インバル

2015年11月26日


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東京都交響楽団とのショスタコーヴィチ「第4」が2012年レコード・アカデミー賞を受賞したインバル70代半ばの解釈を、プレートルとのマーラーで実力をみせた1990年代ライヴ盤が近年高い評価を受けたウィーン交響楽団との組み合わせで聴く異色の全集。

全世界にインバルの名を知らしめたのマーラーに始まって、ラヴェル、ベルリオーズへ、短期間にある作曲家の作品を集中的に録音・発表することによってその全体像を明らかにするというインバルのアプローチとそれを実現させる力量は、そしてこのウィーン交響楽団とのショスタコーヴィチ交響曲全集に至って、一段と大きな成果を生み出した。

全体主義政権下における芸術家の苦悩、そしてその作品の本質への理解を後世に託したショスタコーヴィチの心の声が、全15曲を俯瞰することによって、より深く感得されることであろう。

フランクフルト交響楽団との多くの名盤の陰で、評判は当時も今も高くないが、管や打楽器の名演、弦の弱奏、タクトへの迅速な反応に優れたオーケストラと、練習に厳格そうな指揮者とが、双方一心に演じている。

都響ライヴと趣が違う「第4」も、指揮者の指示にオケが敏捷に動き、第3楽章後半での管と弦との掛け合いでは、フレーズごとに表情を変えながら頂点に向かっていくドライブが心地よい。

スペクタクル派と対極な「第7」でも個性が発揮され、第3楽章が宗教的なら、フィナーレはモールス信号Vを連打で表したと言う爆音が膨張するなど、聴き所は沢山ある。

さらに初期交響曲の「第1」は若々しくも老練、「第2」の近代的な音作りや奇怪なサイレン音は指揮者の心中をみるようで、「第3」はスケールが大きく、管・打楽器の演奏は恰好が良い。

他に比べ人気の低い「第6」から、この演奏が「深い森に冷たい陽がさすように始まり、最後は乱痴気騒ぎで終わった」と聴こえれば、本曲の魅力が知れると共に、全集に共通して最初モヤモヤ始まり終わりにつれてダイナミックさを増していく指揮者のポリシーが知れる。

しかしこれは聴き手の好みを分けることになるだろう。

開始が「第6」と似た「第12」も、楽譜への忠実さが定評なインバルだからこそ、終楽章での大胆なリズム変化や打楽器の炸裂は面白い。

「第8」「第11」は深刻すぎずも要所を押さえ、「第9」は管楽器のソロが優れており、第1楽章は軽快、第2楽章は奇怪、第5楽章は雄弁で、「第10」のトランペットソロの技巧とともに印象に残った。

歌手の声がよい「第13」も、煙幕の中から音が始まり、狂言と悲しみを歌う後の至福の旋律が天国へつれてゆく。

そして最後の「第15」は、他の同曲盤と比べても名解釈であり、「第1」の快活さに通じる第1楽章に続き、第2楽章の金管と独奏チェロの掛け合いはたそがれて、第3楽章のソロアンサンブルも上手い。

終楽章はヴァイオリン協奏曲の主題が魔界的に降臨し、バルトークの夜の音楽風なコーダは、暗い道を管・打楽器がどこまでもか細くつぶやき、ついにふっと吹き消えて終わる。

しかし全集の中でも「第5」と「第14」は、他の数ある名盤に譲るかもしれない。

現在、全集プロジェクトが進行する若いペトレンコの現代的な演奏と聴き比べたりすることにより、1990年代に録音された本作からも、ショスタコーヴィチを当時新たに描こうと、時代を先取ったインバルの意欲が伝わってきた。

ショスタコーヴィチの苦悩の音楽が理解されるようになった今こそ、評価されてよいものに思う。

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2015年05月23日


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インバルが東京都交響楽団を指揮して演奏したマーラーの新チクルスシリーズは素晴らしい名演揃いであるが、本盤に収められた「第5」も素晴らしい名演と高く評価したい。

インバルは、マーラーの「第5」をかつての手兵フランクフルト放送交響楽団とスタジオ録音(1986年)するとともに、東京都交響楽団とのライヴ録音(1995年)やチェコ・フィルとのライヴ録音(2011年)もあるが、本演奏は、それらの演奏をはるかに凌駕する名演と言える。

かつてのインバルは、マーラーへの人一倍の深い愛着に去来する内なるパッションをできるだけ抑制して、できるだけ音楽に踏み外しがないように精緻な演奏を心掛けていたように思われる。

したがって、全体の造型は堅固ではあり、内容も濃密で立派な演奏ではあるが、ライバルとも目されたベルティーニの歌心溢れる流麗さを誇るマーラー演奏などと比較すると、今一つ個性がないというか、面白みに欠ける演奏であったことは否めない事実である。

前述の1986年盤など、その最たる例と言えるところであり、聴いた瞬間は名演と評価するのだが、しばらく時間が経つとどんな演奏だったのか忘却してしまうというのが正直なところだ。

ワンポイント録音による画期的な高音質だけが印象に残る演奏というのが関の山と言ったところであった。

1995年盤や2011年盤になると、ライヴ録音ということもあり、インバルにもパッションを抑えきれず、踏み外しが随所にみられるなど、本盤に至る道程にある名演と言うことができるだろう。

そして、本盤(2013年)であるが、ここにはかつての自己抑制的なインバルはいない。

インバルは、内なるパッションをすべて曝け出し、ドラマティックな表現を施しているのが素晴らしい。

強靭なサウンドとマーラーの精神性をめぐらし、細部の細部にまで音に命を宿らせるインバルの真骨頂が全開している。

それでいて、インバルならではの造型の構築力は相変わらずであり、どんなに劇的な表現を行っても、全体の造型がいささかも弛緩することがないのは、さすがの至芸と言うべきであろう。

マーラーのスコアを細部に至るまで忠実に、そして美しく力強くニュアンス豊かに再現して、どの瞬間も音が意味深く鳴っている。

対位法の各声部はそれぞれが切れ込み鋭くエッジがきいていて、意味づけや存在感を主張し合っている。

そしてテンポや音量の変化も大きく刺激的で、決して表面上きれいにバランス良くまとめたような演奏ではなく、美しく官能的な旋律も、素直に酔わせてはくれない。

しかしそれこそがマーラーであり、インバルが表現したいことであろう。

好き嫌いが分かれるかもしれないが、筆者はこれこそがスタンダードとすべき名演奏と思われる。

いずれにしても、インバルが東京都交響楽団と、本盤のようなドラマティックな表現を駆使するようになったインバルを聴いていると、バーンスタインやテンシュテット、ベルティーニが鬼籍に入った今日においては、インバルこそは、現代における最高のマーラー指揮者であるとの確信を抱かずにはいられない。

オーケストラに東京都交響楽団を起用したのも功を奏しており、金管楽器、特にトランペットやホルンの卓抜した技量は、本名演のグレードをさらに上げる結果となっていることを忘れてはならない。

ワンポイント・レコーディング・ヴァージョンよる極上の高音質録音も、本名演を鮮明な音質で味わえるものとして大いに歓迎したい。

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2015年05月22日


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今や現代を代表する大指揮者となったインバルの新譜はどれも注目で聴き逃すことができない。

既にマーラーの交響曲を軸として、ショスタコーヴィチなどの交響曲の名演を東京都交響楽団やチェコ・フィルとともに再録音しており、そのいずれもが旧録音を超える圧倒的な名演となっていた。

ブルックナーの交響曲についても、既に第5番及び第8番という最も規模の大きい交響曲と最も優美な第7番、そして比較的マイナーな第6番を東京都交響楽団と再録音している。

いずれもフランクフルト放送交響楽団との演奏を上回る名演であり、インバルが、マーラーとブルックナーの両方の交響曲の演奏を得意とする稀有の指揮者であることを見事に証明していたと言えたところだ。

そして、今般、ブルックナーの交響曲チクルスの第5弾として、満を持して初期の交響曲である交響曲第2番が登場した。

とにかく素晴らしい名演。

これ以上の言葉が思い浮かばないほどの至高の超名演と言えるだろう。

インバルは、第1楽章冒頭の弦楽による繊細な響きからして、かの聖フローリアン教会の自然の中のそよ風のような雰囲気が漂う。

その後も、同曲特有の美しい旋律の数々を格調高く歌い上げていく。

それでいて、線の細さなどはいささかもなく、トゥッティにおいてはブラスセクションをしっかりと響かせるなど強靭な迫力にも不足はなく、骨太の音楽が構築されている。

このあたりの剛柔の的確なバランスは、インバルによるブルックナーの交響曲演奏の真骨頂とも言うべき最大の美質と言えるだろう。

そして、インバルによる本演奏は、朝比奈やヴァントなどが1990年代以降に確立した、今日ではブルックナーの交響曲演奏の規範ともされている、いわゆるインテンポを基調とした演奏には必ずしも固執していない。

第3楽章や第4楽章などにおいても顕著であるが、演奏全体の造型美を損なわない範囲において、若干ではあるが効果的なテンポの振幅を加えており、ある種のドラマティックな要素も盛り込まれていると言えるところだ。

それにもかかわらず、ブルックナーの交響曲らしさをいささかも失っていないというのは、インバルが、同曲の本質を細部に渡って掌握しているからに他ならないと言うべきである。

また、本演奏において特筆すべきは、東京都交響楽団の抜群の力量と言えるだろう。

先般発売されたショスタコーヴィチの交響曲第4番においてもそうであったが、弦楽器の厚みのある響き、そしてブラスセクションの優秀さは、とても日本のオーケストラとは思えないほどの凄味さえ感じさせる。

都響の誇る抜群のアンサンブル精度の高さ、その精度もさることながらブルックナーの重厚な和声構成の魅力が存分に伝わるバランスのよさ。

考え抜かれたフレーズとテンポの抑揚、アクセント、アーティキュレーションへの拘りが細部まで描写され、聴き手の心を掴む。

重厚感を持たせながら、微妙なテンポ捌きで決してだれることなく曲の終わりに向かい突き進むエネルギーは、60分間途切れることなく続き瞬く間に過ぎ去る。

いずれにしても、本盤の演奏は、今や世界にも冠たる名コンビとも言うべきインバル&東京都交響楽団による圧倒的な超名演と高く評価したいと考える。

録音も超優秀で、鮮明にして臨場感溢れる極上の高音質は、本盤の価値をより一層高めることになっているのを忘れてはならない。

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2015年05月21日


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インバルは、東京都交響楽団との間で新マーラーチクルスを続行しているが、前作の第1番に続いて本盤も、この黄金コンビの好調さを表す素晴らしい名演だ。

インバルは、かつてフランクフルト放送交響楽団と素晴らしい全集を作り上げたが、当該全集では、インバルは劇的な要素をできるだけ抑制し、客観的な視点でマーラーがスコアに記した音符の数々を無理なく鳴らすというアプローチであった。

インバル自身には、マーラーへの深い愛着に去来する有り余るパッションがあるのだが、インバルは演奏の際には、それをできるだけ抑制しようとする。

それ故に、客観的なアプローチを取りつつも、いささかも無味乾燥な演奏に陥ることなく、内容の濃さにおいては人後に落ちることはない。

しかも、抑制し切れずに零れ落ちてくるパッションの爆発が随所に聴かれ、それが聴き手の感動をより深いものにするのだ。

ここに、インバルによるマーラーの魅力の秘密がある。

東京都交響楽団との新チクルスにおけるアプローチも、基本的には旧全集と同様であるが、旧全集と比較すると、パッションの爆発の抑制を相当程度緩和しており(ライヴ録音とスタジオ録音の違いもあるとは思うが)、これが新チクルスをして、旧全集よりもより一層感動的な名演に仕立てあげているのだと考える。

かかる点は、近年のインバルの円熟ぶりを示す証左として高く評価したい。

第1楽章は、冒頭のゆったりとしたテンポによる低弦による合奏の間の取り方が実に効果的。

トゥッティに至る高揚は雄渾なスケールで、その後の高弦による旋律の歌い方は、思い入れたっぷりの情感に満ち溢れていて美しい。

続く主部は、緩急自在の思い切ったテンポ設定、幅の広いダイナミックレンジを駆使して、実にドラマティックに曲想を抉り出していく。

随所に聴かれる金管楽器の最強奏や雷鳴のようなティンパニは、圧巻の凄まじいド迫力であり、かつての自己抑制的なインバルとは段違いの円熟のインバルならではの成せる業だ。

第2楽章は、オーソドックスな解釈であるが、弦楽器も木管楽器もこれ以上は求め得ないような情感の籠った流麗な音楽を紡ぎ出している。

第3楽章は、冒頭のティンパニによる強打の効果的な間の取り方が、第1楽章冒頭の低弦と同様で実に巧み。

その後も、ティンパニを始めとした打楽器群の活かし方は素晴らしく、打楽器を重要視したマーラーの本質を見事に衝いている。

中間部の金管楽器のファンファーレにおける猛烈なアッチェレランドは凄まじい迫力であるし、その後に続く弱音のトランペットのパッセージのゆったりしたテンポによる歌わせ方は、まさに天国的な至高・至純の美しさ。

終結部のトゥッティのド迫力は、もはや言葉を失ってしまうほど圧倒的だ。

第4楽章は、メゾソプラノの竹本節子の歌唱が実に美しく、それに合わせるかのように、東京都交響楽団も雰囲気満点の実に美しい音楽を奏でている。

終楽章は、冒頭圧巻の迫力で開始される。

その後は、ゲネラルパウゼや思い切った強弱の変化等を効果的に駆使しつつ主部に繋いでいく。

主部への導入部のティンパニは凄まじい迫力であり、主部は風格豊かな堂々たる進軍だ。

この部分は、下手な指揮者にかかると冗長さを感じさせてしまうのだが、インバルの場合は、緩急自在のテンポ設定、アッチェレランドの効果的活用、強弱の変化など、あらゆる至芸を駆使して実に濃密でドラマティックな音楽を構築しているのが素晴らしい。

合唱が導入されて以降は、スケール雄大な壮麗さが支配しており、圧倒的な高揚と迫力のうちに、全曲を締めくくっている。

独唱陣は、終楽章においても見事な歌唱を披露しており、二期会合唱団も大健闘と言える。

何よりも素晴らしいのは東京都交響楽団であり、インバルの見事な統率の下、最高のパフォーマンスを示している。

臨場感あふれる極上の高音質録音も、本盤の価値を高めるのに大きく貢献しているのを忘れてはならない。

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2015年05月14日


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凄い演奏だ。

いまや世界最高のマーラー指揮者として君臨しているインバルの勢いや、もはや誰もとどめることが出来ない。

インバルを世界的巨匠へ押し上げたマーラー演奏であり、圧倒的な技術とアンサンブルで驚くべき見事な演奏を繰り広げる東京都交響楽団と、両者のボルテージが最高潮へと導き、世界最高峰の演奏と言われるマーラーが姿を現す。

インバルによるマーラーの交響曲演奏と言えば、かつての手兵であるフランクフルト放送交響楽団との全集(1985年〜1988年)が名高いが、ここ数年にわたって、東京都交響楽団やチェコ・フィルとの演奏は、段違いの素晴らしさと言えるのではないだろうか。

本盤に収められた東京都交響楽団とのマーラーの交響曲第1番の演奏は、インバルとしては、前述の全集中に含まれた同曲の演奏(1985年)、チェコ・フィルとの演奏(2011年)に次ぐ3度目の録音となる。

同曲は、マーラーの青雲の志を描いた交響曲であるだけに、前回の全集の中でも非常に優れた演奏の1つであったし、チェコ・フィルとのものも大変素晴らしい出来映えであったが、本盤の演奏は更に優れた名演に仕上がっており、まさに、近年のインバルの充実ぶりが窺える圧倒的な超名演と言っても過言ではあるまい。

かつてのインバルによるマーラーへの交響曲演奏の際のアプローチは、マーラーへの人一倍の深い愛着に去来する内なるパッションを抑制して、可能な限り踏み外しがないように精緻な演奏を心掛けていたように思われる。

全集の中でも優れた名演の1つであった第1番についても例外ではなく、全体の造型は堅固ではあり、内容も濃密で立派な名演奏ではあるが、今一つの踏み外しというか、胸襟を開いた思い切った表現が欲しいと思われることも否めない事実である。

ところが、チェコ・フィルとの演奏、そして、東京都交響楽団との本演奏においては、かつての自己抑制的なインバルはどこにも存在していない。

インバルは、内なるパッションをすべて曝け出し、どこをとっても気迫と情熱、そして心を込め抜いた濃密な表現を施しているのが素晴らしい。

それでいて、インバルならではの造型の構築力は相変わらずであり、どんなに劇的かつロマンティックな表現を行っても、全体の造型がいささかも弛緩することがないのは、さすがの至芸と言うべきであろう。

いずれにしても、テンポの効果的な振幅を大胆に駆使した本演奏のような密度の濃い表現を行うようになったインバルによる超名演を聴いていると、バーンスタインやテンシュテット、ベルティーニなどの累代のマーラー指揮者が鬼籍に入った今日においては、インバルこそは、現代における最高のマーラー指揮者であるとの確信を抱かずにはいられないところだ。

さらに、前回のチェコ・フィルとの演奏よりも細かなニュアンスや間の取り方など、非常に深みのある味わい深い円熟の名演奏になっていて、同曲の代表的名盤との地位を確立したと言って良いだろう。

オーケストラに東京都交響楽団を起用したのも功を奏しており、本超名演のグレードをさらに上げる結果となっていることを忘れてはならない。

例えが適切かどうか分からないが、インバルと、都響及びチェコ・フィルとの関係は、フルトヴェングラーとベルリン・フィル及びウィーン・フィルとの関係に似ているような気がする。

つまり前者のパートナーとは徹底的に自分のやりたい音楽を追求し、後者はオーケストラの特性をある程度尊重して、ある意味余裕をもって遊んでいるという感じだ。

こういった使い分けが無理なくできて、どちらも素晴らしいところは、インバルが真の巨匠の域に達したことを示すものだろう。

そして、ワンポイント・レコーディングによる極上の高音質録音も、本超名演を鮮明な音質で味わえるものとして大いに歓迎したいと考える。

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2015年05月06日


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インバルが、約20年以上も前に完成させたブルックナーの交響曲全集であり、一部の交響曲については再録音も行っているが、今なおその存在価値を失わない永遠の名全集と高く評価したい。

その理由はいくつか掲げられるが、何よりも、初稿が出版されていた交響曲については、可能な限りそれに拘ったという点を第一に掲げるべきであろう(「第2」は、当時、ギャラガン校訂版が出版されておらず、やむなく1877年版を採用。「第7」については、ノヴァーク版を使用)。

本全集の録音当時は、ブルックナーの交響曲を、初稿を用いて演奏した例など殆どなく、音楽学者の学究対象でしかなかった。

現在でこそ、ケント・ナガノや、シモーネ・ヤングなどの初稿を用いた優れた名演が数多く登場しているが、本全集録音当時は鑑賞することさえままならない時代であったのである。

そのような時代に、インバルが初稿の魅力にいち早く着目して録音を行ったということは、今日における初稿の再評価に先鞭をつけたということであり、これはインバルの先見の明の証左と言えるのではないだろうか。

第二に、本盤には、第00番や第9番のフィナーレの補筆版など、演奏されることすら稀な楽曲を盛り込んでいることであり、これには、前述の可能な限り初稿を採用するとの姿勢と相俟って、ブルックナーの本質を徹底的に追求しようというインバルの並々ならぬ意欲を大いに感じることが可能である。

第三に、演奏にはムラがなく、いずれも高い水準の名演であるということである。

インバルの各交響曲に対するアプローチは、やや速めのインテンポで、曲想を精緻に描き出していくというものであり、その凝縮化され引き締まった演奏全体の造型は極めて堅固なものだ。

金管楽器も最強奏させているが、いささかも無機的に陥ることはなく、ゲネラルパウゼの用い方も実に効果的だ。

それでいて、ブルックナー特有の聖フローリアンの自然を彷彿とさせるような抒情豊かさにおいても抜かりはなく、剛柔併せ持つ雄渾な名演に仕上がっている。

これは、ヴァントが1990年代になって成し遂げる数々の名演を予見させるものであり、このような名演を、ブルックナーの交響曲の演奏様式が、多分にロマン的な要素が支配するなどによって未だ確立したとは必ずしも言えなかった1980年代に、原則として初稿を用いて成し遂げたという点に、筆者は、インバルのブルックナーに対する深い理解と飽くなき探求心を大いに感じるのである。

古今東西の指揮者において、マーラーとブルックナーの両方を得意とした指揮者は皆無と言ってもいいと思うが、マーラー指揮者として名高いインバルによる本全集や、最近発売された「第5」「第7」「第8」の名演を聴くと、インバルこそは、マーラーとブルックナーの両方を得意とした史上初めての指揮者との評価もあながち言い過ぎではないのではないかと考える。

インバルの薫陶を受けたフランクフルト放送交響楽団も、持ち得る限りの最高のパフォーマンスを披露している。

本全集の再発売を機会にリマスタリングが行われたとのことであるが、音質は初期盤と比較すると明らかに向上しており、この歴史的な名全集の価値をより一層高めることに大きく貢献している点も忘れてはならない。

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2015年04月18日


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飛ぶ鳥落とす勢いの快進撃を続けるインバルと東京都交響楽団の一連のライヴ録音によるシリーズ。

今や現代を代表する大指揮者となったインバルの新譜はどれも注目で聴き逃すことができない。

既にマーラーの交響曲を軸として、ショスタコーヴィチなどの交響曲の名演を東京都交響楽団やチェコ・フィルとともに再録音しており、そのいずれもが旧録音を超える圧倒的な名演となっていた。

ブルックナーの交響曲についても、既に第5番及び第8番という最も規模の大きい交響曲と最も優美な第7番を東京都交響楽団と再録音している。

いずれもフランクフルト放送交響楽団との演奏を上回る名演であり、インバルが、マーラーとブルックナーの両方の交響曲の演奏を得意とする稀有の指揮者であることを見事に証明していたと言えたところだ。

そして、今般、ブルックナーの交響曲チクルスの第4弾として、満を持して比較的マイナーな交響曲である交響曲第6番が登場した。

とにかく素晴らしい名演。

これ以上の言葉が思い浮かばないほどの至高の超名演と言えるだろう。

同曲は、インバルも、第1楽章冒頭の弦楽による繊細な響きからして、かの聖フローリアン教会の自然の中のそよ風のような雰囲気が漂う。

その後も、同曲特有の美しい旋律の数々を格調高く歌い上げていく。

それでいて、線の細さなどはいささかもなく、トゥッティにおいてはブラスセクションをしっかりと響かせるなど強靭な迫力にも不足はなく、骨太の音楽が構築されている。

このあたりの剛柔の的確なバランスは、インバルによるブルックナーの交響曲演奏の真骨頂とも言うべき最大の美質と言えるだろう。

そして、インバルによる本演奏は、朝比奈やヴァントなどが1990年代以降に確立した、今日ではブルックナーの交響曲演奏の規範ともされている、いわゆるインテンポを基調とした演奏には必ずしも固執していない。

第3楽章や第4楽章などにおいても顕著であるが、演奏全体の造型美を損なわない範囲において、若干ではあるが効果的なテンポの振幅を加えており、ある種のドラマティックな要素も盛り込まれていると言えるところだ。

それにもかかわらず、ブルックナーの交響曲らしさをいささかも失っていないというのは、インバルが、同曲の本質を細部に渡って掌握しているからに他ならないと言うべきである。

また、本演奏において特筆すべきは、東京都交響楽団の抜群の力量と言えるだろう。

先般発売されたショスタコーヴィチの交響曲第4番においてもそうであったが、弦楽器の厚みのある響き、そしてブラスセクションの優秀さは、とても日本のオーケストラとは思えないほどの凄味さえ感じさせる。

絹のような弦楽器のサウンドに管楽器の確かな和声が寄り添い、重厚で豊かなブルックナー・サウンドを生み出している。

演奏によって新鮮な魅力を聴かせつつも厳格なまでに自己の哲学を貫くインバルのその姿勢が、確固とした人気を保つ秘訣と言えるだろう。

いずれにしても、本盤の演奏は、今や世界にも冠たる名コンビとも言うべきインバル&東京都交響楽団による圧倒的な超名演と高く評価したいと考える。

録音も超優秀で、鮮明にして臨場感溢れる極上の高音質は、本盤の価値をより一層高めることになっているのを忘れてはならない。

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2015年04月13日


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インバルがかつての手兵であるフランクフルト放送交響楽団とともにスタジオ録音を行ったマーラーの交響曲全集(1985年〜1988年)は、インバル&フランクフルト放送交響楽団の実力を世に知らしめるとともに、インバルの名声を確固たるものとした不朽の名全集である。

それどころか、録音から30年以上が経過した今日においても、あまたのマーラーの交響曲全集の中でも上位を占める素晴らしい名全集と高く評価したい。

インバルのマーラーに対する評価については百家争鳴の感があるが、こんなに深くスコアを読み、練習を重ね、見事な演奏をしたマーラーは少ない。

それは、指揮者が小粒になった今日において、それだけインバルの存在感が増した証左であるとも考えられる。

インバルのマーラーは、近年の東京都響やチェコ・フィルとの一連のライヴ録音では随分と変容しつつあるが、全集を構成する本盤に収められた交響曲第8番の演奏においては一聴すると冷静で自己抑制的なアプローチであるとも言える。

したがって、演奏全体の装いは、バーンスタインやテンシュテットなどによる劇場型の演奏とは対極にあるものと言えるだろう。

しかしながら、インバルは、とりわけ近年の実演においても聴くことが可能であるが、元来は灼熱のように燃え上がるような情熱を抱いた熱い演奏を繰り広げる指揮者なのである。

ただ、本演奏のようなスタジオ録音を行うに際しては、極力自我を抑制し、可能な限り整然とした完全無欠の演奏を成し遂げるべく全力を傾注している。

マーラーがスコアに記した様々な指示を可能な限り音化し、作品本来の複雑な情感や構造を明瞭に、そして整然と表現した完全無欠の演奏、これが本演奏におけるインバルの基本的なアプローチと言えるであろう。

しかしながら、かかる完全無欠な演奏を目指す過程において、どうしても抑制し切れない自我や熱き情熱の迸りが随所から滲み出している。

それが各演奏が四角四面に陥ったり、血も涙もない演奏に陥ったりすることを回避し、完全無欠な演奏でありつつも、豊かな情感や味わい深さをいささかも失っていないと言えるところであり、これを持って本盤におけるインバルによる演奏を感動的なものにしていると言えるところだ。

前述のように、インバルによる本演奏に対する見方は様々であると思われるが、筆者としてはそのように考えているところであり、インバルの基本的なアプローチが完全無欠の演奏を目指したものであるが故に、現時点においてもなお、本盤に収められた交響曲第8番の演奏が普遍的な価値を失わないのではないかと考えている。

このようなアプローチが、曲によってはやや物足りない印象を与えることがあるが、今回HQCD化された「第8」については、曲の性格にもよるのだろうが、インバルのアプローチとの抜群の相性の良さを感じる。

インバルは、厳格なスコアリーディングによる相当に緻密で彫琢の限りを尽くした演奏を繰り広げており、インバルの圧倒的な統率力の下、独唱陣や合唱団も実にうまい。

これらのスケール雄大で圧倒的な名演を、ワンポイント録音が完璧に捉え切っている様は、驚異と言うほかはない。

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2015年04月10日


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インバルがかつての手兵であるフランクフルト放送交響楽団とともにスタジオ録音を行ったマーラーの交響曲全集(1985年〜1988年)は、インバル&フランクフルト放送交響楽団の実力を世に知らしめるとともに、インバルの名声を確固たるものとした不朽の名全集である。

それどころか、録音から20年以上が経過した今日においても、あまたのマーラーの交響曲全集の中でも上位を占める素晴らしい名全集と高く評価したい。

インバルのマーラーに対する評価については百家争鳴の感があるが、こんなに深くスコアを読み、練習を重ね、見事な演奏をしたマーラーは少ない。

それは、指揮者が小粒になった今日において、それだけインバルの存在感が増した証左であるとも考えられる。

インバルのマーラーは、近年の東京都響やチェコ・フィルとの一連のライヴ録音では随分と変容しつつあるが、全集を構成する本盤に収められた交響曲第9番及び第10番(アダージョ)の演奏においては一聴すると冷静で自己抑制的なアプローチであるとも言える。

したがって、演奏全体の装いは、バーンスタインやテンシュテットなどによる劇場型の演奏とは対極にあるものと言えるだろう。

しかしながら、インバルは、とりわけ近年の実演においても聴くことが可能であるが、元来は灼熱のように燃え上がるような情熱を抱いた熱い演奏を繰り広げる指揮者なのである。

ただ、本演奏のようなスタジオ録音を行うに際しては、極力自我を抑制し、可能な限り整然とした完全無欠の演奏を成し遂げるべく全力を傾注している。

マーラーがスコアに記した様々な指示を可能な限り音化し、作品本来の複雑な情感や構造を明瞭に、そして整然と表現した完全無欠の演奏、これが本演奏におけるインバルの基本的なアプローチと言えるであろう。

しかしながら、かかる完全無欠な演奏を目指す過程において、どうしても抑制し切れない自我や熱き情熱の迸りが随所から滲み出している。

それが各演奏が四角四面に陥ったり、血も涙もない演奏に陥ったりすることを回避し、完全無欠な演奏でありつつも、豊かな情感や味わい深さをいささかも失っていないと言えるところであり、これを持って本盤におけるインバルによる演奏を感動的なものにしていると言えるところだ。

前述のように、インバルによる本演奏に対する見方は様々であると思われるが、筆者としてはそのように考えているところであり、インバルの基本的なアプローチが完全無欠の演奏を目指したものであるが故に、現時点においてもなお、本盤に収められた交響曲第9番及び第10番(アダージョ)の演奏が普遍的な価値を失わないのではないかと考えている。

もっとも、楽曲がマーラーの最高傑作である第9番及び第10番(アダージョ)だけに、やや踏み込み不足の点も否めないところであり、どちらも、インバルらしい明晰で、最初から最後まで、計算し尽くされた、非凡な演奏だとは思うのだが、このCDに収められた2曲の演奏は、逆に明晰すぎて、何か物足りない感じが残るのである。

近年の円熟のインバルには、更に素晴らしい名演を期待したいところであるとも言えるところだ。

音質は、初出時から高音質録音で知られたものであり、デンオンのPCM技術によって、かなりクリアかつ素直に録音されていて、ゴールドCD仕様のボックスのみならず、従来CD盤でも十分に満足できる音質である。

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2015年03月31日


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インバルがかつての手兵であるフランクフルト放送交響楽団とともにスタジオ録音を行ったマーラーの交響曲全集(1985年〜1988年)は、インバル&フランクフルト放送交響楽団の実力を世に知らしめるとともに、インバルの名声を確固たるものとした不朽の名全集である。

それどころか、録音から20年以上が経過した今日においても、あまたのマーラーの交響曲全集の中でも上位を占める素晴らしい名全集と高く評価したい。

インバルのマーラーに対する評価については百家争鳴の感があるが、こんなに深くスコアを読み、練習を重ね、見事な演奏をしたマーラーは少ない。

それは、指揮者が小粒になった今日において、それだけインバルの存在感が増した証左であるとも考えられる。

インバルのマーラーは、近年の東京都響やチェコ・フィルとの一連のライヴ録音では随分と変容しつつあるが、全集を構成する本盤に収められた交響曲第4番の演奏においては一聴すると冷静で自己抑制的なアプローチであるとも言える。

したがって、演奏全体の装いは、バーンスタインやテンシュテットなどによる劇場型の演奏とは対極にあるものと言えるだろう。

しかしながら、インバルは、とりわけ近年の実演においても聴くことが可能であるが、元来は灼熱のように燃え上がるような情熱を抱いた熱い演奏を繰り広げる指揮者なのである。

ただ、本演奏のようなスタジオ録音を行うに際しては、極力自我を抑制し、可能な限り整然とした完全無欠の演奏を成し遂げるべく全力を傾注している。

マーラーがスコアに記した様々な指示を可能な限り音化し、作品本来の複雑な情感や構造を明瞭に、そして整然と表現した完全無欠の演奏、これが本演奏におけるインバルの基本的なアプローチと言えるであろう。

しかしながら、かかる完全無欠な演奏を目指す過程において、どうしても抑制し切れない自我や熱き情熱の迸りが随所から滲み出している。

それが各演奏が四角四面に陥ったり、血も涙もない演奏に陥ったりすることを回避し、完全無欠な演奏でありつつも、豊かな情感や味わい深さをいささかも失っていないと言えるところであり、これを持って本盤におけるインバルによる演奏を感動的なものにしていると言えるところだ。

前述のように、インバルによる本演奏に対する見方は様々であると思われるが、筆者としてはそのように考えているところであり、インバルの基本的なアプローチが完全無欠の演奏を目指したものであるが故に、現時点においてもなお、本盤に収められた交響曲第4番の演奏が普遍的な価値を失わないのではないかと考えている。

インバルのマーラー演奏のベースは、厳格なスコアリーディングによる緻密な解釈ということになると思うが、だからと言って、安全運転の体温の低い客観的な演奏ではない。

それどころか、本盤の「第4」について言えば、第2楽章の流麗なレガートや、第3楽章の抒情から最強奏のパッションの爆発に至るまでのダイナミックレンジの広さや変幻自在のテンポ設定など、バーンスタインやテンシュテット風の個性溢れる劇的解釈も散見される。

ただ、インバルの演奏が、この両者の演奏と大きく異なるのは、決して踏み外しをしないということであろう。

それ故に、曲によっては、例えば「第9」などには顕著であるが、物足りなさを感じることがあるのは事実である。

しかし、「第4」の場合は、インバルのこうしたアプローチとの相性も抜群であり、名演に仕上がったと言っても過言ではないと思われる。

ワンポイント録音の素晴らしさが、HQCD化によりさらに鮮明になったことも特筆しておきたい。

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2015年03月01日


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インバルは1980年代に、当時の手兵であるフランクフルト放送交響楽団とともにマーラーの交響曲全集を録音した。

いずれも、名演揃いだと思うが、その中でも随一の名演はこの「第7」ではないかと考える。

レコードアカデミー賞を受賞したのも、確かこの「第7」だけであったはずである。

「第7」は、最近ではそのようなこともないと思うが、1980年代は、マーラーの交響曲の中では不人気の部類に属していた。

圧倒的な勝利と異様なパロディ性の共存といった相反する要素が混在したマーラー世界の象徴ともいえる作品。

クレンペラーによる超スローテンポのスケール雄大な名演や、バーンスタイン、テンシュテットによる劇的な名演もあったが、いずれも指揮者の個性の方が際立った演奏であり、「第7」の曲自体の魅力をストレートに表現してくれる演奏はほとんどなかったと記憶する。

そのような中で登場したインバル盤は、マーラーの「第7」の真価を知らしめた初めての名演と言えるものであり、更には、そうした評価は現代においても十分に通用するものと言える。

これまで「難解」と言われてきたこの曲の隅々にまで光を当て、この交響曲に込められたさまざまな意味・感情のすべてを的確に表現した同曲の決定的名演と言える。

骨太で推進力があり、立派な演奏で、ことさら曲の病的な面を強調することもなく、適度に暗さも感じられて絶妙なバランスの上に立った演奏とも言える。

インバルの解釈は、内なるパッションや個性をできるだけ抑制して、マーラーの音楽を純音楽的に響かせようとするものであり、名演ではあるものの、例えば「第9」など、いささか物足りなさを感じさせるものもあった。

しかしながら、「第7」については、そうしたアプローチがプラスに働いており、やや遅目のゆったりしたテンポをとりながら、尻上がりに調子が上向きになる。

「第7」は、終楽章は別にして、第1〜第4楽章には、マーラーの交響曲の中でも特に繊細な抒情や巧みな管弦楽法が際立っており、こうした箇所において、インバルはあらゆる音符に光を当てて、実に精密な演奏を心がけている。

特に第3楽章は、この曲のもつ怪奇趣味が良く現われて、聴き応えがある。

もちろん、終楽章の迫力は、インバルとしても、自己抑制を超えたパッションの爆発があり、いい意味でのバランスのとれた名演と高く評価できる。

この曲の場合ライナーノーツにある通り終楽章の解釈に議論が分かれており、インバルはそれを考慮に入れたのだろう。

考えてみればこの交響曲はブラームスの交響曲第1番のように恐ろしく長い年月をかけて作曲されたものとは背景はまったく異なる訳であり、フィナーレの勝利とはいえない空々しい悲喜劇を思わせる人間的な矛盾を描いたインバルの指揮は素晴らしいというほかはない。

この交響曲の後に作曲される「第9」と「第10」に関して転機となった貴重な交響曲であることについては疑いようがなく、後期ロマン派の複雑な体系の理解に繋がる名盤である。

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2015年02月14日


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「第7交響曲」の空前の大成功によって、生涯最高の美酒に酔いしれたブルックナーが、きわめて良好な精神状態で、自信を持って書き上げた「第8」の初稿は、ハ短調という悲劇的な調性を感じさせない、実に晴朗で、伸びやかな作品であった。

ブルックナーにとっての悲劇は、この自信満々の新作を「最良の理解者」と信じ、初演を託していた指揮者レヴィに「演奏不能」と拒絶されたことだ。

ブルックナーが再び自信を喪失、精神状態に不安をきたし、当の「第8」のほか、「第3」や「第1」の価値の薄い改訂(「第3」については異論もあろうが)にまで手を染めて、ついには「第9」が未完成に終わってしまったことはブルックナー愛好者によく知られる痛恨事である。

しかし、仮にレヴィが「これは素晴らしい!」という度量を見せて、このままの形で初演していたとしたら、後にリヒターが行った改訂版での初演ほどの成功を収め得たかどうかは誰にも分からない。

確かに、この初稿は途方もなく伸びやかで斬新なため、一般の聴衆にはつかみどころがなく、受け入れられなかったかも知れないからだ。

改訂により作品の本質を「喜劇から悲劇へ」と転換させながら、ブルックナーはより求道性を高め、響きを深淵にした。

特に、第1楽章、初稿が華々しいファンファーレで終わるのに対し、改訂稿は弦のピアニッシモで終わる。

このことによって、悲劇に始まり勝利に終わるという全曲を一貫するプログラムで出来上がったことが、初演成功の大きな要因であったと思われる。

では初稿は、決定稿への踏み台に過ぎなかったのかというと、そうではなく、初稿は初稿で、まことに清新な音の大モニュメントなのである。

繰り返しになるが、「第7」成功の自信に溢れたブルックナーの書いた最も幸福な作品と言っても良く、ことに第3楽章は「天上の音楽」そのものである。

さて、悲劇的な宿命を負った美しい初稿が初めてレコードとなったのは、ここに取り上げるインバル&フランクフルト放送響による演奏である。

多くの音楽愛好家の注目を集めたのは言うまでもなく、初めて耳にしたときの新鮮な感動は今でもよく覚えている。

今、改めて聴き直してみて、インバル盤の水準の高さを認めたいと思う。

速めのテンポと引き締まったサウンドにより、初稿らしい爽やかな演奏になっているからである。

ただし、インバルは本質的にはブルックナー向きの指揮者ではないのではないか。

「第3」「第4」といった初稿の演奏が成功している割には、残りのナンバーの感銘度がいまひとつなことからも、それが伺える。

オーケストラの響きを開放するよりは凝縮する方向に向かわせるため、ブルックナーを聴く醍醐味が減ってしまうからであろう。

ベームほどの熟達と情熱があれば、それもカバーできるのであるが、そこまでの技と心がインバルには用意されていないのである。

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2015年01月06日


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インバルは現代最高のマーラー指揮者の一人と言える。

インバルの名声を一躍高めることになったのは、フランクフルト放送交響楽団とともにスタジオ録音したマーラーの交響曲全集(1985年〜1988年)であるが、その後も東京都交響楽団やチェコ・フィルなどとともに、マーラーの様々な交響曲の再録音に取り組んでいる。

本盤に収められたチェコ・フィルとのマーラーの交響曲第7番の演奏も、そうした一連の再録音の一つであり、インバルとしては、前述の全集中に含まれた演奏(1986年)以来、約25年ぶりのものである。

当該全集の中で、最も優れた演奏は同曲であった(全集の中で唯一のレコード・アカデミー賞受賞盤)ことから、25年の歳月が経ったとは言え、当該演奏以上の名演を成し遂げることが可能かどうか若干の不安があったところであるが、本盤の演奏を聴いて、そのような不安は一瞬にして吹き飛んでしまった。

実に素晴らしい名演であり、正に、近年のインバルの充実ぶりが伺える圧倒的な超名演と言っても過言ではあるまい。

かつてのインバルによるマーラーへの交響曲演奏の際のアプローチは、マーラーへの人一倍の深い愛着に去来する内なるパッションを抑制して、可能な限り踏み外しがないように精緻な演奏を心掛けていたように思われる。

全集の中でも特に優れた名演である第7番についても例外ではなく、全体の造型は堅固ではあり、内容も濃密で立派な名演奏ではあるが、今一つの踏み外しというか、胸襟を開いた思い切った表現が欲しいと思われることも否めない事実である。

ところが、本演奏においては、かつての自己抑制的なインバルはどこにも存在していない。

インバルは、内なるパッションをすべて曝け出し、どこをとっても気迫と情熱、そして心を込め抜いた濃密な表現を施しているのが素晴らしい。

それでいて、インバルならではの造型の構築力は相変わらずであり、どんなに劇的かつロマンティックな表現を行っても、全体の造型がいささかも弛緩することがないのは、さすがの至芸と言うべきであろう。

いずれにしても、テンポの効果的な振幅を大胆に駆使した本演奏のような密度の濃い表現を行うようになったインバルによる超名演を聴いていると、バーンスタインやテンシュテット、ベルティーニなどの累代のマーラー指揮者が鬼籍に入った今日においては、インバルこそは、現代における最高のマーラー指揮者であるとの確信を抱かずにはいられないところだ。

オーケストラにチェコ・フィルを起用したのも功を奏しており、金管楽器、特にトランペットやホルンなどのブラスセクションの卓抜した技量は、本超名演のグレードをさらに上げる結果となっていることを忘れてはならない。

そして、SACDによる極上の高音質録音も、本超名演を鮮明な音質で味わえるものとして大いに歓迎したい。

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2014年12月15日


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インバルがかつての手兵であるフランクフルト放送交響楽団とともにスタジオ録音を行ったマーラーの交響曲全集(1985年〜1988年)は、インバル&フランクフルト放送交響楽団の実力を世に知らしめるとともに、インバルの名声を確固たるものとした不朽の名全集である。

それどころか、録音から20年以上が経過した今日においても、あまたのマーラーの交響曲全集の中でも上位を占める素晴らしい名全集と高く評価したい。

インバルのマーラーに対する評価については百家争鳴の感がある。

それは、指揮者が小粒になった今日において、それだけインバルの存在感が増した証左であるとも考えられる。

インバルのマーラーは、近年の東京都響やチェコ・フィルとの一連のライヴ録音では随分と変容しつつあるが、全集を構成する本盤に収められた交響曲「大地の歌」の演奏においては一聴すると冷静で自己抑制的なアプローチであるとも言える。

したがって、演奏全体の装いは、バーンスタインやテンシュテットなどによる劇場型の演奏とは対極にあるものと言えるだろう。

しかしながら、インバルは、とりわけ近年の実演においても聴くことが可能であるが、元来は灼熱のように燃え上がるような情熱を抱いた熱い演奏を繰り広げる指揮者なのである。

ただ、本演奏のようなスタジオ録音を行うに際しては、極力自我を抑制し、可能な限り整然とした完全無欠の演奏を成し遂げるべく全力を傾注している。

マーラーがスコアに記した様々な指示を可能な限り音化し、作品本来の複雑な情感や構造を明瞭に、そして整然と表現した完全無欠の演奏、これが本演奏におけるインバルの基本的なアプローチと言えるであろう。

しかしながら、かかる完全無欠な演奏を目指す過程において、どうしても抑制し切れない自我や熱き情熱の迸りが随所から滲み出している。

それが各演奏が四角四面に陥ったり、血も涙もない演奏に陥ったりすることを回避し、完全無欠な演奏でありつつも、豊かな情感や味わい深さをいささかも失っていないと言えるところであり、これを持って本盤におけるインバルによる演奏を感動的なものにしていると言えるところだ。

前述のように、インバルによる本演奏に対する見方は様々であると思われるが、筆者としてはそのように考えているところであり、インバルの基本的なアプローチが完全無欠の演奏を目指したものであるが故に、現時点においてもなお、本盤に収められた交響曲「大地の歌」の演奏が普遍的な価値を失わないのではないかと考えている。

メゾ・ソプラノのヤルト・ヴァン・ネス、そして、テノールのペーター・シュライアーも最高のパフォーマンスを発揮していると高く評価したい。

音質は、初出時から高音質録音で知られたものであり、ゴールドCD仕様のボックスのみならず、従来CD盤でも十分に満足できる音質である。

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2014年09月14日


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エリアフ・インバルは、現在でも偉大な遺産としてその名を轟かせているフランクフルト放送交響楽団とのマーラーの交響曲全集のスタジオ録音(1985〜1988年)に引き続いて、ショスタコーヴィチの交響曲全集のスタジオ録音に着手した。

既に、フランクフルト放送交響楽団とともに交響曲第5番を1988年にスタジオ録音していたが、それとは別のプロジェクトとして、1990年から3年間かけて15曲の交響曲のスタジオ録音を行ったのであった。

当該交響曲全集プロジェクトは、当初は、レニングラード・フィル(サンクトペテルブルク・フィル)の起用が予定されていたが、契約の関係で困難となり、ウィーン交響楽団の起用に落ち着いた。

二流のオーケストラであるウィーン交響楽団を起用せざるを得なかった時点で、当該交響曲全集のいささか残念な運命は決定的になったと言わざるを得ないところだ。

レニングラード・フィルが困難であったとしても、何故にフランクフルト放送交響楽団の起用が出来なかったのであろうか。

この点は謎と言う他はないが、ショスタコーヴィチの交響曲を演奏する上での不可欠の要素とも言える、優秀な技量を有したオーケストラの起用が出来なかったことは、偉大な交響曲全集完成に際しての基盤そのものがと崩壊していると言っても過言ではあるまい。

交響曲第10番は、1990年にウィーン交響楽団とともにスタジオ録音を行っているが、オーケストラの力量が今一つであり、必ずしも名演とは言い難い結果となっていた。

このような中で、インバルは、昨年より、東京都交響楽団とともにショスタコーヴィチの交響曲第4番及び第5番の再録音を開始したところであり、両演奏ともに圧倒的な超名演との高い評価を勝ち得たところだ。

そして、そのような中で、今般、満を持して東京都交響楽団との交響曲第10番のライヴ録音が発売された。

本演奏は、1990年盤の演奏とはそもそも次元が異なる圧倒的な超名演に仕上がっていると高く評価したい。

インバルの本演奏におけるアプローチは、曲想を精緻かつ丁寧に描き出すという純音楽的なスタイルを基軸としている。

それでいて、いささかも単調には陥っておらず、インバルが得意としたマーラーの交響曲演奏においても顕著であるが、ありあまるパッションを演奏全体の堅牢な造型の中に封じ込めるという過程においてはみ出してきたものが存在しており、それが本演奏をして、内容豊かなものとしていると言えるところだ。

また、かつてのインバルの演奏に感じられた線の細さはなく、常に骨太の音楽が構築されている。

随所における彫りの深さ、懐の深さには出色のものがあり、まさに大指揮者の風格十分であると言っても過言ではあるまい。

そして、本演奏をして超名演たらしめるのに大きく貢献しているのは、前述のようなインバルの円熟の至芸に加えて、東京都交響楽団の圧倒的な名演奏である。

東京都交響楽団のブラスセクションや打楽器セクションは実に巧く、そして弦楽合奏の厚みのある響きは、ヨーロッパの一流のオーケストラに比肩し得るような力量を備えていると言ってもいいのではないだろうか。

いずれにしても、本演奏は、カラヤン&ベルリン・フィルによるスタジオ録音の演奏(1981年)、ムラヴィンスキー&レニングラード・フィルによるライヴ録音の演奏(1976年)、スクロヴァチェフスキ&ベルリン・ドイツ交響楽団によるライヴ録音による演奏(2003年)と並んで4強の1角を形成する、圧倒的な超名演と高く評価したい。

そしてSACDによる超高音質録音も、本盤の価値を高めるのに大きく貢献しているのを忘れてはならない。

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2014年09月06日


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インバルのマーラーはやはり素晴らしい。

特にこの第5番はインバル&フランクフルト放送響のマーラー演奏における最高傑作と言えるところであり、聴かず嫌いの人にも聴いてみてもらいたい。

都響との演奏も評判が良く、今や国内でマーラーを聴くなら都響の演奏で、と言われるまでのオケの健闘ぶりは素晴らしいのであるが、筆者には都響との熟した演奏よりもこのフランクフルト放響との演奏が与えてくれた衝撃の大きさの方がより強い印象をいまだに残している。

インバルのマーラーの交響曲に対するアプローチは、ありあまるパッションを出来るだけ抑制して、可能な限り客観的な表現を心がけようというものである。

ただ、それだけでは、四角四面の面白みのない演奏になりがちであるが、インバルの場合は、抑制しきれなかったパッションが随所に散見されるところであり、そうしたはみ出てしまったパッションに聴き手が大いなる感銘を受けるのだ。

本盤の第5番の場合、随所に、抑制しきれなかった溢れんばかりのパッションが散見されるところであり、もちろん、バーンスタインやテンシュテットなどに比較すると抑制的ではあるが、インバルとしては相当に劇的な演奏に仕上がっている。

もちろん、インバルならではの厳しい造型、精緻さ、そして各楽器群の整理し尽くされた響きも健在であり、これらを総括すれば、いい意味でのバランスにとれた名演と言うことができるだろう。

インバルのマーラーで感心するのは、楽器のピッチの正確さであり、楽器単位で見事にまとまっている。

この方法なら、どれほど強奏しても音響が濁らずに楽器のパートが見事に聴き取れる。

インバルの方法(微細・精密・現象)だと、共感の度合いが冷静に音化されやすい。

響きが清澄で、一見即物的に聞こえるが、その底辺には(同じユダヤ人ゆえなのか)マーラーへの強い共感を感じる。

正統的で劇的なアプローチの中に、諧謔的で偏執的な卑俗さが混じっている。

その相反する要素をあくまで冷静に描きつつも、作品に対する思い入れを忘れない、まさに理想的な演奏となっている。

当時のフランクフルト放送交響楽団もインバルの確かな統率の下、最高のパフォーマンスを示している。

そして何よりも素晴らしいのは、ワンポイント録音による極上の高音質。

これほどナチュラルな音場で、マーラーの交響曲を味わえるというのは、本盤以外にはなかなか存在しないのではないか。

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2014年09月05日


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インバルがかつての手兵であるフランクフルト放送交響楽団とともにスタジオ録音を行ったマーラーの交響曲全集(1985年〜1988年)は、インバル&フランクフルト放送交響楽団の実力を世に知らしめるとともに、インバルの名声を確固たるものとした不朽の名全集である。

それどころか、録音から20年以上が経過した今日においても、あまたのマーラーの交響曲全集の中でも上位を占める素晴らしい名全集と高く評価したい。

インバルのマーラ―に対する評価については百家争鳴の感がある。

それは、指揮者が小粒になった今日において、それだけインバルの存在感が増した証左であるとも考えられる。

インバルのマーラーは、近年の東京都響やチェコ・フィルとの一連のライヴ録音では随分と変容しつつあるが、全集を構成する本盤に収められた交響曲第2番の演奏においては一聴すると冷静で自己抑制的なアプローチであるとも言える。

したがって、演奏全体の装いは、バーンスタインやテンシュテットなどによる劇場型の演奏とは対極にあるものと言えるだろう。

しかしながら、インバルは、とりわけ近年の実演においても聴くことが可能であるが、元来は灼熱のように燃え上がるような情熱を抱いた熱い演奏を繰り広げる指揮者なのである。

ただ、本演奏のようなスタジオ録音を行うに際しては、極力自我を抑制し、可能な限り整然とした完全無欠の演奏を成し遂げるべく全力を傾注している。

マーラーがスコアに記した様々な指示を可能な限り音化し、作品本来の複雑な情感や構造を明瞭に、そして整然と表現した完全無欠の演奏、これが本演奏におけるインバルの基本的なアプローチと言えるであろう。

しかしながら、かかる完全無欠な演奏を目指す過程において、どうしても抑制し切れない自我や熱き情熱の迸りが随所から滲み出していると言える。

それが各演奏が四角四面に陥ったり、血も涙もない演奏に陥ったりすることを回避し、完全無欠な演奏でありつつも、豊かな情感や味わい深さをいささかも失っていないと言えるところであり、これを持って本盤におけるインバルによる演奏を感動的なものにしていると言えるところだ。

前述のように、インバルによる本演奏に対する見方は様々であると思われるが、筆者としてはそのように考えているところであり、インバルの基本的なアプローチが完全無欠の演奏を目指したものであるが故に、現時点においてもなお、本盤に収められた交響曲第2番の演奏が普遍的な価値を失わないのではないかと考えている。

ソプラノのヘレン・ドナートやアルトのドリス・ゾッフェル、そしてハンブルク北ドイツ放送合唱団も最高のパフォーマンスを発揮していると高く評価したい。

音質は、初出時から高音質録音で知られたものであり、ゴールドCD仕様のボックスのみならず、従来CD盤でも十分に満足できる音質である。

いずれにしても、インバルによる普遍的価値を有する素晴らしい名演を高音質録音で味わうことができるのを大いに喜びたい。

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マーラーの青雲の志を描いた交響曲第1番は、マーラー指揮者と称される指揮者でも敬遠する者が存在する。

マーラーの直弟子であるクレンペラーがそうであったし、必ずしもマーラー指揮者とは言えないかもしれないが、朝比奈は、一度もマーラーの「第1」を演奏しなかった。

他方、小澤は、何と3度に渡って同曲を録音しているが、その中で名演と評価できるのは最初の1977年盤のみ。

それ以降の録音は、どこか構えたようなわざとらしさが目立つ。

要は、この曲へのアプローチはなかなか難しいものと言えるのかもしれない。

そのような中で、マーラーの直弟子であるワルターや、マーラーの化身とも言うべきバーンスタインの名演が存在するのだが、この2大巨頭に迫る名演というのは、なかなか成し得ることが困難と言える。

それでも、このインバル盤は、前述の小澤盤と同様に、相当に健闘していると言えるのではないだろうか。

インバルのマーラーの交響曲に対するアプローチは、有り余るパッションを出来るだけ抑制して、全体を純音楽的に、客観的に表現しようというものであるが、そうした大仰さのない、わざとらしさのないアプローチが、同曲の性格と見事にマッチングしていると思うからである。

インバルの演奏は解説書にも書かれてあるように、見通しの良いくっきりとした演奏である。

それにしても、フランクフルト放送交響楽団の何と言う巧さと鳴りっぷりの良さ。

そして、同オーケストラに、これだけの見事な演奏をさせたインバルの統率力にも高い評価を与えるべきであろう。

高音質録音によって、そうした演奏の特色が更に鮮明に表現されており、本盤の価値を高めることに大いに貢献している点も忘れてはなるまい。

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インバルがかつての手兵であるフランクフルト放送交響楽団とともにスタジオ録音を行ったマーラーの交響曲全集(1985年〜1988年)は、インバル&フランクフルト放送交響楽団の実力を世に知らしめるとともに、インバルの名声を確固たるものとした不朽の名全集である。

それどころか、録音から20年以上が経過した今日においても、あまたのマーラーの交響曲全集の中でも上位を占める素晴らしい名全集と高く評価したい。

インバルのマーラ―に対する評価については百家争鳴の感がある。

それは、指揮者が小粒になった今日において、それだけインバルの存在感が増した証左であるとも考えられる。

インバルのマーラーは、近年の東京都響やチェコ・フィルとの一連のライヴ録音では随分と変容しつつあるが、全集を構成する本盤に収められた交響曲第6番の演奏においては一聴すると冷静で自己抑制的なアプローチであるとも言える。

したがって、演奏全体は、バーンスタインやテンシュテットなどによる劇場型の演奏とは対極にあるものと言えるだろう。

しかしながら、インバルは、とりわけ近年の実演においても聴くことが可能であるが、元来は灼熱のように燃え上がるような情熱を抱いた熱い演奏を繰り広げる指揮者なのである。

ただ、本演奏のようなスタジオ録音を行うに際しては、極力自我を抑制し、可能な限り整然とした完全無欠の演奏を成し遂げるべく全力を傾注している。

マーラーがスコアに記した様々な指示を可能な限り音化し、作品本来の複雑な情感や構造を明瞭に、そして整然と表現した完全無欠の演奏、これが本演奏におけるインバルの基本的なアプローチと言えるであろう。

しかしながら、かかる完全無欠な演奏を目指す過程において、どうしても抑制し切れない自我や熱き情熱の迸りが随所から滲み出している。

それが各演奏が四角四面に陥ったり、血も涙もない演奏に陥ったりすることを回避し、完全無欠な演奏でありつつも、豊かな情感や味わい深さをいささかも失っていないと言えるところであり、これを持って本盤におけるインバルによる演奏を感動的なものにしていると言えるところだ。

前述のように、インバルによる本演奏に対する見方は様々であると思われるが、筆者としてはそのように考えているところであり、インバルの基本的なアプローチが完全無欠の演奏を目指したものであるが故に、現時点においてもなお、本盤に収められた交響曲第6番の演奏が普遍的な価値を失わないのではないかと考えている。

音質は、初出時から高音質録音で知られたものであり、ゴールドCD仕様のボックスのみならず、従来CD盤でも十分に満足できる音質である。

いずれにしても、インバルによる普遍的価値を有する素晴らしい名演を高音質録音で味わうことができるのを大いに喜びたい。

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2014年08月15日


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今や現代を代表する大指揮者となったインバルの新譜はどれも注目で聴き逃すことができない。

既にマーラーの交響曲を軸として、ショスタコーヴィチなどの交響曲の名演を東京都交響楽団やチェコ・フィルとともに再録音しており、そのいずれもが旧録音を超える圧倒的な名演となっていた。

ブルックナーの交響曲についても、既に第5番及び第8番という最も規模の大きい交響曲を東京都交響楽団と再録音している。

いずれもフランクフルト放送交響楽団との演奏を上回る名演であり、インバルが、マーラーとブルックナーの両方の交響曲の演奏を得意とする稀有の指揮者であることを見事に証明していたと言えたところだ。

そして、今般、ブルックナーの交響曲チクルスの第3弾として、満を持して人気交響曲である交響曲第7番が登場した。

とにかく素晴らしい名演。

これ以上の言葉が思い浮かばないほどの至高の超名演と言えるだろう。

同曲は、かの朝比奈隆がブルックナーの最も優美な交響曲と称したが、インバルも、第1楽章冒頭の弦楽による繊細な響きからして、かの聖フローリアン教会の自然の中のそよ風のような雰囲気が漂う。

その後も、同曲特有の美しい旋律の数々を格調高く歌い上げていく。

それでいて、線の細さなどはいささかもなく、トゥッティにおいてはブラスセクションをしっかりと響かせるなど強靭な迫力にも不足はなく、骨太の音楽が構築されている。

このあたりの剛柔の的確なバランスは、インバルによるブルックナーの交響曲演奏の真骨頂とも言うべき最大の美質と言えるだろう。

そして、インバルによる本演奏は、朝比奈やヴァントなどが1990年代以降に確立した、今日ではブルックナーの交響曲演奏の規範ともされている、いわゆるインテンポを基調とした演奏には必ずしも固執していない。

第3楽章や第4楽章などにおいても顕著であるが、演奏全体の造型美を損なわない範囲において、若干ではあるが効果的なテンポの振幅を加えており、ある種のドラマティックな要素も盛り込まれていると言えるところだ。

それにもかかわらず、ブルックナーの交響曲らしさをいささかも失っていないというのは、インバルが、同曲の本質を細部に渡って掌握しているからに他ならないと言うべきである。

また、本演奏において特筆すべきは、東京都交響楽団の抜群の力量と言えるだろう。

本年発売されたショスタコーヴィチの交響曲第4番においてもそうであったが、弦楽器の厚みのある響き、そしてブラスセクションの優秀さは、とても日本のオーケストラとは思えないほどの凄味さえ感じさせる。

いずれにしても、本盤の演奏は、今や世界にも冠たる名コンビとも言うべきインバル&東京都交響楽団による圧倒的な超名演と高く評価したい。

録音も超優秀で、SACDによる鮮明にして臨場感溢れる極上の高音質は、本盤の価値をより一層高めることになっているのを忘れてはならない。

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2014年04月15日


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凄い演奏だ。

本年に発売された交響曲の新譜CDをすべて聴いているわけではないが、おそらくは随一の演奏と言えるのではないだろうか。

ショスタコーヴィチの交響曲第4番は、いわゆるプラウダ批判を受けて、長年に渡って自ら封印されたとの悲劇的な過去を有している。

第13番以降の3曲は別格として、第5番〜第12番の諸作は、人によっては作風が酷似しているとの評価もあるが、第4番については、当時の社会主義体制とは無関係に、才能の赴くままに作曲されたという特質がある。

それだけに、第4番をショスタコーヴィチの最高傑作と評する識者もいるほどであるが、少なくとも、偉大な傑作であると評価することについては異論はないのではないかと考えられるところだ。

とにかく、第4番は、ショスタコーヴィチの他の交響曲と比較しても、最も大胆極まりない書法で作曲されている。

冒頭の強烈な不協和音による主題の後は、多種多様な旋律が貨物列車のように連続して連なっており、終楽章の終結部において冒頭の主題が再現されるまでは殆ど脈略がないとさえ言えるほどの複雑怪奇な曲想である。

耳をつんざくような不協和音やブラスセクションの咆哮、霧のような弱音による旋律の繊細さなど、目まぐるしく曲想が変化する同曲にショスタコーヴィチが込めたメッセージを汲み取ることは困難ではあるが、スターリンによる大粛清が行われ、ショスタコーヴィチの知人にも処刑の魔の手が迫っていた中で作曲されたことに鑑みれば、死と隣り合わせの粛清への恐怖や粛清された者への鎮魂、そして独裁者スターリンへの怒りなどが盛り込まれていることは十分に想像できるところだ。

したがって、スコアに記された音符の表層だけをなぞっただけの演奏では、とても同曲の本質を描き出すことができないことは自明の理であると言えるだろう。

インバルは、1992年にもウィーン交響楽団とともに、交響曲全集の一環として同曲をスタジオ録音しているが、そもそも問題にならないと言える。

通常の意味では立派な演奏ではあるが、当時のインバルによる自己抑制的なアプローチが、同曲の本質を描き出すのにやや不十分になっているのとあわせて、必ずしも優秀とは言い難いウィーン交響楽団が、当該演奏をいささか迫力に欠けたものとしていると言えるからだ。

同曲のこれまでの名演としては、筆者としては、ラトル&バーミンガム市交響楽団による演奏(1994年)、チョン・ミュンフン&フィラデルフィア管弦楽団による演奏(1994年)、ゲルギエフ&マリインスキー(キーロフ)劇場管弦楽団による演奏(2001年)が3強を占める超名演と考えているが、これらの演奏に共通するのは、それぞれの指揮者が新進気鋭の指揮者として飛ぶ鳥落とす勢いにあったということである。

三者三様の演奏ではあるが、強靭な生命力や思い切った解釈を施しているという意味においては共通しており、そうした芸風こそが各演奏を超名演たらしめていると言ってもいいのではないか。

これに対して、本演奏のインバルは、今や現代を代表する大指揮者。

前述の3つの名演の指揮者とは比較にならないほどのキャリアと円熟した指揮芸術を有した存在である。

しかしながら、インバルは、前述の3つの名演に優るとも劣らない、いや、人によってはそれらを凌駕すると評価するかもしれない圧倒的な名演奏を成し遂げることに成功したと言えるだろう。

本演奏においては、かつてのインバルの特質でもあった自己抑制的なアプローチは殆ど聴くことはできない。

もちろん、演奏全体の造型に対する配慮、そして厳格なスコアリーディングに根差した緻密さは窺えるが、かつての欠点でもあったスケールの小ささなど微塵も感じることができない。

思い切った強弱の変化やテンポの振幅を駆使して、同曲に込められたショスタコーヴィチの心底を鋭く抉り出していく指揮芸術の凄味は圧巻の一言であり、演奏の彫りの深さ、内容の濃密さという意味においては、前述の3つの名演を頭一つ抜けた存在であると言っても過言ではあるまい。

いささか大仰な表現にはなるが、前述の3つの名演によって同曲の真の魅力が明らかにされていたところ、インバルによる本演奏によって、同曲の真の魅力がさらにグレードアップされたと言ってもいいのではないだろうか。

インバルの壮絶な指揮に、しっかりとついていき、アンサンブルが殆ど乱れることがないなど、持ち得る実力を最大限に発揮した東京都交響楽団の好パフォーマンスにも大きな拍手を送りたい。

いずれにしても、本演奏は、諸説はあると思うが、筆者としては、前述の3つの名演を大きく凌駕し、同曲の多種多彩な名演の中でも最高峰に君臨する至高の超名演と高く評価したい。

音質も素晴らしく、同曲の複雑きわまりないオーケストレーションが鮮明に再現されるのはSACDならではのものであり、あらためてSACDの潜在能力の高さを思い知った次第である。

このような至高の超名演をSACDによる超高音質で堪能できることを大いに歓迎したい。

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2014年04月10日


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ここ数年のインバルの新譜はいずれも素晴らしい。

指揮者がかつてと比較して小粒になったと言われる現代において、なお巨匠指揮者時代の残滓を感じさせるだけの存在感を有していると言えるところであるが、それはインバルのここ数年の偉大なる新譜によるところが大きいと思われるところだ。

インバルの名声を確固たるものとしたのは、かつての手兵であるフランクフルト放送交響楽団とともにスタジオ録音したマーラーの交響曲全集(1985年〜1988年)であるというのは論を待たないところだ。

この全集は、現在でもなお、録音から20年以上が経過した今日においても、あまたのマーラーの交響曲全集の中でも上位を占める素晴らしい名全集であるが、インバルは、数年前より、東京都交響楽団とチェコ・フィルを起用して、新しいマーラーの交響曲チクルスを開始している。

既に、チェコ・フィルと第1番、第5番、第7番、東京都交響楽団と第2番、第3番、第4番、第8番を録音しており、「大地の歌」は第8弾ということになる(フォンテックレーベルにも第6番を録音していることから、再録音するかどうかは予断を許さないが、それを加えると第9弾ということになる。フォンテックレーベルには、他に第5番を録音している)。

インバルは、前述の全集において「大地の歌」をスタジオ録音(1988年)していることから、今般の演奏は24年ぶりの録音ということになる。

前回の演奏もインバルの名声をいささかも傷つけることのない名演であったが、今般の演奏は、それをはるかに凌駕する圧倒的な超名演であると言えるのではないだろうか。

かつてのインバルによるマーラーへの交響曲演奏の際のアプローチは、マーラーへの人一倍の深い愛着に去来する内なるパッションを抑制して、可能な限り踏み外しがないように精緻な演奏を心掛けていたように思われる。

1988年録音の「大地の歌」についても例外ではなく、全体の造型は堅固ではあり、内容も濃密で立派な名演奏ではあるが、今一つの踏み外しというか、胸襟を開いた思い切った表現が欲しいと思われることも否めない事実である。

ところが、本演奏においては、かつての自己抑制的なインバルはどこにも存在していない。

インバルは、内なるパッションをすべて曝け出し、どこをとっても気迫と情熱、そして心を込め抜いた濃密な表現を施しているのが素晴らしい。

それでいて、インバルならではの造型の構築力は相変わらずであり、どんなに劇的かつロマンティックな表現を行っても、全体の造型がいささかも弛緩することがなく、骨太の音楽作りが行われているというのは、さすがの至芸と言うべきであろう。

いずれにしても、テンポの効果的な振幅を大胆に駆使した本演奏のような密度の濃い表現を行うようになったインバルによる超名演を聴いていると、バーンスタインやテンシュテット、ベルティーニなどの累代のマーラー指揮者が鬼籍に入った今日においては、インバルこそは、現代における最高のマーラー指揮者であるとの確信を抱かずにはいられないところだ。

メゾ・ソプラノのイリス・フェルミリオン、そして、テノールのロバート・ギャンビル、そして東京都交響楽団も、インバルの確かな統率の下、最高のパフォーマンスを発揮していると高く評価したい。

音質は、SACDによる極上の超高音質録音であり、本盤の価値を高めるのに大きく貢献しているのを忘れてはならない。

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2014年03月15日


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インバルは、今や押しも押されぬ世界最高のマーラー指揮者であると言える偉大な存在であるが、現在におけるそうした地位を築くにあたっての土台となったのは、何と言っても1980年代に、当時の手兵であるフランクフルト放送交響楽団とともにスタジオ録音を行ったマーラーの交響曲全集(1985年〜1988年)である。

当該全集は、CD時代が到来し、マーラーブームとなっていた当時にあって、最も規範的な全集として識者の間でも極めて高いものであったところだ。

当該全集において、インバルは交響曲第10番を収録していたが、それは全曲ではなく、アダージョのみの録音であった。

インバルは、当該全集におけるスコアを精緻に、そして丁寧に描き出していくという普遍的とも言えるアプローチからしても、第10番については、マーラーが実際に作曲したアダージョにしか関心を示さないのではないかとも考えられたところであるが、当該全集の完成後4年ほどしてから、ついに、第10番の全曲版をスタジオ録音することになった(本盤)。

第10番については、既に様々な版が存在しているが、本演奏では、最も一般的なクック版(ただし第2稿であるが)が採用されている。

その意味では、インバル自身にも、版については特段の拘りがないと言えるのかもしれない。

インバルは、近年では東京都交響楽団やチェコ・フィルなどとともに、マーラーの交響曲の再録音を行っているところであるが、今後、第10番の再録音を行う際には、どのような版を使用するのか大変興味深いところだ。

本演奏のアプローチは、全集と同様に、スコアを忠実に音化していくという、近年のマーラーの交響曲演奏にも繋がっていくものであり、バーンスタインやテンシュテットなどが個性的な名演の数々を成し遂げている時代にあっては、希少な存在であったとも言える。

昨今のインバルのマーラーの交響曲演奏に際してのアプローチは、この当時と比較すると、思い切ったテンポの振幅を施すなど、全体の造型を蔑ろにしない範囲において、より劇的な解釈を施すようになってきているだけに、本演奏における精緻にして正統的とも言えるアプローチは、極めて貴重なものとも言えるだろう。

もちろん、楽譜に忠実と言っても、無味乾燥な演奏には決して陥っていないのがインバルの素晴らしいところであり、どこをとっても、秘められたパッションの燃焼度には尋常ならざるものがある。

まさに、血が通った演奏であり、これは、インバルのマーラーの交響曲に対する深い理解と愛着の賜物に他ならない。

いずれにしても、本演奏は、いまや稀代のマーラー指揮者として君臨するインバルの芸術の出発点とも言うべき素晴らしい名演と高く評価したい。

なお、前述のように本演奏はクック版第2稿によっているが、今後、インバルがチェコ・フィルまたは東京都響と同曲を録音する際には、クック版第3稿またはその他の稿による演奏を期待したい。

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2014年02月20日


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これは素晴らしい名演だ。

インバルは、我が国の手兵とも言える存在である東京都交響楽団とともに既にマーラーやブルックナーの交響曲の数々の名演を遺しているが、それらの名演にも増して優れたショスタコーヴィチの交響曲の圧倒的な名演の登場と言えるだろう。

インバルは、ショスタコーヴィチの交響曲第5番を、フランクフルト放送交響楽団(1988年)、ウィーン交響楽団(1990年)の2度にわたって録音しており、本盤の演奏は3度目となる同曲の録音ということになるが、過去の2つの名演を大きく凌駕する圧倒的な超名演だ。

ウィーン交響楽団との演奏は、解釈としては申し分のないもののオーケストラの力量に若干の問題があり、インバルによる同曲のこれまでの代表的な演奏ということになれば、フランクフルト放送交響楽団との演奏というのが通説である。

しかしながら、フランクフルト放送交響楽団との演奏から本演奏に至るまでの23年の歳月は、インバルという指揮者の芸風に多大なる深化をもたらしたと言っても過言ではあるまい。

何よりも、楽曲に対する追求度が徹底しており、そもそも演奏のものが違うという印象だ。

一聴すると何でもないようなフレーズでも、よく聴くと絶妙なニュアンスに満ち溢れており、演奏の濃密さには出色のものがあるとさえ言える。

フランクフルト放送交響楽団との演奏では、その当時のインバルの芸風の特色でもあるが、テンポの変化なども最小限に抑えられるなどやや抑制的な解釈であったが、本演奏においては、随所に効果的なテンポの変化を施すなど、インバルの個性が余す所なく発揮されている。

それでいて、いささかもあざとさを感じさせることはなく、加えて演奏全体の造型が弛緩することなど薬にしたくもない。

まさに、楽曲の心眼への徹底した追求と効果的なテンポの変化を駆使した個性的な解釈、加えて演奏全体としての造型美など、同曲の演奏に求め得るすべての要素が備わったまさに稀有の名演に仕上がっていると言っても過言ではあるまい。

これほどの高水準の演奏を成し遂げるに至ったインバルという指揮者の偉大さを大いに感じるとともに、今後のインバル&東京都交響楽団という稀代の名コンビによるショスタコーヴィチの交響曲演奏の続編を大いに期待したい。

音質も素晴らしい。

すべての楽器の演奏が明瞭に分離して聴こえるのは、SACDによる高音質録音による最大の成果とも言えるところであり、あらためてSACDの潜在能力の高さを思い知った次第である。

いずれにしても、インバル&東京都交響楽団による圧倒的な名演をSACDによる極上の高音質で味わうことができるのを大いに喜びたい。

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2014年02月07日


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インバルは、現代最高のマーラー指揮者としての称号をほしいままにしているが、マーラーに私淑していたとされるショスタコーヴィチについても、ウィーン交響楽団とともにスタジオ録音による交響曲全集を完成させるなど、自らのレパートリーの軸としているとも言える。

とりわけ、ショスタコーヴィチの交響曲の中でも最もポピュラリティを獲得しているとされる第5番については、3度にわたって録音を行っている。

最初の録音は本盤に収められたフランクフルト放送交響楽団とのスタジオ録音(1988年)、次いで、前述の全集の一環としてスタジオ録音されたウィーン交響楽団との演奏(1990年)、そして、先般発売されて大きな話題となった東京都交響楽団とのライヴ録音(2011年)が存在している。

このうち、直近の2011年のライヴ録音については、近年のインバルの円熟ぶりが窺える圧倒的な名演であり、3種ある同曲の録音の中でも頭一つ抜けた存在であると言えるところだ。

したがって、2011年のライヴ録音を比較の対象とすると、他の演奏が不利になるのは否めない事実であるが、当該ライヴ録音を度外視すれば、本盤に収められた演奏は、十分に名演の名に値するのではないかと考えている。

少なくとも、オーケストラの優秀さなどを総合的に勘案すれば、2年後のウィーン交響楽団との演奏を遥かに凌駕していると言えるところであり、当時のインバルの演奏の特色を窺い知ることが可能な名演と評価してもいいのではないかと考えるところだ。

当時、同時並行的にスタジオ録音を行っていたマーラーの交響曲全集にも共通するが、当時のインバルの楽曲の演奏に際してのアプローチは、一聴すると冷静で自己抑制的なアプローチであるとも言える。

しかしながら、インバルは、とりわけ近年の実演、例えば、前述の2011年のライヴ録音においても聴くことが可能であるが、元来は灼熱のように燃え上がるような情熱を抱いた熱い演奏を繰り広げる指揮者なのである。

ただ、本演奏のようなスタジオ録音を行うに際しては、極力自我を抑制し、可能な限り整然とした完全無欠の演奏を成し遂げるべく全力を傾注している。

ショスタコーヴィチがスコアに記した様々な指示を可能な限り音化し、作品本来の複雑な情感や構造を明瞭に、そして整然と表現した完全無欠の演奏、これが本演奏におけるインバルの基本的なアプローチと言えるであろう。

しかしながら、かかる完全無欠な演奏を目指す過程において、どうしても抑制し切れない自我や熱き情熱の迸りが随所から滲み出している。

それが本演奏が四角四面に陥ったり、血も涙もない演奏に陥ったりすることを回避し、完全無欠な演奏でありつつも、豊かな情感や味わい深さをいささかも失うことなく、これを持って本盤におけるインバルによる演奏を感動的なものにしているのである。

もう少し踏み外しがあってもいいような気もしないではないが、それは2011年のライヴ録音の方に委ねればいいのであり、演奏の安定性、普遍性という意味においては、実に優れた名演と高く評価したい。

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2014年02月06日


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インバルのマーラーと言えば、20年以上前に完成したフランクフルト放送交響楽団との全集の印象が非常に強い。

マーラーを「最も偉大な交響曲作曲家」と表現するインバルなだけに、おそらくは人一倍、マーラーへの深い愛着からくる心の中の力強いパッションの爆発があると思うのだが、指揮をする際には、それを出来るだけ抑制しようとしているように思われる。

したがって、同じくマーラー指揮者と言われたバーンスタインやテンシュテットなどに比べると、どこか冷めたような演奏のように聴こえてしまうのは大変残念な気がする。

本盤の「第4」は、かつての全集から20年以上経った演奏ではあるが、その抑制的な演奏傾向は殆ど変わりがないと言える。

同じく東京都交響楽団を指揮したチャイコフスキーの「第5」など、実にドラマティックな名演を成し遂げていたのに、なぜかマーラーの交響曲ではこうも大人しめのアプローチに変わってしまうというのは、実に不思議な気がする。

特に、本演奏で不出来なのは終楽章。

半田の独唱など、あまりの弱々しさに大変がっかりさせられた。

もちろん、インバルだけに、抑制的な表現であるからと言って内容が希薄ということはない。

繊細なテクスチュアのなかに和声の美しさを最大限に際立たせた演奏で、明るい印象の中にも憂愁を含んだ天上の響きを見事な手腕で作り出している。

特に第2楽章の楽器の独特の響かせ方や第3楽章のコクのある表現は、さすがと言わせる説得力もある。

オーケストラはインバルに全信頼を置き、特に弦楽器アンサンブルの艶やかさと豊潤な響きは目を見張るものがある。

SACDによる超高音質が本盤の価値を高めるのに大きく貢献していることは、忘れてはならない。

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2014年01月09日


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インバルは、有り余るパッションを秘めながらも、表面に現れた音楽は実に抑制的。

得意とするマーラーの交響曲にしても、抑えられた表現が目立ち、やや物足りなさを感じるのも否めない。

しかし、このチャイコフスキーは、これまで抑えてきたインバルのパッションが爆発したような濃厚な表情づけの熱い名演になっている。

爆演と言ってもいいかもしれない。

インバルが、これほどまでに個性的で熱い演奏をする指揮者だとは思わなかった。

第1楽章は実にスローテンポの序奏部で開始されるが、主部に入ってからは緩急自在のテンポの連続。

時には大見えを切るような箇所も見られるが、決してやり過ぎの印象を与えることはない。

かの小林研一郎の名演を思わせるような個性的な解釈と言うことができるだろう。

第2楽章は、特にホルンソロをレガートをかけずに吹奏させるなども他の演奏には見られないものだし、終結部の運命の動機が再現する箇所の突然のスローダウンなど、初めて聴くような感動を覚える。

第3楽章の流れるようなワルツも、あたかもマーラーのレントラー舞曲を聴くような楽しさだし、終楽章も、第1楽章と同様にテンポを目まぐるしく変化させるなど、インバルの内に秘められたパッションが爆発する。

録音も良く、インバルと東京都交響楽団のコンビも、3作目にして漸く軌道に乗ってきた感じだ。

インバルも、マーラーなどでこのような熱い解釈をすれば、どれだけ感動的な名演に仕上がることだろうか。

既にインバルのマーラー新録音は進行中であり、目が離せないところだ。

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2013年10月30日


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インバルは、東京都交響楽団との間でマーラーチクルスを続行しているが、前作の第3番に続いて本盤も、この黄金コンビの好調さを表す素晴らしい名演だ。

インバルは、かつてフランクフルト放送交響楽団と素晴らしい全集を作り上げた。

当該全集では、インバルは劇的な要素をできるだけ抑制し、客観的な視点でマーラーがスコアに記した音符の数々を無理なく鳴らすというアプローチであった。

インバル自身には、マーラーへの深い愛着に去来する有り余るパッションがあるのだが、インバルは演奏の際には、それをできるだけ抑制しようとする。

それ故に、客観的なアプローチを取りつつも、いささかも無味乾燥な演奏に陥ることなく、内容の濃さにおいては人後に落ちることはない。

しかも、抑制し切れずに零れ落ちてくるパッションの爆発が随所に聴かれ、それが聴き手の感動をより深いものにするのだ。

ここに、インバルによるマーラーの魅力の秘密がある。

東京都交響楽団との新チクルスにおけるアプローチも、基本的には旧全集と同様であるが、旧全集と比較すると、パッションの爆発の抑制を相当程度緩和しており(ライヴ録音とスタジオ録音の違いもあるとは思うが)、これが新チクルスをして、旧全集よりもより一層感動的な名演に仕立てあげているのだと考える。

かかる点は、近年のインバルの円熟ぶりを示す証左として高く評価したい。

第1楽章は、冒頭のゆったりとしたテンポによる低弦による合奏の間の取り方が実に効果的。

トゥッティに至る高揚は雄渾なスケールで、その後の高弦による旋律の歌い方は、思い入れたっぷりの情感に満ち溢れていて美しい。

続く主部は、緩急自在の思い切ったテンポ設定、幅の広いダイナミックレンジを駆使して、実にドラマティックに曲想を抉り出していく。

随所に聴かれる金管楽器の最強奏や雷鳴のようなティンパニは、圧巻の凄まじいド迫力だ。

かつての自己抑制的なインバルとは段違いの円熟のインバルならではの成せる業だ。

第2楽章は、オーソドックスな解釈であるが、弦楽器も木管楽器もこれ以上は求め得ないような情感の籠った流麗な音楽を紡ぎ出している。

第3楽章は、冒頭のティンパニによる強打の効果的な間の取り方が、第1楽章冒頭の低弦と同様で実に巧み。

その後も、ティンパニを始めとした打楽器群の生かした方は素晴らしく、打楽器を重要視したマーラーの本質を見事に衝いている。

中間部の金管楽器のファンファーレにおける猛烈なアッチェレランドは凄まじい迫力であるし、その後に続く弱音のトランペットのパッセージのゆったりしたテンポによる歌わせ方は、まさに天国的な至高・至純の美しさ。

終結部のトゥッティのド迫力は、もはや言葉を失ってしまうほど圧倒的だ。

第4楽章は、メゾソプラノのフェルミリオンの歌唱が実に美しい。

それに合わせるかのように、東京都交響楽団も雰囲気満点の実に美しい音楽を奏でている。

終楽章は、冒頭圧巻の迫力で開始される。

その後は、ゲネラルパウゼや思い切った強弱の変化等を効果的に駆使しつつ主部に繋いでいく。

主部への導入部のティンパニは凄まじい迫力、主部は風格豊かな堂々たる進軍だ。

この部分は、下手な指揮者にかかると冗長さを感じさせてしまうのだが、インバルの場合は、緩急自在のテンポ設定、アッチェレランドの効果的活用、強弱の変化など、あらゆる至芸を駆使して実に濃密でドラマティックな音楽を構築しているのが素晴らしい。

合唱が導入されて以降は、スケール雄大な壮麗さが支配しており、圧倒的な高揚と迫力のうちに、全曲を締めくくっている。

独唱陣は、終楽章においても見事な歌唱を披露しており、二期会合唱団も大健闘と言える。

何よりも素晴らしいのは東京都交響楽団であり、インバルの見事な統率の下、最高のパフォーマンスを示している。

SACDによる極上の高音質録音も、本盤の価値を高めるのに大きく貢献しているのを忘れてはならない。

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近年のインバルの充実ぶりを認識させられる素晴らしい名演だ。

インバルは、当時の手兵のフランクフルト放送交響楽団とともに、マーラーの交響曲全集を録音している。

それは、有り余るパッションをできるだけ封じ込めて、作品から一歩引いた客観的とも言えるアプローチによる演奏であり、全集全体の水準としては満足できる出来と言えるものの、楽曲によっては物足りないものもあった。

第7番など超名演であったのだが、他方、第9番や第6番、そして、第3番もどこか物足りなさが残る演奏であったと記憶する。

ところが、本盤の演奏ではそのような物足りなさは微塵も感じられない。

インバルも、ライヴ録音ということもあるのだと思うが、ここでは、有り余るパッションをいささかも抑制していない。

それどころか、猛烈なアッチェレランドやダイナミックレンジの幅の広さなど、思い切った表現が際立つ。

それでいて、全体としての造型がいささかも弛緩しないというのは、インバルの類稀なる音楽性の勝利と言えるだろう。

こうしたインバルの圧巻の指揮に、しっかりとついていった東京都交響楽団も、金管楽器、木管楽器ともに抜群の巧さ、そして弦楽器や打楽器も含めた見事なアンサンブルを誇っており、独唱陣や合唱団も最高のパフォーマンスを示している。

SACDによる高音質録音も、本盤の価値を高めるのに大きく貢献している。

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2013年09月25日


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このコンビによるベートーヴェンの「第5」&「第7」が素晴らしい名演であったので、本盤を購入し、聴いてみたところ、期待どおりの見事な名演であった。

このディスクからは往年の巨匠達が鳴らしていた「エロイカ」を聴くことができる。

ベートーヴェンの交響曲の演奏の主流は、今や、ピリオド楽器の使用や、古楽器奏法の活用などになりつつあるが、インバルは、そのような演奏傾向には背を向け、本演奏においても、旧スタイルを貫いている。

この姿勢が、聴き手に大いなる安心感を与えるのだ。

もちろん、最近の演奏傾向を否定するものではないが、芸術性をどこかに置き忘れた軽妙浮薄な演奏をよく耳にする昨今においては、旧スタイルを懐かしく思ってしまうのだ。

前述のように、インバルは旧スタイルと書いたが、もちろん、インバルならではの個性的な解釈も散見される。

特に、第1楽章や終楽章における思い切った表情づけなどには、いささかやり過ぎのきらいもないわけではないが、全体としては、ドイツ風の重厚さが支配的な堂々たる名演に仕上がっている。

ゆったりとした堂々たるテンポ、終楽章コーダの朗々たるホルンやここぞという場面で強打されるティンパニなど、どこを取っても理想の名演奏だ。

インバルの確かな統率の下、東京都交響楽団も最高のパフォーマンスを示している。

併録の「コリオラン」序曲も、「エロイカ」と同様の重量感溢れる名演。

録音もSACDによる極上の高音質であり、文句なし。

なお、「エロイカ」終了後の聴衆のマナーについて一言。

演奏の余韻を味わうための間を少し置くことはできないのだろうか。

演奏終了とほぼ同時の品の悪い大音声は、殆ど顰蹙ものである。

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インバル指揮都響の演奏会はエクストンによって高音質で録音されるので演奏会に行けなかった人たちにとっては本当にありがたい。

ブルックナーの「第8」の初稿については、シモーネ・ヤングによる名演が記憶に新しいが、本盤も、それに優るとも劣らない名演と高く評価したい。

インバルの旧盤(フランクフルト放送交響楽団との全集)が登場した頃は、初稿は、学者の学究対象のような位置づけであったが、近年の数々の名演の登場にかんがみると、立派な芸術作品として、初稿ならではの魅力が漸く認知されたものと言える。

本盤の録音は、2010年3月25日。

何と、ほぼ同時に発売されたスクロヴァチェフスキの超名演の録音日と同日であり、我が国において、初稿とハース&ノヴァークの折衷版の至高の名演が同時に行われたのは奇跡というほかはないと言える。

それにしても、本盤のインバルの指揮は見事である。

マーラーで聴かれる、インバルの持ち味である粘り気が功を奏し、情念溢れる感動的な音楽に仕上がっている。

かつてのフランクフルト放送交響楽団との旧盤も名演であったが、本盤の前では、もはや太陽の前の星のような存在である。

全体の厳しい造型の構築力には力強いものがあるし、初稿ならではの抒情豊かな旋律の歌い方(特に第3楽章)も実に感動的である。

終楽章などには、猛烈なアッチェレランドや思い切ったトゥッティなどの連発なども散見されるが、それが決して嫌ではないのは、インバルの初稿に対する深い理解の証左と言えるだろう。

東京都交響楽団も、インバルの統率の下、最高のパフォーマンスを示している。

録音もSACDによる極上の鮮明な高音質であり、本盤の価値を高めることに大きく貢献している。

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インバルは、筆者としてはどちらかと言うとマーラー指揮者というイメージがあるが、それでも、かつて初稿などを駆使して、ブルックナーの交響曲全集を完成した指揮者であることを忘れてはならないだろう。

「第5」は、その全集時から約25年ぶりの録音ということになるが、インバルの円熟の境地を感じさせる素晴らしい名演だ。

演奏の特徴を一言で言うと、非常に緻密でしっかりと解釈された演奏ということができるだろう。

全体的なテンポはかなり速めのテンポ。

冒頭のピチカートからして、過去の様々な名演に比してかなり速い。

第2楽章のアダージョの名旋律も、もう少しゆっくり演奏して欲しいと感じるほどの速めのテンポだ。

しかしながら、インテンポではなく、場面毎に巧みにテンポを変化させる。

強弱の変化にしても同様で、これほどまでにテンポや強弱の変化を精緻に駆使した演奏は、これまでにはなかったのではないか。

だからと言って、杓子定規には陥らず、「第5」特有のスケールの雄大さにいささかの不足はないのは見事というほかはない。

金管楽器などの吹奏も、迫力を欠くということはいささかもなく、それでいて無機的な音は一音たりとも出していない。

こうした東京都交響楽団の好演も特筆すべきであり、インバルとのコンビが漸く軌道に乗ってきたことを大いに感じさせる。

このコンビによるブルックナーの他の交響曲の演奏にも大いに期待したい。

録音もSACDによる極上の鮮明な高音質であり、本盤の価値を高めることに大きく貢献している。

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2013年09月16日


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本盤に収められたマーラーの交響曲全集は、インバル&フランクフルト放送交響楽団の実力を世に知らしめるとともに、インバルの名声を確固たるものとした不朽の名全集である。

それどころか、録音から25年以上が経過した今日においても、あまたのマーラーの交響曲全集の中でも上位を占める素晴らしい名全集と高く評価したい。

インバルのマーラ―に対する評価については百家争鳴の感がある。

それは、指揮者が小粒になった今日において、それだけインバルの存在感が増した証左であるとも考えられる。

インバルのマーラーは、近年の都響やチェコ・フィルとのライヴでは随分と変容しつつあるが、本盤の各演奏においては一聴すると冷静で自己抑制的なアプローチであるとも言える。

したがって、演奏全体の装いは、バーンスタインやテンシュテットなどによる劇場型の演奏とは対極にあるものと言えるだろう。

しかしながら、インバルは、とりわけ近年の実演においても聴くことが可能であるが、元来は灼熱のように燃え上がるような情熱を抱いた熱い演奏を繰り広げる指揮者なのである。

ただ、本盤のようなスタジオ録音による全集を完成させるに際しては、極力自我を抑制し、可能な限り整然とした完全無欠の演奏を成し遂げるべく全力を傾注している。

マーラーがスコアに記した様々な指示を可能な限り音化し、作品本来の複雑な情感や構造を明瞭に、そして整然と表現した完全無欠の演奏、これが本盤におけるインバルの基本的なアプローチと言えるであろう。

しかしながら、かかる完全無欠な演奏を目指す過程において、どうしても抑制し切れない自我や熱き情熱の迸りが随所から滲み出している。

それが各演奏を四角四面に陥ったり、血も涙もない演奏に陥ったりすることを回避し、完全無欠な演奏でありつつも、豊かな情感や味わい深さをいささかも失っていないと言えるところであり、これを持って本盤におけるインバルによる各演奏を感動的なものにしているところだ。

前述のように、本全集におけるインバルによる演奏に対する見方は様々であると思われるが、筆者としてはそのように考えているところであり、インバルの基本的なアプローチが完全無欠の演奏を目指したものであるが故に、現時点においてもなお、本全集が普遍的な価値を失わないのではないかと考えている。

1985年から1988年という極めて短期間に(1992年のスタジオ録音である第10番のクック全曲版については、もともとの全集とは別個に録音されたものであり、ここでは全集と区別して考えたい)録音されたということも、各交響曲毎の演奏のムラをなくす結果に繋がっている。

そして、本全集でさらに素晴らしいのは、マーラーのような大編成のオーケストラ曲においては画期的とも言えるワンポイント録音による極上の鮮明な超高音質である。

様々な楽器セクションがこれほど鮮明に、そしてナチュラルに分離して聴こえるというのは、他の録音でも極めて少ないと言えるところであり、本全集の普遍性に大きく貢献しているのを忘れてはならない。

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2013年07月10日


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インバルが東京都交響楽団を指揮して演奏したマーラーの「第2」や「第3」は素晴らしい名演であったが、本盤に収められたチェコ・フィルとの「第5」も素晴らしい名演と高く評価したい。

インバルは、マーラーの「第5」をかつての手兵フランクフルト放送交響楽団とスタジオ録音(1986年)するとともに、東京都交響楽団とのライヴ録音(1995年)もあるが、本演奏は、それら両演奏をはるかに凌駕する名演と言える。

かつてのインバルは、マーラーへの人一倍の深い愛着に去来する内なるパッションをできるだけ抑制して、できるだけ音楽に踏み外しがないように精緻な演奏を心掛けていたように思われる。

したがって、全体の造型は堅固ではあり、内容も濃密で立派な演奏ではあるが、ライバルとも目されたベルティーニの歌心溢れる流麗さを誇るマーラー演奏などと比較すると、今一つ個性がないというか、面白みに欠ける演奏であったことは否めない事実である。

前述の1986年盤など、その最たる例と言えるところであり、聴いた瞬間は名演と評価するのだが、しばらく時間が経つとどんな演奏だったのか忘却してしまうというのが正直なところ。

ワンポイント録音による画期的な高音質だけが印象に残る演奏というのが関の山と言ったところであった。

1995年盤になると、ライヴ録音ということもあり、インバルにもパッションを抑えきれず、踏み外しが随所にみられるなど、本盤に至る道程にある名演と言うことができるだろう。

そして、本盤であるが、ここにはかつての自己抑制的なインバルはいない。

インバルは、内なるパッションをすべて曝け出し、ドラマティックな表現を施しているのが素晴らしい。

それでいて、インバルならではの造型の構築力は相変わらずであり、どんなに劇的な表現を行っても、全体の造型がいささかも弛緩することがないのは、さすがの至芸と言うべきであろう。

いずれにしても、前述の「第2」及び「第3」と同様に、本盤のようなドラマティックな表現を駆使するようになったインバルを聴いていると、バーンスタインやテンシュテット、ベルティーニが鬼籍に入った今日においては、インバルこそは、現代における最高のマーラー指揮者であるとの確信を抱かずにはいられない。

オーケストラにチェコ・フィルを起用したのも功を奏しており、金管楽器、特にトランペットやホルンの卓抜した技量は、本名演のグレードをさらに上げる結果となっていることを忘れてはならない。

SACDによる極上の高音質録音も、本名演を鮮明な音質で味わえるものとして大いに歓迎したい。

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2013年06月26日


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凄い演奏だ。

いまや世界最高のマーラー指揮者として君臨しているインバルの勢いを、もはや誰もとどめることが出来ない。

インバルによるマーラーの交響曲演奏といえば、かつての手兵であるフランクフルト放送交響楽団との全集(1985年〜1988年)が名高いが、ここ数年にわたって、東京都交響楽団やチェコ・フィルとの演奏は、段違いの素晴らしさと言えるのではないだろうか。

本盤に収められたチェコ・フィルとのマーラーの交響曲第1番の演奏は、チェコ・フィルとの演奏としては第5番、第7番に次ぐ第3弾ということになるが、インバルとしては、前述の全集中に含まれた同曲の演奏(1985年)以来、約30年ぶりのものである。

同曲は、マーラーの青雲の志を描いた交響曲であるだけに、前回の全集の中でも非常に優れた演奏の一つであったが、本盤の演奏は更に優れた名演に仕上がっており、まさに、近年のインバルの充実ぶりが窺える圧倒的な超名演と言っても過言ではあるまい。

かつてのインバルによるマーラーへの交響曲演奏の際のアプローチは、マーラーへの人一倍の深い愛着に去来する内なるパッションを抑制して、可能な限り踏み外しがないように精緻な演奏を心掛けていたように思われる。

全集の中でも優れた名演の一つであった第1番についても例外ではなく、全体の造型は堅固ではあり、内容も濃密で立派な名演奏ではあるが、今一つの踏み外しというか、胸襟を開いた思い切った表現が欲しいと思われることも否めない事実である。

ところが、本演奏においては、かつての自己抑制的なインバルはどこにも存在していない。

インバルは、内なるパッションをすべて曝け出し、どこをとっても気迫と情熱、そして心を込め抜いた濃密な表現を施しているのが素晴らしい。

それでいて、インバルならではの造型の構築力は相変わらずであり、どんなに劇的かつロマンティックな表現を行っても、全体の造型がいささかも弛緩することがないのは、さすがの至芸と言うべきであろう。

いずれにしても、テンポの効果的な振幅を大胆に駆使した本演奏のような密度の濃い表現を行うようになったインバルによる超名演を聴いていると、バーンスタインやテンシュテット、ベルティーニなどの累代のマーラー指揮者が鬼籍に入った今日においては、インバルこそは、現代における最高のマーラー指揮者であるとの確信を抱かずにはいられないところだ。

オーケストラにチェコ・フィルを起用したのも功を奏しており、金管楽器、特にトランペットやホルンなどのブラスセクションの卓抜した技量は、本超名演のグレードをさらに上げる結果となっていることを忘れてはならない。

そして、SACDによる極上の高音質録音も、本超名演を鮮明な音質で味わえるものとして大いに歓迎したい。

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2013年03月29日


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これは素晴らしい名演で、汲めども尽きせぬ魅力に満ちた演奏である。

インバルは、ブルックナーにおいては初稿の録音を行うなど、相当の拘りを見せているが、ベートーヴェンの交響曲においては、最近流行のピリオド楽器の使用や古楽器奏法には見向きもしない。

いわゆる正攻法の旧スタイルによる演奏を終始貫いている。

しかしながら、古臭さは皆無であり、ベートーヴェンの交響曲第5番、そして第7番の魅力をゆったりとした気持ちで味わうことができる点を高く評価したい。

一見、昨今の時流に反した大編成のオーケストラによる大時代的なベートーヴェンに聴こえるが、実際にそこから立ち現れてくる音楽は、あらゆる意味において紋切り型のイメージを打ち破るものである。

だからと言って、奇を衒ったアプローチや音響は皆無であり、演奏の根底にあるのは、インバルの指揮の下、それぞれのパート譜が内包する音楽を最大限正確かつ真摯に表わし尽くそうとする都響の各奏者のもちろん高度な能力に裏付けられた献身的な姿勢である。

そういった各奏者が放つ瞬間瞬間の音楽の充実が、一貫して比較的余裕を持ったテンポ感に基づいて設定される大きくて風通しのよい音楽空間の中に展開し、あたかも誕生間もない宇宙のような、多様な種類のエネルギーに満ちた高密度の時空を作り出している。

そのエネルギーは、「精神」という言葉を用いて表現したくなる何かであり、つまりはベートーヴェンの言葉に他ならない。

第5番は、全体として重厚な響きが支配しているが、特に第2楽章など、品のいいレガートが絶妙な効果をあげている。

近年のベートーヴェン演奏においては、古楽器奏法などを意識するあまり、このレガートを軽視・蔑視する傾向が強いが、本名演は、現代の軽妙浮薄なベートーヴェンに対する力強いアンチテーゼと言えよう。

第7番は、第5番とは異なり、重厚な響きよりは、軽快なリズム感を重視した印象が強いが、それでも、随所に見られる美しいレガートやここぞという時の強靭な迫力は、現代の指揮者による演奏とは一線を画する極めて高いレベルに仕上がっていると言える。

SACDによる高音質録音も非常に鮮明であり、本名演の価値を高めるのに大きく貢献している。

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2012年06月23日


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インバルは1980年代に、当時の手兵であるフランクフルト放送交響楽団とともにマーラーの交響曲全集を録音した。

いずれも、名演揃いだと思うが、その中でも随一の名演はこの「第7」ではないかと考える。

圧倒的な勝利と異様なパロディ性の共存、相反する要素が混在したマーラー世界の象徴ともいえる作品。

これまで「難解」と言われてきたこの曲の隅々にまで光を当て、この交響曲に込められたさまざまな意味・感情のすべてを的確に表現した同曲の決定的名演。

「第7」は、最近ではそのようなこともないと思うが、1980年代は、マーラーの交響曲の中では不人気の部類に属していた。

クレンペラーによる超スローテンポのスケール雄大な名演や、バーンスタイン、テンシュテットによる劇的な名演もあったが、いずれも指揮者の個性の方が際立った演奏であり、「第7」の曲自体の魅力をストレートに表現してくれる演奏はほとんどなかったと記憶する。

そのような中で登場したインバル盤は、マーラーの「第7」の真価を知らしめた初めての名演と言えるものであり、更には、そうした評価は現代においても十分に通用するものと言える。

徹底したスコアの読みと細部へのこだわりがマーラー演奏に新時代を拓いたインバル&フランクフルト放送響の真骨頂がここにある。

インバルの解釈は、内なるパッションや個性をできるだけ抑制して、マーラーの音楽を純音楽的に響かせようとするものであり、名演ではあるものの、例えば「第9」など、いささか物足りなさを感じさせるものもあった。

しかしながら、「第7」については、そうしたアプローチがプラスに働いている。

「第7」は、終楽章は別にして、第1〜第4楽章には、マーラーの交響曲の中でも特に繊細な抒情や巧みな管弦楽法が際立っており、こうした箇所において、インバルはあらゆる音符に光を当てて、実に精密な演奏を心がけている。

やや遅目のゆったりしたテンポをとり、尻上がりに調子が上向きになっていき、特に第3楽章は、この曲のもつ怪奇趣味が良く現われて、聴き応えがある。

もちろん、終楽章の迫力は、インバルとしても、自己抑制を超えたパッションの爆発があり、いい意味でのバランスのとれた名演と高く評価できる。

この曲の場合、解説にある通り、終楽章の解釈に議論が分かれており、インバルはそれを考慮に入れたのだろう。

録音ももともと素晴らしいが、Blu-spec-CD化によって、さらに音場に奥行きが広がり、臨場感溢れる音質になったことも、本盤の価値を大いに高めることに貢献している。

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2012年01月02日


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1988年10月12-14日、フランクフルト、アルテ・オーパーでの録音。

インバル初のスメタナ。

インバルがスコアを徹底的に再構築した秀演。

ボヘミアの作曲家スメタナが祖国への深い愛を込めて作曲した連作交響詩だけあって、チェコ・フィルなどの本場物の数多くの《わが祖国》の録音があるが、インバル&フランクフルト放送交響楽団のディスクはそれらと比しても最右翼に位置し得る演奏のひとつだ。

鬼才とうたわれる指揮者インバルは、安易な民族色にもたれることなく、スコアを徹底的に見直した独自の視点からこの名曲の真価を世に問うている。

インバルらしい、骨組みのしっかりしたメリハリの強い表現で、重厚なドイツ風ともいえる響きが作品の交響性を強調しており、知的で構築的だ。

どの部分を採っても緻密なところまで神経が細かく張りめぐらされた、基本的には筋肉質ともいえる引き締まった音楽だが、硬直化するようなことはまったくない。

作品の起承転結を巧みに表現した、聴かせ上手な演奏である。

遅めのテンポでじっくり仕上げた「モルダウ」など、音楽作りの抜群のうまさが際立った素晴らしい演奏だが、6曲の中では後半3曲の演奏が特にすぐれており、中でも「ボヘミアの森と草原より」は秀演といえる。

インバルを首席指揮者に迎えてからこの録音時で10余年、フランクフルト放送交響楽団の発展ぶりは注目すべきものがあったが、この録音でもそうした美点がフルに生かされている。

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2011年08月11日


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1982年から6年をかけて録音完成されたインバルによるブルックナー/交響曲全集のセットでの発売。

ブルックナーが最初に完成させた稿のみを用いるというユニークなコンセプトで作られた全集で、歴史的価値も極めて高い。

特に第3、4、8番にノヴァーク版の第1稿を用いているのが異色で、通常の演奏に用いられる稿と大きく違っており、ブルックナーの愛好家は必聴で、関心のある人にも見逃すことのできない演奏である。

インバルのブルックナーは楽譜を尊重した純音楽的な表現だ。

演奏は極めてよく整頓され、洗練されていて、インバルの強烈な個性で一貫している。

演奏の水準はいずれも高く、楽譜を徹底的に読み込み、それを忠実に再現しようとするインバルのやり方が生きている。

極めて知的な考究と尖鋭な感覚で、まず全体の骨格がつくられた後に音楽的な感興が作品の情緒を汲み上げる作業を行い、作品に応じた対応をしている。

清澄な響きと豊かな動感も楽譜に即しており、管弦の優秀な技巧が効果的で、ここまでオーケストラを精錬させるのは大仕事だ。

インバルの演奏は若々しく、精気に満ちた力と思索的な静けさを共に具えている。

緊張感をもったテンポに独自の爽快感があり、色彩感の美しさも特筆に値する。

以前の録音に比べると、格段に磨きのかかった響きとなっており、音の運びにも柔軟性が豊かに出て、1音1音に息づかいの感じられる演奏だ。

誠実で、何のケレン味もない棒さばきから、それぞれの曲の本質に触れた深い味わいが滲み出てくるのを聴いていると、ブルックナーという交響曲作家の偉大な精神が浮かび上がってくるのが感じられる。

録音のすばらしさも表裏一体となって、この名演の奥行きに加算されている。

最初の交響曲である、ヘ短調交響曲も、その創作の出発点を知る意味で興味深い。

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2010年06月22日


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この「幻想」は知的で明晰な表現が、きりりと引き締まったアンサンブルで展開されている。

第1,4楽章の反復指示が実行されているのも、インバルが交響曲としての本質を重視していることを物語っている。

インバルは標題的な効果ではなく、音楽そのものに深く共感しているため「野の風景」のテンポやフレージングも妥当で、表情豊かな音楽が作られている。

「レリオ」はメスギシュの巧緻なナレーションがひときわ目立つ。

「ロメオとジュリエット」の演奏はまさにインバルらしく知的・明晰・繊細で、清澄な美に満ちあふれている。

ブロローグの合唱は少人数と思われるがオケとともに整然と磨き抜かれ、ドゥニーズの独唱が実に魅惑的な美声で心打つ抒情をくりひろげる。

コール、ロイドも非常に優秀だ。

インバルはこの優れたオケと独唱・合唱を武器として、変転する各部を有機的に関連させ、独自の劇的交響曲の様相を鮮明に表出している。

「ファウストの劫罰」では、インバルは適切なテンポで、各場面の音楽それぞれにふさわしい表現を与えている。

合唱団も「エピローグ」は別として立派に歌っているし、フランクフルト放送響も、色彩感がもう少し欲しい気もするが、インバルの指揮によく応えている。

また独唱者たちも揃っており、ロイドの貫録、ユーイングの細やかな表情、グヤーシュの若々しい情感など、それぞれ立派だ。

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2010年06月21日


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「レクイエム」はマーラー交響曲全集の録音を終えたインバルが、新たに取り組んだベルリオーズ作品集成の最初の録音。

この大曲のもつスケールの大きさと、繊細さを実に見事に表出していて、インバルの本領が万全に発揮されている。

インバルは適度なレガートを主体にしてまったくよどみなく音楽を展開し、抑制された音量のところでは共感に満ちた心からの祈りを感じさせる。

また壮大な頂点では、スケールの大きな表現で迫力を充分表している。

合唱団は男声に比べ女声がやや聴き劣りするが、オケと共にまず好演といえよう。

ニュージーランド生まれのテノール、ルイスも抒情的な声質と端正な歌いぶりで好ましい。

「イタリアのハロルド」は、インバルのベルリオーズ・シリーズの第2作。

きわめて構成感のしっかりとした指揮で、この曲のおもしろみをよく引き出している。

第1楽章冒頭から素晴らしく尖鋭な感覚で一貫しており、どの部分を採っても表情にまったく隙がなく、ベルリオーズのオーケストレーションや響きの特色が見事に表されるとともに、作品のロマン性を生気はつらつと表出し、交響性を十分に発揮している。

ヴィオラのバシュメトの美音と表情の豊かさも特筆に値する。新鋭とは思えないほど見事で、卓越した技巧と艶やかな音には魅せられる。

実に興趣に満ちた音楽で、素晴らしい演奏である。

ただし、オーケストラの響きが、ややフランス的な色彩感に乏しいのが惜しまれる。

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2009年11月29日


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「春の祭典」はインバルが渾身の力をこめて指揮したような演奏だ。

全体にスコアの読みが深く、力強く、たくましく、この曲の原始的なリズムを強烈に打ち出す。

第1部の「誘拐の遊戯」から強くひきつけられる。

やや粘りが強く、腰が重いのはインバルの特色だが、第2部ではそうした特質がプラスに働いている。

「選ばれた乙女の讃美」から、終曲にかけての迫力は物凄く、オーケストラも気持ちがよいほどよく鳴っている。

「ペトルーシュカ」でインバルは1911年版をきわめて忠実に、いわばバレエ・ヴァージョンとして再現している。

この演奏には客観的な条件ばかりではなく、音楽のディティールもきわめて明確に、そして明解に表現されており、それぞれの声部や素材がメカニカルな印象を残さず、むしろかなりリリカルな要素もみせているのが魅力的である。

「火の鳥」はテンポがやや遅めで、全体のテクスチュアとそこにある多彩なコントラストが一層明確になっている。

オケも良くコントロールされ、透明度の高い響きと共に、スコアに含まれたあらゆる要素が自然かつ明快に描き出されている。

この曲の数多い録音の中でも、もう一度作曲の原点を考えさせられるような興味ある演奏である。

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2009年10月31日


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インバル/フランクフルト放送響は、丹念に磨きをかけた表現で、細部のいかなる表情も見逃さずに、テンポの変動の目まぐるしいこの第6番を、見事に演奏しきっている。

弦の密度が高く、管弦の融合した響きの快い第1,2楽章、しなやかな歌の表情が魅惑的な第3楽章、そして終楽章では、強靭さと、構成力のたくましさに圧倒される。

実にこまやかに表情をとらえた緻密な演奏で、この曲のもつ悲劇的な情感を、これほど色濃くあらわした演奏というのも少ない。

まさに音楽的に純粋で、都会的に洗練されたマーラーといえるだろう。

「第8」はインバルの統率力と熱気が凄く、まるで宇宙が鳴動するような力演で、この複雑きわまる大曲を一分の隙もなく、精緻・明快にまとめている。

精密な設計を行いながら、あたかもドラマをみているかのような、劇的な迫力とスケールを表出した演奏である。

第1部では声楽部の表情をよく生かしたテンポのなかに、鮮やかな遠近法をもたらし、曲の輪郭を明快に表出している。

第2部も底に情熱を秘めた冷静さが、息づまる緊張を生み出している。

インバルの情熱的な指揮に、ぴたりとついてきているオーケストラと合唱団、独唱陣もなかなかの好演だ。

とにかく曲を完璧といえるほど的確に把握した表現で、どの部分を採っても生ぬるさなどない。

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2009年10月30日


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「巨人」や「復活」に比べ、「第3」のインバルの指揮は上をいく出来である。

指揮者の解釈と意図の細部までが、どの奏者にも徹底しており、指揮者とオーケストラの関係が非常にしっくりとしているのが良く分かる。

そして、マーラーの楽譜が驚くほど綿密に研究され、分析的な構成美をいかん無く発揮している。

いかにもユダヤ人の指揮者らしく、旋律をたっぷりと、豊麗な音色で歌わせた演奏である。

第1楽章からして、各パートの複雑きわまりない旋律を、きわめて精密に表現し、各動機や主題を見事に処理しているが、ことによいのは耽美的な気分にあふれた終楽章で、やや遅めのテンポでじっくりと表現している。

長大な第1楽章を1枚に収め、第2〜6楽章を2枚目に収録した方法も賛成。

「第4」は感興のおもむくままに、明るく天国的な美しさを表現した演奏である。

旋律を思う存分歌わせながら、きわめてロマンティックな表現だ。

インバルは、マーラーがスコアに書き込んだあらゆる指示を精密に検討し、可能なかぎり忠実に実践しようとする。

彼の資質である抒情性と、知的で清潔な音楽性が発揮された演奏であるといえる。

それは晴朗そのものであり、無理のない流麗な表現である。

フランクフルト放送響も、ドイツのオーケストラだけに骨格がしっかりとしており、アンサンブルも緊密である。

終曲のドナートは巧緻で、歌の内容を深い抒情感で示し、豊かな風格を感じさせる。

このオケと指揮者のマーラーの中では、濃厚な演奏である。

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2009年10月26日


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マーラー最後の交響曲は、それまでの自我の強烈な主張から一転し、憑きものが落ちたような表情を見せている。

心理的には激しい闘争心が減退して、諦めに似た境地が読み取れる。

一方古いしがらみを払拭し、外的にはすっきりした現代性を印象づけるが、マーラーはそれを意識して作曲したのかどうか、ここには寒風に身をさらしても、自分の古い体質を変えようとする積極性も見てとれる。

インバルの演奏は、これまでぬるま湯にひたっていた自我を、いわばみそぎをする意味で、無理やり寒中に引き出すが、その冷たさが意外に新鮮に感じられるといった趣だ。

その感覚があってはじめて第3楽章の意味が生きてくる。

この曲の核心にふれた演奏だ。

第9番は既に競合する名演が多いが、インバルは強豪のなかに混じって堂々と自己を主張している。

なかでも終楽章は、ひたすら純粋さを求めてとうとうと流れ、大きな起伏のうちに虚無に通じるはかない感情を表現する。

最後のロンド主題の再現と展開は、感興あふれる高揚が手の込んだ織物の感触を表し、やさしく、ふるえる感動をもって終わる。

第10番(アダージョ)は、悲劇と喜劇の交錯が極めて鮮明に表現されている。

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2009年06月17日


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マーラーの弟子がワルター、ワルターの弟子がバーンスタイン、そのまた弟子がインバルである。

この4人はいずれもユダヤ人だ。

インバルがマーラーを自家薬籠中のものとしているのは、そうした血の流れによるものである。

「巨人」はきわめて清潔で現代的なマーラーである。

第1楽章などはやや線の細さを感じさせるが、旋律は十分に歌い、適切な緊張感と響きの開放感が美しく息づいている。

テンポも中庸を得ており、軽やかなリズムや、なめらかなレガートの両端までの表現の幅も広い。

遅めのテンポで旋律を歌い流した演奏で、焦点を終楽章におき、それに向かってたたみこんでゆくような演出が面白い。

精密堅牢なマーラーである。

「復活」は非常に端正・精緻なマーラーである。

オーケストラの精緻なアンサンブルを生かして、一分の隙もない音楽をつくりあげている。

しかも冒頭から緊張感をもって終始一貫しており、内面的な共感も強い。

鋭い切り込みで劇的に表現した第1楽章、ロマンティックな気分をもりあげながら、柔らかく表出した第2楽章、各動機の表情づけを克明におこなった第3楽章。

しかし、圧倒的なのは第4楽章と第5楽章で、「復活賛歌」の歌詞が歌われる部分になると、よりいっそう美しい流れとなり、特にクライマックスは感動的だ。

全曲のクライマックスは明らかにフィナーレの第5楽章に置かれており、ソロのゾッフェルとドナート、それに北ドイツ放送合唱団も好演だ。

クロプシュトックの讃歌が導入される部分での感動と、その後の音楽の加熱も強く印象に残る。

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2009年04月15日


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第4楽章アダージェットの旋律が、映画『ヴェニスに死す』の中で使われて一躍有名になったため、マーラーの交響曲の中でも、この第5番はとびぬけて人気が高い。

インバルの演奏は、その有名な第4楽章アダージェットを、実に美しく表現した演奏である。

フランクフルト放送響の深く落ち着いた響きが魅力で、旋律をゆったりと歌わせながら、きめこまやかな演奏をおこなっている。

第1楽章からして、鋭く切り込んだ悲劇的な色合いを濃厚に表現しているが、インバルはあまり自己主張をしないで、アクの強さを強調せずに、自然な流れを大切にしているところがよい。

インバルのマーラーは、曲を追うごとに清潔さと感興に満ちた歌が加わっており、それがみずみずしい音楽をつくり出している。

この演奏での頂点は第4楽章の有名なアダージェットの息長く緻密で軽やかな美感と、終楽章のロンドにある。

この2つの楽章で、インバルは彼の音楽性の最良の部分を示しており、強い主張と見識をもった演奏を聴かせてくれる。

彼が1987年秋に来日した際のこの曲の演奏は絶品であった。

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2009年02月05日


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マーラーの交響曲でも特に独唱者の力量が問われる作品だが、ヴェテランのシュライアーと新進のネスを起用しているのが興味深い。

独唱のふたりの歌唱が光っている。

〈交響曲〉とは名ばかりのこの作品だが、思い切って歌曲の方に引きつける演奏がなかなかなかった。

ようやくインバルがそれをやってみてくれた。

すると歌曲としては、やたらと壮大でものものしすぎる。奇怪な作品像が見えてくる。変な曲だ。

このあたりの時代を得意とするネスと、ロマン派どまりのシュライアーの、アンバランスも面白い味を出している。

ただしシュライアーは、ぎょっとするようなグリッサンドなどで頑張っており、いつもの端正なシュライアーではけっしてない。

インバルの指揮も、このふたりを支えて、情感豊かに表現しており、彼のマーラー・シリーズのなかでの傑出した演奏のひとつになっている。

しかも、インバルはオーケストラを見事に統率して、リズミックな推進力をもった音楽を作っており、感覚的にもみずみずしく、音楽的にもすこぶる精緻だ。

この曲の作品そのものの本質に迫った注目すべき出来映えの演奏である。

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2008年07月02日


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インバルのフランクフルト放送響常任指揮者退任コンサートと並行して録音されたもの。

これを聴くとブーレーズもロマンティック。ブーレーズの新ウィーン楽派演奏は表現主義がロマン主義を内包しつつそれを論理で分節したものであったことを明らかにしたが、この演奏は、そんな同時代的問題意識からも解放されて客観的な世界をつくる。

だが劇性も豊か。数ある録音の中でも、最も熱さを感じさせるインバルの「グレの歌」だ。

インバルは、この作品のあるべき姿を赤裸々に描き出す。巨大な容量と繊細なディティールを同時に満たしてしまうような貪欲な演奏を実現させている。

「山鳩の歌」の前の間奏曲や、第3部の「荒々しき狩り」の白熱的燃焼などでは、オーケストラ全員がひとつのうねりに向かって突き進み、昇華していくさまが手にとるように熱く伝わってくる。

独唱陣には多少の難点はあるものの、合唱の絢爛とした充実には、それを吹き飛ばしてしまうだけの凄さがある。

マーラーとブルックナー演奏で一時代を築き上げたインバル&フランクフルト放送交響楽団の最後のコンサートがまさに同作品だったが、本盤は彼らの集大成的な録音としても凄味がある。

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2008年04月29日


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インバルによるブルックナー/交響曲全集の中では、特に第3,4,8番の第1稿が通常に用いられる稿と大きく違っており、ブルックナーに関心のある人は必聴である。

第3番の版の問題は複雑だが、この初版は通常の版と比較しても豊饒多彩で、未来的な示唆を多分に含んでいる。

こちらの方が面白いとさえいえる。

ここには引用魔ブルックナーのワーグナーからの多量の引用があるが、これを削った通常の版よりも、21世紀の人間にはこちらのほうが、近代、現代の交響曲作法のはしりと見ることができる。

演奏もそれにふさわしい名演。

第4番は現在ふつうに聴かれる版と違い、スケルツォは全く別の曲と入れ替えられ、あとの楽章も現在の第2稿とは相当異なる。

小節数も全体で312小節も多い。

もし、この第1稿のままだったら、ブルックナーの交響曲の中で現在これが別格の人気をかち得ているか疑問だ。

演奏は、こうした作品の姿をかなり客観的にとらえ、充分音楽的に表しており、資料価値も高い。

第8番の初稿が他の稿と決定的に異なる点は、第1楽章のコーダが高揚して第1主題が再現されて、フォルティッシモで終結することだ。

初めて聴いたときの衝撃と感銘はその後もいささかも薄らいでいない。

インバルの演奏も何故ブルックナーが改訂せざるをえなかったのか疑問に思わずにはいられないような完成度の高さを示す秀演を繰り広げている。

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