クラシック音楽用語解説

2015年07月10日


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本著は、不世出の音楽評論家吉田秀和が、世界の名演奏家に光をあて、その芸術の特質とあふれる魅力を明晰に語った作品。

この評論集には23人の器楽奏者、7つの弦楽四重奏団及び17人の声楽家について彼らの演奏への評価とその特質や印象などがまとめてある。

特に、入門者が鑑賞する際に聴くべきポイントは何処にあるか、そしてCDその他のメディアを選択する時、先ず誰の演奏が妥当かなど実用的なガイド・ブックの側面と、一方ではクラシック音楽の将来への展望を示した吉田哲学が随所に滲み出た貴重なエッセイ集としての価値がある。

それは吉田氏の鋭い洞察力と圧倒的な経験や知識が、対象となる演奏家のスピリチュアルな領域にまで踏み込んだ全体像を見抜いているからで、私自身著者と意見を共有できる部分が非常に多く、クラシック鑑賞のための心強い指針となってくれる。

吉田氏の文章はいつもながら平易かつ穏当な口調で、楽譜を掲載して解説することは最小限に抑えている。

そして吉田氏の考察はあくまでも提案という形で提示され、決して読者に強制するものではないが、それには確たる根拠があり充分な説得力を持っている。

私達が批評家に求めるものは啓蒙であって、演奏家への毀誉褒貶ではない筈だ。

音楽家への好みや巧い下手だけをあげつらうことは安易な行為であるにも拘らず、それだけを書いて批評家を名乗る人も往々にして見かけるが大切なのはその理由で、楽曲を分析して分かり易く説明して演奏のあるべき姿をより多くの人に伝える努力が望まれる。

その点についても吉田氏は一点の曇りもなく冷静沈着に書いており、特に我が国においては、吉田氏のように好き嫌いを別にして公平に指揮者を評価できる音楽評論家は数少なかった。

ただ筆者にとって惜しむらくは、声楽家はドイツ系あるいはドイツ物をレパートリーにする歌手が多く、イタリア・オペラやフランス、スペイン物で活躍する人達がほとんど取り上げられていないことで、それは吉田氏の音楽鑑賞に対する嗜好である可能性が強いが、あえて彼が書くことをためらったジャンルなのかも知れない。

本文中では吉田氏は自分より巧く表現できる人や批評家をためらいもなく挙げているのも潔いが、それは彼が音楽を理知的な基盤の上に展開する感性の昇華として受け止めていたからではないだろうか。

ともすればそれとは対極的な情動的で感性が一人歩きするようなラテン的な音楽は、かえって彼にとってアナリーゼやその評価を下すことが困難だったのかも知れない。

本文は書下ろしではなく、著者生前中に音楽誌への連載やLPやCDのライナー・ノーツ用に執筆されたもので、下記のアーティストが含まれている。

弦楽器奏者ではミルシテイン、シェリング、ヴァルガ、スーク、ヘッツェル、パールマン、クレーメル、ミンツ、ムター、ヴェンゲーロフ、メニューイン、スターン、バシュメット、今井信子、カザルス、シュタルケル、ロストロポーヴィチ、ビルスマ、マイスキー、ヨーヨー・マ、デュ・プレ、鈴木秀美、ケラス。

弦楽四重奏団はジュリアード、メロス、リンゼイ、東京、ドーマス、ハーゲン、フォークラー。

声楽家はキリ・テ・カナワ、フォン・シュターデ、バトル、ヘンドリックス、オッター、シェーファー、コジェナー、ホッター、へフリガー、フィッシャー=ディースカウ、プライ、シュライアー、ベーア、アライサ、ターフェル、マティス、フェリアー。

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2012年02月26日


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ヴァイオリニストにとって、シゲティは神様のような存在らしい。

ハイフェッツも神格化されているが、彼の場合は、人間業を超えたテクニックの冴えにおいてであり、シゲティの場合は精神的な芸術性においてである。

世界的なヴァイオリニストのなかで、シゲティほど下手な人はいない。もう、下手くそ、といってもよいほどだ。

運弓に無理があるのか、音がかすれたり、フレーズがぎくしゃくしたり、というのは年中で、いま彼がデビューしても問題にされないだろう。アマチュアでさえ、もっとうまい人がいるからだ。

にもかかわらず、シゲティは神格化された存在である。それは彼の技術がいかに劣悪でも、その表現力というか、音楽自体の精神的な高さに多くの人が打たれたからであろう。

シゲティは決してムード的な小品は弾かなかった。またパガニーニのような技巧曲も弾かなかった。いや、弾けなかった、というほうが当たっているのかもしれないが、彼の食指をそそらなかったのは事実である。

バッハ、モーツァルト、ベートーヴェン、ブラームス、バルトーク、プロコフィエフなどがシゲティのレパートリーであった。

モーツァルトなど、フニャフニャするばかりで少しも面白くないが、その中から彼は必死に内容を抉り出そうとしていたのである。

このヴァンガード・コレクションには、そういったシゲティの神髄が刻み込まれている。

技術は衰え、音が終始ゆれているので、痛々しいほどだが、それを超えて迫ってくるものがある。

純音楽としての外面的な美しさに欠けるため、かえって深い内容表現が痛切に伝わってくるのである。

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2012年02月11日


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戦前から戦争直後の1950年頃まで(即ち、SPレコード全盛の時代)、大家・中堅・新進を問わず、およそレコード評論家と名のつく人のほとんどが、ユーディ・メニューインの未来像をフリッツ・クライスラーに次ぐ20世紀のヴァイオリン界の帝王として描いた。

ヴァイオリニストとしてのみならず、音楽家としても20世紀屈指の存在であったジョルジュ・エネスコすらも、「メニューインの師=育ての親」としてのみ知られていた時代が長く続いたのである。

ハイフェッツに優るとも劣らない演奏技術と、バッハの《無伴奏ヴァイオリン・ソナタとパルティータ(全6曲)》の録音を20歳そこそこの青年時代に完成してしまったというレコード界空前の偉業を目の前にすれば、未来の帝王の姿をこのアメリカ生まれ、凛々しくも童顔の少年に想い描かない方がどうかしていたと言っていいだろう。

「メニューイン神話」はそういう次元の、しかも超弩級の実例であった。

生まれながらの資質だけでパガニーニ、サラサーテの難曲を煙の如く弾き去ってしまう天才少年の後ろ姿に、世間の評判とは裏腹の「ヴァイオリニストとしての将来性はない。もう手遅れだ」と痛烈な烙印を押したのは巨匠イザイである。

師として彼にヨーロッパ音楽の伝統を伝授したエネスコもブッシュも、メニューイン坊やの天与の資質に目をくらまされて、彼がヴァイオリンという楽器を生涯の友とするために不可欠な職人的基礎訓練(例えば音階とアルペジオ奏法の完璧な習得)を欠いているということに気付かなかった。

同じユダヤ系でも、ハイフェッツやミルシテインなどのロシア学派(レオポルド・アウアー門下)は、生涯にわたり「世紀のヴァイオリニスト」として栄光を保ち続けた。

メニューインの名は、壮年期以後、大戦直後のフルトヴェングラー擁護論や、社会活動、教育活動によって世人の敬愛を蒐めることになる。

余りにも才能に恵まれ過ぎたが故に基礎訓練を怠り、負債(ツケ)を壮年期以降払い続けなければならなくなったこの偉大な人物の心中は如何ばかりであったか…、だが、そのことを彼自身は終生口にしなかった。

彼が恐るべき天才少年であった頃の録音を聴けば、いまどきの才能とは質を異にしていたぐらいのことは誰にも判る。

だからその時代の復刻盤を讃歌(オマージュ)として掲げる。

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2008年07月31日


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ジョン・ケージのプリペアド・ピアノのための「ソナタとインターリュード」は、1948年のカーネギー・ホール初演における成功によって、ケージの名を知らしめただけでなく、プリペアド・ピアノというピアノの音色の可能性を拡大した着想を認知させたという点でも、重要な意味を持っている。

ピアノの弦にねじ釘、ボルト、消しゴムなどを挟み込んだプリペアド・ピアノが演奏に用いられるが、その結果、ピアノは鍵盤楽器でありながら、本質的な音を発する打楽器のようになってしまう。

そしてシャンシャン、ポツポツ、コツコツ、タンタンと打ち鳴らされていく玩具のような音が聴き手を不思議な空間へと誘い、甘美な会話ともモノローグとでも言える世界を作り出す。

したがって、このレコードを聴いていない人には、広くすすめられてよい名演奏である。

ケージという名前は、ウルトラモダンな音楽を思い出させるが、彼はなによりもまず自然な音楽を目指す自発性をもった音楽家なのだ。

高橋は例によって入念に準備されたプリペアド・ピアノの音楽、多彩な音色と夢に入りまじった音楽に耳を傾けると、ケージの天衣無縫な笑顔が思い出される。

高橋の演奏は、この音楽の持つ響きのたゆたい、静的時間の中に立ち昇る異界の雰囲気を最もよく伝えている。

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2008年03月21日


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3大テノールとは、パヴァロッティ、ドミンゴ、カレーラスであることは別項で述べたが、この盤は3人が衰える前の良い状態のときを記録したものである。

1990年のワールド・カップ・サッカーの決勝戦前夜の7月7日に、ローマのカラカラ劇場で行われた3大テノール競演の、話題のコンサートのライヴ録音。

このライヴは音楽的にいっても、やはり他に類例のない豪華きわまりない歌の饗宴であり、最上の御馳走をたらふく食べたような満足感を味わわせてくれる。

ひとつひとつの歌が、競演なればこその全力投球だ。

聴きものは3人によるメドレーで、6カ国語を自由自在に駆使して歌われる各国の民謡でや、ミュージカル、アリアのリレーの面白さは、筆舌につくし難い。

メータ指揮の管弦楽も好演。



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2008年02月26日


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もう一つ今はないオーケストラを挙げるとすれば、パリ音楽院管弦楽団を忘れることはできない。

このオーケストラはクリュイタンスの死後、パリ管弦楽団を新しく創設するために解散させられたのだが、これほどフランス独特の響きをもったオーケストラはない。

機能的にはパリ管弦楽団の方がすぐれているかもしれないが、楽員の自発性に富む表現やエスプリがすばらしく、それがもはや永久に失われてしまったことは、クリュイタンスが指揮したラヴェル全集を聴けば明らかである。

どの曲も、ラヴェル固有の、フランス的詩情とラテン的色彩美にあふれており、クリュイタンスの表現は精妙で、しかも気品がある。

特に「マ・メール・ロワ」はクリュイタンス自身が「自分の最も素晴らしいレコード」と語ったように秀逸である。

「ダフニスとクロエ」は各場面の情景描写がうまく、構成力もしっかりしている。

その他、高雅で気品に満ちた「亡き王女のためのパヴァーヌ」、官能美と情熱的な気分を鮮やかに表出した「スペイン狂詩曲」をはじめ、どれも永遠に光を失うことのない感動的な名演奏だ。

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巨匠の演奏を残すために結成されたオーケストラといえば、ワルターのためのコロンビア交響楽団もそうである。

コロンビア交響楽団という名称は、米コロンビア(CBS)が他社との契約上正式な名称を使えない場合に使用したもので、特定のオーケストラの名称ではない。

こうした例は当時、ほかにもRCA(ビクター)のRCAビクター交響楽団などいくつかあった。

しかし、引退していたワルターの演奏を開発されたばかりのステレオに残すために行われた録音のオーケストラは、ワルターが引退生活を送っていたロスアンジェルス在住の演奏家を集めて結成されたのである。

ハリウッド映画が全盛だった当時は、映画音楽のためのフリーのすぐれた演奏家が大勢いたから、1958年から61年まで毎年1月から3月まで綿密なスケジュールを決め、ほとんど同じメンバーによってベートーヴェンとブラームスの交響曲全集をはじめ、ワルターの主要なレパートリーの大半を記録することができたのである。

ただし、ベートーヴェンの第9の終楽章だけは合唱団の都合でニューヨーク・フィルを使ったといわれる。

ワルター&コロンビア響の代表的名盤として、マーラーの交響曲第1番「巨人」を挙げておく。

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2008年02月25日


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すぐれたオーケストラでありながら解散し、現在では録音でしか聴けないオーケストラもある。

その筆頭にあげられるのは、なんといってもNBC交響楽団であろう。

1936年にニューヨーク・フィルを辞任したトスカニーニをアメリカに呼び戻すためにNBC放送が1937年に創設したオーケストラである。

当時、ヨーロッパから移住してきた演奏家を含む約700人の応募者から厳選された名手揃いのメンバーによって構成され、トスカニーニの厳しい指導により史上最高のオーケストラとまでいわれ、はじめは放送だけだったが、間もなく公開のコンサートとレコーディングも行うようになった。

だがトスカニーニが1954年に引退して間もなく解散を命じられた後、自主運営のシンフォニー・オブ・ジ・エアとして活動したが長続きせず、1963年に解散した。

NBC交響楽団としては結局17年間活動しただけだが、その録音はトスカニーニという強烈な個性をもった巨匠の主要なレパートリーのほとんどを後世に伝える貴重な記録となったのである。

そのすべてがCD化されており、その中から1枚だけ選ぶのは非常に難しいが、いかに傑出したオーケストラであったかがわかる演奏をあえて選べば、レスピーギの「ローマ三部作」だろうか。

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シュターツカペレ・ドレスデン(わが国ではザクセン国立歌劇場管弦楽団、ドレスデン国立管弦楽団、あるいはドレスデン国立歌劇場管弦楽団とも訳されている)は、ゼンパー・オーパーと称されるドレスデン国立(実際はザクセン州立)歌劇場に所属するオーケストラである。

この楽団の歴史は何と1548年までにまでさかのぼることが可能な、世界最古のオーケストラといわれ、ドイツでも特別の評価を受けている団体である。

一般にドイツ人は、これこそオーケストラのなかのオーケストラであり、すべてのオーケストラのルーツだと一様に敬意をはらっている。

つまり一種の文化財と考えられているのである。

この楽団のアンサンブルの比類のない特色は、そのふくよかな音色の魅力と深みのある響き、細部まで一糸乱れぬ精緻な奏法の統一である。

すぐれた指揮者を得れば、ドイツ最高のアンサンブルであると思う。

上記のブロムシュテット、ザンデルリンク、サヴァリッシュ、ケンペの録音はその証明であり、形容を絶するような艶やかで晴朗な響き、独特の優雅な音楽を堪能することができる。

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2008年02月21日


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クリーヴランド管弦楽団とは、1918年にクリーヴランド市の音楽芸術協会の援助で発足したアメリカのオーケストラ。

ソコロフ、ロジンスキー、ラインスドルフのあとに継いで音楽監督となったセルによって、このオーケストラはアメリカのトップ・クラスに肩を並べる機能を持つ楽団となった。

その精緻なアンサンブルとバランスの良い音楽性は室内楽的と言われるほどで、演奏水準の高さは驚異的である。

セルのあとはマゼールからドホナーニへと音楽監督が受け継がれているが、その機能美は少しも失われることなく、このドホナーニや、アシュケナージ、シャイーなどのもとで実力を発揮している。

上記以外のディスクでは別項でも述べたブーレーズのストラヴィンスキー「春の祭典」がこのオケなくしては実現できなかったであろう精緻さで際立っていた。

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シカゴ交響楽団とは、1891年に創設されたアメリカのオーケストラ。

ニューヨーク・フィル、ボストン響に次いで、アメリカで3番目に古い交響楽団とされている。

創設者トマスからストック、ドィスフォー、ロジンスキー、クーベリック、ライナー、マルティノンと音楽監督が受け継がれてきたが、ショルティの時代になってから名実ともに黄金時代を迎えた。

輝かしい響きのブラス・セクション、豊麗な響きの弦セクションなど音の美感の素晴らしさに加えての驚くばかりに正確な合奏能力と指揮者の多様な要求に機敏に反応できる多彩な表現力が、世界で最上級のオーケストラとされる所以だろう。

1991年からバレンボイムが音楽監督となっている。

2006-2007年のシーズンは新音楽監督が決まらずに迎えることになるが、首席客演指揮者のピエール・ブーレーズが人事権などの一部を担う形で、新しいシェフの選考は継続される。

2006年シーズンより、ベルナルト・ハイティンクが首席指揮者に、ピエール・ブーレーズが名誉指揮者に就任すること、これらの人選は新しい音楽監督の決定とは別の話であるとの発表が楽団からなされた。

2010年5月、ムーティは正式に音楽監督に就任した。

なお首席指揮者ハイティンク、名誉指揮者ブーレーズもそのまま在任している。

私はもう25年程前になるが、ショルティ指揮シカゴ響のマーラー「復活」を聴いてド肝を抜いた。

ショルティは「復活」のあらゆる細部に至るまで手中に収め、全体を彼ならではの意志的な力で貫いている。

作品にふさわしく多彩を極めたショルティの表現はシカゴ響の卓越した技量によって初めて実現されている。

その音楽性は、白熱の燃焼から瑞々しい抒情まで幅広く、新古典主義的様式による典型的なマーラーだ。

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ロイヤル(アムステルダム)・コンセルトヘボウ管弦楽団とは、1888年に設立されたオランダのオーケストラ。

初代常任のケスの後、メンゲルベルクが50年間常任をつとめ、その間に、世界5大オーケストラの一つと言われるまでになった。

その後ベイヌム、ハイティンクとヨッフムの2人、ヨッフム亡きあとはハイティンク1人、と常任が受け継がれ、その後シャイーを経て、現在はヤンソンスがその地位にある。

このオーケストラは独特の音色、つまりいくらかくすんだ、しかし艶やかな、いぶし銀のようなサウンドを持っていることが大きな特色で、その魅力は今も変わらないが、最近では、よりフレッシュな表現力が持ち味となっている。

ともかく玄人好みのするオーケストラである。

また、アムステルダムのコンセルトヘボウ大ホールは、ウィーン楽友協会大ホールとボストン・シンフォニーホールと並び、世界3大コンサートホールに数えられ、世界最高と賞賛される優れた音響で知られている。

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2008年02月20日


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ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団とは、1882年に結成されたドイツのオーケストラ。

1870年から翌年にかけての普仏戦争の結果、新しいドイツ帝国が生まれ、ベルリンがその首都となったが、当時のベルリンには宮廷歌劇場管弦楽団のほかに、いくつかのオーケストラがあった。

それらはいずれも私的なものだったが、その中に1878年にベンジャミン・ビルゼが始めたビルゼ管弦楽団があり、高い評価を受けていた。ところが1882年の初めに楽員に対する待遇の問題で内紛が起き、54名が脱退した。

そして残った楽員に、新しい6人のメンバーを加えて新しく創立されたのが、ベルリン・フィルというわけである。

初めは、常任指揮者を置かなかったが、1887年にハンス・フォン・ビューローが初代常任指揮者に就任して、この楽団をヨーロッパ屈指のものとしたのち、ニキシュ、フルトヴェングラー、カラヤン、アバド、ラトルとその地位が継がれ、その時々最高の指揮者を常任に置いて、常に世界最高のオーケストラとして君臨し続けてきたことは周知の通り。

こうしたスーパーぶりは、客演にしろ、この楽団に招かれることは、その指揮者にとってのステイタスとされることにも窺われる。

さまざまな指揮者のもとでのあらゆる演奏において、その特別に優れた機能美と表現力は、まさにこのオーケストラならではのものと言えるだろう。

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ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団とは、1842年創立のオーストリアのオーケストラ。

17世紀以来のハプスブルク家の宮廷歌劇場の管弦楽団を母胎とする由緒あるオーケストラである。

古くから世界に名だたる音楽の都だったウィーンを本拠として、その伝統を豊かに保っているこのオーケストラは、独特の熟成した美しい音色と、マイルドでエレガントな表情をもっている。

それはオーストリア的オーケストラの極致と言われるものだが、それだけにまた強い個性を持っていることも確か。

それにはこのオーケストラのメンバーがほとんどオーストリアの出身者で、しかもウィーンのアカデミーで音楽を学んでいるということが関係しているのかもしれない。

それはともかく、その潤いのある美しい音と優れた機能性から、多くの指揮者がこのオーケストラを指揮してきた。

例えば常任指揮者だけでもニキシュ、ワルター、フルトヴェングラー、カラヤンなどを筆頭に、まさに大指揮者名鑑とさえ言える様相で、そのほか大指揮者と呼ばれる人のほとんどが客演している。

それは、いかにこのオーケストラが魅力的であるかを証明するものと言えるが、問題は指揮者がどれだけこのオーケストラの独特の個性を使いこなすことができるかで、楽員が信頼を置く指揮者によってドライヴされた時は、まさしく他に類がないほどの名演を展開することは確かである。

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2008年02月14日


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ソ連出身の異色現代作曲家アルヴォ・ペルトの本邦初の作品集。

ペルトは1935年9月11日エストニアのハイデ生まれで、音響技士の仕事のかたわらタリン音楽大学で作曲を学び、80年オーストリアに亡命した。

東方教会の単旋律聖歌に大きな影響を受け、ルネサンス音楽の手法を現代に生かした禁欲的な作風で知られている。

クレーメルやヒリヤード・アンサンブルなど多彩な出演者も注目される。

アルヴォ・ペルトの1970年代から80年代にかけてのこれらの作品では、東方教会の単旋聖歌の魅力を再発見し、切りつめられたモノフォニー、ヘテロフォニー的な素材に基づきながら、実に豊かで人間的な世界を切り開いている。

一見アルカイックに見えるペルトの音楽は極めて斬新で、ミニマルにおける反復が非表出性を意図しているのに対し、ペルトのそれは反復によって極めて表出豊かになっている。

なお当アルバムはソ連の反体制映画作家アンドレイ・タルコフスキー(1932-1986)を偲んで、と題されている。

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2008年02月04日


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コーダとは、これでおしまい、という印象を与えるために曲の終わりに付け加える部分のこと。

可憐な作品では最後の一くさりといった雅趣があるが、ソナタだの交響曲だの長編もののフィナーレともなると、最後にビシッとキメてやるぞ!と思わず力こぶが入るもののようで、しばしば長大かつ壮麗にぶち上げて果てるかたちになる。

時には、しつこいくらい延々綿々と花道をしつらえて、どうしたって感動しなきゃ帰さないからな、どうだまいったか!と力強く迫ってくることだったある。

その代表格はなんたってベートーヴェンである。「エロイカ」にしろ「運命」にしろ「合唱」にしろ、まぁ1回くらいは背筋奮わすのも悪くないが、度重なると、ま、わかったから、ほどほどにしといてよ、と後ずさりたくなるほど感動一直線の大団円が繰り広げられる。

「ベートーヴェン命」のブラームス先生も、輪をかけてネチッコク迫ってくる。

それを、ケッ、と面白がって終結部だらけのピアノ曲を書いたフランスの作曲家がいた。

喝采。

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インテルメッツォとは、もともとは、まじめで固い内容の演劇やオペラの幕間に行われた軽い音楽劇のこと。

いわばちょっとした息抜き。

ふと現実に帰って我を取り戻すためのよすが。

そうした性格になぞらえて、後にブラームスなどが、このタイトルによるさりげない小品を残している。

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静謐な」とは、「とても静かでえらい落ち着くなーこの曲」という《静か》じゃ物足りない書き手の気分の高まりを表わした言葉。

この手の気取り言葉は、作品が《高尚》になればなるほど多く発せられる。

同じような作品の言葉に「清冽な」「真摯な」「彫琢された」などがある。

いずれも書き手の《平常》レベルを超えて音が響いた、ということの表明であり、音楽というよりは書き手の思い入れ状態を表わした、極めて心情的な言葉である。

これらの言葉は、特定の音のイメージに対して使われる傾向にある。

この「静謐」だの「清冽」だのは、さしずめ最近の《売れ筋》。

しばしばお目にかかる。

その先駆をつけた代表格としてペルトの音楽を挙げておこう。

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マーチならこれぐらい、ワルツならこれぐらいというように、我々にはそれぞれの曲に対する一定のテンポ感がある。

それは演奏したり聴いたりする事から体験的に導き出されたもの。

でも《バレエ的》とされるような演奏を聴くと、ある時は速くある時は遅くというように、普通のテンポ感と微妙な違いがあるのに気づく。

それはバレエの場合、何回も廻れるかとか何回跳べるかとか、つまりどんな振付かという事でテンポが決められるため。

そしてどんな遅い曲であってもリズムは常に軽く弾んで、一定のテンポがキープされる。

ましてや音楽に情念を押し込むなど、踊り手の集中を妨げるだけで百害あって一利なし。

《バレエ的》とは、テンポやリズムなどにこうした特徴を備えた演奏を指す。

でもこれは必ずしも音楽の生理と一致しないので、バレエ的に演奏するにはかなりの《修行》を要する。

そしてそれは、必然的にスペシャリストを生むこととなる。

彼ら多くは《芸術家》を目指さず、ひたすらしたたかな職人に徹しているが、現代ではボニングがその代表格である。

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2008年02月03日


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運命」とは説明するまでもなく、ベートーヴェンが1808年に完成した交響曲第5番ハ短調のこと。

最初のタタタターンというテーマを知らぬ人がいないほど、クラシック音楽では最も有名な作品である。

ただこの名前は、「運命はかく扉を叩く」と作曲者が言ったとかいう話による日本だけの俗称。

でもこの曲、特に面白い響きや美しい旋律があるわけじゃない。

あるのは例のリズムばかり。

では何故こんなにウケたのか?

それは何も学問的なことではなく、「苦悩に打ち勝つ」という分かりやすい感動の図式が聴き手の実生活と重なったため。

つまり「運命」交響曲とは、音によって人生訓を授けてくれた、音楽史上稀な有り難い倫理的作品なのである。

真っ向からこのシナリオに寄り添って、お約束の感動を与えてくれるのがクライバーならば、真っ向から過激に白けているのがブーレーズ。

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音楽は音によるものだから、《意味》があるとしても、それは響き・リズム・音色の面白さというように、すべて物理特性に関するもの。

しかし雑誌などで見かける《意味》という言葉は、どうやら別のものを指しているようだ。

おまけに《意味深い》なんてやられると、何となく有難くも分かったような気分になってしまうので始末が悪い。

しかし考えてみれば、《意味》の意味が分からない。

恐らくこれは純粋に音楽によるものではなく、「神・宇宙・真実・箴言・魂」などという、あまり音楽と関係のないものに偉大な想像力を飛ばして得た、解析不能な妄想のこと。

だから妄想が豊作なら《意味深い》となる。

ただし本来それは音楽には存在しないため、さも存在するかのごとく説明せねばならない。

そこでこれらオカルト系戯言を正当化し、聴き手の判断を凍結させるという仕組みである。

不思議なことにこの言葉は、もっぱらドイツ音楽の大家の演奏に使われるが、晩年のヴァントや朝比奈隆、そしてかのU先生によるブルックナーが《意味深い》らしい。

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音楽には人の心を豊かにする効能がある。

人の心の傷や痛みを癒す力もある。

あるいはまた人を忘我の状態に落し込んで《神》に近づける魔力も備えている。

その一方で、心情に寄り添って、涙を誘ったり欝憤を晴らしたり、明るく興奮させたり、といった具合に、日常的営みに(刹那的に?)奉仕する僕にもなる。

その総体が音楽というもののはずであるが、とかくクラシックのある種の人たちは、前者と後者の間に「これより芸術向こうは享楽」と衝立したがる。

しかしその衝立は、音楽は単なる楽しみ以上のものであり、私を満足させてくれるものはそういうものでなければ、などと力まない限り見えてこない。

しばしばお目にかかるこの手の《芸術》とは音楽そのものの価値を測る尺度ではなく、ある音楽との接し方の作法を成り立たせる尺度なのである。

だから高いの低いのなどと語られ始めるととたんに嘘臭くなる。

ナチスの前で、あえて《芸術》を棄ててエンターテインメントに走ったワイルやシュールホフの作品を聴いていると、その衝立が何ともザラザラとした苦味を伴って見えてくる。

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生の音は鳴ったとたんに消え去ってしまい、絵や文字のようにランダムに辿ったり、時間が経ってから手を加えたり反芻したりすることができない。

だから常に崖っぷち。

演奏者はいつも違う時間に晒される。

その二度と同じものがないスリルにカッと燃え、いわば一回入魂、何が起こるかやってみなきゃわからない、とばかり、一回一回の演奏にいつも《事件》をはらませるタイプの演奏家がいる。

一回性とは、そんな一種神懸かり的な音楽のあり方を表わす言葉の一つである。

ピアニストのリヒテルは、この一回性を志向する代表的な怪物である。

一方その対極に、そうした神秘主義を嫌い、より完全な形でのパフォーマンスを志向して、敢えてライヴを拒絶し、録音という媒体でのみ演奏活動を行なったグールドというピアニストがいる。

その目指すところは何やら背中合わせの親近性がある。

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2008年02月02日


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作曲にしろ演奏にしろ、《創造的である》とは、今までにないものを創り出そうとする意志が聴き手に伝わってくることであり、うまくすると、その新しさが耳を捉え、うるさ方をして、うーむこれは、と眩かしめ、もっとうまくすると、感性を刺激して落ち着かなくさせることができる、そんな類のものである。

その《新しさ》は、霊感よろしく天から降って湧くものではない。

響きの連なりが聴き手の耳の中で無意識のうちに脈絡づけられる、その認識の隙間に意識的に分け入って、そのいわば《当たり前》を、え?と覆して初めて生まれるものである。

一方通行では《創造的》な時間は生まれない。

それは必ずしも《気持ちいい》とは限らない。

しかし、その裂け目からま新たな可能性がこぼれてくる。

そこに目新しさや心地よさとは違う《創造》の楽しみがある。

顧みられ紹介される機会は極めて少ないが、例えばブゾーニやシェルシといった作曲家の作品は、そのケッタイさ加減といい、はらむ問題意識や可能性の大きさといい、まさに度はずれて《創造的》だったと言えるかもしれない。

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現代音楽とは、難解で耳触りが悪くて、想いを馳せたり、感情移入したりする手がかりに乏しい、いわば「よくわからん」音楽を総称する代名詞。

主として第2次大戦以降の、調性構造を持たない作品をイメージした言葉だが、別にハッキリとした定義があるわけではなくて、例えば、クラシックは長くて堅苦しくてかったるい、というのに似た、ある価値観を伴った十把一絡げの用語である。

実際にはさまざまなコンセプトや手法に基づく作品があって、その聴き方楽しみ方はそれぞれに異なるわけで、一言でくくるなど随分乱暴な話だが、音楽ってこういうものだよな、といった約束事が意識的に解体されてしまっていることが多いから、聴く側にある程度の知識と柔軟な耳と問題意識のようなものがないと面白さに出会いにくい。

その一種しち面倒臭さが災いして「音楽以前だ」「撲滅運動!」などといった「もういや」的反応を呼び起こしたりする、きな臭い言葉である。

かつて現代音楽が盛んなりし頃、バーベリアン(vo)やホリガー(ob)といった、それら実験的活動を支えた欠くべからざるスペシャリストたちがいた。

その妙技が、ベリオの1960年代の作品集に勢揃い。

懐かしくも尖鋭に楽しめる。

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協奏曲において、独奏者が指揮者も兼ねて演奏することを弾き振りという。

作曲家が演奏家でもった時代には、自作の協奏曲をこうした形で演奏するのは珍しくなかった。

この古典的なパターンは、次第に作曲と演奏の専門化・分業化が進んで影を潜めたが、近年はまた復権が著しい。

ただしそれは過去の図式とは違い、バレンボイムやアシュケナージといったピアニストたちが、指揮もするようになったため。

独奏か指揮のどちらかをするだけでも大変なのに、両方を一度にやってしまおうというのだから、確かにこれは画期的。

でも《合わせ》の難所は独奏者もパニックの真っ最中で、オケのことなんか眼中にない。

いきおい独奏者は自分が暇な時、つまりトゥッティなどのどうでもいい所しか振らないが、最後にはちゃっかり華々しい喝采を浴びる。

でもその陰で冷や汗を流しながらオケをまとめているのは、実はコンサート・マスターなのである。

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どんな優れた演奏家やオケだって、いきなり本番を迎えるわけではない。

当然そこに至るまでには、何回かの練習が重ねられる。

それは楽譜を読む作業から始まり、そこに書かれたありとあらゆる情報、そしてさまざまなアイデアを検討・選択・決定していく。

そして肉体的訓練と共に次第に音楽の形を整える。

リハーサルとは、そうした一連の組立作業の総称である。

ごく一般的なオケの演奏会なら、2〜3回のリハーサルと、ゲネラル・プローベ(略したゲネプロ)と呼ばれる総練習を経て本番となる。

ちなみにオケのリハーサル・シーンを収めたCDやDVDなどは、おおむねゲネプロ程度に仕上がった段階のものが多いが、それによれば暴力的・高圧的・教育的・紳士的・実務的・カリスマ的など、指揮者がオケに接する態度はさまざま。

実はリハーサルとは、単なる練習にとどまらず、本番以上に指揮者の音楽や人間性を写し出す鏡でもある。

DVDを見てお確かめあれ。

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一口にオーケストラのコンサートといっても、ファミリー・ポップス・プロムナード・名曲・特別など、さまざまな名称がある。

これらは演奏する曲目や対象とする聴衆などを、総合的に考慮して使い分けているのだが、その多くは《一見さん》のためのお楽しみ的なものか、《お座敷》がかかって演奏する場合。

それに対して、オケの最大の看板であり一人前の証となるのが定期演奏会で、これは定期的に自分たちの自主的な勉強の成果を発表するというもの。

またサブスクリプションという英語が示すように、原則として《お得意さん》である予約会員のためのものである。

だからオケにとって、定期演奏会は真剣勝負の場であり、その出来の良し悪しはオケへの評価に直結する。

しかし同時に指揮者やソリストにとっても、そうした定期に出演するのは「選ばれた存在」である事を天下に示す絶好の機会となる。

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インドネシアの伝統音楽の打楽器を中心とした合奏の形態をガムランという。

その音楽は、各パートが入れ子のように組み合わさって微細にビートを刻んでメロディを紡いでいく、一度聴いたら忘れられない響きを持っている。

地域によってさまざまな種類のものがあるが、中でも有名なのがバリ島とジャワ島のガムランである。

特にバリ島のガムランは、観光旅行やたびたびの来日ですでにお馴染みだろう。

神々に奉仕する、舞踏を中心とした鮮烈な響きを持つ音楽である。

これに対し、ジャワ島中部のガムランは王宮の儀式に使われる、極めてデリケートに洗練された音楽である。

ゆったりとゆたって移ろいゆくその音楽は、まさに天上の響き。

聴いていると、ふっと気が遠くなるほどだ。

古今、この音楽に強烈にインスパイアされて、作曲家たちがしばしば作品を残している。

武満徹の「フォー・アウェイ」はその最も美しい例の一つである。

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2008年02月01日


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書法とは、作曲家の響きの書き方の特徴を表現するときに使われる言葉。

おおむね作曲手法とか型とかに近い意味合いで使われている。

例えば「ショパンのピアノ書法」といえば、流麗でメランコリックに揺れ動くそのピアノ独特の型のことを指すし、「半音階的書法」といえば、ワーグナーのように半音階を多用した作曲手法のことを指す。

あるいは、極めて個性的な楽器用法で独自の響きの世界を創り出したヤナーチェクの作品などが、しばしば「特異な書法」と説明されたりする。

いずれにせよ、学問的な見識をにおわせた、くくり表現である。

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作品や音楽家を3大○○と引っくるめて言う場合がある。

英文でよく3GREATなどと表記されているところをみると、どうもこの大は「偉大」の大らしい。

2では対立とか優劣というイメージがあるので、いずれ劣らぬという意味で3なのだろう。

その例は以下のごとし。

◇ドイツ3大B/バッハ・ベートーヴェン・ブラームス(作曲家)

◇3大交響曲/モーツァルトの第39・40・41番、ベートーヴェンの「運命」「田園」「合唱」、ブルックナーやドヴォルザークの第7・8・9番、チャイコフスキーの第4・5・6番など。

◇3大ヴァイオリン協奏曲/ベートーヴェン、メンデルスゾーン、ブラームス。

◇ベートーヴェンの3大ピアノ・ソナタ/「悲愴」「月光」「熱情」。

◇ウィーン3羽ガラス/グルダ、デムス、バドゥラ=スコダ(ピアニスト)

◇新ウィーン楽派3人衆/シェーンベルク、ベルク、ウェーベルン(作曲家)

◇3大テノール/パヴァロッティ、ドミンゴ、カレーラス。

◇3大オーケストラ/ウィーン・フィル、ベルリン・フィル、シカゴ交響楽団。

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語義は「声をやわらげ、ひそやかに」。

きわめてデリケートに演奏することを要求した表情記号で、器楽作品にも使われ、演奏者の弱奏の腕前の差がハッキリと音に現れる。

時代がロマンティックになったり、頽廃的になったり、表層的にお洒落になったりするにつれて、この記号で思い描かれる音のイメージは微妙に変化する。

現代はさしずめ「誰にも傷がつかないよう、そっと優しく自分のことを語るように」といったところだろうか。

この「ソット・ヴォーチェ」をタイトルにした日本人アーティストによるディスクがある。

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シアター・ピースとは、舞台の上で、楽譜に書かれた音を演奏するだけでなく、テキストを読み上げたり、場所を移動したり、演奏しながら洋服を脱いだり、あるいはエンジンをふかす音だのクラクションだのといった楽器以外の音や光を発生させたりするなど、視覚的・演劇的なアクションを伴う作品のことで、1950年代後半から70年代前半にかけて盛んに試みられた実験音楽の一つの形態である。

《音楽的な》音だけを居ずまい正しく聴くことに慣れた耳には、ちょっとしたハプニング状態に陥る。

シアター・ピースの多くには予期せぬイヴェントやハプニングが仕掛けられていて、そこで起こることはしばしば偶然に委ねられているから、なかなかお馴染みの《意味》には落ち着いてくれない。

当初は、そうした《常識》との落差を突きつける過激にナンセンスな音楽であったが、1970年代半ば以降は「さまざまな要素を持つ音楽」の一手法として安定活用・安心体験されている。

柴田南雄は、70年代に日本の民謡などを素材にした合唱のための優れたシアター・ピースを遺した。

近年では、中国出身でNYで活動するタン・ドゥンという作曲家が、90年代に至って「オーケストラル・シアター」という作品で、この手法を久々に「安定活用」して話題を呼んだ。

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そこに参加する者が己の技を競い合い、第三者がその優劣を判定するショーがコンクール

音楽にはあらゆるジャンルにわたってコンクールがあるが、有名なものにはショパン・コンクール、チャイコフスキー・コンクール、ロン・ティボー・コンクールなどがある。

いずれも盛況ではあるが、コンクールには、瞬時に消え去る音によって判定せねばならないという危うさがつきまとう。

そもそも一瞬の勝負ではその人の音楽家としての全能力が分ろうはずがない。

事実、優秀な成績を収めたところで、その後の名声が保証されるわけでなし、逆に優勝できなくたって、優勝した人よりはるかに豊かな才能を発揮している人はいくらでもいる。

ちなみにアルゲリッチはショパン・コンクールに優勝しなくとも今の活躍はあったろうし、大友直人はそんなものによらずに活躍している頼もしい指揮者である。

だからコンクールは必ずしも才能の証ではない。

でもそこで《賞》を取らなきゃ、ロクに音楽家として認めてくれない風土があるなら、《必要悪》と分かっていてもそれに賭けるしかないのである。

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一般にコンセルヴァトワールとは、《花の都・パリ》にある「パリ音楽院」のことを指す。

フランスの名だたる作曲家や演奏家を輩出したこの学校、日本の音楽学生にとっても憧れの的らしい。

どうせ国内の音大を出たところで大した仕事にありつけない。

ならば留学してハクを付ければ、少しはマシだろう。

だがせっかく行くなら、ドイツやウィーンじゃ音楽の本場であっても何となくダサイ。

そこへ行くとお洒落なフランス。

きっと帰国の暁には「コンセルヴァトワール卒」という肩書が効力を発揮して、「私だって安川加寿子さんみたいになれるかも」。

というわけで、いわばブランド志向のトップ・ブランドであるが、実はこれ保守的なアカデミズムを象徴する言葉でもあるのだ。

正統的に西洋音楽の何たるかを身につけました、という証。

その効力は水戸黄門の印籠にも匹敵する。

アメリカのジュリアード音楽院も、類似のネーム・ヴァリューを持っている。

なおこれぞコンセルヴァトワールという作品を残した人は誰であろう、かのサン=サーンスである。

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2008年01月31日


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まだろくすっぽ育ちきっていない年端もいかぬ子供が、驚くほど巧みにコンチェルトの一つもきらめかせたりすると、所詮はガキ、とスガ目で見つつも、その実、もしや神童、とうろたえる。

半分は聴き手の横着な予断のせいだが、残りの半分は、オトナではよほど突出した《売り》がないとなかなか世の関心を引くことはできないけれども子供ならもしかすると聴き手の耳に下駄をはかすことができる、ともくろむ売り側の事情に由来する。

さすがに3〜4歳の幼児の演奏に耳を貸す暇人はいなかろうが、それでも10代前半の天才少年・天才少女のその手の「鮮烈デビュー」は後を絶たない。

というわけでこの言葉、毀誉褒貶半ばする《夢》の言葉だが、考えてみれば音楽は響きの芸術である。

成熟やら深みやらを裏打ちする《情感》は響きの上に作り上げた聴き手の妄想であり、響きの感性はそれとは別物、おそらく年齢にはよらない。

ならば《うまさ・味わい》で耳を縛りつけることをやめ、響きの感じ方に素直に耳を傾ければ、もっとトキメキに近い言葉になるかもしれない。

かつて高度成長が始まる日本にあって、幼くして周囲の大きな期待を集め、《世》に向けて飛び立とうとしたものの、その重圧に耐えきれなかったのか悲惨にも蹉跌してしまった渡辺茂夫というヴァイオリニストの物語は、「神童」とのつきあい方を改めて示唆してくれているようだ。

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パリの南にある風光明媚なオーヴェルニュ高原。

そこに生まれたカントルーブは、故郷の民謡を採譜し、27曲からなる民謡集を発表した。

それが「オーヴェルニュの歌」である。

そのうち幾つかにはパステル調の淡く繊細なオケ伴奏がつき、素朴なメロディに美しくも幻想的な背景を作っている。

その歌はどこまでも無垢で清らかだ。

これを書いて名を残したのがカントルーブならば、これを歌って名を残したのはダヴラツである。

このユダヤ系ロシア人のソプラノ、写真もなければ詳しい経歴もあまり知られておらず、今どこでどうしているのかも分からない。

だがこの曲を歌うためだけに生まれてきたような、清楚でチャーミングな歌いぶり、そして澄み切った歌声は、その名を静かにしかしくっきりと刻みつける。

「オーヴェルニュの歌」とダヴラツ、それは一世一代の名品と名唱の、幸福な出会いなのである。

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チクルスとはドイツ語だが、英語のサイクルに相当し、シリーズとほとんど同じ意味。

演奏会でよくある○○チクルスとは、マーラーならマーラーの作品のみを、一定期間に連続して演奏すること。

それは何かの記念とか継続した研究の発表というような特定の目的を持って行なわれ、それを全てこなせば、演奏者や聴衆にある種の征服感や達成感をもたらすというもの。

だがそれとは別に、チクルスの在り方にはもう一つの要素が絡む。

それは時代の嗜好の反映。

刻々と変貌を続ける現代社会は新たな刺激を求め、CDやオーディオ装置の普及、オケの技術の向上などとも絡んで、今まであまり採り上げられなかった作品にもスポットが当たるようになった。

かくしてベートーヴェンだブラームスだという時代は終わり、マーラーやブルックナーが、こうしたチクルスの主役となった。

しかしそれもすでに下火。

次はメンデルスゾーン?

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ふと音がしていることに気がついてその音に耳を澄ましたら、思いがけなくも身体にスルスルしみ込んで気分が抒情的になり、目に映る風景がキラリ別物のように見え始める。

例えばそんな経験をしたことはないだろうか。

環境音楽とは、ある環境に組み込まれ、そこにある他のあれこれと共に見聴き感じることによって感性に作用し、その場の居心地を作り出す、そんな音楽のことである。

《聴く》音楽ではない。

いわば《聴こえる》音楽である。

始めも終わりも意識されることはない。

特定のストーリーがあるわけでもない。

ただ響きを聴いて響きに感じる。

コンサート・ホールやステレオ装置の前でじっと音と対峙する、といった従来のあり方とはまったく異なる音と聴き手の関わり方を志向した、新たな《音楽体験》のかたちである。

芦川聡と吉村弘の共同制作になる釧路市立博物館の音楽は、日本におけるその美しき草分けである。

というわけで、CDで環境音楽を聴くなどナンセンス。

あえて聴くための音楽は挙げない。

ぜひその場所に行って体験してもらいたい。

吉村弘「都市の音」(春秋社)に代表的なものが紹介されている。

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重音奏法とは、一つの楽器で同時に複数の音を出す演奏法のこと。

単音の澄んだ響きとは対照的に、ザラリと輝きのある刺激的な音がするため、「ゆるぎない秩序」に奉仕するというよりは、むしろ、カッと熱くエモーションに火をつけたり、逆にフワッと緊張からさめてどことも知れぬ日常をワープさせたりと、耳の美的安定状態に穴をあける。

楽器にもよるが、概して安定して音を出すことが難しく、しばしば「超難度D級キメワザ」として使われる。

最もポピュラーで耳について直接的に背筋を刺激するのは弦楽器である。

《情熱的》なフレーズには必ずといっていいほどこの響きが貼り付いている。

さらに困難の度が増すのは管楽器である。

もともと楽器が重音を奏するように作られていないから、音楽的に手なづけて音を出すのは至難の業。

倍音を美しく響かそうとすればするほど超絶的技術と神経を必要とする。

音を出すのは簡単だし響きも単独ではどうということのないピアノでも、長いパッセージを素速く重音でつなげてレガートで炎のように突進するという驚異の荒技を用いると、突き上げるような興奮を掻き立てる。

重音は音楽のツボなのである。

突出してエモーショナルな例として、武満徹の「ディスタンス」におけるホリガーのオーボエの肉体とひとつながりになったような響き、そしてバッハの無伴奏におけるムローヴァのヒンヤリとして《氷の微笑》よろしくゾクと艶やかなヴァイオリンの響きを挙げておこう。

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「より高く、より速く、より遠く」はオリンピックだっただろうか。

「より速く、より正しく、より美しく」、ハイフェッツ(1901-87)とは、そうしたヴァイオリンの演奏技巧を徹底的に追求したウルトラ・ヴィルトゥオーゾである。

聴き手の感嘆が追いつかぬほど、次々と繰り出されるシャープな技は、ほとんど人間の行為としては極限的で、一切の身振りを捨てたその音楽は、無類の潔癖さと、一陣の風のような独特の軽やかさを持つ。

それらは他の追随を許さぬどころか、むしろ諦めさせるほどに圧倒的。

まさに神である。

しかし「技術は音楽のしもべ」なんていう妄想を痛快に引っ繰り返したそのスタイルは、音楽に学問や教養を求める人にはあまり受けがよくない。

ハイフェッツとは、呆れるほどに巧いのになぜか尊敬されないという、気の毒な神である。

その驚きの演奏は上記のCDでご堪能下さい。

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ポイントとは、ミニマル音楽の元祖、フィリップ・グラスがプロデューサーを勤める新興レーベル。

「現代音楽を楽しんじゃいましょ」でも「これぞ最先端現代芸術!」でもない。

ミニマル手法とロックやポップや民族音楽など耳に覚えの響きが出会って、あれ?と引っ掛かりつつも、へぇぇ、と面白いいわばクロス・オーヴァー・ジャンルの実験的エンターテインメントとでもいった作品をリリースしている。

まだタイトル数は多くはなく、最近流行のファッショナブルな現代音楽レーベルとは違って、必ずしも聴きやすい作品ばかりではない。

グラスの自作はもちろん、ブライヤーズの怪作やら、モランのロック・オペラやら、グラスの音楽的嗜好がハッキリとそのラインナップに現れていて、ちょっとマニアックで、どこか1970年代の匂いのするユニークな色がある。

ロック・ミュージシャンであるデヴィッド・ボウイやブライアン・イーノの作品を、ミニマル手法を使ってオーケストラにトランスクリプションしたグラスの「ロウ・シンフォニー」や、猟奇現象を題材にした前記モランの「マンソン・ファミリー」が、とりあえずその色を代表している。

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簡単に言えば、《絶対音楽》とは「ナントカ組曲」とか「ナントカ風景」ではなくて、「交響曲第○番」とか「ピアノ・ソナタ第○番」というものである。

つまり、具体的な描写や物語によらず、抽象的な音の動きのみによって潔癖・純粋に作られた音楽のことをいう。

《型》で聴かせる音楽と言ってもいいかもしれない。

ただこの《絶対》といういささか力み返った言葉には「無条件」とか「純粋」、そして何より「他との比較を絶する」という意味があるため、何となくこの手の音楽には権威・王道・名門といった格調高いイメージがつきまとう。

しかしこれは、絶対音楽を量産し、この分野での評価が作曲家としてのステイタスにつながっていた時代の価値観を引きずっているに過ぎない。

今となっては敬して遠ざけられる存在である。

バッハの「フーガの技法」、ハイドンの弦楽四重奏曲、ベートーヴェンの交響曲などが代表的。

ベートーヴェンならセルやガーディナーの演奏。

いずれも余分な色づけがなく、精緻な仕上がりを聴かせる。

バッハには、コープマンの生き生きとした演奏がある。

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微分音とは、ミとファの中間の音、というように、半音の間隔で並ぶ通常の西洋音階の音から少しだけズレた高さを持つ音のこと。

そのズレ幅によって、例えばそれが半音の半分の音程である場合は《四分音》などと呼ぶ。

平均律に慣れた耳には、どうにも収まりが悪くて気持ちの悪い音だが、ブルース系アメリカ黒人音楽のブルーノートやイスラムのコーランの朗唱などに聴くその音は、何やら妖しくも遥かな気分を誘う。

響きの面白さから現代作品でもしばしば用いられ、四分音ピアノというとんでもない代物を作って演奏してしまった例もある(「ヴィシネグラツキー:四分音シス」)。

生理にしみ込む不思議な音である。

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輪郭とは、物の外形を表す線のことである。

音に絵のような平面的な形があるわけではないが、メロディやフレーズの動きがクッキリと流れを作り、響きがいつまでもクリアに整理された、例えばジュリーニが指揮したような演奏を聴いていると、どこにホログラフのような響きが形を作って浮かび上がってくるように感じることがある。

この言葉は、そんなヴィジュアルな印象を絵になぞらえた比喩であり、終わりから始まりに向けて全体を終始俯瞰しつつ、そこで鳴っている音を脈絡づけて楽しむという、クラシック独特の習性が生み出したイリュージョンである。

ジュリーニの演奏の中でも、例えばドヴォルザークの交響曲第8番「イギリス」にシューベルトの交響曲第4番「悲劇的」がカップリングされたCDなどは、そんなイリュージョンが、かなりハッキリと見えてくる。

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2008年01月30日


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「何をシケたこと言ってんだよ。祭りだ祭りだ。パーッとやろうぜ!」となれば居ても立ってもいられない。

《血が騒ぐ》とはこのことか。

さながら瞬間湯沸かし器のごとく、カッときたら手がつけられぬほど、情熱的なぞ通り越し、狂熱的トランス状態に陥る。

照りつける太陽のもと、リズムは強烈、色彩ギラギラ、音楽は頭でも心でもなく、ひたすら野性的に肉体そのものを突きまくる。

ラテン的》とは、こんな本能的衝動を感じさせる演奏や作品に対して使われる。

デュトワがモントリオール響を振ったファリャの「三角帽子」は、作品もさることながら、ラテン的トランス状態をまざまざと見せつける代表例だし、アルゲリッチの「夜のガスパール」も同様に熱い。

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2008年01月29日


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とかく大きな楽器は扱いにくい。

おまけに響きが重たいから、どうしても音の表情がかったるくなる。

というわけで、ま、無理せずじっくりいきましょうか、などとついおっとりしてしまう。

そんな低音楽器の《持ち味》を離れ、チェロを実に豊かな表現力を持つ丁々発止のソロ楽器として認知させた巨人がこの2人。

カザルス(1876-1973)は、一音一音に激しい意志と情念を込めて、この楽器の深々と思索的な響きに感動の身振りを刻みつけた。

そしてその音でキナ臭い現実社会にゴリゴリと渡り合って孤高に至った。

ピアティゴルスキー(1903-76)は驚くほど軽やかに音を動かして、肉声に近いといわれるこの楽器の響きにしなやかでサラリ人懐こい快感の響きをもたらしが。

そして「百万ドル・トリオ」を結成し、誰もマネできないようなスリリングで聴衆の血を湧かせた。

神様として崇められるのは前者だが、聴いて楽しむという現世の《御利益》は実は後者にある。

カザルスの代表的演奏は、やはり自ら校訂し名曲として蘇らせたバッハの「無伴奏チェロ組曲」であるが、これは別項で述べたので、ここでは「鳥の歌-ホワイトハウス・コンサート」をあげておく。

ピアティゴルスキーは、ソリストとしてはやはりミュンシュの指揮による「ドヴォルザークのチェロ協奏曲」で持ち味を魅力的に発揮している。

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米ソ冷戦の真っ只中、一人の若いアメリカ人ピアニストが、チャイコフスキー・コンクールで優勝した。

その名はヴァン・クライバーン

米ソ両国で圧倒的な成功を収めた彼は、アメリカにとっては冷戦を打開するための、願ってもない音楽による親善大使だった。

ソ連のコンドラシンの指揮で録音したチャイコフスキーの協奏曲のLPは、無邪気な愛国心によって飛ぶように売れたが、音楽でイデオロギーの対立が解消されるなら苦労はない。

甲斐のないプロパガンダに嫌気がさしたのか、彼は東西対立の激化と共にいつしか音楽シーンから消え去った。

それから20年余り経って、冷戦の終結に合わせるかのように復活し、「オレはプロパガンダじゃない」と、1996年の春には来日公演すら行なった。

なるほど、クライバーンは昔も今も《ピアニスト》である。

しかし、あるのは過去の記憶ばかり。

しかも世の中は大きく変化してしまった。

彼はいわば《今浦島》である。

なお、上記の栄光のLPはCD化されて発売されている。

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ズブの素人がオーケストラを指揮するのをテレビで見たことがある。

それはそれで面白かったが、オーケストラのアンサンブルはクシャクシャで響きも濁っていた。

一方、本職の指揮者が振れば、素人と同じように腕を動かしているように見えても、何故かオーケストラはキチンと進行し、響きもクリア。

これはまさにミステリーだが、この違いを生むものこそ指揮のテクニック、即ち《棒テク》である。

しかし、手の物理的な動きのみによってアンサンブルを整えたり音楽を表現するだけなら、《棒テク》としては片手落ち。

指揮者が相手にするのは、オケという人間集団である。

彼らに自分の望む音を出させるには、それ相応の駆け引きや説得力、そして統率力が要求される。

つまり《棒テク》とは、物理学と心理学の産物なのである。

マゼールやプレヴィンなどが現代の名手。

どちらかといえば物理学の大家である前者には、クリーヴランド管による「プロコフィエフ:ロミオとジュリエット」がある。

心理学の大家である後者には、ロンドン響による「ラフマニノフ:交響曲第2番」がある。

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特別な機会を除けば、オーケストラは室内で演奏するもの。

だからこの《室内》という言葉は、演奏する場所ではなく、オーケストラのサイズを意味している。

一般的には百名前後のフル・オケに対して、30名前後のものを指す。

こうしたオーケストラは古くからあったが、それはフル・オケの陰に隠れた、いわばマニアックな存在。

ところが最近はちょっと違って、室内オーケストラにも陽が当たる。

それは定食のようなフル・オケを使う作品が減ったり、古い作品を初演当時の小さな編成で演奏しようという動きが主流になったりしたためだ。

しかし同時に、金食い虫で小回りのきかないフル・オケに対する反動であり、オーケストラとしての生き残りを賭けた巧妙な戦略でもある。

そして今や、フル・オケと対等の地位を占めるに至った。

ともあれ、そのフレキシブルな形態は演奏にも反映し、イキのいいのが特徴。

オルフェウス室内管などが代表的な存在である。

サラ・チャンを迎えたヴィヴァルディ「四季」を収めたCDがある。

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