ヴァント

2013年07月01日


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ヴァントといえば、最晩年の神々しいまでの崇高な超名演を成し遂げたこともあって、どうしてもブルックナー指揮者のイメージが付きまとうところだ。

これは、朝比奈にも共通することであると思われるが、ヴァントにしても朝比奈にしても、ブルックナーだけでなく、ベートーヴェンやブラームス、シューベルトの楽曲においても、比類のない名演の数々を成し遂げていることを忘れてはならないだろう。

ヴァントによるベートーヴェンの交響曲の演奏としては、何と言っても1980年代に、手兵北ドイツ放送交響楽団とともにスタジオ録音した唯一の交響曲全集(1984〜1988年)が念頭に浮かぶ。

当該全集以前の演奏もテスタメントなどによって発掘がなされているが、ヴァントのベートーヴェン演奏の代表盤としての地位にはいさかも揺らぎがないと言える。

本盤に収められたベートーヴェンの交響曲第5番及び第6番の演奏は、1992年に北ドイツ放送交響楽団とともにライヴ録音したものである。

本演奏と同様に、前述の全集以降は、第1番〜第4番のライヴ録音も行っただけに、残る第7番〜第9番の録音を果たすことなくこの世を去ってしまったのは極めて残念なことであった。

それはさておき、本盤の演奏も素晴らしい名演だ。

前述の全集も、ヴァントの峻厳な芸風があらわれたいかにもドイツ色の濃厚な名演揃いであったが、いささか厳格に過ぎる造型美や剛毅さが際立っているという点もあって、スケールがいささか小さく感じられたり、無骨に過ぎるという欠点がないとは言えないところだ。

それに対して、本盤の演奏は、おそらくはヴァントの円熟のなせる業であるとも思われるところであるが、全集の演奏と比較すると、堅固な造型の中にも、懐の深さやスケールの雄大さが感じられるところであり、さらにグレードアップした名演に仕上がっていると言えるのではないだろうか。

もちろん、華麗さなどとは無縁の剛毅さや無骨さは相変わらずであるが、それでも一聴すると淡々と流れていく曲想の端々からは、人生の諦観を感じさせるような豊かな情感が滲み出しており、これは、ヴァントが晩年になって漸く到達し得た至高・至純の境地と言えるのではないだろうか。

そして、演奏全体に漂っている古武士のような風格は、まさに晩年のヴァントだけが描出できた崇高な至芸であり、本演奏こそは、ヴァントによるベートーヴェンの交響曲第5番及び第6番の最高の名演と高く評価したい。

音質は、1992年のライヴ録音であるだけに、従来CD盤でも十分に満足できる音質であったが、今般、ついにSACD化されたのは何という素晴らしいことであろうか。

音質の鮮明さ、音場の幅広さのどれをとっても一級品の仕上がりであり、あらためてSACDの潜在能力の高さを思い知った次第だ。

いずれにしても、ヴァントによる至高の名演を、SACDによる極上の高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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2013年06月21日


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最晩年のヴァントによる演奏である(2001年)。

録音には常に慎重な姿勢で臨むとともに、演奏する楽曲も慎重に見極めていたヴァントであるが、本盤に収められたモーツァルトのセレナード「ポストホルン」と、ベートーヴェンの交響曲第4番は、ヴァントの隠れたレパートリーの楽曲であったと言えるところだ。

モーツァルトのセレナード「ポストホルン」については、昨年末にNHK交響楽団を指揮して行ったライヴ録音(1982年)が発売されていることから、本演奏は、ヴァントにとっては3度目の約20年ぶりの録音ということになる。

3種の演奏の中では、何と言っても本演奏が圧倒的に素晴らしい。

もちろん、セレナードという楽曲の性格上、ヴァントの芸風の特色である厳格なスコアリーディングに基づく緻密さや堅固な造型美を発揮し得るものではないことから、そうした面においては取り立てた特色のある演奏とは言い難いが、演奏の持つ懐の深さ、そして格調の高さは、老巨匠だけに描出可能な至芸と言えるところであり、おそらくは同曲演奏史上でもトップの座を争う至高の名演に仕上がっていると評価してもいいのではないだろうか。

ベートーヴェンの交響曲第4番は、1980年代に完成させたヴァントによる北ドイツ放送交響楽団との唯一の交響曲全集を構成するスタジオ録音(1984〜1988年)以来、これまた約20年ぶりの3度目の録音ということになる。

演奏の完成度という意味では、前回のスタジオ録音ということは論を待たないと言えるが、それでも、本演奏には、一聴すると剛毅で無骨さを感じさせる中にも、古武士のような風格が随所に漂っていると言えるところであり、ここには、ヴァントが最晩年に至って漸く到達し得た至高・至純の境地があらわれていると言えるのかもしれない。

いずれにしても、本演奏が、ヴァントによる同曲のベストの演奏との評価をすることについては、演奏の完成度という点で若干の疑問を感じずにはいられないが、演奏の独特の味わい深さや格調の高さと言った点からすれば、本演奏を名演と評価することにいささかも躊躇するものではない。

音質は、従来CD盤が発売された後、リマスタリングが一度もなされていないものの、十分に満足できるものであった。

しかしながら、今般、ついにSACD化が行われることによって大変驚いた。

従来CD盤とは次元が異なる見違えるような鮮明な音質に生まれ変わった言えるところであり、あらためてSACDの潜在能力の高さを思い知った次第である。

いずれにしても、ヴァントによる至高の名演を、SACDによる極上の高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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2013年06月12日


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ヴァントの伝記を紐解くと、ブルックナーの交響曲の演奏に生涯をかけて取り組んできたヴァントが特別視していた交響曲は、第5番と第9番であったようだ。

朝比奈も、交響曲第5番を深く愛していたようであるが、録音運がいささか悪かったようであり、最晩年の大阪フィルとの演奏(2001年)を除くと、オーケストラに問題があったり、はたまた録音に問題があったりするなど、いささか恵まれているとは言い難い状況に置かれているところである。

これに対して、ヴァントの場合は、あくまでも比較論ではあるが、かなり恵まれていると言えるのではないだろうか。

ヴァントが遺したブルックナーの交響曲第5番の録音は、唯一の全集を構成するケルン放送交響楽団とのスタジオ録音(1974年)、そして、本盤に収められた手兵北ドイツ放送交響楽団とのライヴ録音(1989年)、数年前に発売されて話題となったベルリン・ドイツ交響楽団とのライヴ録音(1991年)、ミュンヘン・フィルとのライヴ録音(1995年)、そして不朽の名演として名高いベルリン・フィルとのライヴ録音(1996年)という5種類を数えるところであり、音質、オーケストラの力量ともにほぼ万全であり、演奏内容もいずれも極めて高水準である。

この中でも、最も優れた超名演は、ミュンヘン・フィル及びベルリン・フィルとの演奏であるというのは衆目の一致するところであろう。

もっとも、北ドイツ放送交響楽団との最後の録音となった本盤の演奏も、さすがにミュンヘン・フィル及びベルリン・フィルとの演奏のような至高の高みには達していないが、十分に素晴らしい名演と高く評価したい。

1980年代までのヴァントによるブルックナーの交響曲の演奏におけるアプローチは、厳格なスコアリーディングの下、楽曲全体の造型を厳しく凝縮化し、その中で、特に金管楽器を無機的に陥る寸前に至るまで最強奏させるのを特徴としており、優れた演奏である反面で、スケールの小ささ、細部に拘り過ぎる神経質さを感じさせるのがいささか問題であった。

前述のケルン放送交響楽団との演奏は、優れた名演ではあるものの、こうしたスケールの小ささが気にならないとは言えないところだ。

これに対して、ミュンヘン・フィル及びベルリン・フィルとの両超名演は、ヴァントの厳格なスコアリーディングに裏打ちされた厳しい凝縮型の演奏様式に、最晩年になって漸く垣間見せるようになった懐の深さが加わり、スケールに雄大さを増し、剛柔併せ持つ至高・至純の境地に達している。

本盤の演奏は、これらの超名演の6〜7年前の録音ということになるが、ベルリン・ドイツ交響楽団との演奏(1991年)と同様に、頂点に登りつめる前の過渡期にある演奏と言えるかもしれない。

後年の超名演にあって、本盤の演奏に備わっていないのはまさに懐の深さとスケール感。

全体の厳しい造型は本盤においても健在であり、演奏も荘重さの極みであるが、いささか懐の深さが不足し、スケールがやや小さいと言えるのではないだろうか。

しかしながら、これは極めて高い次元での比較であり、本盤の演奏を名演と評価するのにいささかの躊躇もしない。

音質は、従来CD盤からして比較的良好な音質であったが、今般、ついに待望のSACD化が行われることによって、更に見違えるような鮮明な音質に生まれ変わったところだ。

音質の鮮明さ、音場の幅広さ、そして音圧のいずれをとっても一級品の仕上がりであり、あらためてSACDの潜在能力の高さを思い知った次第である。

いずれにしても、ヴァントによる至高の名演を、SACDによる高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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2013年04月07日


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シューマンの「第4」が超名演。

ヴァントは、本盤の少し前に手兵北ドイツ放送交響楽団とともに、同曲を録音しているが、それを遥かに上回る名演だ。

独墺系の大指揮者は、その最晩年にシューマンの「第4」の名演を遺して鬼籍に入る傾向がある。

フルトヴェングラー、カラヤン、ベームなど、いずれも素晴らしい名演を遺しているが、ヴァントも、本名演を持って、こうした大巨匠の列に連なることになったと言えるだろう。

全体の厳しい造型を堅持しつつ、これ以上は考えられないような情感の豊かな演奏を繰り広げており、録音面まで含めると、かのフルトヴェングラーの名演をも凌ぐと言っても過言ではあるまい。

ブラームスの両交響曲も名演だ。

ただ、ヴァントは、同時期に手兵の北ドイツ放送交響楽団と両交響曲の超名演を成し遂げており、シューマンの場合と異なり、手兵との名演の方にどうしても軍配を上げたくなる。

しかしながら、それは極めて高い次元での比較であり、本盤の演奏を名演と評価するのにいささかの躊躇もない。

特に、「第4」は、淡々とした速めの進行の中に、実に豊かなニュアンスが込められており、まさに名人の一筆書きのような枯淡の境地が一点の曇りもなく表現されており、「第4」演奏の理想像とも言えるのではないか。

同じタイプの名演としては、シューリヒト(特に、晩年のバイエルン放送交響楽団との演奏)やムラヴィンスキー、クライバーの名演が思い浮かぶが、クライバーは深みにおいて一格下。

ということは、録音面まで含めると、ヴァントの名演こそ、同曲最高の名演の一つと評価しても過言ではないだろう。

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2013年03月17日


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1990年11月3日 サントリーホール(東京)におけるライヴ録音。

とてつもない超名演の登場だ。

ヴァントは、ブルックナーの交響曲第8番を何度も録音しているが、その中でも、最高峰の名演は、最晩年のミュンヘン・フィル盤(2000年)及びベルリン・フィル盤(2001年)ということになろう。

本盤は、手兵の北ドイツ放送交響楽団と組んだリューベック盤(1987年)と1993年盤の間に位置するライヴ録音ということになるが、これら前後の録音をはるかに超えるのみならず、最晩年の2つの名演に匹敵する至高の超名演と高く評価したい。

ヴァントのブルックナーは、厳格なスコアリーディングの下、楽曲全体の造型を厳しく凝縮化し、その中で、特に金管楽器を無機的に陥る寸前に至るまで最強奏させるのを特徴とする。

特に、1980年代以前のヴァントには、こうした特徴が顕著にあらわれており、それ故に、スケールの小ささ、細部に拘り過ぎる神経質さを感じさせるのがいささか問題であった。

そうした短所も1990年代に入って、神経質さが解消し、スケールの雄大さが加わってくることによって、歴史的な名演の数々を成し遂げるようになるのだが、本盤は、そうした最晩年の名演の先駆となるものとも言える。

この当時のヴァントとしては、かなりゆったりとしたテンポをとっているが、必ずしもインテンポには固執していない。

それどころか、思い切ったテンポの変化を見せており、これは、最晩年のヴァントにも見られないような本演奏だけの特徴と言える。

それでいて、ブルックナーの本質を逸脱することがいささかもなく、ゆったりとした気持ちで、同曲を満喫することができるというのは、ヴァントのブルックナーへの理解・愛着の深さの賜物と言える。

金管楽器の最強奏も相変わらずであるが、ここでは、やり過ぎということは全くなく、常に意味のある、深みのある音色が鳴っているのが素晴らしい。

録音も、各楽器が鮮明に分離するなど、望み得る最高の音質と言えるところであり、この歴史的名演の価値を高めるのに大きく貢献している。

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2013年01月01日


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2010年初めに発売されたヴァント&ベルリン・ドイツ交響楽団のライヴ集成ボックスからの分売である。

ボックス全体のレビューについては、先に記したが、今回、分売された各CDを聴いて、あらためて深い感動を覚えた。

本盤は、そのボックスからベートーヴェンの諸作品を集めたものであるが、いずれ劣らぬ名演だ。

その中でも、「エロイカ」は、これまで発売されていた最新録音が、手兵の北ドイツ放送交響楽団との1989年盤だけに、本盤は、現在発売されている中では、最も後年の録音であり、それだけに、ヴァントの芸術の総決算とも言うべき至高・至純の名演に仕上がっていると言える。

厳格なスコアリーディングに裏打ちされた厳しい造型とやや速めのテンポは健在であるが、随所に見られる豊かなニュアンスはまさに円熟の至芸と言うべきであり、同曲に不可欠の重厚さや剛毅さにもいささかの不足はない。

強烈なダイナミズムに貫かれた圧巻の内容で、こんな雄渾な「エロイカ」は昨今皆無である。

「第1」と「第4」は、後年に手兵の北ドイツ放送交響楽団との超名演があるだけに、やや不利な点があることは否めない事実であるが、例えば「第1」の冒頭の豊かな表情づけや、「第4」の剛柔バランスのとれた音楽の勢いのある前進性など、聴きどころには事欠かず、名演と評価するのにいささかの躊躇もない。

併録の両序曲も、ヴァントならではの透徹した名演。

熱心なヴァント・ファンからは「心身充実していた1990年代前半〜半ばの演奏こそヴァントの真髄がきける」「ベルリン・ドイツ響の力量は北ドイツ放送響以上。ベルリン・フィルはオケのプライド強すぎてヴァントの意図が100%徹底していない。 ミュンヘン・フィルはチェリビダッケの影が付きまとう。今回のベルリン・ドイツ響が最高」とまで噂されていた垂涎のライヴ演奏である。

本盤は、ヴァント&ベルリン・ドイツ交響楽団という、いわば隠れた名コンビによる会心作と高く評価したい。

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2012年10月21日


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ヴァントの未発表の超名演をCD化したプロフィールレーベルの快挙である。

ベルリン・ドイツ交響楽団はベルリン・フィルの存在故に影が薄いが、一流の指揮者と組んだ時は、ベルリン・フィルにも匹敵するほどの名演を行うことがある。

本盤は、その最たる例と言えるだろう。

ブルックナーの「第5」及び「第9」は、厳格なスコア・リーディングに基づく凝縮化された造型、鋭い金管の強奏など、ヴァントの個性が全開であるが、ここでは1980年代に見られたようなスケールの小ささは微塵も感じられない。

1990年代の後半のベルリン・フィルやミュンヘン・フィルとの至高の名演の高みに至る確かな道程が感じられるスケールの大きい名演だ。

シューベルトやブラームスの交響曲については、本盤とほぼ同じ時期に手兵の北ドイツ放送響やベルリン・フィル、ミュンヘン・フィルとの録音が遺されており、ここでもヴァントの完成された至高の名演を味わうことができる。

「未完成」の地下から響いてくるような重々しい厳粛さ、「グレート」の巨像の進軍、ブラームスの「第1」の終楽章の主旋律の独特のテンポ設定、「第4」の消え入るような繊細な開始や人生の諦観を感じさせるような抒情など、まさに巨匠だけが醸し出すことができる至高・至純の境地と言えるだろう。

シューマンの「第4」は、ほぼ同時期に録音した北ドイツ放送響を超える超名演だ。

フルトヴェングラーやカラヤン、ベームは、最晩年にシューマンの「第4」の名演を遺して鬼籍に入ったが、ヴァントもこれらの独墺系の巨匠の列に連なることになったものであり、これぞ大器晩成の最たるものと言える。

ベートーヴェンは、「エロイカ」が圧倒的な名演。

北ドイツ放送響との録音が1989年であるだけに、現時点で発表されている演奏では最後のものとなる。

それだけに重厚にして円熟の至芸を示しており、本盤こそヴァント最高の「エロイカ」とも言うべき超名演と評価したい。

併録の「コリオラン」や「エグモント」の両序曲も素晴らしい。

「第1」や「第4」は、後年に北ドイツ放送響との録音があり、そちらの方に軍配を上げたいが、それも高次元での比較であり、本盤の演奏を名演と評価するのに躊躇しない。

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2012年09月28日


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巨匠ヴァントが最晩年に残したミュンヘン・フィルとのきわめつけのライヴ。

ブラームスの「第1」は、全集となった手兵の北ドイツ放送交響楽団との名演の1年後の録音であり、基本的な解釈は変わらない。

眼光紙背に徹した厳格なスコア・リーディングの下、凝縮された緻密な職人芸の演奏を繰り広げているが、決して血も涙もない演奏ではない。

それどころか、随所に人間的なぬくもりがある個性的解釈が見られる。

第1楽章は誰よりも快速の序奏で開始されるが、主部に入ってからは幾分テンポを落とし、歌うべきところは優美に歌いあげている。

第2楽章は実に繊細なタッチで開始されるが、その抒情の豊かさは、最晩年のヴァントならではの至高・至純の境地と言えるだろう。

第3楽章の導入部では再び快速のテンポに転じ、そして個性的なのは終楽章。

特に、低減による主旋律が厳かに奏された後の全強奏による猛烈なアッチェレランドは、他の演奏では決して見られないもの。

そして、終結部の低減の濃厚な表情づけも効果的であり、ヴァントにもこのような個性的な指揮をすることがあったのかと驚かされる。

ヴァントと同じく職人肌の指揮者であったケンぺも、ミュンヘン・フィルと同曲を録音しているが、演奏の性格は全く異なる。

質実剛健のケンぺに対して、ヴァントの方がより柔軟性があり、チェリビダッケのオーケストラを見事に統率して、自分の思い通りの個性的な名演を成し遂げたヴァントを大いに讃えたい。

ベートーヴェンの「第1」も、第1楽章のゆったりとした序奏に続く主部を快速で演奏して、緩急の差を強調させたり、第2楽章を誰よりも優美に歌いあげるなど、これまたヴァントの個性的解釈を味わうことができる名演である。

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2012年09月15日


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1993年5月28日、ミュンヘン、ガスタイクに於けるライヴ録音。

私見であるが、シューベルトの「第9」(最近では第8番とするのが一般的であるが、CDの表記にここでは従う)は、歌曲や室内楽曲、ピアノ曲に数多くの傑作を遺す一方で、交響曲ではなかなか名作を生み出せなかった(「未完成」は傑作であるが、完成された曲ではないことに留意)シューベルトによる唯一の完成された傑作であり、そのせいか、これが正解というアプローチがない。

つまりは、様々な演奏のアプローチが可能であり、それにより、曲から受ける印象がまるで異なってくることになる。

ウィーン風の演奏ならば、ワルターの名演がある。

この曲を愛しつつもなかなか思うようには指揮できなかったカラヤンの流麗な名演もあるし、ベートーヴェン風のドラマティックなフルトヴェングラーの名演もある。

シューベルトの交響曲を後世のブルックナーの交響曲に繋がっていくものという説に従えば、クレンペラーや朝比奈隆などの名演もある。

その他にも、様々なアプローチが可能であると考えるが、ヴァントはこの第4のタイプの名演だ。

交響曲第9番『ザ・グレイト』は、ヴァントの得意作品だけにこれまでにもベルリン・フィルや北ドイツ放送響、ケルン放送響を指揮したCDやDVDが発売されてきたが、今回のアルバムの特徴はなんと言ってもチェリビダッケ色を残したミュンヘン・フィルの個性が如実に反映されていることであろう。

精巧に隙なく組みあげられながらも、肩の力を適度に抜いた最晩年のヴァントのアプローチとミュンヘン・フィルの方向性はぴたりと一致している。

冒頭からほとんど微動だにしないイン・テンポに貫かれている。

いかにもブルックナーを得意としたヴァントならではのアプローチだが、それでいて、第2楽章の中間部や終結部の繊細な抒情は、特別なことは何もしていないのに、人生の諦観のような寂寥感を味わうことができる。

これは、大指揮者だけが表現できる至高・至純の境地と言えるだろう。

ヴァントは、この数年後にベルリン・フィルと同曲を録音しており、基本的なアプローチに変化はないが、ミュンヘン・フィルと録音した本盤の方が、オーケストラの違いもあるのだろうが、やや柔和な印象があり、このあたりは好みの問題だと思う。

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2012年06月28日


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ヴァントは、1990年代に入ってブルックナーの交響曲の崇高な超名演を成し遂げることによって真の巨匠に上り詰めるに至ったが、1980年代以前のヴァントが未だ世界的な巨匠指揮者としての名声を獲得していない壮年期には、たびたび来日して、NHK交響楽団にも客演を行っていた。

本盤に収められたブルックナーの交響曲第8番及びシューベルトの交響曲第9番「ザ・クレート」は、いずれもヴァントが得意中の得意としたレパートリーであり、NHK交響楽団に客演した際のコンサートの貴重な記録でもある。

まずは、シューベルトの交響曲第9番「ザ・グレート」であるが、演奏は1979年のもの。

ヴァントは、ワルターのようにウィーンの抒情的な作曲家としてシューベルトを捉えるのではなく、むしろ、自らが得意としたブルックナーの先駆者としてシューベルトを捉えて演奏を行っているとも言えるだろう。

比較的ゆったりとしたテンポによる演奏ではあるが、演奏全体の造型は他の指揮者によるどの演奏よりも堅固であり、いささかも隙間風の吹かない重厚にして凝縮化された音の堅牢な建造物が構築されたような趣きがある。

もちろん、情感の豊かさを欠いているわけではないが、むしろ演奏全体の造型美や剛毅さが勝った演奏と言えるところだ。

もっとも本演奏には、終楽章において特に顕著であるが、ライヴ録音ならではの畳み掛けていくような気迫と強靭な生命力が漲っており、その意味では、ヴァントの壮年期を代表する名演と評価してもいいのではないだろうか。

次いで、ブルックナーの交響曲第8番であるが、これは1983年の演奏。

ヴァントが未だ世界的なブルックナー指揮者としての名声を獲得していない壮年期の演奏であるだけに、1990年代における神々しいばかりの崇高な名演が誇っていたスケールの大きさや懐の深さはいまだ存在していないと言えるところであり、本盤の演奏を1990年以降の超名演の数々と比較して云々することは容易ではある。

しかしながら、本演奏においても、既にヴァントのブルックナー演奏の特徴でもあるスコアリーディングの緻密さや演奏全体の造型の堅牢さ、そして剛毅さを有しているところであり、後年の数々の名演に至る確かな道程にあることを感じることが可能だ。

また、本盤の演奏においては、こうした全体の堅牢な造型や剛毅さはさることながら、金管楽器を最強奏させるなど各フレーズを徹底的に凝縮化させており、スケールの小ささや金管楽器による先鋭的な音色、細部に至るまでの異常な拘りからくるある種の神経質さがいささか気になるところではあるが、それでも違和感を感じさせるほどでもないというのは、ヴァントがブルックナーの本質を既に鷲掴みにしていたからにほかならない。

そして、本演奏には、ライヴ録音ならではの畳み掛けていくような気迫と生命力が漲っており、その意味では、ケルン放送交響楽団とのスタジオ録音よりも優れた演奏と言っても過言ではあるまい。

いずれにしても、本演奏は、世界的なブルックナー指揮者として世に馳せることになる後年の大巨匠ヴァントを予見させるのに十分な素晴らしい名演と言えよう。

両演奏ともに、ヴァントの剛毅で緻密な指揮にしっかりと喰らい付いていき、持ち得る実力を最大限に発揮した名演奏を披露したNHK交響楽団にも大きな拍手を送りたい。

音質は、1970年代から1980年代にかけてのライヴ録音ではあるが、アルトゥスがマスタリングに協力したこともあって、十分に満足できる良好な音質に仕上がっている。

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2012年06月22日


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ヴァントと言えば、何と言ってもブルックナーの交響曲の至高の超名演が念頭に浮かぶ。

その他にも、シューベルト、ベートーヴェン、ブラームスの交響曲などにおいて比類のない名演の数々を成し遂げているところである。

本盤に収められた諸曲のうち、ベートーヴェンのレオノーレ序曲第3番については、こうしたヴァントの芸風に見事に合致した楽曲と言えるところであり、本盤の演奏についても、いかにもドイツ風の剛毅にして重厚な素晴らしい名演に仕上がっている。

NHK交響楽団も、1979年という録音年代を考慮すれば、ヴァントによる厳しいリハーサルの賜物であるが、実力以上のものを発揮した渾身の名演奏を行っている。

これに対して、本盤に収められたヘンデルの諸曲については、ヴァントとしてもあまり採り上げない楽曲であり、モーツァルトの諸曲は、後期3大交響曲集を除けば、必ずしもコンサートの演目に採り上げることが多いとは言い難かったモーツァルトの楽曲の中でも例外に属するとも言うべきヴァントが十八番としていた楽曲と言えるところだ。

これらの諸曲については、いずれも現在では古楽器奏法やピリオド楽器を使用した演奏が主流を占めているところであり、本盤の演奏はその意味でも異色の演奏と言っても過言ではあるまい。

頑固一徹とも言える職人肌の指揮者だけに、とりわけ、モーツァルトのセレナードなど、ヴァントの芸風とは水と油のようにも思われるところであるが、これが実に素晴らしい演奏なのだ。

演奏全体としての堅固な造型美は相変わらずであるが、一聴すると無骨とも言える各旋律の端々からは豊かな情感が滲み出しているところであり、血も涙もない演奏にはいささかも陥っていない。

本演奏のシンフォニックな重厚さは、モーツァルトを得意としたベームによる名演を想起させるほどであるが、優美さや愉悦性においては、本演奏はベームによる名演に一歩譲ると言えるのかもしれない。

それでも、前述のような古楽器奏法などを駆使した軽妙な演奏が主流を占める中で本演奏を聴くと、あたかも故郷に帰省した時のように安定した気持ちになるのは筆者だけではあるまい。

ヴァントの最晩年のインタビューの中で、とあるNHK交響楽団のオーボエ奏者が指揮室にいるヴァントを訪ねてきて、モーツァルトのセレナード「ポストホルン」の解釈についてジェスチャーで感動を伝えに来たとの発言があったと記憶している。

当該演奏は1982年4月のものであったようであるが、本盤の演奏も同様の解釈によるものであったのであろうか。

いずれにしても興味は尽きないところだ。

ヘンデルの両曲も、モーツァルトのセレナードについて述べたことと同様のことが言えるところであり、軽妙な演奏が一般化している現代でこそ存在価値のある素晴らしい名演である。

音質は、名指揮者の来日公演の高音質での発売で定評のあるアルトゥスレーベルがマスタリングを手掛けているだけに、十分に満足できる良好な音質に仕上がっているのが見事である。

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2011年10月16日


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1993年3月20日、ベルリン、コンツェルトハウスに於けるライヴ録音。

シューベルトの「未完成」とブルックナーの「第9」の組み合わせ。

この未完成でありながら、両作曲家の手による最高傑作どうしの組み合わせは、ヴァントが得意としたコンサートの演目であった。

ヴァントの最後の来日(2000年)も、この組み合わせによる至高の名演を聴かせてくれた。

本盤は、その7年前の演奏であるが、既に最晩年の完成された至芸を十分に予見させるような素晴らしい名演に仕上がっていると言える。

迷わず申し上げよう。ブルックナーは同曲のベスト盤。

「未完成」も深遠さ、神々しさではベストである。

まず、「未完成」。

来日時の超名演と比較すると、そちらの方に軍配を上げたくなるが、同時期のベルリン・フィルやミュンヘン・フィル、北ドイツ放送交響楽団との名演と同格の名演と高く評価したい。

特に、第1楽章の展開部への導入の地下から響いてくるような荘重な厳粛さなど、最晩年のヴァントだけが表現し得た至高・至純の大芸術と言えるだろう。

ブルックナーの「9番」は、後のベルリン・フィル盤やミュンヘン・フィル盤を凌ぐ、ヴァントの最高傑作だ。

金管やティンパニが向かって中央からやや右側に集まっていて重なってしまうのが残念だが、それでも録音も含めて、今までの全てのブルックナーの「9番」を超える超名演盤。

あまりの物凄さ故に、言葉では表現できない。しかしこれでやっとこの曲の推薦盤を選ぶ苦労がなくなった。

この前日まで北ドイツ放送響と同じ「ブル9」をライヴ収録した直後の公演だったが、この2曲の演奏は圧倒的で、ドイツ批評家賞が贈られている。

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2011年10月08日


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1991年10月6日、ベルリン、コンツェルトハウスに於けるライヴ録音。

これはベルリン・ドイツ響を指揮して、ヴァント80歳の誕生日の直前に行ったライヴで、ベルリン・ドイツ響がヴァントの元で、純正のドイツのオーケストラとして緻密なサウンドを展開しており、理想的なブルックナーの「第5」で、圧倒的な説得力を持っている。

ケルン放送響(74年)盤、北ドイツ放送響(89年)盤、ミュンヘン・フィル(95年)盤、ベルリン・フィル(96年)盤と名演が並ぶこの曲の発売リストのなかに割って入ったベルリン・ドイツ響(91年)盤。

ブルックナー指揮者ヴァントが「第9」とともにもっとも愛好した「第5」に、緻密さと豪快さを併せ持つ究極の名演を成し遂げた。

ヴァントは、ブルックナーの「第5」と「第9」を、大衆に迎合しない作品として最も高く評価し、その中でも、「第5」については、ヴァントの芸風と最も符合することもあって、他の指揮者の追随を許さない数々の名演を遺してきた。

同時代のブルックナー指揮者である朝比奈としても、「第5」については、ヴァントに一歩譲るのではないだろうか。

そのヴァントの「第5」の数々の名演の中でも、最高峰はベルリン・フィル、そしてミュンヘン・フィルと録音した名演であることは衆目の一致するところである。

この両名演は、ヴァントの厳格なスコアリーディングに裏打ちされた厳しい凝縮型の演奏様式に、最晩年になって漸く垣間見せるようになった懐の深さが加わり、スケールに雄大さを増し、剛柔併せ持つ至高・至純の境地に達していると言える。

本盤は、これらの超名演の4年前の録音ということになるが、頂点に登りつめる前の過渡期にある演奏と言えるかもしれない。

後年の超名演にあって、本盤の演奏に備わっていないのは正に懐の深さとスケール感。

全体の厳しい造型は本盤においても健在であり、演奏も荘重さの極みであるが、例えば、第4楽章冒頭など、後年の演奏に比較すると素っ気ない。

つまるところ、いささか懐の深さが不足し、スケールがやや小さいと言えるのではないだろうか。

しかしながら、これは極めて高い次元での比較であり、本盤を名演と評価するのにいささかの躊躇もしない。

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2011年09月27日


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2000年9月15日、ミュンヘン、ガスタイク(ブルックナー)、1999年9月28日、ミュンヘン、ガスタイク(シューベルト)に於けるライヴ録音。

『ブル8』、『未完成』とも、長年に渡ってチェリビダッケに鍛え抜かれたミュンヘン・フィルを指揮していることもあって、演奏全体に滑らかで繊細な美感が加わっていることが特徴。

特に2000年9月に収録されたブルックナーでは、これまで発売された他のオーケストラとの共演盤に較べて、艶の乗った響きの官能的なまでに美しい感触、多彩に変化する色彩の妙に驚かされる。

もちろん、ヴァントの持ち味である彫りの深い音楽造りは健在なのだが、そこに明るく柔軟な表情が加わることで、ベルリン・フィル盤や北ドイツ放送響盤などとは大きく異なる魅力を発散しているのである。

音質が良いせいか、ヴァントの演奏としては思いのほか木管楽器の主張が強いことも、演奏全体により多彩な表情を与えているようだ。

ヴァント自身もここではテンポの動きを幅広く取って、非常に息の長い旋律形成を試みており、それぞれのブロックの締め括りに置かれたパウゼが深い呼吸を印象付けている。

深く沈み込んでいくような美しさと、そそり立つ岩の壁を思わせる壮大な高揚とが交錯する終楽章は中でも素晴らしい出来映え。

滅多に聴くことのできない精彩にみちたブルックナーで、ライヴ特有の生命力と熱気が聴き手を説得せずにおかない。

最後の音が消えてから約10秒後、それまで圧倒されたようにかたずを飲んでいた会場が、やがて嵐のようなブラヴォーに包まれていく様子がそのまま収録されていることも印象的だ。

1999年に収録されたシューベルトの『未完成』も見事なもので、暗く厳しい悲劇性とはかない美しさが共存した深いロマンティシズム漂う仕上がりとなっている。

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2011年08月31日


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1998年4月21日、ミュンヘン、ガスタイクに於けるライヴ録音。

ヴァントが最晩年にベルリン・フィルと遺した名演の数々は実に凄いものであった。

第5に始まり、第9、第4、第7、第8と、いずれも神々しいばかりの名演である。

今般、同時期にミュンヘン・フィルと行った名演の数々が、国内盤で発売されたが、いずれも、ベルリン・フィル盤と比べても、優るとも劣らない名演である。

重複しているのは、第4、第5、第8及び第9であるが、違いはオーケストラの音色と録音くらいのものであり、あとは好みの問題だと思われる。

本盤の第9の録音は1998年。その約半年後のベルリン・フィルとの録音、さらに、来日時の録音が、名演のベストスリーということになるが、その中でも、本盤とベルリン・フィル盤が超名演ということになるだろう。

第1楽章など、実にゆったりとしたテンポによる深沈とした趣きであるが、ここぞというときの金管楽器の最強奏など悪魔的な響きであり、低弦の重厚な響かせ方にも凄みがある。

第2楽章も豪演だ。ここは中庸のテンポをとるが、中間部のトリオの箇所との絶妙なテンポの対比も自然体で見事だ。

終楽章は、相変わらず金管を最強奏させているが、決して無機的には陥らず、天啓のような趣きがある。

それと対比するかのようなこの世のものとは思えないような美しい弦楽の奏で方は、ブルックナーの絶筆に相応しいアプローチであると思われる。

演奏終了後に起きる一瞬の間も、当日の聴衆の感動を伝えるものであり、ヴァントの音楽を愛する聴衆の質の高さの表れということが言えるだろう。

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2011年08月27日


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1999年6月24日、ミュンヘン、ガスタイクに於けるライヴ録音。

巨匠ヴァントが最晩年に残したミュンヘン・フィルとのきわめつけのライヴ。

「奇跡の名演」と地元ファンから正規CD化を熱望された伝説のライヴ。

優秀録音でついに「ギュンター・ヴァント没後7周年企画」として国内盤が登場した。

2000年11月の圧倒的な来日公演でファンを虜にし、2002年2月14日に惜しまれつつ急逝したドイツの大指揮者、ギュンター・ヴァント。

BMG社から発売した「ブルックナー第4番」「ブルックナー第9番」「ライヴ・イン・ジャパン(未完成/ブル9)」が日本クラシック界最高の栄誉・レコードアカデミー賞にそれぞれ1998年、1999年、2001年輝いており、ヴァントのブルックナーは絶大な評価と大きなセールスを記録している。

チェリビダッケの亡きあとのミュンヘン・フィルと組んでヴァントが1998年から1年に1曲のペースで取り上げたブルックナー。

クナッパーツブッシュ、ケンペ、ヨッフム、チェリビダッケなど歴代の名指揮者のもとに鍛えられ、ブルックナー演奏に伝統をもつオーケストラの自信に満ちた演奏は、弦の暖かみのある分厚い響き、管楽器のしなやかな色彩の妙などに特長が発揮され、ヴァントの持ち味である厳しくも彫りの深い音楽造りとあいまって、ベルリン・フィル盤や北ドイツ放送響盤とは大きく異なる魅力を発散している。

マエストロの晩年の心境をミュンヘン・フィルがしなやかな動きの中でとらえている。

演奏内容は折り紙つき、録音もきわめて優秀なヴァント&ミュンヘン・フィル盤は末永くファンの宝物となること間違いない。

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2011年08月26日


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2001年9月15日、ミュンヘン、ガスタイク・フィルハーモニーに於けるヴァントとミュンヘン・フィルの最期の演奏会となったライヴ録音。

この演奏会の半年後、2002年2月14日にヴァントは90年の生涯を閉じた。

ヴァントが到達した世界の深さを端的に示した名演である。

ハース版を底本に使用。

その演奏は力強く雄渾で、しかも語り口はあくまで自然である。

ヴァントは、厳格なイン・テンポではないのに、フレーズからフレーズへと滑らかに進行する類まれな音楽的時計の持ち主だ。

テクスチュアの面でも、各声部を過不足なく浮き上がらせている。

共感にみちた表現が端正な造形のなかにのびやかに、かついかにも意味深く織りなされた自然体の演奏は、長年ブルックナー演奏に献身してきたこの巨匠ならではの至芸と言うべきだろう。

そうしたヴァントの指揮にしなやかな集中力をもって応えるミュンヘン・フィルもすばらしい。

数多いヴァントのブルックナーだが、耳の肥えた人ほどミュンヘン・フィルとの組み合わせに執着するのも道理で、ヴァント晩年の味わい、オーケストラの音色の適度な明るさ、弦の暖かみのある厚い響き、管楽器の比類ない美しさなど他に代え難い魅力にあふれている。

これをもって『ロマンティック』の最高峰と言うに憚らぬ大演奏といえよう。

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2011年08月25日


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ヴァントは交響曲第5番を第9番とともにブルックナーの最高傑作と評しており、長い音楽家生活の節目をそのつど第5番の名演で飾ってきたことでも知られている。

この1995年のミュンヘン・フィルとの第5番がそうした一連のヴァントの5番の中でも優れたものとして存在を主張しうるものであることは疑う余地の無いところであろう。

引き締まったサウンドを好んだヴァントが、チェリビダッケによって厳しく訓練され、高い適応力を備えていたオーケストラとの共同作業から手に入れたのは、美しくしかもパワフルなサウンドだった。

録音で聴くと少々弛緩した印象もあったチェリビダッケ盤に較べ、ここでのヴァントの勇壮なオーケストラ・ドライヴには、聴き手を興奮させずにはおかない劇的な展開の巧みさと迫力が確かに備わっており、ミュンヘン・フィルの明るく流麗で色彩的、かつ俊敏なサウンドがそうした解釈と面白いマッチングをみせて素晴らしい聴きものとなっている。

ちなみにチェリビダッケとの第5番の演奏は90分近くかかることもあったほどで、1993年に録音されたEMIのCDでも87分40秒を要している。

ヴァントはこのとき74分35秒で演奏しているので、その差、実に13分。同じくハース校訂による1878年稿を用いていながらこの差は驚異的。

チェリビダッケのもと、極度に遅いテンポで演奏していたミュンヘン・フィルの面々が、ヴァントの快速テンポを楽しんでいる様子がよくわかるような演奏である。

随所で決まるティンパニも見事で(おそらくペーター・ザードロ)、第1楽章展開部など効果的だった。

この公演から約1ヶ月の後にはベルリン・フィルに客演して第5番を指揮するヴァントであるが、リハーサル回数の問題もあったのだろうか、ヴィルトゥオジティはともかく、指揮者の解釈がより深く楽員に浸透したのは、どうやらミュンヘン・フィルの方だったようだ。

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2011年07月22日


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ブルックナーの音楽観の本質に宿る厳格なドイツ精神と楽天的なオーストリア精神のバランスの表現が音楽の善し悪しを決定する。

どちらが欠けてもブルックナーから離れてしまう。

この作品では重厚で渋いドイツ精神が優先する、ヴァントならではの秀演だ。

すでによく知られている通り、ヴァントはいわゆる愛想のよいタイプの指揮者ではない。

彼がつくり出す音楽は、どこか安直に近づいたりすることを拒否しているような、いかめしい性格を持ったものだ。

ヴァントの手になる音楽づくりは、いつもたいそう硬派。

甘さは徹底的に控えめで、妙に凭れかかったりするようなことがない。

そうした彼の硬派な姿勢が、ここに聴くブルックナーの交響曲第3番でも例外ではなく最大限の効果を発揮している。

通念的にはより親しみやすいはずの、「感動をもって」と記された第2楽章もズルズルと情緒的な要素をひきずることはしないし、ここでは周囲をはらうかのような感じを漂わせている。

第3楽章の中間部のレントラーふうの舞曲も、緊密な造型性をゆるませるようなことはない。

にもかかわらず、ここに聴く音楽はたいそう魅力的だ。

その明確な輪郭を持った表現、スケールの大きさ、一途な姿勢には圧倒されてしまう。

厳しいけれど、高い志に貫かれた深い人徳を備え、いつまでも忘れ難い恩師にたとえることもできる立派な演奏内容である。

音質は、従来CD盤からして比較的良好な音質であったが、今般、ついに待望のSACD化が行われることによって、更に見違えるような鮮明な音質に生まれ変わったところだ。

音質の鮮明さ、音場の幅広さ、そして音圧のいずれをとっても一級品の仕上がりであり、あらためてSACDの潜在能力の高さを思い知った次第である。

いずれにしても、ヴァントによる至高の名演を、SACDによる高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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2011年03月04日


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長年、ブルックナーの交響曲を指揮してきたヴァントの、揺るぎない確信が感じられる演奏である。

本拠地であるハンブルクのムジークハレでのライヴで、第6番の録音はこれで3回目となった。

ヴァントの音楽は彫りが深く、その端正な解釈は外面的効果のために曲の本質的要因を損なうことが決してない。

表情の隅々まで共感のにじみ出た第1楽章から生命力に満ちた終楽章まで、精緻なアンサンブルともども賞賛に価しよう。

自然に流れる虚飾のない構成とすっきりとした潔いリズム、そして大音量で鳴り響いていても、どこか昔をなつかしむ風情のある表情は、83歳にしてついに到達した音楽の深みといっていい。

このあたりからブルックナーは、とくにアダージョ楽章において、自然の描写、というよりは、たんなる自然の鏡のような反映の作風を、確立したように思われる。

第6番のアダージョ、すでに作曲家は第5番の真夏の盛りを越えて、秋の入り口にさしかかっているのは明らかだ。

弦楽器によるしっとりとした歌が高まっていく第2楽章のくだりは、まるで残照のよう。

ヴァントは、その美しい陽だまりの世界を、慈しむかのように、丁寧に描き出す。第2主題の柔らかい癒しには、言葉もない。

曲全体から時折、寂しげな雰囲気が漂ってくるものの、大きな起伏のあるフィナーレまでくると、いつのまにか寂寥感も癒されて、ほのぼのと温かい気持ちに包まれる。

名盤と呼べるものの少ない第6番だけに喜ばしい1枚だ。

音質は、従来CD盤からして比較的良好な音質であったが、今般、ついに待望のSACD化が行われることによって、更に見違えるような鮮明な音質に生まれ変わった。

音質の鮮明さ、音場の幅広さ、そして音圧のいずれをとっても一級品の仕上がりであり、あらためてSACDの潜在能力の高さを思い知った次第である。

いずれにしても、ヴァントによる至高の名演を、SACDによる高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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2010年11月01日


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客観主義に貫かれたヴァントの指揮芸術の、ひとつの帰結というべき見事なモーツァルトがここにある。

さほど大きくない編成のオーケストラ全体が、ひとつの楽器のように美しいバランスをとって響きわたる、モダン・オーケストラによるモーツァルトのひとつの極致。

表現に無駄がないが、デュナーミクにも充分な振幅があり、適度な色気も感じられるこのモーツァルトは聴きごたえ充分である。

第39番は序奏から正攻法の解釈で、第1主題も無駄なものを全て廃した表現で、傾聴に値する演奏だ。

フィナーレは走らず、確実に始まるが、それでいて音楽の喜悦がある。

《ジュピター》の、けっしておおげさでないスケール感も特筆すべきもの。

主眼をフィナーレに置き、イン・テンポを維持しながら、多彩な対位法が明確に示され、圧倒的な迫力へと突き進む。

第40番は全体に厳しいまでの強靭な造型性に貫かれたもので、情緒的なもの、感傷的なものなどはもぐり込む隙もない。

安易に近づこうとすると、はじき飛ばされてしまいかねないような底力を持った演奏内容だ。

それでいて、出来上がった音楽は単に力強いだけの無味乾燥なものとはなっておらず、フレーズの端々に至るまで豊かな内容を持ち、堂々とした存在感を保ちえているのは、ヴァントの音楽性のしからしむるところといえるだろう。

いうならば、ますらおぶりの魅力を持った短調のモーツァルトである。

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2010年10月26日


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20世紀も末、チェリビダッケ亡き後、ドイツのシンフォニー・コンサート終演後にスタンディング・オヴェイションが得られるのは、クライバーとアーノンクール、そしてこのヴァントだけだと、どこかで読んだことがある。

それは言い換えれば、本当の意味でドイツ人の琴線に触れるドイツ音楽を聴かせられる音楽家は数少ないということなのだろう。

そのヴァントが15年ぶりに共演したベルリン・フィルとのライヴ録音によるシューベルト。

なかでも《ザ・グレイト》が傑出している。

きわめて主張が強く、しかもふくよかな歌のニュアンスが魅力的である。

この曲で重要なリズムは武骨と言えるほど素朴だが、それがすばらしく効果的で、重厚な響きとともにシューベルトの実像をそのまま表現した感をあたえる。

音楽の本質をしっかりと見据えて、ともすると暴れだす名馬ベルリン・フィルの手綱をきっちりとしめている。

派手な効果も小手先の皮相な表現もセンチメンタルな感傷もない。

しっかりとして手応えの感じられる名演だ。

《未完成》は《ザ・グレイト》と同じ演奏会の録音。

そのためか意欲的な気概の強い演奏で、重厚ななかにも細部が克明に描かれ、表情の説得力が凄い。

作品の交響性を徹底してあらわした表現だが、第2楽章はそのなかにあたたかいロマンと人間性を感じさせる。

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2010年10月24日


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ヴァントが最初に本領を発揮した仕事と言えば、やはり1974年から81年にかけて、ケルン放送交響楽団とともに録音したブルックナーの交響曲全集ということになるだろう。

フォルムを重視した細部のテンポ設定、テクスチュア造形の細部の明晰さなど、どれをとっても新盤に勝るとも劣らない演奏。

ブルックナーは田舎者らしい無邪気な野放図さと、カトリック教徒として神の威光にひれ伏す敬虔さを合わせ持っている。

後者に焦点を合わせれば、彼の交響曲を華麗な大伽藍のように彩らせることができる。

ヴァントはそれに対して、ブルックナーの田舎者らしい素朴さに的を絞り、そこから北ドイツ的、プロテスタント的な禁欲さを引き出している。

だからひびきはけっして華麗になったり、超越的な高みに達しない。

ひびきはつねに心のあり方の問いとして内面化され、内にこもりがちとなる。

そんな艶消しのひびきにもの足りなさを感じる聴き手もいよう。

しかし人間的な誠実さとは、そんな内向きのひびきをおびる、というのがヴァントの確信のようだ。

基本的に即物主義育ちのヴァントの解釈は、スコアに対して非常に誠実であるが、それはスコアの指示の意味を深く探りながら、それを完璧な音楽的効果として提示するということに尽きる。

デュナーミクの緻密な操作やテンポ感覚に優れたヴァントは、また音響構築におけるパースペクティヴに関しても、常に非凡なセンスを見せており、伝統に培われた質実剛健な音への配慮が、そうした各要素を総合し、まとめあげるとき、作品は余分な脂肪をすべて削ぎ落とした、引き締まった相貌のもとに、この上なく立体的な展望を開示することになる。

たとえば、交響曲第5番には、そうしたヴァントの特質がもっとも輝かしく反映されている。

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2010年09月29日


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ヴァントのこの曲の録音は何種類かあるが、ベルリン・ドイツ響とのライヴ盤は別格の存在だろう。

廃盤になってしまっては手に入れるのは非常に困難であり、もしこの機会に手に入れられることになれば、あなたのグレイト観を変えるに足るディスクになるだろう。

これは、まるで宇宙である。部分と全体の関係性がスコアなんて見てないのに、細かいところは何もわからないのに、すべてが実感として伝わってくる。

こんなふうに文章にすると陳腐なことが、とてもリアルなものとして眼前に到来する。

これは別にオカルトではなくて、たとえば、主題を形成するリズム動機を経過句でさりげなく強調するなどの操作によってもたらされるものなのだが、すばらしい演奏とはそうした細々としたことを聴き手に意識させなくても、それと同じような強度で感じさせてくれるものなのだ。

このグレイトはとても美しい。

ヴァントならではの細かさ、彫琢の深さを保ちながらも、ふと聴き流してしまうような部分、たとえば第1楽章の提示部を繰り返すときの経過句のようなところで、フッと力を抜いて優美な音楽を聴かせる。

しかも枯淡と諦念が交じった透きとおるような優美さで。

柔軟なデュナーミク操作によって、音楽の流れも他の録音よりもスムーズだ。

堅固な構成というものは、こんなに壊れやすいデリケートな作業によって組み立てられるものなのだな、と深く感じ入った。

シューベルトのこの大きな交響曲は、繊細さの途方もない積み上げによって出来ている作品なのである。

ヴァントは首席を務めていた北ドイツ放送響とはもっともよい関係であったが、私は1980年代後半以降のヴァントの最良のパートナーはベルリン・ドイツ響だったのではないか、と思い始めている。

ベルリン・ドイツ響はベルリン・フィルよりうまくないのはもちろんのこと、北ドイツ放送響のような重厚な響きとも無縁だ。

ただ、ひたすら真面目ではある。ヴァントのやりたい音楽に必死についていこうとしており、その緊張感を持続させつつも、指揮者の意志とオーケストラの自発性のバランスが最も適切に保たれているように思えるのだ。

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2010年09月16日


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2000年11月に、ヴァントがハンブルク北ドイツ放送交響楽団とともに来日した際のライヴ。

ヴァントの最後の来日公演になったもので、シューベルトの《未完成交響曲》とブルックナー交響曲第9番ともに5回目の録音だった。

これは私にとって痛恨の1枚だ。

なぜなら当時私は東京に住んでいたにもかかわらず、聴き逃してしまったからである。

実際聴いた友人の話によると、会場の東京オペラシティは開演前から異様な雰囲気に包まれていたのだそうだ。

観客のほとんどがヴァントの来日はこれが最後になるという予感を抱いており、その瞬間に立ち会う緊張感を共有していたからであろう。

ディスクで聴く限り、《未完成交響曲》、そしてブルックナーの第9番は、いずれも神々しいばかりの名演。

音楽が持つ力の大きさを改めて共感させられた次第である。

演奏の細部について細かく触れる必要はないだろう。

それぞれはひとつの宇宙を形成し、もはや批評をさしはさむ余地はない。

美を追いかけるということはエゴイストになることである。

自分にとってその美がどれほど重要であるかは、とうてい他の人間が理解できることではない。

それゆえ、美を追いかけることは孤独であることだ。

当然、充分、反道徳的、反社会的になりうる。

芸術や美が人間の生活を豊かにするという考えは恐ろしく楽天的で鈍感な人間の考えである。

ヴァントは2002年2月24日に逝去した。

私はこのコンサートを聴き損ねたことを死ぬまで後悔するであろう。

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2010年06月20日


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ヴァントは大器晩成の典型であり、また職人芸としての指揮芸術を全うしたマエストロではなかったかと思われる。

徹底した楽譜の読みと、時間を惜しまぬリハーサルを経て作品はようやく本来の姿・形を現わすのであり、そこに演奏家の個性や技が幅を利かしても意味がない。

作品はそれ以上に偉大で、しかも高みにあるのである、そんな実感に浸らせる尊い演奏を聴かせてきた。

手兵の北ドイツ放送交響楽団との演奏活動を最後まで愛し続けたヴァントだが、残されたこのブラームスも凛とした姿の美しさと底光りするような威厳に満ちあふれている。

オーケストラが誇る技術的水準の高さ、手に汗する白熱的興奮も素晴らしく、名演の鑑といいたくなる。

私はブラームスの交響曲に関して、あまり演出過多の演奏は最近どうも肌に合わなくなってきた。

特に第2番の本来の美しさを何のフィルターも通さずに直接聴きたいと思っていたとき、幸いにもこのヴァント盤に出会った。

不必要な飾りはなく、誠実でひたすらスコアのなかに表情を追い求める。今まで気づかなかったところに表情がある。地味であるが聴けば聴くほどに味わいが出てくる。いつのまにかなくてはならない名盤となっていた。

第2番以上に第3番のヴァントの演奏は充実している。

冒頭、オケをたっぷりと鳴らし厚い響きのうねりから、まるでブルックナーの交響曲のような多層的な表情の交差をつくり出している。

ここでヴァントはブラームスのスコアからもう一度新たな可能性を追求していることがわかる。

むろんそれは虚飾を加えるためでなく、曲の深部に向かって真摯に表現を見つめ直すためである。

これはヴァントのような真の巨匠にのみ可能な演奏だ。

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2010年02月28日


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ヴァント&ベルリン・フィルのブルックナー「ロマンティック」は文句なく素晴らしい。が、同じ曲の、まったく違う意味で素晴らしい演奏をヴァントはもうひとつ残してくれている。彼が死ぬ前、最後のコンサート・シリーズで演奏したときのライヴ盤だ。オーケストラは北ドイツ放送交響楽団。

頭の部分をちょっと聴いて、まず「あれ?」と不審に思う。あのヴァントならではの精密感がない。緊張感がない。安定感がない。やはり老齢ゆえ、くたびれてしまったのか。

その代わり、明るい。不思議に明るい。

この演奏の聴きどころは、第1楽章の後半以降から始まる。音楽がだんだんミステリアスになってくる。もう、かつてのヴァントのように、考え抜いた音を厳格に配置するといった強い音楽ではない。音は、考え抜いてそこに置かれるのではなく、飄々と鳴っている。

第2楽章は驚くべき静粛さを持ち、まるで静かな和室で墨絵を観賞しているかのようだ。

あらゆる音に愛惜がこもっている。オーケストラがひとつの楽器として演奏している。誰も、どの楽器も突出しない。沈黙の深さにも打たれる。

これこそ、生命の最後の最後でなければ演奏できない音楽だ。こんな音楽を聴いていると、時間が止まってしまう。

第4楽章のコーダも感動的だ。力がすっかり抜けている。力みはまったくない。金管楽器がよけいな表情もなく演出もなくゆっくり上昇するだけで、なぜこれほどまでに澄み切った切々とした音楽になるのか。

ヴァントがこんなふうに演奏したことは、今までなかった。本当に最後の音楽という感じがした。

このとき、前半にはシューベルトの交響曲第5番も演奏された。シューベルトはヴァントのお得意の作曲家だった。

この第5番も、最晩年とはいえ軽快なテンポで、しかし急ぎすぎず、各部分の意味を明らかにしながら進んでいく。

第2楽章など、まさに黄昏の美しさというほかない。幽玄という言葉がふさわしい。

このブルックナーとシューベルト、大芸術家の白鳥の歌といって、まったく過言ではないだろう。

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2010年02月27日


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1990年代に入ってからのヴァントには目を見張るものがある。

2曲とも近来稀にみるすばらしいベートーヴェンではないだろうか。

そのすばらしさは一言で言えば虚心坦懐の芸であり、自分を虚しくして作品に奉仕し、演奏という行為に客観的情熱と経験の豊かさを注ぎ込んでいる点にあろう。

結果としての演奏は虚飾からも演出からも遠い作品そのものの姿を見せるものとなるが、その姿はまたなんと輝かしく、清冽な喜びに満ちあふれていることだろうか。

若き日の作曲者の生命の鼓動を聴く演奏と言いたい。

第1番は1986年の録音には存在した荒々しいまでの力強さはここでは影を潜めている。

音楽はいっそう無駄がなく、落ち着き、それでいて、まるでモーツァルトのような軽やかさすら感じられる。

上質の遊戯感がある。透明感がある。極度に洗練された演奏なのだ。

たとえば、何気ない細かな箇所に表れる美しさといったら。

第2楽章はまるで墨絵のようだ。1986年の演奏に比べると、とてもさり気ない。

でも、耳をそばたてて聴くと、ニュアンスの宝庫であり、上質の響きの交響楽だ。

この1997年の演奏、それ以後も絶品だ。

第3楽章メヌエットの中間部の木管楽器のたとえようもない音色。

まったく何でもない、あまりにも簡単な音楽なのに、寂しげで、切なくて、諦めの気持ちまで感じられる。

胸が締めつけられるとはこのようなことを言うのである。

不思議なことだ。指揮者が高齢にならないと、こういう響きはオーケストラから出てこない。

第4楽章フィナーレも、これが80歳を過ぎた老人の音楽家と驚かされる軽快感があって、各楽器がこれしかあり得ないという絶妙のバランスで混ざり合っていて、至純とでも言うほかない音楽だ。

第2番は何よりもどの楽章もテンポがぴったり。この巨匠には老醜は無縁だ。

冒頭の序奏から弦ののびる音や躍むリズムが耳をひく。主部はオケも音楽ものりにのって爽快そのもので、緩徐楽章も尋常ではない。

普通の演奏なら初期の未熟な楽想と思われるところが、ヴァントの手にかかると、どの瞬間も意味深く新鮮に聴こえる。

終楽章の運動性も見事。

ヴァントの精密な演奏を堪能してしまうと、他の大半の指揮者の音楽が大味に聴こえてしまうだろう。

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2009年07月06日


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「第1」「第2」は、完成された演奏だ。

ときにもっと若く荒々しい情感も欲しくなるが、普段、何気なく素通りしているフレーズの数多くが、意味深く提示されながらも、些かの恣意性も思わせないのはさすがだ。

全体のバランスはまさに必然。内声を思い切り弾かせることで演奏に雄々しい力感が漲っている。

「英雄」も雄渾極まりない演奏である。

第1楽章は、冒頭の2つの和音からして厳格な秩序を思わせる響き。

外見こそ端正なのだが、そこに鳴っているすべての音が、ベートーヴェンの心に近づこうとするような気迫が凄まじい。

スコア通りの木管によるコーダのテーマは、そこに命の火が燃えているような気に満ちている。

第2楽章も感傷や涙とは無縁の高級な「葬送行進曲」であり、第3楽章も健全なる精神の舞踏。

フィナーレでは、変奏曲を得意としたベートーヴェンの創作の極意を堪能できる。

「第4」では、第1楽章に注目したい。

第1主題の提示を終え、短い推移を経て、そのテーマを繰り返す場面でのティンパニの活かし方、そのテーマを揺るぎないものとする意味が、これほど伝わる演奏はなかなかない。

序奏や展開部以下の充実度も申し分ない。

「第5」は速めのテンポとキリリと引き締まった造型が特徴。

第1主題は一気呵成、優美に歌われるはずの第2主題さえ怒涛の迫力で押し切ってしまう。いきおい表現は単色になるが、こういう手もありだろう。

その勢いのままに突入した第2楽章の堂々たる偉容も尋常ではなく、第3楽章以下もすべての楽器が鳴りきった迫力に圧倒される。

そして演奏がどれほど荒れ狂っても、貴族のような気品が失われることはない。

「田園」はヴァントの長所と短所の両方が現れた演奏。

最初の2楽章の伸びやかさ、優しさといったらどうだろう。あまりの美しさと優しさに哀しみをすら湛えた第2楽章を聴きながら、ヴァントが到達した孤高のブルックナー演奏への予兆を聴くのである。

ところが、第3楽章以下になると、とたんに面白味がなくなる。スケルツォでは農民たちの歌い踊る愉しさが見えず、第4楽章も「嵐」というよりは、単なる「音の運動」になってしまっているのだ。

つまり、ヴァントの演奏は、あまりにも「純器楽的」でありすぎて、作品の構造や形式は手に取るように分かるのだけれど、情景が見えてこない憾みが残る。

「第7」「第8」も、素晴らしい。

雪解けの奔流のような勢いと清冽さがあり、一切の夾雑物なしにスコアの秘密が解き明かされていくのを見るようで、精神的に愉快な演奏なのである。

ヴァントの生真面目さよりも、精神の自由さが勝った演奏と言えようか。

「第8」には、もっとユーモアの感覚が望まれるのかも知れないが、それを補って余りある躍動感がある。

「第9」は惜しい。第4楽章が著しく不出来なのだ。というより、独唱陣がひどすぎるのである。

テノールこそ可もなく不可もなしといったところだが、バリドン独唱はテキストの崇高さを台無しにしたルーズな歌唱ぶりで、8分音符の音価や音程が実にいい加減である。

しかし、何といっても女声、特にソプラノの悪質なヴィブラートには耳を疑う。なぜヴァントは許したのか。「こんな歌手では録音しない」と言うべき……否、事前にしっかり調査して、的確な人選をなすべきだったのだ。

コーラスも、アルトの表現力が弱いほか、全体にも声色の変化や陰影に乏しく、大味の感は否めない。

最初の3楽章が崇高な演奏だけに、まことに残念な結果であった。

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2009年07月05日


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ここに採り上げる全集は、1986年から90年にかけて、ヴァント生涯最後の伴侶、北ドイツ放送響と行ったスタジオ録音であるが、これは、ブルックナーやブラームス演奏とともに、ヴァントの名を後世に残す重要な全集であることは間違いない。

全演奏に一貫する特徴の第一は、「綿密なアナりーぜ」の跡が伺えることであろう。アナリーゼとは、主題をどのように発展させ、変容させ、展開させて楽曲を構成するかというベートーヴェンの創作の原初に遡るべく、スコアをとことん研究し、解剖して、緻密に演奏を繰り広げていく態度のことである。

もちろん、楽曲のアナリーゼはどんな指揮者にとっても当たり前の作業なのだが、ヴァントのスコアの読みの深さ、詳細さは群を抜いており、その結果、音楽のどの瞬間も新しい意味を帯び、真の感動に息づくことになる。

第二には、すべてのパートの充実である。同じくブルックナーを得意とした朝比奈もまた、スコアにあるすべての音に命を与えようとしたが、ヴァントの扱いはもうひとつ上の次元を行く。

朝比奈の場合、「フォルテはフォルテ」という豪放磊落な姿勢に由来するのだが、ヴァントの場合は、同じフォルテであっても、そこには無数の序列が生まれているのである。すべての音符が全曲の中における自分の位置を知っているかのように。

また、内声や対旋律の充実度、金管やティンパニの強奏はドイツ演奏の伝統を逸脱したものであり、演奏の力強さと響きの意味深さは類を見ない。

第三は、北ドイツ放送響の合奏能力の高さであろう。ドイツ伝統の重心の低いサウンドと堅牢なアンサンブルを保ちながらも、放送局オケの使命として難解な現代音楽もこなす柔軟性と国際的に開かれた表現力を併せ持つオーケストラだからこそ、重箱の隅をつつくように詳細なヴァントの要求に応えることができるのである。

また、そうしたヴァントとオーケストラの共同作業を余すところなく捉えた録音の優秀さも称賛に値する。

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「謹厳」「厳格」「気むずかし屋」「頑固者」……、ヴァントのイメージといえばそういう固いものばかりで、素晴らしいことは分かっていても、気安く近づけない感がある。

確かに、ヴァントの演奏に「立派だけど華がない」「遊びがなくて息が詰まる」という側面はある。ヴァント芸術は見るからに人を拒む峻厳な山のようだ。

しかし、ひとたび心に汗をかきながら登り詰めるなら、その頂きは思いのほか見晴らしが良く、自由な空気に満ち、美しい花々に彩られていることが分かる。何より、地上よりも「天」に近づいた気がするのである。

しかしヴァントがこのような真の自由を獲得したのは、80歳を越えた頃からだ。若い頃のヴァントの録音を聴くと、真面目さが仇になっているケースが多い。

ことに、最近CD化されたケルン・ギュルツェニヒ管時代のベートーヴェン(1950年代)など、まったく融通のきかない生硬な演奏だ。正攻法でありながら、オーケストラの合奏力が低い、とこられては、退屈な説教を聞かされているような気になる。

ヴァント自身、これらを「不十分」な演奏と語っていたそうだから、生きていれば発売を許可したかどうか。

しかし、ヴァントの偉大なところは、そうした演奏への真面目な取り組みを重ねることで、晩年の神々しさ、真の自由を獲得していったことである。

これは尊敬に値するとともに、多くの芸術家、音楽家への希望となり励みとなろう。若い頃に天才的な表現力で人々を魅了しながら、自らの才に溺れて研鑽を怠り大成できないで終わる演奏家の何と多いことか。

その点、「天才」ではなかったヴァントが到達した晩年の「高み」というのは、弛まぬ努力の尊さと、日々の研鑽の大切さを我々に教えてくれるのである。

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2008年10月11日


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1989年1月にヴァントがアメリカ・デビューした際のコンサートのライヴ録音。ドイツ以外のオーケストラとの録音も確かこれが初めてだった。

演奏はなかなか個性的で、ヴァントの解釈の核心が見事に表明されている。

ヴァントはシカゴ響からドイツ的な響きを引き出しているが、ドイツ的とはいっても、むしろモダンなドイツであり、知的造形性が前面に出た演奏なのである。

全体にカッチリとばかりしているだけでなく、抒情性も充分に表現されている。

感情の推移に溺れることなく、感情を殺すこともない。ここにヴァントのバランス感覚のすぐれた部分がある。

そうしたヴァントの内的な成熟とシカゴ響の優秀な合奏力、そしてライヴによる心気高揚によって素晴らしい演奏が生まれた。

第1楽章からかなりテンポが速く、ヴァントらしい即物的な表現が、かえって凄いパワーを感じさせる。

第2楽章も歌謡性に情緒の潤いと厳しい音楽性が加わって、聴き手を引き付けずにはおかない。

フィナーレも圧巻で、意気軒昂、聴いていてこちらまで元気になるようなブラームスだ。

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2008年03月11日


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ブル8は、クナッパーツブッシュ、シューリヒト、フルトヴェングラー、ベーム、カラヤン、ヨッフム、テンシュテットなど、昔からドイツ・オーストリア系の巨匠たちが名演を残してきたが、ギュンター・ヴァント(1912-2002)が2001年、即ち89歳のときにベルリン・フィルハーモニー管弦楽団を指揮したライヴ盤こそ巨匠芸術の真骨頂を見せた記念碑的名演ということになろう。

ただ単に老練な至芸というだけではないし、オーケストラがベルリン・フィルだからというのでもない。

作品をまさに血とし肉としてきた一人の指揮者が、敬愛する作品の世界を無垢なる姿で生き抜いている、その姿が感動的だからである。

決して枯れてなどいない。いや初々しい生命の息吹と前進していく音楽の熱い鼓動がみなぎっている。

しかもヴァントの素晴らしさはそうした生命力の誇示が目的なのではなく、実はそこから彼の音作りがスタートしている点であり、経験豊かな指揮者だけが発掘することのできる感動の新しい領域を聴き手に披露し、堪能させてくれる点にある。

ある小説に、「人間80歳を超すと化け物になる。見えなくてもよいものまで見えてくるのだから…」といった表現があったが、その見えない感動の領域までヴァントは聴かせてくれるのである。

指揮者は不思議な存在だ。60歳を超えて一人前などと言われるが、この演奏を聴くとその真理がわかってくる。

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2008年03月10日


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ヴァントは北ドイツの伝統を受け継いだブルックナー指揮者として、比類のない存在である。

この第7番も3度目の録音だが、ベルリン・フィルへの客演の緊張感が圧倒的な演奏の感銘につながっている。

毅然とした古典的造形とロマン的情緒の両面が満足された表現だが、細部の明快な処理も際立っている。

しかも音が徹底的に磨かれ、そのすべてに判然とした意味を感じさせる。

もちろん第1楽章冒頭のあの長大な主題から、心にしみいるような魅力があり、自然な抑制をもった音楽が淡々と歌っている。

アンサンブルも凝集力が強く、そのため弦のプルトなど人数が少なく聴こえるほどである。

展開部の寂寥感や堂々としたコーダも素晴らしい。

第2楽章もゆとりのあるテンポで流麗に演奏され、粘りやくせがまったくない。

その格調の高さは、この指揮者ならではのものである。

第3楽章も同様で、洗練された表情が有機的に積み上げられ、強固な造形でまとまっている。

音楽が言わんとするところが、そのまま表出された印象を与える。

トリオも神々しいとさえ形容したい。

したがって、終楽章は堅固な起承転結で見事に構成され、あらゆる部分で晴朗な音楽が鳴り響いている。

それは枯淡ともいえる美感をもち、演奏として比類のない完成度を誇っている。

これはヴァントの数多いディスクでも最高峰のひとつと評価したい。

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1998年のベルリン芸術週間におけるライヴ。ヴァントにとって4回目の第9番の録音にあたるという。

その後リリースされたシューベルトの《未完成》と組み合わせた北ドイツ放送響との日本でのライヴ録音も非常にすぐれた演奏だったが、完成度ではこのベルリン・フィルとのライヴのほうがわずかながら上まわっているように思う。

それはヴァントが見事に統率したベルリン・フィルの彫琢された音の威力と豊かな表現力に加え、音楽の自然な流れも大変素晴らしいからであり、誰もがこの交響曲が充分に完成された傑作であることを納得するに違いない。

カラヤンが没し、後継者アバドのもとで響きが軽めになったベルリン・フィルだが、ヴァントのタクトのもとではかつての重厚さを取り戻した。

やや硬質の音色による引き締まった音楽作りが身上だったヴァントの音楽に、虹色にもたとえられる微妙な色合いがさしてきた。

テンポの歩みについても細かな揺れが加わり、それが独特の美しい陰影を織り成している。

スケールの大きさ、音楽の深みは比類がない。

第2楽章にはわずかな不満が残るとはいえ、ベルリン・フィルの歴史に残るブルックナー演奏だ。

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2008年03月07日


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ブルックナーの交響曲第4番は、《ロマンティック》などという名称がついているせいか、たいそう高い人気をもっている。

当然ながら、それを収録したディスク類の数も多い。

いろいろな指揮者が、世界各地のオーケストラを指揮しながら、この交響曲のディスクを作っている。

そうした指揮者の中には1度ならず2度、2度ならず3度と、この作品を録音する者もいるほど。

指揮者ギュンター・ヴァントもそうである。

ドイツ出身の、このヴェテラン指揮者は、筆者自身が聴き知っている限り、これまでに4度、当交響曲を録音した。

第1回目はケルン放送交響楽団を指揮した1976年録音盤、第2回目は北ドイツ放送交響楽団を指揮した1990年録音盤、そして、ここにとりあげたベルリン・フィルを指揮した1998年盤、最後にミュンヘン・フィルを指揮した2001年盤の4種類。

これら4枚のディスクの演奏内容は、その基本的なアプローチの姿勢自体に大きな差異はないといっていい。 

どれもヴァントという指揮者の体質がよく出ており、質実剛健。

愛想のよさなどなく、容易にとりつく島がないような感じだが、いずれも素朴な力強さがあり、中身が濃い。

中でも、この3度目の録音盤は特にスケールが大きく、土台をがっしりと構築したかのような底力の強さが顕著に聴きとれる。

周囲を払うような風格をもっている演奏、とでも形容すればよいのかもしれない。

そこにはベルリン・フィルの力が少なからず作用しているのであろう。

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2008年03月06日


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ヴァントのブルックナーは、北ドイツ放送交響楽団との演奏で既にピークといえる高みに達していたが、ヴァントは1990年代半ば以降にベルリン・フィルに客演、まさに歴史的偉業と呼ぶにふさわしい名演を残し始めた。

第5番はその最初期の1996年ライヴで、巨匠は84歳に達していたが、ヴァントのディスクでは、このベルリン・フィルとのライヴが代表作といえる。

ヴァントとしては3度目の録音だが、まさに超絶的な名演で、威風堂々とした円熟の表現である。

終始、安定した歩みを見せながら、緊張感を保ち続けており、ニュアンス豊かな練りに練られた表情が、自然そのものの音楽を歌っている。

造形的にもまったく隙がなく、しかも気迫にみちた演奏が、指揮者の年齢とは無縁といえるほどのみずみずしさをもって生命の躍動を伝える。

巨匠は84歳に達していたが、冴えわたる視界の豊かさと揺るぎない統率力を背景に、深々としてみずみずしいブルックナーの世界を見事に打ち立てている。

妥協なき指揮芸術がついにたどり着いた名演というべきか、演奏芸術の頂点にある至宝というにふさわしい。

ベルリン・フィルの驚異的な名技と精緻なアンサンブルも素晴らしく、鎧の輝きではなく底光りするような心ある熱演でヴァントの要求に応えている。

ことに終楽章の神々しさが圧巻である。

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classicalmusic

早稲田大学文学部哲学科卒業。元早大フルトヴェングラー研究会幹事長。幹事長時代サークルを大学公認サークルに昇格させた。クラシック音楽CD保有数は数えきれないほど。いわゆる名曲名盤はほとんど所有。秘蔵ディスク、正規のCDから得られぬ一期一会的海賊盤なども多数保有。毎日造詣を深めることに腐心し、このブログを通じていかにクラシック音楽の真髄を多くの方々に広めてゆくかということに使命を感じて活動中。

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