バルビローリ

2016年12月07日


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バルビローリは、どちらかと言えば北欧音楽や英国音楽を得意のレパートリーとした指揮者として広く知られているが、独墺系の作曲家の演奏も比較的多く手掛けていたと言えるところだ。

そのような中でも、ブラームスは特別な存在であったようであり、本盤に収められたウィーン・フィルとの全集を含め、いくつかのライヴ録音を遺している。

また、バルビローリは、手兵のハレ管弦楽団を始め、フィルハーモニア管弦楽団、ロンドン交響楽団など、英国のオーケストラとの間で素晴らしい名演の数々を遺しているが、次いで独墺系のオーケストラではベルリン・フィルとの相性が抜群であったことがよく知られている。

何よりも、ベルリン・フィルの楽団員や芸術監督のカラヤンがバルビローリに対して敬意を有していたことが何よりも大きいとも言える。

これに対して、ウィーン・フィルとの相性は、巷間あまり良くなかったとも言われている。

確かに、バルビローリがウィーン・フィルとともに遺した録音は、筆者の知る限りでは、ブラームスの交響曲全集、管弦楽曲集のみであるところであり、こうした点にもそれが表れていると言えるのかもしれない。

しかしながら、ウィーン・フィルとの唯一のスタジオ録音となるブラームスの交響曲全集、管弦楽曲集は素晴らしい名演だ。

バルビローリは、一般的にはシベリウスやエルガー、ディーリアスなどの名演が印象的だけに、抒情的でヒューマニティ溢れる指揮をするとのイメージが先行しているが、確かに、ブラームスの各交響曲の緩徐楽章における情感豊かな演奏には、そうしたバルビローリの芸術の真骨頂が見事にあらわれている。

それ故に第2番や第4番がとりわけ名演との誉れ高いのは当然のことであるが、マーラーの交響曲を得意としていただけあって、ドラマティックな表現や強靭さを基調とする演奏も頻繁に行っていたことを忘れてはならない。

交響曲第1番も、バルビローリ=抒情的でヒューマニティ溢れる演奏をする指揮者というある種の固定観念を覆すに足る力強い演奏を行っている。

冒頭の序奏からして凄まじいまでの迫力を誇っており、主部に入ってからの堂々たる進軍は、ゆったりとしたテンポによる微動だにしない威容を誇っている。

終楽章も決して急がない音楽ではあるが、頂点に向けて畳み掛けていくような気迫と生命力は、バルビローリの指揮芸術の懐の深さを如実にあらわしていると言えるだろう。

もちろん、第2楽章の枯淡の境地とも評すべき情感豊かな表現は、バルビローリならではのヒューマニティ溢れるもので、抗し難い魅力に満ち溢れている。

交響曲第2番の演奏は、バルビローリとウィーン・フィルの相性の良くなかったとの評価が果たして正しかったのかどうか再検証が必要なほどの名演に仕上がっていると言えるのではないだろうか。

何よりも、第2番という楽曲の性格とバルビローリの芸風が見事に符号している点が大きく、抒情的でヒューマニティ溢れる指揮をするという指揮芸術の在り様が第2番と見事に合致。

同曲の随所に聴くことが可能な枯淡の境地とも評すべき名旋律の数々を、バルビローリは、これ以上は求め得ないほど情感豊かに歌い抜いているところであり、そのヒューマニティ溢れる表現の美しさには、抗し難い魅力に満ち溢れている。

もっとも、終楽章の終結部における頂点に向けて畳み掛けていくような気迫と生命力においてもいささかも不足はなく、これはバルビローリの指揮芸術の懐の深さを如実にあらわしていると言えるだろう。

併録の悲劇的序曲も、バルビローリならではの素晴らしい名演だ。

交響曲第3番も第1番と同様、バルビローリ=抒情的でヒューマニティ溢れる演奏をする指揮者というある種の固定観念を覆すに足る力強い演奏を行っている。

第1楽章冒頭からして凄まじいまでの迫力を誇っており、主部からの堂々たる進軍は微動だにしない威容を誇っている。

終楽章の頂点に向けて畳み掛けていくような気迫と生命力は、バルビローリの指揮芸術の懐の深さを如実にあらわしていると言えるだろう。

もちろん、第2楽章及び第3楽章の枯淡の境地とも評すべき情感豊かな表現は、バルビローリならではのヒューマニティ溢れるもので、抗し難い魅力に満ち溢れている。

ハイドンの主題による変奏曲は、各変奏曲の描き分けが実に巧みであり、名匠バルビローリならではの老獪な至芸を堪能することが可能な素晴らしい名演に仕上がっている。

交響曲第4番の演奏は、バルビローリ&ウィーン・フィルによるブラームスの交響曲全集の中でも白眉とも言うべき素晴らしい名演だ。

この両者の相性の良くなかったとの評価が果たして正しかったのかどうか再検証が必要なほどの名演に仕上がっていると言えるのではないだろうか。

何よりも、第4番という楽曲の性格とバルビローリの芸風が見事に符号している点が大きく、第2番と同様に抒情的でヒューマニティ溢れる指揮芸術の在り様が第4番と見事に合致。

同曲の随所に聴くことが可能な人生の諦観を感じさせる枯淡の境地とも評すべき名旋律の数々を、バルビローリは、これ以上は求め得ないほど情感豊かに歌い抜いているところであり、そのヒューマニティ溢れる表現の美しさには、抗し難い魅力に満ち溢れている。

もっとも、第3楽章における畳み掛けていくような気迫と生命力においてもいささかも不足はなく、これはバルビローリの指揮芸術の懐の深さを如実にあらわしていると言えるだろう。

終楽章の各変奏の描き分けの巧みさは、名匠バルビローリの老獪な至芸を十分に満喫することが可能だ。

そして全体的に、ウィーン・フィルによる美しい演奏が、演奏全体に更なる潤いと温もりを付加させているのを忘れてはならない。

いずれにしても、本演奏は、バルビローリならではの懐の深さをあらためて再認識させるとともに、情感溢れる指揮芸術を堪能することが可能な素晴らしい名演集と高く評価したい。

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2016年12月03日


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ベル・エポック(1880-1914年頃を指しての良き時代)のフランスの作曲家の作品は、楽理的に追究したところで実際のサウンドに魅力が出せなければつまらない。

それには作曲家の感性が充分に反映されるような垢抜けたセンスや即興性、あるいはオーケストラから引き出される色彩感などを外部に向かって発散させるユニークな個性と手法が求められる。

1曲目のショーソンの交響曲変ロ長調も例外ではなく、瞬間瞬間に鳴り響くオーケストラの音響とその映像的な展開が感知されなければ面白くない。

ミュンシュはその辺りを誰よりも良く心得ていた指揮者で、ともすればあざとくなりがちな音楽を、あくまでも芸術的な領域で嬉々として表現している。

ショーソンが残したたった1つの交響曲は、高雅な詩情としめやかで洗練された抒情に溢れるかけがえのない傑作であるが、残念なことになかなか名演奏に恵まれない作品でもある。

しかしミュンシュが残した記念碑的な名録音の1つであるこの演奏は、この傑作の魅力をこれ以上なく味わわせてくれる格別の名演である。

弾力性のあるリズム感と引き締まった造型感覚を駆使して、この優雅でロマンティックな交響曲に臨んだミュンシュは、作品の構築性の薄さをカヴァーしながら、より磨き抜かれた純度の高い美しさを引き出しており、そこでは、豊かなポエジーと強靭な精神が輝かしい融合を果たした絶妙な表現がリアリゼされるまでに至っている。

彼はまた聴衆を自己の世界へ引き込んで感化してしまうカリスマ性にも長けていた。

言い換えれば聴き手の要求も熟知していて、ここぞという時にそれを惜しみなく出し切る老練な手腕がこのアルバムにも示されている。

1962年にボストン交響楽団を振ったものでボストン・シンフォニー・ホールで録音されている。

レギュラー・フォーマット仕様だがリマスタリングの効果は歴然としていてドビュッシーと並んで音質は極めて良好。

2曲目もショーソンの作品で、メゾ・ソプラノと管弦楽のための『愛と海の詩』だが、この演奏は1951年3月9日のBBCコンサート・ライヴからプライベート録音されたものらしく、音質は海賊盤の域を出ないし、第1曲に短い欠落もあるがコントラルトのキャスリーン・フェリアーの絶唱が聴ける貴重な音源。

これはデッカ、EMIのどちらのコンプリート・レコーディング集にも組み込まれていない。

モーリス・ブショルの詩に付けられたショーソン面目躍如の甘美な逸品だがフェリアーの歌唱は決して感傷に浸るものではなく、高踏的な美しさとこの詩の持っているドラマティックな側面を直感的に捉え、それらを浮き彫りにしているのが如何にも彼女らしい。

尚この曲のみジョン・バルビローリ指揮、ハレ管弦楽団の演奏になり、ライナー・ノーツにはフランス語の原詩が掲載されている。

アンリ・ビュッセル編ドビュッシーの交響組曲『春』はショーソンの交響曲と同様、1962年のミュンシュ指揮、ボストン交響楽団のセッション録音になる。

ルネサンスの名匠ボッティチェッリの絵画『春』から霊感を得たと言われる作品で、一見掴みどころのないような楽想の連なりをミュンシュはメリハリを効かせた光彩に溢れる魅力的な管弦楽曲に仕上げている。

曲がミュンシュの肌にぴったりと合っているということもあってか、簡明直截な表現で、この名人オーケストラを存分に駆使して、春の喜びを歌い上げている。

第2楽章後半のマーチ風のコーダでは弦楽から導き出される明るく艶やかな音色とボストン交響楽団の大胆でパワフルなブラス・セクションをミックスしたクライマックスが圧巻だ。

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2015年11月09日


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サー・ジョン・バルビローリの演奏を聴く時、そこに南欧系の匂いを感じる人も少なくないだろう。

実際彼はロンドン生まれであっても、イタリア・ベネト州出身の家庭に育った指揮者で、彼のダイナミズムとリリカルな表現はラテン系指揮者の典型にも思える。

この5枚組のセットにはシベリウスの交響曲7曲と幾つかのオーケストラル・ワークが収められているが、彼の熱い血の通った解釈が、北欧の作曲家の作品と意外にも相性が良いのに驚かされる。

バルビローリにとってシベリウスは彼のライフ・ワークとなった作曲家である。

ライナー・ノーツにも詳しいが、彼は20代で初めてシベリウスの作品を指揮して以来、戦前ハイフェッツと協演したヴァイオリン協奏曲やSPレコードに録音された交響曲第2番はニューヨーク時代の成果だし、戦後のハレ管弦楽団首席時代を通して1970年に亡くなる直前までシベリウスへの情熱を絶やすことがなかった。

このオーケストラル・ワーク集はまさに彼の円熟期の総決算的な価値を持っている。

彼の先輩に当たる英国人指揮者トーマス・ビーチャムやエイドリアン・ボールトにもシベリウスは非常に好まれたレパートリーだったようである。

後期ロマン派の名残の濃い、あたかも時代から取り残された北欧のブルックナー的な作風は、一方で豊かな抒情、牧歌的な平穏や愛国心の高揚、渦巻くような情念のドラマティックな展開での金管楽器の咆哮などは、理屈抜きで聴衆を惹きつけてしまう魅力を持っているのも事実である。

英国には数多くの優秀なオーケストラが群雄割拠しているが、マンチェスターではBBCフィルと双璧を成しているのがこのセットで全曲を演奏しているハレ管弦楽団で、19世紀半ばに設立された伝統あるオーケストラでもあり、この楽団の現在の音楽的な水準は1943年から70年まで首席指揮者だったバルビローリの貢献によって高められたとされている。

確かに良く鍛え上げられたオーケストラで、この演奏でも潤沢で無理のない音量と色彩感、そして指揮者に従う機動力も充分なものを持っている。

ワーナー・クラシックスからのバジェット価格によるリイシュー盤で、1966年から70年にかけてのEMIアナログ音源になるが、音質が優れていることも特筆される。

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2015年07月19日


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本盤に収められたシベリウスの交響曲第2番の演奏は、サー・ジョン・バルビローリがケルン放送交響楽団に客演した際に、1969年2月7日に行われたコンサートのライヴ録音。

バルビローリは、現時点で確認できるものだけでも4種もの同曲のレコーディングを行っている。

それらを録音年代順に列挙すると、ハレ管弦楽団との演奏(1952年スタジオ録音(EMI))、ロイヤル・フィルとの演奏(1962年スタジオ録音(テスタメント(chesky)))、ハレ管弦楽団との演奏(1966年スタジオ録音(EMI))、そして本盤に収められたケルン放送交響楽団との演奏(1969年ライヴ録音(ica CLASSICS))となっている。

したがって、本盤の演奏は、現時点で確認できるバルビローリによる同曲の最後のレコーディングということになる。

4種の演奏は、いずれ劣らぬ名演ではあるが、一般に最も完成度の高い名演として名高いのは、1966年の演奏である。

当該演奏は、ヒューマニティ溢れる温かさを有した名演であったが、本演奏は、実演ということもあって、1966年の演奏とは対照的な豪演に仕上がっていると言えるところだ(1952年の演奏に近い性格を有していると言えるのかもしれない)。

第1楽章冒頭からして濃厚な表情付けの演奏が展開されている。

その後も、凄まじいまでの粘着質かつハイテンションの音楽が連続しており、あまりのテンションの高さに、随所に熱くなったバルビローリの唸り声が聴こえてくるほどである。

とても死を1年後に控えた老指揮者による演奏とは思えないほどの強靭な迫力と切れば血が噴き出してくるような熱き生命力に満ち溢れていると言っても過言ではあるまい。

第2楽章は、速めのテンポで開始されるが、その後はアゴーギクを駆使したうねるような表現や、猛烈なアッチェレランドを駆使した壮絶な演奏が展開されている。

第3楽章は、本演奏の中で一服の清涼剤と言ったところであろうか。

北欧風の旋律を人間味溢れる温かみのあるアプローチによって情感豊かに歌い抜いているのが素晴らしい。

ところが、終楽章の移行部に差し掛かると途轍もないアッチェレランドを駆使しているのに度肝を抜かれる。

そして、終楽章の主旋律は壮麗にしてなおかつ濃厚な味わいの演奏であるが、その後のデュナーミクの幅広さ、大胆なアッチェレランドなど、ありとあらゆる多種多様な表現を駆使して、ドラマティックの極みとも言うべき演奏を展開。

終結部はテンポを大きく落として、威容に満ちた壮大なクライマックスを築き上げて全曲を締め括っている。

ケルン放送交響楽団は、バルビローリの燃えるような指揮に、アンサンブルの縦の線が合わないなど、若干の戸惑いを感じているきらいもなくはないが、それでもバルビローリの指揮に必死で喰らいつき、渾身の大熱演を展開しているのが素晴らしい。

いずれにしても、本演奏は、ヒューマニティ溢れる温かさを有した演奏をする指揮者と思われがちなバルビローリの知られざる一面である、熱き情熱に持ち溢れた指揮芸術を十二分に堪能することが可能な圧倒的な超名演と高く評価したい。

バルビローリによるハレ管弦楽団との1966年の演奏を愛好するクラシック音楽ファンには、是非とも本演奏を聴いていただきたい。

バルビローリという指揮者の凄さをあらためて再認識することになることは必定であると思われるところだ。

カップリングのシューベルトの交響曲第4番やブリテンのテノール、ホルンと弦楽のためのセレナーデの演奏も、実演のバルビローリの凄さを堪能することが可能な濃厚な味わい深さを有した素晴らしい名演だ。

音質も、1969年のライヴ録音であるが、十分に満足できるものと評価したい。

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2015年05月01日


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これは同じくベルリン・フィルと1964年にスタジオ録音した第9番とともにバルビローリ屈指の名演だ。

バルビローリは、どちらかと言えば北欧音楽や英国音楽を得意のレパートリーとした指揮者として広く知られているが、マーラーの交響曲についてもコンサートで頻繁に採り上げるとともに、ライヴ録音などを含めると相当数の録音を遺しているところである。

交響曲第6番についても複数の録音が遺されており、本盤に収められたベルリン・フィルとの演奏(1966年(ライヴ録音))、そしてニュー・フィルハーモニア管弦楽団との演奏(1967年(ライヴ録音及びスタジオ録音の2種))の3種の録音が存在している。

今後も、更に録音が発掘される可能性は否定できないが、これら3種の録音はいずれ劣らぬ名演である。

この中で、バルビローリにとっても同曲の唯一のスタジオ録音は、2種のライヴ録音とは、その演奏の性格が大きく異なっているところだ。

そもそもテンポが大幅に遅くなっている。

トータルの時間でも10分以上の遅くなっているのは、前述のライヴ録音盤がいずれも約73分であることに鑑みれば、大幅なスローダウンと言えるだろう。

これに対して、1966年ライヴ録音(本盤)と1967年ライヴ録音盤は、オーケストラがベルリン・フィルとニュー・フィルハーモニア管弦楽団の違いがあるものの、演奏全体の造型やテンポ、そしてアグレッシブな豪演などと言った点においてはほぼ共通するものがある。

それだけに、本演奏におけるバルビローリの感情移入の度合いには尋常ならざるものがある。

バーンスタインやテンシュテットなどに代表されるドラマティックな演奏や、はたまたブーレーズなどによる純音楽に徹した演奏などとは異なり、滋味豊かな情感に満ち溢れるとともに、粘着質とも言うべき濃厚な表情づけが特徴である。

冒頭からウンウンうなりながらの熱演で、どっしりと重心の低い解釈で肉薄している。

ここぞという時のトゥッティにおける強靭な迫力にもいささかも不足はないが、そのような箇所においても独特の懐の深さが感じられるのが、バルビローリによるマーラー演奏の性格をより決定づけているとも言えるだろう。

本演奏でもかかるアプローチは健在であり、情感豊かにこれほどまでの濃厚で心を込め抜いた演奏は、かのバーンスタイン&ウィーン・フィルによる超名演(1988年)ですらすっきりとした見通しの良い演奏に感じさせるほどであり、聴き終えた後の充足感には曰く言い難いものがある。

「悲劇」を予想させるこの交響曲に広がる力の大きさをもって向かうバルビローリの感情移入した姿勢は、聴き手の共感を得、ひしひしと響きが伝わってくる。

なお、バルビローリは、近年ではマーラーの最終的な決定を尊重するという意味で主流になりつつあり、1967年スタジオ録音では従来どおりの入れ替えないバージョンで演奏を行っていたが、本盤に収められた1966年ライヴ録音盤と1967年ライヴ録音盤では当時としては珍しい、スケルツォ楽章(第2楽章)とアンダンテ楽章(第3楽章)を入れ替えるバージョンで、演奏を行っていたのは実に興味深いと言えるところだ。

第1、3楽章の強迫感、第2楽章の悠然としたスケール、そして度肝を抜くフィナーレはまさに必聴である。

また、バルビローリの濃厚で粘着質な指揮に、ベルリン・フィルが必死で喰らいつき、持ち得る実力を十二分に発揮した渾身の名演奏を展開しているのも素晴らしい。

いずれにしても、本演奏は、バルビローリの同曲への深い愛着と思い入れを感じることが可能な入魂の名演と高く評価したいと考える。

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2015年04月13日


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バルビローリは、遺された録音に鑑みても極めて広範なレパートリーを誇った指揮者であったと言えるが、その中核をなしていたのはマーラーとシベリウスと言えるのではないだろうか。

バルビローリのシベリウスは、何と言ってもヒューマニティ溢れる温かさが魅力であり、本盤に収められた演奏は、交響曲のみならず小品においても、どこをとっても人間的な温かさに満ち溢れていると言えるだろう。

それでいていささかも感傷的に流れないのはバルビローリのシベリウスの優れている点であり、常に高踏的な美しさを湛えている。

そして、その美しさはあたかも北欧の大自然を彷彿とさせるような清澄さを湛えていると言えるところであり、バルビローリのシベリウスはまさに人間的な温もりと清澄な美しさが融合した稀有の演奏であると言えるのではないかと考えられる。

このような演奏は、とりわけ近年の北欧出身の指揮者による透明感溢れる精緻な演奏などとは一味もふた味も異なっていると言えるが、バルビローリのシベリウスには一本筋の通った確固たるポリシーがあり、シベリウス演奏の一つの理想像として有無を言わせない説得力を有しているものと言える。

交響曲第1番については、第1楽章の冒頭においてより鋭角的な表現を求めたい気もしないではないが、終楽章の心を込めたヒューマニティ溢れる旋律の歌い上げなども極上の美しさを誇っており、名演との評価をするのにいささかの躊躇をするものではない。

交響曲第2番については、壮麗な迫力と人間的な温もりが高度な次元で融合した、いい意味での剛柔のバランスのとれた素晴らしい名演。

常識的なバルビローリ調で一貫したステレオ盤に対し、モノーラルの方はメリハリが効き、強弱は思い切ってつけられ、速いテンポを基調としつつ、曲が進むにつれてますますスピード感がまし、しかも緩急のさばき方が圧倒的だ。

第1楽章後半の猛烈な嵐と猛烈な速さはめくるめくばかりで、こんな表現は他に類例がなく、初めて聴く人はバルビローリの指揮ということが信じられないだろう。

第2楽章に入ると指揮者の棒はいよいよ自由になり、アッチェレランドの激しさなど、まるでフルトヴェングラーのブルックナーのようだが、あのように音楽を歪めてしまうことなく、雄弁な語りがシベリウスそのものなのだ。

これはバルビローリが曲の本質や核心を鋭くとらえ切っているからに他ならない。

第3楽章の凄絶な突進とアクセントの決め方は、まるで戦いが始まったようで、ここではすべてが血のように赤い。

筆者としては折衷的なこの曲をあまり好んでこなかったのだが、本演奏なら夢中になる。

交響曲第5番については、とりわけ終楽章の有名な鐘の主題をこれほどまでに心を込めて美しく響かせた演奏は他にあるだろうか。

少なくとも、この極上の鐘の主題を聴くだけでも本名演の価値は極めて高いと言わざるを得ない。

そして白眉は何と言っても交響曲第7番ではないだろうか。

同曲の冒頭、そして終結部に登場する重層的な弦楽合奏の美しさは、まさに人間的な温もりと清澄さが同居する稀有の表現でありバルビローリのシベリウスの真骨頂。

本名演に唯一匹敵する存在であるカラヤン&ベルリン・フィルによる名演(1967年)における弦楽合奏も極上の絶対美を誇ってはいるが、その人間的な温もりにおいて本演奏の方を上位に掲げたい。

第2部から第3部への移行部に登場するホルンによる美しい合奏も、カラヤン盤をはじめ他の演奏ではトランペットの音に隠れてよく聴き取れないことが多いが、本演奏では、トランペットなどの他の楽器の音量を抑え、このホルン合奏を実に美しく響かせているのが素晴らしい。

第1部のトロンボーンソロはカラヤン盤がベストであり、さすがに本演奏もとてもカラヤン盤には敵わないと言えるが、それは高い次元での比較の問題であり本演奏に瑕疵があるわけではない。

もっとも、弦楽合奏のアンサンブルなどハレ管弦楽団の技量には問題がないとは言えないが、それでもこれだけの名演を堪能してくれたことに対して文句は言えまい。

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2015年01月18日


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本盤にはバルビローリ&ハレ管弦楽団が1966〜1970年にかけてスタジオ録音したシベリウスの交響曲全集からの抜粋である第1番及び第5番が収められている。

どこをとっても温かな血を感じることのできるバルビローリの音楽作りは、ともすると無機的になりがちなシベリウスに抜群の相性の良さを示した。

清新の気がたぎる若々しい第1番、英雄的なスケールの壮大さを誇る第5番、いずれもシベリウスに寄せる愛情の深さと解釈の確かさを感じさせる秀演。

第5番については、数年前にテスタメントから発売された1968年のライヴ録音などもあって、それも名演であるが、音質やオーケストラの安定性などを総合的に考慮すれば、筆者としては、当該全集に含まれる演奏こそがバルビローリのシベリウス演奏のベストフォームではないかと考えている。

以前のレビューにおいても記したが、バルビローリのシベリウスの特色を一言で言えば、ヒューマニティ溢れる温かさということになる。

本盤に収められた両曲の演奏においても、どこをとっても人間的な温かさに満ち溢れているが、それでいていささかも感傷的に流されることはなく、常に高踏的な美しさを湛えている点が素晴らしい。

そして、その美しさは、あたかも北欧の大自然を彷彿とさせるような清澄さを湛えている。

このように、バルビローリのシベリウスは人間的な温もりと清澄な美しさが融合した演奏であり、他の指揮者による演奏とは一味もふた味も異なっているが、これぞシベリウスの理想的な演奏であるという有無を言わせぬ説得力を有している名演奏と言える。

例えば、第5番の終楽章の有名な鐘の主題をこれほどまでに心を込めて美しく響かせた演奏は他にあるだろうか。

少なくとも、この極上の鐘の主題を聴くだけでも本名演の価値は極めて高いと言わざるを得ない。

もっとも、第1楽章の終結部において不自然に音量が弱くなるのだけが本演奏の欠点であり、ここの解釈は本演奏をLPで聴いて以来謎のままであるが、演奏全体の価値を減ずるほどの瑕疵ではないと考える。

第1番については、第1楽章の冒頭においてより鋭角的な表現を求めたい気もしないではないが、終楽章の心を込めたヒューマニティ溢れる旋律の歌い上げなども極上の美しさを誇っており、名演との評価をするのにいささかの躊躇をするものではない。

ハレ管弦楽団も部分的には弦楽合奏のアンサンブルなどにおいて若干の問題がないわけではないが、これだけの名演奏を繰り広げたことを考えれば文句は言えまい。

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2014年12月28日


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このような演奏こそは、まさに英国の詩情極まれりと言ったところであろう。

バルビローリは、シベリウスやグリーグなどの北欧音楽とともにイギリス音楽を得意中の得意としていた。

とりわけ、本盤に収められたディーリアスの管弦楽曲集(「アパラチア」(古い黒人奴隷の歌による変奏曲)及び「ブリッグの定期市」(イギリス狂詩曲))は、バルビローリが指揮したイギリス音楽の様々な録音の中でも最良の遺産の1つと言っても過言ではあるまい。

ディーリアスの管弦楽曲は、いずれもいかにもイギリスの詩情溢れる親しみやすいものであるが、これをバルビローリ以上に情感豊かに美しく演奏したことがこれまでにあったのであろうか。

ディーリアスと親交の深かったビーチャムが、手兵ロイヤル・フィルとともに管弦楽曲集の録音(1958、1960、1963年)を遺しており、それは現在においてもディーリアスの管弦楽曲演奏の規範となるべき至高の超名演であるが、各演奏における情感の豊かさ、心を込めた歌い方においては、本盤のバルビローリの演奏の方に軍配があがる。

また、バルビローリの演奏が素晴らしいのは、これらの各楽曲のスコアに記された音符のうわべだけをなぞっただけの薄味の演奏にはいささかも陥っていないということであろう。

ディーリアスの管弦楽曲の演奏に際しては、その旋律の美しさに気をとられて、音楽に込められた内容への追求をどこかに置き忘れた薄味の演奏も散見されるところである。

しかしながら、バルビローリによる本演奏は、もちろん前述のように美しさにおいても他の演奏の追随を許さないものがあるが、どこをとっても奥深い情感と独特のニュアンスが込められており、楽曲の細部に至るまで彫琢の限りを尽くした内容の濃い、そして味わい深い演奏を展開している。

そして、本盤の演奏は、いずれもバルビローリの死の数か月前の録音であり、これらの楽曲の演奏に漂う清澄な美しさは、バルビローリが死の直前になって漸く到達し得た至高・至純の境地と言えるのかもしれない。

いずれにしても、バルビローリによる本演奏は、その美しさにおいても、内容の濃さにおいても、味わい深さにおいても、まさにディーリアスの管弦楽曲演奏の理想像の具現化と言えるところであり、ディーリアスと親交があったビーチャム盤を除けば、ディーリアスの管弦楽曲集の演奏史上でもトップの座を争う至高の超名演と高く評価したい。

音質は、1970年のスタジオ録音ではあるが、数年前にリマスタリングされたこともあって比較的良好な音質であると言えたところだ。

このような中で、今般、待望のシングルレイヤーによるSACD化がなされるに及んで大変驚いた。

音質の鮮明さ、そして音場の幅広さ、音圧などのどれをとっても一級品の仕上がりであり、あらためてSACD盤の潜在能力の高さを思い知った次第である。

いずれにしても、バルビローリによる最大の遺産の1つでもある至高の超名演を、現在望みうる最高の高音質SACDで味わうことができるのを大いに喜びたい。

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2014年12月27日


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バルビローリは、シベリウスやグリーグなどの北欧音楽とともにイギリス音楽を得意中の得意としていた。

とりわけ、本盤に収められたディーリアスの管弦楽曲集(狂詩曲「夏の庭園にて」、歌劇「ハッサン」第1幕より間奏曲及びセレナード、夜明け前の歌、歌劇「コアンガ」より「ラ・カリンダ」、春初めてのカッコウを聞いて、川の上の夏の夜、去りゆくつばめ)は、バルビローリが指揮したイギリス音楽の様々な録音の中でも最良の遺産の1つと言っても過言ではあるまい。

ディーリアスの管弦楽曲は、いずれもいかにもイギリスの詩情溢れる親しみやすいものであるが、これをバルビローリ以上に情感豊かに美しく演奏したことがこれまでにあったのであろうか。

ディーリアスと親交の深かったビーチャムが、手兵ロイヤル・フィルとともに管弦楽曲集の録音(1958、1960、1963年)を遺しており、それは現在においてもディーリアスの管弦楽曲演奏の規範となるべき至高の超名演であるが、各演奏における情感の豊かさ、心を込めた歌い方においては、本盤のバルビローリの演奏の方に軍配があがる。

また、バルビローリの演奏が素晴らしいのは、これらの各楽曲のスコアに記された音符のうわべだけをなぞっただけの薄味の演奏にはいささかも陥っていないということであろう。

ディーリアスの管弦楽曲の演奏に際しては、その旋律の美しさに気をとられて、音楽に込められた内容への追求をどこかに置き忘れた薄味の演奏も散見されるところである。

しかしながら、バルビローリによる本演奏は、もちろん前述のように美しさにおいても他の演奏の追随を許さないものがあるが、どこをとっても奥深い情感と独特のニュアンスが込められており、楽曲の細部に至るまで彫琢の限りを尽くした内容の濃い、そして味わい深い演奏を展開している。

いずれにしても、バルビローリによる本演奏は、その美しさにおいても、内容の濃さにおいても、味わい深さにおいても、まさにディーリアスの管弦楽曲演奏の理想像の具現化と言えるところであり、ディーリアスと親交があったビーチャム盤を除けば、ディーリアスの管弦楽曲集の演奏史上でもトップの座を争う至高の超名演と高く評価したい。

音質は、1968年のスタジオ録音ではあるが、数年前にリマスタリングされたこともあって比較的良好な音質であると言えたところだ。

このような中で、今般、待望のシングルレイヤーによるSACD化がなされるに及んで大変驚いた。

音質の鮮明さ、そして音場の幅広さ、音圧などのどれをとっても一級品の仕上がりであり、あらためてSACD盤の潜在能力の高さを思い知った次第である。

いずれにしても、バルビローリによる最大の遺産の1つでもある至高の超名演を、現在望みうる最高の高音質SACDで味わうことができるのを大いに喜びたい。

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2014年10月29日


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本盤にはバルビローリ&ハレ管弦楽団が1966〜1970年にかけてスタジオ録音したシベリウスの交響曲全集からの抜粋である第5番及び第7番が収められている。

第5番については、数年前にテスタメントから発売された1968年のライヴ録音などもあって、それも名演であるが、音質やオーケストラの安定性などを総合的に考慮すれば、筆者としては、当該全集に含まれる演奏こそがバルビローリのシベリウス演奏のベストフォームではないかと考えている。

バルビローリのシベリウスの特色を一言で言えば、ヒューマニティ溢れる温かさということになる。

本盤に収められた両曲の演奏においても、どこをとっても人間的な温かさに満ち溢れているが、それでいていささかも感傷的に流されることはなく、常に高踏的な美しさを湛えている点が素晴らしい。

そして、その美しさは、あたかも北欧の大自然を彷彿とさせるような清澄さを湛えている。

このように、バルビローリのシベリウスは人間的な温もりと清澄な美しさが融合した演奏であり、他の指揮者による演奏とは一味もふた味も異なっているが、これぞシベリウスの理想的な演奏であるという有無を言わせぬ説得力を有している名演奏と言える。

交響曲第5番については、終楽章の有名な鐘の主題をこれほどまでに心を込めて美しく響かせた演奏は他にあるだろうか。

少なくとも、この極上の鐘の主題を聴くだけでも本名演の価値は極めて高いと言わざるを得ない。

もっとも、第1楽章の終結部において不自然に音量が弱くなるのだけが本演奏の欠点であり、ここの解釈は本演奏をLPで聴いて以来謎のままであるが、演奏全体の価値を減ずるほどの瑕疵ではないと考える。

他方、第7番については、同曲のあらゆる名演にも冠絶する至高の超名演と高く評価したい。

同曲の冒頭、そして終結部に登場する重層的な弦楽合奏の美しさは、まさに人間的な温もりと清澄さが同居する稀有の表現でありバルビローリによるシベリウス演奏の真骨頂。

本名演に唯一匹敵する存在であるカラヤン&ベルリン・フィルによる名演(1967年)における弦楽合奏も極上の絶対美を誇ってはいるが、その人間的な温もりにおいて本演奏の方を上位に掲げたい。

第2部から第3部への移行部に登場するホルンによる美しい合奏も、カラヤン盤をはじめ他の演奏ではトランペットの音に隠れてよく聴き取れないことが多いが、本演奏では、トランペットなどの他の楽器の音量を抑え、このホルン合奏を実に美しく響かせているのが素晴らしい。

第1部のトロンボーンソロはカラヤン盤がベストであり、さすがに本演奏もとてもカラヤン盤には敵わないが、それは高い次元での比較の問題であり本演奏に瑕疵があるわけではない。

もっとも、弦楽合奏のアンサンブルなどハレ管弦楽団の技量には問題がないとは言えないが、それでもこれだけの名演を堪能してくれたことに対して文句は言えまい。

音質については、これまでリマスタリングなどが行われたものの、HQCD化などは全く行われず、やや不満な状況にあった。

そのような中で、今般、ついに待望のシングルレイヤーによるSACD化がなされるに及んで大変驚いた。

音質の鮮明さ、音場の幅広さ、そして音圧のいずれをとっても一級品の仕上がりであり、あらためてSACDの潜在能力の高さを思い知った次第である。

いずれにしても、バルビローリによる素晴らしい名演を、現在望みうる最高の高音質であるシングルレイヤーによるSACD盤で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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2014年10月28日


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本盤に収められたシベリウスの交響曲第4番、組曲「恋人」、そしてロマンスは、バルビローリ&ハレ管弦楽団が1966〜1970年にかけてスタジオ録音したシベリウスの交響曲全集、管弦楽曲集からの抜粋である。

多くの英国人指揮者がそうであったように、バルビローリもシベリウスを深く愛し、その作品を数多く演奏・録音してきているが、筆者としては、この全集に含まれる演奏こそがバルビローリのシベリウス演奏のベストフォームではないかと考えている。

バルビローリによるシベリウス演奏の特色を一言で言えば、ヒューマニティ溢れる温かさということになるのではないか。

本盤に収められた両曲の演奏においても、人間的な温かさに満ち溢れているが、それでいていささかも感傷的に流されることはなく、常に高踏的な美しさを湛えている点が素晴らしい。

そして、その美しさは、あたかも北欧の大自然を彷彿とさせるような清澄さを湛えている。

このように、バルビローリのシベリウスは人間的な温もりと清澄な美しさが融合した演奏であり、他の指揮者による演奏とは一味もふた味も異なっているが、これぞシベリウスの理想的な演奏であるという有無を言わせぬ説得力を有している名演奏と言えるだろう。

本盤に収められた交響曲第4番も、そうしたバルビローリの指揮芸術の美質が如実にあらわれた演奏に仕上がっている。

同曲は、シベリウスのあらゆる楽曲の中でも深遠にして晦渋とも言うべき渋味のある作品であるが、バルビローリの手にかかると、決して救いようのない暗さに全体が支配されるということがなく、血も涙もある温かみのある音楽に聴こえるのが素晴らしい。

第2楽章は終結部の唐突な終わり方もあって纏めるのが難しい音楽であるが、バルビローリはテンポの緩急を駆使するなど巧みな至芸を披露している。

ハレ管弦楽団も、部分的には弦楽合奏のアンサンブルなどにおいて若干の問題がないわけではないが、これだけの名演奏を繰り広げたことを考えれば文句は言えまい。

他方、併録の組曲「恋人」は、他に目ぼしい演奏がないだけにバルビローリのまさに独壇場。

清澄な美しさと人間的な温もりが高次元で融合した稀有の超名演に仕上がっていると高く評価したい。

ロマンスも素晴らしい名演だ。

音質については、これまでリマスタリングなどが行われたものの、HQCD化などは全く行われず、やや不満な状況にあった。

そのような中で、今般、ついに待望のシングルレイヤーによるSACD化がなされるに及んで大変驚いた。

音質の鮮明さ、音場の幅広さ、そして音圧のいずれをとっても一級品の仕上がりであり、あらためてSACDの潜在能力の高さを思い知った次第である。

いずれにしても、バルビローリによる素晴らしい名演を、現在望みうる最高の高音質であるシングルレイヤーによるSACD盤で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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本盤にはバルビローリ&ハレ管弦楽団が1966〜1970年にかけてスタジオ録音したシベリウスの交響曲全集からの抜粋である第3番及び第6番が収められている。

多くの英国人指揮者がそうであったように、バルビローリもシベリウスを深く愛し、その作品を数多く演奏・録音してきているが、筆者としては、この全集に含まれる演奏こそがバルビローリのシベリウス演奏のベストフォームではないかと考えている。

バルビローリのシベリウスの特色を一言で言えば、ヒューマニティ溢れる温かさということになるのではないか。

本盤に収められた両曲の演奏においても、人間的な温かさに満ち溢れているが、それでいていささかも感傷的に流されることはなく、常に高踏的な美しさを湛えている点が素晴らしい。

そして、その美しさは、あたかも北欧の大自然を彷彿とさせるような清澄さを湛えている。

このように、バルビローリのシベリウスは人間的な温もりと清澄な美しさが融合した演奏であり、他の指揮者による演奏とは一味もふた味も異なっているが、これぞシベリウスの理想的な演奏であるという有無を言わせぬ説得力を有している名演奏と言えるだろう。

本盤に収められた交響曲第3番及び第6番の演奏においては、いずれもそうしたバルビローリによるシベリウス演奏の美質が十二分に生かされており、おそらくはそれぞれの交響曲の様々な演奏の中でもトップクラスの名演であると高く評価したい。

両演奏の特徴を記すと、先ず、交響曲第3番については、第1楽章は誰よりも遅いテンポで開始されるが、その味わい深さは絶品だ。

第2楽章の北欧のいてつく冬を思わせるような音楽にも独特の温かさがあり、終楽章の終結部に向けての盛り上がりも申し分のない迫力を誇っている。

次に、交響曲第6番については、演奏の持つ清澄な美しさには出色のものがあり、その情感たっぷりの旋律の歌い方は、まさに「歌う英国紳士」の真骨頂とも言える至高・至純の美しさを誇っていると評価したい。

ハレ管弦楽団も、部分的には弦楽合奏のアンサンブルなどにおいて若干の問題がないわけではないが、これだけの名演奏を繰り広げたことを考えれば文句は言えまい。

音質については、これまでリマスタリングなどが行われたものの、HQCD化などは全く行われず、やや不満な状況にあった。

そのような中で、今般、ついに待望のシングルレイヤーによるSACD化がなされるに及んで大変驚いた。

音質の鮮明さ、音場の幅広さ、そして音圧のいずれをとっても一級品の仕上がりであり、あらためてSACDの潜在能力の高さを思い知った次第である。

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本盤に収められたシベリウスの交響曲第2番及び交響詩「トゥオネラの白鳥」は、バルビローリ&ハレ管弦楽団が1966〜1970年にかけてスタジオ録音したシベリウスの交響曲全集及び管弦楽曲集からの抜粋である。

多くの英国人指揮者がそうであったように、バルビローリもシベリウスを深く愛し、その作品を数多く演奏・録音してきているが、筆者としては、この全集に含まれる演奏こそがバルビローリのシベリウス演奏のベストフォームではないかと考えている。

バルビローリによる交響曲第2番の録音としては、同じくEMIにモノラル録音したハレ管弦楽団との演奏(1952年)やcheskyへのスタジオ録音であるロイヤル・フィルと演奏(1962年)などがあり、1952年盤の圧倒的な生命力に満ち溢れた豪演などを上位に掲げる聴き手も多いとは思うが、音質面や演奏全体のいい意味でのバランスの良さを考慮すれば、筆者としては本演奏を第一に掲げたいと考えている。

バルビローリのシベリウスの特色を一言で言えば、ヒューマニティ溢れる温かさということになるのではないか。

本盤に収められた両曲の演奏においても、人間的な温かさに満ち溢れているが、それでいていささかも感傷的に流されることはなく、常に高踏的な美しさを湛えている点が素晴らしい。

そして、その美しさは、あたかも北欧の大自然を彷彿とさせるような清澄さを湛えている。

このように、バルビローリのシベリウスは人間的な温もりと清澄な美しさが融合した演奏であり、他の指揮者による演奏とは一味もふた味も異なっているが、これぞシベリウスの理想的な演奏であるという有無を言わせぬ説得力を有している名演奏と言えるだろう。

併録の交響詩「トゥオネラの白鳥」も、幽玄とも言うべき深沈たる味わい深さにこの指揮者ならではのヒューマニティ溢れる温かさが付加された稀有の名演と評価したい。

オーケストラは、バルビローリによって薫陶を受けていたものの、必ずしも一流とは言い難いハレ管弦楽団であり、ブラスセクションにおける粗さや、弦楽合奏のアンサンブルにおける一部の乱れなど、その技量には問題がないとは言えないが、それでもこれだけの名演を堪能してくれたことに対して文句は言えまい。

むしろ、敬愛するバルビローリの指揮の下、持ち得る実力を最大限に発揮した渾身の名演奏を展開している点を評価したい。

音質については、これまでリマスタリングなどが行われたものの、HQCD化などは全く行われず、やや不満な状況にあった。

そのような中で、今般、ついに待望のシングルレイヤーによるSACD化がなされるに及んで大変驚いた。

音質の鮮明さ、音場の幅広さ、そして音圧のいずれをとっても一級品の仕上がりであり、あらためてSACDの潜在能力の高さを思い知った次第である。

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2014年10月27日


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本盤にはバルビローリ&ハレ管弦楽団が1966〜1970年にかけてスタジオ録音したシベリウスの交響曲全集からの抜粋である第1番及び劇付随音楽「ペレアスとメリザンド」が収められている。

多くの英国人指揮者がそうであったように、バルビローリもシベリウスを深く愛し、その作品を数多く演奏・録音してきているが、筆者としては、当該全集に含まれる演奏こそは、バルビローリのシベリウス演奏のベストフォームではないかと考えている。

バルビローリのシベリウスの特色を一言で言えば、ヒューマニティ溢れる温かさということになる。

本盤に収められた両曲の演奏においても、どこをとっても人間的な温かさに満ち溢れているが、それでいていささかも感傷的に流されることはなく、常に高踏的な美しさを湛えている点が素晴らしい。

そして、その美しさは、あたかも北欧の大自然を彷彿とさせるような清澄さを湛えている。

このように、バルビローリのシベリウスは人間的な温もりと清澄な美しさが融合した演奏であり、他の指揮者による演奏とは一味もふた味も異なっているが、これぞシベリウスの理想的な演奏であるという有無を言わせぬ説得力を有している名演奏と言える。

交響曲第1番については、第1楽章の冒頭においてより鋭角的な表現を求めたい気もしないではないが、終楽章の心を込めたヒューマニティ溢れる旋律の歌い上げなども極上の美しさを誇っており、名演との評価をするのにいささかの躊躇をするものではない。

ハレ管弦楽団も部分的には弦楽合奏のアンサンブルなどにおいて若干の問題がないわけではないが、これだけの名演奏を繰り広げたことを考えれば文句は言えまい。

他方、併録の劇付随音楽「ペレアスとメリザンド」は、カラヤン&ベルリン・フィルによる名演(1982年)という強力なライバルはあるものの、いわゆるシベリウスらしさという点で言えば、本演奏の方に軍配を上げたい。

各楽曲の描き分けの巧さも特筆すべきではあるが、どこをとっても北欧風の清澄な美しさと格調の高さ、そしてヒューマニティ溢れる温もりが付加されており、ハレ管弦楽団の技量には疑問を感じる箇所が散見されるものの、総体としては、おそらく同曲の演奏史上でもトップの座を争う至高の超名演に仕上がっていると高く評価したい。

音質については、これまでリマスタリングなどが行われたものの、HQCD化などは全く行われず、やや不満な状況にあった。

そのような中で、今般、ついに待望のシングルレイヤーによるSACD化がなされるに及んで大変驚いた。

音質の鮮明さ、音場の幅広さ、そして音圧のいずれをとっても一級品の仕上がりであり、あらためてSACDの潜在能力の高さを思い知った次第である。

いずれにしても、バルビローリによる素晴らしい名演を、現在望みうる最高の高音質であるシングルレイヤーによるSACD盤で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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バルビローリは、遺された録音に鑑みても極めて広範なレパートリーを誇った指揮者であったが、その中核をなしていたのはマーラーとシベリウスと言えるのではないだろうか。

中でも、本盤に収められたシベリウスの交響曲全集と主要な管弦楽曲集は、バルビローリが遺した最大の遺産の1つではないかとも考えられる。

バルビローリは、本盤に収められた演奏以外にもシベリウスの交響曲や管弦楽曲の演奏の録音を遺しており、EMIにモノラル録音したハレ管弦楽団との第2番の名演(1952年)やcheskyへのスタジオ録音であるロイヤル・フィルとの第2番の名演(1962年)、数年前にテスタメントから発売された1968年の第5番の名演(ライヴ録音)などもあるが、音質やオーケストラの安定性などを総合的に考慮すれば、筆者としては本盤に収められた演奏がバルビローリのシベリウスの代表盤であると考えているところだ。

バルビローリのシベリウスは、何と言ってもヒューマニティ溢れる温かさが魅力である。

本盤に収められた演奏は、交響曲のみならず小品においても、どこをとっても人間的な温かさに満ち溢れていると言えるだろう。

それでいていささかも感傷的に流れないのはバルビローリのシベリウスの優れている点であり、常に高踏的な美しさを湛えている。

そして、その美しさはあたかも北欧の大自然を彷彿とさせるような清澄さを湛えていると言えるところであり、バルビローリのシベリウスはまさに人間的な温もりと清澄な美しさが融合した稀有の演奏であると言えるのではないかと考えられる。

このような演奏は、とりわけ近年の北欧出身の指揮者による透明感溢れる精緻な演奏などとは一味もふた味も異なっているが、バルビローリのシベリウスには一本筋の通った確固たるポリシーがあり、シベリウス演奏の1つの理想像として有無を言わせない説得力を有しているものと言える。

交響曲第1番については、第1楽章の冒頭においてより鋭角的な表現を求めたい気もしないではないが、終楽章の心を込めたヒューマニティ溢れる旋律の歌い上げなども極上の美しさを誇っており、名演との評価をするのにいささかの躊躇をするものではない。

交響曲第2番については、壮麗な迫力と人間的な温もりが高度な次元で融合した、いい意味での剛柔のバランスのとれた素晴らしい名演。

交響曲第3番については、第1楽章は誰よりも遅いテンポで開始されるが、その味わい深さは絶品だ。

第2楽章の北欧のいてつく冬を思わせるような音楽にも独特の温かさがあり、終楽章の終結部に向けての盛り上がりも申し分のない迫力を誇っている。

交響曲第4番における深遠さも、バルビローリの手にかかると、決して救いようのない暗さに全体が支配されるということがなく、血も涙もある温かみのある音楽に聴こえるのが素晴らしい。

第2楽章は終結部の唐突な終わり方もあって纏めるのが難しい音楽であるが、バルビローリはテンポの緩急を駆使するなど巧みな至芸を披露している。

交響曲第5番については、とりわけ終楽章の有名な鐘の主題をこれほどまでに心を込めて美しく響かせた演奏は他にあるだろうか。

少なくとも、この極上の鐘の主題を聴くだけでも本名演の価値は極めて高いと言わざるを得ない。

もっとも、第1楽章の終結部において不自然に音量が弱くなるのだけが本演奏の欠点であり、ここの解釈は本演奏をLPで聴いて以来謎のままであるが、演奏全体の価値を減ずるほどの瑕疵ではないと考える。

交響曲第6番については、演奏の持つ清澄な美しさには出色のものがあり、その情感たっぷりの旋律の歌い方は、まさに「歌う英国紳士」の真骨頂とも言える至高・至純の美しさを誇っていると評価したい。

そして交響曲全集の白眉は何と言っても交響曲第7番ではないだろうか。同曲の冒頭、そして終結部に登場する重層的な弦楽合奏の美しさは、まさに人間的な温もりと清澄さが同居する稀有の表現でありバルビローリのシベリウスの真骨頂。

本名演に唯一匹敵する存在であるカラヤン&ベルリン・フィルによる名演(1967年)における弦楽合奏も極上の絶対美を誇ってはいるが、その人間的な温もりにおいて本演奏の方を上位に掲げたい。

第2部から第3部への移行部に登場するホルンによる美しい合奏も、カラヤン盤をはじめ他の演奏ではトランペットの音に隠れてよく聴き取れないことが多いが、本演奏では、トランペットなどの他の楽器の音量を抑え、このホルン合奏を実に美しく響かせているのが素晴らしい。

第1部のトロンボーンソロはカラヤン盤がベストであり、さすがに本演奏もとてもカラヤン盤には敵わないが、それは高い次元での比較の問題であり本演奏に瑕疵があるわけではない。

もっとも、弦楽合奏のアンサンブルなどハレ管弦楽団の技量には問題がないとは言えないが、それでもこれだけの名演を堪能してくれたことに対して文句は言えまい。

併録の管弦楽の小品もいずれ劣らぬ名演であるが、劇付随音楽「ペレアスとメリザンド」や、現在単独では入手不可能な組曲「歴史的情景」からの抜粋、そして組曲「恋人」、そしてロマンスハ長調は貴重な存在である。

ハレ管弦楽団も部分的には弦楽合奏のアンサンブルなどにおいて若干の問題がないわけではないが、これだけの名演奏を繰り広げたことを考えれば文句は言えまい。

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2014年10月12日


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マーラーの交響曲第5番は、今やマーラーの交響曲の中でも最も人気が高く、なおかつ演奏機会の多い作品となっていると言えるのではないだろうか。

それにはCD時代になって1枚に収録することが可能になったことが大きく作用していると考えられるが、それ以上に、オーケストレーションの巧みさや旋律の美しさ、感情の起伏の激しさなど、マーラーの交響曲の魅力のすべてが第5番に含まれていると言えるからに他ならない。

したがって、第5番については、これまで数々の海千山千の大指揮者によって個性的な名演が成し遂げられてきたが、特に、圧倒的な名演として高く評価されているのは、ドラマティックで劇的なバーンスタイン&ウィーン・フィル(1987年)やテンシュテット&ロンドン・フィル(1988年)による名演である。

これに対して、本盤に収められたバルビローリによる演奏は、それらの劇的な名演とは大きくその性格を異にしている。

もちろん、軟弱な演奏ではなく、ここぞという時の力強さに欠けているということはないが、演奏全体がヒューマニティ溢れる美しさ、あたたかさに満たされていると言えるだろう。

また、バルビローリは、テンポの思い切った振幅を効果的に駆使して、同曲が含有する各旋律をこれ以上は求め得ないほど徹底して心を込めて歌い抜いているが、その美しさには抗し難い魅力が満ち溢れている。

第4楽章などは、意外にも速めのテンポで一聴するとあっさりとした表情づけとも言えなくもない。

しかしながら、よく聴くと、そうした速めのテンポの中で各旋律を徹底して歌い抜くなど耽美的な絶対美の世界が構築されており、これはかのカラヤン&ベルリン・フィルの名演(1973年)にも比肩し得る美しさを誇っているとも言えるが、カラヤンの演奏が圧倒的な音のドラマであるのに対して、本演奏はヒューマニティ溢れる人間のドラマと言えるのではないだろうか。

もっとも、バルビローリのヒューマニティ溢れる指揮に対して、ニュー・フィルハーモニア管弦楽団は、熱演ではあるもののアンサンブルの乱れが見られるなど、必ずしも技術的には万全な演奏を展開しているとは言い難いが、技術的に優れていたとしてもスコアに記された音符の表層をなぞっただけの演奏よりは、本演奏の方がよほど好ましいと言えるところであり、聴き終えた後の感動もより深いと言えるところだ。

いずれにしても、本演奏は、バルビローリが遺した数少ないスタジオ録音によるマーラーの交響曲の演奏の中でも、ベルリン・フィルとの第9番(1964年)と並ぶ至高の超名演と高く評価したい。

併録のリュッケルト歌曲集もベイカーの名唱も相俟って素晴らしい名演に仕上がっている。

音質は、従来CD盤が今一つの音質であったが、数年前にリマスタリングが施されたことによってかなりの改善がみられたところであり筆者も当該リマスタリング盤を愛聴してきた。

ところが、今般、シングルレイヤーによるSACD盤が発売されるに及んで大変驚いた。

音質の鮮明さ、音圧、音場の幅広さのどれをとっても、これまでの既発CDとは段違いの素晴らしさであり、あらためてSACDの潜在能力の高さを思い知った次第だ。

いずれにしても、バルビローリによる至高の超名演を超高音質のシングルレイヤーによるSACD盤で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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2014年09月11日


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バルビローリは、シベリウス等の北欧音楽とともにイギリス音楽を得意中の得意としていた。

とりわけ、本盤に収められたディーリアスの管弦楽曲集は、バルビローリが指揮したイギリス音楽の様々な録音の中でも最良の遺産の一つと言っても過言ではあるまい。

ディーリアスの管弦楽曲は、いずれもいかにもイギリスの詩情溢れる親しみやすいものであるが、これをバルビローリ以上に情感豊かに美しく演奏したことがこれまでにあったのであろうか。

ディーリアスと親交の深かったビーチャムが、手兵ロイヤル・フィルとともに管弦楽曲集の録音(1958、1960、1963年)を遺しており、それは現在においてもディーリアスの管弦楽曲演奏の規範となるべき至高の超名演であるが、各演奏における情感の豊かさ、心を込めた歌い方においては、本盤のバルビローリの演奏の方に軍配があがる。

また、バルビローリの演奏が素晴らしいのは、これらの各楽曲のスコアに記された音符のうわべだけをなぞっただけの薄味の演奏にはいささかも陥っていないということであろう。

ディーリアスの管弦楽曲の演奏に際しては、その旋律の美しさに気をとられて、音楽の内容の追求をどこかに置き忘れた薄味の演奏も散見されるところであるが、バルビローリによる本演奏は、もちろん前述のように美しさにおいても他の演奏の追随を許さないものがあるが、どこをとっても奥深い情感と独特のニュアンスが込められており、楽曲の細部に至るまで彫琢の限りを尽くした内容の濃い演奏を展開している。

また、本盤に収められた楽曲のうち、「アパラチア」(古い黒人奴隷の歌による変奏曲)と「ブリッグの定期市」(イギリス狂詩曲)については、バルビローリの死の数か月前の録音であり、これらの楽曲の演奏に漂う清澄な美しさは、バルビローリが死の直前になって漸く到達し得た至高・至純の境地と言えるのかもしれない。

いずれにしても、バルビローリによる本演奏は、その美しさにおいても、内容の濃さにおいても、まさにディーリアスの演奏の理想像の具現化と言えるところであり、ディーリアスと親交があったビーチャム盤を除けば、ディーリアスの管弦楽曲集の演奏史上でもトップの座を争う至高の超名演と高く評価したい。

録音は、数年前にリマスタリングされたこともあって比較的良好な音質である。

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2014年06月30日


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バルビローリは、どちらかと言えば北欧音楽や英国音楽を得意のレパートリーとした指揮者として広く知られているが、マーラーの交響曲についてもコンサートで頻繁に採り上げるとともに、ライヴ録音などを含めると相当数の録音を遺しているところである。

交響曲第6番「悲劇的」についても複数の録音が遺されており、ベルリン・フィルとの演奏(1966年(ライヴ録音))、そしてニュー・フィルハーモニア管弦楽団との演奏(1967年(ライヴ録音及びスタジオ録音(本盤)の2種))の3種の録音が存在している。

今後も、更に録音が発掘される可能性は否定できないが、これら3種の録音はいずれ劣らぬ名演である。

この中で、1966年ライヴ録音盤と1967年ライヴ録音盤は、オーケストラがベルリン・フィルとニュー・フィルハーモニア管弦楽団の違いがあるものの、演奏全体の造型やテンポ、そしてアグレッシブな豪演などと言った点においてはほぼ共通するものがある。

これに対して、本演奏は、バルビローリにとっても同曲の唯一のスタジオ録音ということもあるが、これらの2種のライヴ録音とは、その演奏の性格が大きく異なっているところだ。

そもそもテンポが大幅に遅くなっている。

トータルの時間でも10分以上の遅くなっているのは、前述のライヴ録音盤がいずれも約73分であることに鑑みれば、大幅なスローダウンと言えるだろう。

それだけに、本演奏におけるバルビローリの感情移入の度合いには尋常ならざるものがある。

バーンスタインやテンシュテットなどに代表されるドラマティックな演奏や、はたまたブーレーズなどによる純音楽に徹した演奏などとは異なり、滋味豊かな情感に満ち溢れるとともに、粘着質とも言うべき濃厚な表情づけが特徴である。

ここぞという時のトゥッティにおける強靭な迫力にもいささかも不足はないが、そのような箇所においても独特の懐の深さが感じられるのが、バルビローリによるマーラー演奏の性格をより決定づけているとも言えるだろう。

本演奏でもかかるアプローチは健在であり、ゆったりとしたテンポによるこれほどまでの濃厚で心を込め抜いた演奏は、かのバーンスタイン&ウィーン・フィルによる超名演(1988年)ですらすっきりとした見通しの良い演奏に感じさせるほどであり、聴き終えた後の充足感には曰く言い難いものがある。

なお、バルビローリは、近年ではマーラーの最終的な決定を尊重するという意味で主流になりつつあるが、当時としては珍しい、スケルツォ楽章(第2楽章)とアンダンテ楽章(第3楽章)を入れ替えるバージョンで、1966年ライヴ録音盤と1967年ライヴ録音盤では演奏を行っていたが、本演奏では従来どおりの入れ替えないバージョンで演奏を行っているのは実に興味深いと言えるところだ。

また、バルビローリの濃厚で粘着質な指揮に、ニュー・フィルハーモニア管弦楽団も必死で喰らいつき、持ち得る実力を十二分に発揮した渾身の名演奏を展開しているのも素晴らしい。

いずれにしても、本演奏は、バルビローリの同曲への深い愛着と思い入れを感じることが可能な入魂の名演と高く評価したい。

併録の「メタモルフォーゼン」も、いわゆるバルビローリ節が全開の名演であり、各フレーズを心を込めて情感豊かに感動的に歌い上げているのが素晴らしい。

ニュー・フィルハーモニア管弦楽団の弦楽合奏の卓越した技量も大いに賞賛したい。

音質は、1967年のEMIによるスタジオ録音であり、従来盤については今一つ冴えない音質であったが、ARTリマスタリングが行われたことによって、若干ではあるが音質改善が見られたように思われるところだ。

ところが、今般、シングルレイヤーによるSACD盤が発売されるに及んで大変驚いた。

音質の鮮明さ、音圧、音場の幅広さのどれをとっても、これまでの既発CDとは段違いの素晴らしさであり、あらためてSACDの潜在能力の高さを思い知った次第だ。

いずれにしても、バルビローリによる至高の超名演を超高音質のシングルレイヤーによるSACD盤で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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2014年06月11日


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名指揮者(サー・ジョン・バルビローリ)と名オーケストラ(ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団)が出会うとこれほどまでの凄い演奏が展開されるということを実証しているのがこのディスク。

ライヴでの共演がきっかけで生まれた、僥倖ともいえる名盤。

ベルリン・フィルは、今日に至るまで、マーラーの「第9」の名演を数多く成し遂げてきた。

本盤のバルビローリを皮切りとして、カラヤンの新旧2種、アバド、そして、最近のラトルに至るまで、カラヤン以降の歴代の首席指揮者が素晴らしい名演を遺してきている。

バーンスタインによる客演もあり、それは名演と評価するにはいささか躊躇するが、それでも大熱演を成し遂げたことは否定し得ない事実である。

こうした名演、熱演が目白押しの中で、バルビローリの名演こそ、その後のベルリン・フィルによる名演、熱演の礎になったのではないかと考える。

本盤の録音当時は、ベルリン・フィルは、必ずしもマーラーが好きではなく、演奏頻度も高くなかったと聞くが、そうした中で、このような名演を成し遂げたという厳然たる事実に対して、バルビローリの同曲への愛着と執念、そして、ベルリン・フィルとの抜群の相性の良さを感じずにはいられない。

この交響曲に内在する死への恐怖と闘い、それに対する生への妄執を、バルビローリは、思い入れたっぷりのコクのある指揮で、見事に表現し尽くしている。

特に、終楽章の美しさは出色のものがあり、ベルリン・フィルの厚みのある重厚な音色と相俟って、これ以上は求め得ないような絶美の表現に仕上がっている。

音質は、1964年のスタジオ録音であり、従来CD盤では今一つ冴えない音質であったが、今般、ついに待望のSACD化が行われることによって、見違えるような鮮明な音質に生まれ変わったところだ。

音質の鮮明さ、音場の幅広さ、そして音圧のいずれをとっても一級品の仕上がりであり、あらためてSACDの潜在能力の高さを思い知った次第である。

いずれにしても、バルビローリ&ベルリン・フィルによる歴史的な超名演を、SACDによる高音質で味わうことができるのを大いに喜びたい。

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バルビローリは、どちらかと言えば北欧音楽や英国音楽を得意のレパートリーとした指揮者として広く知られているが、独墺系の作曲家の演奏も比較的多く手掛けていたと言えるところだ。

そのような中でも、ブラームスは特別な存在であったようであり、本盤に収められた交響曲第1番を含めたウィーン・フィルとの全集を含め、いくつかのライヴ録音を遺している。

また、バルビローリは、手兵のハレ管弦楽団を始め、フィルハーモニア管弦楽団、ロンドン交響楽団など、英国のオーケストラとの間で素晴らしい名演の数々を遺しているが、次いで独墺系のオーケストラではベルリン・フィルとの相性が抜群であったことがよく知られている。

何よりも、ベルリン・フィルの楽団員や芸術監督のカラヤンがバルビローリに対して敬意を有していたことが何よりも大きいとも言える。

これに対して、ウィーン・フィルとの相性は、巷間あまり良くなかったとも言われている。

確かに、バルビローリがウィーン・フィルとともに遺した録音は、筆者の知る限りでは、ブラームスの交響曲全集のみであるところであり、こうした点にもそれが表れていると言えるのかもしれない。

しかしながら、ウィーン・フィルとの唯一のスタジオ録音となるブラームスの交響曲全集は素晴らしい名演だ。

バルビローリは、一般的にはシベリウスやエルガー、ディーリアスなどの名演が印象的だけに、抒情的でヒューマニティ溢れる指揮をするとのイメージが先行しているが、確かに、ブラームスの各交響曲の緩徐楽章における情感豊かな演奏には、そうしたバルビローリの芸術の真骨頂が見事にあらわれている。

それ故に第2番や第4番がとりわけ名演との誉れ高いのは当然のことであるが、マーラーの交響曲を得意としていただけあって、ドラマティックな表現や強靭さを基調とする演奏も頻繁に行っていたことを忘れてはならない。

本盤に収められた第1番も、バルビローリ=抒情的でヒューマニティ溢れる演奏をする指揮者というある種の固定観念を覆すに足る力強い演奏を行っている。

冒頭の序奏からして凄まじいまでの迫力を誇っており、主部に入ってからの堂々たる進軍は、ゆったりとしたテンポによる微動だにしない威容を誇っている。

終楽章も決して急がない音楽ではあるが、頂点に向けて畳み掛けていくような気迫と生命力は、バルビローリの指揮芸術の懐の深さを如実にあらわしていると言えるだろう。

もちろん、第2楽章の枯淡の境地とも評すべき情感豊かな表現は、バルビローリならではのヒューマニティ溢れるもので、抗し難い魅力に満ち溢れている。

そして、ウィーン・フィルによる美しい演奏が、演奏全体に更なる潤いと温もりを付加させているのを忘れてはならない。

いずれにしても、本演奏は、バルビローリの指揮芸術の懐の深さをあらためて再認識させる素晴らしい名演と高く評価したい。

音質は、1960年代のスタジオ録音であり、数年前にリマスタリングが行われたものの、必ずしも満足できる音質とは言い難いところであった。

ところが、今般、シングルレイヤーによるSACD盤が発売されるに及んで大変驚いた。

音質の鮮明さ、音圧、音場の幅広さのどれをとっても、従来CD盤とは段違いの素晴らしさであり、あらためて本演奏の魅力を窺い知ることが可能になるとともに、SACDの潜在能力の高さを思い知った次第だ。

いずれにしても、バルビローリによる素晴らしい名演を超高音質のシングルレイヤーによるSACD盤で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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2014年06月10日


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本盤に収められた交響曲第2番の演奏は、バルビローリ&ウィーン・フィルによるブラームスの交響曲全集の中でも、第4番と並んで最も優れた名演だ。

バルビローリは、北欧音楽や英国音楽を得意のレパートリーとした指揮者として広く知られているが、そのレパートリーには広範なものがあり、独墺系の作曲家の演奏も比較的多く手掛けていたと言えるところだ。

そのような中でも、ブラームスは特別な存在であったようであり、本盤に収められた交響曲第2番を含めたウィーン・フィルとの全集を含め、いくつかのライヴ録音を遺している。

また、バルビローリは、独墺系のオーケストラではベルリン・フィルとの相性が抜群であったことがよく知られているが、他方、そのライバルであったウィーン・フィルとは必ずしも相性が良くなかったと言われている。

バルビローリがウィーン・フィルとともに遺した録音は、筆者の知る限りでは、ブラームスの交響曲全集のみであるところであるが、本盤の交響曲第2番の演奏は、そうした相性の良くなかったとの評価が果たして正しかったのかどうか再検証が必要なほどの名演に仕上がっていると言えるのではないだろうか。

何よりも、第2番という楽曲の性格とバルビローリの芸風が見事に符号している点が大きい。

バルビローリは、一般的にはシベリウスやエルガー、ディーリアスなどの名演が印象的だけに、抒情的でヒューマニティ溢れる指揮をするとのイメージが先行しているが、そうした指揮芸術の在り様が第2番と見事に合致。

同曲の随所に聴くことが可能な枯淡の境地とも評すべき名旋律の数々を、バルビローリは、これ以上は求めえないほど情感豊かに歌い抜いているところであり、そのヒューマニティ溢れる表現の美しさには、抗し難い魅力に満ち溢れている。

もっとも、終楽章の終結部における頂点に向けて畳み掛けていくような気迫と生命力においてもいささかも不足はなく、これはバルビローリの指揮芸術の懐の深さを如実にあらわしていると言えるだろう。

そして、ウィーン・フィルによる美しい演奏が、演奏全体に更なる潤いと温もりを付加させているのを忘れてはならない。

いずれにしても、本演奏は、バルビローリならではの情感溢れる指揮芸術を堪能することが可能な素晴らしい名演と高く評価したい。

併録の悲劇的序曲も、バルビローリならではの素晴らしい名演だ。

音質は、1960年代のスタジオ録音であり、数年前にリマスタリングが行われたものの、必ずしも満足できる音質とは言い難いところであった。

ところが、今般、シングルレイヤーによるSACD盤が発売されるに及んで大変驚いた。

音質の鮮明さ、音圧、音場の幅広さのどれをとっても、従来CD盤とは段違いの素晴らしさであり、あらためて本演奏の魅力を窺い知ることが可能になるとともに、SACDの潜在能力の高さを思い知った次第だ。

いずれにしても、バルビローリによる素晴らしい名演を超高音質のシングルレイヤーによるSACD盤で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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バルビローリという指揮者がいかに懐の深い指揮芸術を有していたのかを再認識させる素晴らしい名演だ。

バルビローリは、北欧音楽や英国音楽を得意のレパートリーとした指揮者として広く知られているが、そのレパートリーには広範なものがあり、独墺系の作曲家の演奏も比較的多く手掛けていたと言えるところだ。

そのような中でも、ブラームスは特別な存在であったようであり、本盤に収められた交響曲第3番を含めたウィーン・フィルとの全集を含め、いくつかのライヴ録音を遺している。

また、バルビローリは、独墺系のオーケストラではベルリン・フィルとの相性が抜群であったことがよく知られているが、他方、そのライバルであったウィーン・フィルとは必ずしも相性が良くなかったと言われている。

バルビローリがウィーン・フィルとともに遺した録音は、筆者の知る限りでは、ブラームスの交響曲全集のみであるところであるが、こうした点にもそれが表れていると言えるのかもしれない。

しかしながら、ウィーン・フィルとの唯一のスタジオ録音となるブラームスの交響曲全集は素晴らしい名演だ。

バルビローリは、一般的にはシベリウスやエルガー、ディーリアスなどの名演が印象的だけに、抒情的でヒューマニティ溢れる指揮をするとのイメージが先行しているが、確かに、ブラームスの各交響曲の緩徐楽章における情感豊かな演奏には、そうしたバルビローリの芸術の真骨頂が見事にあらわれている。

それ故に第2番や第4番がとりわけ名演との誉れ高いのは当然のことであるが、マーラーの交響曲を得意としていただけあって、ドラマティックな表現や強靭さを基調とする演奏も頻繁に行っていたことを忘れてはならない。

本盤に収められた第3番も、バルビローリ=抒情的でヒューマニティ溢れる演奏をする指揮者というある種の固定観念を覆すに足る力強い演奏を行っている。

交響曲第3番の冒頭からして凄まじいまでの迫力を誇っており、主部からの堂々たる進軍は微動だにしない威容を誇っている。

終楽章の頂点に向けて畳み掛けていくような気迫と生命力は、バルビローリの指揮芸術の懐の深さを如実にあらわしていると言えるだろう。

もちろん、第2楽章及び第3楽章の枯淡の境地とも評すべき情感豊かな表現は、バルビローリならではのヒューマニティ溢れるもので、抗し難い魅力に満ち溢れている。

そして、ウィーン・フィルによる美しい演奏が、演奏全体に更なる潤いと温もりを付加させているのを忘れてはならない。

いずれにしても、本演奏は、バルビローリの指揮芸術の懐の深さをあらためて再認識させる素晴らしい名演と高く評価したい。

ハイドンの主題による変奏曲は、各変奏曲の描き分けが実に巧みであり、名匠バルビローリならではの老獪な至芸を堪能することが可能な素晴らしい名演に仕上がっている。

音質は、1960年代のスタジオ録音であり、数年前にリマスタリングが行われたものの、必ずしも満足できる音質とは言い難いところであった。

ところが、今般、シングルレイヤーによるSACD盤が発売されるに及んで大変驚いた。

音質の鮮明さ、音圧、音場の幅広さのどれをとっても、従来CD盤とは段違いの素晴らしさであり、あらためて本演奏の魅力を窺い知ることが可能になるとともに、SACDの潜在能力の高さを思い知った次第だ。

いずれにしても、バルビローリによる素晴らしい名演を超高音質のシングルレイヤーによるSACD盤で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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本盤に収められた交響曲第4番の演奏は、バルビローリ&ウィーン・フィルによるブラームスの交響曲全集の中でも白眉とも言うべき素晴らしい名演だ。

バルビローリは、北欧音楽や英国音楽を得意のレパートリーとした指揮者として広く知られているが、そのレパートリーには広範なものがあり、独墺系の作曲家の演奏も比較的多く手掛けていたと言えるところだ。

そのような中でも、ブラームスは特別な存在であったようであり、本盤に収められた交響曲第4番を含めたウィーン・フィルとの全集を含め、いくつかのライヴ録音を遺している。

また、バルビローリは、独墺系のオーケストラではベルリン・フィルとの相性が抜群であったことがよく知られているが、他方、そのライバルであったウィーン・フィルとは必ずしも相性が良くなかったと言われている。

バルビローリがウィーン・フィルとともに遺した録音は、筆者の知る限りでは、ブラームスの交響曲全集のみであるところであるが、本盤の交響曲第4番の演奏は、そうした相性の良くなかったとの評価が果たして正しかったのかどうか再検証が必要なほどの名演に仕上がっていると言えるのではないだろうか。

何よりも、第4番という楽曲の性格とバルビローリの芸風が見事に符号している点が大きい。

バルビローリは、一般的にはシベリウスやエルガー、ディーリアスなどの名演が印象的だけに、抒情的でヒューマニティ溢れる指揮をするとのイメージが先行しているが、そうした指揮芸術の在り様が第4番と見事に合致。

同曲の随所に聴くことが可能な人生の諦観を感じさせる枯淡の境地とも評すべき名旋律の数々を、バルビローリは、これ以上は求めえないほど情感豊かに歌い抜いているところであり、そのヒューマニティ溢れる表現の美しさには、抗し難い魅力に満ち溢れている。

もっとも、第3楽章における畳み掛けていくような気迫と生命力においてもいささかも不足はなく、これはバルビローリの指揮芸術の懐の深さを如実にあらわしていると言えるだろう。

終楽章の各変奏の描き分けの巧みさは、名匠バルビローリの老獪な至芸を十分に満喫することが可能だ。

そして、ウィーン・フィルによる美しい演奏が、演奏全体に更なる潤いと温もりを付加させているのを忘れてはならない。

いずれにしても、本演奏は、バルビローリならではの情感溢れる指揮芸術を堪能することが可能な素晴らしい名演と高く評価したい。

併録の大学祝典序曲も、バルビローリならではの素晴らしい名演だ。

音質は、1960年代のスタジオ録音であり、数年前にリマスタリングが行われたものの、必ずしも満足できる音質とは言い難いところであった。

ところが、今般、シングルレイヤーによるSACD盤が発売されるに及んで大変驚いた。

音質の鮮明さ、音圧、音場の幅広さのどれをとっても、従来CD盤とは段違いの素晴らしさであり、あらためて本演奏の魅力を窺い知ることが可能になるとともに、SACDの潜在能力の高さを思い知った次第だ。

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2014年03月28日


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エルガーのチェロ協奏曲は、悲劇のチェリストであるデュ・プレの代名詞のような楽曲であった。

エルガーのチェロ協奏曲とともに2大傑作と称されるドヴォルザークのチェロ協奏曲については、ロストロポーヴィチをはじめ数多くのチェリストによって録音がなされ、あまたの名演が成し遂げられている。

ところが、エルガーのチェロ協奏曲に関しては、近年では若手の女流チェリストであるガベッタによる名演(2009年)なども登場しているが、デュ・プレの名演があまりにも凄いために、他のチェリストによる演奏が著しく不利な状態に置かれているとさえ言えるだろう。

かのロストロポーヴィチも、デュ・プレの同曲の名演に恐れをなして、生涯スタジオ録音を行わなかったほどである(ロストロポーヴィチによる同曲のライヴ録音(1965年)が数年前に発売された(BBCレジェンド)が出来はイマイチである)。

デュ・プレは同曲について、本盤のスタジオ録音(1965年)のほか、いくつかのライヴ録音を遺している。

テスタメントから発売されたバルビローリ&BBC響との演奏(1962年)なども素晴らしい名演ではあるが、演奏の安定性などを総合的に考慮すれば、本演奏の優位はいささかも揺らぎがない。

本演奏におけるデュ・プレによる渾身の気迫溢れる演奏の力強さは圧巻の凄まじさだ。

本演奏の数年後には多発性硬化症という不治の病を患い、2度とチェロを弾くことがかなわなくなるのであるが、デュ・プレのこのような凄みのあるチェロ演奏は、あたかも自らをこれから襲うことになる悲劇的な運命を予見しているかのような、何かに取り付かれたような情念や慟哭のようなものさえ感じさせる。

もっとも、我々聴き手がそのような色眼鏡でデュ・プレのチェロを鑑賞しているという側面もあるとは思うが、いずれにしても、切れば血が出てくるような圧倒的な生命力と、女流チェリスト離れした力感、そして雄渾なスケールの豪演は、我々聴き手の肺腑を打つのに十分である。

それでいて、エルガーの音楽に特有の人生への諦観や寂寥感、深遠な抒情の表現においてもいささかの不足はないと言えるところであり、その奥深い情感がこもった美しさの極みとも言える演奏は、涙なしには聴くことができないほどのものだ。

このような演奏を聴いていると、同曲はデュ・プレのために作曲されたのではないかとの錯覚さえ覚えるほどであり、さすがのロストロポーヴィチも、同曲のスタジオ録音を諦めた理由がよく理解できるところである。

デュ・プレのチェロのバックの指揮をつとめるのはバルビローリであるが、ロンドン交響楽団を巧みに統率するとともに、デュ・プレのチェロ演奏のサポートをしっかりと行い、同曲の数々の抒情的な旋律を歌い抜いた情感豊かな演奏を繰り広げているのが素晴らしい。

併録の歌曲集「海の絵」も、ジャネット・ベイカーの歌唱が何よりも美しい素晴らしい名演と評価したい。

音質は、1965年のEMIによるスタジオ録音であり、従来CD盤では音に歪みが生じているなど今一つ冴えないものであったが、数年前にHQCD化されたことによって、音場が広がるとともに音質もかなり鮮明に改善されたところだ。

そして、先般、待望のハイブリッドSACD化が行われることによって、更に見違えるような鮮明な音質に生まれ変わったところであるが、今般のシングルレイヤーによるSACD盤は、当該ハイブリッドSACD盤をはるかに凌駕していると評しても過言ではあるまい。

音質の鮮明さ、音場の幅広さ、そして音圧のいずれをとっても一級品の仕上がりであり、あらためてシングルレイヤーによるSACD盤の潜在能力の高さを思い知った次第である。

いずれにしても、デュ・プレやバルビローリ等による素晴らしい超名演を、超高音質であるシングルレイヤーによるSACD盤で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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2014年03月18日


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本盤には、シベリウスを十八番としたバルビローリによる管弦楽の小品が収められているが、いずれも素晴らしい名演と高く評価したい。

バルビローリのシベリウスは、そのヒューマニティ溢れる温かさが魅力である。

それは交響曲において特に顕著ではあったが、管弦楽小品においても同様であり、どの演奏においてもバルビローリならではの人間的な温もりが感じられると言っても過言ではあるまい。

もっとも、だからと言って穏健な演奏に終始しているわけではないことに留意しておく必要がある。

例えば、冒頭に収められた交響詩「フィンランディア」は、冒頭から途轍もないエネルギッシュな力感溢れる演奏で開始される。

終結部のトゥッティに向けて畳み掛けていくような力奏も圧倒的な迫力を誇っており、バルビローリのこの演奏にかける灼熱のように燃え上がるような熱き情熱が感じられるのが素晴らしい。

中間部の讃美歌はいかにもバルビローリならではの温もりのある情感に満ち溢れており、本演奏はいい意味での剛柔バランスのとれた名演に仕上がっていると高く評価したい。

組曲「カレリア」は、シベリウスの初期の作品ということもあって、どちらかと言うと颯爽とした趣きの演奏が多いが、本演奏はまさに「歌う英国紳士」の面目躍如たる情感の豊かさが全体を支配している。

それでいて、いささかも感傷的に流れるということはなく、どこをとっても高踏的な美しさを湛えているのが素晴らしい。

いずれにしても、本演奏は、演奏の内容の密度の濃さから、同曲演奏史上でもトップの座を争う名演と高く評価したい。

他の諸曲も素晴らしい名演であり、例えば、「悲しきワルツ」の楽曲の心眼に踏み込んでいくような深遠な演奏や、交響詩「ポホヨラの娘」や「レミンカイネンの帰郷」の荒々しささえ感じさせる気迫溢れる力強い演奏も凄い。

とりわけ、「レミンカイネンの帰郷」を聴いて、バルビローリの指揮で交響詩≪4つの伝説曲≫全体を通して聴きたいと思った聴き手は筆者だけではあるまい。

ハレ管弦楽団も部分的には、ブラスセクションの荒っぽさや弦楽合奏のアンサンブルなどにおいて若干の問題がないわけではないが、これだけの名演奏を繰り広げたことを考えれば文句は言えまい。

録音は、リマスタリングを繰り返してきたこともあってとりあえずは満足し得る音質であるが、今般、ついに待望のSACD化が行われることによって大変驚いた。

従来CD盤とは次元が異なる見違えるような、そして1960年代のスタジオ録音とは到底信じられないような鮮明な音質に生まれ変わった。

バルビローリによる演奏の最大の美質でもある弦楽合奏の美しさが艶やかに表現されているのは殆ど驚異的ですらあると言えるだろう。

もっとも、ハレ管弦楽団のブラスセクションのいささかきめの細かさを欠いた荒っぽい演奏ぶりが高音質化によってさらに露わになったのは玉に傷とも言えるが、いずれにしても、バルビローリによる至高の名演を、SACDによる高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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2014年03月14日


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まだ遺されていた! ホロヴィッツが得意とし、何度も演奏した2大ピアノ協奏曲の超名演。

収録の2曲は、ライナーノーツにも書いてある通り、ホロヴィッツが「武器」にしてきた曲。

それだけに、多くの録音が遺されている。

チャイコフスキーであればトスカニーニとの演奏が有名だし、ワルターとの爆演もあるが、個人的にはセルとのニューヨーク録音が「最強(狂?)」だと思っている。

ラフマニノフはコーツ、ライナー、オーマンディ、それからメータ(映像付き)とあって、晩年のオーマンディとの録音の「妖気」はホロヴィッツならではだ。

「では、この盤の存在価値がどこにあるのか」というのがポイントだろうが、はっきり申し上げて、価値は大ありなのだ。

特にラフマニノフが凄く、全盛期のホロヴィッツが突っ走る。

この曲の場合、極めて叙情的でありながら、途轍もなくスポーティー、という矛盾する要素をどうやって弾き切るのかが難しいところ。

ホロヴィッツの場合、音を出すだけで艶やかな空気に包まれるが、その空気のままに、指は走り続けるのだ。

「走る演奏」といえば、プラッツ&バティス盤も思い浮かぶが、あそこでは最初から「やってやるぞ」という気合いをびんびんに漂わせながら、前のめりに進んでいく。

ホロヴィッツの場合、搭載している「エンジン」が超大型なので、もっと余裕綽々に、自分と伴奏のオーケストラを追い込んでいく。

ライヴ録音だと、最後で疲れが見えたり、崩壊したりということも少なくないが、ここでは「ぶっ壊れながら」も整然と終わる。

このあたり、バルビローリの「伴奏勘」に感心するしかない。

チャイコフスキーは、残されたホロヴィッツの演奏の中で「最上級」ではないかもしれないが、強烈な演奏であることには変わりはない。

もちろん、ここでもバルビローリは引き離されずに頑張っている。

音質はこの年代(1940-1941)を考えても芳しいとは言えないが、そんなことを考えられるのも、ピアノが入るまでのほんの数秒の間だけだろう。

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2014年02月21日


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この交響曲の演奏はむずかしい。

オーヴァーヒートしがちで、マクベスの科白ではないが、「無意味な叫喚と怒号」に終わりかねない。

この曲は時間の冷酷な進行への強迫観念を基本に、強気と不安、期待と絶望に揺れ、限られた時間のなかで人間はいかに生くべきかを問うている。

バルビローリはその核心に突き入っており、死の予感があってこそ、生の尊さに思い当る。

死の恐怖に負けるか、それとも生を慈しむよろこびを知るかという二者択一を前にして、つかの間でも生きる幸せ(第2楽章)を味わったものは、死を大らかな気持ちで受け入れられる。

だから終楽章の最後のとどめの一撃も、けっして無残な挫折ではなく、自己納得のひびきが聴きとれる。

なお、この演奏では、初演にしたがって、第2楽章と第3楽章が通常とは逆に配置されている。

シュトラウスはナチスの罪について恐ろしく無自覚だったそうだが、そういう事情を知ってしまうと、《メタモルフォーゼン》にこめられたという「祖国ドイツから失われゆく美への惜別」なる解釈が嘘くさくなってくる。

単なる"音の美食"ではないのか?

しかしバルビローリの演奏で聴く時だけは作曲家その人への疑念を超える普遍的な、魂の痛切な思いが突き刺さってくる。

バルビローリがこの録音を残しておいてくれたことに感謝したいと思う。

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2013年10月01日


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本盤には、悲劇のチェリストであるデュ・プレがスタジオ録音したハイドンのチェロ協奏曲第2番と、世に知られているとは言い難いシェーンベルクが編曲したモンのチェロ協奏曲が収められている。

いずれも、デュ・プレならではの圧倒的な超名演だ。

デュ・プレは、得意のエルガーのチェロ協奏曲やドヴォルザークのチェロ協奏曲を演奏する時のみならず、どのような楽曲の演奏に臨むに際しても全力投球で、体当たりとも言うべき渾身の演奏を行ったと言えるところであるが、本演奏におけるデュ・プレによる渾身の気迫溢れる演奏の力強さについても、とても女流チェリストなどとは思えないような圧巻の凄まじさである。

本演奏の数年後には多発性硬化症という不治の難病を患い、2度とチェロを弾くことがかなわなくなるのであるが、デュ・プレのこのような壮絶とも言うべき凄みのあるチェロ演奏は、あたかも自らをこれから襲うことになる悲劇的な運命を予見しているかのような、何かに取り憑かれたような情念や慟哭のようなものさえ感じさせる。

もっとも、我々聴き手がそのような色眼鏡でデュ・プレのチェロ演奏を鑑賞しているという側面もあるとは思うが、いずれにしても、演奏のどこをとっても切れば血が出てくるような圧倒的な生命力に満ち溢れるとともに、女流チェリスト離れした強靭な力感に満ち、そして雄渾なスケールを伴った圧倒的な豪演は、我々聴き手の肺腑を打つのに十分である。

それでいて、両曲の緩徐楽章などにおける繊細にして情感の豊かな表現おいてもいささかの不足はないと言えるところであり、その奥深い情感がこもった美しさの極みとも言える演奏は、これからデュ・プレを襲うことになる悲劇が重ね合わせになり、涙なしには聴くことができないほどのものである。

デュ・プレのチェロ演奏のバックの指揮をつとめるのは名匠バルビローリであるが、ロンドン交響楽団を巧みに統率するとともに、デュ・プレのチェロ演奏のサポートをしっかりと行い、両曲の魅力的な数々の旋律を歌い抜いた情感豊かな演奏を繰り広げているのが素晴らしい。

音質については、1967年のスタジオ録音であるが、単独盤として手に入らない状況にあり、輸入によるセット盤の中で聴くしか方法がなかったところであるが、当該従来CD盤は今一つ冴えない音質であった。

しかしながら、今般、ついに待望のSACD化が行われることによって、見違えるような鮮明な音質に生まれ変わった。

とりわけ、デュ・プレのチェロ演奏の弓使いが鮮明に再現されるのは殆ど驚異的ですらある。

いずれにしても、デュ・プレ、そしてバルビローリ&ロンドン交響楽団による素晴らしい名演を、SACDによる高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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2012年07月09日


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バルビローリはマーラーを得意としたが、「第6」は、既にベルリン・フィルとのライヴ録音、ニューフィルハーモニアとのスタジオ録音が発売されており、いずれ劣らぬ名演であった。

本盤の演奏は、発売されたものとしては3種目ということになるが、ライヴならではの熱気と迫力に満ち溢れた名演だと思う。

第1楽章の冒頭から圧倒的な音塊が迫ってくる。

シベリウスやイギリス音楽の演奏での抒情的で温厚篤実な指揮ぶりはどこにも見られない。

第2楽章は、いかにもバルビローリらしい抒情的表現があらわれるが、終結部の盛り上がりの急速なアッチェレランドなど、同じオケを指揮したスタジオ録音とは別人のような燃えるような指揮ぶりを見せる。

第3楽章は、重量感溢れる巨象の進軍。

終楽章は、圧倒的な音のドラマであり、終結部の熱狂的な拍手もむべなるかなと思わせる。

ベルリン・フィルとのライヴと同様に、バルビローリは第2楽章と第3楽章を入れ替えて演奏しているが、同じオケを振ったスタジオ録音では入れ替えていない。

この一貫性のなさは謎であるが、筆者としては、入れ替えない方が終楽章の悲劇がより際立つと思うのだが、このあたりは、好みの問題もあるのかもしれない。

しかし総じて、大物が熱を入れたライヴならではの大演奏で、聴きごたえ十分。

この曲やバルビローリのファンはぜひ一聴をお薦めしたい。

音質は、この当時のライヴ録音としてはかなり良好であり、歴史的な名演を良好なステレオ録音で鑑賞できる。

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2011年04月03日


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この演奏は「9番」に限らず、個人的にはもっとも愛着のあるマーラーのCDのひとつである。

もちろん、客観的に考えればこの盤とベルリン盤を同じ土俵の上で語るのは、先方に失礼ですらある。

録音からプレスに至る「レコード芸術品」としての価値はこの海賊盤CDには存在しないからだ。

しかし筆者としては、正規盤であろうが海賊盤であろうが良いものは良いというスタンスなので、海賊盤でも良さそうなディスクを見つけたら躊躇せずに買う。

ベルリン・フィルのスタジオ録音と、もっとも大きく違うところは、ここには光と影が存在することだろう。

ベルリン・フィルは重厚で陰鬱なドイツの音がするのに対し、ここにはイタリアの涙と笑いがある。

映画『ベニスに死す』ではないが、マーラーとイタリアの色彩は微妙にマッチするのだ。

バルビローリの体内にも半分はイタリアの血が流れているわけで、共鳴の度合いが尋常ではなく、第4楽章冒頭のサー・ジョンの唸り声は作品と同化しきって感動的である。

魂の里帰りとでも呼びたいような凄まじい演奏だ。

録音も1960年のイタリアというには上出来である。

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2010年11月28日


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収録されているのは、バルビローリのシベリウス:交響曲第1,2,5,7番の旧盤に「トゥオネラの白鳥」。

シベリウスを得意にしていたバルビローリは、手兵のハレ管弦楽団を振ってHMVに第2番を2度レコーディングしている。

有名なのは1966年のステレオ盤であるが、ここに挙げたのは1952年のモノーラルで、日本ではLPが出たまま忘れ去られ、やっと1996年にCD化された。

しかし66年盤はカタログに残っているのに、この方は早々と消えてしまったが、演奏は新盤を凌ぐ出来映えで、段違いに素晴らしい。

常識的なバルビローリ調で一貫したステレオ盤に対し、モノーラルの方はメリハリが効き、強弱は思い切ってつけられ、速いテンポを基調としつつ、曲が進むにつれてますますスピード感が増し、しかも緩急のさばき方が圧倒的だ。

第1楽章後半の猛烈な嵐と猛烈な速さはめくるめくばかりで、こんな表現は他に類例がなく、初めて聴く人はバルビローリの指揮ということが信じられないだろう。

第2楽章に入ると、指揮者の棒はいよいよ自由になる。

アッチェレランドの激しさなど、まるでフルトヴェングラーのブルックナーのようだが、あのように音楽を歪めてしまうことなく、雄弁な語りがシベリウスそのものなのだ。

曲の本質や核心を鋭くとらえ切っているからだが、もちろん第2番以後の交響曲ではこのスタイルでは必ずしも成功していない。

第3楽章の凄絶な突進とアクセントの決め方は、まるで戦いが始まったようで、ここではすべてが血のように赤い。

私は折衷的なこの曲を好まないが、本CDなら夢中になる。

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2009年04月21日


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バルビローリのマーラーでは、BPOとの第9番が有名だが、それ以外ではNPOを振った第5番が、温かく、哀切極まりなく、限りなく感動的である。

あの葬送行進曲が現れてくるとき、身震いしない聴き手がいようか!? これほど戦慄的な感動はレコードでは滅多に体験することができないだろう。

1969年7月16〜18日の録音で、サー・ジョンが卒然として、この世に訣別する、ちょうど1年前の録音である。

バルビローリの前では、オーケストラはひとつの機能的な「楽器」ではない。

ハートを持ったミュージシャンの集合として一人一人が指揮のアプローチに共感し、今自らその渦中にある音楽をバルビローリ同様に愛し、ともに歌いともに涙する。

その最高の例のひとつがこの録音だ。

フレーズの隅々まで、高い集中力は途切れることなく、マーラーの陰と陽、躁と鬱、情念のうねりを語り尽くす。

バルビローリは演奏した音楽すべてを愛したが、演奏スタイルが最も音楽に合っていたのはマーラーだったかも知れない。

対位法を駆使した壮麗な終楽章の各声部、パーカッションの一打ちに至るまで、人間的な訴えとなって交錯する演奏は、ほとんど例を見ない。

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2009年04月05日


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イギリスの名指揮者バルビローリは、マーラー、シベリウス、ブラームスの交響曲やイギリスの管弦楽曲の録音が有名だが、オペラにおいても名演を残している。

パーセルの「ディドとエアネス」やヴェルディの「オテロ」と並んで、この「蝶々夫人」は、このユニークな名指揮者の芸術を偲ぶ上でも、彼のファンには忘れ難い一組だろう。

プッチーニという"世話物オペラ"の巨匠の作品を、バルビローリほどに、濃やかな情感、感情面に光を当て、美しい抒情の世界として描き出した指揮者はほかに例をみない。

バルビローリの晩年を特徴づける美しい抒情性とスケールの雄大さ、そして温かく細やかな情緒の表出を満喫できる。

この指揮者の演奏を愛する人なら、これもまたかけがえのない魅力を味わわせてくれる宝物となるはずだ。

ローマ歌劇場オーケストラの技量に不満も残るが、この曲の最も美しい演奏のひとつが、バルビローリ盤であるのを疑う余地はないだろう。

愛らしくて、男なら抱きしめたくなるような魅力をもつ若き日のスコットの蝶々さんは、心理描写が巧みで、幸福の絶頂から絶望して自決するまでの蝶々さんの心の動きを見事に演唱しきっていて、蝶々さんの悲劇に切実な真実味を与えた稀有の名唱だ。

このスコットの身上である絶妙な心理表現の綾に、ベルゴンツィの若々しい美声による様式美に満ちた格調の高い名唱や、人間性の表出においてシャープレス役随一の名唱といえるパネライの滋味あふれる役作りが加わって、この名盤の価値をいっそう不動のものにしている。

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2009年03月26日


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機能性、整合性、詩的情感、迫力、ふんだんに見せ場のある交響曲ゆえ、どのCDも高い技術力に支えられた演奏で魅力的だったが、私は特に心に響くものを選んだ。

バルビローリがニールセンを録音したのは第4番だけだったが、さすが北欧を愛したサー・ジョンの演奏には血がかよっており、"うた"があり、捨て難い。

北欧音楽を得意としたバルビローリは手兵のハレ管を率いてデンマークに演奏旅行を行なった際にも「不滅」を演奏し、ニールセンを国民的大作曲家と仰ぐデンマーク楽界から絶賛を浴びた。

バルビローリ/ハレ管は自然の生命同様、人間の生命に具わる不抜の力、不屈の精神を表現したこの交響曲にふさわしく、他には見られない暖かな音でおおらかに伸びやかに歌い、しかも力強く烈しく燃える生命の躍動感に満ちている。

ニールセンは神秘的でなく人間的である。

音楽の不滅と人間性の不滅を熱っぽく歌いあげるニールセンの魂が翼を得て飛翔するかと思われるような入魂の演奏だ。

バルビローリ自身がシベリウスの第3番を「過渡期の交響曲」と呼んでいたが、彼が実践したボーイングのメソッドの修正が効果的におこなわれ、新しいサウンドが生み出されている。

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2009年01月26日


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ドビュッシーにとって最初の本格的な管弦楽作品である「夜想曲」は、水彩画風の独特の響きの魅力を持っている。

この曲の演奏では、生々しい表現は一貫して慎まなければならず、そして、いわゆるドビュッシー的な〈曖昧さ〉を保ちながら、射し込む光のような鮮やかさを全体の中に溶かし込まなくてはならない。

それを実現するのは極めて困難なことだが、バルビローリが発足間もないパリ管と残した録音は、そのなかで、最も納得いく演奏だ。

「雲」では、この指揮者が弦楽合奏に見せるカンタービレの美しさという特質が所を得て、鮮やかで雄弁な表情が穏やかに暗示される。

「祭り」も、決して派手すぎず賑やかすぎず、遅めのテンポで落ち着いた雰囲気を確保して進む。

中間部の行進のところでは一音一音ゆっくりと聴かせて距離感を表現し、あくまでも目前に迫るものではなく遠い風景として、大きすぎる音が出ないように注意深く奏して「シレーヌ」へと繋いでいる。

個性的だが、作曲者のイメージしたものは、このようなものだったろうと思わせる説得力のある演奏だ。

交響詩「海」では、弦楽器群を前面に出して、スコアに書き込まれた旋律をよく歌わせた演奏。

異常に遅いテンポだが、それを支えるパリ管の音は、あくまでも甘くソフト。

色彩感に乏しい棒さばきが少々退屈なので、最初に聴く演奏ではないが、この曲の旋律に馴染んでから聴くと新たな発見がある。

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2008年10月12日


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「エニグマ」の14の変奏の謎解きは、作曲者の生前に完了し、エルガー自身の公認を得ているので、聴き手としてはプログラム(標題)を充分ふまえた上で聴かれることをお勧めしたい。

イギリスの音楽ファンは各変奏にまつわる謎解きを頭に入れているので、指揮者としてもアブストラクトに振る人はまずいない。

エルガーの管弦楽書法のうま味と標題が渾然一体となっている模範的名演がバルビローリ盤。

自国の音楽だけあって、バルビローリもオーケストラも自信と誇りをもって演奏している。

前身がチェリストであったバルビローリはヴァイオリンおよびヴィオラが自前の楽器だったエルガーの微妙な弦楽書法を心憎いまでに見事に表出していて余すところがない。

描かれている14人の人物の肖像が生きてくるのである。

劇性もあり、またふくよかで親しみやすい表情に満ちているのが味わい深い。

ただ、フィナーレの盛り上がりという点で、やや征服感に不足する部分があるのが残念だ。

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2008年09月13日


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チェスキー・レコードのCD復刻シリーズの1枚。

バルビローリ最盛期の秀演で、この指揮者の演奏としてはベルリン・フィルとのマーラーに匹敵する名盤である。

オーケストラと録音が優れているためか、細部まで精密に表現された演奏であり、しかも激しい情熱と豊かな抒情を交錯させている。

実に堂々とした力強い演奏である。

シベリウスはバルビローリの十八番だった。シベリウス演奏の伝統あるイギリスでも、バルビローリのシベリウスはまた特別な名声を博していた。

バルビローリのシベリウス演奏は、曲がそのうちに秘めているナショナリズムの精神に直截に挑むという激しいものではなく、音楽の流れや起伏を大切に扱うことやオーケストラのすべてのパートのバランスを精緻に決めることを主眼として、それによって民族的な熱いほてりが自ずから浮かび上がる、風格と気品をもったものである。

オーケストラの色調のほかすべてに効いた抑制を通じての真実の表現だ。

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2008年09月12日


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バルビローリ最晩年の唯一のシベリウス/交響曲全集である。

シベリウスの故国フィンランド以外で、最も熱烈に彼の音楽を愛好するのは英国で、その音楽の普及に最も貢献したのが、英国が誇る大指揮者サー・ジョン・バルビローリ(1899-1970)と彼が1943年から1959年まで率いたハレ管弦楽団だった。

ハレ管には、シベリウス演奏の伝統があり、バルビローリはあるシーズン中に7つの交響曲を年代順に全部振ったことがあった。

バルビローリは「ハレ管は、シベリウスの弦楽書法の技巧と精神に対して、何かとくべつな、いわばユニークな、洞察力ともっている」と語っていた。

これらはバルビローリの最後の仕事となったもので、それだけにスケールの大きい音楽を聴かせている。

彼はシベリウスの重厚な管弦楽法を晦渋なものとせず、全曲が歌と光に満ち溢れた明快さをもって演奏されている。

ハレ管もバルビローリが長年かかって育成したためか、実に克明なアンサンブルを展開し、瑞々しく爽やかである。

それぞれ充実した演奏だが、特に第1,4番は名演。第6,7番も抒情的な作品の内容を見事に表現している。

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2008年05月02日


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バルビローリ&ウィーン・フィルのコンビによる唯一の録音。

常にゆとりのあるテンポで、無理のない表情をつくっている美しいブラームスである。

ウィーン・フィルも隅々まで整った演奏を繰り広げる。

バルビローリはブラームスの古典主義的な側面より抒情性に光をあて、極めて個性的な演奏を展開している。

バルビローリが振ると、ブラームスの作品から北ドイツの重さが消え、ラテン的な明るさが増す。

といっても、派手な輝きではなく、穏やかな温もりを感じさせる光。

戦いよりは、品格に満ちた歌と、しみじみとした情感が前面に出てくる。

より晩年の視点から見たブラームスと評せるかもしれない。

そのため第4番は非常な名演となったが、第1番はあまりにロマンティックすぎるという批判も出てくるかもしれない。

第3番も非常に美しい。

ウィーン・フィルの弦による最上の表現の一つ。

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2008年03月24日


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近代イギリス音楽から美しい《音詩》を11曲収録したもので、バルビローリのいつくしむような愛情によって、それぞれの曲が新しい生命を授けられて生き返ったかのように息づいている。

ことに失明した老残の作曲家の瞼に浮かんだ夏の日の追憶がよみがえってくる「夏の歌」は秀逸で、バルビローリはじっくりと運びながらそこはかとない寂寥感を十全に表出しており、バルビローリ自身の心の歌でもあるかのような深々とした表現に心を打たれる。

「アパラチア」は黒人霊歌をもとにしたバリトンと合唱の入った作品。

バルビローリの演奏は、この曲に対する愛情がおのずとにじみ出たような、いつくしむような演奏である。

特に合唱が出たあとの盛り上げ方がうまく、オケも合唱もまったく彼の意のままに動いている。

「ブリックの定期市」もイギリスの田園情緒をよく出したすぐれた演奏である。

「楽園への道」の抒情的な美しさも印象的で、バルビローリのディーリアスに対する傾倒の深さが示されている。

そのほかの曲もこの4曲と甲乙つけがたい優れた演奏で、ここにはバルビローリのディーリアスに対する敬愛の念の深さがはっきり示されている。

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2008年02月09日


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バルビローリは生前シベリウスに深く傾倒していた指揮者で、シベリウスを得意としており、演奏にも定評があった。

これも魅力満点のディスクで、そうした彼の実力が最高度に発揮された実に見事な演奏。

バルビローリとハレ管によるシベリウスは、とにかく聴き手の魂に訴えかける強烈なアピールをもった名演だ。

そして、この管弦楽曲集は、まさにファンタジーとノスタルジーに溢れた名演であり、私たちをシベリウスのロマンと神秘の世界に深く浸らせてくれる感動的な演奏になっている。

シベリウスの音楽固有の素朴な味を大切にしながら、それぞれの曲の内面を深く掘り下げ、熟成した表現でコクのある音楽をつくりあげている。

そしてバルビローリはオケを自在にドライヴしながら、どの曲も表情豊かにまとめている。

ことに北欧的情感を豊かに表出した「悲しきワルツ」と交響詩「ポヒョラの娘」は秀抜。

ハレ管は曲によって演奏にムラのあるオケだが、このシベリウスは入魂の演奏といってよい。

ハレ管のアンサンブルは、一般的には決して高い水準にあるとはいえないが、その少しザラザラとしたサウンドを逆利用したバルビローリは、それによってシベリウス特有の寒色的で荒涼とした世界をリアルに描出することに成功を収めており、同時に生々しい生命を宿したホットな表現を実現させている。

管楽器群の鮮烈な音色も、この演奏独自の魅力として特筆される。

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2007年12月17日


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バルビローリとベルリン・フィルの唯一のスタジオ録音。

ベルリン・フィルがまだマーラーに親しんでいない時期に積極的に客演、名演を聴かせたのがバルビローリだった。

彼が1963年にベルリン・フィルに客演した際に、その指揮に感動した楽団員の申し出で翌年録音が実現したと言われている。

ベルリン・フィルが当時EMIに録音するのは異例のことであった。

後にベルリン・フィルはバーンスタイン、カラヤン、アバド、ラトルと、それぞれの指揮者の本領を最大限に発揮した超絶的なライヴ録音が残されたことからも、ベルリン・フィルにとってマーラーの交響曲第9番は特別の作品だと感じる。

バルビローリはこの曲とがっぷりと四つに組んで、まことに重量感のある厚い演奏をしている。

ベルリン・フィルの力にもよるのだろうが、小さくまとまりがちな平凡さがなく、熱っぽい呼吸が楽想の高潮を大きく盛り上げている。

第1楽章の茫漠たる悲劇感といい、終楽章の粘着力のある情緒の高揚といい、実に規模が大きく、かつ内面に深く沈潜した充実した稀有の名演である。

バルビローリの人間的な温かみと入魂の演奏は、その後録音された十指にのぼるレコードの、どれよりも耐えがたいような感動をさそう。

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