ロッシーニ

2023年04月24日


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アントニオ・パッパーノ指揮/サンタ・チェチーリア国立アカデミー管弦楽団(ローマ)の2014年来日記念盤。

前回の来日公演で観客に大熱狂を起こした「ウィリアム・テル」序曲他、このコンビならではのレパートリー。

イタリアを代表する管弦楽団による、イタリアを代表する作曲家ロッシーニの迫力あるクライマックスが炸裂するサウンドに魅了される作品。

アントニオ・パッパーノは既にロッシーニのオペラ全曲上演を数多く手がけていることもあって、こうした序曲集にも彼のオリジナリティーに満ちたアイデアが横溢している。

ロッシーニのオーケストレーションは基本的に厚いものではないが、協奏曲顔負けのソロ・パートの名人芸によって彩られていて、むしろ陳腐だが劇的なクレッシェンドやアッチェレランドを間を縫って効果的に書かれている。

はっきり言ってロッシーニの音楽には苦悩も晦渋もない。

聴こえてくる音そのものが勝負だから、それを如何に美しく、そして一糸乱れずにまとめあげるかに演奏の良し悪しがかかっていると言える。

パッパーノはサンタ・チェチーリアの首席奏者達の鮮やかなソロを前面に出しながら、どの曲も比較的シンプルだが生き生きとした臨場感溢れる音楽に仕上げている。

大曲『セミラーミデ』でも分厚い音響を創るのではなく、明快なラインを聴かせているし、『ウィリアム・テル』の「夜明け」でのチェロの五重奏はかつて聴かれなかったほど官能的で、続く「嵐」の激しさと強いコントラストをなしている。

最後の『アンダンテ、主題と変奏』は、ソリストとしても活躍しているフルートのカルロ・タンポーニ、クラリネットのアレッサンドロ・カルボナーレ、ファゴットのフランチェスコ・ボッソーネ及びホルンのアレッシオ・アッレグリーニの首席4人による完全なアンサンブルで、それぞれがテーマを綴れ織のように装飾していく華麗な小品だが、彼らの趣味の良い音楽性とアンサンブルのテクニックを披露した1曲として楽しめる。

イタリアではサンタ・チェチーリア国立アカデミー管弦楽団が、スカラ座フィルハーモニー管弦楽団と並んで国内外で純粋なオーケストラル・ワークも演奏する名門オーケストラだが、彼らもやはり創設以来劇場用の音楽作品上演の豊富な経験を積んでいる。

前任のチョン・ミュンフンに続くパッパーノとの相性も良く、こうした作品では楽員の持っている情熱がしっかり統率されたチーム・ワークが聴きどころのひとつだろう。

2008年から2014年にかけてのライヴとセッションを集めた音源で、ロッシーニの音楽には欠かせない、切れの良いリズム感と鮮烈な音響をオン・マイクで捉えた極めて良好な音質。

今回の録音会場も前回のレスピーギと同様、ローマのパルコ・デッラ・ムージカにあるサーラ・サンタ・チェチーリアで行われた。

2002年にチョン・ミュンフンのこけら落としでオープンした2756名収容のホールで、残響は満席次で2,2秒を誇っているが、亡きヴォルフガング・サヴァリッシュの指摘でその後音響の改善がされている。

確かに大規模な管弦楽には適しているが、コーラスが加わる作品では残響が煩わしくなる傾向が否めない。

ちなみにパルコ・デッラ・ムージカには1133席のサーラ・シノーポリ、673席のサーラ・ペトラッシの3つのコンサート・ホールが向かい合わせに並んでいる。

サンタ・チェチーリア国立アカデミー管弦楽団は、パッパーノが音楽監督に就任した2005年にヴァティカンの旧アウディトリウムから引っ越して、こちらに本拠地を構えている。

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2022年08月05日


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これは、セル&クリーヴランド管弦楽団の全盛期の演奏の凄さを味わうことが可能な圧倒的な名演だ。

セルは、先輩格である同じくハンガリー出身のライナーや、ほぼ同世代のオーマンディとともに、自らのオーケストラを徹底的に鍛え抜き、オーケストラに独特の音色と鉄壁のアンサンブルを構築することに成功した。

ライナーやオーマンディが、シカゴ交響楽団やフィラデルフィア管弦楽団という、もともと一流のオーケストラを鍛え上げていったのに対して、クリーヴランド管弦楽団はセルが就任する前は二流のオーケストラであったことからしても、セルの類稀なる統率力を窺い知ることが可能だ。

セルの薫陶によって鍛え抜かれたクリーヴランド管弦楽団は、すべての楽器セクションがあたかも一つの楽器のように聴こえるほどの精緻なアンサンブルを誇ったことから、「セルの楽器」とも称されるほどであった。

もっとも、演奏があまりにも正確無比であることから、その演奏にある種のメカニックな冷たさを感じさせるという問題点もあったとは言える。

それでも少なくとも演奏の完成度という意味においては、古今東西の様々な指揮者による演奏の中でもトップの座を争うレベルに達しているのではないかと考えられるところだ。

本盤のロッシーニの序曲集は、いずれも全盛期のこの黄金コンビの演奏の完全無欠ぶりを味わうことが可能だ。

その演奏の鉄壁さにおいては、かのカラヤン&ベルリン・フィルの演奏をも凌駕するほどであり、聴き手はただただ演奏の凄さに驚嘆するのみである。

交響曲などの大曲であれば、前述のようなある種のメカニックな冷たさなどが露呈するきらいもないわけではないが、本盤のような小品集の場合は、かかるセルの演奏の欠点などは殆ど気になるほどのものではないと言える。

ロッシーニの序曲集の選曲に際して、有名な歌劇「セビリアの理髪師」序曲や歌劇「ウィリアム・テル」序曲を録音しなかったのは残念とも言える。

それでも本盤に収録されたその他の序曲は圧倒的な名演であり、あまり贅沢は言えないのではないかと考えられる。

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2022年07月19日


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ロックウェル・ブレイクは1951年生まれのアメリカのテノール歌手で、2005年の舞台を最後に引退した。

彼の活躍した時代はおりしもロッシーニが見直され、全作品の新校訂版が本家のペーザロから出版され、また原典に忠実な解釈を通しての演奏が一般的になった。

歌手達の中でも、いわゆるロッシーニ歌いと言われる専門的技巧を身につけたヴァレンティー二=テッラーニ、バルトリ、ブレイク、コルベッリやダーラなどが一時代を築き上げた。

テノールでは殆ど独占的な実力と人気を持っていたのがブレイクだ。

彼の声質はそれ自体美声というわけではないが、2オクターヴ半の広い音域と、磨き上げたアジリタのテクニックで聴く者を圧倒し、驚嘆させ、ロッシーニの音楽の持つ魅力を再発見させてくれる。

ヴァレンティー二=テッラーニやバルトリと同じようにコロラトゥーラを完璧なまでに歌う歌唱法は、しばしば刺繍に喩えられる。

このディスクが『アンコール・ロッシーニ』と題されているのは、既に『ザ・ロッシーニ・テナー』という先発盤がリリースされていて、それに入りきらなかった比較的マイナーな作品群を集めているからだ。

指揮はマキシミアーノ・ヴァルデス、ロンドン交響楽団、録音は1989年。

個人的な話だが、ブレイクの演奏は何度も舞台で聴くことができた。

オペラは勿論、カンタータではオルフの『カルミナ・ブラーナ』、そしてリサイタルも聴いたが、ローマでのリサイタルでは、歌と歌の間に必ず彼のイタリア語による解説が入るという興味深いものだった。

ユーモアたっぷりに巧みなイタリア語を話していたのを思い出す。

また最後には何が聴きたいか、聴衆にリクエストを取っていた。

これはシャリアピンの演奏スタイルだ。

また当時ラジオのクラシック音楽のトーク番組にも良く出演して、自分の歌唱法についても話していたが、彼の性格の明るさと庶民的な親しさは忘れることができない。

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2022年07月17日


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ロッシーニとハイドンの室内歌曲6曲を歌ったもので、特に前者は低い女声のための主役のオペラや歌曲を数多く作曲している。

ロッシーニの愛した名歌手マリア・マリブランの影響も大きかったに違いない。

ここで歌われている殆んどの曲は、ロッシーニがオペラ界から身を引いた後の作品で、晩年の彼が個人的な集いで試みた創意のサンプルでもある。

例えば『アッディーオ・ディ・ロッシーニ』、『カンツォネッタ・スパニョーラ』や『ラ・ダンツァ』は彼の機智に富んだ溌剌とした作品だし『アヴェ・マリア』は僅か2つの音、GとAsのみで歌われる、音楽に対してのいくらか風刺的な趣を持っている。

一方ハイドンの『ナクソスのアリアンナ』は4部分からなる作品で、第1曲目のロッシーニの『ジョヴァンナ・ダルコ』と並んで彼女のような低い声で聴くと、そのドラマティックな性格がくっきりと浮かび上がってくる堂々とした曲想であることが理解できる。

名コントラルトとしてヨーロッパのオペラ劇場の舞台を席巻したルチア・ヴァレンティーニ=テッラーニは、全盛期の1998年に白血病のため没した。

このアルバムはその2年前に録音されたもので、この年に彼女は白血病の診断を下されている。

その少し前ホセ・カレーラスが復帰を遂げたシアトルのフレッド・ハッチンソン癌リサーチ・センターに入院するが、残念ながら退院を果たすことができなかった。

ここに収められた室内歌曲集は、言ってみれば彼女の最後のメッセージで、決して絶好調だったとは言えない健康状態の下で歌われたものだが、流石に小気味良いアジリタのパッセージはロッシーニ歌いの面目躍如だ。

彼女のファンであれば白鳥の歌としてコレクションの価値は大きいだろう。

1990年代半ばから彼女のキャリアは殆んど停止していたことを思うと、その卓越した才能が惜しまれてならない。

この録音はプライベート的な性格が強く、ピアノの音色が少し人為的な響きで気になるが、深く伸びのある歌声は良く捉えられている。

低い声を活かすことのできる伴奏者はそれほど多くないが、ピアニストのマウリーツィオ・カルネッリはその意味でいまひとつ非力だ。

もう少し切れ味が欲しいし、抑制を効かせて彼女の声を支えるべきだろう。

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2022年06月11日


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このディスクのタイトル『ラ・グランデ・ファンファーレ』はロッシーニの原曲4つのホルンとオーケストラの為の『狩の出会い』をヘルマン・バウマンが無伴奏ホルン・ソロ用にアレンジしたものである。

短いながら狩猟の為の楽器としての勇壮で輝かしい雰囲気や、森の中でのこだまを模倣したエコー効果、そして重音奏法も取り入れた魅力的な小品だ。

アッレグリーニのホルンは低音から超高音に至るまで非常に滑らかな音色で、流れるような美しさがある。

正確な技巧は勿論だが、豊かな音楽性に支えられたカンタービレに溢れ、ホルンが持っている可能性をアンサンブルの中で縦横に駆使している。

このセッションではミラノ・スカラ座のソリスト達と組んで軽快な室内楽の楽しみを満喫させてくれる。

2003年の録音で音質は極めて良好。

イタリアにはドイツやフランスに比べて、管楽器の名手がそれほど多くない。

それはイタリアのオーケストラの殆んどが、それぞれの地方のオペラ劇場と密接に結びついたオペラ専用の楽団で、ヨーロッパの他のオーケストラのように独立して定期的にシンフォニック・コンサートを開くという伝統がなかったからかも知れない。

現在ではこうしたイタリアのオーケストラも世界的なトゥルネーに出向くようになり、そうした中で頭角を現した1人が1982年生まれのアレッシオ・アッレグリーニだ。

リッカルド・ムーティのもとで弱冠23歳でミラノ・スカラ座の主席ホルン奏者に抜擢された。

また現在はローマ・サンタ・チェチーリア管弦楽団の主席だけでなく、ソリストとして国際的な演奏活動を続けている。

尚収録曲目は、ケルビーニ ホルンと弦楽のためのソナタ1番及び同2番、J.G.グラウン ホルン、2つのヴァイオリン、チェロの為の4声の協奏曲変ホ長調、W.L.コール ホルン、ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロの為の四重奏曲第3番、J.ハイドン ホルン、ヴァイオリン、チェロの為の3声のディヴェルティメント、W.A.モーツァルト ホルン、ヴァイオリン、2つのヴィオラ、チェロの為の五重奏曲変ホ長調KV407、G.ロッシーニ ラ・グランデ・ファンファーレ。

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2022年05月23日


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カルロ・マリア・ジュリーニは1953年に、それまでのヴィクトル・デ・サーバタのアシスタントからスカラ座の音楽監督に就任した。

既に彼はオペラの舞台を何本か手掛けていたが、この『アルジェのイタリア女』は1954年の録音で、若き日の颯爽とした指揮ぶりと歌手、オーケストラの統率が優れている。

歌手陣はイサベッラがシミオナート、リンドーロがヴァレッティ、エルヴィーラはシュッティ、そしてムスタファがペトリという役者ぞろいなので、このオペラの面白さを倍増させてくれるキャスティングだ。

下稽古がしっかりしているために、それぞれのアリアで披露するロッシーニのコロラトゥーラは勿論、きめの細かいアンサンブルにジュリーニらしさが良く表れている。

特に第1幕幕切れの五重唱は抱腹絶倒だが、正確なリズムの中に、早口の言葉を歌い込んで揃えるのは至難の業で、ジュリーニは鮮やかに締めくくっている。

ともすればドタバタ劇に陥りやすい作品を、一歩手前で芸術的にこなす音楽性は流石だ。

歌手達はいずれも芸達者で、シミオナートは広い音域を巧みなアジリタで歌っているし、ヴァレッティのフレッシュで軽快なリンドーロも好感が持てる。

マリオ・ペトリは間抜けなバッソ・ブッフォを見事に演じている。

この作品の台本は、もっぱらばかばかしいお笑いに主眼が置かれたもので、高尚な哲学などひとかけらもない。

ロッシーニの腕にかかると、他の作曲家の間に合わせに書いた速筆とは思えないほど一流の喜劇として蘇る。

モノラル録音なのが残念だが、リマスタリングのためか音質は極めて良好。

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2022年05月15日


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この録音は、若きアバドが『チェネレントラ』に続いてロッシーニの代表作に挑戦したこと、プライのフィガロ、それにロッシーニの想定どおりメゾ・ソプラノのベルガンサが歌っていることが評判になって、このオペラの定盤的存在として知られている。

アバドは評価の難しい指揮者である。

それは、ベルリン・フィルの芸術監督就任後の停滞によるところが大きい。

偉大な指揮者の後任は誰でも苦労が多いが、カラヤンとは異なり、自分の個性や考え方を、退任に至るまでベルリン・フィルに徹底することが出来なかったことが大きい。

アバドは、分不相応の地位での心労が祟ったせいか、退任の少し前に大病を患ったが、大病の克服後は、彫りの深い凄みのある表現を垣間見せるようになったのだから、実に皮肉なものだ。

しかしながら、筆者は、アバドが最も輝いていたのは、ベルリン・フィルの芸術監督就任前のロンドン交響楽団時代ではないかと考えている。

特に、この時期に手掛けたイタリア・オぺラには、若さ故の生命力と、アバド得意のイタリア風の歌心溢れた名演が非常に多い。

そのような中にあって、この『セビリャの理髪師』は燦然と輝くアバドの傑作の1つとして評価してもいいのではないかと思われる。

ロッシーニのオペラは、後年のヴェルディやプッチーニのオペラなどに比べると、録音の点数も著しく少なく、同時代に生きたベートーヴェンが警戒をするほどの才能があった作曲家にしては、不当に評価が低いと言わざるを得ない。

そのようなロッシーニのオペラの魅力を、卓越した名演で世に知らしめることに成功したアバドの功績は大いに讃えざるを得ないだろう。

アバドはゼッダによる校訂版を用い、歯切れの良いリズムで全体を引き締まらせ、人間の肌のぬくもりを感じさせながら、そのオペラ・ブッファの本質を見事に再現している。

独唱陣も、ベルガンサ、プライなど一流の歌手陣を揃えており、ドイツっぽいと言われるものの、愛嬌のあるプライのフィガロは、今聴いても魅力的。

ベルガンサは、ロジーナそのもののようであるし、伯爵を演じるアルヴァの上手さは、芸術的レベルに達している。

パターネ盤も評価が高いが、ロッシーニらしいテンポ感と速度を堪能したい時はまさにこの盤が最高であり、同曲随一の名演の地位は、今後とも揺るぎそうにない。

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2021年11月25日


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ロジーナをメゾ・ソプラノで歌わせた1950年代の『セヴィリアの理髪師』全曲盤には、この1956年のエレーデ盤と1950年のプレヴィターリ盤があるが、全体の音楽的な水準では後者がやや優っている。

主役ロジーナはどちらもシミオナートで、彼女の才気煥発な表現と鮮やかなコロラトゥーラが素晴らしい。

その音楽性とテクニックは同じロッシーニの『チェネレントラ』でも発揮されている。

一方フィガロはこちらはバスティアニーニがベル・カントを聴かせてくれるが、細かい音符が目まぐるしく動く部分では、いくらか大味な印象を与える。

当代一のヴェルディ・バリトンとしては止むを得ないのだが、その点ジュゼッペ・タッデイはより軽快で、特に早口のレチタティーヴォ・セッコでは巧妙な語り口が面白い。

アルマヴィーヴァ伯爵のミッシャーノは美声で滑稽な役柄を良くこなしているが、やはりコロラトゥーラが回らない。

プレヴィターリ盤のインファンティーノはコロラトゥーラが上手い。

第1幕のフィガロと伯爵のデュエットを聴き比べれば、その差は明瞭だ。

しかしエレーデ盤の捨てがたい点は、ドン・バルトロを喜劇役者としては右に出るものがないと言われたフェルナンド・コレナが、捧腹絶倒の演技をしていることや、ドン・バジリオをチェーザレ・シエピが歌っていることだろう。

喜歌劇を歌うことが想像できないシエピにしてみれば、際物だがその存在感は充分だ。

また初期のステレオ録音であるため、ある程度のステレオ効果が利用されている。

エレーデ指揮、フィレンツェ五月祭管弦楽団の演奏は、喜歌劇の伴奏という点では及第点だろう。

欲を言えば序曲にもう少し緊張感とまとまりが欲しいと思う。

ただし、いかにもイタリアらしい天真爛漫な雰囲気は全曲に亘って良く出ている。

時代相応以上の音質が得られていて、当時のロンドン・レーベルのレコーディングに懸けた意気込みが感じられる。

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2021年11月18日


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ロッシーニの全作品が新しく校訂され、ペーザロの同財団から次々に出版された楽譜に基づいて演奏されるようになったのは1970年代になってからである。

これによってオーケストラの奏法から歌手達の歌唱法、レチタティーヴォの通奏低音までが一新され、本来あるべき姿のロッシーニ像が広く知られるようになった。

このディスクはロッシーニの出身地ペーザロのテアトロ・ロッシーニで開催された1989年のロッシーニ・フェスティバルの演目として上演されたオペラ・セミセリア『泥棒カササギ』のライヴになる。

校訂はアルベルト・ゼッダによる新しい検証と解釈に従った、いわゆるロッシーニ・ルネサンスの成果のひとつだ。

ライヴなので客席からの拍手や歓声が入っているが、音質自体は極めて良好。

指揮はジャンルイージ・ジェルメッティでオーケストラはRAIトリノ交響楽団。

彼の指揮は長い作品を丁寧にまとめ、歌手陣を良く統率している。

アンサンブルも緊密で、特に第2幕後半の六重唱はロッシーニのセミセリアに対する腕を明らかにしていて美しい。

主役二ネッタはリッチャレッリで、彼女はロッシーニ歌いではないが、プリマドンナとしての力量を示していて、言ってみればカリスマ的存在だ。

婚約者ジャンネットはマテウッツィで高声を巧みに使って華やかな効果を上げている。

この役にはやや軽すぎる声質かも知れないが。小間使いの少年役ピッポはメゾ・ソプラノのマンカ・ディ・ニッサが健闘している。

アジリタのテクニックも充分だ。

代官がサミュエル・レイミーというのも面白いキャスティングだが、彼はロッシーニにも造詣が深く、低音から高音まで滑らかな声で歌いながら、悪役の貫録を見せている。

波乱に富んだドラマの動きを鮮明に、かつまた感動的に描き出すジェルメッティの指揮も申し分なく、大詰めの裁判の場の白熱的な盛り上がりと、それに続くヒロインを刑場に導く、葬送行進曲、そして幕切れの救出劇的どんでん返しと続くあたりは曲も演奏も最高だった。

オペラの題材は当時流行った救済物で、死を宣告されたヒロインとその父フェルナンドが、ピッポの機転によって真犯人を見つけ出し、恩赦によって二人の命が救われ、ニネッタは恋人ジャンネットと晴れて結ばれるという、同じ救済物でもベートーヴェンの『フィデリオ』に比べれば、他愛ない物語だ。

しかしロッシーニにしては珍しく気を入れて作曲したオペラで、劇中のテーマやモティーフを巧妙にまとめて序曲に仕上げている。

ウィーン初演の時は大喝采を浴びベートーヴェンの機嫌を損ねたと言われるが、確かに屈託のないロッシーニの音楽は当時『フィデリオ』より持て囃されたのも事実だ。

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2020年08月20日


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トップ・メゾとして20年以上に渡って圧倒的なキャリアを築いてきた名花バルトリ珠玉ののベスト盤。

モーツアルト、ヘンデル、ベッリーニとロッシーニなど、珠玉のベルカントから、各紙で高い評価を得ているヴィヴァルディまで、彼女がしばしば好んで取り上げる13曲のアリアがずらりと並んでいる。

『溜息』と題されたこの2枚組のCDセットは、特に今回のリリースのための新規録音ではなく、これまでにチェチリア・バルトリが録音してきた様々な音源からのオムニバスなので当然協演の伴奏者も異なっている。

しかし1990年代から2000年代に至る彼女の極めつきの歌唱が集められた、メゾ・ソプラノの醍醐味が堪能できる名曲アルバムなので、ファンは勿論初めて聴いてみようという方にも間違いなくお勧めできる。

彼女はロッシーニ歌いとしてデビューし、その後も18世紀の作品を中心に歌い続けている。

〈孤高の〉という表現はオペラ歌手にはあまり適切ではないのかもしれないが、やはり彼女にはこの言葉がふさわしい。

なかでもこのCDに収められている、知られざる名曲の発掘に貢献したことでも広く認められている。

ヴェルディを歌うような深く強靭な声ではないが、広い声域と敏捷なアジリタのテクニックを駆使した、目の覚めるような大胆で鮮やかな唱法は、既に前回のカストラートのためのアリア集でも披露している通りだ。

ここでは更に実際の舞台では歌うことのないソプラノ用のアリア、例えば『カスタ・ディーヴァ』やフォーレのレクイエム『ピエ・ジェズ』なども巧みにこなしている。

また2枚目のボーナスCDは、キャリアを始めた30代初期のバルトリの貴重な記録でもある。

とりわけフランクの『パニス・アンジェリクス』はかつて聴くことができなかったカンタービレの極致だ。

全曲1994年から2009年にかけての録音で、当セットはボーナスCD付のデラックス仕様2枚組だが、そのほかにシングル仕様、そして日本語対応の2枚組デラックス仕様限定盤も同時にリリースされている。

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2020年04月15日


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ザ・ワーナー・コンプリート・レコーディングスと銘打ったこの10枚組のボックスは、既にEMIのイコン・シリーズでリリースされた9枚のリニューアル盤になり、リカップリングによってCD1枚分多くなっているが同一内容で新音源はない。

ただしライナーノーツによるとCD1ロッシーニの『コリントの包囲』序曲、カセッラの『パガ二ニア−ナ』及びCD10のドキュメンタリーを除く総てが新規にリマスタリングされていて、確かに音質も向上している。

ちなみにCD2のフィルハーモニア管弦楽団を振った『悲愴』は1952年のモノラル録音だが、かなり鮮明でオ−ケストラの分離状態も時代相応以上の仕上がりだ。

またそれぞれのジャケットは初出LPのオリジナル・デザインに準ずる個別のデザインが印刷されている。

ワーナーのセットにはありがちだがライナーノーツのトラック・リストには録音データの記載がなく、各ジャケットの裏面を見なければならないのがいくらか煩わしい。

カンテッリは常に知的で明晰な解釈な中にも、個性豊かで決して作為のない迸るような強い情熱を持ち合わせていた。

チャイコフスキーの第5番の冒頭では引き摺るようなモチ−フが逃避行をイメージさせ、ただならぬ気配を感知させる。

第2楽章の弛緩のないカンタ−ビレと後半の盛り上げ方、また終楽章でのクライマックスの凱歌に至るブラス・セクションの咆哮や一気呵成のコーダなどに彼の非凡さが良く表れている。

イタリアの多くの指揮者がそうであるように、カンテッリもオペラ指揮者としてキャリアを開始した。

ミラノ・スカラ座の音楽監督にはジュリ−二の後を継いで1956年に就任するが、更に前任者のデ・サーバタやジュリー二も純粋なオ−ケストラル・ワ−クの演奏にも卓越した才能を示していたので、スカラ座は彼の能力を更に発展させるポストだった筈だか、直後に襲った不慮の事故によってカンテッリの将来は断ち切られてしまう。

彼はジュリー二より6歳年下だったが、もしキャリアを続けることができたなら良きライバルとなっていたに違いない。

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2019年12月20日


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ムーティは1972年に歌劇《ウィリアム・テル》の世界初全曲演奏を成し遂げた立役者であり、共感度も適性も一番高いものがあるだろう。

これは1988年の冬のシーズンのスカラ座のオープニングとしての上演のライヴ録音である。

各歌手の聴かせどころ観客の拍手、反応が全て収録されていて熱気がストレートに伝わってくる。

音楽の中身とはあまり関係ないけれど、最後の幕が降りたところの観客の拍手、熱狂の仕方がまた凄い(さすがイタリア人!)。

ここには、ムーティという指揮者がライヴをするときの、当然そこに期待される魅力が全て備わっている。

歌手ではまず、メリットのアルノルドと、スデューダーのマティルデがよく、非常に清新で若々しい情熱を表現して、魅力を引き出している。

このオペラは、よく知られているテルの活劇に、スイスの若者アルノルドとオーストリアの王女マティルデとの敵同士の恋がからんだ形になっている。

ムーティの演奏では、テル役のザンカナーロに主役としての存在感が今一つないため、むしろ若者たちの恋が主要な筋のように思えてしまうのであるが、このことはむしろ長所であって、短所では決してない。

彼らの禁じられた恋ゆえにスイスの村人の反乱はもっと緊迫感を増すのだし、彼らの若々しさはムーティのつくる音楽にぴったり合っている。

そもそもこの演奏の一番の魅力はやはり、ムーティのがっしりとした音楽把握にあると言っていいだろう。

彼はここで、ロッシーニの18世紀的・イタリア的要素も全面に打ち出して、タイトで引き締まった、そして劇的かつ躍動的な音楽をつくることに成功している。

有名な序曲から第1幕冒頭の合唱への流れを聴くと、19世紀的重厚さのほうへ向かっていることが解るだろう。

しかしこのことが、ムーティの演奏をむしろ現代的で新鮮な、シャープなものにしているのだ。

序曲の終結部の、ムーティの畳み掛けるような迫力には、ポピュラー名曲の範疇をはるかに越えた、尋常ならざるものがある。

そして全曲にわたってムーティの演奏は、テンポの変化にも冴えを見せ、またすでにここでオペラの主役となりつつある合唱やオーケストラに、室内楽的な精度と強力なアンサンブルを与え、絶えず生き生きとした新鮮な表現を獲得させている。

これはアバドによる同じロッシーニ演奏などとともに、長く現代的なオペラ演奏の規範となるだろう。

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2019年10月26日


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イタリアやフランスのオペラ・ブッファに必ず登場するのがバス歌手が演じるコミカルな役柄で、こうした役を演じさせたら天才的な能力を発揮したのがフェルナンド・コレナだった。

彼の受け持った役柄は頑固でケチ、好色だが間抜け、ひょうきんでお人好し、知ったかぶりの権威主義者など、劇中でも最も人間臭い性格を持っていて、しばしばとっちめられてひどい目に遭わされる人達だ。

これはイタリアの伝統芸能コンメーディア・デッラルテの登場人物から受け継がれたキャラクターだが、イタリア・オペラの中ではペルゴレージからロッシーニ、そしてドニゼッティからヴェルディ、プッチーニに至るまで出番に事欠かない役柄でもある。

彼はおそらくメトの先輩であるイタリア人のサルヴァトーレ・バッカローニから多くを学んだに違いない。

しかし役柄は定型にはまっていても、彼はバッカローニとはまた異なった、ユニークなおかしさを持っていて実に魅力のあるバスだった。

残念ながら筆者はコレナの舞台を実際に観ることはなかったが、この録音を聴いても彼の演じた『チェネレントラ』のドン・マニーフィコや『アルジェのイタリア人』のタッデーオ、そして『秘密の結婚』のジェロニモなどは抱腹絶倒ものだ。

しかし彼の芸はドタバタになりかねない一歩手前で、芸術的な芝居の領域にしっかり踏みとどまっている。

それは往々にしてこうした人物が主役を引き立てる脇役であって、その領分を充分にわきまえていたからに他ならない。

実際オペラでも脇役として活躍する歌手は頭脳プレイが巧みであることが多いものだ。

こうした役柄に徹した彼の本領は、このアリア集の中でも充分に堪能できるが、特に最後に置かれたオッフェンバック作曲『ジェロルスタン大公妃』からの「我輩はブン大将閣下」は絶品のひとつだ。

全曲とも1956年のモノラル録音で、音質についてはオケの部分に時代相応の貧弱さが無きにしも非ずだが、幸い声については良く採られていて鑑賞に全く不都合はない。

初出時のLPの曲目とデザインをそのままCDに移したもので、収録時間は短いが、デッカ・リサイタル・シリーズのオリジナル・コレクション仕様ということになる。

内側だけがプラスティックの紙ジャケットで見返しに当時のライナー・ノーツが小さく印刷されているが歌詞対訳は付いていない。

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2019年06月07日


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1989年5月29日にバイエルン国立歌劇場で《セヴィリアの理髪師》の指揮中に57歳で急逝してしまったジュゼッペ・パターネの最後の録音となったもの。

パターネとボローニャのテアトロ・コムナーレによる当オペラの初録音、ヌッチ以下の主要歌手陣もいずれもこれがレコードでは初役だった。

レコードで有名なわけでもないが、なぜかあちこちの一流歌劇場で一流のバックを常に努めている職人的指揮者というのが何人かいるが、パターネというのは要するにそういう親父だった。

ロッシーニは、18世紀ナポリ楽派のオペラ・ブッファの流れを引きながらそれらを集大成するような傑作を多く残した。

初期のファルサ(笑劇)を経て、24歳の時に作曲した《セヴィリアの理髪師》は、そんなロッシーニの代名詞と呼ぶべき作品だが、洗練の極みとも言える厳しい様式感が、その演奏に求められる。

ギリギリに切り詰められたイン・テンポの造形性に、豊かなカンタービレを込めた“伝統的スタイル”による演奏は、録音においては、決して多くはない。

EMIのヴィットリオ・グイの指揮による歴史的名盤と並んで、このジュゼッペ・パターネの録音は、そんなイタリアの伝統的スタイルを熟知した名演が記録されている。

ロッシーニ・クレッシェンドに代表される緊張感に満ちたスリリングな語法の面白さを、この生彩に富んだパターネの演奏は満喫させてくれる。

気分が乗ったときのパターネは、トスカニーニを思い出させるようなリズムの興奮を伴ったダイナミックな指揮を繰り広げたが、このディスクもまさにその一例、百戦錬磨のヴェテランらしい名演だ。

また、ヌッチをはじめとする歌い手の選び方や演奏のあり方には、英デッカらしい造詣と見識が端的に反映している。

そして何と言っても最もチャーミングなロジーナが聴けるのは、最高のロッシーニ歌手バルトリがデビューして間もなく録音した本盤である。

若きバルトリ(22歳)によるロジーナは、その見事なテクニックもさることながら、それ以上に役柄に与えた生き生きとしたキャラクターの見事さにおいて傑出している。

バルトリほど若々しい美声でロジーナを魅力的に表現した歌手もいないのではないかと思うが、共演のヌッチ、マッテウッツィ他も優れている。

フィガロ役のヌッチも素晴らしさは言わずもがなだが、昔日のストラッチアーリ以来の伝統的なこの役の歌唱スタイルの継承者としての最上の演唱を聴かせてくれる。

アルマヴィーヴァ伯爵役のマッテウッツィは、往年のロッシーニ・テノールとは一線を画したフレージングとアーティキュレーションの妙を示した、呆れるばかりのユニークな名唱だ。

解説でパターネ自ら、これは批判版による現代的演奏ではなく、伝統的な良さを生かした演奏だと断っている。

この演奏は、少しノスタルジックな、ドタバタ喜劇の面が色濃く出た、庶民的なイタリア料理の定食のような味わいと言えるかもしれない。

そしてこれは、時代考証を得た批判版を使えばそれでよしとするポストモダン的インターナショナルな傾向に、オペラの伝統的な面白さというアンチテーゼを突き付けた演奏でもあるのだ。

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2017年07月28日


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セラフィンは中庸という観念からは決して逸脱しない鷹揚なテンポ設定で、小細工をせずに本筋のカンタービレを充分に聴かせながら、次第にスペクタクルなクライマックスを創り上げる、まさにイタリア・オペラ指揮者の鏡のような指揮ぶりが堪能できるアルバムだ。

オーケストラを自在に歌わせ、一方で音楽の起承転結を絶妙にわきまえた老練な手法で聴衆を煽り立てて、弥が上にも場面を盛り上げるような効果的なクレッシェンドやアッチェレランドの術を心得ていた指揮者だった。

それらは単純明快な声の饗宴とも言えるイタリア・オペラでは演奏上の要でもあるが、彼の采配には単なる職人技ではない、殆んど奥義を究めたとも思える巧みなテクニックが感じられる。

セラフィンが多くのスター歌手達を起用して上演したローマ・オペラ座の黄金期は事実上1950年代から60年代にかけてで、それは幸福にもこの序曲集が録音された時期と重なっている。

ロッシーニの序曲では曲中に必ずと言っていいほど管楽器のソロがちりばめられている。

時としてかなりのテクニックを必要とするパッセージが容赦なく現われて、追い討ちをかけるような執拗なクレッシェンドが舞台の緞帳を上げる前に聴衆の気分を高揚させるひとつの聴かせどころであるだけでなく、演奏するオーケストラのメンバーやアンサンブルの技術的な実力が露呈されてしまうという、彼らにとっては決して予断を許さないレパートリーでもある。

ムーティによって頂点を迎えた数年前に比べれば、当時のローマ歌劇場管弦楽団のパートごとの個人的な技術レベルがそれほど高くなかったことは事実で、それはこの序曲集にも現われていることは否定できない。

しかし一見明るく明け透けな開放感の中に、セラフィンによって引き出された豊かな音楽性と軽快な輝かしさ、劇場感覚に密着した融通性などはそれを補って余りある演奏効果を上げている。

1964年にドイツ・グラモフォンからLPでリリースされた音源で、後にCD化されたものの既に久しく製造中止になっている名盤のひとつだ。

このCDは英カルーセル・レーベルからのリイシュー廉価盤なので多くは望めないが、LPに収録されていた『セヴィリアの理髪師』第2幕第2場の2分余りの間奏曲「嵐の音楽」が何故か抜けている。

ただし録音状態に関してはこの時代のものとしてはかなり優れているし、リマスタリングも充分満足のいく仕上がりだ。

1963年10月4日から7日にかけてグラモフォンのプロデューサー、ハンス・ヴェーバー及びレコーディング・エンジニアのギュンター・ヘアマンスが当時ローマ市内にあったRCAイタリアーナのレコーディング・スタジオAで収録したもので、音質が鮮明で分離状態も極めて良好なステレオ録音になる。

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2016年07月11日


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数多くの喜歌劇で生前大衆的な栄光をほしいままにしたロッシーニの作品の中ではオペラ・セミ・セーリアに分類される新しいタイプのオペラが『どろぼうかささぎ』である。

幕切れはハッピーエンドの大団円で締めくくられるが、劇中では登場人物の感情の悲喜こもごもや手に汗握るスリルに満ちた場面が展開されて、伏線を敷いた筋立てと意外な結末がそれまでの滑稽一辺倒のオペラ・ブッファとはかなり趣を異にしている。

長い作品でしかも主役級の5人に高度な歌唱と演技力が求められるために他のロッシーニのオペラに比較すると上演回数はそれほど多くない。

しかしスネアドラムのトレモロで開始される良く知られた大規模な序曲に続くソロ、アンサンブル、コーラスの饗宴とクレッシェンド、アッチェレランドの追い込みは、ロッシーニ節を満喫できる優れた作品のひとつであることに違いない。

題材は当時流行した救済物で、高邁な精神を掲げたベートーヴェンの『フィデリオ』と比べれば他愛のない牧歌劇だが、当時のウィーンで起きたドイツ、イタリア・オペラ優劣論争が異なった民族性や趣味と表裏一体だったことを示す作品だ。

このDVDは1987年にケルン歌劇場で収録されたライヴで、プリマ・ドンナ、イレアーナ・コトルバスを始めとする個性的で芸達者な歌手達が織り成す舞台の面白さが良く映し出されている。

ロッシーニの作品なので登場人物全員にアジリタと呼ばれる速いパッセージを歌う技巧が要求されるが、コトルバスは流石にコロラトゥーラのテクニックにも優れヒロイン、ニネッタを可憐に、しかしある時はドラマティックに演じている。

若い軍人でニネッタのフィアンセ、ジャンネット役のテノール、デイヴィッド・クリューブラーはデトロイト生まれで、やや年下のロックウェル・ブレイクと共にアメリカ人テノールとしては融通の利く器用な人材だった。

狂言回しに当たる少年ピッポ役エレナ・ツィーリオのすばしっこい身のこなしや豪農夫婦に扮するカルロス・フェレルとヌッチ・コンド、また代官役のアルベルト・リナルディの性格俳優的な声と演技も堂に入っている。

ミヒャエル・ハンペの演出は無理のないクラシックな舞台で、このオペラには相応なシンプルさが見どころになっている。

収録時間はカーテン・コールを含めて182分になる。

ブルーノ・バルトレッティ指揮、ギュルツェニヒ・ケルン管弦楽団及びケルン歌劇場合唱団による演奏で、イタリア・オペラを熟知したバルトレッティによる巧みな統率も職人技だ。

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2014年10月17日


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クラシック音楽界が長期的な不況下にあり、ネット配信が隆盛期を迎える中において、新譜の点数が大幅に激減している。

とりわけ、膨大な費用と労力を有するオペラ録音については殆ど新譜が登場しないという嘆かわしい状況にある。

そのような中で、パッパーノが、2009年のプッチーニの歌劇「蝶々夫人」に引き続いて、本盤のロッシーニの歌劇「ウィリアム・テル」を録音するなど、オペラ録音の新譜が細々とではあるが発売されるというのは、実に素晴らしい快挙である。

これは、パッケージ・メディアが普遍であることを名実ともに知らしめるものとして、かかるメーカーの努力にこの場を借りて敬意を表しておきたい。

さて、本盤であるが、そもそもロッシーニの歌劇「ウィリアム・テル」は録音自体が極めて珍しいが、その数少ない録音の中で最も優れた名演は、パヴァロッティやフレーニなどの豪華歌手陣を起用したシャイー&ナショナル・フィル盤(1978〜1979年)とザンカナロ、ステューダーなどの歌手陣を起用したムーティ&スカラ座管盤(1988年)であろう。

同曲は、ロッシーニが作曲した最後のオペラであり、その後のイタリア・オペラにも多大な影響を与えた傑作であるにもかかわらず、歌劇「セビリアの理髪師」などの人気に押されて、今一つ人気がなく、序曲だけがやたらと有名な同作品であるが、ジュリーニやアバド、シノーポリなどといった名だたるイタリア人指揮者が録音していないのは実に不思議な気がする。

したがって、現時点ではシャイー盤とムーティ盤のみが双璧の名演であると言えるだろう。

そのような長年の渇きを癒すべく登場したパッパーノによる本演奏の登場は先ずは大いに歓迎したい。

そして、演奏も非常に素晴らしいものであり、前述のシャイー盤やムーティ盤に肉薄する名演と高く評価してもいいのではないかと考える。

パッパーノのオペラ録音については、イタリア・オペラにとどまらず、ワーグナーやR・シュトラウス、モーツァルトなど多岐に渡っているが、本演奏ではそうした経験に裏打ちされた見事な演出巧者ぶりが光っている。

とにかく、本演奏は、演奏会形式上演のライヴということも多分にあるとは思うが、各曲のトゥッティに向けて畳み掛けていくような気迫と力強さには、圧倒的な生命力が漲っていると言えるところであり、同曲を演奏するのに約3時間半を要するという長大なオペラ(パッパーノは一部カットを行っているが、演奏全体にメリハリを付加するという意味においては正解と言えるのかもしれない)であるにもかかわらず、いささかも飽きを感じさせず、一気呵成に全曲を聴かせてしまうという手腕には熟達したものがあると言えるところである。

これには、俊英パッパーノの類稀なる才能と、その前途洋々たる将来性を大いに感じた次第だ。

歌手陣も、さすがにシャイー盤のように豪華ではないが優秀であると言えるところであり、とりわけウィリアム・テル役のジェラルド・フィンリーと、パッパーノが特に抜擢したアルノルド・メルクタール役のジョン・オズボーンによる素晴らしい歌唱は、本名演に大きく貢献しているのを忘れてはならない。

聖チェチーリア国立音楽院管弦楽団や同合唱団も、パッパーノの指揮の下最高のパフォーマンスを示していると評価したい。

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2012年07月21日


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1978年9月13日 ベルリン、フィルハーモニー・ホールに於けるライヴ(ステレオ)録音。

ジュリーニは決してレパートリーの広い指揮者とは言い難いが、その分、レパートリーとした曲については完成度の高い名演となることが多い。

ジュリーニがレパートリーとした宗教曲は、バッハの《ミサ曲ロ短調》やブラームスの《ドイツ・レクイエム》、モーツァルト、ヴェルディ、そしてフォーレの「3大レクイエム」などが掲げられるが、ジュリーニが指揮した宗教曲の最高峰は、何と言ってもロッシーニの最高傑作の呼び声の高い《スターバト・マーテル》ということになるのではなかろうか。

《スターバト・マーテル》は、キリストの受難を嘆き悲しむ聖母マリアへの同情と神への祈りを込めてロッシーニが50歳のときに書かれた作品。

演奏によっては妙に軽い場面も出てくる曲であるが、ジュリーニは重みのある独特のカンタービレによって、音楽の沈痛な美しさを見事に引き出している。

ジュリーニは同曲をフィルハーモニア管弦楽団とスタジオ録音しているが、天下のベルリン・フィルを指揮した本盤こそ、ライヴならではの熱気も相まって、随一の名演と高く評価したい。

当演奏では、エルンスト・ゼンフ室内合唱団(現エルンスト・ゼンフ合唱団)を率いており、さらなる敬虔な美が追求されている。

ジュリーニの決して奇を衒うことのない真摯で誠実なアプローチと、同国人であるロッシーニへの深い愛着が、これだけの名演を生み出したと言うべきであり、独唱陣も合唱も、そしてベルリン・フィルもジュリーニの指揮の下、これ以上は求められないほどの最高のパフォーマンスを示している。

併録のガブリエリやジェミニアー二の諸曲も名演であり、一晩のコンサートをそのまま2枚のCDに収録ということで、導入となる1曲目と2曲目には、ブラス・ファンにもおなじみの曲、8声の金管アンサンブルによるジョヴァンニ・ガブリエリの「ピアノとフォルテのソナタ」と「第7旋法によるカンツォーナ」が収められ、3曲目には、フランチェスコ・ジェミニアーニのト短調の合奏協奏曲が収録されている。

金管合奏で開始され、哀しみに彩られた美しい弦楽合奏でメインの『スターバト・マーテル』への心の準備をするという、まるで教会での演奏を思わせるようなプログラミングは、イタリアの音楽史を辿りながらも、通常、「イタリアの音楽」という言葉からすぐに思い浮かぶイメージとは正反対の精神の落ち着きと深い感動を呼ぶのがいかにもジュリーニらしい。

録音は1970年代後半のライヴとしては十分に合格点を与えることができる。

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2010年01月27日


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「ロッシーニ序曲集」(4曲)と「スッペ序曲集」(5曲)の2枚のレコードから9曲を選び、CD化したもので、演奏・選曲ともに良く、大変楽しいアルバムだ。

カラヤンはポピュラーな名曲、通俗小品にも決して手を抜くことなく、オーケストラの技量や機能を総動員して、緻密から壮大までその魅力を最大限に発揮した演奏を行った。

そのお陰でどれほど多くの人がクラシック音楽のファンになったことだろう!

カラヤンの演奏は、いずれの曲の場合も実に見事で、すこぶる卓抜な棒さばきで、入念に仕上げている。

旋律の歌わせ方や間の取り方の巧さは、まさにこの人ならではのものだ。

ロッシーニは、総じていくぶん腰の重い感じはするものの、4曲ともカラヤンの卓出した棒さばきの光る名演で、序奏部と主部との表情の変化をくっきりと浮き彫りにするあたりの巧さは格別だ。

ことに「ウィリアム・テル」序曲は素晴らしく、チェロの五重奏で始まる「夜明け」の静の部分の平和な表情にあふれた描写から、最後の活気に満ちた表現まで、その演出の巧みさには息をのむ思いがする。

スッペの方も力の入った演奏で、「軽騎兵」の冒頭のトランペットのファンファーレの勢いのよさ、ハンガリーの民族舞曲の深い思い入れ、軽快なギャロップなどに、カラヤンに指揮された時にだけベルリン・フィルが聴かせる「これでもか!」といった気迫と美が結晶している。

「美しきガラテア」「詩人と農夫」などすべてが個別の魅力を発散している。

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2009年12月02日


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ロッシーニの《弦楽のためのソナタ》全曲とドニゼッティの珍しい弦楽四重奏曲を2組収めたこのアルバムは、かつてヴィヴァルディも愛したという美しい響きのコンタリーニ宮でイタリア合奏団が1987年に録音した名盤。

ローマ合奏団の伝統を継承・発展させるために1980年に設立されたイタリア合奏団も、現在はメンバーの半数が入れ替わった。

ここで演奏しているのは設立時のメンバー。

イタリア合奏団の一糸乱れぬアンサンブルから生み出されるその豊麗な音色は、あのイタリアの抜けるような青空を思いおこさせる。

イタリア合奏団の明るい響きが溌剌とした演奏を生み出し、活気に満ちた表現をみせてくれると同時に、ロッシーニではドラマティックな作曲者としての片鱗を、この初期の作品の中に描き出しているのが興味深い。

ソナタ第2,4,5番の第2楽章など、まるでアリアのような美しい旋律を心ゆくまで歌わせており、イタリア人の歌心がもろに出た演奏で、実に楽しい。

豊饒な音、明るく楽しい響き、磨きあげられたカンタービレによって、溌剌と画期にみちた表現をみせるロッシーニも、アリアのような美しい旋律を心ゆくまで歌わせて魅力ある演奏を生み出しているドニゼッティも聴きもの。

ドニゼッティもメリハリをきちんとつけた好演奏。

音楽の源にいい風が吹いている。

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2009年10月14日


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《ランスへの旅》の復活上演は、アバドの仕事の中でも特筆に値する。何しろ抜群の面白さだったのだから。

ペーザロでの上演そのままのメンバーで録音したのがこれ。

ひたすら華麗・豪華に作られたこの1幕オペラを、現代最高のロッシーニ歌手たちと、その絢爛さに負けない華々しい演奏で楽しませてくれる。

錚々たる名歌手を統率するアバドも、万全の作品研究・理解に加え、たくましい覇気をみなぎらせた音楽運び、知に溺れず、情に流されない指揮で、作品の弱さを聴き手に感じさせない。

音楽から立ち昇る貴族的とも呼べる独特の香気こそ、アバドならではの魅力である。

アバドはその後もう一度ベルリン・フィルと収録していて、それも悪くない。

でもこちらは、何しろガスティア、クベッリ、リッチャレッリ、レイミー、ライモンディといった豪華な歌手たちが、巧みさを発揮するだけでなく、思う存分楽しく遊んでいるのがいい。

アバドの指揮も何か勢いにまかせ、どんどんやってやれ、みたいなところが、むしろ好感を持てる。

1825年パリで初演されたこのオペラが、150年ぶりの再演で大成功したわけで、次はまた150年くらいしてからだとしたら、これは21世紀の間、珍重されてもいい。

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2009年02月12日


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アバドお得意のロッシーニの、よく演奏される有名な序曲をこのディスクは収録しており、選曲の上ではまったく申し分ない。

アバドのイタリア人気質が強く表面に表れた胸のすくような快演で、オケを自在にドライヴしながら、それぞれの作品の持ち味をあますところなく表出している。

作品と演奏者の間にいささかの距離感もなく、まさに自分の歌として歌い上げられた爽快感があり、演奏にみなぎる自発的な音の喜びにも魅了される。

目もさめるようなスピード感とリズムの冴え、カンタービレの快さ、そして音色の輝きと、どこをとっても拍手を贈りたくなるようなアバドならではの快演である。

なかでもアバドの表現のうまさに惹かれるのは、強弱の付け方のうまい「セビリャの理髪師」、各場面を丁寧に描いた「ウィリアム・テル」、活気にあふれた「どろぼうのかささぎ」、リズムの切れ味がよく表情も豊かな「絹のはしご」などで、これらの演奏にはイタリア人アバドの血が躍動している。

トスカニーニの演奏と対照的に、アバドのロッシーニには独特の感覚のスマートさとしなやかさがある。

ちょっと軽く流れるきらいもあるが颯爽として、ザックリとしたおおまかなアプローチなのに表情は豊かだ。

アバドにはロンドン響との旧盤もあるが、ヨーロッパ室内管との演奏の方が響きが充実しており、その歌によりしなやかで強い芯があるのも事実で、アバド円熟の棒さばきが光っている。

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2008年08月20日


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アバド初のオペラ録音であった。

アバドの折り目正しい、端正な音楽作りで、オペラ指揮者としても優れた資質と才能が、ここに早くも結実しているのを聴くことができる。

彼の個性に最適な作品を選んだのも成功の要因のひとつだろう。

このオペラの魅力を広く再認識させたのがアバドによる上演と録音で、その後このオペラの優れた上演・録音が出てきた。

いまでは指揮ならシャイーがいるし、ソプラノにはバルトリがいる。

といっても、原点ともいうべきアバドの軽快な音楽の走らせ方は素晴らしく、またベルガンサのアンジェリーナの機知に富んだ歌だって、まだまだ生きている。

まだ充分若かったアバドは、ロッシーニの音楽をほとんど肉体的に持っていて、何か解釈したり工夫したりするより先に、歌わせ、走らせている。

歌手ではベルカンサの名唱をはじめ、知・情・意の高次元での融合を目指すアルヴァの歌唱が特に印象深い。

ヴェテランのカペッキは味わいのある歌作りながら、声に余裕がないのが惜しまれる。

他のメンバーは、何しろロッシーニ歌いが次々と現れる前なので最高というわけではない。

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2008年05月14日


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アバドのオペラ第2作だったが、円熟と愉悦の表現が、早くもこの演奏の中に実現されている。

全曲を2枚に収めた徳用盤で、演奏も、ベルカンサのロジーナをはじめ、プライのフィガロ、アルヴァの伯爵ら、当時のベストメンバーを網羅した歌の見事さも絶賛に価する。特にダーラのバルトロはずば抜けている。

またベルカンサのロジーナは「彼女はこの役を歌うために生まれてきたのではないか」とさえ思われるほどの適役だけあって、その上品でしかもみずみずしい表情にあふれた演唱は実に魅力的である。

ここには、彼女の持ち味が十全に発揮されている。

またプライのフィガロも、この人らしく明るく颯爽としていてすばらしく、特に、第1幕の有名な「わたしは町のなんでも屋」の達者な歌唱は光っているし、アルヴァの伯爵も秀抜だ。

アバドの指揮もうまい。アバドは才気に走らず、自発的で精妙にロッシーニを描いていく。やや速めのテンポできびきびと運びながら、歌わせるべき旋律は存分に歌わせているあたり、やはりイタリアの指揮者ならではの味である。

このディスクはロッシーニの音楽の美しさ、楽しさを満喫することができる。

*ゼッダによるクリティカル版使用。

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2008年03月06日


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トスカニーニが生涯敬愛し続けた自国の大先輩ロッシーニの序曲集は、8曲ともそれぞれの曲の持ち味を存分に表出した見事な演奏で、練達の棒できびきびと運びながら、どの曲も明快にまとめている。

輝かしい歌と美しく強靭な生命力にあふれた、聴いていて手に汗握り、身の引き締まるような名演である。

みずみずしく生き生きとした表現には強く惹かれるし、イン・テンポで進めながらも歌わせるべき旋律は表情豊かに歌わせているあたりは、さすがトスカニーニならではの至芸である。

そうしたトスカニーニの厳しい指揮に見事な集中力で反応したNBC響の卓抜な能力も素晴らしい。

トスカニーニは、上記のようにロッシーニを得意としているのだが、それにしてもこの演奏はよい。

実に明快な演奏である。

トスカニーニは独特のリズムの硬さがあるのだが、それが特に「ウィリアム・テル」序曲ではマッチしている。

驚くほど表情が鮮やかであり、華やかな、透明な空気のアルプスの風景そのものを感じさせる。

この曲のCDでは、まずこれにとどめをさす。

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classicalmusic

早稲田大学文学部哲学科卒業。元早大フルトヴェングラー研究会幹事長。幹事長時代サークルを大学公認サークルに昇格させた。クラシック音楽CD保有数は数えきれないほど。いわゆる名曲名盤はほとんど所有。秘蔵ディスク、正規のCDから得られぬ一期一会的海賊盤なども多数保有。毎日造詣を深めることに腐心し、このブログを通じていかにクラシック音楽の真髄を多くの方々に広めてゆくかということに使命を感じて活動中。

よろしくお願いします(__)
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