小澤 征爾

2017年02月20日


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小澤征爾&ボストン交響楽団が1980〜1993年、13年をかけて完成したマーラー交響曲全集で、両者の厚い信頼関係が成し遂げた金字塔と言えるBOXだ。

そして、この録音が数多くの演奏の中でもひときわ優れ、独自の音楽的な地位を保っていることは誰もが認めるところである。

1980年代と言えば小澤の評価が世界的に急上昇し、ついには1990年代の頂点に至る過程でもあったが、その原動力として、この全集が果たした役割は大きい。

当時の小澤は世界的な巨匠という責任と期待の前に立って、最終的なジレンマにあったのではないか。

それは、結局音楽における内面性、精神性と言われてきた奥義のようなものを異文化から来た人間がどう獲得するかという問題になり、これは小澤が独自のスタイルを保ちながら、しかもどれだけ燃焼度を高く確保していけるかという問題でもあった。

そういう意味において、小澤のマーラー録音の展開を追っていけたことは、また文化史的に極めてスリリングな体験と言うべきであったのかも知れない。

小澤はマーラーの「第9」を、ボストン交響楽団の音楽監督としての最後の演奏会で取り上げたほどであり、マーラーのスペシャリストとしての呼び声も高い。

小澤のマーラー演奏は東洋的諦念観の理解に裏打ちされていると特徴付けられるが、作曲者と完全に一体化した師バーンスタインの情緒的スタンスから一歩踏み出したオリジナルの強さがここにはある。

ポスト・バーンスタイン=ユダヤ的身振りを模索する客観的でセンシティヴなマーラー像、すなわちバーンスタインのマーラー以後、一体どんなマーラーがあり得るのか、その小澤なりの回答、なのであろう。

小澤のアプローチは全体を通していわゆる純音楽的なものであるが、マーラーの荘重な世界を、熱い魂がほとばしるような演奏で表現している。

小澤のマーラーには、こってりとした民族的な味付けや濃厚な感情移入は感じられず、むしろ絶対音楽として客観視された主旨で統一されている。

バーンスタインやテンシュテットの劇的で主観的なアプローチとはあらゆる意味において対照的であるが、だからと言って物足りなさは皆無。

明晰な響きと自在なリズム、カンタービレのしなやかな美しさ…しかし、何といっても小澤の音楽には絶対的な優しさがあり、この美質が小澤のマーラーを価値あるものにしている要因なのだろう。

バーンスタインほどオケを振り回さず、しかし客観的になりすぎず、音を丁寧に積み重ねながらぐいぐいと聴く者を引き込んでゆく。

一方、小澤のマーラーは非常にセンシティヴな響きを持っており、フランスの印象派や、武満やメシアンを思い出させるような、あるいは小澤があるエッセイでマーラーと比較していたアイヴスも連想させるような繊細さを感じさせる。

このように小澤のマーラー観とは、外部からくる様々な感覚を綜合した、ある種アール・ヌーヴォー的な作曲家というところにあり、そのアプローチは主観主義的であるよりもむしろ客観的・知的・純音楽的である。

また小澤独自のリズムの切れの良さと旋律の歌わせ方の明快さもよく出ており、そういう特質が最も良く生かされているのが、小澤向きの「第8」や「第2」「第1」だろう。

小澤の、楽曲の深みに切り込んでいこうとする鋭角的な指揮ぶりが、演奏に緊張感といい意味でのメリハリを加味することに繋がり、切れば血が出るような熱き魂が込められた入魂の仕上がりとなっている。

録音も優秀で、ボストン交響楽団の洗練された弦や木管、輝かしいブラスを、フィリップス・クオリティのサウンドで堪能できる高水準でシンフォニックな全集である。

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2017年02月07日


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本盤には《ペトルーシュカ》《春の祭典》という、ストラヴィンスキーの3大バレエ音楽を構成する人気曲が収められているが、小澤は、ストラヴィンスキーを得意中の得意としていることもあり、いずれも驚くべき超名演だ。

両演奏ともに、小澤がボストン交響楽団の音楽監督に就任する前の録音であり、いまだ30代の若き小澤としてもこれから世界に羽ばたいて行こうとする熱き情熱に満ち溢れていた時期である。

この当時の小澤の演奏は、豊かな音楽性を生かしつつ、軽快で躍動感溢れるアプローチに加えて、エネルギッシュで力強い生命力に満ち溢れていた。

トゥッティに向けて畳み掛けていくような気迫と力強さは圧倒的な迫力を誇っており、切れば血が噴き出てくるような熱い情感に満ち溢れている。

バレエ音楽《ペトルーシュカ》の随所で聴かれるロシア風の抒情的な旋律の歌い方もいささかも重々しくなることはなく、瑞々しさを感じさせてくれるのが素晴らしい。

ボストン交響楽団も、この当時は音楽監督に就任することなど夢想だにはしなかったであろうが、若き才能溢れる指揮者の統率に導かれて、力感溢れる大熱演を披露している。

後に現代を代表する指揮者に成長するティルソン・トーマス(MTT)によるピアノ演奏も、小澤の指揮ともどもノリノリの爽快さが素晴らしい。

バレエ音楽《ペトルーシュカ》は、現在までにこれが小澤にとっての唯一の貴重な録音であり、若き小澤の才気が爆発した稀有の超名演と高く評価したい。

小澤は、バレエ音楽《春の祭典》を十八番としており、本盤に収められた録音のほかにもボストン交響楽団とともに再録音(1979年)を行っているほか、コンサートでもたびたび採り上げているところだ。

冒頭からテンションは著しく高くパワー全開であり、若き小澤ならではの凄まじいまでの燃焼度の高い演奏を展開している。

快速のテンポやスローテンポなどの変幻自在のテンポ設定や猛烈なアッチェレランド、部屋がぶっ飛ぶのかと思うほどの大音響を炸裂させるなど、ありとあらゆる大胆な表現を駆使して才気溢れる圧倒的な爆演を展開しており、これこそまさに切れば血が噴き出てくるような渾身の大熱演と言えるのではないだろうか。

本演奏はスタジオ録音であるが、とてもスタジオ録音とは思えないような灼熱のような燃焼度を誇っており、第2部の終結部ではあまりのド迫力に完全にノックアウトされてしまった。

このように終始ハイテンションの小澤の凄まじい指揮に、一糸乱れぬアンサンブルで最高の演奏を展開したシカゴ交響楽団のとてつもない超絶的な技量にも大いに拍手を送りたい。

音量といい、技量といい、シカゴ交響楽団はこの当時からスーパー軍団であったことがよく理解できるところだ。

本盤最後に収められた併録の幻想曲《花火》も、若き小澤ならではの素晴らしい名演だ。

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2016年11月27日


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本盤は30代の小澤征爾がRCAへ録音した最も初期の、実質的には小澤のデビュー・レコードであるが、その清新な演奏は今も魅力を失っておらず、80歳を超えた現時点においても、これまでの数多い小澤のディスコグラフィの中でも、トップの座に君臨する至高の超名演と高く評価したい。

とにかく、この当時の小澤の途轍もない力強い生命力と、作品の本質にぐいぐいと切り込んで行く鋭いアプローチは、凄いの一言であり、若き日の小澤のダイナミックで官能的でしかも精緻な音楽的特質がよくあらわれている。

メシアンのトゥーランガリラ交響曲にしても、武満のノヴェンバーステップス等にしても、いずれも難曲であるとともに、本盤の録音当時は、他にも録音が非常に少ないということもあり、演奏をすること自体に大変な困難を伴ったことが大いに予想されるところだ。

そのような厳しい状況の中で、30代の若き小澤が、これほどの自信と確信に満ち溢れた堂々たる名演を繰り広げたというのは、小澤の類稀なる才能とともに、現代の大指揮者小澤を予見させるのに十分な豊かな将来性を感じさせられる。

メシアンにしても、武満にしても、若き小澤を高く評価したのも十分に理解できるところであり、奇を衒うことのない非常にオーソドックスで、しかも優れたこれらの名録音は、いずれもLP発売以来一度もカタログから消えたことがない名盤である。

小澤はトゥーランガリラ交響曲の日本初演を行ったことからもわかるとおり、曲の隅々まで精通して作曲家メシアンの厚い信頼を得ての録音であり、メシアンの官能的な色彩をこれだけ、あられもなく表現した例は他になく、メシアンと小澤の信頼関係が晩年まで続いた事も大いに頷けるところだ。

トロント交響楽団のアンサンブルも優れたもので、実力を出し切っており、第5楽章の〈星の血の歓喜〉の困難なパッセージや、第6楽章の〈愛と眠りの園〉における天国的な旋律の歌い方なども大変秀逸である。

イヴォンヌ・ロリオのピアノが大変瑞々しく、またジャンヌ・ロリオのオンド・マルトゥノの音も存在感が溢れるよう録音されている。

ノヴェンバー・ステップスは、武満徹の名を世界に知らしめ、不動のものとした日本のクラシック音楽界にとって歴史的な録音で、小澤32歳の、初演後まもなくの熱気を感じさせる。

伝統音楽にはなかった琵琶と尺八の出会い、和楽器とオーケストラの出会いを演出した戦後の名作で、たっぷりと余韻を楽しみながら演奏されている。

琵琶と尺八をオーケストラと対峙させるというアイディア(これは委嘱してきたニューヨーク・フィルからの注文だったらしいが)もさることながら、ヨーロッパの追従に偏っていた日本の音楽界にわが国の古典音楽を突き付けたショックは今聴いても強烈で、フレーズ1つ1つに力がこもり、音の運動性と存在感が作品に命を与えている。

鶴田錦史(琵琶)・横山勝也(尺八)の両ソリストの名技に全面依存した作品でもあり、その最初の出会いを記録した本演奏はまさに歴史的名盤と呼ぶにふさわしい。

近年の演奏に比べれば粗削りだが、音に生気が漲っているせいか、不思議と、新しいものに出会った演奏家たちの驚きや喜びが伝わってくる。

武満本来の静謐の美学とは少しズレもあるが、特に彼の作風に含まれる西欧的な性質を強調したことによって、海外での受容が促進されたのかもしれない。

図形楽譜による琵琶と尺八だけの長大なカデンツァの部分は、楽譜にいくつかの断片が与えられているだけなので、本来は自由な順に演奏できるのだが、この時期にはまだ、鶴田も横山も試行錯誤で、後のように順番を固定してはいなかった。

トゥーランガリラ交響曲やノヴェンバー・ステップス等には、本盤の後、様々な指揮者の手により相当数の録音が行われたが、未だに本盤を凌駕する名演が登場していないというのは、本盤の演奏の水準の高さに鑑みれば、当然のような気がする。

そしてこの若き日の小澤を永遠に記録する名録音は、新たなリマスタリングとBlu-spec-CD化によって、驚異の高音質に生まれ変わった。

本当は、SACDで発売して欲しいところであるが、それでもこれだけの高音質でこの歴史的な「音の世界遺産」とも言うべき若き小澤の素晴らしい超名演を味わうことができるのだから、文句は言えまい。

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2016年03月11日


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ドヴォルザークのチェロ協奏曲は、雄大なスケール、朗々と歌う旋律、チェロの特質を極限まで生かした傑作で、チェロ協奏曲の王様とも言うべき不朽の名作であり、それ故に古今東西の様々なチェリストがこぞって演奏・録音を行ってきた。

それだけに、名演には事欠くことはなく、本稿にも書ききれないほどの数多い名演が存在している。

カザルスと並んで20世紀最大のチェリストと称されたロストロポーヴィチも、同曲の録音を繰り返し行っており、ターリッヒ&チェコ・フィルとの演奏(1952年)を皮切りとして、ハイキン&モスクワ放送交響楽団との演奏(1956年)、カラヤン&ベルリン・フィルとの演奏(1968年)、ジュリーニ&ロンドン・フィルとの演奏(1977年)、そして小澤&ボストン交響楽団との演奏(1985年(本盤))の5度にわたってスタジオ録音を行っている。

その他にもライヴ録音も存在しており、これは間違いなくあらゆるチェリストの中でも同曲を最も多く録音したチェリストと言えるのではないだろうか。

これは、それだけロストロポーヴィチが同曲を深く愛するとともに、満足できる演奏がなかなか出来なかった証左とも言えるところだ。

本録音はその最後(1985年)となった作品であるが、ロストロポーヴィチ会心の円熟作であり、彼の芸術の集大成とも言うべき名演を繰り広げている。

ロストロポーヴィチは、小澤との本録音(1985年)の演奏の出来に大変満足し、本盤のレコード会社であるエラートに、今後2度と同曲を録音しないという誓約書まで書いたとの噂も伝えられているところである。

したがって、ロストロポーヴィチの円熟のチェロ演奏を聴きたいのであれば1985年盤を採るべきであろう。

ロストロポーヴィチが、これをもって最後のレコーディングにすると決めたことは、このCDを聴いた人には容易に理解できるだろう。

ロストロポーヴィチによるチェロ演奏は、超絶的な技量とそれをベースとした濃厚な表情づけで知られているが、楽曲によってはそれが若干の表情過多に繋がり、技巧臭やロストロポーヴィチの体臭のようなものを感じさせることがあった。

本盤に収められた両演奏においても、かかるロストロポーヴィチの超絶的な技量を駆使した濃厚な歌いまわしは顕著にあらわれているが、表情過多であるという印象をいささかも与えることがなく、むしろかかる濃厚な演奏が必然であると感じさせるのが素晴らしい。

肩の力が抜けている分、音がぐんぐん伸び、低音の朗々たるところなど、まさに比類ない。

驚異的なテクニック、「祈り」の様な深い情感は、聴き手に大きな感動をもたらし、多用されるピアニッシモも人工的にならず、表情の魔法のような変化が詩的で、聴く者の心を打つ。

チャイコフスキーも千変万化の名演で、心から勢いよく涌き出てくる作曲家からのメッセージや曲想をすばらしい技巧によって難なく自然にあますところなく表現している。

そして、ロストロポーヴィチによる濃厚なチェロ演奏をしっかりと下支えしているのが、小澤&ボストン交響楽団による名演奏である。

小澤は、しっかり自己主張しながらボストン交響楽団のいいところを引き出して独奏者の好演に華を添えている。

ロストロポーヴィチと小澤はお互いを認め合うなど肝胆相照らす仲であったことで知られているが、本演奏でも、小澤の指揮は音楽性が最高で、伴奏者としても敏感であり、ロストロポーヴィチへの深い尊敬を秘めた指揮ぶりで、彼のチェロ演奏を引き立てた見事な好パフォーマンスぶりを発揮していると高く評価したい。

ソリストに最大の敬意をはらいどこまでも純粋にその音楽を支えようという指揮者、そんなバックに最大の謝辞を示し、ともに高め合おうと慈愛を向けるソリスト。

それにしても小澤は、ソリストとどのような力関係にあったとしても、変幻自在に立ち回り良い仕事ができる、ソリストにとって理想的な指揮者なのではないだろうか。

小澤の、心地良い風が吹きぬけるような自然で繊細な演奏とその中で響き渡るロストロポーヴィチの朗々たるチェロの音。

これを聴いたらドヴォルザークもにっこり微笑むのではないだろうか。

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2015年07月22日


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素晴らしい名演だ。

小澤征爾は、かつて1980年代に手兵のボストン交響楽団とともにマーラーの交響曲全集を録音しているが、問題にならない。

小澤のマーラーの最高の演奏は、手兵サイトウ・キネン・オーケストラとの「第2」(2000年)及び「第9」(2001年)であり、それ以降チクルスが中断されてしまったが、これら両曲については、古今東西の様々な名演の中でも十分に存在価値のある名演と高く評価したい。

小澤はマーラーの「第9」を、ボストン交響楽団の音楽監督としての最後の演奏会で取り上げたほどであり、マーラーのスペシャリストとしての呼び声も高い。

小澤のアプローチは両曲ともにいわゆる純音楽的なものであるが、マーラーの荘重な世界を、熱い魂がほとばしるような演奏で表現している。

小澤のマーラー演奏は東洋的諦念観の理解に裏打ちされていると特徴付けられるが、作曲者と完全に一体化した師バーンスタインの情緒的スタンスから一歩踏み出したオリジナルの強さがここにはある。

小澤のマーラーには、こってりとした民族的な味付けや濃厚な感情移入は感じられず、むしろ絶対音楽として客観視された主旨で統一されている。

バーンスタインやテンシュテットの劇的で主観的なアプローチとはあらゆる意味において対照的であるが、だからと言って物足りなさは皆無。

明晰な響きと自在なリズム、カンタービレのしなやかな美しさ…しかし、何といっても小澤の音楽には絶対的な優しさがあり、この美質が小澤のマーラーを価値あるものにしている要因だろう。

バーンスタインほどオケを振り回さず、しかし客観的になりすぎず、音を丁寧に積み重ねながらぐいぐいと聴く者を引き込んでゆく。

小澤の、楽曲の深みに切り込んでいこうとする鋭角的な指揮ぶりが、演奏に緊張感といい意味でのメリハリを加味することに繋がり、切れば血が出るような熱き魂が込められた入魂の仕上がりとなっている。

サイトウ・キネン・オーケストラも、小澤の確かな統率の下、ライヴとは思えない完成度の高い演奏で指揮者の熱意に応えて、最高のパフォーマンスを示している。

世界中の名手を集めたサイトウ・キネン・オーケストラは、弦も金管も木管もパーカッションも世界で活躍しているソリスト集団なのがわかる豪華なラインナップ。

随所で素晴らしいソロが繰り広げられ、またアンサンブルも臨時編成とは思えない高い完成度を感じさせる。

オーケストラが小澤征爾のバトンのもとで自由自在に歌うさまは、まさに圧巻と言えるだろう。

サイトウ・キネン・オーケストラの持つ緻密なアンサンブル、広いダイナミクスの幅が小澤の棒によって見事にコントロールされ、プレーヤー個々の豊かな表現力と融合し、マーラーの世界を見事に表現している。

録音は、両曲ともに通常盤でも高音質であったが、特に、「第9」については今回はじめてSACD化され、更に鮮明さを増した点が素晴らしい。

他方、「第2」については、かつてSACDのシングルレイヤーディスクとして発売されており、今回のハイブリッドディスクはわずかであるが音質は落ちる。

今回の発売にあたっての不満点はまさにこの点であり、なぜ、「第9」だけの単独発売にしなかったのか、メーカー側の邪な金儲け思想に、この場を借りて大いに疑問を呈しておきたい。

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2015年05月31日


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近年では健康を害して指揮台に立つのも難儀をしている小澤であるが、小澤の得意のレパートリーは何かと言われれば、何と言ってもフランス音楽、そしてこれに次ぐのがロシア音楽ということになるのではないだろうか。

ロシア音楽について言えば、チャイコフスキーの後期3大交響曲やバレエ音楽、プロコフィエフの交響曲やバレエ音楽、そしてストラヴィンスキーのバレエ音楽など、極めて水準の高い名演を成し遂げていることからしても、小澤がいかにロシア音楽を深く愛するとともに得意としているのかがわかるというものだ。

R=コルサコフの最高傑作でもある交響組曲「シェエラザード」も、そうした小澤が最も得意としたレパートリーの1つであり、これまでのところ3度にわたって録音を行っている。

最初のものが本盤に収められたシカゴ交響楽団との演奏(1969年)、2回目のものがボストン交響楽団との演奏(1977年)、3回目のものがウィーン・フィルとの演奏(1993年)である。

いずれ劣らぬ名演であり、とりわけウィーン・フィルとの演奏については、オーケストラの魅力ある美しい音色も相俟って、一般的な評価も高いし、演奏全体の安定性などを総合的に考慮すれば、ボストン交響楽団の演奏が、小澤による同曲の代表的名演と評価することもできよう。

それらに対し、シカゴ交響楽団との演奏は、まだ30歳代半ば、小澤のEMIレーベルへのデビュー当時の録音であり、若き小澤が世界に羽ばたこうとしていた熱き時代のものである。

1963年のラヴィニア音楽祭での共演以来、頻繁に共演を繰り返していたシカゴ交響楽団というこの上ないパートナーを得て、若き小澤がこの名門オケを大胆にリードし、この上なく新鮮でみずみずしい、颯爽とした「シェエラザード」に仕上がっている。

この当時の小澤の演奏は、豊かな音楽性を生かしつつ、軽快で躍動感溢れるアプローチに加えて、エネルギッシュで力強い生命力に満ち溢れていた。

トゥッティに向けて畳み掛けていくような気迫と力強さは圧倒的な迫力を誇っており、切れば血が噴き出てくるような熱い情感に満ち溢れている。

同曲の随所で聴かれるロシア風の抒情的な旋律の歌い方もいささかも重々しくなることはなく、瑞々しさを感じさせてくれるのが素晴らしい。

同曲には様々な指揮者による多種多彩な名演が目白押しであるが、小澤の演奏は、得意のフランス音楽に接する時のような洒落た味わいと繊細とも言うべき緻密さと言えるのではないかと考えられる。

とりわけロシア系の指揮者に多いと言えるが、ロシア風の民族色を全面に打ち出したある種のアクの強さが売りの演奏も多いが、小澤の演奏はその対極に位置しているとも言える。

ロシア系の指揮者の演奏がボルシチであるとすれば、小澤の演奏はあっさりとした味噌汁。

しかしながら、その味噌汁は、あっさりとはしているものの、入っている具材は実に多種多彩。

その多種多彩さはボルシチにはいささかも劣っていない。

それこそが、小澤による本演奏の特色であり、最大の美質と言えるだろう。

要は、演奏の表層は洗練されたものであるが、どこをとっても洒落た味わいに満ち満ちた独特のニュアンスが込められるとともに、聴かせどころのツボを心得た演出巧者ぶりにも際立ったものがあると言えるだろう。

こうした若き小澤の統率の下、卓越した技量を発揮したシカゴ交響楽団による名演奏も素晴らしい。

とりわけ管楽器の技量とパワーは桁外れであり、巧みなオーケストレーションが施された同曲だけに、本名演への貢献度は非常に大きいと考える。

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2015年05月29日


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ここ数年間は大病を経験するなど体調が思わしくなくて、ファンを焼きもきさせている小澤であるが、本盤に収められたバルトークの最も有名な楽曲である管弦楽のための協奏曲とバレエ「中国の不思議な役人」 の演奏は、小澤が最も精力的に活動していたボストン時代のものだ。

それだけに、演奏全体にエネルギッシュな力感が漲っており、いずれも素晴らしい名演に仕上がっている。

バルトークの楽曲は、管弦楽曲にしても、協奏曲にしても、そして室内楽曲などにしても、奥行きの深い内容を含有しており、必ずしも一筋縄ではいかないような難しさがある。

したがって、そうした楽曲の心眼を鋭く抉り出していくような演奏も、楽曲の本質を描出する意味において効果的であるとは言える。

またその一方で、各楽曲は、ハンガリーの民謡を高度に昇華させた旋律の数々を効果的に用いるなど巧妙に作曲がなされており、それをわかりやすく紐解いていくような演奏もまた、バルトークの楽曲の演奏として十分に魅力的であるのも事実である。

小澤のアプローチは、明らかに後者の方であり、両曲の各楽想を精緻に、そして明朗に描き出して行くという姿勢で一貫していると言えるだろう。

全盛時代の小澤ならではの躍動するようなリズム感も見事に功を奏しており、両曲をこれ以上は求め得ないほどに精密に、そしてダイナミックに描き出すことに成功したと言えるところだ。

それでいて、抒情的な箇所は徹底して歌い抜くとともに、目まぐるしく変転する曲想の表情づけも実に巧みに行われており、スコアに記された音符の表層だけをなぞっただけの薄味な演奏に陥っていないのが素晴らしい。

そして、壮年期の小澤ならではの、トゥッティに向けて畳み掛けていくような気迫と、前述のようなエネルギッシュな力感に溢れた強靭な生命力においてもいささかの不足はない。

前述のように、かつてのライナー(管弦楽のための協奏曲)やドラティ(バレエ「中国の不思議な役人」)の演奏のような楽曲の心眼に切り込んだいくような鋭さは薬にしたくもない。

しかし作品のもつ冷徹な音のドラマを生々しく表現し、これら両曲のオーケストラ音楽としての魅力を存分に満喫させてくれるという意味においては、そして、これら両曲を安定した気持ちで味わうことができるという意味においては、素晴らしい名演と高く評価したいと考える。

特にオーケストラの各パートを独奏楽器に起用した、華やかな演奏効果で知られる管弦楽のための協奏曲は、ボストン交響楽団が初演したゆかりの作品であるだけに、この演奏では、ひとつひとつの音に血が通っているかのように音楽が息づき、実に彫りの深い表現を生み出している。

動的な曲想をもつがゆえに、ワイルドなサウンドがもてはやされがちなバルトークであるが、小澤の音に接すれば、それがいかに偏った解釈かよくわかる。

小澤34歳時のEMIレーベルへのデビュー録音も管弦楽のための協奏曲であり、それは「若武者」として勢い充分にオーケストラをドライヴする小澤の指揮姿を彷彿とさせる演奏であったが、この再録音ではさらにスコアが透けて見えるような緻密さも併せ持っている。

そして、曲に込められた哀しみや自虐の歌が克明に浮かび上がるのは、小澤&ボストン交響楽団の20年の成果を示す見事な演奏と言えるだろう。

小澤の精緻にしてエネルギッシュな指揮の下、渾身の名演奏を繰り広げたボストン交響楽団にも大きな拍手を送りたい。

小澤は2004年にもサイトウ・キネンと管弦楽のための協奏曲(カップリングは弦楽器、打楽器とチェレスタのための音楽)をライヴ録音しており、そちらも名演ではあるが、完成度においてボストン盤に軍配をあげたい。

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2015年02月16日


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本盤は、小澤征爾のEMIレーベルへのデビュー録音となったもので、録音当時34歳、「若武者」として勢い充分にオーケストラをドライヴする小澤の指揮姿を彷彿とさせる演奏であり、さらにスコアが透けて見えるような緻密さも併せ持っている。

バルトークの「管弦楽のための協奏曲」は、作曲家晩年の皮肉や苦みがふんだんに盛り込まれた作品であるが、小澤は実はそのような面にはあまり反応していない。

筆者は基本的には、内在する皮肉や苦みが演奏に際してきちんと表現されるのが一番よいとは思う。

しかし、世の中には皮肉や苦みがわからない人間もいるし、そういう人たちは、演奏家として、音楽家として否定されねばならないのか? 音楽を聴いてはならないのか? そうではあるまい。

作品を発表するというのは、作品を無理解な人間に対しても開放するということでもあり、別の人格に委ねるということだ(極論を言えば、作品を放棄すること、それどころか破棄することだ)。

作品とは演奏家にとってみれば、いかに親しげに感じられようとも、所詮他人の音楽である。

ゆえに、それぞれの人間が己の理解力の中で最大限の可能性を求める、それが大事なのだ。

だから筆者としては、小澤がベストを尽くしたこの録音を高く評価したい。

小澤が振る「管弦楽のための協奏曲」は、彼の尊敬するカラヤン同様、スムーズで、格好よくて、楽天的で、とても綺麗な音響で、その冷たい美しさはモダンインテリアのようで、録音後40年以上を経た現在でも一級品であり、まったく古びていないように思える。

だが、まさにこのような演奏に対して、アーノンクールやラトルが異議を唱えているのだということ、その点において、この演奏は過去になりつつあるということはわかっていてよい。

小澤には小澤のやり方があり、彼は今でもそのやり方をサイトウ・キネン・オーケストラとともに続けているが、その一徹さは彼には不可避であり、またそれでよいのである。

誰しも、歴史の中で自分に振り当てられた役割を果たすほか、別の選択はないのだから。

正直な気持ちを記すなら、筆者はとびきりの名人オーケストラが間然するところのない技量を見せつけるこの演奏を、不毛に贅沢な退屈であると感じることを告白しておく。

しかし、シカゴ交響楽団がいくら名人揃いだからといって、常にこのような演奏をするわけではないこと、まさに小澤の力でこのような演奏が実現されたことについては、髪の毛一筋ほども疑わない。

なかんずくフィナーレでは若かった小澤がいささかの破綻も恐れず躍動しているのが聴こえ、胸のすくような瞬間がある。

最後の金管楽器の決めは、まるで雄々しい若者の雄叫びのようであり、パリやアメリカの聴衆が、このエキゾチックな青年が作り出すストレートで屈託のない音楽に魅了されたのが理解できるのである。

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2015年01月25日


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20世紀における最も偉大なヴァイオリニストの1人と評され、全世界で演奏活動を続けているヴァイオリニスト、イツァーク・パールマンが録音した20世紀ヴァイオリン協奏曲の名曲。

20世紀を代表する2つのヴァイオリン協奏曲を収めているが、両曲ともに、ヴァイオリニスト、指揮者、オーケストラの3拍子が揃った類稀なる名演だと思う。

筆者は、ベルクのヴァイオリン協奏曲の数多い録音を聴いてきたが、パールマンのこの録音以上に美しい音色でこの曲を弾いた演奏を知らない。

ベルクのヴァイオリン協奏曲は、親しかったアルマ・マーラーの愛娘の死を悼んだレクイエムであると同時に、自らの死を予感した自伝的作品とも言われるが、パールマンは、決して技巧のみを全面に打ち出してはいない。

ヴァイオリニストにとっての難曲の1つであり、超絶的な技巧を要する曲であるのだが、パールマンは、むしろ内容重視。

ベルクが同曲に込めた人生の寂寥感や絶望などを、実に清澄な美しい音色で描いて行くが、表面的な美しさにとどまらず、同曲に込められた深い内容を掘り下げていこうという真摯なアプローチが素晴らしい。

それでいて、卓越した技量にはいささかの不足はなく、このような現代音楽を得意とした小澤&ボストン交響楽団も、これ以上は求め得ないほどの最高のパフォーマンスを示している。

パールマンの色気のあるヴァイオリンと小澤の繊細で美しいオケ・ドライヴが楽しめる。

アルマの娘のエピソードも、この演奏の前にはあまり意味がないように思えるほど「純」ヴァイオリンに徹していて気持ちがいい。

この名曲を初めて聴く人も、既にいろいろな演奏を聴いている人も、十分満足できる名演である。

それにしても、第2楽章の中間部で、雲の切れ間に現れる青空の様に聴こえるバッハのコラールは、何と美しい音楽だろうか。

筆者は、あのコラールに、ベルクが、自分の深い秘密をこめたような気がしてならない。

一方、ストラヴィンスキーのヴァイオリン協奏曲は、ベルクに比べると、暗いトンネルを抜けた明るさが持ち味の曲であるが、あくまでも内容重視のパールマンのアプローチや小澤&ボストン交響楽団の好パフォーマンスには変わりがない。

パールマンが少々強引な演奏を聴かせるが、小澤の指揮が非常に生き生きしていて、ストラヴィンスキーの新古典主義と小澤の相性の良さを感じる。

他方、併録のツィガーヌは、パールマンの超絶的な技巧を味わうことができる名演だ。

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2015年01月21日


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小澤&ボストン響時代を代表する素晴らしい名演だ。

小澤は、バレエ音楽の全曲版としては、本盤の8年前にもチャイコフスキーの「白鳥の湖」を録音した。

そのレビューにおいて、筆者は、ウィーン国立歌劇場のシェフとなる大指揮者小澤への確かな道程を感じると記したが、本盤は、「白鳥の湖」よりも更に優れた名演。

小澤は、かかる道程を着実に歩んでいることがよくわかる演奏だ。

小澤は、本盤の直後に、ベルリン・フィルとともにプロコフィエフの交響曲全集を録音するなど、プロコフィエフを自家薬籠中の作曲家としており、そうした点から来る自信と風格が、本盤の演奏全体に漲っている。

プロコフィエフの管弦楽曲の特徴として、不協和音を駆使したいわゆる音の濁りというものがあるが、小澤は、それを決してオブラートには包まない。

どの箇所もスコアに記された音符のすべてを鳴らすことに腐心しているようである。

それでいて、重々しくなることはなく、さりとて洗練され過ぎるということもなく、剛柔バランスのとれたシンフォニックな演奏を行っている点を高く評価したい。

小澤の優れた特徴として、卓越した音楽性に去来するリズム感があるが、例えば、第1幕の第15曲のマーキュシオでは、軽快でリズミカルな音楽の中に瀟洒な味わいがあるし、第18曲の客人たちの退場における、古典交響曲から引用された旋律の躍動感が素晴らしい。

また、小澤の舞台人としての演出巧者ぶりも健在で、例えば、第2幕においては、第24〜第27曲及び第30〜第31曲の小気味のいいリズミカルな音楽と、第28曲及び第29曲の情感溢れる美しい音楽との思い切った対比など、テンポ設定の緩急やダイナミックレンジの幅広さを駆使して、実にドラマティックな音楽を構築している。

第3幕における第41曲以降のジュリエットの心象風景の描写は素晴らしいの一言であり、第4幕のロメオの死の切れ味鋭い慟哭の音楽には戦壊を覚えるほどだ。

第52曲のジュリエットの死は、至高・至純の天国的な美しさに満ち満ちている。

ボストン交響楽団も、小澤の統率の下、最高のパフォーマンスを示しており、金管楽器や木管楽器の技量には卓抜としたものがある。

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2015年01月20日


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フランス系の音楽を十八番とした小澤ならではの素晴らしい名演だ。

東洋人独特の繊細な感性が不思議とフォーレのフランス的抒情の琴線と共鳴しているようであり、このフォーレ管弦楽作品集でも洗練された演奏を聴かせてくれる。

とにかくオケのサウンドが美しく、音楽そのものに素直に語らせたゆえにこれだけの演奏ができたのだろう。

劇音楽「ペレアスとメリザンド」は、小澤の卓越した演出巧者ぶりが際立つ。

繊細な抒情から強靭なトゥッティの迫力に至るまで、表現の幅は桁外れに広く、実に内容豊かな音楽を構築している。

小澤は、有名なシシリエンヌなど、フォーレの作曲した絶美の旋律の数々を徹底的に歌い抜いており、その切ないほどの郷愁、メロディの歌わせ方には胸を打たれる。

かと言って、徒に感傷的に陥ることはなく、フランス風の瀟洒な味わいさえ感じられる高踏的な美しさを保っているのが素晴らしい。

これは、本場フランスの指揮者でさえ凌ぐセンス満点の卓越した指揮芸術の賜物と言えるだろう。

ソプラノのハントの歌唱も実に優美であり、本名演に華を添えている点も忘れてはならない。

「夢のあとに」と「エレジー」は、何よりもエスキンによるチェロが美しさの極みであり、小澤も、チェロとともに極上の音楽を紡ぎ出している。

パヴァーヌに至っては、味わい深いオーケストラと壮麗な合唱の絶妙の組み合わせが至高・至純の美を形成しており、あまりの切ない美しさに涙なしでは聴けないほどだ。

組曲「ドリー」は、原曲がピアノ曲であり、フォーレ自身の編曲ではないが、フォーレならではの叙情豊かな魅力は他の諸曲にもいささかの引けも取らない。

テレビ東京の「生きるを伝える」でも有名な子守歌など、親しみやすい旋律が満載の魅力作だ。

小澤は、ここでも、持前の表現力の豊かさと演出巧者ぶりを発揮して、曲想を巧みに描出していくが、随所に聴かれるフランス風のエスプリ漂う瀟洒な味わいは、筆舌には尽くし難い高みに達している。

ボストン交響楽団やタングルウッド音楽祭合唱団も、小澤の統率の下、最高のパフォーマンスを示している。

SHM−CD化によって、音質は明らかに鮮明になるなど向上しており、この卓越した名演を素晴らしい高音質で味わうことができることを大いに喜びたい。

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2014年11月13日


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本盤には、小澤征爾がベルリン・フィルとともに1989年から1992年の4年間をかけてスタジオ録音を行ったプロフィエフの交響曲全集から抜粋した有名曲が収められているが、いずれも素晴らしい名演と高く評価したい。

小澤がベルリン・フィルを指揮した、端正にしてキリリとした指揮ぶりを堪能できる作品集である。

小澤は、カラヤンを師匠として敬愛していたこともあり、ベルリン・フィルと数々の演奏・録音を行ってきているが、現時点において最も優れた録音は、このプロコフィエフの交響曲全集ということになるのではないだろうか。

小澤は、もともとプロコフィエフを得意中の得意としており、ここでも持ち前の豊かな音楽性を活かしつつ、軽快でリズミカルなアプローチによるセンス満点の明瞭な演奏を行っているのが素晴らしい。

交響曲第1番についてはかかるアプローチに対して異論はないだろうが、交響曲第5番については、カラヤン、バーンスタインなどによる重厚な名演が目白押しであり、それに慣れた耳からすると本演奏はいささか軽快に過ぎるきらいがないわけではない。

しかしながら、とかく重々しくなりがちなプロコフィエフの演奏に清新さを与えるのに成功している点については、筆者としては高く評価したいと考える。

組曲「キージェ中尉」も同様のアプローチによる名演であるが、ここでは第2曲「ロマンス」と第4曲「トロイカ」に声楽を含むバージョンで演奏されており、これは希少価値がある。

さらに、これらの演奏で素晴らしいのは、ベルリン・フィルによる卓越した技量であると考える。

この当時のベルリン・フィルは、芸術監督がカラヤンからアバドに代替わりする難しい時期でもあったが、ここでは鉄壁のアンサンブルとパワフルなサウンド、各管楽器の卓越したテクニックが健在である。

組曲「キージェ中尉」におけるアンドレアス・シュミットも素晴らしい歌唱を披露している。

録音は、従来盤でも高音質で知られてはいたが、今般のSHM−CD化によって、音質はさらに鮮明になるとともに、音場が幅広くなった。

小澤&ベルリン・フィルによる素晴らしい名演を、SHM−CDによる高音質で味わうことができるのを大いに喜びたい。

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2014年11月07日


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本盤には旧ソヴィエト連邦時代に活躍した2人の大作曲家、プロコフィエフとショスタコーヴィチによるチェロによる協奏的作品の傑作が収められている。

いずれの楽曲も、本演奏の当時世界最高とも謳われたロストロポーヴィチに献呈されたという意味において共通しているが、素晴らしい名演と高く評価したい。

とりわけ、プロコフィエフの交響的変奏曲については、目ぼしい競合盤が殆ど存在していないことから、同曲演奏史上最高の超名演と言えるのではないか。

作曲者とも親交があり、これらの楽曲を作曲するにあたっても様々な助言を行ったと想定されることから、ロストロポーヴィチの両曲に対するスコア・リーディングの深さと演奏にかける深い思い入れには尋常ならざるものがある。

ロストロポーヴィチによるチェロ演奏は、超絶的な技量とそれをベースとした濃厚な表情づけで知られているが、楽曲によってはそれが若干の表情過多に繋がり、技巧臭やロストロポーヴィチの体臭のようなものを感じさせることがあった。

本盤に収められた両演奏においても、かかるロストロポーヴィチの超絶的な技量を駆使した濃厚な歌いまわしは顕著にあらわれているが、表情過多であるという印象をいささかも与えることがなく、むしろかかる濃厚な演奏が必然であると感じさせるのが素晴らしい。

これは、前述のように、ロストロポーヴィチがこれら両曲に対して、被献呈者として深い愛着を抱くとともに、作曲者が両曲にこめた深遠なメッセージを的確に理解しているからにほかならない。

そして、ロストロポーヴィチによる濃厚なチェロ演奏をしっかりと下支えしているのが、小澤&ロンドン交響楽団による名演奏である。

ロストロポーヴィチと小澤はお互いを認め合うなど肝胆相照らす仲であったことで知られているが、本演奏でも、小澤はロストロポーヴィチのチェロ演奏を引き立てた見事な好パフォーマンスぶりを発揮していると高く評価したい。

小澤がロンドン交響楽団を指揮することは稀であると思われるが、ここでは息の合った見事な名コンビぶりを披露している。

音質については、1987年のデジタル録音ということもあり、従来盤でも十分に満足できる良好なものである。

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2014年09月22日


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これは素晴らしい名演だ。

本盤にはリストによるピアノ協奏曲第1番及び第2番、そして「死の舞踏」が収められているが、このうちピアノ協奏曲第1番及び第2番についてはリヒテルとコンドラシン&ロンドン交響楽団による超名演(1961年)や、同曲第1番についてはアルゲリッチとアバド&ロンドン交響楽団による超名演(1968年)にも肉薄する至高の超名演と高く評価したい。

本盤の演奏におけるツィマーマンのピアノは、卓越した技量をベースとしつつ、持ち前の透明感溢れる美しいタッチで、曲想を濃密に描き出していくというものだ。

したがって、リストによる楽曲だけに、とかく人間業を超えたテクニックのみが際立ってしまいがちではあるが、ツィマーマンのピアノ演奏の場合は、そうしたテクニックよりも楽曲の持つ美しさが大きくクローズアップされているのが素晴らしい。

その意味では、リストのピアノ協奏曲が含有する根源的な美しさをはじめて表現し得た演奏と言っても過言ではないと言えるところであり、こうした点に、楽曲への研究が人並み外れて熱心で、技量だけでなく、音楽の内容の深みを徹底して追求していこうとするツィマーマンのピアノ演奏の奥行きの深さの真骨頂があると言えるだろう。

「死の舞踏」では、強靭な打鍵から繊細な抒情に至るまでの桁外れの表現力の幅の広さを駆使して、同曲に散りばめられた“怒りの日”の各変奏曲を巧みに描き分けており、ピアノ協奏曲にも比肩し得るような気宇壮大な演奏に仕立て上げているのが見事である。

このようなツィマーマンの圧倒的なピアニズムをしっかりと下支えしているのが、小澤&ボストン交響楽団による名演奏である。

このツィマーマンと小澤という組み合わせは、最近ではラフマニノフのピアノ協奏曲第1番及び第2番(1997年、2000年)においても名演を聴かせてくれており、本演奏は当該演奏の10年前のものであり、その先駆けとなったものであるが、本演奏においても既にそうした両者の息の合った名コンビぶりの萌芽が存在していると言えるだろう。

小澤も、ツィマーマンのピアノ演奏に触発されたことも多分にあるとは思うが、トゥッティに向けて畳み掛けていくような強靭な気迫といい、重厚な迫力といい、まさに申し分のない名指揮ぶりである。

そして、ボストン交響楽団も、そうした小澤の名タクトの下、持ち得る実力を十二分に発揮した迫真の名演奏を展開していると言っても過言ではあるまい。

音質は従来CD盤でも十分に満足できるデジタル録音であり、ツィマーマン、そして小澤による至高の超名演を、高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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2014年08月28日


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最近では体調を崩し、多くのクラシック音楽ファンをヤキモキさせている小澤であるが、小澤の得意のレパートリーは何かと言われれば、何と言ってもフランス音楽、そしてこれに次ぐのがロシア音楽ということになるのではないだろうか。

ロシア音楽について言えば、チャイコフスキーの後期3大交響曲やバレエ音楽、プロコフィエフの交響曲、そしてストラヴィンスキーのバレエ音楽など、極めて水準の高い名演を成し遂げていることからしても、小澤がいかにロシア音楽を深く愛するとともに得意としているのかがわかろうというものだ。

R.コルサコフの最高傑作でもある交響組曲「シェエラザード」も、そうした小澤が最も得意としたレパートリーの1つであり、これまでのところ3度にわたって録音を行っている。

最初のものがシカゴ交響楽団との演奏(1969年)、2回目のものが本盤に収められたボストン交響楽団との演奏(1977年)、3回目のものがウィーン・フィルとの演奏(1993年)である。

いずれ劣らぬ名演であり、とりわけウィーン・フィルとの演奏については、オーケストラの魅力ある美しい音色も相俟って、一般的な評価も高いが、演奏全体の安定性などを総合的に考慮すれば、本盤に収められた2回目の演奏こそは、小澤による同曲の代表的名演と評価してもいいのではないだろうか。

同曲には様々な指揮者による多種多彩な名演が目白押しであるが、小澤の演奏は、得意のフランス音楽に接する時のような洒落た味わいと繊細とも言うべき緻密さと言えるのではないかと考えられる。

同曲には、とりわけロシア系の指揮者に多いと言えるが、ロシア風の民族色を全面に打ち出したある種のアクの強さが売りの演奏も多いが、小澤の演奏はその対極に位置しているとも言える。

ロシア系の指揮者の演奏がボルシチであるとすれば、小澤の演奏はあっさりとした味噌汁。

しかしながら、その味噌汁は、あっさりとはしているものの、入っている具材は実に多種多彩。

その多種多彩さはボルシチにはいささかも劣っていない。

それこそが、小澤による本演奏の特色であり、最大の美質と言えるだろう。

要は、演奏の表層は洗練されたものであるが、どこをとっても洒落た味わいに満ち満ちた独特のニュアンスが込められるとともに、聴かせどころのツボを心得た演出巧者ぶりにも際立ったものがあると言えるだろう。

ボストン交響楽団も、小澤の統率の下、見事とも言うべき技量を発揮しており、シルヴァースタインによるヴァイオリン・ソロの美しさも相俟って、最高のパフォーマンスを発揮していると高く評価したい。

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2014年08月09日


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現代音楽にも数多くの名演を成し遂げてきた小澤ならではの素晴らしい名演だ。

交響曲第4番の第1楽章の冒頭の低弦等による切れ味鋭い音楽からして実に内容豊か。

その後に入ってくる合唱は美しさの極みであり、このあたりの表情の変転の巧みさは、いかにも演出巧者たる小澤の面目躍如と言ったところだろう。

第2楽章の開始も実に不気味。その後の音楽展開はアイヴズが作曲した最も複雑怪奇な音楽と言えるが、小澤は、テンポの緩急や幅の広いダイナミックレンジ、不協和音の強調、猛烈なアッチェレランドを駆使するなど、あらゆる表情づけを行って複雑な楽想を精緻に紐解いていく。

小澤は、ここではかなり思い切った自由闊達とも言える表現を行っているのだが、音楽が崩壊してしまうということはいささかもなく、全体の造型が弛緩することがないというのは驚異的な至芸と言える。

第3楽章は、一転して情感の豊かさが際立つ。

弦楽合奏による美しい旋律を徹底的に歌い抜くなどして、至高・至純の美しい音楽を構築している。

小澤の表現力の幅の広さの成せる業と言えるだろう。

終楽章は、トゥッティに向けてじわじわと高揚していく緊迫感が見事であり、その畳み掛けていくような燃焼度の高さは、若き小澤の真骨頂。

その後の合唱の壮麗さも特筆すべきであり、これは小澤渾身の快演とも言えるのではないだろうか。

「宵闇のセントラル・パーク」は、この曲が含有する抒情豊かさとモダニズムの融合を見事に描出しており、バーンスタインの超名演にも肉薄する名演と高く評価したい。

SHM−CD化によって、音質が鮮明になるとともに、音場が広くなったことも、本盤の価値を高めるのに大きく貢献している。

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2014年06月14日


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最近では体調を崩してファンを心配させている小澤であるが、小澤はマーラーの交響曲を得意のレパートリーとしている。

今では入手難となっているが、かつての手兵であるボストン交響楽団とは全集を完成させているほどであるが、マーラーの数ある交響曲の中でも小澤が最も多くの録音を行っているのが交響曲第1番だ。

本盤に収められたボストン交響楽団とともに行ったスタジオ録音(1977年)、その10年後に前述の全集の一環として録音された演奏(1987年)、そして、サイトウ・キネン・オーケストラとともに行ったライヴ録音(2008年)の3種存在している。

いずれも名演と言えるが、3種の演奏のうちどれか一つをとれと言われれば、筆者としては躊躇なく本盤に収められた1977年のスタジオ録音を採りたい。

近年発売されたサイトウ・キネン・オーケストラとの演奏や、全集の一環として録音された演奏があまりにも目立つ存在であることから、本演奏は長らく輸入盤すら手に入らない状況におかれており、知る人ぞ知る存在に甘んじていたが、数年前にオリジナルジャケットによる待望のCD盤が発売され、長年の渇きが癒されたのであった。

そして、そのような隠れた名演が、今般、シングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤として発売されたというのは、本演奏の価値をあらためて世に知らしめるという意味において極めて意義が大きいと言わざるを得ない。

全集の一環として録音された演奏、さらにはサイトウ・キネン・オーケストラとの演奏は、功成り名を遂げた大指揮者による円熟の名演と言った趣きがあるが、それに対して、本演奏は若き小澤による畳み掛けていくような気迫や生命力が漲った演奏と言うことができるだろう。

マーラーの交響曲第1番は、マーラーの青雲の志を描いた作品とも言えるところであるが、本演奏の当時、いまだ40代であった小澤にとっては、同曲との相性が抜群のものであったと言えるのではないだろうか。

小澤のアプローチが、そのまま同曲の魅力を際立たせているとも言えるところであり、もちろん、ワルター&コロンビア交響楽団によるスタジオ録音(1961年)やバーンスタイン&コンセルトヘボウ・アムステルダムによるライヴ録音(1987年)といった歴史的な超名演と比較して云々することは容易であるが、純音楽に徹した演奏という意味においては最右翼に掲げられる圧倒的な名演と評価しても過言ではないと考える。

ボストン交響楽団も、小澤の火の玉のような渾身の指揮にしっかりと付いていっており、最高のパフォーマンスを発揮していると評価したい。

それにしても、シングルレイヤーによるSACD&SHM−CDの音質は圧倒的だ。

音質の鮮明さ、音場の幅広さ、そして音圧のいずれをとっても超一級品の仕上がりである。

いずれにしても、若き日の小澤&ボストン交響楽団による圧倒的な名演を、現在望みうる最高の高音質SACDで味わうことができるのを大いに喜びたい。

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2014年05月19日


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本盤に収められたベルリオーズの幻想交響曲は、2010年12月にニューヨークでおこなわれた小澤の病気療養後の復帰コンサート(2日目)の記録である。

既に従来盤で発売されているブラームスの交響曲第1番(14日)も小澤渾身の大熱演であったが、その翌日(15日)の幻想交響曲も凄い演奏だ。

小澤は、若い頃からフランス系の音楽を得意としており、とりわけ幻想交響曲を十八番としていた。

これまで、トロント交響楽団(1966年)、ボストン交響楽団(1973年)及びサイトウ・キネン・オーケストラ(2007年)の3度に渡って録音を行っており、それらはいずれ劣らぬ名演であった。

したがって、今回の演奏は4度目の録音ということになる。

確かに、本演奏においては、小澤自身も病が癒えたばかりで本調子とは言えず、オーケストラもホームグラウンドではないことから万全とは必ずしもいえないところであり、演奏の安定性の観点からすれば、前述の3種の名演にはかなわないし、本演奏上の瑕疵などについて指摘することは容易である。

しかしながら、本演奏にはこれまでの名演とは比較にならないような、小澤のこの演奏にかける直向きさや気迫、そして執念が漲っており、小澤の渾身の命がけの指揮が我々聴き手の肺腑を打つのである。

これぞまさしく入魂の指揮と言えるところであり、火の玉のように燃え尽きんとする小澤に導かれたサイトウ・キネン・オーケストラも大熱演を繰り広げている。

また、小澤&サイトウ・キネン・オーケストラによる壮絶な演奏を固唾をのんで見守るとともに、演奏終了後にスタンディング・オヴェイションとブラヴォーの歓呼で応えた当時の聴衆も、この大熱演の成就に大きく貢献していると言えるだろう。

まさに、本演奏は前日のブラームスの交響曲第1番と同様、指揮者、オーケストラ、そして聴衆が作り上げた魂の音楽と言えるところであり、このような高みに達した音楽に対しては、細部に渡る批評を行うこと自体がおこがましいことと言わざるを得ない。

我々聴き手は、ただただこの崇高な至高の超名演を味わうのみである。

録音も素晴らしい。

シングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤は間違いなく現在のパッケージメディアにおける最高峰の高音質であり、小澤による至高の超名演をこのような極上の高音質で味わうことができるのを大いに喜びたい。

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2014年01月27日


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本盤に収められた小澤&ボストン交響楽団によるレスピーギのローマ三部作は、私見ではあるが知る人ぞ知る名演であると考えている。

というのも、レコード芸術誌などにおける著名な音楽評論家の評価があまりにも低いからだ。

レスピーギのローマ三部作の過去の名演としては、古くはトスカニーニ&NBC交響楽団による超弩級の名演(1949年、1951年、1953年)や、近年ではムーティ&フィラデルフィア管弦楽団による名演(1984年)など、いわゆるイタリア系の指揮者による名演が幅を利かせており、他方、レスピーギの華麗な管弦楽法の魅力を存分に表現したオーマンディ&フィラデルフィア管弦楽団による名演(1973〜1974年)や、交響詩「ローマの祭り」を欠いているという致命的な欠陥があるものの、カラヤン&ベルリン・フィルによる素晴らしい名演(1977年)なども存在している。

このような海千山千の大指揮者や個性的な名指揮者による名演の中にあって、存在価値のある演奏を遺すことは至難の業であり、そうした意味においては、本盤に収められた演奏は、若干影の薄い存在であると評価されても致し方がないのかもしれない。

しかしながら、本演奏全体に漲っている若き小澤ならではの強靭な気迫、そして、これは他のいかなる名演をも凌駕していると筆者としては考えるところであるが、いわゆる日本人的な繊細さは、レスピーギによる華麗な中にも精緻さを誇る管弦楽法を見事に紐解くのに大きく貢献しており、本演奏の魅力を最大限に引き出すのに大きく貢献しているのを忘れてはならない。

小澤がボストン交響楽団の音楽監督に就任したのは1973年であり、本演奏が1977年のものであることに鑑みれば、4年目のシーズンに入った時のもので、まさに、小澤がボストン交響楽団を掌握し始めた頃のものである。

モントゥーやミュンシュとの数々の名演では名高い存在であると言えども、ボストン交響楽団は必ずしも一流の存在としては見做されないオーケストラかもしれないが、これだけの見事な名演奏を繰り広げたのは大いに賞賛に値するし、むしろ、小澤の圧倒的な統率力の賜物と言っても過言ではあるまい。

こうした知る人ぞ知る名演が、今般、ユニバーサルが誇るシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化された意義は極めて大きいのではないだろうか。

何と言っても、前述のような小澤&ボストン交響楽団による精妙な表現が完璧に近い形で再現されるのは見事と言う他はないと言えるところだ。

本シングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤の艶やかな鮮明さや凄まじいまでの臨場感にはただただ驚愕するばかりであり、あらためて本シングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤の潜在能力の高さを思い知った次第である。

いずれにしても、小澤&ボストン交響楽団による知る人ぞ知る名演が、現在望み得る最高の高音質を誇るシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化がなされることによって、その名演の真価のベールを脱ぐ結果となることを願ってやまないところだ。

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2013年11月19日


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小澤征爾指揮、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏による、2002年1月1日にウィーン・ムジークフェラインザールで行われたニューイヤー・コンサートの模様を完全収録した2枚組ライヴ盤。

小澤征爾が日本人、いやアジア人として初めて、60余年の歴史を誇る伝統のニューイヤー・コンサートに登場した記念碑的な佳演である。

ハプスブルク王朝時代からの伝統文化を継承する世界最高のオーケストラ、ウィーン・フィルは、ユーロ通貨開始の国際的記念の年に、ヨーロッパを代表し、三顧の礼をもってアジアの偉大なマエストロを迎え入れたのである。

この録音はその歴史的なドキュメントでもある。

この重大な演奏会にあたって小澤は普段にも増して綿密な準備で臨み、ウィーン・フィル楽員もそれに最高の演奏で応えている。

小澤は、決してウィンナ・ワルツを得意とする指揮者とは思えないが、ここでは、相性のいいウィーン・フィルを巧みにドライブして、気品のある優雅な円舞曲の饗宴を演出している。

「こうもり」序曲でのロザムンデのアリアの哀愁のメロディでの滴り落ちるような美音、「悪魔のダンス」でのたたみかけるようなエネルギッシュな迫力、「ウィーン気質」での弧を描き、弓がしなるような独特の緩急自在なリズム、「チック・タック・ポルカ」での息を呑むスピード感、そして「美しく青きドナウ」で微妙に甘く漂う葡萄酒のような芳香、「ラデツキー行進曲」での小澤ならではの楽しさいっぱいの和やかさ、すべてが素晴らしい。

多くの批評家も同様の見解を示しているようであるが、これらの中で最も小澤らしい名演は、初登場の「悪魔のダンス」ということになろう。

ブラボー入りの熱狂的な拍手もなるほどと思わせるほどの、圧倒的な迫力である。

それにしても、小澤の全身から発される生命力のオーラは本当に凄い。

人種も文化の違いも越えて、誰もが魅惑されてしまう。

ウィーンで小澤が聴衆にも音楽家たちにも絶大な人気を誇るのは当然だろう。

この演奏全体で特に感じられたのは、音楽全体に「愛と幸福のしるし」が満ち満ちていることである。

困難と不安のなかで迎えた2002年の冒頭にあたって、「これから再び明るい時代がきっとやってきます! 希望に満ちたいい年になりますように!」という熱くポジティヴなメッセージがここで発信されたことの精神的意味はとても大きかったのかもしれない。

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2013年10月27日


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本盤に収められたブリテンの「戦争レクイエム」は、食道がんを患い長期療養していた小澤がニューヨーク公演において奇跡的な復帰を果たしたが、その記念すべき復帰コンサートの最終日(18日)の記録である。

既に発売されているブラームスの交響曲第1番(14日)、幻想交響曲(15日)は圧倒的な超名演であったが、本演奏もそれらにいささかも劣らない至高の超名演と高く評価したい。

小澤&サイトウ・キネン・オーケストラは、2009年のサイトウ・キネン・フェスティバル松本におけるコンサートのライヴ録音も既に行っており、マルチチャンネル付きのシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤により発売されている。

したがって、演奏内容自体は、小澤の健康状態やホームグラウンドであるということによるオーケストラ演奏の安定性等の観点から、2009年盤の方が優れていると言わざるを得ないだろう。

したがって、本演奏を2009年盤と比較することによって、演奏上の瑕疵などについて批判することは容易なことである。

しかしながら、本演奏には、小澤のこの演奏にかける執念や灼熱のように燃え上がる圧倒的な生命力が感じられるところであり、かかる渾身の命がけの豪演は我々聴き手の肺腑を激しく打つものである。

ショスタコーヴィチが20世紀における最高傑作と評価し、ブリテン自身の反戦思想を色濃く反映した「戦争レクイエム」であるが、小澤による渾身の豪演を聴いていると、死を克服してひたすら力強く生きようとする小澤の「死」というものに対するレクイエムのような趣きさえ感じられる。

小澤の命がけの指揮に導かれて、サイトウ・キネン・オーケストラやアンソニー・ディーン・グリフィーをはじめとする独唱陣、そしてサイトウ・キネン・フェスティバル合唱団及び少年合唱団も、持ちうる実力を最大限に発揮した渾身の演奏や歌唱を披露しているのが素晴らしい。

小澤や、オーケストラ、独唱者、合唱団による大熱演を客席において固唾をのんで見守った当日の聴衆も、この超名演の立派な立役者であると言えるところであり、まさに、本演奏は、指揮者、オーケストラ、歌手、合唱団そして聴衆が一体となって作り上げた聖なる音楽と言っても過言ではあるまい。

音質は、マルチチャンネル付きのシングルレイヤーによるSACD&SHM−CDによる極上の高音質録音であり、音質の鮮明さ、臨場感溢れる音場の幅広さのすべてにおいて、一級品の仕上がりとなっている。

あらためて、SACDの潜在能力の高さを思い知った次第だ。

いずれにしても、小澤&サイトウ・キネン・オーケストラ等によるかかる聖なる至高の超名演をこのような極上の高音質SACDで味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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2013年10月21日


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本盤に収められたブラームスの交響曲第1番は、一昨年1月より食道がんのために病気療養をしていた小澤が一昨年12月、ニューヨークのカーネギーホールにおける3日間のコンサートにおいて本格的な指揮活動への復帰を果たしたが、その初日(14日)の感動的なコンサートの記録である。

通常CD盤としては既に昨年1月に緊急発売されているが、今回はブラームスの交響曲第1番に加えて、15日の幻想交響曲と18日の戦争レクイエムも含めて、シングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤で発売されるとのことであり、これは我が国のクラシック音楽ファンとしても大いに歓迎したい壮挙である。

小澤はブラームスの交響曲第1番を得意中の得意としており、既にボストン交響楽団(1977年)やサイトウ・キネン・オーケストラ(1990年)とスタジオ録音を行っている。

一方、本演奏については小澤も楽章毎に水分補給をとるなど本調子には程遠く、演奏の安定度からすれば過去の演奏とは比べようがないのかもしれない。

したがって、本演奏に対して演奏上の瑕疵や楽曲の本質への追求の深みのなさなどを指摘するのは容易なことであり、現に、レコード芸術誌においてもとある高名な音楽評論家などが厳しい評価を下していたのは記憶に新しいところだ。

しかしながら、本演奏については、そのような演奏上の瑕疵や精神的な深みなどを指摘すべき性格の演奏ではない。

というか、そのような指摘をすること自体が、自らの命をかけて指揮を行った小澤に対して礼を失するとさえ言える。

小澤の渾身の命がけの指揮が我々聴き手の心を激しく揺さぶるのであり、それだけで十分ではないだろうか。

そして、小澤の入魂の指揮の下、大熱演を繰り広げたサイトウ・キネン・オーケストラや、演奏終了後にスタンディング・オヴェイションとブラヴォーの歓呼で熱狂した当日の聴衆も、本演奏の立役者である。

まさに、本演奏は、指揮者、オーケストラ、そして聴衆が作り上げた魂の音楽と言っても過言ではあるまい。

このような魂の音楽に対しては、前述のようにそもそも演奏内容の細部に渡っての批評を行うこと自体がナンセンスであり、我々聴き手も虚心になってこの感動的な音楽を味わうのみである。

録音は従来盤でも良好な音質ではあったが、今般のシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化によって次元が異なる鮮明な高音質に生まれ変わった。

小澤が成し遂げた渾身の超名演を、現在望み得る最高の高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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2013年09月27日


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本盤に収められたチャイコフスキーの交響曲第5番は、小澤による2度目の録音ということになる。

前回はボストン交響楽団を指揮してのもの(1977年)であり、いかにも若武者ならではの爽快な名演であったが、本盤はそれから12年ぶりの録音である。

前年に、同じくベルリン・フィルと第4番(1988年)を録音しており、それがなかなかの名演であったことから、筆者も随分と期待して聴いたのだが、残念ながら第4番ほどの感銘を受けなかったことを告白せざるを得ない。

この程度の演奏であるならば、むしろ1977年盤の方が優れていると言えるのかもしれない。

その理由はいろいろとあるが、小澤に起因するというよりもベルリン・フィルの方に問題があったのではないかと考えられるところだ。

ベルリン・フィルは、例のザビーネ・マイヤー事件の勃発後、蜜月状態にあったカラヤンとの関係が修復不可能にまで決裂状態になった。

したがって、カラヤンがウィーン・フィルに軸足を移すようになってからは、特にポストカラヤンと目される指揮者とは、カラヤンへの対抗意識からとてつもない名演を行うようになった。

マゼールによるブルックナーの交響曲第7番及び第8番(1987〜1988年)、アバドとブレンデルによるブラームスのピアノ協奏曲第1番(1986年)、ムーティとのブルックナーの交響曲第4番(1985年)など、名演には枚挙にいとまがないところだ。

小澤とのチャイコフスキーの第4番(1988年)もそうした名演の一つに掲げられるものと考えられる。

ところが、本演奏の録音は1989年4月であり、これはカラヤンがついに終身の芸術監督を辞任した時にあたる。

今まで対抗意識を持って戦ってきたカラヤンが自らその地位を投げ出したのであり、いくらプロフェッショナルに徹していたベルリン・フィルと言えども、これまで張りつめていた緊張が急に解けることになり、その演奏に影響が及んだことは十分に考えられるところだ。

実際のところ、本演奏でのベルリン・フィルは、決して好調とは言えないところであり、小澤の意欲的な指揮も随分と空回りしているように思われてならないのだ。

これに対して、併録の大序曲「1812年」は、ベルリン・フィルもアバドを芸術監督に迎えて心機一転を図るなど安定した時期に入った際の演奏(1992年)であり、小澤のエネルギッシュな指揮も相俟って、素晴らしい名演に仕上がっていると高く評価したい。

録音は、従来盤では特に交響曲第5番において音質がイマイチ良くないと指摘されていたところであったが、今般のSHM−CD化によって、そうした問題は解消され、素晴らしい音質に蘇っている。

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2013年09月13日


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圧倒的な超名演だ。

小澤は、若い頃よりフランス系の音楽を十八番として、頻繁に演奏してきたが、ここでもそうした小澤の天賦の才能が全開だ。

ここでの小澤は、まさに水を得た魚の如く、自らの才能の赴くままに、のびのびと自由闊達に演奏を行っているような印象を受ける。

幻想交響曲の録音は、ボストン交響楽団の音楽監督就任の年のものであるが、そうした記念の年に録音を行ったという事実は、小澤の同曲への深い愛着と同時に、その自信のほどが窺える。

演奏全体に、若き日の小澤ならではの、畳み掛けるような気迫と力強さが支配しており、切れば血が出るほどに熱い情熱に満ち溢れている。

特に、第4楽章の切れ味鋭いリズム感と強靭さ、終結部に向けての猛烈なアッチェレランドは圧巻の迫力だ。

それでいて、力任せの空虚な演奏にはいささかも陥っておらず、フランス音楽ならではの瀟洒な味わいと内容の濃さを失っていない点を高く評価したい。

小澤は、緩急自在のテンポ設定や、広範なダイナミックレンジ、アッチェレランドを巧みに駆使して、ドラマティックな演奏を行っているのだが、交響曲全体の造型がいささかも弛緩しないというのは、小澤の類稀なる才能とともに、小澤のベルリオーズとの抜群の相性の良さを大いに感じるのである。

併録の「ボレロ」や「亡き王女のためのパヴァーヌ」も、後年の録音のようにやや洗練され過ぎるという愚に陥ることはいささかもなく、若き日の小澤の生命力溢れる力強さと、フランス風の瀟洒な味わいが見事に融合した稀有の名演だ。

小澤の統率の下、ボストン交響楽団は素晴らしい演奏を披露しており、特に、金管楽器や木管楽器の卓越した技量は圧巻の凄さだ。

SHM−CD化によって、音質に鮮明さと音場の広さが加わった点も評価したい。

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2013年07月28日


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素晴らしい名演だ。

これだけ感動的なマーラーを聴いたのは久しぶりだ。

小澤は、かつての手兵のボストン交響楽団とともにマーラーの交響曲全集を録音しているが問題にならない。

小澤のマーラーの最高の演奏は、サイトウ・キネン・オーケストラとの「第2」及びこの「第9」であり、これら両曲については、古今東西の様々な名演の中でも十分に存在価値のある名演と高く評価したい。

小澤の「第9」へのアプローチはいわゆる純音楽的なもので、彼の美質である率直な解釈、音と表情の美しさに加えて、白熱した感興が漲っている。

冒頭からしなやかな表情で、作品の多様に変化する情緒を表出するが、意力の強さが流れに強靭な力を与えている。

バーンスタインやテンシュテットの劇的で主観的なアプローチとはあらゆる意味において対照的であるが、だからと言って物足りなさは皆無。

小澤の、楽曲の深みに切り込んでいこうとする鋭角的な指揮ぶりが、演奏に緊張感といい意味でのメリハリを加味することに繋がり、切れば血が出るような熱き魂が込められた入魂の仕上がりとなっている。

ボストン響との旧盤はダイナミックなものの少しばかり軽いかなと感じていたが、今回の録音では、ダイナミックさと重厚さが見事に両立している。

さらに、終楽章コーダの消えゆくような細やかな音も、Blu-spec CD による高音質のおかげでとてもよく聴き取れて、耳を澄ましていると音の向こう側へ吸い込まれてしまいそうな感じを受ける。

筆者としてはバーンスタインの新盤以来の愛聴盤となりそうだ。

サイトウ・キネン・オーケストラも、小澤の確かな統率の下、最高のパフォーマンスを示している。

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2013年07月17日


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ここ数年間は大病を経験するなど体調が思わしくなくて、ファンを焼きもきさせている小澤であるが、本盤に収められたバルトークの最も有名な2大管弦楽曲の演奏は、小澤の体調が良かった頃(2004年)のものだ。

それだけに、ライヴ録音ということもあるが、演奏全体にエネルギッシュな力感が漲っており、いずれも素晴らしい名演に仕上がっている。

バルトークの楽曲は、管弦楽曲にしても、協奏曲にしても、そして室内楽曲などにしても、奥行きの深い内容を含有しており、必ずしも一筋縄ではいかないような難しさがある。

したがって、そうした楽曲の心眼を鋭く抉り出していくような演奏も、楽曲の本質を描出する意味において効果的である。

また、その一方で、各楽曲は、ハンガリーの民謡を高度に昇華させた旋律の数々を効果的に用いるなど巧妙に作曲がなされており、それをわかりやすく紐解いていくような演奏もまた、バルトークの楽曲の演奏として十分に魅力的であるのも事実である。

小澤のアプローチは、明らかに後者の方であり、両曲の各楽想を精緻に、そして明朗に描き出して行くという姿勢で一貫していると言えるだろう。

体調が良かった小澤ならではの躍動するようなリズム感も見事に功を奏しており、両曲をこれ以上は求め得ないほどに精密に、そしてダイナミックに描き出すことに成功したと言えるところだ。

それでいて、抒情的な箇所は徹底して歌い抜くとともに、目まぐるしく変転する曲想の表情づけも実に巧みに行われており、スコアに記された音符の表層だけをなぞっただけの薄味な演奏に陥っていないのが素晴らしい。

そして、実演における小澤ならではの、トゥッティに向けて畳み掛けていくような気迫と、前述のようなエネルギッシュな力感に溢れた強靭な生命力においてもいささかの不足はない。

前述のように、かつてのライナーやムラヴィンスキー(弦楽器、打楽器とチェレスタのための音楽のみ)の演奏のような楽曲の心眼に切り込んでいくような鋭さは薬にしたくもないが、これら両曲のオーケストラ音楽としての魅力を存分に満喫させてくれるという意味においては、そして、これら両曲を安定した気持ちで味わうことができるという意味においては、素晴らしい名演と高く評価したい。

小澤の精緻にしてエネルギッシュな指揮の下、渾身の名演奏を繰り広げたサイトウ・キネン・オーケストラにも大きな拍手を送りたい。

音質は、2004年のライヴ録音でもあり、従来盤でも十分に満足できる音質であるが、数年前に発売されたマルチチャンネル付きのSACDハイブリッド盤が臨場感溢れるベストの音質である。

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2013年05月27日


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これは凄い名演だ。

近年では健康を害して指揮台に立つのも難儀をしている小澤であるが、本演奏当時はいまだ30代の若さ。

これから世界に羽ばたいて行こうという若き小澤による迸る熱き情熱と圧倒的な生命力を感じることが可能だ。

小澤の演奏におけるアプローチは、豊かな音楽性を生かしつつ、軽快で躍動感溢れるものであるが、この当時の小澤には、それに加えてエネルギッシュで力強い生命力に満ち溢れていた。

ムソルグスキーの組曲「展覧会の絵」においては、冒頭のプロムナードからして切れ味鋭いリズム感が顕著であり、その後は変幻自在のテンポ設定や思い切った強弱の変化を駆使して、各組曲を実に表情豊かに描き出している。

「キエフの大門」の終結部に向けての畳み掛けていくような気迫と圧倒的な高揚感は、若き小澤だけに可能な圧巻のド迫力を誇っている。

他方、ブリテンの「青少年のための管弦楽入門」においても、その躍動するようなリズム感は健在。

とりわけフーガにおける疾走するような爽快さは胸がすくようであり、聴き終えた後の充足感には尋常ならざるものがある。

こうした若き小澤の統率の下、卓越した技量を発揮したシカゴ交響楽団による名演奏も素晴らしい。

とりわけ管楽器の技量とパワーは桁外れであり、巧みなオーケストレーションが施された両曲だけに、本名演への貢献度は非常に大きいと考える。

本盤でさらに素晴らしいのは、XRCDによる極上の高音質録音である。

今般のXRCD化によって、今から40年以上も前の録音とは思えないような鮮明な高音質に生まれ変わったところであり、シカゴ交響楽団の各楽器セクションが分離して聴こえるというのは殆ど驚異的ですらある。

若き小澤による会心の名演を、現在望み得る最高の高音質XRCDで味わうことができるのを大いに喜びたい。

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本盤にはバレエ音楽「ペトルーシュカ」とバレエ組曲「火の鳥」という、ストラヴィンスキーの3大バレエ音楽を構成する人気曲が収められているが、いずれも驚くべき超名演だ。

両演奏ともに小澤がボストン交響楽団の音楽監督に就任する前の録音であり、いまだ30代の若き小澤が世界に羽ばたこうとしていた熱き時代のものである。

この当時の小澤の演奏は、豊かな音楽性を生かしつつ、軽快で躍動感溢れるアプローチに加えて、エネルギッシュで力強い生命力に満ち溢れていた。

トゥッティに向けて畳み掛けていくような気迫と力強さは圧倒的な迫力を誇っており、切れば血が噴き出てくるような熱い情感に満ち溢れている。

両曲の随所で聴かれるロシア風の抒情的な旋律の歌い方もいささかも重々しくなることはなく、瑞々しさを感じさせてくれるのが素晴らしい。

ボストン交響楽団も、この当時は音楽監督に就任することなど夢想だにはしなかったであろうが、若き才能溢れる指揮者の統率に導かれて、力感溢れる大熱演を披露している。

なお、バレエ音楽「ペトルーシュカ」については、これが小澤にとっての唯一の録音であり、他方、バレエ組曲「火の鳥」については、その後、1911年版による全曲録音を1972年及び1983年の2度にわたって行っているが、1919年版による組曲は本演奏が唯一の録音である。

その意味では、両演奏ともに貴重な演奏ということができるところであり、若き小澤の才気が爆発した稀有の超名演と高く評価したい。

バレエ音楽「ペトルーシュカ」におけるティルソン・トーマスによるピアノ演奏も、小澤の指揮ともどもノリノリの爽快さが素晴らしい。

また、本盤で素晴らしいのはXRCDによる極上の高音質である。

本演奏については1969年のスタジオ録音であるが、とても今から40年以上も前のものとは思えないような鮮明な音質であり、あらためてXRCDの潜在能力の高さを思い知った次第である。

小澤による超名演を、XRCDによる極上の高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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小澤は、ストラヴィンスキーを得意中の得意としている。

とりわけ、バレエ音楽「春の祭典」は十八番と言えるところであり、本盤に収められた録音のほかにもボストン交響楽団とともに再録音(1979年)を行っているほか、コンサートでもたびたび採り上げているところだ。

本演奏は1968年のスタジオ録音であるが、小澤はいまだ30歳代前半であり、小澤としてもこれから世界に羽ばたいて行こうとする熱き情熱に満ち溢れていた時期である。

冒頭からテンションは著しく高くパワー全開であり、若き小澤ならではの凄まじいまでの燃焼度の高い演奏を展開している。

快速のテンポやスローテンポなどの変幻自在のテンポ設定や猛烈なアッチェレランド、部屋がぶっ飛ぶのかと思うほどの大音響を炸裂させるなど、ありとあらゆる大胆な表現を駆使して才気溢れる圧倒的な爆演を展開しており、これこそまさに切れば血が噴き出てくるような渾身の大熱演と言えるのではないだろうか。

本演奏はスタジオ録音であるが、とてもスタジオ録音とは思えないような灼熱のような燃焼度を誇っており、第2部の終結部ではあまりのド迫力に完全にノックアウトされてしまった。

このように終始ハイテンションの小澤の凄まじい指揮に、一糸乱れぬアンサンブルで最高の演奏を展開したシカゴ交響楽団のとてつもない超絶的な技量にも大いに拍手を送りたい。

音量といい、技量といい、シカゴ交響楽団はこの当時からスーパー軍団であったことがよく理解できるところだ。

本盤冒頭に収められた併録の幻想曲「花火」も、若き小澤ならではの素晴らしい名演だ。

そして、本盤でさらに素晴らしいのはXRCDによる極上の高音質である。

本盤は今から40年以上も前のスタジオ録音であるが、きわめて鮮度の高い高音質に生まれ変わったところであり、あらためてXRCDの潜在能力の高さを思い知った次第だ。

いずれにしても、若き小澤による才気あふれる圧倒的な超名演を、XRCDによる極上の高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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2013年05月02日


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小澤征爾のボストン交響楽団の音楽監督就任後間もない頃の録音であるが、今なお小澤の代表盤の一つであるとともに、同曲のトップの座を争う名演と高く評価したい。

小澤は、現在でこそ、ブラームスなどのドイツ音楽でも素晴らしい名演を聴かせてくれているが、若き時代には、どちらかと言うと、フランス系の音楽を十八番として、より頻繁に採り上げていた。

本盤の録音の前後には、メシアン、ラヴェル、フォーレなど、今なお他の追随を許さないような名演の数々を生み出してるが、本盤のベルリオーズも大変得意としていた。

今回のシリーズでは、本盤の「ファウストの劫罰」と幻想交響曲が再発売されるが、演奏の質の高さからしても、大いに歓迎すべきであることであると言える。

それにしても、本盤の小澤のセンス満点の音楽性の豊かさを何と表現すればいいのであろうか。

どこをとっても、切れば血が出るような生命力に満ち溢れており、それでいて、フランス音楽ならではの洒落た味わいにもいささかの不足はない。

各場面毎の描き分けも実に巧みに行っており、その演出巧者ぶりは、ウィーン国立歌劇場のシェフとして辣腕を振るった後年の円熟の小澤を彷彿とさせるのに十分だ。

独唱陣はいずれも秀逸であるが、特に、ファウスト役のスチュアート・バロウズの歌唱が素晴らしい。

タングルウッド音楽祭合唱団もいつもながら見事な歌唱を聴かせてくれているが、随所で活躍するボストン少年合唱団の歌唱は、至純・至高の美しさを誇っており、本名演に大きく貢献していることを忘れてはなるまい。

ボストン交響楽団も最高のパフォーマンスを示しており、これから若き小澤を盛り立てていこうという力強い気迫さえ感じられる。

録音も合唱を含め全体を鮮明に捉え切った見事なものであり、高く評価したい。

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2013年04月21日


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小澤は、ドイツ音楽の中ではブラームスを得意としており、特に交響曲第1番については、これまでのところ3種類の録音が確認されている。

師匠でもあるカラヤンが、同曲を名刺代わりとして、数多くの録音・演奏を行ったし、ミュンシュも同曲を得意としたことから、その影響も多少なりともあるのかもしれない。

3種類の中で、圧倒的な名演は、最近発売された大病復帰後の感動的なライヴ録音ということになり、安定感という意味では、2度目のサイトウ・キネン盤ということになる。

では、最初の録音である本盤には魅力がないのかと言うと、必ずしもそうとは言えない。

むしろ、本演奏には、後年の録音には聴くことができない、若き日の小澤ならではの生命力溢れる力強さが漲っており、畳み掛けていくような迫力という意味では、本盤が随一の名演ということになるのではないかと思われる。

第1楽章冒頭の序奏部は、力強くも雄渾な威容を誇っているし、主部に入っても、若干速めのインテンポで曲想をぐいぐいと推し進めていく。

その勢いは圧巻の迫力であり、彫りの深さにおいては後年の録音には劣るとは思うが、決して内容希薄な演奏には陥っていない。

第2楽章は只管美しい。

特に、中間部の弦楽器や木管楽器の艶やかな音色は、まるで、カラヤン全盛期のベルリン・フィルを聴いているような錯覚を覚えるほどだ。

それにしても、若き日に、これほどの味わい深い演奏をできる小澤に対しては、今日の大指揮者小澤への確かな道程を大いに感じるのである。

第3楽章は、木管楽器の生かし方が巧みであるし、中間部を、殆ど気づかれないほどであるが、若干テンポを落として熱く歌い抜くのは実に感動的。

終楽章は、さりげなく開始されるが、その後の高揚への演出効果は抜群。

ホルンの響きは壮麗であり、高弦も実に美しい。

その後は、ゆったりとしたインテンポによる威風堂々たる進軍であり、圧倒的な迫力の下に全曲を締めくくっている。

ボストン交響楽団も、小澤の統率の下、ドイツ風の重厚な音色を出しているのが素晴らしい。

SHM−CD化によって、音質が鮮明であるとともに、音場が拡がる点も高く評価したい。

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素晴らしい名演だ。

名演となった理由は2つあると思われる。

1つ目は、小澤自身がチャイコフスキーを得意のレパートリーとしている点だ。

小澤は、最近ではブラームスなどのドイツ音楽でも名演奏を聴かせてくれているが、もともとはフランス系の音楽やロシア音楽を十八番としていた。

特に、チャイコフスキーは、かつての手兵であったボストン交響楽団とともに、交響曲第5番やバレエ音楽「白鳥の湖」などの名演を生み出しているし、近年の大病復帰後のサイトウ・キネンとの復帰コンサートに選んだ曲は、弦楽セレナードであったことなどからして、小澤としても、かなりの愛着と自信を有しているものと考えられる。

2つ目は、ベルリン・フィルの気迫溢れる名演奏だ。

当時のベルリン・フィルは、カラヤンとの関係が決裂寸前の状態にあり、カラヤンの高齢もあって、ポスト・カラヤンが現実味を帯びていた。

そのような状況の下、カラヤンの後継者たる可能性のある指揮者の下では、カラヤンへの対抗意識もあって、圧倒的な名演を成し遂げることが多かった。

本盤などまさにその最たる演奏の一つであり、一糸乱れる精緻なアンサンブル、重量感溢れる低弦の厚み、金管楽器や木管楽器の卓抜した技量、ティンパニの圧倒的な迫力など、カラヤン全盛時代にも比肩し得るような圧巻の演奏を行っている。

このように、チャイコフスキーを深く愛するとともに自家薬籠中にする小澤と、超絶的な気迫溢れる名演奏を繰り広げるベルリン・フィルの絶妙の組み合わせによる演奏が、名演にならないわけがない。

小澤としても、ベストの状態にあった史上最高のオーケストラを得て行った会心の名演と言っても過言ではないのではないか。

SHM−CD化によって、音質に鮮明さが増すとともに、音場がより広くなった点も高く評価したい。

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若き日の小澤による爽快な名演だ。

小澤は、フランス系の音楽を十八番とするとともに、ロシア音楽を得意としている。

特に、チャイコフスキーには特別な愛着を抱いているようで、昨年の手術後の復帰の際の、サイトウキネンオケとのコンサートの演目に、弦楽セレナードを選んだほどだ。

チャイコフスキーの「第5」については、後年にベルリン・フィルと再録音しており、当該盤は、ベルリン・フィルの卓抜した力量もあって、素晴らしい名演であった。

したがって、小澤のチャイコフスキーの「第5」といえば、後年のベルリン・フィル盤の方をより上位に置くべきであるが、本盤には、後年のベルリン・フィル盤とは違った魅力があると言える。

それは、生命力に満ち溢れた圧倒的な力強さであり、特に、第1楽章や終楽章等におけるトゥッティに向けた、アッチェレランドなどを駆使した畳み掛けるような気迫においては、新盤を大きく凌駕していると言える。

また、チャイコフスキーだからと言って、重々しくなり過ぎるということはいささかもなく、洗練された優美さが全体を支配しており、その音楽の流れのよどみのなさは爽快とも言えるほどだ。

もちろん、洗練されている、爽快であると言っても、軽妙浮薄などと言った愚に陥ることはなく、どこをとってもコクのある濃密な音楽が紡ぎ出されている点も高く評価したい。

総じて、いい意味での剛柔バランスのとれた名演と言えるのかもしれない。

ボストン交響楽団も、小澤の気迫溢れる統率の下、最高のパフォーマンスを示していると言えるが、特に、第2楽章の首席ホルン奏者であるカヴァロフスキのホルン・ソロは極上の美しさだ。

SHM−CD化によって、音質は鮮明になるとともに、音場は明らかに広くなっており、本盤の価値を高めるのに大きく貢献している。

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2013年04月19日


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若き小澤の会心作だ。

先ずは、『ロメオとジュリエット』について作曲された傑作を3曲ラインナップしたカップリングが素晴らしいが、ライナーノーツの解説によると、これは小澤自身の提案によるものということであり、小澤の抜群のセンスの良さを大いに感じることができる。

チャイコフスキー、プロコフィエフ、ベルリオーズという、いずれも小澤が最も得意とした作曲家の手による作品であり、これらをDGデビュー第1弾にラインナップした点にも、小澤の並々ならない意欲が感じられる。

後年にも再録音を行った楽曲が揃っており、円熟という意味では後年の録音の方をより上位に置くべきであるが、本盤には、若き日の小澤ならではの生命力溢れる力強さが漲っており、作品の核心に切れ味鋭く踏み込んでいく燃焼度の高さにおいては、本盤の方を採るべきであろう。

例えば、チャイコフスキーでは、あたかもライヴ録音を彷彿とさせるような、思い切った緩急自在のテンポ設定や幅広いダイナミックレンジを駆使しており、トゥッティにおける金管楽器の最強奏や雷鳴のようなティンパニ(特に終結部が圧巻の凄まじさ)は迫力満点であるが、楽曲全体の造型がいささかも弛緩することがないのは、驚異の至芸と言える。

プロコフィエフでは、後年の録音よりも、やや速めのテンポでドラマティックに曲想を巧みに描き出していく。

特に、切れ味鋭いリズム感は圧巻の凄まじさであり、その畳み掛けていくような緊迫感は、若き小澤だけが醸成し得た稀有の音楽性の賜物と言える。

ベルリオーズでは、一転して情感豊かな美しさが際立っており、小澤の表現力の幅の広さを認識させてくれる。

サンフランシスコ交響楽団も若き小澤の下、最高のパフォーマンスを示していると言える。

SHM−CD化によって、音質に鮮明さと強靭さを増した点も高く評価したい。

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小澤征爾が1970年代にサンフランシスコ交響楽団と録音したアメリカ音楽作品集。

まず何よりも素晴らしいのは、SACD&SHM−CDによる極上の高音質であろう。

1970年代の録音であり、今から40年程前の録音であるが、あたかも眼前で演奏しているかのような鮮明な音質に蘇っているのには、正直言って大変驚いた。

いずれも現代音楽をカップリングしているが、ハーモニカ、エレクトリック・ピアノ、エレキ・ギター、ベース、ドラムスなどの音が、オーケストラの音とは完全に分離して、きわめて鮮明に聴こえる点は驚異的ですらある。

ユニバーサルは、一昨年からこのSACD&SHM−CDシリーズを発売し続けているが、本盤は、その中でも、かなり上位にランキングされる高音質を誇っているのではないかと考える。

演奏内容も素晴らしい。

これは、小澤の若き時代の演奏であるが、現在の大指揮者小澤への発展を十分に予見し得るような、実に才気あふれる名演揃いであると言える。

最近では、ブラームスなど、ドイツ音楽でもレベルの高い名演を行うようになった小澤であるが、もともとは、本盤のような現代音楽やフランス系の音楽を十八番にした指揮者であった。

本盤のような名演を聴いていると、小澤のそうした楽曲への適性が実によくわかる。

いずれも、ジャズとクラシック音楽の垣根があまり感じられない作品であるが、小澤は、各曲を実に切れ味鋭く巧みに描き出していく。

サンフランシスコ交響楽団も、若き小澤に引っ張られるように、最高のパフォーマンスを示しており、コーキー・シーゲルによるハーモニカやピアノ、シーゲル=シュウォール・バンドの各奏者の卓抜した技量も、本名演に大きく貢献している点を忘れてはなるまい。

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2013年03月26日


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素晴らしい名演だ。

小澤は、フランス系の音楽を十八番としているが、次いでストラヴィンスキーやプロコフィエフ、そしてチャイコフスキーなどのロシア音楽も得意としている。

本盤の『白鳥の湖』は、小澤がボストン交響楽団の音楽監督に就任後5年を経た時点での録音であるが、ここでは、小澤が手兵ボストン交響楽団をしっかりと掌握し、見事な演奏を聴かせてくれている。

『白鳥の湖』には、アンセルメやデュトワなどのフランス風に洗練された名演もあり、フランス系の音楽を得意とする小澤のアプローチもそのように捉えられがちであるが、必ずしもそうとは言い切れない要素も多い。

洗練はされているものの、自らの師匠でもあるカラヤンのようなドイツ風の重厚さも兼ね備えており、いい意味のバランスのとれた演奏に仕上がっている点を高く評価したい。

演奏内容において特筆すべき点を列挙すると、まずは第1幕第3曲の「情景」における中間部の猛烈なアッチェレランドや、第4曲の「パ・ド・トロワ」の場面毎の描き分けの巧みさ、第5曲の「パ・ド・ドゥー」の1曲目の情感の豊かさ、特に、中間部のヴァイオリンソロの息をのむような美しさ、そして第8曲の「乾杯の踊り」の凄まじい迫力が実に印象的だ。

第2幕の第10曲の有名な「情景」の名旋律は、テンポは速めではあるが、感傷的にはいささかも陥らず、高踏的な美しさを保っているのが素晴らしい。

第13曲の「白鳥たちの踊り」は、ボストン交響楽団の木管楽器の各ソロ奏者の上手さは特筆すべきものがあり、小澤もこれ以上は求め得ないようなムード満点の演奏を行っている。

特に、6曲目の湧き立つようなリズミカルな演奏は出色の出来だ。

第14曲の「情景」の終結部の踏みしめるような粘着質の演奏は圧巻のド迫力。

第3幕では、第17曲及び第18曲のトランペットファンファーレの響かせ方が奥行きがあって実に美しいのが印象的。

第20曲〜第23曲の各ワルツは、まさに小澤の独壇場であり、生命力溢れる力演でありながら、洒落た味わいをいささかも失うことがないという、二律相反する要素を兼ね備えた極上の音楽に仕上がっている。

第4幕の第29曲は、雄渾なスケールであり、圧倒的な迫力の下に全曲を締めくくっている。

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2013年03月22日


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小澤のベートーヴェンは、特に古株の評論家からは著しく評判が悪い。

確かに、音楽に精神的な深みを求める聴き手からすれば、いささか物足りない気がするのも事実である。

しかしながら、本盤のような極上の高音質のSACDを聴けば、評判を落としているのは、これまで発売されたCDの音質によるのではないかと思えてくる。

それくらい、本盤は、これまで発売されたCDと比較して、音質の差が著しいと言える。

本演奏については、既にマルチチャンネル付きのSACDが発売されているが、本盤の方がはるかに上を行くと言える。

本演奏が浅薄な演奏と言われていた所以は、特に第3楽章のせかせかとした進行や、終楽章の歓喜の主題の直前の2つの和音の無機的な響きなどによると思われるが、前者については、本盤を聴くと、必ずしも浅薄なものではないことがよくわかる。

テンポは速いが、歌うべきところはよく歌い、楽曲全体での本楽章の位置づけをよく考え抜いたアプローチをしていることが理解できる。

終楽章の無機的な和音については、本盤を持ってしてもごまかすことはできないが、他方、合唱とオーケストラの分離なども鮮明に捉えられていて、本演奏を非常に素晴らしく、感動的なものに仕立て上げているのに大きく貢献していると言える。

他のベートーヴェンの諸曲についても、仮に本盤のような高音質SACD化をすれば、小澤のベートーヴェンに対する評価も、相当に違ってくるのではなかろうか。

筆者としては、クラシック音楽は基本的にライヴ演奏会で聴くべきだと思うが、ホールや座席の関係でベストの状態で聴けるとは限らない。

そういう点を考えるとSACDでの鑑賞は新しいクラシック音楽の楽しみ方を提供してくれるものだと思う。

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2013年01月27日


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最近では健康状態が思わしくなく、食道がんの摘出、腰痛、肺炎などによって、ファンをやきもきさせている小澤征爾による、休業宣言する前の待望の新録音であるが、70歳を超えた指揮者ならではの完熟の名演と高く評価したい。

メインのブラームスの前に、ラヴェルの小曲が2曲収められているが、フランス音楽は小澤が若い時代から得意としていただけに、ここでも至高の名演を成し遂げている。

「道化師の朝の歌」は、とても健康状態が思わしくない70歳の指揮者とは思えないリズミカルな進行と、随所に感じられるフランス風のエスプリが満載の非のうちどころのない名演であるし、「シェエラザード」も、同曲のもつ繊細な味わいがこの上もなく透徹して表現されている。

グラハムのメゾソプラノの独唱との相性も抜群だ。

ブラームスの「第2」は、いわゆる純音楽的な名演だ。

小澤のドイツ音楽については、特に大御所とも称される音楽評論家には、薄味であるとか浅薄などとして著しく評判が悪いが、本盤の演奏に関しては、浅薄さは皆無。

個性的と言える箇所は皆無ではあるが、その分、ブラームスの音楽を心ゆくまで深い呼吸で味わうことができる点を高く評価したい。

筆者としては、小澤氏には是非とも病気を克服されて、かのテンシュテットのように復活して、将来さらなる凄みを増した演奏に出会えることを強く望みたい。

そして、さらに評価したいのは、SACDのシングルレイヤーによる超高音質録音だ。

ユニバーサルが、SACDの発売を再開したのは、本年度最高のニュースであるが、これまで発売されたSACDは、いずれも既にSACDとして発売された再発売ものに限られていた。

本盤は、ユニバーサルにとっても、久々のSACDの新録音ということになるが、それだけに、鮮明さ、ダイナミックレンジの広さなど、どれをとっても、最高水準の録音に仕上がっている。

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2013年01月13日


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演奏について評価する前に、まずは録音について言及しておきたい。

ユニバーサルは、2010年になってSACDの発売を再開するという快挙を成し遂げたが、これまでのところ、何年か前に既に発売されたSACD盤のより高音質化での再発売が中心となっている。

そのような中で、小澤&サイトウキネンのブラームスの「第2」ほかを収めた盤と本盤は、ユニバーサルが満を持して発売したSACDの新録音だ。

ブラームスの「第2」の録音は見事であったが、本盤も極上の高音質だ。

しかも、本盤は、マルチチャンネル付きのシングルレイヤーである。

このような仕様は、SACD草創期にエクストンが何枚か発売していたくらいしか記憶がないが、おそらくは、ガラスCDは別として、現在望み得る最高の高音質と言えるだろう。

「戦争レクイエム」のように、静謐な合唱を中心とする作品には、このような仕様は抜群の効果を発揮しており、いささか大げさではあるが、「戦争レクイエム」の最も理想とする録音がついに現れたと言っても過言ではないのではなかろうか。

演奏内容も素晴らしい名演。

演奏がスタートすると、凄まじい緊張感に包まれていることが分かる。

そして、その緊張感は最後まで持続することになる。

最近、健康が悪化するなどファンを大変心配させている小澤であるが、ここではオーケストラや合唱団を抜群のバトンテクニックで統率し、実に清澄なレクイエムの世界を構築している。

「火刑台上のジャンヌダルク」も名演だったが、小澤にこのような声楽入りの曲を振らすと天下一品である。

今や大指揮者となった小澤には、今後とも健康に留意していただいて、本盤のような名演を一つでも多く残していただきたいと思う聴き手は筆者だけではないはずである。

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2011年12月29日


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1981年10月10日、ホートン・チャペル、ウェルズリー大学、マサチューセッツでの録音で、小澤&ボストン響の初の「四季」として話題を呼んだ。

先日小澤征爾がSKF松本で1時間ばかりバルトークの「青ひげ公の城」を振って復帰を果たし、筆者もテレビで見て安堵しているのであるが、本盤はかなり以前のまだ彼が46歳の頃ボストン響を指揮してヴィヴァルディ「四季」を演奏したもので先ずボストン響の「四季」が珍しい。

編成が小さく、弦の音が美しい。

音楽が爽やかで、イタリアの弦の艶やかな音色と豊麗な響きとは別の魅力をもっている。

小澤の解釈は、テンポをやや遅めに設定し、リズムに明確なアクセントをつけている。

そのために演奏全体が強い安定感をもち、明快ななフレージングで旋律を歌わせているし、一方、急速楽章では気迫に溢れた「四季」をみせている。

小澤の指揮そのものは格調の高いものだが、ヴァイオリン独奏の装飾が聴きものである。

ボストン響の名物コンマス、シルヴァースタインのソロが装飾を豊かにとり入れて美しく聴かせる。

マリナーやアーノンクールは独創的なわりにソロの装飾は少なかったが、小澤は目いっぱいやっており、単純な旋律線がきわめて複雑なものに変わっている。

数多いこの曲のレコードでも注目すべき秀演。

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2011年08月04日


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ラフマニノフはツィマーマンの初録音。

センスのよくないピアニストの手にかかると、まるで甘味が多すぎて辟易とすることもあるラフマニノフのピアノ協奏曲第2番だが、ここにおけるツィマーマンのピアノを聴いて甘すぎると感じるような聴き手は多分ほとんどいないだろう。

もちろんここに甘味がないわけではない。必要な分だけは、しっかりと用意されている。

だが、少しも過剰になっていない。

すべては並々ならぬツィマーマンの自覚に裏づけられた強靭な音によって描き出されていく。

ここではラフマニノフの音楽固有の情感も、空中に霧散していくのではなく、大地にしっかりと刻印されているかのようだ。

ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番は、旋律が実に甘く切ないものであり、どうしてもそうした表面上の美しさの方に心が奪われてしまいがちであるが、ツィマーマンのピアノは、もちろん美しさにおいてもいささかも欠けているところはないものの、あたかもベートーヴェンのピアノ協奏曲に接する時のような深沈とした深みやドラマティックな要素を兼ね備えているのが素晴らしい。

とかく前時代的であるとかロシアの哀愁誘う作曲家であるなどと、いささか通俗的と過小評価されているラフマニノフによるピアノ協奏曲を、それこそベートーヴェンのピアノ協奏曲にも比肩し得る大芸術作品の域にまで引き上げたと言っても過言ではあるまい。

そのことは、もちろん、併録された第1番の協奏曲にもあて嵌る。

最近は大病を患って健康状態に大きな不安を抱えている小澤ではあるが、本演奏ではパワー全開であり、情感の豊かさにおいても力強い生命力においても申し分がない。

ボストン交響楽団も美しさの極みとも言うべき名演奏を繰り広げており、重量感溢れる迫力においてもいささかも欠けるところがない。

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2011年05月22日


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小澤のDGへのオペラ初録音。

このオペラはいかにもホフマン好みの夜の幻想性と怪奇性に富んでいる。

オッフェンバックはその魅力を多彩に、いわば闇のかがやきとして描き出すことに成功している。

ここで最大の聴きものは、2人の主役をはじめとする多くの名歌手たちの性格的な名唱だ。

小澤は一部エーザー版を取り入れた演奏だが、ドミンゴが、第1幕やエピローグでの壮年期のホフマンと、オランピア、アントニア、ジュリエッタとのそれぞれの年代でのホフマンをどう演じわけるかが聴きどころとなろう。

またグルベローヴァが3人の女性をどう歌いわけるかも楽しみなところで、ドミンゴとの掛け合いが聴きもの。

ドミンゴはロマンティックな情熱にあふれるすぐれたホフマン像を歌い出しており、グルベローヴァの、なかでもアントニアに切なさがよく出ていて素晴らしい。

また4人の敵役を、いずれ劣らぬヴェテランたちに分担させているのも非常に成功している。

小澤の切れの良さもさることながら、この録音の成功はドミンゴとグルベローヴァに尽きよう。

ドミンゴやグルベローヴァが、どんなに上手く役を演じわけても(実際、見事に歌いわけている)2人が歌うたびに、「ああ、ドミンゴだな、グルベローヴァだな」と思わずにはいられないほど、2人の歌声は、際立って魅力的なのである。

小澤の指揮はごく常識的で無難な出来で、独自のイメージがないのが難だが、フランス国立管弦楽団の美しい響きは特筆に値する。

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2011年02月22日


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小澤&ボストン響の8年ぶりのDGへの新録音で、初のフォーレだった。

メーテルランクの戯曲『ペレアスとメリザンド』のロンドン上演に際し、英女優キャンベル夫人からの依頼で書きあげた全17の曲の劇音楽のなかから、3曲をとりあげて、フォーレは組曲を作った。

のちに〈シシリエンヌ〉を加えて4曲からなる組曲にした。

近年は〈メリザンドの歌〉を入れて演奏するようにもなった。

小澤征爾の『フォーレ管弦楽名演集』に収められた《ペレアスとメリザンド》が聴きもので、小澤はデリケートな感覚で各曲を丹念にまとめあげている。

小澤の得意とするフランス音楽だけに、その描写力の卓抜さに魅せられてしまう。

美しい色彩感と抒情的な味わい、全編にただよう詩情など、この曲の魅力をあますところなく伝えている。

ことに、デリケートな感覚で流麗な旋律を心ゆくまでうたわせた〈シシリエンヌ〉など見事である。

ボストン響も、美しくまろやかにとけあった響きで、優れたアンサンブルを聴かせる。

オーケストラの繊細さや音色的推移の美しさ、豊かなリリシズムなどが生きた好演といえよう。

梢の葉を揺らす銀色の風にも似た風雅な余情を感じさせる演奏だ。

ボストン響の首席チェリスト、エスキンの弾く「夢のあとに」と「エレジー」は特に高音が美しい。

組曲「ドリー」もかなりの出来。

「パヴァーヌ」はいかにも小澤らしく流れが豊かだ。

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2011年01月09日


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ツィマーマンの初のリストで、小澤&ボストン響ともこれが初の共演であった。

第1番のツィマーマンの演奏は、アルゲリッチにほとんど遜色がない。

情熱的という点では一歩を譲るかもしれないが、彼の特質とされる音色の美しさは、数多いこの曲のCD中でも最高といっていいだろうし、その明るい響きから生ずる現代風叙情性は、この協奏曲に新しい光を当てたものということもできる。

ツィマーマンは、美しく張りつめたタッチを生かしてスケール大きな演奏を展開するとともに、ニュアンスゆたかな弱音の表現によって作品の細部まで澄んだ光を通している。

小澤の指揮ともども、さらに陰りのあるロマンもほしいが、気宇爽やかに充実している。

第1番ではソロもオーケストラも力強いし、その演奏は気迫にあふれている。

ツィマーマンのタッチは音色が明るく、透徹した響きをもっており、それは最初のアレグロ・マエストーソの優美な第2主題のひめやかな情感を反映させる。

第2番でのツィマーマンのソロも魅力的で、アルペッジョのひとつとっても繊細な表情で弾いていて、神秘的な雰囲気さえ出している。

ここでも小澤&ボストン響の見事なサポートが光っている。小澤の指揮は爽やか、かつスマートだ。

リヒテルやフランソワがともに個性的な演奏を聴かせたのに対し、ツィマーマンはピアニストとしての使命を冷静にとらえた上でのリストを再現している。

それは、ピアノという楽器がもつ限りない可能性と美しい表現力を積極的に打ち出した演奏であり、実に率直な演奏の喜びにあふれている。

決して作品の前に立ちはだかることをせず、リストそのものの世界へと自然に導く演奏であり、救いと憩いが感じられる。

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2010年12月04日


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吉永小百合のナレーション付き。その台本は松本隆。小澤征爾のこの曲の初録音。言わば日本向けのレコーディングである。

全曲を一応はカヴァーしているが小さな省略も少なくない。

小澤征爾の指揮は、繊細にして緻密、しかもインスピレーションあふれる音の輝きがあり、およそ解釈といったものを超越した心ときめかせる世界がつくり出されている。

小澤は冒頭の序曲からずいぶんとシンフォニックにボストン交響楽団を鳴らし堂々と曲を進めるが、その中にも繊細な色彩感を漂わせたみずみずしい空気感もある。

小澤征爾が小澤のメンデルスゾーンを演奏しているのだが、それがドイツ・ロマン主義音楽に対するこの指揮者の解釈が引き出したものということで聴くと、そこには日本人の耳に心地よい、舌触りの良い甘美さを味わうことができる。

ビロードにも似たボストン交響楽団の深いサウンドも素晴らしく、しばし幻想の夢に酔う思いだ。

そして何よりもこの全曲盤の最大の魅力は、ナレーションに女優の吉永小百合が起用されていることに尽きるであろう。

彼女のナレーションは、時に音楽以上に美しく、また豊かな表現力で、幻想の物語へと聴き手を招き入れる。

作家松本隆による日本語の台本も、表現としてとても自然であり、垣根を感じることなく作品の世界に遊ばせてくれる。

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2010年09月06日


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1909年、まだロシアに居を構えていたラフマニノフがアメリカに訪問した際に自らのピアノで初演したピアノ協奏曲の大作。

人気のある第2番以上に曲想は一段とラプソディック、ほとばしるような情熱が盛り込まれているし、ロマンティックな美しさも豊かで、作品から与えられる感銘はピアノ協奏曲の女王といいたい衝動にかられるほどだ。

ホロヴィッツをはじめとする名演がならんでいるが、1993年1月、キーシンが22歳の時にボストン響の定期公演でライヴ録音したこの演奏は、奔放さと節度の微妙にして最善のコントロールがはかられた名演であり、若き天才ピアニストの凄さを見せつけられる。

キーシンは遅めのテンポでじっくりと運んで、明快なタッチで持ち前の澄んだ美音をニュアンスこまやかに生かしている。

緩急の変化を大きくつけた演奏はスケール大きく、きわめて幅広い表現力をもっているが、冴えた技巧を存分に発揮した圧倒的なクライマックスから最弱音のひそやかな歌まで、その演奏は常に見事にコントロールされており、共感や情熱故にいたずらに音楽の形を崩すことがない。

ことに第1楽章後半以降の表現は無類で、キーシンのデリカシーと共感に溢れ、ニュアンスに富んだ美音を紡ぎ出すソロを、洗練されたのびやかで美しいオーケストラの響きが柔らかく包みこんでいく。

小澤征爾&ボストン響の熱きバックアップも見事であり、洗練された響きと表現で柔軟に懐深く支えて、キーシンのピアノを巧みに引き立てている。

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2010年07月31日


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このチャイコフスキーの《弦楽セレナード》は1992年に録音されたもので、小澤征爾指揮サイトウ・キネン・オーケストラの出発点における成果となるが、学舎を同じくした同志たちを結ぶ絆が熱い音の奔流となって放出された輝きと勢いが圧倒的だ。

一途なのである。演奏の中身も、美しさも、情熱も。

演奏中に各奏者の眼差しが見えるような演奏と言えばよいのか、成熟した、世界の舞台で活躍する大人のミュージシャンたちが小澤征爾のタクトとの強い連帯感を背景に本当に熱い、そして無垢な感動の調べを心と肉体で存分に歌い上げている。

おそらく小澤征爾を見据える楽員の視線の途方には恩師の姿があったことであろうし、小澤征爾も叱咤激励してくれた恩師の声に励まされて指揮していったのではないかと想像されるが、それがその段階で終わらず、チャイコフスキーの心と結びついた点が画期的、あるいは歴史的意味を持つのである。

緻密だが堅くならず、美しいが慎重すぎて勢いを失うこともなく、作品をあらゆる角度から吟味した後に浮かび上がってくる確信というべき説得力がある。

しかも、学生の頃から皆が弾き込んできた作品だけに、ただ巧い、美しいといった表面的な仕上げの段階を超えて、自分たちの音楽として歌い上げた風格の豊かさのようなものまで漂っている。

これは欧米の名指揮者や名門アンサンブルによる演奏と比較しても決して負けない、作品の魅力を普遍的とでもいうべき水準と思考とで浮き彫りにした記念碑的演奏と言えよう。

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2010年05月05日


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非常にオーソドックスな演奏だ。

ゼルキン80歳前後の演奏だが、実にのびやかに、冴えたテクニックでひきあげていてすばらしい。

正攻法の、実に素直な表現を行いながらも、それぞれの楽曲の持ち味を生かした演奏は、さすがに、現代屈指といわれた大家といえよう。

ゼルキンのタッチは明るく、響きが軽くなっているが、テクニックに衰えもない。

また、以前のように思いつめたような激しい集中力が弱まったかわりに、精神の自由な飛翔が支配する。

「真実一路」という言葉がある。

21世紀を迎えた今日にあってはあまり声高に語られることも少なくなってしまった言葉だが、R・ゼルキンというピアニストを語るには、この言葉がなによりもふさわしい。

ここにきくベートーヴェンの協奏曲においても、彼のひき出す音はグラマラスな魅力をもっていたり、やわらかな美しさをもっているという類のものではない。

しかし、その音は真実なるものを求めてやまないような一途な姿勢に貫かれており、きく者の耳に喰い込んでくる。

真面目であるということが必ずしも最高の評価を受け難くなりつつある今日の精神状況にあって、R・ゼルキンのような存在は逆に大きくクローズ・アップされてしかるべきだろう。

なかでも後期の3曲が見事で、第4番などは音楽自体の深みとゼルキンの芸風が一致して最も上出来だ。

小澤の指揮も堂々として、緩徐楽章での威厳は、彼が巨匠への道を歩んでいたことを示している。

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2009年11月14日


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小澤征爾の数多い録音の中でも最高傑作と評価したい、まさに圧倒的名演。

バーンスタインの濃厚と正反対の涼しいマーラーだが、小澤のベストCDに数えられる美演である。

彼はここで従来の日本的繊細さに加えて、凄絶な力感と確信に満ちた線の太さを獲得している。

テンポは速く、すっきりとした直線で豊かさよりは強い骨格を優先、色づけなしに進めてゆく。

複雑な楽器法や楽想が整理しつくされ、透明感を増し、別の曲のように新鮮に響く。音楽の純粋な美しさが裸でわかる。とにかく初めて耳にするような新しい音楽美が連続するのである。

少しも荒れ狂わない、重苦しくないマーラーがここに出現。しかも生々しい迫力は充分で、一気呵成の進行が爽快だ。

冒頭から実に精緻な表情と堅固な設計でまとめあげられており、音楽がきりりと引き締められている。

あらゆる音が有機的に生かされ、フレージングやアーティキュレーション、ディナーミクの効果も全く隙がない。

第3楽章などはメリハリが抜群で、全盛期のトスカニーニを聴いているようだ。うるさくなく、粗くなく、楽しさいっぱいである。

そして最後の第5楽章に入ると、小澤はフル編成のオーケストラと声楽陣を巧みにコントロールし、決して力まずに各パートを意味深く鳴らし、主観を加えずに音自体に語らせてゆく。

これほど完成された演奏はかつてなかったと思えるほどだ。

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2009年07月02日


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ショルティ指揮シカゴ響の演奏では、終楽章のコーダは木管が延々と吹き続け、スコアの指示フェルマータ、ディミヌエンド、それにルンガ(フェルマータを長く延長する)を忠実に励行している。

チェコのいわゆる本場の演奏は、ここの部分を適当に切り上げているのだが、それはオーケストラがしんどいからで、名指揮者ビューローの「伝統とはだらしないことの別称だ」という警句が、いみじくも思い出される。

だがこの指示を最初に忠実に再現したのは、小澤征爾指揮サンフランシスコ響の録音だった。

日本人の小澤は伝統を知らなかったからこそ、徹底的にスコアに忠実になれたのだろう。

以後ヨーロッパの指揮者も、この指示を避けて通れなくなった。チェコの指揮者の大部分は未だに、適当に切り上げているようではあるが…。

本場のいわゆる伝統的な演奏というのは、単に自分達の都合のいいように、オリジナルをねじ曲げているケースが多いのである。

おそらくヨーロッパのオーケストラの楽団員達も、小澤の解釈に接して目から鱗が落ちる思いをしただろう。

「新世界より」はきわめて新鮮な感覚美と音楽的な起伏と、抒情的なゆたかさを感じさせる。

この曲の劇性も素直に示されており、第1楽章の冒頭から自然な起伏が流麗な表情をつくり、ふくよかな響きが渾然一体となり、曲の詩情と交響性をよく調和させている。

数多い「新世界より」のなかでも注目してよい秀演である。

「謝肉祭」も力強く、確信に満ちた表現が実に晴朗な音楽をつくっている。

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