ゼルキン

2016年12月18日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



チェコ・プラガからのレギュラー・フォーマットによるジェニュイン・ステレオ・ラブ・シリーズの1枚で、新規にリマスタリングされた瑞々しい音質が1960年代初期のゼルキン円熟期の至芸を甦らせている。

このシリーズに使われている音原の中でもライヴ録音には保存状態の良好で貴重なものが多く、チェコの最新のリマスタリング技術が活かされて同音源でも他のレーベルのCDと聴き比べると大概こちらの方に分がある。

このディスクでもその音質の艶やかさと臨場感に驚かされるが、これは古い音源でもまだリマスタリングによってグレード・アップの余地があることを証明している。

学者然とした風貌のピアノの大家ルドルフ・ゼルキンは1903年生まれで、同じく米国を拠点として華麗きわまる活動をしたルービンシュタインとは一回り以上も違うが、かのホロヴィッツとは1才上、同年輩である。

モーツァルトの2曲のピアノ協奏曲の演奏は全く自然体だが、一切の無駄を省いた本質的で密度の高い音楽性がモーツァルトの作品に備わっている奇跡的な幸福感を感じさせてくれる。

ゼルキンはボヘミア出身だがウィーンで正式な音楽教育を受けたことから、彼にとってモーツァルトの演奏は故郷へ帰るような親しみがあったのだろう。

このモーツァルトはひとつの典型だが、山っ気、洒落っ気といったものを少しも感じさせず、生真面目で実直な演奏スタイルを貫いている。

特に、第27番は一流ピアニストの新盤が次から次に投入される最激戦区だが、ゼルキン盤は1962年の録音ながら半世紀以上を経て、いまなお根強い支持があるのは、細部へのきちっとした目配り、全体としての整然さに加えて、愚直なまでのひた向きさを感じさせるからではないだろうか。

その高い集中度の一端は、ゼルキンの低い唸り声(グールドばかりではない!)がバックにかすかに聴き取れることからもわかる。

また第12番はマールボロ音楽祭における貴重なライヴ盤であるが、ソロと指揮者の間の打てば響くような巧みなやりとりやオーケストラとの調和と安定感も秀逸だ。

彼は若くしてヴァイオリニスト、アドルフ・ブッシュの伴奏者として、またブッシュ四重奏団の共演者として長く演奏活動を続けたアンサンブル・ピアニストでもあったことから、こうした模範的な合わせ技が鍛えられたのだろう。

バルトークのピアノ協奏曲では、その野趣溢れる曲想から演奏者が渾身の力を振り絞ったような熱演が多い中で、ゼルキンはそうした演奏とは対極的に力ではなく持続する緊張感でこの作品を再現することで、かえってバルトークの音楽から噴出されるエネルギッシュな性格の表出に成功している。

こう言っては失礼だが、ライナー・ノーツの表紙に掲載されている写真のピアニストが演奏しているとは到底想像できないパワーを秘めている。

しかしそれが本来のテクニックというものだろうし、指揮者ジョージ・セルの研ぎ澄まされた感性から導かれる精緻なオーケストラと相俟って、両者が鮮烈なサウンドを創造してこの曲に一層充実感を与えている。

セル&コロンビア響の追走はゼルキンとひたと一致しており整然さがさらに際立つ。

この見事な演奏はハンガリー出身指揮者セルによる故国の作曲家バルトークへの強い思い入れがあるからかも知れない。

ちなみに、セルとゼルキンは、作曲家シェーンベルクでの若き修行時代の相弟子である。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 00:31コメント(0)トラックバック(0) 

2015年09月14日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



ルドルフ・ゼルキンがコロンビアに録音したシューベルト作品集で、ソロだけでなくピアノ五重奏曲『ます』を始めとするアンサンブル作品や歌曲も収録されているのが嬉しい。

ゼルキンの演奏には大衆受けを狙った媚びや派手なアピールなどは全くないが、逆に言えば表面的で小器用な表現を一切避けて真摯に弾き込んだ音による力学と音楽の構造を疎かにしない、より普遍的で純粋な音楽性の追究がある。

そこにシューベルトの高度に洗練された精神的な安らぎと喜びが表されているのではないだろうか。

それを理解するには全曲を通して鑑賞することが望ましい。

入門者にはゼルキンの饒舌を嫌った素朴さが物足りないかも知れないし、また演奏には情に流されない厳しさが存在するのも否定できないとしても、一度彼の演奏哲学の魅力を知ったならば新たな音楽的視野を広げることになるだろう。

ピアノ・ソナタでもシューベルトをより古典派の作曲家として捉えた、節度をわきまえた誇張のない表現が特徴だが、楽章どうしの有機的なつながりが図られていて曲全体が緊密にまとまっている。

かえって『即興曲』や『楽興の時』などの小品集では自由闊達なロマン派的解釈を示している。

尚変ロ長調『遺作』はセッションとカーネギー・ホール・ライヴの2種類を聴き比べることができるが、ライヴでは演奏終了後客席からの拍手喝采を受けている。

アンサンブルではブッシュ兄弟とのピアノ三重奏曲がCD3に収録されている。

ゼルキンは十代の頃からアドルフ・ブッシュのパートナーとしてヨーロッパ各地での演奏活動を始めた。

この演奏はアドルフの亡くなる前年に録音されたもので、彼のイントネーションはやや乱れがちだが、ゼルキン亡命後も生涯に亘って続いた彼らの厚い友情には感慨深いものがある。

ピアノ五重奏曲『ます』のピアノ・パートではゼルキンがアンサンブル全体を締めくくる要の役割を果たして、冗長になりがちなこの曲にしっかりとした形式感を与えている。

ふたつの歌曲『流れの上で』はホルンの、『岩の上の羊飼い』はクラリネットのそれぞれオブリガートが付いたシューベルト晩年の珍しい作品だ。

特に後者はコロラトゥーラ・ソプラノのために書かれ、ヨーデルを模しているが、この曲の歌詞に使われている詩は複数の詩人の作品を彼が任意に繋げたもので、この時期のシューベルトが自身の歌曲に斬新な試みを始めていたことが興味深い。

こうした曲目の伴奏にゼルキンを迎えているのは随分贅沢なことだが、それだけにソロのホルンやクラリネットも良く制御され、ヴァレンテの清楚な歌唱を引き立てて文学的な趣向を高めている。

古い音源では一部に音揺れが聞こえるが音質は概して良好。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 20:48コメント(0)トラックバック(0) 

2015年05月28日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



ソニー・クラシカルのバジェット・シリーズのひとつで、ルドルフ・ゼルキンが最も得意としたベートーヴェン作品集。

ロシア系ユダヤ人であったゼルキンはナチスの迫害を避け、アメリカに渡って活躍した。

これらの録音もその成果で、ゼルキンの若々しいスタイルが強く伝わる時代の録音でもあり、まさに往年の、王道のベートーヴェンと表現したい貫禄に満ちた演奏を聴くことが出来る。

ゼルキンの風貌や人柄にはどこか朴訥とした印象があって、ややもすれば饒舌で個性の主張が強いピアニスト達の中で、テクニックを誇示するような曲にはそれほど関心を示さなかったために、華麗なヴィルトゥオジティなどという形容には縁がなかったにしても、音楽そのものをじっくり鑑賞したい方なら、常に明確なアーティキュレーションに支えられた滋味に富んだ深い表現、本質的で飾らない真摯な演奏など、彼くらいベートーヴェンの音楽を掘り下げて解釈を探求した音楽家はそれほど多くないことに気付くに違いない。

こういう演奏は得てしてつまらない演奏になりがちだが、要所の締め、あちらこちらに見えるちょっとした閃きのような輝きが耳を奪う。

当然こうした彼の性格は録音に対してもかなり慎重で注意深かったため、ソナタに関しては全曲集を完成させることはなかったが、この11枚のセットには1962年から80年の長きに亘って録音された17曲のソナタと、協演者の異なる全5曲のピアノ協奏曲、2種類の『コラール・ファンタジーハ短調』、『ディアベッリ変奏曲』、11曲の『バガテル』、『幻想曲ロ長調』そしてハイメ・ラレードのヴァイオリンとレスリー・パルナスのチェロが加わる『トリプル・コンチェルトハ長調』が収録されている。

全盛期のゼルキンの至芸をこうした形でまとめて鑑賞できるのは幸いなことであり、こんな名演揃いのCDがこれほどの値段で手に入るとはいい世の中になったものである。

コンチェルトは晩年のクーベリック(Rafael Kubelik 1914-1996)との共演盤が有名だが、これらの録音でも真摯で力強いゼルキンのピアニズムは端的に示されている。

ソナタも素晴らしく「風格ある演奏」で、『熱情』や『悲愴』といった高名なソナタが、ど真ん中の力強い解釈により、「これこそ原型である」という説得力に満ち、聴き手はその本来の姿にあらためて酔い、感動する。

ただ、ソナタではアコーギクにおいてときおり恣意性が感じられるところがあり(決して音楽の全体的美観を損ねるほどではないが)、個人的には、ソナタよりもコンチェルトの方で、この人の美点がより発揮されているように思えた。

オケとの共同作業の中で音楽を構築するという方が、フレージングやアーティキュレーションが冴え、魅力的に響いている。

実に真っ当なベートーヴェン解釈であり、ここぞという時の渾身の迫力が凄いだけでなく、簡素な楽想でさりげなく添えられる深い芸術的情緒は、なんとも味が深く、コクがある。

客観的に全体像を見通したような組み立て方は安心して聴ける最大の要因だろう。

端正で、決して羽目を外すことのない模範的な演奏で、要するにピアノで歌うとは、人を感動させるとはこういう演奏のことなのだ。

まったくこのピアニストには1音1音追いかけて聴きたくなるような深いニュアンスと滋味溢れる響きの世界がある。

ピアノのせいもあるかも知れないが武骨そうなのに、意外に色彩感が豊富なのも優れた特徴で、音の強弱の段階づけの細やかで多彩なことは歴代のピアニストの中でもトップクラスだ。

これに比肩できるのはポリー二とグルダぐらいだろう。

音楽性ももちろんだが、ポリー二がゼルキンを尊敬するピアニストに挙げるわけである。

1曲1曲挙げればキリがないが、そのいずれの演奏も誰も成し得なかった未踏の境地によるもので、これこそ真の芸術遺産と呼ぶべきものである。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 20:58コメント(0)トラックバック(0) 

2015年05月03日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



ゼルキン&アバド/ロンドン交響楽団によるモーツァルトのピアノ協奏曲シリーズは、全集録音を予定していたが、ゼルキンの死によって中断されてしまった。

とりわけ優れているのは第9番「ジュノーム」、第15番、第25番の3曲で、いずれもゼルキンは作曲者の深い哀しみや人生の夕暮れを描きつくしてあますところがない。

続くのが第8番、第17番、第18番、第22番の4曲で、楽章によってムラがあるが、上出来の部分は前記3曲に匹敵しよう。

どの曲ともやや遅めのテンポで演奏され、ゼルキンのソロも落ち着いた情感を基調にしている。

タッチは明確で表情に富み、特にピアニッシモからは香しさが漂ってくるようにさえ感じられる。

何よりもアーティキュレーションが美しく、感情の細かな動きが音色と表情に反映されて、豊かなニュアンスをもたらしている。

何の気負いもなく、ごく自然に音楽の流れに身を任せているような演奏は、巨匠の晩年だからこそ許される、神々しい遊びとでも言えよう。

モーツァルトはこういう演奏で聴きたいもの、と思わせる名演だ。

第9番「ジュノーム」でまず印象的なのが、アバドの解釈である。

冒頭からきわめて遅いテンポで導入し、続く経過句ではテンポを速め、第2主題を優美・艶麗に歌わせる。

その間の呼吸は実に見事で、このような解釈はそうできるものではない。

ゼルキンの左手にみせる決然たる表情は彼の意志が確固たるものであることを示し、フレージングは真摯な感情を反映する。

第17番ではゼルキン、アバドとも洗練されたニュアンスを示している。

第15番が殊に素晴らしく、ゼルキンのタッチは弱音のときに美しい余韻を残す。

それは澄み切った精神性を強く感じさせるもので、演奏に天国的な美しさを与えている。

第22番でもゼルキンのタッチは明確で、響きは軽やか、彼はモーツァルトの音楽のもつ微妙な陰影を実に美しく生かしている。

アバドの指揮も魅力的で、表情豊かにオーケストラを歌わせ、弦の響かせ方も本当に見事だ。

第18番では、アバドが冒頭から明るい弦の音色を生かし、すっきりとしたフレージングで第1主題を導入する。

ゼルキンの表情と音色は細かく変化するが、解釈は強い意志で貫かれている。

第24番は遅めのテンポで演奏が始まられ、冒頭の第1主題に強い緊張感を与え、その後のトゥッティとの対照を強調する。

しかし第23番と第27番はゼルキン一流の内容主義のモーツァルトだが、あるいはやり過ぎ、あるいは徹底不足で、もうひとつ感銘を与えないままに終わっている。

前者の例は第23番で、こんなにスロー・テンポの演奏も珍しい。

リズムも重く、絶えず思索しながら進めてゆくが、多用されるルバートに必要性がない。

後者の例は第27番でインスピレーションに乏しいオールド・スタイルとでも言うべきか。

このように出来不出来のある選集と言えるが、特筆すべきは全14曲を通じてのアバドの素晴らしいサポートで、ゼルキンの個性にぴったり合わせ、まるで自分自身の表現のように聴かせるとともに、音楽的な香りの点でも申し分ない。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 20:47コメント(0)トラックバック(0) 

2011年12月28日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



第4番はゼルキン&クーベリックによるベートーヴェン全集のベスト・ワンといえる。

音楽自体の深みと録音当時(1977年)のゼルキンの芸風がぴたりと一致。

曲のすべてを知りつくした大家の心境をつづってゆく第1楽章など、その沈んだ雰囲気や内省の心が極めて感動的である。

第3番でのゼルキンのピアノはより19世紀風であり、人間味が濃い。

それは第1楽章に最も反映しており、第2主題の大きなテンポの落とし方や、ルバート奏法は現代では珍しい。

展開部冒頭の内省的な動きも特徴だ。

「皇帝」でのゼルキンは、きらめくタッチの外面的な美しさを充分に持ちながらも、ためらいがちのルバートや感じ切ったディミヌエンドなどを随所に配し、極めて味わいに富んだ音楽としている。

第2楽章は弱音効果によって、心のこもった表現になっている。

第3楽章は主題の緩急自在な語りかけ、左手がものをいっていることなどにゼルキンの内容的な弾き方が集約されている。

第1番と第2番でのゼルキンは初期のベートーヴェンを意識して何気なく進めていくが、遅めのテンポや十分な間の感覚が見事で、いずれもフィナーレが印象的である。

合唱幻想曲も美演。タッチの冴えたピアノがベートーヴェンの魅力を最大限に発揮している。

クーベリックの指揮も音楽的充実度が抜群で、優秀な音楽性が匂うようだ。

デリケートなニュアンス、内声の充実感など素晴らしく、バイエルン放送響も大変うまい。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 18:56コメント(0)トラックバック(0) 

2010年10月23日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。

 

75歳記念カーネギー・ホール・コンサートは故ゼルキンの音楽の貴重きわまりない記録である。

ゼルキンの演奏は少しも高ぶらず、温雅な表現のなかに熟した味わいを感じさせる。

作品が備えている楽しみや味わいを、誇張した表現に頼らずに、聴き手に確かに伝えてくれる。

とりわけハイドンとモーツァルトが魅力的で、楽想を自然におだやかに歌うことがどんなに大事なことか、そしてそれができなければ、これらの作品を演奏しても意味がないことを明確に示している。

ハイドンのソナタはマルカート気味のタッチと見事なペダリングで透明度の高いテクスチャーが実現されていて、ニュアンスに富んだ音色と情念が曲の魅力を十分に伝えている。

《ロンド》は穏やかな情趣に満たされ、《告別》は第1楽章のしみじみとした出だしと決然とした主部が明快な対比を見せる。

続く楽章の語り口も実に味わい深い。

ハイライトはやはりシューベルトの第21番だろう。

演奏の精神の深さにおいてこれに及ぶものはないのではないか。

詩的で温かくて純度の高い演奏が静かな感動を誘う。

豊潤な美音というわけでもないのに全曲を満ちている瑞々しさは澄み切った感性ゆえか。

ライヴだけに若干綻びは見られるものの、枯淡の境地とは違う。

一つ一つの音を全身全霊で紡ぎだしているといった迫力があり、その積み重ねはゼルキンの人生のそれにも似て、聴後に大きな感動を呼ぶ。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 19:20コメント(0)トラックバック(0) 

2010年09月18日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



R.ゼルキンの晩年の演奏には、壮年時代のひたむきな感情移入は薄れているものの、音楽に対する真摯な態度は変わらない。

作品に対する深い畏敬の念と敬虔な精神に基づく解釈は求道者の厳しさを感じさせるが、同時にゼルキンの人間的な円熟は、精神のより自由な飛翔を感じさせる。

ドイツ・オーストリアの古典ものを得意としたゼルキンにとって、ベートーヴェンは主要なレパートリーだったが、録音を発表することに彼自身があまりにも慎重だったため、ピアノ・ソナタ全集の録音は完成しなかった。

しかし、彼のベートーヴェンには名盤が並ぶ。

この最後の3曲のソナタ集は、ゼルキンが84歳のときのライヴ録音であり、ドイツ・オーストリアの伝統的なピアニズムを受け継いだ彼の真摯なアプローチが目を引く。

端正な作りのなかに豊かな情感をこめた演奏であり、この老練なピアニストの深い精神性が示されている。

ゆったりめのテンポにより、落ち着いた語り口で弾き進められているが、そのなかに格調高い美しさが漂い、じっくりと熟成された味わいがある。 

このゼルキンのベートーヴェンの演奏は、改めて音楽の表現の世界、そして解釈の領域がいかに広いものであるかを教えてくれる。

彼の作品に向かう態度はまったくの自然体である。

ゼルキンの演奏には、ベートーヴェンの音楽がもつヒューマニズムの精神が、いかなるテクニックによる演技も、今日の聴衆が好む音響効果的なドラマをも無縁なものとしてしっかりと存在する。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 16:49コメント(0)トラックバック(0) 

2010年05月11日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



両曲ともやや遅めのテンポで演奏され、ゼルキンのソロも落ち着いた情感を基調にしている。

タッチは明確で表情に富み、特にピアニッシモからは香しさが漂ってくるようにさえ感じられる。

何よりもアーティキュレーションが美しく、感情の細かな動きが音色と表情に反映されて、豊かなニュアンスをもたらしている。

モーツァルトはこういう演奏で聴きたいもの、と思わせる名演だ。

特に第20番は最もオーソドックスな演奏の一つとして挙げられる。

第1楽章冒頭の低弦から始まる不気味な楽想とそれが次第に盛り上がっていく場面のアバドの表現法は当を得たもので、聴く者を自然に音楽の中に誘い込む。

続いて現れるゼルキンのピアノも、音楽の一つの大きな流れに乗って自然と弾き出されていき、そこに何らの感情の途切れもない。

このことは全楽章を通していえることで、それだけにゼルキンとオーケストラとが音楽的に見事に一体化しているといえる。

たとえば第2楽章でも主部と中間部の対比的表現が見事に計られているが、しかし聴いていると、それが一つの流れにまとめられているし、第3楽章のロンドも同様である。

だからこの曲の特色を聴くのに良い演奏の一つといえる。

なお、第1楽章の最後の部分に独奏ピアノだけで演奏されるカデンツァが入るが、現在でもベートーヴェンのものが多く使われており、ゼルキンもそうである。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 18:37コメント(0)トラックバック(0) 

2010年05月05日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



非常にオーソドックスな演奏だ。

ゼルキン80歳前後の演奏だが、実にのびやかに、冴えたテクニックでひきあげていてすばらしい。

正攻法の、実に素直な表現を行いながらも、それぞれの楽曲の持ち味を生かした演奏は、さすがに、現代屈指といわれた大家といえよう。

ゼルキンのタッチは明るく、響きが軽くなっているが、テクニックに衰えもない。

また、以前のように思いつめたような激しい集中力が弱まったかわりに、精神の自由な飛翔が支配する。

「真実一路」という言葉がある。

21世紀を迎えた今日にあってはあまり声高に語られることも少なくなってしまった言葉だが、R・ゼルキンというピアニストを語るには、この言葉がなによりもふさわしい。

ここにきくベートーヴェンの協奏曲においても、彼のひき出す音はグラマラスな魅力をもっていたり、やわらかな美しさをもっているという類のものではない。

しかし、その音は真実なるものを求めてやまないような一途な姿勢に貫かれており、きく者の耳に喰い込んでくる。

真面目であるということが必ずしも最高の評価を受け難くなりつつある今日の精神状況にあって、R・ゼルキンのような存在は逆に大きくクローズ・アップされてしかるべきだろう。

なかでも後期の3曲が見事で、第4番などは音楽自体の深みとゼルキンの芸風が一致して最も上出来だ。

小澤の指揮も堂々として、緩徐楽章での威厳は、彼が巨匠への道を歩んでいたことを示している。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 18:11コメント(0)トラックバック(0) 

2010年03月03日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



男性的な堂々としたゼルキンのピアノと、精緻なセルの指揮による演奏。

押しても引いてもビクともしない強固な造型を備えており、それはセルの強い統率力とゼルキンの厳しい意志の力が生み出した結果である。

ゼルキンは含みのない武骨さと力いっぱいの打鍵によって、男性的で堂々たるブラームス像を奏でており、音楽を細部まで鮮明に満喫できる。

しかもどこかゆとりがあり、豊かな情感や寂しさなども頻出して、表現をいっそう多彩なものにしている。

セルの指揮は緻密なニュアンスが美しい。

ブラームスの2曲のピアノ協奏曲はオーケストラが重要な役割を担っていて、指揮者とオーケストラがうまくないと映えない曲になってしまう。

その点ではバックハウスとベーム=ウィーン・フィルが名演とされているが、このブラームスの作品としてはあまりにも重厚すぎる。

その点、R.ゼルキンのまさに誠実で、しかも逞しい熱演と、セルとクリーヴランドの、これも飾らない北ドイツ風の重い演奏は、この作品の真実の姿を響きにしている名演である。

バックハウスやツィマーマンの演奏は最初に聴いたときは驚くが、2度、3度と聴く気になれない。

ゼルキン&セルの演奏は聴くたびごとに演奏の巧みさを発見する。

ブラームスにしてはキッパリ物を言い過ぎると思う人もいようが、この頑固オヤジ同士の一徹さもまた尊い。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 06:30コメント(2)トラックバック(0) 

2009年08月01日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



カザルスは、かつてSP時代に、ホルショフスキーと組んで、全集を録音していた。

それも名演奏だったが、70代になって、ゼルキンと組んで2度目の録音したこの全集も、巨匠カザルスの、ベートーヴェンの音楽への傾倒の深さと、晩年になっても衰えることのなかった高い精神性をあますところなく示した、感動的な名演である。

いくぶんカザルスの主観につらぬかれた、癖のある演奏だが、この巨匠のベートーヴェンの解釈を知ることのできる貴重なディスクだ。

カザルスのチェロには厳しさと暖かさがあり、余分な私情がはさまれていないために、作品そのものから生じる迫力がある。

技巧的な衰えもまったくない。

そして、このアルバムを楽しいものにしてくれたのは、ピアノのゼルキンの協力だ。

彼は室内楽の演奏にかけても定評があり、まことに切れ味のいい演奏をしている。

まさに古典的な格調のある二重奏が繰り広げられているのである。

ここでカザルスが再現しているのは、聴き手を圧倒してやまないベートーヴェンのあの迫力、逞しさではない。

ベートーヴェンの深さ、とでもいったらよいのだろうか、神韻たる趣の演奏である。

「達者に弾いてみせるだけのベートーヴェンはもう結構」という人にぜひお薦めしたい。

きっと新しいベートーヴェンの姿が浮かんでくるに違いない。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 18:46コメント(4)トラックバック(0) 

2009年02月26日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



ゼルキンとブダペスト四重奏団のシューマンのピアノ五重奏曲は、この顔合わせであればこそできたスケールの大きな演奏である。

ゼルキンは、持ち前の表現意欲でぐいぐいと弾き込んでゆく。

ブダペスト四重奏団は、強固な合奏力と豊かな表情で、そのゼルキンの濃厚な表現の力、強靭なデュナーミクと五分に渡り合う。

新即物主義から出発したブダペスト四重奏団だが、ステレオ時代に入ってからは、そうした客観性を基盤としながらも表現の自由さと大きな振幅を身につけ、より鮮烈な情動を秘めた演奏を展開するようになってきていた。

しかもシューマンらしい内省にも事欠かない。

ここに聴かれるゼルキンとブダペスト四重奏団は、強烈な音楽的個性が対等にぶつかったときだけに聴かれる、室内楽の醍醐味のひとつの極致を余すところなく示している。

ヴェテランの熱演だが、単に情熱的というだけではなくテンポをかなり自在に動かし、ロマン的に歌いあげていて、緩急自在のその音楽運びはさすがに味わい深い。

カップリングのブラームスの弦楽四重奏曲第3番は情熱の奔流をいくぶん抑えようとしているようだが、時にコントロールが利きかねるところがある。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 22:51コメント(0)トラックバック(0) 

2009年01月03日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



ブダペスト弦楽四重奏団は1917年に結成され、27年にヴァイオリンにロイスマンが入って以来世界最高の四重奏団として活躍、戦後アメリカに移って1955年から最後の黄金期に入り、ちょうど開発されたステレオ録音によって多くの名演を残すことができた。

このゼルキンとのブラームスの五重奏曲は、同時期に録音されたブラームスの四重奏曲全集や、ヴィオラにトランプラーが入ってのモーツァルトの弦楽五重奏曲の名演と共に、この四重奏団の代表的な録音とされている。

ブラームスのピアノ五重奏曲はシューマンの同じ五重奏曲と同様に、ピアノと弦が同等に重要な作品で、逞しい力動とロマン的な情緒が演奏に色濃く表れないと面白くない。

ゼルキンは長い期間ブッシュと組んでアンサンブル・ピアニストとして演奏してきた。

このブラームス作品では、そのキャリアが見事に生かされている。

ゼルキンとブダペスト四重奏団が一致協力して生み出すブラームスの重く、苦い感情表現は、さすがにどっしりと根が張っており、リアリティがある。

ブダペスト弦楽四重奏団の緊張感溢れる響きのなかで、ゼルキンのピアノが躍動するその熱演は、現在のクールな四重奏団とピアニストでは望めない厚い密度でもって聴き手を作品の内部へと導いてゆく。

なにかに憑かれたようなブラームスの激しい感情が、とりわけ第4楽章のフィナーレで聴かれるが、その激しさの中に決して晴れることのない胸のつかえがクローズアップされ、聴き手に強く訴えかけてくる。

名クヮルテットと名ピアニストが組んだ、まさに理想的な名演だ。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 04:56コメント(2)トラックバック(0) 

2008年10月23日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



同曲は、変奏のフモールと奇怪さ、独自性と多様さはまさに変奏曲の最高峰といえるもので、バッハの「ゴルトベルク変奏曲」とともに、古今の変奏曲の中の傑作といわれている。

ゼルキンは「ディアベッリ変奏曲」をアンコールで全曲演奏したというエピソードを持つが、レコードはこれが唯一のものである。

この大曲に真正面から対峙したゼルキンの激しい気迫をみなぎらせた演奏は、作品全体の構造も明確であり、各変奏の性格も鮮明に表現している。

半ば諧謔的な誇張を通して、生き生きとした表情をもって描かれているし、カリカチュアを思わせる威風堂々とした第1変奏に続いて、第2変奏でゼルキンは鍵盤上で軽やかなおしゃべりを楽しむ。

全てが現世的な生気にあふれていて、ダイナミックで溌剌としている。

モノ録音とはいえ、表面だけを飾ろうとせず、音楽の核心に迫ろうとする毅然とした姿勢が熱く伝わってくる演奏である。

こうした比較的遅めのテンポといささか直截的な表現は、当時(1957年)のゼルキンにしばしば見られるものだ。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 20:42コメント(0)トラックバック(0) 

2008年02月25日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



ロストロポーヴィチとゼルキンという巨匠の初顔合わせであり、唯一の共演盤となったもので、お互いの個性を尊重しながらも、うまく調和させている。

ロストロポーヴィチのチェロは、相変わらず線が太く、朗々と鳴らしており、しかもデリケートさもある。

ゼルキンのピアノもブラームスを得意としているこの人だけあって、腰をすえてじっくりと弾いている。

スケールの大きな中身の濃い名演だ。

2人とも、よく計算された緻密で深みのある情感豊かな表現もみせ、2人の音楽体験の深さが、調和がとれて生かされている。

そのよい例が第2番の第2楽章で、作品の本質に根ざした演奏である。

第1番の悲痛さもわざとらしくない。

特に第1番のメヌエット楽章や第2番の第2楽章での悲痛な表現は格別である。

アンサンブルと内容の深さにおいて文句なしに理想的な1枚といえよう。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 13:11コメント(0)トラックバック(0) 

2008年02月22日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。

   

ゼルキンはモノ〜ディジタル期にかけてベートーヴェンのピアノ・ソナタを少なからず録音しているが、ついに全集は録音しなかった。

手堅くまとめられた演奏で、際立ったスケールの大きさや、表現の激しさで聴き手に迫ってくることはないが、ベートーヴェンの意図を再現し、それをフォルムの枠にはめこむゼルキンの手際のよさはなかなかのもの。

どこか親愛の情を感じさせる誠実な演奏ぶりを特色とするゼルキンの音楽的気質が、おおらかな印象を与えるベートーヴェンを生み出している。

この表現の明晰さはゼルキンならではだ。

ベートーヴェンの音楽の様式感に貫かれた、作品の本質に深く迫った真に実のある演奏であり、対象に向かいあった時のゼルキンの厳しい態度には本当に感服させられる。

感覚に陥ることなく、不自然なルバートも恣意的な音も強調も一切見られない。

当時壮年期の音楽家に相応しく、堂々としていて、若々しい熱気にあふれた、堅牢な構築性と激しい情念が理想的に融合した名演である。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 19:10コメント(0)トラックバック(1) 

2008年02月18日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



R・ゼルキンはピアノ界の最大のビッグ・ネームである。

しかしながら、その存在のしかたとでもいうべきものは、かなりユニークだ。

彼は、他の大家たちと比較して、決してとび切り美しい音色を誇るというタイプではない。

また、テクニックが傑出しているというのでもない。

その語り口も洗練されていて、滑らかというのではなく、どちらかというと、不器用な感じで、ゴツゴツとしている。

ただ、彼はひたすら誠実な姿勢で、曲想の核へと鋭く、深く踏み込もうとしてやまない。

表面上の美しさなど多少犠牲にしても、彼は音楽の抜き差し難いような真実を絶えず追求している。

その一途さが、聴く者の心を強く打つ。

そして、こうしたR・ゼルキンのような存在を最高の位置におきえてきたことこそが、西洋のクラシック音楽界の奥の深さであり、意義深さであるといえよう。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 10:07コメント(0)トラックバック(0) 
メルマガ登録・解除
 

Profile
Categories
Archives
Recent Comments
記事検索
  • ライブドアブログ