ショルティ

2014年04月05日


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20世紀を代表する巨匠指揮者ゲオルグ・ショルティの生誕100周年(2012年時)記念盤。

マーラーの交響曲第3番は自然をテーマにした交響曲で、全体を通じてまだ生命のない時代から動植物や人間の誕生を経て、天上の世界に至る発展の過程を段階的に表現している。

作曲当時、毎年夏に静養に訪れていたシュタインバッハの自然が霊感を与えたと言われている。

当盤はショルティ第1回目(1968年)のロンドン交響楽団との演奏を録音したディスク。

ショルティはロンドン交響楽団から鮮やかに冴え渡った響きを導き出して、流動性に富んだ劇的な表現でこの大作を巧みに再現している。

いかにもショルティらしい精緻な表現で、きちっとまとめあげているが、そのなかにも、楽曲のこまやかなニュアンスを巧みに表出している。

ショルティは後年シカゴ交響楽団とも収録しているが、やはり若き日(1960年代)のデッカでの録音がある意味面白く聴けるものだ。

このマーラー交響曲第3番はロンドン響を幾分か強引に鳴らせているが、メリハリを効かせた中に歌わせるところは歌わせ、ロンドン響もよく彼の意図についていっている。

元々ロンドン響は比較的融通性のあるオーケストラで、その辺りの能力は優れたものがあるが、ショルテイの狙ったアゴーギグもきっちり再現して一応の効果を上げてはいるようである。

テンポはやや速いと感じたがトータルでは標準時間で収まっている。

ヘレン・ワッツのアルト独唱をはじめ、声楽陣も万全の歌唱を聴かせている。

ロンドン響との「第1」「第2」「第3」「第9」、コンセルトヘボウ管との「第4」の録音がいずれも完成度が高かったためか、かつてショルティがシカゴ響と全集を再録音する話の時「ショルティが断った」という記事が思い出される。

音質は、1968年のスタジオ録音であるが、英デッカによる超優秀録音であること、そして、今般、ルビジウム・クロック・カッティングがなされたことにより、十分に満足できるものとなっている点についても付記しておきたい。

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2014年03月29日


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ショルティは偉大なマーラー指揮者の一人であると考えているが、ショルティが録音したマーラーの交響曲の中で、4種類もの録音が遺されているのは、現時点では第1番しか存在していない。

これに次ぎ、3種類の録音が遺された第5番は、ラスト・レコーディングも同曲であったこともあり、ショルティにとって特別な曲であったことが理解できるが、第1番に対しても、ショルティは第5番に比肩するような愛着を有していたのでないかと考えられるところだ。

4種類の録音のうち、ケルン放送響とのモノラル録音(1957年)が最初で、本盤がそれに次ぐスタジオ録音(1964年)、そして同年のウィーン・フィルとのライヴ録音(オルフェオレーベル)、そしてシカゴ交響楽団とのスタジオ録音(1983年)がこれに続くことになる。

いずれ劣らぬ名演と思うが、シカゴ交響楽団との演奏は、1964年の2種の演奏とはかなり性格が異なっている。

ショルティの各楽曲に対するアプローチは、マーラーの交響曲だけにとどまらずすべての楽曲に共通しているが、切れ味鋭いリズム感とメリハリのある明瞭さであり、それによってスコアに記されたすべての音符を完璧に音化していくということが根底にあった。

かかるアプローチは終生変わることがなかったとも言えるが、1980年代以降になると、演奏に円熟の成せる業とも言うべき奥行きの深さ、懐の深さが付加され、大指揮者に相応しい風格が漂うことになったところだ。

したがって、1983年の演奏は、本演奏とはかなり様相が異なり、鋭角的な指揮振りは健在であるとは言うものの、聴き手を包み込んでいくような包容力、そして懐の深さのようなものが存在し、聴き手にあまり抵抗感を与えないような演奏に仕上がっていた。

シカゴ交響楽団の光彩陸離たる華麗な演奏ぶりが際立っていることから、このような演奏を内容空虚と批判する音楽評論家も多いようであるが、聴き終えた後の充足感が、例えばワルター&コロンビア交響楽団盤(1961年)やバーンスタイン&コンセルトへボウ管弦楽団盤(1987年)などの名演に必ずしも引けを取っているわけでもない。

これに対して、本演奏は第1楽章冒頭から終楽章の終結部に至るまで、ショルティの個性が全開。

アクセントは鋭く、ブラスセクションは無機的とも言えるほど徹底して鳴らし切るなど、楽想の描き方の明晰さ、切れ味の鋭いシャープさは圧巻の凄味を誇っている。

ショルティは、同年にウィーン・フィルとライヴ録音を行っており、演奏の性格は同様であるとも言えるが、オーケストラの安定性(ウィーン・フィルは、この当時、ショルティにかなりの嫌悪感を抱いていたと言われる)、オルフェオレーベルの今一つ低音が響いてこないもどかしさもあって、本演奏の方をより上位に置きたい。

いずれにしても、1983年の演奏に比して、あくまでも直球勝負の本演奏に抵抗感を覚える人も多いのではないかとも思われるが、筆者としては、マーラーの交響曲の演奏様式の一つとして十分存在意義のあるものと考えており、好き嫌いは別として、ショルティの個性が全開した名演と評価したい。

ロンドン交響楽団も、ショルティのメリハリのある指揮にしっかりと付いていき、持ち得る実力を発揮した見事な演奏を行っていると評価したい。

音質は、1964年のスタジオ録音であるが、英デッカによる超優秀録音であること、そして、今般、ルビジウム・クロック・カッティングがなされたことにより、十分に満足できるものとなっている点についても付記しておきたい。

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2014年03月26日


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20世紀最高のマーラー指揮者の一人であったサー・ゲオルグ・ショルティが、1992年に、マーラーゆかりのロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団に客演した際のライヴ録音。

まず、かつてのシカゴ交響楽団を指揮してマーラーの交響曲全集を録音した頃のショルティの音楽とは一味違うことを最初に記しておく。

ライヴということで編成も小編成なのかもしれないし、あるいはオーケストラの特色もあるのかもしれないが、繊細で非常に丁寧である。

但し、マーラーの指示を細かく解釈するといった類の丁寧さではない。

歌唱もシカゴ盤に比較すると、内向的というか、しみじみと歌っているし、それに対する伴奏的な立場を堅持しているのかもしれない。

第1楽章、第5楽章などはパワフルではないが、特に老成した雰囲気でもなく、やや健康的にすぎるかもしれない。

それでも終楽章ではテンポをゆっくり取り、非常に儚げなタッチで不思議な浮遊感を保ちながら演奏していく、独特のメルヘンチックな音楽である。

コンセルトヘボウ管のアンサンブルはシカゴ響に優るとも劣らないのだが、ここまでショルティの自由にうねる表現に一糸乱れずついてきているのは大変であっただろう。

しかも、シカゴ響より温かみのあるコンセルトヘボウ管の弦楽器の音色は、まるでこちらまで涅槃の境地に連れて行かれそうになるくらい素晴らしい。

ショルティが一番最初にレコーディングしたという、1961年のコンセルトヘボウ管との交響曲第4番の第3楽章終結部もこんな音だったなぁと思い返した次第である。

音質も英デッカによる極めて優秀なものであり、ライヴ録音ではあるが、拍手や客席の音は特になく、演奏上の傷もない。

巨匠晩年の感動的な「大地の歌」であり、ショルティを食わず嫌いしている人は一度これを聴いてみてほしい。

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1957年6月17日に収録されたモノラル録音で、若き日のショルティが躍動感に溢れた熱い演奏を繰り広げている。

シカゴ交響楽団との新録音も素晴らしい演奏だが、この旧盤は率直なきびしい表現という意味では捨て難い。

ショルティが客観的で直截な音楽をつくっており、マーラーの作品の重量感が強調された演奏だ。

当時のショルティの棒には極めて率直な若々しさがあり、オーケストラを筋肉質と言えるほど引き締めている。

とにかく楽器を良く鳴らし、オーケストラのダイナミックレンジと機動力を最大限に活かしたような指揮は、(若き日の)ショルティの指揮スタイルのひとつであり、リズムの正確さ、鋭敏さも大きな特徴である。

後年の彼とは異なる新鮮な演奏と言うべきだろうが、そのため音そのものの力感とともに爽やかな抒情やほのかな甘さもある。

第1楽章から作品の劇性を直截的に表現し、とにかく凄いほどの力のこもった演奏で、今さらのようにショルティの統率力の見事さを感じさせる。

第2楽章のダイナミックな活気ある表現には力がみなぎっていて、こうした動きの強い部分にショルティの劇的な判断が生きることがよくわかる。

ショルティが力で押すだけの指揮者ではないことは、第3楽章の柔軟で清澄な表現が物語っているが、全体に誇張や作為がまったくない。

このマーラー若書きの作品をひたむきに演奏した迫力も凄いが、なかでも端正な表情のなかにあたたかい抒情が漂うのは聴き逃せない。

終楽章の高揚感も新盤と異なる説得力があって、激しい意志力に貫かれており、強固な表現は、きわめて劇性が強い。

新盤が発売された後もカタログに残るだけの価値のある演奏だろう。

モノラルながら音質も良好なので、いろいろな意味で(若き日の)ショルティを知ることのできる演奏だ。

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2014年03月25日


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これはいかにもショルティならではの強烈無比な演奏だ。

録音は1966年であり、かの歴史的な超名演であるワーグナーの楽劇「ニーベルングの指環」をウィーン・フィルとともにスタジオ録音している最中のもの。

かかる録音も終わりに近づいており、そうしたことに去来するであろう自らの指揮芸術に対する漲るような自信と誇りが演奏自体にもあらわれているかのようである。

ショルティの各楽曲に対するアプローチは、マーラーの交響曲だけにとどまらずすべての楽曲に共通しているが、切れ味鋭いリズム感とメリハリのある明瞭さであり、それによってスコアに記されたすべての音符を完璧に音化していくということが根底にあった。

かかるアプローチは終生変わることがなかったとも言えるが、1980年代以降になると、演奏に円熟の成せる業とも言うべき奥行きの深さ、懐の深さが付加され、大指揮者に相応しい風格が漂うことになったところだ。

したがって、ショルティは、マーラーの交響曲第2番を1980年になって、当時の手兵であるシカゴ交響楽団とともに再録音を行っているが、この1980年の演奏は、本演奏とはかなり様相が異なり、鋭角的な指揮振りは健在であるとは言うものの、聴き手を包み込んでいくような包容力、そして懐の深さのようなものが存在し、聴き手にあまり抵抗感を与えないような演奏に仕上がっていた。

シカゴ交響楽団の光彩陸離たる華麗な演奏ぶりが際立っていることから、このような演奏を内容空虚と批判する音楽評論家も多いようであるが、聴き終えた後の充足感が、例えばバーンスタイン&ニューヨーク・フィル盤(1987年)などの名演に必ずしも引けを取っているわけでもない。

これに対して、本演奏は第1楽章冒頭から終楽章の終結部に至るまで、ショルティの個性が全開。

アクセントは鋭く、ブラスセクションは無機的とも言えるほど徹底して鳴らし切るなど、楽想の描き方の明晰さ、切れ味の鋭いシャープさは、他の指揮者によるいかなる演奏よりも(ブーレーズの旧盤が匹敵する可能性あり)、そしてショルティ自身による1970年のマーラーの交響曲第5番の演奏にも比肩するような凄味を有していると言えるだろう。

したがって、1980年の演奏に抵抗を覚えなかった聴き手の中にさえ、このような血も涙もない演奏に抵抗感を覚える者も多いのではないかと思われるが、筆者としては、マーラーの交響曲の演奏様式の一つとして十分存在意義のあるものと考えており、好き嫌いは別として、ショルティの個性が全開した名演と評価したい。

ロンドン交響楽団も、ショルティのメリハリのある指揮にしっかりと付いていき、持ち得る実力を発揮した見事な演奏を行っているとともに、ソプラノのハーパーやアルトのワッツをはじめとした声楽陣も最高のパフォーマンスを発揮していると評価したい。

音質は、1966年のスタジオ録音であるが、英デッカによる超優秀録音であること、そして、今般、ルビジウム・クロック・カッティングがなされたことにより、十分に満足できるものとなっている点についても付記しておきたい。

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2014年03月23日


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ホルストの組曲『惑星』は、豪壮華麗なオーケストレーションが施されたいかにもショルティ向きの作品であるにもかかわらず、本演奏のみの一度しか録音を行っていない。

しかも、録音年代は1978年。

シカゴ交響楽団の音楽監督として最も脂の乗っていた時期であるにもかかわらず、オーケストラとしてシカゴ交響楽団を起用せずに、敢えてロンドン・フィルを起用したというのは大変に意外である。

もちろん、ロンドン・フィルはショルティにとって大変縁のあるオーケストラであり、エルガーの2つの交響曲のほか、本盤に収められた行進曲『威風堂々』、エニグマ変奏曲なども同オーケストラと録音している点を考慮すれば、ショルティは、楽曲によってオーケストラを使い分けていたということが言えるのかもしれない。

そして、それ故にこそ、英国王室の「サー」の称号も得ているショルティは、ホルストの組曲『惑星』をあくまでも純然たる英国音楽として捉え、当時一般に流布しつつあったオーケストラ演奏の醍醐味を味わわせてくれるショーピースのような演奏に背を向け、英国音楽としての矜持を保って格調高く描き出そうとしたのかもしれない。

ショルティの本演奏におけるアプローチは、例によって、強靭なリズム感とメリハリの明瞭さを全面に打ち出したものであるが、いかなるトゥッティの箇所に至っても、同時期のシカゴ交響楽団との演奏の一部に聴かれるようないささか力づくとも言うべき強引さが殆どなく、前述のような格調の高さを損なっていないのが素晴らしい。

もっとも、「火星」などにおける強靭な迫力には凄味があるし、他方、「金星」や「海王星」における英国の詩情に満ち溢れた美しさにも抗し難い魅力が満ち溢れており、各楽曲毎の描き分けの巧みさにおいても秀逸なものがあると言えるだろう。

いずれにしても、本演奏は、いい意味での剛柔のバランスと格調の高さが支配した演奏とも言えるところであり、ショルティがその後、シカゴ交響楽団と再録音しなかった理由を窺い知ることが可能な素晴らしい名演に仕上がっていると高く評価したい。

そして、必ずしも一流とは言い難いロンドン・フィルが、ショルティの確かな統率の下、持ち得る実力を最大限に発揮した好パフォーマンスを発揮しているのも、本名演に華を添える結果となっていることを忘れてはならない。

行進曲『威風堂々』は、演奏全体をいかにもショルティならではの強靭なリズム感とメリハリの明瞭さで一貫しており、どこをとっても曖昧な箇所がなく、明瞭で光彩陸離たる音響に満たされた圧倒的な名演に仕上がっている。

音質も英デッカによる極めて優秀なものであり、ルビジウム・クロック・カッティングによって更に鮮明さが増したと言えるところだ。

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2014年03月05日


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20世紀最後の巨匠、サー・ゲオルグ・ショルティが亡くなる直前の最後のコンサートを収録したもので、曲目はマーラーの交響曲第5番。

これが最後の録音となるそうだが、不思議な運命を感じる。

まず、オーケストラがチューリヒ・トーンハレ管弦楽団であるが、このオーケストラはショルティがデッカと契約して最初の録音を行ったオーケストラ(1947年のこと)だということがまず一つ。

そして、ショルティがシカゴ交響楽団と最初に録音した曲もマーラーの交響曲第5番(1970年のこと)だったことがもう一つ。

さらに言えば、ショルティが世界大戦時を過ごしたスイスで最後の録音となったことにまで運命的なものを感じてしまう。

演奏を聴いての感想だが、この巨匠は最後まで見事に自分のスタイルを貫いたのだな、ということがよくわかる。

チューリヒ・トーンハレ管弦楽団と言えば軽妙・清澄な響きが特長の伝統あるオーケストラであるが、シカゴ交響楽団と比べたとき、その力量では分が悪いのは否めない。

しかし、ショルティはこのオーケストラからも卓越したドライヴで「ショルティ・サウンド」を引き出したと言えよう。

それは枯淡の境地でも老境の熟達でもなく、まさにショルティの純粋な音楽への信念そのものの結晶のように感じられた。

そういった点では、むしろ1990年にシカゴ交響楽団とライヴで録音したものより、この録音の方が若々しい萌芽と明確な方向性を感じるのは、オーケストラとの新鮮な顔合わせからだろうか。

金管の膂力の伝わる張りのある音色はまさにショルティならではで、やや速めのインテンポで聴き手を引っ張る推進力も見事。

衰えを感じさせないどころか、時計が早まるかのような求心力にはなぜか「若さ」を感じてしまう。

そのショルティの力の源は何処から来たのだろうか。

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1990年11月30日 ムジークフェラインザール、ウィーンに於けるライヴ録音。

ショルティ&シカゴ響のヨーロッパ・ツアーの際にムジークフェラインザールで行われた演奏会のライヴ録音。

ショルティは20世紀後半を代表する指揮者の一人であるが、我が国の音楽評論家の間での評価は実力の割に極めて低いと言わざるを得ない。

先般、お亡くなりになった吉田秀和氏などは、数々の著作の中で、公平な観点からむしろ積極的な評価をしておられたと記憶するが、ヴェルディのレクイエムなどを除いて事あるごとに酷評しているとある影響力の大きい音楽評論家をはじめ、ショルティを貶すことが一流音楽評論家の証しと言わんばかりに、偏向的な罵詈雑言を書き立てる様相ははっきり言っておぞましいと言うほかはないところだ。

ニキシュは別格として、ライナーやオーマンディ、セル、ケルテスなど、綺羅星の如く登場したハンガリー人指揮者の系譜にあって、ショルティの芸風は、強靭で正確無比なリズム感とメリハリの明晰さを旨とするもの。

そうした芸風でシカゴ交響楽団を鍛え抜いた力量は、先輩格のライナー、オーマンディ、セルをも凌駕するほどであったと言えよう。

もちろん、そうした芸風が、前述のような多くの音楽評論家から、無機的で冷たい演奏との酷評を賜ることになっているのはいささか残念と言わざるを得ない。

確かに、ショルティの芸風に合った楽曲とそうでない楽曲があったことについて否定するつもりは毛頭ないが、少なくともショルティの演奏の全てを凡庸で無内容の冷たい演奏として切って捨てる考え方には全く賛同できない。

ショルティの芸風に合った楽曲は多いと思うが、その中でも最右翼に掲げるべきなのは何と言ってもマーラーの交響曲と言えるのではないだろうか。

当盤はマーラーを愛し続けてきた偉大な指揮者による、記念碑的名演だ。

第1楽章から張り詰めた力感で聴き手を説得させ、第2楽章はよい意味での中庸を得ており、スケルツォ楽章のアンサンブルと密度の高い表情も特筆したい。

第4楽章も豊かな共感が波打つように示され、フィナーレはまさに誠実そのものの表現だが極めて説得力が強く、最後の高潮も壮大きわまりない。

加えて、本演奏の素晴らしさはシカゴ交響楽団の超絶的な技量であろう。

いかにショルティが凄いと言っても、その強烈無比な指揮にシカゴ交響楽団が一糸乱れぬアンサンブルを駆使してついていっているところが見事であり、ショルティ統率下のシカゴ交響楽団がいかにスーパー軍団であったのかを認識させるのに十分なヴィルトゥオジティを最大限に発揮している。

かかるシカゴ交響楽団の好パフォーマンスが、本演奏を名演たらしめるのに大きく貢献しているのを忘れてはならない。

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2014年03月04日


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広範なレパートリーを誇ったショルティであるが、英国王室から「サー」の称号を得ただけに、英国音楽、特にエルガーの楽曲を得意としていたことについては意外にもあまり知られていない。

2つの交響曲や行進曲「威風堂々」、チェロ協奏曲、エニグマ変奏曲、その他の管弦楽曲など多岐に渡っている。

ショルティと同様に数多くのレコーディングを遺した先輩格のカラヤンは、エルガーの楽曲を殆ど録音しなかったし、後輩のバーンスタインもエニグマ変奏曲と行進曲「威風堂々」の一部のみの録音にとどまっている。

そして、ハンガリー系の指揮者のライナーやオーマンディ、セルなどの録音歴などを考慮に入れても、ショルティのエルガーへの傾倒ぶりがよく理解できるところだ。

本盤には、エルガーの交響曲第2番及び序曲「コケイン」が収められているが、いずれもエルガーを得意としたショルティならではの素晴らしい名演と高く評価したい。

オーケストラは、他のエルガーの楽曲の場合と同様に、シカゴ交響楽団ではなく、ロンドン・フィルを起用しているが、楽曲によってオーケストラを使い分けるというショルティなりの考え方によるものではないかとも思われる。

交響曲第2番におけるショルティのアプローチは、例によって強靭なリズム感とメリハリの明瞭さを全面に打ち出したものであり、その鋭角的な指揮ぶりからも明らかなように、どこをとっても曖昧な箇所がなく、明瞭で光彩陸離たる音響に満たされている。

したがって、同曲に、英国の詩情に満ち溢れた美しさを期待する聴き手にはいささか不満が残る演奏かもしれないが、絶対音楽としての交響曲ならでは堅牢な造型美、そして広範なダイナミックレンジを駆使したスケールの雄大さにおいては、他の英国系の指揮者による演奏においては決して味わうことができない独特の魅力を有しているとも言えるところであり、他の演奏とは異なったアプローチにより、同曲の知られざる魅力を引き出すことに成功した名演と評価してもいいのではないだろうか。

特に、一部のトゥッティの箇所において、これはロンドン・フィルの必ずしも一流とは言い難い技量にも起因しているとは思われるが、いささか力づくの強引さが感じられるきらいもないわけではないが、緩徐楽章においては、ショルティなりに情感豊かに歌い抜いており、演奏全体としては十分に剛柔のバランスがとれているのではないかと考えられる。

ショルティの統率の下、必ずしも一流とは言い難いロンドン・フィルも、随所に粗さは感じさせられるが、演奏全体としては十分に健闘しており、持ち得る実力を存分に発揮した好パフォーマンスを発揮していると評価したい。

併録の序曲「コケイン」は、いかにもショルティ向きの作品だけに、まさに水を得た魚のように生き生きとした躍動感あふれる素晴らしい名演だ。

音質も英デッカによる極めて優秀なものであり、ルビジウム・クロック・カッティングによって更に鮮明さが増したと言える。

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2014年03月03日


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ショルティは稀代のオーケストラトレーナーとして、もともと有数の実力を持っていたシカゴ交響楽団を更に超一流の存在に引き上げたが、そうしたショルティだけに、管弦楽の大家と称されたベルリオーズ、中でもその最高傑作とされる幻想交響曲を得意としていたことは十分に理解できるところだ。

ショルティによる同曲の代表盤と言えば、シカゴ交響楽団の音楽監督に就任して間もない頃にスタジオ録音を行った演奏(1972年)が念頭に浮かぶ。

強靭なリズム感とメリハリの明瞭さを全面に打ち出したショルティの基本的なアプローチが、同曲の性格に見事に符号しており、シカゴ交響楽団の桁外れの技量も相俟って、どこをとっても曖昧な箇所がなく、明瞭で光彩陸離たる音響に満たされた圧倒的な名演に仕上がっている。

そして、ショルティの鋼のような芯の強さに柔軟なタッチが加わり、ロマンティックな香りが立ち昇る。

第1楽章は遅めのテンポとデリケートな表情で始まるが、起伏が激しく、一旦盛り上がるとデモーニッシュなまでの凄みがある。

音響効果の高い第4、5楽章は一層ダイナミックでスケールが大きく圧倒される。

まずは文句のつけようがない名演だし、ショルティとしても会心の出来と考えたのではないかと思われる。

したがって、ショルティはシカゴ交響楽団の音楽監督在任中は、同曲を再録音することはなかった。

その後ショルティは、シカゴ交響楽団の音楽監督退任の翌年(1992年)、ザルツブルク聖霊降臨祭コンサートにおいて、満を持して20年ぶりに再録音を行った。

その新盤を聴くと明らかであるが、ショルティの特色であった強靭なリズム感とメリハリの明瞭さ、そして鉄壁のアンサンブルの凄みといった点において、旧盤に一歩譲っているというのは否めないところだ。

その点、旧盤は、超絶的な技量をベースとして一糸乱れぬアンサンブルを披露しているのが見事であり、ショルティ統率下のシカゴ交響楽団がいかにスーパー軍団であったのかを認識させるのに十分なヴィルトゥオジティを最大限に発揮している。

かかるシカゴ交響楽団の好パフォーマンスが、本演奏を名演たらしめるのに大きく貢献しているのを忘れてはならない。

序曲「宗教裁判官」は未完に終わった初期オペラの序曲で、独立して出版されたものだが、演奏も素晴らしい。

音質も英デッカによる極めて優秀なものである。

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2014年02月15日


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本収録はカルショーが満を待してショルティ&ウィーン・フィルと行ったもので、独唱陣もサザーランド、パヴァロッティ他と勢揃い、バスドラムの音響も話題ともなった名盤。

当盤は、指揮、オーケストラ、独唱、合唱、録音のすべてが優秀かつ音楽的で、文句のつけようがない見事な出来映えだ。

ショルティはテンポ感が抜群であり、表情にも過不足がなく、われわれは指揮者の存在を忘れて曲自体の魅力や美しさを満喫できる。

ヴェルディの《レクイエム》は、作品自体が非常にダイナミックで劇的な性格をもっているので、あえて劇的な表現をしようとすると、それが空回りしてしまうことが多い。

このショルティの演奏は、作品のあるがままの姿を直截かつ明快に表現しており、それが結果的にすばらしいダイナミックな緊張感を生み出していると言える。

それに当時としては録音が鮮明で、有名な〈怒りの日〉の部分など、打楽器の生々しい音や、舞台の外から響いてくる金管合奏が遠くから聴こえ始めてしだいに近づいてきて全合奏の最強音に達する。

そのところの奥行きのある表現もすばらしい。

その部分だけでも一聴の価値があると言えるほどである。

全曲を一貫して出来の悪いナンバーがないのもすばらしい。

ソリストはとくにメゾ・ソプラノのホーンとテノールのパヴァロッティが美しく、ソプラノのサザーランドもうまい。

バスのタルヴェラのみ深刻癖が気になるが、全体の感銘を傷つけるほどではないと思う。

ヴェルディのオペラ的な作風を表現するのに、これに優るメンバーはないのではないだろうかと思わせるほどである。

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2014年02月14日


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フランス音楽の粋とも言うべきドビュッシーの牧神の午後への前奏曲、交響詩「海」、そしてラヴェルのボレロが収められているが、本盤の各楽曲の演奏は、そうしたフランス音楽ならではのエスプリ漂う瀟洒な味わいを期待する聴き手には全くおすすめできない演奏である。

本演奏にあるのは、オーケストラの卓抜した技量と機能美。

まさに、オーケストラ演奏の究極の魅力を兼ね備えていると言えるだろう。

このような演奏は、とある影響力の大きい某音楽評論家を筆頭に、ショルティを貶す識者からは、演奏が無機的であるとか、無内容であるとの誹りは十分に予測されるところである。

しかしながら、果たしてそのような評価が本演奏において妥当と言えるのであろうか。

本演奏におけるショルティのアプローチは、例によって強靭で正確無比なリズム感とメリハリの明晰さを旨とするもの。

このような演奏は、前述のようなフランス音楽らしい瀟洒な味わいを醸し出すには全くそぐわないが、印象派の大御所として繊細かつ透明感溢れるオーケストレーションを随所に施したドビュッシーや、管弦楽法の大家とも称されたラヴェルが作曲した各楽曲の諸楽想を明瞭に紐解き、それぞれの管弦楽曲の魅力をいささかの恣意性もなく、ダイレクトに聴き手に伝えることに成功している点は高く評価すべきではないだろうか。

そして、一部の音楽評論家が指摘しているような無内容、無機的な演奏ではいささかもなく、むしろ、各場面毎の描き分け(特に、交響詩「海」)や表情づけの巧みさにも際立ったものがあり、筆者としては、本演奏を貶す音楽評論家は、多分にショルティへの一方的な先入観と偏見によるのではないかとさえ思われるところである。

それにしても、我が国におけるショルティの評価は不当に低いと言わざるを得ない。

現在では、楽劇「ニーベルングの指環」以外の録音は殆ど忘れられた存在になりつつある。

これには、我が国の音楽評論家、とりわけ前述のとある影響力の大きい某音楽評論家が自著においてショルティを、ヴェルディのレクイエムなどを除いて事あるごとに酷評していることに大きく起因していると思われるが、かかる酷評を鵜呑みにして、例えば本演奏のような名演を一度も聴かないのはあまりにも勿体ない。

いずれにしても、本演奏は、ショルティ&シカゴ交響楽団という20世紀後半を代表する稀代の名コンビによる素晴らしい名演と高く評価したい。

そして、かかる名演が、今般のシングルレイヤーによるSACD&SHM−CDによって、ショルティの本演奏へのアプローチがより鮮明に再現されることになったのは極めて意義が大きい。

とりわけ牧神の午後への前奏曲における類稀なるフルートソロが鮮明に再現されていることや、ボレロにおける各楽器セクションが明瞭に分離して聴こえるのは殆ど驚異的ですらある。

いずれにしても、ショルティ&シカゴ交響楽団による素晴らしい名演を、現在望みうる最高の高音質SACDで味わうことができるのを大いに喜びたい。

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2014年02月11日


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ショルティは20世紀後半を代表する指揮者の一人であるが、我が国の音楽評論家の間での評価は実力の割に極めて低いと言わざるを得ない。

先般、お亡くなりになった吉田秀和氏などは、数々の著作の中で、公平な観点からむしろ積極的な評価をしておられたと記憶するが、ヴェルディのレクイエムなどを除いて事あるごとに酷評しているとある影響力の大きい音楽評論家をはじめ、ショルティを貶すことが一流音楽評論家の証しと言わんばかりに、偏向的な罵詈雑言を書き立てる様相ははっきり言っておぞましいと言うほかはないところだ。

ニキシュは別格として、ライナーやオーマンディ、セル、ケルテスなど、綺羅星の如く登場したハンガリー人指揮者の系譜にあって、ショルティの芸風は、強靭で正確無比なリズム感とメリハリの明晰さを旨とするもの。

そうした芸風でシカゴ交響楽団を鍛え抜いた力量は、先輩格のライナー、オーマンディ、セルをも凌駕するほどであったと言えよう。

もちろん、そうした芸風が、前述のような多くの音楽評論家から、無機的で冷たい演奏との酷評を賜ることになっているのはいささか残念と言わざるを得ない。

確かに、ショルティの芸風に合った楽曲とそうでない楽曲があったことについて否定するつもりは毛頭ないが、少なくともショルティの演奏の全てを凡庸で無内容の冷たい演奏として切って捨てる考え方には全く賛同できない。

ただ、ショルティのそうした芸風からずれば、ウィーン・フィルとの相性が必ずしも良くなかったことはよく理解できるところだ。

フレージングの一つをとっても対立したことは必定であり、歴史的な名演とされる楽劇「ニーベルングの指環」の録音の合間をぬって録音がなされたとされる、本盤に収められたベートーヴェンの交響曲第3番や、更に後年に録音がなされたワーグナーのジークフリート牧歌にしても、ウィーン・フィルの面々は、ショルティの芸風に反発を感じながらも、プロフェッショナルに徹して演奏していたことは十分に想定できるところだ。

膨大なレコーディングとレパートリーを誇ったショルティであるが、ショルティはベートーヴェンの交響曲全集をシカゴ交響楽団とともに2度にわたってスタジオ録音しており、ウィーン・フィルとともに本演奏を含め数曲をスタジオ録音しているなど、ベートーヴェンの交響曲を自らの重要なレパートリーとして位置づけていた。

とは言え、マーラーの交響曲のように、ショルティの芸風に符号していたかどうかは疑問のあるところであるが、それでもウィーン・フィルとの一連の録音は、ショルティの鋭角的な指揮ぶりを、ウィーン・フィルの美音が演奏全体に潤いを与えるのに大きく貢献しており、いい意味での剛柔のバランスのとれた名演に仕上がっていると言えるのではないだろうか。

もちろん、ウィーン・フィルとしてはいささか不本意な演奏であろうが、それでも生み出された音楽は立派な仕上がりであり、聴き手としては文句を言える筋合いではない。

いずれにしても、強靭なリズム感とメリハリの明瞭さにウィーン・フィルならではの美音による潤いが付加された本演奏は、併録のワーグナーのジークフリート牧歌とともに、若き日のショルティを代表する名演と評価するのにいささかの躊躇をするものではない。

かかる名演が、今般のシングルレイヤーによるSACD&SHM−CDによって、ショルティの本演奏へのアプローチがより鮮明に再現されることになったのは極めて意義が大きいと言えるところであり、加えて、本演奏の素晴らしさをより多くのクラシック音楽ファンにアピールすることに大きく貢献するものとして高く評価したい。

いずれにしても、ショルティ&ウィーン・フィルによる素晴らしい名演を、現在望みうる最高の高音質SACDで味わうことができるのを大いに喜びたい。

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2013年07月23日


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ショルティは、ブラームスの交響曲全集を1980年代になって初録音したことで知られている。

これは、広範なレパートリーを誇るショルティの七不思議の一つとして捉えられたが、満を持して取り組んだだけに、期待をたがわぬ名演であった。

本盤は、全集を完成して7年後の録音であるが、1980年代も後半になって、演奏に奥行きと懐の深さを感じさせるようになったショルティならではの名演と高く評価したい。

シフとショルティ指揮ウィーン・フィルの組み合わせが、聴き慣れた作品に新鮮な魅力を与えている。

最大の原因はショルティが彼の個性とオーケストラの個性を完全に融合させたことにある。

ブラームスのピアノ協奏曲第1番は、オーケストラパートが特に分厚く書かれており、オーケストラ演奏が薄っぺらでは話にならないが、ここでのショルティの指揮はこれ以上は求め得ないような重厚なもので、ショルティとの相性が必ずしも良くはなかったウィーン・フィルも、ここではショルティの指揮の下、最高のパフォーマンスを示していると言える。

こうした素晴らしいバックの下、シフも堂々たるピアニズムを披露している。

シフは大上段に作品と対決せず、美しい音色でどのフレーズからもそれぞれの感情の微妙なニュアンスを引き出している。

第1楽章の展開部を開始する和音の艶やかな音色と充実した響きは、力強くのびのびとした気分をもたらす。

同国人であるショルティにも、その音楽性において深く共鳴するものがあるのだとは思うが、強靭な打鍵から繊細な抒情に至るまで、ブラームスの青雲の志を見事に描き出していると言える。

併録のシューマンの主題による変奏曲は、カップリングの抜群のセンスの良さとともに、演奏内容も、ショルティとの息の合った至高の名演と高く評価したい。

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2013年05月22日


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本盤にはショルティがロンドン・フィルを指揮して演奏したR・シュトラウスの歌劇「ナクソス島のアリアドネ」が収められているが、素晴らしい名演と高く評価したい。

ショルティほど、賛否両論のある指揮者はいないのではないだろうか。

確かに、ショルティはその晩年に至るまで、拍が明瞭でアクセントはやや強めの正確無比とも言えるような演奏を展開していた。

もちろん、1980年代後半になると、そのような演奏の中にも奥行きの深さが付加されてくるのであるが、それ以前の演奏では、呼吸の浅い浅薄な演奏も多々見られたところである。

もちろん、マーラーの交響曲やお国もののバルトークの管弦楽曲や協奏曲などでは比類のない名演を聴かせてくれたが、ワーグナーの楽劇「ニーベルングの指環」を除いては、高い評価を得ている名演が少ないというのも否定し得ない事実であるところだ。

しかしながら、本演奏においては、ストーリー展開の複雑さやオーケストレーションの巧みさを旨とするR・シュトラウスの歌劇「ナクソス島のアリアドネ」だけに、ショルティの正確無比なアプローチが見事に功を奏しているのではないだろうか。

ショルティの精緻に楽想を描き出していくという指揮が、同曲の複雑な展開や楽想を明瞭に紐解き、聴き手が同曲の魅力をわかりやすく味わうことが可能になった点を高く評価すべきであろう。

しかも、比較的小編成のオーケストラ演奏を主体とするオペラであることもあり、本演奏当時(1977年)のショルティによる他の楽曲の演奏において時として聴かれる力づくの無機的な音が殆ど聴かれないというのも素晴らしい。

ショルティの確かな統率の下、決して一流とは言い難いロンドン・フィルが持ち得る実力を最大限に発揮した名演奏を繰り広げているのも、本名演に大きく貢献しているのを忘れてはならない。

キャスティングは見事であるが、とりわけバッカス役のルネ・コロとプリマ・ドンナ、アリアドネ役のレオンタイン・プライス、そしてツェルビネッタ役の若きエディタ・グルベローヴァの名唱は秀逸である。

また、音楽教師役のヴァルター・ベリーや作曲家役のタチアーナ・トロヤヌス、幹事長役のエーリッヒ・クンツなどによる巧みな歌唱も素晴らしい。

録音は英デッカならではの極上の高音質録音であり、オペラ録音としては最高の水準を誇っていると高く評価したい。

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2013年04月16日


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モーツァルトの没後200年の命日のミサの貴重な記録である。

この記念碑的なミサの指揮者を託されたのがショルティというのは、当時のショルティの置かれた立場がよくわかって大変興味深い。

本盤の2年前にはカラヤン、そして1年前にはバーンスタインが鬼籍に入っており、仮に両者が生きていれば、先ずはカラヤン、そしてバーンスタインが、その指揮者に選ばれたことは必定であるからだ。

ショルティとウィーン・フィルの相性は最悪だったということであるが、この記念碑的なミサの指揮者として、アバドやムーティなどでは役不足ということであったのだろう。

しかしながら、ここでのショルティは、極力自我をおさえて、抑制的な指揮を行っている。

いつもの力づくのショルティは影を潜め、むしろ、ウィーン・フィルの演奏に合わせているような印象を受ける。

聖シュテファン大聖堂の残響をも意識しているかのようで、若干の速めのテンポとオーケストラの最強奏の可能な限りの抑制が、けがの功名とも言えるかもしれないが、近年の古楽器奏法に通じるような新鮮な音楽の構築に繋がっているとも言える。

ショルティが、このような演奏様式を意識的に行ったのかどうかはわからないが、本盤を聴く限りにおいては、ショルティの新境地と言ってもいいのではないだろうか。

独唱陣も合唱団も、ショルティの指揮の下、最高のパフォーマンスを示しており、悲哀感を漂わせる清澄な独唱、祈りの心を込めて真摯に歌い上げる壮麗な合唱、そして重厚な響きのオーケストラが織りなす祈りの世界が繰り広げられている。

それに教会の鐘の音色など、記念碑的なミサの雰囲気が伝わってきて、実に感動的だ。

ロビンズ・ランドンの校訂版による演奏。

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2013年04月10日


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ショルティらしく新古典主義的な様式感を根底においたマーラーだ。

いかにもショルティらしい精緻な表現で、きちっとまとめあげているが、そのなかにも、楽曲のこまやかなニュアンスを巧みに表出しており、ショルティの円熟味が感じられる。

一種の正確さとマーラーの美が厳しく引き締まった音楽を作り上げており、随所に示された繊細な感性とロマンの美は、ショルティの音楽的円熟の証明である。

デルネシュの独唱も深い共感に満ちている。

この演奏を「燦然たる音の饗宴」と称したのは故柴田南雄氏である。

氏は、エレクトロニクスに毒された現代の一面しか表現していないと、この演奏に否定的であった。

しかし、やがて私の時代が来ると常々マーラーが語っていたという、まさにその「時代」とは、文明が高度化し人間関係が希薄になった現代のことを指しているとも言えるのではないか。

そういう見地に立ってこの演奏を聴くと、この演奏こそ現代そのものではないかと思えてくる。

それにしても、シカゴ響の圧倒的な技量とショルティの抜群の統率力を何と評すればいいのか。

マーラーというと「多層性」とか「内的分裂」とか「苦悩」とかを表現しようとして、曲を捌ききれず、カビを増殖させたような湿度の高い演奏の多さにウンザリするが、その状況に鉄槌を下すか如き明解かつ豪快な演奏だ。

オケは相変わらず隅々まで鳴りきり人工的構成美の極致。まさに工芸品。

ショルティのマーラーの最高傑作かつ、「第3」の録音でも他に類例が無い傑作だと思う。

シカゴ響の、力強い響きを見事に捉えた録音も特筆に値する。

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ショルティがシカゴ交響楽団の音楽監督に就任して最初に録音されたのがマーラーの第5番であった。

それ以来、マーラーの交響曲はこのコンビの象徴と言えるほど、重要なレパートリーとなった。

この《大地の歌》も、このコンビの他のマーラー交響曲と変わらないアプローチで、きわめて楽譜に忠実な明晰この上ない現代的な演奏である。

マーラーの楽譜が求めるものをどこまでも忠実に再現した、黄金時代のショルティ指揮シカゴ響の名演である。

ワルターが抒情的な面を大切にしているのに対して、いかにもショルティらしく、すこぶる鋭い表現を行いながら、楽曲のデリケートな美しさを、見事に表出している。

そう、この演奏はショルティには珍しく、美しくデリカシーに富んだ演奏なのだ。

音色の微妙な多様さ、各パートの微妙なニュアンスの表出、それらの交錯……まずは完璧なオーケストラ美を聴かせる。

ショルティの甘美さへの感受性が、この演奏にははっきりと出ており、第2曲の表現主義的な甘さなどはかつてのショルティには見られなかったものだ。

歌手たちも万全で、ミントン、コロ共よく歌っており、特にミントンの歌は、聴く者をその中に引き込む力を持っている。

ショルティはこの《大地の歌》をロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団と20年後に再録音することになるが、2人の歌手の名唱も相俟って、この旧盤のヴォルテージの高さは比類がない。

録音も英デッカらしく鮮明で音楽的だ。

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2013年01月29日


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ショルティとウィーン・フィルは、決して相性のよいコンビでなかったと聞く。

確かに音楽性は相反する感じなので、反目することがあったのは当然と思える。

しかし、ショルティとウィーン・フィルの残した演奏には、両者の長所が融合し合った幸せな音楽の瞬間が多々あり、この『英雄の生涯』もその一つで、剛毅さ・艶麗さ・凄絶さ・そして黄昏の美といったこの曲の持つ魅力を十全に引き出している。

冒頭の「英雄」は、快速のテンポで突き進む。

それは、まさに向かうところ敵なしといった感じ。

「英雄の敵」に入っても、テンポにはいささかの緩みも見られない。

「英雄の妻」では一転してテンポを落とすが、ここのキュッヒルのソロの実に美しいこと。

「英雄の戦場」は、いかにもショルティらしく圧倒的な音量でオーケストラを豪快に鳴らすが、その凄まじさには戦懐を覚えるほど。

「英雄の業績」は、そっけなさを感じるほどの快速のインテンポ。

「英雄の引退と完成」は、再びテンポを落として、演奏全体を雄大に締めくくっている。

ショルティは、一部批評家から、無機的なインテンポの指揮者と酷評されているが、本盤のような演奏に接すると、決してそうではなく、むしろ緩急自在のテンポを駆使した起伏の激しい演奏をしていることがよくわかる。

本演奏を名演と言えるかどうかは、ウィーン・フィルとの相性などを考慮するといささか躊躇するが、ショルティの個性が溢れたユニークさと言う点では、一聴の価値は十分にある演奏であると考える。

むしろ、併録のワーグナーは、解釈に奥行きが出てきたと評された1980年代後半の録音であり、ショルティ円熟の名演と言ってもいいと思われる。

SHM−CD化の音質向上効果は、従来CDの音質もかなりのものであったことから、若干のレベルにとどまっていると言える。

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2012年12月20日


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驚異的な高音質SACDの登場だ。

SACDから既に撤退していたユニバーサルが、再びSACDのプレスを開始したというのは、ネット配信に押されつつある現状の中で、大朗報とも言うべきであるが、単なるプレス再開に過ぎないのがさすがはユニバーサル。

SACDを発売するに当たって、一般的となっていたハイブリッドではなく、シングルレイヤーを採用したということ、更には、数年前から好評なSHM−CD仕様としたということで、これによって、SACDの性能を余すことなく発揮することになったことが何よりも素晴らしい。

かつて発売されたSACDハイブリッド盤と聴き比べてみたが、その音質の違いは明白。

例えば、本盤の場合、「管弦楽のための協奏曲」の第1楽章冒頭のヴァイオリンやヴィオラによる最弱音がいささかも曖昧模糊に聴こえない。

また、各楽器が見事に分離して、あたかも眼前で演奏しているかのような実在感に満ち溢れているのも、本盤だけに許された優位性と言えるだろう。

「舞踏組曲」や「中国の不思議な役人」組曲に特有のダイナミックレンジの広い雄大なスケールも、本盤に大きく軍配が上がるといえる。

「管弦楽のための協奏曲」は、定評ある名演。

ショルティは作品の性格をしっかりとつかみ、曲の内面を深く掘り下げながら、中身の濃い音楽を作り上げている。

オーケストラも好演だ。

ショルティはこの曲をシカゴ交響楽団と再録音しているが、これはその名演に勝るとも劣らない優れた演奏である。

後年の演奏は、シカゴ交響楽団の名技に任せた角のとれた面もあり、個性的という意味においては、本盤の方をより高く評価したい。

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2012年09月29日


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日本のクラシック批評史上最大の汚点として決して忘れてはいけないのが、20世紀おける偉大な指揮者サー・ゲオルグ・ショルティを不当に過小評価したことである。

日本のクラシック評論家連中は、ドイツ精神主義を最高のものとして崇め奉るため、楽譜に忠実な指揮をするショルティを「精神性がない」、「無機的」、「血が通っていない」とことあるごとに貶していた。

クラシックを聴き始めた頃の筆者は、この批評を鵜呑みにしてショルティを無視してしまった。

それが大間違いであったことに気が付いたのが10年近く経った頃であった。

以来、筆者はショルティを貶した評論家連中を信用しないようにしている。

ショルティが指揮したマーラーの交響曲第8番は、ショルティの代表作の一つである。

演奏時間は79分とCD1枚に収まっているが、せかせかしている印象はなく最初から最後まで充実した音楽を聴かせてくれる。

ショルティはバーンスタインのように感情移入やテンポの激変することはしないで楽譜に忠実に指揮している。

しかし、ショルティのすごいところは一音も無駄にすることなくしっかりと明瞭な音を鳴らしていることだ。

しかも、音に色彩感があり彫りが深く、オーケストラ、ソリスト、合唱を見事にコントロールして最高の音楽を引き出している。

マーラーの「第8」の数々のCDの中でもトップを争う名盤だと思う。

また、驚異的なのは1971年の録音なのに、最近のデジタル録音でも聴こえてこない楽器の音が次々と聴こえることである。



追記:生前のショルティを評価していた数少ない日本の評論家に吉田秀和氏がいる。

河出文庫から発売されている著書『マーラー』で、ショルティのマーラー演奏について吉田氏は的確で素晴らしい解説を書いているのでお薦めしたい。

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2012年07月22日


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エルガーの交響曲第1番は、英国の作曲家の手による交響曲の最高峰である。

にもかかわらず、英国出身の指揮者による演奏は頻繁に行われているものの、それ以外の国の指揮者による演奏は驚くほど少ない。

作品の質の高さを考えると、実に惜しい気がする。

そんな数少ない指揮者の中で、ショルティがエルガーの交響曲第1番と第2番の録音を遺してくれたことは、何と素晴らしいことか。

ショルティは、この録音に先立って、エルガーによる自作自演を繰り返し聴いて臨んだということであるが、この点に照らしても、ショルティが単なる余興ではなく、真摯にこの傑作交響曲に取り組んだことがよくわかる。

演奏の性格を大観すると、英国の指揮者による演奏に顕著な哀切漂うイギリスの詩情を全面に打ち出したものではない。

むしろ、ドイツの正統派交響曲を指揮する時と同様のアプローチにより、古典的とも言える解釈を示している。

それでいて決してこじんまりとまとまっているのではなく、いかにもショルティらしいスケールの雄大さを兼ね備えている。

第1楽章冒頭からスコアをよく考究した表現で、非常にこまやかな陰影をもち、中庸なテンポによる造形と洗練された音彩が美しく、4つの楽章の性格も的確に示されている。

もちろん、ショルティの欠点として巷間指摘されている、ヘビーなアクセントや力づくの強奏などもみられないわけではないが、例えば第3楽章など、歌うべきところは心を込めて歌い抜くなど、決して無機的な演奏には陥っていない。

併録の序曲「南国にて」も交響曲第1番に優るとも劣らない佳演であり、ルビジウム・カッティングによる音質も良好である。

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2011年12月31日


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アシュケナージのベートーヴェン:ピアノ協奏曲全集は、後のメータ&ウィーン・フィル、クリーヴランド管との弾き振りの録音によって、最初のショルティ&シカゴ響との録音は影が薄くなった感は否めないが、ここでのアシュケナージは(もちろん極めてすぐれたものであるが)、比較的標準的なスタイルに近く、特に《皇帝》では最も万人向きの名演を聴かせる。

アシュケナージはまだこの録音時35歳であり、彼の最後のコンクールである、1962年のチャイコフスキーからはまだ10年しか経っていない。

全体的にはフレージングといい、フィーリングといい、優等生のそれであって、際立って個性的というわけではない。

とはいえ、もちろん、後の彼を思わせるような部分は萌芽として存在しており、磨かれた音色と無理のない表情、きっぱりとした中に多様なニュアンスを秘めている。

ことに第3番では、30代のアシュケナージが完成された大家のような深みのある表現を行っている。

第4番では彼は意識してピアノの音色を変えておりペダルを多用し、音量の変化に幅を持たせ、強弱の起伏をくっきりとつけている。

なかでも第2楽章は練り上げられた美しさと精神的な深さを感じさせる演奏だ。

これに対するショルティは、すでに将軍格の指揮者であり、シカゴ響は世界でトップを行く最強のオーケストラであり、この新人を迎えて、いつものように見事な統制と、輝かしい音とで歓迎の意志表示をしている。

全体の作り方はシンフォニックであり、弱音でオーケストラがピアノをバック・アップする時でも、重要な動機などはショルティは十分に歌わせて、単なる伴奏の役ではないオーケストラ作りをしている。

ショルティの棒は切れ味のよいリズムで、ベートーヴェン的な雄大な性格が見事に再現されている。

指揮者とオーケストラに関しては、全3回の録音で、この時のものが最もすばらしいといえる。

ただ、時にピアノはオーケストラの波に巻き込まれるようなところもあり、ソリストと指揮者の年齢差、貫禄の差を感じさせることもあるが、それは致し方のないところであろう。

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2011年09月11日


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ショルティ盤は、まず何よりも、その歌手陣の豪華さが魅力である。

1971年〜72年という録音時期も、ちょうど、ワーグナー歌手の世代交代期にあったわけで、ホッター、フリックといった大ヴェテランと若きコロとの組み合わせの妙も楽しい。

それぞれ名声にふさわしい歌いぶりを示しているが、威厳にみちたホッター、明晰な歌を聴かせるフリック、そして敬けんさ、妖艶さとともに最高の名唱ルートヴィヒなど、それぞれ巧者な歌唱で、まさに最上のキャスティングといえるだろう。

特にフリックとルートヴィヒを称えたい。

フリックは地味な役柄だが、役作りの確かさ、心理表現のこまやかさでこの演奏に重みを与えている。

ショルティの棒は、力まず、ごく自然に流しながら、この作品のもつ音楽の美しさをあますところなく再現している。

ショルティは、自信に満ちた態度でテンポを悠然と運び、豊かできびしい音の流れを作り出しており、ウィーン・フィルも、他に類がないほど豊麗で、しかも清純な美しい響きを聴かせている。

またショルティは、第2幕の花の乙女たちが登場する場面ではより官能的な美しさを求めたいが、緻密なまとめぶりと劇的な場面での高揚はさすが。

特筆すべきは、オーケストラのうまさで、ウィーン・フィルの艶麗で、しかも澄み切った響きの美しさは、たとえようもない。

ショルティの指揮のもとウィーン・フィルも美質を存分に発揮している。

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2011年06月16日


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意外なことにいずれもショルティの初録音だった。1980年度の米グラミー賞を受賞している。

現在カタログには何十種類もの現役盤がひしめいているが、結局、魅力度ということにかけては、ショルティ指揮シカゴ響が、圧倒的な貫禄であたりを睥睨している。

いかにもスケールの大きな巨匠風の演奏だが、機能的に優秀なシカゴ響の名人芸をフルに発揮させて、タカ派的ともいえるエネルギッシュで、戦闘的なブラームス像を描き上げている。

どの曲もいかにもショルティらしい表現で、堅固な造形でまとめられ、それが同時にショルティの資質と音楽的な特色を表している。

楽譜に指示されたすべての反復が実行され、しかも各曲それぞれの性格が鮮明に示されているのが素晴らしい。

例えば第1番の妥当なテンポで堅実にまとめられながらも、そこに作品に必須の豪快でスケールの大きい表現、劇性が存分に示されているのだ。

第2番の風格豊かで明朗な歌、第3番の古典的な語法とロマン的内容のバランスのよさ、第4番での精妙にブレンドされた響きなど、現代的なコンセプトによるブラームスの典型的な演奏といってよい。

2つの序曲も精緻な表現である。

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2011年05月01日


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ショルティによるワーグナーの前奏曲や序曲を中心とした1枚で、ショルティ初のオリジナル・ワーグナー/管弦楽曲集であった。

録音は1961年と65年、すなわちショルティがウィーン・フィルによって《指環》全曲レコーディングの金字塔を打ち立てていた時期と重なる一盤。

おそらくこの曲集は、ショルティのワーグナー・アプローチのひとつの原点を示すものであると同時に、彼のワーグナー観の最も説得力あるエッセンスではあるまいか。

オケの良さのためもあって、彼のワイルドで強引な指向は、むしろスケールの大きなダイナミズムへと転化され、切迫した激しい表出はより総合的サウンドへと融解している感。

のちのシカゴ響とのワーグナー集などと比べると一層その感を強くする。

総じて良い出来映えで、とくに《タンホイザー》序曲や《さまよえるオランダ人》序曲などは屈指の出来映え。

《タンホイザー》序曲は情感豊かで、いかにもショルティらしい線のきつい明快な表現だが、そのニュアンスのつけ方が実に巧い。

《リエンツィ》と《さまよえるオランダ人》はそれぞれダイナミックで男性的な表現だ。

ウィーン・フィルもさすがに巧く、オーケストラのもつ特質がそれぞれにいきているのも事実だし、ショルティの音楽の深さも見逃せない。

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2011年03月28日


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ショルティによるエルガーとコダーイ作品は再録音だが、ブラッハーは初録音だった。

近代の変奏曲の傑作を3曲収録した好選盤。

すでに、ショルティも齢80を超え、深い関係にあった楽団と、心に叶った演目だけを演奏していた時期に収録されたライヴ録音である。

かつて、ステレオ初期の時代に、ウィーン・フィルを力ずくでねじ伏せようとしていた趣きはまるでなく、エルガーでは、老練な語り口で、各変奏を自然に描き分けていくアプローチが展開されている。

周知のように《エニグマ》では、オリジナル主題に基づく14の変奏において、エルガーと親しかった人たちの人間的特徴がスケッチされている。

従って各変奏は、できるだけ違いを引き立てるよう演奏されるのが普通である。

しかしショルティは違う。

彼は、音楽の流れを重視しつつ違いをさりげなく聴き手に伝える、といった体の演奏を繰り広げてゆく。

ゆったりと流れる大きな流れの中の各変奏の多様で自然な表情。老練な語り口だ。

ショルティの師であったコダーイの名作《孔雀》は、ウィーン・フィルの流麗な音色を生かし、民族色に富む世界を生き生きと再現しているのが魅力。

オーケストラの美麗な響きを活かしながら、老巨匠が生涯にわたって保ち続けた小気味よいリズム感を介して、活き活きとした世界を形成。

フィナーレでハンガリー民謡の主題が回帰する際には、感動的なクライマックスを築き上げている。

ここでのショルティは、小気味のよい快活なリズムも披露、演奏に花を添えている。

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2011年02月18日


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大規模な作品であるだけに、万全の名演というのは存在していないが、このショルティの旧盤は、ショルティの機能美に満ちた指揮にウィーン・フィルの味わい深い演奏が豊かな肉づきを与えている点が、大きな魅力となっている。

このオペラの成否を決める重要な2つの要素である、明快さとふくよかさをあわせ持った演奏だ。

第2幕フィナーレでの、夜中のニュルンベルクの街の大騒ぎの場面の雑然とした大アンサンブルを、音楽とドラマの感興を片時も失うことなく、整然とまとめあげているのは、このショルティの指揮の特徴を最も顕著に示した部分といえよう。

ヴァルターを歌うコロが、若々しく伸びの良い声で力演している。

ベックメッサーのヴァイクルも、甘美な声と確かな技巧で聴かせ、またハンス・ザックスのベイリーが、淡々としているが必要なものは過不足なく備えた好演だ。

ベイリーのハンス・ザックス、モルのポーグナーのバスの対比、コロのヴァルター、ダラポッツァのダヴィッドのテノールの対比もいいし、ヴァイクルのベックメッサーのブッファ的でないキャラクターも美しい。

ボーデのエヴァ、ハマリのマッダレーナも、派手さはないが、堅実な味わいを示している。

その他のマイスタージンガーたちも、いずれも高水準の演唱によって、ドラマを生き生きと描き出している。

ショルティは晩年に再び録音しているので、ウィーンでの録音はちょっと影が薄い。

しかしこの旧盤は、明快で、しかも表現力豊かなショルティの指揮と、技量抜群のウィーン・フィルの素晴らしい響きがうまく調和した明晰このうえない名演で、力強い《マイスタージンガー》なのだ。

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2011年01月21日


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全曲ともショルティの棒の特質と相俟って、鋭い切り込みとエネルギッシュで無駄のない曲作りがひとつの魅力となっている。

説得力豊かで、かつまたヴィヴィッドな現代感覚に富んだバルトークである。

アシュケナージのピアノは、バルトークの音楽のもつ荒々しさという点では、やや物足りないが、どの曲も、きわめて洗練された美しいタッチで、表情豊かに弾きあげているところに惹かれる。

終始落ち着いた足取りで風格豊かな音楽を展開している。

輝く音色美と冴えた迫力、弱音のニュアンスはまさにアシュケナージの独壇場だ。

第1番でアシュケナージは、卓越した技巧と、ずばぬけた美しさをもった音色で、この曲をロマンティックに表現している。

豊かな心で弾きあげているあたり、いかにもこの人らしい。

第2番でもショルティの素晴らしいバックに支えられ、この曲のもつ激しい情感を見事に表出している。

第3番は第2番を上回る立派な出来で、美しい音色と、すぐれた技巧を駆使し、スケールの大きな音楽を作り上げている。

メリハリのきいたショルティのバックは唖然とするほどうまく、特筆に値する。

その中で第2番、第3番の協奏曲に特によく現われているような豊かな感情と音色美の世界、ピアニッシモの情感はまさにアシュケナージならではの持ち味であり、彼のピアノの美点が浮き彫りにされた例となっている。

それに完璧主義者としてのショルティは、これらのスコアを読み尽くし、痒いところに手が届くような、微細な部分にもスポットを当てて、曲のディテールの面白さを味わわせてくれる。

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2011年01月03日


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異論の向きもあると思われるが、ここではショルティ盤を第一に推したい。

子供が手近かなものを叩いて音を出すことに純なよろこびを感ずる。そこにひびきの原点がある。

ショルティはこの子供らしい無邪気なよろこびを片時も失っていない音楽家だ。

ハイドンは一見謹厳実直だが、生涯無邪気な子供の目を失わず、その一方で賢者のバランスのとれた老練な省察も見せる。

このふたつのファクターがうまく噛み合って生まれたのがこのオラトリオだ。

曲は天地創造の現場に居合わせるわくわくするよろこびに満ち、大きなスケールで広がってゆく構成力にも欠けず、リアルな神秘感をたたえ、実に感動的だ。

ハイドンが途方もないゆたかな想像力と音楽的な才能に恵まれていたことを実感させる音楽だ。

その無邪気なよろこびと、スケールの大きな構成が見事に浸透し合っている点で、ショルティの演奏をしのぐものはない。

まるでハイドンから直接棒の振り方を教わったと思わせるほどの憑依を示している。

この「天地創造」の演奏でなによりも必要なのは、天地がはじめて開けてゆく光景に目を見張る初心の感動である。

その感動がひびきとなって聴き手に伝わって来なければ万全とはいえない。

ショルティにはその生き生きした無邪気な感動があり、その無邪気さはまたハイドン自身のいちばんの持ち味でもあった。

しかしだからといって粗雑であってよいわけではない。

ここではシカゴ交響楽団の精緻な合奏能力によって、無邪気であると同時に精妙で晴朗な演奏が実現している。

独唱陣ではラファエルのモリスが進行役にうってつけ、アダムのニムスゲルンははじめて人間に目覚めたよろこびと不安をよく出している。

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2010年11月20日


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アシュケナージとショルティによるバルトーク:ピアノ協奏曲全集がカップリングされているが、その演奏内容については別項に書きたい。

チョン・キョンファが特に輝いていたのは、いったい何時だったというべきなのだろうか?

そうした問題を考えるには、このバルトークの2曲の協奏曲を収録したディスクは、ある一定の解答を示してくれるに違いあるまい。

とりわけ、1976年に録音された第2番(オケはロンドン・フィル)の演奏は、ピリピリとした緊張感に貫かれ、なべてのものがピン・ポイントの明快さで把握されており、いかにもチョン・キョンファらしいところがよく出ている。

それは1983年に録音された第1番(オケはシカゴ響)と比較してみても、ある程度明らかといえるだろう。

とりわけ第1番の凄まじさは絶後、迫力あるオケのサポートと相まって、鳥肌の立つ瞬間が頻出する。

鬼気迫るような怖ささえ感じられる演奏だ。

20代後半と30代半ばの、まさに音楽にのめりこみ猛進していた時期の演奏で、チョンのひとつのピークを物語る上では最良のものであろう。

気迫のこもった歌心と鮮烈な技巧、そして強力な集中力など、心の底を揺さぶられるようなバルトークである。

この種の音楽はチョンがもっとも得意とするだけに、ここでもひたすら音楽に没入し、比類のない凝縮度の高い演奏を実現している。

高いテンションを維持しながらそこにバルトークにふさわしい歌をもりこみ、音楽の起伏を巧みに描き出す奥行きのある表現を聴かせるところもこのヴァイオリニストならではで、テクニックの切れ味も申し分ない。

身を切るごときバルトークの鋭敏な音楽から、これほど情熱と暖かさを引き出した演奏はあるまい。

これら2曲の収録時と比べると彼女の芸風は変化してきているが、少なくともバルトークを弾くにはこの頃がベストだったのではなかろうか。

両曲の演奏を通して、指揮者ショルティが圧倒的な存在感を示している点も、忘れずに指摘しておきたい。

作曲家に対する深い共感に裏打ちされたショルティの指揮は、チョンの火の玉となったようなソロに一歩も譲らない。

チョンとショルティの、この音楽へのシンパシーと感性の同一性を感じないではいられない。

協奏曲録音における一つの理想といえるだろう。

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2010年05月24日


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1977年の「ナクソス島のアリアドネ」以来約15年ぶりのショルティのR.シュトラウスのオペラ全曲盤で、彼が最愛のオペラという当曲の初録音である。

3年の歳月を費やして録音した大作。

ショルティはきわめて豊麗な美しさとニュアンスに富んだ響きで、さまざまな場面の色彩と対比を鮮やかに描き出し、音楽が内蔵する意味深いドラマを語る。

このオペラの魅力の根源である、豊麗さの中にある官能美と、透明・精妙さの奥に秘められた象徴性の一体化を、これまでのどの演奏にもまして聴き手に納得させる名演だ。

豊かな官能性と繊細微妙な表現を併せ持つ究極の演奏であり、ショルティの円熟を納得させる。

しかもショルティは円熟という名のもとに作品の姿を歪めてしまうようなことは決してない。

常に新しい発見と進歩が確認される新鮮な演奏を作り出す音楽家なのである。

このオペラにはベームと、サヴァリッシュの完全全曲盤があったが、ショルティは作品にこめられたメッセージをわかりやすく、生き生きと浮き彫りにしてくれるという点で、初心者にもお薦めできる。

ソリスト、録音も素晴らしく、ショルティ自身「大きな音になっても音量を下げずに聴いてください」とコメントしている。

ベーレンス、ヴァラディ以下キャストも充実している。

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2010年05月04日


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ショルティは、モーツァルトの主要なオペラを録音しているが、これは、ショルティのモーツァルトとしては最も成功していた《魔笛》をしのぐ、最も優れた演奏だ。

ウィーン・フィルの威力も素晴らしく、そのまろやかな響きは、まさに、こうしたモーツァルトのオペラにうってつけだと思う。

ウィーン・フィルの比類を絶した素晴らしさがこれほどのびのび発揮されたことも珍しく、第11曲の前奏など至福のひとときを味わわせてくれる。

1980年のウィーン国立歌劇場による日本公演で大きな話題となったのが、《後宮からの逃走》のコンスタンツェ役と《ナクソス島のアリアドネ》のツェルビネッタ役で舞台をさらったグルベローヴァの活躍だった。

彼女の出現は(カラスだけを例外として)コロラトゥーラ・ソプラノを軽視する、というよりも蔑視する傾向の強かった戦後の日本音楽界に衝撃を与え、その音楽的価値を再認識させることになったのである。

このショルティ指揮による《後宮からの逃走》全曲は、まさにその昇竜の勢いにあった時代のグルベローヴァが歌ったもの。

その後にはピリオド・アプローチによる優れた盤も登場したが、歌の力ではこれが飛び抜けている。

バトルの侍女ブロンデも光っているし、タルヴェラのオスミンも今までレコードがなかったのが不思議なくらいの適役だ。

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2010年04月06日


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第4番は空前の名技集団シカゴ響が、ショルティの完璧なドライヴで胸のすくような快演を聴かせる。

しかもその表現は決して外面的な技術巧緻性だけにとどまらず、内面的な作曲者の心情への共感をも十全に伝えている。

一分の隙もないアンサンブルなど、ショルティの設計は隅々に至るまで行き渡っており、全4楽章がきわめて平衡感の強い造形と響きでまとめられている点も見事。

円熟した巨匠の芸を感じさせる。

「くるみ割り人形」もふくよかで繊細な表現で、その1曲1曲が魅力的である。

第5番はあらゆる点で均衡のとれた、模範的といってよい演奏だ。

管・弦のバランスやアンサンブルはまず申し分なく、ショルティの解釈も適度に客観的で、実に平衡感の強い造形である。

万人向きという点ではこれに勝る演奏はないだろう。

「白鳥の湖」は完全なコンサート様式の演奏で、オーケストラの演奏技術の見事さが随所で感じられる。

「悲愴」は寸分の隙もない純音楽的な表現だが、音と音楽は隅々までふくよかに磨かれ存分に歌い、音楽は常に流麗そのものである。

しかもショルティは全4楽章を通じて瑞々しい感受性でひたすら作品の内奥に迫っており、表面的になることがない。

したがって終楽章も強い共感が示されており、同時に作品の立体的な音構造を解明している。

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2010年02月13日


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素晴らしく精緻な演奏。これほど見事なアンサンブルを聴かせるブルックナー演奏は数少ない。

ショルティは時に彼自身の個性を強く打ち出してわずかに聴き手に違和感を与えることがあるが、ここでの解釈はテンポを無用に動かさず真正面から作品に対している。

シカゴ響の威力あふれるアンサンブルと響きが相まって、実にスケールの大きい演奏を展開している。

なかでも傑作は後期3大交響曲。

「第7」は聴き手を、ショルティの芸術世界に引き込まずにはおかない素晴らしい演奏だ。

作品全体を貫く挽歌の雰囲気を、深沈とした歌で表し、情感のうるおいを確かな手応えで表出。

シカゴ響の響きも磨き抜かれたもので、つややかで美しく、豊かな表現力を発揮する。

第2楽章の抒情感もこの上なく豊かに示されている。クライマックスの高潮も指揮者のスケールの大きさを存分に表している。

終楽章の仕上げの見事さは完璧と言えるほどだ。

「第8」では、きわめてがっしりとした構築で、この曲のもつ深い宗教的で詩的な情感を巧みに表出しており、その卓抜な手腕には驚く。

「第9」では、古典的といえるほど堅固な構築をつくり、そこに歌の流動性を合わせもつという至難の技をいとも容易に実現している。

特に第1楽章では、クレンペラーの名演を想起させる悠揚たるテンポと、激烈と甘美の2つの主要楽想の表現、そして悪魔的なまでの高揚を聴かせ、これまでのショルティとはひと味違った奥行きの深さを感じる。

これはまさに"究極のブルックナー"と呼ぶにふさわしい。

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2010年02月11日


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ショルティの当オペラの初録音にして、ワーグナー・オペラ全曲録音の最後を飾った。ショルティはこれでワーグナーの主要なオペラをすべて録音したことになる。

ショルティが求めていた理想的なキャストによる「ローエングリン」である。

演奏は、いかにもショルティらしい、彫りの深い精密な表現で、しかも、デリケートで変化に富んだ情感を豊かに表出しているあたり、この人の年輪の深さを感じる。

あらゆる点に周到な目配りと配慮にいきとどいた表現で、音楽の細部はすこぶる正確な精妙さで一分の隙もなく整えられており、音楽とドラマのデリケートな色調や、襞や陰影や情感の明暗を表出している。

以前のショルティのようなゴリ押しはなく、音楽は自然に、豊かに流れ出ていく。

ウィーン・フィルも豊麗な音色と清澄な響きで聴かせている。

独唱陣のなかでは、ノーマンのエルザとドミンゴのローエングリンが出色だ。

この主役2人の声の豊麗さと肉感的なほどの美しさはとび抜けている。

もちろん、ワーグナー独特の朗唱法をきちんと守りながら、見事な歌唱を聴かせている。

また、ヘールルーファー演じるフィッシャー=ディースカウや、テルラムントのニムスゲルン、オルトルートのランドーヴァらの磨き抜かれた歌唱も見事。

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2009年10月08日


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ショルティはこの全集の録音には14年を費やしているが、どれも素晴らしく高い水準で一貫している。

ショルティは、きわめて明快な表現で、緊張感にあふれた演奏を行っている。

新古典主義に根ざしたショルティの音楽は、客観性を保ち、スコアの指示を忠実に守り、あまり粘らず、情緒におぼれることもない。

オーケストラの抜群の技量がぞんぶんに発揮されており、いかにもショルティらしい現代的な感覚の演奏だ。

ショルティよりも6歳若いバーンスタインの、ロマン主義的色彩が濃厚なマーラーと、よい対照を成している。

ショルティ一流の、きわめて精緻で、鋭い表現できちっとまとめあげているが、そのなかにも、楽曲のこまやかなニュアンスを巧みに表出しており、ショルティの円熟味が感じられる。

美しく、デリカシーに富んだ演奏でもあり、音色の微妙な多様さ、各パートの微妙なニュアンスの表出、それらが交錯して完璧なオーケストラの美を聴かせる。

一種の正確さとマーラーの美が厳しく引き締まった音楽を作り上げており、随所に示された繊細な感性とロマンの美は、ショルティの音楽的円熟の証明である。

意志的な力とコントロールで均衡感の強い音楽を組み上げているが、同時に自在な呼吸に支えられた豊かな表情があり、成熟を感じさせる演奏だ。

おどろおどろしいマーラー、官能的で、表現が粘りがちになる情念的マーラー、やたらとネクラに、諦め顔のマーラー等々、既成のマーラーでは物足りなくなった向きには、ショルティのマーラーはまことに爽快に感じられる。

マーラーを古典として眺め、そこに自然な音楽像を作り出した感動的名演をいえよう。

シカゴ響の力強くダイナミックな合奏力と、録音の素晴らしさも特筆すべきものだ。

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2009年09月20日


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ショルティの指揮で1966年から67年にかけて録音されたもので、当オペラの代表的名盤。

ショルティ盤は彼が得意とするシュトラウスの録音のなかでも最高の出来映えだ。

ショルティが録音した数々のオペラのなかでも、ショルティの音楽性とこのオペラの性格が見事にマッチした最高の名演奏である。

聴いていて、終始緊張と興奮の連続である。

世界の名指揮者といわれる人たちのほとんどがそうであるように、ショルティもまたオペラ劇場のひとだ。

その彼が、やはりオペラ劇場のオーケストラも兼ねているウィーン・フィルから、アグレッシヴな音楽性を引き出し、真に自分のいいたいことをストレートに表現し得ている。

ショルティの直線的で、線の鋭い情熱的な特性が見事に生かされた演奏で、作品の表現主義的側面を抉り出して聴かせる。

ショルティの指揮を力づくだとか無機的だとか言って毛嫌いしている人にはその誤解を解くのにうってつけのディスクだ。

歌手陣も、いずれも素晴らしいが、ことにエレクトラのニルソンは、復讐の鬼となった狂人に近い性格を万全に表出している。

全曲ほとんど出突っ張りのニルソンのタイトルロールは、声の色と質を必要に応じて自由に変化させながら、燃えに燃えて、燃え尽きて終わる。

まだ40代のニルソンが、持ち前の硬く引き締まった声で激しい感情の起伏を歌いこなしてゆく緩急強弱のコントロールが実に見事だ。

クリテムネストラのレズニックも、良心の呵責に悩む母と、冷血ともいえる非情さをもった女の、ふたつの性格を表情豊かに歌い分けている。

ジョン・カルショーの想像力豊かな音づくりもムードを盛り上げる。

ベームなどがカットした個所をすべて復元した完全全曲盤。

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2009年08月03日


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ショルティの名人芸とシカゴ響の名技性とが高い次元で理想的にマッチした凄い名演で、やはり現代に於けるスーパー楽団の演奏である。

伝統にとらわれぬスコアに忠誠を尽くした演奏で、実にスケールが大きくシンフォニックな名演を聴かせる。

ショルティの指揮は、動的な躍動感とオーケストラの積極性あふれる表現意欲に圧倒されるもので、ドラマティックな面白さ、激しい高揚感もこのコンビならではの魅力である。

スケール感といいダイナミズムといい、格段に大きくしかもアンサンブルは緻密そのものだ。

どんなにダイナミックに鳴らせても、少しも騒々しくならないのは、ピッチとアンサンブルの正確さを示している。

ショルティはドヴォルザークと同じ東欧出身の指揮者であるが、彼のアプローチも、極めて気宇壮大で素晴らしい。

全体にモノーラル時代のトスカニーニの名演を思わせるかのようなカチッとした演奏で、シカゴ響の抜群の技量が存分に発揮されている。

きわめて平衡感の強い造形でまとめられており、ショルティが明らかに新古典主義的な様式観を持つことを示している。

したがって解釈は客観性の強い平均的なものだが、音楽の輪郭が明快なこと、尖鋭な動感の背後に独特のゆとりと大きさを感じさせるのは、さすがにショルティの卓越した個性といえる。

第1楽章からして一分の隙もないダイナミックな合奏を聴かせてくれるし、艶やかなイングリッシュ・ホルンで情感豊かに吹きあげた第2楽章もよい。

また、鋭い切り込みで豪快に表現した第4楽章も、いかにもショルティらしい。

特筆すべきは非常に鮮やかな録音で、弦楽器の厚みのある低音から金管楽器の輝かしい高音にいたるまで、どの楽器も、実に明澄に収録されているのに驚く。

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2009年07月11日


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このディスクのプロデューサーであるジョン・カルショーの「現在望みうる最上の《指環》をレコードで再現したい」という執念のようなものが感じられる名盤だ。

ワーグナーの巨大な4連作《ニーベルングの指環》のステレオ全曲録音は、ショルティ/ウィーン・フィルの顔合わせによって始められた。

そのレコーディングは1958年9月の《ラインの黄金》に始まり、《ジークフリート》(62)、《神々の黄昏》(64)を経て、1965年の《ワルキューレ》に至るというものであったが、それは、たんに壮大なスケールをもった記念碑的なプロダクションということだけではなく、その後予想もつかなかったような数にのぼる《指環》の全曲盤が登場しているにもかかわらず、このショルティ盤を超えるものがいまだにないという点において、重要な存在をなしてきている。

そこでショルティは、ウィーン・フィルという伝統的なオーケストラの本質的なものを決して損なうことなく、完全に近代的なアンサンブルに仕立てあげ、ワーグナーの音楽のスタイルを緻密で雄大に展開しえている。

ショルティの精妙な演出と、スケールの大きな、ダイナミックな表現もさることながら、録音効果がまことに抜群で、全曲を飽きさせずに聴かせてくれる。

ロンドン、キング、ヴィントガッセン、ニルソンらをはじめとする歌手たちのすべてが、その時点における最もすぐれた、しかも適切な人々であることはいうまでもなく、すべてにおいて理想的な条件が追究されているということは、レコーディングにおけるひとつの黄金時代であったからこそ可能であったといえなくもないが、ワーグナー・ファンはもちろん、ワーグナーに興味が乏しい人々にとっても、こればかりは、無視することのできないものであるといってもよかろう。

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2009年06月22日


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ベートーヴェンの現代楽器によるスタンダードは、ショルティ指揮シカゴ響であろう。

大編成のオーケストラで、しかもショルティの巨匠的な音楽性は、英雄的でスケールが大きい。

ベートーヴェンのスコアに忠誠を尽くした演奏で、ショルティの知性と作曲家に対する奉仕の精神が、聴き手にも伝わってくる。

反復もすべて励行して、ベートーヴェンのスコアに誠実に従っているのも、ショルティの近代人としての知性の発露だろう。

ショルティの成熟ぶりを余すところなく伝えた名演で、録音当時のショルティは、知・情・意のバランス、心・技のバランスが見事に中庸を保っていた時代にあり、このベートーヴェンでも実に緊張度の高い充実した演奏を聴かせる。

ショルティの演奏はもはや円熟と形容したい表現で、完成度の高い、練りに練られた音楽を展開している。

9曲の交響曲は、新古典主義的ともいえる端然とした造形でまとめられ、あらゆる細部までの表情が明晰だ。

ショルティは響きをよく引き締め、しかも自由な流動性を表出し、古典的な中にも交響性と偉大さをもったベートーヴェンに仕上げている。

シカゴ響の緻密なアンサンブルは、現代のオーケストラの演奏水準の最高を極めたもので、現代のオーケストラ演奏の粋が味わえよう。

どの曲も純音楽的、数あるベートーヴェンのディスクのなかでも屈指の1組と評価したい。

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2009年04月29日


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ショルティ指揮シカゴ響が、オーケストラの名人芸をフルに発揮した名演を聴かせる。

いずれもショルティの綿密な設計力とシカゴ響の優秀さが光る、完成度の高い演奏である。

特に管楽器のソロのうまさは唖然とするほどで、さすが世界のトップ・オーケストラならではの実力である。

ダイナミック・レンジも極めて広く、録音もゴージャスそのもので、ことに金管楽器が鮮明。その迫力と精密さは言語に絶する。

特に「展覧会の絵」はこの作品の核心を鋭くついた極めて質の高い表現で、ショルティは一切の粉飾を排し、ひとつひとつの音を大切にしながら各曲の曲想を的確に表出している。

ムソルグスキーの音楽特性よりも、むしろラヴェルの色彩的なオーケストレーションに重点をおいた演奏で、各曲の性格を、極めて明快に描き分けながら、華麗な音色でダイナミックに表現している。

何といっても抜群のソロの巧さと輝かしいサウンドが、最大のセールス・ポイントになっており、この曲の素晴らしさをストレートに伝えている。

ことに「キエフの大門」の壮麗かつダイナミックな表現には圧倒される。

「春の祭典」は、大変ドラマティックな迫力にあふれた演奏で、ショルティの精悍な風貌にふさわしく、その表現はきびしく力強い。

特に第1部の「大地の踊り」や、第2部の「いけにえの讃美」から終曲「いけにえの踊り」にかけての、たたみ込んでゆく盛り上げ方のうまさは実に見事なものだ。

表現のダイナミック・レンジの広さも驚異的で、デリケートな弱音から、怒涛のようなクライマックスまで、まったく破綻のない安定ぶりは、他の追随を許さないものがある。

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2009年04月10日


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この作品の最も優れた録音の一つにあげられるもの。

個々の歌唱の卓越、役柄との適正もさることながら、ショルティが音楽の自律的な美しさの前に敬虔さを失わず、従ってそこには深い感銘と同時に、開放的な愉楽があり、モーツァルトの天衣無縫の音楽が生き生きと息づいている。

「モーツァルトに端役なし」とは、誰が言った言葉かは忘れたが、けだし名言だと思う。

特に「魔笛」のディスクを選ぶ場合などは、私の脳裏にはつねにこの言葉が貼りついて離れない。

「魔笛」こそは、モーツァルトが「後宮からの逃走」で確立した"ドイツ語オペラ"により発展した姿であり、モーツァルト・オペラの集大成なのだから。

「魔笛」という作品の成立を考えると、パパゲーノとパパゲーナ(そしてモノスタトスも)、声楽家としての名人芸よりも、役者としてのパーソナリティの魅力が必要である。

一方、至難の名人芸を求められる夜の女王、ドイツのヘルデン・テノールの先祖ともいうべきタミーノ、低音の威力と人間性が求められるザラストロをはじめ、意外なテクニックを求められるパミーナには、声楽家としての技量が不可欠だ。

3人の童子や3人の侍女には、何よりも洗練されたアンサンブル能力が求められる。

それらの要素を最も満たした録音が、クレンペラー盤とショルティの旧盤であろう。

クレンペラー盤が台詞なしであるのに対し、こちらはジングシュピールの面白さも堪能できる。

ドイテコムの夜の女王、プライのパパゲーノ、タルヴェラのザラストロ、シュトルツェのモノスタトスは最上の歌唱。バロウズのタミーノが弱いのが惜しまれる。

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2009年01月09日


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シカゴ・オーケストラ・ホールとカーネギー・ホールで行われた演奏会形式上演のライヴ録音。

パヴァロッティ初のオテロとして注目されたもの。

何しろオテロ役は、テノールの難役中の難役といわれていて、かつての名テノール、デル・モナコや、近年ではドミンゴなど、オテロ役を演じることのできる歌手は、きわめて少ない。

このディスクはパヴァロッティが初めて挑戦したオテロが聴きもので、彼の軽やかな声が、細やかでいきいきとした感情と性格をもつ人間を歌い出すことに成功しており、そこには音色と内容への慎重な配慮がうかがわれる。

演奏会形式の上演のため、純粋に歌唱のみに意識を集中することができたのが功を奏したのかもしれない。

テ・カナワのデスデモナは、彼女としては無難な出来だ。

ショルティの指揮するイタリア・オペラには、確固たる造形性に支えられた強い説得力があり、鋭敏な指揮に見事に反応して血肉を与えていくシカゴ響も名演だ。

シカゴ響の磨き抜かれた美音に圧倒され、名将ショルティと強力無比の軍団の到達点がこれだったのかと、感動さえ覚えてしまう演奏である。

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2008年11月30日


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「ツァラトゥストラ」は華麗絢爛たるカラヤンとベルリン・フィルのものを、さらに引き締めたような最も万人向きの演奏である。

スコアが細部まで見渡せることでも随一。

「ティル」も他のどの演奏よりも歌に満ちている。

「ドン・ファン」は腕達者な奏者がバリバリ弾きまくっていて、その自信と威力に圧倒される思いだ。

第2主題で最後に弦と木管が現れる所の遅いテンポが実にいい。

「アルプス交響曲」はショルティ&バイエルン放送so.による初録音。

ショルティは鮮やかな統率力で、この切れ目のない曲を聴かせる。

R.シュトラウスの管弦楽法が、いかに精緻であるかを知るためにも、十分に存在価値のある録音といえるだろう。

ショルティの演奏は、比較的淡白で、技術の冴えに終始した感もあり、曲に内在するロマン的な憧憬の表出があってもよかった。

いろいろな意味でCD向きの作品といえるだろう。

「英雄の生涯」はウィーン・フィルの響きと反応が、演奏になかなか美しい奥行きと雰囲気を加えているが、ショルティとしては少々詰めの甘さを残した演奏になっているのが残念だ。

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2008年11月26日


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ショルティ=シカゴ響のコンビは1970年代から1980年代にかけての世界のオーケストラをリードし、いわば機能美の理想を聴かせる名コンビとして楽壇に君臨したが、その出発点を記した記念碑的録音がこのマーラーである。

極めて引き締まった表情をもつ現代的マーラーを描いている。

この当時(1970年)のショルティには、力を強調し、やや情緒的雰囲気に欠ける面もあるが、曲に対する設計は細部に至るまで行き渡っており、全曲を通じての一貫した様式と主張がある。

造形の密度もきわめて高く、シカゴ交響楽団の精密機械のようなアンサンブルの緊密さは特筆に値する。

特に第3、4楽章は傑出した演奏技巧だ。

ここに聴くアンサンブルの優秀さ、ソロの卓越した巧さ、音色の華やかさ、表現のダイナミズムは、すべて時代を画す一種の離れ業であり、この1枚をもってオーケストラ演奏に対する見方は激変したといってもよいほどである。

複雑な構造、スコアの細部まで解き明かした演奏は、現在でも色褪せない魅力を放っている。

ショルティの明快でエネルギッシュな表現が、作品の魅力を前向きに噴出させて爽快だし、デッカの優秀録音が音楽的で、サウンドそのものに音楽性を感じさせる。

後に再録音したが、これはこれで不滅だ。

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2008年06月20日


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「ロメオとジュリエット」は全52曲のなかから、聴きどころを17曲抜粋して、バレエの筋通りに演奏したもので、ショルティは切れ味のよい棒さばきで、各場面の情景を生き生きと描出している。

プロコフィエフの音楽特性を、実に的確につかんでいるのがよく、ことに素晴らしいには、第2幕の「タイボルトとマーキュシオの決闘」と、それに続く「マーキュシオの死」、「ロメオ、マーキュシオの死の報復を誓う」などの演奏で、いずれも劇的で力強く、第2幕終曲の、あの哀感を漂わせたタイボルトの葬送音楽との見事なコントラストをなしていて感動的だ。

「古典交響曲」は、古典と現代がミックスしたこの交響曲の特色を、極めて精緻な表現で、あますところなく表出した名演奏である。

明快な棒さばきで爽快に仕上げた第1,4楽章もさることながら、第2楽章の柔らかな表情が実に素晴らしく、特に、弱音で奏される弦の美しさは無類である。

いずれも間然とするところのない立派な演奏だ。一分の隙も一点の曖昧さもなく鮮やかに演奏しながら、円熟味を感じさせるのが晩年のショルティの特徴であった。

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2008年06月18日


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ショルティのマジャール人としての血の躍動が全編にあふれているかのような名演である。いずれもショルティらしい極めて精緻な表現で、どの曲を聴いても彼の意思の強さを感じる。

なかでも特に光っているのは「管弦楽のための協奏曲」で、実に彫りが深く、ひとつひとつの音に血が通っているかのように音楽が豊かに息づいている。

第4楽章など、実にハンガリー的な色彩を濃厚に表出しているし、終楽章も、力感と生命力にあふれた表現で、シカゴ響のもつ色彩感を巧みに生かし、鋭い切れ味で曲の核心に迫っている。

「中国の不思議な役人」は今まで聴いたことのないほど優れた演奏で、ショルティが一分の隙もなくまとめている。指揮者とオケが完全一体となった、手に汗がにじむような熱演だ。

「弦楽器、打楽器とチェレスタのための音楽」もこの曲の演奏の最右翼というべきもので、第2,4楽章における一種の緊張感と、マジャールの血の踊りは大変なもの。

「ディヴェルティメント」は暗い陰りを巧みに表出した第2楽章が素敵だ。

「舞踏組曲」は若い頃バルトークから直接教えを受けているショルティの、民族的な感覚の発揮された演奏で、ハンガリー的な色彩感と土俗的な香りを大変鮮やかに表出している。どの曲にも、ハンガリーの土の臭いが強烈に感じられる名演奏だ。

いずれも強烈な説得力で聴き手に迫る音楽である。

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2008年02月21日


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シカゴ交響楽団とは、1891年に創設されたアメリカのオーケストラ。

ニューヨーク・フィル、ボストン響に次いで、アメリカで3番目に古い交響楽団とされている。

創設者トマスからストック、ドィスフォー、ロジンスキー、クーベリック、ライナー、マルティノンと音楽監督が受け継がれてきたが、ショルティの時代になってから名実ともに黄金時代を迎えた。

輝かしい響きのブラス・セクション、豊麗な響きの弦セクションなど音の美感の素晴らしさに加えての驚くばかりに正確な合奏能力と指揮者の多様な要求に機敏に反応できる多彩な表現力が、世界で最上級のオーケストラとされる所以だろう。

1991年からバレンボイムが音楽監督となっている。

2006-2007年のシーズンは新音楽監督が決まらずに迎えることになるが、首席客演指揮者のピエール・ブーレーズが人事権などの一部を担う形で、新しいシェフの選考は継続される。

2006年シーズンより、ベルナルト・ハイティンクが首席指揮者に、ピエール・ブーレーズが名誉指揮者に就任すること、これらの人選は新しい音楽監督の決定とは別の話であるとの発表が楽団からなされた。

2010年5月、ムーティは正式に音楽監督に就任した。

なお首席指揮者ハイティンク、名誉指揮者ブーレーズもそのまま在任している。

私はもう25年程前になるが、ショルティ指揮シカゴ響のマーラー「復活」を聴いてド肝を抜いた。

ショルティは「復活」のあらゆる細部に至るまで手中に収め、全体を彼ならではの意志的な力で貫いている。

作品にふさわしく多彩を極めたショルティの表現はシカゴ響の卓越した技量によって初めて実現されている。

その音楽性は、白熱の燃焼から瑞々しい抒情まで幅広く、新古典主義的様式による典型的なマーラーだ。

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2008年01月16日


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ワーグナーのスタンダード曲を集めた名演である。

ショルティのワーグナー演奏については、あの1958年から65年にかけての《ニーベルングの指環》の全曲録音ひとつによっても、他に比肩するもののない業績の豊かさを思わせている。

そこにある完璧ともいえる音楽分析と深い理念に裏づけられたワーグナー観は、彼が常に最も信頼し得るワーグナー指揮者のひとりであったことを疑わせる余地はない。

ここでの曲目は、前奏曲と序曲を中心としたものであるが、ショルティにとっては、それらがコンサート・レパートリーであると同時に、完全に手中にしているオペラ・レパートリーの一部であるということが、その演奏の内容をいっそう確かなものとしているし、シカゴ交響楽団とウィーン・フィルというふたつのオーケストラによる演奏をまじえたものであっても、ショルティの掌握の度合いに何らの違いも見られない。

《トリスタン》が非常に名演である。

冒頭の哀切なピアニッシモからして心惹かれるが、木管の透明さと弦の粘着力を両方相持ち、この曲の世界を的確に描き上げていく。

スケールの大きな《タンホイザー》と押し出しの立派な《ニュルンベルク》もショルティの長所がよくあらわれた見事な演奏だ。

他の曲もきっちりとした整然たる表現になっている。

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classicalmusic

早稲田大学文学部哲学科卒業。元早大フルトヴェングラー研究会幹事長。幹事長時代サークルを大学公認サークルに昇格させた。クラシック音楽CD保有数は数えきれないほど。いわゆる名曲名盤はほとんど所有。秘蔵ディスク、正規のCDから得られぬ一期一会的海賊盤なども多数保有。毎日造詣を深めることに腐心し、このブログを通じていかにクラシック音楽の真髄を多くの方々に広めてゆくかということに使命を感じて活動中。

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