ロストロポーヴィチ

2017年03月28日


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ロストロポーヴィチの主だったレコーディングはドイツ・グラモフォンとEMIに行われたが、前者は昨年既にバジェット・ボックス37枚組をリリースした。

一方ワーナーでは3枚のDVDを伴ったコレクション仕様40枚の豪華版を企画しているが、それに先立って彼の指揮したチャイコフスキーの7曲の交響曲を中心とするオーケストラル・ワークを纏めたリイシュー廉価盤がこのセットである。

ちなみにこの6枚は『ロココ風の主題による変奏曲』1曲を除いて40枚のソロ全集には組み込まれない予定だ。

オーケストラは序曲『1812年』がナショナル交響楽団、『ロココ風の主題による変奏曲』が小澤征爾指揮、ボストン交響楽団の演奏でロストロポーヴィチはチェロ・ソロにまわっている。

その他の総てが彼がしばしば客演したロンドン・フィルハーモニー管弦楽団だが、このうち『マンフレッド交響曲』ではデイヴィッド・ベルのオルガン、『憂鬱なセレナーデ』ではヴァイオリンのマキシム・ヴェンゲーロフがそれぞれ協演している。

ロストロポーヴィチも総合的な音楽活動を行った演奏家の1人で、チェリスト、ピアニストであっただけでなく円熟期に入ると更に指揮者としても多くの録音を遺している。

ロストロポーヴィチによるチャイコフスキーは、彼の故国ロシアへの郷愁溢れる熱い想いを窺い知ることができる名演だ。

彼の創造するサウンドは一見穏当のように見えるが、ここでは統率力にも秀でたテクニックを示していて、その華麗で瑞々しい繊細さと流麗なダイナミズムに加えて『マンフレッド交響曲』を始めとする交響曲第4番から第6番での総奏部分でのブラス・セクションのエネルギッシュな咆哮の迫力は先鋭的でさえある。

何よりも、ロンドン・フィルからロシア風の民族色の濃い、重厚な音色を引き出したロストロポーヴィチの抜群の統率力が見事である。

オーケストラの名前を隠して聴いたとした場合、ロシアのオーケストラではないかと思えるほどだ。

テンポもめまぐるしく変化するなど、緩急自在の思い入れたっぷりの演奏を行っているが、決してやりすぎの感じがしないのは、前述のようにロシアへの郷愁の強さ、そしてチャイコフスキーへの愛着等に起因するのだと思われる。

本セットに収められた楽曲の中で、特に名演と評価したいのは幻想曲『フランチェスカ・ダ・リミニ』だ。

この曲は、名作であるにもかかわらず意外にも録音が少ないが、ムラヴィンスキーの名演は別格として、殆どの演奏は意外にもあっさりと抑揚を付けずに演奏するきらいがある。

それに対してロストロポーヴィチの演奏は、民族臭溢れるあくの強いもので、ロシアの大地を思わせるような地鳴りのするような大音響から、チャイコフスキーならではのメランコリックな抒情に至るまでの様々な表情を緩急自在のテンポと、幅の広いダイナミックレンジで表現し尽くしている。

その表現の雄弁さは特筆すべきものであり、おそらくは、同曲の最高の名演の1つと言っても過言ではあるまい。

それに対して、交響曲第4番は意外にも端正な表現で、かの『シェエラザード』の濃厚な表現を念頭に置くと肩すかしを喰わされた感じだ。

もちろん、ロシア的な抒情にも不足はないが、『フランチェスカ・ダ・リミニ』の名演を聴くと、もう少し踏み込んだ演奏が出来たのではないかと思われるだけに、少々残念な気がした。

むしろ、交響曲第5番がロシアの民族色を全面に出した濃厚な名演で、冒頭は実に遅いテンポで開始される。

かのチェリビダッケを思わせるようようなテンポ設定だが、あのように確信犯的に解釈された表現ではなく、むしろ、自然体の指揮であり、そこには違和感は殆どない。

主部に入ってからの彫りの深い表現も素晴らしいの一言であり、重量感溢れるド迫力は、あたかもロシアの悠久の大地を思わせる。

第2楽章も濃厚さの限りであり、ホルンソロなど実に巧く、ロンドン・フィルも大健闘だ。

終楽章の冒頭も実に遅いテンポであるが、これは第1楽章冒頭の伏線と考えれば、決して大仰な表現とは言えまい。

主部に入ってからの彫りの深さも第1楽章と同様であり、この素晴らしい名演を圧倒的な熱狂のうちに締めくくるのである。

交響曲第6番『悲愴』は、終楽章後半の劇的なクライマックスの後の静かなゴングの糸を引くような余韻の残し方が感極まったように印象的で、それに続くブラスのコラールから弦の入りにかけてはえもいわれぬ寂寥感を感じさせて秀逸だ。

1976年から1999年にかけてセッション録音された音源になり、音質は極めて鮮明。

19ページのライナー・ノーツには演奏曲目及びフィリップ・ムジョーのチャイコフスキーのオーケストラル・ワークについての解説付で、録音データに関しては例によってそれぞれのジャケットの裏面のみに掲載されている。

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2017年02月26日


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20世紀ロシアの頂点に立った器楽奏者の巨匠を語るとき、チェロのロストロポーヴィチ、ヴァイオリンのオイストラフ、そしてピアノのリヒテルの存在は欠かせない。

彼らは既に他界して久しいが、遺された録音はその音楽的価値から言っても将来のクラシック音楽界にとって無視できないサンプルになり得るに違いない。

最近のバジェット価格による限定箱物ラッシュに乗じて、大手メーカーからそれぞれの全集がリリースされている。

ロストロポーヴィチの場合EMIからのコンプリート・エディションが法外なプレミアム価格で販売されている現在、今回のユニヴァーサルのセットは待望されていた企画だし、俄然その価値を高める結果になっている。

ただしワーナーからは3月末にEMI音源を核にした3枚のDVD付CD40枚組コレクション仕様のセットがリリース予定だ。

尚CD25からは彼の指揮者及びピアニストとしての演奏が収録されていて、彼の指揮した2曲のオペラ、プッチーニの『トスカ』及びチャイコフスキーの『スペードの女王』全曲と夫人のソプラノ、ガリーナ・ヴィシネフスカヤの歌ったロシア歌曲集2枚が組み込まれ、総合的な音楽活動を記録したインテグラルなコレクションになっている。

72ページのブックレットには収録曲目及び録音データ一覧とダヴィッド・ゲリンガスによるエッセイが掲載されている。

アンサンブルではリヒテルと協演した1960年代初期のベートーヴェンのチェロ・ソナタ全曲が白眉で、2人の巨匠の顔合わせだけあって、大変スケールの大きな演奏である。

朗々と高鳴るチェロ、それを支える芯の強いピアノ、両者の間に、目に見えない火花の散っているかのような迫真的な名演だ。

2人の名手が火花を散らすようにぶつかり合い、自分の音楽を主張しながら、そこに絶妙な調和を生み出しているこの演奏は、二重奏の最も高度な境地をうかがわせる。

骨格のたくましい、正攻法的な演奏で、実にみずみずしい音楽を作り、また感興豊かで細部まで深く練り込んでいて、それぞれの作品の性格を明快に表わしていることでも、これに優る演奏はないだろう。

最も聴き応えがあるのは第3番で、第1楽章の冒頭の部分を聴いただけでも、2人の名人の物凄い気迫と緊張した呼吸が、聴き手にも伝わってくる。

ロストロポーヴィチとリヒテルが火花を散らしつつ繰り広げてゆく二重奏の中から、ベートーヴェンの威容がくっきりと姿を見せ、聴き手を圧倒する。

この魅力に抗し得ない人が音楽ファンのなかに果たして存在するだろうか?

当時の旧ソヴィエトには個性を主張できた伴奏者は極めて少なく、精緻だが機知や精彩を欠いたピアノに冷たさを感じた演奏も多かった。

流石にリヒテルとのベートーヴェンやゼルキンと組んだブラームスの2曲のチェロ・ソナタ、ベンジャミン・ブリテンのピアノ伴奏によるアルバム、あるいはCD19から21にかけてコーガン、ギレリスが加わるピアノ・トリオ集などは演奏水準の高さもさることながら、表現力の多様さでもそれぞれが互角の立場で作品に臨んでいるところが聴き逃せない。

ロストロポーヴィチは晩年表現がやや厚化粧になる傾向があったが、彼の確信に満ちた解釈は常に明白な説得力を持っている。

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2016年03月11日


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ドヴォルザークのチェロ協奏曲は、雄大なスケール、朗々と歌う旋律、チェロの特質を極限まで生かした傑作で、チェロ協奏曲の王様とも言うべき不朽の名作であり、それ故に古今東西の様々なチェリストがこぞって演奏・録音を行ってきた。

それだけに、名演には事欠くことはなく、本稿にも書ききれないほどの数多い名演が存在している。

カザルスと並んで20世紀最大のチェリストと称されたロストロポーヴィチも、同曲の録音を繰り返し行っており、ターリッヒ&チェコ・フィルとの演奏(1952年)を皮切りとして、ハイキン&モスクワ放送交響楽団との演奏(1956年)、カラヤン&ベルリン・フィルとの演奏(1968年)、ジュリーニ&ロンドン・フィルとの演奏(1977年)、そして小澤&ボストン交響楽団との演奏(1985年(本盤))の5度にわたってスタジオ録音を行っている。

その他にもライヴ録音も存在しており、これは間違いなくあらゆるチェリストの中でも同曲を最も多く録音したチェリストと言えるのではないだろうか。

これは、それだけロストロポーヴィチが同曲を深く愛するとともに、満足できる演奏がなかなか出来なかった証左とも言えるところだ。

本録音はその最後(1985年)となった作品であるが、ロストロポーヴィチ会心の円熟作であり、彼の芸術の集大成とも言うべき名演を繰り広げている。

ロストロポーヴィチは、小澤との本録音(1985年)の演奏の出来に大変満足し、本盤のレコード会社であるエラートに、今後2度と同曲を録音しないという誓約書まで書いたとの噂も伝えられているところである。

したがって、ロストロポーヴィチの円熟のチェロ演奏を聴きたいのであれば1985年盤を採るべきであろう。

ロストロポーヴィチが、これをもって最後のレコーディングにすると決めたことは、このCDを聴いた人には容易に理解できるだろう。

ロストロポーヴィチによるチェロ演奏は、超絶的な技量とそれをベースとした濃厚な表情づけで知られているが、楽曲によってはそれが若干の表情過多に繋がり、技巧臭やロストロポーヴィチの体臭のようなものを感じさせることがあった。

本盤に収められた両演奏においても、かかるロストロポーヴィチの超絶的な技量を駆使した濃厚な歌いまわしは顕著にあらわれているが、表情過多であるという印象をいささかも与えることがなく、むしろかかる濃厚な演奏が必然であると感じさせるのが素晴らしい。

肩の力が抜けている分、音がぐんぐん伸び、低音の朗々たるところなど、まさに比類ない。

驚異的なテクニック、「祈り」の様な深い情感は、聴き手に大きな感動をもたらし、多用されるピアニッシモも人工的にならず、表情の魔法のような変化が詩的で、聴く者の心を打つ。

チャイコフスキーも千変万化の名演で、心から勢いよく涌き出てくる作曲家からのメッセージや曲想をすばらしい技巧によって難なく自然にあますところなく表現している。

そして、ロストロポーヴィチによる濃厚なチェロ演奏をしっかりと下支えしているのが、小澤&ボストン交響楽団による名演奏である。

小澤は、しっかり自己主張しながらボストン交響楽団のいいところを引き出して独奏者の好演に華を添えている。

ロストロポーヴィチと小澤はお互いを認め合うなど肝胆相照らす仲であったことで知られているが、本演奏でも、小澤の指揮は音楽性が最高で、伴奏者としても敏感であり、ロストロポーヴィチへの深い尊敬を秘めた指揮ぶりで、彼のチェロ演奏を引き立てた見事な好パフォーマンスぶりを発揮していると高く評価したい。

ソリストに最大の敬意をはらいどこまでも純粋にその音楽を支えようという指揮者、そんなバックに最大の謝辞を示し、ともに高め合おうと慈愛を向けるソリスト。

それにしても小澤は、ソリストとどのような力関係にあったとしても、変幻自在に立ち回り良い仕事ができる、ソリストにとって理想的な指揮者なのではないだろうか。

小澤の、心地良い風が吹きぬけるような自然で繊細な演奏とその中で響き渡るロストロポーヴィチの朗々たるチェロの音。

これを聴いたらドヴォルザークもにっこり微笑むのではないだろうか。

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2015年09月08日


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若き日のロストロポーヴィチがEMI、ドイツ・グラモフォン及びメロディアのそれぞれのレーベルに遺したステレオ音源をSACD化した1枚で、ドヴォルザークが1957年、シューマンが60年、そして最後のチャイコフスキーが64年の古い録音だが、いずれも素晴らしい音質で蘇っている。

中でも1曲目のドヴォルザークのチェロ協奏曲ロ短調は、ロンドンのアビー・ロード・スタジオでの収録だが、当時本格的なステレオ録音を開始したばかりのEMIが最新の技術を導入し、エンジニア達も如何に気合の入った仕事をしていたかを証明している。

その後のEMIの低迷ぶりが信じられないくらいだ。

その他の2曲も極めて良好な音質だが、チャイコフスキーのみはモスクワでのライヴから採られていて演奏終了後に拍手が入っている。

さてロストロポーヴィチの演奏だが、これはこれで鑑賞のための立派な選択肢であることに異論はないが、あくまでも個人的な好みとしては最後のチャイコフスキーを除いて多少解釈への厚化粧が気になった。

それは彼の基本的な奏法なのだろうが、あらゆるテクニックを使ってフレーズの隅々まで良く歌わせて、必要とあらばテンポを落として音楽の流れを止めることも厭わない。

だから時として作品の原形がはっきり見えなくなってしまうことが無きにしも非ずだ。

特にシューマンの協奏曲は、青春の息吹きの迸りのようなフレッシュな感性が要求される。

この演奏は確かに大家風で堂々としているが最近聴いたシュタルケル、クーベリックのライヴがまさに筆者が求めていたものだったので、それに比べてこちらはやや拘泥している印象が拭えない。

エイドリアン・ボールトもロジェストヴェンスキーもソロを最大限活かしてオーケストラを良く従わせていることは高く評価したい。

チャイコフスキーのチェロと管弦楽のための『カプリッチョ風小品ロ短調』は『ロココ風の主題による変奏曲』と同様ソリストのヴィルトゥオーシティが聴かせどころの、言ってみればアンコール用ピースなので大上段に構えた音楽性を云々する余地は少なく、かえってロストロポーヴィチの鮮やかなテクニックをダイレクトに伝えていて好感が持てる。

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2015年05月06日


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本盤に収められたロストロポーヴィチによるショスタコーヴィチの交響曲第5番については、かつてLPで聴いた時のことを鮮明に記憶している。

本演奏の録音は1982年であるが、この当時は、現在では偽書とされている「ショスタコーヴィチの証言」が一世を風靡していた時期に相当し、ロストロポーヴィチのショスタコーヴィチとの生前における親交から、本演奏は証言の内容を反映した最初の演奏などともてはやされたものであった。

筆者は「証言」をむさぼり読むとともに本演奏を収めたLPを聴いたものの、若かったせいもあるとは思うのであるが、今一つ心に響くものがなかったと記憶している。

その後、大学生になってCDを購入して聴いたが、その印象は全く変わることがなかった。

そして、先般SHM−CD化されたのを契機に、久々に本演奏を聴いたが、やはり心に響いてくるものがなかったと言わざるを得ない。

確かに、巷間言われるように本演奏には楽曲の頂点に向けて畳み掛けていくような緊迫感や生命力溢れる力強さなどが漲っているが、この時点でのロストロポーヴィチは、手兵のワシントン・ナショナル交響楽団をうまく統率し切れずに、いささか空回りしているような気がしてならないのだ。

加えてオケの演奏レヴェルが低く、ワシントンD.C.という都市にあるオケでありながら、ボルティモア交響楽団や、ピッツバーグ交響楽団、サンフランシスコ交響楽団、ヒューストン管弦楽団、ミネソタ管弦楽団などのローカル・オケとも比較が出来ないほど、サウンドが荒く、アンサンブルが成立していない状態での録音である。

このオケは、「ナショナル」という冠をつけているが、国立の楽団ではない。

ただ、アメリカ合衆国大統領の就任式で国歌等を演奏するのは、慣例としてこの楽団の仕事になっているらしい。

その割に、楽団の音色、響きは発展途上のオケのままという感じで、音色というか響きに滑らかさがなく、ざらざらしていて埃っぽい。

当然透明感がなく、第1楽章から平坦で変化のないフレーズどり(オケのサウンドがひどく、ダイナミクスレンジも狭いようだ)で、第3楽章などは聴くに堪えない音を出していて、鈍重な弦楽器の厚ぼったい響きに歯切れの悪さを覚えるだけである。

やや雑然とした演奏に聴こえるのもおそらくはそのせいであり、ロストロポーヴィチによる同曲の演奏であれば、いささか大人しくはなったと言えるが、後年の2つの録音、(ワシントン・ナショナル交響楽団との1994年盤(テルデック)又はロンドン交響楽団との2004年盤(LSO))の方がより出来がいいと言えるのではないだろうか。

特に後者は音質が優れているだけでなく、オケの演奏技術もかなり向上して、音程、サウンドのテクスチャー、音のブレンドなどに格段の進歩を見せている。

他方、プロコフィエフのバレエ音楽「ロメオとジュリエット」からの抜粋については、ロシア風の民族色に満ち溢れた名演と高く評価したい。

ロストロポーヴィチがワシントン・ナショナル交響楽団の音楽監督を務めていた頃の、彼の内面の激情が燃えたぎるような精力的なこの演奏は、プロコフィエフの傑作に鮮やかに光を当てる結果を招来したと言えるだろう。

録音は、従来盤でもかつてのLPと同様に十分に満足できる音質であったが、今般のSHM−CD化によって音質がやや鮮明になるとともに、音場が若干幅広くなったことについては評価したい。

全体の評価としては、「ロメオとジュリエット」の名演とSHM−CD化による若干の高音質化を加味して準推薦の評価とさせていただくこととする。

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2015年05月02日


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同曲演奏史上最高の超名演だ。

ロストロポーヴィチを迎えての「ドン・キホーテ」で、カラヤンによるR.シュトラウスの録音中屈指の名演として有名なもの。

ベルリン・フィルの豊穣な響きはもちろん、ロストロポーヴィチの卓越した演奏もまた素晴らしい。

録音は1975年であるが、これは、カラヤン&ベルリン・フィルの黄金時代。

カラヤンにとっては、その後、様々な故障を抱えて体力的に衰えていく分岐点となった年であるし、ベルリン・フィルも、楽団史上最高の名奏者が集まった全盛期であった。

そして、ロストロポーヴィチの脂が最も乗った時期でもあり、当時のベルリン・フィルの首席ヴィオラ奏者のコッホも加わったメンバーの組み合わせは、まさに豪華絢爛にして豪奢と言わざるを得ないだろう。

こうした豪華な面々の組み合わせがかえって仇になる作品もあるとは思うが、R.シュトラウスの管弦楽曲の場合は、そのオーケストレーションの華麗さ故に大いにプラスに働くことになる。

カラヤン&ベルリン・フィルの重量感溢れる豪壮な演奏は、それだけで聴き手の度肝を抜くのに十分であるし、ロストロポーヴィチのチェロの表現力の幅の広さは、まさに史上最高のドン・キホーテと言っても過言ではあるまい。

冒頭からR.シュトラウスにうってつけの豊満な響きで、まったりとしながらメリハリが利いていて飽きさせない。

主題提示部の圧倒的な迫力から、終曲の詩情豊かな繊細さに至るまで、このチェリストの底知れぬ実力を感じずにはいられない。

滑らかでスムーズ、淀みないカラヤンの指揮するオーケストラに、逞しく奔放なロストロポーヴィチの演奏が音楽的なスケールとダイナミズムを一層際立たせた名演奏である。

チェロとオーケストラが融合しながら協奏曲とはひと味違う、真の意味での管弦楽曲作品に仕上がっている。

ロストロポーヴィチの鬼気迫る演奏がドン・キホーテの狂気を見事に表出し、それに拮抗するカラヤン&ベルリン・フィルのゴージャスなサウンドが素晴らしい。

また、コッホの哀愁を帯びたヴィオラの音がヨボヨボのロバに乗ったサンチョ・パンザを髣髴とさせる。

カラヤンの作為的な演出が全面に出た演奏を嫌う向きも多いが、この曲はそれが大正解なのである。

これはドン・キホーテの脳内に構築されたバーチャル空間なのだから。

筆者は本来、説明的な標題音楽というのが苦手なのだが、この演奏の前にはその嗜好が霧散してしまう。

虚構の豪奢な伽藍が陸続と連なるような大絵巻を描出できる指揮者はカラヤンをおいて他にはいないだろう。

カラヤン&ベルリン・フィルは、本盤の約10年前にフルニエと、約10年後にメネセスと組んで、「ドン・キホーテ」を録音しており、いずれも名演ではあるものの、とても本盤ほどの魅力はない。

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2015年04月28日


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ベートーヴェンの三重協奏曲はベートーヴェンが作曲した労作であり、一部の評論家が指摘しているような駄作とは思わないが、それでもピアノ協奏曲やヴァイオリン協奏曲などと比較するといささか魅力に乏しいと言わざるを得ないのではないだろうか。

もちろん、親しみやすい旋律などにも事欠かないと言えなくもないが、よほどの指揮者やソリストが揃わないと同曲の真価を聴き手に知らしめるのは困難と言えるだろう。

したがって、本演奏の関心は、もっぱら演奏者とその演奏内容の方に注がれることになる。

カラヤンとロシアの偉大な3人のソリストという超豪華な布陣は、ネット配信の隆盛などによりクラシック音楽界が不況下にある現代においては望むべくもない、巨匠たちの夢のような共演と言えるだろう。

ましてやオーケストラが世界最高のベルリン・フィルであり、三重協奏曲のような楽曲ではもったいないような究極の布陣とも言える。

そして、本演奏が凄いのは(裏方では微妙な意見の食い違いがあったようであるが、我々は遺された録音を聴くのみである)、4巨匠とベルリン・フィルがその能力を最大限に発揮しているところであろう。

カラヤン&ベルリン・フィルは、この黄金コンビの全盛時代ならではのオーケストラ演奏の極致とも言うべき重厚にして圧倒的な音のドラマの構築を行っているし、ロストロポーヴィチの渾身のチェロ演奏は、我々聴き手の肺腑を打つのに十分な圧巻の迫力を誇っている。

オイストラフのヴァイオリンも、ロストロポーヴィチのチェロに引けを取らないような凄みのある演奏を展開しているし、リヒテルのピアノも、本名演の縁の下の力持ちとして、重心の低い堂々たるピアニズムを展開している。

いずれにしても、オイストラフ、ロストロポーヴィチ、リヒテル、カラヤンが白熱の演奏を繰り広げる凄い演奏であるし超名演に値すると言える。

そして、このような凄い超名演を持ってして漸くこの三重協奏曲の魅力が聴き手に伝えられたというのが正直なところであり、その意味では、本演奏こそが同曲の唯一無二の名演と言えるのかもしれない。

もっとも、本演奏は狭い土俵の上で、天下の大横綱が5人いてお互いに相撲をとっているようなイメージとも言えるところであり、このような5人の大横綱には、もう少し広い土俵で相撲をとって欲しかったというのが正直なところだ(と言っても、広い土俵たり得る三重協奏曲に変わる作品は存在しないが)。

他方、ブラームスの二重協奏曲は最晩年の名作であり、ベートーヴェンとは異なる魅力作である。

オイストラフとセルによるヴァイオリン協奏曲が秀逸であったことからも分かるように、その延長線にあるといえる素晴らしい名演だ。

全盛期のオイストラフとロストロポーヴィチによる火花が散るような渾身の演奏は我々聴き手の度肝を抜くのに十分な圧倒的な迫力を誇っているし、最晩年になって鉄壁のアンサンブルに人間味溢れる温かみが加わったセル&クリーヴランド管弦楽団による入魂の名演奏も素晴らしい。

本演奏こそは、オイストラフとロストロポーヴィチ、セルの最高の美質が溶け合ったブラームスであり、同曲演奏史上トップの座を争う至高の超名演と高く評価したい(もちろん、三重協奏曲も同曲演奏史上最高の超名演である)。

前者はモントルー国際レコード賞、後者は1971年度レコード・アカデミー賞と仏ADFディスク大賞を受賞している。

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2014年12月24日


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次元が異なる超高音質SACDの登場を大いに歓迎したい。

本盤に収められた演奏は、カザルスと並ぶ20世紀最大のチェリストであったロストロポーヴィチと、20世紀を代表する作曲家の1人であるブリテンによる歴史的な超名演だけに、既にSACDハイブリッド盤やSHM−CD盤などが発売されてきたが全く問題にならない。

本盤では、既発のCDでは聴き取ることが難しかったロストロポーヴィチのチェロの細かい弓使いなどが鮮明に再現されるとともに、特に、チェロの低音域に一本太い芯が通ったような力強さが加わったことが何よりも大きい。

これによって、ロストロポーヴィチのスケールの大きい卓越した至芸を、望み得る最高の音質で味わうことが可能になったと言える。

他方、ブリテンのピアノの音色は、やや籠りがちな箇所も散見されるが、それでも既発CDと比較すると格段に音の鮮度が増しており、とりわけ高音域がクリアに聴こえるのが素晴らしい。

演奏は、息の合った盟友どうしの歴史的な名演奏であり、いずれの楽曲も史上最高の名演と言える。

ロストロポーヴィチのチェロは、重量感溢れる低音から抒情豊かな高音に至るまで表現力の幅は桁外れに広く、シューベルトのアルぺジオーネ・ソナタに込められた寂寥感や、民謡風の5つの小品が内包するシューマン最晩年の絶望感に苛まれた心の病巣を切れ味鋭く描出している点を高く評価したい。

他方、ドビュッシーのチェロ・ソナタでは、同曲独特の瀟洒な味わいの描出にもいささかの不足はない。

ブリテンのピアノも、こうしたロストロポーヴィチの彫りの深い表現をしっかりと下支えしているのが素晴らしい。

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2014年11月28日


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ドヴォルザークのチェロ協奏曲は、チェロ協奏曲の王様とも言うべき不朽の名作であり、それ故に古今東西の様々なチェリストがこぞって演奏・録音を行ってきた。

それだけに、名演には事欠くことはなく、本稿にも書ききれないほどの数多い名演が存在している。

カザルスと並んで20世紀最大のチェリストと称されたロストロポーヴィチも、同曲の録音を繰り返し行っており、ターリッヒ&チェコ・フィルとの演奏(1952年)を皮切りとして、ハイキン&モスクワ放送交響楽団との演奏(1956年)、カラヤン&ベルリン・フィルとの演奏(1968年(本盤))、ジュリーニ&ロンドン・フィルとの演奏(1977年)、そして小澤&ボストン交響楽団との演奏(1985年)の5度にわたってスタジオ録音を行っている。

その他にもライヴ録音も存在しており、これは間違いなくあらゆるチェリストの中でも同曲を最も多く録音したチェリストではないだろうか。

これは、それだけロストロポーヴィチが同曲を深く愛するとともに、満足できる演奏がなかなか出来なかった証左とも言えるところだ。

ロストロポーヴィチは、小澤との1985年の演奏の出来に大変満足し、当該盤のレコード会社であるエラートに、今後2度と同曲を録音しないという誓約書まで書いたとの噂も伝えられているところである。

したがって、ロストロポーヴィチの円熟のチェロ演奏を聴きたいのであれば1985年盤を採るべきであろう。

しかし、オーケストラ演奏なども含めた演奏全体を総合的に考慮に入れて、筆者はこれまでターリッヒ&チェコ・フィル盤を一番に推してきたが、後述のような極上の音質に鑑みれば、本盤に収められたカラヤン&ベルリン・フィルとの演奏を随一の名演に掲げたい。

本演奏でのロストロポーヴィチのチェロ演奏は凄まじい。

1985年盤のような味わい深さは存在していないが、重厚な迫力においては本演奏の方がはるかに上。

重心の低い重低音は我々聴き手の度肝を抜くのに十分であるし、同曲特有のボヘミア風の抒情的な旋律の数々も心を込めて情感豊かに歌い抜いている。

卓越した技量は殆ど超絶的とも言えるところであり、演奏全体に漲っている強靭な気迫や生命力は圧倒的で、ほとんど壮絶ささえ感じさせるほどだ。

確かに、1985年盤などと比較するといささか人工的とも言うべき技巧臭や、ロストロポーヴィチの体臭のようなものを感じさせるきらいもないわけではないが、これだけの圧倒的な名演奏を堪能させてくれれば文句は言えまい。

そして、ロストロポーヴィチの圧倒的なチェロ演奏にいささかも引けを取っていないのがカラヤン&ベルリン・フィルによるこれまた圧倒的な豪演である。

分厚い弦楽合奏、ブリリアントなブラスセクションの響き、桁外れのテクニックを示す木管楽器群など、当時全盛期にあったベルリン・フィルの演奏は凄まじいものがあり、カラヤンはベルリン・フィルの猛者たちを巧みに統率するとともに、独特の流麗なレガートを施すなどにより、圧倒的な音のドラマの構築に成功している。

そして、これにロストロポーヴィチのチェロが加わった演奏は、時に地響きがするほどの迫力を誇っており、指揮者、チェリスト、オーケストラの3者に最高の役者が揃い踏みした本演奏は、まさに豪華絢爛にして豪奢な壮大な音の建造物と言っても過言ではあるまい。

同曲によりボヘミア風の素朴な味わいを求める聴き手にはいささかストレスを感じさせる演奏であることは理解できるし、ロストロポーヴィチのチェロ演奏にある種の人工的な技巧臭を感じる聴き手がいることも十分に想定できるところであるが、これほど協奏曲の醍醐味を感じさせてくれる演奏は他に類例を見ない希少なものと言えるところであり、筆者としては、後述のように極上の音質と相俟って、本演奏こそはドヴォルザークのチェロ協奏曲演奏史上でも最高の超名演と高く評価したいと考えている。

併録のチャイコフスキーのロココの主題による変奏曲も、ドヴォルザークのチェロ協奏曲と同様のアプローチによる超名演であるが、特に聴かせどころのツボを心得たカラヤンならではの語り口の巧さが光っているのが素晴らしい。

音質は、これだけの名演だけにリマスタリングが繰り返し行われてきたが、数年前に発売されたSHM−CD盤がこれまでのところベストの音質であった。

しかしながら今般、ついにシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化が行われることによって、SHM−CD盤をはるかに凌駕するおよそ信じ難いような圧倒的な高音質に生まれ変わったところだ。

ロストロポーヴィチのチェロ演奏の弓使いが鮮明に表現されるなど、本シングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤の艶やかな鮮明さや臨場感にはただただ驚愕するばかりであり、あらためて当該シングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤の潜在能力の高さを思い知った次第である。

いずれにしても、ロストロポーヴィチ、そしてカラヤン&ベルリン・フィルの全盛期の至高の超名演を、現在望み得る最高の高音質を誇るシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤で味わうことができるのを大いに喜びたい。

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2014年11月22日


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ベートーヴェンのチェロ・ソナタは、チェロ作品の新約聖書と称されている至高の傑作であるが、作曲年代がベートーヴェンの初期、中期、後期の広範に渡っている点も見逃すことができない。

第1番と第2番はベートーヴェンの最初期、そして最高傑作との呼び声の高い第3番は中期に差し掛かろうという時期、そして第4番と第5番は後期の作品だ。

チェロ作品の新約聖書と呼ばれているだけに、これまで数多くのチェリスト&ピアニストによって演奏され、名演と評価すべき録音も数多く存在しているが、そのような数々の名演の中で、燦然と輝いてる名演の玉座には、やはり、本盤のロストロポーヴィチ&リヒテルの黄金コンビによる名演を配するのが適切と言えるのではなかろうか。

フルニエ&ケンプを掲げる人も多いと思うが、筆者としては、演奏にかける気迫において、本盤の方をより上位に置きたい。

とにかくロストロポーヴィチ&リヒテルの隆盛期に当たる頃なので、大変剛毅なベートーヴェンの世界に、ある意味似つかわしい演奏を展開して両者の気迫が間近に感じられるようである。

基本的には骨太な中に繊細さを垣間見せるベートーヴェンを聴かせてくれるが、ロストロポーヴィチのチェロは雄渾にして壮麗。

我々聴き手の心を揺さぶる重厚な低音から、抒情的な箇所の熱い歌い方まで、どこをとっても切れば血が出てくるような力強い生命力に満ち溢れており、それらを駆使した超絶的な技巧も、精神性に裏打ちされて実に立派だ。

リヒテルのピアノも、ロストロポーヴィチのチェロをしっかりとサポートしつつ、単なる伴奏にとどまらず、強靭な打鍵から繊細な抒情に至るまで、表現の幅の広さに圧倒される。

これら両者のがっぷり四つの横綱相撲は、時として地響きを立てるようなド迫力であり、我々聴き手の度肝を抜くのに十分である。

おそらくは、ベートーヴェンのチェロ・ソナタ全集の演奏史上最高の超名演であり、将来に渡っても、これを凌駕する名演が現れる可能性は殆ど皆無ではないかと考える。

個人的には本演奏が余りに骨太である為、時折これとは対照的なフルニエ&ケンプあたりの演奏で聴く時はあるが、とにかく座右には置いておきたい永遠の名盤である。

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2014年11月07日


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本盤には旧ソヴィエト連邦時代に活躍した2人の大作曲家、プロコフィエフとショスタコーヴィチによるチェロによる協奏的作品の傑作が収められている。

いずれの楽曲も、本演奏の当時世界最高とも謳われたロストロポーヴィチに献呈されたという意味において共通しているが、素晴らしい名演と高く評価したい。

とりわけ、プロコフィエフの交響的変奏曲については、目ぼしい競合盤が殆ど存在していないことから、同曲演奏史上最高の超名演と言えるのではないか。

作曲者とも親交があり、これらの楽曲を作曲するにあたっても様々な助言を行ったと想定されることから、ロストロポーヴィチの両曲に対するスコア・リーディングの深さと演奏にかける深い思い入れには尋常ならざるものがある。

ロストロポーヴィチによるチェロ演奏は、超絶的な技量とそれをベースとした濃厚な表情づけで知られているが、楽曲によってはそれが若干の表情過多に繋がり、技巧臭やロストロポーヴィチの体臭のようなものを感じさせることがあった。

本盤に収められた両演奏においても、かかるロストロポーヴィチの超絶的な技量を駆使した濃厚な歌いまわしは顕著にあらわれているが、表情過多であるという印象をいささかも与えることがなく、むしろかかる濃厚な演奏が必然であると感じさせるのが素晴らしい。

これは、前述のように、ロストロポーヴィチがこれら両曲に対して、被献呈者として深い愛着を抱くとともに、作曲者が両曲にこめた深遠なメッセージを的確に理解しているからにほかならない。

そして、ロストロポーヴィチによる濃厚なチェロ演奏をしっかりと下支えしているのが、小澤&ロンドン交響楽団による名演奏である。

ロストロポーヴィチと小澤はお互いを認め合うなど肝胆相照らす仲であったことで知られているが、本演奏でも、小澤はロストロポーヴィチのチェロ演奏を引き立てた見事な好パフォーマンスぶりを発揮していると高く評価したい。

小澤がロンドン交響楽団を指揮することは稀であると思われるが、ここでは息の合った見事な名コンビぶりを披露している。

音質については、1987年のデジタル録音ということもあり、従来盤でも十分に満足できる良好なものである。

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2014年10月04日


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ドヴォルザークのチェロ協奏曲は、チェロ協奏曲の王様とも言うべき不朽の名作であり、それ故に古今東西の様々なチェリストがこぞって演奏・録音を行ってきた。

それだけに、名演には事欠くことはなく、本稿にも書ききれないほどの数多い名演が存在している。

カザルスと並んで20世紀最大のチェリストと称されたロストロポーヴィチも、同曲の録音を繰り返し行っており、ターリッヒ&チェコ・フィルとの演奏(1952年(本盤))を皮切りとして、ハイキン&モスクワ放送交響楽団との演奏(1956年)、カラヤン&ベルリン・フィルとの演奏(1968年)、ジュリーニ&ロンドン・フィルとの演奏(1977年)、そして小澤&ボストン交響楽団との演奏(1985年)の5度にわたってスタジオ録音を行っている。

その他にもライヴ録音も存在しており、これは間違いなくあらゆるチェリストの中でも同曲を最も多く録音したチェリストと言えるのではないだろうか。

これは、それだけロストロポーヴィチが同曲を深く愛するとともに、満足できる演奏がなかなか出来なかった証左とも言えるところだ。

ロストロポーヴィチは、小澤との1985年の演奏の出来に大変満足し、当該盤のレコード会社であるエラートに、今後2度と同曲を録音しないという誓約書まで書いたとの噂も伝えられているところである。

したがって、ロストロポーヴィチの円熟のチェロ演奏を聴きたいのであれば1985年盤を採るべきであろうが、オーケストラ演奏なども含めた演奏全体を総合的に考慮に入れると、筆者としては、本盤に収められたターリッヒ&チェコ・フィルとの演奏を随一の名演に掲げたいと考える。

それどころか、異論は十分に予想されるが、筆者としては、本演奏こそがこれまでの同曲のあらゆる演奏のトップの座に君臨する至高の超名演と高く評価したいと考えているところだ。

本演奏でのロストロポーヴィチのチェロ演奏は凄まじい。

1985年盤のような味わい深さは存在していないが、重厚な迫力においては本演奏の方がはるかに上。

重心の低い重低音は我々聴き手の度肝を抜くのに十分であるし、同曲特有のボヘミア風の抒情的な旋律の数々も心を込めて情感豊かに歌い抜いている。

卓越した技量は殆ど超絶的とも言えるところであり、演奏全体に漲っている強靭な気迫や生命力は圧倒的で、ほとんど壮絶ささえ感じさせるほどだ。

確かに、1985年盤などと比較するといささか人工的とも言うべき技巧臭や、ロストロポーヴィチの体臭のようなものを感じさせるきらいもないわけではないが、これだけの圧倒的な名演奏を堪能させてくれれば文句は言えまい。

そして、ロストロポーヴィチの圧倒的なチェロ演奏にいささかも引けを取っていないのがターリッヒ&チェコ・フィルによるこれまた圧倒的な豪演である。

これにロストロポーヴィチのチェロが加わった演奏は、時に地響きがするほどの迫力を誇っており、指揮者、チェリスト、オーケストラの3者に最高の役者が揃い踏みした本演奏は、まさに豪華絢爛にして豪奢な壮大な音の建造物と言っても過言ではあるまい。

ロストロポーヴィチのチェロ演奏にある種の人工的な技巧臭を感じる聴き手がいることも十分に想定できるところであるが、これほど協奏曲の醍醐味を感じさせてくれる演奏は他に類例を見ない希少なものと言えるところであり、筆者としては、前述のように、本演奏こそはドヴォルザークのチェロ協奏曲演奏史上でも最高の超名演と高く評価したい。

併録のシューマンのチェロ協奏曲も、ドヴォルザークのチェロ協奏曲と同様のアプローチによる超名演であるが、特に聴かせどころのツボを心得たロストロポーヴィチならではの語り口の巧さが光っているのが素晴らしい。

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2014年09月06日


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メロス弦楽四重奏団は、1965年にシュトゥットガルト室内管弦楽団の首席奏者などによって結成されたドイツの団体である。

中心的なメンバーであった第1ヴァイオリンのヴィルヘルム・メルヒャーの死によって、2005年に惜しくも解散したが、ドイツの団体らしく重心の低い重厚な音色には定評があり、シューベルトの楽曲についても、弦楽四重奏曲も全集を完成させるなど得意のレパートリーとしていた。

もっとも、アルバン・ベルク弦楽四重奏団とは異なり、現代音楽は一切演奏しなかったことから、いかなる流行にも右顧左眄されることなく、ドイツ音楽の伝統に根差したオーソドックスな演奏を貫き通したという意味において、質実剛健な職人肌の名弦楽四重奏団であったとも言えるだろう。

本盤の演奏も、メロス弦楽四重奏団の面目躍如たる重厚なドイツ正統派の名演。

シューベルトの交響曲第9番「ザ・グレイト」を「天国的な長さ」と称して高く評価したのはシューマンであるが、本盤の演奏は、同曲の様々な団体による演奏の中でも、最も「天国的な長さ」を感じさせる名演奏と言えるだろう。

シューベルトが指定した反復のすべてを実行するなど、かのアルバン・ベルク弦楽四重奏団が47分程度をかけて同曲を演奏しているのに対して、57分程度もかけて演奏しており、演奏時間からしても天国的な長さを大いに感じさせてくれると言えるところだ。

前述のように、現代音楽は一切演奏しない団体であるだけあって、演奏は、前期ロマン派の作曲家であるシューベルトによる楽曲の範疇を逸脱しないオーソドックスなもの。

曲想を精緻かつ重厚に描き出していく演奏は、清澄な美しさに満ち溢れた同曲の魅力を最大限に引き出すのに大きく貢献していると言えるだろう。

同曲の魅力を安定した気持ちで味わうことができるという意味においては、最もお薦めできる名演と言えるところであり、アルバン・ベルク弦楽四重奏団の演奏の持つある種の現代的な革新性に抵抗感を覚えるクラシック音楽ファンには、最も受け容れられる演奏と思われるところだ。

ロストロポーヴィチのチェロ演奏は、後年のエマーソン弦楽四重奏団との演奏と同様に、いささか雄弁に過ぎるというきらいもないわけではないが、心を込め抜いた情感豊かな演奏には抗し難い魅力が満ち溢れていると言えるところであり、これだけ堪能させてくれれば文句は言えないのではないだろうか。

エマーソン弦楽四重奏団との演奏との優劣については高い次元での比較の問題であり、クラシック音楽ファンの好みの問題に帰するものと考えられる。

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2013年03月28日


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ロストロポーヴィチは、ドヴォルザークのチェロ協奏曲を得意のレパートリーとし、それこそ何度も録音を繰り返したが、小澤との共演を持って満足できるものとして、その後一切の録音をやめることになった。

ロストロポーヴィチ本人が満足したのであるから、第三者である聴き手がとやかく言う権利はないのではあるが、衆目の一致するところ、数ある録音の中でも最高の名演は、カラヤン&ベルリン・フィルと組んだ1968年盤ということになるのではないか。

それは絢爛豪華とも言うべき名演であり、協奏曲というよりも、競争曲と言った方がより相応しいような、指揮者とソリスト、そしてオーケストラががっぷり四つに組んだ豪演でもあった。

これに対して、本盤は、ロストロポーヴィチのチェロ協奏曲の中でも、最も優美な抒情を全面に打ち出した名演と言えるのではなかろうか。

これには、ジュリーニの存在が大きいと思われる。

ジュリーニの重厚で粘着質ではあるが、イタリア人指揮者ならではの優美なフレージングが随所に配することなどによって、実に温かみのある音楽を構築しているからだ。

こうした温かみのあるバックの下、ロストロポーヴィチは、情感豊かな演奏を繰り広げていると言える。

ロストロポーヴィチの豊かな歌心を楽しむには格好の1作で、第1楽章の第2主題、第2楽章のノスタルジックな旋律の巧みさなど、傑出した演奏を堪能することができる。

ジュリーニやロストロポーヴィチに引っ張られることにより、ロンドン・フィルも最高のパフォーマンスを示している。

併録のサン・サーンスのチェロ協奏曲同様の傾向の名演だ。

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2012年10月30日


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チャイコフスキーの交響曲第7番とロストロポーヴィチの祖国帰国公演のライヴを組み合わせた何ともマニアックなCD。

チャイコフスキーの第7番は、作曲者の死後に補筆完成された作品である。

第6番に先立って作曲していたが、作曲者が気に入らなくなって破棄した楽譜を編集したいわくつきのものである。

ピアノ協奏曲第3番にもその片鱗が見られるが、交響曲の形で聴いてみると、さすがに第6番の高みには到底及ばないものの、チャイコフスキーならではの美しい旋律に満ち溢れた作品であるということはわかる。

第7番を聴くことができるCDが現在市場にないことを考えると、本盤は稀少価値があると言うことができる。

演奏も、オーマンディ&フィラデルフィア管弦楽団であり、その意味でも申し分のない佳演と言える。

「ロココ」は、ロストロポーヴィチのチェロでないのが大変残念。

しかし、演奏自体は決して凡演ではなく、オーマンディのアプローチも見事なものだと思う。

また、本盤には、ロストロポーヴィチのモスクワでのコンサートを収めているが、これは、録音が悪いのが難点。

したがって、チャイコフスキーの第6番は、録音も含めた全体的な出来としては、ロンドン・フィル盤の方が上であると言えるが、16年ぶりの祖国復帰だけに、燃えるような熱気は十分に伝わってくる。

その他の小品も、なかなか健闘していると言えるのではないか。

かつての手兵であるワシントン・ナショナル交響楽団を指揮していたとはいえ、アンコールの最後に、アメリカ合衆国の第2の国歌である「星条旗よ永遠なれ」を演奏したというのは、冷戦終結を感じさせて大変興味深い。

この時のロストロポーヴィチの心境はいかなるものであったのだろうか。

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2011年10月31日


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動感を強調、熱っぽく劇的に演奏しさえすれば、感情を著しく鼓舞された聴き手は、なにがなし他者との連帯が強まった思いに駆られて満足する、そんな一面が、この第5番にはあった。

雄々しさを強調したエネルギッシュな演奏がはやったのも無理はない。

もともとロストロポーヴィチは、チェリストとしても指揮者としても、いったん興に乗ると自身のはやる気持ちを抑え切れなくなる面を残していたような気がする。

だが、ここでの彼はそうではない。

全曲の中心を第3楽章ラルゴに置き、物悲しく息の長い透明なメロディを、しなやかに深々と歌い進めてゆく。

おのずから表出される切なさが、彼の円熟を物語っている。

第1楽章はことさら弱音で表出される主楽想及び副楽想が息づまるような内的緊張に支えられている。

例えば、第1楽章の中間部で、悲痛な主題が現れるところでは、テンポを落とし、弦楽器には、かすかなヴィブラートをかけ、微妙なフレージング処理により、切々と聴き手の胸に迫ってくるのである。

第2楽章も暗鬱に表現し、テンポも各部分に緩急を与えて決して速すぎない。

第3楽章はこの演奏の圧巻で、まさに心にしみ透ってくるような表情。

その抒情の表現は絶妙な陰影を伴っている。

終楽章は劇的で巨大な表現。

全4楽章を通じて、何と暗鬱な音楽を雄大なスケールで歌わせていることか。

どの部分も、作曲者と親しかったロストロポーヴィチの深い理解と共感を感じさせる素晴らしい演奏である。

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2011年02月26日


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カラヤンほどシュトラウスの複雑なスコアから多彩な響きと表情をたくみにひきだすことのできた指揮者はいないだろう。

シュトラウスの作品はカラヤンが磨きあげたベルリン・フィルの高度な機能性を発揮するのにぴったりの音楽であり、またさまざまな技を凝らした表現をカラヤンはたくみな語り口で聴かせる名人芸も備えていたので、思わず「うますぎる」と感嘆してしまう。

この《ドン・キホーテ》も例外ではなく、変奏曲形式による協奏曲的な性格をもつ交響詩の魅力をほとんど完璧に表現しているし、とくにロストロポーヴィチとの共演では、チェロのソロがすこぶる雄弁であり、この技巧を凝らした作品の面白さを満喫させてくれる。

シューマンのチェロ協奏曲は、ロストロポーヴィチとバーンスタインの貴重な共演録音。

これはどなたであっても肯定してもらえると思うけれど、シューマンのチェロ協奏曲は取扱いの厄介な作品だ。

華やかさはないし、大向こうを唸らせる要素もなく、下手をするとただただ暗い音楽となってしまいかねない。

ここにおける独奏者ロストロポーヴィチと指揮者バーンスタインとは、各種の厄介な要素にしっかりと正対し、なるほどと納得しうる対処のしかたを示してくれている。

彼らの再現するシューマンは、暗い要素を必要以上に明るくするのではなく、暗さに間接照明を当てることで、暗さを重層的に把握してみせたり、暗さにも様々なグラデーションがあることも示してくれており、鮮やか。

説得力が強い。

両者の音楽性のすごさがよくわかる。

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2010年07月12日


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指揮よりももっとチェロに専念してほしい、と願っていたロストロポーヴィチのファンは多かったはず。

その彼がようやく60代半ばにしてバッハの《無伴奏チェロ組曲》全曲を録音した。

30代で「カザルス以降の最高のチェリスト」といわれた彼が到達し得た至高の境地などというとカッコイイが、彼にとって常にカザルスの存在は大きなプレッシャーとなっていたことは想像に難くない。

思えば同作品はカザルスにより発掘され、彼が60歳前半にして全曲録音が成った歴史がある。

ロストロポーヴィチは、そのカザルスに「これまでのチェロ演奏の観念を覆したチェリスト」と絶賛されたが、それを自ら悟ったような痛快さがこの演奏にはある。

カザルスの歴史的名盤をはじめ、それぞれに優れた演奏は多いが、なかでもロストロポーヴィチのものは、舞曲形式のみのこの全6曲を、緻密、しかも壮大に仕上げている。

私は聴く度に、おのおのが6つの面を持つ6つの塔からなる大伽藍を思い浮かべ、それが、朝日、夕日の光を受けて壮麗に輝く様を想像してしまう。

これはバッハの生命力に加え、これを貫徹し表現しようとする、ロストロポーヴィチの強い意思力、奔放な情熱によるもので、それがまた、従来の観念を、くつがえすほどの技術に支えられているからに他ならない。

真摯にバッハの音楽の本質に迫ろうという意気込みが伝わってくる演奏で、ロシアにおけるバッハ演奏の伝統が実感できる。

ロストロポーヴィチの演奏には決して小手先の器用さや気のきいた解釈といったものはなく、しっかりと大地を踏みしめるかのような安定感のあるスケールの大きさがある。

いわば自分の楽器を正眼にすえての真剣勝負とでもいおうか。

そこにはまさに大家の風格がはっきりと刻印されている。

ソ連当局と命をかけて戦い抜いた不屈の闘志は、チェロを構えて張りつめた姿からもうかがわれる。

巨人による巨大な演奏、まさに"枯れた"至芸だ。

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2010年05月09日


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古くはカザルスとセル、ロストロポーヴィチとターリッヒ、ステレオ時代に入ってからはフルニエとセルといった名盤が存在するドヴォルザークのチェロ協奏曲だが、この1枚は全く格別の味わいを持っている。

1968年に録音されたこのロストロポーヴィチの5度目の録音は(それ以前に先述したターリッヒ/チェコ・フィル、ハイキン/モスクワ放送響と録音している)、彼の技術の絶頂期と、チェリストとしての音楽性の交差する時期の記録であると共に、カラヤンがベルリン・フィルという類稀なヴィルトゥオーゾ・オーケストラを手に入れ、「自分の楽器」としてそれを十全に使いこなし始めた時代の記録として圧倒的な演奏密度の濃さを示している。

ソリストと指揮者、オーケストラが四つに組んで、お互い負けじと火花を散らす有様が目に見えるような快演だ。

ロストロポーヴィチの朗々たる音色とスケール雄大な弾き方は比較するものとてなく、場合によってはオーケストラを前面にたてて自らはひっこむ読みの深さも彼ならでは。

カラヤンも一歩もひけをとらない。これだけ演奏効果のある伴奏も滅多に聴けない。

ロストロポーヴィチは、1970年代に入ってからは指揮者としての活動を徐々に増やし、チェリストとしての比重が軽くなっていく。

音楽家としての成熟とは別に演奏者という「技術屋、職人」としての能力の頂点に、この頃のロストロポーヴィチはいたのではなかろうか。

現代的なオーケストラの機能性と濃厚極まりないロマンティシズムを融合させたカラヤンとベルリン・フィルのサポートを得て、ロストロポーヴィチは雄大無比なロマン派的世界を歌い上げている。

スタジオ録音でありながら、一期一会の感興の高まりの中で生み出された稀有の熱演の趣きを湛えたこの演奏の説得力と存在感は、「不滅の名盤」と呼ぶにふさわしい。

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2010年03月17日


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ロストロポーヴィチが初めてパリ管とコンビを組んで録音したのがこの「シェエラザード」だ。

その最優秀の録音と相まって、「シェエラザード」のレコードをたった1枚ほしい、という人に第一にお薦めできよう。

ロストロポーヴィチの指揮は、音楽のダイナミック・レンジが広大で、色彩的でかつドラマティックである。

豊かな表情、華やかな色彩美の点で申し分なく、問題があるとすれば表情がつきすぎていることだが、私にはこういうこってりとした演奏がこの曲の場合いちばんぴったりくる。

旋律の歌わせ方の身ぶりが大きく、とにかく大変にわかりやすく、ノスタルジックな味のある演奏といえる。

反面やや大味なのも確かで、細かいニュアンスなどには余りこだわらず、音の強弱だけで割り切ってしまう、単純さも耳につく。

ただここでは、パリ管を使っているのがプラスで、このオーケストラの持つ、豊かな色彩感が指揮の足らざるところを補っている感じだ。

そしてヨルダノフの独奏ヴァイオリンが、妖艶な色気で迫り、ロストロポーヴィチの表現に錦上花を添えている。

結果としてスケールの大きな、語り口の巧者な名演になっている。

特に絢爛豪華に描いた第4楽章は好演だ。

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2010年02月23日


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アンネ=ゾフィー・ムター(25歳)が、ブルーノ・ジュランナ(55歳)、ムスティスラフ・ロストロポーヴィチ(61歳)といった2人のヴィルトゥオーゾに支えられ、初めて室内楽録音に本格的に取り組んだアルバム。

2人の大家と新進女流による演奏である。

1988年、パリでの録音。

ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロという旋律楽器によるトリオ編成は、それぞれに洗練された感性と高度な技術が要求される表現形態だが、ここに聴く弦楽トリオはアンサンブルの難しさを克服している。

ここでの聴きものは作品9の3曲で、ベートーヴェンの音楽の要求に応えて、3人があたかもソロを受け持っているかのように、それぞれが力感をこめた柄の大きい演奏を繰り広げている。

作品9の3曲の、これほど見事な演奏は聴いたことがない。

このトリオは、弦楽三重奏のアンサンブルの難しさを見事に克服している。

透明度の高い響きの中で、3声部の動きと絡み具合が目に見えるように浮かび上がり、第3番第1楽章など非常に深い音楽内容の堂々たる音楽だ。

ベートーヴェンの《弦楽三重奏曲》の最高傑作群を、情熱と深みと繊細さを兼ねそなえた透明度の高い響きでのびのびと歌い弾んでおり、スケールの大きな音楽を作り上げて、見事なアンサンブルを聴かせている。

ときには室内楽的演奏からはみ出し荒々しく感じられることもあるが、スケールと音楽の容量の大きさはさすがである。

これまであまり重要視されなかった作品だが、この演奏により再評価されるのではないだろうか。

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2010年02月12日


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指揮者としてのロストロポーヴィチの最良の姿を刻印しているディスクとしては、やはり1976年に録音された当チャイコフスキーの交響曲全集が、最初に指折るべきもののひとつといえるだろう。

ロストロポーヴィチは既成概念にとらわれない独自の表情で、これらの曲を劇的・明快に再現している。

とにかく、ここには作曲者チャイコフスキーの一言一句が指揮者の内部で血肉化しているといえよう。

その上で、熱い共感が指揮者独自の身ぶり、手ぶりのきわめて大きな音楽作りによって、各曲を通して再現されている。

かなり感情過多の演奏内容だが、それでも全体を白けさせないだけの強い説得力を、この全集は持っているといえよう。

交響曲第1〜3番では、民族的な旋律が実に豊富なニュアンスをもって演奏され、音構造も的確・明快に表出される。

第4〜6番も徹底した表現で、音楽が存分に歌い、劇的に起伏し、あらゆる音と表情が確信をもって広がる。

スケールの大きさも特筆もの。

他の曲も入念でこくのある、素晴らしい音楽だ。

ロンドン・フィルも熱演で応じている。

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2010年02月10日


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ヴェンゲーロフは1974年生まれのロシアのヴァイオリン奏者である。既に10代の頃から演奏活動を繰り広げているが、早くから世界の第一線で活躍してきた実績を持ち、紛れもない天才と言うべきであろう。

ヴァイオリンという楽器をただ単に上手に操るのではない。ヴァイオリンを通して彼自身の心の状態を雄弁かつ柔軟に物語ることのできる音楽家なのであり、そこで繰り広げられるドラマの真実性と詩情の無垢なる美しさに聴き手は魅了されてしまうのである。

もちろんその世界は採り上げる作品次第でいかようにも変化するが、これら4作品では真摯な演奏家としての姿勢が明確に刻印されている。

ヴェンゲーロフのヴァイオリンはただ快くは歌わない。彼のヴァイオリンは聴き手の心に放たれる弾丸であり、そこにある鋭さと求心力がヴェンゲーロフが今、なぜこの作品を採り上げるのかを自ずと語る演奏になっている。

言葉はいらない、説明も不要、音そのもの、音色そのもの、カンタービレそのものが作品の核心を解き明かしていく壮大な旅のような演奏であり、結果的にそれが聴き手と作品とを熱い絆で結びつけていくのである。

サポートするのはロストロポーヴィチ。これら2人の偉大なる作曲者を直接知る音楽家の指揮は、これまた使命感を裏付けとした深い味わいと雄弁なる説得力がある。

もちろんロストロポーヴィチは年齢的にはヴェンゲーロフの祖父のような存在だが、両者は作品にともに魅せられた一音楽家同士として向かい合っている。

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2009年12月31日


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ロシアがソヴィエト連邦だったその末期に、ソヴィエトの自由化政策によって、西側に出ていた芸術家たちの一時帰国が実現しはじめた。

ロストロポーヴィチもそうしたひとりで、彼と、その夫人でソヴィエトきっての名ソプラノだったヴィシネフスカヤの帰国の様子は、テレビでも報じられ、またドキュメンタリー番組にもなっていたが、愛する祖国の土を再び踏むことのできた彼らの感慨深げな表情は、たいへん印象的であった。

こうした祖国の作曲家の作品を演奏する時のロストロポーヴィチは、彼の郷愁の思いがひしひしと伝わってくるかのような、ロシア的な情感をてんめんと歌わせた表現で、強く胸を打たれる。

第6番では、作品のもつ現代的手法から鋭い感覚美を表すだけでなく、その内部に秘められた抒情性やスラヴ的な憂愁も表出されている。

しかもロストロポーヴィチの思索的な表現が、そうした印象をさらに強める結果となった。

第1番はユニークな表現でテンポが遅い。作品の擬古典的な様式と時代を無視した解釈だが、そこに豊かな音楽性があることが認められよう。

第2番は、ロストロポーヴィチ特有のリズムと楽想の強靭な把握が功を奏しており、作品の抒情性をよく表出しているが、弦に比較して木管や金管群がバランス的に弱いのが残念だ。

第3番は第2楽章以降が優れており、ロシア風の旋律を共感に満ちた表情で歌わせているし、終楽章では金管の吹奏が美しく、音楽を率直に高揚させているのもよい。

第4番の2つの版をそれぞれ演奏しているものは他にもあるが、1枚のCDに収めたのは珍しい。

作品的には改訂版の方が充実しているが、初稿にみられる一種のぎこちなさの中にもそれなりの魅力がある。

ロストロポーヴィチは、フランス国立管の洗練された響きを縦横に駆使して、プロコフィエフの音楽をエネルギッシュに、流麗に演奏している。

第7番は華麗に演奏されることが多いが、ロストロポーヴィチはテンポを遅めにとり、内向的でほの暗い音楽を聴かせる。

それがプロコフィエフのスラヴ的な性格を抽出し、細部の美を発見させる。

創意豊かな内面感情に忠実な演奏といえよう。

第5番も同じようにロシア風ともいえる重厚さを感じさせるが、両端楽章では指揮者とオケと作品の調和にやや疑問が残る。

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2009年08月20日


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指揮者の円熟を物語る秀演だ。

冒頭から明晰この上なく、しかも弦のアンサンブルの充実とニュアンスの豊かさは特筆すべきものだ。

第2楽章は弦の清澄な表情がかけがえのない魅力となっており、第3楽章の緊張力をもった表現も美しい。

終楽章では洗練された音調と整頓された造形で演奏しているが、それが音楽的に純粋な光彩を放射する。

結果として純音楽的な演奏が、標題性や劇性の誇示よりもかえって説得力を持つことになったのである。

ショスタコーヴィチの交響曲は政治色の強いものが多く、この《レニングラード》もヒトラー率いるドイツ軍によって包囲されたレニングラード市内で着想されたのもといわれていた。

しかし、ロストロポーヴィチは「第7交響曲は、いわゆるファシズムの"悪"が第1楽章で表現されています。しかしその"悪"は単にファシズムばかりではありません。たとえばスターリンも"悪"です」と語り、作曲者と親交のあった音楽家として新しい解釈を示した。

27分弱にも及ぶ第1楽章は不気味にも力強く、第3楽章の穏やかな美しさはときに痛々しくもある。

そして「近づく勝利」が表現された迫力ある第4楽章。

大編成のオーケストラを意のままにドライヴして見せ、指揮者としての力量をはっきり示した名演である。

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2009年01月18日


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1915年、ラフマニノフがアメリカに亡命する直前に初演された作品。

キエフのズナメイおよびロシア正教の聖歌に由来する聖歌に基づいた宗教音楽で、すこぶる壮大な規模をもっている。

ロストロポーヴィチの初の合唱指揮アルバムであった。

いかにもロストロポーヴィチのロシア人としての血の躍るような、ロシア的情感の濃厚な表現である。

ロストロポーヴィチの指揮は、力感あふれる重厚さと、ラフマニノフ独特の濃厚なロマンティシズムを兼ね合わせ、全15曲を変化のあるまとめ方をしている。

あの手、この手で曲に変化を与えようとする、ロストロポーヴィチのサービス精神が熱いほど伝わってくる演奏だ。

独唱のふたりも、りっぱなうたいぶりで、合唱団の洗練された合唱で、充実した演奏となっている。

合唱の精緻さという点では他に優れた演奏もあるが、ここには生命の祈りと讃歌がある。

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2008年06月05日


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ロストロポーヴィチが、イギリス現代を代表する作曲家のひとりブリテンと共演したもので、その組み合わせが珍しい。

チェロとピアノの呼吸が見事に合っている。

「アルペジョーネ・ソナタ」でのロストロポーヴィチは、遅めのテンポで朗々と旋律を歌わせ、陰影をはっきりつけて表現しており、味わい深い。

そしてブリテンのピアノも達者だ。

シューベルトの音楽としては、必ずしも深みのある作品とはいえないこの曲を、実に美しく、きめこまやかに再現していて、あたかも宝石のような仕上がりとなっている。

こうした2人の音楽性と技巧に支えられた強みがどの演奏にも表れて、シューマンではロマン的な歌が大切にされ、詩情もきわめて豊かになっている。

ドビュッシーの気のきいた洗練された味わいも特筆されていいだろう。

1968年の録音で、やや音は古いが、2人の巨匠の音楽性も見事に合っており、ブリテンの伴奏も、実にうまい。

演奏といい、2人の巨匠の顔合わせといい、歴史に残るものだ。

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2008年05月23日


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国際レコード批評家賞、モントルー国際レコード賞を受賞した名盤の復刻である。

早くから「カテリーナ・イズマイロヴァ」はオリジナルの方がすばらしく、20世紀のオペラの名作だ、と主張していたロストロポーヴィチが、1978年に録音したのがこれだ。

確かに挑発的だし、話は陰気で、聴いて心楽しくなるオペラではないけれど、実に聴きやすく、退屈しない作品だ。

スターリンによって不当に黙殺されていたこの傑作オペラを、再び世に出し蘇生させることを願うロストロポーヴィチ夫妻の情熱と執念の強さが、ディスクの中から迸り出る様な演奏である。

そのロストロポーヴィチの意気込みがよく伝わってくる。

ロシア的濃厚さも、当然ながらいっぱいだ。

ロストロポーヴィチのダイナミックかつ繊細な指揮の下、悲しく激しい女の業を歌い上げるヴィシネフスカヤの絶唱を始め、ゲッダ、ペトコフ以下の名歌手達が、入神の演唱を展開している。

チョン・ミュンフン盤のユーイングとは全然違うヴィシネフスカヤのカテリーナは、こちらがもともと意図されたものか、と思えるところがある。

ゲッダのセルゲイもうまい。

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2008年02月25日


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ロストロポーヴィチとゼルキンという巨匠の初顔合わせであり、唯一の共演盤となったもので、お互いの個性を尊重しながらも、うまく調和させている。

ロストロポーヴィチのチェロは、相変わらず線が太く、朗々と鳴らしており、しかもデリケートさもある。

ゼルキンのピアノもブラームスを得意としているこの人だけあって、腰をすえてじっくりと弾いている。

スケールの大きな中身の濃い名演だ。

2人とも、よく計算された緻密で深みのある情感豊かな表現もみせ、2人の音楽体験の深さが、調和がとれて生かされている。

そのよい例が第2番の第2楽章で、作品の本質に根ざした演奏である。

第1番の悲痛さもわざとらしくない。

特に第1番のメヌエット楽章や第2番の第2楽章での悲痛な表現は格別である。

アンサンブルと内容の深さにおいて文句なしに理想的な1枚といえよう。

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2008年02月04日


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2人の巨匠の顔合わせだけあって、大変スケールの大きな演奏である。

朗々と高鳴るチェロ、それを支える芯の強いピアノ、両者の間に、目に見えない火花の散っているかのような迫真的な名演だ。

2人の名手が火花を散らすようにぶつかり合い、自分の音楽を主張しながら、そこに絶妙な調和を生み出しているこの演奏は、二重奏の最も高度な境地をうかがわせる。

骨格のたくましい、正攻法的な演奏で、実にみずみずしい音楽を作っている。

また感興豊かで細部まで深く練り込んでいる。

それぞれの作品の性格を明快に表わしていることでも、これに勝る演奏はないだろう。

最も聴き応えがあるのは第3番だ。

第1楽章の冒頭の部分を聴いただけでも、2人の名人の物凄い気迫と緊張した呼吸が、聴き手にも伝わってくる。

ロストロポーヴィチとリヒテルが火花を散らしつつ繰り広げてゆく二重奏の中から、ベートーヴェンの威容がくっきりと姿を見せ、聴き手を圧倒する。

この魅力に抗し得ない人が音楽ファンのなかに果たして存在するだろうか?

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2007年12月31日


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第2回目の録音では、ロストロポーヴィチのソロが実に素朴でありながら、音楽の質としては純粋で、ターリッヒと完全に呼吸が合っている。

これこそ味わい深い、本物の音楽だ。

第6回目の録音では、カラヤン盤とはかなり世界が異なる。ロストロポーヴィチ50歳時の演奏。

ジュリーニ特有の懐の深い響きとスケールの大きい音楽の流れの中で、思いのままにロストロポーヴィチが泳ぎまわるといった風情。

詩情的、夢想的な雰囲気をこれほど醸し出した演奏はあるまい。

第7回目の録音はロストロポーヴィチ会心の円熟作である。

肩の力が抜けている分、音がぐんぐん伸び、低音の朗々たるところなど、まさに比類がない。

多用されるピアニッシモも人工的にはならず、表情の魔法のような変化が詩的で、聴く者の心を打つ。

小澤の指揮は音楽性が最高で、伴奏者としても敏感だ。

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