リヒテル

2017年08月01日


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巨匠リヒテルの弾くバッハはどの作品も骨太で安定感のあるしっかりした音楽構成を聴かせてくれる。

また彼特有の変化に富んだ多彩なピアニズムが美しいだけでなく、常にオリジナリティーに富んだアイデアを提示している。

中でも彼の奏法の頂点を示しているのが『平均律』だろうが、その後も次々と新しいレパートリーを開拓して晩年のコンサートでも彼はしばしばバッハをプログラムに組み込んだ。

この曲集でもレガート、スタッカートの使い分けやその組み合わせが巧みで、広いダイナミクスと共に舞曲ごとに新鮮な響きを試みている。

例えば『フランス組曲』第4番変ホ長調で、彼はプレリュード付のBWV815aを演奏しているが、短いプレリュードの流れるような静謐さとそれを打ち破るフーガの対比が極めて美しく、一貫するアーティキュレーションの安定感は、比類のないものだ。

また最後に於かれた『ファンタジアト短調』では、その疾風怒濤的な曲想から往々にして激情的に表現されがちな曲に、敢えて誇張を避けた意外にも格調高い音楽性を引き出してみせたところが如何にも彼らしい。

全曲を通じ、リヒテルの演奏ぶりにはポリフォニー音楽に対する高いセンスが示され、気負いのない穏やかさの中に、言い知れぬ精神の明るさと豊かさを実感させるが、これほど深い充足感をもたらす、完璧に美しいバッハ演奏は世に稀だろう。

このシリーズにしては珍しくライナー・ノーツの最後に信憑性のある録音データが記されている。

正確を期すために個人的に調べてみたが、いずれもフィリップス音源の1991年のドイツでのライヴ録音で、3曲の『イギリス組曲』が3月5日ローランドゼックにて、3曲の『フランス組曲』が3月7日及び10日にボンで開かれたコンサートから、そして2曲の『トッカータ』と『ファンタジア』が11月8日にノイマークトで収録されている。

拍手や客席の雑音が若干入っているが全体的に音質は良好なデジタル録音だ。

リヒテルの没後10周年記念として2007年にデッカからリリースされたザ・マスター・シリーズの中でバッハの作品集は、この第8巻の2枚と、第9巻のショパンの作品集とカップリングされた1枚の計3枚分が当てられている。

総てがライヴ録音で、ライヴに賭けた彼の情熱とその真摯な姿勢が良く表れているが、このシリーズもリミテッド・エディションで既に製造中止になっているため、ナンバーによっては入手困難な状態であるのが残念だ。

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2017年07月30日


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フィリップスのライヴ音源から蒐集されたCD2枚分のモーツァルト作品集で、リヒテルはあるインタビューの中で語っているが、古典派の作曲家の中ではモーツァルトよりハイドンを好んで取り上げた。

それはコンサートのプログラムに組み入れる曲目としてはハイドンの方がまだ開拓の余地が残されていて、よりフレッシュな感覚で弾くことができたからだろう。

彼にはピアニストであれば誰でも演奏する曲は避ける傾向にあったことも疑いない事実だ。

しかし彼のディスコグラフィーを見ると皮肉にもモーツァルトの方が圧倒的にハイドンを凌駕している。

意外にも珍しいリヒテルのモーツァルトの第一印象は、極めてフランクな演奏だということで、興に乗っていく様がよくわかる。

そして彼が1度モーツァルトを演奏すると、やはり他のピアニストとは異なったリヒテル特有の創意工夫や表現があり、決してモーツァルトを敬遠していたわけではないことが理解できる。

幸いこのセットでは異なったピリオドに収録された5曲のソナタと『ファンタジア』ハ短調を巨匠の巧みな解釈で鑑賞することができる。

何よりも聴きものはソナタヘ長調K.280で、単純な譜面から何と豊かな表現を取り出すことか。

第1楽章のしっかりした構成感と対照的なテンポを落として深みのある抒情を歌い上げる第2楽章、そして終楽章の小気味良く洗練されたテクニカルなピアニズムは、リヒテルの大曲を聴いたことのある人には意外に思われるほど、むやみにスケールを大きくしたり、尊大になることのない真摯で控えめな演奏だ。

しかもそれは、全てが自発性に満ちた表情を湛え、リヒテルならではの味わい深いモーツァルトである。

またソナタ変ロ長調K.333には常套的なサロン風の洒落っ気はそれほど感じられないが、気品を湛えた自然な表現が美しい。

またもうひとつのヘ長調のソナタK.533では考え抜かれた音色の扱いと愛らしさが聴きどころだろう。

2曲のハ短調の作品はリヒテル晩年の瞑想的で、しかもオーケストラを髣髴とさせるドラマティックな奏法の腕が冴えた、全曲中でも最も聴き応えのある作品に仕上がっている。

かっちりと、玲瓏と、誰しもそう弾きたいと望むところを楽々と実現してゆくかのようなリヒテルの力量が伝わる、大変冴えた演奏である。

リヒテルは技術的に完璧なセッションを残すことより、聴衆の前で演奏するライヴに賭けた潔い音楽家だった。

こうした彼の姿勢はその他の多くの演奏家の安易な録音に対する警鐘でもあり、音楽鑑賞のあり方についても示唆的だ。

このCDではライヴ特有の客席の若干の雑音や拍手が入っているが、音質は極めて良好だ。

尚このシリーズの欠点は録音データが不正確なことで、ここに個人的に調べた音源を記しておきたい。

1枚目の3曲、ソナタヘ長調K.280、同変ロ長調K.333及び同ト長調K.283はいずれもザルツブルクで1966年1月28日及び30日、2枚目のソナタヘ長調K.533/494はイタリアのコモで1989年2月10日、『ファンタジア』ハ短調K.475とソナタハ短調K.457はシュトゥットガルトのルートヴィヒスブルクで1991年10月15日のそれぞれのライヴから収録されている。

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2017年05月03日


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演奏自体はリヒテル全盛期の最も充実したパフォーマンスとして価値の高いものだが、ライナー・ノーツの最後に掲載されている録音データは根拠に欠けている。

11セット計22枚のリヒテル・ザ・マスター・シリーズは、フィリップスとデッカのセッション及びライヴからの音源を掻き集めたものなので、おそらく編集側も混乱をきたしていることが考えられる。

リヒテルの生涯に亘るコンサート活動のクロノロジーとディスコグラフィーを照合すると1993年に、このCDに収められたハイドンやウェーバーを演奏した可能性は少ない。

良く調べてみるとハイドンのソナタ第39番は、1985年3月6日及び7日のフライブルクでのライヴから採られたもので、このセットではこれが一番新しい録音になる。

ハイドンの第62番とベートーヴェンの第12番は1966年11月19日のフェッラーラでのライヴ、一方ウェーバーの第3番は1966年9月8日のロカルノの聖フランチェスコ教会で行ったライヴ、更にベートーヴェンの第9番と第11番は1963年6月から7月にかけてパリでフィリップスに入れたセッションだ。

最後の同第27番は1965年8月21日のザルツブルク・ライヴということになる。

僅か2枚のCDにこれだけ多くの異なった音源が入り乱れているのも、ある意味ではセッションを嫌ったリヒテルのCDの特色を暗示しているようで興味深い。

2曲のハイドンのソナタでは、古典派の音楽としての明確な曲想をきめ細かな創意工夫で、新鮮な面白みと巧みな演奏効果を上げているのが特徴的だ。

こうしたレパートリーは他のピアニストがそれほど食指を動かさないこともあって、彼の音楽性のオリジナリティーを自在に発揮している典型的な例と言える。

ウェーバーのソナタも比較的珍しいレパートリーで、名の通ったピアニストではギャリック・オールソンがソナタ全集をハイペリオンからリリースしているのが唯一のサンプルだが、リヒテルはリリシズムにおいてオールソンを凌駕している。

それはオペラ作曲家としてのウェーバーの音楽を体現しているからに他ならない。

リヒテルは少なくともモスクワ音楽院に入学するまでの少年時代は、地方でオペラの伴奏ピアニストとしての経験を積んでいた。

そうした体験が育んだ歌心の表出が活かされているのではないだろうか。

ベートーヴェンのソナタは前述したように総て1960年代の録音で、彼がアメリカでのデビューを飾った後、破竹の勢いでヨーロッパ各地においてリサイタルを開き始めた頃の典型的な奏法を聴くことができる。

骨太でしかも特有の温かみがあり、またヴィルトゥオジティの見せ場にも欠けていない。

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2017年04月29日


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リヒテルはある作曲家の作品を系統的に網羅するような演奏や録音には全く関心を持っていなかったようだ。

勿論彼が録音という仕事自体に熱心でなかったことは良く知られたところだが、例えばベートーヴェンのピアノ協奏曲は第1番と第3番しか弾かなかったし、ピアノ・ソナタでは32曲の作品のうちセッションとライヴ総てを掻き集めてきても22曲しか録音されていない。

それは彼自身も言っているように、ピアニストなら誰もが採り上げるような曲はあえて避け、自分の気に入っている作品に集中したいという願望の表れだったのだろう。

それでも彼の超人的な記憶力は膨大なレパートリーをもたらし、彼が望んだか否かに拘らず結果的に充分立派なディスコグラフィーを遺すことになった。

1枚目の4曲では晩年のリヒテルが切り開いた境地とも言うべき、何物にも囚われない自由闊達な表現が感動的で、中でも『熱情』では当時の彼の音楽的な構想を最も良く反映した解釈を聴くことができる。

それは彼がアメリカ・デビューを果たした1960年の録音と比較して一層きめ細かで優美でさえある。

一方作曲家後期の3曲はリヒテルが虚心坦懐に弾いた率直で心穏やかなベートーヴェンという印象で、中期のソナタのように激情を爆発させるわけではなく、響きの精妙さをもって対し、作曲家晩年の深遠な抒情を最大限に引き出している。

そこには巨匠特有の精神的な余裕と経験を積んだ貫禄が感じられ、こうした曲の表現に一層の深みと俗世のしがらみから開放された清澄な輝きを感じさせる。

またその美しさはテクニックの衰えを補って余りあるものがあり、雄渾な表現を得意とするいつもの彼とは異なる一面が示されていて興味深い。

この2枚組のCDに収められた7曲のソナタは、全曲フィリップス音源で前半がアムステルダム・コンセルトヘボウ、後半がシュトゥットガルトのルートヴィヒスブルク城オルデンスザールでのどちらもライヴからのデジタル録音になるが、これらは生前リヒテル自身がリリースを承認したそれほど多くない音源のようだ。

ふたつの演奏会場での音響の差が歴然としているが、音質自体は極めて良好だ。

17ページほどのライナー・ノーツには英、仏、独語によるリヒテルの略歴と演奏についての簡易な解説付。

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2017年03月18日


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リヒテルが初めてアメリカを訪れた際の歴史的録音で、このCDの音源はリヒテル・アメリカ・デビュー盤のひとつとしてLP時代から評価の高いものだった。

この録音が行われた1960年はいわゆる冷戦下、アメリカから見れば“鉄のカーテン”で隔てられていた“東側”の演奏家が初めてアメリカに来演した年にあたる。

とりわけリヒテルの2ヵ月にわたるツアーはセンセーションを巻き起こし、RCAによるレコーディングも並行して行われた。

その初録音がここに収められたブラームスで、同年11月に収録された『熱情』ともども、リヒテル絶頂期の凄みが生々しく伝わってくる。

リヒテルは超人的技巧を駆使しながらもスケールの大きい、厳しい感情表現を示しており、特に両端楽章が立派だ。

ラインスドルフの指揮は極めて熱っぽく、オーケストラの華やかさも加えて、リヒテルとがっぷり四つに組んでいる。

過去にはラインスドルフ&シカゴ響とリヒテルの爆演のように言われたこともあるが、良く聴いてみるとシカゴ響はラインスドルフによって非常に良くコントロールされていて、力強いが野放図な音を出しているわけではなく、リヒテルも決して力に任せて対決するような姿勢ではない。

それぞれが個性を完全に燃焼させながらもぴったりと呼吸を合わせて、コンチェルトを聴く醍醐味を満喫させてくれるのだ。

そこには極めてスケールの大きい音楽的な構想を持ったピアニズムが展開されていて、両者の張り詰めた緊張感の中に溢れるほどのリリシズムを湛えた演奏が感動的だ。

またリヒテル壮年期の水も漏らさぬテクニックの冴えもさることながら、第3楽章を頂点として随所に現れる抒情の美しさは如何にも彼らしい。

一方ここにカップリングされたベートーヴェンのピアノ・ソナタ『熱情』は同年にニューヨークのカーネギー・ホールで録音されたもので、当初はもう1曲の『葬送』と共にリリースされた。

この2曲のソナタは2004年にXRCD化もされているが、リヒテルの凄まじい集中力と緊張感の持続が恐ろしいほど伝わってくる。

リヒテルは深々とした呼吸で熱っぽく弾きあげた、ダイナミックな根太い演奏で、全篇に溢れる強烈なファンタジーが魅力だ。

この曲の力強さと抒情性を、巧みに弾きわけていて見事で、全体に、極めてエネルギッシュな表現である。

彼自身はこの演奏を嫌って失敗作のように言っていたが、音楽的な造形からも、またその表現力の幅広さと強烈なダイナミズムからもベートーヴェンに相応しい曲作りで、本人であればともかくあらを探すような次元の演奏では決してない。

1960年にリヒテルはアメリカにおいて一連のセッション及びライヴから当地でのファースト・レコーディングを行っているが、このCDに収められている2曲もその時の音源で、リヴィング・ステレオの良質なオリジナル・マスターが今回のDSDリマスタリングによって更に洗練された音質で甦っている。

ソニー・クラシカル・オリジナルスは、古い音源を最新のテクニックでリマスターして、従来のCDとは異なった音響体験を提案している興味深いシリーズだが、何故か音源によってリマスタリングの方法が異なっている。

このCDではSACD用のDSD方式が採用されているが、同シリーズの総てのCDと同様レギュラー・フォーマット仕様でミッド・プライスで提供しているのがメリットだろう。

音質は鮮明で協奏曲ではシカゴ・オーケストラ・ホールの音響空間も自然に再現されているし、ソロ・ピアノも潤いのある艶やかな音色が特徴で、オーケストラとのバランスも理想的だ。

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2017年03月10日


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巨匠リヒテル圧巻の名演として余りにも良く知られたシューベルトのピアノ・ソナタ第21番変ロ長調は、作曲家の最後を飾る作品のひとつであり、奇しくも彼の人生の終焉を垣間見るような寂寥感がひしひしと伝わってくる。

わずか31歳で生涯を閉じたシューベルトが、このように臓腑を抉るような深淵の境地を自己の音楽に映し出すことができたのはまさに天才のなす業だが、それを直感的に悟って表現し得たリヒテルの感性と技巧も恐ろしいほどに研ぎ澄まされている。

第1、2楽章をリヒテルは実にゆったりと弾き進み、足取りは滞りがちで鉛のように重く、異常に遅いテンポだが、ほの暗く、不安な気分を強調していて、この曲のもつ微妙なニュアンスを心憎いまでに描き出している。

余韻嫋々で抒情美の極みといっても過言ではなく、その中でシューベルトが背景にくっきりと浮かびあがり、聴く者を魅了する。

第3、4楽章は快いテンポが演奏を支配し、軽快なシューベルトの世界が出現、力のあるピアニストが余裕をもって音楽する楽しみが強く感じられる演奏だ。

また第19番ハ短調ソナタの終楽章ロンドは駆け抜けるようなイタリアの舞曲タランテッラを使っていて、何とも快いリズムに乗って、緊迫した世界が醸し出され、現世の儚さの中に限りない永続性を願っているようにも聞こえる。

また第1楽章では、明と暗のコントラストを巧みに生かしつつ、実にしっかりした構成的なシューベルトを聴かせる。

これらの急速楽章は、弾き手が凡庸だと退屈に感じられるのに、優れた構成家であるリヒテルの手にかかると時間を感じさせない。

シューベルトの演奏としては、きわめてスケールの大きな表現で、剛と柔とを巧みに対比させながら、強い説得力をもっていて聴かせる。

どちらも1972年のザルツブルクにおけるセッションで、第19番は17世紀に建設されたクレスハイム城、一方第21番は19世紀に再建されたアニフ城での録音になる。

リヒテルが都会のコンサート・ホールを避けて、あえて郊外にある閑静な歴史的古城を選んでいるのは、その音響効果だけではなく演奏への霊感を高めるための手段なのかもしれない。

セッションとしての録音活動にはそれほど熱意をみせなかったリヒテルの遺した録音は、系統的に作曲家の作品群を追ったものではないが、ライヴ音源からとなると本人が承認したか否かに関わらず、彼の死後収拾がつかないほどの量のCDがリリースされている。

しかも販売元のレーベルは多様を極めていて、それぞれの音質に関しても玉石混交なのが実情だ。

その中でも録音状態の良好なものは1970年代以降のもので、マニアックなリヒテル・ファンでなければこのアルト・レーベルからの一連のCDがリヒテル円熟期の至芸を極めて良好な音質で堪能するための良い目安になるだろう。

このシリーズはセッションとライヴの両方の音源から採られているが、英オリンピア倒産以降ライセンス・リイシューとしてレジス・レーベルから再発され、廃盤になったものをアメリカのミュージカル・コンセプツ社が英国マンチェスターからアルト・レーベルとして配給しているという複雑な経緯がある。

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2017年03月08日


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ピアノ・ソナタ第13番イ長調でシューベルトはおよそソナタ形式を展開させるには不適当と思われる長い歌謡調のメロディーを主題に持って来ている。

それはベートーヴェンの小さなモチーフが曲全体を構成して堅牢な楽曲を作る方法とは明らかに異なった作法を試みたと言わざるを得ない。

シューベルトのそれは美しいメロディーが走馬燈のように移ろい再び戻ってくる。

各楽章間のつながりも一見密接さを欠いた、取り留めのない楽想の連なりにさえ感じられる。

しかしリヒテルはそのあたりを誰よりも良く心得ていて、こうした長大な作品に冗長さを全く感じさせない、恐ろしいほどの冷静沈着さと集中力を持って曲全体を完全に手中に収めてしまう。

リヒテルはもうこれ以上遅くはできないというぎりぎりのところまでテンポを落とし、しかも音色美に過剰に依存することもせず、感情表出の深い境地に静かに分け入ってゆく。

特有のカンタービレからは喜遊性を退けて、その喜びは沈潜してしまう。

こうした込み入った表現を可能にしているのは、円熟期のリヒテルの内省的な深い思考をシューベルトの音楽の中に反映させ得るテクニックの賜物に違いない。

ここではひたすらシューベルトの音楽に沈潜した大家の、年輪を経た円熟した肉声が語りかけてくる。

もともと、人知れずシューベルトをこつこつレパートリーにしてきたリヒテルだけに、その精神世界の深みが素晴らしい。

このディスクのソナタでは、決して派手ではないが、淡々とシューベルトならではのデリカシーの奥底まで案内してくれる。

特に、ピアノ・ソナタ第14番イ短調はリヒテルの唯一の録音で、彼の数々の演奏の中でも傑出している。

音の表層をなぞるだけでは決して表現し得ない世界であり、こういう演奏を聴くと、リヒテルがなぜ巨人であったかが分かろうというものだ。

即興曲第2番と第4番は、ところどころにあらわれるシューベルトならではの孤独感と哀感を、繊細に表現していて聴かせる。

ともすると平凡になってしまうこれらの小品も、リヒテルの手にかかると精神的に深い音楽となってしまうから不思議だ。

このCDに収められた4曲はいずれも1979年に行われた東京でのライヴから採られていて、会場の緊張した雰囲気がよく伝わってくる演奏で、録音状態と音質の良さでは群を抜いている。

だが版権の関係か、あるいは日本のメーカーが興味を示さなかったためか、アメリカのミュージカル・コンセプツ社が英国マンチェスターから配給しているマイナー・レーベル、アルトが細々とリリースしているのが惜しまれる。

音源は英オリンピアのライセンスだったが、同社倒産の後は英レジスが引き取り、更に廃盤となったものをアルト・レーベルから再発しているという複雑な事情がある。

しかし皮肉にもリヒテル円熟期の至芸を堪能するのにこれら一連のCDが非常に高い価値を持っていること自体、意外に知られていないのが実情だ。

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2017年03月06日


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シューベルトのピアノ・ソナタは実際にコンサートで取り上げられる機会がそれほど多くない。

中でもこの東京公演で演奏された第9番ロ長調D.575及び第11番へ短調D.625は特別なチクルスでもない限りその魅力に触れることは皆無に近い。

これらの曲は牧歌的な素朴な響きと親密な雰囲気を持っているが、いわゆる弾き映えのしない曲なのでリヒテルがこの録音を遺してくれたことは幸いという他はない。

同時代のウェーバーも歌謡調の旋律を多用したピアノ・ソナタを書いているが、彼は誰よりも劇場に生きた作曲家らしくピアニスティックな華麗な技巧を前面に出してオペラ風の起承転結を明快にしているのが対照的だ。

その点シューベルトはソナタ形式により忠実で、思索的な音楽語法に秀でている。

リヒテルのシューベルトを聴いていると時間が経つのを忘れてしまうほど、率直にその純粋な魅力に引き込まれるし、また彼がこうした野心的でない曲をレパートリーにしていたことにも興味が惹かれる。

それは彼が如何にシューベルトの音楽観に共感を得ていたかの証明でもあるだろう。

なかば忘れられようとしているシューベルトが20歳頃に書いた慎ましい2曲から、リヒテルは豊かな情趣を引き出し、音楽の楽しみを心得た人の心には何の拘りもなく素直に入り込んでくる演奏だ。

リヒテルはモンサンジョンのドキュメンタリー『謎』の中のインタビューで「シューベルトは誰も弾かないが、私自身が楽しめるものなら聴衆にもきっと楽しんでもらえる筈だ」と語っている。

例によって緩急自在に弾きわけながら、音楽の流れは自然で、しっとりとした情感に満ち、心の底深く訴えてくる。

尚第11番は第3楽章が完全に欠けた未完の作品で、バドゥラ=スコダなどによって補筆された版もあるが、リヒテルはこのソナタが作曲された1818年に単独で書き遺されていた『アダージョ変ニ長調』D.505を当てていて、作品としての問題点を感じさせる以前にある真実の表現をもった音楽となっている。

またこのCDには他に『楽興の時』D.780より第1,3,6番がカップリングされているが、リヒテルの演奏の凄さを示している。

シューベルトの小品に対し、楽しさに溢れたロマンティックなものを求めがちだが、そういう常識を覆す演奏で、リヒテルの手にかかるとシューベルトの孤独の魂、哀しみの深さがしみじみと滲み出てくる。

小品であっても、彼の眼差しは作品の底まで射抜いているかのようだ。

いずれも1979年に東京文化会館、NHKホール及び厚生年金会館ホールで催されたコンサートのライヴ録音で音質はきわめて良好。

東京でのコンサートからの一連の音源は優秀なものだが日本からはリリースされておらず、現在では外盤を調達するしかないが、このアルト・レーベルからはリヒテルのシューベルトのソナタ集だけでもライヴ、セッションを含めて既に3枚出されている。

ライセンスは総て英オリンピアが持っていたもので、同社倒産以降はレジス・レーベルが引き取り、その廃盤に当たってアメリカのミュージカル・コンセプツ社がマンチェスターからアルト・レーベルとしてリイシューしている。

このシリーズのライナー・ノーツは見開きの3ページで英語のみ。

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2017年03月04日


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巨匠リヒテルがオイロディスクに遺した1970年から83年にかけてのセッション録音をまとめたもの。

ファースト・リリース時のカップリングとオリジナル・ジャケット・デザインを採用してリマスタリングされた14枚のCDセットになる。

このために収録曲数のわりにはCDの枚数が多く、また初出音源こそないが、彼の演奏の中でも伝説的でさえあるクレスハイム宮殿でベーゼンドルファーを弾いたバッハの『平均律』全曲やシューベルト後期ソナタ2曲など、ユニヴァーサルからの51枚組には入っていないものばかりで、彼の最も充実した演奏の記録として本家からのリリースは歓迎したい。

尚個別購入の選択肢としては英オリンピア、レジスの版権を引き継いだ米ミュージカル・コンセプツ社がマンチェスターからアルト・レーベルとしてそれぞれライセンス・リイシュー盤のリリースを続けていて、ここに収録された殆んどのレパートリーをカバーしている。

また、リヒテルのセッションの中でも最高傑作との名高い『平均律』に関しては日本盤SACDも入手可能だ。

リヒテルは生涯に亘って枚挙に暇がないくらい様々なレーベルに録音を遺している。

メジャーなところではドイツ・グラモフォン、フィリップス、デッカ、RCA、コロンビア、EMI、エラート、テルデック、オイロディスクなどだ。

ロシアでは先般集大成されたボックス・セットでも明らかなようにメロディアにも膨大な音源があるし、ライヴに至っては録音嫌いだった彼が望むと望まざるとに拘らず、演奏会場には常に録音機材が持ち込まれ、収拾がつかないほどの量の音源がCD化されてきた。

このセットにはドイツ系作曲家のレパートリーを中心にショパン、ラフマニノフ、チャイコフスキーの作品が収録されていて、いずれも彼の音楽性が最高度に発揮された演奏を良好な音質で鑑賞できる。

宮殿内部で録音されたものは潤沢な残響が含まれているが、彼が都心のコンサート・ホールを避けて、敢えて郊外の閑静な歴史的宮殿を選んでいるのは、その音響効果だけでなく演奏への霊感を高めるための手段だったのかも知れない。

CD6ベートーヴェンのピアノ・ソナタ第27番とCD12ショパンのスケルツォ第1番にヒスノイズが入っているのが残念だが、おそらくマスター・テープに由来するもので敢えて除去しなかったと思われる。

追記 ノイズの入ったCDについて、こちらからコンプレインを出すまでもなく購入先のドイツjpcからノイズのない4枚のCD(6,8,10,12)が無料で送られてきた。

もしノイズ入りのCDが含まれていた場合は交換可能のようだ。

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2016年09月19日


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1960年に45歳でようやく西側諸国でのトゥルネーを許可されたリヒテルの演奏活動は、その後欧米で破竹の勢いで進められたが、このライヴでも既に円熟期に向かっていた彼の熟考された音楽作りと幅広い表現力が堪能できる。

最初のハイドンでは洗練された手際の良い軽快なソナタが実に巧妙で、彼はモーツァルトよりどちらかと言えばハイドンを得意としてレコーディングやコンサートのプログラムにしばしば取り入れたが、毎回異なった曲目を選んで演奏しているところが如何にも彼らしい。

剛毅なシューマンの2曲の『ノヴェレッテ』には彼の逞しさが、そしてショパンの『バラードト短調』のコーダのたたみかけるようなアッチェレランドにはリヒテルのオリジナリティーが明確に示されている。

またドビュッシーの『前奏曲集』で聴かせる溢れるほどのニュアンスの豊かさとピアノの音色への可能性の追究という面でも、後の巨匠のシューベルトやバッハにあらわれる音楽性を既に垣間見せていて興味深い。

ライナー・ノーツによれば、この録音はリサイタルの翌年1968年にヴォックス・ターナバウト・レーベルから2枚組のLPで登場したが、CD化に当たってオリジナル・テープは使用可能な状態ではなく、ヴォックス所蔵の第2音源から修復及びデジタル・リマスタリングされたようだ。

しかし音質は驚くほど良好で、この手のライヴ録音としては最良の状態が復元されている。

臨場感も申し分なく、リヒテルの入場、拍手、演奏、そして喝采の総ての状況がつぶさに把握できる。

またピアノのタッチも生々しく聴き取れるのが特徴だ。

リリース元のミュージカル・コンセプツ社は英マンチェスターのアルト・レーベルから一連のリヒテルの録音をリイシューしているが、この音源に関してはミュージカル・コンセプツの名称を使い、裏面にVoxのロゴをつけている。

イタリアの中部、ウンブリア州スポレートの町で開催される『2つの世界のフェスティヴァル』と題された行事は、1958年に作曲家ジャン=カルロ・メノッティによって企画されたヨーロッパとアメリカの2つの世界の芸術交流を目的とした祭典で、彼の死後も引き継がれて現在に至っている。

厳密には音楽祭ではなく、演劇やバレエ、美術などの分野からの参加も盛んで、毎年気候の良い6月から7月にかけての3週間に2つの劇場とローマ時代の野外劇場などを使って世界的な水準の演目と新しい芸術的な試みが披露される。

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2016年09月17日


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リヒテルが他界した翌年1998年に制作されたドキュメンタリーで、晩年のリヒテル自身と夫人へのインタビューを中心に、彼の貴重な映像がモンサンジョン独特の手法で繋ぎ合わされている。

作品は2部に分かれていて、合わせて154分の見ごたえある伝記映画でもある。

映像に関しては良くこれだけ集めたと思われるくらい彼の私生活から公のコンサート、またプライベートな演奏画像までがちりばめられた唯一無二の作品としての価値を持っているし、その演奏では驚くほど豊かで多彩なニュアンスを聴かせてくれる。

インタビューの中で彼は日記を読みながら回想している。

多弁な人ではなく、その言葉は朴訥としているが、歯に絹を着せない痛烈なリヒテル語録も含まれている。

例えば教師としての情熱を持つことは演奏家には致命的だ、とも語っている。

しかもそれは彼の師であったネイガウスに向けられている。

またリヒテルがピアノ・ソナタ第7番を初演したプロコフィエフを、何をしでかすか分からない危険人物と言って憚らない。

彼は当時のソヴィエト連邦のアーティストの中では最後に国外での演奏を許された人だった。

父親がドイツ人で彼が銃殺された後、母もドイツに去ったことから当局では亡命を懸念して渡航を妨げていたようだ。

しかし本人自身はアメリカ行きを嫌っていたという証言も興味深い。

また彼自身に関する数々の神話的なエピソードも概ね否定している。

キャンセル魔の汚名も已むに已まれぬ事情からそうせざるを得なかったための結果のようだ。

他の演奏家のインタビューで興味深いのはルービンシュタインやグールドなどで、彼らはリヒテルを絶賛しているにも拘らず本人はちっとも嬉しそうでない。

一方協演者との貴重な映像はブリテンと連弾をしたモーツァルト、フィッシャー=ディースカウとの歌曲や、ヴァイオリンのオイストラフ、カガン、チェロのグートマンなどとの室内楽で、今では名盤として評価されているカラヤンとのベートーヴェンのトリプル・コンチェルトについては全くひどいものだとこき下ろしている。

このモンサンジョンの作品から見えてくるリヒテルは非常に冷静に人物や物事を見極める人で、政治体制や音楽界に対しても常に超然とした精神的自由人の立場をとっていたということである。

スターリンの国葬で演奏したからといって熱烈な共産主義の信望者ではなかったし、楽壇の内情には興味を持たず、ただ出会う人の個人の姿を凝視し真実だけを見続けた。

決して威圧的な態度はとらず、むしろ穏やかだったが、自分の演奏には人一倍厳しかった。

勿論他の演奏家の優れた演奏には賞賛を惜しまなかったが、また欠点もつぶさに見抜いていた。

22歳でモスクワ音楽院に入るまで正式な音楽教育を受けていなかった彼は、一方で少年時代からオペラやバレエの伴奏ピアニストとして奔走し、支払いをジャガイモで受けたこともある人生経験での適応力から、こうした独自の哲学を持つに至ったのかも知れない。

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2016年07月31日


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1957年から65年までにリリースされたアナログ音源のLPレコード9枚を、曲目の編集を加えずにそのまま9枚のCDに復刻したもので、その結果当然容量の違いからCDではある程度余白が生じているが、リマスタリングのためかこの時代の音源の音質としては概ね良好だ。

収録曲目と録音データについては幸いこのアマゾンのページに詳細が示されているので、そちらを参考にされたい。

尚最後の2枚は1962年のイタリア・ツアーからのライヴ録音で、詳細は書かれていないが、この年の11月にリヒテルがパレルモ、ローマ、フィレンツェ、ヴェネツィアで開いたコンサートからピックアップされたもので、ライヴ特有の雑音や、聴衆の頻繁な咳払いなどがいくらか煩わしいが、いずれもリヒテルの演奏の特質がかえって良く表れた充実した内容を持っている。

バッハの『平均律』は僅か5曲しか収録されていないが、既に彼の多彩な表現力が縦横に発揮されていて、後の全曲録音にも匹敵する出色の出来だと思う。

リヒテルは基本的にライヴ演奏に賭けた人で、彼の本領もいきおいライヴで発揮されていることが多い。

採り直しやつぎはぎが可能なセッションでは本来の一貫した音楽性が失われてしまうということを彼自身充分心得ていたし、それがセッションに対する彼の懸念でもあった筈だ。

しかしそれほど多くないセッション録音の中でもこのセットには彼の壮年期を代表するものが少なくない。

例えば協奏曲ではカラヤン、ウィーン交響楽団とのチャイコフスキーもそのひとつに挙げられる。

リヒテルとカラヤンの相性はそれほど良かったとは言えないし、その原因はこの曲の録音時にアインザッツを要求したリヒテルにカラヤンが応じなかったことに発するようだが、2人の間の亀裂が決定的になったのはEMIに入れた『トリプル・コンチェルト』の時らしい。

しかしここでは両者の主張がお互いに損なわれることなく両立して華麗な効果を上げているところは高く評価したい。

またベートーヴェンのピアノ協奏曲第3番では前作の2曲に比べてドラマティックで深みのある曲想を、ザンデルリンクが手堅く再現しながら、古典派の音楽としての節度を保ってソロをサポートしている。

一方リヒテルは抑制を効かせたきめの細かいコントロールが傑出していて、第2楽章の静謐な抒情も極めて美しい。

尚『ピアノとオーケストラのためのロンド変ロ長調』はコンドラシン盤が手に入らない現在では、このザンデルリンク、ウィーン交響楽団盤が殆んどリヒテル唯一のセッションになる。

それぞれのジャケットはオリジナル・デザインのミニチュアで、裏面にも当時の解説が印刷されている。

ライナー・ノーツは32ページで、やはりオリジナルLPジャケットの写真入で、英、独、仏語の解説付。

バジェット価格ということもあり、演奏の質の高さは勿論レパートリーの豊富さでも満足のいくもので、EMIのイコンと並んでリヒテル・ファンには欠かせないコレクションになるだろう。

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2016年07月29日


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録音嫌いだったリヒテルだが、結果的には彼の生涯に亘ったセッションとライヴを合わせると皮肉にも立派なディスコグラフィーを遺すことになった。

しかも大手メーカーのドイツ・グラモフォン、フィリップス、デッカやEMIなどからリリースされたリヒテル承認済みの音源以外にもマイナー・レーベルを含めると収拾がつかなくなるほどの膨大な量の録音がCD化されているのが実情だ。

このイコン・シリーズの14枚組はコンプリート・レコーディングスと銘打ってEMIへのセッションとライヴから比較的音質に恵まれた音源を出し尽くしているところにコレクションとしての価値がある。

勿論演奏内容もいずれ劣らぬ優れた水準を示していて、巨匠のプロフィールを伝える貴重なセットと言えるだろう。

ソロではシューベルトの幻想曲『さすらい人』のバドゥラ・スコダ版やヘンデルの組曲がリヒテルの幅広い音楽性と多彩なテクニックを披露していて圧巻だ。

また彼が生涯続けたアンサンブルではボロディン四重奏団との協演になるシューベルトの『ます』がフレッシュな印象を与えて好感が持てる。

ボロディン四重奏団は時として濃厚なロマンティシズムの表出があるにしても巨匠との合わせ技は流石に巧い。

歌曲の伴奏ではここでもフィッシャー=ディースカウとのブラームスの『マゲローネのロマンス』全曲が組み込まれている。

双方ともに全盛期のセッションで、後年リヒテルはフィッシャー=ディースカウが自分の発声と発音に拘って、伴奏にさまざまな注文をつけてくるのに辟易したと回想しているが、仕上がりは非常にすっきりした物語性を伝える秀演だと思う。

協奏曲ではクライバーとのドヴォルザーク、マタチッチとのグリーグとシューマンが名演の名に恥じないものだが、最後のマゼールが振ったプロコフィエフの第5番及びユーリ・ニコライエフスキーとのベルクの室内協奏曲も現代音楽を得意としたリヒテル面目躍如の演奏だ。

問題のセッションはカラヤン、ベルリン・フィルのサポートによるベートーヴェンの『トリプル・コンチェルト』で、モンサンジョンの映画『エニグマ』のなかで彼はこの演奏についてひどいものだったと語っている。

しかし冷静に鑑賞してみるとそれほどひどい演奏とは思えず、少なくともオイストラフ、ロストロポーヴィチ、リヒテルの三者は非常に注意深く合わせているし、カラヤンの指揮も充実している。

むしろ、これだけ個性の強い4人が互いに主張し合い、協調を見出そうとしているところに価値があるのではないだろうか。

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2016年07月21日


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ムーティの明快なオーケストラに支えられてリヒテルがその円熟期の自在な表現力を発揮した演奏である。

ベートーヴェンのピアノ協奏曲第3番ハ短調ではキレの良い弦楽とメリハリを効かせたウィンド、ブラス・セクションに乗って巨匠のピアノが溢れんばかりの音楽性を披露して、聴く者を幸福感で包むような雰囲気がある。

それは腰のすわった堂々たるもので、音楽に没入して自ら楽しみながら曲を展開してゆくその姿勢には、リヒテルならではの貫禄がにじみ出ている。

第2楽章ラルゴは節度のあるカンタービレの中に表出される両者の抒情が極めて美しい。

急速楽章でのそれぞれのカデンツァは作曲家自身のものを採用している。

一方モーツァルトのピアノ協奏曲第22番変ホ長調での彼らの表現は至って軽快で屈託の無い明るい響きを持っているが、曲想を恣意的にいじり過ぎない格調の高さが感じられる。

リヒテルのモーツァルトは、通常の解釈とは趣が異なったもので、それは感覚を魅了することはないが、厳しい精神に裏づけられた意志的な音楽を引き出している。

ふたつのカデンツァはベンジャミン・ブリテンの手になるもので、かなり斬新な印象を与える。

リヒテルは1960年代にブリテンとモーツァルトのピアノ連弾作品でも録音を遺しているので、古典派の作品を現代に活かすというという意味で共感を得ていたのかも知れない。

ムーティは原典主義を貫いていたが、協奏曲のカデンツァに関しては躊躇なく新しいものを認めていた。

その最もラディカルな例がギドン・クレーメルとのパガニーニのヴァイオリン協奏曲集でのクレーメル自身の即興的な超絶カデンツァだろう。

尚オーケストラはどちらもフィルハーモニア管弦楽団で、ムーティが首席指揮者に就任して間もない頃のセッションになるが、既にムーティ流に統制された流麗な歌心とダイナミックな音響が特徴だ。

リヒテルがムーティと初めて協演したのは1972年のザルツブルク音楽祭でのシューマンのピアノ協奏曲で、オーケストラはウィーン・フィルだった。

その時のライヴ録音はオルフェオ・レーベルからリリースされているが、ムーティは前年にカラヤンの紹介で同音楽祭に30歳でデビューを飾ったばかりで、ほぼ同年代のイタリア人指揮者としてはアバドに続いて国際的な演奏活動を始めた直後の意気揚々としたフレッシュな感性が伝わって来る演奏だ。

その後リヒテルとムーティは2回に亘ってロンドンのEMIアビー・ロード・スタジオでセッションを行った。

それがこのCD1曲目の1977年のベートーヴェンのピアノ協奏曲第3番と2曲目の1979年のモーツァルトの同第22番になる。

音質はこの時期のEMIとしては意外に良く、鮮明で臨場感にも不足しておらず、これは、リヒテルの芸術を味わうには格好の1枚だ。

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2015年09月11日


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リヒテルは幸いロシアのヴィオラ奏者、ユーリ・バシュメットとこのソナタ集を遺してくれた。

このCDに収められているのはヒンデミットの『ヴィオラ・ソナタヘ長調』Op.11-No.4、ブリテンのヴィオラとピアノのための『ラクリメ』Op.48及びショスタコーヴィチの『ヴィオラ・ソナタ』Op.147の3曲で、いずれも1985年3月6日から8日にかけて行われたフライブルクでのコンサートからのライヴ録音になる。

ここでは勿論名手バシュメットの理知的で精緻なヴィオラが白眉だが、ヒンデミットのソナタでは意外なほどヴィオラを歌わせるように作曲されていて、それとは対照的に広い音域を駆使した非常に技巧的で華麗なピアノ・パートをリヒテルが巧妙に支えているのが聴き所だ。

一方ブリテンの曲は『ダウランドの歌曲の投影』という副題付だが、ダブル・ストップ、フラジオレット、トレモロやピチカートなどの弦楽器特有のテクニックがフルに使われた一種のファンタジーで、バシュメットの高度な表現力が張り詰める緊張感の中で活かされている。

またショスタコーヴィチでもヴィオラ特有の暗く奥深い響きと両者の集中力が、ドラマティックで不気味な曲想をいやがうえにも高めている。

沈潜した両楽章に挟まれた第2楽章の民族舞踏を思わせるアレグレットは、全曲中最も激しく情熱的な死の舞踏を想起させる。

ヴィオラはその音色の性質と音域から、普段はオーケストラの内声に入って和声を支える役目を負わされ、ソロ楽器としては滅多に扱われることがないが、バシュメットの手腕によってその芸術性を再認識させられるのがこのソナタ集だ。

彼らの協演したコンサートでは、この他にシューマンのピアノとヴィオラのための4つの『お伽の絵本』のモスクワ・ライヴがドレミ・レーベルからリリースされているし、バシュメットが指揮者にまわったテルデックからの協奏曲集もある。

リヒテルのアンサンブルへの参加は他のピアニストに比較して決して少なくない。

一流どころのピアニストが歌曲や他のソロ楽器のための伴奏にまわること自体、彼らのコンサートの習慣からしても、あるいは主催者側のスケジュールの調整や費用の面からしても、それほど簡単でないことが想像される。

しかしリヒテルはロストロポーヴィチとのチェロ・ソナタ集に代表されるように若い頃から伴奏や連弾、あるいは弦楽アンサンブルとの協演を盛んに手がけている。

彼のこうした情熱を考えると、広い視野を持ってさまざまなジャンルに取り組んだオールマイティな音楽観が、逆に純粋なピアノ曲にも反映されていると言えるだろう。

それがリヒテルの音楽を包容力に富んだ懐の深いものにしている理由のように思われる。

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2015年08月25日


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前にも書いたことだが、このプラガ・ディジタルスのSACDシリーズは玉石混交で、リリースされている総てのディスクを手放しでお薦めするわけにはいかない。

勿論リヒテルの演奏自体については溢れるほどの音楽性とヴィルトゥオジティのバランスが絶妙だった1950年代壮年期のライヴでもあり、彼のかけがえのない記録であることに異論を挟むつもりはない。

リヒテル十八番のシューマン3篇で、当時の彼は「鉄のカーテン」で隠され、幻のピアニストとして西側音楽界の伝説となっていたが、この凄さは今日でも驚嘆のレベルにある。

しかし録音自体の質とブロードキャスト・マスターテープの保存状態が悪く、細かい音の揺れやフォルテで演奏する時には再生し切れない音割れが生じている。

それ故、この音源をあえてSACD化する必然性があったかどうかというと首を傾げざるを得ない。

それでもあえてここに採り上げたのは、幸い最後の『ウィーンの謝肉祭の道化』が唯一まともな音質を保っているからで、結局いくら歴史的な名演奏でもオリジナルの音源自体に問題があれば、たとえSACDとしてリニューアルしても、驚くような奇跡の蘇生を期待することはできない。

むしろより安価なレギュラーのリマスターCDで充分という気がする。

『交響的練習曲』は1953年12月12日のプラハ於けるライヴのようで、リヒテルの集中力とダイナミズムの多様さ、そして途切れることのない緊張感の持続が素晴らしい。

この演奏で彼は遺作のヴァリエーション5曲を第4変奏と第5変奏の間に挿入している。

主題の深く沈んだ表情から、あたかも物語を語り紡ぐように各変奏を描いていく様、センチメンタリズムのみじんもない男のロマン、激しい部分での炎のようなエネルギーいずれも巨人な名にふさわしい芸術で、哲学的とも言える抒情の表出も秀逸だ。

ただし何故かエチュード8,9,10番が抜けている。

理由は不明だが、この作品の出版に由来する曲の構成上の問題から、本人が当日演奏しなかったことが予想される。

また1959年11月2日のプラハ・ライヴの『幻想曲ハ長調』は、覇気に貫かれた名人芸が聴きどころだが、音質の劣悪さが惜しまれてならない。

この曲も数種類の異なったソースが残されていて、中でもデッカのザ・マスター・シリーズ第7巻には1979年のフィリップスへの良質なライヴ音源が収録されている。

3曲目の録音データ不詳『ウィーンの謝肉祭の道化』で、リヒテルはこの曲のタイトルからイメージされる諧謔的な表現には目もくれず、むしろピアノのためのソナタとしての構成をしっかりと捉え、シューマン特有の凝縮されたピアノ音楽のエッセンスを抜き出したような普遍的な価値を強調しているように思う。

演奏は冴えに冴え、長い第1楽章も一気に聴かせてしまうだけでなく、第2楽章ロマンツェの情感とピアノの音色は人間業と思えぬ、まさに奇跡、驚異の演奏がリアルに蘇り、リヒテルのシューマンを再認識させてくれる。

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2015年08月14日


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リヒテルのプラハにおけるライヴからのベートーヴェンの作品集の第1巻にあたる。

ただし順不同で刊行しているために、既に第3巻の『ディアベッリ変奏曲』がリリースされていて、このCDにやや遅れて第2巻も出された。

今回はいずれも後期のソナタで、第27番ホ短調Op.90が1965年、第28番イ長調Op.101が86年、そして最後に置かれた第29番変ロ長調Op.106『ハンマークラヴィーア』が75年のそれぞれのライヴから録音されている。

これらは生前リヒテル自身からリリースの承認を受けたそれほど多くない音源で、このシリーズのベートーヴェン以外の曲目も含めて総てDSDリマスタリングを施したSACD盤のリミテッド・エディションになる

このCDを聴いての第一印象は、先ず音質の瑞々しいことだ。

ピアノの音色に特有の透明感と光沢が備わっていて、一昔前のリヒテルのライヴのイメージを完全に払拭してくれたことを評価したい。

ライヴでその本領を発揮したリヒテルを聴くためには欠かせないコレクションのひとつになるだろう。

一流どころのピアニストの中でもリヒテルは、同じ曲目を弾いてもコンサートごとに曲の解釈が大きく変化する可能性を持った人だった。

それは彼が自分のレパートリーに対して、決して固定的な観念を抱いていた訳ではなく、その都度リフレッシュさせて常に装い新たな形で演奏に臨んでいたためだと思われるが、このあたりにも彼の音楽的に柔軟な創造性が感じられる。

例えば第27番の冒頭のテンポを落とした武骨な開始は、第2楽章の慈しむような美しいカンタービレを心憎いほど活かしている。

しかしこの曲集の中での白眉は第29番『ハンマークラヴィーア』だ。

この稀有な構想を持った作品を前にして、彼は虚心坦懐に臨んでおり、それは一途でひたむきな情熱が天翔るような演奏だ。

クライマックスは第1楽章から丹念に準備され、終楽章の迸り出るような二重フーガに見事に結実している。

その壮大な旅のような音楽は、リヒテルがベートーヴェンの楽譜から読み取ったメッセージであるに違いない。

ライナー・ノーツは英、仏の2ヶ国語で11ページほどの簡易なものだが、録音データに関しては他のリヒテルのライヴ音源と違って充分信頼できるものだ。

このシリーズではこれから新音源が発見されることは期待できないが、リニューアルの形でこれまでに都合9枚がリリースされていて、今後他の曲のSACD化も期待される。

勿論SACD用のプレーヤーで鑑賞するのが理想的だが、ハイブリッド仕様なので互換機がなくても再生可能。

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2015年08月11日


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このCDの音源はリヒテル・アメリカ・デビュー盤のひとつとしてLP時代から評価の高いものだった。

過去にはラインスドルフ&シカゴ響とリヒテルの爆演のように言われたこともあるが、良く聴いてみるとシカゴ響はラインスドルフによって非常に良くコントロールされていて、力強いが野放図な音を出しているわけではなく、リヒテルも決して力に任せて対決するような姿勢ではない。

そこには極めてスケールの大きい音楽的な構想を持ったピアニズムが展開されていて、両者の張り詰めた緊張感の中に溢れるほどのリリシズムを湛えた演奏が感動的だ。

またリヒテル壮年期の水も漏らさぬテクニックの冴えもさることながら、第3楽章を頂点として随所にあらわれる抒情の美しさが如何にもリヒテルらしい。

一方ここにカップリングされたベートーヴェンのピアノ・ソナタ『熱情』は同年にニューヨークのカーネギー・ホールで録音されたもので、当初はもう1曲の『葬送』と共にリリースされた。

この2曲のソナタは2004年にXRCD化もされているが、リヒテルの凄まじい集中力と緊張感の持続が恐ろしいほど伝わってくる。

彼自身はこの演奏を嫌って失敗作のように言っていたが、音楽的な造形からも、またその表現力の幅広さと強烈なダイナミズムからもベートーヴェンに相応しい曲作りで、本人ならともかく、あらを探すような次元の演奏ではないと思う。

1960年にリヒテルはアメリカにおいて一連のセッション及びライヴから当地でのファースト・レコーディングを行っているが、このCDに収められている2曲もその時の音源で、リヴィング・ステレオの良質なマスターが今回のDSDリマスタリングによって更に洗練された音質で蘇っている。

ソニー・クラシカル・オリジナルスは古い音源を最新の技術でリマスターして、それまでのCDとは異なった音響体験を提案している興味深いシリーズだが、何故か音源によってリマスタリングの方法が違う。

このCDではSACD用のDSD方式が採用されているが、同シリーズの総てのCDと同様レギュラーのCDに収めてあり、ミドル・プライスで提供しているのがメリットだ。

音質は鮮明で協奏曲ではシカゴ・オーケストラ・ホールの音響空間もよく再現されている。

またピアノも潤いのある自然で艶やかな音色が特徴で、オーケストラとのバランスも理想的だ。

尚ライナー・ノーツは10ページほどでLP初出時のオリジナルの解説が英、独、仏語で掲載されている。

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2015年08月08日


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リヒテルはその晩年までヨーロッパ各地の音楽祭に招かれて盛んな演奏活動を行ったが、会場には殆んど例外なく録音機材が持ち込まれ、彼が望むか否かに拘らずメディア化されることになった。

この音源は1994年5月15日の南ドイツ・シュヴェツィンゲン音楽祭での一晩のリサイタルを収録したもので、ロココ劇場のライヴだが客席の雑音や拍手は一切なく、当初から放送用に使う計画があったようだ。

この頃のリヒテルは聴覚に変調をきたし、コンサートでは照明を落とし楽譜を前にしながらピアノを弾くようになった。

リヒテルは聴衆の注意が演奏者ではなく、音楽そのものに向けられるように仕向けたと語っている。

当日のプログラムはグリーグの『抒情小曲集』から「感謝」「スケルツォ」「小さな妖精」「森の静けさ」の4曲、フランクの『プレリュード、コラールとフーガ』、ラヴェルの『優雅で感傷的なワルツ』及び『鏡』で、リヒテル79歳の枯淡の境地と特有の神秘的な翳に包まれた演奏を披露しているのが興味深い。

さすがにかつての覇気はなくなり表現はより静謐だが、リヒテルが円熟期になってレパートリーに取り入れたグリーグの『抒情小曲集』は大自然の営みやぬくもりを感じさせるロマンティシズムが印象的だし、フランクは沈潜した内省的な音楽に仕上がっている。

確かにラヴェルの『鏡』から「道化師の朝の歌」では往年のめくるめくようなピアニズムは望めないしテクニックの衰えも否定できないが、「蛾」や「鐘の谷」で聴かせるファンタジーは巧みなものだし『優雅で感傷的なワルツ』での哲学的とも言える骨太な構成力はリヒテルならではの仕上がりだ。

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2015年07月20日


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ヘンスラー・クラシックスからリリースされているシュヴェツィンゲン音楽祭の一連のライヴ音源のひとつで、リヒテルが1993年5月30日に同邸内のロココ劇場で演奏した一晩のコンサートのプログラムが収録されている。

曲目はサン=サーンスのピアノ協奏曲第5番ヘ長調『エジプト風』及びガーシュウィンのピアノ協奏曲ヘ長調で、後者は初出ではないがリヒテルの演目としては唯一の音源のようだ。

ライナー・ノーツにも書かれているが、旧ソヴィエト時代には自国でこうした曲目を演奏する可能性はまだ閉ざされていたにも拘らず、リヒテル自身は気に入って秘かにレパートリーに加えていたことが想像される。

どちらもクリストフ・エッシェンバッハ指揮、シュトゥットガルト放送管弦楽団のサポートによる、リヒテル最晩年の演奏活動を知る上でも貴重なライヴで、当時彼が78歳だったことを考えれば、その衰えない情熱と意欲には敬服せざるを得ない。

しかもリヒテルはセッションではなく、あくまでもライヴで勝負するというポリシーを生涯貫いたピアニストでもあった。

サン=サーンスでは色彩感豊かな音響作りに工夫が凝らしてあって、中でも第2楽章のオリエンタルで神秘的な表現は巨匠リヒテルとしても異色な趣きを醸し出している。

また随所に使われている超テクニカルなパッセージも曲想の中に自然に処理されていて、技巧誇示にならないのは流石だ。

エッシェンバッハのきめ細かい指示も活かされているが、一方ガーシュウィンの方はそれがかえって裏目に出て、オーケストラがいくらか杓子定規で乗りの悪いものになっているのも事実だ。

例えば第2楽章でのミュート・トランペットのソロは抑え過ぎで、もう少し開放感があっても良いと思う。

リヒテルも全体的にテンポをかなり落としているが、マイペースで演奏を楽しんでいる雰囲気が伝わってくるのが微笑ましい。

どちらもライヴ特有の雑音や拍手はなく音質は極めて良好。

ちなみにサン=サーンスの同曲については、リヒテルが1950年代初めにキリル・コンドラシンと協演した覇気に満ちた演奏もメロディアからの5枚組で入手可能だが、音質に関しては多くを望めない。

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2015年07月13日


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スヴャトスラフ・リヒテルこそはまさしく巨星であった。

豪快なピアニズムと本物のデリカシーを持ったリヒテルは真の音楽家であったし、変に指揮などに色気を出さなかったところも賢明だった。

このセットで改めてその凄さに圧倒された。

この大ピアニストの演奏は「上手い」とか感じる前に「素晴らしい音楽」だと思わせるものがある。

数々の「伝説」による虚像もあるかも知れないが、そのような雑音を振り払って虚心に聴けば、その凄さはまっすぐ心に飛び込んでくる。

リヒテルはそのキャリアをライヴ演奏に賭けたピアニストだったこともあり、正式なセッションはそれほど多くなく、この33枚のCDセットでもかなりの割合がライヴ・レコーディングで占められている。

それでもさすがに録音技術で鎬を削っていたかつてのヨーロッパの御三家だけあって、いずれも概ね鮮明で良好な音質が再現されているのは幸いだ。

内容はフィリップスの『ザ・オーソライズド・レコーディングス』、デッカの『ザ・マスター』『ハイドン・ソナタ集』そしてドイツ・グラモフォンのリヒテルの総てのアルバムからピアノ・ソロのための作品をピックアップしたもので、協奏曲や連弾または他の楽器とのアンサンブル、あるいは歌曲の伴奏などは含まれていない。

初出の音源はひとつもないが、この3社のレーベルのCDの中にはリミテッド・エディションなどの理由で既に入手しにくいものや、プレミアム価格で取引されているものもあるので、今回のユニヴァーサル・イタリーによる集大成廉価盤化の企画は歓迎したい。

リヒテルは1人の作曲家の作品を系統的に網羅することや、売れ筋の曲目を弾くことになんら興味を示さなかったために、このセットには入っていないバッハの『平均律』全曲を例外にして、同一曲種の全曲録音は殆んど皆無に近い。

ライヴを重視したのは演奏の一回性への尊重と、採り直しによる集中力の散漫や技術的な編集による一貫性の欠如を嫌ったからで、ここにもリヒテルの芸術家としての確固たるポリシーが表れている。

しかしそのレパートリーは意外に広く、円熟期に入ってからも常に新しい曲目を開拓していたために彼のコンサートのプログラムはバラエティーに富んだものだった。

またこれまでに彼の演奏をリリースしたレーベルの数とそのメディアの量はプライベート的なものも含めると、全く収拾がつかなくなるほど氾濫している。

それは彼の演奏会には本人が望むか否かに拘らず、必ずと言っていいほど録音機材が持ち込まれていたからだ。

勿論ここに含まれないチャイコフスキーの小品集やグリーグの『抒情小曲集』などにもリヒテルがその名を馳せた超絶技巧とは対照的なリリカルな感性が聴き逃せないが、巨匠リヒテルを象徴するようなピアノの独奏曲はこの33枚に集約されていると言っても良いだろう。

新しいリマスタリングの表示はないので、これまで以上の音質の向上は期待していなかったが、例えばこの中では最も古い1956年のシューマン作品集(CD25)では、モノラル録音によるセッションではあるが、極めて良好な音質が得られている。

それに反して1958年に行われたブルガリアでのソフィア・リサイタル(CD33)は、客席の雑音とは別に、マスター・テープの劣化と思われるノイズが全体に聞こえる。

いずれにしても鑑賞にはそれほど煩わしさがないことも付け加えておく。

ライナー・ノーツは33ページで曲目一覧の他に英、伊語によるコメントと録音データが掲載されている。

データに関してはやや混乱をきたしていて正確さを欠いているが、リヒテルの場合膨大な数に上るライヴ音源に関してはどのレーベルにも起きていることで大目に見る必要がある。

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2015年07月12日


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ザルツブルク音楽祭での収録年の異なるふたつのコンサートより、キャリア駆け出しのムーティがウィーン・フィルを指揮した演奏内容を編んだアルバム。

リッカルド・ムーティのザルツブルク音楽祭でのライヴから3曲を収めたCDで、前半の2曲が1972年8月17日に同地のグローセス・フェストシュピールハウスで演奏されたロッシーニのオペラ『セミラーミデ』序曲及びシューマンの『ピアノ協奏曲イ短調』で、ソリストにはスヴャトスラフ・リヒテルを迎えている。

後半は1974年7月27日にクライネス・フェストシュピールハウスでのモーツァルトの『協奏交響曲変ホ長調』で、ソロ・ヴァイオリンに当時のウィーン・フィルのコンサート・マスターだったゲルハルト・ヘッツェル、ソロ・ヴィオラには同首席奏者ルドルフ・シュトレングをそれぞれ配している。

ムーティのザルツブルク・デビューは1971年にカラヤンから招待された時で弱冠30歳だった。

このライヴはその翌年のもので、プログラミングの上でも既にムーティのストラテジーが良く表れている。

ムーティはコンサートの冒頭にしばしばイタリア・オペラの序曲を持ってくる。

しかもウィーン・フィルのようなオーケストラでロッシーニのクレッシェンドを思う存分聴かされた聴衆の精神状態は、いやがうえにも高揚してくる。

こうしたオーケストラのウォーミング・アップと聴き手の感覚を呼び覚ますファンファーレを兼ねた効果的な選曲がここでも功を奏している。

シューマンでは鉄拳のように振り下ろされるリヒテルの打鍵が、ムーティの指揮する毅然としたウィーン・フィルの上に冬の月光さながらに冴えた演奏で、リヒテルのソロは時として近寄り難い孤高の峻厳ささえ感じさせるが、ムーティはそれを包み込むだけの熱い情熱と巧みな采配で、リヒテル自身も次第に勢いに乗ってくる様子が興味深い。

第2楽章での弦楽器を引き立たせるカンタービレや、終楽章のソロとの堂々たる受け応えは若かったムーティの奮闘振りを示している。

かたや巨匠リヒテル、また一方ではうるさ型のプレーヤーが揃っているウィーン・フィルという二者をまとめあげ、両者の能力を活かしてみせた力量は流石だ。

モーツァルトでソリストを務めるヘッツェルは少年時代からヴォルフガング・シュナイダーハンに師事してウィーン流の奏法を会得した、まさにウィーン・フィルの顔だったが、先輩のシュトレングと組んだ『協奏交響曲』での線は細いが軽やかで典雅なロココ風の趣は、替え難い美しさを持っている。

ここではムーティ得意のイタリア風の明るく伸びやかなモーツァルトを心掛けていて穏やかな幸福感を感じさせてくれる。

尚ライナー・ノーツは29ページで独、英語による比較的充実したエピソードが掲載されているが、後半部はオルフェオ・レーベルのザルツブルク音楽祭ライヴCDのカタログになっている。

録音状態はこの手のライヴとしては良好なステレオ録音で、いくらかこもった感じの音質はボリュームを上げることによってかなり改善される。

またテープの劣化が原因と思われる若干の音揺れが聞かれるが大勢には影響ない。

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2015年07月11日


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リヒテルが45歳でアメリカ・デビューを飾った1960年のニューヨーク・カーネギー・ホールでのリサイタルで、会場に集まった聴衆の熱気が曲を追うごとに次第に高まってくる生々しいライヴだ。

特にプロコフィエフのソナタ以降アンコールにかけては、リヒテルのピアニズムが完全に聴衆の心を捉えて離さない状況をまのあたりに伝えている。

当時のアメリカではまだ伝説的にしか伝えられていなかったリヒテルの演奏に対する期待がいやがうえにも高まっていたことは想像に難くない。

その期待に応えるかのように同年10月から始まった演奏旅行でリヒテルはたちまち大陸を席巻し、堂々たる凱旋を飾っている。

カーネギー・ホールでは10月と12月に都合7晩のコンサートを開いていて、そのうち最初の5日間の全容を収めた6枚のCDセットがドレミ・レーベルからリリースされているが、音質がいまひとつのモノラル録音であるのに対して、このRCAの2枚組は12月26日の全プログラムと2日後のニュー・ジャージー州、ニュー・アークのモスク・シアターでのアンコールの数曲を加えたもので、想像以上に音が良く、しかもれっきとしたステレオ録音で臨場感にも不足していない。

欲を言えば、かなり至近距離から採音したためかピアノの響きがデッドでホールの残響が殆んど感じられないことと、高音のフォルテが再生しきれない弱点がなきにしもあらずだ。

例えばラフマニノフやラヴェルにはもう少し瑞々しい余韻があれば理想的なのだが、音質自体は俄然鮮明でこの時代のライヴ物としては優秀なサンプルのひとつだろう。

当日のプログラムはハイドンのソナタから始まるが、半分は現代ロシアのピアノ曲で組んでいるところが特徴的だ。

それはリヒテルにとって自国の作曲家の作品に対する自負でもあった筈だ。

プロコフィエフとも個人的に親交を持っていた彼は、ピアノ・ソナタ第7番を初演しているが、この日に演奏された第6番の鉄杭を大地に打ち込むような強靭な打鍵に貫かれた第1楽章冒頭のテーマがこの曲に強烈なイメージを与えている。

尚トラック16からはモスク・シアターでのアンコール集で、ここでもプロコフィエフの『束の間の幻影』からの抜粋を中心にコンサートを締めくくっている。

リヒテルは5年後の1965年に再びカーネギー・ホールに戻っているが、こちらもドレミ・レーベルから2枚組でS.RICHTER Archives no.15として市販されている。

ドイツ人だった父親がソヴィエト当局に対する命令不服従の罪で銃殺されてから、母親がドイツに去っていたために、リヒテルの亡命を危惧した当局によって彼の西側への渡航が妨げられていた。

戦後、特にアメリカの興行主からの強い招聘があったにも拘らず、病気を理由に彼の渡米は1960年まで実現しなかった。

しかしリヒテル自身の証言によれば、彼はアメリカ行きには消極的で、決して満を持した公演ではなかったようだ。

また当地では常に当局の諜報員に尾行されていたという。

しかしこの2ヵ月の大陸横断旅行が大成功に終わり、翌年からはロンドンやパリでのコンサート活動が始まって、それまで西側諸国では幻のピアニストだったリヒテルへの評価が絶対的なものになったのも事実だ。

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2015年05月14日


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本盤に収められたブラームスのピアノ協奏曲第2番、そして、ベートーヴェンのピアノ・ソナタの第23番「熱情」は、東西冷戦の真っ只中であった時代、当時の鉄のカーテンの向こう側からやってきた壮年期のリヒテルによる記念碑的な名演だ。

協奏曲、ソナタともに、リヒテル最初のアメリカ・ツアーの折の録音で、その雄弁な表現に圧倒されてしまう。

リヒテルは、偉大なピアニストであったが、同時代に活躍していた世界的な大ピアニストとは異なり、全集を好んで録音したピアニストではなかった。

こうした事実は、これだけの実績のあるピアニストにしては大変珍しいとも言えるし、我々クラシック音楽ファンとしてはいささか残念であるとも言えるところである。

したがって、リヒテルが特定の作曲家のピアノ協奏曲全集やピアノ・ソナタ全集を録音したという記録はない。

ブラームスのピアノ協奏曲について言えば、スタジオ録音としては、単発的に、本盤の第2番などを録音し、後年にマゼールと再録音が遺されているが、他の諸曲についてはライヴ録音が何点か遺されているのみである。

ベートーヴェンのピアノ・ソナタについても同様であり、こうしたことは、リヒテルがいかに楽曲に対する理解と確信を得ない限り、録音をしようとしないという芸術家としての真摯な姿勢の証左とも言えるのではないだろうか。

それだけに、本盤に収められた各曲の演奏は、貴重な記録であると同時に、リヒテルが自信を持って世に送り出した会心の名演奏とも言えるところだ。

ブラームスのピアノ協奏曲第2番にしても、ベートーヴェンのピアノ・ソナタ第23番「熱情」にしても、リヒテルは、超絶的な技巧は当然のことながら、演奏全体のスケールの雄大さ、各フレーズに込められたニュアンスの豊かさ、そして表現の彫りの深さなど、どれをとっても非の打ちどころのない演奏を展開している。

人間業とは思えないような強靭な打鍵から繊細な抒情に至るまで表現の幅広さは桁外れであり、十分に個性的な表現を駆使していると言えるが、それでいて、そうした表現があくまでも自然体の中で行われており、芝居がかったところがいささかも見られない。

要は、恣意的な解釈が聴かれないということであり、ブラームスやベートーヴェンへの深い愛着と敬意以外には私心というものが感じられないのが見事である。

個性の発揮とスコア・リーディングの厳格さという二律背反する要素を両立させている点に、本演奏の凄みがあるとも言えるだろう。

とりわけ、ピアノ・ソナタ「熱情」におけるピアノが壊れてしまうと思われるような強靭な打鍵から繊細な抒情に至るまでのダイナミックレンジの幅広さには出色のものがあり、終楽章終結部の猛烈なアッチェレランドはもはや人間業とは思えないほどの凄みのある演奏に仕上がっていると高く評価したい。

またブラームスのピアノ協奏曲第2番では、オケとともに凄まじい迫力がその演奏にもたらされており、刺激的なものとなっている。

また、同曲に込められたブラームスの枯淡の境地とも言うべき美しい旋律の数々を、格調の高さを損なうことなく情感豊かに歌い抜いているのも素晴らしい。

そして、演奏全体のスケールの雄大さは、ロシアの悠久の大地を思わせるような威容を誇っていると言えるところであり、これぞまさしくリヒテルの本演奏におけるピアニズムの最大の美質と言っても過言ではあるまい。

バックをつとめているのはラインスドルフ&シカゴ交響楽団であるが、さすがにここでもドイツ風の重厚な演奏を行っており、リヒテルによる凄みのあるピアノ演奏のバックとして、最高のパフォーマンスを示していると高く評価したい。

リヒテルの再録音、即ちマゼールと共演したものもあるが、間延びしていて、ラインスドルフとの共演よりも集中力が保持できていないもどかしさを感じさせるところであり、それに対しこの旧盤は一気呵成に終楽章まで聴かせ、燃焼度も高く、オーケストラと一体となってブラームスの世界を紡ぎ出している。

いずれにしても、本盤に収められた各演奏は、リヒテルのピアニストとしての偉大さを十二分に窺い知ることが可能な圧倒的な超名演と高く評価したいと考える。

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2015年03月21日


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リヒテルのアメリカへのセンセーショナルなデビューの翌年に収録された記念碑的な録音で、今でも当時の聴き手に与えた衝撃が色褪せずに伝わってくる、彼の演奏を語る上で欠かすことのできない1枚。

まさにリヒテル壮年期の名盤で、ベートーヴェンとシューマンの名作を緊密な構築力と劇的なダイナミズムを駆使して描き切っており、深い幻想性も湛え、今日でもベストに推される演奏内容だ。

両曲とも元の音楽のすばらしさに加えて、名人リヒテルの演奏によって、聴き手に届けられる音楽は一層の魅力と輝きを与えられた典型的な例の1つであろう。

ピアノの強弱の幅の広さ、スピードの変化の妙、間の取り方の絶妙さは音楽の感動表現に100%奉仕している。

聴いていて、演奏者の作為をまったく感じさせず、作曲家とリスナーとが対面しているような錯覚を覚える。

ベートーヴェンという作曲家は不思議な作曲家だと痛感させられるところであり、完全にロマン派に入ってしまいそうな曲だ。

また、シューマンの幻想曲はほの暗い世界の中で、夢と苦悩が無限の幅で交錯する世界を見事に描いている傑作で、リヒテルにはその能力を発揮するのに恰好の題材と思える。

ベートーヴェンのピアノ・ソナタ第17番「テンペスト」は、他にも優れた名演が数多くあり、本盤がベストとは言い難いが、それでも演奏内容の水準は高い。

ベートーヴェンに相応しい強靭な打鍵と重量感は、この時代のリヒテルならではのものであり、それでいて、第2楽章の抒情の美しさにも出色のものがある。

この「テンペスト」は何か超越した領域にある演奏であることは間違いなく、リヒテルの奏でるピアニッシモは他の演奏家とは違う神秘的な音色である。

ギレリスやアラウの「テンペスト」も大変魅力的であるが、この演奏は単に「感動」だけでは語れない超越的で神秘的なものを感じてしまう。

まさに奇跡的な演奏であり、筆者も相当数聴いている方ではあるが、こんな演奏は聴いたことがない。

終始息を潜めて聴かなければならないほどの高い緊張感に包まれた神秘的な演奏であり、これほど神秘的な、精妙な響きを作り出せるピアニストはリヒテル以外にこれまでも、これからも現れないであろう。

このように「テンペスト」がメインのアルバムではあるが、筆者としては、むしろ、シューマンの幻想曲の方を高く評価したい。

それどころか、本盤のリヒテルの演奏は、シューマンの幻想曲の過去の様々な名演の中でもトップの座を争う超名演と高く評価したい。

絶妙なバランス感覚による演奏であるが、バランスではないのかも知れない。

リヒテルにとっては全てが必然のもとに演奏されているのであろう、きっと。

そして、この演奏の特徴の1つは、壮大なスケール感であろう。

とにかく、音楽全体の構えが実に大きい。

シューマンの演奏に際しては、ライナー・ノーツの解説にもあるようなファンタジーの飛翔が要求されるが、本盤のリヒテルのような気宇壮大な演奏だと、それだけでファンタジーにも溢れる名演に向けた大きなアドバンテージを得ることになる。

壮年期のリヒテルならではの力強い打鍵と生命力も健在であり、各楽章の描き分けも卓抜としたものがある。

まさに、すべての要素を兼ね備えた至高の超名演と言える。

リヒテルは緩急の変化により劇的効果を生み出すピアニストと言えるが、ここでのシューマンはその特長が生かされていて、とてもロマンティックな旋律を生み出している。

リヒテルの演奏を語る上で欠かすことのできない1枚と言えるだろう。

SACD化によって、音場が拡がるとともに、音質に鮮明さを増した点も評価したい。

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2015年02月25日


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卓越した構成力と驚異的な集中力、巨匠リヒテル壮年期の名盤。

発売当初から名盤として広く評価されてきたもので、この演奏を聴きながら、本物のリヒテルってどんな演奏なんだろう、と心を躍らせたものだった。

前へ前へと進むダイナミックな推進力にあふれたさすらい人幻想曲、シューベルトの音楽のロマンが美しく歌われてゆくピアノ・ソナタ第13番、いずれもリヒテルのピアノは聴き応えがある。

さすらい人幻想曲の名演についてはもう何も言う必要はなく、仏ACCディスク大賞受賞したもので、この曲の代表的な録音のひとつ。

シューベルトの名作2曲をリヒテルは卓越した構成力と驚異的な集中力で弾き切っている。

ともに緊迫感が漲り、スケール雄大な中にも豊かな情感を漂わせた名演で、録音以来40余年を経た今日でもベストに推される素晴らしい名盤である。

奥深いロマンティシズムに彩られたシューベルトだが、晩年の演奏より強い緊張感がある。

何よりも素晴らしいのは、壮年期のリヒテルの表現力の幅の広さであろう。

強靭な打鍵から、シューベルト特有の寂寥感溢れる繊細な抒情に至るまで、思い切った強弱や、テンポ設定の変化を駆使して、見事な演奏を成し遂げている。

これだけの様々な技巧を駆使しながらも、音楽がいささかも小さくはならず、スケールの雄大さを損なうことがないのは驚異的ですらある。

特に、ピアノソナタ第13番イ長調は、最晩年の傑作ピアノソナタである第20番と比較して、小イ長調と称されているが、リヒテルの第13番は、後年の第20番にも匹敵するようなスケール雄大な名演に仕上げている。

第13番には、内田光子や、古くはリリー・クラウスの名演もあるが、リヒテルの名演は、これらの名演にも十分に匹敵する深い内容を兼ね備えていると高く評価したい。

一番の魅力を感じたのは、ピアノ・ソナタ第13番の第2楽章のゆったりとした美しいメロディーが、リヒテルの澄んだピアノの音に乗って奏でられてゆくところの、どこまでも深く沈んでいく叙情感で、ファンタスティックな夢の風景のようなピアノの調べが、素敵である。

穏やかに微笑む第1楽章もいいし、最終楽章の柔らかなリズムと豪快さがまた素晴らしい。

次に印象に残ったのが、さすらい人幻想曲の終楽章のピアノで、躍動感みなぎる演奏に、リヒテル壮年期の活力があふれていて、聴いていてワクワクしてきた。

本盤の録音は1963年で、西側へ衝撃のデビューを果たし、欧米を席巻していた頃の録音。

つまり、リヒテルが鉄のカーテンの向こうから登場して間もない頃の録音であるが、当時の西側諸国がリヒテルから受けた衝撃の強さが、本盤を聴いているとよくわかる。

録音が古いために、従来盤では、リヒテルの透徹したタッチを鮮明に味わうことがやや困難な面があったが、HQCD化によって、相当程度、音質が鮮明になったのを大いに歓迎したい。

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2014年12月16日


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本盤に収められたバルトークのピアノ協奏曲第2番とプロコフィエフのピアノ協奏曲第5番という、弾きこなすのに難渋するきわめて難しい協奏曲どうしの組み合わせであるが、これらのスタジオ録音は、当時の鉄のカーテンの向こう側の盟主国であった旧ソヴィエト連邦から忽然とあらわれた偉大なピアニスト、リヒテルが様々な西欧の大手レコード会社に録音を開始した上げ潮の頃の演奏である。

指揮者は、当時、鬼才とも称されたマゼール。

当時のマゼールは、切れ味鋭いアプローチで現代的とも言うべき数々の演奏を行っており、その強烈な個性が芸術性の範疇にギリギリおさまるという、ある種のスリリングな演奏を展開していたところである。

マゼールに対して厳しい批評を行っている音楽評論家も、この時期のマゼールの演奏に対しては高く評価するほどの芸術性に裏打ちされた超個性的な演奏を行っていたとも言えるところだ。

そして、こうした上げ潮にのったリヒテルと鬼才マゼールの組み合わせが、両曲の演奏史上、稀に見るような超個性的な名演を成し遂げるのに繋がったと言えるのではないだろうか。

バルトーク及びプロコフィエフの両協奏曲ともに前述のように難曲で知られているが、リヒテルは超絶的な技量と持ち味である強靭な打鍵を駆使して、両曲の複雑な曲想を見事に紐解いている。

それでいて、力任せの一本調子にはいささかも陥ることなく、両曲に込められた民族色溢れる旋律の数々を、格調の高さを損なうことなく情感豊かに歌い抜いているのも素晴らしい。

そして、演奏全体のスケールの雄大さは、ロシアの悠久の大地を思わせるような威容を誇っていると言えるところであり、これぞまさしくリヒテルの本演奏におけるピアニズムの最大の美質と言っても過言ではあるまい。

こうした圧倒的なリヒテルのピアノ演奏に対して、鬼才マゼールも決して引けを取っていない。

もちろん、協奏曲であることから、同時期の交響曲や管弦楽曲の演奏などと比較すると抑制はされているが、それでもオーケストラ演奏のみの箇所においては、マゼールならではの切れ味鋭い個性的解釈を聴くことが可能である。

そして、そうした随所における個性的な演奏が、両曲の演奏において不可欠の前衛性や凄味を付加することに繋がり、両曲演奏史上でも稀にみるような名演奏に寄与することになったものと言えるところだ。

いずれにしても、本盤の演奏は、リヒテルとマゼールという個性的な天才どうしが、時には協調し、そして時には火花を散らし合って競奏し合うことによって成し得た圧倒的な名演と高く評価したい。

音質は、1969〜1970年のスタジオ録音であるが、リマスタリングがなされたことによって、従来CD盤でも比較的満足できる音質であった。

しかしながら、今般、ついに待望のシングルレイヤーによるSACD化が行われることによって、見違えるような鮮明な音質に生まれ変わったところだ。

音質の鮮明さ、音場の幅広さ、そして音圧のいずれをとっても一級品の仕上がりであり、あらためてSACDの潜在能力の高さを思い知った次第である。

とりわけ、リヒテルとマゼール指揮のパリ管弦楽団、ロンドン交響楽団の演奏が明瞭に分離して聴こえるのは殆ど驚異的ですらある。

いずれにしても、このような圧倒的な名演を、現在望み得る超高音質SACD盤で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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2014年12月12日


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リヒテルとマゼールは、バルトークのピアノ協奏曲第2番とプロコフィエフのピアノ協奏曲第5番という近現代を代表する両ピアノ協奏曲において圧倒的な名演を成し遂げたが、本盤に収められたブラームスのピアノ協奏曲第2番というロマン派を代表する名作においても見事な演奏を行っている。

これらのスタジオ録音は、当時の鉄のカーテンの向こう側の盟主国であった旧ソヴィエト連邦から忽然とあらわれた偉大なピアニスト、リヒテルが様々な西欧の大手レコード会社に録音を開始した上げ潮の頃の演奏である。

指揮者は、当時、鬼才とも称されたマゼール。

当時のマゼールは、切れ味鋭いアプローチで現代的とも言うべき数々の演奏を行っており、その強烈な個性が芸術性の範疇にギリギリおさまるという、ある種のスリリングな演奏を展開していたところである。

マゼールに対して厳しい批評を行っている音楽評論家も、この時期のマゼールの演奏に対しては高く評価するほどの芸術性に裏打ちされた超個性的な演奏を行っていたとも言えるところだ。

そして、こうした上げ潮にのったリヒテルと鬼才マゼールの組み合わせによって、どれほど個性的な演奏が生み出されるか期待するクラシック音楽ファンも多いと思うが、これが意外にも正攻法のオーソドックスとも言うべき演奏を展開している。

リヒテルは超絶的な技量と持ち味である強靭な打鍵を駆使しつつも、非常にゆったりしたテンポで曲想を精緻かつ濃密に描き出している。

力任せの一本調子にはいささかも陥ることなく、両曲に込められたブラームスの枯淡の境地とも言うべき美しい旋律の数々を、格調の高さを損なうことなく情感豊かに歌い抜いているのも素晴らしい。

そして、演奏全体のスケールの雄大さは、ロシアの悠久の大地を思わせるような威容を誇っていると言えるところであり、これぞまさしくリヒテルの本演奏におけるピアニズムの最大の美質と言っても過言ではあるまい。

こうした圧倒的なリヒテルのピアノ演奏に対して、鬼才マゼールの合わせ方も見事。

同曲は、ピアノ独奏付きの交響曲とも称されるほどにオーケストラ演奏が分厚く作曲されており、オーケストラ演奏のみの箇所も多いが、マゼールは自我を徹底して抑制し、この当時のマゼールには珍しいほど、音楽そのものを語らせる演奏に徹していると言えるところだ。

このようにマゼールが、リヒテルのピアノ演奏に合わせることによって、同曲演奏史上でも最もスケール雄大な名演に繋がっていることになったものと思われる。

いずれにしても、本盤の演奏は、リヒテルとマゼールという個性的な天才どうしが成し得た圧倒的な名演と高く評価したい。

音質は、1969年のスタジオ録音であるが、リマスタリングがなされたことによって、従来CD盤でも比較的満足できる音質である。

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2014年11月22日


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ベートーヴェンのチェロ・ソナタは、チェロ作品の新約聖書と称されている至高の傑作であるが、作曲年代がベートーヴェンの初期、中期、後期の広範に渡っている点も見逃すことができない。

第1番と第2番はベートーヴェンの最初期、そして最高傑作との呼び声の高い第3番は中期に差し掛かろうという時期、そして第4番と第5番は後期の作品だ。

チェロ作品の新約聖書と呼ばれているだけに、これまで数多くのチェリスト&ピアニストによって演奏され、名演と評価すべき録音も数多く存在しているが、そのような数々の名演の中で、燦然と輝いてる名演の玉座には、やはり、本盤のロストロポーヴィチ&リヒテルの黄金コンビによる名演を配するのが適切と言えるのではなかろうか。

フルニエ&ケンプを掲げる人も多いと思うが、筆者としては、演奏にかける気迫において、本盤の方をより上位に置きたい。

とにかくロストロポーヴィチ&リヒテルの隆盛期に当たる頃なので、大変剛毅なベートーヴェンの世界に、ある意味似つかわしい演奏を展開して両者の気迫が間近に感じられるようである。

基本的には骨太な中に繊細さを垣間見せるベートーヴェンを聴かせてくれるが、ロストロポーヴィチのチェロは雄渾にして壮麗。

我々聴き手の心を揺さぶる重厚な低音から、抒情的な箇所の熱い歌い方まで、どこをとっても切れば血が出てくるような力強い生命力に満ち溢れており、それらを駆使した超絶的な技巧も、精神性に裏打ちされて実に立派だ。

リヒテルのピアノも、ロストロポーヴィチのチェロをしっかりとサポートしつつ、単なる伴奏にとどまらず、強靭な打鍵から繊細な抒情に至るまで、表現の幅の広さに圧倒される。

これら両者のがっぷり四つの横綱相撲は、時として地響きを立てるようなド迫力であり、我々聴き手の度肝を抜くのに十分である。

おそらくは、ベートーヴェンのチェロ・ソナタ全集の演奏史上最高の超名演であり、将来に渡っても、これを凌駕する名演が現れる可能性は殆ど皆無ではないかと考える。

個人的には本演奏が余りに骨太である為、時折これとは対照的なフルニエ&ケンプあたりの演奏で聴く時はあるが、とにかく座右には置いておきたい永遠の名盤である。

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2014年09月24日


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本盤には、リヒテルによるラフマニノフのピアノ協奏曲第2番とチャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番が収められている。

このうち、ラフマニノフについては、初CD化の際には、プロコフィエフのピアノ協奏曲第5番とのカップリングであったと記憶している。

というのも、バックが同じヴィスロツキ&ワルシャワ・フィルであるからであり、協奏曲の演奏はピアニストだけでなく、指揮者やオーケストラがあってこそ成り立つことに鑑みれば、いくら人気曲どうしのカップリングとは言え、本盤のようなカップリングについては若干の疑問を感じざるを得ないことを冒頭に付記しておきたい。

演奏については、何と言ってもラフマニノフがダントツの超名演だ。

今から半世紀以上も前の録音ではあるが、現在でも同曲演奏史上最高峰の名演の地位を譲っていないのは驚異的ですらある。

本演奏では、とにかくリヒテルのピアノが素晴らしい。

同曲はロシア風のメランコリックな抒情に満ち溢れた名旋律に彩られた楽曲であるが、リヒテルは豊かな情感を湛えつつ、いささかも哀嘆調には陥らず常に格調の高い演奏を繰り広げている。

超絶的な技量は当然のことであるが、強靭な打鍵から繊細なピアニッシモに至るまで表現力の幅は桁外れに広い。

スケールも極めて雄大であり、その巨木のような雄渾さはあたかも悠久の大地ロシアを思わせるほどだ。

ヴィスロツキ&ワルシャワ・フィルの演奏も、いささかも華美に走らない飾り気のない演奏を展開しているが、その質実剛健とも言うべき名演奏は、リヒテルの素晴らしいピアノを引き立てるのに大きく貢献しているのを忘れてはならない。

他方、チャイコフスキーについては、ラフマニノフのように同曲演奏史上最高の名演とまでは言い難いが、それでも名演との評価をするのにいささかの躊躇をするものではない。

指揮はカラヤンであり、オーケストラはウィーン交響楽団。

ベルリン・フィルではないのは残念であるが、これは契約の関係で致し方がなかったのかもしれない。

いずれにしても、これは典型的な競争曲になっている。

リヒテルとカラヤンという途轍もない大物芸術家どうしが火花を散らし合う演奏。

絢爛豪華なチャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番だけに、実にスリリングで面白く聴くことが可能である。

カラヤンは、本盤のリヒテルのほか、ワイセンベルク、ベルマン、キーシンとともに同曲を録音しているが、ピアニストと対等な立場でいわゆる協奏曲の醍醐味とも評価し得る競争的な演奏を繰り広げたのは本演奏だけであったと言えるだろう。

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2014年09月15日


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ショスタコーヴィチは、弦楽四重奏曲を交響曲と同様に15曲も作曲したが、これはバルトークによる6曲の弦楽四重奏曲と並んで、20世紀における弦楽四重奏曲の最高傑作との評価がなされている。

確かに、作曲書法の充実度や、内容の奥深さなどに鑑みれば、かかる評価は至当であると考えられる。

ショスタコーヴィチは、旧ソヴィエト連邦という、現在で言えば北朝鮮のような非民主的な独裁国家で、粛清の恐怖を耐え忍びながらしたたかに生き抜いた作曲家であった。

かつて一世を風靡した「ショスタコーヴィチの証言」は現在では偽書とされているが、ショスタコーヴィチに関して記したその他の様々な文献を紐解いてもみても、その交響曲や弦楽四重奏曲などには、かかる粛清の恐怖や、スターリンをはじめとする独裁者への批判や憤り、独裁者によって粛清された犠牲者への鎮魂などが色濃く反映されている。

したがって、旧ソヴィエト連邦の時代を共に生き、粛清への恐怖に実際に身を置いた者こそが、ショスタコーヴィチの弦楽四重奏曲に込められたこのような深遠な世界をよりうまく音化することができると言えるのではないだろうか。

ボロディン弦楽四重奏団は、旧ソヴィエト連邦下において1945年に結成され、それ以降も旧ソヴィエト連邦において活動を行ってきた団体である。

したがって、その演奏は、ショスタコーヴィチの弦楽四重奏曲の心眼に鋭く切り込んでいくという鋭さ、そして凄みにおいては、他のいかなる弦楽四重奏団が束になってもかなわないレベルに達していると言えるところであり、その演奏の彫りの深さは、尋常ならざる深遠さを湛えている。

とりわけ、最晩年の弦楽四重奏曲の凄みのある演奏には戦慄を覚えるほどであり、これは音楽という次元を通り越して、あたかもショスタコーヴィチの遺言のように聴こえるのは筆者だけではあるまい。

リヒテルが加わったピアノ五重奏曲も、弦楽四重奏曲と同様の彫りの深い圧倒的な超名演だ。

なお、ボロディン弦楽四重奏団は、1960年代から1970年代の初頭にかけて、当時作曲されていなかった第14番及び第15番を除くすべての弦楽四重奏曲の録音を行っており、それも優れた名演であったが、各楽曲の本質への追求度という意味においては本演奏の方が数段上であると考えている(その分、演奏自体はかなり冷徹なものとなっていると言えなくもない)。

本演奏で唯一の難点は録音が今一つ冴えないということであり、これは旧ソヴィエト連邦下のメロディア録音であり致し方がない面もある。

もっとも、ショスタコーヴィチの弦楽四重奏曲の演奏史上最高の超名演でもあり、今後はXRCD化やSACD化を図るなど、更なる高音質化を大いに望んでおきたいと考える。

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2014年08月21日


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ドヴォルザークが作曲した協奏曲と言えば、何と言っても米国の音楽院に赴任中に作曲されたチェロ協奏曲が名高い。

また、ボヘミアの民族色溢れた親しみやすい楽想でも知られるヴァイオリン協奏曲も名作である。

しかしながら、ピアノ協奏曲は、正直に言って魅力に乏しい作品と言わざるを得ない。

ドヴォルザークの若き日の作品とは言え、親しみやすい旋律さえ殆ど存在しない凡作であり、演奏されること自体が稀な作品である。

にもかかわらず、レコーディングをあまり行わなかったクライバーと、これまた協奏曲の録音には常に慎重な姿勢で臨んだリヒテルが、よりによって、このような凡作のスタジオ録音を遺しているというのは実に不思議というほかはない。

もっとも、そのことは裏を返せば、両雄が凡作とされている同曲に対して、スタジオ録音の意欲を湧き立たせるような魅力を見出していたということなのであろう。

実際に、演奏は素晴らしい名演に仕上がっていると評価したい。

リヒテルのピアノは、強靱な打鍵から繊細な抒情に至るまでの幅に広い表現力を駆使して、構えの大きい骨太の音楽を構築している。

同曲には分不相応な堂々たるピアニズムとも言えるが、このような名演奏によって、同曲の知られざる魅力のベールをはじめて脱ぐことに成功したと言っても過言ではあるまい。

クライバーの指揮も、あたかもベートーヴェンの交響曲に接するかのような真剣勝負で臨んでおり、畳み掛けていくような気迫と緊張感、そして切れば血が噴き出てくるような力強い生命力など、その強靭な迫力は我々聴き手の度肝を抜くのに十分である。

「鶏を割くに牛刀を用ふ」との諺が存在しているが、本演奏などはその最たるものであり、ドヴォルザークのピアノ協奏曲の演奏としては、リヒテルとクライバーという演奏者の格としてもオーバースペック、そしてその両雄による演奏も前述のようにオーバースペックと言えるだろう。

しかしながら、リヒテルとクライバーが、このような真剣勝負の大熱演を繰り広げることによって、凡作とされてきた同曲が若干なりとも魅力がある作品に生まれ変わったというのも否定し得ない事実であり、その意味では、同曲の知られざる魅力に光を当てるのに成功した稀有の名演との評価もあながち言い過ぎではないと考えられるところだ。

いずれにしても、本演奏は、同曲の唯一無二の名演として高く評価したい。

録音は、従来盤が今一つの音質であったが、数年前に発売されたHQCD盤は、若干ではあるが音質が鮮明になるとともに、音場が幅広くなった。

ドヴォルザークのピアノ協奏曲は、本演奏を持ってしても必ずしも鑑賞をお薦めするほどの魅力的な楽曲であるとは言い難いが、それでも一度聴いてみたいという方には、本演奏、そしてHQCD盤をおすすめしておきたい。

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2014年06月17日


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本盤に収められたベートーヴェンのピアノ協奏曲第1番、そして、ピアノ・ソナタの第12、22、23番は、東西冷戦の真っ只中であった時代、当時の鉄のカーテンの向こう側からやってきた壮年期のリヒテルによる記念碑的な名演だ。

リヒテルは、偉大なピアニストであったが、同時代に活躍していた世界的な大ピアニストとは異なり、全集を好んで録音したピアニストではなかった。

こうした事実は、これだけの実績のあるピアニストにしては大変珍しいとも言えるし、我々クラシック音楽ファンとしてはいささか残念であるとも言えるところである。

したがって、リヒテルがベートーヴェンのピアノ協奏曲全集やピアノ・ソナタ全集を録音したという記録はない。

ピアノ協奏曲について言えば、スタジオ録音としては、単発的に、本盤の第1番や第3番などを録音したのみであり、他の諸曲についてはライヴ録音が何点か遺されているのみである。

ピアノ・ソナタについても同様であり、こうしたことは、リヒテルがいかに楽曲に対する理解と確信を得ない限り、録音をしようとしないという芸術家としての真摯な姿勢の証左とも言えるのではないだろうか。

それだけに、本盤に収められた各演奏は、貴重な記録であると同時に、リヒテルが自信を持って世に送り出した会心の名演奏とも言えるところだ。

ピアノ協奏曲にしても、ピアノ・ソナタにしても、リヒテルは、超絶的な技巧は当然のことながら、演奏全体のスケールの雄大さ、各フレーズに込められたニュアンスの豊かさ、そして表現の彫りの深さなど、どれをとっても非の打ちどころのない演奏を展開している。

人間業とは思えないような強靭な打鍵から繊細な抒情に至るまで表現の幅広さは桁外れであり、十分に個性的な表現を駆使しているが、それでいて、そうした表現があくまでも自然体の中で行われており、芝居がかったところがいささかも見られない。

要は、恣意的な解釈が聴かれないということであり、ベートーヴェンへの深い愛着と敬意以外には私心というものが感じられないのが見事である。

個性の発揮とスコア・リーディングの厳格さという二律背反する要素を両立させている点に、本演奏の凄みがあるとも言えるだろう。

とりわけ、ピアノ・ソナタ「熱情」におけるピアノが壊れてしまうと思われるような強靭な打鍵から繊細な抒情に至るまでのダイナミックレンジの幅広さには出色のものがあり、終楽章終結部の猛烈なアッチェレランドはもはや人間業とは思えないほどの凄みのある演奏に仕上がっていると高く評価したい。

また、ピアノ・ソナタ第22番は、「ワルトシュタイン」と「熱情」に挟まれるなど地味な存在であるが、リヒテルによる本演奏によって、必ずしも有名とは言い難い同曲の真価を聴き手に知らしめることに成功したとも言えるところであり、その意味では稀有の超名演と評しても過言ではあるまい。

ピアノ協奏曲第1番のバックをつとめているのはミュンシュ&ボストン交響楽団であるが、さすがはストラスブール出身で、ブラームスなどの交響曲において名演を聴かせてくれたミュンシュだけに、本演奏においてもドイツ風の重厚な演奏を行っており、リヒテルによる凄みのあるピアノ演奏のバックとして、最高のパフォーマンスを示していると高く評価したい。

いずれにしても、本盤に収められた各演奏は、リヒテルのピアニストとしての偉大さを十二分に窺い知ることが可能な圧倒的な超名演と高く評価したい。

音質については、本盤におさめられた楽曲のうち、ピアノ協奏曲第1番とピアノ・ソナタ第22番が、数年前にXRCD&SHM−CD化され、それは圧倒的に素晴らしい音質であった。

しかしながら、今般、それらにピアノ・ソナタ第12番、第23番を加えてSACD化されたというのは何と言う素晴らしいことであろうか。

とりわけ、3曲のピアノ・ソナタの音質改善効果には目覚ましいものがあり、音質の圧倒的な鮮明さ、そして何よりもリヒテルの透徹したピアノタッチが鮮明に再現されるのは、1960年の録音ということを考慮に入れると、殆ど驚異的とさえ言えるだろう。

いずれにしても、リヒテルによる圧倒的な超名演をSACDによる超高音質で味わうことができるようになったことを心より大いに喜びたい。

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2014年05月09日


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このようなアルバムこそは、人類の至宝とも言うべきなのであろう。

バッハの数あるピアノ曲の中でも聖書とも言うべき平均律クラヴィーア曲集には、これまで古今東西のあまたのピアニストがこぞって録音を行ってきているところだ。

もっとも、あまりにも長大な作品であるだけに、没個性的な演奏では聴き手が退屈してしまうことは必定であり、ピアニストにとっては、自らの持ち得る実力や個性、そして芸術性を最大限に発揮することが求められるという、極めて難しい作品とも言える。

海千山千の競争相手が多いだけに、なおさら存在価値のある演奏を成し遂げることが困難ともいうことができるが、本盤に収められた1970年代初めに録音されたリヒテルによる演奏こそは、諸説はあると思われるものの、筆者としては、バッハの平均律クラヴィーア曲集のあらゆるピアニストによる演奏の中でも、トップの座に君臨する至高の超名演と高く評価したい。

リヒテルは、超絶的な技巧は当然のことながら、演奏全体のスケールの雄大さ、各フレーズに込められたニュアンスの豊かさ、そして表現の彫りの深さなど、どれをとっても非の打ちどころのない演奏を展開している。

加えて、単調な演奏には陥ることなく、各曲の描き分けの巧みさも心憎いばかりであり、十分に個性的な表現を駆使しているが、それでいて、そうした表現があくまでも自然体の中で行われており、芝居がかったところがいささかも見られない。

要は、恣意的な解釈が聴かれないということであり、バッハへの深い愛着と敬意以外には私心というものが感じられないのが見事である。

個性の発揮とスコア・リーディングの厳格さという二律背反する要素を両立させている点に、本演奏の凄みがあるとも言えるだろう。

したがって、同じロシア人でもアファナシエフのような極端な解釈など薬にしたくもなく、演奏の様相はむしろオーソドックスな表現に聴こえるように徹しているとも言える。

このような至高の高みに達した凄みのある演奏は、もはやどのような言葉を連ねても的確に表現し尽くすことが困難である。

まさに筆舌には尽くし難い優れた超名演ということができるが、いずれにしても、本演奏こそは、バッハの平均律クラヴィーア曲集の理想像の具現化と評しても過言ではあるまい。

このような超名演が、今般、ついにSACD化されたというのは何と言う素晴らしいことであろうか。

本演奏は、前述のように人類の至宝とも言うべき歴史的な超名演だけに、既に数年前にSHM−CD化がなされ、高音質化に向けた努力がなされてきたが、当該SHM−CD盤においては、随所において音質に若干の歪みが聴かれるなど、必ずしも良好な音質とは言い難いものがあった。

ところが、今般のSACD化によって、オリジナル・マスター使用ということも多分にあるとは思うが、そうした音質の歪みが解消され、圧倒的な超高音質に生まれ変わった。

音質の圧倒的な鮮明さ、そして何よりもリヒテルの透徹したピアノタッチが鮮明に再現されるのは、1970年代初め頃の録音ということを考慮に入れると、殆ど驚異的とさえ言えるだろう。

いずれにしても、リヒテルによる歴史的な超名演をSACDによる超高音質で味わうことができるようになったことを心より大いに喜びたい。

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2014年01月31日


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全盛期のリヒテルのピアノ演奏の凄さを味わうことができる1枚だ。

リヒテルのピアノは、何と言ってもそのスケールの雄大さが際立っている。

グリーグとシューマンのピアノ協奏曲をカップリングしたCDは数多く存在しているが、演奏のスケールの大きさにおいては、本演奏は随一と言っても過言ではあるまい。

かかるスケールの大きさはあたかもロシアの広大な悠久の大地を思わせるほどだ。

このような音楽の構えの大きさは、詩情の豊かさが勝負のシューマンのピアノ協奏曲においては若干の違和感を感じさせなくもないが、グリーグのピアノ協奏曲においては見事に功を奏していると言えるのではないだろうか。

また、その卓越した技量も特筆すべきものがあり、両演奏ともに強靭な打鍵から繊細なピアニッシモに至るまで桁外れの表現力の幅の広さを披露している。

各曲のトゥッティに向けての畳み掛けていくような気迫にも渾身の生命力が漲っており、その圧倒的な迫力は我々聴き手の度肝を抜くのに十分である。

こうした極大なスケールのリヒテルの力強いピアニズムに対して、マタチッチの指揮も一歩も引けを取っていない。

その巨大な体躯を生かしたかのような悠揚迫らぬ重厚な音楽は、リヒテルのピアノを効果的に下支えするとともに、スケールの雄大な本演奏に大きく貢献しているのを忘れてはならない。

オーケストラは二流のモンテ・カルロ国立歌劇場管弦楽団であるが、ここではマタチッチの確かな統率の下、実力以上の名演奏を展開している。

いずれにしても、両演奏ともに素晴らしい名演であり、とりわけグリーグのピアノ協奏曲については、同曲演奏史上トップの座を争う至高の超名演と高く評価したい。

音質については、従来CD盤が今一つ冴えない音質であったが、HQCD化によってある程度は満足できる音質になるとともに、若干ではあるが音場が幅広くなったところであり、筆者としても当該HQCD盤をこれまで愛聴してきたところだ。

もっとも、抜本的な音質改善が図られたというわけではないので、リヒテル&マタチッチによる至高の超名演であることも考慮して、更なる高音質化を望んできたところであるが、今般、ついに待望のSACD化が行われることによって大変驚いた。

従来CD盤やHQCD盤とは次元が異なる見違えるような、そして1970年代のEMIによるスタジオ録音とは到底信じられないような鮮明な音質に生まれ変わったところであり、とりわけリヒテルのピアノタッチの一音一音が明瞭に分離して聴こえるのは殆ど驚異的ですらある。

もっとも、あまりにも鮮明過ぎて、モンテ・カルロ国立歌劇場管弦楽団のアンサンブルの粗さが若干明瞭になってしまったという欠点もあるが、これだけ堪能させてくれれば文句は言えまい。

いずれにしても、リヒテル、そしてマタチッチによる至高の超名演を、SACDによる高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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2013年03月25日


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「伝説のピアニスト」だったリヒテルがセンセーショナルなアメリカ・デビューを果たした直後に録音された名盤。

東西冷戦の真っただ中の時代、鉄のカーテンの向こうからやってきた壮年期のリヒテルによる記念碑的な名演だ。

リヒテルは、全集を好んで録音したピアニストではなく、これだけの実績のあるピアニストであるにもかかわらず、ベートーヴェンのピアノ協奏曲全集を完成したという記録はない。

単発的に、本盤の第1番や第3番などを録音したのみであり、あとは、ライヴ録音が何点か遺されているのみ。

その意味では、本盤は、リヒテルによるベートーヴェンのピアノ協奏曲録音の貴重な記録と言える。

演奏も、リヒテルのスケール雄大なピアニズムを味わうことができる名演だ。

力強い打鍵といい、繊細な抒情といい、壮年期のリヒテルの素晴らしい至芸を存分に味わうことが可能だ。

ミュンシュ&ボストン交響楽団も、ドイツ風の重厚な演奏を行っており、リヒテルのバックとして、最高のパフォーマンスを示していると言える。

併録のピアノソナタ第22番も、「ワルトシュタイン」と「熱情」に挟まれて、必ずしも有名とは言い難い同曲の真価を聴き手に知らしめることに成功した稀有の名演。

そして、何と言っても素晴らしいのは、XRCD化による極上の高音質録音。

本盤は、1960年の録音であるが、とても、そうとは思えないような鮮明な音質だ。

とりわけ、リヒテルのピアノが実にクリアに聴こえるのが素晴らしい。

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2012年12月15日


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巨匠リヒテルの残したディスクのなかで、ショパン・アルバムは数少なく、ショパンを好まなかったと思えるほどだ。

しかも、ひとつのジャンルをまとめて全曲録音しているものは珍しい。

そうした点からこのスケルツォ全曲盤は、貴重な1枚である。

リヒテルのショパンは、非常にクールで理知的であり、サロン的な甘いムードや華やかさを廃した厳格ともいえる端正さが特徴である。

4曲のスケルツォに対して、ロマンティックな華やかさよりも、端正な構築美を強調したような演奏であり、そこには、リヒテルのスケールの大きさと、堅固な構成力が生かされている。

リヒテルはショパンの表現の、刹那的な部分や過度の感情の発動を許す部分を、古典主義的な精神で極力コントロールしているが、音楽は流麗さを失うことなく、実に澄み切ったたたずまいをみせている。

彼の強い構成力と音をコントロールするテクニックなくして、このような演奏は生まれ得ないだろう。

自然体の語り口で、一見したところ淡々とメロディを紡いでいるように思えるが、実は、内面から滲み出るような、奥の深いドラマが隠されている。

この4曲のスケルツォは、ショパンの心の奥底を表現しているかのような孤高の厳しさが感じられ、まさに純度の高い芸術作品へと昇華している。

ショパンのスケルツォの持つ躍動美と深刻さという、相反する特色を、見事に融合させた演奏とも言えよう。

リヒテルの知的存在感にあふれた演奏である。

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2011年12月25日


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西側にデビューする以前のリヒテルの凄さが端的に表れている歴史的名演だ。

現代においてはあまりにスッキリとした演奏のように思えるかもしれない。

イン・テンポできっちりと押し通し、表現もむしろ淡白と言っていいくらいに遊びが少ない。

しかしリヒテルの玲瓏としたピアニズムがかえって同作品を赤裸々に描き出し、的確にシューマンのロマン性を引き出し得ているのを痛感させる。

リヒテルのピアノには覇気があり、きわめて力強い。

底力ある打鍵から、堂々とした構えの音楽が生み出されているという感じだ。

それでいて、シューマンのデリケートな魅力をあますところなくカヴァーし得ており、流石である。

余分なものをすべて取り去ったようなスマートな造形、凛とした強い意志に貫かれた解釈、なにかハードボイルドを思わせるクールな演奏である。

しかし的確に曲の本質をついてゆく、強烈な求心力がこの演奏にはある。

最近は、シューマンのピアノ協奏曲を、希望に胸をふくらませ、元気いっぱいに、まるで"青年の主張"のように再現するのが流行しているようだけれど、ここに聴くリヒテルのピアノは、そのような演奏とはまるで性格を異にしている。

ここにおける彼のトーンは、決して明るいものではなく、ほの暗い。

ただひとつ、ほのかに灯ったローソクの炎をじっと見入るように、自らの心の奥深くに分け入っていき、そこにおいてシューマンの協奏曲を把握していこうとしている。

その結果、ここではときに、心の中の嵐が聴こえるようであり、心の中のモノローグが聴こえてくるようだ。

こうしたシューマンを聴くと、これこそが、と思う一瞬が確かにある。

"曲の原点に帰る"意味ではこの演奏をまず挙げたい。

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2011年08月20日


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わが国にデビューした当初のリヒテル(もちろん、ディスク・デビューである)は、桁違いに大きい表現力の振幅で、聴き手を圧倒していったものであった。

後期から晩年になってのリヒテルも、やはり驚くべき振幅をもった表現力を誇ってはいたものの、同時に、以前よりいっそう求心的な力強さをもった内省的な要素をあらわにしていくようになる。

1991年に録音されたベートーヴェンの後期の3曲のソナタの演奏(当時、リヒテルは76歳である)でも、そうした傾向は顕著であるといえよう。

70代後半を迎えたリヒテルが、ベートーヴェンの最後の3曲のソナタを録音したことにも、一つの意義が感じられる。

それ自体が彼のベートーヴェン演奏の集約であるということではないが、そこには、豊かなキャリアとともに到達したベートーヴェンの内面の世界への深い共感も見出せよう。

数多いリヒテルのベートーヴェン演奏の中では、ベストとして選ぶよりも、彼の活動の歴史の中の一時点を物語るものとして興味深い1枚だ。

第31番の第3楽章に聴く痛切な情感から、第32番のソナタのスケールの大きな表現力に至るまで、リヒテルが到達した音楽性の高さはすばらしい。

リヒテルの演奏の特色は、作品に内在する緊張感(別の言い方をすれば造型力)を徹底的に表出してみせることだと思うが、ここでもそれが十全に生かされている。

リヒテルの透徹した精神がベートーヴェンの貴重な精神を伝えている。

これは西側よりむしろ旧東側で練られたものではある。

しかし、そこには極限までベートーヴェンが考えた表現を聴くことができる。

その解釈は多くのことを教えてくれる。

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2011年08月10日


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ピアノの打楽器的な扱いや、断片的な旋律、さらに超人的なテクニックをエネルギッシュに盛り込んだバルトークのピアノ協奏曲第2番は、屈指の難曲として名高い。

リヒテルは難解な書物をわかりやすく咀嚼するかのように、きわめて音楽的にこれを処理してしまう。

怖いまでの音楽性とピアニズム!

シャープなリズム感、そしていかなる至難なパッセージも恐ろしくクリアに立ち上がらせる技巧、さらには攻撃的ともいえる表現の鮮烈さ等々、実にスリリングなシーンが連続する。

幽玄この上ない第2楽章と、エキサイティングな両端楽章との対比がすばらしい。

この演奏を基準にヴィルトゥオーゾを設定すれば、クリアするピアニストなど一握りにも満たないだろう。

プロコフィエフのピアノ協奏曲第5番は、技術的には難曲だけれど、内容的には平明といえば平明、奥がありそうといえば奥がありそうで、その性格づけはなかなか難しい。

こうした曲をリヒテルが演奏すると、その圧倒的ともいえるようなグランド・マナーによって、きわめてスケール雄大に、しかも内容も濃く描き上げてしまう。

高度なテクニックを背景にして、雄弁きわまりない演奏が出来上がっている。

聴き終わると、密度の濃い演奏にふれたという充溢感が満ちてくる感じだ。

さすがリヒテルというところなのだろう。

また、ここでは指揮者マゼールも負けてはいない。

メリハリを強調した音楽づくりで、独奏者と堂々四つに組んでいる。

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2011年02月09日


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リヒテルが"西側"にようやくその実体をあらわし始めたのが1959年。

それまでは幻のピアニストとして封印されていた。

しかし今日では、その"幻のピアニスト"時代が録音演奏によって次々と復元されている。

本盤もそのひとつで、リヒテルが初めてプラハを訪れた際(1954年)に収録されたものである。

当時のリヒテルは39歳。この頃の彼の演奏には、何か肩で風を切る壮快さがある。

一音一音の音質の端麗さはいうまでもないが、表現にはムラがなく、一気呵成に最後までもっていく表現力は尋常ではない。

チャイコフスキーは速いテンポでぐんぐん進めつつ、たくましい打鍵でピアノ全体を鳴らしている。

思い切ったルバートで情感を盛り上げ、時にはすさまじいスピードで突進するなど、なかなかスリル満点だ。

プロコフィエフは後年のリヒテルに比べるとコクがない。

なかでは感情をこめて豪壮なクライマックスを築き上げる第2楽章が聴きものだ。

アンチェルの指揮は清らかで柔らか味もあり美しい。

身を切るようなバッハの美演、プロコフィエフの精悍なピアニズム、そしてチャイコフスキーの奔放さ!

まさに極上のリヒテルがここにある。

とくにチャイコフスキーはアンチェルの指揮ともども、ムラヴィンスキーやカラヤンとの共演盤と比べても遜色のない名演といえよう。

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2010年12月09日


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ヘヴィ級の魅力をもった《ます》の演奏であるが、愉しさの点でも第一級だ。

同曲はリヒテル初録音で、ライヴならではの緊迫感がすこぶる快い。

メンバーの名前からは、スラヴ的な重々しい音楽を予想していたのに、聴こえてきたのはウィーン風なポルタメントを少しだけ生かした、じつに軽快で闊達な《ます》だった。

それほど単純にいえるようなことではないが、《ます》の五重奏曲の演奏で、やはり第一にその成否を左右するのがピアニストであることは事実であろう。

もちろん、ソロイスティックな魅力とアンサンブルに寄り添っていくような感性が、そこでは求められるであろうし、何といっても音の美しさが絶対に欲しいということになると、やはりその名は絞られてくる。

それゆえ、聴き手の関心の中心になるのはもちろんリヒテルの演奏で、彼が弾き出す美音は心に深くしみいってくる。

聴衆を前にしたリヒテルが、気持ちを静かに燃やしているのが感じとれる演奏といったらよいだろうか。

リヒテルとボロディンSQのメンバーらによる1980年のライヴがつねに名盤の一つとして挙げられるのは、当然の結果であったかもしれない。

ここではピアノのリヒテル、ボロディンSQともに力強い語り口で、しかも表現力はたいそう濃い。

ナイーヴでシャイなシューベルトでは全然ないけれど、なおかつ他を圧倒するような存在感を示している。

ともかくピアノの美しさが必要なだけ際立っているのは確かであるし、品位と風格がインティメートな結びつきの中にもある。

ボロディンSQの3人とヘルトナーゲルの誠実かつ真摯な演奏ぶりが楽趣を高めているのも忘れてはならない。

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2010年04月25日


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リヒテルが、スタジオ録音をそろそろやめ、もっぱらライヴ盤を出し始めた頃の名盤のひとつ。

リヒテルはもうこれ以上遅くはできないぎりぎりのところまでテンポを落とし、しかも音色美に過剰に依存することもせず、感情表出の深い境地に静かにわけ入ってゆく。

ここではひたすらシューベルトの音楽に沈潜した大家の、年輪を経た円熟した肉声が語りかけてくる。

リヒテルは、シューベルトのピアノ・ソナタを多く録音しているが、とくに第14番は、リヒテルの数々の演奏のなかでも傑出している。

シューベルトが病のため憂愁に閉ざされた頃の産物である、このもの哀しいイ短調のソナタを、リヒテルはゆったりとしたテンポで、しばしば深淵を見遣るような表情とともに奏でている。

きわめてゆっくりしたテンポで、シューベルトの音楽の内面をじっくりとえぐりだしたような表現は、聴いていると、思わずひきこまれてしまう。

ちなみに彼は"愛すべき作曲家"シューベルトの奥に横たわる深いものを、誰よりも早く、そして的確に、探り出してみせたピアニストではなかったろうか。

この演奏の重さと、それにもかかわらず漂っている不思議な澄明さは感動的である。

なお併録されている第13番もたいへんに美しい演奏。

第9番と第11番という、なかば忘れられようとしているシューベルトが20歳頃に書いたつつましい2曲から、リヒテルは豊かな情趣を引き出している。

例によって緩急自在に弾きわけながら、音楽の流れは自然で、しっとりとした情感に満ち、心の底に深く訴えてくる。

第3楽章として作品145のアダージョを併用している第11番も、作品の問題点を感じさせる以前に、ある真実の表現をもった音楽となっている。

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2010年01月22日


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シューベルトのピアノ・ソナタは今でこそ多くのピアニストによって取り上げられているが、かつては《即興曲》や《楽興の時》の陰に隠れたような存在だった。

長大な作品が多い故にまとめにくく、敬遠されがちだったのかもしれない。

1972年にこのシューベルトの最後のソナタを録音したリヒテルは、たんに長いだけではないそのスケールの大きさ、作品としての価値の高さを、演奏で威厳をもって知らしめた。

彼はこのソナタを悠然と弾き始めるが、その演奏は決して冗長には流れない。

このピアニストの確固とした構成力、鋭い集中力、そして深い精神性をもって、引き締まった流れと程良い緊張感が最後まで確保されると共に彫りの深い音楽が形作られ、全体として重厚で深々とした味わいをかもし出すのである。

かといって終始重々しく続くというわけではなく、テンポの緩急のコントラストも鮮明に描かれる。

一方この変ロ長調のソナタは、第1楽章の第2主題が嬰ヘ短調で現われたり、第2楽章が嬰ハ短調で書かれているなど、意外かつ絶妙な転調に彩られているが、それに対するリヒテルのゆるぎない構え、調和を図る対処も、見事だと言えるだろう。

そして、彫りの深い造形と厳しい緊張の糸のなかから、シューベルトならではの歌謡的で息の長い旋律が立体的に浮かび上がってくる。

音楽的な情感も豊かで、旨みのある表現が散見されるその演奏は、感動的な余韻を残す。

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2009年12月13日


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シュライアーとリヒテルの「冬の旅」は再開されたゼンパー・オペラの開場記念コンサート。

「美しき水車小屋の娘」と「白鳥の歌」を以前に録音(前者は3度)してきたシュライアーが、「冬の旅」を1985年になってようやく、しかもライヴ録音した。

また、リヒテルは過去に夫人のドルレアクとのグリンカの歌曲やF=ディースカウとのブラームス等の伴奏があったが、シュライアーと「冬の旅」を録音したのは意外だった。

シュライアーは慣行版ではなく、初稿を参照した版で歌っており、ライヴならではの即興的な2人の対応も好ましい。

シュライアーとリヒテルによる水も洩らさぬこの「冬の旅」は、手稿版などを丹念に参照した上でのテンポ設定や、細かい発想記号の読み直しなどが行われ、バリトンやバスで歌われがちなこの曲に新しい解釈を示している。

シュライアーはリヒテルのすぐれた伴奏に支えられ、叫びに近い心理的、表現主義的な風景を展開している。

シュライアーの歌唱には一切の恣意的表情が影をひそめ、厳しい歌の表情が全曲を支配し、異常なまでの緊張力が聴く者の精神におそいかかるかのようだ。

「冬の旅」はほとんど孤独の狂気に近づいている音楽だ。

シュライアーはそこに着目し、表現主義的な手法によって、この歌曲集の底にひそむ近代的な病理をえぐり出している。

実に果敢な演奏だが、リヒテルのピアノがリアルで、シュライアーの冒険を支えている。

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2009年07月20日


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ドヴォルザークには、ピアノ、ヴァイオリン、チェロのそれぞれに1曲ずつ傑作協奏曲がある。

この作品はピアノ協奏曲とはいっても、ソロとオーケストラのパートを同等に扱ったもので、いわば交響的な協奏曲となっている。

1997年に82歳の生涯を閉じたリヒテルは、強烈な個性と膨大なレパートリーを持つ巨人ピアニストだったが、これは、この彼に勝るとも劣らぬ個性の持ち主クライバーとが、がっぷり四つに組んだ録音。

2人の演奏家の丁々発止と火花を散らす掛け合いの面白さは比類がない。

強烈な個性をもったふたりの演奏家のかけあいのおもしろさに惹かれる演奏である。

激しく燃えるクライバーの棒と、あくまでも冷静に構えたリヒテルのソロは、一見異質で対照的だが、その豪快な音楽の運び方は見事のひとことに尽きる。

ただここでのリヒテルはピアニズムよりは内容を生かそうとしており、スケールの大きい描きぶりだが、全体として今ひとつ吹っ切れない。

ここでの聴きものはクライバーの指揮で、生命力と緊張感に満ちた響きやリズムのよさ、カンタービレの豊かさ、音色の魅惑など、どの一部でも天才的だ。

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2009年04月27日


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ソフィアでのリヒテルのヨーロッパ・デビュー・リサイタルのライヴ録音全曲を収録。

聴衆を前にしての演奏だけに、爆発的で、雄渾な演奏が楽しめる。

特に「展覧会の絵」での雄渾な演奏はすべての聴き手を圧倒せずにはおかない。

「展覧会の絵」では、楽想のコントラストが最大限に活用されており、激しい緊張と力感を生み出し、リヒテルならではのたくましい表現が印象に残る。

スケールの大きさもさることながら、ピーンと張りつめた緊張の持続がすごい。

きわめてスケールの大きな、ダイナミックな表現で、巨匠リヒテルの面目躍如たる秀演だ。

モノーラルなので、あまり音の状態はよくないが、その明確なリズム感と、テクニックの精緻さには驚く。

ことに凄まじいばかりのテクニックで表現した「バーバ・ヤガーの小屋」と、堂々と力強く弾きあげた、最後の「キエフの大きな門」は感動的だ。

一方、シューベルトの小品での抒情も、聴き手を魅了しないではおかない。

リヒテルの幅広い表現力がここにも現れている。

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2009年04月19日


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真のヴィルトゥオーゾでなければできない演奏を披露しているのがリヒテル。多彩で緊密なリストである。

エネルギーの激しい放出、いかにも雄渾で剛直な表現、演奏全体を支配している熱気、など聴き手を圧倒するに充分。

とかく突っ走りがちな並みの技巧家とは違って、リヒテルは多少遅めのテンポで重厚に弾き進んでゆき、その中で大きく伸縮させている。

しかも他の演奏にはみられない高貴な雰囲気ですべてを包んでいるところまで、リストそのひとの演奏をすら思わせるものである。

いずれの曲も情緒を大切にした彫りの深い表現で、雄大なスケールと詩情が理想的にミックスされており、技巧的にも間然とするところがない。

第1番は、終楽章に向かっての劇的な音楽づくりにひかれるし、第2番は、ソロとオーケストラとの絶妙なかけあいが光る。

特に第2番は一段と細かいところまでみがきがかかっていて、しかも様式統一が見事に行われている。

こんなスケールの大きな、また深い味わいをもった演奏は今までに聴いたことがない。

コンドラシンのサポートも卓抜で、何より音楽的。

味があるリストだから、何度聴いても飽きがこないだろう。

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2009年03月25日


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ほぼ50年近くも前の録音になるけれど、ここではリヒテル盤をとりあげておきたい。

「さすらい人」はいかにもリヒテルらしい、がっしりとした構成感をもった演奏だ。

冒頭からぐいぐいと強烈な意識的な力を示しつつ音楽が展開していくが、それは決してテクニックを披瀝して力でねじ伏せるのではなく、まさしく作品に秘められたエネルギーを解き放っている。

この曲は全体にシューベルトとしては珍しく超絶的な技巧を駆使して書かれており、終楽章などは、あまりにも難しすぎて、シューベルトでさえ満足に弾きこなせなかったという。

そういう演奏テクニック上の困難さだけではなく、表現内容も複雑多岐に渡り、困難さを数多くかかえているこの曲を、リヒテルは充分な余裕をもってクリアしている。

天を駆け、地を這うような起伏の豊かさがスケール大きく照射されており、そのなかにシューベルトならではの息の長い歌心も見事に描ききられていて、なんとも素晴らしい。

また、ダイナミクスの幅を抑え、明るい情感を浮かび上がらせるソナタでは、きめ細かな抒情を豊かに聴くことができる。

録音状態を多少差し引いたとしても、この演奏から聴くべきものは、今もって多いといえよう。

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2009年02月18日


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バッハは、主題を次々と変容させ、鎖の環のようにして繋いでいき、巨大な「ゴールドベルク変奏曲」を作った。

規模、構想においてもこの変奏曲に匹敵するのは、「ディアベッリ変奏曲」しかあるまい。

バッハの曲は、最後に再び主題が登場し、円環が閉じられるが、ベートーヴェンの曲は、主題の変奏が次の変奏を創りだしながら、螺旋状に高みを目指しながら上昇してゆき、第32変奏でクライマックスを迎え、最後の変奏では、晴朗で、あたかも天上界に歩み出すかのごとくして、虚空に音楽が消えてゆくのである。

リヒテル盤は、例えば、ベートーヴェンがくそみそに言った冒頭の主題でさえ、こまかにアクセントを付けながら、これから始まる千変万花の世界を予感させ、聴く者を引きずり込まずにはおかない。

深く、拡がりを持ちどこまでも音が放射するかと思うと繊細、微妙に描きつくしながら凝縮し、収斂してゆく様は、たとえようがない。

「フゲッタ」では、静謐な世界に流れ出る敬虔な祈りの音楽、第32変奏では、対位法の綾を緊張感あふれながら、組み立てていき、壮大な大伽藍を築きあげている。

この長大な作品をリヒテルで聴くと、まるで"弾かれる劇"のごとき趣がある。

このような素晴らしい演奏が存在する幸運を思わざるを得ない。

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