リヒテル

2022年08月07日


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インスブルック盤は、有名なセッション録音盤と較べ、テンポの緩急や表情の起伏が大きく、トータル・タイムが約19分も短いという、実演ならではのテンションの高いものとなっている。

躍動感にあふれ、曲によってはすごいスピード感でフーガを刻み込む一方、前奏曲ではときに沈潜し、ときには澄明な明るさを見せて、表情豊かで太い流れを生み出し、巨大な連続性を感じさせてくれる演奏は実に感動的だ。

オリジナル楽器による演奏が顕著になってきた20世紀末にあっても、1世紀前のブゾーニ以来変わらず、依然としてピアノで弾く『平均律』の演奏は好まれている。

それがこの曲集の持つ底なしの可能性の一面をのぞかせている。

同じく現代ピアノによるグールドやシフ、ニコラーエワといった名演もあるが、リヒテルのものは全編を徹底したロマン的詩情で貫いており、20世紀最後の巨匠的ピアニストの偉業としても残るものだろう。

ソフト・フォーカス的な録音によって掻き消されてしまう声部の明確な分離も、この圧倒的な詩情の前では些事としか映らない。

バッハが前奏曲とフーガという組み合わせの中に実に多様な表現と感情移入を可能としていたことを、リヒテルは明らかにしている。

それだからこそ、その作品は芸術として大きい。

ここでのリヒテルを、抒情的に流れすぎていると思う向きもあろう。

だが、そのために無味乾燥を避け、聴き手の心に長く残る演奏芸術となった。

リヒテルが生命体とした『平均律』から私達はすばらしい音楽体験が味わえる。

それは20世紀後半に好まれたバッハ演奏の、ひとつの典型を示していると言えよう。

リヒテルはここで、広いコンサートホールや大聖堂ではなく、修道院の付属教会を演奏会場に選んでいる。

当時58歳のリヒテルはコンディションも絶好調だったようで、驚くべき集中力でバッハの長大な作品を音にして行く。

それまでの『平均律』連続演奏会や入念なセッション・レコーディングで、この大作に深く取り組んできた後だけに、ゆるぎない確信に満たされたかのようなアプローチには凄いほどの説得力が備わっている。

考えてみれば大ホールでの演奏のときも極限まで照明を落とすリヒテルのことであるから、演奏の際に周りの環境が及ぼす影響も決して小さくはないだろうし、だからこそここでの演奏にそうした環境面での良い影響が現れたのだとも言えるのではないだろうか。

プロデューサーは指揮者でもあるオトマール・コスタと、ピアニストでもあるテオ・ペーア、エンジニアはクラリネット奏者でもあるハンス・ヒムラーというチームにより、教会でのライヴ録音ながら、すっきり明晰で聴きやすいサウンドに仕上がっているのが嬉しいところ。

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2022年08月01日


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リストのピアノ協奏曲は現在3曲が知られているが、短い第3番を除いた2曲がリヒテル、コンドラシンの演奏で遺されていることは幸いだ。

1961年のセッション録音で、彼らはいずれも壮年期の脂の乗り切った理想的な時期でもあり、演奏にもその充実度が反映されている。

リストの協奏曲は、ともすればピアニストのテクニックの見せ場のための演奏に陥り、音楽的な深みを出すことが難しい。

しかしリヒテルは単にピアニスティックな聴かせどころだけに留まらず、芯のある骨太な音楽構成を保っている。

そこにリストの奇々怪々ともいえるロマンティシズムが表出されていて、他のピアニストに比較して、際立った重量感のある演奏だ。

それはまたコンドラシンの絶妙なサポートにも負っているが、ロンドン交響楽団の良く統率されたサウンドも時には不気味でもあり、また時には小気味良く、両曲とも後半に置かれたマーチではドラマティックなクライマックスを築き上げている。

ピアノ協奏曲第2番イ長調は、第1番に比べて採り上げられる機会が少ない。

それは曲の構成がラプソディー風で、一見つかみどころがないような印象があるからだと思うが、彼らの表現力の豊かさはこの作品の価値を充分に示している。

ソロとオーケストラの間の弛緩のないやり取りと、第5部から第6部への盛り上げは彼等ならではの迫力を持っている。

このディスクにはベートーヴェンの3曲のピアノ・ソナタ第10番、第19番及び第20番がカップリングされている。

これらのソナタも実際のコンサートで採り上げられることが少ないが、リヒテルの手にかかると、平易な可愛らしさだけでなく味わい深い曲想が展開される。

彼はベートーヴェンのソナタ全曲を録音しなかった、というより録音するつもりもなかったようだが、こうした表現を聴くと全曲集を完成しなかったことが惜しまれる。

1963年のレコーディングで音質は極めて良好。

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2022年07月28日


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ザルツブルク音楽祭での収録年の異なるふたつのコンサートより、キャリア駆け出しのムーティがウィーン・フィルを指揮した演奏内容を編んだアルバム。

リッカルド・ムーティのザルツブルク音楽祭でのライヴから3曲を収めたCDで、前半の2曲が1972年8月17日に同地のグローセス・フェストシュピールハウスで演奏されたロッシーニのオペラ『セミラーミデ』序曲及びシューマンの『ピアノ協奏曲イ短調』で、ソリストにはスヴャトスラフ・リヒテルを迎えている。

後半は1974年7月27日にクライネス・フェストシュピールハウスでのモーツァルトの『協奏交響曲変ホ長調』で、ソロ・ヴァイオリンに当時のウィーン・フィルのコンサート・マスターだったゲルハルト・ヘッツェル、ソロ・ヴィオラには同首席奏者ルドルフ・シュトレングをそれぞれ配している。

ムーティのザルツブルク・デビューは1971年にカラヤンから招待された時で弱冠30歳だった。

このライヴはその翌年のもので、プログラミングの上でも既にムーティのストラテジーが良く表れている。

ムーティはコンサートの冒頭にしばしばイタリア・オペラの序曲を持ってくる。

しかもウィーン・フィルのようなオーケストラでロッシーニのクレッシェンドを思う存分聴かされた聴衆の精神状態は、いやがうえにも高揚してくる。

こうしたオーケストラのウォーミング・アップと聴き手の感覚を呼び覚ますファンファーレを兼ねた効果的な選曲がここでも功を奏している。

シューマンでは鉄拳のように振り下ろされるリヒテルの打鍵が、ムーティの指揮する毅然としたウィーン・フィルの上に冬の月光さながらに冴えた演奏で、リヒテルのソロは時として近寄り難い孤高の峻厳ささえ感じさせるが、ムーティはそれを包み込むだけの熱い情熱と巧みな采配で、リヒテル自身も次第に勢いに乗ってくる様子が興味深い。

第2楽章での弦楽器を引き立たせるカンタービレや、終楽章のソロとの堂々たる受け応えは若かったムーティの奮闘振りを示している。

かたや巨匠リヒテル、また一方ではうるさ型のプレーヤーが揃っているウィーン・フィルという二者をまとめあげ、両者の能力を活かしてみせた力量は流石だ。

モーツァルトでソリストを務めるヘッツェルは少年時代からヴォルフガング・シュナイダーハンに師事してウィーン流の奏法を会得した、まさにウィーン・フィルの顔だったが、先輩のシュトレングと組んだ『協奏交響曲』での線は細いが軽やかで典雅なロココ風の趣は、替え難い美しさを持っている。

ここではムーティ得意のイタリア風の明るく伸びやかなモーツァルトを心掛けていて穏やかな幸福感を感じさせてくれる。

尚ライナー・ノーツは29ページで独、英語による比較的充実したエピソードが掲載されているが、後半部はオルフェオ・レーベルのザルツブルク音楽祭ライヴCDのカタログになっている。

録音状態はこの手のライヴとしては良好なステレオ録音で、いくらかこもった感じの音質はボリュームを上げることによってかなり改善される。

またテープの劣化が原因と思われる若干の音揺れが聞かれるが大勢には影響ない。

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2022年06月30日


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このようなアルバムこそは、人類の至宝とも言うべきなのであろう。

バッハの数あるピアノ曲の中でも聖書とも言うべき平均律クラヴィーア曲集には、これまで古今東西のあまたのピアニストがこぞって録音を行ってきているところだ。

もっとも、あまりにも長大な作品であるだけに、没個性的な演奏では聴き手が退屈してしまうことは必定である。

ピアニストにとっては、自らの持ち得る実力や個性、そして芸術性を最大限に発揮することが求められるという、極めて難しい作品とも言える。

海千山千の競争相手が多いだけに、なおさら存在価値のある演奏を成し遂げることが困難ともいうことができる。

本盤に収められた1970年代初めに録音されたリヒテルによる演奏こそは、諸説はあると思われるものの、筆者としては、バッハの平均律クラヴィーア曲集のあらゆるピアニストによる演奏の中でも、トップの座に君臨する至高の超名演と高く評価したい。

リヒテルは、超絶的な技巧は当然のことながら、演奏全体のスケールの雄大さ、各フレーズに込められたニュアンスの豊かさ、そして表現の彫りの深さなど、どれをとっても非の打ちどころのない演奏を展開している。

加えて、単調な演奏には陥ることなく、各曲の描き分けの巧みさも心憎いばかりであり、十分に個性的な表現を駆使している。

それでいて、そうした表現があくまでも自然体の中で行われており、芝居がかったところがいささかも見られない。

要は、恣意的な解釈が聴かれないということであり、バッハへの深い愛着と敬意以外には私心というものが感じられないのが見事である。

個性の発揮とスコア・リーディングの厳格さという二律背反する要素を両立させている点に、本演奏の凄みがあるとも言えるだろう。

したがって、同じロシア人でもアファナシエフのような極端な解釈など薬にしたくもない。

演奏の様相はむしろオーソドックスな表現に聴こえるように徹しているとも言える。

このような至高の高みに達した凄みのある演奏は、もはやどのような言葉を連ねても的確に表現し尽くすことが困難である。

まさに筆舌には尽くし難い優れた超名演ということができるので、未聴の方はネット配信で聴いてみられることをお薦めする。

いずれにしても、本演奏こそは、バッハの平均律クラヴィーア曲集の理想像の具現化と評しても過言ではあるまい。

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2022年05月20日


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ソ連ものに強いイギリスのスクリベンダム・レーベルから、アナトリー・ヴェデルニコフ(1920年5月5日 - 1993年7月29日)の17枚組セットが登場。

諸事情あって表舞台にはあまり出なかったヴェデルニコフだが、その演奏の独特な魅力によって、マニアの間ではカルト的なピアニストとして有名な存在。

ヴェデルニコフの"再発見"はピアニストの国ロシアの奥の深さを改めて認識させるものだった。

同じネイガウス門下のギレリスやリヒテルと並ぶ大ピアニストながら、政治的な理由で活動を制限され、最近になってその実像が明らかにされるようになった旧ソ連の巨匠ヴェデルニコフ。

死後に復刻された一連の録音はどれも聴き応えのあるものばかりだ。

ヴェデルニコフはハルビンの生まれで、満洲や中国、日本で初期のキャリアを築き、東京に8か月間滞在してレオ・シロタのもとで腕をあげるなど、日本とも縁の深い人物。

その演奏は、揺るぎのない高度な技巧により、感情におもねることなく作品の姿を明確に示すのが特徴であった。

背景にはヴェデルニコフが非常に研究熱心で、たとえばバッハのパルティータを録音するために、カンタータ全曲を勉強するなど、その方法は時間と手間をかけた徹底的なものだったと言う。

実際、ヴェデルニコフのバッハ録音は峻厳な素晴らしい演奏であるし、自身のヴァージョンによる尖鋭な『ペトルーシュカ』(ペトルーシュカの死と亡霊も含む)や、独特の抒情が際立つ『月光ソナタ』、凄まじい迫力のプロコフィエフ『悪魔的暗示』など、作品に応じて突き詰められたスタイルは、バロックから現代にいたる幅広い作品を見事な説得力で聴かせる。

特に20世紀音楽については、政府受けが悪い作品でも熱心にとりあげ、それが原因で長きに渡って文化省の不興を買い、活動範囲が限定される要因にもなっていたが、ヴェデルニコフは方針を改めたりはしなかった。

そうした政府による制限もあって、自分の不運をぼやきがちだったヴェデルニコフであったが、同じく父親を処刑されていた妻のオリガとは、半世紀に渡って結婚生活を維持し、息子ユーリも立派な画家に育つなど、私生活にはとても恵まれていたようだ。

ヴェデルニコフが半世紀に渡って住み続けた別荘(ダーチャ)は、オリガの父、哲学者のゲッケルがモスクワ近郊のクリャーズマに建てた古い物件であった。

冬はとても寒かったものの、ヴェデルニコフはそこで音楽の研究に加えて、哲学や文学に親しみ、英語やフランス語も習得、アメリカやイギリスのラジオを聞き、健康維持も兼ねてヨガに興じてもいた。

そうした幅広い教養を深めつつ、旧ソ連体制のなかで深く「音楽」そのものに生き甲斐を求めたヴェデルニコフならではの表現が聴かれる。

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2021年12月17日


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マリヤ・ユージナ[1899-1970]はタチアナ・ニコラーエワ、マリヤ・グリンベルク、ローザ・タマルキナなど個性派揃いのロシアの女流ピアニストの中でも突出した人物として知られている。

哲学や文学・美術に通じ、ドイツ語、フランス語、ラテン語にも堪能で、しばしばエキセントリックとも言われたユージナは、バッハやベートーヴェン、ブラームス、シューベルト、モーツァルトなどドイツ・オーストリア音楽を得意とする一方、20世紀作品もよくとりあげていた。

イギリスのスクリベンダムから登場したセットは、26枚組という大規模なもので、ユージナの個性的な演奏を一気に手軽に楽しめるのが朗報だ。

録音年代は1947年から1970年の23年間、初期のものには音質の良くないものも多く含まれているが、演奏の個性は十分に伝わってくる。

ユージナの若い頃は、ソ連政府はモダニズムやアヴァンギャルドにも協力的で、音楽、演劇、美術、文学などさまざまな作品が登場していた。

中でも音楽は、プロパガンダ活動の一環として、国外からもさまざまな音楽家を招聘、ヒンデミットやバルトーク、ストラヴィンスキー、シェーンベルク等々、のちに禁止されることになる作曲家の作品を多数とりあげていた。

特にユージナの暮らしていたレニングラードでは、その規模もかなり大きなものとなっていた。

ソ連建国の1922年からヒトラー内閣誕生直前の1932年にかけて、レニングラードには、ドイツを中心に国外から数多くの指揮者が客演。

レーニン/スターリンの社会主義プロパガンダの一環ということもあってか、その人選は非常に豪華であった。

フリート、クレンペラー、アーベントロート、シュレーカー、モントゥー、ワインガルトナー、ミヨー、ワルター、クライバー、カゼッラ、アンセルメ、クレメンス・クラウス、オネゲル、ツェムリンスキー、クナッパーツブッシュ、ブッシュ、ターリヒなどすごい顔ぶれ。

さらにソ連の指揮者・演奏家も活躍し、20代なかばだったユージナの弾くバッハを聴いたクレンペラーは深い感銘を受けたと語ってもいた。

「私の人生において、太陽のように崇めるピアニストは3人いた。ソフロニツキー、ネイガウス、そしてユージナだ!」と語るリヒテル[1915-1997]は、ユージナについて「常識を逸脱し尋常ならぬ芸術家」と評した。

宗教弾圧下でありながら、演奏会で十字を切るという振る舞いに呆れながらも、彼女のバッハやベートーヴェン、ブラームス、ムソルグスキー、シューベルトなどの演奏を称える一方、表現された音楽は作曲家のものではなく、まさにユージナそのものであるとも述べていた。

ユージナの葬儀では、リヒテルがユージナから褒められていたというラフマニノフを演奏するなどしていた。

以下、リヒテルがユージナの演奏について語った言葉である。

■バッハ:平均律クラヴィーア曲集第1巻第22番 →「グールドもユージナに較べればかわいいものだ。」

■モーツァルト:ピアノ協奏曲第23番、シューベルト:即興曲変ロ長調、ブラームス:間奏曲イ長調(Op.118-2) →「彼女のあとに弾く気にはなれない。弾いたらみっともないことになる。」

■リスト:バッハのカンタータ『泣き、歎き、憂い、怯え』の主題による変奏曲 →「天才的な演奏だった。とどろきわたるのではなく、心に染みいるような演奏で、ピアノ曲というよりは、ミサ曲を聴いているようだった。ユージナはまるで儀式を執り行っているようにピアノを弾いた。祝福するように作品を弾くのだ。」

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2021年12月08日


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1960年、リヒテルのアメリカ・デビューに際してRCAがセッション録音したベートーヴェン作品を集大成した2枚組。

シャルル・ミュンシュとボストン交響楽団のサポートによるベートーヴェンのピアノ協奏曲第1番は、明るくメリハリのあるオーケストラと、当時45歳でアメリカ・デビューを華々しく飾ったリヒテル壮年期特有の覇気に満ちたダイナミックな表現が堪能できる。

ミュンシュの指揮ともども構えの大きなアグレッシヴな演奏が聴きものだ。

ミュンシュの表現が常にそうであったように、この作品でもベートーヴェンの音楽を内側に凝縮させるというよりも、逆に外側に向かってエネルギーを発散させるような開放的で、生命力にあふれた解釈が特徴だろう。

ベートーヴェン初期の曲としての性格と、この時期のリヒテルの演奏スタイルも相性が良く、現在鑑賞しても決して時代を感じさせないフレッシュな魅力を持っている。

ミュンシュとリヒテルの双方にも一期一会の雰囲気があり、独特の緊張感が伝わってくるのも事実だ。

ただミュンシュと違う点は、リヒテルは音楽の流れに任せて即興的に弾くタイプのピアニストではなかったことだ。

このディスクにカップリングされている11月下旬にニューヨーク、ウェブスター・ホールでRCAのセッションで収録された「熱情」「葬送」を含むピアノ・ソナタ3曲は、10月のカーネギー・ホールのデビュー・リサイタルで弾いてセンセーションを巻き起こしたリヒテルお得意のレパートリーである。

3曲のピアノ・ソナタでも彼のヴィルトゥオジティを発揮した華麗な表現を聴かせてくれる。

それでいて骨太で綿密な音楽的ビジョンが明確に感知される優れた演奏で、後年の内省的な世界を予期させるものがある。

特に「熱情」におけるダイナミズムの幅広いドラマティックな表現は、このソナタの極限の一つだ。

いずれもRCA所蔵の3chオリジナル・アナログ・マスターを稀少なアンペックス社製デッキで再生した上でリミックスし、DSDマスタリングでSA-CDバイブリッド化されたものになる。

1960年の録音だが音質はクリアーで、僅かなテープ・ヒスを無視すれば臨場感にも不足していない。

2004年のJVCXRCD以来久々のリマスタリングで、1960年代のアメリカ録音ならではの野太いながらも繊細なサウンドが蘇っている。

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2021年11月15日


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このライヴ自体既に評価の高かったものだが、今回UHQCD化によって音質がグレードアップされた。

従来盤より透明度が増して全体的に音色の輝かしさが出て磨きのかかったような印象がある。

シューベルトのピアノ五重奏曲『鱒』にリヒテルのような巨匠が加わることは稀だが、若い頃から積極的にアンサンブルに参加していた彼だけに、ここでも超一級の協調性をみせた輝かしく隙の無い合奏が印象に残る。

また流石にヴィルトゥオーゾで一世を風靡したリヒテルらしく、急速楽章では更にテンポを速めに設定して、鮮やかで瑞々しいピアニズムを展開している。

しかし一方で第2楽章ではボロディン四重奏団の持ち前の抒情性と相俟って、ひときわ美しい情景を描き出している。

元来ボロディンはロマンティックな演奏を得意としているが、この作品でも彼らの長所とリヒテルのリーダーシップによって引き締められた緊張感が心地良い。

聴き比べたグリュミオーとヘブラーが共演した同曲の演奏では、どちらかと言えばグリュミオーのヴァイオリンの音色の美しさをヘブラーと弦楽部がサポートしているように感じられるが、このディスクではリヒテルが圧倒的な存在感を示している。

勿論ピアノ五重奏としてのバランスは堅持されているが、特に第4楽章の第三変奏でリヒテルの弾くユニゾンの華麗なテクニックは、このヴァリエーションに花を添えている。

1980年6月18日にオーストリア、ホーエネムス城で収録されたライヴ音源だが音質は良好で、客席からのノイズもなく潤いのあるサウンドが捉えられている。

リヒテルは後年ヨーロッパの古城や宮殿を積極的に使ってライヴやセッション録音を行った。

それは現代のコンサート・ホールよりも、かつて作品が実際に演奏された空間の自然な残響に浸りながら、都心を離れた閑静な環境で彼のインスピレーションを高める目的だったと思われる。

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2021年04月13日


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本作は、1960年以降ようやくスヴャトスラフ・リヒテルが西欧各地で演奏しはじめて間もない時期に録音されたリストの協奏曲集。

1961年にロンドンで録音されたフランツ・リストのピアノ協奏曲2曲は、当時46歳だったリヒテルの圧倒的な音楽性が示された演奏である。

39歳の年にプラハの春音楽祭に出演、“現代のリスト”と激賞されたリヒテル。

この豪放にして詩的、剛毅にして颯爽とした演奏は、同作品における最高の演奏のひとつに数えられている。

ロンドン交響楽団を率いるコンドラシンの堂々たるサポートも相俟って新たな作品の魅力が引き出されている。

いわゆるリスト弾きのピアニスト達は、どうしてもテクニックの披露に走りがちなために、こうした曲の持っている本来の骨太なロマンティシズムを表現することや、スケールの大きさに欠けてしまうことも往々にしてある。

勿論リヒテルも壮年期の覇気を感じさせる超絶技巧を駆使してはいるが、緩徐楽章ではテンポを思いきり落とし、良く歌うことに腐心している。

それはたとえて言うならば中世騎士的な高邁な歌であって、決して情緒過多な脆弱さは感じられない。

リストはこの2曲でオーケストラ・パートにも様々な工夫を試みている。

そして2曲とも華麗なマーチによってクライマックスが築かれているが、コンドラシンの生き生きとして、しかも色彩豊かなオーケストラが効果的でドラマティックなサウンドを創り上げている。

特に第2番は単一楽章の作品の性格上、通常ラプソディー風に流れてしまいがちだが、コンドラシンはがっしりとした、しかし絢爛豪華な額縁を嵌め込んだ絵画のように仕上げている。

確かにリストの作品の中には駄作と思われるものもあるし、それが理由でリスト嫌いの人もいるだろうが、彼らのような演奏は例外で、入門者にもお薦めしたい。

音質は時代相応以上に良好。

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2021年02月04日


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この録音が行われた1960年はいわゆる冷戦下、アメリカから見れば“鉄のカーテン”で隔てられていた“東側”の演奏家が初めてアメリカに来演した年にあたる。

とりわけリヒテルの2ヵ月にわたるツアーはセンセーションを巻き起こし、RCAによるレコーディングも並行して行われた。

シャルル・ミュンシュとボストン交響楽団のサポートによるベートーヴェンのピアノ協奏曲第1番は、明るくメリハリのあるオーケストラと、当時45歳でアメリカでのデビューを飾ったリヒテルの壮年期特有の覇気に満ちたダイナミックな表現がこの演奏の身上だろう。

ミュンシュの表現が常にそうであったように、この曲においてもベートーヴェンの音楽を内側に凝縮させていくのではなく、逆に外側に向かって発散させるような解放的な演奏が特徴だ。

それは曲自体の性格にもまたこの時期のリヒテルの演奏スタイルにも相性が良かったと思う。

双方に一期一会的な雰囲気があり、そうした意味でも独特の緊張感が伝わってきて興味深い。

ただミュンシュと異なる点は、リヒテルは決して音楽の流れに任せて即興的に弾くタイプのピアニストではなかったことだ。

このディスクに収められている2曲のピアノ・ソナタでも彼のヴィルトゥオジティを発揮した華麗な表現を聴かせてくれるが、それでいて骨太で綿密な音楽設計が明確に感知できる優れた演奏で、後年の内省的な世界を予期させるものがある。

リヒテルは深々とした呼吸で熱っぽく弾きあげた、ダイナミックな根太い演奏で、全篇に溢れる強烈なファンタジーが魅力だ。

この2曲の力強さと抒情性を、巧みに弾きわけていて見事で、全体に、極めてエネルギッシュな表現である。

彼自身はこの演奏を嫌って失敗作のように言っていたが、音楽的な造形からも、またその表現力の幅広さと強烈なダイナミズムからもベートーヴェンに相応しい曲作りで、本人であればともかくあらを探すような次元の演奏では決してない。

1960年の録音になり音質は非常にクリアーで、僅かなテープ・ヒスを無視すれば臨場感にも不足しない、充分満足のいく音響が得られている。

なお協奏曲の方はXRCDとしてもリリースされていて、こちらも選択肢のひとつになる。

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2021年01月25日


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既出のEMI盤のUHQCDバージョンで、音質が鮮明に再生されるがモーツァルトのピアノ協奏曲第22番は今回外されている。

その替わりにベートーヴェンのピアノ独奏曲、アンダンテ・ファヴォーリヘ長調がリカップリングされた。

おそらく音質の向上を考慮して収録時間を短縮したものと思われる。

この小品はピアノ・ソナタ『ヴァルトシュタイン』の中間楽章として構想されたものだったが、曲全体のバランスをとるために独立させたようだ。

リヒテルの歌心とリリシズムが秀でた逸品になっている。

1977年、ロンドン・アビーロード・スタジオでのセッション録音。

一方ピアノ協奏曲第3番はムーティの明快なオーケストラに支えられて。リヒテルがその円熟期の自在な表現力を発揮した演奏だ。

キレの良い弦楽とメリハリを利かせたウィンド、ブラス・セクションに乗って巨匠のピアニズムが、溢れんばかりの音楽性を披露している。

第2楽章は節度のあるカンタービレの中に表出される両者の抒情が美しい。

急速楽章でのそれぞれのカデンツァは作曲家自身の手になる。

オーケストラはフィルハーモニア管弦楽団で、ムーティが首席指揮者に就任して間もない1977年のセッションだが、既にムーティ流に統制された流麗なカンタービレとダイナミックなサウンドを聴かせている。

リヒテルがムーティと初めて共演したのは1972年のザルツブルク音楽祭でのシューマンのピアノ協奏曲で、オーケストラはウィーン・フィルだった。

その時のライヴはオルフェオ・レーベルからリリースされているが、ムーティは前年にカラヤンの紹介で同音楽祭に30歳でデビューを飾ったばかりで、ほぼ同年代のイタリア人指揮者としてはアバドに続いて国際的な演奏活動を始めた直後の意気揚々としたフレッシュな感性を伝えている。

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2021年01月15日


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リヒテルはそのキャリアの終焉まで新しいレパートリーを開拓していた稀なピアニストだった。

このCDに収められた22曲のグリーグの『抒情小曲集』は、1993年7月7日に南ドイツのシュリーアゼーのバウエルンテアターで行われたライヴ録音で、彼の最晩年の円熟した奏法を堪能できる貴重な記録としてお勧めしたい。

この曲集ではピアノの際立ったメカニカルな技巧は必要としないかわりに、ひとつひとつの曲に記されているタイトルのように、自然の情景や森羅万象から受ける感触をイメージさせる繊細な感性ときめ細かなリリシズムの表現が要求される。

そしてこうした小品集を聴かせるリヒテルの総合的なピアニスティックなテクニックは流石で、チャイコフスキーの『四季』でもみせた特有のぬくもりのある夢見るような世界がここでも展開する。

しかもここではグリーグの故郷ノルウェーの風土や民族色とは切り離すことができない北欧の抒情が絶妙に醸し出されている。

そうしたメルヘンチックな遊び心が晩年のリヒテル自身を楽しませたのではないかと思えるほど、それぞれの曲作りが彼の創意工夫と機智に溢れている。

グリーグの『抒情小曲集』は全10巻計66曲に及んでいるが、この日のリサイタルでリヒテルによって演奏されたのは下記の22曲になる。

作品12よりNo.1『アリエッタ』、No.2『ワルツ』、No.3『夜警の歌』、No.4『妖精の踊り』作品38よりNo.12『ハリング』(ノルーウェイ舞曲)、No.18『カノン』作品43よりNo.17『蝶々』、No.22『春に寄す』作品47よりno.23『即興的ワルツ』作品54よりNo.31『ノルーウェイ農民行進曲』、No.34『スケルツォ』、No.35『鐘の音』作品57よりNo.39『秘密』、No.40『彼女は踊る』、No.41『郷愁』作品62よりNo.46『夢想』作品65よりNo.53『トロルドハウゲンの婚礼の日』作品68よりNo.57『山の夕べ』作品71よりNo.62『小さな妖精』、No.63『森の静けさ』、No.65『過去』、No.66『余韻』

ドイツのマイナー・レーベル、ライヴ・クラシックスはリヒテルの他にもヴァイオリニストのオレグ・カガンやチェロのナタリア・グートマンなどの演奏家を中心に1970年代から90年代にかけてのライヴ・レコーディングをリリースしているが、1980年代以降の音源はデジタル録音でライヴ物としては極めてよい状態の音質で鑑賞できる。

またこのレーベルのカタログには若くして亡くなったカガンとリヒテルの協演を含む貴重なCDも多く見出される。

ライナー・ノーツは独、英語による4ページほどのごく簡易なものだが、ドイツで企画されたシリーズだけあって録音データは詳細に記載されていて、信頼性の高いものであることも付け加えておく。

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2020年04月09日


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大手メ−カ−がリリースしたスヴャトスラフ・リヒテルのボックス物の中でも、最も充実した内容を誇っているのが、このデッカのロゴを付けたユニヴァーサルの51枚組で、デッカ、フィリップス及びドイツ・グラモフォンへのコンプリート録音集になっている。

勿論ソロのみならず協奏曲やアンサンブル、フィッシャー=ディ−スカウのリート伴奏、また最後の2枚にはボ−ナス・レコーディングとして作曲家ブリテンとの貴重なデュエット集も収録されている。

今更リヒテルの芸術性について云々するのもおこがましいが、このセットを鑑賞していると、彼が如何に総合的な音楽観を持って活動していたピアニストだったかが理解できる。

ちなみにEMIとテルデックに入れたワーナーからの24枚組、アメリカでの録音を集めたソニーからの18枚組、名高いバッハの『平均律』全曲を収録したオイロディスクの14枚組はそれぞれに特徴があり、ファンにとってはいずれも聴き逃せないコレクションだろう。

リヒテルはいわゆるセッションによるレコーディングにそれほど熱意を示さなかった。

と言うより大の録音嫌いだったと言った方が適切かも知れない。

彼は聴衆の前でこそ自分の能力を発揮できると考えていた、ライヴに懸けたピアニストだったようだ。

しかしリヒテルの行うコンサートには、彼自身が望むか否かに拘わらず必ずと言っていいほど録音機材が持ち込まれ、結果的に立派なディスコグラフィーが出来上がってしまった。

ユーリー・ボリソフ著『リヒテルは語る』でも伝えられているように、ほんの幾つかのレコードを残して、その他を全部破棄できればどんなに幸福かと自嘲的に話している。

彼はまた演奏中のム−サ(芸術の女神ミュ−ズ)の降臨を信じていた。

後年セッションに応じた時に、都心を離れた中世の古城を好んで録音会場に選んだのも、彼を守護してくれるムーサからインスピレーションを得るためだったのだろう。

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2020年04月01日


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旧ソ連の音楽界については、かなりその情報が限られていた時期があった。

1915年生まれのスヴャトスラフ・リヒテルについても、第2次世界大戦後しばらくの間は国内と旧東欧で活発な活動をみせ、犖渋紊離螢好鉢瓩覆匹噺討个譴覆ら、旧西側では、レコードを通じてその一端を知るのがほとんどであった。

衝撃的なアメリカ・デビューは1960年だが、初来日は70年になってようやく実現された。

リヒテルは旧西側の大手レコード・メ−カ−にプロコフィエフのピアノ・ソナタを4曲ほど録音している。

いずれも偶数番号、つまり第2、4、6、8番で、これらについてはステレオ・ライヴで残されている。

このディスクは第6番の他に奇数番号の2曲、第7番及び第9番の3曲を収録したレア盤で、リヒテル壮年期の鋭利な解釈と超絶技巧が有無を言わせず聴く者を牽引していく覇気に満ちた演奏が圧倒的だ。

リヒテルはプロコフィエフとも個人的な交流があったので、作曲家自身の作品に対する解釈や思い入れも十分に理解していたことが想像される。

実際ここに収録された第7番変ロ長調と第9番ハ長調はリヒテルがそれぞれ1943年と1951年にモスクワで初演している。

特に後者はプロコフィエフからリヒテルへ献呈された作品になるが、その信頼感はこの演奏も立証している。

第6、7、8番は第2次世界大戦中に作曲されたために戦争ソナタのニックネームで呼ばれている。

ちなみに第6番はプロコフィエフ自身、第8番はギレリスがそれぞれ初演を果たしている。

確かに如何にも人工的な構築性と弾丸を撃ち込むようなリズムは戦闘をイメージさせている。

ただし録音状態は時代相応をやや下回るもので、ノイズはごく僅かでリマスタリング効果も良好だが、音源にかなりのばらつきが感じられる。

特に前半の2曲ではピアノの音質、音色がアップライトピアノ程度にしか聞こえないのが残念だ。

収録年は第7番が1958年、他の2曲は1956年で、最初の2曲は演奏終了後に拍手が入ったライヴ、第9番はメロディア音源のセッションだろう。

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2020年03月13日


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リヒテルが狎沼Ν瓩砲茲Δ笋その実体をあらわし始めたのが1959年。

それまでは幻のピアニストとして封印されていた。

しかし今日では、その犖犬離團▲縫好鉢畛代が録音演奏によって次々と復元されている。

本盤もそのひとつで、リヒテルが初めてプラハを訪れた際(1954年)に収録されたものである。

当時リヒテルは39歳、この頃の彼の演奏には、何か肩で風切る壮快さがある。

一音一音の音質の端麗さは言うまでもないが、一気呵成に最後までもっていく表現力は尋常ではない。

身を切るようなバッハの美演、プロコフィエフでの精悍なピアニズム、そしてチャイコフスキーの奔放さ!

まさに極上のリヒテルがここにある。

リヒテルは生涯にプロコフィエフのピアノ協奏曲を少なくとも2曲録音している。

第5番はマゼ−ル、ロンドン交響楽団によるステレオ盤がEMIから、そしてこのディスクに収録されている第1番はカレル・アンチェル指揮、プラハ交響楽団盤で、チェコ・スプラフォンに入れたセッションになる。

1954年のモノラル録音ながら幸い音質は良好だ。

リヒテルの研ぎ澄まされた感性が火を吹く後半の超絶技巧のコ−ダに向かって準備される、内省的な神秘性が短い曲中で好対照をなしている。

この作品は単一楽章で演奏時間も17分ほどだが、ここで特筆すべきはアンチェルのサポートで、プロコフィエフの時に神経質とも言えるオ−ケストレ−ションを怜悧に処理し、プラハ交響楽団を完全に手中に収めた絶妙なサウンドが聴きどころだろう。

同時代の作品を進んでレパートリーに採り入れいてた彼の面目躍如の演奏と言える。

しかしこうした解釈はカップリングされたチェコ・フィルとのチャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番にも同様で、アンチェルの指揮には聴き古された名曲においても、決してありきたりではない斬新な響きが常に聞こえてくる。

それは協奏曲のような指揮者が前面に出ない曲種にも共通していて、そこに彼の非凡な音楽性と強い情熱が感じられる。

カップリングは前述のチャイコフスキー及びバッハのチェンバロ協奏曲第1番ニ短調で、バッハのみは指揮者がヴァーツラフ・ターリヒに替わっている。

バッハはリヒテルが生涯採り上げた作曲家の一人だが、晩年にニ長調とト短調の2曲の協奏曲をバシュメットの指揮でテルデックに遺している。

ターリヒも既に古い時代の解釈を捨て去って、普遍的で筋の通った新時代のバッハの美学を顕現させているのは流石だ。

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2020年01月27日


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このセットには正規音源からの初のCD化による1960年秋のリヒテル・カーネギー・ホール・ライヴ全曲がCD2から10に収録されている。

モノラル録音だがドレミ・レーベルの低音域ノイズとスクラッチ・ノイズが煩わしいCDに較べると全く別物だし、それに続く同年12月のステレオ・ライヴCD13から16の4枚をあわせた13枚だけでもリヒテル・ファンにとっては垂涎の的になるコレクションだろう。

これらは彼が45歳でアメリカ・デビューを飾った時の都合7晩のアンコールも含めた全リサイタルの記録で、会場に集まった聴衆の熱気が曲を追うごとに次第に高揚していく生々しいライヴだ。

当時のアメリカではまだ伝説的にしか伝えられていなかったリヒテルへの期待感が嫌が上にも高まっていたことは想像に難くない。

そうした期待に応えるかのように、この年の10月から始まった演奏旅行で彼は瞬く間に大陸を席巻し、堂々たる凱旋を飾ってそれまで西側諸国では幻のピアニストだったリヒテルの評価を決定的なものにした。

リヒテル壮年期の類い稀な覇気と、ややデッドだがオン・マイクで採音されたピアノの臨場感溢れる音響が直に伝わって来て、その後の彼が常に目指したライヴの理想的な姿を具現しているかのようだ。

プログラムの特徴は、20世紀ロシアのピアノ曲を多く採り入れていることで、それは自国の作曲家の作品に対する彼の自負でもあった筈だ。

たとえばプロコフィエフのピアノ・ソナタ第6番第1楽章では鉄杭を大地に打ち込むような強靭な打鍵に貫かれたパワフルなテーマが象徴的だ。

欲を言えばこのセットには5年後にリヒテルがカーネギー・ホールに戻って来た65年のライヴが欠けていることだろう。

版権が異なるためか現在入手できるCDは、4月15日のシューベルト、ブラームス、ショパン・リサイタルがドレミ・レーベルから、5月18日のリストのソナタロ短調がプラガ・ディジタルスからSACDで、それぞれリリースされているものの、聴衆の雑音は致し方ないとしても音源の質自体は海賊盤の域を出ていないのが残念だ。

勿論セッション録音の方も決して劣るものではなく、CD1の1曲目を飾るブラームスのピアノ協奏曲第2番は鮮烈なリマスタリングでこの演奏の価値を再び問い直している。

シカゴ交響楽団はラインスドルフによって緻密にコントロールされ、リヒテルは雄渾なスケールで力強いピアニズムを展開しているが、両者の張り詰めた緊張感の中に溢れんばかりのリリシズムを湛えている。

18枚の内訳は幸いこのページに総て掲載されているが、12月26日カーネギー・ホール・ライヴ全曲と28日のモスク・シアターでのアンコールを収録した既出のリヒテル・リディスカヴァード2枚組との曲名表記の違いがある。

既出盤のハイドンのピアノ・ソナタ第60番ハ長調はランドン版番号で、ホーボーケン第50番と表記されている同一曲だ。

尚バジェット価格盤にしては焼き直しではない英、独、仏語による写真入54ページの充実したライナー・ノーツが付いている。

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2020年01月07日


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本書ではスヴャトスラフ・リヒテルと友人達との交流を中心に彼のキャリアの後半に焦点を当てて、ユ−リ−・ボリソフが回想した対話形式の作品になるが、話しているのは大部分リヒテルで、ユニ−クなリヒテル語録といった印象がある。

日常的な会話の中に彼の演奏に対する哲学や、一種謎めいたファンタジーを垣間見ることができる魅力的な会話録だ。

リヒテルは少年時代からオペラや演劇の出前伴奏をすることで家計を助けていたが、その影響もあって早くから文学や絵画の素養も身につけていたので、本書に表れる文学的、あるいは美術的な幅広い教養と実践で鍛えた即興性が彼の演奏に深みを与えていたと言えるだろう。

自身述べているが、リヒテルは円熟期に絶対音感を失っただけでなく、音が1全音ずれて聞こえる現象に悩まされた。

それは音楽家にとってかなり致命的で、頭で考えている音と実際ピアノから鳴り響く音にずれが生じると、暗譜での演奏が困難になる。

彼が後年楽譜を見ながらコンサートに臨むようになったのはこうした事情だ。

本書ではリヒテルが演奏する作品1曲1曲に音楽の範疇を超えるかなり強烈なイメージを抱いて弾いていたことが明らかにされている。

それが純粋にスピリチュアルなものであろうと、具体的な視覚に訴えるものであろうと彼の演奏上のほぼ決定的な解釈になったようだ。

逆にそうしたイメージが枯渇したり、全く湧かない場合は演奏しない。

彼が全集物の体系的な演奏や録音にそれほど興味を示さなかったのも、それぞれの曲に通り一遍の性格を与えることを拒んだからだろう。

また演奏にはム−サ(ギリシャの芸術を司る女神)の降臨が欠かせなかったらしく、ボリソフに「君にはム−サの女神がついているかね?必ず手に入れたまえ、、、はっきりと思い描くことだ、力を込めて。守ってもらえるように」と言い、「私のム−サはもう疲れ果てているよ。かなりの年だな。息をするのもやっとで」などと自嘲的な冗談にも事欠かない。

リヒテルの会話にはボリソフもたじろぐほどの多くの比喩や他の分野からの引用が溢れていて、読み進めるには章ごとの訳注が欠かせないが、慣れてくると非常に面白く、思わず吹き出したり、苦笑せずにいられないような部分も多々ある。

それはコンサートで笑顔ひとつ見せなかった彼の意外なプロフィールを窺わせていてなおさら滑稽だ。

カラヤンとのべ−ト−ヴェンのトリプル・コンチェルトのセッションはよほど根に持っていたらしく、演奏内容よりも写真撮影を優先したカラヤンを至るところで槍玉に挙げているが、ここでもリヒテルは明け透けに批判している。

同業者でもホロヴィッツ、グ−ルド、ガブリ−ロフ、ギレリス、ポリ−二などが引き合いに出されているが、感動した演奏には称賛を惜しまない姿勢は流石だ。

指揮者ではムラヴィンスキーとコンドラシンが彼にとっては別格的な存在だったようだが、基本的に彼の判断は曲目に関する演奏者の解釈と表現力に集中していて、名演奏家でも往々にして失敗があることを示唆している。勿論自分の演奏にも手厳しく、録音したレコードは10枚くらい残して後は全部廃棄できたらどんなに幸せかとも言っている。

周期的な鬱状態に苦しんだリヒテルの精神状態がそれに特有のアクセントを与えている。

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2019年07月07日


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前にも書いたことだが、このプラガ・ディジタルスのSACDシリーズは玉石混交で、リリースされている総てのディスクを手放しでお薦めするわけにはいかない。

勿論リヒテルの演奏自体については溢れるほどの音楽性とヴィルトゥオジティのバランスが絶妙だった1950年代壮年期のライヴでもあり、彼のかけがえのない記録であることに異論を挟むつもりはない。

しかし録音自体の質とブロードキャスト・マスターテープの保存状態が悪く、細かい音の揺れやフォルテで演奏する時には再生し切れない音割れが生じている。

それ故この音源をあえてSACD化する必然性があったかどうかというと首を傾げざるを得ない。

幸い最後の『ウィーンの謝肉祭の道化』が唯一まともな音質を保っているが、結局いくら歴史的な名演奏でもオリジナルの音源自体に問題があれば、たとえSACDとしてリニューアルしても、驚くような奇跡の蘇生を期待することはできない。

むしろより安価なレギュラーのリマスターCDで充分という気がする。

『交響的練習曲』は1953年12月12日のプラハ於けるライヴのようで、リヒテルの集中力とダイナミズムの多様さ、そして途切れることのない緊張感の持続が素晴らしい。

この演奏で彼は遺作のヴァリエーション5曲を第4変奏と第5変奏の間に挿入している。

哲学的とも言える抒情の表出も秀逸だ。

ただし何故かエチュード8,9,10番が抜けている。

理由は不明だが、この作品の出版に由来する曲の構成上の問題から、本人が当日演奏しなかったことが予想される。

また1959年11月2日のプラハ・ライヴの『幻想曲ハ長調』は、覇気に貫かれた名人芸が聴きどころだが、音質の劣悪さが惜しまれてならない。

この曲も数種類の異なったソースが残されていて、中でもデッカのザ・マスター・シリーズ第7巻には1979年のフィリップスへの良質なライヴ音源が収録されている。

3曲目の録音データ不詳『ウィーンの謝肉祭の道化』で、リヒテルはこの曲のタイトルからイメージされる諧謔的な表現には目もくれず、むしろピアノのためのソナタとしての構成をしっかりと捉え、シューマン特有の凝縮されたピアノ音楽のエッセンスを抜き出したような普遍的な価値を強調しているように思う。

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2019年06月27日


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ベートーヴェンの『変奏曲ヘ長調』Op.34、同ニ長調Op.76及び『プロメテウスの創造物による15の変奏曲とフーガ変ホ長調』Op.35は1970年にザルツブルクでオイロディスクに録音したセッションになる。

カップリングされたシューマンの『ノヴェレッテ』第2番ニ長調、第4番ニ長調、そして第8番嬰へ短調の3曲は79年に東京厚生年金会館ホールでのライヴになる。

いずれもリマスタリングされた音質はきわめて良好で、リヒテルの多彩な表現力が縦横に駆使された優れたアルバムになっている。

またピアノの音色の美しさとその対比も周到に考えられていて、彼の音に対する鋭い感性が窺える。

ベートーヴェンの『変奏曲ニ長調』では自作の劇付随音楽『アテネの廃墟』からの「トルコ行進曲」がそのままテーマとして使われているが、ヘ長調の方では流麗に仕上げ、この曲では鮮やかな対照を際立てるリヒテルのテクニックは流石だ。

彼はこの曲を気に入っていたらしくコンサートでしばしば取り上げたが、普段それほど演奏される機会に恵まれていないので貴重なサンプルでもある。

一方フーガのついた大作変ホ長調のテーマは後に交響曲第3番『エロイカ』の終楽章にも再利用されているだけに、リヒテルも当然そのピアニスティックな効果を意識したスケールの大きな表現が聴き所だ。

各変奏の鮮やかな性格対比があるうえに、作品全体を通してベートーヴェンが意図した統一と集中が達成されていて、この2つが相乗効果を発揮して、緊迫した音楽的瞬間を生み出している。

まさにベートーヴェン弾きとしてのリヒテルの面目躍如たる名演で、この演奏は“音によるドラマ”にほかならず、ここまで変奏曲を深めてくれるピアニストは珍しい。

ライナー・ノーツは見開きの3ページのみで典型的な廉価盤仕様だが、演奏の内容は非常に価値の高いものだ。

音源は英オリンピアからのライセンス・リイシューになり、ミュージック・コンセプツ社では特に音質の優れているものを選んでアルト・レーベルから供給しているようだ。

尚前半3曲のベートーヴェンに関してはザルツブルクと書かれている以外は録音場所が明記されていない。

ホールを限定することはできないが、その潤沢な残響とピアノの音色からして、彼が好んで訪れたクレスハイム城内で行われたことが想像される。

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2019年06月23日


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リヒテルのテルデックへのライヴ及びセッション音源を3枚のCDにまとめたボックス・セットで、いずれもリヒテル最晩年の1993年から95年にかけて録音されたものだ。

いまだ衰えない溢れるような音楽性とかくしゃくとして揺るぎないテクニックが聴き所で、また音質も極めて良好。

1枚目の協奏曲集は指揮者にユーリ・バシュメットを迎えたパドヴァ・ベネト管弦楽団との協演で、バッハの協奏曲ニ長調BWV1054及びト短調BWV1058、それにモーツァルトのピアノ協奏曲第25番ハ長調K503の3曲が収められている。

リヒテルのオーケストラを引っ張っていくような溌剌として躍動的なバッハの音楽は歓喜に満ちている。

一方モーツァルトでは巨匠自ら弾き振りしているように聞こえ、バシュメットの主張がもう少しあってもいいと思う。

これらは1993年10月にパルマのテアトロ・レージョで催されたコンサート・ライヴで、ライナー・ノーツにはヤマハ・ピアノ使用と記されている。

2枚目のCDはグリーグがモーツァルトの原曲にセカンド・ピアノのパートを付け足して編曲したピアノ作品集で、エリーザベト・レオンスカヤとの連弾になる。

ソナタハ長調K545とファンタジアハ短調K475が93年8月16日にバイエルン州のヨハニスブルク城で、ソナタヘ長調K533/K494が同年8月25日にオスロで収録されたもので、いずれもセッションだがリヒテルとしては珍しくご愛嬌的なリラックスした演奏を楽しんでいる。

個人的にこのセットの中で最もお勧めしたいのが最後のCDに収められているボロディン弦楽四重奏団とのシューマンのピアノ五重奏曲変ホ長調Op.44で、毅然とした彫りの深い曲想表現の中に力強さが漲った威風堂々たる演奏が感動的だ。

1994年6月にフランスのナント及びグランジュ・ドゥ・メスレーで催されたライヴで、79歳のリヒテルがシューマンの輝くような若々しい情熱を謳歌しているのが信じられないくらいだし、またボロディンの颯爽とした明確なアプローチも好ましい。

尚このCDには同弦楽四重奏団による95年10月のベルリン・テルデック・スタジオでのセッションになる、鮮烈でしかもリリカルなシューベルトの弦楽四重奏曲『死と乙女』もカップリングされている。

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2019年06月03日


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このCDは、巨匠リヒテル自身が生前にリリースを承認したフィリップスのライヴ録音、全21枚のCDで構成された「オーソライズド・レコーディングス」のブラームス及びシューマン編3枚組から最後の1枚をそのまま独立させたものだ。

2007年にデッカとフィリップスのライヴ音源を統合した、リヒテル没後10周年企画であった「ザ・マスター」の選曲からはそっくり漏れていた。

その理由は単にCDのスペースの問題だったのかも知れないが、既にどちらのシリーズも製造中止になっている。

「ザ・マスター」を補う貴重な音源として音質もきわめて良好なので、リヒテル最良のライヴの記録として、またコレクションとしても価値の高い演奏だ。

骨太で堂々たる『行進曲ト短調』や『ノヴェレッテヘ長調』の抒情や幻想性にはリヒテルの美学が如実に示されているが、ここではパガニーニのカプリスからのテーマによる3曲の『演奏会用練習曲』を取り上げているのが興味深い。

これらの曲は技巧的にもかなり難解だが、決してテクニックを優先させたエチュードではないので、音楽性とテクニックのバランスを考慮しながら演奏効果を上げることは至難の技に違いない。

実際のコンサートで弾かれる機会がそれほど多くないのはこうした理由からだろう。

しかし彼はそれに敢然と挑み、これらの曲に芸術的な価値を再認識させるような華麗な表現を聴かせている。

ここにもリヒテルの楽譜から音楽を読み取る天才的な感性が感じられる。

尚この3曲はドレミ・レーベルのRICHTER Archives Vol.13に同年の高崎ライヴの録音が収められているが、音質的にはこちらのフィリップスの方が格段優れている。

リヒテルはセッションに関してはそれほど積極的に取り組まなかったこともあって、彼の演奏の本来の醍醐味はライヴに表れているだろうし、彼自身もそれに賭けていたようだ。

それぞれの演奏会場や聴衆の雰囲気、あるいは彼自身の研鑽やその日のコンディションによって当然演奏も変化してくる。

それが生きた音楽としての彼の表現の本質だったのではないだろうか。

参考までに、ここに収録された曲目はいずれも1986年7月8日にコペンハーゲンで録音された、巨匠円熟期のライヴ録音だ。

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2019年02月18日


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リヒテルは強烈な個性と膨大なレパートリーを持つ巨人ピアニストだったが、これは、その彼に勝るとも劣らぬ個性の持ち主クライバーとが、がっぷり四つに組んだ録音。

どちらも大の録音嫌い、そして名立たるキャンセル魔だったという共通点を持つ全盛期の両巨匠が、どういう巡り会わせかドヴォルザークのピアノ協奏曲という、それほどメジャーでない曲目を、しかも1曲だけ取り上げて録音するに至ったいきさつは謎だ。

しかし商業ペースに乗ることなどに目もくれず、ひたすら自己の芸術の洗練にいそしんだ2人であれば、レコード会社の要望というよりむしろ彼らの意思で選曲されたのかも知れない。

またオーケストラ・パートが充実していることから、クライバーにとってもやりがいのある協演だったに違いない。

それだけにこの演奏には両者の限りなく深い美学的な追求が感じられるし、それが対立することなく協調という理想的な形で結実したのがこの演奏だ。

それでいて2人の演奏家の丁々発止と火花を散らす掛け合いの面白さは比類がなく、激しく燃えるクライバーの棒と、あくまで冷静に構えたリヒテルのソロは、一見異質で対照的だが、その豪快な音楽の運び方は見事の一言に尽きる。

この曲にはピアノのソロ・パートをより華美に仕上げたクルツ版があるが、2人は敢えてドヴォルザークの原典版を使っていて、こうしたところにも彼らのこだわりがあらわれている。

オーケストラの音色の美しさも特筆され、バイエルン国立管弦楽団は言ってみれば指揮者クライバーの手兵だが、磨きぬかれた弦楽器の瑞々しさや、巧みに統率された管楽器のアンサンブルも聴き所だ。

1976年の録音としては音質は及第点で、欲を言えばソロ・ピアノの分離がいまひとつなのと、高音部での若干の歪みに改善の余地がある。

オーケストラはかなり良く響いているので、あるいは原盤自体のもっている性質なのかも知れない。

『さすらい人幻想曲』はリヒテルが西側に登場して間もない1963年の録音で、音は必ずしも良好ではないが、その卓抜な技巧とスケールの大きな表現は、現在もその輝きと説得力を少しも失っていない。

彼らしい重量感に満ちた力強さによって、大きなスケールの広がりを作り出しつつ、この作品の独特の構築性を浮かび上がらせた雄弁な演奏だ

重心の低い強靭な響きと熱くダイナミックな演奏は、シューベルトよりベートーヴェンを思わせるほどだが、この幻想曲のもつ劇性を力強い筆致で余裕をもって描き切っているし、豊かな起伏をもって深々と歌われた歌心も素晴らしい。

スタジオ録音だと時に感興を欠く演奏をすることもあるリヒテルだが、この演奏はスタジオ録音であることが特にプラスに作用したもののひとつで、ライヴではとかく失われがちだった腰の据わった落ち着きが、確かな造形性とロマン的な情緒との理想的に結び付いた演奏を生み出している。

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2018年07月26日


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シューベルトのピアノ五重奏曲『ます』にリヒテルのような巨匠が加わることは稀だが、若い頃からアンサンブルに積極的に参加していた彼だけに、ここでも超一級の協調性をみせた力強く隙のない合奏が特徴だ。

ライヴならではの緊迫感がすこぶる快く、聴き手の関心の中心になるのはもちろんリヒテルの演奏で、彼が弾き出す美音は心に深くしみいってくる。

また流石にヴィルトゥオーゾで一世を風靡したリヒテルらしく、急速楽章ではテンポを更に速めに設定してピアノ・パートの名技主義を前面に出した鮮やかなピアニズムも健在だ。

聴衆を前にしたリヒテルが、気持ちを静かに燃やしているのが感じとれる演奏と言ったらよいだろうか。

しかし一方でボロディン四重奏団の3人とヘルトナーゲルの誠実かつ真摯な演奏ぶりが楽趣を高めているのも忘れてはならない。

特に第2楽章ではボロディン四重奏団の持ち前の抒情性と相俟ってひときわ美しい情景を描き出している。

元来ボロディンはロマンティックな演奏を得意としているが、この作品でも彼らの長所とリヒテルによって引き締められた緊張感が心地良い。

最近聴き比べたグリュミオーとヘブラーが協演した同曲の演奏では、どちらかと言えばグリュミオーのヴァイオリンの美しさをヘブラーと弦楽部が支えているように感じられるが、ここではリヒテルが圧倒的な存在感を示している。

勿論ピアノ五重奏としてのバランスは堅持されているにしても、特に第4楽章の第3変奏でリヒテルの弾くピアノ・パートのユニゾンの華麗なテクニックはこのヴァリエーションに鮮やかな花を添えている。

1980年6月18日にオーストリア、ホーエネムス城で収録されたライヴ音源だが音質は極めて良好で、客席からの雑音もなく彼の瑞々しい音色を捉えている。

リヒテルは後年ヨーロッパの古城や宮殿を積極的に使ってライヴやセッション録音を果たしている。

それは現代のコンサート・ホールよりもかつてこうした作品が実際に演奏された空間の自然な残響を好んだだけでなく、都心を離れた閑静な環境で芸術的インスピレーションを高めるためだったと考えられる。

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2018年05月17日


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アルト・レーベルからリリースされている一連のリヒテル・シリーズの1枚で、1970年代の彼の全盛期のショパンを良質なステレオ録音で鑑賞することができる。

巨匠リヒテルのディスクの中で、ショパン・アルバムは数少なく、しかも、ひとつのジャンルをまとめて全曲録音しているものは珍しい。

リヒテルのレパートリーの中で、ショパンが話題となることはほとんどないかもしれないし、実際に、レコーディングにもショパンを聴くことはきわめて少ない。

彼は、この作曲家を全く好まなかったのでは、と思えるほどだが、10代半ばで既に超絶的な技巧を身につけ、オデッサの歌劇場でコンペティトールをもつとめた彼が、1934年に20歳を前にしてデビュー・コンサートを開いた時、それはショパン・プログラムによるものだった。

その後旧ソ連の中では、彼がどれほどショパンを弾いたのかは不明であるが、そうした点からこのミュンヘンで収録された『スケルツォ』全曲盤は、貴重な1枚であり、この作曲家でも他の追随を許さぬ世界をもっていたことを物語っている。

リヒテルのショパンは彼の創意に満ちた表現と色彩豊かな音色の使い分けが聴き所だが、『スケルツォ』では強靭でストレートなヴィルトゥオジティが、そして『前奏曲集』ではまろやかな陰影と深い抒情が印象的だ。

4曲の『スケルツォ』に対して、ロマンティックな華やかさよりも、端正な構築美を強調したような演奏であり、そこには、リヒテルのスケールの大きさと、堅固な構成力が生かされている。

自然体の語り口で、一見したところ淡々とメロディを紡いでいるように思えるが、実は、内面から滲み出るような、奥の深いドラマが隠されている。

ショパンの『スケルツォ』の持つ躍動美と深刻さという、相反する特色を、見事に融合させた演奏とも言えよう。

例えばホロヴィッツの弾くショパンは、曲の持っている可能性を極限まで引き出してみせて、その意外性の中に聴く者に驚異を与えた。

それは演奏会場に集まった人々に魔法をかけてしまうようなカリスマ的なテクニックだったが、総てがホロヴィッツ流に料理されたショパンという印象も免れないだろう。

しかしリヒテルの独創性はショパンの音楽性の範疇からそれほど遠ざかることはなく、テンポの変化やディナーミクの対比、また多彩な音色や特有の間の取り方で常に新鮮な解釈を聴かせてくれるが、一方で凝り過ぎた表現でショパンの音楽から乖離してしまうことも避けているように思える。

彼はショパンの表現の、刹那的な部分や過度の感情の発動を許す部分を、古典主義的な精神で極力コントロールしているが、音楽は流麗さを失うことなく、実に澄み切った佇まいを見せている。

リヒテルの知的存在感にあふれた演奏であり、彼の強い構成力と音をコントロールするテクニックなくして、このような演奏は生まれ得ないだろう。

聴衆の注意を演奏家よりも作品そのものに向かわせるというのはグールドのリヒテル論だが、その通りかも知れない。

尚4曲の『スケルツォ』はミュンヘンで1977年にオイロディスクに録音されたセッションだが、ライナー・ノーツにはホールの名称が明記されていない。

他の音源の例からするとおそらくバヴァリアン・ラジオのスタジオ録音と思われる。

一方『前奏曲集』は全曲演奏ではなく、リヒテル自身によって13曲が抜粋されたもので1979年の神奈川県民ホールで行われたライヴから採られているが、どちらも音質は極めて良好。

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2018年05月11日


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このディスクに収められたベートーヴェンの3曲のソナタは、リヒテル円熟期の至芸が理想的な音質で捉えられている上に、米ミュージカル・コンセプツ社がアルト・レーベルとして供給している廉価盤で入手できるのが嬉しい。

いずれも旧オリンピア音源のライセンス・リイシューになり、英レジス・レーベルの廃盤に伴っての復活なので既に知られていた録音だがリヒテル・ファンには勿論、入門者にもお勧めしたい1枚だ。

彼のベートーヴェンは男性的でパワフルな一面、きめ細かな音楽表現が横溢していて決して武骨な印象を与えない。

特に穏やかな楽章でのレガート奏法による節度のあるカンタービレは、彼のデリカシーを良く示している。

表現力の幅が圧倒的に広いにも拘らず、そのバランスに長け中庸を心得ているところは流石にリヒテルだ。

第3番と第4番では初期に書かれたという理由で演奏されることの少ないこれらのソナタを、リヒテルは実に感動的に演奏している。

モーツァルトやハイドンとは一線を画したスケールの大きさ、そのなかに盛り込まれた強靭な精神は、ピアノ音楽の新しい時代の到来を告げており、そのことを実感させてくれる演奏である。

その作風の若々しさと作曲家の野心が見事に表されていて秀逸で、これほど音楽的に重みのある初期ソナタの演奏には、滅多に接することができない。

第27番ではドラマのモノローグのような第1楽章の開始と、温かく包み込むような優しさを再現した第2楽章の鮮やかな対比が極めて美しい。

演奏時間も10分ちょっとの短いものだが、第1楽章でリヒテルは実に内省的に嫋々と歌ってみせ、第2楽章では親愛感溢れる歌を聴かせる。

ピアノ・ソナタ第3番ハ長調Op.2,No3及び第4番変ホ長調Op.7は1975年にウィーンで行われたセッションで、ホールの名称は明記されていない。

一方第27番ホ短調Op.90は1971年のザルツブルク・クレスハイム城内でのセッションになる。

リヒテルはホールの音響にもかなりこだわった考えを持っていて、セッション録音の時にはピアノの鋭く乾いた音色を嫌って、比較的残響豊かな場所を選んでいる。

特にクレスハイムの音響はリヒテルの好みに合っていたようで、バッハの『平均律』全曲を始めとするいくつかの録音で大規模な音楽ホールとは一味違った特有の潤いのある響きを鑑賞することができる。

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2018年05月01日


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リヒテルのレパートリーの中でも重要な部分を占めていたのが自国ロシアの作曲家の作品であった。

とりわけ彼と同時代の作曲家達、プロコフィエフやショスタコーヴィチとは直接交友関係にあった。

それだけにそれぞれの作品についても彼らからの直伝の解釈とリヒテル自身のアイデアが統合された、特有の深みと雄大なスケールを持っていることは否定できないだろう。

プロコフィエフのピアノ・ソナタ第6番の音源は1966年にスイスで行ったコンサートからのライヴで、そのパワフルな迫力と超絶技巧は相変わらず凄い。

尤も1960年のカーネギー・ホール・リサイタルの覇気に満ちたライヴに較べると戦闘的な刺々しさはやや後退している。

尚後者の方はRCAから質の良い録音でリリースされている。

ちなみに第6番と並んで戦争ソナタと呼ばれる彼が初演した第7番は、その後頻繁に弾かなかったためか残されているマスター自体が少なく、このセットにも入っていない。

またショスタコーヴィチの『24の前奏曲とフーガ』は1952年にタチアナ・ニコラーエワによって初演されて以来、ロシアの多くのピアニストによって採り上げられた作品集だ。

しかしリヒテルが生涯に全曲演奏した記録はなく、彼の流儀によってパリのコンサートでは6曲のみを抜粋している。

1曲1曲に全く異なった個性を与えた華麗かつ豪快なピアニズムが秀逸だ。

一方スクリャービンの色彩豊かな小品では、彼の創造した神秘和音が続出する最後期の作品『焔に向かって』と、まだ後期ロマン派の名残を残している『ファンタジー』が、リヒテルの磨きぬかれた感性が光るパフォーマンスだ。

11セット22枚のCDで組まれているRICHTER THE MASTERシリーズは、巨匠がデッカとフィリップスに遺した良質なライヴ録音の蒐集で、リヒテル・ファンには欠かすことのできないコレクションになっているが、録音データの表記の曖昧さには辟易する。

このセットのライナー・ノーツには単に1993年と1963年のレコーディングと記載されている。

しかしよく調べてみるとスクリャービンは1992年10月28日のオランダ・ナイメヘンでのコンサート、プロコフィエフのソナタ第6番は1966年9月8日スイス・ロカルノ、第4番は1989年3月20日のロンドン、その他は1979年11月27日ザルツブルクのそれぞれライヴ録音で、ショスタコーヴィチは1963年6月及び7月にパリで催されたリサイタルから採った音源のようだ。

リヒテルの貴重な演奏の集大成というだけでなくリミテッド・エディションなのでデータの正確さの面でも、もう少し拘っても良かったのではないだろうか。

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2018年04月13日


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このページで紹介されているのはラフマニノフのピアノ独奏用の一連の作品集『音の絵』並びに『前奏曲』から22曲のMP3ダウンロード形式による音源だが、勿論CDとしても廉価盤で入手することが可能だ。

英オリンピアから受け継いだレジス盤の廃盤に伴い、アルト・レーベルが現在ライセンスを獲得しているリヒテルのシリーズ物の特徴は、どれも理想的な音質で彼の円熟期の師芸が堪能できることで、マイナー・レーベルながら大手メーカーからは出ていない彼の優れた演奏がCDにして11枚分揃っている。

ラフマニノフのピアノ曲を相応しく再現するのに必要なスケールの大きな発想、強靭な打鍵からデリケートな響き、重くたっぷりとした情感から傷つきやすく、秘めやかな感傷性のようなもの等々に至るまでのほとんどあらゆる要素を、リヒテルというピアニストはそなえていると言えよう。

しかも、充分すぎるほどの余裕をもっており、このディスクに聴く演奏は、その間の事情をあますところなく明らかにしていると言えよう。

ここでは、ラフマニノフの音楽が、まさに等身大と言っていいようなかたちで再現されている。

なるほど、彼の音楽はこのような息づかいをしているのかと、改めて実感させられてしまうような内容だ。

特に『音の絵』は全18曲のなかから9曲を選んだもので、1984年のデジタル録音で巨匠リヒテルの絵画的描写を超えた、研ぎ澄まされた独創的な主張が冴え渡っている。

素晴らしい技巧で、ダイナミックに弾きあげた、すこぶる堂々とした演奏である。

『前奏曲』は作品23から6曲、作品32から7曲選んで収録しているが、いずれも、リヒテルならではの強い芯をもった演奏で、そのスケールの大きな表現には圧倒されてしまう。

ラフマニノフを演奏する時のリヒテルは、豪快さ一点張りで押し通すのではなく、ある時は柔らかく、ある時は豪壮に歌いあげる。

また、現代ピアノの華麗で多彩な色どりを追求し、その効果で楽しませてもくれる。

その結果、何曲かの『前奏曲』が、相互に連なることにより大きな作品として現前する。

こうして聴くラフマニノフは実に楽しく、リヒテルの勝利の証と言えよう。

ラフマニノフのこれらの作品はピアノの音で綴った詩情溢れる小品群だが、演奏者の確たる哲学と感性とのバランスが取れていなければ名人芸を聴かせるだけの曲芸に堕してしまうし、また何かのイメージに固執して標題音楽化するのも作曲者の意図に反するだろう。

しかしリヒテルの演奏にはそうした問題を超越した世界があリ、私達を言葉では言い表せない精神的な高みに引き込んでいくようなカリスマ的なテクニックを感じざるを得ない。

こうした小品集もリヒテルは決して系統的に全曲録音した訳ではなく、彼自身が納得したものだけが選択されているに過ぎない。

おそらくコンサートのプログラムの補填として、あるいはアンコール・ピースとして用意されたものなのだろう。

レコーディングは、『音の絵』からの9曲が1984年の4月にミュンヘンにて、『前奏曲』からの13曲が1971年の9月にザルツブルクのクレスハイム城で行われている。

クレスハイムはリヒテルがしばしば指定した録音場所で、宮殿内の豊かな残響だけでなく、都会の雑踏から離れた奥ゆかしい古城は彼の霊感を高めるのに好都合だったに違いない。

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2018年04月11日


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リヒテルの演奏の凄さを示す1枚で、彼の幅広い芸風を示し、楽しませてくれる点でまことに興味が尽きない。

シューマンの作品は多分に文学的な要素を持っていると言われるが、リヒテルのシューマンは中世の騎士道物語を語っているような、骨太で豪快なロマンティシズムが感じられる。

彼はシューマンの音楽から感傷を引き出そうとはせずに、あくまでも楽想の本筋を正々堂々と追った演奏で、それがピアニストの王道と言われる所以なのかも知れない。

彼はまたピアノの音色にきわめて注意深い演奏家だった。

それは彼自身が語っているようにモスクワ音楽院時代の師匠ネイガウスから受け継いだ奏法に違いない。

しかし一方で彼は音色づくりに拘泥して音楽そのものが脆弱になることも完璧に避けている。

こうした音楽性とテクニックとの高度なバランスと調和が求められるシューマンのピアノ曲は当然リヒテルのレパートリーの重要な中核をなしていて、このCDでも彼の円熟期の卓越した表現を鑑賞できる。

ただここでは、感情の洗練された表出よりも、情熱の噴出の方がより重視されている。

『交響的練習曲』は12曲からなる変奏に、遺作の5曲の変奏を加えたもので、第5練習曲の後に、その変奏を挿入している。

大家ならではの力強く堂々とした音楽づくりに惹かれる演奏で、きわめてロマンティックな味を生かし、情熱的に表現しているのが特徴だ。

その強靭なタッチとスケールの大きさは傑出しており、ことに最終変奏の第12練習曲は、すこぶるダイナミックに弾きあげている。

うねりの大きい動感に溢れた演奏で、芯のしっかりとした、コクのある、いかにもシューマンらしい音づくりも魅力だ。

『幻想小曲集』からの2曲はリヒテルの厳しさと作曲者のファンタジーがまじり合い独特の味わいを醸し出している。

最後に置かれた「夢のもつれ」ではヴィルトゥオーゾとしての彼の面目躍如の超絶技巧を披露して聴衆を沸かせている。

米ミュージカル・コンセプツ社がマンチェスターのアルト・レーベルから廉価盤としてリリースしているリヒテルのCDシリーズは、英オリンピアからのライセンス・リイシューになるが、音質の優れているものばかりをセレクトしているのが良心的だ。

このCDは1971年のアリオラ=オイロディスクへの録音と79年のNHKホール・ライヴのふたつの音源からカップリングされているが、どちらも良好な音質と臨場感を持っている。

最後の『幻想小曲集』からの2曲のみが東京ライヴで、そのほかの曲についてはライナー・ノーツに録音場所は明記されていない。

リヒテルのディスコグラフィーを調べると、この音源は71年にザルツブルクのクレスハイム城で行われたセッションということで、確かに潤沢なピアノの余韻は彼が同地で録音したシューベルトやバッハに共通している。

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2018年04月05日


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このSACDにはリヒテルのプラハ・ライヴから1965年の6月2日に演奏されたベートーヴェンのピアノ・ソナタ第31番変イ長調Op.110及び86年5月18日の同『ディアベリの主題による33の変奏曲ハ長調』Op.120の2曲が収録されている。

特に後者はリヒテル晩年のライヴにも拘らず突き進むような覇気と、泰然自若としたスケールの大きさに驚かされる。

ベートーヴェン特有の音楽を構築していくような堅牢さと、哲学的な深みを同時に表現し得た稀有な演奏として多くの人に鑑賞して欲しいライヴだ。

それぞれのヴァリエーションもリヒテルの創造力のオリジナリティーに貫かれていて説得力に充ちている。

例えば第1変奏の思い切りテンポを落とした生命力に漲るマーチは、あたかも巨人の足取りのようでこの大曲の始まりに威厳を与えているし、第32変奏のフーガの力強さは壮大なクライマックスを形成するのに相応しい。

そして通常は長大な曲を名残惜しむように静かに演奏される終曲のテンポ・ディ・メヌエットでは、意表を衝くように颯爽と足早に締めくくっていて、もったいぶらない潔い解釈も彼らしい。

まさに会場にいるような臨場感、物凄い推進力で、約50分の大曲を一気に聴かせてしまう魔力、リヒテルの凄さを再認識させてくれる。

参考までにリヒテルの『ディアベリ』は同年の翌月に行ったアムステルダム・コンセルトヘボウ・ライヴもレジス・レーベル他からリリースされている。

プラハ・デジタルスのリミテッド・エディション・シリーズの1枚で、この他に既にリヒテルのライヴだけでもシューベルトのピアノ・ソナタ集、ショパンのバラード集、そしてラフマニノフやグリーグの協奏曲など4枚が出揃っている。

総ての録音にDSDリマスタリングが施されていて音質的にもかなり向上しているが、このSACDではソナタの方は音源が古いだけに、いくらかマスター・テープの劣化が聞き取れる。

それに比較して『ディアベリ』は極めて良好で、SACD化により会場のノイズまでがますますリアルになり、リヒテルのほんのわずかなニュアンスの変化さえ伝わってくる。

10ページほどのライナー・ノーツには英、仏語での簡単な楽曲解説とリヒテルの略歴が掲載されている。

尚ハイブリッド仕様なので互換機がなくても再生可能。

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2018年04月01日


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フィリップスとデッカの音源をまとめたリヒテル・ザ・マスター・シリーズの第5巻になり、シューベルトのピアノ・ソナタ第18番ト長調『幻想』D.894、第9番ロ長調D.575及び第15番ハ長調『レリーク』D.840の3曲を2枚のCDに収めている。

リヒテルのシューベルトはピアニストと作曲家が対話を交わしているような親密な雰囲気に満ちている。

いずれもこのピアノの哲人ならではの思索的な演奏で、ゆっくりとしたテンポによって引き出されたさまざまなニュアンスが、ひとつの巨大な有機体を築きあげるさまはまさに感動的という他はない。

中でも『幻想』と『レリーク』はどちらも40分を超える大曲で、それぞれが長大な第1楽章を持っているが、リヒテルはこれらの作品への深い共感から、慈しむようなタッチで聴く人の心を完全にシューベルトの世界に引き込んでしまう。

その天上的な長さが私達には至福の時間となって持続し、通過して行く。

それはベートーヴェンを聴く時とは全く異なった静謐なひと時であり、シューベルトがベートーヴェンを神のように尊敬しながら、それとは別種の音楽を生み出していたことが興味深い。

またその魅力を直感的に悟って演奏を続けたリヒテルの才能と努力には敬服せざるを得ない。

『レリーク』は未完の作品で第3楽章とそれに続く終楽章が途中で中断されているが、リヒテルは楽譜が途切れたところでそのまま演奏を終了している。

総てがライヴから採られた良質なデジタル録音で、ライヴ特有の聴衆の雑音や拍手も入っているが煩わしくない程度のものだ。

CD裏面に1979年の録音と書かれてあるだけで録音場所等の詳細な記載が一切ない。

ライナー・ノーツは18ページで英、仏、独語によるリヒテルの簡単なキャリアとエピソードが掲載されている。

尚このセットには彼の演奏で多くの聴衆に感動を与えた第21番変ロ長調D.960が入っていないが、アルト・レーベルからリリースされている1972年にザルツブルクのアニフ城で行われたセッションが音質の良い廉価盤で手に入る。

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2018年03月30日


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巨匠リヒテルのバッハとショパンをカップリングしたアルバムで、それぞれCD1枚ずつを当てている。

このシリーズでは彼のレパートリーの中核をなす作曲家として、更に第8巻の2枚がバッハ、第10巻のほぼ1枚分がショパンの作品集としてまとめられている。

リヒテルのバッハは彼の開拓したあらゆるテクニックを縦横に駆使して仕上げたという印象だが、常に洗練された音楽性で勝負するという点ではかなり正攻法で、決して奇を衒った表現ではない。

このあたりに彼のバッハ演奏に対するポリシーが窺われる。

『イタリア協奏曲』の楽章ごとの明快な描き分け、例えば第2楽章での通奏低音の上に奏でられる旋律の感性豊かなカンタービレと、それを挟む急速楽章の見事なシンメトリーは、この曲の簡潔な様式の美しさを良く伝えている。

『フランス風序曲』では、序曲の部分を総て楽譜の指示通りに繰り返して演奏する徹底した原曲への敬意が払われているし、またそれに続く舞曲の性格も極めて多彩なプロフィールを持っている。

2枚目のショパンでは『エチュード』作品10から8曲、同作品25から6曲が選ばれている。

リヒテルは『エチュード』全曲をライヴでもセッションでも弾いたことがなかったし、またその意志も持っていなかったようだ。

ここに収録された曲は、彼が特に好んでいたものを演奏効果も考慮に入れてセレクトして配列したと思われる。

勿論ライヴで演奏するにはかなり緊張せざるを得ない難曲揃いで、既にテクニックが衰え始めた晩年の彼だが果敢にも挑戦している潔さと、その集中力や余裕さえ感じさせる表現が素晴らしい。

中でも「木枯らし」は、彼のキャリアを映像で綴ったDVD『エニグマ』でも動画で鑑賞することが可能だ。

その他の2曲の『ポロネーズ』嬰ハ短調及びハ短調ではダイナミクスの幅広さと表現の巧みさ、深みのある抒情などで他のピアニストには真似のできない境地に達した巨匠の至芸を味わうことができる。

総てフィリップスの音源で、録音データに関してはCD1の『イタリア協奏曲』と『4つのデュエット』が1991年11月8日にノイマークトで、『フランス風序曲』は同年3月7日及び10日にローランドゼックでのライヴ、CD2の『エチュード』集が88年2月28日にザールブリュッケンにて、『ポロネーズ』はどちらも92年10月28日にオランダのナイメーヘンで催されたコンサートから採られている。

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2018年03月14日


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きめ細かなリリシズムの表現とピアニスティックなテクニックが理想的に統合され、リヒテル円熟期特有の内省的な深みも加わった練達の技が聴き所だ。

セッションには慎重だった彼の性格から、この2枚のCDも総てライヴ録音によって構成されているが、またそれがリヒテルの音楽を鑑賞する上でのひとつの醍醐味になるだろう。

何故なら彼は演奏の一回性を重んじていた。

彼の音楽性をセッションという形で固定されるのには抵抗があったに違いない。

これはグールドのポリシーとは好対照をなしていて興味深いものだ。

彼の幅広いレパートリーの中でもとりわけショパンは最も多く演奏の機会に恵まれた作曲家で、それだけに彼の経験と熟慮された音楽観が遺憾なく発揮されている。

ただし彼はある曲集の全曲演奏という形でのパフォーマンスを嫌って自分の好みに合わせて抜粋してプログラムを組んだ。

このCDでも『前奏曲集』は10曲のみで、リヒテルの他の録音をみても例えば『エチュード』の全曲録音も存在しない。殆んど唯一の例外としてバッハの『平均律』があるくらいだ。

相変わらず録音データの表示に誤りがあるのはこのザ・マスター・シリーズの小さな欠点だ。

それはリヒテルの膨大なライヴからの蒐集であるために、編集者の混乱をきたしているのかも知れない。

ライナー・ノーツの最後に1988年の録音と記載されているが、2枚のCDの音質に若干のばらつきがあり、調べてみるとこのCDに収められている総ての曲はフィリップスが著作権を持っているライヴ音源だが、年代も録音場所も異なる少なくとも四つのマスターが使われていることが分かった。

まずショパンの『24の前奏曲集』から10曲の抜粋、『舟歌』及び『ノクターン第4番』は1966年11月19日のイタリア、フェッラーラにおいて、『幻想ポロネーズ』は92年10月28日のオランダ、ナイメヘンでのそれぞれライヴから採られている。

一方リストの『ソナタ』は196611月21日イタリア、リヴォルノでの演奏、そしてCD2枚目のリストのプログラムは記載どおり88年3月10日ドイツ、ケルンでのライヴということになる。

音質はいずれも良好で鑑賞に全く不都合はない。

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2018年03月12日


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リヒテル・ザ・マスター・シリーズでは最後の11巻目に当たり、2枚のCDには1989年2月20日にウィーンのヤマハ・センターで催された20世紀ピアノ音楽のコンサートからのライヴ録音が収められている。

リヒテルは早くから現代音楽の演奏に熱心なピアニストだった。

それは彼が育った時代を代表する作曲家にロシア人が多かったことにも理由があるだろう。

プロコフィエフやショスタコーヴィチとも個人的な親交があった彼は、新しく生み出された作品を作曲家自身の解釈を念頭に置きながらリアルタイムで演奏することができたという幸運にも恵まれている。

当時既に巨匠74歳の高齢ではあったが、新たな発見を求めて常に柔軟な姿勢と全力投球で音楽に取り組んだ彼の哲学がここにあるような気がする。

前半ではショスタコーヴィチの『前奏曲とフーガハ短調』が、古い教会音楽と現代音楽の止揚を試みたとも言うべき傑作で、リヒテルの澄み切った瞑想的な表現が印象的だ。

また後半のシマノフスキーの『メトープ』はギリシャ神話『オデュッセイア』からの逸話に因んだ三部作だが、リヒテルは最初の2曲のみを採り上げている。

驚くほどの高い集中力でその神秘性を極めた「セイレインの島」と艶美な「カリュプソ」が好対照を成している。

最後はヒンデミットの『組曲1922年』で、晩年のリヒテルにもこれだけのパワーが残っていたかと思わせる、迫力に満ちたヴィルトゥオジティが醍醐味だ。

収録曲目 CD1 -1.プロコフィエフ『ピアノ・ソナタ第2番ニ短調』Op.14   2.ストラヴィンスキー『ピアノ・ラグ・ミュージック』   3.ショスタコーヴィチ『前奏曲とフーガ』変ホ長調及び同ハ短調
CD2. -1.ヴェーベルン『変奏曲』Op.27   2.バルトーク『三つのブルレスク』   3.シマノフスキー『メトープ』Op.29より(1)「セイレインの島」 (2)「カリュプソ」   4.ヒンデミット『組曲1922年』 (1)「マーチ」 (2)「シミー」 (3)「夜の断片」(4)「ボストン」 (5)「ラグタイム」 

尚音源はデッカで、オフ・マイクぎみの採音はホールの残響でピアノの音質に潤いを与えているが、その反面いくらか鮮明さに欠ける嫌いがある。

また聴衆の雑音も義理堅く拾われているのが気になるが、ライヴ録音であれば目をつぶることもできるだろう。

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2018年03月08日


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リヒテルのザ・マスター・シリーズの7巻目で、フィリップスとデッカのそれぞれの音源から集められたブラームスとシューマンの作品集になる。

例によってこのシリーズのライナー・ノーツには録音データらしきものはなく、謎に包まれたライヴ集なので参考までに個人的に調べた録音年月日と場所を記しておく。

その長いキャリアをセッションという形ではなく、むしろライヴに賭けた巨匠の至芸を堪能できるシリーズのひとつとしてお勧めしたい。

音質は押し並べて良く、演奏終了後の拍手は入っているがライヴに付き物の聴衆の雑音が非常に少ないのも好感が持てる。

ブラームスの2曲のソナタはいずれも1986年5月27日にイタリア、マントヴァで開かれたリサイタルで、この2枚のCDでは唯一デッカが持っているマスターだ。

重厚な押し出しとペダルの使用を控えた彫琢するような明瞭な造形美には円熟期のリヒテルならではの味わいがある。

『パガニーニのテーマによるヴァリエーション』は第1部、第2部共に1988年6月19日にフランスのメスレーで収録されたものらしい。

超絶技巧で名高い曲でライヴ録音も珍しいが、彼は全く躊躇のない恐ろしいほどの集中力で弾き切っている。

一方『バラードト短調』、『カプリッチョハ長調』、『間奏曲ホ短調』及び『ラプソディー変ホ長調』の総ては1966年9月8日にスイス、ロカルノのサン・フランチェスコ教会でのライヴで、この曲集では最も古い音源だが、いくらか武骨な力強さがブラームスの素朴な音楽性を良く示しているように思う。

最後のシューマンの『幻想曲ハ長調』は、1979年12月17日にドイツ、レヴァークーゼンで行われたコンサートから採られたものだ。

シューマン特有の内省的な思索がリヒテルの得意とする奏法でもあることが理解できる、あらゆる意味でバランスに長けた演奏だ。

尚このセットでは以前フィリップスのザ・オーソライズド・レコーディングスに組み込まれていたシューマンの『マーチト短調』、『ノヴェレッテヘ長調』、『4つの夜曲』、『花の曲』そして『パガニーニのカプリースによる演奏会用練習曲』が何故か選択から漏れている。

既に両シリーズ共に製造中止の憂き目に遭っているので残念だ。

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2018年02月14日


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Richter The Masterシリーズの第4巻目にあたり、2枚のCDにベートーヴェンの2曲のソナタ、2曲のロンド、そしてピアノ三重奏曲『大公』及び『ピアノと木管楽器のための五重奏曲』が収録されている。

とりわけ2枚目の2つのアンサンブルはフィリップスが持つリヒテル唯一のライヴ音源で、しかもこのシリーズはリミテッド・エディションで既に製造中止になっている。

そのために幻の名演としてセカンドハンドでも法外なプレミアムが付いてしまっている。

同シリーズの他のセットはまだ手に入るだけに残念だ。

『大公』は彼が他の曲でも協演したボロディン四重奏団のメンバーとの演奏になるが、何故かこの曲はその後セッションで採り直すことがなかったようだ。

一方ピアノ五重奏曲は曲自体が滅多に演奏されないということもあって、更にこのCDに付加価値を加えているが、こちらではパリを中心に活動している当時としては新進気鋭のモラゲス木管五重奏団が協演している。

どちらも1992年12月にモスクワのプーシュキン・ミュージアムで行われたコンサートからの録音のようだ。

『大公』ではボロディンの2人がいつになく古典的な均整の取れたアンサンブルを聴かせていて、リヒテルの気品に満ちたピアニズムとバランス良く調和している。

シューベルトの『鱒』ではいくらか癖のあるロマンティックな表現が気になったが、ここではポルタメントなどは最低限に抑えられているのが好ましい。

特に第3楽章のヴァリエーションでの変化に富んだリリカルな表現は秀逸だ。

『ピアノ五重奏曲』はモラゲスの管楽器奏者達の精緻な合わせ技が素晴らしいが、それは彼らの個人的な技術水準の高さも証明している。

実際第2楽章でオーボエ、クラリネット、ファゴット、ホルンのそれぞれが披露する節度をわきまえたカンタービレは白眉だ。

また晩年のリヒテル特有の包容力のあるピアノが、伴奏に回った時にも注意深くソロを引き立てているのも流石だ。

尚1枚目のCDに収められているピアノ・ソナタ第18番及び第28番と2曲のロンドはリヒテルの音源が他にもあり入手することも可能だが、このライヴは第18番が1992年、その他が1986年のアムステルダム・コンセルトヘボウでのコンサートから録音されたもののようだ。

ライナー・ノーツは17ページほどで英、仏、独語の簡易なエピソードが掲載されているが、このライヴの経緯については全く触れておらず、録音データに関しても信用できるものではないことも付け加えておく。

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2017年08月01日


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巨匠リヒテルの弾くバッハはどの作品も骨太で安定感のあるしっかりした音楽構成を聴かせてくれる。

また彼特有の変化に富んだ多彩なピアニズムが美しいだけでなく、常にオリジナリティーに富んだアイデアを提示している。

中でも彼の奏法の頂点を示しているのが『平均律』だろうが、その後も次々と新しいレパートリーを開拓して晩年のコンサートでも彼はしばしばバッハをプログラムに組み込んだ。

この曲集でもレガート、スタッカートの使い分けやその組み合わせが巧みで、広いダイナミクスと共に舞曲ごとに新鮮な響きを試みている。

例えば『フランス組曲』第4番変ホ長調で、彼はプレリュード付のBWV815aを演奏しているが、短いプレリュードの流れるような静謐さとそれを打ち破るフーガの対比が極めて美しく、一貫するアーティキュレーションの安定感は、比類のないものだ。

また最後に於かれた『ファンタジアト短調』では、その疾風怒濤的な曲想から往々にして激情的に表現されがちな曲に、敢えて誇張を避けた意外にも格調高い音楽性を引き出してみせたところが如何にも彼らしい。

全曲を通じ、リヒテルの演奏ぶりにはポリフォニー音楽に対する高いセンスが示され、気負いのない穏やかさの中に、言い知れぬ精神の明るさと豊かさを実感させるが、これほど深い充足感をもたらす、完璧に美しいバッハ演奏は世に稀だろう。

このシリーズにしては珍しくライナー・ノーツの最後に信憑性のある録音データが記されている。

正確を期すために個人的に調べてみたが、いずれもフィリップス音源の1991年のドイツでのライヴ録音で、3曲の『イギリス組曲』が3月5日ローランドゼックにて、3曲の『フランス組曲』が3月7日及び10日にボンで開かれたコンサートから、そして2曲の『トッカータ』と『ファンタジア』が11月8日にノイマークトで収録されている。

拍手や客席の雑音が若干入っているが全体的に音質は良好なデジタル録音だ。

リヒテルの没後10周年記念として2007年にデッカからリリースされたザ・マスター・シリーズの中でバッハの作品集は、この第8巻の2枚と、第9巻のショパンの作品集とカップリングされた1枚の計3枚分が当てられている。

総てがライヴ録音で、ライヴに賭けた彼の情熱とその真摯な姿勢が良く表れているが、このシリーズもリミテッド・エディションで既に製造中止になっているため、ナンバーによっては入手困難な状態であるのが残念だ。

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2017年07月30日


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フィリップスのライヴ音源から蒐集されたCD2枚分のモーツァルト作品集で、リヒテルはあるインタビューの中で語っているが、古典派の作曲家の中ではモーツァルトよりハイドンを好んで取り上げた。

それはコンサートのプログラムに組み入れる曲目としてはハイドンの方がまだ開拓の余地が残されていて、よりフレッシュな感覚で弾くことができたからだろう。

彼にはピアニストであれば誰でも演奏する曲は避ける傾向にあったことも疑いない事実だ。

しかし彼のディスコグラフィーを見ると皮肉にもモーツァルトの方が圧倒的にハイドンを凌駕している。

意外にも珍しいリヒテルのモーツァルトの第一印象は、極めてフランクな演奏だということで、興に乗っていく様がよくわかる。

そして彼が1度モーツァルトを演奏すると、やはり他のピアニストとは異なったリヒテル特有の創意工夫や表現があり、決してモーツァルトを敬遠していたわけではないことが理解できる。

幸いこのセットでは異なったピリオドに収録された5曲のソナタと『ファンタジア』ハ短調を巨匠の巧みな解釈で鑑賞することができる。

何よりも聴きものはソナタヘ長調K.280で、単純な譜面から何と豊かな表現を取り出すことか。

第1楽章のしっかりした構成感と対照的なテンポを落として深みのある抒情を歌い上げる第2楽章、そして終楽章の小気味良く洗練されたテクニカルなピアニズムは、リヒテルの大曲を聴いたことのある人には意外に思われるほど、むやみにスケールを大きくしたり、尊大になることのない真摯で控えめな演奏だ。

しかもそれは、全てが自発性に満ちた表情を湛え、リヒテルならではの味わい深いモーツァルトである。

またソナタ変ロ長調K.333には常套的なサロン風の洒落っ気はそれほど感じられないが、気品を湛えた自然な表現が美しい。

またもうひとつのヘ長調のソナタK.533では考え抜かれた音色の扱いと愛らしさが聴きどころだろう。

2曲のハ短調の作品はリヒテル晩年の瞑想的で、しかもオーケストラを髣髴とさせるドラマティックな奏法の腕が冴えた、全曲中でも最も聴き応えのある作品に仕上がっている。

かっちりと、玲瓏と、誰しもそう弾きたいと望むところを楽々と実現してゆくかのようなリヒテルの力量が伝わる、大変冴えた演奏である。

リヒテルは技術的に完璧なセッションを残すことより、聴衆の前で演奏するライヴに賭けた潔い音楽家だった。

こうした彼の姿勢はその他の多くの演奏家の安易な録音に対する警鐘でもあり、音楽鑑賞のあり方についても示唆的だ。

このCDではライヴ特有の客席の若干の雑音や拍手が入っているが、音質は極めて良好だ。

尚このシリーズの欠点は録音データが不正確なことで、ここに個人的に調べた音源を記しておきたい。

1枚目の3曲、ソナタヘ長調K.280、同変ロ長調K.333及び同ト長調K.283はいずれもザルツブルクで1966年1月28日及び30日、2枚目のソナタヘ長調K.533/494はイタリアのコモで1989年2月10日、『ファンタジア』ハ短調K.475とソナタハ短調K.457はシュトゥットガルトのルートヴィヒスブルクで1991年10月15日のそれぞれのライヴから収録されている。

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2017年05月03日


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演奏自体はリヒテル全盛期の最も充実したパフォーマンスとして価値の高いものだが、ライナー・ノーツの最後に掲載されている録音データは根拠に欠けている。

11セット計22枚のリヒテル・ザ・マスター・シリーズは、フィリップスとデッカのセッション及びライヴからの音源を掻き集めたものなので、おそらく編集側も混乱をきたしていることが考えられる。

リヒテルの生涯に亘るコンサート活動のクロノロジーとディスコグラフィーを照合すると1993年に、このCDに収められたハイドンやウェーバーを演奏した可能性は少ない。

良く調べてみるとハイドンのソナタ第39番は、1985年3月6日及び7日のフライブルクでのライヴから採られたもので、このセットではこれが一番新しい録音になる。

ハイドンの第62番とベートーヴェンの第12番は1966年11月19日のフェッラーラでのライヴ、一方ウェーバーの第3番は1966年9月8日のロカルノの聖フランチェスコ教会で行ったライヴ、更にベートーヴェンの第9番と第11番は1963年6月から7月にかけてパリでフィリップスに入れたセッションだ。

最後の同第27番は1965年8月21日のザルツブルク・ライヴということになる。

僅か2枚のCDにこれだけ多くの異なった音源が入り乱れているのも、ある意味ではセッションを嫌ったリヒテルのCDの特色を暗示しているようで興味深い。

2曲のハイドンのソナタでは、古典派の音楽としての明確な曲想をきめ細かな創意工夫で、新鮮な面白みと巧みな演奏効果を上げているのが特徴的だ。

こうしたレパートリーは他のピアニストがそれほど食指を動かさないこともあって、彼の音楽性のオリジナリティーを自在に発揮している典型的な例と言える。

ウェーバーのソナタも比較的珍しいレパートリーで、名の通ったピアニストではギャリック・オールソンがソナタ全集をハイペリオンからリリースしているのが唯一のサンプルだが、リヒテルはリリシズムにおいてオールソンを凌駕している。

それはオペラ作曲家としてのウェーバーの音楽を体現しているからに他ならない。

リヒテルは少なくともモスクワ音楽院に入学するまでの少年時代は、地方でオペラの伴奏ピアニストとしての経験を積んでいた。

そうした体験が育んだ歌心の表出が活かされているのではないだろうか。

ベートーヴェンのソナタは前述したように総て1960年代の録音で、彼がアメリカでのデビューを飾った後、破竹の勢いでヨーロッパ各地においてリサイタルを開き始めた頃の典型的な奏法を聴くことができる。

骨太でしかも特有の温かみがあり、またヴィルトゥオジティの見せ場にも欠けていない。

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2017年04月29日


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リヒテルはある作曲家の作品を系統的に網羅するような演奏や録音には全く関心を持っていなかったようだ。

勿論彼が録音という仕事自体に熱心でなかったことは良く知られたところだが、例えばベートーヴェンのピアノ協奏曲は第1番と第3番しか弾かなかったし、ピアノ・ソナタでは32曲の作品のうちセッションとライヴ総てを掻き集めてきても22曲しか録音されていない。

それは彼自身も言っているように、ピアニストなら誰もが採り上げるような曲はあえて避け、自分の気に入っている作品に集中したいという願望の表れだったのだろう。

それでも彼の超人的な記憶力は膨大なレパートリーをもたらし、彼が望んだか否かに拘らず結果的に充分立派なディスコグラフィーを遺すことになった。

1枚目の4曲では晩年のリヒテルが切り開いた境地とも言うべき、何物にも囚われない自由闊達な表現が感動的で、中でも『熱情』では当時の彼の音楽的な構想を最も良く反映した解釈を聴くことができる。

それは彼がアメリカ・デビューを果たした1960年の録音と比較して一層きめ細かで優美でさえある。

一方作曲家後期の3曲はリヒテルが虚心坦懐に弾いた率直で心穏やかなベートーヴェンという印象で、中期のソナタのように激情を爆発させるわけではなく、響きの精妙さをもって対し、作曲家晩年の深遠な抒情を最大限に引き出している。

そこには巨匠特有の精神的な余裕と経験を積んだ貫禄が感じられ、こうした曲の表現に一層の深みと俗世のしがらみから開放された清澄な輝きを感じさせる。

またその美しさはテクニックの衰えを補って余りあるものがあり、雄渾な表現を得意とするいつもの彼とは異なる一面が示されていて興味深い。

この2枚組のCDに収められた7曲のソナタは、全曲フィリップス音源で前半がアムステルダム・コンセルトヘボウ、後半がシュトゥットガルトのルートヴィヒスブルク城オルデンスザールでのどちらもライヴからのデジタル録音になるが、これらは生前リヒテル自身がリリースを承認したそれほど多くない音源のようだ。

ふたつの演奏会場での音響の差が歴然としているが、音質自体は極めて良好だ。

17ページほどのライナー・ノーツには英、仏、独語によるリヒテルの略歴と演奏についての簡易な解説付。

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2017年03月18日


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リヒテルが初めてアメリカを訪れた際の歴史的録音で、このCDの音源はリヒテル・アメリカ・デビュー盤のひとつとしてLP時代から評価の高いものだった。

この録音が行われた1960年はいわゆる冷戦下、アメリカから見れば“鉄のカーテン”で隔てられていた“東側”の演奏家が初めてアメリカに来演した年にあたる。

とりわけリヒテルの2ヵ月にわたるツアーはセンセーションを巻き起こし、RCAによるレコーディングも並行して行われた。

その初録音がここに収められたブラームスで、同年11月に収録された『熱情』ともども、リヒテル絶頂期の凄みが生々しく伝わってくる。

リヒテルは超人的技巧を駆使しながらもスケールの大きい、厳しい感情表現を示しており、特に両端楽章が立派だ。

ラインスドルフの指揮は極めて熱っぽく、オーケストラの華やかさも加えて、リヒテルとがっぷり四つに組んでいる。

過去にはラインスドルフ&シカゴ響とリヒテルの爆演のように言われたこともあるが、良く聴いてみるとシカゴ響はラインスドルフによって非常に良くコントロールされていて、力強いが野放図な音を出しているわけではなく、リヒテルも決して力に任せて対決するような姿勢ではない。

それぞれが個性を完全に燃焼させながらもぴったりと呼吸を合わせて、コンチェルトを聴く醍醐味を満喫させてくれるのだ。

そこには極めてスケールの大きい音楽的な構想を持ったピアニズムが展開されていて、両者の張り詰めた緊張感の中に溢れるほどのリリシズムを湛えた演奏が感動的だ。

またリヒテル壮年期の水も漏らさぬテクニックの冴えもさることながら、第3楽章を頂点として随所に現れる抒情の美しさは如何にも彼らしい。

一方ここにカップリングされたベートーヴェンのピアノ・ソナタ『熱情』は同年にニューヨークのカーネギー・ホールで録音されたもので、当初はもう1曲の『葬送』と共にリリースされた。

この2曲のソナタは2004年にXRCD化もされているが、リヒテルの凄まじい集中力と緊張感の持続が恐ろしいほど伝わってくる。

リヒテルは深々とした呼吸で熱っぽく弾きあげた、ダイナミックな根太い演奏で、全篇に溢れる強烈なファンタジーが魅力だ。

この曲の力強さと抒情性を、巧みに弾きわけていて見事で、全体に、極めてエネルギッシュな表現である。

彼自身はこの演奏を嫌って失敗作のように言っていたが、音楽的な造形からも、またその表現力の幅広さと強烈なダイナミズムからもベートーヴェンに相応しい曲作りで、本人であればともかくあらを探すような次元の演奏では決してない。

1960年にリヒテルはアメリカにおいて一連のセッション及びライヴから当地でのファースト・レコーディングを行っているが、このCDに収められている2曲もその時の音源で、リヴィング・ステレオの良質なオリジナル・マスターが今回のDSDリマスタリングによって更に洗練された音質で甦っている。

ソニー・クラシカル・オリジナルスは、古い音源を最新のテクニックでリマスターして、従来のCDとは異なった音響体験を提案している興味深いシリーズだが、何故か音源によってリマスタリングの方法が異なっている。

このCDではSACD用のDSD方式が採用されているが、同シリーズの総てのCDと同様レギュラー・フォーマット仕様でミッド・プライスで提供しているのがメリットだろう。

音質は鮮明で協奏曲ではシカゴ・オーケストラ・ホールの音響空間も自然に再現されているし、ソロ・ピアノも潤いのある艶やかな音色が特徴で、オーケストラとのバランスも理想的だ。

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2017年03月10日


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巨匠リヒテル圧巻の名演として余りにも良く知られたシューベルトのピアノ・ソナタ第21番変ロ長調は、作曲家の最後を飾る作品のひとつであり、奇しくも彼の人生の終焉を垣間見るような寂寥感がひしひしと伝わってくる。

わずか31歳で生涯を閉じたシューベルトが、このように臓腑を抉るような深淵の境地を自己の音楽に映し出すことができたのはまさに天才のなす業だが、それを直感的に悟って表現し得たリヒテルの感性と技巧も恐ろしいほどに研ぎ澄まされている。

第1、2楽章をリヒテルは実にゆったりと弾き進み、足取りは滞りがちで鉛のように重く、異常に遅いテンポだが、ほの暗く、不安な気分を強調していて、この曲のもつ微妙なニュアンスを心憎いまでに描き出している。

余韻嫋々で抒情美の極みといっても過言ではなく、その中でシューベルトが背景にくっきりと浮かびあがり、聴く者を魅了する。

第3、4楽章は快いテンポが演奏を支配し、軽快なシューベルトの世界が出現、力のあるピアニストが余裕をもって音楽する楽しみが強く感じられる演奏だ。

また第19番ハ短調ソナタの終楽章ロンドは駆け抜けるようなイタリアの舞曲タランテッラを使っていて、何とも快いリズムに乗って、緊迫した世界が醸し出され、現世の儚さの中に限りない永続性を願っているようにも聞こえる。

また第1楽章では、明と暗のコントラストを巧みに生かしつつ、実にしっかりした構成的なシューベルトを聴かせる。

これらの急速楽章は、弾き手が凡庸だと退屈に感じられるのに、優れた構成家であるリヒテルの手にかかると時間を感じさせない。

シューベルトの演奏としては、きわめてスケールの大きな表現で、剛と柔とを巧みに対比させながら、強い説得力をもっていて聴かせる。

どちらも1972年のザルツブルクにおけるセッションで、第19番は17世紀に建設されたクレスハイム城、一方第21番は19世紀に再建されたアニフ城での録音になる。

リヒテルが都会のコンサート・ホールを避けて、あえて郊外にある閑静な歴史的古城を選んでいるのは、その音響効果だけではなく演奏への霊感を高めるための手段なのかもしれない。

セッションとしての録音活動にはそれほど熱意をみせなかったリヒテルの遺した録音は、系統的に作曲家の作品群を追ったものではないが、ライヴ音源からとなると本人が承認したか否かに関わらず、彼の死後収拾がつかないほどの量のCDがリリースされている。

しかも販売元のレーベルは多様を極めていて、それぞれの音質に関しても玉石混交なのが実情だ。

その中でも録音状態の良好なものは1970年代以降のもので、マニアックなリヒテル・ファンでなければこのアルト・レーベルからの一連のCDがリヒテル円熟期の至芸を極めて良好な音質で堪能するための良い目安になるだろう。

このシリーズはセッションとライヴの両方の音源から採られているが、英オリンピア倒産以降ライセンス・リイシューとしてレジス・レーベルから再発され、廃盤になったものをアメリカのミュージカル・コンセプツ社が英国マンチェスターからアルト・レーベルとして配給しているという複雑な経緯がある。

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2017年03月08日


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ピアノ・ソナタ第13番イ長調でシューベルトはおよそソナタ形式を展開させるには不適当と思われる長い歌謡調のメロディーを主題に持って来ている。

それはベートーヴェンの小さなモチーフが曲全体を構成して堅牢な楽曲を作る方法とは明らかに異なった作法を試みたと言わざるを得ない。

シューベルトのそれは美しいメロディーが走馬燈のように移ろい再び戻ってくる。

各楽章間のつながりも一見密接さを欠いた、取り留めのない楽想の連なりにさえ感じられる。

しかしリヒテルはそのあたりを誰よりも良く心得ていて、こうした長大な作品に冗長さを全く感じさせない、恐ろしいほどの冷静沈着さと集中力を持って曲全体を完全に手中に収めてしまう。

リヒテルはもうこれ以上遅くはできないというぎりぎりのところまでテンポを落とし、しかも音色美に過剰に依存することもせず、感情表出の深い境地に静かに分け入ってゆく。

特有のカンタービレからは喜遊性を退けて、その喜びは沈潜してしまう。

こうした込み入った表現を可能にしているのは、円熟期のリヒテルの内省的な深い思考をシューベルトの音楽の中に反映させ得るテクニックの賜物に違いない。

ここではひたすらシューベルトの音楽に沈潜した大家の、年輪を経た円熟した肉声が語りかけてくる。

もともと、人知れずシューベルトをこつこつレパートリーにしてきたリヒテルだけに、その精神世界の深みが素晴らしい。

このディスクのソナタでは、決して派手ではないが、淡々とシューベルトならではのデリカシーの奥底まで案内してくれる。

特に、ピアノ・ソナタ第14番イ短調はリヒテルの唯一の録音で、彼の数々の演奏の中でも傑出している。

音の表層をなぞるだけでは決して表現し得ない世界であり、こういう演奏を聴くと、リヒテルがなぜ巨人であったかが分かろうというものだ。

即興曲第2番と第4番は、ところどころにあらわれるシューベルトならではの孤独感と哀感を、繊細に表現していて聴かせる。

ともすると平凡になってしまうこれらの小品も、リヒテルの手にかかると精神的に深い音楽となってしまうから不思議だ。

このCDに収められた4曲はいずれも1979年に行われた東京でのライヴから採られていて、会場の緊張した雰囲気がよく伝わってくる演奏で、録音状態と音質の良さでは群を抜いている。

だが版権の関係か、あるいは日本のメーカーが興味を示さなかったためか、アメリカのミュージカル・コンセプツ社が英国マンチェスターから配給しているマイナー・レーベル、アルトが細々とリリースしているのが惜しまれる。

音源は英オリンピアのライセンスだったが、同社倒産の後は英レジスが引き取り、更に廃盤となったものをアルト・レーベルから再発しているという複雑な事情がある。

しかし皮肉にもリヒテル円熟期の至芸を堪能するのにこれら一連のCDが非常に高い価値を持っていること自体、意外に知られていないのが実情だ。

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2017年03月06日


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シューベルトのピアノ・ソナタは実際にコンサートで取り上げられる機会がそれほど多くない。

中でもこの東京公演で演奏された第9番ロ長調D.575及び第11番へ短調D.625は特別なチクルスでもない限りその魅力に触れることは皆無に近い。

これらの曲は牧歌的な素朴な響きと親密な雰囲気を持っているが、いわゆる弾き映えのしない曲なのでリヒテルがこの録音を遺してくれたことは幸いという他はない。

同時代のウェーバーも歌謡調の旋律を多用したピアノ・ソナタを書いているが、彼は誰よりも劇場に生きた作曲家らしくピアニスティックな華麗な技巧を前面に出してオペラ風の起承転結を明快にしているのが対照的だ。

その点シューベルトはソナタ形式により忠実で、思索的な音楽語法に秀でている。

リヒテルのシューベルトを聴いていると時間が経つのを忘れてしまうほど、率直にその純粋な魅力に引き込まれるし、また彼がこうした野心的でない曲をレパートリーにしていたことにも興味が惹かれる。

それは彼が如何にシューベルトの音楽観に共感を得ていたかの証明でもあるだろう。

なかば忘れられようとしているシューベルトが20歳頃に書いた慎ましい2曲から、リヒテルは豊かな情趣を引き出し、音楽の楽しみを心得た人の心には何の拘りもなく素直に入り込んでくる演奏だ。

リヒテルはモンサンジョンのドキュメンタリー『謎』の中のインタビューで「シューベルトは誰も弾かないが、私自身が楽しめるものなら聴衆にもきっと楽しんでもらえる筈だ」と語っている。

例によって緩急自在に弾きわけながら、音楽の流れは自然で、しっとりとした情感に満ち、心の底深く訴えてくる。

尚第11番は第3楽章が完全に欠けた未完の作品で、バドゥラ=スコダなどによって補筆された版もあるが、リヒテルはこのソナタが作曲された1818年に単独で書き遺されていた『アダージョ変ニ長調』D.505を当てていて、作品としての問題点を感じさせる以前にある真実の表現をもった音楽となっている。

またこのCDには他に『楽興の時』D.780より第1,3,6番がカップリングされているが、リヒテルの演奏の凄さを示している。

シューベルトの小品に対し、楽しさに溢れたロマンティックなものを求めがちだが、そういう常識を覆す演奏で、リヒテルの手にかかるとシューベルトの孤独の魂、哀しみの深さがしみじみと滲み出てくる。

小品であっても、彼の眼差しは作品の底まで射抜いているかのようだ。

いずれも1979年に東京文化会館、NHKホール及び厚生年金会館ホールで催されたコンサートのライヴ録音で音質はきわめて良好。

東京でのコンサートからの一連の音源は優秀なものだが日本からはリリースされておらず、現在では外盤を調達するしかないが、このアルト・レーベルからはリヒテルのシューベルトのソナタ集だけでもライヴ、セッションを含めて既に3枚出されている。

ライセンスは総て英オリンピアが持っていたもので、同社倒産以降はレジス・レーベルが引き取り、その廃盤に当たってアメリカのミュージカル・コンセプツ社がマンチェスターからアルト・レーベルとしてリイシューしている。

このシリーズのライナー・ノーツは見開きの3ページで英語のみ。

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2017年03月04日


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巨匠リヒテルがオイロディスクに遺した1970年から83年にかけてのセッション録音をまとめたもの。

ファースト・リリース時のカップリングとオリジナル・ジャケット・デザインを採用してリマスタリングされた14枚のCDセットになる。

このために収録曲数のわりにはCDの枚数が多く、また初出音源こそないが、彼の演奏の中でも伝説的でさえあるクレスハイム宮殿でベーゼンドルファーを弾いたバッハの『平均律』全曲やシューベルト後期ソナタ2曲など、ユニヴァーサルからの51枚組には入っていないものばかりで、彼の最も充実した演奏の記録として本家からのリリースは歓迎したい。

尚個別購入の選択肢としては英オリンピア、レジスの版権を引き継いだ米ミュージカル・コンセプツ社がマンチェスターからアルト・レーベルとしてそれぞれライセンス・リイシュー盤のリリースを続けていて、ここに収録された殆んどのレパートリーをカバーしている。

また、リヒテルのセッションの中でも最高傑作との名高い『平均律』に関しては日本盤SACDも入手可能だ。

リヒテルは生涯に亘って枚挙に暇がないくらい様々なレーベルに録音を遺している。

メジャーなところではドイツ・グラモフォン、フィリップス、デッカ、RCA、コロンビア、EMI、エラート、テルデック、オイロディスクなどだ。

ロシアでは先般集大成されたボックス・セットでも明らかなようにメロディアにも膨大な音源があるし、ライヴに至っては録音嫌いだった彼が望むと望まざるとに拘らず、演奏会場には常に録音機材が持ち込まれ、収拾がつかないほどの量の音源がCD化されてきた。

このセットにはドイツ系作曲家のレパートリーを中心にショパン、ラフマニノフ、チャイコフスキーの作品が収録されていて、いずれも彼の音楽性が最高度に発揮された演奏を良好な音質で鑑賞できる。

宮殿内部で録音されたものは潤沢な残響が含まれているが、彼が都心のコンサート・ホールを避けて、敢えて郊外の閑静な歴史的宮殿を選んでいるのは、その音響効果だけでなく演奏への霊感を高めるための手段だったのかも知れない。

CD6ベートーヴェンのピアノ・ソナタ第27番とCD12ショパンのスケルツォ第1番にヒスノイズが入っているのが残念だが、おそらくマスター・テープに由来するもので敢えて除去しなかったと思われる。

追記 ノイズの入ったCDについて、こちらからコンプレインを出すまでもなく購入先のドイツjpcからノイズのない4枚のCD(6,8,10,12)が無料で送られてきた。

もしノイズ入りのCDが含まれていた場合は交換可能のようだ。

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2016年09月19日


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1960年に45歳でようやく西側諸国でのトゥルネーを許可されたリヒテルの演奏活動は、その後欧米で破竹の勢いで進められたが、このライヴでも既に円熟期に向かっていた彼の熟考された音楽作りと幅広い表現力が堪能できる。

最初のハイドンでは洗練された手際の良い軽快なソナタが実に巧妙で、彼はモーツァルトよりどちらかと言えばハイドンを得意としてレコーディングやコンサートのプログラムにしばしば取り入れたが、毎回異なった曲目を選んで演奏しているところが如何にも彼らしい。

剛毅なシューマンの2曲の『ノヴェレッテ』には彼の逞しさが、そしてショパンの『バラードト短調』のコーダのたたみかけるようなアッチェレランドにはリヒテルのオリジナリティーが明確に示されている。

またドビュッシーの『前奏曲集』で聴かせる溢れるほどのニュアンスの豊かさとピアノの音色への可能性の追究という面でも、後の巨匠のシューベルトやバッハにあらわれる音楽性を既に垣間見せていて興味深い。

ライナー・ノーツによれば、この録音はリサイタルの翌年1968年にヴォックス・ターナバウト・レーベルから2枚組のLPで登場したが、CD化に当たってオリジナル・テープは使用可能な状態ではなく、ヴォックス所蔵の第2音源から修復及びデジタル・リマスタリングされたようだ。

しかし音質は驚くほど良好で、この手のライヴ録音としては最良の状態が復元されている。

臨場感も申し分なく、リヒテルの入場、拍手、演奏、そして喝采の総ての状況がつぶさに把握できる。

またピアノのタッチも生々しく聴き取れるのが特徴だ。

リリース元のミュージカル・コンセプツ社は英マンチェスターのアルト・レーベルから一連のリヒテルの録音をリイシューしているが、この音源に関してはミュージカル・コンセプツの名称を使い、裏面にVoxのロゴをつけている。

イタリアの中部、ウンブリア州スポレートの町で開催される『2つの世界のフェスティヴァル』と題された行事は、1958年に作曲家ジャン=カルロ・メノッティによって企画されたヨーロッパとアメリカの2つの世界の芸術交流を目的とした祭典で、彼の死後も引き継がれて現在に至っている。

厳密には音楽祭ではなく、演劇やバレエ、美術などの分野からの参加も盛んで、毎年気候の良い6月から7月にかけての3週間に2つの劇場とローマ時代の野外劇場などを使って世界的な水準の演目と新しい芸術的な試みが披露される。

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2016年09月17日


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リヒテルが他界した翌年1998年に制作されたドキュメンタリーで、晩年のリヒテル自身と夫人へのインタビューを中心に、彼の貴重な映像がモンサンジョン独特の手法で繋ぎ合わされている。

作品は2部に分かれていて、合わせて154分の見ごたえある伝記映画でもある。

映像に関しては良くこれだけ集めたと思われるくらい彼の私生活から公のコンサート、またプライベートな演奏画像までがちりばめられた唯一無二の作品としての価値を持っているし、その演奏では驚くほど豊かで多彩なニュアンスを聴かせてくれる。

インタビューの中で彼は日記を読みながら回想している。

多弁な人ではなく、その言葉は朴訥としているが、歯に絹を着せない痛烈なリヒテル語録も含まれている。

例えば教師としての情熱を持つことは演奏家には致命的だ、とも語っている。

しかもそれは彼の師であったネイガウスに向けられている。

またリヒテルがピアノ・ソナタ第7番を初演したプロコフィエフを、何をしでかすか分からない危険人物と言って憚らない。

彼は当時のソヴィエト連邦のアーティストの中では最後に国外での演奏を許された人だった。

父親がドイツ人で彼が銃殺された後、母もドイツに去ったことから当局では亡命を懸念して渡航を妨げていたようだ。

しかし本人自身はアメリカ行きを嫌っていたという証言も興味深い。

また彼自身に関する数々の神話的なエピソードも概ね否定している。

キャンセル魔の汚名も已むに已まれぬ事情からそうせざるを得なかったための結果のようだ。

他の演奏家のインタビューで興味深いのはルービンシュタインやグールドなどで、彼らはリヒテルを絶賛しているにも拘らず本人はちっとも嬉しそうでない。

一方協演者との貴重な映像はブリテンと連弾をしたモーツァルト、フィッシャー=ディースカウとの歌曲や、ヴァイオリンのオイストラフ、カガン、チェロのグートマンなどとの室内楽で、今では名盤として評価されているカラヤンとのベートーヴェンのトリプル・コンチェルトについては全くひどいものだとこき下ろしている。

このモンサンジョンの作品から見えてくるリヒテルは非常に冷静に人物や物事を見極める人で、政治体制や音楽界に対しても常に超然とした精神的自由人の立場をとっていたということである。

スターリンの国葬で演奏したからといって熱烈な共産主義の信望者ではなかったし、楽壇の内情には興味を持たず、ただ出会う人の個人の姿を凝視し真実だけを見続けた。

決して威圧的な態度はとらず、むしろ穏やかだったが、自分の演奏には人一倍厳しかった。

勿論他の演奏家の優れた演奏には賞賛を惜しまなかったが、また欠点もつぶさに見抜いていた。

22歳でモスクワ音楽院に入るまで正式な音楽教育を受けていなかった彼は、一方で少年時代からオペラやバレエの伴奏ピアニストとして奔走し、支払いをジャガイモで受けたこともある人生経験での適応力から、こうした独自の哲学を持つに至ったのかも知れない。

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2016年07月31日


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1957年から65年までにリリースされたアナログ音源のLPレコード9枚を、曲目の編集を加えずにそのまま9枚のCDに復刻したもので、その結果当然容量の違いからCDではある程度余白が生じているが、リマスタリングのためかこの時代の音源の音質としては概ね良好だ。

収録曲目と録音データについては幸いこのアマゾンのページに詳細が示されているので、そちらを参考にされたい。

尚最後の2枚は1962年のイタリア・ツアーからのライヴ録音で、詳細は書かれていないが、この年の11月にリヒテルがパレルモ、ローマ、フィレンツェ、ヴェネツィアで開いたコンサートからピックアップされたもので、ライヴ特有の雑音や、聴衆の頻繁な咳払いなどがいくらか煩わしいが、いずれもリヒテルの演奏の特質がかえって良く表れた充実した内容を持っている。

バッハの『平均律』は僅か5曲しか収録されていないが、既に彼の多彩な表現力が縦横に発揮されていて、後の全曲録音にも匹敵する出色の出来だと思う。

リヒテルは基本的にライヴ演奏に賭けた人で、彼の本領もいきおいライヴで発揮されていることが多い。

採り直しやつぎはぎが可能なセッションでは本来の一貫した音楽性が失われてしまうということを彼自身充分心得ていたし、それがセッションに対する彼の懸念でもあった筈だ。

しかしそれほど多くないセッション録音の中でもこのセットには彼の壮年期を代表するものが少なくない。

例えば協奏曲ではカラヤン、ウィーン交響楽団とのチャイコフスキーもそのひとつに挙げられる。

リヒテルとカラヤンの相性はそれほど良かったとは言えないし、その原因はこの曲の録音時にアインザッツを要求したリヒテルにカラヤンが応じなかったことに発するようだが、2人の間の亀裂が決定的になったのはEMIに入れた『トリプル・コンチェルト』の時らしい。

しかしここでは両者の主張がお互いに損なわれることなく両立して華麗な効果を上げているところは高く評価したい。

またベートーヴェンのピアノ協奏曲第3番では前作の2曲に比べてドラマティックで深みのある曲想を、ザンデルリンクが手堅く再現しながら、古典派の音楽としての節度を保ってソロをサポートしている。

一方リヒテルは抑制を効かせたきめの細かいコントロールが傑出していて、第2楽章の静謐な抒情も極めて美しい。

尚『ピアノとオーケストラのためのロンド変ロ長調』はコンドラシン盤が手に入らない現在では、このザンデルリンク、ウィーン交響楽団盤が殆んどリヒテル唯一のセッションになる。

それぞれのジャケットはオリジナル・デザインのミニチュアで、裏面にも当時の解説が印刷されている。

ライナー・ノーツは32ページで、やはりオリジナルLPジャケットの写真入で、英、独、仏語の解説付。

バジェット価格ということもあり、演奏の質の高さは勿論レパートリーの豊富さでも満足のいくもので、EMIのイコンと並んでリヒテル・ファンには欠かせないコレクションになるだろう。

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2016年07月29日


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録音嫌いだったリヒテルだが、結果的には彼の生涯に亘ったセッションとライヴを合わせると皮肉にも立派なディスコグラフィーを遺すことになった。

しかも大手メーカーのドイツ・グラモフォン、フィリップス、デッカやEMIなどからリリースされたリヒテル承認済みの音源以外にもマイナー・レーベルを含めると収拾がつかなくなるほどの膨大な量の録音がCD化されているのが実情だ。

このイコン・シリーズの14枚組はコンプリート・レコーディングスと銘打ってEMIへのセッションとライヴから比較的音質に恵まれた音源を出し尽くしているところにコレクションとしての価値がある。

勿論演奏内容もいずれ劣らぬ優れた水準を示していて、巨匠のプロフィールを伝える貴重なセットと言えるだろう。

ソロではシューベルトの幻想曲『さすらい人』のバドゥラ・スコダ版やヘンデルの組曲がリヒテルの幅広い音楽性と多彩なテクニックを披露していて圧巻だ。

また彼が生涯続けたアンサンブルではボロディン四重奏団との協演になるシューベルトの『ます』がフレッシュな印象を与えて好感が持てる。

ボロディン四重奏団は時として濃厚なロマンティシズムの表出があるにしても巨匠との合わせ技は流石に巧い。

歌曲の伴奏ではここでもフィッシャー=ディースカウとのブラームスの『マゲローネのロマンス』全曲が組み込まれている。

双方ともに全盛期のセッションで、後年リヒテルはフィッシャー=ディースカウが自分の発声と発音に拘って、伴奏にさまざまな注文をつけてくるのに辟易したと回想しているが、仕上がりは非常にすっきりした物語性を伝える秀演だと思う。

協奏曲ではクライバーとのドヴォルザーク、マタチッチとのグリーグとシューマンが名演の名に恥じないものだが、最後のマゼールが振ったプロコフィエフの第5番及びユーリ・ニコライエフスキーとのベルクの室内協奏曲も現代音楽を得意としたリヒテル面目躍如の演奏だ。

問題のセッションはカラヤン、ベルリン・フィルのサポートによるベートーヴェンの『トリプル・コンチェルト』で、モンサンジョンの映画『エニグマ』のなかで彼はこの演奏についてひどいものだったと語っている。

しかし冷静に鑑賞してみるとそれほどひどい演奏とは思えず、少なくともオイストラフ、ロストロポーヴィチ、リヒテルの三者は非常に注意深く合わせているし、カラヤンの指揮も充実している。

むしろ、これだけ個性の強い4人が互いに主張し合い、協調を見出そうとしているところに価値があるのではないだろうか。

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2016年07月21日


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ムーティの明快なオーケストラに支えられてリヒテルがその円熟期の自在な表現力を発揮した演奏である。

ベートーヴェンのピアノ協奏曲第3番ハ短調ではキレの良い弦楽とメリハリを効かせたウィンド、ブラス・セクションに乗って巨匠のピアノが溢れんばかりの音楽性を披露して、聴く者を幸福感で包むような雰囲気がある。

それは腰のすわった堂々たるもので、音楽に没入して自ら楽しみながら曲を展開してゆくその姿勢には、リヒテルならではの貫禄がにじみ出ている。

第2楽章ラルゴは節度のあるカンタービレの中に表出される両者の抒情が極めて美しい。

急速楽章でのそれぞれのカデンツァは作曲家自身のものを採用している。

一方モーツァルトのピアノ協奏曲第22番変ホ長調での彼らの表現は至って軽快で屈託の無い明るい響きを持っているが、曲想を恣意的にいじり過ぎない格調の高さが感じられる。

リヒテルのモーツァルトは、通常の解釈とは趣が異なったもので、それは感覚を魅了することはないが、厳しい精神に裏づけられた意志的な音楽を引き出している。

ふたつのカデンツァはベンジャミン・ブリテンの手になるもので、かなり斬新な印象を与える。

リヒテルは1960年代にブリテンとモーツァルトのピアノ連弾作品でも録音を遺しているので、古典派の作品を現代に活かすというという意味で共感を得ていたのかも知れない。

ムーティは原典主義を貫いていたが、協奏曲のカデンツァに関しては躊躇なく新しいものを認めていた。

その最もラディカルな例がギドン・クレーメルとのパガニーニのヴァイオリン協奏曲集でのクレーメル自身の即興的な超絶カデンツァだろう。

尚オーケストラはどちらもフィルハーモニア管弦楽団で、ムーティが首席指揮者に就任して間もない頃のセッションになるが、既にムーティ流に統制された流麗な歌心とダイナミックな音響が特徴だ。

リヒテルがムーティと初めて協演したのは1972年のザルツブルク音楽祭でのシューマンのピアノ協奏曲で、オーケストラはウィーン・フィルだった。

その時のライヴ録音はオルフェオ・レーベルからリリースされているが、ムーティは前年にカラヤンの紹介で同音楽祭に30歳でデビューを飾ったばかりで、ほぼ同年代のイタリア人指揮者としてはアバドに続いて国際的な演奏活動を始めた直後の意気揚々としたフレッシュな感性が伝わって来る演奏だ。

その後リヒテルとムーティは2回に亘ってロンドンのEMIアビー・ロード・スタジオでセッションを行った。

それがこのCD1曲目の1977年のベートーヴェンのピアノ協奏曲第3番と2曲目の1979年のモーツァルトの同第22番になる。

音質はこの時期のEMIとしては意外に良く、鮮明で臨場感にも不足しておらず、これは、リヒテルの芸術を味わうには格好の1枚だ。

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2015年09月11日


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リヒテルは幸いロシアのヴィオラ奏者、ユーリ・バシュメットとこのソナタ集を遺してくれた。

このCDに収められているのはヒンデミットの『ヴィオラ・ソナタヘ長調』Op.11-No.4、ブリテンのヴィオラとピアノのための『ラクリメ』Op.48及びショスタコーヴィチの『ヴィオラ・ソナタ』Op.147の3曲で、いずれも1985年3月6日から8日にかけて行われたフライブルクでのコンサートからのライヴ録音になる。

ここでは勿論名手バシュメットの理知的で精緻なヴィオラが白眉だが、ヒンデミットのソナタでは意外なほどヴィオラを歌わせるように作曲されていて、それとは対照的に広い音域を駆使した非常に技巧的で華麗なピアノ・パートをリヒテルが巧妙に支えているのが聴き所だ。

一方ブリテンの曲は『ダウランドの歌曲の投影』という副題付だが、ダブル・ストップ、フラジオレット、トレモロやピチカートなどの弦楽器特有のテクニックがフルに使われた一種のファンタジーで、バシュメットの高度な表現力が張り詰める緊張感の中で活かされている。

またショスタコーヴィチでもヴィオラ特有の暗く奥深い響きと両者の集中力が、ドラマティックで不気味な曲想をいやがうえにも高めている。

沈潜した両楽章に挟まれた第2楽章の民族舞踏を思わせるアレグレットは、全曲中最も激しく情熱的な死の舞踏を想起させる。

ヴィオラはその音色の性質と音域から、普段はオーケストラの内声に入って和声を支える役目を負わされ、ソロ楽器としては滅多に扱われることがないが、バシュメットの手腕によってその芸術性を再認識させられるのがこのソナタ集だ。

彼らの協演したコンサートでは、この他にシューマンのピアノとヴィオラのための4つの『お伽の絵本』のモスクワ・ライヴがドレミ・レーベルからリリースされているし、バシュメットが指揮者にまわったテルデックからの協奏曲集もある。

リヒテルのアンサンブルへの参加は他のピアニストに比較して決して少なくない。

一流どころのピアニストが歌曲や他のソロ楽器のための伴奏にまわること自体、彼らのコンサートの習慣からしても、あるいは主催者側のスケジュールの調整や費用の面からしても、それほど簡単でないことが想像される。

しかしリヒテルはロストロポーヴィチとのチェロ・ソナタ集に代表されるように若い頃から伴奏や連弾、あるいは弦楽アンサンブルとの協演を盛んに手がけている。

彼のこうした情熱を考えると、広い視野を持ってさまざまなジャンルに取り組んだオールマイティな音楽観が、逆に純粋なピアノ曲にも反映されていると言えるだろう。

それがリヒテルの音楽を包容力に富んだ懐の深いものにしている理由のように思われる。

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classicalmusic

早稲田大学文学部哲学科卒業。元早大フルトヴェングラー研究会幹事長。幹事長時代サークルを大学公認サークルに昇格させた。クラシック音楽CD保有数は数えきれないほど。いわゆる名曲名盤はほとんど所有。秘蔵ディスク、正規のCDから得られぬ一期一会的海賊盤なども多数保有。毎日造詣を深めることに腐心し、このブログを通じていかにクラシック音楽の真髄を多くの方々に広めてゆくかということに使命を感じて活動中。

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