クレーメル

2022年10月24日


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現在では押しも押されぬ巨匠ヴァイオリニストとして世界的な活躍をしているクレーメルによる若き日の名演だ。

クレーメルは、現在でもそうした評価がなされているが、超絶的な技巧をベースにしつつ、現代的なセンスに持ち溢れた鋭さを感じさせる演奏を行うことで世に馳せている。

本盤に収められたシベリウスのヴァイオリン協奏曲、そしてシュニトケの合奏協奏曲ともに、そうしたクレーメルの個性が溢れた演奏に仕上がっている。

クレーメルのヴァイオリン演奏の引き立て役は、これまた現在ではロシアを代表する大指揮者に成長したロジェストヴェンスキーであるが、ロジェストヴェンスキーはロシア音楽を得意とはしていたが、シベリウスについても得意としていた。

現在では入手難となっているが、かつての手兵であるモスクワ放送交響楽団とともにシベリウスの交響曲全集をスタジオ録音している。

当該演奏は、オーケストラがいかにもロシア色濃厚な演奏を行っていることもあって、必ずしもシベリウスに相応しい演奏とは言い難いものがあったが、それでも総体としては考え抜かれた立派な演奏であり、交響曲第3番や第7番の録音を遺したムラヴィンスキーや、近年のマリス・ヤンソンスなどと並んで、ロシア系の指揮者としては希少なシベリウス指揮者と言えるところだ。

本盤の演奏は、オーケストラがシベリウスの名演を様々な指揮者と行うなど、定評のあるロンドン交響楽団であり、ロジェストヴェンスキーとしても、オーケストラのロシア的な色合いに邪魔されることなく、まさに水を得た魚の如き演奏を行っている。

その演奏は、若干ロマンティシズムに傾斜しつつあるきらいもあるところであるが、クレーメルの一切の甘さを排した鋭角的で霧味鋭いアプローチが、演奏全体を引き締まったものとするのに大きく貢献しており、こうした指揮者とヴァイオリニストがお互いに足りないものを補い合った結果が、本演奏を名演たらしめるのに繋がったとも言えるところだ。

シュニトケの合奏協奏曲は、ロシアの現代作曲家による作品だけに、ロジェストヴェンスキー、クレーメルともに、お互いの才気が迸るような見事な名演に仕上がっていると高く評価したい。

第2ヴァイオリンを担当したタチアナ・グリンデンコによるヴァイオリン演奏も見事である。

いずれにしても、本盤の演奏は、ロジェストヴェンスキーとクレーメル、そしてグリンデンコというロシア系の音楽家がお互いの才能をぶつけ合うとともに、足りないものを補うなど相乗効果を発揮させた素晴らしい名演と評価したい。

音質については、従来CD盤でも1977年のスタジオ録音ではあるものの、比較的満足できる音質である。

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2021年05月31日


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クレーメルとアルゲリッチのコンビでは、既にベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ2曲を聴いていて、特に『クロイツェル』の急速楽章があまりにも戦闘的な印象が強く、懐の深い普遍的なベートーヴェンとは言えず、多少違和感があった。

このシューマンの2曲でも、それほど期待していなかったが、意外にも互いに抑制を利かせた慎重なデュエットで、なかなかに深みのある演奏に仕上がっている。

主導権を握っているのは当然クレーメルだろうが、ピアノとのアンサンブルは緊密で、合わせも上手い。

シューマンの室内楽は、時としてテクニック的に難解であっても、演奏効果を上げるのが難しい。

彼らの演奏は余裕のある技術と幅広い表現力で、緩徐楽章でも弛緩しない緊張感が保たれている。

わりあい有名な第1番は、最初から情熱をほとばしらせ気迫に満ちているが、そこにロマン派特有の慰めや憧れに似たものもある。

規模の大きい、完成度の点ではより高い第2番が特に素晴らしく、熱気を見せているものの、もっと多様性を打ち出した演奏だ。

ここからは、精神の弛緩や狂気などよりも、むしろ天才的な音楽家の孤独の叫びや訴え、感傷、気負いが、聴く者のハートに直接飛び込んでくる。

2人とも技巧的に抜群なのは言うまでもないが、それだけに頼らず、シューマンの本質をとらえながら、現代的なスタイルの演奏を成功させている。

中でも第2番ニ短調の第3楽章は、アルゲリッチの音量を最小限に抑えた静謐な伴奏に乗るクレーメルのソロが冴え渡っている。

ベートーヴェンやブラームスはヴァイオリンを、メロディーを歌わせる楽器と捉えていることは彼らの作風を見ても良く理解できる。

彼らの協奏曲やソナタを聴けば、如何にカンタービレを重要視していたかが納得できるが、シューマンの場合ヴァイオリンは言ってみれば考える楽器で、より内省的な趣がある。

華やかなテクニックを駆使したり、演奏効果を上げるための奏法が使われることは殆どない。

そのために彼の協奏曲やソナタは、一流どころの演奏家にとってもスタンダード・レパートリーとは言えないが、実際にはこれほど本来の意味でロマンティックな音楽も少ないのではないだろうか。

録音は1985年で音質は良好。

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2019年10月18日


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20世紀後半に登場し、大きな注目を集めた作曲家は数多いが、筆者にとってアルフレド・シュニトケ(1934-98)の衝撃度ほど大きく、理屈を超えた訴求力をもつ音楽は聴かずにはいられない。

1977年に完成された《合奏協奏曲第1番》はシュニトケの作風を象徴する作品で、合奏協奏曲という曲名がまずバロック的だし、事実この作品は「2つのヴァイオリンとハープシコード、ピリペアード・ピアノと弦楽オーケストラのため」に書かれている。

といっても、単なるバロック期の合奏協奏曲のスタイルの模倣やコラージュではなく、合奏協奏曲の精神あるいは方法論を用いて新たに開拓・創造された20世紀の音楽としての主張と個性を持つ作品である。

全6楽章構成で、第2楽章はバロック的装いを見せるが、それも甘美な回想などではなく、現代の聴き手の経験と記憶とを一度振り出しに戻して、歴史の諸相を再体験していくかのような感慨に浸らせるものとなっている。

美しい憩い、対照的な熱狂、ペーソス、孤独といった感情が螺旋的に聴き手を襲い、逃れられなくしてしまう吸引力の強い音楽である。

クレーメルとグリンデンコはこの作品の初演者だが、クレーメルはシュニトケ作品の紹介と普及とを彼の使命としたかのような演奏活動を続けてきた背景を誇っている。

クレーメルには現代の作曲家との交流と、その結果による作品、作曲家の紹介・復活という重要な仕事がある。

しかもそれは演奏家としてのクレーメルの抜群の再創造性や、音楽家としての力量と結びつくことで初めて可能になっている。

クレーメルが今度何を弾くか、あのクレーメルが今こんなものを演奏している、そのことがすなわち世界の音楽シーンの小さな事件となって積み重なっていった。

そこでは再現者=創造者としてのクレーメルの力が恐ろしいまでに発揮され、また、その成果が、やがて私たちの新しい音楽体験のひとつに変わった。

とくにシュニトケの場合、その作品の演奏者・紹介者としてギドン・クレーメルの名を落とすことは絶対にできない。

ここでの演奏も自ら積極的にラビリンスに分け入り、感動の種子を発掘しては聴き手に新しい音楽の未来を指し示そうとしている。

甘えや装飾など不要なものは一切削ぎ落していく演奏を聴いていると、楽器が闘うための武器となったかのような感銘すら与えられる。

シュニトケの登場によって、音楽は音楽であることを一度停止し、新たな意味と価値を深された表現行為に変質したと言いたくなるほどである。

第5楽章で懐かしいロンドが響いてくると、それだけで泣けてしまうから、シュニトケの技は老獪である。

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2015年10月01日


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チェコ・プラガからの新シリーズ、ジェヌイン・ステレオ・ラブの1枚で、ギドン・クレーメルが1974年から78年にかけて行った4回のプラハ・ライヴからの5曲が収録されている。

シューベルトの『華麗なロンド』とフランクのソナタは意外にも端正な演奏で、どちらもクレーメルの研ぎ澄まされた音楽的な造形美が明らかになっている。

フランクでは彼らしい思い切った激しい表現も随所で聴かれるが、渦巻くような情念の燻りというより、楽想にのめりこまない高踏的なアプローチによって、すっきりした明確な様式を感知させていて、師オイストラフの絶大な影響下にあったことが想像される。

一方ラヴェルのソナタの第2楽章は、おそらくアンコール・ピースとして演奏されたものと思われるが、もう少しブルースらしい熱っぽさと軽妙なノリがあってもいいと思う。

いずれもハイ・テンションのライヴだが、セッション録音となんら変わらない完成度の高い表現力は流石にクレーメルだ。

このCDで最も彼らしい音楽性が表れているのがバルトークのソナタ第2番だろう。

若かったクレーメルの野心的な選曲だが、民族的なモチーフから導かれる原初的なパワーの表出手段としての微分音やフラジオレットなどの技巧が必然性を帯びていて、ライヴにありがちな即興的な印象を与えない、かなり綿密にオーガナイズされた説得力のあるスケールの大きな演奏だ。

クレーメルのような個性派のヴァイオリニストには、彼に逼迫するだけの音楽性とテクニックを持ったピアニストが相応しいが、ここでのマイセンベルクのピアノも実に巧みで、ソロに敏感に呼応しながら堂々と自身の個性を主張している。

このアルバムの中でも両者の力量が最も良く示された、聴き応えのあるレパートリーと言えるだろう。

最後に置かれたシュニトケの『モズ・アート』は機知に富んだパロディー風のヴァイオリンのためのデュオで、エレナ・クレーメルが相手をつとめている愉快な小品だ。

演奏会場は総てがプラハ・ルドルフィヌムのドヴォルザーク・ホールで、チェコ・フィルのホームだけあって音響にも恵まれた極めて良好な音質が特徴で、若干客席からの雑音が入っているが、高度な鑑賞にも充分に堪え得るものだ。

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2014年08月19日


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本盤には、ブラームスのヴァイオリン協奏曲と二重協奏曲が収められているが、いずれも素晴らしい名演と高く評価したい。

本盤の演奏は1982年であるが、これはバーンスタインがウィーン・フィルを指揮してライヴ録音を行ったブラームスの交響曲全集とほぼ同時期のライヴ録音である。

バーンスタインの芸風は、1980年代になって大きく変容したと言えるのではないか。

かつてのニューヨーク・フィルの音楽監督時代には、いかにもヤンキー気質丸出しの爽快な演奏を行っていたが、1980年代に入ると、テンポは異常に遅くなるとともに、濃厚でなおかつ大仰な演奏をするようになった。

このような芸風にはうまく適合する楽曲とそうでない楽曲があり、マーラーの交響曲・歌曲やシューマンの交響曲・協奏曲などにおいては比類のない名演を成し遂げる反面、その他の作曲家による楽曲については、疑問符を付けざるを得ないような演奏も目白押しであったように思われる。

ブラームスの交響曲全集についても、どちらかと言えば疑問符を付けざるを得ない点も散見されたところであるが、ウィーン・フィルの懐の深い音色が演奏を浅薄なものに陥るのを避けるための大きな防波堤になり、少なくとも佳演との評価は可能な演奏に仕上がっていたと言える。

ところが、本盤のヴァイオリン協奏曲の演奏においては、交響曲全集で聴かれた、極めて遅いテンポ、粘ったような曲想の進行、濃厚さの極みとも言うべき表情過多な表現などを駆使したバーンスタインの晩年の芸風が緩和され、いい意味での剛柔のバランスのとれた演奏を行っていると言えるところだ。

これには、クレーメルの清新とも言うべき現代的なセンスに満ち溢れたヴァイオリン演奏を尊重した結果によるところが大きいと言えるのではないだろうか。

クレーメルは、本演奏においてヴァイオリンを意図的に歌わせずに、あたかもピリオド奏法を思わせるような奏法を行っているが、かかる演奏は、1982年の演奏としては極めて斬新というほかはないと言えるだろう。

第1楽章のカデンツァにマックス・レーガーの作品を使用しているのも、いかにもクレーメルならではの現代的なセンスの表れとして評価したい。

このようなクレーメルの斬新とも言うべきヴァイオリン演奏を尊重するとともに、引き立て役に徹した結果として、バーンスタイン&ウィーン・フィルの演奏も、いわゆる中庸の美徳を備えた演奏に落ち着いたと言えるのはないかと考えられるところだ。

もちろん、そうは言っても、演奏の随所においては、バーンスタインがマーラーの交響曲の演奏で垣間見せるヒューマニティ溢れる熱き心で満たされていると言えるところであり、ウィーン・フィルによる美演ともども、クレーメルのとかく無慈悲で冷たくなりがちなヴァイオリン演奏に、適度の潤いと温もりを付加するのに大きく貢献しているのを忘れてはならない。

いずれにしても、本演奏は、クレーメルによる現代的なセンスに満ち溢れた斬新なヴァイオリン演奏、そしてバーンスタイン&ウィーン・フィルによる人間的な温もりのある美演が見事に融合した素晴らしい名演に仕上がっていると高く評価したい。

他方、二重協奏曲は、マイスキーの雄弁で人間味溢れるチェロ演奏が加わるとともに、クレーメルがマイスキーのチェロ演奏に合わせることによって自らの個性を若干なりとも抑制したヴァイオリン演奏を行っていることから、ヴァイオリン協奏曲と比較すると、前述のようなバーンスタインの晩年の芸風がより色濃く反映された演奏に仕上がっていると言えるところだ。

したがって、バーンスタインの体臭がふんぷんとしている演奏とも言えるところであり、これは好き嫌いが明確に分かれる演奏であるとも言えるのかもしれない。

もっとも、ウィーン・フィルによる懐の深い美演が演奏全体に適度の潤いを与えているのを忘れてはならないところであり、マイスキーやクレーメルの渾身の名演奏も踏まえて総合的に勘案すれば、本演奏を素晴らしい名演と評価するのにいささかも躊躇するものではない。

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2012年10月19日


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モーツァルトのヴァイオリン協奏曲はいずれも若書きの作品であり、例えばピアノ協奏曲などと比べると魅力が劣り、むしろ偽作と言われる第6番や第7番の方に軍配があがるほどであるが、今から20年以上も前に録音されたクレーメルとアーノンクールの組み合わせによる全集は、斬新な解釈によって、モーツァルトのヴァイオリン協奏曲の隠れた魅力を再認識させた画期的な名演であった。

ただ、クレーメルのヴァイオリンも十分に個性的ではあったが、アーノンクールの冷徹なアプローチが際立っている点もあり、両者の共同作業という印象が強かった。

現に、本盤のライナーノーツにおいても、クレーメルは、旧録音について、モーツァルトのヴァイオリン協奏曲の魅力を教示してくれたアーノンクールへの感謝を述べている。

この旧録音に対して、本盤は、クレーメルの個性が前面に出た名演と言える。

クレーメルのヴァイオリンが雄弁に語りかけてくるかのような弾き方にも好感がもてる。

今回はアーノンクールがいないのでクレーメル一人が全体を差配するわけだが、楽器はモダンでも十分にピリオド・スタイルを踏まえており、シャープかつ柔軟ないつもの美音も、もちろん健在。

弾き慣れのせいか、番号を追うごとにクレーメル色が強くなり、結局、第5番が最も個性的な出来映えで、爽やかな清涼水のような演奏だ。

クレメラータ・パルティカも実にソフトで優美な演奏を繰り広げているが、こうしたバックのソフトな下支えが功を奏して、クレーメルの決して甘くはならない冷徹で精緻なアプローチが一段と際立つことになっている。

室内楽のような雰囲気のなかで奏でられてゆくモーツァルトだが、これはこれで良いのではないだろうか。

まさに、クレーメルのこの20年以上にもわたる円熟を俯瞰させる渾身の名演と高く評価したい。

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2011年04月06日


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精神に異常をきたしたといわれてきた頃のシューマンの作品2曲。

破目こそはずしていないが奔放な演奏である。

この2人のコンビならば、摩擦係数の高い過剰気味の演奏になると思われたが、きわめてリリカルな表現で、シューマン自身言うところのフローレスターンとオイゼービウスの対立的な気質のうち、内的なやさしい夢想に耽るオイゼーピウスが主導する。

しかも彼の晩年の作品に特有な狂気をはらんだほの暗い情念が、きわめて明晰な隈どりを得て、全体はわかりやすく軽快に展開してゆく。

そしてこの欝然とした音楽がほとんどおだやかで愉悦的にさえ聴こえる。

シューマンはそのような方向で作曲の筆を進めようとしながら、自分では抑えられぬ内面の暗い衝動に妨げられ、それが果たせなかったと思われる。

そんな想いを深く鋭く洞察したかのような演奏だ。

わりあい有名な第1番は、最初から情熱をほとばしらせ気迫に満ちているが、そこにロマン派特有の慰めや憧れに似たものもある。

規模の大きい、完成度の点ではより高い第2番がとくに素晴らしく、熱気を見せているものの、もっと多様性を打ち出した演奏だ。

ここからは、精神の弛緩や狂気などよりも、むしろ天才的な音楽家の孤独の叫びや訴え、感傷、気負いが、聴く者のハートに直接飛び込んでくる。

2人とも技巧的に抜群なのはいうまでもないが、それだけに頼らず、シューマンの本質をとらえながら、現代的なスタイルの演奏を成功させている。

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2010年12月08日


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クレーメルとアルゲリッチが生み出した、この名コンビの絶品。

アルゲリッチのピアノが本当に素晴らしい。それにもましてクレーメルが!という、何とも凄い、空前の、お化けのような二重奏。

一切の余計な思い入れを排した、研ぎ澄まされたクレーメルのクールな音楽性と、アルゲリッチのたぎるような眼差しをもったホットな表情が、稀に見るスリリングな世界へと止揚され、それがまたプロコフィエフという作曲家の複雑な音楽の質と最高に一致を見せている。

ここには、自分たちの差異をしっかり認識した上で深い共感を獲得した、本物の相互理解に基づく真の意味での室内楽の極致が示されている。

特にクレーメルの表現に、従来の尖鋭で透徹した表情に加えて、音色的にも表現的にも、より一層大きく包み込むような懐の深さが加わっているのが印象的である。

第1番だけでも聴く意味がある。

もっとも、こういう暗く重い音楽を聴くのを好むのはどうかと考える必要はありそう。

とはいえ、クレーメルとアルゲリッチが正面からぶつかりあうところなど、実にスリリングで気迫いっぱいだから、そういう演奏の素材としてのプロコフィエフ、みたいに感じられてしまうのは事実で、それが良いか悪いかはともかく、並の演奏、並のCDでは絶対ないわけだ。

ここでぶつかったかと思うと、次には親しく語り合い、というピアノとヴァイオリンの関係の急変ばかり聴いてしまうのはいかがなものか、と思いつつ、やっぱりそういう演奏の白熱の中からプロコフィエフの音楽はちゃんと浮かび上がってくるのだろう。

これ以上の演奏はほとんど考えられないほどで、誰も真似できないし、真似してはいけない。

両者のリズム感の良さも特筆しておきたい。

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2010年09月23日


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クレーメルがメロディア盤(1975年)とフィリップス盤(1980年)の後に、およそ四半世紀を経て録音したバッハ。

技巧の難しさに加え、極度の精神集中を演奏家に要求するこれら6曲は、20世紀の独奏ヴァイオリニストたちの関心をずっとかき立ててきた。

だから20世紀後半に活躍したヴァイオリニストたちによる《無伴奏》の名盤は、決して少なくない。

しかし時代が下って現在活動中のヴァイオリニストたちは、先人たちが見せてくれたあの高度の精神集中とその持続を、どうも苦手にしているような印象を受ける。

例外がクレーメル。

研ぎ澄ました感性に基づく細心の声部処理は、見事としか言いようがないが、しかしここではデビュー当時の彼に時折見られた弱々しい表現は姿を消しており、気迫に富んだ演奏が味わえる。

伝統に甘んじることも、精神性を重んじただけの演奏でもない、常に音楽作品とじかに触れ合っているクレーメルらしいバッハだ。

ルーティンや伝統に安住せず、常に創造性豊かな活動を展開してきたクレーメルらしい解釈が示されている。

集中力も十分でときに激しい情熱を迸らせるが、同時に細部におけるニュアンスに富んだ音の運びなど繊細かつ個性的な表現も聴ける。

計算されたヴィブラートやイネガル的なリズム、変化に富んだデュナーミクや多様な色彩、ポリフォニックな横の流れ、ダンスの愉悦等ピリオド奏法の発想を柔軟に取り入れた上で、まったくクレーメルにしかないオリジナリティに富んだ演奏が展開される。

その結果、古楽器やモダンという楽器や様式の違いを超えて、豊かな内容を示しえた究極の名盤となった。

クレーメルが全力投球したディスク。

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2009年09月14日


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新手の必殺技で常に新風を送り込むクレーメルだが、異彩を放つ"裏技"を使ったのがこの演奏だ。

なんと言ってもカデンツァが目玉で、作曲者自身がピアノ協奏曲に編曲した版のカデンツァをそのまま下地に使ってしまうという"暴挙(快挙?)"に出た。

ピアノに加えティンパニまで登場する無類の面白さ!

しかしこれを取り込めるだけの進取の気性にとんだ表現解釈があってこその物種。

クレーメルはやはり奇才である。

クレーメルの3度目の録音で、その演奏は前2作以上に個性的であるとともに、表現の細部まで厳しく磨き抜かれており、リズムや強弱の変化が鮮やかなアーノンクールの指揮も、シャープに研ぎ澄まされたクレーメルのソロにふさわしい。

恰幅の良さや偉容を誇る演奏ではないが、緻密な音と引き締まった感覚で鋭利な表現を自在に織りなした演奏は、まことに彫り深く充実している。

クレーメルのソロはいっそう研ぎ澄まされ、変幻自在にベートーヴェンの音楽を歌い続けていく。

特に、ピアニッシモでの表現の冴えた美しさはクレーメルならではのもので、この演奏の印象をいっそう鮮烈にしている。

そうしたソロをしっかりと支えるとともに、時にはソロに挑発をしかけるのがアーノンクールの指揮である。

彼はここでもベートーヴェンを博物館的な古典ではなく、今日の聴き手に積極的なメッセージを発するアクチュアリティを持つ作品として扱っている。

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2009年09月01日


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クレーメルとムーティの初共演であった。

シベリウスでは、この曲のもつクールな透明感がクレーメルにぴったりだ。

たとえば第1楽章冒頭などは楽譜の指定を無視して最弱奏で登場し、北欧に吹く風のようにいじらしく打ち震えて聴く者の心に触れてくる。

表情豊かなルバートや訴えるポルタメント、第2楽章コーダでの静かな瞑想も忘れ難い。

シューマンも反ロマン風だが決して冷たくならない。第1楽章の楚々とした虚無感などいかにもクレーメルらしい。

この協奏曲はシューマンが精神に変調をきたした時期に作曲された。

そのため妻のクララや、友人の大ヴァイオリニスト、ヨアヒムは、この作品を欠陥だらけと見なして、出版と演奏を禁じてしまった。

確かにここにはシューマン特有の過剰と短絡が際立っているものの、他にない独自の楽想がほとばしっている。

それは誰もまだ覗いたことのない狂気と境を接する深層心理の世界で、当時の人々がそれから眼をそむけたかった理由もわからないではない。

この危険な領域に果敢に切り込んでいるのがクレーメルの演奏。

彼は2度この曲を録音しているが、シューマンの苦悶の深さとそれからの救済を求める切実さという点で、この演奏が優っている。

ややシューマンのもつ甘いロマンティシズムからははずれた表現だが、この曲のもつ技巧的で、どっしりとした感じをよくあらわした演奏である。

ムーティの棒も、冴えわたっている。

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2009年05月23日


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異色の組み合わせだが、結果は大成功である。

2人のテクニックがすぐれているばかりでなく、デリケートなニュアンスを要求する部分でも万全の構えである。

クレーメルとアルゲリッチはデビュー当時から、すこぶる個性的な表現で知られ、それによって聴き手を魅了し続けてきた。

大胆と情熱のアルゲリッチに対し、繊細と鋭敏のクレーメル。こんな風にその芸風は大きく異なっている。

だから2人の共演は、激しい緊張を生むことが予期された。

拮抗する2人の独奏家が繰り広げる名技は、スマートで精妙、優れて知的なベートーヴェンに欠かせない強靭な求心力と集中力も必要にして充分なものであり、聴き手を惹きつけた。

前者はクレーメルのリードする力がより強く、後者はアルゲリッチのリードする力がより強く作用したのではないか。

強烈な個性の持ち主である2人が、違いを超えて音楽的調和を手に入れるべく協力し、それを実現するのは、大きな楽しみ、大きな悦びであった。

2人の独奏家の個性が強ければ強いだけ、実現された調和は密度が濃く感じられる。

当盤がまさにそう。

ヴァイオリニストが格上、ピアニストが格下の関係では、こんな演奏は望めない。

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2009年04月16日


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全6曲をきわめて集中力の強い演奏で弾き上げているのはクレーメルである。

シゲティの"精神"的な演奏や、シェリングの端正だが気迫のこもった名演のあとで、底知れぬスケールの大きさを感じさせたのがクレーメル盤であった。

クレーメルはヴァイオリン的とか美感とか、感覚的な享楽性を完全に排除して、ただひたすらバッハの作品を完璧に忠実に再現しようと心掛けた、現代の演奏家の良心のようなものを感じさせる。

技術的にはまったく完璧そのもので、これほど非情に弾き上げられた例は、前代未聞といえるだろう。

抜群のテクニックで、これらの技巧的な作品にみなぎる劇的な性格を、独自の創造精神であらわした演奏で、各曲を、鋭く、激しく、あざやかに弾きわけながら、豪快で、かつ、緊迫した音楽をつくりあげている。

ここでのクレーメルは、かつてないほど激しく鋭角的な表現を目指す。ここまで気迫がこもっているのは、クレーメルの覚悟の大きさを思わせる。

肉を切らせて骨を切るといった、武道の奥義といった風情すら窺える。

それは3曲のソナタによく表れており、特にフーガ楽章、最終楽章での気迫の充実が注意をひく。

超人的な技術を必要とするフーガがことにすばらしく、難しい三重音や四重音を楽々とこなしている。

またパルティータでは、さまざまなリズムをもった各舞曲を、メリハリをきちっとつけながら弾きあげていて、見事だ。

クレーメルの演奏を聴いていると、ヴァイオリンの演奏を聴くのではなく、音楽そのものを味わう気になってくるから不思議である。

パルティータ第2番終曲のシャコンヌは、極めて構造的な解釈と演奏で、楽譜を依りどころとして鮮やかに鳴り響いており、その鋭利な演奏は言語に絶する凄絶ささえ感じられる。

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2008年10月13日


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きわめて異質と思われるクレーメルとアーノンクールだが、解釈については意外なほど多くの接点を持っている。

クレーメルが「アーノンクールによって、正統的な解釈の面白さや大切さに開眼させられた」と語っているように、現代楽器によりながら、モーツァルトのユニークな劇的起伏を見事に再現した聴きものである。

一から十までアーノンクール色の強いモーツァルトだが、曲想とマッチしているせいか違和感を与えない。

第1番は、弦の音色が何とも鮮やかでフレッシュ、それにバロック風のホルンが加わり、音楽は驚くほど生き生きとモーツァルトの呼吸を刻み、切れ味鋭く進行する。

第2番の冒頭から、アーノンクールのリズムとアーティキュレーションは、意識してレガートを避け、あらゆる点で明確な表現を意図している。

クレーメルの演奏も、モーツァルトの演奏から純粋な音以外の一切を拒否しようとするかのような厳しい姿勢を見せる。

第3番はさながら新ウィーン楽派のモーツァルトで、クレーメルの神経が透けて見えるようだ。

第4番はさらに見事で、単に面白いだけに終わらず、立派な芸術の高みに達している。

第5番がことのほか素晴らしい。これほど抽象的な演奏も珍しいが、そのままの形でモーツァルトを伝えてくれる。

協奏交響曲はアーノンクールが主導権を握り、2人のソリストもチームの一員として組み入れられ、そのまとまりも見事だし、モーツァルトの魅力のすべてが示されている。

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2008年05月02日


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ベートーヴェンでのクレーメルの音色はこの上なく艶やかで、時には耽美的であり、そのフレージングは極めてなよやか、かつ自在、それらが最高のテクニックの裏づけを伴って最も敏感でデリケートな表現を生む。

ベートーヴェンの精神的な深さを抉るよりは、聴く者の感覚をくすぐる演奏といえよう。

マリナーの伴奏はオーソドックスで真摯な指揮ぶり。

ベルクは生誕100年を記念しての録音。

クレーメル、デイヴィス共に初のベルクだった。

クレーメルの引き締まった音は、厳しい精神と結びついて演奏に粛然とした雰囲気をもたらす。

しかし、その響きは決して刺激的なものではなく、すっきりとしたスタイルを保ちつつ表情は豊かである。

ベルクの音楽がもつ性格とよくマッチした演奏といえよう。

ことに少女マノンの苦悩と死を描いたといわれる、第2楽章の表現が絶品で、悲劇的な内容を深々と表現しているところがすばらしい。

デイヴィスの指揮も同様に引き締まった音でしなやかに演奏し、音楽に美しさを与えている。

すべてのパートが明快で、フォルテの響きも決して重くならない。

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2007年11月08日


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11月18日(日)に横浜みなとみらいであるコンサートに友人から呼はれている。ギドン・クレーメルがまたやってくるのだ。そして今度の曲目はシュニトケやピアソラではなく、ブラームスとフランクのヴァイオリン・ソナタである。

しかも、ピアノはクリスティアン・ツィマーマン!これは期待が高まる。ひょっとしたら今年来日した演奏会の中で最も聴きものではないか。このライヴの感想については後のブログで述べる予定。お楽しみに。

久し振りの上京だ。朝一の飛行機で羽田空港に向かう。そして、大学時代フルトヴェングラー研究会のメンバーの友人宅で観賞会をした後、コンサート会場へ。終了後は中華街で語り合うつもりだ。

ここでその二人の推薦盤をあげておきたい。

まずクレーメルは現代音楽ではなく、ブラームスのコンチェルト。それも複数あるなかのバーンスタインと共演したものだ。

クレーメルはここでもきわめて感性が鋭く繊細であり、知的な音楽づくりが聴きもの。すこぶる現代的なセンスにあふれているところがよい。情熱的なバーンスタインと不思議に溶け合っている。ことにヴァイオリンとオーケストラがわたりあう第3楽章はすごい(特に冒頭)。

ツィマーマンはショパンのコンチェルトが大胆きわまりない濃厚な表現によって話題になったが、ここではもっと若い頃カラヤンと共演したグリーグのコンチェルトを推したい。その若々しくロマンティックな表現には魅せられる。

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classicalmusic

早稲田大学文学部哲学科卒業。元早大フルトヴェングラー研究会幹事長。幹事長時代サークルを大学公認サークルに昇格させた。クラシック音楽CD保有数は数えきれないほど。いわゆる名曲名盤はほとんど所有。秘蔵ディスク、正規のCDから得られぬ一期一会的海賊盤なども多数保有。毎日造詣を深めることに腐心し、このブログを通じていかにクラシック音楽の真髄を多くの方々に広めてゆくかということに使命を感じて活動中。

よろしくお願いします(__)
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