シノーポリ

2015年11月11日


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シノーポリがフレーニと共に録音した《蝶々夫人》は、このあまりにもポピュラーなオペラの中から数多くの猗見瓩鰺燭┐討れるものである。

オペラを解体しようとしてるんじゃないのか、というシノーポリの指揮がうまくいった例がこの《蝶々夫人》で、心理的分析と旺盛な表現意欲によって聴き古されたこのオペラが生まれ変わった。

シノーポリの緻密でドラマティックな表現が、この作品を奥深い心理劇に仕立てていて、大変見事だ。

プッチーニの音楽の中には、イタリア・オペラの長く豊かな伝統に加え、後期ロマン派風の濃厚なロマンティシズムやドビュッシーに代表される印象派の影響が複雑に絡まりあっている。

シノーポリは、このすべてに配慮しつつ、野獣のような表現意欲と音楽の推進力によって、オペラ全体をまとめ上げている。

劇性・色彩感においても、シノーポリの音楽作りは比類がなく、神経の行き届いたというかピリピリしたというか、とにかく張り詰めた演奏で、悲劇の、いわば覇気に説得力がある。

異常なテンポのゆれは、正道を行くカラヤンの演奏を聴いてこそ感じる部分もあるが、まさに蝶々さんの心理に密着したものとして新鮮に心に響く。

プッチーニが意図したオペラを超えているかもしれないとしても、複雑な総譜のなかからシノーポリが発見したこの鉱脈は非常に現代的で説得力がある。

シノーポリは、エキゾティズムを含めた視覚的広がりの部分、たとえば第1幕の蝶々さんの登場、僧侶の場面、第2幕のスズキとの二重唱など、思い切りファンタジーを拡げ、聴く者を満足させる。

終幕、蝶々さんがケイトを見てしまうあたりから、がぜんシノーポリが本領を発揮し、この作品に大変真面目な、ショッキングな効果を与える。

だが、この全曲盤の魅力の多くは歌にある。

このオペラのヒロインである蝶々さんをうたうソプラノには、同じ題名役でもトスカとはまた違ったむずかしさがある。

何しろ第1幕でピンカートンと結婚する蝶々さんはまだ15歳の少女であり、当然リリックな声のソプラノがふさわしいのだが、その3年後の第2幕は非常にドラマティックな表現が求められている。

しかもプッチーニの分厚い響きの管弦楽をバックにしてうたわなければならないのだから、非常にむずかしい。

これまでのところ、抒情性と劇的表現という二律背反するような蝶々さんをもっとも見事に表現しているのは、このシノーポリ盤におけるフレーニである。

フレーニは舞台ではこの役を演じたことがなく、とうてい演技派とはいえない歌手だが、声だけに限定すれば、1970年代以降の円熟した彼女ほど声で雄弁に演技できるソプラノはいないように思う。

ここでのフレーニの充実ぶりは特筆すべきで、カラヤンとの1974年での彼女の歌唱もすばらしいが、シノーポリの指揮でまったく違った女性像を作り出している。

彼女の声がどれほど柔軟に異なる指揮者の棒に適応するかを実感するという興味もあるが、年輪を重ねたフレーニの声と表現の成熟は、圧倒的な存在感を生み出しており、カラヤンとの録音や映像での名唱以上に、強い自己投入と生命力を示した、抒情性たっぷりでひたむきな円熟の名唱は感動的だ。

またフレーニの豊麗な声と豊麗なオーケストラは見事に溶け合って、この東洋の少女のファンタスティックな世界を表現する重要な要素になっている。

その他配役に関しては、ほぼすべての役がぴったりはまっており、少し誠実すぎるかな、というカレーラスのピンカートンも悪くなく、ベルガンサのスズキ、ポンスのシャープレスも見事で、演奏を豊かにするのに大きな役を果たしている。

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2015年04月12日


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本盤には、2001年に惜しくも急逝したシノーポリが遺した唯一のシューマンの交響曲全集が収められている。

シノーポリによるシューマンの交響曲の名演としては、何と言ってもウィーン・フィルとスタジオ録音した交響曲第2番の演奏(1983年)が思い浮かぶ。

当該演奏は、カップリングされていた「マンフレッド」序曲ともども、細部に至るまで彫琢の限りを尽くした緻密な表現と豊かな歌謡性を併せ持つ稀有の名演に仕上がっており、とりわけ交響曲第2番については、現在においてもなお、同曲演奏史上トップの座を争う至高の超名演と評価してもいいのではないかと考えているところだ。

本全集は、1992〜1993年にかけての演奏であり、ウィーン・フィルとの交響曲第2番の演奏から約10年ぶりのものである。

アプローチ自体は、基本的には変わりがないと言えるところであり、オーケストラがウィーン・フィルからシュターツカペレ・ドレスデンに変わったのが最も大きな違いであると考えられる。

精神医学者でもあり、作曲家でもあったシノーポリの演奏は、楽曲の細部に至るまで彫琢の限りを尽くした明晰さを特徴としている。

このような分析的なアプローチに符号した楽曲としては、例えばマーラーの交響曲などが該当すると言えるところであり、シノーポリも比類のない名演を成し遂げることに成功したところだ。

したがって、精神分裂的な気質がマーラーに酷似しているシューマンの交響曲においても、シノーポリが名演を成し遂げたというのは、ある意味では当然のことであったと言えるだろう。

シューマンは長年に渡って精神病を患っていたが、シューマンの各交響曲における各旋律の随所に込められている心の慟哭や絶望感を徹底的に追求するとともに抉り出し、持ち味の分析的なアプローチによって完全に音化することを試みており、他のいかなる指揮者による演奏よりも彫りの深さが際立っている。

他方、シノーポリのイタリア人指揮者としての資質に起因すると思われるが、交響曲第1番や第3番(第4楽章を除く)などに顕著な明朗な旋律の数々も豊かな歌謡性を持って歌い抜いており、細部に至るまで彫琢の限りを尽くした表現を行いつつ、音楽の流れもいささかも淀みがなく流麗に流れていくという、ある意味では二律背反する要素を巧みに両立させた見事な名演奏を繰り広げていると言っても過言ではあるまい。

そして、シュターツカペレ・ドレスデンのいぶし銀の重心の低い音色が、演奏全体に独特の潤いと奥行きの深さを付加するのに大きく貢献しているのを忘れてはならない。

もっとも、第2番については、ウィーン・フィルによる極上の美演の魅力と、若き日のシノーポリならではの畳み掛けていくような気迫や強靭な生命力が演奏全体に漲っていたこともあり、本全集の演奏は1983年の超名演ほどの魅力は有していないと考えられるが、他の交響曲の演奏も含め全集総体としては、シノーポリならでは素晴らしい名演と高く評価したいと考える。

併録の序曲、スケルツォとフィナーレは、オペラを得意としたシノーポリならではの聴かせどころのツボを心得た語り口の巧さが光った名演と評価したい。

音質は、1990年代のスタジオ録音であり、これまで特段の高音質化は図られていないが、従来CD盤でも十分に満足できる良好なものである。

しかしながら、本全集は、シノーポリの遺産とも言うべき素晴らしい名演でもあり、今後は最低でもSHM−CD化、そして可能であればシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化を図るなど、更なる高音質化を大いに望んでおきたいと考える。

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2015年02月19日


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これはシノーポリの傑作だ。

シノーポリの遺した数々の録音の中でもトップの座を争う名演であるだけでなく、シューマンの交響曲第2番の様々な指揮者による演奏に冠絶する至高の超名演と高く評価したい。

精神医学者でもあり、作曲家でもあったシノーポリの演奏は、楽曲の細部に至るまで彫琢の限りを尽くした明晰さを特徴としている。

このような分析的なアプローチに符号した楽曲では、例えばマーラーの交響曲などが該当するが、比類のない名演を成し遂げることになった。

他方、分析的なアプローチにそぐわない楽曲においては、極端なスローテンポに陥ったり、はたまた音楽の自然な流れを損なったりするなど、今一つの演奏の陥ってしまうこともあったと言える。

ところが、本盤に収められたシューマンの交響曲第2番においては、かかる分析的なアプローチが見事なまでに功を奏していると言えるのではないか。

シューマンは長年に渡って精神病を患っていたが、とりわけこの第2番を作曲していた時は、死と隣り合わせにいたとさえ言われている。

シノーポリは本演奏において、かかるシューマンの心の慟哭や絶望感を徹底的に追求するとともに抉り出し、持ち味の分析的なアプローチによって完全に音化することを試みており、他のいかなる指揮者による演奏よりも彫りの深さが際立っている。

とりわけ第3楽章の思い入れたっぷりの濃厚な表現は、心胆寒からしめるほどの凄みがあると言えるところであり、その奥深い情感は我々聴き手の肺腑を打つのに十分であるとさえ言えるだろう。

また、これだけ細部に至るまで彫琢の限りを尽くした表現を行っているにもかかわらず、むしろ音楽がいささかも淀みなく流麗に流れていくというのは、ウィーン・フィルによる美演によるところが大きいと言えるのではないだろうか。

さすがのシノーポリも、これだけの高みに達した演奏を再度行うことは至難を極めたと考えられる。

というのも、シノーポリは、その後、シュターツカペレ・ドレスデンとともにシューマンの交響曲全集を録音することになるのであるが、当該全集に含まれる第2番の演奏には、とても本演奏のような魅力は備わっているとは言えないからである。

なお、カップリングの「マンフレッド」序曲は、交響曲第2番のように随一の名演との評価は困難であるが、それでも名演との評価をするのにいささかも躊躇をするものではない。

音質は従来CD盤でも比較的満足できる音質であるが、これだけの名演であるにもかかわらず、これまでSHM−CD化すらされていないというのは実に不思議な気がする。

シノーポリによる至高の超名演でもあり、今後はSHM−CD化、さらにはSACD化を図るなど、高音質化への取組を大いに望んでおきたいと考える。

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2014年08月26日


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精神医学を修め作曲家としても活躍したシノーポリの演奏は、まさに精神分析的とも言えるような、楽曲の細部に至るまで彫琢の限りを尽くした明晰なものであった。

シノーポリは、このような精神分析的なアプローチが効果的なマーラーやシューマンの交響曲において、素晴らしい名演の数々を遺したところである。

シノーポリは、R・シュトラウスについてもオペラをはじめ、数々の管弦楽曲の録音を遺しているが、問題はこのような精神分析的なアプローチが効果的と言えるかどうかである。

R・シュトラウスの管弦楽曲は、その色彩感豊かなオーケストレーションが魅力であることから、その魅力を全面に打ち出した名演が数多く成し遂げられてきた。

特にカラヤンは、手兵ベルリン・フィルを率いてオーケストラ演奏の極致とも言うべき圧倒的な音のドラマの構築に成功したと言えるところだ。

これに対して、フルトヴェングラーは、各楽曲が描いている登場人物の深層心理を徹底的に追求した彫りの深い演奏を成し遂げたと言えるところである。

このように、20世紀の前後半を代表する大指揮者の演奏は対照的と言えるが、シノーポリの精神分析的な演奏は、紛れもなくフルトヴェングラーの演奏の系譜に連なるものと言えるだろう。

シノーポリは、演奏に際して「ドン・ファン」や「サロメ」などの登場人物の深層心理の徹底した分析を行い、楽曲の細部に至るまで彫琢の限りを尽くしている。

しかしながら、かかる精神分析的なアプローチの懸念すべき問題は、細部に拘るあまり演奏の自然な流れが損なわれる危険性があるという点であり、それ故に、テンポが異様に遅くなってしまうことがあり得るということだ。

しかしながら、本盤に収められた諸曲の演奏においては、テンポは若干遅めとは言えるが、音楽は滔々と流れており、シノーポリのアプローチが功を奏した彫りの深い名演に仕上がっていると高く評価したい。

特に、「ドン・ファン」については、シュターツカペレ・ドレスデンによるいぶし銀の音色が、演奏全体に更なる深みと潤いを与えるのに大きく貢献している点も忘れてはならない。

録音は従来盤でも十分に満足し得る音質であり、シノーポリによる名演を、鮮明な高音質で味わうことができるのを大いに喜びたい。

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2014年08月03日


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シノーポリが心臓発作で急逝してから約11年の歳月が経った。

まだ50歳代という働き盛りでの急な逝去であったことから、現在においてもそのあまりにも早すぎる死を惜しむファンも多いと聞く。

そのようなシノーポリの遺した最大の遺産は、様々な意見もあろうかとは思うが、やはり本盤に収められたマーラーの交響曲全集と言えるのではないだろうか。

本盤には、1990年に録音された嘆きの歌やその他の主要歌曲集、そしてシュターツカペレ・ドレスデンを指揮した番外編でもあった交響曲「大地の歌」も収録しており、シノーポリがDGに録音したマーラーの交響曲や主要な歌曲のすべてが網羅されている。

シノーポリのマーラーについては賛否両論があるようであるが、筆者としては評価しており、本全集も素晴らしい名全集と高く評価したいと考える。

シノーポリのマーラーへのアプローチは、他の指揮者とは全く異なる実に個性的なものであった。

シノーポリは、精神医学者であり作曲家でもあるという異色の経歴を持つ指揮者であったが、おそらくはそれに起因するスコアリーディングには余人には及ばない凄みがあったのではないかと考えられる。

シノーポリは、マーラーの作曲した複雑極まりないスコアに記されたすべての音符を一音たりとも蔑ろにすることなく光を当て、完璧に音化することに腐心しているようにさえ思われる。

おそらくは、これほどまでに楽曲の細部に至るまで彫琢の限りを尽くした明晰な演奏というのは比類がないと言えるのではないか。

もっとも、ここまで細部に拘ると音楽の自然な流れを損ってしまうということが懸念されるが、シノーポリは音楽がごく自然に流れていくように各旋律を徹底して歌い抜くのである。

要は、細部に至るまでの彫琢と歌謡性の豊かさという2つの要素を兼ね備えた稀有の演奏を成し遂げているということであり、ここにシノーポリのマーラーのユニークな魅力がある。

もちろん、かかるアプローチがうまく適合しない楽曲もある。

例えば、第6番は細部への彫琢の末に成し遂げられた明晰さが、ある種の楽天的な雰囲気の醸成に繋がってしまったきらいがあり、同曲の演奏としてはいささか物足りない出来となってしまっている。

もっとも、かかるシノーポリの芸風に符号した楽曲ではとてつもない名演に仕上がることになり、特に、第2番、第5番、第7番及び第10番は文句のつけようのない名演である。

第2番の終楽章の中間部はいささか冗長さを感じさせる箇所ではあるが、シノーポリの演奏にかかると、同じく軽薄さが指摘されている第7番の終楽章も含め、密度の濃い充実した音楽に聴こえるのが素晴らしい。

また、第5番の楽曲の心眼に切り込んでいくような鋭さも見事である。

そして、第10番は、誰よりもゆったりしたテンポで奥行きのある深沈とした音楽が連続するが、とりわけ後半の強烈な不協和音とその後の天国的な美しさの対比は、聴いていて戦慄を覚えるほどの凄みのある表現であると言えるだろう。

この第10番については、昨年発売されたテンシュテット&ウィーン・フィルによる一期一会の名演(1982年)、そして同じくシノーポリによるシュターツカペレ・ドレスデンとのライヴ録音(1981年)と並んで3強の一角を占める至高の超名演と高く評価したい。

いずれにしても、シノーポリのマーラーは他の指揮者による演奏とは全く異なる個性的な演奏ではあるが、マーラーの交響曲を愛する者であれば一度は聴いていただくことを是非ともお薦めしたい。

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2014年05月17日


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素晴らしい出来映えだ。

あまりに官能的で陶酔的な美をきわめた1997年ライヴの「第9」が大反響を呼んだシノーポリ&シュターツカペレ・ドレスデンによるマーラーであったが、これからさらに2年後の「第4」ライヴという興味深い録音である。

ブーレーズの透徹されて隙のない音、スコアと対峙するような解釈の「第4」も素晴らしいのだが、シノーポリのこの優しく包み込まれるような解釈はどうだろう。

出だしは例によって歩が遅いし、強烈なアゴーギクが掛けられた間奏部、また再現部では急に歩を速めたりと例によって昔から変わっていないスタイルなのだが、シュターツカペレ・ドレスデンがこのシノーポリズムを完全に飲み込んだ上で紡ぎ出す珠玉の旋律からはマーラーの楽しみ方に別の一つの道筋を付けていると今更ながら気が付かされた思いだ。

「第9」同様、シノーポリの様々な仕掛けがシュターツカペレ・ドレスデンの様式美によってうまく補完され、血肉化されている。

「第9」に関しては、そのためちょっとマイルドになり過ぎたと感じたものだが、「第4」なら何の不満もない。

ここでもやはり「第9」のときと同じく、フィルハーモニア管盤(1991年)と比較して両端楽章でそれぞれ2分ほど演奏時間が長くなっているのが目立った特徴。

なかでも終楽章は実際の時間以上に、出だしから極端に遅く感じられる。

最も目立つ特徴は終楽章、特に後半の「天上の音楽」の描写になってから、非常に遅いテンポがとられていることだろう。

これは指揮者自身が聴衆を前にした解説(時間の関係で音声は途中までだが、ライナーノートには全文収録しており、内容はやや散漫ながら、シノーポリの知性と教養が良く分かる)で述べている「子供の感じた非現実の天国」を表現したのだと言える。

ここでソリストに起用されたのはマーラー歌いとしてすでにキャリアも豊富なバンゼ。

ブーレーズ盤とはガラリと変わって、停止するかのように息の長いフレージングをシノーポリの意図を汲んで完璧に歌い尽くしている。

そうかと思えばシノーポリは第1楽章の主題が回帰するところでは一転、急加速。

交替してソプラノの甘美なメロディが登場するとまたもやグッとテンポを落としてくる。

このあたり、極端なテンポ・ルバートを基調としたシノーポリ美学の真髄といえるだろう。

死を目前にしたシノーポリが、必ずしも天上の世界は幸せばかりではないと、心に訴えかけてくるかのようだ。

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2014年02月20日


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この交響曲を音楽による登山日記だと思ってナメてはいけない。

この曲は当初、《アンチ・クリスト―アルプス交響曲》と名づけられていた。

つまり、ニーチェの思想「キリストは死んだ」ので、そんな死んだ神よりも自然を信仰しよう、みたいな観念的なニュアンスが付け加えられたわけだ。

ところがシュトラウス、やたらと描写が細かくじつにリアルなので、その作品に込められた主義主張はどこへやら。なんだかんだ、極上の登山日記になっているのである。

演奏家によって、どんな山なのか、そしてそれを待ち受けているものは何?という違いを聴き取るのが楽しい曲である。

筆者はシノーポリ盤をかなり面白く聴くことができた。

情報量がとんでもなく多い。しかも多いだけでなく、さりげなく擬音的に響く木管の不気味さといったら。

そして大編成のオーケストラが鳴りに鳴る。冒頭の夜から日の出を迎えるシーンは驚天動地の世界だ。

やたらと広大で、やたらに細かい、やたらと有機的で、やたらに人工的、聴き手の遠近感を狂わせてしまう演奏なのだ。

ぞくぞくするような冷淡な部分もある。山道に迷って氷河にたどり着く場面、そして悲歌の部分の翳り方はふつうではない。

浮き沈みが非常に激しいのだ。クスリや死を意識したことで、精神が過敏になったまま接したような自然がある。

この演奏を聴くと、登山日記を越えたもっと鬼気迫るものを筆者は感じてしまうのである。

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2013年10月08日


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本盤には、1999年に51歳の若さで惜しくも急逝したシノーポリによる有名な管弦楽曲を収めているが、いずれも個性的な名演と高く評価したい。

精神医学を修めた作曲家でもあるシノーポリによる独特のアプローチは、本盤に収められたいずれの楽曲の演奏においても健在であり、とりわけラヴェルの華麗なオーケストレーションが魅力の組曲「展覧会の絵」においては、ゆったりとしたテンポにより楽曲の細部に至るまで彫琢の限りを尽くした明晰さが際立っている。

同曲の随所にあらわれる有名なプロムナードの主題は、絵画の鑑賞者の微妙な心理の変化を反映して多種多様な表現が施されているところであるが、これら各プロムナードの主題の違いをシノーポリ以上に際立たせた例は他にはないのではないだろうか。

これはいかにも精神医学者シノーポリの面目躍如と言ったところであり、いささか構えた物々しさを感じさせなくもないが、このような精神分析的な演奏を好む聴き手がいても何ら不思議ではないと思われる。

交響詩「禿山の一夜」は、組曲「展覧会の絵」ほどの個性的な解釈は見られないが、それでも聖ヨハネ祭の夜に集う悪魔や妖怪たちの饗宴を殊更に強調したある種のグロテスクさ、そして終結部の超スローテンポは、いかにもシノーポリならではの怪演と言っても過言ではあるまい。

ラヴェルの「高雅にして感傷的なワルツ」は一転して豊かな情感に満ち溢れた美しさが際立っており、一聴するとオーソドックスな演奏のように思われるが、よく聴くとマーラーの交響曲におけるレントラー舞曲のような退廃的な美を感じるというのは、果たして筆者だけの先入観と言い切れるであろうか。

録音については、従来盤でも十分に満足できる高音質であったが、今般のSHM−CD化によって、若干ではあるが音質が鮮明になるとともに音場が幅広くなった。

シノーポリの細部に至るまで彫琢の限りを尽くした分析的なアプローチを味わうにはSHM−CD盤は相応しいと言えるところであり、シノーポリの名演をSHM−CDによる高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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2013年09月10日


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本盤には、2001年に惜しくも急逝したシノーポリによるシューベルトの「未完成」と「ザ・グレイト」が収められているが、いずれも素晴らしい名演と高く評価したい。

本名演の性格を簡潔に表現すれば、シノーポリによる楽曲の細部に至るまで彫琢の限りを尽くした精神分析的なアプローチといぶし銀の音色が魅力のシュターツカペレ・ドレスデンによる絶妙のコラボレーションということではないだろうか。

シューベルトは、かつてはウィーンの抒情的な作曲家として捉えられており、ワルターなどそうした捉え方に沿った名演が数多く生み出されてきたが、近年では、美しい旋律の中に時として垣間見られる人生の寂寥感や絶望感などに焦点を当てた演奏も数多く行われるようになってきたように思われる。

医者出身という異色の経歴を持つシノーポリだけに、本演奏においても、まさに両曲の心眼を鋭く抉り出していくようなアプローチが展開されている。

テンポ自体はシノーポリとしては全体として若干速めであるが、表面上の旋律の美しさに惑わされることはなく、どこをとってもシューベルトの心底にあった寂寥感や絶望感にメスを入れていこうという凄みや鋭さが感じられるのが素晴らしい。

こうしたシノーポリによる楽曲の細部に至るまで彫琢の限りを尽くした精神分析的な鋭いアプローチに適度の潤いと温かみを与えているのが、シュターツカペレ・ドレスデンによる美しさの極みとも言うべき名演奏である。

シュターツカペレ・ドレスデンが醸し出すいぶし銀の音色は、本演奏をより優美にして重厚な至高の名演に高めることに大きく貢献していることを忘れてはならない。

録音は、従来盤でも十分に満足できる音質であったが、今般のSHM−CD化によってさらに音質が鮮明になるとともに、音場が広くなったと思われる。

いずれにしても、シノーポリ&シュターツカペレ・ドレスデンという絶妙のコンビが生み出した至高の名演を、SHM−CDによる高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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2013年08月19日


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リストは交響詩の創始者として、管弦楽曲の分野においても多大なる貢献をしたにもかかわらず、その録音はさほど多いとは言えないのではないだろうか。

リストの管弦楽曲の中でも特に有名な交響詩「前奏曲」なども、近年では新録音さえ途絶えている状況にあると言えるところであり、その人気の凋落ぶりは著しいと言わざるを得ないだろう。

そのような嘆かわしい現状にはあるが、2001年に51歳の若さで急逝したシノーポリが、しかも天下のウィーン・フィルを指揮して、リストの代表的な管弦楽曲のスタジオ録音を遺してくれたのは何という素晴らしいことであろうか。

本盤に収められた演奏は、いずれもそのような期待をいささかも裏切られることがない素晴らしい名演と高く評価したい。

本演奏におけるアプローチは、いかにも精神医学者出身で作曲家でもあるシノーポリならではのものだ。

各演奏ともに、楽曲の細部に至るまで彫琢の限りを尽くした明晰さが際立っており、いずれの楽曲についても、その隅々に至るまで楽想がこれほどまでに明瞭に描き出された演奏は史上初めてと言えるのではないだろうか。

テンポもややゆったりとしたものであり、スケールも極めて雄大である。

このような細部に拘った演奏は、時として音楽の自然な流れを損なってしまう危険性があるが、かかるシノーポリの精神分析的な演奏に適度の潤いと情感の豊かさを付加し、音楽がごく自然に滔々と流れるように仕向けているのが、ウィーン・フィルによる名演奏であるということも忘れてはならない。

録音は従来盤でも十分に満足できる高音質であったが、今般のSHM−CD化によって若干ではあるが鮮明さが増すとともに、音場が幅広くなったように感じられるところである。

シノーポリによる素晴らしい名演を、SHM−CDによる高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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2013年05月16日


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レスピーギによるローマ3部作はイタリアを代表する傑作であるが、すべてのイタリア人指揮者が指揮しているかというと、必ずしもそうでないところが大変興味深いところだ。

トスカニーニは別格であるが、私の記憶が正しければデ・サパタやサンティも一部のみ。

その後に同曲を録音したのは、有名指揮者ではムーティと本盤のシノーポリと若手のガッティやパッパーノのみ。

ジュリーニもアバドも、そしてシャイーですら全く録音を行っていないのは実に不思議な気がする。

シャイーであれば、かなりの名演を期待できると思うのだが、現時点では録音したという話は一切聞こえてこない。

そのような中で、2001年に惜しくも急逝したシノーポリが同曲の録音を遺してくれたのは何と言う喜ばしいことであろうか。

演奏内容も素晴らしい名演と高く評価したい。

シノーポリの演奏は、医者出身の指揮者ならではのいわゆる精神分析的な、楽曲の細部に至るまで目を光らせたものが多いが、本演奏では一部(例えば、「ローマの祭り」の五十年祭のスローテンポなど)にその片鱗を聴くことができるものの殆どそのような印象を受けることはない。

むしろ、意外にもまともな演奏を行っていると言えるところであり、マーラーの交響曲やR・シュトラウスの管弦楽曲などに接するのとは別人のようなオーソドックスなアプローチを披露している。

一言で言えば肩の力を抜いた演奏を行っていると言えるところであり、シノーポリとしても、祖国の大作曲家による傑作に対しては郷愁にも似た独特の感情を抱いていたのかもしれない。

したがって、シノーポリは豪華絢爛なオーケストレーションが施された同曲の魅力をダイレクトに表現することのみに腐心しているように感じられるところであり、ローマに纏わるそれぞれの標題音楽を愛おしむように、そして楽しげに演奏しているようにさえ感じられる。

生命力溢れる圧倒的な迫力と言った点においては、トスカニーニ盤は別格として、ムーティ盤にもかなわないと言えるが、それらに次ぐ名演と評価するのにいささかも躊躇するものではない。

ニューヨーク・フィルも、シノーポリの指揮の下卓抜した技量を披露しており、本名演に大きく貢献しているのを忘れてはならない。

録音は、従来盤でも十分に満足できる音質ではあったが、今般のSHM−CD化によってより鮮明さが増し、さらに聴きやすい音質になった。

シノーポリによる素晴らしい名演を、SHM−CDによる高音質で味わうことができるのを大いに喜びたい。

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2013年04月15日


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2001年4月20日、ジュゼッペ・シノーポリは『アイーダ』の演奏中に心臓発作で倒れ、そのまま帰らぬ人となってしまった。

ドラマチックな最期を遂げた彼を語る上で、まず真っ先に思い起こされる究極のレパートリーといえば、当時の手兵フィルハーモニア管と作り上げた全集録音(1985〜94年)と、続くドレスデンとの『大地の歌』(1996年)で知られるマーラーをおいてほかにないであろう。

スタジオ盤より3年あまりを経ての第9交響曲。

1992年以来首席指揮者を務めたシュターツカペレ・ドレスデンとのライヴは、極端なテンポ・ルバートを基調とした主情的なアプローチがいっそうの深化を遂げ、えもいわれぬ官能と陶酔、トロけるような耽美的世界が繰り広げられている。

1993年録音との端的な違いの顕れとしては、第1楽章がおよそ5分、アダージョも2分以上と、すべての楽章の演奏時間が拡大した結果、全曲が10分も長くなっていることが挙げられる。

シノーポリは相変わらずテンポを揺らし、ピアノ指示をフォルテで弾かせてみたりしている。

だがこの演奏はそれが恐ろしいくらいはまっていて、全然違和感がない。

それどころかシノーポリの意図する音楽的解釈がこの交響曲の曲想をピタリと合致している。

フィルハーモニア管盤ではやや空回りしてた感があるが、オケの自力の差だろうか、かなりの説得力をもって語りかけてくる。

一方、当楽団ととりわけゆかりの深いR.シュトラウスはシノーポリが世を去る3ヶ月前のもの。

いくつかのオペラや『英雄の生涯』『アルプス交響曲』など主要な管弦楽作品を録音している当コンビであるが、『死と変容』はこの顔合わせでは初めて。

なるほど『シュトラウスのオケ』シュターツカペレ・ドレスデン。

こちらも匂い立つような色気がそこかしこに充満して、浄化の動機が歌われるあたり時に退廃的な美を醸し出して替え難い魅力がある。

いずれにしてもシノーポリのアクの強さもさることながら、“どこまでも精緻で表情も濃厚”、このオケの底知れぬポテンシャルにはまったく驚かされる。

ここに聴く内容から想像するに、シノーポリ&ドレスデンはまだまだ恐ろしく凄絶な音楽をやってのけたであろうはずで、突然の死が惜しまれてならない。

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2013年03月24日


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シノーポリは、医者出身の指揮者ということもあって、作品の内容を解剖するかの如き精神分析的なアプローチが信条とされている。

したがって、作品によっては、シノーポリのアプローチに見事に符合するものがあり、例えば、シューマンの交響曲第2番など、実に素晴らしい名演であった。

マーラーも、すべてとは言わないが、シノーポリの芸風に符合する楽曲であると言える。

筆者も、シノーポリの「第5」にはじめて接した時の衝撃的な感動を今でも思い出す。

フィルハーモニア管弦楽団との全集では、この「第5」と、「第2」、「第10」あたりが、素晴らしい名演であると言える。

本盤は、フィルハーモニア管弦楽団とのスタジオ録音の3年後の録音であるが、スタジオ録音ではイマイチと思われた「第3」が、ここでは素晴らしい名演に仕上がっている。

やはり、ライヴ録音ということもあるのだろう。

冷静な分析力が注目されるシノーポリであるが、ライヴならではの緊張感の中に温かさに満ちたシノーポリの人間性まで見えるような名演と言える。

特に、第1楽章と終楽章が秀逸であり、シノーポリは、いつものように、作品の内面に深く切り込んでいく分析的なアプローチを示すが、音楽の流れを損なうことはいささかもなく、情感豊かな音楽を紡ぎ出している。

テンポ設定も巧みであり、シュトゥットガルト放送交響楽団も、ドイツ風の実に重厚な音楽を奏でている。

独唱も合唱陣も素晴らしく、最高のパフォーマンスを示していると言える。

録音も、鮮明で実に素晴らしい。

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シノーポリは、1986〜1987年にも、全く同じ交響曲の組み合わせで、フィルハーモニア管弦楽団とスタジオ録音している。

特に、第10番は、30分を超えるという異常に遅いテンポが話題となったが、シノーポリの医者出身という経歴を活かした精神分析的なアプローチが功を奏した凄い名演であった。

それに対して、第6番の方は、同じく遅いテンポではあるが、やや間延びした印象もあり、美しくはあるものの、今一歩踏み込みが足りない喰い足りなさが感じられる演奏であった。

ところが、本盤は、ライヴ録音、そして、ドイツのオーケストラということもあって、いずれも素晴らしい名演に仕上がっている。

第10番は、スタジオ録音の約6年前の演奏であるが、アプローチ自体は変わらない。

テンポは若干速くなっているが、楽曲への切れ味鋭い踏み込みといい、思い切った強弱の設定といい、文句のつけようのない超名演に仕上がっていると言える。

特に、弦合奏の重心の低い重量感は、さすがはドイツのオーケストラである。

第6番は、スタジオ録音とほぼ同時期の演奏であるが、同様にゆったりとしたテンポだ。

特に、第3楽章と終楽章の遅さは尋常ならざるものがあるが、スタジオ録音とは異なり、間延びした印象がいささかも感じられない。

むしろ、このテンポ設定こそが必然と感じられるほどで、これらの楽章のこの世のものとは言えない美しさは、シノーポリが、楽曲への精神分析の結果得ることができた、マーラーの生への妄執と憧憬のように思われてならない。

録音も、素晴らしい高音質だ。

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2012年06月29日


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本盤には、2001年に惜しくも急逝したシノーポリが遺した唯一のシューマンの交響曲全集が収められている。

精神医学者でもあり、作曲家でもあったシノーポリの演奏は、楽曲の細部に至るまで彫琢の限りを尽くした明晰さを特徴としている。

このような分析的なアプローチに符号した楽曲としては、例えばマーラーの交響曲などが該当するところであり、シノーポリも比類のない名演を成し遂げることに成功した。

したがって、精神分裂的な気質がマーラーに酷似しているシューマンの交響曲においても、シノーポリが名演を成し遂げたというのは、ある意味では当然のことであったと言えるだろう。

シューマンは長年に渡って精神病を患っていたが、シューマンの各交響曲における各旋律の随所に込められている心の慟哭や絶望感を徹底的に追及するとともに抉り出し、持ち味の分析的なアプローチによって完全に音化することを試みており、他のいかなる指揮者による演奏よりも彫りの深さが際立っている。

他方、シノーポリのイタリア人指揮者としての資質に起因すると思われるが、交響曲第1番や第3番(第4楽章を除く)などに顕著な明朗な旋律の数々も豊かな歌謡性を持って歌い抜いており、細部に至るまで彫琢の限りを尽くした表現を行いつつ、音楽の流れもいささかも淀みがなく流麗に流れていくという、ある意味では二律背反する要素を巧みに両立させた見事な名演奏を繰り広げていると言っても過言ではあるまい。

そして、シュターツカペレ・ドレスデンのいぶし銀の重心の低い音色が、演奏全体に独特の潤いと奥行きの深さを付加するのに大きく貢献しているのを忘れてはならない。

併録の「序曲、スケルツォとフィナーレ」は、オペラを得意としたシノーポリならではの聴かせどころのツボを心得た語り口の巧さが光った名演と評価したい。

音質は、1990年代のスタジオ録音であり、これまで特段の高音質化は図られていないが、従来CD盤でも十分に満足できる良好なものである。

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2012年03月27日


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シノーポリは不思議とニューヨーク・フィルと相性のいい指揮者であったが、《ツァラトゥストラはかく語りき》の演奏も極めて優れたものといえる。

演奏は、細部のモティーフや動きをとても明快かつ丹念に琢磨しつくして、この曲から多彩で鮮明な表現をひき出している。

シノーポリはやたらに分析的にならず、おおらかにオーケストラを鳴らして、R.シュトラウスらしい重厚なサウンドを存分に聴かせている。

これを聴く限りニューヨーク・フィルはやはり偉大なオーケストラである。

作為的なところも目につくが、シャープな表現で過度に大仰にならないのがいい。

なによりも熱演が魅力で、シノーポリの曲への思い入れが伝わってくる。

彼はヨーロッパのオーケストラよりも、ニューヨーク・フィルを指揮した方が、より見事な演奏(たとえばワーグナーの管弦楽曲)を聴かせるケースが多かったが、これなどはその典型といえるような気がする。

《ドン・ファン》はドレスデンのルカ教会におけるレコーディング。

ルカ教会での録音というと昔のLPなどでは妙にもやもやした頼りない音で収録されているケースが少なくなかったが、これはまったく違って、響きはどこまでもクリアだ。

むろんそれがシノーポリにとって必須の条件であったことは容易に想像できる。

それにしても、R.シュトラウスのスコアの隅々までをここまで明晰に読み取るあたりは、さすがシノーポリの面目躍如たるところ。

シュターツカペレ・ドレスデンの超凡な各能力が「素材」として使われている、という感がなくはないけれども、これだけ美しい仕上がりを突きつけられれば屈服するほかはない。

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2011年06月15日


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《未完成》と《イタリア》のカップリングだが、断然すばらしいのが《未完成》。

あまりにもポピュラーでなかなか改めて聴こうという気にならない曲だが、これならば一聴に値する、独特な主張を持った極めて個性的な《未完成》である。

すべての表情がこまやかでかつ濃密、ちょっとしたルバートや弱音のニュアンスなど実に効果的で、管弦楽が声のようなふくらみと陰影を持つこともユニークである。

"思索派"のシノーポリがこの曲に何を想い描いているかといったことは、必ずしも追求しないでよい。

陶酔的と言っては語弊があるかも知れないが、この底知れぬ美しさの中に黙って身を沈めているだけで、もう充分に幸せではないか。

この交響曲は、その"未完成"であることのミステリアスさとともに、ベルツのオペレッタ《シューベルトの恋》や、ハンス・ヤーライ主演の映画『未完成交響曲』によって、あまりにも甘美なロマンティシズムによる衣装を着せられてしまったのではないだろうか。

この曲作曲時のシューベルトの梅毒の発病、貧困、それに先立つ失恋といった様々な条件は、シューベルトの心理に暗い影を落とし、その影は多くの彼の作品にも反映されていく。

深く暗い奈落の底に落ちていくような絶望、そしてその絶望の淵から仰ぎ見る手の届かぬ彼岸の幸福に対する空しく悲しい憧れ。

シノーポリのこのディスクは、この曲からそんなシューベルトの"心"を抉り出している。

《イタリア》における明るさと輝かしさはイタリア人ならではのものだが、速いテンポと遅いテンポとを大胆に対比させるなど、音楽間の明暗と対照がシノーポリの演奏の大きな特色と言える。

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2011年01月05日


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シノーポリの演奏は、このオペラのスコアに内包されていた新しい可能性を切り拓く画期的な名演だ。

始めから終わりまで、新鮮でユニークな発見と魅力に満ちている。

響きが透明で繊細。しかも思い切ったルバートや微妙なテンポの揺れによってフレーズがひとつひとつ生き生きと呼吸する。

マスカーニの音楽が同時代の印象主義、そしてさらに来るべき表現主義につながる。

シノーポリがスコアから引き出しているのは、激情と刺激にあふれた原色的・煽情的な、いわゆるヴェズリモ・オペラではなく、そうした外面的衣裳の内側にあるマスカーニの音楽自体の美しさだ。

オペラの分野でのシノーポリが、イタリアもので本領を発揮する人だったことを改めて実感させる切れ味鋭い名演。

透明な輝きを駆使し、スコアに内含された新たな真実を鋭いタッチで抉り出す。

そこでは自在に揺れ動くテンポがきわめて効果的。それを駆使して登場人物の心理を巧みに表現する。

緩急や強弱の幅を大きく取り、それを微妙にコントロールしながら、各場面の本質を描き出す。見事な心理学だ。

バルツァのサントゥッツァとドミンゴのトゥリッドゥが素晴らしく、この主役2人の歌に関する限り、今までの名盤のなかでもベストにあげてしかるべきだろう。

バルツァのサントゥッツァが強烈なファム・ファタール型で、男たちはドミンゴのトゥリッドゥばかりか、ポンスのアルフィオまでけっして粗野な精力家ではなく、むしろ弱さをあらわにして運命に翻弄されてゆくタイプとして表出されているのも、そうしたシノーポリの視野、解釈に見合う。

そしてインパクトある合唱が、この作品を、象徴的な近代的運命劇にまで高める。

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2010年11月09日


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非常に充実した、聴きごたえのある演奏だ。

シノーポリの強い意思のもとに、オーケストラ、合唱団、歌手たちが一体となって作り上げたドラマが、まことに見事である。

シノーポリの指揮のもと、音楽はごく自然に、しかも彫りの深い性格的な把握と鮮やかな表情を保持しながら展開され、悲劇としての統一の中にまとめあげられている。

ことに、つぶのそろった独唱陣の歌唱はそれぞれに素晴らしく、流麗でしかも悲劇的な性格を表出したドン・アルヴァーロのカレーラス、円熟した歌唱を聴かせるカルロのブルゾン、美しく清純でのびやかな声のレオノーラのプラウライト、切れ味が鋭く個性的で卓越した歌唱の光るプレツィオシッラのバルツァなど、申し分ない。

1980年代半ばのシノーポリの登場は衝撃的だった。

ヴェルディの中でも、初期などのあまりメジャーではないオペラで聴かせたその斬れ味は、ともすれば保守的な伝統や慣習に傾きやすいイタリア・オペラの演奏に、新たな地平を開くことが期待された。

この《運命の力》も、ミトロプーロスが得意としていたことでも窺えるように、慣習的な解釈とは別の切り口から鮮烈なドラマを引き出すことの可能なオペラである。

その意味で中期以降のヴェルディ作品では、シノーポリにはうってつけのものだった。

惜しむらくは歌手陣の線が細いことだが、このあたりは複雑な要素の絡みあう、オペラという形式自体の難しさだろう。

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2010年11月08日


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急逝したイタリアの名指揮者シノーポリの初めてのオペラ録音であった。録音時37歳、1981年のウィーン国立歌劇場デビューで大成功を収めた翌年に録音された。

シノーポリは、個性的ともいえるテンポや緩急のとり方などで、まったく新鮮なヴェルディのオペラを作り出している。

シノーポリはアゴーギグを動かしながらも、ヴェルディのスコアの粗削りな音楽の中に託されたドラマのメッセージを浮かび上がらせる。

シノーポリの表現は何ともユニークで新鮮な面白さを持っており、緩急自在なテンポ、ルバートの多用などに独特のものを示すが、それらは彼の解剖学的な分析・構成によると思われ、聴きなれた因習的ヴェルディ演奏とは違う新鮮な効果を生み出している。

シノーポリの熱い血潮の洗礼を受けていない音は、1音たりともない。

恐るべき熱気と気迫、そして律動と色彩に満ち満ちた演奏は、聴き手の心に強く迫ってくる。

カプッチッリのタイトル・ロールは、圧倒的な声の威力を抑制しつつ、見事な心理ドラマを歌い上げていき、ずばぬけた声の威力と的確で雄弁な表現力で深い感動を味わわせてくれる。

ドミンゴのイズマエーレも贅沢な配役。

ディミトローヴァのアビガイレも当時を代表する存在であった。

ネステレンコのザッカリア以下歌手陣も粒揃い。

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2010年09月25日


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シノーポリは、極端なコントラストをつけるのが好きだった。黒か白みたいな音楽作りだった。それがうまくいくときもあるが、底が割れてしまうときもある。トスカニーニにしろ、イタリアの音楽家にはそのような強い傾向が見られることがままある。

だとすると、中間色を豊富に持つシュターツカペレ・ドレスデンとの相性はどうなるのか?

心配ない。オーケストラは、シノーポリがどう棒を振り回しても、動じなかったのだ。あくまでオーケストラの表現力主導の音楽になる。

それで、彼らの《抒情組曲》《ヴォツェック》断章、《ルル》組曲。

とにかくオーケストラ自体の力に脱帽する。

ぞっとするような艶っぽい、そして不安げで重苦しい響きを立てている。

《ヴォツェック》断章をこれほどの密度と洗練で演奏した例は、これとカルロス・lクライバーの海賊盤(Melodram)くらいだろう。

とりわけ3つめの楽章の繊細きわまりない音色の饗宴には降参だ。クライバーだとヴェズリモ的にワッと行くのだが、ドレスデンだと控え気味である。

だが、その抑制のなんたる気持ち悪さ。頭の部分もだが、ヴォツェックが溺れたあと、2分20秒過ぎからの妖しくうねる美しさ。

そして《ルル》組曲の第1曲も同様で、足下から冷気がジワジワのぼってくるようだ。

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2010年07月25日


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シノーポリはフィルハーモニア管の首席指揮者に就任して間もなくマーラー・チクルスに取り組み、10年後にようやくこれを完成させた。

早くから、きわめて個性的なマーラーを聴かせてきた指揮者の1980年代の充実ぶりを示す録音。

オーケストラとの関係も、このころがベストであったのかもしれない。

バーンスタインのようなきわめて主観的にのめり込むタイプではなく、首尾一貫して客観的かつ明晰な解釈を聴かせる演奏である。

スコアが透けて見えるがごときクリアなリアリゼーションに加え、細部まで確信に満ちた表現解釈(押しの強さ)が施されている印象が強い。

マーラーの持つデリケートさとデモーニッシュさを劇的に表出させた第5番や第6番のすこぶるつきの名演と並び、声楽付きの作品はいずれも際立った出来を示している。

シノーポリはマーラーの作品がもつ悲劇性をさらに冷徹な視線を送った指揮を見せており、作品にこめられたメッセージを生々しくクローズアップしている。

マーラー音楽の深層をシビアに解き明かしていくようなキワドさを覚える演奏だ。

なによりの聴きどころは、マーラーのスコアの奥に、シノーポリのキャラクターが見え隠れしている点だ。

シノーポリのマーラーの独特の臭み、そこまでやるかという悪食趣味の演奏が嫌いなひとも多いと思うけれど、そこがあえて魅力で、いろいろと聴いたあと振り返ってみると、ところどころにキラリと光るものがあり、それだけでついつい聴いてしまうような演奏なのだ。

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2010年04月05日


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アルゲリッチとシノーポリの初顔合わせで唯一の共演盤である。

異色の顔合わせが興味深い。

思いもかけない顔ぶれで録音されたベートーヴェンのピアノ協奏曲で、期待を裏切らない素晴らしい出来映えだ。

第1番はアルゲリッチ初録音だが、歴代名盤と並び、ベスト・ワンを争うものと言える。

常にひらめきに満ちあふれたピアノに一癖も二癖もあるオーケストラががっぷりと組みつき、互いに挑発をしかけながらスリリングに演奏を進行する。

しかも、ぎりぎりのところでベートーヴェンの様式は守られているのだ。

第2番は前回録音より一層素晴らしい。

第1番と同様に、個性豊かな演奏家のぶつかりあいが大きな成果をあげている。

彼女は1980年に自身指揮も兼ねて第2番を録音していたが、やはりソロに専念したこの演奏の方が表現がこまやかに徹底されているし、より生き生きと緩急自在な魅力がある。

両者の対話はまるでジャズのセッションを聴く趣きすらある。

好みは分かれるかもしれないが、ベートーヴェンの精神を生き生きと現代に蘇らせた演奏として高く評価したい。

特に初録音であった第1番では、個性的な2人が四つに組んで、それぞれ存分の演奏を繰り広げており、アルゲリッチならではの閃きにとんだ表現がまことに印象鮮やかで、ニュアンス豊かである。

シノーポリもピアニストに一歩も譲っていない。彼は旋律の歌わせ方を身につけ、特にフィルハーモニア管からこれ程美しい弦の音色を引き出したことは驚きだ。



なお、アルゲリッチはこの後、アバド&マーラー室内管弦楽団と2000年に2番、04年に第3番を録音している。

第2番は3度目の録音だが、第3番は初録音であり、みずみずしい感興にとんだ自在な演奏は、ぜひ一聴をお勧めしたい。

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2010年03月10日


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シノーポリの振るブルックナー、それは異色なんだろうなと、この演奏を聴く前の私なら思っていた。

そもそも、マーラー指揮者と呼ばれる人たちがブルックナーを振ること自体、ブルックナー信徒にとっては冒涜そのものと言われるみたいで、そうでなくても、世間的な評価はあまり高くないように思える。

第5番の交響曲はブルックナー自身が書いた最高の作品の一つであり、こういうブルックナーのなかのブルックナーを、病的マーラー解釈の第一人者が演奏してしまう。

一体どうなってしまうのか?いや、これがじつにいいのである(本当に)!

ここで思い出してほしいのは、シノーポリのマーラーは病的とはいえ、バーンスタインやテンシュテットのように、叱咤激励したり躁だの鬱だのの世界に無理やり投げ込んだり、要するに曲を激しくいじくりまわすタイプではなかったということだ。

シノーポリのマーラーは確かに怪しさ満点の奇妙な演奏だけど、彼はテンポを頻繁に動かすとか、鬼面で人を驚かすようなことはほとんどない。バランスをちょちょっと変えたりして、マーラーが本来持っていた狂気をじわりじわりとあぶり出す、そんな方法だった。

つまり、この方法なら、ブルックナーでも大丈夫な気がしないだろうか?

かなり濃厚な演奏だと思う。ブルックナー通なら、もう少しその派手な音色を抑えてくれ、と言いたくなるかもしれない。

でも、余計な感情なしにスコアのすべてが鳴り響く、というブルックナーに求められるという条件はお釣り付きでクリアしているのではないか。しかも、ドレスデンのオーケストラが豪放に鳴っているのだから、これはもう強力かつ贅沢な演奏である。

曖昧なところまるでなく、この演奏が嫌いな人は本当はブルックナーが好きじゃないだろう、と迫ってくるような、押しの強い明晰感がある。主題や動機の縁取りが濃いので、曲のブロック構造がはっきりとわかる。

つまり、この曲の本質を的確に抑えているのだ。

特に初めてブルックナーを聴く人でも、ブルックナーの曲構造に触れられる、そんな夢のような演奏なのだ。

マーラーのときはその狂気をあぶり出していたように、シノーポリはブルックナーではその構造をじわりと浮き上がらせていたということである。

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2009年11月15日


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シノーポリ初のR.シュトラウス/オペラ録音である。

1970年代後半のカラヤン盤以降は久しく新録音がなかったが、最近になってメータ盤、シノーポリ盤、ナガノ盤と、急に興味深い録音が3点現れた。

このうちナガノ盤は演奏としては注目すべきだが、フランス語の別ヴァージョンに拠っているため同列には論じられない。

シノーポリ盤は、緻密なスコアの読みと、そこから生まれる巨大な音楽的把握、さらにそれを具現する強烈な指揮者の表現意欲が横溢する演奏である。

込み入ったスコアの細部まで明確にしてゆくシノーポリの指揮は、先へ進むほど曲への内面への切り込みの鋭さを加え、ドラマの移ろいをヴィヴィッドに描き出す。

管弦楽の響き、サロメ歌手の選択に彼らしい問題意識がのぞく。

スデューダーのサロメは最初に愛らしい娘で登場し、大詰めで鬼気迫る絶唱を聴かせるまでの性格の変化の表し方が実に鮮やかだ。

彼女の歌唱ともども、カラヤン盤よりも、時代の流れをもう一歩進めた演奏と言えよう。

ターフェルは素質の大きさをうかがわせる歌唱だし、ヒースターマン、リザネク、ビーバーも好演している。

ただ、アール・ヌーボー風の繊細な《サロメ》を目指しているのは面白いのだが、音楽的完成という点でいささか問題意識倒れの感がある。

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2009年09月16日


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シノーポリ初のワーグナーで、ニューヨーク・フィルとも初顔合わせだったが、シノーポリは不思議とニューヨーク・フィルと相性が良く、このワーグナーとR.シュトラウスの交響詩は素晴らしい。

シノーポリのワーグナーはインスピレーションにあふれた演奏であり、迷いのない、直感的アプローチの鮮やかさに心奪われる。

その美しさはワーグナーに対する認識を変えさせるほどで、神秘的ですらある。

極めて色彩的な音を出すオーケストラから、シノーポリがドイツ的な重厚な音を引き出しているのは、まさに指揮棒の魔術といってよく、並々ならぬ才能を感じさせる。

全体に表情が生き生きとして、ダイナミックな迫力も満点、官能美を十分に発揮している。

全体の仕上がりは大変密度が濃く、訴えかけの強い演奏を行っている。

重心がどっしりと重く、重厚なサウンドにはロマンティックなうねりがあり、いかにもワーグナーらしい趣に満ちている。

シノーポリは、とかく渾然としがちな内声部にも独特のバランスを行き渡らせた表現がユニークで、明晰な読みの通った演奏はスケールと説得力にも不足はない。

オケの卓抜な合奏力も特筆に値しよう。迫力とうねりに関しては、ニューヨーク・フィルは偉大な力を感じさせる。

シノーポリはニューヨーク・フィルをやる気にさせた、数少ない指揮者の一人といえよう。

中でも「ローエングリン」第1幕への前奏曲は神秘的で崇高な感じを見事に表現した感動的な名演だし、「ローエングリン」第3幕への前奏曲も情熱と力感にあふれた演奏だ。

20世紀も終わりに近づいてこうした演奏が生まれたのは、奇跡といってもいいだろう。

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2009年07月05日


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シノーポリ盤こそは久しく待たれていた名盤で、この作品に内包される新たな美と真実を知らしめた名演である。

フレーニの見事に熟した声で歌われるトスカは、堂々として、しかも女性的で、美しい。

官能の美はシノーポリの巧みな棒から生まれる音楽にも認められる。

激しく荒々しいのがトスカという女声の特徴だと思い込んでいると、フレーニのトスカには驚かされる。

逆上しても声のまろやかさを失わないトスカなのだから。

それは弱点であるどころか、最高の美質となっている。

舞台で味わうのがほぼ不可能な、しかし味わえたらどんなに素晴らしいかと願うトスカがここにいる。

過剰なほどに劇的なシノーポリの指揮がフレーニのトスカの良さを鮮明にし、フレーニのこまやかなトスカがシノーポリの起伏に富んだ指揮を、一層はっきりとさせる。

安易な役作りではないプラシド・ドミンゴのカヴァラドッシは、定評あるものだし、サミュエル・レイミーのスカルピアも申し分なく、ぴしっとキャスティングが決まった《トスカ》なのだが、それでもフレーニのトスカとシノーポリの指揮の重要さは変わらない。

まだこれから、という時に亡くなってしまったシノーポリの、オペラの演奏での代表作であると考えられる。

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2009年06月08日


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エルガーの管弦楽法はかなり複雑で、各楽器を重ね過ぎているため明快に響かせるのは難しい。

しかしこれをうまく響かせた場合の重厚な味わいは、たしかにエルガー独自のものである。

シノーポリは、イギリスの指揮者が伝統的に踏襲してきた解釈とは異なる独自の視点から、エルガーを眺めている。

第1番は精緻な分析と総合を経て構築された造形をもとに、イギリス風というよりも、純音楽風に運んだ説得力の強い名演である。

第1楽章の自己主張の激しさなど、シノーポリがただものではないことを示している。

第2番におけるシノーポリのこってりとした解釈には、明らかに世紀末ウィーンの影がさしかけているように思われる。

全体に遅めのテンポで細部を克明に描き出しているので、エルガーの作品からは通常感じられない濃厚な味わいが出ている。

それはこの演奏の魅力となっている反面、シノーポリ流のかなり独断と偏見を感じさせる解釈から来た味なので、本来のイギリス風スタイルの演奏とは一線を画するものといえよう。

「威風堂々」の2曲も、物凄い迫力の秀演だ。

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2009年02月05日


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シノーポリは、オペラの指揮でもたいへん活躍していただけあって、こうした序曲だけの演奏でも、彼の主張がはっきりと打ち出されている。

いかにもシノーポリらしい、緩急起伏の大きな、旋律をたっぷりとうたわせた表現は、まことにダイナミックな迫力にみちている。

シノーポリはウィーン・フィルのもてる力を遺憾なく発揮させ、自己の主張を充分に示している。

それはこれらのレパートリーに対する彼の自信と余裕にもとづくのだろう。

たとえば打楽器のパートに対する考え方などが明確だし、クレッシェンドに対する概念とそれへの配慮もはっきりしている。

そして曲をとことん掘り下げ、練りに練って細かな点まで計算しつくしている。

それにオケの弦が大変美しい。

「運命の力」など11曲を収録。

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2008年12月18日


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シノーポリ盤は、まるで名医の整形手術を受けて、美人に生まれ変わった「リゴレット」だ。

シノーポリの主観が強く正面に打ち出された演奏で、彼は、歌手たちを自分の意のままに動かしながら、全体を極めてドラマティックにまとめている。

その緊張感にあふれたコクのある表現は、この人ならではのものである。

しかも神経は細やかに行き届き、その語り口は生き生きとした魅力にあふれ、息もつかせずリゴレットの悲劇に一部始終を聴かせてしまう。

シノーポリのテンポ設定はまさに絶妙で、リコルディ新校訂譜に基づいており、しかも歌手たちは慣習的なヴァリアンテを行わない。

彼の入念なスコア解釈と強い表出意欲によって、独特の存在感を持っている。

特に第3幕の演出のうまさは格別だ。

ブルゾンのリゴレットも充実し、数あるこの曲の録音でも最良のひとつ。

ブルゾンの知性と暗さ……それが暴力を誘発する……には凄味がある。

豊麗なグルベローヴァも魅力的。

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2008年12月05日


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言葉で表現しにくいなにやらデモーニッシュなワーグナーが苦手という人にも、このシノーポリのように明快でモダンな演奏には惹きつけられるのではないかと思える名盤。

私自身もこの演奏を聴いてワーグナー初期の作品でもなかなか厚みと深みのある音楽を書いているのだ、と逆に感心している次第。

シノーポリの明晰で精巧な音楽作りは、ドイツ的な重厚で分厚いロマンティックな情念の表現とは異質だが、陰鬱な幻想のかわりに明るい官能の喜びと美感をたたえている。

こうしたことはワーグナー作品の中でも「タンホイザー」にとりわけ著しく表れる特質のひとつだ。

シノーポリの音楽は細部までよくコントロールされて美しいが、同時に大きな流れを重視する視点も忘れない。

緻密に歌うメロディが幾重にも重なりやがて奔流を作り上げていくと言えばいいだろうか。

とにかく多弁に語りながらすべてが明快で美しいのが特色だ。

当然ながら楽器としての歌手の声にもそうした志向がはっきり出ている。

過去のヘルデン・テノールとは違う豊満な声を響かせるドミンゴ(タイトルロール)の起用も、やはりパワーよりも豊かさや繊細さが勝っているバルツァ(ヴェーヌス)の起用も、精神論ではなくすべて明解に音楽的に処理しようとするシノーポリの意図に合っている。

ドミンゴのタンホイザーは細部までよく神経と配慮が行き届いた堂々たる歌唱だ。

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2008年09月09日


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「魔笛」「フィデリオ」「タンホイザー」など、ドイツ・オペラの合唱曲5曲と、ヴェルディの代表的なオペラの合唱曲を6曲収めた、いかにも才人シノーポリらしい選曲のディスクである。

演奏は、この人一流の演出巧者なもので、緩急起伏を大きくつけながら、どの曲も表情豊かに仕上げている。

たっぷりと内容があり、聴いた後に大きな満足感が残る。

音楽の各部分が有機的に息づいていて、音楽生理的に快感をもたらす。

最も興味深いのは「タンホイザー」第2幕の大行進曲。

ドイツ風のがっちりとしたリズムや底力にみちた壮大な咆哮の代りに、躍動するような軽やかなリズムと透明で明快はハーモニーの色彩がある。

特に「歌の殿堂をたたえよう」などは、その好例だ。

ベルリン・ドイツ・オペラ合唱団も精妙でエスプレッシーヴォな合唱を聴かせる。

録音も卓越している。

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2008年06月24日


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「マノン・レスコー」はプッチーニの出世作となった作品で、全編に、プッチーニ独特の感傷的で、美しい旋律があふれた傑作である。

これはシノーポリ初のプッチーニだった。

しかもシノーポリの指揮が断然素晴らしい。

シノーポリの指揮は、感情の起伏を大胆なまでに大きくとった、スケールの大きなもので、そのダイナミックで甘美な表情には魅せられてしまう。

それはあたかもプッチーニの音楽をレントゲンにかけてその内部構造を透視し、その生理を解明していく名医を思わせる。

しかもシノーポリはそこにイタリアの血と肉の息吹きを与えている。

テンポは大きく伸縮し、音力や音量のディナーミクも多彩に変化する。

配役も素晴らしい。

ドミンゴは純情で情熱的な青年を歌いあげた当代最高のデ・グリューだし、可憐で気まぐれなマノンを演じきったフレーニの輝かしい歌唱も光っている。

特にフレーニは純情さと淫奔さを見事に歌いわけている。

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2008年03月04日


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シノーポリは指揮者というだけでなく作曲家でもあったが、大学では精神医学も修めたことからも分かるように、音楽家としては異例の多彩な背景を持っていた。

作品をただ美しく、あるいは劇的に再現して終わるのではなく、作曲家の深層心理にまでメスを入れ、なぜこの作品は書かれなくてはなかったか、そこに秘められたメッセージの真意は何だったのかといった次元にまで分け入り、その疑問と回答に至る過程を演奏という再現行為でみせてきた指揮者と言ってよいであろう。

この演奏はシューマンの情熱を激しく感じさせる。

苦悩にみちた作曲家の筆を背後に秘めながら、精密極まる演奏が、シューマンの心の中を恐ろしいようにあばいてみせる。

ふくよかな金管の響きと、小刻みに動き廻る弦楽器のパッセージが特に印象的。

ここにはピアノ書式オーケストラに移したシューマン独特の面白さが実によく出ている。

ウィーン・フィルの超絶技巧なくしてはこうした絶妙な演奏はありえない。

深みにはまると動けなくなるが、シューマンの毒と罠が聴き手を羽交い締めにし、動けなくしてしまう怖い名演である。

シノーポリが起こした奇跡といえよう。

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2008年02月15日


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シノーポリは「西欧の没落」の十字架を一身に背負うようにして、独り苦悩するのだ。いわば蒼ざめた落日の自我として音楽を解釈し、表現する、爛熟した20世紀末の新ロマン主義者、心理の深層を直接つかみ出そうとする、現代の表現主義者なのである。

彼が好んでとりあげたロマン派の音楽は多かれ少なかれこうしたアプローチで拡大される要素をもっていて、シノーポリは作曲者の意識に重ねて、自分自身の深層の流れを、不思議な殺気を帯びた眼差しで見つめつつ、孤独なパントマイムを演じるのである。

作曲者としてのシノーポリもまた表現の目的が音楽の外部にある、「新ロマン主義」の流れの中にいる。「スーヴェニール・ア・ラ・メモアール」やオペラ「ルー・ザロメ」が知られるが、どうも、自身をマーラーになぞらえるほどは音楽活動の中心に作曲を据えているわけではなさそう、と言っている前に亡くなってしまった。

また作品自体もマーラーになぞらえるべきかどうか、私は知らない。

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「5番」以降のマーラーは「交響曲」が旧来もっていた管弦楽曲の規範としての性格が変容して、構造的にも内面的にも高度に複雑で特異な音楽になっている。そしてシノーポリの解釈は音楽を、よくある「自然風」な流れに任せてしまうことなく、戦慄する意識でそれを凍結する。

音楽の構造を浮き彫りにするようなスタイルを排し、それを客観的に見ることができない運命的なもの、言わば一つの宇宙のように扱い、その中であくまで細部細部に固執するのである。

総譜は隠喩の記号群のように解体して読まれ、微妙なコントラストの陰翳を帯びてゆっくりと進んでいく。各々の細部は局所的に極めて美しい。しかし自ら流れ出すことは決してなく、蒼ざめた平衡状態を保っている。言ってみればそれらのモザイクとして、場合によっては不自然にギクシャクとしながら「病める近代的自我の意識」としての音楽が生み出されていくわけである。

こうした音楽全体の造形と、部分部分の音響の豊かさから、シノーポリが作曲家、特に電子音楽を手掛けたことのある作曲家であるのを思い出さずにはいられない。あくまで一つ一つの音響を大切にしながら、ある設計チャートに基づいてそれらをダイナミックに結合、対比させてゆく手腕は目を見張るものがある。

マーラーの「5番」で言うなら、第4楽章「アダージェット」を他の指揮者、ワルターやショルティ、バーンスタインやインバルの演奏と比べてみればいい。一つの意識に耽溺するのではなく、憧れと絶望、情熱と戦慄といった多くの対照的な性格が意識の重層の中で交互している。まるでさらりと流れ去ることを拒否しているように。

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シノーポリの演奏を検討してみよう。例えばマーラーの「交響曲第5番」を聴いてみる。テンポは概ねゆっくりめにとられていて、冒頭のトランペットのソロから、リズムに特徴的な癖が目立つ。彼の演奏一般に言えることだが、細部の解釈にはかなり独自な語り口を持っていて、これは多少評価の分かれる所でもあろう。

さてマーラーに戻って、次のフォルテは均衡のとれた、言ってみればかなり冷静なオーケストラの爆発である。ここまでの数十秒のあいだでもすでに彼の解釈の特色が顕著に出ていると思う。つまづくようなリズムの癖は内面的独白といった趣があって、あくまで自らの不在の中心に向かって凝縮しようとする自我の苦悩と符合する。

続くフォルテは、モノローグの延長としての主体的な爆発というよりも、沈潜する肉体を断ち切って外部から襲いかかる突然の音響の炸裂だ。その響きは直前のモノローグとは別種の、安定したバランスを保っている。

しかしそれが、ふっ、とかき消されて再びモノローグの世界へと立ち戻る。作曲者=指揮者マーラーの意識の流れを底流から追うようにして音楽は進行する。そしてその足取りは決して軽くなることはない。

概してマーラーの交響曲は一曲一曲を完結したものと見なすよりも、むしろ全作品を一つの流れとして捉えた方が解釈として深味が増すが、シノーポリの「第5」でもこの重い足取りは、一見解放されたかに見えるロンドのフィナーレでも基本的には変わらず、次の「悲劇的」を暗示するかのようだ。

リズムの舞踏的な側面はほとんど剥ぎ取られている。「5番」の1楽章は「葬送『行進曲』」の形をした自我の亡霊がうつろにゆらめきながら立ちつくしていて、その意識の裂け目に、強烈な他者の記憶がスーパーインポーズされる、といった風である。

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2007年12月04日


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シノーポリのマーラーは「巨人」と第5番と「嘆きの歌」を持っている。「嘆きの歌」は正直、曲自体に親しんでいないのでよく分からないが、「巨人」と第5番はシノーポリならではの名演といえるだろう。

「巨人」は明るく流動感が強い。シノーポリは様々な表現法を駆使して熟練を示し、冒頭から映画的でありながら強い推進力と血の気の多さを感じさせる。

第2楽章も線が太く、対旋律を明快に表現し、第3楽章のアゴーギグの自由さはシノーポリとしてもかつてなかったといえるほど。

終楽章も明快・勇壮だ。シノーポリの本性がむき出しにされた演奏といえる。

第5番は、テンポをいろいろに揺らしながら感情の機微を表現していくマーラーの音楽の本質がよくとらえられており、情念の湧出の背後にある精密な構成と構造への気配りが瞬時もおろそかにされることがない。

この演奏のクライマックスはエンディングにくる。

しかし、疾走するような圧倒的迫力の途中で示される緩徐な部分での抒情的瞬間のデリカシーには、シノーポリの複雑な感受性と表現能力が遺憾なく示されている。

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