ムソルグスキー

2016年08月02日


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オペラにおけるリアリズムの先駆けとなった名作《ボリス・ゴドゥノフ》は、19世紀ロシアが生んだ最も個性的で、しかも後世への影響力も甚大なオペラ史上の金字塔だが、その成立には紆余曲折がある。

このオペラの前にもオペラの作曲を計画していたムソルグスキーだが、その計画は官吏の仕事に追われて悉く頓挫していた。

このオペラが出来たのは、一つは1868年に歴史家のウラディーミル・ニコルスキーに出会ったことと、同じ頃に林野局に転属して作曲の時間を確保できるようになったことがその原因として大きい。

ニコルスキーにオペラの題材としてプーシキンの劇詩『ボリス・ゴドゥノフ』を薦められ、その作品を読んで熱中し、確保できた作曲の時間を費やして猛烈な勢いでこの作品を書き上げた。

1869年に書き上げられたこの作品は、翌年の帝室歌劇場の演目の応募作として歌劇場の事務局に提出されたものの、女性の登場人物が極端に少ないことが問題となって落選してしまった。

この落選したバージョンが、1869年版として、本盤に収録されている。

落選したことで憤慨し、この作品をお蔵入りにしようとしたムソルグスキーだが、周囲の熱心な説得で改訂を施したのが、本盤に収録された1872年版である。

この1872年版は、完成した2年後に一部カットを施された形でマリインスキー劇場で初演されたが、初演に先立って作品の名場面と思しき所を抜粋して先行演奏して初演までの前評判を上げたという。

ムソルグスキーが亡くなった後、盟友のリムスキー=コルサコフが加筆訂正を加えたものの、この盤ではその編曲版を採用せず、ムソルグスキーが楽譜に刻んだオリジナルな形で演奏している。

この録音は、作品が初演された元マリインスキー劇場のキーロフ歌劇場のプロダクションで演奏されている。

1869年版と1872年版で共通するキャストは、クセニア役のオリガ・トリーフォノフ、フョードル役のズラータ・プリチェフ、ピーメン役のニコライ・オホートニコフ、シュイスキー役のコンスタンチン・プルージニコフ、シェルカーロフ役のワシーリー・ゲレロ、ワルラーム役のフョードル・クズネツォーフ、ミサイール役のニコライ・ガシーイエフ、警吏長ニキーチナ役のグリゴリー・カラスセーエフ、乳母役のエフゲーニャ・ゴロチョフスカヤ、ミチューハ役のエフゲーニー・ニキーチン、旅籠屋の女将役のリュボーフィ・ソコロフ、聖痴愚役のエフゲーニー・アキーモフである。

ボリス・ゴドゥノフ役が1869年版ではニコライ・プチーリン、1872年版ではヴラディーミル・ヴァニーエフ、グリゴリー役は1869年版ではヴィクトル・ルツク、1872年版ではヴラディーミル・ガルーシンが歌う。

キーロフ劇場のオーケストラと合唱団を指揮するのは、ヴァレリー・ゲルギエフである。

1869年版に登場し、1872年に登場しない役は侍従の貴族役のユーリ・ラプテフと民衆の声役のアンドレイ・カラバーノフで、1872年のみに登場する役がマリーナ役とランゴーニ役で、前者をオリガ・ボロディナ、後者をミチューハ役のニキーチンが兼任している。

1869年版と1872年版の違いは、まず前者が4幕7場(ムソルグスキーはこの時点で「幕」という言葉は使わず「部」という言葉を使っているらしい)であるのに対し、後者がプロローグ付きの4幕9場(実質的に5幕9場)であることである。

ムソルグスキーの1872年への改訂は基本的に加筆作業が中心だが、1869年版の第4幕の大聖堂の場面は1872年版ではカットされている。

また、こうした改訂で終幕も主役のボリスが亡くなる場面から、聖痴愚が独白をする場面へと替えられている。

ボリスの一代記から、16世紀のロシアの混乱期そのものを描くことによる社会の腐敗への糾弾という意味合いが強くなっているところに、改訂の意義があるのだろう。

この5枚組の盤では、1869年の初稿と1872年の第2稿とをゲルギエフ指揮のキーロフ・オペラの理想的に近い演奏で聴き比べることができる。

演奏は、自分たちの音楽という自負が強く出ており、ゲルギエフの指揮ともどもダイナミックな力感が、ムソルグスキーの音楽の持つ根源的な力を十二分に引き出している。

配役もいいが、とりわけタイトル・ロールと並んでこのオペラの主役を演じる合唱の良さ、指揮の踏み込みの深さが、しばしば鳥肌の立つような迫力を生んでゆく。

ムソルグスキーの音楽自体は、やはり1869年の初稿のほうが表現が直截的で感情移入しやすいのではないだろうか。

1872年の改訂も、その音楽の素晴らしさは減じないが、女声を追加したことで、1869年版にあった素朴な力強さは幾分後退してしまったように思う。

いずれにせよ、1869年の初稿についてはこれを聴かないで真価を云々できまい。

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2016年03月05日


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プラガ・ディジタルスの新リリースの中でも版権の切れた、いわゆるヴィンテージ・コレクションに当たる音源をDSDリマスタリングしてSACDで蘇らせるシリーズは、音質に関しては玉石混交でかなりノイズの煩わしいものに出くわしたこともある。

またプラガは以前ソースやデータの改竄や表記ミスなどで物議を醸したレーベルなので、オールド・ファンでも用心してその出所を見極めなければならないのが実情だが、ここに紹介する曲集のように優れた音源の蘇生に成功している例も少なくない。

イーゴリ・マルケヴィチ指揮によるムソルグスキーの歌曲集は当時全盛期のソプラノ、ガリーナ・ヴィシネフスカヤの端正でスケールの大きな歌唱が卓越している。

それはロシアの風土とは離れがたい特有の感触を持っているが、また彼女の磨き抜かれた美声と多彩な表現が黒光りするような演奏で、更にこの作品を色彩化しているのがマルケヴィチ自身のオーケストレーションだ。

作曲家としてのプロフィールを持つ彼の繊細な感性と巧みな管弦楽法がアレンジに活かされている。

尚オーケストラはRUSSIAN SYMPHONY ORCHESTRAと表示されているが、当時のソヴィエト国立交響楽団と思われる。

1962年のフィリップス音源で『子守唄』『お喋りカササギ』『夜』『星よ、何処へ』『いたずら小僧』『ドニエプル河で』の6曲が収録されている。

ムソルグスキーの『展覧会の絵』はオーソドックスなラヴェル編曲版で、ベルリン・フィルとの1953年のモノラル録音によるセッションだが、録音もマスター・テープの保存状態も良好で、リマスタリングの効果で充分な音場の広がりと芯のある立体的で鮮明な音質が得られている。

マルケヴィチの指揮は厳格で細部にもその鋭利で几帳面な指示が行き届いているが、ベルリン・フィルの巧妙なアンサンブルとスペクタクルな音響が良く呼応して演奏が萎縮している印象はない。

またテンポはいくらか速めで全曲を通して30分強だが、それぞれの曲の特徴が凝縮されていて、輪郭の明瞭な組曲に仕上がっている。

マルケヴィチが指揮した多くの『展覧会の絵』の原点とも言うべき筋の通った力強さが感じられる演奏だ。

音源はドイツ・グラモフォン。

最後のストラヴィンスキーの『詩篇交響曲』の録音は、このCDのライナー・ノーツでは1960年と表示されているが、フィリップスからは1962年の音源としてリリースされていた。

どちらも同じメンバーによるセッションなので同一音源であることにほぼ間違いない。

このあたりがプラガのミステリーで予断を許さないところかも知れない。

いずれにせよ現代音楽を得意としたこの指揮者の典型的なサンプルで、少年合唱を含むコーラス陣と大編成のオーケストラを扱った二重フーガの第2楽章や、かなり難解な終楽章「アレルヤ」を鮮烈な色彩と張り詰めた緊張感で貫いた表現が秀逸だ。

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2015年03月31日


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ワレリー・ゲルギエフ指揮、マリインスキー劇場管弦楽団他による1991年録音盤で、ゲルギエフ得意のロシア作品「ホヴァンシチナ」を収録されている。

基本的にショスタコーヴィチ版に依拠しているが、できるだけ作曲者の考えを尊重したゲルギエフ版だと言える。

「ホヴァンシチナ」は、未完成のままムソルグスキーが世を去ったこともあって、「ボリス・ゴドノフ」に比較して不当にも世評が低いと言わざるを得ない。

しかしながら、リムスキー=コルサコフやショスタコーヴィチなどによる編曲によって、優れた完成版が生み出されており、その内容の深さにおいて、「ボリス・ゴドノフ」にも匹敵する傑作であると筆者としては考えているがいかがだろうか。

「ホヴァンチシナ」は、17世紀のモスクワ銃兵隊の反乱(ホヴァンスキーの乱)を題材にした5幕の大作であるが、ムソルグスキーが1881年に没したため未完となり、作曲者の旧友リムスキー=コルサコフによる実用版が作成されて、ようやく1886年2月21日にサンクト・ペテルブルクで初演された。

しかし、リムスキー=コルサコフは原曲をほとんど書き換えており、その後ショスタコーヴィチがオリジナルのピアノ譜と、作曲者自身の管弦楽法の手法をもとに、改めて原曲に忠実な実用譜が作り直された。

今日では上演に用いられる実用譜はたいていショスタコーヴィチ版であるが、全編まことに美しいオペラで、特に第2幕の開始の場面や第4幕始めの女声合唱など、実に印象的で魅力的である。

リムスキー=コルサコフ版はイマイチの出来だと思うが、ショスタコーヴィチ版は、ムソルグスキーの草稿にまで踏み込んだ大変優れたものだと考える。

本盤のゲルギエフによる演奏は、ショスタコーヴィチ版をベースとして、ゲルギエフならではの編曲を施したものであり、特に、終結部に大きな違いがある。

筆者としては、ショスタコーヴィチ版のラストのムソルグスキーの作品中もっとも美しい旋律「モスクワ川の夜明け」の主題の再現が効果的で素晴らしいと思うのだが、ゲルギエフ版のように、悲劇的な殉教で締めくくるのにも一理あるとは思う。

演奏も、ロシア的なあくの強さと緻密さのバランスに優れたゲルギエフならではの超名演であり、独唱陣も合唱団も最高のパフォーマンスを示している。

ここに聴くゲルギエフ率いるキーロフの面々とソリスト陣は、(既に定評を得てムソルグスキーにこだわりぬく)アバド盤に比してもまことに立派な演奏と言えるのではないだろうか。

いかにもロシア的なテイストを振りまきつつ、でも仕上げは丁寧でしっかりしたもので、この魅力的なオペラに親しむに絶好のディスクであろう。

それにしても、ムソルグスキーは偉大だ。

同時代のチャイコフスキーは当然として、ロシア五人組のリムスキー=コルサコフやボロディンなども西欧の音楽を意識して作曲をした(だからと言って、これらの作曲家の偉大さに口を指しはさむつもりはない)が、ムソルグスキーはあくまでも西欧音楽に背を向け、ロシア音楽固有の様式を目指そうとした。

その強烈な反骨精神には拍手を送りたいし、アルコール中毒による早世を深く惜しむものである。

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2015年03月30日


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底知れぬヴァイタリティとカリスマ性を持ち合わせ、21世紀を牽引する指揮者の筆頭に挙げられるワレリー・ゲルギエフが、名門ウィーン・フィルを指揮した迫真のライヴ録音の『展覧会の絵』に加え、ムソルグスキーの名作3曲をカップリングした素晴らしい高音質SACDの登場だ。

本演奏は、レコード・アカデミー賞を受賞した名演であるだけに、初出のCDからして、ゴールドディスクとして高音質化への取り組みがなされていた。

また、更にほどなくして、SACDハイブリッド盤が発売された。

当該盤には、マルチチャンネルが付いており、その臨場感溢れる音場の幅広さは、これこそ究極の高音質CDであると考えていた。

ところが、今回のSHM−CD仕様のSACDシングルレイヤー盤は、そもそも従来の諸盤とは次元が異なる高音質と言える。

特に、『展覧会の絵』は、ラヴェルの華麗なオーケストレーションが味わえる作品だけに、今回の高音質盤は、最大限の威力を発揮する。

全体としてきわめて鮮明であるのだが、特に、トゥッティの箇所における金管も木管も、そしてそれを支える弦楽も、見事に分離して聴こえるというのは殆ど驚異ですらある。

それは、併録の『はげ山の一夜』にも言えるが、特に、『ホヴァンシチナ』前奏曲の冒頭の霧のような立ちあがりは、本盤だけが再現し得る至高・至純の繊細さと言えるだろう。

ゴパック(歌劇『ソロチンスクの市』から)におけるオーケストラの自由闊達な動きも、完璧に捉えきっているのが素晴らしい。

演奏は、前述のように、平成14年度のレコード・アカデミー賞を受賞した定評ある超名演。

ゲルギエフの濃厚で強いエネルギーでもって、激しいところは圧倒的な響きが印象的であるが、演奏しているのはウィーン・フィルということで、優しい響きのメロディーやピアニッシモのところは鳥肌が立つほど美しく、両者の特徴が上手くかみ合っている。

ゲルギエフは『展覧会の絵』を夢中になって見て回るが、そこではラヴェルの洗練されたオーケストレーション以上に作曲家ムソルグスキー生来の感性が強調されている。

指揮者はこれを実現するため、ウィーン・フィルの金管楽器奏者たちを叱咤激励し、とくに「カタコンブ」における壮大なコラール風のスタイルから曲の最後を締めくくる「キエフの大門」の圧倒的なクライマックスまで、彼らの特徴である朗々とした響きを思いきり出させている。

しかしながら、この指揮者によるルバート奏法は何箇所か、純粋に感じ取られたというよりもなにか継ぎ足されているような感じがする。

たとえば「テュイルリー」における主席クラリネットのリタルダンドや、「古城」の基本拍子を滞らせるフレージング過剰の弦楽器のレガートがそうである。

フィリップスの広がりのある音響工学はコンサート・ホールの雰囲気をよく伝えているが(これはライヴ・レコーディングなのである)、ダイナミックなインパクトと鮮やかな細部に欠けている。

フリッツ・ライナー盤やジョージ・セル盤がいまだ聴くときの基準になっているのだ。

その結果、『はげ山の一夜』の渦を巻くような勢いも拡散して響き、劇的にも平板である。

ただ、歌劇『ホヴァンシチナ』前奏曲とゴパック(歌劇『ソロチンスクの市』から)は気持ちのいい演奏で、よきつなぎ役となっている。

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2014年12月14日


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ヴァント&ベルリン・ドイツ交響楽団によるライヴ・チクルス第2弾が、今般、国内盤で、しかも分売で発売されることになったのは、演奏水準の高さからしても、多くのクラシック音楽ファンにとって大朗報と言えるだろう。

ヴァントと言えば、長年に渡って音楽監督をつとめ、その後は名誉指揮者の称号が与えられた北ドイツ放送交響楽団との数々の名演が軸となる存在と言えるが、ベルリン・フィルやミュンヘン・フィル、そしてベルリン・ドイツ交響楽団とも、素晴らしい名演の数々を遺している。

ベルリン・ドイツ交響楽団は、ベルリン・フィルの陰に隠れた存在に甘んじているが、一流の指揮者を迎えた時には、ベルリン・フィルに肉迫するような名演を成し遂げるだけの実力を兼ね備えたオーケストラである。

ましてや、指揮者がヴァントであれば問題はなく、その演奏が悪かろうはずがない。

本盤に収められた、ハイドンの交響曲第76番、モーツァルトのセレナード第6番「セレナータ・ノットゥルナ」、ムソルグスキーの組曲「展覧会の絵」は、ヴァントの知られざるレパートリーであったが、いずれも素晴らしい名演と高く評価したい。

本盤のメインであるムソルグスキーの組曲「展覧会の絵」については、手兵北ドイツ放送交響楽団との1999年のライヴ録音が存在していることから、本盤の演奏はその4年前の演奏、ヴァントにとって現時点で2種目の録音ということになる。

ヴァントの芸風からすれば、極めて珍しい録音と言っても過言ではないとさえ思われるところであるが、意外にもヴァントは同曲に深い愛着を抱き、たびたび演奏してきたとのことである。

それだけに、本演奏においてもたどたどしいところがいささかもなく、各場面の描き分けを巧みに行った見事な演奏を展開していると言えるだろう。

独墺系の指揮者で同曲を得意としていた指揮者としてはカラヤンが掲げられるが、カラヤンの演奏のように豪華絢爛にして豪奢な演奏ではなく、カラヤンの演奏と比較すると随分と地味な印象も受けるところだ。

テンポはやや速めで一貫しているが、前述のような場面毎の巧みな描き分け、そして随所に聴かれる独特のニュアンスの豊かさは、まさに老巨匠ならではの名人芸とも言えるところであり、内容の豊かさという意味においては、他のどの指揮者の演奏にも引けを取らない高水準の演奏に仕上がっている。

ロシア風の民族色とは殆ど無縁であり、必ずしもスケールの雄大さを感じることもできない演奏ではあるが、筆者としては、ヴァントの指揮芸術の奥の深さを十二分に味わうことが可能な素晴らしい名演と高く評価したい。

なお、1999年の演奏との違いは、オーケストラの音色以外に殆どなく、聴き手の好みによる問題と思われるところだ。

ハイドンの交響曲第76番は、ヴァントがブルックナーの交響曲第6番との組み合わせで、コンサートで頻繁に採り上げていた。

CDとしてはケルン放送交響楽団との演奏(1973年)が存在するとともに、DVD作品としては北ドイツ放送交響楽団とのライヴ録音(1996年)が存在する。

本演奏は、その前年の1995年の演奏ということになるが、一聴すると無骨とも言える各旋律の端々から漂う独特のニュアンスや枯淡の境地さえ感じさせる情感には抗し難い魅力に満ち溢れていると言えるところであり、CDとしては、ヴァントによる同曲演奏の総決算とも言うべき素晴らしい名演と評価したい。

モーツァルトのセレナード第6番「セレナータ・ノットゥルナ」については、1990年の北ドイツ放送交響楽団とのライヴ録音が存在していることから、本演奏は5年後のものと言うことになるが、演奏自体はハイドンの交響曲と同様であり、ヴァントによる同曲演奏の掉尾を飾るに相応しい素晴らしい名演と評価したい。

音質は、1995年のライヴ録音であり、十分に満足できるものである。

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2014年12月05日


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本盤には、カラヤンによる最後の来日公演(1988年)のうち、最終日の1日前(5月4日)の公演において演奏されたベートーヴェンの交響曲第4番とムソルグスキーの組曲「展覧会の絵」が収められている。

カラヤンは、サントリーホールの建設に当たって様々な助言を行ったが、当初は1986年のサントリーホール開館記念コンサートに合わせて来日公演を行う予定であった。

しかしながら、健康状態が思わしくないことから、当該来日公演をキャンセルし、その代役を小澤がつとめることになったところだ。

1988年の来日公演も、カラヤンの健康状態が依然として芳しいものでなかったことから、その実現が危ぶまれたところであるが、それでも、カラヤンは気力を振り絞って来日を果たした。

筆者も、当時の新聞の社説に「約束を果たした男」などという批評が掲載されたことを鮮明に記憶している。

いずれにしても、心身ともに最悪の状態にあったのにもかかわらず、愛する日本のために来日して公演を行ったという、カラヤンの音楽家としての献身的な行為に対して、心から敬意を表するものである。

もっとも、カラヤンが、こうした心身ともに万全とは言い難い状態にあったということは、本盤の両曲の演奏にも影を落としており、本演奏は、随所にアンサンブルの乱れやミスが聴かれるなど、カラヤン&ベルリン・フィルによるベストフォームにある演奏とは必ずしも言い難いものがある。

ベートーヴェンの交響曲第4番で言えば、本演奏の11年前にベルリン・フィルとともに来日時に行われたライヴ録音による超名演(1977年)とはそもそも比較にならない。

そして、ムソルグスキーの組曲「展覧会の絵」で言えば、本演奏の2年前にベルリン・フィルとともに行われたスタジオ録音(1986年)の方がより優れた名演であり、それら過去の名演と比較して本演奏を貶めることは容易ではあると言えるだろう。

しかしながら、本演奏については、演奏上の瑕疵や精神的な深みの欠如などを指摘すべき性格の演奏ではない。

そのような指摘をすること自体が、自らの命をかけて来日して指揮を行ったカラヤンに対して礼を失するとも考えられる。

カラヤンも、おそらくは、今回の来日公演が愛する日本での最後の公演になることを認識していたと思われるが、こうしたカラヤンの渾身の命がけの指揮が我々聴き手の心を激しく揺さぶるのであり、それだけで十分ではないだろうか。

そして、カラヤンの入魂の指揮の下、カラヤンと抜き差しならない関係であったにもかかわらず、真のプロフェッショナルとして大熱演を繰り広げたベルリン・フィルや、演奏終了後にブラヴォーの歓呼で熱狂した当日の聴衆も、本演奏の立役者である。

まさに、本演奏は、指揮者、オーケストラ、そして聴衆が作り上げた魂の音楽と言っても過言ではあるまい。

このような魂の音楽に対しては、そもそも演奏内容の細部に渡っての批評を行うこと自体がナンセンスであり、我々聴き手も虚心になってこの感動的な音楽を味わうのみである。

いずれにしても、筆者としては、本演奏は、カラヤン&ベルリン・フィル、そして当日会場に居合わせた聴衆のすべてが作り上げた圧倒的な超名演と高く評価したいと考える。

音質は、1988年のライヴ録音であるが、従来CD盤でも十分に満足できる良好なものであると評価したい。

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2014年05月29日


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友人であったヴィクトル・ハルトマン(ガルトマン)の遺作展での10枚の絵画の印象を、その半年後の1874年に音楽に仕立てたというムソルグスキーの「展覧会の絵」。

もちろんオリジナルはピアノ曲、クーセヴィツキーの編曲依頼によるオーケストラ版はラヴェルの手によるもの。

当盤は原曲のピアノ版とラヴェル編曲のオーケストラ版とをカップリング。

起伏に富んだスケールの大きなベルマンのピアノと、華麗なオーケストレーションをたっぷり堪能できるカラヤンの演奏との贅沢な競演だ。

ブラスセクションの活躍のシーンが多いオーケストラ版は、絶頂期のカラヤン指揮のベルリンフィルによるもの。

ここではそのベルリン・フィル自慢のブラスセクションが切れ味鋭い演奏を聴かせてくれている。

カラヤン指揮の下、あらゆるシーンにフレキシブルに対応してゆく各パートの鮮やかな演奏力は流石である。

特に最後の“キエフの大きな門”の冒頭に至る部分から、ラストまでは、鳥肌もの。

さすが全盛期のカラヤン&ベルリン・フィルの盛り上げ方は、素晴らしい。

この録音は“キエフの大きな門”での、鐘の音の強弱の変化が激しいが、オーケストラの中で、打楽器を、これだけ強弱をつけて打ち鳴らすというのは、奏者はもちろん、指揮者にも相当、自信がなければ出来ないことだと思う。

その点でも画期的な演奏だ。

そして後半のピアノ版。

ピアノの弦が切れてしまうのでは!?というほどの豪快な打鍵が特徴でもあったベルマンのピアニズムはこの曲においては抑えられ、丁寧さを優先した演奏に徹しているが強打鍵ぶりは健在だ。

オーケストラ版の後に聴いても、あまり音数のさみしさを感じさせない。

“リモージュの市場”における均整のとれた鮮やかな表現、そして“バーバ・ヤーガの小屋”から“キエフの大きな門”にかけての堂々たる演奏は、もはやベルマンの真骨頂である。

古くはホロヴィッツやリヒテルの歴史的録音に肩を並べ得る演奏ではないだろうか。

ベルマンの「展覧会の絵」は、現在このセットリストでしか入手できないので、貴重である。

“カラヤン”“ベルリンフィル”“ベルマン”という3つのブランド力を差し引いても十分にすばらしいCDだ。

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2014年05月01日


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ヴァントと言えば、最晩年のブルックナーの交響曲の神がかり的な超名演の数々がいの一番に念頭に浮かぶ。

その他にも、シューベルトやブラームス、ベートーヴェンの交響曲の名演などの印象も強く、本盤に収められたムソルグスキーの組曲「展覧会の絵」やドビュッシーの交響的断章「聖セバスティアンの殉教」を演奏しているヴァントのイメージが今一つ浮かんで来ないと言わざるを得ない。

むしろ、ヴァントの芸風からすれば、極めて珍しい録音と言っても過言ではないとさえ思われるところであるが、意外にもヴァントはこれら両曲に深い愛着を抱き、たびたび演奏してきたとのことである。

それだけに、例えば、組曲「展覧会の絵」についても、たどたどしいところがいささかもなく、各場面の描き分けを巧みに行った見事な演奏を展開していると言えるだろう。

独墺系の指揮者で同曲を得意としていた指揮者としてはカラヤンが掲げられるが、カラヤンの演奏のように豪華絢爛にして豪奢な演奏ではなく、カラヤンの演奏と比較すると随分と地味な印象も受けるところだ。

テンポはやや速めで一貫しているが、前述のような場面毎の巧みな描き分け、そして随所に聴かれる独特のニュアンスの豊かさは、まさに老巨匠ならではの名人芸とも言えるところであり、内容の豊かさという意味においては、他のどの指揮者の演奏にも引けを取らない高水準の演奏に仕上がっている。

ロシア風の民族色とは殆ど無縁であり、必ずしもスケールの雄大さを感じることもできない演奏ではあるが、筆者としては、ヴァントの指揮芸術の奥の深さを十二分に味わうことが可能な素晴らしい名演と高く評価したい。

ドビュッシーの交響的断章「聖セバスティアンの殉教」も、およそヴァントの芸風とは結びつかない楽曲であるが、厳格なスコアリーディングに基づく緻密な演奏を旨とするヴァントの芸風との相性は意外にも良く、純音楽的な意味においては、これ以上は求め得ないような演奏に仕上がっていると言えるのではないだろうか。

フランス風のエスプリであるとか、同曲の官能的な描写性とは殆ど無縁の演奏ではあるが、いわゆる純音楽的という意味においては、他のどの指揮者による演奏よりも優れた名演であると高く評価したい。

音質は、従来CD盤が発売された後、リマスタリングが一度もなされていないものの、十分に満足できるものであった。

しかしながら、今般、ついにSACD化が行われることによって大変驚いた。

従来CD盤とは次元が異なる見違えるような鮮明な音質に生まれ変わった言えるところであり、あらためてSACDの潜在能力の高さを思い知った次第である。

いずれにしても、ヴァントによる素晴らしい名演を、SACDによる極上の高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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2014年02月28日


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本盤には、グリーグ、ビゼー、ムソルグスキーによる有名な管弦楽曲が収められているが、セルはこのようないわゆるポピュラー名曲の指揮でも抜群の巧さを発揮している。

本盤の演奏は1958〜1966年のセル&クリーヴランド管弦楽団の全盛時代のものである。

それだけに、このコンビならではの「セルの楽器」とも称された一糸乱れぬ鉄壁のアンサンブルを駆使した演奏の精緻さは健在であり、加えて、曖昧模糊とした箇所がいささかもない明晰な演奏に仕上がっていると言えるだろう。

もっとも、クリーヴランド管弦楽団の抜群の機能性が発揮される反面で、ある種の冷たさというか技巧臭のようなものが感じられなくもないが、楽曲がいわゆるポピュラー名曲だけに演奏全体に瑕疵を与えるほどのものではないと言える。

各楽曲の聴かせどころのツボを心得た演出巧者ぶりも特筆すべきであり、これらの有名曲を指揮者の個性によって歪められることなく、音楽の素晴らしさそのものを味わうことができるという意味においては、オーケストラ演奏の抜群の巧さも相俟って、最も安心しておすすめできる名演と評価することが可能であると考えられる(前述のように、各楽曲のオーケストラ曲としても魅力を全面に打ち出した演奏とも言えるところであり、各楽曲の民族色の描出という点においてはいささか弱いという点を指摘しておきたい)。

グリーグの「ペール・ギュント」組曲やビゼーの「アルルの女」組曲については、いずれも第2組曲を全曲ではなく終曲のみの録音とするとともに、特に「ぺール・ギュント」組曲については第1組曲の中に第2組曲の「ソルヴェイグの歌」を組み込むような構成にしているが、これはセルの独自の解釈によるものとして大変興味深い。

クリーヴランド管弦楽団の卓越した技量も特筆すべきものであり、とりわけムソルグスキーの組曲「展覧会の絵」におけるブラスセクションのブリリアントな響きの美しさには抗し難い魅力に満ち溢れている。

音質は、今から約50年前のスタジオ録音だけに、従来盤ではいささか不満の残るものであったが、数年前に発売されたシングルレイヤーによるSACD盤は圧倒的な高音質であり、セル&クリーヴランド管弦楽団による演奏の精緻さを味わうには望み得る最高のものである。

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2014年01月12日


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本盤にはムソルグスキーの組曲「展覧会の絵」とウェーベルンの「6つの小品」が収められているが、これは極めて珍しい組み合わせと言える。

ジュリーニは組曲「展覧会の絵」については十八番としており、シカゴ交響楽団(1976年)及びベルリン・フィル(1990年)とともに2度にわたってスタジオ録音を行っている。

他方、「6つの小品」については、スタジオ録音を一度も行っていないが、記録によればジュリーニは1970年代には実演において時として演奏を行っていたとのことである。

もっとも、より重要な点は、これら両曲が、当時のベルリン・フィルの芸術監督であったカラヤンによる得意中の得意のレパートリーであったということである。

カラヤンは、組曲「展覧会の絵」についてベルリン・フィルとともに2度録音(ライヴ録音を除く)を行っている(1965年、1986年)し、「6つの小品」に至っては、本演奏の3年前にスタジオ録音(1974年)を行っているところだ。

この当時ベルリン・フィルを完全掌握していたカラヤンにとって、自らのレパートリーをベルリン・フィルとともに演奏する指揮者には当然のことながら目を光らせていたはずであり、このような演目による演奏会が実現したということは、カラヤンがジュリーニを信頼するとともに高く評価していたことの証左であると考えられる。

また、同時に、ベルリン・フィルがカラヤン色に染まっていた時代に、敢えてそのベルリン・フィルにおいてカラヤン得意のレパートリーである楽曲を演奏したというのは、ジュリーニの並々ならない自信を感じることも可能だ。

そして、その演奏内容も我々の期待をいささかも裏切ることがない素晴らしい名演に仕上がっていると高く評価したい。

そもそも、本演奏において、いわゆるカラヤンサウンドを聴くことができないのが何よりも素晴らしい。

両曲ともにジュリーニならではの格調が高く、そしてイタリア人指揮者ならではの豊かな歌謡性と気品のある優美な極上のカンタービレに満ち溢れた指揮に、ベルリン・フィルの重厚な音色が見事に融合した剛柔バランスのとれた名演に仕上がっていると評価したい。

そして、ライヴ録音ならではの熱気が演奏全体を更に強靭な気迫のこもったものとしており、とりわけ組曲「展覧会の絵」における圧倒的な生命力に満ち溢れた壮麗な迫力においては、ジュリーニによる前述の1976年盤や1990年盤などのスタジオ録音を大きく凌駕している。

ベルリン・フィルの卓抜した技量も本名演に大きく貢献しているのを忘れてはならない。

録音も今から約35年も前のライヴ録音とは思えないような鮮明な高音質であると評価したい。

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2013年11月18日


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『ボリス・ゴドノフ』は、ロシア(ソヴィエト時代を含め)史上最高のオペラである。

同時代の傑作には、チャイコフスキーの『エフゲニーオネーギン』などもあるが、史実を軸としつつも、そこに、帝政ロシア末期の社会矛盾を如実に反映させた内容の深さにおいて、『ボリス・ゴドノフ』をトップの座に据えることに何ら躊躇するものではない。

これだけの傑作だけに、ロシア系の指揮者だけでなく、カラヤンやアバドなどの大指揮者によっても数々の録音がなされてきた。

ロシア系の指揮者では、ゲルギエフの名演も記憶に新しい。

しかし、指揮者の統率力やオーケストラの巧さ、合唱陣や独唱陣の名唱、そして英デッカの極上の録音を加味すれば、カラヤン盤こそ、『ボリス・ゴドノフ』の最高の名盤と言っても過言ではあるまい。

そしてここに紹介するディスクは、英デッカ盤から4年前に行われたザルツブルク音楽祭でのライヴ録音である。

最近では評判の良くないR・コルサコフ版を使用しているが、名演奏の前に版は殆ど問題にならない。

プロローグや第4楽章の冒頭、そして第3場の、カラヤンが本場ザグレブからわざわざ呼び寄せたクロアチア国立オペラ合唱団を駆使した重厚な実在感のある響きは最高だし、第2楽章のボリスの苦しい独白、第3楽章のマリーナとグリゴリーの愛のかけあい、そして第4楽章第2場のボリスの死の場面の苦悩などの心理面の描き方は実にすばらしく、オペラを得意としたカラヤンならではの至芸と言うべきだろう。

カラヤンにとっても決してなじみではなかった東欧諸国の名歌手に、これだけの名唱をさせたカラヤンの超絶的な統率力、そして、ウィーン・フィルのこれ以上は求め得ないような好演にも拍手を送りたい。

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2013年10月08日


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本盤には、1999年に51歳の若さで惜しくも急逝したシノーポリによる有名な管弦楽曲を収めているが、いずれも個性的な名演と高く評価したい。

精神医学を修めた作曲家でもあるシノーポリによる独特のアプローチは、本盤に収められたいずれの楽曲の演奏においても健在であり、とりわけラヴェルの華麗なオーケストレーションが魅力の組曲「展覧会の絵」においては、ゆったりとしたテンポにより楽曲の細部に至るまで彫琢の限りを尽くした明晰さが際立っている。

同曲の随所にあらわれる有名なプロムナードの主題は、絵画の鑑賞者の微妙な心理の変化を反映して多種多様な表現が施されているところであるが、これら各プロムナードの主題の違いをシノーポリ以上に際立たせた例は他にはないのではないだろうか。

これはいかにも精神医学者シノーポリの面目躍如と言ったところであり、いささか構えた物々しさを感じさせなくもないが、このような精神分析的な演奏を好む聴き手がいても何ら不思議ではないと思われる。

交響詩「禿山の一夜」は、組曲「展覧会の絵」ほどの個性的な解釈は見られないが、それでも聖ヨハネ祭の夜に集う悪魔や妖怪たちの饗宴を殊更に強調したある種のグロテスクさ、そして終結部の超スローテンポは、いかにもシノーポリならではの怪演と言っても過言ではあるまい。

ラヴェルの「高雅にして感傷的なワルツ」は一転して豊かな情感に満ち溢れた美しさが際立っており、一聴するとオーソドックスな演奏のように思われるが、よく聴くとマーラーの交響曲におけるレントラー舞曲のような退廃的な美を感じるというのは、果たして筆者だけの先入観と言い切れるであろうか。

録音については、従来盤でも十分に満足できる高音質であったが、今般のSHM−CD化によって、若干ではあるが音質が鮮明になるとともに音場が幅広くなった。

シノーポリの細部に至るまで彫琢の限りを尽くした分析的なアプローチを味わうにはSHM−CD盤は相応しいと言えるところであり、シノーポリの名演をSHM−CDによる高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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2013年07月08日


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パーヴォ・ヤルヴィは、現代における最も注目すべき指揮者と言えるのではないか。

広範なレパートリーを誇る指揮者であり、発売されるCDの多種多様ぶりには大変驚かされるばかりであるが、決して器用貧乏には陥らず、発売されるCDのいずれもが水準の高い名演という点も、高く評価されるべきである。

本盤には、ムソルグスキーの代表作3曲が収められているが、いずれも素晴らしい名演だ。

冒頭に収められた交響詩「はげ山の一夜」は、畳み掛けていくような生命力溢れる力強さが見事であり、その怒涛のド迫力にはただただ圧倒されるのみである。

それでいて、荒っぽさなどは薬にしたくもなく、どこをとってもニュアンスが豊かであり、各楽器がいささかも無機的な音を出していないというのは、パーヴォ・ヤルヴィの類稀なる豊かな音楽性とともに、パーヴォ・ヤルヴィの圧倒的な統率の下、最高のパフォーマンスを示しているシンシナティ交響楽団の卓抜した技量の賜物であると言える。

また、組曲「展覧会の絵」においてパーヴォ・ヤルヴィは、曲想を精緻に、そして情感豊かに描き出していく。

それでいて、各組曲毎の描き分けを実に巧みに行っており、曲中に何度もあらわれるプロムナードの主題に施している表現の多様性にはほとんど舌を巻いてしまうほどだ。

そして、どこをとっても恣意的な解釈が見られず、ラヴェルが編曲した華麗なオーケストレーションの醍醐味を、ゆったりとした気持ちで満喫することができるのが素晴らしい。

特筆すべきはシンシナティ交響楽団の圧倒的な技量であり、金管楽器も木管楽器も実に美しく、そして卓越した技量を披露してくれている点を高く評価したい。

「ホヴァンシチナ」前奏曲における情感の豊かさは、もはやこの世のものとは思えないような至純の美しさを誇っている。

音質も、マルチチャンネル付きのSACDによる極上の高音質であり、このような素晴らしい名演を望み得る最高の鮮明な音質で味わうことができることを大いに喜びたい。

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2013年05月27日


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これは凄い名演だ。

近年では健康を害して指揮台に立つのも難儀をしている小澤であるが、本演奏当時はいまだ30代の若さ。

これから世界に羽ばたいて行こうという若き小澤による迸る熱き情熱と圧倒的な生命力を感じることが可能だ。

小澤の演奏におけるアプローチは、豊かな音楽性を生かしつつ、軽快で躍動感溢れるものであるが、この当時の小澤には、それに加えてエネルギッシュで力強い生命力に満ち溢れていた。

ムソルグスキーの組曲「展覧会の絵」においては、冒頭のプロムナードからして切れ味鋭いリズム感が顕著であり、その後は変幻自在のテンポ設定や思い切った強弱の変化を駆使して、各組曲を実に表情豊かに描き出している。

「キエフの大門」の終結部に向けての畳み掛けていくような気迫と圧倒的な高揚感は、若き小澤だけに可能な圧巻のド迫力を誇っている。

他方、ブリテンの「青少年のための管弦楽入門」においても、その躍動するようなリズム感は健在。

とりわけフーガにおける疾走するような爽快さは胸がすくようであり、聴き終えた後の充足感には尋常ならざるものがある。

こうした若き小澤の統率の下、卓越した技量を発揮したシカゴ交響楽団による名演奏も素晴らしい。

とりわけ管楽器の技量とパワーは桁外れであり、巧みなオーケストレーションが施された両曲だけに、本名演への貢献度は非常に大きいと考える。

本盤でさらに素晴らしいのは、XRCDによる極上の高音質録音である。

今般のXRCD化によって、今から40年以上も前の録音とは思えないような鮮明な高音質に生まれ変わったところであり、シカゴ交響楽団の各楽器セクションが分離して聴こえるというのは殆ど驚異的ですらある。

若き小澤による会心の名演を、現在望み得る最高の高音質XRCDで味わうことができるのを大いに喜びたい。

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2013年04月03日


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ヤンソンスの進境の著しさをあらわす素晴らしい名演である。

本演奏は、何か特別に個性的な解釈で聴き手を驚かすような性格のものではない。

中庸のテンポでオーケストラを無理なく鳴らし、ラヴェルの華麗なオーケストレーションを鮮明に再現しようというオーソドックスなアプローチだ。

それでいて、各組曲の描き分けは完璧。

随所に出現するプロムナードについての変化の付け方は、円熟の至芸に達しているとも言える。

「キエフの大門」の終結部における盛り上がりは、圧倒的な迫力だ。

ヤンソンスの統率の下、手兵のコンセルトへボウ管弦楽団も最高のパフォーマンスを示していると言える。

金管楽器も木管楽器も実に巧く、弦楽器の北ヨーロッパならではのくすんだ音色も魅力的だ。

シャイーの時代に、コンセルトへボウ管弦楽団ならではの伝統の音色が失われたと言われたが、ヤンソンスの時代になって、幾分復活したのではないだろうか。

録音も素晴らしく、コンセルトヘボウ管弦楽団の魅力を満喫出来る素晴らしいCDだ。

SACDマルチチャンネルは、鮮明さと臨場感において、向かう敵はない存在であり、『展覧会の絵』のような作品を再現する際においては、理想の媒体であると言えよう。

『展覧会の絵』のみしか収録されていないという点もあるが、値段も安く、コストパフォーマンス的にも素晴らしいCDだ。

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2013年01月30日


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どちらもウィーン・フィルにとって初録音となった珍しいレパートリー。

『展覧会の絵』は意外なことにプレヴィンにとっても唯一の録音。

プレヴィンはウィーン・フィルという、この2曲に関しては意表を衝くオケを起用して、実にエレガントでかつストーリーテラー的な、巧みのある表現を聴かせている。

全体に軟調で絢爛豪華な味わいとは無縁の、淡彩な演奏に終始しているが、各曲の標題を彷彿とさせる絵画的表現は、映画音楽で鳴らしたプレヴィンの強みであろう。

そして何よりもプレヴィンとウィーン・フィルの相性は抜群だと思う。

R・シュトラウスの管弦楽曲などの名演でも明らかであるが、それは、プレヴィンがウィーン・フィルをがんじがらめに統率するのではなく、むしろウィーン・フィルが望む演奏方法、解釈をできる限り尊重して、伸び伸びと演奏させていることによるものと考える。

本盤も、そうしたプレヴィンの長所が出た名演であり、ウィーン・フィルが実に伸び伸びと楽しげに演奏していることがわかる。

もちろん、ウィーン・フィルに伸び伸びと演奏させているからといって、プレヴィンが野放図にしているわけではなく、要所ではしっかりと手綱を締めていることがよくわかる。

『展覧会の絵』にしても、『シェエラザード』にしても、全体のスケールは雄大であるが、造型をいささかも弛緩させることなく、各場面の描き分けを巧みに行って、重厚な中にも情感溢れる演奏を繰り広げている点を見過ごしてはならない。

それにしても、本盤に聴くウィーン・フィルの音色の美しさは格別。

すっきりとした流れの中に洗練された表現を美しく浮かべており、洗練された響きと色彩も美しい。

ライナー・キュッヒルの絶美のソロと相まって、本盤の価値を更に高めることに貢献している。

SHM−CD化により、音響に一段と拡がりが出た点も見過ごすことができない。

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2012年09月02日


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『死の島』は、冒頭から低弦が凄まじい唸り声をあげる。

ラフマニノフの重厚で重心の低いオーケストレーションを、これでもかというくらい圧倒的な重量感で歌い抜いている。

他方、繊細な抒情にもいささかの不足もなく、BBC交響楽団が、あたかもロシアのオーケストラのような音色を出しているのも、スヴェトラーノフの類いまれなる統率力の賜物ということができるだろう。

メインの『展覧会の絵』は、1970年代にソヴィエト国立管弦楽団と録音した演奏も、いかにもスヴェトラーノフならではの重厚な名演であったが、本盤に収められた演奏は、当該名演に、更にライヴならではの熱気も付加された超名演ということができる。

しかもロシア・ソ連のオケのような刺々しい質感ではなく、ある種の品格をも備えている点、スヴェトラーノフ指揮のディスクの中でも特異な位置にあると言えよう。

スヴェトラーノフは、各プロムナードの主題をやや速めに演奏して、組曲を構成する各曲の主旋律をややテンポを緩やかにして演奏することにより、各曲の性格の描き分けを効果的に行っている。

こうした演奏は、円熟を通り越して老獪ささえ感じる至芸だと思うが、特に、「ビドロ」の踏みしめるような重厚な歩みなどは実に印象的。

「キエフの大門」は、打楽器の最強奏と相まって、空前にして絶後のド迫力を示している。

特に終結部は、天を差すが如き長大な“スヴェトラーノフ・クレッシェンド”(16秒!!)には鳥肌立つこと間違いなしである。

終了後の熱狂的な拍手もむべなるかなと思われる。

録音も1999年のものだけに、非常に鮮明であり、スヴェトラーノフの至芸を高音質で味わうことが出来ることを大いに喜びたい。

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2012年08月15日


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2007年12月29-31日、ベルリン、フィルハーモニーに於けるライヴ録音。

『展覧会の絵』は、カラヤン以来、『ボレロ』と並んでベルリン・フィルが得意とするレパートリーで、重厚かつ繊細なこのオーケストラの実力を最大限発揮できる曲。

聴き慣れた名曲から新しい魅力を引き出し、新鮮に聴かせることにかけては他の追随を許さないラトルの棒さばきにも注目。

ラトルは特別好きな指揮者ではないが、ベルリン・フィルの新譜が聴きたい以上避けて通れない現実でもある、という前提で聴いたところ、この盤は文句なく素晴らしいと思う。

音色のパレットの豊富さ、配合の妙、弱音とフォルティッシモのダイナミクス等々、ベルリン・フィルとラトルのコンビが練れてきた感じだ。

新世代ベルリン・フィルの風のようなさわやかなサウンドを思う存分堪能できるし、ラトルの智に偏った解釈に眉をひそめず名作を「楽」に聴くことができる。

これからクラシックを聴こうという人に『展覧会の絵』のCDを1枚勧めるとしたら、筆者ならこれを薦めるだろう。

冒頭のテンポも、場面転換の鮮やかさも、「ゴールデンベルクとシュミイレ」のやり取りのテンポのよさも、「キエフの大門」の祝砲を思わせる音も、申し分ない。

ベルリン・フィルのシェフになって以降のラトルの演奏傾向に感心しない者の耳で聴いてもオケはマーラー「第9」同様、とにかく上手い。

どのパートも凄いが、「キエフの大門」の終結部で、大音響の中からしっかり聴こえてくるパユのフルートの凄さは人間業とは思えない。

ボロディンも素晴らしく、おそらくはファーストチョイスかもしれない。

「第2」はクライバーの別格的名演があり、「だったん人」はスヴェトラーノフやフェドセーエフが良いと思うが、それらとは一味違う高機能オケの醍醐味に酔いしれることができる。

筆者は、ラトルにはその将来を期待するあまり辛口の内容を書くことが多いが、この演奏に関しては、比較的高い評価したいと思う。

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2012年01月15日


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オーマンディ指揮フィラデルフィア管が実にスケールの大きな名演を聴かせる。

生前のシベリウスは、自宅に世界各地で演奏される自作の放送を聴ける、特別のラジオを持っていたが、彼自身が最も高く評価していたのは、オーマンディの指揮による演奏だった。

フィラデルフィア管がストコフスキー時代からシベリウス作品を得意としてきたこと、そしてオーマンディもまた素晴らしいシベリウス指揮者であったことは意外に知られていない。

最晩年の作曲者をオーマンディばかりか楽員全員が訪問したエピソードがあるが、そうした信頼感を音に聴かせてくれるのがこの第2番である。

晴れやかで輝かしく、太陽の光を浴びて一段と色彩感を高めたように響きわたる演奏は、陰影感には欠けるかもしれないが、なんと清々しく、また誇らしい感動へ聴き手を導くことだろうか。

豊麗にすぎるといった印象もあろうが、シベリウス自身も賞賛したオーマンディの音楽の豊かさは魅力だ。

特にオーマンディ晩年の演奏になるこのCDは、悠揚迫らぬゆったりとした表現で、円熟の至芸になっている。

またフィラデルフィア管のアンサンブルも、実に緻密そのもので、管楽器のソロなど惚れ惚れするようなうまさである。

決して北欧のローカル・カラーに寄り掛かった演奏ではないが、これでこそインターナショナルな交響曲の再現だと思われる。

オーマンディの自然でのびやかな解釈と、オーケストラが誇る音の美食のような音楽性と表現力が結晶となった幸福な名演だ。

「展覧会の絵」はムソルグスキーの音楽特性よりも、ラヴェルのオーケストレーションに焦点を当てた演奏で、フィラデルフィア管による豪華な音の饗宴が実に素晴らしい。

オーマンディはこの名人オケを意のままに動かしながら、それぞれの曲の持ち味を巧みに表出している。

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2011年04月02日


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ライヴ収録された《展覧会の絵》の余白に、スタジオ録音の《禿山の一夜》以下3曲を補充したロシア・アルバム。

ゲルギエフはウィーン・フィルという老獪なオケを実に巧みに操り、各曲の特徴を見事に描き分けている。

テンポは比較的速めだが、曲同士のコントラストがあり、鮮やかでメリハリがある。

スケールの大きな演奏だが、ロシア的重厚長大と言うよりは、現代的で洗練された重厚さと言える。

相手がウィーン・フィルであろうとなかろうと、ゲルギエフの汗の迸るようなリーダーシップの矛先は、容赦なく楽員たちに襲いかかる。

あえて言うなら、この《展覧会の絵》は、良くも悪くも、ゲルギエフ本領発揮の独壇場ということになろう。

ラヴェルの編曲がソフィスティケートしたかと思われた、曲の底流にあるロシア的なアクの強さを、いわば素手でむんずと摑み出して、客席に投げつけてくるようなところがある。

昨年筆者はゲルギエフがマリインスキー劇場管を指揮した《展覧会の絵》の実演を聴いたが、その時の記憶がまざまざと蘇る。

いっそのこと、オケがロシアの超重量級だったら、いっそう徹底して、むしろすっきりしたかも。

とはいえ、ウィーン・フィルのうまさにはここでも改めて舌を巻く。

特に各ソロのアゴーギクを伴った柔軟な表情は、音色の絶妙な変化も含め、実に魅力的だ。

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2010年07月21日


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1989年のウィーンでの上演のライヴ録音。

アバドを好きな人なら、彼のムソルグスキーへの力の入れようが尋常なものではないことを知っているだろう。

時にはそのエネルギーをプッチーニとはいわないまでも、もっとロッシーニやヴェルディに注いでほしいとも思わないでもなかったが、ウィーン国立歌劇場の音楽監督時代にライヴで録音した《ホヴァンシチナ》やベルリン・フィルとの《ボリス・ゴドノフ》の名演を聴くと、アバドのムソルグスキーの音楽に対する情熱と慧眼には敬服せざるをえない。

この作品でもアバドは周到の準備の後、ショスタコーヴィチ版(第1幕〜第4幕)と初めてフィナーレにストラヴィンスキー版を用いてオリジナルに鋭く迫り、このオペラの独創的な魅力をはじめて明らかにしている。

ムソルグスキーの本来の意図を忠実に生かした版での演奏で、アバドが音楽に内蔵されているドラマの実体をしっかりとつかみ、それに整然とした姿を与えている。

国際色豊かな配役も優れており、ハウグランドとアトラントフも申し分なく、紅一点のリポヴシェクも立派だし、脇役ながらツェドニクのうまさも光る。

また独唱陣以上に重要な役割を果たす合唱の迫力も特筆ものだ。

アバドが果敢に採り上げ、こうしてライヴ録音まで残してくれたので、この聴きごたえのある優れたオペラを知り、繰り返し堪能することができた。

ウィーン国立歌劇場音楽監督時代のアバドの大きな業績。しかもいかにもアバドらしいそれだ。

清潔でソリッド、共感に満ちた演奏も最高だ。

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2010年07月08日


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1993年11月、翌年のザルツブルグ・イースター音楽祭に先立って収録されたこの録音は、この曲を得意とし、深い愛情を抱いているアバドの総決算とも呼べるものである。

ロシア音楽を得意とするアバドだが、なかでも《ボリス・ゴドノフ》への思い入れは格別のように見受けられる。

ウィーン国立歌劇場、イースターと夏のザルツブルク音楽祭で反復して取り上げ、自らの解釈にさらなる磨きをかけてきた。

音楽の細部に至るまで自らの音楽を徹底し、アバドはベルリン・フィルのもつ表現力を最大限に生かすことに成功している。

アバドの洗練された音楽性とベルリン・フィルの機能美は、この最もロシア的なオペラに劇的かつ精妙な美しさを与えた。

ロイド=ジョーンズ校訂版を基調としつつ、第4幕第1場に1869年初稿と1874年決定稿も収録している。

ボリスのコチェルガは主人公としての苦悩をきわめて人間的に表現。

レイミーのピーメン、ラングリッジのシェイスキー、ラリンのディミトリー、リポヴシェクのマリーナ等々のオール・スター・キャストに、コーラスも威力抜群。

スロヴァキア・フィルハーモニー合唱団の重厚な味わいも作品にきわめて似つかわしい。

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2010年05月20日


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アバドの《展覧会の絵》は、1981年にロンドン響を振ってDGに録音していたが、これは1993年のベルリン・フィルとの再録音であり、ライヴ録音になっている。

この《展覧会の絵》は録音も含めると同曲CDのベストではあるまいか。

確かに〈小人〉など、もうひとつ悪魔的な要素もほしい気がするが、他の9曲はいずれも描写が雄弁であり、ラヴェルのオーケストレーションの魅惑も十全に生かされている。

たとえば〈テュイルリーの庭園にて〉における緩急自在にテンポを動かした語り口のうまさ、〈ババ・ヤーガ〉の生々しい迫力とスケールの大きさなどはベストといえよう。

さらに〈ポーランドの牛車〉の心のこもったカンタービレと低弦の意味深さ、〈サムエル・ゴールデンベルク〉における2人のユダヤ人の描き分けなども素晴らしい。

旧ソ連出身のウゴルスキは、事情があって西側でのデビューが遅れた。だから新進ピアニストと思いがち。

だが、実際にはポリーニと同年(9か月の年少)で、2010年秋には68歳になる。

腕達者なウゴルスキは、スケールの大きな演奏をやってのける。

しかし彼は技巧を売り物にするピアニストではない。

自身の個性的な感受性と作品解釈をよりどころに、あくまでも既存の演奏にチャレンジする姿勢を崩さず、あまたのピアニストたちとは一線を画し続けてきた。

今後もこれは不変と思われる。

通常より遅めのテンポで弾かれた《展覧会の絵》では、おおらかでゆったりした彼特有の音楽づくりを楽しむことができる。

異色の奇才が出現したものである。

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2010年03月02日


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文字どおりカラヤンの最後の来日公演となった演奏で、死のわずか1年前に指揮されたものである。

しかし、演奏内容は磨き抜かれた美しさと壮麗なる輝かしさを誇っており、勢いもスケール感もまったく失われていない。

カラヤンが最後まで凛々しく、年齢に甘えない芸術家であったことを知らしめる、厳しく、妥協のない名演であり、これ1枚でもカラヤンの凄さが実感される。

ベルリン・フィルもそんなカラヤンの指揮に全力で応えているが、驚くべきはその表現の緻密さであり、ちょっとしたフレーズからもハッとするような美しさが聴かれて、身が引き締まる思いだ。

「展覧会の絵」はダイナミック・レンジが極めて広く、その迫力と精密さは言語を絶する。

ベルリン・フィルのアンサンブルの緻密さと、サウンドのゴージャスなことでは、その右に出るものはない。

過去3度の録音にも共通する都会指向の洗練味は相も変わらず魅力的で、カラヤンの平衡感覚の見事さと、ストーリーテラー的な巧さも他の追随を許さない。

ベルリン・フィルの手厚い表現力と輝かしい色彩を豊かに生かして各曲を緻密に磨きあげ、すばらしく聴き映えのする演奏をつくっている。

特に、充実した低弦に支えられた音楽の広がりと奥行き感は抜群で、自在に描かれたその表現がいっそう印象的になっている。

ベートーヴェンの交響曲第4番からも、カラヤンの新たな登頂への挑戦が伝わってくる。

きわめて流麗に流しながら、作品のもつ美しさ、躍動感をとことん追求した演奏だ。

スタジオ録音での完成された容姿にとらわれず、なりふりかまわずひたすらムジツィーレンの興趣を開放しているかのように思える。

老いてなお、これほどの若々しい表現を表出できたカラヤンのしなやかな感性には、驚く。

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2009年08月23日


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ストコフスキー指揮ニュー・フィルハーモニア管は、いかにもストコフスキーらしい芝居気に溢れた、ドラマティックな怪演になっている。

チェイコフスキーのスコアに大鉈をふるい、表情記号や速度記号の変更もお構いなしで、面白く聴かせるためなら手段を選ばぬ、エンターテイナーとしてのサーヴィス精神が嬉しく、これほど聴いて楽しい演奏というのは、ちょっとないだろう。

録音もロンドンお得意の「フェイズ・4」システムで、トリックも存分に駆使されていて、典型的な「ストコ節」を堪能することができる。

フェイズ4録音のためか、交響曲はコンサートではとても聴こえないような内声が浮かびあがる。

スコアの指示も自由に変更され、ストコフスキー独自の表現をつくり出しているが意外なほど粘らず、音楽的に自然であるのも興味深い。

両端楽章にカットがあるが、とにかく作品をわかりやすく聴かせるという意味では見事な解釈である。

この曲をストコフスキーは生涯に3回録音しているが、いずれも彼自身の手の入ったすさまじい改編版である。

テンポは全体に遅く、表情はすべてに大袈裟で、劇的な大向こう受けを狙った演奏といえる。

しかしスコアどおりに演奏したどの演奏よりも、これは面白く楽しんで聴けるのである。

ここにはかなりのカットさえあるが、ロンドンのフェイズ4録音の威力とともに、その音響的な迫力は大変なものといえる。

「展覧会の絵」のストコフスキー編は、ラヴェル編とは曲数も異なるが、色彩鮮やかに、重厚な響きを随所に生かして原曲の雰囲気を巧みに伝えている。

演奏も編曲の特徴を明快に生かしており、メリハリのきいた壮麗な演出が聴きものだ。

ストコフスキーはアメリカでも「歪曲の巨匠」と専門家からは敵視されたが、一般の愛好家にはそれ故に受け入れられた。

そのマジックを解く鍵が、この演奏には隠されていると思う。

新派悲劇の大愁嘆場も、ときには楽しいものである。

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2009年06月19日


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名指揮者アンセルメのように、ラテン的感性でロシア音楽を仕上げた演奏である。

デュトワはロシア音楽を泥臭く演奏するのではなく、全体に大変さわやかにテキパキと、しかも作曲者の色彩的なオーケストレーションを巧みに再現しており、その上にロシア的情感をうまく味付けしている。

洗練されたアンサンブルと軽快な表現が魅力的だ。

「1812年」ではシンセサイザーが巧妙に用いられ、いかにも現代的。

「スラヴ行進曲」は、いくぶん力で押しまくった演奏だが、メリハリをきちんとつけた、劇的な演奏を行っている。

「はげ山の一夜」は、デュトワの巧妙な演出が素晴らしく、ロシア的情感を、かなり色濃く表出しながら、スケールの大きな演奏を行っている。ただし、もうひとつ泥臭さといったものが欲しかった。

「展覧会の絵」は、ショルティと対照的な演奏で、極めて淡彩なサウンドと軽い感じのタッチは、ショルティが油絵なら、このデュトワはパステル画の趣である。

エレガントというのか洒落たというのか、ラテン的な洗練味を極めた演奏で、野蛮さの全くない、美麗この上ない名演といえる。

モントリオール響の管楽器のソロは、フランス風の洗練された美しさを聴かせ、全体に高雅で気品のある演奏に終始している。

各曲の表情はほどよく整理され、重苦しくなることなく、スリムなプロポーションで、それが魅力の〈展覧会の絵〉の演奏である。

多様に変化するリズムも、デュトワならではの抜群の感覚で処理していて、あ然とするほど巧妙な棒さばきだ。

ことに「古い城」と「キエフの大きな門」は見事である。

過度な緻密さや瞬発力を避け、あくまでも都会志向というよりは、ムソルグスキー寄りであるよりも、ラヴェル寄りの解釈と解した方が良さそうだ。

洗練された明るい響きが聴け、この編曲がラヴェルの手によってなされたという事実を改めて気づかせてくれるような演奏内容といえよう。

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2009年04月27日


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ソフィアでのリヒテルのヨーロッパ・デビュー・リサイタルのライヴ録音全曲を収録。

聴衆を前にしての演奏だけに、爆発的で、雄渾な演奏が楽しめる。

特に「展覧会の絵」での雄渾な演奏はすべての聴き手を圧倒せずにはおかない。

「展覧会の絵」では、楽想のコントラストが最大限に活用されており、激しい緊張と力感を生み出し、リヒテルならではのたくましい表現が印象に残る。

スケールの大きさもさることながら、ピーンと張りつめた緊張の持続がすごい。

きわめてスケールの大きな、ダイナミックな表現で、巨匠リヒテルの面目躍如たる秀演だ。

モノーラルなので、あまり音の状態はよくないが、その明確なリズム感と、テクニックの精緻さには驚く。

ことに凄まじいばかりのテクニックで表現した「バーバ・ヤガーの小屋」と、堂々と力強く弾きあげた、最後の「キエフの大きな門」は感動的だ。

一方、シューベルトの小品での抒情も、聴き手を魅了しないではおかない。

リヒテルの幅広い表現力がここにも現れている。

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2008年05月07日


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1970年の録音で、1972年のADFディスク大賞を得た名盤。

主にリムスキー=コルサコフによる第2版(1908)によっており、第4幕第1場のみイッポリトフ=イヴァノフ版を使用している。

ムソルグスキーの傑作オペラであり、ボリスをめぐる年代史的な歴史劇の様々なページと情景が、この上なく豊麗な音と素晴らしい色彩と的確きわまりないタッチをもって次々と展開される。

カラヤンの演奏も、色彩豊かに描き上げた壮大な表現で、そのドラマティックな演出には圧倒されてしまう。

歌手は端役の隅々にいたるまで万全で、総じて声の美しい歌手が揃っているが、なかでも当時上り調子だったボリスのギャウロフが貫禄十分、心理的な葛藤を万全にうたいあげていて、傑出している。

ソフィア放送合唱団を主体とするコーラスの力強い迫力も特筆に値する。

カラヤンは、例によってオーケストラや合唱を豊麗に鳴り響かせる。

しかしそれだけにとどまらず、ここでは内から外に向かってあふれ出ようとする《力》を重視したようであり、それはとりわけ合唱、すなわち民衆の凄まじいエネルギーとなって噴出する。

聴き手を圧倒しないではおかない重厚な迫力、それが常のカラヤンとはひと味違っている。

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2008年02月07日


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私はアファナシエフのライヴに接したことがある。

それでこう思った。

アファナシエフの演奏で最も興味深い点は、常識的な解釈の様式を越えても、どうしても自らの納得のいく世界を引き出そうという意思がはっきりと表明されていることだ。

「展覧会の絵」は、単なる美しく見事な演奏とは全く異なっている。

音色の使い方やテンポ設定などに独自の感覚と思念が表れているのも興味深く、またそれに劣らず独創性に満ちた5つの小品が加えられているのも、このディスクの好ましいところだ。

アファナシエフの音質や、やや訥々とピアノを語らせてゆく様子は、これらの小品にはうってつけなのである。

多くの示唆に富み、ムソルグスキーの音楽に新しい光をあてる演奏だ。

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2008年01月03日


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アシュケナージがオーケストラ用に編曲した同曲がカップリングされている。

アシュケナージの弾くオリジナル版は、堂々としている上に誇張がない。

それが、言うなれば演奏の品位を保持するのに役立っている。

録音のよさとともに、ピアニスティックな美しさを存分に引き出しており、隙のない多彩な演奏で、音楽の隅々にいたるまで彫琢されているのが魅力だ。

ただ欲をいえば、リヒテルのようなスケールの大きさがほしいところ。

旧録に比べて今回は円熟した趣が出てきている。

彼の演奏は、いつも達者な技巧を持ちながら、それを意味なく優先させはしないので、誇張がなく、それが演奏の品位を保つのに役立っている。

しかし表現の雄大さは少しも欠けていない。

いたずらに華麗な効果をねらわず、ひとつひとつの曲の節度をもって、構築的な演奏をおこなっている。

抒情的な曲での入念な描き方はことにうまく、「ビドロ」と「カタコンブ」は見事だ。

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