ゲルギエフ

2016年08月08日


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ボロディンは19世紀後半のロシア音楽を代表する「国民楽派」の1人であり、西洋近代音楽の伝統に則りつつ、「ロシア的」な音楽を確立することに努めた作曲家である。

『イーゴリ公』は、ロシア古代の軍記物語に取材した歴史物で、日本でいえば、蒙古襲来をオペラにしたような趣の作品である。

ロシア国民楽派の作品には音楽的な色彩が豊かなものが多いが、この作品は中でも特別で、ボロディンは彼の唯一のオペラ作品に25年もかけ、完成を見ずにこの世を去った。

イーゴリの敵はモンゴルと同じ遊牧民族のポロヴェッツ人(ダッタン人)であり、作品の中には有名な「ダッタン人の踊り」をはじめ、当時の民族音楽研究の成果をもとに書かれたエキゾチックな音楽が散りばめられていて、それが作品をいかにも魅惑的なものにしている。

完成度という点では、チャイコフスキーの『エフゲニー・オネーギン』に一歩を譲るが、19世紀ロシアのオペラを代表する傑作の1つと言えるだろう。

それにしても『イーゴリ公』は、誠に不思議なオペラである。

輝かしい歴史絵巻かと思いきや、むしろ戦いのさなかの弱き者、夫の無事を案じつつ留守を守る気高い女性や、奴隷となった者達の望郷の念、敵将に惚れ込み歓待した上、命を助ける将軍、敗戦しつつも祖国に迎えられる大公…、まるで、反戦オペラのようだ。

本盤は、ボロディンの1882年版にいくつかの改訂、未出版の歌曲、新たな作曲も加えたマリインスキー劇場版による録音である。

1988年に35歳の若さでサンクト・ペテルブルクのマリインスキー劇場(当時の呼称はキーロフ)の芸術監督・首席指揮者に就任したゲルギエフは、ソ連崩壊の激動の波を乗り越え、1991年から数多くのロシア・オペラを録音した。

その中でこの『イーゴリ公』は早い時期(1993年)にセッション録音されたもので、傑作に恥じない、水準の高い演奏になっている。

先頃ボリショイ劇場の来日公演で腑抜けた『イーゴリ公』を観せられただけに、ゲルギエフとマリインスキー劇場による覇気に満ちた名演に溜飲を下げる思いである。

ゲルギエフの演奏は匂い立つように美しく、独創的なボロディンの音楽を雄大な流れの中で表現していて、約3時間半、新鮮な魅力に溢れた濃厚な時間を演出してくれる。

ロシア・オペラの傑作の1つとされながら、長大なことも手伝ってかあまり録音が多くなく、決定盤と言える存在がなかったものだけに、このゲルギエフによる全曲盤は貴重である。

この盤の成功の要因は、近年の音楽史的研究成果を取り入れて、導入部の後の、第1幕と第2幕の伝統的な演奏順序を入れ替えたことにある。

その結果、音楽的ハイライトが前半部分に集中してしまったきらいはあるが、劇の構成は随分よくなっている。

有名な「ダッタン人の踊り」など、文句なく素晴らしいし、オーケストラとコーラスの充実した響きにスラヴの熱狂が感じられる。

歌手陣も良く、ヤロスラヴナ役のゴルチャコーワなど、ゲルギエフが短時日でこの劇場に築いたアンサンブルが顔を揃えている。

イーゴリ公は迫力不足という人もいるが、ポロヴェッツ陣営に囚われた場面での独白や、敵将コンチャックとのやりとりは決して悪くない。

イーゴリの妻ヤロスラヴナ、息子ヴラジーミル、敵将の娘コンチャコヴナもそれぞれに魅力的である。

これはロシア・オペラの魅力を十分に堪能できる1組である。

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2016年08月02日


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オペラにおけるリアリズムの先駆けとなった名作《ボリス・ゴドゥノフ》は、19世紀ロシアが生んだ最も個性的で、しかも後世への影響力も甚大なオペラ史上の金字塔だが、その成立には紆余曲折がある。

このオペラの前にもオペラの作曲を計画していたムソルグスキーだが、その計画は官吏の仕事に追われて悉く頓挫していた。

このオペラが出来たのは、一つは1868年に歴史家のウラディーミル・ニコルスキーに出会ったことと、同じ頃に林野局に転属して作曲の時間を確保できるようになったことがその原因として大きい。

ニコルスキーにオペラの題材としてプーシキンの劇詩『ボリス・ゴドゥノフ』を薦められ、その作品を読んで熱中し、確保できた作曲の時間を費やして猛烈な勢いでこの作品を書き上げた。

1869年に書き上げられたこの作品は、翌年の帝室歌劇場の演目の応募作として歌劇場の事務局に提出されたものの、女性の登場人物が極端に少ないことが問題となって落選してしまった。

この落選したバージョンが、1869年版として、本盤に収録されている。

落選したことで憤慨し、この作品をお蔵入りにしようとしたムソルグスキーだが、周囲の熱心な説得で改訂を施したのが、本盤に収録された1872年版である。

この1872年版は、完成した2年後に一部カットを施された形でマリインスキー劇場で初演されたが、初演に先立って作品の名場面と思しき所を抜粋して先行演奏して初演までの前評判を上げたという。

ムソルグスキーが亡くなった後、盟友のリムスキー=コルサコフが加筆訂正を加えたものの、この盤ではその編曲版を採用せず、ムソルグスキーが楽譜に刻んだオリジナルな形で演奏している。

この録音は、作品が初演された元マリインスキー劇場のキーロフ歌劇場のプロダクションで演奏されている。

1869年版と1872年版で共通するキャストは、クセニア役のオリガ・トリーフォノフ、フョードル役のズラータ・プリチェフ、ピーメン役のニコライ・オホートニコフ、シュイスキー役のコンスタンチン・プルージニコフ、シェルカーロフ役のワシーリー・ゲレロ、ワルラーム役のフョードル・クズネツォーフ、ミサイール役のニコライ・ガシーイエフ、警吏長ニキーチナ役のグリゴリー・カラスセーエフ、乳母役のエフゲーニャ・ゴロチョフスカヤ、ミチューハ役のエフゲーニー・ニキーチン、旅籠屋の女将役のリュボーフィ・ソコロフ、聖痴愚役のエフゲーニー・アキーモフである。

ボリス・ゴドゥノフ役が1869年版ではニコライ・プチーリン、1872年版ではヴラディーミル・ヴァニーエフ、グリゴリー役は1869年版ではヴィクトル・ルツク、1872年版ではヴラディーミル・ガルーシンが歌う。

キーロフ劇場のオーケストラと合唱団を指揮するのは、ヴァレリー・ゲルギエフである。

1869年版に登場し、1872年に登場しない役は侍従の貴族役のユーリ・ラプテフと民衆の声役のアンドレイ・カラバーノフで、1872年のみに登場する役がマリーナ役とランゴーニ役で、前者をオリガ・ボロディナ、後者をミチューハ役のニキーチンが兼任している。

1869年版と1872年版の違いは、まず前者が4幕7場(ムソルグスキーはこの時点で「幕」という言葉は使わず「部」という言葉を使っているらしい)であるのに対し、後者がプロローグ付きの4幕9場(実質的に5幕9場)であることである。

ムソルグスキーの1872年への改訂は基本的に加筆作業が中心だが、1869年版の第4幕の大聖堂の場面は1872年版ではカットされている。

また、こうした改訂で終幕も主役のボリスが亡くなる場面から、聖痴愚が独白をする場面へと替えられている。

ボリスの一代記から、16世紀のロシアの混乱期そのものを描くことによる社会の腐敗への糾弾という意味合いが強くなっているところに、改訂の意義があるのだろう。

この5枚組の盤では、1869年の初稿と1872年の第2稿とをゲルギエフ指揮のキーロフ・オペラの理想的に近い演奏で聴き比べることができる。

演奏は、自分たちの音楽という自負が強く出ており、ゲルギエフの指揮ともどもダイナミックな力感が、ムソルグスキーの音楽の持つ根源的な力を十二分に引き出している。

配役もいいが、とりわけタイトル・ロールと並んでこのオペラの主役を演じる合唱の良さ、指揮の踏み込みの深さが、しばしば鳥肌の立つような迫力を生んでゆく。

ムソルグスキーの音楽自体は、やはり1869年の初稿のほうが表現が直截的で感情移入しやすいのではないだろうか。

1872年の改訂も、その音楽の素晴らしさは減じないが、女声を追加したことで、1869年版にあった素朴な力強さは幾分後退してしまったように思う。

いずれにせよ、1869年の初稿についてはこれを聴かないで真価を云々できまい。

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2016年03月09日


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チャイコフスキーの3大バレエ音楽には様々な名盤が存在するが、現代のスタンダード的な名演と評せるのはゲルギエフ&マリインスキー劇場管弦楽団盤であろう。

ゲルギエフは、とかくクールな最近の指揮者の中で飛びぬけてスケールの大きな音楽性とヴァイタリティの持ち主であるが、その強みは彼が根っからの劇場育ちというところにあるといってよいだろう。

35歳という若さで名門サンクトペテルベルク・マリインスキー劇場の芸術監督という重責を担い、ソ連崩壊による混乱期を見事に乗り切った手腕は、並々のものではないし、その活動が祖国にしっかり根を下ろしているのも、心強い限りである。

抜群の音楽性や指揮テクニックだけでなく、自分の音楽にこうしたバックボーンを持っていることがゲルギエフへの信頼をいっそう大きなものにしているといってよいだろう。

「スーパー・ダイナミック・コンダクター」といわれるようにきわめてエネルギッシュな指揮は、同時にロマンティックで抒情的な表現にも秀でている。

しかもその才能の大きさに加えて、統率力とカリスマ性も現代の指揮者の中で群を抜いており、今世紀の音楽界を担う巨匠として活躍の幅を広げているのである。

ところで自由化のあと退潮の傾向を見せるところが多かった旧東側あるいは旧ソヴィエトの中で、サンクトペテルブルクのマリインスキー劇場はゲルギエフを音楽監督に迎えたことによって、予期せぬほどの好調ぶりを示した。

オーケストラもアンサンブルを整え、機能的な表現力を増して、かなり上質なものとなったが、このチャイコフスキーの3大バレエにも、それが明らかにされている。

どちらかといえばバレエのテクニックや舞台をそれほど意識したものではなく、演出やプリパレーションを含む振付けとの関連などはほとんど考えさせないほど、オーケストラルなレパートリーとなりきっていて、それだけに、ディスクとしてはいっそう楽しめる。

緊密なアンサンブルを率いて、パワフルかつハイ・テンションで突き進むゲルギエフの熱さにひるんでしまうが、表現にもオケの響きにも、生半可な洗練を持ち込まず、むしろ開き直ってゴリゴリとやってのけたところに、ゲルギエフの野性本能を感じる。

それだけにロマンティックな夢に浸らせる以上に、ドラマとしてのバレエ音楽に誘うシンフォニックなチャイコフスキーといえよう。

平坦に、浅く流れず、演奏全体が旋律もリズムも響きも垂直に積み重ねられていくような密度を誇り、曲が進めば進むほど感動の深度も深められていく。

ゲルギエフのもとで鍛え抜かれたマリインスキー劇場管弦楽団がすばらしく、気高く輝かしいロシアン・サウンドを満喫させる。

特に、《眠れる森の美女》は、《白鳥の湖》や《くるみ割り人形》に比べると、際立って特色のある音楽があまりないので、下手をすると平坦になってしまうし、それに結構長いので、まとめ方がちょっと難しいように思うのだが、そういうなかでゲルギエフは長さを感じさせず巧くまとめていると思う。

それに加えてゲルギエフは、ロシア人としての自信に溢れた表現で聴かせてしまうところが面白いのではないだろうか。

《くるみ割り人形》は、全曲がCD1枚に収まってしまうくらいかなりテンポが速いが、その一気呵成にタッタッとやったところが、逆に面白い。

その一方で、ゲルギエフの演奏は常に1曲ずつが、それぞれ手作りの料理みたいな印象を与える。

オーケストレーションにおいて既に巨匠の域に達していたチャイコフスキーが秘術を尽くしたこの大作バレエのスコアでも同様、あたかも一部屋ずつ、魔法の扉を初めて開けてゆくような鮮度の高さで料理してみせるのだ。

その演奏を特徴づけているのが弦の奏法で、序曲から終景の〈グラン・パ・ド・ドゥ〉まで、一味違った表現が新鮮な驚きをもたらす。

《白鳥の湖》で使用しているマリインスキー版はなかなかのクセモノで、チャイコフスキーのオリジナル・スコアに、削除や短縮、編曲、さらには他曲の挿入まで施される。

通常耳にする全曲盤はオリジナル譜を元にしているから、かなりの変更に戸惑うかもしれないが、本盤の演奏の方がより実際のバレエ上演に近いのである。

というのも《白鳥の湖》がプティパとイワーノフの演出によって蘇演された1895年以来、このバレエは猝昇遶瓩箸靴読堝阿涼楼未鮴蠅瓩襪海箸砲覆襪里世、本盤はその歴史的な蘇演をそのまま復元した画期的な演奏なのだ。

まさに、本場ならではの狎犬た演奏瓩粘咾れており、百年以上前に蘇演を手がけた由緒ある同オケに演奏を託したこともまた、この盤の真価を高めている。

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2015年04月30日


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旧盤から15年以上を経て、円熟のゲルギエフが再度問いかける、作曲70周年の問題作であるが、素晴らしい名演と高く評価したい。

現在の様々な指揮者の中で、ショスタコーヴィチの交響曲の名演を成し遂げる可能性がある指揮者と言えば、これまでの実績からして、本盤のゲルギエフのほかは、インバルが掲げられると思うが、他の指揮者による名演もここ数年間は成し遂げられていないという現状に鑑みると、現在では、ショスタコーヴィチの交響曲の演奏についてはゲルギエフとインバルが双璧と言えるのかもしれない。

いずれにしても、本盤に収められた名演は、このような考え方を見事に証明するものと言えるだろう。

第8番の過去の名演としては、初演者として同曲が有する精神的な深みを徹底して追求した決定盤の誉れ高いムラヴィンスキー&レニングラード・フィルの名演(1982年)があり、本盤の演奏も、ムラヴィンスキーの系列に繋がるものと言える。

ゲルギエフ&マリインスキー劇場管弦楽団による、ショスタコーヴィチの交響曲第8番は、1994年9月に同じオーケストラとオランダのハーレムにて録音され、ロングセラーとなっていた。

今回は15年以上を経て、ゲルギエフの円熟ぶりと、手兵マリインスキー劇場管弦楽団を完全に手中に収めた神業の完成度に驚かされる。

旧盤で見られた未消化さや解釈の甘さは完全に払拭され、黒光りするような凄味が感じられるところであり、こうした幻想的で複雑な大曲にこそ、ゲルギエフの真価が最大に発揮し得ると言えるだろう。

ここでもゲルギエフは、楽曲の本質を抉り出していくような鋭さを感じさせる凄みのある演奏を披露しており、おそらくは、同曲演奏史上ベストを争う名演と高く評価したい。

全体として堅固な造型を構築しつつ、畳み掛けていくような緊迫感や、生命力溢れる力強さは圧巻の迫力を誇っている。

また、スコアに記された音符の表層をなぞるだけでなく、スターリン時代の粛清や死の恐怖などを描いたとされている同作品の本質をこれだけ音化し得た演奏は、おそらくはムラヴィンスキー以来はじめてではないかとさえ思われるほどだ。

その壮絶とも言える圧倒的な迫力は、我々聴き手の肺腑を打つのに十分だ。

今回の演奏時間は65分38秒、旧盤より2分半ほど長くなっているが、注目は第1楽章のテンポの遅さ。

旧盤より2分半、ムラヴィンスキーの1982年盤に比べて3分半も遅く、数ある同曲の録音中でもかなり遅い部類に属する。

重苦しさに満ちながら、驚くほど強い緊張感が張り詰め、金縛りにあったように動けなくなる凄さ!ゲルギエフのテンポ設定に納得させられる。

急速楽章の第2、第3楽章はほぼ同じ演奏時間であるが、ラルゴの第4楽章は1分ほど速く、希望の兆しが見える第5楽章は逆に遅くなっている。

ことにパッサカリアの第4楽章が絶品で、こうした精密極まりない音楽でゲルギエフの見せるテクニックは誰にも真似できない凄さがあり、ショスタコーヴィチの天才性を改めて実感できる。

終楽章の不思議な重さにもゲルギエフの哲学が感じられる。

ゲルギエフの統率の下、手兵マリインスキー劇場管弦楽団は最高のパフォーマンスを示している。

マルチチャンネル付きのSACDによる極上の高音質録音も、本名演の価値を高めるのに大きく貢献している点を忘れてはならない。

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2015年04月23日


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2007年収録の第6番でスタートし、2011年の第9番で完結したゲルギエフ指揮ロンドン交響楽団によるマーラーの交響曲全集が、10枚組のBOXセットとなって低廉に入手できる運びになったことをまずは喜びたい。

ゲルギエフのマーラー交響曲全集は、第8番を除きすべてロンドン、バービカンホールでのロンドン交響楽団とのライヴ録音である。

50代後半のいかにもエネルギッシュなゲルギエフらしい一気呵成な対応であり、手兵のオーケストラを一定期間集中させ、全曲に一貫した解釈を施すうえではこの短期決戦のライヴ録音は有効だが、その実、相当な自信に裏づけされたものであろう。

このシリーズは、すべてコンサートでの演奏をライヴ録音しているところにその特徴があり、実演における白熱の模様がストレートに肌で感じられるのも魅力のひとつと言えるところであり、第6番や第7番などはその最たる例で、極端なテンポ設定や荒削りでユニークなアプローチも際立っていた。

また、シリーズの大詰めの時期にあたる第5番と第9番では、同一プログラムを数多くこなしたのちに、周到な準備を経て収録に臨んだこともあり、完成度の高さでもゲルギエフがロンドン交響楽団のシェフに就任して以来、屈指の成果を示している。

ことに第9番は、ゲルギエフ&ロンドン交響楽団によるマーラーチクルスの中でも飛び抜けた内容を誇る名演と高く評価したい。

しかしながら、上記以外の各交響曲の演奏を顧みると、名演とイマイチの演奏が混在しており、玉石混交と言った状況にある。

これまで発売されたいずれの交響曲も、聴く前は、名演、駄演のどちらに転ぶかわからないといった予測が付かない不安があったが、総体としては、これまでの様々なマーラー演奏の中でもかなり上位にランキングできる素晴らしい名演集と評価してもいいのではないか。

ゲルギエフは、ここでは、チャイコフスキーやショスタコーヴィチ、ストラヴィンスキーなどで垣間見せた野性味溢れるドラマティックなアプローチは薬にしたくもない。

むしろ、自我を極力抑えて、マーラーの音楽を精緻に美しく描き出していくことに専念しているように思われる。

もちろん、演奏に強弱の起伏がないわけではなく、トゥッティにおける金管楽器やティンパニなどの最強奏は圧巻の迫力を誇っているのだが、いわゆる踏み外しがいささかも感じられないのである。

これは、ゲルギエフが、テンポの変化を最小限に抑えているのに起因しているのかもしれない。

したがって、この演奏の場合、ドラマティックな要素は極めて少なく、むしろ、スケールの壮大さで勝負した感がある。

このようなアプローチは、本来的にはマーラーのような劇的な要素が支配的な交響曲の場合には相応しいとは言えないが、前述のような壮大なスケール感と精緻な美しさによって、マーラーに新鮮な魅力を見出すことに成功した点は評価せざるを得ないのではないかと考える。

マーラーに、ドラマティックな演奏を期待する聴き手、バーンスタインやテンシュテットなどの劇的な名演を好む聴き手からは、物足りないとの批判が寄せられることは十分に予測されるが、音楽構成を大きく捉えて細部をよく彫琢し、かつメロディの美しさとリズムの躍動感を際立たせた演奏は抜群のバランス感覚を感じさせる。

筆者としては、マーラーに新しい光を当てた異色の名演として、高く評価したいと考えている。

SACDマルチチャンネルによる極上の高音質録音も、ゲルギエフの精緻なアプローチを鮮明に再現し得るものとして、大いに歓迎したい。

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2015年03月31日


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ワレリー・ゲルギエフ指揮、マリインスキー劇場管弦楽団他による1991年録音盤で、ゲルギエフ得意のロシア作品「ホヴァンシチナ」を収録されている。

基本的にショスタコーヴィチ版に依拠しているが、できるだけ作曲者の考えを尊重したゲルギエフ版だと言える。

「ホヴァンシチナ」は、未完成のままムソルグスキーが世を去ったこともあって、「ボリス・ゴドノフ」に比較して不当にも世評が低いと言わざるを得ない。

しかしながら、リムスキー=コルサコフやショスタコーヴィチなどによる編曲によって、優れた完成版が生み出されており、その内容の深さにおいて、「ボリス・ゴドノフ」にも匹敵する傑作であると筆者としては考えているがいかがだろうか。

「ホヴァンチシナ」は、17世紀のモスクワ銃兵隊の反乱(ホヴァンスキーの乱)を題材にした5幕の大作であるが、ムソルグスキーが1881年に没したため未完となり、作曲者の旧友リムスキー=コルサコフによる実用版が作成されて、ようやく1886年2月21日にサンクト・ペテルブルクで初演された。

しかし、リムスキー=コルサコフは原曲をほとんど書き換えており、その後ショスタコーヴィチがオリジナルのピアノ譜と、作曲者自身の管弦楽法の手法をもとに、改めて原曲に忠実な実用譜が作り直された。

今日では上演に用いられる実用譜はたいていショスタコーヴィチ版であるが、全編まことに美しいオペラで、特に第2幕の開始の場面や第4幕始めの女声合唱など、実に印象的で魅力的である。

リムスキー=コルサコフ版はイマイチの出来だと思うが、ショスタコーヴィチ版は、ムソルグスキーの草稿にまで踏み込んだ大変優れたものだと考える。

本盤のゲルギエフによる演奏は、ショスタコーヴィチ版をベースとして、ゲルギエフならではの編曲を施したものであり、特に、終結部に大きな違いがある。

筆者としては、ショスタコーヴィチ版のラストのムソルグスキーの作品中もっとも美しい旋律「モスクワ川の夜明け」の主題の再現が効果的で素晴らしいと思うのだが、ゲルギエフ版のように、悲劇的な殉教で締めくくるのにも一理あるとは思う。

演奏も、ロシア的なあくの強さと緻密さのバランスに優れたゲルギエフならではの超名演であり、独唱陣も合唱団も最高のパフォーマンスを示している。

ここに聴くゲルギエフ率いるキーロフの面々とソリスト陣は、(既に定評を得てムソルグスキーにこだわりぬく)アバド盤に比してもまことに立派な演奏と言えるのではないだろうか。

いかにもロシア的なテイストを振りまきつつ、でも仕上げは丁寧でしっかりしたもので、この魅力的なオペラに親しむに絶好のディスクであろう。

それにしても、ムソルグスキーは偉大だ。

同時代のチャイコフスキーは当然として、ロシア五人組のリムスキー=コルサコフやボロディンなども西欧の音楽を意識して作曲をした(だからと言って、これらの作曲家の偉大さに口を指しはさむつもりはない)が、ムソルグスキーはあくまでも西欧音楽に背を向け、ロシア音楽固有の様式を目指そうとした。

その強烈な反骨精神には拍手を送りたいし、アルコール中毒による早世を深く惜しむものである。

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2015年03月30日


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底知れぬヴァイタリティとカリスマ性を持ち合わせ、21世紀を牽引する指揮者の筆頭に挙げられるワレリー・ゲルギエフが、名門ウィーン・フィルを指揮した迫真のライヴ録音の『展覧会の絵』に加え、ムソルグスキーの名作3曲をカップリングした素晴らしい高音質SACDの登場だ。

本演奏は、レコード・アカデミー賞を受賞した名演であるだけに、初出のCDからして、ゴールドディスクとして高音質化への取り組みがなされていた。

また、更にほどなくして、SACDハイブリッド盤が発売された。

当該盤には、マルチチャンネルが付いており、その臨場感溢れる音場の幅広さは、これこそ究極の高音質CDであると考えていた。

ところが、今回のSHM−CD仕様のSACDシングルレイヤー盤は、そもそも従来の諸盤とは次元が異なる高音質と言える。

特に、『展覧会の絵』は、ラヴェルの華麗なオーケストレーションが味わえる作品だけに、今回の高音質盤は、最大限の威力を発揮する。

全体としてきわめて鮮明であるのだが、特に、トゥッティの箇所における金管も木管も、そしてそれを支える弦楽も、見事に分離して聴こえるというのは殆ど驚異ですらある。

それは、併録の『はげ山の一夜』にも言えるが、特に、『ホヴァンシチナ』前奏曲の冒頭の霧のような立ちあがりは、本盤だけが再現し得る至高・至純の繊細さと言えるだろう。

ゴパック(歌劇『ソロチンスクの市』から)におけるオーケストラの自由闊達な動きも、完璧に捉えきっているのが素晴らしい。

演奏は、前述のように、平成14年度のレコード・アカデミー賞を受賞した定評ある超名演。

ゲルギエフの濃厚で強いエネルギーでもって、激しいところは圧倒的な響きが印象的であるが、演奏しているのはウィーン・フィルということで、優しい響きのメロディーやピアニッシモのところは鳥肌が立つほど美しく、両者の特徴が上手くかみ合っている。

ゲルギエフは『展覧会の絵』を夢中になって見て回るが、そこではラヴェルの洗練されたオーケストレーション以上に作曲家ムソルグスキー生来の感性が強調されている。

指揮者はこれを実現するため、ウィーン・フィルの金管楽器奏者たちを叱咤激励し、とくに「カタコンブ」における壮大なコラール風のスタイルから曲の最後を締めくくる「キエフの大門」の圧倒的なクライマックスまで、彼らの特徴である朗々とした響きを思いきり出させている。

しかしながら、この指揮者によるルバート奏法は何箇所か、純粋に感じ取られたというよりもなにか継ぎ足されているような感じがする。

たとえば「テュイルリー」における主席クラリネットのリタルダンドや、「古城」の基本拍子を滞らせるフレージング過剰の弦楽器のレガートがそうである。

フィリップスの広がりのある音響工学はコンサート・ホールの雰囲気をよく伝えているが(これはライヴ・レコーディングなのである)、ダイナミックなインパクトと鮮やかな細部に欠けている。

フリッツ・ライナー盤やジョージ・セル盤がいまだ聴くときの基準になっているのだ。

その結果、『はげ山の一夜』の渦を巻くような勢いも拡散して響き、劇的にも平板である。

ただ、歌劇『ホヴァンシチナ』前奏曲とゴパック(歌劇『ソロチンスクの市』から)は気持ちのいい演奏で、よきつなぎ役となっている。

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2014年08月19日


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ここしばらくの間途絶えていたゲルギエフ&マリインスキー劇場管弦楽団によるショスタコーヴィチの交響曲チクルスであるが、15曲の交響曲の中で最大規模を誇る交響曲第7番が登場だ。

これまでのマリインスキー劇場管弦楽団の自主レーベルへの録音は、原則として、これまでゲルギエフが録音を行っていない交響曲に限定されていたところであるが、今般の交響曲第7番は、かつてフィリップスレーベル(現英デッカ)において録音を行った演奏(2001年)以来、11年ぶりの再録音ということになる。

当該フィリップス盤を評価する音楽評論家も結構多かったと記憶するが、筆者としては、ゲルギエフの指揮する際の特徴でもある細やかな指の動きを反映したかのような神経質さが仇となって、木を見て森を見ないような今一つ喰い足りない演奏であったと考えているところであり、あまり高い評価をしてこなかった。

ところが、本盤の演奏は、フィリップス盤とは段違いの素晴らしさである。

演奏時間でも、トータルで約4分近くも長くなっており、これは、ゲルギエフがいかに同曲に対して思い入れたっぷりに演奏しているかの証左ではないかとも考えられるところである。

ゲルギエフの指揮芸術の特質でもある細部への徹底した拘りは相変わらずであるが、フィリップス盤においては随所に施された個性的な解釈がいささかあざとさを感じさせ、それが演奏全体の造型を弛緩させてしまうという悪循環に落ちいっていた。

ところが、本演奏では、ゲルギエフならではの個性的解釈が、演奏全体の造型美をいささかも損なわない中においてなされており、フィリップス盤のようなあざとさ、わざとらしさ、大仰さを感じさせないのが素晴らしい。

第1楽章はなどは実にソフトに開始され、その後も鋭角的な表現が減じたように思われるが、ここぞという時の強靭な迫力にはいささかも不足はなく、むしろ懐の深い音楽を醸成し得るようになったゲルギエフの円熟ぶりを正当に評価することが必要であろう。

また、第3楽章については、演奏時間がフィリップス盤と比較して1分以上も伸びていることからもわかるように、ゲルギエフは本楽章の美しい旋律を心を込めて歌い抜いているが、陳腐なロマンティシズムに陥ることなく、格調の高さをいささかも失っていないのが素晴らしい。

終楽章は、逆に1分程度演奏時間が短くなっているが、それだけに畳み掛けていくような気迫や生命力がフィリップス盤以上に漲っており、終結部の壮絶な迫力は聴き手をノックアウトさせるだけの凄まじいものがある。

本演奏を聴くと、ゲルギエフのこの11年間の進境には著しいものがあると評価し得るところであり、今や名実ともに偉大な指揮者の仲間入りをしたと言っても過言ではあるまい。

いずれにしても、本演奏は、ゲルギエフの近年の好調ぶりを如実に示すとともに、今後のショスタコーヴィチの交響曲の再録音(例えば、第4番、第5番、第6番、第8番、第9番)に大いに期待を抱かせるだけの内容を有した素晴らしい名演と高く評価したい。

音質は、マルチチャンネル付きのSACD盤であり、かつてのフィリップス盤と全く遜色のない、臨場感溢れる極上の高音質録音となっていることについても評価しておきたい。

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2014年04月01日


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筆者はゲルギエフ&マリインスキー劇場管弦楽団の来日公演で、チャイコフスキー《悲愴》の実演に接したが、それはまさに作品の本質を鋭く掘り起こし、熱い真情を込めて作品の内面に深く肉迫する感動的な凄演であった。

それだけに今回はオケがウィーン・フィルということもあり、大いなる期待を持って当ディスクを購入した。

ゲルギエフの《悲愴》としてはマリインスキー劇場管盤に次ぐ演奏であるが、ライヴ録音というハンデはあるものの、いささか荒っぽい印象を受けた。

第1楽章など、テンポ設定はスコアに指定されている以上のめまぐるしい変転を見せるが、感動的な第2主題を急速なテンポで演奏したり、展開部の盛り上がりの箇所での大見えを切ったリタルダンドは、いくらなんでもやり過ぎとは言えないだろうか。

第2楽章のロ短調に変調する中間部も、インテンポであっさりと流してしまうが、好みの問題もあるが、いささか白けた雰囲気が漂う。

第3楽章はノーマルな出来で、テンポもライヴのためなのか全体的にリズミカルに進んでいる。

しかし、終楽章の展開部では、再び急速なアッチェレランドが見られるが、この部分は楽曲全体の頂点に当たる箇所でもあり、表現は悪いが、「百日の説法屁一発」という諺を思い出してしまった。

ウィーン・フィルの美演を持ってしても、この荒っぽさを中和することが出来なかったのは残念な限りである。

この2004年時点にライヴ録音されたこの《悲愴》を聴く限りにおいては、ゲルギエフには、更なる自己研鑽が必要なようであったと言わざるを得ない。

マリインスキー劇場管とのライヴではアグレッシヴな質感でグイグイ突き進んでいただけに残念だ。

結論としてゲルギエフで《悲愴》を聴くのならば、断然旧盤(マリインスキー劇場管盤)の方をお薦めしたい。

但し、当盤のSHM−CD化による高音質録音は旧盤を凌ぐ出来ばえと評価したい。

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2014年03月30日


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ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団は指揮者によって変幻自在の変身を遂げるオーケストラと言えるが、ワレリー・ゲルギエフにかかると上品な印象をかなぐり捨てて、強烈な咆哮を放つヴィルトゥオーゾ集団に変貌した。

賛否両論に分かれる演奏だと思う。

ゲルギエフの演奏の常だが、オーケストラの色よりも指揮者の色の方がはるかに濃く感じられる。

2002年10月17日〜21日、ムジークフェラインでのウィーン・フィル特別演奏会のライヴ演奏なので、とりわけそのような印象が濃くなっているのかも知れない。

剛腕ゲルギエフがウィーン・フィルを限界までに鳴らした演奏で、ダイナミック・レンジを限界一杯まで引き伸ばし、金管楽器は音割れ寸前まで吹き鳴らしている。

木管も弦も消えてしまい、金管の咆哮が強く印象付けられる箇所もあり、ライヴ録音の難しさも感じるが、ゲルギエフ・ファンには堪らない魅力のある演奏となっている。

第3楽章の弦のピチカートが終わり、間髪入れずに第4楽章が始まる瞬間は感興を呼ぶ。

筆者がこの曲に初めて接し(カラヤン&ベルリン・フィル)、心を奪われたのが第4楽章だったので、今でも心がざわめき、血が騒く。

少々のアンサンブルの乱れはあるにせよ、アマチュア・オケのように必死になって一心不乱に演奏しているウィーン・フィルの演奏なんてそう聴けるものではないだろう。

強烈な演奏なので好き嫌いが分かれるのは当然だが、これだけ見事に咆えてもらえればリスナーは満足するに違いない。

ロシア民謡の「白樺は野に立てり」の主題のところでクールダウンして、一気呵成にクライマックスへ駆け上がるオーケストラのアンサンブルの限界すれすれの演奏はやはり怪演かも知れないが、快演でもあった。

なお、リーフレットの解説を平林直哉氏が記しているが、ゲルギエフの紹介とこの交響曲の解説はその通り理解できるのだが、このライヴ演奏を聴かずに書かれているようだ。

録音が届く前に書かなければならなかったようで気の毒ではあるが、これでは国内盤を買う人をがっかりさせるような気がする。

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ワレリー・ゲルギエフは、いま最も注目されている実力指揮者である。

彼の録音は、そのほとんどが手兵マリインスキー劇場管弦楽団、あるいは最近ではロンドン交響楽団を起用しているが、このチャイコフスキーはウィーン・フィルとの初録音である。

1998年のザルツブルク音楽祭のライヴだが、この条件からゲルギエフの精神的な充実感がわかるというものである。

確かに演奏は冒頭から濃密で、陰影が深い。

しかし、ゲルギエフは尖鋭な現代感覚の持ち主で、音楽は確実に構築され、ライヴだからといって決して誇大な表情になることがない。

それどころか、豪快でありながら筋肉質に引き締まった音楽である。

ライヴ録音ということもあり、第1楽章など、盛り上がりに向けたアッチェレランドなど、テンポが著しく揺れ動くが、全体の造型にいささかの揺らぎも見られないのが素晴らしい。

もちろん第2楽章では、メランコリックな抒情も濃厚さの限りであり、感情が細かく起伏した歌を聴かせる。

つまり、造形と内容のバランスが非常によく、そのために指揮者の思いがわかりやすく示されている。

第3楽章の優美なワルツを経て、終楽章では堂々とした高潮が圧倒的なド迫力で、情熱的な感情表現とともに、作品のすべてを描き尽くしている。

ゲルギエフの個性が全開の名演だと思う。

このようなゲルギエフの個性的な指揮に、ウィーン・フィルがぴたりとついていくのも見事であり、ゲルギエフ&ウィーン・フィルの本盤の初共演後の実りある関係を暗示していると言えよう。

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2014年02月23日


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ロシア人指揮者にとってのチャイコフスキーの交響曲は、独墺系の指揮者にとってのベートーヴェンの交響曲のような神聖な存在であると言えるが、ゲルギエフにとっても例外ではなく、これまでウィーン・フィルや手兵のマリインスキー劇場管弦楽団とともに、チャイコフスキーの後期3大交響曲の録音を行っているところだ。

来日公演においても、チャイコフスキーの後期3大交響曲を採り上げており、これはゲルギエフがいかに母国の大作曲家であるチャイコフスキーを崇敬しているかの証左とも言えるだろう。

しかしながら、ゲルギエフのチャイコフスキーの交響曲の録音は後期3大交響曲に限られており、初期の第1番〜第3番についてはこれまでのところ全く存在していなかったところだ。

そのような中で登場した本盤の交響曲第1番〜第3番のライヴ録音は、クラシック音楽ファンとしても待望のものと言えるだろう。

これまでのゲルギエフによるチャイコフスキーの交響曲の演奏は、旧ソヴィエト連邦崩壊後、洗練された演奏を聴かせるようになった他のロシア系の指揮者とは一線を画し、かのスヴェトラーノフなどと同様に、ロシア色濃厚なアクの強いものであった。

そのような超個性的なゲルギエフも、本盤の演奏においては、洗練とまでは言えないが、いい意味で随分と円熟の境地に入ってきたのではないだろうか。

随所における濃厚な表情付け(特に、交響曲第3番第1楽章)や効果的なテンポの振幅の駆使は、ゲルギエフならではの個性が発揮されているが、前述のウィーン・フィルやマリインスキー劇場管弦楽団との演奏とは異なり、いささかもあざとさを感じさせず、音楽としての格調の高さを失っていないのが素晴らしい。

ここぞと言う時の強靭な迫力や、畳み掛けていくような気迫や生命力においても不足はないが、それらが音楽の自然な流れの中に溶け込み、ゲルギエフならではの個性を十二分に発揮しつつ、いい意味での剛柔のバランスがとれた演奏に仕上がっているのは、まさにゲルギエフの指揮者としての円熟の成せる業と評価しても過言ではあるまい。

いずれにしても、本盤の交響曲第1番〜第3番の各演奏は、ラトルやマリス・ヤンソンス、パーヴォ・ヤルヴィと並んで現代を代表する指揮者であるゲルギエフの円熟、そしてチャイコフスキーへの崇敬を大いに感じさせる素晴らしい名演と高く評価したい。

そして、今後、続編として発売されるであろう後期3大交響曲の演奏にも大いに期待したい。

また、本盤の素晴らしさは、マルチチャンネル付きのSACDによる極上の高音質録音である。

SACDの潜在能力を十二分に発揮するマルチチャンネルは、臨場感において比類のないものであり、音質の鮮明さなども相俟って、珠玉の仕上がりである。

いずれにしても、ゲルギエフ&ロンドン交響楽団による素晴らしい名演を、マルチチャンネル付きのSACDによる極上の高音質で味わうことができるのを大いに喜びたい。

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2014年02月05日


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まさにエネルギッシュという形容がぴったりのカリスマ指揮者ゲルギエフ。

最新アルバムは、オール・ラヴェル・プログラム。

すべてゲルギエフにとって初のレパートリーとなる注目の内容であり、ゲルギエフがロンドン響を率いて新境地を開くラヴェルの作品集である。

何よりも評価したいのは、SACDマルチチャンネルによる極上の高音質録音だ。

特に、合唱が加わる「ダフニスとクロエ」が凄い。

合唱付きのオーケストラ曲は、従来から、録音が極めて難しいとされており、これまでのCDを見ても満足のいく音質に達しているのは、数少ないと言えるが、本盤は、これ以上は求め得ないようなハイレベルの音質に達している。

要は、オーケストラが主体か、それとも合唱が主体かと言ったレベルではなく、オーケストラと合唱が一つの音楽として、完全に融合しているのだ。

その上で、オーケストラも合唱も完全に分離して聴こえるのは驚異でもあり、マルチチャンネルによって、それぞれの楽器や合唱の位置までが完璧に聴き取れるほどだ。

演奏も、素晴らしい名演。

ゲルギエフは、もともとオペラを得意とする指揮者であるが、こうした標題音楽における巧さは格別。

各曲の描き分けは、殆ど名人芸の域に達しており、録音の素晴らしさと相俟って、あたかも眼前に情景が思い浮かぶかのようだ。

併録の「亡き王女のためのパヴァーヌ」は、ゲルギエフとしては普通の出来だと思うが、むしろ「ボレロ」が超名演。

各楽器を完璧に鳴らし、この曲の魅力、そして、ラヴェルの巧みなオーケストレーションを完璧に再現してくれている。

極上の高音質録音がこの名演を大きく後押ししているのも素晴らしい。

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2014年01月03日


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素晴らしい超高音質SACDの登場だ。

本盤には、かつてマルチチャンネル付きのハイブリッドSACDが発売されていた。

しかしながら、何故かマルチチャンネルならではの臨場感がイマイチで、音質的にもあまり満足が得られなかった記憶がある。

それだけに、今般の、SACD&SHM−CDのシングルレイヤー盤は、これまでのSACDとは一線を画する素晴らしい高音質と言える。

トゥッティの箇所に差し掛かっても、オーケストラとピアノが分離して聴こえるのは驚異的でもあり、あたかもマルチチャンネルを聴いているかのような錯覚を覚えるほどの音場の幅広さだ。

演奏も、賛否両論があるようであるが、筆者としては、素晴らしい名演と高く評価したい。

何よりも、ラン・ランのピアノが実に優れている。

ラン・ランの特徴は抜群のテクニックに裏打ちされた強靭な打鍵と、思い入れたっぷりの情感豊かな表現力の幅の広さであるが、本盤でも、そうしたラン・ランの特徴が見事にプラスに働いている。

音の重心の低い重厚にして堂々たるピア二ズムは、その情感の豊かさと相俟って、ラフマニノフのピアノ協奏曲には最も相応しいものであり、強靭な打鍵から繊細な消え入るような抒情に至るまでの表現力の幅の広さにも出色のものがある。

こうしたラン・ランをサポートするゲルギエフの指揮も実に素晴らしい。

もともと、ラフマニノフを得意のレパートリーとする指揮者ではあるが、ここでも、ラン・ランと同様に、ロシア的な情緒満載の実に雰囲気豊かな演奏を繰り広げている。

ゲルギエフの卓抜した指揮の下、マリインスキー劇場管弦楽団も最高のパフォーマンスを示している。

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2013年12月07日


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素晴らしい名演だ。

オペラや劇音楽を得意とする炎のカリスマ指揮者ゲルギエフと手兵マリインスキー劇場管弦楽団によるこのアルバムは、全体の構成を明確に捉えながら劇的でダイナミックかつ情感豊かに表現したもので、舞台の動きを彷彿とさせる演奏を繰り広げている。

ゲルギエフは、3年前にも、現在の手兵であるロンドン交響楽団とともに、同曲の再録音に臨んだが、当該盤も、近年のゲルギエフの進境の著しさを表す名演ではあった。

しかしながら、オーケストラの性格も多分にあるとは思うが、やや角のとれた円満さが目立つきらいがないわけでもなかった。

ところが、本盤は、今から約20年も前の、ゲルギエフが新進気鋭の指揮者として注目を広めつつあった時期の録音でもあり、しかも、オーケストラがマリインスキー劇場管弦楽団であることもあって、ロシア風の民俗色溢れた力強い名演に仕上がっている点を高く評価したい。

最新盤とは異なり、SACDマルチチャンネル盤ではないが、従来盤であっても、素晴らしい音質で捉えられており、音質面においても、遜色のないものとなっている。

ゲルギエフの素晴らしい点は、新盤でもそうであったが、オペラを数多く指揮している指揮者だけに、長大な作品全体を、冗長さを感じさせることなく、実に見事に纏め上げている点であり、2時間以上も要するこの作品を、聴き手の集中力をいささかも切らせることなく、一気呵成に聴かせてしまう点は、オペラ指揮者としてのゲルギエフの真骨頂とも言える。

いい意味での演出巧者とも言えるところであり、これはゲルギエフの指揮者としての大きな強みと言える。

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2013年11月09日


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これは素晴らしい超名演だ。

ショスタコーヴィチの交響曲第4番には、ラトル&バーミンガム市交響楽団による名演(1994年)、チョン・ミュンフン&フィラデルフィア管弦楽団による名演(1994年)があるが、本演奏もそれらとともに3強の一角を占める至高の超名演と高く評価したい。

同曲は、ショスタコーヴィチの交響曲の中でも最も大胆極まりない書法で作曲されている。

冒頭の強烈な不協和音による主題の後は、多種多様な旋律が貨物列車のように連続して連なっており、終楽章の終結部において冒頭の主題が再現されるまでは殆ど脈略がないとさえ言えるほどの複雑怪奇な曲想である。

ショスタコーヴィチは、第5番以降の交響曲においては、表向きは旧ソヴィエト連邦政府当局の意向に従って、できるだけ分かり易い作風にするように努めたことから、ある意味では第4番こそは、ショスタコーヴィチが自らの才能の赴くままに自由に作曲することができた交響曲と言えるのかもしれない。

耳をつんざくような不協和音やブラスセクションの咆哮、霧のような弱音による旋律の繊細さなど、目まぐるしく曲想が変化する同曲にショスタコーヴィチが込めたメッセージを汲み取ることは困難ではあるが、スターリンによる大粛清が行われ、ショスタコーヴィチの知人にも処刑の魔の手が迫っていた中で作曲されたことに鑑みれば、死と隣り合わせの粛清への恐怖や粛清された者への鎮魂、そして独裁者スターリンへの怒りなどが盛り込まれていることは十分に想像できるところだ。

したがって、スコアに記された音符の表層だけをなぞっただけの演奏では、とても同曲の本質を描き出すことができないことは自明の理であると言えるだろう。

本演奏も含めた前述の3強を占める演奏は、いずれも同曲の心眼に鋭く切り込んでいくような凄みがあると言えるところだ。

筆者なりに、この3つの名演の性格の違いを述べるとすれば、畳み掛けていくような気迫や切れば血が噴き出てくるような圧倒的な生命力を有しているのはラトル盤、ラトルの表現をわずかではあるが抑制的にするとともに、演奏全体の造型をより堅固に構築したのがミュンフン盤、そして、本盤のゲルギエフによる演奏は、ミュンフン盤と同様にラトルの表現を若干抑制的にしつつ、楽曲の細部に至るまで彫琢の限りを尽くした精緻な表現が施された演奏と言えるのではないだろうか。

あたかも、ゲルギエフが指揮する際のこまやかな指の動きを彷彿とさせるかのように、楽曲の細部に至るまで入念かつ精緻に表現し尽くしているとも言えるところであり、他の演奏では聴くことが困難な音型をも聴くことが可能なのも本演奏の大きなアドバンテージと言えるであろう。

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2013年10月09日


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ゲルギエフ&ロンドン響によるマーラーチクルスが終盤に差し掛かった頃のライヴ録音である。

これまでの各交響曲の演奏を顧みると、名演とイマイチの演奏が混在しており、玉石混交といった状況にある。

これまで発売されたいずれの交響曲も、聴く前は、名演、駄演のどちらに転ぶかわからないといった予測が付かない不安があったが、本盤は、幸いにもいい方に転んでくれた。

これまでの演奏の中でもかなり上位にランキングできる素晴らしい名演と評価してもいいのではないか。

ゲルギエフは、ここでは、チャイコフスキーやショスタコーヴィチ、ストラヴィンスキーなどで垣間見せた野性味溢れるドラマティックなアプローチは薬にしたくもない。

むしろ、自我を極力抑えて、マーラーの音楽を精緻に美しく描き出していくことに専念しているように思われる。

もちろん、演奏に強弱の起伏がないわけではなく、トゥッティにおける金管楽器やティンパニなどの最強奏は圧巻の迫力を誇っているのだが、いわゆる踏み外しがいささかも感じられないのである。

これは、ゲルギエフが、テンポの変化を最小限に抑えているのに起因しているのかもしれない。

したがって、この演奏の場合、ドラマティックな要素は極めて少なく、むしろ、スケールの壮大さで勝負した感がある。

このようなアプローチは、本来的には「第5」のような劇的な要素が支配的な交響曲の場合には相応しいとは言えないが、前述のような壮大なスケール感と精緻な美しさによって、マーラーの「第5」に新鮮な魅力を見出すことに成功した点は評価せざるを得ないのではないだろうか。

マーラーの「第5」に、ドラマティックな演奏を期待する聴き手、バーンスタインやテンシュテット、プレートルなどの劇的な名演を好む聴き手からは、物足りないとの批判が寄せられることは十分に予測されるが、筆者としては、マーラーの「第5」に新しい光を当てた異色の名演として、高く評価したい。

SACDマルチチャンネルによる極上の高音質録音も、ゲルギエフの精緻なアプローチを鮮明に再現し得るものとして、大いに歓迎したい。

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2013年08月09日


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ゲルギエフ&ロンドン交響楽団によるマーラーチクルスもついに大詰めを迎えることになり、ついにマーラーの最高傑作である第9番が登場することになった。

本盤に収められたマーラーの交響曲第9番の演奏は、昨年3月のライヴ録音とのことであるが、それに先立って一昨年末での東京での演奏会などでも同曲を採り上げており、ゲルギエフとしても満を持してこの最高傑作の録音に臨んだということなのであろう。

それだけに、本演奏も、ゲルギエフによる並々ならぬ意欲を感じさせる圧倒的な名演に仕上がっている。

第1楽章からして、ゲルギエフのテンションは全開であり、トゥッティに向けて畳み掛けていくような気迫、そしてトゥッティにおける強靭な迫力など、前のめりになって演奏するゲルギエフによる、切れば血が噴き出てくるような圧倒的な熱き生命力を感じることが可能だ。

テンポの緩急や思い切った強弱の変化、そしてアッチェレランドの駆使など、ありとあらゆる表現を用いることによって、マーラーが同曲に込めた死への恐怖や闘いを的確に描出し、ドラマティックの極みとも言うべき豪演を展開しているのが素晴らしい。

第2楽章もゲルギエフならではの躍動感溢れる演奏が光っており、テンポといい、リズム感といい、これ以上は求め得ないようないい意味での緻密な演奏を展開している。

第3楽章は、緻密さの中にも荒々しさを感じさせるような強靭さが際立っており、終結部に向けての猛烈なアッチェレランドは我々の度肝を抜くのに十分な迫力を誇っている。

そして、終楽章は、中庸のテンポで滔々と美しい音楽が醸成されていくが、各フレーズに対する心の込め方には尋常ならざるものがあり、マーラーが同曲に込めた生への妄執と憧憬を情感豊かに濃密に描き出していると言えるだろう。

いずれにしても、本演奏は、ゲルギエフ&ロンドン交響楽団によるこれまでのマーラーチクルスの中でも飛び抜けた内容を誇る名演と高く評価したい。

音質は、マルチチャンネル付きのSACDによる極上の高音質であり、その臨場感溢れる鮮明な高音質は、本名演の価値を高めるのに大きく貢献しているのを忘れてはならない。

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2013年07月09日


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ゲルギエフ&ロンドン交響楽団の近年における進境の著しさを表す1枚だ。

この黄金コンビのドビュッシーも、至高の名演と高く評価したい。

このドビュッシーも、その極上の最優秀録音についてまずは指摘をしておきたい。

ドビュッシーの管弦楽曲は、フランス印象派ならではの精緻にして繊細であり、なおかつ光彩陸離たるオーケストレーションが満載であり、これを完璧に再現するためには、録音が鮮明であることが必要不可欠である。

マルチチャンネル付きのSACDであれば、なおさら理想的な音質であると言えるところであり、本盤も、そうした臨場感溢れる極上の高音質録音によって、ドビュッシーの管弦楽曲における魅力的なオーケストレーションを大いに満喫することができるのが何よりも素晴らしい。

ゲルギエフは、ヴァイオリンの両翼型配置を採用しているとのことであるが、各ソロ奏者の卓抜した技量も含め、オーケストラを構成する各奏者の位置関係を明瞭に聴き取ることが可能であるというのは、まさにドビュッシーの管弦楽曲を鑑賞する醍醐味があると思う。

演奏も、前述のように素晴らしい名演だ。

交響詩「海」は、オペラにおいても数々の名演を成し遂げてきたゲルギエフならではの演出巧者ぶりが際立っており、3つの場面の描き分けはきわめて秀逸である。

特に、「風と海の対話」における畳み掛けていくような気迫溢れる力強さは、圧倒的な迫力を誇っている。

バレエ音楽「遊戯」は、チャイコフスキーやプロコフィエフ、ストラヴィンスキーのバレエ音楽でも数々の名演を成し遂げてきたゲルギエフならではの色彩豊かで、切れ味鋭いリズムが魅力のセンス満点の名演だ。

そして、牧神の午後への前奏曲は、同曲が持つ官能的な美しさを極限まで表現し得た稀有の名演と高く評価したい。

ゲルギエフの統率の下、最高のパフォーマンスを発揮しているロンドン交響楽団の卓越した技量も見事であり、特に、牧神の午後への前奏曲のフルートの美しさには、抗し難い魅力に満ち溢れている。

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2013年06月20日


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これは素晴らしい名演だ。

近年のゲルギエフ&ロンドン交響楽団の充実ぶりを窺い知ることができる名演とも言うことができるだろう。

本盤の選曲も絶妙である。

ストラヴィンスキーとラフマニノフと言えば、その芸風は全く正反対。

この両者は、同時期にアメリカ合衆国で活躍していたこともあるが、ストラヴィンスキーはラフマニノフの楽曲を前時代的な作風と酷評していたのは想像に難くなく、他方、ラフマニノフにしてみれば、ストラヴィンスキーの楽曲は、革新的でとても受け入れがたいものであったのではないだろうか。

それでも、どちらが送り手だったか記憶が定かではないが、両者には有名な蜜月の逸話が存在しており、両者のまるで異なる芸風ほどに溝があったのではないのかもしれない。

実際のところ、この両者は、ともに故国ロシアの大作曲家であるチャイコフスキーを深く敬愛していたことにおいても共通しており、意外にもお互いを認め合っていたと言えるかもしれない。

しかしながら、本盤に収められたストラヴィンスキーの3楽章の交響曲と、ラフマニノフの交響的舞曲は、全く対照的な作品と言える。

革新的なリズムをベースとしつつ、強烈無比な不協和音などがさく裂する現代音楽の申し子のような楽曲と、故国ロシアへの望郷の念が色濃く反映された情感豊かでメランコリックな旋律に満ち溢れた楽曲。

ゲルギエフは、この対照的とも言える両曲を巧みに振り分け、両曲の魅力を最大限に表現し得ている点を高く評価したい。

ゲルギエフによる両曲のアプローチは、近年のこれら両曲の演奏において一般化しつつある洗練されたものではない。

むしろ、個性的で、いわばあくの強ささえ感じさせるものであり、ストラヴィンスキーの3楽章の交響曲で言えば、ブラスセクションなどもオブラートに包むなどという小細工を弄することなど薬にしたくもなく、ブラスセクションにとどまらず、すべての楽器セクションを思い切って鳴らし、同曲の性格でもある一種の原始的な様相を殊更に強調しているとさえ言えるだろう。

かかるアプローチ故に、他のどの演奏にも増して、ストラヴィンスキーが同曲に込めたメッセージが明瞭に表現されているとも言えるところであり、その意味では、前述のように、同曲の魅力を最大限に引き出すことに成功した稀有の名演と評価してもいいのではないかとも考えられるところだ。

ラフマニノフの交響的舞曲も、同曲に特有のメランコリックな旋律の数々を、さすがにかのスヴェトラーノフほどではないが、思い切って歌い抜いており、演奏全体から漂ってくる独特の情感の豊かさは、ラフマニノフが亡命した後、2度と足を踏み入れることができなかった故国ロシアへの深い愛着の念が滲み出ており、実に感動的である。

演奏全体のスケールの大きさは、悠久の大地ロシアを思わせるのに十分であり、本演奏を、近年のゲルギエフの充実ぶりが如実にあらわれた名演と評価するのにいささかも躊躇するものではない。

加えて、本盤で素晴らしいのは、マルチチャンネル付きのSACDによる極上の高音質録音である。

いずれにしても、ゲルギエフ&ロンドン交響楽団による素晴らしい名演を、マルチチャンネル付きのSACDという、臨場感溢れる極上の高音質で味わうことができるのを大いに喜びたい。

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2013年05月01日


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両曲ともに素晴らしい名演だ。

現在の様々な指揮者の中で、ショスタコーヴィチの交響曲の名演を成し遂げる可能性がある指揮者と言えば、これまでの実績からして、本盤のゲルギエフのほかは、インバル、ラトルなどが掲げられると思うが、インバルは、ウィーン交響楽団との全集完成以降は新たな録音が存在せず、ラトルも「第4」の超名演以外には論ずるに値する名演を成し遂げているとは言い難い。

他の指揮者による名演もここ数年間は成し遂げられていないという現状に鑑みると、現在では、ショスタコーヴィチの交響曲の演奏についてはゲルギエフの独壇場と言えるのかもしれない(もっとも、一昨年発売された若手指揮者のクルレンツィスによる交響曲第14番「死者の歌」は名演であったが)。

いずれにしても、本盤に収められた名演は、このような考え方を見事に証明するものと言えるだろう。

特に、第10番が壮絶な名演だ。

第10番の過去の名演としては、初演者として同曲が有する精神的な深みを徹底して追求したムラヴィンスキーの名演(1976年)と、鉄壁のアンサンブルと卓越した管楽器奏者の技量によって、圧倒的な音のドラマを構築したカラヤンの名演(1981年)が双璧であると考えられる。ゲルギエフは、この両雄の薫陶を受けた指揮者であるが、本盤の演奏は、どちらかと言うと、ムラヴィンスキーの系列に繋がるものと言える。

全体として堅固な造型を構築しつつ、畳み掛けていくような緊迫感や、生命力溢れる力強さは圧巻の迫力を誇っていると言える。

スコアに記された音符の表層をなぞるだけでなく、スターリン時代の粛清や死の恐怖などを描いたとされている同作品の本質をこれだけ音化し得た演奏は、おそらくはムラヴィンスキー以来初めてではないかとさえ思われるほどだ。

その壮絶とも言える圧倒的な迫力は、我々聴き手の肺腑を打つのに十分だ。

他方、第3番は、ショスタコーヴィチの各交響曲の中でも、第2番と並んであまり演奏されない楽曲と言えるが、ゲルギエフは、同曲においても、楽曲の本質を抉り出していくような鋭さを感じさせる凄みのある演奏を披露しており、おそらくは、同曲演奏史上ベストを争う名演と高く評価したい。

ゲルギエフの統率の下、手兵マリインスキー劇場管弦楽団は最高のパフォーマンスを示していると言える。

マルチチャンネル付きのSACDによる極上の高音質録音も、本名演の価値を高めるのに大きく貢献している点を忘れてはならない。

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2013年03月02日


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ショスタコーヴィチの15曲ある交響曲の中でも、第2番及び第11番(他に第3番も人気がない)は、最も人気のない部類に入ると思われるが、本盤は、そうした既評価を覆すのに十分な名演だ。

特に、第2番については、これまでの数々のCDの中でも随一の名演と言っても過言ではないのではなかろうか。

第2番は、早熟の傑作と称された第1番とは異なり、およそ交響曲とは言い難い独特の様式によって作曲されているが、ゲルギエフが指揮すると、起承転結のはっきりした立派な交響曲に聴こえるから大したものだ。

冒頭の暗い抒情から、後半部の壮麗な合唱に至るまで、ゲルギエフは実に精緻に楽想を描き出していく。

下手な演奏では取ってつけたように響くサイレンの音色も、ゲルギエフの場合は、決して唐突ではなく、楽想の中に見事に溶け込んでいるのが素晴らしい。

第11番も名演。

凡庸な演奏だと、冗長ささえ感じさせ、ウドの大木のように聴こえる同曲であるが、ゲルギエフの指揮によると、スケールの大きい、そして構成力のしっかりとした大交響曲に聴こえる。

また、交響曲としての枠組みや音響による描写よりも、作品全体の雰囲気を大切にした演奏で、十分にドラマティックでありながら、むしろしみじみとした情感が胸を打つ。

特に、全曲のクライマックスを、第2楽章の中間部ではなく、終楽章の終結部に持っていったのは素晴らしく、ゲルギエフがこの大交響曲をしっかりと理解し、全体像をよく把握していることがよくわかろうというものだ。

いわゆる爆演とは異なるが、聴後に残る感銘はその何倍も深い。

SACDマルチチャンネルによる極上の高音質録音も素晴らしい。

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2012年12月25日


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万人に訴えかける説得力を備えたゲルギエフとマリインスキー劇場管弦楽団によるショスタコーヴィチ交響曲シリーズの第1作にあたるこの演奏は、1994年にヨーロッパ楽旅を行った際に録音された。

ショスタコーヴィチの「第8」は、初演者で献呈者でもあるムラヴィンスキーによる超弩級の名演(1982年盤)があるだけに、他のいかなる演奏を持ってきても物足りなさを感じるのは否めない事実である。

そのような中にあって、本盤のゲルギエフ盤は、なかなかに健闘しており、部分的にはムラヴィンスキーを凌駕する箇所も散見される点を考慮すれば、名演と評価しても過言ではないものと思われる。

第1楽章は、ゲルギエフにしては随分と抑制された表現で開始されるが、その後の展開部では一転して、金管楽器による最強奏が炸裂する。

要は、冒頭の抑制された表現は、楽曲全体を見据えた上での計算された解釈ということであり、ここに俊英ゲルギエフのしたたかさがあらわれていると言える。

展開部終了後のイングリッシュ・ホルンは美しさの極みであるが、終結部のトランペットの絶叫はいささか凡庸のような気がした。

第2楽章は、ゲルギエフとしては普通の出来で、ゲルギエフならば、もう一段次元の高い演奏を望みたい。

第3楽章は、本演奏の中では問題が多いと言える。

丸みを帯びたリズムの刻み方はいかにも生ぬるく、これでは、この楽章の狂気は表現できないと思う。

しかしながら、終結部のティンパニの重量感溢れる強打は他のどの演奏よりも最高のド迫力。

続く第4楽章は本名演の白眉。

ピアニッシモを意識するあまり殆ど聴き取れないような軟弱な演奏が散見される中で、切々たる心の痛みを、力強さをいささかも損なうことなく気高く描いていくのは、俊英ゲルギエフならではの至芸と言えよう。

終楽章のシニカルな喜劇も、隙のない卓越した表現で描き、いわゆる「強制された平和」のうちに全曲を締めくくるのである。

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2012年12月16日


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ゲルギエフ&ロンドン交響楽団によるマーラーの交響曲全集もいよいよ佳境に入ってきた、と言いたい。

というのも残すは「大地の歌」のみで、全集に「大地の歌」を入れない指揮者が過去に少なからずあったからである。

ゲルギエフには、「第10」の補筆完成版まで録音してくれとは言わないが、「大地の歌」の録音は残してほしい。

ゲルギエフのマーラーは、一言で言えば緻密で繊細な表現ということが出来る。

録音の加減もあるのかもしれないが、例えばストラヴィンスキーの「春の祭典」などで発揮した野性的とも言うべき土俗的な迫力をあまり聴くことができない。

筆者としては、ゲルギエフのマーラーには、精緻さも決して不要とは言わないが、こうした土俗的な劇的表現を期待しており、そのような点からすれば、いささか物足りない演奏に終始することが多々あった。

しかしながら、この「第4」について言うと、ゲルギエフの緻密で繊細な表現が楽想に見事にマッチ。

玉石混交とも言うべきゲルギエフのマーラーの交響曲の演奏中、おそらくは第1位、第2位を争う名演となった。

特に感動したのは、「第4」の中で最も長大な第3楽章。

長大さ故に、ここをいかに乗り越えるかどうかで演奏の評価は定まってくるものと言えるが、ゲルギエフは精緻とも言うべき繊細な表現で、実に感動的な名演を成し遂げている。

終楽章のクレイコムの独唱はいささか線が細い気もするが、ゲルギエフのアプローチを考えると、あながち不十分とは言い難い。

録音はSACDマルチチャンネルによる極上の高音質であり、特に第3楽章終結部のティンパニの立体音響の迫力は、驚くべき鮮明さである。

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2012年12月13日


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演奏もさることながら、本盤の魅力は、SACDマルチチャンネルによる極上の高音質である。

ラフマニノフのピアノ協奏曲第3番は、あらゆるピアノ協奏曲の中で、終始ピアノが弾き続ける随一の超難曲であるが、このような極上の立体音響で聴くと、ピアノの動きがよくわかり、いかに至難な曲であるのかが理解できる。

この曲はラフマニノフの自作自演やホロヴィッツを愛聴してきたが、この新録音を聴いて久しぶりに衝撃を受けた。

マツーエフのピアノは超絶的な技巧を駆使しつつ、力強い打鍵が見事であり、この曲の持つ故国ロシアへの望郷の抒情の描き方も素晴らしい。

導入部のピアノの繊細な音色とクライマックスの色彩感は、何度聴いても素晴らしい。

ゲルギエフ&マリインスキー劇場管弦楽団のサポートも見事であり、前述の録音の素晴らしさも相まって、見事な名演と評価したい。

しかし、第3楽章にまさかのカットがあり、いくらラフマニノフ自身がカットを公認した箇所とはいえ、1950年代のLPならともかく、2009年になってまだその箇所をカットして録音するのはいただけない。

パガニーニの主題による狂詩曲も、構築力の堅固さ、オーケストラのしなやかな表現力は、素晴らしいの一言に尽きる。

各部の描き分けが実に巧みであり、同曲のベストを争う名演と言っても過言ではないと思われる。

マツーエフ&ゲルギエフのコンビによる残りのラフマニノフの録音も期待したい。

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2012年11月21日


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いかにもロシア的な抒情に満ち溢れた超名演だ。

ラフマニノフの「第2」は、最近では多くの指揮者が演奏する人気曲として認知されているが、現代風に洗練された演奏が主流となり、ロシア音楽ならではのアクの強い演奏が鳴りをひそめているのが何とも残念な傾向にあると思っていた。

そこに登場したのがゲルギエフの再録音に当たる本盤であり、スヴェトラーノフほどではないものの、ロシア音楽ならではのアクの強さが顕在化しているのが何とも嬉しい限りだ。

第1楽章は、提示部を繰り返しているのに大変驚かされた。

他の指揮者でも、ザンデルリンクの新盤くらいしか見当たらず、非常に稀な例と言えるだろう。

しかしながら、繰り返しによる冗長さはいささかも感じられず、むしろ繰り返しが必然のように思えてくるのは、演奏の素晴らしさの証左と言える。

ロシアの悠久の大地を思わせるようなスケールの大きい重量感や、ロシア風の情感溢れるうねるような演奏が実に感動的だ。

第2楽章は、各局面におけるテンポ設定の巧みさが際立つ。

畳み掛けるような弦楽による重厚な進軍やアッチェレランドの駆使は、我々聴き手の度肝を抜くのに十分な迫力だ。

第3楽章は、旧盤よりもゆったりとしたテンポで、名旋律を歌い抜く。

スヴェトラーノフに比べると、幾分抑制がかかっているように思うが、それでも情緒に溺れることなく、高貴な芸術性を失わない点は、さすがの至芸とも言える。

特に、コーダの意味深さはゲルギエフが一番だ。

終楽章は、華麗なる音の饗宴であるが、それでいて単なる馬鹿騒ぎには陥らず、テンポといい、強弱といい、いずれも申し分なく、決して上滑りしない彫りの深い表現を行っている点を高く評価したい。

終結部の踏みしめるようなティンパニや金管の最強奏や、猛烈なアッチェレランドには、もはや言葉を失うほどの感動を覚えた。

SACDマルチチャンネルによる極上の高音質も本盤の魅力の一つであり、今後録音が予想される「第1」や「第3」への期待を持った聴き手は、決して筆者だけではあるまい。

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2012年10月17日


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プロコフィエフの「ロメオとジュリエット」は、最近ではコマーシャルで採り上げられたり、NHKの番組でも放映されたりするなど、急速に有名になりつつあるが、殆どは組曲の形で演奏されるのが主流であり、全曲録音は未だに稀少な存在だ。

かつては、マゼール&クリーヴランド管弦楽団の名演があったが、それ以降は、あまりめぼしい録音に恵まれなかったところである。

そのような中で久々に登場した本盤のゲルギエフの全曲録音は、そんな長年の渇きを癒すのに十分な名演だと思う。

ゲルギエフは、この膨大な全曲の各場面を、実に丁寧に描いていく。

予想通りプロコフィエフらしいグロテスクと紙一重の毒気はほどよく解毒されているが、それでもゲルギエフならではの渾身の熱演。

どちらかと言えば、ゲルギエフには、例えばストラヴィンスキーの「春の祭典」などにも示したように、もっとロシア風のあくの強い演奏を期待したいところであるが、本盤は、それを封印して、優雅にして高貴なバレエ音楽をイメージして演奏したのではないかとも思えるほどの柔和さを示している。

しかし、これほど精緻に、そして丁寧に、各場面を描き尽くした演奏は立派というほかはないと言うべきであり、決して物足りなさを感じさせることはなく、名演として高く評価したいと考える。

ゲルギエフは世評のようなカリスマなのではなく、実は本来極めてオーソドックスな指揮者なのだ。

これを聴くと、音だけでなく踊りを楽しむと同時に振り付けと音楽のマッチングもゲルギエフ&キーロフ・バレエで観てみたいという思いに駆られる。

滑らかさとダイナミズムを併せ持ったSACDマルチチャンネルによる高音質録音も、この名演に華を添えている。

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2012年09月04日


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2009年2月15-20日 マリインスキー劇場コンサートホールに於けるデジタル(セッション)録音。

ゲルギエフとマリインスキー劇場管弦楽団とのゴールデンコンビによる帝政ロシア時代の国歌が、いろいろな変奏を加えられながら演奏された5作品収録。

有名な大序曲「1812年」やスラヴ行進曲のみならず、カンタータ「モスクワ」、戴冠式祝典行進曲など、本盤に収められたいずれの楽曲も統一テーマはロシア国家。

これでもかというくらい、ロシア国家が様々な変奏を加えながら奏される。

現今において、ゲルギエフとマリインスキー劇場管弦楽団ほど、ロシア民族色の濃い演奏が可能なコンビはなく、本盤のような楽曲の演奏においては、右に出るものはいないと言える。

演奏は聴き応え十分で文句のつけようがない上に、カンタータの合唱、ソロも素晴らしい。

どの曲も水を得た魚のような堂々たる名演を聴かせてくれている。

「1812年」は、筆者自身このコンビの実演に接したこともあり、特に、大砲やカリヨンが鳴り響く終結部のド迫力にも圧倒されるが、抒情的な箇所の旋律の歌い方も見事であり、合唱などは挿入していないものの、同曲のベストを争う名演と言っても過言ではあるまい。

カンタータ「モスクワ」も合唱の整然とした美しい響きが実に感動的であり、あまり知られていない同曲の魅力を再認識させてくれる。

他の3曲も見事な出来栄えであり、ゲルギエフ&マリインスキー劇場管弦楽団のコンビとしても会心の名演と言えるだろう。

そして、何よりも素晴らしいのはSACDマルチチャンネルによる極上の名録音。

特に、「1812年」の大砲とカリヨンが、歪みもなく鮮明に再現されるのには大変驚いた。

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2011年09月12日


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ゲルギエフ初のワーグナー。

彼はワーグナーにことのほか情熱を示しているが、録音として出るのはこれが最初となる。

「パルジファル」は聖杯伝説を扱い宗教色が強いため、旧ソ連時代は全く演奏されず、崩壊後の1997年にゲルギエフにより80年ぶりに復活蘇演された。

晩年のワーグナーならではの長大で難解な作品ながら、ゲルギエフは得意として世界各地で上演し、好評を博している。

日本でも熱い期待が寄せられ、つい先ほどの2011年2月に第3幕を演奏会形式で上演して、好評を博した。

当盤はもちろん全曲盤。

ルネ・パーペをはじめリトアニアの名花ヴィオレッタ・ウルマーナほかゲルギエフの信頼厚い芸達者が集結、非常な熱演を見せてくれる。

ゲルギエフも終始強い緊張感を保ちつつ、壮麗な響きを引き出す豪演で、聴き手を陶酔の世界へと導く。

彼の音楽もますます大きくなり、さすがの巨匠芸を聴かせてくれる。

音のスライドが美しい、まさに音の饗宴で、ところどころ派手な場面もあるが、音楽の静謐さを損なうことはない。

こんな「パルジファル」は聴いたことがなかった!

「パルジファル」解釈の新しい礎となる衝撃的演奏の登場といえよう。

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2011年04月09日


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ショスタコーヴィチの15曲の交響曲うち、第2次世界大戦の間に作曲された第7番から第9番までを《戦争交響曲》と呼ぶことがある。

ゲルギエフはその概念を拡大し、ショスタコーヴィチの自由への戦いが始まる第4番から第9番までを《戦争交響曲》と呼び、その録音を完成している。

第5番はなかでも屈指の出来を示すもの。

初演者ムラヴィンスキーをはじめとして名演を残してきた指揮者は数多い。

ゲルギエフはショスタコーヴィチが独自の交響曲を確立したこの名作に新たな生命を与えているが、小奇麗に纏め上げることはしない。

作品をいったん完全に咀嚼し、その後、自らの個性と一体になった形で新たな有機体を創造する。

そこでは彼自身のソヴィエト時代の経験も大きく生かされていることだろう。

それにしてもなんという真実の音楽であろうか。

曲が盛り上がれば血がしたたり、リズムはめくるめくばかりの雄弁さでものをいい、心の大波が押し寄せる。

ゲルギエフの表現にウソは一つもなく、まさに作品の本質を衝いた名演といえよう。

現代の音楽界でただ一人カリスマ的魅力を放つゲルギエフ。破格の求心力で作品を生きたドラマとして再現する。

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2011年04月02日


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ライヴ収録された《展覧会の絵》の余白に、スタジオ録音の《禿山の一夜》以下3曲を補充したロシア・アルバム。

ゲルギエフはウィーン・フィルという老獪なオケを実に巧みに操り、各曲の特徴を見事に描き分けている。

テンポは比較的速めだが、曲同士のコントラストがあり、鮮やかでメリハリがある。

スケールの大きな演奏だが、ロシア的重厚長大と言うよりは、現代的で洗練された重厚さと言える。

相手がウィーン・フィルであろうとなかろうと、ゲルギエフの汗の迸るようなリーダーシップの矛先は、容赦なく楽員たちに襲いかかる。

あえて言うなら、この《展覧会の絵》は、良くも悪くも、ゲルギエフ本領発揮の独壇場ということになろう。

ラヴェルの編曲がソフィスティケートしたかと思われた、曲の底流にあるロシア的なアクの強さを、いわば素手でむんずと摑み出して、客席に投げつけてくるようなところがある。

昨年筆者はゲルギエフがマリインスキー劇場管を指揮した《展覧会の絵》の実演を聴いたが、その時の記憶がまざまざと蘇る。

いっそのこと、オケがロシアの超重量級だったら、いっそう徹底して、むしろすっきりしたかも。

とはいえ、ウィーン・フィルのうまさにはここでも改めて舌を巻く。

特に各ソロのアゴーギクを伴った柔軟な表情は、音色の絶妙な変化も含め、実に魅力的だ。

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2010年07月29日


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現代ロシアの楽壇を牽引するゲルギエフは、そのあふれるばかりの表現意欲と一分の曖昧さをも残さない徹底した解釈とで作品を雄弁かつ鋭角的に再現、この交響曲が秘め持つインパクトをまさに裸になって披歴している。

前例を見ない壮麗さ、大胆というべき表現の劇的起伏、そして原色的色彩感とリズムの鮮やかさが無類であり、圧倒的である。

それは確かにショスタコーヴィチの戦争交響曲の一つとしての位置づけの中で再現した熱演に他ならないが、ゲルギエフの指揮で聴くとき、その戦争はスペクタクルなどでは毛頭なく、苦悩する人間の姿が描かれた深刻なメッセージが噴出してのた打ち回っているかのようだ。

汗びっしょりになってタクトを振るその姿から「燃焼型」のようなイメージを持たれるゲルギエフだが、オペラハウスで鍛えられたドラマティックな面と明晰な楽曲分析による細かいアーティキュレーションをオーケストラに徹底させるクールな面を併せ持つマルチな指揮者である。

通常の倍程度の管楽器プルトを必要とするため、手兵マリインスキー管弦楽団にロッテルダム・フィルを加えた共同オーケストラで録音に臨んだ《レニングラード》は、第1楽章から大人数とは思えないくらいにダイナミックレンジを抑えてドライヴ。

第3楽章は美しくも哀しげなカンタービレが顔を覗かせるが、第4楽章途中まで抑えた演奏は続き、そして、「近づく勝利」を表現する怒涛のフィナーレへ突入。

その迫力たるやまさに鳥肌もの。

作品の核心を衝いた名演というべきだろう。

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2010年06月11日


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チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲は、名ヴァイオリン奏者たる者、誰もが採り上げているし、残された名盤も数多いが、ロシアの若手世代のリーダー格、レーピン(1971年生まれ)はゲルギエフ率いるマリインスキー歌劇場管弦楽団という理想的なバックアップを得て名演を作り上げた。

完璧なテクニックと妖しいまでに魅惑的なカンタービレの心を持つ名手だが、レーピンはそうしたものは作品の本質とは関係がないとばかりに、感触はちょっと冷たくすらある演奏を披露している。

だが、レーピンの演奏は実はそこから出発しているのであって、協奏曲全体を俯瞰しながら作品の核心へと突き進んでいくドラマティックこの上ない演奏の世界を打ち立てている。

ゲルギエフの指揮も遠慮などしていない。

協奏曲はソリストが主役なのだからオーケストラは抑えてという配慮もない。

「真のヴィルトゥオーゾが相手のときには遠慮する必要などありません。オーケストラを殺す必要はないのです」とゲルギエフは語っていた。

肝心なのは協奏曲という形式ではなく、協奏曲というフォームを借りて編み出された作品そのものの価値であり、そこに潜む宝石を探り当てることというわけだろう。

ソリスト、指揮者、オーケストラが火花を散らした熱演は、協奏曲が協奏曲を超えてオペラになった、そんな感触が与えられる。

耳慣れた作品が演奏家の尽力によりその姿を一変させることがある。ここに聴く協奏曲もその一つ。

同時に収録されたミヤスコフスキー(1881-1950)のテンペラメントの激しさもまた出色である。

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2009年10月10日


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11月にゲルギエフ&マリインスキー劇場管弦楽団が再び来日公演を行う。プログラムのメインはチャイコフスキーの「悲愴」。期待を込めて、このコンビが録音した「悲愴」のディスクを聴いて予習しておきたい。

このCDは1997年にフィンランドでスタジオ収録されたゲルギエフとマリインスキー劇場管弦楽団の好調ぶりを如実に伝える1枚。

全曲を支配するとてつもない勢いはただものではない。

もちろん、力で押し切るだけではなく細かな配慮も怠らず、真に圧倒的なチャイコフスキーを実現している。

のたうち、うめくように始まる第1楽章冒頭から彼の術中にはめられる。

ファゴットをはじめすべての楽器の音色は完璧なまでにコントロールされ、まるで生きもののように自発性を発揮する。

交互に火花を放つ瞬間の爆発的な力の発露も、この指揮者とオーケストラならではのものだ。

ほのかな陰影を宿した第2楽章の美しさ、第3楽章の凄絶なクライマックス、そして再び苦しみに苛まれる終楽章とどこをとっても申し分のない仕上がり。

しかもライヴかと思われるほどの緊張感が維持されているのだから驚かされる。

真にロシア的な表現と高揚感、西欧のアンサンブルを兼ね具えた名演といえよう。

さて、この録音から12年経ち、このコンビがこのディスクの演奏内容をさらに凌駕する演奏を聴かせてくれることを望んで、楽しみに待ちたい。

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2008年12月05日


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ブーレーズの最初の「春の祭典」の録音(1963年フランス国立放送管弦楽団)以来、総じてその演奏は、ますます精緻に明晰なものになってきているといってよいだろう。

そうした中で、このゲルギエフの演奏には、驚くほど濃密で原初的なエネルギーが横溢している。

ゲルギエフは、いま最も注目されている実力指揮者である。

ロシアの指揮者とオーケストラらしくどこかほの暗さを残した鮮烈な色彩とエネルギーには独特のものがあるし、その異様なほどの表出力は、例のファゴットの旋律ではじまる<序奏>から<春のきざしと乙女たちの踊り>を聴いただけで明らかだろう。

重厚な響きを切り裂くように鋭く響く高音楽器の悲鳴も、グロテスクなほど強烈である。

しかも、生々しいまでの色彩と張りつめた表現が行きわたった演奏は、個々の声部まできわめて的確に琢磨され、現代の「春の祭典」にふさわしい明晰さとロシア的な手厚い情感が見事にひとつになっている。

これほど強いリアリティと熱く強烈な説得力をもつ「春の祭典」の演奏もないだろう。

真にロシア的な表現と高揚感、西欧のアンサンブルを兼ね具えた名演といえよう。

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2007年11月15日


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ワレリー・ゲルギエフ ユニバーサル クラシック・オフィシャル・サイト
現在最も注目すべきカリスマ指揮者、ワレリー・ゲルギエフについてのサイト。

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