ブレンデル

2016年10月08日


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素朴なオリジナル版と、華麗なラヴェル編曲版を聴き比べる企画の面白さに惹かれるし、演奏がまた両方とも実に素晴らしい。

オーケストラの名曲として名高いこの曲は、もともとピアノ独奏用に書かれたものである。

ところが、不幸なことに、ムソルグスキーの生前には1度も演奏されることはなく、彼の死後、有名なラヴェル版をはじめ、多くの人たちの手でオーケストラ用に編曲され広く知られるようになった。

オリジナルのピアノ独奏版も、名手の手にかかると大変聴きごたえがある。

ドイツ・オーストリア系の作曲家の作品を得意としているブレンデルだが、この作品をコンサートでも頻繁に取り上げており、録音もこれが2度目にあたる。

自由な即興を加え絢爛豪華に仕上げたホロヴィッツ盤に対し、ブレンデル盤は正統派の演奏とでも言えようか、彼は、自身の考えるところのこの作品の本質をじっくりと、深く掘り下げ、慎重な運びで弾き進めている。

ブレンデルは決してピアニスティックな効果を展示しようとはせず、むしろ抑制された表現の内で彼の考えるこの作品の本質に迫ろうとする。

最強音を排した強弱のグラデーションの多様さ、常に求心的であろうとする表現は、その演奏においてあらゆる意味での押しつけがましさの要素を無縁なものとしながら、確固とした自己主張を行い、何よりも新鮮である。

実にどっしりと落ち着いた演奏で、ロシア臭の強いリヒテルとはやや異なり、各曲の性格を的確につかみ、隙のない精巧なまとまりを特に強く印象づける。

ここで彼は、1枚1枚の絵を、まるで細密画を思わせるかのように実に丹念に仕上げているのが特徴で、〈古い城〉〈卵の殻をつけた雛鳥の踊り〉〈バーバ・ヤーガの小屋〉など、その繊細な描写力は凄いの一言に尽きる。

プレヴィンとウィーン・フィルによる管弦楽版は、プレヴィン、ウィーン・フィル共にこれが初録音で、“プレヴィンがウィーン・フィルとのコンサートでラヴェルのスコアを再現している”ということが、このディスクの1つのセールス・ポイントになっている。

ラヴェルの色彩的なオーケストレーションを生かしながら、ロシア的情感を豊かに盛り込んだ大変充実したもので、しかも、ここにはライヴにありがちな演奏上の問題がほとんどない。

プレヴィンのスタイルは、どちらかといえばオーソドックスで、不要な作為や演出はどこにもみられず、ここでは、伝統あるオーケストラの中にひそむ近代的なフレキシビリティの存在を意識させ、ドラマティックな起伏や多彩な音色を自然に楽しませている。

切れ味鋭いリズム、加えて個々の楽器にしろ合奏にしろ、どこをとっても響きが美しく鮮烈かつ高度に音楽的な《展覧会の絵》だ。

この作品は、むろん標題的な要素をはっきりともった作品なのだが、プレヴィンは、とりあえずそうした音楽外の事柄にこだわらず、スコアに書かれた音楽を純度高く演奏することにだけ没頭する。

そうした方法が、ウィーン・フィルという自発性と室内楽精神に富んだオーケストラから、演奏者同士、そして演奏者から指揮者への共感と協調に満ちた気持ちのいい音楽を紡ぎ出す。

個々の音色の音色美、そして合奏時の全体の美しさはウィーン・フィルならではで、こうした本質的には純粋に音楽のテクスチュアを追求する絶対音楽志向のアプローチながら、演奏者たちを、そしてなによりも作品そのものを強引に引っ張りまわさないプレヴィンの柔軟な音楽づくりから、自然な標題的起伏が浮かび上がるのである。

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2016年09月24日


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巨匠への道を歩んでいたブレンデルとアバドとの初顔合わせという話題盤であったが、2人の個性がよく結びつき、演奏に大きな風格を与えている。

バッハから20世紀の作品まで幅広いレパートリーをもつブレンデルだが、意外なことにそれまでシューマンはほとんど取り上げていなかった。

そうしたブレンデルが1980年代からシューマンのピアノ曲を次々と録音するようになったのも、この演奏がひとつのきっかけになったのではないだろうか。

そんなことを考えたくなるのも、この演奏がとても瑞々しいロマンをたたえているからである。

ブレンデルは1997年にこの協奏曲をザンデルリンクと再録音しており、それも魅力的な演奏で甲乙つけ難いので好みを分けそうだが、正攻法の演奏を細部まで彫り深く、より引き締まった感覚で展開しているのは壮年期の旧盤だろう。

作品に正面から向き合って巨細に磨き抜かれた表現の充実、さらに繊細でニュアンス美しい表現を強い集中力と豊かな感情の起伏をもって硬軟幅広く、かつのびやかにスケール大きく織りなしたこの演奏は、いっそう充実している。

ブレンデルは、情緒に流れると締まりがなくなるこの曲に、終始くっきりとした輪郭を与え、しかも表情の綾が細かく、スケールの豊かさとこまやかな抒情が両立して、すこぶるバランスの良い奏楽である。

知的で、しかも洗練された音楽性豊かなブレンデルならではのシューマンであり、彫琢された音色で、繊細に表情をつけながら、この曲にひそむ、一抹の不安感や、悲哀の色を見事に引き出している。

ブレンデルは華やかさには目もくれず、きわめて構成的な演奏であり、ロマンティックな曲への沈潜を窺わす、近代的な演奏スタイルで、内面的なシューマンの世界を描き出して余すところがない。

十分ロマン的でありながら、その表情は決して大げさに崩れることのない、制御の利いたブレンデルらしいアプローチが、シューマンの音楽の美しさを次々に明らかにしていく。

アバドの指揮もそうしたソロを充実した演奏によって、実に間然するところなく支えて、ブレンデルのスタイルに追随したもので、明敏な指揮でピアノをくっきりと生かしていて、その一体感がこの演奏のクォリティを高いものにしている。

両者の呼吸の合った演奏が感興豊かであり、幻想的な作品に瑞々しいロマンティシズムを新鮮に表出していて、デリケートな抒情にも不足がない。

この曲があまりすぐれた演奏に恵まれないのは、ソリストと指揮者の協調が難しいためで、ソロはいいけど指揮はもうひとつだったり、その逆も案外多い。

そうした中でアバドの指揮によるブレンデルが傑出しているのは偶然ではなく、アバドが作品を的確にとらえてソリストの個性に鋭く反応しているからで、この演奏においても、呼吸の乱れは少しもなく、ブレンデルの情感豊かな表現を見事に生かしきっている。

また、このCDを推すもうひとつの大きな魅力は、ウェーバーのコンツェルトシュトゥックが収録されていることで、シューマンに劣らぬ名演なので一聴をお薦めしたい。

ロマン派の先駆者と言われるウェーバーのピアノ曲は、豊かな色彩感にあふれ、ロマンティックな表情が前面に満ちているが、ブレンデルはそうしたウェーバーの音楽の特質をよくつかみ、きわめて美しい音色でまとめている。

この曲は録音も少ないのだが、ブレンデルとアバドは、劇的な才能に恵まれたウェーバーが十字軍の騎士と夫人の愛の勝利を描いたという、いかにもロマン的な標題をもつ曲の面白さと魅力を表情豊かに生き生きと表現している。

きわめて充実した演奏で、ブレンデルの明晰なタッチが音楽の本質を明確に伝え、アバドとのコンビネーションもすばらしく、競演の醍醐味を堪能することができる。

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2015年09月02日


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ブレンデルの3度目のベートーヴェンのピアノ・ソナタ全集で、どのソナタも初めて聴くかのような感銘を与えてくれる。

一定の間隔を置いてベートーヴェンに集中することによって芸術的洞察を深めピアニズムを磨いてきたブレンデルだが、1992年から96年にかけて録音された最新のソナタ全集は、この名ピアニストが最円熟期を迎えて到達した人間的・芸術的境地を余すところなく伝えている。

ブレンデルにとって、ベートーヴェンが不可欠なレパートリーであることは、彼が、早くからソナタと協奏曲の全曲録音を完成し、その後も回を重ね、すでに協奏曲では4回、ソナタも3回、それを実現していることからも頷けるが、もちろん、それらが無為に重ねられたものではなく、それぞれに価値があるものばかりでなく、確実にそこに新たな成熟を加えてきたということは見逃せまい。

ブレンデルのベートーヴェンはドイツ=オーストリアの伝統的な演奏様式を背景に成立しているだけに、表現の普遍性と安定した構成感をそなえているが、3度目の全集録音になって初めて、極めてオリジナリティに溢れた独自な世界を開示するに至った。

ベートーヴェンのピアノ・ソナタは何度演奏してもその度に新しい発見があるという彼自身の発言通り、どんなに聴き慣れたフレーズからも意外かつ魅力的な側面が引き出されている。

とは言っても決して恣意的な自己顕示などではなく、あくまでも音楽そのものから湧き出た表現なのであり、また、ドイツの伝統的な演奏様式を背景に成立しているために、ある種の普遍性さえ備えている。

ヴィルトゥオーゾ的な効果や無意味な流麗さ、スマートさ、こけおどしの迫力やパッションとは違う。

どのフレーズの表現にもぶれがなく明快で、確かな意味が込められ、意外かつ新鮮。

その上、ベートーヴェンのヒューマンな温もりと機知に富んだフモールが感じられる。

この3度目のソナタ全曲は、彼が楽譜の背面までも読みつくしながら、決してベートーヴェン以外の何ものの介入も許さぬ厳正さと謙虚さをもった姿勢を貫いていることを思わせている。

ブレンデル自身が強調するところの作品の「性格」と「心理」の重視ということに応じて32のソナタのどれひとつとして同じパターンで処理されておらず、1曲1曲に瑞々しい感性と深い洞察が行き届いて、まさに32の異なる小宇宙が形成されているのである。

そして、その32のソナタの全体が人間の性格と心理、感情と理念の総覧、あるいは人間というものの内的な在りようの集大成として大きな宇宙を構築している。

ベートーヴェンという作曲家はかくも繊細で柔軟で敏捷に動く心の持ち主だったのかと改めて驚嘆させられる。

ベートーヴェンは、決して一枚岩の強固な精神で押しまくっていたわけではない。

ブレンデルのソナタ演奏はベートーヴェンの内面の深くも多彩なカレイドスコープを見事なまでに明らかにしてくれているのである。

それはまた、シュナーベル、バックハウスから出発した20世紀のベートーヴェン演奏の1つのブレンデル流の帰結であると同時に、21世紀に向けての新しいベートーヴェン演奏の出発点とも言えよう。

こうした伝統の上に立つ演奏家が、今や希少となっていることも気づかせる。

ブレンデルの総決算であるとともに、演奏史に永く残る不滅のベートーヴェン全集である。

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2015年05月26日


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このBOXは、今から30年以上前に録音されたブレンデル旧盤のベートーヴェンのピアノ・ソナタ全集+ピアノ協奏曲全集である。

ピアノ・ソナタ全集は、ブレンデルのきわめて知的なベートーヴェン解釈が、はっきり表面に打ち出されている。

ブレンデルは、納得のゆくまで作品を研究した上で、その曲を自分のレパートリーにする人だが、シューベルトとともに、ベートーヴェンのピアノ・ソナタの分析にもすぐれている。

これは、そうした彼の徹底した研究が実を結んだもので、スタイルとしては、シューベルト的なソフトな性格をもっており、きわめて抒情的でロマンティックである。

ことに弱音の部分に魅力があり、響きの美しさとニュアンスのこまやかさはこの人ならではのものだ。

彼は余分なものを一切付け加えず、あくまで作品そのものに語らせようとしているが、そのための知と情のコントロールも見事だ。

その結果聴かれるのは、端正でバランスに優れ、しかも深い楽譜の読みと端正なテクニックの行使に支えられた説得力あふれる演奏である。

新しい全集に入っている演奏と比べても、ブレンデルの本質は少しも変わっていない。

眼前の楽譜を論理的・分析的に読みとり、それに基づいてベートーヴェンを論理的に構築しようという確信が、彼を支えている。

どの曲の演奏も音楽の呼吸が自然で表情に温もりがあり、しかも明晰である。

演奏全体は穏健であり、誰でも抵抗なく受け入れられる伝統的なベートーヴェン解釈である。

ブレンデルの狙いは、徹底した作品分析をもとに、明快で論理的な演奏を構築し、しかも乾いた演奏との印象を与えないように、ひびきの細やかなニュアンスに留意し、旋律的にも和声的にも、潤いのある抒情的な表現を志向している。

剛ではなく、柔のベートーヴェンが、ブレンデルの描こうとした世界である。

どのソナタの演奏も秀逸で、ピアノ演奏法の研究者として名高いブレンデルの実力が、十全に発揮された演奏だ。

ブレンデルは高度な技術に裏づけられ、曖昧さのない理詰めな音楽性を誇るピアニストである。

とりわけ、ここにきくベートーヴェンのピアノ協奏曲全集が録音された1970年代には、その傾向が顕著であった。

第1番から第5番にかけてのいずれの演奏においても、彼のピアノは大いに雄弁で、必要な音があるべきところにきちんと収まっている。

ベートーヴェンの音楽におけるメタ・フィジカルな要素を追い求めたというより、むしろ、整合性のとれた論理性を追求した演奏内容だ。

指揮者ハイティンクも力のある伴奏をしているが、この後、急速に成熟した彼だけに、80年代、90年代に録音がなされていれば、と思わせる要素も、ここには残されている。

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2015年05月13日


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現在では既に引退してしまったブレンデルによる4度目のベートーヴェンのピアノ協奏曲全集であるが、当時、進境著しかったラトル&ウィーン・フィルという豪華なバックを伴って、ブレンデルによる全集中、最高の名演を成し遂げることになった。

まさに、ピアニストに指揮者やオーケストラと役者が揃った名演であると高く評価したい。

本全集より14年前の旧録音も名演であり、その方を高く評価する者もいるが、指揮者やオーケストラの芸格や、ブレンデルの円熟を考慮すれば、筆者としては、やはりこの最新の全集を最上位に置きたいと考える。

先ずは、ブレンデルのピアノを高く評価したい。

この理論派のピアニストの理屈っぽさについては、一部の批評家の間で酷評されているのは承知しているが、本盤では、そのような短所を聴きとることは皆無であり、音楽は実にスムーズに流れている。

それでいて、骨太のテクニックによる強靭にして重厚な打鍵は、怒れる獅子ベートーヴェンを見事なまでに体現しており、他方、緩徐楽章における抒情的表現にもいささかの不足もない。

4度目の全集は、いずれの楽曲も名演の名に値するが、やはり、最高峰の名演に君臨するのは、第5番「皇帝」であると考える。

ここでのブレンデルのピアノは実に模範的だ。

4度目の録音ということもあるのだろう、どこをとっても曖昧模糊な箇所はなく、堂々たるピアニズムで、威風堂々たるベートーヴェンを描いて行く。

とにかく、ブレンデルのピアノが実に堂々たるピアニズムであり、まさに「皇帝」の風格を兼ね備えているのが素晴らしい。

どこをとっても、力強い打鍵、自信に満ち溢れた堂々たるインテンポで一貫しており、それでいて、緩徐楽章の抒情豊かな演奏も、格調の高さを決して失うことはない。

このピアニストに特有の理屈っぽさは微塵もなく、楽曲の魅力だけが我々聴き手にダイレクトに伝わってくる。

加えて、ラトル&ウィーン・フィルの演奏が実に素晴らしい。

ラトルの指揮は、ブレンデルの巨匠風の表現に一歩も引けを取っておらず、ブレンデルのピアノともども重厚さの極みであり、このような巨匠風の表現を聴いていると、ベルリン・フィルの芸術監督として大活躍する現在において大きく開花している偉大な才能の萌芽を随所に感じることが可能である。

本盤の録音当時は、未だベルリン・フィルの芸術監督就任前であるが、こうした堂々たる指揮ぶりに、その後のラトルの前途洋々たる豊かな将来性が感じられる。

例えば、「第4」の第2楽章の重厚さ。

他の演奏だと、緩徐楽章であることを意識して、やたら軟弱な表現に終始してしまうケースも散見されるが、さすがにラトルはそのような落とし穴に陥ることは全くない。

終楽章における圧倒的な迫力もラトルならではのものであり、こういったところに、今日のラトルを予見させる才能があらわれていると言えよう。

ウィーン・フィルの美しい演奏も特筆すべきであり、ブレンデルのピアノやラトルの指揮に独特の潤いを付加し、この名演の価値を更に高めることに大きく貢献していることを見逃してはなるまい。

録音も通常CDでありながら、鮮明な音質であり、本盤の名演の価値を更に高める結果となっている。

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2015年04月09日


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シューベルトの即興曲全8曲を演奏したものとしては、ブレンデルのCDが特に優れたものと言える。

そのシューベルトをおそらくは全ピアニストで最も理解しているブレンデルの即興曲集は格別の美しさだ。

まろやかなタッチで、これらの作品からロマンの息吹きを詩情豊かに弾き出した演奏で、その即興性に満ちた“歌”の美しさは比類がない。

ブレンデルは徹底して通俗性を排しながら、たおやかな歌が淡々と歌われてゆく。

和音の微妙なニュアンスも絶品で、ブレンデルのデリケートで考え抜かれたアプローチが、全面的に生かされていると言えよう。

ブレンデルはシューベルトの抒情を大切にしながらも、この曲集を2つのソナタのように、統一感のある構成力で美しくまとめている。

各曲とも、実に綿密に設計された演奏で、それぞれの曲の性格をしっかり浮き彫りにしており、細部まで完璧にコントロールされているが、音の柔らかさと流れの自然さが知と情の見事なバランスを保っている。

ブレンデルが弾くシューベルトは、ピアノ・ソナタも小品集も、安定と調和を聴き手に強く意識させるところがある。

決して激しすぎず、決して過剰な感情に溺れない、本質的に“中庸”を志向する気質なのだろう。

そうした中庸の落ち着きのある表現が、聴き手に精神的な安らぎをもたらし、潤いのある自然な抒情が感覚的な楽しみを与えてくれる。

しかもブレンデルの演奏は、1音1音がしっかりと打鍵されており、ピアニッシモまで良く聴きとれるので、曲の構成が良く分かる演奏である。

寂寥感と美しさが渾然一体となったシューベルトの即興曲集であるが、ブレンデルの演奏は、曲の構成が明瞭であるだけではなく、抒情と知性のバランスが良く取れている、模範的な演奏と言える。

これは、寂寥感も美しさも良く出ているが、情に流れたり、知的になり演奏が硬くなっていないと言う意味であり、ただ単に中庸ということではない、優れた演奏で、何度聴いても飽きない。

特に作品142の第3番は、纏綿とうたわれる歌が実に美しく、ウィーンの音楽家シューベルトを実感させるだろう。

聴き手を強引に自分の世界に引っ張っていこうとしないのに、聴き手がついてくる、それがブレンデルのシューベルトだ。

CDは新旧2種類の録音があるが、もちろんここではブレンデルの円熟の境地を示した新しいデジタル録音を推しておく。

新盤は、旧盤に比べると、ブレンデル独特の美しい音色と巧まざるその語り口にいっそう磨きがかかり、しかも一段と彫琢された音と表現が素晴らしく、シューベルトの孤高な世界と高貴な美しさを浮き彫りにしている。

自然な表情をもって、美しい佇まいのなかにも緊張感の漲った感動的な表現で、詩人ブレンデルの面目躍如たる名演だ。

筆者の知る限りでは、リリー・クラウス、内田光子と並ぶ即興曲の3強の1角を占める演奏と言って良く、今までシューベルトを敬遠していた人もこれを聴けばきっとシューベルトへの入り口が開けるはずだ。

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1997〜99年、ロンドン、アムステルダム及びフランクフルトでのライヴ録音。

新世紀を迎える年に満70歳になったブレンデルの、初のライヴ録音によるシューベルト・ソナタの2枚組。

丁寧にレパートリーを選び、深い洞察と研究に基づく滋味豊かな名録音を数々残してきたブレンデルが初めてライヴで収録したシューベルトのソナタ集である。

シューベルトのソナタは、ブレンデルにとって特別思い入れのある作品であり、後期のソナタはすでに2回のスタジオ録音を行ったが、第9番は今回が初めての録音となる。

シューベルトの作品に注ぐブレンデルの厳しくも温かい眼差しと、作品の内部に深く立ち入る真摯な態度を感じさせ、1度聴けば忘れがたく耳に残る、決して聴き飽きることのない見事な演奏だ。

1970年代前半、そして80年代後半にブレンデルは同じようなソナタ集を出しており、今回のアルバムの中には3度目の録音(第20番と第21番)となるものさえある。

ソナタとはいえ、ベートーヴェン的な構築性とは異なり、“枠”や“しがらみ”から解放されたような奔放なまでの自適さや闊達さ、そして汲めども尽きぬ歌心に満ちた旋律線などシューベルト固有の世界が広がる。

ブレンデルの演奏はこの“宝の山”の価値を思い知らせてくれており、とりわけ第20番や第21番などは、清冽な音色(タッチ)と熟成した表現が瑞々しい。

聴き手を構えさせることなく、ごく自然に引き込み、深い思索と詩情に浸らせてくれるところなど、ブレンデル自身が到達し得た至高の芸域を痛感する演奏だ。

本盤は、そうしたブレンデルの実力がよくわかるCDで、最後の作品は内田光子の演奏に及ばない部分もあるものの、初期作や「幻想」ではブレンデルの実力が存分に発揮されており、シューベルトの心境がピアノの響きから手にとるようにわかる好演である。

「幻想ソナタ」(D.894)は、出だしの主題フレーズの柔らかい和音の響きを巧妙な色合いの変化で悠長に歌い上げている。

また第21番(D.960)では、全楽章にブレンデルの落ち着いた深い情感が漲っており、特に長大な第4楽章を弾ききる集中力、出だしの旋律の躍動感あるタッチはブレンデルならではの円熟の表情である。

これほど強弱をつけて、シューベルトの美しさを見事に歌い込めるピアニストは、ブレンデルだけであり、理詰めで音楽が分かっている凄い人である。

現役ピアニストのほとんどはテンポを不用意に動かして、例外なく自滅している。

本来シューベルトに強弱をつけることは自殺行為なのであるが、この人ほどシューベルトが分かっていると、このような離れ業が可能なのであろう。

明らかに“シューベルト弾き”は存在すると思うが、ショパンやシューマンを得意にするピアニストから比べると、その数はほんのわずかであり、“誰でも”というわけにはいかぬが、ブレンデルはその中でも筆頭格的存在だ。

あと現役ではカツァリスがいい演奏を聴かせるが、その方法は伝統的な枠をしっかり守ったもので、ブレンデルのシューベルトは常識を突き抜けて素晴らしく、尊敬に値する。

円熟の巨匠、ブレンデルの溢れる歌心がホールの聴衆を温かく包んだコンサートの雰囲気までもが伝わるライヴ・レコーティングである。

ブレンデルの演奏は、シューベルトの音楽を十ニ分に表現した本当に美しいものであるが、体調が良く、シューベルトと対峙する気構えのある時に聴く分はともかく、体力や気力の萎えているときはさすがに厳しくしんどいところがある。

しかし筆者にとって決して手放せないディスクであることだけは確かだ。

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2015年02月06日


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交響曲的な傾向が色濃い重厚かつ雄大な曲想の、技巧的に至難な部分も多いブラームスのピアノ協奏曲第2番。

現代のピアニストにとって最も重要なレパートリーのひとつであるこの大作を、巨匠ブレンデルとアバド率いるベルリン・フィルが気宇広大なスケールで見事に再現、ピアノと管弦楽とが渾然一体となったピアノ付き交響曲と譬えられるような演奏を展開している。

ブレンデルとアバド&ベルリン・フィルには、1986年に録音したブラームスのピアノ協奏曲第1番があり、同曲史上最高峰の1つに位置づけられる名演であった。

「第1」は、カラヤンが1度も録音しなかった協奏曲でもあって、カラヤン在任中のベルリン・フィルでも録音が可能であったと考えるが、当時のカラヤンとベルリン・フィルの関係は最悪。

それだけに、ブレンデルのピアノやアバドの指揮もさることながら、ベルリン・フィルの壮絶な演奏が光った名演でもあった。

本盤の「第2」の録音は1991年で、既にカラヤンは鬼籍に入り、アバドが芸術監督に就任後の演奏である。

それだけに、楽曲の性格にもよるとは思うが、ここには「第1」の時のような壮絶さはない。

演奏の特徴を一言で言えば、ブラームスのピアノ協奏曲第2番という楽曲の魅力をゆったりとした安定した気持ちで満喫することができる名演と言うことができるだろう。

ポリーニ盤よりは深みのある表現で、バックハウス&ベーム盤ほど枯れ過ぎる事なく退屈しない、ギレリス盤のように「これってブラームス?」って違和感も感じない、全てのバランスが、きちんと取れていて、尚且つ、これぞというフレーズはオーケストラもピアノもよく歌っていて、無機質な冷たい感じなど一切しない。

つまりは、指揮者や独奏者、オーケストラの個性よりも、曲自体の美しさが全面に出た演奏ということだ。

例えば、冒頭のホルンの何という美しさ。

同曲最高の名演とされるバックハウスとベーム&ウィーン・フィルの冒頭のウィンナ・ホルンの美しさとは異なった魅力のあるジャーマン・ホルンの粋と言える。

その後のテンポも実にゆったりとした自然体のものであり、曲自体の魅力がダイレクトに我々聴き手に伝わってくる。

ブレンデルのピアノも、巷間言われるような理屈っぽさは微塵もなく、ブラームスがスコアに記した音符を力強く、そして情感豊かに弾き抜いて行く。

録音も鮮明であり、本名演に華を添えている。

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2015年01月11日


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ブレンデル絡みの室内楽曲2曲をカップリングしたディスクであるが、特にシューベルトのピアノ五重奏曲「ます」は、録音当時新鋭のクリーヴランド四重奏団員とブレンデルの息が合った見事な名演である。

けれん味のない颯爽とした演奏が心地良く、シューベルトの清々しいロマンティシズムを余すことなく表出した演奏として高い評価を得たもので、「ます」の様々な演奏の中でも、トップの座を争う名演と高く評価したい。

成功の要因は、ブレンデルのピアノということになるであろう。

既に引退を表明したブレンデルは、シューベルトのピアノ曲を好んで採り上げたピアニストであったが、必ずしも常に名演を成し遂げてきたわけではない。

例えば、最後のピアノソナタ第21番など、他のライバル、例えば、内田光子やリヒテルなどの綺羅星のように輝く深みのある名演などに比べると、踏み込みの甘さが目立つ。

いつものように、いろいろと深く考えて演奏をしてはいるのであろうが、その深い思索が空回りしてしまっている。

やはり、シューベルトの天才性は理屈では推し量れないものがあるということなのではないだろうか。

しかし、本盤のブレンデルについては、そのような欠点をいささかも感じさせない。

それは、ブレンデルが、クリーヴランド四重奏団員の手前もあると思うが、いたずらにいろいろと考えすぎたりせず、楽しんで演奏しているからにほかならない。

シューベルトの室内楽曲の中でも、随一の明るさを持つ同曲だけに、このような楽天的なアプローチは大正解と言えるところであり、それ故に、本演奏が名演となるに至ったのだと思われる。

ウィーン人はシューベルトに対して独特の感覚(自分たちの音楽)を持つと言われているが、まさにこの演奏のブレンデルがそのことを証明しているようだ。

クリーヴランド四重奏団員も、ブレンデルのピアノと同様に、この極上のアンサンブルを心から楽しんでいる様子が窺えるのが素晴らしく、弦の響きが締まっていて、渋めだが、密度が高くて清潔感のある演奏だ。

ブレンデルのピアノと弦楽器が見事に調和した馥郁とした演奏に心を奪われる。

スケールが大きく、ダイナミズムと叙情のバランスがポイントで、息の長いブレンデルの歌い込みをクリーヴランドのメンバーがフレッシュな表情で支えている。

ノリに乗って、美しい音で爽快に進んでいき、聴き終えた後の感じも、まさに爽快そのものである。

一方モーツァルトは、ふんわりと包み込むように暖かい管楽器の響きが印象的で、特にゆったりとした第2楽章が美しい。

20世紀後半に活躍した名ピアニストの1人ブレンデルの風雪に耐えた名演として、また名曲「ます」のオーソドックスだがモダンで生き生きとした代表的名演として、お薦めする1枚である。

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2014年12月26日


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《詩人の恋》は、青春の初々しい愛の喜びと失恋の悲しみという表面上のコンセプトから言えば、感傷的な色合いの強い歌曲集。

事実そのように演奏され、聴かれることが多い。

そういう繊細な感受性というイメージには、例えばベーアの演唱がぴったりだし、青年らしい傷つきやすい心が的確に歌い出されている。

この表層の抒情性に対し、ハイネの詩のテキストは鋭いアイロニーに満ちており、それは作曲者によって近代的な深層心理に読みかえられている。

そしてそれは表層の意識に対し、無意識の反対感情をひびかせ、複雑多感な心理の世界を築き上げている。

この相互照射に鋭敏かつ繊細に触れぬき、生き生きと再現しているという点でF=ディースカウ&ブレンデルに優る演奏はない。

また《リーダークライス》はロマン的な神秘感と近代的な自意識とがひとつに解け合う不思議な世界を生み出しているが、この両極のエレメントを結びつけるキーワードは「孤独」である。

孤独は辛いが、自己認識の新しい世界を開いてくれるし、また人間関係の煩わしさを逃れ、独りになる喜びも教えてくれる。

曲集はこの孤独な魂の新しい冒険の多彩さと物語的な面白さにかけてはF=ディースカウ&ブレンデルの右に出るものはない。

しかも曲のこの二面的構造を知りつくし、完璧に再現している点も他の追随を許さない。

いずれの曲集も充実した表現で、F=ディースカウの年輪の豊かさをしみじみと感じさせる演奏だ。

ただ、この時期(1985年)の彼は喉の状態がベストとは言えず、声の粗さが目立っている。

ブレンデルの伴奏はさすがと言うべきもので、彼特有のタッチによるシューマネスクな世界が、細やかな遠近法の中に描かれている。

《詩人の恋》第6曲を例にとれば、ラインの流れの描写、タッチの微妙な色合いなど聴くべきものは多い。

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2014年06月30日


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このモーツァルト:ピアノ協奏曲第9番「ジュノーム」の演奏を最後に全てのコンサート活動から引退したピアニスト、アルフレッド・ブレンデルの演奏活動60年の集大成とも言えるライヴ盤である。

ブックレットにはブレンデル自身によるファンへのメッセージとリサイタルの楽曲解説、協奏曲で指揮者を務めたマッケラスのメッセージ、ウィーン・フィル楽団長ヘルスベルクのメッセージを掲載している。

最初に触れておきたいのはある『伝説』である。

それは名ピアニストは同じ誕生日を持ち11年ごとに現れる、というものだ。

アルトゥーロ・ベネデッティ・ミケランジェリ(Arturo Benedetti Michelangeli, 1920年1月5日 - 1995年6月12日)
アルフレッド・ブレンデル(Alfred Brendel, 1931年1月5日 - )
マウリツィオ・ポリーニ(Maurizio Pollini, 1942年1月5日 - )

この3人は誕生日が同じで11年違いなのだ。

いずれも劣らぬ最高レベルのピアニストである。

そしてこの引退公演の曲目を見て、最後にブレンデルの弾きたかった曲というのがよく分かる気がする。

なんという、優しい「ジュノーム」なんだろう。

モーツァルトの初期作品であるこのコンチェルトは、確かに愛すべき、チャーミングな作品ではあるが、ウィーン時代の後期名作コンチェルトと比べると、よく言えば屈託のない、悪く捉えれば、他愛のない作品といえる。

いままで聴いた演奏の中で、これほど愛情に満ち、優しく弾かれたことはかつてなかったように感じる。

それは、指揮者のマッケラス以下、ウィーン・フィルの団員が去り行く名手を惜しみ、限りない愛情と共感を覚えて演奏しているからに他ならない。

以下、ハイドンから始まりシューベルト、バッハにいたる独奏曲においても、なにか大切な宝物を置いて、去ってゆかなければならない、そんな惜別の念がひしひしと伝わり、一音一音慈しむように弾いているブレンデルの姿が浮かぶようで、アンコールのシューベルトを聴いていて思わずほろりとさせられた。

特に、シューベルトでもピアノ・ソナタ第21番を弾きたい、聴かせたいというのが強く出ている気がした。

この偉大なピアニストのラスト・アルバムにジーンとした。

「いままでありがとう、ブレンデル。今後は後進の指導に期待しています」と、素直に感謝できる、極上の演奏の記録だと思う。

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2014年06月29日


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ブレンデルが、70歳を過ぎてから本格的に取り組み出したモーツァルトの、協奏曲シリーズ第4弾。

シンプルかつ純粋無垢なモーツァルトでありながら、ほのかなロマンの香りが漂うブレンデルならではの演奏。

ブレンデルはモーツァルトのピアノ協奏曲全集を、マリナー指揮、アカデミー室内管弦楽団と録音していたが、四半世紀ぶりとなるこの演奏には、70歳を越えるという最円熟期にある巨匠の澄み切った境地がすみずみにまで反映しているといってよいだろう。

前回も、純度の高い音と表現を細部までくっきりと行きわたらせて、この2つの協奏曲の味わいを充実した響きで再現していたが、ここでの表現は、いっそう緻密である。

しかも1音1音にまで吟味の行き届いた表現を自在に織りなした演奏は、余分な身振りや自己主張で音楽の姿を崩すことなく、あくまで柔軟で懐が深い。

録音当時のブレンデルならではの柔らかく澄明で含蓄の深い表現、それに磨きぬかれた音と品格美しい表現の彩りも印象的である。

交響曲全集を完成するなど、モーツァルトの音楽に知悉したマッケラスの、細部まで明快な配慮が無理なく行き届いた見事なサポートも特筆されよう。

ポピュラーな第20番や第24番などに比べれば地味に感じる第12番と第17番の組み合わせだが、ブレンデルとマッケラスの手にかかると何とチャーミングな曲に聴こえることだろうか。

ブレンデルはとりわけ第12番のことを「モーツァルトのコンチェルトの中で最も愛らしい作品」と評しているだけに、意外な魅力を発見させてくれるパフォーマンスを披露している。

円熟の極を行くピアノを支えるオケのしなやかさ。

聴き手を温かく包み込んでくれる。

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ブレンデルにまたモーツァルトの“周期”がおとずれていた。

約15年かけて成したマリナーとの共演によるモーツァルトのピアノ協奏曲全集は、ブレンデルの代表盤のひとつと目されるが、それに飽き足らぬかのように貪欲に進化しつづけ、新たな地平を切り開いてみせるのはさすが。

脱帽である。

マッケラス&スコットランド室内管とによるこのシリーズもすでにこのアルバムで3点目。

本盤の第9番「ジュノーム」と第25番のカップリングは一見すると“落差”があるようにも思われるが、実際には第9番「ジュノーム」は後期作品と比較しても一歩もひけをとらぬ逸品であり、ブレンデルの演奏はそれを如実に示す。

無邪気な子供が「ホラ、これって素敵でしょう?」と言って自分の宝物をみせびらかすような屈託のない喜びと感動がヒシヒシと伝わってくるのだ。

マッケラスの棒もきわめてポジティヴで、活気のあるアンサンブルによりピアノが一層際立って聴こえる。

とりわけ第9番「ジュノーム」が出色だ。

筆者はモーツァルトの一桁台のピアノ協奏曲は殆ど聴く事がなく、第9番「ジュノーム」もこのCDと出会うまでは、滅多に聴くことがなかった。

このCDは第25番との併録であり、初めはその前座のような気持ちで聴いた。

モーツァルト初期の他愛のない作品と思って聴き始めたのだが、それにしてもなんという、優しい「ジュノーム」なのであろうか。

表情豊かな慈愛に満ちた名演で、後期の協奏曲に少しも劣らない中身の濃さを感じさせてくれる演奏であった。

特に第2楽章に心が打たれる。

ブレンデルの演奏がそう感じさせるのかも知れない。

弱音のなんとも慈しみに満ちた、それでいて哀しい音楽。

これらはまさに、人間だから出せる音としか思えない。

冒頭のオケの悲愴感極まる演奏から、ピアノが地の底から湧き上がるかのように、それでいて静かに、あくまでも自然に入ってくる様は、この曲のこの楽章の《心》を伝えている。

21歳のモーツァルトがどのような思いで、この曲を書き上げたかは知らない。

天才の気まぐれなのか、なんなのか。

しかし、見事にこの世界における哀しみの一つを音として現している。

感動的名演。

演奏の内容もさることながら、この録音には脱帽で、奥行き感を伴った、オーケストラと見事なホールトーンの中からピアノの実体感が醸し出される。

これまでこれ以上のピアノ・コンチェルトの録音を聴いた事がない。

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2014年06月28日


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このCDに収められた2つのピアノ協奏曲は、モーツァルトの数多い作品の中でも色濃い内容を持っているが、ブレンデルは淡々とした演奏を繰り広げながらも1音1音を慈しむかのような演奏は、まさに一級品と言えよう。

この2曲はいずれもモーツァルトのピアノ協奏曲のなかでも短調の曲であり、さらにモーツァルト自作のカデンツァが遺されていない作品である。

モーツァルト自作のカデンツァがないということは、ピアニストが自分で即興で埋めなくてはならない。

その意味で、当盤はモーツァルトの作品の特徴である短調の繊細な美しさを楽しむだけでなく、ピアニストの力量も聴ける1枚なのである。

筆者もこの2曲の同曲異演盤をかなりの点数聴いてきたが、まだこのブレンデル以上のカデンツァにお目にかかったことはない。

そもそもカデンツァというのは演奏者が自作で即興演奏するものであり、ブレンデルの場合、彼がきちんと作曲をしているという点で素晴らしいのである。

筆者はブレンデルの旧録音である、マリナー指揮、アカデミー室内管の演奏も持っているが、まったくカデンツァは変わりはない。

つまり、ブレンデルは1970年代からずっと同じカデンツァを使ってきているということになる。

それは、それだけ完成度が高く、聴衆からの評価も高いことを意味している。

旧録音とこの新録音とどこが違うのかと言えば、演奏面では透明感だと言える。

モーツァルトの短調作品が持つ特有の心象風景のような透明な世界が、この新録音には広がっている。

マッケラスとスコットランド室内管のバックも、その透明感をしっかりとサポートして、古典派の協奏曲らしくブレンデルと対話している。

その端正な演奏から生み出されるドラマティックな世界は、何度聴いても飽きがこない。

そのことが、筆者をブレンデルのモーツァルト:ピアノ協奏曲へ目を向けるきっかけとなった、エポックメイキングな1枚なのである。

何が何でも聴いておきたい名盤の1つと言えよう。

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2000年9月17-20日、スコットランド、ダンディー、ケアード・ホールに於けるデジタル録音。

ピアノ協奏曲では初めてクラリネットが用いられた、後期の円熟した筆致を示す堂々たる交響的構築による第22番と、作曲家の死の年に生み出された、晩年の清澄な心境を反映した最後のピアノ協奏曲である第27番。

モーツァルトのピアノ協奏曲の名作2曲を収録した1枚。

先ごろ現役を引退したブレンデルの円熟の境地を色濃く反映させた演奏で、第22番のカデンツァはブレンデル自らが作曲したものを使用している。

ブレンデルは2000年前後にモーツァルトのピアノ協奏曲を集中的に録音した。

今思い起こせば、ブレンデルという才人が残したモーツァルト演奏の総決算であったわけで、録音されたこと自体が貴重であった。

この新盤でブレンデルはマッケラスと一緒に演奏したにもかかわらず、ひたすら自分の音楽に邁進している。

マッケラスはモーツァルトやベートーヴェンの交響曲を演奏する際には、ピリオド・アプローチを積極的に取り入れ、爆発的に鳴り響く音響を伴う劇的な演奏を行っているのに対し、ここではピリオド・アプローチは最小限に抑えられており、ブレンデルは演奏の主導権を握ってオーソドックスな演奏に徹している。

ピリオド・アプローチが珍しくもなくなっている今日、モーツァルトのピアノ協奏曲、それもこの2曲でめぼしい成果が上がっていないのは、もしかしたら、この2曲の透明度の高さ故にピリオド・アプローチがそぐわないのかもしれない。

録音当時、ピアニストと指揮者は69歳と75歳。

2人共に知的な重鎮だけに構えて聴きだしたのだが、浮かんできたのは老人2人の微笑ましいモーツァルトだった。

無理のないテンポ運び、無駄な力も一切加えていない様子で、カデンツァからオケに戻る場面でも劇的な印象を与えずに自然体を演出する。

「演出する」とは少し変な言い方かもしれないが、彼らは十分にそれを意識して自然であろうとしているように思えるのだ。

何気ないフレーズにも繊細にコントロールがなされ適度な歌があるので、やっぱり知的な印象が最後には残される。

よって精妙なモーツァルトを十二分に堪能できるのである。

一方で、第27番のような霊感に満ちた美しい世界を、はなっから求めていないような演奏でもある。

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2013年02月14日


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現在では既に引退してしまったブレンデルによる、ベートーヴェンのピアノ協奏曲全集中、最高の名演は、やはりラトル&ウィーン・フィルと組んだ4度目の全集であると考える。

レヴァイン&シカゴ交響楽団との全集を掲げる人もいるが、指揮者やオーケストラの芸格を考えると、筆者としては4度目の全集の方を上位に置きたい。

現代の指揮界を牽引するラトル指揮のウィーン・フィルという理想的な共演者を得た円熟の巨匠ブレンデルが、作品の威容を十二分に表現し尽くした演奏を聴かせている。

4度目の全集は、いずれの楽曲も名演の名に値するが、やはり、最高峰の名演に君臨するのは、本盤に収められた第5番「皇帝」であると考える。

とにかく、ブレンデルのピアノが実に堂々たるピアニズムであり、まさに皇帝の風格を兼ね備えているのが素晴らしい。

どこをとっても、力強い打鍵、自信に満ち溢れた堂々たるインテンポで一貫しており、それでいて、緩徐楽章の抒情豊かな演奏も、格調の高さを決して失うことはない。

ラトルの指揮も、ブレンデルの巨匠風の表現に一歩も引けを取っていない。

本盤の録音当時は、未だベルリン・フィルの芸術監督就任前であるが、こうした堂々たる指揮ぶりに、その後のラトルの前途洋々たる豊かな将来性が感じられる。

ウィーン・フィルの好演も特筆すべきである。

併録の「熱情」ソナタは、特に中間楽章において、いかにもブレンデルならではの思索的(悪く言えば理屈っぽい)な表現が散見されるが、全体としては円熟の表現であり、佳演というのにやぶさかではない。

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ブレンデル4度目のベートーヴェンのピアノ協奏曲全集からの分売であるが、当時、進境著しかったラトル&ウィーン・フィルという豪華なバックを伴って、ブレンデルによる全集中、最高の名演を成し遂げることになった。

才気溢れるラトルが指揮する名門ウィーン・フィルという望み得る最高の共演者を得て、ブレンデルが磨き抜かれた美音を駆使して彫りの深い卓越した演奏を聴かせている。

一部の批評家の中には、一つ前のレヴァイン&シカゴ交響楽団との全集を評価する人もいるが、指揮者とオーケストラの芸格を考慮すれば、やはり、この最新の全集を最上位に置きたいと考える。

ブレンデルのピアノは実に模範的だ。

4度目の全集ということもあるのだろう、どこをとっても曖昧模糊な箇所はなく、堂々たるピアニズムで、威風堂々たるベートーヴェンを描いていく。

このピアニストに特有の理屈っぽさは微塵もなく、楽曲の魅力だけが我々聴き手にダイレクトに伝わってくる。

ラトルの指揮も、ブレンデルのピアノともども重厚さの極みであり、このような巨匠風の表現を聴いていると、ベルリン・フィルの芸術監督として大活躍する現在において大きく開花している偉大な才能の萌芽を随所に感じることが可能である。

ウィーン・フィルの美しい演奏も特筆すべきであり、ブレンデルのピアノやラトルの指揮に、独特の潤いを付加していることを見逃してはなるまい。

録音も通常CDでありながら、鮮明な音質であり、本盤の名演の価値を更に高める結果となっている。

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現在では既に引退してしまったブレンデルによる4度目のベートーヴェンのピアノ協奏曲全集からの分売であるが、ピアニストに指揮者やオーケストラと役者が揃った名演であると評価したい。

14年前の旧録音も名演であり、その方を高く評価する人もいるが、指揮者やオーケストラの芸格や、ブレンデルの円熟を考慮すれば、筆者としては本盤の方をより上位に置きたいと考える。

ラトル率いるウィーン・フィルという最高の共演者を得て、円熟期を迎えた巨匠ブレンデルが興趣溢れる含蓄のある表現を聴かせている。

先ずは、ブレンデルのピアノを高く評価したい。

この理論派のピアニストの理屈っぽさについては、一部の批評家の間で酷評されているのは承知しているが、本盤では、そのような短所を聴きとることは皆無。

音楽は実にスムーズに流れている。

それでいて、骨太のテクニックによる強靭にして重厚な打鍵は、怒れる獅子ベートーヴェンを見事なまでに体現しており、他方、緩徐楽章における抒情的表現にもいささかの不足もない。

加えて、ラトル&ウィーン・フィルの演奏が実に素晴らしい。

例えば、「第4」の第2楽章の重厚さ。

他の演奏だと、緩徐楽章であることを意識して、やたら軟弱な表現に終始してしまうケースも散見されるが、さすがにラトルはそのような落とし穴に陥ることは全くない。

終楽章における圧倒的な迫力もラトルならではのものであり、こういったところに、今日のラトルを予見させる才能があらわれていると言えよう。

ウィーン・フィルは、いつものように美しい音色を奏でており、この名演の価値を更に高めることに大きく貢献している。

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2012年01月31日


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ブレンデルの評価を一段と高めたのは、1970年にフィリップスと契約し、モーツァルト、ベートーヴェン、シューベルトなどの一連の作品を録音するようになってからであり、とくに清新な魅力あふれるシューベルトは、ブレンデルの名声を高めるとともにシューベルトのピアノ曲の素晴らしさを再認識させたといってよいだろう。

このCD7枚組の作品集は、1980年代に再録音されたもので、シューベルトの主要なピアノ曲がほとんど収録されている。

ブレンデルは1970年代初めにシューベルトに取り組み、後期ソナタの名盤を残しているが、10年を経て1980年代に改めてこの作曲家に没頭し、高度な作品集をつくり上げた。

ブレンデルの演奏は、音と表現もさらに彫りが深くなり、ニュアンスも豊かになっている。

きわめて意欲的なブレンデルの演奏で、シューベルトの音楽の構造性・意志性といった側面への読みが一段と深まった強固な表現だ。

音楽に込められた細部の陰影はより深みを獲得し、精神的にも深みを増し、知的感性と素晴らしくバランスのとれた抒情性も十二分に味わえる。

美しく歌いつつ、しかもそれぞれの旋律の性格を見事に把握した演奏は、シューベルトならではの旋律美を内面的に掘り下げ、それを極限まで生かす。

ブレンデル一流の見事なコントロールによる響きの美しさが、魅力の大きな要因となっているのは言うまでもない。

《さすらい人》幻想曲や後期ソナタでエキセントリックにならず、柔軟に幻想の深い広がりを追求するのはこの人ならでは。

個々の曲にはより個性的な演奏もあるが、シューベルトのピアノ曲の多様な魅力を満喫させてくれる名演である。

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2012年01月30日


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シューベルトを弾くことにかけて驚異的な上手さで圧倒的なのは、何と言ってもブレンデルだ。

そのブレンデルがシューベルトのピアノ・ソナタをライヴ・レコーディングしたこのディスクは、シューベルトのなかでもとくに彼に合う選曲とみえて、圧倒的を通り越し、まさに聴く人を圧倒する仕上がりになっている。

ブレンデルのシューベルトの驚くべきところは、それが決して自然、調和、中庸……と言うに留まらないことだ。

たとえば、テンポを揺らすのは時代遅れ、と言われかねない今の時代に、ブレンデルはかなりテンポを動かして、音楽の流れを意のままに加速したり減速したり、そのショックで聴く人を音楽に巻き込んでいくようなところがある。

けれど、彼が19世紀的なヴィルトゥオーゾと違うのは、それが「個人的な癖」や「即興的な気ままさ」や、ある意味では「自由」にさえ聴こえるのではなく、楽曲全体の強力な一貫性、統一性と一体になった「必然」と聴こえることだ。

伴奏音形ひとつ、経過的な音階やアルペッジョひとつにまで、まさに微に入り細にわたり誇張気味に輪郭を取っていく弾き方は、時に悪魔的な凄みさえ感じさせる。

ブレンデルのシューベルトには、歌曲集『冬の旅』と隣り合わせの鬼気迫るものが満ちている。

そのブレンデルの「必然」にまで昇華された極限的、今日的名人芸を「誇張されすぎた異形の演奏」と考える人も、実は少なくない。

チェコのモラヴィア地方に1931年に生まれたブレンデルは確かに〈ウィーンを首都として、チェコやハンガリーを含む旧ハプスブルク帝国〉という彼自身の根を、次第に地中深く降ろしつつあるようだった。

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2011年06月20日


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ブレンデルの演奏は、最初の主題から、生き生きというだけでなく、弾むようなリズムと、前のめりするようなシンコペーションにユーモアさえ漂う。

そしてこの気分が破れることのないよう、ブレンデルはただちに次の変奏に向かう。

こうして持続するある気分の中で驚くほど多彩な世界が弾き分けられるが、それは必ずしも深遠と超越といったイメージに彩られた晩年を映しだすものではない。

むしろそれは(ブレンデル自身も解説しているように)ユーモアで掘り下げられた変奏なのである。

いわばこの演奏は「諧謔の精神よりの『ディアベッリ変奏曲』の誕生」なのだ。

しかしそこには真剣なもの、純粋なものがないというのではない。

第28変奏まで主題のハ長調を保持してきたベートーヴェンは、ついに第29変奏でハ短調に移る。

ブレンデルはそこでやや間をあけ、短調の暗い弾道からあのフーガの哄笑のすさまじいエネルギーの噴出、そして優美と回想をもって終わるフィナーレまで、見事な演出と構築をもたらす。

ブレンデルは明らかにこの難解な大曲の個々を深々と掘り下げ、しかも全体をまとめる視点を獲得したのである。

イロニーとは否定的なものに拠りながらそれを超えることがあるとしたら、ディアベッリの主題による変奏はまさしくその具現だったかも知れない、そんなことを想わせるのがブレンデルの名演である。

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2010年12月27日


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素朴なオリジナル版と華麗な編曲版を聴き比べる企画の面白さに惹かれるし、演奏がまた両方とも実に素晴らしい。

プレヴィンとウィーン・フィルによる管弦楽版は、ラヴェルの色彩的なオーケストレーションを生かしながら、ロシア的情感を豊かに盛り込んだ大変充実したもの。

"プレヴィンがウィーン・フィルとの演奏会でラヴェルのスコアを再現している"ということが、このディスクの1つのセールス・ポイントになっている。

しかも、ここにはライヴにありがちな演奏上の問題がほとんどない。

プレヴィンのスタイルは、どちらかといえばオーソドックスで、不要な演出はどこにも見られない。

ここでは、伝統あるオーケストラの中にひそむ近代的なフレキシビリティの存在を意識させる。

この作品は、むろん標題的な要素をはっきりともった作品なのだが、プレヴィンは、とりあえずそうした音楽外の事柄にこだわらず、スコアに書かれた音楽を純度高く演奏することにだけ没頭する。

そうした方法が、ウィーン・フィルという自発性と室内楽精神に富んだオーケストラから、演奏者同士、そして演奏者から指揮者への共感と協調に満ちた気持ちのいい音楽を紡ぎ出す。

個々の楽器の音色美、そして合奏時の全体の美しさはウィーン・フィルならでは。

こうした本質的に絶対音楽指向のアプローチながら、演奏者たちを、そしてなによりも作品そのものを強引に引っ張りまわさないプレヴィンの柔軟な音楽づくりから、自然な標題的起伏が浮かび上がる。

ピアノ版も見事で、ブレンデルは各曲の性格を的確につかみ、じっくりと運びながら、全体を精巧にまとめている。

ドイツ・オーストリア系の作曲家を得意としているブレンデルだが、この曲もコンサートでは頻繁にとりあげていた。

これは実にどっしりと落ち着いた演奏で、ロシア臭の強いリヒテルとはやや異なり、1枚1枚の絵を丹念に、まるで細密画を思わせるかのように仕上げているのが特徴だ。

〈古い城〉〈卵の殻をつけた雛鳥の踊り〉〈バーバ・ヤーガの小屋〉など、その繊細な描写力は凄いの一語に尽きる。

ブレンデルは決してピアニスティックな効果を展示しようとはせず、むしろ抑制された表現の内で彼の考えるこの作品の本質に迫ろうとする。

最強音を排した強弱のグラデーションの多様さ、常に求心的であろうとする表現は、その演奏においてあらゆる意味での押しつけがましさの要素を無縁なものとしながら、確固とした自己主張を行い、何よりも新鮮である。

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2010年08月13日


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ブレンデルは高度な技術に裏づけられ、曖昧さのない理詰めな音楽性を誇るピアニストである。

とりわけ、ここにきく『ベートーヴェン/ピアノ協奏曲全集』が録音された1970年代には、その傾向が顕著であった。

第1番から第5番にかけてのいずれの演奏においても、彼のピアノは大いに雄弁で、必要な音があるべきところにきちんと収まっている。

ベートーヴェンの音楽におけるメタ・フィジカルな要素を追い求めたというより、むしろ、整合性のとれた論理性を追求した演奏内容だ。

指揮者ハイティンクも力のある伴奏をしているが、この後、急速に成熟した彼だけに、80年代、90年代に録音がなされていれば、と思わせる要素も、ここには残されている。

ブレンデルの旧盤で、新盤があまりにも素晴らしいので影が薄くなった観もあるが、特に第1番は名演のひとつに数えられよう。

フィナーレはブレンデルの個性が曲を上回るシーンがあるが、第1楽章の敏感な愉しさは出色ものだ。

驚くべき弱音、宝石のようなタッチ、弾むリズムが最高。

第4番も美しい演奏で、透明なタッチを堪能させつつ、細部まで緻密に音化し、しっとりと心に迫ってくる。

第3番も同じスタイルで、ベートーヴェンが書いた音符がそのまま聴き手に語りかけてくるような、じっくりとした演奏だ。

ハイティンクの指揮も見事で、第4番は心にしみ通ってくるような演奏だし、第3番での充実感も彼のベストのものといっていいくらいだ。

「皇帝」は出だしの音を聴いた瞬間に、豪快で熱気にあふれたブレンデルの演奏に圧倒される。

技巧的にまったく落ちこぼれがないのはもちろん、音の粒もよくそろっていて美しい。

ハイティンクのバックも大変良く、シンフォニックな曲の運びは心を熱くさせる。

全体に若さがあふれ、「皇帝」の名にふさわしい、堂々たる演奏だ。

「合唱幻想曲」も壮麗で、聴いていてこれほどぐいぐいひきつけられる演奏というのも珍しい。

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2010年05月15日


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細部まで緻密のかぎりをつくし、音楽を自分のものにしきった、ブレンデルの円熟を物語る名演だ。

演奏全体の雰囲気は雄大で温かく、やや遅めに設定されたテンポによって、音楽の造形が確実に浮かび上がり、豊かな情感を生み出している。

ブレンデルは、この協奏曲を1973年にハイティンク指揮のコンセルトヘボウ管弦楽団と録音していたが、アバド指揮のベルリン・フィルという最良の指揮者とオーケストラを得て、50代後半という最円熟期に再録音したこの演奏は、さすがにすべての面で充実している。

ブレンデルはアバド&ベルリン・フィルと1986年に第1番を録音しており、それもきわめて充実した名演であるが、6年後のこの第2番は曲の違いもあるが、より落ち着いた深い味わいがある。

ブレンデルらしく細部まできわめて知的で考え抜かれた表現は、同時にブラームスの音楽への深い共感に裏打ちされ、デリケートな歌と陰翳をニュアンス美しくたたえている。

確かな造形感をもつ演奏は、前回以上に入念に磨かれ、知と情のバランスが良いし、つねに自然な流れと音楽本来の軽やかさと自由さを失うことがない。

ことさら構えたところのない演奏の伸びやかで柔軟なスケールも、いかにもブラームスにふさわしい。

ロマン的な抒情やファンタジーを綿密な考察に基づく純正な様式美のうちに包み込むブレンデルのアプローチは、強固な形式のうちにロマン的心情を盛り込んだブラームスの作品の特質に見事に適合している。

アバドがそうしたブレンデルのソロを気力充実した演奏で見事にサポートしており、冒頭のホルンをはじめ、その手厚く磨かれた響きと柔軟な表現もベルリン・フィルならではの魅力である。

アバドの指揮はことに第1楽章がすごく、内声部の力一杯の強奏が充実以上の迫力を生んでいる。

ベルリン・フィルの演奏も完璧の一語につきる。その磨き抜かれた音色美、豊かな音楽性も極上だ。

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2010年01月13日


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ブレンデルが17年ぶりに再録音した《ます》。

このブレンデルらによる演奏は、心をひとつにして曲の核心に集中しようとした稀な例に数えられる。

その求心力の役割を果たしているのがブレンデルで、出すぎず、臨機応変に他の弦楽器のあいだを自在にすりぬけ、まさに清流のなかで泳ぐますの役割を果たしている。

弦楽器奏者たちはしっとりとした親密さでたがいの肌に触れ合い、どこまでもこまやかなやさしさを失わない。

その濡れるような感触こそ、水に自在になじむますの肌合いを思わせずにはおかない。

シューベルトが求めてやまなかった仲間同士の親密感は、まさにかくありなんと思わせる。

合奏の喜びをこれほど実感させてくれる演奏も珍しく、各演奏家が聴かせる溌剌としてのびやかな調べが、聴き手をアンサンブルの輪の中に誘うかのようである。

確かにアンサンブルの主導権はブレンデルにあるが、ブレンデル一人が際立つことはまったくないし、5人がイーヴンの関係で演奏に参加、独立性と協調性の見事なバランスに支えられた室内楽の世界を作り出している。

その結果、ここに聴く《ます》にはかつてない躍動感と歌の喜びが盛り込まれており、5人の嬉々とした表情が実際に見えるかのような臨場感に浸らせるほどである。

知情意の理想的結合を見せた名演といえよう。

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2009年06月25日


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リストをかなり聴き込んでいる人でなければ関心をそそられそうもないリスト晩年の作品集だが、ブレンデルの真価はこういう曲でこそ発揮される。

ここでのブレンデルは、リストの内面を映し出そうとして、それに成功している。

ブレンデルは、例によって、磨き抜かれた美しい音色で、1曲1曲を丹念に弾いている。

音楽の内面に光りをあてているところなどは、"リストのスペシャリスト"と呼ぶにふさわしい卓抜な演奏である。

ブレンデルは、どこまでも知的で内省的、テクニックを感じさせない静かなアプローチに特色がある。

音の探究者としてのリストを前面に出し、詩的で思索的な表現といえよう。

かといって、決してテクニックが劣っているわけではなく、充分テクニックを保持しながら、それを目的とせず、あくまで表現の手段と割り切っている。

もちろん構成感・色彩感とも不足はなく感覚的にも磨きあげられた演奏だが、音の探究者リストの姿が、よりストレートに感じられる点、ブレンデルの説得力は大きい。

年輪の厚さのよくあらわれた演奏で、なんとなく渋い感じを受けるが、聴いていると、胸の奥底まで、ジーンと響いている力と強さが感じられる、説得力のある表現となっていて、凄い。

ここにもブレンデルらしい、誠実さと芸術家魂を改めて窺うことができよう。

この演奏を聴けば、華やかな衣装の陰に隠されているリストの一面を知ることができ、リストを技巧主義の権化とする見方は修正を余儀なくされるはずである。

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2009年02月07日


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全5曲とも非常に名演であるが、特に第1番は何度聴いても絶品といえる出来だ。

特にブレンデルのタッチはゾッとするほど美しいし、鮮やかなテンポと小気味よいリズム、敏感、繊細な進行は驚嘆に値する。

第2番でも第1楽章の天国的な美しさなど忘れられない。

ラトルの指揮も最高で、ブレンデルに負けないくらい、表情や響きの1つ1つに意味をもたせている。

ブレンデルによる新しい全集の中では第1番の演奏が最も凄く、次いで第3、4番が優れている。

第3番は冒頭から激しい決意を示し、楽譜の読みも驚くほど深い。

第4番も同様で、ブレンデルは自分の思うがままの音楽を、誰に遠慮するところなくやりとげている。

ラトルの意味深い指揮も曲のもつ奥深さをあますところなく表現している。

「皇帝」は極めて思索的、知的な表現であると同時に、音楽には溢れんばかりの生命力が躍動する。

ラトルとの呼吸もピッタリで、ブレンデルの成熟ぶりを明確に示す名演といえる。

成功の原因はブレンデルとラトルの強い意欲であろう。

それはレコード会社の企画に機械的に従ったものではなく、プロの演奏家としてコンサートのスケジュールを無難にこなしたものでもない。

今までに類例を見ない卓越したベートーヴェン演奏を成し遂げようとする両者の、きわめて良心的な仕事ぶりの結果なのである。

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2008年12月26日


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ブレンデルが1979年から85年にかけて取り組んだディスクである。

ハイドンのピアノ・ソナタは、曲の内容にそうとうムラがあるので、ブレンデルは、50曲あまりのなかから、音楽的に充実した11曲を選んで録音している。

ハイドンのピアノ・ソナタというと、ハイドン当時の古い楽器を用いて演奏するやり方や、グールドのようにハープシコードのようにピアノを弾くような演奏方法もある。

だが、ブレンデルは、あくまでもピアノ本来の弾き方をしており、すこぶるダイナミックで現代的な表現となっている。

ブレンデルは、極めて表現力の豊かな現代のピアノを用いて、ハイドンの音楽を、その様式内でコントロールする方法を完全に手中に収めている。

彼の手にかかると、なまじハンマーフリューゲルを用いた歴史的解釈による演奏よりも、ハイドンの"実像"に迫っていく。

すべての反復を演奏しても、決して冗長ではないのもその様式観のせいだ。

感心するのは、明快なリズム処理で、いずれの曲もハイドンの音楽が生き生きと息づいていることだ。

このニュアンス豊かな表現は、ハンマーフリューゲルでは決して達成できない類のもので、ブレンデルのピアノによって初めて聴くことのできる表現である。

ハイドン自身がピアノの名手ではなかったため、曲の内容が比較的地味なものが多いが、こうしたブレンデルの演奏を聴くと、ことに晩年につくられた曲での音楽的な充実ぶりには目をみはらされる。

いま現代ピアノで聴く最も魅力的なハイドンがここにある。

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2008年12月24日


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ピアノでバッハをいかに弾くか、についてのブレンデルの考えがはっきり理解できる演奏。

それぞれの作品の構造に対する優れて知的な解釈が、実像として具体化されている。

構築的なスケールの大きさと若々しさが魅力。

「半音階的幻想曲とフーガ」、「イタリア協奏曲」ともに輝かしい音色で、リズミカルに演奏したもので、その生気にあふれた躍動感は、こころよい。

ニコラーエワ同様あたたかみのある表現だが、さらに若々しくフレッシュである。

歯切れよく美しい「イタリア協奏曲」。リズム処理がうまく、こまやかな表情づけの光った「半音階的幻想曲とフーガ」。

こうしたスタイルの演奏は、若い世代のバッハ・ファンには好まれよう。

2曲のコラール前奏曲は、かつてのケンプのように暖か味に溢れた演奏だ。

しかもブレンデルがケンプより優れた点は、BWV.971の第3楽章、BWV.922や、BWV.903での、端正で歯切れのよいリズムと豊かでのびのびとした想像力が必要とされるところで、実に鮮やかに鋭敏な感受性と多彩な表現力を発揮するところにある。

躍動するバッハがここに実在するといってよい。

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2008年12月22日


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ブレンデル最初のベートーヴェン全集であるが、早くも彼のきわめて知的なベートーヴェン解釈が、はっきり表面に打ち出されている。

彼は余分なものを一切付け加えず、あくまで作品そのものに語らせようとする。そのための知と情のコントロールも見事だ。

その結果聴かれるのは、端正でバランスに優れ、しかも深い楽譜の読みと端正なテクニックの行使に支えられた説得力あふれる演奏である。

その後2度の全集に入っている演奏と比べても、ブレンデルの本質は少しも変わっていない。

眼前の楽譜を論理的・分析的に読みとり、それに基づいてベートーヴェンを論理的に構築しようという確信が、彼を支えている。

どの曲の演奏も音楽の呼吸が自然で表情に温もりがあり、しかも明晰である。

演奏全体は穏健であり、誰でも抵抗なく受け入れられる伝統的なベートーヴェン解釈である。

ブレンデルの狙いは、徹底した作品分析をもとに、明快で論理的な演奏を構築し、しかも乾いた演奏との印象を与えないように、ひびきの細やかなニュアンスに留意し、旋律的にも和声的にも、潤いのある抒情的な表現を志向している。

剛ではなく、柔のベートーヴェンが、ブレンデルの描こうとした世界である。

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2008年12月21日


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このソナタは、超絶技巧的な要素と瞑想的な要素をどのように結びつけるか、どのようにバランスをとるか、ということが極めて難しい作品であり、経験不足とか中途半端な状態では決して立ち向かうことのできない厳しい音楽ということができる。

これは聴き手にも要求されることで、このソナタを聴こうというときにはある種の緊張感が生ずるが、その緊張感を曲が終わるまで持続させ、聴き終わった後の満足感と疲労感を強く覚えさせるのがブレンデルである。

ソナタは少しも背伸びしたところのない、緩急自在の堂に入った演奏であるが、それでいて内面的な緊張は鋭く、このソナタを長すぎると感じさせない。

この曲の技巧的な華麗さを強調せず、内面的に深く掘り下げた演奏をおこなっている。

ブレンデルならではの音色の美しさも聴きものだ。

たいていのリスト弾きがこのソナタを拡散した感じで弾くのに対し、ブレンデルは凝縮した感じの演奏をしている。

このあたりが彼の優れた解釈、感覚であろう。

彼の爽やかな技巧は他の曲にもよく表れており、冷静に音を運びながらもつねに思索的なブレンデルの名演の前には、リスト嫌いといえども耳を傾けたくなろう。

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2008年12月08日


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2008年12月のコンサートをもって引退することを表明したアルフレート・ブレンデルのライヴに1度だけ接したことがあるが、演奏会場で聴いたブレンデルに圧倒された記憶があるわけでも、彼の巨匠性を印象づけられたわけでもない。

万事が誠実、地味である点、損している感じである。

だが、彼の演奏そのものは年とともに熟してきて、今や押しも押されぬ大家である。

ブレンデルは、これら協奏曲を1973年にマリナー指揮、アカデミー室内管弦楽団と録音していたが、四半世紀ぶりとなるこの演奏には、60代後半という最円熟期にある巨匠の澄みきった境地がすみずみにまで反映しているといってよく、巧まざるその語り口にいっそう磨きがかかってきた。

前回も、純度の高い音と表現を細部までくっきりと行きわたらせて、この短調の協奏曲の深い味わいを充実した響きで再現していたが、ここでの表現は、いっそう緻密である。

しかも1音1音にまで吟味の行き届いた表現を自在に織りなした演奏は、余分な身振りや自己主張で音楽の姿を崩すことなく、あくまで柔軟で懐が深い。

両曲の第2楽章での柔らかく澄明で、ブレンデルならではの含蓄深い表現、第24番終楽章の各変奏の磨き抜かれた音と品格美しい彩りも印象的である。

交響曲全集を完成するなど、モーツァルトの音楽を知悉したマッケラスの、細部まで明快な配慮が無理なく行き届いた見事なサポートも特筆されよう。

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2008年12月05日


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1983年6月にライヴ録音で一気に完成されたブレンデルの3度目の全集で、新ベートーヴェン全集に基づく初録音として話題になった。

知性派ピアニストとして知られるブレンデルは、実演だからといってことさら肩怒らせたり、熱くなることはないが、その演奏には、やはり独特の感興ゆたかな表現と爽やかな緊張感がある。

ブレンデルのソロは気力が充実し、全体に抑制がきいていて、ひとつひとつのタッチが明確に、知的な清潔さを伴っており、しかも繊細な感情が息づいている。

演奏全体は細かな起伏をおいて進行するが、造形が明確なので、少しもベトつかない。

しかも、ブレンデルらしくあくまで誠実に読みこんだ演奏は、明快なスケールと確かな構成感をもって、ベートーヴェンの協奏曲の威容と深い内容を巨細に明らかにしている。

しなやかに強く美しい芯をもった音も見事で、細部まで明晰で彫りの深い表現に美しい陰影を添えているし、絶妙なコントロールの行き届いた演奏は立体的で、いかにもパースペクティヴが良い。

解釈も正統的であるという確信に裏づけられた大家の余裕があり、その成熟には瞠目すべきものがある。

バックも充実した力演で応えており、シカゴ交響楽団の充実した響きと卓抜な表現力を明快な指揮で生かしたレヴァインの指揮も、とても爽やかな生命感にとんでおり、この演奏をいっそう手応えの確かなものにしている。

初期の2曲とも非常な名演であるが、特に第1番は何度聴いても絶品と言える出来だ。

特にブレンデルのタッチはゾッとするほど美しいし、軽やかなテンポと小気味のよいリズム、敏感、繊細な進行は驚嘆に値する。

第2番でも第1楽章の天国的な美しさなど忘れられない。

レヴァインの指揮も最高で、ブレンデルに負けないくらい、表情や響きの1つ1つに意味をもたせている。

ブレンデル&レヴァインによる全集の中では第1番の演奏が最も凄く、次いで第3番、第4番が優れている。

第3番は冒頭から激しい決意を示し、楽譜の読みも驚くほど深い。

レヴァインの指揮も、まるで絶好調時のベームのようだ。

第4番も同様で、ブレンデルは自分の思うがままの音楽を、誰に遠慮することなくやりとげている。

レヴァインの意味深い指揮も曲のもつ奥深さをあますところなく表現している。

「皇帝」は極めて思索的、知的な表現であると同時に、音楽には溢れんばかりの生命力が躍動する。

レヴァインとの呼吸もピッタリで、ブレンデルの成熟ぶりを明確に示す名演と言える。

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2008年12月01日


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ブレンデルは、納得のゆくまで作品を研究した上で、その曲を自分のレパートリーにする人だが、シューベルトとともに、ベートーヴェンのピアノ・ソナタの分析にもすぐれている。

これは、そうした彼の徹底した研究が実を結んだもので、スタイルとしては、シューベルト的なソフトな性格をもっており、きわめて抒情的でロマンティックである。

ことに弱音の部分に魅力があり、響きの美しさとニュアンスのこまやかさはこの人ならではのものだ。

どのソナタの演奏も秀逸だが、特に第30番がきわめて美しく仕上がった演奏である。

ここではブレンデルの特徴がことごとくプラスに作用している。

第1楽章の第2主題、あのアダージョ・エスプレッシーヴォのテーマが終わった後のアルペッジョ(分散和音)や、それに続く珠を転がすようなレシタティーヴが、これほど意味深く響いたことは珍しいが、彼の高音部の音色とルバートが効いているからである。

展開部に入って弱音で第1主題が戻ってくる部分に感じた弾き方も、これこそベートーヴェンが言いたかったことなのだ、と思わせるし、その後のフォルテによる主題再現は、彼の自信に満ちたきらめくばかりの最強音によって、ベートーヴェンの切ないまでの憧れが現実の音になった場合である。

プレスティッシモの第2楽章はいたずらにテンポを速めず、音のからみを丁寧に解きほぐしてゆくので、曲の美しさがよくわかる。

第3楽章は各変奏が瞠目すべき名演だ。

曲にも演奏にも一つとして真実でないものはなく、全曲のどこをとっても音楽の心が絶えず波のようにゆれている。

ブレンデルの指の下で、ベートーヴェンの後期の作品は少しの難解さもみせず、聴く者は作曲者の心と直接結ばれるのである。

第31番はブレンデルが得意とするシューベルト的な、ソフトな表現で、きわめて抒情的かつロマンティックにまとめている。

知的にコントロールされた誇張のない表現と、美しく磨き抜かれた音色を聴くことができる。

第32番もひとつひとつの音色は珠玉のように澄んでおり、バックハウスのような剛直さとは対照的に、表情の柔らかいのが特徴だ。

力強くはじまる第1楽章では、響きのこまやかなニュアンスを大切にしながら、この曲の複雑な音の流れを見事に洗い出している。

抒情的な第2主題の音色は、ブレンデルならではの艶があり、1音1音が生きている。

第2楽章は抒情的な表現のうまい彼の美点が、よくあらわれており、静的な旋律を豊かに歌わせながら、格調の高い演奏をおこなっている。

第29番「ハンマークラヴィーア」は緻密な設計のもとに弾きあげた演奏で、あたかも音による大伽藍を思わせるようだ。

この長大な曲を、最後まで聴き手を飽きさせずに引っ張っていくあたり、大変な力量である。

ピアノ演奏法の研究者として名高いブレンデルの実力が、十全に発揮された演奏だ。

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2008年11月30日


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アルフレート・ブレンデルは1992年10月から1995年11月までの足かけ3年にわたって、ウィーンでの3回目のベートーヴェン・チクルスをムジークフェラインのホールで行なった。

全部で7回の演奏会で全32曲のソナタ演奏を終了したが、それらの演奏会は、そのつどNHK-FM放送ですべて放送された。

ブレンデルは、その後1,2か月の間に、各演奏会で開いた同じソナタをスタジオでCDに録音して、彼としては3回目の『ベートーヴェン/ピアノ・ソナタ全集』を完成させている。

前回の1970年代に行なった全集から、ほぼ20年が経っている。

しかし、そうした中にあって、実はこの第29番「ハンマークラヴィーア」の演奏は、新たにスタジオで録音されたものではなく、1995年2月3日に行なわれた演奏会のライヴ録音なのである。

そして、ブレンデルがこの曲の演奏だけ、何故にライヴ録音を使ったのかは、この演奏自体がまさにそれを証明しているといえる。

この曲自体、演奏者に極度の精神の集中力を要求しているように思うのだが、この時のブレンデルは、確かに気迫のこもった見事な集中力を示しており、まさに音楽に乗り切った演奏を聴かせていた。

このソナタは、曲自体のスケールの大きさを実感させてくれる演奏でなくては話にならない。

それに加え、長大な緩徐楽章がたたえている音楽的な深さと重みの表出が不可欠。

ブレンデルは、その第3楽章で真に円熟した内省的な演奏を繰り広げている。

だから、改めてスタジオで録音してもこれ以上の演奏はできないと思ったのだろう。そうした意味でも、一聴に値する名演奏であると思う。

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2008年11月13日


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ピアノ協奏曲では、巨匠の道を歩むブレンデルとザンデルリンクの2人の個性がよく結びつき、演奏に大きな風格を与えている。

ブレンデルは十分ロマン的でありながら、その表情は決して大げさに崩れることがない、制御の利いたブレンデルらしいアプローチが、シューマンの音楽の美しさをつぎつぎに明らかにしていく。

彫琢された音色で、繊細に表情をつけながら、この作品のうちにひそむ、一抹の不安感や悲哀の色を見事に引き出した演奏である。

きわめて裾野の広い音楽作りを通して、繊細さから強靭さ、柔和さから鋭い緊迫感までを巨大なスケールで打ち出してくる。

ザンデルリンクとのコンビネーションも素晴らしく、競演の醍醐味を堪能することができる。

ここでブレンデルが聴かせてくれるのは、青春のロマンティシズムではなく、いわば熟年のそれ。

しかし「幻想曲」など雄渾たるべきところは充分に雄渾であり、決して迫力不足になっていない。

ただ演奏全体の傾向や流れからみれば、このブレンデル盤は若い聴き手よりも熟年の聴き手に好まれ、理解されるのではあるまいか。

聴き手も演奏を選ぶが、演奏だって聴き手を選ぶのだ。

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2008年10月11日


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名曲だけに、さすがに多くのピアニストが録音しているが、この演奏は、独奏、指揮、オーケストラ、録音と、4拍子揃った名盤だ。

なかでも特筆すべきはブレンデルのピアノで、輝かしい音色で、しかも骨太の表現を行いながらも、音楽をよく流している。

「二短調」協奏曲はブラームスの初期の作品に属するが、完成するまでの複雑な経過を反映してさまざまな要素が統合されている。

それだけに、細部を掌握しながら明確な全体像を生み出すのはピアニストにとって至難な業だが、ブレンデルは見事に成就している。

彼は作品を徹底的に追求して構成を明確に浮かびあがらせると同時に、豊かな情感でそれに肉付けしている。

従ってブラームスの意図は完全に反映されており、一点の曖昧さもない。

ブレンデルは少しの気負いもなく、落ち着いた情感をたたえて演奏しているが、タッチの響かせ方やバランス感覚がすぐれ、この曲に豊かな情感と生命力を与えている。

知的なアプローチの中で情熱的なブラームス像が切り開かれており、バランスのとれた音楽性に魅せられる。

ブレンデルが巨匠の域に達したことを示している。

アバドとベルリン・フィルの演奏も力強く明快で、「ピアノ・ソロ付きの交響曲」とまで言われた作品の特徴を鮮やかに表現している。

隙のないアバドの指揮も魅力的で、優美な旋律をのびのびと歌わせている。

しかも曲が進むにつれて深い情感が浮かび上がってくるが、それが決して重苦しくなることがない。

彼も巨匠の域に達したことが実感される。

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2008年04月18日


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ブレンデルとクリーヴランドSQの初顔合わせで大きな話題を呼んだレコード。

シューベルトの神髄に迫る表現が生み出されている演奏。

有名な曲であるにもかかわらず、意外にこれといった演奏が少ないのは、ピアノとコントラバスを加えた弦楽四重奏という変則的な編成も関係しているのだろう。

そしてまた、ピアノの比重が大きく、演奏の性格もピアニストによって決定されることが多いようだ。

数多い録音の中で最も全体のバランスがとれているのが、ブレンデルとクリーヴランドの演奏だろう。

ブレンデルがリードする清冽な表現に弦楽器も呼応して密度の濃い表現となっている。

ブレンデルが全体をリードしているが、弦がピアノを支え、あるいはピアノに同化し、主従を考えさせないほどの融合を実現している。

各奏者の呼吸もぴったりと合っており、テンポの設定も理想的である。

歌う呼吸も自然であり、テンポはたえずデリケートに揺れ動きながら、迫力更新を重ねて、一瞬たりとも緊張を失うことがない。

丁寧だし、それにここではコントラバスが実に巧い。

特に、第4楽章のひとつひとつの変奏の生き生きとした表情は絶品だ。

フレッシュな感覚にあふれた設計の緻密な名演奏である。

またシューベルトの音楽そのものの純粋性を表出した名演である。

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2008年02月05日


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新録音がブレンデルの本領をよく伝えている。

きわめて自然体の、人間的なあたたかみの感じられる演奏で、ニュアンス豊かに、繊細に表現している。

作為的なものを全く感じさせない自然な演奏の運びがあり、必要なことは過不足なく聴き手に伝えてくれる。

タッチもあざやかで、音色も輝かしい。

そして何とも言えぬ余韻には魅了させられずにいられない。

「ロンド」は、底知れない哀しみがもっと浸透していれば良かったとも思うが、それはソナタが余りにも見事であることから生じた贅沢な不満であろう。

ブレンデルの弾くモーツァルトは肩を怒らせるところがなく、自然な呼吸が感じられ、加えてヒューマンな温かさが立ちのぼる。

まろやかで、かつ潤いがあり、どのフレーズもニュアンスに富んだ情感をたたえているが、感情過剰の印象は決して与えない。

聴き手を納得させる様式感覚をもち、指と感情のコントロールがよほど徹底しているピアニストでなければ、こんなに落ち着いたモーツァルト演奏はとてもできない。

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2008年02月04日


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ブレンデルはその鉄壁のピアニズムと明晰な解釈に裏打ちされた知的で含蓄のある解釈によって、単なる名人芸を売り物にした従来のリストのイメージを変えた人だ。

ブレンデルはリストを好んで弾くが、世の常のリスト弾きとは違い、その演奏はけばけばしい誇張癖とは無縁のものだ。

巡礼の年第1年でのブレンデルは、いかにも自在、リストの楽譜が誘い込みがちな誇大な表現へと向かうことなく、常にその眼差しが内面的な世界へと向けられているようだ。

そして表現が実に若々しい抒情を味わわせてくれ、この聴きなれた音楽が極めて新鮮に感じられる。

巡礼の年第2年でのブレンデルは、表面的な華麗さを重視せず、さりとて痩せた音に満足するわけでもなく、常に音楽の内面の緊張を維持している演奏が生み出されている。

リストの正当かつ合理的な解釈による内面の緊張、これがブレンデルの目指しているものだろう。

内面に緊張のある演奏は、作品が長すぎると感じさせない。

全7曲それぞれが緊張を秘めつつ、表情豊かに、個性豊かに描き出されてゆく。

こんな見事なリストは滅多に聴けるものではない。

巡礼の年第3年でもブレンデルは、リストを作品として評価し、演奏することを固持しており、「エステ荘の噴水」や「忘れられたワルツ」など、リストのピアノ音楽を好まぬ人さえもいつしか耳を傾けてしまうのでは、と思えるような清新な趣にあふれている。

これはブレンデルの持ち味がよく生かされた優秀盤である。

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このブレンデルのシューマンは実に新鮮である。

つまり、いままでに、シューマンの作品がロマン主義の時代からそれこそ1世紀半の時間をかけて身につけてきたもの、あるいは作品にしみこんでしまっていたものが一切洗い流され、この瞬間に新しく生まれ出てくるような新鮮さをもっている。

細部に至るまで完全に読み返され、1つ1つの音が再度意味づけされているといっても過言ではあるまい。

ブレンデルは情に流されない。

常に全体のデッサンを頭に入れつつ演奏を進めてゆくが、窮屈でわざとらしいところは少しもなく、濃厚すぎない感情表出が、清新な感受性に支えられて繰り広げられてゆく。

「クライスレリアーナ」でさえ、彼の手にかかると見間違えるほど爽やかな音楽となってしまう。

きわめて知的な解釈で、この曲のもつピアニスティックな美感をうまく表出している。

その表現は、やや淡白ともいえるが、清新な情感がただよい、爽やかだ。

「子供の情景」の各曲でも、きめの細かい表現をみせている。

シューマンのピアノ曲の中でも、特にロマンにあふれたこの曲の特徴をよくとらえた演奏で、やや淡白な表現ながら、それぞれの曲の持ち味を、うまく表現しているのが魅力だ。

「幻想小曲集」も音符の読みの深い演奏で、細部にまで研究しつくされた表現である。

ロマン的な情緒におぼれることなく、実にすっきりと仕上げていて、気持ちがよい。

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2007年12月25日


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ソナタ第19番はブレンデルらしいスケールの大きな演奏だ。

鮮やかな主張の提示ときめ細かい、くっきりと陰影を刻んだ展開は、このソナタの持つドラマの大きさをくっきりと描き出す。

そうした意味で極めて骨っぽい男性的なシューベルトなのだが、それだけに第3楽章メヌエットのかげりの深い表現が印象的。

第20番の第2楽章で、嬰へ短調で歌い継がれていく主題のしっとりとした抒情はたとえようもなく美しい。

実にヒューマンな、切々たる情感が流れる主題を聴いているうちに中間部に入り、たくましく華やかな楽想が出現し、それを受けて主部が再現され嬰へ短調の印象的な主題が静々と歌い出される。

このあたりのブレンデルの運びのうまさはまったく堂に入っており、感心するほかない。

第21番は演奏者と作品との調和ある一体感をこよない同意のうちに味わえる名演だ。

ブレンデルはこの音楽の日常的な情感の流れの中から、ニュアンスに富んだ感情の機微にふれる緻密なドラマの起伏を心理的に無理なく引き出す。

微妙な音色変化は楽曲の折々の表情と結びつき、あらゆる声部とリズム型がふさわしい息づきを与えられている様子は、まさに至芸としか言いようがない。

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ブレンデルは「即興曲」を2度録音している。

全8曲を演奏したものとしては、ブレンデルのCDが最も優れたものといえる。

ブレンデルはシューベルトの抒情を大切にしながらも、この曲集を2つのソナタのように、統一感のある構成力で美しくまとめている。

まろやかなタッチで、これらの作品からロマンの息吹きを詩情豊かにひき出した演奏で、その即興性にみちた"歌"の美しさは比類がない。

各曲とも、実に綿密に設計された演奏で、それぞれの曲の性格をしっかりと浮き彫りにしている。

美しいたたずまいのなかにも緊張感のみなぎった感動的な表現で、詩人ブレンデルの面目躍如たる名演だ。

ブレンデルの演奏するシューベルトは落ち着きとやすらぎがあって、単に耳に快いという以上の楽しみ方を与えてくれる。

構造の把握もよく練られたもので、抒情性の強い音楽をただ流れるように演奏することがないのも好ましく、音の美しさも魅力的だ。

ただ、1972年盤では各曲の要求する要素もすべて過不足なく表出して申し分ないのだが、多少構えすぎのところがあり、今少しの自在な姿勢があればと、惜しまれる。

1988年の再録音は以前よりいっそう音楽がまろやかに、自然に、豊かになっている。

作品90のハ短調のテーマが鳴りだすと、心はもう《ブレンデルのシューベルトの世界》に移り住まされてしまう。

主旋律、低声、アルペッジョ、それぞれの音色、音量、アーティキュレーションが絶妙にコントロールされ、この曲に限らず、あとの7曲もすべて細部にいたるまで、《音楽》が満ちみちて、柔らかで優しい色調が全体にみなぎっている。

特に作品142の第3番は、纏綿とうたわれる歌が実に美しく、ウィーンの音楽家シューベルトを実感させるだろう。

和音の微妙なニュアンスも絶品で、ブレンデルのデリケートで考え抜かれたアプローチが全面的に生かされているといえる。

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