ムーティ

2017年04月09日


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『スカラ座の黄金期』第2集はミラノ・スカラ座に附属するバレエ・スクールの稽古風景から始まる。

ヨーロッパの伝統的なオペラ劇場の殆んどが、専属のバレエ団を抱えているが、スカラ座にはダンサーを育成するバレエ・スクールも併設されていてクラシック・バレエを志す少年少女に全く無料で門戸を開いている。

しかし入学試験は難関を極めている上に、その後も彼らは多くの犠牲を払って厳しい稽古に耐えなければならない。

その中でもスカラ座のバレエ・チームに残れるのは限られた人達だし、大先輩カルラ・フラッチやルチアーナ・サヴィニャーノのようなプリマやエトワールと呼ばれるダンサーは数えるほどしかいない。

サヴィニャーノへのインタビューで、彼女は幼い頃父親とスカラ座で観た『白鳥の湖』での感動がバレエを始めるきっかけになったと話している。

一方オペラでは1981年に『フィガロの結婚』でスカラ座デビューを飾った指揮者、リッカルド・ムーティと演出家ジョルジョ・シュトレーラーの舞台稽古風景が興味深い。

芝居としての見せ場を徹底して創り上げるシュトレーラーの演技指導が印象的だが、若い頃からムーティが演出についても非常に積極的に関与していたことが理解できる。

冒頭でムーティがオーケストラの団員に脚を組んで演奏しないようにと注意する場面がある。

言われた団員は無視しようとするが、コンサート・マスターから厳しく注意されている。

この頃まだムーティが駆け出しの指揮者だったことを垣間見せている一場面だ。

この第2集で最も長いインタビューを受けているのは、往年のプリマ・ドンナ、レナータ・テバルディで、ピアノ伴奏による『ボエーム』からの短いシーンも収録されている。

彼女がマリア・カラスの歌唱に感動して楽屋を訪れた思い出や2人の間が気まずくなった原因についても冷静に記憶していて、彼女の死には真摯な哀悼の意を表している。

「天使の声」と形容したトスカニーニの助言と指導によって、それまで避けていた『アイーダ』をレパートリーに加えたエピソードも語られている。

後半ではスカラ座の観客で結成されている『天井桟敷の友人達』というアソシエーションの会食時に交される議論が面白い。

彼らは音楽の専門家ではなく、言ってみればオペラの熱狂的な愛好家集団だが、素人がスカラ座の公演の質や演目あるいは歌手について、口から泡を飛ばして言いたい放題で論争する場面は流石オペラの国イタリアといった風景だ。

またこうした広い層の根強い地元ファンに支えられてこそ、スカラ座が成り立っていることが想像される。

彼らはインタビューに答えるという形式ではなく、自由気ままに自説をまくし立てて怪気炎を上げているのだが、その中で彼らが求めているオペラと実際の上演演目との乖離を浮き彫りにしたジャーナリスト、エンツォ・ビアージの面目躍如たる企画だ。

最後の部分は前回のシミオナートへのインタビューの後半部で、彼女の尊敬してやまなかった歌手はメゾ・ソプラノ、エベ・スティニャーニだったと語っている。

確かに2人の発声やテクニック、歌唱スタイルには一脈通じるものがあると思う。

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2016年07月21日


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ムーティの明快なオーケストラに支えられてリヒテルがその円熟期の自在な表現力を発揮した演奏である。

ベートーヴェンのピアノ協奏曲第3番ハ短調ではキレの良い弦楽とメリハリを効かせたウィンド、ブラス・セクションに乗って巨匠のピアノが溢れんばかりの音楽性を披露して、聴く者を幸福感で包むような雰囲気がある。

それは腰のすわった堂々たるもので、音楽に没入して自ら楽しみながら曲を展開してゆくその姿勢には、リヒテルならではの貫禄がにじみ出ている。

第2楽章ラルゴは節度のあるカンタービレの中に表出される両者の抒情が極めて美しい。

急速楽章でのそれぞれのカデンツァは作曲家自身のものを採用している。

一方モーツァルトのピアノ協奏曲第22番変ホ長調での彼らの表現は至って軽快で屈託の無い明るい響きを持っているが、曲想を恣意的にいじり過ぎない格調の高さが感じられる。

リヒテルのモーツァルトは、通常の解釈とは趣が異なったもので、それは感覚を魅了することはないが、厳しい精神に裏づけられた意志的な音楽を引き出している。

ふたつのカデンツァはベンジャミン・ブリテンの手になるもので、かなり斬新な印象を与える。

リヒテルは1960年代にブリテンとモーツァルトのピアノ連弾作品でも録音を遺しているので、古典派の作品を現代に活かすというという意味で共感を得ていたのかも知れない。

ムーティは原典主義を貫いていたが、協奏曲のカデンツァに関しては躊躇なく新しいものを認めていた。

その最もラディカルな例がギドン・クレーメルとのパガニーニのヴァイオリン協奏曲集でのクレーメル自身の即興的な超絶カデンツァだろう。

尚オーケストラはどちらもフィルハーモニア管弦楽団で、ムーティが首席指揮者に就任して間もない頃のセッションになるが、既にムーティ流に統制された流麗な歌心とダイナミックな音響が特徴だ。

リヒテルがムーティと初めて協演したのは1972年のザルツブルク音楽祭でのシューマンのピアノ協奏曲で、オーケストラはウィーン・フィルだった。

その時のライヴ録音はオルフェオ・レーベルからリリースされているが、ムーティは前年にカラヤンの紹介で同音楽祭に30歳でデビューを飾ったばかりで、ほぼ同年代のイタリア人指揮者としてはアバドに続いて国際的な演奏活動を始めた直後の意気揚々としたフレッシュな感性が伝わって来る演奏だ。

その後リヒテルとムーティは2回に亘ってロンドンのEMIアビー・ロード・スタジオでセッションを行った。

それがこのCD1曲目の1977年のベートーヴェンのピアノ協奏曲第3番と2曲目の1979年のモーツァルトの同第22番になる。

音質はこの時期のEMIとしては意外に良く、鮮明で臨場感にも不足しておらず、これは、リヒテルの芸術を味わうには格好の1枚だ。

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2016年07月09日


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リッカルド・ムーティの虚飾を排した原典主義が貫かれた、ベルカント・オペラの中でも最も美しい作品のひとつで、主役級の3人、クラウス、カバリエ、マヌグェッラの歌唱が指揮者の徹底した指示に良く調和したセッションだ。

ムーティは過去の歌手や指揮者達によってスコアに書き加えられた、見せ場を作るための伝統的なカデンツァや華美な装飾音を躊躇することなく取り除き、ベッリーニによって作曲されたとおりの音楽を再現しようと試みた。

それだけに全体がすっきりして、かえってこのオペラの特質が良く見えている。

しかし総てを記譜されたとおりの原調で歌うとなると、主役アルトゥーロにはテノール泣かせの超高音がこれでもかというように続出して、誰にでも挑戦できる役柄ではない。

アルフレード・クラウスは当時既に52歳だったと記憶しているが、その高貴でスタイリッシュな歌唱を崩すことなく、驚異的なテクニックで目の醒めるようなcis'''やd'''の高音を堪能させてくれる。

唯一彼が避けたのは終幕のアリアに出てくるf'''で、彼はdes'''を2回繰り返すに留めているがそれは妥当な選択だろう。

この音を歌ったのは、古いセッションではニコライ・ゲッダが出しているが、どちらもこの音の部分が強調されてしまい、曲のリリカルなスタイルからすると必然性に欠けるように思える。

ベッリーニのオーケストレーションは極めて簡潔で、声の魅力を極限まで活かすということに主眼が置かれていて、それ以外は劇中の雰囲気を盛り上げるための効果的なアクセントに過ぎないが、逆に言えばそれだけ歌詞とメロディーを密接に結び付けて、アリアや重唱にオペラの全生命を賭けた作品として仕上げた。

ムーティの傑出している点は、楽譜に託された歌詞と音楽の整合性や進行する物語への音楽的変化を注意深く捉えて、ベッリーニの書法を忠実に再現するだけでなく、そこに瑞々しいカンタービレを横溢させていることである。

勿論ムーティの手兵だったフィルハーモニア管弦楽団のオペラ演奏への理解が功を奏していることも注目される。

こうしたアプローチがしばしば指摘される台本の不自然さをカバーして、この作品の芸術性を高めているのだろう。

このセッションは、その音楽的意味合いの違いはあるにせよ1953年のトゥリオ・セラフィン指揮、カラス、ディ・ステファノの協演したEMI盤と並ぶべき名演としてお薦めしたい。

セラフィン盤は伝統的なベルカントの饗宴を実践した演奏であり、一方ムーティのそれは新時代のリニューアルされたイタリア・オペラの蘇生ともいえるのではないだろうか。

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2015年10月17日


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ムーティ、ウィーン・フィルのコンビによるシューマンの4曲の交響曲を2枚のCDに収めたフィリップス音源のライセンス・リイシューで、堰を切って迸り出るようなカンタービレが横溢する、それまでにはなかったような晴朗快活な躁状態のシューマンをイメージさせる演奏だ。

ムーティの指揮は曖昧さを残さない決然としたものだが、それに従うウィーン・フィルの瑞々しい響きと潤沢な音響を活かした爽快さが聴きどころだろう。

ここでのウィーン・フィルはさながらイタリアのオーケストラのような軽快で屈託のない響きと幅広いダイナミズムを駆使して鳴り切っている。

ムーティのシューマンは作曲家の精神性やオーケストレーション云々に拘泥することなく、小細工のないダイレクトで平明なアプローチによって、これらの交響曲に奔流のような推進力と雄大なスケールを与えている。

例えば第2番の緩徐楽章での明るく艶やかな弦の響きや終楽章での追い込みの小気味良さは彼ならではのものだし、一方『ライン』では轟くような金管楽器の大胆な効果を試みたドラマティックな自然描写と、第2楽章での民謡風のメロディーを大らかに歌わせるカンタービレがすこぶる心地良い。

録音は1993年及び95年で、ムーティにとっては2度目のシューマン交響曲集になるが、個人的には1970年代にフィルハーモニア管弦楽団を指揮したものより、こちらの方が彼のより徹底したサウンドが実現しているという意味でお薦めしたい。

収録曲目は交響曲第1番『春』、第2番ハ長調、第3番変ホ長調『ライン』及び第4番ニ短調で、もう1曲の2つの楽章のみが存在する未完のト短調『ツヴィッカウ』は含まれていないので厳密に言えば全集ではない。

尚ムーティは第4番で1851年の第2稿のスコアを使用している。

ウィーンのムジークフェライン、グローサー・ザールでのセッションになり音質は極めて良好。

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2015年07月12日


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ザルツブルク音楽祭での収録年の異なるふたつのコンサートより、キャリア駆け出しのムーティがウィーン・フィルを指揮した演奏内容を編んだアルバム。

リッカルド・ムーティのザルツブルク音楽祭でのライヴから3曲を収めたCDで、前半の2曲が1972年8月17日に同地のグローセス・フェストシュピールハウスで演奏されたロッシーニのオペラ『セミラーミデ』序曲及びシューマンの『ピアノ協奏曲イ短調』で、ソリストにはスヴャトスラフ・リヒテルを迎えている。

後半は1974年7月27日にクライネス・フェストシュピールハウスでのモーツァルトの『協奏交響曲変ホ長調』で、ソロ・ヴァイオリンに当時のウィーン・フィルのコンサート・マスターだったゲルハルト・ヘッツェル、ソロ・ヴィオラには同首席奏者ルドルフ・シュトレングをそれぞれ配している。

ムーティのザルツブルク・デビューは1971年にカラヤンから招待された時で弱冠30歳だった。

このライヴはその翌年のもので、プログラミングの上でも既にムーティのストラテジーが良く表れている。

ムーティはコンサートの冒頭にしばしばイタリア・オペラの序曲を持ってくる。

しかもウィーン・フィルのようなオーケストラでロッシーニのクレッシェンドを思う存分聴かされた聴衆の精神状態は、いやがうえにも高揚してくる。

こうしたオーケストラのウォーミング・アップと聴き手の感覚を呼び覚ますファンファーレを兼ねた効果的な選曲がここでも功を奏している。

シューマンでは鉄拳のように振り下ろされるリヒテルの打鍵が、ムーティの指揮する毅然としたウィーン・フィルの上に冬の月光さながらに冴えた演奏で、リヒテルのソロは時として近寄り難い孤高の峻厳ささえ感じさせるが、ムーティはそれを包み込むだけの熱い情熱と巧みな采配で、リヒテル自身も次第に勢いに乗ってくる様子が興味深い。

第2楽章での弦楽器を引き立たせるカンタービレや、終楽章のソロとの堂々たる受け応えは若かったムーティの奮闘振りを示している。

かたや巨匠リヒテル、また一方ではうるさ型のプレーヤーが揃っているウィーン・フィルという二者をまとめあげ、両者の能力を活かしてみせた力量は流石だ。

モーツァルトでソリストを務めるヘッツェルは少年時代からヴォルフガング・シュナイダーハンに師事してウィーン流の奏法を会得した、まさにウィーン・フィルの顔だったが、先輩のシュトレングと組んだ『協奏交響曲』での線は細いが軽やかで典雅なロココ風の趣は、替え難い美しさを持っている。

ここではムーティ得意のイタリア風の明るく伸びやかなモーツァルトを心掛けていて穏やかな幸福感を感じさせてくれる。

尚ライナー・ノーツは29ページで独、英語による比較的充実したエピソードが掲載されているが、後半部はオルフェオ・レーベルのザルツブルク音楽祭ライヴCDのカタログになっている。

録音状態はこの手のライヴとしては良好なステレオ録音で、いくらかこもった感じの音質はボリュームを上げることによってかなり改善される。

またテープの劣化が原因と思われる若干の音揺れが聞かれるが大勢には影響ない。

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2015年06月07日


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本セットにはムーティがウィーン・フィルを指揮したモーツァルトの後期6大交響曲集、シューマンの交響曲全集、フィラデルフィア管弦楽団を指揮したブラームスの交響曲全集、管弦楽曲集が収められている。

1980年代終わりから1990年代半ばにかけてPHILIPSレーベルにレコーディングされたこれらの演奏では、オーケストラの持つ伝統的な奏法を尊重したムーティの端正な音楽づくりが印象的だ。

モーツァルトでは、人数を大幅に減らした編成により古典派らしい風通しの良い音を鳴らしているが、旋律の美しさは最大限に活かされており、素朴調にならないのはやはりウィーン・フィル伝統のスタイルといったところであろうか。

ムーティのモーツァルトは、主観と客観の絶妙なバランスに支えられており、現代の聴き手にとってモーツァルトの交響曲を聴くことがいかに大きな慰めとなり、また救いとなるかを、現代の言葉で証明して見せた魅力と説得力がある。

ムーティの指揮は快適なテンポと快い前進性を守りつつ、薄味にならず、モーツァルトの音楽を目いっぱい堪能できる。

モーツァルトだからということで距離をおくことなく、実にのびやかに歌い上げた爽快感あふれる演奏であり、時に見せる大胆なアプローチも、かえってモーツァルトの新しさを掘り起こしている。

そんなムーティは、指示された反復記号も原則的に忠実に守って、作品のメッセージのすべてが実に生き生きとした音となって響きわたっている。

ウィーン・フィルを得たことも大きな魅力で、このオケ特有の美感が素晴らしく、現代に聴くモーツァルト像が、こんなにも艶やかな音色とふくよかな表情で再現された例もないと言えよう。

美しく、ロマンティックな夢に誘われる現代のモーツァルト演奏だ。

シューマンの交響曲は30歳から40歳にかけて書かれているが、これはムーティが30代半ばにレコーディングした全集である。

当時颯爽とした芸風で人気を博していたムーティは、ここでもシューマンの交響曲を生き生きと演奏し、シューマンをブラームスのように重厚にではなく、軽快で明るいタッチで演奏している。

シューマンの管弦楽法の問題などを感じさせることが無く、それぞれの交響曲を表情豊かに聴かせてくれている。

オーケストレーションへの配慮も見せて見通しの良い響きを確保し、弾むリズムによってフレッシュなシューマン像を確立している。

全4曲を通じて、ムーティがウィーン・フィルから極上の豊潤な響きを引き出しており、シューマンのロマン的心情を鮮明に浮かびあがらせている。

ブラームスは、フィラデルフィア管弦楽団のしなやかでふくよかな美しさが絶品の演奏。

聴いていて、これほどまでに綺麗で良いのだろうかとも思えてくるが、この響き、特に弦楽器のセクシーなまでの魅力には抗し難い魅力が備わっており、それがムーティの美質であるカンタービレの強さ、しなやかさ、美しさに、ベルベットを思わせるサウンドで世に名高いフィラデルフィア管弦楽団の弦楽セクションが呼応して、類例のないほど豊麗な歌にみちたブラームス演奏を実現することに成功している。

この作曲家独特の「歌への憧れ」がこれほどあふれるように示された演奏は稀と言っていいだろう。

全曲高水準な仕上がりであるが、中では第2番と第4番の艶やかかつ迫力もある演奏が際立っている。

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2015年05月05日


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ヴェルディ生誕200年のアニヴァーサリー・イヤーに当たる2013年、様々な関連ディスクがリリースされていたが、リッカルド・ムーティが2011年に収録したヴェルディの『オテロ』も注目すべきものの1つに掲げられよう。

ムーティ&シカゴ交響楽団の著しい進境を示すもので、気鋭の歌手陣を起用し、細部までムーティの意図が浸透した秀演であると高く評価したい。

資料によると、ムーティは2011年4月7、9、12日とシカゴ交響楽団の定期演奏会で『オテロ』を演奏会形式で上演、さらに一同を率いて15日にはニューヨークのカーネギー・ホールでも演奏しており、相当力を入れていたことが分かる。

本盤の大きな特徴として以下の2点を挙げたい。

・オペラを主戦とするオーケストラではなく、シカゴ交響楽団という世界屈指のシンフォニー・オーケストラを振っていること。

・オテロとデズデモナの2人の主役に、イタリア人歌手を起用しなかったこと。

これらの点から、ムーティは、このオペラの普遍的な価値を強く打ち出した演奏を目指した、と考えたい。

参考までにあらためて配役を書くと以下の通りだ。

 アレクサンドルス・アントネンコ(T オテロ)
 カルロ・グェルフィ(Br イアーゴ)
 クラッシミラ・ストヤノヴァ(S デズデモナ)
 フアン・フランシスコ・ガテル(T カッシオ)
 バルバラ・ディ・カストリ(Ms エミーリア)
 マイケル・スパイアズ(T ロデリーゴ)
 エリック・オウェンズ(Bs-Br ロドヴィーコ)
 パオロ・バッターリア(Bs モンターノ)
 デイヴィッド・ガヴァーツン(Bs 伝令)

オテロとデズデモナは、それぞれラトヴィアの歌手アントネンコと、ブルガリアの歌手ストヤノヴァが担当している。

そのため、伝統的なイタリア・オペラといった雰囲気とはやや違った風合いを感じる、というのは筆者の「思い込み」の部分もあるかもしれないが、当演奏を聴いてみると、いわゆるイタリア・オペラの歌唱を形容する大雑把な言葉である「ベルカント」とは少し違った、もっと地に足のついたような力強さがある歌唱が表出しているように感じられる。

そして、これが実にうまく効いていて、落ち着いた劇的高揚感が得られ、いかにも立派な音楽として鳴っているのである。

また、オーケストラがダイナミックレンジの広い劇的な音響を構築していることから、数ある『オテロ』中でも、シンフォニックな演奏と言えるものになっていると思う。

加えて、多彩な楽器が登場するこのオペラの色彩的な性格も、SACDマルチチャンネルの的確な録音が適度なスケールで捉えていて、例えば1枚目12トラックのマンドリンと合唱の鮮明な響きなど、本録音ならではの魅力と感じる。

デュエイン・ウルフの確かな統率の下、シカゴ交響楽合唱団も最高のパフォーマンスを示している。

一方で、前述したように、この作品に、いかにもイタリア・オペラらしい雰囲気を求める人には、違和感の残る演奏かもしれない。

他の歌手ではイアーゴのグエルフィは、近年珍しいくらい憎々しくいやらしい個性的な歌唱で、全体的に目立つと言えば目立つが、ちょっと浮いているようにも思う。

このあたりも、イアーゴにどんな表情づけを望むのかといった「聴く人の好み」で評価は分かれるだろう。

とはいえ、2013年にリリースされた注目盤の1つであることは間違いないので、ムーティの新しい意図を体験してみたいという方には、是非ともお薦めしたい1組である。

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2015年04月19日


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クラシック音楽界史上最高の黄金コンビとも謳われたカラヤン&ベルリン・フィルも、1982年のザビーネ・マイヤー事件を契機として、修復不可能にまでその関係が悪化した。

加えて、カラヤンの健康状態も悪化の一途を辿ったことから、1980年代半ばには、公然とポストカラヤンについて論じられるようになった。

カラヤンは、ベルリン・フィルを事実上見限り、活動の軸足をウィーン・フィルに徐々に移していったことから、ベルリン・フィルとしてもカラヤンに対する敵対意識、そしてカラヤンなしでもこれだけの演奏が出来るのだということをカラヤン、そして多くの聴衆に見せつけてやろうという意識が芽生えていたとも言えるところである。

したがって、1980年代半ば頃からカラヤンの没後までのベルリン・フィルの演奏は、とりわけポストカラヤンの候補とも目された指揮者の下での演奏は、途轍もない名演を成し遂げることが多かった。

その典型例が、本盤に収められたブルックナーの交響曲第4番「ロマンティック」と第6番である。

ムーティは、先輩格のジュリーニやライバルのアバド、マゼール、ハイティンク、小澤などと同様にポストカラヤンの候補と目された指揮者の1人であり、そうしたムーティとベルリン・フィルが1980年代半ばに録音した演奏がそもそも悪かろうはずがない。

それどころか、もちろんムーティは実力のある指揮者ではあるが、当時の実力を遥かに超える途轍もない名演に仕上がっていると高く評価したいと考える。

いずれにしても、このコンビによるモーツァルトのレクイエムのスタジオ録音(1987年)、マゼールとのブルックナーの交響曲第7番のスタジオ録音(1987年)、アバドとのヤナーチェクのシンフォニエッタのスタジオ録音(1987年)、小澤とのチャイコフスキーの交響曲第4番(1988年)など、当時のベルリン・フィルの演奏は殆ど神業的であったとさえ言えるところだ。

それはさておき、本演奏は素晴らしい。

最近では円熟の指揮芸術を聴かせてくれているムーティであるが、本演奏の当時は壮年期にあたり、生命力に満ち溢れた迫力満点の熱演を展開していたところである。

ところが、本演奏は、むしろ近年のムーティの演奏を思わせるような懐の深さや落ち着きが感じられるところであり、あたかも円熟の巨匠指揮者が指揮を行っているような大人(たいじん)の至芸を感じさせると言えるだろう。

派手な音の効果だけで圧倒しようとするブルックナーの交響曲演奏とは対照的に、この作曲者特有の口べたで木訥と言われる内面的な〈渋さ〉を巧みに表現した名演。

とはいうものの、明快さ、スマートさが信条のムーティならではの巧みさ、オーケストラ自身の響きの美しさも健在。

ベルリン・フィルの重量感溢れる渾身の演奏もそれを助長しており、演奏全体としては、同曲最高の超名演とも呼び声の高いベーム&ウィーン・フィルによる演奏(1973年)やヴァント&ベルリン・フィルによる演奏(1998年)にも比肩し得るほどのハイレベルの演奏に仕上がっていると言っても過言ではあるまい。

前述のモーツァルトのレクイエムと同様に、当時のムーティとしては突然変異的な至高の超名演と言えるところであり、その後、ムーティが現在に至るまで、モーツァルトのレクイエムともどもブルックナーの交響曲第4番「ロマンティック」と第6番を2度と再録音をしようとしていない理由が分かろうというものである。

いずれにしても、本盤の演奏は、ムーティ&ベルリン・フィルがこの時だけに成し得た至高の超名演と高く評価したいと考える。

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2015年03月21日


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ムーティ&ウィーン・フィルの黄金コンビによるモーツァルトの交響曲集は、実に優美にして重厚な名演である。

あのカラヤンの名演を思わせるような、豪華絢爛な演奏で、古楽器演奏や奏法が幅をきかせる今日においては稀少となった、重量感溢れる弦楽器主体の旧スタイルによる名演だ。

ムーティは、モーツァルトの交響曲を古典派の規模の小さい交響曲という従来の枠組みに固執するのではなく、その後に作曲されたベートーヴェンやロマン派に作曲された交響曲に通ずる規模の大きな大交響曲として演奏している。

モーツァルトの交響曲の演奏については、最近では古楽器奏法や古楽器による演奏が主流になりつつあるが、本盤のような大オーケストラによる壮麗な演奏を聴くとほっとする思いだ。

ムーティは、ここでは、緩急自在のテンポを駆使した、生命力溢れる闊達にして多彩な表現を行っており、ウィーン・フィルの美演と相俟って、珠玉の名演を成し遂げている。

ムーティの指揮ぶりは、熱い魂の迸りを感じさせ、溢れるヴァイタリティでモーツァルトの憂愁を力強く歌っているが、ムーティがウィーン・フィルを指揮する時は、フィラデルフィア管弦楽団などを指揮する場合と異なり、決して自我を押し通すことをせず、オーケストラに演奏の自由を与えている。

そのようなムーティの自然体のアプローチが、本盤では功を奏し、高貴にして優美なモーツァルトを大いに堪能することができる。

ウィーン・フィルの演奏もいつもながら実に美しく、モーツァルトの音楽の魅力を大いに満喫することができる点を高く評価したい。

ムーティは、第36番にしても第40番にしても、繰り返しを全て行っており、本来ならば、いささか冗長になる危険もあるが、ムーティ&ウィーン・フィルの繰り広げる名演により、そうした冗長さを感じることはいささかもなかった。

むしろ、作曲者が指定した繰り返しをすべて行うことにより、ムーティは、モーツァルトの交響曲を等身大に描いたということなのだろう。

その結果、いずれも約40分という、ブラームスの交響曲などにも匹敵するような長さになっているが、モーツァルトの交響曲は実はスケール雄大な大交響曲であったとの認識を改めさせてくれたムーティの功績は極めて大きいと言うべきではなかろうか。

また、ウィーン・フィルならではの音色の美しさを決して損なうことなく見事に描出しているが、これはムーティの巧みな統率力とともに、ウィーン・フィルとの抜群の相性の良さの賜物であると考える。

ウィーン・フィルの演奏の高貴な優美さも、いつもながら見事であり、そうしたウィーン・フィルの感興豊かな美演をムーティが決して邪魔をしていないことが、本盤を名演たらしめているとも思われる。

ムーティの指揮スタイルは、主旋律を存分な歌謡性で満たし、かつリズミックで暖かいサウンドで包むようなもので、そのスタイル自体、私たちが「ウィンナ・ワルツ」に代表される「ウィーン風」イメージに通じるものだ。

また、数々のオペラをレパートリーに収めていることも重要だろう。

もちろん、音楽性やレパートリーの共通というだけでなく、「愛される」ためには、ムーティの人間性そのものが大きく貢献しているに違いない。

これを聴くと、なんとも自然で、気の赴くまま、モーツァルトのスコアに多くを委ねて、天高く音楽を歌った明朗な古典性に貫かれている。

もちろん、そこにある程度の「計算」が働いているのではあろうが、それにしても、そういった音楽を奏でる側の主観を感じる部分が少ないといった意味で、清々しいほどの純朴さを感じさせる。

そして、これもよく言われることだが、そのことが、モーツァルトの「無垢」と形容される特性に一致し、本来あるべき姿の音楽が自然に提示されているような安心感がある。

それにしても、ウィーン・フィルの音色は最高の美しさであり、ムーティは、緩急自在のテンポの下、隋所に現れる繊細な抒情にもいささかの不足もなく、まさに硬軟併せ持つ名演だと思う。

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2014年09月25日


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レスピーギのローマ三部作は、様々な指揮者によって数多くの名演が成し遂げられてきている人気作であるが、現在においてもなお、トスカニーニ&NBC交響楽団による超名演を凌駕する演奏はあらわれていないと言えるのではないだろうか。

1949〜1953年にかけてのモノラル録音という音質面でのハンディもあるのだが、数年前にXRCD化されたことによって、ますます決定盤としての地位を不動のものとしつつある。

したがって、他の指揮者は、必然的にナンバー2の地位を争うということにならざるを得ないが、このナンバー2の地位にある演奏こそは、本盤に収められたムーティによる名演であると考える。

ローマ三部作は、レスピーギならではの光彩陸離たる華麗なオーケストレーションを誇るとともに、祖国イタリアの首都であるローマへの深い愛着と郷愁に満ち溢れた名作である。

したがって、イタリア人指揮者にとっては特にかけがえのない作品とも言えるところであるが、必ずしもすべての指揮者が同曲を演奏しているわけではない。

ジュリーニ、アバド、シャイーなどと言った大指揮者が同曲を全く演奏していないのは実に意外な気がするところだ。

これに対して、ムーティ、シノーポリ、そして若手のパッパーノなどが同曲を演奏しており、いずれも名演の名に値すると言えるが、やはり一日の長があるのは年功から言ってもムーティと言うことになる。

ムーティは、手兵フィラデルフィア管弦楽団を巧みにドライブして、実に華麗で躍動感溢れる演奏を展開している。

トゥッティに向けて畳み掛けていくようなアグレッシブな力強さは圧倒的な迫力を誇っていると言えるし、抒情的な箇所における情感の豊かさは、レスピーギのローマに対する深い愛着の念を表現し得て妙だ。

また、フィラデルフィア管弦楽団による好パフォーマンスも本名演に大きく貢献していることを忘れてはならないだろう。

フィラデルフィア管弦楽団は、かつてオーマンディとローマ三部作の名演を成し遂げている(1975年)が、本演奏でもその卓越した技量と色彩感豊かな音色は健在である。

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2014年07月15日


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クラシック音楽史上最高の黄金コンビとも謳われたカラヤン&ベルリン・フィルも、1982年のザビーネ・マイヤー事件を契機として、修復不可能にまでその関係が悪化した。

加えて、カラヤンの健康状態も悪化の一途を辿ったことから、1980年代半ばには、公然とポストカラヤンについて論じられるようになった。

カラヤンは、ベルリン・フィルを事実上見限り、活動の軸足をウィーン・フィルに徐々に移していったことから、ベルリン・フィルとしてもカラヤンに対する敵対意識、そしてカラヤンなしでもこれだけの演奏が出来るのだということをカラヤン、そして多くの聴衆に見せつけてやろうという意識が芽生えていたとも言えるところである。

したがって、1980年代半ば頃からカラヤンの没後までのベルリン・フィルの演奏は、とりわけポストカラヤンの候補とも目された指揮者の下での演奏は、途轍もない名演を成し遂げることが多かった。

そのような演奏の一つが、本盤に収められたモーツァルトのレクイエムであると言える。

ムーティは、先輩格のジュリーニやライバルのアバド、マゼール、ハイティンク、小澤などと同様にポストカラヤンの候補と目された指揮者の一人であり、そうしたムーティとベルリン・フィルが1987年に録音した演奏がそもそも悪かろうはずがない。

それどころか、もちろんムーティは実力のある指揮者ではあるが、当時の実力をはるかに超えるとてつもない名演に仕上がっていると高く評価したい。

いずれにしても、このコンビによるブルックナーの交響曲第4番のスタジオ録音(1986年)、マゼールとのブルックナーの交響曲第7番のスタジオ録音(1987年)、アバドとのヤナーチェクのシンフォニエッタのスタジオ録音(1987年)、小澤とのチャイコフスキーの交響曲第4番(1988年)など、当時のベルリン・フィルの演奏は殆ど神業的であったとさえ言えるところだ。

それはさておき、本演奏は素晴らしい。

最近では円熟の指揮芸術を聴かせてくれているムーティであるが、本演奏の当時は壮年期にあたり、生命力に満ち溢れた迫力満点の熱演を展開していたところである。

ところが、本演奏は、むしろ近年のムーティの演奏を思わせるような懐の深さや落ち着きが感じられるところであり、あたかも円熟の巨匠指揮者が指揮を行っているような大人(たいじん)の至芸を感じさせると言えるだろう。

ベルリン・フィルの重量感溢れる渾身の演奏もそれを助長しており、演奏全体としては、同曲最高の超名演とも呼び声の高いベーム&ウィーン・フィルほかによる演奏(1971年)にも比肩し得るほどのハイレベルの演奏に仕上がっていると言っても過言ではあるまい。

前述のブルックナーの交響曲第4番と同様に、当時のムーティとしては突然変異的な至高の超名演と言えるところであり、その後、ムーティが現在に至るまで、モーツァルトのレクイエムともども2度と再録音をしようとしていない理由が分かろうというものである。

いずれにしても、本盤の演奏は、カップリングのアヴェ・ヴェルム・コルプスともども、ムーティ&ベルリン・フィルがこの時だけに成し得た至高の超名演と高く評価したい。

独唱陣も見事であるし、世界最高の合唱団とも称されるスウェーデン放送合唱団やストックホルム室内合唱団も最高のパフォーマンスを発揮していると評価したい。

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2014年05月10日


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ニューイヤー・コンサートの常連、ムーティが初登場した1993年の記念すべきデビューの華麗なライヴ演奏である。

ムーティによる初のニューイヤー・コンサートとのことであるが、まずはどの曲も若々しく瑞々しくエネルギッシュでフレッシュな演奏である。

演奏の隅々に至るまで生命力に満ち溢れていて聴いていてとても愉快な気持ちになる。

また、選曲の大胆さにも驚かされる。

大半が、あまり知られていない曲であり、そうした選曲を行った点にムーティの確固たる自信が窺える。

そうした確固たる自信の下、ムーティは各楽曲ともに濃厚な表情付けを行っているが、それが決していやではない。

これは、ムーティが、イタリアオペラを得意とするだけに、決してウィーン風とは言えないのかもしれないが、旋律を歌い抜くという点では一流と言うことなのではないだろうか。

例えば、ポピュラーな「美しき青きドナウ」の中間部など、テンポを著しく遅く演奏するが、全く違和感を感じさせないのは、ムーティのウィンナ・ワルツへのアプローチが、決して的を外れたものではないということの証左であると考えられる。

ムーティもリラックスして、ウィーン・フィルに多くをゆだね、ワルツの優雅さとポルカの快活さをうまく表現している。

ムーティというとオケにムチ打って驀進する印象が強いが、相手がウィーン・フィルのせいか驚くほどしなやかな美しさを出している。

中でも印象に残ったのが「エジプト行進曲」で、スエズ運河開通記念に作曲されたこの作品はオリエントな雰囲気漂う印象的な旋律が聴きもの。

ウィーン・フィルのメンバーが大きな声で旋律を歌うところもあってとても素晴らしい。

SHM−CD化によって、音質は鮮明さや重量感が著しく増したと言える。

このニューイヤー・コンサートのライヴ盤も、指揮者による違いが楽しめるくらいにかなりの種類が出てきた。

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2014年01月11日


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ムーティの円熟を感じさせる素晴らしい名演である。

ムーティがシカゴ交響楽団の音楽監督への就任を控えていた時の、幸先のいい名演とも言えるだろう。

ムーティは、ヴェルディのレクイエムを得意としており、約20年前の1987年にもミラノ・スカラ座管弦楽団等とともに同曲をスタジオ録音しており、それも生命力溢れる劇的な名演であったが、やはり、この間の20年間のムーティの円熟の歩みは非常に重いものと言わざるを得ない。

ムーティはかつてのスカラ座盤にみられるようなオペラ的なアプローチではなく、純粋に宗教曲として捉えたことが特筆され、内声部の充実は圧巻といえよう。

冒頭の数小節の静寂の音楽からして、これまでのムーティには見られなかった奥行きの深さを感じさせる。

怒りの日は、テンペラメントに溢れたいつものムーティ調ではあるが、これまでとは異なり、威風堂々たる重厚さが際立つ。

同曲特有の場面毎の変化の激しさについても、ムーティは極端に陥ることなく、いい意味でのコントロールの効いた大家の巧みな表現で一貫している。

終結部の静寂は、冒頭部と同様であり、全曲を彫りの深い表現で感動的に締めくくっている。

ムーティの統率の下、シカゴ交響楽団、更には、独唱陣や合唱団も最高のパフォーマンスを示している。

そして、何よりも素晴らしいのは、SACDマルチチャンネルによる極上の高音質録音。

ヴェルディのレクイエムのような作品は、こうした臨場感溢れる録音によってこそ、その真価を味わうことができるのではないかと考える。

円熟味を増した指揮者とハイレベルなオケと歌唱陣、優秀な録音と非常にバランスのとれた名演奏と言えよう。

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2013年04月02日


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『スコットランド』が1975年、『イタリア』が1976年、『宗教改革』が1979年の録音。

この3曲を組み合わせたCDとしては、ムーティ指揮ニュー・フィルハーモニア管が、素晴らしい名演を聴かせる。

ムーティの30代の演奏だけに、3曲ともきわめて若々しく、それがメンデルスゾーンの初期ロマン派作風にふさわしい。

ムーティ若き日のメンデルスゾーンはどれも素晴らしい演奏で、特に『スコットランド』での伸びやかでひたすら美しいカンタービレは他に例の無い見事なものとして印象的。

『イタリア』での歌いぶりは、さすがイタリア人らしい明るさと弾みがあるし、『スコットランド』も旋律を存分に歌わせた、スケール感のある立派な表現。

しかしやはり最も注目されるのは、初CD化となる『宗教改革』であろうか。

この敬虔な旋律美にあふれた名作からも、ムーティの指揮はみずみずしいソノリティを引き出していて言うことがない名演で、コレクションに加える魅力は充分と言える。

だがよく聴いてみると、『スコットランド』は構築力に疑問があり、音構造の再現も軽やかに過ぎていて物足りない。

その点では『イタリア』の方が無難だし、急速なテンポで躍動する終楽章も鮮烈だが、2曲を通して聴いてみると、ムーティの新鮮さは弱点の多い『スコットランド』の方に強く感じられる。

音楽芸術とは不思議なものである。

録音当時、低迷期だったと言われるニュー・フィルハーモニア管弦楽団もここでは優れたパフォーマンスを示していると言えよう。

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2013年03月31日


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何よりもガヴリーロフのピアノが素晴らしい。

ロシアの悠久の大地を思わせる重厚なピアニズムと、故国を思う郷愁に満ち溢れた情感の豊かさが、演奏に結晶化しており、超絶的な技巧も圧倒的だ。

特に、ピアノ協奏曲第2番の第2楽章は、他のどのピアニストよりも、テンポをゆったりとしたものとして、情感豊かな感動的な演奏を繰り広げている。

時折見られる間の取り方も実に効果的であり、こうした点に、ガヴリーロフの芸術家としての抜群のセンスの良さを感じさせる。

パガニーニの主題による狂詩曲の、各変奏の描き分けも、超絶的な技巧をベースとして、完璧に表現し尽くしており、有名な第18変奏の美しさには、もはや評価する言葉が追いつかないほどの感動を覚えた。

ムーティの指揮も素晴らしい。

イタリア・オペラを得意とした指揮者だけに、ラフマニノフの抒情豊かな旋律の歌い方の何と言う美しさ。

それでいて、ピアノ協奏曲第2番の終楽章の終結部の猛烈なアッチェレランドなど、決めるべきところのツボを心得た心憎いまでの演出巧者ぶりを示しているのはさすがと言える。

当時の手兵であるフィラデルフィア管弦楽団は、オーマンディやデュトワとともに、ラフマニノフの名演を数々残してきたこともあり、本盤でも、ムーティの統率の下、最高のパフォーマンスを示していると言える。

HQCD化によって、音質は非常に鮮明になっており、本名演の価値を高めるのに大きく貢献している。

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2012年09月16日


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ムーティのシューマン:交響曲全集の再録音で、旧盤に比べムーティの音楽的充実ぶりは著しい。

ムーティは、シューマンをブラームスのように重厚にではなく、軽快で明るいタッチで演奏している。

したがって、このようなアプローチで成功しているのは、「第1」の「春」の方だと思う。

シューマンならではのロマン的な香りに満ち溢れており、正に、人生の春を謳歌するような歓びでいっぱいになるような名演だと思う。

「第2」も実に軽快な演奏で、同じウィーン・フィルを指揮した名演として、シューマンの深層心理への鋭い切り込みを見せるシノーポリ盤や、熱い血がたぎるようなバーンスタイン盤がある。

これらの名盤に比べると、どうしても影が薄くなるが、ウィーン・フィルの美演を最大限に生かしているという意味では、本盤が一番かもしれない。

「第3」も、バーンスタイン盤に比べると、いささか淡泊な印象を受けるが、ウィーン・フィルの演奏の美しさを堪能させてくれる点については、「第2」と同様に評価されるべきであろう。

「第4」は、フルトヴェングラー盤をはじめとする往年の巨匠が重厚な名演を成し遂げてきた楽曲でもあり、ムーティのアプローチでは、いささか軽妙に過ぎる印象を持った。

シューマンのオーケストレーションに多くを求めることは難しいが、それでも、指揮者の力量により大名演を成し遂げた過去の巨匠の域には、未だ達していないということだろう。

全4曲を通じて、ムーティがウィーン・フィルから極上の豊潤な響きを引き出しており、シューマンのロマン的心情を鮮明に浮かびあがらせている。

廉価盤というのも大きな魅力。

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2011年10月01日


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1985年11月4-7日、ベルリン、イエス・キリスト教会に於けるデジタル録音。

まるでイタリアのスポーツカーを思わせるような流麗な進行と美しい響きは、指揮者次第でいかようにも変質できるという、高い機能を持つベルリン・フィルならではの特質を如実に感じさせてくれるもので、ユニークなデュナーミク・コントロールやパート・バランスにも見事に対応して、実に快適な演奏を聴かせてくれる。

また、強大なトゥッティでもやみくもに金管の輝かしさを追及したりしないのは、ムーティがオペラ指揮者であることと無関係ではないと思われ、適切な呼吸感覚を感じさせるハンドリングが第1楽章展開部後半のコラール風変容ブロックもたいへん効果的に響かせてくれる。

その磨き抜かれたサウンドの心地よさは、4年前の荒々しいテンシュテット盤と同じオーケストラ、同じレーベルとはとても思えないほどの違いっぷり。

その一方で、派手な音の効果だけで圧倒しようとするブルックナーの交響曲演奏とは対照的に、この作曲者特有の口べたで木訥と言われる内面的な『渋さ』を巧みに表現している。

とはいうものの、明快さ、スマートさが信条のムーティならではの巧みさ、オーケストラ自身の響きの美しさも健在。

その両者をベルリン・フィルが見事に表現し、ここに極めつけとも言えるブルックナーが生まれている。

ブルックナーの本質である『オルガン的な響き』に対する卓越した解釈をこのムーティ&ベルリン・フィルの演奏から聴き取ることができる。

一聴の価値ある美しい演奏である。

なお、ムーティはここで、第1楽章展開部後半では改訂版のアイデアを復活させてティンパニを轟かせるものの、第4楽章呈示部でのシンバル追加はおこなっていない。

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2011年06月17日


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第1番の第1楽章アダージョの序奏は意外と速いテンポで始まり、アレグロの主部では急がず、アタックをしっかりときかせて堂々と進む。第2楽章は深い響きのなかに大きな歌が歌われていく。ムーティはこういう音楽で決して感傷的にならず、男らしく歌う。そしてフィナーレのアレグロ第1主題はもちろん男性的だし、展開部の盛り上がりもかなりのもので、再現部への突入をくっきりと印象づける。

「ハイドン変奏曲」もふくよかで抑制のきいた表現だ。

第2番はムーティの個性が強く示された表現で、古いドイツ風のごつごつした演奏とは対極にあるスマートな音楽である。オーケストラのバランスもそうした表現に協力しているのか、響きがふくよかで情感があり、音楽的にも成熟している。

「大学祝典序曲」と「悲劇的序曲」も柔らかく滑らかに歌う演奏だ。部分的にかなりテンポを動かす独特の表現法で、無理なく歌わせている。このように歌に傾斜したブラームスも悪くなく、新鮮な印象を与える。

美しいがとらえどころのない第3番に、ムーティはそのイタリア的な造形感覚で彼独自の形を与えることに成功した。流麗・明晰な新解釈で、第1楽章は輝かしくまた美しく、第2楽章の歌わせ方もよい。感傷的になりがちな第3楽章は男らしく明るく、フィナーレもあくまで明快。後味のよい第3番だ。

第4番ではフィリップスの音質上の好みがヨーロッパ調であるためか、従来フィラデルフィア管弦楽団にありがちな華麗一方の響きではなく、実によく練り抜かれたまろやかな音彩とゆとりあるテンポで、第1楽章ではリズムを若干重く引きずる感もあるが、その悠揚とした流れには音楽をじわじわと高潮させる息の長さがあり、オーケストラのサウンドも次第に光沢と輝きを加えていく。

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2010年12月20日


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1994年5月のミラノ・スカラ座での公演をライヴ録音したCDである。

ムーティの2度目の全曲録音に当たるこの1組は、彼の円熟が示されている。

歌手はとても立派だ。現時点でおそらくこれ以上望みようのない最高の演唱であろう。

ブルゾンのリゴレットはこの役を歌う歴代の名歌手のなかではかなりまっとうではないかと思う。

つまりゴッビのように異常な性格でもなく、カプッチッリのように圧倒的でもない。

スタイルで大見得を切ったりスタイルで押し切ってしまうところがないので、大人しい印象を受けるかもしれない。

しかし聴き込むほど、噛みしめるほどに、ブルゾンの歌唱からは豊かな人間味が伝わってくる。

やや地味だけれど決してつくりものではないので、聴き返すたびに感動してしまう。

この円熟したブルゾンがいるからこそ、共演する2人の若者たちの新鮮な歌唱が余裕をもって楽しめるのだ。

ロストは可憐で透明な美声で端正に歌い、アラーニャは極めてスタイリッシュで小気味よく歌い、若々しく艶のある声を颯爽と響かせる。

しかし、これは歌手だけの名人芸で成り立つ《リゴレット》ではなく、ムーティの強力な指導力が前面に出た演奏だ。

時にブルゾンの歌の個性が主張を強めることがあっても、ムーティはあくまで全体がひとまとまりになったオペラ《リゴレット》像を追求する。

次はレチタティーヴォ、次はアリア、といった聴き方をしてはならないとさえ思えてくる。

悲劇はまっしぐらに進行し、ヴェルディの、もしかしたら最も力と技が充実した作品かもしれないオペラのパワーを引き出す。

鋭い劇的緊張感から繊細な響きまで多様な要素をオーケストラで雄弁に表現するさまは素晴らしくて、とてもライヴとは思えないほどの完成度。

精度に重きを置く方向もあるけれど、これはこれ。戦慄する、戦慄できる《リゴレット》だ。

ムーティはいつもの基本方針に従って歌手には慣習的なヴァリアンテではなく、ヴェルディが書いた楽譜どおりの音符を歌わせている。

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2010年12月12日


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原典主義者ムーティがウィーン・フィルを得て、現代の言葉でモーツァルトを語った演奏だ。

ムーティのモーツァルトは、主観と客観の絶妙なバランスに支えられており、現代の聴き手にとってモーツァルトの交響曲を聴くことがいかに大きな慰めとなり、また救いとなるかを、現代の言葉で証明して見せた魅力と説得力がある。

モーツァルトだからということで距離をおくことなく、実にのびやかに歌い上げた爽快感あふれる演奏であり、時に見せる大胆なアプローチも、かえってモーツァルトの新しさを掘り起こしている。

第40番は明快で、いかにもムーティらしい率直な演奏だが、求心的エネルギーが異例の気迫と説得力を作り出している。

それはこの交響曲を魂の叫びとして再現した劇的演奏であり、ムーティの燃えるような眼差しが灼熱の音となって噴出したかのようだ。

そんなムーティにとっては、当然、クラリネットを含む第2版が採用されている。

ムーティの《ジュピター》は、この作品がモーツァルトの《英雄》交響曲であることを鮮烈に実感させる。

これほど力強く、壮麗で、また劇的な演奏は前例がなく、演奏が放つエネルギーに圧倒される。

ウィーン・フィルも怖さすら感じさせる演奏を聴かせている。

指示された反復記号も原則的に忠実に守って、作品のメッセージのすべてが実に生き生きとした音となって響きわたっている。

ウィーン・フィルを得たことも大きな魅力で、現代に聴くモーツァルト像が、こんなにもつややかな音色とふくよかな表情で再現された例もないといえよう。

美しく、ロマンティックな夢に誘われる現代のモーツァルト演奏だ。

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2010年10月04日


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チャイコフスキーの第4番は序奏から豊麗なサウンドに耳を奪われる。

第1主題からして絶望と諦観の身振りを捨て、魅力的な律動に変身する。

ムーティの卓越したリズム感とフィラデルフィアの管楽器セクションの抜けのよい響きが、甘美でしかも確固たる世界を構築している。

スクリャービンの「プロメテウス」でも耽美性を追求するのは同様だが、この複雑な音の迷宮から突き進むエネルギーを見出しているのはムーティならではだ。

第5番でムーティは、スコアを精確・精緻に音にすることによって、チャイコフスキーのオーケストレーション独自の、内声のかくし味のような動きと旋律の内面的な力学を的確に表現し、見事な陰影でこの作曲家の憂鬱や屈折した感情を描き出している。

「フランチェスカ・ダ・リミニ」も情緒豊かな演奏で、それぞれの旋律を的確に表した、ムーティの魅力を痛感させるような晴朗な音楽だ。

「悲愴」はオケの性格とムーティの資質とがあいまって、冒頭からきわめて滑らかに歌い、官能的といえるほど艶やかに響く。

全体に木管の色彩が明るく美しく夢幻的な趣があり、響きには充実感が強い。

「法悦の詩」は官能的な音色の艶やかさ、画然としたリズム、いくぶん退廃的な表情のいずれもが曲にふさわしい。

音そのものをリアルに生かし、魅惑的に磨きあげ、感覚的な美感を濃厚に表した名演である。

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2010年08月20日


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イタリア人の指揮者とアメリカのオーケストラ、というだけの単純な理由で、この全集に触れる機会を持たなかった方々こそお気の毒である。

この全集を知らない、持たない、聴かない、というのは音楽人生にとって大きな損失だ。

これほど淡く、爽やかで、それでいて生命力に溢れて美しいベートーヴェン演奏は稀だからである。

成功の要因のひとつは、オーマンディの薫陶を受けたフィラデルフィア管の優れた技量と音楽性。

全曲にわたり「美しくない音」がただの1音もないのだから驚きだ。

個々のパートがそれぞれ完璧な上に、それらが溶け合ったときの全体の色彩美といったら例がない。

ムーティが「オペラだけの人でない」ことを、見事に実証した全集であり、大いに推奨したい。

ムーティの指揮は素晴らしい。

イタリア式に横に歌うだけでなく、作品のキャラクターや構造を的確に捉えて立体的に構築し、持ち前の情熱で演奏に生命を吹き込んでいる。

テンポは中庸か遅めの場合が多く、それが歌謡性を強調している。

もちろん流動性も強いが、全体的には実直に作品の音楽性を追求しており、明朗でのびやかに歌うのが独自の魅力だ。

苦悩の人ベートーヴェンの音楽が、こんなにも美しくて良いのだろうか?という罪悪感さえ持たれる方もいらっしゃるかも知れないが、心配はご無用。美のために破られてならぬルールはない。

これこそベートーヴェンの哲学であり、我々は、この美を全身全霊をもって享受して良いのである。

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2010年08月15日


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イタリア式モーツァルトの名演だ。

「フィガロの結婚」は疾駆するが如きテンポのムーティの音楽運びの中に、モーツァルトの魂がみずみずしく息づく。

ムーティの大きな特徴は、リズムの鮮明な躍動感、明るくのびやかに歌う旋律、デュナーミクの明暗・強弱の隈取りの明確さなどだが、この結果、彼の「フィガロ」にはウィーン風の優美さより、活気にあふれたドラマティックな緊張がある。

ウィーン・フィルの柔軟・繊細にして自発性に富む演奏も素晴らしい。

歌手陣では、新人のヒュンニネンの伯爵が若々しく、いかにも好色な貴族らしい雰囲気にあふれているし、バトルのスザンナもキュートそのもので、アレンのフィガロも生き生きとした好演。

プライスの伯爵夫人も堂々たる貫録とよく整った歌を聴かせる。

「ドン・ジョヴァンニ」は、通常カットされるセッコの部分もすべて網羅した全曲演奏である。

騎士長をめぐる、このオペラの中でも最もドラマティックかつパセティックな場面でムーティが聴かせる、異常なほどの緊張をはらんだ劇的表現と持続力は大変素晴らしい。

歌手陣はいずれもオペラ界で屈指の逸材たちだけに、その充実ぶりは特筆に値する。

とりわけステューダーとヴェイニスの2人が、声の美しさもテクニックも性格表現も申し分のない名唱だ。

「コシ・ファン・トゥッテ」は1982年のザルツブルグ音楽祭のライヴ録音で、ムーティは、これがはじめてのモーツァルトのオペラの録音だった。

彼の指揮はきわめて流麗で、躍動感にあふれ、モーツァルトの音楽の生命力といったものを、生き生きと表現していて、まことに素晴らしい。

歌手陣も、フィオルディリージのマーシャル、ドラベルラのバルツァ、フェルランドのアライサ、ドン・アルフォンゾのファン・ダムら、総じて粒がそろっているが、特にバルツァの演唱が光っている。

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2010年04月26日


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ムーティがみずみずしい音楽性で、素晴らしい成功を収めた秀演だ。

ムーティ42歳の時の鬼気迫る演奏である。

ピリピリとした神経が全曲に張りめぐらされており、曖昧なところは何もなく、あくまでドラマティックに、そして神秘的にファウスト、グレートヒェン、メフィストフェレスの世界が描き出されていく。

ムーティが握りしめている絵筆は、インスピレーションと感動に打ち震えているのであり、導き出される色彩も鮮烈かつ過激であり、聴き手は抑制し難い興奮の中で、リストがゲーテ作品に寄せた切実な想いを追体験していくことになる。

ムーティのドラマに対する非凡な感性が、このユニークな交響曲を、卓越した緊張感と豊かな情感のもとに楽しませてくれる。

痛烈で端的、情熱的で鮮やかな色彩感をもち、きりりと引き締まった音楽で、長大な第1楽章から存分に劇的で、聴き手を退屈させることがない。

第2楽章は純音楽的な響きと表情の美しさが特筆され、第3楽章は情緒的にもうるおいがあり、終楽章の堂々とした終結感も聴き手を満足させることだろう。

しかも「グレートヒェン」では室内楽的緻密さで純なる清らかさも描き出すなど、表現の奥行きも深い。

4つの楽章それぞれが、完全にその性格を把握され、対照感をもって描かれているにもかかわらず、そこには一貫した音楽のイディオムが聴かれる。

スケールの大きさや、鮮やかな色彩感もプラスしている。

リストのオーケストラ作品はピアニスト的な感覚で書かれている部分もあって、作曲家が望んだ効果をオーケストラでうまく表現するのは難しいという。

下手なオーケストラでは骨折り損のくたびれもうけになる確率も多そうだが、ムーティとフィラデルフィア管弦楽団はそうした点を難なくクリアーして、この曲に内在するドラマを生き生きと色鮮やかに描き出す。

たとえば、出だしのファウストの主題からして、ムーティは増三和音に秘められたファウストの、自分ではどうしようもない欲求を明らかにする。

随所で旋律美を際立たせ存分に歌わせながらも音楽が停滞することはなく、76分がたちまちのうちに過ぎていく。

ムーティの才能と同時に怖さすら知らしめた記念碑的演奏だ。

ムーティのフィラデルフィア管弦楽団時代の代表的録音として特筆される。

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2009年09月11日


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ムーティ指揮フィルハーモニア管は、スコットのヴィオレッタ、クラウスのアルフレード、ブルゾンのジェルモンで、スコット=クラウスというヴェテランコンビが絶妙の歌唱を聴かせ、またムーティが劇的な情熱を感じさせる指揮で、いかにもイタリア・オペラの醍醐味を味わわせる。

ムーティの指揮は、ヴェルディの剛の部分を見つめた厳しい演奏で、このオペラが豊かで新鮮な内面的ドラマの世界を目指したヴェルディの画期的な意欲作だったということを、明確に立証し、強調している。

2人の主役が実に素晴らしい。2人の息の合った歌唱を聴いていると陶然としてしまう。

スコットのヴィオレッタは、女らしいやさしさと悲しみの陰影に満ちた豊かな表現の中に、ヒロインの悲劇的な姿をくっきりと歌い出している。

そしてクラウスの磨き上げられた声とスタイリッシュな歌唱も見事としかいいようがない。

ブルゾンのジェルモンも、真情溢れる父親の心境を吐露して、聴く者の涙を誘わずにはおかない。

またここではムーティの指揮が実にうまく、彼は、歌手たちをのびのびと歌わせながら、情感豊かに仕上げている。

このあたり、イタリアの指揮者ならではの味である。

特に、彼の巧みな演出の光る第3幕はすぐれた演奏だ。

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2009年09月01日


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クレーメルとムーティの初共演であった。

シベリウスでは、この曲のもつクールな透明感がクレーメルにぴったりだ。

たとえば第1楽章冒頭などは楽譜の指定を無視して最弱奏で登場し、北欧に吹く風のようにいじらしく打ち震えて聴く者の心に触れてくる。

表情豊かなルバートや訴えるポルタメント、第2楽章コーダでの静かな瞑想も忘れ難い。

シューマンも反ロマン風だが決して冷たくならない。第1楽章の楚々とした虚無感などいかにもクレーメルらしい。

この協奏曲はシューマンが精神に変調をきたした時期に作曲された。

そのため妻のクララや、友人の大ヴァイオリニスト、ヨアヒムは、この作品を欠陥だらけと見なして、出版と演奏を禁じてしまった。

確かにここにはシューマン特有の過剰と短絡が際立っているものの、他にない独自の楽想がほとばしっている。

それは誰もまだ覗いたことのない狂気と境を接する深層心理の世界で、当時の人々がそれから眼をそむけたかった理由もわからないではない。

この危険な領域に果敢に切り込んでいるのがクレーメルの演奏。

彼は2度この曲を録音しているが、シューマンの苦悶の深さとそれからの救済を求める切実さという点で、この演奏が優っている。

ややシューマンのもつ甘いロマンティシズムからははずれた表現だが、この曲のもつ技巧的で、どっしりとした感じをよくあらわした演奏である。

ムーティの棒も、冴えわたっている。

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2009年06月25日


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ムーティがフィラデルフィア時代(1980-1992)に残した記念碑的名盤。

ムーティがフィラデルフィア管弦楽団に着任して、最初に放ったビッグ・ヒットといえる。

ムーティのこの演奏では、みずみずしくのびやかなカンティレーナ、ダイナミックで壮麗な造形感覚、明快でメリハリの効いた語り口、切れがよく弾力性のあるリズムなど、イタリア人ならではの持ち味が十二分に生かされ、それが作品の本質を見事にとらえた表現を実現させている様相を感じとることができる。

華麗なサウンドといい、素晴らしいオーケストラの名人芸、さらに強烈なカンタービレは、いまだにこの曲のベストの地位は固い。

大先輩たるトスカニーニがNBC交響楽団と残した歴史的名演に、正面から立ち向かっていくような覚悟と熱気が充満している。

ストレートに作品に肉薄していく劇的演奏は43歳のムーティにこそ可能な離れ業だが、奇跡の逆転ホームランをとばしており、現代の《ローマ三部作》として申し分ない出来である。

天性の音色に対する感覚、カンタービレへの熱き嗜好の作品を一段と魅力的にしており、イタリア的テンペラメントをも満喫させる。

ここでムーティは、巧妙な指揮と豊麗な"フィラデルフィア・サウンド"によって、レスピーギの色彩的なオーケストレーションを万全に再現しており、出だしからこのオケの光彩陸離たる音の輝かしさに魅了されてしまう。

緊張感あふれる音のドラマとして描き上げた強い説得力が感じられ、その張りつめた展開の鮮やかさ、そして演奏全体に感じられる熱い興奮と熱気が素晴らしい。

フィラデルフィア管弦楽団も華やかさと同時に密度の濃い表現を聴かせており、スケール感も圧倒的だ。

オーマンディ時代とは異なるシャープさとスピード感を獲得、表現全体が冴え冴えとして輝かしい。

そしてムーティは、このオケの精緻なアンサンブルや重厚でゴージャスなサウンドなども巧みに生かし、演奏のブリリアントな魅力を高めることにも大きな成功を収めている。

豪快な「アッピア街道の松」や詩的な美しさにあふれた「ジャニコロの松」も秀抜だ。

また「祭り」の4曲も立派で、こうしたムーティの卓出した表現力は巨匠トスカニーニを思わせる。

両者のコンビの見事さを後世に伝える、エヴァーグリーン的な名盤といえる。

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2009年02月15日


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ヴェルディ初期の第3作目のオペラながら、情熱的な序曲や、今日でもイタリア人の心情を鼓舞してやまない合唱「行け、わが思いよ、金色の翼に乗って」をはじめ、魅力的な音楽が随所にあふれる。

初演から大成功をおさめ、ヴェルディの出世作となったのも当然と思える。

演奏はムーティが最高だ。

ムーティのもっとも得意とする作品のひとつだけに、その熱気とドラマティックな迫力は比類のないものである。

テンポを速めにとり、切れのよいリズムでたたみこむように進め、ヴェルディ初期のオペラのみずみずしい情感を、万全に表現していてすばらしい。

ムーティの長所、すなわち躍動するリズム感、メリハリのきいた音楽づくり、そしてえもいわれぬ音楽的高揚感は、まさに「ナブッコ」のためにあるといってもけっして過言ではない。

それほどにムーティの資質に合った作品といえる。

配役もそろっており、ことに、アビガイレのスコットが傑出している。

そのムーティの「ナプッコ」は、CDではフィルハーモニア管とのもの、DVDではスカラ座での上演ライヴがあるが、歌手も一枚上で、圧倒的な舞台が見られるDVDが広く薦められる。 

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2008年08月11日


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何という生命の充実だろう。ヴェルディ最晩年の傑作をこの演奏で聴くと、生きる力が心と体にみなぎってくる。

第1声のハーモニーからの純度の高さに驚かされる。

しかも、少しの妥協もないきびしい表情の中に、何というあたたかさ。この緊張力、音楽の凝集力の上にヴェルディが描かれていく。

これはまた当代比肩するもののない合唱名指揮者エリクソンの力でもある。

リッカルド・ムーティが世界から敬愛される合唱指揮者、エリクソンが育てたスウェーデン放送合唱団、ストックホルム室内合唱団と、ベルリン・フィルを鮮やかにまとめ、無伴奏混成合唱曲「アヴェ・マリア」から、快く融合した合唱のハーモニーと各声部が織り成す音の流れを入念な扱いによって最良の演奏を展開している。

次の「スターバト・マーテル」も秀演で、静かな哀しみと劇的な音楽の対比が見事に生きている。

また無伴奏女声合唱曲「聖母マリアへの讃歌」での繊細な音の扱い、終曲「テ・デウム」での奥行きのある壮大な表現にも圧倒される。

ヴェルディ最晩年の偉大さを実感させる名演。

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