デュ・プレ

2016年08月16日


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この17枚組の全集は2007年にEMIが限定盤としてリリースしたもので、その後製造中止になっていたが、デュ・プレの没後25周年を記念して廉価盤化での復活になる。

ただし前回入っていなかったJ.S.バッハの『ヴィオラ・ダ・ガンバのためのソナタト長調』BWV1028の2つの楽章がロナルド・キンロック・アンダーソンのオブリガート・チェンバロで加わっている。

彼女のキャリアは正味12年間ほどで、既に28歳の時には不治の病のために演奏活動を断念しなければならなかった。

このために円熟期を迎えることができなかった恨みは残るとしても、その若さに相応しい強い感性に支えられた演奏は不滅の輝きを持っている。

彼女はチェロの演奏に没頭しながら短い人生を駆け抜けるように生きたし、またその演奏もひたむきなまでに情熱的だ。

曲によってはもう少し醒めたところがあってもいいと思うものもあるが、ここに収められた曲集では既に彼女が誰にも真似のできない独自の芸術的な域に達していたことを察するに余りある。

入門者のためにはこのコンプリート・エディションと同時にリリースされたザ・サウンド・オヴ・ジャクリーヌ・デュ・プレと題した4枚組の方をお勧めする。

ただし例によって楽章単位の編集になるので、さしづめ試聴サンプラー盤といったところだ。

デュ・プレの演奏の特徴は、天性の鋭い感性で曲想を楽譜から直感的に読み取っていくところにあり、それは時間をかけた試行錯誤を繰り返して入念な解釈を見出すことが許されなかった彼女に与えられた最高の武器だったに違いない。

それだけに情念が燃え上がるような曲趣のシューマン、ドヴォルザーク、エルガーなどでは何かに憑かれたような濃密な表現だし、また同じドヴォルザークやディーリアスでの緩徐楽章で聴かせる全神経を集中させたカンタービレの美しさも真骨頂だ。

彼女によって宝石のように磨かれた小品もまた魅力的だ。

例えばデュシュキンの『シシリエンヌ』、フォーレの『エレジー』そしてサン=サーンスの『白鳥』、ブルッフの『コル・ニドライ』などは音楽的にも極めて高い価値を持っている。

尚『コル・ニドライ』に関しては1962年のジェラルド・ムーアのピアノ伴奏版と1968年のバレンボイム指揮、イスラエル・フィルとのオーケストラ版を聴き比べることができる。

音質は新しいリマスタリングによって改善されているものもあるが、旧セットと大差はなく概ね良好だ。

このセットでは彼女にとって最初の録音になるヘンデルの『ソナタト短調』が1961年、そして1973年のライヴ、ラロの『チェロ協奏曲ニ短調』が事実上最後の曲目になっているので、時代相応の音質と言うべきだろう。

ボックスのサイズは13X13X厚み6cm弱で横に引き出すタイプ。

35ページのブックレットはセピア色で曲目紹介、録音データの他に彼女のスナップ5葉と英、独、仏語による年代別の簡単なキャリアが掲載されている。

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2015年07月09日


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全身全霊を傾け作品そのものを根本から揺さぶる、永遠の生命を持った迫真のライヴ盤で、2曲ともが、孤高の境地を示すデュ・プレの芸術の頂点を伝える感動的な名演であり、演奏・録音ともに第一級の価値を持っている。

「遠き山に日は落ちて」「ユモレスク」などで親しまれているように、ドヴォルザークほど、人々の心を一発で魅惑するメロディをたくさん書き残した作曲家はいないかもしれない。

古今のチェロ協奏曲のなかでも筆頭に位置するこの名作には、自然の美しい風景、やるせない望郷の念を想起させる選りすぐりの素晴らしいメロディがいっぱい詰まっている。

デュ・プレの全身全霊を込めた音楽への没入は、このライヴでも素晴らしい。

ここで彼女が使用しているのは、ストラディヴァリウスの名器ダヴィドフ(現在はヨーヨー・マが譲り受けて愛用)だろう。

松やにを飛び散らせながらダイナミックな軋みをたて、痛切に歌うチェロは、凄いの一言に尽きる。

デュ・プレは、きれいごとでない、凄まじいばかりに体を張った大熱演だが、人間の生命力のすべてを具現した朗々たる音色が眼前に激しく飛び出してくる。

冒頭から情熱が迸るような迫力のある表現で圧倒されるところであり、音色の変化、リズムの間、ひそやかな弱音など、その多様な表現力に舌を巻く。

切々たる思いを劇的に語るかのようで、この演奏こそ狷魂の瓩箸いΨ鼠討ふさわしく思える。

聴き手をエキサイティングに熱くさせる演奏はそうザラにはないが、このデュ・プレのドヴォルザークはその筆頭格にあげられる。

グイと鷲づかみにするような発音、どこをとっても熱気のこもった歌いまわし、心憎いまでの剛柔のニュアンスなど、全身全霊を傾け同作品を揺さぶる。

ひとりのチェリストと言うよりも、表現者としての原点を見る思いのする比類のない演奏である。

天真爛漫で、バリバリと弾き進むデュ・プレの圧倒的なチェロに一歩もひるまず、いたずらにわめかずに響きに抑制を効かせながらも気宇壮大な音楽を造形していくチェリビダッケもさすがである。

第3楽章など、むしろデュ・プレがチェリビダッケが木管に託した深遠な歌に同化する瞬間すらある。

2人はまったく別なタイプだが、魂を音楽に必ず込めることのできる数少ない音楽家という点では共通している。

この共演は、指揮者とソリストがお互い刺激し尊重しあう"協奏曲の醍醐味"という点でも、大変おもしろくエキサイティングである。

夫の指揮者バレンボイムと共演した前半のサン=サーンスは、むしろ音楽の天才肌のタイプがぴったりと一致した熱演ぶりが対照的。

サン=サーンスの濃厚と繊細と蠱惑、悩ましいほどの表情の豊かさも見事だ。

どこまでもヴィヴィッドに魅惑的に仕上げられたデュ・プレのチェロであり、聴き手をいつの間にか虜にしてしまうような一種魔力に似た息づきがある。

彼女の曲作りはすべからく流麗と形容すべきものではあるが、そこには常に前向きな初々しい躍動感が息づいており、言い知れぬ魅力を湛えた独特の推進力がある。

ひたむきに歌い、まるで祈り訴えかけてくるかのように純粋な美を織り出してゆくその姿勢が我々の胸を打ってやまない。

表現はきわめてフレキシブル、サン=サーンスのスコアの欲するところに誠に濃やかに対応し、鮮やかに広がった音空間を醸し出している。

彼女全盛期の美質がこのコンパクトな作品の中に余すところなく盛り込まれている観。

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2014年10月23日


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本盤には、悲劇のチェリストであるデュ・プレがスタジオ録音したグリュツマッヒャーが編曲したボッケリーニのチェロ協奏曲と、世に知られているとは言い難いシェーンベルクが編曲したモンのチェロ協奏曲が収められている。

いずれも、デュ・プレならではの圧倒的な超名演だ。

デュ・プレは、得意のエルガーのチェロ協奏曲やドヴォルザークのチェロ協奏曲を演奏する時のみならず、どのような楽曲の演奏に臨むに際しても全力投球で、体当たりとも言うべき渾身の演奏を行ったと言えるところであるが、本演奏におけるデュ・プレによる渾身の気迫溢れる演奏の力強さについても、とても女流チェリストなどとは思えないような圧巻の凄まじさである。

本演奏の数年後には多発性硬化症という不治の難病を患い、2度とチェロを弾くことがかなわなくなるのであるが、デュ・プレのこのような壮絶とも言うべき凄みのあるチェロ演奏は、あたかも自らをこれから襲うことになる悲劇的な運命を予見しているかのような、何かに取り付かれたような情念や慟哭のようなものさえ感じさせる。

もっとも、我々聴き手がそのような色眼鏡でデュ・プレのチェロ演奏を鑑賞しているという側面もあるとは思うが、いずれにしても、演奏のどこをとっても切れば血が出てくるような圧倒的な生命力に満ち溢れるとともに、女流チェリスト離れした強靭な力感に満ち、そして雄渾なスケールを伴った圧倒的な豪演は、我々聴き手の肺腑を打つのに十分であると言えるところだ。

それでいて、両曲の緩徐楽章などにおける繊細にして情感の豊かな表現おいてもいささかの不足はないと言えるところであり、その奥深い情感がこもった美しさの極みとも言える演奏は、これからデュ・プレを襲うことになる悲劇が重ね合わせになり、涙なしには聴くことができないほどのものである。

デュ・プレのチェロ演奏のバックの指揮をつとめるのは父君バレンボイムと名匠バルビローリであるが、オーケストラを巧みに統率するとともに、デュ・プレのチェロ演奏のサポートをしっかりと行い、両曲の魅力的な数々の旋律を歌い抜いた情感豊かな演奏を繰り広げているのが素晴らしい。

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2014年08月27日


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ドヴォルザークのチェロ協奏曲と言うと、同曲を何度も録音したロストロポーヴィチによる演奏がいの一番に念頭に浮かぶ。

遺された録音はいずれ劣らぬ名演であるが、とりわけ、カラヤン&ベルリン・フィルと組んだ演奏(1968年)は、指揮者とチェリストががっぷり四つに組んだ絢爛豪華な超名演として、現在においても同曲演奏史上最高の名演としての地位を譲っていないと考えている。

このように、ロストロポーヴィチによる数々の名演の印象があまりにも強い同曲であるが、録音がやや冴えないという難点はあるものの、演奏内容だけをとれば、デュ・プレによる本演奏は、前述のロストロポーヴィチによる1968年盤にも十分に対抗し得るだけの名演と評価できるのではないだろうか。

それは、デュ・プレによる渾身の気迫溢れる力強い演奏によるところが大きく、彼女は持ち前のスケールが大きく伸びやかな歌い回しを駆使して、このドヴォルザークの名作に生命力がほとばしるような大熱演を繰り広げている。

本演奏は1970年のものであるが、これはデュ・プレが不治の病を発症する直前の演奏でもある。

デュ・プレが自らをこれから襲うことになる悲劇的な運命を予知していたのかは定かではないが、本演奏には何かに取りつかれたような底知れぬ情念のようなものを感じさせるとも言えるだろう。

いや、むしろ、我々聴き手が、デュ・プレをその後襲った悲劇を思って、より一層の深い感動を覚えるのかもしれない。

それにしても、本演奏における切れば血が出てくるような圧倒的な生命力と、女流チェリスト離れした力感、そして雄渾なスケールの豪演は、我々聴き手の肺腑を打つのに十分な迫力を誇っており、このような命がけの体当たりの大熱演を繰り広げていたデュ・プレのあまりにも早すぎる死を惜しむ聴き手は筆者だけではあるまい。

かかるデュ・プレの驚異的なチェロを力強くサポートした、当時の夫であるバレンボイムとシカゴ交響楽団も、最高のパフォーマンスを発揮している点を高く評価したい。

録音は、従来盤ではやや鮮明さに欠ける音質であったが、HQCD化によってかなり音質の改善がなされたように思われる。

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2014年04月19日


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本盤には、多発性硬化症という不治の病を患い、若くしてその活動に終止符を打たざるを得なかった悲劇のチェリストであるデュ・プレが、夫でもあったバレンボイムとともに組んで演奏したシューマンのチェロ協奏曲とサン=サーンスのチェロ協奏曲第1番が収められている。

いずれも圧倒的な超名演だ。

このような演奏こそは、まさに歴史的な超名演と言っても過言ではあるまい。

それは、デュ・プレによる渾身の気迫溢れる力強い演奏によるところが大きい。

本演奏は1968年のものであるが、これはデュ・プレが不治の病を発症する直前の演奏でもある。

デュ・プレが自らをこれから襲うことになる悲劇的な運命を予知していたのかは定かではないが、本演奏には何かに取り憑かれたような底知れぬ情念や慟哭のようなものさえ感じさせると言えるだろう。

いや、むしろ、我々聴き手が、デュ・プレをその後襲った悲劇を思って、より一層の深い感動を覚えるのかもしれない。

それにしても、本演奏における切れば血が出てくるような圧倒的な生命力と、女流チェリスト離れした力感、そして雄渾なスケールの豪演は、我々聴き手の肺腑を打つのに十分な迫力を誇っており、このような命がけの体当たりの大熱演を繰り広げていたデュ・プレのあまりにも早すぎる死を惜しむ聴き手は筆者だけではあるまい。

それでいて、特に、シューマンの最晩年の傑作であるチェロ協奏曲において顕著であるが、人生への諦観や寂寥感、深遠な抒情の表現においてもいささかの不足はないと言えるところであり、その奥深い情感がこもった美しさの極みとも言える演奏は、涙なしには聴くことができないほどのものだ。

かかるデュ・プレの驚異的なチェロを力強くサポートした、当時の夫であるバレンボイムとニュー・フィルハーモニア管弦楽団も、最高のパフォーマンスを発揮している点を高く評価したい。

音質は、従来CD盤があまり冴えない音質で大いに問題があったが、数年前にHQCD化されたことによって、格段に音質が鮮明になるとともに、音場が幅広くなった。

しかしながら、今般、ついに待望のSACD化が行われることによって大変驚いた。

従来CD盤やHQCD盤とは次元が異なる見違えるような、そして1960年代のスタジオ録音とは到底信じられないような鮮明な音質に生まれ変わった。

デュ・プレのチェロ演奏の弓使いまで鮮明に再現されるのは殆ど驚異的であり、あらためてSACDの潜在能力の高さを思い知った次第だ。

いずれにしても、デュ・プレ、そしてバレンボイム&ニュー・フィルハーモニア管弦楽団による圧倒的な超名演を、SACDによる高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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2014年04月03日


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伝説のデュ・プレ、1969年プロムスのドヴォルザークが悲願のリリース!

ドヴォルザークはバレンボイム盤(1970年スタジオ / EMI)、チェリビダッケ盤(1967年ライヴ / DG)に次いで3種目。

ところが、まさにそのために数年越しの交渉でもデュ・プレ協会の許可が下りずに、皮肉にもとびきりの遺産として最後まで手付かずだったもの。

こうして今また良好なステレオで聴けるとは大きな喜びである。

ドヴォルザークのチェロ協奏曲と言うと、同曲を何度も録音したロストロポーヴィチによる演奏がいの一番に念頭に浮かぶ。

遺された録音はいずれ劣らぬ名演であるが、とりわけ、カラヤン&ベルリン・フィルと組んだ演奏(1968年)は、指揮者とチェリストががっぷり四つに組んだ絢爛豪華な超名演として、現在においても同曲演奏史上最高の名演としての地位を譲っていないと考えている。

このように、ロストロポーヴィチによる数々の名演の印象があまりにも強い同曲であるが、録音がやや冴えないという難点はあるものの、演奏内容だけをとれば、デュ・プレによる本演奏は、前述のロストロポーヴィチによる1968年盤にも十分に対抗し得るだけの名演と評価できるのではないだろうか。

それは、デュ・プレによる渾身の気迫溢れる力強い演奏によるところが大きいと言える。

本演奏は1969年のものであるが、これはデュ・プレが不治の病を発症する直前の演奏でもある。

デュ・プレが自らをこれから襲うことになる悲劇的な運命を予知していたのかは定かではないが、本演奏には何かに取り憑かれたような底知れぬ情念のようなものを感じさせるとも言えるだろう。

いや、むしろ、我々聴き手が、デュ・プレをその後襲った悲劇を思って、より一層の深い感動を覚えるのかもしれない。

それにしても、本演奏における切れば血が出てくるような圧倒的な生命力と、女流チェリスト離れした力感、そして雄渾なスケールの豪演は、我々聴き手の肺腑を打つのに十分な迫力を誇っており、このような命がけの体当たりの大熱演を繰り広げていたデュ・プレのあまりにも早すぎる死を惜しむ聴き手は筆者だけではあるまい。

グローヴズの骨太で雄大なバックにのせて、たっぷりと思いのたけを込めて歌うチェロ、惜しみなく続く暖かいブラーヴォ、心をかきむしられるこれほどの演奏が、どうしてこれまで眠ったままだったのか謎だ。

一方、イベールはデュ・プレとしては初出のレパートリーで、他ならぬ彼女が弾いていることに大きな価値があると言える。

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2014年03月28日


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エルガーのチェロ協奏曲は、悲劇のチェリストであるデュ・プレの代名詞のような楽曲であった。

エルガーのチェロ協奏曲とともに2大傑作と称されるドヴォルザークのチェロ協奏曲については、ロストロポーヴィチをはじめ数多くのチェリストによって録音がなされ、あまたの名演が成し遂げられている。

ところが、エルガーのチェロ協奏曲に関しては、近年では若手の女流チェリストであるガベッタによる名演(2009年)なども登場しているが、デュ・プレの名演があまりにも凄いために、他のチェリストによる演奏が著しく不利な状態に置かれているとさえ言えるだろう。

かのロストロポーヴィチも、デュ・プレの同曲の名演に恐れをなして、生涯スタジオ録音を行わなかったほどである(ロストロポーヴィチによる同曲のライヴ録音(1965年)が数年前に発売された(BBCレジェンド)が出来はイマイチである)。

デュ・プレは同曲について、本盤のスタジオ録音(1965年)のほか、いくつかのライヴ録音を遺している。

テスタメントから発売されたバルビローリ&BBC響との演奏(1962年)なども素晴らしい名演ではあるが、演奏の安定性などを総合的に考慮すれば、本演奏の優位はいささかも揺らぎがない。

本演奏におけるデュ・プレによる渾身の気迫溢れる演奏の力強さは圧巻の凄まじさだ。

本演奏の数年後には多発性硬化症という不治の病を患い、2度とチェロを弾くことがかなわなくなるのであるが、デュ・プレのこのような凄みのあるチェロ演奏は、あたかも自らをこれから襲うことになる悲劇的な運命を予見しているかのような、何かに取り付かれたような情念や慟哭のようなものさえ感じさせる。

もっとも、我々聴き手がそのような色眼鏡でデュ・プレのチェロを鑑賞しているという側面もあるとは思うが、いずれにしても、切れば血が出てくるような圧倒的な生命力と、女流チェリスト離れした力感、そして雄渾なスケールの豪演は、我々聴き手の肺腑を打つのに十分である。

それでいて、エルガーの音楽に特有の人生への諦観や寂寥感、深遠な抒情の表現においてもいささかの不足はないと言えるところであり、その奥深い情感がこもった美しさの極みとも言える演奏は、涙なしには聴くことができないほどのものだ。

このような演奏を聴いていると、同曲はデュ・プレのために作曲されたのではないかとの錯覚さえ覚えるほどであり、さすがのロストロポーヴィチも、同曲のスタジオ録音を諦めた理由がよく理解できるところである。

デュ・プレのチェロのバックの指揮をつとめるのはバルビローリであるが、ロンドン交響楽団を巧みに統率するとともに、デュ・プレのチェロ演奏のサポートをしっかりと行い、同曲の数々の抒情的な旋律を歌い抜いた情感豊かな演奏を繰り広げているのが素晴らしい。

併録の歌曲集「海の絵」も、ジャネット・ベイカーの歌唱が何よりも美しい素晴らしい名演と評価したい。

音質は、1965年のEMIによるスタジオ録音であり、従来CD盤では音に歪みが生じているなど今一つ冴えないものであったが、数年前にHQCD化されたことによって、音場が広がるとともに音質もかなり鮮明に改善されたところだ。

そして、先般、待望のハイブリッドSACD化が行われることによって、更に見違えるような鮮明な音質に生まれ変わったところであるが、今般のシングルレイヤーによるSACD盤は、当該ハイブリッドSACD盤をはるかに凌駕していると評しても過言ではあるまい。

音質の鮮明さ、音場の幅広さ、そして音圧のいずれをとっても一級品の仕上がりであり、あらためてシングルレイヤーによるSACD盤の潜在能力の高さを思い知った次第である。

いずれにしても、デュ・プレやバルビローリ等による素晴らしい超名演を、超高音質であるシングルレイヤーによるSACD盤で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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2013年10月01日


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ディーリアスのチェロ協奏曲は知る人ぞ知る名作であるが、同曲の録音は殆ど存在していない。

最近発売されたポール・ワトキンスがチェロ演奏をつとめたアンドリュー・デイヴィス&BBC交響楽団による演奏は、マルチチャンネル付きのSACDという極上の高音質も相まって、素晴らしい名演に仕上がっていたところであり、同曲の真価を広く知らしめる意味でも大変意義のある名CDであった。

もっとも、かかる名演の登場にもかかわらず、今なおその存在価値を失わないだけでなく、同曲の演奏史上最高の超名演こそは、本盤に収められたデュ・プレによる演奏である。

同曲は、英国の詩情溢れる情感豊かな作品であるが、デュ・プレの心の込め方には尋常ならざるものがある。

本演奏の数年後には多発性硬化症という不治の病を患い、2度とチェロを弾くことがかなわなくなるのであるが、デュ・プレのこのような心を込め抜いたチェロ演奏は、あたかも自らをこれから襲うことになる悲劇的な運命を予見しているかのような、何かに取り憑かれたような情念や慟哭のようなものさえ感じさせる。

もっとも、我々聴き手がそのような色眼鏡でデュ・プレのチェロを鑑賞しているという側面もあるとは思うが、いずれにしても、奥深い情感がこもった美しさの極みとも言える演奏は、涙なしには聴くことができないほどのものであり、我々聴き手の肺腑を打つのに十分である。

かかるデュ・プレの素晴らしいチェロ演奏を下支えしたサージェント&ロイヤル・フィルもイギリスの詩情に満ち溢れた素晴らしい演奏を展開していると評価したい。

併録の「告別の歌」や「夜明け前の歌」も極上の美を誇る名演であり、まさに、チェロ協奏曲ともども英国の詩情ここに極まれりと言っても過言ではあるまい。

ロイヤル・コーラル・ソサエティも最高のパフォーマンスを誇っていると評価したい。

音質は、1965年のEMIによるスタジオ録音であり、従来CD盤では今一つ冴えないものであったが、数年前にエルガーのチェロ協奏曲とのカップリングでHQCD化された(告別の歌及び夜明け前の歌はカップリングされていない)ことによって、音場が広がるとともに音質もかなり鮮明に改善されたところだ。

したがって、筆者としても、これまではHQCD盤を愛聴してきたところであるが、今般、ついに待望のSACD化が行われることによって大変驚いた。

HQCD盤などの従来盤とは次元が異なる見違えるような鮮明な音質に生まれ変わった。

デュ・プレのチェロの弓使いが鮮明に再現されるのは殆ど驚異的であり、あらためてSACDの潜在能力の高さを思い知った次第である。

いずれにしても、デュ・プレ、そしてサージェント&ロイヤル・フィルによる至高の超名演を、SACDによる高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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本盤には、悲劇のチェリストであるデュ・プレが1967年にスタジオ録音したハイドンのチェロ協奏曲第1番と、ボッケリーニのチェロ協奏曲が収められている。

いずれも、デュ・プレならではの圧倒的な超名演だ。

デュ・プレは、得意のエルガーのチェロ協奏曲やドヴォルザークのチェロ協奏曲を演奏する時のみならず、どのような楽曲の演奏に臨むに際しても全力投球で、体当たりとも言うべき渾身の演奏を行ったと言えるところであるが、本演奏におけるデュ・プレによる渾身の気迫溢れる演奏の力強さについても、とても女流チェリストなどとは思えないような圧巻の凄まじさである。

本演奏の数年後には多発性硬化症という不治の難病を患い、2度とチェロを弾くことがかなわなくなるのであるが、デュ・プレのこのような壮絶とも言うべき凄みのあるチェロ演奏は、あたかも自らをこれから襲うことになる悲劇的な運命を予見しているかのような、何かに取り憑かれたような情念や慟哭のようなものさえ感じさせる。

もっとも、我々聴き手がそのような色眼鏡でデュ・プレのチェロ演奏を鑑賞しているという側面もあるとは思うが、いずれにしても、演奏のどこをとっても切れば血が出てくるような圧倒的な生命力に満ち溢れるとともに、女流チェリスト離れした強靭な力感に満ち、そして雄渾なスケールを伴った圧倒的な豪演は、我々聴き手の肺腑を打つのに十分である。

それでいて、両曲の緩徐楽章などにおける繊細にして情感の豊かな表現おいてもいささかの不足はないと言えるところであり、その奥深い情感がこもった美しさの極みとも言える演奏は、これからデュ・プレを襲うことになる悲劇が重ね合わせになり、涙なしには聴くことができないほどのものである。

デュ・プレのチェロ演奏のバックの指揮をつとめるのは、夫君のバレンボイムとその統率下にあったイギリス室内管弦楽団である。

バレンボイムは、モーツァルトのピアノ協奏曲などにおいても名コンビぶりを見せたイギリス室内管弦楽団を巧みにドライブして、気心の知れたデュ・プレのチェロ演奏のサポートをしっかりと行い、見事な名演を繰り広げているのが素晴らしい。

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本盤には、悲劇のチェリストであるデュ・プレが、夫君であるバレンボイムとともに1971年及び1972年に行った最後のスタジオ録音であるショパンのチェロ・ソナタと、フランクの有名なヴァイオリン・ソナタをチェロ用に編曲したチェロ・ソナタが収められている。

既に、多発性硬化症という不治の難病を発症したデュ・プレによる最後の録音でもあり、そうした点だけに絞って考えても歴史的な超名演と言える存在だ。

デュ・プレは、得意のエルガーのチェロ協奏曲やドヴォルザークのチェロ協奏曲を演奏する時のみならず、どのような楽曲の演奏に臨むに際しても全力投球で、体当たりとも言うべき渾身の演奏を行ったと言えるところであるが、本演奏におけるデュ・プレは、さすがに多発性硬化症を発症しただけあって、それまでのデュ・プレのような体当たりの渾身の演奏までは行っているとは言い難い。

しかしながら、内なる気迫という意味においては、いささかも引けを取っておらず、演奏全体に漲っている何とも言えない凄みは、とても女流チェリストなどによる演奏とは思えないほどである。

本演奏の後は、2度とチェロを弾くことがかなわなくなるのであるが、デュ・プレのこのような凄みのあるチェロ演奏は、今後の自らの悲劇的な運命を前にした、何かに取り憑かれたような情念や慟哭のようなものさえ感じさせる。

もっとも、我々聴き手がそのような色眼鏡でデュ・プレのチェロ演奏を鑑賞しているという側面もあるとは思うが、いずれにしても、本演奏全体に漲っている内なる気迫や凄み、そして雄渾なスケールを伴った圧倒的な演奏は、我々聴き手の肺腑を打つのに十分である。

それでいて、両曲には、人生の諦観を思わせるような寂寥感、深遠な抒情などが込められているが、デュ・プレは、そうした箇所における各旋律の繊細にして情感の豊かな表現おいてもいささかの不足はないと言えるところであり、その奥深い情感がこもった美しさの極みとも言える演奏は、これからデュ・プレを襲うことになる悲劇が重ね合わせになり、涙なしには聴くことができないほどのものである。

デュ・プレのチェロ演奏のバックのピアノ演奏をつとめるのは夫君であるバレンボイムであるが、本演奏においては、デュ・プレのチェロ演奏をしっかりと引きたてるとともに、一緒になって両曲の奥深い情感の世界を見事に描出するのに成功している点を評価したい。

音質については、1971年及び1972年のスタジオ録音であるが、従来CD盤は今一つ冴えない音質であったところだ。

しかしながら、今般、ついに待望のSACD化が行われることによって、見違えるような鮮明な音質に生まれ変わった。

デュ・プレのチェロ演奏の弓使いやバレンボイムのピアノタッチが鮮明に再現されるのは殆ど驚異的ですらある。

いずれにしても、デュ・プレ、そしてバレンボイムによる圧倒的な超名演を、SACDによる高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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本盤には、悲劇のチェリストであるデュ・プレがスタジオ録音したハイドンのチェロ協奏曲第2番と、世に知られているとは言い難いシェーンベルクが編曲したモンのチェロ協奏曲が収められている。

いずれも、デュ・プレならではの圧倒的な超名演だ。

デュ・プレは、得意のエルガーのチェロ協奏曲やドヴォルザークのチェロ協奏曲を演奏する時のみならず、どのような楽曲の演奏に臨むに際しても全力投球で、体当たりとも言うべき渾身の演奏を行ったと言えるところであるが、本演奏におけるデュ・プレによる渾身の気迫溢れる演奏の力強さについても、とても女流チェリストなどとは思えないような圧巻の凄まじさである。

本演奏の数年後には多発性硬化症という不治の難病を患い、2度とチェロを弾くことがかなわなくなるのであるが、デュ・プレのこのような壮絶とも言うべき凄みのあるチェロ演奏は、あたかも自らをこれから襲うことになる悲劇的な運命を予見しているかのような、何かに取り憑かれたような情念や慟哭のようなものさえ感じさせる。

もっとも、我々聴き手がそのような色眼鏡でデュ・プレのチェロ演奏を鑑賞しているという側面もあるとは思うが、いずれにしても、演奏のどこをとっても切れば血が出てくるような圧倒的な生命力に満ち溢れるとともに、女流チェリスト離れした強靭な力感に満ち、そして雄渾なスケールを伴った圧倒的な豪演は、我々聴き手の肺腑を打つのに十分である。

それでいて、両曲の緩徐楽章などにおける繊細にして情感の豊かな表現おいてもいささかの不足はないと言えるところであり、その奥深い情感がこもった美しさの極みとも言える演奏は、これからデュ・プレを襲うことになる悲劇が重ね合わせになり、涙なしには聴くことができないほどのものである。

デュ・プレのチェロ演奏のバックの指揮をつとめるのは名匠バルビローリであるが、ロンドン交響楽団を巧みに統率するとともに、デュ・プレのチェロ演奏のサポートをしっかりと行い、両曲の魅力的な数々の旋律を歌い抜いた情感豊かな演奏を繰り広げているのが素晴らしい。

音質については、1967年のスタジオ録音であるが、単独盤として手に入らない状況にあり、輸入によるセット盤の中で聴くしか方法がなかったところであるが、当該従来CD盤は今一つ冴えない音質であった。

しかしながら、今般、ついに待望のSACD化が行われることによって、見違えるような鮮明な音質に生まれ変わった。

とりわけ、デュ・プレのチェロ演奏の弓使いが鮮明に再現されるのは殆ど驚異的ですらある。

いずれにしても、デュ・プレ、そしてバルビローリ&ロンドン交響楽団による素晴らしい名演を、SACDによる高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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2013年08月28日


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本盤には、悲劇のチェリストであるデュ・プレが、夫君であるバレンボイムとともに1967年から1968年にかけてスタジオ録音を行ったブラームスのチェロ・ソナタが収められている。

いずれも、デュ・プレならではの圧倒的な超名演だ。

デュ・プレは、得意のエルガーのチェロ協奏曲やドヴォルザークのチェロ協奏曲を演奏する時のみならず、どのような楽曲の演奏に臨むに際しても全力投球で、体当たりとも言うべき渾身の演奏を行ったと言えるところであるが、本演奏におけるデュ・プレによる渾身の気迫溢れる演奏の力強さについても、とても女流チェリストなどとは思えないような圧巻の凄まじさである。

本演奏の数年後には多発性硬化症という不治の難病を患い、2度とチェロを弾くことがかなわなくなるのであるが、デュ・プレのこのような壮絶とも言うべき凄みのあるチェロ演奏は、あたかも自らをこれから襲うことになる悲劇的な運命を予見しているかのような、何かに取り憑かれたような情念や慟哭のようなものさえ感じさせる。

もっとも、我々聴き手がそのような色眼鏡でデュ・プレのチェロ演奏を鑑賞しているという側面もあるとは思うが、いずれにしても、演奏のどこをとっても切れば血が出てくるような圧倒的な生命力に満ち溢れるとともに、女流チェリスト離れした強靭な力感に満ち、そして雄渾なスケールを伴った圧倒的な豪演は、我々聴き手の肺腑を打つのに十分である。

それでいて、両曲には、いかにもブラームスならではの人生の諦観を思わせるような寂寥感、深遠な抒情などが込められているが、デュ・プレは、そうした箇所における各旋律の繊細にして情感の豊かな表現おいてもいささかの不足はないと言えるところであり、その奥深い情感がこもった美しさの極みとも言える演奏は、これからデュ・プレを襲うことになる悲劇が重ね合わせになり、涙なしには聴くことができないほどのものである。

デュ・プレのチェロ演奏のバックのピアノ演奏をつとめるのは夫君であるバレンボイムであるが、本演奏においては、デュ・プレのチェロ演奏をしっかりと引きたてるとともに、一緒になってブラームスの奥深い情感の世界を見事に描出するのに成功している点を評価したい。

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2013年02月24日


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今もなお追慕される夭折の天才デュ・プレが遺した溌剌としたベートーヴェン。

25歳のデュ・プレが1970年のエディンバラ国際音楽祭で遺した奇跡のライヴ録音である。

夫にして最高の理解者であるバレンボイムの慈しむような伴奏との対話を通じて、デュ・プレの天賦の才が溌剌と溢れ出て、純度の高い感動が沸き上がるヴィヴィッドな名演が展開されている。

ベートーヴェンのチェロ・ソナタ全集には、世評では、ロストロポーヴィチ&リヒテル盤と、フルニエ&ケンプ盤が双璧の名演と言われ、これまで多くの評論家の間で、両盤の優劣について様々な批評の応酬がなされてきた。

確かに、両名演は素晴らしい。

どちらの名演にもそれぞれ素晴らしい点があり、筆者としても、どちらかに軍配を上げるということははっきり言って不可能だ。

それ以外にも様々な名演があるが、やはり、この両盤に敵うものではないといったところではないだろうか。

本盤は、録音がこの当時のものとしては悪いという難点はあるが、演奏内容だけをとれば、この両盤に何とか対抗し得るだけの名演と評価できるのではないかと考えている。

それは、デュ・プレの命懸けの気迫溢れる演奏によるところが大きい。

デュ・プレが、悪魔のような病を発症する直前の演奏であることもあり、何かに取り憑かれたような底知れぬ情念のようなものを感じさせる。

こうしたデュ・プレの驚異的なチェロを力強くサポートした、当時の夫であるバレンボイムも、重量感溢れる力強い演奏を行っている。

そして、その後の、デュ・プレの悲劇を思うと、演奏以上の感動を覚えるのも、筆者だけではないと考える。

ここにはもはやベートーヴェンすら存在せず、ひたすらアンサンブルの愉悦だけが存在しているのだと思わされる、悲しくも素晴らしいデュ・プレの遺産である。

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2012年09月25日


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夫君バレンボイムとの共演は、デュ・プレが病気のために演奏活動を停止する3年前のライヴ盤。

ちょうど病が発症しはじめたころの1971年の録音で、真の病名をまだ知らずにいた彼女の豪快でスケールの大きな演奏が堪能できる。

当エルガー作曲のチェロ協奏曲のディスクに聴く独奏者デュ・プレの演奏の雄弁さには、なにやら尋常ならざるようなものが感じられる。

チェロという楽器ならではの線の太い表現力から、触れれば直ぐにでも崩れてしまいかねないデリケートな要素に至るまで、彼女のチェロがカヴァーしている領域はたいそう振幅が大きい。

ただ黙してついていくだけでもたいへんである。

デュ・プレのエルガーはまず音色が深々として格調が高く、その抒情的な部分の奥深さ、瞑想的な美しさは、ちょっと他の演奏家からは求められないものだ。

第1楽章からデュ・プレのチェロが鬼気迫るばかりで、粘りのある生々しい音と情感、暗く激しい心の表出など、実に味が濃い。

第2楽章の自在なリズム、間の良さ、ラルガメンテの見事さ、第3楽章の神さびた冒頭からフレーズをたっぷりとって真実の声を響かせてゆくまでの過程の素晴らしさ。

エルガーのチェロ協奏曲はまるでデュ・プレのために作曲されたかのようで、エルガーの音楽に必要ないくつかの独自の美学に対しても、彼女の対応のしかたには余裕があり、隙がない。

加えて、ここでは指揮者バレンボイムが独奏者を支える最適な伴奏をしていることも見逃せないだろう。

カップリングの「エニグマ変奏曲」も音楽の意味や美しさを過不足なく表出している。

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2008年10月17日


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1987年、多発性硬化症という難病のため、42歳の若さで亡くなった不世出の女性チェリスト、デュ・プレの貴重な遺産である。

彼女が演奏活動していた時期というのは、10代の半ばからわずか10年ほどの間にすぎなかったが、その間に多くの曲をレコーディングしている。

それは、あたかも自らの病を予期したかのような精力的なもので、なにか痛ましい感じがする。

このボッケリーニの演奏は、そうした彼女のベストともいえるディスクで、すこぶるスケールが大きく、のびやかな演奏となっている。

女流らしい繊細さと、"歌心"にあふれた旋律の美しさ、そして、緩急の起伏を大きくとったダイナミックな表情づけ、これほどこの作品の魅力を最大限に引き出した人というのも、少ない。

また、このレコーディングのあとすぐ結婚するバレンポイムの伴奏ものびのびとして豊か。

ハイドンは、優美、繊細さの中の表情の多彩さがさすが。ハイドンの古典的品格をとらえた、スケールの大きな演奏だ。

1音ごとにニュアンスを変え、機械的なスケールさえ魅惑の限りを尽くし、音楽をあらゆる部分が歌っている。

バルビローリのバックも、デュ・プレを支えて好演。

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2008年03月23日


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10曲中、7曲が16歳でのデビュー翌年の録音だが、デュ・プレはテクニックに走らず、若いにもかかわらず実にじっくりとした演奏を聴かせているのが印象的だ。

若々しい情感を直接作品にぶつけているだけに表情は率直だが、作品の持つ深みの入口に立つこと、それを全身で受け止めることを知った、ふんぎりのついた演奏である。

ここには音楽のニュアンスに食い込むような解釈や、ソリストとしての奔放な身振りはないが、作品の性格による弾き分けを心得た、ストレートな音楽性の発揮を聴くことができる。

自分の感じたなりにしばしば楽譜を超えて、豊かな息吹を込めた《歌》を愛する楽器に歌わせている。

そのようなデュ・プレのレコーディングされた演奏は、ほとんどムラのようなものがなく、どれも充実している。

デュ・プレのひくサン=サーンスの《白鳥》のよさは、ドヴォルザークの協奏曲に挑む彼女のよさに少しも劣るものではない。

よい質感の表現に接したという印象を残す演奏である。

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2008年02月28日


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シューマンがチェロ協奏曲を作曲したのは1850年、彼の精神が変調を来たしはじめていた時期にあたる。

そのためこの作品はゆたかなメロディを流露させながらも、不気味なデーモンのささやきがそれを邪魔しにかかる。

つねに美しく歌い出そうとしながら、その歌はやるせない憂悶をおび、魔の淵を覗かせる。

デュ・プレの演奏は歌を重んじ、それをたっぷりとひびかせる。

そこにはシューマンのビーダーマイアー的な幸福感が感じとれるほどだ。

それだからわずかながらも脳に変調の予感がきざすと、すべてが暗転してしまう。

そんな幸せのなかにひそむ不安のおびえが、ゆたかな歌のなかに隠し味のように聴きとれる。

デュ・プレにとってそれは現実となった。

デュ・プレの表現意欲のすさまじさ、スケールの雄大さはとても女流とは思えず、朗々たる美音には切ないまでの憧れ心がこもっている。

フィナーレの情熱には命をかけた芸術家の姿があり、誰しも舌を巻いてしまうに違いない。

サン=サーンスの濃厚と繊細と蠱惑、悩ましいほどの表情の豊かさも見事だ。

どこまでもヴィヴィッドに魅惑的に仕上げられたデュ・プレのチェロであり、聴き手をいつの間にか虜にしてしまうような一種魔力に似た息づきがある。

彼女の曲作りはすべからく流麗と形容すべきものではあるが、そこには常に前向きな初々しい躍動感が息づいており、言い知れぬ魅力をたたえた独特の推進力がある。

ひたむきに歌い、まるで祈り訴えかけてくるかのように純粋な美を織り出してゆくその姿勢が我々の胸を打ってやまない。

表現はきわめてフレキシブル、サン=サーンスのスコアの欲するところに誠に濃やかに対応し、鮮やかに広がった音空間を醸し出している。

彼女全盛期の美質がこのコンパクトな作品の中に余すところなく盛り込まれている観。

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2008年02月18日


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42歳ではかなく散った女流チェリスト、デュ・プレ屈指の名演のひとつにあげられる名盤である。 

ドヴォルザークのチェロ協奏曲はデュ・プレの協奏曲録音としては最後のスタジオ録音になったもの。25歳時の演奏。

このドヴォルザークは超名演だ。デュ・プレ炎の演奏である。

デュ・プレは、きれいごとでない、凄まじいばかりに体を張った大熱演だが、人間の生命力のすべてを具現した朗々たる音色が眼前に激しく飛び出してくる。

冒頭から情熱が迸るような迫力のある表現で圧倒する。

音色の変化、リズムの間、ひそやかな弱音など、その多様な表現力に舌を巻く。

切々たる思いを劇的に語るかのようで、この演奏こそ"入魂の"という形容がふさわしく思える。

聴き手をエキサイティングに熱くさせる演奏はそうザラにはないが、このデュ・プレのドヴォルザークはその筆頭格にあげられる。

グイと鷲づかみにするような発音、どこをとっても熱気のこもった歌いまわし、心憎いまでの剛柔のニュアンスなど、全身全霊を傾け同作品を揺さぶる。

パワフルなオケをも凌駕する迫力と迫真性が漲っている。

今もってドヴォルザークのベストCDに挙げられて然るべき演奏である。

ひとりのチェリストと言うよりも、表現者としての原点を見る思いのする比類のない演奏である。

これは、一回の演奏にすべてをかけた情熱と気迫の記録であり、聴いているうちに人はここまで音楽にのめりこめるのか、と感動も新たにする名盤である。

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デュ・プレの最良の遺産の一つ。

デュ・プレ(1945-1987)は1961年にデビュー。 

この録音はわずかその4年後のもので、彼女の天才を余すところなく表現している。

もっともデュ・プレが20歳の時に録音した初めての協奏曲録音だったというのだから驚くほかない。

無垢の精神を持つ若者が全身全霊を傾けて演奏した清らかな輝きに満ち溢れた音楽はこの上なく魅力的で、チェロの響きも常に格調が高い。

エルガーは第1楽章冒頭からただならぬ美音と雰囲気がほとばしり、ポルタメントを大きく使用した朗々たるカンタービレは表情的で豊かさの極であり、造形はあくまで雄大。

ロマンティックな情感が匂うばかりで、憂いを含んだ旋律をたっぷりと歌い上げる彼女の音楽は、すでに完成されたものといえよう。

そうしたデュ・プレのソロを暖かく見守りながら、絶妙なサポートを行なっているのがバルビローリの指揮である。

同じくきわめてイギリス的な性格をもったディーリアスのチェロ協奏曲では、デュ・プレの女性的でデリケートな感性が生かされている。

ディーリアスはオーケストラと有機的に絡み合い、その中を流れるチェロの淋しさは、この音楽が持つ人生の沈みゆく夕映えであろうか。

サージェントの指揮もきわめて共感豊かだ。

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