ヴァント

2017年02月10日


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ヴァント&ベルリン・フィルによるブルックナーの交響曲の中でも最高峰の超名演は、紛れもなく「第7」であると考える。ヴァントは、同時期にミュンヘン・フィルとともにブルックナーの数々の交響曲を演奏しており、それらの演奏もベルリン・フィル盤と同様にいずれも至高の超名演であるが、「第7」についてはミュンヘン・フィル盤がないだけに、なおさら本演奏の価値が際立っている。ブルックナーの「第7」には、シューリヒト&ハーグ・フィル(1964年)、マタチッチ&チェコ・フィル(1967年)、朝比奈&大阪フィル(1975年、聖フローリアンライヴ)、ヨッフム&コンセルトヘボウ(1986年、来日公演盤)マゼール&ベルリン・フィル(1988年)、カラヤン&ウィーン・フィル(1989年)、スクロヴァチェフスキ&読売日響(2010年)など、多種多様な名演が目白押しであるが、本ヴァント&ベルリン・フィル盤は、それら古今東西のあまたの名演に冠絶する史上最高の超名演と高く評価したい。ヴァントのアプローチは、例によって厳格なスコアリーディングに基づく計算し尽くされたものであり、凝縮化された堅固な造型が持ち味だ。ただ、1980年代のヴァントは、こうしたアプローチがあまりにも整理し尽くされ過ぎていることもあって神経質な面があり、いささかスケールの小ささを感じさせるという欠点があった。しかしながら、1990年代に入ってからは、そのような欠点が散見されることは殆どなくなったところであり、本盤の演奏でもスケールは雄渾の極みであり、神々しささえ感じさせるほどだ。音楽はやや速めのテンポで淡々と流れていくが、素っ気なさなど薬にしたくも無く、どこをとってもニュアンス豊かな情感溢れる音楽に満たされているのが素晴らしい。ヴァントは、決してインテンポには固執せず、例えば第1楽章終結部や第3楽章のトリオ、そして終楽章などにおいて微妙にテンポを変化させているが、いささかもロマンティシズムに陥らず、高踏的な優美さを保っている点は見事というほかはない。金管楽器などは常に最強奏させているが、いささかも無機的な音を出しておらず、常に奥行きのある深みのある音色を出しているのは、ヴァントの類稀なる統率力もさることながら、ベルリン・フィルの圧倒的な技量の賜物と言えるだろう。

ブルックナーが完成させた最高傑作「第8」が、この黄金コンビによるラストレコーディングになったというのは、ブルックナー演奏にその生涯を捧げてきたヴァントに相応しいとも言えるが、次のコンサートとして「第6」が予定されていたとのことであり、それを実現できずに鬼籍に入ってしまったのは大変残念というほかはない。そこで、この「第8」であるが、ヴァントが遺した数々の「第8」の中では、同時期のミュンヘン・フィル盤(2000年)と並んで、至高の超名演と高く評価したい。本盤の前の録音ということになると、手兵北ドイツ放送交響楽団とスタジオ録音した1993年盤ということになるが、これは後述のように、演奏自体は立派なものではあるものの、面白みに欠ける面があり、本盤とはそもそも比較の対象にはならないと考える。ただ、本盤に収められた演奏は、ヴァントが指揮した「第8」としてはダントツの名演ではあるが、後述の朝比奈による名演と比較した場合、「第4」、「第5」、「第7」及び「第9」のように、本演奏の方がはるかに凌駕していると言えるのかというと、かなり議論の余地があるのではないだろうか。というのも、私見ではあるが、「第8は」、必ずしもヴァントの芸風に符号した作品とは言えないと考えるからである。ヴァントのブルックナーの交響曲へのアプローチは、厳格なスコアリーディングに基づく堅固な造型と緻密さが持ち味だ。また、金管楽器を最強奏させるなどのオーケストラの凝縮化された響きも特徴であるが、1980年代のヴァントの演奏は、全体の造型美を重視するあまり凝縮化の度が過ぎたり、細部への異常な拘りが際立ったこともあって、スケールが小さいという欠点があったことは否めない。そうしたヴァントの弱点は、1990年代後半には完全に解消され、演奏全体のスケールも雄渾なものになっていったのだが、前述の1993年盤では、スケールはやや大きくなった反面、ヴァントの長所である凝縮化された濃密さがいささか犠牲になった嫌いがあり、峻厳さや造型美だけが際立つという「第8」としてはいわゆる面白みのない演奏になってしまっている。むしろ、来日時の手兵北ドイツ放送交響楽団とのライヴ盤(1990年アルトゥス)の方が、ライヴ特有の熱気も付加されたこともあって、より面白みのある素晴らしい名演と言えるのではないだろうか。いずれにしても、ヴァントの持ち味である厳格なスコアリーディングに基づく堅固な造型や緻密さと、スケールの雄大さを兼ね備えるというのは、非常に難しい究極の指揮芸術と言えるところであるが、ヴァントは、ベルリン・フィルとともに、「第5」、「第4」、「第9」、「第7」と順を追って、そうした驚異的な至芸を成し遂げてきたのである。ところが、この「第8」は、スケールは雄大であるが、堅固な造型美や緻密さにおいては、ヴァントとしてはその残滓は感じられるものの、いささか徹底し切れていないと言えるのではないだろうか。これは、ヴァントが意図してこのようなアプローチを行ったのか、それとも肉体的な衰えによるものかは定かではないが、いずれにしても、ヴァントらしからぬ演奏と言うことができるだろう。したがって、本盤に収められた演奏については、細部には拘泥せず曲想を愚直に描き出して行くことによって他に類を見ないスケールの雄大な名演の数々を成し遂げた朝比奈のいくつかの名演(大阪フィルとの1994年盤(ポニーキャニオン)、N響との1997年盤(フォンテック)、大阪フィルとの2001年盤(エクストン))に並ばれる結果となってしまっているのは致し方がないところではないかと考える。もちろん、これはきわめて高い次元での比較の問題であり、本盤に収められた演奏が、「第8」の演奏史上に燦然と輝く至高の超名演であるとの評価にはいささかも揺らぎはない。

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2017年02月09日


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ヴァントがその最晩年にベルリン・フィルと成し遂げたブルックナーの交響曲の演奏の数々は、いずれも至高の超名演であるが、「第5」は、一連の演奏の中でのトップバッターとなったものである。ヴァントの伝記などを紐解くと、ヴァントは、ブルックナーの交響曲の中でも特に「第5」と「第9」を、妥協を許すことなく作曲した楽曲として特に高く評価していたことが記されている。それだけに、ヴァントとしても相当に自信を有していたと考えられるところであり、ベルリン・フィルを指揮した演奏の中でも「第5」と「第9」は、他の指揮者による名演をはるかに引き離す名演を成し遂げていると言えるのではないだろうか。辛うじて比較し得る「第5」の他の名演としては、ヨッフム&コンセルトへボウ・アムステルダム盤(1964年)、朝比奈&東京交響楽団盤(1995年)が掲げられるが、前者はいささかロマンティシズムに傾斜する傾向、後者はオーケストラの力量に難点があり、ヴァント&ベルリン・フィル盤には遠く及ばないと考える。唯一対抗し得るのは、同じヴァントによるミュンヘン・フィル盤(1995年)であると考えるが、剛毅な性格を有する「第5」には、ベルリン・フィルの音色の方がより適しているのではないかと考える。現在、DVDでしか発売されていない朝比奈&シカゴ交響楽団による演奏(1996年)が今後CD化されるとすれば、本盤を脅かす存在になる可能性はあるが、そのようなことがない限りは、本名演の優位性は半永久的に安泰と言っても過言ではあるまい。本演奏におけるヴァントのアプローチは、眼光紙背に徹した厳格なスコアリーディングに基づく峻厳たるものだ。やや速めのインテンポによる演奏は、巧言令色とは正反対の質実剛健そのものと言える。全体の造型はきわめて堅固であり、それによる凝縮化された造型美はあたかも頑健な建造物を思わせるほどであるが、それでいて雄渾なスケール感を失っていないのは、ヴァントが1990年代半ば、80歳を超えて漸く達成し得た圧巻の至芸と高く評価したい。金管楽器なども常に最強奏しているが、いささかも無機的な響きになることなく、常に奥深い崇高な音色を出しているというのは、ベルリン・フィルのブラスセクションの卓越した技量もさることながら、ヴァントの圧倒的な統率力の賜物と言うべきであろう。また、峻厳な装いのブルックナーの「第5」においても、第2楽章などを筆頭として、聖フローリアンの自然を彷彿とさせるような抒情的な音楽が随所に散見されるが、ヴァントは、このような箇所に差し掛かっても、いささかも感傷的には陥らず、常に高踏的とも言うべき気高い崇高さを失っていない点が素晴らしい。このように、非の打ちどころのない名演であるのだが、その中でも白眉は終楽章である。ヴァントは、同楽章の壮大で輻輳したフーガを巧みに整理してわかりやすく紐解きつつ、音楽がごく自然に滔々と進行するように仕向けるという、ほとんど神業的な至芸を披露しており、終楽章は、ヴァントの本超名演によってはじめてその真価のベールを脱いだと言っても過言ではあるまい。

ブルックナーの11ある交響曲の中でも「第4」は、ブルックナーの交響曲の演奏が現在のようにごく普通に行われるようになる以前の時代から一貫して、最も人気があるポピュラリティを獲得した作品と言える。ブルックナーの交響曲全集を録音しなかった指揮者でも、この「第4」の録音だけを遺している例が多いのは特筆すべき事実であると言えるのではないか(ジュリーニなどを除く)。そして、そのようなブルックナー指揮者とは必ずしも言い難い指揮者による名演が数多く遺されているのも、この「第4」の特殊性と考えられる。例えば、ベーム&ウィーン・フィル盤(1973年)、ムーティ&ベルリン・フィル盤(1985年)などはその最たる例と言えるところである。近年では、初稿による名演も、インバルを皮切りとして、ケント・ナガノ、シモーネ・ヤングなどによって成し遂げられており、「第4」の演奏様式も今後大きく変化していく可能性があるのかもしれない。ただ、この「第4」は、いわゆるブルックナー指揮者と評される指揮者にとっては、なかなかに難物であるようで、ヨッフムなどは、2度にわたる全集を成し遂げているにもかかわらず、いずれの「第4」の演奏も、他の交響曲と比較すると必ずしも出来がいいとは言い難い。それは、朝比奈やヴァントにも当てはまるところであり、少なくとも1980年代までは、両雄ともに、「第4」には悪戦苦闘を繰り返していたと言えるだろう。しかしながら、この両雄も1990年代に入ってから、漸く素晴らしい名演を成し遂げるようになった。朝比奈の場合は、大阪フィルとの1993年盤(ポニーキャニオン)と2000年盤(エクストン)盤が超名演であり、これにN響との2000年盤(フォンテック)、新日本フィルとの1992年盤(フォンテック)が続くという構図である。これに対して、ヴァントの場合は、本盤に収められたベルリン・フィル盤(1998年)、ミュンヘン・フィル盤(2001年)、北ドイツ放送響とのラストレコーディング(2001年)の3点が同格の超名演と高く評価したい。本演奏におけるヴァントは、必ずしもインテンポに固執しておらず、第3楽章などにおけるテンポの変化など、これまでのヴァントには見られなかった表現であるが、それでいてブルックナーの本質を逸脱しないのは、ヴァントが最晩年になって漸く成し得た圧巻の至芸と言えるだろう。また、眼光紙背に徹した厳格なスコアリーディングを行っており、全体の造型はきわめて堅固ではあるが、細部に至るまで表現が緻密でニュアンスが豊かであり、どこをとっても深みのある音色に満たされているのが素晴らしい。金管楽器なども完璧に鳴りきっており、どんなに最強奏してもいささかも無機的には陥っていない。これは、ベルリン・フィルの卓越した技量によるところも大きいが、ヴァントによる圧倒的な統率力にも起因していると考えられる。第2楽章は、聖フローリアンを吹く一陣のそよ風のようにソフトに開始されるが、その筆舌には尽くし難い繊細さは崇高な高みに達している。その後は、ブルックナーならではの情感豊かな音楽が続いていくが、ヴァントはいささかも感傷的には決して陥らず、高踏的な美しさを保っているのが素晴らしい。いずれにしても、本演奏は、ヴァントが80代半ばにして漸く成し遂げることが出来た「第4」の至高の超名演であり、これぞまさしく大器晩成の最たるものと評価したい。

ヴァントがブルックナーの交響曲の中でも特に高く評価していたのが、前述の「第5」と「第9」であったというのは、ヴァントの伝記などを紐解くとよく記述されている公然の事実だ。実際に、ブルックナーの「第9」は、ヴァントの芸風に見事に符号する交響曲と言えるのではないか。最後の来日時(2000年)に、シューベルトの「未完成」とともに同曲の素晴らしい名演を聴かせてくれたことは、あれから17年経った現在においても鮮明に記憶している。いずれにしても、至高の超名演で、同時期にミュンヘン・フィルと行った演奏(1998年)もあり、ほぼ同格の名演とも言えるが、同曲の峻厳とも言える性格から、オーケストラの音色としてはベルリン・フィルの方が同曲により適していると考えられるところであり、筆者としては、本盤の方をより上位に置きたいと考える。なお、前述の来日時の2000年盤との比較については、なかなか難しい面があるが、オーケストラの安定性(ホームグラウンドで演奏しているかどうかの違いであり、北ドイツ放送交響楽団との技量差はさほどではないと考える)において、本盤の方がわずかに上回っていると言えるのではないか。本名演に匹敵すると考えられる同曲の他の名演としては、シューリヒト&ウィーン・フィル盤(1961年)、朝比奈&大阪フィル盤(1995年)が掲げられるが、前者は特に終楽章のスケールがやや小さいこともありそもそも対象外。後者については、演奏内容はほぼ同格であるが、オーケストラの力量においては、大阪フィルはさすがにベルリン・フィルと比較すると一歩譲っていると言えるだろう。今後、本名演を脅かすとすれば、未だDVDも含め製品化されていない、朝比奈&シカゴ交響楽団による演奏(1996年)がCD化された場合であると考えるが、権利関係もあって容易には事が運ばないと考えられるところであり、おそらくは、本名演の天下は、半永久的に揺るぎがないものと考える。本名演でのヴァントのアプローチは、いつものように眼光紙背に徹した厳格なスコアリーディングによって、実に緻密に音楽を組み立てていくが、造型の堅固さにも際立ったものがある。金管楽器なども最強奏させているが、無機的な音はいささかも出しておらず、常に深みのある壮麗な音色が鳴っている。スケールも雄渾の極みであり、前述の堅固な造型美や金管楽器の深みのある音色と相俟って、神々しささえ感じさせるような崇高な名演に仕上がっている。特に、終楽章のこの世のものとは思えないような美しさは、ヴァントとしても、80代の半ばになって漸く到達し得た至高・至純の境地と言えるだろう。いずれにしても、前述のように、本名演が古今東西の様々な名演に冠絶する至高の超名演であるということに鑑みれば、ヴァントは、本超名演を持って、ブルックナーの「第9」の演奏史上において、未踏の境地を切り開いたとさえ言えるだろう。

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2016年08月30日


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このセットでは総ての録音がヴァントの古巣だったケルン放送交響楽団と北ドイツ放送交響楽団との、いわゆる旧盤のみが選出されていて、60代から80代にかけてのヴァントの殆んど完成された至芸を堪能できる。

彼は最晩年に欧米のメジャー・オーケストラに客演するようになったが、やはり彼の仕事の基本はこの2つのとオーケストラに集約されているとみなすことができるだろう。

彼の指揮には万人受けを狙ったところは少しも無く、どちらかと言えばクラシック・マニアの耳を満足させるような入念で周到な音楽作りが特徴だが、入門者のファースト・チョイスとしても決して悪くない。

何故ならクラシック鑑賞のための基本的な音楽語法の伝達が明快で、それが時間をかけて練り上げられたオーケストラから響いてくるという至福を享受できるからだ。

この方法は特にドイツ物で最高の威力を発揮する。

28枚のCD中24枚までがドイツ系の音楽で占められているのもこうした理由に他ならない。

ボーナスDVDの音声は勿論ドイツ語だが、字幕スーパーは日本語と英語が選択可能。

内容は2部から構成されていて、第1部は彼の生涯とその音楽を追ったもので、一般に彼は客演嫌いだったと言われているが、実際には戦後の一時期フランスや当時のソヴィエト各地で盛んに客演している。

その頃既に30枚ものLPを出していたというのも意外な逸話だ。

しかしやがて演奏旅行の足は滞ってしまう。

最晩年の国際的な活動は別として、それまでヨーロッパでは彼の実力がそれほど評価されていなかったのが実情だ。

彼の稽古に立ち会った指揮者ケント・ナガノは「芸術と妥協は相容れないものだ。それを実践していたのがヴァントだった」と語り、彼のシビアな稽古を回想している。

ここでは暗譜で指揮台に立つヴァントの映像も幾つか見られる。

第2部は「最後のインタビュー」と題して評論家のヴォルフガング・ザイフェルトが、晩年の巨匠に1時間以上に亘ってインタビューしたものが収録されている。

「ラジオもレコードも無かった時代はピアノの前に座り、スコアを前にして弾きながら、作曲家がそこで何を表現したいのか自分で探るしかなかった」という言葉が印象的だ。

そして生涯続いた徹底分析の忍耐強い仕事が、冷徹に和声や音価の持つ意味合いを発見し、それをオーケストラで実現していく彼の手法の基礎になっていることは確実だ。

このようにして温められた彼の極めてオリジナリティーに富んだアイデアは見事に芸術として昇華されている。

懐古趣味的なLP大のカートン・ボックス入りで箱の厚みは5cmほどあり、30ページのライナー・ノーツもやはりLP大。

内部には四等分されたプラスティックの受け皿に28枚のCDとボーナスDVDが収納されている。

大きさについては現代的なニーズからはいくらか乖離しているとはいえ、ヴァントの代表的なオーケストラル・ワークが廉価盤で一挙に揃うのは魅力的だ。

録音は1976年から1999年にかけてで、デジタル・リマスタリングされた音質は鮮明かつパワフルで申し分ない。

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2015年07月23日


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最近独自のリマスタリング技術を駆使したレギュラー・フォーマットのリニューアルCDで話題を呼んでいるドイツのレーベル、プロフィールから分売されていたギュンター・ヴァントのラジオ放送用音源を20枚のセットにまとめたもの。

1951年から92年の40年間に亘って集積された古典から現代までの幅広いレパートリーからは、彼の律儀で堅実な音楽に秘められた多彩を極めた表現力とオーケストラ統率の力量に改めて驚かされる。

また当時の録音技術もさることながら、リマスタリング後の音質が非常にクリアーであることも特筆される。

ヴァントが指揮するオーケストラはバイエルン、ケルン、北ドイツ、シュトゥットガルトの放送交響楽団及びケルン・ギュルツェニヒ管弦楽団で、彼が最晩年に共演した超一流の楽団ではないにしても、稽古熱心だった彼によって修錬された機動力と柔軟性を兼ね備えていて、どの演奏ひとつをとっても期待外れには終わらない。

それは取りも直さずドイツのオーケストラの水準の高さとその裾野の広さを物語っている。

それぞれの放送局によってオーガナイズされたセッションや放送用ライヴだけに、ヴァントの実力が手堅く示された質の高いアルバムとしてお薦めしたい。

ヴァントのモーツァルトはどの曲を聴いても整然とした秩序の中に溢れるような情熱と喜びが託されているが、この録音集の中では最も古い1951年のデニス・ブレインを迎えたホルン協奏曲第3番がセールス・ポイントのひとつで、モノラルながらブレインの切れの良いストレートな演奏を聴くことができる。

2年後のカラヤン&フィルハーモニア盤に比べればケルン放送交響楽団にやや乱れがあるのが残念だが、ヴァントが熱っぽくサポートしているのが特徴だ。

その他の作曲家の協奏曲でのソリストも充実していて、例えばCD4ベートーヴェンのピアノ協奏曲第5番をギレリス、CD16では同第4番をカサドシュが弾いているし、CD7サン=サーンスのヴァイオリン協奏曲第3番をリッチが、そしてCD9ストラヴィンスキーの『ピアノ、管楽器、コントラバスとティンパニのための協奏曲』及びCD12ハイドンのピアノ協奏曲ニ長調ではニキタ・マガロフ、同オーボエ協奏曲ハ長調を当時ベルリン・フィルの首席になったばかりのシェレンベルガーが、CD15R.シュトラウスのホルン協奏曲第1番ではヘルマン・バウマンのそれぞれが協演している。

またCD5オルフの『カルミナ・ブラーナ』ではヨッフム&ベルリン・ドイツ・オペラ盤に比較すればソリストではいくらか引けを取っているとしても、全体的にはこの曲の解放的な野趣や輝かしい力強さと、一方で確実に統制された形式美を両立させていることは注目に値する。

ドイツの公共放送では現代音楽も多く採り上げていて、彼らの新しい音楽作品に対する嗜好を示していて興味深いが、20世紀の作品群としては他にメシアン、ヴェーベルン、フォルトナー、ツィンマーマン、リゲティ、ストラヴィンスキー、ヒンデミット、ベイルド、ブラウンフェルスなどの作品を冷徹な楽曲分析によって、しかし一方で決して醒めた即物的な音楽にしないヴァントの手腕には恐るべきものがある。

ライナー・ノーツに歌詞対訳は付いていない。

またジャケットが何故かひとつひとつ封印してあり、開封が少し煩わしい。

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2015年07月16日


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ヴァントが晩年にミュンヘン・フィルと録音した一連のブルックナーの至高の超名演は、従来CD盤でも十分に満足できる音質であったが、今般、ついにシングルレイヤーによるSACD化されたというのは何という素晴らしいことであろうか。

音質は、従来CD盤からして比較的良好な音質であったが、今般、ついに待望のシングルレイヤーによるSACD化が行われることによって、ベルリン・フィル盤と同様に更に見違えるような鮮明な音質に生まれ変わった。

音質の鮮明さ、音場の幅広さ、そして音圧のいずれをとっても一級品の仕上がりであり、あらためてSACDの潜在能力の高さを思い知った次第である。

長年に渡ってチェリビダッケに鍛え抜かれたミュンヘン・フィルを指揮していることもあって、演奏全体に滑らかで繊細な美感が加わっていることが特徴。

ブルックナーの「第8」は、まぎれもなくブルックナーの最高傑作であると思うが、それだけに、ヴァントも、ライヴ録音も含め、何度も録音を行ってきた。

しかしながら、ヴァントの厳格なスコアリーディングによる眼光紙背に徹した凝縮型のアプローチとの相性はイマイチであり、1993年の北ドイツ放送交響楽団までの録音については、立派な演奏ではあるものの、やや面白みに欠けるきらいがあった。

しかしながら、本盤のミュンヘン・フィルとの演奏と、この数カ月後のベルリン・フィルとの演奏の何という素晴らしさであろうか。

神々しいばかりの超名演と言っても過言ではあるまい。

ヴァントは、これまでの凝縮型のアプローチではなく、むしろ朝比奈隆のように、より柔軟でスケール雄大な演奏を行っている。

本盤は、ベルリン・フィル盤に比べると音質にやや柔和さが見られるが、このあたりは好みの問題と言えるだろう。

これまで発売された他のオーケストラとの共演盤に較べて、艶の乗った響きの官能的なまでに美しい感触、多彩に変化する色彩の妙に驚かされる。

もちろん、ヴァントの持ち味である彫りの深い音楽造りは健在なのであるが、そこに明るく柔軟な表情が加わることで、他盤とは大きく異なる魅力を発散しているのである。

微動だにしないゆったりとしたインテンポを貫いているが、同じミュンヘン・フィルを指揮したチェリビダッケの演奏のようにもたれるということもなく、随所で見せるゲネラルパウゼも実に効果的だ。

音質が良いせいか、ヴァントの演奏としては思いのほか木管楽器の主張が強いことも、演奏全体により多彩な表情を与えているようだ。

ヴァント自身もここではテンポの動きを幅広く取って、非常に息の長い旋律形成を試みており、それぞれのブロックの締め括りに置かれたパウゼが深い呼吸を印象付けている。

深く沈み込んでいくような美しさと、そそり立つ岩の壁を思わせる壮大な高揚とが交錯する終楽章は中でも素晴らしい出来栄えである。

最後の音が消えてから約10秒後、それまで圧倒されたようにかたずを飲んでいた会場が、やがて嵐のようなブラヴォーに包まれていく様子がそのまま収録されていることも印象的で、当日の聴衆の本名演に対する深い感動が伝わってくる名シーンだ。

いずれにしても、ヴァント&ミュンヘン・フィルによる至高の超名演を、SACDによる高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したいと考える。

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2015年06月30日


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ヴァントが晩年にミュンヘン・フィルと録音した一連のブルックナーの至高の超名演は、従来CD盤でも十分に満足できる音質であったが、今般、ついにシングルレイヤーによるSACD化されたというのは何という素晴らしいことであろうか。

音質は、従来CD盤からして比較的良好な音質であったが、今般、ついに待望のシングルレイヤーによるSACD化が行われることによって、ベルリン・フィル盤と同様に更に見違えるような鮮明な音質に生まれ変わった。

音質の鮮明さ、音場の幅広さ、そして音圧のいずれをとっても一級品の仕上がりであり、あらためてSACDの潜在能力の高さを思い知った次第である。

ブルックナーの交響曲中で最もポピュラリティを獲得している「第4」であるが、ブルックナーの権威であるヴァントとしても、1998年のベルリン・フィルとの演奏で、漸く理想の名演を成し遂げることができたのではないかと思う。

それは、やや速めのインテンポで淡々とした演奏ではあったが、随所に見せる味の濃さが見事であった。

しかし、ヴァントの死後、手兵の北ドイツ放送交響楽団との神々しいばかりのラストコンサート盤が発売されるに及んで、ベルリン・フィル盤もトップの座を譲ることになった。

本盤は、そのラスト・コンサート盤の1か月前の演奏であるが、これは、ラスト・コンサート盤にも優るとも劣らない超名演で、これをもって『ロマンティック』の最高峰と言うに憚らぬ大演奏と言えるだろう。

数多いヴァントのブルックナーであるが、耳の肥えたファンほどミュンヘン・フィルとの組み合わせに執着するのも道理で、ヴァント晩年の味わい、オーケストラの音色の適度な明るさ、弦の暖かみのある厚い響き、管楽器の比類ない美しさなど他に代え難い魅力にあふれている。

いわゆるブルックナー開始は、やや強めの弦楽のトレモロによって開始されるが、これを聴いただけで他の指揮者とはものが違う。

この第1楽章は、意外にも随所でテンポの変化を行っているが、それでいて音楽が実に自然に流れる。

金管楽器を常に最強奏させているが、無機的な響きは皆無であり、ヴァントのブルックナーの交響曲の本質への深い理解と相俟って、筆舌には尽くしがたいハイレベルの演奏を成し遂げている。

第2楽章は、ゆったりとしたテンポで淡々と進行しているが、そこから湧きあがってくる何とも言えない寂寥感を何と表現すればいいのだろうか。

第3楽章も、主部をやや速めのテンポで演奏して、中間部でテンポをやや緩やかにするという緩急の差を、オーケストラを手足のように扱い、決して恣意的な印象を与えないで成し遂げるのは、まさに巨匠ならではの至芸。

終楽章は、ヴァントのブルックナー交響曲演奏の総決算と言えるもので、厳格なスコアリーディングによる緻密さと、最晩年の「第8」でも顕著であるが、柔軟で、なおかつスケール雄大なアプローチを融合させた稀有の名演を成し遂げている。

演奏終了後、聴衆から拍手が起こるまでに一瞬の間が空くが、これは、この超名演から受けた聴衆の深い感動と、聴衆の質の高さが窺い知れる素晴らしい瞬間だ。

この演奏会の半年後2002年2月14日にヴァントは90年の生涯を閉じたのだった。

いずれにしても、ヴァント&ミュンヘン・フィルによる至高の超名演を、SACDによる高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したいと考える。

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2015年06月28日


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ヴァントが晩年にミュンヘン・フィルと録音した一連のブルックナーの至高の超名演は、従来CD盤でも十分に満足できる音質であったが、今般、ついにシングルレイヤーによるSACD化されたというのは何という素晴らしいことであろうか。

音質は、従来CD盤からして比較的良好な音質であったが、今般、ついに待望のシングルレイヤーによるSACD化が行われることによって、ベルリン・フィル盤と同様に更に見違えるような鮮明な音質に生まれ変わった。

音質の鮮明さ、音場の幅広さ、そして音圧のいずれをとっても一級品の仕上がりであり、あらためてSACDの潜在能力の高さを思い知った次第である。

ヴァントが最晩年にベルリン・フィルと遺した名演の数々は実に凄いものであった。

「第5」に始まり、「第9」、「第4」、「第7」、「第8」と、いずれも神々しいばかりの名演である。

今般、同時期にミュンヘン・フィルと行った名演の数々が、国内盤で発売されたが、いずれも、ベルリン・フィル盤と比べても、優るとも劣らない名演である。

重複しているのは、「第4」、「第5」、「第8」及び「第9」であるが、違いはオーケストラの音色と録音くらいのものであり、あとは好みの問題だと思われる。

本盤の「第9」の録音は1998年4月。

その約半年後のベルリン・フィルとの録音、さらに、来日時の録音が、名演のベストスリーということになるが、その中でも、本盤とベルリン・フィル盤が超名演と言うことになるだろう。

どちらもとび切りの一級で、スケルツォとアダージョに優劣はつけられないが、第1楽章は再現部冒頭とコーダがベルリン・フィル盤を上まわる。

ということは史上最高ということであって、ヴァントはブルックナーがこうしてほしいとスコアに書きこんだすべてを初めて音にして見せたのだ。

第1楽章など、実にゆったりとしたテンポによる深沈とした趣きであるが、ここぞというときの金管楽器の最強奏など悪魔的な響きであり、低弦の重厚な響かせ方にも凄みがある。

第2楽章も豪演だ。

ここは中庸のテンポをとるが、中間部のトリオの箇所との絶妙なテンポの対比も自然体で見事だ。

終楽章は、相変わらず金管を最強奏させているが、決して無機的には陥らず、天啓のような趣きがある。

それと対比するかのようなこの世のものとは思えないような美しい弦楽の奏で方は、ブルックナーの絶筆に相応しいアプローチであると思われる。

それにしても言語に絶するのはコーダで、最後の頂点を築いた後、天国の音楽へ、その別世界に突然入ってゆくところは美しさの限りだ。

演奏終了後に起きる一瞬の間も、当日の聴衆の感動を伝えるものであり、ヴァントの音楽を愛する聴衆の質の高さの表れということが言えるだろう。

ハイドンの交響曲第76番は、一聴すると無骨とも言える各旋律の端々から漂う独特のニュアンスや枯淡の境地さえ感じさせる情感には抗し難い魅力に満ち溢れていると言えるところであり、ヴァントによる同曲演奏の総決算とも言うべき素晴らしい名演と評価したい。

いずれにしても、ヴァント&ミュンヘン・フィルによる至高の超名演を、SACDによる高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したいと考える。

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2015年06月27日


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ヴァントが晩年にミュンヘン・フィルと録音したブルックナーの至高の超名演は、従来CD盤でも十分に満足できる音質であったが、今般、ついにシングルレイヤーによるSACD化されたというのは何という素晴らしいことであろうか。

音質は、従来CD盤からして比較的良好な音質であったが、今般、ついに待望のシングルレイヤーによるSACD化が行われることによって、更に見違えるような鮮明な音質に生まれ変わった。

音質の鮮明さ、音場の幅広さ、そして音圧のいずれをとっても一級品の仕上がりであり、あらためてSACDの潜在能力の高さを思い知った次第である。

ブルックナーの交響曲第6番は、ポピュラリティを獲得している第4番や峻厳な壮麗さを誇る第5番、そして晩年の至高の名作である第7番〜第9番の間に挟まれており、知る人ぞ知る存在に甘んじていると言わざるを得ない。

楽曲自体は、極めて充実した書法で作曲がなされており、もっと人気が出てもいい名作であるとも考えられるところであるが、スケールの小ささがいささか災いしていると言えるのかもしれない。

いわゆるブルックナー指揮者と称される指揮者であっても、交響曲第3番〜第5番や第7番〜第9番はよくコンサートで採り上げるものの、第6番はあまり演奏しないということが多いとも言える。

このことは、前述のような作品の質の高さから言っても、極めて残念なことと言わざるを得ないところだ。

そのような中で、ヴァントは、この第6番を積極的に演奏してきた指揮者である。

ヴァントが遺した同曲の録音は、唯一の全集を構成するケルン放送交響楽団とのスタジオ録音(1976年)、そして、手兵北ドイツ放送交響楽団との2度にわたるライヴ録音(1988年と1995年)、更には、ミュンヘン・フィルとのライヴ録音(1999年)の4つの録音が存在している。

これらはいずれ劣らぬ名演であると言えるが、この中でも最も優れた超名演は、ミュンヘン・フィルとの本演奏であるというのは衆目の一致するところであろう。

第1楽章など、金管を思いっきり力強く吹かせているが、決して無機的には陥ることなく、アルプスの高峰を思わせるような実に雄大なスケールを感じさせる。

それでいて、木管楽器のいじらしい絡み合いなど、北欧を吹く清涼感あふれる一陣のそよ風のようであり、音楽の流れはどこまでも自然体だ。

第2楽章は、とある影響力の大きい某音楽評論家が彼岸の音楽と評しておられたが、本盤の演奏こそがまさに彼岸の音楽であり、ヴァントとしても、最晩年になって漸く到達し得た至高・至純の境地をあらわしているのではないだろうか。

第6番は、第3楽章や第4楽章のスケールが小さいと言われるが、ヴァントの演奏を聴くと必ずしもそうとは思えない。

終楽章など、実に剛毅にして風格のある雄大な演奏であり、特に、第2楽章の主題が回帰する箇所のこの世のものとは思えないような美しさには抗し難い魅力に満ち溢れている。

ヴァントは、2002年にベルリン・フィルと同曲を演奏する予定だったとのことであるが、その死によって果たせなかった。

本盤のミュンヘン・フィルとの超名演を更に凌駕するような名演を成し遂げることも十分に想定出来ただけに残念という他はないところだ。

いずれにしても、ヴァント&ミュンヘン・フィルによる至高の超名演を、SACDによる高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したいと考える。

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2015年06月13日


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ヴァントが晩年にミュンヘン・フィルと録音した一連のブルックナーの至高の超名演は、従来CD盤でも十分に満足できる音質であったが、今般、ついにシングルレイヤーによるSACD化されたというのは何という素晴らしいことであろうか。

音質は、従来CD盤からして比較的良好な音質であったが、今般、ついに待望のシングルレイヤーによるSACD化が行われることによって、ベルリン・フィル盤と同様に更に見違えるような鮮明な音質に生まれ変わった。

音質の鮮明さ、音場の幅広さ、そして音圧のいずれをとっても一級品の仕上がりであり、あらためてSACDの潜在能力の高さを思い知った次第である。

ヴァントのブルックナーは既に神格化されているが、その芸術が至高の境地に達したのは1990年代後半である。

特に、ベルリン・フィルと組んで遺した「第5」、「第4」、「第9」、「第7」、そして最後の「第8」は、人類共通の至宝と言うべきであるが、今般、これらの至宝に、更に、ミュンヘン・フィルと組んだ至高の名演群(「第6」と「第7」が入れ替わっているが)が加わることになった。

いずれ劣らぬ名演揃いであるが、その中でも、ヴァントの自伝にも記されているが、「第5」と「第9」は、ブルックナーが妥協を許さずに作曲した作品として、特に愛着を持って接していたようで、他の指揮者の追随を許さない超名演に仕上がっている。

本盤は、この1カ月後にライヴ録音したベルリン・フィル盤と並んで、ヴァントの「第5」の総決算とも言うべき超名演である。

両盤に優劣をつけることは困難であるが、違いはオーケストラの響きぐらいのものであり、これだけの高次元のレベルに達すると、後は好みの問題ということになるであろう。

録音で聴くと少々弛緩した印象もあったチェリビダッケ盤に較べ、ここでのヴァントの勇壮なオーケストラ・ドライヴには、聴き手を興奮させずにはおかない劇的な展開の巧みさと迫力が確かに備わっており、ミュンヘン・フィルの明るく流麗で色彩的、かつ俊敏なサウンドがそうした解釈と面白いマッチングをみせて素晴らしい聴きものとなっている。

引き締まったサウンドを好んだヴァントが、チェリビダッケによって厳しく訓練され、高い適応力を備えていたオーケストラとの共同作業から手に入れたのは、美しくしかもパワフルなサウンドだったのである。

ここでのミュンヘン・フィルは本当にすばらしく、技術上の高水準はもちろん、自分たちの演奏に対する自信といういうか、何か誇らしさが聴こえてくるようでもあり、どのパートもしっかりと存在感を保ちつつ、もちろんアンサンブルとして完璧な出来を示している。

厳格なスコアリーディングに基づく剛毅にして重厚な演奏スタイルであるが、1980年代のヴァントに見られたような、凝縮しすぎるあまりスケールが矮小化されるという欠点もいささかも見られない。

リズムにも柔軟性が付加されており、硬軟併せ持つバランスのとれた名演と言うべきである。

終結部の微動だにしない圧倒的な迫力はこの超名演の締めくくりに相応しいものであり、演奏終了後の聴衆の熱狂も当然のことにように思われる。

この公演から約1ヶ月の後にはベルリン・フィルに客演して同曲を指揮するヴァントだが、リハーサル回数の問題もあったのであろうか。

ヴィルトゥオジティはともかく、指揮者の解釈がより深く楽員に浸透したのは、どうやらミュンヘン・フィルの方だったようだ。

いずれにしても、ヴァント&ミュンヘン・フィルによる至高の超名演を、SACDによる高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したいと考える。

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2015年05月29日


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ヴァントが北ドイツ放送交響楽団の首席指揮者の就任前に長らく音楽監督を務めたケルン・ギュルツェニヒ管弦楽団との録音集。

ヴァントは、1990年代に入ってブルックナーの交響曲の崇高な超名演を成し遂げることによって真の巨匠に上り詰めるに至ったが、ブルックナーの交響曲を数多く演奏・録音してきたヴァントが、最も数多くの録音を遺した交響曲は、何と言っても「第8」であった。

ヴァントは、本演奏の後も、ケルン放送交響楽団との演奏(1979年)、NHK交響楽団との演奏(1983年)、北ドイツ放送交響楽団との3度にわたる演奏(1987年ライヴ録音、1990年東京ライヴ録音、1993年ライヴ録音)、ミュンヘン・フィルとの演奏(2000年ライヴ録音)、ベルリン・フィルとの演奏(2001年ライヴ録音)の7度にわたって録音を行っており、本盤の登場を持って同曲を8度にわたって録音したことになるところだ。

いずれ劣らぬ名演と考えるが、この中で最も優れた名演は、ミュンヘン・フィル及びベルリン・フィルとの演奏であるというのは衆目の一致するところであろう。

本演奏の性格はケルン放送交響楽団とのスタジオ録音に近いものと言える。

ヴァントがいまだ世界的なブルックナー指揮者としての名声を獲得していない壮年期の演奏であるだけに、1990年代における神々しいばかりの崇高な名演が誇っていたスケールの大きさや懐の深さはいまだ存在していないと言えるところであり、本盤の演奏を前述の1990年以降の超名演の数々と比較して云々することは容易ではある。

しかしながら、本演奏においても、既にヴァントのブルックナー演奏の特徴でもあるスコアリーディングの緻密さや演奏全体の造型の堅牢さ、そして剛毅さを有しているところであり、後年の数々の名演に至る確かな道程にあることを感じることが可能だ。

また、本盤の演奏においては、こうした全体の堅牢な造型や剛毅さはさることながら、金管楽器を最強奏させるなど各フレーズを徹底的に凝縮化させており、スケールの小ささや金管楽器による先鋭的な音色、細部に至るまでの異常な拘りからくるある種の神経質さがいささか気になると言えるところではあるが、それでも違和感を感じさせるほどでもないというのは、ヴァントがブルックナーの本質を既に鷲掴みにしていたからにほかならないと考えられる。

そして、本演奏には、壮年期のヴァントならではの畳み掛けていくような気迫と生命力が漲っており、その意味では、ケルン放送交響楽団とのスタジオ録音と同様に優れた演奏と言っても過言ではあるまい。

いずれにしても、本演奏は、世界的なブルックナー指揮者として世に馳せることになる後年の大巨匠ヴァントを予見させるのに十分な素晴らしい名演と評価したい。

ヴァントの剛毅で緻密な指揮にしっかりと喰らい付いていき、持ち得る実力を最大限に発揮した名演奏を披露したケルン・ギュルツェニヒ管弦楽団にも大きな拍手を送りたい。

ブラームスの両交響曲も名演だ。

ヴァントによる演奏は、やや速めのテンポで一貫しており、演奏全体の造型は極めて堅固で、華麗さとは無縁であり、演奏の様相は剛毅かつ重厚なものだ。

決して微笑まない音楽であり、無骨とも言えるような印象を受けるが、演奏全体に漂っている古武士のような風格は、まさにヴァントだけが描出できた崇高な至芸と言える。

特に、「第4」は、淡々とした速めの進行の中に、実に豊かなニュアンスが込められており、まさに名人の一筆書きのような枯淡の境地が一点の曇りもなく表現されていて素晴らしい。

同じタイプの名演としては、シューリヒト(特に、晩年のバイエルン放送交響楽団との演奏)やムラヴィンスキー、クライバーの名演が思い浮かぶが、クライバーは深みにおいて一格下。

ということは、ヴァントによる名演も、同曲における屈指の名演の1つと評価しても過言ではないだろう。

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2015年04月15日


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ブルックナーの交響曲第6番は、ポピュラリティを獲得している第4番や峻厳な壮麗さを誇る第5番、そして晩年の至高の名作である第7番〜第9番の間に挟まれており、知る人ぞ知る存在に甘んじていると言わざるを得ない。

楽曲自体は、極めて充実した書法で作曲がなされており、もっと人気が出てもいい名作であるとも考えられるところであるが、スケールの小ささがいささか災いしていると言えるのかもしれない。

いわゆるブルックナー指揮者と称される指揮者であっても、交響曲第3番〜第5番や第7番〜第9番はよくコンサートで採り上げるものの、第6番はあまり演奏しないということが多いとも言える。

このことは、前述のような作品の質の高さから言っても、極めて残念なことと言わざるを得ないところだ。

そのような中で、ヴァントは、この第6番を積極的に演奏してきた指揮者である。

ヴァントが遺した同曲の録音は、唯一の全集を構成するケルン放送交響楽団とのスタジオ録音(1976年)、そして、手兵北ドイツ放送交響楽団との2度にわたるライヴ録音(1988年と1995年(本盤))(DVD作品としては、翌年のライヴ録音(1996年)が別途存在している)、更には、ミュンヘン・フィルとのライヴ録音(1999年)の4つの録音が存在している。

これらはいずれ劣らぬ名演であると言えるが、この中でも最も優れた超名演は、ミュンヘン・フィルとの演奏であるというのは衆目の一致するところであろう。

もっとも、北ドイツ放送交響楽団との最後の録音となった本盤の演奏も、さすがにミュンヘン・フィルとの演奏のような至高の高みには達していないが、当該演奏の4年前の演奏ということもあって、十分に素晴らしい至高の名演に仕上がっていると高く評価したい。

第1楽章など、金管を思いっきり力強く吹かせているが、決して無機的には陥ることなく、アルプスの高峰を思わせるような実に雄大なスケールを感じさせる。

それでいて、木管楽器のいじらしい絡み合いなど、北欧を吹く清涼感あふれる一陣のそよ風のようであり、音楽の流れはどこまでも自然体だ。

第2楽章は、とある影響力の大きい某音楽評論家が彼岸の音楽と評しておられたが、本盤の演奏こそがまさに彼岸の音楽であり、前述のようにミュンヘン・フィルとの演奏ほどの至高の高みには達していないものの、ヴァントとしても、最晩年になって漸く到達し得た至高・至純の境地をあらわしていると言えるのではないだろうか。

第6番は、第3楽章や第4楽章のスケールが小さいと言われるが、ヴァントの演奏を聴くと必ずしもそうとは思えない。

終楽章など、実に剛毅にして風格のある雄大な演奏であり、特に、第2楽章の主題が回帰する箇所のこの世のものとは思えないような美しさには抗し難い魅力に満ち溢れている。

ヴァントは、2002年にベルリン・フィルと同曲を演奏する予定だったとのことであるが、その死によって果たせなかった。

本盤の演奏やミュンヘン・フィルとの超名演を超えるような名演を成し遂げることも十分に想定出来ただけに残念という他はないところだ。

音質は、従来CD盤からして比較的良好な音質であったが、今般、ついに待望のSACD化が行われることによって、更に見違えるような鮮明な音質に生まれ変わったと言える。

音質の鮮明さ、音場の幅広さ、そして音圧のいずれをとっても一級品の仕上がりであり、あらためてSACDの潜在能力の高さを思い知った次第である。

いずれにしても、ヴァントによる至高の名演を、SACDによる高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したいと考える。

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2015年04月14日


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ヴァントは、1990年代に入ってブルックナーの交響曲の崇高な超名演を成し遂げることによって真の巨匠に上り詰めるに至ったが、1980年代以前のヴァントがいまだ世界的な巨匠指揮者としての名声を獲得していない壮年期には、たびたび来日して、NHK交響楽団にも客演を行っていたところだ。

ヴァントの伝記を紐解くと、ブルックナーの交響曲の演奏に生涯をかけて取り組んできたヴァントが特別視していた交響曲は、「第5」と「第9」であったと言えるようだ。

朝比奈も、交響曲第5番を深く愛していたようであるが、録音運がいささか悪かったようであり、最晩年の大阪フィルとの演奏(2001年)を除くと、オーケストラに問題があったり、はたまた録音に問題があったりするなど、いささか恵まれているとは言い難い状況に置かれているところである。

これに対して、ヴァントの場合は、あくまでも比較論ではあるが、かなり恵まれていると言えるのではないだろうか。

ヴァントが遺したブルックナーの交響曲第5番の録音は、唯一の全集を構成するケルン放送交響楽団とのスタジオ録音(1974年)、手兵北ドイツ放送交響楽団とのライヴ録音(1989年)、数年前に発売されて話題となったベルリン・ドイツ交響楽団とのライヴ録音(1991年)、ミュンヘン・フィルとのライヴ録音(1995年)、そして不朽の名演として名高いベルリン・フィルとのライヴ録音(1996年)という5種類を数えるところであり、音質、オーケストラの力量ともにほぼ万全であり、演奏内容もいずれも極めて高水準である。

いずれ劣らぬ名演と考えるが、この中で最も優れた名演は、ミュンヘン・フィル及びベルリン・フィルとの演奏であるというのは衆目の一致するところであろう。

ここに採り上げる6種類目になる本盤(NHK交響楽団との1979年ライヴ録音)の性格はケルン放送交響楽団とのスタジオ録音に近いものと言える。

ヴァントがいまだ世界的なブルックナー指揮者としての名声を獲得していない壮年期の演奏であるだけに、1990年代における神々しいばかりの崇高な名演が誇っていたスケールの大きさや懐の深さはいまだ存在していないと言えるところであり、本盤の演奏を前述の1990年以降の超名演の数々と比較して云々することは容易ではある。

しかしながら、本演奏においても、既にヴァントのブルックナー演奏の特徴でもあるスコアリーディングの緻密さや演奏全体の造型の堅牢さ、そして剛毅さを有しているところであり、後年の数々の名演に至る確かな道程にあることを感じることが可能だ。

また、本盤の演奏においては、こうした全体の堅牢な造型や剛毅さはさることながら、金管楽器を最強奏させるなど各フレーズを徹底的に凝縮化させており、スケールの小ささや金管楽器による先鋭的な音色、細部に至るまでの異常な拘りからくるある種の神経質さがいささか気になると言えるところではあるが、それでも違和感を感じさせるほどでもないというのは、ヴァントがブルックナーの本質を既に鷲掴みにしていたからにほかならないと考えられる。

そして、本演奏には、ライヴ録音ならではの畳み掛けていくような気迫と生命力が漲っており、その意味では、ケルン放送交響楽団とのスタジオ録音よりも優れた演奏と言っても過言ではあるまい。

いずれにしても、本演奏は、世界的なブルックナー指揮者として世に馳せることになる後年の大巨匠ヴァントを予見させるのに十分な素晴らしい名演と高く評価したい。

ヴァントの剛毅で緻密な指揮にしっかりと喰らい付いていき、持ち得る実力を最大限に発揮した名演奏を披露したNHK交響楽団にも大きな拍手を送りたい。

音質は、今般、ついに待望のシングルレイヤーによるSACD化が行われることによって、音質の鮮明さ、音場の幅広さ、そして音圧のいずれをとっても一級品の仕上がりになっており、あらためてSACDの潜在能力の高さを思い知った次第である。

いずれにしても、ヴァントによる至高の名演を、SACDによる高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したいと考える。

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2015年04月04日


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ブルックナーの交響曲を数多く演奏・録音してきたヴァントが、最も数多くの録音を遺した交響曲は、何と言っても「第8」であった。

ヴァントは、1990年代に入ってブルックナーの交響曲の崇高な超名演を成し遂げることによって真の巨匠に上り詰めるに至ったが、1980年代以前のヴァントがいまだ世界的な巨匠指揮者としての名声を獲得していない壮年期には、たびたび来日して、NHK交響楽団にも客演を行っていたところだ。

本盤に収められたブルックナーの交響曲第8番は、ヴァントが得意中の得意としたレパートリーであり、NHK交響楽団に客演した際のコンサートの貴重な記録でもある。

ケルン・ギュルツェニヒ管弦楽団との演奏(1971年)、ケルン放送交響楽団との演奏(1979年)に次ぐ3度目の録音ということになる。

ヴァントは、本演奏の後も、北ドイツ放送交響楽団との3度にわたる演奏(1987年ライヴ録音、1990年東京ライヴ録音、1993年ライヴ録音)、ミュンヘン・フィルとの演奏(2000年ライヴ録音)、ベルリン・フィルとの演奏(2001年ライヴ録音)の5度にわたって録音を行っており、本盤の登場を持って同曲を8度にわたって録音したことになるところだ。

いずれ劣らぬ名演と考えるが、この中で最も優れた名演は、ミュンヘン・フィル及びベルリン・フィルとの演奏であるというのは衆目の一致するところであろう。

本演奏の性格はケルン放送交響楽団とのスタジオ録音に近いものと言える。

ヴァントがいまだ世界的なブルックナー指揮者としての名声を獲得していない壮年期の演奏であるだけに、1990年代における神々しいばかりの崇高な名演が誇っていたスケールの大きさや懐の深さはいまだ存在していないと言えるところであり、本盤の演奏を前述の1990年以降の超名演の数々と比較して云々することは容易ではある。

しかしながら、本演奏においても、既にヴァントのブルックナー演奏の特徴でもあるスコアリーディングの緻密さや演奏全体の造型の堅牢さ、そして剛毅さを有しているところであり、後年の数々の名演に至る確かな道程にあることを感じることが可能だ。

また、本盤の演奏においては、こうした全体の堅牢な造型や剛毅さはさることながら、金管楽器を最強奏させるなど各フレーズを徹底的に凝縮化させており、スケールの小ささや金管楽器による先鋭的な音色、細部に至るまでの異常な拘りからくるある種の神経質さがいささか気になると言えるところではあるが、それでも違和感を感じさせるほどでもないというのは、ヴァントがブルックナーの本質を既に鷲掴みにしていたからにほかならないと考えられる。

そして、本演奏には、ライヴ録音ならではの畳み掛けていくような気迫と生命力が漲っており、その意味では、ケルン放送交響楽団とのスタジオ録音よりも優れた演奏と言っても過言ではあるまい。

いずれにしても、本演奏は、世界的なブルックナー指揮者として世に馳せることになる後年の大巨匠ヴァントを予見させるのに十分な素晴らしい名演と高く評価したい。

ヴァントの剛毅で緻密な指揮にしっかりと喰らい付いていき、持ち得る実力を最大限に発揮した名演奏を披露したNHK交響楽団にも大きな拍手を送りたい。

音質は、従来CD盤からして比較的良好な音質であったが、今般、ついに待望のシングルレイヤーによるSACD化が行われることによって、更に見違えるような鮮明な音質に生まれ変わったところだ。

音質の鮮明さ、音場の幅広さ、そして音圧のいずれをとっても一級品の仕上がりであり、あらためてSACDの潜在能力の高さを思い知った次第である。

いずれにしても、ヴァントによる至高の名演を、SACDによる高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したいと考える。

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2015年03月30日


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1993年6月14日 ベルリン、フィルハーモニーに於けるもので、ミュンヘン・フィルとのライヴ録音から2週間後に行われたライヴ録音。

北ドイツ放送交響楽団の首席指揮者であったギュンター・ヴァントが`第2の手兵オケ`として鍛え上げたベルリン・ドイツ交響楽団とのライヴ演奏を収録したアルバム。

かつてベルリン・ドイツ響友の会の会員専用CDとして頒布されたことのある伝説的名演盤でもある。

演奏の性格は殆ど同じであり、あとは、オーケストラの音色とコンサートホールの音響だけの違いと言える。

ミュンヘン・フィルは、南ドイツならではのやや温かみのある柔和な音色が持ち味であるが、力量のある指揮者に恵まれた時のベルリン・ドイツ交響楽団は、ベルリン・フィルに匹敵するような重心の低い深みのある音色を出す。

本盤の名演はその最たるものであり、これほどの次元の高い演奏になると、あとは好みの問題と言えるだろう。

本盤の数年前にヴァントは北ドイツ放送響と同曲をライヴ録音、数年後にベルリン・フィルと同曲をライヴ録音しているが、演奏の内容に(オーケストラの力量も含めて)差は殆ど見られないが、終楽章の充実感・爆発度はこの演奏が一番との声高い。

シューベルトの「第9」は、ベートーヴェンによって確立された交響曲の形式を、その後のブルックナーの交響曲を予見させるまでに昇華させた傑作交響曲であるが、ブルックナーを得意としたヴァントの「第9」は、まさに、ブルックナーの交響曲を思わせるような荘厳さを湛えている。

眼光紙背に徹したスコアリーディングをベースに、全体の厳しい造型を堅持し、重厚にして剛毅な演奏を行っている。

それでいて、第2楽章の中間部などの抒情も高踏的な美しさを保っており、剛柔のバランスのとれた至高の名演と高く評価したい。

熱心なヴァント・ファンからは「心身充実していた1990年代前半〜半ばの演奏こそヴァントの真髄がきける」「ベルリン・ドイツ放送響の力量は北ドイツ放送響以上。ベルリン・フィルはオケのプライド強すぎてヴァントの意図が100%徹底していない。ミュンヘン・フィルはチェリビダッケの影が付きまとう。今回のベルリン・ドイツ放送響が最高」とまで噂されていた垂涎のライヴ演奏である。

厳しく引き締まった造形美に打ち抜かれた崇高にして超弩級の演奏からは、ヴァントの芸風の真髄と「真打ち登場!」の手応えを実感されるに違いない。

録音も1993年のライヴ録音としてはきわめて優秀で、本盤の価値を高めることに大いに貢献している。

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2015年03月29日


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ヴァントは、1990年代に入ってブルックナーの交響曲の崇高な超名演を成し遂げることによって真の巨匠に上り詰めるに至ったが、1980年代以前のヴァントがいまだ世界的な巨匠指揮者としての名声を獲得していない壮年期には、たびたび来日して、NHK交響楽団にも客演を行っていたところだ。

本盤に収められたブルックナーの交響曲第4番は、ヴァントが得意中の得意としたレパートリーであり、NHK交響楽団に客演した際のコンサートの貴重な記録でもある。

ヴァントの「第4」では、ベルリン・フィル盤(1998年)、ミュンヘン・フィル盤(2001年)、北ドイツ放送響とのラストレコーディング(2001年)の3点が同格の超名演と高く評価されてしかるべきであろう。

それらに対して、NHK交響楽団を指揮した本盤(1982年ライヴ)の性格はケルン放送交響楽団とのスタジオ録音(1976年)に近いものと言える。

この「第4」は、いわゆるブルックナー指揮者と評される指揮者にとっては、なかなかに難物であるようで、ヨッフムなどは、2度にわたる全集を成し遂げているにもかかわらず、いずれの「第4」の演奏も、他の交響曲と比較すると必ずしも出来がいいとは言い難い。

ヴァントがいまだ世界的なブルックナー指揮者としての名声を獲得していない壮年期の演奏であるだけに、1990年代における神々しいばかりの崇高な名演が誇っていたスケールの大きさや懐の深さはいまだ存在していないと言えるところであり、本盤の演奏を前述の1990年以降の超名演の数々と比較して云々することは容易ではある。

しかしながら、本演奏においても、既にヴァントのブルックナー演奏の特徴でもあるスコアリーディングの緻密さや演奏全体の造型の堅牢さ、そして剛毅さを有しているところであり、後年の数々の名演に至る確かな道程にあることを感じることが可能だ。

また、本盤の演奏においては、こうした全体の堅牢な造型や剛毅さはさることながら、金管楽器を最強奏させるなど各フレーズを徹底的に凝縮化させており、スケールの小ささや金管楽器による先鋭的な音色、細部に至るまでの異常な拘りからくるある種の神経質さがいささか気になると言えるところではあるが、それでも違和感を感じさせるほどでもないというのは、ヴァントがブルックナーの本質を既に鷲掴みにしていたからにほかならないと考えられる。

そして、本演奏には、ライヴ録音ならではの畳み掛けていくような気迫と生命力が漲っており、その意味では、ケルン放送交響楽団とのスタジオ録音よりも優れた演奏と言っても過言ではあるまい。

いずれにしても、本演奏は、世界的なブルックナー指揮者として世に馳せることになる後年の大巨匠ヴァントを予見させるのに十分な素晴らしい名演と高く評価したい。

ヴァントの剛毅で緻密な指揮にしっかりと喰らい付いていき、持ち得る実力を最大限に発揮した名演奏を披露したNHK交響楽団にも大きな拍手を送りたい。

1970年代から80年代にかけてのNHK交響楽団は一種独特の魅力と迫力があり、相性のいい指揮者と出会うと鬼神もかくやといった豪快な演奏で多くの聴衆を魅了してきた。

今回もまた激烈なヴァントの指揮のもとかつての重厚かつ豪放なN響サウンドが見事に蘇っている。

音質は、従来CD盤からして比較的良好な音質であったが、今般、ついに待望のSACD化が行われることによって、更に見違えるような鮮明な音質に生まれ変わったところだ。

音質の鮮明さ、音場の幅広さ、そして音圧のいずれをとっても一級品の仕上がりであり、あらためてSACDの潜在能力の高さを思い知った次第である。

いずれにしても、ヴァントによる至高の名演を、SACDによる極上の高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したいと考える。

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2015年01月28日


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ヴァントのブルックナーは既に神格化されているが、その芸術が至高の境地に達したのは1990年代後半である。

特に、ベルリン・フィルと組んで遺した「第5」、「第4」、「第9」、「第7」、そして最後の「第8」は、人類共通の至宝と言うべきであるが、今般、これらの至宝に、更に、ミュンヘン・フィルと組んだ至高の名演群(「第6」と「第7」が入れ替わっているが)が加わることになった。

いずれ劣らぬ名演揃いであるが、その中でも、ヴァントの自伝にも記されているが、「第5」と「第9」は、ブルックナーが妥協を許さずに作曲した作品として、特に愛着を持って接していたようで、他の指揮者の追随を許さない超名演に仕上がっている。

本盤は、この1カ月後にライヴ録音したベルリン・フィル盤と並んで、ヴァントの「第5」の総決算とも言うべき超名演である。

両盤に優劣をつけることは困難であるが、違いはオーケストラの響きぐらいのものであり、これだけの高次元のレベルに達すると、後は好みの問題ということになるであろう。

録音で聴くと少々弛緩した印象もあったチェリビダッケ盤に較べ、ここでのヴァントの勇壮なオーケストラ・ドライヴには、聴き手を興奮させずにはおかない劇的な展開の巧みさと迫力が確かに備わっており、ミュンヘン・フィルの明るく流麗で色彩的、かつ俊敏なサウンドがそうした解釈と面白いマッチングをみせて素晴らしい聴きものとなっている。

引き締まったサウンドを好んだヴァントが、チェリビダッケによって厳しく訓練され、高い適応力を備えていたオーケストラとの共同作業から手に入れたのは、美しくしかもパワフルなサウンドだったのである。

ここでのミュンヘン・フィルは本当にすばらしく、技術上の高水準はもちろん、自分たちの演奏に対する自信といういうか、何か誇らしさが聴こえてくるようでもあり、どのパートもしっかりと存在感を保ちつつ、もちろんアンサンブルとして完璧な出来を示している。

厳格なスコアリーディングに基づく剛毅にして重厚な演奏スタイルであるが、1980年代のヴァントに見られたような、凝縮しすぎるあまりスケールが矮小化されるという欠点もいささかも見られない。

リズムにも柔軟性が付加されており、硬軟併せ持つバランスのとれた名演と言うべきである。

終結部の微動だにしない圧倒的な迫力はこの超名演の締めくくりに相応しいものであり、演奏終了後の聴衆の熱狂も当然のことにように思われる。

この公演から約1ヶ月の後にはベルリン・フィルに客演して同曲を指揮するヴァントだが、リハーサル回数の問題もあったのであろうか。

ヴィルトゥオジティはともかく、指揮者の解釈がより深く楽員に浸透したのは、どうやらミュンヘン・フィルの方だったようだ。

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ブルックナー「第8」、シューベルト「未完成」とも、長年に渡ってチェリビダッケに鍛え抜かれたミュンヘン・フィルを指揮していることもあって、演奏全体に滑らかで繊細な美感が加わっていることが特徴。

ブルックナーの「第8」は、まぎれもなくブルックナーの最高傑作であると思うが、それだけに、ヴァントも、ライヴ録音も含め、何度も録音を行ってきた。

しかしながら、ヴァントの厳格なスコアリーディングによる眼光紙背に徹した凝縮型のアプローチとの相性はイマイチであり、1993年の北ドイツ放送交響楽団までの録音については、立派な演奏ではあるものの、やや面白みに欠けるきらいがあった。

しかしながら、本盤のミュンヘン・フィルとの演奏と、この数カ月後のベルリン・フィルとの演奏の何という素晴らしさであろうか。

神々しいばかりの超名演と言っても過言ではあるまい。

ヴァントは、これまでの凝縮型のアプローチではなく、むしろ朝比奈隆のように、より柔軟でスケール雄大な演奏を行っている。

本盤は、ベルリン・フィル盤に比べると音質にやや柔和さが見られるが、この当たりは好みの問題と言えるだろう。

これまで発売された他のオーケストラとの共演盤に較べて、艶の乗った響きの官能的なまでに美しい感触、多彩に変化する色彩の妙に驚かされる。

もちろん、ヴァントの持ち味である彫りの深い音楽造りは健在なのですが、そこに明るく柔軟な表情が加わることで、他盤とは大きく異なる魅力を発散しているのである。

微動だにしないゆったりとしたインテンポを貫いているが、同じミュンヘン・フィルを指揮したチェリビダッケの演奏のようにもたれるということもなく、随所で見せるゲネラルパウゼも実に効果的だ。

音質が良いせいか、ヴァントの演奏としては思いのほか木管楽器の主張が強いことも、演奏全体により多彩な表情を与えているようだ。

ヴァント自身もここではテンポの動きを幅広く取って、非常に息の長い旋律形成を試みており、それぞれのブロックの締め括りに置かれたパウゼが深い呼吸を印象付けている。

深く沈み込んでいくような美しさと、そそり立つ岩の壁を思わせる壮大な高揚とが交錯する終楽章は中でも素晴らしい出来栄えである。

最後の音が消えてから約10秒後、それまで圧倒されたようにかたずを飲んでいた会場が、やがて嵐のようなブラヴォーに包まれていく様子がそのまま収録されていることも印象的で、当日の聴衆の本名演に対する深い感動が伝わってくる名シーンだ。

「未完成」も超名演で、暗く厳しい悲劇性とはかさい美しさが共存した深いロマンティシズム漂う仕上がり。

かのワインガルトナーが、第1楽章の低弦による旋律を「地下から聞こえてくるように」と表現したが、提示部が終了し、展開部に移行する個所の低弦の軋むような重厚な響かせ方は、まさに地下に降りて行くような趣きがあり、他の指揮者では決して聴くことができないもの。

第2楽章は、速めのインテンポで淡々と演奏するが、随所に漂う何とも言えない寂寥感は、ヴァントとしても最晩年に漸く到達し得た至高・至純の境地と言えるだろう。

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ブルックナーの「第6」は隠れた名曲である。

いわゆるブルックナー指揮者でも、「第3」〜「第5」や「第7」〜「第9」はよく演奏会で採り上げるものの、「第6」はあまり演奏しないということが多い。

作品の質の高さからしても、これは大変残念なことと言えるだろう。

そのような中で、ヴァントは、この「第6」を積極的に演奏してきた指揮者である。

これまでの最新録音は、CDでは1995年盤、DVDでは1996年盤が知られ、いずれも手兵の北ドイツ放送交響楽団とのもので、いずれも名演と言えるものであった。

本盤は、1999年の録音であり、今のところ、ヴァントが遺した「第6」の最後の録音ということになるが、ヴァントの「第6」としては、前述の1995年盤や1996年盤を超える間違いなく最高の名演であり、他のヨッフムの旧盤やアイヒホルン盤などと比較しても本盤の方がはるかに格が上。

ということは、現存する数々の「第6」の名演中、史上最高の超名演と言っても過言ではあるまい。

第1楽章など、金管を思いっきり力強く吹かせているが、決して無機的にはならず、アルプスの高峰を思わせるような実に雄大なスケールを感じさせる。

それでいて、木管楽器のいじらしい絡み合いなど、北欧を吹く清涼感あふれる一陣の風のようであり、音楽の流れはどこまでも自然体だ。

第2楽章は、音楽評論家の宇野氏が彼岸の音楽と評しておられたが、本盤の演奏こそがまさに彼岸の音楽であり、ヴァントとしても、死の2年前になって漸く到達し得た至高・至純の境地ではないだろうか。

「第6」は、第3楽章や第4楽章のスケールが小さいと言われるが、ヴァントの演奏を聴くと決してそうは思えない。

スケルツォの宇宙のひびき、各楽器のフレッシュな色の出し方、まことに美しくも意味深く、中間部では木管による「第5」のテーマの高級なフレージングに打たれた。

終楽章など、実に剛毅にして風格のある雄大な演奏であり、まことに綿密である。

抉りの効いた強音部と思いやりにみちた弱音部の歌が対比され、内容の深さと音楽美が、いつもブルックナーの音楽の森羅万象を語りかけてゆく。

特に、第2楽章の主題が回帰する箇所のこの世のものとは思えないような美しさで息もつかせない。

演奏終了後、ただちに拍手が起きないのも、他の「第4」や「第8」などの場合と同様であり、当日の聴衆の深い感動を窺い知ることができる。

ヴァントは、2002年にベルリン・フィルと「第6」を演奏する予定だったとのことであるが、その死によって果たせなかった。

本盤の演奏を超えるような名演を成し遂げることが出来たのかどうか、興味は尽きない。

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2015年01月27日


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ヴァントが最晩年にベルリン・フィルと遺した名演の数々は実に凄いものであった。

「第5」に始まり、「第9」、「第4」、「第7」、「第8」と、いずれも神々しいばかりの名演である。

今般、同時期にミュンヘン・フィルと行った名演の数々が、国内盤で発売されたが、いずれも、ベルリン・フィル盤と比べても、優るとも劣らない名演である。

重複しているのは、「第4」、「第5」、「第8」及び「第9」であるが、違いはオーケストラの音色と録音くらいのものであり、あとは好みの問題だと思われる。

本盤の「第9」の録音は1998年4月。

その約半年後のベルリン・フィルとの録音、さらに、来日時の録音が、名演のベストスリーということになるが、その中でも、本盤とベルリン・フィル盤が超名演と言うことになるだろう。

どちらもとび切りの一級で、スケルツォとアダージョに優劣はつけられないが、第1楽章は再現部冒頭とコーダがベルリン・フィル盤を上まわる。

ということは史上最高ということであって、ヴァントはブルックナーがこうしてほしいとスコアに書きこんだすべてを初めて音にして見せたのだ。

第1楽章など、実にゆったりとしたテンポによる深沈とした趣きであるが、ここぞというときの金管楽器の最強奏など悪魔的な響きであり、低弦の重厚な響かせ方にも凄みがある。

第2楽章も豪演だ。

ここは中庸のテンポをとるが、中間部のトリオの箇所との絶妙なテンポの対比も自然体で見事だ。

終楽章は、相変わらず金管を最強奏させているが、決して無機的には陥らず、天啓のような趣きがある。

それと対比するかのようなこの世のものとは思えないような美しい弦楽の奏で方は、ブルックナーの絶筆に相応しいアプローチであると思われる。

それにしても言語に絶するのはコーダで、最後の頂点を築いた後、天国の音楽へ、その別世界に突然入ってゆくところは美しさの限りだ。

演奏終了後に起きる一瞬の間も、当日の聴衆の感動を伝えるものであり、ヴァントの音楽を愛する聴衆の質の高さの表れということが言えるだろう。

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ブルックナーの交響曲中で最もポピュラリティを獲得している「第4」であるが、ブルックナーの権威であるヴァントとしても、1998年のベルリン・フィルとの演奏で、漸く理想の名演を成し遂げることができたのではないかと思う。

それは、やや速めのインテンポで淡々とした演奏ではあったが、随所に見せる味の濃さが見事であった。

しかし、ヴァントの死後、手兵の北ドイツ放送交響楽団との神々しいばかりのラストコンサート盤が発売されるに及んで、ベルリン・フィル盤もトップの座を譲ることになった。

本盤は、そのラスト・コンサート盤の1か月前の演奏であるが、これは、ラスト・コンサート盤にも優るとも劣らない超名演で、これをもって『ロマンティック』の最高峰と言うに憚らぬ大演奏と言えるだろう。

数多いヴァントのブルックナーであるが、耳の肥えたファンほどミュンヘン・フィルとの組み合わせに執着するのも道理で、ヴァント晩年の味わい、オーケストラの音色の適度な明るさ、弦の暖かみのある厚い響き、管楽器の比類ない美しさなど他に代え難い魅力にあふれている。

いわゆるブルックナー開始は、やや強めの弦楽のトレモロによって開始されるが、これを聴いただけで他の指揮者とはものが違う。

この第1楽章は、意外にも随所でテンポの変化を行っているが、それでいて音楽が実に自然に流れる。

金管楽器を常に最強奏させているが、無機的な響きは皆無であり、ヴァントのブルックナーの交響曲の本質への深い理解と相俟って、筆舌には尽くしがたいハイレベルの演奏を成し遂げている。

第2楽章は、ゆったりとしたテンポで淡々と進行しているが、そこから湧きあがってくる何とも言えない寂寥感を何と表現すればいいのだろうか。

第3楽章も、主部をやや速めのテンポで演奏して、中間部でテンポをやや緩やかにするという緩急の差を、オーケストラを手足のように扱い、決して恣意的な印象を与えないで成し遂げるのは、まさに巨匠ならではの至芸。

終楽章は、ヴァントのブルックナー交響曲演奏の総決算と言えるもので、厳格なスコアリーディングによる緻密さと、最晩年の「第8」でも顕著であるが、柔軟で、なおかつスケール雄大なアプローチを融合させた稀有の名演を成し遂げている。

演奏終了後、聴衆から拍手が起こるまでに一瞬の間が空くが、これは、この超名演から受けた聴衆の深い感動と、聴衆の質の高さが窺い知れる素晴らしい瞬間だ。

この演奏会の半年後2002年2月14日にヴァントは90年の生涯を閉じたのだった。

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2014年12月14日


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ヴァント&ベルリン・ドイツ交響楽団によるライヴ・チクルス第2弾が、今般、国内盤で、しかも分売で発売されることになったのは、演奏水準の高さからしても、多くのクラシック音楽ファンにとって大朗報と言えるだろう。

ヴァントと言えば、長年に渡って音楽監督をつとめ、その後は名誉指揮者の称号が与えられた北ドイツ放送交響楽団との数々の名演が軸となる存在と言えるが、ベルリン・フィルやミュンヘン・フィル、そしてベルリン・ドイツ交響楽団とも、素晴らしい名演の数々を遺している。

ベルリン・ドイツ交響楽団は、ベルリン・フィルの陰に隠れた存在に甘んじているが、一流の指揮者を迎えた時には、ベルリン・フィルに肉迫するような名演を成し遂げるだけの実力を兼ね備えたオーケストラである。

ましてや、指揮者がヴァントであれば問題はなく、その演奏が悪かろうはずがない。

本盤に収められた、ハイドンの交響曲第76番、モーツァルトのセレナード第6番「セレナータ・ノットゥルナ」、ムソルグスキーの組曲「展覧会の絵」は、ヴァントの知られざるレパートリーであったが、いずれも素晴らしい名演と高く評価したい。

本盤のメインであるムソルグスキーの組曲「展覧会の絵」については、手兵北ドイツ放送交響楽団との1999年のライヴ録音が存在していることから、本盤の演奏はその4年前の演奏、ヴァントにとって現時点で2種目の録音ということになる。

ヴァントの芸風からすれば、極めて珍しい録音と言っても過言ではないとさえ思われるところであるが、意外にもヴァントは同曲に深い愛着を抱き、たびたび演奏してきたとのことである。

それだけに、本演奏においてもたどたどしいところがいささかもなく、各場面の描き分けを巧みに行った見事な演奏を展開していると言えるだろう。

独墺系の指揮者で同曲を得意としていた指揮者としてはカラヤンが掲げられるが、カラヤンの演奏のように豪華絢爛にして豪奢な演奏ではなく、カラヤンの演奏と比較すると随分と地味な印象も受けるところだ。

テンポはやや速めで一貫しているが、前述のような場面毎の巧みな描き分け、そして随所に聴かれる独特のニュアンスの豊かさは、まさに老巨匠ならではの名人芸とも言えるところであり、内容の豊かさという意味においては、他のどの指揮者の演奏にも引けを取らない高水準の演奏に仕上がっている。

ロシア風の民族色とは殆ど無縁であり、必ずしもスケールの雄大さを感じることもできない演奏ではあるが、筆者としては、ヴァントの指揮芸術の奥の深さを十二分に味わうことが可能な素晴らしい名演と高く評価したい。

なお、1999年の演奏との違いは、オーケストラの音色以外に殆どなく、聴き手の好みによる問題と思われるところだ。

ハイドンの交響曲第76番は、ヴァントがブルックナーの交響曲第6番との組み合わせで、コンサートで頻繁に採り上げていた。

CDとしてはケルン放送交響楽団との演奏(1973年)が存在するとともに、DVD作品としては北ドイツ放送交響楽団とのライヴ録音(1996年)が存在する。

本演奏は、その前年の1995年の演奏ということになるが、一聴すると無骨とも言える各旋律の端々から漂う独特のニュアンスや枯淡の境地さえ感じさせる情感には抗し難い魅力に満ち溢れていると言えるところであり、CDとしては、ヴァントによる同曲演奏の総決算とも言うべき素晴らしい名演と評価したい。

モーツァルトのセレナード第6番「セレナータ・ノットゥルナ」については、1990年の北ドイツ放送交響楽団とのライヴ録音が存在していることから、本演奏は5年後のものと言うことになるが、演奏自体はハイドンの交響曲と同様であり、ヴァントによる同曲演奏の掉尾を飾るに相応しい素晴らしい名演と評価したい。

音質は、1995年のライヴ録音であり、十分に満足できるものである。

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2014年12月11日


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ヴァントが1990年代後半にベルリン・フィルやミュンヘン・フィル、そして手兵北ドイツ放送交響楽団を指揮して行ったブルックナーの交響曲の演奏は、いずれも至高の超名演である。

同時期に朝比奈が成し遂げた数々の名演と並んで、今後ともおそらくは半永久的にブルックナーの演奏史上最高の超名演の地位を保持し続けていくものと考えられる。

もっとも、そうした地位が保全されているのは、ブルックナーの交響曲のすべてにおいてではないことに留意しておく必要がある。

要は、ヴァントの場合は「第4」以降の交響曲に限られるということである。

本盤に収められた「第3」は、ヴァントによる「第3」の最後の録音である。

ヴァントは、ベルリン・フィルと「第8」をライヴ録音した後、惜しくも鬼籍に入ったが、存命であれば「第6」のライヴ録音が予定されていたと聞いている。

そして、おそらくはその次に「第3」のライヴ録音を想定していた可能性が高い。

仮に、最晩年における「第3」のライヴ録音が実現していれば、決定的な超名演になったと思われるが、これは無いものねだりと言うべきであろう。

本演奏は1992年のライヴ録音であり、オーケストラは手兵北ドイツ放送交響楽団。

ヴァントが、前述のような至高の超名演を成し遂げるようになる直前の時期のものだ。

それでも、筆者としては、朝比奈&大阪フィルによる名演(1993年)に次ぐ名演と評価したいと考える。

そして、往年の名演として定評のあるベーム&ウィーン・フィルによる名演(1970年)よりも上位に置きたいとも考えている。

本演奏においても、ヴァントは例によって厳格なスコアリーディングの下、峻厳に楽想を進めていく。

造型もきわめて堅固であり、金管楽器などを最強奏させているのもいつもどおりであるが、本演奏においてもいささかも無機的になることはない。

ただ、音楽全体を徹底して凝縮化させているので、スケールはいささか小ぶりと言わざるを得ない。

このあたりが、1990年代後半以降のスケールも雄渾なヴァントとは異なる点であろう。

しかしながら、スケールがやや小さいという点が気にならなければ、演奏自体は文句のつけようがない至高の名演と評価したい。

また、さらに素晴らしいのはマルチチャンネル付きのSACDによる極上の高音質録音である。

ヴァントによる厳格で緻密な解釈に基づいた名演の魅力を味わうためにはSACDによる高音質録音は必要不可欠であると考えられるところであり、本名演の価値をさらに高めることに大きく貢献している点を忘れてはならない。

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2014年12月07日


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これは素晴らしい名全集だ。

1990年代には、ほぼ同世代のドイツ人指揮者ザンデルリンクがベルリン交響楽団を指揮してブラームスの交響曲全集をスタジオ録音しているが、1995年〜1997年に、ヴァントが北ドイツ放送交響楽団とともにライヴ録音した本全集も、ザンデルリンクによる全集に比肩し得る至高の名全集と評価し得るのではないだろうか。

当初の予定では、全集を一気に完成させる予定であったが、ヴァントが体調を崩したために、第1番〜第3番が先行発売され、1997年に第4番が単独で発売されたという経緯がある。

ヴァントは、本全集の約10年前にも、手兵北ドイツ放送交響楽団とともにブラームスの交響曲全集をスタジオ録音(1982〜1985年)している。

この他にも、交響曲第1番については、シカゴ交響楽団、ベルリン・ドイツ交響楽団(1996年)、ミュンヘン・フィル(1997年)とのライヴ録音、交響曲第4番についても、ベルリン・ドイツ交響楽団とのライヴ録音(1994年)が遺されている。

いずれ劣らぬ名演と言えるが、気心が知れたオーケストラを指揮した演奏ということからしても、本全集こそは、ヴァントによるブラームスの交響曲演奏の代表盤と言っても過言ではあるまい。

ヴァントによる演奏は、ザンデルリンクのゆったりとしたテンポによる演奏とは大きくその性格を異にしている。

やや速めのテンポで一貫しており、演奏全体の造型は極めて堅固で、華麗さとは無縁であり、演奏の様相は剛毅かつ重厚なものだ。

決して微笑まない音楽であり、無骨とも言えるような印象を受けるが、各旋律の端々からは、人生の諦観を感じさせるような豊かな情感が滲み出していると言えるところであり、これは、ヴァントが晩年になって漸く到達し得た至高・至純の境地と言えるのではないかと考えられるところだ。

そして、演奏全体に漂っている古武士のような風格は、まさに晩年のヴァントだけが描出できた崇高な至芸と言えるところであり、本盤の各演奏は、ザンデルリンクによるものとは違ったアプローチによって、ブラームスの交響曲演奏の理想像を具現化し得たと言えるのではないだろうか。

各演奏の出来にムラがないというのも見事であると言えるところだ。

いずれにしても、本全集は、ヴァントの最晩年の至高の芸風を体現した至高の名全集と高く評価したい。

音質は、1990年代のライヴ録音であるだけに、従来CD盤でも十分に満足できる音質であったが、今般、ついにSACD化されたのは何と言う素晴らしいことであろうか。

音質の鮮明さ、音場の幅広さのどれをとっても一級品の仕上がりであり、あらためてSACDの潜在能力の高さを思い知った次第だ。

いずれにしても、ヴァントによる至高の名演を、SACDによる極上の高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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2014年11月14日


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ヴァントは、いわゆる大器晩成型の巨匠指揮者として、1990年代に様々な名演の数々を遺したが、数年前にライヴ・ボックス第1弾が発売され、クラシック音楽ファンの間で話題となったベルリン・ドイツ交響楽団との一連のライヴ録音も、その枢要な地位を占めるものである。

ベルリン・ドイツ交響楽団は、ベルリン・フィルの陰に隠れた存在に甘んじているが、一流の指揮者を迎えた時には、ベルリン・フィルに肉薄するような名演を成し遂げるだけの実力を兼ね備えたオーケストラである。

ましてや、指揮者がヴァントであれば問題はなく、その演奏が悪かろうはずがない。

今般、国内盤として発売されるのは、ライヴ・ボックスの第2弾、待望の分売化と言えるだろう。

本盤には、ヴァントが最も得意としたレパートリーでもあるブルックナーの交響曲第6番及び第8番が収められている。

交響曲第6番については、既に、ヴァントによる唯一の全集を構成するケルン放送交響楽団との演奏(1976年スタジオ録音)のほか、北ドイツ放送交響楽団との2度にわたるライヴ録音(1988年と1995年)、更には、ミュンヘン・フィルとのライヴ録音(1999年)の4つの録音が存在しており、本演奏は5つ目の録音の登場ということになる。

本演奏を含め、いずれ劣らぬ名演であるが、この中でも最も優れた超名演は、ミュンヘン・フィルとの演奏であるというのは衆目の一致するところであろう。

もっとも、本演奏も、さすがにミュンヘン・フィルとの演奏のような至高の高みには達していないが、当該演奏の4年前の演奏ということもあって、同年に録音された北ドイツ放送交響楽団との演奏と並んで、十分に素晴らしい至高の名演に仕上がっていると高く評価したい。

第1楽章など、金管を思いっきり力強く吹かせているが、決して無機的には陥ることなく、アルプスの高峰を思わせるような実に雄大なスケールを感じさせる。

それでいて、木管楽器のいじらしい絡み合いなど、北欧を吹く清涼感あふれる一陣のそよ風のようであり、音楽の流れはどこまでも自然体だ。

第2楽章は、とある影響力の大きい某音楽評論家が彼岸の音楽と評しておられたが、本盤の演奏こそがまさに彼岸の音楽であり、前述のようにミュンヘン・フィルとの演奏ほどの至高の高みには達していないものの、ヴァントとしても、最晩年になって漸く到達し得た至高・至純の境地をあらわしていると言えるのではないだろうか。

第6番は、第3楽章や第4楽章のスケールが小さいと言われるが、ヴァントの演奏を聴くと必ずしもそうとは思えない。

終楽章など、実に剛毅にして風格のある雄大な演奏であり、特に、第2楽章の主題が回帰する箇所のこの世のものとは思えないような美しさには抗し難い魅力に満ち溢れている。

また、交響曲第8番については、ヴァントが最も数多くの録音を遺したブルックナーの交響曲であった。

ケルン・ギュルツェニヒ管弦楽団との演奏(1971年)にはじまり、ヴァントによる唯一の全集を構成するケルン放送交響楽団との演奏(1979年)、NHK交響楽団との演奏(1983年)、北ドイツ放送交響楽団との3度にわたる演奏(1987年ライヴ録音、1990年東京ライヴ録音、1993年ライヴ録音)、ミュンヘン・フィルとの演奏(2000年ライヴ録音)、ベルリン・フィルとの演奏(2001年ライヴ録音)の8度にわたる録音が既発売であるので、本演奏を加え、何と合計で9度にわたって録音したことになるところだ。

本演奏を含め、いずれ劣らぬ素晴らしい名演であると評価したいが、この中で、最も優れた超名演は、ミュンヘン・フィル及びベルリン・フィルとの演奏であるというのは衆目の一致するところであろう。

もっとも、本演奏も、さすがにミュンヘン・フィル及びベルリン・フィルとの演奏のような至高の高みには達していないが、1年前の北ドイツ放送交響楽団との演奏と並んで、十分に素晴らしい名演と高く評価するのにいささかも躊躇するものではない。

1980年代までのヴァントによるブルックナーの交響曲の演奏におけるアプローチは、厳格なスコア・リーディングの下、楽曲全体の造型を厳しく凝縮化し、その中で、特に金管楽器を無機的に陥る寸前に至るまで最強奏させるのを特徴としており、優れた演奏である反面で、スケールの若干の小ささ、そして細部にやや拘り過ぎる神経質さを感じさせるのがいささか問題であった。

そうした短所も1990年代に入って、かかる神経質さが解消し、スケールの雄大さが加わってくることによって、前述のミュンヘン・フィルやベルリン・フィルとの歴史的な超名演を成し遂げるほどの高みに達していくことになるのだが、本演奏は、そうした最晩年の超名演の先駆であり、高峰への確かな道程となるものとも言える。

比較的ゆったりとしたテンポをとっているが、必ずしももたれるということはなく、ゆったりとした気持ちで、同曲の魅力を満喫することができるというのは、ヴァントのブルックナーへの理解・愛着の深さの賜物と言える。

金管楽器の最強奏も相変わらずであるが、ここでは、やり過ぎということは全くなく、常に意味のある、深みのある音色が鳴っているのが素晴らしい。

いずれにしても、本盤に収められた交響曲第6番及び第8番は、ブルックナーを得意としたヴァントならではの素晴らしい名演と高く評価したい。

音質も、1990年代のライヴ録音であり、十分に満足できるものである。

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2014年11月11日


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ヴァントが指揮するベートーヴェンの交響曲の演奏の中でも、その芸風に最も適合している楽曲は、本盤に収められた交響曲第1番及び第2番ではないだろうか。

ヴァントによる両曲の録音は、今回で3度目、そして最後のものと言うことになるが、演奏の素晴らしさは頭一つ抜けた存在であると評価したい。

ヴァントによるベートーヴェンの交響曲の演奏としては、何と言っても1980年代に、手兵北ドイツ放送交響楽団とともにスタジオ録音した唯一の交響曲全集(1984〜1988年)が念頭に浮かぶ。

当該全集以前の1950年代のギュルツェニヒ管弦楽団との演奏も、テスタメントなどによって発掘がなされているが、ヴァントのベートーヴェン演奏の代表盤としての地位にはいさかも揺らぎがない。

しかも、当該全集については、現在では入手難であるが、数年前にSACDハイブリッド盤で発売されたこともあり、ますますその価値を高めていると言っても過言ではあるまい。

これに対して、本盤に収められたベートーヴェンの交響曲第1番及び第2番の演奏は、1997年及び1999年に北ドイツ放送交響楽団とともにライヴ録音したものである。

本演奏と同様に、前述の全集以降は、第3番〜第6番のライヴ録音も行っただけに、残る第7番〜第9番の録音を果たすことなくこの世を去ってしまったのは極めて残念なことであった。

それはさておき、本盤の演奏は素晴らしい名演だ。

前述の全集も、ヴァントの峻厳な芸風があらわれたいかにもドイツ色の濃厚な名演揃いであったが、いささか厳格に過ぎる造型美や剛毅さが際立っているという点もあって、スケールがいささか小さく感じられたり、無骨に過ぎるという欠点がないとは言えないところだ。

それに対して、本盤の演奏は、おそらくはヴァントの円熟のなせる業であるとも思われるところであるが、全集の演奏と比較すると、堅固な造型の中にも、懐の深さやスケールの雄大さが感じられるところであり、さらにグレードアップした名演に仕上がっていると言えるのではないだろうか。

もちろん、華麗さなどとは無縁の剛毅さや無骨さは相変わらずであるが、それでも一聴すると淡々と流れていく曲想の端々からは、人生の諦観を感じさせるような豊かな情感が滲み出していると言えるところであり、これは、ヴァントが晩年になって漸く到達し得た至高・至純の境地と言えるのではないかと考えられるところだ。

そして、演奏全体に漂っている古武士のような風格は、まさに晩年のヴァントだけが描出できた崇高な至芸と言えるところであり、本演奏こそは、ヴァントによるベートーヴェンの交響曲第1番及び第2番の最高の名演、さらには、ヴァントによるベートーヴェンの様々な交響曲の演奏の中でも最も優れた至高の超名演と高く評価したい。

音質は、1997年及び1999年のライヴ録音であるだけに、従来CD盤でも十分に満足できる音質であったが、今般、ついにSACD化されたのは何と言う素晴らしいことであろうか。

音質の鮮明さ、音場の幅広さのどれをとっても一級品の仕上がりであり、あらためてSACDの潜在能力の高さを思い知った次第だ。

いずれにしても、ヴァントによる至高の超名演を、SACDによる極上の高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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2014年10月02日


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ヴァントが、その最晩年にベルリン・フィルとともに成し遂げたブルックナーの一連の交響曲の演奏は、歴史的とも言うべき至高の超名演であった。

この黄金コンビによるブルックナー以外の作曲家による楽曲の演奏で、唯一録音が遺されているのが、本盤に収められたシューベルトの「未完成」と「ザ・グレイト」である。

いずれも、ブルックナーの各交響曲と同様に、素晴らしい至高の名演と高く評価したい。

なお、ヴァントは、ミュンヘン・フィルとともに、これら両曲の演奏を同時期に行っているが、オーケストラの音色に若干の違いがある以外は同格の名演と言えるところであり、両演奏の比較は聴き手の好みの問題と言えるのかもしれない。

シューベルトの交響曲、とりわけ「未完成」と「ザ・グレイト」は演奏が難しい交響曲である。

その理由はいくつか考えられるが、シューベルトの音楽をどう捉えるのかについて未だに正解がない、確立した見解が存在しないということに起因しているのではないだろうか。

いずれにしても、シューベルトの「未完成」と「ザ・グレイト」は懐が深い交響曲と言えるのは間違いがないところだ。

私見であるが、これまでの様々な演奏に鑑みて、シューベルトをどう捉えるのかについての見解をおおざっぱに分けると、.Εーンの抒情的作曲家、↓,鵬辰─⊃誉犬亮簽豐兇篝篷彰兇鯢曾个靴紳膾邏焚函↓ベートーヴェンの後継者、ぅ屮襯奪ナーの先駆者の4つに分類できるのではないかと考えている(いくつかの要素を兼ね備えた演奏が存在しているということは言うまでもない)。

「未完成」や「ザ・グレイト」の演奏に限ってみると、,梁緝修魯錺襯拭次コロンビア交響楽団盤(1958年)、△梁緝修蓮◆嵬ご粟」しか録音がないが、ムラヴィンスキー&レニングラード・フィル盤(1978年(あるいは来日時の1977年盤))、の代表は、「ザ・グレイト」において顕著であるがフルトヴェングラー&ベルリン・フィル盤(1942年)であると考えており、い乏催するのが、まさしく本盤に収められたヴァント&ベルリン・フィル盤であると考える。

ヴァントのこれら両曲へのアプローチは、ブルックナーの交響曲に対して行ったのと基本的に同様のものだ。

眼光紙背に徹した厳格なスコアリーディングに基づく緻密で凝縮化された表現には凄みがあり、全体の造型はきわめて堅固なものだ。

したがって、ウィーン風の抒情的な表現にはいささか欠けるきらいがあり、前述のワルター盤の持つ美しさは望むべくもないが、シューベルトの音楽の心底にある人生の寂寥感や絶望感の描出にはいささかの不足はないと言えるのではないか。

特に、「未完成」の第1主題は、ワインガルトナーが地下の底からのようにと評したが、ヴァントの演奏は、特に中間部においてこの主題を低弦を軋むように演奏させ、シューベルトの心底にある寂寥感や絶望感をより一層強調させるかのような凄みのある表現をしているのが素晴らしい。

ヴァントは、2000年の来日時のコンサートにおいて「未完成」を演奏しており、とりわけ当該箇所の表現には心胆寒からしめるものが感じられたが、本盤においても、それとほぼ同等の表現を聴くことができるのはうれしい限りだ。

録音は、ブルックナーの一連の演奏とは異なり、いまだSACD化されていないが、音質はなかなかに鮮明であり、更にSHM−CD化によって若干の音質の向上効果が見られるのも大いに歓迎したい。

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2014年09月30日


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本盤に収められたブルックナーの交響曲全集は、世界的なブルックナー指揮者として名を馳せたヴァントによる唯一のものである。

本全集の完成以降、ヴァントは手兵北ドイツ放送交響楽団やベルリン・フィル、ミュンヘン・フィル、そしてベルリン・ドイツ交響楽団などとともに数多くのブルックナーの交響曲の演奏・録音を行っているが、新たな全集を完成させることはなかったところだ。

また、本全集を完成して以後の演奏・録音は、第3番以降の交響曲に限られていたことから、本全集に収められた交響曲第1番及び第2番は、ヴァントによる唯一の録音してきわめて貴重な演奏である。

また、本盤に収められた各交響曲の演奏は1974〜1981年にかけてのものであり、ヴァントがいまだ世界的なブルックナー指揮者としての名声を獲得していない壮年期の演奏である。

したがって、1990年代における神々しいばかりの崇高な名演が誇っていたスケールの大きさや懐の深さはいまだ存在していないと言えるところであり、本盤の演奏をそれら後年の名演の数々と比較して云々することは容易ではある。

しかしながら、本盤の演奏においても、既にヴァントのブルックナー演奏の特徴でもあるスコアリーディングの緻密さや演奏全体の造型の堅牢さ、そして剛毅さを有しているところであり、後年の数々の名演に至る確かな道程にあることを感じることが可能だ。

また、本盤の演奏においては、こうした全体の堅牢な造型や剛毅さはさることながら、金管楽器を最強奏させるなど各フレーズを徹底的に凝縮化させており、スケールの小ささや金管楽器による先鋭的な音色、細部に至るまでの異常な拘りからくるある種の神経質さがいささか気になると言えるところではあるが、それでも違和感を感じさせるほどでもないというのは、ヴァントがブルックナーの本質を既に鷲掴みにしていたからにほかならないと考えられる。

そして、このようなヴァントの剛毅で緻密な指揮にしっかりと付いていき、持ち得る能力を最大限に発揮した名演奏を披露したケルン放送交響楽団にも大きな拍手を送りたい。

いずれにしても、本全集は、世界的なブルックナー指揮者として世に馳せることになる後年の大巨匠ヴァントを予見させるのに十分な素晴らしい名全集と高く評価したい。

価格も2200円弱という考えられないような廉価であり、水準の高い名演で構成されたブルックナーの交響曲全集をできるだけ廉価で購入したいという聴き手には、第一に購入をお薦めしたい名全集であると考える。

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2014年08月28日


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ヴァント&ベルリン・ドイツ交響楽団との一連のライヴ録音の第2弾が、このたび国内盤、分売化されることになった。

これまで輸入盤で、しかもセットでしか手に入らなかっただけに、クラシック音楽ファンにとってはこの上ない喜びであると言えるだろう。

ヴァントと言えば、長年に渡って音楽監督を務め、その後は名誉指揮者の称号が与えられた北ドイツ放送交響楽団との数々の名演が軸となる存在と言えるが、ベルリン・フィルやミュンヘン・フィル、そしてベルリン・ドイツ交響楽団とも、素晴らしい名演の数々を遺している。

ベルリン・ドイツ交響楽団は、ベルリン・フィルの陰に隠れた存在に甘んじているが、一流の指揮者を迎えた時には、ベルリン・フィルに肉薄するような名演を成し遂げるだけの実力を兼ね備えたオーケストラである。

ましてや、指揮者がヴァントであれば問題はなく、その演奏が悪かろうはずがない。

本盤に収められたチャイコフスキーの交響曲第5番やストラヴィンスキーのバレエ音楽「火の鳥」は、ヴァントの知られざるレパートリーの一つであったが、いずれも素晴らしい名演と高く評価したい。

チャイコフスキーの交響曲第5番については、既に1994年に手兵の北ドイツ放送交響楽団との演奏が発売されていることから、本演奏はその7年前のもの、ヴァントによる2種目の同曲の録音ということになる。

同曲は、チャイコフスキーの数ある交響曲の中でも、その旋律の美しさが際立った名作である。

それ故に、ロシア風の民族色やメランコリックな抒情を歌い上げたものが多いが、本演奏は、それらのあまたの演奏とは大きくその性格を異にしている。

演奏全体の造型は堅固であり、その様相は剛毅にして重厚。

ヴァントは、同曲をロシア音楽ではなく、むしろベートーヴェンやブラームスの交響曲に接するのと同じような姿勢で本演奏に臨んでいるとさえ言えるところだ。

したがって、同曲にロマンティックな抒情を求める聴き手にはいささか無粋に感じるであろうし、無骨とも言えるような印象を受けるが、各旋律の端々からは、人生の諦観を感じさせるような豊かな情感が滲み出していると言えるところであり、これは、ヴァントが晩年になって漸く到達し得た至高・至純の境地と言えるのではないかと考えられるところだ。

そして、演奏全体に漂っている古武士のような風格は、まさに晩年のヴァントだけが描出できた崇高な至芸と言えるところである。

もちろん、チャイコフスキーの交響曲の演奏として、本演奏が唯一無二の存在とは必ずしも言い難いが、それでも立派さにおいては人後に落ちないレベルに達しているとも言えるところであり、筆者としては、本演奏を素晴らしい名演と評価するのにいささかの躊躇をするものではない。

なお、演奏全体の懐の深さという意味においては、1994年の演奏の方を上位に掲げたいが、引き締まった造型美という意味においては本演奏の方がより優れており、後は聴き手の好みの問題と言えるのかもしれない。

他方、ストラヴィンスキーのバレエ音楽「火の鳥」については、バイエルン放送交響楽団とのライヴ録音(1978年)以来、9年ぶりの録音ということになるが、まさに異色の名演と言える。

親しみやすい旋律に満ち溢れるとともに、華麗なオーケストレーションで知られた名作であるが、ヴァントは陳腐なセンチメンタリズムに陥ることなく、そして、常に高踏的な美しさを失うことなく、格調高く曲想を描き出しているのが素晴らしい。

かなり緻密に楽想を描き出しているせいか、他の演奏では聴くことができないような音型を聴き取ることができるのも本演奏の大きなメリットと言える。

同曲の最高の演奏とまでは言えないものの、ヴァントならではの引き締まった名演と評価するのにいささかも躊躇するものではない。

音質は、1987年のライヴ録音であるが、十分に満足できるものである。

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2014年08月18日


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指揮者ギュンター・ヴァント生誕100年、没後10年(2011年時)特別企画盤で、北ドイツ放送交響楽団との伝説ライヴを収録。

あまりの立派な演奏ぶりにくぎ付けになる演奏で、明確なリズムが堂々たる格調を醸し出し、合唱の弱音部も精妙さの極み、驚かされる。

第1部のダンスの低音部の重厚さは北ドイツ放送響ならではで、バリトンのペーター・ビンダーもF=ディースカウばりの熱唱、曲が進むにつれ興奮させられる。

定評高いヨッフム盤とならぶドイツ本流のオルフと言えるところであり、ヨッフム盤にないリズムのキレ、緊迫感、厳格なアプローチがみられる。

ギュンターヴァントは現代音楽の紹介者としても有名であったが、特にウェーベルンやツィンマーマンの解釈では他から一線を画するものを持っていた。

またフォルトナーも含め、第2次世界大戦前後の作曲家いわゆる「現代音楽」というものが名実ともに、世をはばかることなく「現代音楽」と言えた時代の作品をコンサートでも取り上げていた。

そしてヴァントにとって忘れられない作曲家はストラヴィンスキーとバルトークである。

さて、オルフについてはどのような評価になるのかと今回CDを聴いて驚いたのは、ヴァントのスケールの大きさである。

もちろん大変なリハーサルを乗り越えてステージに上がらせているわけだから演奏の質は高い。

ピアノも抜群に上手く、この作品はピアノ伴奏の合唱音楽のようなところもあるぐらいだからピアノがまずいと話にならないが、とても達者である。

それ以上に健闘して、やってくれているのが独唱と合唱で、久々に聴かせてくれた。

バリトンの「In Taberna: Ego Sum Abbas」は奮闘しており、スピーカーから唾が飛んでくるかのような雄叫びである。

その後の合唱「In Taberna Quando Sumus」が見事に接合し、阿鼻叫喚の場を演出し、そこに本当に酒飲んで狂乱状態の人がいるかのような臨場感である。

バリトンのビンダーは高音もきれいだし、大変な使い手と言えるところであり、この人の声と表現にヴァントも楽しんでいるんじゃないかと思わせるほどで、どこかで彼の音楽性にヴァントが任せているような感じもする。

このバリトンは全体を牽引する力も持っており、合唱も素晴らしく、本当に人間がうごめくように自然に声が動く。

これは曲が進むにつれて次第に音楽自体が熱を帯びてくると合唱がいい意味で図に乗ってくる。

「Tempus Est Iocundum」もなかなか聴けない調子の良さで、その後のソプラノの独唱も素晴らしい。

そしてヴィーナスを讃えた後の「Fortuna Imperatrix Mundi:O Fortuna」の落とし方も驚異と納得ではないだろうか。

徹底的に練習をして我が物にし、そして自由になった演奏の空間を垣間見る思いがする。

録音がまた鮮烈極まりなく、ヴァントの指揮ぶりを際立たせている。

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2014年08月13日


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ヴァントと言えば、長年に渡って音楽監督を務め、その後は名誉指揮者の称号が与えられた北ドイツ放送交響楽団との数々の名演が軸となる存在と言えるが、ベルリン・フィルやミュンヘン・フィル、そしてベルリン・ドイツ交響楽団とも、素晴らしい名演の数々を遺している。

ベルリン・ドイツ交響楽団は、ベルリン・フィルの陰に隠れた存在に甘んじているが、一流の指揮者を迎えた時には、ベルリン・フィルに肉薄するような名演を成し遂げるだけの実力を兼ね備えたオーケストラである。

ましてや、指揮者がヴァントであれば問題はなく、その演奏が悪かろうはずがない。

数年前にライヴ・ボックス第1弾が発売され、クラシック音楽ファンの間で話題となったヴァント&ベルリン・ドイツ交響楽団との一連のライヴ録音の第2弾が、このたび国内盤、分売化されることになったのは、クラシック音楽ファンにとってもこの上ない喜びである。

このうち、本盤に収められているのは2種(1992年及び1994年)のベートーヴェンの交響曲第5番及び第6番の演奏と、リハーサル風景(1992年のみ)である。

ヴァントによるベートーヴェンの交響曲の演奏と言えば、何と言っても1980年代に、手兵北ドイツ放送交響楽団とともにスタジオ録音した唯一の交響曲全集(1984〜1988年)が念頭に浮かぶ。

当該全集以前の演奏もテスタメントなどによって発掘がなされているが、ヴァントのベートーヴェン演奏の代表盤としての地位にはいさかも揺らぎがない。

しかも、当該全集については、現在では入手難であるが、数年前にSACDハイブリッド盤で発売されたこともあり、ますますその価値を高めていると言っても過言ではあるまい。

その他のベートーヴェンの交響曲第5番及び第6番の演奏と言えば、1992年に北ドイツ放送交響楽団とともに行ったライヴ録音が存在している。

本盤に収められた演奏は、同年の演奏とさらに2年後の演奏ということになり、とりわけ1994年の演奏については、現時点において、ヴァントによる両曲の最後の録音ということになる。

そして、演奏自体も、もちろん1992年の演奏も優れてはいるが、1994年の演奏、それも交響曲第6番が格段に優れた名演と言えるだろう。

前述の全集も、ヴァントの峻厳な芸風があらわれたいかにもドイツ色の濃厚な名演揃いであったが、いささか厳格に過ぎる造型美や剛毅さが際立っているという点もあって、スケールがいささか小さく感じられたり、無骨に過ぎるという欠点がないとは言えないところだ。

それに対して、本盤の1994年の演奏は、おそらくはヴァントの円熟のなせる業であるとも思われるところであるが、全集の演奏と比較すると、堅固な造型の中にも、懐の深さやスケールの雄大さが感じられるところであり、さらにグレードアップした名演に仕上がっていると言えるのではないだろうか。

もちろん、華麗さなどとは無縁の剛毅さや無骨さは相変わらずであるが、それでも一聴すると淡々と流れていく曲想の端々からは、人生の諦観を感じさせるような豊かな情感が滲み出していると言えるところであり、これは、ヴァントが晩年になって漸く到達し得た至高・至純の境地と言えるのではないかと考えられるところだ。

そして、演奏全体に漂っている古武士のような風格は、まさに晩年のヴァントだけが描出できた崇高な至芸と言えるところであり、とりわけ、ベートーヴェンの交響曲第6番については、ヴァントによる数ある同曲の演奏の中でも、総決算とも言うべき最高の名演と高く評価したい。

もちろん、交響曲第5番や、1992年の両曲の演奏についても、前述のように優れた名演であることは言うまでもないところである。

リハーサル風景も、ヴァントの厳格な音楽作りを窺い知ることができる貴重なものだ。

音質は、1990年代のライヴ録音であり、十分に満足できるものである。

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2014年05月21日


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ヴァントが最晩年にベルリン・フィルを指揮して成し遂げたブルックナーの交響曲の演奏は、いずれも素晴らしい歴史的な超名演であるが、その最後の録音となったのが、本盤に収められた「第8」である。

ブルックナーが完成させた最高傑作が、この黄金コンビによるラストレコーディングになったというのは、ブルックナー演奏にその生涯を捧げてきたヴァントに相応しいとも言えるが、次のコンサートとして「第6」が予定されていたとのことであり、それを実現できずに鬼籍に入ってしまったのは大変残念というほかはない。

そこで、この「第8」であるが、ヴァントが遺した数々の「第8」の中では、同時期のミュンヘン・フィル盤(2000年)と並んで、至高の超名演と高く評価したい。

本盤の前の録音ということになると、手兵北ドイツ放送交響楽団とスタジオ録音した1993年盤ということになるが、これは後述のように、演奏自体は立派なものではあるものの、面白みに欠ける面があり、本盤とはそもそも比較の対象にはならないと考える。

ただ、本盤に収められた演奏は、ヴァントが指揮した「第8」としてはダントツの名演ではあるが、後述の朝比奈による名演と比較した場合、「第4」、「第5」、「第7」及び「第9」のように、本演奏の方がはるかに凌駕していると言えるのかというと、かなり議論の余地があるのではないだろうか。

というのも、私見ではあるが、「第8は」、必ずしもヴァントの芸風に符号した作品とは言えないと考えるからである。

ヴァントのブルックナーの交響曲へのアプローチは、厳格なスコアリーディングに基づく堅固な造型と緻密さが持ち味だ。

また、金管楽器を最強奏させるなどのオーケストラの凝縮化された響きも特徴であるが、1980年代のヴァントの演奏は、全体の造型美を重視するあまり凝縮化の度が過ぎたり、細部への異常な拘りが際立ったこともあって、スケールが小さいという欠点があったことは否めない。

そうしたヴァントの弱点は、1990年代後半には完全に解消され、演奏全体のスケールも雄渾なものになっていったのだが、前述の1993年盤では、スケールはやや大きくなった反面、ヴァントの長所である凝縮化された濃密さがいささか犠牲になった嫌いがあり、峻厳さや造型美だけが際立つという「第8」としてはいわゆる面白みのない演奏になってしまっている。

むしろ、来日時の手兵北ドイツ放送交響楽団とのライヴ盤(1990年アルトゥス)の方が、ライヴ特有の熱気も付加されたこともあって、より面白みのある素晴らしい名演と言えるのではないだろうか。

いずれにしても、ヴァントの持ち味である厳格なスコアリーディングに基づく堅固な造型や緻密さと、スケールの雄大さを兼ね備えるというのは、非常に難しい究極の指揮芸術と言えるところであるが、ヴァントは、ベルリン・フィルとともに、「第5」、「第4」、「第9」、「第7」と順を追って、そうした驚異的な至芸を成し遂げてきたのである。

ところが、この「第8」は、スケールは雄大であるが、堅固な造型美や緻密さにおいては、ヴァントとしてはその残滓は感じられるものの、いささか徹底し切れていないと言えるのではないだろうか。

これは、ヴァントが意図してこのようなアプローチを行ったのか、それとも肉体的な衰えによるものかは定かではないが、いずれにしても、ヴァントらしからぬ演奏と言うことができるだろう。

したがって、本盤に収められた演奏については、細部には拘泥せず曲想を愚直に描き出して行くことによって他に類を見ないスケールの雄大な名演の数々を成し遂げた朝比奈のいくつかの名演(大阪フィルとの1994年盤(ポニーキャニオン)、N響との1997年盤(フォンテック)、大阪フィルとの2001年盤(エクストン))に並ばれる結果となってしまっているのは致し方がないところではないかと考える。

もちろん、これはきわめて高い次元での比較の問題であり、本盤に収められた演奏が、「第8」の演奏史上に燦然と輝く至高の超名演であるとの評価にはいささかも揺らぎはない。

録音は、マルチチャンネル付きのSACDによる極上の高音質録音であり、これは、前出のミュンヘン・フィル盤への大きなアドバンテージであると言える。

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ヴァントが最晩年にベルリン・フィルを指揮して行ったブルックナーの交響曲の数々の演奏はいずれ劣らぬ歴史的な超名演であるが、その中でも最高峰の超名演は、紛れもなく本盤に収められた「第7」であると考える。

ヴァントは、同時期にミュンヘン・フィルとともにブルックナーの数々の交響曲を演奏しており、それらの演奏もベルリン・フィル盤と同様にいずれも至高の超名演であるが、「第7」についてはミュンヘン・フィル盤がないだけに、なおさら本演奏の価値が際立っている。

ブルックナーの「第7」には、シューリヒト&ハーグ・フィル(1964年)、マタチッチ&チェコ・フィル(1967年)、朝比奈&大阪フィル(1975年、聖フローリアンライヴ)、ヨッフム&コンセルトヘボウ(1986年、来日公演盤)マゼール&ベルリン・フィル(1988年)、カラヤン&ウィーン・フィル(1989年)、スクロヴァチェフスキ&読売日響(2010年)など、多種多様な名演が目白押しであるが、本ヴァント&ベルリン・フィル盤は、それら古今東西のあまたの名演に冠絶する史上最高の超名演と高く評価したい。

ヴァントのアプローチは、例によって厳格なスコアリーディングに基づく計算し尽くされたものであり、凝縮化された堅固な造型が持ち味だ。

ただ、1980年代のヴァントは、こうしたアプローチがあまりにも整理し尽くされ過ぎていることもあって神経質な面があり、いささかスケールの小ささを感じさせるという欠点があった。

しかしながら、1990年代に入ってからは、そのような欠点が散見されることは殆どなくなったところであり、本盤の演奏でもスケールは雄渾の極みであり、神々しささえ感じさせるほどだ。

音楽はやや速めのテンポで淡々と流れていくが、素っ気なさなど薬にしたくも無く、どこをとってもニュアンス豊かな情感溢れる音楽に満たされているのが素晴らしい。

ヴァントは、決してインテンポには固執せず、例えば第1楽章終結部や第3楽章のトリオ、そして終楽章などにおいて微妙にテンポを変化させているが、いささかもロマンティシズムに陥らず、高踏的な優美さを保っている点は見事というほかはない。

金管楽器などは常に最強奏させているが、いささかも無機的な音を出しておらず、常に奥行きのある深みのある音色を出しているのは、ヴァントの類稀なる統率力もさることながら、ベルリン・フィルの圧倒的な技量の賜物と言えるだろう。

マルチチャンネル付きのSACDによる極上の高音質録音も、本超名演の価値をより一層高めることに大きく貢献している。

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2014年05月20日


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ヴァントがブルックナーの交響曲の中でも特に高く評価していたのが、「第5」と本盤に収められた「第9」であったというのは、ヴァントの伝記などを紐解くとよく記述されている公然の事実だ。

実際に、ブルックナーの「第9」は、ヴァントの芸風に見事に符号する交響曲と言えるのではないか。

最後の来日時(2000年)に、シューベルトの「未完成」とともに同曲の素晴らしい名演を聴かせてくれたことは、あれから12年経った現在においても鮮明に記憶している。

いずれにしても、本盤に収められた演奏は至高の超名演だ。

同時期にミュンヘン・フィルと行った演奏(1998年)もあり、ほぼ同格の名演とも言えるが、同曲の峻厳とも言える性格から、オーケストラの音色としてはベルリン・フィルの方が同曲により適していると考えられるところであり、筆者としては、本盤の方をより上位に置きたいと考える。

なお、前述の来日時の2000年盤との比較については、なかなか難しい面があるが、オーケストラの安定性(ホームグラウンドで演奏しているかどうかの違いであり、北ドイツ放送交響楽団との技量差はさほどではないと考える)において、本盤の方がわずかに上回っていると言えるのではないか。

なお、本名演に匹敵すると考えられる同曲の他の名演としては、シューリヒト&ウィーン・フィル盤(1961年)、朝比奈&大阪フィル盤(1995年)が掲げられるが、前者は特に終楽章のスケールがやや小さいこともありそもそも対象外。

後者については、演奏内容はほぼ同格であるが、オーケストラの力量においては、大阪フィルはさすがにベルリン・フィルと比較すると一歩譲っていると言えるだろう。

今後、本名演を脅かすとすれば、未だDVDも含め製品化されていない、朝比奈&シカゴ交響楽団による演奏(1996年)がCD化された場合であると考えるが、権利関係もあって容易には事が運ばないと考えられるところであり、おそらくは、本名演の天下は、半永久的に揺るぎがないものと考える。

本名演でのヴァントのアプローチは、いつものように眼光紙背に徹した厳格なスコアリーディングによって、実に緻密に音楽を組み立てていく。

造型の堅固さにも際立ったものがある。

金管楽器なども最強奏させているが、無機的な音はいささかも出しておらず、常に深みのある壮麗な音色が鳴っている。

スケールも雄渾の極みであり、前述の堅固な造型美や金管楽器の深みのある音色と相俟って、神々しささえ感じさせるような崇高な名演に仕上がっている。

特に、終楽章のこの世のものとは思えないような美しさは、ヴァントとしても、80代の半ばになって漸く到達し得た至高・至純の境地と言えるだろう。

いずれにしても、前述のように、本名演が古今東西の様々な名演に冠絶する至高の超名演であるということに鑑みれば、ヴァントは、本超名演を持って、ブルックナーの「第9」の演奏史上において、未踏の境地を切り開いたとさえ言えるだろう。

録音もマルチチャンネル付きのSACDによる極上の高音質録音であり、この崇高とも言うべき至高の超名演の価値を高めるのに大きく貢献している点も忘れてはならない。

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ブルックナーの11ある交響曲の中でも「第4」は、ブルックナーの交響曲の演奏が現在のようにごく普通に行われるようになる以前の時代から一貫して、最も人気があるポピュラリティを獲得した作品と言える。

ブルックナーの交響曲全集を録音しなかった指揮者でも、この「第4」の録音だけを遺している例が多いのは特筆すべき事実であると言えるのではないか(ジュリーニなどを除く)。

そして、そのようなブルックナー指揮者とは必ずしも言い難い指揮者による名演が数多く遺されているのも、この「第4」の特殊性と考えられる。

例えば、ベーム&ウィーン・フィル盤(1973年)、ムーティ&ベルリン・フィル盤(1985年)などはその最たる例と言えるところである。

近年では、初稿による名演も、インバルを皮切りとして、ケント・ナガノ、シモーネ・ヤングなどによって成し遂げられており、「第4」の演奏様式も今後大きく変化していく可能性があるのかもしれない。

ただ、この「第4」は、いわゆるブルックナー指揮者と評される指揮者にとっては、なかなかに難物であるようで、ヨッフムなどは、2度にわたる全集を成し遂げているにもかかわらず、いずれの「第4」の演奏も、他の交響曲と比較すると必ずしも出来がいいとは言い難い。

それは、朝比奈やヴァントにも当てはまるところであり、少なくとも1980年代までは、両雄ともに、「第4」には悪戦苦闘を繰り返していたと言えるだろう。

しかしながら、この両雄も1990年代に入ってから、漸く素晴らしい名演を成し遂げるようになった。朝比奈の場合は、大阪フィルとの1993年盤(ポニーキャニオン)と2000年盤(エクストン)盤が超名演であり、これにN響との2000年盤(フォンテック)、新日本フィルとの1992年盤(フォンテック)が続くという構図である。

これに対して、ヴァントの場合は、本盤に収められたベルリン・フィル盤(1998年)、ミュンヘン・フィル盤(2001年)、北ドイツ放送響とのラストレコーディング(2001年)の3点が同格の超名演と高く評価したい。

本演奏におけるヴァントは、必ずしもインテンポに固執していない。

第3楽章などにおけるテンポの変化など、これまでのヴァントには見られなかった表現であるが、それでいてブルックナーの本質を逸脱しないのは、ヴァントが最晩年になって漸く成し得た圧巻の至芸と言えるだろう。

また、眼光紙背に徹した厳格なスコアリーディングを行っており、全体の造型はきわめて堅固ではあるが、細部に至るまで表現が緻密でニュアンスが豊かであり、どこをとっても深みのある音色に満たされているのが素晴らしい。

金管楽器なども完璧に鳴りきっており、どんなに最強奏してもいささかも無機的には陥っていない。

これは、ベルリン・フィルの卓越した技量によるところも大きいが、ヴァントによる圧倒的な統率力にも起因していると考えられる。

第2楽章は、聖フローリアンを吹く一陣のそよ風のようにソフトに開始されるが、その筆舌には尽くし難い繊細さは崇高な高みに達している。

その後は、ブルックナーならではの情感豊かな音楽が続いていくが、ヴァントはいささかも感傷的には決して陥らず、高踏的な美しさを保っているのが素晴らしい。

いずれにしても、本演奏は、ヴァントが80代半ばにして漸く成し遂げることが出来た「第4」の至高の超名演であり、これぞまさしく大器晩成の最たるものと評価したい。

録音も、マルチチャンネル付きのSACDによる極上の高音質録音であり、これは、通常CDである前述のミュンヘン・フィル盤やラストレコーディング盤に対して、大きなアドバンテージとなっていることも忘れてはならない。

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ヴァントがその最晩年にベルリン・フィルと成し遂げたブルックナーの交響曲の演奏の数々は、いずれも至高の超名演であるが、本盤に収められた「第5」は、一連の演奏の中でのトップバッターとなったものである。

ヴァントの伝記などを紐解くと、ヴァントは、ブルックナーの交響曲の中でも特に「第5」と「第9」を、妥協を許すことなく作曲した楽曲として特に高く評価していたことが記されている。

それだけに、ヴァントとしても相当に自信を有していたと考えられるところであり、ベルリン・フィルを指揮した演奏の中でも「第5」と「第9」は、他の指揮者による名演をはるかに引き離す名演を成し遂げていると言えるのではないだろうか。

辛うじて比較し得る「第5」の他の名演としては、ヨッフム&コンセルトへボウ・アムステルダム盤(1964年)、朝比奈&東京交響楽団盤(1995年)が掲げられるが、前者はいささかロマンティシズムに傾斜する傾向、後者はオーケストラの力量に難点があり、ヴァント&ベルリン・フィル盤には遠く及ばないと考える。

唯一対抗し得るのは、同じヴァントによるミュンヘン・フィル盤(1995年)であると考えるが、剛毅な性格を有する「第5」には、ベルリン・フィルの音色の方がより適しているのではないかと考える。

現在、DVDでしか発売されていない朝比奈&シカゴ交響楽団による演奏(1996年)が今後CD化されるとすれば、本盤を脅かす存在になる可能性はあるが、そのようなことがない限りは、本名演の優位性は半永久的に安泰と言っても過言ではあるまい。

本演奏におけるヴァントのアプローチは、眼光紙背に徹した厳格なスコアリーディングに基づく峻厳たるものだ。

やや速めのインテンポによる演奏は、巧言令色とは正反対の質実剛健そのものと言える。

全体の造型はきわめて堅固であり、それによる凝縮化された造型美はあたかも頑健な建造物を思わせるほどであるが、それでいて雄渾なスケール感を失っていないのは、ヴァントが1990年代半ば、80歳を超えて漸く達成し得た圧巻の至芸と高く評価したい。

金管楽器なども常に最強奏しているが、いささかも無機的な響きになることなく、常に奥深い崇高な音色を出しているというのは、ベルリン・フィルのブラスセクションの卓越した技量もさることながら、ヴァントの圧倒的な統率力の賜物と言うべきであろう。

また、峻厳な装いのブルックナーの「第5」においても、第2楽章などを筆頭として、聖フローリアンの自然を彷彿とさせるような抒情的な音楽が随所に散見されるが、ヴァントは、このような箇所に差し掛かっても、いささかも感傷的には陥らず、常に高踏的とも言うべき気高い崇高さを失っていない点が素晴らしい。

このように、非の打ちどころのない名演であるのだが、その中でも白眉は終楽章である。

ヴァントは、同楽章の壮大で輻輳したフーガを巧みに整理してわかりやすく紐解きつつ、音楽がごく自然に滔々と進行するように仕向けるという、ほとんど神業的な至芸を披露しており、終楽章は、ヴァントの本超名演によってはじめてその真価のベールを脱いだと言っても過言ではあるまい。

録音も、マルチチャンネルは付いていないものの、SACDによる極上の高音質であり、この史上最高の超名演の価値をさらに高めることに大きく貢献している。

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2014年05月07日


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ヴァントは、徹底したリハーサルを繰り返すことによって自ら納得できる音楽作りを追求し続けたことから、起用するオーケストラを厳選していた。

長年に渡って音楽監督を務め、その後は名誉指揮者の称号が与えられた北ドイツ放送交響楽団が第一に掲げられる存在と言えるが、その他のオーケストラとしては、ベルリン・フィルやミュンヘン・フィル、そしてベルリン・ドイツ交響楽団が掲げられるところだ。

ベルリン・ドイツ交響楽団は、ベルリン・フィルの陰に隠れた存在に甘んじているが、一流の指揮者を迎えた時には、ベルリン・フィルに肉薄するような名演を成し遂げるだけの実力を兼ね備えたオーケストラである。

ましてや、指揮者がヴァントであれば問題はなく、その演奏が悪かろうはずがない。

本盤に収められたチャイコフスキーの交響曲第6番やモーツァルトの交響曲第40番は、ヴァントの知られざるレパートリーの一つであったが、いずれも素晴らしい名演と高く評価したい。

チャイコフスキーの交響曲第6番については、既に1991年に手兵の北ドイツ放送交響楽団との演奏が発売されていることから、本演奏はその3年前のもの、ヴァントによる2種目の同曲の録音ということになる。

本盤に収められた演奏についても、演奏全体の造型は堅固であり、その様相は剛毅にして重厚。

ヴァントは、同曲をロシア音楽ではなく、むしろベートーヴェンやブラームスの交響曲に接するのと同じような姿勢で本演奏に臨んでいるとさえ言えるところだ。

したがって、同曲にロマンティックな抒情を求める聴き手にはいささか無粋に感じるであろうし、無骨とも言えるような印象を受けるが、各旋律の端々からは、人生の諦観を感じさせるような豊かな情感が滲み出していると言えるところであり、これは、ヴァントが晩年になって漸く到達し得た至高・至純の境地と言えるのではないかと考えられるところだ。

そして、演奏全体に漂っている古武士のような風格は、まさに晩年のヴァントだけが描出できた崇高な至芸と言えるところである。

もちろん、チャイコフスキーの交響曲の演奏として、本演奏が唯一無二の存在とは必ずしも言い難いと言えるが、それでも立派さにおいては人後に落ちないレベルに達しているとも言えるところであり、筆者としては、本演奏を素晴らしい名演と評価するのにいささかの躊躇をするものではない。

なお、演奏全体の懐の深さという意味においては、1991年の演奏の方を上位に掲げたいが、引き締まった造型美という意味においては本演奏の方がより優れており、後は聴き手の好みの問題と言えるのかもしれない。

他方、モーツァルトの交響曲第40番については、ケルン・ギュルツェニヒ管弦楽団との演奏(1959年)、北ドイツ放送交響楽団との演奏(1994年ライヴ録音)が既発売であることから、ヴァントによる3種目の録音ということになる。

本演奏については、ワルターやベームなどによる名演と比較すると、優美さや愉悦性においていささか欠けていると言わざるを得ない。

テンポはかなり速めであり、一聴すると無骨とも言えるところであるが、各旋律の端々から漂う独特のニュアンスや枯淡の境地さえ感じさせる情感には抗し難い魅力に満ち溢れていると言えるところであり、北ドイツ放送交響楽団との演奏ほどではないが、ヴァントの晩年の澄み切った境地が示された名演と高く評価したい。

音質は、1988年のライヴ録音であるが、十分に満足できるものである。

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2014年05月01日


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ヴァントと言えば、最晩年のブルックナーの交響曲の神がかり的な超名演の数々がいの一番に念頭に浮かぶ。

その他にも、シューベルトやブラームス、ベートーヴェンの交響曲の名演などの印象も強く、本盤に収められたムソルグスキーの組曲「展覧会の絵」やドビュッシーの交響的断章「聖セバスティアンの殉教」を演奏しているヴァントのイメージが今一つ浮かんで来ないと言わざるを得ない。

むしろ、ヴァントの芸風からすれば、極めて珍しい録音と言っても過言ではないとさえ思われるところであるが、意外にもヴァントはこれら両曲に深い愛着を抱き、たびたび演奏してきたとのことである。

それだけに、例えば、組曲「展覧会の絵」についても、たどたどしいところがいささかもなく、各場面の描き分けを巧みに行った見事な演奏を展開していると言えるだろう。

独墺系の指揮者で同曲を得意としていた指揮者としてはカラヤンが掲げられるが、カラヤンの演奏のように豪華絢爛にして豪奢な演奏ではなく、カラヤンの演奏と比較すると随分と地味な印象も受けるところだ。

テンポはやや速めで一貫しているが、前述のような場面毎の巧みな描き分け、そして随所に聴かれる独特のニュアンスの豊かさは、まさに老巨匠ならではの名人芸とも言えるところであり、内容の豊かさという意味においては、他のどの指揮者の演奏にも引けを取らない高水準の演奏に仕上がっている。

ロシア風の民族色とは殆ど無縁であり、必ずしもスケールの雄大さを感じることもできない演奏ではあるが、筆者としては、ヴァントの指揮芸術の奥の深さを十二分に味わうことが可能な素晴らしい名演と高く評価したい。

ドビュッシーの交響的断章「聖セバスティアンの殉教」も、およそヴァントの芸風とは結びつかない楽曲であるが、厳格なスコアリーディングに基づく緻密な演奏を旨とするヴァントの芸風との相性は意外にも良く、純音楽的な意味においては、これ以上は求め得ないような演奏に仕上がっていると言えるのではないだろうか。

フランス風のエスプリであるとか、同曲の官能的な描写性とは殆ど無縁の演奏ではあるが、いわゆる純音楽的という意味においては、他のどの指揮者による演奏よりも優れた名演であると高く評価したい。

音質は、従来CD盤が発売された後、リマスタリングが一度もなされていないものの、十分に満足できるものであった。

しかしながら、今般、ついにSACD化が行われることによって大変驚いた。

従来CD盤とは次元が異なる見違えるような鮮明な音質に生まれ変わった言えるところであり、あらためてSACDの潜在能力の高さを思い知った次第である。

いずれにしても、ヴァントによる素晴らしい名演を、SACDによる極上の高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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2014年02月24日


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1990年代に入って、余人を寄せ付けないような神々しいまでの崇高な名演の数々を成し遂げた巨匠ヴァントによる本拠地、ハンブルク・ムジーク・ハレでの最後のライヴ録音である。

とは言っても、ヴァントの場合は、数回に渡って行われる演奏会の各演奏を編集した上で、ベストの演奏を作り上げていくという過程を経て、初めて自らの録音を販売するという慎重さを旨としていたことから、厳密に言うと、本拠地での最後の演奏会における演奏そのものと言えないのかもしれない。

また、その数日後にも、同じプログラムでヴッパータールやフランクフルトで演奏会を行っているということもある。

そうした点を考慮に入れたとしても、巨匠の人生の最後の一連の演奏会の記録とも言えるところであり、本演奏には、巨匠が最晩年に至って漸く到達し得た至高・至純の境地が示されていると言っても過言ではあるまい。

冒頭のシューベルトの交響曲第5番も、冒頭からして清澄さが漂っており、この世のものとは思えないような美しさに満ち溢れている。

もちろん、ヴァントの演奏に特有の厳格なスコアリーディングに基づく堅固な造型美の残滓を聴くことは可能であるものの、むしろ緻密な演奏の中にも即興的とさえ言うべき伸びやかさが支配している。

加えて、各旋律の端々には枯淡の境地とも言うべき情感が込められており、その独特の情感豊かさには抗し難い魅力に満ち溢れている。

ヴァントにとって、同曲の演奏は、ケルン放送交響楽団との全集以来の録音(1984年)であると思われるが、演奏の芸格の違いは歴然としており、最晩年のヴァントが成し遂げた至高の超名演と高く評価したい。

ブルックナーの交響曲第4番は、ヴァントが何度も録音を繰り返してきた十八番とも言うべき楽曲である。

ヴァントによるブルックナーの唯一の交響曲全集を構成するケルン放送交響楽団とのスタジオ録音(1976年)、北ドイツ放送交響楽団とのライヴ録音(1990年)、ベルリン・フィルとのライヴ録音(1998年)、ミュンヘン・フィルとのライヴ録音(2001年)の4種が既に存在し、本盤の演奏は5度目の録音ということになる。

演奏の完成度という意味においては、ベルリン・フィルやミュンヘン・フィルとの演奏を掲げるべきであるが、演奏の持つ味わい深さにおいては、本盤の演奏を随一の超名演と掲げたい。

シューベルトの交響曲第5番と同様に、本演奏においても、厳格なスコアリーディングに基づく緻密さや堅固な造型美は健在であるが、テンポをよりゆったりとしたものとするとともに、随所に伸びやかさや独特の豊かな情感が込められており、まさにヴァントが人生の最後に至って漸く到達し得た崇高にして清澄な境地があらわれていると言っても過言ではあるまい。

いずれにしても、筆者としては、本演奏こそはヴァントによる同曲の最高の名演であるとともに、ベーム&ウィーン・フィルによる演奏(1973年)や朝比奈&大阪フィルによる演奏(2001年)と並んで3強の一角を占める至高の超名演と高く評価したい。

音質は、従来CD盤が初発売された後、リマスタリングが一度もなされていないものの、十分に満足できるものであった。

しかしながら、今般、ついにSACD化が行われることによって大変驚いた。

従来CD盤とは次元が異なる見違えるような鮮明な音質に生まれ変わっており、あらためてSACDの潜在能力の高さを思い知った次第である。

いずれにしても、ヴァントによる至高の超名演を、SACDによる極上の高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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2014年02月10日


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ヴァントほどの大指揮者になると、愉悦性に富んだ管弦楽曲と言えどもいささかも手抜きはしない。

その最たる例が、本盤に収められたハフナー・セレナード&ドイツ舞曲であると言えるだろう。

モーツァルトの管弦楽曲と言えば、オペラの序曲を除けば、セレナードとディヴェルティメントが2本柱と言えるが、超有名な「アイネ・クライネ・ナハト・ムジーク」を除けば、独墺系の指揮者は、そのどちらかを好んで演奏する傾向が強いように思われるところだ。

カラヤンなどは、ディヴェルティメントを得意のレパートリーとしており、最晩年にも素晴らしいスタジオ録音を成し遂げている。

これに対して、生前カラヤンのライバルと目されたベームはセレナードを好んで演奏していたことは良く知られているところだ。

そして、ヴァントは、こうしたベームの系譜に繋がる指揮者と言えるだろう。

とは言っても、ベームによるセレナードの演奏と、ヴァントによるセレナードの演奏は随分とその性格が異なる。

どちらの指揮者も、堅固な造型美や重厚にして剛毅な演奏という点において共通しているが、ベームの演奏には、ウィーン・フィルなどによる美演ということも多分にあると思われるが、優美さや典雅さに満ち溢れているのではないだろうか。

これに対して、ヴァントの演奏は、例によって厳格なスコアリーディングに基づいた緻密さを基軸にしており、優美さや典雅さよりもむしろ、交響曲を演奏するような姿勢で演奏に接しているとさえ言えるだろう。

したがって、ハフナー・セレナードの持つ愉悦性においては、いささか欠けていると言わざるを得ないが、格調の高さにおいては無類のものがあり、一聴すると武骨な表現の中にも、独特のニュアンスや情感の豊かさが込められているのが見事である。

必ずしも、一般受けする演奏とは言い難いが、演奏に内在する意味の深さ、彫りの深さには尋常ならざるものがあり、本演奏は、巨匠ヴァントの晩年の至高・至純の境地があらわれた素晴らしい名演と高く評価すべきではなかろうか。

ドイツ舞曲も、ヴァントのような大指揮者が演奏すると、偉大な芸術作品に変貌し、まさに、同曲の真の魅力を引き出すのに成功した稀有の名演と高く評価したい。

音質は、1989年のスタジオ録音であるだけに、従来CD盤でも十分に満足できる音質であったが、今般、ついにSACD化されたのは何と言う素晴らしいことであろうか。

音質の鮮明さ、音場の幅広さのどれをとっても一級品の仕上がりであり、あらためてSACDの潜在能力の高さを思い知った次第だ。

いずれにしても、ヴァントによる至高の超名演を、SACDによる極上の高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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2014年02月04日


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ケルンのギュルツェニヒ管弦楽団との録音で、ギュンター・ヴァントの存在を知った人は、それから半世紀以上になるが、率直に言って今日の名声が予期以上のものであったという人は、かなり多いかもしれない。

そのレパートリーは、独墺系の中では近・現代までも含む広さを持っているが、彼の名を特別なものとしたのは、いわゆるブルックナー&マーラー時代に、きわめて明快にブルックナーだけを支持して、そのエクスパートとされたことによるだろう。

事実、彼はマーラーを忌避し、ブルックナーには、版の選定に至るまできわめて厳しい理念を根底に置きながら、稀な深ささえ持った愛着ぶりを示している。

その録音の数も実に多いが、そこに主張されているものは、主観よりも客観であり、きわめて誠実なアプローチの中に、確実に聴く者をとらえずにはおかない説得力を示している。

1992年の北ドイツ放送交響楽団との第7番のライヴは、まさにその代表的な演奏のひとつであり、ヴァントが80歳にして到達した至高の解釈が示されたものだろう。

ヴァントにとって、自らの解釈をもっとも忠実に表現してくれる楽器は1982年から1991年まで主席指揮者を務め、その後は名誉指揮者のポストにあった北ドイツ放送響である。

長年の共同作業を通してオーケストラの楽員にはヴァントの考えが隅々まで浸透し、指揮者のちょっとした動きにもオーケストラ全体が機敏に反応し、完璧なまでの有機体を形成している。

その点で、ベルリン・フィルとのブルックナーは、北ドイツ放送響との録音に及ばないと言える。

さすがに高齢になりすぎたベルリン・フィルとの一連の録音は、何故か音質も北ドイツ放送響盤に及ばない。

一説によれば、ライヴ録音のノイズや演奏ミスを修正するため、過度の編集をする事により、音質劣化が起こり、音の抜けが悪くなったそうだ。

ベルリン・フィルとの演奏を気に入っている人は、北ドイツ放送響との録音と是非比較し、ご確認される事をお勧めする。

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2014年01月05日


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現役盤だけでも30点は下らないこの作品の名演は少なくない。

これは北ドイツ放送響とのヴァントの演奏のなかでも出色で、真摯な音楽との取り組みから過不足のない叙情性と崇高な精神性を引き出している。

誇張表現をいっさい避けてブルックナーの本質美に到達する。

ヴァントは、厳格なイン・テンポではないのに、フレーズからフレーズへと滑らかに進行する類稀な音楽的時計の持ち主だ。

テクスチュアの面でも、各声部を過不足なく浮き上がらせている。

テンポ変化の滑らかさ、すべての小節に向けられた“線”的な書法造形への配慮、ドイツ語圏現代最高のオケ、という3拍子が揃ったヴァントの演奏は、やはり掛け替えのないものだろう。

いつ聴いても感動してしまう。

しかし、シューリヒトに比べて、ヴァントは激しさが不足しているように筆者には聴こえてしまう。

このように1993年ライヴ録音は極めて高水準の演奏で、改めて驚いてしまった。

第1楽章冒頭から気合いの入った音楽が聴ける。さすが手兵との録音である。

この旧盤と比べると、筆者は、なおのことベルリン・フィルとの出来が気になってしまう。

いかにヴァントが優れた指揮者であっても、ライヴで最高の演奏を常にし続けることはできないのだろう。

やはり人間の営みであるわけだから、やむを得まい。

もし、ベルリン・フィルとの演奏を、特に第1楽章を不満に思う人がいたら、この1993年のライヴ盤をお薦めしたい。

オケの出来を含め、ヴァントの傑作と呼べるCDである。

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文字通り「最後の巨匠」であったギュンター・ヴァント最晩年の名声を決定付けた、1996年から2001年にかけて録音されたベルリン・フィルとの名盤、ブルックナーの交響曲集(第4番・第5番・第7番・第8番・第9番)を海外盤では初めてボックス・セット化したもの。

まさに最晩年を迎えた芸術家ヴァントの「完成期の音楽」というにふさわしい貫禄がある演奏で、しばしば表現される「白鳥の歌」に相当する得難い名品だと思う。

それではこれらのヴァントの録音の特徴は何かと言えば、一つは合奏音の融合度の高さにある。

緻密に計算されたバランスで、管弦楽の重厚さが常に適切に保たれていて、たいへん調性的で節度を重んじる表現を貫いている。

このことは、よく「天国的」と形容されるブルックナーの音楽の一面を、余すことなく表現しているだろう。

次の特徴は、悠々泰然たるテンポ設定であるが、これは「遅い」と言っているのではない。

むしろ、遅さを感じる部分はほとんどないと言っていいくらい、推進力が保たれている。

一般的なイメージとして、年齢とともに荘重な音楽効果を重視し、テンポを緩める傾向があるのだが、ヴァントは例外と言えよう。

むしろ引き締まった印象を与えるほどの、確信に満ちたテンポ設定で、それは、生涯を通じてブルックナーをやってきたヴァントならではの、決定的な解答と思えるような説得力に富んでいるものだ。

こうして奏でられるブルックナーは「天国的」であり、かつ「力強い内的均衡感」に満ちたものとなる。

ただ美しいだけではないところが、ヴァントの芸術の高い価値を示しているだろう。

個人的には、やや不均衡なところがあっても、朴訥としたダイナミズムを堪能させてくれたケルン放送響との全集も好きなのだが、一方でこれらのベルリン・フィルとの録音も、捨てがたい価値を持っていると思う。

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2014年01月04日


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1979年6月24日 オットーボイレン、ベネディクト修道院バジリカ聖堂に於けるステレオ(ライヴ)録音。

荘厳な中にもロココ様式ならではの美しさが漂うオットーボイレンのベネディクト修道院にあるバジリカ聖堂。

日本では、ヨッフム指揮コンセルトヘボウ管によるブルックナー第5番の響きの豊かなライヴ録音で有名になったこの場所で、なんとギュンター・ヴァントがブルックナーの第9番を演奏していた。

まず驚くのは音質の良さ。

機材の優秀さやマイク・ポジション選定の巧みさもあってか、ライヴ録音ながら、同時期のケルン放送響とのスタジオ録音よりも明らかに音質が良く、特に深みのある低音域を軸とした強烈なトゥッティは迫力満点の聴きものとなっている。

間接音が豊かなため、管楽器の音も実に潤い豊かだし、また、それゆえブルックナー特有の「休止」もここでは大変に効果的。

オーケストラがチェリビダッケ時代のシュトゥットガルト放送交響楽団という点も見逃せないところ。

日頃からチェリビダッケに鍛えられていただけあって、ヴァントの厳しい要求にも高い集中力で見事に応え、合奏精度の高さ、アーティキュレーションの統一、ソロの洗練された美しさなど申し分ない。

その性能の良さに影響されてか、あるいはライヴということもあってか、ヴァントのアプローチも、同時期のケルン盤に較べてより表現の振幅の大きなものとなっており、劇的な性格が強まっているのがポイント。

第1楽章展開部のクライマックス(13:25〜)など驚くほかない壮絶な音楽である。

ヴァントの伝記作者でもあるヴォルフガング・ザイフェルト氏が大絶賛する気持ちも十分に納得の見事な演奏と言えるだろう。

本場ドイツで伝説となって、ブルックナー指揮者ヴァントの名声を確立した名演である。

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2013年12月12日


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長らく待ち望んだ正規盤としての発売が、またひとつ実現した。

ヴァントが北ドイツ放送響首席指揮者就任後、初の定期公演の『展覧会の絵』(1982年)と、ボレット独奏のチャイコフスキー第1番(1985年)という魅力的なカップリングでの登場だ。

ヴァント&北ドイツ放送響といえば、BMGによる重厚な雰囲気たっぷりの名演の数々が思い浮かぶが、今回正規初CD化の2曲はNDRのオリジナル・テープからCD化されたもので、まずその音質のあまりのクリアさに驚かされる。

音が残響で曇ることなく、細部まではっきり聴き取れるため、いままでの同コンビの印象も新たになるようで、ヴァント首席指揮者就任時の覇気あふれる『展覧会の絵』も「バーバ・ヤガー」から「キエフの大門」に至る崇高な盛り上がりなど無類の名演である(ちなみにBMG盤は1999年録音)。

チャイコフスキーでのボレットとの共演は圧巻の一語で、こちらも音質抜群。

緊迫感ただならぬものがあり、PROFILレーベル社主のギュンター・ヘンスラー氏の自薦する録音のひとつだということだ。

それだけに、このボレット&ヴァントのチャイコフスキーは、凄い。

凛として、かつ圧倒的な音楽的エネルギーの燃焼は、うかつに聴くと、はじきとばされかねない。

かといって、決して荒っぽい“爆演”ではなく、非常なエネルギーが持続して、極めて精緻に、集中・凝縮している。

繊細といえばこれほど繊細な演奏もなく、しかしその「繊細」は、ヤワじゃない。

これぞ硬派のチャイコフスキー、まさに偉大な演奏の記録だ。

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2013年10月06日


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独墺系の指揮者にはチャイコフスキーの交響曲の録音を好んで行った者は多い。

フルトヴェングラーやクレンペラー、ベーム、ザンデルリンクといった錚々たる指揮者が、後期3大交響曲の録音を行っているし、カラヤンに至っては、交響曲全集のほか、数多くの録音を遺している。

ヴァントの芸風とチャイコフスキーの交響曲は、必ずしも相容れるものではないようにも思われるが、ヴァントの伝記を紐解くと、若い頃は、チャイコフスキーの交響曲を頻繁に演奏したとのことである。

これは、ヴァントが、とかく孤高の指揮者と捉えられがちではあるが、実際には累代の独墺系の大指揮者の系列に繋がる指揮者であるということを窺い知ることが可能であるとも言える。

もっとも、ヴァントが遺したチャイコフスキーの交響曲の録音は、手兵北ドイツ放送交響楽団を指揮した第5番及び第6番のそれぞれ1種類ずつしか存在していない。

しかしながら、数は少ないとしても、この2つの演奏はいずれも素晴らしい名演であると高く評価したい。

本盤に収められたのは交響曲第5番であるが、同曲は、チャイコフスキーの数ある交響曲の中でも、その旋律の美しさが際立った名作である。

それ故に、ロシア風の民族色やメランコリックな抒情を歌い上げたものが多いが、本演奏は、それらのあまたの演奏とは大きくその性格を異にしている。

演奏全体の造型は堅固であり、その様相は剛毅にして重厚。

ヴァントは、同曲をロシア音楽ではなく、むしろベートーヴェンやブラームスの交響曲に接するのと同じような姿勢で本演奏に臨んでいるとさえ言えるところだ。

したがって、同曲にロマンティックな抒情を求める聴き手にはいささか無粋に感じるであろうし、無骨とも言えるような印象を受けるが、各旋律の端々からは、人生の諦観を感じさせるような豊かな情感が滲み出していると言えるところであり、これは、ヴァントが晩年になって漸く到達し得た至高・至純の境地ではないかと感じられる。

そして、演奏全体に漂っている古武士のような風格は、まさに晩年のヴァントだけが描出できた崇高な至芸である。

もちろん、チャイコフスキーの交響曲の演奏として、本演奏が唯一無二の存在とは必ずしも言い難いが、それでも立派さにおいては人後に落ちないレベルに達しているとも言えるところであり、筆者としては、本演奏を素晴らしい名演と評価するのにいささかの躊躇をするものではない。

併録のモーツァルトの交響曲第40番も、ワルターやベームなどによる名演と比較すると、優美さや愉悦性においていささか欠けていると言わざるを得ないが、チャイコフスキーの交響曲第5番の演奏と同様に、一聴すると無骨とも言える各旋律の端々から漂う独特のニュアンスや枯淡の境地さえ感じさせる情感には抗し難い魅力に満ち溢れている。

いずれにしても、本演奏は、ヴァントの最晩年の清澄な境地が示された至高の名演と高く評価したい。

ヴァントは、同時期に交響曲第39番や第41番も録音しているが、可能であれば、本盤のようにSACD化して欲しいと思う聴き手は筆者だけではあるまい。

音質は、1994年のライヴ録音であるだけに、従来CD盤でも十分に満足できる音質であったが、今般、ついにSACD化されたのは何と言う素晴らしいことであろうか。

音質の鮮明さ、音場の幅広さのどれをとっても一級品の仕上がりであり、あらためてSACDの潜在能力の高さを思い知った次第だ。

いずれにしても、ヴァントによる至高の名演を、SACDによる極上の高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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2013年08月27日


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チャイコフスキーの最高傑作でもある交響曲第6番「悲愴」については、これまで数多くの独墺系に指揮者が演奏・録音してきた。

フルトヴェングラーやクレンペラー、ベーム、ザンデルリンクといった錚々たる指揮者のほか、カラヤンに至っては、同曲を心から愛し、おびただしい数の録音を行った。

ヴァントの芸風とチャイコフスキーの交響曲は、必ずしも相容れるものではないようにも思われるが、それでも交響曲第5番と比較すると、幾分ヴァントの芸風が生かされる余地がある楽曲と言えるのかもしれない。

ヴァントの伝記を紐解くと、若い頃は、チャイコフスキーの交響曲を頻繁に演奏したとのことである。

これは、ヴァントが、とかく孤高の指揮者と捉えられがちではあるが、実際には累代の独墺系の大指揮者の系列に繋がる指揮者であるということを窺い知ることが可能である。

もっとも、ヴァントが遺したチャイコフスキーの交響曲の録音は、手兵北ドイツ放送交響楽団を指揮した第5番及び第6番のそれぞれ1種類ずつしか存在していない。

しかしながら、数は少ないとしても、この2つの演奏はいずれも素晴らしい名演であると高く評価したい。

本盤に収められたのは交響曲第6番であるが、演奏全体の造型は堅固であり、その様相は剛毅にして重厚。

ヴァントは、同曲をロシア音楽ではなく、むしろベートーヴェンやブラームスの交響曲に接するのと同じような姿勢で本演奏に臨んでいるとさえ言えるところだ。

したがって、同曲にロマンティックな抒情を求める聴き手にはいささか無粋に感じるであろうし、無骨とも言えるような印象を受けるが、各旋律の端々からは、人生の諦観を感じさせるような豊かな情感が滲み出していると言えるところであり、これは、ヴァントが晩年になって漸く到達し得た至高・至純の境地と言えるのではないかと考えられるところだ。

そして、演奏全体に漂っている古武士のような風格は、まさに晩年のヴァントだけが描出できた崇高な至芸である。

もちろん、チャイコフスキーの交響曲の演奏として、本演奏が唯一無二の存在とは必ずしも言い難いが、それでも立派さにおいては人後に落ちないレベルに達しているとも言えるところであり、筆者としては、本演奏を素晴らしい名演と評価するのにいささかの躊躇をするものではない。

併録のストラヴィンスキーのバレエ音楽「プルチネルラ」も、ヴァントしては極めて珍しいレパートリーであるが、これまた異色の名演だ。

いわゆる新古典派と称される音楽であり、親しみやすい旋律に満ち溢れた名作であるが、ヴァントは陳腐なロマンティシズムに拘泥することなく、常に高踏的な美しさを失うことなく、格調高く曲想を描き出しているのが素晴らしい。

同曲の最高の演奏とまでは言えないものの、ヴァントならではの引き締まった名演と評価するのにいささかも躊躇するものではない。

音質は、1990年代のライヴ録音であるだけに、従来CD盤でも十分に満足できる音質であったが、今般、ついにSACD化されたのは何という素晴らしいことであろうか。

音質の鮮明さ、音場の幅広さのどれをとっても一級品の仕上がりであり、あらためてSACDの潜在能力の高さを思い知った次第だ。

いずれにしても、ヴァントによる至高の名演を、SACDによる極上の高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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2013年08月17日


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ヴァントは、必ずしもレパートリーが広い指揮者とは言えないが、それでもチャイコフスキーの交響曲第5番及び第6番や、ストラヴィンスキーのバレエ音楽など、意外な楽曲を演奏・録音していることについても留意しておく必要があると思われる。

とは言っても、ヴァントのレパートリーの中核は独墺系の作曲家の楽曲であり、定評のあるブルックナーの交響曲のほか、モーツァルト、ベートーヴェン、シューベルト、シューマン、ブラームスなどの楽曲がその中心であったことは否めない事実である。

ヴァントによるベートーヴェンの交響曲の演奏としては、何と言っても1980年代に、手兵北ドイツ放送交響楽団とともにスタジオ録音した唯一の交響曲全集(1984〜1988年)が念頭に浮かぶ。

当該全集以前の演奏もテスタメントなどによって発掘がなされているが、ヴァントのベートーヴェン演奏の代表盤としての地位にはいさかも揺らぎがない。

しかも、当該全集については、現在では入手難であるが、数年前にSACDハイブリッド盤で発売されたこともあり、ますますその価値を高めていると言っても過言ではあるまい。

本盤に収められたベートーヴェンの交響曲第3番の演奏は、1989年に北ドイツ放送交響楽団とともにライヴ録音したものである。

本演奏と同様に、前述の全集以降は、第1番、第2番、そして第4番〜第6番のライヴ録音も行っただけに、残る第7番〜第9番の録音を果たすことなくこの世を去ってしまったのは極めて残念なことであった。

それはさておき、本盤の演奏も素晴らしい名演だ。

前述の全集も、ヴァントの峻厳な芸風があらわれたいかにもドイツ色の濃厚な名演揃いであったが、いささか厳格に過ぎる造型美や剛毅さが際立っているという点もあって、スケールがいささか小さく感じられたり、無骨に過ぎるという欠点がないとは言えないところだ。

それに対して、本盤の演奏は、おそらくはヴァントの円熟のなせる業であるとも思われるが、全集の演奏と比較すると、堅固な造型の中にも、懐の深さやスケールの雄大さが感じられるところであり、さらにグレードアップした名演に仕上がっていると言えるのではないだろうか。

もちろん、華麗さなどとは無縁の剛毅さや無骨さは相変わらずであるが、それでも一聴すると淡々と流れていく曲想の端々からは、人生の諦観を感じさせるような豊かな情感が滲み出ているところであり、これは、ヴァントが晩年になって漸く到達し得た至高・至純の境地と言えよう。

そして、演奏全体に漂っている古武士のような風格は、まさに晩年のヴァントだけが描出できた崇高な至芸であり、本演奏こそは、ヴァントによるベートーヴェンの交響曲第3番の最高の名演と高く評価したい。

併録の「レオノーレ」序曲第3番も、晩年のヴァントならではの雄渾なスケールと崇高な風格を兼ね備えた素晴らしい名演に仕上がっている。

音質は、1989年のライヴ録音であるだけに、従来CD盤でも十分に満足できる音質であったが、今般、ついにSACD化されたのは何という素晴らしいことであろうか。

音質の鮮明さ、音場の幅広さのどれをとっても一級品の仕上がりであり、あらためてSACDの潜在能力の高さを思い知った次第だ。

いずれにしても、ヴァントによる至高の名演を、SACDによる極上の高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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2013年07月19日


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ブルックナーの交響曲を数多く演奏・録音してきたヴァントが、最も数多くの録音を遺した交響曲は、何と言っても第8番であった。

ケルン・ギュルツェニヒ管弦楽団との演奏(1971年)にはじまり、ヴァントによる唯一の全集を構成するケルン放送交響楽団との演奏(1979年)、先般発売されて話題を呼んだNHK交響楽団との演奏(1983年)と続くことになる。

そして、その後は、北ドイツ放送交響楽団との3度にわたる演奏(1987年ライヴ録音、1990年東京ライヴ録音、1993年ライヴ録音(本盤))、ミュンヘン・フィルとの演奏(2000年ライヴ録音)、ベルリン・フィルとの演奏(2001年ライヴ録音)の5度にわたって録音を行っており、合計で8度にわたって録音したことになるところだ。

これは、演奏・録音に際して厳格な姿勢で臨んだヴァントとしても信じ難い数多さと言えるところであるが、それだけ同曲の演奏に自信を持って臨んでいたということであり、これら遺された録音はいずれ劣らぬ素晴らしい名演であると高く評価したい。

この中で、最も優れた超名演は、ミュンヘン・フィル及びベルリン・フィルとの演奏であるというのは衆目の一致するところであろう。

もっとも、北ドイツ放送交響楽団との最後の録音となった本盤の演奏も、さすがにミュンヘン・フィル及びベルリン・フィルとの演奏のような至高の高みには達していないが、十分に素晴らしい名演と高く評価するのにいささかも躊躇するものではない。

1980年代までのヴァントによるブルックナーの交響曲の演奏におけるアプローチは、厳格なスコアリーディングの下、楽曲全体の造型を厳しく凝縮化し、その中で、特に金管楽器を無機的に陥る寸前に至るまで最強奏させるのを特徴としており、優れた演奏である反面で、スケールの若干の小ささ、そして細部にやや拘り過ぎる神経質さを感じさせるのがいささか問題であった。

そうした短所も1990年代に入って、かかる神経質さが解消し、スケールの雄大さが加わってくることによって、前述のミュンヘン・フィルやベルリン・フィルとの歴史的な超名演を成し遂げるほどの高みに達していくことになるのだが、1990年の来日時の演奏や本盤に収められた演奏は、そうした最晩年の超名演の先駆であり、高峰への確かな道程となるものとも言える。

比較的ゆったりとしたテンポをとっているが、必ずしももたれるということはなく、ゆったりとした気持ちで、同曲の魅力を満喫することができるというのは、ヴァントのブルックナーへの理解・愛着の深さの賜物と言える。

金管楽器の最強奏も相変わらずであるが、ここでは、やり過ぎということは全くなく、常に意味のある、深みのある音色が鳴っているのが素晴らしい。

音質は、従来CD盤からして比較的良好な音質であったが、その後、SHM−CD盤が発売されるに及んで、更に鮮明さを増すなど十分に満足できる高音質であり、筆者も、当該SHM−CD盤をこれまで愛聴してきた。

ところが今般、ついに待望のSACD化が行われることによって、更に見違えるような鮮明な音質に生まれ変わった。

音質の鮮明さ、音場の幅広さ、そして音圧のいずれをとっても一級品の仕上がりであり、あらためてSACDの潜在能力の高さを思い知った次第である。

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2013年07月01日


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ヴァントといえば、最晩年の神々しいまでの崇高な超名演を成し遂げたこともあって、どうしてもブルックナー指揮者のイメージが付きまとうところだ。

これは、朝比奈にも共通することであると思われるが、ヴァントにしても朝比奈にしても、ブルックナーだけでなく、ベートーヴェンやブラームス、シューベルトの楽曲においても、比類のない名演の数々を成し遂げていることを忘れてはならないだろう。

ヴァントによるベートーヴェンの交響曲の演奏としては、何と言っても1980年代に、手兵北ドイツ放送交響楽団とともにスタジオ録音した唯一の交響曲全集(1984〜1988年)が念頭に浮かぶ。

当該全集以前の演奏もテスタメントなどによって発掘がなされているが、ヴァントのベートーヴェン演奏の代表盤としての地位にはいさかも揺らぎがないと言える。

本盤に収められたベートーヴェンの交響曲第5番及び第6番の演奏は、1992年に北ドイツ放送交響楽団とともにライヴ録音したものである。

本演奏と同様に、前述の全集以降は、第1番〜第4番のライヴ録音も行っただけに、残る第7番〜第9番の録音を果たすことなくこの世を去ってしまったのは極めて残念なことであった。

それはさておき、本盤の演奏も素晴らしい名演だ。

前述の全集も、ヴァントの峻厳な芸風があらわれたいかにもドイツ色の濃厚な名演揃いであったが、いささか厳格に過ぎる造型美や剛毅さが際立っているという点もあって、スケールがいささか小さく感じられたり、無骨に過ぎるという欠点がないとは言えないところだ。

それに対して、本盤の演奏は、おそらくはヴァントの円熟のなせる業であるとも思われるところであるが、全集の演奏と比較すると、堅固な造型の中にも、懐の深さやスケールの雄大さが感じられるところであり、さらにグレードアップした名演に仕上がっていると言えるのではないだろうか。

もちろん、華麗さなどとは無縁の剛毅さや無骨さは相変わらずであるが、それでも一聴すると淡々と流れていく曲想の端々からは、人生の諦観を感じさせるような豊かな情感が滲み出しており、これは、ヴァントが晩年になって漸く到達し得た至高・至純の境地と言えるのではないだろうか。

そして、演奏全体に漂っている古武士のような風格は、まさに晩年のヴァントだけが描出できた崇高な至芸であり、本演奏こそは、ヴァントによるベートーヴェンの交響曲第5番及び第6番の最高の名演と高く評価したい。

音質は、1992年のライヴ録音であるだけに、従来CD盤でも十分に満足できる音質であったが、今般、ついにSACD化されたのは何という素晴らしいことであろうか。

音質の鮮明さ、音場の幅広さのどれをとっても一級品の仕上がりであり、あらためてSACDの潜在能力の高さを思い知った次第だ。

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2013年06月21日


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最晩年のヴァントによる演奏である(2001年)。

録音には常に慎重な姿勢で臨むとともに、演奏する楽曲も慎重に見極めていたヴァントであるが、本盤に収められたモーツァルトのセレナード「ポストホルン」と、ベートーヴェンの交響曲第4番は、ヴァントの隠れたレパートリーの楽曲であったと言えるところだ。

モーツァルトのセレナード「ポストホルン」については、昨年末にNHK交響楽団を指揮して行ったライヴ録音(1982年)が発売されていることから、本演奏は、ヴァントにとっては3度目の約20年ぶりの録音ということになる。

3種の演奏の中では、何と言っても本演奏が圧倒的に素晴らしい。

もちろん、セレナードという楽曲の性格上、ヴァントの芸風の特色である厳格なスコアリーディングに基づく緻密さや堅固な造型美を発揮し得るものではないことから、そうした面においては取り立てた特色のある演奏とは言い難いが、演奏の持つ懐の深さ、そして格調の高さは、老巨匠だけに描出可能な至芸と言えるところであり、おそらくは同曲演奏史上でもトップの座を争う至高の名演に仕上がっていると評価してもいいのではないだろうか。

ベートーヴェンの交響曲第4番は、1980年代に完成させたヴァントによる北ドイツ放送交響楽団との唯一の交響曲全集を構成するスタジオ録音(1984〜1988年)以来、これまた約20年ぶりの3度目の録音ということになる。

演奏の完成度という意味では、前回のスタジオ録音ということは論を待たないと言えるが、それでも、本演奏には、一聴すると剛毅で無骨さを感じさせる中にも、古武士のような風格が随所に漂っていると言えるところであり、ここには、ヴァントが最晩年に至って漸く到達し得た至高・至純の境地があらわれていると言えるのかもしれない。

いずれにしても、本演奏が、ヴァントによる同曲のベストの演奏との評価をすることについては、演奏の完成度という点で若干の疑問を感じずにはいられないが、演奏の独特の味わい深さや格調の高さと言った点からすれば、本演奏を名演と評価することにいささかも躊躇するものではない。

音質は、従来CD盤が発売された後、リマスタリングが一度もなされていないものの、十分に満足できるものであった。

しかしながら、今般、ついにSACD化が行われることによって大変驚いた。

従来CD盤とは次元が異なる見違えるような鮮明な音質に生まれ変わった言えるところであり、あらためてSACDの潜在能力の高さを思い知った次第である。

いずれにしても、ヴァントによる至高の名演を、SACDによる極上の高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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