リヒテル

2014年06月17日


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本盤に収められたベートーヴェンのピアノ協奏曲第1番、そして、ピアノ・ソナタの第12、22、23番は、東西冷戦の真っ只中であった時代、当時の鉄のカーテンの向こう側からやってきた壮年期のリヒテルによる記念碑的な名演だ。

リヒテルは、偉大なピアニストであったが、同時代に活躍していた世界的な大ピアニストとは異なり、全集を好んで録音したピアニストではなかった。

こうした事実は、これだけの実績のあるピアニストにしては大変珍しいとも言えるし、我々クラシック音楽ファンとしてはいささか残念であるとも言えるところである。

したがって、リヒテルがベートーヴェンのピアノ協奏曲全集やピアノ・ソナタ全集を録音したという記録はない。

ピアノ協奏曲について言えば、スタジオ録音としては、単発的に、本盤の第1番や第3番などを録音したのみであり、他の諸曲についてはライヴ録音が何点か遺されているのみである。

ピアノ・ソナタについても同様であり、こうしたことは、リヒテルがいかに楽曲に対する理解と確信を得ない限り、録音をしようとしないという芸術家としての真摯な姿勢の証左とも言えるのではないだろうか。

それだけに、本盤に収められた各演奏は、貴重な記録であると同時に、リヒテルが自信を持って世に送り出した会心の名演奏とも言えるところだ。

ピアノ協奏曲にしても、ピアノ・ソナタにしても、リヒテルは、超絶的な技巧は当然のことながら、演奏全体のスケールの雄大さ、各フレーズに込められたニュアンスの豊かさ、そして表現の彫りの深さなど、どれをとっても非の打ちどころのない演奏を展開している。

人間業とは思えないような強靭な打鍵から繊細な抒情に至るまで表現の幅広さは桁外れであり、十分に個性的な表現を駆使しているが、それでいて、そうした表現があくまでも自然体の中で行われており、芝居がかったところがいささかも見られない。

要は、恣意的な解釈が聴かれないということであり、ベートーヴェンへの深い愛着と敬意以外には私心というものが感じられないのが見事である。

個性の発揮とスコア・リーディングの厳格さという二律背反する要素を両立させている点に、本演奏の凄みがあるとも言えるだろう。

とりわけ、ピアノ・ソナタ「熱情」におけるピアノが壊れてしまうと思われるような強靭な打鍵から繊細な抒情に至るまでのダイナミックレンジの幅広さには出色のものがあり、終楽章終結部の猛烈なアッチェレランドはもはや人間業とは思えないほどの凄みのある演奏に仕上がっていると高く評価したい。

また、ピアノ・ソナタ第22番は、「ワルトシュタイン」と「熱情」に挟まれるなど地味な存在であるが、リヒテルによる本演奏によって、必ずしも有名とは言い難い同曲の真価を聴き手に知らしめることに成功したとも言えるところであり、その意味では稀有の超名演と評しても過言ではあるまい。

ピアノ協奏曲第1番のバックをつとめているのはミュンシュ&ボストン交響楽団であるが、さすがはストラスブール出身で、ブラームスなどの交響曲において名演を聴かせてくれたミュンシュだけに、本演奏においてもドイツ風の重厚な演奏を行っており、リヒテルによる凄みのあるピアノ演奏のバックとして、最高のパフォーマンスを示していると高く評価したい。

いずれにしても、本盤に収められた各演奏は、リヒテルのピアニストとしての偉大さを十二分に窺い知ることが可能な圧倒的な超名演と高く評価したい。

音質については、本盤におさめられた楽曲のうち、ピアノ協奏曲第1番とピアノ・ソナタ第22番が、数年前にXRCD&SHM−CD化され、それは圧倒的に素晴らしい音質であった。

しかしながら、今般、それらにピアノ・ソナタ第12番、第23番を加えてSACD化されたというのは何と言う素晴らしいことであろうか。

とりわけ、3曲のピアノ・ソナタの音質改善効果には目覚ましいものがあり、音質の圧倒的な鮮明さ、そして何よりもリヒテルの透徹したピアノタッチが鮮明に再現されるのは、1960年の録音ということを考慮に入れると、殆ど驚異的とさえ言えるだろう。

いずれにしても、リヒテルによる圧倒的な超名演をSACDによる超高音質で味わうことができるようになったことを心より大いに喜びたい。

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2014年05月09日


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このようなアルバムこそは、人類の至宝とも言うべきなのであろう。

バッハの数あるピアノ曲の中でも聖書とも言うべき平均律クラヴィーア曲集には、これまで古今東西のあまたのピアニストがこぞって録音を行ってきているところだ。

もっとも、あまりにも長大な作品であるだけに、没個性的な演奏では聴き手が退屈してしまうことは必定であり、ピアニストにとっては、自らの持ち得る実力や個性、そして芸術性を最大限に発揮することが求められるという、極めて難しい作品とも言える。

海千山千の競争相手が多いだけに、なおさら存在価値のある演奏を成し遂げることが困難ともいうことができるが、本盤に収められた1970年代初めに録音されたリヒテルによる演奏こそは、諸説はあると思われるものの、筆者としては、バッハの平均律クラヴィーア曲集のあらゆるピアニストによる演奏の中でも、トップの座に君臨する至高の超名演と高く評価したい。

リヒテルは、超絶的な技巧は当然のことながら、演奏全体のスケールの雄大さ、各フレーズに込められたニュアンスの豊かさ、そして表現の彫りの深さなど、どれをとっても非の打ちどころのない演奏を展開している。

加えて、単調な演奏には陥ることなく、各曲の描き分けの巧みさも心憎いばかりであり、十分に個性的な表現を駆使しているが、それでいて、そうした表現があくまでも自然体の中で行われており、芝居がかったところがいささかも見られない。

要は、恣意的な解釈が聴かれないということであり、バッハへの深い愛着と敬意以外には私心というものが感じられないのが見事である。

個性の発揮とスコア・リーディングの厳格さという二律背反する要素を両立させている点に、本演奏の凄みがあるとも言えるだろう。

したがって、同じロシア人でもアファナシエフのような極端な解釈など薬にしたくもなく、演奏の様相はむしろオーソドックスな表現に聴こえるように徹しているとも言える。

このような至高の高みに達した凄みのある演奏は、もはやどのような言葉を連ねても的確に表現し尽くすことが困難である。

まさに筆舌には尽くし難い優れた超名演ということができるが、いずれにしても、本演奏こそは、バッハの平均律クラヴィーア曲集の理想像の具現化と評しても過言ではあるまい。

このような超名演が、今般、ついにSACD化されたというのは何と言う素晴らしいことであろうか。

本演奏は、前述のように人類の至宝とも言うべき歴史的な超名演だけに、既に数年前にSHM−CD化がなされ、高音質化に向けた努力がなされてきたが、当該SHM−CD盤においては、随所において音質に若干の歪みが聴かれるなど、必ずしも良好な音質とは言い難いものがあった。

ところが、今般のSACD化によって、オリジナル・マスター使用ということも多分にあるとは思うが、そうした音質の歪みが解消され、圧倒的な超高音質に生まれ変わった。

音質の圧倒的な鮮明さ、そして何よりもリヒテルの透徹したピアノタッチが鮮明に再現されるのは、1970年代初め頃の録音ということを考慮に入れると、殆ど驚異的とさえ言えるだろう。

いずれにしても、リヒテルによる歴史的な超名演をSACDによる超高音質で味わうことができるようになったことを心より大いに喜びたい。

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2014年01月31日


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全盛期のリヒテルのピアノ演奏の凄さを味わうことができる1枚だ。

リヒテルのピアノは、何と言ってもそのスケールの雄大さが際立っている。

グリーグとシューマンのピアノ協奏曲をカップリングしたCDは数多く存在しているが、演奏のスケールの大きさにおいては、本演奏は随一と言っても過言ではあるまい。

かかるスケールの大きさはあたかもロシアの広大な悠久の大地を思わせるほどだ。

このような音楽の構えの大きさは、詩情の豊かさが勝負のシューマンのピアノ協奏曲においては若干の違和感を感じさせなくもないが、グリーグのピアノ協奏曲においては見事に功を奏していると言えるのではないだろうか。

また、その卓越した技量も特筆すべきものがあり、両演奏ともに強靭な打鍵から繊細なピアニッシモに至るまで桁外れの表現力の幅の広さを披露している。

各曲のトゥッティに向けての畳み掛けていくような気迫にも渾身の生命力が漲っており、その圧倒的な迫力は我々聴き手の度肝を抜くのに十分である。

こうした極大なスケールのリヒテルの力強いピアニズムに対して、マタチッチの指揮も一歩も引けを取っていない。

その巨大な体躯を生かしたかのような悠揚迫らぬ重厚な音楽は、リヒテルのピアノを効果的に下支えするとともに、スケールの雄大な本演奏に大きく貢献しているのを忘れてはならない。

オーケストラは二流のモンテ・カルロ国立歌劇場管弦楽団であるが、ここではマタチッチの確かな統率の下、実力以上の名演奏を展開している。

いずれにしても、両演奏ともに素晴らしい名演であり、とりわけグリーグのピアノ協奏曲については、同曲演奏史上トップの座を争う至高の超名演と高く評価したい。

音質については、従来CD盤が今一つ冴えない音質であったが、HQCD化によってある程度は満足できる音質になるとともに、若干ではあるが音場が幅広くなったところであり、筆者としても当該HQCD盤をこれまで愛聴してきたところだ。

もっとも、抜本的な音質改善が図られたというわけではないので、リヒテル&マタチッチによる至高の超名演であることも考慮して、更なる高音質化を望んできたところであるが、今般、ついに待望のSACD化が行われることによって大変驚いた。

従来CD盤やHQCD盤とは次元が異なる見違えるような、そして1970年代のEMIによるスタジオ録音とは到底信じられないような鮮明な音質に生まれ変わったところであり、とりわけリヒテルのピアノタッチの一音一音が明瞭に分離して聴こえるのは殆ど驚異的ですらある。

もっとも、あまりにも鮮明過ぎて、モンテ・カルロ国立歌劇場管弦楽団のアンサンブルの粗さが若干明瞭になってしまったという欠点もあるが、これだけ堪能させてくれれば文句は言えまい。

いずれにしても、リヒテル、そしてマタチッチによる至高の超名演を、SACDによる高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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2013年03月25日


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「伝説のピアニスト」だったリヒテルがセンセーショナルなアメリカ・デビューを果たした直後に録音された名盤。

東西冷戦の真っただ中の時代、鉄のカーテンの向こうからやってきた壮年期のリヒテルによる記念碑的な名演だ。

リヒテルは、全集を好んで録音したピアニストではなく、これだけの実績のあるピアニストであるにもかかわらず、ベートーヴェンのピアノ協奏曲全集を完成したという記録はない。

単発的に、本盤の第1番や第3番などを録音したのみであり、あとは、ライヴ録音が何点か遺されているのみ。

その意味では、本盤は、リヒテルによるベートーヴェンのピアノ協奏曲録音の貴重な記録と言える。

演奏も、リヒテルのスケール雄大なピアニズムを味わうことができる名演だ。

力強い打鍵といい、繊細な抒情といい、壮年期のリヒテルの素晴らしい至芸を存分に味わうことが可能だ。

ミュンシュ&ボストン交響楽団も、ドイツ風の重厚な演奏を行っており、リヒテルのバックとして、最高のパフォーマンスを示していると言える。

併録のピアノソナタ第22番も、「ワルトシュタイン」と「熱情」に挟まれて、必ずしも有名とは言い難い同曲の真価を聴き手に知らしめることに成功した稀有の名演。

そして、何と言っても素晴らしいのは、XRCD化による極上の高音質録音。

本盤は、1960年の録音であるが、とても、そうとは思えないような鮮明な音質だ。

とりわけ、リヒテルのピアノが実にクリアに聴こえるのが素晴らしい。

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2012年12月15日


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巨匠リヒテルの残したディスクのなかで、ショパン・アルバムは数少なく、ショパンを好まなかったと思えるほどだ。

しかも、ひとつのジャンルをまとめて全曲録音しているものは珍しい。

そうした点からこのスケルツォ全曲盤は、貴重な1枚である。

リヒテルのショパンは、非常にクールで理知的であり、サロン的な甘いムードや華やかさを廃した厳格ともいえる端正さが特徴である。

4曲のスケルツォに対して、ロマンティックな華やかさよりも、端正な構築美を強調したような演奏であり、そこには、リヒテルのスケールの大きさと、堅固な構成力が生かされている。

リヒテルはショパンの表現の、刹那的な部分や過度の感情の発動を許す部分を、古典主義的な精神で極力コントロールしているが、音楽は流麗さを失うことなく、実に澄み切ったたたずまいをみせている。

彼の強い構成力と音をコントロールするテクニックなくして、このような演奏は生まれ得ないだろう。

自然体の語り口で、一見したところ淡々とメロディを紡いでいるように思えるが、実は、内面から滲み出るような、奥の深いドラマが隠されている。

この4曲のスケルツォは、ショパンの心の奥底を表現しているかのような孤高の厳しさが感じられ、まさに純度の高い芸術作品へと昇華している。

ショパンのスケルツォの持つ躍動美と深刻さという、相反する特色を、見事に融合させた演奏とも言えよう。

リヒテルの知的存在感にあふれた演奏である。

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2011年12月25日


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西側にデビューする以前のリヒテルの凄さが端的に表れている歴史的名演だ。

現代においてはあまりにスッキリとした演奏のように思えるかもしれない。

イン・テンポできっちりと押し通し、表現もむしろ淡白と言っていいくらいに遊びが少ない。

しかしリヒテルの玲瓏としたピアニズムがかえって同作品を赤裸々に描き出し、的確にシューマンのロマン性を引き出し得ているのを痛感させる。

リヒテルのピアノには覇気があり、きわめて力強い。

底力ある打鍵から、堂々とした構えの音楽が生み出されているという感じだ。

それでいて、シューマンのデリケートな魅力をあますところなくカヴァーし得ており、流石である。

余分なものをすべて取り去ったようなスマートな造形、凛とした強い意志に貫かれた解釈、なにかハードボイルドを思わせるクールな演奏である。

しかし的確に曲の本質をついてゆく、強烈な求心力がこの演奏にはある。

最近は、シューマンのピアノ協奏曲を、希望に胸をふくらませ、元気いっぱいに、まるで"青年の主張"のように再現するのが流行しているようだけれど、ここに聴くリヒテルのピアノは、そのような演奏とはまるで性格を異にしている。

ここにおける彼のトーンは、決して明るいものではなく、ほの暗い。

ただひとつ、ほのかに灯ったローソクの炎をじっと見入るように、自らの心の奥深くに分け入っていき、そこにおいてシューマンの協奏曲を把握していこうとしている。

その結果、ここではときに、心の中の嵐が聴こえるようであり、心の中のモノローグが聴こえてくるようだ。

こうしたシューマンを聴くと、これこそが、と思う一瞬が確かにある。

"曲の原点に帰る"意味ではこの演奏をまず挙げたい。

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2011年08月20日


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わが国にデビューした当初のリヒテル(もちろん、ディスク・デビューである)は、桁違いに大きい表現力の振幅で、聴き手を圧倒していったものであった。

後期から晩年になってのリヒテルも、やはり驚くべき振幅をもった表現力を誇ってはいたものの、同時に、以前よりいっそう求心的な力強さをもった内省的な要素をあらわにしていくようになる。

1991年に録音されたベートーヴェンの後期の3曲のソナタの演奏(当時、リヒテルは76歳である)でも、そうした傾向は顕著であるといえよう。

70代後半を迎えたリヒテルが、ベートーヴェンの最後の3曲のソナタを録音したことにも、一つの意義が感じられる。

それ自体が彼のベートーヴェン演奏の集約であるということではないが、そこには、豊かなキャリアとともに到達したベートーヴェンの内面の世界への深い共感も見出せよう。

数多いリヒテルのベートーヴェン演奏の中では、ベストとして選ぶよりも、彼の活動の歴史の中の一時点を物語るものとして興味深い1枚だ。

第31番の第3楽章に聴く痛切な情感から、第32番のソナタのスケールの大きな表現力に至るまで、リヒテルが到達した音楽性の高さはすばらしい。

リヒテルの演奏の特色は、作品に内在する緊張感(別の言い方をすれば造型力)を徹底的に表出してみせることだと思うが、ここでもそれが十全に生かされている。

リヒテルの透徹した精神がベートーヴェンの貴重な精神を伝えている。

これは西側よりむしろ旧東側で練られたものではある。

しかし、そこには極限までベートーヴェンが考えた表現を聴くことができる。

その解釈は多くのことを教えてくれる。

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2011年08月10日


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ピアノの打楽器的な扱いや、断片的な旋律、さらに超人的なテクニックをエネルギッシュに盛り込んだバルトークのピアノ協奏曲第2番は、屈指の難曲として名高い。

リヒテルは難解な書物をわかりやすく咀嚼するかのように、きわめて音楽的にこれを処理してしまう。

怖いまでの音楽性とピアニズム!

シャープなリズム感、そしていかなる至難なパッセージも恐ろしくクリアに立ち上がらせる技巧、さらには攻撃的ともいえる表現の鮮烈さ等々、実にスリリングなシーンが連続する。

幽玄この上ない第2楽章と、エキサイティングな両端楽章との対比がすばらしい。

この演奏を基準にヴィルトゥオーゾを設定すれば、クリアするピアニストなど一握りにも満たないだろう。

プロコフィエフのピアノ協奏曲第5番は、技術的には難曲だけれど、内容的には平明といえば平明、奥がありそうといえば奥がありそうで、その性格づけはなかなか難しい。

こうした曲をリヒテルが演奏すると、その圧倒的ともいえるようなグランド・マナーによって、きわめてスケール雄大に、しかも内容も濃く描き上げてしまう。

高度なテクニックを背景にして、雄弁きわまりない演奏が出来上がっている。

聴き終わると、密度の濃い演奏にふれたという充溢感が満ちてくる感じだ。

さすがリヒテルというところなのだろう。

また、ここでは指揮者マゼールも負けてはいない。

メリハリを強調した音楽づくりで、独奏者と堂々四つに組んでいる。

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2011年02月09日


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リヒテルが"西側"にようやくその実体をあらわし始めたのが1959年。

それまでは幻のピアニストとして封印されていた。

しかし今日では、その"幻のピアニスト"時代が録音演奏によって次々と復元されている。

本盤もそのひとつで、リヒテルが初めてプラハを訪れた際(1954年)に収録されたものである。

当時のリヒテルは39歳。この頃の彼の演奏には、何か肩で風を切る壮快さがある。

一音一音の音質の端麗さはいうまでもないが、表現にはムラがなく、一気呵成に最後までもっていく表現力は尋常ではない。

チャイコフスキーは速いテンポでぐんぐん進めつつ、たくましい打鍵でピアノ全体を鳴らしている。

思い切ったルバートで情感を盛り上げ、時にはすさまじいスピードで突進するなど、なかなかスリル満点だ。

プロコフィエフは後年のリヒテルに比べるとコクがない。

なかでは感情をこめて豪壮なクライマックスを築き上げる第2楽章が聴きものだ。

アンチェルの指揮は清らかで柔らか味もあり美しい。

身を切るようなバッハの美演、プロコフィエフの精悍なピアニズム、そしてチャイコフスキーの奔放さ!

まさに極上のリヒテルがここにある。

とくにチャイコフスキーはアンチェルの指揮ともども、ムラヴィンスキーやカラヤンとの共演盤と比べても遜色のない名演といえよう。

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2010年12月09日


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ヘヴィ級の魅力をもった《ます》の演奏であるが、愉しさの点でも第一級だ。

同曲はリヒテル初録音で、ライヴならではの緊迫感がすこぶる快い。

メンバーの名前からは、スラヴ的な重々しい音楽を予想していたのに、聴こえてきたのはウィーン風なポルタメントを少しだけ生かした、じつに軽快で闊達な《ます》だった。

それほど単純にいえるようなことではないが、《ます》の五重奏曲の演奏で、やはり第一にその成否を左右するのがピアニストであることは事実であろう。

もちろん、ソロイスティックな魅力とアンサンブルに寄り添っていくような感性が、そこでは求められるであろうし、何といっても音の美しさが絶対に欲しいということになると、やはりその名は絞られてくる。

それゆえ、聴き手の関心の中心になるのはもちろんリヒテルの演奏で、彼が弾き出す美音は心に深くしみいってくる。

聴衆を前にしたリヒテルが、気持ちを静かに燃やしているのが感じとれる演奏といったらよいだろうか。

リヒテルとボロディンSQのメンバーらによる1980年のライヴがつねに名盤の一つとして挙げられるのは、当然の結果であったかもしれない。

ここではピアノのリヒテル、ボロディンSQともに力強い語り口で、しかも表現力はたいそう濃い。

ナイーヴでシャイなシューベルトでは全然ないけれど、なおかつ他を圧倒するような存在感を示している。

ともかくピアノの美しさが必要なだけ際立っているのは確かであるし、品位と風格がインティメートな結びつきの中にもある。

ボロディンSQの3人とヘルトナーゲルの誠実かつ真摯な演奏ぶりが楽趣を高めているのも忘れてはならない。

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2010年04月25日


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リヒテルが、スタジオ録音をそろそろやめ、もっぱらライヴ盤を出し始めた頃の名盤のひとつ。

リヒテルはもうこれ以上遅くはできないぎりぎりのところまでテンポを落とし、しかも音色美に過剰に依存することもせず、感情表出の深い境地に静かにわけ入ってゆく。

ここではひたすらシューベルトの音楽に沈潜した大家の、年輪を経た円熟した肉声が語りかけてくる。

リヒテルは、シューベルトのピアノ・ソナタを多く録音しているが、とくに第14番は、リヒテルの数々の演奏のなかでも傑出している。

シューベルトが病のため憂愁に閉ざされた頃の産物である、このもの哀しいイ短調のソナタを、リヒテルはゆったりとしたテンポで、しばしば深淵を見遣るような表情とともに奏でている。

きわめてゆっくりしたテンポで、シューベルトの音楽の内面をじっくりとえぐりだしたような表現は、聴いていると、思わずひきこまれてしまう。

ちなみに彼は"愛すべき作曲家"シューベルトの奥に横たわる深いものを、誰よりも早く、そして的確に、探り出してみせたピアニストではなかったろうか。

この演奏の重さと、それにもかかわらず漂っている不思議な澄明さは感動的である。

なお併録されている第13番もたいへんに美しい演奏。

第9番と第11番という、なかば忘れられようとしているシューベルトが20歳頃に書いたつつましい2曲から、リヒテルは豊かな情趣を引き出している。

例によって緩急自在に弾きわけながら、音楽の流れは自然で、しっとりとした情感に満ち、心の底に深く訴えてくる。

第3楽章として作品145のアダージョを併用している第11番も、作品の問題点を感じさせる以前に、ある真実の表現をもった音楽となっている。

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2010年01月22日


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シューベルトのピアノ・ソナタは今でこそ多くのピアニストによって取り上げられているが、かつては《即興曲》や《楽興の時》の陰に隠れたような存在だった。

長大な作品が多い故にまとめにくく、敬遠されがちだったのかもしれない。

1972年にこのシューベルトの最後のソナタを録音したリヒテルは、たんに長いだけではないそのスケールの大きさ、作品としての価値の高さを、演奏で威厳をもって知らしめた。

彼はこのソナタを悠然と弾き始めるが、その演奏は決して冗長には流れない。

このピアニストの確固とした構成力、鋭い集中力、そして深い精神性をもって、引き締まった流れと程良い緊張感が最後まで確保されると共に彫りの深い音楽が形作られ、全体として重厚で深々とした味わいをかもし出すのである。

かといって終始重々しく続くというわけではなく、テンポの緩急のコントラストも鮮明に描かれる。

一方この変ロ長調のソナタは、第1楽章の第2主題が嬰ヘ短調で現われたり、第2楽章が嬰ハ短調で書かれているなど、意外かつ絶妙な転調に彩られているが、それに対するリヒテルのゆるぎない構え、調和を図る対処も、見事だと言えるだろう。

そして、彫りの深い造形と厳しい緊張の糸のなかから、シューベルトならではの歌謡的で息の長い旋律が立体的に浮かび上がってくる。

音楽的な情感も豊かで、旨みのある表現が散見されるその演奏は、感動的な余韻を残す。

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2009年12月13日


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シュライアーとリヒテルの「冬の旅」は再開されたゼンパー・オペラの開場記念コンサート。

「美しき水車小屋の娘」と「白鳥の歌」を以前に録音(前者は3度)してきたシュライアーが、「冬の旅」を1985年になってようやく、しかもライヴ録音した。

また、リヒテルは過去に夫人のドルレアクとのグリンカの歌曲やF=ディースカウとのブラームス等の伴奏があったが、シュライアーと「冬の旅」を録音したのは意外だった。

シュライアーは慣行版ではなく、初稿を参照した版で歌っており、ライヴならではの即興的な2人の対応も好ましい。

シュライアーとリヒテルによる水も洩らさぬこの「冬の旅」は、手稿版などを丹念に参照した上でのテンポ設定や、細かい発想記号の読み直しなどが行われ、バリトンやバスで歌われがちなこの曲に新しい解釈を示している。

シュライアーはリヒテルのすぐれた伴奏に支えられ、叫びに近い心理的、表現主義的な風景を展開している。

シュライアーの歌唱には一切の恣意的表情が影をひそめ、厳しい歌の表情が全曲を支配し、異常なまでの緊張力が聴く者の精神におそいかかるかのようだ。

「冬の旅」はほとんど孤独の狂気に近づいている音楽だ。

シュライアーはそこに着目し、表現主義的な手法によって、この歌曲集の底にひそむ近代的な病理をえぐり出している。

実に果敢な演奏だが、リヒテルのピアノがリアルで、シュライアーの冒険を支えている。

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2009年07月20日


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ドヴォルザークには、ピアノ、ヴァイオリン、チェロのそれぞれに1曲ずつ傑作協奏曲がある。

この作品はピアノ協奏曲とはいっても、ソロとオーケストラのパートを同等に扱ったもので、いわば交響的な協奏曲となっている。

1997年に82歳の生涯を閉じたリヒテルは、強烈な個性と膨大なレパートリーを持つ巨人ピアニストだったが、これは、この彼に勝るとも劣らぬ個性の持ち主クライバーとが、がっぷり四つに組んだ録音。

2人の演奏家の丁々発止と火花を散らす掛け合いの面白さは比類がない。

強烈な個性をもったふたりの演奏家のかけあいのおもしろさに惹かれる演奏である。

激しく燃えるクライバーの棒と、あくまでも冷静に構えたリヒテルのソロは、一見異質で対照的だが、その豪快な音楽の運び方は見事のひとことに尽きる。

ただここでのリヒテルはピアニズムよりは内容を生かそうとしており、スケールの大きい描きぶりだが、全体として今ひとつ吹っ切れない。

ここでの聴きものはクライバーの指揮で、生命力と緊張感に満ちた響きやリズムのよさ、カンタービレの豊かさ、音色の魅惑など、どの一部でも天才的だ。

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2009年04月27日


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ソフィアでのリヒテルのヨーロッパ・デビュー・リサイタルのライヴ録音全曲を収録。

聴衆を前にしての演奏だけに、爆発的で、雄渾な演奏が楽しめる。

特に「展覧会の絵」での雄渾な演奏はすべての聴き手を圧倒せずにはおかない。

「展覧会の絵」では、楽想のコントラストが最大限に活用されており、激しい緊張と力感を生み出し、リヒテルならではのたくましい表現が印象に残る。

スケールの大きさもさることながら、ピーンと張りつめた緊張の持続がすごい。

きわめてスケールの大きな、ダイナミックな表現で、巨匠リヒテルの面目躍如たる秀演だ。

モノーラルなので、あまり音の状態はよくないが、その明確なリズム感と、テクニックの精緻さには驚く。

ことに凄まじいばかりのテクニックで表現した「バーバ・ヤガーの小屋」と、堂々と力強く弾きあげた、最後の「キエフの大きな門」は感動的だ。

一方、シューベルトの小品での抒情も、聴き手を魅了しないではおかない。

リヒテルの幅広い表現力がここにも現れている。

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2009年04月19日


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真のヴィルトゥオーゾでなければできない演奏を披露しているのがリヒテル。多彩で緊密なリストである。

エネルギーの激しい放出、いかにも雄渾で剛直な表現、演奏全体を支配している熱気、など聴き手を圧倒するに充分。

とかく突っ走りがちな並みの技巧家とは違って、リヒテルは多少遅めのテンポで重厚に弾き進んでゆき、その中で大きく伸縮させている。

しかも他の演奏にはみられない高貴な雰囲気ですべてを包んでいるところまで、リストそのひとの演奏をすら思わせるものである。

いずれの曲も情緒を大切にした彫りの深い表現で、雄大なスケールと詩情が理想的にミックスされており、技巧的にも間然とするところがない。

第1番は、終楽章に向かっての劇的な音楽づくりにひかれるし、第2番は、ソロとオーケストラとの絶妙なかけあいが光る。

特に第2番は一段と細かいところまでみがきがかかっていて、しかも様式統一が見事に行われている。

こんなスケールの大きな、また深い味わいをもった演奏は今までに聴いたことがない。

コンドラシンのサポートも卓抜で、何より音楽的。

味があるリストだから、何度聴いても飽きがこないだろう。

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2009年03月25日


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ほぼ50年近くも前の録音になるけれど、ここではリヒテル盤をとりあげておきたい。

「さすらい人」はいかにもリヒテルらしい、がっしりとした構成感をもった演奏だ。

冒頭からぐいぐいと強烈な意識的な力を示しつつ音楽が展開していくが、それは決してテクニックを披瀝して力でねじ伏せるのではなく、まさしく作品に秘められたエネルギーを解き放っている。

この曲は全体にシューベルトとしては珍しく超絶的な技巧を駆使して書かれており、終楽章などは、あまりにも難しすぎて、シューベルトでさえ満足に弾きこなせなかったという。

そういう演奏テクニック上の困難さだけではなく、表現内容も複雑多岐に渡り、困難さを数多くかかえているこの曲を、リヒテルは充分な余裕をもってクリアしている。

天を駆け、地を這うような起伏の豊かさがスケール大きく照射されており、そのなかにシューベルトならではの息の長い歌心も見事に描ききられていて、なんとも素晴らしい。

また、ダイナミクスの幅を抑え、明るい情感を浮かび上がらせるソナタでは、きめ細かな抒情を豊かに聴くことができる。

録音状態を多少差し引いたとしても、この演奏から聴くべきものは、今もって多いといえよう。

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2009年02月18日


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バッハは、主題を次々と変容させ、鎖の環のようにして繋いでいき、巨大な「ゴールドベルク変奏曲」を作った。

規模、構想においてもこの変奏曲に匹敵するのは、「ディアベッリ変奏曲」しかあるまい。

バッハの曲は、最後に再び主題が登場し、円環が閉じられるが、ベートーヴェンの曲は、主題の変奏が次の変奏を創りだしながら、螺旋状に高みを目指しながら上昇してゆき、第32変奏でクライマックスを迎え、最後の変奏では、晴朗で、あたかも天上界に歩み出すかのごとくして、虚空に音楽が消えてゆくのである。

リヒテル盤は、例えば、ベートーヴェンがくそみそに言った冒頭の主題でさえ、こまかにアクセントを付けながら、これから始まる千変万花の世界を予感させ、聴く者を引きずり込まずにはおかない。

深く、拡がりを持ちどこまでも音が放射するかと思うと繊細、微妙に描きつくしながら凝縮し、収斂してゆく様は、たとえようがない。

「フゲッタ」では、静謐な世界に流れ出る敬虔な祈りの音楽、第32変奏では、対位法の綾を緊張感あふれながら、組み立てていき、壮大な大伽藍を築きあげている。

この長大な作品をリヒテルで聴くと、まるで"弾かれる劇"のごとき趣がある。

このような素晴らしい演奏が存在する幸運を思わざるを得ない。

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2009年02月01日


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リヒテルの十八番、ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第2番はグラモフォン盤が名盤として有名だが、メロディア盤の方がリヒテルのラフマニノフに対する共感がいっそう直截にあらわされており、指揮、オケも断然素晴らしい。

リヒテルは、ゆったりとしたテンポで、感傷性を排しながら弾いている。

1つ1つの音の持つ意味をこれほど明らかにした演奏もあるまい。

ラフマニノフの不健康な情緒を、リヒテルほど心をこめて表出したピアニストはいない。

この曲にもっともぴったりした表現で、情感豊かな出来映えである。

特に第2楽章は聴いていて心がうずくようだ。

ザンデルリンクの指揮も、遅いテンポから濃厚な味わいを見せ、盛り上がりの威力はすごい。

それに、レニングラード・フィルの演奏が素晴らしく、第2楽章で、ピアノの伴奏にのってフルートが旋律を吹き、クラリネットに変わるあたりなど、このオケの魅力を余すところなく伝えている。

チャイコフスキーは指揮者のせいか、リヒテルにしてはテンポが速いが、その中で力強さと情感を同時に生かしていく。

ムラヴィンスキーの細かいニュアンスと音楽性はさすがに見事だ。

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2008年12月14日


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リヒテルとマタチッチの唯一の共演盤。

このグリーグは傑作だ。例によってリヒテルが、スケールの大きい音楽世界を繰り広げている。

リヒテルの演奏は、思考の積み重ねの末に再構築されたロマンと言っていいだろう。

ネオ・ロマンティシズムの表現の、ひとつの解答がこの演奏だ。

しばしば拡大されたディティールが前面にせりだしてきて、「おやっ」と思わせる。

知の力が優った演奏だが無感情ではなく、気分の沈潜の有り様について考えさせる不思議な個性にあふれた演奏だ。

遅いテンポと粘ったリズムによる第1楽章は著しくロマンティックで、それに凄まじい気迫と強靭なタッチが加わって表現の幅が増している。

カデンツァの豪壮な再現、聴き手を圧倒しないではおかない凄まじい気迫は、このピアニストならではのものだ。

その一方で、グリーグ特有の憂愁美に彩られた諸主題を、やや遅めに設定されたテンポで、あくまでも優美にしっとりと歌い上げて見せる。

第2楽章はくっきりとしたタッチが美しく、フィナーレは第1楽章とほぼ同様。

剛から柔に至るその幅の広さは、他のピアニストたちに比べると抜きん出ており、それがリヒテルのこの演奏を、「さすが巨匠芸」と認識させるばかりか、作品そのものを巨匠風に感じさせる要因になっている。

マタチッチの指揮も両端楽章の豪快さ、雄大さはその比を見ず、旋律は豊かに歌われ実にふっきれた表現だ。

しかしシューマンは今ひとつ共感できない。

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2008年10月28日


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ここにおけるリヒテルの演奏は、彼がまさに巨匠ピアニストであることを知らしめる名演のひとつである。

シューマンの音楽が内在する躁と鬱の調和的融合を目指して成功しており、男性的な力動感にあふれ緊張の糸が途切れることがない一方、柔軟さとやさしさを失わず、シューマンの複雑なコンプレックスを見事に描き出している。

特に「幻想曲」では、聴き手を身ぶるいさせるような緊張感が持続するなかで、ドラマティックでスケールの大きな音楽が繰り広げられる。

骨太な作りと深々とした響きをもって進んでゆくその演奏は、表情に多彩な変化をみせ、ファンタジーにあふれている。

いかにもリヒテルらしい骨太のしっかりした音楽だが、そうした枠組の中でシューマンらしいファンタジーが沸き立つ。

その構成感とファンタジーの兼ね合いのバランスが実に見事で、表現を底から支える意志の存在が力強く感じられる演奏だ。

その手綱さばきは当然したたかな読みがあるのだが、それを全く感じさせない、いかにも男性的なシューマンである。

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2008年10月02日


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"幻のピアニスト"といわれたリヒテルが、西側に鮮烈なデビューを飾る直前の録音(1959年)。

録音こそ多少古くなったが、演奏のスケールの大きなことでは、王者の貫録を誇っているといえよう。

この時すでに彼は同曲を2度録音していたというから、かなりの執着と思い入れがあったことは確かである。

冒頭、ピアノの伴奏音型が細部までクリアに浮かび上がってくるだけでも、これは並のラフマニノフではないことを実感。

リヒテルの音色は暗く重く、いかにもロシアのピアニズムを思わせ、ゆっくりとしたテンポで、悠々と歌わせているのが素晴らしい。

甘美な旋律線も彫りが深く超然としたリリシズムを湛えている一方、クライマックスでは情熱のほとばしりがストレートに伝わる高揚と緊張が漲っている。

エネルギッシュでありながら曲の本質を見事に貫くシビアな感触がこの演奏にはある。

そしてまだ若さも弾力性もあった頃のリヒテルで、その技巧の素晴らしさと鮮やかさは、アシュケナージ以上といえるかも知れない。

音楽の内面を深々と掘り下げているのも魅力で、ことに第2楽章は精妙きわまりない。

山ほどある名演の中でも、襟を正させるラフマニノフを聴かせるのはリヒテル以外にない。

ただヴィスロツキの指揮が、いささか微温的なのが物足りない。

プロコフィエフもピシッと一本芯の通った鋭い表現で、スケールの大きな演奏である。

随所に、ロシア的な情感を表出しているところに、リヒテルらしさを感じさせる。

いずれも共演している指揮者とオーケストラが、もっと著名なものであったなら、という気がしないでもないが、これは聴き手の欲というものだろう。

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2008年09月25日


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リヒテルは、ベートーヴェンでは充分に練り上げた解釈を示し、作品の内面深く迫る素晴らしい音楽を聴かせる。

静寂の中の水晶のように美しい響きと激しいフォルテとのコントラストも見事で、すべてが有機的に作用してベートーヴェンの壮大なドラマトゥルギーを形成している。

シューマンは第1楽章が絶品で、柔らかくしなやかな感性が全体を貫き、テンポも音楽作りも自然である。

シューマンの「幻想曲」のような曲は、ファンタジーの何たるかをすっかり曖昧にしてしまった現代の若手ピアニストたちには、まるで手に負えなくなってしまった。

仮にテクニックだけが万全に近いものであったとしても、このような曲はどうにもならない。

ここに聴くリヒテルは、もちろんテクニック的にもすごい高みに立ってはいるけれど、すぐにでも傷ついてしまいかねない柔らかで優美な抒情性と、吹き荒れる台風のような感情の激しさとが、ほとんど非論理的に交錯し合い、ややもすると支離滅裂にもなりかねないような状態を、たくましい音楽性で大きくまとめ上げ、唯一無二といえるような存在感を与えて得ている。

その手腕は実に素晴らしい。

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2008年09月24日


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これを聴いてシューベルトのソナタが好きにならない人はいないだろう。

シューベルトの演奏としては、きわめてスケールの大きな表現で、剛と柔とを巧みに対比させながら、強い説得力をもっていて聴かせる。

特に第19番第4楽章のロンドが圧巻。何とも快いリズムに乗って、緊迫した世界が醸し出される。

また第1楽章では、暗と明、剛と柔のコントラストを巧みに生かしつつ、実にしっかりした構成的なシューベルトを聴かせる。

これらの急速楽章は、弾き手が凡庸だと退屈に感じられるのに、すぐれた構成家であるリヒテルの手にかかると時間を感じさせない。

長大なソナタ第21番の前半、第1,2楽章をリヒテルは実にゆったりと弾き進んでゆく。

その中でシューベルトが背景にくっきりと浮かびあがり、聴く者を魅了する。

わけても第1楽章など、異常に遅いテンポだが、ほの暗く、不安な気分を強調していて、この曲のもつ微妙なニュアンスを心憎いまでに描き出している。

余韻嫋々で抒情美の極みといっても過言ではない。

第3,4楽章は快いテンポが演奏を支配し、軽快なシューベルトの世界が出現する。

力のあるピアニストが余裕をもって音楽する楽しみが強く感じられる演奏だ。

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2008年07月17日


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独奏者リヒテル、指揮者カラヤン、ともにチャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番の録音を複数回行っているが、両者が共演した本盤の演奏内容が最も興味深い。

まず、ここでは指揮者カラヤンの音楽づくりが、常日頃とは若干様相を異にしている点に注目したいと思う。

周知のように、カラヤンは極めて多くのディスク類を作っており、その大部分はいわゆる「カラヤン節」というか流麗な音楽の流れを最大限に磨き上げ、ドラマティックな要素からデリケートな要素に至るまで、余裕を持って豪華に描き出そうとしているのだが、それがここではやや違っている。

ウィーン交響楽団を指揮したこの演奏では、常日頃よりはずっと前のめりになって曲に向かっている。

華やかなダンディズムといった趣きがある彼としては珍しく、オーケストラに対して力みを感じさせるような傾向があり、目を閉じて颯爽とした指揮ぶりで全体を仕上げる彼が、ここでは終了後、かりに汗を拭ったとしても不思議でも何でもない、という感じだ。

カラヤンの演奏には「汗の跡」のようなものがないから好き、というファンには不本意かもしれないが、こうした彼の姿もときにはスリリングで興味深い。

改めて指摘するまでもなく、それもこれも独奏者リヒテルの強靭で奔放なピアノに、カラヤンが強烈なライヴァル心を燃やした結果、生じたものなのである。

実力、個性ともに秀でた両者の丁々発止とやりあう関係が、なんとも面白い。

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2008年06月01日


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ショスタコーヴィチのピアノ五重奏曲ト短調作品57は、「交響曲第5番」と「第6番」の間にはさまれるようにして生まれた作品で、ショスタコーヴィチの室内楽の最高峰としてたたえられている傑作である。

あまりにも陰鬱で深刻な弦楽四重奏曲を敬遠している人にショスタコーヴィチの室内楽の入門として薦めたい。それから弦楽四重奏曲を聴いても遅くはないだろう。

1983年、モスクワでのライヴ録音で、数少ない現代のピアノ五重奏曲の名作の1つが最高の顔ぶれで録音された期待の1枚である。

ボロティン四重奏団の円熟した演奏が見事で、リヒテルのピアノが、それをひきたてている。

エドリーナと共演したボロディン四重奏団の旧盤に比べ、いささか曲を物々しく取り扱いすぎた嫌いがあるとはいえ、巧妙な演奏設計で気の合ったアンサンブルが繰り広げられている。

第4楽章の憂愁をおびた旋律の歌わせ方など、いかにも本場の演奏家らしい表現だ。

ことに第1ヴァイオリンの透き通るような美しさで弾かれる憂愁の歌を中心とした演奏は、最も感動的な部分だ。

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2008年02月23日


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オリジナル楽器による演奏が顕著になってきた20世紀末にあっても、1世紀前のブゾーニ以来変わらず、依然としてピアノで弾く《平均律》の演奏は好まれている。

それがこの曲集の持つ底なしの可能性の一面をのぞかせている。

同じく現代ピアノによるグールドやシフ、ニコラーエワといった名演もあるが、リヒテルのものは全編を徹底したロマン的詩情で貫いており、20世紀最後の巨匠的ピアニストの偉業としても残るものだろう。

ソフト・フォーカス的な録音によって掻き消されてしまう声部の明確な分離も、この圧倒的な詩情の前では些事としか映らない。

バッハが前奏曲とフーガという組み合わせの中に実に多様な表現と感情移入を可能としていたことを、リヒテルは明らかにしている。

それだからこそ、その作品は芸術として大きい。

ここでのリヒテルを、抒情的に流れすぎていると思う向きもあろう。

だが、そのために無味乾燥を避け、聴き手の心に長く残る演奏芸術となった。

リヒテルが生命体とした「平均律」から私達はすばらしい音楽体験が味わえる。

それは20世紀後半に好まれたバッハ演奏の、ひとつの典型を示していると言えよう。

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2008年02月04日


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2人の巨匠の顔合わせだけあって、大変スケールの大きな演奏である。

朗々と高鳴るチェロ、それを支える芯の強いピアノ、両者の間に、目に見えない火花の散っているかのような迫真的な名演だ。

2人の名手が火花を散らすようにぶつかり合い、自分の音楽を主張しながら、そこに絶妙な調和を生み出しているこの演奏は、二重奏の最も高度な境地をうかがわせる。

骨格のたくましい、正攻法的な演奏で、実にみずみずしい音楽を作っている。

また感興豊かで細部まで深く練り込んでいる。

それぞれの作品の性格を明快に表わしていることでも、これに勝る演奏はないだろう。

最も聴き応えがあるのは第3番だ。

第1楽章の冒頭の部分を聴いただけでも、2人の名人の物凄い気迫と緊張した呼吸が、聴き手にも伝わってくる。

ロストロポーヴィチとリヒテルが火花を散らしつつ繰り広げてゆく二重奏の中から、ベートーヴェンの威容がくっきりと姿を見せ、聴き手を圧倒する。

この魅力に抗し得ない人が音楽ファンのなかに果たして存在するだろうか?

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classicalmusic

早稲田大学文学部哲学科卒業。元早大フルトヴェングラー研究会幹事長。幹事長時代サークルを大学公認サークルに昇格させた。クラシック音楽CD保有数は数えきれないほど。いわゆる名曲名盤はほとんど所有。秘蔵ディスク、正規のCDから得られぬ一期一会的海賊盤なども多数保有。毎日造詣を深めることに腐心し、このブログを通じていかにクラシック音楽の真髄を多くの方々に広めてゆくかということに使命を感じて活動中。

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