朝比奈 隆

2017年06月30日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



朝比奈隆にとって、ブルックナーの交響曲は最も得意とするレパートリーで、交響曲全集を3度にわたって録音した世界で唯一の指揮者である。

本BOXに収められた演奏は、1990年代前半に完成させた朝比奈による3度目の全集で、テンポの遅い、がっしりした構成という解釈の基本は不変であるが、方向としてはより純度の高い、無駄のないすっきりとした演奏となっている。

3度目の全集に含まれる演奏は、いずれ劣らぬ素晴らしい名演揃いであるが、その中でも、第3番、第8番、第9番は至高の超名演と言えよう。

朝比奈のアプローチは荘重なインテンポで、曲想を真摯にそして愚直に進めていくというものだ。

スコアに記された音符を1つも蔑ろにすることなく力強く鳴らして、その指揮表現は、良き時代のドイツの音楽を反映したものと言うべく、内声部を重視して響きに厚みと重量感をもたせ、壮大なスケール感を生み出し、いささかも隙間風が吹かない重厚な音楽を構築していく。

その裏づけとなるのが、ひたむきな情熱で、いわば無手勝流の指揮ぶりだが、かえって安定した立派さを生み出すのである。

このようにスコアに記された音符をすべて重厚に鳴らす演奏であれば、カラヤンやチェリビダッケも同様に行っているが、彼らの演奏は、ブルックナーよりも指揮者を感じさせるということであろう。

俺はブルックナーをこう解釈するという自我が演奏に色濃く出ており、聴き手によって好き嫌いが明確にあらわれるということになるのだ。

これに対して、朝比奈の演奏は、もちろん朝比奈なりの解釈はあるのだが、そうした自我を極力抑え、各曲にひたすら奉仕しているように感じることが可能だ。

聴き手は、指揮者よりもブルックナーの音楽の素晴らしさだけを感じることになり、このことが朝比奈のブルックナーの演奏をして、神々しいまでの至高の超名演たらしめているのだと考えられる。

オーケストラの実力はともかくとして、ブルックナーの魂の真髄を表現する演奏という意味に於いて、これほど作為が無い、崇高な演奏は筆者の試聴歴では未だかつて無いものである。

ムーティをして「晩年のカラヤンのブルックナーは神の声がする」と言わしめたが、この朝比奈の至高の超名演もスタイルは違えども、まさしく「神の声」を聴くようである。

しかも、スケールは雄渾の極みであり、かかるスケールの大きさにおいては、同時代に活躍した世界的なブルックナー指揮者であるヴァントによる大半の名演をも凌駕すると言っても過言ではあるまい。

日本の音楽ファンは、自国の指揮者やオーケストラをとかく軽視しがちだが、ここでの朝比奈の指揮ぶりは、その重厚壮麗な迫力と恰幅の良さにおいて際立っており、本場のドイツを見まわしてみても、これだけのブルックナーを振れる指揮者は現今見当たらない。

本全集で惜しいのは大阪フィルがいささか非力という点であるが、全員打って一丸となった熱演であることは疑う余地がなく、演奏全体の評価に瑕疵を与えるほどのものではないと言える。

長年、朝比奈のブルックナーを聴き続け、そのスタイルに慣れてしまったせいもあるかもしれないが、少なくともブルックナーとベートーヴェンに関する限り、音楽そのものを最も堪能させてくれるのが朝比奈であり、他の演奏は指揮者の個性や味つけがチラチラ見え隠れするのだ。

朝比奈の偉大さは、その芸術の完成の道にあってすら演奏ごとに新しい発見をしようとする意欲を持ち続け、それを演奏に反映し続けたことである。

完成期の芸術らしくすべては自然のなかで様々な要素が円満に溶け合い、しかも日々新たなものであろうとする彼の晩年の演奏とそのあり方は、ひとりの演奏家の晩年の理想の姿であったのかもしれない。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 00:33コメント(0)トラックバック(0) 

2016年05月25日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



朝比奈自身が「音楽の聖書」として畏敬したベートーヴェンの交響曲は最も得意とするレパートリーであり、その指揮表現は、良き時代のドイツの音楽を反映したものと言うべく、内声部を重視して響きに厚みと重量感をもたせ、壮大なスケール感を生み出す。

朝比奈の偉大さは、その芸術の完成の道にあってすら演奏ごとに新しい発見をしようとする意欲を持ち続け、それを演奏に反映し続けていることである。

テンポの遅い、がっしりした構成という解釈の基本は不変であるが、方向としてはより純度の高い、無駄のないすっきりとした演奏となっている。

完成期の芸術らしくすべては自然のなかで様々な要素が円満に溶け合い、しかも日々新たなものであろうとする彼の晩年の演奏とそのあり方は、ひとりの演奏家の晩年の理想の姿とよんでよいものかもしれない。

第1番、第3番といった過去にも名演の多い曲は相変わらず素晴らしいが、中では第4番が例外的に個性が強く(特に終楽章のスロー・テンポ)、第2番もかなりゴツイ感触がある。

反対に第5番、第8番などはやや歯切れが悪く物足りないナンバーもあるが、総合的に第1番、第3番、第4番、第6番、第9番などは、このスタイルとして他の追随を許さない。

日本の音楽ファンは、自国の指揮者やオーケストラをとかく軽視しがちだが、ここでの朝比奈の指揮ぶりは、その重厚壮麗な迫力と恰幅の良さにおいて際立っており、本場のドイツを見まわしてみても、これだけのベートーヴェンを振れる指揮者は現今見当たらない。

長年に亘って朝比奈が鍛えてきた大阪フィルも熱演で応え、全員打って一丸となった演奏であり、その情熱に打たれてしまう。

第3番は文字通り英雄的、第4番は音楽をはみ出すほど巨大(フィナーレなど超スロー・テンポで悪魔的な最強音が連続する!)、第6番はブルックナーのように重厚な田園、第9番の威容は改めて述べるまでもあるまい。

今回の全集で筆者が特に感銘を受けたのは第6番で、荘重なテンポでしゅくしゅくと進む名演である。

第1楽章の沈んでゆくような趣、第2楽章の俗っぽさのまるでない静かな祈り、それは老年の感慨を伴って格調が高く、スケルツォの立派な充実感と堂々としてケレン味のない〈嵐〉が続くのである。

全体に広々としたテンポ、大編成のオーケストラによる恰幅の良い響き、あたりをはらうスケールの大きい堂々とした造型、悠々として迫らぬ威厳と立派な男性美、各パートの充実と情報量の多さはこの指揮者の独壇場と言えよう。

現代の流行から超然として、分厚くも情熱的なベートーヴェン像が追究されており、スコアへのアプローチはオーソドックスだが、出てきた結果は個性的という、朝比奈独特のスタイルがここにある。

朝比奈は、第1番、第2番、第4番、第8番といった小型のシンフォニーにも弦楽器だけで60人、管楽器は倍に増やす、という大編成のオーケストラを使い、ゆったりとしたテンポと重いリズムで、音楽をあくまで分厚く、堂々と響かせてゆく。

そこには時代の流行を追って新しがったり、スコアをいろいろ工夫して面白く聴かせたり、といった小細工や小賢しさがいっさいなく、無器用に、武骨に、ひたすらベートーヴェンの楽譜を信じ切って、この作曲家の男性美を逞しく描き上げる。

その裏づけとなるのが、ひたむきな情熱なのだ。

いわば無手勝流の指揮ぶりだが、かえって安定した立派さを生み出すのである。

こういうスタイルは昔ながらのドイツ流儀であり、この重厚な迫力と恰幅の良さにおいて際立ったドイツ風の表現はもう古いという人も多いだろう。

もっとスリムで洗練されたベートーヴェン、古楽器の影響を受けた斬新なベートーヴェンがこれからの主流になるだろうからだ。

しかし、そうであるからこそ、朝比奈の描く英雄ベートーヴェン像は、汗くさい人間味を横溢させて、未来にいたるまで価値を持ち続ける筈である。

一点一画もおろそかにしない真摯さと情熱、細部を抉ったきれいごとでない響き、がっしりとした強固な骨組、スケールの大きさ、まことにすばらしい。

長年、朝比奈のベートーヴェンを聴き続け、そのスタイルに慣れてしまったせいもあるかもしれないが、少なくともブルックナーとベートーヴェンに関する限り、音楽そのものを最も堪能させてくれるのが朝比奈であり、他の演奏は指揮者の個性や味つけがチラチラ見え隠れするのだ。

こういったいわゆる愚直なまでの誠実さや頑健さ、虚飾皆無に通じる味わいは、往年のコンヴィチュニー&ゲヴァントハウスの王道を行くベートーヴェン演奏を彷彿とさせる。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 21:56コメント(0)トラックバック(0) 

2015年04月16日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



朝比奈隆はブルックナーの交響曲全集を3度にわたって録音した世界で唯一の指揮者である。

本盤に収められた「第8」の演奏は、1990年代前半に完成させた朝比奈による3度目の全集に含まれるものである。

3度目の全集に含まれる演奏は、いずれ劣らぬ素晴らしい名演揃いであるが、その中でも「第8」は、「第3」及び「第9」に並ぶ素晴らしい名演であると言えよう。

それどころか、朝比奈が録音したブルックナーの「第8」の中でも、NHK交響楽団と録音した1997年盤、大阪フィルとの最後の演奏となった2001年盤と並んで、3強の一角を占める至高の超名演と高く評価したい。

朝比奈は、ブルックナーの交響曲の中でも「第5」とこの「第8」を得意としていたことはよく知られているところだ。

その理由はいくつか考えられるが、つまるところ朝比奈の芸風に最も符合した交響曲であったからではないだろうか。

朝比奈のアプローチは荘重なインテンポで、曲想を真摯にそして愚直に進めていくというものだ。

スコアに記された音符を1つも蔑ろにすることなく力強く鳴らして、いささかも隙間風が吹かない重厚な音楽を構築していく。

このようにスコアに記された音符をすべて重厚に鳴らす演奏であれば、カラヤンやチェリビダッケも同様に行っているが、彼らの演奏は、ブルックナーよりも指揮者を感じさせるということであろう(カラヤン&ウィーン・フィルによる1988年盤を除く)。

俺はブルックナーの「第8」をこう解釈するという自我が演奏に色濃く出ており、聴き手によって好き嫌いが明確にあらわれるということになるのだ。

これに対して、朝比奈の演奏は、もちろん朝比奈なりの同曲への解釈はあるのだが、そうした自我を極力抑え、同曲にひたすら奉仕しているように感じることが可能だ。

聴き手は、指揮者よりもブルックナーの音楽の素晴らしさだけを感じることになり、このことが朝比奈のブルックナーの演奏をして、神々しいまでの至高の超名演たらしめているのだと考えられる。

しかも、スケールは雄渾の極みであり、かかるスケールの大きさにおいては、同時代に活躍した世界的なブルックナー指揮者であるヴァントによる大半の名演をも凌駕すると言っても過言ではあるまい(最晩年のベルリン・フィル盤(2001年)及びミュンヘン・フィル盤(2000年)を除く)。

オーケストラの実力はともかくとして、ブルックナーの魂の真髄を表現する演奏という意味に於いて、これほど作為が無い、至高の演奏は筆者の試聴歴では未だかつて無いものである。

ムーティをして「晩年のカラヤンのブルックナーは神の声がする」と言わしめたが、この朝比奈の至高の超名演もスタイルは違えども、まさしく「神の声」を聴くようである。

本盤で惜しいのは大阪フィルがいささか非力という点であり、特に終結部のトランペットが殆ど聴こえないというのは致命的とも言えるが、演奏全体の評価に瑕疵を与えるほどのものではないと言える。

この演奏の素晴らしさは、演奏が終わった後の数秒の沈黙と、その後の大喝采が物語っている。

録音はマルチチャンネル付きのSACDであり、朝比奈による崇高な超名演を望み得る最高の音質で味わうことができるのを大いに喜びたい。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 23:09コメント(0)トラックバック(0) 

2015年02月15日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



朝比奈隆の実に4度目となるブラームスの交響曲全集である。

2000年9月から2001年3月のブラームス・チクルスのライヴ録音で、これが彼にとって最後のブラームス演奏となったものであるが、これは録音史上10指、いや5指に入るブラームスではないか。

1990年以降の演奏はテンポがかなり遅く、重厚な響きと構成を重視した演奏になっているのは周知のとおりだ。

ロマンのうねりは、1990年代の2種類の録音が優っているが、澄み切った寒い青空の下にある葉のすべて落ちた巨木のように、飾り気のない枯淡・達観の演奏もまた印象深い。

朝比奈と言えば、まずは、ブルックナーの名演で知られるが、この最晩年のライブ1発録音は、壮絶でありながらも、引き締まったフォルムの見事な演奏であることがわかる。

そう、「引き締まった」というのが本全集の大きな特徴である。

いささか間延びがちであった大フィルとの旧全集より、テンポが速く、アンサンブルも緊密だ。

それは、第2番のコーダにも現れている。

大フィル盤と同じくテンポを煽るが、大フィルが朝比奈の指揮棒についていけず、縦の線が完全にずれているのに比べ、新日本フィルは乱れそうで乱れない。

第3番はロマン性よりも、クラシカルな端正さを感じさせるし、第4番も力感に溢れている。

朝比奈はこの演奏について「フルトヴェングラーのまねをするといろいろ問題があるけど、クレンペラーならよいのではないかと思ってね」と、述べていたように思うが、もちろんそれは朝比奈流の洒落であって、出てきた音楽を聴くと、クレンペラーの真似をしたわけではなく、紛れもない、朝比奈の音楽だ。

このブラームス、生演奏だからこその熱さが存分に感じられ、これぞブラームス!という重厚感がひしひし伝わる演奏である。

朝比奈のブラームスへの共感・憧れといった気持ちが全面に出ているように感じられるとともに、ルバートを排し、収斂したテンポで音楽を統一する再晩年の境地が聴ける。

文句の付け所のない完成度の高さ(録音も秀逸)で、音楽はこれまでにもまして白熱し、知・情・意が見事に一致した素晴らしい全集の完成だ。

同じ新日本フィルとのベートーヴェンの交響曲全集と並んで、世界に冠たる大全集の登場である。

なぜか、朝比奈の場合、実演よりも録音のほうが良く聴こえることが多いというのも妙だが、筆者としてはそう感じるのだから仕方ない。

普段朝比奈を「アバウト」な指揮者だと思っている人は、これを聴くと考えを改めるだろう。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 20:52コメント(0)トラックバック(0) 

2014年09月28日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



朝比奈はブルックナーの交響曲を得意とし、3度に渡る全集を軸として数多くの演奏・録音を行ってきた。

それらは、我が国におけるブルックナーの幅広い認知に大きく貢献した偉大なる遺産と言えるが、とりわけ1990年代以降の演奏・録音は、現在でもヴァントによる名演と比肩し得る至高の名演揃いであると言えるところだ。

もっとも、本盤に収められたブルックナーの交響曲第7番は、朝比奈&大阪フィルが1975年のヨーロッパ・ツアーの最中にライヴ録音された演奏であるが、1990年代以降の数々の同曲の名演にも匹敵する至高の超名演と高く評価したい。

朝比奈は、本演奏の後にも同曲を何度も演奏・録音し、大阪フィルの技量などにおいてはそれらの演奏の方が本演奏よりもはるかに上であると言えるが、それでも本演奏の持つ崇高な高みにはついに達し得なかったのではないかとさえ思われるほどだ。

何よりも本演奏は、ブルックナーの聖地でもあるザンクト・フローリアン大聖堂での演奏、地下に眠るブルックナーに対する深い感謝の気持ちを込めた史上初めての奉納演奏、そして演奏中ではなく奇跡的に第2楽章と第3楽章の間に鳴ることになった神の恩寵のような教会の鐘の音、そして当日のレオポルト・ノヴァーク博士をはじめとした聴衆の質の高さなど、様々な諸条件が組み合わさった結果、朝比奈にとっても、そして大阪フィルにとっても特別な演奏会であったと言っても過言ではあるまい。

そして、そのような特別な諸条件が、かかる奇跡的な超名演を成し遂げるのに寄与したと言えるのかもしれない。

本演奏終了後、拍手喝采が20分も続く(CDではカットされている)とともに、レオポルト・ノヴァーク博士が本演奏に対して感謝の言葉を朝比奈に送ったこと、そして、とある影響力の大きい某評論家が様々な自著において書き記しているが、当日の一聴衆であったドイツ人が本演奏に感涙し、朝比奈に感謝の手紙を送ったというのも、本演奏がいかに感動的で特別なものであったのかを伝えるものであるとも考えられる。

いずれにしても、本演奏は素晴らしい。

朝比奈は、大聖堂の残響に配慮したせいかブラスセクションをいつもとは異なり抑制させて吹かせているが、それが逆に功を奏し、全体の響きがあたかも大聖堂のパイプオルガンのようにブレンドし、陶酔的とも言うべき至高の美しさを有する演奏に仕上がっている。

悠揚迫らぬテンポで着実に曲想を進行させていくのは朝比奈ならではのアプローチであるが、とりわけ第2楽章の滔々と流れていく美しさの極みとも言うべき清澄な音楽は、本演奏の最大の白眉として、神々しいまでの崇高さを湛えていると評価したい。

なお、一昨年には、同じヨーロッパ・ツアーにおいて、オランダで同曲を演奏したライヴ録音が発売され、ブラスセクションの鳴りっぷりはそちらの方が上であり、聴き手によっては好みが分かれると思われるが、演奏全体の持つ独特の雰囲気など、総合的な観点からすれば、本演奏の方をわずかに上位に掲げたいと考える。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 22:48コメント(0)トラックバック(0) 

2014年08月28日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



朝比奈隆はブルックナーの交響曲全集を3度にわたって録音した世界で唯一の指揮者である。

本盤に収められた「第8」の演奏は、大阪フィルとの最後の演奏(2001年7月)となったもので、朝比奈が録音したブルックナーの「第8」の中でも、3度目の全集に含まれる大阪フィルとの1994年盤、NHK交響楽団と録音した1997年盤と並んで、3強の一角を占める至高の超名演と高く評価したい。

朝比奈は、ブルックナーの交響曲の中でも「第5」とこの「第8」を得意としていたことはよく知られているところだ。

その理由はいくつか考えられるが、つまるところ朝比奈の芸風に最も符合した交響曲であったからではないだろうか。

朝比奈のアプローチは荘重なインテンポで、曲想を真摯にそして愚直に進めていくというものだ。

スコアに記された音符を一つも蔑ろにすることなく力強く鳴らして、いささかも隙間風が吹かない重厚な音楽を構築していく。

このようにスコアに記された音符をすべて重厚に鳴らす演奏であれば、カラヤンやチェリビダッケも同様に行っているが、彼らの演奏は、ブルックナーよりも指揮者を感じさせるということであろう(カラヤン&ウィーン・フィルによる1988年盤を除く)。

俺はブルックナーの「第8」をこう解釈するという自我が演奏に色濃く出ており、聴き手によって好き嫌いが明確にあらわれるということになるのだ。

これに対して、朝比奈の演奏は、もちろん朝比奈なりの同曲への解釈はあるのだが、特に当盤は朝比奈最晩年(93歳)の演奏ということもあり、そうした自我を極力抑え、同曲にひたすら奉仕しているように感じることが可能だ。

聴き手は、指揮者よりもブルックナーの音楽の素晴らしさだけを感じることになり、このことが朝比奈のブルックナーの演奏をして、崇高で神々しいまでの至高の超名演たらしめているのだと考えられる。

しかも、スケールは雄渾の極みであり、かかるスケールの大きさにおいては、同時代に活躍した世界的なブルックナー指揮者であるヴァントによる大半の名演をも凌駕すると言っても過言ではあるまい(最晩年のベルリン・フィル盤(2001年)及びミュンヘン・フィル盤(2000年)を除く)。

本盤で惜しいのは大阪フィルがいささか非力という点であり、特に終結部のトランペットが殆ど聴こえないというのは致命的とも言えるが、演奏全体の評価に瑕疵を与えるほどのものではないと言える。

録音も大変優れたものであり、朝比奈による崇高な超名演を望み得る最高の音質で味わうことができるのを大いに喜びたい。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 22:46コメント(0)トラックバック(0) 

2014年03月25日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



朝比奈隆のレパートリーの中核となっていたのは、ブルックナーやベートーヴェンの交響曲であり、ブラームスの交響曲もそれに次ぐ存在であった。

ただし、あくまでも私見ではあるが、朝比奈が遺したブラームスの交響曲全集の録音は、大阪フィルや新日本フィルなど複数を数えているものの、ブルックナーやベートーヴェンの交響曲の演奏と比較すると、今一つ冗長と言うか、面白味に欠けるような気がするのだ。

スケールは雄大であるが、細部におけるニュアンスの込め方に今一つ欠けているというのが、そのような気にさせる要因であると言えるのかもしれない。

良く言えば、細部に拘泥しない恰幅の良さ、悪く言えば大味な演奏とも言えるのではないだろうか。

ブルックナーやベートーヴェンの交響曲とは異なり、ブラームスの交響曲の場合、細部における細やかな表現の在り様は、演奏を行うに際しての生命線とも言えるだけに、朝比奈の演奏のアキレス腱ともなっていると言えるところだ。

しかしながら、本盤に収められた東京都交響楽団とのライヴ録音だけは超名演だ。

朝比奈による数あるブラームスの交響曲第1番の演奏の中でも最高の名演であるにとどまらず、同曲演奏史上でもトップクラスの超名演と高く評価したい。

本演奏におけるアプローチは、これまでの朝比奈による同曲の演奏と基本的には何ら変わるところはない。

スケールは雄渾の極みであり、細部に拘らず、ブラームスがスコアに記した音符の数々を恰幅よく鳴らし切るという、いわゆる直球勝負のスタイルによる演奏だ。

そして、あたかも重戦車が進軍するが如き重量感に溢れており、その力強さは、同曲演奏史上でも空前にして絶後の凄まじいまでの強靭な迫力を誇っている。

加えて、これまでの朝比奈によるブラームスの交響曲演奏の唯一の高いハードルにもなっていた細部におけるニュアンスの込め方についても、何故か本演奏においては、どこをとっても独特の表情付けがなされるなど、過不足なく行われていると言えるところである。

したがって、本演奏は、例によって繰り返しを忠実に行うなど、全体を約53分もの時間を要してはいるが、これまでの朝比奈による同曲の演奏のように冗長さを感じさせるということはいささかもなく、隙間風が一切吹かない内容の濃さを有していると言えるところだ。

いずれにしても、本演奏は、スケールの大きさと細部への入念な配慮を両立し得た稀有の名演と言えるところであり、朝比奈としても、会心の出来と評すべき超名演と言えるのではないだろうか。

それにしても、東京都交響楽団のうまさを何と表現すればいいのであろうか。

東京都交響楽団は、崇敬する朝比奈を指揮台に頂いて、ドイツのオーケストラに決して負けないような重厚かつ重量感溢れる豪演を展開しており、本演奏を名演たらしめるのに大きく貢献しているのを忘れてはならない。

DSDマスタリングによる鮮明な高音質も見事という他はない。

ただ、DSDマスタリングをするのであれば、これだけの素晴らしい超名演であるだけに、SACD盤で発売して欲しかったと思うクラシック音楽ファンは筆者だけではあるまい。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 22:45コメント(0)トラックバック(0) 

2013年07月24日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



とてつもない超名演の登場だ。

ブルックナーの交響曲を心から愛するとともに十八番とし、とりわけ最晩年には、世界にも誇る至高の超名演を成し遂げた朝比奈だけに、ブルックナーの交響曲第7番については数多くの名演を遺している。

そうしたあまた存在する朝比奈による同曲の名演の中でも双璧とされるのは、最晩年の大阪フィルとのライヴ録音(2001年)と聖フローリアン大聖堂でのライヴ録音(1975年)であるというのが衆目の一致するところではないだろうか。

そのような中に登場した本盤の演奏であるが、これは、前述の聖フローリアン大聖堂でのライヴ録音とほぼ同時期の演奏。

1975年のヨーロッパ公演の最終日のものであり、初めて発売されるものだ。

聴き終えて大変驚き、そして感動した。

聖フローリアン大聖堂でのライヴ録音と同格、いや、音質面や楽器編成(聖フローリアン大聖堂での演奏では、音響の点から木管楽器の倍管編成を一部縮小せざるを得なかった)までを含めると、本演奏の方が優れているとも言えるところであり、まさに前述の2強に本演奏が加わり、朝比奈による同曲の名演の3強の一角を占める至高の超名演と言っても過言ではないのではないだろうか。

確かに、神々しさや深みという面においては、2001年の最晩年の演奏などと比較すると一歩譲るが、荘重にして悠揚迫らぬテンポによるスケールの雄大さは、後年の演奏にも優るとも劣らないと言えるところであり、朝比奈が既に1975年の時点において、ブルックナー演奏の理想像の具現化に成功していたことに驚きの念を禁じ得ない。

音楽の懐の深さ、悠揚迫らぬ格調の高い曲想の運び方やゲネラルパウゼの効果的な活用の妙など、どれをとっても文句の付けようのないレベルに達しており、いささかも隙間風の吹かない重厚にして荘重な奥行きの深い音楽に満たされているのが素晴らしい。

特筆すべきは大阪フィルの力量であり、聖フローリアン大聖堂でのライヴ録音では、大聖堂の残響に配慮してブラスセクションを一部抑え気味にマイルドに演奏させていたところであるが、本演奏では存分に鳴らしており、それでいていささかも無機的な響きを出していないのが見事である。

弦楽合奏の分厚い響きなども、とても1975年当時の日本のオーケストラの水準とは思えないような素晴らしさであり、おそらくは、当日の会場の独特の雰囲気や、ヨーロッパ公演の最終日であるという特別な事情が、大阪フィルをして、持ち得る実力を超えるような奇跡的な名演奏に導いたのではないかとも考えられる。

演奏終了後の長く続く拍手喝采も当然のことであると思われる。

いずれにしても、本演奏は、朝比奈による同曲の数ある名演の中でも、トップ3の一角を占める圧倒的な超名演と高く評価したい。

そして、このような超名演を商品化にこぎつけたアルトゥスレーベルに深く感謝の意を表したい。

音質は、1975年のライヴ録音とは思えないような鮮明で優秀な音質であり、十分に満足できるものである。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 21:03コメント(0)トラックバック(0) 

2013年07月18日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



ブルックナーの権威として、3度にわたって全集を完成させるなど、朝比奈は、ブルックナーの交響曲を数多く演奏した。

したがって、朝比奈には、ブルックナー指揮者というイメージが強く、マーラー指揮者というイメージは殆どない。

それでも、同じ年齢のカラヤンと比較すると、「第1」以外の交響曲はすべて演奏を行った記録が遺されているなど、意外にもマーラーをよく指揮しているのである。

特に、「第5」はマスターテープの損傷が激しくてCD化が困難ということであるが、「第2」、「第6」、「第9」、そして「大地の歌」には複数の録音が遺されている点も見過ごすことはできないだろう。

朝比奈のマーラーへのアプローチは、ベートーヴェンやブラームス、ブルックナーに対するアプローチと同じだ。

荘重たるインテンポで、曲想を愚直に描き出していくというものだ。

そのようなアプローチは、劇的な要素が支配的なマーラーの交響曲にはいささか符号しない点も多々見られるが、雄渾なスケールの大きさにおいては、他のどの演奏にも互角に渡り合えると思われる。

朝比奈のアプローチが最も適合する交響曲は、本盤の「大地の歌」と言えるのではないだろうか。

同様のアプローチによる名演の先例として、クレンペラー盤があるからである。

もちろん、オーケストラや歌手陣は、クレンペラー盤と比較して相当程度劣ると言えるが、演奏内容の彫りの深さと言った点では、クレンペラー盤にかなり肉薄しているのではないかと考える。

最大公約数的には、後年の演奏(ポニーキャニオン)を上位に掲げるべきであろうが、朝比奈が最円熟期を迎える直前の本盤も、十分に魅力的な名演と高く評価したい。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 21:02コメント(0)トラックバック(0) 

2013年06月13日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



凄い演奏だ。

リャードフの八つのロシア民謡より「愁いの歌」を除くと、極めてポピュラーな名曲ばかりが収められているが、朝比奈は、ポピュラーな名曲であっても、楽曲に合わせて自らの芸風を変化させるようなことはしない。

聴かせどころのツボを心得た演奏など薬にしたくもなく、それこそ、朝比奈が得意とするブルックナーやベートーヴェン、ブラームスなどの交響曲に接する場合と同様の悠揚迫らぬアプローチで演奏を行っていると言えるだろう。

したがって、演奏のスケールは極大であり、音楽そのものの大きさがこれらのいわゆる小品にはそもそもハイスペックに過ぎるとさえ言えるだろう。

それ故、聴き手によっては、違和感を感じるであろうし、鶏を割くのに牛刀を持ってとの諺にも例える人さえいるのではないかとも考えられるところだ。

しかしながら、筆者としては、これら小品についても、いささかの手抜きをせずに、自らの芸風を如何なく披露して、まさに真剣勝負で壮大な演奏を繰り広げた朝比奈に対して大きな拍手を送りたい。

いや、むしろ、軽妙浮薄な演奏があまた氾濫している嘆かわしい状況にある中で、朝比奈による重厚な演奏は非常に貴重な存在と言えるのではないだろうか。

冒頭のチャイコフスキーの弦楽セレナードからして、その悠揚迫らぬゆったりとしたテンポ設定と、構えの大きい音楽に圧倒されてしまう。

その演奏の随所から発散されるエネルギーの凄まじさにはただただ圧倒されるのみであり、とかく甘い旋律の美しさに耳を奪われがちな同曲の真の魅力を抉り出すことに成功した稀有の名演と高く評価したい。

R・コルサコフの序曲「ロシアの復活祭」も、他の指揮者による演奏とは一味もふた味も異なる。

管弦楽法の大家として知られるR・コルサコフの作品だけに、そうしたオーケストレーションの見事さに関心が行ってしまいがちな同曲であるが、朝比奈は、重厚かつ彫りの深い表現で、同曲の知られざる魅力を描出するのに成功していると言えるだろう。

随所に付加されたテンポの思い切った振幅も実に効果的だ。

リャードフの八つのロシア民謡より「愁いの歌」は、筆者としても初めて聴く楽曲であり、他の演奏との比較はできないが、それでも本演奏は、朝比奈だけに可能な深沈たる奥行きを感じさせる重厚な名演と言えるのではないか。

ウェーバーの「オイリアンテ」序曲も素晴らしい名演であるが、更に凄いのは、ヨハン・シュトラウス2世の3曲。

とりわけ、皇帝円舞曲の雄渾なスケールによる演奏は、もはやワルツというジャンルを超えた一大交響曲にも比肩し得るだけの崇高さを湛えているとさえ言えるところであり、朝比奈の偉大さをあらためて認識させられたところだ。

いずれにしても、本盤の各演奏は、朝比奈のスケール雄大な、そして彫りの深い芸術を存分に味わうことができる圧倒的な名演と高く評価したい。

音質は、1970年代半ばから1980年代前半にかけてのライヴ録音であるが、モノラル録音であるウェーバーの「オイリアンテ」序曲を除けば十分に良好な音質と言えるところであり、朝比奈の偉大な芸術を良好な音質で味わうことができるのを大いに喜びたい。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 21:35コメント(0)トラックバック(0) 

2013年04月18日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



朝比奈には、コンサートの記録や遺された録音の数からしても、どうしてもブルックナー指揮者としてのイメージが拭えない。

確かに、朝比奈のブルックナーには名演が多く、特に、最晩年の演奏は神々しささえ感じさせる至高・至純の名演揃いであった。

では、朝比奈は、マーラーを無視していたかというと、決してそのようなことはない。

確かに「第1」は、記録によると演奏した形跡すらないようであるが、「第2」以降の交響曲は、コンサートでも相当回数採り上げ、かなりの点数のCDが発売されているという厳然たる事実を見過ごしてはならないだろう。

特に、本盤の「第2」や「大地の歌」、「第9」等では、複数の録音が存在するなど、意外にもマーラーに対して一見識を持っていたのではないかとさえ思うほどだ。

朝比奈のマーラーへのアプローチは、他のマーラー指揮者とはまるで異なる。

荘重な微動だにしないインテンポで、マーラーがスコアに記したすべての音符を一音たりとも蔑にせずに音化していくというものだ。

その意味では、朝比奈は、ベートーヴェンやブラームス、ブルックナーの交響曲に対するのと同様のアプローチで、マーラーの交響曲を指揮していることになる。

それ故に、マーラーの交響曲が含有する劇的な要素などの描出にはいささか不十分な面もあると思うが、スケール雄大な壮麗さや、音楽の内面を抉り出していくような精神的な深みにおいては、他のマーラー指揮者による名演と互角に渡り合えるだけの豊かな内容を兼ね備えていると言える。

本盤も、そうした朝比奈の真摯なアプローチによる壮麗な名演であり、その圧倒的な生命力や力強さにおいては、1990年代の後年の録音(ポニーキャノン)よりも上位に置かれるべきものと考える。

大阪フィルも朝比奈の指揮の下、素晴らしい演奏を展開しており、独唱陣や合唱団も最高のパフォーマンスを示していると言える。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 21:07コメント(0)トラックバック(0) 

2013年02月06日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



1968年9月2日東京文化会館、大阪フィル第7回東京定期演奏会モノラル・ライヴ録音。

朝比奈には、最晩年の名演の数々に鑑みれば、どうしてもブルックナー指揮者としてのイメージを拭い去ることはできないが、彼の累次の演奏記録を見ると、マーラーの交響曲も第1番を除いて、相当回数演奏していることがわかる。

CDも、これまでのところ、「第2」、「第3」、「第6」、「第7」、「第8」、「第9」及び「大地の歌」が発売され、そのうち何曲かは複数の音源が発売されている。

本盤の「第4」は、朝比奈のマーラーの「第4」として初めて世に出るものであり、その意味でも大変貴重な記録であると言える。

モノラル録音であり、音場がいかにも狭いのが玉に傷ではあるが、演奏内容は、壮年期(この演奏時は60歳)の朝比奈ならではの剛毅な名演と評価したい。

まずは、全体の厳しい造型美。

マーラーの交響曲の中でも、最も古典的様式をとどめている作品だけに、こうした造型を重んじるアプローチは大正解。

もう少し踏み外しがあってもいいと思う箇所も散見されるが、ブルックナー指揮者である朝比奈にそれを求めるのは酷というものだろう。

それでも、第3楽章のゆったりとしたテンポによる深沈たる情感溢れる味わいは、後年の大巨匠朝比奈を彷彿とさせる至高の音楽に仕上がっている。

終楽章の樋本のソプラノは、録音のせいもあって、朝比奈の重厚な指揮と比較するとやや軽妙に過ぎる気もするが、同曲の演奏全体の価値を減じるまでには至っていない。

朝比奈のマーラーの交響曲の遺産として、今後発売の可能性が残っているのは「第5」だと思うが、マスターテープが著しく損傷していて、発売が厳しいと聞いた。

何とか最新の技術を用いてCD化し、発売にこぎつけて欲しいと思っている聴き手は筆者だけではあるまい。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 21:57コメント(0)トラックバック(0) 

2013年02月02日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



1997年3月6日、NHKホールでのデジタル録音(ライヴ)。

指揮者、オーケストラともに最高のコンディションで行われた演奏で、1997年N響ベスト・コンサートのアンケートで見事第1位を獲得した名演としても知られている。

実際、ブルックナー好きのあいだでは、朝比奈の数ある「ブル8」(11種類!)の中でも、この演奏が最も優れたものとの呼び声が高く、すべてがうまくいった、朝比奈&N響としても会心の名演奏として高く評価されている。

この録音は「国宝」だろう。

朝比奈氏、N響メンバー、そして録音スタッフ全てに賛辞を捧げたい。

ブルックナーの「第8」は、ヴァントもいいが、スケールの大きさという点で朝比奈を第一に推したい。

これは本当に朝比奈隆の自発的な解釈による「ブル8」だったのだろうか?

そう首を傾げたくなるほど、「出来すぎた」名演だと思う。 

あたかも、朝比奈がN響と「ブル8」を演奏したら、こういう音楽になりました、とリスナーが想像し、期待するそのままを表現したような感じだ。

そしてオーケストラの出来も素晴らしい。

大阪フィルも健闘はしているが、ここぞという時の技量はNHK交響楽団にはかなわない。

最晩年の大阪フィルとの演奏は、長年連れ添ったメンバーが指揮を先読みしているような印象がある。

こちらは、指揮を読み切れていない危うさを時々感じるのであるが、それがスリリングさを感じさせる。

それにしてもNHKホールというのは余程録音「には」適しているのか、優秀録音が多い。

筆者はこの実演に接したのであるが、生で聴くよりCDの方が音が良かった、というのは何やら複雑である。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 21:30コメント(0)トラックバック(0) 

2013年01月18日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



20世紀を代表する指揮者、朝比奈隆の晩年の雄姿である。

このところ、ベーレンライター版の全集を聴いて、久しぶりにこの朝比奈の最後の全集に戻ってきたのだが、いや、やはり素晴らしい。

新全集の場合、編成と楽器のバランスで内部のテクスチャーを明解に表出しているのだが、朝比奈の場合、その逆である。

楽器のバランスはいじらないが、全てをしっかり吹き、弾くことでほぼ同じことが出来ることを証明して見せている。

さらに、素晴らしいことにフルオーケストラが全力でやるものだから、そのスケールの大きさ、分厚さと言ったら比類がなく、このベートーヴェンを知っている海外のファンが少ないのは全く残念としか言いようがない。

カラヤン、ベーム、ショルティ、バーンスタイン等、大物による全集数あれど、これほどオケは鳴っていない。

ベルリンもウィーンもロンドンもシカゴも、朝比奈が振る日本のオケと較べると、余程スケールが小さく聴こえる。

もう初期の1番と2番が、本場の海外オケのやる「エロイカ」を上回るスケールで鳴ってくれる。

朝比奈のこういう資質に唯一合わないのが、8番だと思うが、残りは文句なしである。

演奏は定評のある名演だが、筆者が評価したいのは、オクタヴィアがこの名演をSACDで、しかも格安で発売したこと。

最近では、大手レコード会社がSACDから撤退し、SHM-CDのような中途半端なものに流れている。

そんな風潮の中、オクタヴィアも迷ったと思うのだが、SACDで発売という良識ある判断に至ったことを高く評価したい。

このように商業主義ではなく芸術至上主義のメーカーが我が国にあることを誇りとしたい。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 21:03コメント(0)トラックバック(0) 

2013年01月14日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



同年齢のカラヤンが鬼籍に入ってから2カ月後に、カラヤンの本拠地のベルリン・フィルハーモニー・ホールで行った演奏会の記録である。

ベルリンでの名演の一報は、かつて音楽雑誌の海外報道欄で読んでいたので、このCDは発売早々に購入したが、演奏は予想を上回る名演。

特に金管と低弦の充実ぶりは、残念ながら当時の国内オケでは期待できない高レベル。

もう少し言えば、例えば晩年のクーベリックがバイエルン放送響で放ったモーツァルト後期群を聴くような、一時代前の演奏の凄みととでも言うべきか、曲を掌中に収め、テンポと響きの関係をわきまえた老獪な仕事である。

朝比奈は最晩年、カラヤンを評して、「カラヤンはすごい人だったけれど、長生きでは私が勝ったな。」と意味深長な発言を行っていたが、カラヤンと同年齢でありながら、演奏の優劣はさておき、その「エロイカ」の演奏スタイルは全く対照的だ。

ベルリン・ドイツ交響楽団は、良い指揮者を得た場合には、ベルリン・フィルに匹敵するとまでは言えないものの、かなりのハイレベルの演奏を行う楽団であるが、最晩年の朝比奈の指揮だけに、ベルリン・ドイツ交響楽団も見事な好演で応えており、男性的で、剛毅かつ重厚な名演を成し遂げていると言えよう。

テンポは晩年の朝比奈特有の遅さであり、繰り返しもすべて行っているが、それでいて冗長であるとか、もたれるということとは全く無縁であり、「エロイカ」という傑作交響曲の持つ雄大なスケール感を存分に味わうことができるのが素晴らしい。

大阪フィル盤や、新日本フィル盤も良いが、やはりこの盤を聴くと、「ドイツのオケには遥かに及ばないなぁ」と感じてしまう。

朝比奈には、ドイツのオケともっとベートーヴェンやブルックナーを残してほしかったと思わざるを得ない。

音質も非常に鮮明であり、この歴史的名演CDの価値をさらに高めることに貢献している。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 23:42コメント(0)トラックバック(0) 

この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



チェロで弾いても難しいドヴォルザークを、コントラバスで独奏するというのももちろん世界初の試み。

ドヴォルザークのチェロ協奏曲をコントラバス(1611年製アマティ)で弾くという、一歩間違えるとゲテモノ扱いされかねない企画ではあるが、そのような懸念を一挙に吹き飛ばしてしまうような素晴らしい、そして感動的な名演だ。

まずは、朝比奈の指揮が見事で、スケールの大きさとダイナミックの豪快さによって際立っている。

冒頭からして深沈としたテンポがいかにも巨匠的表現であるし、第2楽章の抒情的表現も、溢れんばかりの情感の豊かさだ。

終楽章の終結部に向けた盛り上がりも、さすがは朝比奈と言うべき重量感溢れる迫力に満ち溢れている。

その朝比奈の重厚な伴奏の下、ゲリー・カーは実に感動的な演奏を繰り広げている。

しかし、チェロパートをコントラバスで弾いたことに感動したわけではない。

もちろん、そうしたカーの技量は十分に感服には値するとは思うが、そのようなことは二の次で、カーが奏でる情感豊かな演奏、表現に胸を打たれ、感動を覚えるのだ。

何よりも腹の底からの歌、涙を湛えた歌が最高。

特に、第2楽章の抒情的表現は、チェロによる過去の様々な名演でも、果たして太刀打ちできるかどうかというほどのハイレベルな次元の演奏を繰り広げている。

本当に驚くべき名演がここに刻みつけられている。

録音も素晴らしいの一言。

SHM−CDとXRCDの組み合わせは、さすがに、SHM−CDとSACDの組み合わせには勝てないが、十分に鮮明なハイレベルの高音質に仕上がっていると言える。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 21:06コメント(0)トラックバック(0) 

2012年11月19日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



こんな録音が残っていたとは驚きだ。

朝比奈60代、若々しさがあり、それを、ドイツのオーケストラで表現していて、素晴らしいものがある。

朝比奈のハイドンは実に珍しく、筆者としても、これまで第1番と第104番しか聴いたことがなかった。

朝比奈は、ドイツの交響曲の3大B(ベートーヴェン、ブラームス、ブルックナー)について数多くの演奏を行い、そして数々の名演を遺してきたことを考えれば、大変惜しい気もしていたが、そのような中、ついに長年の渇きを癒す本CDが発売された。

第92番も第99番も、いずれも朝比奈ならではの剛毅にして重厚な名演だと高く評価したい。

ハイドンの交響曲の演奏様式は、最近ではピリオド楽器や、いわゆる現代オーケストラに古楽器的な奏法をさせるというものが主流を占めつつある。

そのようなアプローチは、歴史考証学的には正しいのかもしれないが、それが果たして芸術の感動に繋がるのかと言えば、筆者としては大いに疑問を感じている。

朝比奈の演奏は、こうした現在の軽妙浮薄とも言えるゆゆしき潮流とは全く正反対の重厚長大なアプローチ。

あたかも、ブルックナーを演奏する時のように、ゆったりとしたインテンポで、スコアに記された音符のすべてを愚直に、そして隙間風を吹かすことなく重厚に演奏していく。

そのスケールの雄大さは、ハイドンの交響曲の演奏としては空前絶後とも言える巨大さであり、演奏当時は、朝比奈もまだ60代の壮年期であるが、既に巨匠の風格が十分に漂っていると言える。

こうした朝比奈の指揮に、本場ドイツのオーケストラがしっかりと応えているのも、実に素晴らしいことではないだろうか。

本盤の名演に接して、無いものねだりながら、朝比奈のハイドンを、他の交響曲でももっと聴いてみたいと心底思った次第だ。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 21:28コメント(0)トラックバック(0) 

2012年11月09日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



朝比奈の死の5か月前の至高・至純の超名演である。

朝比奈のブルックナーの「第8」としては、大阪フィルを指揮した本盤、本盤の5か月前の名古屋でのライヴ盤、そして1994年盤に加えて、NHK交響楽団を指揮した1997年盤の4種の演奏がベストであると考えている。

このうち、オーケストラの力量も含めた演奏の水準の高さとしては、NHK交響楽団を指揮した1997年盤がベストであると思うが、当該盤は未だSACD化されていない。

そうなると、録音も含めたトータルの評価としては、本盤に軍配が上がるのではないかと思われる。

朝比奈のブルックナーへのアプローチは、スコアに記された音符の数々を愚直に音化していくというものであり、巧言令色とは一切無縁。

古武士のような武骨さが身上であり、しかもテンポを可能な限り動かさず、堂々たるインテンポを基調とする。

スコアの細部に拘るあまりの過度の凝縮が、楽曲全体としての矮小化を招くという悪循環に陥ることは全くなく、全体的な造型を構築した上で、鷹揚と言ってもいいような無手勝の演奏を特徴としており、それだけにスケールの雄大さは桁外れだ。

したがって、ブルックナーの交響曲の指揮としては、最適のアプローチと言えるものだろう。

それにしても、本盤の演奏は、これが死を5か月後に控えた90歳を超える老巨匠の手によるものとはとても信じられない。

前述の4大名演の中でも、名古屋でのライヴ盤に次いでテンポは速いが、それでいて荒っぽさは皆無。

オーケストラの重厚な音色、微動だにしないインテンポ(終結部など、一部アッチェレランドもみられるが、全体としてはインテンポを基調としていると言える)、絶妙な強弱設定など、どれをとっても至高・至純の高みに達していると言える。

朝比奈が、このような超名演を人生の最後に遺してくれたことは、我々にとって大いなる幸運であったと考える。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 21:34コメント(0)トラックバック(0) 

2012年11月08日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



朝比奈の死の1年前の演奏であるが、朝比奈が行った数々のブルックナーの「第4」の中でも、最高の名演である。

そればかりか、ブルックナーの「第4」の演奏史上、ヴァントのラストコンサートと並んでベスト2に君臨する至高・至純の超名演と高く評価したい。

朝比奈のブルックナーへのアプローチは、古武士のような武骨さを身上とした愚直なアプローチを旨としており、テンポをできるだけ動かさず、堂々たるインテンポを基調としたものだ。

それでいて、木を見て森を見ないなどということはなく、無手勝と言ってもいいような鷹揚さで楽曲をスケール雄大に描いていく。

しかしながら、本盤のテンポは速い。

それでいて、荒っぽい箇所は皆無であり、スケールの雄大さが減じることは全くない。

それどころか、どこをとっても、意味の深い有機的な美しさに満ち溢れている。

つまりはスケールの雄大さと細部のきめ細かさの二律背反する要素の両立。

これは、従来の朝比奈には見られなかった(あるいは果たせなかった)演奏スタイルであり、最晩年になって漸く成し得た究極の至芸と言えるのかもしれない。

それにしても、これが90歳を超える老巨匠の指揮による演奏とはとても考えられない。

何度も指揮しているはずのブルックナーの交響曲への深い畏敬の念とあくなき探究心が、これだけの透徹した至高・至純の超名演を成し遂げることに繋がったとも言える。

SACD化によって、この究極の超名演をより一層鮮明な音質で味わうことができることになったのは嬉しい限りだ。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 21:26コメント(0)トラックバック(0) 

2012年11月07日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



朝比奈はブルックナーの「第7」を数多く演奏してきたが、本盤は、この約10日後に東京都交響楽団と演奏したものと並んで、生涯最後の「第7」ということになる。

もっとも、朝比奈の手兵は大阪フィルであり、その意味では、本盤こそ、朝比奈のブルックナーの「第7」の集大成と言うべき超名演であると高く評価したい。

特に、第1楽章と第2楽章については、いつもの朝比奈とは異なり、金管楽器などをいささか抑え気味に、全体の響きの中にブレンドさせて吹奏させているように思われる。

要は、全体に静けさが漂っているところであり、テンポもやや遅め。

まさに、朝比奈の白鳥の歌とも言うべき趣きと言える。

そして、その神々しいまでの崇高さは、朝比奈としても死の7か月前に漸く到達した至高・至純の境地と言えるものだろう。

ところが、第3楽章に入ると、常々の朝比奈が復活する。

テンポは非常に速くなり、金管楽器に思い切った強奏をさせるなど、重量感溢れる古武士のような武骨なアプローチで一貫している。

そのド迫力は、とても死を7か月後に控えた老巨匠の指揮によるものとは思えないような凄まじさと言える。

終楽章は一転してテンポがゆったりとしたものに変わるが、金管楽器の踏みしめるような最強奏の迫力は尋常ではない。

「第7」は、特に終楽章のスケールの小ささが難点とされているが、朝比奈の手にかかるとそのような欠点がいささかも感じられないのが見事だ。

朝比奈&大阪フィルの「第7」と言えば、聖フローリアンでのライヴが素晴らしかったが、当盤も朝比奈ファンには聴き逃せないCDと言える。

なお、SACD化によって、音質のグレードがかなりアップしたが、マルチチャンネルで聴きたかったという者は筆者だけではあるまい。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 21:12コメント(0)トラックバック(0) 

2012年11月06日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



朝比奈はブルックナーを得意としたが、その中でも「第8」と「第5」が大のお気に入りであった。

シカゴ交響楽団に初めて客演した際も、候補として「第8」を第一にあげ、他の指揮者(ショルティ)との兼ね合いから、「第5」になったという経緯もある。

このように、「第5」は朝比奈にとってお気に入りの曲であったにもかかわらず、「第8」と異なって録音運に恵まれなかった。

晩年になって漸く東京都交響楽団との1995年盤という推薦に値する名演も生まれたが、オーケストラの力量にいささか問題があった感は否めない。

特に、第1楽章のホルンの音のはずし方は、かなり致命的とも言えた。

同時期にシカゴ交響楽団に客演した際の映像作品も遺されているが、初日の状態のやや悪い演奏であり、これまた朝比奈のベストフォームとは言い難い(3日目の演奏が素晴らしかったとのことであるが、未だCD化されていない)。

朝比奈ファンとしては、何とか理想の「第5」を遺して欲しいと待ち望んでいた者も多いと思うが、漸くその願いが叶ったのが、死の8か月前の演奏を収録した本盤であり、これこそ朝比奈が遺した「第5」の集大成とも言うべき超名演と高く評価したい。

第1楽章の随所で見られるゲネラルパウゼは実に効果的であり、著しく遅いテンポなのにもたれるということは皆無で、重量感あふれる重厚なブルックナーサウンドが炸裂している。

それでいて随所に見られる聖フローリアンの自然を思わせるような繊細な抒情も、崇高とも言える高みに達している。

第2楽章のしたたるような弦楽の音色も美しさの極みであるし、第3楽章の武骨とも言えるような力強いスケルツォも、これぞ野人ブルックナーの真骨頂を体現した理想の演奏と言える。

終楽章のフーガは、ヴァントのように整理され尽くしたいい意味での凝縮された整然さはないものの、そのスケールの雄大さはヴァントを凌ぐと言えるだろう。

SACD化も成功しており、マルチチャンネルはないもの、十分に満足できる水準に達していると言える。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 21:49コメント(0)トラックバック(0) 

2012年02月02日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



筆者は、朝比奈のチャイコフスキーが好きだ。と同時に、チャイコフスキーを振る朝比奈が好きで堪らない。それも「悲愴」がいい。何度聴いても泣かせてくれるからだ。

その感銘は、神品と謳われたブルックナー演奏にも匹敵するものがあった。

朝比奈は、晩年こそ「スコアに忠実」という禁欲的な態度をとったが、もともとは芝居気たっぷりの芸風を持つ華のある舞台人であった。

その元来の資質を誰に遠慮なく発揮できた音楽が、チャイコフスキーだったのである。

とはいえ、それがストコフスキーばりに豪華絢爛なものではなく、内面的な情感をたっぷり開陳するあたりが大きな魅力であった。

この新日本フィル盤は、晩年の演奏ゆえに、だいぶ表現が整理されてしまっているのが残念だが、それでも、朝比奈の破天荒な表現力を偲ぶには十分だ。

第1楽章提示部は恐るべき遅さで始まる。

これだけのスローテンポを支える精神力は並大抵ではないが、オーケストラの音の薄さが露呈してしまうのも致し方あるまい。

しかし、第2主題から展開部にかけて、まるでこの世のものとは思えない凄絶極まりない音が現出する。

燃える恒星を背負う巨人のような悲劇性がここにはある。

第3楽章も、スローテンポによる驚愕の演奏。

第4楽章はまさに男泣きの音楽だ。

こういう音楽になると、朝比奈の人間の大きさ、人生の豊かさが物を言う。

今思えば、演奏会場でともに泣けた聴衆は幸せ者だったと言えるだろう。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 20:26コメント(0)トラックバック(0) 

2011年11月23日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



当ブログのマーラーの項に朝比奈が登場するのを訝る向きも多いだろう。確かに「朝比奈はマーラーに片思いしていた」とは、よく言われることである。

朝比奈はブルックナー演奏を始めたと同じ動機、つまり「我々には演奏する義務がある」ということで熱心にマーラーに取り組んだのだが、ついにブルックナーほどの賛同は得られなかった。

その理由は、朝比奈の魂が健康すぎたことによると思う。朝比奈の些事を吹き飛ばす豪放磊落さは、ブルックナーのように肯定的な音楽には良くても、マーラーの複雑な苦しみや悩みを掬い取るには不向きであった。

したがって、大阪フィルと録音された、「復活」「第3」「大地の歌」などは、アンサンブルの詰めの甘さも手伝ってどうにも物足りない出来に終わっている。

ところが、同じ大阪フィルを指揮した「第9」(1983年2月15日ライヴ)は別格だ。たんにマーラーとしてだけでなく、数ある朝比奈の録音の中でも抜きん出た存在なのである。

これは、朝比奈のブルックナーを愛する方に聴いて欲しい録音だ。書道の名人が、大筆で大きな文字を書いたような演奏なので、多くの方には大らかすぎて「本当のマーラーではないよ」と言われるかも知れない。

しかし、この悠久の大河を思わせるフィナーレに身を浸しながら、生きていく上でのさまざまな悩みや辛いことが溶解していくことを筆者は聴くたびごとに体験している。

そういう癒しの効用からいくと、クレンペラー盤やバルビローリ盤よりも上なのである。

これこそ、朝比奈を最高のブルックナー指揮者にした生来の資質なのであろう。

こんなところで、その偉大さを再確認できることは嬉しい。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 20:01コメント(0)トラックバック(0) 

2011年10月05日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



2001年9月24日、大阪・ザ・シンフォニーホールにて収録。
   
2001年末、多くの音楽ファンに惜しまれて93歳で他界した巨匠=朝比奈隆。

その公式録音として最後となったのは、未完成とはいえブルックナーの最高傑作とされるの第9交響曲であった。

ブルックナー演奏史に多大な功績を残した朝比奈隆。

まるで巨匠自身の生きてきた道を噛み締めるようなこの演奏は、これ以上ない厳粛さに貫かれており、原始霧の開始から、一点の曇りもない空に限りなく伸びるような夕映えのごとき終止音に至るまで、まさに朝比奈一色。

彼にしか成し得ない究極のブルックナーが展開されている。

この演奏には言葉はいらない。そう思うのは筆者だけではあるまい。

しかし、間違いなく、これが指揮者、朝比奈隆の最後のブルックナーであり、結論であるといえるだろう。

朝比奈最期の舞台であるチャイコフスキーと同様、この「9番」は特殊なものであり、実演を聴かなかった方や、生前の朝比奈をご存じない方に、軽々しく批判して戴きたくない。

演奏の技術的水準が落ちているのは確かだが、そんな次元を遥かに超えて、此処には朝比奈隆という芸術家が、命を削って次代に託した音楽の遺言が刻印されているからだ。

従って、実演を識る者にとっては涙なしには聴けない。

なお、ライナーノートには朝比奈隆のブルックナー作品の全指揮記録が、特別企画として掲載されている。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 19:27コメント(0)トラックバック(0) 

2011年09月16日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



朝比奈隆没後5周年特別企画で、筆者を含めファンが待ち望んだシカゴ交響楽団との共演盤である。

1996年5月16日、シカゴ交響楽団の定期演奏会に朝比奈隆が客演した際の貴重な記録で、朝比奈のブルックナーを語るには外せない1枚。

1996年、今は亡き朝比奈隆が単身渡米、シカゴ交響楽団とブルックナーの交響曲第5番を演奏した。

筆者はそれをNHKで観ることが出来たのだが、これはすごい演奏だった。

一期一会に賭ける両者の想いががっぷり四つに組み、巨大で濃密、劇的極まりない演奏空間を創り上げていたのだ。

シカゴ響の猛者たちを前に全く見劣りせず屹立する朝比奈は、いつにも増して古武士然としてグイグイとオケを引っ張る。

負けじと咆哮するその金管群の凄さは、TV画面からも十二分に伝わってきた。

これは絶対に観て損のない、5番の素晴らしい演奏記録だ。

この客演はシカゴ響の当時の支配人であるヘンリー・フォーゲルが、朝比奈が指揮するアルプス交響曲を聴いて感激したことにより実現したというもので、世界最高の金管セクションを相手に、自慢のブルックナー・フォルムをリハーサルで徹底的に仕込んだその演奏は、聴衆、批評家の両方から大きな賛辞をもって迎えられたとのこと。

朝比奈の大河を思わせる音楽の流れとこれぞブルックナーと想わせる解釈は圧倒的。

そしてシカゴ響の音色の美しいこと!

ショルティの指揮する同オケは無機的であまり感心しないが、朝比奈の音楽性がこれほどまでに有機的なオケに変えてしまう。

表現のない棒振りは必要なしと感じた次第。

ところどころでアンサンブルの乱れも見られ、必ずしも完成度が高いとは言えないが、この日の演奏が名演であったことは、聴衆のスタンディングオベーションが証明している。

リハーサルでは終楽章コーダの金管を倍管にするよう要求する朝比奈に対し、シカゴ響は、「そんなことは必要ない、自分たちが大きな音で吹けばよいだけだ」と言ってのけ、実際に、完璧なクレッシェンドとアンサンブルで大伽藍というべき巨大な迫力のコーダを響かせたというのだからまさに驚くほか無い肺活量とテクニックだ。

特典映像は、シカゴへの出発から朝比奈に密着し、演奏会の舞台裏を追ったドキュメンタリーとなっている。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 04:17コメント(0)トラックバック(0) 

2011年05月31日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



朝比奈隆は、永年にわたり関西を中心に指揮活動を行なう傍ら、40年以上も前から度々ヨーロッパに足を運んで現地のオーケストラを指揮する活動を続けており、ベートーヴェンの解釈では本場のヨーロッパでも高い評価を受けていた。

このCDからも、その成果は十分に窺い知ることができる。

朝比奈らしい素朴さがあるが、音の透明度は高く、細部もよく彫琢されている。

造形も端然としてゆるぎがなく、ライヴ録音のためか次第に感興が高揚するのもよい。

しっかりした曲の構成、重要なパッセージでのテンポの運び、強弱を含めた一つ一つの音符の処理など、どれをとっても立派でさすがである。

オーケストラの音色に注目すると、新日フィルの各パートの音色は、どれをとっても華麗である。

比較的楽器の種類が少ない初期の交響曲においては、この音色がベートーヴェンの音楽美を引き出すのにプラスの作用をしている。

広々としたテンポ、大編成のオーケストラによる恰幅の良い響き、スケールの大きい堂々とした造型、悠々として迫らぬ威厳と立派な男性美、情報量の多さはこの指揮者の独壇場といえよう。

現代の流行から超然として、分厚くも情熱的なベートーヴェン像が追究されており、スコアへのアプローチはオーソドックスだが、出てきた結果は個性的という、朝比奈独特のスタイルがここにある。

このスタイルでは他の追随を許さず、もはやこのように巨匠的風格を持った指揮者は、ほとんど存在しなくなった。

全体に、重厚で力強く、スケールが大きい、極めて充実度の高い、感動的な秀演だ。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 18:33コメント(0)トラックバック(0) 

2010年02月01日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



いかにも朝比奈らしいハース版による演奏。

「法律はドイツの実体法でなきゃどうも承服できないし、シンフォニーというものは、様式が完璧でなきゃいけない。様式音楽であって印象主義みないなものじゃないと思うんです」と本人が語るように彼はドイツ音楽の様式美を追求した。

その結果、大阪フィルは有体にいえば器用とはいい難いオーケストラになったが、ブルックナー作品のような分厚いテクスチュアを重ねていくプログラムでは熟達した安定感を見せた。

本作のゆったりとしたテンポ設定、音が痩せてしまうのを嫌うダイナミックなアプローチは図らずもブルックナーの深遠なる精神に近づく効果をもたらした。

第1楽章では楽想の表情に感興をこめながらも、音楽的にやや枯淡の域に入ってきた印象を受ける。

第2楽章ではトリオのハープが加わる部分が美しい。

第3楽章での息の長い表情から、感動的で清澄な表現をつくり出していることも特筆に値するだろう。

終曲も朝比奈の音楽は浄化を続け、特に後半は淡白な表情ながらも音楽がよく呼吸している。

近年稀に聴く感動的力演である。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 18:39コメント(0)トラックバック(0) 

2009年05月07日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



1975年10月12日に、西欧楽旅中の朝比奈&大阪フィルがブルックナーゆかりの聖フロリアン修道院で行った記念碑的な演奏会のライヴ録音。

そういう特殊な状況が反映してか、朝比奈のブルックナーの中でも特別に美しく、神々しいと言ってもいいくらいだ。

ブルックナーの棺の上にあるマルモア・ザールでの演奏だけに、指揮者とオーケストラはブルックナーの霊に誘われるような入魂の演奏ぶりを聴かせる。

会場の音響効果のせいもあろうが、大阪フィルがこれだけのよい音を出せたのは、やはり気持ちのもちかたも無縁ではないだろう。

単に長い残響での演奏ということであれば、東京カテドラルでの演奏もいくつもあるが、ここまでの神秘性はさすがにない。

朝比奈の棒はさすが心得たもので、音楽の運びが少しもギクシャクしておらず、見事な流れのうちにすべての起伏が溶解している。

旋律の処理も恰幅よく、美しい陰影をほどこして心ゆくまで歌っている。

CDではカットされているが、終演後の延々8分にもわたる拍手が、この日の聴衆の感動を今に伝えている。

巨匠自身の言葉によれば「ノヴァークや聖フロリアンの偉い坊さんが最前列で聴いていて緊張しましたよ」。

これは日本のオーケストラの海外録音のひとつの記念碑になった。

第3楽章の開始の前に、あたかもこの演奏を祝福するように鳴る教会の鐘(これはCDに入っている)も、ファンの涙を誘うだろう。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 00:01コメント(2)トラックバック(0) 
メルマガ登録・解除
 

Profile
Categories
Archives
Recent Comments
記事検索
  • ライブドアブログ