収めた表現で、すべてが歌に満ち、アゴーギクとルバートの多用も内奥から溢れ出る感興を表している。

その共感と生命力の強さは驚くべきものである。

私は常々イギリスのオーケストラは、整ったこぎれいな音は出すけれども、踏み込みが足りない、いや踏み込もうとしない点に不満を覚えていた。

礼儀正しいが本心が見えないと喩えたらよいだろうか。リアルに見えすぎるのを嫌うと言ったらいいか。上手でお行儀がよいだけではすまない作品がたくさんあるにもかかわらず。

けれども、この盤、とりわけ第1楽章での弦楽器群のうねり方は凄い。催眠術にかけられたがごとく、ザンデルリンクの大きな指揮棒の動きに合わせて陶酔の波を漂っている。

弦楽器だけでなく、オーケストラ全体の気の入り方が尋常ではない。

音楽の収縮は堂に入り、旋律線はぐんぐん途方に延びていって果てしがない。

こんな雄大かつ恍惚とした音楽は、この曲の他の演奏からは聴けない。

これほどの名演を聴くと更なる欲が出てくる。

ベルリン・フィルとの超絶的名演のライヴ録音(かつて石丸電気で売られていたCD−R)の再発はならないのだろうか。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 00:00コメント(0)トラックバック(0) 

2009年06月29日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



「故郷を離れた時、私は作曲するという希望を捨てました。故郷を失った私は自身も捨てたのです」と語るラフマニノフは、四半世紀近い亡命生活の中で、6曲程の作曲しかしていない。

そうしたラフマニノフが1934年の夏に、7週間でこの曲を一気に書き上げたのは、おそらく、彼の脳裏に、突然、第18変奏の美しく甘美でノスタルジーに満ちた旋律が浮かんだからに違いない。

ラフマニノフの演奏は、この第18変奏を実に淡々と弾いているのだが、内声部が、次第に高まる潮のように、旋律の上に浮かび上がる時、胸を刺すようなそれでいて甘美な世界が開ける。

他の演奏ではセンチメンタルであったり美しかったりだけで何かが欠けている。

ラフマニノフだけが、この旋律を通して、過去の扉を開けることができる鍵を持っていたからであろう。

この曲に新しい視点を導入するような天才ピアニストが現れないかぎり、こうした往年の名演奏を越えることは、なかなか難しいのではあるまいか。

そうした意味で、このラフマニノフの自作自演は、まさに歴史的遺産といえよう。

ピアノ協奏曲第1番は冒頭から気迫の凄まじさに驚かされるが、デリカシーも満点だ。

ストコフスキーとオーマンディもラフマニノフの表現にピッタリの好演だ。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 00:08コメント(0)トラックバック(0) 
メルマガ登録・解除
 

Profile
Categories
Archives
Recent Comments
記事検索
  • ライブドアブログ