クーベリック

2016年06月09日


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一昨年2014年はラファエル・クーベリック生誕100周年に当たり、これまでにリリースされていなかった音源がCD化されるのはオールド・ファンにとっては幸いだが、この演奏はそれ以上に普遍的な高い価値を持っていると思う。

1962年8月15日のルツェルン音楽祭からのライヴ録音で、モノラルだが音質自体は良好である。

ライナー・ノーツによればこの日の演目はベートーヴェンの『エグモント序曲』とモーツァルトの交響曲第40番ト短調及びここに収められたバルトークのオペラ『青髭公の城』の演奏会形式によるドイツ語上演で、本来予定されていたフリッチャイの容態が悪化したために奇しくも同い年だったクーベリックが指揮台に立ったようだ。

フリッチャイにとっては師に当たるバルトークの作品の上演が実現されていれば、それはそれで貴重なライヴになったには違いないが、クーベリックは作曲家の野太く鮮烈な音響の再現と同時に、フィッシャー=ディースカウとゼーフリートの歌唱を鮮やかに引き立てている。

血塗られた暗い雰囲気のオペラだが、クーベリックがスイス祝祭管弦楽団から導き出す音色は色彩感に富んでいて、バルトークが単に不気味なオーケストレーションを施しているのではないことが理解できる。

そこには音響による闇と光りの世界の強烈な対比が描かれ、また心理描写では人後に落ちないフィッシャー=ディースカウによる青髭公の精緻な歌唱が彼の閉ざされた心理状態を克明に再現し、ゼーフリートの清楚な声での絶唱がかえってユディットの奔放な性格を引き出させて、この作品のおぞましさを際立たせている。

尚オーケストラは現在のルツェルン祝祭管弦楽団の前身になるが、流石に名立たる指揮者やソリストとの協演が多いために音楽的な水準は極めて高く、終曲の後も長く余韻を残す弛緩のない演奏が素晴らしい。

デジパックに挿入された35ページほどのライナー・ノーツにはクーベリックのキャリアと、この作品についてのコメントが独、英、仏語で掲載されている。

また演奏会当日の貴重なスナップも数葉加えてこの手のCDとしては充実した内容になっているが、残念ながら歌詞対訳は省略されている。

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2016年04月06日


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プラガ・ディジタルスSACDシリーズの新譜で、クラウディオ・アラウが1964年にラファエル・クーベリック、バイエルン放送交響楽団と行ったライヴからブラームスのピアノ協奏曲第1番ニ短調と、1963年スイス・ルガーノでの同じくブラームスの『ヘンデルの主題による変奏曲とフーガ』変ロ長調の2曲が収録されている。

いずれもステレオ録音だが、特にピアノ協奏曲の音質はこの時代のライヴとしては極めて良好で、SACD化によって更に音場に奥行きが出て、鮮明かつ立体的な音響空間が再現されている。

彼らがピアノ協奏曲第2番を遺してくれなかったことが惜しまれるが、アラウは1960年にもジュリーニ、フィルハーモニア管弦楽団とのセッション、1963年及び1966年にハンス・シュミット=イッセルシュテット、北ドイツ放送交響楽団とのライヴ、1969年にはハイティンク、コンセルトヘボウ管弦楽団とのセッションによるブラームスの2曲のピアノ協奏曲を録音していて、アラウが如何にこれらの作品に情熱を傾けて精力的な演奏活動をしていたかが理解できる。

その中でこの1964年のライヴは当時61歳のアラウが円熟の境地を示した、またライヴならではの高揚感と緊張に貫かれている。

尚この音源はオルフェオ・レーベルからレギュラー・フォーマットのCDでもリリースされている。

アラウのブラームスをありきたりな言い方で表現するならば、泰然自若として悠揚迫らぬ演奏と言ったらいいだろうか。

ピアノ協奏曲第1番では第1楽章のテンポをむやみに速めず、マエストーゾの指示を誰よりもわきまえた厳格なアプローチと、そこから醸し出される骨太なロマンティシズムが横溢している。

クーベリック指揮するバイエルン放送交響楽団は、より明るく解放的なジュリーニ、フィルハーモニア管弦楽団と比較するとやや渋めの音色だが一糸乱れぬ高潔さがあり、また非常に幅広いダイナミクスで作品の核心に迫って来る凄みがブラームスの音楽には明らかに幸いしている。

シンフォニックなオーケストレーションを一層引き立てているのは手兵の強みかもしれない。

第2楽章アダージョでもテンポはかなりゆったりしているが、安っぽい甘美さやメランコリーなどは排除されて、常に高踏的な緊張感が保たれている。

終楽章では2番目のカデンツァあたりから展開されるアラウならではの豪壮華麗なピアニズムと相俟ってクーベリックの強力なサポートが荘厳なクライマックスを築き上げている。

『ヘンデルの主題による変奏曲とフーガ』の音質はやや落ちるが、この手のライヴとしては及第点と言えるだろう。

アラウのテンポはやはり鷹揚で、充分な歌心を持ったカンタービレで主題のアリアが開始される。

後に続く25のヴァリエーションでも決して技巧が表面に浮くことはなく、あくまでも音楽性の表現としてのテクニックが示されたお手本のような奏法が彼らしい。

また各変奏ごとの性格付けや曲どうしの有機的な繋げ方も巧みで即物的な音楽になることを避けた、良い意味でスタイリッシュな演奏だ。

こうしたレパートリーを聴いていると彼が筋金入りのロマンティストだったことが理解できる。

フーガの最後の音が消えないうちに拍手が入ってしまうのが玉に瑕だが、この作品をこれだけ大きなスケールと流麗さで弾き切ったピアニストも稀ではないだろうか。

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2016年01月01日


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マーラーの理解にはロマン主義者であるとともに現代人であるという二元性が必要なのだが、クーベリックの演奏はその二元性をうまく釣り合わせている。

各部が精密で動きの明快な「復活」、複雑な音構成の処理の鮮やかな「第3」、旋律に左右されずに抑制した表現の「第4」、「第8」の構成力、「第9」の個々の楽章の多彩な表現などにクーベリックの特徴が出ている。

バーンスタインが作曲者とともに大声で泣いたり笑ったりするとき、クーベリックはマーラーとともにその苦しみに耐えるタイプである。

これほど、マーラーの傷つきやすい心に同調し、その悲しみをさらに掘り下げるような演奏も珍しい。

だから、メルヘンのような曲調の「第4」にもどこかに影が付きまとうし、「第6」のアンダンテも、恋をする甘美さよりも切なさや胸苦しさの方に重心が置かれてしまう。

クーベリックがどんなに微笑もうとも、その内面にある大きな傷を隠すことはできない。

まして、死を意識した「第9」「第10」になると、その同調の仕方は半端でなく、聴いている我々まで苦しくなってしまうほどだ。

「一緒に苦しむなんて御免こうむる」という理由から、筆者は長年、この全集を我が身から遠ざけてきた。

しかし、作曲者や演奏家の苦しみに真正面から向き合うことも、人生には必要なことかも知れない。

一緒に大泣きすれば気持ちはサッパリするけれど、5分後には何も残っていないということもあり得る。

しかし、長時間苦しみを共にすれば、その分簡単に心から消えることはない。

その苦しみの体験が、他人への思いやりに転じたり、来るべき苦しみのための心の準備となることだってあるだろう。

近年、独アウディーテよりクーベリックのライヴが多数発売になり、「クーベリックの本領はライヴにあり」という声をよく耳にするようになった。

確かに、そのうちのいくつかは、スタジオ盤を凌駕する出来映えであるが、だからといって、この優れた全集の価値が消えるものではない。

当全集の良いところは、全10曲が短期間(1967〜1971年)に集中的に録音されているため、演奏スタイルに全集としての統一感があることだ。

「第6」「第7」などは、その求道的な姿勢がライヴ以上に曲想にマッチしているし、ライヴで発売されていない「第4」も、低音をしっかり弾かせるゴツゴツとした音づくりがとても新鮮に響く。

ソプラノ独唱が冴えないのが惜しまれるが、コンサートマスターであるケッケルトのヴァイオリン独奏が胸に染みる名演。

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2015年11月23日


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プラガ・ディジタルスのSACDシリーズでは初のクーベリック演奏集で、いずれも手兵バイエルン放送交響楽団及び合唱団を指揮したライヴ録音になる。

ブラームスとマーラーに関しては初めてCD化された音源のようだ。

手始めに3曲の中では最も古い1962年のブラームスを聴いてみたが、モノラル録音ながらラジオ放送用に制作されただけあって無理のない柔らかな音質で再現されていて概ね良好だ。

緊張感が漲るクーベリックの指揮でアルト・ソロを歌うヘルタ・テッパーの伸びのある豊かな声が、キャスリーン・フェリアーの寂寥感や謹厳さとは対照的に人間のさがを肯定するようなロマンティックな表現を可能にしている。

特に後半の男声コーラスが加わる祈りの部分からは仄かな希望を感知させる温もりが秀逸で、ここにもゲーテの詩とブラームスの音楽に対するクーベリックの周到な読みと解釈が示されている。

マーラーの『嘆きの歌』は1979年のステレオ録音になり、ややテープ・ヒスが聞こえるが音場に奥行きがあり、音質やバランスの良さもDSDリマスタリングの効果と思われる。

クーベリックは作品のメルヘンチックな情景描写も巧みに描き出しながら、後半部ではシンフォニックなクライマックスを築いている。

ソプラノのユリア・ハマリも物語に沿ったドラマ性を歌い切った好演だ。

この曲はテキストもマーラー自身が手掛け、ソロ及びコーラスに大編成のオーケストラと舞台裏のバンドが加わる作曲家ごく初期の野心作で、やがて『さすらう若人の歌』や『亡き子を偲ぶ歌』あるいは『大地の歌』などの声楽付交響曲群に収斂していく楽想と管弦楽法の萌芽が見られる習作的な作品でもある。

マーラーは数回に亘って改訂を続け、最終稿では思い切って第1部をカットして2部作の形にシェイプアップした。

クーベリックも1899年のウィーン版を演奏しているが、それでも演奏時間36分の大作になる。

このカンタータでは弟を殺害して花嫁を我がものにする兄の策謀が語られる「森の伝説」は省かれていて、辻音楽師が知る由もなく弟の骨から作った笛を吹いて兄の結婚式に呼ばれる「辻音楽師」と「婚礼譚」によって構成されている。

最後のシェーンベルクの『グレの歌』は1965年のライヴで、この音源はドイツ・グラモフォンからリリースされて既に久しい。

選択肢がそれほど多くない曲なのでSACD化で全曲を聴いてみたかったが、ここでは5曲のみの抜粋で、おそらく余白を埋めるために入れたのだろうが、シェーンベルクがマーラーから大きな影響を受けていた時期の作品なので比較鑑賞の便宜を図った企画としては悪くない。

ライナー・ノーツには『アルト・ラプソディー』のみ英語対訳付で、他の2曲に関してはドイツ語の歌詞のみが掲載されている。

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2015年09月04日


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ラファエル・クーベリックが1960年から63年にかけてケルン・フンクハウスでケルン放送交響楽団を振ったコンサート・ライヴからオルフェオ・レーベルが3枚のCDにまとめたもので、総てモノラルだが録音レベルが高く、ホールでのオーケストラの音響の広がりも良好だ。

マスター・テープの保存状態も良くノイズが殆んどなく、また客席からの雑音や拍手も全く入っていない。

放送用音源として制作されたようだが、モノラルでのライヴ録音としては理想的と言えるだろう。

ドイツ放送協会のアーカイヴにはコンサート・ライヴやラジオ放送用の良質な音源が豊富に残されていて、根強いクラシック・ファン層とその厚さを感じさせるが、また埋蔵量的にも未発掘音源再発見の可能性が期待できるのも事実だ。

オーケストラは全曲ともケルン放送交響楽団で、ヨーロッパを代表するいわゆる名門オーケストラではないにしても、クーベリック自身やギュンター・ヴァントなどの客演指揮者によって鍛えられた、良い意味で職人的な融通性と機動力を備えた楽団だ。

第1曲目のシューマンのチェロ協奏曲イ短調でもやはり音質の良さに先ず驚かされるが、シュタルケルの緊張感に満ちた輝かしく鮮烈なソロを更に引き立てるクーベリックの力強く颯爽とした指揮がシューマンの若々しい曲想を見事に再現している。

数あるチェロ協奏曲の中ではかなり屈折した性格を持っていて、表現方法も名技主義に頼るだけでは済まされない曲だが、彼らの演奏はこの作品の真価を示したサンプルと言えるのではないだろうか。

それに続くハイドンの2曲の交響曲はCD3のメンデルスゾーンの交響曲第5番と並んでクーベリックの他の録音では聴けない珍しいレパートリーで、ハイドンの聴き古された名曲から楽器間のバランスとダイナミズムを工夫して積極的に新鮮な響きを引き出し、生命力に溢れた音楽を再構築している。

CD2のメンデルスゾーンの序曲『フィンガルの洞窟』は音画的な情景描写よりもむしろ曲中でのテーマの劇的な対比の美しさを示したクーベリックらしい表現だ。

一方クラウディオ・アラウをソロに迎えたシューマンのピアノ協奏曲イ短調は、この曲集の中ではやや異なった趣を持っている。

アラウの表現にはいくらか大時代的なロマンティシズムの片鱗が残っていて、必ずしもクーベリックの音楽作りとは一致していないが、ここで彼は円熟期の巨匠のスケールの大きなピアニズムに敬意を払って忠実に支える側に回っていると言えるだろう。

交響曲第3番変ホ長調『ライン』でも彼の解釈はおよそ標題音楽という枠に囚われない、音楽的なオリジナリティーが横溢している。

第4楽章の金管楽器の荘重なコラールから第5楽章への堰を切って溢れ出るような曲想の再現と開放感が爽快だ。

このセットでは唯一クーベリックの故郷チェコの作品になるのがドヴォルザークのピアノ協奏曲ト短調で、作曲者の原典版はオーケストラの充実振りに比較して、協奏曲としてはピアノが意外に素朴でソロが大活躍する華麗な作品とは言えないが、ここでフィルクスニーが弾いているピアノ・パートは、よりヴィルトゥオーソに装飾されたクルツ版にフィルクスニー自身が手を入れた折衷版のようだ。

そのことへの賛否はともかくとして、2人のチェコ人がオリジナルとは一味違ったスペクタクルな雰囲気を創造しているのが聴きどころだ。

最後のメンデルスゾーンの交響曲第5番ニ短調『宗教改革』は、第3楽章の瑞々しい美しさと対照的に終楽章のフーガからコラールの主題が戻るコーダへの情熱的でパワフルな盛り上げがひときわ華やかな効果を上げている。

クーベリックとしては稀な演奏だが、このコンサートが催された10月はドイツのルター派教区ではリフォーメーションの祝日を控えているので、それに因んでの選曲と思われる。

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2015年08月22日


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20年近くに渡ってバイエルン放送交響楽団の首席指揮者を務めたクーベリックは、任期終了後も客演を続け、通算すると四半世紀ほどの親密な関係をオーケストラと構築していたことになる。

そのクーベリックが長年専属関係にあったDGを離れ、他のレーベルにレコーディングを開始し始めたのは1970年代後半のことであった。

中でも目立っていたのは、首席指揮者任期終了の前年から翌年までの3年をかけて取り組んでいたSONYのレコーディング・プロジェクトである。

曲目はモーツァルトの後期6大交響曲にシューマンの交響曲全集、そしてブルックナーの交響曲第3番と第4番というもので、長年の良好な関係を反映してか、演奏はどれも高水準なものとなっている。

レコード・アカデミー賞受賞の名盤としても有名なこのモーツァルト後期6大交響曲集は、伝統的スタイルを基調とした柄の大きな仕上げが特徴的なものであるが、楽器配置がヴァイオリン両翼型という事もあって声部の見通しは良く、飛び交うフレーズ群の醸し出す生き生きとした雰囲気が実に魅力的。

また、美しい旋律をエレガントに歌わせる一方で、山場では強靱なダイナミズムで決めてくるあたりもこうしたスタイルの美点を生かしたものと言える。

シューマンはバイエルン放送響の暖かみのある重厚なサウンド・キャラクターと、要所で明晰な響きを確保しやすい楽器配置の効果により、4曲共にシューマンの音楽が細部までじっくり味わえる仕上がりとなった素晴らしい演奏。

全体のスケールは大きく、陰影豊かな表現が、コントラストで聴かせる演奏とは異なる複雑な味わいをも感じさせてくれる。

組み合わせの「マンフレッド」序曲も悲痛なロマンティシズムの美しい名演。

実演ではよくブルックナーをとりあげ、その功績からブルックナー・メダルも授与されていたクーベリック。

実際、残された録音を聴くとどれも充実した演奏であることがわかるが、セッション・レコーディングが残されたのは、なぜか第3番と第4番だけ。

演奏は力強くスケールの大きなものであるが、そこに込められた情感の深さもまたクーベリックならではの素晴らしいものだ。

クーベリックはここで、息の長いフレーズを巧みに扱い、豊かなイントネーションと自然な呼吸感を生み出すことに成功。

金管群の扱いも見事なもので、当時、すでに機能的にはベルリン・フィルに肉薄していたバイエルン放送響から立体的で奥の深い響きを引き出している。

こうしたサウンド面の魅力にSONYの録音技術が大きく貢献していたことは確かなようで、ダイナミック・レンジ、周波数レンジ、帯域バランス、解像度、パート・バランスなどすべての要素が申し分なく、また、セッション会場が、音の良さで知られるミュンヘンのヘルクレスザールということもあってか、直接音と間接音のバランスも自然であり、全体に非常にグレードの高い仕上がりとなっている。

なお、第3番の使用楽譜は第2稿でフリッツ・エーザーが校訂したヴァージョン。

この楽譜は基本的にはレオポルト・ノヴァーク校訂による第2稿と同じであるが、スケルツォの最後にコーダが追加されていないという点で識別ができる。

色々な要素を省きスッキリした第3稿に較べて、随所に野趣あふれる音楽が残され、味の濃い部分が多いこの第2稿は、ブルックナー・ファンには人気の高いヴァージョンでもあり、なにか「レオノーレ第2番」と「レオノーレ第3番」の関係に似ていなくもない。

ちなみにクーベリックはアウディーテ・レーベルのライヴ盤(1970年)、NMクラシックスのライヴ盤(1954年、廃盤)でも第2稿エーザー版を使用しているので、やはりこだわりがあったのであろう。

また、第4番ではスタンダードなノヴァーク版第2稿が用いられており、隅々まで気配りされた正統派の名演を心ゆくまで味わうことができる。

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2015年07月18日


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ラファエル・クーベリック生誕100周年の記念企画盤になり、1946年から83年にかけて彼がHMVに残した音源が13枚のCDにまとめられてイコン・シリーズに加わった。

何故か発売が数ヶ月間延期されていたが、決して同レーベルへの総ての音源を網羅した集大成ではない。

クーベリックが1983年にデンマーク放送交響楽団を振ったニールセンの交響曲第5番を除けば、1960年及び61年のウィーン・フィルとのモーツァルト、シューベルト、ボロディンそしてチャイコフスキーなどの交響曲集の良好なステレオ録音がCDほぼ5枚分を占めている。

一方フィルハーモニア管弦楽団とのモノラル録音は、いくらか素描的なところがあり英国時代の過渡的な演奏と言えなくもない。

その意味ではロイヤル・フィルとのベートーヴェンの『田園』やシューベルトの『ザ・グレート』、ブラームスの『ハンガリー舞曲集』などがクーベリックのより徹底した統率と音楽性を示している。

特に『田園』は自然の包容力やその恩恵を表出し得た優れた演奏だ。

またこれらの録音では第2ヴァイオリンを上手に並べ替えた両翼型の音響効果も至るところで感知できる。

このセットの中では最も古いチェコ・フィルとの1946年の音源では、ワックス原盤からのものと思われるスクラッチ・ノイズが聞こえるが、ヤナーチェクの『シンフォニエッタ』は当時のクーベリックの熱っぽい音楽を伝えて余りあるものがある。

1948年に英国に亡命したクーベリックだが、祖国チェコの作曲家の作品の解釈にはやはり借り物でない、筋の通った力強さと血の騒ぐような情熱が感じられる。

ここではドヴォルザークの交響曲第7番、第8番(フィルハーモニア管、1948年及び51年)を始め、ヤナーチェクの『タラス・ブーリバ』、マルティヌーの『ピエロ・デッラ・フランチェスカのフレスコ画』(ロイヤル・フィル、1958年)、『ふたつの弦楽オーケストラ、ティンパニとピアノのための複協奏曲』(フィルハーモニア管、1950年)などで、のっぴきならない緊張感と共にクーベリックの生命力に溢れる表現力を堪能できる。

またクーベリックはモーツァルトを得意としたが、このセットでも交響曲集の他に殆んどCD1枚分に当たるオペラ序曲集などの充実したレパートリーが記録されている。

とりわけ4曲の交響曲をウィーン・フィルとのステレオ録音で鑑賞できるのは幸いだ。

クーベリックは1980年代に入ってから手兵バイエルン放送交響楽団とソニーに再録音して、高踏的な均衡でその円熟期の境地を示したが、更に20年遡るこのセッションは今や話題に上らなくなっている。

しかし曲想の流れに沿った、ごく自然な響きの美しさを開拓している点では捨て難い魅力を持っているのも事実だ。

クーベリックの常に明快でパッショネイトな音楽への取り組み方はどの曲を聴いても明らかだが、それは決して感情に任せた即興的なものではなく、ダイナミズムの配分が良く計算された強い説得力を持ったオリジナリティーに溢れている。

クーベリックは沈潜した内省的な表現よりも外に向かって発散する光彩のような音楽を作り上げることを得意とした、言ってみれば理論を感性に完全に移し換える術を知っていた指揮者だったと思う。

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2015年07月10日


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ラファエル・クーベリックが1963年から76年にかけて精力的にドイツ・グラモフォンへ録音したベートーヴェン、シューマン、ドヴォルザーク及びマーラーの交響曲全曲を23枚のCDに集大成したバジェット盤。

既に当レビューで各々の演奏の批評を述べたところであるが、未だこれらの録音をお持ちでない方には、廉価盤BOXとしてまとめて聴かれることを望みたい。

メインの交響曲の他にシューマンの序曲『ゲノフェーファ』『マンフレッド』、ドヴォルザークでは『スケルツォ・カプリッチョーソ』、序曲『謝肉祭』、交響詩『野鳩』が加わっているが『スラヴ舞曲集』は除外されている。

クーベリックはそのほかにも多くの交響詩、協奏曲や序曲集、あるいはフィッシャー=ディースカウとのマーラーの『さすらう若人の歌』などの優れたセッションをグラモフォンに残しているので、更に第2集が出ることを期待したい。

また近々ライバルのワーナーからは同じく彼の生誕100周年の記念企画としてHMV音源全曲のリリースも予定されているようだ。

クーベリックの常に明快でパッショネイトな音楽への取り組み方はどの曲を聴いても明らかだが、それは決して感情に任せた即興的なものではなく、ダイナミズムの配分が良く計算された強い説得力を持ったオリジナリティーに溢れている。

クーベリックは沈潜した内省的な表現よりも外に向かって発散する光彩のような音楽を作り上げることを得意とした、言ってみれば理論を感性に完全に移し換える術を知っていた指揮者だったと思う。

ベートーヴェンでは9つの名門オーケストラを彼が1曲ずつ振り分けるという奇抜な企画だったが、それが決して散漫な交響曲集に終わらず、それぞれのオーケストラの個性を発揮させながら、クーベリックの音楽的ポリシーを十全に表現し得たところに価値があるだろう。

例えばベルリン・フィルとの第3番『英雄』の第2楽章ではそのドラマティックな手法に驚かされる。

シューマンはこのセットの中では最も古い1963年及び64年のセッションで、やはりベルリン・フィルとの旧録音だが、その若々しさと爽快感が如何にもクーベリックらしい。

一方彼の故郷チェコの音楽に関しては熱狂的な愛国心を鼓舞するような強い情熱が漲っているが、このベルリン・フィルとのドヴォルザークではむしろ洗練の境地が示されて、スケールの大きな独自の完璧な世界を創造している。

最後のマーラーはクーベリックの手兵バイエルン放送交響楽団の鍛え抜かれた柔軟なアンサンブルと千変万化のカラフルな音色を駆使した、起伏に富んだメリハリのある表現が魅力だ。

特に新しいリマスタリングの記載はないが、音質はきわめて良好。

ライナー・ノーツは51ページで、収録曲目一覧とクーベリックのキャリアについてのコメントが英、独、仏語で掲載されている。

声楽が入る曲に関しては英語対訳が付けられ、最後に録音データがまとめられている。

クラムシェル・スタイルではなく縦型のボックス全体を覆う蓋を上に取り外すタイプ。

ボックス・サイズは枚数のわりには大きめの縦13X横13,5X厚み7,5cmのしっかりした装丁で好感が持てる。

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2015年07月06日


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本盤に収められたドヴォルザークの交響曲第8番及び第9番「新世界より」は、クーベリック&ベルリン・フィルのコンビによる交響曲全集からの抜粋である。

交響曲第8番及び第9番「新世界より」については、既にリマスタリングCDが発売された際に、次のようなレビューを既に投稿済みである。

「クーベリックは、ドヴォルザークの交響曲、とりわけ「第8」及び「第9」については何度も録音しているが、その中でも最も優れた演奏は、本盤に収められたベルリン・フィル盤であると考える。

「第8」については、その後、バイエルン放送交響楽団とともにライヴ録音(1976年)、「第9」については、バイエルン放送交響楽団(1980年)、次いでチェコ・フィル(1991年)とともにライヴ録音しているが、バイエルン放送交響楽団との演奏は、いずれも演奏自体は優れた名演に値するものであるが、ノイズの除去のために低音域を絞ったオルフェオレーベルの音質が演奏のグレードを著しく貶めていることになっており、筆者としてはあまり採りたくない。

「第9」のチェコ・フィル盤は、ビロード革命後のチェコへの復帰コンサートの歴史的な記録であり、演奏全体に熱気は感じられるが、統率力にはいささか綻びが見られるのは否めない事実である。

こうした点からすれば、クーベリックによるドヴォルザークの「第8」及び「第9」の決定盤は、本盤に収められた演奏ということになる。

それどころか、他の指揮者による名演と比較しても、トップの座を争う名演と高く評価し得るのではないだろうか。

このうち「第8」は、1966年と録音年がいささか古いが、それだけにベルリン・フィルが完全にカラヤン色に染まっていない時期の録音であり、チェコの大自然を彷彿とさせるような情感の豊かさや瑞々しさが演奏全体に漲っているのが特徴だ。

テンポなども随所で変化させており、トゥッティに向けて畳み掛けていくような気迫が漲っているが、音楽の自然な流れをいささかも損なっていないのが素晴らしい。

本盤の4年後に、セル&クリーヴランド管弦楽団による同曲最高の超名演(1970年)が生まれているが、本演奏はそれに肉薄する超名演と高く評価したい。

これに対して、「第9」は1972年の録音で、ベルリン・フィルがほぼカラヤン色に染まった時期の録音だ。

それだけに、全体的にはチェコ風の民族色がやや薄まり、より華麗で明瞭な音色が支配しているように感じるが、それでも情感の豊かさにおいてはいささかの不足もなく、「第9」の様々な名演の中でもトップの座を争う名演であることには変わりはない。

ただ、名演としての評価は揺るぎがないものの、クーベリックらしさと言う意味においては、「第8」と比較するとややその個性が弱まっていると言えるところであり、このあたりは好き嫌いが分かれるのかもしれない。

ベルリン・フィルも、両演奏ともにクーベリックの指揮の下、素晴らしい演奏を繰り広げており、各管楽器奏者の卓越した技量には惚れ惚れするほどだ。」

音質については、リマスタリングがなされるなどかなり良好なものであるが、先般、ユニバーサルがシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化が図られることになった。

これは、当該演奏が至高の超名演であることに鑑みても、歴史的な快挙と言えるだろう。

当該シングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤は、これまでの既発のリマスタリングCDとは次元が異なる極上の高音質であり、音質の鮮明さ、音圧、音場の広さのどれをとっても一級品の仕上がりである。

クーベリックによる歴史的な超名演、そしてドヴォルザークの交響曲の第8番及び第9番の演奏史上トップの座を争う至高の超名演を、このような極上の高音質SACD盤で味わうことができるのを大いに喜びたい。

また、可能であれば、それ以外の交響曲についても、シングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化を望む聴き手は筆者だけではあるまい。

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2015年05月26日


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クーベリックが手兵バイエルン放送交響楽団とともに1980年にスタジオ録音したモーツァルトの後期交響曲集は、往年のワルターやベームの名演にも匹敵する素晴らしい名演として高く評価されている。

クーベリックは、その生涯を通じてモーツァルトを最も得意なレパートリーの1つに数えていた。

もちろん演奏回数も多かったが、長らく務めていたバイエルン放送交響楽団のシェフを辞任してから、はじめてこのオーケストラと後期の交響曲をまとめて録音したが、おそらくクーベリックにとっては記念碑的な意味があったに違いない。

したがって、演奏はこの指揮者の芸術の最良の成果と言えるところであり、そのことごとくが名演である。

レコード・アカデミー賞受賞の名盤としても有名なこのモーツァルト後期交響曲集は、伝統的スタイルを基調とした柄の大きな仕上げが特徴的なものであるが、楽器配置がヴァイオリン両翼型という事もあって声部の見通しは良く、飛び交うフレーズ群の醸し出す生き生きとした雰囲気が実に魅力的。

また、美しい旋律をエレガントに歌わせる一方で、山場では強靱なダイナミズムで決めてくるあたりもこうしたスタイルの美点を生かしたものと言える。

先般、オルフェオから発売されているモーツァルトの交響曲第40番及び第41番の1985年のライヴ録音についてのレビューを記したところであるが、筆者としては、クーベリックによるモーツァルトの交響曲演奏のベストは、当該1985年のライヴ録音であると考えている。

クーベリックは、実演でこそその真価を発揮する指揮者であるだけに、スタジオ録音での第40番や第41番の演奏では、1985年のライヴ録音において存在した楽曲の頂点に向けて畳み掛けていくような気迫や高揚感が今一つ欠けていると言わざるを得ない。

加えて、1985年のライヴ録音においては、すべての反復を行い、スケール極大な演奏に仕立て上げていたが、スタジオ録音においては、おそらくはLP時代の収録時間を気にしたせいも多分にあると思うが、多くの反復を省略している。

ただ、1985年のライヴ録音においてすべての反復を行っていることに鑑みれば、スタジオ録音の演奏が、クーベリックの意図に従ったものであるかいささか疑問が残るところだ。

このように、1985年のライヴ録音と比較すると、スタジオ録音の演奏はいろいろな面で不利な要素が存在していると言わざるを得ないが、それでも、そんじょそこらの演奏などと比較すると、極めて優れた立派な名演と評価するのにいささかも躊躇するものではない。

演奏全体の様相はシンフォニックで表情が大きく、しかも情緒的で豊かな潤いがある。

当然、かなりの自己主張をみせるのも好ましいが、一方では堅実な造形に隙がなく、モーツァルトの古典美を見事に描いている。

堅牢な造型美を誇りつつも、モーツァルトの交響曲演奏において不可欠な優美さにいささかも不足もなく、まさに安心してモーツァルトの交響曲の魅力を満喫させてくれるのが見事である。

オーケストラもこうしたクーベリックの意図を完全に音にしているが、このような演奏は滅多に生まれるものではない。

第40番や第41番については、1985年盤という高峰の高みに聳える名演が存在するだけに、前述のように若干不利な要素もあるが、少なくとも、本演奏を聴くと、近年のピリオド楽器を活用した演奏は、実に小賢しいものに聴こえてしまうところだ。

いずれにしても、クーベリック&バイエルン放送交響楽団によるモーツァルトの後期交響曲集の録音については素晴らしい名演であり、高貴にして優美な美しさを存分に味わうことができるものとして高く評価したい。

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2015年04月10日


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本盤には、クーベリックが手兵バイエルン放送交響楽団とともに1967年から1971年という短期間で完成させたマーラーの交響曲全集のうち、交響曲第5番(1971年スタジオ録音)が収められている。

本盤の録音当時は、近年のようなマーラー・ブームが到来する以前であり、ワルターやクレンペラーなどのマーラーの直弟子によるいくつかの交響曲の録音はあったが、バーンスタインやショルティによる全集は同時進行中であり、極めて希少な存在であったと言える。

そして、本演奏は、既に録音から40年が経過したが、現在においてもその価値をいささかも失うことがない素晴らしい名演と高く評価したいと考える。

本演奏におけるクーベリックのアプローチは、ある意味では極めて地味で素朴とも言えるものだ。

バーンスタインやテンシュテットのような劇場型の演奏ではなく、シノーポリのような楽曲の細部に至るまで彫琢の限りを尽くした明晰な演奏を旨としているわけではない。

また、ブーレーズやジンマンのような徹底したスコアリーディングに基づいた精緻な演奏でもなく、シャイーやティルソン・トーマスのような光彩陸離たるオーケストレーションの醍醐味を味わわせてくれるわけでもない。

クーベリックはむしろ、表情過多に陥ったり、賑々しい音響に陥ることがないように腐心しているようにさえ思われるところであり、前述のような様々な面において個性的な演奏に慣れた耳で聴くと、いささか物足りないと感じる聴き手も多いのではないかとも考えられる。

しかしながら、一聴するとやや速めのテンポで武骨にも感じられる各旋律の端々から滲み出してくる滋味豊かさには抗し難い魅力があると言えるところであり、噛めば噛むほど味わいが出てくる演奏ということが可能である。

地味な演奏というよりは滋味溢れる演奏と言えるところであり、とりわけ、マーラーがボヘミア地方出身であることに起因する民謡風な旋律や民俗的な舞曲風のリズムの情感豊かで巧みな表現には比類がない美しさと巧さがある。

バイエルン放送交響楽団というヨッフム、クーベリックが手塩にかけて育んだ素晴らしい音楽性を持つオーケストラと共に、クーベリックはこの「第5」でも全く見事な音楽的純度の高さを示している。

たった一度だけ聴くのなら、他の録音の方が耳に残るかもしれないが、このクーベリック盤は、聴けば聴く程にその味わいを増してゆく。

派手な「香辛料」も「添加物」も加えていないクーベリックの演奏は、それ故に対位法的なバランスの良さと、その内に込めた内的共感の高さで、我々を魅了する。

いずれにしても、近年の賑々しいマーラー演奏に慣れた耳を綺麗に洗い流してくれるような演奏とも言えるところであり、その滋味豊かな味わい深さという点においては、今後とも普遍的な価値を有し続ける至高の名演と高く評価したい。

なお、クーベリックはスタジオ録音よりも実演でこそ実力を発揮する指揮者であり、本演奏より10年後のライヴ録音が独アウディーテから発売されている。

テンポも本演奏よりも速く、強靭な生命力や気迫においては、本演奏よりも優れた演奏と言えなくもないが、音質やオーケストラの安定性などを総合的に考慮すれば、本名演の価値はなお不変であると考える。

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2015年03月19日


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本盤には、クーベリックが手兵バイエルン放送交響楽団とともに1967年から1971年という短期間で完成させたマーラーの交響曲全集のうち、交響曲第2番「復活」(1969年スタジオ録音)が収められている。

本盤の録音当時は、近年のようなマーラー・ブームが到来する以前であり、ワルターやクレンペラーなどのマーラーの直弟子によるいくつかの交響曲の録音はあったが、バーンスタインやショルティによる全集は同時進行中であり、極めて希少な存在であったと言える。

そして、本演奏は、既に録音から40年以上経過したが、現在においてもその価値をいささかも失うことがない素晴らしい名演と高く評価したいと考える。

本演奏におけるクーベリックのアプローチは、ある意味では極めて地味で素朴とも言えるものだ。

バーンスタインやテンシュテットのような劇場型の演奏ではなく、シノーポリのような楽曲の細部に至るまで彫琢の限りを尽くした明晰な演奏を旨としているわけではない。

また、ブーレーズやジンマンのような徹底したスコアリーディングに基づいた精緻な演奏でもなく、シャイーやティルソン・トーマスのような光彩陸離たるオーケストレーションの醍醐味を味わわせてくれるわけでもない。

クーベリックはむしろ、表情過多に陥ったり、賑々しい音響に陥ることがないように腐心しているようにさえ思われるところであり、前述のような様々な面において個性的な演奏に慣れた耳で聴くと、いささか物足りないと感じる聴き手も多いのではないかとも考えられる。

しかしながら、一聴するとやや速めのテンポで武骨にも感じられる各旋律の端々から滲み出してくる滋味豊かさには抗し難い魅力があると言えるところであり、噛めば噛むほど味わいが出てくる演奏ということが可能である。

地味な演奏というよりは滋味溢れる演奏と言えるところであり、とりわけ、マーラーがボヘミア地方出身であることに起因する民謡風な旋律や民俗的な舞曲風のリズムの情感豊かで巧みな表現には比類がない美しさと巧さがある。

バイエルン放送交響楽団というヨッフム、クーベリックが手塩にかけて育んだ素晴らしい音楽性を持つオーケストラと共に、クーベリックはこの「第2」でも全く見事な音楽的純度の高さを示している。

たった一度だけ聴くのなら、他の録音の方が耳に残るかもしれないが、このクーベリック盤は、聴けば聴く程にその味わいを増してゆく。

派手な「香辛料」も「添加物」も加えていないクーベリックの演奏は、それ故に対位法的なバランスの良さと、その内に込めた内的共感の高さで、我々を魅了する。

いずれにしても、近年の賑々しいマーラー演奏に慣れた耳を綺麗に洗い流してくれるような演奏とも言えるところであり、その滋味豊かな味わい深さという点においては、今後とも普遍的な価値を有し続ける至高の名演と高く評価したい。

なお、クーベリックはスタジオ録音よりも実演でこそ実力を発揮する指揮者であり、本演奏より13年後のライヴ録音が独アウディーテから発売されている。

テンポも本演奏よりも速く、強靭な生命力や気迫においては、本演奏よりも優れた演奏と言えなくもないが、音質やオーケストラの安定性などを総合的に考慮すれば、本名演の価値はなお不変であると考える。

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2015年02月28日


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クーベリックの『わが祖国』と言えば、ボストン交響楽団とスタジオ録音した1971年盤や、手兵のバイエルン放送交響楽団とライヴ録音した1984年盤の世評が非常に高い。

近年では、来日時にチェコ・フィルとライヴ録音した1991年盤の感動も忘れ難い。

特に、バランスや解釈の普遍性に鑑みれば、1971年盤こそ随一の名演と評価すべきであるが、本盤の演奏は格別の感動がある。

それは、ビロード革命によりチェコが自由化された後の初の「プラハの春」音楽祭のオープニングコンサート、しかも、クーベリックが祖国を離れてから(冷戦時代を西ドイツで過ごした)42年ぶりに、再び祖国に戻っての演奏会という、特別な事情があるからである。

民主化した祖国の土を再び踏むこととなった1990年の「プラハの春」音楽祭での演奏は、同曲の演奏史に記念すべき1章を刻む名演となった。

まさに、歴史的な演奏会の記録と言うべきであり、ここには、自由を謳歌し、演奏する喜びに満ち溢れたクーベリック&チェコ・フィル、そして聴衆の熱気が大きく支配している。

クーベリックも楽団員も聴衆もチェコの物悲しい伝統的旋律に必ずしも幸福ばかりでなかったチェコの歴史を思い出しながら、やっと訪れた自由の味を噛み締めているのに違いない。

ここに立ち昇る並々ならぬ熱い空間は、完璧な集中力に研ぎ澄まされた演奏と情感を、聴衆と一体となって映し出しているようで、祖国への熱い想いはとても言葉では表せないに違いない。

特に、馴染み深い「モルダウ」は、祖国に対する深い愛情が感じられる至極の名演奏で、「ターボル」の力強いド迫力なども出色であり、「ブラニーク」冒頭の重量感は初めて耳にするような力強さだ。

終曲部の「ヴィシェラフト」の主題が再現される箇所は、あまりの迫力にただただ圧倒されるのみであり、演奏終了後の聴衆の熱狂も当然のことのように思われる。

世にライヴ録音のCDは数多くあろうけれど、この作品のように真に歴史のページに金字塔を建てた演奏はほとんどないだろうし、今後ともなかなかありえないだろう。

今や平和にどっぷりと浸かり切っている日本人にはおよそ想像もつかない、人々の思いが散りばめられた1枚とも言えるだろう。

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2015年02月21日


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ラファエル・クーベリックが音楽監督を務めていた頃にシカゴ交響楽団を指揮した、若さの溢れる覇気に満ちた演奏を収めたアルバム。

若きクーベリックはシカゴ響に1950年から1953年まで在任、たいへん辛い日々を送ったらしいが、若き日のクーベリックが離れざるをえなかった故国に別れを告げ、新しい世界を見据える意気込みが聴ける演奏と言えよう。

「新世界より」と「プラハ」の組み合わせであるが、これは、クーベリックにとっては宿命的なものだ。

クーベリックが祖国に復帰後、チェコ・フィルを指揮して我が祖国などを演奏したが、ラストコンサートとなったのが、この組み合わせによる歴史的演奏会であった。

本盤は、その約40年前のスタジオ録音であるが、録音当時は、この組み合わせでカップリングを行ったわけではないので、こうしたカップリングを試みたオーパス蔵の抜群のセンスの良さを高く評価すべきであろう。

この40年間の間には、チェコも、プラハの春の後のソ連軍侵攻や、長い社会主義政権の後に訪れたビロード革命、そして民主化と激動の時代であったが、それだけに、両演奏の性格は大きく異なる。

もちろん、本盤の演奏は、当該ラストコンサートの感動的名演や、この間に演奏されたベルリン・フィルやバイエルン放送交響楽団との名演などに比較すると、どうしても旗色が悪いが、それでも、本演奏には、他の名演にはない独特の魅力に満ち溢れている。

特に、「新世界より」では、若さ故の勢いがあり、一気呵成に聴かせるエネルギッシュな生命力が見事で、祖国ボヘミアへの郷愁を雄大なスケールで歌い上げている。

それでいて、第2楽章など、ボヘミアの民族色豊かな抒情の歌い方にもいささかの抜かりもない。

「プラハ」も、若さ故の一直線の演奏であるが、それでいて優美にして高貴なニュアンスにも不足はなく、モーツァルトの演奏の理想像を体現している。

39歳という若いクーベリックのアメリカ録音は、オーケストラの自発性にゆだねるところ顕著だった1961年ウィーン盤の流麗かつ自然な演奏に対して、あらゆる面でクーベリックならではの知的に構成され、冴えて品位を失わぬ演奏で、節度ある美しさが印象的なモーツァルトを聴かせてくれる。

オーパス蔵盤の復刻技術とマスタリング感覚の冴えっぷりはいつもながら素晴らしく、特に低音の迫力は我々聴き手の度肝を抜くのに十分である。

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2015年02月01日


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1990年、42年ぶりに“プラハの春”音楽祭に出演して全世界を感動の渦に巻き込んだクーベリックが、その1年後に再び“プラハの春”でチェコ・フィルを振った貴重なライヴ録音。

ドヴォルザークの「新世界より」とモーツァルトの「プラハ」の組み合わせは、クーベリックにとっても最も得意とするベストプログラムであったが、「新世界より」も「プラハ」も、1986年に指揮活動の第一線を引退した人とは思えないほど、美しい緊張感とエネルギーにみちた演奏で、聴きごたえ十分の好演。

しかしながら、本盤の演奏は、いずれも必ずしもクーベリックのベストフォームとは言い難い。

「新世界より」ならば、ベルリン・フィルとの1972年盤が最も条件の整った名演と言えるし、ライヴ録音ならば、手兵バイエルン放送交響楽団との1965年盤(来日時)や1977年盤の方がより力感に満ち溢れた名演と言える。

他方、「プラハ」も、バイエルン放送交響楽団との1980年盤こそ、至高の名演と言える。

にもかかわらず、本盤の演奏には大いに惹き込まれる魅力がある。

それは、ビロード革命を経て漸く念願の自由を勝ち取った喜びを分かち合うクーベリック、チェコ・フィル、そして会場に居合わせた聴衆の熱き心である。

この熱き心が、必ずしもベストフォームとは言い難い演奏を、聴き手の心の琴線に触れる感動的な名演に仕立て上げているものと言える。

ドヴォルザークもモーツァルトも細部まで神経が行き届き、表情が細やかで、加えてオーケストラからも“特別”な意気込みが感じられ、熱い演奏になっている。

クーベリックは慣習に流されず新鮮な感動に満ちた作品像を構築、チェコ・フィルが持てる力の限りを尽くしてこれに応えている。

両者がともに音楽する喜びを深く感じている、すばらしく凝縮した“時”が刻まれた作品。

ここには、演奏することの喜びが満ち溢れており、随所から感じられる熱気や生命力においては、前述したクーベリックの過去のいずれの名演をも凌駕するものと高く評価したい。

録音はもともとイマイチであり、Blu-spec-CD化されても、あまり音質の改善が見られないのだけはいささか残念だ。

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2014年12月13日


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本盤には、クーベリックが手兵バイエルン放送交響楽団とともに1967年から1971年という短期間で完成させたマーラーの交響曲全集のうち、交響曲第3番(1967年スタジオ録音)が収められている。

本盤の録音当時は、近年のようなマーラー・ブームが到来する以前であり、ワルターやクレンペラーなどのマーラーの直弟子によるいくつかの交響曲の録音はあったが、バーンスタインやショルティによる全集は同時進行中であり、極めて希少な存在であった。

そして、本演奏は、既に録音から40年が経過したが、現在においてもその価値をいささかも失うことがない素晴らしい名演と高く評価したい。

本演奏におけるクーベリックのアプローチは、ある意味では極めて地味で素朴とも言えるものだ。

バーンスタインやテンシュテットのような劇場型の演奏ではなく、シノーポリのような楽曲の細部に至るまで彫琢の限りを尽くした明晰な演奏を旨としているわけではない。

また、ブーレーズやジンマンのような徹底したスコアリーディングに基づいた精緻な演奏でもなく、シャイーやティルソン・トーマスのような光彩陸離たるオーケストレーションの醍醐味を味わわせてくれるわけでもない。

クーベリックはむしろ、表情過多に陥ったり、賑々しい音響に陥ることがないように腐心しているようにさえ思われるところであり、前述のような様々な面において個性的な演奏に慣れた耳で聴くと、いささか物足りないと感じる聴き手も多いのではないかとも考えられる。

しかしながら、一聴するとやや速めのテンポで武骨にも感じられる各旋律の端々から滲み出してくる滋味豊かさには抗し難い魅力があると言えるところであり、噛めば噛むほど味わいが出てくる演奏ということが可能である。

地味な演奏というよりは滋味溢れる演奏と言えるところであり、とりわけ、マーラーがボヘミア地方出身であることに起因する民謡風な旋律や民俗的な舞曲風のリズムの情感豊かで巧みな表現には比類がない美しさと巧さがある。

いずれにしても、近年の賑々しいマーラー演奏に慣れた耳を綺麗に洗い流してくれるような演奏とも言えるところであり、その滋味豊かな味わい深さという点においては、今後とも普遍的な価値を有し続ける至高の名演と高く評価したい。

なお、クーベリックはスタジオ録音よりも実演でこそ実力を発揮する指揮者であり、本演奏とほぼ同時期のライヴ録音が独アウディーテから発売されている。

テンポも本演奏よりも速く、強靭な生命力や気迫においては、本演奏よりも優れた演奏と言えなくもないが、音質やオーケストラの安定性などを総合的に考慮すれば、本名演の価値はなお不変であると考える。

音質については、筆者は1989年に初CD化された全集を所有しており、それは現在でも十分に満足し得るものである。

しかしながら、今般、待望のシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤が発売される運びとなった。

音質の鮮明さ、音場の幅広さ、そして音圧のいずれをとっても超一級品の仕上がりであり、あらためてSACD盤の潜在能力の高さを思い知った次第である。

いずれにしても、クーベリックによる素晴らしい名演を、現在望みうる最高の高音質SACDで味わうことができるのを大いに喜びたい。

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2014年10月29日


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本盤にはクーベリックが1967年から1971年という短期間で完成させたマーラーの交響曲全集が収められている。

本盤の録音当時は、近年のようなマーラーブームが到来する以前であり、ワルターやクレンペラーなどのマーラーの直弟子によるいくつかの交響曲の録音はあったが、バーンスタインやショルティによる全集は同時進行中であり、本全集は極めて希少な存在であった。

そして、本全集は既に録音から40年が経過したが、現在においてもその価値をいささかも失うことがない素晴らしい名全集と高く評価したい。

本演奏におけるクーベリックのアプローチは、ある意味では極めて地味で素朴とも言えるものだ。

バーンスタインやテンシュテットのような劇場型の演奏ではなく、シノーポリのような楽曲の細部に至るまで彫琢の限りを尽くした明晰な演奏を旨としているわけではない。

また、ブーレーズやジンマンのような徹底したスコアリーディングに基づいた精緻な演奏でもなく、シャイーやティルソン・トーマスのような光彩陸離たるオーケストレーションの醍醐味を味わわせてくれるわけでもない。

クーベリックはむしろ、表情過多に陥ったり、賑々しい音響に陥ることがないように腐心しているようにさえ思われるところであり、前述のような様々な面において個性的な演奏に慣れた耳で聴くと、いささか物足りないと感じる聴き手も多いのではないかとも考えられる。

しかしながら、一聴するとやや速めのテンポで武骨にも感じられる各旋律の端々から滲み出してくる滋味豊かさには抗し難い魅力があると言えるところであり、噛めば噛むほど味わいが出てくる演奏ということが可能である。

地味な演奏というよりは滋味溢れる演奏と言えるところであり、とりわけ、マーラーがボヘミア地方出身であることに起因する民謡風な旋律や民俗的な舞曲風のリズムの情感豊かで巧みな表現には比類がない美しさと巧さがある。

いずれにしても、近年の賑々しいマーラー演奏に慣れた耳を綺麗に洗い流してくれるような演奏とも言えるところであり、その滋味豊かな味わい深さという点においては、今後とも普遍的な価値を有し続ける至高の名全集と高く評価したい。

なお、クーベリックはスタジオ録音よりも実演でこそ実力を発揮する指揮者であり、本全集と同時期のライヴ録音が独アウディーテから発売されている(ただし、第4番と第10番は存在していない)。

当該独アウディーテ盤は、本全集には含まれていない「大地の歌」やSACD盤で発売された第8番など魅力的なラインナップであり、楽曲によっては当該ライヴ録音の方が優れた演奏がないわけではないが、オーケストラの安定性などを総合的に考慮すれば、本全集の価値はなお不変であると考える。

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2014年10月13日


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クーベリックは、ドヴォルザークの交響曲、とりわけ「第8」及び「第9」については何度も録音しているが、その中でも最も優れた演奏は、本全集に収められたベルリン・フィル盤であると考える。

「第8」については、その後、バイエルン放送交響楽団とともにライヴ録音(1976年)、「第9」については、バイエルン放送交響楽団(1980年)、次いでチェコ・フィル(1991年)とともにライヴ録音しているが、バイエルン放送交響楽団との演奏は、いずれも演奏自体は優れた名演に値するものであるが、ノイズの除去のために低音域を絞ったオルフェオレーベルの音質が演奏のグレードを著しく貶めていることになっており、筆者としてはあまり採りたくない。

「第9」のチェコ・フィル盤は、ビロード革命後のチェコへの復帰コンサートの歴史的な記録であり、演奏全体に熱気は感じられるが、統率力にはいささか綻びが見られるのは否めない事実である。

こうした点からすれば、クーベリックによるドヴォルザークの「第8」及び「第9」の決定盤は、本盤に収められた演奏ということになる。

それどころか、他の指揮者による名演と比較しても、トップの座を争う名演と高く評価し得るのではないだろうか。

このうち「第8」は、1966年と録音年がいささか古いが、それだけにベルリン・フィルが完全にカラヤン色に染まっていない時期の録音であり、チェコの大自然を彷彿とさせるような情感の豊かさや瑞々しさが演奏全体に漲っているのが特徴だ。

テンポなども随所で変化させており、トゥッティに向けて畳み掛けていくような気迫が漲っているが、音楽の自然な流れをいささかも損なっていないのが素晴らしい。

本盤の4年後に、セル&クリーヴランド管弦楽団による同曲最高の超名演(1970年)が生まれているが、本演奏はそれに肉薄する超名演と高く評価したい。

これに対して、「第9は」1972年の録音で、ベルリン・フィルがほぼカラヤン色に染まった時期の録音だ。

それだけに、全体的にはチェコ風の民族色がやや薄まり、より華麗で明瞭な音色が支配しているように感じるが、それでも情感の豊かさにおいてはいささかの不足もなく、「第9」の様々な名演の中でもトップの座を争う名演であることには変わりはない。

ただ、名演としての評価は揺るぎがないものの、クーベリックらしさと言う意味においては、「第8」と比較するとややその個性が弱まっていると言えるところであり、このあたりは好き嫌いが分かれるのかもしれない。

ベルリン・フィルも、両演奏ともにクーベリックの指揮の下、素晴らしい演奏を繰り広げており、特に各管楽器奏者の卓越した技量には惚れ惚れするほどだ。

そして、かかる高評価は、本全集に収められた他の交響曲にも共通するものであると言えるところであり、本全集は、いくつか存在しているドヴォルザークの交響曲全集の演奏の中でもトップの座に君臨する至高の名全集と高く評価したいと考えている。

音質については、リマスタリングがなされるなどかなり良好なものである。

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2014年10月04日


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クーベリックが手兵バイエルン放送交響楽団とともに1980年にスタジオ録音したモーツァルトの後期6大交響曲集は、往年のワルターやベームの名演にも匹敵する素晴らしい名演として高く評価されている。

昨年、オルフェオから発売されているモーツァルトの交響曲第40番及び第41番の1985年のライヴ録音に、レビューを記したところであるが、筆者としては、クーベリックによるモーツァルトの交響曲演奏のベストは、当該1985年のライヴ録音であると考えている。

クーベリックは、実演でこそその真価を発揮する指揮者であるだけに、スタジオ録音での第40番や第41番の演奏では、1985年のライヴ録音において存在した楽曲の頂点に向けて畳み掛けていくような気迫や高揚感が今一つ欠けていると言わざるを得ない。

加えて、1985年のライヴ録音においては、すべての反復を行い、極めてスケール極大な演奏に仕立て上げていたが、スタジオ録音においては、おそらくはLP時代の収録時間を気にしたせいも多分にあると思うが、多くの反復を省略している。

ただ、1985年のライヴ録音においてすべての反復を行っていることに鑑みれば、スタジオ録音の演奏が、クーベリックの意図に従ったものであるかいささか疑問が残るところだ。

このように、1985年のライヴ録音と比較すると、スタジオ録音の演奏はいろいろな面で不利な要素が存在していると言わざるを得ないが、それでも、そんじょそこらの演奏などと比較すると、極めて優れた立派な名演と評価するのにいささかも躊躇するものではない。

演奏全体の様相はシンフォニック。

堅牢な造型美を誇りつつも、モーツァルトの交響曲演奏において不可欠な優美さにいささかも不足もなく、まさに安心してモーツァルトの交響曲の魅力を満喫させてくれるのが見事である。

第40番や第41番については、1985年盤という高峰の高みに聳える名演が存在するだけに、前述のように若干不利な要素もあるが、少なくとも、本演奏を聴くと、近年のピリオド楽器を活用した演奏は、実に小賢しいものに聴こえてしまうところだ。

いずれにしても、クーベリック&バイエルン放送交響楽団による第40番、第41番を含むモーツァルトの後期6大交響曲集の録音については素晴らしい名演であり、高貴にして優美な美しさを存分に味わうことができるものとして高く評価したい。

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2014年09月21日


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1971年8月13日、ザルツブルク祝祭大劇場でのステレオ・ライヴ録音で、2大名曲を取り上げた有名なコンサートを完全再現したディスクである。

1950年代から60年代初頭にかけて英デッカ、EMIにかなりの録音を残したクーベリックとウィーン・フィルの共演は、この演奏会の後、DGへベートーヴェン:交響曲全集の第7番の録音が行われたのを例外として途絶えてしまった。

そのようなこともあって、両者の相性の悪さが指摘されることもあるが、この演奏会は総じて素晴らしいものである。

ウィーン・フィルのエレガントな味と、クーベリックのハッタリのないストレートな表現が見事にマッチして、バイエルン放送響との演奏にはないクーベリックの違った魅力を堪能できる。

前プロ『ジュピター』からしてウィーン・フィルの美言が聴きもので、クーベリックならではのストレートな表現とウィーン・フィルのエレガントな音色がかみ合った美演を聴かせている。

しかし注目はなんと言っても『エロイカ』で、名高いベルリン・フィルとの録音を上回るほどの風格を持った力演。

第1楽章から気宇壮大で巨大でありながらも、各パートが立体的で非常に彫りが深く、力強い音楽を響かせているのはまさに大指揮者の棒である。

第2楽章はこの上なく沈鬱に進められているが、一昔前のオーケストラの、何ともいえない節回し(木管楽器)が聴ける。

特にヴィブラートが抑えられたオーボエが素敵で、そのすばらしい歌い回しに陶然としてしまう。

一転、フーガの部分における激情ぶりには凄まじいものがある。

第3楽章は力点が明確でメリハリが効いており、トリオでのウィンナ・ホルンも味わい濃厚だ。

第4楽章での狙いすました音楽運びと雄大な表現も、この指揮者の実演での魅力が十二分に発揮されており、コーダの激しさも特筆ものだ。

クーベリックはセッション録音とライヴでは全く違った顔(激情型に大変身する)を見せる典型的な指揮者だと再確認させられたところであり、そこがまた魅力でもあるのだ。

録音は、両曲冒頭に若干の機材ノイズが混入しているが、音質は概ね良好で、クーベリックの激しい足踏みも随所でキャッチされていて臨場感も十分である。

交響曲好きには見逃せない大注目盤と言えるところであるが、なぜかこれほどの大名演が評論家筋の推薦本にはまず出てこないのが不思議でならない。

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2014年09月17日


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『わが祖国』は第2次大戦以後、「プラハの春」音楽祭のオープニングで必ず演奏されるようになったこともあって、一部の人々にとっては、特別の意味合いを持つ曲ともなっている。

バイロイト復興コンサート初日のフルトヴェングラーの「第9」や、ベルリンの壁崩壊を記念するバーンスタインの「第9」と同様の意味で、特異な価値を持たされてしまったクーベリック&チェコ・フィルの1990年ライヴは、確かに、その独特の雰囲気など、別格といってよい演奏だが、クーベリックにとっても、チェコ・フィルにとっても、必ずしもベストの演奏ではないと思う。

クーベリックは、その意図の明確さが率直に音として実現されているウィーン・フィル盤(1958年録音)が、多少作為が見え隠れするものの、最もこの指揮者の特質を伝えているように思う。

クーベリックとウィーン・フィルのCDは、ブラームスの4曲の交響曲をはじめいずれもすばらしいものばかりで、特にこのスメタナはお国ものという以上の稀にみる演奏を聴かせてくれる。

クーベリックとしては意外と淡々と運んだ柔らかな表現で、「モルダウ」や「ボヘミアの森と草原より」は作品への愛情が強くにじみ出た好演だ。

ただ、手兵バイエルン放送響と組んだ4度目の録音の熱気に溢れた民族色豊かな名演に比べると、男性的な迫力は不足気味だ。

これはむしろウィーン・フィルを聴くべきディスクだろう。

しなやかなヴァイオリン、上品なトランペット、こくのあるホルンなど、いずれも絶品だ。

音質はステレオ初期のスタジオ録音であるが、英デッカによる優秀録音であることもあって、十分に満足できるものとなっている点についても付記しておきたい。

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2014年08月12日


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交響曲が1980年6月19、20日、弦楽セレナーデが1977年5月25日、ともにミュンヘン、ヘルクレスザールでのステレオ・ライヴ録音。

「新世界より」は、クーベリック晩年の演奏様式の雄大な山脈を仰ぎ見るような圧倒的なスケール感、そして緊張感、見通しの良い造形美と実演ならではの緊迫感が相乗効果をもたらした見事な演奏である。

とはいえ、弦の厚み、精緻なアンサンブル、分厚い金管、起伏の振幅のいずれを採ってもベルリン・フィルとのDG盤を名盤と呼ぶべきなのかもしれない。

しかも録音状態も大変高い水準にある。

しかし、この演奏に漲る指揮者と楽団、および聴衆の一体感はベルリン・フィルとのDG盤も及ばない歴史的な出来事のように聴こえ、心が震えるのは筆者だけであろうか。

クーベリックとバイエルン放送響が互いの血であり肉であるかのような稀有な演奏記録だと思う。

ドヴォルザークが思い描いた「新世界より」とはこのような演奏だろうと思われるのだ。

トスカニーニ、カラヤン、フリッチャイなどのより感情の入った激しい演奏に比べると、幾分物足りないかもしれないが(これはバイエルン放送響の独特の明るく柔らかいサウンドのせいでもある)、これしかない、と言われれば全然満足できる素晴らしい演奏だ。

クーベリックの数ある「新世界より」の録音の中でも、これが「最高」と言われても納得するだろう。

第2楽章における哀愁の深さ、終楽章でのはち切れんばかりの金管の勢い、その他どこを取っても、聴き手を引き付けて止まない。

カップリングの弦楽セレナーデも、情感豊かな旋律美をたっぷりと生かし切った素敵な演奏だ。

この弦楽セレナーデの懐かしいような、恋しいような感じは、なんとも言えない。

人懐っこさと聖母のような慈愛に富み、人生を悟りきった寂寥感も作品に一段と深みと重みを添えた。

音質も非常に良好で、臨場感があり、かつアグレッシヴで、厚みのあるサウンドを十全に捉えている。

ヴァイオリン両翼型の楽器配置も効果的だ。

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2014年07月23日


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ドヴォルザークのスラヴ舞曲集の全曲録音は、これまで様々な指揮者によってなされてきた。

同じチェコ人指揮者ならばノイマンが3度にわたり録音しているし、ハンガリー人ならば、セルやドラティ、フィッシャーの名演が忘れ難い。

プレヴィンの聴かせどころのツボを心得た演奏や、マゼールの個性的な演奏も頭に浮かぶ。

このように、綺羅星のように輝く様々な名演の数々の中でも、クーベリックの録音は、ダントツの名演と言ってもいいのではないかと思う。

チェコ人指揮者ならではの民族色豊かな情感にもいささかの不足はないが、決して民俗的なローカル色を強調するのではなく、むしろ、バイエルン放送交響楽団を統率して、より普遍的でシンフォニックな演奏を心掛けている。

言うなれば、チェコ的な情感と普遍的な重厚さを併せ持つというバランスの良さが、本盤を最高の名演たらしめているのだと考える。

どの曲も、緩急自在のテンポを駆使した重厚な名演であるが、特に、第16番のスケールの雄大さは特筆すべきだと思う。

チェコの民族色溢れる情感の豊かさと、一般的な音楽としてのシンフォニックな重厚さを兼ね備えた、いい意味での剛柔バランスのとれた名演との本演奏の評価については、現在でもいささかも変わりがないところである。

したがって、ドヴォルザークのスラヴ舞曲全集の名演としては、本盤のクーベリック&バイエルン放送交響楽団による演奏(1973〜1974年)とともに、本演奏と同格の名演として、セル&クリーヴランド管弦楽団による演奏(1962〜1965年)、ノイマン&チェコ・フィルによる演奏(1985年)が掲げられると考えており、これら3つの演奏が同曲の様々な指揮者による演奏の中でもトップの座を争う至高の超名演と評価したい。

本盤の音質については、リマスタリング(ルビジウムカッティング)されただけあって、従来盤でもかなり満足できる音質であったが、スラヴ舞曲全集の中でもトップの座を争う至高の超名演でもあり、SHM−CD化など、更なる高音質化を望んでいたところであった。

そのような中で、今般、ユニバーサルがシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化を図ったと言うのは、本演奏が至高の超名演であることに鑑みても、歴史的な快挙と言えるだろう。

本シングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤は、これまでの既発のリマスタリングCDとは次元が異なる極上の高音質であり、音質の鮮明さ、音圧、音場の広さのどれをとっても一級品の仕上がりである。

クーベリックによる歴史的な超名演、そしてドヴォルザークのスラヴ舞曲全集の演奏史上トップの座を争う至高の超名演を、このような極上の高音質SACD盤で味わうことができるのを大いに喜びたい。

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2014年06月26日


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交響曲は1976年5月17日、エアランゲン・シュタートハレでのステレオ・ライヴ録音、管楽セレナーデは1977年5月27日、ミュンヘン、ヘルクレスザールでのステレオ・ライヴ録音。

この「第8」はかつて海賊盤などでもリリースされていた強烈な演奏で、マニア筋から高い評価を受けていたが、今回は正規盤での登場。

しかも機材を入れ替えてのリマスタリングが功を奏して音質的には以前の海賊盤とは比較にならない快適さである。

演奏は、ライヴ特有の緊迫感溢れる秀演で、冒頭チェロから濃厚な感情移入の聴かれるテンションの高いもの。

民族的な旋律がふんだんに投入された作品のイメージにふさわしい仕上がりが絶品である。

ラファエル・クーベリックという指揮者は、録音とライヴではまったく違う、というのが有名だが、このバイエルン放送局のライヴ音源で聴くと、それが納得できる。

ドヴォルザークは、ベルリン・フィルとの全集が定番で、クーベリックとしては熱演の部類に入るが、スタジオ録音であるためか、基本的なスタイルはやはりクールでスポーティである。

しかし、このライヴは実に熱い演奏だ。

バイエルン放送響とも、15年以上の付き合いだからか、すでに阿吽の呼吸で、1つの乱れもなく弾ききっている。

それにベルリン・フィル(DG)盤とは違い「手兵とのライヴ」であるため、ここぞというところでのテンポの溜めが効いている。

ベルリン・フィル(DG)盤と比較しても弦の響きの柔らかさが際だち、とにかく美しい自然な流れで、間然とするところのない名演である。

しかしアポロン的な性格の演奏なら、ジュリーニ&シカゴ響やアバド&ベルリン・フィルのほうが凄い。

ただし別のクーベリックが鮮烈に燃えに燃えた演奏と比較されると、これはどれがいいか、持ち味が違うので、筆者には甲乙つけがたい。

ヴァイオリン両翼型の楽器配置にしており、バイエルン放送響のしなやかで抒情性すら感じさせる弦楽パートは魅力的。

管楽セレナーデに関しては、今回初めてこの曲の魅力を改めて感じられるほどに素晴らしい演奏だ。

そして、どこかクーベリックの祖国への熱い思いが、あふれ出るように感じるのは、筆者だけであろうか。

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交響曲が1978年4月2日、協奏曲が1979年11月2日、ともにミュンヘン、ヘルクレスザールでのステレオ・ライヴ録音。

交響曲第7番は、モノラル期の1951年にフィルハーモニア管弦楽団とEMIに、ステレオ最初期の1956年にウィーン・フィルとDECCAに、1971年にベルリン・フィルとDGにそれぞれスタジオ・レコーディングをおこなっており、今度のライヴ録音はクーベリック4種類目の「第7」ということになる。

もともとドヴォルザークの交響曲第7番は、後期3大交響曲の中でも最もドイツ・ロマン派的色合いの濃い作品として知られており、民俗的リズムや素朴さの強調よりは、緊迫感とマッシヴで荒々しい迫力、ヴァイオリンの高域を多用した強靭で情熱的なカンタービレといったファクターが重要視される傾向にあったのは周知の事実。

クーベリックは作品のそうした傾向を重視したのか、あるいは2つのヴァイオリン・セクションが束ねられた勁いサウンド(第4楽章第2主題確保部分など実に効果的)を求めたためか、バイエルン放響を指揮した演奏では珍しく、ここでは第2ヴァイオリンを右側に置いた通常スタイルの楽器配置を採用しているのがポイント。

全体に、クーベリックの実演ならではの高いエネルギー・レヴェルと自在なアゴーギクが印象的な演奏で、冒頭から凄いパワーと集中力である。

特に第3楽章主部でのヴァイオリン・セクションの導きによる高揚感や、第4楽章におけるマッシヴな力感、情熱の激しさは圧倒的。

大詰めのルバートに興奮した聴衆のブラヴォーも強烈だ。

やはりクーベリックを聴くならライヴかと感じさせる演奏で、熱演と言えるのではないか。

カップリングのヴァイオリン協奏曲でも、ヴァイオリン両翼型の楽器配置が採用されている。

なお、ソロの塩川悠子は、クーベリックの父で伝説的な名ヴァイオリニストだったヤン・クーベリックが使用していたヴァイオリン(ストラッド)を、ラファエル・クーベリックから贈られるほど親しい間柄だったとのこと。

ここでの演奏もオーケストラとピタリと息の合った実に見事なもので、派手さや華麗さこそないけれど、独奏者と指揮者とオケと三位一体となった好感の持てる仕上がりとなっているようである。

なお、リマスター音質は、スタジオの機材を一新しただけあって大変に良好なものとなっている。

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2014年05月18日


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クーベリックは連作交響詩『わが祖国』を何度も録音しているが、衆目の一致するところ、ライヴ録音では、東西冷戦終結後にチェコ・フィルに復帰し、その際にライヴ収録された歴史的な演奏(1990年)、スタジオ録音では、安定感のある本盤のボストン交響楽団(1971年)との演奏がベスト2と言われている。

筆者としても、こうした評価に異論差し挟む気は毛頭ない。

クーベリックは、実演において本領を発揮する指揮者と言われているが、スタジオ録音であっても、スメタナやドヴォルザークなどのお国ものを指揮した時は、ライヴ録音と見間違うような熱い演奏を成し遂げることが多い。

本盤を、安定感ある演奏と評したが、それは安全運転という意味では決してない。

それどころか、クーベリックのチェコへの深い愛着と望郷の念をうかがわせる実に熱い演奏と言うことができる。

「ヴィシェフラト」の終結部で冒頭主題が回帰する箇所の、いわゆる「兵どもが夢のあと」といった風情をこれ以上情緒豊かに歌い上げた例がほかにあったであろうか。

「シャールカ」や「ボヘミアの森の草原より」の決然とした開始は我々の度肝を抜くのに十分な迫力であるし、特に、「シャールカ」の変幻自在のテンポ設定の実に巧みなこと。

「ターボル」の怒りの進軍の重量感は、他の指揮者が束になってもかなわないド迫力。

「ブラニーク」の圧倒的な高揚にはもはや筆舌には尽くし難い深い感動を覚える。

まさに、『わが祖国』の演奏のトップの座を争う至高の超名演と評価したい。

音質については、リマスタリングされただけあって従来CD盤でも、かなり満足できる音質であったが、連作交響詩『わが祖国』の中でもトップの座を争う超名演でもあり、SHM−CD化など、更なる高音質化を望んでいたところであった。

そのような中で、今般、ユニバーサルがシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化を図ったと言うのは、本演奏が至高の超名演であることに鑑みても、歴史的な快挙と言えるだろう。

本シングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤は、これまでの既発のリマスタリングCDとは次元が異なる極上の高音質であり、音質の鮮明さ、音圧、音場の広さのどれをとっても一級品の仕上がりである。

クーベリックによる歴史的な超名演、そしてスメタナの連作交響詩『わが祖国』の演奏史上トップの座を争う至高の超名演を、このような極上の高音質SACD盤で味わうことができるのを大いに喜びたい。

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2014年02月05日


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クーベリックは、本盤に収められた「田園」を含め、1971年から1975年にかけてベートーヴェンの交響曲全集をスタジオ録音している。

当該全集は、各交響曲によってオーケストラが異なるという類例のない独特のものであった。

しかしながら、これはクーベリックが意図して行ったというよりは、DG側の事情による側面が大きかったと言わざるを得ない。

当時のDGは、カラヤンやベームといった人気・実力を兼ね備えた大物指揮者を擁しており、同時期にはベーム&ウィーン・フィル(1970〜1972年)、更にはカラヤン・ベルリン・フィル(1974〜1976年)によるベートーヴェンの交響曲全集がスタジオ録音されている。

このような状況の中で、クーベリックが、当時の手兵バイエルン放送交響楽団と全集をスタジオ録音することは大変難しい状況に置かれていたと言わざるを得ない。

実際に、クーベリックは全集の録音開始前に、「第7」をバイエルン放送交響楽団と録音(1970年)しており、それは、全集中のウィーン・フィルとの「第7」の演奏(1974年)よりも数段上の名演なのであるが、長らくお蔵入りで現在でも入手困難であるところだ(かつてレコード芸術誌が企画・監修した「蘇る巨匠たち」シリーズでCD化されていた)。

このことは、クーベリックがこの当時に置かれていた困難な状況を察するに余りあると言えるだろう。

ともあれ、クーベリックが、バイエルン放送交響楽団とベートーヴェンの交響曲全集を録音できなかった(「第9」のみがバイエルン放送交響楽団と録音である)のは、前述の「第7」の名演に鑑みると残念ではあるが、いずれにしても本盤に収められた「田園」は、素晴らしい名演と高く評価したい。

オーケストラはパリ管弦楽団であり、このオーケストラは指揮者によっては気が乗らない粗雑な演奏をすることもあるのだが、本演奏においては、クーベリックの統率の下、その持ち味を活かした色彩感溢れる美演を披露しているのが素晴らしい。

「田園」という楽曲の性格に鑑みれば、クーベリックとしてもバイエルン放送交響楽団を起用できなかったのは残念ではあったであろうが、本演奏に関してはパリ管弦楽団の起用はプラスに働いていると言えるだろう。

ホルンや木管楽器の雰囲気豊かな美しい音色が、本演奏に華を添える結果となっていることを忘れてはならない。

クーベリックの指揮は、「田園」の標題には必ずしも拘泥しない純音楽的なアプローチであり、ゆったりとしたテンポによる重厚にして彫りの深い表現で、深沈とした含蓄のある奥行きを感じさせるのが素晴らしい。

第1楽章の反復を省略しているが、テンポがゆったりしていることから、冗長さに陥らないためにもこれは賢明であった。

録音については、かつてSACDハイブリッド盤が発売されていたが、これが今一つ鮮明とは言い難い冴えない音質であった。

しかしながら、本盤のシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤は見違えるような鮮明な高音質に生まれ変わり、このようなクーベリックによる素晴らしい名演を望み得る最高の高音質SACDで味わえることを大いに喜びたい。

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2014年01月07日


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1985年6月6日、クーベリックが心臓発作で倒れる直前にバイエルン放送響を指揮した最後の公演となったライヴ録音(ステレオ)。

海賊盤でも評判がすこぶる良かった素晴らしい名演奏で、筆者の愛聴盤だった。

クーベリックのブルックナーは「第4」も愛聴していたが、この「第9」はそれに通ずるスケール豊かで且つ推進力に満ちた演奏となっている。

当CDには当日の前プロだったヘンデルも収録されている。

アルバム冒頭、ヘンデルの序曲における荘重な響きからいきなり魅力的であるが、続くアレグロのフーガでも暗めの響きは持続され、以下、力強く芳醇なバイエルン放送響の弦楽サウンドを十分に味わうことが可能である。

この格調の高さは無類で、古楽器で演奏するのが当たり前な現在、もう2度とこのようなヘンデルは聴けないだろう。

メインのブルックナーでは、このコンビならではの微細な表情付けが作品の複雑な味わいを浮き立たせて面白く、第1楽章第1主題部での動機群の扱いや、同第2主題部での多声的な処理、同楽章展開部後半から第1主題部再現部にかけての強烈な盛り上げ、続くブリッジと第2主題部再現部での繊細な表現など聴きどころ満載だ。

スケルツォ楽章もパワフルで申し分なく、重厚剛毅なバイエルン放送響の凄みあるサウンドが素晴らしい。

第3楽章ではブルックナー作品中最高と目される豊富な語彙をことごとく際立たせ、有名な第1主題部経過句の美しい再現部でも多声的なアプローチが印象的で、以下、声部バランスの絶妙な配分によって、最後まで多彩な音響を聴かせてくれるのが嬉しいところだ。

コーダの少し前、カタストロフィーの描写も凄まじいものがある。

ライヴでは爆演のイメージ強いクーベリックだが、ここでは実に理性的かつ熱気も十分な完成度の高い名演を繰り広げている。

オーケストラの高性能ぶりも驚嘆すべきで、特にクーベリックが指揮するとこのオーケストラは本当に澄み切った音を出す。

放送用音源ということもあり音質も良好なデジタル録音なので、クーベリックのスケールの大きな音楽を捉えきっている。

これこそまさにブルックナー演奏史に燦然と輝く名盤と言えよう。

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2013年12月21日


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クーベリックは、ドヴォルザークの交響曲、とりわけ「第8」及び「第9」については何度も録音しているが、その中でも最も優れた演奏は、本盤に収められたベルリン・フィル盤であると考える。

「第8」については、その後、バイエルン放送交響楽団とともにライヴ録音(1976年)、「第9」については、バイエルン放送交響楽団(1980年)、次いでチェコ・フィル(1991年)とともにライヴ録音しているが、バイエルン放送交響楽団との演奏は、いずれも演奏自体は優れた名演に値するものであるが、ノイズの除去のために低音域を絞ったオルフェオレーベルの音質が演奏のグレードを著しく貶めていることになっており、筆者としてはあまり採りたくない。

「第9」のチェコ・フィル盤は、ビロード革命後のチェコへの復帰コンサートの歴史的な記録であり、演奏全体に熱気は感じられるが、統率力にはいささか綻びが見られるのは否めない事実である。

こうした点からすれば、クーベリックによるドヴォルザークの「第8」及び「第9」の決定盤は、本盤に収められた演奏ということになる。

それどころか、他の指揮者による名演と比較しても、トップの座を争う名演と高く評価し得るのではないだろうか。

このうち「第8」は、1966年と録音年がいささか古いが、それだけにベルリン・フィルが完全にカラヤン色に染まっていない時期の録音であり、チェコの大自然を彷彿とさせるような情感の豊かさや瑞々しさが演奏全体に漲っているのが特徴だ。

テンポなども随所で変化させており、トゥッティに向けて畳み掛けていくような気迫が漲っているが、音楽の自然な流れをいささかも損なっていないのが素晴らしい。

本盤の4年後に、セル&クリーヴランド管弦楽団による同曲最高の超名演(1970年)が生まれているが、本演奏はそれに肉薄する超名演と高く評価したい。

これに対して、「第9」は1972年の録音で、ベルリン・フィルがほぼカラヤン色に染まった時期の録音だ。

それだけに、全体的にはチェコ風の民族色がやや薄まり、より華麗で明瞭な音色が支配しているように感じるが、それでも情感の豊かさにおいてはいささかの不足もなく、「第9」の様々な名演の中でもトップの座を争う名演であることには変わりはない。

ただ、名演としての評価は揺るぎがないものの、クーベリックらしさと言う意味においては、「第8」と比較するとややその個性が弱まっていると言えるところであり、このあたりは好き嫌いが分かれるのかもしれない。

ベルリン・フィルも、両演奏ともにクーベリックの指揮の下、素晴らしい演奏を繰り広げており、各管楽器奏者の卓越した技量には惚れ惚れするほどだ。

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2013年12月05日


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この盤に収録された2曲の協奏曲は、どちらも1785年から1786年に作曲された、モーツァルト円熟期の作品。

自作の弦楽四重奏曲をハイドンに献呈したり、『フィガロの結婚』を作曲したり、と充実した活動を行っていた時期で、この2曲も流麗なピアノ・パートと豊かな楽想、そして起伏に富んだ構成を持つ素晴らしい出来となっている。

また両曲とも、第2楽章のゆっくりとした楽章が短調で書かれていて、「モーツァルトの憂愁」も存分に感じられる。

さて、バレンボイムとモーツァルトの相性の良さは誰もが知るところである。

イギリス室内管弦楽団、ベルリン・フィルハーモニーとの弾き振りの全集は、どちらも名演中の名演として評価されている。

1970年と言えば、バレンボイムがそろそろ指揮者としての地盤固めを始めた頃のものであるが、この演奏では、オーケストラの手綱をクーベリックに全面的に預け、実にのびのびとピアノを演奏するバレンボイムに出会うことができる。

このバレンボイムとクーベリックの演奏、比較的知名度の低い第22番の冒頭から、驚くほどの緊張感と華やかさを持って立ち現れる。

また両曲の特徴である、管楽器の絡み合いが実に見事で、バイエルン放送響の管楽群は特に優秀である。

フルート、ホルン、クラリネットなどがあちこちから顔をのぞかせ、ついついスコアを再確認したくなる面白さだ。

第2楽章の豊かな音響、そして第3楽章の中間部のうっとりとするような部分など、聴きどころは満載。

第23番も名演。

こちらは幅広く歌う第1楽章の第1主題(こちらも管楽器がすばらしい)、予想外にゆったりとしたピアノなど、こちらも聴きどころ満載。

既に、今までに数多くのモーツァルトを聴いてきた人も、この1枚はまた新たな発見をもって聴いてもらえると思う。

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2013年08月14日


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クーベリックが手兵バイエルン放送交響楽団とともに1980年にスタジオ録音したモーツァルトの後期6大交響曲集は、往年のワルターやベームの名演にも匹敵する素晴らしい名演である。

したがって、クーベリックによるモーツァルトの交響曲録音の代表盤としては、当該スタジオ録音を掲げるのが一般的であり、筆者としてもそれに異論を差し挟むつもりはない。

しかしながら、本盤に収められたモーツァルトの交響曲第40番及び第41番は1985年のライヴ録音であり、前述のスタジオ録音に比較すると一般的にはあまり知られていない音源であるが、演奏自体は遥かに本演奏の方が上であり、知る人ぞ知る至高の超名演と高く評価したい。

本演奏が前述のスタジオ録音と大きく異なるのは、深沈たる奥行きの深さと圧倒的な高揚感と言えるのではないか。

クーベリックは実演でこそ本領を発揮する指揮者であり、本演奏においてもその真骨頂が存在している。

前述のスタジオ録音においてもシンフォニックで優美な演奏に仕上がっていたが、本演奏では悠揚迫らぬインテンポで曲想を堂々と描き出していくとともに、楽曲の頂点に向けて畳み掛けていくような気迫や高揚感が満ち溢れており、スタジオ録音以上に力強い気迫や生命力、そして奥行きのある演奏に仕上がっている。

とりわけ第41番の終楽章はヴァイオリン両翼型の配置による立体的な響きが、本演奏の類稀なる高揚感に一躍買っている点を忘れてはならない。

また、スタジオ録音では基本的に反復を省略していたが、本演奏ではすべての反復を実施している。

その結果、両曲で約75分(第40番は約35分、そして第41番は何と約40分)という長大な演奏となっているが、いささかも冗長さを感じさせることもなく、むしろ音楽が濃密で、なおかつスケールが極めて雄大なものとなっているのも本名演に大きく貢献している。

いずれにしても、1985年当時はクーベリックもコンサートの回数を限定して、引退をも念頭に置いていた時期に相当するが、それだけにクーベリックの本演奏にかける、燃えるような渾身の情熱を感じることが可能であり、いい意味での知情兼備の彫りの深い至高の超名演に仕上がっていると高く評価したい。

録音は、低音を絞り気味にすることで悪名高いオルフェオレーベルであり完全に満足できる音質とは言い難いが、それでも楽曲がモーツァルトの交響曲であること、そして1985年のライヴ録音ということに鑑みれば文句は言えないレベルの音質に仕上がっていると言っても過言ではあるまい。

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2012年11月11日


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クーベリックは、本盤の約15年後に、バイエルン放送交響楽団とシューマンの交響曲全集を再録音している。

シューマンの交響曲全集を2度録音した指揮者は、クーベリックのほか、バーンスタインくらいしか思い浮かばないが、いずれもマーラーを得意とした指揮者であるという点には注視する必要があると思われる。

シューマンは晩年、精神病に侵されていたが、マーラーの精神分裂的とも言えるような激情的な音楽と通低するものがあるのかもしれない。

バーンスタインの2度目の録音は、まさにそのような点を強調した演奏であったように思う。

しかしながら、クーベリックは特にそのような点を強調しているとは言えない。

むしろ、シューマンがスコアに記した音楽の魅力をストレートに表現していこうという、オーソドックスなアプローチとも言える。

それは、本盤だけでなく、後年の録音でも同様である。

新旧両演奏を比較すると、世評では後年の録音の方を、円熟の名演として高く評価する声が大きいと思うが、本盤には、後年の録音にはない独特の魅力がある。

それは、若さ故の燃え立つようなパッションの爆発ということになるのではなかろうか。

どの交響曲も、そして併録の両序曲も、切れば血が出るような力強い生命力に満ち溢れており、聴いていて心が湧き立つような感慨を覚えるほどだ。

それでいて、「第2」の第3楽章や「第3」の第4楽章など、抒情的な楽章の歌い方も実に美しく、ここにはみずみずしいロマン派の息吹さえ感じさせる。

ベルリン・フィルの好演も指摘しておく必要があるだろう。

カラヤンが、シューマンの交響曲全集を録音するのは、本盤の約10年後であることからしても、ベルリン・フィルがいかにクーベリックを高く評価していたかがよくわかろうというものである。

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2012年07月11日


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英デッカのステレオ黎明期を代表する素晴らしいブラームス全集からの分売。

クーベリックにはバイエルン放送響との新盤もあるが、美しいのは断然こちらの旧盤だ。

クーベリックとウィーン・フィルの相性は決して良くなかったと言われる(たとえばスメタナの「わが祖国」など)が、本盤を聴く限りにおいてはそのような不安を感じさせることはなく、見事な名演を成し遂げている。

バリリ四重奏団の一員でもあったヴァイオリニストのオットー・シュトラッサーの著書によれば、この頃(1956〜57年)のクーベリックは自己主張が弱くて物足りない指揮者であったそうだが、少なくともこれらの演奏からそれは伺えない。

否、むしろ、主張しすぎないからこそ、このような名演が生まれたとも言えそうである。

「第3」は、ブラームスの交響曲の中でもスケールが小さい曲だけに、まとめるのが困難な曲であるが、クーベリックは重厚な中にブラームスならではの渋い抒情美を兼ね備えるという、まさに硬軟併せ持つ名演奏を行っている。

第1楽章は提示部の繰り返しを行っているが、それが決して嫌ではなく、どの箇所も血の通った熱い演奏。

第2楽章や第3楽章の苦味のある人生の諦観を感じさせるような抒情美の描出はさすがだし、第4楽章のスケールも雄大である。

「第4」の第1楽章は11分で駆け抜けるという、演奏史上でも最速の演奏の部類に入るが、決して性急な印象を与えることはなく、歌うべきところは心をこめて歌い抜くなど、名人の一筆書きのようなとてつもない名人芸。

第2楽章の優美さも特筆すべきであるし、終楽章の決してごちゃつかない整理されたパッサカリアの表現も素晴らしい。

1950年代の録音ではあるが、英デッカの名録音とSHM−CD化によって、かなりの高音質になっていることも、本盤の価値を大いに高めている。

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2011年12月28日


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第4番はゼルキン&クーベリックによるベートーヴェン全集のベスト・ワンといえる。

音楽自体の深みと録音当時(1977年)のゼルキンの芸風がぴたりと一致。

曲のすべてを知りつくした大家の心境をつづってゆく第1楽章など、その沈んだ雰囲気や内省の心が極めて感動的である。

第3番でのゼルキンのピアノはより19世紀風であり、人間味が濃い。

それは第1楽章に最も反映しており、第2主題の大きなテンポの落とし方や、ルバート奏法は現代では珍しい。

展開部冒頭の内省的な動きも特徴だ。

「皇帝」でのゼルキンは、きらめくタッチの外面的な美しさを充分に持ちながらも、ためらいがちのルバートや感じ切ったディミヌエンドなどを随所に配し、極めて味わいに富んだ音楽としている。

第2楽章は弱音効果によって、心のこもった表現になっている。

第3楽章は主題の緩急自在な語りかけ、左手がものをいっていることなどにゼルキンの内容的な弾き方が集約されている。

第1番と第2番でのゼルキンは初期のベートーヴェンを意識して何気なく進めていくが、遅めのテンポや十分な間の感覚が見事で、いずれもフィナーレが印象的である。

合唱幻想曲も美演。タッチの冴えたピアノがベートーヴェンの魅力を最大限に発揮している。

クーベリックの指揮も音楽的充実度が抜群で、優秀な音楽性が匂うようだ。

デリケートなニュアンス、内声の充実感など素晴らしく、バイエルン放送響も大変うまい。

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2011年12月26日


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1970年1月30日、ミュンヘン、レジデンス・ヘルクレスザールに於けるライヴ録音。

クーベリックのブルックナーは全集には至らなかったが、これまでにも第3番のスタジオ盤、ライヴ盤、第4番のスタジオ盤、第8番のライヴ盤、第9番のライヴ盤といった注目作がリリース済み。

なかでも第3番は記録によれば、手兵バイエルンだけでも3種の録音が知られている。

まず、1962年11月8、9日のライヴ。これは前年1961年音楽監督就任後に、クーベリックがバイエルンと初めてこの曲を取り上げた記念すべきもの(未発売)。

次いで今なお高い評価を獲得している1980年のスタジオ盤(SONY)。

そして今回の1970年ライヴ。

いずれにも共通する特徴としてはエーザー版を使用している点。

ちなみに、コンセルトへボウとのライヴ録音(1954年)もエーザー版だったが、この間1967年にヨッフムがバイエルンとノヴァーク版による録音も行っていることを考え合わせても、クーベリックによる版の選択は興味深いところである。

ただ、それにもまして、やはりライヴでのクーベリックは輝きが違う。

たとえば前半2楽章は、破格の推進力と生命力があり、どの瞬間を切り取っても、こんなにも有機的に音楽が響き、心に届いてくる例をほかに知らない。

燃焼度では、偶然にも同じバイエルンで、先ごろたいへん個性的なテンシュテットの1976年ライヴが話題となったが、そちらとの比較も大いに楽しみ。

素晴らしい録音とともにまた、シリーズ恒例のSACD再生における、アーカイヴ・マスターとリマスター・テイクとの全曲聴き比べも魅力あるポイントとなっている。

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2011年12月17日


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クーベリックがチェコを離れてから4年後の1952年にシカゴ響と録音したクーベリック最初の「わが祖国」録音。

交響詩としてのスコアをきちんと聴衆に伝えることに主眼が置かれているようだ(特に、リズムや内声の動きの強調)。

その姿勢は、この録音の38年後のチェコ・フィルとの演奏でも基本的には変わらない。

フリッツ・ライナーが音楽監督に就任する前年のシカゴ響だが、30代後半のクーベリック(彼は1914年生まれだから、この録音当時はわずか38歳である)とオケのパワーのせいもあって若々しくエネルギー感に満ちた演奏になっている。

若いクーベリックは自在にオケを操っており、どの交響詩も気力の充実を反映して素晴らしい出来映えだ。

クーベリックがこれほど気負い立って演奏した「わが祖国」はCDでは他になく、シカゴ響の金管楽器は咆哮し、シンバルの炸裂、ティンパニの強打など大迫力で、オケのトゥッティではあらん限りのフォルティッシモが聴ける。痛快でもある。

クーベリックの「わが祖国」は、晩年に近づくにつれて後半の交響詩に表現の重点が置かれるようになっていくが、この録音では全ての楽章に手抜きがなく、かつ熱さ一辺倒に陥らずに叙情も忘れていない。

表現が豊かだし、迫力もあって今でも十分に魅力的な演奏だが、モノラルであり、最強音が割れているのが残念だとはいえ、そこはマーキュリー・リビング・プレゼンス、基本的に音質はいい。

これは最も劇的なアプローチをした「わが祖国」の例として語り継がれるべき演奏である。

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2011年12月08日


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1977年5月12日、ミュンヘン、ヘルクレスザールに於けるライヴ録音。

ヨッフムの次にバイエルン放送響の首席指揮者に着任したのがラファエル・クーベリック[1914-1996]。

1979年まで首席を務めたクーベリックは、退任後も頻繁に客演し、バイエルン放送響と最も深い関係を築きあげた名指揮者として知られることとなる。

ドヴォルザークやスメタナのほか、マーラーやベートーヴェン、シューマンなど独墺系レパートリーでの見事な演奏で知られたクーベリックは、ブルックナーでも素晴らしい成果を聴かせていた。

この交響曲第8番は、以前、海賊盤が出回ってその演奏内容がマニアの間で評判となっていたもの。

待ちに待った正規盤の登場であり音質も最上級だ。

オルフェオ・レーベルから発売されている8番は、クーベリックがバイエルンの首席に着任して2年後のものであったが、それから14年を経たここでの演奏では、オーケストラが完全に手足となり、指揮者と一体となった演奏を聴くことができる。

演奏は実に素晴らしく、何度聴いても魅力的だ。

バイエルン放送響のすごさがいかんなく発揮されていて、響きがとにかく明るい。

アプローチ的にはスタジオ録音の4番同様、純に音楽的で美しい。

演奏時間はトータルで4分半ほど遅くなりディテールの美しさと表現の深まりが顕著になっている。

あえて難を言えば、4楽章コーダのところが楽器が多くなっていくにもかかわらず重層的に迫ってこないのが少し残念。

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2011年11月19日


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1991年11月2日、サントリーホールに於けるライヴ録音。

クーベリックの指揮する《わが祖国》は、基本的にはアメリカのオケを振った録音の方が優れていると思う。

だが1991年の来日公演のライヴは、前年に42年ぶりに祖国に帰ったクーベリックが、かつての手兵チェコ・フィルに復帰した、いわば一種の祝典イヴェントなのだ。

確かに演奏の完成度としては、シカゴやボストンを指揮したものの方が高いが、ここにはあらゆる恩讐を越え、無心に達した巨匠の心境が、聴く者の心にひしひしと伝わってくる。

最初の〈ヴィシェフラド〉のハープから、ノスタルジアが一杯という雰囲気であり、クーベリック自身の郷愁を聴く思いがする。

すでに1986年に引退していたクーベリックを迎えながら、チェコ・フィルも輝かしくかなりの緊張感と最善のアンサンブルをもって応えている。

そこでは、クリティカルな面と慣習的な変更との双方が採り入られているが、6曲の交響詩のそれぞれが生気に満ちた表情を見せているのは、当時の心情の反映でもあろうし、後半への高揚ぶりも魅力だ。

どの曲の演奏においても、堅固な構成力と、無理なく整えられた表現力とがあり、信頼しきって聴き入ることができる。

ほんのちょっとしたフレーズに至るまで、ゆたかなニュアンスに染めあげられている様子が、なんともすばらしい。

ヴェテランならではの優れた演奏で、あらゆる欲得から解き放たれ、澄み渡った晩年の巨匠の芸風を味わって欲しい。

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2011年11月18日


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クーベリックが42年ぶりに祖国に帰り、かつての手兵チェコ・フィルを指揮した1990年の「プラハの春」音楽祭における記念すべきライヴ録音である。

クーベリックは52年のシカゴ響とのモノーラル録音に始まって、58年のウィーン・フィル、71年のボストン響、84年のバイエルン放送響、そして当録音と、全部で5種類の全曲録音を残しており、中でも後半の3つの録音は、甲乙つけがたい名演になっている。

ボストン響盤は、その精緻に透徹した表現としなやかに引き締まったバランスなど最も完成度が高いし、スメタナ没後100年記念演奏会におけるバイエルン放送響とのライヴ録音は、逞しい音楽の流れと表出力が強い説得力をもっている。

その点ではこの演奏は、録音を含めて細部のバランスに多少問題があるかもしれない。

しかし、万感の思いをこめて、くっきりと始まる第1曲〈ヴィシェフラド〉のしなやかな集中力にとんだ表現を聴くだけでも、この演奏にかけるクーベリックの熱い思いが強く伝わってくるだろう。

42年ぶりにチェコ・フィルの指揮台に立ったクーベリックの表現は、聴衆の喜びと興奮を背に受けてか、全体にややテンポを速めにとった情熱的なもので、祖国を愛する感情がどの曲のすみずみにまで表れている。

オケも緊張感を持って、最善のアンサンブルで指揮者に応える。

チェコ・フィルの真摯な反応とこのオーケストラならではの民族的な旋律や色彩の巧みな表出が、この稀有な演奏をいっそう美しく味わい深く彩っているし、特に後半3曲の情熱的な盛り上がりと晴朗にして高貴な意志力に貫かれた表現力は圧倒的である。

ことにスケールの大きく構築のしっかりした〈ヴィシェフラド〉、広大な草原を思わせる〈ボヘミアの森と草原より〉、ドラマティックに盛り上げた〈ターボル〉が素晴らしい。

ロシアと東欧の民主化は、さまざまな特筆すべき音楽シーンをもたらしたが、それらの中でも最も感動的な記念すべき記録というべきだろう。 

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2011年11月17日


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これは、指揮者クーベリックと深い関係をもっていたバイエルン放送響とのライヴ盤で、スメタナ没後100年、クーベリック70歳の誕生日を記念してのコンサートであった。

演奏内容は、クーベリックのどの同曲異演盤よりも重厚、熱い想いの丈が押し寄せてくる。

クーベリックが残してくれたスメタナの《わが祖国》は、いずれも聴きどころをもったものばかり。

ボストン響を指揮した盤は完成度が高いし、チェコ・フィルとの1990年のライヴ盤には独特の高揚した雰囲気が濃い。

その点で言うと、当バイエルン放送響とのライヴ盤は、条件的にも最も優れており、スケールの大きさと、ライヴ固有の熱っぽさとが際立つ演奏内容といえよう。

70歳のクーベリックの祖国への深い愛が、驚くべきスケールの大きさと強い気迫をもって綴られている。

線の太い、たくましい音楽性をグイと貫き通し、安定した構成力は抜群で、各曲とも、メリハリの効いた起承転結がつけられている。

論理的一貫性がある、とでもいうべきか……。

しかも、全6曲を通して満ちている強い民族色といったものに対する配慮も万全。

各リズムや旋律、色彩感などといった要素を色濃く前面に押し出しながらも、力が空転してしまうようなところがなく、落ちついたよさがあり、バランスがとれている。

この音楽が書かれた精神を、ごく自然のうちにそこに表出したものとしても忘れることができない。

オーケストラの底力も過不足なく示されており、胸をワクワクさせて聴くことができる演奏といえるだろう。

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2011年11月16日


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クーベリックは、祖国チェコへの讃歌ともいうべきこの連作交響詩を5回録音している。

中でもチェコの自由化がなった1990年の「プラハの春」音楽祭におけるチェコ・フィルとのライヴ録音は、歴史的な記録として知られているし、スメタナの没後100年を記念した1984年のバイエルン放送響とのライヴ盤も、逞しい音楽の流れと強い表出力をもった名演である。

しかし、演奏の細部まで最もバランス良く整っているのは、このボストン響との1971年のスタジオ録音であろう。

クーベリック&ボストン響盤は、チェコのローカル・カラーを充分に身に付け、しかもそれだけではないインターナショナルな感覚で、スケール大きく表現し尽くした名演である。

内容、外観ともに充実した出来ばえで、ディスクとしての完成度の高さは、このスタジオ録音盤が屈指のものといえるのかもしれない。

その演奏は、クーベリックならではの透徹した読みが細部まで的確に行きわたるとともに、きりりとひき締まった構成の中に共感ゆたかな表現がいかにもくっきりと気品高く織りなされている。

明快で誇張のない運びと全曲を通してのしなやかな起伏と緊張感もすばらしく、精緻な美しさとゆたかなスケールを見事に合わせそなえた演奏は、いかにも彫り深く新鮮である。

腰のすわった語り口で、この交響詩の魅力が的確に語られている。

演奏全体の緻密な表現や音質といったことまで含めると、やはりボストン響との演奏が最高だと思う。

脂ののりきった時期の堂々たるクーベリックの指揮、全曲を見通す揺るぎのない構成力、音楽を支える精神の強靭さと平衡感覚、そして演奏の完成度の高さとオーケストラ表現のスケールにおいて、やはりこの全曲盤には傑出したものがあると思う。

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2011年09月20日


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1963年11月8日、ミュンヘン・ヘルクレスザールに於けるライヴ録音。

クーベリックがスタジオ録音しなかったレパートリーだけにライヴ盤の存在はファンには嬉しいところ。

実演ではよくブルックナーをとりあげ、その功績からブルックナー・メダルも授与されていたクーベリック。

実際、残された録音を聴くとどれも非常に充実した演奏であることがわかるが、セッション・レコーディングが残されたのは、なぜか第3番と第4番だけだった。

この第8番の演奏の特徴をひとことで言ってしまえば、力強くスケールの大きな名演ということにでもなるのであるが、そこに込められた情感の深さもまたクーベリックならではの素晴らしいもの。

クーベリックはここで、息の長いフレーズを巧みに扱い、豊かなイントネーションと自然な呼吸感を生み出すことに成功している。

オーケストラの響き(特に潤いのある弦)が素晴らしく、拍が遅れ気味で音が鳴るあたりいかにもドイツのオケで、独特の深みが味わえる。

もちろん金管群の扱いも見事なもので、当時、すでに機能的にはベルリン・フィルに肉薄していたバイエルン放送響から立体的で奥の深い響きを引き出している。

クーベリックは第1楽章冒頭から明快なデュナーミクで端然と曲を構築している。

第2楽章は当然のことながらリズミックで、特に低弦には異常なほどの勢いがある。

第3楽章は素朴な表現、終楽章はこの演奏のクライマックスで、第1主題から力に満ち、強烈を極めた表現が作られている。

特に第350小節あたりからの迫力は物凄く、大指揮者クーベリックの面目躍如といった感動的な音楽を聴かせる。

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2011年07月15日


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近年、独アウディーテよりクーベリックのライヴが多数発売されるようになり、「クーベリックの本領はライヴにあり」という声をよく耳にするようになった。

このマーラーのライヴ音源集(「第4」は含まれず)のうち特筆すべき演奏は、「第3」「第5」「第8」「大地の歌」の4曲だ。

「第3」は、まるで屋外コンサートを聴くような気持ちのする演奏であり、録音である。

どこまでも気宇壮大ながら、風通しの良いサウンドが心地よい。

テルツ少年合唱団の歌声が、至純なあまり心が痛いほどである。

これは内に向かうスタジオ盤より断然素晴らしい。

「第5」は、「ライヴのクーベリックは違う!」を高らかに宣言したような燃えに燃えた凄演。

まず1枚聴くなら、これだろう。

「第8」もライヴの長所が生きている。

「第3」同様に風通しの良い音で、この作品の宇宙的なスケールを的確に伝えてくれる。

シェルヘンのような破天荒なパワーは望めないけれど、コーラスの出来映えもしっかりしており、同曲のステレオ録音では筆頭に掲げたい。

「大地の歌」は、全集に加えられなかった作品だけに貴重な音源である。

1970年の録音というのは全集録音の期間中であり、スタジオ録音を念頭に置いた演奏会であったと考えるのが普通だろうか。

一体どんな事情が、スタジオ録音を妨げたのか(歌手との契約の問題かも知れない)。

テノールのクメントも及第点だが、時おり心よりも声を思わせるのが惜しい。

その点、アルトのベイカーは人生を歌ってくれる。

クーベリックの追求度、集中力はここでも申し分ない。

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2011年04月07日


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堂々とした骨太の《ローエングリン》がこれだ。

クーベリック盤はワーグナーのロマン的オペラと銘打たれた作品の味わいを素直に引き出した名演。

ロマンティックなオペラというより、重厚でドラマティックな力を備えた作品として描かれている。

初期のロマンティック・オペラと後期の楽劇のいわば分岐点に立つ作品だが、クーベリックは、そのロマンティックな側面をことさらにふくらませることなく、明快にひき締まった感覚で、ドラマティックで新鮮な演奏を築いている。

この巨匠ならではの格調高く透徹した表現によって、作品のすみずみにまで、いかにもしなやかに澄んだ光を通しており、強く爽やかな劇性がまことにくっきりと美しい。

バイエルン放送交響楽団の明快で、ごまかしのない演奏も魅力的。

もう一世代前になった感のある歌手たちだが、まだ古びない、十分に立派な歌が聴ける。

聖杯騎士にふさわしい品格をそなえた気品あふれるキングや、性格表現にすぐれたステュアートのテルラムントなど、知と情を合わせそなえた歌手陣もすばらしく充実しており、中でもヤノヴィッツの清らかに澄んだ声と初々しく清楚な歌唱は最高のエルザといってよいだろう。

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2011年02月01日


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イタリア・オペラの粋とも言える傑作だから、ここにはイタリア的要素が凝縮している。

しかしこのオペラの凄さは、声の表面的な効果の向こうに、ヴェルディのオペラでも随一とも思える見事な性格表現があることだ。

その意味ではフィッシャー=ディースカウの声は非イタリア的でも、フレージングや言葉の処理、声色に託す感情の微妙さ、多彩さはまさにヴェルディが望んだものそのままではないだろうか。

フィッシャー=ディースカウのような非イタリア的なアプローチ(しかしこの表現の豊かさ!)を許す要素がこのタイトル・ロールにはある。

イタリアの声と型だけで塗り込められた演奏にはない「真実」がここにはある。

ベルゴンツィは見事な様式美とテクニックと優雅さを聴かせて王者の資格充分で、その気品ある歌唱(決して悪玉ではない)は公爵の模範。

スコットの意志力に満ちたジルダも立派。

外国人の指揮者クーベリックがリリックかつ柔軟な音楽を作っている。

クーベリックのオペラ指揮者としての優れた能力が、十全のキャストとスカラ座のオケの極めてオペラティックな表現力の雄弁さに助けられて、最上の姿で結実している。

音楽の運びが少しもダラけず、必要以上に間のびすることもなく、歌と管弦楽が一体となって、生き生きとした"人間のドラマ"を展開する。

不思議な名盤を生んだ指揮者の功績は大きい。

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2010年05月26日


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クーベリックの音楽的成熟度を感じさせる演奏である。

緻密な音楽設計が行われているにもかかわらず、クーベリックの音楽的な個性があまり強く出ず、全体にリズムは軽く、その表情は爽やかだ。

クーベリックの棒がバイエルン放送響から引き出した落ち着いた色調と柔らかい音は、個性の強いシューマンの交響曲にふさわしいものといえる。

クーベリックの柔軟な音楽性とオケの明るい響きが、重苦しくなりやすいシューマンの交響曲を晴朗で耳に快いものとしている。

格調高くロマン性に満ちたシューマン演奏の筆頭といっても過言ではないだろう。

曲のおもむくまま、筆の勢いに任せて一気呵成に書き上げていったような演奏である。

この演奏には、オーケストラの質感といい、歌いまわしの柔軟さといい、シューマンのイマジネーションと感性をそのまま換言している手応えがある。

ヨッフムの後任として就任(1961年)以来、同オケを一流にまで押し上げたクーベリックのいわば総決算的なアルバムとしての位置付けが可能だ。

シューマンのオーケストレーションの効果については議論もあるが、理屈云々よりもまずこの演奏を聴け、といえるだけの曲本来の持ち味と魅力が存分に伝わってくるのが何よりの醍醐味。

バイエルン放送響の、きわめてドイツ的な、いぶし銀のような響きが前面にあらわれた演奏で、表現は全体にすっきりと明るく爽快である。

「春」は抑制のきいた表現で、声部間のバランスなど絶妙な手腕をみせ、この曲の演奏では群を抜いて緻密なものだ。

第2番はクーベリックの緻密な解釈と流動感豊かな表現が評価される。

「ライン」はテンポの工夫で形式観をしっくりさせるなど、概してすっきりと明るくまとめられ、曲の性格をはっきり打ち出している。

クーベリックは、昔からこの作品を得意にしていたが、ここでも、そうした自信が音楽の隅々にまであらわれていて、素敵だ。

緻密な音楽設計がおこなわれているにもかかわらず、自己の主張をおさえ、楽譜を忠実に再現しているところがこの演奏の魅力で、そこには、クーベリックの音楽的な成熟が感じられる。

第4番も作品の独自の様式を見事に把握して、ロマン的な情緒を濃厚に示した優れた演奏である。

小細工を弄することなく、実に素直に取り組んだ演奏で、このオーケストラ独特のどっしりとした力強い響きを生かしながら、明朗なシューマンをつくりあげている。

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2010年03月09日


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クーベリックのブルックナーは基本的にはヨッフムやハイティンクと変わらない。

ここでもバイエルン放送響が、いかにもブルックナーに相応しい洗練された明るいサウンドで、開放的に音楽を朗々と鳴らせている。

そののびやかさが、ブルックナーの曲を魅力的にしている。

第3番(エーザー版)は洗練された音彩で一貫しながら、表情が実に自然である。

作品のもつ自然への憧れや宗教的な深さを、きわめて端正に表現しながらも、ロマン的な情感もうまく表出した、クーベリックらしいバランスのよい演奏である。

ブルックナーの音楽には大自然のパノラマを連想させるような趣とともに、ウィーンの伝統や都会的な雰囲気が共存しているところがあるが、クーベリックはその両者を見事な平衡感覚で表現している。

第1楽章は多様な変化をきわめて雄弁に表出しながら格調が高く、表情のきめも細かい。

第2楽章以降も音楽的な表現で、装飾的な楽句の処理も適切である。

第4番(ノヴァーク版)も正攻法に徹した端正なブルックナー。

きわめてオーソドックスな表現を行いながら、ごく自然に音楽を流した演奏である。

全体の仕立てが豊饒なロマン的色調にふくれながら、音楽構成の堅牢な支柱を深く内に包みこんでおり、曲全体の楽章の構成まで実に自然である。

あらゆる表情が自然な流れを生んで全く姑息なところがなく、のびのびと雄大な音楽を作っている。

オーケストラの重厚な響きも素晴らしく、ブルックナーの求める響きをもち、数あるこの曲のレコードでも最も注目すべき1枚。

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2009年08月25日


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それぞれの曲が名演中の名演であり、シンフォニー・コンサート風の演奏形態による録音では第一に推したい傑作である。

アンサンブルがよく整頓されているだけでなく、その美感がモーツァルトの陰影にみちた内面と深く結ばれているのだ。

クーベリックの演奏には、どの部分を採っても雄渾な力や繊細な美感が共存しており、それが古典の気品を感じさせる。

同じドイツ音楽の伝統の中に生きた指揮者でも、ベームが構築的な美感を重んじたのに対して、クーベリックは、適度にロマンティックで、しなやかな音楽を作り上げている。

ここでも、優雅で、気品のある演奏となっており、美しい余裕をもって歌われたその演奏の風格豊かな味わいが忘れられない。

安定した構成力で、恰幅のよいモーツァルトが仕上げられている。

伝統的であって、その最良の部分をしっかり踏まえた演奏内容といえよう。

「ハフナー」は祝典的な明るさと円熟期のモーツァルトの力強さや厳しさをのびやかなスケールで掬いとって格調高く、細部まで晴朗なロマンと美しい歌をたたえている。

「リンツ」では、抑制された表現を行いながらも、モーツァルトの音楽のもつロマン性を浮き彫りにした演奏である。

「プラハ」は、この曲のもつ愉悦感を見事に引き出した演奏で、旋律の歌わせ方のうまさは特筆に値する。

「39番」は、冒頭からどっしりとした表現力で貫かれ、それが最後まで立派に持続している。堂々とした風格をもったモーツァルトだ。

「40番」は、多少なりとも響きがたっぷりとしすぎる傾向はあるものの、充実した内容の曲だけに、こうしたアプローチも余裕をもって受け止めることができるだろう。

「ジュピター」は、いかにもクーベリックらしい、豊かな情感にみちたモーツァルトである。音楽をごく自然に流しながら、旋律を美しく歌わせているところに惹かれる。

バイエルン放送響も奥行きのあるところを示している。

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2009年04月13日


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auditeからクーベリックのマーラー・ライヴ・シリーズが出て、ようやくこの指揮者のマーラー演奏に注目が集まってきた状況下ではあるのだが、それにしては指揮者クーベリックとバイエルン放送響とによる「マーラー/交響曲全集」(DG盤)が、いくぶんなりとも等閑視されすぎているのではないだろうか。

この全集は、1967年から71年にかけてつくられたもので、マーラーの全集盤のなかでは最も初期に属するもののひとつであり、その点でも意義があるのだが、内容的にいっても充分すぎるほど充分に現在でも通用するものである。

クーベリックという指揮者は、決してサービス精神にあふれるというタイプではないものの、ややもすると地味に見えがちなそのたたずまいの内には、伝えるべき多くの事柄を秘めており、いつも中味の濃い演奏をつくりあげていて、決してルーティン・ワークになってしまうことがない。

きちんとした構成力と、力強く、落ち着きのある表現とで、全体を堂々とまとめあげている。

マーラーの音楽再現にぜひとも必要な複雑な要素に対しても、クーベリックは余裕をもって応じきっており、危うさがない。

全9曲の交響曲を通して、特にどれがすぐれているということはないものの、弱いものはひとつもなく、いずれも水準が高く、安心して聴くことができる。

今日の若い指揮者たちのマーラー演奏でよく見かけるような、表面上は整然としているものの、中味はなんにもないといったものとはおよそ正反対に位置している演奏内容だ。

マーラーの音楽と真摯に取り組もうとする聴き手には、ぜひとも注目してもらいたい全集である。

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2009年03月27日


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クーベリックが再度チェコ・フィルの指揮台に立った際の貴重なライヴ録音。

社会主義化に反発して旧西側に亡命したラファエル・クーベリックが、そこでの新たなキャリアに最も大きな足跡を残したもののひとつが、1961年から79年までのバイエルン放送交響楽団の首席指揮者としての活動であったことは間違いない。

その間にかなりの数のレコーディングも行なっており、そのレパートリーはドイツ=オーストリア音楽やチェコの作品においても、特に高い評価を得ていたが、ドヴォルザークの交響曲全集は、1966年から73年にかけてベルリン・フィルを指揮して収録された。

それは、生涯にわたってチェコの音楽家であることを自覚していたと思われる彼の美点が最高に生かされたものであるが、1991年10月11日に、この作曲家の生誕150周年記念演奏会でチェコ・フィルを指揮したこのライヴでは、その上に多様な感慨が加わり、オーケストラの感動と喜悦もまじわって、稀に見る円熟の境地に聴く者をひきつけている。

クーベリックの指揮は気力と熱気にあふれ、「プラハ」冒頭のアダージョからきわめて壮大で彫りの深い表現だ。

それにしてもクーベリックは何と若々しく、音楽する喜びを表しているのだろう。

「新世界より」も鋭いティンパニの打ち込みを始め、精彩に満ちた力強い表現で、若々しい気迫に満ちた音楽を聴かせる。

さすがチェコ出身の巨匠が、解放された祖国で全力を傾けた演奏である。

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