ハイティンク

2016年12月30日


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シューマンの交響曲全集で誰のものを選ぶのかときかれると、すごく迷う。

大御所クレンペラーのものは、1960年2月の第4番から1969年2月の第3番までじつに9年間をかけた労作だが、1曲1曲を録音していったら「全集」になったと言ったほうが正しいのかもしれない。

ゆえに、年代を追うに従って指揮者やオケに変化が生じてしまっている。

サヴァリッシュのものは、当時のシュターツカペレ・ドレスデンのあまりのすばらしさ(特にティンパニのゾンダーマン!)に驚嘆するが、この世界最古の由緒ある楽団の魅力が指揮者の魅力を上回っているとも言えなくない…。

そこで今回取り上げるのは、アムステルダム生まれのハイティンクが、自ら四半世紀も統率した名門コンセルトヘボウ管弦楽団を指揮したものだ。

ハイティンクは、作品に真正面から向き合い、まとまりの良い端正な音楽を、柔らかみのある美しい響きでたっぷりと鳴り響かせて、その魅力をストレートに引き出してくる指揮者だ。

こうしたアプローチを「個性がなく」「平凡」と言ってしまうことも可能だろうが、彼において確実に「非凡」なのは、オーケストラの響きを練り上げ、アンサンブルを見事にまとめあげていく能力である。

この非凡さが、「平凡」な解釈を、小手先の細工を弄したり斜に構えてみたりといった幾多の一見「個性的」な解釈よりも、はるかに説得力のあるものに変えるのだ。

シューマン独特の夢見るようなオーケストレーションを流麗に再現しながら、どこをとっても奇を衒わぬストレートな解釈で、それが聴き手に強い説得力をもって迫ってくる。

ハイティンクは全集の多い指揮者の1人だが、それは時代や作曲家にかかわらず、手掛ける作品のすべてにおいて均質で高い水準の演奏を成し得る指揮者だからだろう。

そして長年の経験のもとに1980年代に入って意欲を燃やしたのがシューマンの交響曲であったが、当時のハイティンクの気宇の大きさと音楽的な成熟を反映して、シューマン特有のオーケストレーションから豊麗な音楽を引き出している。

こうして完成された全集は、4曲すべてがハイティンクらしい無理のない妥当な表現の中に濃やかで精密な表情を盛り込み、コンセルトヘボウ管の伝統的な、ほの暗い響きと渋みのある重厚な響きを生かして、それぞれの作品の持ち味を伝えており、一方で軽やかな推進力をもって、新鮮な音楽を聴かせる。

この演奏は全4曲のすべての出来映えにまったくむらがなく、作品の本質に触れており、解釈も誠実この上ない、いずれ劣らぬ名演となっている。

結果的に第1番の若々しいロマン的情緒や、第2番の深々とした叙情の変転、第3番の明るい輝きに満ちた力感の表明、第4番の内向する幻想の広がりと、それぞれの曲の性格が見事に明らかにされていて、現在の最良の全集である。

ピリオド楽器による演奏を聴き慣れた耳には、響きがやや厚くなり過ぎる傾向もあるが、基本的には柔らかく豊かな表現で落ち着いた音楽作りをしており、また、細かい動機まで、明確に聴取できる明晰さも持ち合わせていて、安心して楽しめる内容を持っている。

第1番《春》は、明るく明晰な表現でこの交響曲にある優美な快活さと若々しくフレッシュな感覚をバランス良く的確に表出し、また立体的に構成しながら、その中にシューマンの若々しいロマンティシズムが横溢しており、爽やかでありながらぬくもりのある表情が印象的である。

冒頭から抜けの良い響きで、明るく力強いが、序奏に続く第1楽章主部は速めのきびきびしたテンポで覇気を感じさせる。

一方緩徐楽章にはほの暗く物憂い雰囲気もあり、終楽章は落ち着きのあるテンポをとりながらも、生き生きとしている。

第2番は第4番とともに、最もシューマンの音楽性を鮮明に表出した曲と言えるが、その個性的な楽想と構造をハイティンクは明晰に処理しながら、作品に潜む深沈とした叙情の変転をくまなくあらわしているのが良く、流麗さにおいても際立ち、きわめて洗練された演奏である。

落ち着いて安定感があり、流れが良く、緩徐楽章にも深みのある温かい情感が漂っていて、この指揮者らしい誠実さが、こうした作品では格別の長所になっており、オーケストラの統率についても言うことがない。

第3番《ライン》は、明るく明確、そして流麗な旋律美に溢れた表現で非常に中身の濃い演奏になっていて、相変わらず堅実無比の好演である。

オーケストラを存分に鳴らしながらゆとりある美しい響きを作り出し、起伏に富んだ演奏を聴かせ、個々の部分の造型よりも全体のまとまりある構築を考えたオーソドックスな演奏で充実感がある。

この曲に必要な明るい輝きもあって、作品の特色を明らかにしており、生き生きと表現された第1楽章や壮麗な気分を格調高く歌い上げた第4楽章などに、地味ながらめきめき力をつけていった実力派の巨匠の音楽的成熟が窺われる。

第4番は、豊かな響きと明晰な声部処理でまとめあげるなど、造型的な配慮が行き届いているのが良く、幻想的な趣と劇性の配分も聴き手を納得させるのに充分で、この作品を知るためには最良の演奏である。

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2016年11月23日


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クラウディオ・アラウはピアノという楽器が持っている機能や特性を知り尽くしていた。

曖昧なタッチや衝撃的な打鍵は注意深く避け楽器を完全に響かせる術を熟知していて、ひたすら明確な響きによるダイナミズムで音楽性を表現する奏法は彼の哲学だったと言っても良いだろう。

2曲ともにかなり難解なテクニックが要求され、アラウ自身もまた稀代のヴィルトゥオーゾとしてリストの作品の演奏でも名を馳せたが、むしろ超絶技巧に聴き手の注意が逸らされることを回避できた数少ないピアニストだったのではないだろうか。

逆に言えばそれだけの確固とした解釈の裏付けと表現力に支えられた、まさに巨匠と呼ぶに相応しい演奏家だった。

ブラームスはアラウのロマン派レパートリーの中でも中核となる作曲家の1人であったが、ブラームス特有の書法と重厚な響きを、アラウは雄大なスケールと微細を極めた表現で美しく歌い上げている。

アラウのピアノにはあざとさやスリリングな要素がない代わりに、常に正面切った雄弁な語り口と正々堂々たる構成力で聴かせる本来の意味でのロマンティシズムが横溢し、ブラームスらしい味わいをじっくりと追究した演奏になっている。

どっしりとしたリズム、ゆったりとしたテンポにアラウの主張がはっきり示されており、ブラームスの重厚な味わいが雄渾に再現されている。

ルバートを多用し、スコアに書かれたすべての音を生かそうとするかのようで、腰の強いタッチや心からの歌も大変美しく、内にこもってしまう作曲者の性格が他の誰よりも表出されており、おそらくブラームスが一番喜ぶ演奏ではないか。

衝撃的な音質を一切避けた潤いに満ちたおおらかで悠然と奏でる音楽のスケールは大きく、良い意味での古き良き時代を髣髴とさせるロマンティックな演奏だが、それは時代を超えた魅力に溢れている。

ただし外面的な演奏効果より内面の秩序を重んじているため、演奏全体の印象は地味で、音色自体の魅力に欠けるため、アラウの求めるコクがいまひとつ表に出て来ず、地味すぎる音楽になってしまった。

それに時として、テンポの動きやハーモニーの生かし方に硬さが伴うのが残念ではあるが、独特の充足感を誇っている。

ハイティンクの指揮もコンセルトヘボウ管弦楽団の渋い音色と厚みを生かしつつ、ブラームスを内面から表現しており、アラウにぴったりの共演ぶりだ。

2曲ともオーケストラ・パートが非常に充実したシンフォニックな書法で作曲されているために、ここでは、ハイティンク&コンセルトヘボウ管弦楽団の強力なサポートが、アラウのソロを引き立てながらも鮮烈なオーケストレーションを主張していて、ロマン派を代表するピアノ協奏曲としての華麗さと風格を備えている。

コンセルトヘボウ管弦楽団はヨーロッパでは最高水準を誇るオーケストラだけに、彼らの品の良い知性的な機動力が充分に発揮されている。

確かに張り詰めた緊張感ではクーベリック&バイエルン放送交響楽団との第1番が優っているが、ハイティンクはブラームスのリリシズムを活かし、一方で弦楽部とブラス・セクションのバランスを巧みに采配してオーケストラに独自の精彩を与え、輝かしくスペクタクルな効果を引き出している。

第2番冒頭のホルンの導入にも聴かれるように鷹揚なテンポ設定の中にも弛緩のない精神的な高揚を伴った演奏が、音楽に身を委ねることへの幸福感をもたらしてくれる。

いずれにしても、本演奏は、アラウ、ハイティンクともに、後年の演奏のようにその芸術性が完熟しているとは言い難いが、後年の円熟の至芸を彷彿とさせるような演奏は十分に行っている。

この両者が、例えば1980年代の前半に両曲を再録音すれば、更に素晴らしい名演に仕上がったのではないかとも考えられるが、それは残念ながら叶えられることはなかったのはいささか残念とも言える。

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2016年10月16日


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ベルナルト・ハイティンクとヨーロッパのオーケストラでは最高水準を誇るコンセルトヘボウによるブラームスのオーケストラ・ワーク集で、7枚のCDに声楽が加わらない管弦楽曲と協奏曲が網羅されている(ただしハンガリー舞曲は第10番までになる)。

いずれにしても1人の指揮者が同一の作曲家の作品を同じオーケストラでこれだけ録音すること自体稀であり、ハイティンクのブラームスに賭ける情熱とその徹底ぶりが窺える。

4曲の交響曲はハイティンクのスコアへの深い読み取りが手に取るように実現されていて、それがかえってインスピレーションに乏しい無個性で学究的な演奏と受け取られる為か、日本での彼への評価はいまひとつ相応なものではない。

だが実際には細部までコントロールの行き届いたオーケストレーションの再現は、理性と感性とのバランスの調和であり、大見得を切るような表現こそないが非常に味わい深い、まさに大指揮者の風格をもっている。

ハイティンクの棒に従うコンセルトヘボウの巧さと音色の美しさも特筆される。

2曲のピアノ協奏曲のソロを弾くクラウディオ・アラウはピアノを響かせることを熟知していた巨匠だった。

衝撃的な音質を一切避けた潤いに満ちたおおらかで悠然と奏でる音楽のスケールは大きく、良い意味での古き良き時代を髣髴とさせるロマンティックな演奏だが、それは時代を超えた魅力に溢れている。

両方とも廃盤になって久しかったものの復活になる。

一方ヴァイオリン協奏曲のソロはシェリングで、円熟期特有のやや内省的で緻密な音楽設計による表現は、しばしば精彩を欠いた演奏として批判されるが、改めて聴き直してみると、音楽の内部に向かって注がれる集中力と気高い音楽性は決して低く評価されるものではない。

また同様のコンセプトでサポートするハイティンク&コンセルトヘボウの一糸乱れぬ統率感とアンサンブルの巧みさも秀逸。

二重協奏曲も非常に完成度の高い仕上がりで、シェリングとシュタルケルの水も漏らさぬデュエットが聴き所だ。

それはひとえに両者間の協調から生み出されるもので、ブラームスの作品らしく殆ど峻厳とも言える音楽的な密度の濃さと、その演奏から醸し出される独特の透明感は一種冒し難い雰囲気さえある。

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2016年07月19日


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ベルナルト・ハイティンクがこれまでに完成させた全集ものは数多くの作曲家の作品に及んでいるが、それらは決して偶然に成立したものでもなければ、やっつけ仕事的にこなした録音でもない。

彼がそれぞれの作曲家の作法やその変遷を注意深く研究し、より広い視野から俯瞰した総合的な作曲家像を提示しているところに価値があるのではないだろうか。

このヴォーン・ウィリアムズの交響曲全集も録音データを見ると、1984年の『南極交響曲』を皮切りに最後の第8番と第9番は2000年に完了している。

つまりこの全集は足掛け16年に亘る長期計画を遂行した成果であり、そうした彼の周到な作品分析とそれを実行に移す熱意と根気強さには敬服させられる。

またオーケストラは以前首席指揮者を務めていた旧知のロンドン・フィルであることも、ハイティンクが英国物に強い彼らの能力を最大限発揮させることで、より一層このセットを完全にしている。

実際これらの曲中には作曲家自身によって採譜されたイングランド古謡からのメロディーがモティーフとして頻繁に現れる。

例えば『ロンドン交響曲』でのテームズ河の情景やビッグ・ベンの鐘の模倣などローカル色豊かな作品や、ひんやりとした幻想的な田園風景を想起させる『パストラーレ』や『揚げひばり』、歌詞を伴わないソプラノの声を神秘的に取り入れた『南極交響曲』のような表題的な傾向が濃厚なことは否定できない。

しかしハイティンクによって端正にアナリーゼされたスコアがかなり普遍的に音楽化されていて、安っぽい描写音楽に堕していないのは流石だ。

こうした媚を売ることのない真摯な姿勢と冷静な音楽作りも彼の指揮に共通する哲学だが、また歌手の抜擢にも細心の注意を払っているように思われる。

『海の交響曲』でのソプラノのフェリシティ・ロット、バリトンのジョナサン・サマーズや『ウェンロックの断崖で』のソロを歌うテノールのイァン・ボストリッジはベスト・キャストと言えるだろう。

EMIの録音レベルがやや低いが音質は良好だ。

またバジェット価格なので多くは望めないが、このワーナー・クラシックス・シリーズでは、ライナー・ノーツに簡単な解説と録音データしか印刷されておらず、それぞれの紙ジャケットの裏面かボックスの裏側の曲目と照らし合わせる必要がある。

またソロ及びコーラスの歌詞も省略されている。

尚9曲の交響曲以外には『トマス・タリスのテーマによる幻想曲』、『ノーフォーク・ラプソディー』、サラ・チャンのソロが加わるヴァイオリンとオーケストラのための『揚げひばり』、『沼沢の地方にて』、イァン・ボストリッジのテノールで『ウェンロックの断崖にて』の5曲がカップリングされている。

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2016年06月29日


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一昨年85歳を迎えたベルナルド・ハイティンクの記念企画のひとつで、彼と長期間に亘って最良の時代を築いた手兵アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団が、3人の作曲家の交響曲全曲を演奏したフィリップス音源の旧盤で統一された23枚組ボックスである。

先達て同じくユニヴァーサルからリリースされた20枚組の『フィリップス・イヤーズ』と収録内容を比較すると、ブラームスの交響曲第3番(1970年)、ブルックナーの第8番(ハース版1969年)、マーラーの第6番と第9番(1969年)の4曲のみがだぶっている。

またブラームスに関しては4曲の交響曲以外に『悲劇的序曲』『大学祝典序曲』『ハイドンの主題による変奏曲』、3曲の『ハンガリー舞曲』及び2曲の『セレナード』が加わっているので、ハイティンク・ファンであれば手に入れておきたいセットだ。

ブルックナーでは交響曲0番ニ短調を含む10曲が収録されているが、初期の習作的交響曲へ短調は含まれていない。

尚、更に同メンバーによるベートーヴェン、シューマン、チャイコフスキーを加えた36枚組も復活リリースされた。

ハイティンクがヨッフムと共にコンセルトヘボウの首席指揮者に就任して双頭体制が始まったのが1961年で、時を同じくしてヨッフムは既に第1回目のブルックナー交響曲全曲録音をベルリン・フィル及びバイエルン放送響と共に着々と進めていた。

若かったハイティンクにとって前任者ベイヌムやヨッフムのブルックナーへの情熱は大きな刺激だったに違いない。

ほどなく彼もその大事業に着手することになるが、このフィリップスへのセッションとヨッフムのグラモフォン盤には明らかな相違がある。

その頃のヨッフムが基本的にノヴァーク版を採用しているのに対して、ハイティンクは第9番を除いてハース版をベースにした古色蒼然とした響きの復活を試みているようだ。

ふたつの版については複雑な事情が絡んでいて一概にその良し悪しを判断することは不可能だが、曲作りにおいてもヨッフムが流動的に扱うテンポも、ハイティンクではより規則的で全体にスピード感があり、構築的というより開放的で垢抜けた感性が表出されている。

彼の要求に良く呼応しているのがコンセルトヘボウで、ハイティンクは後にウィーン・フィルやベルリン・フィルとも共演しているが、音響から言えばウィーン・フィルほど艶やかで官能的ではなく、またベルリン・フィルほど重厚絢爛ではないが、マイルドな音色の管楽器群、シックな弦楽部の調和といくらかナイーヴだが誠実な音楽で彼らならではの持ち味を出し切っている。

コンセルトヘボウは近年指揮者と楽員のグローバル化で、個人的なテクニックやアンサンブルの力量ではヨーロッパ最高峰のオーケストラになったが、彼らが伝統的に持っていた良い意味でのローカル色が失われつつあるのも事実だろう。

その意味でもこの3つの交響曲全集には彼らの最も象徴的な時代の記録が刻まれていると言えるのではないだろうか。

ライナー・ノーツは40ページほどで、英、伊語による3人の作曲家の交響曲についての簡易な解説とハイティンクのキャリア及び録音データが掲載されている。

このデータではブルックナーの第8番が1960年となっているが1969年の誤りと思われる。

フィリップスの音質は極めて良好で、ボックス・サイズは13X13X6cmでモスグリーンを基調にしたシンプルな装丁。

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2016年02月04日


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オランダの名指揮者ベルナルト・ハイティンクの1959年から1988年までのフィリップス音源を20枚のCDにまとめたもので、音質は鮮明で分離状態の良いフィリップスが誇った音響が再現されている。

ハイティンクがコンセルトヘボウの主席指揮者に就任する以前の録音も含まれているので、その後の円熟期に至るまでの彼の足跡をパノラミックに展望できるのも魅力だろう。

実際、この頃のハイティンクのレコーディング・レパートリーは膨大で、例えば、ブルックナーとマーラーの双方の交響曲全集をレコーディングしたのは、この人が最初であった。

ハイティンクは1961年から1988年までロイヤル(アムステルダム)・コンセルトヘボウ管弦楽団で、1967年から1979年までロンドン・フィルハーモニー管弦楽団で首席指揮者を務めた。

この2つの世界的オーケストラを、これだけ長く振っていたというのも、特徴的なキャリアであるし、この時期というのは、いろいろと積極的な録音が展開された時期にも重なっている。

一方で、ハイティンクの才能が当初から広く認識されていたかと言うと、そうではない。

特に日本の批評は彼に対して芳しいものではなく、いわゆる「粗製乱造」とまでは言わないまでも、それに近い酷評をされていたし、それは当時の関連書物のいくつかに目を通せば明らかである。

しかし、いま改めてこれらの録音を聴いてみると、そのオーソドックスで暖かい音色と、豊かな中声部のふくらみを持った響きは、紛れもなく中央ヨーロッパのオーケストラ・サウンドを体現しており、彼は自身の個性よりも作品の特質を引き出すことに腐心した指揮者だと思う。

ウィーン・フィルとのブラームスの『ドイツレクイエム』の導入部分の天上的な美しさと、重い足取りの第2曲、そして壮大なフーガや終曲での諦観の表出は2人の優れたソリストの抜擢と相俟って、彼がブルックナーを始めとする純粋なオーケストラル・ワークだけでなく声楽曲の扱いにも第一級の腕を持っていることを証明している。

一方全集マニアの異名は、ハイティンクが1人の作曲家の作品を網羅的に、しかも徹底して研究せずにはいられない完璧主義の表れで、成し遂げた仕事の質と量には圧倒される。

確かにコンセルトヘボウはオペラを上演しないが、それでもハイティンクが残した交響曲、交響詩全集は同世代の他の指揮者を俄然凌駕している。

ハイティンクはまた広範囲の作曲家をカバーするオールマイティの指揮者だが、中でも得意とする現代音楽、例えば武満徹、メシアンなどで聴かせる鋭い感性とオーケストラへの強い統率力も聴きどころだ。

ライナー・ノーツは45ページほどで、詳細な曲目データの他に英、仏、独語で彼のフィリップス・イヤーズのキャリアが簡易に掲載されている。

ボックス・サイズは13X13X6,5cmでかなり大きめだが装丁はしっかりしている。

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2015年09月09日


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ベルナルト・ハイティンク指揮、ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団がソリストにシェリングとシュタルケルを迎えたブラームスの協奏曲集で、『ヴァイオリン協奏曲ニ長調』が1973年、『ヴァイオリンとチェロのための二重協奏曲イ短調』が70年の録音になる。

一般的に1970年代のシェリングは精彩を欠いた杓子定規の演奏をするようにみられているのは残念だ。

彼はブラームスに関しては3回のセッションを残していて、確かにモントゥー、ドラティ盤に比べると覇気は影を潜めているが、音楽の精緻な仕上がりと余裕のある表現、そして思索的な深みは明らかにこちらに分がある。

ここでのシェリングは一切の虚飾を捨て去ったようなシンプルだが、ある種の達観した演奏が特徴だろう。

禁欲的な音による真摯な表現であり、熾烈なまでの一途さに打たれる。

またハイティンク&コンセルトヘボウの演奏も格調高く立派なもので、ゆとりのある堂々たる進行が素晴らしい。

ここでのハイティンクの指揮の巧みさはひときわ顕著で、コンセルトヘボウを注意深く制御してブラームスのオーケストレーションの手法を充分に聴かせてくれる。

彼らの音色は鮮やかというより、むしろシックな趣を持っていて、両方の曲について言えることだが、ハイティンクのバランスと調和に長けたセンスがソロを巧妙に支えるだけでなく、充実した管弦楽のパートを持った曲としての魅力も欠いていない。

一方二重協奏曲では、何よりも2人のソリストの合わせ技が傑出していて感動的で、ヴィルトゥオーゾ臭を出さず、室内楽風のアンサンブルを生かそうとしている。

第1楽章でのシュタルケルの決して恣意的にならない、それでいて堂々たるチェロの響きがこの曲の性格を決定的にしているように思われる。

また第2楽章でのユニゾンで弾かれるメロディーは奏法の呼吸がぴったり合わないと直ぐに露呈してしまう。

そこには音楽的な直感を働かせて弾いている2人の姿が思い浮かぶ。

彼らのような大家が細心の注意を払って奏でる一糸乱れぬデュエットは、この曲の中でも最も美しい部分で、シェリングの誠実さとシュタルケルの内面的な渋さがにじみ出た演奏だ。

終楽章のテーマはややおどけた感じだが、緊張感を緩めずに次第に気分を高揚させていくハイティンクの指揮ぶりも特筆される。

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2015年08月31日


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ハイティンク初のワーグナー/オペラで、1985年1月、ミュンヘンのヘルクレスザールに於けるスタジオ録音。

ハイティンク指揮バイエルン放送響は、ケーニヒ(T)のタンホイザー、ポップ(S)のエリーザベト、ヴァイクル(Br)のヴォルフラム、メイアー(S)のヴェーヌスといった具合に、若手を中心に組んだキャスティングだが、録音が素晴らしく、ハイティンクの円熟を窺わせるに足る名演と言えよう。

オペラ指揮者としてのハイティンクも、重視しなくてはならない。

ハイティンクの指揮は、実に明快にこのオペラの魅力を表現している。

コンサートでも共通して言えることだが、1980年以降になってからのハイティンクは、堂々とした風格と確信にみちた表情で聴き手を圧倒する。

真摯な作品への取り組みで知られるハイティンクだが、ここでも端正な造形に支えられた精緻極まりない管弦楽美が楽しめる。

必ずしもめざましい演奏でなければならないとは限らない。

念入りに、過度な興奮なく演奏されるとき《タンホイザー》はこういう魅力を発散するのだ、という演奏が聴ける。

最近のハイティンクは、彼独特の陰影の深い、濃厚な色調をつくり、それが多様なグラデーションを伴って、堅実で気宇の大きな音楽を歌うが、その密度の濃い、骨格のたくましい設計と壮大な高揚がある。

やはりハイティンクの音楽が、意外なほど強靭の個性をもっていることに、改めて感心させられた次第であるが、現在のハイティンクには、まさにその個性が何物をも恐れずにあらわれている。

なるほど、アムステルダム、ウィーン、ベルリン、ボストン、バイエルン、シカゴと場所によっての違いはあるが、よい指揮者が楽団の固有の性格や響きを尊重するのは当然で、ハイティンクも例外ではない。

とはいえ、どのオーケストラの演奏も間違いなくハイティンクの響きであり、音楽である。

ここでもバイエルン放送響の、きわめてドイツ的な、いぶし銀のような響きが前面にあらわれた演奏に仕上がっている。

上記の歌手陣も大変充実しており、ケーニヒはライト級の声が多くなった昨今のヘルデン・テノールの中では珍しく重厚でドラマティックな歌を聴かせ、ポップの透明清純なエリーザベトもよい。

とりわけ、モルの深々とした美声による全人的な役作りと、ヴァイクルの滋味あふれる柔軟で人間的な歌唱も特筆ものだ。

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2015年08月08日


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1986年8月28日、ロイヤル・アルバート・ホールでのライヴ録音で、ハイティンクが得意とするショスタコーヴィチの交響曲の待望の再録音の登場だ。

ハイティンクは、本盤に収められた交響曲第10番を約10年前にも同じロンドン・フィルとともに、ショスタコーヴィチの交響曲全集の一環としてスタジオ録音(1977年)していることから、本演奏はハイティンクによる同曲の2度目の録音ということになる。

ところで、ハイティンクほど評価が分かれる指揮者はいないのではないか。

長年に渡ってコンセルトへボウ・アムステルダムの音楽監督をつとめ、ポストカラヤン争いでも後継者の候補の一人と目されベルリン・フィルの団員にも愛された指揮者であり、そして現在ではシカゴ交響楽団の音楽監督をつとめるという輝かしい経歴の持ち主であるにもかかわらず、ハイティンクの名声が揺るぎないものとは言い難い状況にある。

ハイティンクは全集マニアとして知られ、数多くの作曲家の交響曲全集を録音している。

いずれも決して凡演というわけではなく、むしろいい演奏ではあるが、他の指揮者による演奏にも優るベストの名演を成し遂げているとは言い難いのではないだろうか。

このように、ベターな演奏を成し遂げることが出来てもベストの名演を成し遂げることができないところに、ハイティンクという指揮者の今日における前述のような定まらない評価という現実があるのかもしれない。

もっとも、ハイティンクが録音した数ある交響曲全集の中でも、唯一ベストに近い評価を勝ち得ている名全集がある。

それは、完成当時はいまだ旧ソヴィエト連邦が存在していたということで、西側初とも謳われた前述のショスタコーヴィチの交響曲全集(1977〜1984年)である。

これは、ハイティンクに辛口のとある影響力の大きい有名音楽評論家さえもが高く評価している全集だ。

もっとも、当該全集については、すべての演奏がベストの名演というわけではないところが、いかにもハイティンクらしいと言える。

ハイティンクは、ロンドン・フィルとコンセルトへボウ・アムステルダムの両オーケストラを使い分けて全集の録音を行ったが、どちらかと言えば、コンセルトへボウ・アムステルダムを起用した演奏の方がより優れていた。

したがって、当該全集に収められた交響曲第10番の演奏は、いささか不満の残る内容であったことは否めないところだ。

ところが、本盤に収められた約10年ぶりの本演奏は、当該全集に収められた演奏とは段違いの素晴らしい名演に仕上がっていると評価したい。

本演奏におけるハイティンクのアプローチは直球勝負。

いずれの演奏においても、いかにもハイティンクならではの曲想を精緻に、そして丁寧に描き出していくというものであり、ショスタコーヴィチがスコアに記した音符の数々が明瞭に表現されているというのが特徴である。

したがって、ショスタコーヴィチの交響曲の魅力を安定した気持ちで味わうことができるというのが素晴らしい言えるところだ。

加えて、本演奏には、晩年を迎えたハイティンクならではの奥行きの深さが感じられるところであり、さすがにムラヴィンスキー&レニングラード・フィルによる超名演(1976年)ほどの凄みはないが、同曲に込められた作曲者の絶望感などが、淡々と進行していく曲想の中の各フレーズから滲み出してくるのが見事である。

このような彫りの深い名演を聴いていると、ハイティンクが今や真の大指揮者になったことを痛感せざるを得ないところだ。

ハイティンクの確かな統率の下、旧盤でも演奏したロンドン・フィルが持ち得る実力を最大限に発揮した入魂の名演奏を繰り広げているのも、本名演に大きく貢献しているのを忘れてはならない。

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2015年07月30日


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2013年2月17&21日、ロンドン、バービカンセンターに於けるライヴ録音。

2011年にリリースされた交響曲第4番「ロマンティック」が、近年の充実ぶりを示す演奏内容との高評価を得ていたハイティンク&ロンドン交響楽団が、今度はブルックナーの交響曲第9番をレコーディング。

ハイティンクの円熟を感じさせる素晴らしい名演の登場だ。

ハイティンクは、全集マニアとして知られ、さすがにハイドンやモーツァルトの交響曲全集は録音していないが、ベートーヴェン、シューマン、ブラームス、マーラー、チャイコフスキー、ショスタコーヴィチなど、数多くの作曲家の交響曲全集のスタジオ録音を行ってきているところだ。

ブルックナーについても、ハイティンクは早くも40代前半にコンセルトヘボウ・アムステルダムと交響曲全集録音を完成させ、今日に至る豊富なディスコグラフィからも、当代有数のブルックナー指揮者としてのハイティンクの業績にはやはり目を瞠るものがある。

そのなかでも近年のハイティンクが、良好な関係にある世界有数の楽団を指揮したライヴ演奏の数々は内容的にも一際優れた出来栄えをみせているのは熱心なファンの間ではよく知られるところで、このたびのロンドン交響楽団の第9番もまたこうした流れのなかに位置づけられるものと言えるだろう。

既に、80歳を超えた大指揮者であり、近年では全集のスタジオ録音に取り組むことはなくなったが、発売されるライヴ録音は、一部を除いてさすがは大指揮者と思わせるような円熟の名演揃いであると言っても過言ではあるまい。

本盤に収められたブルックナーの交響曲第9番も、そうした列に連なる素晴らしい名演に仕上がっていると高く評価したい。

ハイティンクは、同曲をコンセルトヘボウ・アムステルダム(1965年)(1981年)とともに2度スタジオ録音を行っており、オーケストラの名演奏もあって捨てがたい魅力があるが、演奏全体の持つスケールの雄大さや後述の音質面に鑑みれば、本演奏には敵し得ないと言えるのではないだろうか。

ベートーヴェンやマーラーの交響曲の演奏では、今一つ踏み込み不足の感が否めないハイティンクではあるが、ブルックナーの交響曲の演奏では何らの不満を感じさせない。

本演奏においても、ハイティンクは例によって曲想を精緻に、そして丁寧に描き出しているが、スケールは雄渾の極み。

重厚さにおいてもいささかも不足はないが、ブラスセクションなどがいささかも無機的な音を出すことなく、常に奥行きのある音色を出しているのが素晴らしい。

これぞブルックナー演奏の理想像の具現化と言っても過言ではあるまい。

悠揚迫らぬインテンポを基調としているが、時として効果的なテンポの振幅なども織り交ぜるなど、その指揮ぶりはまさに名人芸の域に達していると言ってもいいのではないか。

ハイティンク自身によるものとしては過去最長の演奏時間を更新しているが、実演特有の有機的な音楽の流れに、持ち前のひたむきなアプローチでじっくりと神秘的で崇高なるブルックナーの世界を聴かせてくれる。

ハイティンクの確かな統率の下、ロンドン交響楽団も圧倒的な名演奏を展開しており、とりわけホルンをはじめとしたブラスセクションの優秀さには出色のものがあると言えるだろう。

いずれにしても、本演奏は、現代を代表する大指揮者の1人であるハイティンクによる円熟の名演と高く評価したい。

そして、本盤で素晴らしいのは、マルチチャンネル付きのSACDによる極上の高音質録音である。

音質の鮮明さに加えて、臨場感溢れる音場の広さは見事というほかはなく、あらためてSACD盤の潜在能力の高さを思い知った次第だ。

マルチチャンネルで再生すると、各楽器セクションが明瞭に分離して聴こえるのは殆ど驚異的であるとすら言えるだろう。

ハイティンクによる素晴らしい名演をSACDによる極上の高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したいと考える。

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2015年04月21日


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アシュケナージは、プレヴィン指揮のロンドン交響楽団ともラフマニノフのピアノ協奏曲全集を完成していたが、15年後のこの演奏には、この間のアシュケナージの豊かな経験が余すところなく示されている。

指揮者としても交響曲全集を完成するなど、ラフマニノフの音楽に強い愛着と自信をもつアシュケナージの作品に対する熱い共感が、いっそう味わい美しく歌われていると言って良いだろう。

プレヴィンとの前作も、この協奏曲のロシア的な情感を若々しい感覚で陰翳美しく表現していたが、この演奏は、音も表現もさらに幅広く柔軟に磨き抜かれているし、すばらしく洗練された多彩なタッチによって、ラフマニノフの音楽を精妙に、かつしなやかな強さをもって彫りなしている。

アシュケナージはスケールの大きな技法で、ラフマニノフの旋律を朗々と歌い上げて見事というほかはなく、その美しく深い味わいは、やはり40代後半という円熟期のアシュケナージならではのものである。

またアシュケナージ自身祖国へのノスタルジアを込めたかのように、憧れに満ちたかのような独特の粘り気のあるフレージングで、分厚く積み重なった和音を叩き出している。

ことに第2番は秀演、力演ひしめく中で、本演奏はいつ聴いてもすばらしく、大きな充実感と新鮮な感動をもたらしてくれる。

独自の爽やかなロマンティシズムと豊かな音楽性が全編に溢れ、どこまでも屈託のないしなやかなラフマニノフの世界を繰り広げている感。

量感もあり、木管楽器との絡み合いには極上のリリシズムが漂う。

アシュケナージは純粋にピアノという楽器でものを言える数少ない1人であろう。

また、本物のロマンとは知的なものなのである。

それにしても何てゆったりとした大きなうたなのだろう。

このこぼれんばかりの情緒を湛えた第2番の協奏曲以上に、磨き抜かれた、厳しい美しさを誇る第3番の協奏曲は、意外に名盤が少ない。

そんな中で、常に最高の位置を占めてきた名盤が、既にこの協奏曲を4回も録音しているアシュケナージだ。

実に4度目となるこの録音でも、輝かしく、また張りと潤いに溢れたピアノの音色も魅力的だが、アシュケナージの演奏には、聴き手を作品の世界に嫌がうえにも導き入れて陶酔させてしまうドラマティックな吸引力があるし、抒情的味わいも一段と濃く、深く、しかも演奏全体が暖かい点が素晴らしい。

オーケストラとの間に醸される充実した空気が何よりも魅力的だし、アシュケナージがこの曲を完全に手中にし、余裕と豊かなニュアンス表現のうちに振幅の大きいソロを聴かせている点も見逃せない。

第1番と第4番も、十全の円熟味と安定感を示した秀演と言って良いだろう。

それにハイティンクとコンセルトヘボウ管弦楽団がそうしたソロを手厚く支えて、演奏をいっそう充実したものにしている。

ハイティンクの指揮も、アシュケナージに劣らずスケールが大きく、シンフォニックに作品のオーケストラ・パートを歌わせている。

そして英デッカならではの録音の優秀さも、このCDの大きな特色で、アシュケナージとハイティンクの演奏をよりリアルに、引き立てていると言えよう。

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2015年04月03日


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ハイティンクの円熟を感じさせる素晴らしい名演の登場だ。

ハイティンクは、アシュケナージなどと並んで評価が大きく分かれる指揮者と言えるのではないだろうか。

ハイティンクは、全集マニアとして知られ、さすがにハイドンやモーツァルトの交響曲全集は録音していないが、ベートーヴェン、シューマン、ブラームス、ブルックナー、マーラー、チャイコフスキー、ショスタコーヴィチなど、数多くの作曲家の交響曲全集のスタジオ録音を行ってきているところだ。

既に、80歳を超えた大指揮者であり、近年では全集のスタジオ録音に取り組むことはなくなったが、発売されるライヴ録音は、一部を除いてさすがは大指揮者と思わせるような円熟の名演揃いであると言っても過言ではあるまい。

本盤に収められたブルックナーの交響曲第8番も、そうした列に連なる素晴らしい名演に仕上がっていると高く評価したい。

ハイティンクは、同曲をコンセルトヘボウ・アムステルダム(1969、1981年)、そしてウィーン・フィル(1995年)とともにスタジオ録音、シュターツカペレ・ドレスデン(2002年)とライヴ録音を行っており、特に、ウィーン・フィルとの演奏については、オーケストラの美演もあって捨てがたい魅力があるが、演奏全体の持つスケールの雄大さや後述の音質面に鑑みれば、本演奏には敵し得ないと言えるのではないだろうか。

ベートーヴェンやマーラーの交響曲の演奏では、今一つ踏み込み不足の感が否めないハイティンクではあるが、ブルックナーの交響曲の演奏では何らの不満を感じさせないと言える。

本演奏においても、ハイティンクは例によって曲想を精緻に、そして丁寧に描き出しているが、スケールは雄渾の極み。

重厚さにおいてもいささかも不足はないが、ブラスセクションなどがいささかも無機的な音を出すことなく、常に奥行きのある音色を出しているのが素晴らしい。

ただならぬ風格に圧倒される第1楽章、金管の咆哮が凶暴なスケルツォ、悠久の時を感じさせるアダージョはやはり絶品で、壮大に締めくくられるフィナーレに至ってはいつまでも忘れがたい印象を残す。

これぞブルックナー演奏の理想像の具現化と言っても過言ではあるまい。

悠揚迫らぬインテンポを基調としているが、時として効果的なテンポの振幅なども織り交ぜるなど、その指揮ぶりはまさに名人芸の域に達していると言ってもいいのではないか。

ハイティンクの確かな統率の下、コンセルトヘボウ・アムステルダムも圧倒的な名演奏を展開しており、とりわけホルンをはじめとしたブラスセクションの優秀さには出色のものがあると言えるだろう。

いずれにしても、本演奏は、現代を代表する大指揮者の1人であるハイティンクによる円熟の名演と高く評価したい。

そして、本盤で素晴らしいのは、マルチチャンネル付きのSACDによる極上の高音質録音である。

音質の鮮明さに加えて、臨場感溢れる音場の広さは見事というほかはなく、あらためてSACD盤の潜在能力の高さを思い知った次第だ。

マルチチャンネルで再生すると、各楽器セクションが明瞭に分離して聴こえるのは殆ど驚異的であるとすら言えるだろう。

ハイティンクによる素晴らしい名演をSACDによる極上の高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したいと考える。

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2015年03月28日


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2010年2月12日 ミュンヘン・フィルハーモニーに於けるライヴ録音で、ハイティンクの円熟を感じさせる素晴らしい名演だ。

ハイティンクは、アシュケナージなどと並んで評価が大きく分かれる指揮者と言えるのではないだろうか。

ハイティンクは、全集マニアとして知られ、さすがにハイドンやモーツァルトの交響曲全集は録音していないが、ベートーヴェン、シューマン、ブラームス、ブルックナー、マーラー、チャイコフスキー、ショスタコーヴィチなど、数多くの作曲家の交響曲全集のスタジオ録音を行ってきているところだ。

既に、80歳を超えた大指揮者であり、近年では全集のスタジオ録音に取り組むことはなくなったが、発売されるライヴ録音は、一部を除いてさすがは大指揮者と思わせるような円熟の名演揃いであると言っても過言ではあるまい。

本盤に収められたブルックナーの交響曲第5番も、そうした列に連なる素晴らしい名演に仕上がっていると高く評価したい。

ハイティンクは、同曲をコンセルトヘボウ・アムステルダム(1971年)、そしてウィーン・フィル(1988年)とともにスタジオ録音を行っており、特に、ウィーン・フィルとの演奏については、オーケストラの美演もあって捨てがたい魅力があると言えるが、演奏全体の持つスケールの雄大さや後述の音質面に鑑みれば、本演奏には敵し得ないと言えるのではないだろうか。

ベートーヴェンやマーラーの交響曲の演奏では、今一つ踏み込み不足の感が否めないハイティンクではあるが、ブルックナーの交響曲の演奏では何らの不満を感じさせないと言える。

本演奏においても、ハイティンクは例によって曲想を精緻に、そして丁寧に描き出しているが、スケールは雄渾の極み。

重厚さにおいてもいささかも不足はないが、ブラスセクションなどがいささかも無機的な音を出すことなく、常に奥行きのある音色を出しているのが素晴らしい。

これぞブルックナー演奏の理想像の具現化と言っても過言ではあるまい。

悠揚迫らぬインテンポを基調としているが、時として効果的なテンポの振幅なども織り交ぜるなど、その指揮ぶりはまさに名人芸の域に達していると言ってもいいのではないか。

ハイティンクの確かな統率の下、バイエルン放送交響楽団も圧倒的な名演奏を展開しており、とりわけホルンをはじめとしたブラスセクションの優秀さには出色のものがあると言えるだろう。

いずれにしても、本演奏は、現代を代表する大指揮者の1人であるハイティンクによる円熟の名演と高く評価したい。

そして、本盤で素晴らしいのは、ハイブリッドSACDによる極上の高音質録音であると言えよう。

音質の鮮明さに加えて、臨場感溢れる音場の広さは見事というほかはなく、あらためてSACD盤の潜在能力の高さを思い知った次第だ。

近年ますます、その演奏と解釈に磨きのかかるハイティンクの、息詰まるような緊張感をたたえた感動的な演奏が高音質録音で余すことなく捉えられている。

このようなハイティンクによる素晴らしい名演をSACDによる極上の高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したいと考える。

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2015年02月22日


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今は大指揮者との評価の高いハイティンクだが、かつて凡庸、平凡の代名詞のように言われていた時期があった。

そんなイメージを引きずってか、ハイティンクのショスタコーヴィチには迫力や厳しさが足りない、という先入観を持っている方は少なくないように思う。

たしかに、スヴェトラーノフばりの耳をつんざく金管の叫びとも、ムラヴィンスキーのような極限の美とも無縁だが、ただ上品なだけの大人しい演奏かというと、それも間違いである。

ことに「第4」「第8」といった阿鼻叫喚の作品で見せる鬼神の如き迫力は、一般にイメージされる温厚で良識のある(悪く言えば、凡庸な)ハイティンク像とは違うものだろう。

両演奏ともに、しっとりと美しい弦と懐の深いサウンドがあってはじめて、「ここぞ」という場面での気迫が生きてくるのである。

つまり、単純な叫びに終わらない含蓄があるのだ。

「第5」も、これほど静かで、心に染み入るアプローチは稀だが、それが却って、この作品の純粋器楽の美しさを浮かび上がらせている。

大声で叫ばなくても、否、敢えて叫ばないからこそ、聴き手の心にズシリと響く。

怒涛のフィナーレにおいても、自らは夢中にならずにオーケストラを燃え上がらせる大家の指揮ぶりだ。

静かなアプローチといえば「第6」第1楽章での、ひたひたと押し寄せる悲しみと嘆きに真の慟哭が認められるし、純粋器楽の美しさといえば「第9」の愉悦感も極上だ。

さて、この全集の白眉は、ヴァラディ(S)、フィッシャー=ディースカウ(Br)を独唱に迎えた「第14」であろう。

この「第14」の持つ独特の構成(2名の独唱者による11の連作歌曲風)は、まさにショスタコーヴィチの愛したマーラー「大地の歌」を彷彿とさせるだけでなく、音楽的な内容の深さにも十分に対峙できるものである。

この曲が一般的に知られていないのは、原曲のテキストがロシア語、または諸外国の詩のロシア語訳のため演奏頻度が少ないせいもあるのだろう。

この演奏では、ロルカ(スペイン)、アポリネール(フランス)、キュヘルベルケ(ロシア)、リルケ(ドイツ)によるテキストが、大胆にもそれぞれの原語で歌われているが、それが斬新であるとともに、きわめて強い説得力を持っている。

ヴァラディもフィッシャー=ディースカウも、まったく綺麗事でない、まるでベルク「ヴォツェック」の登場人物のような鬼気迫る歌唱を見せ、聴き手の魂を凍りつかせる。

ハイティンク指揮のコンセルトヘボウ管も超絶的な技巧で、この室内楽的なスコアの、精緻を極めた再現に成功している。

これは、もっともっと多くの方の耳に届けたい畢生の名演である。

ところで、ハイティンクの上質なアプローチのすべてが功を奏しているというわけではない。

「第7」など、恰幅の良い演奏だが、これは、ハイティンクの上質さが裏目に出ている例だろう。

弦主体のバランス感覚は良いとしても木管の色彩感が淡すぎて、この作品の持つヴァイタリティを表しきれないのである。

「第1」については、あまりにも落ち着き払った演奏により、才気煥発な学生ショスタコーヴィチというよりは、円熟した大人の音楽に聴こえてしまうのが、贅沢な難点と言えるだろう。

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2015年02月06日


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穏健派に磨きがかかってきたハイティンクならではの実に美しいベートーヴェンの交響曲全集だ。

このベートーヴェンでは、響きに潤いのようなものもあり、少しも新しがっていないのにフレッシュな音楽になっている。

老いてますます盛んという言葉が当てはまる、しかしみずみずしくさわやかな解釈とも言えよう。

アプローチの仕方は、前2回の全集と基本的には変わらないが、「何も足さない。何も引かない。」と言った風情で、音楽的な純度が一段と高まっている。

ハイティンクが演奏の際に最も気を配る事の1つとして、楽器のバランスを挙げている。

室内楽的なアプローチとバービカンホールの残響を考えた結果、音が濁ったり、壊れたりする事を避けたくてこのような演奏スタイルになったのであろう。

これほどわめいたり咆哮したりしないベートーヴェンというのはなかなか類例は見ないのではなかろうか。

もちろん、ベートーヴェンを威圧の対象にするのはいかがとも思うが、しかし、表面的な美しさに終わってしまうのならば、ライバルとなる名演盤がひしめいているだけに、実に退屈な演奏に陥ってしまうという危険性を孕んでいる。

そして、ハイティンクは、その危険性の落とし穴にはまってしまった。

全集の中で、少し評価できるのは、「第1」、「第2」、「第6」とトリプルコンチェルトのみだ。

特に、「第6」は、穏健派のハイティンクとの相性は決して悪くなく、「田園」という曲の優美さが聴き手によく伝わってくる。

「第1」や「第2」、そしてトリプルコンチェルトは、ベストの演奏とは到底言えないものの、緩徐楽章などにはそれなりの感動がある。

しかし、その他の曲は、表層的な美しさだけが際立つ実に浅薄な凡演だ。

特に、「第3」、「第5」、「第7」など、根源的な力強さに全く欠けている。

「第9」も、あまりの軟弱さのため、最後まで聴きとおすのが実に辛かった。

ロンドンのバービカンホールは残響がデッドなのだが、楽器がよく分離されており、音がよく澄んで聴こえる。

この録音にはかえってプラスに働いたように感じたが、SACDマルチチャンネルによる高音質録音も、再生装置の善し悪しによって聴く側の印象はかなり変わるような気がするし、虚しく聴こえたのは大変残念だ。

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2015年02月03日


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ショスタコーヴィチは、間違いなく20世紀を代表する作曲家であり、今後益々評価は高まっていくだろう。

特に「第5」は、ポピュラーな作品だけに、ロジンスキーの歴史的名盤以来、個性溢れる演奏が目白押しである。

ハイティンクの名は、一般には平凡、無個性の代名詞のように認識されている。

確かに、ブルックナー、マーラー、それを聴いても、魂の底光りが感じられないことが多い。

しかし、理由は不明だが、ショスタコーヴィチにはそれがあるのだ。

一聴すると、オーケストラを無理なく鳴らすだけの浅薄な演奏に聴こえなくもないが、コンセルトヘボウの豊穣な響きでもって、充実しきった演奏を繰り広げる。

ただそれだけなのに感動がある。

そこに、土臭い「ロシア訛り」のないことが幸いして、ショスタコーヴィチの理知的な面に光が当たるからなのか。

本盤の「第5」は、1982年に録音されているが、ハイティンクのディスクに接するに当たって、この年代は記憶しておいていい。

指揮者ハイティンクは、ずいぶんと早い時期からレコーディングを行なってきているが、必ずしもコンスタントに名盤・秀盤を送り出してきたというわけではない。

もうひとつ注文がつくところがあるなぁ、と思わせるのもいくつかあった。

とりわけ、その傾向は1960年代、70年代において強い。

ところが、その彼が80年代を迎える頃あたりから急速に充実、成熟し、出るディスク、出るディスク、いずれも中身が濃い音楽を聴かせてくれるようになっていった。

この「第5」は、そうした傾向を端的に象徴する1枚と言えよう(同じ時期に完成されたショスタコーヴィチの交響曲全集にも、当然同じことが指摘できる)。

重心の低い、しかも柔軟性のある音楽性が、ここでもたいそう効果的である。

「第5交響曲で扱われている主題は誰にも明白である。あれは《ボリス・ゴドゥノフ》の場合と同様、強制された歓喜なのだ」。

ヴォルコフの『ショスタコーヴィチの証言』が作曲者の肉声を伝えていることを前提にしての感想であるが、定評ある名盤が居並ぶなかでハイティンクの演奏が一際光彩を放つのは、彼がオペラ指揮者として、オーケストラによる情景描写、心理描写に優れた技量を備えていることと無関係ではないと思う。

『証言』以来、特にこの曲は聴く側にもいろいろと変化をもたらしたが、あくまでもスコアに則ったハイティンクの演奏は、作品のもつ劇的な性格や音響美など、すべてにおいて最もバランスのよい表現であり、まだ新鮮さを失っていない。

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2015年01月24日


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ハイティンクほど評価が分かれる指揮者はいないのではないか。

長年に渡ってコンセルトへボウ・アムステルダムの音楽監督をつとめ、ポストカラヤン争いでも後継者の候補の1人と目されベルリン・フィルの団員にも愛された指揮者であり、そして現在ではシカゴ交響楽団の音楽監督をつとめるという輝かしい経歴の持ち主であるにもかかわらず、ハイティンクの名声が揺るぎないものとは言い難い状況にある。

ハイティンクは全集マニアとして知られ、数多くの作曲家の交響曲全集を録音している。

いずれも決して凡演というわけではなく、むしろいい演奏ではあるが、他の指揮者による演奏にも優るベストの名演を成し遂げているとは言い難いのではないだろうか。

このように、ベターな演奏を成し遂げることが出来てもベストの名演を成し遂げることができないところに、ハイティンクという指揮者の今日における前述のような定まらない評価という現実があるのかもしれない。

もっとも、ハイティンクが録音した数ある交響曲全集の中でも、唯一ベストに近い評価を勝ち得ている名全集がある。

それは、完成当時はいまだ旧ソヴィエト連邦が存在していたということで、西側初とも謳われたショスタコーヴィチの交響曲全集(1977〜1984年)である。

これは、ハイティンクに辛口のとある影響力の大きい有名音楽評論家さえもが高く評価している全集だ。

本演奏におけるハイティンクのアプローチは直球勝負で、いずれの演奏においても、いかにもハイティンクならではの曲想を精緻に、そして丁寧に描き出していくというものであり、英デッカによる高音質も相俟って、ショスタコーヴィチがスコアに記した音符の数々が明瞭に表現されているというのが特徴である。

したがって、ショスタコーヴィチの交響曲の魅力を安定した気持ちで味わうことができるという意味においては、どの演奏も水準以上の名演であると言えるだろう。

もっとも、決して奇を衒ったり、踏み外しを行ったりすることのない演奏であることから、各交響曲に込められた粛清への恐怖や粛清された者への鎮魂、独裁者への激しい怒りなどを抉り出していくような鋭さにおいては、後述のように第13番を除いては必ずしも十分とは言い難い面があり、個々の交響曲のすべてがベストの名演というわけではないことにも留意しておく必要がある。

その意味では、最大公約数的に優れた名全集と言えるのかもしれない。

私見では、第1番〜第3番、第9番、第11番についてはゲルギエフ&マリインスキー劇場管による演奏、第4番についてはラトル&バーミンガム市響やチョン・ミュンフン&クリーヴランド管、そしてゲルギエフ&マリインスキー劇場管による演奏、第5番及び第6番、第8番、第12番、第15番についてはムラヴィンスキー&レニングラード・フィルによる演奏、第7番についてはスヴェトラーノフ&ソヴィエト国立響による演奏、第10番についてはカラヤン&ベルリン・フィルやムラヴィンスキー&レニングラード・フィルによる演奏、第14番についてはクルレンツィス&アンサンブル・ムジカエテルナによる演奏がベストの名演であり、これらの名演と比較すると、ハイティンクによるこれらの交響曲の演奏はどうしても見劣りすると言わざるを得ない。

また、ハイティンクは、ロンドン・フィルとコンセルトへボウ・アムステルダムの両オーケストラを使い分けているが、どちらかと言えば、コンセルトへボウ・アムステルダムを起用した演奏の方がより優れている。

そのような中で、コンセルトへボウ・アムステルダムと演奏した第13番だけは、何故に同曲だけなのかよくわからないところであるが、楽曲の心眼を鋭く抉り出していこうという彫りの深さが際立っており、同曲の他の指揮者による様々な演奏にも冠絶する至高の超名演と高く評価したいと考える。

いずれにしても、本全集は、ショスタコーヴィチの交響曲全集をできるだけ良好な音質で、なおかつすべての交響曲を一定の水準以上の名演奏で聴きたいという人、そして第13番の最高の超名演を聴きたいと思う人には、安心してお薦めできる名全集である。

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2014年10月24日


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ハイティンクが得意とするショスタコーヴィチの交響曲の待望の最新録音の登場だ。

ハイティンクは、本盤に収められた交響曲第4番を約30年前にもロンドン・フィルとともに、ショスタコーヴィチの交響曲全集の一環としてスタジオ録音(1979年)していることから、本演奏はハイティンクによる同曲の2度目の録音ということになる。

そして本盤に収められた約30年ぶりの本演奏は、当該全集に収められた演奏とは段違いの素晴らしい名演に仕上がっていると評価したい。

本演奏におけるハイティンクのアプローチは直球勝負。

いかにもハイティンクならではの曲想を精緻に、そして丁寧に描き出していくというものであり、ショスタコーヴィチがスコアに記した音符の数々が明瞭に表現されているというのが特徴である。

したがって、ショスタコーヴィチの交響曲の魅力を安定した気持ちで味わうことができるというのが素晴らしいと言えるところだ。

加えて、本演奏には、晩年を迎えたハイティンクならではの奥行きの深さが感じられるところであり、同曲に込められた作曲者の狂気や絶望感などが、淡々と進行していく曲想の中の各フレーズから滲み出してくるのが見事である。

このような彫りの深い名演を聴いていると、ハイティンクが今や真の大指揮者になったことを痛感せざるを得ないところだ。

ハイティンクの確かな統率の下、現在の手兵であるシカゴ交響楽団が持ち得る実力を最大限に発揮した入魂の名演奏を繰り広げているのも、本名演に大きく貢献しているのを忘れてはならない。

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2014年02月08日


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ハイティンクほど、評価が分かれる指揮者はいないのではないだろうか。

ハイティンクのアプローチは誠実そのものであり、奇を衒った演奏を行うことは皆無であり、曲想を丁寧に愚直に描き出していくのを旨としている。

したがって、聴き手によっては、楽曲の魅力を安定した気持ちで満喫することができるということで評価する人もいるであろうし、他方では、そうした演奏を没個性的であると批判する人もいると思われる。

筆者としては、いずれの意見にも一理あると考えているが、楽曲によって向き不向きがあると言えるのではないだろうか。

例えば、マーラーのような交響曲については、ハイティンクの演奏では物足りないと感じることが多々あるが、他方、ブルックナーの交響曲については、これも曲によって良し悪しはあるが、総体としては、マーラーよりは出来がいい演奏を成し遂げているように思われる。

多くの評論家が賞賛しているショスタコーヴィチの交響曲についても、楽曲によって向き不向きがあるようで、例えば第4番はいかにも踏む込み不足が露呈した演奏に陥っているように思うが、第13番は彫りの深い素晴らしい名演に仕上がっている。

ハイティンクは、長年にわたって、ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団の芸術監督を務めたことから、どちらかと言うと、同オーケストラを指揮した時の方が、名演になることが多いとも言えるのかもしれない。

実際に、前述のショスタコーヴィチの第4番はロンドン・フィルとの演奏であるのに対して、第13番はコンセルトへボウ管との演奏でもあるのだ。

それはさておき、本盤のドビュッシーの演奏においても、ハイティンクのアプローチは何ら変わるものではない。

自我を抑制し、ひたすら曲想を丁寧に愚直に描き出していくというものだ。

したがって、ドビュッシーの音楽の魅力をゆったりとした気持ちで味わうことができるという意味においては、素晴らしい名演と評価してもいいのではないかと考える。

特に、当時のコンセルトへボウ管の各奏者は卓越した技量を誇っており、そうした圧巻の技量とともに、北ヨーロッパの楽団ならではの幾分くすんだいぶし銀の響きが味わえるのも本演奏の大きな魅力の一つである。

さらには、SACDによる究極の超高音質によって、本名演を味わうことができることを大いに喜びたい。

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2013年08月18日


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ハイティンクの円熟を感じさせる素晴らしい名演だ。

ハイティンクは、アシュケナージなどと並んで評価が大きく分かれる指揮者と言えるのではないだろうか。

ハイティンクは、全集マニアとして知られ、さすがにハイドンやモーツァルトの交響曲全集は録音していないが、ベートーヴェン、シューマン、ブラームス、ブルックナー、マーラー、チャイコフスキー、ショスタコーヴィチなど、数多くの作曲家の交響曲全集のスタジオ録音を行ってきているところだ。

既に、80歳を超えた大指揮者であり、近年では全集のスタジオ録音に取り組むことはなくなったが、発売されるライヴ録音は、一部を除いてさすがは大指揮者と思わせるような円熟の名演揃いであると言っても過言ではあるまい。

本盤に収められたブルックナーの交響曲第4番も、そうした列に連なる素晴らしい名演に仕上がっていると高く評価したい。

ハイティンクは、同曲をロイヤル・コンセルトヘボウ(1965年)、そしてウィーン・フィル(1985年)とともにスタジオ録音を行っており、特に、ウィーン・フィルとの演奏については、オーケストラの美演もあって捨てがたい魅力があると言えるが、演奏全体の持つスケールの雄大さや後述の音質面に鑑みれば、本演奏には敵し得ないと言えるのではないだろうか。

ベートーヴェンやマーラーの交響曲の演奏では、今一つ踏み込み不足の感が否めないハイティンクではあるが、ブルックナーの交響曲の演奏では何らの不満を感じさせない。

本演奏においても、ハイティンクは例によって曲想を精緻に、そして丁寧に描き出しているが、スケールは雄渾の極み。

重厚さにおいてもいささかも不足はないが、ブラスセクションなどがいささかも無機的な音を出すことなく、常に奥行きのある音色を出しているのが素晴らしい。

これぞブルックナー演奏の理想像の具現化と言っても過言ではあるまい。

悠揚迫らぬインテンポを基調としているが、時として効果的なテンポの振幅なども織り交ぜるなど、その指揮ぶりはまさに名人芸の域に達していると言ってもいいのではないか。

ハイティンクの確かな統率の下、ロンドン交響楽団も圧倒的な名演奏を展開しており、とりわけホルンをはじめとしたブラスセクションの優秀さには出色のものがあると言えるだろう。

いずれにしても、本演奏は、現代を代表する大指揮者の一人であるハイティンクによる円熟の名演と高く評価したい。

そして、本盤で素晴らしいのは、マルチチャンネル付きのSACDによる極上の高音質録音である。

音質の鮮明さに加えて、臨場感溢れる音場の広さは見事というほかはなく、あらためてSACD盤の潜在能力の高さを思い知った次第だ。

マルチチャンネルで再生すると、各楽器セクションが明瞭に分離して聴こえるのは殆ど驚異的であるとすら言えるだろう。

ハイティンクによる素晴らしい名演をSACDによる極上の高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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2013年07月31日


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ハイティンクが得意とするショスタコーヴィチの交響曲の待望の最新録音の登場だ。

ハイティンクは、本盤に収められた交響曲第15番を約30年前にもロンドン・フィルを起用して、ショスタコーヴィチの交響曲全集の一環としてスタジオ録音(1978年)していることから、本演奏はハイティンクによる同曲の2度目の録音ということになる。

そして、本盤に収められた約30年ぶりの本演奏は、当該全集に収められた演奏とは段違いの素晴らしい名演に仕上がっていると評価したい。

本演奏におけるハイティンクのアプローチは直球勝負。

いずれの演奏においても、いかにもハイティンクならではの曲想を精緻に、そして丁寧に描き出していくというものであり、ショスタコーヴィチがスコアに記した音符の数々が明瞭に表現されているというのが特徴である。

したがって、ショスタコーヴィチの交響曲の魅力を安定した気持ちで味わうことができるというのが素晴らしい。

加えて、本演奏には、最晩年を迎えたハイティンクならではの奥行きの深さが感じられるところであり、さすがにムラヴィンスキー&レニングラード・フィルによる超名演(1976年)ほどの凄みはないが、同曲に込められた作曲者の絶望感などが、淡々と進行していく曲想の中の各フレーズから滲み出してくるのが見事である。

このような彫りの深い名演を聴いていると、ハイティンクが今や真の大指揮者になったことを痛感せざるを得ない。

ハイティンクの確かな統率の下、かつての手兵であるロイヤル・コンセルトへボウ管弦楽団が持ち得る実力を最大限に発揮した入魂の名演奏を繰り広げているのも、本名演に大きく貢献しているのを忘れてはならない。

さらに、本盤で素晴らしいのは、マルチチャンネル付きのSACDによる極上の高音質録音である。

音質の鮮明さ、臨場感など、どれも一級品の仕上がりであり、あらためてSACD盤の潜在能力の高さを思い知った次第だ。

いずれにしても、ハイティンクによる円熟の名演を、マルチチャンネル付きのSACDによる極上の高音質で味わうことができるのを大いに喜びたい。

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2013年02月26日


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実になだらかで、起伏のない美しい演奏だ。

これほどわめいたりしない静的な演奏は、アルプス交響曲では初めてではないだろうか。

いかにも、晩年になって、穏健派に磨きがかかったハイティンクらしい。

なお、ハイティンクの「穏健」と彼の音楽性を結びつけてメリハリのない演奏のように評している人がいるが、よく聴けばこれが的外れだということが分かるだろう。

したがって、冒頭の夜明けのゆったりとしたテンポ設定などは雰囲気満点であり、嵐が過ぎ去った後の一日の回想についても、その美しさが際立っている。

しかしながら、登山の部分は、あまりにも起伏がなさ過ぎて、果たしてこのような緩慢な足取りで登頂できるのかいささか不安になる。

氷河の危険も、眼前に安全策が施されているようだ。

頂上に至っては、かなり標高の低い山に登ったかのように、眼前にはスケールの大きいパノラマが殆ど浮かび上がってこない。

嵐もどこか抑制がかかっており、あたかも実験室での風洞実験のような趣きだ。

前述のように、美しい演奏ではあり、評価すべき箇所も多少は散見されるものの、それが表面的なレベルにとどまっており、きわめて底の浅い凡演だと酷評せざるを得ない。

コンセルトヘボウ管との旧録音が希代の名演だっただけに期待して聴いたのだが……。

SACDマルチチャンネルによる高音質録音は実に鮮明で見事なものであり、録音面においては評価したいが、こうした高音質録音が不幸にも演奏の底の浅さを露呈することに繋がっており、何とも虚しい気持ちにさせられるのは大変残念なことだ。

さしずめ自分で険しい山を登っているというよりは美しい映像作品を見ているような感じであり、なかにはこういった演奏を好む人もいるのではないかと思い、敢えて採り上げた次第だ。

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2012年12月17日


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同じR・シュトラウス作曲による「アルプス交響曲」は凡演であっただけに、「英雄の生涯」の出来を心配したが、それは杞憂であった。

ライナーとシカゴ交響楽団の不滅の演奏から56年、新たな名盤が誕生した。

いかにも晩年のハイティンクならではの大変美しい名演であると高く評価したい。

「英雄の生涯」と言えば、カラヤンの豪演のイメージがあまりにも強く、かの超名演と比較するとどの演奏を持ってきても物足りなく感じるが、それはあまりにも不幸。

筆者としても、カラヤンの演奏を名演と評価するににやぶさかではないが、カラヤンのアプローチだけが必ずしも正しいわけではない。

ハイティンクのような、繊細で暖かく時に激しく音の洪水に身を任せられる、決してわめくことはない穏やかで美しいアプローチも十分に説得力があると考える。

一番の聴き所はコンサート・マスターのロバート・チェンの緻密な表現とハイティンクの静かな伴奏だ。

もちろん、中間部の戦闘の箇所における力強さにも、いささかの物足りなさを感じることはなく、硬軟併せ持つバランスのとれた名演と言える。

常に音楽に誠実に取り組むハイティンクの美点がたくさんあって終曲後、しばし幸福感に浸れる。

ドレスデン国立管弦楽団との演奏はメリハリがあり感動的であったが、こちらの演奏はゆっくりとしたテンポに端正に作られた演奏が感動的だ。

そして、何よりも素晴らしいのはシカゴ交響楽団の卓抜した技量と、それを完璧に捉えきったSACDマルチチャンネルによる極上の高音質。

こうした録音面をも加味すれば、過去の「英雄の生涯」の名盤の中でも上位に置かれると言っても過言ではないだろう。

併録のヴェーベルンの「夏風のなかで」も、各場面の描き分けを巧みに行った秀演。

録音も素晴らしく、こちらについては、過去の様々な名盤の中でも最上位に置かれる名盤ということができるのではないか。

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2012年09月26日


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2009年3月4日に80歳の誕生日を迎えた現代屈指の巨匠ハイティンク。

最強の手兵シカゴ響の首席指揮者としてすでに3シーズン目に入り、ますますの充実ぶりをみせるマエストロによるCSO RESOUND最新アルバムは、プーランクにラヴェルというシリーズ初のフランスもの。

録音のレベルがかなり低いのではじめはどうなのかなと思ったが、ボリュームをあげると、この演奏の素晴らしさが伝わってきた。

最初、中ぐらいの音量で聴いたところぱっとしなかったが、大音量で聴くと音楽は一変し色彩豊かで繊細なフランス音楽が広がっていた。

プーランクはシカゴ響のCDは初めてかと思われるが、繊細な名演。

「ダフニスとクロエ」全曲は文句なしの名演奏で、ハイティンクはフィリップスにCDを録音している頃とは異なる巨匠になったようだ。

どちらかと言えばプーランクの出来の方がいいと思うが、「ダフニスとクロエ」の、特に第3部の合唱が入ってくる箇所の夕映えのような美しさは、さすがは巨匠ハイティンクだと思った。

シカゴ響の技術レベルの高さも特筆もので、ソロの名人芸も聴きごたえがあり完璧。

これがシカゴ響かと思われるほどフランスのデリカシーに満ちていて、シカゴ響がハイティンクの薫陶で、ショルティやバレンボイム時代とは全く異なる個性を持っていることに驚かされた。

弱音でも強音でもオケと合唱のバランスが素晴らしく、細部まで神経が行き届いている感じで好感が持てた。

ハイティンクとシカゴ響のコンビといえば、2009年2月、アジア・ツアーの一環として行なった来日公演の大成功がまだ記憶に新しいところだが、ここまでの流れを見る限り、今後の動向も目が離せないものといえそうである。

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2012年09月22日


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ハイティンクのマーラー指揮者としての適性については、筆者としては、やや疑問符がつくと思っている。

穏健派とも言えるハイティンクの芸風が、マーラーのような劇的な交響曲では、どうしても根源的な力強さに欠けるきらいがあると思うからである。

同じシカゴ交響楽団を振ったマーラーの「第6」など、その欠点がもろに出ていた。

本盤の「第2」も、確かに角がとれた演奏だ。

わめいたり叫んだりすることなど、薬にしたくもない。

しかしながら、その分、魅力的な箇所も満載だ。

例えば、第2楽章の繊細な美しさ。第4楽章の独唱が入る箇所の深沈とした深み。

そして、終楽章の合唱が入る箇所の荘重たる響きと、終結部の決して力づくではない壮大な迫力。

このように、ハイティンクの穏健なアプローチでも、十二分に魅力のある名演を成し遂げることが出来たのは、曲が「第2」というマーラーの初期の交響曲であったということが大きいのではないかと思われる。

「第2」はどうしても大上段に振り構えた演奏が多いようだが、この演奏はいい意味で力の抜けた、とても美しい演奏になっていると思う。 

ただ、力が抜けているといってもシカゴ響のことだから鳴るべき所は十分に鳴り、なおかつ静かな部分では十分な余裕を持った演奏になっている。 

これを聴いていると、やはり「第2」も角笛交響曲なのだということを強く意識させられる。

そして、何よりも素晴らしいのは、シカゴ交響楽団の卓抜した技量と、それを鮮明な音質で捉えたSACDマルチチャンネルによる名録音である。

総体として、高い評価を与えることができる名CDいうことが出来るのではないか。

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2011年11月05日


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もちろん再録音である。旧盤とは別人のように成熟した演奏だ。

最も早く全集盤録音に取り組んでいたハイティンクのブルックナー音楽に対する自信と共感が気負いも誇張もない自然な流れのなかに見事に結実している。

演奏はやや遅めのテンポを採りながら、きわめて充実しており、造形的にも強靭であり、内的緊張感も強い。

ハイティンクはテンポを無用に動かさず、すべてのパートを朗々と歌わせるが、そこには波打つようなブルックナー特有の楽想が、くっきりと示されている。

何の変哲もない解釈だが、堅固でたくましく、悠揚とした呼吸で歌わせている。

すべてが自然でゆとりがあり、ことさらに劇性を強調することもないが、構成は実に明快、作品の様式に忠実、内容に深く共感している。

楽譜に何らの粉飾を加えず、しかも心情豊かな音楽を表現した、ブルックナーの真髄を極めた演奏といえるだろう。

音楽の内部まで深く深く入り込んだ名演である。

初期録音より大幅にゆったりとしたテンポで、ハース版の特徴である音楽の必然的な時間経過を丹精に描く。

シュターツカペレ・ドレスデンの、いぶし銀のような落ち着いた音色が魅力の演奏でもあり、渋さのなかにも、スケールの大きさをもった表現である。

ことに第3楽章は見事で、厚みのある弦楽器の響きを生かしながら、深々とした呼吸で、じっくりと掘り下げている。

華やかなカラヤン&ベルリン・フィル盤とは対照的な表現だ。

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2011年11月04日


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1988年3月、ウィーン、ムジークフェラインザールでの収録。

ブルックナーのすべての交響曲の中でも、もっとも神秘的、かつ幻想的な内容をもつこの作品は、古くはクナッパーツブッシュの名盤などが見受けられるが、作品の壮大さが凡庸な指揮者を寄せ付けないのであろうか、残された過去の録音はいずれも不思議に見事な名演ばかりである。

比較的新しい録音からは、やはりハイティンクということになろう。

ハイティンクの資質を明快に示した好演である。

穏やかな歩みながら、作品の魅力を正面からじっくりと歌い上げた演奏で、その息づかいの深さ、生命力の逞しさ、そして音色の美しさに魅せられる、稀に見る名演である。

テンポやデュナーミクなど音楽を作る要素にまったく無理がなく、端正な造形で全体がまとめられていて、そこにはこの作品の演奏にありがちが厳しさやいかめしさより、独特の優美な表情と優しさと温かさをみなぎらせている。

これは最近のハイティンクの大きな特色といえよう。

第1楽章の金管のコラールから実に自然な息づかいと堂々たるスケール感があり、テンポは中庸だが各フレーズがよく歌われている。

曲想が転換する場合も相応しい表情を作り上げている。

第2楽章の弦楽での主題も分厚く引き締まった流れで、弦、管ともにしなやかさはウィーンフィルならでは。

第3楽章テンポは開始からやや速め、躍動感は十分、拍子感の強い足取りで進む。

フィナーレも入念な造りで細部までキメ細かく自然な響き、安心して身を任せることができる音楽になっている。

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2011年09月02日


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2007年5月、シカゴ、シンフォニーセンター、オーケストラ・ホールでのライヴ録音。

実に陰影の深い、立体的で雄渾、そして楽想の表情も全体に生き生きとして鮮明な、まさに目を見張るような素晴らしい演奏だ。

造形の完成度においても同曲レコードでも1、2を争うものだろう。

全体に恰幅のよい表現で、造形的にもブルックナーの様式を完全に体得したうえでの構築が素晴らしく、4つの楽章の音楽的な起伏と平衡感覚は見事としかいいようがない。

何よりも音に精神的な気迫が漲り、どの部分をとっても楽想が的確な表情であるべきところに収まっており、ブルックナー特有の対位法的な書法や旋律線の表現もかなり無理なく決まっている。

ここでは音楽の深いところに目を据えたハイティンクの、一種の気持ちの余裕と懐の深さが大きく功を奏しており、その結果として細部の仕上がりが格段に隙のない美しいものとなっている。

ハイティンクの堂々とした風格を再認識させられるとともに、シカゴ響が指揮者を信頼し、全員が一体となって演奏していることにも感嘆させられる。

冒頭から豊かな感情が泉のように湧出しており、その音楽の自然な美しさと充実感はたとえようがない。

特に第2楽章のアダージョは圧巻。

快調なテンポできりりと引き締めたスケルツォのあとに、フィナーレがひときわ雄大なスケールで広がっているあたりも素晴らしい。

オケの重厚・豊麗な響きもブルックナー音楽のおおらかな流れと朗々としたトゥッティの美を作り出している。

指揮者の円熟と作品の素晴らしさを実感させる、特に注目すべき秀演である。

この1枚はブルックナーの神髄に迫る名演といえよう。

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2011年08月21日


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2010年2月12日、ミュンヘン・フィルハーモニーに於けるライヴ録音。

ハイティンクが、1988年のウィーン・フィルとの録音以来、21年ぶりに バイエルン放送響とおこなったライヴ録音。

ハイティンクの壮大な音楽づくりにオーケストラのメンバー、そして、響きの良さでは定評のあるミュンヘンのフィルハーモニー(ホール)が、まさに三位一体となって素晴らしい音楽を奏でている。

ハイティンクはバイエルン放送響の南ドイツ的な属性を大切にして、洗練されたアンサンブルで、じっくりとブルックナー・サウンドを醸成している。

荘重な第1楽章、ひときわ美しい第2楽章、軽快かつダイナミックな第3楽章、そして終楽章は、実に荘重で輝かしい頂点を形成して壮大なスケールで閉じる。

75分間、最近忘れかけていた、ゆったりとした“とき”を味わえる。

ブルックナーを得意としてきたハイティンクの同曲3回の録音のなかでも秀逸な1枚と言える。

特段、誇張する箇所もなく中庸といえばそれまでだが、しなやかな弦、強奏でも美しく重心の低い響きを持つ渋い金管といい見事である。

ハイティンクやヨッフムの演奏を聴くたびに、指揮者には失礼かもしれないが、何よりも感心するのはバイエルン放送響の音である。

ハイティンク盤は録音が新しいだけにその特徴がよくわかり、ヨッフムがオケと一緒に音楽するのに対して、ハイティンクはオケを統率しようとする意思が感じられるのだ。

明るく開放的な演奏ということでは、ヨッフムの弟分的な名演である。

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2010年11月13日


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ハイティンクが1985年からじっくりと時間をかけてウィーン・フィルと継続しているブルックナー交響曲の1枚である。

ハイティンクは奇をてらわない堅実な正攻法で演奏する指揮者で、ドイツ系の作品を得意としていると言えよう。

中でもブルックナーは彼の最重要なレパートリーで、1960年代から70年代初めにかけてコンセルトヘボウ管弦楽団と交響曲全集を完成している。

第8番に関しては1981年に同オケと再録音しており、これはウィーン・フィルにオケを替えての3度目の録音である。

いずれもハイティンクらしい整理の行き届いた誠実な演奏だが、彼は他の作品にも聴かれるように、時を経るごとに成熟度を増しており、ここでも熟成した表現が聴かれる。

録音は1995年1月、1960年代にコンセルトヘボウ管弦楽団と実現したハイティンク自身の旧全集に比べると、各楽章の演奏時間がぐっと長くなった。

きちんとこまやかな陰影を再現したみごとな仕上がりで、どこまでも厳粛に、しかも芳醇な響きでゆったりと歩んでいく音楽の風格に、ハイティンクの円熟ぶりがうかがえる。

特に個性的と言えるところはないが、模範的とも言える端正さの中に巨匠的な雄大さを伴った美しい表現が光っている。

オーケストラの、特に弦楽器のやわらかい響きとしなやかな表現は、いまさら強調するまでもないが、ハイティンクの作品への真摯な取り組みがウィーン・フィルの持てる力を最大限に引き出した幸せな例と言えよう。

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2010年11月04日


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きわめて普遍的な解釈に基づいた名演で、無類の安定感と堂々とした風格をそなえている。

しかも室内楽的といえるほど純度の高いアンサンブルで仕上げているため、第1番は古典主義的な表現と洗練の極致であり、ベートーヴェン演奏のひとつの規範とさえ感じられる。

第2番は第1番との作品の質的な差を反映して、はるかに強靭かつ意志的な力強さをもった演奏である。

「英雄」は格調高く毅然とした表現だが、それだけに交響的であり、ディテールも克明である。

全体に中庸といえる解釈で、あくまでも純音楽的な表現を貫いているのも好ましい。

ハイティンクのベートーヴェンには無用な誇張や表情が一切存在しない。

その演奏は極度に練り上げられ、ほとんど室内楽的といえる純度を獲得している。

第4番は全体が毅然として楽譜に忠実に表現され、決して突進しない第4楽章の音楽的な美感は特質に値する。

「運命」は無類の風格と安定感をもった表現で、まったく普遍的といえる解釈だ。

造形的にも一部の隙もなく、作品の容姿を正確に示し、この上なく充実している。

「田園」は実にあたたかい抒情に満ちた名演だ。

深々とした情感とリズムや表情の爽やかさは、数多いこの曲の演奏でも屈指のものだろう。

柔らかい雰囲気の広がりと精妙で自然な表情がぴったりと融合しており、低弦の歌の魅力とその立体的な構成の効果も抜群だ。

第1楽章の提示部反復もそれが反復ではなく、発展という印象を与えて快い。

第7番でのハイティンクの指揮はどっしりと落ち着いたもので妥当性があり堅実そのもの。

余計な表情もいっさいなく音楽が足をしっかりと踏まえ、一歩一歩立つ所を確認しながら運んで行く。

第8番は作品の優美さを前面に押し出すよりも、交響的な性格をよく表し、各楽章の構成を分析的をいえるほど精緻に表現している。

第9番で、ハイティンクはいわゆる"祝祭的"な性格を強調することなく、全体を見通しよく、あたたかく、純音楽的に表現している。

だが、同時にスケールと豊かな風格の反映があり、終楽章の彫琢も申し分ない。

楽譜の読みは深く、伝統的様式の研究の末に、自己の解釈を完成させたという趣がここにはある。

この作品のひとつの普遍的表現といえよう。

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2010年08月13日


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ブレンデルは高度な技術に裏づけられ、曖昧さのない理詰めな音楽性を誇るピアニストである。

とりわけ、ここにきく『ベートーヴェン/ピアノ協奏曲全集』が録音された1970年代には、その傾向が顕著であった。

第1番から第5番にかけてのいずれの演奏においても、彼のピアノは大いに雄弁で、必要な音があるべきところにきちんと収まっている。

ベートーヴェンの音楽におけるメタ・フィジカルな要素を追い求めたというより、むしろ、整合性のとれた論理性を追求した演奏内容だ。

指揮者ハイティンクも力のある伴奏をしているが、この後、急速に成熟した彼だけに、80年代、90年代に録音がなされていれば、と思わせる要素も、ここには残されている。

ブレンデルの旧盤で、新盤があまりにも素晴らしいので影が薄くなった観もあるが、特に第1番は名演のひとつに数えられよう。

フィナーレはブレンデルの個性が曲を上回るシーンがあるが、第1楽章の敏感な愉しさは出色ものだ。

驚くべき弱音、宝石のようなタッチ、弾むリズムが最高。

第4番も美しい演奏で、透明なタッチを堪能させつつ、細部まで緻密に音化し、しっとりと心に迫ってくる。

第3番も同じスタイルで、ベートーヴェンが書いた音符がそのまま聴き手に語りかけてくるような、じっくりとした演奏だ。

ハイティンクの指揮も見事で、第4番は心にしみ通ってくるような演奏だし、第3番での充実感も彼のベストのものといっていいくらいだ。

「皇帝」は出だしの音を聴いた瞬間に、豪快で熱気にあふれたブレンデルの演奏に圧倒される。

技巧的にまったく落ちこぼれがないのはもちろん、音の粒もよくそろっていて美しい。

ハイティンクのバックも大変良く、シンフォニックな曲の運びは心を熱くさせる。

全体に若さがあふれ、「皇帝」の名にふさわしい、堂々たる演奏だ。

「合唱幻想曲」も壮麗で、聴いていてこれほどぐいぐいひきつけられる演奏というのも珍しい。

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2010年05月06日


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スター指揮者ではないが大指揮者、という人がいる。もちろん逆もあるわけだが、いつの時代も、認められ、高く評価されつつ、大衆的な人気はない、というタイプの音楽家にハイティンクは明らかに属している。とりわけ日本では。

専門家筋の評価は実に高い。活動の主な拠点であったオランダやイギリスはもちろん、ドイツでも、現代最高の指揮者のひとりに数えられている。

名声はかなり早い時期からだ。数少ない定期公演に招く指揮者が、それだけで世界一流の折り紙付きになるウィーン・フィルだが、ハイティンクは1970年代から長い間常連であり続けている。

まずコンサート指揮者として世に出たハイティンクは、やがてオペラの指揮も始め、こちらでも才能を発揮する。

実際現代有数のオペラ指揮者がハイティンクだ。グラインドボーン等でのオペラ指揮が注目され、全曲盤の録音を重ねた末、迎えられたのは、ロンドンのロイヤル・オペラの音楽監督だった。

どちらかといえばワーグナーなどドイツ系に強いが、実はイタリア・オペラの指揮者としても、大変優秀な指揮者だ。

それでも、歌手に人気は出ても、指揮者は、せいぜい評価される程度だった。いうまでもなく、それがハイティンクの持ち味だ。エキセントリックに人の気持ちをかきたてるかわりに、音楽の美を確かに伝える。

もしもハイティンクがもう少しあざとい演奏ができる人だったら、音楽界はかなり変わっていただろう。大人気になって、世界の楽団に君臨していたかもしれないし、嫌われてB級になっていたかもしれない。

しかし、いずれにせよ、地味ながら音楽にも作曲者にも聴く者にも誠実な、一連の演奏は失われていたことだろう。

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2010年03月08日


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1929年オランダ生まれのハイティンクが、1985年から87年にかけて録音した、2度目の全集で、ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団の創立100年を記念して録音された全集。

きわめて普遍的な解釈に基づいた名演で、無類の安定感と堂々とした風格をそなえている。

演奏そのものが作品のすべてを語り無用な表現が一切ない、普遍的な解釈と高い音楽的密度を持ったベートーヴェンは滅多に聴くことが出来ないだろう。

また、これほどベートーヴェンの音楽の古典的な様式を見事にとらえた、密度の高い、堂々とした演奏も少ないだろう。

楽譜の読みは深く、伝統的様式の研究の末に、自己の解釈を完成させたという趣がここにはある。

ハイティンクの演奏は、室内楽的と呼べるほど純度の高い演奏で、中庸かやや速めのテンポが流麗な表情と透明感をもたらしており、音楽が終始妥協のない厳しさに貫かれている。

そこに威容が示され、抒情的な潤いが見事に表出される。

ワルターの演奏に似かよった、温かいぬくもりを感じさせるところも素敵だ。

ヒューマンなぬくもりに溢れたこの名演は、ハイティンクの音楽への献身の深さを如実に表わしたものと言えよう。

ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団の深ぶかとした、渋い響きも素晴らしい。

これはワルター以来の最も温かい演奏であり、また演奏様式にも一貫性のある稀有の全集だ。

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2010年02月09日


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この全集は1972年度のフランス・ディスク大賞、同年のオランダ・エジソン賞を受賞しており、欧米では現在もたいへん高い評価が与えられている。

さらに1962年にはハイティンクが国際マーラー協会の名誉会員に推薦されており、1971年に国際マーラー協会から金メダルを贈られている。

我が国におけるハイティンクの評価は、大器晩成型と評され、1980年以前の録音はあまり評価が芳しくないようだ。

しかし、上記のように、ヨーロッパでは既にハイティンクのマーラーには定評があるのである。

ほぼ同時期に完成されたバーンスタインの「刺激的」なマーラーに対して、ハイティンクのアプローチはより音楽的で美しい。

なめらかに流動する充実感の強い音楽で、構成的にも隙がない。

ハイティンクは、オーケストラのすぐれた技巧を生かしながら、マーラーの表現を透明に表すことにすべてを捧げている。

緻密なアンサンブルもマーラーの場合は必須のものといえるが、その点でも申し分ない。

コンセルトヘボウ管という、メンゲルベルク、ベイヌムが手塩にかけて育んだ素晴らしい音楽性を持つオーケストラの感性豊かな魅惑的な演奏と共に、ハイティンクはこのマーラー全集でも全く見事な音楽的純度の高さを示している。

たった1度だけ聴くのなら、他の録音の方が耳に残るかもしれない。

しかしこのハイティンク盤は、聴けば聴く程にその味わいを増して行く。

派手な「香辛料」も「添加物」も加えていないハイティンクの演奏は、それ故に対位法的バランスの良さと、その内に込めた内的共感の高さで我々を魅了する。

この1組は、マーラーにゆかりの深いコンセルトヘボウでの録音ということでも、長くその価値を失わないに違いない。

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2010年02月02日


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ハイティンク盤は彼の円熟を物語る名演で、彼の生真面目な性格がよく表れた演奏となっている。

いわゆるカラヤンのような面白い演奏ではないかも知れないが、曲のプロポーションをしっかりと描き切っている点を評価したい。

「ツァラトゥストラはかく語りき」は、ハイティンクの資質がよく示された大変押し出しの立派な演奏だ。

彼は堅実な棒でオーケストラを意のままに動かしながら、難しいこの曲を明快にまとめている。

「英雄の生涯」も、スコアそのものを忠実に音にした演奏で、大変立派な響きを聴かせる。

「ドン・ファン」はロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団の色彩豊かな音色を十二分に生かしながら、大きな音楽の流れを作り出しているところがよい。

「死と変容」では、ハイティンクが、オーケストラの団員と一体となって、スケールの大きな音楽を作り上げており、決して派手なところがなく、内面を深く掘り下げた表現を行っているところに強く惹かれる。

「ティル」はきわめて正攻法の表現を行いながらも、この作品のもつユーモラスな気分を巧みに表出しているあたり、ハイティンクの円熟味を感じさせる演奏だ。

ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団の演奏も渋く光沢に溢れたもので、ハイティンクの解釈にふさわしい名演で応えている。

また録音もたっぷりとした響きが魅力的で、風格のあるサウンドもいかにもアダルト指向である。

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2010年01月23日


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この指揮者のアムステルダム時代の最上の記録。

1980年代に入ってからのハイティンクの充実ぶりがよく示されており、この曲が大地に根をおろしたような再現がなされている。

ハイティンクの解釈は、作曲者の自演あるいはベームやケンペの流れを汲む。

ハイティンクのケレン味のなさが良い方向に出た演奏で、流麗な抒情性があり、深い余韻が残る。

作曲者のゆかりの深いコンセルトヘボウの力量を存分に駆使して、重厚で艶やか、密度の高い響きで全曲を統一している。

いかにもハイティンクらしく、そして、このオケらしく、悠然と構えた演奏で、豊麗なあたたかみのある音色を生かしながら、各場面を巧みに活写している。

しかも各部の表情が端正で音楽的である。

テンポも中庸を保ち、無用に動かない。

それがこの曲の本質に迫るものであることは言うまでもない。

標題音楽的な効果をもつスコアを、各曲とも理解させながら、ハイティンクは全曲を堅固な統一で、交響曲としての様相を明らかにする。

決して大仰にならず、また色彩的にも華々しくもならず、自然な流れを尊んでいるのがよい。

低音楽器がやや重く、表現が時に鈍重で不明瞭になる気味はあるが、充実した演奏である。

ことに後半の音楽設計は見事で、第2部「頂上」の主題がトロンボーンで豪快にうたわれる場面から、有名な「太陽の動機」があらわれ、喜びのあまり「幻影」を見るシーンあたりのスケールの大きさは、凄いの一語に尽きる。

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2009年06月16日


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メンデルスゾーンは、あくまでもリラックスして、美音を浪費するかのような、いかにもパールマンらしい伸びやかな素晴らしい名演といえる。

パールマンはヴァイオリンの特性を生かした、朗々と歌う美しい演奏を展開している。

テクニックの優秀さは言うに及ばず、音色の透明なことと歌に感情がこもっていることでも、他に比肩する演奏はちょっと見当たらない。

あまりに美しくてうますぎて、内面性に乏しいなどと、贅沢なケチもつけたくなるほどの、完全無欠な演奏なのである。

ハイティンク指揮コンセルトヘボウ管も、パールマンにピッタリと付けて遺漏がない。

チャイコフスキーも文句のつけようがない名演。

快刀乱麻を断つような技巧の冴えと、磨き抜かれた美しい音色、そしてヴァイオリンをヴァイオリンらしく歌わせる、そのセンスの良さは、パールマンの天性の賜物だろう。

少しも難曲らしくなく、自然で融通無碍な演奏だ。

またここでのオーマンディの指揮も見事の一語に尽き、「協奏曲の神様」と謳われた巨匠の面目が躍如としている。

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2009年06月13日


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ヴォルコフ編の『ショスタコーヴィチの証言』はそれまでのショスタコーヴィチのイメージを大きく覆した。

舞台作品にも、室内楽にもその影響はすぐに現れたが、交響曲の解釈にもそれこそ革命的な変化が生じた。

その第一歩を印したのがこのハイティンク盤だ。

しかしロストロポーヴィチに代表されるような「証言」的解釈といえるわけではない。

むしろどんな立場にせよ思想によった解釈ではなく、音楽におのずと思想を語らせた点で、その後の幾多の演奏とも一線を画していると思う。

その透明感と堅実さは他の演奏では聴けないものだ。

その透徹したハイティンクの解釈を通して、全15曲の交響曲はショスタコーヴィチの人生と思想の遍歴を伝えている。

ここにはハイティンクの誠実をきわめた姿勢と、純音楽的演奏様式が一貫してある。

スコアを真摯に見つめることで作品の音楽的な意味を追求しながら曲の内面を掘り下げ、密度の高い音楽と均衡感の強い造形が表現されている。

作品に共通した悲劇的な感情や内部の隠された鋭いまなざしが、装飾や皮相感を伴わずに表出され、本質と美と思想を率直に聴き手に伝えてくれる。

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2009年04月17日


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ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲で、最も抵抗なく音楽の立派さ、美しさに浸れる名演だ。

この曲の録音中、最も癖のない演奏だろう。

音色にも表現にも過不足がなく、それでいて物足りないかといえば、そうではない。他の誰よりも音楽の魅力を堪能させてくれるのだ。

部分的にはもう少し奔放な表情などもほしい気もするが、それはあくまで趣味の問題である。

万人向きで、これだけハイクラスの名演も珍しい。

とにかくシェリングはヴァイオリニストの存在をまったく忘れさせて、われわれを曲自体に結び付けてくれる。

シェリングの3度目の録音で、純粋という言葉がぴったりの、崇高なまでの美しさにあふれた演奏である。

ロイヤル・コンセルトヘボウならではの、ふくよかであたたみのある響きとともに、彫琢された音楽をつくりあげていて立派だ。

ことにがっしりとした風格をもった第1楽章は立派である。

2つのロマンスはハイフェッツのコクのある表現とグリュミオーの美しい音色をあわせもったもので、両曲とも、繊細な感覚で丹念に表現しているところがよい。

たかだか10分にもみたない曲を、これほど気高く演奏できるヴァイオリニストというのも、珍しい。

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2008年12月05日


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EMIが満を持して完成させた「リング」全曲録音。EMIはかつてワルター、フルトヴェングラー、クレンペラーによる全曲を企画したが、いずれも完成されなかった。

ライヴ録音はあるがスタジオ録音のシリーズはこれが初めて。また当曲の録音としてもフルトヴェングラー以来30数年ぶり。キャストはバイロイトなどで活躍中の当代最高のメンバーが集められている。

第1弾は「ワルキューレ」。ハイティンクの指揮は、冒頭の序曲からしてすでに並々ならぬエネルギーと力にあふれている。

とりわけ第1幕のロマンティシズムあふれる愛の場面、第2幕第4場以降の悲愴さ、そして第3幕フィナーレの雄渾壮麗な表現は特筆に値する出来映えだ。

キャストは当時でのベスト・チョイスとして衆目の一致するような顔ぶれを揃えているが、乙女の精のように清らかで美しい歌唱を聴かせるステューダーのジークリンデはひときわ素晴らしい。

第2弾の「ラインの黄金」でも、透明精妙な音の徹底的練磨の中に、豊かなリリシズムに満ちた劇的表現を目指すのはここでも変わりがない。

後半の2つの場が特に申し分のない出来映えで、全体の流れもすこぶる自然だ。

歌手陣も極めて充実しており、個性的な登場人物たちが見事な性格表現で歌われている。これはバイロイトでさえ容易には望めないものだろう。

「ジークフリート」「神々の黄昏」は、オペラティックというよりシンフォニックな表現だが、精緻な仕上げから生まれる響きの美しさは特筆すべきもので、性格のはっきりした名歌手を適材適所に配した配役もすぐれている。

ただハイティンクには、もうひとつ語り上手な雄弁さを望みたくなる。

歌手ではイェルザレムが若々しい抒情と力強さを完備した好演で、「ジークフリート」におけるモリスのさすらい人も、第3幕第1場の苦渋する老いたる神の胸中が痛いほど伝わってくる名唱だ。

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2008年03月03日


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アシュケナージのソロは、力強さとともに音の美しさが常に保たれている。ひとつひとつの音が磨きぬかれ、しかも人工的な感じがまったくない。

解釈も落ち着きと余裕があり、多くのピアニストのように感情の動きに押し流されることがない。

したがって感情の細かな動きが明快な造形と結びついて、充実したエネルギーを生み出す。

ハイティンク/ウィーン・フィルもスケールが大きく、優美な雰囲気で好演している。

4楽章とも遅めのテンポで演奏しているのが大きな特徴。これはアシュケナージがブラームスというロマン派の巨匠の音楽を、新古典主義としての局面よりも、ロマン主義者としての側面を重要視して捉えている証拠である。

指定のテンポを無視してキープしては、これだけ情報量の多い曲では、個々の音はどうしても飛ばして聴かれる傾向が避けられないだろう。

ハイティンクの入念極まる棒に従ったウィーン・フィルの演奏は、この楽団の最も得意とする所を充分に生かした名伴奏となっている。ピアノのパートを十全に浮かび上がらせて、一つ一つの音を、一つ一つのフレーズを、丹念に演奏している。

これとほぼ同じコンセプトが独奏パートにも認められるのだが、オーケストラ以上に情感豊かに、たっぷりとした音量で弾くアシュケナージのピアノには、後にも先にもこの曲で体験したことのない、ほのぼのと暖かな、しかも明るく多彩な色感が感じられるのである。

ブラームスにしては珍しいピアノピアニッシモのところでの繊細な表情には、ハイティンク独特の高度な洗練が感じられるのだが、独奏ピアノがこの情趣を引き継ぐ時、更に情感が深まるのが凄い。鍵盤楽器でこれだけのデリカシーが出るのは滅多にないことなのである。

こうした反面で、ハイティンクがソロのピアノを引き締めにかかって、フレーズの隅々まで行き届いた神経で、しかも全体の構図の中での各フレーズの価値付けが完璧なのである。

まことに良い相棒であり、これならアシュケナージとの絶妙なアンサンブルが実現して当然かもしれない。

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