バレンボイム

2016年05月10日


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《美しき水車小屋の娘》などを聴くと、確かにシューベルトはウィーンの抒情作家だが、《冬の旅》は異なり、いっそう詩の内容が重視されており、その内容が暗いために音楽も深くなっている。

失恋した若者が終わりのないさすらいの旅に出る、という筋立てには何の救いもなく、死の深淵を見つめる晩年の作曲家の絶望や寂寥や、わずかに横切る希望の光があるだけだ。

《水車小屋》が青春の一齣なのに対し、《冬の旅》は全人生に匹敵し、作曲当時、シューベルトの肉体はすでにボロボロで、精神の根っこまで蝕まれて、わずか31年の生涯に過ぎなかったのだ。

《冬の旅》には名盤が多いが、それはとりもなおさず、この曲集の芸術的魅力の大きさを物語っており、多くの歌手がこの絶望のドラマに魅了されてきたのだ。

CDは第一にフィッシャー=ディースカウを採りたいが、とはいっても彼にとってこの曲のレコーディングはライフワークの1つといってもよく、なんと7回もスタジオ録音している。

古今東西、名歌手数多しといえども、ドイツ・リートを歌って、F=ディースカウ以上にうまい人を筆者は知らない。

美声のハイ・バリトンで柔軟な技巧も卓越、いかなる表情も自由自在で、感情の豊かさ、知的なアプローチ、発音の明晰さ、美しさ、どれをとってもベストだ。

初めは名伴奏者として知られたジェラルド・ムーアと組んでいたが、次第に有名な独奏ピアニストの伴奏で歌うようになり、デムス、バレンボイム、ブレンデル、ペライアなどが総動員された。

それらはただ単に繰り返しではなく、それぞれにカラーが違い、掘り下げ方とピアノとのかけ合いもそれぞれに違うが、この歌曲集の内奥に最も深く分け入り、持ち前の完璧な技巧と表現で歌いつくしているのは、この第5回目のバレンボイムとの録音である。

後年の録音のように技巧に走ることもなく、また初期の歌唱のように美声に頼り切ることもなく、きわめて知と情のバランスのとれた、絶妙のシューベルトになっている。

ここではバレンボイムの個性溢れるピアノが、歌い手が望んだとおり、歌唱に大きな刺激を与えているようで、ピアノと歌は互いに相手を信頼し、互いに感情をぶつけ合いながら、この暗いドラマにスケールの大きな起伏を作り出している。

また、対等でありながら深く掘り下げていくという点でも、イマジネーション溢れるバレンボイムとのものが一番面白く、F=ディースカウもいつもの文学的偏向を避けてシューベルトの旋律をなめらかに歌っている。

様式感の崩れもなく、語りだけでなくメロディックな要素も雄弁に語り、この盤で、曲の世界がさらに深まった感じがする。

技巧的に聴こえることがあるF=ディースカウだが、ここでは感情の流れがきわめて自然で、声のみずみずしさも保たれている。

恋人に裏切られ真夜中に町を去っていく若者の憤怒が、旅を最後まで持続させるバネになっているが、そこには若者らしい矜持の念も欠けず、怒りを理性で制御しようとする賢明さもうかがえ、その絶妙なバランスに、この演奏の特色がある。

しかも、その歌は厳しく劇的であるとともに、1曲1曲を明快にしなやかなスケールで歌い分け、全曲を大きな流れと起伏をもって構成している。

特に、次第に悲嘆の感情を強めていった23曲の歌が最後に虚無的ともいえる深い絶望に行き着き、無限の彼方へ消えてゆくような〈ライアー回し〉は、聴き手に恐ろしいほどの感動を呼び起こさずにはいないだろう。

そうしたF=ディースカウの歌唱を可能にしたバレンボイムのピアノも万全、まことに素晴らしく、歌唱とピアノが密着した絶妙のアンサンブルは、数あるドイツ・リートの模範のような出来を示している。

バレンボイムのピアノはそれまでのリートの伴奏という域を大きく踏み出し、歌と同等の発言権を得て比類ない世界を構築している。

さまざまな音色、自在なルバートを駆使した伴奏は見事というほかなく、それはときにオペラ風に傾くが、リートにふさわしい美感を損なうことのない、素晴らしい共演の記録だ。

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2015年09月20日


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3曲の協奏曲を中心に収録されたリヒャルト・シュトラウスの作品集で、バレンボイムとシカゴ交響楽団の親密なコラボレーションから、この素敵なディスクが誕生した。

1曲目のホルン協奏曲第1番変ホ長調ではデイル・クレヴェンジャーのソロが作曲家の若々しい曲想を反映させて、晴れやかで勇壮な雰囲気を醸し出している。

彼のアプローチはホルンの持つ金管楽器としての力強さや輝かしい音色の効果を前面に出して、シュトラウスの音響美学を再現することにあるようだ。

クレヴェンジャーの演奏を聴いていると、当時のシカゴ交響楽団のブラス・セクションには彼のような奏者が揃っていて、シカゴ特有のサウンドを創造していたことが納得できる。

勿論細部に至るまでコントロールは行き届いていて、第2楽章では音楽性豊かで筋の通ったアンダンテを聴かせてくれるし、終楽章ロンドの盛り上げも計算されたものだ。

サポートは当時の音楽監督バレンボイム指揮、シカゴ交響楽団で1998年の録音になる。

続くクラリネットとファゴットのための二重小協奏曲ヘ長調は、一変してオペラの間奏曲のような情緒を持った曲で、ラリー・コムズのクラリネットとデイヴィッド・マクギルのファゴットの息の合った巧みな絡みやユニゾンが対話を交すような美しいデュエットに仕上げられている。

またオーボエ協奏曲ニ長調では第1楽章アレグロ・モデラートをごく緩やかなテンポに抑えて、アレックス・クラインの爽やかなオーボエを堪能させてくれる。

それらの洗練されたリリシズムはバレンボイムの感性によるものだろう。

優れたオーケストラはあらゆる協奏曲のソリスト総てを自分達のメンバーから出すことができるものだが、この協奏曲集を録音した4人全員がやはりシカゴの首席奏者を務めた実力者達だ。

クライン、クレヴェンジャー、コムズ、マクギールの4人は世界最高の技術を誇るシカゴ交響楽団で、それぞれの楽器パートの首席を務める名手達であった。

残念ながら4人とも既にシカゴ響からは退団しているが、こうしたベテラン名物奏者の全盛期のソロを同じシカゴ響のバックで聴けるのは幸いだ。

クレヴェンジャーはこのCDで、もう1曲ホルンとピアノのためのアンダンテをバレンボイムのピアノ伴奏で入れている。

彼のホルンはヴィブラートを掛けない直線的なトーンでの奏法が基本で、甘美ではないが曲想をシャープに引き締めた隙のない密度の濃い表現を堪能させてくれる。

尚最後の2曲はバレンボイム自身がソロを弾く『四つの抒情的な風景』から「寂しい泉のほとりで」及び「夢」で締めくくっている。

どちらも短い作品だが、彼のロマンティシズムが良く示された魅力的なエピローグだ。

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2015年08月27日


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既に指揮者としても第一級の評価を与えられているバレンボイムであるが、ピアニストとしての彼の活動も忘れるわけにはいかない。

バレンボイムほどに自身の音楽家としての将来に一貫した計画をもち、それに沿って着実に充実を計ってきた演奏家も珍しいのではないだろうか。

ピアニストとしてのバレンボイムは、1回ごとのヴァラエティに頼ったプログラムでのコンサートよりも、モーツァルトやベートーヴェンのソナタや協奏曲の連続演奏会や、ロマン派のピアノ作品のシリーズ演奏会などを通じて、まとまりのある音楽的な体験を聴き手と共有してきた。

指揮者バレンボイムも同様に1975年から首席指揮者・音楽監督をつとめたパリ管弦楽団や、1991年から音楽監督をつとめたシカゴ交響楽団、1992年から音楽監督の地位にあるベルリン州立歌劇場、多く客演するベルリン・フィルやウィーン・フィルなどを通じて、しっかりと目標を定めたプログラミングで演奏活動を行ってきている。

バイロイト音楽祭も含めたそれは、その場の成功だけではなく、将来へ向けての自らの滋養となる音楽を厳選しての活動である。

こうした活動のうちに、バレンボイムは他の人にはなかなか明かさない「最終目標」を秘めていたかのように思えた。

そのひとつがベートーヴェンの「交響曲全曲の録音」で、「自分が確信をもてるオーケストラの地位を得たときに初めて、確信ある演奏で録音したい」と、これほどまでに経験豊かな指揮者としては用心深く慎重な態度を崩さなかったが、先般、シュターツカペレ・ベルリンとともにベートーヴェンの交響曲全集を録音したのは感銘深かった。

そのバレンボイムがピアニストとしてもこうして、実に3度目となるベートーヴェンのピアノ・ソナタ全集を録音してくれたのは、彼のベートーヴェンに関心をもつ者にとっては何よりうれしいことである。

先にも記したように、バレンボイムはキャリアの比較的初期からベートーヴェンのソナタ全曲演奏会を各地で開いてきている。

だから、これも慎重を期しての録音なのだろうが、演奏のどこにも慎重さゆえの堅苦しさはなく、音楽は豊かに解放され、その随所で美しい薫りを漂わせている。

バレンボイムは指揮とピアノの両方を二足のわらじとも、相反するふたつのレヴェルのものだとも考えてはいない。

「私に関する限り、音と肉体的な接触をもつことが、どうしても必要なのです。演奏と指揮は私にとって、ひとつの物事の裏と表なのです」「ピアノを演奏しているときには、自分が指揮者であると思って、自分の演奏をほかの誰かの演奏を聴くように第三者として聴こうと試みます。それとは逆に指揮をしているときには、楽器を演奏しているような気持ちをもちます。このふたつは決して相反するものではないのです」(バレンボイム)

このベートーヴェンのピアノ・ソナタ全集に私たちが聴くのも、“第三者の耳で吟味された音楽”である。

ただしその第三者も、当面する楽器の技巧や表現法に縛られる“いまピアノを弾いているピアノ演奏家としての彼”ではないにしても、広く豊かな経験を有する“音楽家バレンボイム”に他ならないことこそが素晴らしいのである。

「偉大な指揮者は、作曲家や器楽奏者としても優れていなければならない」というバレンボイムの言葉は逆に、「偉大な演奏家であるためには、指揮者のような客観性が必要」だとも聞けるのである。

ここに聴かれるベートーヴェンのソナタは、いずれもいわゆる一般的な意味での「名演奏」を遥かに超えている。

まず第一にテンポの設定とその扱いの自由さには、誰もが瞠目させられるに違いない。

音楽の勢いを表出するために表面的な活気を演出するのではなく、相対的には落ち着いたテンポが選ばれているが、旋律の味わいや和声の変化に添って自然に息づく精妙なニュアンスには、たとえようもなく広がりと奥行きのある楽興が横溢している。

バレンボイムの卓越したベートーヴェン解釈は、まるで交響曲を指揮するかのごとく各パートが立体的に扱われ、信じられないほどに多彩な音色感とデュナーミクが駆使されており、他のベートーヴェン演奏では聴けない充足感がある。

聡明さと音楽表現への意欲、そして愛情がひとつに結ばれて、ベートーヴェンのソナタがこれまで以上に含蓄あるものとして聴き手を存分に触発する優れた演奏である。

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2015年06月01日


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ルービンシュタインは、3度にわたってベートーヴェンのピアノ協奏曲全集をスタジオ録音している。

ルービンシュタインはポーランド出身ということもあって、稀代のショパン弾きとしても知られてはいるが、前述のように3度にわたってベートーヴェンのピアノ協奏曲全集を録音したことや、生涯最後の録音がブラームスのピアノ協奏曲第1番であったことなどに鑑みれば、ルービンシュタインの広範なレパートリーの中核を占めていたのは、ベートーヴェンやブラームスなどの独墺系のピアノ曲であったと言えるのかもしれない。

本盤に収められたベートーヴェンのピアノ協奏曲第3番&第4番は、ルービンシュタインによる3度目のピアノ協奏曲全集(1975年)からの抜粋である。

最初の全集であるクリップス&シンフォニー・オブ・ジ・エアとの演奏(1956年)や、2度目の全集であるラインスドルフ&ボストン交響楽団との演奏(1963年)と比較すると、本演奏は88歳の時の演奏だけに、技量においてはこれまでの2度にわたる全集の方がより優れていると言えるのかも知れない。

しかしながら、本演奏のゆったりとしたテンポによる桁外れのスケールの大きさ、そして各フレーズの端々から滲み出してくる枯淡の境地とも言うべき奥行きの深い情感の豊かさにおいては、これまでの2度にわたる全集を大きく凌駕していると言えるだろう。

このような音楽の構えの大きさや奥行きの深さ、そして格調の高さや風格は、まさしく大人(たいじん)の至芸と言っても過言ではあるまい。

第3番は遅めのテンポで大きく深い呼吸で音楽を息づかせ、それに腰の強い明確なタッチを与えた名演。

第4番は音楽が進むにつれて調子が上がり、大柄で立体的な表現を成し遂げている。

とりわけ、両曲の緩徐楽章の深沈とした美しさには抗し難い魅力があると言えるが、その清澄とも言うべき美しさは、人生の辛酸を舐め尽くした巨匠が、自らの生涯を自省の気持ちを込めて回顧するような趣きさえ感じられる。

これほどの高みに達した崇高な音楽は、ルービンシュタインとしても最晩年になって漸く到達し得た至高・至純の境地と言えるのかもしれない。

ルービンシュタインの堂々たるピアニズムに対して、バレンボイム&ロンドン・フィルも一歩も引けを取っていない。

バレンボイムはルービンシュタインのテンポによくつけており、少しも淀まず、厚みがあり、十二分に歌い、ときには瞑想や思索さえも実感させる。

バレンボイムは、ピアニストとしても(クレンペラーの指揮)、そして弾き振りでも(ベルリン・フィルとの演奏、シュターツカペレ・ベルリンとの演奏)ベートーヴェンのピアノ協奏曲全集を録音しているが、ここではルービンシュタインの構えの大きいピアニズムに触発されたこともあり、持ち得る実力を存分に発揮した雄渾なスケールによる重厚にして渾身の名演奏を展開しているのが素晴らしい。

いずれにしても、本盤に収められたベートーヴェンのピアノ協奏曲第3番及び第4番の演奏は、いずれも両曲の演奏史上トップの座を争う至高の超名演と高く評価したい。

本盤は従来CD盤(輸入盤)でも十分に満足できるものであったが、ルービンシュタインによる超名演でもあり、今後はSACD化を図るなど更なる高音質化を望んでおきたいと考える。

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2015年05月12日


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本盤には、パールマンのヴァイオリンとバレンボイム指揮ベルリン・フィルが1992年にベルリンのシャウシュピールハウスで行ったコンサートの模様のライヴ映像が収録されている。

この両曲の現役盤ではパールマン&バレンボイムが、いかにも伸びやかな素晴らしい名演で、最右翼に挙げられるだろう。

何よりもパールマンの音は美しい。

無駄のないボウイングは緻密で清らかな音を生み出し、それが明快なフレージングと結びついた演奏は、実に伸びやかで同時に引き締まっている。

実に堂々として充実した演奏で、パールマンは、持ち前の美しい音色をぞんぶんに生かしながら、実にていねいに弾きあげている。

ロマンティックな気分にあふれた演奏で、その官能的な味をもった音色と、仕上がりの美しさは比類がない。

パールマンはユダヤ系のヴァイオリニストで、旋律をたっぷりと歌わせることのうまい人であるだけに、ここでもヴァイオリンの特性を生かした、朗々と歌う美しい演奏を展開している。

この両作品の旋律的な美しさを、あますところなく表出した演奏で、明るく艶やかな音色で健康的に弾きあげているのが良く、これほど豊かに歌わせ、しかも美麗に磨き上げた演奏というのも珍しい。

響きの美しいロマンティックな演奏で、感覚はすこぶる知的で若々しく現代的だが、実に力強く堂々と弾きこんでいる。

パールマンの技巧は完璧そのもので、しかも豊かで美しい音色はこの上もなく魅力的だし、また演奏のスケールも大きく、ヴィルトゥオーゾの風格を漂わせている。

テクニックの優秀さは言うに及ばず、音色の透明なことと歌に感情がこもっていることでも、他に比肩する演奏はちょっと見当たらない。

快刀乱麻を断つような技巧の冴えと、磨き抜かれた美しい音色、そしてヴァイオリンをヴァイオリンらしく歌わせる、そのセンスの良さは、パールマンの天性の賜物であり、少しも難曲らしくなく、自然で融通無碍な演奏だ。

パールマンは技巧的に安定しているばかりでなく、終始自信に満ちた演奏で、どの部分をとっても楽器が完全に鳴り切っている。

旋律はよく歌い、音色は明るく艶やか、情感にも富んでいて、瑞々しい抒情性も失わず、音楽があくまで自然で豊かに溢れ出てくる。

あまりにも美しくうますぎて、内面性に乏しいなどと、贅沢なケチもつけたくなるほどの、完全無欠な演奏なのである。

パールマンの個性は両曲の緩徐楽章で最も効果を上げており、真摯であるがむきにならず、余裕をもって演奏しているため、音楽は豊かな雰囲気で聴き手に訴えかけてくる。

バレンボイムの好サポートも特筆すべきであり、実に堂々としたスケールの大きな立派なもので、充実した荘重な運びの中にソロを包み、遺漏がなく、パールマンとの熱っぽく激しいわたりあいは聴きもの(見もの)だ。

パールマンの数ある演奏のなかでは、いまひとつ生気に欠けるものの、豊かな風格が感じられ、バックの豊麗なオーケストラの響きも、大きな魅力のひとつとなっている。

文句のつけようがない名演で、このコンビで聴いていると、この両曲は少しも難しくなく、きわめてスムーズで美しい音楽に聴こえるから不思議である。

音声はPCMステレオ、ドルビー5.0サラウンド、DTS5.0サラウンドの3種類が選択でき、画質、音質とも優秀だ。

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2015年03月27日


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ルービンシュタインは、3度にわたってベートーヴェンのピアノ協奏曲全集をスタジオ録音している。

ルービンシュタインはポーランド出身ということもあって、稀代のショパン弾きとしても知られてはいるが、前述のように3度にわたってベートーヴェンのピアノ協奏曲全集を録音したことや、生涯最後の録音がブラームスのピアノ協奏曲第1番であったことなどに鑑みれば、ルービンシュタインの広範なレパートリーの中核を占めていたのは、ベートーヴェンやブラームスなどの独墺系のピアノ曲であったと言えるのかもしれない。

本盤に収められたベートーヴェンのピアノ協奏曲第1番&第2番は、ルービンシュタインによる3度目のピアノ協奏曲全集(1975年)からの抜粋である。

最初の全集であるクリップス&シンフォニー・オブ・ジ・エアとの演奏(1956年)や、2度目の全集であるラインスドルフ&ボストン交響楽団との演奏(1963年)と比較すると、本演奏は88歳の時の演奏だけに、技量においてはこれまでの2度にわたる全集の方がより優れているかも知れない。

しかしながら、本演奏のゆったりとしたテンポによる桁外れのスケールの大きさ、そして各フレーズの端々から滲み出してくる枯淡の境地とも言うべき奥行きの深い情感の豊かさにおいては、これまでの2度にわたる全集を大きく凌駕していると言えるだろう。

このような音楽の構えの大きさや奥行きの深さ、そして格調の高さや風格は、まさしく大人(たいじん)の至芸と言っても過言ではあるまい。

1音たりとも弾き飛ばさずに、しっかりと弾き切っているところが好ましいが、少しももたつかず、重さを感じさせない推進力のある演奏は、ベートーヴェンの若き日の作品の魅力を余すところなく伝えてくれている。

特に、両曲の緩徐楽章の深沈とした美しさには抗し難い魅力があると言えるが、その清澄とも言うべき美しさは、人生の辛酸を舐め尽くした巨匠が、自らの生涯を自省の気持ちを込めて回顧するような趣きさえ感じられる。

これほどの高みに達した崇高な音楽は、ルービンシュタインとしても最晩年になって漸く到達し得た至高・至純の境地と言えるのかもしれない。

ルービンシュタインの堂々たるピアニズムに対して、バレンボイム&ロンドン・フィルも一歩も引けを取っていない。

バレンボイムの指揮は立派の一言で、重すぎず、軽すぎずの充実した響きと、力強い推進力に支えられた若々しい伴奏で、ベストの出来と言えよう。

バレンボイムは、ピアニストとしても(クレンペラーの指揮)、そして弾き振りでも(ベルリン・フィル、シュターツカペレ・ベルリンとの演奏)ベートーヴェンのピアノ協奏曲全集を録音しているが、ここではルービンシュタインの構えの大きいピアニズムに触発されたこともあり、持ち得る実力を存分に発揮した雄渾なスケールによる重厚にして渾身の名演奏を展開しているのが素晴らしい。

いずれにしても、本盤に収められたベートーヴェンのピアノ協奏曲第1番及び第2番の演奏は、いずれも両曲の演奏史上トップの座を争う至高の超名演と高く評価したい。

音質は従来CD盤(輸入盤)でも十分に満足できるものであるが、ルービンシュタインによる超名演でもあり、今後はSACD化を図るなど更なる高音質化を望んでおきたいと考える。

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2014年11月27日


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ルービンシュタインは、3度にわたってベートーヴェンのピアノ協奏曲全集をスタジオ録音している。

ルービンシュタインはポーランド出身ということもあって、稀代のショパン弾きとしても知られてはいるが、前述のように3度にわたってベートーヴェンのピアノ協奏曲全集を録音したことや、生涯最後の録音がブラームスのピアノ協奏曲第1番であったことなどに鑑みれば、ルービンシュタインの広範なレパートリーの中核を占めていたのは、ベートーヴェンやブラームスなどの独墺系のピアノ曲であったと言えるのかもしれない。

本盤に収められたベートーヴェンのピアノ協奏曲第5番「皇帝」は、ルービンシュタインによる3度目のピアノ協奏曲全集(1975年)からの抜粋である。

最初の全集であるクリップス&シンフォニー・オブ・ジ・エアとの演奏(1956年)や、2度目の全集であるラインスドルフ&ボストン交響楽団との演奏(1963年)と比較すると、本演奏は88歳の時の演奏だけに、技量においてはこれまでの2度にわたる全集の方がより優れている。

しかしながら、本演奏のゆったりとしたテンポによる桁外れのスケールの大きさ、そして各フレーズの端々から滲み出してくる枯淡の境地とも言うべき奥行きの深い情感の豊かさにおいては、これまでの2度にわたる全集を大きく凌駕していると言えるだろう。

このような音楽の構えの大きさや奥行きの深さ、そして格調の高さや風格は、まさしく大人(たいじん)の至芸と言っても過言ではあるまい。

特に、同曲の緩徐楽章の深沈とした美しさには抗し難い魅力があるが、その清澄とも言うべき美しさは、人生の辛酸を舐め尽くした巨匠が、自らの生涯を自省の気持ちを込めて回顧するような趣きさえ感じられる。

これほどの高みに達した崇高な音楽は、ルービンシュタインとしても最晩年になって漸く到達し得た至高・至純の境地と言えるのかもしれない。

ルービンシュタインの堂々たるピアニズムに対して、バレンボイム&ロンドン・フィルも一歩も引けを取っていない。

バレンボイムは、ピアニストとしても(クレンペラーの指揮)、そして弾き振りでも(ベルリン・フィルとの演奏)ベートーヴェンのピアノ協奏曲全集を録音しているが、ここではルービンシュタインの構えの大きいピアニズムに触発されたこともあり、持ち得る実力を存分に発揮した雄渾なスケールによる重厚にして渾身の名演奏を展開しているのが素晴らしい。

いずれにしても、本盤に収められたベートーヴェンのピアノ協奏曲第5番「皇帝」の演奏は、同曲の演奏史上トップの座を争う至高の超名演と高く評価したい。

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2014年07月27日


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ルービンシュタインは、3度にわたってベートーヴェンのピアノ協奏曲全集をスタジオ録音している。

ルービンシュタインはポーランド出身ということもあって、稀代のショパン弾きとしても知られてはいるが、前述のように3度にわたってベートーヴェンのピアノ協奏曲全集を録音したことや、生涯最後の録音がブラームスのピアノ協奏曲第1番であったことなどに鑑みれば、ルービンシュタインの広範なレパートリーの中核を占めていたのは、ベートーヴェンやブラームスなどの独墺系のピアノ曲であったと言えるのかもしれない。

本盤に収められたベートーヴェンのピアノ協奏曲第4番&第5番「皇帝」は、ルービンシュタインによる3度目のピアノ協奏曲全集(1975年)からの抜粋である。

最初の全集であるクリップス&シンフォニー・オブ・ジ・エアとの演奏(1956年)や、2度目の全集であるラインスドルフ&ボストン交響楽団との演奏(1963年)と比較すると、本演奏は88歳の時の演奏だけに、技量においてはこれまでの2度にわたる全集の方がより優れている。

しかしながら、本演奏のゆったりとしたテンポによる桁外れのスケールの大きさ、そして各フレーズの端々から滲み出してくる枯淡の境地とも言うべき奥行きの深い情感の豊かさにおいては、これまでの2度にわたる全集を大きく凌駕していると言えるだろう。

このような音楽の構えの大きさや奥行きの深さ、そして格調の高さや風格は、まさしく大人(たいじん)の至芸と言っても過言ではあるまい。

特に、両曲の緩徐楽章の深沈とした美しさには抗し難い魅力があるが、その清澄とも言うべき美しさは、人生の辛酸を舐め尽くした巨匠が、自らの生涯を自省の気持ちを込めて回顧するような趣きさえ感じられる。

これほどの高みに達した崇高な音楽は、ルービンシュタインとしても最晩年になって漸く到達し得た至高・至純の境地と言えるのかもしれない。

ルービンシュタインの堂々たるピアニズムに対して、バレンボイム&ロンドン・フィルも一歩も引けを取っていない。

バレンボイムは、ピアニストとしても(クレンペラーの指揮)、そして弾き振りでも(ベルリン・フィルとの演奏)ベートーヴェンのピアノ協奏曲全集を録音しているが、ここではルービンシュタインの構えの大きいピアニズムに触発されたこともあり、持ち得る実力を存分に発揮した雄渾なスケールによる重厚にして渾身の名演奏を展開しているのが素晴らしい。

いずれにしても、本盤に収められたベートーヴェンのピアノ協奏曲第4番及び第5番「皇帝」の演奏は、いずれも両曲の演奏史上トップの座を争う至高の超名演と高く評価したい。

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2014年05月23日


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1997年6月、欧州楽旅中のシカゴ響ケルン公演のライヴ。

力感にあふれ、振幅の大きなバレンボイムの指揮のもと、シカゴ響がパワーを全開にした痛快なマーラー演奏。

マーラーの第5番のDVDとしてベスト3に入る。

映像、音質ともに非常に優秀で、スーパー軍団の演奏映像がたっぷり楽しめ、あらためてシカゴ響の凄さが実感できる内容となっている。

シカゴ響だけにパワフルなのは間違いないが、その中に繊細さも溢れていて、何回聴いても聴き飽きることがなく、ライヴの緊張感もあり最高の出来映えと言ってもよかろう。

ショルティ時代とはまた違ったシカゴ響サウンド、名プレーヤーの面々が見られる非常に楽しめるすばらしいディスクである。

トランペットのハーセス、ホルンのクレヴェンジャー、トロンボーンのフリードマン、この三羽烏が当時もなお凄まじいプレーヤーである事が証明されている。

バレンボイムはベルリン・フィルとは幾多のDVDが有るものの、音楽監督を務めたシカゴ響との映像記録は非常に少ない。

日本では、バレンボイムはあまりいい評価がなされていないが、これを聴いてみるとどれだけすばらしい指揮者であるか理解できると思う。

その意味において、これは極めて貴重な作品といえる。

音質・画質ともに優秀だが、確かにこのDVDのシカゴ響はトータルとして素晴らしいと思う。

でもシカゴ響ならショルティが振った場合の凄絶な印象(1970年盤のSACDは強烈すぎる)に比べるともう一つ。

とはいえ、前記のようにすばらしい映像作品としては文句のつけようがないもので、十分推薦に値する。

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2014年04月19日


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本盤には、多発性硬化症という不治の病を患い、若くしてその活動に終止符を打たざるを得なかった悲劇のチェリストであるデュ・プレが、夫でもあったバレンボイムとともに組んで演奏したシューマンのチェロ協奏曲とサン=サーンスのチェロ協奏曲第1番が収められている。

いずれも圧倒的な超名演だ。

このような演奏こそは、まさに歴史的な超名演と言っても過言ではあるまい。

それは、デュ・プレによる渾身の気迫溢れる力強い演奏によるところが大きい。

本演奏は1968年のものであるが、これはデュ・プレが不治の病を発症する直前の演奏でもある。

デュ・プレが自らをこれから襲うことになる悲劇的な運命を予知していたのかは定かではないが、本演奏には何かに取り憑かれたような底知れぬ情念や慟哭のようなものさえ感じさせると言えるだろう。

いや、むしろ、我々聴き手が、デュ・プレをその後襲った悲劇を思って、より一層の深い感動を覚えるのかもしれない。

それにしても、本演奏における切れば血が出てくるような圧倒的な生命力と、女流チェリスト離れした力感、そして雄渾なスケールの豪演は、我々聴き手の肺腑を打つのに十分な迫力を誇っており、このような命がけの体当たりの大熱演を繰り広げていたデュ・プレのあまりにも早すぎる死を惜しむ聴き手は筆者だけではあるまい。

それでいて、特に、シューマンの最晩年の傑作であるチェロ協奏曲において顕著であるが、人生への諦観や寂寥感、深遠な抒情の表現においてもいささかの不足はないと言えるところであり、その奥深い情感がこもった美しさの極みとも言える演奏は、涙なしには聴くことができないほどのものだ。

かかるデュ・プレの驚異的なチェロを力強くサポートした、当時の夫であるバレンボイムとニュー・フィルハーモニア管弦楽団も、最高のパフォーマンスを発揮している点を高く評価したい。

音質は、従来CD盤があまり冴えない音質で大いに問題があったが、数年前にHQCD化されたことによって、格段に音質が鮮明になるとともに、音場が幅広くなった。

しかしながら、今般、ついに待望のSACD化が行われることによって大変驚いた。

従来CD盤やHQCD盤とは次元が異なる見違えるような、そして1960年代のスタジオ録音とは到底信じられないような鮮明な音質に生まれ変わった。

デュ・プレのチェロ演奏の弓使いまで鮮明に再現されるのは殆ど驚異的であり、あらためてSACDの潜在能力の高さを思い知った次第だ。

いずれにしても、デュ・プレ、そしてバレンボイム&ニュー・フィルハーモニア管弦楽団による圧倒的な超名演を、SACDによる高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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2014年02月21日


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現代を代表するワーグナー指揮者バレンボイムの能力がフルに生かされた名演といえよう。

ワーグナー指揮者としてすっかり名声を確立した感のあるバレンボイムだが、彼が主要十作品のうちもっとも古くから指揮してきたのが《トリスタンとイゾルデ》である。

この音楽がもつ大きなうねり、そこから生まれる陶酔感をこれほど大胆に表現できる指揮者は現役では他に見当たらない。

それは彼が幼い頃から敬愛するフルトヴェングラーの精神を現代に受け継ぐものといえるだろう。

フルトヴェングラーを心から尊敬するというバレンボイムは、その精神を受け継ぎ、きわめてスケールが大きく、しかも現代的な精密さをあわせもった音楽を聴かせる。

フルトヴェングラーを忘れさせる、というほどでなくても、ここにはまぎれもなく現代の《トリスタン》が響いている。

ベルリン・フィルもそうした指揮者の要求に的確に反応し、オペラで普段演奏するオーケストラとは一味違った、いつになく熱気に満ちあふれた、精妙かつ熱い音楽を奏でている。

第1幕の幕切れ、第2幕の愛の二重唱など、これこそワーグナーを聴く醍醐味という印象。

イゾルデのマイヤーは、まだソプラノに転向した直後で、まだソプラノの役に挑んで日が浅かったため、今の彼女ほどの水準の素晴らしさはないとはいえ、その豊かな艶をたたえた深々とした声はきわめて魅力的。

トリスタンのイェルザレムも彼の最良の歌唱を聴かせている。

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2013年12月05日


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全部で21曲収録されていたバレンボイムによるショパンの夜想曲全集から、最も人気のある13曲を抜き出して選集としたもの。

イギリスの作曲家フィールドに影響されて作曲したと伝えられるショパンの夜想曲は、彼の諸作品のなかでもきわめてロマンティックな曲が数多く含まれている。

ショパンは生涯に20数曲の夜想曲を作曲したが、このアルバムでは映画に使用されて有名になった甘美な第2番を始め、人気の高い作品が新たに選曲されている。

指揮者としても縦横無尽の活躍を続けるバレンボイムの、ピアニストとしての活動を如実に示す1枚。

よくいえば清潔で醒めた演奏だが、受け取り方によってはやや魅力の少ないショパンにも聴こえる。

ショパンのロマン的な一面を過度に強調しがちだった古い世代のスタイルに対する反省があるからだろうか。

感情過多な表現を抑制したクールな語り口で、透明で美しいショパンを作り出している。

決して規範を踏み外さないクールなショパンである。

指揮者であることも関係するのだろう、曲をすっかり手の内に入れて、余裕をもって音楽を聴き手に届ける。

決して攻撃的にならず、聴かせどころを外さず、1曲ごとの物語を豊かに紡ぐ。

決して技術が曲想をはみ出すことがなく、夜想曲集はバレンボイムのピアニズムに合っている。

仕事で疲れた頭や耳を静かに巧みに癒してくれる感じで、聴いていると、自然にうっとりさせられる。

唯一の後悔は、輸入盤で手に入る全曲盤を買うべきだったか、ということ。

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この盤に収録された2曲の協奏曲は、どちらも1785年から1786年に作曲された、モーツァルト円熟期の作品。

自作の弦楽四重奏曲をハイドンに献呈したり、『フィガロの結婚』を作曲したり、と充実した活動を行っていた時期で、この2曲も流麗なピアノ・パートと豊かな楽想、そして起伏に富んだ構成を持つ素晴らしい出来となっている。

また両曲とも、第2楽章のゆっくりとした楽章が短調で書かれていて、「モーツァルトの憂愁」も存分に感じられる。

さて、バレンボイムとモーツァルトの相性の良さは誰もが知るところである。

イギリス室内管弦楽団、ベルリン・フィルハーモニーとの弾き振りの全集は、どちらも名演中の名演として評価されている。

1970年と言えば、バレンボイムがそろそろ指揮者としての地盤固めを始めた頃のものであるが、この演奏では、オーケストラの手綱をクーベリックに全面的に預け、実にのびのびとピアノを演奏するバレンボイムに出会うことができる。

このバレンボイムとクーベリックの演奏、比較的知名度の低い第22番の冒頭から、驚くほどの緊張感と華やかさを持って立ち現れる。

また両曲の特徴である、管楽器の絡み合いが実に見事で、バイエルン放送響の管楽群は特に優秀である。

フルート、ホルン、クラリネットなどがあちこちから顔をのぞかせ、ついついスコアを再確認したくなる面白さだ。

第2楽章の豊かな音響、そして第3楽章の中間部のうっとりとするような部分など、聴きどころは満載。

第23番も名演。

こちらは幅広く歌う第1楽章の第1主題(こちらも管楽器がすばらしい)、予想外にゆったりとしたピアノなど、こちらも聴きどころ満載。

既に、今までに数多くのモーツァルトを聴いてきた人も、この1枚はまた新たな発見をもって聴いてもらえると思う。

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先の来日で十数年振りにピアニストとしての公演を行い、平均律クラヴィーア曲集の全曲演奏という珍しいプログラムを敢行、大変な高評価を得たダニエル・バレンボイム。

2004年にリリースした第1巻と2005年の第2巻が、セットで発売されることになった。

バレンボイムは、規模が大きく並外れた深みが必要とされる作品で、特に真価を発揮するアーティストであり、この『平均律』でも驚異的な名演を聴かせている。
 
ここでバレンボイムがとったアプローチは、チェンバロ演奏とは大きく異なる、ピアノならではの特性を徹底的に生かした見事なもので、ペダルを駆使し、千変万化するタッチによって、たっぷりとしたスケールの中に深く美しく思索的に再現されるバッハの音楽には圧倒されるほかはない。

これほどまでにピアニスティックにこの作品を演奏したものもなかなかないと思う。

ただ、個人的にはこういう演奏も愉しめるが、これはバッハじゃないという意見も聞こえてきそうだ。

それ故、この演奏、かなり聴く人の好みが問われる演奏だろうと思う。

教科書的な演奏が好きな人には耐えられまいが、筆者は好きだ。

何よりもピアノというある意味単調な楽器から、バレンボイムが持てる技術を尽くして、多彩な表情、音色を引き出している点。

フーガが流れているという批判があったが、対位法を十分引き出しつつ、流れるように歌うこの演奏のどこが問題だというのだろうか。

ごつごつと弾かれるフーガよりも筆者にはよほど魅力的だ。

『平均律』にありがちなどれを聴いても単調に聴こえる感じではなくて押し寄せてくるような強弱の波がくる演奏が魅力的。

そんな中でも呼吸と同調するような心地良いリズムが飽きない良さであろうか。

まるでオーケストラが弾いているような多彩な表情を見せてくれるバッハだ。

バレンボイムの作品への深い尊敬と共感に満ちた素晴らしい演奏と言えるだろう。

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2013年10月01日


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本盤には、悲劇のチェリストであるデュ・プレが1967年にスタジオ録音したハイドンのチェロ協奏曲第1番と、ボッケリーニのチェロ協奏曲が収められている。

いずれも、デュ・プレならではの圧倒的な超名演だ。

デュ・プレは、得意のエルガーのチェロ協奏曲やドヴォルザークのチェロ協奏曲を演奏する時のみならず、どのような楽曲の演奏に臨むに際しても全力投球で、体当たりとも言うべき渾身の演奏を行ったと言えるところであるが、本演奏におけるデュ・プレによる渾身の気迫溢れる演奏の力強さについても、とても女流チェリストなどとは思えないような圧巻の凄まじさである。

本演奏の数年後には多発性硬化症という不治の難病を患い、2度とチェロを弾くことがかなわなくなるのであるが、デュ・プレのこのような壮絶とも言うべき凄みのあるチェロ演奏は、あたかも自らをこれから襲うことになる悲劇的な運命を予見しているかのような、何かに取り憑かれたような情念や慟哭のようなものさえ感じさせる。

もっとも、我々聴き手がそのような色眼鏡でデュ・プレのチェロ演奏を鑑賞しているという側面もあるとは思うが、いずれにしても、演奏のどこをとっても切れば血が出てくるような圧倒的な生命力に満ち溢れるとともに、女流チェリスト離れした強靭な力感に満ち、そして雄渾なスケールを伴った圧倒的な豪演は、我々聴き手の肺腑を打つのに十分である。

それでいて、両曲の緩徐楽章などにおける繊細にして情感の豊かな表現おいてもいささかの不足はないと言えるところであり、その奥深い情感がこもった美しさの極みとも言える演奏は、これからデュ・プレを襲うことになる悲劇が重ね合わせになり、涙なしには聴くことができないほどのものである。

デュ・プレのチェロ演奏のバックの指揮をつとめるのは、夫君のバレンボイムとその統率下にあったイギリス室内管弦楽団である。

バレンボイムは、モーツァルトのピアノ協奏曲などにおいても名コンビぶりを見せたイギリス室内管弦楽団を巧みにドライブして、気心の知れたデュ・プレのチェロ演奏のサポートをしっかりと行い、見事な名演を繰り広げているのが素晴らしい。

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本盤には、悲劇のチェリストであるデュ・プレが、夫君であるバレンボイムとともに1971年及び1972年に行った最後のスタジオ録音であるショパンのチェロ・ソナタと、フランクの有名なヴァイオリン・ソナタをチェロ用に編曲したチェロ・ソナタが収められている。

既に、多発性硬化症という不治の難病を発症したデュ・プレによる最後の録音でもあり、そうした点だけに絞って考えても歴史的な超名演と言える存在だ。

デュ・プレは、得意のエルガーのチェロ協奏曲やドヴォルザークのチェロ協奏曲を演奏する時のみならず、どのような楽曲の演奏に臨むに際しても全力投球で、体当たりとも言うべき渾身の演奏を行ったと言えるところであるが、本演奏におけるデュ・プレは、さすがに多発性硬化症を発症しただけあって、それまでのデュ・プレのような体当たりの渾身の演奏までは行っているとは言い難い。

しかしながら、内なる気迫という意味においては、いささかも引けを取っておらず、演奏全体に漲っている何とも言えない凄みは、とても女流チェリストなどによる演奏とは思えないほどである。

本演奏の後は、2度とチェロを弾くことがかなわなくなるのであるが、デュ・プレのこのような凄みのあるチェロ演奏は、今後の自らの悲劇的な運命を前にした、何かに取り憑かれたような情念や慟哭のようなものさえ感じさせる。

もっとも、我々聴き手がそのような色眼鏡でデュ・プレのチェロ演奏を鑑賞しているという側面もあるとは思うが、いずれにしても、本演奏全体に漲っている内なる気迫や凄み、そして雄渾なスケールを伴った圧倒的な演奏は、我々聴き手の肺腑を打つのに十分である。

それでいて、両曲には、人生の諦観を思わせるような寂寥感、深遠な抒情などが込められているが、デュ・プレは、そうした箇所における各旋律の繊細にして情感の豊かな表現おいてもいささかの不足はないと言えるところであり、その奥深い情感がこもった美しさの極みとも言える演奏は、これからデュ・プレを襲うことになる悲劇が重ね合わせになり、涙なしには聴くことができないほどのものである。

デュ・プレのチェロ演奏のバックのピアノ演奏をつとめるのは夫君であるバレンボイムであるが、本演奏においては、デュ・プレのチェロ演奏をしっかりと引きたてるとともに、一緒になって両曲の奥深い情感の世界を見事に描出するのに成功している点を評価したい。

音質については、1971年及び1972年のスタジオ録音であるが、従来CD盤は今一つ冴えない音質であったところだ。

しかしながら、今般、ついに待望のSACD化が行われることによって、見違えるような鮮明な音質に生まれ変わった。

デュ・プレのチェロ演奏の弓使いやバレンボイムのピアノタッチが鮮明に再現されるのは殆ど驚異的ですらある。

いずれにしても、デュ・プレ、そしてバレンボイムによる圧倒的な超名演を、SACDによる高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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2013年09月03日


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同時発売のワルシャワ・リサイタルと同様に、バレンボイムのDGへの移籍第1弾となったCDの登場だ。

本CDに収められた曲目は、生誕200年を記念したショパンのピアノ協奏曲第1番及び第2番である。

バレンボイムと言えば、ピアニストとしてはベートーヴェン弾きやモーツァルト弾きのイメージが強く、しかも近年では指揮者としての活動(それもドイツ音楽がレパートリーの中心)が目立っていることから、DGへの記念すべき再デビュー盤がショパンの楽曲であるというのは、ショパンイヤーであることに鑑みても、大変意外であるというのが正直なところであった。

確かに、本演奏で聴くショパンは、他のピアニストによる同曲の演奏とは一味もふた味も異なっている。

ある意味では、ベートーヴェン風の重厚なドイツ風のショパンと言えるところであり、一音一音を揺るぎない力強い打鍵で弾き抜いていくピアニズムは、あたかもベートーヴェンのピアノ協奏曲を弾いているような趣きがあると言っても過言ではあるまい。

それでいて、両曲の緩徐楽章における情感の豊かさは美しさの極みであり、表現力の桁外れの幅の広さは、さすがはバレンボイムである。

いずれにしても、本演奏はショパンのピアノ協奏曲の演奏としては異色の部類に入る演奏ではあるが、立派さにおいては比類がない演奏でもあり、ショパンの音楽を陳腐なサロン音楽と批判する者に対しては、強烈なアンチテーゼとなる演奏であるとも考えられる。

筆者としては、ショパンの音楽をベートーヴェンの音楽の次元にまで高めることに成功した素晴らしい名演と高く評価したい。

そして、バレンボイムの重厚なピアニズムをしっかりと下支えしているのが、気鋭の若手指揮者であるネルソンスと、バレンボイムの手兵でもあるシュターツカペレ・ベルリンによる名演奏だ。

このコンビによる爽快ささえ感じさせる演奏は、とかく重厚で重みのあるバレンボイムのピアノ演奏に、適度なあたたかみを与えていることを忘れてはならない。

録音も非常に鮮明な高音質であり、本演奏の価値を高めるのに大きく貢献している。

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2013年08月28日


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本盤には、悲劇のチェリストであるデュ・プレが、夫君であるバレンボイムとともに1967年から1968年にかけてスタジオ録音を行ったブラームスのチェロ・ソナタが収められている。

いずれも、デュ・プレならではの圧倒的な超名演だ。

デュ・プレは、得意のエルガーのチェロ協奏曲やドヴォルザークのチェロ協奏曲を演奏する時のみならず、どのような楽曲の演奏に臨むに際しても全力投球で、体当たりとも言うべき渾身の演奏を行ったと言えるところであるが、本演奏におけるデュ・プレによる渾身の気迫溢れる演奏の力強さについても、とても女流チェリストなどとは思えないような圧巻の凄まじさである。

本演奏の数年後には多発性硬化症という不治の難病を患い、2度とチェロを弾くことがかなわなくなるのであるが、デュ・プレのこのような壮絶とも言うべき凄みのあるチェロ演奏は、あたかも自らをこれから襲うことになる悲劇的な運命を予見しているかのような、何かに取り憑かれたような情念や慟哭のようなものさえ感じさせる。

もっとも、我々聴き手がそのような色眼鏡でデュ・プレのチェロ演奏を鑑賞しているという側面もあるとは思うが、いずれにしても、演奏のどこをとっても切れば血が出てくるような圧倒的な生命力に満ち溢れるとともに、女流チェリスト離れした強靭な力感に満ち、そして雄渾なスケールを伴った圧倒的な豪演は、我々聴き手の肺腑を打つのに十分である。

それでいて、両曲には、いかにもブラームスならではの人生の諦観を思わせるような寂寥感、深遠な抒情などが込められているが、デュ・プレは、そうした箇所における各旋律の繊細にして情感の豊かな表現おいてもいささかの不足はないと言えるところであり、その奥深い情感がこもった美しさの極みとも言える演奏は、これからデュ・プレを襲うことになる悲劇が重ね合わせになり、涙なしには聴くことができないほどのものである。

デュ・プレのチェロ演奏のバックのピアノ演奏をつとめるのは夫君であるバレンボイムであるが、本演奏においては、デュ・プレのチェロ演奏をしっかりと引きたてるとともに、一緒になってブラームスの奥深い情感の世界を見事に描出するのに成功している点を評価したい。

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2013年08月21日


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同時発売のショパンのピアノ協奏曲第1番及び第2番と同様に、バレンボイムのDGへの移籍第1弾となるCDの登場だ。

本盤には、ショパンの幻想曲やピアノ・ソナタ第2番を軸として、ポロネーズ「英雄」や子犬のワルツ、舟歌と言った有名な小品が収録されている。

これらの演奏は、いずれも、ショパン生誕200年を記念してワルシャワで行われたコンサートのライヴ録音であり、このコンサートは、バレンボイム自身の演奏活動60年を記念するものでもあったとのことだ。

バレンボイムは、近年では指揮者としての活動が中心であり、ピアニストとしても、ベートーヴェンやモーツァルトなどの独墺系の作品をレパートリーの中心に掲げてきている。

したがって、バレンボイムのショパンというのはピンと来ないというのが正直なところであるが、前述のような記念となるコンサートの曲目としてショパンを選んだところに、バレンボイムのショパンへの深い理解と愛着を感じることが可能だ。

それにしても、バレンボイムのピアニズムは重厚で彫りが深い。

あたかも、ベートーヴェンのピアノ・ソナタに接するのと同様のアプローチで、ショパンに接していると言えるだろう。

したがって、ショパンのピアノ曲に特有の愉悦やユーモアと言った側面にはいささか欠けると言わざるを得ないが、各楽曲の本質に潜んでいる寂寥感や人生への絶望感などに切り込んで行く鋭さには無類のものがあり、いわゆる音楽の内容の根底にある精神的な深みの追求に関しては、他のピアニストの追随を許さないような奥深さがある。

かかる演奏は、ショパンの音楽を陳腐なサロン音楽と見做す考え方に対する強烈なアンチテーゼとさえ言えるだろう。

このような重いショパンは願い下げという聴き手もいるとは思うが、筆者としては、ショパンの音楽を、それこそベートーヴェンの音楽の高踏的な次元にまで引き上げることに成功した素晴らしい名演と高く評価したい。

録音も鮮明な高音質であり、本名演の価値を高めるのに大きく貢献しているのを忘れてはならない。

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2013年04月13日


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海外のマーラー・ファンにも大受けだった前作の第7番『夜の歌』に続いて第9番が登場。

この作品は、近年バレンボイムが各国で集中的に取り上げていた作品だけに、第7番をさらに上回る見事な演奏となった。

バレンボイムのここでのアプローチは実にホットなもので、少し前に出た癒し系でソフトなシノーポリ盤とは、テンポ設定や、音質、楽器配置など、いろいろな意味で対照的な演奏となっている。

とにかく実演の興奮の伝わる迫力満点の仕上がりとなっており、第2ヴァイオリンを右側に置いた対向配置ならではの立体的な音響効果もあって、作品の対位法的な魅力や和声構造の面白さを如実に分からせてくれるのが嬉しいところであるが、やはり凄いのはそのドラマティックでテンションの高い音楽づくりであろう。

第1楽章ではその激しい盛り上がりに驚かされるが、一方では、重要な意味合いを持つ室内楽的な部分も大変に充実している。

シュターツカペレ・ベルリンの面々は、どこをとっても深い共感を感じさせる心のこもった演奏を行なっていてとても魅力的。

第2楽章も通常のひなびた演奏とは大きく異なる過激なレントラーぶりが面白く、アクセント強調などによって高められたコントラストもたいへんに効果的。

マーラーが最後まで順番設定に悩んだという並列的なエピソードを、とにかく飽かせず聴かせる見事な演奏である。

第3楽章はさらに強烈で、マーラーがこの楽章に込めた現世への激しい苦悩と彼岸への憧憬、そしてもはや甘美に思い起こすことさえできなくなったノスタルジー、といった諸要素をバレンボイムは荒々しいまでにがむしゃらに突進して表現し、なおかつ各パートをそれぞれ主張させ、複雑で立体的で峻烈なテクスチュア造形を行なった刺激的な音楽として聴かせてくれる。

続く第4楽章も聴きもの。

ここではきわめて濃厚な情念が示されているが、しかしそれは通常よく聴かれる感傷的で平坦なものでは決してなく、うなりをあげるコントラバスに象徴されるように、大きく波打つホットな音楽が志向されているのだ。

コーダ(19:11-)ではもちろん澄んだ美しさが支配的だが、そこに至るまでの道のりでは、バレンボイム指揮するシュターツカペレ・ベルリンの場合、生々しい情感と激しい葛藤や相克が強く表されており、改めて作品本来の姿を示してくれた演奏として、軽い疲労感さえ伴うほどの深い感動を与えてくれる。

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2013年02月24日


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今もなお追慕される夭折の天才デュ・プレが遺した溌剌としたベートーヴェン。

25歳のデュ・プレが1970年のエディンバラ国際音楽祭で遺した奇跡のライヴ録音である。

夫にして最高の理解者であるバレンボイムの慈しむような伴奏との対話を通じて、デュ・プレの天賦の才が溌剌と溢れ出て、純度の高い感動が沸き上がるヴィヴィッドな名演が展開されている。

ベートーヴェンのチェロ・ソナタ全集には、世評では、ロストロポーヴィチ&リヒテル盤と、フルニエ&ケンプ盤が双璧の名演と言われ、これまで多くの評論家の間で、両盤の優劣について様々な批評の応酬がなされてきた。

確かに、両名演は素晴らしい。

どちらの名演にもそれぞれ素晴らしい点があり、筆者としても、どちらかに軍配を上げるということははっきり言って不可能だ。

それ以外にも様々な名演があるが、やはり、この両盤に敵うものではないといったところではないだろうか。

本盤は、録音がこの当時のものとしては悪いという難点はあるが、演奏内容だけをとれば、この両盤に何とか対抗し得るだけの名演と評価できるのではないかと考えている。

それは、デュ・プレの命懸けの気迫溢れる演奏によるところが大きい。

デュ・プレが、悪魔のような病を発症する直前の演奏であることもあり、何かに取り憑かれたような底知れぬ情念のようなものを感じさせる。

こうしたデュ・プレの驚異的なチェロを力強くサポートした、当時の夫であるバレンボイムも、重量感溢れる力強い演奏を行っている。

そして、その後の、デュ・プレの悲劇を思うと、演奏以上の感動を覚えるのも、筆者だけではないと考える。

ここにはもはやベートーヴェンすら存在せず、ひたすらアンサンブルの愉悦だけが存在しているのだと思わされる、悲しくも素晴らしいデュ・プレの遺産である。

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2012年12月12日


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驚天動地の素晴らしい高音質だ。

ユニバーサルがSACDから撤退して久しいし、最近ではSACDの提唱者であったソニーまでが、Blu-spec-CDでお茶を濁そうという悲しい状況にあり、ネット配信が急速に普及する中で、このままではCDは絶滅に向かって只管突き進んでいくのではないかという危惧を抱いていた。

このような中で、ユニバーサルがSACDの発売を再開したというのは、非常にインパクトのある快挙であると言える。

ハイブリッドではなく、シングルレイヤーによる発売であるというのも、CDをできるだけ鮮明な音質で鑑賞したい心ある真摯な聴き手を大事にするという、メーカーの姿勢がうかがえて大変うれしいことだと思う。

本盤のメインのサン=サーンスの交響曲第3番は、オルガンやピアノが導入される大編成の楽曲だけに、SACD&SHM−CD化による威力は目覚ましい。

第1楽章の第2部や第2楽章第1部のオルガンやピアノとオーケストラの各楽器の分離の良さは、これまでのCDでは聴けなかったような鮮明さだ。

第2楽章第2部のオルガンのド迫力は、音が割れることなく、ずしりとした重心の低い重量感溢れる音が鳴り切っており、終結部の大編成のオーケストラによる最強奏の箇所も、各楽器が見事に分離しているのには正直驚いた。

その他の併録作品も見事な音質であるが、特に、『死の舞踏』のソロ・ヴァイオリンの艶やかな響き方には唖然とした。

さて、肝心の演奏内容であるが、『オルガン付き』は、録音当時まだ33歳だった若き日のバレンボイムならではの果敢な表現意欲に驚かされる渾身の名演と言える。

清浄なアダージョ部分にさえ張り詰めた気迫を感じさせるアプローチは常に緊張感にあふれ、それだけに終楽章で一気に解放される爆発的な高揚が比類がなく、シャルトル大聖堂で別収録されたオルガンの荘厳なサウンドと相まって輝かしい効果を上げている。

シカゴ響の強大なパワーには心底驚かされるが、背景にあるのはやはり当時のバレンボイムならではの劇的なものや壮大なものへの希求の強さにあるとみるべきであろう。

カップリングは、人気曲『バッカナール』と、『ノアの洪水』の前奏曲、『死の舞踏』というもので、こちらはパリ管の色彩豊かな響きが楽しめる内容となっている。

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2012年09月25日


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夫君バレンボイムとの共演は、デュ・プレが病気のために演奏活動を停止する3年前のライヴ盤。

ちょうど病が発症しはじめたころの1971年の録音で、真の病名をまだ知らずにいた彼女の豪快でスケールの大きな演奏が堪能できる。

当エルガー作曲のチェロ協奏曲のディスクに聴く独奏者デュ・プレの演奏の雄弁さには、なにやら尋常ならざるようなものが感じられる。

チェロという楽器ならではの線の太い表現力から、触れれば直ぐにでも崩れてしまいかねないデリケートな要素に至るまで、彼女のチェロがカヴァーしている領域はたいそう振幅が大きい。

ただ黙してついていくだけでもたいへんである。

デュ・プレのエルガーはまず音色が深々として格調が高く、その抒情的な部分の奥深さ、瞑想的な美しさは、ちょっと他の演奏家からは求められないものだ。

第1楽章からデュ・プレのチェロが鬼気迫るばかりで、粘りのある生々しい音と情感、暗く激しい心の表出など、実に味が濃い。

第2楽章の自在なリズム、間の良さ、ラルガメンテの見事さ、第3楽章の神さびた冒頭からフレーズをたっぷりとって真実の声を響かせてゆくまでの過程の素晴らしさ。

エルガーのチェロ協奏曲はまるでデュ・プレのために作曲されたかのようで、エルガーの音楽に必要ないくつかの独自の美学に対しても、彼女の対応のしかたには余裕があり、隙がない。

加えて、ここでは指揮者バレンボイムが独奏者を支える最適な伴奏をしていることも見逃せないだろう。

カップリングの「エニグマ変奏曲」も音楽の意味や美しさを過不足なく表出している。

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2012年07月01日


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これは素晴らしい名演だ。

現代を代表する最高のピアニストの1人でもあるバレンボイムが、リスト生誕200年を記念して満を持して臨むリストのピアノ協奏曲第1番及び第2番の録音であり、それだけにその覚悟と自信のほどを伺い知ることが可能な圧倒的な名演に仕上がっている。

何よりも、バレンボイムの音楽の構えが極めて大きい。

そしてその骨太の音楽づくりは、演奏をスケール雄大なものにするのに大きく貢献している。

超絶的なテクニックにおいてもいささかも不足はないところであるが、それでいて巧過ぎるなどといったいわゆる技巧臭を感じさせないのが何より素晴らしい。

強靭で叩きつけるような打鍵は圧倒的な迫力を誇っていると言えるし、他方、繊細な抒情的表現においても申し分がないものがあり、その表現力の桁外れの幅の広さには唖然とさせられるほどだ。

このように、スケールの雄大さ、技巧臭をいささかも感じさせない内容の豊かさ、そして表現力の幅の広さなどを駆使した結果、とかく技量一辺倒で薄味な演奏が多いリストのピアノ協奏曲を極めて内容豊かで奥深いものに昇華させ、殆どベートーヴェンのピアノ協奏曲の域にまで引き上げているのに成功したと言っても過言ではあるまい。

いずれにしても、バレンボイムによる本演奏は、リストのピアノ協奏曲のあらゆる演奏の中でも、最も奥深い内容を有した至高の名演奏と言ってもいいのではないだろうか。

このような圧倒的で彫りの深いバレンボイムのピアノを下支えしているのが、ブーレーズ&シュターツカペレ・ベルリンによる名演奏である。

徹底したスコアリーディングに基づいて、楽想を精緻に描き出していくというブーレーズならではのアプローチは本演奏においても健在である。

バレンボイムの彫りの深いピアニズムに触発された点も多分にあるとは思われるが、かつてのブーレーズの演奏に顕著であった冷徹さは薬にしたくもなく、むしろ各フレーズの端々からは豊かな情感が滲み出してきているところであり、演奏全体に独特の潤いと温もりを付加するのに大きく貢献しているのを忘れてはならない。

アンコールとして収められたコンソレーション第3番や忘れられたワルツ第1番も、バレンボイムならではの雄渾なスケールと重厚さ、そして奥行きのある彫りの深さを感じさせる素晴らしい名演だ。

音質は、ピアノ演奏と相性が良いSHM−CD盤であることもあって、バレンボイムのピアノ・タッチが実に鮮明に捉えられており、素晴らしい鮮明な高音質である。

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2011年12月02日


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「ゴルトベルク」と「ディアベッリ」。それはバッハとベートーヴェンという音楽史上比類なき2人の巨星が有した広大な音楽宇宙が、「変奏曲」という形式を得て究極の結晶となった傑作である。

ピアニストとして指揮者として、比類なき創造活動を続ける天才バレンボイムの天与の即興性と直感力が、深淵で並外れた規模と内容をもつ作品の魅力をぐいぐいと引き出しており、圧倒的な感銘を聴き手に与える。

いずれも甲乙つけがたいが、筆者はどちらかというと「ゴルトベルク」の方に惹かれる。

1989年10月12日に、バレンボイムが、そのステージ・デビュー40周年を記念して、生まれ故郷のブエノスアイレスのコロン劇場で行った演奏会のライヴ録音である。

反復を行っているため演奏時間が長く(80分27秒)、「ディアベッリ」とのカップリングで2枚組となっている。

バレンボイムのピアノによるバッハは確かこれが初録音である。

25年にわたって「ゴルトベルク変奏曲」を研究してきたというバレンボイムだが、さすがに一家言以上のものをそなえた、傾聴せざるを得ない演奏だ。

"ピアノならでは"の演奏も彼らしく、例えば第7変奏では右手と左手の音量バランスを自在に操って聴かせどころを作り、他にも漸強、漸弱の効果を多用している。

各変奏間のつながりにも配慮を見せ、人間のぬくもりを伴ったピアニズムの明快さが一貫して伝わってくるのはさすがである。

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2011年10月26日


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まだ30代だったバレンボイムがセッション録音で完成した交響曲全集。

1972年の第4番に始まり、1981年の第2番で終了したこの全集は、当時、破竹の勢いだったバレンボイムが、ショルティのもと第2の黄金時代を迎えていたシカゴ交響楽団を指揮して取り組んだ大力作。

シカゴ響の高度な機能とマッシヴなサウンドを活かしながらも、フルトヴェングラー研究の成果が随所に聴かれる個性的かつ迫力満点の演奏に仕上がっている。

フルトヴェングラーに私淑するバレンボイムらしく、ロマン的で濃厚な味わいが特徴的なブルックナー演奏となっており、シカゴ響の高度な力量が遺憾なく発揮された、輝かしさと重厚さを併せ持つサウンドが実に魅力的。

ブルックナーにおけるドラマティックで重厚な演奏がドイツで高く評価されるバレンボイム。

現在、ドイツでは、当たったときのコンサートの感銘深さでは最高の指揮者の一人と目されているバレンボイムだが、中でもブルックナーやベートーヴェン、マーラーでの劇的な音楽の素晴らしさには定評があり、先日おこなわれたブルックナー第5番でのティンパニの皮が破れるほどの力演は大きな話題となった。

細部の少々の破綻などは気にせず、音楽全体のドラマティックな進行を重視したスタイルは現在のバレンボイムにも通じるが、ここでの演奏には、思い切りの良い音の勢いがあり、それがオケの起爆力の凄さと相まって率直な力感につながっているのが気持ち良いところ。

特に第5番と第9番の劇的な迫力は特筆ものの仕上がりとなっている。

カップリングとして、有名な『テ・デウム』のほかに、名前は知られているものの実際にはあまり聴かれない『ヘルゴラント』、『詩篇第150番』が収録されているのも朗報。

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2011年05月17日


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このバレンボイム、イギリス室内管によるドヴォルザークの「弦セレ」は、心のこもった演奏なので、好きである。

もしかすると「古臭い感じがする」とか「野暮ったい」と言われかねないほどの演奏なのだが、良いものは良いとしか言いようがない。

第1楽章はじつに温かい響きで始まるが、すぐにファースト・ヴァイオリンにポルタメント(意図的な音のずり上げ)すら現れる。

戦前のオーケストラならいざ知らず、1970年代の録音でポルタメントとは珍しいと思うのだが、それが陳腐ではなく感動に結びついているところに、この演奏の凄さがある。

しかも再現部の同じ箇所でも、やはり同様のポルタメントがかかるので、これはもう確信犯である。

室内管弦楽団でありながらフルオケのような分厚い響きで歌い上げていくのも、素晴らしいと思う。

第2楽章主部の憧れを感じさせる表現と、トリオのしみじみとした情感の対比はじつに鮮やか。

そして活き活きとした感動が直接伝わってくるスケルツォにおいて、最後の部分は、ちょっとテンポを落とすことによって夕映えの情景にしてしまう、心憎いばかりの表現だ。

第4楽章はまさに「夜の音楽」である。

最初はすーっと流しながら、しだいに熱い情感がこみ上げてくるところなど、じつにみごと。

聴き手はきっと、追憶の世界に引き入れられてしまうに違いない。

しかしそんな夢を吹き飛ばすようなパリッとしたフィナーレの熱狂、そして第1楽章の回想の懐かしさ、さらにプレスト鮮やかな締めくくりと、この演奏は最後まで聴き手を捉えて離さないのである。

カップリングされているチャイコフスキーの「弦セレ」も素晴らしいが、より感動的なのはこのドヴォルザークだと思う。

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2011年02月10日


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クプファー演出の《指環》を映像収録した際に、あわせて録られたサウンド・トラック的な録音。

《ラインの黄金》のみ1991年、他3作は1992年のバイロイト音楽祭でのライヴ。

私自身がこれまでにいちばん大きな感銘を受けた《指環》は、バイロイトで1988年から1992年まで続いたバレンボイムの指揮によるものである。

バレンボイム独自のグラマラスな音楽作りと、現代的な機能美の混在した演奏として、たいへん聴きごたえがある。

ベーム時代のバイロイトと比べると近年は歌手が小粒になり、ワーグナー特有のアクは希薄になった印象は否めない。

また、指揮者も独自の個性を主張するあまり、ワーグナー本来の姿を見失いがちな傾向が見られる。

そうしたなかで、ワーグナーを聴いた充実感をもっとも感じさせてくれたのが、バレンボイムの《指環》だった。

バレンボイムは強者ぞろいのバイロイトのオーケストラを緩急自在に操り、スケールの大きな音楽を作り出している。

歌手陣も、作品を味わうのに過不足のない水準を示している。

アン・エヴァンスのブリュンヒルデなど、一部に弱いキャストはあるものの、配役は録音当時望み得るベストに近い。

クプファーの演出意図にそったバレンボイムの指揮も、後へ行くほど深く曲の内面に踏み込み、後半の見せ場の数々では、CDに残されたフルトヴェングラーの歴史的名演にも迫る。

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2010年10月09日


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一部の曲を除いて技巧的に難しくないため、アマチュアによっても愛奏され続けている「無言歌」であるが、多彩な内容を的確に表現するためには、玄人の芸が必要であることも確かである。

現在入手できる「無言歌集」全曲盤はいくつかあるが、一般に名演盤として推せるのは、ダニエル・バレンボイムがかつて録音したLP盤のCD復刻であろう。

ロマン主義者のバレンボイムが若き日に残した個性あふれる名演である。

30余年前の録音だが、音の古さはなく、30歳を出たばかりだったバレンボイムも、すでに充分成熟した、精度の高い演奏ぶりを聴かせている。

もともと豊かな情感を秘めたロマン主義者の側面をもつバレンボイムは、ここでもメンデルスゾーンの優しく甘美な歌を、ふさわしく歌わせている。

若い時分から"自分の歌"を聴かせねば気の済まぬタイプの演奏家であったから、ときには多少、癖が強いかな?と思わせるが、さすがに分は心得ており、身勝手に流れることはない。

曲それぞれをくっきりと彫り上げ、曖昧さを残すところがないのも、名指揮者らしい。

若さゆえか、やや抒情的な深さには欠けるが、きわめて洗練されたタッチで、やわらかなニュアンスを表出している。

多忙の彼に、この曲集の再録音は望めず、当分これがベストであろう。

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2010年09月04日


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1990年代にバレンボイムは全曲盤を次々に録音していたが、それとは別に管弦楽曲集を作ったというのは面白い。しかもシカゴ交響楽団で。

オペラの全曲はベルリン・フィルだったりバイロイトだったりするのだけれど、オペラはオペラ、オーケストラ曲はオーケストラ曲ということなのであろう。

ある意味で、カラヤンがベルリン・フィルで録音した管弦楽曲集が、1970年代に当時のオーケストラ演奏の最も進んだのものひとつを聴かせたということになると、バレンボイムは1990年代にシカゴ交響楽団という楽器を使ってそういうことをやったのかなという気がする。

バレンボイムは、パリ管時代にもワーグナーにかなり強い志向をみせていたが、シカゴ交響楽団という、より適性の強い機能を手中にして、見事なワーグナーの音を作り出すことに成功している。

アンサンブルの精度の高さと音色的な配分のよさもさすがであり、音楽・音響ともに楽しめる1枚だ。

バレンボイムは、オペラにおいても確実に注目すべき業績を重ねているし、ワーグナーの表現においては、いわば天性とも思えるような強靭な力を発揮してきている。

このシカゴ交響楽団との「序曲・前奏曲集」も、それを物語るものの一つといってよいであろう。

きわめてよく知られた音楽ばかりであるが、それらが誰にも納得のいく世界を示しているのと同時に、他のいかなる追随も許さぬほど新鮮で強烈なものとなっている。

それは、バレンボイムのあらゆる音楽的希求に対して、オーケストラが不可能という文字を知らぬほど完璧に対応しえているからでもあろうが、この種のレパートリーとしては、まさに最上の1枚といっても過言ではない。

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2010年08月31日


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バレンボイムは1970年代から80年代にかけてシカゴ交響楽団と全集を録音し、さらに1990年代にベルリン・フィルと2度目の全集を完成するなどブルックナーへの傾倒は並々ならぬものがある。

全体にきわめて積極性に富んだ表現で、感覚的にもみずみずしく、ベルリン・フィルの演奏もブルックナー独自の響きを着実に表現している。

第4番はバレンボイムの再録音のブルックナーでも注目すべき表現である。

ハース版を基本としながらも、それにとらわれず、演奏はブルックナーの古典主義を摘出したような解釈といえる。

その造形は端正で、決然とした力感と芳醇な歌にみちており、高潮と起伏の自然さも特筆に値する。

すべての角度から見て円熟の表現である。

バレンボイムには特有のアゴーギクがあり、そのテンポはときとして大きなうねりのように緩急をつける。

やや大時代がかった表情もあるが、第2楽章の、悲劇を思わせるような音楽表情は感動的だ。

ホルンが活躍するスケルツォ楽章の強弱法も聴きどころ。

第7番もバレンボイムの成熟ぶりをはっきりと示す演奏のひとつで、格段にスケールが大きい。

何よりもテンポがよく、デュナーミクも妥当、楽想が明晰である。

そこにロマン的な情緒があらわされ、その豊麗さと柔軟性で聴き手を説得する。

それでいながら、この作曲家の様式を客観的に把握した印象をあたえるのもバレンボイムらしい。

各種の楽譜を混用した演奏で、バレンボイムは第2楽章でノヴァーク版のシンバル他の打楽器を追加しているほか、ハースやレートリヒ版も部分的に採用しながら、ベルリン・フィルの高度な機能性を見事に生かしたスケールの大きな演奏を展開している。

第2楽章はフルトヴェングラーに代表される崇高なまでの神秘性には及ばないとはいえ、淀みのない音楽の自然な流れと、彫りの深い響きによる精彩あふれる表現は素晴らしい。

他の交響曲も純音楽的なブルックナーとして評価したい。

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2010年08月30日


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バレンボイムはピアニストとしてクレンペラーと、指揮者としてルービンシュタインとともにベートーヴェンのピアノ協奏曲全集を完成したのち、いわゆる弾き振りでこの全集を録音した。

そのためだろうか、ここでは彼が作品の隅々まで実に知り尽くしていることがわかる。

バレンボイムは、その語り口のうまさと感興ゆたかに変化に富んだ表現で聴き手を放さない。

ソロと指揮者を兼任するメリットをフルに生かしたきわめて緻密な音楽づくりがなされ、しかも即興的な味わいにも富み、型にはまることがない。

ベルリン・フィルの響きも見事だし、バレンボイムの音楽家としての格の大きさを存分に示した演奏といってよいだろう。

第3番は作品を読み切った上で己の感興を見事に生かし、コントロールして、作品の本来の姿と演奏の生命力をまったく無理なく一つにしている。

第4番は全篇落ち着きはらった進行の中で、バレンボイムが自ら語り、自ら聴き入り、ベートーヴェンの心を完全に自分のものにしている。

第5番「皇帝」は壮麗壮大なグランド・マナーで、ヴィルトゥオーゾ的な弾き方は迫力満点だ。

叙情を際立たせた第4番、さらに第5番「皇帝」の作品にふさわしい雄大なスケールをたたえるとともに決して外面的に傾かないところも良い。

ベルリン・フィルを指揮しても決して声高になることなく、その懐の深さと柔軟さに感嘆させられる。

オーケストラの充実度も特筆すべきもので、バレンボイムが雄大なスケールの構築と迫力の中に優美な表情を加えた、見事な弾き振りを示している。

ベルリン・フィルの出来もバレンボイムに全幅の信頼を置いていることが窺われる申し分ないものだ。

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2010年08月23日


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バレンボイムが満を持して発表したブラームス全集。

ライヴで本領を発揮するバレンボイムらしく全体は熱気に満ちあふれ、骨太でうねるような音楽は彼が心から敬愛するフルトヴェングラーを思わせる。

しかし、それは決して表面的な模倣ではなく、バレンボイム自らの音楽語法に翻案し、現代的な意味付けがなされたものであるのは言うまでもない。

作品に真正面から立ち向かい、落ち着いたテンポでブラームスの音楽がもつさまざまな要素を余すところなく表現している。

第1番はバレンボイムのフルトヴェングラーへの傾倒ぶりが最も顕著にうかがえる演奏である。

フルトヴェングラーほど濃密ではないが、やや遅めのテンポで古典的な様式とロマン的な情感がバランスよく表現されているのが新鮮であり完成度も高い。

第2番でもバレンボイムの安定感のあるテンポと響きのバランスが素晴らしく、音楽の流れにまったく停滞感がない。

アンサンブルも精緻であり、とくに木管を埋没させないふくよかな響きの美しさは格別で、ロマン的な情感をみずみずしく表出している。

第3番でもバレンボイムは往年のフルトヴェングラーを思わせる遅めのテンポでルバートを巧みに用い、のびやかに旋律をうたわせている。

ふくよかな響きと引き締まった表現も素晴らしく、劇的な性格とロマン的な情感の対比なども明確で味わい豊かである。

第4番でバレンボイムはかなりアッチェレランドを多用しているが、フルトヴェングラーほどロマン的な情念は濃くなく端正に仕上げている。

緻密にコントロールされた美しい響きと流麗な表現が素晴らしく、後半の情熱的な高揚感とスケールの大きな表現も見事である。

また、ここで聴くシカゴ響の素晴らしさも特筆すべきもので、ショルティ時代の高い機能性を受け継いだバレンボイムは、それに響きの多彩さと柔軟性を加えることに成功している。

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2010年08月07日


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バレンボイムはベルリン・フィルとともに第2回目の全集収録を完成させたが、これは、バレンボイムが指揮者として初めて深い関係を持ったイギリス室内管弦楽団と共演して1967年から1974年にかけて録音した第1回目の全集録音。

バレンボイムの弾き振りによる全集。

彼は弾き振りをも得意としているようで、すでにベートーヴェンの協奏曲全集も録音したりしている。

ここに聴くバレンボイムのモーツァルトは、決して軽妙で流麗という性格ではないけれど、安定した打鍵でしっかりと弾かれており、独特のエネルギッシュな魅力を持っている。

全集だけに曲によって多少のバラツキもなくはないが、全体としてみれば、音色の多彩さや、緩急、強弱の幅を実に自在に扱いながら、表情に豊かな彩りと内省の深さがあり、非常に水準の高い演奏が展開されている。

再録音と比べると巨匠的な音楽の大きさには欠けるものの、手塩をかけて磨きをかけたことが窺われる演奏はどれをとっても惚れぼれとするばかり。

美しいタッチできわめて自然に旋律を歌いあげ、その音楽を等身大に描いた現代におけるモーツァルト演奏の一つの理想像を示したものといえよう。

思い切りの良いオーケストラ・コントロールもなかなか聴き応えがある。

現在では指揮者としての活躍がメインとなり、表現意欲が走るようになったバレンボイムだが、これはピアノと指揮の活動の比率がちょうどモーツァルトの協奏曲演奏にふさわしかった時に収録された記念碑的全集である。

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2010年04月21日


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この曲は、モーツァルトのピアノ協奏曲中で最後から3番目にあたるわけだが、その書法の充実ぶりとスケールの大きさで、このジャンルでのモーツァルトの創作の頂点を極めるものと言うことができる。

この曲のそうしたスケールの大きさ、壮麗さが見事に表出されているのは、若き日のバレンボイムが最晩年の巨匠クレンペラーと共演したディスクである。

この組み合わせで、スケールの大きな作品である第25番を選んで演奏したことが、まさに一期一会とも言うべき稀有な成果を挙げている。

クレンペラーの指揮によって、作品は筆舌に尽くしがたい深遠さと巨大さを獲得する。

そこに精妙にして情感に富んだバレンボイムの初々しいピアニズムが絡む。

クレンペラーの悠然たるテンポ、巨大で確固たる造形に身をまかせて、バレンボイムがみずみずしく、しかも表情豊かな演奏を聴かせる。

確かにこの協奏曲は、ハ長調で書かれた平明で壮大な曲ではあるが、実はしばしば短調に傾き、光と影の微妙な交錯を宿している。

バレンボイム/クレンペラーの演奏は、この曲の魅力であるそうした崇高な翳りと輝きの交錯を表現することにおいて最高である。

曲中でつねに重要な役割を果たす木管楽器の美しさも特筆すべきであろう。

クレンペラーの偉大さと若きバレンボイムの早熟な才能。まさに記念碑的名盤と言うにふさわしい。

モーツァルトの繊細な光と影の世界を偉大な造形のなかに現出させた、後世に語り継がれるべき至高の名演だ。

バレンボイムはこのあと、2度この曲を録音し、それらも素晴らしい演奏だが、最初の録音の印象があまりにも強すぎる。

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2010年04月16日


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ズーカーマンとパールマンは、イスラエル出身のヴァイオリニストとして双璧といわれているが、ズーカーマンのほうはとくに古典的な音楽にレパートリーの中心をおいているようである。

バレンボイムとは1970年代の前半にコンビを組み、協奏曲やソナタなどのレコーディングをおこなっている。

これは1974年の録音なので、ここにはこのふたりの生鮮ではつらつとした若さが感じられる。

ズーカーマンのヴァイオリンは、きわめて甘美な音色で、旋律をたっぷりと歌わせたロマンティックな演奏である。

バレンボイムのピアノも骨組みがしっかりとしていて、全体をきりりと引き締めている。

バレンボイムが、かなり知的な線からブラームスに迫っているのに対し、ズーカーマンのヴァイオリンは、純感覚的に歌っている。

その意味で、ズーカーマンの演奏は、美しく、流暢で若々しく、疑う余地もなく彼自身の音楽になっている。

それは「第1番」に最もよく現れており、「第2番」ではみずみずしくふくよかな表情が美しい。

そして、ピアノが見事に音楽を引き締めている。

ふたりの呼吸もぴったりだ。

とくに「第2番」の演奏は素晴らしい。

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2010年02月07日


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断片や未完の作品を除いて、第24番以降のヴァイオリン・ソナタ全16曲が収められたアルバム。

一聴してヴァイオリンとピアノの流麗な響きに耳を洗われる思いがする。

パールマンとバレンボイムの2人が、全ての曲にわたって実にこまやかな神経の行き届いた、それでいて随所に鋭い踏み込みのある表現を見せる。

パールマンとバレンボイムの心の通い合った絶妙のアンサンブルが、モーツァルトの作品の魅力を余すところなく引き出している。

それは単に豊かな情感のなかに溺れるのではなく、ここには時に支え合い、時には競い合うといった、真のアンサンブルの幸福な瞬間を聴くことができる。

その安定したリズム感は抜群だ。

どの曲においても、パールマンの艶やかで繊細さを持った音色と、豊かで歌心のある表情が冴え渡っており、モーツァルトの心を隅々まで照らし出して余すところがない。

そして何よりもバレンボイムのピアノが本当に雄弁なのには驚かされる。

そのちょっとした表情のつけかたが、いかにも粋でセンスがあり、言いたいことがすっきり浮かび上がる。

また、彼のピアノは抑制され、考えぬかれた繊細な表情のなかに音楽の陰影が見事に描かれている。

まさにバレンボイムが天性のピアニストであることを強く印象づける演奏だ。

なかでも第28番と第30番は聴きものである。

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2010年02月03日


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バレンボイムとシカゴ響の演奏は、金管楽器をはじめこの名人オーケストラの機能を存分に生かして、とても聴き映えがする。

しかも、自信にみちた表現を細部まで実になめらかに徹底させており、その表情の豊かさもバレンボイムならではのものである。

バレンボイムはシカゴ響の機能を思いのままに扱い、作品のヴィルトゥオーゾ的な表現に成功している。

「英雄の生涯」は入念な演出が見事。

各場面の計算が緻密で、平和なムードに包まれた「英雄の伴侶」から一転して、激しく力強い「英雄の戦場」に移る場面など、実にうまい。

ヴァイオリン・ソロのマガドも好演。

シカゴ響にとって「英雄の生涯」はライナー以来久しぶりの録音だが、バレンボイムは、この名人オーケストラの能力を存分に発揮させて、入念で変化にとんだ演奏を築いている。

「ティル」でも主人公のいたずらぶりを生き生きと活写し、特に金管の活躍する場面が素晴らしい。

「ドン・キホーテ」は主題と各変奏をキメ細かく表情豊かにまとめており、動画のように生き生きと描写している。

「ドン・ファン」も名人オーケストラの機能を十全に発揮させており、その壮麗で豪壮な音の洪水には圧倒されてしまう。

シカゴ響を意のままに動かし、バレンボイム独自のR.シュトラウスの世界をつくりあげている演奏である。

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2009年12月18日


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シューベルトやシューマンはたとえば《冬の旅》や《詩人の恋》などの連作歌曲集で、リートを物語的に展開する手法を編み出した。

それに対してヴォルフは《メーリケ歌曲集》や《アイヒェンドルフ歌曲集》《ゲーテ歌曲集》など、詩人別の歌曲集を編んだ。

彼がこれらの歌曲集で目指したのは、物語的な展開ではなく、これらの詩人たちの世界をプリズム的に分解し、そうすることでその全体像を万華鏡的に再構築することだった。

こうしてこれまで抒情に偏していたドイツ・リートは、彼に到って初めて人間の感情や心理を総合的にとらえる芸術となったのである。

そのためには詩人の世界のあらゆる側面に通じ、それをひびきで表現できなければならない。

ヴォルフはその総体性をくまなくとらえるために渾身の力を傾けた。

たいていのリート歌手は、ヴォルフのそうした多彩な総合性のうち、一、二のベクトルを拾い上げるのが精いっぱいというのが実情だ。

しかしF=ディースカウの『ヴォルフ歌曲全集』が姿をあらわしたとき、わたしたちは初めてその全体像を目のあたりにすることができるようになった。

とくに風刺やユーモアに満ちたリートの斬新な解釈と歌いぶりにかけては彼の右に出る者はいない。

バレンボイムの伴奏もそれに劣らず自由闊達で、ヴォルフの世界のあらゆるひだに敏捷にふれ、またF=ディースカウとの丁々発止のやりとりが実にスリリングで興奮させられる。

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2009年07月03日


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極めて自信たっぷりな、実に健康的な名演。

ラロはこの作品にみなぎる、明るくリズミカルな性格を強調した演奏で、開放的でエネルギッシュな表現である。

こうした色彩的で華やかな作品は、パールマンの肌にぴったりと合っているせいか、隅々にまで乗りに乗って演奏しているのが、なんとも快い。

特に第1楽章は優れており、ヴァイオリンの音として結晶化しきっていて、この楽器の種々相を最高のテクニックと音楽性で示してくれる。

バレンボイムの好サポートも見逃せない。オケから豊かな量感を引き出し、堂々とした厚みのある、スケールの大きな演奏を展開する。

特に舞曲調の終楽章は、このふたりの息の合ったかけあいが聴きものだ。

サン=サーンスも同様の好演だが、作風に合わせてパールマンの特質がやや制御されているのも極めて妥当だ。

音色の美しさはグリュミオーと同じだが、パールマンの演奏は、巧みな抑制をきかせながら、内からわきあがる情熱を力強く表出している。

第1楽章の暗く劇的な表現も見事だし、第2楽章の豊かな歌にあふれたバルカロールの歌わせ方も素敵だ。

バレンボイムの棒も、パールマンとの共演が多いだけに、息が合っている。

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2009年05月26日


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バレンボイムによるベートーヴェンのピアノ・ソナタ全集は、エンジェル盤に続いてこれが2度目。

ここで目立つのは、手際の良さ、語り口の巧妙さであり、これはバレンボイムの指揮者としての活動が長いことと関係があるのだろう。

やや軽い印象もあるが、初期の作品ではこれが良い方向に作用している。

晩年の作品になると、たとえば「ハンマークラヴィーア」など、書かれたテクチュアがいかに厚いものであろうとも、バレンボイムは透明感のある、薄く美しい響きで聴かせる。

最晩年のソナタの緩徐楽章でさえ、非常に抒情的である。

懐が深いというか、鷹揚というか、バレンボイムの弾き表わす音楽にはコセコセしたところがまったくない。

それでいて細部の魅力もきちっと押さえられた素晴らしい演奏である。

数年前のベルリンでのソナタ全曲演奏と同じに、余分なものを削ぎ取って〈固める〉のでなく、音の細胞一つずつを生かし〈解放する〉豊かさがよく出ている。

バレンボイムが弾いたベートーヴェンのソナタにはどれも、地平線のその先までを見通すような素晴らしい拡がりがある。

各々のパッセージやフレーズに相応しい響きやバランスを実に注意深く選びとっているが、それが部分強調や表面的な対比の興味に終わらず、楽章全体、曲全体に奉仕しているのが凄い。

現代ピアノの可能性を徹底して引き出しながら、それに悲鳴を上げたり、殴りつけるような衝撃とは無縁に、音楽そのものの威容を率直に余す所なく伝えている。

オペラも含めた指揮、室内楽演奏、歌曲でのピアノと、音楽のあらゆる分野から体得した音楽表現の理想と精髄が、ここに結晶した感じである。

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2009年05月25日


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実演に接したこともあり、バレンボイムのベートーヴェン全集と真正面から向き合い、大きな感銘を受けた。

ここでのパートナーは、手兵のベルリン国立歌劇場管弦楽団であるが、現在このオーケストラは世界を席巻するグローバル化の波に逆らうかように、ドイツ中心主義を貫いているらしい。

確かにここに聴く音は、シカゴ響のような馬力もベルリン・フィルのような多彩な表現力もないけれど、ひとつの統一のとれた渋い「ドイツの音」だ。

まさに「失われた音の復活」と言っても良いかも知れない。

なぜならカラヤンの就任以降、ベルリン・フィルがインターナショナルなオーケストラへと変貌し、アバドによってさらにドイツ的な重量感さえ奪われてしまっているからである(さらには、ラトルがドイツ的な重厚さを標榜するとも思えない…)。

感心したのは、もちろんオーケストラの音色ばかりでなく、バレンボイムの指揮についてもある。

バレンボイムの造型は、まったく今のバレンボイムの等身大であり、自然体である。

奇抜に走らず、ひたすら真面目を繰り返しているうちに独自の風格のようなものが備わってきている、というのは素晴らしいことだ。

実際、バレンボイムの音楽づくりは、まったく真面目である。その真面目さが「面白味のなさ」というマイナスでなく、「爽やかさ、清々しさ」というプラスに働いているのだ。

内的な充実感や情熱も申し分なく、「ああ、なんと素敵な作品だったのだろう」という充足感をもたらしてくれる。

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2008年12月10日


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バレンボイムは同じく弾き振りでイギリス室内管弦楽団と全集を完成していたが、ほぼ20年後に録音されたこの後期ピアノ協奏曲集の演奏は、やはり一段と充実している。

若々しくモーツァルトに挑んだ旧盤と違って、ここでのバレンボイムは円熟した表現を細部まで懐深くしなやかに、強い意志をもって徹底している。

しかも、ニュアンス豊かな演奏は、決して細部に偏ることなく、確かな統一感と明快な構成感を失うことがない。

いま指揮者と独奏を兼ねて古典派のピアノ協奏曲を演奏したとき、バレンボイムほどに縦横に振る舞える音楽家はほかにいない。

ビデオで彼の演奏を視聴するとよく判るが、指揮者として各楽員の気持ちをよく汲めるほかに、ピアニストとしての表現を通してますます彼らを発奮させ、共演の喜びを掻き立てる技と音楽に優れているからである。

ここでも自在にテンポや表情を動かして、心憎いまでの読みと余裕を聴かせる。

バレンボイムの明確でやや硬質のタッチは、旋律にもリズム型にも常にすっきりした輪郭を与えている。

彼の解釈は強い意志を反映しているが、決して一本調子にならず、細かい感情の変化を伴っている。

円熟期にあることを実感させるバレンボイムのピアニズムは、凝縮された表現の緻密さとしなやかに広がる抒情の喜びを併せ持ち、モーツァルトの世界をかつてない豊かさで歌い上げている。

ベルリン・フィルの表現力が大きいこともバレンボイムの解釈にふさわしく、このオーケストラの威力が遺憾なく発揮されている。

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2008年12月04日


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バレンボイムのモーツァルトというと、20代のころに録音した、ピアノ協奏曲の全曲録音が有名だが、それ以降、久々に録音したのが、1984年から85年にかけておこなわれたピアノ・ソナタ全集である。

指揮者としても伴奏者としても、幅広い音楽ジャンルに挑んでいるだけあって、このピアノ・ソナタ全集では、そうしたさまざまなものを吸収した彼の豊かな表現力が、プラスにはたらいている。

バレンボイムは、ベートーヴェンやブラームスのピアノ曲も得意としており、音楽の内面に光をあて、じっくりと聴かせることに秀でたピアニストだ。

ここでは、そうした彼の魅力がよく生かされていて、みずみずしく直截に表現しており、構成的な美しさをひき出していて素晴らしい。

バレンボイムは現在指揮者として活躍しているが、その学習と実践がこのアルバムでは大きな実りとして生かされている。

これは以前のバレンボイムを知る者には大きな驚きである。

とにかく、ここでのバレンボイムは楽譜の読みが実に深い。しかも自在感に満ち、音楽の自然な流れを少しも失っていない。

清潔感をただよわせた端正なモーツァルトになっているのはさすがで、清澄な響きと爽快なリズム感が実に快い。

しかも、それが自然になされているところに、バレンボイムの円熟をみてとることができる。

さらに安易な新ロマン主義的演奏とは、はっきり一線を画している。

バレンボイムはじっくりと、ゆとりをもってモーツァルトにアプローチし、いっさい余分なものを付け加えずにエッセンスを取り出してみせる。

しかも彼のピアノの音はすみずみまで美しく大げさに響かすことがないから、立ち現れてくる音楽にも透明感がただよっている。

いっさいの邪心を捨てた、まさしく古典美溢れるモーツァルトだ。

スマートでクール、だから聴き飽きないモーツァルト演奏であるといえる。

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2008年03月03日


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映画「アマデウス」で、モーツァルトがウィーンの町を馬車に乗って走ってゆくシーンに使われたのが、この「K.482」のフィナーレである。

場面も明るく、音楽も明るいが、みていると哀しいという、本当に印象的なシーンだった。

明るければ明るいほど、なぜかモーツァルトは哀しくなる。

この無邪気なロンドに対比される第2楽章は比類もなく寂しい嘆きの歌。

バレンボイムの旧盤の演奏には、モーツァルトの愉悦と魅惑、そして痛切な哀しみと孤独感のすべてがある。

前者の例としてフィナーレ、後者の例として第2楽章のアンダンテが挙げられる。

ともかく全曲にわたって雄弁を極めた、最も天才的なモーツァルトがここにある。

本当に宝物のような、名曲の名演奏といえよう。

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2008年02月28日


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シューマンがチェロ協奏曲を作曲したのは1850年、彼の精神が変調を来たしはじめていた時期にあたる。

そのためこの作品はゆたかなメロディを流露させながらも、不気味なデーモンのささやきがそれを邪魔しにかかる。

つねに美しく歌い出そうとしながら、その歌はやるせない憂悶をおび、魔の淵を覗かせる。

デュ・プレの演奏は歌を重んじ、それをたっぷりとひびかせる。

そこにはシューマンのビーダーマイアー的な幸福感が感じとれるほどだ。

それだからわずかながらも脳に変調の予感がきざすと、すべてが暗転してしまう。

そんな幸せのなかにひそむ不安のおびえが、ゆたかな歌のなかに隠し味のように聴きとれる。

デュ・プレにとってそれは現実となった。

デュ・プレの表現意欲のすさまじさ、スケールの雄大さはとても女流とは思えず、朗々たる美音には切ないまでの憧れ心がこもっている。

フィナーレの情熱には命をかけた芸術家の姿があり、誰しも舌を巻いてしまうに違いない。

サン=サーンスの濃厚と繊細と蠱惑、悩ましいほどの表情の豊かさも見事だ。

どこまでもヴィヴィッドに魅惑的に仕上げられたデュ・プレのチェロであり、聴き手をいつの間にか虜にしてしまうような一種魔力に似た息づきがある。

彼女の曲作りはすべからく流麗と形容すべきものではあるが、そこには常に前向きな初々しい躍動感が息づいており、言い知れぬ魅力をたたえた独特の推進力がある。

ひたむきに歌い、まるで祈り訴えかけてくるかのように純粋な美を織り出してゆくその姿勢が我々の胸を打ってやまない。

表現はきわめてフレキシブル、サン=サーンスのスコアの欲するところに誠に濃やかに対応し、鮮やかに広がった音空間を醸し出している。

彼女全盛期の美質がこのコンパクトな作品の中に余すところなく盛り込まれている観。

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2008年02月18日


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42歳ではかなく散った女流チェリスト、デュ・プレ屈指の名演のひとつにあげられる名盤である。 

ドヴォルザークのチェロ協奏曲はデュ・プレの協奏曲録音としては最後のスタジオ録音になったもの。25歳時の演奏。

このドヴォルザークは超名演だ。デュ・プレ炎の演奏である。

デュ・プレは、きれいごとでない、凄まじいばかりに体を張った大熱演だが、人間の生命力のすべてを具現した朗々たる音色が眼前に激しく飛び出してくる。

冒頭から情熱が迸るような迫力のある表現で圧倒する。

音色の変化、リズムの間、ひそやかな弱音など、その多様な表現力に舌を巻く。

切々たる思いを劇的に語るかのようで、この演奏こそ"入魂の"という形容がふさわしく思える。

聴き手をエキサイティングに熱くさせる演奏はそうザラにはないが、このデュ・プレのドヴォルザークはその筆頭格にあげられる。

グイと鷲づかみにするような発音、どこをとっても熱気のこもった歌いまわし、心憎いまでの剛柔のニュアンスなど、全身全霊を傾け同作品を揺さぶる。

パワフルなオケをも凌駕する迫力と迫真性が漲っている。

今もってドヴォルザークのベストCDに挙げられて然るべき演奏である。

ひとりのチェリストと言うよりも、表現者としての原点を見る思いのする比類のない演奏である。

これは、一回の演奏にすべてをかけた情熱と気迫の記録であり、聴いているうちに人はここまで音楽にのめりこめるのか、と感動も新たにする名盤である。

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