シューリヒト

2016年01月23日


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ドイツの名指揮者、カール・シューリヒトがコンサート・ホール・ソサエティに残した録音を集成した10枚組BOX。

かつてDENONからCD15枚出されていたのだが、それを全部復刻しているわけではなく、権利の関係が絡んでいるのか、いくつかの録音が欠けているのが残念だが、リマスタリングによって蘇った冴え冴えとした音質がそれらを補って余りあると言えよう。

<Disc 1>ブル7はACCディスク大賞を受賞した名盤として知られているものだが、シューリヒトの演奏は、ブルックナーの本質を衝いた表現で、冒頭からこの指揮者特有の高雅な音楽性に引き込まれる。

その孤高の美と枯淡に通じる味わいの深さは、他の指揮者には求められないもので、ブルックナーの音楽美と内面性をこれほど端正に示した演奏も少ないだろう。

ハーグ・フィルも親密なアンサンブルでこれに応えていて、まさに傑作である。

<Disc 2>シューリヒトは、いたずらに小細工をせず、どの作品にも常に真正面から取り組んだ指揮者で、卓越した構成力には定評があった。

このワーグナーにはそうした彼の真価が如実に示されており、4曲とも造形のしっかりとした風格のある演奏だ。

やや淡泊な表現だが、次第に音楽を高潮させていつのまにか聴き手の心を魅了してしまうあたり、シューリヒトならではの見事な手腕である。

<Disc 3>「ライン」は冒頭から著しく感興の高ぶった表現で、シューリヒトとしては極めて情熱的な演奏だ。

弦合奏の立体的な処理や、歌の抑揚に巨匠的風格があり、優れた音楽であるのは間違いないが、南ドイツ放送響の技術がいまひとつ。

「マンフレッド」序曲は「ライン」よりも一段と優れており、作品の悲愴美と劇性、古典的様式を満足させた表現だ。

シューリヒトはウィーンで最も愛された指揮者のひとりだが、このシュトラウス鏡い留藾佞砲蓮⇔篭さと同時にある種の緊張感がある。

いわゆるウィーン的情緒を持った演奏ではないが、その骨格のしっかりした音楽の中には決して情緒が薄れたところはなく、ワルツやポルカの中に、単なる舞曲で終わらない何かがあることを示しているかのようだ。

<Disc 4>「ザ・グレイト」における南ドイツ放送響はアンサンブルが粗く、響きも磨かれているとは言えないが、演奏にはシューリヒトの音楽性が端的に示され、極めて率直かつ素朴、その中に一種の武骨さがあるのが、老巨匠の風格であり、シューリヒトらしいところだ。

<Disc 5>ヘンデルの合奏協奏曲集は、個性的な名演で、シューリヒトのスタイルは純音楽美の中に濃い人間味を漂わせたもので、まさに熾烈な精神の発露であり、即興的で痛切な命を実感させる。

厳しい鋭さと内容をたっぷり含んだ深い思索が素晴らしく、時には極めて優しいメルヘンのような表情さえ見せ、この指揮者の人間的な音楽性が窺えるのも興味深い。

<Disc 6>ブラ4は、シューリヒトのディスク中、1,2を争う名演で、彼は、ブラームスの晩年の諦観と孤独とロマンをことごとく表現しており、しかも作品のもつ古典的様式からもはずれることがない。

とくに第2楽章の端正で豊かな表現は実に魅力的で、バイエルン放送響も入念な表情と深い陰影をもって演奏している。

悲劇的序曲も凄い気迫をもった快演で、ハイドンの主題による変奏曲も、独自の様式と美感に支えられた秀演として、長く記憶に残したい演奏だ。

<Disc 7>シューリヒトのモーツァルトは、厳しい造形の中から精彩に満ちた生命力を表した、これこそ本当の音楽と言えるものだ。

3曲ともに率直な解釈で、さすがに大きな風格があり、一流とは言えないパリ・オペラ座のオーケストラから、堂々とした生命力豊かな音楽を引き出している。

とくに「プラハ」は香り高く、シューリヒトの気品高い表現は、今も存在価値を失わないと言えるが、これでオケがもっと良質なら、と惜しまれる。

<Disc 8><Disc 9>ブランデンブルク協奏曲全集は、シューリヒトの最後の録音であり、1967年度のACC大賞受賞盤。

自然で、しかも豊かな音楽性を反映した演奏で、シューリヒトの知的で洗練された個性はこの「ブランデンブルク」でも明らかだ。

音楽の流れは極めて自然で、明るい情感を兼ね備えているが、彼の音楽性は目立たないようでいて音楽のすみずみまで浸透し、それがいぶし銀のように底光りする魅力を生み出している。

チューリヒ・バロック合奏団は、シューリヒトの解釈を反映しながらも、自発性に溢れた見事な演奏だ。

ここで素晴らしいのは第1番で、素朴な解釈の中に、活気と楽しさと厳しさが共存した実に立派な音楽を作っており、ホリガーのオーボエも美しい。

第2番の天衣無縫な活気も印象的で、全体にシューリヒトの音楽性が溢れ、名手を揃えたソリストたちも、自発性に満ちた演奏を聴かせて、貴重な遺産と言える名盤だ。

<Disc 10>シューリヒトのメンデルスゾーンの演奏には造形性の確かさとともに、色彩的な表現への感性のようなものが見られ、それがほどよいバランスで独自の表情を生み出している。

ロマンティックな雰囲気にはやや欠けるものの、大指揮者の生命感が溢れた好演であり、この録音は彼が80歳に達してからの演奏と思えないほどの、若々しさや生き生きとした感覚に満ちている。

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2015年05月23日


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1955年2月5日 シャンゼリゼ劇場、パリに於けるライヴ録音。

シューリヒトは、颯爽としたインテンポの下、繊細なニュアンスを随所にちりばめるという、言わば渋くて、枯淡の境地を垣間見せるような名演を繰り広げた指揮者だと思っていた。

しかし、それは、録音状態のいい名演が1960年代の晩年に集中していることによるものであり、1950年代半ばにフランスのオーケストラと繰り広げた演奏によって、そのような印象が見事に覆ってしまった。

巨匠シューリヒトの芸風は飄々とか軽やかという言葉で片付けられがちだが、本盤ではどの曲でも実に豪快そのもので、恐ろしく大胆な変化を平気で繰り広げる激しい指揮者だったということが分かる。

先ず、シューリヒトの遺した、これは最高の「エロイカ」だ。

シューリヒトの天才ぶりが随所に綺羅星の如く輝いており、期待通りの気迫充分の名演で、シューリヒトらしく速めのテンポでストレートに推進してゆくが、細部にまで神経が行き届いており、微妙な表情の変化を楽しめるのはこの指揮者ならではの魅力であり、全ての音が生命感に溢れている。

冒頭の2つの和音が実に濃密な音で、いつものシューリヒトならではの颯爽としたインテンポで演奏するかと思いきや、随所においてテンポに絶妙の変化を加え、金管の最強奏による強調があったり、急速なアッチェレランドがかかったりと決して一筋縄ではいかない。

内声部は先の演奏を予告するように意味深な動きをしており、そしてまぶしく輝くようなスフォルツァンドを聴いたときにはもう演奏の虜になっている。

第2楽章は一転、ゆったりとしたテンポで格調高く旋律を歌いあげ、素晴らしい表現力を発揮している。

颯爽たるテンポによる第3楽章を経て、終楽章はロンド形式による変転の激しい各場面を目もくらむような面白さで巧みに描き分けている。

シューリヒトはこの作品を完全に手中に収めた自信に満ちており、シューリヒトの「エロイカ」の中でも最も強い感銘を受け、本当に凄いと思った。

比較的速いテンポ設定で一気呵成に駆け抜けて行く、という側面もあるが、1つ1つの音に生命が吹き込まれ、凡庸に流れて行くところは皆無である。

折り目正しくも、僅かにテンポを揺らしながら、聴く者の脳裏に音符を刻み込んで行く。

ライヴならではの瑕疵も若干見受けられるが、これは名演の代償の類と言えるものであり、この演奏のマイナス要素とは一切なっていない。

やはりシューリヒトは凄い才能の指揮者であり、フランス国立管弦楽団もシューリヒトの指揮に必死に食らい付き、フランスのオケ独特の音色がシューリヒトの芸風とマッチしており、実に魅惑的なサウンドを引き出している。

まさに圧倒的な名演と言っても過言ではないものであり、巨匠シューリヒトならではの至芸を味わえる1枚だと思う。

モーツァルトは、颯爽としたテンポの中で繊細な抒情を垣間見せるなど内容の濃い佳演となっており、フェラスのヴァイオリンも実に美しい。

悲劇的序曲は、あまりにも音の状態がよくなく、コメントは差し控えたい。

本盤のライナーは平林氏が執筆しているが、シューリヒトの過去の演奏との対比を行うなど実に充実した内容となっており、これを読むだけでも本盤は相当な価値があると言えるだろう。

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2015年05月21日


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シューリヒトのブルックナーの「第7」と言えば、ハーグ・フィルとのステレオ録音盤が名演として誉れ高い。

確かに、ハーグ盤は、シューリヒトの晩年の枯淡の境地を示すいぶし銀の名演であるが、オーケストラがきわめて非力という欠点があり、音質もやや冴えない。

シューリヒトが遺した同曲の録音で、筆者の手元にあるディスクでは、古いところではベルリン・フィルとのスタジオ録音(1938年)、そして1950年代でシュトゥットガルト放送響とのライヴ録音(1953年)、北ドイツ放送響とのライヴ録音(1954年)、本盤に収められたコンセール・コロンヌ管とのライヴ録音(1956年)、フランス国立管とのライヴ録音(1963年)、そしてハーグ・フィルとのスタジオ録音(1964年)が現時点で存在する。

筆者もその全てを聴いてみたが、特に本盤を含め特に1950年代のライヴ録音とハーグ盤とは全く演奏の性格が異なるのに大変驚いた次第である。

“端麗辛口”、これがこの指揮者の一般的な認識であったし、筆者個人の見解も同様であった。

しかし、最近になってゾロゾロと出てくるシューリヒトのライヴ録音には恐ろしく大胆で濃厚な演奏も多く、「この指揮者は一体何なのだ」というのが最近の印象だ。

このようにシューリヒトの演奏がライヴとスタジオ録音で別人のように異なる場合があるのが知られてきたわけだが、珍しくコンセール・コロンヌ管弦楽団に客演したこのブルックナーは、この指揮者のライヴのなかでも燃焼度の高い演奏である。

卓越したリハーサル術と指揮法によって、様々なオーケストラと素晴らしく息の合った演奏を聴かせたシューリヒトだけに、ここでの成果も見事なもので、ハーグ盤とはまた違った魅力を放っていて感動的だ。

ここでの演奏は、コンセール・コロンヌの独特の音色を生かして、実演ならではの濃やかなアゴーギクと思い切った表情付けを施したものである。

第1楽章のラストの圧倒的な盛り上がり、第2楽章のむせ返るような抒情の嵐、第3楽章の快速のスケルツォを経て、終楽章の緩急自在のテンポの変化を駆使した劇的な大演奏。

このようなドラマティックな演奏は、ブルックナー演奏としてはいささか禁じ手とも言えるが、シューリヒトの場合には全く違和感がなく、ブルックナーとの抜群の相性を感じるとともに、シューリヒトのブルックナーの本質への理解の確かさを感じざるを得ない。

そのエネルギーが尋常ではないのだが、決して破れかぶれではなく、常に頭脳は明晰に冴え渡っており、音楽の運びは理知的で、道を踏み間違えるときがない。

弦のボーイングにも工夫の跡が聴かれるアクセントで、要所をピタリと止めて輪郭をくっきりさせながら上り詰める自然な高揚感と、鳴り切っても細部が明瞭で濁りがない音は、シューリヒトならではのもので、特にこんな個性的な第2楽章はシューリヒトでなければ成し得ないものだろう。

シューリヒトの個性が存分に発揮されているだけでなく、この曲のあらゆる演奏の中でも異彩を放つ名演として記憶されるだろう。

重量感を伴った硬質なブルックナー演奏については好き嫌いがあるかもしれないが、ここでもシューリヒトは自らの主張を貫き、この組み合わせでなければ実現できない一期一会の演奏を実現している。

コンセール・コロンヌ管弦楽団もシューリヒトの確かな統率の下、鬼気迫る大熱演を繰り広げている。

音質も鮮明で細部の動きを明確にとらえており実に面白く、第3楽章の冒頭などデッドな響きも散見されるが、全体として生々しさがあり、この当時のライヴとしては、十分に満足できる水準だと言える。

ライナーの平林氏の解説も、いつもながら実に充実した内容であり、素晴らしい。

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2015年05月19日


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シューリヒトが最晩年にウィーン・フィルとともにスタジオ録音したブルックナーの交響曲第8番(1963年)と第9番(1961年)は、音楽評論家を含め多くのクラシック音楽ファンに支持されている不朽の名盤とされている。

1960年代前半という時期を考えると、ブルックナーの交響曲については、いまだ改訂版を使用した演奏が跋扈するとともに、ヨッフムが最初の全集を録音している最中であり、ましてや朝比奈やヴァントなどは箸にも棒にもかからない若造。

その意味では、当時においては本演奏は画期的な名演であったことが十分に理解できるところだ。

このうち、第8番については、近年のヴァントや朝比奈などによって確立された悠揚迫らぬインテンポによる演奏とはかなり様相が異なった演奏であり、速めのテンポと、随所においてアッチェレランドも含むテンポの振幅も厭わないなど、むしろドラマティックな演奏に仕上がっている。

ブラスセクションによる最強奏も圧巻の迫力を誇っているが、無機的な音は皆無であり、常に懐の深い音色に包まれているのは見事である。

そして、これほどの劇的とも言うべき豪演を行っているにもかかわらず、演奏全体の造型がきわめて引き締まったものとなり、いわゆるブルックナーらしさをいささかも失うことがないというのは、巨匠シューリヒトだけに可能な圧巻の至芸であるとともに、シューリヒトがブルックナーの本質をしっかりと鷲掴みにしているからにほかならない。

そして、このような荒ぶるような豪演に適度の温もりと潤いを付加しているのが、ウィーン・フィルによる美しさの極みとも言うべき名演奏である。

シューリヒトを深く敬愛していたとされるウィーン・フィルであるが、本演奏においてもシューリヒトの指揮に見事に応えて、持ち得る実力を最大限に発揮した渾身の熱演を展開しているのが素晴らしい。

これに対して、第9番については、悠揚迫らぬインテンポを基調とした演奏を行っている。

ブラスセクション、とりわけホルンの朗々たる奥行きのある響きの美しさは、これぞブルックナーとも言うべき崇高な美しさを誇っており、まさにウィーン・フィルによる美演を最大限に生かした神々しいまでの本演奏は、シューリヒトとしても最晩年になって漸く到達し得た至高・至純の境地に達したものとも言えるのかもしれない。

各フレーズに込められたニュアンスの豊かさには尋常ならざるものがあるとともに、その端々から漂ってくる豊かな情感には、最晩年の巨匠シューリヒトならではの枯淡の境地さえ感じさせ、演奏の神々しいまでの奥行きの深さには抗し難い魅力がある。

第3楽章においては、もう少しスケールの雄大さが欲しい気もするが、第1楽章と第2楽章については文句のつけようがない完全無欠の崇高の極みとも言うべき名演奏であると言えるところであり、後年のヴァントや朝比奈と言えども、第1楽章と第2楽章に限っては、本演奏と同格の演奏を成し遂げるのが精一杯であったと言っても過言ではあるまい。

いずれにしても、本演奏は、シューリヒトのブルックナーの交響曲の演奏でも最高峰の名演であるとともに、ブルックナーの交響曲第9番の演奏史上でも、現在においてもなおトップの座を争う至高の名演と高く評価したいと考える。

音質については、先般、待望のSACD化が行われることによって、見違えるような鮮明な音質に生まれ変わったところだ。

音質の鮮明さ、音場の幅広さ、そして音圧のいずれをとっても一級品の仕上がりであり、あらためてSACDの潜在能力の高さを思い知った次第である。

いずれにしても、シューリヒト&ウィーン・フィルによる素晴らしい名演を、SACDによる高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したいと考える。

そして今般、第8番と第9番がセットで、しかも低廉に入手できる運びとなったことは慶賀の念に堪えない。

ネット配信が隆盛を極める中で、パッケージメディアの最後の砦はSACD盤であると考えられるところであり、通常CD盤と同じ位の価格で購入できる時代が漸く到来したのである。

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2015年05月01日


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1955年秋、モントルー音楽祭での実演録音で、シューリヒト絶頂期の姿が刻み込まれている貴重なディスク。

ハイドンの第104番「ロンドン」はロマンティックな表情が濃厚で、レア発売当時からその個性的な解釈が話題となったもので、星の数ほどあるハイドンのディスク中、間違いなく最上級を狙う演奏である。

少なくとも、筆者はハイドンと言わず、自分の知る全レコード中でもトップ10に入れたいほど愛好しており、聴いていて、こんなに幸せを感じるレコードは、それほど多くはない。

シューリヒトは、後年のモーツァルトの交響曲やブルックナーの交響曲第8番や第9番の名演から、颯爽としたインテンポを基調とする巨匠とのイメージがあるが、特に本盤に収められたハイドンの第104番は、そうしたイメージを覆すのに十分な、緩急自在の絶妙のテンポの変化を基調とする超名演だ。

ハイドンは、第1楽章の荘厳な序奏に引き続く主部の堂々たる歩み。

第2楽章は一転中庸のテンポとなるが、中間部はテンポを絶妙に変化させ、ハイドンの抒情豊かな名旋律を格調高く歌いあげている。

第3楽章は最強奏で開始するが、一瞬のゲネラルパウゼや中間部のややためらいがちなヴァイオリンの入り方の何という巧みさ。

終楽章はいつもの颯爽としたシューリヒトであるが、時折見せるテンポの変化も実に効果的だ。

どんなにロマンティックに歌っても清潔感を失うことがなく、ベートーヴェンの「田園」でも聴かせた「超レガート奏法」は、まったく浮き世を超越している。

シューマンの「第2」も、やや音質が落ちるものの、ハイドンと同様に、緩急自在のテンポを基調とした名演を繰り広げている。

第1楽章は、睡眠薬による白日夢のような序奏に始まるが、シューリヒトは我々を否応なしにシューマンの錯綜した精神の森へと誘う。

トランペットの調べが遠い叫び声のように響き、音楽は幾重にも重なった心の闇の中を進むのだが、シューリヒトの往く道は常に明るく照らされている。

第2楽章も精神的な闘争だが、まるで妖精たちの森へ迷い込んだような趣があり、第3楽章の歌もシューリヒト一流のロマンの衣裳を纏い、実に陶酔的である。

フィナーレは、心に悩みを抱きながら無理に笑っているような、ベートーヴェン的な勝利とは無縁の音楽であるが、シューリヒトは、シューマンの晦渋さを明快な音楽に翻訳して、我々を愉しませてくれるのである。

シューリヒトが素晴らしいのは、ハイドンにしてもシューマンにしても、テンポにいかなる変化を加えても、全体の造型にいささかの狂いもなく、しかも音楽の格調高さを失わないことであり、これこそがシューリヒトをしてドイツ音楽の正統派の巨匠として認知される所以なのだと思われる。

ブラームスのヴァイオリン協奏曲は、シェリングの独奏に合わせたせいか、テンポの変化は幾分控え目であるが、双方の渋い芸風がブラームスの楽曲に見事にコラボ。

シェリングの熾烈なまでの一途さと禁欲的な真摯さに打たれるし、格調高くぐいぐいと音楽を推進させる指揮者とあまりにも見事な独奏者のやりとりが、実に厳しく、そして美しい。

これこそ、ブラームスを聴く醍醐味と言える名演だ。

放送局音源だけに音質も優秀であり、レア当時より鮮明な音質でこれらの名演が充分堪能できるのがとても嬉しい。

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2015年03月10日


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シューリヒトのINA音源シリーズを聴き“本当に生きた音楽”に接したという感激で一杯になった。

その中でも特に本盤を最上としても差し支えなく、このような崇高にして感動的なマーラーの「第2」を前にしては、ただただ首を垂れるのみである。

シューリヒトは、特に晩年、ブルックナーにおいて神がかり的な名演を遺したせいか、ブルックナー指揮者のイメージがどうしても強いが、平林氏の丁寧なライナーを読むと、実は、マーラーを得意とした指揮者であったとのことである。

さらに、シューリヒトは1910年9月にミュンヘンでマーラー自身の指揮による交響曲第8番を聴き心から感銘を受けたとある。

しかも3年後にはその曲をホームグラウンドであるヴィースバーデンで自ら指揮したということである。

その他でも、シューリヒトには、コンセルトヘボウ管弦楽団を指揮した壮絶な「大地の歌」などもあり、マーラーの作品には深い思い入れがあるようだ。

本盤は、1958年の録音であるが、この時代には、マーラー指揮者として名を馳せたバーンスタインやショルティの全集なども完成しておらず、20世紀後半に訪れるマーラーブームなど予測できなかった時期である。

マーラー直系の弟子であるワルターやクレンペラーの演奏が幅を利かせた時代である。

このような時期に、メンゲルベルクは別格として、独墺系の指揮者がほとんど見向きもしなかったマーラーに果敢に挑戦したシューリヒトのマーラーへの深い愛着と、来るべき時代への先見性を高く評価するべきであろう。

この「第2」は、冒頭に記したように、マーラーを得意としたシューリヒトならではの崇高にして感動的な名演だ。

70代も半ばというのに満ち溢れんばかり情熱は驚異的であり、このシューリヒトの演奏は本当に心が躍るものである。

シューリヒトの指揮では、奏者が感情と理性とを生き生きとしかも惜しみなく発揮している感じがして、まるで清らかに迸る泉のようである。

どの楽章も聴きどころ満載であるが、特に、第2楽章の美しさなど出色で、何とロマンティックな演奏であろうか。

このような「第2」は初めて耳にするが、ブルックナーやベートーヴェンの演奏とも相通ずるものが感じられ、これこそまさにシューリヒトの至芸であろう。

第4、終楽章など、こんなに覇気があり、しかもしなやかな美しさに溢れた例は希有と言えよう。

特に、終楽章の合唱の高揚感は全身に震えが来るほどで、シューリヒトは合唱の扱いが本当に素晴らしいのであるが、そのよさがここでも十全に発揮されている。

終楽章の終結部の壮麗な合唱の直前に一瞬のゲネラルパウゼがあるが、これなども実に効果的だ。

こういうところを聴くにつけ、シューリヒトがいかにマーラーを愛し、深く理解していたのかがわかるというものだ。

マーラーを聴き込み、シューリヒトの他の演奏を聴き込んだリスナーには、大きな感動を味わえるのではなかろうか。

シューリヒトファンにとっても、単なる歴史的録音、資料的な価値にとどまらず、かけがえのない遺産と言っても過言ではない。

「さすらう若人の歌」も名演であり、録音も、1950年代後半のライヴ録音としては、かなり高いレベルにある。

この演奏とシュトゥットガルトのものは、颯爽としてどちらも楽しめるが、この盤は一層音質の抜けが良い。

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2015年01月19日


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シューリヒトの1930年代の代表的録音のひとつ。

放送録音を除くとこれがシューリヒトの初のブルックナー録音であった。

シューリヒトは1964年にハーグ・フィルとも録音したが、オケの演奏能力の低さやコンサート・ホール・レーベル特有の音質の低さが気になってしまう人もいるのではなかろうか。

それに対し当盤は、1938年と録音は一段と古いが、戦前にシューリヒトがしばしば客演したベルリン・フィルとの唯一のブルックナーの交響曲録音であり、それが残されていたことに深く感謝したいかけがえのないディスクである。

シューリヒトのブルックナーはそのどれもが格別の名演だが、戦前のベルリン・フィルのまろやかでブレンドのよいサウンドで綴られたこの第7番は、この指揮者ならではの悠然とした音楽の流れが絶品であるほか、渋く苦みばしった枯淡の表情もが独自の魅力を放っており、辛口の大人の味つけが聴き手を魅了する。

ハーグ・フィル盤とは基本的なスタンスは同じものの、微妙に表情の趣が異なる感じだ。

それはベルリン・フィルに良い意味での緊張感が漲り、普段よりさらなる透明感のある響きと密度の濃いニュアンスが醸し出されているからである。

ブルックナーを得意としていたシューリヒトの存在感と、誠実に音楽に奉仕する彼の棒が生み出した名演と言えようか。

録音はいかんせん古いが、最早そんなことは超越している。

否、このオーケストラであり、この録音だからこそ、シューリヒトとしても一期一会の素晴らしいブルックナーとなったのだと思う。

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2014年11月20日


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本盤には、シューリヒトが晩年にウィーン・フィルとともにスタジオ録音を行ったブルックナーの3曲の交響曲のうち第3番が収められているが(他は、第8番及び第9番)、久しぶりの発売であるとともに、待望のシングルレイヤーによるSACD化と言えるだろう。

というのも、第8番や第9番がシューリヒトの、引いてはそれぞれ両曲の演奏史上でも特筆すべき名演だけに、いささか影が薄い存在であるということもその理由に掲げられると言えるのかもしれない。

シューリヒトの死の2年前の録音ということもあり、第8番や第9番と比較すると、シューリヒトの統率力にいささか衰えが見られることに加えて、当時は一般的であった改訂版の使用も相俟って、大方の音楽評論家があまり芳しい評価をして来なかったという側面も否定できない。

しかしながら、果たして、そうした低評価だけで片付けられるような演奏と言えるのであろうか。

確かに、速めのテンポで燃え盛るようなドラマティックな生命力溢れる力演を聴かせてくれた第8番や、深沈たる彫りの深い表現を聴かせてくれた第9番の演奏と比較すると、いささか統率力が弱まり(ブラスセクションが荒削りになっている点において顕著)や彫りの深さに欠けた演奏とも言えるが、それでも巨匠シューリヒトならではの至芸は随所に表れているのではないかと考えられる。

演奏全体の引き締まった造型美には殆ど問題はないし、淡々と流れていく曲想の端々には、独特の奥深い情感が込められているのは、シューリヒトならではの指揮芸術の賜物と言えるところであり、死の2年前ということもあり、それはあたかも人生の辛酸を舐め尽くした巨匠の至純・至高の境地と言っても過言ではあるまい。

そして、本演奏の魅力は、何と言ってもウィーン・フィルによる美演であろう。

ウィーン・フィルはシューリヒトを崇敬していたとのことであるが、本演奏でも崇敬するシューリヒトを指揮台に頂き、渾身の名演奏を繰り広げている点を高く評価したい。

いずれにしても、本演奏は、シューリヒトのベストフォームにある演奏ではないことについては否定しないが、ウィーン・フィルの好パフォーマンスも相俟って、シューリヒトの最晩年の清澄な境地が表れた素晴らしい名演と評価するのにいささかも躊躇するものではない。

音質は、手元に第8番及び第9番と組み合わさったセット盤を所有しているが、当該従来CD盤が今一つ冴えない音質でやや問題があった。

第8番や第9番がHQCD化、ついでハイブリッドSACD化され、圧倒的な超高音質に生まれ変わったにもかかわらず、本演奏についてはHQCD化すら図られないのは実に不思議な気がしていたところだ。

ところが、今般、シングルレイヤーによるSACD盤が発売されるに及んで大変驚いた。

音質の鮮明さ、音圧、音場の幅広さのどれをとっても、従来CD盤とは段違いの素晴らしさであり、あらためて本演奏の魅力を窺い知ることが可能になるとともに、SACDの潜在能力の高さを思い知った次第だ。

いずれにしても、シューリヒトによる素晴らしい名演を超高音質のシングルレイヤーによるSACD盤で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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2014年07月03日


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本CDはシューリヒトがフランスで指揮した最後の演奏会の貴重な記録で、幸いにもステレオで残されていた。

1965年6月15日、パリ・シャンゼリゼ劇場でのライヴ録音であるが、スタジオ録音かと聴き間違うばかりの高音質で、しかもステレオ収録、と音質面では全くマイナス要素を感じさせないものとなっている。

当演奏の「第9」正規盤は初めてで、長年待ち望んでいたものである。

フルトヴェングラーのバイロイトの「第9」をはじめとして、この曲は名演揃いであるが、その中にこのシューリヒトのライヴ盤が加わったのは喜ばしい限りである。

この演奏は、とても端正なものとも言えるが、それでも情熱にあふれ、とても85歳の老指揮者によるものとは思えない素晴らしいものである。

比較的速いテンポ設定で一気呵成に駆け抜けて行く、という側面もあるが、一つ一つの音に生命が吹き込まれ、凡庸に流れて行くところは皆無である。

シューリヒトは時折、大胆なアゴーギクを用いて聴くものの度肝を抜くようなところがあったが、この演奏ではそういったところは皆無。

折り目正しくも、僅かにテンポを揺らしながら、聴く者の脳裏に音符を刻み込んで行く。

ライヴならではの瑕疵も若干見受けられるが、これは名演の代償の類と言えるものであり、この演奏のマイナス要素とは一切なっていない。

シューリヒトは、この演奏以後体調を崩したというが、消えゆくローソクが最後に明るく燃え上がったような感銘を受けた。

この演奏の素晴らしさを理解できない批評家は、木を見て森を見ていないと言わざるを得ない。

個人的にはシューリヒトの「第9」のベスト・パフォーマンスにしたい。

カップリングは同じくベートーヴェンの交響曲第1番で、この曲は当日の公演の前プロで演奏されたもの。

「第1」はかつて、ディスクモンテーニュ盤で聴くことができたが、こちらも素晴らしい演奏で、名演名盤が沢山あるが、この演奏もそれら名盤の列に加えても全く遜色の無い演奏内容となっている。

是非、一聴をお薦めしたい。

オリジナル・マスターから復刻されたのは今回が初めてであり、この2曲ともに正規のスタジオ録音並みの鮮明なステレオというのが何よりも嬉しい。

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2014年06月17日


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「第8」の演奏は、まったく奇跡的なものである。

速めのテンポこそ「第7」と共通するが、あの枯淡の境地とはまったく異なり、ここでのシューリヒトは全身を火の玉と化して、圧倒的なパワーで全曲を駆け抜ける。

第1楽章は、ひとつの細胞が誕生したように始まり、分裂と生成を繰り返しつつ、徐々に巨大な音楽に成長する。

第2楽章は、原始的な生命のリズムが鼓動し、第3楽章は天国の花園だ。

第4楽章は、疾風の勢いだ。

あたかも剣の達人が数百人の敵をなぎ倒しながら駆けるが如く。

そのエネルギーが尋常ではないのだが、決して破れかぶれではなく、常に頭脳は明晰に冴え渡っており、音楽の運びは理知的で、道を踏み間違えるときがない。

「第9」は美しい夕映えのような演奏である。

第1楽章の開始から、聴く者の魂は遥かな宇宙へと連れ去られる。

第2主題では、夕映えに照り映える水面のように、色と光を刻々と変化させ、この彼岸と此岸を行き来するような無常感は、ひとつの魂が赤々と燃えながら天に召されるようなコーダまで尽きることがない。

第2楽章は、厳しい精神の舞踏であり、第3楽章こそは、黄泉の国を逍遥する魂の歌だ。

ついに魂は、神と出会う。何という歓喜、何という安らぎ!

ブルックナーの死によって完成されなかったフィナーレでは、全能の神への賛美が、峻厳な対位法を伴って高らかに謳われるはずだったのだが……。

このような作品の本質を、これほど伝えてくれる演奏は他になく、今後もそう簡単には現れないだろう。

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2014年02月07日


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現在、シューリヒトがパリ音楽院管弦楽団を指揮してスタジオ録音したベートーヴェンの交響曲全集が廃盤なので、このMEMORIES盤は貴重である。

録音データは以下の通り。

交響曲第1番(ベルリン市立管=現ベルリン・ドイツ・オペラ管、1941年スタジオ録音)、交響曲第2番(スイス・ロマンド管、1957年ライヴ) 、交響曲第3番「英雄」(シュトウットガルト放送響、1952年2月29日ライヴ) 、交響曲第4番(ベルリン市立管=現ベルリン・ドイツ・オペラ管、1942年スタジオ録音) 、交響曲第5番「運命」(フランス国立放送響、1956年9月23日ライヴ) 、交響曲第6番「田園」(シュトウットガルト放送響、1957年2月14日ライヴ) 、交響曲第7番(ウィーン・フィル、1956年12月10日ライヴ) 、交響曲第8番(パリ音楽院管、1957年5月スタジオ録音) 、交響曲第9番(フランス国立放送響、1954年9月12日ライヴ)

巨匠シューリヒトの芸風は飄々とか軽やかという言葉で片付けられがちだが、この全集ではどの曲でも実に豪快そのもので、恐ろしく大胆な変化を平気で繰り広げる激しい指揮者だったということが分かる。

クリュイタンスと同行した戦後初のウィーン・フィルのアメリカ・ツアーに於ける「第7番」の熱狂(当時76歳!)、「第9」はモントルー・フェスティヴァルの凄絶なライヴで、第2楽章などトスカニーニを彷彿とさせる激しさだ。

また、パリで燃焼した「運命」など、特に奇数番号の交響曲にライヴの凄みが光っている。

しかしながら、バランスや表現が滅茶苦茶になることはなく、ベートーヴェンらしさが伝わってくる名演であると思う。

質量優れたオケのアンサンブルに支えられた充実した流れ、鋭敏なリズム、豊かなカンタービレ、広がる弦(大空に広がるが如き)、天界に舞う木管、感動的だ。

録音は生々しいながら部分的に不満もあるが、演奏は素晴らしい。

アポロンなベートーヴェンとはこのことで、パリッとした快速テンポのうちにもめらめらと燃え上がるような情熱が迸る。

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2014年01月31日


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カール・シューリヒトの最晩年の録音(1965年)によるブルックナー。

彼の遺したブルックナーでは第7番〜第9番が名盤の誉れ高いもので、特にウィーン・フィルを指揮した第8番と第9番はEMIがSACD化して、従来CDでも音質が良かった録音が、さらにグレードアップされて発売されている。

しかし、同じくウィーン・フィルと録音した第3番はどういうわけか正式のEMI録音にも関わらず、国内盤は見当たらず、海外盤もライセンスを受けた商品だけが今は流通しているのが現状である。

だが、筆者としては忘れ難い魅力のある演奏であり、このような不当な扱いしかされてないのが残念で仕方がない。

よく、シューリヒトのブルックナーは枯れた演奏だという評を耳にするが、確かにベームのように豊穣に鳴らす演奏ではない。

第1楽章から淡々とした運びのテンポでことさらテンポを動かすこと無く音楽を作っていく。

素直な音楽作りというか、何も足さない、何も引かないというスタンスでウィーン・フィルからブルックナーの音を引き出している。

ベームの演奏を聴くと時々ウィーン・フィルの弦が明るく輝きすぎることがあるが、シューリヒトはそういうことが無く、オルガン奏者でもあったブルックナーの地味な響きをそのままのバランスで演奏させている。

それが一番感じられるのは第3楽章で、スケルツォゆえにやや弾むようなテンポで演奏しても良さそうなところを、ここでも抑えに抑えて、どちらかというと引きずるようなテンポで主題を演奏をさせている。

そのため中間部の主題のワルツのリズムの弾むようなリズムが生きている。

このワルツのリズムはさすがウィーン・フィルと惚れ惚れとしてしまう。

第4楽章の第1主題は慌ただしい弦の出だしから、金管による主題が浮かび上がってくる勇ましいものであるが、続いて提示されるコラール風の第2主題はいかにも穏やかな牧歌風の旋律になっている。

ここでシューリヒトはウィーン・フィルから極上の響きを紡ぎ出しており、何といっても、金管のひなびた響き、特にウィンナホルンの独特の響きはもうベームの録音では聴くことができない。

この楽章だけでもこの演奏を聴く価値があると言える。

録音は1965年とかなりステレオ録音が成熟してきた頃のものということもあり、DECCAのゾフィエンザールの音のような包み込むような立体感はないが、低域までよく伸びたバランスの良い聴き易い音に仕上がっている。

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2014年01月11日


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1963年9月11日、ブザンソン音楽祭に於けるライヴ(モノラル)録音。

この録音は、かつて秋葉原の石丸電気でしか入手できなかった、RARE MOTHシリーズから出ていたもので、漸くフランス国立視聴覚研究所の最新再生技術によるシューリヒト・ライヴ・コレクションの1枚としてALTUSレーベルから正規盤が発売されたことは、吉報だ。

もう何度も述べているように、シューリヒトのブルックナーは、古くから世評が高く、EMIへの「第8」及び「第9」は、ウィーン・フィルとの共演ということもあり、SACD化され音質も飛躍的に向上し、今日でもベスト盤として評価されることの多い不朽の名演である。

それに対してシューリヒトの「第7」は、ハーグ・フィルとのスタジオ録音の他、SDR、デンマーク放送響との、2種のライヴが知られているものの、決定打に欠けるという印象があった。

そこへ先般、ALTUSレーベルからコンセール・コロンヌ管盤も発売され大変好評であったが、さらに新たに同レーベルから晩年のフランス国立放送管との演奏が加わった。

今回のフランス国立放送管とのライヴは、最晩年の演奏という点でも、大変貴重なもので、まさに枯淡の境地というべき世界が拡がっている。

しかし80歳を超えたシューリヒトの体力的な衰えが覇気を失わせ、オーケストラのコントロールがうまく行っていないもどかしさがある。

細部がやや雑でニュアンスが乏しく、音響が表面的になったり、枯淡が過ぎて冷たくなったりする部分も見られるが、随所に表れる意味深い閃きと透明な音感はまさに出色の出来ばえで、貴重な記録といえよう。

孤高の巨匠、シューリヒトならではの演奏である。

音質は、ALTUSレーベルのシリーズの中では、標準レベルである。

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2014年01月10日


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1963年3月8日 ミュンヘン、ヘルクレスザールでのライヴ録音。

以前、海賊盤でリリースされて話題になった演奏の正規CD化で、モノラル録音だが音質は良好。

卓越したリハーサル術と指揮法によって、様々なオーケストラと素晴らしく息の合った演奏を聴かせたシューリヒトだけに、ここでの成果も見事なもので、1961年のEMI盤とはまた違った魅力を放っていて感動的だ。

ここでの演奏は、バイエルン・サウンドとでもいうべき、骨太な音響を駆使して、実演ならではの濃やかなアゴーギクと思い切った表情付けを施したものである。

第1楽章終盤でのアッチェレランドの大胆さなどはスタジオ盤には見られなかったものだ。

第2楽章での圧倒的な迫力や第3楽章での濃密な叙情美は、かのスタジオ盤をも上回るほどだ。

特に第3楽章第2主題部での深みのある美しさと立体的な音響は聴きもので、ブロック的に明確な性格分けが作品のユニークなフォルムを実感させてくれる。

こちらはライヴということもあり、「飄々とした」シューリヒトとは一味違う演奏で、所々に即興的な表情が散見される。

EMI盤はまことに完成されきった演奏であり、何度聴いても飽きないといえよう。

こちらは一回性の演奏のスリルを楽しむ録音だろう。

EMIのウィーン・フィル盤とは違う魅力を持った演奏であり、甲乙つけがたく、ファンなら両方持っているべきであろう。

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1953年3月6日(ブルックナー)、1950年4月29日(ワーグナー)、シュトゥットガルト=デゲルロッホ・ヴァルトハイムでのライヴ。

いずれも1950年代初期のライヴ録音で、ブルックナーは以前海賊盤(筆者も所有)で出ていたが、これが初の正規盤である。

演奏はシューリヒトらしい名演だ。

有名なハーグ・フィル盤に通じる、流麗にして無駄のない、引き締まった演奏のブルックナーの交響曲第7番に、緊迫感にあふれ、推進力のあるワーグナーと、どちらも魅力満点の演奏内容だ。

残響が付加されており、やや擬似ステレオ風だが、その分聴きやすい。

ブルックナーの第7番は、特に後半の2楽章に説得力がある。

あからさまなアゴーギクをせず、基本的にはインテンポで颯爽としていて爽やか。

それでいて、味わい深さもなかなかのものだ。

前半の2楽章は、テンポが速く流動性が強い。

しかし、この盤の聴きものは「トリスタン」の2曲であり、よくぞこんな録音が残っていたものだ。

これほど熱いパッションと情感に溢れ、且つノーブルな演奏はそうないと思える。

録音はブルックナーより古いが、音自体は上回っている。

端的に言えば、ブルックナーは「すばらしい」で、ワーグナーは「最高」。

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2013年06月27日


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シューリヒトはブルックナーを得意中の得意としており、近年ではシュトゥットガルト放送交響楽団などとのライヴ録音なども数多く発掘されている状況にある。

それらは、必ずしも音質に恵まれているとは言い難いものの、いずれもシューリヒトならではの素晴らしい名演に仕上がっていた。

もっとも、それらの数々の名演が登場してもなお、シューリヒトのブルックナーの代表的な名演との地位がいささかも揺らぐことがない名演が存在している。

それこそは、最晩年にウィーン・フィルとともにスタジオ録音を行った交響曲第8番(1963年)及び第9番(1961年(本盤))である。

このうち、第8番については、近年のヴァントや朝比奈などによって確立された悠揚迫らぬインテンポによる演奏とはかなり様相が異なった演奏であり、速めのテンポと、随所においてアッチェレランドも含むテンポの振幅も厭わないなど、むしろドラマティックな演奏に仕上がっている。

シューリヒトがブルックナーの本質をしっかりと鷲掴みしているだけに、名演との評価にはいささかも揺らぎがないが、近年のヴァントや朝比奈によるインテンポによる名演奏の数々に慣れた耳で聴くと、若干の違和感を感じずにはいられないところである。

これに対して、本盤に収められた第9番については、悠揚迫らぬインテンポを基調とした演奏を行っており、第8番の演奏のような違和感などいささかも感じさせないところだ。

ブラスセクション、とりわけホルンの朗々たる奥行きのある響きの美しさは、これぞブルックナーとも言うべき崇高な美しさを誇っており、まさにウィーン・フィルによる美演をも最大限に生かした神々しいまでの本演奏は、シューリヒトとしても最晩年になって漸く到達し得た至高・至純の境地に達したものとも言えるのかもしれない。

各フレーズに込められたニュアンスの豊かさには尋常ならざるものがあるとともに、その端々から漂ってくる豊かな情感には、最晩年の巨匠シューリヒトならではの枯淡の境地さえ感じさせると言えるところであり、演奏の神々しいまでの奥行きの深さには抗し難い魅力がある。

第3楽章においては、もう少しスケールの雄大さが欲しい気もするが、第1楽章と第2楽章については文句のつけようがない完全無欠の崇高の極みとも言うべき名演奏であると言えるところであり、後年のヴァントや朝比奈といえども、第1楽章と第2楽章に限っては、本演奏と同格の演奏を成し遂げるのが精一杯であったと言っても過言ではあるまい。

いずれにしても、本演奏は、シューリヒトのブルックナーの交響曲の演奏でも最高峰の名演であるとともに、ブルックナーの交響曲第9番の演奏史上でも、第1楽章及び第2楽章に関しては、現在においてもなおトップの座を争う至高の名演と高く評価したい。

音質は、1961年のスタジオ録音であり、従来盤では今一つ冴えない音質であったが、今般、ついに待望のSACD化が行われることによって、見違えるような鮮明な音質に生まれ変わった。

音質の鮮明さ、音場の幅広さ、そして音圧のいずれをとっても一級品の仕上がりであり、あらためてSACDの潜在能力の高さを思い知った次第である。

いずれにしても、シューリヒト&ウィーン・フィルによる素晴らしい名演を、SACDによる高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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シューリヒトが最晩年にウィーン・フィルとともにスタジオ録音したブルックナーの交響曲第8番と第9番は、音楽評論家を含め多くのクラシック音楽ファンに支持されている不朽の名盤とされている。

1960年代前半という時期を考えると、ブルックナーの交響曲については、いまだ改訂版を使用した演奏が跋扈するとともに、ヨッフムが最初の全集を録音している最中であり、ましてや朝比奈やヴァントなどは箸にも棒にもかからない若造。

その意味では、当時においては本演奏は画期的な名演であったことが十分に理解できるところだ。

本盤の演奏で気が付くのはテンポが実に速いということであろう。

それは、同曲がCD1枚に収まっていること自体でもよくわかるところだ。

そして、後年のヴァントや朝比奈などによる演奏とは異なり、インテンポにはいささかも固執せずに、頻繁にテンポを変化させているということである。

ダイナミックレンジも相当に幅広くとっており、テンポの変化も相俟ってドラマティックな演奏であるとも言えるほどだ。

ブラスセクションによる最強奏も圧巻の迫力を誇っていると言えるが、無機的な音は皆無であり、常に懐の深い音色に包まれているのは見事である。

そして、これほどの劇的とも言うべき豪演を行っているにもかかわらず、演奏全体の造型がきわめて引き締まったものとなり、いわゆるブルックナーらしさをいささかも失うことがないというのは、巨匠シューリヒトだけに可能な圧巻の至芸であるとともに、シューリヒトがブルックナーの本質をしっかりと鷲掴みにしているからにほかならない。

そして、このような荒ぶるような豪演に適度の温もりと潤いを付加しているのが、ウィーン・フィルによる美しさの極みとも言うべき名演奏である。

シューリヒトを深く敬愛していたとされるウィーン・フィルであるが、本演奏においてもシューリヒトの指揮に見事に応えて、持ち得る実力を最大限に発揮した渾身の熱演を展開しているのが素晴らしい。

いずれにしても、快速のテンポとドラマティックな表現を展開した本演奏は、今日におけるブルックナーの演奏様式とは随分と異なるものであり、スケールの小ささや劇的に過ぎる点などが気にならないわけではないが、いまだブルックナーの演奏にさしたるものが存在していなかった1960年代前半の演奏であることをも考慮すれば、名演と評価するのにいささかも躊躇するものではない。

音質は、リマスタリングが行われたものの従来CD盤が今一つの音質であったが、今般、ついに待望のSACD化が行われることによって大変驚いた。

従来CD盤やHQCD盤とは次元が異なる見違えるような、そして1960年代のスタジオ録音とは到底信じられないような鮮明な音質に生まれ変わった。

いずれにしても、シューリヒトによる至高の名演を、SACDによる高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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2012年11月14日


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シューリヒトは、数年前まではブルックナーの交響曲やブラームスの交響曲などのスタジオ録音などによって、颯爽としたインテンポを基調とする指揮者だというイメージがあった。

しかし最近アルトゥス・レーベルなどが数々のライヴ録音を発売したこともあって、劇的な演奏やロマン的な情緒を全面に打ち出した演奏をも繰り広げたりするなど、決して一筋縄ではいかない指揮者であることがわかってきた。

本盤も、シューリヒトの一筋縄ではいかない多彩な芸術を味わうことができるCDであると言える。

「ドイツ・レクイエム」は、本盤に収められた楽曲の中では録音年代が最も古く、特に合唱に濁りが見られる点が大変残念である。

基本的な解釈は、数年前に発売されたシュトゥットガルト放送交響楽団との1959年盤(ヘンスラー)に酷似しているが、第6楽章の劇的な表現は、シューリヒトの温厚な紳士というイメージを覆すのに十分な激しさだ。

ベートーヴェンのピアノ協奏曲第3番は、録音が1959年と比較的新しいだけに録音は鮮明。

ここでのシューリヒトは、いかにもドイツ正統派の巨匠と言った趣きの堂々たるインテンポによる演奏を基調しており、若き日のアラウのピアノをしっかりとサポートしていると言える。

アラウのピアノは、後年の演奏を彷彿とさせるような堂々たるピアニズムが素晴らしい。

ブラームスの「第4」は、シューリヒト得意の曲であるが、後年の演奏(ウィーン・フィルやバイエルン放送交響楽団)と比較して、かなりドラマティックなものとなっている。

特に、終楽章のパッサカリアは、各変奏毎の描き分けを大胆に行っており、終結部の猛烈なアッチェレランドは、後年のスタジオ録音には見られないシューリヒトの内なるパッションの爆発を垣間見ることが出来て実に感動的だ。

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2012年10月22日


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1958年5月18日 ウィーン楽友協会大ホールに於けるモノラル(ライヴ)録音。

このような神々しい名演を前にしては、ただただ頭を垂れざるを得ない。

プフィッツナーやM・レーガーは、77歳の老匠とは思えないような活力漲る力強い名演。

そして、メインのブラームスの「第4」だが、これはシューリヒトのこれまでの印象を覆すようなロマン的な名演だ。

筆者は、シューリヒトの「第4」と言えば、バイエルン放送交響楽団と組んだ名演が忘れられず、それは名人の一筆書きとも称すべき枯淡の境地を示したものであったが、このウィーン・フィル盤の演奏は、それとは全く性格が異なる。

第1楽章など、テンポを大きく揺らし、随所に猛烈なアッチェレランドをかけるなど、実に個性的。

第2楽章は、ロマン派的な情緒が溢れんばかりであり、実に感動的だ。

そして、終楽章は、各変奏の描き分けが実に巧みであり、これだけ自由奔放な演奏をしていながら、決してブラームスらしさを失っていないのは、シューリヒトならではの至芸とも言うべきである。

ウィーン・フィルもこのような個性的な棒にしっかりとついていっており、シューリヒトともども感動的な名演を成し遂げることになった。

なお、ボーナス・トラックにシューリヒトのインタビューが約5分間収録されているのは貴重だ。

音質にはやや濁りがあるが、鑑賞に妨げがあるわけではなく、1950年代のライヴ録音としては十分に合格点を与えられる水準にあると言える。

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2012年06月21日


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本盤には、ブラームスの交響曲第1番をメインとして、バッハのヴァイオリン協奏曲第2番など独墺系の作曲家による協奏的作品が収められている。

まずは、ブラームスの交響曲第1番が超名演だ。

シューリヒトによるブラームスの交響曲第1番としては、スイス・ロマンド管弦楽団との演奏(1953年)やフランクフルト放送交響楽団との演奏(1961年)があるが、本演奏はそれらの両演奏をはるかに凌駕する超名演と評価したい。

本演奏は、第1楽章冒頭から凄まじい迫力で開始される。

その後は、変幻自在のテンポ設定や思い切った強弱を駆使して、ドラマティックの極みとも言うべき圧倒的な豪演を展開している。

第1楽章や終楽章におけるトゥッティに向けて畳み掛けていくような気迫は強靭な生命力に満ち溢れており、第2楽章の心を込め抜いた豊かな情感など、どこをとっても切れば血が噴き出てくるような熱い情熱が漲っている。

このようなドラマティックな豪演としては、ミュンシュ&パリ管弦楽団による名演(1967年)が掲げられるが、本演奏は音質面のハンディを除けば、当該名演に十分に比肩し得る圧巻の迫力を誇っているのではないか。

フランス国立放送管弦楽団も、シューリヒトによる炎のような指揮に必死で付いて行っており、その重心の低い音色と相まって、いかにもブラームスの交響曲に相応しい名演奏を繰り広げているのが素晴らしい。

併録の協奏的作品は、何と言ってもグリュミオーのヴァイオリンを評価したい。

いずれも独墺系の作曲家の作品であるが、グリュミオーのフランス風のエスプリに満ち溢れた瀟洒な味わいのヴァオリンの音色が、演奏全体に独特の艶やかさを付加しているのが素晴らしい。

シューリヒト&フランス国立放送管弦楽団も、グリュミオーのヴァイオリンを的確にサポートし、ブラームスとは全く異なる洒落た味わいの演奏を展開しているのが見事である。

録音は1959年のライヴ録音であるが、比較的聴きやすい音質であり、シューリヒトやグリュミオーによる至高の名演をこのような良好な音質で味わうことができるのを大いに喜びたい。

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2012年06月17日


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1955年6月15日 ストラスブール音楽祭でのモノラル(ライヴ)録音。

シューリヒトは、颯爽としたイン・テンポの下、繊細なニュアンスを随所にちりばめるという、言わば渋くて、枯淡の境地を垣間見せるような名演を繰り広げた指揮者だと思っていた。

しかし、それは、録音状態のいい名演が1960年代の晩年に集中していることによるものであり、1950年代半ばにフランスのオーケストラと繰り広げた前作の3枚のCDで、そのような印象が見事に覆ってしまった。

本CDも、同じく1950年代の演奏であるが、前作と同様に、テンポが目まぐるしく変遷する実に熱い演奏を行っている。

シューマンのピアノ協奏曲は、実に味わい深く、ハスキルもひとつひとつ音を慈しむように弾いていて、まるで、墨絵の世界のように渋い美しさである。

第1楽章のオーボエによるゆったりとした濃厚な表情にびっくりさせられる。

主部に入ると、演奏の歩みを速めることになるが、テンポは緩急自在で、ハスキルとの息もぴったりだ。

第2楽章は、冒頭と終結部の主題を速めに演奏して、中間部をむせ返るような抒情で歌いあげるという、実に効果的な至芸を披露している。

第3楽章も、シューリヒトの魔法のような棒のもと、見事な音のドラマを繰り広げており、演奏終了後の聴衆の熱狂も当然だと思われる。

ベートーヴェンの「第5」は、全体の印象は、晩年の颯爽たるイン・テンポのシューリヒトであるが、隋所に、この時期のシューリヒトならではの踏み外しが見られる。

第1楽章はシューリヒト独特の鋭いアクセントや陰影の付け方も見事だが、展開部や再現部での荒れ狂った様子はフルトヴェングラーの1947年盤を想起させる。

シューリヒトは、この「第5」のような奇数番号を比較的淡白に指揮するものだと思われているが、これを聴けば全くそうではないことがわかる。

例えば、第3楽章の終結部の第4楽章に向けての弦の動きなど、演奏が止まってしまうかと思うようなテンポダウンを見せたり、終楽章は、冒頭主題をゆったりとしたテンポで高らかに歌い上げたかと思うと、突然、テンポが超快速に変遷する。

終結部の一歩手前は、凄まじいアッチェランドをかけており、シューリヒトの熱いパッションの爆発が見られる。

「オイリアンテ」序曲も含め、本CDにおさめられたいずれの曲も、これまでのシューリヒトの印象を覆すのに十分な超名演と評価したい。

ライナーの平林氏の解説も、過去の演奏との比較など実に懇切丁寧であり、いい加減なライナーがはびこる中で、平林氏には深く敬意を表したい。

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2012年06月16日


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このような崇高にして感動的なマーラーの「第3」を前にしては、ただただ首を垂れるのみである。

シューリヒトは、特に晩年、ブルックナーにおいて神がかり的な名演を遺したせいか、ブルックナー指揮者のイメージがどうしても強いが、ライナー・ノーツなどを読むと、実は、マーラーをも得意とした指揮者であったとのことである。

本盤は、1960年の録音であるが、この時代には、マーラー指揮者として名を馳せたバーンスタインやショルティの全集なども完成しておらず、20世紀後半に訪れるマーラー・ブームなど予測できなかった時期である。

マーラー直系の弟子であるワルターやクレンペラーの演奏が幅を利かせた時代である。

このような時期に、メンゲルベルクは別格として、独墺系の指揮者がほとんど見向きもしなかったマーラーに果敢に挑戦したシューリヒトのマーラーへの深い愛着と、来るべき時代への先見性を高く評価するべきであろう。

この「第3」は、何とロマンティックな演奏だろう! このような「第3」は初めて耳にするが、ブルックナーやベートーヴェンの演奏とも相通ずるものが感じられ、これこそまさにシューリヒトの至芸であろう。

どの楽章も聴きどころ満載であるが、特に、第6楽章の美しさは出色で、終結部の壮麗な盛り上がりは実に感動的だ。

こういうところを聴くにつけ、シューリヒトがいかにマーラーを愛し、深く理解していたのかがわかる。

マーラーを聴き込み、シューリヒトの他の演奏を聴き込んでからなら、大きな感動を味わえるのではなかろうか。

歌曲集『さすらう若人の歌』も名演であり、録音も、1960年のライヴ録音としては、かなり高いレベルにあると言える。

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2012年06月15日


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1957年9月9日 ブザンソン音楽祭でのモノラル(ライヴ)録音。

《トリスタンとイゾルデ》の「前奏曲」は、実に荘重なイン・テンポであり、シューリヒトのワーグナー指揮者としての適性を感じさせる。

これに対して、「愛と死」は、終結部の盛り上がりの箇所でアッチェレランドを駆使したりするなど濃厚な表情を見せており、決して一筋縄ではいかない。

《さすらう若人の歌》は、ゆったりとしたイン・テンポで通しているが、何よりも若き日のF=ディースカウの巧いこと。

そのF=ディースカウの絶美の歌唱を見事に活かしたシューリヒトの至芸にも拍手を送りたい。

そしてベートーヴェンの《第7》! いかにも巨匠風の構えの大きい名演だ。

冒頭のテヌートをかけない最強奏の一打の連続には大いに驚かされるが、主部に入ると、シューリヒトならではの颯爽とした進軍が開始される。

提示部の繰り返しは行っていないが、特に、展開部に入ってからの熱狂や終結部の低弦の響かせ方など、実に素晴らしい。

第2楽章は淡々とした表情で開始されるが、やがて、むせ返るような濃厚な表情が表れる。

第3楽章は快速のいつものシューリヒト節。

第4楽章は、やや遅めのイン・テンポであるが、シューリヒトの内に秘めたパッションをなんとか抑えようと努力しているのがよくわかる。

それも、終結部に至ってついに大爆発! 猛烈なアッチェレランドとトランペットの最強奏があり、圧倒的な熱狂のうちに全曲を締めくくるのである。

シューリヒトの音楽については『淡々とした』とか『軽く流麗』とかいったような言葉が多用されていたが、これらを聴くと寧ろ正反対とさえ思えるものである。

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2012年06月14日


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1955年2月10日 パリでのモノラル(ライヴ)録音。

シューリヒトはブラームスを得意としており、交響曲をはじめドイツ・レクイエムなども数多く演奏・録音しているが、とりわけドイツ・レクイエムについては、北ドイツ放送交響楽団との演奏(1955年)、シュトゥットガルト放送交響楽団との演奏(1959年)、そして、本演奏と同一のフランス国立放送管弦楽団との演奏(1955年)がいずれも劣悪なモノラル録音であり、鑑賞に耐え得るものがなかった。

とりわけ、本盤に収められた演奏については数年前にArchipelレーベルから既に発売されてはいるが、オリジナル・マスターを使用したものではなかったこともあって、前述のようにとても満足できる音質とは言い難いものであった。

ところが本盤は、史上初めてオリジナル・マスターを使用したことによって、従来盤とは次元の異なる見違えるような良好な音質(と言っても最新録音とは到底比較にならないが)に生まれ変わったところであり、これによって、これまで曖昧模糊としてよく聴き取れなかったシューリヒトの解釈を明瞭に味わうことができるようになった意義は極めて大きいものと言わざるを得ない。

そして演奏も素晴らしく、おそらくは数あるシューリヒトによるドイツ・レクイエムの中でも随一の名演と言っても過言ではあるまい。

同曲はレクイエムでもあり、今般、同時に発売された交響曲第1番や第4番とは異なり、基本的には荘重なイン・テンポを基調としてはいるが、演奏の随所に漲っている気迫と力強い生命力は、切れば血が出てくるような熱い情熱に裏打ちされている。

静謐さを基調とする同曲ではあるが、第2楽章の中間部など劇的な箇所も散見されるところであり、ここぞという時の強靭さには渾身の迫力が漲っている。

こうしたシューリヒトの熱き情熱を抱いた渾身の指揮の下、フランス国立放送合唱団やフランス国立放送管弦楽団も最高のパフォーマンスを発揮していると評価したい。

既発CDではよく聴きとることができなかった当該合唱団による渾身の合唱も、本CDでは明瞭に聴き取ることができるのも見事である。

また、ソプラノのエルフリーデ・トレッチェルやバスのハインツ・レーフスも、素晴らしい名唱を披露している。

録音は1955年のライヴ録音でありモノラルではあるが、前述のようにオリジナル・マスターからの初CD化であり、既発CDとは次元の異なる聴きやすい音質に仕上がっている。

シューリヒトによる至高の名演をこのような比較的良好な音質で味わうことができるのを大いに喜びたい。

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2012年06月13日


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1959年3月24日 フランス国立放送管創立25周年記念演奏会でのライヴ(ステレオ)録音。

冒頭のベートーヴェンの序曲「コリオラン」の豪演からして我々聴き手の度肝を抜くのに十分だ。

これほどの壮絶でドラマティックの極みとも言うべき演奏は、かのフルトヴェングラー&ベルリン・フィルによる名演(1943年)にも匹敵すると言えるところであり、音質面を考慮すれば本演奏の方がより上ではないかとさえ思われるほどだ。

ベートーヴェンのピアノ協奏曲第3番は、若き日のアラウによるピアノに関心が集まるが、確かに本演奏においては後年のアラウ(ディヴィス&シュターツカペレ・ドレスデンによる名演)のような威容は感じられない。

しかしながら、シューリヒトによる見事な指揮によるところも大きいとは思うが、この当時のアラウとしては重厚にして味わい深いピアニズムを展開していると言えるのではないか。

また、このアラウのピアノを好サポートしたシューリヒトも、フランス国立管弦楽団ともども重心の低い立派な演奏を行っている点を高く評価したい。

そして、ブラームスの交響曲第4番であるが、これは圧倒的な超名演だ。

シューリヒトによるブラームスの交響曲第4番は様々なオーケストラとともにいくつかの録音を遺しているが、これまでのところ随一の名演はバイエルン放送交響楽団との晩年の演奏(1961年)であったと言える。

ところが本演奏の登場によって、両者同格の名演との位置づけになったと言っても過言ではあるまい。

そして、1961年盤が現在では入手難という点に鑑みれば、当面は本演奏がシューリヒトによるブラームスの交響曲第4番の代表盤になったと言えるのではないか。

前述の1961年盤がインテンポによる名人の一筆書きのような枯淡の境地を感じさせる端麗辛口の名演であったが、本演奏はテンポはいささか速めであるものの、どちらかと言うとむしろ濃厚なロマンティシズムに満ち溢れた名演と言える。

テンポも全体の造型が弛緩しない程度に動かすなど、細部に至るまで実にニュアンス豊かであるが、その独特の味わい深さはこれぞシューリヒトの芸術の真骨頂と言えるだろう。

そして、第2楽章をはじめとした同曲に特有の美しい旋律の数々も、シューリヒトは1961年盤以上に心を込めて歌い抜いており、そのロマンティシズムに満ち溢れた情感の豊かさには抗し難い魅力に満ち溢れていると言える。

終楽章の各変奏の描き分けも秀逸であり、その味の濃い濃密な表現は巨匠シューリヒトだけに可能な豊かな芸術性溢れる圧巻の至芸であると言えるだろう。

録音は、前述のようにステレオ録音であり、実に素晴らしい音質であると言える。

シューリヒトによる至高の超名演をこのような素晴らしい高音質で味わうことができるのを大いに喜びたい。

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2012年06月12日


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1960年8月14日、ザルツブルク音楽祭ライヴ。

コンサートホール原盤のステレオ録音(パリ・オペラ座管弦楽団)とは比べものにならないほど良い。

録音もモノラルながら良好で、何と言ってもウィーン・フィルのモーツァルト、そして楽員に尊敬されていたシューリヒトの指揮によるライヴということで、ファンのみならず、決して聴き逃せないディスクなのである。

筆者は久しぶりに聴いてみて、「こんなに気品があってニュアンス豊かな演奏だったのか」と感銘を新たにした。

特に《プラハ》は永遠の名演というにふさわしいものがあり、何回聴いても、そのたびごとに新鮮な感動が与えられる。

その感動とは、モーツァルトの音楽へのそれであろう。

《プラハ》はワルター(ウィーン・フィル、ニューヨーク・フィル)やらベーム/ベルリン・フィルなどを選択してもいいと思ったが、このライヴはいささか日陰になっているので取り上げてみた。

シューリヒトの指揮は、一見淡々としていて、速いイン・テンポで余計な色づけを排し、ストレートに運ぶ。

だから飽きがこないのだが、淡々としているのはそう見せているだけで、実は千変万化のニュアンスの味わい深さが、作曲者の移ろいやすい心を伝えてゆくのだ。

《ジュピター》はシューリヒトのライヴ録音によくありがちな、オーケストラと指揮者がお互い手の内を探り合いながら進んでいく即興的な要素があって好きである。

やはり、ライヴ録音というものは、このような一瞬の駆け引きが聴けるものでなくてはならない。

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2011年12月12日


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1958年2月20日 グスタフ・マーラー・フェスティヴァルにおけるライヴ録音。

この《復活》は本当にすごい。シューリヒト・ファンをうならせる完成度の高さとこれまでシューリヒトを「地味すぎる」と敬遠していた人にも一聴してわかるような異常な迫力をもっている。

シューリヒトの最大の特徴である水墨画のような枯れた境地、あるいは細部を抉り出して対象を明確にする分析的解釈を内包しながら、戦前の大指揮者のあのスケールの大きさと、聴く者を戦慄させる瞬間を何度も体験させてくれる。

アゴーギグをほとんど使わず、ひたすら正攻法に構えながらも聴く側を圧倒するすさまじい迫力がある。

とくに打楽器の鮮烈な響きなどショッキングなほどだ。

これまでマーラー《復活》の名演といえば、現代的センスでスマートにアイロニカルに迫るタイプか、超大スケールで気迫と迫力で迫るタイプか、その2つに分かれていた。

それゆえそのどちらでもない演奏はどっちつかずの評価を受けていた。

だがこのシューリヒトの演奏はどちらでもあり、どちらでもない。新鮮でユニークではあっても奇異ではない。

聴いていて怖くなるほどの迫力とすさまじいまでのエネルギーをもつが、それだけではない。

もしかするとこれは、この作品のすべての要素を包含する最終的演奏ではないか、と思わせるものがある。

今回のALTUSの音質はモノラルながらかなり優秀。高音質とまではいわないまでも、シューリヒトの音楽を楽しむには十分すぎる。

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2011年10月04日


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1962年10月18日、シュトゥットガルト、リーダーハレでのライヴ。

個人的にはシューリヒトの最大級の名演。

同曲のウィーン・フィル盤と同様に完成度が高く、造形のゆるぎなさは驚異的。

3年前のヘッセン放送響盤とはうって変わって、安定感があり、遥かに納得が行く。

オケとの信頼感もこちらの方が良いように思える。

「第5」はブルックナーの全曲中最大の難曲だけあって、名演と呼べるものは数少ない。

クレンペラー、ヴァント、チェリビダッケ、ヨッフムあたりでも、ライヴ盤でしかこの曲の真価を伝えていない。

さてこのシューリヒト盤はと言うと、結論から先に言って、最上部類の名演と言える。

虚勢の通用しない曲を、虚勢とは縁がない指揮者が振るのだから、これが成功しないわけがない。

確かに、構成感がしっかりしていて、安定感がある。

ウィーン・フィル盤、ヘッセン放響盤、とそれぞれが最高の名盤で甲乙付けがたい。

シューリヒトの変幻自在さがオケの自主性を引き出して、その違いを恐ろしいほど明確に描き出すのだろう。

ちなみに第3楽章の所要時間がこれは10分をきっている。

これは繰り返しを省略しているためでもあるが、シューリヒトが史上最速のテンポだからでもある。

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2011年07月29日


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シューリヒトの演奏がライヴとスタジオ録音で、別人のように異なる場合があるのは知る人ぞ知るところだが、珍しくハンブルクの北ドイツ放送交響楽団に客演したこのブルックナーは、この指揮者のライヴのなかでも燃焼度の高い演奏である。

淡々とした中にも芯のしっかりした力強さと一種独特の寂寥感が漂う名演だ。

シューリヒトの表現は、カラヤンやジュリーニの演奏と比べると響きそのものは決して厚くはないが迫力がある。

また、淡々としたストレートさの中に、懐の深い絶妙のニュアンスと豊かな深い味わいを出してくるのは独自の魅力がある。

弦のボーイングにも工夫の跡が聴かれるアクセントで、要所をピタリと止めて輪郭をくっきりさせながら上り詰める自然な高揚感と、鳴り切っても細部が明瞭で濁りがない音は、シューリヒトならではのもの。

堂々とした音楽の運びに貫かれた名演だ。

スタジオ録音には感じられない凄みを加え、とくに第1楽章には数々の新発見がある。

何も特別なことはしていないのに、初めて耳にするような音楽が頻出するのに驚かされる。

老匠のスコアの読みはかくも鋭く、かくも新鮮なのだ。

アダージョでもシューリヒトは聴く者の魂を激しくゆさぶる。

それはすなわち作曲者の力なのだが、ここまで音化し切ったのは指揮者の棒なのである。

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2011年07月21日


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1955年4月5日、シュトゥットガルト=デゲルロッホ・ヴァルトハイムでのライヴ録音。

シューリヒト75歳のときの歴史的録音だが、その演奏は力強く雄渾で、しかも語り口はあくまで自然である。

共感にみちた表現が端正な造形のなかにのびやかに、かついかにも意味深く織りなされた自然体の演奏は、長年ブルックナー演奏に献身してきたこの巨匠ならではの至芸と言うべきだろう。

そうしたシューリヒトの指揮にしなやかな集中力をもって応えるシュトゥットガルト放送響も素晴らしい。

晩年のシューリヒトの最良の理解者は言うまでもなくウィーン・フィルだったが、その活動と並行して、シュトゥットガルト放送響にも客演していくつもの名演を実現した。

ウィーン・フィルはシューリヒトの音楽を知り尽くし、指揮棒の動きの行間を読み、微妙なニュアンスに機敏に反応した。

それに対し、シュトゥットガルト放送響は一定の距離を置きながら、指揮者、オーケストラ双方の個性のせめぎあいから異なった結果を生み出したように思われる。

重量感を伴ったやや硬質の響きによるブルックナー演奏については好き嫌いがあるかもしれないが、ここでもシューリヒトは自らの主張を貫き、この組み合わせでなければ実現できない一期一会の演奏を実現している。

シューリヒトのブル4は私の知る限りシュトゥットガルト放送響盤のみなので、その点でも貴重な録音である。

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2011年07月19日


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第8番の名演として古来有名なのがクナッパーツブッシュ盤とシューリヒト盤。

これはその名高きスタジオ盤の直前のライヴで、スタジオ盤の方はいささか枯れた感じの名演だったが さすがシューリヒト、ライヴの迫力がやはり本当であった。

録音もオケも一流で、表現にも豊かな美しさにあふれており、部分的な閃きの鋭さも見事、寂しい瞑想や内省の深さ、清らかなデリカシーと厳しい緊張感の対比がすばらしい。

クナッパーツブッシュの聴きどころが壮絶なまでの圧倒的フィナーレなら、このシューリヒト盤の聴きどころは宇宙を包容するような優しく巨大なアダージョ。

シューリヒトの柔らかな構築力と朗々たるウィーン・フィルのサウンドが見事に出会って、なにか人類そのものを語っているかのような壮大で神聖な音楽が立ち現れる。

この演奏を聴いていると、ブルックナーの悠々たる時間感覚の中で鳴り渡る壮麗な協和音は、ウィーン・フィルという楽器でないと鳴らしきれないのではないかという気さえしてくる。

基本的にノヴァーク版第2稿だが、ハースの読みを取り入れている。

コンパクトな設計に少しでも重心を与えようとしたかのような、重々しさを強調した第1楽章と、比較的速めのテンポ設定による第3楽章がすばらしい。

速いテンポのスケルツォも抉りが効いている。

対位法書法への対処はこの演奏でも見事で、シューリヒトはテンポをあまり動かさず、安定した流れの上でブルックナーの幅広い旋律を表情豊かに歌わせる。

第3楽章はその最もよい例である。

このコンビによる第9番も、究極の演奏とでも言うべき名盤だ。

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2011年07月18日


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シューリヒトの至芸が発揮されたブルックナー。

今や知る人ぞ知るカール・シューリヒト(1880-1967)だが、ドイツの忘れてはならない巨匠である。

シューリヒトは、ドイツ・オーストリア音楽をレパートリーの一つの柱(もう一つは当時の近代・現代音楽)にしていたが、ブルックナーもしばしばとりあげていた。

この第9番は、いつ聴いても美しく、魅力的で、絶対に飽きのこない名演であり、オケのすばらしさも光る。

ホルンなど金管群のウィーン・フィル独特の響きの魅力とあいまって、すばらしい演奏だ。

どの一部をとっても意味深く、こくがあり、有機的で、とくにスケルツォは完璧無類だ。

ウィーン・フィルとの相性の良さは天下一品で、このブルックナーに耳を傾けているとその凄さが分かってくる。

一見何もしていないような演奏だが、作品に語らせ、オーケストラに語らせているようで、実は彫りの深いシューリヒト・ワールドを見事に打ち立て、ブルックナーが最後に到達したほとんど宗教的境地を清冽な壮麗さと純度の高い完成度で描き尽くしている。

ただ、熟しても不思議に冷静な視線が背後にある、そんな感触があり、シューリヒトの至芸はある意味で究極の職人芸といえるのかもしれない。

凛々しく、謙虚なブルックナーである。

しかもシューリヒトの演奏には常に節度があり、表現は端正である。

シューリヒトのブルックナー解釈が、雄大な音楽をありのままに再現しながら品位を失わないのはそのためで、ブルックナーの音楽に興味を持たない人にも受け入れられよう。

ただ人によってはスケールの小ささと迫力の不足を訴えるかもしれない。

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2011年07月12日


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1956年5月14日 ボルドー音楽祭におけるライヴ。

長命に恵まれてステレオ時代に入ってからも活躍したとはいえ、1880年生まれのシューリヒトの芸術の基盤には19世紀風のロマン主義がある。

しかし、その演奏が野放図な主観性や恣意性に陥らないのは、その後の新即物主義の影響を受けているからだろう。

長い時期を中央楽壇ではなく地方で送ったシューリヒトは、そうした影響を独自に咀嚼し、自らの個性や基盤と調和させて、ゆっくりと自分ならではの芸風を確立してゆくことができた。

つねに古くて新しいシューリヒトの芸術の秘密がそこにあるように思う。

そう、シューリヒトのブルックナーは古くて新しい。

交響曲第7番の魅力もそこにある。

作品のテクスチャーがすっきりと見通せるような透明な響きと明晰な音楽フォルム。

微細なエピソードやソロ的パッセージなど、部分への閃きの豊富なこだわり。

そして、それらへの細心な目配り。

こうした音楽を微分する方向への指向は現代に通じるものがある。

だがその一方で、それらの部分が強い構成意識によって全体へと有機的に統合される。

部分への目配りは、すべてを統合する中心点へ向かう視線でもあるのだ。

全体構成の支柱となる動機や主題の萌芽や伏線が、実に細心読み取られる。

こうした音楽を積分する方向が確信をもってとれるのは、まだ「中心」を完全に喪失していなかった古き良き時代の芸術家ならではだ。

音楽への微分と積分の魔法のような融合がシューリヒトのブルックナーの魅力だ。

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2011年07月05日


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1955年2月5日 パリのシャンゼリゼ劇場におけるライヴ録音。

シューリヒトの《エロイカ》で最も有名なのは、ORFEOからリリースされた1961年のウィーン・フィルとの演奏だろう。

そのスピーディで熱気あふれる演奏は多くの評論家から絶賛された。

ただ筆者の主観だが、このフランス国立管弦楽団との演奏はそのウィーン・フィルを超えているように思う。

今回のフランス国立管弦楽団盤は、一回限り聴いて熱くなるライヴという趣で、ウィーン・フィル盤に比べて若干大味で演奏の精妙さには乏しい。

しかしその熱気、スケール、迫力に関してはこちらのほうが上かもしれない。

テンポに一切の弛緩はなく、造型は明瞭にして、響きは明快そのもの。

シューリヒトの表現は凛烈な魂によるリアリズムの一撃だが、いたるところに新しい発見があり、いのちが燃え立っている。

シューリヒトは速いテンポで突進しつつ、ニュアンスはあくまで濃厚。スケルツォが良い例だ。

ALTUSの音質もモノラルながらORFEOと比べてもひけをとらない。

両方ともすばらしいところがあって、正直その両方を聴き比べてほしいけれど、より一般の人の心にグイグイと容易に入り込んでいくのはフランス国立管弦楽団の演奏のほうかもしれない。

ウィーンの伝統を背景にしない分、この明るいラテンの響きが、シューリヒトの個性をそのまま助長してくれているような気がする。

いずれにせよ、7つ知られているシューリヒトの《エロイカ》の中でも最高の演奏の1つであることは間違いない。

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2010年04月23日


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待望の正規盤CD化で、放送局音源だけに音質も優秀である。

シューリヒトのハイドンの交響曲第104番「ロンドン」は、星の数ほどあるハイドンのディスク中、間違いなく最上級を狙う演奏である。

少なくとも、私はハイドンと言わず、自分の知る全レコード中でもトップ10に入れたいほど愛好する。

第1楽章から奇跡の連続技である。威厳のある序奏にはすでに儚さも同居し、主部に入ると貴婦人のような優雅さで、聴く者を魅了する。

どんなにロマンティックに歌っても清潔感を失うことがなく、ベートーヴェンの「田園」でも聴かせた「超レガート奏法」は、まったく浮き世を超越している。

第2楽章も、優しく懐かしい歌から迫力ある部分まで、表現に無限の段階があり、テンポ感覚の自在さは誰にも真似できない。

メヌエット主部にも、音楽に根元的な活力、生命力があり、トリオの哀感と好一対をなす。

フィナーレも、速めのテンポの中に様々なニュアンスを湛えた名演中の名演。聴いていて、こんなに幸せを感じるレコードは、それほど多くはない。

ブラームスのヴァイオリン協奏曲は、シェリングの熾烈なまでの一途さと禁欲的な真摯さに打たれる。

シューリヒトの指揮は格調の高いもので、ゆとりのある堂々たる進行が素晴らしい。

シューマンの交響曲第2番もあまりに素晴らしい。シューリヒトのロマン性が、自由に羽ばたいているからである。

第1楽章は、睡眠薬による白日夢のような序奏に始まるが、シューリヒトは我々を否応なしにシューマンの錯綜した精神の森へと誘う。

トランペットの調べが遠い叫び声のように響き、音楽は幾重にも重なった心の闇の中を進むのだが、シューリヒトの往く道は常に明るく照らされている。

第2楽章も精神的な闘争だが、まるで妖精たちの森へ迷い込んだような趣があり、第3楽章の歌もシューリヒト一流のロマンの衣裳を纏い、実に陶酔的である。

フィナーレは、心に悩みを抱きながら無理に笑っているような、ベートーヴェン的な勝利とは無縁の音楽であるが、シューリヒトは、シューマンの晦渋さを明快な音楽に翻訳して、我々を愉しませてくれるのである。

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2010年02月17日


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シューリヒトのモーツァルトは、きびしい造形のなかから精彩にみちた生命力を表した、これこそ本当の音楽と言えるものだ。

2曲とも雄渾で、激しい共感が音に表れた演奏で、そのきびしい表情は、他に比べるものがないほどだ。

2曲ともに率直な解釈で、さすがに大きな風格があり、一流とはいえないパリ・オペラ座のオケから堂々とした生命力豊かな音楽を引き出している。

「リンツ」には随所にこの大指揮者の感興が示されている。

しかし、オーケストラのアンサンブルが粗く、技術的にも劣るので、いかにシューリヒトといえども、モーツァルトの純粋美を表出することは難しい。

「プラハ」は一段と香り高く、シューリヒトに限らず、過去に行われたすべてのモーツァルトの録音の中でも、ひときわ高く聳える奇跡的な名演。

猛烈なスピードによる一気呵成の名演だが、そのなかにまるで川面に揺れる光のような儚さが美しい。

よく聴くと、シューリヒトの読譜の深さによって用意周到に演出されたものであることが分かる。

シューリヒトの気品高い表現は、いまも存在価値を失わない。

これでオケがもっと良質なら、と惜しまれる。

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2010年02月16日


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ブラームスはシューリヒトがレコードに残した最上の遺産のひとつ。

第1楽章は、テンポの緩急の大きさに驚かされる。経過句を速めに流したかと思うと、大事な主題でガクンとテンポを落とすのだ。

ことに、第2主題の濃密なカンタービレは、望郷の念に胸焦がれるような強い印象を残す。

それにしても音楽の勢いが尋常ではない。聴き手は、まるで波乗りコースターの先頭座席にいるように、風を切るスピード感と目眩く景色の変化に翻弄されるが、決してスポーツ感覚ではなく、あくまで精神的な歓びを伴う。

第2楽章も、熱い魂の調べだ。ロマンの灯がときに大きく、ときに小さく揺らめくので、聴く者の心も大きく揺らいでしまう。

第3楽章では鄙びたオーボエを筆頭にウィーン・フィルの魅力が全開であり、フィナーレの推進力も凄まじい。

全体に、技という技を尽くしながら、大仰な感じ、恣意的な感じは一片もなく、爽やかさに終始しているところがシューリヒトらしい。

ベートーヴェンはいかにもドイツの巨匠シューリヒトらしい表現で、落ち着いたテンポと堅固な表情で一貫しており、細部まで克明・着実な演奏である。

しかも気品が高く、音楽の底に毅然とした厳しい姿勢を感じさせる。

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2008年10月05日


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この初々しいロマンの香りが漂う魅惑的なブラームスは、シューリヒトのディスク中、1,2を争う名演である。

閃きに満ちたテンポの変化や部分の強調によって、生き生きとして、しかも表情豊かな音楽が展開する。

小気味よいテンポ。よく弾むリズム。

重厚で壮大なブラームスとは対極をなす軽やかで繊細なブラームスだが、歌って聴かせるところはたっぷりとブラームスの抒情を堪能させてくれる。

きわめてロマンティックなブラームスながら、そのロマンティックな情感の表出が決して野放図にならず、どこまでも明快な様式のなかに包みこまれているのは、ブラームスの音楽の本質を見事に衝いたものだ。

シューリヒトは、ブラームスの晩年の諦観と孤独とロマンをことごとく表現しており、しかも作品のもつ古典的様式からもはずれることがない。

特に第2楽章の端正で豊かな表現は、実に魅力的だ。

加えてウィーン・フィルが入念な表情と深い陰影をもって演奏していて、その美質を最高に発揮し、この演奏を不滅のブラームス演奏としている。

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2007年12月21日


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全篇儚さと無常感とに彩られたブルックナーである。

シューリヒトの演奏は、ブルックナーの本質を衝いた表現で、冒頭からこの指揮者特有の高雅な音楽性に引き込まれる。

まず第1にここに聴こえる音は、通常のオーケストラの音ではない。まるで現実感のない、別世界に鳴っている音楽なのである。

その音には油絵のような立体感と生々しさがある。その生々しさが心の奥深くに響くところが、他の演奏と違うところだ。

その孤高の美と枯淡に通じる味わいの深さは、他の指揮者には求められないもので、ブルックナーの音楽美と内面性をこれほど端正に示した演奏も少ないだろう。

ハーグ・フィルも親密なアンサンブルで応えている。

弦のトレモロに開始される第1楽章冒頭から、なんと「感じやすい」音なのだろう。奏者たちは楽器だけでなく、心の琴線をも弓で鳴らしているのだ。それが、聴く者の共感となってくる。

音楽は淀みなく進行していくが、そこに鳴る一瞬一瞬の音の閃きは、あまりにも眩しく愛おしい。「この瞬間のまま時間を止めて欲しい」。何度もそう願いたくなる。

その美しい音の過ぎゆく様、消えゆく様に人の生にも通ずる無常がある。

展開部でも劇性を煽るどころか素っ気ないくらいだが、内部に燃えたぎるパッションは火を噴く溶岩のように熱い。

コーダもオーケストラの全能力を引き出しての凄まじい大音量にもかかわらず、決してうるさく聴こえることはない。まさに至芸である。

第2楽章も深刻ぶらず、淡々と、しかも目一杯の共感をもって熱く歌われる。

まるで黄泉の国への川面に揺られるような第2主題は、魂を遠い記憶への郷愁へと誘う。

流れに身を委ねる心地よさは無類であるが、シンバルを伴った神々しいクライマックスへの駆け上がり方は、天馬のように迅速である。

第3楽章はシューリヒトの卓越したリズム感が冴える。音楽がどんなに荒れ狂っても、そこに匂う儚さは消え去らない。トリオはまるでもう一つの緩徐楽章のように歌が天を焦がす。

第4楽章では、楽章の規模の小ささを些かも感じさせぬ多彩な表現で聴く者を魅了する。

まさに傑作である。

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2007年12月20日


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"端麗辛口"、これがこの指揮者の一般的な認識であり、、私個人の見解も同様だった。

しかし、最近になってゾロゾロと出てくるシューリヒトのライヴ録音には恐ろしく大胆で濃厚な演奏も多く、「この指揮者は一体何なのだ。」というのが最近の印象だ。

最近登場したこのブルックナーの交響曲第5番も、認識を全く新たにさせるものだ。

全体にコントラストの明快な、厳しい表現のブルックナーである。

むろんシューリヒトは、音楽のかたちを崩すことはなく、大きな息づかいの中に、独自の細かい表情付けもある。

第1楽章の第2主題や第2楽章などには、感興を湛えた音楽のノリとうねりがあり、第3楽章は激烈な表情が速いテンポで連続している。

終楽章では旋律を感興豊かに歌わせながら、壮麗な音楽をつくる。

コーダがことのほか素晴らしく、金管も凄い。

ともかく、この曲にこれだけ自在なテンポの変化を加えたのはフルトヴェングラー以来ではなかろうか。

しかも、シューリヒトの場合には基本的な響きがきりりと締まっているために、フルトヴェングラーのようなくどさがない。

しかも、時おり見せるようなオーケストラの牙をむくような鋭さも圧巻である。

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カール・シューリヒトは特にモーツァルトとブルックナーを得意とした名匠で、まったく装飾のない贅肉をそぎ落としたような厳しい表現の中に、一種の即興性とニュアンスの豊かさがあり、そこが玄人好みする所以だった。

抑制のきいた、何度聴いても飽きない、それでいて最も意味深く、有機的な名演だ。

シューリヒトのブルックナーは、残されたものはどれもすでに名盤としての定評を確立している。

ただ、大きい規模を誇る作品の演奏としては軽すぎると評されることも。

だが、どうしてなかなか。澄んだ響きと明快な造形は、確かに軽いと感じられなくもないが、豊かに音楽を構成する有機的な「力」に富んでいる。

したがって、決して重厚ではないが、雄渾で輝きに満ちている。

細部の詩的な感興を重視しつつも、部分を全体に統合する積分的構成意欲は前世代の古き良きブルックナーの真髄をうがつものだが、つくられた音楽は不思議と現代に通じる。

第3番はシューリヒトの淡白でほとんど枯淡とでもいうべき音楽がよく表された、率直でありながら極めて味わい深い表現である。

第8番も演奏の晴朗さは比類がなく、まさに孤高の気品にあふれ、厳しくも内省的な音楽が歌われている。

第9番もやはり淡白だが、ブルックナー晩年の高貴な心情をあふれんばかりに表現した感動的な演奏である。

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